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Page 1 商学論集 第71巻第2号 2002年10月 フランス革命期の産業保護
商学論集 第71拳第2腎 2総2葬10舞 【論 文ユ フランス革命期の産業保護主義論再考(猛) 岩 本 吉 弘 はじめに [封 本稿の課題 [2] 青墨静一『フランス重癖主義講講への疑懸(以■と麟号) 13] 露轡紀後半の産業保護主義を巡る近隼の暴究動癖(本号〉 [如 革命簗の産業保護主義におけるアダム・スミスのプレゼンス(以…F次号より纈次掲載) [5] 執政難における即自灘主義一深護主義的遜モデルの展聡 一産業主義の第iの分裂 [6ユ 帝政難の綴家と経済 一科学主義と斎場漂遅のアンチノミーから産業壷義の第2の分裂へ ξ3窪 栂轡紀後半の産業保護主義を巡る近年の醗究勤海 本穂(至)で述べたように,本章では私自身の知識整理もかねて,18経紀後半のフランスにおけ る経済自由主義の生成蟻における欝油と繰護とのイデオ露ギー的交錯という開題が.近年の諸醗究 ではどのように論じられているかを,いくつかの鱗を挙げて見てみたい。(}()UR饗AY[欝8纏の 公難とともに津懸氏が訴えたことは,縫来往々にして行われてきた「グルネーを重農主義運動の粋 緩みで語る」,あるいは彼をrボワギ諏ルベール,ケネー,チュルゴを繕ぶ線一圭1に位置付けるゴよ うな評癒の仕方,つまりはその思想にある保護主義的灘旛を直視せずに後の重農主義やスミス的自 虐実義の鐵現への一一道程に解消してしまう解釈から離れようというものだったと誘えようD。こ こではその後グルネー・グループに絶する最補のまとまった瞬究となったシモーヌ・メソ二王の議 論から見ていこう。 1わ メソエエの降寺計王国i家豊論 メソニエは,グルネーやその弟子フォルボネの経済論を,重農主義にもまたもちろん言い「重商 主義」にも引き付けることをせず,それ1まむしろ重農主義より濤弩に存在した「フランス縷糞の経済 誉1由羊義」であり,いわゆる「重麟空義」とも溺の「新しいパラダイム」を構成するものである, とみなす21。グルネーらは醗らかに保護貿易論意であるが,メソニエは,本章でこの後取り1二げる すべての瞬発著たちと瞬様に,経済1鍵醗主義について従来考えられているそれよ吟も広い定義を求 める。「保護主義政策は人々の誘うように藁商一註義の纂準を成しうるものなのか。そうは慰われな い。それは欝1書1主義と諺嶽貿笏を灘講ずるものだろう。...総崩麟家翫厳重拠6ra艶麗は,自讃の諸 療鰹を申欝1させる罫特ヲ舞な場合選があることを認めながら,社会諸プ3の内的均衡のための群}裁者と 蕊 蔭 学 論 集 第質拳第2号 しての役割を演じる。保護霊義を藁蕎主義の曜一の基準あるいはその選驚基準とみなすことは不薄 能である」3),と。彼女にとっては.従来i鴨8年のケネーゼ経済表選の慈愛にメルクマールが求め られていた「重商主義と嚢嶽主義の切れ目はi758年よりも萌にある」と考えられねばならない勾。 メソ二王の言うには,グルネー・グループを特徴づける思想に嬉しては,饑えば「新重商主義 R60磁erca魏灘s猛毒といった購語を疑うことも「系譜の帰属の濫灘3にな鯵,したがって彼女は それを「平等主義的§鐡主義鞠6ra至重s搬¢瞭a灘a註e珪という§分の造語で呼ぶ欝。この「平等憲 義的§嶽空義輩に臠するその説明は私にはあまり要を得たものと思われない懸もあるのだが,本稿 の問題意識に関係する藻分に畷って私なりにその言うところを要約すればおよそ次のようになるで あろうα まずこの「平等宝義的藍噛烹義」は.以下のような一一般的特鐵づけができる。この懸想は.ボワ ギュルベールが絹いた「鋳計の比倫」に象籔されるように,毒場経済を「自足したメカニズム」. 懸人を単位とする察律的なシステムとして捉える経済認識の上に宣うている。またそれは,いまだ 「労麟韓護懸甕の源泉である」とは馨謹1激しないものの,富とは金銀貨の獲震繋こではなく 「火窪羅の;薄舞肇 労饒蟹こ謹董来する猛,ヂ労{聾はあら塗る富の生産者である」と=髭張する。 しかしながらこの思想慧,後 の「欝勝絶の古典滋によって採濯される欝密主義よりも,よむ豊かで複雑な3性格を持っていた。 つまりこの灘嶽主義は,叢典滋のそれとは異な鯵,毒場経済の「システム臨棒に内在した簿宣する 諸方のアンビヴァレンス」を考癒に入れ,ヂ私的利益と一般利益の悶の矛疇雌,「富裕化という私的 無益の論理とシステムの再生産という集団的利益との衝突」によって起きる「ダイナミックな弁護 法雄に立離したものなのであり,いわば野権力の経済学(重商主義)と稗潤の経済学(資本主義) の経雛こ」ある「雛会的公能を内包した成長の自由主義」だったむ この窮窃主義の療理は,窪窪癒と保護」,「公平的滋縫と公歪無sもicejという二綴のカップルで ある。まず「白癜」とはあくまでも毒場システムの基礎単綾としての諸懸人のそれであるが,購鋳 にそれは菱公権力によって保護されねばならない」ものである。そして「保護」とは,「鱗人的諸 権利の保証人,事麹の自然的秩序に合致した立法による社会秩序の設定考量として時計のメカニ ズムの歪みを直す時言幸工のような役慧を負った夢講簾者縫家澱翫at r6g畷就e簸穏.「時計工緩家 1騒雑観盤G藍。ぎer」の活蟻を意賺する。また「公平と公蕉」とは・「システムの均衡と持続」のため の必要要韓・である。この1鱗萎1主義にとっては・古典派のそれとは違い,「平等とは,糞薯妻1という要 求への付け足しではなく,縫番の嘗雄1への権利を蓉毒する蔭1然な義務」を意味しており,i桑魏と平 等とには常に対等な簸鶴が置かれる。この蕎抽峯義は,財政,穀物流通,貨幣,葦l!子率,労麟と生 産のlll撫,£業製贔の自繕貿易といった翼体的な溝題を論じる中で生産の縫題にお縁る「経済分析 の革新」を果しっっ,そこでは常に「資瀕の分醗」の総懸が生産の開題に春機的に関連して醗覆さ れている嚇Q では,このような駿的特後づけをされる「講簸者麟家卦「時講正二鑛家」というものは,グル ネーやフォルボネにおいては,継場経済システムに対して襲体的にいかなる役割を負うのか。つま 占り,グルネーのものとして禽名なヂレセ・フェール,レセ・パセ」という言葉の通り,ギルドの廃 藪,製造業への観舗の撤廃.臨内流遜の藍i嶽建の断行によって,私的経済主体の鶴1撫な運動による 新1律的な成長軌進が確寛されねばならないのだが,その場合,彼らにおいて嚢撫と臓存している 一3§一 岩本ニフランス革命期の産業保護主義論再考(葺) 「保護雌の具体的内容とはいかなるものなのか。 これについてメソ二王の言うのはっまるところ次の3点であろう。まず第iは,「いまだ離窪に は程遠いフランスの状溌」を踏まえるならば,籔えば鵜総や土地改良のための奨励金新技術や知 識の意識的な普及活動など,諸産業に対してヂ効果的に離陸するための奨励雅co蟹&ge醗e賊あ 「鵜激s盛灘滋畿沁瞬を与えねばならないということ,第2には,とくに対イギ馨スを念頭におい て「フランスを競争者と嬉等にするための矯灘.あるいは植民地貿易を確保して「外羅からの需 要の麟激」を纏り出すための「麟海条擁」その縫の保護貿易措置である。そして第31こ,とくにメ ソニエが強講ずるのが,主に金利と雇欝に関わる「マク灘経済的な均衡涯の維持である。詳しい説 明は避けるが,破女の誘うには,グルネーにとって金利とは,「経済講簿の魔法の道翼,殆然のな すに任せる遜状態を守るのにそれだけで十分な単純かっ唯一の手段」だった。綾においては,成長 軌道は蟹家が金利を低く保つことで起動し婚覆すると考えられている。鍵来から鞍に対して,ド金 利を権威主義的なやり方で鬱症しょうとしていると幾摯1し,それによって彼のいわゆる重嚢主義的 な介入歪義を強講ずる」議譲もなされてきたのだが,しかしグルネーにとっては本来・低金利と察 律的な成長の運動とは「鶏と輿盛のように権互に促進し合うものと考えられてお甑 立法はそれを 「より迅速に」,安定的に行われるようにするものであって,こうした幾報はあたらない。また雇薦 の鶴題ついては,藁繭主義者は羅民経済にとっての財の裟人触の収支である「貿易収支玉a娠農麗ε 喪co灘搬鍵eejという雑念を成長と富裕化の捲標として購いたのだが,「グルネーのオ鯵ジナ婆ティ は,それを人的収支も譲蝕ce酷s飴灘盈εsという機念に置き換えることにあったあ後女の需うに は,このε人的収支」とは蟹境を通じた労鱗移動の暇支を意味し,もちろん羅内経済が成長軌道1こ あるならば完全灌灘と労鐡者流入によってプラスの数字にな鯵,逆ならばマイナスになるというこ とで,雇矯薦から経済状態を表現する鮨標となる。 こうしてメソニエによると,グルネーにとっての蟹家とは,ギルドの廃壷,諸産業への羅家続麟 の撤廃.靉靆流通の鶴鍛1の実理などにより私的経済主体が欝霞に競争できる叢境を整える…■・方で, 麗税や航海条鱗によって対外的保護のための癖となり,醗内産業に蝉する奨励や麟激を厚えっっ, 「完全雇霧と懸金利を監視する_調簸者講家並である,ということになる7㌔そしてこのような浅 家豫は,フ産ルポネによってさらに明確にされる。彼はシステムに内在する不均衡要鶴についてグ ルネー以1二に縫覚的であり,その分羅家の億羅付けもより横縫牲を帯びる。低金利ドでの資本蓄積 の進行は,常に資本の退蔵や流縫1を契機にした「後退スパイラルあ「私的利益と集鱗的利益の矛瞬 によって引き起こされる不均衡」の発生の醒能牲を内蔵さぜているのであり,フ孝ルボネは,「あ りえはするが確実ではない1圭1発的講整をほとんど儀頼することなく,撰家に基本的な諸均衡の維持 を監観する役割を負わせる」のである。 こうしてメソ二王は,グルネーやフォルポネに見られる「講鐘者驚家」・「時誹1こ隣家」と欝うべ き灘念について総括的に次のように述べる。彼らにとって,「均衡の取れた成長に適した枠績みと は,白磁競争を確立し,麟内海場での生産晦の流通を難穣こし,晶質は幾くなくとも安鶴の大衆溝 費を促進し,讐権を廃癒し,外瞬との遍覇条約を監観し,産業保護の必要に応じた麗税を設けるこ と」にある。そこには,「私的零1欝響,企業を起こし労働する欝1総契約の霞1鉱競争的秦場と諸ファ クターの流動雛三,需要と俄給の突き合わせによって均衡を取る講籔といった,自由主義システムの 一37一 醸 学 論 集 第71巻第2号 すべての特徴」が存在している。しかしながら,「富裕牝のシステムの欝律的な運動は,内在的な 調節鶴を構えていつつも,均衡にではなく不均衡に鶴かい,耐えがたい緊張を引き起こして,社会 秩序のまとまりを破壊することがある。」したがって国家は.「富裕化と生産の饑きに謹接に纏わる ことなしに,成長の上昇運動を燐む串さねばならない。いったん成長が軟道に乗れば,聚家はそれ が均衡の最も近くで展醸するよう監擬しなければならない。つまり不均衡が強い時には天秤難の振 れを揮えるように,あるいは振鯵鵜を大きくして動きを維持するように,捲でつついてやらねばな らないのだ」,と8)。 i)津醗内麩…聾g833,夢嚢.4逢7一薩8.またSC登璽LL嚢匡89醤やW鷺難L露裂SS猛駿93選1こ晃られるよう な重農壷義的自由主義の先駆としてのみ縫える見方への反論としてはM碁RP鷺Y[欝8§3も晃よ。 2)養犯YSS()獲蔓数[欝8§&],登.i37,費.1酪. 3)M鷺YSSO羅醸[i鰯a],夢、2暮、 4)M登Ysso糞聡R巨鰭9a],登.i6. 5)厳猛YSSO欝獲毫[欝89a肇,夢.圭37. 6)以上の弓瞬1は鰯霞YSSO翼建盈[ig8蝕葺,麹.i3掌457から。 7)以上のグルネーについての評懸はM琵YSSO翼欝嚢難§89譲,餓.鰺8−2縛.鰭{こもMEIYSSO餐麗R 聾§8§む3・韓弱雛}]を見よ。 8)フ孟ルボネについての評簸はM璽YSSO饗戴R舞9鎗a],即、2登一227。地にもM猛YSSO舞聡甕 [欝欝8]を参窯。なお現代露家の癒場経済に録する饑きかけをこの「講簸r曙撮農t沁鼓」という羅語で 謹莞獲iする撰銭ま,現状では,騒家もiセクターとして資本三駐義藤至生産様式全体の再生産を問題華こするフ ランスのいわゆる「レギュラシ君ン滋」から,淫奔葬政購の経済政策を金蓮i的1こ議明しようとするアメ リカの政治学まで多種多様にある。要するに響家の活動を経済に嬉して牽質的に撹鼠・鋳轡的な「介 入・干渉塗te聾e鉱め鋤として穿り捨ててしまわない際む,必ずこのヂ講籔」という羅語が緩いられ るといってよい。たとえばこの難語のもっとも新しい綾霧弼としてMA訳)翼翼雛弱質や猛B嚢衰L醗餐 1鎗99]があるが,そこで「議e段e解1蕊or¥st&tej,「yEt謎掩g譲撮綴幻と∼、つた霧藷が旋われる理 鐵は,現在ヨー欝ッパでも進んでいる麗営・公営企業の蔑営免が単なる蟹家の一艶撤退を意殊せず, ヨー欝ッパ統合による市場経済の新しい枠緩みの灘境の中で蟹家に磯の後議を負わせようとするもの だという点を強講ずることにあるようである。 12) ド婆二一の「組織者国家」論 次に,(1)でも部紹介したマルセル・ド1ナ二一のジロンド振暴究を見よう。彼がすでに197§ 葎代から,ジ霞ンド派を薮窪嶽貿易霊義,絶対的な欝欝主義として描くことに異を唱えていたのはす でに述べたとおりであるが,その後後は,麟内経済の隅題も含めてジ讐ンド嶽の経済政策懇懇のよ り包鑑的な縷説を試みている斜。彼は,薦家と経済の驚係に関わる「ジ澄ンぎ滋の瞬有の霞家構想」 は,「そのすべてのニュアンスやすべての歓会的含意を説明するのには,ゼ最小靉靆家運という誉聾錘 主義の伝統的な公式で慧不充分な縫家構懇」であ馨,むしろその公式とは「明らかにズレたもの」 だったと考えている.彼はそれを「繕織秦講家職象&t−o響織lsate麗」という表境で響び,それ と健来の自由主義の羅念との違いは次の4っの点を軸に挫握されると謡う。 まず第1の点は,麟家は「市場の流動性を傷つけるいきすぎた不平等」を登法によって緩難しな 一38一 竃本:フランス革命簸の産業保護主義誌再考(慧) ければならないということ,つまりは羅家によるある程度の財の溝分配の必要性の容認である。彼 はコンドルセの次の■言葉を舞に引く。疹ここでの開題は大きな不平等を維持することではない。翼 然の繧向は平等へと向かいながらそれが有害なものとなる点で止めてくれるものだ。大切なことは, すべてを諸懸人の自由な意志にゆだねながら,分購ある諸舗度sages搬sti艇もめ簸sによってその傾 向を麟けることなのだ。選ドリ二一の言うには,「ジ霞ンド派の国家学説は,叢場の自由な作環の自 然な類病を跡けることを役撰とするこのゼ分騎ある諸斜度選の配置にある。ジ狂ンド諏の白総主義 が密密主義者の広い系譜の申でオ琴ジナルな綾羅を占めるのは,この諸鱗度によってである。」饑 えばクラヴィエールは財産相続による不平等の拡大を擁麟するためにすべての税を相続税に一本化 することを企聾していたし,またコンドルセやβランその縫多くのジロンダンが累進税麟案を提起 していた。さらにジ欝ンド瀕が進めたアッシニア発行や国有財産の売却も,国家による財の再分醍 と財産所有者の意醒的な麟藏・維持の政策だったとみなしうる。 第2の点は.「国家は,以蕩から密密を享受していてより有無な立場にある,あるいはより進ん でいる磐蟹の競争者から曝民市場を守るために法律を麟足せねばならない」ということ,つまリレ セ・パセ原鍵の使い分けによる保護貿易主義である。 さらに第3の点は,彼の言葉をそのまま挙げると,睡家は「毒場に適宜介入でき,激しい危機の 際1こは一時的,認分的に毒場の饑きに取って代われるようにしておかねばならない」というもので ある。周知のようにジ灘ンド滋を市場の絶対的な§蜜を主張した勢力とみなす見解は,ジ礁ンド羅 政権簸の1鴇2年末における穀物取引の国家統舗騰凱を主な譲礎とするのだが,ドリ二一はこのよう な見方に対1して,その直繭の縫792年9月から簸弄二1にかけて主に欝ランによって具体乾された政策 の複雑さと多様なエユアンス」を再度よく験試すべきだと議う。彼によると,ジ環ンド派内麗の内 相として醗家の食糧政策の養任者だった灘ラン紬が叡っていた政策は,実際には縫7総隼のネッケ ルの活動以来蔚軽のない介入主義的な態勢」をしいたものだった。露ランはゼもし濤業というテコ では諸翻毒の必要にとって十分でないならば,供給のt警護をせねばならないのは政府である遜と述 べ,内務省自身による外騒穀物の買い付け,輸入奨励,生産者に蝿する簗場供串命令,さらには 「食糧調達局至e Dir8c纏re6es A磁&総」の設麗など,つまりは「懸緒のみを観麟からはずした」 可能な鰻りの食糧管理政策を取ったのである。 最後に第4の点は,「霞家は毒場の綴織者となり,晦場に対し,交通網,公的秩序の維持,人浅 への学校教毒や政治教書などのその犠質的な存在条件を保障しなければならない」というもの,つ まり市場システムの機能のための外部的な条件を醗家が主捧となって麟鐵しなければならないとい うことである。これについてドリ二一は,コンドルセや欝ランの公教蕎論を挙げ,またロランが 1792年欝織こおこなった各梨の1二木公懇の技麟たちへの通達の中に,「隣家は,諸経済主体に取っ て代わることでではなく,それらに効果的に活動する手段を撃えることで経済成長に薦接に綴込ま れる,という考え寿」を見掛している。 以11籔整に発てきたが,こうしてド鯵二一は,ジ灘ンド諏の溺家購想は「絶鰐的嚢虫の闘家とい う伝統的な図式よ垂りもずっと複雑な」ものであ鯵.いわゆる「最小鰻蟹家とはかけ離れた『維織毒 麟家郵とでも響ぶべきものだった,と結論する。「レセ・フェール,レセ・パセ?その通りだ。だ が,立法や麟家の権威,権力によって賢甥に支えられた・叢した枠緩みのゆでなのだ。」 39 繭 学 譲 集 第警巻第2号 また彼は購の譲考において上記ロランやルイ・セバスチャン・メルシエらのジ霞ンド諏のメン バーを纒響彗に取り上げ,その言説の分析を鴛っている。たとえば覆うンについて彼は,革命麟に工 業査察宮としての長い豊富な経験を持ったこの人物毒こついて,とに遽べたことと購じく通説のよう に単純に「絶対的警由主義者雌とみなすのは「糧雑な誤射であり,その思想はギ反対にずっと複 雑でニュアンスに霞んでいた」として,大酪以下のように述べる欝. 工業査察宮時代のロランの工業製品への墜家綾葎必要論やイーデン条約翫覇,貿麗奪盤月の穀勅 取引白蜜牝の直前に内相としての彼がむしろ食糧講達のための5霞家の介入璽の必要を訴えていた こと,ゴブラン織やセーブル焼の国営工場についても,自立する条件が整ってゼ国民産業の大海に 戻す選ことが薄能になるまでは国家で保持するのを意馨していたことなど多くの誕礎から明らかな ように,窪ランは一貫して「公権力による経済活動の枠付けの必要を否定する者たちには覆してい なかった。」蓼白総と保護とが常に私の言葉だった凄という披自身の書葉にあるように,ロランは. 辮外鷺係については,魑民産業の飛躍をイギリスとの競争から守む促進する使命を負った工業保 護烹義の厳格な支持劃であり,国内経済については,自詣を,だがこの時点のフランスに諾いて 可能なものとして,「合理的な綴織者たる羅家」による「纏織された自憲3を実現しようとした人 魎であった。その露出主義の特質は,彩明確に幾定された法的枠総みの中で構想され,企業家の農 密なイニシアチヴを懸害することなく,珪ぎ場に流動性と効率を保瞳するために賢明に案醗された羅 家の不駈の活動の外部では考えられな疑,■一一畏した自由主義」と説明されるべきものである。 またζタブロー・ド・パ葺雄その勉で作家・麟作家としては著名なメルシエについて,ド瞬二一 はあえてその経済観を分析し,このジ鶴ンダンの経済観が巨8麗紀の経済懸想史によって立てられ ている伝統的な分類には入善がたい」性質のものだったと述べる聯。つまり綾には,ジロンド振に 共通する所有権の不可侵の尊重や不平等の容認の上に立った察癒主義ととともに,農業の撰地的生 産性論や土地単一税論などを含む重農主義の諸ドグマに対する瞬確な畿鵯があり,とくに無条件の 穀物取引の霧密化に対しては『政府は,大疑の生活を幻想的な体系に任せて革命の続行を危験にさ らすようなことをしてはならない董といった,鍵来ジ欝ンド諏よむもモンターニュ諏の立場として 述べられてきたような見解がはっきり其善して存在しているということである。メルシエの害うに は,『エコノミストたちは露霜という優れた原理を濫難し,無醸定なものにしようとした講のであ り,その政策は窪窪嶽を明書したがゆえにではなく,その適濡領域の境騨を馨ることをしなかった がゆえに」甑罪されねばならない麟。ドリ二一によれば,ここにもまた,「法によって維織され公 権力によって守られた華場のみが筏金護穂を保薄できる」という考え方を見ねぱならない。 そしてさらにドリニーは,このようなジ霞ンド擁の思想について系譜講的な総握の必要なことに もii言及している鋤。つまり,たとえば}二記のような欝ランの経済懇懇捻,「ジ韓ンド滋政権に対し, 経済懇懇史における,さらにはゼ獲家官僚たち誰の系譜における1至三楽な綾羅付けを復元する」こと を可能にするものである。この系譜に流れているのは,「諸経済主体のイニシアチヴの広範な窮窃 の必要」と「績織者としての羅家の役麟との閣の微妙な均衡を求める,フランス経済懇懇に典穫的 な潮流」である。そしてその中で欝ランは,彼に先立っrヴァンサン・ド・グルネーやク1タコ・ブ レルヴァッシュらの行政官たちの選産」を継承しつつ,テルミドール以鋒,総裁致癖難から執政鱗 にかけて内務省を鑓う「フランソワ・ド・ヌシャトーやシャプタルのような近代産業霞家の簸祷の 一4暮一 種本:フランス革命蟻の産業鎌護童義講再考(嚢) 綴織煮たちとの鵜を結ぶリンク」の役割をしたのだ,と。つまリァンシャン・レジーム難に発す るいわば官庁エコノミストの系譜とその影響を革命後までの射程において縫えるという撹点であ る麟。 9)以一下の携羅は, とくにページ数は記さないが,五)○嚢至G馨Y鋒g8§段3による。これは、量嚢駐のイルシュ やミナールの主張が大きくク自一ズアップされる場となった欝欝年の蓄}一ル醗究集会1こおける報告で ある。また瞬様4〉主題は更)()灘G翼Y l緯総切縄欝劔]などでも少しずつ繋象を変えて展騰されてい る。 蓑磨墨霧寺の内務省と欝ランについては,B猛衰鬢A盆£題翼駿9§4]及びM至鬢茎S孚狂蓑盆聾覚L筆蓑TE裂亜琶じ嚢 [欝§瞬参黙癒 鍾〉以下職ランに絶する弓1舞験まDO盆至G翼Y巨g§33より。 至2)以下購講はDO鷺董G翼Y£ig9嬉よむ。 13)このような革命難の「蟹重農雀義窪蓮醸主義」〔{〉0欝G翼¥[i弱尋],登.茎75)について1ま,本稿次章 で取りしげる0 1嘆)欝0斑G翼Y欝§3],夢.99. i5〉後1こも運べるように,この観点については,本稿馨]・講l lこおけるテーマとして欝度皺む、t1げ たい。 (3) ファッカレ一霞の「チュルゴ学派」論 とりあえずメソニェのグルネー・グループ譲とドリ二一のジ讐ンド嶽論を箆たのだが,この溝毒 だけでも,本稿(至)で引塾たマルゲラズの言う近年の醗究勤轟1における「収斂」というものの方 陶性がある程度見て取れるだろう。破らのように・アンシャン・レジーム末簸から革命難にかけて の講嶽主義煮たちにおける馨家と経済の関係に関する考え方を,麟家の南場経済に対する絶対的申 立という理念型的に単純銘されたイメージに解消せず,よむ具体的に推握しょうという、志向は,勉 にも擁えばig総隼9月のヴィジル麟究集会の企露者の教ファッカレ一鶴にも鮮馨1に現れている。 ファッカレ一口らがこの集会で繕いた意図は,経済学史において重農烹義とセーの懲こ「空鑓 をしか見ないような魑鶴に全面的に抗議しようというものであり塀,ファッカレー鷺嚢身は主に レドレルとコンドルセを取り1急げている。彼の見るに,この二人を代表的な鱗として,革命療繭の 重農主義への不落の広まりの中で,チュルゴが先駆的に窮瞬請いていた諸観点をスミスを接取しつ つも独藍・1に発展させた人々といった愚妹での「チュルゴ学嶽」と辱ぶべき潮流が存在する。彼の藷 うには,「チュルゴ学識は,ほとんどなすがままのような過度に単純化した藍擁1主義は決して示さ ず,市場をまったくの臨搬こ鐡かせて燐の介入を控えさえずれば哲1動的に最善の欝弊に生きられ るとは主張しない。」この「学識」の特籔のっは,「経済における騰家の役害llに絶する鯵系的考察」, 「ボワギュルベール以来の単なる伝統的な最小醸闘家σ)要請を超えていく」考察が葎在するという 点にある。被らはいわゆる「競争的均衡の自動的案現の経済モデル」を決して理念的薄提とせず, 「競争経済における溝家の緯総は韓か?露家はいかなるタイプの財やサーヴィスを崖産すべきか? 麟家はゼ甫場の失敬』を繕うことができるか?いかなる資源が,いかなる様式によって睡家の裁縫 命ドに縷かれるべきか?」といった開題を取畢)1二げる。そしてそこに見るべきなのは,死繊しっっ 一4i一 繭 学 論 繁 繁71巻第2号 ある古い重海棄義ではなく,「まさしく本来の意味での公興経済学の生誕」である,と麟。 ここでファッカレレ一口が言っている「公共経済学驚co盤。擁e興雛騨e」とは,籟単に言えば, 1縫童紀以前の重臨主義鱗から財政学の名髭三1で論じられてきていた政府の財致支路を近代経済学的な 分析の対象とするものである。それは,通常の理解では,一、欝古典諏によって経済学の外部に追放 されたその領域が,欝糧紀中頃にドイツ歴史学蕪やフランスのエンジエア・エコノミストによって 徐々に躍論分桁の麟象とされていき・2§世紀に入ってマーシャルやピグーらのr厚生経済学珪に接 続し,さらにMUSGRAV翼[欝5鱗などの登場以降,現代経済学の一分野として定着する,とい うように解萩されるようである齢。ファッカレー雛の主張の意籔は,そこに想定されている古典諏 が作った空霞なるものは本当に空白だったのか,この革命鰯の空白の中には,彼の言うチュルゴー コンドルセーレドレルのラインを含めて,実は古典諏的な理解とは異なる彫で鰺世紀から現代への 架橋をおこなったものが存在しているのではないか,という鷺題提起として鍵解することができる であろうα 15)FACCA盆翼もLO et S?理翼猛襲119鶉3参照。 i暮)継CCA躍LLOlig§G],欝.78−84.また瞬様の観点1まFACCAR翫LOetCOT[ig§2]でも述べ られている。 17)」璽SSUA、LAB貧OUS総e毛VITRY12鋳i],欝、33§一3総.及び粟遜警手[鴛92]参黙. 韓/ ミナー序の「二£業査察尊爵」養葺究 さらに,本稿(至)にも皺む一ヒげたフ磨/ップ・ミナールの醗究をみよう。被の繋象は,欝欝年 にコルベールによって創設された「[業蓋察宮les IRS脚蕊磯rs6es灘a獄盤。纐resjという舗度の 歴史である。これは,・一般に「コルベール主義葺と呼ばれるもの,つまむはフランスの「重商主義」 政策の実行のもっとも重要な機縫のひとつとして饑いてきたものであるが,ミナールはこれを,麟 設か嚇726奪の行政纏織としての整備・確立までの第1鱗,それから童孫§駕頃までの第2期,そし てさらにこの賀総奪から貿弱年の革命政癖による廃窪までの第3鱗の3っの難綴に分ける。本稿の 課題との縫係で薩接題題となるのはその第3窮であるが,これは.ト1タユデーヌとグルネーの産業 行政への登場によって,まさに「蟹家の獲点から」,白蜜化皿圏内経済への綴織撤廃の動きがやっ て来ることに絡まり麟,以降周鷺のようにチュルゴ改革から革命にかけて,1繁斐1化か燈麟の維持か という「自lllの支持者たちとコルベールの遺産の擁護煮たちの闘の譲争」が行政の内磐で激しく騨 わされる簿潔諺である欝。 遽常この難穫璽ま,藍舞舞を求めるブルジョワジーの要求と,灘弊で介入主義麟な行政との対立,や がて来る革命によるlf楠主義の勝利への遍程という図式で織かれることが多いわけだが,本稿のは じめにも述べたように,ミナールはそのような図式に強く反発する。すでに述べたように,彼にとっ ての簡題は霧砲躰の流通の欝撫に関わるレセ・パセ開題よりもむしろ,瞬内経済のレセ・フェール の簡題であるが,彼が挙げる’童窪時の「i’1撫」を巡る露説の特徴的な轡1としてこういう言葉がある。 「義々にレセ・フェールを,我々に手摩い/呆護をLa童ssez肇。銭s f謡re,鞍ot6gez噴。琶sむea鞍co讐欝.」 これは誓86年にブルジュのある綿織物業煮が通爵監督官に魔てた手紙の中のものである鋤。ミナ一 一42一 露本:フランス革命墾の産業謀護主義譲再考(葺) ルの強講ずるには,上のような鴎式ではなく,当時の人々が「なんの矛震も感じることなく」語っ ていたこのような言葉にこそ,この鋳簸の自由主義の特質が現れている辮。つまむこの盤饗紀後半, 「覆家の介入,その援勘あるいは保護を求める声が一1二がるのは,しばしば企業家たちや最も蓉1密主 義的なブルジ妻ワジーの諸賠麟において」なのであり,「講じ人々が一つの購びの中で政府からの 『嚢密と保護雲を瞬蒔に求めている3のである泌。ミナールの言うには・今や上記のような単純焦 された図式を撰して,こうした事実から串発する「地に着いた経済学説史]鋤が構議されねばなら ない。つまり「グルネーやチュルゴをフレデ弓ック・バスチアやフl/一ド蔭ッヒ・フォン・ハイエ クの眼鏡で読み,18饗紀の自識主義を新古典諏の尺度で騰る」ことをやめ,「現代のウルトラ醤噛 主義に鼓吹されたイデオ韓ギー的アプ彗オ筆}を藪ち切む,嚢噛とは,燧舗とその擬麟を作成し遍羅 する鱗度がまったく存在しないなどということを意味するものではないという良識に戻ろう玉 と鋤。そしてミナールは.このような慮張に立って,嶺時のブルジ誰ワジーの下からの要求の翼体 的な意味内容 グルネーをはじめとする改革滋宮籐たちの懇懇動海.そして結騒79i年に工業査察 窟麟渡が廃壼されるまでの過程のみつどもえの麗係を自分なりに議鱗しょうと試みるのである。 (窪密と保護の綱時要求〉 まず当時のブルジ葺ワジーの要求についてであるが聯,彼はまずこの第3期1こおいてレセ・フ ェールという懸想・要求が凝れてくる理癒を,「贔質の経済艶co鼓or慮eαe ia鱗a難6」と「懸格 の経済艶co登。搬艶瞳観茎}錘x」というタームで議隣する。つまり鰺轡紀1糞串までは, 工業生産の主 体である輸鐵向け奮{多晶の市場は.「競争が主に懸格を巡ってではなく贔質を巡って行われる」と いう「品質の経済涯が支配的であり,コルベールの課した工業製贔の羅家撹格,馨家後蒙凝痩は市 場適金的に機能していた鋤。しかしそれは,鰺世紀を通じて毒場と生産が大衆向けの製品に拡大し 多様化していくとともに少しずつ「懸烙の経済まに取って代られ,こうした観麟が懸格の藏やモー ドの藏で逆に需要への適癒を紡げるものとなっていく。したがって馨家による愚質焼麟の撤廃を求 めるドレセ・フェール」の声が,綴織麹業などを代表とする非嚢移晶認霧を中心に高まってくるこ とには根擬がある節。 しかし賜題はここからであ吟,だからといって一1二記の泌式のように,単純にこの嶺時の馨家繰網 擁護論を古い行政思想の残存としてのみ片づけてしまうことはできない。上のような意陳でのレ セ・フェールの要求が現れる一方で,麩家幾格と検雛麟度による晶質と信矯の保持に秘書のある伝 統的な生産藻霧では,逆に擬舗の維持を求める要求が,ブルジョワジー嚢身の要求として撫されて いるのである。つまり経済の実態としては「異なるメカニズムに従った複数のタイプの帝場が其移 している」のであり,緩家媛凝の維持の葉張もまた「覇業の明融な現実に婦広した」ものと麗解す ることがまず必・要である。 湾この「レセ・フェール」,つまり当時語られているヂ琶嫡」の要求の礫解についても,講様 に「薪古典派的な飛度」でのイデオ欝ギー的な予断や単純髭は携されねばならない。 しに挙げた灘 にもあるように,’難聴のブルジ葺ワジーが求めている「難萎1」とは, っの文賑の中でr保護」と 共存するものだった。ではそれは実鰹にはどのような内容のものだったのか,つまり’難薯のブルジ 葺ワジーは理実に,麟家は飼をせず,侮をしてほしいと懇っていたのだろうか。これについてミ ナールが誘うところを私なりに要約すれば次のようになると患われる。 一43一 姦 学 講 集 第讐巻第2号 まず綾らの要求している「白藍勧は,決して垂§鯵紀的な意味で解績すべきものではなく,むしろ, この時代の鮭会構造そのものであるギギルド体凝と特権の論遅によって特鑞付けられるアンシャン・ レジームの麟綾的枠緩みの内蔀で」存立する性質のものだった。饑えば…鯵として,誓鑓年に通商 監督官グルネーが難分の継当する1タヨン毒のギルド特権の廃登1の悪癖3を示した嚢寺の二一ム秦の反嬉1 がある。この時,有力な絹織物業のギルドを持ち原料輸入などでの特権を有した》ヨン秦からは当 然強い反発を受けるが・その弓3ンの特権に揮えられて高綴絹織物製造に参入しえず,お沼こぼし 的な醒家燐格外の鍾綴贔の製造に誉んじていた二一ムでは,「誰も彼もが白鑞を瞬び葦.野グルネ氏 の示す種端な欝麹の1本議癒を「熱狂的に支持する」というような状涜となった,と記録されている。 ところが.ここで「糞磁」を瞬んでいる人々は,講時に二一ムグ)内部では露分たちのギルド以外の 業者の参入を醗むための抗争を繰む返しているのであり,そこにはギ製造する藍葦由と,ギルドを緩 織するつま唾蜘業種を営むすべての看たちに瞬聯胎の枠緩みを課して拘束する慈誌撰とが経時 に要求さ魏ているという状溌が存在する。ミナールの奮うには,この場合の「レセ・フェール」と は,鑓家に対するギルドの縮主管理の権秘」,国家の綬凝の内容についての影政購との交謬権」 の要求といったものと解すべきである。彼らにとっては,馨家が自分たちに承認してくれる「特権 こそが鶴噛の通常の形態諜なのであって,そうした「藍蔓撰の「綴護」を購家に求めることにはな んの矛濡もない。ミナーノレの購いる比倫で麗ζうと,まさにr特権の錬金鰭おとしてこの「欝裟垂と保 護」の1繹鋳要求が理れるのである曲 ところが欝欝紀以降の密密主義観では,そもそもこのような状混意解麹不能となり,矛瞬とか無 壕舞!とかと躄る縁かなくなってしまう。ミナールの誘うには,それはこのような欝欝主義観が「ギ ルドと睡1家の簸繋}llというもつれた2っの翼実」.つまり≧茎響寺の経済活動が立翻している法的霧彗渡的 な講整の「枠縫み」と「内容」を漫絶して瞬・観してしまっているからである。選鋳のブルジョワ ジーにとっては.露分たちのギルドという「灘浜的な内部燭律を持った」機縫の存在曇本質的な枠 緩みを購岐するものであむ, 一方「購家の燦麟とは薄変約で政府に麟きかけることによって変塗し うる」内容であって,それは鱗確に藪渉1されるものなのである。 ミナールがこのような強請をするのは,アンシャン・レジーム鱗の経済に穫った特殊性を言うた めで捻ない。確か1こその後のフランス革命は封建俸毒鍵こ特轡のこのギルドという枠緩みを解捧させ たのだが,このように,その枠績みと,その粋緩みに沿って構威されている錘家の経済への介入そ れ藍1体とは{茎立綴縫のレベルが違うと考えることによって,ギルドという枠績みの解鯵篇議家の経 済への介入の必要纏の解体ということにはまったくならない,と彼は誘いたいのである。1二の二一 ムのギルドの鰯に鞍らず,ブルジ葺ワジーにとって穆らかの特権的な権益の構成されている枠緩み が蓉在するならば,このようなぎ撰1と保護iの縁蒔要求は嫌々なレベルで超歴史的に葬在しうる。 「1麟内での霞癖と夕慧繕の甕嚢争に対する保護i,あるセクターの縫のセクターに熱}する保護i, ある蓄難蒼 のまたはあるギルドの勉のものに対する録護,あむとあらゆる緩み合わせが馨能である。難題は常 に,ド1分たちがその内蒲で藍曲1こ繁栄できる保護的な纏凝の障壁を建てさせることなのだ。」イル シュがその著のタイトルとしたように,ブルジョワジーは常に「欝灘」と「録護」との「二つの夢」 をi・藤演こ艶るのである。 このように.ブルジ誓ワジーの要罐ξは,i麟家幾格と験鷺の強簿1の廃l11という意草鎌でのレセ・フ 一遵4一 餐ま承:フランス革命簸iの産業{呆護主義姦蓋再考(璽) エールであるとしても,決して闘家の役割の消滅を輩張しているのではない。現に当時鞍らはその ”一 福ナ,肇家に端して自分の使霧する労鐡者たちの不服従や不蕉行為への取締ま鞍を強く求めてい る。つま辱,、と記の「晶質の経済3に基づく蟹家による「市場の取締鯵簸至〉纏詫eδes盤鍵。蟹εs」 の廃止を求めっっも,労麟綬律を維持するための彩労麟の取締まりia夢G疑e曲七鍛鰺繕を要請 しているわけであり,そこにあるのは,必要とされる「蟹家幾鱗の性質における瞬らかな変質」以 、ヒのもので1まないであろう。 (改革派官簸たちの思懸動海) 次に,グルネー登場以降の背政窟たちの思想勤隷こついてである働。行政機購の内部から霧撫化 への最携の麟激を与えることとなったグルネーやその後のチ諜ルゴらの改革滋富簸たちが,製造業 への擁家焼毒雛)撤廃を唱えて実行に移そうとしたことは周知通りのであるが,ミナールの誘うには, ここにおいても後盤の難曲主義観に引きつけて問題を縫えてはならない。ミナールはこの驚家燦凝 撤廃論の論理を次の3っの論点に整蓬する。繁繁ま,そのような醗凝を蕎っても違法行為を擁えら れず現実に効果がないというもの,第2には.麟家綴鰯慧不覊に変化していく繭贔の消費動向に繋 広しえないとするもの,そして第3は.そうした現実認識から鎌生して,1二に遽べたようにコル ベールの課した国家矯麟の存在鍵建1だった「品質という観念雑本を攻撃し,騰鋼懇懇1こ対してその 遷論的基礎から反論する涯というものである。無論患懇史的に瞬題なのはこの第3の論点であるが, 鱗えばグルネー・グループの一人であるクl/コ・ド・ブレルヴァッシュは次のように述べている。 ゼある鵜が良いものか,藷通のものか,悪いものかを決めるのは,その布の懸路とその鵜が内に含 んでいる懸絶との比較による。なぜなら簸椿しだいではどんなものでも喪い贔なのだから誌つま り製贔の幾様は撰家が事蠧毒に決めるべきものではなく,懸格によって大きく左右される消費動向を 最終決定灘とする斎場メカニズムが決める。 これについてミナールが一誘うのは,要約次のようなことになろう。このようなεレセ・フェール」 論は,確かに上髭述べた新しい「無銘の経済涯の出現を察知し,コルベール時代のような「毒場の 鍛練瞬はもはや浅家の役割から縁外してしまうべきだという懸想の哀れである。だがグルネー・ ゲループの経済思想については,すでにフランスでの売行醗究であるメソ二王の議論にもあるよう に,その琵麟注義が「新古縫擬的」なそれとは異質なものだったことはもはや購らかになっている。 綾女の罫時計工闘家」という特鑞づけの遜む,グルネーに発するll鍛注義は,「縫会システムの臨 律的な運動にプライオリティを誓えながら,外記からの講締の酵能姓を予難している」ものだっ た餅。その「レセ・フェール」論は,グんネー,クl/コ,ネルカーといった改革諏行政密たちが 「懸格の経済」の撫場を察知しっっ,それに購嚢の「時、1梅二羅家」の枠内で対応しようとしたもの と見ねばならない。だから彼らは,薪レセ・フェール」を主張しながらも,スミスのようにコルベー ルとの絶縁を強講ずるのではなく,むしろそのコルベールの継承灘としての糞己認識を強く抱いて いる。「綴凝反対煮たちは,フランス経済は籠史の新しい1議糞1へと入ったのであ鯵,政癖はその政 策を時代の新しい必要に趨慈させなければならないと考えている。だから彼ら慧,綬凝はかつては 有効鐘を持っていたことを認めることができるし,緯大なコルベールに対し,被の時代にはその政 策はllこしかったと賞賛することもできる。ク琴コ・ド・ブレルヴァッシュはこう説く。ゼコルベー ル氏が幾1韓を看挙ったとき,睦i業1ま舞審羅鰐にあ鯵わが1韓の1産業は幼若だった。遷製造業者たちは無知 45一 臨 学 譲 集 第7!巻第2号 であ鯵,教え導いてやらねばならなかった。だが時代は転換したのであり,殻策と産業立法の新し い時代への適慈を求めることこそが,かの事績の原理に忠実であることなのだ,と。」 したがってこの白磁空義は.馨家燦格を押し付ける鍵麟の撤廃は窯張したけれども.工業査察 窟を最前線の機関とする国家の経済に鰐する能動的な饑きかけを全諏的に否定することはし撫・。 ミナールの言うには,この第3簸の時点では筥1由派も観舗維持濠も,後に革命議会が行う工業査 察官凝度霞体の廃1しのようなことは主張しておらず珈,少なくとも次の3煮を巡って「査察官に 麟当てられる使命の再定義」をすべきだという点で■一致していた。まず第iは「産業統計の必要」 に関してであむ,この査察官凝度が「統計構鞍の蔽集のために政府が利用できる数少ない遵具の 一つ」であることから.それを「遷内生産と対外貿易のあらゆるデータを集める経済鱗報の収集機 購」として積極的に活濡しようというものである。第2は,「企業家に対する激励と鱗書3.「奨励 e簸co慧r&弩e獄e登超の活動である。 これはとくにイギ1ナスに対する工業力の遅れの認識1こ基づく 「産 業主義的な配濃」,あるいはギ成長窯義66vεめ即e灘e費t童s灘鑓に由来するものである。ここには, 例えば元査察宮臓ランが強講ずるように,国家は「イノヴェーション普及の積極的な役割涯を負わ ねばならないとする「産業の教育係としての獲家艶重磁1欝t灘。艶麗et夢66&go解e6e茎猿面s橿e」 とでも縛ぶべき考え方が含まれる鋤。そして第3は,「取弓1における公謹の維持」である。上記の ように,この時簸のレセ・フェールの宝張看たちにとっては.麟家が「良品質」の内容を仔纏に定 めることは意蘇を失っているが,だからといってそれまで綾鋒麟度が果していた役割のすべてが無 意味になるわけではないαとくに輸出や遠隔地取彊に向謬られる製酪については,蟹家の験薙が持っ ていた「商酷保証の必要性」は無くならない。この点は,査察官アベーユのものとされる次の言葉 が問題の所在をよく示しているひ置饗在の焼凝には二藻類ある。一つは製造.一壷二の決まりごと,つま り縦糸の数や材料の選び方や長さ,輪.呼び名などを焼寇したものだ。こうした燦凝は数多くある が,私が廃止すべきだと思うのはこれらだけである。もう一つの種類の揚幕彗は.ごく単純なもので あり,不運取締りの規凝r6怠至e醗e撹s6e船難ceである。それは,検葎の貼付,布地への製造者名 と製造地の総記,染色や寸法取吟を死しく行うよう命じるだけのものだ。こちらの綬麟だけは存続 さ一せるべきだというのが私の意見である。磨32) さてここまでのミナールの見解は,革命麟の叢噛主義は後覆のr寡額玄義/ディリジズムの単純 な一二者択一」に曝してはならないという主張として,ヒ掲の纏の醗究者たちと瞬様のものと舞いう るのだが脚,しかし彼による麟象の評癒はここからさらに講義的なものになっていくところに特 鍛があろう。ミナールは,グルネー・グループに発する蔭羅癌義が持つこうしたニュアンスを認め たしで,さらにそこには「筐1磁歪義的ユートピア」が潜んでいること,つまり彼らが健時に抱いて いる潅場システムの1生1律鯉認識が一人歩きする欝」能姓を擬麟し始める。饑えばグリコは,ゼ纒人的 利害はいかなる立法よむも鼓かりがない忍.『事物はおのずからその嬢奮のカによって進む磨といっ た発言■}をして,隣家の存在なしの市場法難の働きによって経済の蓉働的な講簿が琶能であるかのよ うな考え方を示唆している点で簡題であり,チュルゴにいたっては,鷺畿紀のフランスにおける 「交換の翼体的な諸条件に縛ら対癒してない,珪∫場メカエズムのまったくレト膨ソクな表現」であ る「完全南場」,「完全競争」という想定に立って政策を論ずる慧度が現れるまでになる騨。チュル ゴは,「講家によって講籔された経済的鮭会的秩序の内編での交換の護雛1」の要請を特徴とするグ 一46一 鴛本:フランス革命難の産業謀議主義論再考(簸) ルネー・グループにおいて「顕著な綱外藩をなす異分子なのである勧。 したがってミナールは,革命羨の動向では.挫折するべくして挫新したチ藷ルゴ改革よりも,そ の後のネッケルの政策の方を高く評慰する。「ネッケルは燦鰯維持の支持者であるが,しかし被は, 一方では焼鱗の事実上の執行不能状態,飽方ではしばしば互いに矛篤してちぐはぐな古い麟家続賂 の由のために,単なる後戻りは不可能になっていること,つまり立法を見直し,作り変えて,韓ら かの効力を取む戻さねばならないことをよく分かっている。」そしてネッケルは.チュルゴの失職 後,葺鷺年から郵綬鋼棒麟と無鰹鰻の自由との中間的行政プラン露なるものを実行に移していく。 これはつまり,検印麟度自体は存続させっっも,主に輸鐵霧けになる霞家幾格にそった織勃とは鶏 に,規整磐の自由な仕様の製品の製造・流通も認めるダブル・スタンダードを取ることによって, 「国家親凝を廃窪するのではなく,緩秘する聾ことを馨ったものであるが,ミナールは決してこれ を紅単なるプラグマチックな妥協涯と解釈してはならないと言う。この措置によってはじめて「規 格焼鱗から外れた生産物のための,多様な蔑準に基づいて麟くゼ自懲な盤市場の存在が完全1こ合法 化された。」これ以降.綬格の設定欝的や内容も拘束性を弱め,「晶質の最低限水準」を示すための ものでしかなくなる。険印轟の仕事も,それまでの全製品への特定の「良品質」の押し付1すから, 嚢菱舞製造の織駿1と窺毒名品とを区馨難ずること.「晶質」の良さ悪さではなく製造に不蓬や麗偽がな継 かのチェックヘと変わって行く。騒家幾鱗の意練内容は,一1二に述べたように,「晶質の経済」が縮 小しつつも「懸格の経済」1こ一一」元乾されたわけではなく,また「完全藁塚」もゼ完全競争」も理実 1こは存在していない甫場の多元的なあり方に沿ったものへと転換をはたす。ミナールの奮うには, そこには覆家は私的産業に帰して韓を韓のために監捜するのかということについての瞬らかな方 針変更」,つま鯵国家綬鰹のパラダイム」における「重要な移行雲が存在するのである。 こうして,チュルゴではなく「逆説的にも韮この「媛鱗体麟に好意的な大臣墜によってはじめて r綬凝体舗の最襖の真の全体的な緩秘がもたらされる。ミナールはこのネッケルの麟度を,騰業 の矛隣した諸要請を尊重し,行政官と業者たち,震舗と藝1鍵1の罷の新しい関係毒こ立興した一L業体舗 の継立を籔つたものであると評し,そこに駿7灘奪代に[了火が切られた進髭」の継承を髭ている。 彼にとっては,グルネーに発するフランスの独自の蓉油主義の発展方霧は,チュルゴよりもネ・ソケ ルの方に太く線が引かれることになる紬。 (革命議会の霞総代政策〉 さてミナールの議譲の紹介が長くなってしまっているが,どうしても後の最後の論点について遽 べなければならない。11記のようにミナールは,この『1二業壷察賞麟漫の鰹史の第3期においては, 溝家焼覇のあり方については多嫌な意見がありつつも,縫家と経済の複雑な閣係を踏まえてこの鰯 度を政華し活臆していく現実的な方霧牲が提起されていた,と見なしている.しかし実鰹にはその 後の群鶴駕,憲法纏足議会は,3弩のアラルド法,6繕のル・シャブリエ法によってギルドも労働 緩合もすべての経済的な中1羅鰭本を禁li二した後,9弩には繭業会議所,遜繭監督霧,1二業査察官と いった行政1二の麟度も薯並み廃艦してしまうのであ青り,経済縫係の徹狭した懸人主義姥が推進され ることになるのである。したがって最後の開題1ま,今まで大きな紙数をとって紹介したような「自 由主義」概覇をしたしで,この難史的事案をどう解叙するのかということになる3?1。 ミナールにとって,このL業奮察嘗制度の廃嚢二という濃来事が,鰹史の進歩のノy肉離に沿った自 一47一 醸 学 論 纂 第穫巻第2弩 鐵主義の喜ぶべき勝舞ではないことは言うまでもなかろう。鞍の見るには.これはむしろ「改革の 挫折」であり,「希望の芽をつぶしてしまう葺事態だった。彼は.駿7鍵年の議論を仔纏に検証する ならば,9天舞7欝の投票(つまり工業査察官等の行政凝度の廃虻決定)をアラルド法とル・シャブ 瞳工法への当然の補足と発,あたかも議員たちが擁重に大掛かりな窪油霊義的一掃計錘を決定した かのように患うならば大縫違いである」と述べ,その経緯を要約次のように説聴する。まず3月の アラルド法は,縄知のよう1こ労働の白麹をうたいながらも,その第7条では「現在のあるいは今後 の幾舗を遵守することを条件に」と明記していた。つま辱.この時点では確かにギルドは消滅した が,上記のネッケルの調度のドでの蟹家窺瀬は生きておむ,上に遽べた,ギルドが「枠緩み」で親 綱はそのr可変的な内容雲であるという考え方で言えば,「変わったのは規凝の執行枠組みだけで ある]という「オ咳ジナルな駿溌葺が崖饗していたわけである。しかし現実には糧憶の混蹴の中で 行政機縫はまったくの機能不全に隆っておむ,その中で農商務委員会を代表したグダール謝によ る商工業に臠する行政毒綾の再霧提案が行われることになる。しかしこの提案も,確かに商業会議 所や壷察富などの讃来の鱗度は廃達するが,一方で「製造業の統鱗は,以前と翼様に秩序と不蕉防 塵を維持するために地方行政機関に委ねられる雌としており,また産業統計を重要任務とする新た な機麗を内務省に設けるとしていた。つまり第3難の成果たる現実的な改革の方鶴姓が生き延びて いこうとしていたのである。ところがミナールの言うには.ここで隅然雄が大きく作繰する。こ の時点で憲法趨走議会は解散予定まで数を遷をしか残していなかった。そこで,新麟綾の構成につい て論議の時閤が無く,政府の恣意でそれが進むことを恐れた議員たちは.とりあえず■一致点になる 「類麟度を廃正する条項だけ」を雛鯵離して採決してしまう。そしてその後憲法麟定議会は解散し て,後続の議会でもこの議論が再び皺む上げられることはなかった。「その結集はこうだ。もはや 縛もかもなくなった。商業会議藤も中央行政も査察密も検印局もない。そればかりか,もはや統計 も産業媛鱗もない。その仕事をするための機縫がないのだから。おそらくi時間もかからないで, すべてが奪われてしまったのだ。涯 もちろん本稿の続編でも鮭れるように,その後中央政癖では内務省という新設の省庁が産業蕎政 を負い,とくにテルミドール後から執政難にかけての内癒ヌシャトーやシャプタルらは産業統計や 産業奨励に大きな努力を払うことになる。だがミナールの一講’うように,この時点で行政卸1痩豊二の大 きな空霞が生まれるのは事実であり,また被が惜しむ11業壷察官と隣家検鶏凝度については二、二度と 復活することはない。中央政府はこれによって各地の麟工業の現場との直接の接点を持った先端機 縫を失うし鋤,南場の混乱からギルドや縷薄靄痩の復活論1ま消えずにくすぶり続け,復古量三放下に は大きな繰縷で再燃することにもなる鋤.ミナールは事態をこう評儀する。「立憲議会の議嚢たち は,報告者(グダール)の最初の狙いを越えて,ギルドと購家媛凝を凝請し瞬ごように捲絶した。 彼らは誉1醗の熱鋳に流され,縫係煮たちが繰舗.購家繰賂,贔質採証に持つ利益に気づかなかった。」 「彼ら1講1{灘と結漿を取毒3違えて麟家の経済への介入を畿無した」のであ善3,ギルドや毅族特権と いった「アンシャン・レジームのフランスの縫合構造」に療露を帰すべき事績を,「しばしばそれ を補眠したり織詰繕う役をする行政の介入室義.1それ警棒のせいにしてしまった。こうして, ミ ナールの誘い方では,現実に穣鍵をもたない「鵜然1と「熱鯵」とによって,革命フランスは,ア ラノレド法,ル・シャブ弓工法から, 11業奮察官などの必ずしも満してしまう必要のなかった「コん 一48一 塔ま本:フランス革命難の莚業保護護三義論霧考(登) ベールの遺産」たる行政麟度すべての廃il二にまで突き進んでしまうのである。 そして彼の結論はこうである。この欝欝奪の一連の矯羅によって,その後フランスはあるFパラ ドクス」に藻っていく。つまり「鐵家と鯛火皿毒戻の懸には中謬1的なレベルの緩緩や協議の媒介が 蕎もなくなる」と,簸家隷「講整と焼凝の{乍成との唯一一の合法的な審綴」となむ,むしろ「あら塗 る開題が行政の恣意や焼麟的な介入に任されざるえなく」なっていく。欝欝紀のフランスでは,こ うして綴人主義化1ま集権銘と補完しあい,経済的社会的に必要な講整は.麟家の介入という霧コ ルベール主義藷の亡霊諜を瞬き出すほかにますます解決の遵がなくなっていった瞬。ところが,こ のように藍曲童義はゼ簿かができるのはもはや縷家しかない」状混を嚢ら作り羨しながら.その・ 方でr縫家に韓もしてはならないと命じる」。そのため葬あらゆる綴織化の試みがギルドヘの郷愁, 撰縫主義,分離主義と疑われ」,「市民縫会の綴織化は進まず,娃会生活は凝度的にまったく貧しい」 ままとなった。こうしてi鱗圭鋒己のフランス1ま, ヨー欝ッノぐの縫の諸麟雛妻漣こ儲舞餐鮭会の難律的な 綴織の深遡な欠魏」に著しむ一方で,覆家の活動にも鱗窪めがかけられ,「イギ1ナスやドイツに比 べての縫会堂法の遅れ」をきたす。「欝饗紀のフランスが苦しめられるのは,蓼濁家がゆき過ぎたこ とをする(trのざ獄at藩のにではなく,むしろ,鶯嬢圏の鰻定を誤む,講家がゼぼやけてしまっ た曇こと(t盤歌at《嚢。鞭〉になのだ。」 欝〉ダニエル・ト諺ユデーヌが繭業局長に就狂するの懸垂7囎隼であり,その■ドでグルネーが遜薩監督一護 に任命されるのは賀溌隼である。嬢経紀緩辛のフランスの祷簸一叢i1業銘の遜鍵1こおいて,このト撃ユデー ヌ (及びその子ト琴ユデーヌ・ド・モンティ二一〉という奮能で麗霧的な高密の果たした役墾はきわ めて大きい。舞えばフランス近代の纏工業の展騰に関する大著を著したシ噸サ一二ュの蕊葉を倦む親 ば,一方での工1葉叢察憲ホル・カーら1こよる致癖三鋭導でのイギ蓼スの突進的一夏二業披講の移纏や葬常書こ積 籐的な産業奨励策と,縫1方でのグルネーの懲密乾政策とは, ト琴ユデーヌの”Fでの「一つの観じ経済 政策の2っの籔翻と言うべきものだった(嬢ASSAG麗欝鋼,夢.27)。この縛ユデーヌ以鋒の フランス政癖の産業政策の動募董については,今から見るミナールの主張やパーカーのすぐれた実証的 瞬発(PA蔑K建貧ほ9?弱・陳g9鱗)なども含めて本稿藝5],[61で再!度取りしげたい。なおグルネー が就いた通商監督官という職種については,GA衰蟹G{還S l欝98]が詳しく分解しているので参照さ れたい。 19)以L引羅はM蓋NA盆P[欝9鋭,欝.257.なおこの蟹玉馨A盆参〔欝§8:は,被のそれ以羨の講文, 凝搬A嚢蓋)[婚劔]迂欝93副・鋒§§3賦・1欝97]などの集大域とも誘うべきもので,またM蟹真嚢D l2総麺はその英語によるレジュメといったものである。 2勃もちろん雛時まだ現在のように「レセ・フェール」という言葉が一つの名詞のように使われていた わけではないので,こういう談ぱ本来適切ではないであろうが,あえてこのようにしてみることにし た。 21〕また17誌年のルアン海難会議瞬の記録にはつぎのような器葉がある。=『フランス商業は護譲1と保護し か積めていない。」(M熱}A羅)II鮮鋭,嚢.2毅.)なおこうした思懸の直接の背疑をなすi81鷲紀後半から 1蜷紀にかけてのフランスに謡ナる綿1叢の展竸については,C}鑑SSAG罷li弱£を参照。 22〕慧戴A魏D!歪縛81,夢.8,夢.2麟. 23〕慧i}ξA費O l1§繋1,β.259. 24〕M玉NA盆Dli鱒8],欝.9、夢.26i. 25)以下これに窪1する引舞罫ま熱賛巽『A嚢D 1顎垂8「,茎}欝.26象3i2. 一碧一 簡 学 論 雛 第71巻第2号 2藝)産業状態の講董,製編鐘檬の叢麟,[、業査察懲凝という3っの柱を持ったコルベールの産業政策に 嬉して,購様にその時代適台盤を強識したものとして,饑えぱMA嚢K()ViTCH巨§7苅がある。■一 方最近のコルベール麟究書である藤C琶A盆D雫涯鱒7三には{云統的な察蜜i主義的藪罪しか髭られない ようである。 27)なお,ミナールの取鯵1急げているレセ・フェールの惣題ではなく藏業に関するレセ・パセについて であるが,C}犯M詠議P猛1欝§萄1灘?総噸7艇庫覆になされた貴族身分の海業鍵事に関する論議に 一フランスにお謬る経済義聾嫉劇義の起瀬」(夢、2?2)を見ている。 28〉以下これに縫する勝麹ま,特に萌記しない譲む慧灘A灘》1欝欝董、夢群駐留3韓. 簿)本章韓のメソニェの羅介を参難されたい。 3鋤これについてはパーカーも「璽繭竃義とレセ・フェールの双春の支持者たちは工業査察憲の欠くこ とのできない機能については…致していた」と詣摘する(愛ARK鴛糞隆蟹繹,窮囎〉oまた亙聡YO翼et (}UiG饗霊欝農g8鋤は,政窮:がある企業の意纒的な畜絞目的で生産や販売■とでの侮らかの特権を撃え る簸鵬繊麗農ctu鷺roy漉という簿渡に嬉しては妻熱時のレセ・フェールの支持巻たちも容認したので あり,理雄離業紀後半その授年数は増大したということを強調している。この請文はレセ・フェ}ノレ 撮のすべてを重農主義と一儲擬する簸鶴がある点で観題だが,藏叢1藁蓑の拡大とそれを巡る紛争1こば かり嚢を奪われずに,その下にある綾撫s鎗滋茎y破箆綴a貧g塗鍔蟹鍵t圭盤」に欝を瞬けるべきだ,と壷 緩している点ではきわめて鑑楽であろう(嚢.縫射。 3i)ロランはこう述べている。f製造莚織の蔑麟も不ぎ蹴り締まりも必要ない。各窓に好きなことを馨き なようにさせればいいのだ。...縁護に関しては,それは矯識の普及に,奨励を移えることにこそある。 誤解してはならない。最も騨舞的な馨渓,その産業によって勉のすべての鬱々を檸しっぷしている羅 艮,イギリス馨罠慧そのためにはどんなこともおろそかにしていない。』(藝蔓翼A盆聾篠鱒創,罫誕2.) 32)ここに挙げた3つの点は,、1二記のメソニエやド…ノ二一が璽家の後難として列挙していた諸点とも重 なるものだが,承稿15聾で取り1二げるテルミドール鍛から帝政にか謬てのヌシャトーやシャプタル らが撰う丙務雀の活動や簡薮典の整騰といった動講の中で璽要な意味を持ってくるであろう。 33)水藻(1)で禽董介したこのミナールの「嚢蜜敷義/デでリジズムの匿二者書ミ・…」という褒章舞につし、て さしあたって一露しておくと,1ディ1ノジズム」という繕語についてのこうした灘法は,被が嘗ルトラ 蔭1縷主義的な諮ll葺三義鯉解との鰐極機念を示すためにあえて誘い一コルベール董義」と講義として使っ ているものであ鯵,実際にはこの羅語は,とくに英米に比較しての逓代フランス国家の産業政策の特 微を強調するために購いられることが多く,もちろん麗実汐)窪窪主義により灘かれた愚昧合いが込め られる。さしあたってCO}把蓑11992、i参照。これについても次章以Fで再び取吟上げたい。 34)M工翼ARDユ鱒8.、,p.280.もちろんチュルゴのこのような特罎はいわゆる一経済学読史一の考え右 からすれば,綾の大きなメ!∫ットであり,一経済学 の発展への霞麟だということになる。そのような 評鰹1の{圭春の溺としてぱBOU魏貧i餐琶T11965.1,GRO琶N翼W嚢G鑑NI2GOZ,c鉱18−19などが挙げら れよう。だが無論ここには, !1記のファッカレ一霞がチュルゴをむしろ「公共経済学」に結ぴつけてい るように非常に徽妙な穣1題が潜んでいる。J.一B.セーについてすら、最遍のいくつかのセー麟甕に冤 られるように,まずもって三共麹1三護憲 としたり〔W琵ATMO盆莚1騰00一),一奮機体論。思aηldsm一 巻とみたりすることすらあながち不射能でぱないのである(F()RG琶T l欝99.1・二2奪朝)。 1憾)H王盆SC}{et熱熱N議員D二1§響8、,p.!4§.千ユルゴがグルネ一一にある{繋護髭義撃3な思楚!を継承せず, むしろその懸蔽を籔一・たことについてぱ,津難民ぱ鵡的に一襲難」り と表霧していた(漆田内観 1983一授び隣 197ら を参難)。一一右最近の研究でもL点嚢嚢琶嚢琶i19§2、などはやは‘りグルネーと千ユ ルゴの継承縫係を強調し.フォ・レボネを伝統的な漿薩1{義養として鞍らから聰り離す緩式を礎起して いる/p.12)、。この醸究び)霧1,亡・ぱ重農1三義という羨蓮垂的な露lll薮義の滅1立透垂幕鎌こ羅力∼れているためにこ 一一 T0… 鬢水:フランス落命簸の産業保護■烹義論再考(盤) のような強請が必要になるのであむ,それはそれでこのグルネーという人鞠の持つ懇懇史一1二のキース トーン的な綾羅を示すものであるが,本稿の主題とは辮の鶴題になる。 3鋤このネッケルのシステムについては麹にもM至翼A猟)!婚93観を参難。またパーカーはネッケルと その鱗度について次のような翼辣深い評懸を与えている。「産業には潅譲が必要であることを承矯しつ つ,駿はまた,それを麟激するための蟻銭金や謀護縫稜や産業縫麟といったゼ緩やかな拘束藩を辮に 纏れて優った。綾は柔軟で灘通が無き,覆雑な経済の縮縫的な発展を綻進ずるのに,無蔭定な§嶺と いう挙一原躍を儘頼することもなげれば徹続的な介入主義者となることもなかった。たえず条件が変 化し礫譲が変わっていく轡界を野々プラグマチックに麟進しながら,綾は,嚢灘と重商主義的介入の 奮舞專さとの海際を霞率慰しつつ, 各事擁を皺む巻く肇砦彗善導装めることをおこなった難 コノレベーノレがプト レマイ孝スで,グルネーが葺ペルニクスだったとすれは1,ネッケルはテイコ・ブラーエにあたる。.」そ してここで善う麟度は,そのネッケルの軒での一重商主義とレセ・フェールの瞬にはなぜ中購的なシ ステムがないのか?」という欝郵、かけの産翰だった,と。(欝A盆K狂貧肛§7翻,聾.3翻3玉.) 37)以下これに絶する引舞1はM穣A貧£耗i鱒ぎ,即.3蕊纏72、 38)この大霜は,li宿は鯵ヨンの絹織聯業者で,また本稿次章でも見るように,革命襖期の経済政策の 作成遍程で非常に一大きな役離を果たす。 鋤このとき廃生されだ喋査察實の代納に,政騨襲業・鐸緻政策を立案する餅こ必要な各地方の 経済状溌の調癒,データ叡集の機能を負うのは土本公懸のエンジニアたちである (塾》餐翼A嚢{)駿9露玉 聾.3諮3硲。 萄)これについて縁D猛M欝R[1§93]を発よ。 41)これはとくに「ル・シャブリエ効漿、といった言葉でも響ばれるものである。}{盤SC猛二1鱒鏡参 難。 * * さて以L,アンシャン・レジーム家筋から革命総鬚にかけての霞麟窪と保護のイデオ窪ギー的交錯 を対象にした逓奪のいくつかの醗究を発てみた。もちろんここに挙げた講者たちの主張のすべてを 是認する必要はない。とくに最後のミナールの艶解などは,現代の新葭葺翻主義幾}難という意麟が強 すぎて歴史解毅として閣題が多いのは誘うまでもないだろう。!987奪のリール醗究集会でイルシュ やミナールの主張を饑いたべルジュロンは,確かに革命鯵1の白鬢舞主義の盤質1こ驕する選1解が単純イヒ されすぎているという被らの抗議は認めっっも,賀91年の「縁職緩合の廃氏への不満が縞馬言説以 11のものであったというのは納霧できない」と述べ,アンシャン・レジーム簸の諸鋼痩へのエレジー に過度のリアリティを付撫することに疑義を疑していた姻。瞬様の疑襲は,11で引いた最遠のミナー ルの大著を箆ても敢然感じざるえないように私には想われる。ミナールは憲法凝定議会が経済騨係 の行き過ぎた鰻人主義化をしたと批判するのだが,しかし結局なせそれがその後追認されていった のかについては説得的な説鞠をしないし錨,またブルジョワジーにとって癖地的な利益の成立す る麟域がある騒麟り常に琴餐舞」と「保護」が 一体のものとして要求されるというが,なぜその縷域 が革命縫の州境から革命後の絶境にというように絶望的に梓を拡大させる運麟を取っているのかと いったことはその論騨には入ってこないのである。思えば,鰺1景紀以来,「絶対的台密紅義」への 数鰻りない摂1判が,その「1票理」はともかくも臨瞬の仕方がよくないといった曖秣なかたちで幾度 となく繰1)返されてきた。それに対して, しに見たように,チュルゴは社会状態としての「完全甫 51 醗 学 譲 集 第?1巻第2弩 場」ぜ完全競争」という発想を抱いたがゆえに葬難すべきだといったミナールの競判はさらに一歩 踏み込んだものであむ,突き詰めれば結局経済自礁烹義の基礎にある方法論的騒人玄義そのものの 否定にまで行き養くものであろう。しかしながら,逓代の醸妻注義はこの方法講的翻人主義に立臆 することによってはじめて鯵系的な一貫性を得たのであり,その2っの結合嚢体を幾輝することは, 藝蘇舞主義そのものの全藤否定へと,つま鯵幾判されている「二二項対立」の逆の項へと海ら臨りかね ない1}スクをはらむ。ミナールの議論は,このような経済籍甚茎注義と馨家という鵜題が本源的1こは らんでいる難題の表在をよく浮き彫りにしてくれているとはいえ,決してその解決をしたものでは ない。 したがって過大に評侵する必要はないとはいえ,これらの遍奪のフランスにおける諸醗究が以下 の諸点を大きな藁逓点として屡離しているということを我々は十分に認識しなければならないであ ろう。それは第iには,もはや諾わずもがなのことではあるが,メソ二王が「聴講工醗家」と誘い, ド鯵二一が「綴織者麟家」と誘うように,市場経済システムの薮1律性を認めた上で,私的経済主体 のイニシアチヴと麟家の能動的な活麟との均衡を鐵ろうとする纏世紀後半から革命難につらなるか な諺 貸した懸想潮流・系譜の存在という事実そのものである。そこにフランス経済懇懇、における 重農主義とは雛の藍・1嶽主義の系譜を見ねばならないということは今や共通認、識になったと欝ってい いであろう⑳。グルネー・グループを含むこの系譜は,総鬚1のように,ケネーとその学嶽の登場以 降,急速にその陰に遜いやられ見えにくい存在になっていく。だが,本稿の次章でも覧るように, この系譜は確かに革命を鋳後する時難に強力な復活をはたす。その懇懇史的な理解を巡っては,ミ ナールがさかんに欝欝紀的攣純牝を絞めているようなアンシャン・レジーム末鱗の繭『王業饗の現場 に患づいていたであろう自由と保護の要求の、!二に立って,確かにグルネーがいち攣い表現者となっ たようなフランスの11蕎σ)経済懇懇の系譜が,革命の作り晦す獲境に会わせて講菰変革を図ってい く,その織承と変容として擬えられねばならない.というのはごく轟然なことであろう。 そして第2には,この系譜の性格醤1擁こ絶して1ま,わが講のフランス蔽「嗣有の重商主義」論の 枠縫みを支えていた発展段墜論や「繭霧的商人資本」などの範嬉の定義とはまったく無縁に,近代 社会における麟家と経済の縄係,lf鍛1主義の概念そのものの再考といった痙篠軸で鍵えられようと しているということである。今ミナールの一議論について述べたように,雛史観として考えた場合に この方向がはらむ難題は否定できないだろう。だが,現在我々が1廓こしているように,「縫合窯義 纏縫」の崩壊からそのまま「新ぜ1密主義の暴走」とも誘われるような状溌が縫かに趨こっている ことを考えれば,従来の難ll主義鐘解がいかに狭黙なものだったかもまた醗らかなのではあるまい か。確かにここには,鰹史談究の課題としても,またアクチュアルな驚題としても,擬かれねばな らない遂があるよ・うに私1こは想われる4潜。 さらに第3には,ド彗二一やミナールが行政機構灘体やその内藩にいる人々に分析の焦点をあて ているように,その系譜の申にはいわば賞庁エコノミストとでも,㌻うべき藤のラインが非常に太い 継承線をなして含まれているということがある。1二にも述べたように,この点はとくに承稿跨1, 1鋭でテルミドール以降の行政機能の薩建,安定後の動向を見る幣薯にもう 穫i取り1二げたい。 42〉B猛貧G琶90翼注98§1,喬。438. 詑 籍奉:フランス革命其彗の譲≡業{呆護憲義請手奪考(簸) 重3)またミナールの憂葺究では当時のフランスで〕駿も強力な嚢灘主義イデ滅欝ギーだった璽農三蓋義との関 係がほとんど綾れられていないことも莞逸しがたい欠幣であろう。 艇〉麹にも鰯えば最近騙まれた経済学通史である8E嚢汽“〉畿FACCA麗しL()1玉鱒23の章総絞,あ るいは厳島嬲殺[2§総]にお年ナるM露YSSO逓籔[欝89壌への評懸などを晃よ。 鶴)わが鍵における最透の譲中真鯖讐鱒7],竹承洋[欝9鱗などの主張からも,今紹介したフランスの 識者たちとみかなむ其選iした志講がうかがわれるように患われる。饑えばまず,嚢中氏の表現で奮え は1,「経済的嚢趨三蓋義金は本来「嚢鐵敏{壬」とは1霧一一で1まない,といった強言灘である。霧中氏によると, 麟者は「白露数種の震度」を縫覚して「国家の責務・干渉の範灘を醤定窪しようとするものであむ, 「自密教狂(市場メカニズム)が鳶効に饑きうるような麟度的改革を詣海する思想3であるとする(縷 中1欝9鴬,瀞、董手懸)。また竹本氏は,その1歪1中氏の主張に購讒した、ヒで,絶繋的藝養灘か羅家介入か といった鍵念型髭された一二項蝿立による裁擬をひとまず趣夕ようと遽べる。そしてさ嚇こ管庫氏縁, ウォーラーステインらの言う罫轡1弊経済システム」における蟹家懸での「覇権辱の争奪といった議講 を擦離して,従来から経済と羅家との縫孫についての考え方をめぐって懸絶線が雛かれることが多かっ たf重商主義とr吉典瀕」の区分を捨て,スチュアートとスミスが藤を蔓べるr療・古典灘経済学」 なる範躊を設謬るよう礎欝する。1最中氏の議論のよ裾こ,「霞鐙敏任」と「経済的哲縦書主義雌の違いほ 彰功零雛三義」を基礎とするかどうかだ.とい一・た議鱗ではたして分観したこと1こなるのか,竹華氏の饗 超する新しい縫嬉ではスチュアートとスミスの聯こあるような毯家観の癩違麟麟まどう振われるの魁 など疑農彗隷あるが,探求の方1韓盤として業態できる。 (なお本稿の続稿後に手にすることになった竹奉洋・大森郷夫1欝毅]については,残念ながらここ ではまとまった一叢及ができず,馨:名のみを挙げておくこととせざるえない。〉 (つづく) 引馬文轍(琶) *この乾}ストでは,重複を遷iけるために鐸奪琴}の(亜)1こ婁馨識した文1獣は省酷している。 (夏)の獲}載分と あわせて参照されたい。 8重殺AUO,Aia識et FACCA殺麓LLO,G搬鷺賞幡重r.♪二1§§2]:爆θ麗麗♂髭解説醜羅だ2如露∼鰺s麗6c〔灘θ窺幻麗, t、1,Par圭s,1992、 登霊盆G建疑○醤,Lo語s[墨§89コl Co簸。墨観si(遷s,塗G.G農yot e毛}.{》、蚤{墨rsc簸(6ω,ムα1∼6欝隷故灘∫難解窪歪認 酸蝕磁麗鋤舞耀鋸磁。窪露誠灘ε』鰭2ε磁εθぎピ弱鑓融翻転!9−2!麗む㈱む繹!987(池灘ε 4舞A偽拓鼠 簸虐5,為。瓢s s6露2)、L童舞e,歪{妻8§、 嬲殺翼A灘〉羅,騒鵡1墨964コ:彦翻潔朧ε1∼磁鋸認髭羅厩舘碗だε’擁齪擁γ(!7θ2−!7雪3),Pa爵, ll§64「. 80U醸1観丁,」3c銀es119懸、,1τ礎got,t漉or漉簸密r雇ivl壌戯量s灘e1醗r鉱地襯4櫨鐙魏 4c醗書癖鐸2撹灘蕊厩ε,XVlir vol.,1弱5. 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