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デザイン思想の変化 鈴木銀一郎氏とわたし - So-net

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デザイン思想の変化 鈴木銀一郎氏とわたし - So-net
第9回 鈴木銀一郎イズムに学ぶこと
デザイン思想の変化
「一軍の将」という役割(ロール)
を演じる立場に
木銀一郎氏のデザインを、
それほど高くは評価
ある。だが、
ウォーゲームをプレイしている時のプ
していなかった。その主な理由は、本記事の冒
レイヤーの頭の中には、勝利を目指して全力を
頭で少し述べた「歴史性の高さ」が、氏の作品
本誌第9号付録「ウォー・フォー・ザ・マザーラ
尽くす己の姿を歴史上の名将や智将 、猛将に
からはあまり感じられないというものだった。
ンド(改訂版)」を作り始めた頃から、私の中で
照らし合わせながら、地図上で繰り広げられる
私がウォーゲームに手を染め始めた1980年
のゲームデザインおよびゲーム製作に対する心
激戦の推移を、
どこか醒めた視点で冷静に楽し
代初頭には、国産のウォーゲームの出版社が3
構えが大きく変わり始めている。
んでいる「もう一人の自分」が存在する。
社あり、
ホビージャパン、
エポック社、
ツクダホビー
もう既にお気づきの方がいるかもしれないが、
心 理 面での変 化を簡 単に説 明 すると、
まず
プレイヤーが1枚の騎兵ユニットを指でつまん
「ゲームデザイン」という仕事を、今までとは違っ
で動かす時、
その騎兵ユニットの移動は、
プレイ
出していた。アメリカのウォーゲーム・メーカーとも
た意 味で「おもしろい」と感じられるようになっ
ヤーが下した命令の遂行であるのと同時に、
プ
独 自のパイプを持 つホビージャパン社の 製 品
た。プレイテストに熱中して、
プレイテスターとの
レイヤーの好きな「歴史的題材」を活き活きと彩
は、海外ライセンスと厳選された国産ゲームの二
対戦を心底から楽しみ、
それが終わると「次はこ
るリアルな小道具でもあるのだ。
本立てというラインナップで、私の好きな「歴史性
んな作戦を試してやろう」と次回の対戦に関す
この「司令官としての自分」と「歴史の傍観
る作戦や戦略の構想を練ったりすることも珍し
者としての自分」を同時並行的に楽しみたいと
くなくなった。
のそれぞれが、独自のカラーを持つ製品を送り
の高さ」については申し分なかった。
一方、
ツクダホビーの製品は、主に少年少女
いうウォーゲーマーの希望を満たすゲームこそ、
に人気のアニメ作品や、戦車、戦闘機、戦艦な
数年前までは、私にとってのゲームデザインと
名作あるいは傑作と呼ばれている作品群なので
どの兵器の性能に主眼を置いた、戦術レベルの
は、主に歴史的( 戦史的 )な情報、具体的に言
はないか。そう考えた私は、過去にデザインされ
ウォーゲームが多く、同社が販売する他の製品
えば史実の戦局を左右した各種の軍事的およ
たゲームの中で、上に挙げた要素をもっとも満た
と比較してもちゃんと馴染むような「売れ線」の
び準軍事的要素を分析し、地図上に展開する
している作品はなんだろうと思い、過去に自分
ポイントをきちんと押さえた作品が多かった。
両軍ユニットの行動にいかに反映させるかとい
でプレイしたり、
ゲームの例会場でプレイの様子
そして、エポック社の製品は、全てレック・カン
う、
いわば「戦史書の著述」に近い仕事だった。
を見学したり、
あるいはゲーム雑誌で内容紹介
パニーという社外のデザインチームによって製作
もちろん、対戦ゲームとしての完成度を度外
を読んだことのある膨大なゲームを頭の中で再
されたものだったが、乱暴に言えばホビージャパ
検証してみた。
ンとツクダホビーの中間に位置する、歴史性と
視していたわけではないが、
ゲームデザインの主
要な目標は「歴史的な情報をプレイヤーに提供
その結果、私が知る狭い範囲内で、最も「名
「売れ線」の両方を「そこそこ」のレベルで追求
すること」であり、資料的価値としての「歴史性
作」ないし「傑作」が多いデザイナーとして、
ある
したゲーム、
というのが、当時の私の認識だった
の高さ」というのが、作業上の優先目標だった
人物の名が浮かんできた。
のである。
しかし「ウォー・フォー・ザ・マザーランド」の
デザイン作業では、歴史性の高さよりも「ウォー
日 本で最 初の商 業 的(プロフェッショナル)
ウォーゲーム・デ ザイナーとも言われる、鈴 木
銀一郎氏である。
( 現在では、
この認識が大きな誤りであったこと
を理解しているが)。
当 時の 私の 認 識では 、あるゲームが 、一 定
レベル以上の歴史性を備えているかどうかは、
ゲーム特有のおもしろさ」を優先する方針を貫
今回の「第6の視角」は、
いつもと少し趣向を
ゲームマップに描かれた地形的情報と、ユニット
いて、
プレイテストやディベロップなどの実務作業
変えて 、鈴 木 銀 一 郎 氏 が 過 去に 執 筆された
に記された部隊名( 戦闘序列 )の2つを見れば
を進めていった。
ゲームデザイン論の記事や、2005年6月10日に
だいたい判断できるはずだった。このような判断
私が考えるところの「ウォーゲーム特有のおも
新宿で行ったインタビュー内容( 本文中の薄ア
基準で、
ホビージャパンの製品とエポック社の製
しろさ」というのは、厳密なルールに基づいて知
ミのかかっている部分がそれである)
を織り交ぜ
品を比較した場合、明らかに前者の方が、高い
略を競う対戦ゲームでありながら、歴史上の戦
ながら、鈴木銀一郎氏ならではのゲームデザイ
歴史性を含んでいるように、私には思われた。
いが目の前で「動画」のように進展するさまを客
ン手法、
いわば「鈴木銀一郎イズム」の秘密に
観的に眺めることもできるという、2つの魅力の混
迫ってみようと思う。
合体である。
ウォーゲームのプレイヤーとして大量の味方ユ
ニットを「指揮」するプレイヤーは、言うまでもなく
58
鈴木銀一郎氏とわたし
正直に告白するが、私はつい数年前まで、鈴
例えば、入門用ゲームとして出版された「ドイ
ツ戦車軍団」に含まれている「ハリコフ」のゲー
ム地図を見ると、川の流れ方や森の位置などが
実際の地図に描かれている地形よりも大ざっぱ
であるように思え、SPI社やピープルズ・ウォー社
Six Angles
Photo: Hiroaki Kokado
などのアメリカ製ゲームの地図を見た時に感じ
る「いかにも実際の地図に近い雰囲気」を味わ
うことができなかった。
また、当時のレック・カンパニーが手掛けてい
たゲームの多くは、ユニットの配置を歴史的な展
開状況に求めない「フリーセットアップ」の方式
を採用していたが、
これも当時の私には不満に
思えた点だった。ある師団が、実際にどの地域
で布陣していたのか、
という歴史的事実をきっち
り調べるのが「ヒストリカル・リサーチ」の目的で
あり、SPI社やピープルズ・ウォー社などのアメリ
カ製ゲームではある程度それが達成されている
以上、
レック・カンパニーのゲームは、
そうした調
査面で手を抜いているのではないか、
と考えた
のである。
以上のような理由で、私はレック・カンパニーが
製作したエポック社のゲームを、長い間敬遠し
続けてきた。私がエポック社のゲームを過去に
プレイした経験は、
「 独ソ電撃戦」と「日露戦争」
を各1回ずつしかなく、
しかも「独ソ電 撃 戦 」は
内容を仔細に観察するというやり方を試してみ
じった感情で、一度味わうとすっかり虜になって
ソ連 軍を鹿 内 靖 氏が1 人で担 当し、
ドイツ軍を
ることにした。
しまうような深い魅力である。
4人で1個軍ずつ担当するという変則的なプレイ
プレイテストを開始した当初、私はそれまでと
社会人になってからの私は、対戦相手がいな
であり、私は第2装甲集団のユニットをプレイした
同じように、自分のデザインしたゲームの「歴史
かったこともあり、
ウォーゲームの対戦でそうした
だけだった(この時の対戦は、早指し将棋のよう
性」を重視する形で、
ゲームのプレイを繰り返し
楽しみを味わえることをすっかり忘れてしまって
な形で進められ、最終的には10分か15分くらい
てみた。すると、何度も何度もゲームをプレイす
いた。その反動からか、一人でも支障のない(と
でゲームが終了して鹿内ソ連軍が勝利したと記
るうちに、
ウォーゲームに熱中していた学生時代
いうより、一人の方が効率よく作業できる)歴史
憶しているが、
なかなか面白い試みであった)。
に感じたような知的興奮が、頭の中で少しずつ
性の追求、つまり「ヒストリカル・リサーチ」にエネ
要するに、鈴木銀一郎氏率いるレック・カンパ
甦ってくるような気がした。1個1個のユニットを
ルギーを注ぐようになり、気がつくと膨大な資料
ニーの作品は、当時の私がウォーゲームに求め
自らの手で動かすことに、単なる「歴史性」とは
文献を参照しながら、戦史に関する原稿を執筆
ていた要素を充分に備えていなかったのである。
異なる種類の、能動的(アクティブ)でダイナミッ
する仕事を始めていた。
クな楽しみを感じるようになっていったのである。
しかし、
「ウォー・フォー・ザ・マザーランド」の
私はすぐに、
これと同じような楽しみを、全く別
プレイテストは、私にそんなウォーゲームの魅力
の世界で何度も味わってきたことを思い出した。
を再発見させてくれる貴重な機会だった。テス
海外旅行で初めての国を訪問する時 、団体ツ
トを始めてしばらくすると、多大な時間と労力を
るきっかけとなったのは、本誌第9号の付録ゲー
アーの参加者ではない一人旅の人間は常に、
要する「ゲームのプレイテスト」という行為が全く
ム「ウォー・フォー・ザ・マザーランド」のプレイテ
自分が次に行う行動によって、
その後の「運命」
苦にならなくなり、
それどころか「次はいつ対戦
ストだった。第9号に掲載されたデザイナーズ・
が大きく変わるかもしれない、
という「決断の重
できるんだ」と私の方からプレイテスターに質問
するほど、次回の対戦が待ち遠しくなった。
ゲームプレイと海外一人旅に
共通する魅力
そんな( 今から思えば的外れな)認識を改め
ノートでも触れた通り、私はこのゲームから、
リ
さ」をひしひしと感じながら、路上をぶらぶら歩
サーチや基本デザインだけでなく、
プレイテストと
いたり、バイクタクシーを拾ったり、屋台や市場で
ディヴェロップに関しても、自分が主導権を握っ
食事をしたり、現地に着いてから宿を探したり、
と思える点」が見つかり、自分が面倒だと思う
て監督する方式を採用していた。
そこで知り合った誰かを信用して彼や彼女の薦
ルールは、
たぶん一般ゲーマーもそう思うだろう
める場所へと一緒に出かけたりする。
という理由で、
いくつかのルールを削除したり、
それまでは、
プレイテストというのはゲームのプ
レイが上手い人に任せるのが一番だという単純
イスラエルやネパール、
ラオスやベトナムなど、
プレイテストのたびに、
ゲームシステムの「無駄
選択ルール扱いにして標準ルールから切り離し
な考えに基づき、
ほとんど「丸投げ」に近い形で
日本とは異なる「常識」が支配する場所を旅す
たりした。以前なら、歴史的状況を再現するた
誰かに依頼していたのだが、本当に良いゲーム
る感覚は、競技用ゲームをプレイする時に感じる
めには絶 対 必 要だと頑なに信じていたような
を作るためには、自らがプレイヤーとなってゲー
楽しみの感覚と、かなり似通っているように思え
「再現ルール」を、
ゲームルールから排除するこ
ムをやり込まないと駄目ではないかと思うように
た。それは、適度な緊張感と、自分の運命を自
なり、全てのプレイテストに自分が参加するか、
分の手で切り開くという高揚感、
そして次に何が
そして、1プレイヤーとして誰もがやるように、自
またはプレイテスター同士の対戦に立ち会って
起こるのか知りたいという知的好奇心が入り交
分の書いたルールの文章を何度も読み返して、
Issue Nr. 10
とに対する抵抗もかなり消えていた。
59
何か効率の良い「裏技」は使えないものか、相
り良い方法論を模索している状況である。その
手のプレイテスターがあっと驚くような「秘策」は
ため、
レック・カンパニーがどのようにプレイテスト
考案できないものか、
と、
プレイのテクニックを徹
を進めていたのかという実務的な面に、私の関
底的に研究してみた。
心は向けられたのである。
このような作業を繰り返した結果、本誌第9号
の付録ゲーム「ウォー・フォー・ザ・マザーラン
鈴木氏は「戦史とゲームとデザイナー」の中
で、次のように述べている。
ド」は、過去に私が作ったゲームの中でもとりわ
「ゲームデザインの上で、一番投入時間量の多
け多くの「好意的評価」を受けることができたよ
いのが、
テストプレー(プレイテスト)だ、
と思ってい
うである。やはり、本当に良いゲームを作るため
てください。テストプレーの目的は、1)ゲームが面
には、自らがプレイヤーとなってそのゲームを徹
白いか(プレイアビリティを含めて)、2)不自然さ
底的にやり込まないといけないという認識は、正
を感じさせるルールはないか、3)ゲームバランス
しかったように思える。
はよいか、
という非常に重要なものです。レックの
鈴木銀一郎氏の再発見
テストプレーには、ディベロップの意味もあると考
えてください」
今号付録ゲーム「パウルス第6軍」のプレイ
今なら、
この言葉の意味がよくわかる。プレイ
テストに関しても、
「ウォー・フォー・ザ・マザーラ
テストは、近道をして良い答えを得られるもので
ンド」と同じ方法論、つまり「全てのプレイテスト
はない。プレイテストは、
テストに注ぎ込んだ時間
に自分が参加する」というスタイルを貫き通した
に見合った量の情報しか、
デザイナーあるいは
(もちろん、担当する軍は毎回異なる)。そして、
ディヴェロッパーにもたらしてはくれないのであ
前作よりもさらに良いゲームに仕上げるため、
こ
る。これは私が過去のデザイン経験で思い知っ
の記事の冒頭で触れたような「名作・傑作」の
た、動かし難い(私にとっての)真理である。
条件を自分なりに再定義し、
その条件を満たす
ゲームを数多く生みだしたデザイナーを探索し
てみた結果、
そこに鈴木銀一郎氏の姿を
「発見」
したのである。
鈴木氏と同じように、良いゲームをコンスタント
鈴木氏はまた、
ゲームデザインを志す者に対
して、厳しいアドバイスを提示している。
「テストプレーは品質管理である。品質管理を
十分に行わない企業は、競争に敗れると思わなけ
ればならない」
にデザインできるデザイナーになるためには、氏
ご本人に直接うかがった限りでは、鈴木氏は
がレック・カンパニーで行っていた仕事の実務的
レック・カンパニーを始める前に、
どこかのゲーム
な内容や、氏がレック・カンパニーのスタッフに周
開発事業部で仕事をした経験はないらしい。だ
知していた「事業方針」を知り、
それを自分なり
が、
それにもかかわらず、良いゲームを作るため
に吸収すればいいのではないか。そう考えた私
には、
プレイテストが何より重要であると、鈴木氏
は、
まずホビージャパン社が刊行したタクテクス
はレック・カンパニーを設立した当初から確信し
誌の初期の号に掲載されている、鈴木氏自身
ていたという。
によるデザイン論の記事を読み返してみた。
まず最初に読んだのは、第4号に掲載されて
いる「戦史とゲームとデザイナー」という記事だ
った。これは、
レック・カンパニーがデザインした
数々の名作・傑作の中でも「最高傑作」と呼ぶ
にふさわしい( 少なくとも商 業 ベースのウォー
ゲームとしては日本で最も成功した)作品であ
る「日本機動部隊」のデザイン思想と、具体的
な製作のプロセスをわかりやすく紹介するもの
だった。
私がまず、鈴木銀一郎氏のやり方に興味を抱
いたのは、
プレイテストの全体的な方法論だっ
た。
「ウォー・フォー・ザ・マザーランド」と「パウ
ルス第6軍」の2作を完成させた今でも、私はま
だプレイテストについての理想的な「システム」
を構築できておらず、毎回試行錯誤しながら、
よ
60
山崎 レック・カンパニーでは、プレイテスト
を何より重視してゲーム製作をされていたそ
うですが。
鈴木 それは、黒田君(黒田幸弘氏)
とレッ
ク・カンパニーを作った当初からの明確な方
針だった。誰が言いだしたというわけではな
く、自然と共通認識のようになっていたね。
プレイテストは私が主導で行っていたが、
一人一人のプレイテスターには、なるべくテ
スト内容の指示や、デザイン意図の説明は
しないようにしていた。
山崎 それは、
なぜですか?
鈴木 あんまり細かい指示を出すと、プレイ
ヤーの意識が特定の方向に向いてしまう恐
れがあったからね。だから、完全にフリーな視
点で、一プレイヤーとしてテストに参加しても
らった。こちらとしては、いわゆる「ルールの
盲点」を含めて、誰も思いつかなかったよう
な作戦を試して、ゲームの問題点を浮かび
上がらせてくれた方が、都合がよかった。
山崎 プレイテストの参加希望者は、みんな
採用されたんですか?
鈴木
ほぼ全員、採用していたね。プレイテ
ストに初めて参加する時は、みんな「士官候
補生」という肩書きでスタートするんだ。そし
て、実際のプレイテストで、彼らのテスターと
しての能力を判断して、
こいつはなかなか腕
が立つなということになると、
「少尉」に任官
する。少尉になると、プレイテストに対して、
多少のアルバイト料が出たりしていたね。
山崎
プレイテスターに求められる能力と
は、
どういったものでしょう?
鈴木
やはり戦略眼があるかどうか、だね。
マップの地形と両軍の布陣を見て、
どういう
戦略や作戦が有効かを的確に判断できる人
間が望ましい。だから、少尉になるかどうかの
最終的な判断は、私が直接対戦して、その
能力が備わっているかどうかを見極めた上
で決定していたんだ。
山崎
少尉になると、ディベロップ面での発
言力も大きくなるんですか?
鈴木
そう。レックには「戦闘日誌」のよう
なノートがあり、各プレイテスターが対戦の報
告を書くきまりになっていた。そこでは、少尉
以上の出す意見は、やはり参考になったね。
彼らの中で特に優秀だと見なされた者は、
さ
らに中尉や大尉へと進級させた。
レック・カンパニーにおいて「階級制」が導入
されていたことは、
タクテクス誌や旧シミュレイ
ター誌などの記事で漠然と知ってはいたが、
そ
の制度にゲーム製作を効率よく進めるという実
務的な意味があったことは、
このインタビューで
初めて知った。そして、
プレイテスターとしての能
力と熱意を兼ね備えた人材を豊富に抱えていた
当時のレック・カンパニーに、言いようのない羨ま
しさを感じずにはいられなかった。
私がずっと「ゲームバランスを調整するために
必要な確認作業」だと考えていたプレイテストに
は、実はウォーゲームの価値を何倍にも高める
「浄化作用」という働きがあることを、私は長い年
月を経て、
ようやく知るに至った。だが、鈴木銀
一郎氏はゲームデザインを始めた当初から、
そ
の「本質」を見抜いていたわけである。
Six Angles
ディベロップの「習作」
プレイテストと並行して進められるディベロップ
「戦闘能力を評価する場合に、いちばんやっか
いなのは、兵器の性能以外に、
それを扱った将兵
の士気や練度をどう判断するかということです。
については、
どのようなシステムを採用していた
戦いにおける士気や練度は、非常に重要な因子
のだろうか。
となっていますが、
それは数字としてのデータには
山崎
ディベロップについては、明確な役
割分担はあったんでしょうか?
鈴木
エポック社から出た最初の4作品に
ついては、私が1人でディベロップまで担当
してやっていた。実は、エポック版の「史上
最 大 の 作 戦 」の前に、一度同じテーマで
ゲームデザインをしたことがあったんだが、
そ
現れません。結果、デザイナーは自分で決断して、
世間の評価を待つという孤独な作業をしなけれ
ばならないのです」
この文面には、鈴木氏のヒストリカル・リサー
チに対する考え方が示されているが、
あまり明確
な形で説明されてはいない。そこで、
もう少し掘
り下げて話をうかがってみることにした。
のゲームは複雑すぎて、1回プレイするのに
山崎 リサーチを行う際には、
どのような点
24時間も必要だった。ただ、
その「習作」が
に注意されていましたか?
あったおかげで、ゲームデザインの限界とい
鈴木
うか、プレイしやすいシステムを構築するコ
ペックや兵員数などの数値的な戦力よりも、
ツのようなものがだいぶ見えていた。だから
当時の将兵が感じていたであろう心理や心
「史上最大の作戦」のデザイン作業では、
情といったメンタルな部分をゲームに反映す
最初に作ったシステムにほとんど変更を加
えずに完成させることができたし、ルール
私が重視したのは、ハードウエアのス
ることだった。
例えば、零戦のレーティングにしても、戦
ブックの手直しもわずかしかなかった。
後の研究を基にした客観的で正確なデータ
山崎
を基準にして、
各種の数値を決めたとしても、
デザインやディベロップの作業で、何
か参考にされたものはありますか?
それが当時のシミュレーションとして機能す
鈴木
同テーマのゲームは、
なるべく見ない
るかどうかは大いに疑問だと思うよ。なぜな
ようにしていたから、他のゲームから得たも
ら、当時の米海軍の将兵は零戦に強い恐怖
のというのはほとんどないね。なぜ見ないよ
心を抱いていて、2倍の機数がなければ逃げ
うにしたかといえば、個別のルールで影響を
ろと命令していたほどだったからだ。
受けるのが心配だったから。一作のゲームで
つまり、彼らはゼロ戦を実際の性能以上
全体の整合性をとることが大事だから、部分
に評価していて、
その恐怖心が米海軍の戦
的にディテールを追い求めたりするのは、
あ
術面や作戦面の思考をも支配していたわけ
まり意味がないことだと思う。むしろ、
ファイ
だ。だから、もしメンタルな部分を消して、カ
ア&ムーブメントの記 事とか、ダニガンの
タログデータだけでゲームを作ると、ゲーム
「ウォーゲーム・ハンドブック」の方が、いろ
をプレイする米軍プレイヤーは零戦の「真の
いろと参考になったよ。
戦力」を冷静に判断して、当時の米海軍の
指導部とは全く異なる方策をとることになる
鈴木銀一郎式リサーチ哲学
私はかつて、鈴木氏のデザインされたゲーム
では、主にゲーム的なおもしろさを追求すること
に力を注いでいる反面、
ヒストリカル・リサーチに
ついてはさほどエネルギーを注いでいないので
はないかと考えていた。これは、先に述べたよう
に、単純にマップやユニットの部隊名という「目
に見える形」で、
リサーチの成果が反映してい
ないように思えたからである。
だが、
そのような皮相的な見方は、
どうやら大
きな誤りだったようである。タクテクス第4号の記
事では、ユニットのレーティングの方法について、
鈴木氏は次のように述べられていた。
Issue Nr. 10
だろうね。
山崎
つまり、数値的・客観的データの中に
主観的要素を適度に織り込むことで、逆に
歴史のシミュレーションとしては合理的な
「システムの構成要素」になるわけですね。
鈴木 そう。だから「日本機動部隊」に収録
されているシナリオは、米海軍が零戦などの
日本軍の兵器や戦術を徹底的に研究して、
緒戦の頃にあった恐怖心を払拭し、日本海
軍に対する認識を根本的に改めて、より合
理的な戦術や作戦を導入する、
その直前の
時期までにしてあるんだ。これ以後の時期に
発生した戦いになると、私が行った航空機や
艦船のレーティングでは全く通用しなくなっ
てしまうからね。
「コリアン・ウォー(朝鮮戦争)」のゲーム
終了を、中国軍の介入直前にしたのも、
それ
と同じ理由によるものだった。国連軍ユニッ
トの戦力評価は、あくまで北朝鮮軍相手に
発揮された将兵の戦意を基準にレーティン
グしたものだから、中国軍が出てきた後で同
じ数値のユニットを使うことはできないと考
えたんだよ。
ある軍の指導部が、相手側の特定の部隊に
対して、実体以上の脅威を感じたという事実を
ゲームに織り込んだ経験は、私にもあった。本誌
第8号付録「ハリコフ 1941-43」の第三次ハ
リコフ会戦シナリオに登場する、
ソ連軍の戦車
軍団ユニットである。
当時のデザイナーズ・ノートにも書き記したが、
第三次ハリコフ会戦当時のソ連軍の戦車は、前
年冬からの攻勢の連続で消耗し切っており、稼
働戦車台数は定数の半数以下にまで低下して
いた。しかも、地形的な理由から補給物資の供
給も滞り、
ドイツ軍将兵にとってはまさに恐怖の
的であったソ連 戦 車 軍 団は、実 際には完 全な
「張り子の虎」状態だったのである。
だが 、そのような「歴 史 的 事 実」を正 直にユ
ニットのレーティングに反映させていたら、
おそら
くゲームは緊張感のない、退屈で儀式的なもの
になってしまったことだろう。
ドイツ側が「ソ連の
戦車軍団は怖れるに足らず」
との自信を持って、
弱体なソ連戦車に立ち向かって行ったなら、史
実のような「攻防の大逆転劇」は起こらず、単に
力不足のソ連軍をドイツ軍の反撃で食い止める
というゲーム展開になっていたに違いない。
そのため、私は「実体としてのソ連軍戦車軍
団の脆弱性」と「ドイツ側が抱いていた恐怖心」
をソ連軍の戦車軍団の補給判定ルールとレー
ティングで再現し、
なるべく両プレイヤーの心理
面を当時の独ソ両軍の指導部のそれに近づけ
ようと試みたのである。
また、
「コリアン・ウォー」のレーティングについ
ての話も、非常に説得力のあるものだった。過去
に発 売された一 部のゲームでは、第 二 次 大 戦
末 期にアメリカ軍とソ連 軍が交 戦するという設
定のシナリオまたはゲームがあるが、私の考えで
は、米ソ両軍の部隊が、
ドイツ軍と戦った時と同
じ強さで、
ソ連ないしアメリカ軍と戦うという状況
は、
ほとんどあり得なかったように思える。特に、
ソ連軍の将兵の強さは、祖国を蹂躙した敵(ド
61
イツおよびその同盟国 )に対する復讐心に根ざ
第二次大戦全般におけるドイツ陸軍の作戦行
当時の東部戦線南翼の戦況をよくご存知の
したものであり、彼ら将兵に「こんどはアメリカ兵
動の中でも、
かなり例外的な部類に属する事例
方なら納得していただけると思うが、史実におけ
と戦え」などと命令しても、説得力のある理由を
であったと言える。1943年初頭の第三次ハリコ
る第6軍のスターリングラード包囲環は、重要な
欠いた戦争が続くことに意気消沈して、脱走兵
フ会戦における、SS装甲軍団長ハウサーによる
鉄道線の結節点に当たるスターリングラード周
が続出するような事態になる可能性も決して少
総 統 命 令を無 視したハリコフ放 棄をはじめ 、
辺で、
ソ連軍の7個軍(うち1個は市街戦で消耗
なくはないように思える。
ドイツが降伏すれば家
戦略的な危機に陥った時のドイツ陸軍は多くの
し切った第62軍なので、
実質的には6個軍だが)
に帰れるという明確な希望で日々の不安を紛ら
場合、頑迷な総統命令ではなく、合理的な軍事
を3カ月間にわたって拘束し続けるという戦略上
わせていた米ソ両軍の兵士は、
いつ終わるかも
上の原理・原則を優先した決断を下し、味方将
の「敵の攻勢継続を阻害する効果」を生み出し
定かでない新たな戦争への参加を命じられた
兵の生命を救い出してきた。そして、自らの死守
ていた(このあたりの 効 果については 、
ツクダ
時、絶望のどん底に叩き落とされるであろうこと
命令が招いたかもしれない破滅的な結果の重
「パンツァーカイル」の「ハリコフ 1943」で
は容易に推察できる。
大性を、作戦終了後に鑑みたヒトラーが、総統
ソ連軍をプレイしてみればよくわかる)。
少なくとも、第一次大戦や、
ソ連=フィンランド
命令に違反した現地の指揮官に寛大な対応を
従って、
もし枢軸軍プレイヤーが、史実に反し
戦争の事例を見る限り、
ソ連軍の「ドイツ軍およ
とった事例も決して少なくはなかったのである。
て第6軍を主戦線に収容すれば、機動の自由を
びその同盟国軍に対する強さ」は、他の国との
それを考えると、私が「スターリングラード・
与えられた敵の6個軍はすぐさま、別の箇所での
戦争にそのまま転用できるものではなかったよう
ポケット」に導入した、第51歩兵軍団のスターリ
攻勢に転用することが可能となる。それを考え
に思われるのである。
ングラード市街放棄と補給物資の空輸をリンク
れば、
ドイツB軍集団ないしドン軍集団の司令部
させるというアイデアは、
あまりにも「後世の歴史
としては、単に「第6軍を西に脱出させた」という
研究者の視点」が強すぎるように思えた。
だけで喜ぶわけにはいかなかったのである。
鈴木氏によれば、
ウォーゲームとは「軍事上の
原理・原則を再現するシミュレーション」であると
もし、第6軍の司令官がパウルスではなく、野
こうした発想はすべて、史実で何が起きたか
法は、
プレイヤーを「後世の歴史研究者の視点」
戦指揮の経験豊富な別のドイツ軍人であったな
という「事実経過を追う発想」ではなく
「史実の
ではなく
「当時の両軍指導部の視点」に近づけ
ら、戦局はどのように変わっていただろうか。
結果に惑わされることなく、当時の戦略的・作戦
いう。そして、実際に鈴木氏がとったデザイン手
もし、総統命令に「盲従」して第6軍を破滅に
的状況を見極める」という視点から行われたも
この方法論が、戦略的に見て大成功であっ
追いやったパウルスが、
ドイツ陸軍の将官の中で
のであり、鈴木銀一郎氏がレック・カンパニーで
行ってきたデザイン思想と基本的には同一線上
るというものだった。
たことは、当時のレック・カンパニーのゲームが今
「機動戦を指揮する能力が比較的低い」人物
なお各社から復刻再版され、
例会場でプレイさ
であったとしたら、平均以上の機動戦指揮能力
れ続けていることからも明白だと言えるだろう。
を持つ将軍が第6軍司令官の地位に就いてい
「パウルス第6軍」の
基本コンセプトの転換
た場合に、
どのような対応策をとっただろうか。
このような観点から、私はスターリングラード包
囲戦の作戦的・戦略的な状況を根底から分析
に位置していると私は理解している。
その意味で、
「 パウルス第6軍」は「スターリ
ングラ ード・ポケット」と外 見 上はきわめて似
通っているものの、本質的には全く異なる別ゲー
ムだと言えるのである。
デザイナーズ・ノート
(本誌15ページ)でも少し
し直し、当時のドイツ軍が直面していた状況を
触れたことだが、今号付録ゲームの「パウルス
なるべくフラットにゲームの中へと織り込もうと考
第6軍」は、原型デザインの段階ではあまり深く
えた。その結果として出来上がったのが、
プレイ
考えることもなく、
プレイヤーを「後世の歴史研究
ヤーに対する行動上の拘束を極限まで排した、
発チームを、円滑に運営させる秘訣とは何だっ
者の視点」に立たせることを想定していた。
最終版の「パウルス第6軍」だったのである。
たのだろうか。
スケジュール管理の重要性
それでは、
レック・カンパニーのようなゲーム開
一応、
ドイツ第6軍にスターリングラード市の死
逆に言えば、
「 パウルス第6軍」の勝利条件
プレイテストを友人に依頼していて、
いつも悩
守を命じる「ヒトラー命令」的なルールを導入し
は、
ドイツ軍に与えられた行動上の自由という要
むのは、彼らとの「距離感」の取り方である。た
て、枢軸軍プレイヤーに史実と同じようなジレン
素を踏まえた上で、
ややソ連軍が有利になるよう
いていの場合 、
プレイテスターには金銭的な謝
マを味わわせようとはしたが、今にして思えば、
なバランスで設定してある。史実のような行動上
礼は支払っておらず、家に来てくれたテスターに
それはあくまで「見かけ上のジレンマ」に過ぎな
の制約から解放されたドイツ軍が、史実で達成
は奥さんと子供向けに上等なケーキを買って持
かった。なぜなら、
スターリングラードの包囲戦が
できなかったことを単純に達成できたというだけ
ち帰ってもらったり、出来上がった製品を無償で
開始された時点で、第6軍に市街の死守を命じ
では、勝利したとは見なされないのである。
提供するというような形でお礼をしているが、
そ
るというのは、決して「歴 史の必 然 」ではなく、
「パウルス第6軍」における枢軸軍プレイヤー
れだけに彼らに対して何かを強いたりするような
単にヒトラーという一独裁者の「気まぐれ的な発
の戦略目標は、
まず第6軍に所属する師団の大
言い方は控えざるを得ず、
もどかしい思いをする
案」であり、周囲を取り巻く高官たちの言動次第
部分を、陸路での補給線が設定できる場所へと
ことも少なくはなかった。
では、彼が別の結論にたどりつく可能性は存在
脱出させること。次に、戦略的な主導権を握った
また、
ゲーム開発という具体的なゴールの見え
したとも考えられるからである。
ソ連軍が、新たな攻勢をかけることのできる脆弱
にくい作業に付き物の、
どこでゲームを完成と見
な地域を作らないこと。この両方を満たすことが
なすかという問題についても、
プレイテスターを
晒されているにもかかわらず、
それでもなお西方
必 要であり、
どちらか 一 方だけを達 成しても、
無視して私一人で判断するわけにはいかない
への即時脱出を厳禁したという史実の展開は、
ゲームには勝てないのである。
ため、毎回どのような形でテストとディベロップを
言い替えれば、1 個 軍が完 全 包 囲の危 機に
62
Six Angles
Photo: Hiroaki Kokado
終了するかという方法論は、
まだ明確には掴め
ていない状態にある。
さらに言えば、
プレイテストに参加している複
数のプレイヤーが、
それぞれ相反する提案を出
してきた時、
どちらを採用するかというのも難題
である。全ての意見を採用することは不可能だ
が、かと言って私が独断で決めてしまうと、次か
ら手伝ってもらえなくなる可能性も出てくる。
では、レック・カンパニーではそうした問題
をどのように解決していたのだろうか。
山崎
プレイテストやディベロップの過程
で、参加者の間で意見対立が発生した場合
など、
どのように解決されていましたか?
鈴木
初期の頃は、意見が割れた時は双方
の言い分を聞いた上で、私が全ての決定を
下していた。それ以後は、黒田君にそのあた
りの決定を任せるようになったが、やはりデ
ザイナーが最終決定を下すという形には変
わりがなかった。プレイテスターはあくまで
「参謀」であって、決定を下すことができるの
はデザイナーだけだからね。もちろん、
なぜそ
ういう決定を下したかという理由について
鈴木 レック・カンパニーは、最終的には解
うのは本末転倒だが、そうならないように、
は、
きちんと説明するよう心掛けていた。
散したわけだけれど、解散に至った最大の理
余裕を持って作業の進行計画を立てるの
山崎
由というのは、作業上のスケジュール管理が
がスケジュール管理というものだから。
プレイテストとディベロップの過程
を、どこで終わらせるか、つまりどの段階で
できなくなったことだった。
そういうスケジュール管理の認識をきち
「ゲームが完成した」と見なすのかについて
第一期の4作については、エポック社と
んと持っておかないと、良いゲームをコン
も、デザイナーである鈴木さんが決められた
の間で取り交わされた納期を厳守すると
スタントに生み出すことはできないだろう
のですか?
いう目標があったから、みんなそれを念頭
ね。これは、戦 略 眼とかプレイテストの能
鈴木 そうだね。どこで完成したかというの
に置いて作業に集中することができた。し
力とは別次元の話のように見えるけど、実
は、明確な定義や判定法が存在しないから、
かし、それ以後の作品については、特に納
際には共通する部分があるんだよね。
非常にむずかしいことだけれども。プレイテ
期を決めなかったこともあって、進行がず
ストの結果には、
双方の戦略眼や作戦手腕、
るずると遅れたり、締切を先延ばしにした
つまりプレイの能力の他に、ダイスという不
りという形で、統一的な納期のターゲット
確定要素も含まれているから、ただテストの
を作ることができなくなってしまった。
結果だけを平均すればいいゲームができる
いいゲームを作るためには、締切を設定し
というわけでもない。個々の対戦結果をそ
ない方がいいというのは、確かにその通りな
のまま鵜呑みにするのではなく、
その内容を
んだけど、じゃあそうなった時に、誰がスケ
検証した上で、
「こいつの戦略は間違ってい
ジュール管理をして、納期の設定をするのか
なかったが、ダイスの目が少し悪すぎた」と
という部分がないと、結局は日々の仕事に
思えば、テスト結果の評価に幾分かの「補
緊張感がなくなって、成り行き任せの作業に
正」を加えることもあった。
なってしまう。それだと、いいゲームも生まれ
でも最終的には、デザイナーが自分の能
力を信じて決定するしかないね。これは孤独
な作業だけど、やりがいはあるよ。
にくくなるだろうし、最悪の場合はゲームが
ずっと完成しないということもありうる。
だから、何かしら納期のターゲットを作っ
山崎 レック・カンパニーのような開発チー
て、それを目指すというスケジュール管理
ムを、組織として円滑に運営される上での秘
は、ゲーム開発という事業の中ではきわめ
訣や注意点のようなものがあれば、教えてい
て重要なことだと思う。締切のために充分
ただきたいのですが。
なテストプレイや校正ができなかったとい
Issue Nr. 10
鈴木銀一郎イズムの継承
今号の付録ゲーム「パウルス第6軍」を見て、
鈴木銀一郎氏の作品との共通点を見出す人は
少ないかもしれない。しかしこのゲームは、私が
鈴木銀一郎氏の仕事を意識しながらディベロッ
プとプレイテストを進めた最初の作品であり、何
度かプレイされれば、
ゲームの端々に少しずつ、
鈴木氏のデザイン思想の影響が及んでいること
を発見していただけることと思う。
もちろん、私には私のデザインスタイルがあり、
それを評価して下さる方が少なからず存在する
以上、今までの方法論を全部捨てて「鈴木氏の
物真似デザイン」をするつもりはない。ただ、今ま
での私が重視してきた「戦史研究的」デザイン
スタイルの中に、鈴木銀一郎イズムを導入するこ
とで、今までよりも良いゲームを作れるのであれ
ば、躊躇する理由がどこにあるだろうか。
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