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音楽による想起がもたらす コミュニケーションデザインの

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音楽による想起がもたらす コミュニケーションデザインの
― 24 ― 音楽による想起がもたらすコミュニケーションデザインの可能性― 歌声スナック「銀杏」における同窓会現場を題材に
音楽による想起がもたらす
コミュニケーションデザインの可能性
――歌声スナック「銀杏」における同窓会現場を題材に――
アサダワタル
ASADA Wataru
1.はじめに
懐かしい音楽を介して、思いがけない記憶を想起する。そして、その記憶をもとに他者と語
り合い、互いに影響しあってその音楽と想起した記憶についてのエピソードを交換しあう。誰
もが無意識に行なっているこのようなコミュニケーションにおいて、人は他者との間にどのよ
うな関係性を新たに紡ぎ出しているのだろうか。また、そのときそこにある楽曲は、人々の固
有の人生や記憶、また生活の基盤となる土地の背景、自身や相手の社会的な立場の相違など、
彼ら彼女らを取り巻く様々な社会的・文化的状況によって、まったく違う楽曲として捉え直さ
れ、響き渡ることだろう。そう考えたとき、ここでの音楽によるコミュニケーションの意味は、
どのような観点から、どのように評価されるべきであろうか。
本論では、音楽による想起がもたらすコミュニケーションが人間関係を更新し、音楽の聴取
のあり方までをも更新させてゆく一連の動態をいかにしてデザインするか、この主題を解き明
かすことを目的とする。そのために本論で為すべきことは、ある特定のコミュニティ間で共有
される楽曲が、そのコミュニティの成員ひとり一人の記憶を想起させつつも、そこに新たな音
楽実践が差し挟まれることによって、成員間により多様な対話と想起を促し、その楽曲の存在
を捉え直してゆくプロセスを精緻に記述することである。その目的に沿ったフィールドとして、
本論では、福岡県北九州市小倉北区にある歌声スナック「銀杏」における同窓会現場を考察対
象とした。
「銀杏」では、
同窓会という集団凝集性が比較的高いコミュニティの中に、
経営者(マ
マ)である入江公子による「校歌のオリジナルカラオケ映像の制作」というユニークな実践が
差し挟まれることによって、これまでの同窓会における校歌斉唱では生まれ得なかった特異な
コミュニケーションがデザインされている。
筆者は 2014 年 9 月 25 日、9 月 26 日、12 月 8 日、2015 年 3 月 4 日、3 月 5 日、3 月 10 日の
合計 6 回にわたって現地調査を行なった。その際、スナックという場所の特性上、通常のイン
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タビューという手法と併せて、実際にそこで行なわれるコミュニケーションを即時的に捉える
ために参与観察を採用した。具体的には、2015 年 3 月 4 日に開催された北九州市立大学商学
部 1959(昭和 34)年卒業生の同窓会である「三四会」の現場にて参与観察を行い、あわせて
2 名の参加者からインタビューの承諾を得た。また「銀杏」の経営者である入江へのインタ
ビューに関しては、彼女の勤務・接客の状況に配慮し、自然な対話の積み重ねから徐々に本論
の趣旨に繋がる回答を得られる様、比較的ランダムに行うことに努めた。その際、校歌のみな
らずその他のジャンルのオリジナルカラオケ映像についても約 40 曲程度閲覧した。その理由
は、校歌に限らない「オリジナルカラオケ映像の制作」という実践の全容を最低限把握するこ
とは、本論の主要な事例である同窓会現場におけるコミュニケーションに、入江の実践がどの
ような影響を及ぼしているかについての考察を深めることに寄与すると判断したためである。
1
しかしながら、
「銀杏」に所蔵する全オリジナルカラオケ映像は 6547 曲 にもわたっており、
そのすべてを閲覧することは不可能に近い。よって本稿では閲覧した内容と入江の証言に基づ
いておおよその推察を立てながら考察を試みた。なお、インタビューの引用は、語調を整える
ため、文意を変えない形で編集を加えていることを予め断っておく。また、プライバシーに配
慮して入江以外の個人名は匿名表記とした。
本論の構成は以下の通りである。第2節では、本論の視点を、音楽と想起を巡る音楽社会学
や音楽心理学などの先行議論、とりわけ高齢者医療現場における臨床研究ならびにノスタルジ
ア市場に関する研究、および校歌と同窓会現場にまつわる一部の先行研究をもとに提示する。
第3節では、
「銀杏」の実践の概要とその実践が生まれた経緯について、入江へのインタビュー
をもとに記述する。第4節では、
「三四会」の現場で起きたコミュニケーションを、参与観察
と出席者2名のインタビューをもとに記述する。第5節では、入江へのインタビューの過程か
ら発見した、入江の実践がもたらす「想起の特異性」について記述する。第6節では、本論の
視点を再確認しながら、
「銀杏」の実践が同窓会現場においてもたらした想起のコミュニケー
ションの特徴について総合的な考察を行う。第7節では本論を締めくくり、今後の課題を記す。
尚、本論で言うところのコミュニケーションデザインとは、本論の主題となる音楽を始めとし
た芸術文化を触媒にしながら、それを知っている人と知らない人達同士、あるいはそれを知り
つつも別々の思いや考えを持っている人達同士が結び付き合い、これまで形成されていたコ
ミュニティ内の共有事項や人間関係が多様に変容していく、そういった状況を促す行為全体、
と簡単に定義をしておく。
本論を通じて、これまでの音楽と想起にまつわる先行議論の更新に寄与し、ひいては音楽と
いう存在が、日常生活を営む多くの人々により豊かで創造的なコミュニケーションをもたらす
新たな可能性を提案したい。
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2.本論の視点――音楽と想起を巡る議論を手がかりに
本論で取り扱う音楽は、想起の手がかりとしての役割を担うものとして一般的によく知られ
ている。人は過去に聴いたことのある音楽を聴いたときに、その音楽をかつて聴いていた当時
の自身の状況を鮮明に思い起こすことがある。このとき喚起されるものが、一般的に言うとこ
ろの「懐かしい」という感情である。消費者行動研究者のモリス・ホルブルックとロバート・
シンドラー(Holbrook & Schindler 1991)は、懐かしさ(ノスタルジア)について、
「若かっ
たときに流行していたものに対する好意的な感情」と定義し、またこの定義をもとに堀内圭子
(2007)はノスタルジアを「過去に思いを馳せるときに生じる肯定的感情経験全般」と述べた。
また、このホルブルックとシンドラー(Holbrook & Schindler 1989)による音楽の想起の役割
に着目した調査では、幅広い年代の消費者に好みの音楽について質問したところ、その多くが
自身の青年期の終わりごろから成年期初期に流行った曲を挙げることがわかった。
このような調査研究は米国を中心に多数行われており、例えばポピュラー音楽による想起の
力と具体的な想起イメージを大学生と年配者との間で比較調査した研究(Schulkind, Hennis &
Rubin 1999)
、ポピュラー音楽による想起が人々にどのような感情をもたらすかを調査し、自
伝的記憶の構造を解き明かす研究(Janata, Tomic & Rakowski 2007)
、またその感情の中から
とりわけ懐かしさを感じさせる音楽について調査し、その感情の表出と個人の性格に存在する
関連性を解き明かす研究(Barrett, Grimm, Robins, Wildschut, Sedikides & Janata 2010)
、この
懐かしさの感情を引き起こす要因を大学生に対して項目別に調査し、音楽においては小学校や
中学校時代に歌っていた曲(校歌や童謡、当時のテレビドラマやアニメの主題歌など)が多く
挙げられることを示した研究(楠見 , 他 2014)などが挙げられる。こうした一連の研究は、い
わゆるノスタルジア消費研究の出発点となっており、ノスタルジアと年齢の関係のみならず、
個人の性格―ノスタルジア性向と呼ばれるような―にいかに訴えかけるかなど、広告を始めと
したメディア研究と連携した様々な研究が行われてきた。
さて、本論では以下、これらの音楽と想起にまつわる先行研究のなかでもとりわけ音楽を想
起の手がかりとして実践的に使用する現場であり、国内においてその研究蓄積が比較的豊富な
高齢者医療現場における臨床研究、そして、前述した通りこの分野の研究では避けて通れない
であろうノスタルジア消費にまつわる研究、そして、本論の主題を象徴する校歌とそれらが歌
われる同窓会現場にまつわる研究、これら三点に絞って整理してゆく。このレビューを通じて、
本論が扱うべき主題の研究上の現在地を把握するとともに、3章以後の事例考察を深めるうえ
での必要な視点を明らかにしたい。
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2−1. 高齢者医療、音楽療法の現場における想起
音楽と想起の関係についての国内研究において、その多くが高齢者医療における臨床現場か
2
ら報告されて来た 。またそこでの音楽は、主に音楽療法の一環として用いられてきた。片桐
幹世(2012)は、
認知症高齢者の心のケアと QOL(Quality of Life)の向上を目的にグループホー
ムとデイサービスにおいて音楽療法を実施し、音楽によって想起される認知症高齢者の長期記
憶の種類(エピソード記憶、意味記憶)および記憶の内容を分類・考察した。その結果、認知
症高齢者のエピソード記憶の改善に効果がある曲として、季節や自然に関する曲、人生歌、対
象者たちが好きな曲の 3 種類が抽出され、特に季節や自然に関する曲は、含まれるキーワード
(海、森など)により記憶が想起されるといった特徴が見受けられた。こういった結果を導き
だすことで、片桐は、認知症高齢者の持つエピソード記憶を効率よく引き出すための、独自の
音楽療法プログラムの開発提案へと繋げている。また、坂下正幸(2008)は、認知症高齢者が
聴き慣れた、あるいは大切にしてきた「なじみの音楽」を集団音楽療法のなかで用いて,彼ら
彼女らの生活史や記憶を引き出すプロセスを通して、社会性の維持、および自信の回復にどの
ようにつながるのかを記述した。その結果、
長年ハーモニカをたしなんできたある対象者は、
「な
じみの音楽」を取り入れたプログラムによって他者への関わりが増え、介護職員からは以前に
比べて表情が明るくなり夜間も良眠しているという報告がなされ、参加意欲や社会性など精神
面での効果が得られたと結論づけられた。
これらの研究は、本論が取り扱う音楽を介した想起がもたらすコミュニケーション現場であ
る一方で、そのコミュニケーションの焦点が「対象者一人の治療面」のみに当てられている点
で、筆者が本論で考察する、
「他者との関係性の変化」を重視する研究とは袂を分かつ。また、
音楽療法の現場においては、これまで多くの心理学的実証研究による量的データを収集し、統
計解析を行なう方法が行なわれてきたが、サイエンスライターのフィリップ・ボールは、音楽
と感情の関係を研究する際に度々期待される音楽の効能については測定不可能であるとし
(Ball 2010 = 2011, 380)
、
「音楽自体がどういうものかより、いつそれを聴くかの方が、聴く音
の感情にはるかに大きな影響を与える」
(383)と述べている。その指摘を参照すれば、想起の
主体の変化を捉える際も、そこで使われた音楽の内容のみに着目するのではなく、
「いつ、誰と、
どういった状況でその音楽を通じて想起したか」といった他者との関係性やコミュニティの変
化という視点を持つことも、必要なのではなかろうか。
2−2. ノスタルジア市場における想起
ノスタルジア市場は、音楽社会学において、音楽と想起の関係を考える際の格好の対象であ
る。団塊世代をマーケティング戦略のターゲットとしたこれらの市場が、2000 年代後半以降
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勃興していることは、
音楽産業においても例外ではない。音楽社会学者の宮入恭平(2010,2011)
は、まさしく「ビートルズ」や「フォーク」といったキャッチコピーを掲げた CD が数多く発
売される昨今のレコード市場や、
「つま恋」などを代表とするかつてのフォークブームをリバ
イバルさせたコンサートの入場者数、あるいはかつて憧れた楽器演奏への再燃がアコース
ティックギターの販売実績や大人の音楽教室生徒数における団塊世代の割合の増加へと繋がっ
ている事実を、統計データをもとに分析した。この研究の中で宮入は、ノスタルジア市場が勃
興する特徴のひとつとして、団塊世代による量質転化の力をあげる(2010, 30)
。宮入は、団塊
世代はその突出した人口によって小さな質的変化さえも大きく見せることができると指摘し、
たとえばビートルズやフォークソングを享受したのは団塊世代のうちでも実際は一部のインテ
リで反体制を気取った層であったことを示唆しながらも、量質転化の力によって「ビートルズ
世代」
、
「フォーク世代」といったイメージを作り上げ、マスメディアでさらに助長されたその
「つくられたイメージ」
(2011, 11)を、当時は実際に聴いていなくとも後になってから刷り込
まれた層も存在すると推測する(2010, 30)
。また、宮入は「懐かしさ」とはそもそもあらゆる
世代に共通する人間の情動であるにもかかわらず、ノスタルジア市場において団塊世代が注目
される理由のひとつもこの量質転化の力にあると語る(35)
。
また、中高年の「音楽による想起の現場」を詳細に訪ね歩いた小泉恭子(2013)のエスノグ
ラフィからは、ノスタルジア消費としてのみ語られる団塊世代の音楽文化の隠れた多層性が垣
間見られる。小泉は、グローバル化に関する文化論的研究で知られるアルジュン・アパデュラ
イの「スケープ」概念(Appadurai 1996 = 2004)を基盤とした「メモリースケープ」という
概念を引きながら、個人史から生まれる記憶と世代で共有される文化的記憶の両者が交わる想
起の場を、音楽のノスタルジア市場―うたごえバス、フォーク酒場―において調査した。小泉
は、日本経済新聞編集委員兼論説委員の石橋仁美による「フォーク酒場─普通のオジサンがギ
ター弾き語り」という記事が「シニア─団塊世代が本当に欲しいもの」の章に収められてはい
るものの「聞こえてくる歌は、四十歳以上の男性にとってはどれもなじみのものばかりだ」と
年齢層を下方修正している報告(石橋 2006, 238)を引きながら、2006 年以降にブームとなっ
たフォーク酒場において、団塊世代をほとんど見かけないという事実を述べる。小泉はその理
3
由を数点 述べている。中でもとりわけ興味深い理由に、そもそも団塊世代の中にも「懐古」
への抵抗感を持つ人達も少なからずいるという事実だ。つまり「懐かしくない」わけである。
小泉はフィールドワークと並行して、フォークや過去に聴いていた音楽に纏わる団塊世代への
インタビューを行い、
「懐古趣味でビートルズのコピーバンドを聴きに行ったが、どう生産的
かわからなかった。もういいやとふっきれた」
(昭和二四年生・男性)( 小泉 2013, 95)、
「青春
というのは愚かしいことばかりで思い出すだにうんざり。いまがいちばん楽しいと言えるのが
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幸せ」
(昭和二五年生・女性)(95) などの意見を紹介している。
前述した宮入は、その名も『< 懐かしさ > を売り物に』と題された論考で、ノスタルジア
市場が目指す「懐かしさ」による囲い込みがもたらす効率的な消費に対して批判している(2010,
14)
。ただ、小泉のフィールドワークなどを参照すれば、単純に団塊世代のみが市場が狙う「懐
かしさ」の連帯の戦略に陥ってしまっているというわけでもないことがわかる。ここで本当に
必要な視点は、市場論理にのみ回収されないノスタルジアの批評的な側面を意識的に捉える態
度なのではなかろうか。その際参考になるのは、
高度成長期前後への憧憬として表象される「昭
和ノスタルジア」を批評的に分析した日高勝之(2014)の視点だ。日高はノスタルジアの「症
4
状」の意 としての起源に遡り、ノスタルジアとは本来はもっと複雑な歴史的背景と含蓄を備
えた言葉であり、
「モダニティの進歩に抵抗する感情」
(日高 2014, 31-33)であったと語る。日
高の論を支えるのは、米国の比較文学者のスヴェトラーナ・ボイム(Boym 2001)による以下
のテクストである。
ロマンチックなノスタルジアの対象は、現在経験している空間を超越したものでなくては
ならず、どこか過去のはっきりしない場所、あるいはアンティークの置き時計のように時
間が幸運にも止まったユートピアでなくてはならない。しかし同時にロマンチックなノス
タルジアは、単なる進歩へのアンチテーゼでもない。(中略)ノスタルジアは、眺めを後
ろ向きに変えるだけでなく、横道にそらすのだ。(13)
この「横道にそらす」力こそが、ノスタルジアのオルタナティブな価値の提示機能であろう。
この視点を含めれば、本節のテーマである音楽と想起をめぐる議論は、
「
「なじみの音楽」から
想起される過去の記憶と「懐かしさ」という感情の喚起」や「そのサイクルを促す音楽療法や
ノスタルジア市場」と言った単純な枠組みを脱して、
音楽による「想起」という行為自体に、
「懐
かしさ」に回収されるのみでない批評的な視点を与えうるであろう。
2−3. 同窓会における校歌と想起
改めて、本論での考察対象となる音楽と想起の現場、すなわち校歌とそれが歌われる同窓会
現場についての先行研究を整理する。校歌は、特定の学校や学友というコミュニティにおいて
5
共有され、強い記憶の想起をもたらすコミュニティソング として知られている。校歌の地理
教育学的研究を行った朝倉龍太郎(1999)によれば、校歌とは「その学校全体を象徴し、学校
行事等で所属感や一体感を醸成するためにうたう歌」
(4)であり、また中越地区の小中学校校
歌を調査・分析した折原明彦(2006)によれば、校歌とは「その学校全体を象徴し、児童生徒
の道徳性や情操を養ったり、所属感や一体感を醸成したりするために、学校行事等において日
― 30 ― 音楽による想起がもたらすコミュニケーションデザインの可能性― 歌声スナック「銀杏」における同窓会現場を題材に
本語で歌われる洋楽系の短い唱歌」
(6)と定義づけられる。
このような校歌によるアイデンティティ形成の役割に着目した宮島幸子(2008, 2009, 2012)
は、校歌によって想起される記憶の種類について、児童やかつて児童だった社会人等を対象に
アンケート調査を行なった。その結果、
年齢が上がれば上がるほど、
「昔の懐かしい風景」や「ふ
るさと」といったかつて住んでいた「原風景」を匂わすキーワードや、
「同級生」や「自分の
幼かった日々」といったような「コミュニティの成員である、ないしは、あったことを意識し
た回答」
(2008, 104)になってゆくことがわかった。宮島はそのことを、
「校歌は学校というコ
ミュニティを離れ、そこを起点として顧みるという時間的事後性をもつもの、すなわちタイム
ラグが校歌の存在意義をあらためて考えさせてくれると思われる」
(104)と語りながら同時に、
「校歌は個々人の心の原風景となり時間や場所が変化し社会状況が変わっても『わたしはわた
しである』といえる一貫性と連続性を醸成していく力を持っている」
(104)と締めくくる。校
歌研究の中で、校歌がその学校に在学する児童のアイデンティティをリアルタイムに生成して
ゆく機能を持つだけではなく、この「時間的事後生」あるいは「タイムラグ」という機能に着
目した点は興味深く、校歌が長いスパンでの人生の伴奏を担ってくれることが窺われよう。
しかしながら、この数年後や十数年後のタイムラグを経た時点において、校歌が実際に歌わ
れることでどのような効果を個々人に及ぼしうるのか、そのフィールドを質的に調査した研究
は未だ十分には深められていない。その一方で、同窓会の社会学的研究という立場から校歌を
取り上げる黄順姫(2007)によれば、学校というコミュニティを離れた後に開催される同窓会
現場は「記憶再生の共同体」であり、その再生装置として「校歌斉唱」等の儀式が機能するこ
とがあげられる。黄は同窓会現場において校歌を歌うことは「自らの身体に刻まれた過去の集
合的記憶を、常に現在の時点から繰り返し想起、再構築し、ふたたび身体に刻んでいく」
(9)
行為であり、同窓生たちは「現在にいながら、過去を喚起、再生し、その想像のなかで反省・
熟考する空間」
(10)
「
、自らの記憶の再構築作業を共同で行なう空間」
(10)に置かれながら、
「も
はや過去となった学校生活に、新たな意味を付与し、現在の日常生活に生かしていくこともあ
る」
(1)と語る。黄の議論から導きだせる視点は、校歌をはじめとした想起の引き金としての
音楽に立ち会うことは、単に「懐かしさ」や「過去の再生」を伴うことのみにあらず、
「現在」
を再構築してゆくような「進行形で動態的な記憶のあり方」を強調している点である。しかも、
その想起の行為を一人ではなく同窓生たちと共同で斉唱(あるいは聴取)することで、
「対話
による想起の変容とそれによる人間関係の更新」がもたらされる可能性も、同窓会現場ならで
はの特徴だと言えるだろう。
本論が試みるのは、音楽による想起がもたらすコミュニケーションの過程で現れる多様な力
学を描き出すことである。すなわち、第一に、これまでの音楽の「内容」の検証のみにあてら
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れてきた想起のきっかけを、音楽が聴取(あるいは歌唱)される「場」の在り方にまで視野を
広げること、第二に、そこで想起される記憶は必ずしも「懐かしさ」や「過去の再生」といっ
たイメージのみに回収されない、想起の動的な性質に着目すること、である。次節からは、そ
れらの音楽と想起をめぐるコミュニケーションの特性が象徴的に展開されていると筆者が想定
する、
「銀杏」の考察へと進めたい。
3.
「銀杏」の概要
本節では入江へのインタビューをもとに、
「銀杏」の取り組みと開店にまつわる経緯をまと
める。
3−1.「銀杏」の取り組み
「銀杏」は、福岡県北九州市小倉北区鍛冶町 1-2-2 坪根ビル B1 にある歌声スナックである。
童謡、唱歌、懐メロ、校歌、ラジオ歌謡、軍歌、寮歌等が歌えるカラオケ環境を整え、通常営
業の他、同窓会等の貸切営業、そして毎月 10 日は「歌声喫茶を楽しむ会」を主催している。
「銀
杏」の最大の特徴は、入江自らが撮影した動画や写真を使用して、オリジナルのカラオケ映像
を制作することにある。主に常連客や同窓会で集う客から、地元や学生時代の思い出話を聞き
取り、夫々の思い出の曲のカラオケ映像を、特技であるビデオ撮影・編集の技術を駆使しなが
ら制作にあたる。オープンは 1993 年 11 月。その翌年の 1994 年に同窓会帰りに立ち寄った客
が母校の校歌を歌いながら学び舎時代を懐かしむ生き生きとした表情を見て、
「カラオケ映像
があったらもっと喜んでもらえるのではないか」という思いが募り、校歌のオリジナルカラオ
ケを編集することを思いついたのだという。
6
入江がこれまで制作した校歌のオリジナルカラオケ映像は 236 曲 にも上る。福岡県下の大
学と高校を中心に、地元である北九州市下に関しては小中学校の校歌や幼稚園歌も存在する。
そして何より大学校歌においては、九州・中国・四国地方等の近隣の大学や、いわゆる東京六
7
例年継続的に開かれる同窓会では、
大学や関西の主要大学等、
その収蔵は全国に跨がる 。また、
客たちがこのオリジナルカラオケ映像をもとに校歌を歌う様子そのものを、入江がカウンター
越しから撮影し、翌年の同窓会ではその時点での昨年の様子が新たにインサートされるという
演出まで施している。
素材は常連客や同窓会の幹事を担当する客が持ち込む音源(カセットテープや CD)
、そし
て卒業アルバムやスナップ写真をベースに、学校にまつわる歴史資料(校舎や行事、周辺の街
並の昔の写真等)を直接学校に問い合わせる等して収集し使用する。そして、客固有の記憶や
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校歌の歌詞に寄り添った映像を準
備するために、入江自ら現地の風
景(キャンパス、校舎、周辺の自
然や建築物、観光スポット等)の
撮影に出かける。こうして、必要
な素材が揃ったあとは、いよいよ
編集作業に取りかかる。歌詞に
添った現地ロケ映像の並び替え、
卒業アルバムやスナップ写真の接
写真1:
「銀杏」概観。左手前の和服の女性が入江公子。彼
女の頭右上のモニターに校歌のオリジナルカラオケ映像が
映し出される。2015 年 3 月 4 日筆者撮影。
写、および登場人物(教員、同級
生等)の氏名の入力、
歌詞のテロッ
プ作成等を積み重ねてゆく。映像
一本につき制作期間は約一週間で
ある。
3−2.「銀杏」開店の経緯
以下では入江へのインタビュー
をもとに、開店以前から現在まで
の経緯をまとめる。
開店以前、某大手電機メーカー
に勤めて来た入江は、退職後、実
写真2:校歌映像に見入る「三四会」同窓生の様子を入江
がさらに撮影している様子。2015 年 3 月 4 日筆者撮影。
母を亡くした失意もあいまって将
来の展望が掴めないでいたと語
る。昔から童謡や懐メロが大好きでカラオケができる機材を持っていた入江は、会社員時代、
週末になると小倉でスナックや喫茶店を営んでいる友人たちをよく家に招いていた。そんな入
江の深い趣味を知っていた友人たちが彼女を励ます意味も込めて、
「お店やってみたら? 空
いている物件があるから紹介するよ」と声をかけた。しかし、勧誘当時、既に決して若くはな
く、またお酒が飲めるわけでも歌がうまいわけでもなかったという理由で、
「お店なんて到底
無理だ」と思い込む。その様子を見た友人の一人から言われたアドバイスが「あなたにしかで
きない特技を生かした特殊な店をやりなさい」というものだった。
唱歌や童謡を専門とするスナックが周囲になかったこともあり、入江はこのジャンルのカラ
オケ映像を集めて店を開くことを思い付く。しかし、一般に流通販売しているカラオケ映像に
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は、これらのジャンルが多く存在しないことを知り、カラオケ映像のストックをどのように増
やして行くか、苦戦を強いられることとなる。 そんな中、趣味で続けてきた旅行の記録を残すことをきっかけに、ビデオカメラ撮影の魅力
に目覚めてしまう。当時、FBS(福岡放送)のカメラマンが地元のビデオクラブの講師を担当
しており、毎週末撮影や編集の勉強をしに通い詰めた入江は、
「そうか、このビデオカメラと
歌を組み合わせればいいんだ」と思い至る。 最初の制作は『故郷』
(高野辰之作詞 , 岡野貞作曲 , 1914)だった。客が来た時に一番始めに
歌う曲は、定番の唱歌ということもあって『故郷』であるパターンが多い。だから入江は、ま
ず手始めにこの曲の映像から作り始めた。入江は以下のように話す。
ひとり一人が違う故郷を思い浮かべられてね。「あなたはどちらのご出身?」って聞いた
ら「どこそこの田舎だ」と。そこからは例えば「あそこに防空壕があったよ」とか、「あ
そこに神社があって子どもの頃に賽銭泥棒したな」とかね。そういう思い出話が溢れる様
に出てくる。話が盛り上がって、「じゃ今度の週末、あなたの田舎に撮りに行きましょう
か?」ってなったわけ。そしたら、その方が友人を店に連れて来る様になって、「ママ、
俺の『ふるさと』かけてくれ」って頼まれてかけたら、皆さん感激して口を揃えて「俺の
『ふるさと』も作ってくれ」っておっしゃるの。(2015 年 3 月 10 日の発言より)
実際に、入江はその客の故郷を撮って回りながら、また「如何にいます父母」という歌詞の
箇所には、わざわざ家族の写真アルバムを借りてきてまでその接写映像をインサートする徹底
ぶりを発揮する。そういった丁寧な作り込みが功を奏し、客がさらに友人を店に連れて来ては
感動し、やがて校歌のオリジナルカラオケ映像の存在を知った全国各地の同窓会コミュニティ
からも注目される存在となった。
4.
「銀杏」における想起のコミュニケーション
―北九州市立大学商学部同窓会「三四会」の現場から
ここからは、
「銀杏」で開催される同窓会現場におけるコミュニケーションの特徴を参与観
察と同窓会メンバーへのインタビューを通じて考察する。
対象事例である「三四会」は、その名の通り、同大学同学部を昭和「34」年に卒業した平均
年齢 80 歳の同期生による同窓会である。
「三四」にちなんで毎年 3 月 4 日に、主に九州圏内の
ホテルや観光地等で一次会が開催される。2015 年 3 月 4 日に北九州市小倉北区のホテル・ニュー
8
タガワで一次会を終えたメンバーのうち合計 23 名 が、二次会として同日 20 時から約 2 時間
― 34 ― 音楽による想起がもたらすコミュニケーションデザインの可能性― 歌声スナック「銀杏」における同窓会現場を題材に
半に渡り「銀杏」で時を過ごした。幹事を務めるEは以前に「銀杏」に訪れたことがあり、入
江の実践に感銘を受けた一人である。Eはこの日、あらかじめ二次会の会場を「銀杏」に決め
ており、入江に過去に開催されてきた「三四会」の様子を纏めた写真アルバムを事前に手渡し
ていた。
本論で扱うのはこの同窓会二次会の内容、
およびそこで行われた聞き取りの結果である。
4−1. 全体の流れ
夫々飲み物が揃い乾杯を終えたところで、映像が再生される。最初に映し出されたのは『故
郷』を BGM に入江が入手してきた昔の小倉の風景資料―「昭和 30 年頃の旧小倉駅(室町)
」
「
、昭
和 33 年頃 旧小倉駅」
、
「昭和 37 年頃 小倉駅前平和通」
、
「昭和 31 年頃 井筒屋百貨店」
、
「昭和
9
38 年頃 小倉城 ジェットコースター」 ―等が映し出され、注目が集まった。映像は大学のキャ
10
、
「初代学長 大島直治像」等
ンパスに移り、
「昭和 35 年頃 食堂」
、
「北九州外語大学 全景」
がモノクロで映し出された後、入江撮影によるカラーでの校門前の映像へと切り替わり、いよ
いよ音楽が『故郷』から『北九州大学校歌』
(進隆作詞 , 山浦茂人作曲 , 1948)
、続けて『北九
州大学逍遥歌』
(石田謙一朗作詞 , 椎木福蔵作曲 , 1948)へと流れ込んでいった。威勢の良い前
奏が始まり、各々が酒を手に持ちながら斉唱に励み、マイクが手渡されていく。
『北九州大学校歌』
の歌詞
11
に対応する入江撮影映像はすべてで 18 カットに及ぶ。パン、
ズー
ムアウト等の技術を駆使し、同一カット内でも別の風景が映し出されるように工夫されている
ので、実際のカット数よりも多彩な印象を受けるのが特徴である。
「足立山」や「玄海」等固
有の地名のフレーズには忠実に現地撮影をしており、キャンパスの様子(校舎や初代学長の銅
像、学生たちの登校やトラックを走る体育会クラブの様子等)もバリエーション豊富に撮影さ
れている。また、タイトル映像は、キャンパス全容を鳥瞰できる高台のロケ地からわざわざ撮
影する凝りようである。
校歌と逍遥歌が一通り終了した後は、
『仰げば尊し』
(文部省唱歌作詞 , 文部省唱歌作曲 ,
1884)を BGM に、これまで開催されてきた「三四会」の記念写真等を入江が接写で撮影し、
ひとり一人の人名を入れた映像
12
が映し出され、会話が弾み出す。
これらの映像を眺めながら、筆者は幹事のEと以下のようなやりとりをした。
筆者「今まで何度か銀杏には来られたことがあるんですか?」
E「今年は二回目かな。いままで四回。これ(これまでの三四会の記念写真を筆者に見せ
ながら)をね、ずっと持っていたもんだから、ここに持ち込んでね、ママに整理してもらっ
たのよ。」
筆者「これまで同窓会は何回ほど開催されてきたんですか?」
京都精華大学紀要 第四十九号
― 35 ―
E「卒業してから毎年やっ
てきたね。43 回になりま
すね。でも今年で最後だね。
(映像を指差しながら)こ
うやってね、写真に載って
いま映っているひとたち
ね、結構亡くなっている方
多いんですよ。あの彼は一
昨年亡くなったんだよね。
まぁ幸いにして健康な人間
がこうしてここに集まって
いるわけなんですね。あの
頃はちょうど高度成長時代
に突入してね、そして一方
で格差もあったし、そう
いったなかで人間関係がい
写真3:
『北九州大学校歌』オリジナルカラオケ映像のモニター
写真。2015 年 3 月 10 日筆者撮影。
[左上]冒頭のタイトルカット。曲名、作詞・作曲者名、曲の
制作年の他に、画面左上に必ず入江氏自身の映像制作の年月
が記されているのも特徴の一つ。
[右上]一番冒頭の歌詞「見よ青嵐の足立山」のカット。グラ
ウンド越しに足立山の風景。
[左下]一番最後の歌詞「若人の命雲と展ぶ」のカット。校舎
を行き交う男女の学生の姿。
[右下]三番最後の歌詞「創造の力華と咲く」のカット。校門
の看板。
まよりちゃんと強くあった
時代なんだよね。卒業しても集まろうっていう一体感があったからこうやって続けていら
れるんだと思いますね」
既に逝去した旧友の顔を見つめながらこれまでの 43 年に亘る同窓会の積み重ねを噛み締め
るEの発言からは、在学当時の時代背景にいわゆる「懐かしさ」を感じている、ノスタルジッ
クな語りが展開された。そして宴もたけなわとなった 22 時半、
最後に再度『北九州大学逍遥歌』
13
を合唱し、会は終了となった 。
4−2. 校歌と映像にまつわる対話と考察
Eとその二つ隣の席に座っていたKに、校歌についての質問をしてみたところ、以下のよう
な答えが返ってきた。
筆者「校歌はよく歌われたのですか?」
E「校歌はね、私はこれまでよく同窓会の幹事とかやってきたから歌うことが多かったけ
ど、在学中はね、普通はそんなに多くは歌わなかったと思うね」
K「校歌自体は覚えているよ。まぁ、毎年こうやって歌っているから歌えるっていうのも
― 36 ― 音楽による想起がもたらすコミュニケーションデザインの可能性― 歌声スナック「銀杏」における同窓会現場を題材に
あるけどね」
筆者「在学時代は毎日歌ってらっしゃったんですか?」
K「いやいや、年に何回かやな。卒業してこういう会があるから歌うんやわ」
14
筆者「あっ。それでまた覚えてゆくみたいな?」
K「そうそう、在校生の時は逍遥歌も歌いよった。でも昔は在校生が卒業生が旅立つのに
際してね、校歌を歌うって習慣は特になかったのよ。それにね、わしらの時代はね、歌で
癒すって感覚があんまりなかった様に思う。確かに歌声喫茶とかはあったが自分は行かな
かった。歌を歌っているのはやっぱりコーラス部とかね、そういった特殊な趣味を持って
いる人って印象があって、みんながみんな歌を歌っていたわけではないよ」
筆者は当初、全員が校歌を生き生きと歌っている姿から「
(クラブへの参加等を問わず)在
学中は頻繁に歌っていたもの」だと何の疑いもなく思い込んでいた。しかしEとKは共通して
「校歌を在学中に多く歌ったわけではない」と述べている。また、Kの「歌で癒されるという
感覚は一般的なものではなかった」という旨の発言は、目の前で高らかに斉唱をしながら過去
を懐かしがっていた彼らの姿からは直接想像できない内容であった。
続いて、入江が実地で撮影した校歌に纏わる風景映像の内容についてインタビューをしたと
ころ、EとKは次のように語った。
15
E「昔は今みたいな立派な校舎じゃないからね。さっきの映像 みたいな感じではなくて、
芝生があってみんなその周りでね、フォークダンスをしてたよ。キャンパスの様子も違う
し、学生たちのやっていることも随分最近とは様子が違うよね。まず基本的に(映像に映っ
ていた様に)女性がいなかったからね、昔の大学は。明日はだから、久しぶりね、学部の
キャンパスにバスに乗って行くんですよ。まぁ卒業してから初めて行く人もいるしね。」
K「10 年前にわしは学校に何度か行っていたから(映像に映っているキャンパスの様子
を知っているけど)、実際バスで行ってみたら、懐かしさはそれぞれみんな違うだろうね」
Eの発言から、懐かしさの対象は、入江が撮影した映像そのものではないことがわかる。前
述した同窓会アルバムが映し出されるシーンは、亡くなった旧友への思いを馳せる直接的な懐
かしさを喚起させる一方で、入江が平成 12 年 12 月 15 日に撮影したキャンパス風景の方は、
昭和 34 年に卒業したEにとってはもはやリアリティを抱くものではありえない。またKの発
言からは比較的近年(とは言え、10 年も前ではあるが)のキャンパスの様子を既に見ている
立場から、それを見ていない人と見ている人によって、入江の映像を介した懐かしさには相違
があることが窺われる。
京都精華大学紀要 第四十九号
― 37 ―
5.
「銀杏」のさらなる特異性 ――入江のインタビュー内容より
本節では、校歌に限らないオリジナルカラオケ映像のいくつかを観ながら行なった入江への
インタビュー内容に基づき、入江の音楽に対する関心やオリジナルカラオケ映像を制作し続け
る動機に関連すると思われる発言を報告する。
まず入江は、音楽の機能についてこう語る。
音楽っていうのはすごい。その時に戻る。たとえば同じ1曲でも思い出がまったく違うと
いうことが本当に面白い。ある人は、ある曲を聴いたら「大学のとき貧乏でラーメンを食
べる金もないから学生寮でパンを分けてもらっていたらこれが流れてきた」とか、また鹿
児島出身の人が「百姓しながら聞きよったぞ」とか、「引き上げ舟の上で退屈やから聞い
ていた」とかね。校歌だってそう。(リクエストしてくれた幹事)ひとり一人の学部も違
うし、その人がいつも通う田舎の橋とか、そういう記憶を聞き取って作っているから、
(別
の方が)「俺たちはここじゃなかった」って言っても「やかましい!あんたのために作っ
たんじゃない」ってね(笑)。(2015 年 3 月 10 日の発言より)
この発言からは、個々人が持つ「音楽と記憶の固有の関係性」にできるだけ寄り添いながら
制作を続ける入江のスタンスが如実に見受けられる。しかし、その一方で、以下のような発言
も聞かれる。
海とか花とか、田舎の景色があればなんとかまかなえるのよ。だから(各地に)行ったら
(そういった景色を)撮っておくのよ。波でもゆるやかにしようと思えば、機械でスロー
にすればできるやないですか。編集次第。あれやったらこれ使おう、それやったらこれ使
おうって、構想を練るんです。で、それ通りにやりよったら、(たまたま)違うテープ取
るじゃない? そしたら、「ああもうこれでいいや!」ってなっちゃうときもある。(2015
年 9 月 26 日の発言より)
この発言からは、これまでのストックからふさわしいと思われる映像を臨機応変に選び取る
といった、
「ありあわせ感」が窺われる。とりわけ同窓会の開催までの期限の関係でどうして
も撮影時間の確保が難しい時は、
「もうこれでいいや」となることが多いと入江は言う。つま
りは、完璧に再現に努めるというわけにはいかず、校歌の場合においてもそこで登場する「海」
や「花」とは本来関係のない別の地域の「海」や「花」の映像が紛れている
16
可能性がある
のだ。
また筆者は、この実践が客だけではなく、入江自身にもたらしている効果について考えさせ
― 38 ― 音楽による想起がもたらすコミュニケーションデザインの可能性― 歌声スナック「銀杏」における同窓会現場を題材に
られるいくつかの発言を耳にした。
これはお祭りの歌だからね、大分で有名な狐踊りがあるんだけどそれを入れてね。(姫島っ
ていう)小さな島なんだけどね、(祭りのときは)何万人とお客さんが入る。船も全部予
約なのよ。何分の船に乗ったら、何分の船で帰らないといけないとかね。この集落ごとに
ね、全部踊りが違うの。ほら、後ろに狐がいるでしょ? わざわざこれをね、三回くらい
(撮影に)行ったかな。(2014 年 9 月 26 日の発言より/『月夜の笛』(横井弘作詞 , 吉田矢
健治作曲 , 1954)の映像を見せながら)
これは、大阪の造幣局。15 年くらい前かな。これはからたちの花。大阪城の入り口のと
ころにあるのよ。私はゆっくり撮っていたんだけど、
(一緒に行った)彼女たちは左側のコー
スに行ったもんだから(人混みに)押されて押されて(笑) これは貴匠桜かな。これが
一番美しく見える。こっちは菊桜でね、珍しいのよ。確か兼六園にあったのをここで育て
(2014 年 9 月 26 日の発言より/
『大
ている。そしてこれ私(笑) 最後に撮ってもらったの。
阪の人』
(佐伯孝夫作詞 , 吉田正作曲 , 1958)の映像を見せながら)
(鶴を撮れるところが)鹿児島にあるのよ。朝、太陽が出る時に野鳥の会の人達がね、大
きなね、こんなバケツみたいな望遠鏡を持って太陽に(照準を)ピッとあてておくのよ。
その間に鶴が渡るのよ。あれ見せてもらったときは、もう鳥肌が立ったね! この映像は
ね、平成 20 年に作った。ああ、この曲、ある方が必ず歌声喫茶の会のときに歌っていた
のよ。でも亡くなられた。でもよくしてくれたよ。色々な所に連れてってくださってね。
(2014 年 9 月 26 日の発言より/『鶴』
(R・ガムザトフ作詞 , Y・. フレンケリ作曲 , 坂山
やす子訳詞 , 1922)の映像を見ながら)
これらの発言に共通しているのは、客のリクエストにより作られたオリジナルカラオケ映像
でありながらも、同時に入江自身の記憶が語られていることである。しかし、その記憶の種類
は様々である。まず『月夜の笛』では、映像そのものが入江による旅行日記の役割を果し、そ
こで撮影された「風景そのものの記憶」が解説される。次に『大阪の人』では、入江自身の姿
が同行した友人によって撮影され登場するなど、現地の風景のみならず入江の当時の「人間関
係も含めた記憶」が想起されている。そして『鶴』では、
「風景そのものの記憶」が一定解説
されつつ、後半ではこの曲の映像制作をリクエストした当時の客がもう既に他界してしまって
いることについて思いを馳せる発言が聞かれる。ここでは、映像そのものには反映されていな
いものの、
「撮影した時点での当時の記憶」が想起され、また同時に、歌声喫茶の会において
この客のために「映像を銀杏で流した際の記憶」をも想起されていると言えよう。
京都精華大学紀要 第四十九号
― 39 ―
いずれにせよこれらの考察からわかることは、入江によってこのオリジナルカラオケ映像は、
依頼者である客の懐かしさに単に寄り添うだけではなく、入江自身の記憶の保存媒体としての
役割も担っているという事実である。このことを踏まえれば、校歌映像においても同窓生達が
懐かしんでいるそのイメージに図らずも第三者の記憶までもが内包されているといった想起の
多層性についても、考えざるを得ないだろう。
6.総合考察
本節では、以上の現場考察と第2節に示した本論の視点とを重ね合わせながら、校歌と入江
によるオリジナルカラオケ映像が同窓会現場においてもたらした想起のコミュニケーションの
特徴についてまとめる。その上で、三つの図を作成した。
図1では、2−1でも触れた様に、一人の特定の人物(A)にとっての「なじみの音楽」が、
当人の生活史や記憶を引き出すプロセスについて示した。主に認知症高齢者をはじめとした音
楽療法の対象者が治療の一環として音楽を聴取(行程❶)し、そこから想起(行程❷)が促さ
れる構図だ。ここでは、その楽曲の内容面(歌詞やメロディ)のみが、想起イメージの内容(想
起イメージA)を確定するかのようなコミュニケーションが想定されており、Aが他者(医療
関係者、家族、他の利用者)との対話によって、想起をさらに多様にし、想起イメージAに留
まらないイメージを展開してゆくコミュニケーションについて触れられることはない。
一方で、同窓会のような集団の現場では、同窓生たちによって共有されるコミュニティソン
グを元にした対話と想起の連環が重要だと思われる。図2では、通常の同窓会現場にて、校歌
を聴取(あるいは斉唱)した際に行われる想起のコミュニケーション構造を示した。図1との
違いは、まさに対話による想起イメージの共有・交換(行程❸)とそこからさらに新たな想起
イメージが生成されるプロセス(行程❹)に着目した点である。これらは同窓生(A∼C)が
各々の想起イメージの内容(想起イメージA∼C)を懐かしがりながらも、対話によって一人
では想起し得なかった新たな内容(想起イメージA×B×C)に辿り着いており、懐かしみつ
つも、自らの記憶を「現在の時点から繰り返し想起、再構築し、ふたたび身体に刻んで」
(黄
2007, 9)いるといった、
「懐かしさ」のみに留まらないコミュニケーションを知ることができ
るだろう。この黄の指摘は、
「三四会」において聞かれたEの「これまでよく同窓会の幹事と
かやってきたから歌うことが多かった」やKの「毎年こうやって歌っているから歌える」といっ
た校歌斉唱にまつわる発言からも窺え、彼らが卒業後の 50 数年にわたる歳月のなかで事後的
に歌唱を繰り返すことで、その都度の同窓会という現在の時点から校歌を身体化させたことと
も関係するであろう。
― 40 ― 音楽による想起がもたらすコミュニケーションデザインの可能性― 歌声スナック「銀杏」における同窓会現場を題材に
図1:音楽と想起のコミュニケーション・パターン1。高齢者医療の現場に代表される、
「な
じみの音楽」による一人の想起。
図2:音楽と想起のコミュニケーション・パターン2。通常の同窓会現場に代表される、
校歌による集団の想起。
京都精華大学紀要 第四十九号
― 41 ―
図3:音楽と想起のコミュニケーション・パターン3。同窓会現場に入江の実践が導入さ
れることによって、校歌による集団の想起の在り方が一層多様化される。
しかし、本論で考察した同窓会現場は図2に留まらず、入江の実践によって結果的にさらに
複雑なコミュニケーション構造、すなわち図3がデザインされている。まずここでは、同窓会
現場に入江制作による校歌のオリジナルカラオケ映像が導入されることで、図2にも見受けら
れた行程❸の対話に対して想起イメージの「参照点」が生まれ、
校歌の旋律が進み映像とテロッ
プが切り替わってゆくに連れて、
さらに活発な対話と想起が促されることがわかる(行程❸ダッ
シュ)
。例えば、校歌後に挿入される『仰げば尊し』を BGM に映し出される数々の同窓生の
写真は、各々に固有の友人達への記憶を想起させ、彼らの性格や趣味にまつわる会話が触発さ
れる様子が窺えた。一方で、本編である『北九州大学校歌』や『北九州大学逍遥歌』における
入江撮影による映像からは、キャンパスの様子や当時の風習にまつわる語りが生まれつつも、
17
卒業当時とは随分違った様子で映し出されるキャンパスの「現在の風景」 に対して、EもK
も率直な違和感を語るといったように、必ずしも「映像そのもの」が懐かしいわけではないと
4
4
4
4
4
4
4
4
いう現状が浮かび上がった。しかし大切なことは、入江の映像が直接的に懐かしいかどうかよ
り、その映像を参照点にしながら対話が促され、
「実際は(かつては)こうだった」といった
意見も含めて、想起イメージA×B×Cの内容が多様に変遷しながら新たな想起イメージA’
×B’×C’∼想起イメージA’
’×B’
’×C’
’へと展開してゆくコミュニケーション(行
― 42 ― 音楽による想起がもたらすコミュニケーションデザインの可能性― 歌声スナック「銀杏」における同窓会現場を題材に
程❹ダッシュ)がさらに存在することである。つまり入江は、同窓会という本来閉鎖的で凝集
性の高いコミュニティのなかにメディエーター(触媒者)として加わることで、図2で示した
同窓生間のみでのコミュニケーションに分け入り、校歌のカラオケ映像制作という文化実践を
通じて同窓生固有の想起イメージ同士をより多様に編み上げる役割を果しているのである。
図3ではそのような基本的なコミュニケーション構造を示したが、
「銀杏」での同窓会現場
はさらに多様な想起を促すオプション的な仕掛けが準備されている。それは、入江が同窓会の
途中で突如ビデオカメラを取り出し、同窓生たちが校歌を歌う様子そのものをカウンター越し
から撮影するという行為である。この行為は翌年の同窓会においてその時点での昨年の様子を
新たに映像に挿入するという演出のために行なわれるものだ。毎年、同窓会での校歌斉唱を重
ねる度に文字通り「生まれ変わる」映像からは、もはや単に「懐かしい」という感情がうずま
くコミュニケーションをゆうに超えて、この同窓会自体を開催し続けている「現在進行形の私
たちを刻み続ける」といった象徴的な想起の特徴が見て取れるだろう。加えて、客の思い出の
楽曲をオリジナルカラオケとして映像化するという本来の意図とは外れ、その映像の中に時に
「ありあわせ」の風景が挿入されたり、同窓生にとっては第三者である「入江自身による記憶」
までもが様々な形で紛れ込んでしまっていること、つまり入江のメディエーターとしての「出
過ぎた役割の遂行」が、対話と想起の連環を結果的により重層化させているのである。
以上から、
「銀杏」にて開催される同窓会現場においては、ここに参加する誰もが校歌を通
じてただ過去をそのまま懐かしむだけではなく、むしろ現在の時点からの対話と想起を通じて
過去の様々な側面を再発見し、同窓生たちとの間で紡いできた関係性をさらにアップデートし
てゆくためのコミュニケーションが生成されていると言えるだろう。この特徴的な想起の仕方
において、校歌は、過去と繋がりながらも現在を読み替えていくための触媒として大きな機能
を果し、さらに入江によるオリジナルカラオケ映像が、過去の純粋な再現に留まらない形で大
きく加勢することで、より複雑でダイナミックな想起のコミュニケーションをもたらしている
のである。したがって、現在の時点から記憶と関係性を(再現ではなく)更新してゆくこのよ
うな文化実践は、まさしく前述したボイムの「ノスタルジアは、眺めを後ろ向きに変えるだけ
でなく、横道にそらす」
(Boym 2011, 13)という指摘の具体的な実践と言えるだろう。
7.おわりに
本論では、歌声スナック「銀杏」という特異な現場を題材にしながら、音楽による想起がも
たらすコミュニケーションデザインの可能性の一端を報告してきた。無論、入江自身がここま
でのコミュニケーションが生成されることを意図して、この現場をデザインしていると言うの
京都精華大学紀要 第四十九号
― 43 ―
は言い過ぎだろう。しかし、彼女の音楽(歌)に対する類い稀な情熱と趣味の範囲を通り越し
た映像技術、そしてお客さんひとりひとりを大切にする人間性も含め、この実践がもたらす機
能が数十年の中で洗練されていったからこそ、ある一定の「構造」を記述しうる程の普遍性の
あるコミュニケーションが生まれるに至ったのは間違いないと、考える。これは筆者が冒頭で
定義したコミュニケーションデザインのひとつの在り方として十分に有効なものであろう。
また昨今、少子高齢化による地域コミュニティの衰退や、かつてから行われてきた地域固有
の祭礼の存亡が取り沙汰されるなか、そもそも定期的に「記憶を語り合う」という場の存在自
体がかつてよりも減少傾向にあると考えられる。しかしそれでも、
同窓会などに代表される「想
起の場」が一定存続していることを考えれば、人は誰しも一人で想起したいのではく、誰かと
共に語り合い、コミュニケーションすることを通じてこそ想起したいと言えるのではなかろう
か。かつその想起の場には、コミュニティの成員のみならず入江に代表されるような第三者が
メディエーターとして参加することで、想起の当事者のみではなし得なかったより多様で豊か
な対話と想起イメージの獲得に辿り着いていることを踏まえれば、それはこの時代において当
該コミュニティの外部とも連携し合う新たな「想起の場」を発明してゆく必要性が増している
と考えるのは妥当であろう。そうであれば、
本論で示してきた音楽による想起がもたらすコミュ
ニケーションデザインは、まさに昨今まちづくりの現場で住民の自治的マネジメントなどソフ
ト面の運営にとりわけ着目するコミュニティデザインや、文化芸術によるコミュニティの関係
性の再構築を促すアートプロジェクトといった、必然的に第三者(コミュニティデザイナー、
アーティスト等)が関わるような新たな場づくりの可能性とも接続して議論することができる
と、筆者は考えている。
加えて、本論では深く触れなかったが、このようなコミュニケーションを通過した後では、
(校
歌など)同じ楽曲に対してもまったく異なる楽曲として再聴取を繰り返すといった、聴取の技
法そのものを変容させていく可能性についても一言触れておきたい。そのことは音楽社会学に
おける聴取論の議論の発展にも寄与しうるであろう。
しかし、このような重要な現場を後世に引き継いでゆくには課題も多い。入江は一連のイン
タビューの中で、自らの高齢化を示唆しながら頻繁に「店を辞めたらライフワークとして
DVD は持っておくだけ」
「
、死んだら親族に託して処分してもらう」という旨の発言をしていた。
客が「もし店を閉めたら、この映像はどうするの?」という質問を心配そうに投げかけている
様子にも立ち会った。音楽によるコミュニケーション研究に携わる立場として、このような現
場の社会的意義をどのような方法で伝え、かつ研究成果を今後どのような形で具体的な実践モ
デルに落とし込んでいくかという課題に、これからも真摯に向き合ってゆきたい。
― 44 ― 音楽による想起がもたらすコミュニケーションデザインの可能性― 歌声スナック「銀杏」における同窓会現場を題材に
注
1 2015 年 3 月 10 日調査時のデータ。このうち、入江自身が撮影した素材で作られている映像もあ
れば、中には古い映画の名シーンや資料映像などを再編集して作られた映像もあり、その内訳は
定かではない。
2 例えば、
片桐幹世(2012)
、
坂下正幸(2008)
、
鈴木隆史(2014)
、
竹内貞一(2011)
、
西村ひとみ(2007)
等があげられる。
3 本文で述べた、団塊世代の中にも「懐古」への抵抗感を持つ人達も少なからずいるという理由以
外では、まず、団塊世代はフォーク酒場やライブハウスなどの経営者、すなわちフォークリバイ
バルの仕掛け人側に回っている可能性があり、お客にはむしろ団塊世代のフォーク歌手に憧れる
弟・妹世代のファンが訪れているというパターンを示唆している(小泉 2013, 94-95)
。次に、団塊
世代は「お金を持っている」と言われる一方で、年金暮らしでギターを新調したり通勤定期なき
後に酒場に通うことが経済的に厳しいことや、子ども世代の不安定雇用や未婚化による親離れの
遅れによるさらなる経済的負担の延長が、彼らをフォーク酒場から遠ざけているという物理的な
理由も指摘されている(95)
。
4 ノスタルジアという言葉は、もともとは医学や心理学の領域で使われていた言葉であり、ギリシャ
語の「帰郷」
(notos)と「痛み」
(-algia)に由来する。
『ノスタルジアの社会学』という著書で知
られるフレッド・デイビス(Davis 1979)によれば、ノスタルジアは、17 世紀後半に故国から離
れて戦地に赴任していたスイス人傭兵によく見られた「症状」であり、現在で言うところのホー
ムシックによる抑うつ、情緒不安定、食欲不振などの状態を指していた。
5 渡辺裕(2010)によれば、
「ここではそのような形[国家や校歌を皆で歌うこと]でコミュニティ
への帰属意識や連帯意識を形作ったり維持するために皆で歌われるタイプの歌を『コミュニティ・
ソング(共同体歌)
』と呼ぶことにしたいと思います。
」
(46)と、定義されている。
6 2015 年 3 月 10 日調査時のデータ。なお、校歌に準ずるものとして主に古くから存在する各高等
学校や各大学において制作されている逍遥歌ならびに応援歌についても対象に含まれている。
7 しかも一つの校歌に一本のビデオだけが存在するわけではなく、例えば福岡県立小倉高等学校の
場合は、地元なだけあって卒業年の違うバージョンが全部で 16 期分もあり、また、持ち込む幹事
も違うためにそれだけ同数の映像が存在することになる。
8 すべて男性。また幹事補佐として幹事の職務上の秘書を務める女性1名も加えて参加した。
9 「」内は実際のテロップよりそのまま引用。
10 北九州外語大学は、北九州市立大学の前身にあたる。
11 「北九州市立大学応援団」ホームページ参照。
12 卒業アルバムやスナップ写真のシーンに於いては、同窓会幹事や資料提供者等の名前もしっかり
京都精華大学紀要 第四十九号
― 45 ―
クレジットされている。
13 映像の一連の流れは以下の四部構成となっていた。①『故郷』を BGM にしながら学校等から手
配した当時のキャンパス、校舎、行事、周辺の街並の資料写真を繋ぎ合わせるシーン。②入江に
よる現地・各地撮影、資料写真を繋ぎ合わせた校歌のシーン。③校歌と同様の編集を施した逍遥
歌のシーン。④『仰げば尊し』を BGM にしながら客が持ち込んだ卒業アルバムやこれまでの同
窓会等のスナップ写真を素材にして、教員、同窓生ひとり一人を接写して紹介してゆくシーン。
これらのうち、①と④に関しては、いわゆる歌唱用のカラオケ映像というよりは、カラオケをよ
り盛り上げるために演出された観賞用のスライド映像だと言える。
14 同様の発言は、入江に行なった 2014 年 9 月 26 日調査時のインタビュー内容――「卒業してから
今の時代になってね、やっぱり校歌を覚えようかっていう人も多いのよ」――にも存在する。
15 画面左上のテロップを参照すれば、入江によって 2000(平成 12)年 12 月 15 日に撮影された北九
州市立大学のキャンパス景観映像のこと。
16 そもそも一般の映画においても、脚本の舞台とは違う地域の映像がロケハン・撮影されているこ
とは往々にしてあろう。但し、ここでの映像は、一般に公開される映画とは違って、
「銀杏」の客
ひとり一人の個人的な記憶の想起のために作られたものである。それにも関わらず、そういった
別の地域の映像が紛れ込んでいること自体に、映像の「真正性」を揺らがす問題が含まれている
と考えられる。
17 とは言え、この映像も 2000(平成 12)年 12 月 15 日に撮影されたという意味では、もうすでに過
去である。ただ、キャンパス景観が「現在」の雰囲気に繋がるような「現代に近い過去」という
意味として、この場では機能していると言えよう。
参考文献 Appadurai, Arjun, 1996, Modernity At Large: Cultural Dimensions of Globalization, Minneapolis:
University of Minnesota Press.(= 2004, 門田健一訳『さまよえる近代―グローバル化の文化研究』
平凡社 .)
Ball, Philip, 2010, Music Instinct : How Music Works and Why We Can't Do without it, United
Kingdom: Oxford University Press.(= 2011, 夏目大訳『音楽の科学 --- 音楽の何に魅せられるのか?』
河出書房新社 .)
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京都精華大学紀要 第四十九号
― 47 ―
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(2016 年 4 月 13 日受稿/ 2016 年 6 月 25 日受理)
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