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町民の想いが 壮瞥町の未来を創る。

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町民の想いが 壮瞥町の未来を創る。
町長:
発刊メッセージ
◎ シンボルゾーン
躍動するエネルギー そうべつ
町民の想いが
壮瞥町の未来を創る。
●壮瞥町長 佐藤 秀敏
壮瞥町は、世界レベルの大
産、高級菜豆、米、地熱を利
高齢化社会、人口減少、地
まちづくりを進めることが必
地の公園として世界ジオパー
用した野菜の栽培など多種多
方財政の厳しい現状などの課
要 不 可 欠 で す。 小 さ く て も
クネットワークに登録された
様な農作物を生産する「農業
題に加え、20 世紀で4回の
「『自然・ひと・まち』が響き
美しい洞爺湖、雄大な有珠山、
と観光のまち」です。また、
噴火活動を繰り返した有珠山
輝くそうべつ」として、官民
国の特別天然記念物に指定さ
昭和の大横綱・北の湖の生誕
をかかえておりますが、限ら
一体となって壮瞥町の未来を
れている昭和新山、火山の恵
地であるとともに、冬季の呼
れた財源の中で火山と共生
創ってまいります。
みである温泉など、豊富な天
び物として人気のあるスポー
し、町民が安心して暮らせる
本要覧は、 壮瞥町の現況
然資源に恵まれています。ま
ツ雪合戦を開発し、国内外に
環境づくり、資源を活かした
の概要をお伝えするもので
た、北海道内でも比較的温暖
普 及させるなど町 民 一 丸と
力強い産業の振興を進めるた
す。本町をご理解いただく手
な気候を活かしたりんごやぶ
なった取り組みは、まさに壮
めには、町民と行政がお互い
引きとしてご覧いただければ
どうをはじめとする果樹 生
瞥町の誇れる財産です。
に連携、協力し合う、協働の
幸いです。
躍動するエネルギー そうべつ
Message on the occasion of issuance
Locals' Ambitions Shape the Future of
Sobetsu Town
Hidetoshi Sato
Mayor of Sobetsu Town
Sobetsu Town is blessed with a variety of rich natural resources, such as the
beautiful Lake Toya, the magnificent active volcano Mt. Usu, another active
volcano called Mt. Showashinzan (which is also designated as a special natural
monument of Japan), and hot springs, which are the gifts of volcanoes. All these
resources form a world-class geopark that has been registered as part of the Global
Geoparks Network (GGN). Sobetsu is known as a town of farming and tourism,
and outputs a wide variety of crops thanks to Hokkaido’s relatively temperate
climate. Its produce includes fruit such as apples and grapes, high-quality kidney
beans, rice and vegetables cultivated by taking advantage of the area’s subterranean
heat. The town is also known as the birthplace of yokozuna Kitanoumi (one of
sumo’s greatest grand champions from the 1970s) and as the place of origin of the
Yukigassen – a popular winter competition based on snowball fighting. Sobetsu has
involved locals in its efforts to promote this activity both at home and abroad,
making it one of the town’s prized assets.
However, Sobetsu faces a number of serious challenges, including an aging and
dwindling population and a difficult financial situation. On top of this, it is the
location of Mt. Usu – a volcano that erupted four times in the 20th century alone.
With the town’s limited revenue sources, collaboration between its government and
locals as well as development based on such efforts are indispensable to ensure
harmonious co-existence with the area’s volcanoes, create an environment where
locals can live with a sense of security, and promote robust industry that leverages
the region’s abundant resources. The government, in conjunction with the private
sector, is committed to making Sobetsu a town with a bright future, regardless of its
small size, where nature, locals and the government come together to produce
positive results.
This Town Guide is designed to highlight the present status of the town. We hope it
will prove to be a useful resource in understanding Sobetsu.
Outline of Sobetsu Town
Situated in southwestern Hokkaido and blessed with a relatively temperate climate, Sobetsu Town is prosperous in agriculture,
outputting an abundance of fresh produce including fruit, rice, beans and other vegetables. It also boasts a thriving tourism
industry based on the beautiful scenery provided by Mt. Usu, Mt. Showashinzan and Lake Toya, and on hot springs – the gifts
of volcanoes.
Despite the size of the town, which has a population of less than 3,000, locals developed the Yukigassen snowball-fight
competition, and have come together to promote the activity both at home and abroad. In August 2009, the area around Lake
Toya and Mt. Usu, including the town, became the first in Japan to be designated as a Global Geopark and a member of the
UNESCO-supported Global Geoparks Network. Sobetsu is a lively town committed to regional development by taking full
advantage of these valuable resources.
行政・議会:
スタッフ
◎ シンボルゾーン
躍動するエネルギー そうべつ
町の未来を導く
舵取り役
議 会
真鍋盛男
菊地敏法
●役場庁舎
髙井一英
加藤正志
●副議長 長 内 伸 一
毛 利
●議長 松 本
爾
勉
佐 藤
忞
森 太郎
行 政
今日、人口減少や少子高齢化が進展し、行
財政運営の厳しさが増す中、住民ニーズの多
様化も進み、変化の激しい時代となっており
ます。広く住民の意見を聞き、行政と住民が
知恵を出し合い、限られた条件の中で最大限
の住民サービスの提供を進めてまいります。
●副町長
杉村治男
●町 長
佐藤秀敏
●教育長
田鍋敏也
壮瞥町の
概要
◎ シンボルゾーン
躍動するエネルギー そうべつ
まちの紹介
洞爺湖
壮瞥町
地勢・位置
の火山活動で大きな被害を受ける
次壮瞥町まちづくり総合計画を定
と共に、誕生した名勝昭和新山は、
めた矢先に、20 世紀 4 回目の有珠
本町は北海道の南西部に位置し、
国の特別天然記念物に指定されま
山噴火の災害に見舞われましたが、
東はオロフレ山系を境とし、伊達市
した。その後は●昭和 52 年(1977)
過去の噴火災害は住民の火山に対
大滝区、白老町に接し、南部は登
に再び有珠山の噴火がありました
する危機管理の理解を高め、火山
別市と伊達市に、西は洞爺湖をは
が、温暖な気候と洞爺湖やオロフ
を受け入れ、火山と共生する知恵
さんで洞爺湖町に接しています。
レ峠などの豊かな自然環境を生か
を大きく育んでいました。●平成
町の中央を東から西へ長流川が
し、
「農業と観光のまち」として発
21 年(2009)には、洞爺湖有珠山
貫流し、本町はこの流域の平坦地
展してきました。●昭和 55 年
(1980)
を取り囲む地域一帯が、日本で初
と、その周辺の丘陵地に大きく分
に「すべての町民が健康で明るく
めてとなる世界ジオパークに登録さ
けることができます。
豊かな生活のできる町」を掲げて
れました。噴火のたびに「変動す
気 象
壮瞥町町づくり計画(昭和 55 ∼平
る大地」と、この大地の豊かな恵
成元年)を定め、産業基盤の整備
みや魅力を国内外に発信し、防災、
内 浦 湾をはるかに望む本 町は、
や住民福祉の向上を目指した町づ
教育、
観光等に活用することにより、
北海道の湘南地方と呼ばれる温暖
くりを進め、さらに、●平成 2 年
地域の持続可能な発展を目指して
な地に属し、夏は涼しく、冬は暖
(1990)には「すべての町民が健康
います。●平成 22 年(2010)には
かで、道内でも快適な地といえるで
で豊かな心のかよいあう町」を統
「
『自然・ひと・まち』が響き輝くそ
しょう。夏は南西風、冬は北西風
一目標とする壮瞥町新まちづくり総
うべつ」のスローガンを掲げ、第4
が多く、気温は年平均 7.8℃で、7
合計画(平成 2 ∼ 11 年)を定め、
次壮瞥町まちづくり総合計画を定
∼ 8 月平均で 19.7℃、冬は -2.0℃
生活環境の整備、福祉の充実、農業・
め、農業と観光の振興、医療・福
程 度で、夏は涼しく冬は温暖、積
観光をはじめとする産業振興など
祉の充実などに向けた施策を推進
雪も平坦地で 30cm 前後です。
を進めてきました。時代の大きな転
しております。●平成 24 年(2012)
まちのあゆみ
換期にあって、このような取り組み
には、町政施行 50 年を迎え、11 月
を継承あるいは見直し、●平成 12
3 日に記念式典を行い、これを記念
本町には有珠山がそびえ、●昭和
年には「躍動するエネルギー そう
して『壮瞥町史∼町制施行 50 周年
18 年(1943)から昭和 20 年(1945)
べつ」のスローガンを掲げ、第 3
記念∼』を発刊しました。
昭
和
53
年
6
月
27
日
制
定
希
望
を
も
っ
て
進
み
ま
す
。
よ
り
高
い
目
標
に
向
い
、
壮
瞥
町
は
、
未
来
に
開
か
れ
た
町
で
す
。
ス
ポ
ー
ツ
に
親
し
み
、
心
と
体
を
き
た
え
ま
す
。
札幌
壮
瞥
町
は
、
健
康
づ
く
り
の
町
で
す
。
心
を
ゆ
た
か
に
し
、
互
い
に
信
頼
し
あ
い
ま
す
。
壮
瞥
町
は
、
文
化
と
平
和
の
町
で
す
。
資
源
を
活
用
し
、
豊
か
な
町
づ
く
り
に
励
み
ま
す
。
壮
瞥
町
は
、
農
業
と
観
光
の
町
で
す
。
自
然
を
愛
し
、
恵
ま
れ
た
環
境
を
大
切
に
し
ま
す
。
■
町花/むくげ
■
町木/もみじ
■
町木/いちい
壮
瞥
町
は
、
湖
と
火
山
と
温
泉
の
町
で
す
。
町
民
憲
章
恵まれた自然資源を
観光に生かす
◎ 交流パワーづくり
躍動するエネルギー そうべつ
大地の恵みを感じる
心満たされる癒しの観光
情報化社会で暮らしは豊かになりましたが、
多忙を極める現代社会において、
癒しを必要とする人々は少なくありません。
ほっとするようなのどかな景色
雄大な自然
ゆったりと流れる時間
壮瞥町では心の安らぐ
大地の恵みを感じる
そんな観光を提供しています。
A Tourist Destination Providing a Taste of Nature's
Gifts and a Sense of Tranquility
While the development of today's information society
has undoubtedly enriched our lives, people now
increasingly seek tranquility among the hustle and
bustle of our busy modern world.
Sobetsu offers peaceful, reassuring rustic scenery, a
beautiful natural environment and a leisurely pace of
life at which time seems to slow down, making the
town a tourist destination where visitors can
rediscover serenity and enjoy nature's gifts.
昭和新山
昭和新山周辺には、
三松正夫記念館をは
じめ、熊牧場やガラ
ス 館 が あ り ま す。
ロープウェイで有珠山山頂に到着すると「洞
爺湖展望台」があり、昭和新山や洞爺湖を見
下ろすことができます。また、遊歩道を歩い
て「有珠火口原展望台」まで行くと、大有珠・
小有珠のほか、1977 年の噴火によって誕生
した有珠新山や「銀沼大火
口」を間近に感じられ、太
平洋に連なる「内浦湾」を
望むことができます。
温泉
洞爺湖温泉・壮瞥温泉・仲洞爺・蟠渓
火山の贈り物・温泉施設が豊富です。洞爺湖
温泉には大浴場遊園地を備えるホテル、市街
地には観光客も利用する「ゆーあいの家」
、
「久
保内ふれあいセンター」
。キャンパーにも人気
があるログハウス造りの温泉「仲洞爺キャン
キ ム ン ド
プ場センターハウス・来夢人の家」。静かな渓
谷にある蟠
渓温泉郷や
「蟠渓ふれあ
いセンター」
があります。
仲洞爺キャンプ場
「仲洞爺キャンプ場」は洞爺湖の絶景ポイント。特
に夕陽の美しさは抜群。サイトは樹の間から湖岸
に広がり、深い自然を感じることができます。
ひまわり
夏と秋に分けて、壮瞥温泉の道道沿いにあ
る2箇所の畑に、丈が約 70 センチほどの小
さなひまわりが植えられます。一面の黄色
いじゅうたんの後ろには、有珠山と昭和新
山を眺めることもできる、絶好の写真撮影
スポットです。
横綱 北の湖記念館・壮瞥町郷土史料館・
パークゴルフ場
とうや湖ぐるっと彫刻公園
「横綱 北の湖記念館」には、郷土が生んだ名横綱・
北の湖の偉業を後世に伝えるため、戦歴や大相
撲文化の数々が展示され、壮瞥町の歴史記録が
集積した「壮瞥町郷土史料館」が併設。隣接の
「パークゴルフ
場」は昭和新山を
望みながらのプ
レイに、子どもか
らお年寄りまで
多くの方々が楽
しんでいます。
森と木の里センター
洞爺湖一周 43km の湖畔には、国内外の作
家が競演する 58 基の彫刻が洞爺湖に対峙し
ています。壮瞥町の湖畔には壮瞥温泉、壮瞥
公園、仲洞爺キャンプ場などに 18 基が設置
され、さまざまな作品の美しい光彩や創造力
に感動させられます。
すり鉢型のカルデラ湖・洞爺湖は、湖岸周辺
が豊富な原生林におわれています。先人から護
り継がれた森を引き継ぎ、森や木にふれる機会
を広げ、理
解を深める
施設として
生まれまし
た。 天 体
観測ドーム
も備えてい
ます。
くだもの狩り
町の中央を貫く長流川
に沿って走る国道 453
号は、沿線に果樹園が広がることから「く
だもの通り」と呼ばれています。果樹園で
は春はサクランボやイチゴ狩り、晩夏から
秋にかけてブ
ドウ、リンゴ
など収穫の体
験ができま
す。
有珠山噴火の記録と
共生への道
◎ 火山と共生のまちづくり
躍動するエネルギー そうべつ
火 山 の 力
地球の仕組みにふれる・学ぶ
ピ
ー
ル
し
て
い
き
ま
す
。
域
の
す
ば
ら
し
い
資
源
と
し
て
力
強
く
ア
す
る
﹁
洞
爺
湖
有
珠
山
ジ
オ
パ
ー
ク
﹂
を
地
ル
で
科
学
的
に
価
値
の
高
い
地
質
遺
産
を
有
成
果
に
つ
な
が
り
ま
し
た
。
世
界
的
な
レ
ベ
界
ジ
オ
パ
ー
ク
ネ
ッ
ト
ワ
ー
ク
加
盟
と
い
う
二
十
一
年
八
月
、
ユ
ネ
ス
コ
が
推
奨
す
る
世
げ
て
き
た
火
山
に
ま
つ
わ
る
取
組
は
、
平
成
長
年
に
わ
た
っ
て
町
民
と
と
も
に
つ
く
り
あ
歴
史
を
学
ぶ
﹁
子
ど
も
郷
土
史
講
座
﹂
な
ど
、
ど
も
た
ち
が
有
珠
山
や
昭
和
新
山
の
火
山
の
﹁
エ
コ
ミ
ュ
ー
ジ
ア
ム
﹂
や
、
次
代
を
担
う
子
の
力
と
火
山
災
害
を
学
ぶ
天
然
の
博
物
館
火
山
災
害
跡
な
ど
を
保
存
整
備
し
、
自
然
世
界
ジ
オ
パ
ー
ク
ネ
ッ
ト
ワ
ー
ク
加
盟
れ
ま
し
た
。
人
々
と
の
交
流
の
チ
ャ
ン
ス
を
つ
く
っ
て
く
い
う
標
本
は
、
世
界
の
火
山
隣
接
都
市
の
や
、
火
山
科
学
の
教
材
、
火
山
と
の
共
生
と
を
授
け
て
く
れ
ま
し
た
。
観
光
と
い
う
産
業
光
明
媚
な
景
観
と
温
泉
と
い
う
大
き
な
恩
恵
火
山
は
甚
大
な
災
害
と
ひ
き
か
え
に
、
風
和
新
山
﹂
は
壮
瞥
町
の
貴
重
な
財
産
で
す
。
地
球
の
歴
史
が
刻
ま
れ
た
﹁
有
珠
山
﹂
﹁
昭
生
命
が
育
ま
れ
る
環
境
を
整
え
て
き
ま
し
た
。
内
部
の
熱
の
力
は
、
地
表
の
景
色
を
変
え
、
ら
れ
た
熱
が
、
火
山
活
動
の
源
で
す
。
地
球
地
球
が
誕
生
し
た
46
億
年
前
に
閉
じ
込
め
世火
界山
でに
も隣
稀接
少し
た
ま
ち
、
有珠山噴火の記録と
共生への道
◎ 火山と共生のまちづくり
躍動するエネルギー そうべつ
地球を学び楽しむ大地の公園
ジオパーク
伊達市、豊浦町、壮瞥町、洞爺湖町で推進する
洞爺湖有珠山ジオパークは、
2009 年 8 月に日本初の世界ジオパークに登録されました。
洞爺湖有珠山ジオパークには、洞爺カルデラや有珠山などに代表さ
れる地質遺産や、雄大で美しい自然遺産、さらに縄文遺跡などの歴
史遺産など、多くの見どころがあります。展示学習施設、フットパ
ス(散策路)、解説看板やガイドツアーなどによる体験学習を通じて、
「変動する大地との共生」を楽しみながら学ぶことができます。
A Geopark Providing Knowledge and Enjoyment of the Earth's Geological Heritage
In August 2009, the Toya Caldera and Usu Volcano Geopark, which had been
promoted jointly by Date City, Sobetsu Town, Toyoura Town and Toyako Town,
became the first in Japan to be designated as a Global Geopark.
The Toya Caldera and Usu Volcano Global Geopark is home to a variety of interesting
places to visit, including geological heritage sites such as Toya Caldera and Mt. Usu,
and grand, beautiful natural heritage and historical heritage sites such as ruins from the
Jomon Period (13,000 BC to 300 BC). By seeing these places with their own eyes,
visitors can learn the meaning of co-existence with our ever-changing earth and enjoy
visiting exhibition facilities, following footpaths (walking trails), reading guidance boards
full of fascinating local information, taking guided tours and more.
躍動するエネルギー そうべつ
危機管理の
総合判断機構
が必要
整備する必要があります。観測
して住民の行動によって災害予
器を、ボーリングして地下に入
知能力が高まるわけです。
れるのです。この観測では、か
̶̶̶危機管理について
なり小さな現象まで捕えること
2000 年の噴火はコロンビア
ができます。
の不幸を反面教師にして、専門
1902 年に西インド諸島マル
家、住民と行政、マスメディア
ティニーク島のプレー火山の噴
の関係が事前にきっちりできて
火で、火砕流が発生し街が全滅
いました。有珠山の麓の様子が
しました。これがきっかけで、
全国、あるいは世界が分かるよ
世界の火山学の研究が広がり、
うな一つの理想的な災害対策と
あちこちに火山観測所が設置さ
して見えたという事が大きな特
れました。
徴です。住民・地域、研究グルー
̶̶̶噴火の予知能力は?
1985 年の南米コロンビアの噴
プ、マスメディアがきちんと対
有珠山では、住民が判断でき
火ではアルメロという街が泥流
応することが出来たのです。住
るような前兆がある確率は非常
に埋もれ、火山災害史上記録に
民が的確に動いてくれ、行政は
に高いと思います。しかし、具
残る大きな被害が生じました。も
噴火の様子を専門家とともにす
体的に何が起こるか、どの辺で
ちろんハザードマップを作り予想
べて住民とマスメディアに発
というような判断はできま
される最大限度の範囲を危険域
表。避難命令を的確に発令し、
北大理学部教授
せん。予測は観測や研究の質次
として公開しましたが、専門家の
避難所や避難生活、避難解除な
火山噴火予知連総会幹事
(当時)
第という面がありますので、技
知識・情報を使うシステムを機
どデリケートに対応しました。
術的にはまだまだ可能です。現
能させることができませんでし
バラバラの機関が寄り集まり、
在有珠山のマグマの活動自体終
た。しかし、この噴火で大きな教
今回の結果が得られたことは奇
息し、起こっている現象は非常
訓を受けました。噴火災害の予
跡に近いことです。観測・監視・
に低いレベル、小さな現象です。
知能力を高めるには山が静かな
研究・災害対策基礎研究のすべ
それを捕まえるとなると精密総
ときにこそ研究を進め、監視と研
てが一緒になった大きな研究所
合観測という新しいシステムを
究成果を生かした行政判断、そ
や機構が必要だと感じています。
岡田 弘さん
共生 −火山と共に生きるまち−
ジオパークとは
ジオパークとは、ジオ
(地球)
を学び楽しむ大地の公園です。
すべて、火山によって育まれた大地の恵み
【景観・自然】
【豊富な学びの場】
火山活動で造られた
火山周辺で育まれた
雄大な景色・自然環境
歴史・文化や噴火遺構
【温泉】
明治43年の明治新山
噴火で温泉地が誕生
【大地・海の幸】
豊穣な耕作地(火砕流
台地)
と漁場(有珠湾)
昭和 19 年、青い麦畑から地震と爆発音とともにふくれ上がった昭
和新山。刻々と隆起する大地は402mの溶岩ドームを出現させました。
この昭和新山の誕生を見守り続けたのが、壮瞥郵便局長の三松正
夫さんでした。地震発生から噴火、そしてその活動が止まるまでを独
学の観測方法でつぶさに観察、詳細な記録を残し、後にミマツダイヤ
グラムと命名、称賛されました。
町内のみどころ………………………………………………………………………………………………………………………………………
■展示学習施設
(ミュージアム)
■フットパス
・三松正夫記念館
・金比羅山コース
・道の駅そうべつ情報館 i(アイ)
∼温泉のすぐ側にできた 2000 年火口を巡る∼
・西山山麓コース
■案内所
(インフォメーション)
・壮瞥町郷土史料館
■その他の施設・公園等
・壮瞥公園
・1977 年火山遺構公園
・胆振線鉄橋遺構公園
・新山沼展望公園
∼人里、道路にできた 2000 年火口を巡る∼
・明治新山
(四十三山)
コース
∼緑に覆われた 1910 年噴火の火口を巡る∼
・中島 1 周探検コース
∼ 5 万年前の溶岩ドーム、中島を探検∼
・壮瞥公園と果樹園コース
∼洞爺湖の絶景とくだものが楽しめる∼
・財田・田園と湖畔をめぐるコース
∼のどかな洞爺湖北岸を巡る∼
・昭和新山・有珠山山頂コース
∼火山をとことん学べる∼
目標に向けて
生活環境・保健・医療
◎ 壮瞥の現況
組んでいます。ごみ処理は西いぶ
生活環境
り広域連合の処理施設(5市町)
で
広域処理をしています。
躍動するエネルギー そうべつ
赤十字奉仕団、
炊き出し訓練
した。現代では学ぶ機会が少なく
ど、古くから災害などサバイバル
のための知恵が受け継がれてきま
水や森林と親しむなど恵まれた
災害については北海道大学有
ポリエチレン袋に米と水を入
なったこれらの知恵を、赤十字奉
自然環境と共存し、快適な生活環
珠火山観測所との連携により、
れ、口元をゴムで留めて沸騰した
仕団の団員が実演する、体験のた
境を整え、ゴミ処理、災害に強い
噴火災害に強いまちづくりを進
鍋に入れ煮込みます。圧力釜のよ
めの講習会が開催されました。こ
安心できる生活環境づくりに取り
めます。
うに短時間で炊きあがるご飯の調
のような災害に備えるボランティ
理法や、ケガなどの応急処置法な
ア活動の輪が広がっています。
にあたっています。
医療体制、訪問看護などの在宅
女性消防団、独居高
齢者住宅を防災訪問
温泉を利用した健康づくり活
医療サービスや医療体制の充実
毎年冬支度の季節になると女
の積極的な質問や意見交換など
動をすすめ、保健センターの活
につとめます。また、町内外の
性消防団は独居高齢者の世帯を
がおこなわれ、火災予防を通じ
用、幼児・成人・高齢者保健な
医療機関等と連携を図ります。
訪れ、防火点検をおこなってい
て ふ れ あ い、 コ ミ ュ ニ ケ ー
ます。特に暖房器具の取り扱い
ションを深める交流機会にも
や火の不始末の注意、避難方法
なっています。
保健・医療
どの充実、地域ぐるみの健康づ
くりなどをすすめます。
住民が安心でき、身近な地域
など焼死事故防止を重点に指導
この訪問では、お年寄りから
目標に向けて
教育・文化
◎ 壮瞥の現況
教育・文化
躍動するエネルギーを、
躍動するエネルギー そうべつ
まちの未来像に活用する壮瞥町。
を引き出すために子育てサーク
ルの育成と活動を支援します。
小・中・高校にコンピュータ
国際的な視野を持ち、誇りを
が導入されました。インターネッ
持って壮瞥町の次代を担うこと
ト活用の授業の充実につとめる
ができる人材が育むようにつと
とともに、総合的な学習の時間
めます。また、世代を越えて文
を取り入れ、それらに対応する
化活動やスポーツを楽しみ、豊
教職員の指導力の向上につとめ
かな人との出会いができる生涯
ます。また、芸能文化にふれる
学習のまちをつくります。
機会づくりと創作活動などへの
幼児教育では、無限の可能性
支援をしています。
小学校でのパソコン学習
全国中学校剣道大会
男子では2人が正選手に選ばれてい
中体連の全国大会では残念で悔し
正選手で全国大会に出場し次鋒に座
かったです。でも相手はすごく強く、
り、3月の全国新人戦では中堅に座
その大会の優勝者でした。剣道との
る予定です。優勝候補の一角である
出会いは父が師範をしていたので物
阿蘇高校打倒を目指し猛練習中で
心ついたときから竹刀を持ち、家族
す。得意技は「面」。将来は部長の
みんなも剣道をしていました。高校
佐賀先生のようになりたいと思って
は剣道留学です。壮瞥出身者が多く
います。
全国農業コンクール
でなりません。競技種目は実際に果樹
ます。中体連のリベンジではないの
8位入賞・森下美沙さん
ですが、もっと強くなるために稽古
(久保内中出身)
●北海道日大高校1年 剣道部(当時)
しており、1年生の夏の高体連では
園芸の部・優秀賞 島 健太さん
●壮瞥高校園芸科3年(当時)
や庭木、草花などを見て病気や害虫被
害、生育方法などを鑑定します。今回
の会場は九州で、自分の知らない九州
の植物から出題された問題もあったの
で、少し動揺しました。
薬品関連会社のサラリーマンの父は
家庭菜園が趣味で、小さい頃から父の
手伝いをしていて、植物好きになり植
物図鑑を離さなくなりました。壮瞥高
校を選んだのはそんな僕を見守ってく
れていた母の勧めです。生徒の多くは
僕と同じサラリーマン家庭で育ってお
り、農業や農業関係という人はあまり
壮瞥高校の園芸実習
いません。でも、この学校は僕がやり
たい勉強の方向に導いてくれ、自分な
フラダンス・サークル
テニポン・サークル
正式名称は、日本学校農業クラブ全
りに充実した学校生活を送ることがで
国大会。今回受賞した農業鑑定競技・
きました。
園芸の部では1年から3年連続出場
進路は酪農学園大学に合格しまし
し、優秀賞は2年連続の受賞です。3
た。農業を広い視野から勉強し、研究・
年目の今年こそ全国で1人が選ばれる
指導など、農業の手助けができる仕事
最優秀賞を狙っていたのですが、残念
に就きたいと思っています。
農業技術と
農業環境のパワーアップ
◎ 産業パワーづくり
躍動するエネルギー そうべつ
田 園 の 力
育むよろこび
て
い
ま
す
。
分
か
ち
合
う
イ
ベ
ン
ト
な
ど
も
お
こ
な
っ
収
穫
の
よ
ろ
こ
び
を
消
費
者
と
と
も
に
ど
都
市
と
農
村
交
流
を
す
す
め
て
い
ま
す
。
果
樹
園
、
農
業
研
修
者
制
度
、
農
業
体
験
な
壮
瞥
で
は
農
業
開
放
を
お
こ
な
い
、
観
光
り
、
﹁
農
業
﹂
へ
の
関
心
が
広
が
っ
て
い
ま
す
。
題
な
ど
、
地
球
環
境
保
全
の
波
が
大
き
く
な
化
石
エ
ネ
ル
ギ
ー
に
よ
る
地
球
温
暖
化
問
果
樹
園
に
多
く
の
人
が
訪
れ
ま
す
。
ら
か
の
果
物
を
味
わ
う
こ
と
が
で
き
る
観
光
ゴ
⋮
⋮
。
壮
瞥
町
で
は
、
四
季
を
通
じ
て
何
サ
ク
ラ
ン
ボ
、
イ
チ
ゴ
、
ブ
ド
ウ
、
リ
ン
農
業
フ
ァ
ン
へ
の
支
援
て
い
る
の
で
す
。
に
よ
ろ
こ
ば
れ
、
確
実
に
支
持
者
を
広
げ
の
壮
瞥
産
の
農
産
物
は
、
熱
心
な
フ
ァ
ン
ず
に
、
丹
精
込
め
て
育
て
ら
れ
た
高
品
位
肥
沃
な
大
地
の
も
と
で
手
間
を
惜
し
ま
果
樹
園
、
畜
産
⋮
⋮
。
組
ん
で
い
ま
す
。
水
稲
、
畑
作
、
施
設
栽
培
、
ズ
に
素
早
く
対
応
で
き
る
農
業
に
取
り
エ
ネ
ル
ギ
ー
に
支
え
ら
れ
て
、
消
費
者
ニ
ー
ギ
ー
に
あ
ふ
れ
て
い
ま
す
。
こ
の
ク
リ
ー
ン
太
陽
と
地
熱
。
壮
瞥
は
地
球
の
エ
ネ
ル
自
然
の
恵
み
を
大
切
に
生
か
す
躍動するエネルギー そうべつ
品質に
こだわる農業を
目指す
平成8年度
農業高校生ブラジル実習派遣生
青木 稔さん
広すぎます。畑から畑を車で
国が食糧自給率を上げる方針
移動するというスケールです
だとか、農業経営の法人化な
よ。僕の課題は「経済、文化、
どを考えなければとか聞こえ
流通について」だったので、
てきますが、僕は農業は自然
日系移民からの聞き取りなど
の一部という感じがあって、
で調べたのですが、すごい頑
ひたすら良い物をつくること
張りを肌で感じました。今で
に頭がいってしまいます。量
はブラジルの農業は日系人に
の追求ではなく技術的な信頼
よって確立されたと言われて
を築きたい、食べ物を作って
いるほどです。
いるんですから。青木家の農
サンパウロの西村農工高校
業は僕で三代目ですが、農業
̶̶̶ブラジル農業から学ん
の合宿で教わったことが今の
を継ぐというより、小さい時
だことは?
僕の身体に染み着いています。
から両親の働く姿を見ていた
ブラジル研修へは平成9年、
他人の作っていない作物を作
ので、親のやっている事が僕
高校卒業まぎわの1月8日か
る、農業は将来が見えにくい
のやる事という感覚でした。
ら 20 日間参加をしてきまし
ということです。
̶̶̶見えにくい農業のあな
現在 11ha の農地に水稲、豆、
た。全道の農業後継者を代表
して 20 名が選抜され「21 世
たの経営プランは?
牛 15 頭前後の畜産の複合農業
紀を担う国際農業人を目指し
農業をはじめてまだ4年目
です。豆とか肉牛は相場変動
て」という大きなスローガン
なので、親から教えてもらう
が激しいので、スリルがあって
を掲げていました。でかい身
ことばかり。経営意識はまだ
面白いですが、基本は消費者
体を小さくして、大きなブラ
もてない状態です。ただ、青
の反応が見える直接販売で安
ジルを見てきました。印象は
年部の先輩達からバイオテク
定供給を目指したい。消費者
真似ができない、ということ。
ノロジーやクリーン農業とか、
の喜ぶ顔がたまらないんです。
ピーマンなどの野菜と黒毛和
農業の
現況
◎ 産業パワーづくり
躍動するエネルギー そうべつ
肥沃な大地が大福豆を育てる。
北海道ではめずらしく温暖な気候に恵まれ
水はけの良い土壌を生かし
多様化、高付加価値、クリーンという
ニーズ対応型の農業を実践しています
自然条件に恵まれた農業環境をパワフルに生かすと共に
農業を通じて交流を広げる体験農業・農業実習も
積極的に展開しています
競
争
力
に
強
い
農
業
を
目
指
し
て
い
ま
す
。
多
品
目
生
産
の
複
合
経
営
に
取
り
組
み
、
ク
リ
ー
ン
な
農
法
で
高
品
質
に
育
て
る
、
壮
瞥
の
農
業
は
価
値
の
高
い
作
物
を
、
ら
こ
そ
育
て
ら
れ
る
作
物
な
の
で
す
。
づ
く
り
を
惜
し
ま
な
い
壮
瞥
の
大
地
だ
か
が
激
し
く
、
と
り
わ
け
強
い
大
地
と
、
土
を
タ
ッ
プ
リ
吸
収
す
る
た
め
土
地
の
消
耗
豊
か
な
地
力
を
選
ぶ
と
と
も
に
、
栄
養
せ
な
い
豆
の
王
様
が
大
福
豆
で
す
。
す
。
豆
の
仲
間
で
も
高
級
和
菓
子
に
欠
か
さ
ん
含
む
豆
、
道
産
豆
は
人
気
の
作
物
で
健
康
に
良
い
と
さ
れ
る
成
分
を
た
く
欠
か
せ
な
い
大
福
豆
お
お
ふ
く
ま
め
高
級
菓
子
に
Present situation of agriculture
(1)
Fresh vegetables, flowers and ornamental plants are
harvested throughout the year by utilizing the abundant
geothermal energy.
(2)
We grow valuable crops into quality products through clean
farming methods. We are striving to acquire competitiveness
through diversified farming by producing a wide variety of
products.
(3)
Orchards play a role in highlighting agriculture to urban
people.
躍動するエネルギー そうべつ
●花き栽培
●オロフレトマト
わ
ず
﹁
旬
﹂
を
収
穫
し
て
い
ま
す
。
ネ
ー
シ
ョ
ン
な
ど
の
花
き
栽
培
は
季
節
を
問
り
な
ど
の
野
菜
の
ほ
か
、
シ
ク
ラ
メ
ン
や
カ
ー
た
施
設
農
業
を
す
す
め
、
ト
マ
ト
や
き
ゅ
う
れ
た
壮
瞥
で
は
地
熱
エ
ネ
ル
ギ
ー
を
利
用
し
物
に
な
り
ま
す
。
地
熱
エ
ネ
ル
ギ
ー
に
恵
ま
は
か
ら
れ
、
高
品
質
で
、
価
値
の
高
い
農
産
高
め
ま
す
。
定
着
を
目
指
し
壮
瞥
農
業
の
イ
メ
ー
ジ
を
物
を
生
か
し
た
ク
リ
ー
ン
農
業
を
広
め
、
す
。
ま
た
、
ヒ
マ
ワ
リ
な
ど
緑
肥
景
観
作
的
な
特
産
品
の
開
発
な
ど
に
取
り
組
み
ま
農
産
物
と
畜
産
物
の
組
み
合
わ
せ
、
独
創
利 地 野
用 熱 菜
エ 栽
ネ 培
ル は
ギ
ー
を
土
地
の
特
性
を
生
か
す
こ
と
で
差
別
化
が
や
特
産
物
の
創
造
を
す
す
め
育
て
ま
す
。
加
価
値
の
ク
リ
ー
ン
な
農
産
物
の
加
工
品
高
度
な
消
費
や
ニ
ー
ズ
に
向
け
て
高
付
加
工
製
品
化
が
課
題
ブ
ラ
ン
ド
化
、
を
担
っ
て
い
ま
す
。
を
身
近
な
距
離
と
す
る
観
光
農
業
の
役
割
験
し
、
よ
ろ
こ
び
を
分
か
ち
合
い
、
農
業
は
そ
の
拠
点
で
あ
り
、
農
業
に
ふ
れ
、
体
も
う
ひ
と
つ
の
農
業
の
形
で
す
。
果
樹
園
交
流
す
る
農
業
は
、
壮
瞥
町
が
目
指
す
特
徴
に
も
な
っ
て
い
ま
す
。
い
香
を
含
む
田
園
風
景
は
壮
瞥
の
景
観
の
実
り
の
色
を
絶
や
し
ま
せ
ん
。
甘
酸
っ
ぱ
る
果
樹
園
で
は
、
春
か
ら
秋
ま
で
収
穫
の
主
要
道
路
の
沿
道
を
包
む
よ
う
に
広
が
な
ど
の
果
樹
園
リ
ン
ゴ
・
サ
ク
ラ
ン
ボ
◎ 生きがいパワーづくり福祉と
定住支援のパワーアップ
躍動するエネルギー そうべつ
人 の 引 力
居心地主義
す
す
め
て
い
き
ま
す
。
目
指
し
て
い
る
人
の
た
め
の
支
援
体
制
を
ま
す
。
ま
た
、
社
会
参
加
や
生
涯
現
役
を
と
し
た
暮
ら
し
づ
く
り
に
取
り
組
ん
で
い
両
面
の
施
設
整
備
を
す
す
め
、
生
き
生
き
健
康
管
理
に
役
立
つ
ハ
ー
ド
、
ソ
フ
ト
支
援
な
ど
を
行
い
ま
す
。
者
の
き
め
細
か
な
就
職
情
報
提
供
や
起
業
家
て
い
き
ま
す
。
ま
た
、
I
・
J
・
U
タ
ー
ン
宅
や
土
地
・
持
ち
家
の
優
遇
制
度
を
整
備
し
を
い
つ
で
も
受
け
入
れ
る
こ
と
が
で
き
る
住
ち
を
目
指
し
て
い
ま
す
。
U
タ
ー
ン
希
望
者
若
者
と
高
齢
者
が
共
に
暮
ら
し
て
い
け
る
ま
出
、
総
合
的
な
健
康
づ
く
り
な
ど
を
整
備
し
、
魅
力
あ
る
市
街
地
づ
く
り
や
雇
用
の
創
背
中
を
軽
く
押
す
役
目
壮
瞥
が
支
援
す
る
の
は
﹁
居
心
地
主
義
﹂
。
ら
、
自
分
や
家
族
中
心
の
生
活
が
実
現
し
ま
す
。
間
の
自
由
度
が
増
え
、
会
社
中
心
の
暮
ら
し
か
21
世
紀
は
、
通
信
技
術
の
進
歩
で
勤
務
時
で
決
め
る
こ
と
が
で
き
ま
す
。
所
は
自
分
自
身
や
、
家
族
の
好
き
嫌
い
だ
け
束
さ
れ
る
条
件
が
な
く
な
り
ま
す
。
住
む
場
の
中
に
な
る
と
、
暮
ら
す
場
所
の
選
択
も
拘
形
態
で
、
ど
こ
か
ら
で
も
受
発
信
で
き
る
世
送
受
信
す
る
。
あ
ら
ゆ
る
情
報
が
あ
ら
ゆ
る
音
声
の
入
っ
た
資
料
は
イ
ン
タ
ー
ネ
ッ
ト
で
は
I
T
対
応
型
テ
レ
ビ
、
カ
ラ
ー
写
真
と
勤
め
先
か
ら
千
キ
ロ
離
れ
て
い
て
も
会
議
住
み
た
い
と
こ
ろ
を
探
し
て
い
る
躍動するエネルギー そうべつ
手がけた分だけ
返ってくる
農業は
ダイレクトでリアル
新規就農者
佐藤 寛さん
̶̶̶ 以前のお仕事は
大学卒業後、砂川にあった肥
料会社の工場で、営業の支援研
究を行っていたんですが、東京
に転勤になり、また辞める年に
は千葉県で農協を回る営業をし
ていました。営業は向いていな
いな、と思いましてね。
ちょうどその頃、札幌の農業
試験場に勤めていた父が退職す
ることになり、農業を始めたがっ
ていました。私もモノを作る仕
事をしたかったものですから、
それならば一緒にやろうかと。
̶̶̶ 壮瞥を選ばれたのは
東京の原宿に新規就農のため
が入る、そこのことがよくわり
の支援センターがあって、そこ
でいろいろ資料を見たんですが、
ますね。サラリーマン時代は、
自分の部署は赤字でも、全社的
本州の農家は農業を辞めても土
に 成り立 っているならば サラ
地を手放そうとしないので、農
地の価格が非常に高い。また、
北海道と違って農家といっても
そんなにも離れていないところ
リーはもらえましたから、お金
を自分で稼いだという実感は乏
しかったですね。
でも農業は非常にダイレクト
で隣り合っています。いつも人
に見られている、というような
煩わしさがあると聞いていまし
な世界で、自分の働きや営農方
針、自然環境などが、ダイレク
トに結果として現れる。その分、
た。北海道はおおらかですし、
生まれ育ったところですから。
壮瞥は、北海道の中では気候
が温暖で、雪が少なく、農業に
適しています。農業試験場にい
やり甲斐や充実感があります。
̶̶̶ 今後の展望は
ハウスを多くし、できるだけ
長いスパンで出荷できるように
したい。壮瞥は条件がいいです
て道内の事情に詳しかった父が、
とっても気に入っていて、父か
らの強い勧めがありました。
̶̶̶ 今はどのような農業を
から、通年に近い出荷ができる
と思うんです。一年を通してフ
ラットに働けて、収益の上がる
畑作とハウスです。
面積は 3.5
ヘクタールと小さいので、狭い
中でも収益の上がるものという
ことから、ジャガイモのほか、
体制を作りたいですね。また農
薬を減らして安全で美味しいモ
ノを作っていきたい。
あんまり夢らしくないんです
けれど、心がけていることは丁
アスパラや水菜などを作ってい
ます。
̶̶̶ サラリーマンと比べると
自分の働きの対価としてお金
寧さ。作物を束ねる時も、袋詰
めする時も、できるだけ丁寧に
やっていきたい。これがうちの
モットーでしょうか。
◎
生きがいパワーづくり 福祉と
定住支援のパワーアップ
躍動するエネルギー そうべつ
生涯現役で暮らすまち。
冬も暖かく、少ない降雪、そして火山の恵みの豊富な温泉
第二の人生を歩み始める人たちが、ゆっくりと時を過ごせる生活環境です
恵まれた自然の中には、健康を維持する施設や医療施設が整い
生涯現役を貫くと決めている人には、
高齢者事業団・起業化支援・農業支援などを準備しています
それぞれ役割を持って、
豊かな気分で暮らす……健康な暮らしを支援します
躍動するエネルギー そうべつ
り
組
み
ま
す
。
プ
ン
し
ま
し
た
。
町
で
は
子
育
て
支
援
に
力
を
入
れ
て
取
う
べ
つ
子
ど
も
セ
ン
タ
ー
﹄
が
認
定
子
ど
も
園
と
し
て
オ
ー
童
館
・
児
童
ク
ラ
ブ
﹂
の
3
つ
の
機
能
を
も
っ
た
施
設
、
﹃
そ
平
成
22
年
に
﹁
保
育
所
﹂
﹁
、
子
育
て
支
援
セ
ン
タ
ー
﹂
﹁
、
児
子
育
て
環
境
の
充
実
持
っ
て
い
る
高
齢
者
が
元
気
に
働
い
て
い
ま
す
。
す
。
ま
た
高
齢
者
事
業
団
で
は
、
豊
か
な
経
験
と
知
識
を
産
品
開
発
を
し
た
い
と
い
う
人
に
は
支
援
制
度
が
あ
り
ま
ま
す
。
働
く
場
を
求
め
る
人
に
は
農
業
の
機
会
促
進
、
特
表
な
ど
、
サ
ー
ク
ル
で
活
動
す
る
交
流
の
機
会
を
促
進
し
ケ
ー
シ
ョ
ン
活
動
な
ど
を
創
り
ま
す
。
ま
た
、
研
究
や
発
テ
ィ
ア
活
動
機
会
を
促
進
、
子
供
た
ち
相
手
の
コ
ミ
ュ
ニ
し
て
み
た
い
な
ど
、
社
会
参
加
の
活
動
で
は
、
地
域
ボ
ラ
ン
■デイサービス
■子育て支援センター
困
っ
て
い
る
人
の
お
世
話
や
、
小
さ
な
親
切
で
も
生
か
齢
者
の
た
め
の
支
援
メ
ニ
ュ
ー
で
す
。
生
涯
を
送
る
た
め
に
現
役
を
貫
く
と
い
う
意
欲
的
な
高
高
齢
者
の
生
き
が
い
支
援
種
相
談
、
高
齢
者
へ
の
虐
待
防
止
事
業
な
ど
●
地
域
包
括
支
援
セ
ン
タ
ー
/
介
護
予
防
マ
ネ
ジ
メ
ン
ト
、
各
雪
サ
ー
ビ
ス
な
ど
︶
ヘ
ル
プ
サ
ー
ビ
ス
、
入
浴
サ
ー
ビ
ス
、
配
食
、
高
齢
者
等
除
●
社
会
福
祉
協
議
会
/
在
宅
福
祉
サ
ー
ビ
ス
の
提
供
︵
ホ
ー
ム
ト
ス
テ
イ
な
ど
を
提
供
●
老
人
保
健
施
設
﹁
プ
ラ
イ
ム
そ
う
べ
つ
﹂
/
デ
イ
ケ
ア
、
シ
ョ
ー
シ
ョ
ー
ト
ス
テ
イ
、
ホ
ー
ム
ヘ
ル
プ
サ
ー
ビ
ス
を
提
供
■プライムそうべつ
■そうべつ子どもセンター
Welfare
We are improving in-home and institutional welfare services to ensure
that the elderly can live comfortable yet active lives by encouraging
health promotion, work, lifelong learning, social participation and the
improvement of housing. We are also focusing on the creation of
environments suitable for child rearing, including economic assistance.
■第二長日園
●
特
別
養
護
老
人
ホ
ー
ム
﹁
第
二
長
日
園
﹂
/
デ
イ
サ
ー
ビ
ス
、
い
づ
く
り
な
ど
、
総
合
的
に
取
り
組
み
ま
す
。
づ
く
り
・
働
く
場
づ
く
り
・
生
涯
学
習
・
社
会
参
加
・
住
ま
サ
ー
ビ
ス
や
施
設
福
祉
サ
ー
ビ
ス
の
充
実
を
は
か
り
、
健
康
高
齢
者
が
元
気
で
安
心
し
て
暮
ら
せ
る
よ
う
、
在
宅
福
祉
壮
瞥
町
の
高
齢
者
福
祉
福祉と
定住支援のパワーアップ
◎ 生きがいパワーづくり
躍動するエネルギー そうべつ
若者世代を応援するまち。
21 世紀は IT
(情報技術)
社会が発展し、モバイル(移動通信機体)でどこからでも情報受発信ができるようになります
窮屈な都市を離れ、自分に合った居場所でのびのびと暮らす。都会の便利さより創造力の源が欲しい……
巨大化した都市の若者の中には、脱・都市を指向する若者が増えはじめています
脱・都市指向の若者を支援するまち‥‥‥創造力をもっと磨く環境づくりを目指します
躍動するエネルギー そうべつ
Supporting the young
The Town of Sobetsu, where Lake Toya of Shikotsu-Toya National Park, Mt. Usu
and Mt. Showashinzan are located, is improving its readiness to receive young
people who wish to return to the town. The town has many workplaces for young
people (hotels, hospitals, welfare and tourist facilities, etc.).
Sobetsu adjoins Muroran, a city of steel and high technology; Date, a city of
commerce and history; and Toyako, where Lake Toya hot springs are located. The
town supports entrepreneurs through preferential systems, and provides job and
other information.
■ママと考えた子育て応援住宅「コティ」
が
数
多
く
あ
り
ま
す
。
住
宅
で
す
。
単
身
者
に
は
ち
ょ
っ
と
広
め
の
贅
沢
な
備
は
完
備
し
て
い
ま
す
。
い
ま
す
。
も
ち
ろ
ん
駐
車
場
や
必
要
な
設
が
楽
し
み
な
ロ
ケ
ー
シ
ョ
ン
が
広
が
っ
て
ベ
ラ
ン
ダ
か
ら
は
四
季
の
移
り
変
わ
り
る
た
め
の
条
件
は
整
っ
て
い
ま
す
。
住
宅
は
ま
ち
の
中
心
部
に
あ
り
、
生
活
す
宅
に
住
む
こ
と
が
可
能
で
す
。
こ
れ
ら
の
宅
32
戸
が
建
設
さ
れ
、
単
身
者
も
町
営
住
単
身
者
向
け
住
宅
12
戸
、
単
身
者
用
住
町
営
住
宅
ル
、
病
院
、
福
祉
施
設
、
観
光
施
設
な
ど
︶
町
内
に
は
若
者
が
働
け
る
職
場
︵
ホ
テ
き
る
体
制
を
整
え
ま
す
。
望
者
を
い
つ
で
も
受
け
入
れ
る
こ
と
の
で
持
家
推
奨
制
度
の
整
備
を
図
り
、
定
住
希
ま
ち
づ
く
り
へ
の
参
加
機
会
の
拡
大
、
子
ま
す
。
ま
た
、
若
者
交
流
機
会
の
充
実
、
え
、
起
業
化
支
援
等
の
優
遇
制
度
を
図
り
単
身
者
住
宅
、
定
住
用
宅
地
の
確
保
と
入
れ
体
制
の
整
備
を
す
す
め
て
い
ま
す
。
J
・
U
タ
ー
ン
を
志
向
す
る
若
者
の
受
け
山
、
昭
和
新
山
の
ま
ち
・
壮
瞥
町
は
I
・
泉
の
洞
爺
湖
町
が
あ
り
ま
す
。
ち
伊
達
市
が
あ
り
、
隣
接
し
て
洞
爺
湖
温
ク
の
ま
ち
・
室
蘭
市
、
商
業
と
歴
史
の
ま
支
笏
洞
爺
国
立
公
園
の
洞
爺
湖
、
有
珠
若
者
受
け
入
れ
体
制
魅
力
的
な
起
業
化
支
援
を
強
化
就
業
情
報
や
単
身
者
用
く
り
な
ど
を
す
す
め
て
い
ま
す
。
育
て
環
境
の
整
備
、
魅
力
あ
る
商
店
街
づ
就
職
機
会
な
ど
の
情
報
提
供
体
制
を
整
壮
瞥
町
の
周
辺
都
市
は
鉄
鋼
と
ハ
イ
テ
◎
恵まれた自然資源を
観光・農業に生かす
交流パワーづくり
躍動するエネルギー そうべつ
人間鎖の力
共感から生まれるもの
す
す
め
て
い
き
ま
す
。
集
い
、
憩
い
、
癒
さ
れ
る
機
会
の
創
造
を
な
ど
イ
ベ
ン
ト
企
画
を
積
極
的
に
展
開
し
、
地
域
と
の
交
流
で
は
、
ス
タ
ン
プ
ラ
リ
ー
足
元
か
ら
の
交
流
の
輪
を
広
げ
る
近
隣
域
づ
く
り
を
進
め
ま
す
。
文
化
を
再
評
価
し
、
発
展
さ
せ
て
交
流
の
地
農
業
、
工
房
、
火
山
災
害
跡
・
歴
史
・
産
業
・
で
い
ま
す
。
こ
の
特
徴
を
生
か
し
、
自
然
、
光
客
が
年
々
増
え
、
国
際
観
光
地
化
が
進
ん
も
観
光
ポ
イ
ン
ト
。
ま
た
、
海
外
か
ら
の
観
擁
す
る
壮
瞥
町
の
自
然
は
、
ど
こ
か
ら
見
て
支
笏
洞
爺
国
立
公
園
の
中
心
的
な
位
置
を
人
を
知
る
こ
と
が
、
発
信
。
に
し
ま
す
。
共
感
か
ら
生
ま
れ
る
、
交
流
の
鎖
を
力
と
知
り
た
い
と
い
う
共
感
の
メ
ッ
セ
ー
ジ
。
ム
、
地
球
に
育
て
ら
れ
る
食
料
の
こ
と
を
も
っ
こ
と
を
も
っ
と
知
り
た
い
、
そ
の
メ
カ
ニ
ズ
リ
カ
ル
チ
ャ
ー
の
引
力
、
そ
れ
は
、
地
球
の
芽
生
え
て
き
ま
し
た
。
エ
コ
ロ
ジ
ー
と
ア
グ
た
農
場
が
、
次
の
世
紀
の
﹁
共
感
﹂
と
し
て
温
暖
な
気
候
と
恵
ま
れ
た
地
力
に
支
え
ら
れ
な
り
、
地
球
の
生
い
立
ち
を
映
す
火
山
や
、
芸
術
の
香
を
楽
し
む
人
々
の
力
強
い
引
力
に
洞
爺
湖
湖
畔
を
一
周
す
る
彫
刻
公
園
は
、
を
引
き
つ
け
る
引
力
に
な
り
ま
し
た
。
そ
う
な
活
火
山
が
同
居
す
る
自
然
公
園
が
人
洞
爺
湖
と
い
う
風
光
明
媚
な
景
観
と
、
怖
日
本
を
知
ら
な
い
人
も
い
る
躍動するエネルギー そうべつ
恵まれた資源を
ニーズに即した
付加価値に
初代関東そうべつ会会長
̶̶̶ 子供の頃の壮瞥町は?
夏は長流川で泳ぎ、冬はスキー
に明け暮れていました。私の壮
瞥町はわんぱくのためのホームグ
ラウンド。両親が厳しくて喧嘩を
するな、弱い者いじめはするな、
怪我に注意しなさいというのが口
癖だったので、ガキ大将ではあ
田村久仁夫さん(東京在住) りませんでした。怪我に注意とい
われていたのは、日が暮れるまで
川や野山を駆けめぐっていたか
らです。田舎というのは、親から
見ると子供には危険だったんで
すね、今の公園のようにセーフ
ティネットなどが無いむき出しの
自然が遊び場になっていました
家へ帰ると屋根に積もった火
から。子供の頃の記憶として忘
れられないのが秋祭りの行事。
山灰降ろしをやらされました。冬
の雪降ろしは当たり前でしたが、
それぞれの集落にある神社境内
での子供奉納相撲に参加したこ
火山灰降ろしの経験をされた人
はそういないでしょう。
とです。景品をいただくため子供
達が楽しみにしていたのです。
̶̶̶ 野生児ですね
昭和 52 年の有珠山噴火の時に
は環境庁に勤務していたので、国
その通りです。しかしそのよう
土庁の有珠山対策本部の一員と
して復旧に携わり、生涯噴火から
なライフスタイルも小学生までで
した。旧制中学は室蘭でしたの
離れられないことがわかりました。
̶̶̶ 壮瞥を意識されますか
で下宿生活です。休日に家に帰
るのが楽しみでした。その頃、昭
関東そうべつ会に参加してい
るので、出身者の方々とお会い
和 18 年に昭和新山噴火の前兆地
震があり、避難の準備を手伝い
する機会が良くあります。彼ら
に会うと子供の頃に還って、つ
ました。私が初めて体験した噴
火です。しかし、なかなか噴火し
いお国言葉が出ますね。壮瞥町
の自慢は昭和の大横綱北の湖。
なくて最初の噴火は約半年後の
7月。室蘭から家へ帰る度に昭
壮瞥じゃ分かってくれる人が少
ないので、つい「北の湖の出身
和新山がどんどん変化しました。
その隆起経過を目の当たりに見る
地」と言ってしまいます。ほか
にも壮瞥町の魅力は国内を代表
ことができたことはカルチャー
ショックでした。地球も生物と同
じように生命があることを思い知
らされました。ミマツダイヤグラ
ムを作られた三松正夫さんの心
境が理解できます。昭和新山の
成長が実感できるのですから。
する国立公園だということ。自
然景観、貴重な火山、そしてひ
なびた温泉の蟠渓があり、この
資源をニーズに即した付加価値
にかえると観光価値が高まると
思います。雪合戦のようなオリジ
ナリティがもっと欲しいですね。
◎
恵まれた自然資源を
観光・農業に生かす
交流パワーづくり
躍動するエネルギー そうべつ
「雪合戦」という言葉が、北欧圏では国際共通語として
定着しつつあります。アルペンでもなくノルディックで
冬期オリンピック
種目をめざす
雪合戦。
もなく、
「雪合戦」というウインタースポーツのジャン
ルが 21 世紀中に実現するかもしれません。
それほどこのゲームは人々を引きつけています。
スキー、
スケート、スノーボード、という道具の扱いに秀でてい
なくとも参加できるスポーツだからなのでしょう。
だれもが参加できる「雪合戦」は新しいスポーツです。
The term“Yukigassen”has been taking root in Scandinavian
countries. A genre of winter sports named“Yukigassen,”which is
neither Alpine nor Nordic, may be created in the 21st century. This
game is appealing to people from all walks of life probably because
you do not have to be skilled in using equipment such as skis,
skates and snowboards. “Yukigassen”is a new sport that everybody
can participate in. The town is filled with bustling crowds during the
Showashinzan Fire Festival in summer and the Sobetsu Apple
Festival in autumn.
躍動するエネルギー そうべつ
アイディアの中には雪合戦
アタ国
メー際
リゲ戦
カッ略
合トの
衆は
国
も入っていたんですが強く
押す人がいませんでした。
結果的に雪合戦を考えてみ
ようと、イベント化を真剣
に考えたのが翌年の夏で、
この作業が一番大変でし
た。札幌の広告代理店の助
けも借りて今の雪合戦の原
形がまとまり、平成元年 2
月開催が実現しました。募
集チームは一般公募で 70
昭和新山国際雪合戦実行委員会 実行委員長
(当時)
チーム。ところが 150 チー
ムもの応募がありに関係者
堀口一夫さん
一同目を丸くしました。誰
てくれています。海外は友 も 期 待 し て い な か っ た の
̶̶̶ 受賞おめでとう
雪合戦がこんなにお褒め 好都市であるフィンランドの で、予想を超えた反応にう
をいただいて私たちの方が
びっくりしてます。この賞
(毎
日・地方自治大賞最優秀賞)
は雪合戦より、雪合戦とい
う競技を人海戦術で普及し
た戦略を評価してくれたご
褒美で、いわば裏方の賞と
ケミヤルヴィ市、ノルウェー
で開催され、日本語発音の
「YUKIGASSEN」と呼ばれ
ているほどです。
̶̶̶ 雪合戦の誕生は?
壮瞥の冬の観光を何とか
盛り上げようというのが発端
です。昭和 62 年に観光協会
考えていまして大変価値あ
る受 賞だと思っています。 や商工会青年部、農協青年
すごい自信になってますね。 部が中心になって考えたん
審判員の養成、育成、講習と、 ですが、ミニ札幌雪祭りだ
北海道連盟、日本連盟をつ けはやめようと申し合わせた
くり、全国 16 道県が加盟し がどれもこれも二番せんじ。
れしい悲鳴でした。
̶̶̶ 雪合戦の未来は?
ズバリ!アメリカ進出で
す。オリンピック種目を狙
うにはアメリカの力が威光
を放ってます。国内では国
体種目を狙うために「体協
加盟」
。雪合戦から雪玉製造
器やヘルメットなどの用品
が生まれ、産業化にまで発
展したことが嬉しいですね。
次はキャラクター商品の開
発を考えてみたいです。
そうべつりんごまつり
くだものロードの果樹園が収穫期を迎える実
りの秋に開催され、黒毛和牛の焼肉バーベ
キューコーナーや軽食コーナーを囲んで特産
のリンゴをはじめ、果物、野菜、花き、黒毛
和牛肉などの即売会がおこなわれる、楽しい
イベントいっぱいのおまつりです。
◎
国際交流の力を
生かす
交流パワーづくり
躍動するエネルギー そうべつ
相似するまち、
ケミヤルヴィ交流の力を生かす
1991 年7月、冬の壮瞥に本物のサンタクロースを呼ぼう
との構想が持ち上がりました。壮瞥町は森林が多く、洞爺湖
もあり、北欧のイメージと重なります。
4 ヶ月後、サンタクロースの本場フィンランドに公認を要請
したところ、フィンランドの一地域との地域間交流があげられ
たため、町はこれらを推進することを決めました。1992 年3
月にフィンランドを訪問し、地域間交流の相手先をケミヤル
ヴィ市とする意向を固めたのが交流のはじまりです。
1992 年 12 月には、待望のサンタクロースがフィンラン
ドから来町し、町内の保育所、学校、福祉・医療施設等を訪
問しました。
Capitalizing on exchanges with Kemijarvi
In July 1991, a plan to invite the real Santa Claus to the
town in winter was discussed. With numerous forests and
Lake Toya, Sobetsu resembles a Scandinavian town.
Four months later, when the town sought an authorization
from Finland, the cradle of Santa Claus, regional exchanges
were suggested. Town officials visited Finland in March
1992 and selected Kemijarvi as a partner for regional
exchanges.
1993 年1月には、町が再度ケミヤルヴィ市を訪問し、友好
関係樹立に向けた合意に達し、同年5月壮瞥町においてケミヤ
ルヴィ市との友好都市宣言に調印しました。
1995 年から国外初のケミヤルヴィ市雪合戦大会に技術・運
営指導メンバー(2005 年まで)と壮瞥町の中学生を派遣して
おり、1996 年からはケミヤルヴィ市の学生訪問団が来町する
など町民交流、学生交流へと発展しています。
また経済交流の一環として、フィンランドから木材を輸入し
て建設した仲洞爺キャンプ場センターハウスが 1999 年4月に
オープンした他、英語指導助手がケミヤルヴィ市から派遣され
るなど、壮瞥町とケミヤルヴィ市との交流は深まっています。
In December 1992, the long-awaited Santa Claus visited the
town from Finland, making rounds of day nurseries, schools,
welfare and medical facilities, etc. In January 1993, town
officials revisited Kemijarvi and reached an agreement on the
establishment of friendly relations. In May in the same year,
the Friendship City Declaration with Kemijarvi was inked.
The Town of Sobetsu dispatched technical and operational
instructors to the Kemijarvi Yukigassen Competition during
the period from 1995 to 2005, and junior high school
students have visited Kemijarvi in summer since 1995.
Student groups from Kemijarvi have visited Sobetsu since
1996. The relationship between the two municipalities has
grown to include exchanges of citizens, including students.
As a part of economic exchanges, the Nakatoya Campsite
Center House, made of timber imported from Finland, was
opened in April 1999 and assistant English teachers have
been dispatched from Kemijarvi. Friendly exchanges between
the two towns have thus been developing.
躍動するエネルギー そうべつ
派遣団報告
第6回中学生フィンランド国派遣(海外研修)事業:日程 2000 年8月8日∼8月16日
壮瞥中学校2年生 30 名、久保内中学校2年生 7 名合計 37 名が
フィンランド首都ヘルシンキ、デンマーク首都コペンハーゲンで市内見学や史跡巡り。
友好都市ケミヤルヴィでは3泊のホームステイをし、ホストファミリーと過ごしました。
フィンランドを訪れた中学生の目(3問感想集)
今までの中で
一番楽しい旅でした
けん玉遊びを
教えてきました
英語力をつけて、
また行きたい
オーロラの国、素敵。
英語が通じて自信に
●壮瞥中学校
●壮瞥中学校
●久保内中学校
●久保内中学校
八重樫梨央さん
前川祐也
君
鹿原 聡
君
長谷川路絵子さん
●フィンランドの印象 寒い国、東
●フィンランドの印象 きっと食後
●フィンランドの印象 北極圏の厳
●フィンランドの印象 オーロラを
京ぐらいの近代都市のイメージが崩
はキシリトールガムを食べるんだ
し い 寒 さ を 想 像 し て い ま し た。
近くで見ることができる印象を強
れました。特別寒くもなく、都会で
と思っていました。湖とか森が多
フ ィ ン ラ ン ド と い え ば ム ー ミ ン。
く持っていました。でも今回の旅
はあったけど自然がいっぱいでした。
いのも日本のテレビで知っていま
イメージ通りムーミンが住んでい
行は夏でしたから残念ながら見る
●ケミヤルヴィ市の印象 ホームス
した。実際のフィンランドはキシ
そうな美しい国でした。
事 が で き ま せ ん で し た。 い つ か、
テイ先の双子の同年代の女の子と友
リトールガムは食べていなかった
●ケミヤルヴィ市の印象 心配して
チャンスがあればオーロラを見た
達になれたこと。家族と一日外出し
ですが、自然は美しかった。
いた寒さではなく、夏だったから
いと思っています。
て遊んでいただいたり、私からも散
●ケミヤルヴィ市の印象 夜の 11
涼しくて気持ちよかったです。白
●ケミヤルヴィ市の印象 とっても
歩に誘って夕方まで遊んできたこと
時なのに夕方のように明るく、子
夜、トナカイ料理、それに大きな
街が美しかったので、自然を大切
がとても楽しく、
思い出になりました。
供たちがバドミントンで遊んでい
教会がたくさんあり、ヨーロッパ
にする国だと思いました。出され
トナカイの肉も食べました。牛たん
たことが印象的でした。ボクは眠
文化を実感しました。短い期間に
た食事はとっても美味しかったで
のようで美味しかったです。
くて……。ホームステイ先の小学
ホームステイ先の子供たちと友達
す。トナカイ料理は一度だけだっ
●研修を終えた感想 ゴミのポイ捨
6年の子に持っていったけん玉を
になれたことが嬉しかったです。
たのでちょっと残念。
てする人がいないんです。町にゴ
教えてきました。めずらしかった
●研修を終えた感想 もっと聞きた
●研修を終えた感想 ホストファミ
ミが落ちていないので気持ちい
らしく夢中になっていました。
かったし、話をしたいと思いまし
リーの年齢が一歳上の子供と友達
いんです。壮瞥は交流の町を唱え
●研修を終えた感想 会話はボクの
た。でも僕の英語力では多少は話
になりました。多少ですが私の英
ているので、訪問者が好印象をお
ために英語でしたが聞き取るのに
せ た け れ ど、 つ い て い け ま せ ん。
語が通じたのでそれが自信になり
土産にできるように、公衆道徳を
精一杯。この経験で英会話ができ
将来の海外行きを想定して、英語
ました。もっと英語の勉強をした
厳しく守っていきたいと思います。
たらいいと痛感しました。
力をつけようと思っています。
いと思います。
第5回ケミヤルヴィ雪合戦派遣団(1999 年4月7∼ 14 日)
楽しかった市中行進
スポーツに近づいた。
2名を加えての訪問団を編成しました。
受けました。日本の女性2人は着物で
時になっても日は高く、22 時を過ぎ
4月7日早朝、全員元気に千歳に入
参加し、1人が返礼として伝統の「舞
ないと暗くならない白夜の仕業か、国
り、羽田∼成田そして空路ドイツ・フ
踏」を舞い喜ばれました。
民性か?うらやましいかぎりです。
●昭和新山国際雪合戦実行委員会副実行委員長(当時) ランクフルト∼ヘルシンキへ。旅に慣
大会の朝早く目が覚め一人町を散
第5回大会は、47 チーム8カ国から
れた人、初めての人、海外生活経験の
歩していると、男が見知らぬ外国人の
参加し国際色豊かな大会となりまし
ある人たった5人のメンバーですが
私に一生懸命話しかけてきました。分
た。試合は壮瞥町チームは A リーグの
目的は一つ「YUKIGASSEN」心は熱
からないので着ている雪合戦ジャン
チャンピオンチームに入れられ、3試
くケミヤルヴィに!
パ ー の 背 を 見 せ る と、 大 き な 声 で
合全敗という悔しい結果に終わりまし
4月9日ヘルシンキ空港から、約
「YUKIGASSEN」と手で方向を示すの
た。決勝戦は独自参加の岩手県湯田町
700 キロ離れてロバニエミへ。機内は
で、その方向に歩いていくとそこは雪合
の西部レイダースチーム対地元ケミヤ
満席。いきなり着ていた赤い雪合戦の
戦会場でした。会場に入ってびっくり。
ルヴィのチームイーグルが闘い、フル
ジ ャ ン パ ー を 引 っ 張 ら れ「 オ ー
コート数は少ないが、我々がつくる会場
セットを闘う素晴らしい試合で西部レ
YUKI-GASSEN」と叫ばれびっくり。
設営と全く同じではありませんか。整然
イダースが2- 0(1 分け)で辛くも初
優勝。世界を制覇したのです。
●団長(当時) 千田重光さん
フィンランド・ケミヤルヴィ市で開催
された第5回雪合戦欧州大会に、壮瞥町
雪合戦交流団として参加してきました。
ケミヤルヴィからの交流団は必ず女性
が加わっていたこともあり、今回は女性
雪合戦のジャンパーが世界標準の仲間
としかもコートを囲っているのは木の
入り(?)かと思うと嬉しくなりました。
フェンス(日本ではネット)
、
しかも組立式。
4月 14 日壮瞥町に無事元気に帰っ
ロバニエミから迎えの車でケミヤ
開会式のセレモニーは参加選手が町
てきましたが、大会を見て私たちが手
ルヴィへ。途中トナカイに出会い北欧
の中心部を思い思いの旗を持ち、雄叫
塩にかけたこの雪合戦、言葉が通じな
に来たことを実感しました。
びを上げ賑やかにのんびりと会場ま
くてもお互いに真剣に闘い、終わった
ケミヤルヴィ到着の夜は市長主催の
での楽しい行進ではじまりました。
ら健闘しあえる本当のスポーツにまた
歓迎会に招かれ、市長の熱烈な歓迎を
すべてにのんびりしているのは、18
一歩近づいたと思います。
有珠山噴火の記録と
危機管理対策
◎ 火山と共生のまちづくり
報 告 書
'99 国際火山砂防フォーラム
躍動するエネルギー そうべつ
Philippines
1999
(平成11)年5月∼
山中町長 2011
(平成23)年4月
○有珠火山の活動特性と災害の想定 が発表した
「有珠山防災の取り組み事例報告」(要旨抜粋)
静穏な時代にこそ、火山観測の強化と、そ
シニッカ・ヒイバラさん
私が噴火を経験をするとは思ってもみま
せんでした。フィンランドは自然災害が少な
く、恐れる必要がないのです。
最初は噴火を目の当たりにして驚きました
が、今は複雑な気持でいっぱいです。噴火は
私にとって、最も印象深い日本での出来事の
ひとつになるでしょう。
3月28日
(火)
朝から身体に感じない程度の地
火山観測の体制は、北海道大学による研究と
の基礎となる諸研究の推進並びに人材の育成、
観測、気象台、北海道庁の観測システムによっ
防災情報システムの確率と災害に強いまちづ
て、定期的な火山情報が出されている。予・
くり、さらにそれを支える住民意識を育てて
警報の体制は、有珠火山の活動周期などが周
いかなければなりません。それが私たちが子
辺地域の人々の心理に共有され、国際火山
孫に残せる贈り物ではないでしょうか。
ワークショップの開催
(1995)
とハザードマッ
この日、人々は3日前からの避難生活を淡々と過ごしてい
プ の 作 成・ 有 珠 山 噴 火 20 周 年 記 念 事 業
ました。昨日までの地面から沸き上がってくる、突き上げる
(1997)と壮瞥町 地 域防
ような強い地震もおさまり「嵐の前の静けさ」、「マグマが地
底深く退散した静けさ」の二つの静けさが脳裏を交錯。
災意識が高まった。
ランチタイムが過ぎた午後1時7分、噴火がはじまり、そ
○今後の課題 の後町内にけたたましいサイレンが響く。噴火の知らせです。
確度の高い予知予報に向
久保内地区と仲洞爺地区で降灰が確認される。久保内地区で
けた観測網の強化、早期
は、静かに、音もなく灰がゆっくり降りてきて、周囲の山を
避難体制の確率、安全性
静かに視界から消してしまった。色のない世界。
確保のための長期展望に
22 年ぶりの、有珠山からのメッセージを人々はあわてる
たった構想
ことなく受け入れたのです。
シニッカ手記
抜 粋
3月31日
(金)
有珠山は 13 時7分、
噴火しました。 な交代で食事を作ります。人々はストレスがたま
家、道路、JR の路線の一部が被害を受けました。 り、欲求不満で、プライバシーのない状況に疲れ
煙が何キロメートルも高く上がり、地震が起こっ ていました。知らない人と一緒に歯を磨き、トイ
ていました。壮瞥町へ向かう道路は通行止めとな レに列をつくる。自分が好きなテレビではなくみん
りました。
4月1日
(土)
午後には洞爺湖温泉のホテル街に
より近い場所から新たに噴火がありました。有珠
なが好きなテレビを見る。音楽は聴きません。お
互い眠っているのだから。こんな状況にもかかわ
らず、人々は信じられないほど親切で、穏やかそ
山は大噴火のおそれがあり、安全な国から来た人
間にとっては、この状況がたとえ安定に向かった
としても、理解することは難しいものです。
これから何が起こるのか、予想できる一般人は
いません。しかし全員落ち着いて行動し、何をする
うに見えます。議論も、喧嘩もない。すぐに笑顔
がこぼれる、私は西と東の考え方の違いの例がこ
こにあるように思えます。必然的で不可避のこと
だと受け入れる、自然は人間に謙虚になれといっ
ているのです。私はだんだん日本ではなぜ、
「タ
震が起こっていました。私は噴火を想像できな
かったのです。
午後、噴火に備え、町の職員は人々を避難させ のか分かっているようです。その理由は今、指導者
る準備をしていました。人々は落ち着いていました。 として人々を率いている人は、若いときに噴火を経
午後4時、私の人生で初めて地震を経験しまし 験しているため事態を充分理解している、と言われ
た。私はおびえ、ぞっとしました。
ました。そして「広報」です。この広報に毎月、緊
3月29日
(水)
沢山の報道関係者が壮瞥に来て、 急事態にどうすればよいのかを掲載しています。
私は噴火することを、次第に実感してきました。
各家庭で、危険地帯と安全地帯について書かれ
ブン」や「ワカリマセン」がよく使われる表現な
のか分かってきました。今までなぜはっきりした
答えを出すことがそんなにも難しいのだろうと不
思議に思っていました。言葉や文化や自然は、切
り離すことができません。共に成長していくもの
たハザードマップを持っています。
4月6日
(水)
昨日、87 人がいる避難所を訪れま
した。彼らはすでに1週間そこで生活をしていま
です。自然は予測がつかないので「タブン」
「ワカ
リマセン」と言った方がいいのでしょう。本当の
答えが分からないのですから。
フィンランドで同じ災害が起こってしまって
した。大きな部屋に全員が一緒に生活し、共に時
です。みんな落ち着いて役割分担をしていました。 間を過ごし、眠り、テレビを見ます。台所ではみん
も人々はこの状況に対して、全く不平を言わな
いでいられるでしょうか?
町の職員は緊急事態に備えており、全員何に対
して責任を持つべきか分かっていました。危険地
帯の人々は避難していました。この緊急事態にこん
なにうまく、効果的に物事が運んだことは驚異的
2000年3月31日午後1時7分、
22年ぶりの噴火。
災計画の策定を通じて防
︶
(国際火山ワークショップ・「昭和新山アピール」より)
フィンランドの
青い目が見た噴火体験
●壮瞥町英語指導助手(当時)
○現在の火山観測、予・警報体制
︵
火災砂防フォーラムは 1991 年
から毎年各地で開催され、9 回目の
1999 年はフィリピンでおこなわ
れ、火山泥流対策、復興の状況や地
域防災、予・警報体制等火山と共生
するまちづくりを共に考えました。
有珠山周辺からは虻田町長、山中
壮瞥町長が参加しました。会場は今
世紀最大の噴火を起こしたピナツボ
火山周辺地域となり、関係者 150 名
が参加しました。
10 月 21 日のフォーラムはアンヘ
レス市のホテルでおこなわれ、山中
町長は「有珠山における警戒・避難
体制」について発表しました。
活動期の一定周期と、前兆について
The first eruption in 22 years occurred at 1:07 p.m., March 31, 2000.
On this day, citizens were matter-of-factly leading their lives at evacuation
centers. With the strong earthquakes that had lasted until the previous
day subsiding, they were pondering whether the tranquility was the メ calm
before the storm モ or the メ calm after the abatement of magma. モ
At 1:07 p.m., a loud screech of sirens engulfed the town. Ash falls were
confirmed at the Kubonai and Nakatoya districts. In the Kubonai district,
ash fell slowly and quietly, which transformed the district into a colorless
world. Citizens received the first message from Mt. Usu in 22 years
without panicking.
火山と暮らす自覚。
火山活動から生まれた洞爺湖。
今なお地底では火山のエネルギーがうごめいています。
1910 年、有珠山北麓の多数の火口から農地を痛めつけた噴火。
Awareness of living with a volcano
We have a long-term prospective to improve public
facilities and ensure the safety of road networks from the
viewpoint of volcanic disaster prevention. In this regard,
we are reinforcing preventive and emergency measures to
create a disaster-proof town.
We are currently reviewing the Town of Sobetsu Local
Disaster Prevention Plan to respond to specific
challenges.
We will call on relevant institutions to improve the
facilities of the Mt. Usu volcanic observatory of Hokkaido
University, construct observation tunnels, improve
machinery and equipment, and increase staff in order to
reinforce observation networks toward higher-probability
predictions and forecasts.
We will draw up and publish hazard maps based on
multilateral global eruption data and the data on the
eruption of Mt. Usu.
1945 年、昭和新山という火山が目の前で生まれました。
1977 年、有珠山の大規模な噴火に逃げまどう記憶。
そして 2000 年……。
有珠山は 20 世紀4回目のメッセージを発しました。
共生の力を養え、と……。
有珠山、
22年ぶりの噴火
この記録、災害に
強いまちに生かす
より精巧な
ハザードマップ
防災の危機管理は
日常の心得
避難交通網を
さらに充実
災害に強いまちづくりを目
2000 年の有珠山噴火では、
噴火の際、どの方向に避難
防災のソフト面を強化して
これからの
噴火予知
長期間に及ぶ火砕物降下や
20 世紀の有珠山噴火は 20
地殻変動によって大きな被害
∼ 30 年周期で起こりました。
するのが安全かを示すマップ
い ま す。 こ れ ま で、1995 年
指し、予防体制・応急体制の
北海道大学による永年にわた
が 生じた 1977 年 の噴 火。翌
噴火の予知能力は前兆地震の
を作ることで、長期的な安全
1978 年には二次災害の泥流に
観測強化で大きく前進してお
性への備えを計画的に整備す
に開催された昭和新山生成
強化をすすめ、火山防災の視
る研究と観測、気象台の観測
よって虻田町の洞爺湖温泉で
り、それらの技術を生かし、
ることができます。
50 周年 記 念国際 火山ワーク
点から、公共施設整備や道路
システムが効率よく機能し、噴
死者・行方不明者3名が出た
最小限の災害にとどめるには
科学者の協力によって、降
ショップの開催、防災情報の
網の安全性確保のための長期
火予知・避難指示・避難解除
以来 22 年ぶりの活動です。大
危機管理体制の充実と行政、
灰の流れ、火砕流・泥流が流
継続的な配布、
町広報誌に「火
展望をあげています。火砕流、
がスムーズになされました。初
きな犠牲を払った学習の成果
火山専門家、住民、そして情
れるコースなど、有珠山噴火
山防災一口メモ」の連載、防
火砕サージに配慮した土地利
動活動体制によって、専門家
山の3カ所の火口群に集中し
報をを伝えるマスメディアの
のデータと多元的な世界の噴
災に関する講演会の開催、子
用をおこない、公共施設、建
と行政の円滑な情報共有化を
供郷土史講座による火山学習、
物の整備では安全性確保と事
進めた成果です。
行政災害対策担当者を対象と
前評価を実施します。また、
これからは、確度の高い予
した勉強会や住民を含めた避
避難道路、誘導看板整備、備
知予報に向けた観測網の強化
難訓練などをおこなっていま
蓄施設、避難所等の整備を行
に向け、北海道大学の有珠火
す。また、策定された壮瞥町
います。
山観測所の施設整備、観測坑
ましたが、4月中旬には活動
4者の情報交流です。
火データを基にハザードマッ
3月 28 日より有感地震の回
生々しい3つの
火口群が誕生
も沈静化の方向へ向かいつつ
住民一人一人が噴火災害の
プを作り、公開していきます。
数も増加し、住民は避難生活に
4月1日午後 12 時 05 分、
あるため、段階的に避難指示
知識を高め、住民の「安全性
入り、3月 30 日からは自衛隊の
有珠山北西側の金比羅山から
地域は解除となり、翌5月 12
の確保と保証」を培い、また、
炊き出しがはじまりました。
新たな噴火活動がはじまり、
日には町内の避難指示はすべ
観光資源を抱える壮瞥町に
2000年3月31日、有珠山は西
住民の不安はさらに大きくな
て解除となりました。
とっては、安心して来遊して
山西麓から噴火し、噴煙の高さ
り ま し た が、 前 日 ま で 激 し
いただける防災
は最高で 3,500m に達しました。
かった地震の回数は激減して
先進観光地づく
いました。
りが大切です。
が問われていると、地域の誰も
が思っていました。
地域防災計画
道の新設と機
を、再度具体
器材の設備充
的な課題に対
実などを関係
応するための
機関へ働きか
避難指示地域の第1回目の
見直しをすす
けます。
一時帰宅がはじまったのは4
めています。
月8日。多数の火口を作った
噴火活動は西山西麓と金比羅
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