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No.3145 クラブ週報2016年 2月26日号

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No.3145 クラブ週報2016年 2月26日号
KOMATSUSHIMA ROTARY CLUB WEEKLY
2015~2016 年度 国際ロータリーのテーマ
世界へのプレゼントになろう
K.R.ラビンドラン
山田 戒乗
2015~2016 年度
国際ロータリー会長
2015~2016 年度
国際ロータリー第2670地区ガバナー
小松島ロータリークラブ
例会日 毎週金曜日[12:30~13:30]
例会場 菊寿殿 おがわ 小松島市小松島町字外開7-1
TEL: 0885-32-0205
事務局 小松島市中郷町西野1-1
TEL: 0885-32-3600
会員総数
出席会員
本日出席率
前回出席率
2016 年 2 月 26 日
第 3145 回例会記録
会 長 報 告
( 佐 野
誠 )
27
18
74.07
85.19
名
名
%
%
本日は特にございません。
小松島南ロータリークラブの船崎和夫会長と湯浅茂樹幹事が、同クラブの
今年度のロータリー財団補助事業の説明にお見えになっておられます。
┌船崎会長、湯浅幹事から、「クルージング&BBQ in 小松島」の事業説明が
│ありました。
│知合い方で参加希望者がいれば、よろしくお伝えくださいとのことでした。
└ポスターを置いていかれました。
幹 事 報 告
(平山 貴郎)
・ガバナー事務所より、第 2670 地区大会の元RI会長田中作次氏の基調講
演の際の質疑者の選任のお願いと新入会員様の出席のお願いが届いており
ます。
・ガバナー事務所より、3 月のロータリーレートは 1 ドル=116 円との報告が来て
おります。
・本日例会終了後、臨時の理事会を開催します。
到着週報:小松島南RC
委 員 会 報 告
・SS委員会 葛原委員長
ラッキーカード当選者:佐野会長
葛原会員:昔の知り合いの女性から離婚したとの報告があったこと
本日、早退すること
編集/会報雑誌委員会
KOMATSUSHIMA ROTARY CLUB WEEKLY
卓
話
理 事 会 報 告
森会員 “私の社会人《職業人生》第一歩 PARTⅡの補足『よもやま話』”
森さんの若い頃のバンド演奏を聴きながらの卓話でした。
内容は別紙のとおりです。
・山本会員が入院されているとのこと
例会出席免除のついては、定款・細則どおりに取り扱うこととする
クラブからお見舞いに行く
・地区大会で田中作次元 RI 会長が行う基調講演の際の質疑者の選任のお願
い来ている件について
当クラブは「無し」と答えることとする
ニ コ ニ コ 箱
・佐野会長、葛原会員
本日:2,000 円
累計:503,830 円
会 員 掲 示 板
そ
の
他
編集/会報雑誌委員会
KOMATSUSHIMA ROTARY CLUB WEEKLY
小松島ロータリークラブ卓話
森 俊武 2016.2.26 例会
私の社会人《職業人生》第一歩 PARTⅡの補足『よもやま話』
最初に、先日お届けした文集の印刷は 120 点満点で申し分ないのですが、私の編集は及第点を少し下回る 75
点ぐらいかと思います。
さて本題ですが本日は、三井石油化学(MITSUI PETROCHEMICAL)のバンド【JUICE】について、それにまつわ
る四方山話と、演奏をお聞きください。
私は 1941 年(昭和 16 年)、父親が住友化学勤務で新居浜市で生まれた。空襲にも数回遭遇した。小学校は 3
回転校して徳島の富田中学校、城南高等学校から早稲田大学に進学し、1964 年(昭和 39 年)に三井石油化学
工業に入社した。
さて、私の音楽の原点は大学進学間もない頃に友人から聞かされた「Mamas And Papas」の『CALIFORNIA
DREAMIN‘』、「All the leaves are brown」で始まる名曲で、55 年経った今も U チューブへのアクセスも他曲を圧
倒している。♪♪それではお聞きください。
【California Dreamin‘】 ママス&パパス。
音楽に興味を持った私は、大学時代に入寮していた(和敬塾)の先輩から「ハワイアンバンドを作るから、お前は
スチールギターをやれ」といわれ、これ幸いとバンドに参加した。ところが全くの独学のためいつまでも(変に間延
びした音色~)しか出せず、すぐにスチールギターは首になった。「もういい」お前はギターとウクレレに専念しろ。
岩国大竹工場ではすぐにバンド活動を始めた。私のギターに全く初心者のベース、キーボード、ドラムス、パー
カッションの 4 人を加え、5 人組のバンドがスタートした。
会社からの金銭的援助は全くなかった。しかし贅沢して、ドラムのシンバルはトルコ製の「ジルジャン」、アンプ
はプロ仕様で H1300*W650 を 3 台など順次購入した。それで代金は当初は楽器店に頼み出世払いにしてもらっ
た。その代わり楽器店にギター教室を作り講師となって、週に一回無報酬で教えた。長井楽器店、スポンサーと
して育てて頂いたその恩は今も忘れません。
さて、これからお聴きいただくテープは 50 年前、1967 年(昭和 42 年)に岩国の GoGo クラブで録音したもので、
録音環境も悪くモノラルで編集ミキシングもないので、お聴きにくいとは思いますがご容赦ください。『JUICE』では
オリジナル曲も作ったが、コピー演奏が基本で、ただ私のギターは、レパートリーの全曲で原曲とは異なる独自
のオリジナルソロとバック演奏を入れることで「バンド」の特徴を出すようにした。
最初にお断りしておきますが、下手な演奏や作品ほど押し付けで披露したがるといいます。だから本日の卓話
は厚かましいとは思いますが、蒙り御免ください。
♪♪それではお聞きください(演奏の長い曲は適当にカットしています)。
【When a Man Loves a Woman】 「男が女を愛する時」1966 年パーシー・スレッジのデビュー・シングルで出世作:
当時のビルボード誌ヒットチャート第 1 位。
【The House of the Rising Sun】 「朝日の当たる家」アニマルズの代表作
さて当時岩国市は川をはさんで隣接する広島の大竹市に較べて活気があった。錦帯橋などの観光遺産と日本
編集/会報雑誌委員会
KOMATSUSHIMA ROTARY CLUB WEEKLY
最大の米軍岩国キャンプがあったからだ。それで米軍基地内のクラブにも出演するようになった。当時はベトナ
ム戦争『1965 年(昭和 40)~1975 年(昭和 50)』開戦の初期で、基地内のゲートを入るとファントム戦闘機がずら
りと並び天を突くような野砲もあり行く度に圧倒された。基地で提供された食事は決まってハンバーガーとコーラ
の大瓶(1L 瓶)、食べきれないほどのビッグサイズだった。
土日を GoGo クラブと米軍キャンプをかけもちでバイトに行った。バイト料は一晩約 5 千円で月に約 4 万円(現
在約 40 万円余)となった。全て楽器とか機材、ユニホーム、採譜用の輸入レコードと楽譜、運搬車の購入などに
充てた。
1960 年代はビートルズの全盛時代で、世界各地で似たようなバンドが結成されていった。「ローリングストーン
ズ」「アニマルズ」「ジミー・ヘンドリックス」変わったところでは「ベンチャーズ」、日本では「ザ・スパイダーズ」に代
表されるグループサウンズなど。ソウルとリズム&ブルースではパーシー・スレッジ、アレサ・フランクリン、ウィル
ソン・ピケットなど、まさに黄金の 60 年代であった。
そんな中で『JUICE』は「カリフォルニア ドリーミング」の原点とは程遠いロックとソウル、リズム&ブルースをミッ
クスしたような欲張った演奏を目指した。結局自慢できるのは 200 曲を超えるレパートリーの曲数だけだった。そ
れでも 1 日 5 ステージのバイトの注文をこなすには最低限の曲数だった。国内で市販の楽譜などは全く無く、私
が気に入った曲があるとレコードから採譜し、最小限のギターとベース、バックコーラスのパートと編曲を仕上げ
た。1 曲で約 2 日、ボーカルとキーボードのメンバーにはレコードから覚えてもらった。
なおバックコーラスは殆どの曲に入っていますが、お判りになったでしょうか。
その後、どこから聴き付けたのか音楽プロダクションのスカウトがきた。1 曲聴いただけで両手を大きく上に上
げて丸を作った。「プロになれ」と勧められたが、少し磨いて「オリジナル」を持たせれば、商品として売り出せると
見ていたのではないかと思う。
♪♪それではお聞きください。
【Hold on I’m Coming】 1961 年サム&デイブ(アレサ・フランクリンと並んでソウルとリズム&ブルースの第一人者)
【If You Need Me】 ウィルソン・ピケットの出世作:ローリングストーンズもカバー曲をチャート。
『JUICE』のレパートリーの中で私のボーカルは 5~6 曲、その内の 1 曲です。
さて 1969 年(昭和 44)、私は一身上の都合で三井石油化学を退職して帰徳、直後にバンドのメンバーだった植
田實穂君から徳島へ観光に行きたいと、OK をすると来徳した。彼女を連れていた、植田君独りと思っていたので
驚いた。なんとその彼女は三井石油化学で私が籍を置いていた同じ経理課の女性だった。当時事務棟には女
性が大勢いたが現場のプラントには女性は皆無、バンドの仲間から合コンを頼まれ世話をした。彼女は参加した
メンバーの一人だったが、その後私はそのことは全く忘れていた。
観光というには仰山の荷物を抱えてきて何でかなと思ったが、1 週間経っても帰る気配がない。聞いてみた、す
るとどうも「共に旧家の家柄が、二人の結婚について両親をかたくなにしている」ということらしい。彼らとはさほど
年の変わらない私にとっては若すぎると思ったが、仲介役をと申し出た。だが確執は深くそういう状況ではないと
のこと。
彼はもう会社も辞めて、彼女も家出してきた、行く当てもなく先輩を頼って来ましたと。致し方が無い、出来る限
りのことをしてあげなければという思いだった。
当時私は独身で独り住まい、自宅も部屋が空いていたので、そこで彼らは二部屋、私は一部屋という奇妙な同
居生活が始まった。結局私の勤務する「徳島化工」で仕事を共にし、1 年後位に子供が出来るということで小松
島の会社の近くに転居した。その後 7 年余りを共に過ごした。当時の「徳島化工」は工場と事務棟を建て替える
前の事務所で、狭くて不便で 5S とはかけ離れた仕事を強いられていた。
若い前途あるお二人に対し、本当に親身なお世話も十分出来なかったと、忸怩たる思いが今も続いています。
さて、彼の実兄は「大塚家具」に勤められていたが、実家は継がないと言うことで『両家の和解』もあり彼が九州
の小倉に帰ることになった。この経過は当クラブの佐賀 守会員が『社会人第一歩』が「大塚家具」であられた関
係からよくご承知されています。
その後彼は修業を重ね 2011 年(平成 23)に華道池坊と茶道千家の二つの佳月式の家元を襲名した。九州一
円を中心に、千人を超える門弟を抱えて活躍している。なお、バンドのメンバーとは今も交流を続けている。
♪♪最後に少し長演奏ですが 1 曲:植田實穂君のボーカルです。
【It’s A Man’s World】 ジェイムス&ブラウンの名曲。
最後にこの卓話に当たり、本日紹介した同じ曲を U チューブの原曲と数回聴き較べしてみました。地方都市の
一介のバンドでしたが、勿論足元には及ばないまでも、ある程度のレベルまでは行っていたかなと。
どうもご清聴ありがとうございました。
編集/会報雑誌委員会
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