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ストックオプション再検討
経営論集 第63号(2004年11月) ストックオプション再検討 89 ストックオプション再検討 堀 田 真 理 Ⅰ 序 Ⅱ ストックオプションをめぐる最近の動向 Ⅲ ストックオプションに関する理論分析 Ⅳ 結論 Ⅰ 序 本稿では、ストックオプションに関する最近の動向について、実態面からその現状や問題点を明 らかにするとともに、ストックオプションに関するいくつかの理論的な分析を紹介することにより、 理論的な観点からその効果を再検討している。 ストックオプション制度は、株主が経営者に対して、自社の株式を、一定の期間内にあらかじめ 決められた有利な権利行使価格で購入できる権利を報酬として付与する制度であり、株価が上昇す れば、その報酬としての価値も増大することになるため、この制度が、企業の業績に影響を与えて いる経営者を動機づける、業績連動型の新しいインセンティブ報酬制度として注目されてきた。先 駆けてこの制度を導入してきたアメリカでは、今やほとんどの企業でこの制度を導入しており、日 本においても97年にその導入が認められて以来、この制度を活用する企業は年々、増加している1。 このようにこれまで積極的に活用されてきたストックオプションではあるが、今、ストックオプ ションは大きな転換期を迎えている。 とりわけ米国では、ストックオプションの濫用が経営者に多額の報酬を与えることになり、これ があのエンロンをはじめとする不正会計事件の温床ともなったとして批判されている。さらに、ス トックオプションの場合においても、付与時にその評価額を費用として計上すべきことが義務化さ れつつある流れの中で、企業収益に与える影響などの観点から、ストックオプションの導入そのも のに疑問を呈する動きも現れつつあり、新たな報酬体系を模索する企業も増えつつある。 これまで、ストックオプションについては、理論的な検討が十分になされないままに、その有用 1 2004 年6月末において、ストックオプションの導入企業は 1303 社に達し、上場企業の約 36%が導入している。 (2004 年6 月 24 日 日本経済新聞) 経営論集 第63号(2004年11月) 90 性ばかりが強調されてきた。しかしながら、近年、ストックオプションに対する批判が高まりつつ ある中で、改めてストックオプションの効果や有用性について検討し直す必要があるように思う。 そこで本稿では、まずⅡ節において実態面からストックオプションをめぐる最近の動向について 明らかにする。欧米やわが国において近年、議論が続いている費用計上をめぐる動きや、新たな報 酬体系への転換を試みたいくつかの事例について検討するとともに、それらを通じて、ストックオ プション制度の問題点について明らかにする。 後半のⅢ節では、そうした実態面での分析を通じて明らかになった問題点を踏まえ、理論的な観 点からストックオプションの効果について検討する。ここで紹介する理論的な分析は拙稿(2002) 、 清水・堀内(2003)、Hirshleifer and Suh(1992)の3つである。 ストックオプションに関しては、すでに拙稿(2002)において理論的な観点からの分析を試みた。 この分析では、費用計上にともなうストックオプションの評価額についても考慮しつつ、最適なス トックオプション契約について検討している。実際に評価額の費用計上が義務化された場合、企業 収益に与える影響の大きさから、ストックオプションの導入を断念する可能性も指摘されているが、 そうした懸念に対して理論的な観点からストックオプション導入の妥当性について検討している。 さらに、最適なストックオプション契約の結果として、最適なオプションの付与率を理論的に決定 できることが明らかにされる。 清水・堀内(2003)では、経営者による経営努力と株価上昇とが必ずしも連動しないことに注目 し、株価上昇によって努力を怠った経営者にもストックオプションによる報酬が与えられてしまう ような場合には、株主がストックオプションの導入を断念する可能性があることを理論的に明らか にしている。実際にも、近年、ストックオプションに対する批判が高まりつつある中で、このよう な指摘は多くみられる。 最後に Hirshleifer and Suh(1992)では、経営者のインセンティブの問題に焦点をあてつつ、ス トックオプションとモニタリングとの関係について論じられており、そしてこれらの間にはトレー ドオフの否定的な関係があることを示している。 これまでにもストックオプションの問題をめぐっては、理論的また実証的な観点からさまざまな 分析がなされてきた2。しかしながらその多くは、ブラック・ショールズモデルなどのオプション 評価モデルを利用することにより、公正な評価額の算定をおこなうことに焦点をあてている。これ に対して、本稿で紹介するこれら3つの分析は、いずれも経営者に対するインセンティブの側面を 重視しており、インセンティブ効果の観点からストックオプションの有用性について再検討するう 2 こうした従来の研究のレビューについては加井(1998)を参照。 ストックオプション再検討 91 えでは興味深い分析である。 本稿では、これらの理論的な分析から得られる結果をもとに、実態面の把握から明らかになった 問題点と合わせてさらに再検討している。実態面と理論面という両側面からの検討を通じて明らか になった点については最後のⅣ節でまとめるが、理論的な観点から分析しても、ストックオプショ ンが抱える問題の多くを説明できることがわかる。 Ⅱ ストックオプションをめぐる最近の動向 本節では、まず実態面からストックオプションの現状やその問題点などについて明らかにしてい く。 (1) 費用計上の義務化をめぐる問題 米国で先駆けて導入されたストックオプション制度が、欧州やわが国でも導入されるようになり、 今や多くの企業において積極的にこの制度が活用されつつある中で、当初より大きな問題として最 も議論されてきた点は、ストックオプションの費用計上をめぐる問題である3。 ストックオプションの費用計上をめぐっては、米国でも早くからその必要性をめぐり議論され続 けてきたものの、これまでの会計制度においては費用計上が義務づけられることはなく、ストック オプションは人件費のかからない有利な報酬制度として多くの企業で導入されてきた4。 しかしながら近年、エンロンの不正会計事件などが問題とされる中で、このようなストックオプ ション制度が、業績と関係なく経営者に多額の利益を与えることにもつながったとして批判される ようになった。経営者に対する大量のストックオプション付与を制限するためにも、費用計上を義 務づけるべきであるとする意見が相次ぎ、米国においても、付与日にオプションの価値そのものを 算定し、費用計上すべきことを原則的な処理とするようになった。この費用計上をめぐっては、企 業収益に与える影響への懸念5から、これまでさまざまな議論がなされてきたものの、米国におけ るストックオプション制度のあり方は見直しを迫られるようになり、現在大きく変化しつつある。 3 会計処理の観点からの詳しい議論は竹口(2001)でなされている。 ストックオプションをめぐって、これまで理論的、実証的な観点からなされてきた分析も、多くはこうした費用計上の動き に対応するためのオプション評価額の算定をめぐる分析である。 4 竹口(2001)によれば、アメリカにおいて、従来の会計基準 APB25 号では、ストックオプションによる報酬総額を、付与日 の株価と行使価格の差額で算定する本源的価値法によって評価していた。通常、行使価格は、付与日の株価よりも高く設定さ れるため、この方法によると、付与日におけるオプション評価額はゼロとなり、費用計上されないことになる。 5 とくにハイテク産業やベンチャー企業などでは、ストックオプションが優秀な人材確保のためにも積極的に利用されており、 費用計上に対する反発も大きい。 経営論集 第63号(2004年11月) 92 最近では、費用計上を求める株主提案の可決6や、費用計上をおこなう企業が急増するなど7、し だいに費用計上へ向けた動きが徹底化されつつある。 1990年代から米国に準じて積極的にストックオプション制度を導入してきた欧州でも、費用計上 にむけた動きが急速に進んでいる。すでに欧州の上場企業では、2005年1月から国際会計基準の適 用が決定されており、ストックオプションの費用計上が義務づけられることになる8。 英国では世界に先駆ける形で株主からの批判に応えるべく、ストックオプション制度をめぐって は、その見直しに自主的に取り組んできたとされる9。また積極的に導入してきたドイツでも、株 式相場の上昇により業績と関係なく多額の報酬を得られるストックオプションに対しては株主から の批判が高まりつつあり、見直しを迫られている10。 このように、ストックオプション制度に関して見直しが進められつつある欧米に対して、わが国 では、最近になって積極的に導入を進める企業が増えている。2004年6月末の時点で、ストックオ プションの導入企業は1303社に達し、上場企業の約36%が導入しているという11。その理由として は、株価の回復により権利行使可能となったストックオプションが急増したこと12や、2002年度の 商法改正により、一般従業員や社外の人へも付与が可能となったこと13などがあげられる。 しかしながら、日本においてもついに企業会計基準委員会がストックオプションの費用計上を義 務づけることを決定した14。2007年3月からの導入を目指すという。すでに見てきたように、こう した流れは欧米の動きとも一致するものの、新興企業を中心に企業収益への影響が懸念されており、 6 7 2004 年5月、インテルの株主総会で費用計上を求める株主提案に 54%が賛成した。 (2004 年6月 20 日 日本経済新聞) 日本の企業会計基準委員会が米国でのストックオプションに関する実態調査についてまとめた結果によると、米国の主要企 業 100 社のうち、費用計上した企業は 2003 年になって 22 社に急増したという。 (2004 年4月1日 日経金融新聞) 8 9 2004 年7月 26 日 日本経済新聞。 英国では、株価の上昇が同業の平均値を上回らない限りオプションを付与しない、というような制限条件を設定していた。 (2003 年7月 17 日 日本経済新聞) 10 ドイツでは、企業統治の新しい自主規定の中で、ストックオプションなど業績連動型の報酬に対して、全体の株価指数や 業界他社の業績と比較して自社の株価が上回った場合にのみ見合う報酬を与えるなど、比較可能な尺度の導入を求めている。 (2003 年7月 17 日 日本経済新聞) 11 12 2004 年6月 24 日 日本経済新聞。 2003 年 10 月末の時点で権利行使可能となったストックオプションの割合は 38%になった。 (2003 年 12 月4日 日本経済 新聞) 上田(2003)でまとめられている実態調査によれば、2002 年度については、実際に権利行使されたのは公開企業でも 15%、 未公開企業では5%にすぎなかったという。 13 この商法改正を機に、日産が従業員へも付与、船井電機は社外の研究者にも付与した。また証券会社でも従業員への報酬 として活用する企業は 10 社にのぼっている。 (2003 年7月 15 日 日本経済新聞、2004 年6月4日 同夕刊) 14 2004 年9月 17 日 日本経済新聞。 ストックオプション再検討 93 わが国においても、今後、この問題をめぐっては、ますます議論が続くものと予想される。このよ うに、わが国も含め、費用計上への動きが強まる中で、ストックオプション制度は改めて見直しを 迫られているといえる。 (2) 日米における実態調査と費用計上に関する試算 (1)で見たように、近年における費用計上への動きをうけて、このような費用計上が義務化され た場合のインパクトに関しては、すでにさまざまな分析がなされてきている。 その中でも、以下で紹介する吉川(2002)では、米国におけるストックオプション費用の実態に ついて調査するとともに、わが国において費用化された場合の影響についても試算をおこなってい る。 まず、米国については、1999年~2001年までの3年間を対象に、ダウ工業株平均企業のうち30社、 またナスダック100企業について公正価値額での算定を前提に、費用額の実態を調査している15。 その結果として、次の2点について指摘している。 ① まず、利益指標に対するインパクトとして、当期純利益への影響について検討してみると、 10%~40%程度の減益が予想され、とりわけハイテク系などのベンチャー企業ほど大きな影響を うけていることがわかる 16。 ② 次に、費用総額の観点からみると、費用総額の大きい企業ほど、ストックオプションの付与 数も多いことがわかる 17 。ストックオプションの費用総額は、1オプションあたりの公正価値額 だけでなく、付与数によっても決まるが、公正価値額の算定についてはさまざまな不確実性や恣 意性が影響するためコントロールが困難であり、企業にとっては、とりわけ付与数の決定が重要 になってくる。付与数の増大は、それだけ費用総額を増大させることになり、費用計上による影 響を抑えるためにも、この付与数を企業がどのようにコントロールしていくのかという点が問題 となってくる。 他方、わが国については、付与数が適切である限り、それほど大きな影響はないと判断している。 吉川(2002)によれば、過去3年以上にわたりストックオプション制度を継続して利用している公 15 16 調査方法などについての詳細は吉川(2002)を参照のこと。 正確には当期純利益の中央値を用いて算出すると、ダウ工業株平均企業で平均5~10%、ナスダック企業で平均 20~40% の影響があるという。 17 吉川(2002)によると、2001 年度の費用総額はダウ工業株平均企業で 124 億ドル、ナスダック企業で 195 億ドルであった という。このうち、最も多額の費用総額を計上したのはマイクロソフトであり、付与数は2億 2400 万株、費用総額は 22 億 6200 万ドルであった。 経営論集 第63号(2004年11月) 94 開企業20社を対象に米国のケースと同様の分析を試みた結果、利益への影響は平均すると数%程度 であったという18。その理由として日本においては米国とは異なり、ストックオプションの付与数 が少ない点を指摘している19。 同様の指摘は、わが国におけるストックオプション制度に関する実態調査についてまとめた上田 (2003)においても見られる。この分析によれば、わが国におけるストックオプションの平均的な 付与率(発行済株式総数に対する付与オプション数の割合)は2~3%とかなり低い。このように、 日本の場合には付与数が明らかに少なく、適切な付与数が維持されるのであれば、費用計上による 影響はそれほど大きくはならないと考えられる。 しかしながら日本の場合には、費用額の測定方法20やストックオプション制度そのものに対する 理解が乏しい点、また付与数や権利行使価格の決定に関しても、その妥当性について十分な検討が なされていない21など、経済的合理性の観点からの把握が不十分であることを問題点として指摘し ている。 費用計上による影響について検討する上で、日米の実態調査を通じて、付与数の問題に焦点が当 てられた点は興味深い。Ⅲ節では、こうした試算を通じて明らかになった点をもとに、理論的な観 点から検討していく。 (3) 報酬制度の変化 これまで積極的に活用されてきたストックオプション制度ではあるが、すでに述べたように、費 用計上の義務化へ向けた規制の強化や、ストックオプションに対する批判が高まりつつある中で、 改めてストックオプションを中心とした報酬制度を見直す動きが強まってきている。昨年、これま で多額のストックオプションを付与していたことで知られていたマイクロソフトがストックオプ ションの廃止に踏みきり、とりわけ大きな注目を集めたことは記憶に新しいが、実際に米国では大 企業トップの報酬体系が変化してきている。ストックオプションの比率が低下する一方で、現金給 与や自社の現物株付与、業績連動の制限つき株式購入権など、より長期的な視点から業績拡大を求 18 日本の場合には、サンプル数が少なく、データ入手の面での制約が多い。より正確には、1999 年~2002 年にかけての当期 純利益への影響は、平均して 6.03%程度であったという。 19 20 試算した企業でいえば、日本の場合、平均的なストックオプションの付与数は 27 万 5000 株程度であったという。 オプション評価モデルを用いて公正価値額の試算をおこなったことがある企業は、公開企業でも 20%、未公開企業では 2%程度にすぎないという。 21 上田(2003)によれば、付与数については役職や過去の実績を重視して決定している例が多いという。権利行使価格につ いては、日本の場合、付与日の株価の 1.05 倍以下に設定している企業が大半である。その根拠も、他社の事例を参考にして決 定するなど、必ずしも理論的な観点からの妥当性が検討されていないことが見受けられる。 ストックオプション再検討 95 める報酬制度へと移行しつつある22。 以下ではわが国における現状も含めて、実際に新たにどのような報酬体系が用いられているのか、 いくつか興味深い事例を紹介しつつ、検討してみたい。 1.マイクロソフトのケース マイクロソフトは2003年7月、これまで活用していたストックオプション制度を廃止し、新たに 5万人の従業員に対して、譲渡制限つきの株式支給制度を導入した。マイクロソフトと同様に、一 定の業績達成や売却時期の制限などを条件とする現物株付与に移行した企業は他にもゴールドマン サックス、JP モルガン、リーマン・ブラザーズ、PG&E など、多く見られる23。 このように現物株支給制度を採用することで、従来のストックオプション制度とは異なり、経営 者も株価下落のリスクを負うことになる。 2.米 IBM のケース 米 IBM では、約300人の上級幹部に対し、従来よりも権利行使による利益確保が困難な2種類の 制限つきストックオプションを付与する方針へ変更した。この新制度によると、以下の2種類の制 度(A)・(B)のうち、どちらか、あるいは両方を選択できる24。 (A) 権利行使価格を付与日の株価の 1.1 倍とする。 (B) 株式購入条件つきのオプションであり、付与時に現金ボーナスを株式購入にあてることを 義務づけるとともに、買い付け後、権利行使までに3年以上の保有を必要とする。 (A)については、権利行使価格を付与時の株価よりも高く設定することで、インセンティブ効果 が期待できるとともに、不正会計などによる株価操作の影響もある程度抑制できる。すでにわが国 においては、多くの企業で権利行使価格が高めに設定されている25。また(B)に関しては、前述の マイクロソフトなどのケースとその狙いは同じであると考えられる。 22 こうした指摘は日本経済新聞 2004 年3月3日、4月7日、4月 26 日などの記事においてなされている。2003 年度、米国 の大企業トップの報酬は平均で前年比8%減少したが、その大きな要因はストックオプションの 38%減であったという。 (4 月7日) 23 24 25 2004 年3月3日 日本経済新聞。 詳細は 2004 年2月 26 日 日経金融新聞を参照のこと。 わが国における実態調査では、権利行使価格を付与時の株価の 1.05 倍程度に設定する企業が多いとされる。 経営論集 第63号(2004年11月) 96 3.日興コーディアルグループのケース 日興コーディアルグループは、従来の取締役に対する退任慰労金制度を廃止するとともに、自社 株を1円で購入することができる、権利行使価格1円のストックオプションを導入した26。 竹口(2003)によると、このようなストックオプションの効果については、以下の点を指摘でき るとしている。 ① 株価下落リスクの負担 この制度によれば、付与された経営者は株価下落リスクを負担することになる。すなわちこの 場合、付与時において、すでに株価と1円との差から価値が生み出されてしまっている。した がって、もし付与後の権利行使を一定期間制限するのであれば、株価が下落した場合には、付与 時よりも権利行使によって得られる利益は減少することになる。 したがってこのようなストックオプションは、実質的にはこれまで見てきたような譲渡制限つ きの株式支給制度のケースとほぼ同様であると考えられる。 ② 費用額の増大 すでに述べたように、今後は各国においてストックオプションの費用計上が義務づけられるこ とになる。今後予定されている公正価値額での計上を前提に検討した場合、通常のオプション (権利行使価格は付与時の株価よりも高めに設定)と比較して、権利行使価格が1円であるス トックオプションの場合には、その計上額が大幅に増加してしまうと予想される27。 このように権利行使価格が1円のストックオプション制度は、メリットも期待できる半面、多 額の費用計上になるという点で、今後対応を迫られる制度でもあるといえる。 以上、従来のストックオプション制度に代わる新たな報酬体系の方向性について、事例を取り上 げつつ述べてきた。いずれの事例においても共通していえることは、経営者も株価下落リスクを負 担する制度であるということである。これまでストックオプションの最大の特徴は、権利放棄によ り株価下落のリスクを回避できるという点にあった。しかしながら、近年、ストックオプションへ の批判が高まる中で、リスクを負担しつつ、いかに適切に経営者のインセンティブを引き出すかと いうことが求められてきているといえる。 26 2004 年4月 19 日 日本経済新聞。また、同、6月4日の記事によると、コスモ証券も退職慰労金に代わるものとして、こ のような権利行使価格1円のストックオプションを導入したという。 27 大和総研の試算によると、株価 100 円、権利行使価格 100 円、残存期間2年、リスクフリーレート1%、ボラティリ ティイ 10%、配当利回り1%という仮定のもとで計算される公正価値額は 5.53 円であるが、権利行使価格が1円の場合には、 公正価値額が 97.04 円になるという。 ストックオプション再検討 97 Ⅲ ストックオプションに関する理論分析 前節においては、主に実態面での分析を通じて、ストックオプション制度がかかえる問題点につ いて明らかにしてきた。ここでは、そうした問題点を踏まえつつ、より理論的な観点からストック オプションの効果について再検討していくことにする。以下では3つの理論的な分析について取り 上げ、紹介する。 (1) 最適なストックオプション契約と費用計上による影響 前節で述べたように、企業にとって重要なのはストックオプションの付与数に対するコントロー ルであるにもかかわらず、わが国の現状を見る限り、その妥当性が十分に検討されてこなかった点 は、すでに指摘されていた通りである。従来からストックオプションの評価額の算定そのものが重 視され、オプション評価モデルを利用することによって多くの分析がなされてきたにもかかわらず、 株主と経営者にとっての最適な契約の結果として、ストックオプションの付与数がどのように決定 されるのかという点については検討されてこなかったのである。 これに対して、すでに拙稿(2002)においては、こうした議論に鑑みて、ストックオプションの 評価額に関しても考慮しつつ、一方で従来のオプション評価モデルとは異なった観点から、経営者 に対するインセンティブを考慮に入れることにより、理論的な観点から分析している。 以下では、簡単にそのモデルの概要を紹介し、そうした理論的な観点からの分析によって得られ る結論についてまとめておきたい28。 ここでは、2期間にわたり、株主は経営者を雇うものとし、情報が完全である場合を前提に、経 営者の行動を考慮した3時点のモデルを用いる。また企業の成果(キャッシュフロー)と株価との 関連の密接性を前提に、株価のかわりとして成果(キャッシュフロー)を用い、株価(企業成果) の変動過程を簡単な binomial tree で示すことにする。いま、現時点(時点0)におけるこの企業の キャッシュフローは S 0 であり、この時点で株主は、経営者に対して、行使価格 tS 0 (t ≥ 1) でαだ けの割合のストックオプションを付与する。ここでの行使期間は、第2期末(時点2)までの2期 間である。もし、権利行使期間の満期まで保有されれば、中間の第1期末(時点1)においては、 企業の成果が明らかにされても、ストックオプションを行使して報酬を得ることはできない。しか しながら経営者が途中で早期に権利行使する場合には、第1期末において行使し、ここで報酬を得 ることができる。最後まで保有した場合には、経営者は時点2において実現した企業の成果に応じ て、ストックオプションを行使することにより、報酬を得ることができる。 28 モデルの詳細については拙稿(2002)を参照のこと。 経営論集 第63号(2004年11月) 98 このとき、各時点における経営者の行動は、努力水準 A = [0, a](a < 1) で示され、経営者の努 力水準によって実現する企業の成果は異なるとする。すなわち、時点1においては、時点0で経営 者が選ぶ第1期の努力水準 a ∈ 1- A に応じて、 p(a) の確率で高い成果 uS 0 (u > t ≥ 1) が実現し、 p(a ) の確率で、低い成果 dS 0 (1 > d > 0) が実現する。ただしここでは、 p(a ) = a となる 線型モデルを仮定する。すなわちこの分析では経営努力と株価との連動性を前提としており、経営 者の努力水準 a が高いほど、高い成果が実現できる可能性は大きくなる。 時点1において高い成果が実現すると、次にこの時点において、第2期の努力水準 a h ∈ A を選 択する。同様にこの時点で選択された努力水準に応じて、時点2において実現する成果 S 2 が異 なってくる。このとき、時点2で実現する高いキャッシュフローを u を udS 0 2 S 0 、低いキャッシュフロー (t > ud > d ) とし、 a h の確率で高い成果が実現し、1- a h の確率で低い成果が実現す ると仮定する。 他方、時点1において低い成果が実現した場合には、同様にして、この時点で経営者が選ぶ第 2期の努力水準 a l ∈ A に応じて、 al の確率で高いキャッシュフロー duS 0 が実現し、1- al の 確率で低いキャッシュフロー d 2 S 0 が実現する。このような経営者の行動と、企業の成果との関係 を示したものが下図である。 (図1) また、各時点で経営者が努力水準を選択することによって生じる経営者の不効用を、それぞれ、 C (a), C (a h ), C (al ) で表わし、ここでも線型の関数を仮定する29。 29 経営者の不効用について、このような線型の一次関数を仮定しているため、経営者の選択する最適な努力水準や、株主の選 択する最適な付与割合が端点解となる。この点で、モデルの特殊性が問題とされるが、より一般化した関数を仮定しても、結 果としての議論の本質には影響を与えない。 ストックオプション再検討 99 以上のもとで、満期までストックオプションが行使されない場合には、株主と経営者の間では、 以下に示すような2段階による意思決定がなされる。 まず、第1段階において、株主は、時点0および時点1において経営者が選択する行動(努力水 準)を見越して、時点0における株主の期待効用 V を最大にするように、経営者に付与するス トックオプションの、最適な付与割合αを決定する。このモデルにおいては、株主はこのαを決定 するのみであり、行使価格 tS 0 については所与として分析している。ここでいう株主の期待効用と は、この2期間を通じて実現される、企業のキャッシュフローの期待値から、経営者に付与するス トックオプションの価値額を控除したものである。 この価値額については本源的価値ではなく公正価値を想定しており、企業成果に関する binomial tree(図1)を用いて二項モデルにより算定する。 次に、第2段階においては、経営者は、第1段階で株主によって提示されたストックオプション による報酬プログラムを所与として、各時点における経営者の効用、 U , U h , U l を最大にするよ うに、各時点における最適な行動(努力水準) a , a h および a l を決定する。 ここでの経営者の効用とは、株主によって提示された付与割合αをもとに、オプションの行使に より得られる報酬の期待値から、努力水準に応じて発生する経営者の不効用を控除したものである。 まず、時点0における最適な努力水準 a が決定されると、続いて時点1における a h および a l が 決定されることになる。 情報が完全である場合を前提としているので、この過程で決定されうる均衡は、backwardinduction によって求められる。すなわち、まず、第2段階において、経営者は、株主によって決 定される付与割合αを所与として、時点2でストックオプションの行使により得られる報酬をもと に、時点1における第2期の最適な努力水準 a h (α ) および a l * 時点1における経営者の最適な効用 U もとに、最適な努力水準 a * * h * (α ) を決定する。これによって、 (α ) および U (α ) が求まると、時点0においてこれらを * l (α ) が決定される。 こうして、第2段階における経営者の最適な行動、 a * (α ) , a h* (α ) , al* (α ) が明らかになると、 第1段階において株主は、最終的に株主の期待効用を最大にするように、最適なストックオプショ ンの付与割合 α を決定できることになる30。なお、ここでは詳細を省略するが、途中で早期に権 * 利行使がなされる場合に関しても、多少の修正を必要とするものの、ほぼ同様の分析によって検討 することが可能である。 30 具体的な導出過程については拙稿(2002)を参照のこと。 経営論集 第63号(2004年11月) 100 以上のようなモデルのもとで、経営者にとって最適な努力水準や、株主にとって最適なストック オプションの付与率について具体的に導出し、株主利益に与える影響について検討した結果、次の ようなことが理論的に明らかになった。 まず、費用計上にともなう影響については、ストックオプションの評価額を考慮しても、ストッ クオプションの付与が、株主と経営者にとっての最適な行動として望ましいことが導かれる。すな わちこれは、費用計上の是非にかかわらず、ストックオプション付与の妥当性を示す結論であると いえる。 しかしながら、ストックオプションの場合には、必ずしも行使期間の最後まで保有されるとは限 らず、経営者は途中で早期に権利行使してしまう可能性がある。そうした行使の可能性は個々の企 業の状況により異なる31が、早期に行使されるほど、株主にとっての利益は失われる。それゆえ、 権利行使に一定の制限期間を設けるなど、自由な行使を制限することが必要になるのである。この 点、実際に新たな報酬制度においても、株式の売却に一定の制限期間を定めるなど、何らかの条件 を課すケースが多いことはすでに述べた通りである。この結論は、実際にもそうした制限が重要と されていることに対する一つの根拠を理論的な観点から提示しているといえる。 (2) 経営努力と株価の連動性 ストックオプション制度は、経営者の努力を引き出すためのインセンティブ制度であり、努力水 準と業績向上、またそれによる株価上昇が互いに連動することを前提としている。すなわち、経営 者の高い努力水準が企業の株価を上昇へと導く。ストックオプションに関する理論分析として(1) で紹介した分析も、それを前提とした議論であった。 しかしながら、近年、ストックオプションに対する批判が高まる中で、この点を問題とする議論 も多い。つまり、株式相場が上昇すれば、経営努力の結果にかかわらず、経営者は多額の報酬を得 ることが出来る可能性もある。すでに述べたように、ドイツの大企業がストックオプション制度に ついて見直しをはじめた理由のひとつとして、このようにストックオプションによって業績と関係 なく多額の報酬を得られる点が指摘されている32。また、とりわけストックオプションが有効なイ 31 この分析によれば、経営者の目標業績達成能力が低い企業の場合には、早い段階で権利行使されてしまう可能性がある。 それに対して、経営者の目標業績達成能力が高い企業の場合には、そうした制限を課さなくとも経営者は自分にとって最適な 行動の結果として権利行使せずに最後まで保有する。 32 2003 年7月 17 日 日本経済新聞。また、積極的に導入が進められているわが国でも、実際に株価が業績以外の要因で変動 するのを理由にストックオプションの付与をとりやめた企業もある。松下電器産業は 98 年から役員を対象にストックオプショ ンを付与してきたが、この理由により、2003 年の総会では付与しなかったという。 (2003 年7月 15 日 日本経済新聞) ストックオプション再検討 101 ンセンティブ報酬制度になりうるとされる未公開企業の場合についても、公開後の株価は経営努力 のみに依存しているわけではなく、むしろ外部的な要因によって左右されることが多く、ストック オプションを付与することについての理論的な妥当性そのものを疑問視する指摘もある33。 米国でおきたエンロンの不正会計事件についても、ストックオプションがその温床になったとさ れる。ストックオプションのように株価と結びついた極端な報酬制度が経営者に株価上昇のみを追 求した短期的な経営を迫り、株価を高くするためには手段を選ばないという状況さえも強いた。経 営努力による株価の上昇ではなく、それが M&A の拡大や場合によっては株価を高く見せるための 粉飾決算でもあったのである34。こうして経営者が多額の報酬を得ることになった。 このように、経営努力と株価上昇という、ストックオプションにおいて大前提となっている関係 が、必ずしも成り立つとは限らないことが近年、ストックオプションに対する批判として浮き彫り にされており、ストックオプションの有用性について改めて問われつつある。 この点に注目して理論的な観点から分析を試みている興味深い分析が清水・堀内(2003)でなさ れている。ここでは、努力による業績向上と株価上昇との因果関係が必ずしも存在せず、株価上昇 によって努力しない経営者にも報酬が与えられてしまう場合には、株主がストックオプションの導 入を断念する可能性があり、結果として経営者に対し努力のインセンティブを与えられないことが 示されている。以下では簡単にその概要について紹介してみたい。 いま、ある企業にはリスク中立的な株主と経営者が存在している。経営者には努力するかしない かの2つの選択肢がある。努力すれば期末の企業成果(株価)は、確率 VH が実現するが、確率 1 − p(0 ≤ p < 1) で高い成果 p で低い成果 V L しか実現しない可能性がある。ただし経営者にとっ て努力する場合には C だけのコストがかかる。他 方、経営者が努力しない場合でも必ずしも株価が 下落するとは限らず、確率 q (0 ≤ (図2) q < p < 1) 35 で高い成果 V H が実現する可能性もある36。すな わち、経営努力と株価上昇とが必ずしも連動せず、 株式市場が好調であったり、あるいは株価操作な どによって高い株価が実現できてしまう可能性が 33 34 35 36 東洋経済(2002) 『会計不信』pp44-46。 2004 年7月 17 日 日本経済新聞。 p ≤ q であるとすると株価の下落局面と上昇局面とが同時に成り立つことになってしまい矛盾する。 清水・堀内(2003)では、 p = 1 q = 1 のケースと、 q = 0 の場合に特定化して分析を行なっている。本稿ではより一般化 しているが、示される結論は同様である。 経営論集 第63号(2004年11月) 102 あることを示している。なお、努力しない場合、経営者のコストはゼロである。 ここで、株主は経営者の努力を観察できないが、企業成果は観察できるものとする。 まず、経営者の努力が社会的に望ましい状況であることを仮定する。すなわち、努力する場合と 努力しない場合との社会的な厚生を比較することにより、 pVH + (1 − p)V L − C > qV H +(1 − q )VL ( p − q )(VH − VL ) > C ① が成立している状況を前提とする。 以上のもとで、株主が経営者に約束する最適なインセンティブ報酬について考える。ここで高い 成果が実現すれば株主は W H の報酬を与え、低い成果の場合には W L (0 ≤ WL < WH ) が支払わ れるとする。 このとき株主の利得 Y についての最大化問題は、経営者のペイオフに関する2つの制約条件 (参加制約とインセンティブ制約)を用いて、以下のように示される。 max Y = p (VH − WH ) + (1 − p)(VL − WL ) ただし p ≠ 1 ② WH ,WL pWH + (1 − p)WL − C ≥ U sub.to pWH + (1 − p)WL − C ≥ qWH + (1 − q)WL 参加制約(PC)条件 インセンティブ制約(IC)条件 U は経営者の留保効用であり、ここでは U =0と仮定されている37。 * * 以上のもとで、最適な報酬プログラム (W H , W L ) を求めると、(図3)より、最適解は B 点に なるので、 WH* = C p − q ③ WL* = 0 となる38 37 38 。 そうでない場合でも同様の結果が成り立つ。 株主の無差別曲線は PC 条件を示す直線と平行になり、左下方向ほど株主の利得が大きくなるが、 WL が非負であるという 仮定から選ぶことのできる領域は斜線部分となり、A 点ではなく B 点が最適になる。 ストックオプション再検討 103 ここで、ストックオプションによる報酬制度を考慮す (図3) ると、権 利行使価 格を K、 付与割 合 を α (0 ≤ α ≤ 1 )とするとき、実現しうる成果と行使価 格 K との関係から、考えられる報酬体系は以下のよう になる。 (出所)清水・堀内(2003)一部加筆 WL WH 0 VH ≤ K 0 α (V H 0 α (VL − K ) 最適な報酬プログラム (W − K ) V L ≤ K < V L のとき α (VH − K ) * H K < VL * L , W ) は③で示されるので、これを実現 するためには WH* = C = α (VH − K ) p−q ④ WL* = 0 が満たされるように最適な付与割合αと行使価格 K を決定すればよいことになる。ある行使価格 K * が決まれば、株主にとって最適なストックオプションの付与割合 α * は、 α * = C ( p − q)(VH − K * ) と決まる。 以上の結果から次のことがわかる。 (1) 株価が下落局面にある状況下( p が低下)では、最適な付与割合は大きくなる。 (2) 株 価 が 努 力 以 外 の 要 因 に よ っ て 影 響 を う け 、 努 力 し な く と も 株 価 が 上 昇 す る 可 能 性 (q > 0 )が存在することで、そうした可能性が存在しない場合( q = 0 )と比較して最適な 付与割合は上昇する。 すなわち、株価が下落局面にあり、ストックオプションによって経営者のインセンティブを引き 出すことが困難な場合や、努力による業績向上と株価との因果関係が成立しない状況下では、ス 経営論集 第63号(2004年11月) 104 トックオプションの付与が望ましい報酬体系であるとしても、付与割合が大きくなる可能性があり、 経営者に対する報酬額が過大になる。実際にも米国では、経営者への過大な付与が批判されてきた が、付与数の増大を引き起こした根拠はこのような要因にあると考えられる。 さらに清水・堀内(2003)にしたがって、株主が得る利得に関して比較をおこなうと、以下のよ うになる。 まず、③で示される最適な報酬体系のもとで、株主が得る利得 Y2 は、 Y2 = p (VH − WH* ) + (1 − p )(VL − WL* ) = p (VH − C ) + (1 − p )VL p−q ⑤ で示される。ここで比較のために、確実に経営者に努力させることが可能な完全情報の場合につい て考えると、このときの株主の利得 Y1 は、経営者に関する PC 条件を用いて Y1 = p (VH − WH* ) + (1 − p )(VL − WL* ) = pVH + (1 − p )VL − C と示される。よって Y1 ⑥ > Y2 が成立し、経営者の努力に関する情報が不完全であることにより、株 主の利得は減少することがわかる。 一方、ストックオプションを付与せず、固定報酬を与えるとすれば、最適な報酬プログラムは * W H = WL* = 0 となるため、このとき経営者は努力しない。よって、株主の利得 Y0 は、 Y0 = qV H + (1 − q)VL となる。これと、ストックオプションを付与した場合の利得 Y2 とを比較することにより、以下の 結果が得られる。 ストックオプション再検討 Y2 105 ≥ Y0 すなわち ( p − q) 2 (VH − VL ) ≥ C のとき: ストックオプションを導入する p Y2 < Y0 すなわち ( p − q) 2 (VH − VL ) < C のとき: ストックオプションを導入しない p 以上の関係は図に示すと明らかである。(図4)はこれらの関係を図示したものである。した がって、努力コスト C が低い企業ではストックオ プションが導入されやすく、高い企業では導入され (図4) ないことがわかる。さらに、当初仮定したように① で示される領域を考慮すると、本来は経営者に努力 させることが望ましいにもかかわらず、株主はス トックオプションを導入せずに、結果として経営者 の努力を引き出せなくなってしまう可能性があるこ とがわかる(図中の斜線領域)39。実際にわが国の 場合には、このような固定報酬の比重が高いとされ ている40。 (出所)清水・堀内(2003)一部加筆 このようにして、努力水準と株価が連動しない場 合には、理論的にも、ストックオプションの有効性は必ずしも示せないことになる。 清水・堀内(2003)では、このように、ストックオプションの有効性が制限されてしまう原因は、 WL ≥ 0 という制約条件にあると指摘している。ストックオプションでは、株価が行使価格より も上昇しなかった場合には権利行使を放棄すればよいので、報酬が負になることはない。しかしな がら、その制約のために、結果として最適なインセンティブを与えられない可能性が生じてしまう。 したがって、このような経営努力と株価とが必ずしも連動しない状況下においてもストックオプ ション制度が有効に機能するためには、高い成果のもとで高い報酬を与えるのみならず、低い成果 39 40 q = 0 のケース(努力と成果が連動する場合)では、このような非効率性は生じない。 2004 年4月 19 日 日本経済新聞。 経営論集 第63号(2004年11月) 106 が実現した場合には、負の報酬を与えるものでなければならないことになる41。 この点を考慮すれば、前節で紹介したように、いくつかの企業において新たな報酬制度として導 入されている現物株付与や1円ストックオプションなどは、株価下落のリスクについても経営者が 負担することになるという点で有効な方法と考えられる。 (3) ストックオプションかモニタリングか 以下で紹介する Hirshleifer and Suh(1992)においては、経営者の努力が企業成果に影響を与える ケースを前提とし、経営者のインセンティブの問題に焦点をあてつつ、ストックオプションに代表 されるオプション型の報酬制度とモニタリングの役割について検討している。 米国で発生した不正会計問題の原因がストックオプションの濫用にあったことは、すでに指摘し た通りであるが、それとともに監査その他のモニタリングシステムが有効に機能しなかったことも、 これに大きく関与していたと考えられている42。Hirshleifer and Suh(1992)はストックオプションと モニタリングの関係について理論的な観点から論じている点で興味深い。以下では、その概要につ いて示すことにする43。 ここでは、リスク中立的な株主とリスク回避的、努力回避的な経営者が仮定されている。いま、 経営者の努力水準を a 、経営者によって選択されるプロジェクトのリスクの大きさを b 、状態変 数を θ で表わすとき、この企業の成果 X は X (a, b,θ ) で示される。経営者が努力水準 a とプロ ジェクトのリスク水準 b を選択し、それにともない企業成果 対する報酬プログラム S(X ) X が実現するとき、株主は経営者に を決定する。このとき、経営者の効用関数 U は、 u ( S ( X )) − v(a) で表わされ、また株主の効用 Y は X − S ( X ) で表わされることになる。ただ しここで、 v (a ) は経営者にとっての努力にともなうコストである。 以上の設定のもとで、この論文では、とりわけ経営者によって選択されるプロジェクトのリスク 水準 b に焦点をあてて、その水準が株主にとって観察可能な場合と観察不可能な場合について、 最適解を比較し検討している。 ① プロジェクトのリスク水準が観察可能な場合 この場合、株主は、経営者が留保効用 H を確保しつつ最適な努力水準 a を決定しているという 41 42 43 つまり(図3)において、A 点を実現させる報酬プログラムでなければならない。 こうした指摘は東洋経済(2002.9.4)pp64-66 にある。 なお、新井・太田(2004)では、概要をわかりやすく説明している。 ストックオプション再検討 107 前提のもとで、報酬プログラム S ( X ) を決定する。すなわち、Hirshleifer and Suh(1992)に倣っ て、これを定式化すると、 max a,S ( X ) such that E[ X − S ( X ) | a, b] E[u ( S ( X )) | a, b] − v(a ) ≥ H a ∈ arg max E[u ( S ( X )) | a ′, b] − v(a ′) a′ と表わされる。 ② プロジェクトのリスク水準が観察不可能な場合 このとき株主は、経営者が留保効用 H を確保しつつ、最適な努力水準 a とプロジェクトのリス ク水準 b を選択しているという予想のもとで、報酬プログラムを決定する。すなわち、 max E[ X − S ( X ) | a, b] a ,b , S ( X ) such that E[u ( S ( X )) | a, b] − v(a ) ≥ H a ∈ arg max E[u ( S ( X )) | a ′, b] − v(a ′) a′ b ∈ arg max E[u ( S ( X )) | a, b′] − v(a ) b′ となる。 以上のもとで、経営者の効用水準 U や企業成果 X について、具体的にいくつかの仮定をおき44、 経営者によって選択されるプロジェクトの最適水準 b について比較するとき、主に以下のような 結論が得られている。 ・経営者が選択するプロジェクトのリスク水準が大きいか小さいか、すなわち、リスクの高いプロ ジェクトか安全なプロジェクトかを決定するのは報酬プログラムに関する凸性の程度である45。こ 44 ここでは経営者の効用関数について具体的に、 U = Sα ( X ) α (α < 1, α ≠ 0), U = −erS ( X ) (r > 0),U = ln(S ( X )) となる場合について 取り上げている。また企業成果 X については、 E[θ ] = 0 のもとで X = a + bθ あるいは X = a + bθ + kb となる状況を仮定し て比較するとともに、後半では状態変数に応じてある確率で企業成果 X H , X M , X L が生じる3つの状況を仮定し、具体的な 計算をおこなっている。 45 たとえば、注釈 44 で示せば、 U = は、凹または線型になる。 Sα ( X ) α (α > 0) の場合には、 X について報酬プログラム S ( X ) は凸になる。その他の場合に 経営論集 第63号(2004年11月) 108 のとき、凸性が強い報酬契約であるほど、経営者が選択することになるプロジェクトのリスク水準 は高いものとなる。 ・プロジェクトのリスク水準が観察できない場合には、観察できる場合と比較して、経営者が選択 するリスク水準は低くなり、安全なプロジェクトが選ばれやすい。したがって、高リターンが期待 でき、成長性のある高リスクの投資機会を獲得できる可能性がある場合には、株主はそうした高リ ターンが期待できる高リスク水準のプロジェクトの選択を望んでいるにもかかわらず、情報の不完 全性ゆえに、経営者が歪んだ選択をしてしまうことがありうる。このとき、株主は経営者に対して 凸性の強い報酬契約を与えることによって、経営者の選好をより高リスクへと変化させることがで きる。ストックオプションに代表されるオプション型の報酬制度は、とりわけ凸性のペイオフを与 える契約であることから、よりリスクの高い成長性のある投資機会が存在している場合には、こう したストックオプションに依存した報酬プログラムが用いられることになる。 ・これに対して、モニタリングが行なわれる場合について考えると、モニタリングが有効に働くの は、むしろリスクが高くも低くもない中位のリスク水準に対してであることが明らかにされている。 このように、Hirshleifer and Suh(1992)の分析は、オプション報酬とモニタリングとの間に否定的 な関係があることを示唆している点で興味深い。 オプションを通じた報酬契約が経営者により高リスクのプロジェクトを選ばせることは、実際に もベンチャー企業をはじめとする成長性の高い企業においてストックオプション制度が積極的に活 用されていることを、理論的にも説明しうる根拠を示しているといえる。 しかしながらその一方で、ストックオプション制度の活用は、よりリスクの高い投資を促進させ ていく危険性にもつながる。この点について、Hirshleifer and Suh(1992)は、モニタリングが機能す るのであれば、オプションを通じた報酬契約によって、経営者により高リスクのプロジェクトを選 択させることはそれほど重要ではなく、そうした報酬制度はそれほど用いる必要がないことを指摘 している。また、新井・太田(2004)は、「事業の特性からくるチェックの容易さの程度等によって どちらの方策に重点を置くべきかという点がケース・バイ・ケースになる」と指摘している46。す なわち経営者にとって、それほど事業についての選択権がないのであれば、チェック機能はそれほ ど有効ではないであろう。 いずれにしても、この分析で理論的に明らかにされたように、ストックオプションの安易な利用 は、リスクの高い投資を促進させていく危険性がある。モニタリングの役割について改めて見直し 46 新井・太田(2004) p83 より引用。 ストックオプション再検討 109 てみるとともに、どちらの方策に重点をおくべきか、よく検討した上でストックオプションを用い る必要がある。 Ⅳ 結論 本稿では、転換期をむかえつつあるストックオプション制度について、実態面からその現状や問 題点について明らかにするとともに、そうした問題点を踏まえ、理論的な側面からいくつかの分析 を通じ、ストックオプションについて再検討した。 まず、実態面から明らかになったことは以下の点である。 ① 近年、ストックオプションの廃止や他の報酬制度への転換を検討する企業が増えていること の背景には、費用計上の義務化に向けた動きや、ストックオプションが業績と関係なく経営者 に多額の利益を与えることに対する批判などの要因が存在していた。 ② 費用計上の義務化をめぐっては、従来から米国においてさまざまな議論がなされてきたわけ ではあるが、最近になってわが国も含め、各国で実際に義務化の方針が固まりつつあり、とり わけ企業収益への影響について懸念されている。この点について、日米におけるストックオプ ションの実態調査をもとにすれば、確かに減益の影響は確認できるものの、今後、とりわけ重 要になってくるのは、ストックオプションの付与数を企業がいかに適切な水準にコントロール していくのかという点であることが明らかにされる。米国の場合には、付与数が圧倒的に多く、 そうした過大なストックオプションの付与が株主からの批判を招くとともに、企業収益にも大 きな影響を与えていた。これに対して日本の場合には付与数が少ないため、それほど深刻な影 響は予想されないものの、そうした付与数の決定については十分な検討がなされていない。こ の点が大きな問題点として指摘できる。 ③ さらに、従来のストックオプション制度を改め、新たな報酬制度を導入したいくつかの事例 について検討した結果、こうした新しい報酬制度の特徴として共通していえることは、経営者 も株価下落リスクを負担する制度であること、また行使制限など、何らかの条件が課されてい るということである。これまで、ストックオプションの最大の特徴は、権利放棄により株価下 落のリスクを回避できるという点にあった。しかしながら、近年、ストックオプションに対す る批判が高まる中で、経営者は株価下落によるリスクも負担しつつ、いかに適切なインセン ティブを引き出すか、という点が求められてきている。 以上、実態面での把握を通じて明らかになった問題点をもとに理論的な観点から再検討した結果、 次のように結論づけることができた。 110 経営論集 第63号(2004年11月) ① まず、費用計上にともなうストックオプションの評価額を考慮したとしても、理論的な観点 からは、ストックオプションを付与することの妥当性を示すことができる。 ② また、十分な検討が不足しているとされる付与数の決定に関しても、株主と経営者間での最 適なストックオプション契約の結果として、理論的には最適な付与率を導出することが可能で あり、今後、そうした理論的な観点からの検討が一層求められていくと思われる。 ③ 近年のストックオプションに対する批判として、株価上昇により努力を怠った経営者に対し ても多額の報酬を与えてしまう可能性があるという点に関しては、経営努力と株価上昇とが必 ずしも連動しないことを前提に分析をおこなうことによって、このような場合には確かに過大 なオプション付与につながる可能性があることがわかる。結果として、株主がストックオプ ションの導入を断念する可能性もあり、その場合には経営者から適切なインセンティブを引き 出すことができなくなってしまう。 ④ 新たな報酬制度との関連では、まず、行使期間などに制限をおき、一定の条件を課すことは、 株主の利益を損なわないためにも望ましいことが理論的にも明らかである。また、経営努力と 株価が必ずしも連動しない状況下においても、ストックオプションが有効に機能するためには、 低い成果が実現した場合に負の報酬を与えるものであることが求められる。したがって、新し い報酬制度の多くがそうであるように、経営者が株価下落リスクをも負担することは、理論的 な観点からみても望ましいことであるといえる。 ⑤ ストックオプションのような報酬制度と監査やその他のモニタリングとの間にはトレードオ フの否定的な関係がある。ストックオプションの安易な利用は、リスクの高い投資を促進させ ていく危険性もあり、どちらの方策に重点をおくべきであるか十分に検討した上でストックオ プションを用いる必要がある。新しい報酬制度といえども、その多くは株価連動型の報酬制度 であり、今後もこの点は検討を要する課題であろう。 以上が、本稿における再検討を通じて得られた結論である。 これまでストックオプションについてはそのメリットばかりが強調されてきた。しかしながら、エン ロンに代表される不正会計問題や費用計上の義務化に向けた動きが取り立たされる中で、改めてストッ クオプション制度の問題点が浮き彫りにされ、再検討のきっかけが生まれてきたといえるであろう。 「ストックオプションは是か非か?」、この点をめぐって、2人の有名な経営者の対応はまった く異なっていたという47。ストックオプションの廃止に踏みきったマイクロソフト社のビル・ゲイ 47 2003 年 12 月2日 日本経済新聞。以下、この記事から一部引用。 ストックオプション再検討 111 ツ氏は、「オプションは報酬を安定的に支払う手段としては適切ではなく、もっと早く制度を見直 すべきだった」と言う。これに対して、ストックオプションをいち早く導入してきたインテル社の ゴードン・ムーア氏は「オプションは会社の成長過程の果実を従業員に広く分配する優れた手段で あり、インテルはその有効性を今でも信じている」としている。ストックオプションが抱える問題 点は多く存在するが、その一方でストックオプションのメリットも大きく、新たな報酬体系もまた、 そのベースにストックオプションの考え方があることからもわかるように、この制度が報酬システ ムに与えた影響は大きかったといえる。今後はさらに、そうした新しい報酬制度をめぐってもさま ざまな課題が問題となってくるであろう。転換期をむかえている今、ストックオプションを単に否 定するだけではなく、より一層、理論的な観点からの分析が求められていくとともに、改めてス トックオプションのもつメリットとデメリットとを明らかにした上で、メリットを上手に享受しつ つ、適切な形でストックオプションを利用していく必要があるのではないだろうか。 参考文献 ・Hirshleifer, D., and Y.Suh (1992), "Risk,Managerial Effort,and Project Choice", Journal of Financial Intermediation, No2,pp.308-345. ・新井富雄・太田智之(2004)「最近のコーポレートファイナンス研究、実務的視点からの展望」『証券アナリ ストジャーナル』2004年2月号:75-85. ・上田秀一(2003)「わが国におけるストックオプション制度に関する実態調査について」『経理情報』No.1016: 48-53. ・加井久雄(1998) 「ストックオプションの測定問題」『新潟大学経済論集』65:1-18. ・清水克俊・堀内昭義(2003)『インセンティブの経済学』有斐閣. ・竹口圭輔(2001)「ストックオプションの測定に関する一考察」 『産業経理』60(4):98-109. ・竹口圭輔(2003)「行使価格1円のストックオプションによる役員退職金」『大和総研制度調査部情報』2003 年7月2日。 ・東洋経済『会計不信』 2002年9月号 No.5779: 14-17,44-46,64-66. ・堀田真理(2002)「最適なストックオプション契約と早期行使の可能性について」『公共選択の研究』No.39: 19-33. ・吉川満(2002)「ストックオプションの費用計上をめぐる会計問題」『証券アナリストジャーナル』2002年9 月号: 26-48. ・日本経済新聞 2003年7月15日。 ・ 同 2003年7月17日。 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