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Social Designer
日 本 初!〈 社 会 組 織 〉〈 コミュニ ティデ ザ イン 〉〈 危 機 管 理 〉3 つ の 分 野 を 学 べ る 大 学 院
立 教 大 学 大 学 院 2 1 世 紀 社 会 デ ザ イン 研 究 科
Contents
Social Designer
巻頭インタビュー/暗闇の力で助け合う社会の実現を目指す�����������������������������������������������������������������������������P1-2.
留学生の今・社会人×大学院生����������������������������������������������������������������������������������������������������������������������������P3
キャンパスの声����������������������������������������������������������������������������������������������������������������������������������������������������P4
着任あいさつ/長坂 俊成 教授 幅広い視点から真に安全で安心な社会を実現������������������������������������������������������P5
教員のつぶやき����������������������������������������������������������������������������������������������������������������������������������������������������P6
講演会レポート�����������������������������������������������������������������������������������������������������������������������������������������������������P7
お知らせ/2013年度公開講演会スケジュール・2013年度進学相談会スケジュール�������������������������������������������P8
vol.
21
発 行/立教大学大学院
21世紀社会デザイン研究科
編 集 長/中村 陽一
編集支援/中村 樹依
発 行 日/ 2013年7月27日
〒171-8501
東京都豊島区西池袋3-34-1
まっくらな中で、五感をとぎすます。
森を感じ、水の音を聴き、仲間と進む。
まっくらやみのエンターテイメント、
ダイアログ・イン・ザ・ダーク
www.dialoginthedark.com
巻 頭 インタビュー
暗闇の力で助け合う社会の実現を目指す
完全に光を遮断した空間の中へ、 参加者がグループを組んで入り、 暗闇の
エキスパートである視覚障がい者のアテンドによるサポートのもと、 中を探
検し、さまざまなシーンを体験する暗闇のソーシャルエンターテインメント
「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」。日本で 「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」
を運営しているダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパンの理事を務める志
村季世恵さんにお話をうかがった。
─「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」はもともとどのようにはじまっ
た活動ですか?
志村 季世恵 ( しむら きよえ ) さん
ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパン理事。バース・
セラピスト。1998 年「ダイアログ・イン・ザ・ダー
ク」と出会う。 金井真介を中心とする仲間と共
に 1999 年から日本各地で開催。現在、2009
年より外苑前にて長期開催中。またセラピストと
しては妊産婦の心のケアとターミナルケアをメイ
ンに携わり、
人間の誕生から臨終までの「いのち」
に関わる。企業研修、ワークショップ、講演など
を開催。4 児の母。主な著書として「いのちの
バトン」(講談社文庫)
、「大人のための幸せレッ
スン」(集英社新書)
、共著「親と子が育てられ
るとき」(岩波書店)等がある。
志村/ 20 年前に日本経済新聞でヨーロッパでの「ダイアログ・イン・
ザ・ダーク」
が紹介されたのです。その記事をダイアログ・イン・ザ・ダー
ク・ジャパンの代表の金井真介が見て感動し、私にその新聞を見
せにやってきました。当時日本はまだ物やお金に価値を見いだしてい
る時代だったのに、ヨーロッパでは見えないことに対して価値を見い
だしていると。私はターミナルケアの活動をしていて、同じように見え
ない命ということを考えていましたから、きっとつながりがある、一緒
に開催しようと誘われまして、「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」を日
本で行なうために動き始めたのです。
志村/もともとはドイツ人のアンドレアス・ハイネッケという哲学者が
25 年前に発案したものです。彼はユダヤ人の母親をもち、そして父
親はドイツ人でした。子どもの頃に両親のその歴史的背景を知り、
かれはその相反する文化を持つ夫婦の間で育ち苦しむのです。大
学時代は哲学の勉強をし、
ある時、
ユダヤ人が書いた、争いは「対話」
で解決するという書物を読みました。その中で「対話」を意識した
のでしょう。次のきっかけとして、就職をした彼の部下に失明をした
男性が入ってきます。彼はその男性との関わりの中でインスピレーショ
ンを感じました。真っ暗の中で人と人が出会い話し合ったらどうだろ
うかと。暗闇の中で視覚障がい者に導かれ、自分の常識を覆した
状態で「対話」する。それが最初のキッカケだったのです。
─「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」を日本で行なううえで、何か
苦労はありましたか?
志村/様々ありました。真っ暗にしてよい会場が先ずありません。そ
して消防法です。明かり一つない真の暗闇ですから「非常口」の
誘導灯はあっては困るのです。消防署の方たちとも丁寧に話し合い
ながら工夫を凝らし、やっと 6 年後に実現することができました。東
─ その「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」を日本で行なうようになっ
たキッカケは?
1
巻 頭 インタビュー
ならではの、文化や行事を中に取り入れ、その豊かさを感じでもら
えたらと、そして、ゆっくり対話を楽しんでもらう、そう考えています。
─ 週末は個人向けのイベント。平日は法人向けのビジネスワーク
ショップという形で行なっているんですね?
志村/ 3 年前から始めました。ドイツ本国から厳しい研修を受けた
視覚障害者がファシリテーターになってビジネスワークショップを行
なっています。彼らは独特な物の見方をします。私たちは物事を多
角的に見ることに長けていません。けれど、アテンドたちは、全方位
から見るのですよね。例えばですけれど、ある時にアテンドの一人
が動物園に行ってトナカイを見てきたと言うのです。あらかじめ模型
を触わりトナカイの形を把握し、それから動物園に行く。一番前に行
き餌を食べる音を聞き、その匂いを知る。排泄する音を聞いて、臭
いを嗅いで、そしてその場に集まってる人たちとトナカイを見ている人
の感想の声を聞くと言うのです。30 人のお客さんが周りにいれば 30
人の声を全部聞いているのですね。それで、余すところなく聞いて答
えを見つけ、
そして判断するのです。だから、私たちよりもよっぽど「見
る」ということを知っている。その能力は今の社会に必要なのです。
京ビッグサイトを 2 日間借りて初めて開催したのが今から 14 年前の
ことです。
─ 最初はどのぐらいのペースでイベントを行なったんですか?
志村/年に 1 回だけ。2 日とか 1 週間、10 日とか。会場が見つか
ると有志が集まって開催します。そんなことを 10 年間繰り返したので
す。ただ、それではアテンドをやってくれた視覚障害者の雇用につな
がりません。これに対しとても無責任に感じて。イベントの中では視
覚障害者が暗闇を案内するアテンドを行い、参加者は視覚障害者
の力を知り、驚き、スーパースターのようになるのです。けれどイベン
トが終わると元の世界に戻るわけです。その落差が大きくて苦しむ人
もいるのではないか。そう感じました。そこでイベントを常設をしよう
とスポンサーや協力者を探したのですけれど、ヨーロッパのようには
上手くいきませんでした。金井は覚悟を決め借金を背負い何とか資
金を捻出し 5 年前から今の場所で常設にまでたどり着きました。
─ イベントの参加者からの反響にはどのようなものがありますか?
志村/ 14 年前、私が最初にビックリしたのは、暗闇から出てきた人
たちが、泣いていたことが多かったのです。もしかしたらよっぽど怖
かったのかと思ったんですね。そうしたら、
「感動して泣いてます」っ
ておっしゃって。「私は人が好きだってことを、思い知らされました」っ
て言うんですね。今までは人が好きじゃないって思ってたのですって。
「満員電車に乗っていてもまわりの人のことを、うっとうしいって思う
し、ちょっとぶつかってもイラっとする、だけど暗闇の中ではまわりに
人がいることが安心で、ほっとして人って何ていいんだろう」って思っ
たと。暗闇の中では、
お互いが顔も年齢も障害の有無も分からない。
ただ助け合い協力し合い、ニュートラルな状態となるのです。「人が
好きだと思った瞬間に、そんな自分のことも好きになった」っと聞き
ました。その時です。「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」は、凄い力
を持っているなって思ったのです。
─ 常設で行なうようになって何か変わりましたか?
志村/毎日というのは大事なことですね。視覚に障害を持つ人たち
が自分の能力を最大限に活かし社会参加ができる。見える人、見え
ない人の差などなく一緒にやっていける。対等に社会に関わってい
けるのです。そして行動を共にすることで、私たちが知らなかった見
えない人達の文化をたくさん知ることもできました。こんな能力があっ
たのか、こんな才能があったのかと驚くことの連続なのです。豊かな
感性を持ち、目を使わず暮らす視覚障害者から沢山の学びを受けま
した。ハイネッケが、よく言うのですが「ダイアログ・イン・ザ・ダー
ク」は、目の見えない人のためにやっているのではない。目が見え
ない人と一緒にやっているのだ。もうちょっと深く言うと、目が見えな
い人の能力を使っている」それは凄く素敵な言葉だなって思っていま
す。
その秀でた能力を知っていればこその言葉ですから。世の中には、
こうして私達が知らない能力が沢山埋まっているのでしょうね。お互
いの能力を重ねあわせて、よりよい社会になれたらと願っています。
─ 「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」を運営していく中で何か課題
はありますか?
志村/「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」
自体が目に見えない世界なので、
言葉として説明しにくく、広がりにくいという問題はあります。テレビに
映すこともできませんから。静かに口コミで伝わっていくのを待つの
には忍耐が必要でした。また運営スタッフも少ないのです。
─ 今後の目標は何かありますか?
─ 常設イベントではコンテンツをシーズンごとに変えているんです
よね?
志村/日本中の人たちが「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」を 1 回
でも体験して下されば、社会は少し変わると思っています。人を信じ
ることもでき、助け合うことも知る。普段は忘れていても、何かあっ
た時にその感覚を覚えていることが出来る。弱者と思い込んでいた
人のこともアテンドとの出会いでそうではないことが分かる。体験者
の多くが「目が見えないのは気の毒と思っていた。でも実際に知ると、
それは不便な面もあるけれど、決して不自由ではなかった」と仰い
ます。ディズニーランドって日本中の人たちが誰でも 1 回は体験して
いるでしょう。なので「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」も日本中の
人たちが 1 回は体験するものになればいいなっていうのがひとつ大き
な願いです。
志村/実はコンテンツを変えているのは日本だけなのです。同じもの
ではリピーター参加率が低いのです。海外はずっと同じコンテンツを
提供しています。リピーターは一緒に参加する人を変えるんです。つ
まり同じコンテンツでも親ときたらこうなったとか、夫婦ではこうだっ
たとか、恋人、友だちでは…という具合に参加する人を変えています。
会社の部下や上司ではと、人との関わりを楽しんでいます。日本の
場合は人との関係性というより先ず、コンテンツを楽しむという感じな
のだと思います。文化の違いがここにもあることが分かります。それ
に対し日本も無理に合わせようとするのではなく、であるならば日本
2
留 学 生 の 今
私の今は、あと一年間しかないキャンパスライフを充実させるために奮闘する日々です。ここで挑戦し
たいことはまだまだありますが、中でも自分に納得のいく修士論文を書き上げることは一番です。周りか
ら多大な協力を頂き、就職活動を無事に終えた私は、一安心しています。しかし、修士論文においては、
これからが正念場です。とはいっても、私は心細くなることはありません。迷ったら、道しるべになってく
れる先生方がいます。悩んでいたら、些細なことでも相談できる仲間・先輩たちがいます。たくさんの助
けを頂きながら、自分の論文にぶつけていきます。
もちろん、私には論文が全てではありません。興味のある講義を見つけたら、たとえ単位が出なくても、
或いは他研究科の授業でも好みで履修していました。私にとって、学びの場が広がっていくのは楽しい
です。それもこの研究科の特徴と言えるかもしれません。多様なバックグラウンドを持つ人生の先輩方
李龍
( り りゅう ) さん
1987 年 中 国・ 福 建 省
生まれ。2007 年に来日
し、明徳義塾高等学校で
一年間の日本語勉強を終
え、麗澤大学に進学しま
した。 大学では経営学科
で会計を軸に学び、自立
から自律へ近づくために、
簿記学校に通い、一年間
のダブルスクールを実行し
ました。2012 年、 大 学
を卒 業し、 更なる成 長を
遂げるために本研究科に
入学しました。
に囲まれて、今も、成長の刺激を受ける日々を満喫しています。
社 会 人×大 学 院 生
「本当に私で良いのですか。」
ています。といっても非常勤の神主として正月、土日や忙
内山先生から原稿の依頼を受けた時、思わず聞き返してし
しい日など不定期の勤務ですが……。そのため時間にゆと
まいました。先生からは「変わった仕事をしているから」と
りがある時と忙しい時期とでかなりの落差があります。
言われ、変わった人が集まる内山ゼミの1人として引き受け
11 月頃から正月の準備で神社は大変忙しくなります。朝
ることになりました。
は 7 時に家を出て、仕事が終わるのが 22 時という生活で
父の影響で高校時代から説話文学を読み、当時の歴
した。なかなか大学に顔を出すこともできません。 正月を
史、宗教や思想に興味を持ったのがきっかけとなり、学部
過ぎるとそれまでの体力的、精神的疲れからか体調を崩し、
生時代は中世神道史について文献を使用し研究しました。
レポートの作成にも手間取りました。自分の研究に対する
私は学部生の頃から、なんとなく大学院で研究をしたいと
調査や生活が荒んでいきましたが、修了生の方々、諸先
思っていましたが、腰が重いのか実行に移すことができま
輩方や同期に叱咤激励を受けなんとか乗り切りました。
せんでした。大学卒業後は東北地方の神社に奉職してい
この原稿を読んでいる方は仕事と研究の両立には少々骨
ましたが、退職を機に、本気で研究をしたいと考え大学院
を折りそうだ、と思う人がいるかもしれませんが、自分のや
へ進学しました。大学院入学後の研究テーマは「神仏習
りくり次第でなんとかなります。それでも、自分ではどうに
合思想の成立と展開」です。
もならない時は、協力してくれる方々が周りに必ずいるの
自分のことを長々と書いてしまいましたが、原稿のテーマ
で安心してください。
が「社会人と院生の両立」なので忙しい時期のことを少々
ここまで原稿を書いた時にふと「バイトをしている院生の
書きたいと思います。
生活じゃないか」と思いましたが、こんな院生がいてもい
私の仕事は横浜で神社の神職(以下、神主と記す)をし
いかなと紫煙を燻らせながら書いています。
「コミュニティデザインを学びたい」その一念で大学院を探
できるということです。また、同じテーマについて周りの社
し、この21世紀社会デザイン研究科を受けてみました。正
会人の方々と話すことで、自分の持っていない考え方に触
直、
やりきれるかどうかという自信が、応募の時はなかった(あ
れ、さらに学びが深まっていくように感じます。それがまたモ
まり心配してなかったかも!)ですし、いまもまだありません。
チベーションの高さにつながっているのだと思います。ただ
しかし受験したときは「今これをやらなかったらダメだ!」とい
し、研究テーマが仕事と関わりのあることでなければ、メリッ
う強い思いがあったので、飛び込んでみることにしました。
ト感は薄れてしまうと思いますが。
始まってみると、中学校の教員は土日も部活で出ることが多
社会人として働きながら大学院生をするというのは、確か
いですし、勤務外の時間にも授業準備や生徒指導がはいっ
に大変なことかもしれませんが、そういった状況だからこそで
てくることも多いですので、あまり自由な時間はありません。
きることもあるのだと思ってこれからも、多くの方々と一緒に
しかし、それでもどの授業もおもしろく、また出会う人みなさ
学び、研究していきたいと思います。
んがとても魅力的な方ばかりで、高いモチベーションを保つ
ことができています。卒業するまで、山も谷もあると思いま
すが、このモチベーションをできるだけ保っていけたらと思っ
ています。
平均的な一週間のスケジュール
月 /勤務。勤務後、7時限目を受講。
火 /部活の朝練を指導。勤務後、6・7 時限目を受講。
社会人として働きながら学ぶことのメリットは、より深く広
水 /部活の朝練を指導。勤務後、6 限目を受講。
帰りに今日の授業について話しながら、友人と食事。
い学びができることだと思います。常に現場に身を置いてい
木 /部活の朝練を指導。勤務後、早めに帰り授業準備。
るということは、頭の中は常に現場思考になります。この状
金 /勤務後、顧問の仲間と飲み会。
態で何かを学ぶと、自分の普段の経験や想いなどと結びつ
き、学んだことが自分の中でより深く意味づけられていくと
思います。例えば「新しい公共」について学んでいるので
すが、「新しい公共」×「学校」というように考えることが
土 /午前中、部活指導。午後 5 時限目を受講。
帰って 1 週間分の家事をする。
日 /自分のやりたいことをやる。例えば、教育関連の講演会
やワークショップに参加、友人と遊ぶなど。
※移動時間が長いので、本は電車の中で読んでいます。
3
東海林 克也 さん
( しょうじ かつや )
博 士 課 程 前 期 2 年( 内
山ゼミ)
。 國學院大學卒
業後、東北地方の神社に
奉職。 現在は横浜方面の
神社に非常勤として勤務。
研究テーマは「神仏習合
思想の成立と展開」
山田 寛和 さん
( やまだ ひろかず )
博士課程前期1年(坂本
ゼミ)神奈川県横浜市で
公立中学校に勤務。研究
テーマは「学校と地域のよ
り良い関係づくりをするに
は?」
キ ャ ン パ ス の 声
8
12
期
期
落 合 佐 知 子( おちあい さちこ)さん
白 川 徹(しらかわ とおる)さん
東京都出身。 社会福祉士、精神保健福祉士。( 独法 ) 国
際協力機構で企画調査員として東アジアに勤務し、現在同機
構青年海外協力隊事務局で国内協力員として南アジア地域
担当。石川ゼミ所属。修論は旧社会主義国の福祉がテーマ。
1984 年東京生まれ。2006 年よりアフガニスタンを中心に取
材活動を始める。著作に『悲しきアフガンの美しい人々(アス
トラ刊)』。2011 年以降は国際協力 NGO で震災支援・福
島担当として勤務。
走ってきた人生。
今は勉学を
これも普通?ある学生の姿…
今年でなんと5 年生になりました!講義初回の自己紹介で「この人、まだい
わたしはフリーランスの記者や NGO 職員として働いてきましたが、忙しさに
るの ? 」という周りの視線が痛いです。
かまけてじっくり研究をしたり、勉強をするという時間をなかなか持てないでいま
一年生終了後、海外勤務のため 2 年間休学し、昨年帰国し 4 年生に復学
した。記者として活動し始めた時、同時に大学もやめてしまいました(立教
しました。( 実質 2 年生。立教では休学中も学年が上がります。) しかし、
大学大学院には受験資格審査を経て入りました)
。すぐに動き出したいとい
女 30 代、出産に待ったなしです。復学後に妊娠・出産をしました。その為、
う気持ちが何より強かったのだと思います。けれど、記事を書いたり、NGO
既定の 2 年間では卒業できず今年 5 年生になりました。現在は育児 ( 生後
でプロジェクトを回していくようになり、「ちゃんと勉強したい!研究をしたい!」と
4ヵ月 ) と大学院と仕事の両立を目指しています。出産後は超ハードな育児
いう気持ちは年々強くなっていきました。例えば、アフガニスタン戦争での記
生活が始まり、半分ノイローゼ?学業と両立させるため、わが子を人に預ける
事を書くとき、ジュネーブ条約など国際人道法の引用をしますが、わたしはそ
ことに自責の念を感じ、一度は退学を考えました。しかし、ここは 21 世紀社
れを系統建てて勉強したことはありません。NGO で活動する時も同じです。
会デザイン研究科。育児は最も貴い仕事としつつも、学生や教授からは励ま
都合のいいところをつまみ食いしているだけで、実はよく分かっていないので
しの言葉と利用できる保育サービス情報、育児と仕事を両立させた経験から
す。仕事の中でいろんな人たちに会い、もまれていく中でふと自分にベース
の助言。石川教授の育児談議を聞いて
「自分はまだまだ甘い!
まだまだいける、
メントが無いことに気づく瞬間があります。そのようなものを得たい気持ちが
膨らみ、大学院の門をたたきました。レベルの高い学生たちとディスカッショ
いかねばならぬ!」と奮起。家族の支えもあり学業継続を選びました。
ンしあい、先駆者たる先生方に指導いただくことは、とても刺激的です。本
一度にまとまってとれる睡眠時間は 2 時間が限界。正直かなりやつ
と向かい合う中で、自分がどのように歩んできたかを俯瞰して見ることもできま
れ気味ではありますが、十数年後に「お母さん、よくやったよね」
す。まだ1年生。始まったばかりですが、沢山のものを吸収して社会に還元
とわが子に誇りに思ってもらえるよう、育児も学業も仕事もがん
して行きたいです。
ばらずに…存分に楽しみたいと思います。
12
12
期
期
笠 原 康 平(かさはら こうへい )さん
榊 原 康 貴(さかきばら こうき)さん
立教大学卒業後、本研究科に入学。学部時代は、体育会
男子ラクロス部の活動に励む。急に運動をしなくなり、社会人
との飲みニケーションの日々で運動不足が心配。
お稲荷さまに守られた東京都北区王子在住。東洋大学総務
部広報課に勤務。ブランンディング、CI、危機管理広報など
担当。1969 年生の社会人 22 年目。
コトづくりを学びに
感謝感謝の大学院入学
大学院へ行く目的は何でしょうか。 私の目的は、制度や仕組みをデザイ
チャペルでの入学式に感動し、気がつけば紫陽花の美しい季節です。授
ンするコトづくりの人材になるためです。一見バラバラにみえるコミュニティ、
業では学ぶことの贅沢さ、豊かさ、有り難さをひしひしと感じております。まだ
組織理論、危機管理の研究科の 3 分野はどれも社会においてモノではなく
始まったばかりですが、こうして勉強できるのは、やはり多くの方々に支えられ
コトづくりするうえで大切な要素だと思っています。
ているからこそ。この場を借りて感謝の気持ちを述べたいと思います。
私は、立教大学を卒業後、本研究科に入学をしました。3 月に学部の卒
まずは、職場の上司へ。大学院進学を応援していただいた部長!面接直
業式を終え、4 年間を振り返り涙したのも数か月前、またキャンパスライフが
前激励メールをくれた次長!合格の知らせを誰よりも喜んでくれたお2人へあり
始まり、不思議な気持ちでいます。20 世紀は手段をつくり、21 世紀は目
がとうございます。
的を問われる時代だと言われます。現代に溢れる問題の多くは、手段がそろっ
職場の後輩たちへ。君たちのがんばっている姿が私の向学心に火をつけま
ているものの目的が定まらない、または間違っているそんな状況と言えるでは
した!いつも仕事のサポートをしてくれてありがとう。安心して勉強できます。
ないでしょうか。そんな 21 世紀の社会をデザインするうえでコトづくりは大き
母へ。まさか、
もう一度保証人になってもらうとは!元気でいてくれてありがとう。
な意味を持つと思っています。
奥さんへ。共働きで同じように忙しいのに、「勉強してらっしゃい!」と背中
本研究科は、社会人の方々が大半を占め、社会で抱えた問題意識の整
をドーンと押してくれてありがとう。
理や解決を目的に研究をされている方々が多く、そういった方々との議論、
小学 1 年の我が子へ。一緒に遊べる時間が少なくなってごめん!いつも寝
飲みニケーションは多くのことを教えてくれます。その中で特に感じることは、
顔に癒されてます。元気をくれてありがとう。
現場をみて実践されてきた社会人の問題意識は理論以上に説得力があり、
研究科の同期や先輩方へ。個性豊かな皆さん!たくさんの刺激を受けてお
机上の学びに深みを与えてくれるということです。修了するときには、そうした
ります。この出会いにありがとうございます。
視点を忘れず論文を書上げたいです。
最後に、研究科の先生方へ。いつもワクワクドキドキの授業!こんな私に
勉学に励む機会をお与えいただきありがとうございます。
4
着 任 あ い さ つ
幅広い視点から
真に安全で安心な社会を実現
ンし機能させることにはかなりの困難を伴いました。リスクが顕
在化した被害レベルに応じて多様な主体が制度的な公的資源
に加え社会資源(情報や知恵、資金、物資、人材等)を自
発的に持ち寄り、社会的なセーフティーネットワークを重層化する
(ながさか としなり)
長坂 俊成 教授
ことで、被災した地域社会の脆弱性を補い被害軽減と早期回
1962 年生まれ。 慶應義塾大学大学院助
教授(リスクコミュニケーション特別研究)
、
独立行政法人防災科学技術研究所主任研
究員を経て現職。リスクガバナンス、リスクコ
ミュニケーション、災害情報、防災教育、e
コミュニティプラットフォーム、デジタルアーカ
イブなどの研究開発に従事。
スクの社会的な協治)の高度化が求められています。
復を目指す「リスクガバナンス」
(自治と協働、熟慮に基づくリ
新たな防災社会システムのデザイン
これから防災政策や危機管理について研究される学生のみ
なさんは、既存のエスタブリッシュメント(実務家や研究者)
の言説に惑わされることなく、自らの生活知や良識から専門知
「リスクガバナンス」 の高度化
をも疑い、新たな防災社会システムをデザインしていただきたい
本年4月から本研究科で危機管理関連の授業と演習を担当
と思います。特に、3.
11の前後から実務の世界のみならず学
することとなりました。それまでは、国の防災研究機関の研究
術の領域においても、新たな分析枠組みにもならず、また、新
員として地域防災活動や行政等の災害対策を支える情報共有
たな社会をデザインする視座としても寄与するか疑わしい「キャッ
プラットフォームに関する研究開発に従事していました。東日本
チコピー」が提唱され無批判に流布し政治的なプロパガンダに
被災自治体の災害対策業務や災害ボランティアセンターの運営
ら減災へ」、
「防災の主流化」、
「脆弱性からレジリエンスへ」な
大震災の際は発生直後から開発中同プラットフォームを用いて
利用される傾向が見られます。「ハードからソフトへ」、「防災か
を情報面で支援する活動に取り組みました。また、被災地によ
どの近年防災村で流布しつつある諸言説についても、リスクガ
る被災地のための災害デジタルアーカイブを支援するプロジェク
バナンスの視点から批判的に検証する必要があります。ソーシャ
ト「311まるごとアーカイブス」を立ち上げ、被災地が自ら災害
ルデザイナーとして防災危機管理を研究される皆さんととも
を記録し、収集・保存・公開・利用するためのオープンソー
に、狭い防災・危機管理の専門知や言説にとらわれず、
スシステムの開発やそれらを活用した防災教育のための電子
さまざまな政策領域を横断する政策的な包括性や
教材や語り部支援のための復興ツーリズムやデジタルフィールド
各種対策の統合性、社会的な協働性、対策
ミュージアムなどの支援活動に取り組んでいます。これらの活動
の有効性と効率性、資源配分の公正性な
はすべて公民「協働」によって支えられています。不確実性を
どの幅広い視点から真に安全で安心
孕む災害リスクと社会がうまく付き合うための戦略としてこの「協
な社会を実現するための防災・
働」が重要なコンセプトとなりますが、3.
11の経験では、事
危機管理研究に取り組んで
前の関係性がない状況で、アドホックに社会的な協働をデザイ
ゆきたいと思います。
5
教 員 の つ ぶ や き
ハーブの香りに誘われて
牧田 りえ (まきた りえ)准教授
2011 年 10 月より21 世紀社会デザイン研究科准教授。大学卒業後、外資系食品会社に就職し、マーケティングを担当。その間に総務庁(当時)
主催の国際交流事業でネパールへ派遣されたことが契機となり、
開発援助の道へ進む。海外経済協力基金(現国際協力機構の円借款部門)職員、
及び開発コンサルタントとしてアジア、アフリカ諸国の農村開発に従事。地理学で博士号取得。
今年3月、アユルヴェーダ(インド伝統医療)発祥の地と言
われるケララ州を訪ね、大きく変動しているインド社会の新たな
一面を知ることになった。
丘陵地帯の部族民の間で代々継承されてきた伝統的な薬草
知識が急速に失われている。部族民の健康と伝統知識の継承
のために某NGOがプロジェクトを実施した村落へと向かった。
残念ながら、プロジェクト終了から2年が経過した今では、家
屋の周囲に植えられた薬草はすっかり枯れてしまい、指導され
た薬草活用法にもほとんど関心が持たれていない。村で暮らす
40代の女性たちは、親たちの世代が森林に薬草採取にでか
けていたのは覚えているが、自分たち自身は採取の経験が全く
ないという。この背景には、政府の貧困対策の一環で、貧困
層と認定されている部族民が近代医学の薬品を無償で手に入
れられるようになった事実がある。薬草を煮出したり、石臼です
りつぶしたりする手間より錠剤の手軽さが好まれるのは当然だろ
う。こうして伝統医療の本来の担い手だった人々は近代医療に
取り込まれていく。
一方で、部族民の薬草知識に基づいて形作られた伝統医療
は、今や企業の巨大ビジネスへと変貌していた。病院、ホテル、
保養施設にはじまり、薬草園、製薬業、医者や施術師を養成
する大学、出版部門までも擁したコングロマリットが、成長著し
いインド経済の一翼を担っている。本来は倹しい生活を送る部
族民のためのお金のかからない医療だった行為に、インドの富
裕層や欧米のセレブたちがダイエットや体質改善のために、あ
るいは近代医学に見放された人々が最後の望みを託して、高
額な料金を支払っているのだ。部族民はこのようなビジネスに
関与することはなく、貧困層の地位に甘んじたままである。
伝統文化が失われていく一方で、伝統文化の再生によって新
たな富が生まれている現実をどのように解釈すべきか。部族民
が伝統文化を維持しつつ豊かになれる道はないのだろうか。
変化を恐れず、前へ進む
石 川 治 江( いしかわ はるえ)教授
社会福祉法人にんじんの会理事長、特定非営利活動法人ケア・センターやわらぎ代表理事、立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科教授、
立川駅にエレベーター設置運動を開始(1981)
、
任意団体ケア・センターやわらぎ設立(1987)
、
「ケース管理業務支援情報システム」開発 (1994)、
社会福祉法人にんじんの会設立(1997)『介護はプロに、家族は愛を』(ユーリーグ(株)2000年)
、『川で実践する』
(学芸出版社2004年)
、『水
辺の元気づくり』
(理工図書2002年)他
「どうしたら多くの人達を巻き込んで、共感してくれる人と出会
えるのでしょうか・・・」涙を拭きながら尋ねる可愛い女子の姿に、
またか、なんでと思う。顔を見て瞬時、会話をしていないのに
この状況が出現するのですから。社会企業家をめざす気の強
い女子ほどこのパターンなのだ。
昨今、社会企業家も、たまごも増えている。この流れを牽引
している要因はいくつかあるが、その中でも、全国を舞台に、
野球少年の夢である甲子園をお手本にした「社会イノベーター
公志園」がある。筆者も公志園を支える一人として裏方を担っ
ている。21世紀社会デザイン研究科の中村先生もその一人だ。
社会の問題や課題に向かっていく所作は、見かけほど楽しく楽
じゃない。かなりしんどい場面ばかりだと言っても過言ではない。
社会イノベーターたちの涙や怒りも十分にわかる。多くの企業家
の先達者もしかり、一歩進んでそこに道はできてきた。起業家
を自負するものとして、一ミリでも前へ進み道を創る努力をする
しかない。
しかし、
一人の力では限界がある。公志園は一人の社会イノベー
ターに約3人の伴走者がしっかりとサポートし、相互支援会とし
てブラッシュアップの機会も用意している。これらの過程からイノ
ベーターたちはみごとに開花していく。
「身体で知る、覚える、感じる、嫌がる、身体で好きになる、
身体で将来を見据える」こんな言葉が私のインタビュー記事とし
て、ソーシャルデザインの2号(2004年1月31日発行)に記
載されている。第1期生が2年生になった年だ。
この言葉は今も発している。頭でしか考えられない人と、身体
全体で感じ考える人とは、かなりの違いがある。21世紀は身
体全体で感じ考える、そのような人々が台頭してきた時代だと
いえよう。この研究科は、多種多様な学生や教員とともに育ん
できたノウハウやナレッジがある。あらためて無駄にせぬように、
とわが身に言い聞かせた。
お知らせ
6
各地域から選抜されたイノベーターたちの最終「結昌大会」は、来年の3
月8日に立教大学タッカーホールで実施される。ぜひご参加ください。
講 演 会 レ ポ ート
2013年3月17日(日)開催
シティズンシップ
教育が拓く未来とは?
主 催
21世紀社会デザイン研究科
共 催
日本シティズンシップ教育フォーラム(J-CEF)設立準備会、社会デザイン研究所
ショートスピーチ
唐木清志氏(筑波大学大学院人間総合科学研究科准教授)
黒崎洋介氏(神奈川県立湘南台高等学校教諭)
杉浦真理氏(立命館宇治高等学校教諭)
中村絵乃氏(NPO法人開発教育協会理事・事務局長)
た太刀川記念館多目的ホールには、およそ 150 名の参加者が
集まりました。
開会挨拶に続いて、まずは唐木清志氏、黒崎洋介氏、杉浦
真理氏、中村絵乃氏、古田雄一氏、村上千里氏等によるショー
トスピーチが行なわれ、シティズンシップ教育の先駆的な取り組
みについて事例発表が行なわれました。そして、岡田泰孝氏、
林大介氏、水山光春氏、本学・中村教授が参加したパネルディ
スカッション、および小玉重夫氏による総括講演では、日本に
おけるシティズンシップ教育の今後の展望に関する考察が行な
われました。
なお、日本シティズンシップ教育フォーラムでは、今後も日本
におけるシティズンシップ教育推進環境の整備や、関係者のネッ
トワーキングなどに取り組んでいかれるそうです。
古田雄一氏(東京大学大学院教育学研究科修士課程、わかもの科代表)
村上千里氏(認定 NPO法人「持続可能な開発のための教育の 10年」 推進会議理事・事務局
パネルディスカッションパネリスト
岡田泰孝氏(お茶の水女子大学附属小学校教諭)
林大介氏(模擬選挙推進ネットワーク事務局長)
水山光春氏(京都教育大学教育学部教授)
パネルディスカッションコーディネーター
中村陽一(21世紀社会デザイン研究科教授、社会デザイン研究所所長)
総合司会
小玉重夫氏(東京大学大学院教育学研究科教授)
日本におけるシティズンシップ教育を広く進展させることを目的
とした団体「日本シティズンシップ教育フォーラム(J-CEF)
」の
設立を記念したシンポジウムが、「シティズンシップ教育が拓く
未来とは?」をテーマに 3 月 17 日に開催されました。会場となっ
2013 年5月25日(土)開催
3.11後のアート・
文化と社会デザイン
主 催
21世紀社会デザイン研究科、社会デザイン研究所
共 催
社会デザイン学会
キーノートスピーチ
近藤 誠一 氏
加藤 種男 氏
解決するためには市民一人一人が組織の壁を超えて繋がること
で社会を大きく動かしていく必要があり、それを叶えてくれるいく
つかの手段のひとつが文化芸術なのではないかというお話があ
りました。
また、「企業メセナと社会創造」をテーマにした加藤氏による
講演では、芸術文化活動を通した文化創造という企業メセナ
の役割についてのお話とともに、小槌神社例大祭、プロジェク
トFUKUSHIMA、南三陸の「切子」
、八戸の「はっち」など、
東日本大震災の被災地で行なわれている活動の実例が紹介さ
れました。
そして、公開講演会の最後には「3.11 後のアート・文化と
社会デザイン―コミュニティ・記憶・公共性」というテーマでパ
ネルディスカッションが行なわれました。五十嵐氏は「あいちトリ
エンナーレ 2013」
、太下氏は「記憶のミュージアム」
、福屋氏は
「ArchiAid」
、長坂氏は「311 まるごとアーカイブス」など、そ
れぞれが関わっているプロジェクトが紹介されるとともに、アート・
文化と社会デザインの在り方や課題について意見交換が行なわ
れました。
近藤 誠一 氏(文化庁長官)
講 演
加藤 種男 氏(アサヒグループ芸術文化財団顧問、公益社団法人企業メセナ協議会専務理事)
パネルディスカッション
五十嵐 太郎 氏(建築史家、東北大学大学院教授)
太下 義之 氏(三菱UFJリサーチ&コンサルティング主席研究員)
福屋 粧子 氏(建築家、東北工業大学専任講師)
長坂 俊成(21世紀社会デザイン研究科・社会学部教授)
パネルディスカッションコーディネーター
片山 正夫(21世紀社会デザイン研究科教授、公益財団法人セゾン文化財団常務理事)
総合司会
中村 陽一(21世紀社会デザイン研究科・法学部教授、社会デザイン研究所所長)
「3.11 後のアート・ 文化と社会デザイン」を全体のテーマ
に掲げ、近藤氏によるキーノートスピーチ、加藤氏による講演、
五十嵐氏、太下氏、福屋氏、長坂氏ら 4 名のパネリストが参
加したパネルディスカッションの 3 部構成で行なわれました。
「文化戦略・文化政策と社会デザイン」をテーマにした近藤
氏によるキーノートスピーチでは、世界が直面している諸問題を
7
講 演 会 レ ポ ート
2013年 6月21日(金)開催
男性が語る
女性のエンパワメント
主 催
21世紀社会デザイン研究科、社会デザイン研究所
共 催
公益財団法人 ケア・インターナショナル ジャパン
岩田 喜美枝 氏
がさらに活躍するための企業の課題として「仕事と子育ての両
立支援」、「全社員の働き方の見直し」、「女性のエンパワメント
のためのポジティブアクション」
の 3 点があげられました。最後に、
女性のエンパワメントに取り組む日本企業が国連グローバルコン
パクトとユニフェムが定めた「Women’s Empowerment Princi
ples(WEPs)
」に参加する意義について話されました。
続いて行なわれたパネルディスカッションでは、阪神・淡路
大震災を機に新天地の三重県で事業再建を進めてきた松浦
氏、建設会社でダイバーシティやワークライフバランスを推進する
塩入氏、国際協力 NGO として国内外・組織内外の改革に携
わる武田氏の 3 名が自身の所属企業・団体での女性のエンパ
ワメントへの取り組みについて紹介し、業種・規模・地域など
がそれぞれ異なる 3 つの事例について知ることができました。そ
して、女性のエンパワメントにおける課題について話し合われ、
その後の質疑応答も含めて活発に意見が交換されました。
基調講演者
岩田 喜美枝 氏(UN Women 日本委員会副理事長、株式会社資生堂顧問)
パネリスト
松浦 信男 氏(万協製薬株式会社社長)
塩入 徹弥 氏(大成建設株式会社人事部人材いきいき推進室長)
武田 勝彦 氏(公益財団法人ケア・インターナショナル ジャパン事務局長)
司 会
萩原 なつ子(21世紀社会デザイン研究科・社会学部教授)
「男性が語る女性のエンパワメント」をテーマに立教大学池袋
キャンパスで開催されたこの日の公開講演会は、岩田喜美枝
氏による基調講演と松浦信男氏、塩入徹弥氏、武田勝彦氏ら
3 名のパネリストが参加したパネルディスカッションの 2 部構成で
行なわれました。
岩田氏の基調講演ではまず、企業の成長・持続的発展のた
めに女性の活躍が必要なことが説明されました。続いて、女性
お
知
ら
せ
2013年度公開講演会スケジュール
研究科主催の様々な公開講座やシンポジウムを定期的に開催しています。
本研究科の教員のほか学外から多様なスペシャリストを講師やシンポジストとしてお招きしています。
2013年
8月7日(金)
13:30~17:00 (受付開始 12:30)
2014年
3月8日(土)
12:00~19:00
◆アジアをつなぐNGOとソーシャルビジネスの役割
~ラモン・マグサイサイ賞受賞者が語るアジアの未来~
主催/21世紀社会デザイン研究科 社会デザイン研究所 特定非営利活動法人アジア・コミュニティ・センター21
講師/ハイメ・アリストトゥル・アリップ氏(CARD MRI創設者・会長)ヤン・セン・コマ氏
(CEDAC創設者・プレジデン
ト)プラティープ・ウンソンタム・ハタ氏(プラティープ財団創設者・事務局長)
会場 /池袋キャンパス8号館 2階8202教室
問い合わせ先/21世紀社会デザイン研究科委員長室 TEL.03-3985-2181(月~金)
11:00~18:00 特定非営利活
動法人アジア・コミュニティ・センター21 TEL.03-3945-2615(月~金)
10:00~18:00
◆社会イノベーター公志園決勝大会
会場/池袋キャンパス タッカーホール、8号館2階8201・8202教室
主催/21世紀社会デザイン研究科 社会デザイン研究所 社会イノベーター公志園300人委員会
問い合わせ先/社会デザイン研究所 TEL. 03-3985-4725(月・水・金)
12:00~20:00
2013年度進学相談会スケジュール
◆第1回進学相談会
2013年
11月23日(土)
13:00~17:00
◆第2回進学相談会
21世紀社会デザイン研究
科では、講演会やイベント
の情報をホームページで
お知らせしております。
21世紀社会デザイン研
究科ホームページ
http://www.rikkyo.ac
.jp/sindaigakuin/sd/
index.html
独立研究科では例年 2 回、7 月と 11 月に進学相談会を行っています。
専任教員がマンツーマンで受験生の相談に乗る貴重な機会です。
2013年
7月27日(土)
13:00~17:00 More Information
会場 /池袋キャンパス太刀川記念館
プログラム /各研究科の概要説明(集合形式)各研究科専任教員による個別相談
問い合わせ先/立教大学 独立研究科事務室 TEL. 03-3985-3321(月〜金)
12:30〜20:30(土)
10:00〜17:00
会場/池袋キャンパス太刀川記念館
プログラム/各研究科の概要説明(集合形式)各研究科専任教員による個別相談
問い合わせ先/立教大学 独立研究科事務室 TEL. 03-3985-3321(月〜金)
12:30〜20:30(土)
10:00〜17:00
編集協力:クランツ
デザイン:ペンシルロケット
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