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開催日 紀 宝 町 毎月第2・4日曜日AM7:00~ イベント 神内子安朝市 H22.1.31(日)AM10:00~ 餅つきふるまい 開催日 イベント 御 浜 H22.1.17(土)PM7:00 假屋崎省吾&神崎愛コンサート 町 開催日 熊 野 市 紀宝町企画調整課 0735-33-0334 ウミガメ物産振興協同組合 0735-33-0300 問い合わせ先 御浜町中央公民館 イベント 問い合わせ先 問い合わせ先 05979-2-3151 問い合わせ先 大馬神社例大祭 熊野市観光スポーツ交流課 0597-89-4111 H22.1.10(日) 産田神社例大祭 熊野市観光スポーツ交流課 0597-89-4111 H22.2.2(火) 花の窟神社春季大祭・お綱かけ神事 熊野市観光スポーツ交流課 0597-89-4111 H22.3.18(木) 楊枝薬師まつり 熊野市観光スポーツ交流課 0597-89-4111 H22.2月中旬~3月上旬 小船の梅まつり 熊野市観光スポーツ交流課 0597-89-4111 開催日 イベント 九鬼浦正月禱屋(とうや)行事 H22.1.11(月) ハラソ祭り 尾 鷲 H22.2.1(月)~5(金) ヤーヤー祭り 市 H22.2.7(日) 山の神まつり H22.2.27(土)・28(日) 尾鷲おひなさままつり 開催日 問い合わせ先 問い合わせ先 尾鷲市新産業創造課 0597-23-8223 尾鷲市新産業創造課 0597-23-8223 尾鷲市新産業創造課 0597-23-8223 矢浜公民館 0597-22-6367 まちかどホットセンター 0597-23-8221 イベント 問い合わせ先 問い合わせ先 H22.1.11(祝) 親子杯(午前8時半~) 湊彰男 0597-47-4312 H22.1.11(祝) 弓の祷(午後1時ごろ~) 長島漁協 0597-47-4312 H22.1.16(土) 船だんじり(午後1時ごろ~) 紀北町産業振興課 0597-32-3905 H22.1.17(日) 復活!三浦越え(午前9時30分~) くまの体験企画 090-7865-0771 H22.2.11(祝) 島勝浦の漁業を語る旅(午前9時30分~) くまの体験企画 090-7865-0771 開催日 イベント 問い合わせ先 問い合わせ先 0597-23-3434 0597-89-6172 南三重スタンプラリー 東紀州観光まちづくり公社 H22.1.17(日) 須賀利石経ツアー 東紀州観光まちづくり公社 0597-23-3434 H22.2.20(土) セミナー「熊野古道と文化的景観」 東紀州観光まちづくり公社 0597-23-3434 H22.2.26(金) 須賀利スケッチツアー 東紀州観光まちづくり公社 0597-23-3434 旅する熊野学 中日文化センター 0120-53-8164 実施中~H.22.1.31(日) そ の 他 問い合わせ先 H22.1.6(水) H21.12.31(木)~ H22.1.5(火) 紀 北 町 問い合わせ先 H22.1.12(火)2.8(月) H22.3.8(月)3.9(火) 平成22年1月2日(土)「たけしの”教科書に載らない”日本人の謎~熊野詣」(日本テレビ系列)で七里御浜と花の窟を取 り上げた正月特別番組があります。ぜひご覧ください。 発行元 熊野古道伊勢路友の会事務局 東紀州観光まちづくり公社 〒519-4393 熊野市井戸町371 Tel 0597-89-6172 Fax 0597-89-6184 東紀州観光まちづくり公社のホームページ公開中 URL:http://higashikishu.org/ 第29号 29号 発行日 平成22年1月1日 明けましておめでとうございます 今年も伊勢路友の会をよろしくお願いします。 七里御浜 植野 めぐみ 2009年12月現在、世界には「道」の世界遺産が2例存在します。ひとつは、1993年に世界遺産登録されたスペイ ンおよびフランスの一部の『サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼道』(以下サンティアゴの道)で、そしてもうひとつは 2004年に登録された日本の『紀伊山地の霊場と参詣道』(以下熊野古道)です。これらの2つの古道が位置するイベ リア半島と日本では、ユーラシア大陸をはさんで約2万キロメートルも離れており、当然地理、沿道文化、雰囲気、そし て宗教背景ともに大きく異なります。しかし、両道をゆっくり歩いてみると、根本的なところに大きな共通点があることに 気づきます。今回はこの2つの「旅路」の共通点について述べてみたいと思います。 サンティアゴの道とは、スペイン西部のガリシア州にある聖地、サンティアゴ・デ・コンポステーラに向かう巡礼道の総 称です。サンティアゴ・デ・コンポステーラは、エルサレムで殉教した聖ヤコブの遺骨が816年に発見された地とされ、 それ以降現在に至るまで欧州を中心に世界各国から巡礼者が訪れています。サンティアゴ・デ・コンポステーラへ至る 巡礼道は複数あり、代表的なものが、サンジャンピエードポーからピレネー山脈を越え、サンティアゴ・デ・コンポステー ラへ至る約800kmのフランセス(フランス人の道)です。この道は巡礼者が最も多く、徒歩で約40日かかります。ピレ ネー山脈越えやセブレイロ峠といった一部の峠を除き、広々した丘陵地帯を縫うように続く道がほとんどです。どこまで も開放的な風景が続き常に数キロメートル先を見渡すことができます。 熊野古道がある日本とサ ンティアゴの道との間には 2万キロメートルという距 離、そして8時間の時差が 存在します。しかし広い目 で見てみると、この両道を 歩く旅人の精神性には共 通する点がいくつか見られ ます。サンティアゴの道を 歩く旅人に歩いてサンティ アゴを目指す目的はと尋 ねると、たいてい「Cultual (文化的な)」「Spiritual (精神的な)」という答えが 返ってきます。 生活背景は違えど、みな今を迷い、過去から今までにおける自分を見つめ直し、そして新しい未来を切り開くという部 分で共通しています。サンティアゴの旅人の姿は、過去に熊野古道を旅した人々の精神性とどこか重なります。 かつてお伊勢参りをすませた旅人が熊野、そして西国観音霊場へ旅立つとき、白装束を身につけました。この白装 束は死者を意味し、煩悩を背負っている現在の自分から巡礼に出て神仏に祈りを捧げることにより、のちに生まれ変 わることを目的としています。サンティアゴの道では、サンティアゴ・デ・コンポステーラに到着した後、巡礼者はさらに 西方90kmに位置するスペイン最果ての地、フィステーラへ向かいます。ここは大西洋の荒波が打ち付ける断崖となっ ており、巡礼者は巡礼をともにした道具(杖、サンティアゴ巡礼のシンボルでもあるホタテ貝など)を燃やし、または海へ 投げ捨て、大海原に向かって人生の再出発を誓います。 両者に共通するものは「自己の再生」。そんな旅人を千年以上にも渡って出迎えてきたのがこれらの道であり、カテ ドラル、寺院に相当する沿道の参拝所、そして旅人を暖かくもてなしてきた沿道の住民です。それらはこれからも地球 上に住む人類が平和に暮らしていくためには忘れてはならないものと述べても過言ではないでしょう。「道」は今後熊 野と世界をつなぐキーワードのひとつになるのではないでしょうか。 宮本 淑子 太平洋に大きくせり出している紀伊半島の海岸部には三重県と和歌山 県がまたがり、その南部は古くから熊野と呼ばれてきた事は語り部の皆さ んは周知のことでしょう。熊野の海上、熊野灘は古くより表日本の重要な 航路でした。寛永年間(1624~1643年)に入ると、徳川幕府によりすで に鎖国へと歩き出していたため、海防が次第に強化され、外国船入港の 禁止令へと発展していきました。 紀州藩領の海岸線は長く広範囲に及ぶため、紀州藩は早くから海防に 関心が深く力を注いでいました。そして「浦組み制度」を確立し、常灯場 (灯台)と船見番(遠見番所)を設置したといわれています。船見番がいる 遠見番所では熊野灘を航行する船を昼夜ともに監視し、密貿易船、異国 船等の怪しい船を発見すると、村継ぎで通報し番所近くに設置された狼煙 場から狼煙をあげて隣組に伝達をしました。 木本浦全図に記載されている 楯ヶ崎遠見番所(赤丸部分) この東紀州では遠見番所は 熊野市の楯ヶ崎、尾鷲市の九 木崎、紀伊長島の二郷の呼 崎、近辺では太地町や潮岬な どに、狼煙場は紀宝町から順 に井田みさご峠、萩内ひわ山、 口有馬大般若(花の窟)、小泊 猪鼻山、遊木丹羽平、楯ヶ崎、 梶賀地切山、三木浦木名峠、 九木崎、小山浦後山、白浦二 十五峰に置かれました。 楯ヶ崎 遠見番所からの景色。晴れた日に は遠く太地町の半島までが良く見える。 遊木の狼煙場(赤丸部分) 現在の楯ヶ崎の遠見番所跡(海抜264m)は熊野市の文化財に指定されお り、国道311号沿いの登り口には案内板が設置されています。現在、登山道は かなり荒廃し、草や木が生い茂っているため道がかなり不明瞭になっています が、所々に階段状に石が積まれています。実際に現場に行ってみると今も屋敷 跡の石積みが残っており、瓦、お茶碗や急須などのかけらが落ちているのが見 られます。ここからは二木島湾、楯ヶ崎、そして熊野灘がよく見え、天気がよけ れば太地方面の遠望が出来ます。所要時間は30~40分です。もし訪れる場 合は春から夏は避けて草が枯れた秋から冬の方が歩きやすいでしょう。 楯ヶ崎遠見番所屋敷跡に残る石積 享和3年(1803年)の楯ヶ崎御番所日記によると、番人は 浜田惣八・大屋藤助の二人で他に補助的な番人として浜 田惣兵衛(惣八の子)・北口五郎次・佐々木熊次郎がい た。いずれも由緒のある家柄の人たちです。その後、明治 2年(1869年)に遠見番所が廃止されるまで遠見番の世襲 が続き番人をつとめた。 遊木丹羽平には3基の饅頭型の狼煙場が残る 異国船之図 享和3年の楯ヶ崎御番所日記 (熊野市歴史民族資料館 所蔵) 狼煙場跡(海抜210m)は遊木町丹羽平に今も残って います。狼煙場の構造には2種類あり、その一つは かまどの形に転石をつみあげたもの、もう一つは遊木丹羽平のように 転石を饅頭型に積み上げ、その中央で狼糞と松葉を混ぜて焚くと、転 石の隙間から風が上がり、煙がまっすぐあがる仕組みのものがある。 狼煙場には二本立てと三本立てがあり、遊木の場合は三本立てで、1 本の大きさは直径約3mの転石を積み上げたもの、高さは約120cmで ある。この一本と次の一本との間隔は約4mあり、3本は一直線上に並 んでいる。明治2年(1869年)の廃止とともに、ほとんどの狼煙場は壊さ れてしまったが、遊木の場合は3基が直線状に並んで現存しており、今 では全国的にも珍しくとても貴重な史跡となっています。 オランダ船 唐船 ロシア船 船幟図 ※ 異国船之図、船幟図は熊野市歴史民族資料館 所蔵 遊木の狼煙場はハイキングコースとして整備されていますので、まだ行ってみたことが無い方はぜひ一度訪れて、熊 野の海防の歴史の一端にふれてみてください。また、熊野市歴史民族資料館(熊野市有馬町)には、楯ヶ崎御番所日 記、異国船の絵図、木本組全図など貴重な資料が展示されています。〔参考文献 各市町史より〕