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中国農村医療保障制度の現状調査

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中国農村医療保障制度の現状調査
大阪経大論集・第62巻第1号・2011年5月
129
中国農村医療保障制度の現状調査
浙江省寧海県の医療保険制度を中心に
王
崢
目次
Ⅰ. 問題の所在
Ⅱ. 当該地域と新型農村合作医療制度の展開
1 調査地域―寧海県
2 寧海県における新型農村合作医療制度の展開
Ⅲ. 制度の実施状況―アンケート調査から
1 調査方法
2 アンケート対象者の基本属性
3 新型農村合作医療制度の加入状況と理解度
4 制度と医療機関への満足度調査
Ⅳ. 制度の実施における問題点とその対策―調査結果をもとに
1 住民の制度についての知識不足
2 医療保険給付と医薬費用負担の同時成長
3 医療機関の指定や給付内容の制限からもたらす不便と不安
4 末端医療機関の未整備
キーワード:浙江省, 新型農村合作医療制度, アンケート, 評価と課題
Ⅰ
問題の所在
1970年代末中国の改革・開放政策によって, 農村部に 「個別農家請負生産責任制」 が導
入され, それまでの農村集団生産体制から家庭単位の経営に移行した。 それとともに, 農
村集団生産体制に対応して形成された農村合作医療制度も崩壊することになった。 それ以
降, 8億といわれる農村住民は医療費の全額を負担しなければならない状況に陥った。
1990年代, 中央政府は農村合作医療制度を改革しつつ, 制度の再建を図ったにもかかわら
ず, 財政上の問題や農民の低加入意欲によって失敗することになった。 そこで, 中央政府
は農村住民の医療問題を解決するため, 失敗した改革案の経験を吸収した上で, 2003年か
ら新型農村合作医療制度を試行した。 新型農村合作医療制度は, 互助共済制度と定義され,
中国農村部の主な医療保障制度として実施されている。 制度は, 農村住民の集団的・地域
的な互助と共済を強調する。 その目的は, 疾病に基づく貧困への落ち込みを防止し, 農村
住民の健康水準をあげるとともに, 農村部の経済発展を追求することである。 2008年に新
型農村合作医療制度が全国31の省・市・自治区をカバーでき, 2009年に試行段階から普及
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第62巻第1号
段階に移行することになった。 2009年9月現在, 新型農村合作医療制度の加入率1) は94%
に達しており, 支給総額は累計847億元になった。
多くの先行文献2) で指摘されたように, 制度の試行段階では制度の給付内容や給付水準
について, 東部沿海地域と中・西部地域の格差が大きい。 その大きな原因は, 地方財政力
の差が中・西部地域の制度財源の制約をもたらしていることにある。 そのため, 中央政府
の中・西部地域への財政補助が年々引き上げられ, 財政力の格差が是正されている。 2010
年に, 中・西部地域の保険料および財政補助の金額は一人当たり年間150元となり, 東部
沿海地域の平均水準に近づいてきている。 今後, 中・西部地域においても, 経済発展につ
れて中央・地方財源が充実するようになれば, 制度の給付内容と給付水準における東部沿
海地域との格差が縮小されるであろう。 そこで, 中央財政の投入で後進地域の財源問題が
ほぼ解決された後, 制度の発展に当たってこれからの改善を考える際に, 東部沿海地域の
先進地域における制度およびその実施状況を把握することが重要だと考えられる。 すなわ
ち, 新型農村合作医療制度が将来にわたって農村における医療ニーズに応えうる制度であ
るのかどうか, またそうなるために解決されるべき問題点を明らかにすることが課題とな
っている。
そして, 農村医療保険制度の実施について, 多くの先行研究3) では全国平均水準の反映
に力を入れ, むしろ後進地域の制度改善を主に報告している。 しかし, 経済力の格差によ
って生じる各地域における制度の拠出と給付水準の地域間の格差が大きいので, 選んだ地
域によって, 研究や分析の限界が存在している。 全国的な普及状況や普及のうえでの施策
は明らかとなっても, 農村医療制度や医療保険制度の今後の展開にかかわる指針が鮮明に
なるわけではない。 そこで, 現段階の新型農村合作医療制度の実施状況からその到達点を
確認する必要があり, 先進地域の現状を把握することは重要となる。
また, 試行段階から全面普及段階へと移行した新型農村合作医療制度について, 中間的
な評価を試みることが必要であるが, 制度そのものの研究と同時に, 実態を把握すること
も重要である。 さらに, 現状観察で見出された問題点の解決方向も検討すべきであろう。
以上の問題意識を踏まえて, 筆者は2009年2月から3月にかけ, 中国浙江省の寧海県で
現地調査を実施した。 寧海県は経済水準の高い浙江省に位置しており, 新型農村合作医療
制度の東部沿海農村地域における典型とみなしうる。 制度の実施が他の地域より比較的早
く, 地方財政の投入等によって, 制度の給付水準は全国の先進水準に到達し, 給付内容も
比較的包括的である。 制度の実施について, 財政的基盤の強い寧海県で浮かび上がる問題
点は, 今後, 財源問題を解決した後の他の地域でも問題となる可能性があるであろう。
1) 中国政府公表数値の計算のし方によって, 新型農村合作医療制度加入率は, 「新型農村合作医療制
度に加入する人口数÷制度導入地域の総農村人口数」 となっている。
2) 王 (2007), ・楊 (2007) に参照。
3) 例えば, 畢力格図・草野・朝克図 (2005) は内モンゴル, ・張 (2007) 河南省新郷市, 王 (2007)
は山西省, 劉 (2007) は青島市, それぞれの特定地域を分析対象とし, そこでの実例を紹介してい
る。
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本稿はまず文献資料とヒアリング結果に基づいて, 調査地域の地理的・経済的な状況を
概観し, また当該地域における新型農村合作医療制度の展開とその主内容を紹介する。 そ
れによって, 制度の実施について, 現段階の到達点を確認する。 そして第Ⅲ章では, 今回
の調査結果を 「アンケート対象者の基本属性」, 「新型農村合作医療制度の加入状況と理解
度」, 「制度と医療機関への満足度調査」 のように項目別に整理する。 続いて第Ⅳ章では,
調査結果の分析に基づき, 調査結果で得られた問題について言及してみたい。
Ⅱ 当該地域と新型農村合作医療制度の展開
1
調査地域―寧海県
図1 寧海県の地理的位置
出所:http: // image.baidu.com / i?ct=503316480&z=&tn=baiduimagedetail&word=%D5%E3%BD%AD%B5%D8%
CD%BC&in=29627&cl=2&lm=-1&pn=111&rn=1&di=8419555503&ln=1&fr=&ic=&s=&se=&sme=0
2010年8月4日検索の地図にもとづき作成。
寧海県は, 中国浙江省の電子製品の輸出で著名な東部沿海県―寧波市が管轄する一行政
区域―である (図1)。 寧海県の面積は1880 km2, 人口58.9万人で, いち早く対外開放政
策が実施された先端地域のひとつでもある。 自然条件に恵まれ, 県内のスイカ, 魚, 蜂蜜
等の農産品でも有名である。 そして金型, 文房具, 車の部品等の生産量が高い寧海県は,
2003年から全国県レベル総合経済力ランキングの上位100位内に入り, 2008年には68位ま
で上昇した。 そして, 2009年の GDP は235.5億元で前年度比8.5%成長し, 財政収入も
24.46億元に達した (図2を参照)。 寧海県が強い経済力を持つことから, 新型農村合作医
療制度の実施も比較的早く, 実施にあたっても財政的に有利な条件をもっていた。 制度の
内容や実施方法が成熟するにつれて給付水準も上昇しているが, 制度の問題点も表面化し
つつある。 経済的に恵まれた寧海県にあっても現れる問題点や制度実施上の困難は, 今後,
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財源問題の解決した他の地域に共通するところがあると推定される。 これが, 寧海県を今
回の調査目的地とする大きいな理由である。
図2 淅江省寧海県の経済成長実況
250.00
200.00
単
位 150.00
GDP
財政収入
億 100.00
元
輸出
50.00
0.00
1
02 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009
200 20
出所:寧海在線 (http: // bbs.nhzj.com / thread-260628-1-1.html), 2010年8月4日検索。
2
寧海県における新型農村合作医療制度の展開
まず, 寧海県で実施された新型農村合作医療制度の展開過程とその内容をみてみよう。
2004年4月30日に, 「寧海県新型農村合作医療制度実施方法 (試行)」 が公布され, 2004年
7月1日から制度の試行が開始された。 最も早い時期に制度を導入した地域より1年2カ
月遅れていたが, 全国的普及より4年も早かった4)。
実施当初の2004年の状況をみてみよう。 寧海県の新型農村合作医療制度は, 他の地域と
同様に, 対象者がその県内の農村住民5) (出稼ぎ労働者も含む) とされる。 加入者は制度
に世帯単位で任意に加入することができ, 保険契約は一年毎に更新される。 制度に加入し
た農村住民家庭には 「新型農村合作医療証」 が交付され, これは受診の際の給付証明とな
る。
県レベルで新型農村合作医療管理委員会が設置され, 制度の実施方法と給付水準が設定
される。 県レベルにはまた新型農村合作医療管理弁公室 (事務室) もあり, 制度の実施に
ついて指導と監督が行われる。 制度の具体的な実施は県の新型農村医療管理センターとい
う機構が行う。 各郷 (鎮) 政府が制度を宣伝し, 農民の制度への加入促進にあたる。 2004
年時点での寧海県一人当たりの年間保険料は30元で, 中央政府からは財政補助がなく, 市
政府の財政補助が18元, 県政府と鎮 (郷) 政府からそれぞれ15元, 合計78元となった。 そ
して, 健康診断のための 「医療服務基金」 が設置され, 加入者一人当たり市政府から2元,
県政府と郷 (鎮) 政府からそれぞれ4元, 合計10元補助されていた。 村単位で保険料が徴
収され, 基金の調達管理は郷 (鎮) の管理弁公室で行われる。 基金の運用管理等に対して
4) 施行地域における新型農村合作医療の制度導入は, 2003年5月からであり, 全国的に制度の普及は
2008年である。
5) 農村住民とは, 農村戸籍を取得している者である。
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は県の管理委員会が監督する。 制度によって, 入院および指定された慢性病の医療費につ
いて給付されているが, 一般外来受診で発生した医療費については, 設立当初は給付対象
外であった。 指定された慢性病の外来受診について, 1000元を超えた部分の医療費が30%
給付され, 上限金額が3000元となる。 転院, 出張, 出稼ぎによって県外で発生した医療費
について, それぞれの給付率が特別に規定されている。 そして, 入院の医療費については,
表1の水準で対象者に給付されており, 給付方式は償還払い方式6) である。 給付開始基準
額未満の医療費は個人負担となり, 郷・鎮の医療機関の場合には給付開始基準額が500元
で, 県と県以上の医療機関の場合には1000元となっている。 発生した医療費に対する保険
給付比率は, 2000元以内の場合30%, 2001∼5000元の場合40%, 5001∼10000元の場合50
%, 10000元以上の場合60%となっている。 給付の上限は20000元であり, それを超える場
合には個人負担になる。
表1 寧海県新型農村合作医療制度の入院給付水準 (2004年)
医療機関
給付開始基準額 (元)
郷 (鎮) 内
500
県と県以上
1000
給付比率
上限
2000元以内
2001∼
5000元
30%
40%
5001∼ 10000元以上
10000元
50%
20000元
60%
出所:「2004年寧海県新型農村合作医療制度実施方法 (執行)」 寧海県新型農村合作医療管理弁公室。
そして, 2004年の実施状況をふまえた上で, 2005年7月1日から実施内容の一部が改善
された。 まず, 給付指定される疾病範囲が拡大されるとともに, 給付水準が表2のように
調整された。 さらに, 指定慢性病以外の一般外来受診で発生した医療費についても給付さ
れるようになった。 保険料の中から一人当たり10元が一般外来受診の 「プール基金」 とし
て組み込まれるようになった。 一般外来診療の医療費給付は郷 (鎮) の医療機関に限定さ
表2 寧海県新型農村合作医療制度の入院給付水準 (2005年)
医療機関
郷 (鎮) 以内
県以内
県以上
給付開始基準額 (元)
給付比率
上限
2000元以内
2001∼
5000元
5001∼ 10000元以上
10000元
200
40%
50%
60%
70%
1000
(14歳以下500)
1000
(14歳以下500)
30%
40%
50%
60%
20000元
県内の基準×60%
出所:「関于2005年実施寧海県新型農村合作医療制度的通知」 寧海県新型農村合作医療管理弁公室。
6) 償還方式とは, 医療サービスを受ける際に医療費全額を一旦支払い, その後に給付される部分を受
領する方式である。
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第62巻第1号
れ, 給付率は15%であった。
さらに, 2007年10月24日に 「新型農村合作医療制度の改善についての意見」 が公布され,
2008年度からの制度の拠出と給付水準が調整され, 引き上げられた。 2008年寧海県一人当
たりの年間保険料が50元となり, 財政補助が90元 (市政府30元, 県政府40元, 郷・鎮政府
20元) で, 総額は140元となった。 そして, 健康診断に充てられる 「医療服務基金」 も15
元に増額され, 市政府が3元, 県と鎮 (郷) 政府がそれぞれ6元を補助することになった。
入院の医療費給付水準が統一され, 郷 (鎮), 県, 県以外の医療機関という序列で, それ
ぞれ65%, 45%, 30%となった。 入院と慢性病外来受診の医療費給付と合わせて給付の上
限金額が3万元とされた。 保険料の中から一人当たり20元が充てられ, 一般外来受診の
「プール基金」 が拡大された。 一般外来診療で発生した医療費に対して, 25% (漢方の場
合35%) が制度から給付され, 給付の上限金額が500元となった。 また, 低所得層, 障害
者等を対象とする 「二次給付」 が開始されるようになり, 一次給付の後, 個人負担分の医
療費の一部をさらに補充給付するようになった。 「二次給付」 の上限金額は2万元とされ
た。
制度が導入されてから5年目の2008年に, 入院医療費を給付された農村人口は1万7822
人, さらに入院医療費の 「二次給付」 をされたのは1644人, 支給総額は4726.19万元にな
った。 そして, 特定病種の外来給付を受けたのが1066人, 支給総額が198.65万元であり,
一般外来給付を受けたのが延べ52万2726人, 支給総額が850.06万元となった。 また, 延べ
10万3151人が無料で健康診断を受けた7)。
2009年に, 寧海県の新型農村合作医療制度の保障水準をさらにアップさせるため, 財源
的な調整が行われた。 一人当たりの年間保険料は50元となり, 中央政府補助は依然として
なく, 各級政府補助は50元アップの140元, 総額が190元に引き上げられた。 そして, 出産
に対しても最高1000元が給付されるようになった。
2009年9月までに, 制度への加入者は47万9191人に上り, 普及率は97.59%に達してい
る。 制度基金は8533.39万元となり, 表3のように給付された延べ人数は年間69万3379人,
一般外来給付延べ人数66万6805人と, 延べ人数とはいえ県人口 (58.9万人) を上回るよう
になり, 給付金額も総額8078.87万元に達している。 この事実は新型農村合作医療制度が
寧海県で高い加入率を達成しているばかりか, 県民によって広く利用され, 支持されつつ
表3 寧海県2009年度新型農村合作医療制度の給付状況
給付項目
入院給付
慢性病外来受診
出産給付
一般外来受診
二次給付
合計
年間給付人数 (人)
21,161
1,975
2,200
666,805
1,238
693,379
給付金額 (万元)
6,024.4
332.62
108.62
1,210.23
403
8,078.87
出所:寧海県人民政府ホームページ (http: // www.nh.gov.cn / 004 / 001 / 001 / 109734.html), 2010年8月4日
検索。
7) 寧海県衛生部による統計である。
中国農村医療保障制度の現状調査
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あることを物語っている。
2009年11月13日に, 正式 (2004年は 「試行」) の 「寧海県新型農村合作医療制度実施方
法」 が公布され, 2010年の実施基準が定められた。 寧海県一人当たりの年間保険料は90元
となり, 中央政府からの財政補助が初めて加わって6元, 市政府の財政補助が74元, 県政
府から75元, 鎮 (郷) 政府から25元, 総額が270元となった。 郷や鎮の医療機関で診療を
受ける場合に, 一般外来の医療費に対して30% (漢方の場合45%) が給付されるようにな
った。 外来で発生した医療費の給付上限金額も1000元となった。 そして, 入院給付水準が
表4のようにさらに引き上げられた。
表4 寧海県新型農村合作医療制度の入院給付水準 (2010年)
医療機関
給付開始基準額 (元)
給付比率
郷 (鎮) 以内
200
80%
県以内
600 (18歳以下300)
60%
県以外
900 (18歳以下300)
40%
上限
70000元
出所:「寧海県新型農村合作医療制度実施方法」 寧海県人民政府弁公室。
Ⅲ 制度の実施状況―アンケート調査から
以上が浙江省寧海県の新型農村合作医療制度の展開過程とその内容である。 制度の保険
料および政府財政補助が増額されるとともに, 給付水準がレベルアップされ, 給付内容も
年々充実してきたことが明らかである。 この節では, 2009年2月に行われたアンケート調
査の結果を整理する。
1
調査方法
寧海県内は, 18の行政単位 (郷, 鎮, 街道) があり, そのうち今回現地調査が行われた
のは長街鎮, 力洋鎮, 茶院郷, 一市鎮, 越溪郷, 黄壇鎮, 桑洲鎮, 岔路鎮, 前童鎮, 大佳
河鎮, 西店鎮, 深鎮, 橋頭胡街道, 梅林街道, 胡陳郷の15行政単位であった。 当調査で
は, 県の新型農村合作医療管理弁公室の協力を得ながら, それぞれの郷・鎮政府衛生院の
担当者から当該世帯へ直接アンケート用紙8) を配り, 2週間後に同じ衛生院の担当者を通
じて回収する調査方法が取られた。 調査対象者は, 郷・鎮政府の住民票名簿から無作為抽
出された農村世帯であった。 調査期間は, 2010年2月19日から3月5日までの14日間で,
配布数は郷・鎮ごとに20票, 合計300票であった。 そして, うち有効回収票は283票で, 有
効回収率が94.3%であった。
今回のアンケート用紙は先行研究 [王文亮;2010] で行われたアンケート用紙を参考に
作成したものである。 先行研究では, 江西省広豊県における新型農村合作医療制度の構造
的特徴と加入状況を概観し, 加入者の入院治療給付の実態を明確にしたうえで, 給付手続
8) 金城学院大学の王文亮教授が現地調査で使用したアンケート用紙を参照し, 作成したものである。
136
大阪経大論集
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きの簡素化, 医療機関の整備, 医療専門人材の養成という課題が指摘された。 しかし, 同
研究では, 制度加入者の立場からの制度に対する理解度, 制度や医療機関に対する満足度
についての評価が行われていない。 そして, 江西省広豊県は, 中国の内陸地域に位置し,
経済・生活等の水準が中国の平均レベルにあたる省であり, その地域の現状や問題点を通
じて中国の平均的な状況の理解に役立つものとなっているが, 地域差が大きい中国では限
界性もつきまとう。 今回のアンケート調査は, 経済力の強い東部沿海地域―浙江省寧海県
の15の行政単位で実施し, 加入者の立場からみた制度実施中の利点と問題点の発見に努め
ることにした。 経済的先進地域の浙江省寧海県では地方財政の投入等によって, 制度の展
開に比較的有利であり, 制度の試行も比較的早く, 給付内容が比較的包括的であり, そし
て制度の給付レベルも比較的高いため, 制度の利用度や制度への満足度は全国の平均を超
えると予期できる。 そこで, 今回アンケート調査を通して, 積極的な財政投入によって制
度の実施レベルを高めてきた寧海県で浮かび上がる問題点をより鮮明にしたいと考えた。
これらの問題点の解決は他の地域にとっても参考となるであろう。 また, 今回アンケート
項目の参照と利用については王文亮氏の許可をいただいた。
調査項目は, ①調査対象者の基本属性 (年齢, 家族構成, 収入, 健康状態, 出稼ぎ労働
の有無), ②新型農村合作医療制度の加入状況と理解度 (加入理由, 重要度・仕組み・給
付についての理解度, 制度の宣伝方式, 情報入手方式等), ③制度への満足度 (医療費用
の軽減状況, 制度給付率・便利性・保険料拠出水準についての満足度, 加入後の不安),
④農村医療機関への満足度 (医療設備, 医療従事者の技能, 態度の良さ, 医療費の水準,
便利さ) 等, 大きく四つの項目に沿って質問した。
今回のアンケート調査では個人情報が漏洩しないよう万全の体制をとり, プライバシー
保護には最善の注意を払い, 倫理面での配慮は十分に行ったつもりである。
2
アンケート対象者の基本属性
図3は調査対象者の年齢を示したものであり, 世帯の主な労働力となる30代と40代が中
心となっている。 性別では, 女性が140人 (53.0%) で, 男性が124人 (47.0%), 項目無
記入が19人である。
図4と図5は, 調査対象者の家庭年間収入と家族人数を示すものである。 調査結果にも
とづき計算した全調査対象者の家庭年間収入の平均は4万9846元であるが, 図4で示すよ
うに, 56%の家庭の収入は2万元から6万元の間にある。 そして, 図5のように, 大家族
がこの県の農村家庭構造のひとつの特徴となっており, 6人以上の家庭は全体の過半を占
めている。 一人っ子政策の実施による中国独特の 「三人家族」 はわずか全体の9%である。
調査対象者の家族構成は図6のように, 親と未婚の子供のみの世帯が中心となっている。
さらに, アンケートでは現実的な医療ニーズを理解しておくための参考に, 出稼ぎ労働
者と慢性病患者の有無という項目を設けた。 それによれば, 出稼ぎ労働者のない世帯は
228 (80.5%), 出稼ぎ労働者1人の世帯は41 (14.5%), 2人の世帯は14 (4.9%) である。
そして, 慢性病患者のない世帯は231 (81.6%), 慢性病患者が1人の世帯は45 (15.9%),
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図3 調査対象者年齢の分布 (歳)
6070
6%
8090
1%
10
20
1%
20
30
14%
7080
3%
5060
15%
30
40
31%
4050
29%
出所:寧海県に行われたアンケート調査の集計結果に基づき,
著者作成。 以下の図表はいずれも同様である。
図4 調査対象者の年間家庭収入 (元)
2%
7% 2%
11%
0
20000元
7%
20000
40000元
40000
60000元
60000
80000元
15%
28%
80000
100000元
100000
120000元
120000
140000元
28%
図5
調査対象者の家族人数
1人
4%
8人
21%
2人
7%
3人
9%
4人
11%
7人
18%
6人
16%
5人
14%
138
大阪経大論集
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図6 調査対象者の家族構成図
無記入
20.5%
親と既婚の子供の世帯
4.2%
夫婦のみの世帯
6.0%
単独世帯
0.4%
その他
1.1%
三世代世帯
15.5%
親と未婚の
子供のみの世帯
52.3%
二人の世帯は 7 (2.5%) である。
3
新型農村合作医療制度の加入状況と理解度
表5 新型農村合作医療制度の加入状況
制度に加入していますか
加入する理由 (複数選択)
はい
自分にいいから
95.8%
いいえ
3.2%
幹部らの宣伝と説得
不明
1.1%
周りが加入しているから
合計
100.0%
次年度の加入
75.6%
加入する
90.8%
9.2%
加入しない
1.8%
12.0%
わからない
4.9%
不明
5.3%
不明
2.5%
合計
100.0%
合計
100.0%
表5が示しているのは, 新型農村合作医療制度の加入状況である。 調査対象者の中,
271人 (95.8%) が加入しており, 2009年に公表された寧海県の高加入率 (97.59%) をほ
ぼ裏付けている。 制度へ加入する理由については, 214人 (75.6%) が 「自分にとってい
い制度」 と認識しており, 26人 (9.2%) が 「幹部らの宣伝と説得」 を加入理由としてい
る。 そして, 「周りが加入しているから」 と答えた人が34人 (12.0%) もあり, 全体に占
める割合は少なくない。 加入していない理由については, 経済上の困難, 出稼ぎという不
便, 役立たない等という答えがあった。 次年度の加入について, 「加入する」 という答え
が257 (90.8%), 「加入しない」 という答えが 5 (2%) となり, 「わからない」 という答
えが14 (4.9%) であった。
そして, 表6は新型農村合作医療制度への理解度についての回答である。 制度の重要度
について, 260人 (91.9%) が重要だと答えており, 他の意見は少数である。 新型農村合
作医療制度の仕組みについて, 「よく知っている」 と答えた人が31人 (11.0%) と少数で,
「少ししか知らない」 という答えが236 (83.4%) であった。 そして, 制度の仕組みと同様
に, 制度の給付についても, 「よく知っている」 と答えたのは33人 (11.7%) に止まり,
「少ししか知らない」 という回答が223人 (78.8%) となっている。 また, 「全然わからな
中国農村医療保障制度の現状調査
139
表6 新型農村合作医療制度への理解
制度は重要ですか
制度の仕組みについて
重要
91.9%
制度の給付について
よく知っている
11.0%
よく知っている
11.7%
83.4%
少ししか知らない
78.8%
重要ではない
3.9%
少ししか知らない
どちらともいえない
2.8%
全然わからない
2.5%
全然わからない
4.9%
わからない
1.4%
不明
3.2%
不明
4.6%
100.0%
合計
100.0%
合計
100.0%
合計
表7 新型農村合作医療制度の宣伝状況
政府や村組織からの宣伝
宣伝方式 (複数選択)
情報の入手 (複数選択)
十分にある
53.4%
宣伝ビラ
56.9%
幹部のスピーチ
15.9%
少しある
42.8%
スローガン
48.1%
マスコミ
46.3%
全然ない
0.7%
グループ勉強
12.4%
上級政府からの指令
わからない
2.1%
個別説得
19.4%
その他
不明
1.1%
テレビでの宣伝
19.8%
不明
2.1%
合計
100.0%
合計
100.0%
その他
7.8%
合計
図7
100.0%
9.5%
47.7%
加入後の制度の利用率
回答なし
2.1%
4回以上
27.2%
3回
15.2%
利用していない
21.2%
1回
18.7%
2回
15.5%
い」 という答えも全体の0.5%あった。
また, 新型農村合作医療制度についての宣伝状況 (表7参照) を見てみると, 政府や村
組織からの宣伝が 「十分にある」 と答えたのが151人 (53.4%) で, 「少しある」 と答えた
のが121人 (42.8%) となった。 「全然ない」 や 「わからない」 と答えたのがそれぞれ2人
(0.7%) と6人 (2.1%) でごく少数である。 そして, 具体的な宣伝方式について, 宣伝
ビラ, スローガン, グループ学習, 個別説得, テレビ等の手段があり, 宣伝方式が多様化
されている。 その中, 宣伝ビラとスローガンが主流となっている。 情報の入手について,
幹部の現場スピーチや上級政府からの指令よりも, マスコミが主要なルートとなっている。
また, 「その他」 を答えた調査対象者が多かったが, アンケート後のヒアリングによれば,
140
大阪経大論集
第62巻第1号
その多くは村の掲示板を通して情報を得ている。
加入後の制度の利用率についての回答結果は次のとおりである (図7参照)。 1回利用
したのが全体の18.7%, 2回利用したのが全体の15.5%, 3回が15.2%, 4回以上が27.2
%であり, 「利用していない」 という答えが60で, 全体の21.2%である。 すなわち, 回答
者の8割近くが制度を利用している。 このような高い利用率は, 延べ人数とはいえ医療給
付を受けた住民が寧海県の人口規模をはるかに上回る70万人近くに達していること (6頁)
と合わせて, 新型農村合作医療制度の広い浸透ぶりを物語っている。
4
制度と医療機関への満足度調査
新型農村合作医療制度への満足度 (表8) について, 以下のように調査アンケートの答
えを集計した。 まず, 制度の実施について概観すれば, 82人 (29%) が 「満足」 と答え,
134人 (47.3%) が 「どちらかといえば満足」 と答え, 両者の合計は76%に達しており,
「どちらともいえない」 56 (19.8%), 「どちらかといえば不満」 (1.4%) の合計 (21.2%)
を大きく上回っている。 満足度を項目別にみれば, 給付率については, 110人 (38.9%)
が 「満足」 と考え, 「やや不足」 と思う人が144人 (51%) となった。 制度の利便性につい
て, 256人 (90.5%) が満足しており, 不便と考える人が18人 (6.4%) である。 「保険料
の拠出」 についても 「納得」 (81.3%) が 「不満」 (7.8%) を圧倒的に上回っている。 以
上から, 制度に対する一応の満足は 「便利性」 や 「拠出レベル」 に支えられ, 「給付率」
の不足が満足度を引き下げていると考えられる (端的に 「満足」 とする回答が29%に止ま
る)。 「給付率」 の不足のほかに, 図8とあわせて考えると, 「医療機関の指定による不便」
を懸念する人が多く存在していること, 加えて割合は多くはないが 「給付手続きの煩雑」
さも満足度を引き下げていると考えられる。
表8 新型農村合作医療制度への満足度
制度の全体について
現行の給付率について
制度の便利性について
保険料の拠出について
満足
29.0%
満足している
38.9%
満足している
納得する
47.3%
やや不足
50.9%
不便
6.4%
不満を持っ
ている
7.8%
19.8%
少ない
5.7%
わからない
3.2%
知らない
7.8%
わからない
4.6%
不明
3.2%
合計
100.0%
どちらかと
いえば満足
どちらとも
いえない
どちらかと
いえば不満
合計
1.4%
.100%
合計
100.0%
合計
90.5%
100.0%
81.3%
制度加入後の医療費負担について, 表9で示すように, 「多く軽減している」 と答えた
人が84人 (29.7%), 「少し軽減している」 と答えた人が166人 (58.7%), 「軽減していな
い」 と答えた人が9人 (3.2%) であった。 しかし, 制度 「加入後の医薬費用負担」 につ
いては, 「減少した」 と感じた人が53.4%を占めるが, 「上昇した」 と感じる人が44人
(15.5%), 「変わらない」 と考える人が38人 (13.4%) と, 合計28.9%存在する。 そして,
中国農村医療保障制度の現状調査
図8
141
制度加入後の不安 (複数選択)
不安がない
24
給付手続きの煩雑
8
医療機構の指定による不便
129
医療費用負担の上昇
75
給付されない, 給付額が低い
63
0
20
40
60
80
100
120
140
表9 制度加入後の医療費について
医療費の軽減
加入後の医薬費用負担
多く軽減している
29.7%
減少した
53.4%
少し軽減している
58.7%
上昇した
15.5%
軽減できていない
3.2%
変わらない
13.4%
わからない
2.8%
わからない
14.5%
5.7%
回答なし
回答なし
合計
100.0%
合計
3.2%
100.0%
図8でも示されるように, 制度加入後の不安について, 「医薬費用負担の上昇」 という答
えが75で二番目になっている。
また, 表10のように, 「最も役立っている保障項目」 が 「入院給付」 という回答が174人
(61.5%) と, 「外来給付」 という回答78人 (27.6%) を大きく上回っていることは, 給付
内容への希望について 「入院と外来」 の両方とも給付されるべきという回答が圧倒的多数
の255人 (90.1%) を占めていることと考え合わせれば, 制度のあり方に重要な示唆を与
えるものとなっている。
表10 制度の給付について
最も役立っている保障項目 (複数選択)
外来給付
入院給付
わからない
希望の給付内容について (複数選択)
27.6%
61.5%
13.8%
入院・重病に止まるべき
外来・軽い病気のみをカバーすべき
両方が給付されるべき
1.8%
1.8%
90.1%
健康診断
2.5%
予防
0.4%
わからない
5.7%
表11と表12は農村医療機関についての満足度を示すものである。 村の衛生室や診療所に
ついて, 医療設備, 医療従事者の技能, 態度の良さ, 医薬費用負担の水準, 便利さという
五つの項目を設置し, 調査対象者に回答を求めた。 5項目のそれぞれについて, 「満足」
142
大阪経大論集
第62巻第1号
「どちらかといえば満足」 の合計は 「村の衛生室・診療所」 が32.1∼51.9%であるのに対
して, 「郷鎮の衛生院」 は52.6∼65.0%と全項目で上回っており, 距離的には便利なはず
の 「便利さ」 でさえ 「郷鎮」 が 「村」 を10ポイント上回っている。 また, 「不満」 「どちら
かといえば不満」 の合計でも, 「村の衛生室・診療所」 が2.1∼16.9%であるのに対して,
「郷鎮の衛生院」 は1.5∼9.5%と全項目で下回っており, 「医療費負担」 項目でも 「郷」 が
「村」 を4ポイント下回っている。 「どちらともいえない」 という回答項目でも全項目で
「郷鎮」 が 「村」 を下回っている。 寧海県の新型農村合作医療制度においては 「郷鎮の衛
生院」 の存在が重要な位置を占めており, このことは次の医療機関の利用選択希望や実際
の利用度についての回答にも明確である。 それが 「指定病院」 であるからかどうかは今回
のアンケートでは明らかではない。
表11 村の衛生室や診療所について
医療設備
医療従業者の技能
態度の良さ
医薬費用負担の水準
便利さ
満足
13.1%
13.4%
16.3%
12.4%
17.3%
どちらかといえば満足
19.1%
18.7%
33.6%
24.4%
34.6%
どちらともいえない
43.8%
51.2%
38.9%
45.9%
37.5%
どちらかといえば不満
14.8%
8.5%
2.5%
8.5%
2.1%
2.1%
0.4%
0.0%
0.4%
0.0%
不満
わからない
合計
7.1%
7.8%
8.8%
8.5%
8.5%
100.0%
100.0%
100.0%
100.0%
100.0%
表12 郷 (鎮) の衛生院について
医療設備
医療従業者の技能
態度の良さ
医薬費用負担の水準
便利さ
満足
17.7%
18.0%
23.7%
18.0%
20.8%
どちらかといえば満足
40.3%
41.0%
41.3%
34.6%
41.3%
どちらともいえない
29.7%
32.2%
30.0%
38.9%
32.9%
どちらかといえば不満
8.8%
5.3%
1.1%
4.9%
1.1%
不満
0.4%
0.0%
0.4%
0.0%
0.4%
わからない
3.2%
3.5%
3.5%
3.5%
3.5%
100.0%
100.0%
100.0%
100.0%
100.0%
合計
そして, 「最も親切で診療してもらえる医療機関」 (複数選択) という項目について, 郷
(鎮) の衛生院を選択するのが最も多く, 179 (63.3%) でとなった。 それ以外には, 村の
衛生室や診療所が33 (11.7%), 県の病院が10 (3.5%), 市もしくは省の病院が 1 (0.4%),
「どちらも同じ」 が43 (15.2%), という結果となった。
また, 「最も利用率の高い医療機関」 (複数選択) という項目についても, 村の衛生室が
49 (17.3%), 県の病院が50 (17.7%), 市の病院が 2 (0.7%), 省の病院が 0 (0.0%) と
いう回答であるのに対して, 郷鎮衛生院という回答が229 (80.9%) もあり, トップとな
中国農村医療保障制度の現状調査
143
っている。
Ⅴ
制度の実施における問題点―調査結果をもとに
浙江省寧海県で実施した現地調査をもとに寧海県における新型農村合作医療制度の内容
と特徴を明らかにすると共に, アンケート調査結果から新型農村合作医療制度の加入状況,
制度への理解度, そして, 制度と医療機関に対する満足度について見てきた。 経済力の高
い寧海県においては, 制度に対して比較的高水準の財政補助を地方政府が実施しているこ
とによって, 制度の給付水準が年々レベルアップし, 制度の内容も年々改善されてきてお
り, 新型農村合作医療制度は広範な農村住民に受け入れられ, 制度の定着に向かっている
と評価しうる。 このことは上でまとめたように, 調査結果における加入率の高さ, 利用率
の高さ, 制度全体に対する比較的大きな満足度に示されている。 しかし, 今回のアンケー
ト結果を詳しく分析すれば, 制度実施上の問題点もいくつか浮かび上がっており, 制度へ
の信頼と共感を低下させず, 制度の質・量両面での高いレベルでの整備を実現していくた
めに改善されなければならない点があると考えられる。 アンケート調査からみられる制度
実施中の問題点を以下にまとめ, 制度の是正について提言してみたい。
1
住民の制度についての知識不足
まず, 問題点の一つは住民の制度についての知識が不足していることである。 制度への
加入理由からみてみよう。 今回の調査では, 9割以上の調査対象者が新型農村合作医療制
度に加入している。 そして, 次年度に 「加入する」 という答えが9割となっている。 これ
によって, 調査対象者の制度に対する抵抗感が少ないことがわかる。 しかし, 加入する理
由については, 「幹部らの宣伝と説得」 と 「周りが加入しているから」 という答えがなお
2割以上を占めていることから, 必ずしもすべての調査対象者が制度をよく理解して積極
的に加入しているわけではなく, 一部の住民が受動的な立場に止まっていることが明らか
になっている。 そして, 次年度の加入更新について, 5%近くの人が 「わからない」 と答
えているが, これらの人々も周りの様子を窺っていると見られる。 続いて, 制度の仕組み
や給付について, その農村住民の理解度をみると, 上に示されたように9割の人が制度の
重要性を認めているが, 制度の仕組みや給付についての理解度では楽観できない状況にあ
る。 制度の仕組みについては 「少ししか知らない」 と 「全然わからない」 の合計が85%を
占めている。 また, 制度の給付についても, 「少ししか知らない」 と 「全然わからない」
の合計が80%を超えていた。
このように, 多くの寧海県農村住民は, さまざまな理由で新型農村合作医療制度に加入
しているが, 制度についての理解が不十分なまま加入していると言える。 したがって, 制
度に加入しているにもかかわらず, 医療費用が発生する際に制度をうまく利用できないと
いうことになれば, 当然, 制度への満足度や信頼度は低くなるであろう。 そして, 自由加
入を原則とする新型農村合作医療制度では1年ごとに契約更新されるため, 制度へ理解が
不十分であれば持続的な加入も不安定さを残すことになる。 それゆえ, 今後, 制度の実施
144
大阪経大論集
第62巻第1号
にあたって農村住民の制度への理解度を継続的に引き上げていくことが不可欠である。 例
えば, 宣伝方式の改善が一つのポイントとなるであろう。
今回の調査では, 政府や村組織から制度の宣伝について, 「十分ある」 (53.4%) に対し
て 「少しある」 (42.8%), 「全然ない」 (0.7%), 「わからない」 (2.1%) の合計が45.6%も
あった。 すなわち住民の半数近くが十分でないと答えているのである。 これは, 具体的な
宣伝方式が宣伝ビラとスローガンが主流となっていることからも窺えるように, 政府や村
組織が宣伝・広報を上意下達としてしか位置づけていないことによるものである。 ただ,
情報の入手については回答者の半数近くがマスコミとしている点は注目に値する (表7)。
農村地域では識字率が必ずしも高いわけではないから, 宣伝ビラ, スローガン等のような
旧態依然とした宣伝方式に依存しているだけでは, 農村住民の制度への深い理解を得るに
は効果が限られる。 今後の新型農村合作医療制度の広報にあたっては, 政府と村組織はテ
レビ放送やラジオ・有線放送等, 視聴覚を利用した質疑応答型, 対話型の農村住民の側に
立ったより理解しやすい宣伝・広報方式を開発することが望まれる。
2
医療保険給付と医薬費用負担の同時成長
次に, 医療保険給付と医薬費用負担の同時成長という問題点をみておこう。 上でまとめ
たように, 制度給付の上限額が2004年の2万元から2010年の7万元まで引き上げられ, 給
付率も何度か調整され, 引き上げられてきた。 これによって医療負担が軽減されているこ
とが調査結果でも証明された (表9)。 しかし, 加入後の医薬費用負担について, 15.5%
の回答者が 「上昇した」 と感じ, 13.4%の回答者が以前と 「変わらない」 と考えていた。
そして, 図8にも示されているように, 制度加入後の不安について, 「医薬費用負担の上
昇」 という答えが75 (25.1%) で二番目になっている。 すなわち, 制度への加入で9割弱
の回答者は医療費負担が軽減されたと認めているにもかかわらず, 回答者の25%弱は医薬
費用負担が減少していないと回答しているのである。 したがって, 給付の増大による医療
負担の軽減にもかかわらず, 医療費用負担 (診療単価+薬剤単価), すなわち, 医薬市価
の上昇が医療負担の軽減という制度の効果を減退させているのである。 また, 医療機関の
レベルが村, 郷 (鎮), 県という順に上がれば上がるほど, 制度の給付率が下がり, 反対
に医療機関での医薬費用負担を上昇させることにも注目しなければならない。 表12で示す
ように, 郷鎮医療機関についての満足度は全体的に高いが, 医薬費用負担だけが例外とな
っている。 このように, 新型農村合作医療制度の前進と医療薬剤のコスト上昇とが同時併
存状態にあることは大きな問題点だといえよう。
ここでの解決策を考えるとすれば, 医療保険制度の給付率をさらにアップさせるか, 医
療機関側のコストダウンを図るかということになろう。 まず, 制度給付率のさらなる向上
は可能であろう。 今回の調査で, 制度の給付率について, 4割弱の回答者は 「満足」 と考
えているが, 5割以上の回答者は 「やや不足」 としている。 このように, 多くの農村住民
が制度給付率の向上を期待しており, 経済力をもつ寧海県自体と上級各政府からの財政的
な保障さえあれば, 給付率のさらなる上昇が可能となるであろう。 困難なのは医療機関側
中国農村医療保障制度の現状調査
145
のコスト削減である。 医療機関が医療サービスの供給者であり, 医療保険制度の欠かせな
い一部となっている。 しかし, 現実には指定された医療機関以外, 9割の農村医療機関が
営利を目標としている。 そこで, 指定医療機関 (非営利) は医療サービスのコストを考慮
しながらサービスを提供するだけではなく, 他の医療機関との競争のために人材・設備等
も確保しなければならず, コスト削減を図ることは簡単ではない。 したがって, 指定医療
機関 (非営利) に対する財政補助を強化することによって, 人材・設備を確保しながら,
低価格で医療サービスを提供することがこれからの大きな課題となっている。
3
医療機関の指定や給付内容の制限がもたらす不便と不安
続いて, 医療機関の指定や給付内容の制限が住民に不便と不安をもたらしている。 まず
医療機関の指定からみてみよう。 「制度加入後の不安」 について, 図8でみたように, 「医
療機関の指定による不便」 という答えが129 (43.1%) で一位になっている。 何故そうな
るのだろうか。 新型農村合作医療制度によって, 寧海県内の非営利医療機関が指定され,
その医療機関にかかる患者に発生する薬剤料金, 手術費, 検査費, 診療費, 介護費料金,
輸血料金, 入院出産料金等に対する医療費用が給付対象となっているのである。 しかし,
指定される医療機関は極めて限られている。 2006年の統計データによると, 寧海県内の医
療機関は, 各種の病院, 郷鎮衛生院, 郷鎮衛生所, 社区医療サービスセンター, 村の衛生
室, 私立診療所等で合計440箇所あるが, 新型農村合作医療制度において指定を受けてい
るのはその中の49箇所のみである。 そして, 今回の調査でも, 村の衛生室を二か所 (長街
鎮長街村の衛生室と長街鎮石橋頭村の衛生室) 訪問調査したが, 両方とも保険給付の指定
医療機関ではなかった。 医療機関指定制により, 9割近くの医療機関で発生する医療費が
新制度の給付内容として認められないため, 県内の農村住民にとって利用上の不便は大き
い。 また, 新型農村合作医療制度の給付率は, 加入者ができるだけ地元の医療機構で治療
を受けるよう, 郷, 県内, 県以外の順に病院の規模が大きくなるにつれて低くなっている。
この設定によって, 重病になった場合に高レベルの病院を利用する農村住民が非常に重い
負担を強いられる。
そして, 不便と不安の元は医療機関の指定のみではなく, 給付内容の制限も問題点の一
つとなっている。 同じ図8の 「制度加入後の不安」 という項目について, 上で議論した医
療費の上昇に次ぎ, 「給付されない, 給付額が低い」 という不安も多かった。 その不安の
原因は給付内容の制限だと考えられる。 まず, 医療費の給付について, 寧海県の新型農村
合作医療制度に多くの除外項目が設定されている。 例えば, 交通事故, 医療事故, 食物中
毒等で発生する医療費 (他の責任者から賠償される場合), 海外で発生する医療費, 自殺
・自虐等で発生する医療費等が挙げられる。 そして, 給付診療項目や薬剤の給付目録が存
在しているため, 指定された医療機関で発生した医療費についても, 給付診療項目や薬剤
の種類によっては給付されない可能性がある。 以上のように, 医療機関の指定や給付内容
の制限が住民に多くの不便と不安をもたらしている。 農村住民の不便と不安を解消するた
めに, 給付内容の増加や指定医療機関数の拡大に向って制度改善と充実が求められる。
146
4
大阪経大論集
第62巻第1号
末端医療機関の未整備
最後に, 末端医療機関 (村の衛生室・診療所) の未整備についてふれておきたい。 上で
まとめたように, 医療設備, 医療従事者の技能, 態度の良さ, 医療費の水準, 便利さのそ
れぞれについて, 「満足」 「どちらかといえば満足」 の合計は, 「村の衛生室や診療所」 が
32.1∼51.9%であるのに対して, 「郷鎮の衛生院」 は52.6∼65.0%と全項目で上回っている。
そして, 「不満」 「どちらかといえば不満」 の合計でも, 「村の衛生室・診療所」 が2.1∼
16.9%であるのに対して, 「郷鎮の衛生院」 は1.5∼9.5%と全項目で下回っている。 「どち
らともいえない」 という回答項目でも全項目で 「郷鎮」 が 「村」 を下回っている。 また,
「最も親切で診療してもらえる医療機関」 (複数選択) と 「最も利用率の高い医療機関」
(複数選択) という項目についても, 郷 (鎮) の衛生院を選択するのが最大数を占めてい
た。
以上に示したように, 寧海県の農村住民が省・市の病院より, 郷 (鎮) の衛生院をよく
利用しており, その医療費用が村の医療機関より高いにもかかわらず, 医療従事者の技能
や設備等に対して満足している。 しかし, その反面, 末端医療機関 (村の衛生室・診療所)
の整備が取り残されている。 本来は, 村の衛生室や診療所は地理的な便利さや医療費水準
の低さという利点を持っており, 軽微な病気・怪我等はそこで治療されるのが制度全体の
コストを軽減するのに有効なはずである。 しかし, 医療設備の未整備や医療従事者の技能
の不足等で, 農村住民は村衛生室や診療所に対して深い信頼を寄せかねており, 医療費水
準が高くなってもレベル一級上の郷 (鎮) 医療機関を選択しがちである。
今回の調査で考察した二か所の衛生室はそれぞれ1996年と1995年に創立され, 村の所有
である。 総資産はそれぞれ130万元と150万元であり, 年間純収入は両方とも20万元 (日本
円267万程度) 前後である。 そして, 衛生室の医師はどちらも1人のみで, 学歴も中等専
門学校卒である。 さらに, 二つの衛生室とも, 郷鎮政府や村組織からの財政的な補助を受
けていない。 農民と最も身近に接し, 農村医療を現場で担う末端医療機関を整備すること
は新型農村合作医療制度の重要な課題であり, 医療設備の改善, 医療従業者の増員と技術
向上に大きな配慮が必要であり, 地元各級政府からの財政的な支援が望まれる。
参考文献
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金城学院大学論集
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中国農村医療保障制度の現状調査
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家政学研究
147
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