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<EWE 寄稿、ウェブニュース掲載用> 「在外研究でイタリア、オランダに

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<EWE 寄稿、ウェブニュース掲載用> 「在外研究でイタリア、オランダに
<EWE 寄稿、ウェブニュース掲載用>
「在外研究でイタリア、オランダに滞在して」
2013.2.24
電子光システム学科
宇髙勝之
今回、半年間の在外研究という折角の貴重な機会を大学から頂いたので、少し欲張って光
システム関係と光デバイス関係の研究機関を2カ所滞在することとしました。第一はイタリ
ア・ ピサにあるサンタアナ大学(SSSA)(4/2-6/19)、第二はオランダ・アイントホーヘンに
あるアイントホーヘン工科大学(TU/e)(6 /20-9/28)です。
写真1:ピサ市内のSSSA本部
写真2:ノルマーレ大学
写真3:ピサ大学
SSSA は早大理工とも協定校で、ロボット関係ではすでに複数の本学理工の教員により共
同研究などが密に行われており、また当学科の松本充司先生は 3 年前に同じ研究所に在外研
究で半年間滞在されており、いわばなじみの深い関係でもあります。SSSA はピサ市街にあ
り(写真 1)、設立後まだ 30 年程しかたっていませんが、元を辿ると設立約 200 年前の数理
系が強いノルマーレ大学(写真 2)から工学系を重視して派生したとのことで、さらにその
元は 1300 年代に設立され、かのガリレオ・ガリレイも教鞭を取っていたピサ大学(写真 3)
が源になっているとのことで底が知れません。なお、ノルマーレ大学は、名前が示すような
普通の大学では決してなく、エンリコ・フェルミを含め 2 名のノーベル賞受賞者を輩出して
います。この 3 大学は学部では科目履修などでは連携していますが大学院は別々となってお
り、ピサ大学は学生数約 57,000 人の規模の大きな一般の大学のようですが、SSSA は少数の
エリート英才教育のために設立された大学とのことで、学生数は約 1,800 名で、約 2/3 が大
学院生です。学費無料ですが進学審査は厳しいようです。進学出来なければピサ大学には入
れるそうです。学生は寮生活がほとんどで、学住接近で一心不乱に勉強しています。どこか
の国のように、学生が携帯電話を人前でいじっていたり、カフェでレポートを写していたり、
だらだら時間をつぶしている学生はほ
とんどいません。おそらく奨学金も有
るのでアルバイトもする必要も無いの
でしょう。加えて学住接近と環境がか
なり異なることも理由と思います。こ
の大学はサンタアナ教会の寄進の土地
写真4:SSSAのTeCIP研究所
写真5:CNRの風景
で大学が設立され名前がつきましたが、さすがに市内では土地不足で、滞在していた通信情
報知覚研究所(TeCIP Institute)(写真 4)は、郊外の日本で言うと産総研のような CNR と
いうイタリア国立中央研究所の敷地内に同居しており(写真 5)、また近々バイオ関係の新
しいキャンパスも出来るようで、先端技術を目指して拡大しているようです。TeCIP にも多
くの外国人ポスドクや PhD 学生がいます。やはり国際化が重要な
ことは肌身に感じました。ちなみに、GITS の修士をでた Dzung 君
が博士学生で在席していて、何かと優しく気を使ってくれました。
ちなみに、欧州では大学の建物が街中に分散している例が多いで
すが、ここピサでも例外ではありません。ある教授によると 1970
年代の学生紛争の折に、学生の勢力分散のために建物を分散した
面もあると言っていました。
TeCIP は比較的こじんまりとしたグループですが、イタリア 39 大
学と企業とで形成している光通信関係のコンソーシアム(CNIT)の
中核拠点ということもあり、結束力とレベルの高い研究を行って
います。研究所長の Prati 教授(写真 6)は日本通で、以前本学
のナノテクセンターにも見学に来られたことがあります。次世代
光ファイバ通信が研究のベースですが、超高速光ファイバ通信の
みならず、半導体光増幅器を用いたデジタルフォトニクスやセン
サなどの研究も活発に行っており、システムと光デバイスの関係で新たな知見が得られれば
と考え、ここに参りました。担当の Porzi 准教授(写真 7)も学生指導などで忙しい中親身
に一緒に実験もしてくれて、短期間の滞在ですが、当初予定の通り今後も引き続き連携して
いくことを確認しています。
簡単に街の状況をご紹介すると、ピサは斜塔で有名ですが、ド
ゥォーモを含めその一帯は奇跡の広場(写真 8)と呼ばれ、芝生の
緑の上に白い大理石のこれら建築物が大変奇麗です。私の宿泊
していたゲストハウス(写真 9)は、SSSA 本部の裏手にあり、
斜塔からも徒歩5分位です。奇跡の広場
には観光客が大勢いましたが、その他は
普通の古都、旧市街と言った感じで、極
めて庶民的です。ちなみに観光客は日本人は極めて少なく、その代
わり中国人、それも家族で来ているような団体や、ロシア人、イン
ド人、そして韓国人などが目立ちました。ここでも BRICS の躍進が
見て取れます。日本人はピサから大体電車で1時間程のフィレンツ
ェ止まりのようです。市内にはフィレンツェから繋がるアルノ川が貫き(写真 10)、水の色
は茶色で決して奇麗ではないのですが、景色は時刻に応じて変わり大変奇麗です(写真 11)。
欧州の旧市街特有の、城壁(写真 12)で囲まれ、ローマ時代の水路(写真 13)や浴場(写
真 14)も近くにあります。建物がくっつくくらい密集し、ちょっとした広場には露天市場
や路上レストランもあり、夜な夜な賑わっています(写真 15)。イタリア人は大変会話が好
きで、何を話しているのかと思いますが、無口ではいられないようで陽気です。特に土曜の
夜は深夜までお祭り騒ぎで、赤ちゃんも動員して家族で食事をしたり話したりしています
(写真 16)。市内にはガリレオの生家もありますが、現在は民家になっています(写真 17)。
市内の壁は電車を含めペイントだらけで乱雑な気もしますが、ただ歴史的建造物には決して
ペイントは無く、またバスの運転手は乗客と話しをしたり、携帯をいじりながら運転をして、
たまに経路を間違えてそこらを1周して元に戻ったり、その間乗客も取り立てて慌てること
もなく、結構いい加減な国で、それでもそこそこに社会機能しているのが不思議です。
他方、イタリアで大変感心したこ
とは道路の交差部にロータリーが多
く、日本的な交差点や信号はあまり
ありません(写真 18)。ロータリー
は交点の面積がその分広い必要があ
ると言う欠点がありますが、その代
わり交差部に自動車の存在しない無駄な時間を少なくすることが可能で、4方向、またはそ
れ以上の方向からどんどん車が割り込んで入って来て、所望の出口に出て行きます。信号が
青なのに車が来ないで待たされることも無く、この効率の良さ
は感心しました。また自動車のみならず、バイクや自転車、場
合によっては人までもどんどん割って入って来ますので、若干
危険な感じもしますが、彼らは心得ていて、ブレーキングを効
かせ譲り合っています。研究所からの帰りの折、近くのロータ
リーの様子を長時間見ていても見飽きることがありませんで
した。この様子を見て、自己責任の積極性と譲り合いの精神に
感心した次第です。日本人の行動パターンにも大いに参考にな
るのではとも思いました。こちちら
の教授に聞くと、イタリア人はオー
トマチック車よりマニュアル車が好きで、皆運転テクニックがあ
るとのことで、私も滞在中交通事故を見たことがありません。駐
車場で色々覗いてみてもオートマチック車は全くありませんでし
た。この行動パターンがイタリアサッカーの強さの秘密かとも思
写真18:ピサ市内のロータリー
いました(EURO2012 決勝ではスペインに完敗しましたが)。
こちらでの企業、特に電気電子通信系の状況などはあまり調べる時間もなく恐縮ですが、
ご存知のようにこちらも経済状況は思わしくなく、就職難から学生はかなり海外に出ている
ようです。SSSA でも、イタリア人に加えてアジアからの学生がかなり多かったです。その
行き先の一つは、私の第二の滞在先となるオランダなどの経済状況がよりよい国へのようで、
その状況は以下でお知らせ致します。
写真19 :アルノ川のイルミネーション
写真20 :ドゥオーモ・斜塔のイルミネーション
写真21 :アルノ川での花火大会
6月のピサは、サン・ラニエリという聖人に関わる宗教的なお祭り月で、色々なイベント
がありました。まずアルノ川沿いの建物(写真 19)や斜塔やドゥーモのイルミネーション
(写真 20)、そしてその晩でのアルノ川での花火大会(写真 21)で、大変奇麗でした。中央
の橋の上に 1km 先でも聞こえるような大音響のスピーカを設置し、実際のバイオリン奏者や
オペラ歌手の熱唱を流しながら、間髪を入れない花火の連射、そして止めはトリノ五輪で開
会式や荒川静香選手のスケートでも流れた 「トゥーランドット」の「誰も寝てはならぬ」
の独唱が流れて、花火の美しさと荒川選手の金メダルの感動シーンも重複して、涙が流れる
程感動しました。日本的な花火だけ愛でるというような感じでなく、このイタリア人の芸術
的創造性は大したもので、レオナルド・ダ・ビンチやミケランジェロなどを輩出したことも
妙にうなずけました。
写真22:ピサを離れる車窓からのアルノ川
写真23:白い大理石の山のカッラーラ
写真24:透明なコバルトブルーの地中海
ピサでの滞在もあっという間に過ぎ、オランダに移動することとなりました。荷物が多い
こともあり、空路を断念し、列車5回の乗り継ぎによる陸路でアイントホーヘンに移動する
こととしました。なお、欧州滞在中の移動の旅程調査のほとんどは家内が担当しましたが、
今回も長い移動距離や途中山間部の運行停止路線もあったりで、
列車の移動も断念せざるを得ない、航空機も難しいと絶望に陥り
ましたが、何と針の穴を通す乗り継ぎを見つけて来て、その調査
能力には大層感心させられました。そして Prati 教授にお別れを
した翌日、慣れ親しんだアルノ川を後にし(写真 22)、途中ミケ
ランジェロも愛したと言う大理石の山のカッラーラ(写真 23)
やコバルトブルーの地中海(写真 24)のイタリア、イタリアアルプスの美しい湖(写真 25)
やアルプスの山々(写真 26)のスイスを、あまり奇麗でない列車の窓越しに見ながら進み、
そしてスイス・バーゼルで
は個室シャワー・トイレ付
きの夜行列車の City Night
Line(写真 27)に乗り換え
て早朝にオランダ・ユトレ
ヒトに着き、最後の乗換で
アイントホーヘンに着きました。途中、ライン川(写真 28)の大河やケルン大聖堂(写真
29)を見ました。朝方オランダへの国境を知らずに通り過ぎると景色は
一変して、緑の平原、牛が草を食む広大な牧草地帯(写真 30)、たまに
写真30 : オランダの広大な牧草地帯
写真31 : 列車からのオランダの街の風景
写真32 : オランダ鉄道の列車
通る街はオランダ式長屋と自転車に乗る人々という、絵に出てくるようなオランダの風景で
した(写真 31)。
オランダでは、国の色が国王の名称に
も表れているようにオレンジ色であり、
また電車に用いている色などからも分
かるように、色の使い方が黄色、青など
原色がくっきりとしており(写真 32)、
律儀さが伝わって来ます。またどこも奇麗で、車道、自転車道、歩道と、道路の間隔が広す
ぎて慣れるのにかなり苦労しました(写真 33)。
また、オランダはご存知自転車天国です(写真 34)。オランダは
ダッチデザインと呼ばれて奇抜な建築やオブジェ(写真 35)、意
匠などでも有名だそうで、街中のここかしこでそれが伺えます。
また、ガリレオもあせったという望遠鏡の
発明に当たってはオランダ人の方が早い
そうで、電気では有名な蓄電池のはしりのライデン瓶の発明や超低温
技術の開発及び超伝導現象の発見など科学技術なども含めて、オラン
ダ人の創造性は豊かで、現在でも個人の創造性を活かすような教育を
幼児教育からしているそうで、この奇抜なデザインを生み出す源流に
なっているかもしれません。アイントホーヘンは所謂観光地では有り
ませんが、街中にはゴシック様式の大聖堂(写真 36)があります。
また街中にはあきれる程レストランが有り、週末にはビールを飲む人でにぎわっています
(写真 37)。ただ奇声を発する若者群もうろうろしています。ここに来た 6 月下旬は曇りが
ちでまだ涼しかったですが、7 月に入ると晴れの日が多くなり、日中は結構暖かいです。ま
た午後 11 時位まで薄明るいです(写真 38)。市街地は有名なオランダ式長屋が連なってい
写真37:マルクト広場のレストラン街
写真38:午後11時位まで薄明るい夜
写真39:宿泊先のアパート
写真40:アパート近くのカーペンドンクセ池
ますが、宿泊先のアパート(写真 39)のある大学の北や郊外は広々として、大きな池や森
が広がり(写真 40)、大変豊かな雰囲気です。市内で壁へのペイントはほとんどなく、すべ
てが奇麗で、住宅でもみな大きなガラス張りの窓にカーテンもせずに中を披露し、また洗濯
物は外では干せません(写真 41)。
イタリアでは下着まで堂々と干していたのと好対照です。またこ
ちらは想像以上に自動車社会で、多くの自動車が行き交い、物流
のトレーラーは恐らく 15 トン以上がほとんどで、工事のトラッ
クやパワーシャベルも半端な大きさではありません。オランダは
海運国家を歩んで来た訳ですが、このような物流の重要性を知る
国ならではでしょうか。その中で、欧州の地図を見てわかるよう
に、船で荷揚げされた物流に関して、アイントホーヘンは東西、
南北のルートの要所のようです。ちなみに、イタリアと比べて、道路システムが極めて整備
されているためか、ドライバーはそれほど親切ではなく結構乱暴です。
第二の滞在研究機関はアイントホーヘン工
科大学(TU/e)ですが、ここは先輩方おな
じみの、シェーバーや今や古くなった CD
が生み出されたフィリップスのお膝元だけ
あって駅前には創業者一世の銅像(写真
42)、市の中心のマルクト広場には三世の像
が立っており、また駅の近くには、現在はアムステルダムに移ったフィルップスの旧本社ビ
ルがあります(写真 43)。アイントホーヘンは産学が連携した
「知の街」を標榜しており、大学は駅前の北側を大きく占め(写
真 44)、街の中心的存在のようです。キャンパスは、比較する
と本学がかわいそうなくらい広く、北大か阪大のような広大な
キャンパスに緑があふれ(写真 45)、キャンパス内の芝生のあ
ちこちに無数の野良ウサギ(写真 46)やモグラがいるのには
驚きました。オランダの大学はほとんどすべてが国立で、TU/e
写真45:緑あふれるキャンパス
写真46:キャンパス内の野良うさぎ
写真47:電気棟
では学費は 1,700 ユーロ位とのことです。ここは第二次大戦でイギリスの空爆(ナチスが
占拠していたため)を受け、ほとんど更地からの復興のようで、設立 56 年と新しいですが、
古い建物をどんどん建て替えて、知の拠点整備を行っています。学生寮もキャンパス内にあ
り、学住接近で勉学以外することが無いようです。そのエネルギーのはけ口として学生用の
思いつくスポーツはすべて出来る運動施設も完備しており、ス
タッフも安く利用でき、早速水泳で利用しました。ちなみに大
学のオフィスは 14 階建ての電気棟(写真 47)の 10 階にあり、
窓の外は 360 度真っ平らです(写真 48)。
私の滞在先は Smit 教授の研究グループでしたが(写真 49)、
InP 系光集積回路の欧州の中心的な研究室です。ここにはファ
ウンドリーといって、素子作製基板を共通化して、電子回路設
計と同様に光集積回路を作製するシステムを構築しており、Smit 教授はその中心的推進者
です。グループは大変アットホームな雰囲気で、昼食は必ず誰かが廊下中に呼びかけて、教
員学生皆で一緒にカフェに行ってとっていました(写真 50)これも意図して和をとり、研
究でも連携を保つこつかも知れません。同じ電気棟に超高速光ファイバ通信を研究するグル
ープもあり、全体で「COBRA」という組織を作って、システムとデバイスも連携して活発に
研究を行っています。こちらでは、光集積回路の今後の指針や、ファウンドリーを利用した
高度光でバイス技術などに触れてきました。また、こちらも帰国後も連携して、作製したデ
バイス評価や今後の関係を築いて行きたいと考えています。
Smit 教授に言わせると、オランダ人学生もある意味日本と同
様に理工学離れが盛んで、経営・経済、金融方面に流れるらし
く、この研究室グループの大学院生はオランダ人は一人で、 そ
の代わり他の 20 名以上の研究者、学生は外国人(イタリア、中
国、イラン、フランス、ポーランドなどから)で、各国から優
秀な研究員、博士課程学生が集まっています。ここではオラン
ダ語という現地語より英語が当たり前になっています。彼らが来る理由は、研究が活発とい
うこともありますが、経済的に安定している点も理由のようです。経済状況の不安定なイタ
リアからも多くの学生、ポスドクが来ています。 また、程研究室のコーヒールームで開か
れたミニパーティーがありましたが、半年間イタリアの大学からインターンシップで来てい
た修士の学生が滞在期間を終了して帰国するとのことで、その
お別れパーティーでした。これらの様子を見ると、日本の大学
が国際化に四苦八苦しているのがうそのようで、やはり英語は
当たり前に話せないとだめです。公用語は英語ですが、必然的
に皆現地語(オランダ語)を学んでいます。他方、イタリアで
もそうでしたが、中国人はいても、日本人学生は全くいません。
日本でも国際性が叫ばれていますが、英語の公用語化(研究大
学を目指すのなら大学院、研究室だけでも良いと思います)は
必須でしょうし、また日本人の国際性も学生のうちに外に行かないと身に付かず、財政面の
整備を含めてどんどん学生を外に出す仕組みを造らないと、グルーバル化も砂上の楼閣のよ
うな気がします。こちらの教員によると、インターン シップで学生を送り出したり受け入
れたりする場合の学生の移動・滞在経費は、指導教員が企業から支援を募ることが多いそう
で、もちろん報告の義務などはあるようですが就労要請などの所謂ひも付きでない支援だそ
うです。どこかの国の企業のように、ほとんど目先の就職活動時期だけ面接だけで学生を「収
穫」するのと異なり、何か裏もあるかもしれませんが、太っ腹と言うか大局観がある印象を
持ちました。ちなみに上述のミニパーティーはイタリアでもあり、自分でパイ型のケーキを
用意して振る舞うので、幹事の必要も無く、特に誕生日祝いなどは皆平等に祝うことができ、
また交流の機会が出来るので、大変良い習慣だと思いました。私もここを離れる時に自分で
お別れパーティーを催しました(写真 51)。
このように2カ国だけですが外国に短期
間でも住んで見てみると色々見えてきて、
イタリア人は、色々な意味でいい加減で、
それが潤滑油となって人間関係や社会を構
築していて、またその自由度が芸術・科学
的創造性にも繋がっている印象を受けまし
た。他方、オランダ人は律儀で組織的な分、
一見取っ付きにくそうでも相互補助の精神
や親切さで人間関係や物流までのネットワ
ークを作っている、また律儀な分心のゆと
りを大事にして、それがやはり創造性に繋
がっているといった感じでしょうか。その他の国も異なる色々な特徴があるでしょうから、
外国には単なる訪問でなく少しでも住んでみると違いが見えて面白いです。学生にもぜひ日
本から羽ばたいて出ることを勧めたいものです。
以上とりとめの無い長文と多くの写真の羅列でのご報告で失礼致しました。
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