...

日本における市民社会と 共空間 - DSpace at Waseda University

by user

on
Category: Documents
8

views

Report

Comments

Transcript

日本における市民社会と 共空間 - DSpace at Waseda University
<退職者招待論文>
日本における市民社会と
西 川
共空間
潤
とのコミュニケーションを意図して設ける意思伝
達,世論形成のチャネル),協同組合,コミュニ
はじめに
問題の設定と用語の定義
ティ・ビジネスや共済組合,信用組合,相互会社
等の社会事業と非営利経済を展開する経済事業
アジアの民主化を検討すると,それは多かれ少
(ヨーロッパでは社会的経済[economie sociale]
と呼ぶ),非営利事業を振興するための財団,民
なかれ,市民社会によって担われていることが知
間の大学や独立の研究機関,業界団体等を指す。
られる。すなわち,開発優先的な国家機構,それ
政党もこれら市民活動の政治的表現として,市民
を推進する独裁的な政府に対する住民の反対運動, 社会活動に入る。ここで重要なのは,権力動因に
民主化運動を通じて,国家機構の改革,汚職腐敗
より,国家コントロールを目的とする政府セクタ
の告発,社会の民主化,政治面での透明性の実現
ー,営利動因により利潤と市場シェア増大,資本
などが進んできた。このような市民社会の他部門
蓄積を推進する企業セクターと比べ,市民セクタ
への働きかけが 共空間の形成と発展を通じて可
ーでは,市民の非営利活動により,政府・民間企
能になった,と見るのが,われわれの仮説である。 業とは異なる視点で,社会活動を展開していると
それでは,日本において市民社会と 共空間は
いうことである⑴。この非営利活動で重要なのは,
どの程度発達してきているのだろうか? また,
市民が社会の主権者意識を持って社会の組織・運
市民社会による他部門への働きかけはどの程度,
営に携わっていく活動であり,市民社会は社会活
国家機構の民主化に貢献してきたのだろうか?
動というダイナミズムを持っているということで
この問いに答えるためには,先ず本章における
2つのキーワードを定義しておく必要がある。
ある。
3セクター間の相関関係は図1のようにこれを
市民社会とは,ここでは,ある国の国家機構の
内部で,政府セクターを中心とする政治社会,企
示すことができる。
しかし,この図は理念型であり,実際には第Ⅰ,
業セクターに基づく市場社会と区別され,市民た
Ⅱ,Ⅲ部門はそれぞれが,このように皆等しい力
ちが社会に対する明確な主権者意識を持って,他
を持っているわけではなく,また各部門間の関係
の政治社会,市場社会に働きかけつつ,自らは非
もけっして等しい関係ではない。
営利,自発的活動を中心に組織している社会
野
として定義しておく。アメリカではこれを社会セ
3セクター間の関係は実際には 共空間の形態
や内実によって大きく変わってくる。
クターとも呼ぶ。市民社会は従って,NPO(住
共空間を図2で示したが,これは,政治社会
民たちの結成する非営利な社会的目的を実現する
(政府セクター)と 私の企業(市場セクター)
,
団体)
,NGO(同じく住民たちが特に国際協力を
また,個人や家計が形成する私的空間,あるいは
め ざ し て 設 立 し た 団 体)
,メ デ ィ ア(新 聞・雑
個人が市民やブルジョワ(営利)市民として形成
誌・テレビ・放送・インターネット等民間の個人
する市民社会をそれぞれメディアによって結ぶ空
や団体が市民社会内部,また,市民社会と他部門
間として えられる。この空間概念を最初に提起
* 早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授
早稻田政治經濟學 誌 No.366,2007年1月,2-13
図1
国家を構成する3セクター
(出所) 筆者作成
図2
共空間
(出所) 筆者作成
。
したのはイタリアの社会思想家アントニオ・グラ
発した⑵。
ムシであり,かれは,ファシズムが独裁をすすめ
つまり, 共空間とは,国家社会を構成する3
る 1930年代のイタリアにおいて,社会革命とい
セクター間の関係を示す場であり,市民社会の働
う形での政府と労働者階級の対決ではなく,中間
きかけが強い場合に,市民社会は 共空間を通じ
領域の 共空間の民主化という形でのファシズム
て,他の政府セクターや市場セクターに対するコ
のチェック,社会の民主化の道を構想した。後に
ントロールを強めることができ,社会の民主性が
この概念はドイツの哲学者ユルゲン・ハーバマス
強まる。反対に政府や大企業によってこの空間が
により引き継がれたが,ハーバマスはこの 共空
コントロールされている場合には,権力による社
間の権力社会(政府+大企業)によるコントロー
会コントロールの性格が強まる。
ルが,大衆操作を導き得る可能性について警告を
このように, 共空間とは国家社会の3セクタ
西川 潤:日本における市民社会と 共空間
ー間の関係を規定する場であり,社会の民主化の
市民社会の黎明期であると言ってよい。
程度は, 共空間の性格(独裁から平等主義にい
第2の時期は,石油ショック後,1990年ころ
たるまでの諸種のベクトルを持つ)によって決ま
のバブル経済末期にかけて,市民運動が生活クラ
ってくる。
ブ生協のような「消費者から生活者」へという,
このように,市民社会と民主化の関係を規定す
る場として
社会の中での自立性をめざす運動,また環境保護
共空間を本章では えることにする。 から自治体への住民参加を目指す運動,そして
以上,市民社会と 共空間の定義を行った上で, NGO など国際協力を目的とする運動など,多様
それでは日本において両者の発達がどの程度かを
に展開した。この時期には,神奈川県の長洲一二,
検討することにしよう。そのために,先ず第1に, 大阪府の黒田了一,埼玉県の畑和等,いわゆる革
日本における市民社会,非営利・社会セクターの
新知事が続々と
発達の度合いを眺める。第2に,
いた。市民社会が行政と向き合い始めた時代であ
共空間がどの
ように形成されているかを検討する。以上2つの
生し,「市民参加」の行政を施
ると言ってよい⑶。
検討から,日本における市民社会と 共空間の関
第3の時期は,バブル崩壊の 1991年ごろから
連を明らかにするが,それは,すなわち,日本に
現在に至る,市民社会の展開期である。この時代
おける民主化がどの程度進んでいるかについての
の幕開けは,1989年のリクルート汚職事件から
観念を与えるものとなるだろう。
1992年の金丸自民党
裁の汚職・脱税に至る,
日本の政官業体制の黒い支配体質が次々と明るみ
に出た時期であり,そこから約 40年にわたって
1. 日本における市民社会の発達
続いた自民党の一党支配体制(55年体制)が崩
壊して,1993年の細川連立政権の成立が導かれ
る。
第2次大戦後の日本で市民社会が問題になった
この第3の時期はまた,日本経済の不況期に相
最初は 1950年代のマルクス主義者たちからの問
当するが,この時代にかえって,ボランティア活
題提起である。この頃には,戦後の日本社会で連
動,地域振興活動,NPO 活動等への関心が高ま
合軍により外から持ち込まれた民主化をどう消化, った。1995年の阪神淡路大震災時の市民救援活
実体化するか,という発想から,西欧市民社会の
動は,質量的にめざましく「ボランティア元年」
発達を理想型としてとらえて日本のモデルとする
とも呼ばれたが,じつは 1990年代を通じて,日
べきである,とする議論が行われた。川島武宣の
本人のボランティア活動は確実に増大していった
所有権論,丸山真男の国家主義・ファシズム批判, のである⑷。1998年に NPO 法(特定非営利活動
大塚久雄のエートス論などがそうである。だが,
促進法)が定められ,それから8年間に NPO 法
この頃の市民社会論は日本社会の実体(それは国
人が3万近くまで増えた(2006年6月末)こと
家理性に囚われていると見られた)というよりは, は特筆すべきことである。非営利法人が始めて日
日本社会にとっての理想(念)像として理解され
本社会で法人格を認められたばかりでなく,日本
ていた。
人の非営利活動への関心が高まり,その活動の幅
市民社会論が,日本社会における市民運動の展
もきわめて多様化しているのである。
開を踏まえて理論的に提起されたのは,1960年
つまり,非営利活動とは,住民たちの地域起こ
代末から 70年代初めの高度成長末期のことであ
し,環境保全,人権擁護,ジェンダー平等,国際
り,
下圭一『シビル・ミニマムの思想』
(1971
協力,障害者の社会活動,福祉,教育等から,コ
年)
,同『市民自治の憲法理論』
(1975年)
,高畠
ミュニティビジネス,地域通貨,非営利金融,市
通敏『政治の論理と市民』
(1971年)等により,
民メディア等,その幅も大きく拡がっている。こ
市民運動の論理化,政策構想が示された。この時
れら3つの時期を経て,日本の市民社会は成熟期
期は,安保条約反対運動,ベトナム反戦運動,環
に入ろうとしている。
境保護運動など,市民たちが,政府とは異なる政
策主体として現われてきた時期である。これは,
それでは次に,日本の市民社会の実力のほどを
見ることにしよう。
早稻田政治經濟學 誌 No.366,2007年1月,2-13
表1 経営組織別事業所・従業員数推移(1981∼2001年)
※(事業所単位:1,000個所)
(従業員単位:1,000人)
数
1. 民営
1.1 個人
1.2 法人
1.2.1 会社
1.2.2 会社以外の法人
1.3 法人以外の団体
2. 国・地方 共団体
(出所)
1981年
1991年
事業所
従業員 81年% 事業所
従業員 91年% 事業所 従業員 01年%
6,488
6,290
4,182
2,075
1,844
231
34
198
51,545
45,961
12,387
33,416
30,510
2,906
158
5,584
60,019
55,013
11,020
43,793
39,937
3,856
200
5,005
89.1
24.0
64.8
59.2
5.6
0.3
10.8
6,753
6,559
3,749
2,772
2,500
271
39
195
2001年
91.7
18.4
72.9
66.5
6.4
0.3
8.3
6,350
6,138
3,132
2,972
2,665
306
35
212
60,187
54,942
9,007
45,789
40,634
5,155
146
5,245
91.3
15.0
76.1
67.5
8.6
0.2
8.7
務省統計局『平成 13年度 事業所・企業統計調査速報結果』
日本の市民社会(非営利セクター)は, 益・
社団法人(民法 34条に基き,
表2
務庁の監督下に
ある)約 26,000,その他の社会福祉・学
サービス業の従業員数
(2001年)
(単位:1,000人)
・宗
教・医療等の法人約 240,000,NPO 法に基く法
専門サービス
人 約 26,394(2006年 3 月 末),農 業 協 同 組 合
協同組合
887(2005年末)
,生活 協 同 組 合 600,信 用 組 合
社会保険・社会福祉
1,258
250,その他任意団体約 10万が存在する。非営利
教育
2.226
セクターでは,約 35万余の団体が活動している
学術研究
282
と見られる⑸。
宗教
276
政治・経済・文化団体
232
なお,NPO 法に基づく法人は年々増えている
が,活動領域で見ると「保 ・医療・福祉」が全
体の約4割を占めている。次いで「環境保全」
「学術・文化・芸術・スポーツ」
「子どもの 全育
その他サービス
1,842
391
43
(出所)
務省統計局『平成 13年度
事業所・企業統計調査速報結果』
成」
「まちづくり」がそれぞれ全体の約1割で,
上位5 野で全法人数の約8割を占める。
次に,就労者の 野別の 布を見よう。日本で
1000万人)の中に吸収されている。この表で,
もう1つ雇用数も雇用比率も減少しているのは,
最初の NPO 調査を行った『NPO データブック』
(山内直人編,1999)によると,非営利セクター
国・地方 共団体(国 営企業を含む)であり,
の就業人口は 1995年の時点で約 228万人であっ
%へと顕著に減少している。雇用者は 558万人か
た。これは,協同組合,共済組合,信用金庫,相
ら 525万人へと,この間労働力の 864万人増加に
互会社等の非営利セクター雇用を見積もっていな
もかかわれず,減少した。
いので,これを含めた就業人口を
政府セクターの雇用はこの間,10.8%から 8.7
える必要があ
ところが「会社以外の法人」はこの間,めざま
る。そこで, 務省の「事業所・企業調査統計」
しく増えていることが注目される。この項目は,
から次のような表を作ってみた。
1981年 に 291万 人(5・6 %)だ っ た が,2001
ここでは,民営セクターは個人と法人に かれ, 年には 516万人(8・6%)へとめざましく伸び,
法人部門がいわゆる民営会社であって,2001年
後者の時点では政府セクターに匹敵する雇用者を
に就労者の 76%,4579万人はこの部門に雇用さ
擁している。
れていることが知られる。個人セクター(農業,
この「会社以外の法人」とは,社団,財団,社
零細企業)が,1981年からの 30年間に 24%か
会福祉,学 ,医療,宗教,事業組合,農漁業組
ら 15%へと激減しているのが目を引く。その
合,国民保険組合,労働組合,共済組合,信用金
(340万 人 の 減 少)は 民 営 会 社 の 雇 用 増 加(約
庫等を指し,いわゆる非営利セクター,社会的経
西川 潤:日本における市民社会と 共空間
済部門に相当する。
なお,1.3.の「法人以外の団体」はいわゆる任
体,GDP の1割と見るのが妥当だろう。
このように見ると,非営利セクターは GDP で
意団体を指し,後援会,同窓会,学会,防犯協会
も雇用でも,ほぼ日本経済の1割を
等の NPO を示すが,この部
と えることができる。
は上がり下がりが
担している
激しく,必ずしも安定した数字を示していない。
ただし,非営利セクターの経営面を見ると,財
しかし,NPO もとくに 1998年 NPO 法の 布以
来,めざましく増えていることは事実であり,こ
源の6割は会費・料金収入だが,4割は政府や自
の部門の雇用者は現在(2005年段階)では,35
米と比べて極端に少なく,日本の NPO の課題が,
万人を越えていると見られる。非営利セクターの
財源の充実や市民社会の支持の拡大にあることが
治体の
的補助に依存しており⑻,民間寄付が欧
就業者と合わせると,約 560万人になる。
判る。もちろん,そのためには NPO 自体の職業
表2は「サービス業の従業員数」を見ているが, 的能力やリーダシップ力の強化も課題であること
明らかに法人部門に入るサービス業(金融保険,
情報等)を除いた従業員数は,2001年度で 530
は当然である。
だが,非営利セクターの影響力はじつは,雇用,
万人(
「専門サービス業」については 184万人を
生産にとどまらない。冒頭に示したように,市民
個 人,企 業 セ ク タ ー,非 営 利 セ ク タ ー[NGO
社会は,政府部門や民間営利部門に働きかけるこ
等]で3等
とによって,国家全体の動きに影響を与えること
した)となり,表1の 2001年の数
字とほとんど符合する。
ができる。2006年2月に,フランスで政府が発
従って,この就業者構成の検討から次のことが
明らかになる。
表した新雇用政策(CEP:青年の新規雇用に際し,
2年間は企業に罷免の権限を与える)に反対し,
非営利セクターの就業人口は 1981年の 306万
学生や青年層が 20数万人のデモを展開して,
人 か ら 2001年 の 530万 人 へ と,20年 間 に 1.73
倍に増えており,日本の雇用 布から言うと,労
CEP を撤回させたのはその例だが,市民社会は
より日常的に政府や自治体との協議や提言,民間
働人口の約6%(1972年には4・5%だった)⑹
企業の社会的責任への働きかけなどを通じて,他
から約9%へと 1.5倍に増えており,今では国家
のセクターに影響力を及ぼし, 共空間を拡大し
セクター(政府・ 共企業,地方自治体)を上回
ている。
る勢力となっていることが知られる。
こ の よ う な 事 例 を,次 ぎ に,日 本 の NGO,
この他に非営利セクターに直接関連する人口と
しては,生活協同組合の組合員 2350万人(2006
NPO の政府との協議,提言活動,また,企業の
社会的責任に関する活動について見ることにしよ
年3月末),農業協同組合の組合員 515万人(同)
う。そのため,政府と NGO の政府開発援助に関
がいる。また,任意団体約 10万が,1団体5人
する定期協議,また,社会的責任に関する企業の
の雇用,インターン,ボランテイア活動者を擁し
リスポンス,また市民社会自体の社会的事業形成
ていると仮定すると,それだけで,50万人の市
の事例を検討することにより, 共空間拡大の実
民団体活動者がいることになる。実際,日本にお
相を理解することにしたい。
けるボランテイア活動への参加者も,前述のよう
に 1980―97年間に3倍以上に増えているし,特
に 1995年阪神大震災時の「ボランティア元年」
2. 市民社会の提言を通じる
共空間の拡大
来,さらに増える傾向にある。
前述の『NPO ハンドブック』によれば,非営
利セクターの経常支出は 22兆円(1995年)で,
日本は代表制民主主義の形態をとり,政府の政
4.5%に相当する ⑺。この年の政府支出
策は国会で審議され,法律として立法される。し
の
かし,近年ではだんだん,政府の政策決定以前に
GDP の
は 78兆円だったので,非営利部門はその3
1に相当するが,この数字は先に指摘したように
「パブリックヒアリング」として,
聴会が何度
協同組合等の部門を含めていないので,農水林産
にもわたって,また,各地で開かれる例が増えて
部門やボランテイア部門の生産を合わせると,大
きた⑼。
早稻田政治經濟學 誌 No.366,2007年1月,2-13
その一例は,ODA 改革である。
ODA 改革はすでに 1997―98年 に,不 況 下 の
外務省外郭団体の国際協力推進協会など6団体に
日本経済,緊縮財政による ODA 減少という条件
体」で,日本の NGO を代表する団体とは言い難
を踏まえて,
「量的拡大から質的改善へ」をモッ
かった。
トーとして発足した(第一次 ODA 改革懇談会の
限られており ,いわゆる政府の「お気に入り団
1989年から「NGO 事業補助金制度」が発足し,
提 言 は,1998年 の「ODA 中 期 政 策」に 結 果 し
90年からは在外
た)が,この時期には未だ懇談会の審議に,
衆
力」
(後に「草の根無償資金協力」
)も始まって,
館による「小規模無償資金協
の意見を徴することはなかった。しかし,外務省
政府からの NGO 資金供与は数億円(90年の時
の不祥事を踏まえて発足した「第二次 ODA 改革
点で前者 1.1億円,後者3億円)に増える。1990
懇談会」
(2001年5月―2002年3月)は,その審
議の過程で,
「ODA 改革についての国民の生の
年代には,外務省に「NGO 協力センター」
(後
に民間援助支援室)が設けられ,NGO との協力
声を聞くために」
(外務省『ODA 白書』2004年
が組織的な形態をとることになった 。
版)タウンミーティングを東京,神戸,仙台,福
こうした動きは,政府からの一方的な働きかけ
岡の4か所で開催して,最終報告書を作成した。
ではなく,NGO 側のネットワーク構築の努力に
この報告書は,⑴国民の心,知力と活力を 結集
基づいていたことを指摘しておきたい。
した ODA,⑵戦略 を 持 っ た 重 点 的・効 果 的 な
1983年にはすでに,NGO 側が情報 換や難民
救援等の活動調整を目的として,
「NGO 関係者
ODA,⑶ ODA 実施体制の抜本的な整備を3つ
の柱とする具体策を提示している。また,国民各
層の代表からなる ODA
合戦略会議の設置,一
層の情報 開や第三者による評価体制の強化,監
懇談会」を発足させ,外務省とアド・ホックの意
見 換をも行っていた。
査システムの導入等を内容とする透明性の確保,
1987年にはこの懇談会を母体に,NGO 活動推
進 セ ン タ ー(現 国 際 協 力 NGO セ ン タ ー,
NGO との連携等をも提言している。この報告書
は,ODA の戦略性,機動性,透明性,効率性を
JANIC),関西国際協力協議会(現関西 NGO 協
議会)
,名古屋第三世界 NGO センターが各地で
高め,国民参加を拡大することを目的として,
発足し,NGO のネットワーク化が飛躍的に進む
2003年8月に発表された新 ODA 大綱のコンセ
ようになった。
プトの土台となっている。また,新 ODA 大綱の
JANIC は 1988年に NGO-ODA 関係研究会を
作成過程でも,NGO の共同意見書(2003年5月。 設立し,NGO と ODA の望ましい関係について
http://www.ngo-jvc.net/jp/projects/advocacy/ 提言書を作成し,翌年発表した 。
prj01detail 03.html)や経団連の意見書(同年
4月)等,民間各方面からのパブリック・コメン
トが寄せられていることに注意しておきたい。
1990年代に入り,政府の NGO 資金供与も増
えてきて,NGO の自立性の問題,望ましい政府
主要政策に関するタウンミーティングやパブリ
NGO 関係のあり方等が NGO の側でも課題
として意識されるようになった。JANIC は 1995
ック・コメントばかりでなく,従来,立法の主体
年に提言活動委員会を設け,外務省と NGO 間の
となってきた政府諸官庁と NGO との定例協議が
対話の開始を働きかけた。これらの活動の結果,
制度化されていることにも注意をはらっておきた
1995年 12月に,国際援助機関,海外 NGO,日
い。このような定例協議会は,財務省国際金融局, 本の援助関連各省庁,NGO 等を一堂に集めて
環境省,内閣府男女共同参画局,外務省経済協力 「新たなパートナーシップの 造
『南』の人
局などで制度化されているが,ここでは外務省の
び と の 自 立 に 寄 与 す る 政 府 の NGO 支 援 策 と
例を引いておこう⑽。
は?」シンポジウムが東京で開催された。
1980年代に外務省は,ODA の内から NGO へ
の資金供与を始めるが,それと共に NGO との打
このシンポジウムでは,⑴政府と NGO の合同
委員会を設け,定期的に協議の場を持つこと,⑵
ち合わせの必要を感じ,NGO との協議の場が設
南の自立を重視した,ソフト型を含む協力,また,
けられた。しかし,この頃には「NGO」とは,
NGO とのパートナーシップ事業への支援を行う
こと,⑶資金運用に柔軟性を持たせ,管理費・調
「外務省所管の海外技術協力推進団体」であり,
西川 潤:日本における市民社会と 共空間
査費・評価費等をも支援対象に含めること,⑷情
た ODA の聖域を,国民に開き,NGO 関係者の
報 開,法制度等インフラ整備,⑸政府から独立
声という形で,国民の声を直接,行政に語りかけ
した支援,債務転換等を進めること,等を内容と
ることによって,ODA を 共空間の中に引き出
したという意味で高く評価できる。実際,筆者も
し た 勧 告 を 宣 言 と し て 採 択 し た。こ れ は,
参加した,この時期に お け る NGO・外 務 省 の
JANIC 等 NGO 側の研究会の成果を土台とした
文書であり,NGO の提言活動の具体化と言える。 「顔の見える関係」はしばしば,政治家の利権領
この宣言に基づいて外務省と NGO との定期協
議会が 1996年から発足して年4回程度の会合が
持たれることになった。外務省側からは,政策課
はじめ 11の室・課,NGO 側からは JANIC,名
域と見なされていた ODA に透明性をもたらすこ
とになったと える。
第2の市民社会による 共空間形成の例として,
古屋 NGO センター,関西 NGO 協議会の3ネッ
NPO の協働
と自治体行政の透明化, 開性の強化のケースを
トワーク組織と傘下団体が出席した。
検討しよう。ここで取り上げるのは,東京都三鷹
NGO・外務省定期協議会の場では,NGO 側
からは,前述の国際シンポジウム提言に盛り込ま
市(人口 16万人)の例である 。三鷹市では,
れたような ODA への注文や外務省の海外協力体
本計画を市民参加の下に立案している。すなわち,
制への注文,NGO との相互 流や学習機会の増
大など色々な注文が出された。開発援助プロジェ
第二次基本計画(1990―2000年)の過程で,三
クトの合同実地評価なども実施された。外務省側
会」が市民参加型のまちつくりの研究を始めたが,
は,1999年 の ODA 中 期 政 策 で「国 民 参 加」の
その報告書を土台として,99年に NPO「みたか
方針を打ち出していることもあり,DAC の場で
NGO 参加やソフト型援助強化を迫られている事
市民プラン 21会議」が発足し,三百数十人の市
情もあって,NGO 側の要求を受け止めながら,
NGO 経由の資金の流れを滞りなく増やしていこ
めることになった。
うとする姿勢であった。
のような事情があろう。第1には,2000年4月
こうした外務省・NGO の定期協議会の場で途
上国 NGO への資金の流れの増大,NGO 相談員
施行の地方 権一括法に示されるように,地方
(NGO 活 動 に 関 す る 相 談 窓 口)や 専 門 調 査 員
(NGO で研修を行う)
,NGO スタッフへの海外
地方自治体の場における自治体
2001年の第三次基本計画来,市の基本構想,基
鷹市職員と研究者による「三鷹まちつくり研究
民が参加して,基本計画の立案,施行,評価を進
この時点で,市民参加が課題となったのには次
権がポスト高度成長時代の日本の流れとなり,各
地で住民参加型の「まちつくり条例」が制定され
始めたこと(
「地方
権一括法と住民参加の「ま
研修,JICA の場での NGO 研修等が制度化され
ち づ く り」 www.k 2.dion.ne.jp/ sonorous/
たことは特筆に価する。単に外務省ばかりでなく, report 010101.htm」
。
第2に, 共事業を中心とした市街整備の時代
ODA 関連 17省庁との NGO 懇談会も,この協議
会を足場に随時持たれるようになった。また,こ
が終わり,限られた資源をどうまちつくりに 用
の協議会の場で,ODA 改革の機 運 に 際 し て,
するか,また高齢化時代の進行のなかで,どう既
1997年に設けられ,98年1月に最終報告書を出
存の 共施設を市民福祉のために転用するか,が
した「21世紀へ向けての ODA 改革懇談会」の
課題となり,これらの課題遂行のためには市民の
勧告に従い,ODA 改革小委員会が 1999年に発
足し,2001年の第二次 ODA 改革懇談会の発足
合意が不可欠と えられるようになってきたこと。
まで,年6回のペースで ODA 改革の具体案を討
を実体化させることが必要になってきたこと,な
議した。この小委員会には外務省は政策課はじめ
どである。
第3に,地方 権の推進のためには,住民自治
5 の 室・課, NGO 側 は JANIC は じ め 6 の
さて,みたか市民プラン 21会議は従来の市民
NGO が参加し,ODA 改革の具体的方向につい
て議論した。
参加方式でよくとられた団体推薦や地区代表の形
このように,外務省の場における NGO との定
期協議会の設置は,それまで行政の独占物であっ
をとらず,個人参加がベースである点に特徴があ
る。毎週または隔週に集まる 10の
科会に
か
れて討論を重ね,それを代表(3人),運営委員
早稻田政治經濟學 誌 No.366,2007年1月,2-13
会が統括する。市は事務局を提供し,情報や資料
を国産肉と偽って農水省補助金を詐取した例,ま
の提供,行政各部の調整,市民会議の意見の基本
たマンションの構造強度を偽って販売した例やシ
計画への反映を担当した。市民と市はまちつくり
ンドラー社の欠陥エレベーター販売が死者を出し
研究会の報告書が提案した「パートナーシップ協
た例等々。
定」の協働3原則(対等の立場,それぞれの自主
こうしてすでに 1960―70年代に環境保護運動
性の尊重,定期的な連絡と協力)に基づいて,協
や欠陥品や不当表示に対する消費者運動等が高ま
力関係を作っていき,21会議の場での議論を基
り,企業の社会的責任を追及する声が世界的にも,
本計画の具体化,運営に反映させていった。参加
また日本でも高まってきた。また,グローバリゼ
者の証言でも,この会議自体が「市民自身で現在
ーション時代に入り,企業が国際化を進めると共
の状況を判断し,課題を明らかにし,多様な意見
に,責任不在体制もまた広汎に現われてきた(前
を調整しつつ提言に集約していく際の基本ルー
記の三菱自動車やシンドラー社は多国籍企業)事
ル・手順・手続きの開発」を進めた民主主義の学
情もある。こうして,近年,企業の社会的責任
となったことが知られる(西尾隆 2001)。
(CSR)を追及する世論が高まり,それが反面で
他方で,この会議はすべて 開され,また,
「社会的責任投資」
(SRI)といった,環境や人権
科会の討議まとめ等がホームページや市の広報媒
等社会的責任を重視する企業を集めて投資ファン
体を通じて
ドを運用する仕組みの隆盛をも導いている 。
開されたことから,市情報の市民に
対する 開度が飛躍的に高まった。同時に,市民
企業自体がこうした世論に敏感に反応し,1991
の側からする事業要求,施設転用案,施設間調整
年,バブル経済時代の末期にすでに,経団連(現
や不要施設スクラップ案などが多数寄せられるよ
在は日本経団連)が「企業行動憲章」を採択し,
うになり,市行政の透明性が顕著に増大した。
汚職腐敗や不正を監視する体制の整備,法令の遵
つまり,市と市民のパートナーシップ事業によ
守等を呼びかけている。2000年には経済同友会
り,三鷹市の 共空間の 開性,市民参加性,民
が「21世紀宣言」を発表し,企業活動の評価基
主性が大きく高まったといえる。
準として,経済性ばかりでなく,社会性,
「人間
第3に,企業の社会的責任の面での 共空間形
成を見ることにしよう。
性」を含めるべきことを提言している。同じ経済
同友会は 2003年に 表した『第 15回企業白書』
第2次大戦後,日本は「政官業」体制の指導下
に,国家主導型のキャッチアップ体制を形成し,
のタイトルを『
「市場の進化」と社会的責任経営
企業の信頼構築と価値 造へ向けて
』と
経済高成長の道を 1955年から 20数年にわたって
題し,経済団体として始めて「社会的責任」とい
歩んだが,それは同時に「構造汚職」や「談合」
う言葉を企業活動の重点領域として示した。また,
「企業犯罪」等をあい伴った。古くは法務大臣の
近 年 で は「環 境 レ ポ ー ト」を 発 行 し た り,
「指 揮 権 発 動」に よ り 揉 み 消 さ れ た 造
ISO 14000シリーズを取得して,環境への関心を
消費者にアピールする企業が増えてきていること
疑獄
(1949年)から,70年代の田中首相を巻き込んだ
ロッキード事件,90年代の金丸自民党副
裁に
にも注目すべきだろう。この『企業白書』では,
対する運輸・ 設業界からのヤミ献金による同氏
社会的責任とは,①環境への関心,②社会貢献,
の逮捕,リクルート事件,また最近の鈴木宗男自
民党議員の ODA や 共事業に関連する汚職事件
③法令遵守,として捉えられており,CSR が,
バブル経済崩壊以来の企業の環境破壊,会社中心
など,「政官業」体制が引き起こした「日本の黒
主義,汚職腐敗への加担等に対する世論の批判を
い霧」は枚挙にいとまがない 。
受けて,形成されてきた概念であることが知られ
また,企業自体が 害の垂れ流し(大昭和製紙
る。
やチッソ等)を高度成長時代には日常のこととし
今まで,日本の「 共空間」はかなりの程度,
てきた。消費者の生命や 康を無視した例も少な
「政官業体制」によってコントロールされ,権力
い数ではない。2000年代に入ってからでも,三
空間,営利空間の影響を強く受けてきたが,よう
菱自動車の欠陥車に関するクレーム隠し,雪印乳
やく 共空間が市民社会の発言力の強化により,
業の期限切れ製品の再利用,雪印食品が輸入牛肉
政府,市場経済,市民社会の3者のバランスのと
西川 潤:日本における市民社会と 共空間
れた方向に向かいつつあることが看取される。
ここで注意したいことは,市民社会自体が政府
ファンドが立ち上げられた。HGF は,オホーツ
ク海
岸の浜
別町に 2001年9月から4基の高
や営利企業に対して「物申す」提言の側面を強め
さ 60メートル,出力各 1000kWh の風力発電機
ているばかりでなく,自らが非営利事業やオール
を設置する計画を進めた。 設費の約2億円をま
タナティブ事業に乗り出すことによって, 共空
かなうべく,組合員・市民に1口 50万円の出資
間の連帯性,社会性を強めはじめていることであ
を呼びかけたところ,2000年 12月から数ヶ月間
る。その一例は,たとえば一村一品運動による地
に約 283口,1億 4150万円の資金が集まり,こ
域興しという形での社会的企業が拡がっており,
れを原資に株式会社「北海道市民風力発電」を設
日本から にアジア諸国に広がっていることにも
立して,これを運営主体として 2001年9月最初
見られるが,ここでは環境保全を主張する市民運
の風力発電機「はまかぜ」の運転が開始された。
動が自らソフトエネルギー事業に乗り出し,自治
現在(2006年)4基が稼動している。
体や企業の協力にも支えられて,企業がコントロ
風力発電機の年間設備利用率は約 30%である。
ールする営利空間に対して,社会的事業という形
2006年5月下旬の1週間に,はまかぜ7・5万
で 共空間を拡大している例を引いておこう。
kWh,天 風 丸 2・9 万 kWh,か ぜ る・3 万
,かりんぷう8・5万 kWh,計 26・2万
kWh,
これは,生活クラブ北海道の運動の一環として
北海道グリーンファンドが実行している風力発電
事業の例である。
Kw(2万 6200世帯 の消費電力/日量に相当)
の電力が得られ,これは北海道電力にそのまま販
生活クラブ北海道は,生活クラブ生協運動の一
売されている(北海道グリーンファンド HP:
環 と し て 1982年 に 発 足 し た。現 在(2006年 6
。2001年 度 か ら 出 資 者 た
www.h-greenfund.jp)
ちに年間約2∼7万円の利益 配を行っており,
月)組合員は,約1万 3000人である。
1987年に,協同購入している無農薬栽培の茶
営業的にも十 成功している。この風力発電の設
葉から,前年のチェルノブイリ原発事故によると
備にはトーメンの技術供与を得た。実際,幌別町
見られる放射能が検出されたことをきっかけとし
近隣の苫前地区にはトーメンパワージャパン,電
て,会員の間から折から起こってきた泊原発1・
源開発等 42基の風力発電機が稼動しており,年
2号機の運転開始に対する反対運動が盛り上がり, 間を通じてかなりの風力が得られ,「風力発電銀
103万人の反対署名を集めた。
また,幌
座」と言われる地域である。
町に計画されていた原発の高レベル
放射性廃棄物処理場に対する反対運動も始まり,
これらの運動を通じて,道政に対する発言力を強
化する必要が痛感されて,政治組織の「市民ネッ
トワーク北海道」を結成し,1991年に札幌市議
会に3議席の議員を送りだしたのに始まり,地方
議会での発言権を強めた。
1996年に北海道電力が泊3号機の増設計画を
発表したのをきっかけに,生活クラブ北海道は
10万人反対署名運動を始め,そのなかで,単に
反対運動ではなく,オールタナティブなグリーン
電力を作り出そうとする え方が出てきた。これ
は,会員が毎月の電気料金の5%をグリーン電力
のために拠出して,再生可能なソフト・エネルギ
ーを生み出そうとするもので,その事業体として
北海道グリーンファンド(HGF)が 1999年に発
足した 。
HGF の会員は 1200人にのぼり,その会費で
北海道グリーンファンドの風力発電機「はまかぜ」。
(写
真 提 供:北 海 道 グ リ ン ファン ド) http://www.hgreenfund.jp/citizen/citizen-html
早稻田政治經濟學 誌 No.366,2007年1月,2-13
これは,市民社会が,商社(トーメンによる技
ーの時代に中間階級を基盤として成立していたと
術協力と機材販売)
,企業(北海道電力による電
えられる 。しかしながら,第2次世界大戦ま
力購入)と提携し,原子力,石油に依存しないソ
では,市民社会は軍国主義と国家統制主義の下で
フトエネルギー供与の社会的事業を始めて成功し
ほとんど窒息していた。
た事例である。北海道グリーンファンドと北海道
大戦後の民主化時代に当初,市民社会は新しく
風力発電のこの事業は,2001年には朝日新聞社
とうとうと流入してきたデモクラシーにとっての
の第二回「明日への環境賞」
,また 2001年度の環
理想像と えられた。しかし,高度成長を通じた
境大臣の「地球温暖化防止活動表彰」
,2006年度
部厚い中間階級の形成と東西対立に刺激された社
の環境省等主催「エコジャパン・カップ 2006」
会運動の高まりを通じて,市民社会は次第に,
の「ソーシャル・エコビジネス大賞」に輝いた。
共空間への市民参加をうたい始めるようになる。
同様の試みは,その後北海道の他地域,青森,秋
実際,日本の 共空間は,戦後の民主化の時期に
田,宮城,千葉,静岡,福岡等各県に広がってお
おいても,欧米へのキャッチアップ体制という国
り,平成 14年版『環境白書』にも,グリーン電
民 動員体制のなかで,きわめて大きく「政官業
力料金の試みを通じた市民による環境保全の実践
体制」の影響下に権力空間・営利空間としてコン
例として紹介されている。これは,NPO による
トロールされてきたのである。
社会的事業が,日本のエネルギー市場におけるソ
1950―60年代の市民社会の黎明期,70―80年
フトエネルギー供給のシエアを市民運動の手を通
代の形成期を経て,そして 1990年代以降の 55年
じて増大させることにより,原子力・石油に依存
体制が崩壊した時期に市民社会は展開期を迎える。
しない再生可能エネルギーの可能性に関する
最近 15年間を通じて,日本の市民社会は質量共
設
的な提言を実行した例である。ソフトエネルギー
に日本社会を動かす力量を備えるにいたった。
の必要性は「アジェンダ 21」をはじめ,色々な
先ず,高度成長期までは,成年男子の多くが会
場で強調されながらも,利潤優先の企業社会では
社・個人の営利企業部門に属し,約1割が国家・
どうしても石油輸入,原子力発電が優先して,具
共部門に属していた。個人営業(中小,零細,
体的にそのシェアを増やすことは困難だった。し
農業)は本来独立の部門であり得るが,キャッチ
かし,北海道グリーンファンドの例は,市民の手
アップ,高度成長体制の下では,
によるエネルギーの民主化,ソフト化は可能であ
力・営利空間に動かされ,非営利・ボランティ
り,採算的にも成立することを示し,日本におけ
ア・連帯部門の役割はごく小さかった。この時代
るエネルギー 野での
は,成年男子の 10人に9人までが「会社人間」
共空間を市民の手で確実
に拡大した例であるということができる。
共空間も権
として生活していたと言ってよいだろう。
また,北海道グリーンファンドの新エネルギー
こうした時代の空気に風 を開けたのは,70―
事業の成功例から,市民の間で風力発電をモンゴ
80年代における市民運動,環境保護運動,そし
ルに援助する計画も生まれており,ODA の民主
て女性たちの生活自立運動である。これらの社会
化,市民化という展開にもつながっている。
運動のなかで,それまで,権力と営利によって動
以上,市民社会が一方では政府や自治体に対す
かされてきた 共空間に下からの民主化のダイナ
る提言力を強め, 共政策のオープン化,民主化
ミズムが働きはじめ, 共空間の民主化がはじま
に貢献している事例,他方では,企業社会と提携
る。それと同時に,市民社会が活発に政府や企業
しながらエネルギー供給の民主化,市民参加をす
に対する提言をすすめ,「おかみ」の言うことを
すめ, 共空間を拡大した事例を検討した。
丸呑みにしない自立的な個人,起業者,地域人,
生活者等,多様な人間像が出てくるようになる。
これらの人々の自立的な運動を通して,ボランテ
結
論
ィア活動や NPO 活動が市民権を得てくるように
なる。
1990年代の日本における一連の構造改革
日本において市民社会はすでに大正デモクラシ
政治・行政改革(政治の透明性,小さい政府と地
西川 潤:日本における市民社会と 共空間
方
権)
,経済財政改革(規制緩和,国営企業の
ってきた日本の経済社会の民主化にとりかかり始
民営化と赤字財政の縮小,ベンチャー企業の促
めているか,ということのごく限られた論証にす
進)
,金融改革(不良債権処理と金融部 門 の 再
ぎない。しかし,これらの一部の論証からもすで
編)
,社会保障改革(介護保険の導入や 年 金 改
に わ れ わ れ は,日 本 と い う,こ れ ま で 政 官 財
革)
,教育改革(規制緩和,国立大学等の行政法
(業)体制のリーダーシップ下にあった国家社会
人化とゆとり教育の実現)
,司法改革(裁判員制
が不可逆的に民主化の方向に歩み出していること
度の導入等,国民の司法参加)
を理解するだろう。
はいずれも,
グローバリゼーションへの対応と同時に,国内に
おける市民社会をベースとする世論の高まりへの
対応の面が大きい。だから,構造改革は 1998年
の特定非営利法人活動推進法(NPO 法) ,循環
型社会形成推進基本法(2000年)
,男女共同参画
推 進 基 本 法(1999年)
,地 方
[注]
⑴ このほか,国家に必ずしも統合されない民間非営利
部門(中国の宗族,結社,蛇頭等)
,日本の高度成長
期に拡がった新興宗教団体等を市民社会と呼ぶ場合も
権推進一括法
あ る(西 川 2004B)。Schwartz(2003)は こ の よ う
(2000年)等の重要な基本法をセットなのである。
な市民社会が日本にも強固に存在していたとし,日本
つまり,市民社会の興隆は,日本社会における
独自の市民社会の存在を強調する。これは,それ自体
興味深い
環境保全,女性参加,地方 権の推進とうらはら
析視点だが,たとえば日本の場合労働組合
が政治的には「55年体制」,経済社会的には「春闘体
の現象であり,これらはいずれも日本における
制」を通じて,開発指向型国家体制に組み入れられて
共空間を市民社会の立場から強めていく役割を果
いたことを
たしている 。
きたい。
本論では,この重要な時期に,市民社会が政府
や企業社会に対するアドボカシーを強め, 共空
間を拡大している実相を,先ず第1に,政府(外
務省)と NGO の定例協議の発足,実施,運営の
えると,ここでは本文の定義に従ってお
⑵ グラムシ(1978),ハーバマス(1973)。なお,西川
(2004B)を参照。市民活動と
共空間を関連させた
研究としては,坪郷(2003)がある。
⑶ 篠原
一他(1973),篠原
一(1977)はこの時期
の市民参加に関する最初の理論書である。また, 下
実態を通じて検証し,それが ODA 改革へと結び
圭一編(1971)は高度成長期にいち早くうち出された
ついたことを示した。
下理論の実践報告である。
第2に,市民社会が地方自治体の計画へと参加
⑷ 全国社会福祉協議会編『全国ボランティア活動者実
している実情を三鷹市において検証し,それが地
態調査』(各年版)によれば,ボランティア活動に参
域レベルでの 共空間の 開性,民主性,市民参
加した人は 1980年の 160万人から,1997年には 546
万人へと3・5倍に増えた。阪神・淡路大震災を契機
加性を拡大している実情を 析した 。
とする NPO 活動の活発化については,今田(2006)
第3に,市民社会が,企業(市場)空間に対し
ても,種々のアドボカシーを拡大し,それが企業
を参照。
⑸
益・社団法人については,
務庁『
益法人白
の社会的責任(CSR)を重視する世論の流れを
書』平成 17年度,また
導いたことを眺めた。さらに生活クラブ北海道の
NPO 法に基く認可法人数については,内閣府国民生
活局「NPO 法人ホームページ」及び日本 NPO セン
事例に見るように,市民社会が自ら社会的企業を
始めることにより,国策と営利一辺倒のエネルギ
ー経済の 野に再生可能エネルギーといった非営
務庁ホームページを参照。
ター HP の「データベース」参照。生活協同組合数
については,日本生活協同組合連合会 HP,また,農
業協同組合,漁業協同組合,森林協同組合については,
利ビジネスが十 成立し得ることを示した。この
『農水林産統計ハンドブック』を参照されたい。共済
場合には,非営利部門は自治体や企業と連携しな
組合は JA,生活協同組合等,他の協同組合の事業と
がら民営化の風潮のなかで原発重視を旨とするエ
ネルギー空間に 共性,循環性,市民参加性とい
った新たな要素を持ち込み,民主的性格を高めた
ということができよう。これらはいずれも,日本
オーバーラップしていることが多い。
⑹ 山 内 直 人(1999),表 1−3−1 で は,NPO 就 業
者数を非農業就業者数の 4.6%,284万人(1995年)
と見積もっているが,この NPO の定義は上記の社会
的経済部門のかなりのものを含んでいない。
における市民社会がいかに 共空間を活用しなが
⑺ 山内(1999)表1−3−2。
ら,今まで,政府と大企業,業界団体が取り仕切
⑻ 同上,1−4「NPO の収入源」(8−9ページ)。
早稻田政治經濟學 誌 No.366,2007年1月,2-13
⑼
2006年 12月に,この年行われた教育基本法に関す
15年先行した。このように地方自治体の場での
るタウン・ミーティングについて,行政,教育委員会
空間の拡大が,国政の場での
側による市民(関係者・職員)動員や日当支払い,
なることが十
「やらせ」質問の事件があったことが明らかになった。
これは,
共空間を権力がコントロールしようとする
地域空間の
共
共空間拡大のモデルと
にあり得る。だからこそ,身の回りの
共性,開放性,民主化がふだんの実践と
して重要なのである。
従来の開発独裁国家のビヘービアが未だ残存している
ことを示すといえる。それは同時に,日本の市民社会
側の
共空間への発言力が未だ脆弱であることの証左
でもある。
⑽
[参
文 献]
今田
忠(2006)
,『日本の NPO
』ぎょうせい。
析はこの
OECD(2004),『企業の社会的責任』技術経済研究所。
清原慶子・三鷹市(2000),
『三鷹が る「自治体新時
他の5団体は,日本国際医療団,オイスカ産業開発
グラムシ(1973)
,『グラムシ獄中ノート』石堂清倫訳,
森田真人(2005)
。NGO−外務省対話の
論文に負うところが大きい。
代」
』ぎょうせい。
協力団,家族計画国際協力財団(JOYCEF)
,国際看
護 流協会,日本シルバーボランティアーズ。
外務省は 2004年から,「NGO・市民社会大
三一書房。
篠原
」職
一他(1973),
『市民参加』岩波講座「現代都市政
策」第2巻。
を設けることになるが,これは外務省と NGO の対話
篠原
が対等の立場となったことを示す。
Schwartz,F.J.and Pharr,S.J.ed.(2003)
,The State of
筆者は当時,外務省経済協力局長の諮問機関として
の ODA 懇 談 会 の メ ン バ ー で あ り,同 時 に こ の
JANIC 委員会のメンバーとして,ODA,NGO の提
携についての草案をつくる作業に携わった。
一(1977)
,『市民参加』岩波書店。
Civil Society in Japan, Cambridge University
Press.
坪郷 実編(2003),
『新しい
共空間をつくる―市民活
動の営みから』日本評論社。
清原慶子他(2000),西尾隆(2001)
,三鷹市ホーム
七山周平(2006),
『日本における「企業の社会的責任
ペ ー ジ http://www,mitaka 21.city.mitaka.tokyo.
(CSR)」
』早稲田大学大学院アジア太平洋研究科修
jp/参照。
西川 潤「解説」
(ハーツ,2003)。
士論文,2006年1月提出。
西尾隆(2001)
,「協働型市民・住民論」(
,七山周平(2005)。
OECD(2004)
西川らによる北海道グリーンファンド事務局の杉山
西川
さかえ理事長のインタビュー,2003年7月 25日,北
西川
海 道 グ リ ー ン フ ァ ン ド(2003)
,及 び 長 谷 川
一
(2003)第 10章。
潤(2004A),『世界経済入門』第3版。
一(2003),
『環境運動と新しい
共圏』有 閣。
N・ハーツ(2003),
『巨大企業が民主主義を滅ぼす』早
これにより,今は内閣府の国民生活局が「NPO ホ
ームページ」を開いている。
川書房。
J・ハーバマス(1973),『
潤(2004A)参照。
共性の構造転換』細谷・山
田訳,未来社。
筆者自身は 1981−82年に神奈川県江ノ島の婦人
合センター(現女性センター)が発足したとき,委員
を務め,いかに市民参加型の女性センターが神奈川県
での男女共同参画,またその計画と実施の拠点となっ
たかをつぶさに見てきた。
その際,神奈川県の女性の就学年数が全国平
山宣信編集
権社会と協働』第2章,ぎょうせい)
。
潤(2004B),「21世紀の市民社会」(
『軍縮問題
資料』2004年2,3月号)。
長谷川
尾尊兌(2001)
。
西川
代表『
北海道グリーンファンド編(2004)
,『グリーン電力―市
民発の自然エネルギー政策』コモンズ。
尾尊兌(2001)
,『大正デモクラシー』岩波現代文庫。
下圭一編(1971),
『市民参加』東洋経済新報社。
森田真人(2005)
,『日本の NGO によるアドボカシーの
より
2年高いことが,この県での女性たちの強い社会参加
意欲の背景にあることを理解した。神奈川県は県政へ
の市民参加をすでに 1980年代から色々な場で進めて
おり,国政の場でのパブリック・ヒアリングの実施に
現状―NGO・外務省定例協議会にみる両者の関係』
早稲田大学大学院アジア太平洋研究科修士論文,
2005年1月提出。
山内直人編(1999),
『NPO データブック』有
閣。
Fly UP