...

米墨国境地帯、辺野古、バングラ

by user

on
Category: Documents
13

views

Report

Comments

Transcript

米墨国境地帯、辺野古、バングラ
米墨国境地帯、辺野古、バングラ
弱者連帯へ向けた市民運動の広がりとトランセンド法
斉藤
修三
キーワード:平和学、トランセンド法と対話、チカーノ研究、辺野古闘争、バングラデシュ
Keywords: Peace Studies, Transcend Method &dialogue, Chicano Studies,
the Henoko struggle in Okinawa, ACEF & Bangladesh
「権力は腐敗する。弱さもまた腐敗する」
(エリック・ホッファー)
抑圧される側の弱者も腐敗する。弱者たちが自 より弱い者を 食
にするときの酷薄さを決して侮ってはならない、と。…弱者に向
かって歯にきぬ着せず「きみたちの逆恨みの源泉は、不正への怒り
ではなく、自 が無力、無能だという意識だ」と訴えることができ
た。
(小池民男『朝日新聞』2006年4月3日付)
Ⅰ
はじめに
米墨国境地帯、沖縄、そしてバングラデシュ。平和学をめぐるこの論
は、9・11以降
ぼくが訪れた三つの場所から始まる。一見すると無関係にしか見えないこれらの国や地域
だが、ある共通点がある。それは、欧米や日本が牽引する国際政治経済の権力関係のなか
で周縁に追いやられ、大変な生きづらさを抱えている点にある。それぞれに植民地帝国主
義の暴力的支配におかれてきた歴
があり、いまは新自由主義的なグローバル化の荒波に
さらされる中で、人々の多くが 困と抑圧に起因する危機に直面している。
危機は、一人の人間が抱える
藤として現れることもあれば、家族や職をめぐる不和と
諍い、さらには地域内での対立や
争となって噴出することもある。ミクロからマクロに
いたるさまざまな危機に接するにつれ、これは他人事ではないと
―
―
えるようになった。世
界はますます小さくなっている。彼・彼女たちの直面する
情を知れば知るほど、まさにその
困と抑圧について、個別の事
困と抑圧を生む世界の同じ空気を、自
いたことが気になるのだ。弱者の危機とは、自
もまた吸って
を映す「鏡」なのかもしれない。それ
は、危機など無縁と思い込んでいたぼくの足元を、根底から揺るがさずにはおかない。ア
メリカの思想家 E.ホッファーの言う「腐った弱者」とは、おまえのことではなかったの
か、と。
三つの場所の
困や抑圧は、国際社会の動向という同じ原因に由来する、異なったあら
われであり、まずはそのつながりのなかに自
を位置づけ直さないことには、平和を語る
ことなどできはしない。忸怩たる思いのなかで、平和学を学び始めた。そして、戦争と平
和という伝統的二 法とはことなる、新しい平和のとらえ方がガルトゥングによって提唱
され、その実現に向けて
案された和解の方法論が、すでに実践されていることを知っ
た。
平和理論を学びながら、三つの場所での経験を咀嚼し、自
との関係性を
えるなか
で、手がかりとなったのが「構造的・文化的暴力」とガルトゥングが呼ぶ、非人称的で自
動化された社会的不正義のありようだった。この見えない暴力が、新自由主義的グローバ
リズムの吹き荒れる国際社会で、まるで疫病のように広がりつつある。ひとたびこの猛毒
に感染すると、「腐った弱者」とその「
食」となったさらなる弱者とのあいだで、人々
は引き裂かれてしまう。国境地帯も沖縄もバングラも、そしてぼくたち自身も、その点で
は変わりない。同じ病にさらされているという点、そして病の感染に加担してもいるとい
う点で、出会った人々と自
とのつながりが少しずつ見えてきた。
では、どのようにして見えない暴力は、人々を寸断するのだろう。そしてガルトゥング
の和解法は、どのようにして引き裂かれた傷をいやし、ふたたび結びつけるのだろうか。
まずは疫病の広がりを、それぞれの場所に即して明るみに引き出すことから始めたい。
Ⅱ
断支配
東はテキサスから西はカリフォルニアまで、メキシコとの国境線は3,200km に渡る。つ
い150年ほど前まで、この広大な地域はメキシコだった。この地に土着するメスティーソ
の民は、19世紀半ばに米国の帝国主義的植民地支配によって故国から
断され、「いなが
らにしてよそ者」の二級市民とされながらも、さまざまな差別と闘い、抑圧を生き抜いて
きた。
ニューメキシコ州アルバカーキ郊外、リオグランデ川の対岸は、廃品置場とゴミ捨て場
に囲まれ、ひなびた農牧場が点在する。
しいチカーノ(メキシコ系アメリカ人)の若者
が生徒の大半を占めるリオグランデ高 は、そんな中にある。
2003年4月、まぶしい光が降り注ぐ午後、ぼくは講堂で生徒二十数人ほどが自作の詩を
読むのに耳を傾けていた。
「ジミー・サンティアゴ・バカ・ポエトリ・スラム」という、
―
―
チカーノを代表する詩人をゲストに迎えた、詩の朗読を競い合うイヴェントだった。スペ
イン語
じりのラップやブレイクダンスをはさみながら、褐色の肌をした青年詩人たちの
作品は、不法の出稼ぎ労働者だった親のこと、国境警備隊や警察のいわれなき暴力の告
発、
親が母や妹に振るう暴力、ついに始まったイラク派兵を支持する声や反対する声な
ど、意外なほどシリアスな詩が多い。活字や書き言葉といった文字の文化が支配するアメ
リカの白人主流社会にあって、国境地帯という「内なる植民地」で声を奪われてきた若者
にとり、詩はたんに国語の授業で読まされるものでもなければ、ただの会話ともちがう。
それは深い思いを かち合うことで共同体意識を培う対話のツールであり、低い識字率に
長く甘んじてきたメスティーソたちの、声を
った貴重な文化であることに、ぼくはあら
ためて気づかされた。
帰国後、そんなリオグランデ
に不穏な動きが見られることを偶然知ったのは、日本
ジャーナリスト会議新人賞を獲得した若きジャーナリスト堤未果氏の『報道が教えてくれ
ないアメリカ弱者革命』という本を通じてだった。イラク戦争の長期化に伴い、不足しが
ちな兵士を勧誘する軍のリクルート作戦はいま、
しい有色の青少年をターゲットにして
いる。成績不振の高 生を対象に、銃の扱いを含む軍事教練を
内で半強制的に行い、大
学での奨学金をちらつかせ、軍国主義を洗脳しては入隊させようとしているのだ。
「うち
の学
は、生徒の多くが登録するよ。それで卒業と同時に軍に入隊する。そしたら食いっ
ぱぐれなくてすむし、除隊したあとも国境警備隊の仕事に就きやすくなるからね」
(184)
という生徒の声。甘い見通しにのせられた子どもたちが、同じ出自と
しさを共有して
やってくる出稼ぎ労働者に対し、「犯罪人」として銃を向けるよう洗脳される。この動き
に反対する生徒もいる。
「アメリカ社会の中で私たちマイノリティは弱者ですが…軍のリ
クルートは弱者に『暴力』をインプットして、もっと弱い者を踏みつけにさせるプログラ
ムなんです。そう、ちょうど今、この国の兵士たちがイラクで罪のない一般市民に銃を向
けているように」(185)(傍点筆者)。こうして生徒たちは、軍のリクルート活動のもたら
す「われわれ」と「やつら」という意識によって引き裂かれる。故国から
断されて150
年以上、声の文化が培う共同体意識を支えとしてきた人々のあいだに広がる、不気味な亀
裂だった。
2006年2月、沖縄。本 研プログラムの取材で平良夏芽牧師を訪ねる。辺野古闘争
普天間代替基地を名護市の辺野古沖に作る計画の阻止を目的とする市民運動
ダーの一人は、開口一番「平和は学問ではなく
のリー
るもの。沖縄があなたがたにとって平和
学の対象でしかないのなら、お帰り願いたい」とぼくたちに釘を刺す。氏の表情は暗い。
闘争開始から10年、前年の9月に辺野古沖案の撤回に成功したのもつかのま、翌10月、日
米両政府はあらたに「
岸案」(大浦湾からキャンプシュワブ南の
岸部)を発表。平良
氏をはじめとする反対派にとり「辺野古を含む沖縄北部地域を米軍の軍事要塞にする」こ
の計画の是非は、1ヶ月前の名護市長選挙の争点とされ、基地
した二人の革新系候補者のあいだで
設に反対する市民は出馬
裂、その結果漁夫の利をえる形で、
―
―
岸案に反対は
しつつも経済振興に主眼をおく保守系候補者が当選してしまう。
「基地の阻止をただひと
つの目標としてきたのに、選挙の結果仲間たちが
裂してしまった。その傷はまだ
えな
い。」氏の暗い表情は、引き裂かれた名護市民の苦しみを物語っていた。基地がなくなれ
ば経済は破綻するし、基地があれば経済は安定する。基地か
一を戦後一貫して刷り込まれ、容赦なく人々は
困かという作為的な二者択
断されてきた。沖縄には国内の米軍基地
の7割以上が集中する。他人事的な「がんばって下さい」ではなく、「自
にできることを
それぞれに実行する」行動力を、牧師はぼくたちヤマトの人間に求めている。
小さな対立が前景化される中で、対立を生み出すおおもとの構造が不問にふされる。リ
オグランデ高
と辺野古に共通するこの現象は、この夏 ACEF(アジアキリスト教教育基
金)主催のスタディツアーで訪れたバングラデシュでも見られた。人口1,300万人を超え
る首都ダッカ。車線がなく信号も少ない大通りをリキシャとバイクとオート三輪とトラッ
クが絶えず警笛を鳴らし、先を競い合っては渋滞を作る。ひねもす行き
紫の排気ガスと
う人の群れが薄
塵にまみれる。「ニューマーケット」と呼ばれるわりに、古くて倒壊し
そうなビルに露店が密集する巨大買い物市場では、物乞いやスリのチャンスを狙うスト
リート・チルドレンと警官とが、いたちごっこを繰り返す。足がなく両腕で上半身を引き
ずって歩く浮浪者を、店員が追い払う。女性の経済的自立を支援するグラミン銀行のマイ
クロクレジット(少額融資)が、ノーベル平和賞を受賞し注目される背後で、うだつのあ
がらぬ夫が「男らしさ」を発揮するために振るう腹いせ的暴力支配に耐え、学
ずに働かせる子どもたちに家計を頼る妻の数は、なお多い。
へ行かせ
困や洪水が招く小さな対立
や暴力が、個人の不幸として報じられはするが、一部の資本家と政治家が富を独占する社
会システムそれ自体には、なかなか批判の目が向けられない。
米墨国境地帯、沖縄、そしてバングラデシュ。個人間のミクロの次元から組織や地域に
いたるマクロの次元まで、ことは世界のいたるところで起きている。社会的に弱者とされ
た人々が、身近な次元でたがいの対立を
られてはそこに敵を錯覚する。それを隠れ蓑に
することで、強者は自 に好都合な現状維持を目論む。保身のため強者になびく者となび
かない者のあいだで引き裂かれる弱者は、
断が招く対立を理由にますます管理抑圧され
てしまう。
“Divide & Conquer(Rule)”すなわち「
たるまで、強国による「
断支配」
。古代ローマ帝国から大英帝国にい
割統治」の戦略として用いられたこの支配の方法は、労働者の
連帯を資本家が突き崩すスト破りの手法としても長く用いられてきた。そしてこれは、ネ
グリ&ハートが「帝国」と呼び、米国主導の新自由主義経済が惑星規模で拡大する現在、
もはや支配者による意図的な統治法の域を超え、「
断支配」のマシーンと化すことによ
り、ミクロからマクロにいたる世界のすみずみで自動的に再生産されている。
たとえば『脱暴力のマトリックス』という本のなかで、宮城晴美氏など沖縄の歴
活動家と女性学者たちが
わした討論を読むと、弱者
家や
断という支配構造が、決して沖縄
だけの問題でないことがわかる。LA 暴動以降の米国内のマイノリティ同士、アジア諸国
―
―
や在日の人々に対する国をあげた和解ができないまま、米国に「守られて」戦後復興を遂
げたはずの日本に、いま広がる経済格差と高い自殺率。そして「帝国」化する世界の周縁
部のいたるところに、一貫して
断支配の構図が見てとれるのだ。討論の一部、基地問題
をアメリカの「植民地」支配としてとらえる意識が日本の戦後思想に欠落していたため、
レイシズム、セクシズム、コロニアリズムの視点が弱く、一部の沖縄人の保守右傾化を招
いたとする大越愛子氏らの意見に対し、次のような地元の視点が対置される。
宮城
ナショナリズムでもないんですよ。むしろ体制追従。沖縄の事大主義の県民気質
的なものが再現されているというか、
「寄らば大樹の陰」みたいな意識です。〔中略〕
井桁 ムンチュー(門中)制度とトートーメー(男子だけが位
とそれに付随する財産
の相続をすることができるとする慣習)問題でも、そうした制度・構造それ自体を問題
化するのは簡単ではないのですよね。沖縄の門中制度でも、本土の「家」でも、
「お姑
さん」から男の子を産まないことで責められた「お嫁さん」は、
「お姑さん」が自
苦痛の原因だと
の
えてしまう。そのように、身近なところに敵がつくり出されてしま
う、そのことこそが、構造的に組みこまれた権力の狡知だという気がします。
高里
支配構造ってそういう面があります。
大越 「最も問題なのは天皇だ」とは、ならない。むしろ身の回りのせいにする。た
だ、そういう言動をとる背後にはどういう権力があるのかというと、わかりにくいです
ね。
宮城
どんなに不満があっても自
の声が届く相手じゃないから、身近な人たちに怒り
をぶつけることで、自 の気持ちを発散するしかない。…
高里
この枠組みではない、その上の枠組み、さらにその上にも枠組みがあることを意
識化するような手だてがないのは、なぜだろう。
井桁
おおざっぱな言い方になりますが、日本の学
方向には行かないように、批判的な思
教育はとくに、構造を問題化する
を阻害するような教育をしてきたと、私は思っ
てます。
宮城
…このように日本政府が躍起にならなくても、沖縄側が自
たちで積極的に日本
化しようとする。…
井桁
植民地支配のなかで、支配を受けた側の人びとのなかに帝国に対する欲望がつく
りだされる。そして、帝国の側からは、そうした欲望を、自
たちの支配的な位置を正
当化するために利用する人たちが出てくるのですよね。(296-303)(傍点筆者)
植民地化された心性についての井桁碧氏の指摘は、出稼ぎ労働者を排除するメキシコ系
の若者をも説明する。
「被植民者の心性、つまり支配者に好都合な意識(支配者の優越性
と自
たち被支配者の劣等性)を内面化するという、有害で破壊的な
国内の有色マイノリティを一貫して
え方」(3)が、米
断してきたと説くのは、後述するチカーナのジャー
―
―
ナリスト、マルティネス氏である。
弱者は、強者に好都合な価値観=イデオロギーを内面化し、その尺度で自
を測るた
め、自尊心を傷つけられることが多い。日本=優(ウチナンチュー=劣)、白=優(有色
=劣)、金持ち=勝ち組=善(
るカテゴリー思
困者=負け組=悪)
、男=強(女=弱)…。二者択一を迫
の中でカッコ内の後者を選ばされ、低い自己評価を刷り込まれた真の弱
者が、ここに生まれる。彼・彼女の「逆恨みの源泉は、(冒頭でホッファーが述べたよう
に)不正への怒りではなく、自
する者は、自
が無能、無力だという意識」であり、それを否認し抑圧
の相対的優位を捏造するために、強者の尺度を他の弱者にも差し向け、劣
位のレッテルを貼り、怖れ憎み、そして排除する。白に近い肌をしたラティーナや黒人女
性が直面するパッシング(白人になりすますこと)の誘惑にも
断支配がある。労働市場
でブルーカラーの労働者が中南米からの新移民を蔑視するのも、
断支配の典型といえ
る。「弱者に『暴力』をインプットして、もっと弱い者を踏みつけにさせる」というリオ
グランデ高 生の指摘した
まう。真の弱者が「自
断支配の構造は、こうして世界中の周縁部で再生産されてし
よりも弱い者を
食にする」事態を、鋭くも「弱さもまた腐敗す
る」と呼んだホッファーは、みずからも長く季節労働者として働き「波止場の哲人」と呼
ばれた。彼は、資本に搾取される労働者の深い苦悩とルサンチマンを知り尽くしていた。
腐った弱者」は事大主義的に強者になびいて保身を図る自
たちの側と、取り残され
る側に、弱者たちを 断する。両者の反目を前景化することで、強者は不正に満ちた権力
支配を背後に隠し、
「秩序維持」の名目で
断された弱者の管理と抑圧を強化し、まんま
と覇権を温存させる。
「腐った弱者」は、じつはぼくたち全員の心のなかに棲みついてい
る。ミクロからマクロまで世界中に蔓
するこの
断支配の病にこそ、平和学はメスを入
れなくてはいけない。
Ⅲ
弱者の
断支配を招く構造的暴力・文化的暴力
腐った弱者」は万人の心に棲みつくと、さきほどぼくは述べた。ということは、個々
人の特質に 断支配を帰すのではなく、ある集団や社会に構造的に潜む、非民主的で不正
な、自動化された権力支配のシステムへ適応する過程に、
断支配の根があると見た方が
よいのではないか。ガルトゥングの平和理論はこの点に着目する。
彼によれば、暴力には大別して三つの形態があり、三角形をなす。頂点に位置する、ド
メスティック・バイオレンスや喧嘩から戦争にいたる、相手に物理的傷害を及ぼす「直接
的暴力」はわかりやすい。しかし
断支配との関わりでいうと、三角形の底辺を結ぶ左右
に位置し、直接的暴力の温床となる、残り二つの暴力形態の方がより重要になってくる。
つまり資本主義的搾取や帝国主義的植民地支配など世界に飢餓や
困を生み出す「構造的
暴力」と、それをさらに地で支える法制度や性差別といった慣習やイデオロギーなどの
「文化的暴力」である。これら二つの暴力は間接的で、個人の意図によらない場合が多く、
―
―
行為主体も被害を被る客体も見えづらい
、さらにたちが悪い。直接的暴力を底辺で支え
る、これらの構造的・文化的暴力に満ちた社会環境に人々が適応する過程にこそ、
配の根があるのではないか。だから弱者の
断支
断支配を克服するには、文化と社会の構造に
こそ目を向ける必要がある。
構造的な暴力を正してこそ、単に戦争がない状態である「消極的平和」を超えた「積極
的平和」が達成されると説いた点でガルトゥングは画期的だったと、児玉克哉氏は『ガル
トゥング平和学入門』の中で述べている。
この[構造的暴力という]新たな概念は平和学の方向性に非常に大きな影響を与えた。
平和学が核軍拡競争や戦争の研究にとどまるものではなく、もっと幅の広い構造的暴
力、つまり不平等や経済的不
平、社会的不正などといったものにまで、アプローチす
べきものという認識が確立されたのである。積極的平和を目指す姿勢から、経済学、社
会学、環境学、女性学などといった多くの学問領域が、地球上のさまざまな課題に対し
てそれぞれ取り組んでいくというスタイルが徐々にできあがっていった。(80)
「平和学は市民運動など実践に関わるものだ」という平良牧師の言葉が脳裏をよぎる。傍
観する姿勢で現在の社会環境に適応することが、社会の温存する構造的暴力の共犯者に自
を仕立ててゆく。ぼくたち学者や研究者をこれまで縛ってきた「学問は客観中立でなけ
ればいけない」というタブーを乗り越え、みずからを政 治 化する時期が来ているのではな
いか。平和でなければ、しょせん学問や芸術の「表現の自由」もありえないのだから。
同著の中で、平和学における芸術の役割について論じた奥本京子氏の文章を引きなが
ら、構造的・文化的暴力をさらに詳述してみよう。
血が流れている、戦争が起こっている、地雷が爆発している、そして人が殺されている
という現象は、はっきり見える。われわれが世界や社会の中でまず認識するのは、こう
いった直接的暴力である。そして、直接的暴力をしっかりと支えているのが、実は構造
的暴力である。世界中で増大する軍事費、
い地域の「弱者たち」、家
不十
困・
争のために医療や教育を受けられな
長制によって生じている女性へのさまざまな差別、議論も
なまま国会を通過し、戦争(直接的暴力)に国民をかりたてる数々の法案など、こ
れらは構造的な暴力といえる。そのさらに底の方で、上層に表出している直接的暴力や
構造的暴力をどっしりと支えているのは、文化的暴力である。戦闘を売りものにする子
供のおもちゃやコンピューター・ゲーム、大量生産される暴力映画、人権・性差別的な
冗談を組み込んだテレビ番組、コマーシャル、コメディーなどは明瞭な文化的暴力の例
である。それらを通して、暴力の刷り込みが行われるのだ。しかし、「声」を出さない
われわれ市民も、政府の「暴力的」決定に拍車をかけていないか。きちんと「怒る」風
土があるか。われわれは黙り込むことで…結果的に暴力を肯定することになっていない
―
―
か。(170)
日常の次元で弱者を対立させることが、大きな支配構造の温存につながる。
断支配のメ
カニズムは、直接的暴力はもちろんだが、むしろこのような構造的・文化的暴力が蔓
す
るぼくたちの日常のなかで隠微に作用している。「勝ち組・負け組」や「自己責任」と
いった強者にのみ好都合な弱肉強食的価値観に洗脳され、身近なところに敵やさらなる弱
者を捏造することでしか身を保てなくなっている「腐った弱者」たち。彼・彼女たち=ぼ
くたちは、どうしたら自
たちを仲間割れさせる「上の枠組み」や「その上の枠組み」の
存在に気づけるのだろう。「自
一人では何もできない」と思っている人々が、どうした
ら身近な人に責任転嫁するのをやめ、構造的・文化的暴力という、全員が共有する「シス
テム」を大きな敵として見据えることができるのだろう。ガルトゥングの平和理論を手が
かりとし、さらに えてみる。
Ⅳ
トランセンド(超越)法という和解の方法
トランセンド(超越)法」とは、ガルトゥングが提起した平和構築のための方法論で
ある。本学 合文化研究所では、この理論を日本に紹介し普及に努める伊藤武彦氏に講演
を依頼。対立し合う 争当事者間でたんに妥協点を調整するのではなく、対立や矛盾から
飛躍=超越して新しい 造的な解決法を探し出すトランセンド法について、直接お話をう
かがうことができた。この和解の方法こそ、弱者が
断対立を乗り越えるための有効な手
段となるのではないかとぼくは える。
まず「コンフリクト」の捉え直しから、あらましを紹介しよう。この言葉は心理学では
「
藤」を意味し、身近な集団だと「もめごと」や「けんか」、地域のレベルでは「
などと訳される。つまり日本では別の言葉、別の問題として
ランセンド法は、個人の 藤や家
など身近なレベルから国際
争」
える傾向が強い。しかしト
争にいたるまで規模の大
小に関わりなく、すべてのコンフリクトに対応できるものとして編み出された。ミクロか
らマクロまでを貫く、いわば和解の処方箋と言える。
図を
って骨子を説明しよう。A1とA2はたがいに対立する当事者を表わす(個人の
場合は、内なる複数の声)。まずそれぞれに達成しようとするゴール・目標を明らかにし、
それらが対立・矛盾するようすが、G1とG2で表わされる。これまでの和解の仕方は、
G1とG2を結ぶ三角形内のどこかに位置づけられる場合が多い。たとえば[1]と[2]
は勝ち負けをはっきりさせる either/or 的決着であり、
[3]は和解の放棄・撤退、
[4]は
2者の目標を斜めに結び、それぞれを半
味する。和解と言うと、この位置と
だけ実現させる中間点であり、妥協・折衷を意
える人も多いだろう。しかし実際は双方に不満が残
り、次のコンフリクトの火種となりやすい。
ユニークなのは、トランセンド法がこの三角形を超えた[5]の地点を解決とする点に
―
―
ある。「2者の目標を乗り越えた新たな
A2 G2
[2] A2の勝ち
造的な解決法」と伊藤氏はこの地点を
[5]超越
説明する(20)
。つまり、双方が従来抱き
相容れなかった目標を照らし合わせつつ、
[4]妥協
両者が共有できる目標を新たな着地点と
して
り出すことが和解につながると
[3]撤退
えるわけだ。Either/or ではなく both/
A1,G1
[1] A1の勝ち
and、あ る い は win-win の 関 係 を 目 指
図
す点に、トランセンド法の魅力がある。
5つの解決法
(
『ガルトゥング平和学入門』p.20)
対立を超えた着地点を探すにあたり、
争ワーカー、または平和ワーカーと呼ばれる第三者の調停・仲介者を養成する活動も、実
践的で興味深い。
もうひとつ特徴的なのは、問題解決の当事者を直接対立する二者に限定せず、両者の周
囲で直接間接に利害関係をもつ他の存在も広く当事者として巻き込むことを、トランセン
ド法は重視する。思えば、
断支配に満ちた構造的・文化的暴力という社会システムに、
外部はない。また、温暖化をあげるまでもなく、世界はますます小さくなっている。自
の利益のみを競い合う競争主義や効率至上主義、傍観者的「お客さん意識」など、資本主
義イデオロギーが自明視する姿勢に代わり、見えづらい他者との「つながり」や相互依存
性に目覚めた、地球市民としての当事者意識が、平和学には欠かせないという。
そして最後に、トランセンド法の成否を握るカギとして、
「対話」が重視されている点
も強調しておきたい。トランセンド法を身につけた調停者は、当事者と向き合うときに対
話を大事にし、個人の場合もまた、内なるコンフリクト=
藤に向き合うときに「自己と
の対話」が不可欠だとガルトゥングは説く。対話をトランセンド法がどのように意味づ
け、和解の過程に位置づけるのか。先述の奥本京子氏は次のように述べる。
ガルトゥングは、 争の転換の過程において、対話を重視している。撤退のための言い
逃れではなく、一部の当事者が勝利するための審判でもなく、妥協のための
渉でもな
く、超越のための対話である。対立から逃げたり、相手を決めつけたり、言葉の操作で
相手を丸め込んだり、というのとは違う。対話は、討論とは違う。相手を論破すること
が目的ではない。対話はまた、会話でもない。ただの「おしゃべり」とは違うのだ。互
いの価値観の差異に気づき、差異を認識した上でそれを乗り越え、相互に関わっていく
ことで、さらに新しい価値を
造することこそが、対話というものであると
える。
(178-179)
対等で信頼できる関係のなかで心を開き、他の誰ともことなる相手の固有性に寄り添いな
がら、まずはそこから発せられる声に耳を傾けることで、表面的な要求と背後にある独自
―
―
の文脈、つまり本心とを聴き取る。そうやって双方の目標に生じる矛盾や対立を尊重しつ
つ、その差異を逆にバネとして、両者が協力し補完し合って目指せるような新たな目標を
り出す。そうすれば対立を乗り越えた両者は、単なる棲み
け的な共生に留まらず、一
段高い目標をともに実現するパートナー同士という、いわば「共
」関係へとコンフリク
トを転換できる。
あとで詳述するが、トランセンド法の対話は、ただ感情移入的な同一化によって相手の
肩を持つ「同情(シンパシー)」ではなく、差異を生む相手の他者性を想像し丸ごと受け入
れる「共感(エンパシー)」を基礎とする。対立を怖れずに本心をさらけ出すなかで、双方
が共有できる新たな価値観を発見するための、もっとも深く
造的なコミュニケーション
の形が、対話なのだ。
Ⅴ
ホーポノポノ:トランセンド法と「対話」
共感的な対話による和解の例として、トランセンド法はひとつ興味深い実例を挙げてい
る。ハワイや南太平洋の島々に今も残り「ホーポノポノ」と呼ばれる伝統的な和解のシス
テムである。トランセンド法をカウンセリングに生かし成果を挙げる、井上孝代氏による
紹介を通じて「ホーポノポノ」の意義を
えながら、広く対話一般についての議論を補足
的に整理しておこう。そうすることによって、構造的・文化的暴力が生む
断支配の悪循
環を断つためには、対話こそ今すぐにでも身につけるべき必須の技術であることを明らか
にしたい。
井上氏は言う、ホーポノポノは「地域で好ましくないことが起こったときに、対立し壊
れてしまった人間関係を立て直す…究極的な和解のシステム」(34)である、と。加害者
と被害者のみならず、家族や友人や近所の人々、学
や職場の関係者などが一堂に集ま
り、長老の立ち合いの下で時間をかけて全員が対話を重ねる。西欧式の裁判とちがい、関
係するすべての人が当事者になる点が肝要だ。たとえば小学生の A 君が B 君のお金を盗
んだ場合、一同集合の下でまず真実の追究がなされるのは、西欧式と同じだが、そのあと
が全くことなる。
次の段階では、加害者と被害者の親を含め集まった人々が、A 君がしたことについ
て、自 たちにどういう責任があったのかを、それぞれ話していく。A 君の母親が「家
のことにかまけて A をいつも一人ぼっちにさせていた」と責任を認めると、今度は A
君の
親が「最近夫婦ゲンカが絶えず、子どもに悪い影響を与えていたと思う」と反省
する。同じように A 君の友人が「実は学
で A をいじめたことがある」と告白し、担
任の教師は「いじめに気がつかなかった」ことを反省する。(35)(傍点筆者)
すると被害者の B 君も「
しい A 君をからかったことがある」
、B 君の母親も「子どもに
―
―
何でも買い与えすぎた」
、近所の人々も「もっと子どもたちの様子に目配りすべきだった」
などと、参加者全員の行為の
つながり> を認め合う。A 君だけに罪を着せず、みなが
「しなかった、できなかった」自
とを起こさないためには、自
で、各自が自
いを自
の責任を
括する。
「そして次の段階。今後こうしたこ
たちが何をすべきかを一人一人に聞いていく」
(36)なか
の改善点を提案。A 君は B 君だけでなく全員に謝罪し、できる範囲での償
から申し出る。
最後に「何が起こったのか」という事実、そして「今後、みんなが何をしていこうと
約束したのか」を、それぞれ別の紙に書き、長老がその約束を一同の前で読み上げ、そ
して事実が書いてある紙のほうだけを燃やしてしまうのである。
西欧的な制度の下では、裁判記録も罪を犯した証拠も厳重に保管される。燃やしてし
まうなどということはありえない。ではなぜ彼らは罪の記録を燃やしてしまうのだろう
か。これは、紙に写した人間の業を燃やすことによって過去の清算をし、コミュニティ
のなかで再出発するという和解の儀式だからである。(36−37)
井上氏によれば、加害者は自
一人が責められるのではなく、
「自
の気落ちを周囲の
人々が理解しようと努力してくれたことに救いを感じ」
(37)
、初めて心から謝罪の気持ち
が湧く。また、過去を「水に流して」忘れようとする日本の伝統的和解が結果的に現状維
持に向かうのに対し、ホーポノポノの「周囲の人々と一緒に事実を見つめ、…未来を
え
ましょう」(37)という未来志向には、問題を個人のせいに留めず、集団の課題として受け
とめ、今後へ向けてみんなで現状を改善しようとする姿勢がある。このような共感を大切
にする深い対話によってこそ、謝罪とその受容、そして改革に向けた当事者意識がメン
バー全員のなかに芽生える。こうしてコンフリクトは改革の方向性を決めるバネへと転換
され、全員が満足する新しい解決法がみんなの目標として未来に設定される。トランセン
ド法が唱える対話を、コミュニティの次元で、ホーポノポノは見事に実践していたことに
なる。
ホーポノポノに見られる対話は、直接責任と間接責任の区別をあまり問わない。狭い意
味での当事者間だけの問題でなく、他の人々のあいだでも起きうるような、全員が取り組
むべき構造の問題として、コンフリクトを捉えようとする。この姿勢は、
断支配を乗り
越えるための重要な示唆を与えてくれる。本当に向き合う敵は目の前にいる人物ではな
く、「大きな枠組み」にこそ歪みがあることに、参加者全員が思い至れるのだから。この
とき人々は、資本主義下の競争意識や消費社会における傍観者意識を超え、社会の歪みか
ら目をそらさない当事者、つまり市民としての自
に初めて目覚めると言っていいだろ
う。批 判 精 神の涵養、これがホーポノポノにおける対話法の魅力といえる。
事大主義的な「お上」の意識が根強く、同化を相手に迫りがちな「会話」しか持たない
日本人に向けて、トランセンド法以外の場からも、相手との差異、相手の他者性を前提と
―
―
する対話の重要性を力説する論客は少なくない。ここでは中島義道(
『 対話> のない社
会』)と平田オリザ(
『対話のレッスン』
)両氏の著書を参
に、一般的に対話とは何か、
まとめておこう。日本社会における他者の不在を憂う中島氏に対し、平田氏は日本語にお
ける他者の不在から議論を始める。力点のちがいはあるが、対話とは何か、どうして必要
なのかという点では、両者の意見はほぼ一致しているし、二人とも、個の多様な声を圧殺
する日本の風潮が民主主義社会を滅ぼす、という危機意識を共有する。平田氏は言う、通
常の会話や勝ち負けをはっきりさせる討 論 とことなり、対話は他者に向き合う姿勢とし
て、以下のような特徴をもつ。
だが、「対話」は、中島氏も指摘している通り、自
の価値観と、相手の価値観をすり
合わせることによって、新しい第三の価値観とでもいうべきものを
標としている。だから、対話においては、自
り上げることを目
の価値観が変わっていくことを潔しと
し、さらにはその変化に喜びさえも見いだせなければならない。相手の意見に合わせる
のでもなく、自 の意見を押し通すのでもない。新しい価値
造の形が、いま必要とさ
れているのだ。
(155)
両氏の説く対話が、対立や矛盾を新たな目標・和解点へと転換するトランセンド法におけ
る対話と軌を一にすることは、この一節からも明らかだろう。そして、対話力を発揮する
社会がどのようなものとなるのか、平田氏は続ける。
*弱者の声を押しつぶすのではなく、耳を澄まして忍耐強くその声を聞く社会
*漠然とした「空気」に支配されて徹底的に責任を回避する社会ではなく、あくまで自
己決定をし自己責任をとる社会
*相手に勝とうとして言葉を駆
するのではなく、真実を知ろうとして言葉を駆
する
社会
* おもいやり」とか「優しさ」という美名のもとに相手を傷つけないように配慮して
言葉をグイと呑み込む社会ではなく、言葉を尽くして相手と対立し最終的には潔く責
任を引き受ける社会
*対立を避けるのではなく、何よりも対立を大切にしそこから新しい発展を求めてゆく
社会
*他者を消し去るのではなく、他者の異質性を尊重する社会
(157)
これをたんなるユートピアとして片づける人は、個ではなく社会的強者が一方的に幸福の
形を決めてきた日本社会の病理に、それだけどっぷり浸かってきたことになる。ガルトゥ
ングならこう言うだろう、ここに記されている社会こそ、人々を
断支配に甘んじさせる
構造的・文化的暴力が構造的・文化的平和に転換された姿だ、と。たんに戦争がない消極
―
―
的平和でなく、持続可能な積極的平和は、文化と社会がこのような方向に向かう先に初め
て達成されると彼は説く。そのために絶対欠かせないのが、ほかならぬ対話力だとする点
で、中島・平田両氏とガルトゥングは一致している。
また、コンフリクトを個人の
藤とも
えるトランセンド法は、
「自己との対話」つま
り内なる他者とのあいだでも対話できる能力を重視していた。アーレントが「内的対話」
と呼ぶ、内なる複数の声、複数の価値観に対話させる思
よってこれまでの思
力は、現実の他者との対話に
習慣が動揺するときにはじめて磨かれると、齋藤純一氏は『
性』のなかで説く(26)。職業や役割や行為内容など「何」(what)の部
共
だけでわかった風
に語られがちな相手と向き合いながら、そういった属 性におさまらない「誰」(who)とい
う唯一無二の異質性が相手に顕れるとき、そこに望むべき
共性の本質をアーレントは見
てとった(39−45)
。構造的・文化的暴力のなかに対話空間を切り拓くことこそが、真の
共性に自覚的な「市民」が生成され、 断支配に風 を開けることにつながる。
対話文化の定着度において、日本がまだまだ途上国である点は、中島・平田各氏以外に
も、マサオ・ミヨシ氏の次のような一節からも明らかだ。戦後渡米し英文学者として第一
線で活躍しつつ、ベトナム反戦運動以来サイードやチョムスキーと肩を並べてアクティ
ヴィズムに身を投じ、タコツボ化し保守化・右傾化する米国アカデミズムに抵抗し続ける
知識人は、
「日本は面白くない」と断言し、次のように続ける。
いったい日本に欠如しているものは何なのか。…それは「対話」です。いかなる真面目
な議論もない。多くの者たちがそれに気づき、対話を持ちたいと欲してはいますが、実
際には何もない。本当に言いたいことを言える場所がありません。…例えば、読まれる
こともなく、批判されることもない、それ故に見捨てられている知識人の著述家や作家
たちです。また主婦は全く孤立しています。主婦だけでなく、女性は全般的に真剣に受
け取られていません。学生もです。議論、会話、討論に真剣に関わっている人の数を数
え始めてみるとわかります。…いわゆる「メディア」で活躍する
ちもやはり非 常 に
共の作家や批評家た
断 さ れ、お 互 い を 誉 め 合 う か、け な し 合 う 仲 間 同 士 で 固 まって い
る。…それは本当に固まった社会なのです。
(287)(傍点筆者)
耳が痛い指摘をはっきりと打ち出せるのは、家
長制やムラ社会ぶりを根強くとどめる日
本の内部と外部の両方を知り尽くした氏ならではといえる。
断され、仲間同士で固まる」ことにより、なるほど保身は図られるかもしれない。
だがそれと引き換えに、集団内のルールや価値基準、そして集団内の権力構造に状況功利
的に同化・適応するあまり、そうやって人々をバラバラのタコツボに閉じこもらせ、外部
の世界に向ける目を曇らせることが、構造的・文化的暴力という大きな枠組みを温存する
ことにつながってしまう。「忙しい日々に追われるばかりで、自
というあきらめも、せめてその思いを深く
―
一人では何もできない」
かち合う対話の場がありさえすれば、自
―
一
人ではなく、多くの人が同じ思いを抱くことの意味、つまり問題は個人ではなく構造の側
にあることに気づいてゆくのかもしれない。
そういえば、日本人の集団主義を文化や伝統を持ち出し居直り的に説明する、これまで
の「心過剰の文化理解」(210)が本質主義の誤
であることを明示し、集団主義を社 会 的
な環境への適応の問題として論じなおすことに成功したのが、山岸俊男氏の『安心社会か
ら信頼社会へ』だった。「安心」と「信頼」を峻別し、社会心理学の方法で氏が論証した
通り、ネオリベラルな競争原理によって日本の集団主義的「安心社会」が解体し、社会的
不確実性がますます高まるなか、集団内の人間関係のみに同化適応し安心を得て、反面で
集団外の未知の人々に対する不信と無関心を募らせる「社会的びくびく人間」(182)に代
わる、新しいコミュニケーション力=社会的知性の養成が急務となっている。それは、不
確実性の闇を自在に照らす「ヘッドライト型知性」(202)と氏が呼ぶ他者の人間性把握力
であり、これが、未知の相手への信頼と共感に基づく対話の習慣によって培われる力であ
ることは、もはや多言を要しないだろう。「自由競争の資本主義社会でさえ差別が存在す
るのではなく、自由競争の資本主義社会だからこそ(それに人々が適応した結果として女
性蔑視をはじめとする)差別が存在する」(219)と
破する氏も、個人の心にではなく、
構造の側にこそ存在する歪みが、それに適応する人々の批判精神を麻痺させると説く。も
はや戻れない日本型「安心社会」にしがみつくのではなく、ヘッドライト型知性が切り拓
く、他者へ開かれた「信頼社会」へ向かうためにも、対話力養成は不可欠といえる。
Ⅵ
三つの場所の市民活動:「対話」に基づくトランセンド法の視点から
さて、ここまでの議論をまとめておく。まず、米墨国境地帯、沖縄、バングラデッシュ
のそれぞれで、現代世界が抱える
断支配に満ちた構造的・文化的暴力を具体的に跡づけ
た。次にガルトゥングの平和学が提唱するトランセンド法に触れ、対話を重視する和解の
重要性と方法論を紹介した。そして数人の論客の意見を手がかりにし、これからの日本を
担う若者にとっても、対話力が最重要課題であることを明らかにした。
最後に、トランセンド法を意識しているとは限らないが、
断支配に抵抗するため実質
的にこれを実践していると思われる試みを、三つの場所でぼくが知った市民運動から探っ
てみたい。既存の学問とちがい、平和学が実践を伴うアクティヴィズムの学である以上、
ローカルな現場に即し具体的な事例にあたることで、初めてその意義も明らかになるにち
がいない。
2006年春、メキシコと国境を接する南 西 部 諸州で、不法労働者を含む多くのチカーノや
ラティーノたちが大規模な抗議運動を展開した。密入国者取締り強化を狙うブッシュ政権
の推し進める移民法改正案に、反対を表明することが主な狙いだった。そこではまた、イ
ラク戦争反対のプラカードも多く見られた。カリフォルニア州の提案187や227など、不法
移民を追い込むような空気が90年代から9・11を経てますます広がっていたにもかかわら
―
―
ず、そしてこのような保守化の流れにくみする人々のなかには中流のチカーノも含まれて
いたにもかかわらず、である。リオグランデ高
に見たような不法移民をめぐる意識の亀
裂など、ものともしないような団結ぶりが、今回の抗議運動には見られた。その甲
もあ
り今年の6月、移民法改正案は廃案に追い込まれた。そして、ベトナム化するイラク戦争
も、ますます支持を失いつつある。
不法労働者とチカーノ・ラティーノの連帯を支えたのは、全米規模で広がる市民活動家
の ネット ワーク だった。Ⅱ 章 で 紹 介 し た マ ル ティネ ス 氏 も そ ん な 一 人。在 外 研 究
(2003-4)の1年間、ぼくは彼女と出会い多くを学んだ。「
断支配」という観点をこの論
で用いたのも、彼女に負うところが大きい。チカーノ研究の古典『チカーノの歴
年をたどる』の著者であり、60年代ニューレフトの活動からその後のチカーノ
動、移民問題、マイノリティの直面する教育・社会問題などについて鋭い
500
民権運
析と民衆の進
むべき方向性を示し、2006年米国内におけるノーベル平和賞候補の一人にも選ばれたチ
カーナ・フェミニスト。彼女の声に耳を傾けることで、
断された人々がどのような過程
を経て和解し、団結して2006年春の移民法改正に対する抗議運動を成功させたのか、その
一端を垣間見ることができる。
しさから脱け出られないからといって、自
を責めるのはやめなさい。また、自
だけ勝ち組になろうとして“腐った弱者”になるのもおやめなさい。これらはどちらも植
民地的心性を刷り込まれた結果なのだから。あなたと同じように
困と闘っているすべて
の隣人たちに目を向け、連帯し、社会的不正義を正す運動に関わりましょう。
」彼女の
エッセイ集『
“有色”、それは私たちみんなのこと』(De Colores Means All of Us)は、こ
んなメッセージを送ることで、チカーノ・ラティーノはもとより、米国内の多数派になり
つつあるすべての有色の人々に社会改革へ向けた連帯を訴える。家
内暴力からスラム街
の不良グループ間の抗争、マイノリティ同士のヘイト・クライムから「アイデンティティ
の政治」にゆれる大学のエスニック・スタディーズにいたるまで、同じ
困と闘っている
はずの人々が、人種・国籍・民族・ジェンダーやセクシュアリティにまつわる様々な強者
のイデオロギーを内面化することで
断され、自
の属する大小さまざまな集団レベルで
のナショナリズムによって、他集団に対する無関心と不信を
られるなかで、身近に誤っ
た敵を想定することが、いかに本当の大きな敵を見えなくさせてしまうものか。多くの事
例に一貫する
断支配の構造を、彼女は鮮やかに抉り出す。
だが、この本が読者を奮い立たせるのは、
断支配を乗り越え、より民主的な社会
出
に向けた共闘を呼びかける作家や活動家をケーススタディ的に紹介することで、弱者が
「腐敗」を克服する道も、同時に明らかにしている点にある。ガルトゥングの平和理論と
の接点も、ここにある。
リチャード・ムーア(R. Moore)氏は、その代表格だ。1970年代前後のチカーノ
民権運
動に身を投じた後、民族単位のナショナリズムに限界を感じた彼は、80∼90年代にかけて
アルバカーキを拠点に黒人、ラティーノ、先住民、アジア系を含む多民族を巻き込み、多
―
―
くの女性活動家からなる SWOP(Southwest Organizing Project)と SNEEJ(Southwest
Network for Environmental and Economic Justice)という二つの NGO を組織。いち早く
地域コミュニティに根ざした草の根レベルの 環
境
正
義 運動を展開。さらには国
境地帯における劣悪な労働環境や性差別を告発するなど、活発な人権活動を推し進めてき
た。米国の内なる植民地だった南 西 部のローカルな声を、中南米やアジア・アフリカなど
の元植民地が直面するネオ・リベラルなグローバル化の問題へと接合することで、コロニ
アルな支配を脱却するための連帯のネットワークを世界中に広げつつある、まさにグロー
カルな活動家である。
“We may be poor people, but were professional poor people!”
(115)という彼のモットーを引きながら、
困を怖れずに広く他者と共有し、民族や性差
を超えた仲間たちと生き抜いてきた人々の、大らかでたくましいユーモアと包容力を、マ
ルティネス氏はほめたたえる。
ではムーア氏の市民団体は、
断支配をどのように克服してきたのだろうか。少し文学
的すぎるかもしれないが、一年間アルバカーキで彼の活動に接した者として一言で言うな
らば、南 西 部の「地霊」に彼は訴えたのではないかと、ぼくは
える。国境線が引かれる
はるか前からこの土地で暮らしてきたプエブロ諸族やナバホの先住民たちの、土地に寄せ
る聖性の感覚は、中米先住民の末裔であり、同じ農牧業を営んできたチカーノの民にもな
じみやすい。両者は土地をめぐり争ったことも過去にあったが、どちらも大半の土地を白
人経営者に奪われていまに至っている。自
たちの生命を養う母なる大地が、白人のビジ
ネスや IT 企業、核をはじめとする軍事産業によって支配され、とくに危険物質を大量に
含む産廃物が自
たちの住む
しい地域を選んで捨てられる。ムーア氏は先住民に問題を
訴え、土地への愛着と権利を彼らに思い出させることで、環境差別の是正をめぐる政治運
動へと巻き込むことに成功する。さらに近隣の黒人やアジア系もそこに加わった。
「同じ
土地の精緻な生態系のバランスによって、自
たちはともに生かされてある」という深い
精 神 性が、アイデンティティの政治を超え、生存権をともに闘い取るための連帯をもた
らした。環境正義という大きな目標の
出は、民族や性差の壁を越えて、地縁が取り持つ
運命共同体の意識を、人々のあいだに培う。
断支配を克服するモデルを、マルティネス
はムーア氏の成功に見ている。
もう一つ、
に、学
断支配に対処する大事な市民活動として、コミュニティに生きる青少年
では教えない別の知を提供する教育活動に、ムーア氏や著者自身が従事している
点も忘れてはならない。バリオやゲットーで犯罪予備軍扱いされながら育つ子どもたち
は、そんな風に自 たちを落ちこぼれ扱いする白人主流の視線を内面化するため、
失業に怯えて暮らす自
困と
やコミュニティ全体に対し、強い自己否定の感情にとらわれやす
い。それを受け入れられず虚勢を張ろうとするとき、強さを装う不良グループやギャング
が何とも魅力的に映るわけだ。食うか食われるかの権力闘争を繰り広げるギャング抗争
に、悪しき 断支配の典型を見るムーア氏と著者は、そんな若者を集めてワークショップ
を開き、ホーポノポノさながらの対話を試みる。
「敵対し合う集団同士は、いかに同じよ
―
―
うな経験と生活感情をじつは抱いているかが、見えづらくなっている。その点をたがいに
わかり合うこと」が大事だとし、一例として敵対し合うチカーノ・ギャングと黒人ギャン
グの事例をあげ、
「国境警備隊がチカーノや出稼ぎ労働者に暴力を振るうことと、警察が
スラム街の黒人青少年に振るう暴力とは、じつは根が同じであること」(244)に双方が気
づくような対話が大事だと説く。弱者たちを対立させ、犯罪予備軍扱いしたり、真っ先に
イラク戦争の最前線に捨て駒として送ることで、抑圧と管理を強化する国家権力の構造的
暴力。弱者を腐敗させるこの「大きな敵」の存在に気づき、それに対する抵抗という共通
の目標を立てることが、対立から和解へ向けて連帯する姿勢を双方に芽生えさせる。こう
して、まさにトランセンド法を思わせる和解法を市民活動家たちが地道に続けることが、
2006年春の移民法改正反対の大規模な運動となって実を結んだ。
マルティネス氏はいう、「有色マイノリティのコミュニティに人種差別と
困が広がる
なか、それに対抗すべきニューレフトの活動が停滞するとき、そんなときに決まって狭量
な(エスニック)ナショナリズムがあだ花を咲かせる」(244)と。レーガン政権以降、市
場原理主義が経済的二極化を進めるなか、
困層の増加は人種や民族上の差別的言説に
よって正当化されがちだった。白人メディアが節操なく広めるステレオタイプをマイノリ
ティ同士までもがぶつけ合い、経済政策によって小さくされたパイを、弱者同士が奪い
合ってはさらなる弱者を生み出すという
断的構造は、自民族の被害者性のみを強調する
“Oppression Olympic”(抑圧度の競い合い)を前景化する民族単位のナショナリズムが
る対立関係の背後で、見えなくされてしまうわけだ。それに対しマルティネス氏は、こう
して民族単位で
断されたマイノリティのコミュニティ間を横断するように、階級という
古くて新しい補助線をふたたび引き直し、資本による同じ搾取と抑圧を共有するブルーカ
ラーたちの、国籍や民族を超えた連帯を呼びかける。その意味で彼女は、「帝国」を転覆
させるオルタナティブを世界中の労働者「マルティチュード」の運動に見てとったネグリ
&ハートを先取りしていた。
このように『“有色”
、それは私たちみんなのこと』は、白>有色、豊>
、男>女、自
集団>他集団といったように、二項対立を立て、前者の優位を捏造するために後者を劣位
におく西欧的二元論が広めたカテゴリー思
に、帝国主義と対抗言説であるナショナリズ
ムの両方を位置づけ、一見対立しながらもじつは共犯的に
断支配を広める両者の有害性
を明らかにする。そして、
「階層秩序 のかわりに、私たちが必要なのは橋だ。対立してき
た双方の目標が合致するための場、それが橋なのだ」
(184)と説き、序列化され
た人々を共通の目標へ向けて繫ぎなおす
断され
橋> の役割、つまりトランセンド法で言う調停
者の役割を、有色の知識人や活動家が担うべきだと説く。
さて、トランセンド法が重視する対話力は、同情でなく共感する姿勢に基づいていた。
だが、
断され対立してきた当事者たちは、どのようにして序列化を迫る二項対立的カテ
ゴリー思 を脱し、たがいに共感を寄せられるのだろうか。大切なヒントを、マルティネ
ス氏の呼びかけに答えて市民活動に従事するチカーナ・ラティーナの女性作家は与えてく
―
―
れる。詩や小説、エッセイといったジャンルを問わず、彼女たちの作品に一貫する特徴と
して、自己の視点と他者の視点を双方向的に往還する複眼思
がじつに多く見られる。こ
れは、サイードが『知識人とは何か』の中で、ポストコロニアル時代に生きる知識人の持
つべき資質として説いた「二重化された思
」(97)とも通底する。たとえば、テキサス
国境地帯に生きるチカーナをテーマとする、次のようなモラ(P. Mora)の詩を引こう。
微笑みのかたち(
“Sonrisas”)
私は戸口に住まう
向かい合うふたつの部屋のあいだ 聞こえてくる
カチャカチャというかすかな物音 ブラックコーヒーの
入ったカップが立てる音
カチャ、カチャ
まるでファイルに納まった事例のように
年度予算とか、教師の終身在職権とか、カリキュラムとか
音の主はスキのない女性たち ベージュのパリッとした
スーツ姿 チラッと口元をかすめるベージュ色の笑み
だが目が笑うことはめったにない
私は鍵 から覗き込む
もう片方の部屋にたたずむ女たちを
色の褪せたドレスに身をつつみ、スプーンでかき混ぜる甘い
ミルクコーヒー 陽気な笑い声が渦を巻き
ほかほかのタマレから湯気がのぼる
シィー、ホラホラ、ハシタナイワヨ」
たがいにたしなめ合うと
引き締まる口元 でも、笑みを
!
まだ湛える、メキシコ女たちの黒い瞳 ( Floricanto Sı!, 165)
北」か「南」か、二者択一を迫る権力の声に対し、混血性をプラスの力に転換するチ
カーナ詩人は、北でも南でもない「戸口」という、はざま= 境 域をあえて住まいとする
ことで、双方の視点を往還し相互に参照させる第三の視点を獲得する。そこから見た「微
笑み」の力において、
「南の女」は「北の女」を凌駕するばかりか、男社会が強要する
「女らしさ」の枠組みさえも内側から突き崩すほどの潜勢力に満ちている。
断され一方
の見方しかできなくなった弱者は、この融通無碍の笑みをたたえる「黒い瞳」の眼差しに
よって、自 の偏向ぶりに初めて気づく。さしずめ、中流入りを目論み、白人主流という
強者の価値観に同化されたメキシコ系アメリカ人なら、この詩を読んでハッとわれに帰る
ことだろう。「南」から「北」を眼差す逆方向の視点によって、自明視していた「南」の
ステレオタイプが異化される。強いと思い込んでいた者は、弱いとされた側に寄り添い、
―
―
その目線で世界を見直すことで、弱さのなかにある強さを共感的に知り、また逆に、弱い
と思い込まされていた者は、強いとされた側に立ち、その目線で世界を見ることで、強さ
のなかにある脆弱さを共感をもって知る。弱者を
断する境界線が思
の双方向的往還に
よって押し広げられ、ゾーン化された境 域に対話空間が生まれる。そこは、それぞれの
弱さと、弱さを生き抜いた強さが、相互参照的に共感をもって
かち合われる場、つまり
マルティネス氏の説く「橋」にほかならない。序列化され固定された二項の対立は、この
ような双方向的複眼思 のもたらす相互参照に満ちた対話を通じ、見直される。
複眼思 を駆
する共感的な対話は、苦しみや弱さの
有によって、たがいの相違点だ
けでなく、共通点をも気づかせてくれる。これは、西洋の白人男性中心主義が覇権維持の
ために利用し尽くした「普遍性」という言葉に代わり、ミヨシ氏が「一般的」という言葉
によって重視しようとした価値にほかならない。
一般的」という言葉を
う時、それが個人的に特殊なものでなく、一般に通ずるとい
うことです。…つまり第三世界対第一世界の関係を一般という言葉で表わそうとしたの
です。
「一般的」は特殊の個別性を否定することなく、それぞれの特殊は個別のもので、
他 の い ず れ と も 異 なって い な が ら、し か も 全 部 に 繫 がって い る と い う こ と で す。
(199-200)(傍点筆者)
南北問題やグローバル化、そして地球温暖化、これらは現代世界のあらゆる問題が、ミク
ロからマクロまで直接間接を問わず「繫がっている」ことを雄弁に物語る。有色のマイノ
リティ同士が、負の烙印を押された弱さや
しさを自己の悪として怖れ、虚勢を張ること
で否認し抑圧するのではなく、共感的に視点を往還させる対話を通じ、弱者化された経験
をたがいに解き放ち かち合うなかで、苦しみが自
たちだけの責任ではなく、じつは社
会構造の欠陥に由来していたことを確認し合う。こうして対話が明らかにする双方の相違
点と共通点は、個人や集団の特殊性を失うことなく、
「一般的」な国際社会の「繫がり」
のなかに位置づけなおされる。ちょうど国家権力という共通の敵に繫がれていることに気
づいたチカーノと黒人のように、対話が拓く境 域 =橋の上で、双方の危機が、同じグ
ローバリズムという「一般的」な問題から派生する異なったあらわれとして有機的に結び
つけられるとき、ともに取り組むべき大きな課題が初めて見えてくる。双方向的な複眼思
が生む共感に満ちた対話こそ、無知と不信をぶつけ合ってきた有色コミュニティ間に新
たな連帯を実現するための方法なのだ。
さて、辺野古闘争の動向をリポートする平良夏芽氏の記事が、2007年夏フォトジャーナ
リズムの月刊誌『Days Japan』
(2007年9月号)に掲載された。これを読むと、ここまで
トランセンド法を介して述べてきた米墨国境地帯におけるアクティヴィズムと同じ姿勢
を、平良氏もまた大切にしていることがわかる。
平良氏は「反対派ダイバーへの危険な暴力」と題された記事で、基地
―
―
設の事前調査を
するために 覇防衛施設局が辺野古沖に派遣した潜水作業ダイバーによって、海底の資材
にしがみついて作業を阻止しようとする平良氏本人のエアータンクのバルブを閉められ、
あやうく殺されかけた事件を報告。だが記事の狙いは、一線を越えた作業ダイバーの暴力
を告発することではない。そうではなく、「危険性を十
承知である作業ダイバーに、そ
こまでさせてしまった施設局」と背後の日米国家権力が、いかに巧妙に国民を加害者と被
害者に
断し、双方の対立を前景化するなかに身を隠して保身を図ろうとするか、それを
氏は暴き出す。
施設局は現場に隣接する米軍基地内にプレハブを設置し、作業を監視している。作業員
が反対派に躊躇したり、反対派と話し合おうと
を近づけたりすると電話で禁じる。現
場の動向を詳細に把握し、管理し、圧力をかけながら、事故が生じると「現場に居な
かったので知らない」「そのような事実はない」と逃げるのである。現場責任者を置か
ず、作業員たちにノルマという圧力だけをかけ続けるのだ。(8)
フーコーが指摘した通り、権力は一望監視システムに身を隠し、人々を競合関係に引き裂
き対立させることで弱体化を目論む。自
を殺そうとした作業ダイバーに、
断され操ら
れ、権力の捨て駒とされた同じ弱者の姿を見てとった平良氏は、作業員に驚くべき呼びか
けをする。
最大の犠牲者は、暴力をふるわれ続けている反対派の人々ではない。殴られた傷は
る。しかし、人を傷つけた心の傷は簡単に
で高
え
えるものではない。以前、平和教育の授業
生たちに米兵について語ったことがある。「兵士が1人の人を撃ち殺した時に、
2人の人が死ぬ。銃で撃たれた人と、引き金を引いた兵士自身である。人は人を殺した
瞬間に魂が砕け散るのである」
作業員たちの魂を守らなければならない。…「僕はあなたのことが好きになってし
まった。だから人殺しの手伝いをさせるわけにはいかないよ。あなたのためにも、基地
設を止めるよ」と。
同じ志の者、仲間の安否を問うだけでは平和を
す る 立 場 の 人 々 の こ と を も 配 慮 し て こ そ、平 和 を
り出していくことはできない。対立
る 作 業 だ と い え る。辺野古は「阻
止」に留まらないと決意している。阻止は問題の対処でしかない。平和を
るという、
より積極的な目標を掲げ、仲間たちは今日も海に出て行く。(8)(傍点筆者)
ここで平良氏は反対派のリーダーでありながら、同時にトランセンド法の調停者の役をも
買って出る。作業員側の立場に寄り添い、辺野古案というローカルな問題を、暴走する米
国のグローバル戦略との「繫がり」のなかに位置づけなおし、このままでは作業員が人殺
しに手を貸す「砕け散った魂」の持ち主になってしまうことを気づかう。
「汝の敵を愛す
―
―
る」牧師の、命の傷つきやすさに対する共感に満ちた複眼思
は、基地
設の是非をめぐ
る対立を超えて、
「イラクの子どもを殺さない」ような平和
出という、大きな目標へ向
けた新たな連帯のために、作業員一人一人に対話を呼びかける。ガンジーからキング牧師
へと連なる非暴力不服従を辺野古闘争の中核に据え、それをユーモラスに「女方式」と呼
ぶ平良氏は、強者の暴力に暴力で対抗する弱者の虚勢が、さらなる弱者間の
裂しか生み
出さないことを、経験から痛いほど学んだと、ぼくたちにも話してくれた。虚勢を張り合
う弱者同士を対話の席につかせ、複眼思
しさを解き放ち
が生む共感をバネに、強さではなくたがいの苦
かち合う。弱さを怖れず、その
有によってこそ、強者に好都合な
支配の社会構造に気づくことができる。ここには、弱肉強食という強者の論理で
断
断され
た有色マイノリティに新たな連帯を呼びかけるマルティネス氏たちと同じ姿勢が、つまり
対話を中心としたトランセンド法の実践がある。先述の堤氏も言う、
「長い歴
の中、変
化を起こしてきた偉大な革命家たちはいつだって弱者だった」(236)と。
辺野古闘争の行方は予断を許さない。しかし、琉球処
や米国支配などを通じ、二級市
民として日米両ナショナリズムの周縁で弱者を生き抜いてきた人々にとり、当事者意識に
基づいたアクティヴィズムの伝統は、消費者や傍観者の意識がはびこるヤマトと比べる
と、まだまだ強固にある。集団自決に日本軍は関与しなかったとする教科書検定意見の撤
回を求めるこの夏の抗議行動の盛り上がりは、このことを如実に物語っている。基地か
困かという二者択一が強者の洗脳する虚妄でしかなく、基地も開発も沖縄の真の自立を遠
ざけるだけだとする
島泰勝氏は、地域経済学の立場から、琉球(沖縄諸島と宮古・八重
山諸島)の人々全員が対等な関係で地域社会の運営に直接参加する「自治」構想を呼びか
ける。
琉球の人々は数百年にわたって「自治」を営んできた。その営みは風土と歴
に根ざし
た、現実的なものだったのだ。琉球では、サンゴ礁を含む島の自然が人の生存を保障
し、「ゆいまーる」とよばれる相互扶助の暮らし方、そして島独自の信仰や祭りが生活
を安定化してきた。
(
『朝日新聞』2007年9月8日付)
この豊かな自然と文化が育んだ共同体意識を、単なる観光商品でなく、住民みずからが新
たな集合的ライフスタイルとして現代に蘇らせ、振興開発に頼らず地産地消を基礎とする
経済と組み合わせ、住民の参加と合意形成によって地域を動かしていけば、
「たとえ所得
が少なくても
困を感じることなく生活することができよう」と氏は説く。
困をばらま
く「上からのグローバル化」に抵抗するムーア氏たち世界各地の NGO の活動を念頭にお
き、「
『自治』は世界の各地域が共有する希望」だと結ぶこの記事は、参加型民主主義を通
じた地域単位の自治が、国境を越え草の根レベルでゆるやかなネットワークを世界中に作
るというオルタナティブな「下からのグローバル化」の動きに、沖縄を「繫がらせる」試
みにほかならない。
―
―
暴力の温床である構造的・文化的暴力を解消し、消極的平和を積極的平和に転換するた
めには、ローカルで地道な実践を続けるしかない。しかし沖縄も米墨国境も決して孤立し
ているのではなく、リゾームのように世界各地に広がる地道な市民運動と確実につながっ
ている。
さて、Ⅱ章で見たように、
困者同士の競争と対立や家
内暴力など、バングラデシュ
における 断支配もまた、洪水などの自然的要因もさることながら、富の不
平な
配や
差別と抑圧など、むしろ社会不正を常態化する構造的暴力に起因する。植民地帝国主義の
時代から現在に至るまで、バングラデシュをはじめとする第三世界に蔓
するこのような
社会構造上の欠陥が、第三世界の資源と労働力を搾取し、飽食とエネルギーの浪費に明け
暮れてきた先進諸国によって一貫して生み出されてきたという認識に、すでに議論の余地
はない。
「南北問題」という地球規模の構造的な暴力システムに加担する加害者の位置に、
ぼくたち日本人も立たされている。このことを痛感させられたのが、ACEF のスタディツ
アーだった。
ここで、南北問題に対処する北側の対応を整理しておこう。北側の援助は、これまで様
々な軌道修正を迫られてきた。前掲の平和学入門書で「南北問題から人間開発へ」と題さ
れた章を担当する佐藤安信氏によると、経済成長本位の開発理念に基づいて行われた
ODA をはじめとする開発援助や世界銀行による構造調整は、近代進歩主義という北に好
都合なイデオロギーのもとに南の多様な価値観を抑圧するものでしかなく、企業や権力者
など一部の者に利するばかりで、かえって受入れ国側の経済格差や生活の質の低下を助長
し、資源の枯渇や環境問題を招いてきた(92-98)。
今後、弱者間の 断をもたらす構造的暴力を解消し、積極的平和を実現するには、三つ
の開発が必要不可欠となる。一つは、経済開発面での援助を、受入れ国側が「持続可能な
発展」を主体的に実現できるようなかたちに転換すること。二番目は、経済開発の方向転
換に加えて、富の
平な再
配を目指す「社会開発」
。そして三番目は、南の住人一人一
人の「人権」を伸長させ、個人の自立へ向けた潜在能力の向上を目指す「人間開発」であ
る。
前の二つ、「持続可能な発展」と「社会開発」の促進が、構造的暴力のない積極的平和
を る。さらにその土壌の上で「人間開発」が行われることによって、南北問題の平和的
な解決のかたちと現在目される「人間の安全保障」が達成される。人間の安全保障とは、
1994年に国連開発計画(UNDP)が、国家単位の安全保障に代わり、南の平和開発が向か
うべき今後の方向性として提案した概念で、個人を単位とした能力開発と人権の実現を通
じ、弱者が一人一人自立できる能力育成を主眼とする。日本政府も2003年に ODA 大綱を
改正し、平和構築を人間の安全保障の手段として積極的に位置づけた。国家単位よりも、
人間の安全保障を重視する姿勢は、内戦や地域
争が多い第三世界にあって、国家の安全
保障やこれまでの開発援助では踏み込めなかった、個人の安全を脅かす障害に対処する必
要性がますます増えてきているからにほかならない(98−108)
。
―
―
こうして南北問題への取り組み方を整理してみると、米墨国境地帯や沖縄の市民運動と
同じような、国家や企業の論理に縛られない国際 NGO(非政府組織)こそが、人間の安
全保障を南に実現するためのカギを握っていることがわかる。西欧白人物質文明に異議申
し立てをした60年代の対抗文化、反核を訴えフェミニズムや環境保護を唱えた80年代の
「新しい平和運動」など、草の根の市民運動に端を発し今日まで急成長するさまざまな国
際 NGO に共通する特徴を一言であげると、
「脱産業・脱物質・脱ブルジョア」を目指す、
広範囲な「価値観革命」であり、平和、環境保護、女性解放、人権保護などを目的として
国境を越えてゆるやかに連帯し、オルタナティブな国際社会の
造を実践する市民運動で
あると、児玉克哉氏は言う(257)。米墨国境地帯と沖縄に見た平和運動は、まさにこの惑
星規模で広がる市民運動の中にしっかりと位置づけられる。さらにはそんな国際 NGO の
ネットワークが、いま国連との結びつきを強めつつある。種々の世界会議への参加や国際
条約の締結に声を反映させる活動によって、
「国連が国家主権の枠組みから脱し、世界市
民のための連帯の場になりつつある。国際 NGO の活動により、大国主導の国連から、国
境を越えた市民の主導による国連に移行しつつある」という(237−238)。
このような国際 NGO の大きなうねりの中に、ACEF も位置づけられる。バングラデ
シュ本国の NGO、BDP(Basic Development Partners)と連携して各地に寺子屋を作り、
識字率の低い子どもに読み書きを教え、職業訓練を行なうなどの「人間開発」を通じ、こ
の最
国に生きる人々の安全保障を高める活動に従事する。年2回のスタディツアーは、
各地の寺子屋を訪問し、子どもたちや教師と
流したり、BDP スタッフの案内によって観
光ではなく市民の目線から、この国について学ぶことができる。
ぼくはこの旅を通じて、はからずも対話の大切さとむずかしさをあらためて思い知らさ
れた。「同情」ではなく「共感」する姿勢が実のある対話に欠かせないのは、平和学を通
じ知っていたし、極 の哀れな子どもに接し「相手に自
の
えや感情を押しつけるので
はなく、虚心に相手に寄り添い、そこから見える世界を想像すること」の大切さは、ツ
アーのリーダーからも何度となく教わっていた。BDP スタッフの献身的な協力もあり、お
かげで
困と闘うバングラの人々の世界を、ぼくたちは多少なりとも内在的にうかがい知
ることができた。だが同時に、共感をもって対話することがいかに困難かを、旅の最後に
なって痛感することになった。
荷造りをし、いらなくなった日本からの持ち物でまだ
えそうな物を BDP スタッフに
差し上げた後、紙ごみやプラスチックの包装など細々とした物が大量に残った。こちらで
はポイ捨てがあたりまえだが、ぼくたち日本人はそれも 立つ鳥あとを濁す」
ようでみっと
もないと え、可燃物として日本式に燃やすことにした。外でたき火をしていると、近所
の人が大勢集まり、もの珍しげにじっと遠回りにたき火を囲んでいた。だが、珍しくて見
ていたのではないと、あとになって知らされる。土間に掘ったかまどの焚きつけに
える
のに、何てもったいないことをするのだろう、この日本人たちは…という思いで、人々は
見ていたのだ。逆境をたくましく生き抜く人々の「他者性」を、思い知らされるひとコマ
―
―
だった。
チカーノやラティーノの市民活動が米国と中南米をつなぐように、日本の NGO が今後
さらに活発になることで、先進国とアジアを政府間とは異なった対話によってつなぐ調停
者の役割を、将来日本が担えるようになればと、ぼくは期待しているし、自
も非力なが
ら少しでもその流れに関わりたいと思っている。そのために必要不可欠な他者への共感に
満ちた対話を、双方向的複眼思
によって生み出すためには、このような小さな文化衝突
をくりかえし身をもって体験することが、日本の若者にとってもっとも必要なのではない
だろうか。
Ⅶ
権力への同化・適応を超えて(まとめに代えて)
構造的・文化的暴力を常態化する社会に適応せざるをえない中で、人々は
断され対立
してしまう。先述の『安心社会から信頼社会へ』の中で山岸俊男氏は「差別の文化は個々
の人間の頭の中にあるのではなく、差別を生み出す行動を適応的な行動としている社会の
しくみの中にある、そしてそのしくみを生み出し維持しているのは、差別社会への人々の
適応行動なのだ」(223-224)と説き、適応行動と社会的環境の「相互強化関係」を「文化」
と呼んだ。だから「差別をなくすためには社会環境の性質そのものを変えなくてはならな
い…。つまり、非差別的な行動が適応的になるような社会環境を作れば、差別は自ずから
消滅するはず」 (224) と述べ、暴力や差別を個人に帰すのではなく、組織や社会の構造に
メスを入れるべきことを明らかにした。むろん、言うは易し行うは難しだが、少なくても
これまで見た三つの場所の市民活動は、
断支配に満ちた社会環境それ自体の改革を志向
する点で、氏の指摘を裏づける。これらの地道で長い道のりに希望を絶やさないために
は、平和を志すより多くの人の参加が欠かせない。グローバル世界に中立はない。構造的
暴力の加害者側として彼・彼女たちとつながりたくないのであれば、ぼくたちも現状への
同化・適応のみに汲々とするのではなく、批判精神を磨き、共に平和を
る一市民という
当事者意識を育てることが大切になってくる。
たしかに理想主義と現実主義はなかなか相容れない。だからつい単純な二者択一に陥っ
てしまう。でもそんなときこそ双方のあいだを往還する複眼思
を駆
することで境界線
を押し広げ、トランセンド法の説く共感的な対話の場を切り拓く。そうやって双方のはざ
まに、平和 出という大きな目標を揺るぎなく掲げる、したたかな現実主義を鍛えてゆく
ことが平和学の
命と言えるだろう。
米墨国境地帯、沖縄、バングラデシュ。人々が直面する
断支配の危機は、それぞれに
個別の文脈がある。だが同時に、植民地帝国主義に端を発し、ネオリベラルなグローバル
経済やテロとの戦いに暴走する米国など、現代の国際政治経済に作用する諸々の権力が、
世界の周縁部に生み出した同じ構造的・文化的暴力の、異なったあらわれと言える。それ
に対しトランセンド法は、差別や暴力がもっぱら人間の心の問題としてとらえられがち
―
―
だったのに対し、社会的環境の歪みという構造の側に問題を見すえ、それを解消し積極的
平和を実現するという大きな目標設定の中で、
通じて和解し、たんに棲み
断され対立させられた弱者同士が対話を
け的な共生に留まらず、平和を共に
るという「共
」関係
へと連帯する道を指し示す。平和学が期待を込める、国際 NGO をはじめとする市民団体
が、今後ますます重要になってくることはまちがいない。“Think global, act local.”グ
ローバルに思
は、
し、ローカルに行動すること。マルティネス氏、平良氏、そして ACEF
断された弱者の、連帯によるエンパワーを通じて、グローカルな平和
出を志す点
でたがいにつながりつつ、二十一世紀世界の行方を占っている。
引用文献
M artinez, Elizabeth. De Colores Means All of Us : Latina Views for a Multi-Colered
Century. Cambridge, MA:South End Press, 1998.
!
M illigan, Bryce. M ary Guerrero M illigan and Angela de Hoyos, eds. Floricanto Sı
! :A
:
1
9
9
8
Collection of Latina Poetry. New York Penguin,
.
SNEEJ(Southwest Network for Environmental and Economic Justice) www.sneej.org/
SWOP(Southwest Organizing Project) www.swop.net/
安斎育郎、伊藤武彦、奥本京子、中野克彦、西山俊彦『ガルトゥング平和学入門』ヨハン・ガ
ルトゥング、藤田明
編著
法律文化社、2003年
井上孝代『あの人と和解する』集英社、2005年
児玉克哉、佐藤安信、中西久枝『はじめて出会う平和学』有
齋藤純一『
閣、2004年
共性』岩波書店、2000年
エドワード・サイード『知識人とは何か』大橋洋一訳
平凡社、1995年
平良夏芽「反対派ダイバーへの危険な暴力」
『Days Japan』4.9(2007):8
高里鈴代、宮城晴美、大越愛子、井桁碧「沖縄・基地問題・暴力」『脱暴力へのマトリックス』
大越愛子、井桁碧編著
青弓社、2007年
堤未果『報道が教えてくれないアメリカ弱者革命』海鳴社、2006年
中島義道『 対話> のない社会』PHP 研究所、1997年
アントニオ・ネグリ、マイケル・ハート『 帝国>』水嶋一憲他訳
平田オリザ『対話のレッスン』小学館、2001年
マサオ・ミヨシ、吉本光宏『抵抗の場へ』洛北出版、2007年
山岸俊男『安心社会から信頼社会へ』中央
論新社、1999年
―
―
以文社、2003
Fly UP