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大江健三郎文学研究―父親と天皇

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大江健三郎文学研究―父親と天皇
『台灣日本語文學報創刊 20 號紀念號』PDF版
PDF 版は、広く業績を共有するためにインターネットでの検索と個人の閲覧の便に供す
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載・複製・印刷・刊行・公開することを禁止します。
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大江健三郎文學研究
─父親與天皇─
小林由紀
銘傳大學應用日語學系兼任講師
摘要
大江 健 三 郎 氏 (以 下 簡 稱 大 江 )之 父 親 大 江 好 太 郎 氏 於 1944 年 (昭 和
19 年 )過 逝 , 當 時 大 江 僅 有 九 歲 。 依 據 渡 邊 廣 士 之 論 點 , 在 戰 爭 末 期
戰 渦 之 期 間 因 父 親 的 死 與 天 皇 導 致 的 死 之 間 , 係 以 面 對 死 亡 之 恐 怖為
媒 介 將 父 親 與 天 皇 之 關 係 連 結 一 起 。 而 此 關 連 建 立 之 根 本 是 否 僅 有實
際 體 驗 到 之 死 亡 恐 怖 呢 ? 本 論 文 為 究 明 此 問 題 , 首 先 將 提 示 大 江 五十
年 作 品 中 之 父 親 全 體 像 , 並 明 確 定 位 父 親 之 位 置 。 再 者 , 以 權 威 者表
像 父 親 之 觀 點 進 行 考 察 , 由 父 親 以 反 諷 表 現 手 法 之 過 程 檢 視 「 為 何選
定 父 親 與 天 皇 」 之 課 題 , 並 導 出 結 論 。 最 終 明 確 確 立 父 親 像 與 大 江所
選 定 主 題 之 關 連 , 並 可 依 隨 大 江 年 齡 看 到 父 親 形 象 之 變 化 進 而 得 到深
度 了 解 。 又 , 除 認 識 到 大 江 與 自 敘 體 小 說 中 重 疊 部 分 之 主 人 翁 係 將父
親 視 為 具 權 威 身 份 之 統 率 者 、 族 長 之 一 面 外 , 若 將 父 親 視 為 縱 軸 之底
邊 , 而 頂 點 即 為 君 臨 天 下 之 天 皇 , 於 此 可 決 定 性 看 到 父 親 與 天 皇 之關
連 。 另 一 方 面 , 相 對 於 將 信 奉 天 皇 一 體 化 之 超 國 家 主 義 之 父 親 , 並和
遵 守 村 落 傳 承 之 母 親 則 置 於 對 立 之 頂 點 , 由 此 可 了 解 大 江 的 小 說 係以
反諷法來凸顯天皇制與超國家主義之制度。
關鍵字:父親、天皇、狂氣、忿怒、反諷
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Thesis on Kenzaburo Oe’s works: Emperor and father
Kobayashi Yuki
Relief Lecturer, Ming Chuang University
Abstract
Kotaro Oe passed away in 1944 (Showa 19); his son, Kenzaburo Oe
(hereinafter called “Oe”), was barely 9 years old.
Hiroshi Watanabe declares that the lives of the common people
dedicated to the Emperor and the death of his patriotic father in the
catastrophic World War inspired Oe not only to explore the impeccable
relationship his father had with the Emperor, but also to understand the
fear of death. However, does this relationship come exclusively from that
fear Oe experienced?
This thesis analyzes how Oe has reflected the total image of his father
on his literature works over the past 50 years. It also addresses on the
characteristics of the father considering Oe as an authoritative official
himself. Finally, this paper attempts to verify the existence and
significance of his father’s intimate relationship with the Emperor,
portraying his father of different personalities so as to draw fresh angles
of conclusion. The above themes tied in with the images of Oe’s father in
his intellectual literature works at various stages of publications and that
image has been changed significantly as he grows old. Particularly in his
classical tales, the protagonist, who sometimes reflected Oe himself,
referred to Oe’s father as an authoritative official and a strong leader.
This infers that if his father is to be placed at the bottom of longitudinal
axis, then the Emperor occupied the apex – symbolizing that the two
would still be closely linked to each other.
Key words: Father, Emperor, frenzy, Rage, Irony
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大江健三郎文学研究
―父親と天皇─
小林由紀
銘傳大學應用日語學系兼任講師
要旨
大 江 健 三 郎 の 父 親 、 大 江 好 太 郎 は 、1944 年 (昭和 19 年)、 大 江 が
満 九 歳 の 時 に な く な っ た 。 戦 争 末 期 の 戦 渦 に お け る 父 親 の 死 と 天皇
の 命 に よ る 死 と は 、 渡 辺 広 士 に よ っ て 、 死 の 恐 怖 を 媒 介 と し 、 父親
と 天 皇 を 結 び つ け る 結 果 に な っ た と 言 わ れ て い る 。 で は 、 そ の 結び
付 き の 根 底 に あ る の は 、 実 体 験 と し て の 死 の 恐 怖 の み で あ ろ う か。
本 論 文 で は 、 こ の 問 題 を 明 ら か に す る た め に 、 ま ず 、 大 江 の 約 五十
年 に 渡 る 作 品 に お け る 父 親 の 全 体 像 を 提 示 し 、 父 親 の 位 置 付 け を明
確 化 し た 。 次 に 、 権 威 者 と し て の 父 親 と い う 観 点 か ら 考 察 を 進 め、
父 親 の パ ロ デ ィ 化 の 過 程 で 、 何 故 父 親 と 天 皇 な の か と い う 課 題 につ
い て 検 証 し 、 結 論 を 導 き 出 し た 。 そ の 結 果 、 各 年 代 に お け る 父 親像
と 大 江 の 持 つ 主 題 と の 繋 が り が 明 ら か に な り 、 大 江 の 年 齢 と 共 に、
父 親 像 の 形 象 の 変 化 、 及 び 深 化 を 見 る こ と が で き た 。 更 に 、 大 江と
私 小 説 的 に 重 な る 部 分 を 持 つ 主 人 公 は 、 権 威 者 と し て の 父 親 に 統率
者 、 族 長 の 一 面 を 見 る が 、 そ の 父 親 を 縦 の 軸 の 底 辺 と す る と 、 頂点
に は 天 皇 が 君 臨 し て お り 、 こ こ に 、 父 親 と 天 皇 と の 決 定 的 な 繋 がり
を 見 る こ と が で き た 。 一 方 、 天 皇 と 一 体 化 し よ う と し た 超 国 家 主義
者 の 父 親 に 対 し 、 村 の 伝 承 を 守 ろ う と す る 母 親 を 対 立 項 に 置 き 、ア
イ ロ ニ ー で 天 皇 制 的 な も の 、 超 国 家 主 義 的 な も の を 顕 現 し よ う とし
ていることも理解できたのである。
キーワード:父親
天皇
狂気
忿怒
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アイロニー
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大江健三郎文学研究
―父親と天皇─
小林由紀
銘傳大學應用日語學系兼任講師
1. は じ め に
大 江 健 三 郎 の 父 親 、 大 江 好 太 郎 は 、 1944 年(昭 和 19 年 )、 大 江 が
満 九 歳 の 時 に 亡 く な っ た 。 戦 争 末 期 の 戦 渦 に お け る 父 親 の 死 と 天皇
の 命 に よ る 死 と は 、 死 の 恐 怖 を 媒 介 と し て 、 父 親 と 天 皇 を 強 く 結び
つ け る 結 果 と な っ た 。 こ の 点 を 作 品 か ら 明 確 に 解 き 明 か し た の が渡
辺 広 士 で あ り 、「父 を 復 元 す る 想 像 力 」 1 に 詳 し い の は 周 知 の 通 り で あ
る 。父 親 と 天 皇 と の 問 題 が 大 江 の 一 生 の 重 要 な テ ー マ で あ る こ と は、
チ
ェ
ン
ジ
リ ング
近 年 上 梓 さ れ た『 取 り 替 え 子 』2 、
『 憂 い 顔 の 童 子 』3 、
『さようなら、
4
私 の 本 よ ! 』 の 三 部 作 で 、こ の 問 題 が 再 び 取 り 上 げ ら れ て い る の を
見 れ ば 明 ら か な こ と で あ る 。 で は 、 父 親 と 天 皇 と の 結 び つ き の 根底
に あ る の は 、 果 た し て 、 実 体 験 と し て の 死 の 恐 怖 の み で あ ろ う か。
こ の 問 題 を 明 ら か に す る た め に は 、 大 江 の 約 五 十 年 に 渡 る 作 家 活動
と 、 作 品 に お け る 父 親 の 全 体 像 を 提 示 し た 上 で 、 明 確 化 さ せ る 必要
が あ る の で は な い で あ ろ う か 。 更 に 、 父 親 が 最 初 に 登 場 す る 1960
年 の 『 遅 れ て き た 青 年 』 5 と 、1971 年 の 『 み ず か ら 我 が 涙 を ぬ ぐ い
た ま う 日 』6 を 比 較 す れ ば 、後 者 に お け る 父 親 の パ ロ デ ィ 化 は 顕 著 で
あ る が 、 そ の 過 程 を 明 ら か に す る こ と も 重 要 な 課 題 で あ る と 思 われ
1
渡 辺 広 士 (1994) 「父 を 復 元 す る 想 像 力 」『 大 江 健 三 郎
初 出 『 群 像 』 1973 年 3 月 号
2
大 江 健 三 郎 (2000)『 取 り 替 え 子 』 講 談 社 書 き 下 ろ し
大 江 健 三 郎 (2002)『 憂 い 顔 の 童 子 』 講 談 社 書 き 下 ろ し
大 江 健 三 郎 (2005)『 さ よ う な ら 、 私 の 本 よ ! 』 講 談 社
初 出 「群 像 」2005 年 1 月 号 、 6 月 号 、 8 月 号
初 出 「遅 れ て き た 青 年 」『 新 潮 』 1960 年 9 月 ~ 1962 年 2 月 号
初 出 「み ず か ら 我 が 涙 を ぬ ぐ い た ま う 日 」『 群 像 』 1971 年 10 月 号
3
4
5
6
チ ェ ン ジ リ ング
70
増補新版』審美社
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る 。 そ こ で 本 論 文 で は 、 ま ず 、 大 江 作 品 に お け る 父 親 の 全 体 像 を、
年 代 を 追 っ て 明 確 に 示 し た い 。次 に 、大 江 が 自 ら < 一 生 の テ ー マ > 7
と す る 父 親 と 天 皇 の 問 題 に つ い て 、 権 威 者 と し て の 父 親 と い う 観点
か ら 考 察 を 進 め 、 父 親 の パ ロ デ ィ 化 の 過 程 で 、 何 故 父 親 と 天 皇 なの
か と い う 課 題 に つ い て 検 証 し 、 結 論 を 見 出 し て い き た い 。 作 品 の選
択 に あ た っ て は 、次 の 三 点 に 留 意 す る 。第一 点 は 、
『 父 よ 、あ な た は
ど こ へ 行 く の か ?』 8 の < 自 分 の 父 親 を 思 い だ し て ゆ く と い う 私 小 説
に 似 た ス タ イ ル > 9 を 基 本 と す る 。第 二 点 は 、< 自 分 の 父 親 を 思 い だ
し て ゆ く > 人 物 は 、作 品 に よ っ て「 わ た し 」、「僕 」、「肥 っ た 男 」、「か
れ 」、「 お れ 」 で 登 場 す る 。 第 三 点 は 、 < 私 小 説 に 似 た ス タ イ ル >に
登 場 す る 父 親 の 多 く は 、 < 死 ん だ 父 親 > 、 < 父 親 の 死 > と い う 言葉
で 描 写 さ れ る 場 合 が ほ と ん ど で あ る 。 以 上 の 三 点 を 作 品 選 択 の 条件
として考慮し、分析を行うことにする。
2. 作 品 に お け る 父 親 の 全 体 像
では 次 に 、 大 江 作 品 に お け る 父 親 の 位 置 付 け 、 す な わ ち 、 父 親と
大 江 の 主 題 と の 関 連 を 解 き 明 か す た め に 、約 五 十 年 の 時 間 を 凝 縮 し 、
年代順に、父親に関する作品を見ていきたい。
2.1 1960 年 か ら 1971 年 ま で ( 父 親 と 天 皇 の 起 点 )
父 親 の 死 に 関 し て の 最 初 の 作 品 は 、 1960 年 の 『 遅 れ て き た 青 年 』
で あ る 。 十 歳 の 「 わ た し 」 が 経 験 し た 父 親 の 絶 対 的 な 死 の 恐 怖 は、
天 皇 の 命 に よ る 死 の 恐 怖 と あ い ま っ て 、 そ の 後 の 「僕 」が 永 年 持 ち 続
け る 死 の 恐 怖 の 原 点 と な っ て い る 。こ の テ ー マ は 、2005 年 の 現 在に
至 る ま で 、 大 江 が 持 ち 続 け て い る オ ブ セ ッ シ ョ ン と 見 て よ い で あろ
7
8
9
「大 江 健 三 郎 の 50 年 」『 IN・POCKET』2004 年 4 月 号 講 談 社 (イ ン タ ビ ュ ー ) p.30
初 出 「父 よ 、 あ な た は ど こ へ 行 く の か ? 」『 文 学 界 』 1986 年 10 月 号
大 江 健 三 郎 (1996)『 大 江 健 三 郎 小 説 3 』 新 潮 社 、 以 下 テ キ ス ト 3 と 呼 ぶ 。
大 江 健 三 郎 (1970)『 核 時 代 の 想 像 力 』新 潮 社 p.177 (初 出 「文 学 と は 何 か ?(2)」
1968 年 7 月 30 日 講 演 に よ る ) p.161
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う 。 ま た 、 こ の 作 品 は 、 父 親 と 天 皇 と の 結 び つ き が 暗 示 さ れ た 最初
の 作 品 で も あ る 。 間 が や や あ っ て 、 1968 年 の 『 生 け 贄 男 は 必 要 か 』
10 で は 、 < 唐 突 な 死 > 11 と し て 、
『 狩 猟 で 暮 し た わ れ ら の 先 祖 』 12 で
は 、 < 父 が 急 死 し た 日 > 13 と し て 、 い ず れ も 父 親 の 死 が 突 然 で あ っ
た こ と が 記 さ れ て い る 。 続 く 、『 父 よ 、 あ な た は ど こ へ 行 く の か ?』
(以 下『 父 よ 』と 略 す ) は 、渡 辺 広 士 に よ っ て 、父 親 と 日 本 的 神 秘 主 義 と
し て の 天 皇 が 密 接 に 結 び つ い た 作 品 14 と さ れ 、1969 年 の『 わ れ ら の
狂 気 を 生 き 延 び る 道 を 教 え よ 』 15 (以 下 『 狂 気 を 』 と 略 す ) が そ れ に 続 い
て い る 。 こ の 二 つ の 作 品 に お け る 父 親 は 、 蹶 起 に 失 敗 し 土 蔵 に 自己
幽 閉 し た 人 物 で あ る 。 そ の 死 に つ い て は 、 父 親 に 批 判 的 な 母 親 から
明 確 に さ れ な い が 、 死 因 は 心 臓 麻 痺 と さ れ て い る 。 し か し 「僕 」は 、
父 親 が 自 殺 し た の で は な い か と い う 疑 い も 持 っ て い る 。一 方 、1971
年 の 『 み ず か ら 我 が 涙 を ぬ ぐ い た ま う 日 』 (以 下 『 み ず か ら 』 と 略 す ) で
は 、 天 皇 と 一 体 化 し よ う と し た 父 親 が 蹶 起 し た 結 果 、 銃 撃 戦 で 射殺
さ れ て し ま う 。 超 国 家 主 義 者 で あ る こ の 父 親 と 一 体 化 を 望 む 「 僕」
の 姿 か ら は 、 父 親 と 天 皇 に 拘 る 作 者 の 姿 勢 が 窺 え る 。 そ の 証 拠 に大
江 は 、 < 父 親 と 日 本 的 神 秘 主 義 と し て の 天 皇 制 の 問 題 を 一 緒 に 考え
チ
ェ
ン
ジ
リ ング
る こ と は 、 そ の 後 、 僕 の 一 生 の テ ー マ に な り ま し た 。『 取 り 替 え 子 』
や『 憂 い 顔 の 童 子 』、そ し て い ま 書 こ う と し て い る 小 説 に も 流 れ てい
ま す 。そ れ が 表 面 に 表 れ た 最 初 の 作 品 が『 み ず か ら … … 』で し た> 16
と 述 べ て い る 。 1960 年 か ら 1971 年 ま で を 第 一 段 階 と し て 見 る と 、
超 国 家 主 義 者 と し て の 父 親 と 日 本 的 神 秘 主 義 と し て の 天 皇 が 、 後の
大 江 の < 一 生 の テ ー マ > と さ れ る ほ ど 、 重 要 な 位 置 に あ る こ と が窺
える。
10
11
12
13
14
15
16
初 出 「生 け 贄 男 は 必 要 か 」『 文 学 界 』 1986 年 1 月 号
テ キ ス ト 3 p.298
初 出 「狩 猟 で 暮 し た わ れ ら の 先 祖 」『 文 芸 』 1986 年 2 月 ~ 5 月 、 8 月 号
テ キ ス ト 3 p.325
同 注 1 p.18
初 出 「わ れ ら の 狂 気 を 生 き 延 び る 道 を 教 え よ 」『 新 潮 』 1969 年 2 月 号
同 注 7 p.30
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2.2
1982 年 か ら 1984 年 ま で ( 父 親 と 暴 力 的 な も の )
レイン
・
次 に 、父 親 の 死 が 描 か れ る の は 、1982 年 の『 さ か さ ま に 立 つ 「雨 の
ツリー
木 」』17 で あ る 。こ の 年 、大 江 は 四 十 七 歳 を 迎 え て い る 。「僕 」は 、自
分 が 父 親 の 死 ん だ 年 齢 に 近 づ い て い る こ と を 意 識 し 始 め 、 そ れ につ
い て 、 < 僕 は い ま や 自 分 の 父 親 が 急 死 し た 年 齢 に 近 づ い て い る 。数
え で 五 十 歳 の 父 親 は 、 冬 の 真 夜 中 に 半 身 を 起 し て 、 脇 に 寝 て い た母
親 を 心 底 震 え あ が ら せ 、終 生 「ノー シ ン 」と 縁 が 切 れ な く す る ほ ど の 、
怒 り に 燃 え る 声 を ひ と 声 発 し て 死 ん だ > 18 と 記 し て い る 。 こ の 一 文
は 、『 「罪 の ゆ る し 」の あ お 草 』 19 に 再 度 描 か れ て い る 。『 さ か さ ま に
レイン
・ ツリー
立 つ 「雨 の 木 」』の も う 一 つ の キ ー ワ ー ド は < 忿 怒 > で あ る が 、「僕 」
は 、 反 核 の 講 演 が 無 断 で キ ャ ン セ ル さ れ た こ と に 対 し < 忿 怒 > を持
っ た 20 、 と い う 解 釈 が 当 然 可 能 と な る 。 し か し 、 そ れ な ら ば 何 故 、
< 忿 怒 > と 、 父 親 の < 怒 り に 燃 え る 声 を ひ と 声 発 し て 死 ん だ > こと
が 併 行 し て 書 か れ た の か と い う 疑 問 が 残 る が 、 こ れ に つ い て は 後述
レイン
・ ツリー
す る こ と に す る 。 次 は 、 同 年 の 『 泳 ぐ 男 - 水 の 中 の 「雨 の 木 」』 21 で
あ る 。 こ の 作 品 で は 、 父 親 が 死 の 直 前 に 「僕 」に 与 え た 教 訓 と し て 、
< ― お ま え の た め に 、 他 の 人 間 が 命 を 棄 て て く れ る は ず は な い 。そ
う い う こ と が あ り う る と 思 っ て は な ら な い 。 き み が 頭 の 良 い 子 供だ
と チ ヤ ホ ヤ さ れ る う ち に 、 誰 か お ま え よ り ほ か の 人 間 で 、 そ の 人自
身 の 命 よ り お ま え の 命 が 価 値 が あ る と 、 そ の よ う に 考 え て く れ る者
が 出 て く る な ど と 、 思 っ て は な ら な い 。 そ れ は 人 間 の も っ と も 悪い
レ イ ン ・ ツリー
17
初 出 「さ か さ ま に 立 つ 「雨 の 木 」」『 文 学 界 』 1982 年 3 月 号
18
大 江 健 三 郎 (1996)「 さ か さ ま に 立 つ 「雨 の 木 」」『 大 江 健 三 郎 小 説 7 』 新 潮 社
p.128 以 下 テ キ ス ト 7 と 呼 ぶ 。
初 出 「「罪 の ゆ る し 」の あ お 草 」『 群 像 』 1984 年 9 月 号
19
レ イ ン ・ ツリー
レ イ ン ・ ツリー
20
根 岸 泰 子 (1997)「『 雨 の 木 』を 聴 く 女 た ち ― メ タ フ ァ ー の 受 胎 と そ の 死 ま で 」
『 国 文 學 』 2 月 臨 時 増 刊 号 p.97 参 照 。
21
初 出 「泳 ぐ 男 ― 水 の 中 の 「雨 の 木 」」『 新 潮 』 1982 年 5 月 号
レ イ ン ・ ツリー
73
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堕 落 だ > 22 と あ る 。こ の 言 葉 は 、1984 年 の『 「罪 の ゆ る し 」の あ お 草 』
で 、 更 に 二 回 繰 り 返 さ れ る 。 「僕 」は 、 後 に 父 親 の 予 言 的 な 言 葉 が正
し か っ た こ と を 確 認 し て い る 。 従 っ て 、 こ の 言 葉 か ら は 、 死 ん だ父
親 が 単 な る 子 供 の 父 親 と い う だ け で は な く 、 鋭 い 洞 察 力 の 持 ち 主で
あ っ た と 推 測 さ れ る 。次 は 、1983 年 の『 鎖 に つ な が れ た る 魂 を し て』
23 で あ る 。 こ の 作 品 に お い て は 、 ブ レ イ ク の 暴 力 的 な 挿 話 か ら 、 職
人 と し て の 父 親 を 回 想 す る 記 述 が あ る 。 そ れ に よ る と 、 四 十 代 半ば
の 父 親 は 、三 椏 の 仕 事 に お い て < 統 率 者 、族 長 の 印 象 > 24 が あ っ た 。
そ ん な あ る 日 、 父 親 は 、 工 場 を 視 察 に 訪 れ た 警 察 署 長 に < 犬 を 叱る
よ う > 25 に 作 業 を 催 促 さ れ る と い う 屈 辱 的 な 場 面 に 遭 遇 す る 。 「僕 」
は 、 父 親 の 肉 体 の 内 部 に 蓄 積 さ れ た 暴 力 的 な も の が 爆 発 し 、 そ れが
原 因 で < 怒 り 狂 っ て い る 大 声 を あ げ て 死 ん だ > 26 と 考 え る 。そ し て 、
そ の 暴 力 的 な も の が 、 息 子 で あ る 「僕 」の肉 体 の 中 に も 存 在 す る と い
う 自 覚 を 持 っ て お り 、 < 父 が 死 ん だ 年 齢 に 一 年 を あ ま す の み > 27 だ
レイン
・ ツリー
と 気 づ く 。こ の 点 を 、前 出 の『 さ か さ ま に 立 つ 「雨 の 木 」』に お け る
< 忿 怒 > に 重 ね る と 、 「僕 」自 身 に も 父 親 の よ う な 暴 力 的 な も の の 内
在 に よ り 、 < 忿 怒 > に よ っ て 自 爆 し て し ま う の で は な い か 、 そ のよ
う な 危 惧 が 「僕」に あ っ た か ら こ そ 、 死 ん だ 父 親 の 年 齢 に 近 づ い たこ
と と < 忿 怒 > が 併 行 し て 描 か れ た の で は な い か と 考 え ら れ 、 先 の問
題 の 解 決 に 繋 が る も の と 思 わ れ る 。 死 ん だ 父 親 に つ い て は 、 1984
年 の『 揚 げ ソ ー セ ー ジ の 食 べ 方 』28 、
『もうひとり和泉式部が生まれ
た 日 』 29 に も 記 述 が あ る 。1984 年 に は 、『 「罪 の ゆ る し 」の あ お 草 』
が あ る が 、こ の 作 品 は 、父 親 の 死 に 関 す る 様 ざ ま な 前 作 か ら の 引 用 30
22
23
24
25
26
27
28
29
30
テ キ ス ト 7 p.169
初 出 「鎖 に つ な が れ た る 魂 を し て 」『 文 学 界 』 1983 年 4 月 号
テ キ ス ト 7 p.315
テ キ ス ト 7 p.317
テ キ ス ト 7 p.317
テ キ ス ト 7 p.319
初 出 「揚 げ ソ ー セ ー ジ の 食 べ 方 」『 世 界 』 1984 年 1 月 号
初 出 「も う ひ と り 和 泉 式 部 が 生 ま れ た 日 」『 海 』 1984 年 5 月 号
大 江 健 三 郎 (1985)『 小 説 の た く ら み 、 知 の 楽 し み 』 新 潮 社
74
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に よ っ て 構 成 さ れ て い る 。 そ の 意 味 に お い て 、 父 親 の 死 を 総 括 した
よ う な 作 品 で も あ る 。 し か し 、 父 親 の 死 に 自 分 が 関 与 し た の で はな
い か と い う 罪 悪 感 を 持 っ て い る 点 で 、 他 の 作 品 と は 異 な っ て お り、
父 親 の 自 殺 に つ い て は 、 後 に 根 拠 の な い も の と し て 否 定 し て い る。
1982 年 か ら 1984 年 ま で を 第 二 段 階 と し て ま と め る と 、「僕 」に と っ
て 死 ん だ 父 親 は 、統 率 者 、族 長 の 印 象 を 持 っ た 威 厳 あ る 人 物 で あ る 。
「僕」は 、 そ の 父 親 が 、 自 己 の 内 部 に 潜 む 暴 力 的 な も の に よ っ て 怒り
狂 っ た 大 声 を あ げ て 突 然 死 し て し ま っ た の で は な い か と い う 疑 問を
持 っ て い る 。 「僕 」は 、 自 分 が 死 ん だ 父 親 の 年 齢 に 近 づ く に つ れ て 己
の 中 に 潜 む 暴 力 的 な も の を 発 見 し 、 自 分 も 父 親 と 同 じ 道 を 辿 る ので
は な い か 、 と い う 恐 れ を 抱 い て い る こ と が わ か る 。 人 間 に 内 在 する
暴 力 的 な も の は 、 大 江 の 重 要 な 主 題 の ひ と つ で あ り 、 父 親 も そ の役
割の一端を担っていることが、これらの点から理解できる。
2.3
1984 年 か ら 1986 年 ま で ( 父 親 と 死 の 恐 怖 )
第 三 段 階 は 、 「僕 」が 父 親 の 死 ん だ 年 齢 に 達 し た 辺 り か ら 見 ら れ る
変 化 で あ る 。1984 年 の『 い か に 木 を 殺 す か 』 31 で は 、「僕 」が書 こ う
と し て い る 小 説 に つ い て 、< ― つ ま り は 死 に 向 け て 年 を と る 自 分 に、
い つ ま で も 遠 い の で な い 死 の い た る 時 ま で 、 完 成 は し な い の で ない
か と ― そ の よ う な 疑 い も い だ い て き た の だ > 32 と い う 危 惧 を 持 っ て
い る 。 つ ま り 、 数 え で 五 十 歳 頃 か ら 、 「僕 」は < 死 に 向 け て 年 を とる
自 分 > を 考 え 始 め て い る こ と が 窺 え る 。 続 く 1985 年 の 『 四 万 年 前
の タ チ ア オ イ 』 33 で は 、 < ― タ カ チ ャ ン 、 僕 は 五 十 歳 か ら あ と を ま
だ 一 度 も 生 き た こ と が な い 。 き み が 知 っ て い る と お り 曽 祖 父 も 祖母
も 父 も 、五 十 歳 前 に 死 ん だ か ら ね 。い っ た い ど う す れ ば い い も の か ?
31
32
33
初 出 「い か に 木 を 殺 す か 」『 新 潮 』 1984 年 11 月 号
大 江 健 三 郎 (1997)『 大 江 健 三 郎 小 説 8 』 新 潮 社 p.228 以 下 、 テ キ ス ト 8 と 呼
ぶ。
初 出 「四 万 年 前 の タ チ ア オ イ 」『 季 刊 へ る め す 』 1985 年 第 3 号
75
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> 34 と 、 こ れ か ら 先 、 生 き 延 び る 準 備 が で き て い な い 心 境 を 、 妹 的
人 物 「タ カ チ ャ ン 」に 訴 え て い る 。1985 年 の『 死 に 先 だ つ 苦 痛 に つ い
て 』35 で は 、更 に 、死 を 恐 怖 す る 苦 痛 に つ い て 具 体 的 に 述 べ て い る 。
そ の 一 つ は 、 冒 頭 に 語 ら れ る 父 親 の 死 で あ る 。 父 親 は 「僕 」に 、 < ―
ば
あ
祖母様は躰が壮健であったから、いつまでも心臓がとまらず、酷た
ら し い こ と だ っ た が ! 死 ぬ 段 に な れ ば 、 軀 を 弱 め て お か ね ば な らぬ
な あ > 36 と 言 い 残 し 、 半 年 後 に や は り 怒 り 狂 っ た 大 声 を 発 し て 死 ん
で し ま う 。 「僕」は 、 < 永 い 時 期 に わ た り 、 父 親 が 自 殺 し た の で はな
、、、、、
い か と い う 疑 い に 苦 し め ら れ た 。 そ れ も 父 親 が 軀 を 弱 め て 自 分 の死
に そ な え た の で は な い か 、と い う 具 体 的 な 疑 い (傍 点 原 文 の ま ま ) > 37 を
持 っ て い た 。1986 年 の『 M / T と 森 の フ シ ギ の 物 語 』 38 に も 、全 く
同 様 の 一 文 が あ る 。 「僕」は 、 す で に 『 父 よ 』 か ら 、 父 親 が 自 殺 した
の で は な い か と い う 疑 い を 持 っ て い た が 、こ の ふ た つ の 作 品 か ら は 、
自 殺 説 の 根 拠 を 、 肉 体 的 苦 痛 に よ る 死 の 恐 怖 か ら の 逃 避 、 に 見 出す
こ と も 可 能 で あ ろ う 。大 江 は 、主 人 公 「タ ケ チ ャ ン 」の 言 葉 を 借 り て 、
< 人 間 が 死 に つ い て 恐 怖 す る の は 、 死 後 の 虚 無 を 考 え て の 精 神 の苦
し み と 、 生 命 が 肉 体 の な か で 打 ち 破 ら れ る 、 極 限 の 苦 痛 へ の 恐 れと
い う ふ た つ が あ る > 39 と 、ふ た つ の 死 す る 恐 怖 に つ い て 語 っ て い る 。
「タ ケ チ ャ ン 」が 死 に 際 し て 味 わ っ た 二 重 の 死 の 恐 怖 に つ い て 、 や が
て 「 お れ 」 も そ の よ う な 恐 怖 を 味 わ っ て 死 ぬ の で あ ろ う と 考 え てい
る 。1984 年から 1986 年 ま で の 第 三 段 階 を ま と め る と 、「僕 」は 、自
分 が 四 十 九 歳 と い う 年 齢 に 達 し て か ら 、 < 死 に 向 け て 年 を と る 自分
> を 意 識 し 始 め 、 < 死 後 の 虚 無 > と 肉 体 的 苦 痛 へ の 恐 れ と い う 具体
的 な 死 の 恐 怖 を 提 示 し て い る 。 こ の 点 か ら 、 九 歳 の 実 体 験 と し ての
34
35
36
37
38
39
テ キ ス ト 8 p.337
初 出 「死 に 先 だ つ 苦 痛 に つ い て 」『 文 学 界 』 1985 年 9 月 号
テ キ ス ト 8 p.357
テ キ ス ト 8 p.357
初 出 「M / T と 森 の フ シ ギ の 物 語 」『 季 刊 へ る め す 』1986 年 第 6 号 ~ 第 8 号( 第
四章第五章は書き下ろし)
テ キ ス ト 8 p.367
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父 親 の 死 が 、数え で 五 十 歳 を 過 ぎ て も 尚 、
「 僕 」が 持 ち 続 け る オ ブ セ
ッションであると見て間違いないであろう。
2.4
1991 年 ( 父 親 と 谷 間 の 森 の 地 形 )
第 四 段 階 は 、暫 く 間 が あ っ て 、1991 年 の『 火 を め ぐ ら す 鳥 』 40 で
あ る 。そ こ に は 、< 父 親 が 死 の ま ぎ わ ま で 枕 許 に 置 い て い た 辞 書 > 41
と い う 形 で 、死ん だ 父 親 が 反 映 さ れ て い る 。続 い て は 、同 年 の『 「涙
を 流 す 人 」の 楡 』42 で 、「僕」の 五 、六 歳 ご ろ の 記 憶 と し て 語 ら れ て い
る 。 「僕 」は 、 楡 の 木 と も 思 わ れ る 木 の 下 に 、 白 い ベ ー ル を か ぶ っ た
女 性 が 赤 ん 坊 を 抱 い て い る 光 景 を 眼 に し た 記 憶 を 持 っ て い る 。更 に、
みつまた
<夜ふけに父親が、家業の内閣印刷局におさめる三椏の工場にいた
若 い 衆 た ち と 、 も の も の し い ほ ど の 身 支 度 を し て 、 鶴 嘴 や ス コ ップ
を 持 っ て 森 に 昇 っ て 行 く … … > 43 と い う 記 憶 が あ る 。 「僕 」は 、 こ の
二 つ の 記 憶 を 結 び つ け て 、あ る 家 族 (朝 鮮 人 労 働 者・論 者 注 ) の 赤 ん 坊 が 、
埋 め ら れ て は な ら な い 村 の 墓 地 の は ず れ に 埋 葬 さ れ て い る こ と を、
父 親 に 報 告 す る 。 そ こ で 父 親 は 、 若 い 衆 を 指 揮 し て 掘 り 起 こ し 森の
奥 へ 捨 て て し ま っ た 。 父 親 は そ の 三 年 後 に 急 死 す る が 、 原 因 は その
せ い で は な い か と 怯 え る 。 こ の 記 憶 は 「僕 」に 、 自 分 と 父 親 と に 関わ
る 罪 障 感 と な っ て 覆 い か ぶ さ っ て い る 。 1984 年 の 『 「罪 の ゆ る し 」
の あ お 草 』、更 に こ の 作 品 で も 、父親 の 死 に 自 分 が 関 与 し た 際 、罪悪
感 、 罪 障 感 を 感 じ て い る と こ ろ に 共 通 点 が あ る 。 そ し て 前 者 は 、谷
間 の 森 の 「壊 す 人 」と 父 親 の 死 が 絡 ん で お り 、 後 者 は 、 谷 間 の 森 の 楡
の 木 と、父 親 の 行 為 が 絡 ん で い る 。す な わ ち 、父 親 の 死 を 考 え る 時 、
同 時 に 、 谷 間 の 森 の 地 形 が 「僕 」に と っ て 重 要 な 背 景 と な っ て い る こ
とを見逃してはならないであろう。
40
41
42
43
初 出 「火 を め ぐ ら す 鳥 」『 Switch』 1991 年 7 月 、 Vol.9 No.3
テ キ ス ト 8 p.446
初 出 「「涙 を 流 す 人 」の 楡 」『 Literary Switch』 1991 年 11 月 、 Vol.1 No.3
テ キ ス ト 8 p.463
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2.5
2000 年 か ら 現 在 ま で ( 父 親 と 天 皇 の 再 現 )
チ
ェ
ン
ジ
リ ング
第 五 段 階 は 、2000 年 の『 取 り 替 え 子 』と 2002 年 の『 憂 い 顔 の 童
子 』、2005 年 の『 さ よ う な ら 、私 の 本 よ ! 』か ら な る 三 部 作 で あ る 。
1971 年 の『 み ず か ら 』に お い て 、父 親 は 蹶 起 を 指 揮 し た 超 国 家 主 義
チ
ェ
ン
ジ
リ ング
者として描かれたが、
『 取 り 替 え 子 』で は 、そ の 後 日 譚 と し て 父 親 の
弟 子 「大 黄 さ ん 」が 登 場 す る 。 そ の 「大 黄 さ ん 」に 丸 山 眞 男 の 政 治 思 想
が 絡 ん で 描 か れ 44 、 超 国 家 主 義 思 想 の 内 容 が 前 作 に も 増 し て 具 体 的
に 提 示 さ れ て い る 。こ れ ら 三 部 作 に お け る 父 親 像 は 、
『 み ず か ら 』と
ほ ぼ 同 様 、 蹶 起 し た 将 校 ら に 指 揮 者 と し て 担 ぎ 出 さ れ 、 異 常 な 死を
遂 げ た と い う 点 で 共 通 し て い る 。1960 年 を 起 点 と す る 父 親 と 天 皇と
の 関 連 が 、 四 十 年 の 時 を 経 て 再 度 繰 り 返 さ れ た こ と は 、 大 江 に とっ
てこのテーマがいかに重要なものであるか、言うまでもない。
以上の作品の整理によって、各年代における父親と大江の主題と
の 繋 が り が 多 少 な り と も 明 ら か に な っ た と 思 わ れ る 。 そ こ で 、 次節
で は 、 こ の 関 連 の 中 で 最 も 重 要 視 さ れ る 超 国 家 主 義 と 父 親 と 天 皇に
つ い て 、 権 威 者 と し て の 父 親 と い う 観 点 か ら 考 察 を 進 め て い く こと
にする。
3. 権 威 者 と し て の 父 親 像
父 親 が 最 初 に 描 か れ た の は 、『 遅 れ て き た 青 年 』 で あ る 。 こ の 作
品 は 、 江 藤 淳 に よ っ て 失 敗 作 45 と 言 わ れ て い る が 、 戦 争 、 天 皇 、 政
治 、性 な ど の 大 江 の 主 要 な 主 題 が 内 在 さ れ て い る 点 を 重 要 視 し た い。
例 え ば 、 そ の 一 つ に 、 < 父 親 と 日 本 的 神 秘 主 義 と し て の 天 皇 制 の問
題 > 46 が 挙 げ ら れ る 。
『 遅 れ て き た 青 年 』を 仔 細 に 見 る 時 、何 故 父 親
と 戦 争 と 天 皇 な の か を 知 る 鍵 が 、こ こ に あ る よ う に 思 わ れ る 。で は 、
こ の 作 品 の 父 親 像 を 、 引 用(1)か ら 見 て い く こ と に す る 。
44
45
46
チ ェ ン ジ リ ング
『取り替え子』における丸山眞男の政治思想の分析については、小森陽一
(2002)『 歴 史 認 識 と 小 説 』 講 談 社 に 詳 し い 。
福 田 和 也 (2001)『 江 藤 淳 コ レ ク シ ョ ン 3 文 学 論 Ⅰ』 ち く ま 学 芸 文 庫 p.235
同 注 7 p.30
78
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(1)
戦 争 は お わ る こ と が な い 、ぼ う や 、お ま え は 戦 争 に 遅 れ な い だ ろ う 。父 親 は そ う
い っ て い た 、(中 略 )昔 、な が い 昔 に そ う い っ て い た よ う な 気 が す る 。神 武 天 皇 が 生
きていたころから父親がそういっていたのだという気がする。神武天皇につづく、
薄 暮 の 中 の 天 皇 た ち の 大 行 進 、そ の す べ て の 時 代 に わ た っ て 、父 親 が そ う い っ て い
た の だ 、ぼ う や 、お ま え は 戦 争 に 遅 れ な い だ ろ う 、戦 争 に は 誰 ひ と り 遅 れ る こ と が
あ る ま い ! 47
戦争には誰も遅れることはないと絶対肯定する父親像、そして、
こ の 戦 い が 天 皇 の 命 に よ っ て な さ れ て い る こ と が 、(1)で 強 く 暗 示さ
れ て い る 。少 な く と も 父 親 は 、(1)か ら 参 戦 を 強 く 望 む 者 で あ る こ と
が 窺 え る 。 し か も 、 そ の 戦 争 の 陰 に は < 薄 暮 の 中 の 天 皇 た ち > の姿
が 見 え る 。 従 っ て 、 父 親 と 天 皇 と 戦 争 の 結 び つ き の 暗 示 は 、 す でに
こ の 『 遅 れ て き た 青 年 』 か ら 窺 い 知 る こ と が で き る と 言 え る で あろ
う 。 「わ た し 」に と っ て 、 父 親 は 戦 争 肯 定 者 で あ り 、 「わ た し 」は こ の
父 親 を 尊 敬 し て い る 。 そ の 様 子 が (2)の 引 用 か ら わ か る 。
(2)
わ た し は 父 親 を 誇 り に 感 じ て い た 。父 親 は 鼻 歌 を う た っ て い た 。歌 の 一 節 ご と に 、
、
、
と い う 言 葉 と か 、か と い う 言 葉 を い れ て 、他 人 ご と の よ う に 歌 っ て い る 。歌 そ の も
の を 軽 蔑 し た よ う に 歌 っ て い る 。父 親 は 、百 姓 の 女 房 た ち の 、か れ の も と に 三 椏 の
皮 剥 ぎ の 仕 事 を も ら い に く る 連 中 を 軽 蔑 し 、歌 を 軽 蔑 し て い る 。戦 場 に 出 る こ と だ
け を 望 ん で い る の だ 。 (傍 点 原 文 の ま ま )
48
(2)か ら は 、父 親 が < 三 椏 の 皮 剥 ぎ の 仕 事 を も ら い に く る 連 中 > に
仕 事 を 与 え る 立 場 の 人 間 で あ る こ と が わ か る 。 こ こ に 、 父 親 の 権威
者 と し て の 一 面 を 見 る こ と が で き る 。 ま た 、 前 出 の 『 鎖 に つ な がれ
た る 魂 を し て 』 の 中 に は 、 < 農 家 と 交 渉 す る 父 親 に は 、 統 率 者 、族
長 の 印 象 が あ っ た > 49 と い う 父 親 像 が 描 か れ て お り 、 こ こ で も 、 統
率 者 、 族 長 と し て の 父 親 の 威 厳 の あ る 姿 が 窺 え る 。 一 方 、 「わ た し 」
は(2)で 、父 親 が < 戦 場 に 出 る こ と だ け を 望 ん で い る の だ > と 見 てお
47
48
49
大 江 健 三 郎 (1966)『 大 江 健 三 郎 全 作 品 4』 新 潮 社 p.24
呼ぶ。
テ キ ス ト 全 4 p.28
テ キ ス ト 7 p.315
79
以下テキスト全4と
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り 、 父 親 を 明 確 に 戦 争 崇 拝 者 と し て 位 置 付 け て い る 。 そ の 父 親 の、
家 長 と し て の 立 場 は ど う だ っ た の で あ ろ う か 。研 究 対 象 作 品 の 中 で、
父 親 が 言 っ た と さ れ る 言 葉 は 数 少 な い が 、 そ の 中 で も (3)は 、 「わ た
し 」の 家 で の 、父 親 を 含 む 男 性 の 地 位 を 表 し た 言 葉 と し て 重 要 視 さ れ
るであろう。
(3)
そしてわたしの言葉が王侯の命令ででもあったかのようにたちまちわたしの寝
る た め の 場 所 が し つ ら え ら れ た 。死 ん だ 父 親 が い っ て い た 言 葉 だ が わ た し の 家 の 伝
統は、女が男の奴隷であることだ。
50
こ こ で 、 「わ た し 」の 言 葉 は < 王 侯 の 命 令 > で も あ る か の よ う に 捉
え ら れ て い る 。 つ ま り 、 父 親 が 単 に 「わ た し 」の 家 の 男 性 と い う だ け
で は な く 、 族 長 と し て の 存 在 で あ っ た と い う こ と は 、 「わ た し 」を 含
む 家 族 に と っ て 絶 対 的 地 位 の 存 在 で あ っ た と 推 測 さ れ る 。 < 死 んだ
父 親 > の 言 葉 の 時 代 設 定 が 、少 な く と も 1944 年以前 51 の こ と で あ り 、
そ の 当 時 の 家 族 制 度 が 、 ま だ 家 長 中 心 で あ っ た こ と 考 え 合 わ せ れば
な お さ ら の こ と で あ る 。こ う し て (1)(2)(3)を 総 合 的 に 見 る と 、「わ た
し 」の 父 親 像 の 全 体 は 、まず 、戦 争 参 加 絶 対 肯 定 者 と し て 、い わ ゆ る
戦 争 崇 拝 者 で あ っ た こ と が 理 解 で き る 。 そ れ は 、 天 皇 の 命 に よ る戦
争 に 参 加 す る こ と で あ り 、 こ の 点 に 父 親 の 天 皇 崇 拝 が 暗 示 さ れ てい
る 。 次 に 、 父 親 が 村 に お け る 統 率 者 で あ り 、 家 に お け る 族 長 で あっ
た こ と か ら は 、 権 威 者 と し て の 父 親 像 を 見 る こ と が で き る 。 こ うし
た 角 度 か ら(1)(2)(3)を 見 る と 、そ の 原 型 と も 言 え る も の が 、
『遅れて
き た 青 年 』 に は 見 ら れ る よ う に 思 わ れ る の で あ る 。 こ れ に 対 し て、
渡 辺 広 士 は 、 父 親 の 死 と 天 皇 の 求 め る 死 の 観 点 か ら < 大 江 健 三 郎の
、
場 合 に は 、 こ の 「 天 皇 」 が 求 め る 死 が 、 幼 い 彼 に と っ て 、 父 の 死に
、 、、、、、、、
よ っ て 知 っ た 死 の 絶 対 的 な 事 実 性 と 結 び つ い て い た ら し い と い うこ
と で あ る 。(中 略 ) これ ら の 事 実 ( 大 江 の エ ッ セ イ ・論 者 注 ) によって、少
、 、、 、
年 大 江 健 三 郎 の 内 部 で 父 と 天 皇 と 死 ― そ の 恐 怖 と 恍 惚 ― と が ど のよ
50
51
テ キ ス ト 全 4 p.164
父 親 の 死 は 1944 年 の こ と で あ る 。
80
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う に 深 く 結 び つ い た か を 推 測 す る こ と が で き る 。 (傍 点 原 文 の ま ま ) >
52 と 述 べ て い る 。 こ こ で 渡 辺 広 士 は 、 大 江 が 目 の 当 た り に 経 験 し た
父 親 の 死 と 、 天 皇 の 命 に よ る 死 を 結 び つ け て 論 じ て い る こ と が 理解
で き る 。 こ れ を 全 面 的 に 肯 定 す る と し て 、 先 の 引 用 か ら は 、 父 親が
村 や 家 で の 権 威 者 で あ っ た こ と が 、 天 皇 と い う 絶 対 権 威 者 へ の 敬意
と 畏 怖 を 「僕 」に 抱 か せ る 重 要 な 要 因 と な っ た 、と 見 て よ い で あ ろ う 。
次 に 、父 親 の 権 威 者 と し て の 姿 が 見 ら れ る の は 、1968 年 の『 狩 猟
で 暮 し た わ れ ら の 先 祖 』 で あ り 、 後 に 、 単 行 本 『 わ れ ら の 狂 気 を生
『狂気を』
き 延 び る 道 を 教 え よ 』 (以 下 『 狂 気 を 』 と 略 す ) に収 録 さ れ た 。
の 中 に は 、 父 親 が 描 か れ た 作 品 が 三 作 あ る 。 そ の 一 作 目 が 『 狩 猟で
暮 し た わ れ ら の 先 祖 』 で あ る 。 こ の 作 品 は 、 谷 間 の 村 を 追 わ れ 、全
国 を 流 浪 す る 「 山 の 人 」 の 物 語 で あ る が 、 彼 ら が 飼 っ て い た と され
る 山 羊 に 関 し て 、父 親 の 言 葉 が 見 ら れ る 。1944 年 夏 の 出 来 事 と し て、
「僕」は < か れ ら が 密 殺 し た 山 羊 の 肉 を 、 深 夜 ひ そ か に 父 親 の 指 示を
う け て 買 い に > 53 行 く 。1944 年 夏 と い う 時 代 背 景 を 考 慮 す る と 、山
羊 の 肉 な る も の が 存 在 し た の で あ れ ば 、 そ れ は 貴 重 な 食 糧 源 で あっ
た に 違 い な い 。山 羊 の 肉 に 関 し て 、父 親 の 言 葉 が 、以 下 の(4)(5)(6)(7)
の引用に見られる。
(4)
男は山羊の首筋からぬいたモズの嘴をズボンの腿にこすりつげながら起きあが
る 。 か れ ら が 独 自 の 手 続 き を ふ ん で 殺 し た 山 羊 は 、 臭 く な い と 僕 の 父 は い っ た 。 54
(5)
皿 に 盛 ら れ て つ き だ さ れ た 山 羊 の 肉 の 刺 身 を 見 つ め て か ら 、僕 は 顔 を う つ む け そ
の 匂 い を か ご う と し た 。 そ れ は 臭 く な い 。「 山 の 人 」 た ち が 、 か れ ら 独 自 の 手 続 き
を ふ ん で 殺 し た 山 羊 は 、 臭 く な い と 僕 の 父 は い っ た 。 55
(6)
父 は 村 で の 権 威 を 発 揮 し て 、あ か ら さ ま に で は な い が 強 制 的 に「 山 の 人 」た ち か
ら 山 羊 の 肉 を 買 い あ げ た の だ し 、使 い に ゆ く 僕 も ま た「 山 の 人 」た ち が 抵 抗 し え な
い こ と を 知 っ て い た の だ 。同 時 に 子 供 な が ら 僕 は 、山 羊 の 肉 が テ ン ト 生 活 す る「 山
52
53
54
55
同 注 1 p.12-13
テ キ ス ト 3 p.313
テ キ ス ト 3 p.319
テ キ ス ト 3 p.325
81
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の 人 」た ち 自 身 に と っ て 、き わ め て 貴 重 で あ る こ と も 知 っ て い た 。そ の 山 羊 肉 を う
ば い さ り な が ら「 山 の 人 」た ち が 再 び 森 に 戻 る こ と を 妨 げ た 工 作 の 中 心 人 物 は 、や
は り 父 だ 。「 山 の 人 」 た ち が 、 か れ ら 独 自 の 手 続 き を ふ ん で 殺 し た 山 羊 は 、 臭 く な
い と 父 は 酔 い に う っ と り し て 家 族 み な に い か が わ し い 権 威 を こ め て 話 し た … … 。 56
(7)
「 山 の 人 」た ち の 山 羊 の 肉 を と り あ げ て 食 う ほ ど の こ と ま で し た 父 も ま た 、あ る
朝 、 自 分 は 気 が 滅 い っ て い る と い っ た 。 5 7 (引 用 の 下 線 す べ て 論 者 )
(4)(5)(6)に お け る < か れ ら 独 自 の 手 続 き を ふ ん で 殺 し た 山 羊 は 、
臭 く な い > の 繰 り 返 し に は 、 「山 の 人 」が永 く 培 っ て き た 独 自 の 狩 猟
生 活 の 一 端 が 窺 え る し 、 こ の 点 を 認 め て い る 父 親 の 態 度 も 了 解 でき
る 。そ れ に 反 し て (6)の < 父 は 村 で の 権 威 を 発 揮 し て > 、< 強 制 的 に
「山 の 人 」た ち か ら 山 羊 の 肉 を 買 い あ げ た > 、 < そ の 山 羊 肉 を う ばい
さ り な が ら 「山 の 人 」たち が 再 び 森 に 戻 る こ と を 妨 げ た 工 作 の 中 心 人
物 > 、< い か が わ し い 権 威 を こ め て 話 し た > や 、(7)の < 「山 の 人 」た
ち の 山 羊 の 肉 を と り あ げ て 食 う ほ ど の こ と ま で し た 父 > な ど に は、
「山 の 人 」の 特 殊 性 を 認 め な が ら も 、 か れ ら を 威 圧 す る 村 の 実 力 者で
あ る 父 親 の 姿 が 反 映 し て い る 。従っ て 、(6)(7)の 引 用 に『 遅 れ て き た
青 年 』 の (1)(2)(3)を 重 ね る と 、 村 や 一 族 の 権 威 者 で あ る 父 親 像 が 明
確 に 浮 か び 上 が っ て く る 。 で は 、 こ の 権 威 者 と し て の 父 親 が 、 どの
よ う に 天 皇 に 繋 が っ て い る の か 、 そ の 構 造 に つ い て 大 江 は 、 < 僕た
ち 農 村 で 生 ま れ た 人 間 に と っ て は 、 戦 中 の 子 供 の 頃 か ら 大 き い 縦の
軸 は 見 え て い た 。 そ の 上 の ほ う に 天 皇 が あ り 、 中 間 に 東 京 の 警 察組
織 が あ り 、国 家 組 織 が あ り 、超 国 家 主 義 が あ り 、一 番 下 に 村 の 社 会 、
村 の 共 同 体 、 そ し て 父 親 が い る こ と は 明 ら か で し た > 58 と 述 べ て い
る 。 す な わ ち 、 権 威 者 の 縦 の 軸 の 底 辺 に 父 親 が い て 、 そ の 頂 点 には
天 皇 が 君 臨 し て い る 。 (2)の よ う に < 父 親 を 誇 り に > 感 じ て い た 「わ
56
57
58
テ キ ス ト 3 p.325
テ キ ス ト 3 p.338
大 江 健 三 郎 ・ す ば る 編 集 部 編 (2001) 「座 談 会 大 江 健 三 郎 の 文 学 」『 大 江 健 三
郎 ・ 再 発 見 』 す ば る 編 集 部 (初 出「 す ば る 」 2001 年 3 月 号 「座 談 会 昭 和 文 学
史 XV Ⅲ」) p.100-101
82
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た し 」で あ る な ら 、そ の 頂 点 に 立 つ 天 皇 と い う 神 秘 主 義 的 絶 対 存 在 へ
の 敬 意 と 畏 怖 は 、 絶 大 な も の で あ っ た に 違 い な い 。 こ の 点 に 、 権威
者 と し て の 父 親 と 天 皇 と の 決 定 的 な 繋 が り を 見 る こ と が で き る ので
ある。
4. 権 威 者 か ら の 変 貌
では次に、二作目の『父よ』における父親像を探っていくことに
す る 。 こ の 作 品 に お け る 父 親 は 、 「僕 」によ っ て 次 の こ と が 明 ら か に
さ れ て い る 。 父 親 は 、 あ る 事 情 に よ り 土 蔵 に 自 己 幽 閉 し た 人 物 で、
理 髪 師 用 の 機 械 椅 子 に 坐 っ て い た こ と 、 暗 殺 者 に 狙 わ れ る が 抵 抗す
る 意 志 は な か っ た こ と 、 肥 満 し た 大 男 で あ っ た こ と 、 心 臓 発 作 で死
ん だ ら し い こ と 、 気 が 狂 っ て い た か ど う か は 不 明 で あ る こ と な どで
あ る 。 し か し 、 「僕 」は、 父 親 が 自 殺 し た の で は な い か と い う 疑 い を
持 っ て お り 、 土 蔵 に こ も っ た 理 由 を 肯 定 的 に 捉 え 、 父 親 を 美 化 しよ
う と し て い る 。 大 江 は 、 実 際 の 執 筆 動 機 に つ い て 、 作 中 と 同 様 、ニ
ューヨークの近代美術館で見た彫刻がきっかけとなっていることを、
「文 学 と は 何 か ? (2)」にお い て 明 ら か に し て い る 59 。その中で、<作
者 と 、 作 中 人 物 と 、 読 者 と の あ い だ に 、 作 家 の 意 識 が 働 く の は 当然
と し て 、 作 家 の 主 観 を は な れ た 客 観 性 と い う の も あ る は ず で す > 60
と し 、 彫 刻 の 前 で 自 分 が 感 じ 取 っ た 動 揺 を 、 い か に し て 表 現 す れば
読 者 に 伝 え ら れ る か に つ い て 触 れ て い る 。 こ れ は 、 作 家 が 書 い た小
説 を 、 読 者 が ど う 受 け 止 め る か に つ い て か な り 意 識 し て い る と いう
こ と を 意 味 し て い る 。 松 崎 晴 夫 は こ の 点 に つ い て 、 < 小 説 は 作 家か
ら 読 者 へ 与 え ら れ る も の で は な く 、 作 品 の こ ち ら 側 の 反 面 を う けも
59
60
大 江 健 三 郎 (1970)『 核 時 代 の 想 像 力 』新 潮 社 p.177 (初 出 「文 学 と は 何 か ?(2)」
1968 年 7 月 30 日 講 演 )< あ ら た め て ぼ く の 小 説 、ニ ュ ー ヨ ー ク の 近 代 美 術 館
で見た彫刻から出発している小説において、ぼくがなにを実現したいかとい
うと、それは自分の眼のまえに、いま自分の書いている文章のなかに、現に
そこにいるように、ぼくの少年時のある一時期においての父親の実存性を書
きたいという単純なことなのです>
同 注 59 p.159
83
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っ て い る 読 者 と 、 む こ う 側 の 反 面 を 担 っ て い る 作 家 と が 作 品 を 同時
に 経 験 す る も の と し て 対 等 の 主 体 性 を も っ て い る > 61 と 述 べ て い る 。
こ の 問 題 は 、『 父 よ 』 に お け る 、「 僕 」、「 肥 っ た 男 」、「 か れ 」 と い う
人称にも反映されており、
『 父 よ 』に 続 く 作 品 を 読 む 時 、作 者 、作 中
人 物 、 読 者 の 三 者 間 の 関 係 を し っ か り 念 頭 に 入 れ て お く と い う こと
は 、 極 め て 重 要 で あ る と 思 わ れ る 。 で は 、 父 親 と 天 皇 と の 関 わ りに
戻 る が 、 そ れ が 作 中 で 指 摘 さ れ る と す れ ば 、 「僕 」が 夢 に 見 た * * *
蹶 起 の 話 で あ る 。 夢 に は 、 舞 台 の 上 に 黒 い 大 き な 椅 子 が 置 か れ てい
る 。 そ の 椅 子 は 、 父 親 が 坐 っ て い た 椅 子 の よ う で も あ り 、 < 帝 王が
そ こ に か け る べ き 国 家 で も っ と も 重 要 な 椅 子 > 62 の よ う で も あ る 。
す な わ ち 、 渡 辺 広 士 の 指 摘 に よ る 、 父 親 と 天 皇 が < は じ め て 密 接に
結 び つ く > 63 と い う の は 、 こ の 点 を 指 し て 述 べ た も の で あ る こ と が
わかるが、
『 父 よ 』で は 、父 親 が 天 皇 に 繋 が る と い う 糸 口 が 示 さ れ て
い る だ け で あ っ て 、 そ れ 以 上 の こ と は わ か ら な い 。 し か し 、 明 確な
こ と は 、あ た か も こ の 父 親 像 が 、こ れ ま で 見 て き た(1)から (7)ま で の
権 威 者 と し て の 父 親 像 と は 一 線 を 隔 し て い る 点 で あ る 。 こ こ で 父親
が 肥 満 し た 大 男 で あ る と い う 設 定 は 、 実 は 、 そ の 重 要 な 鍵 で あ ると
思 わ れ る 。父 親 が 自 己 幽 閉 の 生 活 に 入 る 以 前 の 写 真 と し て 、(8)の引
用がある。
(8)
そ れ 以 前 の 活 動 期 に お け る 父 親 の 写 真 は 、ま だ 幾 枚 も 保 管 さ れ て い る 。そ れ ら は
こ と ご と く 異 様 に 痩 せ て 風 貌 は 鋭 い 輪 郭 を そ な え て お り 、石 膏 人 間 の 腫 れ ぼ っ た く
暗くマッシヴな印象とは似ても似つかぬ、鳥みたいな顔だ。
64
(1)か ら (7)ま で の 引 用 の 父 親 像 と 、 (8)に お け る 活 動 期 の 父 親 の 写
真 に は 、 < 鋭 い 輪 郭 > を 備 え た 権 威 者 と し て の イ メ ー ジ が 重 な る。
一 方 、 自 己 幽 閉 し て か ら の 父 親 は 肥 満 し た 大 男 で あ る が 、 こ れ は、
61
62
63
64
松 崎 晴 夫 (1972)「七 〇 年 代 初 頭 の 大 江 健 三 郎 -『 み ず か ら 我 が 涙 を ぬ ぐ い た ま
う 日 』を 中 心 に ― 」『 阿 部 公 房・大 江 健 三 郎 日 本 文 学 研 究 叢 書 』有 精 堂 p.264(初
出 『 民 主 文 学 』 1972 年 2 月 号 )
テ キ ス ト 3 p.402
同 注 1 p.18
テ キ ス ト 3 p.415
84
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愚 鈍 で 狂 人 の イ メ ー ジ に 結 び つ く も の と 見 ら れ る 。 と い う こ と は、
『 父 よ 』 に お い て 自 己 幽 閉 し た 父 親 と 、 そ れ 以 前 の 父 親 は 、 全 く別
の 様 相 と 人 格 を 持 っ た 人 物 と 見 な す こ と が で き る 。 す な わ ち 、 前者
は 権 威 者 と し て の 父 親 像 で あ り 、後 者 は 狂 人 と し て の 父 親 像 で あ る 。
後 者 を 裏 付 け る も の と し て 、大 食 漢 の 父 親 像 を 挙 げ る こ と が で き る。
引 用 (4)(5)(6)(7)で の < 山 羊 の 肉 > に 対 す る 父 親 の 態 度 は 、 冷 静 で 洞
察 力 に 満 ち て い た 。一 方 、
『 父 よ 』で は 、食糧 難 の 時 代 に 手 に 入 る も
の は す べ て 食 べ て 肥 り 、 そ れ が 恥 ず か し く て 土 蔵 に こ も っ た の では
な い か と い う 批 判 を 母 親 か ら 浴 び せ ら れ る ほ ど 「 狂 気 」 に 満 ち てい
る 。 こ の 点 に は 、 食 糧 難 に お け る 時 代 錯 誤 的 行 為 を 父 親 の 「 狂 気」
に 絡 ま せ よ う と す る 作 者 の 意 図 が 窺 え る が 、 父 親 と 食 糧 に 関 す る描
写 は 思 い の ほ か 多 く 、 こ こ に 父 親 の パ ロ デ ィ 化 が 顕 著 で あ る よ うに
思 わ れ る 。 特 に 、 父 親 が 土 蔵 か ら 出 て き て 、 牛 の 尾 の シ チ ュ ー を作
る 姿 は 滑 稽 で あ り 、そ の 姿 は『 み ず か ら 』に も 詳 し く 記 さ れ て い る 。
結 果 的 に『 父 よ 』を 総 括 す れ ば 、次 の よ う に な る で あ ろ う 。ま ず 、「僕 」
は 「狂 気 」に 駆 り 立 て ら れ る よ う に し て 、 想 像 力 に よ っ て 死 ん だ 父親
を 復 元 し よ う と す る 。 明 ら か に 「僕 」は 、 父 親 と の 一 体 化 を 試 み 、 父
親 を 美 化 し よ う と し て い る 。 だ が 結 局 、 明 確 な 父 親 像 は 得 ら れ ず、
五 里 霧 中 の ま ま に 終 わ る 。 読 み 手 側 と し て は 、 食 糧 や 肥 満 な ど の僅
か な 手 が か り に よ っ て 、こ れ ま で の 威 厳 を 持 っ た 父 親 像 か ら 、
「 狂 気」
に 満 ち た 父 親 像 の 変 貌 を 見 出 し 、 更 に そ の 父 親 が 、 帝 王 ≒ 天 皇 のイ
メージに重なっていることを発見したのである。
では次に、父親が登場する三作目の『狂気を』における父親像に
移 る こ と に す る 。三 人 称 の 主 人 公 、「肥 っ た 男 」と い う ネ ー ミ ン グ は 、
土 蔵 の 中 の 肥 満 し た 父 親 と の 一 体 化 の 表 れ と 見 ら れ る 。終 盤 、「肥 っ
た 男 」は 、母 親 に 父 親 の 本 当 の 姿 が 知 り た い と 激 し く 訴 え る が 、無視
さ れ 、 母 親 が 父 親 を 「あ の 人 」と呼 ん だ こ と に 思 い 当 た る 。 こ こ で 読
者には、
『 父 よ 』で 、父 親 ≒ 天 皇 が 暗 示 さ れ て い る の で あ る か ら 、父
親 ≒ 「あ の 人 」≒ 天 皇 と い う 構 図 が 浮 か ん で く る で あ ろ う 。次に「肥っ
た 男 」は、父 親 の 「わ れ ら の 狂 気 を 生 き 延 び る 道 を 教 え よ 」と い う 祈 り
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の「 わ れ ら 」と は 、息 子 と 「肥 っ た 男 」で は な く 、「あ の 人 」と「肥 っ た
、、、
男 」の こ と を 指 し て お り 、 < あ の 人 の 狂 気 は 僕 の 狂 気 だ > 65 (以 下 < >
内 の 傍 点 す べ て 原 文 の ま ま ) と 悟 る 。そ し て 、< わ れ ら の 狂 気 を 、す な わ
、、、
ち あ の 人 と か れ 自 身 と の 狂 気 を 生 き 延 び る べ き 探 求 を 開 始 す る こと
> を 決 意 す る 。 つ ま り 、 こ の 時 点 で 、 「あ の 人 」は父 親 で あ り 、 か つ
天 皇 で あ る と い う 暗 示 が あ り な が ら 、 「肥 っ た 男 」は 解 釈 を あ い ま い
な ま ま に し て い る 。 一 方 、 母 親 の 葉 書 に よ っ て 、 父 親 は * * * 蹶起
に 失 敗 し た 結 果 、天 皇 を 弑 逆 し よ う と い う 考 え の 恐 ろ し さ の あ ま り、
土 蔵 に こ も っ た 民 間 人 で あ る こ と が 明 ら か に さ れ る 。 す る と 、 この
後 、今 ま で 存 在 し た 「あ の 人 」とい う 言 葉 は 全 く 姿 を 消 し 、
「死んだ父
親 」 と い う 言 葉 に 戻 っ て い く の で あ る 。 こ れ は 、 何 を 意 味 す る ので
あ ろ う か 。 明 確 な こ と は 、 第 一 に 、 母 親 は 父 親 を 「あ の 人 」と 呼 ん で
敵 対 視 し て お り 、 父 親 を 美 化 し よ う と す る 「肥 っ た 男 」と 対 立 し て い
、、、
る 。 第 二 に 、 < あ の 人 の 声 が 、 お お 、 わ れ ら の 狂 気 を 生 き 延 び る道
、、、
、
を 教 え よ 、 と い う の で あ る な ら 、 あ の 人 に と っ て 、 わ れ ら と は 、あ
、、
の 人 と 僕 の こ と だ > と 「狂 気 」に 絡 め て 「肥 っ た 男 」が 言 う 時 、 「あ の
人 」は 父 親 ≒ 天 皇 ≒ 「肥 っ た 男 」で も あ る 。第 三 に 、「肥 っ た 男 」は 、*
* * 蹶 起 に 父 親 が 関 係 し た と は っ き り 確 認 し た 後 、 父 親 を 「 死 んだ
父 親 」と 位 置 付 け て お り 、父 親 と 「あ の 人 」を 同 一 視 し て い な い 。ま と
め る と 、 母 親 は 「あ の 人 」を 敵 対 視 し て い る 。 「肥 っ た 男 」が 美 化 し て
い る の は 「あ の 人 」で は な く 、あ く ま で も 「死 ん だ 父 親 」の よ う で あ る 。
第 二 の 問 題 点 に つ い て は 、 作 者 の 視 点 か ら 捉 え る 必 要 が あ る 。 大江
の エ ッ セ イ に 、< (前 略 ) も っ と も 端 的 に い え ば 、基 本 的 に は 作 家 は か
れの時代を次の時代に向って生きのびることを要求されてはいない。
ふ た た び オ ー デ ン の 詩 句 を ひ け ば 、 作 家 が 生 き の び る べ く つ と めね
ば な ら な ぬ の は 、 作 家 は も と よ り 同 時 代 の 加 害 者 も 被 害 者 も ひ っく
65
以 下 の < > す べ て テ キ ス ト 3 p.456-457
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る め た 、 す べ て の 人 間 の 狂 気 を で あ ろ う > 66 と あ る が 、『 狂 気 を 』
、、、
に お け る < あ の 人 the Man> は 、エ ッ セ イ の 中 の < 同 時 代 の 加 害 者
も 被 害 者 も ひ っ く る め た 、 す べ て の 人 間 > に 置 き 換 え ら れ る で あろ
う 67 。 そ う 解 釈 す れ ば 、 第 二 の 問 題 は 、 作 家 大 江 の 「人 間 」へ の 訴 え
と 捉 え ら れ る で あ ろ う 。 そ の 方 法 は 、 ま ず 、 権 威 者 と し て の 父 親を
パロディ化し、***蹶起という天皇制と深く関わる問題と融合さ
せ た 。 そ し て 、 こ の 状 況 を 「時 代 の 狂 気 」と し て 捉 え 、 そ れ を オ ー デ
ン の 詩 句 に 反 映 さ せ た 、と 考 え ら れ る 。ただ し 、
『 狂 気 を 』に お け る
父 親 像 は 、 上 記 に 見 た と お り 、 「あ の 人 」≒ 父 親 ≒ 天 皇 の 関 係 が 明 確
で は な い 。 そ れ が 決 定 付 け ら れ た の は 、『 み ず か ら 』 で あ る 。
『 狂 気 を 』 で あ い ま い だ っ た 「あ の 人 」≒ 父 親 ≒ 天 皇 は 、『 み ず か
ら 』 に お い て 、 完 全 に = の 関 係 に 決 定 付 け ら れ て い る 。 そ れ は 、大
江 が 、 < 私 兵 の 軍 服 を ま と っ た 割 腹 首 な し 死 体 が 、 純 粋 天 皇 の 胎水
し ぶ く 暗 黒 星 雲 を 下 降 す る … … と い う 光 景 を は っ き り 眼 に し た よう
に 思 う 瞬 間 も ま た あ っ た の だ > 68 と 『 み ず か ら 』 の 序 文 で 言 う よ う
に 、1970 年 の 三 島 事 件 に 起 因 し て い る 。三島 由 紀 夫 は 、大 江 が 想 像
力 の 世 界 で 駆 使 し て い た 「狂 気 」を 、 現 実 の も の と し て 民 衆 の 眼 前 に
叩 き つ け た の で あ る 。これ に 対 し 、
『 み ず か ら 』に お け る 父 親 は 、徹
底 し て パ ロ デ ィ 化 さ れ て い る 。 ま ず 、 暗 い 土 蔵 の 中 で 眼 に は 水 中眼
鏡 を つ け て お り 、 肥 満 し た 大 男 で あ る 。 更 に 、 膀 胱 癌 で 血 尿 を 垂れ
む つ き
流し、蹶起の折には木車で担ぎ出され、古襁褓を血で染めている。
展 開 に 緊 張 感 は あ る が 、 権 威 者 と し て の 父 親 像 は 全 く 姿 を 消 し てし
ま う 。 こ れ に つ い て 大 江 は 、 戦 後 民 主 主 義 と ア イ ロ ニ ー に 関 す る話
の 中 で 、 < 僕 自 身 の 父 親 に つ な が る 環 境 は 、 超 国 家 主 義 の も の でし
た 。 そ れ は 現 在 に 至 っ て も ア イ ロ ニ ー と し て し か 書 け な い ほ ど 、僕
66
67
68
大 江 健 三 郎 (1966)「 作 家 は 絶 対 に 反 政 治 的 た り う る か ? 」
『大江健三郎全作品
3 』 新 潮 社 p.378
< あ の 人 は 一 面 で は 「父 親 」で あ る と と も に 、 一 面 で は 総 体 と し て の 人 間 の シ
ン ボ ル で も あ っ た の だ か ら > 「蚤 の 幽 霊 」よ り テ キ ス ト 7 p.273 初 出 「蚤 の
幽 霊 」『 新 潮 』 1983 年 1 月 号
大 江 健 三 郎 (1972)単 行 本 『 み ず か ら 我 が 涙 を ぬ ぐ い た ま う 日 』 講 談 社 p.6
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の 心 の 中 に 深 く 根 ざ し て い る > 69 と 述 べ て い る 。ア イ ロ ニ ー は 、
『父
よ 』か ら『 狂 気 を 』へ 徐 々 に 高 ま り 、
『 み ず か ら 』に お い て 結 実 され
た と 言 っ て も よ い で あ ろ う 。一 方 、
『 父 よ 』と『 狂 気 を 』に お け る父
親と、
『 み ず か ら 』の 父 親 の 決 定 的 な 違 い は 何 か と い う と 、前二 作 の
中 で 具 体 的 な 発 言 の な か っ た 父 親 が 、8 回 に わ た っ て 『 み ず か ら』
で 発 言 し て い る こ と で あ る 。そ の 内 容 は 、母 親 に 向 け て が 2 回 と 、「か
れ 」に 向 け て が 6 回 で あ る 。 「か れ 」に 向 け ら れ た 言 葉 は 、 ほ と ん ど
パ ロ デ ィ に 近 い 。 母 親 と の 対 立 は 、 種 火 か ら 中 火 、 強 火 へ と 、 三作
の 作 品 を 追 う ご と に 激 し く な る 。 父 親 と 母 親 と の 対 立 に つ い て 大江
は 、 < 母 親 は 、 そ う い う 天 皇 制 的 な も の と の 対 立 存 在 と し て 、 地方
的 な も の 、 自 分 の 村 に 伝 わ っ て い る 周 辺 的 な 人 間 の フ ォ ー ク ロ ア、
民 俗 、 伝 承 に 重 な る 存 在 と し て 認 識 し て い た > 70 と 述 べ て い る 。 つ
ま り 、 父 親 を 底 辺 と し 、 天 皇 を 頂 点 と す る 縦 の 関 係 に 、 母 親 的 、村
の 伝 承 の 存 在 を 横 の 関 係 と し 、 そ れ を ア イ ロ ニ ー で 表 現 し た の が、
『 み ず か ら 』 と い う こ と に な る で あ ろ う 。 そ れ か ら 約 三 十 年 の 時を
チ
ェ
ン
ジ
リ ング
経 て 、 同 じ 主 題 が 『 取 り 替 え 子 』、『 憂 い 顔 の 童 子 』、『 さ よ う な ら 、
私 の 本 よ ! 』で 再 び 取 り 上 げ ら れ た 。と い う こ と は 、大 江 の 内 部 に 、
< 父 親 的 な も の 、 天 皇 制 的 な も の 、 超 国 家 主 義 的 な も の が 、 一 つの
主 題 と し て 燃 え 上 が る 情 念 の よ う に あ る > 71 と い う 事 実 を 、 強 く 裏
付けたものと言えるであろう。
5. ま と め
本論文では、まず、大江作品における父親の全体像を明らかにす
べ く 、 年 代 を 追 っ て 探 求 し て き た 。 そ の 結 果 、 第 一 段 階 で は 、 超国
家 主 義 者 で あ る 父 親 と 日 本 的 神 秘 主 義 と し て の 天 皇 と の 結 び つ きが
決 定 付 け ら れ て い る 。 こ れ は 、 私 小 説 的 に 大 江 と 重 な る 「 僕 」 が、
< 一 生 の テ ー マ > と 呼 ぶ ほ ど の 重 要 な 主 題 と な る 。 第 二 段 階 で は、
69
70
71
同 注 58 p.63-64
同 注 58 p.98-99
同 注 58 p.99
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「 僕 」 が 父 親 の 死 ん だ 年 齢 に 近 づ く に つ れ て 、 己 の 中 に 潜 む 暴 力的
な も の を 発 見 し て い く 。 凝 縮 さ れ た 怒 り が 出 口 を 失 い 爆 発 す る 時の
恐 ろ し さ 、 そ れ は 還 元 す れ ば 、 時 代 の 様 ざ ま な 暴 力 、 例 え ば 現 代の
テロ行為へと繋がっていくのであり、
「 僕 」は 時 代 を 先 取 り し て 警 鐘
を 鳴 ら し て い る 。 第 三 段 階 は 、 「僕 」が 五 十 歳 と い う 年 齢 に 達 し て か
ら < 死 に 向 け て 年 を と る 自 分 > を 意 識 し 始 め 、 死 の 恐 怖 に つ い て深
く 考 え て い る 。 父 親 の 死 と そ の 恐 怖 が 、 五 十 歳 を 過 ぎ て も 尚 「 僕」
が 持 ち 続 け る オ ブ セ ッ シ ョ ン で あ る こ と を 示 し て い る も の と 思 われ
る 。 第 四 段 階 は 、 父 親 の 死 と 罪 障 感 だ が 、 そ の 背 景 に は 、 谷 間 の森
の 地 形 と 伝 承 が 深 く 関 わ っ て い る 。 谷 間 の 地 形 と 伝 承 は 、 小 説 家と
し て の 「僕 」に大 き な 影 響 を 与 え た が 、 そ れ は 父 親 の 死 に も 絡 ん で お
り 、 「僕 」に と っ て 重 要 な 要 素 と な っ て い る こ と 裏 付 け て い る 。 第 五
段 階 は 、1960 年 が 起 点 で あ る 父 親 と 天 皇 の テ ー マ の 再 現 で あ り 、こ
れ を < 一 生 の テ ー マ > と し て 追 い 続 け る 「僕 」の 徹 底 し た 姿 勢 が 窺 え
る 。 こ う し た 時 代 と 作 品 の シ ー ク エ ン ス に よ る 整 理 か ら は 、 成 長を
重 ね る 「僕 」が見 た 父 親 の 形 象 の 変 化 が 、 顕 著 に 表 れ て い る こ と が 理
解 で き る 。 換 言 す れ ば 、 主 人 公 の 「僕 」とい う 人 物 が 、 年 齢 を 重 ね る
に 従 っ て 父 親 へ の 認 識 が 深 ま り 、 更 に 、 そ れ を 自 己 の 言 動 の 原 点に
照 ら し 合 わ せ な が ら 作 品 を 描 い て い っ た と 見 て よ い で あ ろ う 。 この
点 に つ い て は 、 単 な る 抽 象 論 と し て で は な く 、 作 品 に 基 づ き 父 親の
全 体 像 を 明 ら か に し て 得 ら れ た 結 果 で あ り 、 作 業 の 結 実 と な っ たと
思われる。
一方、父親と天皇との絡み合いの重要性が再確認されたわけであ
る が 、で は 何 故 、父 親 と 天 皇 な の か 、こ の 点 を 追 求 し て い っ た 結 果 、
権 威 者 と し て の 父 親 像 が 浮 か び 上 が っ て き た 。 「僕 」は 、 こ の 父 親に
深 い 敬 意 を 抱 い て お り 、 父 親 を 底 辺 と す る と 、 そ の 権 威 の 頂 点 に立
つ 天 皇 へ の 敬 意 と 畏 怖 を 持 つ に 到 っ た こ と が 明 ら か に な っ た 。 すな
わ ち 、 権 威 者 の 縦 の 軸 の 底 辺 に 父 親 の 存 在 が あ り 、 そ の 頂 点 に は天
皇 が 君 臨 し て い る 。 こ の 点 か ら 、 「僕 」に根 ざ す 父 親 と 天 皇 と の 決 定
的 な 繋 が り を 見 る こ と が で き た の で あ る 。 渡 辺 広 士 は 、 父 親 と 天皇
89
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と の 結 び つ き を 絶 対 的 な 死 の 恐 怖 に 位 置 付 け た が 、 作 品 上 、 権 威者
と し て の 父 親 が 天 皇 に 繋 が っ て い る と い う 事 実 は 、 新 た な 発 見 であ
ったと思われる。
大江文学研究において、父親と天皇の結びつきを明らかにしてい
く こ と は 、 戦 争 を 含 め た 右 翼 的 暴 力 的 な も の の 根 底 を 探 求 す る ため
に 不 可 欠 な プ ロ セ ス で あ る 、 と い う 意 義 を 持 つ で あ ろ う 。 本 論 文か
チ
ェ
ン
ジ
リ ング
ら 得 ら れ た 結 論 は 、 今 後 、 近 年 上 梓 さ れ た 『 取 り 替 え 子 』、『 憂 い 顔
の 童 子 』、『 さ よ う な ら 、 私 の 本 よ ! 』 の 三 部 作 に お け る 暴 力 的 なも
の を 研 究 す る に あ た っ て 、基 本 の 骨 格 に 据 え ら れ る で あ ろ う 。更 に 、
こ の 研 究 を 続 け て い く こ と は 、 戦 争 を 含 む す べ て の 暴 力 を 、 文 学的
立 場 か ら 阻 止 し て い こ う と す る 大 江 の ラ イ フ ワ ー ク の 一 端 を 解 明す
ることに繋がっていくものと考えられる。
テキスト
大 江 健 三 郎 (1966)「遅 れ て き た 青 年 」『 大 江 健 三 郎 全 作 品 4 』 新 潮 社
大 江 健 三 郎 (1996)「生 け 贄 男 は 必 要 か 」「狩 猟 で 暮 し た わ れ ら の 先 祖 」「父 よ 、 あ な た は ど
こ へ 行 く の か ? 」「わ れ ら の 狂 気 を 生 き 延 び る 道 を 教 え よ 」「み ず か ら 我 が 涙 を ぬ ぐ い た
ま う 日 」『 大 江 健 三 郎 小 説 3 』 新 潮 社
大 江 健 三 郎 (1996)「M / T と 森 の フ シ ギ の 物 語 」『 大 江 健 三 郎 小 説 5 』 新 潮 社
レ イ ン ・ ツリー
レ イ ン ・ ツリー
大 江 健 三 郎 (1996)「さ か さ ま に 立 つ 「雨 の 木 」」「泳 ぐ 男 ― 水 の 中 の 「雨 の 木 」」「無 垢 の 歌 、
経 験 の 歌 」「蚤 の 幽 霊 」「鎖 に つ な が れ た る 魂 を し て 」『 大 江 健 三 郎 小 説 7 』 新 潮 社
大 江 健 三 郎 (1997)「揚 げ ソ ー セ ー ジ の 食 べ 方 」「も う ひ と り 和 泉 式 部 が 生 ま れ た 日 」「「罪
の ゆ る し 」の あ お 草 」「い か に 木 を 殺 す か 」「四 万 年 前 の タ チ ア オ イ 」「死 に 先 だ つ 苦 痛 に つ
い て 」「火 を め ぐ ら す 鳥 」「「涙 を 流 す 人 」の 楡 」『 大 江 健 三 郎 小 説 8 』 新 潮 社
チ ェ ン ジ リ ング
大 江 健 三 郎 (2000)『 取 り 替 え 子 』 講 談 社
大 江 健 三 郎 (2002)『 憂 い 顔 の 童 子 』 講 談 社
大 江 健 三 郎 (2005)『 さ よ う な ら 、 私 の 本 よ ! 』 講 談 社
参考文献(五十音順)
大 江 健 三 郎 (1966)「作 家 は 絶 対 に 反 政 治 的 た り う る か ? 」『 大 江 健 三 郎 全 作 品 3 』新 潮 社
90
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大 江 健 三 郎 (1970)『 核 時 代 の 想 像 力 』 新 潮 社
大 江 健 三 郎 (1972)『 み ず か ら 我 が 涙 を ぬ ぐ い た ま う 日 』 講 談 社
大 江 健 三 郎 (1983)『 新 し い 人 よ 眼 ざ め よ 』 講 談 社
単行本
単行本
大 江 健 三 郎 (1989)『 小 説 の た く ら み 、 知 の 楽 し み 』 新 潮 社
大 江 健 三 郎・す ば る 編 集 部 編 (2001) 「座 談 会 大 江 健 三 郎 の 文 学 」『 大 江 健 三 郎・再 発 見 』
す ば る 編 集 部 初 出 「す ば る 」2001 年 3 月 号 「座 談 会 昭 和 文 学 史 XV Ⅲ 」
「大 江 健 三 郎 の 50 年 」『 IN・ POCKET』 2004 年 4 月 号 講 談 社 (イ ン タ ヴ ュ ー )
小 森 陽 一 (2002)『 歴 史 認 識 と 小 説 』 講 談 社
篠原茂
(1998) 『 大 江 健 三 郎 文 学 事 典 』 ス タ ジ オ V I C
レ イ ン ・ ツリー
根 岸 泰 子 (1997)「『 雨 の 木 』を 聴 く 女 た ち ― メ タ フ ァ ー の 受 胎 と そ の 死 ま で 」『 国 文 學 』
2 月臨時増刊号
福 田 和 也 (2001)『 江 藤 淳 コ レ ク シ ョ ン 3
文学論Ⅰ』ちくま学芸文庫
松 崎 晴 夫 (1967)「七 〇 年 代 初 頭 の 大 江 健 三 郎 ‐ 『 み ず か ら 我 が 涙 を ぬ ぐ い た ま う 日 』 を
中 心 に ‐ 」『 阿 部 公 房 ・ 大 江 健 三 郎 日 本 文 学 研 究 資 料 叢 書 』 有 精 堂
( 1972 年 2 月 号 )
渡 辺 広 士 (1994)『 大 江 健 三 郎
増補新版』審美社
91
初出『民主文学』
『台灣日本語文學報創刊 20 號紀念號』PDF版
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