...

トルーマン政権と北大西洋条約締結

by user

on
Category: Documents
4

views

Report

Comments

Transcript

トルーマン政権と北大西洋条約締結
1
論文
トルーマン政権と北大西洋条約締結
西川秀和
はじめに
く 異 な っ て いる こ と 」 [キッ シ ン ジ ャ ー 1996:
1. 北大西洋条約の萌芽
18]を示し支持を得る必要があった。
2. ヴァンデンバーグ決議
3.北大西洋条約に対する西欧諸国とアメリカの
1.北大西洋条約の萌芽
見方
4.北大西洋条約に対する米議会の姿勢
1948 年 1 月 22 日、ベビン英外相(Ernest
5.米議会の姿勢に対するトルーマン政権の対応
Bevin)が、第二次世界大戦中のダンケルクにお
6. 結語
ける英仏協定をひきあいにだし、ベネルクス三
国に相互防衛協定を結ぶことを勧めた。中でも
はじめに
ベ ル ギ ー 首 相 兼 外 相 の ス パ ー ク (Paul-Henri
Spaak)は、ソ連の拡張に脅威を覚えていたので、
本稿では、北大西洋条約締結の経緯と、条約
ベビンの勧めはまさに渡りに船であった。ベビ
を締結するためにトルーマン政権がどのように
ンはさらにアメリカ国務省に「アメリカ諸国と
議会と国民にはたらきかけたのか論じる。北大
諸主権国家の後援による、何らかの形の西欧同
西洋条約は、マーシャル・プランに並んで西欧
盟」を作ることを提言した[Ismay 5-7]。
諸国を冷戦下に組み込む重要な枠組みであった。
1948 年 2 月にチェコスロバキアで共産主義
その北大西洋条約によりアメリカは最終的に西
者のクーデター (1) が勃発したことで西欧諸国の
欧へのコミットメントを明確にしたが、それは、
危機感はさらに高まった。1948 年 3 月 4 日、
西欧の伝統主義的な外交から距離をおくという
ブリュッセルにベネルクス三国と英仏の代表が
アメリカの立場から大きく逸脱するものであっ
集まり、同年 3 月 17 日ブリュッセル条約が調
た。そのためトルーマン政権は、西欧の伝統主
印された。トルーマンはその同日に「欧州への
義的な「バランス・オブ・パワーを守るための
自由への脅威」演説 (2) を行っている。この演説
伝統的な同盟関係のようなものと、NATO が全
は、トルーマン・ドクトリンを欧州に適用した
2
ものであり、ドクトリンの焼き直しとも言える
Security Council 1948b]。
演説である。この演説の中では、ソ連によるヨ
ーロッパ自由諸国への脅威が繰り返し述べられ
2.ヴァンデンバーグ決議
ていた。その脅威は、
「ブリュッセル条約調印の
インクも乾かないうちに、ソ連が西ベルリン封
こうした趨勢をうけて上院では 1948 年 4 月
鎖を開始した」[Ismay: 8]ことで現実のものと
にヴァンデンバーグ決議が可決された。外交、
なった。このことは西欧諸国にその後の北大西
特に条約締結に関することは上院の管轄事項で
洋条約締結交渉を急がせる要因となった。
あったから、上院で可決された決議は北大西洋
トルーマン政権内部では、アメリカを含む集
条約成立の可否を左右するものであった。
団的自衛権を明らかにし、ソ連による攻撃を抑
ヴ ァ ン デ ン バ ー グ 上 院 議 員 (Arthur H.
止する必要性が説かれていた。具体的には、ア
Vandenberg)が中心となったヴァンデンバーグ
メリカは、ベネルクス三国と英仏の五か国と、
決議は、「公正をともなった平和、人権の擁護、
ソ連が近い将来ドイツやオーストリアに軍事行
そして基本的自由は、国連のより効果的な活用
動を仕掛けた場合の実際的な軍事プランを話し
を通じた国際協調を必要としている。それ故、
合う必要があった。しかし、軍事プランとは銘
上院は次のように決議する。上院は、国連を通
打っていても実質上は、ソ連に対抗できる軍事
じて国際的な平和と安全を達成するというアメ
力はまるでなかったので、軍事プランとはすな
リカの政策を再確認し、そのために公益をもた
わち撤退計画のことであった[Ferrell 2006]。そ
らす場合を除いて武力が行使されないように、
のため、ソ連に対抗することを目的にするなら
また行政府は憲法の手続きの下に国連憲章の範
ば、アメリカの明確なコミットメントが必要だ
囲内で以下の目的を特に追求すべきであるとい
ったのである。ただし、当初アメリカは、少な
う上院の良識に基づく助言を大統領に与える」
くともブリュッセル条約体制が固まるまで、
「欧
[Langston 2007: 75]と いう 前文に 続 い て以下
州への自由への脅威」演説とヴァンデンバーグ
の六か条からなっている。
決議で定められた範囲以上に正式な関与はしな
いことを五か国に納得させようとしており、最
1、国際紛争と国際情勢の平和的解決を含むす
初からヨーロッパに深く関与する姿勢を示して
べての問題に関して、そして新たな 国の加
いたのではなかった。その一方で、アメリカは、
盟承認に関して拒否権を排除することに自
五か国のみならず、ブリュッセル条約に基にし
発的に同意すること。
て、ノルウェー、デンマーク、アイスランド、
2、個別的または集団的自衛のための地域的も
イタリア、ポルトガル、そしてスウェーデンに
しくはその他の集団的な協定を、国連憲章
まで範囲を広げた集団安全保障体制を構想した
の目的、原理、そして規定に沿って進展さ
[National Security Council 1948a]。こうした
せること。
北大西洋条約の明確な萌芽は、少なくとも 1948
年 4 月 23 日 に は 現 わ れ て い る 。 [National
3、憲法にしたがって、アメリカが、自国の
安全保障に関わるものとして、継続的かつ
3
非常に自助的で相互扶助に基づくものとし
このような上院の支援を得たトルーマン政権
て地域的または集団的な協定に関与するこ
は、積極的なイニシアティブの下、ブリュッセ
と。
ル 条 約 調 印 後 、 西 欧 諸 国 で 折 衝 を 重 ね 、 1949
4、攻撃によってアメリカの安全保障に影響
年 4 月 4 日にワシントンにて北大西洋条約締結
を及ぼす場合、国連憲章51条の下に、個別
にこぎつけた。条約締結後、1950 年 9 月にア
的もしくは集団的自衛権を行使するという
チ ソ ン (Dean Acheson) と シ ュ ー マ ン 仏 外 相
アメリカの決意を明らかにすることで平和
(Robert Schuman)がニューヨークで会談し、そ
維持に貢献すること。
の席でアチソンは、アメリカが平和時に軍隊を
5、国連憲章によって規定されているように
ヨーロッパに常駐させるというアメリカ史上前
軍隊を国連に提供する同意と、違反に対す
例のない措置をとると伝えた[Trachtenberg &
る適切で信頼できる保証の下での、包括的
Gehrz: 1-31]。これによりアメリカが北大西洋
な軍備の削減と規制に関して加盟国の間で
条約で中心的役割を果たすことがはっきり示さ
同意を得るために最大限の努力を行うこと。
れたのである。
6、もし必要であれば、国連の強化に向けて
北大西洋条約に対する西欧諸国とアメリカの
適切な努力をした後、適当な時期に、国連
見方 (3) は違っている点もある[Ismay: 13-15]。
憲章109条の下で召集される国連議会、も
アメリカは、次のような利点を主に想定してい
しくは国連総会で国連憲章を再吟味するこ
た。
と。
1、「多くの旗」の下に共同軍事行動を組織す
第二次世界大戦以前から著名な孤立主義者で
あったヴァンデンバーグが、以上のような六か
条を含む、国際平和追求という国連憲章理念は
るための道具。
2、同盟国同士の軍事的衝突を回避するため
の装置。
アメリカの憲法に抵触しないと闡明し、さらに
3、アメリカ自体の安全保障に基づきヨーロ
国連憲章に明記されている集団自衛権を容認す
ッパにおける平和と安全に対する危機を
る決議[Ismay: 175]を採択する音頭を取ったこ
予防するため介入を行うことを正当化で
とは上院の外交方針が大きく変わったことを意
きる
味している。つまり、この決議は、欧州防衛に
4、ソ連との交渉において、ヨーロッパ、ド
対するアメリカのコミットメントの正当性を保
イツ、及びベルリンの将来を決定する際に、
障し、アメリカの孤立主義を脱却するものであ
一致した意見を作るフォーラムとしての
った。
意義。
3.北 大西洋条約に対 する西欧諸 国とアメリカ
の見方
一方、欧州諸国は次のような利点を主に想定
していた。
4
1、欧州防衛に対するアメリカのコミットメ
ントが引き出せる。
2、ドイツの再軍備を政治的に受容可能にす
フトは述べている。またタフトの見解に同調す
る ア ー サ ー ・ ワ ト キ ン ス 上 院 議 員 (Arthur
Watkins)は、北大西洋条約の問題点を六つあげ
ている[United States 1949b: A1906-A1908]。
る。
3、ヨーロッパの将来に影響を与える決定に
あたっ て意 見を述 べる 場を 各国が 確保で
きる。
1、 欧州の同盟国が攻撃された場合、アメリ
カが戦争に赴く道義的、法的義務はある
4、ソ連に対する共同防衛。
のか。そして憲法で保障されている議会
の戦争を宣言する権利はどうなるのか。
こうした利点の違いは立場が異なることによ
るもので両者の利点には基本的に利害対立はな
く、問題となったのはイタリアの加盟問題やド
2、 北大西洋条約は、ヴァンデンバーグ決議
の目的を体現するものといえるのか。
3、北大西洋条約は、国連憲章に本当に合致
イツ再軍備問題といった各論的な問題であった。
するものなのか。そもそも集団自衛権の
このようにアメリカと西欧諸国が北大西洋条約
保障という国連憲章の条文は、国連全体
を締結するにあたって深刻な問題はなかった。
の一般理論にそぐわないのではないか。
4、北大西洋条約が、西欧諸国を武装させる
4.北大西洋条約に対する米議会の姿勢
義務を含んでいるのならば、国連憲章が
集団自衛権を認めているので他の国々を
米議会も北大西洋条約に対しては概ね肯定的
であり、上院でワシントン・イヴニング・ポス
ト紙の「トルーマン氏の偉大な役割」という社
説 が 紹 介 さ れ た り [United States Congress
1949a: 3802]、 条約調印式に議員が出席できる
ようにするため、午後の議会を休会させたりす
も武装させる義務を負う必要があるので
はないか。
5、北大西洋条約は、防衛的かつ攻撃的軍事
同盟として本当に有効なものなのか。
6、欧州大陸で戦争が起きた場合、アメリカ
はどこまで介入すべきなのか。
る 一 幕 も あ っ た [United States Congress
1949a: 3780]。しかし、タフト上院議員(Robert
A. Taft)のように北大西洋条約調印に反対する
5.米議会の姿勢に対するトルーマン政権の
対応
議員もいたのである (4) 。北大西洋条約調印を承
認するよう議会に要請することは、
「 議会に事実
こうした状況下で北大西洋条約が上院で審議
上、外交に関する機能を放棄させ、国防省が世
されている間、トルーマンは何度か北大西洋条
界中に同盟国を作ることを容認することであり、
約について演説の中で触れている。
内戦や国家間問わず世界中あらゆるところでの
ありとあらゆる戦争に我々を巻き込もうとす
「国連憲章の下で、我々と諸国は、武力紛争
1975: 221-237; 234]ことだとタ
の危険に対して保障を与えなければならない。
る」[Berger
5
それが北大西洋条約の目的である。この条約の
つである。すべての点が知らされている。国民
背後にある理念―相互防衛のための諸民主国家
世論は、圧倒的に条約調印に好意的である。そ
連 帯 ― は我 が 国で は よく 理解 さ れ てい る 。 (中
して私は、上院がきっと承認を与えてくれると
略)。侵略に抗する自由諸国の防衛力を有効にす
確信する。こうした重大な決定は、政府のみな
るための軍事援助プログラムによりまして北大
ら ず 、 ア メ リ カ 国 民 の 決 定 で あ る 」
西洋条約は重要である。この軍事支援プログラ
[Government Printing Office 1949: 386]
ムは、相互援助に基づくもので、経済再建を続
けている諸国民にさらなる自信を与えるだろう。
この当時の世論調査では、
「 上院は北大西洋条
このようなやり方は、戦争終結後初めて出現し
約を批准すべきか否か」という質問に対して、
た欧州の民主国家に安定性を与えるだろう。ま
調 査 対象 の うち 67%が 批 准す べ きだ と 答え て
たそのやり方は、同時にアメリカ合衆国の安全
い る [American Institute of Public Opinion
保 障 に も 貢 献 す る の で あ る 」 [Government
1972: 829-830]。トルーマンは、こうした国民
Printing Office 1949: 290]
の支持を上院に示し、条約の早期批准を求めた
のである。北大西洋条約に反対することは、ト
国連憲章の下での北大西洋条約という構図を
ルーマンからすれば伝統的な孤立主義以外のな
示すことは、先述のヴァンデンバーグ決議を下
にものでもなく、そうした孤立主義は、
「戦争に
敷きにしたもので、上院の支持を得るためには
至 る 道 」 で あ り 、「 戦 争 で 敗 北 す る 道 」
不可欠な要素である。それに加えて上院を説得
[Government Printing Office 1950: 474]なの
しやすくするために、北大西洋条約は、アメリ
であった。先述のタフトやワトキンスは、トル
カが一方的に西欧諸国に介入するのではなく、
ーマンの観点では、伝統的な孤立主義に固執し
あくまでアメリカの自国の安全保障も視野に入
ているにすぎないのである。伝統的な孤立主義
れつつ自助かつ相互扶助に基づく関係を築くも
を退ける一方で、トルーマンはアメリカの伝統
のであると繰り返し述べている。
に則って北大西洋条約の意義を明らかにする努
つまり、北大西洋条約が結果的にアメリカ合
力を怠っていない。以下の演説では、北大西洋
衆国の安全保障に貢献することを示すことは、
条約をアメリカの大きな歴史的枠組みの中でと
北大西洋条約の意義を国民にとって最もわかり
らえている。
やすくする。条約締結権は大統領に属するが、
そ れ に は上 院 の助 言 と同 意 (三 分 の 二以 上 の 賛
「今日のアメリカ人の課題は、基本的にワシ
成)が必要である。そのため国民の支持は上院の
ントンの時代と同じである。我々も民主主義を
同意を取り付ける上で無視できない。そのこと
機能させ、敵に対してそれを守らなければなら
は次にあげる演説の一部で顕著に示されている。
ない。しかし、我々の今日の課題は、ワシント
ンの時代よりも大きな範囲に広がっている。
「今、上院は熟慮と大きな関心をもって条約
我々は、我が国の自由と幸福、そして機会を増
を審議している。それは民主的なプロセスの一
すことだけに関心を抱くだけではいけない。
6
我々は、自ら政体を選択しようとし、生活水準
それこそが北大西洋条約と相互防衛援助プログ
を引き上げ、自ら望む生活を決定する諸国民に
ラムの意義である。我々は、共同防衛において
も関心を抱かなければならない。ワシントンの
自由諸国と共に協働し続けるだろう。我々の防
時代から、偉大なる主義―アメリカ独立革命は
衛は彼らの防衛であり、彼らの防衛は我々の防
そのために戦われた―は、世界中に知られ、幾
衛なのである。こうした国々のまとまった防衛
世代もの人々の希望と心を沸き立たせてきた。
は攻撃に対する強い抑止になり、それは時間が
同時に、科学の進歩を通じて、世界の国々は一
経つにつれてますます強くなるだろう。共同防
蓮托生の身となっている。我々の安全と進歩は、
衛を作り上げるにおいて、我々はいかなる国に
以前にもまして諸大陸の自由と自己決定政府の
も我々の生活様式を押し付けたりはしない。自
前進と密接に関連しあっている。この時代は休
由は征服によって広められるのではない。民主
みなく変わり行く時代である。世界の大部分の
主義は、指令によって作られるわけではない。
人々がよりよき社会秩序を求めている。彼らは、
自由と民主主義は、信念と模範、そしてそうい
大きな自由と広範な機会が与えられる生活を求
ったものが何を意味するのか実際に体験するこ
めている。彼らは自分の住む土地を所有したが
と で 育 ま れ る 」 [Government Printing Office
り、貧困、疾病、そして飢餓に対して安全であ
1950: 172-173]
りたいと思っている。つまり、彼らは、彼らに
あっていると思う方法で彼ら自身の暮らしをお
ここでは自由、幸福、そして機会の追求とい
くりたいのである。このような独立とよりよき
うアメリカの歴史を貫く普遍的価値観を示して
生活へのあらゆる場所の人々の沸きあがる要望
いる。さらにそうした価値観を武力で攻撃する
は、自由と自己決定政府の理念に試練を課して
のが共産主義であることを提示するとで、北大
いる。同時に、こうした理念は、それを壊そう
西洋条約の意義を導き出し、北大西洋条約は、
とする輩からの激しい攻撃にさらされている。
アメリカにとって単に欧州での共産主義に対す
今日、こうした敵の中で最も攻撃的なのは、共
る防壁以上の意味を持つものだと暗示している。
産主義である。共産主義は、よりよい生活を偽
そのうえ、ワシントン時代と現代の世界情勢と
って約束することにより人々の自由を屈服させ
の違いを明示することで、アメリカが孤立主義
ようとする。しかし、共産主義の最も大きな危
に陥らず、積極的に自由諸国と協働していく理
険は、偽りの約束にあるわけではない。最も大
由を鮮明にしている。そうした情勢の違いがあ
きな危険は、武力により影響力を拡大せんとす
りながら、現代の共産主義に対する戦いは、自
る武力帝国主義的手段にある。(中略)。国連の
由のための戦いという〷㜱〳トン時代との共通
加盟国として自由諸国は、国連憲章に定められ
項を有することから、アメリカ独立革命との絶
た原則に従って平和と国際安全保障のために働
妙なアナロジーを構築している。この演説の中
いている。より大きな文脈の中で、多くの自由
の「我々の防衛は彼らの防衛であり、彼らの防
諸国が、特定の地域で侵略に抗するのを目的に
衛は我々の防衛なのである」という言葉は、北
した共同防衛を強化するために協力している。
大西洋条約のアメリカにとっての意義を端的に
7
示す名言であると私は思う。
の義務、その他の条約に関する義務を果たし、
北大西洋条約に関しては、北大西洋条約のア
そうした義務を果たすのに必要な場合はいつで
メリカにとっての意義を明らかにしながらも、
も軍隊を派遣し続けるであろう』。今、デーン・
アメリカの欧州に対するコミットメントがどの
アチソン国務長官(Dean Acheson)は、[上院]外
程度になるかほとんど明言されていないという
交委員会での喚問において、北大西洋条約は、
問題点もある。1951 年 1 月 11 日の記者会見
軍隊の派遣が必要とされるのではなく、各国が
[Government Printing Office 1951: 18-23]で、
それぞれ北大西洋条約加盟国の防衛に関して何
トルーマンは米軍の欧州増派について以下のよ
が必要なのか心に決めることが必要とされると
うに質問攻めにあっている。
いうことを完全に明らかにしようとしている。
それは外交委員会の記録上の問題であり、コナ
記者:
「大統領閣下、トム・コナリー上院議員
(Tom Connolly)が議会で今日、『将来、今、ま
リー上院議員が言及していたのはそれに関して
である」
さにヨーロッパ連合防衛軍が動員されようとす
る時に、行政府が議会に [アメリカの]軍隊の派
「北大西洋条約は、軍隊の派遣が必要とされ
遣を諮るだろうと私は確信する』と演説しまし
るのではなく、各国がそれぞれ北大西洋条約加
た。これはあなたの立場を正確に反映している
盟国の防衛に関して何が必要なのか心に決める
のですか?」
ことが必要とされる」という部分は、キッシン
ジャー(Henry Kissinger)の指摘によれば「領土
この質問を皮切りに一連の北大西洋条約に関
で は な く 原 則を 防 衛 」 [キッ シ ン ジ ャ ー 1996:
する質問攻めが開始された。記者が言及してい
20]すると いう何 度も繰 り 返された テーマ であ
るコナリーは、上院外交委員会委員長で、北大
る。
西洋条約の目的は、
「 特定の国家に対抗するため
ではなく、攻撃そのものに抵抗することになる」
記者:「大統領閣下、我々がそれを引用できる
[キ ッ シ ン ジ ャ ー 1996: 20]と い う 政 府 見 解 を
ようにもう少しゆっくりと読んでいただけませ
促進している。そのためこの日の発言もトルー
んか」
マン政権の見解を示すものだと受け取られたの
である。
大統領:「 どの部分を?二つとももう一度読ん
で欲しいのですか」
記者:「最初の引用をもう一度お願いします」
大統領:
「メイ (5) 、ここにある文書を読ませて
大統領:「『大統領に合衆国軍最高司令官とし
欲しい。(中略)。
『大統領に合衆国軍最高司令官
て憲法上与えられた権限の下に、大統領は世界
として憲法上与えられた権限の下に、大統領は
中どこにでも軍隊を派遣する権限を持っている。
世界中どこにでも軍隊を派遣する権限を持って
この権限は、繰り返し議会と司法によって認め
いる。この権限は、繰り返し議会と司法によっ
られてきている』。
て認められてきている』。『当政府は国連の下で
8
記者が二つの引用のうち最初の引用を再度求
を設けていない。前者をする権利があれば後者
めたのは興味深い。記者の質問の焦点は、トル
をする権利が同じくあるとあなたはお考えです
ーマンが西欧に軍隊を実際派遣するかどうかと
か」
いう点であったことがよくわかる。
大統領:「私はそう思う。しかし、もちろん、
後者の場合、我々がいつもそうしてきたように
(中略)。
記者:
「大統領閣下、コナリー上院議員はあな
軍隊を派遣する前には議会に諮るだろう」
(中略)。
たが軍隊を派遣する権利に異議を唱えようとし
たのではなく、それを擁護しようとしている。
記者:
「大統領閣下、少々事を急ぎ過ぎた感じ
しかし、コナリー上院議員は、大統領が軍隊を
ですが、それでは、あなたが西欧に軍隊を派遣
派遣する前に議会にそれを諮るはずだと私は理
する前に議会に諮るということでよろしいので
解していると言っています。そしてさらに『政
すね」
府首脳は軍隊を派遣しようと計画している』と
言っています」
大統領:
「いいえ、私はそうは言ってはいない。
大統領:
「我々はいつもそうする。我々は、問
私は、北大西洋条約加盟国の防衛に必要な場合
題に関心を抱く委員会に慎重に諮ることなく、
に議会に諮るだろうと言っている。有事にドイ
外交や内政、その他の事を決して行ったりしな
ツで軍隊を使用する必要があるかどうかあなた
い。我々はいつもそうしてきたし、その方針に
は判断できないでしょう」
変化はないし、これからもないだろう。そして
大統領と会談したい上院議員は誰でも会談する
時間を得ることができる」
ここまでのやり取りは、大統領が軍隊を派遣
する際に議会に諮ることが必要かという問題に
記者:
「大統領閣下、あなたは口頭であれ文書
主眼があるのではなく、トルーマンが軍隊派遣
であれ北大西洋条約加盟国に、どのくらいの数
をもう既に決めていて議会に諮る準備をしてい
の部隊を欧州に派遣するのか確約を与えたので
るのかと問うのが主眼であったと言える。つま
しょうか」
り、トルーマン政権が既に軍隊をどのくらい派
大統領:
「いいえ。どのくらいの数の部隊を送
遣する予定なのかと問うつもりであったのであ
るつもりか分からないので、我々はそのような
ろう。実際のところ、トルーマン政権は、朝鮮
確約は与えていない。」
戦争勃発後に二個師団編成だった駐留部隊に四
記者:
「大統領閣下、はっきりしておきたいの
個師団を増派している[Ferrell 2006: 49]。
ですが、あなたは区別を設けていない、つまり、
例えば我々のドイツの駐屯部隊を強化するため
(中略)。
に軍隊を派遣する憲法上の権限と、おそらく北
大西洋条約軍のために軍隊を送ることとの区別
記者:
「大統領閣下、私は政治音痴かもしれな
9
いのではっきりさせることができないかもしれ
うな二国間協定方式」による友好協力相互援助
ません。(中略)。フーヴァー氏(Herbert Hoover)
条約が結ばれていた。それはソ連ブロックの出
は、さらなる人員もさらなるお金も送るべきで
現を予想させるものであった。1955 年に西側が、
はないと言っています。私は、あなたが議会に
西独の主権回復と NATO 加盟、ブリュッセル条
承認を求めるだろうと理解…」
約修正、西独への外国軍隊駐留、ザールの欧州
大統領:「いいえ」
化などを骨子とするパリ協定を結んだのに対応
記者:「…軍隊を派遣する前に…」
して、ソ連と東欧社会主義諸国は、ワルシャワ
大統領:
「いいえ、あなたはそのような観点を
で会議を開催し、NATO 勢力に対抗するために
認めようとしない。私は、北大西洋条約加盟国
会議参加国すべてを結ぶ友好協力相互援助条約
を防衛する必要に応じて、軍隊を派遣する前に
の調印が緊急不可欠であるとの合意に達した。
議会に諮ることが必要になると言っている。私
会議の最終日にワルシャワ条約が結ばれ、ここ
は議会の承認を得ようとしているのではなく、
に NATO とワルシャワ条約機構が対峙する欧
議会に諮るだけである」
州 で の 冷 戦 の 基 本 構 造 が 成立 し た [佐 藤 1971:
111-155]。トルーマン政権は、巧みな手腕で上
トルーマンは慎重に言葉を選んでいる。派遣
院の支持を取りつけつつ、アメリカのモンロー
が必要となるのかどうか判断を保留し、とにか
主義的な外交方針から脱却し、北大西洋条約へ
く派遣する場合は議会に諮ると繰り返し述べて
の参加という明確なコミットメントを打ち出し
いる。欧州で何らかの危機が生じた場合、アメ
たのである。
リカはどこまで介入するのかといった言質をと
られるわけにはいかなかったのである。
6.結語
以上、北大西洋条約の成立過程と、アメリカ
によるその意義の確定を述べてきたわけだが、
北大西洋条約に対するソ連の動きを簡単にまと
めておきたい。
北大西洋条約締結の 1949 年 4 月 4 日までに、
ソ連・東欧諸国の間では、すでに「網の目のよ
注
想したチェコ共産党は、ソ連の後援の下、実力行使により
(1) チェコスロバキアは第二次世界大戦後、ソ連によって
一党独裁体制を樹立した[猪木 1968: 151-178]。
カルパト・ウクライナ地方を奪われ、マーシャル・プラン
(2)「欧州への自由の脅威」演説の骨子は以下の通り
参加を妨害されていた。その影響を受けて共産党の人気は
である。
低落していた。1948 年の総選挙で敗北が必至であると予
10
「今日の世界情勢は、大戦に引き続く、数々の当
めに破滅することになったが、我々は備えがないこ
然の難事の結果ではない。それは主にある国が、公
とで手酷い代価を支払うことになった」
正かつ信義ある平和を樹立するために協力すること
[Government Printing Office 1948: 183-185]。
を拒むのみならず、あまつさえ積極的に妨害しよう
としているという事実の結果である。議会は事の顛
この演説の草稿作成には、クラーク・クリフォー
末をよく御存知かと思う。
貴方達の知っている通り、
ド(Clark Clifford)、チャールズ・ボーレン(Charles
誠実さと忍耐でもって民主主義国家は交渉と調和を
Bohlen)、チャールズ・マーフィー(Charles Murphy)、
通じて平和の礎を確かなものとしたのである。会談
ジョージ・エルシー(George Elsey)などが参加して
に次ぐ会談が世界のいろいろな場所で行われた。公
いる。第二稿が完成したのが 3 月 16 日の 16 時で、
正な平和を樹立しうる礎の上に戦争から生じた諸問
ようやく最終稿が固まったのは同日の深夜である
題を解決しようとしてきた。貴方達も、我々が直面
[Truman Presidential Library 1948]。
した障害を御存知であろう。歴史は、世界の民主主
(3) 国 務 省 欧 州 局 長 ヒ ッ カ ー ソ ン (John D.
義国家の信念と高潔さの顕著な例を示している。
Hickerson)は、条約締結の主な利点を「1、加盟国
我々が得た調和は、不完全かもしれないが、もし保
への攻撃に断固として抵抗する意思を明示し、潜在
たれていたならば公正な平和の礎を備えていた。し
的侵略者と向き合うことで戦争勃発の可能性を低く
かし、調和は保たれてはいない。調和は一貫してあ
できる。2、地域安全保障のための継続的かつ効果
る国により無視され侵害されてきたのである。議会
的な自助と相互援助において有用である。3、平和
はまた国連の発達をよく御存知であろう。世界の大
侵犯、脅威の発生において加盟国の要求に応じるこ
部分の国々は国連に集って、力ではなく法に基づく
とができる。4、当該地域で加盟国に対し武力攻撃
世界秩序を打ち立てようと試みた。国連を支持する
が行われた場合、全加盟国が、当該地域の安全を再
構成国の大部分は、誠実かつ率直に国連を強め、よ
復し保障するために必要と思われる行動をとること
りよく機能するように求めたのである。だがある国
ができる。5、各加盟国が代表されているそのよう
が拒否権の濫用によって国連の仕事を絶え間なく妨
な政治的かつ軍事的諮問機関は、その実行を円滑に
害している。その国は、わずか二年間で二十一の行
する」[The Department of the State 1949: 2]というよ
動計画案に拒否権を発動している。しかしそれがす
うに五点にわたって挙げている。
べてではない。戦争行為の終結以来、ソ連とその工
(4)最終投票で北大西洋条約批准に反対票を投じた
作員は、東欧の一連の国家の独立と民主的気質を破
のは 13 名で、そのうち 11 名が共和党員であった
壊した。
まさにこれは無慈悲な活動である。
そして、
[Leuchtenburg 1989]。
その他のヨーロッパ自由諸国にこのような活動を広
(5)ポートランド・プレス・ヘラルドのメイ・クレイ
げる明らかな陰謀があり、今日のヨーロッパに重大
グ(May Craig)。
な状況をもたらしている。(中略)。ソ連とその衛星
国は、ヨーロッパ復興計画に協力するように求めら
参考文献
れた。彼らはその要請を断った。それどころか彼ら
American Institute of Public Opinion [1972], The Gallup
はヨーロッパ復興計画に対して暴力的な敵意を示し、
Poll: Public Opinion 1935-1971 v.2. Random House.
失敗に終わらせようと企んだ。彼らの目には、この
The Department of the State [1949] The Foreign
計画は、ヨーロッパの自由社会を服従させようとす
Relations of the United States 1949 v4, U.S.
る陰謀の障害物として映ったのである。(中略)。
Government Printing Office.
我々は戦争防止の手段として軍事力の重要性を悟っ
たと思う。
もし我々が平和なままでいるつもりなら、
Ferrell, Robert [2006] Harry S. Truman and the Cold
War Revisionists, University Missouri Press.
健全なる軍事システムが平和な時代には必要である
Government Printing Office [1948] Public Papers of the
ということもわかった。過去の侵略者達は、我々の
Presidents of the United States: Harry S. Truman
明らかな軍事力不足につけこんで無思慮にも戦争に
1948.
突入した。侵略者達は、我々の強さをみくびったた
Government Printing Office [1949], Public Papers of the
11
Presidents of the United States: Harry S. Truman
1949.
Government Printing Office [1950], Public Papers of the
Presidents of the United States: Harry S. Truman
1950.
Government Printing Office [1951], Public Papers of the
Presidents of the United States: Harry S. Truman
1951.
猪木政道[1968]「チェコスロバキアの悲劇―自由化と軍事
占領」
『それでもチェコは戦う』
、番町書房。
Ismay, Lord. NATO―The First Five Years 1949-1954,
Bosch-utrecht.
キッシンジャー、ヘンリー [1996]『外交下』
、日本経済新
聞社。
Langston, Thomas [2007] The Cold War Presidency, A
Division of Congressional Quarterly Inc.
Leuchtenburg (ed.) [1989] Who Voted to Strengthen the
Free World?, in Harry S. Truman Office Files part1.
Political File.
National Security Council [1948a] NSC9/2 Report by the
National Security Council on the Position of the
United States with respect to Support for Western
Union and Other Related Free Countries.
National Security Council [1948b] NSC9/1 Report by the
National Security Council on the Position of the
United States with respect to Support for Western
Union and Other Related Free Countries.
佐藤栄一 [1971]「ワルシャワ条約機構の成立と発展―ソ連
の戦後軍事戦略の変遷との関連で―」『戦後東欧の政治
と経済』
、日本国際政治学会編。
Trachtenberg, Marc & Christopher Gehrz, [2003]
‘America,
Europe,
and
German
Rearmament,
August-September 1950: A Critique of a Myth’ in
Between Empire and Alliance―America and Europe
during the Cold War. Trachtenberg, Marc (ed.),
Roman & Littlefield Publishers.
Truman Presidential Library [1948] 1948, March 17,
Foreign Policy Address, in George McKee Elsey File.
United States Congress [1949a], Congressional record
1949 v.95 (3), Government Printing Office.
United States Congress [1949b], Congressional record
1949 v.95 (13), Government Printing Office.
Fly UP