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関西帰国生親の会かけはし会報 Vol.23(2010 年春号)
Vol.23
関西帰国生親の会かけはし [email protected]
26 年目を迎えた「関西帰国生親の会かけはし」は 2009 年 12 月より新体制となりました。
新代表から、皆さまへご挨拶申しあげます。
桜の季節となりました。かけはし会報を今春もお届けできますのも、私どもを支えて下さる
皆さまのおかげと、心より感謝申し上げます。
昨年 12 月来、会に信頼を寄せていただくことの有難さと責任をあらためて感じております。
私ども、
『帰国生への学校案内〈関西〉
』の準備、会外のお母さま方を迎えた『おしゃべり会』
の開催、ホームページや会報内容の刷新など、会員の企画力を発揮した活動を始めました。
多様な経験や考えをもつ母親たち、それぞれの個性を生かしてまいります。
これからも変わらぬご指導・ご支援を賜りたく、よろしくお願い申し上げます。
関西帰国生親の会かけはし代表
青木 真子
目次
* 関西帰国生親の会かけはし代表挨拶
青木 真子 1
* 特集 インタビュー2010
「人間は異文化間に存在する」 龍谷大学
「帰国生の大学入試」
小島 勝
教授 2
代々木ゼミナール国際教育センター 横川 友子 先生 5
「帰国生の教育相談について」 パナソニック海外子女教育相談担当 赤塚 民三 先生 8
* かけはしリポート (第 1 回)
「子どもの異文化接触時の反応と適応期間について」
* 海外の学校『私の学校を紹介します』
* ホストファミリー体験記
10
ベルギー 後藤 彩花 13
前田かお梨・矢橋博子・毛利尚子(かけはし会員) 14
* 異文化でドッキリ!《医療編》
16
* 奮闘!!!学校案内編集部
17
* 新入会員のつぶやき
18
* レッツトーク実施報告
19
* 編集後記
20
1
関西帰国生親の会かけはし会報 Vol.23(2010 年春号)
各界のプロフェッショナル 3 人に海外子女・帰国生教育について知りたいことや聞きたいことをインタ
ビューしてきました。
「人間は異文化間に存在する」
龍谷大学
小島
勝
教授
異文化間教育学会元会長・帰国子女教育を考える会前会長である
龍谷大学文学部小島勝教授に、
海外子女・帰国生教育の研究学会について、開教使の行った海外子女
教育について、さらに各地の日本人学校の様子など先生の長年の研究
についてのお話をお伺いいたしました。
―
異文化間教育学会とはどのような経緯で設立されたのでしょうか?
◆1981 年 1 月に、小林哲也先生(当時京都大学)
・星野命先生(当時国際基督教大学)
・川端末人先生(当
時神戸大学)
・江淵一公先生(当時福岡教育大学)らが中心となって異文化間教育学会が設立されました。
いずれの先生も海外帰国子女教育に関心をもち、それぞれが研究会を組織して活動をしておられました
が、海外子女教育振興財団(1971 年設立)や東京学芸大学海外子女教育センター(1978 年設立)など
もできていて、この問題に関する教育関係者や研究者の全国的な関心の高まりがありました。それを基
盤に学際的なネットワークを形成し、共同して研究する学会の設立が企画されました。そこには、既成
の学会のありように飽き足らぬ研究者が相集い、異文化の間を行き来する子どもの教育問題を研究する
ことによって、既成の学会に新風を吹き込もうとの意欲が満ちていました。海外子女教育や社会言語学、
日本語教育などの研究で著名な先生方も設立メンバーとなっておりますが、日本の年功序列の閉鎖的・
伝統的な社会のありようを変革して、開放的で対等的なコミュニケーションを基礎とする欧米流の社会
をめざそうとする先生方の集まりでした。また研究者の集まりになりがちな学会にはせずに、教育者・
教育実践者ともども協働して意見交換をするネットワークを目指されていました。当初は 60 名ほどの会
員でしたが、ほとんど全てが海外子女教育に関心をもっておられました。
―
最近、その学会において海外帰国生教育の研究発表が少ないと聞きましたがなぜでしょうか?
◆帰国生研究は、1970 年代の「適応」に関する研究、1980 年代の「特性伸長」に関する研究、1990 年
代の一般生との「相互啓発」に関する研究と年代別に区分することができますが、最も研究が盛んだっ
たのは 1980 年代です。1980 年代は、海外帰国子女教育問題に対する関心の熱が最も高かった時期で、
学会発表やシンポジウムなども多く行われました。しかし、
「小さな国際人」として期待された帰国子女
に対する教育研究でしたが、実際帰国子女は日本に適応してしまうと目立たないようになってしまい、
この成果があまり見えませんでした。1990 年代になると、入試における「帰国子女枠」の全国的な整備
や外国人子女教育問題の登場によって、海外帰国子女教育問題についての関心が薄らいできました。帰
国子女の進学問題が緩和されたことで、不登校やいじめ、学級崩壊、同和問題や在日韓国・朝鮮人問題
2
関西帰国生親の会かけはし会報 Vol.23(2010 年春号)
などのもっと深刻な教育問題に多くの関心が寄せられ、帰国子女教育問題は、それらに比べれば “ぜいた
くな悩み”と受け取られる傾向も生じました。帰国子女の適応問題や学力問題など、まだまだ多くの課題
が山積しているにもかかわらず、外国人子女の教育問題などに関心が移っているのが現状です。
―
先生のご研究についてお聞きしたいです。アジアの日本人学校のルーツは、開教使が始めたところ
が多いとのことですが・・・・。
◆日本人の移民や軍隊にはお葬式がありますので、僧侶が必要になります。アジアへの開教の目的は、
4つにわけられ、
(1)日本人移民の要求の対応、
(2)日清戦争からの戦争への従軍、
(3)植民地にお
ける日本人のための仏事、
(4)占領地における現地の人々への救済と日本人のための開教でしたが、そ
れぞれに応じた日本語教育が行われました。まだ日本人学校がない時期に、シンガポールなど各地で寺
子屋式に、開教使が個人的に日本人の子どもたちに読み書きを教えました。戦争中は、中国などの占領
地で、現地の中国の人々の教育の場として、日本語学校を開くところもありました。台湾などでは、
「小
学校」ができる以前に、日本人の子どもに国語や算数などを教える開教使が中心となった私立の学校が
できました。日本の政府が日本人学校を正式に設立するまでの、
「前身」としての役割を担っていました。
―
開教使は異国の地で苦労されたことでしょうね。
◆ハワイや北米と違って、多くの在留邦人がいないアジアでは、日本人社会の基盤がなかなか築けませ
んでした。アジアへの開教は、満州国の建国や本格的な戦時体制となるまでは、大変でした。本山の西
本願寺からは開教使の船賃も片道しか出してもらえず、いわば“徒手空拳”の状態で現地の日本人の生
活に飛び込んでいったといえます。粗末な民家を借りて、そこを自坊として布教所を設けたり、軒先の
草引きをして日本人とのつながりをつけようとしたり、幼稚園を経営して日本人の要望に応える中で日
本語教育を行った例が多くあります。占領時代は、日本軍が接収した豪邸が与えられることもありまし
たが、現地の人々の救済と日本軍との間に立って随分と苦労されたようです。
―
先生は世界各地の日本人学校の調査を長くなさっていますが、実際にご覧になって感じたことや印
象に残ったことはどのようなことでしょうか?
◆私が日本人学校の調査に最初に関わったのは、大学院生のときの 1977 年でした。小林哲也先生らとと
もにマニラとシンガポールの日本人学校での調査に参加しました。そのときに痛切に感じたのは、日
本人学校の親たちは、帰国後の正確な進学情報を求めているということでした。その後もいろいろと
日本人学校の調査をさせていただきましたが、各地各様で「関心を持っていただいてありがたい」と
歓迎してくれるところもありましたが、
「また来たのか」というところもありました。校長先生の姿勢
で大きく異なることも実感しました。学校ごとに特徴がでていて、例えばマニラの日本人学校は家庭
的な雰囲気でしたが、シンガポールの日本人学校は組織がしっかりしているといった印象がありまし
た。広州では、ホテルを改造した校舎で廊下に平均台があったりして、先生方の手作りの教育がよく
わかりました。手作りの教育は、海外の日本人学校の教育の原点です。先生方は異
文化体験と受験学力の間で苦闘しておられましたが、全国から選ばれた先生方だけに優れた見識をも
っておられると思いました。児童生徒は国内に比べてのびのびとしていて明るく、先生方との親密な
コミュニケーションがとれていましたが、親、特に母親たちの世界は複雑な人間関係と上品でつつま
3
関西帰国生親の会かけはし会報 Vol.23(2010 年春号)
しい部分とが対照的に融合している印象を受けました。父親の姿はあまり見られませんでしたが、国
内以上に頼りにされて、家庭的な父親が多いことも感じました。しかし、駐在員と現地の人と結婚を
して永住されている方との隔たりは大きく、この問題の深刻さを実感しました。
―
今後の海外子女・帰国生教育の展望をお聞かせください。
◆この問題は、日本人の国際交流が広がりこそすれ、狭まらない以上、永続的な問題として存在するこ
とになります。親も子どもも帰国子女教育がクローズアップされた当時とは変わってきております。学
校問題は多様化し、適応問題や学力問題は解決することなく続いていくと思います。したがって、滞在
地域別、年齢別、学校種別など、より個別的に、より深く、この教育問題を追究することは、教育を考
える上での多くのヒントが得られることになると思います。多様な要因が複雑に関連している、この教
育問題への関心と研究がますます進んでいくことを願っています。
―
先生のおっしゃる「人間は異文化間に存在する」ということはどのような意味でしょうか?
◆人間は絶えず「あれかこれか」の選択に悩み、解決を求めて考える存在であると思います。また「人
と人との間」において、あらゆることが営まれています。教育場面では、学ぶものなくして教えること
はできず、教えるものなくしては学ぶこともむずかしいように、
「大人の文化」を持つ教師と「子どもの
文化」を持っている児童生徒との間に教育は成立しています。この異文化の間で子どもも教師も変わる
ことができるのです。政治でも経済でも社会生活においても、結婚生活においても、異なったものの見
方や考え方の人と人との異文化間コミュニケーションを基本としていますし、これらの異なった見方や
考え方を評価し、尊重して、対等なコミュニケーションや意見交換こそが大切であると思います。今後
社会が多様化し流動化するにつれて、ますますこうした姿勢が求められると考えています。
「伝統と革新」
「大人と子ども」「男性と女性」
「都会と田舎」「先輩と後輩」「上司と部下」などの垣根をこえて、相互
に協働・補完して生きているこれからの社会を見通したときに、この言葉のもつ意味が一層理解できる
と思います。
―
貴重なお話をお伺いすることができました。本日はどうもありがとうございました。
インタビューを終えて
龍谷大学の小島研究室は両壁面が本棚で覆われ、まさに本に埋もれたなんとも贅沢な空間でし
た。先生は私たちのために自ら茶菓子を用意して下さったので大変恐縮してしまいました。和や
かな雰囲気で興味深いお話をわかりやすく丁寧にしてくださいました。短い時間でしたが、先生
の優しい、しかしご自分の研究には厳しいお人柄がよくわかりました。小島先生は異文化間教育
学の授業をされています。大学には科目等履修制度や聴講制度もありますので、もっとお話を聞
いて勉強されたい方にはお勧めです。
4
関西帰国生親の会かけはし会報 Vol.23(2010 年春号)
「帰国生の大学受験について」
代々木ゼミナール大阪校・国際教育センター
横川
友子先生
代々木ゼミナール大阪校には帰国生の大学受験のた
めのクラスがあります。このクラスで 5 年以上帰国生
のご指導をなさっている国際教育センターの横川友子
先生に大学の帰国生入試、現状等についてお話を伺いま
した。
―
大手予備校に帰国生クラスがあるのは、関西では代々木ゼミナールだけと聞いておりますが、
帰国生徒のクラスと一般クラスとの違いとか特徴などを教えてください。
◆クラスの雰囲気は全然違いますね。一般入試は問われたことに対し、暗記したことや、理解した
ことを使って正確に答えるということを競う試験です。そのため、勉強する際に覚えるという作業
が必要です。だから、理解を深めるため、一般生は先生の話を静かに聞きますが、帰国生は海外で
の学校生活が長いことや、自分の意見を述べる小論文が主の試験であるので、授業中でも、フラン
クに意見を言いながら授業が進みます。授業の内容ですが、各生徒の受験科目に応じて科目数は変
わりますが、文系の場合、主に英語と小論文と国語と面接練習です。理系の場合はそれに加えて数
学と理科を勉強します。数学や理科は本人の学力を確認し、最適なレベルの一般生と同じ授業を受
けさせています。
―
帰国生入試のある大学が関西は東京に比べて少ないような気がしますが、東京に出ていく人が
多いのですか?
◆関西の人は関西志向が強いですが、一般生と比べれば、帰国生は東京志向の生徒が多いです。
国公立では、帰国枠を設けているところが少ないので全国に出て行く傾向が強いですね。例えば、
国公立で法学部を志望する場合、帰国生入試のある法学部は関西には京都大学しかありません。
私立大学では、断然、関関同立1を希望する帰国生が多いです。
― AO 入試の決め手は何でしょうか?
◆何にでも言えますが、合格の決め手は、やはり事前の準備だと思います。最近の傾向は、帰国
生入試から AO 入試2に移っています。例えば、関西大学は、以前は文学部と総合情報学部で帰国
生入試を実施していましたが、今は、総合情報学部のみです。ただ、帰国生入試をやっていた時
より合格者が減ったとはいえ、AO 入試でも 10 名ほどの帰国生が入学したと聞きました。大学に
より、求める生徒像は様々ですが、AO 入試は、生徒本人に自分を推薦してもらい、その生徒一人
一人の経験や才能など全てを点数に換算して競い合う試験ですので、帰国生だけで勝負する帰国
1
関西学院大学、関西大学、同志社大学、立命館大学のこと。
オフィス入試。
2アドミッションズ
5
関西帰国生親の会かけはし会報 Vol.23(2010 年春号)
生入試に比べると、書かせる書類が多く負担が大きいのが特徴です。例えば、同志社大学は 2000
字のエッセー、1000 字の志望理由書、500 字の自己アピールに加え、感銘を受けた本や映画、お
芝居などについても書きます。また、自己アピールしたものについて証明する資料、つまり、
TOEFLやIBなどの成績表だけでなく、ダンスで優勝したなら、その時の賞状や踊っている
時の写真なども用意します。内容も厳しく採点されますので、例えば、志望理由書では、本人の
意欲はもちろん、志望学部についての知識、それにつながる将来の夢なども詳しく書く必要があり
ます。内容とともに、全て正しい日本語で書かなければならないので、何度も講師に添削しても
らい書き直しをします。帰国して2~3ヶ月で出願が始まりますが、これだけの書類を準備する
にはかなりの時間と労力がかかります。さらに面接がありますので、面接官の質問に対してきち
んと答えられるかの練習も何度もやって、本番に備えなければなりません。
―
神戸大学など帰国枠入試が減ってきていると思うのですがどうでしょうか?
◆神戸大学の帰国生入試がなくなってしばらく経ちます。今も残念がられる保護者の方が
多いということは、関西の帰国生にとって大打撃だったということです。国立医学部では、徳島
大学医学科が帰国生入試を廃止しました。先ほども申し上げましたが、確かに帰国生入試は減っ
ていますが、AO 入試などもありますので、全く受験できないというわけではありません。大学も
一般生とは違う、語学ができ、国際経験豊かな帰国生をほしいと考えていて、それを帰国生だけ
で勝負させる帰国生入試ではなく、AO 入試で一般生と同じふるいにかけて取ろうと考えているの
だと思います。現在、帰国生入試を行っている国公立大学も、一般生と比べて同等の学力がない
と取らないという大学と、学力の測りにくい帰国生でも、ある程度の学力があれば積極的に取ろ
うという大学の二種類あるように思います。
―
海外のインター校でIB3を取ってきた方がよいですか?
◆IBは大変ですが、東大や京大や慶応大学など書類審査のある大学を受験する場合は、主に統
一試験などで審査されますので、取ってきた方がよいと思います。日本の大学はフルIBの合計
点が評価されますので、どんなに大変であっても、本人がやると決めたなら、最後まで諦めずに
勉強してほしいです。
もし、IBをフルディプロマ4にしないのであればこうした大学を受験するためには、TOEFL
・SATを準備することになります。けれど、全ての大学に必要というわけではなくIBなど
統一試験がなくても当日の試験で判断するという大学もありますので、なければないで受験する
大学はいくらでもあります。必ずしも絶対というわけではありません。
―
よくある手続き上のトラブルはなんでしょうか?
◆成績証明書、卒業証明書などの書類を揃えず帰国し、書類不備で受験できない時があります。
早稲田大学や慶応大学などは8月中頃、関西でも関西学院大など9月始めに出願が始まります。
帰国後用意するとなると、受験勉強に忙しい中、海外に依頼することになります。日本人の多
3
4
国際バカロレア資格
指定の6教科と3要件をすべて履修し合格する(Full Diploma)
。
6
関西帰国生親の会かけはし会報 Vol.23(2010 年春号)
い高校であれば大丈夫ですが、1人しかいない場合など、現地の学校に書類の意味や期限など
を理解してもらうのも大変です。けれど、書類不備で受験不可ということになれば、困るのは
生徒さん本人ですので、出願書類は事前に調べておき、必ず多めにもらっておきましょう。
―
帰国生は一般生と仲良くしていますか?
◆帰国生同士の場合は、こちらが驚くほど異常に仲がよいのですが、一般生とも同じ授業を取
っている時に接する機会があります。そもそも試験の形態が違いますので、朝から晩まで勉強
一筋の一般生から見て、帰国生は誰に対しても遠慮なく思ったことを素直に表現するし、自由
ではつらつとしているので、楽しくて新鮮に感じている一般生もいます。けれど、明るく元気
すぎるので、一般生の邪魔をしないよう注意してはいます。
―
帰国生へのメッセージをお願いいたします。
◆帰国生のご家族は、一般の日本の家庭に比べると、団結力が強くて安心なのですが、毎日の
学校の勉強や生活が手一杯な中で、日本の大学の準備をするのは大変だと思います。TOEFL
や統一試験については、頑張った方が絶対に有利ですが、まずは、今いる中でできること、語
学や学校の勉強や毎日の生活を積極的にこなしましょう。ただ、将来何がしたいのか、どうい
った方向に進みたいのか、何学部志望かなど、少なくとも、文系理系の選択は、ぼんやりでもい
いので、早めに考えたほうがよいと思います。文系の場合は、日本に戻ってきてからでも間に
合いますが、理系の場合、一からやる時間はありません。文理の選択に迷って、高校で科目履修
ができなければ、帰国して、理系学部を受験できなくなってしまう可能性があります。
受験はできることを早めに準備し、最後まで諦めずベストを尽くせば必ず何とかなるもので
す。帰国生入試はご家族の暖かい応援と講師や職員やチューターによる予備校のサポートと本人
の頑張りで成功します。自分の可能性を信じて勉強してください。ご家族の方も情報が少ない中、
困ることも多いと思いますが、出願資格や試験のことなど、わからないことは大学に直接聞いて
もらうのが一番と思います。代ゼミでもわかることは全てお答えしますので、遠慮なくお問い合
わせください。
―長いお時間お話をありがとうございました。
インタビューを終えて
横川先生、具体的なお話をいろいろとお聞かせくださいましてありがとうございました。先生の
楽しいお話で、インタビューは終始盛り上がりました。お姉さんのような、頼りになる横川先生の
元で受験に臨める帰国生は心強いだろうなと思いました。今後とも長く帰国生教育に携わってほん
わかと帰国した子供達のお尻を叩いてくださいね。
7
関西帰国生親の会かけはし会報 Vol.23(2010 年春号)
「帰国生の教育相談について」
パナソニック株式会社 国際人事センター
海外子女教育相談担当
赤塚 民三先生
長らく大阪府で教鞭をとられ、現在パナソニック社で教育相談員とし
てご活躍されている赤塚民三先生に駐在員のご家族から寄せられる
相談についてお話をお聞きしました。
―
以前に比べて帰国者の相談は増えているでしょうか?またどんな内容の相談が多いでしょうか?
◆増加傾向にありますが、例年あまり変わりなく、受験を含めた学校選択がほとんどです。最近は、
公立小・中学校への(編)入学の際、編入する校区についての相談が増えてきました。
―
帰国の際の心構えや、学校選択についてのアドバイスはどのようなものですか。例えば、小学校
高学年で戻られたときにはどのような話をされますか?
◆どんな時期でも、
「編入する学校で一生懸命がんばる」こと、および「外国で体験したことを大事に
しよう」ということです。中学受験を目標にして帰国した人には、特にはアドバイスをしません。私
学受験の場合には、受験情報の提供はしますが、基本的にご自分たちが希望される私学に入れればそ
れでいいわけですし、万が一だめでも公立中学には入れますから。中学受験であれば「どういう学校
にみなさんよく行っておられますか?」ということを聞かれますが、学校評価にも関わるし、小学生
の子どもの学力は変動的なものだから、それに対しては、あまり触れません。ただひとつ「帰国生枠
受験のある学校は、他校よりかなり英語の指導をやっておられますよ」ということは話します。また
公立中学に入って、高校で勝負したいという場合は「どこの学校でも本人の努力次第で伸びます」と
言っています。
―
帰国後の住居を決めなければいけない場合、
「いい校区はどこですか?」と聞かれたらどのような
アドバイスをなさるのですか?
◆それには難しい問題があるので安易に答えられなくて、教育委員会にお聞きください、としか言えな
いですね。学習環境がよければ、子どもの学力が比例して上がるものとは保証できないですからね。
―
こんな相談は困るというものは何かありますか?
◆やはり学校評価に関わるものですね。まずは保護者のほうで候補としている学校の HP をみてご自
分であたりをつけてほしいと思います。ただし、教育委員会に問い合わせても「心配いらないのでは
ないですか」という答えしか期待できません。例えば「その学校にはいじめはありませんか?」とい
う質問がよくあります。いじめは現在ではどこの学校でも起こりうることです。仮にいじめがあった
としても「問題はその学校の初期対応能力です。もし担任の先生に言ってらちがあかなければ管理職
に言ってください、それでも学校が動かないようだったらこちらにご相談ください」と言っています。
8
関西帰国生親の会かけはし会報 Vol.23(2010 年春号)
―
最近一番多い相談内容は具体的にどんなものがありますか?
◆高校受験についての相談がかなりありますね。私学の高校受験はおおよそ今までのノウハウがあり
ますが、公立に関しては入試制度そのものがよく変わるので気をつけなければいけません。公立高校
の受験の絶対条件としてはその府県内に住所があること、中学課程を修了していることです。海外の
日本人学校からの受験は問題ありませんが、現地校やインター校からの場合は、
(日本での本来の学年
とのずれで)3 月に中学課程を修了見込みでないと受験できません。現地校から帰国される人について
は、いったん海外の日本人学校に転校する方や、中3の時に日本の中学に編入される方もあります。
あるいは、高 1 の1学期に編入試験を受ける方法もあります。私学の中では同志社国際、千里国際、
立命館宇治等は受験資格に「中学修了と同等学力のあるもの」とあるので現地校からの帰国でも中学
卒業とみなしてもらえて受験可能です。
―公立高校受験希望で現地校に通っていた場合は 1 ヶ月でも日本の中学に通えばいいのですか?内申
の問題があると思うのですがどうでしょうか。
◆難しい問題ですが中学校のほうでは生徒が少しでも在籍をすれば内申は出さなくてはいけません。
しかし環境が変わると評価が変わるし、日本と海外の現地校では勉強方法が違う。日本式のペーパー
テストにも慣れていないのでできるはずなのになかなか点数がとれない、という不利な点は確かにあ
りますね。こういうことが具体的な帰国生の問題になるんですが。
―現地校に通っていて、日本の公立高校に入りたい場合は、先生はいつごろの帰国を勧めますか?
◆ケースバイケースですができるだけ学年の最初、中 3 の 4 月ですね。そのほうが 1 年間を通じて中学
のほうで、その子の学力と人物をみてもらえます。また日本の学習にも慣れ、友人関係も作りやすいか
らです。兵庫県だと中学1~2年の内申と中3の内申が受験に必要ですが、大阪は中3の内申だけでい
い。だからどこの府県で受けるかで、受験の内容や調査書の付け方が違ってきます。よく「こんなこと
を言ったら内申が悪くなる」と言って、ときどき学校側に言いたいことも言えなくて、黙って悩んでし
まうことがあります。しかし教師を信頼するならば、基本的にはその子のよさをどう評価するかという
ことなので、自分の考えをしっかり言うなどすれば評価はしてもらえるはずです。逆にいうと評定は点
数化されてしまうけどその子の特徴などは外部には不利になるようなことは書かれないはずですから、
あまり内申、内申と気にせずその子のよさを出して認めてもらうほうがいいですね。なお大阪の公立高
校の帰国生枠受験については調査書がいらず、試験科目は英語と数学と作文です。
―具体的なお話をいろいろとありがとうございました。
インタビューを終えて
大阪弁できさくに接してくださった赤塚先生ですが、筋の通ったお話から、
「やはり本物の教育者だな」
と感じました。目先にばかりこだわらず、先生のように子供は長い目で見て育てなければいけませんね。
母親としてたいへん反省致しました!!
9
関西帰国生親の会かけはし会報 Vol.23(2010 年春号)
かけはしリポート (第1回)
・はじめに
海外転勤が決まったとき、お子さんが言葉や文化の違う国で、学校になじめるかどうか心配されたこ
とと思います。子どもさん達も、言葉や友達、安全について不安を感じたことでしょう。また帰国が決
まると、今度は日本の学校や仲間、日本の勉強についての新たな心配が増えたのではないでしょうか。
「関
西帰国生親の会かけはし」では海外子女教育振興財団関西分室のご協力をいただき、外国語保持教室に
お子さんを通わせていらっしゃるお母様を中心にアンケート調査を行いました。調査結果より、帰国生
の保護者の皆さまへ情報を提供することと共に、今後海外に駐在される方やこれから帰国される方のお
役に立てるようなリポートをシリーズで行っていきたいと考えております。第1回目は「子どもの異文
化接触時における反応と適応期間-母親の視点から」です。
・子どもの異文化間適応
幼児や児童の柔軟な適応の誇張表現として「子どもは 3 カ月もすれば英語がペラペラになるよ。
」とよ
く言われますが、第二言語の習得はそれほど簡単ではないことを皆さまは体験なさっていますよね。子
どもは 2 歳をすぎれば、自文化の形成や言語の習得が始まるといわれます(中島,1998)。そのため幼児
でも異文化に突然接触すると、環境や言語の違いを察知し、葛藤が生まれ、拒否反応を起こし適応まで
には個人差がでると考えられます。さらに児童は、自文化と異文化との違いも理解できるまでに成長し
ているために、多様な反応を示すことでしょう。子どもの異文化間適応の研究には、主に心理面からと
言語面からのアプローチがあります。この問題に対し、現在までに多くの研究発表が行われています。
なかでも箕浦康子著の『子供の異文化体験』(2003,思索社)と中島和子著の『バイリンガル教育の方法
-12 歳までに親と教師ができること』
(1998, アルク)は一般の読者にも読みやすい研究書です。ご興味
のある方はご覧になってください。
・アンケート調査について
①
目的:子どもの異文化の適応過程における違いを、母親の視点から明らかにする。
②
実施期間:2010 年 1 月~3 月
③
対象:帰国生の母親 75 人 (子どもの総数 131 人、男子 66 人、女子 65 人)
④
質問内容:子どもの異文化接触時の反応、適応期間と適応のきっかけについて。
⑤ 内容詳細:かけはし会員(13 人)の経験談を分析し、「泣く」
「黙る」「日本語で押し通す」「動か
ない」
「行かないとごねる」
「ストレスを感じる」「先生についてまわる」「一人ぼっち」「他の日本
人の子と行動を共にする」
「全く平気でいる」
「身ぶり手ぶりで伝える」
「その他」の 12 項目の選択
肢を作成。複数回答可とし、兄弟についてはそれぞれに回答。
⑥ 回答者(75 名)の滞在国:アメリカ、カナダ、イギリス、オーストラリア、中国、(香港)
、フラ
ンス、ベルギー、ドイツ、シンガポール、アラブ首長国連邦、ニュージーランド、タイ、アイルラ
ンド、韓国、インドネシア、オランダ、チェコ、マレーシア
・結果
①
異文化接触時の反応
図1は 131 人の子どもの異文化接触時の反応についてその人数をあらわしたグラフです。複数回答
10
関西帰国生親の会かけはし会報 Vol.23(2010 年春号)
を認めたために、総回答数は 239 でした。異文化接触時の年齢平均は 3.45 才(SD5=2.87)です。
子どもの異文化接触時の反応
(回答数239)
図1
泣く
だまる
ごねる
全く平気
一人ぼっち
日本人と一緒
反応
身ぶり手ぶり
動かない
ストレスをためる
日本語のみ通す
先生にべったり
その他
0
10
20
30
人数
40
50
60
一番多かった反応は「泣く」でした。心細くて不安になると泣くのが子どもの習性です。環境が変わ
っても「全く平気」だった子も意外に多数でした。言葉が違っても、周りの子どもの髪の色や肌の色が
違っても、物おじしない子どもが結構いるものですね。続いて、黙って周囲の観察をして状況を把握し
ようとする子や「行きたくない」とごねる子が多いです。その他については「レロレロと偽の英語サウ
ンドでしゃべっていた」
「聞いた言葉をくりかえしていた」
「おじぎばかりしていた」
「その場の雰囲気に
適当にあわせていた」など個性的な反応をしたお子さんもいます。ストレスで「チック症になった」
、
「体
調不良となった」などのお子さんもいました。自分のおかれた場になんとかはいりこもうとする積極的
なタイプや、その場から逃げようとする消極的タイプ、静観するタイプ、安心と庇護を求め先生や日本
人とずっと行動を共にするタイプ、独特な反応をするタイプなど、子どもなりに新たな環境に慣れよう
と奮戦する様子がわかります。
② 適応した時期と適応のきっかけ
子どもたちはいつまでも泣いたり、黙ったりしているわけではありません。少しずつ新たな環境に
適応していきます。適応という言葉の概念には様々なものがありますが、ここでは、
「子どもが環境に
慣れ楽しく過ごせるようになった」と考えます。図 2 は母親が判断した子どもが環境に適応したと思
われる時期についてです。回答数 99 のうち、適応するまでに 1 週間以内が 12%、1 ヶ月以内でのべ
34%、3 ヶ月で 62%、1 年もすると 90%の子どもが環境に馴染み適応ができたという結果がみられま
した。適応に至るきっかけは、
「友達ができた」
(30)
(括弧内は回答数)
、
「言葉がなんとなくわかるよ
うになった」
(17)
、
「先生の指導がよかった」
(16)等が多く回答されていました。その他には、
「サマ
ーキャンプ」
、
「インターナショナルフェスティバル」、
「クリスマスコンサート」などの行事や、
「折り
紙の手裏剣を折ってみんなに感心された」「カンファレンス(懇談)で成績をほめられた」「旅行に行
ったことをまとめて発表したら、教科書が他の子と同じものとなった」など他人から認められ自信が
5
SD 標準偏差
11
関西帰国生親の会かけはし会報 Vol.23(2010 年春号)
ついたことがきっかけとなったという回答もありました。
母親が考える子どもが学校やナーサリーに慣れるまでの期間
回答数(99)
慣 れない
3%
それ 以上
6%
不明
1%
図2
1 週間以内
12%
2 ~ 3 週間
4%
1年
12%
1ヶ 月
18%
6ヶ月
16%
1~ 2ヶ 月
12%
3ヶ月
16%
・まとめ
子どもそれぞれの性格や年齢、発達の違いから、異文化接触時には様々な反応がみられましたが、子
どもは 3 ヶ月ぐらいまでに 6 割程度、1 年以内に 9 割程度が、文化や言葉の違う集団に適応しています。
なかなかなじめない子どもでも 1 年待てばなんとか慣れてくれると考えられます。言葉の壁があっても、
先生や友達に認められ、子どもが自分に対する自信がもてるような「きっかけ」があると適応は加速す
るようです。異文化に慣れようと努力をしている子どもを、親が認めて褒めてあげることも大切なこと
です。泣いたりストレスで具合が悪くなったりしてしまう子どもを見守るのは、苦しい事ですが、そん
な時でも小さなきっかけからすんなり適応することも多いようです。子どもが慣れてしまえば辛い気持
ちも忘れて思い出話とかわることでしょう。これから海外に出られる方にお伝えしたいことは、
「子ども
は自分なりのやり方で異文化に適応するので、過度の心配は必要ありません。お子さんを見守ってあげ
てください。
」ということです。
最後に、ある会員の体験談(一部抜粋)をお届けします。子どものたくましさが感じられます。
娘は日本では幼稚園の年中、4 才の時に渡米しました。1 ヶ月は泣き暮らしていました。近隣の同じ年の子ど
も達は、言葉がわからない娘をからかったり意地悪をしたりで、母娘ともども悔しい思いをしました。学校での最
初の 3 ヶ月は全くしゃべらず(5 歳)、先生の話をじっと聴き、周りの様子を見ながら何とか過ごしていたようです。
私自身は学校の行事がある時には必ずお手伝いに行き、クラスの子ども達のお世話やお母さん達と交流を持
てるように努めました。3 ヶ月経ち、娘は堰を切ったようにしゃべりだしました。先生から最初はじっと同級生の様
子を見ていて、この状況の時にはこういう言葉を言うのだと覚えていったようですよ、とお聞きしました。しゃべり
だしたらお友達が沢山できました。一番度肝を抜かれたのが、広場の真ん中で、かつていじめられた近隣の年
上の女の子を脇に従え、堂々と英語で本を読んでいる姿を見つけたときです。それほど学校でも近隣にもすっ
かり溶け込み、家でも英語で話す方が多く、日本語が苦痛になっていました。娘を見ていると、英語で話すとき
は社交的で自信に満ちていましたが、日本語補習校では無口でおとなしい女の子に様変わりし、使う言語で性
格(反応・対応)がこうも違うのかと驚きました。
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関西帰国生親の会かけはし会報 Vol.23(2010 年春号)
海外の学校
―私の学校を紹介しますー
International School of Brussels
後藤彩花
私は今年の1月からベルギーの International School of Brussels
に通っています。この学校は幼稚園から高校まで 1700 名が通う大規
模 な ア メ リ カ 系 の 学 校 で す 。 Everyone Included, Challenged,
Successful をモットーに、一人一人へのサポートがきっちりされてい
ます。
私は今 Middle School(中学校)の9年生にいますが、英語のあま
り話せない生徒へのESL授業も充実していると感じます。学年の途中で入ってきた私のような生徒の
ためには同じ国籍の人がコンタクトパーソンになってついてもらえ、初めは不安だったので心強かった
です。
私が入学して一番驚いたことは、生徒が 5 年生からパソコンを一人一台ずつ学校から貸してもらえる
ことです。そしてほとんどの授業がパソコンを使って行われます。パソコンは授業中ノート代わりにも
なり、宿題もパソコンなので、学校にパソコンだけ持っていけばなんとかなります。
生徒は一人一人時間割が違うため、一日でいろいろな人と一緒に授業を受けられます。授業は 1 クラス
20 人程度と少人数で、生徒も授業中よく発言をして真面目に授業を受けているので初めは戸惑いました
が慣れてくるとなかなか楽しいです。1階から4階までを4分という短い休み時間で移動するのは大変
ですが、移動中に友達と話すことも私にとっては楽しみのひとつです。
ランチは、ビュッフェ式で、毎日違うメニューが並んでいます。水曜日は世界の料理が出てときどき
お母さん方がボランティアで作った日本食もあります。
学校が終わると、日本でいう部活があります。バスケットボール、野球、サッカー、テニス等様々な
スポーツができます。部活にはシーズンの始めの Tryout というテストに合格した人しか入れませんが、
どこかに所属すると試合でいろいろな国に遠征に行けます。
私は高校を卒業するまでこの学校にいる予定です。これからの 3 年半で二つの目標があります。一つ
目は英語です。私は今はまだ ESL のクラスにいますが、少しでも
早くネイティブのクラスに移りたいです。もうひとつの目標は、
色々なスポーツに挑戦することです。日本ではなかなか出来ない
女子サッカーなどが気軽にできるので試してみたいです。
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関西帰国生親の会かけはし会報 Vol.23(2010 年春号)
短期のホストファミリー&ホームビジット体験者に語ってもらいました。
A Student From China
(かけはし会員 前田かお梨)
「驚き、イライラ、感謝」
。昨秋、中国人女子高生を我が家に迎えた一週間を振り返ると、この 3 つの言
葉が思い浮かびます。まず「驚き」
。彼女は中国国内のみで英語教育を受けたそうですが、英語が非常に
堪能で、日常のやり取りで困ることはありませんでした。中国の英語教育の質の高さに驚きました。そ
して彼女が興味を示したものが、私達がイメージしていたものと全く違っていたのも驚きでした。歴史
的建造物には興味なし、自動販売機やガチャポンを見つけるたびに写真を撮り、我が家に滞在中に何度
も行ったのは CD ストアでした。彼女の好きなアメリカ人アーティストの DVD を購入する際、
「リージョ
ンコードがあるので再生できないかもしれない」と伝えましたが、
「再生できなくてもいい。日本版であ
ればそれでいいから。
」と言っていました。最近の中国の若者の興味、価値観を垣間見た気がしました。
次に「イライラ」。
“I know”の解釈でイライラです。家のルールやお風呂やトイレの使い方を説明す
ると、返事は“I know”
。これは「そうですか。なるほど」という感じで使っているのだと頭では理解す
るのですが、心では「あっそう。わかってるのね。余計なお世話だったのね。」と思ってしまうのです。
そしてそう思ってしまう自分にイライラです。その“I know”の使い方は場合によっては失礼であると
教えるべきかで迷い、またイライラという具合でした。ただ、これらのイライラは、異なる文化で生活
する者が理解しあう過程で起こる、必然でポジティブなイライラだったのです。
最後に「感謝」
。彼女を受け入れたことにより、家族の会話が増えました。海外生活をしていた時のよ
うに家族の距離が近くなりました。図らずも、家族の絆を再確認できたわけです。そして、今まで我が
家の娘を受け入れて下さったアメリカとベルギーのホストファミリーに、親子共々改めて深く感謝しま
した。今秋 NZ でのファームステイを控える娘が、今回受け入れ側の立場を経験したことは、大いに勉強
になったと思います。また自宅に居ながらにして他国の価値観、生活習慣の一部を感じることができた
ことに感謝です。でも本当に一番感謝したのは、新型インフルエンザが猛威を振るう中、彼女がステイ
中に体調を崩すことなく、無事にプログラムを終えることができたことでした。
勤勉な学生さんとほんわかな時間
(かけはし会員
矢橋博子)
大阪北部には、留学生の多い大学キャンパスや日本学生支援機構の留学生寮、国際文化科のある高校
などがあり、各市の国際交流協会を中心に留学生さんと市民の交流活動がすすめられています。近くに
ホームステイを受け入れられていた方がおられ、私は少しお話に参加したことがあるくらいでした。
ニ年前、息子も中学校に慣れてきた頃国際交流協会のボランティア説明会に参加、ホームビジットは、
留学生に日常生活や季節の行事を体験してもらうことや日本語での会話の機会をつくることなどが主旨
ということで、受け入れをさせていただくことにしました。大阪日本語教育センターでの研修後、大学
や専修学校に進学される予定の 20 代前半の方との交流が始まりました。
一年目は中国、昨年はガーナの大柄なお兄さん。わが家ではまず“頭に気をつけて!”。当初日本語で
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関西帰国生親の会かけはし会報 Vol.23(2010 年春号)
の会話は難しく、半分通じてるかなという英語での会話でしたが、厳しい授業で鍛えられて日本語での
メールや電話になり、その丁寧さに感心させられました。ボランティア同士の交流会で進め方のアイデ
アを交換ができたのでとても助かりました。七夕祭りに一緒に参加してから家でおそばを食べたり、
「○
○に行きませんか」とお誘いして、何回か楽しい思い出ができました。奈良公園の鹿や金閣寺は喜ばれ
ました。試験のため日程がとれず、近況を聞くだけの時期もありましたが、お友達とあちこち出かけた
りされている様子を聞き安心しました。早いもので3月卒業、4月に東京の専門学校に進学されました。
大阪でのご苦労や努力に拍手、今後のご活躍を祈るところです。海外で暮らした際、地域の方のご親切
はとてもありがたいものでした。ささやかな交流をできる範囲で続けていけたらと思っています。
“こんにちは! Nice to meet you!”
(かけはし会員 毛利尚子)
頬を紅潮させ、はじけるように彼女は私の前に現れました。3 年前の少し肌寒い 10 月、しないの国立
大学のコンベンションセンターで初めての出会いでした。市の国際交流協会で募集していた同大学の留
学生のホストファミリープログラムに応募し、中国からの女子学生を受入れることになりました。
ホストファミリーといっても我が家にホームステイするのではなく、月 1 回お互いの都合のいい日に
会うというスタイルです。自宅に招いたり、あるいは一緒に外出してお茶をしたりと場所も自由で、無
理なく異文化交流ができるプログラムです。彼女は語学留学で 6 ヶ月の滞在でした。事前に日本語は初
級と聞き、中国語が全く話せない私は、どうコミュニケーションをとろうかと戸惑いました。しかし、
彼女は英語が堪能だったので、その時の話の流れで日本語と英語を交えて会話していました。
最初の月はまず我が家に来ていただき、家族を紹介。当時中 2 の息子と小 5 の娘は思春期真最中で、
恥ずかしがって ”Hi” としか挨拶できず、彼女は寂しそうな表情を浮かべました。又、ホストファミリ
ーのおうちに花や木が茂っている庭があることを希望していましたが、うちはマンション暮らしで、ベ
ランダには申し訳程度に鉢植えがぽつんと置いてある程度でした。ことごとく期待を裏切り、初回から
すっかり失望してしまったかと不安でしたが、お互いの生活や文化を語り合う中で気持ちがほぐれ、遠
目で観察していた娘も徐々に話の中に入り、帰国してから久々に英語で話していました。彼女はとても
奥ゆかしく思慮深いお嬢さんでした。お父様が大学の教授で、専業主婦のお母様とはアメリカ留学中に
知り合ったとのご両親の馴れ初めや、共に読書家であるという話から、教養ある家庭で育った故かと思
いました。
プログラムの性格上、半年を過ぎたらもうその留学生との交流は終了となります。その後も個人的に
交流を深めていくところもあるようですが、大概は留学生の方が勉強で忙しく、プログラム終了と同時
に関わりもなくなっていくそうです。彼女とは連絡が途絶え、後者の方だったかと少し寂しく思いまし
た。
昨年の暮れ、中国語の文字が入ったポストカードが私宛に届きました。別に知り合いもいないのにと、
書かれていた英文を読んだらその留学生の彼女からだったので、もうビックリです。文字通り忘れた頃
のお便りでした。近況は書かれておらず、日本滞在時のお礼と、私の連絡先を紛失してしまい大学に問
い合わせてやっと連絡ができた旨の内容でした。3年近く経ち、何故今頃になってとは思いましたが、
大学を卒業して一段落ついたのかなと推測しました。思い出してくれたのは嬉しいのですが、肝心の彼
女の住所がどこにもなく、こちらから返事が出せないのがもどかしいです。短期間の関わりではありま
したが、彼女が日本を懐かしむ時に楽しい思い出の一つであったらと願っています。
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関西帰国生親の会かけはし会報 Vol.23(2010 年春号)
異文化でドッキリ! <医療編>
海外在住中にも病気は待ってくれません。また子どもが学校に行くために予防注射を受けないと
いけません。文化が違うとお医者様のアドバイスや常識が違ってギョッとなることもあるようです。
今回はそんな会員さんたちの体験談をピックアップしてみました。
2 歳の息子の下痢が 1 週間続い
て小児科に連れていったら、ジ
ンジャーエールを 1 本飲ませる
ように言われました。炭酸なん
て飲ませたこともないのにど
うしたらいいわけ?さすがに
あきらめ市販の下痢止めを飲
ませたらすぐに治りました。は
じめから薬を買えばよかった。
(アメリカ)
息子が 1 歳の時に MMR の注射の 1 週間後 熱性
痙攣を起してしまい、救急車で小児病院に搬送さ
れました。 小児病棟で熱のある子供さんは、お
むつ以外は洋服をすべて脱がされます。 この光
景にも驚きましたが、何と看護婦さんから尿検査
をするからと紙コップを 手渡され、いつ尿が出
るかも分からない息子・・・夜中にカップを手に
持って尿が出るのを待つ事 3 時間・・・見事に尿
をキャッチして 看護婦室に持って行きました。
(アイルランド)
子どもが転んで顎を打ち、救急で縫うことになりました。外科医はやって
くるなり傷をみて「何針がいい?僕は不器用なんだな~」と笑うのです。
「器
用な人に替えて~」というリクエストに登場したのは片手にチキン、片手
にコーラの女医さん。
「ちょっとまってね~今ランチタイムなの~」だって。
腕は確かによくて鼻歌まじりにスイスイと縫ってくれました。日本ではあ
りえない・・・・
(アメリカ)
子どもが 4 歳の時、38 度を
魚の骨がのどに突き刺さった友人が耳鼻科
超える熱がでたので、エマ
に行ったら、鼻からチューブを入れられて、
ージェンシーで小児科に行
のどの痛い辺りを、ごしごしされて、取れた
ったら、ドクターから「た
のか、ごしごしされて荒れて痛くなったの
いしたことがないから予防
か、わからなくなりました。その後体調が 悪
注射をしよう」と言われそ
くなったそうです。日本のように風邪の症状
の場で両腕に予防注射を打
では耳鼻科にはかかりません。(ベルギー)
たれた。
(アメリカ)
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関西帰国生親の会かけはし会報 Vol.23(2010 年春号)
奮闘!!! 学校案内編集部
毎年 9 月に発刊している「帰国生への学校案内《関西》」は、今年で 25 冊目です。2010 年 9 月発刊の
「2011 年度版」のために、学校案内編集部は、昨年 11 月からすでに始動しています。今年のコンセプト、
テーマの選定、表紙のカラーデザイン、チラシ作り、見やすいページの工夫、掲載校決定、帰国枠有無
についての学校への確認、学校訪問時の質問事項、保護者・帰国生へのアンケート用紙の作成、取材勉
強会の準備などなど、細かいことを一つ一つ納得がいくまで議論しています。
「学校案内」発行にむけて
の意気込みを「学校案内編集部」に熱く語ってもらいました。
2010度版の発行以来、かけはし会員が例会等で話し合いを重ね、学校案内の内容や制作過程の見直
しを行ってきました。会員の中より出ました数多くの建設的な意見を元に、問題点を探り、改善を図っ
ております。今年度は、帰国生の保護者の関心事やニーズについて、外部調査をさせて頂く機会を得ま
して、その結果をもとに編集テーマを設定いたしました。また、各関係先の先生方より多くのご助言を
頂きまして、帰国生とそのご家族のお役に立てる情報誌になりますよう、ただいまフル回転で準備を進
めております。
新年度のスタートとともに、いよいよ取材活動を本格的に開始いたします。会員が一丸となってより
良い学校案内作りを目指して参りますので、皆さまのお力添えをどうぞよろしくお願いいたします。ま
たご意見、ご要望などございましたら、どうぞお寄せください。
☆
本年度の編集テーマは
☆
☆「多様化する学校と高まる親の期待」☆
帰国生の保護者が学校にいだく期待とは?
学校は、それにどう応えようとされているのか?
70人以上の方にアンケートをお願いして探ってみました
新規掲載校大幅増
インデックスや見出しで、見やすい工夫もいっぱい
新しくなる学校案内をどうぞお楽しみに!
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関西帰国生親の会かけはし会報 Vol.23(2010 年春号)
新入会員のつぶやき
新たな生活が始まる春です。
「かけはし」の仲間も増えました。新会員さんのつぶやきです。
帰国して はや1年。狭い道にも混んだ電車にも慣れ、前カゴに山のように積んだ自転車での買い物もお
手のもの。主人や娘はそれぞれの居場所にうまく適応してがんばっている。えらいなぁ。感心、感心。自分は
どうかな?関西のオバちゃんになっていない?取り残されていく自分に不安を感じて、あれこれ始めてみた。
ボランティアにも通いだし、趣味も見つけ、少しずつ自分の世界を拡げている。がんばっている?今日の1日
と出会えた人に感謝して、毎日元気に楽しく過ごそう。(チューリップさん)
約 2 年かけはしを離れてこの春から復活します。この間に学校教育や社会の状況なども変わりましたが、
「帰国生の受け入れ校は?」「帰国してから英語力の保持は?」など、教育に対する親の悩みは尽きないでし
ょう。そんな方々のお話を伺い、少しでも不安を解消するお手伝いができたらと思います。
(M.S.)
1 日の始まりは、朝の cup of tea、10 時にはショートブレッドと濃いめに入れた紅茶にたっぷりのミルク
でブレイク。3 時には、バターの香りぷんぷんの焼きたてスコーンにクローッテドクリームとジャムを ぬっ
て、もちろん濃~いミルクティーをいただく・・・これが私の日課です♡ふふふ・・・
ってな訳もなく、
現実は厳し~い。夏は炎天下、冬は吹きっさらしの元、洗濯物を干しながら、マグカップの紅茶をいただく 日々
です!あ~イギリス生活が懐かし~(涙) (M.M)
皆様はじめまして。2 月より新会員の神戸市北区在住のはもりんです。バラ柄の雑貨や小物が大好きです。
真っ白な陶器にバラ柄を絵付けしたバラ柄陶器のオンラインショップを立ち上げたり(現在は社宅生活に付き
お休み中)、お休みの日には神戸の雑貨屋さん巡りをしたり、社宅のお友達とのランチデートなど楽しい事ば
かりの 1 年でし た。神戸は美味しい洋食屋さんやカフェ、美味しいスイーツが沢山あり、頂いたりネットで
注文したりと、体重がここ 1 年で激増してしまい最近は、特 にヘルシー和食を作るように心がけております。
運動不足も原因しているのか基礎代謝が下がってる気がします。夏が来るまでに何とか元の体重に戻るように
頑張りたいと思います。(今のままですと夏の洋服が着れそうにありません~涙)同じようにダイエットを頑
張っている方が居たら励ましあいながら一緒にダイエットしませんか?今年の目標として、健康に 8 キロ痩せ
るとモットーに食生活を少し見直して頑張りたいと思います。(はもりん)
「子ども達はよくがんばったな。
」と、帰国後 8 年経って改めて感じます。2 度目のアメリカ駐在時、小 5
と中 2 の子ども達は、多くの壁を乗り越えて、毎日の生活を楽しめるようになリました。早く帰国したかった
日本では、なんとなく窮屈で、違和感を感じ、順応するための努力が必要でした。私にとって、異文化生活で
の経験がかけがえのない思い出になっているのと同様、社会人になった彼らにとっても、宝物になって欲しい
と思っています。
(I.O)
ベルギーから日本に帰国したとき、蛍光灯の光があまりにもまぶしくて、弱りました。
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関西帰国生親の会かけはし会報 Vol.23(2010 年春号)
こんな、白くて色気のない色、やだー!食事もおいしそうに見えないー!
それで、せめて、リビングは、と、わざわざ、白熱球のあかりを買いに 行きました。すると、お店の人が、
何度も、何度も、「これ、すごく、暗いですよ、 暗いですよいいですか?」と、親切に丁寧に心配してくだ
さるのです。本当にそんなに暗いのかと思いながらも取り替えてみたら、十分すぎるくらい明るくいい感じ。
ああ、眼の感覚もずれちゃったんですねえ。(M.Y)
子育てって本当に難しいですね。何人育てても、これは変わらない。今の私の悩みの種、それは末っ子
の反抗期?我が家には大学生二人と末っ子の小学五年生の 息子がおります。年が離れてできたので、皆に可
愛がられて育って甘えん坊、でも本当にかわいい子でした。でも去年の秋ごろから、急変。悲しいかな。私の
話 は右から左へ。してはダメといっても、楽しけりゃいいみたいな乗りで、まいってます。子育てはまず「聞
くこと」から。なんですと…子供の話聞く前に怒って しまう自分に自己嫌悪なんですが、それができない今
日この頃です。
(応援ママ)
Let’s Talk
「みんなどうしてるの?そこが知りたい、本音が聞きたい」実施報告
2010 年 2 月 18 日、梅田にある大阪総合生涯学習センターで“Let’s
talk”を開催致しました。
当日はお天気にも恵まれ、18人の帰国ママたちが参加して下さいました。日本帰国後は、普段あまり
話をしない海外での体験をお互いに紹介し、帰国してぶつかった壁など、いろいろな苦労を皆で分かち
合いました。また、語学継続のための努力について話し合うなどと、たくさんの話題で盛り上がり、あ
っという間の2時間でした。
参加後に書いていただいたアンケートには、「久
しぶ りに海外生活 の話がた っぷりでき楽 しかっ
た」、
「同じような境遇の人たちと悩みを分かち合う
ことが出来た」、
「英語の保持についてのアドバイス
をたくさんもらえた」、「日ごろの悩みを解消でき、
楽しい一日だった」などの意見があり、有意義な時
間を過ごしていただけたようです。特に、受験の悩
み、学校生活の苦労など、たまったうっぷんをはら
すよい機会になったのではないでしょうか。今後も
引き続き“Let’s
talk”の開催を予定しております。
また、皆さまにお会いできる日を楽しみにしていま
レッツトーク当日の風景
す。
*プライバシー保護のために
(企画部)
画像は処理されております。
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関西帰国生親の会かけはし会報 Vol.23(2010 年春号)
かけはし会報 Vol.23 をお届けいたしました。楽しんで読んでいただけましたでしょうか?
たくさんの方のお力をお借りいたしまして、発行までこぎつけることができました。感謝いたします。
ご意見・ご感想、または次号はこんな企画をしてほしい等のご希望がありましたら、事務局まで
ご連絡いただければありがたいです。
(広報部)
では最後に広報部より勝手な一言・・・・
*駐在がきまり引っ越しやら子どもの卒業式の準備、仕事とスケジュールがびっしり。痩せるかと密か
に期待したのになぜか体重はUP!そういえば送別会と称し寸暇を惜しんで友達とランチばかりしてい
た・・・甘かった・・・
(桜井君)
*今シーズン、大分トリニターニから名古屋グランパスに移籍した期待の若きJリーガー金崎夢生は、
私の「はとこ」です。みなさま、熱~いご声援、お願いいたします。
(ままったり)
*なんと驚くことなかれ、5 度目の海外生活がスタートしました。難解なフランス語に四苦八苦の日々
です。あ~あと 10 歳若かったら語学なんてすぐにマスターできるのに・・・!?(ごくみ)
イラスト ひらいあきこ
<関西帰国生親の会かけはし編>
email
[email protected]
URL
http://www.ne.jp/kakehashi/kikoku/
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