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ものづくり海外研修参加報告

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ものづくり海外研修参加報告
3.ものづくり海外研修
中国
[学生報告]
ものづくり海外派遣研修 in 中国
―学生代表と個人という二つの視点から言えること―
環境都市工学科 5 年生
本稿では、本来この海外派遣研修がもつねらい(目的)を振り返りつつ、実際にそれが達成できたのかという
ことと、自分自身が何故この海外派遣研修に参加しようと思ったのか、自分にとって実りある研修となったのか
といったことについて、二つの異なる(学生代表とただの生徒という)視点から述べようと思います。
ものづくり海外派遣研修(中国)のしおりによると、
「海外に渡って訪問国の工業事情や文化を、ものづくりを
通じて直接体験することで、国際的な視野を養う機会を提供することを目的としています。また、コミュニケー
ション手段、お互いの価値観を尊重することの重要性などを体験し、研修がこれからの皆さんの人間的成長に役
立つことを願ってやみません。」となっています。
私は今まで一度も国外に出たことがなく、来年度から社会人となり今年度が長かった学生生活最後の夏休みだ
ということが、この海外派遣研修に応募した最大の動機でした。だいたい「今後いつこんなチャンスが巡ってく
るか分からない、社会に出たらこんなにも自由な夏休みなんてものはもう来ることはない、社会人になってまと
まった休みが取れるかどうかなんてわからない、むしろまとまった休みが取れたとしても今まで一度も海外経験
がなかったらそれはそれでどうなんだ。」こんなことを考えて応募するに至りました。
だからあまり目的という目的はなく、ただ漠然と国外に出るということが目的でした。もちろん「楽しむ」と
いうことが大前提ですが、具体的な目的はなく強いてあげるなら、とりあえず日本以外の文化に触れに行こう!
というのが目的でした。
学生代表としての目的ですが、こんなただ他のメンバーよりも年齢が高く、最高学年だから選ばれたような海
外旅行初心者が出来るようなことはそんなにありません。そんな私に出来ることはムードメーカーとしてみんな
と一緒に楽しむことです。学生代表の挨拶等はありましたが、それはさほど問題ではありません。だから今回の
海外派遣研修を私が先頭に立って楽しむことを学生代表としての目的としました。
中国へ渡航し、本校と交流のある黒龍江工程学院を訪問し発表会などを通じて交流を深めました。また、ハル
ビンにある工場や代表的な施設を訪れ、今年オリンピックが開催される北京に 2 日間滞在し、万里の長城などを
見学しました。
ものづくり海外派遣研修の目的に関しては、おおむね達成できたと思っています。異文化に触れるということ
は、この 6 日間を通して身にしみて感じることが出来たと思います。特に食に関してはお腹を壊す人もいたくら
いなので、みんな日本に生まれてよかったと思える体験になったと思います。また、ハルビンでの黒龍江工程学
院訪問ではみんなつたない英語やボディランゲージを用いて、四苦八苦しながらもロボットを作るという共通の
目的を通して黒龍江工程学院の学生と心を通わすことが出来たと思います。この 6 日間の体験は必ず将来の役に
立ってくれると、私自身感じていますし、今回参加した 10 人全員がそう思っていると確信しています。
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中国研修報告書
物質工学科5年生
[1 日目]新潟空港集合、黒竜江工程学院の学生に配るお土産に、わさび味柿の種と魚沼産コシヒカリを使用した
せんべいを買った。新潟は大雨でかなり不安だったが飛行機が中国を飛んでいるときは晴れていていい眺めだっ
た。中国は以前旅行した北海道に比べ物にならないくらい一面がトウモロコシ畑や田んぼで覆われていた。ハル
ビン空港からバスでホテルに行ったのだがここまで交通量が多くて工事が多いとは思ってもいなかった。学校の
歓迎会のためにバスでレストランのようなところへ行き、盛大に歓迎された。こういう場合中国では食べきれな
いほどの料理でもてなすのが風習らしく、非常にたくさんの料理が出た。後で知ったがここは学校内の食堂で外
来がある時やお祝いのときに使う部屋らしくそんなものまであるのかと驚いた。
[2日目]黒竜江工程学院はどの建物も非常に大きく、建物の入口は自動改札機があり、見学者用の展示を主と
した約 5 階建ての施設などがあったり、学内に店が多く町のようになっていたりと驚くことが多かった。中国側
の車のデモは黒いラインで作られたコースを自動に走ってタイムを競うものだった。生き物のように動いて非常
に興味深かった。日本の用意した車(ローバー)は音声操作がうまくいかず、最終的に障害物センサーで操作したり、
自分の班はプログラムを入れても動かなかったりで、ぐだぐだだったので学習意欲の差を感じた。最後の夕食会
でうまく意思疎通が出来なかったが、北島康介や福原愛選手などのオリンピック選手などは知っていても自分た
ちが当たり前に思っている日本の若者だったらあたりまえな文化について同世代でも知らないことが分かり、日
本の狭さを実感した。
[3日目]七三一部隊資料館、スターリン公園と聖ソフィア教会を見学した。昼食で餃子を食べた時、中国では
水餃子が一般的というのは知っていたが、水餃子で一部揚げ餃子のようなもので日本全国どこでもあるような焼
き餃子が出なかったのが驚いた。食べ切れなかったものを翌日焼いて食べるらしいのだが、具自体の味づけがそ
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3.ものづくり海外研修
もそも違うので日本の焼き餃子は中国の焼き餃子ともかなり違うのだろうと思った。
[4日目]天安門広場から入って故宮を見学した。各宮殿の敷地が広く豪華でしかもそのような宮殿がたくさん
並んでいたので中国のスケールの大きさを感じた。中華街で買い物したがぼったくりのような値段をつけられ、
海外旅行らしい買い物をした。午後の胡洞巡りでは輪タクが非常に心地よい乗り物だということが分かった。ま
た写真のように家の中で野菜や果物を栽培していることに驚いた。
[5日目]頤和館は湖が綺麗なのが印象に残った。万里の長城では予想以上の緩急の激しい階段だったので非常
に疲れたがとてもいい眺めの場所だった。明の十三陵は 13 あるうちの 1 つしか見ることができずその大きさや地
下深くに広い部屋を造れた当時の中国の技術に驚いた。
[まとめ]全体的な旅行の感想として中国は果てしなく広く何もかもが大きいことやどこもかしこも人が多いこ
とを強く思った。また旅行中英語がほとんど通じなく、後半体調を崩していたので、今後旅行する時の課題とし
ては自分の英語の会話能力の無さや体力の弱さをどうにかしようと思った。
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海外派遣研修レポート
物質工学科 5 年生
今年の中国でのものづくり海外研修は、9 月 7 日から 12 日までの日程で行なわれた。
9 月 7 日、ハルビンに到着し、最初に黒龍江工程学院を訪れた。その日は黒龍江工程学院の方々が、私たちを
歓迎するために晩餐会を開いてくださった。熱烈な歓迎を受け、今回、私たちは長岡高専の学生を代表してこの
地に訪れているのだということを実感した。晩餐会では、大らかで気さくな中国人の気質を感じることができ、
緊張がほぐれたように思う。
9 月 8 日、この日は今回の研修旅行の目的である、ものづくり研修を行った。午前中は黒龍江工程学院のキャ
ンパスを見学させていただき、その広さと施設の充実ぶりに驚いた。キャンパス自体が大きいため、部屋数が多
く、一つ一つの部屋が何のための部屋なのか、非常にわかりやすい造りになっていた。また、展示室が多いこと
も高専にはない特徴だったと思う。もう一つ、注目すべき点は女性教員が多いことだ。中国では男女平等が日本
以上に進んでいるということは、事前にガイドブックで調べていたが、そのことをこの日の見学で実感した。
午後は、ものづくり研修であったが、まず、双方の学校の紹介などのプレゼンテーションを行なった。その後、
黒龍江工程学院の学生による以前の交流会で行なったレースのデモンストレーションを見させていただいた。そ
れが終わった後、ものづくり研修が始まった。この研修の目的は、ものづくりを通してコミュニケーションをと
る、ということだった。衝撃を受けたのは、英語が全然通じなかったことだ。おそらく、中国には英語の中国な
まりが存在し、日本人は片仮名発音であるためだと思う。単語のみでさえあまり伝わらず、話がなかなか進まな
かった。結局、重要なところでは、通訳をしてくださっていた日本語の先生や、自動車学科の先生の助けを借り
て進めていくことになった。それでも、私たちのチームは最初にプログラミングを終えることができたし、レー
スでも、まずまずの結果を残せた。言葉の壁は感じたが、皆で一つのことに取り組むのは楽しいし、達成感もあ
り非常に充実した研修となった。
研修の後、日中双方の学生で夕食の食卓を囲み、交流会を行なった。この交流会では、今回の研修中で最も楽
しいときを過ごした。英語は話しても通じなかったのだが、筆談では問題なく通じた。漢字も日本語と共通する
部分が多く、漢字による筆談も可能だった。ここでは、研修のとき以上に中国の学生とコミュニケーションが取
れた。同じチームのメンバーとは連絡先を交換したり、写真を撮ったりしたので、今後も交友関係が続いたらい
いと思う。
9 月 9 日は黒龍江工程学院の日本語の先生と国際交流担当の先生の案内により、ハルビン市内を見学した。宿
泊したホテル付近は古い建物と新しいビル群がかなり近いところに存在していて、さらに街中で工事が行なわれ
ているなど、現在進行形の中国という印象を受けた。この日の見学の中心となるのは侵華日軍第七三一部隊罪証
陳列館だった。市の中心部から少し離れた平房区内にあり、1936~1945 年に日本陸軍の特殊部隊、第七三一部
隊が細菌兵器の研究を行なっていた場所である。ここでは 3000 人もの人が捕虜として実験台となったと言われて
いる。事前にある程度この部隊については学習していた。しかし、ほとんどの資料が新たに知る事実だった。現
地の日本語ガイドの方が様々な資料について説明してくれたのだが、どのような思いで日本人の私たちに説明し
てくれているのだろう、ということを考えた。また、自分が科学の世界で生きていくために、このような悲劇が
起こらないようにするためにどのような方法があるだろうか、といった技術者倫理の問題についても考えさせら
れた。見学後に通訳の先生から言われた、
「このようなことが二度と起こらないようにお互い頑張りましょう」と
いう言葉は今でも印象に残っている。この施設は科学に対して新しい視点を持つことになった場所であった。
その後は、ハルビンの中央大街を見学した。ロシアが清の時代に開発を進めた街であるため、ドーム型の屋根
の建築物が多く、西洋の雰囲気を感じさせた。全体の景観が統一された美しい街並みに圧倒された。
9 月 10 日、11 日は北京の見学であった。具体的な日程は、10 日が天安門広場、故宮博物院、天壇公園、輪タ
クによる胡同見学で、11 日が頤和園、万里の長城、八達嶺、明の十三陵、北京オリンピックスタジアム(車窓から)
だった。北京はハルビンとは異なった印象を与える都市だった。オリンピックに向けて準備を整えていただけあ
って、市の中心部などは非常に綺麗に整備されていた。ビル群なども、ハルビンに比べてすっきりとまとまって
いる印象を受けた。いたるところにパラリンピックの旗を掲げ、標語の「同一个世界 同一个夢想(One World One
Dream)」の文字はあらゆる観光地で見かけた。北京は外の人々に見せるために整備された、国際観光都市である
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3.ものづくり海外研修
と感じた。ほとんどの観光地では様々な国のツアー客を見かけたし、昔ながらの市民の生活の場であるという胡
同も観光地として整備されていた。また、観光地等で日本人観光客を対象としている物売りを多く見かけ、中国
の現実を感じさせられた。
北京で見学した観光地は主に歴史的に重要な建造物であった。いずれも日本にはないスケールの大きさで、中
国がいかに大きな国であるかを感じさせた。それらの観光地ではどこへ行っても、自分の歴史に対する教養の無
さを痛感した。現地ガイドの方の説明からは、新たに知ることが非常に多かった。これだけ国際化が進んでいる
現在においては、自国の歴史はもちろんのこと、諸外国の歴史に対する知識も必要である。それは、外国の文化
を知る上で、その国がどのような過程を経て成り立ってきたのかということが重要であると思うからである。今
回の研修を機に、今後世界史について知識を深めるため、継続的に学習していきたいと思った。
9 月 12 日は日本に帰るだけの日程だった。日本に帰ってくれば、否応無しに中国との違いを実感する。そのと
き、文化の違いというのを知った。一般的にその国の文化というと、伝統的な慣わしを言うことが多い。しかし、
本当の文化というのはあらゆる日常生活のことを言うのだと初めて気付いた。食事、住居、交通、公共施設など
あらゆる場面で中国との違いを知り、改めて日本の文化を学ぶことが出来た。外国の文化を知ることは、自国の
文化を知ることでもある、というのを今回の研修で体感した。これが、今回得たことの一つである。
もう一つ、学んだことは、グローバル化へのアプローチである。今回、私たちは同年代の中国の学生と交流し
た。意思の疎通は完全ではなかったものの、お互いに積極的にコミュニケーションをとろうという気持ちはあっ
た。この姿勢が大事なことなのではないかと考えた。たとえ、個人的なつながりであっても国同士の関係がこれ
で多少なりとも深まったと思う。少しでも、他国の人々とコミュニケーションを図ろうという意思、それが世界
との距離を縮めるのではないだろうか。今後も、様々な機会を生かして国際交流をしていきたい。
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海外派遣実習のレポート
物質工学科 5 年生
一日目、新潟の天気は悪かった。これでは先が思い知らされるなと思いながら新潟空港に到着。新潟空港に着
いたのが早かったのもあり、暇をもてあましてたら訪問する黒竜江工程学院におみやげを買おうということにな
り、おみやげを購入。しかし何を買ったか思い出せない。その後飛行機に乗り、2 時間飛行機に揺られ中国のハル
ビンに到着した。飛行機から見たハルビンはとても広くて広大だった。そして空港に到着して向こう手配のバス
に揺られホテルに向かっていると突然バスが止まった。何事かと思い、外を見てみると運転手が通行禁止の場所
で交通整理の人と口論を始めた。しかし結局そこを通過することができずさらにあちこち移動した後、ホテルま
で歩く羽目になった。その後ホテルについた後、工程学院の歓迎会があるというのでバスに乗って学校に向かっ
た。そこで熱烈な歓迎を受け、おみやげももらいホテルに戻った。
二日目は本番で工程学院でものづくり研修の交流会があった。まず学校見学があり、広い校内のいたるところ
を回った。さすが学生数 2 万人のマンモス校であり、いたるところに人がいた。そして高専に比べ女性が多いと
思った。教師や学生でも男女比が高専ほどではないのだ。これはあっちのが方がジェンダーフリーといったもの
が進んでいる証ではないかと思った。
そして昼食を食べた後、いよいよこの研修旅行の目的であるものづくり研修の交流会が始まった。まず互いの
自己紹介から始まった。まず田中先生が中国語で自己紹介をして周囲を感嘆させた後、他の先生や学生も続いた。
しかし自分は田中先生や他の人とは違いうまくいかなかった、残念。その後、工程学院の自動車学部の学生たち
の線に沿って動く自走のローバーが走るのを見て、これはすごいと思いつつ自分たちの発表の準備をした。自分
たちが日本から持ってきたのは手をはたくことによって前進したり、後退したり、右左折するローバーである。
これのプログラムを書き換えて競争しようというのが今回の研修のコンセプトであり、それなりに準備をしたつ
もりであったが実際にやってみるとこちらの準備不足が露呈した結果となった。相手とコンタクトを取ろうにも
英語力の不足であまりうまくいかない。紆余曲折の末なんとか競争するも結果はビリであった。まぁ結果は残念
なものだったが交流は少なからずすることができたと思う。その後、工程学院で晩餐会の後、夜のハルビンの繁
華街を見てホテルに着いた。
三日目はハルビン観光をした。まず向かったのが郊外の 731 部隊の施設跡だった。731 部隊といえば凄惨な人
体実験をした場所で有名であるが、施設の隣に普通に中学校があったりしたのがけっこう驚いた。その後、写真
撮影が禁止されている内部を見た後、爆破された実験施設や遺体を焼却した火葬場の煙突を見た。この施設を見
て自分の中にある疑問が湧き上がった。それは、この施設を作り、凶行に及んだ人たちはどうしてそのような行
動をおこしたのだろうというものだ。あそこで行われたことはプロパガンダ的なものを含んでいるとはいえ、通
常の戦争犯罪を超えるものだと思うし、ナチスのホロコーストに匹敵するといっても過言ではないかもしれない。
悪意に満ちいていたことは確かである。彼らはどうしてそのような凶行に及んだのか、それは硬直し閉鎖的な組
織が原因なのか、それとも時代が悪かったのか、それとも自らに内在した力の誘惑に駆られたのか、それとも民
族に特有の病気だったのか、それはわからない。しかしこれは一生をかけて考えなければいけない問題かもしれ
ない。
その後、昼食を食べた後、ハルビンの中心市街を回った。ハルビンは古くは北方の騎馬民族の土地であり、そ
の後ロシアの勢力圏に入ったり、日本の満州国であったこともあり、歴史が複雑である。そのため建物も前にも
出た 731 部隊の施設も含め、その時代時代の影響を受けたものが多かった。特にロシア時代の聖ソフィア教会や
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3.ものづくり海外研修
防洪勝利記念塔はハルビンの象徴になっているらしい。ハルビンは近代的な高層ビルが立ち並ぶ反面ロバが道路
を走っていたり、いろいろなものが混在していてカオスだった。これがこの国の現在を表しているような気がし
てならない。
四日目は北京に行った。北京ではまず天安門広場に行った。天安門広場にはたくさんの人がいて、警備も厳重
だった。その後故宮に行った。故宮は明の時代に作られ、1911 年に辛亥革命で清朝が倒されるまでこの国の中心
だった場所でなんといっても広い。さすがは大帝国を築いた国だけあると思った。また故宮には龍の絵や彫刻が
たくさんあるのだが、その竜の指の数は五本なのだ。日本では一般的には龍の指の数は三本(必ずしもそうでは
ないが)であり、ここらへんに東アジアとか中華思想とかそういうものを感じざるを得なかった。ちなみにガイ
ドの人に聞いたら三本爪の龍は龍ではないらしい(笑)。その後、王府井地区、世界遺産でもある天壇公園に行っ
た後、胡同という北京の下町を輪タクにのって回った。ロレックス売りがいてどうにかしてほしかったが胡同の
住宅の中はなかなかいい感じだった。
そして五日目は頤和園と万里の長城と明十三陵に行った。頤和園は西太后の別荘地として知られいる。西太后
が軍事費を流用してここの整備費に使ってしまいそのせいで日清戦争に清が負けたといわれていて、西太后はそ
の他もろもろのこともありあまりいい評価を受けてこなかったようだが、田中先生の話だと最近は再評価されて
いるらしい。そしてその頤和園だがこの中国の研修のなかで一番落ち着いている場所で、自分のなかで一番感じ
がよかった場所だった。次に行ったのは万里の長城である。万里の長城といっても行ったのは北京から近い八達
嶺という場所で整備もされていて観光地として有名なところである。八達嶺長城は坂のゆるい女坂と坂の急な男
坂からなっている。坂を上ってみると落書きが大量になされており民度の低さが感じられた、なかに日本人の落
書きもあり、より残念に思えた。そして万里の長城を登ってみて、別にこんな急なところだから城壁なんかいら
ないんじゃないかと思った。その後、明の皇帝の墓であり、明十三陵に行った。そのなかでも定陵を見学した。
定陵は明の第十四代皇帝、万暦帝の墓である。この万暦帝はちょうど日本の安土桃山時代から江戸時代の初期の
ころの皇帝で、豊臣秀吉が朝鮮に攻め入り、明を征服しようとしたときの皇帝なのだが好き勝手したせいで、評
判が悪く、明滅亡の原因とも言われる。そして墓は地下深くにあることもあってすずしかった。ちなみに遺体は
文化大革命のときに燃やされたらしい。
そしてこの明十三陵の見学が終わったあと、夕食を食べたあと飛行機でハルビンに行った後、ほとんど眠らず
に朝の飛行機で新潟に戻った。最後は相当ハードスケジュールで旅行中悪かった腹の調子がさらに悪化した。こ
の研修旅行を通していろんな人と交流できたし、いろんなものも見ることができた。しかしもう海外旅行はしな
くていいと思った。
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ものづくり海外派遣研修報告書
物質工学科 4 年生
2008 年 9 月7日~9 月 12 日の6日間、中国に行ってきました。ものづくり研修ということで、日程の半分は
中国の姉妹校である黒竜江工程学院にお世話になりました。
初日の午前は、黒竜江工程学院の中を見学しました。高専とは違い、実習室や教室以外にも展示室がたくさんあ
りました。実習や、卒業研究等で作った作品が展示されていました。また、校舎もとても大きく高専との規模の
違いを感じました。道路も広く、バスケットのゴールがたくさんあったのが印象的でした。私たちがまわった施
設はほんの一部でしたが、それだけでもすごかったです。午後からは、まず長岡高専の紹介と黒竜江工程学院の
紹介から始まりました。私も物質工学科を紹介しましたが、とても緊張して、かなりたどたどしいものだったと
思います。その後、今回の海外派遣研修の目玉であるローバーのプログラミングを工程学院の学生とともに進め
ていきました。事前に準備をしていたはずなのですが、インストールができない等のトラブルが各所で発生し、
かなり先生方にお世話になりましたまた、やはり英語で会話するということもあり意志の疎通がすんなりいかな
かったのが大変でした。しかし、なんとか通じて作業が進んだときは普通に進めていくよりも達成感が大きかっ
たです。ローバーの速度などを変更するプログラムを組んだのち、レースをスタートさせました。当初のルール
とは違いましたが、無事にゴールした時は安心しました。レースが終わったあと、それぞれ連絡先の交換や、日
本から持ってきたお土産を渡したりしました。
その後、レースをともにした工程学院の方々と一緒に夕食をとりました。ここでも英語でしたが、慣れてきた
おかげか、さきほどよりもスムーズに会話が出来ていたように思います。歌を歌ったりしたのですが、工程学院
の方が一休さんやドラえもんのうたを日本語で歌っていたことにびっくりしました。夕食会を通して、かなり仲
良くなれたと思います。中国での食事はほとんど豪華で、とくに黒竜江工程学院での食事は食べ切れないほどた
くさん出てきて「まだ出てくるのか?!」と思ったほどでした。
その後はほとんど観光なので割愛させていただきます。最終日に近づくほど、どんどん値切り方がうまくなっ
た気がします。
今回のものづくり派遣研修を通して感じたことは、言語は気合と相手の話を聞く。ということで乗り越えられ
るのではないか、ということです。良い人生経験になりました。機会があればまた海外に行ってみたいと思いま
す。
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3.ものづくり海外研修
[学生報告]
中国研修
環境都市工学科4年生
三年生のころから自分のクラスには留学生が編入してきた。自分は当時まったくと言っていいほど外国に興味
が無く、ましてや海外旅行に一度も行きたいと思ったことはなかったのだが留学生と親しくなり彼らの話を聞く
につれ自分も外の広い世界を実際に見てみたいと思うようになった。そこで今回このような学校支援の企画があ
り参加することにした。
留学生の話を聞くに他の国に行くことは大きな衝撃を受けるという。一般にそれをカルチャーショックと言う
が自分はまだ未体験なため彼らのカルチャーショックの話しを聞いてもどうもピンとこなかった。そのためこの
海外研修でカルチャーショックを受けるのが自分の一つの目的であった。研修当日、中国に到着し期待を胸に空
港の外へ出た。しかしそこには日本とほぼなんら変わらない風景だった。ただ平然と駐車場に日本車や外車(欧
米の会社)が停まっていただけである。正直期待はずれであった。しかし、その数十分後に私はカルチャーショ
ックを受けることになった。空港からバスで市街地まで移動する時日本でいう高速道路の様な所を走ったのだが
制限速度が 110 キロにも関わらず 40 キロ程度で走っている車が多々いるのだ。またその横では 110 キロで飛ば
して走る車ももちろんいる。日本とは違い車の速度差が非常に大きいのである。これは非常に驚かされた。その
後高速を降りた後しばらく道の横にマンションやビルが続いた。これ自体は日本でも極普通の光景なのだがなん
とハルビンの都市は 40 分以上走行してもずっと景色が変わらずマンションやビルが続くのである。また中国では
公園や街のあちこちに人が溢れかえっている。平日の昼なのにも関わらず若者からお年寄りまでたくさんの人が
お喋りしたり遊んでいたりする。中国という国の人口の多さ、規模の大きさを改めて実感した。人も建物も街も
車も全てが日本の 10 倍なのである。これにはいままでずっと長岡という小さい都市しか知らない私にとっては非
常に大きなカルチャーショックになった。あの驚きは一生忘れることができないだろう。
このようなポジティブなカルチャーショックの半面、もちろんネガティブなカルチャーショックもあった。ま
ず貧富の差が日本より遙かに大きいことだ。マンションやビルが続くと言ったがそのマンションやビルの間に昔
から建っていたような小さな2階建ての家やもう人が住んでいるかどうかもわからない廃屋などが非常に多かっ
た。そのため街に統一性が生まれず非常に混沌とした印象を得た。おそらく日本では絶対に見ることができない
光景だと思う。他に土木建造物が日本のものと比べるとひ弱そうなものが多くそれについても驚愕した。私はこ
れらのカルチャーショックを受けハルビンのことを知ると同時に日本の良い点、悪い点も再確認することができ
た。
中国研修2日目、この研修のメインである現地の学生との交流会が行われた。お互いに英語で話し自分たちの
持っていったローバと呼ばれる音声感知センサー付きの車のロボットを使い、ものづくりを通じて交流を深める
という企画だった。まず自分たちと長岡高専の紹介をした。自分は自分の所属している環境都市工学科をパワー
ポイントを使って紹介した。パワーポイントにいくつか笑いを取りにいくスライドを入れていたが自分のイメー
ジとして中国人は真面目そうな印象があるので中国の学生や先生が笑ってくれるか発表直前まで心配だった。し
かし発表では普通に笑いもとれホっとした。次に中国側の学生が自己紹介をしたのだがみんな驚くほど英語が上
手い。特に英語を話すスピードが速く自分はほとんど聞き取ることができなかった。中国の生徒の紹介が終わる
と日本の学生 2 人、中国の学生 2 人でひとつのグループを作りものづくりを開始した。日本の学生がロボットと
プログラミングの説明をしながらものづくりを進めていくのだがなかなかコミュニケーションを取るのが難しく
苦労した。そして最後にプログラミングが済んだロボットを使いグループ対抗でレースを行った。レースは非常
に盛り上がり中国の学生と楽しい時間を過ごすことができた。この後中国の先生、学生達と食事会に行くことに
なった。自分はまだ会ったばかりの、それもコミュニケーションが取りづらい人達と食事まで一緒にするのは少
し抵抗があった。しかしその食事会は非常に楽しかった。ものづくりをしている時は真面目な会話しかできなく
なかなか中国の学生と距離を縮めることができなかったがおいしい物を食べながらくだらない話をするだけでず
いぶん仲良くなれたと思う。
自分はいままで外国や外国人に抵抗があったが今回の旅を通して世界のどこへ行っても結局は同じ人間なんだ
というように思えるようになり今まであった抵抗がまったく無くなった。これからは一緒にものづくりをした学
生とメールをして、将来またハルビンを訪れてみたいと思っている。
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3.ものづくり海外研修
[学生報告]
海外派遣研修(中国)レポート
電気電子システム工学科3年生
基準、普通といった価値観の違いこそ、百聞は一見にしかずというものだ。道路で一分に一回クラクションが
なるということも、原付に乗る人のほとんどがノーへルなことも、日本では考えられないことなのだが、一週間
ほど現地にいると当たり前の光景になってしまう。日本人の目からみれば、信じられないことばかりなのだが、
当たり前にそこでは「中国」という世の中が回っている。
「日本」というものの普通や基準で考えれば、到底あり
えない回り方なのだが、不思議とうまく回っているものなのだ。靴を履かずに庭を歩いているようである。私達
にはとても不思議で変わった光景にみえるのだが、彼らにとっては当たり前の光景に過ぎない。むしろ、それら
に好奇の目を送る自分達を彼らが不思議がっている。商店街、市場では、売り子は比喩表現ではなく客の腕を「つ
かんで離さない」。日本ではどんな田舎でもありえない光景だ。あるとしたら悪質なキャッチバーのようなものだ
ろう。そういったことは日本でできないことではないのかもしれない(地域の条例によって禁止されているかも
しれない、そもそも法律で禁止されているかもしれないが)。しかし誰も積極的にしようとは思わないのだ。強引
な客寄せも、無茶苦茶な値段をふっかけることも、日本でだってできることだ。ただ誰も表立ってやろうとは思
わない。日本はそういったことができる土壌にないといっていい。
店員は常に愛想よく、真面目に仕事をしている格好を厳守し、店員は客が呼んだときのみ客と会話をかわすよ
うなものが(違う場合もある)、日本という国では当たり前なのだが中国での当たり前ではない。むしろそういっ
た人のほうが少ないようにみえた。そのような接客でも店が成り立つ世の中が、中国という土地なのだ。
文化の違い、それが基準、普通といった価値観の違いなのだろう。日本に生まれて中国をみれば、そういった風
に価値観に違いをみるだろう。しかしそこに住む人々にとってはそれが、その風景が普通であり基準となってい
る。ハルビン市街の整備の行き届かない波打つ歩道にも、そこで屋台を営んでいた人々にも、散らばる生ごみに
も、歩道を車が走っているのにも、不思議な目線を送るのは自分達だけだった。そこに住む人々には当たり前の
光景であり、それらに驚く自分達こそが不思議な存在だった。日本という枠組みの中ではまったく意識しないこ
となのだが、自分達は常に日本という国の中の常識、普通を共有し、その基準で生活している。それを意識する
ことは国内ではなんの意味もないことなのだが、こうして国外に行くと、どうしても行く先々で「自分は日本人
なんだな」と、国というものを意識するようになってしまう。こういった国を意識するということは、けっして
悪いことではないと自分は考える。
もともと日本は諸外国と比べて海を隔てている分、違う国という存在が地続きの国とくらべて格段に遠い存在
になっている。ハルビンではいたるところにロシア系が、北京ではそれに加え英語圏の国々の人々が当たり前の
ようにいた。もちろん日本でも外国人がいないわけではない。しかし意識として海外というものは遠い存在なの
だ。そういった環境の中では、「日本」といった国を意識することも、「日本人」という国籍を意識することも必
要なことではないのだろう。だからこそ、海外で自分達と違う価値観、ものの見方、捉え方を目の当たりにした
ときに初めて考えてしまうものなのだ。いままで当たり前だと思っていたことが当たり前でなく、ありえないこ
とがありえている世の中でも、たしかに人々が生活していて、そこではそれが普通になっている。そこで初めて
今まで自分が思っていた価値観というものが、国という価値観を下敷きにしたものだというものがわかる。人と
人とがわかりあうという事が大変なことだと言われているのだから、国と国とが分かり合うなんてことはおそら
くできないだろうし、する必要もないのだと思う。
ただ、日本基準でものを考えるということには、少し慎重になる必要があると思う。派遣先の黒龍江工程学院
の学生達は、非常に丁寧に自分達をもてなしてくれた。彼らの思うところの常識の範囲ですばらしいもてなしを
してくれたわけで、多少、自分達の常識とは異なることもあった(具体的には食事の量やマナー)。
中国という国そのものだろう。自分達はそれらに驚きながらも、歓迎を喜び、楽しんだ。文化の違いというも
のそのものを、楽しんでいたのだと思う。そこは小さな異世界で、今までの常識と少し違う、味わったことのな
い世界であった。そういったことを楽しめるということは、きっとすばらしいことなのだろう。そしてそういっ
たことは、終始客として行くただの観光旅行ではなく、向こうの学生たちと交流し、悪戦苦闘の中で身で感じた
「海外」というものなのだろうと思う。
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3.ものづくり海外研修
[学生報告]
参加報告
環境都市工学科3年生
2008 年9月7日から9月 12 日まで中国の黒竜江工程学院での研修及び、代表的な施設や観光地を訪問し国際
的な視野を養う「ものづくり海外派遣研修 中国」に 10 名の参加者の1人として参加してきました。
自分にとっては今回の研修は初めての海外行きだったことや、中国人が反日感情をどの程度抱いているのか、
など出発前は不安でした。しかし、実際に行ってみると初めて見るもの、初めての経験、初めて知ることの連続
でしかも現地の人々はとても優しくていつのまにか不安を忘れ楽しんでいる自分がいました。
黒竜江工程学院の訪問では現地の学生とチームを組み、そのチームでプログラミングしたマシンを競わせると
いうことをしました。その際、中国語をまったく話せないので英語を使って会話したのですが、中国の学生に比
べ英語力が足りないことを痛感しました。語彙も発音も自分とは比べ物になりませんでした。また中国の学生は
自分の意見や思っていることを必死に自分たちに伝えようとしているのが分かりました。そういった意味でも自
分はまだ勉強が足りないと感じました。学内には学生達が製作した機械や器具が多数展示してあり、授業も見学
しました。黒竜江工程学院の施設や学生の質は想像していたものよりも遥かに高くて驚くばかりでした。
4日目からは北京市内研修でした。市内研修初日は天壇公園をはじめ、天安門広場などを訪問しました。一番
印象に残っていることはとにかく「広い」ということです。そして中国の建造物には竜が多く使われていて、と
ても綺麗でした。次の日は万里の長城などを訪問しました。万里の長城は自分が一番楽しみにしていたところで
もあり、そのスケールの大きさに感動しました。しかし万里の長城に明らかに日本人が書いたと思われる落書き
がありました。これは同じ日本人としてとても恥ずべきことだと思います。
私は、今回この研修に参加して、日本の国民性と中国の国民性を考えることが出来ました。私は、中国の大学
や中国の文化のことだけではなく、人を知ることによって、この夏、自分自身が大きく成長したと感じています。
今回の研修の目的でもある「国際的な視野を養うこと」
「互いの価値観を尊重することの重要性を理解する」とい
ったことも達成出来たと思います。また、このプログラムは全学部が対象だったので、他学部の友人が多数でき
たことも私にとって参加して良かったことだと思います。
最後にこのような機会を作ってくださった先生方、そしてこの海外研修に行くことを許してくれた両親に心か
ら感謝をしたいです。
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中国研修レポート
物質工学科 3 年生
今回の学生海外派遣研修は、僕にとって初めての海外旅行でした。そのため、黒龍江工程学院の訪問を軸とし
た今回の研修のほとんどが、とても印象に残るものとなりました。工程学院の人々との交流、学院見学、また、
731 部隊の遺跡、ハルビンの町並み、北京で訪れた各史跡、果ては一回ごとの食事まで、全てがよい経験だった
と思います。なかでも、工程学院で過ごした二日目は、いろいろと気づかされ、考えさせられる一日となりまし
た。
この日はまず午前中に校舎の見学をしました。学院の建物は、天井が高い上に6階建てであったりと、とても
広く大きいものが主でした。各教室の入り口や廊下の区切りなどには、木製の大柄なドアが使われていました。
また、構内のいたるところに、彼らが学んでいる分野の歴史的な事物の展示がされていたり、国籍を問わず有名
な人物や高名な人物の写真や絵、彼らの遺した言葉や略歴などが額に入って飾られていたりしました(エジソン
やアインシュタインなど)。他にも、卒業生の優秀な作品なども大事に保存・展示されていて、中国人は歴史を尊
ぶ民族であり、物事全てに対して平等な観点から見ることができるんだな、と感じました。
学院の食堂にある接待用の部屋で食事を済ませた後、午後から向こうの学生と交流を行いました。先生方の挨
拶が終わったあと、工程学院の学生とプレゼンテーションによる学校紹介を行い、向こうの学生とチームをつく
ってものづくり研修を行いました。研修内容は、すでにできているプログラムを、速度の数値のみ手を加えてロ
ーバーという機械にインストールし、音による操作でゴールまで移動させタイムを競う、というものでした。し
かし、ただそれだけの作業なのに、チームを組んだ向こうの学生に作業手順を伝え、共に作業をする、というこ
とがとても難しく、自分のつたない英語では無理ではないかと思ったほどでした。いざ英語で話そうとすると、
知っている単語がいくつか出てくる程度で構文すらままならず、言いたいことが日本語で出てくるのに英語で言
えない、という状況に陥ってしまい、英語力とコミュニケーション能力のなさを痛感させられました。結局、そ
の場は先輩と先生のおかげでどうにかなりましたが、インストール作業だけで一時間以上も使ってしまいました。
その後、操作の段階はなんとか終え、タイムは5チーム中4位という結果で研修を終えました。
研修終了後に、研修に参加した教職員と学生の全員で食堂で夕食を食べながら交流を行いました。研修のとき
とは違い、筆談を交えながら互いに言葉や文化について質問したり教えたりして談笑する楽しい時間となりまし
た。英語で会話しながら、日本語や中国語を教えあっていましたが、自分の英語の発音を訂正されたり、向こう
が聞き取れなかったりする場面がいくつもありました。逆に、こちらが教えた日本語は、向こうの人にはとても
発音が難しいようで、どうしてもきれいな発音ができないようでした。この交流の中で、日本と中国の文化の違
7
3.ものづくり海外研修
い、日本語の特異さを改めて認識することとなりました。
この日の交流で、僕は英語や歴史、オーラル・コミュニケーションといった科目の大切さを強く実感しました。
特に英語科目では、テストの点のみを気にするような勉強をしてきたことを後悔しています。これからは、でき
ることだけでもしっかりと、学んだことをいつでも使えるような勉強をしていきたいと思います。
最後に、このような貴重な体験の場に参加させていただいたことにお礼申し上げます。
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海外派遣in中国での6日間
環境都市工学科1年生
今回の海外派遣中国では、楽しみながら学べたことが沢山ありました。先生方や一緒に参加した仲間のおかげ
でもあります。ありがとうございました!
今回、私が海外派遣に応募したきっかけは、自分の将来の夢を見つけるきっかけになればいいな、と思った事。
もう一つは、高専に入学して、英語の授業時間も減り、テストもマークシートになり、大好きな英語に危機感を
持ったために、自分の英語が、海外ではどの程度通用するのかを試してみたかったからです。
自分の将来の夢については高専に入部する前からいくつか候補はありましたが、なかなか決まらず親には「気
長に探せばいいんじゃない?」と言われていましたが、高専の難しい勉強をする中で、何も目標が無いまま勉強
するよりは目標をしっかり持った方が勉強にやりがいが持てる気がしていました。そこで海外派遣の話を聞いて、
色々と自分にプラスになると思い応募しました。実際に、いろんな上級生の話を聞いたり中国の街の環境を見た
りして、明確ではありませんが進みたい方向性が決められた気がします。英語に関しては、ジェスチャーなども
交えながら会話は成り立ちましたが、相手も8歳年上のせいか、言葉も豊富で、わからない単語も所々出てきて
「もっと勉強しなきゃ!」と思いました。
今回中国に行って、2日目は向こう(ハルビン黒竜江工程学院)の学生と交流しました。英会話で交流しなが
らロボットを作り、タイムトライアルをして中国の人と仲良くできました。今でも、英会話でのメール交流をし
ています。分からない単語は、辞書を引きながらも頑張ってメールを書いています。いつか、辞書を捲らなくて
もメールができるようになりたいです。英語ってやっぱり便利だということも、改めて実感しました。
ハルビン黒竜江工程学院は、学生の人数は14700人で学科数は31個・・・。校舎面積の大きさ(300
000㎡)も、学校全体面積(743000㎡)の大きさにはとても驚かされました。生徒一人一人も真面目な
顔をして、授業に取り組んでいましたし、もちろん(?)高専みたいに寮もあり、人数が多いのにも関わらず全
寮制でした。私も今回工程学院の学生を見習って、これからの授業や行事など、何事にもしっかりと取り組んで
いこう、という気になりました。
中国での食事はやっぱり日本とは違って、基本的に脂っこくて慣れない味ばかりでした。肉にも若干癖があり
ました。でも本場の餃子の味は最高に美味しかったです。中国は焼き餃子を食べず、水餃子を食べるらしく、1
日経って余ってしまった餃子は焼いて食べるそうです。
観光では、今までは写真の中で見ていた中国を遥かに超えていたので、スケールの大きさに感動しました。行
った時期にやっていたパラリンピックは、中で見られなかったのは残念でしたが、外から見るオリンピックスタ
ジアム(鳥の巣)には聖火も上がっていて、とても複雑で綺麗な形をした建築物にはとても迫力があって良かったで
す。天安門広場や万里の長城、行った場所全てに沢山の思い出が詰まっています。今回の海外派遣には沢山のカ
ルチャーショックもありましたが、とても良い思い出になりました。これも私の一つの財産として残しておきた
いです。
これからも、色々な交流を通してもっと成長をしていきたいと思います。今回の派遣は、色んな人と巡り合え
て本当に良かったです!今回の派遣に行く前や行ってからも、多くの人に助けられました。こんなに意義があっ
て楽しい派遣に参加できたことは、人生で一生忘れられない経験だと思います。今回、この派遣でいろいろとお
世話になった先生方と上級生のみなさん、本当にありがとうございました!!
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学生海外ものづくり研修(中国)
物質工学科
荒木秀明
平成 20 年度学生海外ものづくり研修(中国:平成 20 年 9 月 7 日(日)~9 月 12 日(金))は、同じ工学系の大学
で学ぶ学生と共に「ものづくり」を通して交流することで、他国の工業事情や文化を直接体験することで、国際
的な視野を養う機会を提供することを目的に、本校と学術交流協定を結んでいる黒竜江省哈爾浜(ハルピン)の黒竜
江工程学院で行われました。
研修では、現地の学生との共同作業による「ものづくり」に挑戦しました。4 人一組(長岡高専 2 名+工程学
院 2 名)の 5 チームを編成し、各チームごとに自走型ローバー(OAKS16-SENSOR LABO)を用いた実習に次のよ
うな手順で取り組みました。
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3.ものづくり海外研修
1)ローバーのための開発環境(走行制御用ソフトウェア)の準備
2)走行制御プログラムの書き換え及び、ローバーへのプログラムの転送
3)決められたコース内を走行し、スタートからゴールまでのタイムを競う
本研修に使用した自走型ローバーは、左右の車輪を 2 個の DC モーターで走行し、1 個のマイクと 3 個の反射型
近接センサ(前方、左方、右方)を持ち、これらのセンサ情報をもとに走行制御ソフトウェアに従って走行する
もので、マイクを通じて命令を受け、動作開始や停止などを行うとともに、動作時には反射型近接センサを用い
て障害物の検出を行い、障害物からの回避動作を自動的に行うものです。
研修に先立って派遣前に事前研修を 7 月から行い、ロボットの制御などを専門としない学科や低学年の学生で
も無理なく参加できるようにトレーニングを行いました。
高専生にとっても学院生にとっても外国語である英語を用いてのコミュニケーションとなり、最初はぎこちな
い感もありましたが、作業を進めていく中でうまくコミュニケーションを取り合い、一通りローバーを動作させ
ることができました。ローバーを用いたコンテストでは、決められたコース内を走行し、スタートからゴールま
でのタイムを競い、一喜一憂しながらも順位が確定した後は、互いの健闘をたたえ合うことができました。コン
テスト終了後には、同じチームのメンバーで一緒に写真を撮ったり連絡先を交換したりと、半日という短い時間
でしたが互いにうち解け合い、夕食を兼ねた交流会では、グループの枠を超えて、両校の学生同士、大いに親睦
を深めることができたようです。
初対面の学生同士でも、協力しながらものづくりを行うことで目的や話題を共有し、学生も教員も一緒になっ
て交流を楽しむことができました。本校の学生にとっても彼らのものづくりに対する真摯な姿勢は非常に良い刺
激になったようです。
オリンピックが開催され、めざましい発展を続ける中国をその目で確かめるとともに、コミュニケーションの
取り方や互いの価値観を尊重することの重要性など、
「ものづくり」という共同作業を通じて体験できたのではな
いでしょうか。
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ベトナム
[学生報告]
ベトナム研修報告
機械工学科 4 年生
私は、今回のベトナム研修で初めて海外に行くことになりました。最初は英語もろくに出来ない自分が日本語
のほとんど通じない国に行ってやっていけるのかとても不安でしたが、ベトナムの学生とプログラム研究や歓迎
会を通して交流を深めていくうちに、不安は徐々に消えていきました。
今回の研修の中で2日間を通してベトナムの学生と共同でプログラミングを行う工程がありました。私はその
中でベトナムの学生が日本の学生と違う面を2つ見つけることが出来ました。
1つ目は『学ぶことに対する意識の違い』です。多数の日本の学生は学校へ行くことが面倒くさい、テストが
嫌だ、などと学ぶことをそれほど重要だとは思っていません。しかし、2日間の共同研修の中でベトナムの学生
は研究を嫌がることなく、むしろ楽しんで行っていました。そして私たちが教えたことをすぐに吸収し、さらに
私たちが出来なかったことも簡単にこなしてしまうほどに学力が高かったです。私は様々な意味で驚きました。
何事でも、やることに対しての気持ちの入り方次第でその後の結果は変わっていきます。嫌だと思っていれば結
果もたいしたことはなくなります。でも、楽しんでやれば結果はどんどんいい方向へと向かっていきます。私は
ベトナムの学生は学ぶことを幸せだと感じていると思います。もしかしたら、日本の学力はベトナムに越される
かもしれません。日本の学生も、楽しんで学べば学力低下も防ぐことが出来るのではないのかと思いました。
2つ目は『相手に対しての接し方』です。私たちは初対面の人と接するとき、恥ずかしい、何をすればいいの
かわからない、そんな感情を抱いてなかなか心を開けない場合が多いです。しかし、研修先の学校の学校案内を
9
3.ものづくり海外研修
してもらっているとき、彼らは「名前はなに?」
「ベトナムはどんな感じ?」など積極的に私たちのことを知ろう
としてきました。研修中もたくさん話しかけてきて、私たちはすぐに心を開くことが出来ました。そのとき私は、
初対面の人に対しての「恥ずかしい」や「どうしよう」などの感情がとてもちっぽけなものだと感じてきました。
彼らのように自分から心を開いて相手のことを知ろうとすれば私たちのように相手も心を開いてきてくれる。人
見知りの激しい私にとってこのことはとても大きな収穫になりました。
もともと日本には今回の研修で見つけた2つの違いはなかったと思います。時代が進むにつれ、生活が豊かに
なっていき、学ぶことの重要性が薄れていった。そして、マンガやテレビゲームなどの普及で外で人と遊ぶこと
が少なくなっていき、人との交流が減っていった。このようなことがきっかけで上のような違いが生まれてきた
のだと思います。研修を通してこれらの違いを知ることができ私はとても嬉しいです。これをきっかけにこれか
らの生活で、ものの見かたが変わってくると思います。
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ベトナム研修を終えて
電気電子システム工学科4年生
今回のベトナム研修は自分にとってプラスになることばかりの研修でした。初めてのパスポート、初めての海
外、初めての飛行機と初めてづくしでした。その初めてづくしの研修の中で自分の弱いところ、誇れるところ、
今後の目標を見つけることが出来たと思います。研修を終え日本に帰国した時に今回の研修に参加してよかった
と心のそこから思うことが出来ました。ベトナムの様々なところを見学、体験しましたが、自分は3つの事柄が
強く記憶に残っているので報告書としてまとめます。
まず一つ目はベトナム国家大学ハノイ工学部の人たちと交流したことです。今回は LED を制御するプログラム
の作成と LOGO ロボットを用いた実験の二つの事柄について共同で活動を行いました。ここでは自分の英会話能
力の低さについて思い知らされました。最初、ベトナムの学生が話すことを少しも理解することが出来ませんで
した。ほんのわずかに理解できたとしても自分の考えを彼らに伝えることが出来なかったのです。彼らが一生懸
命に自分に話しかけてくれているのに、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。同時に悔しささえ覚えまし
た。また実験についてですが、自分のベトナムの学生に対する印象は、すごく頭がいい、の一言です。プログラ
ミングについては事前研修である程度のことを勉強したつもりです。そのときは、そんなに難しいプログラムは
作らないだろうと思っていました。しかし、彼らの持っている技術は自分達以上でした。自分が彼らに対し頭が
いいと思った理由は、彼らがより評価の回数が少ない高度なプログラムをものの数分で作ってしまったからです。
プログラミングはあるひとつの課題を達成するのに何通りかの方法があります。単純なやり方なら同じ動作をさ
せるプログラムを作成することが出来ます。しかし、自分は彼らが作成したプログラムを読解するのがやっとで
した。しかも、彼らがそのプログラムを作成するのにかかった時間よりもながい時間をかけてです。専門科目に
ついても今以上に真剣に取り組んでいきたいと思った瞬間でした。
また、夜にはベトナムの学生が自分達日本の学生との交流会を開いてくれました。ここには昼間一緒に実験を
した人から、初めて見る人まで色々な人が集まっていました。最初は少し恥ずかしさのせいもありかしこまって
いましたが、ゲームを通し皆が一緒になってその数時間を楽しんでいました。ここで僕がすごいなと思ったのは、
ベトナムの学生がマイクを渡されると歌を歌う、もしくは何か一発芸をその場でパッとやったのです。僕はよく
陸上部の顧問の先生に、社会人は指名を受けたらとっさに何か「芸」をやってのけるのができるやつだ、という
ことを聞かされていました。この時、この言葉の意味を改めて知ったと思います。自分もマイクを渡され、トラ
ンプの手品をしました。20人くらいの人達が自分を取り囲みます。正直、とても緊張しました。しかし、自分
の手品を見てベトナムの学生が喜んでくれ、ほっとしたと同時にとても嬉しかったです。言葉が通じるに越した
ことはありませんが言葉が通じなくても通じ合えるものはあるのだなと感じました。ちなみに先輩達は皆でピラ
ミッドを組み体操でつくり、ベトナムの学生は組み体操を始めてみたらしくなかなか好評でした。
二つ目はホーチミン市の戦争跡博物館を見学したことです。建物の外には当時アメリカ軍が使用していた戦車
や戦闘機が展示してあり華やかですが、建物の中に入ると当時の写真などが展示してあり重たい空気が漂ってい
ました。自分は戦車や戦闘機が好きで切符を買い敷地内に入った瞬間テンションが上がり、携帯のカメラを片手
に色々な角度からその戦闘機を眺めて楽しんでいました。しかし、建物の中に入り展示してある写真を見たとた
ん考えが変わりました。自分はベトナム戦争について机上での出来事でしか知りませんでした。アメリカ軍が大
量の枯葉剤(ダイオキシンなど)を散布したことについても、結局は他人事、過去の話であり、そういうことが
あったという程度の認識でした。しかし展示されている写真を見てこの恐ろしいことがほんの数 10 年前に起こっ
たのだと身近に感じました。空爆で死んだ人の遺体、アメリカ兵がベトナム兵の死体を運んでいるところ、枯葉
剤によって枯れ果てた森、枯葉剤の影響によって生まれた奇形児など写真は様々でどれも戦争の痛々しさを物語
っています。なぜこのような戦争が起きてしまったのか、枯葉剤の散布については大規模な人体実験にすら感じ
られました。建物から出た時、ここに展示されている戦闘機や戦車は所詮人殺しの道具なのだなと悲しく思えま
した。もっと多くの人が、世界中の人が「戦争はあってはならない」ということを、常識としての知識ではなく
一人の人間の感情として抱いてほしいとおもいます。
三つ目は夜のホーチミン市で三人の少女に会ったことです。自分達が夜お土産を探しに店めぐりをしていた時
三人の少女が「ガムを買って」と日本語で話しかけてきました。最初は断ったのですがずっとついて来るので仕
方なくガムを買いました。それでも彼女らは、今度は「花を買って」と日本語で話しかけてくるのです。先輩達
10
3.ものづくり海外研修
はどんどん次の店に足を進めるのですが自分はどうしても気になってしまい女の子達と話をしていました。ため
しに「How old are you?」と聞くと「12 years old」
、「13 years old」としっかり英語で返ってきました。さらに日
本語と英語の混ざったおかしな会話を繰り返し、話を聞くと、昼間は学校にいって英語を勉強し、夜はガムや花
を売って生活費を稼いでいるというのです、さらに、日本語は夜に日本人の観光客を相手にしているだけで自然
にちょっと話せるようになったというのです。このことを聞いて自分はショックを受けました。まずは単純に日
本とベトナムの経済格差についてです。今の日本で夜に花を売っている女の子はいないでしょう。さらにショッ
クだったのはわずか 12、13 歳の子供が母国語とは別に英語、日本語を話せるということです。たしかに彼女らの
日本語は数字、安い、高いといった商売をするための日本語であり生活をするための日本語ではありません。し
かし自分は母国語、英語以外の言語で物を数えることすら出来ません。さらに、ひょっとしたらこの子達は自分
よりも英語を話せるかもしれないのです。生きていくためとはいえこれはすごいことだと思いました。
自分達は日本に生まれ豊かさを甘受しているだけでいいのか。自ら貧しい生活を強いるべきとは言っていませ
ん。一人の技術者として人間として、豊かさを正しい方向に作り変えていかなければならないと思います。アジ
アの発展途上国はほとんどが昔の日本のようだと聞いたことがあります。環境よりも大量生産、儲けを重視する
体制。ベトナムでも、いたるところでバイクや車の排気ガスのにおいがし、光化学スモッグが見えました。現在、
先進国である日本が環境に配慮した街づくりを進めているように、きっとベトナムでも環境のことを考えた街づ
くりが遠からず始められるでしょう。それを少しでも早く教えてあげるのも日本人の役目ではないでしょうか。
自分達があの女の子達に直接何かをしてあげられることは無に等しいでしょう。しかし将来的に、自分達もそれ
に参加することが出来るかもしれません。
自分が観光客向けのショッピングモールに入ろうとすると彼女らは寂しそうな目でこちらを見つめてくるので
す。彼女らが言うには貧乏な地元住民はこういったお店に立ち入ることすら出来ないそうです。その時の彼女ら
の顔が頭に焼きついてはなれません。別れ際に自分はポケットに入れっぱなしにしてあったボールペンを一本手
渡しました。そのボールペンで彼女が勉強なり手紙を書くなり好きなことに使ってくれることを信じています。
何年後かにもう一度ベトナムを訪れた時彼女たちが笑顔で生活していることを願っています。
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ベトナム研修報告
電気電子システム工学科5年生
ベトナム国家大学ハノイ工学部では、主に以下の二つの実習を行った。まず初めに、組込みマイコンボード
(OAKS16-MINI Full Kit)を用いたプログラミングおよび発光ダイオードの点灯制御を行った。次に、教育用レゴ マ
インドストーム NXT を用いたロボット製作、プログラミング、ロボットの稼動を行った。
大学訪問 1 日目の 9 月 8 日は、マイコンを用いた実習を行った。日本人 2 人とベトナム人 3 人で 1 つのグルー
プを作り、全部で 4 グループに分かれて実習を行った。自分たちのグループでは、液晶画面に文字を表示させ、
文字が横に流れていくような動作をさせたり、また、発光ダイオードを列ごとに順番に点灯させ、点灯速度を速
くしたり遅くしたりする動作を繰り返すプログラムを作った。このようにして、グループごとにアイディアを出
し合って、それぞれのグループで異なるプログラムを作った。
大学訪問 2 日目の 9 月 9 日は、教育用レゴ マインドストーム NXT を用いた実習を行った。まず初めに、レゴ
の組み立てを行った。その後、レゴのアクチュエータやセンサの動作確認をして、パソコンと接続しプログラミ
ングをした。超音波センサで障害物を避けるものや、ボールの存在を検知した際にボールを打つプログラムを作
った。最後に、前日行ったマイコンの実習およびレゴの実習についての発表会を行った。発表会では、プログラ
ムのデモンストレーションを行った。
ハノイ市では、9 月 7 日にホーチミン廟を見学した。ホーチミン廟には、ベトナム建国の父であるホーチミン
の遺体が安置されている。ホーチミン廟の手前は、広さ 35、000 ヘクタールのバーディン広場があり、ここでホ
ーチミンがベトナム民主共和国の独立宣言を読み上げたと言われている。また、9 月 8 日には文廟と呼ばれるベ
トナム初の大学跡を見学した。ここは、現在は整備されて庭園となっている。中庭は日本庭園のような雰囲気を
感じた。さらに、ホアンキエム湖も見学した。湖の小島には亀の塔が建てられており、岸辺に建てられた寺院の
玉山祠には伝説の亀と言われる巨大な亀の剥製が祭られていた。
ホーチミン市では、9 月 11 日にクチトンネルを見学した。このトンネルは、ホーチミン市から 70km の距離に
あり、ベトナム戦争の有名な遺物である。トンネルの総延長は 200km にも及び、内部は多くの階層や通路に分か
れている。地下への入り口は非常に小さく、体の大きなアメリカ兵が入れないようになっているそうだ。さらに、
トンネル内部は非常に狭く暗く、しゃがんで前進しなければならなかった。地上に仕掛けられた罠には、恐ろし
いものが数多くあった。午後は、ホーチミン市中心部へ戻り、寺院などを観て回った。翌日の 9 月 12 日には聖母
マリア教会、統一会堂、戦争証跡博物館などを見学した。
学生海外ものづくり研修の内容は非常に充実したものになったと思う。特にベトナム国家大学でのものづくり
研修は、プログラミングやものづくりを通して現地の大学生と交流でき、貴重な経験ができた。またその際に、
英語力の重要性も強く感じた。また、ベトナムの食事や市内探訪などでの異文化体験も充実していた。さらに、
日系企業見学ではベトナム人と日本人の、ものの考え方の違いや、ベトナムでの体験談なども伺うことができた。
今回の研修が、今後の学習に役立てられるとよいと思う。
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3.ものづくり海外研修
[学生報告]
ベトナム研修報告書
電気電子システム工学科5年生
私たちは 9 月 6 日から 9 月 13 日の 7 日間の日程で海外研修としてベトナムへ行った。初めての海外というこ
とで不安も大きかったが、大きな問題もなく無事終了した。ベトナムの市街地では、町並みや人々、市場も何も
かもが日本とは異なっていて興味深くすごすことができた。また大学との合同研修も非常に密度の濃い、いいも
のだった。この報告書には 1 週間体験したことの中から大学での合同研修の事柄について記載する。
ベトナム国家大学では、情報専攻の学生と一緒に、①マイコンを用いた LED 点灯プログラムの作成、②LEGO ロ
ボットの製作の 2 つの実習を行った。マイコンボードや LED ボードなど使用する器具はすべてこちら側が用意し
た。LED ボードは 3 種類用意してある程度のバリエーションができるようにした。マイコンの実習ではマイコン
ボードの I/O ポート 7 本より出力して、LED を光らせるプログラムをベトナムの学生と一緒に作成した。日本人 2
人、ベトナム人 3 人の 5 人グループを 4 つ作って行った。研修を行ってまず最初に躓いたところは言葉の壁だっ
た。ベトナムの学生はベトナム語はもちろん、英語も話せたのに対し、こちら側の英語が拙いものであったため
にコミュニケーションをとることに苦労した。最初にソフトの使い方を教えなければいけなかったのだがその時
も主に画面を指差しながらの説明になってしまったので申し訳なかった。しかし学生自体の質はものすごくよか
ったので、ある程度伝えられれば自分たちでできるようにはなってくれたので助かった。情報系を専攻している
だけあってプログラミングの技術はこちらより数段上のように感じた。ビット演算は当たり前に使って、動作別
に関数を分けて作るあたり日ごろから論理的に考え、プログラムをしているのが分かった。この実習の中で、各
グループそれぞれ個性的なプログラムを作っていた。そのプログラムを見てみて、新たに気づかされるところな
どがあったのでとてもいい経験をした。
LEGO ロボットの実習では、最初 LEGO を組み立て、その後プログラムで動作させるという内容だった。組み立
てながら各センサの動作を確認し、プログラムを作っていった。タッチセンサで自分で走る方向を制御できるプ
ログラム、音センサに反応して方向転換するプログラムなどみんなでアイディアを出し合ってやった。最終的に
は光センサで色を識別し、赤いボールだけをアームで打ち出すプログラムを作った。
最後には研修のまとめとして、日本人、ベトナム人 1 人づつ選出して各グループごとの成果発表をした。各グ
ループごとに LED 点灯を実演して、それについての説明をした。発表は英語ということだったが、日本側は日本
語でして、それを訳してもらう形となった。ここでも英語ができなくて恥ずかしい思いをした。この研修は意思
疎通など大変な面もあったが、得るものも大きい、充実した研修となった。
この大学での研修のほかにも、日系企業に訪問したり市街地を観光したりした。企業訪問では外国で工場を作
るメリットや逆に日本と違って苦労することなどナマの声を聞くことができて大変ためになった。観光でもベト
ナム戦争時のトンネルなど、日本では見れないものを見てくることができた。振り返ると多くのことを体験でき
て、非常に充実した派遣研修となった。ただひとつ悔やまれることが、英語を勉強していかなかったことだ。英
語が話せればコミュニケーションがとれてもっといろいろな情報を得ることができた。それにこれからは働く上
で英語が必要不可欠であることも分かった。また仕事など機会があってこのように海外に行くことがあるかもし
れない。そのときには今回の研修での経験を生かしてもっといいものにしていきたい。
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ベトナム研修報告
電気電子システム工学科5年生
9 月 6 日~13 日にかけてベトナム研修に行ってきた。
9 月6日:一日移動日でした。長岡から成田の近くまで新幹線で向かい、ホテルで1泊して次の日の飛行機に備え
ました。みんなでトランプをしたりとリラックスしていました。全国的に有名な餃子の王将で夕飯を食べたのも
思い出です。
9 月7日:朝から空港に向かいベトナムに向かいました。ベトナムについて最初に思ったことは、バイクが多いこ
とでした。空港からホテルに向かう道ではところせましとバイクが走っているのには衝撃を覚えました。
ホテルに到着したあと、母国に帰省している留学生のダット君と高専卒業生のティエンさんに案内してもらい、
ベトナム料理のお店に行きました。コーンや豆腐といった日本でもおなじみのものも出てきて、逆にびっくりし
ました。料理はとても食べやすくておいしかったです。特にスープと固めのご飯が印象的でした。その後ホーチ
ミンさんのお墓にいきました。公園のようなところで、わりと遅い時間だったのですが子供連れの家族もいて意
外でした。たまたまその日は国旗のおろす式がある日で、めずらしいものをみることができました。
9 月8日:ハノイ工科大学で研修をしました。学内を見学し、その後は研修でした。マイコンボードを使い、LED
を光らせるプログラムを作りました。一緒に研修をしたベトナム人学生らは C 言語がかなり上手で、僕が思いつ
かないような方法でつくっていました。しかも一回できてもさらに改良していてすごく尊敬しました。夜には歓
迎会のようなものを開いてくれて、みんなで楽しく交流することができました。
9 月9日:午前中は引き続き研修でした。レゴを組み立て、それを動かすプログラムを作成しました。今回はボー
ルの色を見分けてある色ならそれをアームではじくプログラムを作りました。午後からは市内を、貿易大学の方
12
3.ものづくり海外研修
に案内してもらいながら見学しました。ベトナムの初めての学校や有名な亀がいたという湖へ行ったり、他にも
市場のようなところで買い物もしました。初めての学校は、日本のお寺に似ていて親近感を覚えました。
9 月 10 日:工場を見学し、その後飛行機でホーチミンへ移動しました。工場ではバイクなどのブレーキを作る会
社に行きました。YAMAHA など、日本の有名なメーカーのブレーキもかなり作るそうです。工場と外とを隔てて
いるところに堀のようなものがあって、それは、
『外部の人が簡単に入れないように』ということでユニークだけ
ど画期的だとびっくりしました。その後は飛行機でホーチミンに移動し、夕食を食べにいって一日を終えました。
9 月 11 日:一日市内研修でした。戦争跡博物館や中国風のお寺、向こうのケンタッキーにも行ってきました。戦
争跡の博物館には様々な罠やアメリカ軍の戦車などが飾ってありました。お寺には巨大な線香があってびっくり
しました。
9 月 12 日:この日も市内研修をし、会社訪問もしました。市内研修ではベトナムのデパートに行ったり、博物館、
教会にもいきました。その後の会社訪問ではソフト開発や制御盤設計を主にしている会社で日本人とベトナム人
の性格的な違いやベトナムで仕事をする大変さを教えて頂きました。
夜中に空港へ向かい、13 日に日本へ帰って来ました。
今回の研修では特に自分達と同じくらいの年齢のベトナムの人と沢山交流をしましたが、同じ年齢でも勉強に
対する姿勢や考え方の違いを感じることができました。とても有意義な研修になったと思います。
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学生海外派遣研修を通して
物質工学専攻1年生
私が学生海外派遣研修に応募したきっかけは、ただ海外に行ってみたいという単純なものでしたが、研修では
ものづくりを通した交流活動や日系企業の訪問など、普段ではなかなか体験することのない機会を得ることがで
きました。
研修の前半ではベトナムの首都 Hanoi にある国家大学を訪問し、現地の工学部の学生と一緒にマイコンボードを
用いたプログラミングや教育用レゴを用いた実習を行いました。液晶のパネルに文字列を表示させ、スクロール
させるという課題では現地の学生にアイディアを出していただき、互いに協力してチームのメンバーの名前を表
示させるプログラムを作ることができたと思います。普段使い慣れていない分、マイコンやプログラミングの扱
いは大変で、自らの稚拙な英語はボキャブラリーの無さにただ困惑するだけでしたが、ボディーランゲージを用
いて英語で表現できない細かい部分を説明したり、相手の言っていることを理解しようと努め、何とか実習を終
えることができました。日本のような研究を行う施設や設備が完全にそろっているわけではありませんが、モノ
が足りない分、現地の学生の知識や技術に対する執着心や積極性には圧倒されるばかりであり、改めて自らもっ
と鍛錬せねばと痛感しました。
研修の後半はいくつかの日系企業を訪問しました。Hanoi 郊外にある NISSIN BRAKE VIETNAM CO., LTD.は主に四
輪車や二輪車のブレーキ装置やアルミ製品の製造・開発を行っている日信工業の海外拠点のひとつであり、製品
を HONDA や YAMAHA などの日本の企業を中心に納入している社員総数 1300 名ほどの会社です。工場ではいくつ
もの棟に大小様々な大きさの装置が導入されており、工場で製造された製品の品質管理やチームを組織してプロ
ジェクトに臨む姿は近年急成長しているベトナムの工業情勢を窺わせるものがあり、決して日本にも引けを取ら
ないように思えました。一方で労使関係は未だ円滑であるとは言えず、駐在日本人スタッフの方の話では指示が
細部まで行きとどかない、技術へのこだわりが伝わらないなど現地の作業員とのコミュニケーションが大きな壁
になっているとのことでした。Ho-Chi-Minh ではソフトフェアの開発を行っている KVICS 社、Delivery 社を訪問し、
会社紹介や業務風景を見学させていただきました。それぞれのオフィスにはパソコンやインターネットが導入さ
れており、日本で見かけるオフィスと変わらない様子でした。顧客は日本の企業が多く、製作されたプロセス制
御システムやビジネスアプリケーションソフトなどのソフトウェアの多くは日本に輸出されます。そのため取扱
説明書などを日本語で書くことを要求され、社内でも日本語の講習会の開催や日本語検定の取得を目指すなど積
極的に日本語を学ぼうとする意識が伝わってきました。
自由散策では Ho-Chi-Minh から 1 時間半ほど移動したころにある Kuchi という町でベトナム戦争についての観光
地を見学しました。当時 Kuchi は戦線の真っ只中で両陣共に多くの血が流れました。そこではベトナム戦争時に使
われたトンネルや落とし穴が保存されており、当時の戦争の様子を窺うことができました。欧米からの観光客も
多く見られ、陽気な現地の人とは裏腹に真剣な表情で見学している姿が印象的でした。
13
3.ものづくり海外研修
[学生報告]
ハングリー精神
電子機械システム工学専攻2年生
レベルの違いを見せつけられた。英語によるコミュニケーションもそうなのだが、C 言語による LED の点灯プ
ログラム開発では、終止向こうのパワーに圧倒された。研修では、
「まず日本人が説明し、一緒にアイディアを出
しながらプログラムを組んでいく」という予定だったが、自分たちの拙い英語がうまく伝わらず、またどうも向
こうが聞きたい点とも異なる様で、気づくとベトナム人主体で開発が行われていた。独特なイントネーションの
英語と観点の違うプログラミング。初めは何をしているのか分からず、完成したものを見てもアウトラインを理
解するのでやっとだった。それでも翌日の LEGO ロボットの組立と専用ソフトによる動作プログラム開発ではイニ
シアティブを取ることができたのだが、前日の続きをしている学生もおり、C 言語による開発の方が関心高いよう
である。
交流会ではベトナム語を交えての各々の自己紹介と、英語による学校紹介を行った。プレゼンは言葉と文化の壁
を予想以上に高く感じてしまい、うまく伝えることができなかったが、この時期に体験できたことは貴重であっ
たと言える。現地学生主催の親睦会では、班対抗のゲームや一芸披露などを行ったのだが、向こうの学生は自分
をアピールするのに積極的で、進んで前に出ていた。
市内見学は非常に内容が濃いものとなった。大学の学食から超の付く高級料理、はたまた実は現地学生でさえ普
段は食べないような“珍”なものを食べ、庶民の台所である総合市場やデパートを探検し、ちょっと意外なデー
トスポットや戦争後資料館などの名所巡りをした。これらは現地学生に連れられて、または自分たちで企画して
行ったりしたのだが、どこへ行っても新鮮で、天気もほとんど良く非常に動きやすかった。
研修を通じ、最も強く感じたのは勉強熱心な国民性である。交流した大学生は給料の良い IT 系の会社に入るべ
く、猛勉強をしているとのことだし、社会人になってからも勉強会を開いて夜遅くまで頑張っていると日系企業
の方から伺った。また、訪問先では仕事内容やスローガンなど見せて頂いたのだが、至る所で日本語を見かけ、
日本語能力試験を給料に結び付けている会社もあった。
「給料を上げるために勉強をする」という言い方は悪いかもしれないが、今の自分たち(日本人学生)には無い
“ハングリー”というものを彼らは持っている。ゆとりの中でどれだけ自分を追い込むことができるか、もう一
度考え直すきっかけを頂いた研修でした。
------------------------------------------------------------------------------------[学生報告]
海外派遣研修 ベトナム
電子機械システム工学専攻2年生
数時間のフライトでベトナムに到着。ベトナムの土を踏む。空港からホテルまでタクシーを捕まえて移動。た
だタクシーで移動しただけなのに驚きの連続。空港の近くまで行ってそこで大きい車に乗り換えたのだけれど、
日本とベトナムじゃ交通事情がまったく違う。暴走しているみたいに車と車の間をスレスレで走ったのには驚い
た。
ベトナムの田園風景。やはり郊外は土地を広々と使って農業しているのだろう。なにを作っているのかはわか
らないけど、牛を使って農耕作業をしているみたいで牛が多かった。牛は放し飼いになっているのか繋がれてい
ない牛達があちらこちらにいて歩道を我が物顔で歩いていたりもした。
ベトナムに行って一番わかりやすい日本との違いは、交通事情だろう。二輪のバイクがすごく多かった。きっ
と日本で車を使うように、ベトナムではバイクを買うのだと思う。だから、家具を運ぶのにも食べ物を運ぶのに
も人を運ぶのにもバイクを使っていた。そのためガソリンスタンドは全て国営で値段も一律らしい。バイクにタ
ンスなどの大きな家具をくくりつけて走ったり、二人乗りは当たり前、三人乗りも多く四人乗りをしているとこ
ろも見かけた。袋に水を入れてその中に魚を入れて運んでたりもしてた。ハノイの街中はバイクでいっぱい。乗
っているタクシーの窓から手を伸ばせば肩を組めるんじゃないかというくらいの距離で走行する。日本の自動車
教習所で教えられるような譲り合いの心なんてカケラもない。それでもきっと暗黙の了解というか不文律という
かベトナムでの交通常識があるのだろう、信号もほとんど無く無数のバイクが流れていた。でもやっぱり事故確
率は日本の 40 倍くらいはあるって話もあった。バイク走行中、進行方向に障害となる車やバイクがあれば、スピ
ードを緩めたり止まったりするのではなくクラクションを鳴らしてどかす。鳴らされた方はそれで避けるかとい
うと全然避けない、むしろクラクションを鳴らしたってことは相手は自分が居るのを分かっているのだから大丈
夫、とでも言うかのように進んでいく。このクラクションは昼間は絶えず雨音のようにひっきりなしに鳴ってい
て、ハノイでは人が多いせいもあるのだろうが夜になっても止むことはなかった。
ベトナム人の外見は日本人に似ているが総じて細い。大学での研修で会った学生達は自分と同じ年か最大でも
四つ下なのだが、最初見たときは中学生かと思った。この体型のちがいは食べているものの違いで変わってくる
のかなと思ったのだけれど、中国系の人が住んでいる中国街に行ってみるとそこには大柄な人もいたので、遺伝
的にベトナム民族は細いみたいだ。ベトナム人たちの性格は恥ずかしがりやで仲良くなると積極的になる。そし
て家族は大切にするみたいだ。だから反面少し排他的なところがあるように感じられた。仕事面では、自分の好
きな仕事をやりたいみたいだった、頑張れば頑張るほどその分幸福になれると考えているらしい。日系の会社を
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3.ものづくり海外研修
訪問したのだけれど、お客様の立場になって考えることができないのでそれを教えるのに苦労しているといった
話を聞いた。買い手市場ではなく売り手市場なんだそうだ。つまり、買い手と売り手ではベトナム人の概念では
売り手のほうがイニシアティブを持っている。これはお土産を買う時にそうだと思った。値札は基本的に貼って
なくて値段は店員の言い値。買う所によっては桁が違うこともあった。もちろん値引き交渉は必須。値引き交渉
するのは楽しいけれど少し面倒だった。最高で半額くらいにはできた。しかしベトナム在住の日本人に聞くとこ
ろによると相場は言い過ぎかも知れないけど日本の 1/10 の値段だそうだ。きっと地元民と旅行者では言い値が全
然違うんだと思う。でも主に旅行者用の土産屋に行ったから適正価格だったのかもしれない。屋台でフランスパ
ンを買った時は確かにとても安くてとてもおいしかった。
ハノイ大学でのものづくり実習。実習の前に学校紹介、長岡市・長岡高専の紹介は自分と岡田君が行った。た
どたどしい英語で説明したのでしっかり伝わっているのかどうか疑わしかった。一応ジョークも言ったつもりだ
ったけど反応は薄かった。校内を周って紹介している時に学生達としゃべってみたけどやっぱり大半は恥ずかし
がりやだった。でも中には気さくで積極的な人もいた。日本のマンガやアニメは有名で、ドラえもん、名探偵コ
ナン、ドラゴンボールなどを知っていた。
実習の時間。二日間でやったのはLEDの点灯プログラムの作成とLEGOブロックカーの動作制御。一応、
こちらが説明してから一緒に実習する形式だったのだけれど、説明はもちろん英語。何とか実習の内容を理解さ
せることはできたと思う。半分くらいは彼らが実際に触って理解していた。ベトナムはLEDボードを作るため
の材料等が不足しているので学校の授業はプログラミングが主。作ることは苦手だけど制御するのは上手で複雑
なプログラムも簡単に作っていた。これは将来、日本も胡坐をかいてはいられないと思った。
この研修で最も必要だと思ったのは英語力である。やはりコミュニケーションをとるには言語とその土地の文
化を知ることである!
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ベトナム班研修報告
電気電子システム工学科
中村 奨
平成 20 年度ものづくり海外派遣研修として、9月6日から9月13日までの日程で、ベトナム社会主義共和国
の二大都市であるハノイとホーチミンに、8名の学生と4名の教員とで行ってきました。9月8日(月)にハノ
イ国家大学(ベトナム国家大学)技術科学大学を訪問し、それぞれの学校紹介・自己紹介をしたのち、大学内を
案内してもらいました。ベトナムでは工学部系大学は単科大学として設置されてきましたが、政府は総合大学内
に設置されたカレッジという近代的な大学モデルを目指し、2004 年5月にハノイ国家大学技術科学大学が開設さ
れたということです。情報通信技術・オートメーション工学・ナノテクノロジー・バイオテクノロジーの4分野
を最優先教育研究分野としています。
ものづくり研修は、参加学生を4班にわけて実施しました。1班あたり2名の日本人学生と3名のベトナム人
学生となるように班分けをし、8日の午後にはマイコンによるLEDの制御を、そして9日の午前中にはレゴブ
ロックによるロボット製作を行いました。日本人学生はベトナム語をしゃべれませんし、ベトナム人学生は日本
語をしゃべれませんので、必然的に会話は英語でということになります。日本人学生も拙いながらも英語で意思
の疎通を図っていました。おそらく日本人学生は言いたいことの半分も英語で言えなかったと思いますが、筆談
のようにコンピュータに英文を入力してコミュニケーションをとっているグループもありました。
10 日の午前中は日信工業株式会社ハノイ工場を訪問し、2輪・4輪車のブレーキ製造現場を見学してきました。
同日午後にはハノイ市からホーチミン市に移動し、11 日は市内研修、そして最終日の 12 日には日系ソフトウェ
ア企業である Kobelco Viet Control Systems 社と Delivery Vietnam 社を訪問して、海外で仕事をするうえでの
面白さや苦労話をお聞きしてきました。
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3.ものづくり海外研修
マレーシア
[学生報告]
「全てが初めての海外で学んだこと」
環境都市工学科 5 年生
初めて日本の外に出ました。その土地では全てが新鮮で何もかもが刺激的でした。海外研修での 6 泊 8 日は一
日一日の密度がとても高く、こんなにも一日に多くのことを体験できるのかと自分自身を疑ったほどでした。そ
んな研修の中で私が学んだことは、2つあります。
1 つ目は、
「知ることではなく、感じること」ということです。
「英語が学問ということ以前にコミュニケーショ
ンの一つ」ということは「知って」いました。しかし、今回の研修で私はそれを「感じ」ました。ホテルの朝食
では席に座れば英語で「コーヒーか紅茶をお飲みになられますか?」と聞かれます。マクドナルドでの注文も、
マラヤ大学での説明も、ツインタワーでの案内も全て英語でした。その度に「英語は言葉」ということを感じました。
現代は情報化社会です。ありとあらゆる情報が溢れ、インターネットなどで簡単に手に入れることができます。
しかし、現代の技術をもってしても手に入れることができないものがあります。それは、
「その場の雰囲気や空気、
時の流れ」
「その物の香りや味」です。それを手に入れる方法は「体験することで感じる」しかありません。当た
り前のことかもしれませんが、私は今回の研修で、この当たり前のことに気づくことができました。
2つ目は、
「笑顔は国境を越える」ということです。自分が笑顔を見せれば、相手も笑顔を見せてくれる。とあ
るお土産屋で買物をしたときのことでした。支払いを済ませ、商品を受け取ったときに「Thank you.(ありがとう)」
と笑顔で言うと、向こうも笑顔で「Welcome.(どういたしまして)
」と応えてくれました。そこで僕が「Terima kash.
(マレー語でありがとう)」と少し恥ずかしがりながら言うと、「Sama sama.(マレー語でどういたしまして)」と
満面の笑みで応えてくれました。すると、今度はその店員さんが「ありがとうございます」と恥ずかしがりなが
らも言ってくれました。だから私も、満面の笑みで「どういたしまして」と応えたら、一緒になってその場で笑
ってしまいました。私と店員さんは「ありがとう」と「どういたしまして」という二言を 3 種類の言葉で交わし
ただけなのに、とても温かいものがその場にはありました。
研修で得たものはとても貴重で、素晴らしいものばかりでした。私は今回体験できたことを生涯忘れないでし
ょう。そして、私の考え方に大きな衝撃を与えてくれたと感じています。
最後に、このような体験を与えてくださった青柳先生を始めとする引率の先生方、学校関係者、保護者の皆様。
そして、今回の研修に参加してくれた研修メンバーのみんな、高専予備教育センターの先生方、学生に感謝の意
を表します。「Terima kashi !!」
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スパイスのにおい、マレーシア
機械工学科 5 年生
海外はおろか、飛行機に乗ることが初めての私にとって、今回の研修は新鮮で貴重な体験となりました。成田か
ら約7時間、マレーシアの首都クアラルンプールに着くと、まず鼻についたのは香辛料のにおい、よく外国の人
が成田に着いたとき、「醤油のにおいがする」といいますが、それと同じで、本当に国によって独特の「におい」
というものがあるのだということを実感しました。
クアラルンプールは高層ビルが立ち並び、日本の大都市と大きな変化はない印象を受けましたが、街を歩くと、
まず言語の違いから異国の地へ来たのだと感じました。言語も、普段目に付く看板などでもマレー語と中国語、
英語が同時に書かれていて、多民族国家であることを象徴させるものがありました。他にもモスクがあったり、
中国風の装飾の建物があったり、また、女性の服装は宗教のよってはっきりとわかる違いがあるなど、これら複
数の宗教や文化が入り混じった土地での経験というのは非常に大きかったと思います。
これらを含め、様々な異文化を体験しつつ、「ものづくり」というテーマにふれることができる研修となりまし
た。私は昨年、インターンシップに参加しましたが、海外という点を除いての大きな違いは、私たちが「教える
立場」になったということです。マレーシアの高専予備教育センターでは、私たちが教えながら、ここの学生と
共同してロボットを製作して競争させることとなりました。向こうの学生は日本語も上手でしたが、やはり言葉
の違いも含めて、教えるということは想像以上に大変でした。難しい日本語や相手の知らない日本語を簡単な日
本語で説明したりもしましたが、案外、自分がわかっていないところもあり、自分の知識を再認識させられるよ
うな場面もありました。しかし、こちらが伝えることをきちんと示せば、向こうの学生もきちんと対応してつい
てきてくれて、私以上にロボットのつくり方を理解していたとも思います。競争ということで、私たちのチーム
はよい結果を出せませんでしたが、ここで得られた達成感や絆というのは国外を見ることがなかった私の目に非
常に大きな刺激を与えてくれたと思います。
今回の研修で得られたものはとても大きかったと思います。マレーシアでの研修や観光を経て、文化の違いや言
語の問題など一切の関係もなく、伝えようという意志があれば伝わり、互いを知り、理解を共有できるのだとい
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3.ものづくり海外研修
うことを再認識させられました。自分とは違うところ、自分の知らない文化や言葉、宗教に対する価値観や考え
方などというのは、時として受け入れ難く、自らの価値観と比較してしまいがちなものですが、自らの考えをど
んな形でも伝えれば、相手はきちんと見て理解してくれる、そんな当たり前の非常に大切なことを学んだという
実感はあります。それだけに今回の研修は、よい刺激のスパイスになったと思います。
------------------------------------------------------------------------------------[学生報告]
海外派遣研修報告書
機械工学科5年生
自分は、卒業した後に長岡の工作機械メーカーに就職することが決まっており、その企業の取引先にマレーシ
アの企業があったことが理由で派遣先をこの国に選び、マレーシアの風土や国民に直に触れ、就職後の自分の役
に立つ経験をひとつでも多くすることを目標にして参加しました。
自分たちが訪れた時期のマレーシアはちょうど雨季で、雨はたくさん降りましたが気温自体はこちらの夏とほ
とんど変わらなかったので、すごしやすい環境でした。
日本よりも街路樹がとても大きく、かつ街のいたるところに生えているので目を和ませてくれましたが、成長
しすぎて根が地面のコンクリートなどを砕いてしまっている姿まで見受けられ、これは大変だと思いました。
工場の見学で見たピューターと呼ばれる合金の製造、加工の技術や、マラヤ大学でみたバイオ燃料の研究など
の分野では正直日本と技術力に差があるようなことは感じませんでしたが、やはり地震などの災害が少ない土地
柄ゆえか、普通のビルだけでなく KL タワーやツインタワーなどの高層建築でも、テロなどへの警戒はともかく、
耐震強度やその他の建物でも災害時に対する対策が日本よりもずっとおろそかになっている部分が多々見受けら
れました。さらに、建設中の建物もコンクリートや中身がむき出しになったまま放置されているような状態のも
のも多く、建築に関しての分野が日本に比べて発展していないのかと感じました。
自分が話をした予備教育センターの学生の皆さんは環境都市工学科に進学したいと希望している人が多かった
のですが、それはこの建築に関する技術を身につけたいと思うことが大きな理由なのではないかと思います。
その予備教育センターの皆さんとのものづくり実習では、皆さん本当に真剣にかつ楽しんで参加してくれまし
た。日本に行ったらやってみたいことや、生活する上での不安などを話し合い、こちらも充実した時間を楽しむ
ことができました。
海外に出た経験どころか、旅行自体もほとんどしたことの無いような人間なので不安は大きかったですが、初
日から最後までトラブルも無く終了して安心しました。
この研修で得た経験を、残りの高専での生活と社会に出てからの生活に生かせるようにがんばっていきたいと
思います。
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マレーシアの街並み
機械工学科5年生
今回、この研修に参加した理由は、クラスメイトにマレーシア出身の留学生がいるので、興味を持ったからで
す。また、日本以外の国というものを経験したかった、ということもあります。
マレーシアではじめに驚くことは自然・植物です。マレーシア研修では首都クアラルンプールを中心に活動し
たのですが、ホテルの近辺から駅のホームまで南国系の植物がいたるところにあります。その植物も、椰子の木
やツタの絡まる大木など、より赤道に近い南国であることを感じさせるものでした。
移動手段についても、日本の東京や長岡とずいぶん違って、クアラルンプールでは地下鉄や電車ではなくモノ
レールが一般的に通っているということです。移動手段というと、道交法についても大きな乖離がありました。
日本でも茨城県あたりは基本的に歩行者よりも車の方が優先だと聞きますがクアラルンプールでも車両優先で、
歩行移動の際はなかなかにスリリングでした。
クアラルンプールのバザール(ショッピングビルなどではない)は、日本人がアジア圏の市場と聞いてパッと
思い浮かべるような活気のあるものでした。飲食物を祭りの屋台のように調理・販売し、それが通りの両側にず
らりと並ぶ。所によっては道も侵食したりと、
「まさに市場」というにふさわしいもので、もしかしたら日本の農
作物・漁業のそれもこのような雰囲気を持つところなのか、とも思いました。ここで扱うものはマレーシア名物、
ドリアンからマンゴスチン、マンゴーなどに加えて、今まで日本では見たことも無いような果物から、何らかの
揚げ物・炒め物・惣菜類、衣服に医薬品、アクセサリなどと非常に多岐に渡り、ここでは買い物・飲食はしませ
んでしたが、その雰囲気を体験したことが何よりの思い出となりました。
更にクアラルンプールでは独特の景観、といいますか、装飾などが街中で見られます。まず街中にある植物を
利用した、あるいは模した電飾です。これはどうして行われているかは聞けなかったのですが、夜になると一斉
に光り、非常に綺麗でした。次に、国旗が街中に、それこそアパートからホテル、ビルにタワーまで至る所に掲
げられており、これは日本にはあまり無いことだな、と思いました。これについてはその理由を聞くことができ、
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3.ものづくり海外研修
8 月 31 日はマレーシアの独立記念日なので、その前後半月ほどはこうだとのことです。日本は被・殖民地化とい
うこととは縁がなかったので、このように己が国の国旗を掲げるということの意識の差かな、と思いました。
終わりに、この国の宗教に関連して一つ。今、この時期はイスラム教において、ラマダーンです。なので日の
出ている間食事をしてはならず、食事店は昼間、閉店したりします。反面、19 時以降はその多くの人々が食事を
するため一時的に混雑したりと、宗教が街の動きに影響を与える、日本には無いことが起こります。
マレーシアに行き、この国を経験できたことが非常に喜ばしく思います。
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マレーシアでの何かの変化
機械工学科4年生
私たちはたくさんの留学生と一緒に生活をしている。高専だけではない。日本にはたくさんの外国人が住んで
いる。私たちが社会に出たとき、その周りにはきっとたくさんの外国人がいることになるだろう。それにもかか
わらず、私は彼らの国の文化や国風について知らず、知ろうともしなかった。私がこの研修を受けようと思った
のは、これが理由だった。
最初は、言語も習慣も違う国で 1 週間も滞在できるか不安だった。だが考えてみると留学生は 1 週間どころで
はなく、何年も日本に滞在している。たった 1 週間だけでも不安になってしまうのに留学生はどうしてあれほど
普通に生活できているのだろうか、不安は感じてないのか、疑問に思っていた。でもその答えはもう気づいてい
た。
現地について 4 日目、KLCCと言う、高専に入学するための予備教育センターまで行った。そこの学生たち
はみんな、すぐに私たちに話しかけてきた。彼らにとって私たちは外国人なのに、なんの躊躇もなく話してきて
くれた。もし逆だったらどうだろう。私は「恥ずかしい」
「わからない」という心で自ら触れ合うことはできなか
っただろう。彼らだって日本語を完全にわかっているわけではない。恥ずかしくないわけではない。では何が違
うか、それは、勝って、相手を理解したい。自分たちの気持ちを伝えたいと必死だったことだ。それを見ている
と自然に疑問と不安は消えていた。
答え、それは当たり前かもしれないが、意識を共有したいという意志。そもそも何が恥ずかしかったのだろう
か。外国人だろうが日本人だろうが関係ない、同じ場所にいればそれは同じ存在だ。そこに恥ずかしさは存在し
ない。いる場所が前と違っていても、同じ存在だからこそ不安など感じる必要はない。人間として意識を共有す
る、私はそれを当然と思っていた。でも心では一線を引いていたのだろう。それがなくなった気がする。
この研修で私が学べたことは、もう気づいている人が多いと思う。私も気づいていた。でも気づくのとそれを
わかるのは違った。この場がなかったら気づくだけで終わっていたと思う。いや、後々気づけたかもしれない。
でもこれに早く気づくか気づかないかではその後の生き方は大きく違っていると思う。ここで出会えた人たち、
私にこのことをわからせてくれた人たち感謝したい。
“ありがとう”
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3.ものづくり海外研修
[学生報告]
マレーシア報告書
電子制御工学科3年生
僕はマレーシアに行って、本当に今までにないくらい楽しい思い出を作ることが出来ました。実は、最初は、
マレーシアの海外派遣研修旅行に決まったメンバーを見て、ほとんど話したことのない人たちばかりで、正直、
みんなと一緒に旅行を楽しめるのだろうか?と、不安でした。しかし、実際にこのメンバーとマレーシアに行って、
本当に予想以上に楽しむことが出来たし、新たな友達も出来たし、いろいろ語りあって、自分のためになること
もたくさんあったし、このメンバーじゃなかったら絶対に出来なかった奇跡的な突発企画も成功させることも出
来ました。本当に自分の中で、一生の宝物ともいうべき思い出を作ることが出来ました。先生方も本当に面白く
て、優しい人たちばかりで、こんなに楽しい旅行が出来たのも、先生方のおかげです。
マレーシアでの感想を言いますと、とにかく物価が安くて、そして食べ物がとてもおいしかったです。特にマ
ンションの立ち並ぶ路地の露店でみんなで食べたのは、非常に僕の中で印象に残っています。みんなでテーブル
を囲んでわいわい話したり、食べたりするのは、本当に楽しかったです。逆に、食べ物で別の意味で非常に印象
に残ったものがあります。それは、もちろんドリアン。マレーシアに行って初めて実物を見て、そして嗅いで、
味をみました。もうあの匂いだけは一生忘れられないでしょう。果物の王様の味と匂いを生で知ることができた
のも貴重な経験でした。
高専予備教育センターでは、一緒にマレーシアの学生達とロボット作りを体験してみて、マレーシアの学生の
高専に対する関心の高さを思い知らされました。マレーシアの学生達と話していると、
「高専ではなにが出来るの
か?」、「あなたの学科は?」
「その学科ではなにが
出来るの?どんな勉強をするの?」などの質問をたくさんしてきます。高専予備教育センターにいる学生は本当に
高専に行きたくて勉強しているようです。これは僕にとっても大変刺激的なことでした。そして、将来のことに
ついてなどに、いろいろと考えさせられました。また、マレーシアの学生は僕より年上の人たちばかりだったの
ですが、ロボットを作っているときの彼らは、まるで少年のようで、とても若々しくみえました。正直僕が先頭
に立って、彼らをリードする役目だったのですが、飲み込みが早く、僕が彼らについていくのがやっとな感じで
した。そして、彼らから数多くのことを学ぶことが出来ました。
マレーシアでは、本当に 1 日 1 日が充実しすぎていて、毎日毎日が非常に濃くて、中身のぎゅーっと詰まった、
一週間でした。マレーシアにいる最中はとっても長く感じた一週間でしたが、終わってみると、本当にあっとい
うまの一週間で、自宅に帰ってからは、マレーシアでの思い出を思い出すたびになにか寂しいような、例えて言
うならば、大好きなドラマやアニメなどが最終回を迎えて、終わったときの感じに似たような気持ちになりまし
た。それくらい、マレーシアでは楽しい思い出や、自分の中で吸収できたものがとてもたくさんありました。
最後になりますが、一緒にマレーシアに行ったメンバーの 10 人、先生方 5 人に心から感謝します。本当にあり
がとうございました。
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マレーシア研修
環境都市工学科3年生
海外へ出て、客観的に別の視点から自分の国を見てみたい。日本と宗教も習慣も言葉も違う国へ行って自分自
身が成長したい。マレーシアの学生に会って話してみたい。
きっかけは由里絵からの誘いでしたが、上記のような理由でマレーシア研修の申請を決意しました。準備の段
階でレゴに手こずったり、プレゼンの内容が浮かばなくて焦ったりといろいろありましたが、なんとか初日を迎
えました。人生初の飛行機にガキのようにはしゃぎ、ハタから見ればただのバカ。機内食に感動し、テトリスに
夢中になりながらマレーシア到着。あまりの冷房の強さにいろんな意味で鳥肌。迎えのバスに乗ってホテルへ。
バスの中で注意事項などを「マジかよ」を頭の中で連呼しながら聞き、ホテル到着。あまりのゴージャスさに精
神的な涙が出ました。向かいのセブンイレブンで買い物をして初日は寝ました。
翌日から留学生のカルヴィンさん達に案内されて観光しました。やたらと歩きました。一週間でものすごく歩
きました。足が棒……というか大木のようでした。記念碑や美術館や動物園など、疲れましたがものすごく楽し
かったし、学べたこともたくさんありました。屋台で食べた夕飯は毎回おいしかったです。ドリアンは………い
い経験になりました。衞藤先生と久保田さんは勇者でした。むしろ私には魔王に見えました。永川先生に連れて
行ってもらった薬膳料理もおいしかったです。
マレーシアは歩行者優先ではないと聞いて最初は実感が湧きませんでしたが体験したらすぐにわかりました。
車がビュンビュン走っていて信号も横断歩道もないところを平然と渡る現地の人たちはたくましいなと思いまし
た。研修組も数日でたくましくなりました。道路にも、料理にも、そのほかいろいろなことにも驚きましたが、
一番驚いたのはトイレです。先輩から聞いていてトイレットペーパーがないことは知っていましたが、実際に目
の当たりにすると何というかシュールな感じでした。便器が半端なビシャビシャだった時は泣きそうになりまし
たが、和式が宙に浮いているのを見たときは由里絵と一緒にパニック状態に陥りました。
「どうやってすりゃいい
んだよぉおおぉぉおお!!」とトイレで二人で叫びました。日本のトイレは素晴らしいです。ありがとう、ウォ
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3.ものづくり海外研修
シュレット。
いろいろありましたが、最終日とその前日に訪れた PPKTJ の学生たちはいい人たちばかりでした。日本語がう
まくて驚きました。私達の班の学生は非常にユニークで面白かったです。アリフという男子と HY の AM11:00 を
歌いました。上手かったです。私たちの班が優勝したとき、普通の友達みたいな感じでみんなで喜びました。あ
の瞬間に完全にみんな友達になりました。今もメール交換しています。
この研修で、マレーシアのことがわかったし、同時に日本のことも良くわかりました。そして、研修メンバー
や先生方、マレーシアの学生たち。いろいろな人と出会えてこの研修に参加して本当に良かったと思いました。
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マレーシア海外派遣研修報告書
物質工学科3年生
今回の海外派遣で、私はとても貴重な体験が出来たと思います。ものづくりを通じて現地の学生と素晴らしい
コミュニケーションが出来たのではないかと思います。
初めて PPKTJ に前日訪問した時はうまく言いたいことが伝わるのかと心配をしていたところがありましたが、
お昼休みの短い時間の中で会話をしてみて、その考えは全く変わりました。日本語を学んで 2 年目でしかないの
に少し分からないところがあるくらいで、ほとんど会話に支障がないくらい学生たちは日本語が上手なことに驚
きました。会話の内容も、自分と同じ分野に興味を持つ学生は積極的に高専での専門的な勉強内容を知りたがっ
ていました。ここまで熱心に話を聞かれたのはおそらく初めてで、日本人とは全然違うなと実感もしました。ま
た、所々に英語を入り混ぜながらの会話でもっと言葉が通じればより楽しい会話が出来るのにな、と自分の英語
力不足も痛感しました。
当日は PPKTJ の学生たちが伝統の演奏をしてくれ、笑顔で迎えてくれました。私のチームの4班のメンバーは、
最初はぎこちなく作業をしていましたが次第に打ち解けてきて LEGO づくりを興味津津に本当に楽しんでいまし
た。現地の先生方もたまに顔を出して声を掛けてくれて緊張は全然しませんでした。
本番のレースは残念ながらコースを完走することは出来ませんでした。練習では何回か成功していただけに悲
しかったですが、それ以外の大切なことが学べたと思います。試行錯誤の繰り返しで皆が一生懸命になってプロ
グラムをしている姿は、とても真剣で安心して作業を任せることが出来ましたし、何より自主的に行動していく
姿も見習わなければいけないと感じました…。
終わった後は記念に写真を何枚も撮ってとてもいい思い出になりました。これを機会に長岡高専に興味を持っ
てくれることを期待しつつ、今回の経験を活かせていけたらと思います。
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マレーシア研修報告書
環境都市工学科3年生
9月6日から9月 13 日に渡って行われたマレーシア研修に参加することができ、味わったことのない感動、衝
撃、人とのつながりの大切さを一週間という短い期間の中で身をもって体験できたことをうれしく思います。
言葉が伝わらなくても、相手の言葉がわからなくても、一生懸命に相手のことをわかろうとすれば会話は出来
るとわかりました。このことは、PPKTJでの共同作業によってわかったことでした。予備教育センターの学
生と私たち日本人学生は協力してひとつのものを作り上げる中で言葉の壁を乗り越えて、一つの目標に向かって
取り組みましたロボットがゴールした瞬間、私は人とのつながりは本当に強くて大切なものだと知らされました。
次に、マレーシアでは多くの驚きと衝撃の研修を行いました。私自身が一番衝撃を受けたのが日本との料理の
違いでした。マレーシアは、夜になると独特でスパイシーなにおいが至るところから漂ってきました。真っ赤な
料理、黄色い料理、見るからに辛そうな料理は、日本では絶対に嗅ぐことのないにおいがしてきます。それを口
の中に含むと、意外にもおいしい味がします。特に、私が一番驚きを味わったのは果物の王様である「ドリアン」
です。周囲約6メートルまで、人を寄せ付けないにおいを放つ、ドリアンはまわりは硬くトゲトゲしており、ト
ゲトゲを割って中の身を取り出します。一言で言うと「ヴ…ワァー、くさっ!?」。噂には聞いていましたが、今
まで生きていて、こんなにまで息が出来なくなる果物を実際に手にしたことがありませんでした。
私はマレーシアに行くまでは自分からあまり面倒という理由で行動をしませんでした。でも、この研修旅行の
中で何でも自分から行動をしなければ新しい発見も何もないし、行動することによっていろいろなことを学び、
自分の成長にも繫がるのだと知らされました。
本当に、この研修に参加して自分のためにも、また多くの人とも仲良くなれてよかったです。
20
3.ものづくり海外研修
[学生報告]
ものづくり研修 in マレーシア予備教育センター
電気電子システム工学科2年生
「ようこそ、PPKTJ へ!」
マレーシア予備教育センター学生代表の方が、ちょっと恥ずかしそうに笑いながら私たちに言ってくれたのを
覚えています。
向こうの学生さんは、とても明るくて、積極的に日本語で話しかけてくれました。
「長岡ってどんなところ?」「勉強時間は?」「どこで遊ぶの?」「学校は楽しい?」
と、始めは質問攻めにあいました。でも、みなさんが真剣に聞いてくれていたので、私も話しやすく、すぐに仲
良くなれました。
この研修はものづくりを通して外国の学生と触れ合うというもので、私たちはレゴブロックの車型のセンサー
ロボットを一緒に作って、グループごとにレースをしてきました。
マレーシア学生の皆さんは、ロボットを作るのが始めてということで、部品を取り出すときから興味津々の様
子でした。少し教えると自らどんどん作って、あっというまにロボットが出来ました。
問題はそこからのプログラムで、試合コースを見て何度もプログラムを作って試運転させて、失敗して、もう
一回プログラムを組んで、試運転して・・・の繰り返しで、何度も何度も失敗しましたが、練習時間の最後のほ
うでやっとゴールにたどり着いたときはチームメイトと一緒に手を取り合って喜びを分かち合いました。ですが、
本番ではうまくいかず、1 位になれなくてとても悔しかったですが、一緒に作って、練習のときにゴールできたか
ら悔いはない!とみんなして笑いあいました。
あっという間に大会が終わって、しばらく時間があるということで、チームメイトのいるクラスへ行って、色々
な人と写真を撮ったり話をしたりして最後の最後まで笑いあってとても楽しい時間を過ごせました。
日本に帰った今でも、数人の学生さんとメールのやり取りをしています。皆さん日本語(もしくはローマ字)
で話をするのですが、色々な日本語を教えてほしいといわれています。これを機会に正しい日本語を学んで、日
本にくる留学生の人に色々な日本語を教えたいです。
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マレーシア班研修報告
一般教育科
土田
泰子
2年生から5年生までの学生 10 名と教員5名によるマレーシア研修チームは、平成 20 年9月6日(土)~13
日(土)に6泊8日の旅程でマレーシアの首都クアラルンプールを訪問しました。この海外派遣研修では本校学
生が指導者となって現地学生と共にものづくり実習を行なうため、7月より2ヶ月間に渡り学内で事前研修を行
ないました。事前研修では機械工学科の学生を中心として、上級生がよくリードしてくれていたように思います。
この頃から、マレーシア研修チームが後に発揮するチームワークの片鱗が見えていました。
現地ではマラヤ大学の機械工学科、数学研究所と土木工学科、大学図書館を視察し、マレーシアでは理工学系
大学に進学する女性が多いことを知りました。市内観光ではレイク・ガーデンや独立広場、イスラム芸術美術館
に加え、クアラルンプールの二大ランドマークであるツインタワーとKLタワーを見学しました。さらにラマダ
ンの時期にだけ開催される市場や屋台などを見ることもできました。特産品であるピューター(錫の加工品)工
場では、全員がハンマーを持って制作体験に挑みました。国立動物園や移築された伝統家屋では見学した内容も
さることながら、激しく蚊に刺されたことが鮮烈に思い出されます。市内交通の要であるモノレールは時刻表の
必要がないほど適時に運行されており、私たちを市内のあちこちへ運んでくれました。タクシーに乗車するには
事前に行き先の確認と価格交渉が必要であり(会話は英語かマレー語です)、乗ったタクシーによって金額が違う
こともよくありました(差としては日本円にすればわずかなものです)。心配した雨は一瞬で止み、常に好天に恵
まれたのも幸いでした。
9月 10 日と 11 日に、日本全国の高専へ留学する予定の学生が学ぶマレーシア工科大学高専予備教育センター
を訪問し、同校の2年生 75 名を8班に分けてレゴロボット「マインドストーム」を利用した研修を行ないました。
研修前日となる9月 10 日には高専予備教育センター2年生の各教室を巡回し、現地学生と交流を持つことができ
ました。この交流は長岡高専生にとって翌日の研修へのよい導入となりました。現地学生は日本語をとても熱心
に学習しており、言葉の心配がほとんどないことがわかったからです。また、明るく積極的な現地の学生は日本
について強い関心を持っており、アニメやコミックなどサブカルチャーへの興味は本校学生との共通の話題を生
み、会話を楽しいものにしていました。今回の海外派遣研修では旅程の前半に大学訪問や観光が設定されていま
したが、現地の学校教育の様子や街の様子などを知り、マレーシアという初めて訪れる国とそこで暮らす人々の
ことを知った上でものづくり研修を向かえたことが、現地学生との自然な交流を促すのに大きく役立ちました。
研修当日である9月 11 日は、午前にそれぞれの学校や学生紹介とレゴの組み立て、午後にプログラミングと走
行を行ないました。日本人学生一人に現地学生9~10 名という班を編成し、ロボ制作とプログラミング作業、そ
して障害物をセンサーで感知して避けながらゴールに到達する時間を競う大会を通して、高専生と現地学生が達
成感と一体感を得ることのできる貴重な機会となりました。8個の箱を避けながらゴールするというコース設定
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3.ものづくり海外研修
は限られた時間でのロボ制作には難しいようにも思えましたが、8班のうち2班がゴールに到達し、ゴールでき
なかった班もロボ制作という一つのことを協力してやり遂げるという体験をすることができたのが素晴らしいと
思います。
海外派遣研修の全日程を通して、マレーシア留学生には大変お世話になりました。高専予備教育センターには
長岡高専に在学する多くの留学生が応援に駆けつけ、現地学生にとっても貴重な情報交換の機会となったことで
しょう。また、留学生のみなさんが元気に日本で過ごしていることを知るのは、高専予備教育センターの先生方
にとってもこの上ない喜びなのではないかと思います。
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グループリーダーと作戦会議
LEGO プログラミングと格闘中
マインドストーム試走
障害物競走に挑戦
LEGO 競技会の優勝チーム
ドリアンの品定め
帰国報告会の様子
2008 年 10 月2日 学生食堂
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