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変態荘へようこそ! - タテ書き小説ネット
変態荘へようこそ! 二守透谷 !18禁要素を含みます。本作品は18歳未満の方が閲覧してはいけません! タテ書き小説ネット[R18指定] Byナイトランタン http://pdfnovels.net/ 注意事項 このPDFファイルは﹁ノクターンノベルズ﹂﹁ムーンライトノ ベルズ﹂﹁ミッドナイトノベルズ﹂で掲載中の小説を﹁タテ書き小 説ネット﹂のシステムが自動的にPDF化させたものです。 この小説の著作権は小説の作者にあります。そのため、作者また は当社に無断でこのPDFファイル及び小説を、引用の範囲を超え る形で転載、改変、再配布、販売することを一切禁止致します。小 説の紹介や個人用途での印刷および保存はご自由にどうぞ。 ︻小説タイトル︼ 変態荘へようこそ! ︻Nコード︼ N9283BC ︻作者名︼ 二守透谷 ︻あらすじ︼ 母親をなくし、ひとりきりになった青年、久遠虎ノ介は伯母であ る田村敦子のすすめにしたがい、彼女の管理するアパート﹃片帯荘﹄ で暮らすことにした。持ち前の素直さで、新生活をよいものにしよ うとはりきる虎ノ介であったが、アパートの住人たちはみな、一筋 縄ではいかない特殊な性癖の持ち主ばかりで・・・。 都会のちいさなアパートを舞台に繰りひろげられるハーレムもので 1 す。 ※2015/12/11 こちらに番外編を投稿しました。 ﹃変態荘へようこそ、おまけ﹄ http://novel18. syosetu.com/n1658da/ 2 登場人物紹介︵前書き︶ ※最初に読む必要はありません 3 登場人物紹介 変態荘の住人たち たむら あつこ 田村敦子 一〇一号室︵管理人室︶に住む、片帯荘の大家兼管理人。虎ノ介 の伯母にあたる。年齢不詳。外見だけなら二十代後半からせいぜい 三十くらいにしか見えない。○学生だった時分に舞を生み、周囲を さわがせたことがある。その際、父親の名を明かしておらず、舞も 私生児として育てた︵もともと田村家は資産家で、株や不動産など の不労所得だけでも十分に暮らしていける余裕があった︶。﹁かな りの早熟だった﹂とは本人の弁。甥である虎ノ介を溺愛している。 巨乳。実家の父︵虎ノ介の祖父︶とは今でも折りあいが悪い。 たむら まい 田村舞 一〇二号室の住人。敦子の一人娘。二十二歳、早生まれ。虎ノ介 の従姉にあたる。某名門国立大の院生。隠してはいるがちょっとや ばいくらい重度のブラコン。電話一本受けただけで、高速を一晩か け、虎ノ介のもとへ駆けつけたことがある。同属嫌悪か、母親に対 してはあまりよい感情を持っていない。酒乱の気あり。 くどう とらのすけ 久遠虎ノ介 一〇三号室の住人。本編の主人公。二十一歳。無職、低学歴、ヘ タレと三拍子そろったダメ人間。人畜無害だが、どうにもエモーシ ョナル。年上好き。仮性包茎。他人に流されやすい傾向がある。過 去に、恋人を後輩に寝取られたことがあり、人間不信の気がある。 4 しまづ りょうこ 島津僚子 一〇五号室の住人。二十七歳。医者。自他共に認める変態でスカ トロマニア。医者としての技量は高いが、にじみ出る奇特な人間性 のためか、患者には恐れられている。処女。実は一途。普段はずぼ らで、部屋もちらかしっぱなし。ひとりで部屋にいるときはたいて い下着姿。コンタクトレンズが苦手なため、常に眼鏡を着用してい る。玲子とは親友同士。玲子の男運の悪さを心配している。片帯荘 ハーレム推進委員会副会長。 みやのひろし 宮野浩 一〇六号室の住人。四十二歳。ゲイ。駅前でバーを経営している。 虎ノ介を気に入って、よく誘っている。ダンディな紳士。 くるす さち 来栖佐智 一〇七号室の住人。二十四歳。田村家に仕える使用人のひとり。 片帯荘の新入居者。代々、田村家に仕えている。常に無表情で、自 分の感情をまじえず意見をのべる人物。主家の人間、特に舞と敦子 には絶対服従で、彼女たちの命令であればどのようなことでも躊躇 いなくこなす。長身痩躯。しかしおっぱいは大きい。おっぱいひか えめな舞によく嫉妬されている。舞にたのまれ、虎ノ介の成長記録 ︵盗撮写真︶を頻繁に撮っていた。言葉責め︵する方︶を好む。那 智という兄がいる。 ひうら あけみ 火浦朱美 二〇一号室の住人。三十二歳。人妻。旦那とは別居中。﹃夏目陽 5 太郎﹄という名で本を出している。重度の匂いフェチ。虎ノ介の匂 ひなた いを気に入る。爆乳。母乳あり。若いころに比べてスタイルがくず れてきているのを気にしている。陽向という一歳になる娘がいる。 虎ノ介の子供が欲しいと考えている。いつか旦那に自分と虎ノ介の セックスを見せつけようとたくらんでいる。実はオカネモチ。 ひむろ れいこ 氷室玲子 二〇二号室の住人。二十九歳。会社経営者。僚子とは親友同士。 僚子の男っ気のなさを心配している。一見とっつきにくく見られが ちだが、好きになった相手にはとことんつくすタイプ。被虐趣味的 傾向と貪欲さを持ちあわせた肉食系寂しがり屋。おなじ肉食系でも 自分から獲物に喰らいつく僚子とちがい、多少乱暴に、しかしあく まで愛をもってもとめられる形を好む。が、根っこは痴女なので我 慢できなくなると、結局力ずく。その重たい女ぶりゆえに、何度も 男に逃げられている。 みずきじゅん 水樹準 二〇三号室の住人。十九歳。専門学校生。ボーイッシュな少女。 処女。音楽家の両親を飛行機事故で失くし、以来極端に無口になっ た。低めで透明感のある美声の持ち主。トランスジェンダー的な要 素を持っていて、これまであまり男女の性差を意識したことがなか った。虎ノ介との出会いにより、はじめて異性愛者としての自分を 強く意識する。現在、声優を目指し専門学校へ通っているところ。 趣味でアマチュアロックバンドのヴォーカルもつとめている。貧乳。 だが現在進行形で成長してもいる。天然のパイパン娘。相手に甘え るプレイを好む。 6 テリー・アンダーセン 二〇五号室の住人。二十六歳。アメリカ人。ナイスバディな姉御。 シミー曰く露出狂。というか露出狂。旅が好きで海外をひとりで旅 行中。工具とツナギが異様に似合う女。金髪。 こじま さわ 小島佐和 二〇六号室の住人。三十八歳。高校教師。ニンフォマニア。年齢 のわりに見た目のかわいらしい、幼い雰囲気を持つ女性。過去に夫 と死に別れている。 その他のひとびと ほうづき いおり 法月伊織 虎ノ介の幼馴染で元恋人。二十二歳。成績優秀、眉目秀麗な才女 で高校時代は生徒会長をつとめていた。虎ノ介にあげると云ってい た処女を、虎ノ介のかわいがっていた後輩にスルーパスし、虎ノ介 シスター へ多大な精神的ダメージとトラウマをあたえた。大学進学を機に田 舎を出た、らしい。 シミー・オリヴェイラ 片帯荘の向かいにある聖ウルザ教会に住む修道女。ヒスパニック。 たむら りゅうのすけ 田村龍之介 故人。虎ノ介の実父であり、敦子の実弟。若くして精神を病み、 ほとんど狂死に近い形で自殺した。 7 いなぎ かずひこ 稲城和彦 虎ノ介の元同級生。 おおとも ゆうや 大友裕也 虎ノ介の後輩。虎ノ介から法月伊織を寝取った。中学時代から女 たらしで有名だったが、虎ノ介は知らなかった。中学のころは名の 知れたサッカー選手であり、高校にはいって怪我で引退を余儀なく された。イケメン。 ほうづき ごろう 法月悟朗 伊織の父。大学教授。虎ノ介を実の息子のように思っていた。伊 織との一件以来、姿を消した虎ノ介を不憫に思っている。伊織につ いては、娘として愛してはいるが、虎ノ介とのことだけは割り切れ ぬ思いをいだいている。 たむら ほうげん 田村鳳玄 敦子の父。舞、虎ノ介の祖父。入り婿。厳格で、あまり融通の利 かない人物。 かのう くれは 狩野紅葉 田村の分家すじである狩野家の女当主。田村のなかでも強い発言 力を持つ女傑。四十過ぎだが、彼女もまた田村の女らしく驚異的な 若さとうつくしさを保っている。既婚。旦那が勃起不全であり、分 家のなかでは唯一後継者がいないことを悩んでいる。 8 くるす なち 来栖那智 佐智の双子の兄。二十四歳。舞の付き人であり、幼いころから田 村家で使用人をしていた。主家のためには自分の命を棄てても忠義 をつくす人物。 あに おぼろ 阿仁朧 田村の分家である阿仁家次代当主。三十歳。処女。頭はいいが、 お人好しで他人に騙されやすいタイプ。大人らしいやわらかな物腰 の女性。常に眼鏡を着用している。白馬の王子様願望を持っている。 紅葉などからお見合いをよく勧められているが、すべて断っている。 たちばな ゆら 橘由良 田村の分家である橘家次代当主。女子高生。処女。毒舌、生意気。 行動力があり、思ったことはさっさとこなす。一方で恋愛事になる と自分の感情を素直に表せないところがある。桜子とはおなじ学園 に通う親友同士。 はやせ さくらこ 速瀬桜子 田村の分家である速瀬家次代当主。女子高生。処女。おとなしく ひかえめな性格だが、大胆な一面も持ち、自分の意見もしっかり持 っている。兄である明彦を尊敬している。由良とはおなじ学園に通 う親友同士。 かざみや ひろと 風宮広人 田村の分家である風宮家次代当主⋮⋮だが、男子しか生まれない 9 風宮の血はすでに枯れているとされているため、周囲からあまり期 待されていない。二十二歳。舞の婚約者候補。ルックスはまあまあ よく、その不良的で寂しげなところから女性にはモテる。 はやせ あきひこ 速瀬明彦 桜子の兄。優秀だが、女系至上主義で人外じみた女ばかり出る田 村一族にあっては、あまり高くない地位と発言力しかあたえられて いない。二十七歳。落ちついた雰囲気のイケメン。常に和装。 10 プロローグ 片帯荘へようこそ とらのすけ くどう 日陰になった川沿いの道を、満開の桜並木をながめながら、久遠 虎ノ介はその下を歩いていった。 風に舞った花びらが、己の肩に降り落ちるのを見て、 ﹁これは好いな﹂ 虎ノ介は云ってみた。 爛漫の桜は虎ノ介をなつかしい、やわらかな心持ちにさせた。 べり いつかこれとおなじような景色を見た気がして、彼は不思議な思 いがした。 桜並木をずっといくと、大きな公園があった。 公園のなかには大きめの池があって、それは線路縁の川と、公園 の外でつながっている。 池の周りは親子連れや恋人たち、散歩をたのしむ老人たちなどで にぎわっている。 公園の入口前で、虎ノ介は住宅街のある坂の方へと折れた。 おぼ 閑静な住宅街をゆくと、やがてちいさな洋風の建物が見えてきた。 それは教会で、すぐそばにその教会が営んでいると思しき託児所 があった。 ﹁ここかな﹂ はすかい つぶやき、虎ノ介は教えられたとおりに、教会の斜交にある古び た木造アパートへ向かった。 敷地へはいると、アパートの前を掃除していた女性が目ざとく気 づいて、手を挙げた。 11 ﹁虎ちゃん﹂ やぁやぁ、とうれしそうに声を出して、女性は虎ノ介に歩みよっ た。 ﹁遠いところ、よくきたわね。つかれたでしょう︱︱﹂ 前に立つと、まずその大きな胸が否でも目についた。 虎ノ介はグレープフルーツほどもあるふたつの果実から目をそら した。 ﹁伯母さん﹂ 虎ノ介は、目の前の女性を見つめた。 父の姉にあたる、まだ年若い伯母は、相変わらずうつくしく生気 に満ちていた。 あつこ 穏やかな目はやさしげに虎ノ介を見ている。 彼女の名は敦子と云った。 ﹁葬儀のときは、ほんとうにありがとうございました﹂ たすかりました、と云って、虎ノ介は深々とお辞儀した。 ﹁情けない話ですけど、おれひとりじゃどうにも︱︱﹂ ﹁ああ、いいのいいの、あれくらい。それに、虎ちゃんひとりじゃ、 手にあまって当然よ﹂ と、敦子は鷹揚に笑って見せると、虎ノ介の頭をなでた。 その手はあくまでやさしい。 12 あか 虎ノ介の頭や頬、肩をさするようにしてさわってゆく。 虎ノ介はいくぶん気はずかしくなって顔を紅めた。 ﹁こないだは色々いそがしくて、よく話せなかったけど、こうして あらためて見ると、虎ちゃん、大きくなったわねぇ﹂ ﹁そ、そうですか?﹂ ﹁うん。虎ちゃん、今いくつだっけ?﹂ ﹁二十一です﹂ ﹁ふうん。舞のひとつ下か。⋮⋮わたしも年を取るわけだわ﹂ ﹁そんなことないですよ。伯母さんはいつも若々しい﹂ ﹁あら、お上手﹂ 口元に手をあて、うれしそうに笑う。 その敦子の様子に虎ノ介はいよいよ照れて、顔をうつむけた。 そんな虎ノ介に満足したのか、敦子はようやくに体を離した。 虎ノ介の手を引いて、 ﹁とにかくはいって。こっちよ﹂ と、云った。 虎ノ介の目に、艶のある髪、そして豊かな尻がはずんで揺れた。 ◇ ◇ ◇ ﹁虎ちゃんにはこの一〇三号室にはいってもらうわ﹂ 告げて敦子は、先ほど、虎ノ介の手よりひったくったボストンバ ッグを置いた。 13 部屋のなかは殺風景なもので、シングルベッドがひとつと、未開 封のダンボール箱がふたつばかり置いてあるのみだった。 ﹁ちょっとせまいけど﹂ 敦子はすまなそうな顔をした。 ﹁いや、そんなことは。感謝してます。ほんとうにご迷惑じゃない といいんですが﹂ ﹁迷惑なんかじゃないわ。何度も云ってるでしょう。わたしもひと りで管理するより男手があった方がたすかるの。それに、男のひと がいてくれるだけで安心できるわ﹂ ほがらかに敦子は答えた。 ﹁それにほら、虎ちゃんもお母さんが亡くなってひとりぼっちでし ょう。その⋮⋮あれから久遠のお家とは?﹂ 虎ノ介は首を振った。 ﹁いえ、特には。祖父ちゃんと祖母ちゃん以外は、親族みんなにき らわれてましたからね。ほとんど義絶状態です。だから今度も知ら せてません。母さんも知らせるなって云ってたし﹂ ﹁そう⋮⋮﹂ 敦子の表情は、寂しげなものでも見るかであった。 ﹁あ、でも。母さん、伯母さんには感謝してました。身内だったひ とたちより親身になってくれるって﹂ ﹁そんなこと︱︱﹂ 14 ﹁おれも感謝してます。入院費とか、おれじゃ到底出せなかった﹂ ﹁そんなのいいのよ。あなたのお母さんが苦労したのは、弟のせい だもの。だからあなたの面倒を見るのもわたしの責任よ﹂ ﹁伯母さん︱︱﹂ なんと答えてよいかわからず、虎ノ介は口をつぐんだ。 胸中には感謝と申しわけなさが同居していた。 虎ノ介は痛みにも似た罪の意識がはっきりとあらわれてくるのを 知った。 ずる それは過去、幾度となく感じたものだ。幾度となく打ち消そうと したものだ。 おの その都度、失敗と挫折を得る理由となったものだ。 ただ 己が無力をなげく声であり、そのくせ人の心をたのみとする狡さ を糾す声だ。 虎ノ介は、母に起こった辛苦が、主として自分のために生じてき たことを思った。 ﹁虎ちゃん、長旅でおなかへってるでしょう。ご飯にしよっか。も うすぐ舞も帰ってくるころだわ﹂ 場を取りつくろうように、敦子が云った。 彼女の声からは、ともすれば沈みがちな甥をどうにかして勇気づ けようという情愛が汲みとれた。 ◇ ◇ ◇ ルール 食事は、家族いっしょに管理人室でとるのが、田村家の規律だと 云って、敦子は虎ノ介にもくるよううながした。 15 ﹁今日から、わたしたちは家族なんだから﹂ この言葉は、虎ノ介を不覚にも涙ぐませた。 管理人室へいくと、ちょうど敦子の一人娘である、舞のもどった ところでもあった。 ﹁やあ、虎ノ介︱︱﹂ と、数年ぶりに会う、この母ゆずりの美貌を持った従姉は、しご びう くそっけない挨拶をよこすのみであって、こうした態度はまず母親 の眉宇をひそめさせた。 虎ノ介は思わず苦笑した。 ﹁姉さんは相変わらずだね﹂ むかし、幼いころ、﹁トラ、トラ﹂と呼び捨てにされ、かわいが られたことが、虎ノ介の胸に思い起こされてきた。 ﹁まったく、あなたときたら︱︱﹂ 敦子はあきれたと云わんばかりで腕組みをし、 ﹁こんなかわいい弟ができたんだから、もっとよろこびなさい﹂ ﹁かわいいって年じゃあないでしょ。虎ノ介も、もう二十歳過ぎた のよ﹂ まったくだ。と、虎ノ介は思った。 ﹁母さんは、むかしから虎ノ介を溺愛しすぎなのよ﹂ 16 まっとう まっとう ﹁そんなことはないわ。伯母として、適当かつ正当な愛情よ﹂ ﹁正当ねぇ﹂ どこか含みのある物云いに、敦子はいささかムッとした様子を見 せた。 ﹁何? 云いたいことがあるなら、はっきり云いなさい﹂ ﹁別に︱︱﹂ 舞はどこまでもそっけない。 長い黒髪を颯爽となびかせリビングまでいくと、着ていたスーツ を脱ぎだす。 虎ノ介の視界に、うつくしい肢体と、黒の下着とが映し出された。 ブラジャー、ショーツ、ガーターともに黒で統一されていた。 ﹁あんまり綺麗事を云ってると、実際とのギャップで引かれるのじ ゃない?﹂ 紺のワンピースを身にまといつ、舞は云った。 敦子はちいさく溜息をついた。 ﹁あなたこそ。もっと素直になりなさい。そんなんじゃいつまでた っても恋人のひとりもできないわよ﹂ ﹁恋人なんて、べつに欲しくないもの﹂ ﹁それはそうでしょうけれど。心に決めた王子様がいるものね。重 く想いつめた相手が。⋮⋮でも、いくらなんでも、アルバムだけで ダンボールひと箱は多すぎるんじゃないかしら。さすがの母さんも ちょっと引いちゃったわよ?﹂ この発言に、それまで冷静だった舞が、急に、あわてた。 17 ﹁な、み、見たの⋮⋮!?﹂ ﹁ええ、見たわよ。それはもうバッチリ﹂ ﹁ちょっと、いったい何をしてるのよ。だまって部屋にはいるなん て、いくら親子でもプライバシーってものが︱︱﹂ ﹁見られたくないんだったら、もうすこし隠しておきなさい。あん なにいたるところ写真立てや引きのばしたのを貼ってたら、ちょっ とはいっただけで、いやでも目につくでしょう﹂ 隠す気なんて毛頭ないでしょう、あれは。 そう云って敦子は冷蔵庫の前までいき、牛乳のパックを取り出し た。 棚からコップを取って、なみなみとそそぐ。 虎ノ介は。ただだまって親子のやりとりをながめていた。 虎ノ介の知る親子関係とはまったくちがうものがそこにはあって、 それが彼を唖然とさせた。 ﹁それにしたって︱︱﹂ いつまでつづくかと思われた舌戦を、先にやめたのはやはり敦子 だった。 言い合いをつづけようとする娘を制し、 ﹁ああ、もういいから。お昼にしましょう。ほら、虎ちゃんも待ち くたびれてる﹂ と、大人らしき分別を見せ、牛乳のはいったコップを虎ノ介に渡 した。 18 ⋮⋮それから間もなくし、すこし遅めの昼食がはじめられた。 食事は、先刻とはちがい、終始なごやかな調子ですすんだ。 虎ノ介はようやく落ちついた気分になって、その特別というほど ではないが、少々贅沢な料理の数々と、上等なワインをたのしむこ とができた。 ﹁ワインなんて、はじめて飲んだ﹂ と云うと、アルコールがはいったせいか、だいぶ打ちとけた様子 となった舞が、いくらか紅潮した顔で、虎ノ介に向かって尋ねた。 ﹁トラは、お酒好き?﹂ 虎ノ介は曖昧に首を振った。 ﹁どうかな。あんまり飲んだことないからわからないかな。味は、 そうだな、味としては、そう好きでもないや﹂ ﹁ふ、ふ、子供だなァ。子供に酒の味はわからないよね︱︱﹂ と、舞はたのしげに云い、やさしい目をして虎ノ介を見つめた。 ﹁でも、子供だからかわいいんだけどね︱︱﹂ などと、舞は云った。 彼女のだいぶ酔ってきているのが、虎ノ介の目にもだんだんと明 らかになってきた。 ﹁まったく。あなたの方が先につぶれてるじゃない﹂ そう云って、敦子は舞を抱き起こすと、 19 ﹁あなた、今日はこっちで寝なさい﹂ 奥の寝室へと連れておった。 リビングを出る際、舞が虎ノ介のことを呼ぶので、虎ノ介はそば へと行ってみた。 舞はすばやくうごいて虎ノ介の唇を奪った。 ◇ ◇ ◇ 舞を寝かしつけてから、敦子はリビングへもどってきた。 ﹁まったくもう⋮⋮﹂とすこし困ったようにして。 ﹁ごめんね。あの子、舞いあがってたみたい﹂ ﹁姉さんでも、そういうことがあるんだ﹂ 虎ノ介は少々信じがたい気持ちであった。 ﹁虎ちゃんは特別なのよ。あの子にとって︱︱﹂ 敦子はいかにも母親らしい目をして云った。 ﹁そういうわたしも、やっぱり虎ちゃんは特別よ﹂ いたずらっぽく笑う。 その様子に虎ノ介は思わず見惚れた。 心臓がひとつ、大きな音を立てた。 陽はそろそろ傾き、朱い光が窓から部屋に差しこんできている。 20 ﹁今日からあなたはわたしたちの家族よ﹂ ﹁⋮⋮はい﹂ ﹁うん。片帯荘へようこそ。虎ちゃん︱︱﹂ そう、敦子は云った。 21 人妻、火浦朱美の場合 その光景が目にはいったのは、ほんとうに偶然だったと思う。 託児所へヒナタを迎えにいってもどると、たまたまベランダに干 しておいたジーンズが見当たらなかった。 わたしの部屋は二階の二〇一号室で、管理人室の真上にあたる。 下をのぞいて見ると案の定、ジーンズは下に落ちていた。 ちょうど管理人室のリビングが見える位置だ。そうして外にそれ をひろいにいって、見てしまった。 おおや ⋮⋮敦子さんがセックスをしていた。 あの感じのいい、おそらくは年齢以上に若く見えるあの敦子さん が。 大学生の一人娘が反抗的でこまると愚痴をこぼしていた敦子さん、 がだ。 窓越しに見るソファの上。肉づきのよい、それでいて無駄のない、 女から見てもうらやましいと思える体。 それを惜しげもなくさらして、敦子さんは乱れていた。 むっちりと張った豊満な乳房と尻をこれでもかとふるわせて、長 くのびやかな手足を相手にからませて、男にまたがる形で腰をゆす っている。 その結合部は男のモノを根元まで飲みこんでいるのが、はっきり と確認できる。 ︵恋人かしら︶ すこし意外な気がした。 敦子さんの浮いた話など聞いたことがなかったからだ。また彼女 22 自身もそんなそぶりを今まで見せたことがない。 敦子さんは管理人として、ほとんどアパートにいる時間の方が長 いのだし、男とつきあっていれば、それとなく知れると思う。 ﹁う、わあ⋮⋮﹂ ⋮⋮わたしの思考をよそに、行為はますます激しさをましている。 顔は陰になって見えないけれど、その体つき、肌の張り具合から、 相手はきっと若い男。少なくとも二十代に見える。 ︵あんなに綺麗なら、若くて年下の恋人がいても不思議じゃない、 か︶ おどろきではあるが、同時に納得もできる。 あれだけの美貌と男好きのするスタイル。 男が放って置くはずもない。 ︵いいな︱︱︶ そんな想いがわずかに心をよぎった。 ねや ︵いいな、エッチ︱︱︶ いまみたい からだ 最後に男性と閨をともにしたのは、いったいいつのことだったろ う。 夫と、別居状態になるずっと前から、もうふたりのあいだに肉の まじわりはなくなっていた。 わたしは育児にいそがしくて、家庭をかえりみない夫にはなんの 期待も抱かなくなっていたし、夫は夫で、外につくった女と自由に 遊んでいたようだから。 23 ︵それでも︱︱︶ と思う。それでもわたしだって女だ。 一児の母であると同時、ひとりの女なのだ。 ひと いのち 別段、派手に遊びたいとは思わないが、やはりひとり寝のさびし い夜もある。 自分をつつんでくれる男を欲しいと思う。 愛されたいと思う。愛したいと思う。 ⋮⋮わたしはいつしか。 敦子さんのセックスに夢中で見入っていた。 目前で行われている愛の交歓、激烈なまでの生命の躍動にあてら れ、気づけば股間からあふれた愛液でショーツはぐしょぐしょにな り、わずかながらジーンズにまで染みができていた。 ﹁わ⋮⋮﹂ たち もともと汁気の多い性質ではあったけれど、ここまで濡れるのも はじめてのことだ。 自分で自分にあきれるが、たまりにたまった欲求不満はちょっと やそっとでは落ちついてくれそうにない。 興奮はいや増すばかりだった。 ︵ああ、もう︱︱︶ アパート あわい とうとう我慢しきれなくなって、わたしはその場にしゃがみこん だ。 ちょうどコンクリート塀と建物の隙間になっていて、外からは死 角の場所だ。 植えこみのツツジのおかげで管理人室から見えづらいのもありが 24 たかった。 急ぎジーンズを引きおろす。 ⋮⋮ショーツは、もはや下着の体をなしていなかった。 ﹁やだ⋮⋮びちょびちょ﹂ 小声で自分に云ってみる。 あふれ出た粘液によって、白い下着は透けて肌に張りついている。 たとえようもない、女の、発情した匂いが辺りにただよう。 そのみずからの匂いが、わたしをさらに昂ぶらせてゆく。 ﹁は、あ﹂ ひざ立ちになってショーツをさげる。 ショーツは股間とのあいだに、ねばって糸を引いた。 牝の臭いが、いっそう強く立ちこめた。 ﹁ん、く︱︱﹂ おそるおそる己の秘所に指をはこぶ。 ずっと手入れのされていなかった茂みの奥。 そこに中指を差し入れた。 長いあいだ、つかわれていなかった秘唇は、それでもかなり敏感 になっていて、指がふれた瞬間、めまいにも似た快感が脳裡に走っ た。 同時に、とば口から大量の蜜がこぼれ落ちた。 ︵すごい、オマ○コ感じまくってる︱︱︶ ためらい かるく絶頂したことで、わたしのなかの躊躇は完全に消えてしま 25 った。 オナニー やわらかな芝生の上に腰をおろすと、本格的に自涜にふけるべく、 邪魔なジーンズ、ショーツを脱ぎ棄てた。 室内の情事をつぶさに観察しながら、自分の蜜穴を懸命に愛撫す る。 左手でクリトリスを、右手で膣洞をこする。 はずかしさなどとうにどこかへ飛んでいた。 ぬぐってもぬぐっても湧いてくる蜜液は、尻まで濡らしている。 シャツのすそは、愛液と土でドロドロになってきた。 ﹁あンっ⋮⋮ん⋮⋮んく⋮⋮ひっ♥﹂ こらえようと思っても、声は自然と喉をついて出てくる。 いや、もしかしたらこらえる気なんてないのかも知れなかった。 わたしはとにかく快感をむさぼろうとして、手をうごかしつづけ た。 出し入れする指は水分でふやけ、ぐちゅぐちゅという水音は絶え 間なく耳朶を打った。 ここ ︵大丈夫。片帯荘の窓は防音だから︱︱︶ そんな、あてにもならない言い訳が、頭の中で駆け巡った。 ﹁ンっ⋮⋮ん⋮⋮はぁっ⋮⋮﹂ 室内の情交は佳境を迎えつつあった。 敦子さんの腰づかいはいよいよはやく、激しくなっていたし、結 合部では彼女の淫唇より出た愛液が、白くにごって肉棒にからみつ いていた。 26 ︵本気汁よね、アレって︶ 本気で感じている、とわたしは思った。 男に媚びた演技ではない。 本気で感じて、本気であえいで、必死で腰を振っている。 余裕なんてまったくなくて、なりふりかまわず快楽を求めている。 男への気づかいなど一切なし。 ただ自分が満たされるためだけの、自分勝手な、最低のセックス。 けれども、どうしてだろう。 ︵綺麗︱︱︶ そんな彼女が、わたしにはこの上なくうつくしく見えた。 うらやましいと思った。 髪を振り乱し、乳をはずませ、目は焦点をなくし、口からはだら しなくよだれをたらしている。 それでも彼女はうつくしかった。 何か神聖で、犯しがたいものがあった。 ︵ああ、そうか︱︱︶ にくひだ 敦子さんの体は、限界をしめしていた。 はため 深々と男を銜えこんだ肉襞は、醜くひろがってびくびくと収縮を 繰り返している。 その収縮が絶頂の前触れであろうことは、すぐ傍目からもわかっ た。 子宮が、女の芯が、精子を欲して蠕動しているのだ。 それが膣全体を収縮させている。 ︵敦子さん、ほんとうに好きなんだ︶ 27 好き。 好きで好きでたまらない。 好きだから己の感情を止められらない。 相手をもとめてやまない。わがままになってしまう。 そうした空気、気分を、彼女は発していた。 紅潮した頬から、とろけた目から、ひくひくとうごめく尻穴から。 とどのつまり︱︱ ︵愛してるんだ︱︱︶ それがうらやましいと思った。 うらやましくて、ねたましくて、わたしはいっそう、手のうごき をはやめた。 ⋮⋮しびれるような快感が脳をスパークさせた。 ﹁あっ、あっ、あっ、ああ︱︱ッ﹂ 自分でもよくわからない感情に押され、わたしは絶頂に達した。 手に少量の、あたたかな飛沫がかかった。 わたしは数年ぶりに股間から潮を噴きあげていた。 ﹁はぁっ⋮⋮はぁ⋮⋮﹂ 荒い息を落ちつかせながら手をひろげて見ると、ねっとりと濃密 なものが五指に糸を引いていた。 こご ほとんど愛液とも呼べないようなそれは、ところどころ白濁して、 指のまわりに凝っていた。 オーガズム 体に力のはいらないまま、目だけを窓に向けてみると、敦子さん の方もちょうど達したところらしく、絶頂に身体をふるわせながら、 28 男にキスをしていた。 その様子にわたしは妙な、違和感のようなものを覚えた。 ︵なんだろう。⋮⋮敦子さんのエッチ、どこかが変︱︱︶ しかし、どこがおかしいのかと問われると、答えられないのだ。 快楽による興奮と、脱力とで脳がはたらいていない。 気になって、わたしはさらに彼女たちを観察した。 敦子さんの割れ目からは、精液がどろり、と流れ出していた。 ゴム 男の方もほぼ同時にイッたようだ。 なかだし 男のモノに避妊具はつけられていない。 膣内射精なのだ。 吐き出された大量の精は男根をつたって、ソファへとたれ落ちて いる。 敦子さんはその吐精を受けて、うっとりと。感激に身をふるわせ ているようにも見える。 ⋮⋮わたしはなんだか。 それ以上ふたりを見ているのがつらくなってきて、急ぎ後始末を はじめた。 濡れて冷えたショーツと、汚れきったシャツのすそをジーンズの なかへ押しこむ。 あちこちについた草や土を払い落とす。 そのうちに、何やらミルクのような甘い香りのするのに気がつい た。 見ればシャツが、自分の母乳で濡れていた。 どうやらオナニーのとき、無意識にいじっていたらしい。 ブツブツ 大きく張った乳房からは母乳がこんこんと湧き出てい、ノーブラ の胸はとがった乳首と、乳輪腺の浮いた大きな乳輪がくっきりと見 えてしまっていた。 29 ﹁あっちゃあ、どうしよう﹂ 張って痛むのと、授乳のたびにつけたりはずしたりするのが面倒 で、ブラをしてなかったのが裏目に出た。 まずいな、表通りには出られないから、一度裏にまわろうか、な どと思案していると︱︱ ﹁ん⋮⋮?﹂ ふと、ひとの視線を感じた気がした。 おおや 気になって顔をあげると、そこに、こちらを見て微笑を浮かべる 敦子さんの姿があった。 ﹁あ︱︱﹂ 彼女は裸のまま、窓際に立ってこちらを見ていた。 かお 股間からは白いものが、ふとももをつたってこぼれている。 表情は恍惚の色を残しつつ、こちらを向いてにっこり、それはも う極上の笑みを見せている。 ﹁あ、あはは﹂ わたしは笑うしかなかった。 彼女に向けてではない。 この期におよんで、すこしだけときめいてしまった自分を、だ。 そう、彼女は本当に綺麗だった。 ︵⋮⋮ううん、まいったなぁ︶ わたしは頬をかいた。 30 人妻、火浦朱美の場合 その2 かたおびそう 虎ノ介の片帯荘における最初の朝は、すこぶる具合のよいもので あった。 いつもどこかにつかれを残しているかのような感覚を、ここ数年 持ちつづけてきた虎ノ介だったが、この日ばかりは、二十一の若者 らしく、生きいきとした気持ちで世界をながめた。 実際、虎ノ介は生まれ変わった心持ちにさえなった。 もの 貧しく頼れる者のなかった自分が、学も才もなく心の在りようす ら弱い自分が、信じた女に裏切られた自分が、女性という存在に対 しはなはだ幼稚な憧憬と、ある種のみじめたらしい復讐心さえいだ いた自分が、無力さゆえに母を死なせた自分が、それらすべて、敦 家族 という言葉の、肯定の響きは。 子の言葉ひとつに救われた思いがしていた。 敦子の云った 虎ノ介自身、思ってもみない強さでもって彼の心を打った。 虎ノ介は彼の持てる誠意のすべてで、伯母の親切に応えようと考 えはじめていた。 ﹁おはようございます。伯母さん﹂ 管理人室へいくと、敦子はちょうど朝食の支度を終えたところで あった。 エプロン姿の敦子に、虎ノ介は亡き母を想った。 ﹁おはよう、虎ちゃん。今、起こしにいこうと思ってたところよ。 昨夜はよく眠れた?﹂ 敦子の問いに、虎ノ介はちいさくうなずいた。 31 ﹁よかった。昨夜はけっこう酔ってたみたいだから、だいじょうぶ かなって心配してたのよ﹂ ﹁酔って︱︱おれ、そんなに飲みました?﹂ 云われてみれば虎ノ介には寝たときの記憶がなかった。 ﹁途中で寝ちゃったの覚えてない? とっておきのブランデーを出 そうって、ふたりで飲んでたんだけど︱︱﹂ 手振りで敦子は酒を飲む仕草をした。 ﹁ブランデー⋮⋮。そう云えばなんとなく覚えてます。すごくおい しかったけど、ひと口、ふた口飲んだらやけに眠くなって︱︱﹂ ﹁そう、それでそこのソファで眠っちゃったの。仕方ないから部屋 までわたしが運んだのだけど﹂ ﹁そうだったんですか﹂ すみません、と虎ノ介は持ち前の素直さで頭をさげた。 女の身で成人男性を運ぶのは、さぞや骨の折れたことだろう。 そう考え、彼は羞恥に顔を紅くした。 ﹁無理にでも起こしてくれたらよかったんです。運ぶの大変だった でしょう﹂ ﹁ううん、それはべつに。ちょうどね、通りかかったひとが手伝っ てくれたのよ。二階の、二〇一に住んでるひとで、火浦さんってい うひと﹂ ﹁はぁ、なるほど。あとでそのひとにもお礼を云わないといけませ んね﹂ ﹁そうね、そうした方がいいわ。それからほかの住人のみなさんに 32 もできれば一度、挨拶した方がいいわよ﹂ ﹁はい。じゃあご飯食べたら挨拶まわりしてきます。⋮⋮あ、そう 云えば姉さんは?﹂ ﹁舞なら出かけたわ。あの子、朝は食べないから﹂ ﹁ずいぶんとはやいんですね﹂ ﹁なんだか研究室の調査とかで、何処か、遠くの湖にいくんですっ て。泊りがけで。だから二、三日留守にするみたい﹂ ﹁へぇ、湖﹂ ﹁藻や水草なんかの、水生植物が専門らしいわ﹂ ところ 舞が名門国立大学の院生だというのは、虎ノ介も聞きおよんだ話 である。 大学という場所を知らぬ虎ノ介にとって、そういった学問の世界 とは、ただ想像してみるぐらいでしかふれえぬものだったが、それ でも自分の姉に近いようなひとが、そんな世界で生きている事実は、 何か虎ノ介を誇らしい気持ちにした。 ◇ ◇ ◇ ﹁ところで虎ちゃん﹂ と、皿をふきながら、敦子は切り出した。 ⋮⋮朝食を終え、片付けの段になって、虎ノ介は手伝いを申し出、 はじめ敦子も遠慮したのだったが、虎ノ介が強引に洗い物をすすめ ると、それでもこの伯母は満更でない様子を見せた。 ふたり、せまいキッチンで肩をよせあう様は、歳のはなれた夫婦 か、姉弟にも見えるのではないか。 虎ノ介はそんなことを考えたりもした。 33 ﹁はい?﹂ 虎ノ介は敦子を見やった。 敦子は﹁べつにたいした話でもないけれど﹂と前置きをしてから。 かね ﹁虎ちゃんはこれからどうするか決めてる?﹂ そう虎ノ介に向かって訊いた。 ﹁どう、とは?﹂ ﹁うん。これから先のこととかね。お金銭とか仕事とか、考えない といけない話よ? これまでのことはだいたい聞いて知ってるけど。 虎ちゃん、前はアルバイトだけで暮らしてたって云ってたけど︱︱﹂ ﹁あ、そういうことですか。︱︱はい。えと、家賃と生活費はアル バイトかけ持ちでまあ、なんとか。病院とかほかになると、貯金を 切りくずしたりして、ちょっときつかったんですけど﹂ ﹁そう⋮⋮。じゃあ毎月大変だったのじゃない?﹂ ﹁はあ。それはまぁ。けど、おれと母さんのふたりだけでしたし、 食ってくだけならなんとか﹂ ﹁年金とか、ちゃんとかけてる?﹂ ﹁年金?﹂ ﹁国民年金、きたでしょう?﹂ ﹁えっと︱︱﹂ 虎ノ介は曖昧に笑った。 いま 正直、興味もない話だった。 現在を生きるのにやっとだった虎ノ介にとって、未来などは。 敦子はちいさく溜息をついた。 34 ﹁やっぱりね。そうだと思った。申請すれば免除になるところ、そ のまま未納か︱︱﹂ こまった子、と云って敦子は虎ノ介のひたいを指で突いた。 濡れてつめたい指先の感触に、虎ノ介は思わず目をつぶった。 ﹁高校も勝手に中退してるし︱︱っとに、もうすこし早く、わたし に連絡してくればいいものを︱︱﹂ ぶつぶつとつぶやく敦子の顔には、つめたい怒りが浮かんでいる。 虎ノ介はあわて弁解した。 ﹁や、でも、だいじょうぶですよ。おれ、伯母さんには迷惑かけま せん。ちゃんと食費も入れます。迷惑かけたくないし、家賃の方も その、五万くらいまでならなんとか︱︱﹂ ここ ﹁おばかっ。だれがそんなこと云ってるか。食費とか家賃なんてね。 あなたは考えなくていいの。家族なんだから。片帯荘はわたしのも のだし、そういうことを考えるのは家長であるわたしの責任よ﹂ ﹁でも甘えっぱなしというわけには︱︱﹂ と、虎ノ介の云うのへ、﹁いいから﹂と、敦子は有無を云わせぬ 口調になって、 ﹁それより虎ちゃん、大学にいくつもりはない?﹂ ﹁大学、ですか?﹂ かね ﹁そう、大学﹂ ﹁そんな金銭おれには﹂ ﹁お金銭のことなら心配しなくていいわ。伯母さんが出したげるか ら﹂ ﹁え?﹂ 35 ﹁学歴が人生を決定するだなんてわたしは思わないけど、あなたは まだ若いんだし。きちんと勉強しておいて損はないと思うの﹂ と、敦子は真剣な目をして虎ノ介を見た。 虎ノ介はなんと答えるべきだろうか、としばし悩んでから、 ﹁でもおれ頭悪いし、大学受験なんて無理ですよ﹂ そんな、ありきたりな否定を口にした。 あのコ ﹁べつに今すぐになんて云ってないのよ? ほら、うちには現役の 大学生がいるんだし。舞に勉強見てもらえばいいじゃない。そうね、 一年か二年くらいかけて、じっくり勉強しなおして。まずは大検と って。あ、今はちがうんだったかしら。まあとにかく、それからあ らためて受験すればいいと思うのよ﹂ ﹁うぅん、でも、そこまでしてもらうのも﹂ 悪い、と虎ノ介は思った。 どだい虎ノ介のなかに、おなじ年ごろの学生らに対する憧れはあ っても、学問そのものへの欲求や情熱はまるでないと云っていい。 そんな気持ちで受験するなど無駄としか思えなかった。しかし、 ﹁姉さんにも悪いですし﹂ ﹁まさか。あの子が嫌がるわけないわ。むしろよろこぶわ、きっと。 だから、ね? そうしましょう。うん、それがいいわ、決まり﹂ 虎ノ介が云うにもかかわらず、敦子は自分ひとりでさっさと決め てしまった。 ﹁そうと決まれば、ほら、やっぱりバイトなんてしてる暇はないと 36 うち 思うのよ。だから虎ちゃんはバイトなんてしないで、ずっと家にい なさい。ね?﹂ ﹁え? いや、それは﹂ ﹁大丈夫、大丈夫。お小遣いくらいならわたしがあげるから﹂ どんどんとすすんでいく話に、虎ノ介は困惑した。 敦子の厚意は確かに彼にとってありがたいものではあったが、 ︵それではあまりに情けない︶ プライド と、虎ノ介は思った。 およそ人並みの自尊心など持ちあわせぬ虎ノ介ではあるが、それ でもこの甲斐性あふるる伯母にすべてをまかせきりとするのは、い ささかに躊躇われた。 だが、そんな虎ノ介の葛藤など敦子は一顧だにしない。 うべな ﹁じゃあそういうことで、はい。虎ちゃんは今日からフリーター卒 業よ﹂ かのじょ 結局。たのしそうに告げる伯母を前にして、虎ノ介は肯うよりほ かなかった。 またできるだけ伯母の意向に沿う形で、伯母の望むものに応えて 家族 のために自分のできうることをなそ いこうという虎ノ介の決心もそこにあった。 ともかくも、彼は、 うと考えた。 ﹁あ。それから虎ちゃんにお願いがあるの﹂ 片付けが終わり。リビングにもどったところで、敦子は付け足す ように云った。 37 エプロンをはずし、ソファへとすわる。 虎ノ介もそれにならった。 ﹁お願い? なんですか?﹂ ﹁うん。前にも云ったと思うけれど、うちって今まで女所帯だった でしょう? それでアパートの管理なんてしてると、どうしても男 手の必要なときがあって﹂ うちの住人のほとんどが女性だし、と敦子はつづけた。 ﹁虎ちゃんが手伝ってくれるとたすかるのだけど﹂ ﹁もちろんかまいませんよ。荷運びでもなんでも、どんどん云って ください。⋮⋮あ、でも機械とか電気とか、そっち系はちょっと無 理かも﹂ 苦手なのだ、と虎ノ介は伝えた。 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ﹁ああ、そういうのは舞が得意だから気にしなくていいわ。虎ちゃ んにたのみたいのは、もっとべつなことよ。男の子にしかできない ハードな仕事︱︱﹂ そう云って敦子は笑った。 どこか、なまめかしい微笑だった。 平常の、格好いい、凛とした様子しか知らなかった虎ノ介は、そ のはじめて見る伯母の顔に、すこしだけどきりとした。 背すじに、寒気にも似た何かがふれた気がした。 ⋮⋮だがそう見えたのはほんの一瞬で。 よくよく見れば、やはり伯母はいつもの伯母であった。 理知的な大人の女性そのものであった。 自分の考えを振りはらうように、虎ノ介はかぶりを振った。 38 ﹁わかりました﹂ ﹁ありがとう。たすかるわ。うちは色々とワケありなひとも多いか ら﹂ ﹁?﹂ ﹁ううん、なんでもない。こっちの話よ﹂ ﹁はあ﹂ ﹁それじゃあ早速なのだけど︱︱﹂ 39 人妻、火浦朱美の場合 その3 ひうらあけみ 二〇一号室の住人、火浦朱美が粗大ごみの処理に難儀している︱ ︱とのことで、虎ノ介はそれを手伝うこととなった。 つまり家具を買い替えたはいいが、何分女手ひとつであり、古い 方をごみ棄て場に持っていくのも容易でないというのだ。 ﹁独身の方ですか?﹂ 虎ノ介は聞いてみた。返ってきた答えは、 ﹁結婚しているし子供もいる。けど旦那さんとは別居中らしいわ︱ ︱﹂ うち およそ、そんなものであった。 片帯荘にはワケありが多い︱︱敦子の言葉が実感として、虎ノ介 にも飲みこめてきた。 いと ﹁力仕事だけど、お願いできる? 虎ちゃん﹂ いな うぐ 虎ノ介に否やはなかった。体力仕事を厭う気持ちもない。彼はた だ自分の迂愚な性格が相手を不快にしないか考えた。 ﹁とにかく一生懸命にしよう﹂ そう己に云い聞かせた。 ・ ・ ・ ・ ﹁もしかしたら、ほかにもいろいろと頼まれるかもしれないけど、 40 ここ 片帯荘はちいさいし、住んでる方も、みんな家族みたいなものだか ら。できるだけ相談にのってあげてね﹂ そう云った敦子の言葉に、虎ノ介は力強くうなずいてみせた。 ◇ ◇ ◇ ﹁火浦さん、なんてやめてよ。仰々しい﹂ と呼ぶように云い、代わりに自分も 虎ノ これからひとつ屋根の下に住む、家族みたいなものでしょう。と、 朱美は云った。 朱美 と下の名で呼びたいのだ、と云う。 自分のことは 介 家 どうかすると馴れなれしくさえあるその態度も、虎ノ介にはあた たかく感じられた。 快活で、さばさばとした人柄に親しみを覚えた。 なんて云われても、ねぇ?﹂ ﹁あ、でも虎ノ介くんもこまっちゃうかな。こんなオバさんに 族 すこし媚びる風に朱美は云う。 虎ノ介はあわて首をふった。 事実、朱美はオバさんというには若すぎた。 歳は三十二だが、二十七か八くらいに見えた。 ショートヘアにうなじの辺りが幾分か長めで、目はぱっちりと大 きく、笑顔がよく似合う。 身体はさらに魅力的だ。 しっとりと脂ののったような肌に、肉づきのいい尻、ふともも。 41 そしてはちきれんばかりに主張している見事な巨乳。 それらをたった一枚のTシャツとジーンズに無造作に押しこんで、 彼女は虎ノ介に相対している。 部屋中に濃くただよう人妻の色香に、虎ノ介は息苦しささえ感じ ていた。 ︱︱仕事は簡単に終わった。 いくつかの家具は大型で、確かに女性の手にはあまるものに思わ れたが、運送会社でバイトしていた虎ノ介にとっては、それほどの 面倒事でもなかった。 ﹁ごめんね。買うときは業者のひとが運び入れてくれたからよかっ たんだけど﹂ 朱美は紅茶をテーブルにならべながら、虎ノ介の機嫌をうかがう ようであった。 ⋮⋮今、虎ノ介は朱美の部屋で、もてなしの茶を受けている。 昨日、迷惑をかけたのは自分であって、礼を云うべきはこちらの 方なのだと、あなたは気にすることもないのだと、虎ノ介はあくま で固辞しようとしたのだが︱︱ ﹁それじゃわたしの気がすまないわ。とにかく、お茶だけでもいい から飲んでいって。ね?﹂ そうさかんにすすめられれば、無下に断るわけにもいかなくなっ てしまう。 ﹁でも本当にたすかったわ。わたしはほら、今、旦那とも別れてる たんす でしょう? べつに普段は気にもならないけど︱︱でも、こういう ときはやっぱり男の子よねぇ。あの大きい箪笥をひょいっ、と運び 42 出しちゃうんだから﹂ 目をほそめて朱美は云った。 虎ノ介は自分が汗くさくないか、すこし心配をしながら。 ﹁いや、おれなんて、そんなに力のある方じゃありません﹂ と、謙遜してみせた。 そうしてバイト時代に見た並外れた力自慢や、体力の持ち主の話 をして、自分がどれだけ平凡かを聞かせた。 ﹁あういうのも、そう、一種の才能だと思います﹂ などと、虎ノ介は朱美としばらく他愛ない話に興じた。 ﹁ごちそうさまでした。とてもおいしかったです﹂ 十分ばかりのあと。 虎ノ介はにこやかに告げると、おもむろに席を立った。 ﹁あ、も、もう行っちゃうの? お茶のおかわり、どうかしら?﹂ それを丁重に断って、虎ノ介は火浦家を辞去しようとし︱︱ ﹁虎ノ介くん!﹂ こわ 強い調子で呼び止められ、おどろき、足を止めた。 振り返ると、朱美がちょっと怒ったような強い顔で虎ノ介を見つ めていた。 43 ﹁な、なんですか?﹂ ﹁虎ノ介くんにお願いがあるの︱︱﹂ ﹁お願い?﹂ ﹁そう。聞いてくれる?﹂ 虎ノ介はうなずいた。 ﹁ええと⋮⋮はい。伯母さんからも、できるだけ相談にのるよう云 われています﹂ ﹁じゃあ、こっちへきて﹂ 云われるまま、虎ノ介は朱美に歩みよった。 ﹁手を︱︱﹂ 手を差し出す。 と、朱美はその手を取り、己の胸へと導いた。 虎ノ介の手に、やわらかくあたたかいものがふれた。 虎ノ介はあわてて手を引っこめようとしたが、朱美はしっかりと その手をつかんで放さず、自分の胸に押しつけた。 ﹁待って。にげないで﹂ と、朱美は云った。 その声は落ちついている。 ﹁な、何を︱︱﹂ 対して虎ノ介の動揺は明らかだった。 彼の声はふるえ、手は急速に汗ばんできた。 44 心臓は早鐘のように鳴っていた。 ﹁なんですか、これ﹂ うわずった声で虎ノ介は訊いた。 ﹁ね、張ってるでしょう? わたしのおっぱい︱︱﹂ 蕩けた目で虎ノ介を見つめ、朱美は云った。 その顔はわずかに上気し、紅らんでいる。 虎ノ介はこくこくと繰り返しうなずいてみせた。 もちろん、女を知らぬ虎ノ介に朱美の乳房が張っているかどうか などわかりようもない。 ただ、その場をごまかすだけの答えである。 たち 女の胸にふれたのもはじめてであった。 おっぱい ﹁わたしね、どうも母乳の出がいい性質らしいのよ。というより、 よすぎるみたい。娘も案外飲んでくれる方なんだけど、それでも足 りなくて、ときどき、こうしてしぼってやらないと、張っちゃって くるしいのよ﹂ ミルク 云いつつ、朱美は虎ノ介の手をつかい、己が胸をもんでいった。 次第にうごきはいきおいを増し、乳頭から分泌された母乳がTシ ャツににじんできた。 虎ノ介はその胸より目がはなせないでいた。 ほんのり甘い匂いをさせつつ、母乳はだんだんとTシャツの染み をひろげていく。 はじめ 乳首は大きく隆起し、今やその存在をはっきりと主張している。 虎ノ介は、朱美が最初からノーブラだったことを知った。 45 ﹁ねぇ、虎ノ介くん。わたしの、わたしのおっぱい︱︱しぼってく れないかな﹂ 朱美は虎ノ介に向かい、吐息のような言葉でもとめた。 ﹁う︱︱﹂ さくにゅう 虎ノ介は、かろうじて首を横に振った。 うぶ この搾乳の誘いが、男女のつながりを期待するものだというのは、 さが いかに初心な虎ノ介でも容易に理解できた。 男の性質として、当然、心惹かれる誘いであったし、またうれし くもあったが︱︱ ﹁でも、おれ、朱美さんのことあまり知らないから﹂ このことであった。 虎ノ介が飢えた童貞で、朱美がまたどれだけ魅力的であったとこ ろで、いや童貞だからこそ、初対面の女性と簡単にまじわることに なお抵抗があった。 その答えに朱美はあからさまな落胆を見せた。 ﹁あ︱︱そ、そっか。ご、ごめんねぇ、こんな子持ちの三十女なん て、虎ノ介くんだって嫌だったよね。は、はは︱︱わ、わかってた んだけどね、虎ノ介くんがあんまり好みだったもんだから。⋮⋮あ は。引っ越して早々、嫌な思いさせちゃったね﹂ 体をはなした朱美の言葉はかすかにふるえていた。 ﹁ほんとう、ごめんね。昨日、虎ノ介くんを運んだときから、何か 変でさ。⋮⋮欲求不満ていうのかな。正直、旦那と別居はじめてか 46 コ らこっち、ずっと寂しかったの。だから虎ノ介くんみたいな男に女 として見られたいって。そう思っちゃった﹂ 告白する朱美の目尻には涙が光っていた。 虎ノ介の心はたちまち苦い後悔におおわれてきた。 ﹁嫌だなんてことは︱︱﹂ ﹁あはは、べつに気をつかわなくてもいいわよ。⋮⋮わたしもわか おおや ってるの。自分がもう、女として見られる歳じゃないんだって。わ たしなんてただのおばさんだもの。敦子さんみたいに美人じゃない し、がさつだし、肌のキメも、二の腕や下腹だって二十代のころに くらべたらずっとゆるんできてる。こんなので男の人に欲情しても らいたいなんて高望みよね﹂ ﹁あ、朱美さんは魅力的です﹂ 自嘲する朱美を見て、たまらず虎ノ介はフォローにまわった。 考えてみれば、彼女の立場で虎ノ介にアプローチするのはとても 勇気のいったことだろう。 そんな彼女を自分は傷つけてしまったのだと、断るにしてももっ は と上手いやり方があっただろう、と虎ノ介は己の浅はかを悔いた。 自分の、子供じみた融通の利かなさを羞じずにはいられなかった。 ﹁高望みなんかじゃないですよ﹂ ﹁お世辞なんて︱︱﹂ ﹁お世辞じゃない﹂ はんばく 虎ノ介は強い調子で反駁した。 ﹁その証拠に、ほ、ほら、おれだって︱︱﹂ 47 と、自分の股間を指す。 そこは激しくいきりたって、男の昂ぶりをしめしていた。 ﹁あ⋮⋮すごいわ、こんな﹂ 朱美は興味津々といった様子で、虎ノ介の股間のふくらみを見つ めた。 ﹁わたしの胸で、興奮してくれたの?﹂ 上目づかいに問う。 首肯し、虎ノ介は目をそらした。 ﹁じゃ、じゃあ。わたしとエッチしたいと思った?﹂ 再度、虎ノ介はうなずいた。 ﹁なら、どうして︱︱?﹂ ﹁それはやっぱり、その格好悪いし。何か、がっついてるみたいで。 それに、おれはただの居候で、何も︱︱女性の期待に応えられるも のなんて持ってないから。朱美さんの力になってあげられないから ︱︱﹂ 途端、朱美が虎ノ介に抱きついた。 やわらかな感触が虎ノ介をつつんだ。 ﹁ばかね。エッチしたくらいで責任とれなんて、そんな重いこと、 年下の子に云わないわよ﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁そ、それじゃあ、その。今でもまだエッチしたいと思ってくれて 48 る?﹂ みたび おそるおそる朱美が問う。 こくりと。三度、虎ノ介はうなずいた。 心中、これは、この流れはもう仕方がないと、あきらめに似た気 持ちがあった。 49 人妻、火浦朱美の場合 その4 ﹁虎ノ介くんっ﹂ 真実うれしげに、朱美は虎ノ介を抱きしめた。 背伸びし、爪先立ちで、虎ノ介の顔へキスの雨を降らせる。 なのよ。そ ﹁好き、好きよっ。昨日、匂いをかいだときから、もうあなたのこ としか考えられなかった﹂ ﹁に、匂い?﹂ 匂いフェチ 思いがけない告白に虎ノ介はたじろいだ。 朱美は若干照れた様子で、 ﹁白状するとね。⋮⋮その、わたしって れもけっこう重度っていうか︱︱好みの匂いをかぐと我慢できなく なっちゃうのよね﹂ と、自分の性癖を打ち明けた。 男の汗や脂などの体臭、そして精の匂い。 それらにたまらなく惹かれるのだと、虎ノ介に語って聞かせた。 ﹁虎ノ介くんは今までかいだなかでも最高に素敵︱︱﹂ 虎ノ介の胸に鼻先を押しつけ、うっとりした面持ちで云う。 対して虎ノ介の胸中は複雑だった。 よろこべばよいのか、哀しめばよいのか︱︱。 50 ﹁それっておれがくさいってことですか?﹂ ﹁え? 全然ちがうわ。いい匂いだってことよ。︱︱うん、独特な 匂いではあるわね。でも、ちょっとくらいくさい方がわたしは好き よ﹂ さかんに匂いをかぎつつ、朱美は云った。 ﹁ねぇ、寝室へいきましょ﹂ 朱美に手を引かれ、虎ノ介は寝室へとはいった。 薄暗い部屋のなか、虎ノ介は傍らにちいさな赤ん坊の寝ているの を認めた。 ひなた ﹁あの子は、朱美さんの?﹂ ﹁ええ、陽向って云うの。可愛いでしょう? ⋮⋮あんまり大きな 声出さないでね? 起こすと可哀相だから﹂ と、朱美は母親らしい気づかいを見せた。 ﹁いいんですか﹂ 気になって虎ノ介は尋ねた。 ﹁大丈夫よ。あの子、いったん眠ったらちょっとやそっとじゃ起き ないから﹂ 小声で朱美は云う。 虎ノ介はかぶりを振った。 ﹁そうじゃなくて。その、旦那さんのことは。ヒナタちゃんの父親 51 でしょう?﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁やっぱりこういうのは︱︱﹂ まずい、と云いかけ、虎ノ介の言葉はさえぎられた。 ﹁いいのよ。もう﹂ ﹁え?﹂ ﹁終わってるの、わたしたち︱︱﹂ ベッドのはしに腰かけながら、朱美は苦っぽい笑みを浮かべた。 ほだ ﹁あいつに結婚してくれって、仕事やめてくれって云われて。わた しもつい絆されて結婚しちゃったんだけど。でもそのときにはもう、 べつに女がいたのよ、あいつ。ずっとむかしからの女がさ。何度も 別れちゃ、その都度よりをもどしてるらしくて。それ知ったときは 上等だあ、慰謝料なんかい ってね。あはは。で、今いろい なんかもう、ばっかばかしくてねえ。 らん、こっちから別れてやる︱︱ ろやってるとこ﹂ ﹁あ、それは、その︱︱う、すいません﹂ 虎ノ介は頭をさげた。 どうも自分はうまくない。と、虎ノ介はあらためて思わざるをえ なかった。 ﹁うん? どうして、虎ノ介くんが謝るの? うふふ、変ね﹂ 云って、朱美は虎ノ介の腕をつかんだ。 彼女に引っ張られる形で虎ノ介は、ベッドへ倒れこむようにはい った。 52 ﹁なぐさめてくれる?﹂ 息のかかる距離で虎ノ介を見つめ、朱美は云った。 真っ赤な舌が、ちいさく舌舐めずりする。 これが女か。 と、その淫靡にしなをつくる様子をながめて、虎ノ介は少々あき からす れる思いがした。 今泣いた烏がなんとやら︱︱。 蠱惑的な色香で虎ノ介にせまっている。 ﹁大きな声出しちゃだめって云ったけど︱︱ふふ、出しそうなのは わたしか﹂ 虎ノ介におおいかぶさるように、朱美はその身をよせる。 汗くさいのでシャワーを、と云った虎ノ介の希望は、当然のよう に却下された。 曰く、﹁そんな処女くさいことを︱︱﹂であった。 ﹁でもおれは処女ですから﹂ ﹁え?﹂ ﹁つまり、その、童貞で﹂ 虎ノ介は正直に告げた。 ﹁え? いやだって︱︱⋮⋮あ、そうか。⋮⋮はいはい。ふふ、そ うか、そうだよね﹂ 虎ノ介の言を、朱美は予想以上におどろきをもって受け止めてい た。 53 二十歳も過ぎてろくに女も知らないというのは、やはりおかしい ものなのだ、と虎ノ介はひどくみじめな気持ちになった。 バイト先で先輩に、自分の彼女を抱かせてやると云われたことな けが どを思い出し、ありがたく受けるべきだったか。などと考えた。 なんと汚れたことを云うやつだと、軽蔑した過去の自分に、彼は 文句を云ってやりたい気がした。 ﹁そういうわけで、がっかりさせちゃうかもしれません﹂ ﹁ううん、何云ってるの。わたし、虎ノ介くんのはじめてでうれし いのよ。こっちこそごめんね。こんなオバさんがはじめての相手で﹂ 朱美の満更でもない様子に、虎ノ介はすこしだけ緊張をやわらげ た。 朱美は年上らしく、虎ノ介をリードしようとうごきはじめた。 ﹁服、脱いじゃおっか﹂ と云って、まず朱美が先に脱いだ。 躊躇うことなく、Tシャツを脱ぎ棄てる。 爆乳と云ってよいサイズの乳房が、ぶるんと、いきおいよく揺れ て出た。 ただ はじめて、女の生の裸を見た虎ノ介は、息を呑んでそれを見つめ た。 朱美の体はうつくしかった。 みずみずしい若さはないが、年相応の爛れた色香があった。 わずかにくずれた身体のラインが、熟れた果物を思わせた。 ﹁あは、は。そんなにじっと見ないでよ。照れるじゃない。⋮⋮わ たし変じゃない?﹂ 54 虎ノ介は首を大きく左右に振った。 ﹁そう? でも下腹とか、微妙に出てきてるよね。最近手入れして ないから、ワキ毛も残ってるし︱︱ご、ごめんね﹂ と、腹の辺りを隠して云う。 ﹁い、いや。そっちの方がどっちかと云うと好き、ですから。おれ ︱︱﹂ ﹁そうなの? ふ、ふ、こんなオバさんの身体がいいなんて、虎ノ 介くんて、もしかして熟女好き?﹂ いら 弄うようなまなざしで、朱美は虎ノ介を見た。 ﹁熟女好き︱︱かどうかはわかりかねますけど。年上が好きなのは 間違いないですね﹂ 敦子や舞の顔を思い浮かべ、虎ノ介は云った。 舞に聞かれたなら間違いなく罵倒されるだろうが、と思いながら。 ﹁そうなんだ。素直なのね、虎ノ介くんて。︱︱やっぱりかわいい なぁ。ふふ、素直な子にはうんとサービスしないとね﹂ 笑って、朱美はジーンズを脱いだ。 クロッチ そしてパンティにも手をかける。 彼女のそこは、はやくも股布部分に染みができつつあった。 ﹁脱いじゃうね﹂ 取り去られたパンティが、股間とのあいだ、銀糸を引く。 55 それを放り投げ、朱美はおもむろに足をひろげた。 虎ノ介によく見えるよう、両足を大きくかかえこむ。 いわゆるM字開脚と呼ばれる形だ。 そうしておいて、生い茂った陰毛をかきわけ、みずからの秘裂を 指で割りひらいて見せた。 そこはぬらぬらと、濡れて、うごめいていた。 ﹁虎ノ介くんは、女のアソコ見るのはじめて?﹂ 興奮で息を荒くしながら、朱美は虎ノ介に尋いた。 虎ノ介は力なくうなずいた。 ポルノで何度か見たことはあったが、それらにはみなモザイクが かけられていたため、はっきりと女性器を見るのはこれがはじめて であった。 ﹁そう。最近はネットでいくらでも見れるのかと思ってたわ﹂ ネットはよく知らない、と虎ノ介は答えた。 ﹁うふふ、それじゃ全部がはじめてなのね。⋮⋮じゃあよく見て。 これが女性の生殖器。つまりオマ○コ。これから虎ノ介くんがはい るところよ﹂ 赤みがかった肉をグニグニといじくって、朱美は云った。 ﹁こまかく説明すると⋮⋮ふふ、この黒ずんで盛りあがった部分が 大陰唇。毛の生えてるところね。それでその内側にヒダが見えるで あずき しょう。⋮⋮これね。これが小陰唇。そしてこのヒダが、上の方で つながってるところ。ここに隠れてるこの小豆みたいのが陰核︱︱ クリトリスよ。⋮⋮男性のおち○ちんにあたる部分ね。個人差はあ 56 なか るけど、一般に女性の一番感じるところと云われてるわ﹂ ﹁朱美さんも?﹂ ﹁わたしは⋮⋮クリよりも膣内の方が好きかな。、むかしはクリの 方が好きだったけど。今はなかを満たされる感覚が好きね﹂ と、幾分照れながら朱美は答えた。 ﹁ンっ︱︱それから、ここが膣口。大きめの穴がヒクヒクしてるの わかる? これがオマ○コの穴よ︱︱﹂ ﹁これが︱︱﹂ ﹁あ、あはは、やっぱりこうしてじっと見られると、ちょいとはず かしいわね。僚子先生ならもうすこしうまくやれるんだろうけど。 さ、ここに虎ノ介くんがはいるの。脱いで︱︱﹂ 虎ノ介ははやる気持ちを抑え、服を脱いでいった。 染みのできたボクサーブリーフをおろすと、拘束から解き放たれ たペニスが、天をあおいでそそり立った。 カウパー すこしあまり気味の皮が、亀頭をわずかにおおってい、先端から は独特の臭気を放つ先走りがとくとくと流れ出ている。 ﹁あ、虎ノ介くんって仮性なのね﹂ 朱美が云った。 ﹁う、やっぱり変ですか?﹂ ﹁ううん。全然魅力的よ。それにけっこう多いって聞くし。⋮⋮ほ ら、こっちにきて﹂ と、虎ノ介のペニスに手をのばす。 57 ﹁う﹂ ﹁あは、すごい。もうグチャグチャね。⋮⋮いい匂い。こんなのか オナニー がされたら、女ならだれだっておかしくなるわよね。ね、普段はこ んな感じで自慰するの?﹂ 朱美の手によって、皮ごと上下にしごかれ、虎ノ介はうめいた。 湧きあがる快感を懸命にこらえ、首を縦に送る。 ﹁そっか。わ、皮の内側まですごいね。ちゃんと洗ってる?﹂ あのあと だもんね。そりゃついて ﹁あ、洗ってるけど、昨日は風呂はいってない、し︱︱﹂ ﹁あ、そっかあ。そうよね。 るか﹂ 手についた先走りやカスを舐め取ると、朱美は何やら陶然とし、 なぶる手にさらに力をこめた。 いきおい虎ノ介は腰を引いて身体をまるめた︱︱ ﹁ちょ、ちょっと待った︱︱﹂ 哀願の目で朱美を見た。 しかし朱美は、その手を止めない。 ﹁だーめ。ほら、にげないで﹂ ﹁うァ︱︱﹂ ﹁ふふ、虎ノ介くんて感じやすいのね。自慰もすぐイっちゃう方?﹂ うれしそうに、獲物を捕らえた肉食獣のごときに目を爛々と光ら せ、朱美は虎ノ介を責めた。 虎ノ介を横から抱きかかえるようにし、ペニスを愛撫していく。 豊かな胸が虎ノ介の背や肩におしつけられる。 58 その感触にますます虎ノ介の理性は揺らいでいく。 ﹁ば、ばかにして︱︱﹂ ﹁やあねぇ、ばかになんてしてないわ。かわいいなあ、愛しいなあ オナニー って思ってるのよ?﹂ ﹁お、自慰は自分でコントロールできるから︱︱﹂ ﹁そっか。長持ちするんだ。⋮⋮じゃこれはどうかしら?﹂ 云うや、朱美は虎ノ介のペニスを口にふくんだ。 59 人妻、火浦朱美の場合 その5 呼吸とともに増減する口内の熱。 ペニスにからみついてくる舌の、ざらざらと濡れた感触。 吸いこむようにしめつけてくる頬肉と喉のうごき。 それら直截な刺激に、虎ノ介は思わず腰を浮かせた。 気を抜けばすぐにでも果ててしまいそうな快感が連続で押しよせ、 彼の必死の抵抗は容易に吹き飛ばされそうであった。 自然と虎ノ介の顔は歪み、肛門は引きしめられた。 朱美は体をかがませたまま、上下に頭をうごかしていった。 頬と、舌と、喉奥で、慣れない虎ノ介を追いつめてゆく。 上目づかいの目はよろこびで彩られている。 ﹁んっ、ぢゅむ⋮⋮ん﹂ 大量の唾液のなかでころがされるペニス。 一見醜悪にも見える表情で怒張をしぼりたてる女。 快感と羞恥がないまぜとなって虎ノ介の脳に訴えかけた。 ﹁ぷはっ⋮⋮いい。おち○ちんで歯ブラシ、美味しい︱︱﹂ 云いながら、朱美は歯列と頬肉のあいだにペニスをはさみこみ、 ゆっくりしごいた。 空気のもれる下品な音が鳴った。 虎ノ介は自分の限界が近いことを伝えた。 ﹁あ、イッちゃいそう? いいよ、イッて。⋮⋮好きなタイミング でぇ、イッて⋮⋮!﹂ 60 は じぷじぷと、水音はますます淫らに激しさを増してゆく。 口の端からこぼれた液体が、朱美の口もとや、頬、虎ノ介の股間 をよごしていく。 彼女の頬には口内を突くモノの形がはっきりと浮き出ている。 虎ノ介はとうとうこらえきれなくなり、 ﹁だめだ、イク﹂ 射精を告げた。 奇妙な敗北感が彼の背をふるわせた。 ﹁ん⋮⋮イッて、好きにイっていいから。わたしの口に、精子いっ それ を解放した。 ぱいぶちまけて。⋮⋮全部、ちゃんと、飲むから﹂ ﹁出る︱︱﹂ 目をつむって、虎ノ介は じん、としびれるような快感が彼の視界を白く染めた。 大量の精が輸精管を駆けのぼってゆく。 打ち出された大量の精子が、朱美の喉をたたく。 射精は止まらなかった。 虎ノ介はなかば呆然として白濁を吐き出しつづけた。 その吐精を、朱美はこくこくと喉を鳴らして飲んでいった。 唇からひとすじ、白い液体がたれた。 ﹁ん、ぷ⋮⋮ぷはっ⋮⋮ごほ⋮⋮﹂ 一分近い絶頂ののち、虎ノ介の射精はようやく終わりを迎えた。 そのすべてを口内で受け止め、多少つらそうにしながらも飲み終 えると、朱美は満足げな笑みを浮かべた。 61 ﹁ごちそうさま﹂ ﹁お、お粗末さまでした﹂ ﹁⋮⋮ぷっ、何それ﹂ 虎ノ介が頭をさげるのを見て、朱美は吹き出した。 ﹁いや、その﹂ ﹁ん∼、べつに粗末でもなかったわよ。⋮⋮濃厚で、苦くて、むせ かえりそうなくらい生臭くて。ふふ。美味しかったわ﹂ などと云われ、虎ノ介は混乱した。 あんなものが美味だとは、虎ノ介には到底信じられなかった。 朱美は、放ったばかりの虎ノ介のモノへ愛しそうにふれた。 ﹁まだ全然元気ね。虎ノ介くん﹂ その言葉どおり、虎ノ介のそれはいまだいっこうにおとろえる気 配がなかった。 しきりにびくびくとふるえ、物欲しげな構えで天をにらんでいる。 口淫によって包皮はむかれ、赤い亀頭が完全に露出している。 虎ノ介ははじめて得る期待と興奮に、自分がどれほど女というも のへ欲を持っていたか知った。 自分のあさましさを思うにつれ、うんざりとした気持ちになった。 少年のころ、よく大好きだった伯母や姉や、年上の幼なじみを想 って、夜中布団に股間をこすりつけたりしたのが思い出されてきた。 からだ 敦子と風呂に入った折、性のなんたるかも知らぬままに、彼女の 肢体を見て、己を強く勃起させたことなども連想された。 自分のうちに、生々しい欲求の人一倍強くあるのを、彼は自覚せ ずにおれなかった。 62 ﹁もう、もう入れて。前戯なんかいらないから、ね?﹂ もはや我慢できぬと云った風情で、朱美は云った。 股を大きくひろげ、﹁こいこい﹂と誘う。 彼女のそこはしとどに濡れ光っていた。 ﹁は、はい﹂ 云われるまま、虎ノ介は女に身をよせた。 ペニスは痛いほど張りつめてい、連戦もまったく問題はなさそう だった。 ﹁入れます﹂ 告げて、虎ノ介は朱美の陰裂へとペニスを押しあてた。 そうして腰を前に押し出したが︱︱ ﹁あ、あれ?﹂ ひだ ペニスは襞をすべり、その目標をはずした。 ﹁ふふ﹂ 朱美は微笑み、みずから腰を浮かせた。 そうしておいて、今度はペニスを手ずからつかんで、自身の花芯 へとそえた。 ﹁そのまま、腰を前に︱︱﹂ 63 きっさき 導きにしたがい、虎ノ介は腰を入れた。 肉棒はゆっくりとその切先を膣へ沈みこませていった。 なか すこしはいったところで、朱美はその両足をやさしく虎ノ介にか らめた。 ぬるんっ、と。 ぬめりある感触とともに、虎ノ介のモノは完全に朱美の膣へ飲み こまれた。 朱美の口から歓喜の声がもれた。 ﹁はああああ⋮⋮♥ お、おち○ちん、はいってきた︱︱﹂ はじめて知る女の胎内の味に、虎ノ介は知らず身ぶるいをした。 またすぐにでも精をもらしてしまうのではないか。 そんな危惧の念が脳裏を横切った。 強く、やわらかく、ひたすら男をつつみこんでくるその感覚に彼 は恐怖すら覚えた。 なか ﹁お、おめでとう。これで童貞卒業よ♥ ︱︱どお? はじめての 女の膣は﹂ ﹁や、なんか、ええと⋮⋮すごい?﹂ ﹁うん? すごいか﹂ ﹁はい。あと気持ちいい、です︱︱﹂ ﹁そう? そう。うふふ、よかった﹂ 云って。朱美はわずかに腰をつかった。 ﹁う﹂ 眉根をよせ、虎ノ介は朱美をにらんだ。 朱美は虎ノ介の反応に気をよくした様子で、 64 ﹁かわいいなあ。わたしで、感じてくれてるんだ﹂ と云った。虎ノ介は肯定した。 ﹁出したばっかなのに⋮⋮気を抜いたら、またすぐ﹂ ﹁ん。いいよ。好きに出しちゃって﹂ と、愛し子でも見るかのように、朱美は慈愛の目を向けた。 ﹁でも、あ﹂ ミス そこまで話したところで、虎ノ介は、己が決定的な過ちを犯した ことに気づいた。 コンドーム ﹁おれ、避妊具をつけてない︱︱﹂ ﹁え? あ、そういやそうね﹂ 朱美はあっけらかんと云った。 虎ノ介は歯噛みする気持ちで、みずからの失策を悔いた。 まったく、これ以上ない最大級の失態だと云えた。 おまえはやることなすこと抜けていると、かつてひとに云われた ことを思い出した。 スキン ﹁まあまあ、べつにいいわよ。避妊具なんてなくても﹂ 生の方が気持ちいいでしょ、と朱美は笑った。 ﹁そんな。だめですよ。避妊はしないと︱︱﹂ ﹁んー、でもわたし、今持ってないわよ? 虎ノ介くんは持ってる 65 の?﹂ ﹁いや︱︱﹂ 持っているわけがない。 何せついさっきまで紛うことなき童貞だったのだから。 仮にこれがデートや恋人と会う前だったとしたら、虎ノ介も用心 に準備ぐらいはしていたかもしれなかったが。 ﹁こ、これから買いにいくというのは︱︱﹂ ﹁ダメに決まってんでしょ、ンなもんっ﹂ 憤然と朱美は否定した。⋮⋮目がすわっていた。 ﹁ここまで引っ張っておあずけされるくらいなら、いっそこのまま 思いっきり出されて孕んだ方がマシ!﹂ などと、物騒なことを云う。 ﹁や、けど⋮⋮あ、今日は大丈夫な日、とか?﹂ ﹁知らない、基礎体温なんて計ってないもん﹂ ﹁ぐ﹂ ﹁やあ、大丈夫だってぇ。たしかこないだの生理が︱︱⋮⋮﹂ と、朱美は指折り数え云った。 ﹁うん、あの辺のアレだったから、ふむふむ、うん大丈夫大丈夫。 安全日安全日﹂ ﹁いや、超テキトーじゃないですか﹂ ﹁あーもう、ぐちゃぐちゃと﹂ 66 たまりかねた風に朱美は怒った。 両の足を虎ノ介の腰にかたく巻きつけると、引っくり返す要領で、 ぐいと虎ノ介を倒した。 朱美と虎ノ介は上下が入れ代わる形となった。 騎乗位である。 朱美は問答無用とばかりに、腰を、前後左右へと振りたてた。 ﹁うっ、ちょっと︱︱﹂ ﹁さっきも︱︱⋮⋮云ったでしょ? 虎ノ介くんに責任なんて、ん、 取らせないから︱︱﹂ ﹁そ、そう云ってもな﹂ がんろう 押しつけられた媚肉がやわやわと虎ノ介を玩弄する。 その、密着したまま、男根を一切出し入れしようとしないやり方 に、虎ノ介は朱美の、女としての意地汚さを見た気がした。 ⋮⋮朱美は男を存分に味わっていた。 ﹁妊娠してもっ︱︱虎ノ介くんに迷惑なんてかけないから。今だけ でいいから、だからぁ、虎ノ介くんもちゃんと、してっ⋮⋮。朱美 を、愛してぇ⋮⋮!﹂ 途切れとぎれの言葉であえぎつつ、朱美は腰を揺すった。 怒張にねっとりとからみつく膣の感触。 それが前後左右に、円だったり、線だったりと、不規則にうごく のをたのしみながら、虎ノ介はそれ以上に、朱美のやさしさに感激 した。 そうしてひそかに覚悟を決めた。 流されているという自覚は、思考の外へと遠ざけた。 ﹁朱美さん﹂ 67 下から、豊かな双乳へ手をのばした。 ﹁あんっ﹂ ミルク 乳房は、虎ノ介の指が沈むごとに乳頭から少量の母乳を噴き出さ せた。 朱美をまっすぐに見て、虎ノ介は下から腰を突きあげた。 ほとんど不意打ちに近く、膣奥を突かれたため、朱美は﹁ひっ﹂ とかるい悲鳴に似た声をあげた。 怒張は朱美の奥深く、子宮口にまで達した。 虎ノ介は、大きな乳房をもてあそびながら、繰り返し腰を突きあ げた。 絶えず性器を通して送りこまれてくる快感を、虎ノ介は必死に歯 を食いしばってこらえた。 ごつと奥を突きあげるたび、絶頂のパルスがすぐそこまで近づい ているのを感じた。 彼は朱美を愛するという一事に全精力を傾注していた。 な ふたりの交合がすすむにともない、朱美の顔からもだんだんと余 裕が失われてきた。 子宮と亀頭がつながるたび、朱美は強く反応し、哭き声をあげた。 ﹁ポ、ポルチオとはや、やるわね︱︱⋮⋮﹂ ⋮⋮そう、くやしげにつぶやく朱美の顔は紅潮し、全身からじっと りと脂汗がにじんでいた。 股奥からはだらだらと、小便でももらしたように愛液があふれて いる。 結合部の水音は次第に大きく、はやくなっていった。 68 ﹁もしかして、くるしいとか、痛かったりします?﹂ 虎ノ介は問うた。 女性経験のない虎ノ介にとってはすべてが未知であり、朱美のも らす法悦の吐息が、快楽によるものか、苦痛によるものか、判別が つきかねた。 ふるふる、と朱美は首を横に振った。 69 人妻、火浦朱美の場合 その6 ﹁気持ちいい︱︱﹂ 朱美はほとんど息も絶えだえに云った。 それはよかった、と虎ノ介は奥への責めを継続した。 何か、男の本能のようなものが、女の奥まった場所へと虎ノ介を 向かわせた。 ﹁お、奥ばっかり︱︱ん⋮⋮ぁンッ⋮⋮奥ばっかり、ちゅっちゅす るのね︱︱﹂ と 朱美は蕩けきった表情で虎ノ介を見た。 虎ノ介は答えなかった。 前のめりとなった朱美のあご先から、汗とよだれの入りまじった 雫がこぼれた。 雫は虎ノ介の口中に落ち、虎ノ介はそれをじっくりと味わってか ら嚥下した。 ﹁お、男のひとは︱︱﹂ ピストンのたび、大きく上下に揺れる乳房から、母乳がスプリン クラーのようにこまかく散る。 降りかかる母乳の、甘い匂いをなつかしく思いながら、虎ノ介は 言葉のつづきを待った。 きしむベッドが、ひときわ大きな音を立てた。 ﹁子宮へ帰ろうとする⋮⋮んっ⋮⋮本能があるって云う、けど⋮⋮ 70 ンッ⋮⋮ふふ、あながち間違ってないのかも﹂ ﹁⋮⋮コレ、子宮ですか?﹂ 尋ねつつ、虎ノ介は腰を跳ねあげてみた。 亀頭に、膣壁とはちがう硬いものがあたった。 ﹁ひ︱︱ッ♥﹂ ﹁!﹂ 朱美の体が硬直する。 突然のことに虎ノ介はおどろきを隠せなかった。 朱美の膣は急激にしめつけを強くし、ふとももは痛いくらいに虎 ノ介の腰をはさみつけた。 明らかに朱美は絶頂していた。 ﹁う、うん⋮⋮ハァ⋮⋮そ、そう、子宮口。女の子の、一番大事な ところだから、あ、あんまり無茶しちゃ、ダメよ︱︱⋮⋮?﹂ かなり焦点のあやしくなった目で見つめると、朱美は、虎ノ介へ おおいかぶさってきた。 甘えるように虎ノ介の唇をもとめる。 虎ノ介はそれに応える形で、彼女の唇を吸った。 そうしてキスをしながらも虎ノ介は腰を小刻みに揺らした。 朱美の胸は押しつぶされ、虎ノ介の鎖骨のくぼみへ、わずかに母 乳がたまった。 ﹁∼∼∼ッ! ⋮⋮ふ、ふ、ぐぅ⋮⋮む、ぢゅ﹂ 獣じみたうめきを発しつつ、朱美は虎ノ介へむしゃぶりついてく る。 71 虎ノ介はさかんに送りこまれてくる唾液を夢中で飲んでいった。 口内を犯す舌に、己の舌をむすびつけた。 ﹁ぷはっ。しあわせ⋮⋮しあわせよ、虎ノ介くん︱︱﹂ 朱美は云った。 その瞳からひとつ涙がこぼれ落ちた。 虎ノ介は朱美の頭と背中をなでさすった。 朱美の涙の裏に、どれだけのものがあるのだろうと、虎ノ介は想 像してみた。 虎ノ介が腰のうごきを止めると、朱美の膣肉は無意識にかうごめ いて、虎ノ介にさらなるうごきをうながした。 ﹁あー、朱美さん?﹂ ﹁う、ん⋮⋮?﹂ うろん 胡乱な様子で朱美は返事をした。 ﹁残念なお知らせがあります﹂ ﹁⋮⋮?﹂ ﹁もう限界。これ以上うごくと、出ちゃう﹂ ﹁⋮⋮うん﹂ そっぽ ﹁なので、その、ちょっと︱︱どいてくれますか?﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁あの、朱美さん?﹂ ﹁やだ﹂ ほっぺた ようでもあった。 と、朱美は頬辺をふくらませ、外方を向いた。 引きもどされた 目にはだんだんと光がもどってきていた。 それは虎ノ介の言動に、 72 ﹁え?﹂ ﹁抜きたくない﹂ なかだし ﹁いや、でもやっぱり膣内射精は﹂ ﹁ああ、もう虎ノ介くんったら冷めることばかり云って。ほんっと 子供。女をわかってない。いいの、こういうときはもう出しちゃっ て。孕ませるつもりでズビズバ出すの! それが女に対する礼儀な なか んだから。遠慮なんかせずに一気にトバして、オマ○コ手なずけな さいっ﹂ 云ってまた、朱美は腰をつかいはじめた。 ⋮⋮今度こそ、虎ノ介は観念した。 ﹁あ︱︱︱︱ヤバ、出る、出る︱︱﹂ 断末魔とともに、虎ノ介は放出した。 我慢に我慢を重ねたそれは、怒張からすさまじいいきおいで膣内 へと撃ち出されていった。 亀頭をはなすまいと捕らえていた子宮は、子宮口から直接、精液 の噴射を受けた。 ﹁ううううぅ∼∼∼︱︱︱︱⋮⋮﹂ けが 絶叫に近い声をあげて、朱美は体を反らした。 その身体はぶるぶるとふるえている。 放たれた牡液は、確実に朱美の子宮を汚していった。 ﹁ああ︱︱これが、虎くんの精子⋮⋮♥﹂ 下腹を押さえて朱美はうっとりとつぶやいた。 73 虎ノ介は、射精の快感でなかば気を遠くしたまま、ぼんやりと朱 美をながめていた。 ◇ ◇ ◇ ﹁わたしこれでも、ちょっと、稼いでるのよ﹂ と、朱美は云った。 情事のあとの火浦家寝室。 そこで虎ノ介は朱美とともにベッドに横たわって、朱美の語るの を聞いていた。 ⋮⋮あれから三回戦を経ている。 なつめ ようたろう 結局、虎ノ介は朱美に誘われるまま、すべての精を彼女のなかへ と吐き出してしまっていた。 ﹁お仕事は何してるんですか?﹂ 虎ノ介は訊いた。 ﹁わたし? 作家よ﹂ ﹁作家さん、ですか﹂ ﹁うん。もっと云うなら小説家? 夏目陽太郎ってペンネームなん だけど﹂ 知らない? と朱美は虎ノ介を見た。 うつぶせで虎ノ介によりそう朱美の乳房は、虎ノ介の肩に大きく 歪められて、甘い匂いを放っている。 74 ﹁夏目︱︱? え、まさか夏目陽太郎? 新進気鋭のハードボイル ド作家、夏目陽太郎?﹂ ほんとうに? 虎ノ介は目を丸くした。 ﹁﹃ブラッドシール﹄とか、﹃とどけ炎﹄とか書いてるあの夏目陽 太郎?﹂ ﹁あ、知ってたか﹂ ﹁そ、そりゃあ知ってます。ファンですから。だって、あの、あの 夏目先生でしょう? デビュー作でいくつも賞を取った。七作目の ﹃遠雷のカルナヴァル﹄はあの曲木賞候補にまでなった﹂ ﹁く、くわしいのね﹂ ﹁殺された主人公の仇討ちを決意したヒロインが、主人公の亡骸を 抱いて寝たりする、あの夏目先生ですよね﹂ 興奮した口調で虎ノ介はまくしたてた。 ﹁あのシーンでどれだけ泣いたことか﹂ ﹁ちょ、ちょっと、拝むのやめて︱︱﹂ ﹁わ、ほんとうに、すごいや﹂ と、虎ノ介はすっかり尊敬のまなざしとなって、朱美を見た。 そこにいたのはひとりの純粋なファンであった。 かね ﹁⋮⋮ま、まあ。そういうわけでね。こう見えて結構あるのよね、 お金銭﹂ ﹁おお、さすがです﹂ ﹁な、なんかやりづらいわね。んで、とにかくね。⋮⋮まぁ、だい じょうぶだから﹂ ﹁はあ、だいじょうぶ、ですか﹂ 75 いまいち言葉の意味がつかめず、虎ノ介は曖昧に相槌を打った。 ﹁うん﹂ と朱美は、やさしげな微笑を浮かべた。 ﹁もしね、虎ノ介くんとの子供ができちゃっても、虎ノ介くんには 迷惑かけないから﹂ ﹁は? あ、ええと。それって本気でした?﹂ ﹁うん、本気よ﹂ ﹁真剣に?﹂ ﹁真剣真剣﹂ ﹁初対面で?﹂ ﹁初対面じゃないわよ﹂ 二回目だもの、と朱美は訂正した。 ﹁えと、その、アフターピルとか、あるみたいですけど﹂ ﹁やあよ、そんなの。もったいない﹂ ﹁もったいない、って﹂ 虎ノ介は顔を引きつらせた。 朱美はニコニコとたのしそうに、そんな虎ノ介を見つめていた。 ﹁やー、いい息抜きさせてもらったなあ。敦子さんにお礼云わなく っちゃ﹂ ﹁え? や、それ待って。伯母さんに云うのだけは﹂ 勘弁してください。と虎ノ介は哀願した。 76 引っ越して二日目で、住人と関係をむすんだ。 その事実が露見したときのことを想像し、虎ノ介は顔を青くした。 ﹁あは。わかってるって。冗談よ、冗談﹂ 朱美は笑う。 ﹁でも敦子さんなら、べつに気にしないと思うなあ﹂ ﹁まさか︱︱﹂ ﹁うふふ。ま、いいけど。⋮⋮あ∼、にしても久々にいいセックス したわ。なんだか今なら、いい作品が書けそう﹂ 仰向けになって、朱美は大きくのびをした。 ﹁あ、それはよかったです﹂ 虎ノ介も、そう云われ少し安心をした。 わずかながら自分も役に立てたのだと、考えた。 ﹁次の作品の予定とか、あるんですか﹂ ﹁う∼ん、そうねえ。次は、今日の経験とか生かしてみようかしら﹂ ﹁今日の経験?﹂ ﹁まず主人公は人妻ね。寂しい生活を送る彼女の前に、あるとき、 ひとりの青年があらわれるの。人妻は彼と関係をむすぶわ。青年は、 旦那の留守中に人妻を調教して、最終的には旦那の前でエッチした り、旦那のもとにアヘ顔ピースでよがる妻のビデオがとどいたり﹂ ﹁エロ小説じゃないですか﹂ ﹁タイトルは﹃セックスと嘘とビデオレター﹄﹂ ﹁もろパクリじゃないですか﹂ 77 虎ノ介は溜息をついた。 まあ作家が新作の構想を正直に教えてくれるわけもないか、など と己で考えてみて納得する。 ﹁ふふ、できたらまっさきに読ませてあげる﹂ ﹁はい。たのしみにしてます﹂ と、そんなやりとりをしていると︱︱ ﹁ふぎゃ︱︱﹂ 不意に、赤ん坊の泣く声がした。 瞬時に朱美は体を起こした。 ﹁ヒナタ、目を覚ましたみたい。⋮⋮ごめん、ちょっと見てあげな きゃ﹂ ﹁あ、はい、どうぞ﹂ 云って、虎ノ介も体を起こした。 ベッドを出て、脱いだ服をふたたび身につける。 そうしていやに喉が渇いていることに気がつき、虎ノ介はリビン グへと向かった。 テーブルの上に残してあった紅茶を見て、それに手をのばした︱ ︱。 ﹁虎ノ介くん、だめっ﹂ 背中から声をかけられ、虎ノ介はその手を止めた。 振り向くと、裸のまま赤ん坊を抱いた、朱美の︱︱あわてた姿が あった。 78 ﹁だめよ、飲んじゃ﹂ ﹁朱美さん⋮⋮?﹂ いぶかしく思いながら、虎ノ介は朱美を見た。 朱美は、そそくさとその紅茶のポットを片付けると、 ﹁もう渋くなってるから﹂ シンク と云って、キッチンの流し台へ棄ててしまった。 ﹁はぁ﹂ やや釈然としないまま、しかし、虎ノ介はうなずいた。 ﹁喉が渇いたの?﹂ ﹁ええ、まあ。でも、いいです。帰って水でも飲みますから﹂ ﹁そう? ごめんね。何もおかまいできなくて﹂ ﹁いえ。それより、もっといいものをもらいましたから﹂ と、虎ノ介は静かに云った。 朱美は頬を染めた。 ﹁虎ノ介くんったら︱︱。⋮⋮うん。ね、虎ノ介くん。喉、渇いて るのよね? ならちょっと、これ飲んでみない?﹂ と。朱美は妖艶に息をもらし︱︱ ﹁ちょっとはずかしいんだけど︱︱﹂ 79 そっと己の胸に手をやった。 虎ノ介は、その意図に気づいて、ごくり喉を鳴らした。 ゆっくりと、虎ノ介は朱美のもとへ近づいていった。 朱美の腕のなか、赤ん坊がうれしげに笑った。 80 女医、島津僚子の場合 ︱︱チャイムが鳴って、ドアを開けてみると、そこにひとりの青年 が立っていた。 した わたしよりいくつか年下だろうか。 二十歳前後の純朴な感じの青年だった。 ひと ひとのよさそうな柔和な笑みを浮かべてい、面立ちはいかにもひ となつかしげな風で、幼いころから人間の善性を信じて育ったなら くら ばこうなるだろうかと思わせた。 そのくせ目は奇妙な昏さをたたえてあって、非常に感じやすい、 見る者によってはイライラとするような心ぼそさをうかがわせた。 青年は全体に、何か物寂しいところを感じさせ、同時になんとな くひとを惹きつけるところがあった。 ︵まるで棄てられた犬か猫だな︶ わたしは寝起きでボサボサの頭をかきつつ、そんなことを思った。 ︵犬猫に眠りを邪魔されたか︱︱︶ は 夜勤明けでいまだはきとしない頭のまま、すこしだけおもしろく 思った。 にやりと口の端が歪む。 わたしは笑いを相手に悟られぬよう、ついと眼鏡を直して云った。 ﹁何か︱︱?﹂ 81 青年はすこしばかり緊張した様子で頭をさげた。 くどう ﹁あ、こんにちは。おれ、隣の一〇三に引っ越してきた久遠と云い ます。えっと、それでアパートのみなさんに挨拶したいと思って。 ⋮⋮あ、これよろしかったら、どうぞ﹂ と、青年は、手に持った菓子箱を渡してきた。 ﹁⋮⋮それは、ご丁寧にどうも﹂ 云って受け取る。 ﹁お口にあうといいんですけど﹂ ﹁はァ﹂ ﹁ああっと︱︱﹂ と、そこで青年は押しだまった。 だまって、こちらを見つめてくる。 ⋮⋮何かを云いたいとでもいうような、あるいは何か、こちらに期 待をするような目だった。 ︵なんだ?︶ わたしはいまいち意図がわからず、ただ相手の反応を待った。 ややあって、青年は、何かをあきらめたようにちいさく笑って、 ﹁これからよろしくお願いします。何かこまったことがあったらい つでも云ってください。おれ、管理人の手伝いもしてますから。そ れじゃあ﹂ 82 と、その場を去った。 ︵手伝い、ね︱︱︶ わたしは彼の背中を見送りながら、ゆっくりドアを閉めた。 ︵何が言いたかったのだろう︱︱︶ すこしだけそのことが気になった。 ︵そう云えば、やけにきょろきょろとしていた︶ あれはなんだろう。 確かに彼は視線を上下させて、顔も心なしか紅かった気がする。 わたしは周囲を見回してみた。 ﹁ん︱︱﹂ 見れば足もとに、パンプスがあちこち散らばっていた。 天地を逆にしているのもいくつか見受けられる。 ︵女のくせにだらしないと思われたかな?︶ 失敗した、と思った。 よく周囲から﹁女っぽくない﹂とか、﹁女性の自覚がない﹂など と云われているが、それでも別段それをよしとしているわけではな いのだ。 ただそれは、気づけばそうなっているというだけの話︱︱。 ﹁うん?﹂ 83 しつら そうしてもうひとつ、それらしい理由に思いあたる。 下駄箱に設えてある姿見に映った己の姿︱︱。 そこには、いつもの不機嫌なしかめつらに、いつものスクウェア 眼鏡という、まったくいつもどおり平常運転のわたしがいた。 そして鏡のなかのわたしは、こまったことに寝起きそのままの、 ハイレグショーツにうすいキャミソールという、みっともないイン ナー姿であった。 白いショーツには陰毛の黒がすこしだけ透けてい、胸の辺りには 乳首がはっきりと浮いて出ていた。 ﹁ああ、これか︱︱﹂ なるほど、とひとり納得する。 これでは、相手がこまるのも無理はない。挨拶にいってみたら、 いきなり頭ボサボサ、二日も風呂にはいってないような汚い女が、 格好だけはえらく扇情的な姿で出てきたのだ。 それは、まったく鬱陶しいはずだった。 ︵今度、会ったら謝ろう︶ そう心に留め置いて、わたしは今一度眠りへもどることにした。 ﹁ふああ⋮⋮﹂ あくびをしつつ、リビングから寝室へと向かう。 寝室にはいる直前、テーブルへ持っていた菓子折を放り投げよう とし︱︱ ﹁そう云えば、これ、中身はなんだろう﹂ 84 気になって、開けてみることにした。 かけられていた包装紙をやぶり、そこいらに棄てる︱︱。 ﹁マスカルポーネ、大福?﹂ わたしは頭をかきつつ、つぶやいた。 ﹁微妙だな﹂ ◇ ◇ ◇ ︱︱二日後。 二階の二〇一号室、火浦朱美の部屋に、わたしはひさびさの休日 を遊んでいた。 わたしの話を聞いた女友達は、まずあきれたように、﹁ばかね﹂ と天をあおいだ。 ﹁そんなの、ふつうの男性だったら引くに決まってるわ。ましてこ のあいだまで子供だったような子でしょう、久遠くんって。わたし のところにもきたのよ。お菓子かなんか持って。︱︱慣れてないっ ていうか、素朴な感じの子ね。あんな子へ、スケスケのハイレグシ ひ ョーツにキャミソールなんて。それはもう痴女ね、痴女。犯罪だわ﹂ むろれいこ 引くわー、ガチで引くわー。としきりに繰り返す親友。もとい氷 室玲子。 おなじ片帯荘の住人である。 その彼女に向かい、わたしは、 85 ﹁本物の痴女に云われたくはないね﹂ と返してやった。 ﹁う︱︱。わ、わたしは痴女なんかじゃ⋮⋮。そんな、かるくない、 わ﹂ 痛いところをつかれた玲子はあせって云う。 わたしはさらに意地悪くつづけた。 ﹁身持ちの堅い、一途な痴女、だろう? 男に逃げられるのも当然 だよ、キミは﹂ ﹁う⋮⋮な、あ﹂ 何か云いたげに、ぱくぱくと口をうごかす玲子を横目に、わたし はあくまで落ちついて紅茶を飲んだ。 ﹁あはは。あんまりいじめちゃあ可哀相よ、僚子先生﹂ 奥の部屋から、朱美さんがもどってきて云った。 その腕には何か、たくさんの資料がたずさえられている。 わたしは訊いてみた。 ﹁資料、ですか?﹂ ﹁うん。ちょっと、また書いてみようと思ってね。今、整理してる ところ﹂ ごたごたつづきでちゃんとしてなかったから。 と朱美さんは苦笑いを浮かべた。 86 ﹁では夏目陽太郎が、一年四ヶ月ぶりに復活すると?﹂ わたしの問いに、朱美さんはすこし照れた顔を見せた。 わたし ﹁えっとね、なんていうか︱︱ちょっと熱心なファンがいて。その 子が読みたいって云うから、ね﹂ ﹁ファン、ですか?﹂ ﹁うん。あの⋮⋮今、話に出てた久遠くん。あの子、夏目陽太郎の 読者なのよ﹂ 朱美さんははにかんで云った。 それはまったく恋する少女のように可憐で、その様子にわたしは いささかおどろいてしまう。 ︵すこし雰囲気変わったか?︶ ⋮⋮そう云えば、ここ数日で急にうつくしくなったように感じる。 なんとなく表情も明るくなったし、肌の張りも見違えてみずみず しくなった。 そして、あの棄てられた子犬のような青年が越してきたのが四日 前︱︱。 脳裏に、ある考えが浮かんだ。 それは朱美さんとあの青年が実はつきあっているのでは、という もので︱︱。 ︵まさかな︶ 頭に浮かんだその考えを、わたしは否定しつつ、しかし一方であ りえないことでもない、と思った。 87 ﹁朱美さんのファンなのね、あの子﹂ 玲子が云う。 朱美さんはソファにすわって、みずからの分の紅茶に手をのばし た。 ﹁いい子よ、すっごく。だから僚子先生のことも気にしてないと思 うわ、たぶん﹂ ﹁ああ、そうですか。それはよかった﹂ ﹁ほんとうはね。もうちょっと世間話みたいな、そういう話をしよ うかと思ったんだって。でも僚子先生は怒ったような顔をしてるし、 何も云わない。その上、その格好があんまりでしょ? どうすれば いいかわからなかったって﹂ 朱美さんは、あははと笑った。 わたしは顔に手をあてた。 ﹁そうか。夜勤明けだったな、あのときは。いやそうか、そんな怖 い顔していたか。悪いことをした﹂ ﹁お医者さんなんてやってると大変ね﹂ 笑いを噛み殺して云う朱美さん。 玲子もニタニタと、いやらしくこちらをながめていた。 ﹁ふたりとも、できるだけ虎くんにやさしくしてあげてね﹂ と、実にしみじみとした風情で、朱美さんは云った。 ﹁⋮⋮虎、くん?﹂ 88 その親しみのこもった呼び方にとまどい、わたしと玲子は顔を見 合わせた。次いで疑問の視線を投げかける。 ﹁あ﹂ 朱美さんはしまった、といった顔で、 ﹁あ、あはは。⋮⋮く、久遠くんね、久遠虎ノ介くん﹂ ほほほ、間違えたわ、と云い直した。 ⋮⋮どう見ても怪しかった。 ﹁朱美さん⋮⋮まさかとは思うのですが。その、もしかして、した んですか? 彼と﹂ ﹁し、シタって、なんのこと?﹂ ﹁それはもちろん﹂ わたしは決めつけた。 ﹁セックスですよ。セックス。エッチ、性交、まぐわい、愛の営み、 オマ○コ、ハメハメ︱︱﹂ ﹁は、ハメ︱︱﹂ ﹁したんですね﹂ 彼女の目を見た。 ﹁い、いや、それは︱︱﹂ 普段は男勝りの彼女だったが、こういう問題ではさすがに気まず 89 いのか、あちこちに視線を泳がせて︱︱ ﹁そ、そうよ。何か悪かった︱︱?﹂ しかし結局。 最後には胸を反らせ、そうひらき直った。 足を組み、あの爆乳の前で腕組みし。ほっぺをふくらませている。 ﹁いや、ひらき直られてもこまりますが﹂ わたしは苦笑した。 ﹁そうか、彼と⋮⋮。でも、いいんですか? 旦那さんがいたので は﹂ ﹁あんなのどうでもいいわ﹂ 来月には離婚も成立するし。と彼女は答えた。 ﹁ああ、そうなんですか。じゃあ問題はないわけだ﹂ ﹁そうよ。全然ない。あるとしたら、すこしのあいだ、彼の子を生 めないってことぐらいよ﹂ ﹁? ああ、離婚後三百日以内に出生した子は、前夫の子とされる、 とかってあれですか﹂ ﹁そ。あの面倒くさい法律のせいで、もうしばらくは避妊しなきゃ いけないのよね﹂ ﹁子供が欲しいのですか?﹂ ﹁え? いや、べつに積極的に生みたいとかってわけじゃないけど ︱︱︱︱まあ、授かったら、それはそれで大切にしたいって云うか、 やっぱりうれしいし、その︱︱﹂ 90 何やら、ごにょごにょと云う朱美さん。 その頬は朱に染まっている。 ﹁はあ。会ったばかりの子に、ずいぶんとまた入れこんだものです ね﹂ わたしはほとんどあきれはててしまっていた。 ﹁まあ、わ、わたしの場合、ちょっとふつうとちがうっていうか。 ⋮⋮相性がね。その、よかったから﹂ ﹁相性? セックスのですか?﹂ ﹁ん、それもあるけど、まぁ、いろいろとね。も、もういいじゃな い、わたしのことは﹂ 勘弁して、と朱美さんは手を振った。と︱︱ ﹁あの、すこし気になったのだけれど。ねぇ、朱美さん、あの子、 敦子さんの甥御さんなんでしょう?﹂ こう尋ねた玲子の顔は真剣だった。 ﹁そのこと敦子さんは知ってるの?﹂ ﹁知ってるわよ﹂ さらりと、朱美さんは衝撃の事実を告白する。 ﹁っていうより、もしよかったら、かわいがってあげて。って直接、 云われたのよねぇ﹂ ﹁え!?﹂ 91 玲子とふたり、声をあげおどろく。 さすがにそれは予想もつかなかった。 ﹁まあ、そのときは、まさかって思ったんだけど。でも、なんてい うか。よくよく見てみたらかわいくてね。︱︱しちゃった﹂ あははー、と能天気に笑う朱美さん。 ﹁はぁ、す、すごい話聞いちゃったわ﹂ 玲子は心底、おどろいたという顔つきをして、溜息をついた。 わたしは︱︱ てんにん ﹁あのひともよくわからないひとだな。さすが天人の子孫と云うだ けはある﹂ と、云ってみた。 ﹁天人?﹂ 玲子が怪訝そうな顔をする。 わたしはうなずいた。 ﹁そうだよ。天人だ。敦子さんは天女の子孫らしい﹂ ﹁天女って﹂ 冗談でしょう、と玲子は云い、 ﹁あ、でも、それわたしも聞いたことあるわ﹂ 92 と朱美さんがあとを継いだ。 ﹁天から降りてきた天人が、人間の男をたぶらかすって話よね﹂ ﹁た、たぶらかす?﹂ ﹁そう。敦子さんが教えてくれた話。あるとき、天から降りてきた 天女が、人間の男に惚れて求婚したけれど、男はほかに好きな女が いて取りあわなかった。そこで天女はある日、衣の帯の片方を男に わざと持たせたの。天女には、自分を引きよせた者を魅了するとい う呪いに似た力があって、そうとは知らずにそれをつかんだ男は、 ほかの女に見向きもしなくなって、そのまま天女とむすばれたって。 そういう逸話? だかご先祖様のお話︱︱だかが敦子さんの家に伝 わってるらしいわ﹂ ﹁そ、それはまた、ずいぶんと邪悪な天女ね﹂ まったくだ、とわたしは思った。 それは、いわゆるストーカーとか呼ばれる類のものではないか。 呪いの力でもって自分に惚れさせるなど、云ってしまえばマイン ドコントロールである。 ﹁ま、とにかく、そういう血を引いてるせいかどうか知らないけど。 ちょっと変わってるのよね、敦子さんって。底が知れないというか﹂ つか そう云って、朱美さんはポケットから、いくつかの、何かちいさ な薬包のような物を取り出し、テーブルへと置いた。 ﹁これは︱︱?﹂ ﹁これも敦子さんがね。くれたの。ここの女性住人なら、みな使用 っていいらしいわ﹂ そして、それらの効用と使用法について、ちょっぴり不満そうな 93 顔で彼女は説明していった。 わたしと玲子は、彼女の言葉を聞きながら、ふたり顔を見あわせ ていた。 94 女医、島津僚子の場合 その2 舞が帰ってきた。 小日程の旅行を経て、片帯荘へともどってきた舞は、見るからに 上機嫌な様子で虎ノ介へ接した。 また、ちょうどその日は舞の誕生日でもあったので、虎ノ介はち かお ょっとしたアクセサリーを彼女に贈った。 舞は礼をのべつつも、普段の怜悧な表情をくずさなかったが、し かし宴がはじまると次第にその態度も影をひそめていって、夕食を 終えるころには、己の腕につけたその革のブレスレットを、何度も ながめたり、なでたりなどし、静かな笑みを浮かべるようになった。 アルコールがはいると、いよいよ舞の心情ははっきりとあらわれ てきた。 わけ 虎ノ介の隣に体をよせてすわり、さかんにみずからの体を押しつ ほしいまま け、理由もなく虎ノ介の体にふれた。 そうした娘の放肆なふるまいに敦子は、あきれの溜息をついた。 敦子は舞を評し﹁これ以上なくわかりやすい子﹂と云った。 ◇ ◇ ◇ さんざ飲み食いしたあとで、虎ノ介は足取りのあやしくなった舞 を、彼女の部屋へと送っていった。 つくり 舞の部屋は管理人室のすぐ隣、一〇二号室であり、虎ノ介の部屋 とおなじワンルームの構造になっている。 管理人室の間取りがほかより大きい分、一〇二と一〇三をちいさ く取って調整してあるのだった。 95 ﹁ちょっと待ってて。トラに渡したいものがあるから﹂ ひと と云い、舞は虎ノ介の目の前で服を脱ぎはじめた。 ⋮⋮この女は自分の前で脱ぎたがるのだ。 そう苦笑いしつつ、虎ノ介はなるたけ彼女を見ないように視線を はずし、部屋のなかを見回してみた。 綺麗な部屋であった。 華美な装飾は一切なく、きちんと整理がいきとどいている。 シンプルで機能的な部屋だった。 ︵姉さんらしい︶ と、虎ノ介は思った。 舞は脱いだ服をひとまとめに持つと、下着姿のまま、風呂場に向 かった。 ﹁ちょっとシャワー浴びてくるから待ってて﹂ ﹁だいじょうぶ?﹂ 虎ノ介は訊いた。 ﹁なんかフラフラしてるよ﹂ 舞は手をひらひらとさせ、 ﹁だいじょうぶよ。そんな酔ってないもの。︱︱それともトラが身 体を洗ってくれる?﹂ こう、からかうようなことを云った。 96 ﹁いや、待ってるよ﹂ ﹁なによ、つまらないわね﹂ 虎ノ介のすげない返事に、唇をとがらせながら、舞はバスルーム へとはいっていった。 ややあってシャワーをつかう水音に、湯沸しの燃える低音とが聞 こえてきた。 ヒマ ⋮⋮ひとり、残された虎ノ介は、さてこの待っているあいだ、どう やって時間をつぶそうかと思案をした。 本でも読もうか、と書棚などをながめてみる。 ならべられてある本のラインナップは、実に、優等生の舞に似つ かわしい。 そのほとんどが学術書や専門書といった大変まじめな、べつの見 方をすればおもしろみのない内容である。 虎ノ介の普段読んでいるような、推理小説や時代小説、冒険やハ ードボイルドの世界といった娯楽めいたものは、まったくと云って よいほどなかった。 ﹁これはドイツ語かな。こっちは︱︱遺伝子科学? わからないな﹂ せめて詩集か古典があればよかったのだけれど、と虎ノ介は残念 な気持ちがした。 棚に置いてある本は、たいてい虎ノ介には理解できぬ内容ばかり で、舞の読む本がどんなものか、共有してみたいという彼のひそか な願望は成就せぬままに終わった。 仕方なく虎ノ介は書棚を離れた。 手持ち無沙汰のまま、部屋のなかを歩いてみる。 と、大きな姿見を見つけ、虎ノ介は歩きまわるのをやめた。 97 ﹁姉さんもやっぱり女のひとだね﹂ そんなことをつぶやいてみる。 鏡のなかには、冴えない、昏い目をした若者がいる︱︱。 ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ テレビの横にあったリモコンを虎ノ介は取った。 テレビを見ようと考えたわけではなかった。 虎ノ介はなんとなしにふざけてみたい気持ちになってきた。 彼は鏡のなかの己に向かい、 ﹁おれの話か?﹂ などと云ってみた。 ﹁おまえ、おれとやろうってのか﹂ すが 目を眇め、精一杯シリアスに問いかける。 ﹁わかった。ああ、わかったと云ってる。そうだ。⋮⋮ああ、こい つをくらいなっ﹂ 科白を云い終わると同時に、袖口から小型の自動拳銃︱︱もとい テレビのリモコンを抜き出し、鏡のなかの自分へとつきつける。 ﹁へっ﹂ にやりと、虎ノ介は笑った。 98 ﹁気でも狂った?﹂ 不意に。背後から話しかけられ、虎ノ介はその場で二センチばか り飛びあがった。 ﹁ね、姉さんか。おどろかさないでよ﹂ ﹁おどろくのはこっちよ。鏡にひとりでぶつぶつゆって。何、呪文 ?﹂ 黒魔術? と、舞は尋ねた。 風呂あがりの素肌にバスタオルという扇情的な格好のまま、弟と いうよりは、何か、うさんくさいものを見る目つきで。 ﹁えっと、デニーロごっこを︱︱﹂ わけのわからぬ弁解をし、虎ノ介は顔を紅めた。 ﹁ふぅん? トラ、あんたクスリとかやってないわよね、ハーブと か。⋮⋮ダメだからね?﹂ ﹁やってないよ﹂ つまらなそうに云って、虎ノ介はリモコンを放り投げた。 ﹁むかしの映画であるのさ。主人公が鏡の前で、ポーズを決めるシ ーン﹂ ﹁男の子は好きね、そうゆうの﹂ 長い濡れ髪をふきながら、舞は鏡に向かった。 うなじにひとすじ、水滴が流れた。 99 ﹁あきれた?﹂ ﹁どっちかと云えば微笑ましい、かな﹂ 舞は笑った。 ﹁男は過去に生きてるんだ﹂ ﹁宮野さんもそんなこと云ってたな。男は過去に生き、女は未来を 見る。男は感傷を愛し、女は現実を歩く︱︱とかなんとか﹂ 舞は云い、まとっていたバスタオルをテーブルに放った。 形のよい胸や尻があらわになる。 一糸まとわぬ姿で、舞は下着を身につけていった。 虎ノ介は顔をそむけ、尋ねた。 ﹁宮野さん?﹂ ﹁まだ会ってない? 一〇六に住んでる﹂ ああ、とうなずく。 ﹁浩さんか﹂ みやのひろし 云って、虎ノ介は一〇六号室の住人について思い出した。 そとみ 宮野浩は片帯荘における数少ない男性住人であった。 中年で、やせてはいるが外見はがっしりとした、筋肉質の男だ。 あごひげをたくわえた、渋い雰囲気の男だ。 ﹁いいひとだよね。やさしくて知的で、ダンディって感じの﹂ ﹁まあね。ちょっと問題ありなひとだけど﹂ ﹁問題?﹂ 100 虎ノ介は、挨拶にいったときのことを思い返した。 はじめて会った虎ノ介を部屋に招き、近所でバーを経営している のだと自分を紹介した浩は。 大人の知性と余裕を持ちあわせた、実に理想的な男性像と虎ノ介 には見えた。 タダにしてやるから、店に飲み 音楽の趣味が近いことでふたりは盛りあがった。 などと云った。 浩は虎ノ介をいたく気に入り、 にこい ﹁ふつうに歓迎してくれたよ﹂ 虎ノ介は告げた。 舞は顔を険しくし、 ﹁部屋、はいったの?﹂ ホモ・セクシャル パジャマを羽織りつつ、訊いた。 ﹁うん。はいったけど﹂ ﹁変なことされなかった?﹂ ﹁変なことって?﹂ ﹁身体さわられたりとか﹂ ﹁はあ?﹂ ﹁気をつけなさい。あのひと、同性愛者だから﹂ ﹁え︱︱﹂ ﹁まあ、ノンケには紳士なひとだし、たぶん力ずくで犯すようなこ とはしないと思うけど﹂ と、ベッドのはしに腰かけて云う。 101 ﹁ほ、ほんとうに?﹂ ﹁嘘云ってどうするのよ。ここの住人はね、母さんが選んでるせい で、ホント変なひとしかいないんだから﹂ こまったもんだわ、と舞は溜息をついた。 ﹁そ、そうなの﹂ ﹁全員と会った?﹂ さわ ﹁ううん。二〇六の小島ってひとにはまだ会ってない﹂ ﹁佐和さんか﹂ ﹁チャイム押しても返事がなかった。なかからは物音や声が聞こえ たんだけど﹂ ﹁低い電動音とか、くぐもったうめき声みたいなのが?﹂ ﹁よくわかるね。病気かと思って、伯母さんに云ってみたんだけど、 気にしなくていいって云うし﹂ なんだろう、アレは。 と虎ノ介は腑に落ちない思いで、舞に訊いてみた。 ﹁知らない。︱︱はあ。あんた、もう佐和さんのとこには、いっち ゃダメよ。できれば宮野さんのところにも﹂ と、着替え終わった舞は虎ノ介の手を引いた。 虎ノ介は、なかば強引に、舞の隣へすわらされる格好となった。 リサ・スタ○スフィ○ド みたいなの。無視でいいわよ、 リック・ア○トリ ﹁浩さんに今度CD借りにこい、って云われてるんだよ﹂ とか ﹁CDって、どうせすっごく古いやつでしょ。 ー 無視で﹂ 102 舞はあっさりと切り棄てる。 虎ノ介は曖昧に笑った。 ﹁それよりね。トラにおみやげがあるの﹂ と云い、舞は傍らに置いてあった鞄を引きよせた。 そのなかから、一本の棒のような物を取り出す。 それは鈍い銀色をした金属だった。 ややくすんで、中心部分に穴が開いている。 ﹁これは?﹂ ﹁ペンカバーよ﹂ ﹁ペンカバー?﹂ 虎ノ介は首をかしげた。 ﹁そう。︱︱母さんに聞いたんだけど、トラ、これから受験勉強す るんでしょう。だからね、筆記用具なんかいいかなって思って。ち ょうどあっちでいいの見つけたからさ﹂ ﹁ああ、そういうこと﹂ 納得し、虎ノ介は舞を見た。 ﹁ありがとう、姉さん﹂ ﹁う、うん? ま、まあ、感謝しなさい﹂ 虎ノ介が礼を云うと、舞は照れて頬を染めた。 うれしげに身体をまるめて、そうして︱︱ ﹁これね、銀製だから。つかってるうちに、いい感じに渋くなると 103 思うのよね﹂ と、彼女は云った。 その言葉に、虎ノ介は思わず目をまるくした。 ﹁銀製だって?﹂ ﹁なんかまずかった?﹂ ﹁や、まずいってゆうか、その、え? 高かったのじゃ? けっこ うでかいじゃないか、これ﹂ ﹁ん? ああ、四万くらいかな﹂ まあ、こんなものでしょ、と舞はにこやかにつづけた。 ﹁よっ、四ま︱︱⋮⋮! そんな高い物、買わなくったって。悪い よ﹂ ﹁いいわよ、べつに。トラがわたしとおなじ大学はいるならこれく らい。安いやすい﹂ ﹁︱︱へ? 今なんて?﹂ 虎ノ介が尋ねる。 舞はきょとんとした表情を浮かべ︱︱ ﹁安いって﹂ ﹁その前﹂ ﹁トラがわたしとおなじ大学に?﹂ ﹁何それ﹂ ﹁何って。大学受験するんでしょ?﹂ ﹁いや、それはまあ、伯母さんに云われたからね。一応勉強はして みるつもりだけど。でも、どうしてそれがイコール姉さんとおなじ 大学になるのさ﹂ 104 超難関の名門国立大である。 もちろん虎ノ介などはいれるわけもない。 ﹁だって。虎ノ介も大学いくなら、わたしといたいでしょ? いる でしょ﹂ と、舞はそれがさも当然であるかのように告げ。 虎ノ介も、すぐさまそれを否定した。 ﹁いやいやいや。無理。絶対無理だから﹂ つかわけわかんないし。現実的じゃないし。夢見すぎだし。アホ じゃない? と、虎ノ介は繰り返し手を振った。 105 女医、島津僚子の場合 その3 ﹁ちょっと、アホとは何よ、アホとは。こらっ﹂ ﹁あははっ﹂ 首根っこをつかんでくる舞に押し倒されながら、虎ノ介は笑った。 ベッドの上を転がって、布団についた舞の匂いをかぐ。 心中に何かやさしいものが流れてくるのを感じ、彼は自然とやわ らかい気分になった。 ﹁はあ、なんか眠くなってきたな﹂ ひとしきりじゃれあったあとで、虎ノ介は云った。 ﹁そう? ならここで寝ていく?﹂ 虎ノ介は答えなかった。 しばし沈黙が、寝転んだふたりのあいだを流れる。ややあって︱︱ ﹁こうしてると、あの日の夜を思い出すわね﹂ そっと、舞が云った。 ﹁あの日って?﹂ ﹁とぼけないの。あんたが泣きながら電話してきたときのことよ﹂ ﹁泣いてなんかないけど﹂ ﹁嘘つけ﹂ 106 舞はまるで獲物をとらえようとする鷹の目つきとなって、虎ノ介 を見た。 うぐぐ ってさ、嗚咽もらしてた﹂ 虎ノ介は布団に顔をうずめ隠した。 ﹁電話口で、何も云わず ﹁もう忘れてよ。あれはもう、なかったことにしてくれ﹂ ﹁ふ、ふ。ちゃんと憶えてるじゃない﹂ 意地悪く笑い、乱暴に虎ノ介の頭をなでる。 いおり ﹁あれから、伊織さんとは会ったの?﹂ ⋮⋮それは虎ノ介にとって、もっとも思い出してはならない名前で あった。 もっとも忘れたい名前であった。 舞の問いに、虎ノ介はちいさくかぶりを振った。 ﹁一度も会ってない。もうずっと︱︱﹂ ﹁ふぅん。そりゃまあ、会えるわけもないか。何云ったって今さら だしね﹂ ﹁噂で聞いたかぎりじゃ、上京したらしいけど﹂ ﹁へえ。じゃあ、そのうちどこかで会えるかもね﹂ ﹁会っても、話すことなんてないよ﹂ ﹁そう? 案外、向こうは後悔してるんじゃないかな﹂ 虎ノ介の心に、ふれたくなかった過去がよみがえってきた。 常日頃から自覚している自身の脆弱さ、幼稚さ。 さけ それらを見せつけられる思いがし、彼は羞恥にもだえた。 咆哮んで、なんでもいいから殴りつけたい衝動に駆られた。 かつての恋人だった、初恋の少女のことを思った。 107 あの寒い雪の夜、ここから七百キロもはなれた地方都市に駆けつ ひな けてきた、この慕わしい姉のことをも思った。 虎ノ介と舞は鄙びた温泉宿へ泊まり、そこでひと晩を過ごした。 虎ノ介が高校を辞めたのは、それからしばらくしてのことだ。 ﹁関係ないよ﹂ 虎ノ介は云った。 ◇ ◇ ◇ 翌朝。 虎ノ介は日の出とともに起き出すと、早々に行動を開始した。 まずは近くの公園へといき、柔軟とジョギングとをした。 散りはじめた桜のなか、三十分ほど汗を流し、アパートへともど る。 それからアパート周りの掃除をはじめた。 ごみ集積所を片付け、建物周辺を竹箒でもって掃いていく。 途中、向かいの教会から出てきた修道女のシミーと他愛ない世間 話などもした。 外の掃除が終わると、今度はアパート内の清掃である。 外から引いた水で、玄関、エントランス、廊下と共用部分をみが いていく。 過去、清掃のバイトをしていた虎ノ介にとっては手馴れた仕事で ある。 とはいえ業務用の高圧洗浄機に代えて、デッキブラシとバケツな のだから、当然それなりには大変な作業であったのだが。 七時をまわると、出勤のために片帯荘の住人たちも幾人か姿をあ 108 らわしてきた。 最初に出てきたのは氷室玲子だ。 できる ひと ひと といった風貌 ちいさいながらも自分の会社を持っているという女だ。 ひと スーツをかっちりと着こなし、いかにも の女だ。 短い髪で、つりあがった目が、ひとあたりのきつさを思わせる女 だ。 虎ノ介は内心、この女性に苦手意識を持っていたが、できるだけ 平静をよそおって挨拶を向けた。 ﹁おはようございます﹂ ﹁おはよう。こんな早くから掃除? まじめなのね﹂ と、玲子は虎ノ介を見て云った。 口とは裏腹に、その目は冷淡な、何者にも興味ないといった風情 だった。 ﹁ええまあ。⋮⋮おれにはこんなことしかできないんで﹂ 多少、気後れしつつも、こう虎ノ介は答えた。 ﹁ふぅん、そう。じゃあ、がんばってちょうだい﹂ 表情ひとつ変えずにうなずくと、玲子は片帯荘をあとにした。 駐車場より高級外車の出ていくのをながめ、虎ノ介はほっと溜息 をついた。 そうしてあらためて苦笑いをした。 みずきじゅん そのあとに姿を見せたのは少年だった。 二〇三に住む、水樹準という名の専門学校生である。 109 としした 片帯荘では虎ノ介より唯一年少の十九歳。 中性的な容姿の美形で、ちょっとすると女性と間違われそうなほ どの美少年である。 ⋮⋮不機嫌そうな顔でフードを目深にかぶっている。 耳には携帯音楽プレーヤーのイヤホンが揺れている。 ﹁やあ、おはよう。水樹くん﹂ できるだけ晴れやかに、虎ノ介は笑ってみた。 準は虎ノ介を認めると、視線をあわせようとせず、無言のまま頭 をさげた。 ﹁いい天気だね、今日は。いい日になりそうだ﹂ 準は答えない。 かまわず虎ノ介はつづけた。 ﹁これから学校? 勉強がんばってね﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁と云ってもね、おれもひとのこと、心配できる立場じゃないんだ、 本当は。おまえが勉強がんばれって話。ははは﹂ 準は答えない。 ﹁あー、なんか元気ないね。大丈夫?﹂ ﹁べつに︱︱﹂ と、そこではじめて準は口を利いた。 すこし低めの、澄んだ声だった。 110 ﹁おっと、やっとしゃべったね﹂ ようやくの反応らしい反応に、虎ノ介は微笑んだ。 ﹁はは。まあ、おれなんかが云えた義理じゃないけどさ。あんま暗 いと損するぜ、少年。これはおれの実体験だから間違いない﹂ ね じろと、準は虎ノ介の顔を睨めつけた。 ﹁怖いな。そうにらまないでよ。はは、ちょっとうざかったか。⋮ ⋮ごめんごめん、お詫びにこれあげるからさ。機嫌直してよ﹂ と云って。虎ノ介は上着のポケットから缶コーヒーを取り出し、 準に渡した。 それは公園にいったついで自販機で買っておいた物だった。 準はだまって受け取り、上目づかいにじっと虎ノ介を見た。 ﹁ん? 遠慮しなくていいよ? ただの缶コーヒーだから﹂ 飲みねぇ、飲みねぇ。と虎ノ介は勧めた。 準はそれをみずからのポケットに押しこむむと、 ﹁⋮⋮どうも﹂ 再度、頭をさげた。 ﹁うん、それじゃあ。時間取らせて悪かったね。急ぐんだろ?﹂ ちいさく首肯し、準は虎ノ介の横を過ぎていった。 111 ﹁いってらっしゃい。気をつけて﹂ 告げて、虎ノ介は手を振った。 お母さん 準はわずかだが、虎ノ介に向かって振り向き。 ﹁い、いってきます﹂ ちいさな声で云った。 準の姿が見えなくなると、 ﹁これは、ああ、青春だな。あるいは 虎ノ介の背後で声がした。 と云うべきか﹂ 見ると、そこに僚子が立っており、虎ノ介はあわてて挨拶をした。 ﹁あ、おはようございます。島津さん﹂ ぼう ﹁僚子でいいよ。︱︱キミ、こないだは悪かったね。ちょっと寝起 きで茫としていたものだから。ええと、久遠くん、だったか﹂ 語る僚子の姿は、以前とはちがう、ラフではあるがしっかりとし た格好であった。 黒のジーンズに黒のフードつきジャンパーといういでたちで、玲 子とはまた微妙に趣の異なる格好良さであった。 長めの黒髪を横でまとめるような形で、胸もとにたらしている。 あかりまど 手にはバイク用か、フルフェイスのヘルメットを抱えている。 高い明窓から導かれた朝日が、やわらかく彼女を照らしている。 虎ノ介はうなずいた。 ﹁これからよろしくたのむよ。隣室同士、仲良くしよう﹂ 112 ここ と、虎ノ介に向け、僚子は手を差し出してきた。 ﹁はい。よろしくお願いします﹂ 握手をし、あらためて虎ノ介は頭をさげた。 うつくしいひとだ、と虎ノ介は思った。 管理人親子といい、この眼鏡の女性といい、片帯荘は美形ばかり だ、などと考えた。 ﹁なかなか、大きな、それでいて線のほそい手だ﹂ 僚子は虎ノ介の手をつかんだまま、こう評した。 あわて虎ノ介は手を引っこめた。 ﹁ふ。それにしても、キミもすみに置けないな。引っ越して数日で、 朱美さんをモノにしたと思ったら、今度は準くんか﹂ いたずらに笑い、虎ノ介を見る。 ﹁若くてけっこうだけれど、ね﹂ ﹁あ、朱美さんをモノにって、どうしてそのことを﹂ ﹁どうして知ってるかって? それはもちろん彼女に聞いたからに 決まってるだろう? ⋮⋮うん? なんだい、そんなにがっくりと 肩を落として﹂ ﹁いや、まあ、いいんですけどね。でもモノにしたなんてのは云い すぎですよ。べつに、おれと朱美さんは恋人ってわけじゃあ﹂ ﹁恋人じゃあない? なるほど﹂ 考え深い目つきで、虎ノ介を見つめる。 その目に何か咎めるものを感じ、虎ノ介はすこしくうろたえた。 113 ﹁あ、や。都合いいって思われるかもしれないけど︱︱むしろ、お れより朱美さんの方がですね。いや、おれみたいなガキが、朱美さ んに恋人として見てもらおうなんて、そりゃ最初から無理な話かも しれないですけど︱︱⋮⋮って、ああ、何云ってんだおれは﹂ しどろもどろで弁明する虎ノ介に、僚子は﹁ああ、大丈夫、わか ってる﹂と落ちつかせるよう肩に手を置いて、 ひと ﹁朱美さんもキミに負担をかけたくないんだろう。大人だからな、 あの女も﹂ ﹁やっぱり、そうなんですかね﹂ ﹁キミも気にする必要はないということさ﹂ ﹁はあ﹂ 納得のできるような、そうでないような、微妙な心持ちで虎ノ介 は返答をした。 取りつくろう風に頭をかく。 虎ノ介はやはり自分は大人の男性として見られていないのだと残 念に思った。 彼は僚子の言葉に侮辱を感じた。 ﹁ま、朱美さんの心を休める手伝いをした。そんな風に考えればい いじゃないか。⋮⋮そうだな。うん。なあ、久遠くん﹂ ﹁はい﹂ ﹁わたしからもひとつ、たのみごとをしていいかな﹂ ﹁? なんでしょう﹂ ﹁たのみと云うと大げさかもしれないな。ちょっとしたお願いなの だけれど。いいかい﹂ ﹁ええと。おれにできることなら︱︱﹂ 114 すなお と、虎ノ介は快く承諾した。 僚子は、その従順さに気をよくした風で、 ﹁何、たいしたことじゃあないんだ。ただちょっと、試してみたい ことがあってね。今は無理だから︱︱そうだな、夜は暇かな? よ ければ今晩にでも﹂ ﹁今夜、ですか?﹂ ﹁だめかな﹂ ﹁そうですね⋮⋮まあ、大丈夫、かな﹂ 脳裏に予定表を巡らせながら、虎ノ介は答えた。 幸い、今日の予定に朱美との逢瀬ははいっていない。 ﹁あまり遅い時間じゃなければ﹂ ﹁そうか。よかった。それじゃああとでキミの部屋に迎えにいこう。 仕事が終わってからになるから、はやければ八時ごろか。携帯の番 号、聞いていいかな?﹂ ﹁あ、はい﹂ そして虎ノ介は僚子と携帯番号の交換をした。 僚子は上機嫌な様子で、片帯荘をあとにした。 それを見届けてから、虎ノ介は掃除用具を片付け、管理人室へと 向かった。 管理人室からは、ベーコンの焼ける香ばしい匂いがただよってき ている。 すんと、虎ノ介は鼻をひくつかせた。 115 女医、島津僚子の場合 その4 ※スカトロ ︱︱どうしてこんなことになったのだろう。 おの 今、虎ノ介はそのことばかりを考えている。 目前の光景と、己が置かれた状況を、割り切れぬ思いで歯噛みし ている。 一〇五号室のトイレのなか︱︱壊れた鍵をながめながら、虎ノ介 はつめたい汗と熱い汗とを交互に流している。 目の前には下着姿の女医が立っている。 彼女のスポーツブラには、すでに乳首が勃起して浮いてい、ショ ーツはじっとりと濡れて染みができている。 女は興奮に上気した顔で、虎ノ介を見つめている。 ﹁そら、久遠くん。そんなに隠すこともないだろう。排泄なんての はキミ、自然の理さ﹂ はずかしがることなどない、などと云って。 僚子は便座に腰かけている虎ノ介の前へしゃがみこんだ。 虎ノ介の男性をまじまじと観察し﹁ほぅ⋮﹂と、うっとりした様 子で溜息をつく。 熱い吐息が、虎ノ介のモノをふるわせた。 ⋮⋮排泄は自然の摂理だが、それをひとに観察されるのは、けっし て自然ではない。 だからこれは大変に異常なことだ、と虎ノ介は反論したかったの だが。 腹痛がひどく、どうにもそれどころではなかった。 さらには頭が重たく、身体にも力がはいらないでいる。 虎ノ介は茫として、僚子を見た。 116 ︵やっぱり綺麗だ︶ と、虎ノ介は思った。 はなすじ 切れあがった目元。 通った鼻梁。 皮肉げに歪められたうすい唇。 顎から首にかけてのほそやかな線。 スクウェア眼鏡が知的な印象をあたえている。 スレンダーな身体はまるでファッションモデルのようだ。 ⋮⋮意識的に、虎ノ介は僚子から視線をはずした。 ﹁な、何を、飲ませたんです﹂ この期におよんで、虎ノ介の口調は丁寧なものであった。 僚子の虎ノ介に対する態度がやさしく非道でないこと、また僚子 を信じたいという気持ちが虎ノ介のなかにもあったことで、いまだ 虎ノ介は強い態度に出られないでいる。 ﹁何、そう大げさなものじゃないさ。下剤と、利尿薬、鎮静剤、そ れからちょっとした媚薬だよ。ちゃんと用量は守っているし、昨日、 自分でも試してみたから大丈夫。大事ない。安心したまえな。それ にわたしも鎮静剤以外は飲んでいるよ﹂ そんなことを云われても、虎ノ介としてはまったくうれしくなか った。 それこそ疑問が湧くのみであった。 僚子はなかば無理やりに虎ノ介の身体を押さえつけ、そのまま彼 の上衣をたくしあげた。腹部と下半身をむき出しにされ、虎ノ介は 激しく混乱した。 117 ﹁どうして、こんなことを︱︱﹂ であった。 相談があると云われ部屋に呼ばれた虎ノ介は、僚子の淹れた茶を 飲み、彼女の目論見どおり、此処にこうしている。 ﹁どうしてこんなことをするか、かい?﹂ 僚子は実に艶っぽい仕草で、上唇を舐めた。 ﹁うふ、ふ、ふ。⋮⋮ああ、すまない、久遠くん。こんなことを云 ほんとう うと、嫌に思うかもしれないし、申しわけなくも思うんだが︱︱わ たしはね、処女なんだ﹂ ﹁え︱︱?﹂ ﹁おかしいと思うかい? 二十七にもなってと。でも真実さ。まっ たく我ながら恥ずかしいかぎりなのだけれど、どうも︱︱﹂ 男性とは縁がない。 と僚子は自嘲する風に云った。 ルックス ﹁男に想われたことがないんだ。まあ原因については自覚している。 わたしは女っぽくないしな。外見も眼鏡なんかかけて、こう、いか にも根暗女という感じだろう?﹂ ﹁そんなことは︱︱﹂ ﹁だけどね、こんなわたしでも性欲はあるんだ。︱︱それも厄介な ことに人一倍、な。正直なところ、ずっと男に興味があった。あり ていに云えば、ね﹂ 虎ノ介の首に腕をまわし、顔をよせる。 118 ﹁わたしは︱︱セックスがしてみたいんだ﹂ そう、僚子は虎ノ介の耳もとにささやいて聞かせた。 ﹁そんなのおれじゃなくったって、先生ぐらい美人なら︱︱﹂ あまた 引く手数多のはず。 そう云いかけた虎ノ介の言葉は、僚子によってさえぎられた。 ﹁それがダメなのだよ。わたしを愛してくれる者なんて、ひとりも いなかった。ちょっと仲良くなっても︱︱﹂ ウ○チするところを見せてほしい と云った途端、みなげんな と、つづけながら、僚子は虎ノ介のペニスをなでた。 ﹁ りした顔をし去っていくんだ。わたしが排泄行為に興味があると云 うだけで、まるで大きな地雷でも踏んだみたいに変態あつかいして 逃げていく。ひどい話だと思わないか。スカトロ趣味のある女は男 を好きになったらいけないというような顔をするんだ﹂ ぶちぶちと愚痴る僚子。 そりゃあそうだ。と虎ノ介は言葉にこそ出さなかったが、逃げた 男たちに激しく同情した。 ﹁思ったんだ。もしかしたらわたしは、このまま男を知らぬまま、 おばあちゃんになってしまうんじゃないか︱︱。そう考えたらとて も怖くなって、つい︱︱キミを拘束してしまった﹂ ﹁いや、そんなの単にスカ趣味だってのを隠しとけばいい話じゃな いですかっ﹂ 119 どうしておれに下剤を仕込む理由になるのだ。 虎ノ介は強く抗議の声をあげた。 ﹁む、そんなのダメだろう。愛しあう男女は、おたがいをさらけ出 まっとう してぶつけあってこそ、真の絆が生まれるというものじゃあないか﹂ ﹁なんでそこだけ、正当な恋愛観なんですか⋮⋮﹂ レイプはいいのか、レイプは。と虎ノ介はぐったり肩を落とした。 腹痛の方ははや限界に達しつつある︱︱。 ﹁わたしはね、久遠くん。もとめられたいんだ。べつに物質的に何 ルックス かを欲しいとか、金銭的に安定したいとか、男性に多くをもとめた りしてない。外見も学歴もいらない。そういうのはどうでもいい。 ただ、わたしのありのままを見てほしい。受け入れてほしい。欲情 してほしい。それだけなんだ﹂ 切実に訴えかける僚子に、虎ノ介は溜息をついた。 ﹁じゃあ、この壊れたトイレの鍵も、先生が?﹂ ﹁ああ、もちろん。じゃないとキミの出すところを見れないじゃな いか﹂ あらかじめ壊しておいたのだ、と僚子は答えた。 ますます虎ノ介は頭を抱えたくなった。 ﹁だから、ね、久遠くん。いいだろう? わたしと︱︱﹂ と と、蕩けた目つきで、僚子は唇をよせた。 虎ノ介はなんとか首を振って、拒否の意をしめした。 120 ﹁いや、嫌だ。ダメだ、こんなのレイプじゃないか。⋮⋮悪いけど、 これでおれが先生としたって、先生を受け入れたことにはならない。 先生がもとめてるのはそんなのじゃないでしょう﹂ ﹁それは︱︱﹂ 今にも泣きだしそうな目で、僚子は虎ノ介を見た。 ﹁そ、そんな目で見たって﹂ ﹁そう、だな。⋮⋮うん、わかってはいたさ。こんなのは自分勝手 だ。そう思う。でも、でもだよ久遠くん。すこしだけ考えてみてく れ。たとえば結婚にしても、お見合い結婚というものがあるだろう ? 最初は何も知らないふたりであっても、つきあううち、たがい を理解するようになる、なんてのもまったくありえない話ではない はずだ。︱︱だから、こんなはじまりも、そう。セックスではじま るふたりだって、あってもいいのじゃあないかな。仮にもし。ほん とうにキミがわたしを受け入れてくれたなら。わたしはキミのため になんだってしよう。その覚悟は︱︱誠実な意思はある。こんなわ たしを好きだと云ってくれるなら、わたしはキミのためにこの身を 投げ出したっていい﹂ 何せ美人であるのは間違いないのだった。 その僚子が、真摯な、変にすがるような目つきで見つめてくる。 恥も外聞もなく虎ノ介に愛してほしいと云う。 そんな姿に虎ノ介も内心では、心うごかされていたのだったが︱︱ ﹁ぐ。いや、そんな好きとかきらいとか、情熱的な話じゃなくてで すね。おれが云ってるのは、もっと常識的なモラルの部分で︱︱⋮ ⋮う﹂ 121 もの が噴き出しそうであった。 いよいよ押しせまる腹痛に、もはや虎ノ介は口を利くのもつらく なってきた。 気を抜けば、今にも下から ﹁なぁ久遠くん。わたしは寛容だぞ。キミに結婚してくれとか、恋 人にしろなんて云うつもりはない。愛人でいいさ。わたしがキミを 愛する見返りとして、ときどき、かわいがってほしいだけだ。それ にわたしだってキミを受け入れよう。もしキミがとんでもない変態 で、美人の歯科医に口中を指でまさぐられて興奮するとか、そうい ったアレな性癖の持ち主であってもわたしはいっこうにかまわない これ をかわいがろう。その代わりと云ってはなんだけれど、 ぞ。むしろわたしの指をしゃぶらせてあげよう。そうしながらキミ の わたしにもキミのおしっこを飲ませてくれれば︱︱﹂ ﹁そ、そんな話してねぇー⋮⋮﹂ と、そこまで云ったところで。 それ はもれていく。 虎ノ介の括約筋は、悲鳴をあげ無残に力つきた。 びろう 尾籠な音を立てながら、便器のなかへと 感嘆の声をあげて、僚子はそれを見た。 虎ノ介の逸物を持ちあげるようにし、顔を紅めてのぞきこんでい る。 虎ノ介は羞恥に泣きたくなる思いで、目をつむった。 ◇ ◇ ◇ ﹁まぁま。そんな世界の終わりみたいな顔をしなくてもいいじゃな いか﹂ 122 元気出したまえ。と微笑みかけ、僚子は虎ノ介の頬にキスをよこ した。 そうしてまだうごきの取れない虎ノ介をやさしくベッドに寝かせ た。 上機嫌で虎ノ介に視線を向ける。 それは無邪気な、まったくもって害意のないものであった。 ︱︱あの屈辱的な排便のあと。 虎ノ介はそのまま僚子の目の前で排尿をも余儀なくされた。 くわえて僚子はそれを採尿し、舐めてみたりもした。 虎ノ介にはもはや抵抗する気も失せてい︱︱。 また確かに反抗してみたところで、どうにもならないのであった。 脱力感がひどく、思考も定まらなかった。 僚子は虎ノ介に投与したものを鎮静剤などと云ったが、むしろ麻 酔か筋弛緩薬のようなものでは、と虎ノ介は思いはじめている。 その後、虎ノ介はトイレからバスタブへと引き移された。 片帯荘の風呂はひろめの、トイレ一体型ユニットバスであり、そ れは女性にも比較的、容易な作業だった。 フォアダイス ﹁綺麗な︱︱綺麗なものだな。これは、これが久遠くんのものか。 すこし皮かむり気味だが、皮脂腺も少ないし、うん。存外にかわい いなこれは﹂ ペニスについて、そんな感想を述べつつ、僚子は虎ノ介の身体を 清めていった。 僚子はバスタブのなかで、びしょ濡れになりながら、しきりに虎 ノ介にキスや愛撫をあたえた。 虎ノ介はもはや諦念に近い心持ちで、僚子のなすがままとなった。 さらに虎ノ介の心を折ったのは、虎ノ介自身の生理であった。 123 薬の効いてきたらしい僚子が、自分も用を足すと云い、風呂場と トイレの仕切りも開けたまま、ショーツを脱ぎ棄て、便座の上に股 をひろげてしゃがんだ。 ふつうに腰かけるのではない、いわゆるウ○コずわりと呼ばれる 格好である。 これに虎ノ介の男は大きに反応した。 虎ノ介に見せつけるよう性器を割りひろげ、うすい陰毛の下、ぬ らぬらと濡れた秘唇をいじりまわし、散々に視線をたのしんだ上で、 僚子は下腹に力をこめた。 帯状の、茶色い糞が、ぼとりと便器に落ちていった。 排便を終えた僚子は、見られる快感に息をふるわせながら、今度 は放尿をはじめた。 便器をはずれた薄黄色の小水が風呂場の床をよごしていった。 その光景をながめる虎ノ介の肉棒は、痛いくらいに硬く張りつめ ていた︱︱。 それがさかのぼること十五分ほど前の話である。 今、虎ノ介は、全裸のまま僚子のベッドに寝かされ、ぼんやりと 天井を見上げている。 僚子は、虎ノ介の髪や、首すじや、腋などをまめまめしくタオル でふいている。 ﹁わたしも、ね。キミが、その、正直そういう嗜好だとは、まった く想定していなかった。過去の経験上、嫌がられるとばかり思って いたから⋮⋮あーっと、なんだ。とにかく︱︱⋮⋮うん、久遠くん、 キミでよかった﹂ ありがとう、と。 僚子は横たわる虎ノ介に向かい、すこし照れた様子で云った。 124 四角い眼鏡の奥には、まるで運命の相手を見つけたと云わんばか りの少女の目があった。 彼女のこれまで通してきた堂々とした態度のなかに、わずかに女 らしきはじらいの生まれつつあるのを見て、虎ノ介は頬を引きつら せた。 背すじに、何かつめたいものが走るのを感じた。 125 女医、島津僚子の場合 その5 ﹁こ、断っておきますが、おれはべつにスカトロ趣味ってわけじゃ あないです。きっと、薬のせいだ﹂ そこだけは勘違いしないでくれ、と虎ノ介は強く念を押した。 僚子は鷹揚にうなずきつつ︱︱ ﹁わかっている。わかってるさ。久遠くんがわたしとおなじだなん て思っていないよ。ただ︱︱﹂ する姿 モチ に興奮してくれたのは間違いないだろう? と、ひとつ間を置き唇を舐めた。 ﹁わたしの ーフ キミに投与した薬は、性的興奮を高める効果はあっても、性的な動 このコ は︱︱﹂ 機まで変化させるわけじゃあない。キミがわたしを魅力的だと思っ てくれたからこそ、 いきりたったペニスを、僚子は愛しいものだという風になでさす った。 ﹁こうして、もとめてくれている︱︱﹂ とろりと。 鈴口からこぼれた透明な先走りが、僚子の手をよごした。 僚子はそれを舐めとると、実に淫猥な笑みをつくった。 虎ノ介のペニスは僚子の期待に応えるかのごとく、その身をびく びくとふるわせた。 126 虎ノ介 くん。キミの凶悪なこれで、 完全に剥けあがった包皮に、雄々しく、赤黒い血管が浮きあがっ ていた。 ﹁う⋮⋮﹂ ﹁ふ、ふ。いいだろう? わたしを、女にしてほしいんだ︱︱﹂ ﹁うう﹂ けぶ 腹の底にたまった熱い泥のような劣情。 頭のなか煙る名状しがたい優越感。 それらは虎ノ介の理性を超えて、僚子の肉体をもとめつつある。 僚子のような美人に全裸でせまられ、うれしくないわけがないの だ。 虎ノ介はすでに彼女を受け入れてもよい気持ちになっている。だ が︱︱ ﹁でも、おれには朱美さんが︱︱﹂ ︱︱いる、である。 彼女の存在が、意識の、最後のところを押しとどめている。 いくら正式な恋人でないと云え。 朱美にとっては遊びにすぎないような関係であれ。 それでも虎ノ介にははじめての女だ。 忘れがたい女だ。 つきあいはじめたばかりの彼女を裏切って、ほかの女と過ちを犯 スケッチ すのは、子供じみた潔癖さを持つ虎ノ介には無理な相談であった。 今、虎ノ介の胸には、かつての︱︱恋人だった少女の素描を燃や とぼ した︱︱遠い日の己がよみがえってきている。 一斗缶のなかに点された火の、だんだんとちいさくなってゆく光 景が思い起こされている。 127 ﹁やっぱり朱美さんを悲しませるわけには﹂ そう云った虎ノ介の心情はしかし。 次に僚子が告げた一言により、粉々に打ちくだかれることとなっ た。 ﹁ああ、それなら大丈夫だよ。朱美さんにはちゃんと許可をもらっ ている﹂ ﹁へ︱︱?﹂ かお ぽかんと口を開ける虎ノ介の表情がよほど呆けていたのか。 ﹁何をおどろいているんだい? 彼女とわたしは友人だ。だまって 友人の恋人を寝取るわけがないだろう﹂ としした 僚子はおかしそうに、﹁くく﹂と笑い、その身を虎ノ介へよせた。 とお 虎ノ介の胸に、つめたい、僚子の手がふれた。 ﹁だ、だって﹂ ﹁朝も云ったろう? 朱美さんは大人だと。十も年少の子に、自分 の都合を押しつけるような真似はしないさ﹂ ﹁それは﹂ ﹁ざっくりと結論を云えばね。朱美さんもわたしとおなじなのさ。 キミと結婚したいとか、キミを独占したいとか︱︱そんな図々しい 望みは持ってないのだよ。愛人でもよいから関係をつづけたい。あ るいはそのくらいは考えているかもしれない。しかし、それとてキ ミが拒むなら、強くはもとめないだろう。つまりは後腐れない身体 やさしくし と。よかったじゃあないか。キミ、こんな男にとっ だけの関係というわけだ。朱美さんは云っていたよ。 てあげてくれ 128 て都合のいい女、探してもそうそういるものじゃあないぞ﹂ 男冥利だろう? そう語る僚子を、虎ノ介は複雑な思いで見た。 ﹁それは結局、おれじゃダメだってことじゃあないんですか﹂ ﹁うん?﹂ 僚子は不思議なものでもながめるかのように、首をかしげた。 ﹁おかしなことを云うねキミは。朱美さんだって、わたしだって、 こうしてキミをもとめている。それがなんだって、そんな結論にな るんだい?﹂ ﹁だけど﹂ と、虎ノ介は、その顔をそむけた。 もの ﹁そんなことを云っても、朱美さんも、先生もいっときの遊びでし ょうが。おれが本当に必要なわけでも︱︱真実、おれの女になって くれるわけでもない﹂ 自分が我侭を云っているという自覚は、虎ノ介にもあった。 わかっていながらもこの年上の女性に対して、虎ノ介はすねて見 せずにいられなかった。 もともと女性不信の気のある虎ノ介には︱︱朱美と僚子、ふたり の取り決めが、彼の心を無視した残酷な仕打ちに思われた。 自分の意思とまるで関係ないところで話のすすんだことに、ちい さな反抗心をいだいた。 アンビバレンス 彼の心には、恋人に裏切られた過去の哀しみと、それでも女性と いうものへ救いをもとめる背反な願いとが一緒になっている︱︱。 129 ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ 僚子はその問いに対して、何も答えようとはしなかった。 ただじっと虎ノ介を見、憐れむような目をしたあと。 ﹁んっ︱︱﹂ 不意に、虎ノ介へ口づけた。 ﹁︱︱!?﹂ 突然のことに目を白黒させる虎ノ介に対し、僚子は有無を云わせ ず、その唇を貪っていった。 虎ノ介の口中は僚子の舌によって、なかば無理矢理に押しひらか れ、吸われ、犯された。 唾液を奪われ、また逆に流しこまれた。 こういったはげしいキスは、朱美につづいて二人目だと虎ノ介は 思った。 やくたい 二十五も越えれば女も貪欲になるのだろうか。 ほうづき いおり そんな益体のないことも考えた。 法月伊織はちがった、と。ついくらべてみたりもした。 ﹁ファーストキス、だよ﹂ いき 呼吸があがるほど散々にねぶってから、僚子は口をはなした。 光る糸がふたりの隙間に、つかの間、弧をえがいて消えた。 まじりあったふたりの唾液が、虎ノ介のあごや喉もとへしたたり 落ちた。 ﹁何を﹂ 130 息を荒くして虎ノ介は訊いた。 僚子は、年長者らしい余裕でもって、虎ノ介へ向かい︱︱ ﹁キミは好いな﹂ と云った。 虎ノ介はわからぬという顔をする。その虎ノ介に向かい、僚子は つづけた。 ﹁善良で純粋だ。子供っぽいところもあるがやさしい。ふふ、しか し心淋しいのがキミの欠点だな。⋮⋮もっと心を明るく持ちたまえ な。明るく、明るくね﹂ ﹁おれ、そこまで暗いですか﹂ そんなつもりはない、と虎ノ介は答えた。 僚子はうなずいた。 ﹁表面上は。しかし目がね︱︱淋しい。淋しいな。わたしの肉欲と おなじく、キミもまた他人をもとめているのだろうが⋮⋮。キミの 方がずっと切実なようだ。そんなんじゃあ︱︱つらいぞ﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁恋人を寝取られでもしたかい?﹂ ﹁︱︱!﹂ ﹁ふむ、図星か﹂ すぐには。虎ノ介も答えることができなかった。 わら 自分の心のうちを見透かされた思いがし、彼は羞恥に顔を紅めた。 どうしてひとは己より愚かな者を嗤わずにいられないだろう。 どうして女は男をはじしめずにはおかないだろう。 131 虎ノ介は僚子の言葉をうらめしく思った。 彼は僚子の、少年をいたわり勇気づけようとする︱︱そうした年 上の情愛を知ってはいなかった。 ﹁おれは︱︱﹂ わずかに興奮した声で、虎ノ介は云った。 つづく言葉は出てこなかった。 ひとつ上の先輩とつきあっていたことも。 ひと その先輩が初恋のひとであったことも。 その女が、虎ノ介のかわいがっていた後輩と過ちを犯したことも。 そしてあるとき、彼女と後輩がつながっているところを見てしま ったことも、何ひとつ虎ノ介は口に出せないでいた。 になってやるか ⋮⋮虎ノ介は、いまだ過去に対し、はなはだ強い執着を持っていた。 キミだけのもの そんな自分におどろいてもいた。 静かに僚子が唇をよせた。 ﹁いいさ。わたしがキミの︱︱ ら﹂ つむ そう紡ぎ、僚子は虎ノ介の上へとまたがった。 ﹁んっ︱︱やっぱり、すごいな、これ﹂ 虎ノ介のペニスを見やり、はずかしそうに云う。 うるお きつりつ 薬の効果もあってか、僚子の股間は今すぐ挿入しても問題ないほ ど潤っており、また虎ノ介のペニスも萎えることなく屹立していた。 僚子は男根に己の秘唇を押しつけ、前後にこすった。 ﹁んっ⋮⋮はあ⋮⋮﹂ 132 甘い吐息をもらし、つと腰を動かす。 先端の裏すじ付近に生じた快感を意識しながら、虎ノ介は僚子を 見つめた。 僚子の宣言は虎ノ介の心に、大きなぬくもりと混乱をあたえてい る。 虎ノ介はうれしいような怖いような、どこまで信じてよいかわか らぬ気持ちのまま、僚子にふれた。 身動きのとれない身体を、とにかくすこしでもうごかそうと努め た。 ﹁僚子さん﹂ 虎ノ介は僚子の名を呼んだ。 微笑み、僚子はうなずいて見せた。 ふたりのうごきは、すこしずつ大きくなっていった。 うごいているのは主に僚子の方であったが、虎ノ介もすこしずつ なめくじ 腰をうごかせるようになってきていた。 ふたりの股間の辺りには、蛞蝓の這いずったような、ぬめりの跡 が目立ってきた。 そうして、そのまま五分ばかり素股で愛撫したあと、 ﹁ん︱︱。そ、そろそろいいかな? キミのをもらっても﹂ つらそうな、もう我慢できぬといった風情で、僚子が云った。 ﹁いいですけど僚子さん、処女なんですよね? 大丈夫ですか﹂ こくこくと、僚子は何度もうなずいた。 133 なか ﹁もう。もう早く、これを膣内に入れたい﹂ 虎ノ介の男根を己の膣口へあてる。と︱︱ ﹁あ、ちょっと︱︱﹂ なか 止める間もなく、僚子は一気に体重をかけ、その身を落とした。 ペニスが僚子の胎内奥深くまで飲みこまれてゆくのを虎ノ介は実 感した。 ぎちり、肉のヒダが男根にうねり噛みついてきた。 ﹁うう︱︱︱︱ッ﹂ 歯を食いしばって耐える僚子の様子に、虎ノ介は思わず眉をひそ めた。 ﹁無茶だよ﹂ なんとか上半身を起こすと、虎ノ介はやさしく僚子の身体を抱き しめてやった。 尋ねながら、そっと、その背をなでる。 ﹁だいじょうぶ?﹂ 134 女医、島津僚子の場合 その6 ﹁ひ︱︱っ﹂ ふれた途端、強く僚子が反応したため、虎ノ介はなでる手を止め た。 ﹁やっぱり、いきなりはつらいでしょ﹂ できるだけ身体を揺らさないように気づかいつつ手をはなす。 処女とするのは虎ノ介にとってもはじめてのことであったが、初 くわ の性交が女性に負担の大きいものだというのは、彼の貧しい知識の なかにもあった。 ふたりの取っている体位は対面座位。 僚子は自重により、虎ノ介のモノを深く銜える形となっている。 おもいやり せめて自分がうごけたなら、挿入の度合いを調整できただろうに。 と、虎ノ介は同情のある語気で女の身を案じた。 ﹁無理せず、しばらく休みましょうか﹂ 僚子はうつろに目を見開き、宙を見つめている。 ﹁こ、これ︱︱﹂ と、僚子は云った。 ﹁これは、ヤバい、な⋮⋮。お、思ったより⋮⋮き︱︱﹂ 135 全身に脂汗を浮かせ、涙目で、途切れとぎれ発語する僚子に向か い、虎ノ介はなるべく冷静な態度を取りつづけていたが、彼にして もそう余裕のある状況ではなかった。 ︵すごいや、なんだこれ︶ 僚子の膣肉は、挿入と同時に虎ノ介のモノへ一斉に襲いかかり、 深奥へ到達するころには、すでに膣全体でねっちりとからみつくよ うに虎ノ介を捕らえていた。 僚子が呼吸するたび、それははげしくしめつけて虎ノ介を責めた ててくる。 朱美のやわらかい、つつみこむような感触とちがい、僚子のそれ かき はぐいぐいと男をしめあげてくるものだ。 朱美の膣内は虎ノ介に牡蠣を連想させたが、僚子の膣内は蛇を思 わせた。 蛇が獲物を体内に飲みこもうとするイメージである。 ずる 処女だからきついのだろうか、と虎ノ介は考えた。 できあがって いるのが女だというなら。 だとすれば、女とはずいぶん卑怯い生き物だ。 最初からこうまで 女が、男をよろこばせたり狂わせたりするのは至極当然の話だと 思えた。 これではどだい虎ノ介のような者が女に敵うはずもなかった。 虎ノ介は性欲に振りまわされる男の哀しさを思わずにいられなか った。 ⋮⋮くち、とふたりの接合部が音を立てた。 僚子がかすかに身じろぎをした。 ﹁キ、キクゥ︱︱﹂ と。突然、低いうめきをもらし、僚子はぶるりと裸身をふるわせ 136 た。 その甘い法悦の響きに、虎ノ介はぎょっとし僚子を見上げた。 僚子は︱︱ ﹁は、あは﹂ だらしなく顔を歪ませ、笑っていた。 涙のにじんだ目は完全に焦点を失ってい、半開きの口からはよだ れがとろとろとこぼれていた。 その顔には明らかな快楽の色があった。 ﹁せ、先生?﹂ だいじょうぶですか? と虎ノ介は問うた。 僚子は虎ノ介を見、ふるふるとちいさく首を横に振った。 ﹁だ、だいじょうぶじゃないっ。ヤバイ。こ、これヤバイ︱︱﹂ 切羽つまった様子で答える。 ﹁え、と、やっぱり痛いんですか?﹂ これにも僚子は首を振った。 ﹁痛くない︱︱痛くはない、が﹂ ﹁え、痛くないんですか?﹂ 状況のよくつかめぬまま、虎ノ介は僚子の腰に手をまわした。 ついでにすこしだけ、己の腰の位置を直す。 137 ﹁ひィいッ﹂ わずかである。 ほんのわずか虎ノ介が腰をうごかしただけで、僚子は悲鳴じみた 声をあげた。 ﹁うわっ?﹂ あわてて虎ノ介は僚子の身体を支えた。 痛みを気づかい、なるべくうごかぬよう、ぶれぬように、僚子の 形のよい尻をつかんだ。 ほそい腰を押さえ、うつくしい上向きの胸にかるく口づけた。 ﹁こ、こら︱︱何を﹂ ﹁いや、すこしでも気がまぎれるかと︱︱﹂ ﹁だから痛くないって云ってるだろっ﹂ ﹁でも、こうすると気持ちよくないですか?﹂ と、僚子の乳首を吸う。 ﹁バッ︱︱今っ、今はっ、されるとヤバイん︱︱んんんんンンンン ンンンンンッ♥♥♥﹂ 背を反らせ、僚子は思いきり四肢に力をこめた。 女性とは思えぬほどの強い力で、虎ノ介の身体をふとももや腕が しめつけた。 その痛みに虎ノ介は思わず顔をしかめた。 ﹁はっ⋮⋮はっ⋮⋮こ、このばかものォ⋮⋮。キミ、わざとやって るな﹂ 138 ﹁いったぁ︱︱。わざとって、そんなねぇ﹂ ﹁い、言い訳は聞きたくない。はぁ、はぁ⋮⋮。もういい。もうい キミのも なのだから⋮⋮キミは自由に、好きなように、わたしを犯して いっ。どうせわたしがオチるのは確定事項だ。わたしは の いいし。わたしはただそれに狂うだけだ﹂ ﹁いや、そんなわけわからんうちに、一方的な奴隷宣言されても﹂ ﹁しかし、すごいな。これがセックスか。全身が性感帯になったよ うだ。朱美さんや玲子がハマるのも無理ない﹂ ﹁ねえ、ちょっと聞いて。お願い﹂ ﹁なんだ、うるさい、な⋮⋮ァンッ﹂ 敏感すぎるのか、僚子は生じる快感を受け止めきれず、何度も身 ぶるいしながら、繰り返しちいさな絶頂に達していた。 虎ノ介はほとんどあきれながら、こうした僚子の痴態をながめた。 ﹁な、なんだ、その⋮⋮変態でも見るような憐れんだ目つきは。わ、 わたしはけっして︱︱﹂ うぶ ﹁あのう、先生? 先生って本当に処女、なんですか?﹂ 虎ノ介は訊いた。 僚子の反応は、どう見ても初心な乙女のそれではない。 貪欲に男をもとめうごめく女性自身も、青臭さなどまったくない、 熟れきった果肉の味わいである。 ﹁ど、どうしてそんなことを訊くかな、キミは。わたしだってこれ でも一応、女なんだぞ。好きな男にはじめてをささげたいと思って も不思議じゃないだろう﹂ ﹁や、セックスしてみたいってのが主な動機で、べつに恋愛感情と かなかったじゃないですか、先生は。てゆうか知りあったのだって ついこの前︱︱⋮⋮って、いや疑うわけじゃないんですけど、どう 139 もさっきからの反応を見てると、その。痛みとかも全然ないようだ し﹂ 血も出てないみたいだ、と虎ノ介は結合部を観察し云った。 ﹁む? それはそうだろう。血なんて出るわけがない﹂ 荒い息を落ちつかせつつ、僚子は答えた。 ﹁は?﹂ 言葉の意味がわからず、虎ノ介は聞き返した。 ﹁血が出ないって、どうしてですか﹂ ﹁性行為の最中、女性器から血が出るのは主として裂傷が理由だ。 粘膜なんて簡単に傷がつく。まだ拡張されてない膣に強引に男性器 を入れたりするとな。押しひろげられて痛みや傷が生じるんだ﹂ ﹁はあ﹂ ﹁出血に処女膜の有無なんか関係ないぞ。処女でもきちんと濡らし てやさしくしてやれば出血しない娘だって多い。男だってキミ、尻 たしな の穴にいろいろつっこまれたら血ぐらい出るだろう?﹂ ﹁想像もしたくないです。⋮⋮え? じゃあ先生は﹂ ﹁わたしはちゃんと拡張済みだ。大人の女性としての嗜みだ。あ、 男じゃないぞ? 男でわたしのなかにはいったのはキミだけだ。う ん﹂ オナニー ﹁? つまり、えっと⋮?﹂ ﹁うん? もちろん自慰はバイブとディルドーだが﹂ ﹁うわあ⋮⋮﹂ は 虎ノ介は詐欺にでも遭ったような気分で、口の端をひくつかせた。 140 大人の嗜み とか、 もちろんディルドー とか、わっけわか ﹁どこが処女だ﹂とツッコミを入れたい気持ちになった。 ﹁ んねぇ︱︱﹂ ﹁ふ、ふふふ﹂ 快活に笑う僚子。 つられ、虎ノ介も笑った。 何やら名状しがたいおかしみが湧いてきて、彼の心をたのしませ た。 ﹁うは、はは︱︱﹂ ﹁ふふふふ︱︱﹂ ぐいと、予告なしに虎ノ介は、僚子の奥を突いた。 ﹁おおう︱︱ッ!?﹂ 身体ごと跳ね、僚子はかすかに腰を浮かせた。 そうしてあせった様子で虎ノ介をにらんだ。 かぐわ 朱美ほどではないが湿潤な股奥から、愛液がたれて落ちた。 芳しい雫が、虎ノ介の陰毛を濡らした。 ﹁な、何を︱︱﹂ ⋮⋮虎ノ介はようやくうごけるようになってきていた。 ﹁自由がもどってきたんで。すこしだけ、反撃させてもらいますね﹂ ﹁キミ﹂ ﹁大丈夫、ちゃんとかわいがってあげます。おれ、僚子さんのこと 141 ︱︱けっこう好きですから﹂ こう告げておいて、虎ノ介は、力強く僚子をベッドに引き倒した。 虎ノ介の僚子に対する呼び方は、いまだ定まっていない。 ⋮⋮僚子の顔は耳まで紅く染まっていた。 彼女のへそから、胸までを一直線に虎ノ介は舐めた。 胸をもみ、乳首を甘噛む。 肉棒を失って泣く秘芯をひざでこすりあげる。 ﹁あ︱︱﹂ 僚子はちいさく喘ぎ。 虎ノ介はさらに深く愛撫をつづけた。 胸から鎖骨、首すじから唇へと徐々に口づけを増やしてゆく。 その間、手は乳房をもみ、足は僚子の股間をなぐさめていた。 僚子はみずからの足を虎ノ介にからませ、その愛撫を享受した。 目をつむり、快感に眉宇をひそめる姿は、万事を虎ノ介にゆだね たものであった。 ふたりはおたがいの身体をなであげ、またおたがいの性器をもて あそんだ。 しつこいほどに虎ノ介は僚子の身体をまさぐり、僚子は幾度も絶 頂した。 しばらくのあと︱︱虎ノ介は僚子に再度、挿入した。 ﹁う、ううううぅ﹂ かお いな 今にも泣きだしそうな表情で、僚子は獣じみたうめきをあげた。 じらしにじらしたおかげか、挿入されるや否や僚子はほとんど狂 いださんばかりになって虎ノ介にしがみついた。 僚子は屈辱に似たものを目に秘め、虎ノ介の口を吸った。 142 朱美との秘事で身につけたものを僚子につかう。 このことに、虎ノ介はかすかな罪悪感を覚えたが⋮⋮ ﹁虎ノ介くん、とら、のすけ︱︱くっ﹂ 夢中で繰り返し、虎ノ介に頬ずりしながら腰を振りたてる僚子の 姿は、虎ノ介に大きな優越感をもまたあたえた。 虎ノ介は快楽に流されながら、無心で腰をつかった。 ぐちゅぐちゅという、あられもない音が室内に大きく響いた。 ﹁ッあ、おお、おおぉ︱︱♥﹂ 僚子は懸命に快楽に抗っていたが、その口からこぼれる甘い声と、 アクメに歪む表情だけはどうにもできぬようであった。 ﹁ダ、ダメだ、さっきから何度も︱︱﹂ イッてる、と僚子は涙声で訴えた。 先刻から連続で、僚子は達していた。 敏感すぎるのだ、と虎ノ介は僚子をかわいく思った。 そんな僚子にかまわず、虎ノ介は無慈悲な責めをつづけていった。 次第にこみあげてくるものを、内に自覚して、より腰のうごきを はやめた。 ﹁ま、またクる︱︱! も、もう︱︱﹂ 僚子が歯を食いしばった。 しめつけがはげしくなる。 虎ノ介は限界を悟り、発射の直前、とっさに腰を引いた。 しかしそれよりもはやく、僚子の両足が虎ノ介の腰に巻きつき、 143 彼の身体を固定した。 僚子は虎ノ介をのがさなかった。 ﹁うう、イク﹂ うめきながら、無様に虎ノ介は射精した。 うね びゅくびゅくとすさまじいいきおいで放たれた精は、そのすべて が僚子の蠕動る膣奥へと飲みこまれていった。 ﹁∼∼∼∼∼∼∼∼∼ッッッ﹂ 吐精を受け、僚子は声にならない絶叫をあげた。 虎ノ介の背には、痛いくらい爪が食いこんできた。 ﹁おほ、お︱︱ォ﹂ やがて、長い長い射精が終わると、僚子は力つきたようにぐった とろ りと四肢を投げだした。 その蕩けきった目から、ひとすじ、涙がこぼれた。 射精のけだるい余韻を味わいつつ、虎ノ介はほっと息をもらした。 僚子の蜜壷からは大量の白濁がこぼれ落ちてきていた。 144 女医、島津僚子の場合 その7 その晩、虎ノ介は僚子の部屋へ泊まることとなった。 うごけるようになってきたとは云え、まだ本調子ではなく。 また相当の水分を失っていたため、大事をとって休んでいった方 むつごと がいい、という僚子のすすめであった。 ふたりは今、ベッドの上で静かに睦言を交わしている。 ﹁︱︱とまあ、そんな感じで。見事に振られたってわけです﹂ こう云って、虎ノ介は苦い笑いを浮かべた。 虎ノ介の語ったのは彼の過去についてである。 彼の生い立ちであり、両親の死であり、また彼が高校生のときに 味わった失恋のことである。 話を聞き終えた僚子は、特に何も云うでなく、頬杖をついたまま 虎ノ介をやさしげな目で見ている。 虎ノ介もまた、何か答えを期待していたわけではない。 ただ僚子には話しておきたい。そう思っただけであった。 ﹁つまらない話でしたね﹂ 虎ノ介は目をとじた。 ﹁ううん﹂ かぶり 頭をふり、僚子は否定した。 ﹁話してくれて、ありがとう﹂ 145 礼を云う僚子に、虎ノ介はちいさな声で﹁いえ﹂と返した。 虎ノ介の心には僚子に対する強い感謝の気持ちが起こってきてい る。 ﹁その話、朱美さんにも教えてあげたまえよ﹂ ﹁え?﹂ ﹁あれで彼女も存外、嫉妬深いところがあるからな。わたしだけ聞 いたのじゃ悲しむ﹂ ﹁あ、はい︱︱﹂ ﹁なんだい、意外そうな顔をして﹂ ﹁いや、だって﹂ 男を共有しようとする女たちがそんなことを気にするのか。 と虎ノ介が、素直な心情を述べると︱︱ ﹁束縛しないということと、愛情がないということはちがうさ。わ たしたちにキミを束縛するつもりはないけれど、だからと云って感 情がないわけじゃあない。わたしたちだって人並みに嫉妬もすれば、 独占欲もある﹂ と云い、枕元から水のはいったペットボトルを取ると、それを飲 んだ。 そうしてふた口ほど飲んだあとで、僚子は虎ノ介にキスをした。 口移しで虎ノ介へ水が飲まされてゆく。 ﹁もうすこし飲むかい?﹂ ﹁うん﹂ 僚子は﹁わかった﹂とうなずき、親鳥よろしく二度三度と虎ノ介 146 の口へ水を運んでいった。 虎ノ介の口からこぼれた水が、枕を濡らした。 ﹁もっと?﹂ ﹁もういいです。ありがと僚子さん﹂ ﹁ん﹂ ペットボトルを枕元に。 僚子はゆっくりと手をのばしもどした。 張りのある乳房と、長い髪の毛が虎ノ介の鼻をなでた。 ﹁フェアにいこうってことさ。共有物は公平につかう。これが天人 に提示された条件だからね﹂ ﹁は?﹂ ﹁いや、こっちの話︱︱。⋮⋮ま、冗談じゃなく、さ。ちゃんと朱 美さんもケアしておくんだぞ。あのひと、旦那に浮気されたり、い ろいろあったからな。ああ見えて、結構真剣にキミのことを好いて るみたいだしね﹂ ﹁そうなんですか?﹂ ﹁うん? 今、ちょっとうれしそうな顔になったね﹂ ﹁そ、そうかな﹂ ﹁そうだ。キミな、目の前の恋人も忘れるなよ。わたしだって、キ ミのものになったんだからな? これでも一途な女なんだ﹂ 告げて、僚子は虎ノ介へしなだれかかった。 虎ノ介はとまどった、それでいながらもやはりどこかうれしい心 持ちで、僚子の身体を抱きしめたのだった。 ◇ ◇ ◇ 147 ﹁ふぅん︱︱、そんなことあったんだ、虎くん﹂ 話を聞いた朱美は、興味深そうな目つきで、虎ノ介をながめた。 ﹁そっか。それでわたしとするときも気にしてたのね。不倫とかき らいなんだ?﹂ 云いながら、朱美は虎ノ介の乳首を舐めた。 びくりと、虎ノ介は意識せず身体をふるわせた。 ﹁き、きらいっていうか。やっぱり相手のこと考えたら、気がひけ るし︱︱﹂ ﹁そっかあ。ま、そりゃそうよねえ。ひとによってはダメージでか いもんねえ﹂ わたしはそうでもなかったけど。 と朱美は虎ノ介の上半身を舐めながらつづけた。 あいつ ﹁腹は立ったな。仕事まで辞めて主婦業に専念してたってのにさあ。 だから今はどっちかってーと、旦那にも一度、見せつけてやりたい ・ ・ わ。なんだかんだであいつわたしに惚れてたし、わたしと虎くんの エッチ見たら、けっこうくるものがあると思うのよね﹂ ﹁そんなの、やめましょうよ﹂ モラル 虎ノ介はあからさまにいやな顔をした。 虎ノ介の道徳心から云って、そういった復讐行為はあまり好まな いやり方である。 148 ﹁ちょっ、っとォ⋮⋮こら⋮⋮気を、抜くのじゃない⋮⋮ァん⋮⋮ 今、いいところぉ⋮⋮なんだからァ︱︱﹂ と そう、振り向いた僚子が不平を云った。 その目は軽く蕩け、顔は上気している。 ﹁ああ、はい、ごめん僚子さん﹂ 謝り、虎ノ介はピストンを再開した。 しぶき ずんと、目の前の尻へ向かって腰をたたきつける。 飛沫が、ふたりの結合部から飛んだ。 ﹁ひあああんッ﹂ 僚子が哭き声をあげた。 夜空に舞った桜の花びらが、僚子の髪をいろどっていた。 ︱︱片帯荘からすこしの距離にある公園。 バック そこにある茂みの奥で、今三人は仲睦まじくつながっている。 桜の木を支えに腰を突き出している僚子を、虎ノ介は後背から責 めたてている。 僚子は相変わらずの感応の鋭さで、嬌声をあげている。 朱美は虎ノ介の胸に顔をよせ、恋人の汗を愛しそうに舐めている。 三人の着衣はともに乱れ、みな半裸に近い姿であった。 虎ノ介は胸と下半身をあらわにしていたし、朱美もまた、その大 きな乳房を開け放しにして、母乳をしたたらせていた。 僚子にいたっては靴を履いているだけのほぼ全裸である。 僚子はいつもの堂々とした気質でもって、虎ノ介とのセックスに 没入している。 虎ノ介が腰を突き入れるたび、乳房がぶるぶるとふるえている。 149 ﹁ちょ、ちょっと僚子さん。もうすこし静かにしないとみんなにバ レますって﹂ ところ あわて虎ノ介は云った。 彼らがこんな場所にいる理由︱︱それは敦子の言葉からはじまっ たものだった。 ︱︱もうすぐ桜も終わりだし、今のうちにお花見にいきましょう。 敦子はそう提案した。 舞と虎ノ介を連れ、それに片帯荘のほかの住人たちにも声をかけ て、みなで夜桜見物としゃれこもうというのである。 比較的、住人同士がつながりのある片帯荘においてはこうしたイ ベントもときどき行われていた。 特に敦子の影響は大きく、敦子が音頭をとれば住人のほとんどは 参加する。 今回の花見でも参加していなかったのは、仕事が忙しくどうして もはずせなかったという氷室玲子のみであった。 虎ノ介ははじめて経験する花見という場に、心が浮き立っていた。 綺麗な桜をながめて酒を飲むというは、思いのほか心地がよいも たち のだ。と、虎ノ介は感じた。 酒はあまり得意な性質ではなかったが、宮野の用意した酒はさす がに上等な物ばかりで、その薫り高い味は虎ノ介の心を強く惹いた。 ⋮⋮そうして舞がつぶれたころ、尿意をもよおした虎ノ介は席を立 った。 その虎ノ介がいなくなるとほぼ同時に、さりげなく場をあとにし たのはふたりの女であった。 ﹁僚子先生ってホント感じやすいのね。⋮⋮うわ。こんな糸引いち 150 ゃって、すごく気持ちよさそう。でもさすがに大声出すとまずいわ よ﹂ おり 結合部についた白い澱を指先ですくうと、朱美はそれをねちゃね ちゃともてあそんだ。 朱美の言葉に、一応はうなずく僚子だが︱︱ ﹁あン︱︱ッ﹂ 官能の導きは、すぐに彼女に甘いあえぎをもたらし。 結局、虎ノ介はみずからの手で僚子の口を押さえる羽目となった。 ﹁ふぐ︱︱ん、む⋮⋮﹂ 虎ノ介の手が口をふさぐと、僚子は甘えかかるようにして、今度 は虎ノ介の指をしゃぶりはじめた。 ねばついた水音が結合部と口もとから、尻と腰のぶつかる音に重 なって協奏曲を奏でる。 次第に、僚子の表情は余裕のないものへと変わっていった。 虎ノ介も、射精の欲求が、腹底から持ちあがってきた。 虎ノ介はみずからの限界が近いことを僚子に告げた。 なか ﹁アァ︱︱。出して、出していいっ。精子! 膣内に、わたしのオ マ○コに出して︱︱﹂ 僚子がもとめた。 そのもとめに応じ、容赦なく、虎ノ介は己が欲望を解放した。 ﹁∼∼∼∼∼∼∼ッ♥♥♥﹂ ﹁わわ、やば﹂ 151 絶頂の瞬間。 虎ノ介は、哭き声をあげようとする僚子の口を強くふさぎ直した。 そして腰をふるわせながら、白濁を吐き出していった。 頭のなかが真白になる感覚に、かくりと、彼の膝はくだけた。 虎ノ介の考える以上に、アルコールは彼を弱らせていた。 ﹁あ︱︱﹂ 倒れかかる虎ノ介の背に、あたたかい、マシュマロのようなもの が押しつけられた。 朱美が、背後から虎ノ介を支えるように抱きすくめていた。 なか ﹁はいはぁい。ちゃんと最後まで膣内にぴゅっぴゅしましょうねぇ。 それが女性に対する礼儀よん、虎くん﹂ 子供をあやすように云って、朱美は虎ノ介のペニスの根元をしご き、吐精をうながした。 ガキ ﹁が、子供あつかいしないでください。う︱︱﹂ 顔を紅めて虎ノ介は抗議したが、朱美は意に介さす、虎ノ介のペ ニスをしごいていった。 射精が終わると、力を失いちいさくなったペニスが、くたりと僚 子の秘唇より抜け落ちた。 ⋮⋮僚子は木にもたれたまま。呆けた目をして、あらぬ場所を見 つめている。 ﹁よいしょっと﹂ 152 コンドーム たのしげな様子で、朱美はペニスから避妊具を剥ぎとった。 ﹁おお、出てる出てる。⋮⋮ううん、相変わらず虎くんはいい仕事 じか するなあ。こんなエグい量出されたら、安全日でも一発で妊娠しち ゃうわね。あ∼あ、僚子先生も直接で味わいたいって云ってるのに。 もったいない﹂ ﹁やめてくださいよ﹂ ﹁うふふ﹂ いたずらっぽく笑う朱美に、虎ノ介は口をとがらせた。 なかだし ゴム ﹁でも、最初は生で膣内射精したんでしょう? いいなぁ。わたし なんてここのところ、いつも避妊具ありなのになあ。ずるいわ﹂ ﹁あ、あれは、ほとんど無理やりで﹂ ﹁ずるいずるい∼。わたしもなかで出してほしい。オマ○コにいっ ぱい出してほしい。受精したい∼﹂ ﹁朱美さん、わざとやってるでしょ﹂ ﹁うふふふ﹂ お気に入りのおもちゃを見る目である。 虎ノ介は溜息をついた。 ﹁離してください。おれ、そろそろトイレに︱︱﹂ いきたい、と虎ノ介は告げた。 射精を終え、充血から解放された陰茎は、次なる排泄の欲求を訴 えていた。 ﹁ええ、わたしまだエッチしてもらってない﹂ 153 不満そうな顔を見せる朱美に、虎ノ介は首を横に振った。 ﹁いや無理です。もうこれ以上我慢するともれます。なので朱美さ んとは、またそのうち、ということで﹂ ﹁その辺で出しちゃったら?﹂ ﹁や、やですよ、そんなの﹂ ﹁そんなあ、僚子先生ばっかりかわいがってずるいわ﹂ ﹁そんなこと云われても﹂ と、そのとき、こまった虎ノ介の手をつかんだ者があった。 見れば僚子が、じっと、潤んだ目で虎ノ介を見ていた。 ﹁僚子、さん?﹂ にやりと、僚子の顔にたのしげな笑みが浮かんだ。 それは獲物を前に舌舐めずりする蛇のようでもあった。 154 女医、島津僚子の場合 その8 ※スカトロ ﹁ああもう、どうしてこんなことに︱︱﹂ 虎ノ介は頭をかかえたい気持ちでいっぱいであった。 年上の、それもふたりもの女性と関係を持つようになった。 それだけでも、すこし前の虎ノ介にとっては信じられぬような出 来事であった。 だというのに、そこに輪をかけて︱︱ ﹁まさか女のひとに小便する羽目になるなんて﹂ であった。 目の前にしゃがみ込む全裸の美女。 その美女が今、虎ノ介のペニスに向かって大きく口をひらき、舌 を出していた。 ごたく ﹁御託はいいから、ほら。さっさと出したまえよ。キミのそのたま ったおしっこ。遠慮しないでわたしにぶちまけてくれ。あまり我慢 すると膀胱炎になるぞ︱︱﹂ あーん、と舌をのばす僚子。 すこし離れた場所にいる朱美は、興味津々といった構えでふたり のやりとりをながめている。 ﹁できるだけちゃんと口に出したまえよ。飲みきれるはずはないと 思うが、できるだけ飲みたいから﹂ ﹁あの、マジにするんですか?﹂ 155 ﹁もちろんだ。ほら﹂ ﹁あー⋮⋮、じゃあ、そのいきます。射精したばっかなんで、きっ と変な方向に飛びますけど、かかったらごめんなさい﹂ ﹁ああ、いいぞ、こい﹂ たのもしげに云って、僚子は虎ノ介のペニスに口をよせた。 ﹁ん⋮﹂ 仕方なく羞恥を振り棄てて、虎ノ介は放尿をはじめた。 ペニスから、いきおいよくほとばしった薄黄色の液体は、虎ノ介 の予想通り、斜めにそれて僚子の顔にあたった。 僚子は顔をしかめながらも位置を調整し、みずからの口にそれを 受けていった。 ごくごくと喉を鳴らし飲んでいく。 だがさすがに飲みきることはできず、僚子の口からあふれた尿は、 彼女の首すじや胸を濡らしていった。 いきおいを増した尿はその大半が彼女の顔にあたって、彼女の全 身に降りそそいだ。 僚子は目をつむったまま口をひらき、祈るような姿で虎ノ介の前 にその身をさらしていた︱︱。 やがて放尿が終わると、僚子は恍惚とした表情を見せながら立ち あがった。 彼女のひざや足もとは虎ノ介の尿と泥でぐちゃぐちゃになってい た。 うつくしい長い髪も、むせかえるようなアンモニアの匂いを放っ ていた。 虎ノ介は持っていたハンカチで僚子の顔をふいた。 156 ﹁だいじょうぶですか﹂ ﹁ん⋮⋮。だいじょうぶだ。そう心配しなくてもいいさ。ふ、ふ⋮ ⋮堪能させてもらった。美味しかったよ。︱︱げふ。⋮⋮っと失礼﹂ まつげ 睫毛から鼻先から、唇から、あごから、乳首から、陰毛から。 あらゆる場所から雫をたらしながら、僚子は云った。 みずからが脱ぎ棄てた衣服をひろい、そのなかのシャツを取って 全身をぬぐっていく。 ﹁それ着るやつじゃないんですか? ふくものならおれが取ってき ますよ﹂ これ ﹁いいさ。もうそんなに寒くないし、家もすぐそこじゃないか。帰 るだけなら上衣さえあればいい﹂ それより、と僚子は眼鏡をかけつつ虎ノ介の背後を指ししめし︱︱ ﹁そっち。相手してやりたまえよ。もう、だいぶ我慢できないみた いだぞ﹂ 虎ノ介が振り返ると。 そこに、己の股間に手を差しこみ、激しく愛撫する朱美の姿があ った。 オナニー 発情しきった顔で地べたにすわり、口に虎ノ介のブリーフを銜え ている。 パンツにむしゃぶりつくよう、朱美は自慰にふけっていた。 虎ノ介は頬をひくつかせ、今夜、何度目になるかわからぬ溜息を ついた。 157 ◇ ◇ ◇ ﹁あ、きたきた。おそーい!﹂ 虎ノ介がもどると、酔っぱらって顔を真っ赤にした舞が、文句を 云ってきた。 ﹁何よー。ただのトイレー⋮⋮にしちゃー、ずいぶんとかかったじ ゃない﹂ ﹁おはよ、姉さん。起きたんだね﹂ ﹁おはよ、じゃなーい。寝てない、最初から寝てないもーん!﹂ いか 口に烏賊を、手にはビールの缶を持って、それを振りまわし振り まわしする舞。 虎ノ介はそんな彼女の頭をなでて、 ﹁ああ、ごめんね。ちょっと酔いざましにそこらをぷらぷらと、さ﹂ ﹁くわー。なんなのよー。それならわたしも連れていきなさぁい﹂ ﹁ごめんごめん﹂ ﹁⋮⋮むー。なんか、なんかムカつくわね、最近のアンタの態度。 落ちつきが見えるってゆうか、余裕っぽいというか﹂ ﹁気のせいだよ﹂ ﹁そうかなぁ。⋮⋮ん、なんか変な匂いする﹂ ﹁き、気のせいだよ、気のせい﹂ ﹁えー⋮⋮﹂ 顔をよせて匂いをかごうとする舞から身体を離して、 ﹁そうだ、伯母さん。さっき僚子さんと朱美さんにすれちがったん 158 ですけど、ちょっと気分が悪いから先に帰らせてもらうって﹂ こう虎ノ介は敦子に伝えた。 ﹁あら、そう? そうね、だいぶ盛りあがってたみたいだしね。飲 みすぎたのね、きっと﹂ 軽くうなずいて、敦子は応えた。 ﹁えー、そうかしら。むしろ今夜は抑えてたじゃない、あのひとた ち。せっかく宮野さんが美味しいお酒持ってきてくれたのに﹂ ねぇ、準くん? と舞は準に同意をもとめた。 こくり、準がうなずく。 しらふ 彼の飲んでいる物は清涼飲料水であり、彼だけが唯一このなかで 素面であった。 ﹁ふふ、きっとお酒以外で酔ったのじゃない? ほら、こんなに綺 麗な桜だもの﹂ ね、虎ちゃん。と桜を見上げ、敦子は云った。 ﹁場酔い? まさか﹂ と、これは舞である。 ﹁さあ。それはわからないけど。でも今夜はここらでおひらきにし ましょうか。⋮⋮ほら、佐和さんもつぶれちゃってるわ﹂ くぅくぅと、すこやかな寝息を立てている、かわいらしい女性を 159 シニヨン 指して敦子は云った。 女性の、三つ編み巻きにまとめられた髪が、くずれほどけかかっ ていた。 ﹁んー。そっか。仕方ないわね。⋮⋮トラ、佐和さん運んであげな さい。帰るわよ﹂ ﹁うん﹂ と返事をし、虎ノ介はこの、年齢にそぐわぬ子供のようなところ がある未亡人を背負った。 ﹁虎ノ介くん、ひとりでだいじょうぶかい? 手伝おうか﹂ 虎ノ介に向かい、渋いバリトンで宮野が訊いた。 ﹁あ、いえ平気です。浩さんこそ、だいじょうぶですか。けっこう 飲んでたでしょ﹂ ﹁ふ、ぼくはバーテンダーだぜ。この程度なんでもないさ﹂ 豪快に笑って、宮野はいくつもの空瓶や、まだ中身のはいった酒 瓶をかかえあつめた。 べり 敦子と舞はゴミや食べ残し、シートなどをてきぱきと片付けてい る。 準は池縁の柵によりかかり、いつものようにだまって音楽を聴い ている。 ⋮⋮虎ノ介は。なんとはなしに空を見上げてみた。 あたり 桜の散るなかに蒼い真円の月が浮かんでいた。 その蒼い光線は静かに周囲を照らしている。 ふと、虎ノ介はこれからの自分を思った。 田舎のなつかしい風景を思い浮かべてみた。 160 はじめて都会にきた日のことも考えてみた。 自分がこれから先どうなっていくのか。 それはまだ虎ノ介の思いおよぶ範疇にはなかったが。 わずか数日でこれだけあたたかいひとらに巡り会えたという事実 は、彼に何か、変化のきざしのようなものを感じさせた。 かつて願ったことの欠片を、虎ノ介は掌中に見つけたような思い がしていた。 161 幕間 火浦朱美の日常 いき ほの暗い部屋には、男女の濃密な性臭が立ちこめていた。 不規則に繰り返されるくぐもった呼吸と、﹁パンパン⋮﹂という 肉を打ちつけあう音、そして大量の愛液による水音とが、淫靡な音 楽となって室内を満たしている。 そこには飾り気のない肉のまじわりだけが存在している。 朱美は今、後背から股奥をつらぬかれながら、官能のしびれに身 をゆだねている。 男の雄々しいものが子宮口に食いこむたび、耐えがたい快感が、 脳と子宮を直撃する。 朱美は齢三十を越えてはじめて、男に支配されるよろこびを知っ た。 男に心を犯される充実感を知った。 つかの間の歓喜︱︱。 心のなか、朱美は法悦の涙を流している。 ねや それはともすれば独占欲につながることを朱美自身、薄々気がつ いていた。 愛する男が、ほかの女と閨をともにしていると考えるだけで、嫉 妬という炎が、彼女の全身を総毛立たせた。 それは夫の不貞を知ったときにもなかった感覚であった。 朱美は自分に遅ればせながら訪れた甘やかな季節の名を想った。 ﹁虎くん︱︱﹂ 愛しい男の名を、朱美は呼んだ。 彼女を狂わせるもの。 162 それはきっと恋と呼ばれるものにちがいなかった。 ◇ ◇ ◇ ﹁だいたい決まったわ。次の作品︱︱﹂ と朱美が告げると、朱美の乳房に吸いついていた青年︱︱久遠虎 きらきら ノ介は﹁ほんとうですか?﹂と云って顔をあげた。 その、目を煌々と輝かせた、いかにもうれしげな笑みは朱美の苦 笑を誘った。 自分が夏目陽太郎として語るとき、虎ノ介は朱美の恋人ではなく、 一個のファンになるのだ、と朱美は思った。 少年のような目をして朱美の作品を語る虎ノ介は、しばしば朱美 をおどろかせるほどに、強い思い入れを見せた。 ︱︱ふたりがいるのは火浦家の寝室。 ふたりの愛の巣である。 性交後、男に乳をあたえながら、寝物語にみずからの状況を語っ て聞かせるのが、最近の朱美のやり方になりつつあった。 性交の余韻にひたるのが、これほど心たのしませるものとは朱美 自身、思ってもみなかったことである。 朱美の夫は自分が達すると、さっさと寝てしまうような男であっ たし、朱美もまたどちらかといえば淡白な方であったから⋮⋮。 夫のことをそれなりに愛していたつもりの朱美ではあったが、自 分を見失うほど溺れたこともなかったのである。 虎ノ介との情事は、そんな彼女にとって、新たな発見と特別な幸 福とをもたらしつつあった。 163 ﹁出版社が決まったってだけなんだけどね﹂ すこし照れくさく思いながら朱美は云った。 ﹁大まかなプロットはできてるし︱︱年末か、来年頭くらいには出 せるんじゃないかな﹂ ﹁そっかあ、たのしみだな﹂ 云って、虎ノ介はふたたび朱美の胸へ顔をうずめた。 朱美の大きな胸に口づけながら、目をつむる。 彼の表情には何か、遠い先に出版されるであろう本について思い 巡らせているような、そんな空気がうかがわれた。 ﹁虎くん⋮⋮﹂ 朱美は虎ノ介を愛おしく思った。 虎ノ介の髪をなでた。 そして彼の頭へ、口づけをしたりした。 ﹁ん︱︱﹂ 虎ノ介はだまってされるがままになっていたが、しばらくすると 自分からもうごきはじめた。 積極的に朱美の乳を吸い。もみほぐし。そして朱美の下腹をつか んだ。 ﹁もう、また︱︱﹂ 眉宇をよせ、朱美は抗議の声をあげた。 朱美が唯一、虎ノ介に気に入らぬところがあるとすれば、それは 164 このマニアックな趣味であった。 ヴァギナ 乳房ならまだよい。 秘唇をさわられるのもきらいではなかった。けれども︱︱ ﹁朱美さんのおなか、やわらかくて好きだ﹂ こう云って、朱美のわずかにたるんだ下腹をさわりたがるのであ る。 朱美にとっては屈辱的なラインの下腹を、虎ノ介はもんだり、つ わき まんだり、しあわせそうな顔をしてもてあそぶのだ。 さらには朱美の腋に顔をよせては、 ﹁ねぇ、朱美さん。腋毛はもうのばさないの?﹂ などと云う。 朱美との初体験は、予想以上に虎ノ介の性癖に影響をあたえてい たらしい︱︱。 ﹁や、やぁよ。虎くんとエッチするのに、腋毛のばしてるなんて﹂ ﹁でも最初はあったじゃない﹂ ﹁あのときは時間がなくて、準備ができなかった、だけよ﹂ べつに朱美の趣味ではないのである。 冬のあいだに手入れをサボったことを、朱美は今さらになって強 く後悔している。 ﹁それにこれから暑くなってくるし︱︱﹂ 薄着になる機会も増えるだろう、と朱美は考えた。 あるいは虎ノ介と肩をならべて歩くようなことがないとも云えな 165 い。 そうなったとき、腋毛をのぞかせている自分など、朱美にとって ははずかしくて想像するのもおぞましい話だった。 それ ﹁いくら虎くんの頼みでも、腋毛だけはいや﹂ 朱美は、断固として云った。 虎ノ介は、 ﹁そっか、残念⋮⋮﹂ と不満げに、乳房へ顔を押しつけた。 ﹁まあ、いいや。まだこのおなかがあるから﹂ そうしてまた、ぷよんぷよんと朱美の腹部をいじりまわした。 ﹁ああん、もう︱︱﹂ 以前、下腹にさわるのを禁止しようとして、とても哀しげにする 虎ノ介を見たことがあるだけに、朱美としてもあまり強くは云えな いのである。 ︵夏までに絶対やせる︱︱︶ そう。朱美は固く心に誓った。 ◇ ◇ ◇ 166 ﹁はい、これ﹂と云って、いつものように朱美は、虎ノ介へ折りた たんだパンツとシャツを渡した。 すなお どちらも虎ノ介の服であり、あらかじめ朱美が洗濯しておいたも のである。 情事後の着替えは朱美の提案で、虎ノ介は温順にそれに従ってい る。 朱美の部屋に、虎ノ介が泊まるたび、朱美は彼の服を次の来訪ま でに洗っておく習慣となっていた。 ﹁ありがとう朱美さん﹂ 虎ノ介がそれらを身につけていく。 いんのう ボクサーブリーフをはこうとする虎ノ介の、ずっしりと重たげな 陰嚢が宙に揺れるのをながめ、朱美は知らず顔がゆるんでくるのを 止められないでいた。 ﹁じゃあこっちの下着は︱︱洗濯機に入れておけばいいですか?﹂ と、着終わった虎ノ介が云うのへ、 ﹁あ、ううん。虎くんの下着はあとで洗うから。貸してくれる?﹂ 朱美は答えた。 ﹁え? そうですか?﹂ とまどいつつも、虎ノ介は朱美に己の下着をよこした。 ﹁あの﹂ 167 そして、おずおずといった様子で朱美に向かい問いかけた。 ﹁もしかしておれの下着、きたなかったりします?﹂ ﹁へ?﹂ その思いがけぬ質問に、朱美は怪訝な表情となった。 ﹁いや、おれの服を洗ってくれるのはうれしいんですけど︱︱その、 いつもべつで洗ってるみたいだから、もしかしたら、おれの下着と 一緒に洗うのがいやなのかなって。あ、もしそうだったら遠慮なん かしなくていいですから。云ってくれれば自分で洗うし、その︱︱﹂ ︵あ、そういうことね︶ 朱美は納得した。 ︵虎くん、おびえてるんだ︶ 朱美にきらわれることに、虎ノ介は極端におびえている。 その理由︱︱彼がかつて恋人に無残に棄てられた過去を、朱美も 聞いて知ってはいた。 だがその過去が、彼の他人への接し方に影を落としているとまで は気づいていなかった。 朱美が考えていた以上に、虎ノ介は彼女を失うことに恐怖を持っ ていた。 そのことを知って︱︱ ︵ううう、可愛いっ︶ 168 としした そのいじらしさに、朱美は子宮のうずく思いがした。 おおよそ朱美のような年増にとって、年少の男に想われるほど、 女として優越感をいだかせることはない。 朱美は今すぐに抱きしめたい衝動を懸命に抑え、 ﹁ばかね。つまんないこと云って﹂ おんな 余裕ある大人の女性を演じて見せた。 ﹁そんなこと云ったら、エッチもフェラもできないじゃない。まし て精液飲むなんて、もう絶対無理﹂ かんじ わたしが何回、虎くんの飲んだと思ってる? と莞爾として笑っ た。 ﹁そ、そうですよね﹂ ﹁そうそう。だからそんなの心配しなくていいわよ。洗うのべつに してるのは、生地によって色落ちとかあるし、柔軟剤も変えないと いけないから、ってだけ﹂ ﹁あ、そうなんだ。はは、そっか。なんだ⋮⋮おれ、バカみたいで すね。⋮⋮はずかしいな﹂ 気恥ずかしそうに、虎ノ介は笑った。 そうして顔を紅くする虎ノ介を見ながら、 ︵なんてね︶ ほんのすこしだけ、朱美は罪悪感にとらわれていた。 ︵ズリネタにしてるなんて云えないわ︱︱︶ 169 嘘をついてまで朱美が虎ノ介の下着を必要とする目的︱︱それは 夜のオカズであった。 最近では頻繁に、虎ノ介のこない夜を自分で慰めている朱美であ る。 うっとり 虎ノ介のパンツをかぎながら、クリトリスをいじるだけで、朱美 は虎ノ介に抱かれているような恍惚としたよい心持ちになるのであ る。 ︵ごめん、虎くん︶ 自分の笑顔が引きつっていないか、今の朱美には自信がなかった。 虎ノ介は相変わらず、疑いを知らぬ顔をしている︱︱。 170 幕間 火浦朱美の日常 その2 それから数日後のこと︱︱。 朱美は都心に近い、ちいさな喫茶店にいた。 店内にひとは少なく。 ゆったりとした空気が、穏やかなクラシックとともに流れている。 朱美は時計をながめた。 約束の時間よりすでに三十分が経過している。 溜息をつき、朱美は相手のことを思った。 むかしから時間にルーズな男だった。 そう考え彼女は携帯を取り出した。 電話をかけようとし︱︱ そのとき。からん、とドアベルが鳴り、ひとりの男が店にはいっ てきた。 店内を見回し、隅の席にすわっている朱美を認めると、﹁やあ﹂ と、男はちいさく手を挙げた。 ゆっくり朱美のもとへ近づいてきた。 ﹁ひさしぶり﹂ 云って、ほがらかに微笑む。 男は、黒縁の眼鏡をかけた、いかにも優男風で、やわらかな物腰 と落ちついた雰囲気が、見るからにモテる男という風であった。 ﹁まったかい?﹂ ﹁まったわよ。自分から呼び出しておいてどういうつもり? ︱︱ 翔太くん﹂ 171 元夫 がこれしきのことでまいるとは、毛ほどにも思って いらだちを隠さず、朱美は云った。 この いない朱美である。 しかし、それにしても皮肉のひとつも云ってやらねば気がおさま らなかった。 ﹁ああ、ごめん。ちょっと急な仕事がはいっちゃってね。一度、会 社によってからきたんだ﹂ 男は朱美の正面︱︱テーブルをはさんで向かいあう形で席へとつ いた。 ﹁連絡くらい、くれないかしら。わたしにだって仕事があるのよ﹂ ﹁え? もしかして、またはじめたのかい? なんだっけ、ええと ︱︱夏目陽太郎?﹂ ﹁⋮⋮そうよ﹂ 冷めたコーヒーを口に運びつつ、うなずく。 ﹁そっかあ。︱︱うん、それはよかったね。応援するよ﹂ ﹁抜けぬけとよく云う﹂ つめたい目で、朱美は翔太をにらみつけた ﹁それで、今日はなんの用? ヒナタもあずけてるし、あまり家を 空けられないの﹂ 離婚もしたんだから、もうあなたとは赤の他人でしょ。 そう朱美は抑揚のない口調で告げた。 172 ﹁他人じゃないよ。元夫婦だからね。ヒナタもいるしさ。︱︱あ、 すいませんクラブハウスサンドとカプチーノひとつ﹂ ウェイトレスに注文をし。翔太はへらへらと笑った。 ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁怒ってる?﹂ ﹁べつに。ただあきれてるだけ﹂ ﹁だってさあ。いくら別れたって、ぼくらの心がつながってた事実 は変わらないじゃない。その結果ヒナタが生まれたんだよ?﹂ ﹁やめてよ、気色悪い﹂ 朱美は軽く頭を振って、翔太の言葉を否定した。 ﹁すべて勘違いだった。それを思い知らされただけよ﹂ ﹁そういう考え方は間違ってると思うなあ、ぼくは﹂ ﹁べつにいいわよ、あなたに認めてもらわなくても。それだけ? それならわたし帰るけど︱︱﹂ ﹁ちょ、ちょっとまってよ﹂ 立ちあがろうとする朱美の手を、翔太がつかんだ。 ﹁ちょっと︱︱﹂ さわるな、と朱美は怒鳴りつけたい衝動にかられた。 汗ばんだ男の手が、無性に不快に思えた。 ﹁キミとやり直したいんだ﹂ 翔太が云った。 173 ﹁ハァ?﹂ 予想だにしなかった言葉に、朱美は困惑した。 困惑し、そして次に蔑む気持ちが湧きあがってきた。 目を眇め、元夫を見やった。 ﹁自分が何云ってるかわかってるの?﹂ 翔太は真剣な面持ちでうなずいた。 まっすぐ朱美を見つめる目は、あるいは男らしいと云えなくもな かった。 朱美は溜息をついた。 プロポーズのときも確かこんな風だったな、などと考えた。 ﹁ありえない。馬鹿にしないで﹂ ﹁馬鹿にしてなんかないさ﹂ ﹁あの昔なじみの女と仲よくやればいいじゃない。ええと、なんだ っけ。実加子ちゃん? わたしは邪魔しないから。興味もないし﹂ ﹁あいつとは別れたよ﹂ ﹁あっそう。どうでもいい﹂ 離してちょうだい、と朱美はあくまですげなく云ったが︱︱ ﹁ぼくはキミじゃないとダメなんだ﹂ ﹁ダメって︱︱﹂ 不倫してた男の科白じゃないな、と朱美はひどくあきれる思いが した。 こんな男と一生をともにするつもりだったのか、と自分の馬鹿さ 174 加減にも腹が立った。 ﹁べつに今すぐ再婚しようってんじゃないんだ。ただむかしみたい に、ふたりで遊んだりさ、飯食いにいけたらって思ってるんだ。そ うすればヒナタだってさ。ちゃんと育つと思うよ。やっぱり片親な んて不自然だし︱︱﹂ ﹁ああ、もういいわ。あなたの言葉なんて今さら聞いたところでな んの役にも立たない。ただむなしさがつのるだけ︱︱﹂ ﹁お、いや、まって。ちょっとまってくれよ!﹂ ﹁大きい声、出さないで﹂ 舌打ちをし、朱美は翔太を咎めた。 翔太はあせった様子で朱美に取りすがった。 ﹁なあ、たのむよ。そんな頑なにならないでくれ。ぼくはまっすぐ な心情を述べてるつもりだよ。嘘じゃない。だからキミももっと素 直になってくれ。キミだってぼくのこと、ほんとうはまだ好きなん だろう?﹂ ﹁︱︱今、なんて?﹂ ﹁だから︱︱匂いだよ。キミはほら。匂いがあわなきゃ、あっちの 方だって満足できないだろ。むかしから、ぼくの匂いが一番だって 云ってたじゃないか﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁な? だから、やり直そう。過ちは謝るから。キミさえゆるして くれれば、またむかしみたいにやり直せる︱︱﹂ 朱美は知らずこみあげてきた笑いに、肩がふるえるのを抑えられ なかった。 この男は何を云っているのだろうかと、彼女は心底おかしくてた まらなかった。 175 ﹁ふ、ふ、ふふ﹂ ﹁朱美?﹂ 訝しげな表情で、翔太は朱美を見た。 朱美はふるふると、顔を横に振って。 ﹁ほんとうに馬鹿ね、翔太くんは︱︱﹂ と、むかし夫婦だったころ、よくそうしたように、慈愛に満ちた 表情で翔太を見つめた。 ﹁あ︱︱う、うん。ぼくは馬鹿だったよ。やっぱりキミにはかなわ ない﹂ うれしげに翔太は答えた。 朱美はそっと翔太の手を引き離すと、そばに置いてあったバッグ からひとつの物を取り出し、テーブルへと置いた。 ﹁デジカメ?﹂ 正確に云えば、それはデジタルビデオカメラ、であった。 朱美はそれを操作し、前もって用意しておいた、ひとつの映像を 再生した。 ﹁え︱︱これ、って﹂ 翔太の顔から血の気が引いていくのが、はっきりと朱美にも見て 取れた。 ちょうど料理を持ってきた店員にも、その映像が見えてしまった 176 らしく、店員の少女は顔を紅くしたまま、急いで料理を置くと、そ の場を離れていった。 ﹁ほんとうは趣味悪いから、見せないつもりだったんだけどね﹂ でも、おたがい、いつまでも勘違いしてると面倒だし。 と、朱美は冷えきった目つきで云った。 ⋮⋮その動画は、朱美の性交の場面をおさめたものであった。 なぶ 虎ノ介との情事を、彼女が隠し撮りしておいたものである。 ただただ 動画のなかの彼女は、虎ノ介によって突かれ、嬲られ、辱められ ている。 快楽にとろけきった、唯々だらしない姿で、虎ノ介のモノを身に 飲みこんでいる。 ﹁嘘、だよな?﹂ 呆然として翔太は云った。 その悲痛に歪む目は、信じられないものを見たと、そう雄弁に語 っていた。 ﹁ほんとうよ。彼が今のわたしの恋人、久遠虎ノ介くん。彼すごい のよ? 若いし、元気だし、かわいいし。その上、匂いも最高。あ なかだし なたの匂いなんかもう全然かすんで消えちゃうくらい子宮にくるの。 だからわたしも燃えまくってほら、このときはいっぱい膣内射精し てもらって︱︱﹂ ﹁嘘だ︱︱﹂ ﹁嘘じゃないってば。ほら、ちゃんと見なさい。この感じ、これど う見ても孕む気満々でしょ? バカみたいにアヘ顔さらしちゃって さ、イキまくってる。⋮⋮ね、これが今のわたし。わかった? だ 177 から、もうこれ以上あなたとなんか、かかわりたくないの。わかっ たら、もう連絡してこないで。正直迷惑だから︱︱﹂ 最後にカメラに向かってピースサインする朱美の笑顔で、動画は 終わった。 美里 みさと くん︱︱﹂ 朱美はビデオをしまうと、静かに席を立った。 ﹁さよなら、 と、朱美はあえて名字で呼んだ。 うつむきふるえている翔太を残し、テーブルを離れる。 そうして、すれちがう瞬間︱︱ ﹁ゆるさない、絶対︱︱﹂ 翔太のつぶやきが耳にとどいた。 朱美は一瞬、足を止めたが。 ざわめき すぐにまた歩き、店をあとにした。 店の外へ出ると、都会の喧騒が朱美をつつんだ。 朱美は軽くのびをして、ひとつ溜息をついた。 ﹁はあ︱︱。思ったより、たのしくなかったなあ﹂ 見せつけてやれば、すこしは気分も晴れるか、と朱美は考えてい た。 だが現実はそうでなく︱︱ ﹁なんか余計につかれた感じね︱︱﹂ 一度は愛した男を、手ずから傷つける。 178 たのしいわけもないではないか。 朱美はみずからの愚かさをしみじみと思った。 ⋮⋮次第に朱美はひどく寂しい気分になってきた。 愛する娘と、愛する男の顔を見たいという気持ちが強く起こって きた。 ふたりに、己の乳を飲んでほしいと考えた。 ﹁よし、帰ろう﹂ 自分で自分に云い聞かせる。 軽く頬をたたいて、朱美はみずからをふるい立たせた。 ひと 今はまだ泣くまい、と心に決めた。 泣くのは帰ってから、あの男の胸のなかで泣かせてもらおう、そ う思った。 泣いて、思う存分泣いて、それから愛してもらおう。 心も身体も溶けるほどに。 きっと彼は拒むまい︱︱。 朱美は顔をあげ、ひとの好い青年の顔を思い浮かべた。 179 専門学校生、水樹準の場合 雨が降っていた。 さぁさぁと。さぁさぁと。 そぼ降る雨が、ぼくの体を濡らしていく。 きら ぼくはいつものように傘もささず、だまって空を見上げている。 曇天は何も云わず、ただ静かに涙のような雨を落としている。 嘘だらけの街は変わらずに不遜で、まばゆいばかりのネオンを煌 めかせている。 さいな 大通りを流れるヘッドライトの河は、不快なノイズを奏で、ぼく のささくれだった神経をいっそう苛む。 ぼくは空に手をのばし、目の前の雲をつかみとろうと試みる。 けれどその手は何もつかんではくれず︱︱。 ただ虚空に揺れるだけだった。 ぼくはささやく、雨のなかで。 雨がぼくの頬を洗ってくれている。 ひとり ︵ぼくは孤独︱︱︶ 目にはいる灰色の世界は、まるでぼくの心のよう。 雲の向こうには、きっと満天の星があった。 けれどもおおう雲はいつだって厚くて、ぼくには手のとどかない 場所にある。 ひとり ︵ぼくは孤独だ︱︱︶ 考えることはいつもいっしょ。 ここから抜け出したい。 180 にびいろ 雲の向こうを見てみたい。 それだけを願っている。 ゆめ いつか風が吹いて、この鈍色の雲を吹き払ってくれないかと、あ りもしない幻想をいだいている。 そんな期待は馬鹿げているとわかっている。 甘えた子供の言い分だって知ってもいる。 でもぼくは考えずにいられない。 かた 現実を変える力がぼくにはない。 世界は難く暴力的で。 何かよくわからない、大きくて怖いものがぼくを押しつぶそうと 迫ってくる。 息苦しさを覚えて手をのばしてみても、やっぱりだれも気づいて くれない。 周囲のみなは世界というものが自然で、なんてことないと振舞っ ている。 そのなかで、ぼくだけが奇妙に口をぱくぱくさせ、呼吸困難にあ えいでいる。 みんなはまるで自分が生きることがあたりまえみたいで。 ぼくは独り、自分がどうして生きてるのかもわからず、馬鹿みた いに寂しさをつのらせている。 世界は正しくて。ぼくだけが間違っている︱︱。 どうすればいいのだろう? どうしたらあがかずにすむのだろう。 心安んじて生きれるだろう。 ぼくにはまったく理解できない。 ﹁たすけてください﹂ そんな言葉をつぶやいて。 181 ︱︱声殺し、ぼくは泣いた。 独りはいやだ。 独りはいやだ。 だれかぼくをたすけてください。 ぼくの手をにぎってください。 ⋮⋮ぼくを愛してください。 ﹁う︱︱﹂ 次第にこみあげてくる子供じみた癇癪に、ぼくはとうとうこらえ きれなくなって、ゆっくりその場にしゃがみこんだ。 涙腺はとうに崩壊していて、鼻の奥には熱いものが感じられた。 ﹁ううう∼∼∼ッ﹂ どうしてぼくは、こんなところで泣いているのだろう、ひどく滑 稽に思えた。 そう思うと、さらに涙があふれてきた。 ︵ばかだな、ぼくは︶ 泣いたって仕様がない、そんなことはよくわかっているはずなの に。 それでもぼくはうずくまったまま、そこから一歩もうごきだせな いでいた。 ﹁水樹くんか?﹂ 182 どれくらいそうしていただろう。 ふと、背中からそんな声がかけられた。 振り向けば、見覚えのある人物がそこに立っていた。 ﹁久、遠⋮⋮さん?﹂ アパート それはひと月ほど前に片帯荘へ越してきたひとだった。 受験勉強をしているとかで、いつも片帯荘にいる、すこし間が抜 けた感じのひとだ。 僚子さんや朱美さんとつきあっているらしくて、時折、隠れてこ そこそキスをしている女たらしのひとだ。 ぼくは、そんなひとに不様を見られたことが、無性にはずかしく てあわてて目の下をこすった。 ばつの悪さに思わず目をそらした︱︱。 ﹁どうした? 傘もなしに、そんなとこうずくまって。もしかして 身体の具合でも悪いの?﹂ ひどく心配そうな声色で尋ねてくる。 ﹁べ、べつに︱︱﹂ ぼくは頭を振った。 ﹁なんでも、ないです﹂ ﹁でも見た感じ、具合悪そうだぜ、キミ﹂ 熱でもあるのじゃないか、救急車呼ぼうか? そう久遠さんは食いさがる。 ぼくはすこしだけ鬱陶しく思い、つい語気を荒げた。 183 ﹁うるっ︱︱! ︱︱さいな。ちょっとつかれただけです。すこし 休めば、すぐ、よくなりますから﹂ ぼくの剣幕におどろいたのか。 はたまたあきれたか、気を悪くしたのか。 ﹁そうか﹂ と云って、彼はゆっくりその場を離れていった。 こちらを何度か振り返り、最後まで気づかわしげな顔をしつつ、 五十メートルほど先、路地への曲がり角を消えていった。 ぼくは彼の透明なビニール傘が見えなくなるのを見届けてから、 体の力をほどいた。 ガードレールによりかかり、そのままずるずると歩道にすわりこ む。 アスファルトは冷えきっていて、たちまち身体の熱をうばってい リップドジーンズ く。 裂けたズボンから水が染みこんできて肌を濡らす。 気にはならなかった。 どうせすっかりずぶ濡れだ。 ぼくはかぶっていたフードを取って天を仰いだ。 前髪の先から水滴が目に落ちた。 空は何度見ても、昏いねずみ色だった。 ﹁ふ⋮⋮﹂ なんだか、何もかもがどうでもよくなって。 ぼくは目をつむった。 184 ︵このまま死ねたら︶ そんなことを考えた。 眠るうちに死んで。 天国のお父さんとお母さんに会えるというなら、それはとても素 晴らしいことのように思えた。 タァフンケ Elysium︱︱﹂ エーリィズィム Götterfunke ゲッ お祖父ちゃんとお祖母ちゃんのつらそうな顔が目に浮かんで、そ シェーナー アウス aus schöner れがすこしだけ哀しかったけれど。 フロイデ トォーテル Tochter ﹁⋮⋮Freude, ン n, ごまかすように歌を、歌った。 フォ イヤァトゥルゥンケン ハインリヒトゥム feuertrunken. Heiligtum︱︱﹂ ビンデン ビーダー ヒ W Hi ぼくの一番好きな歌。ルートヴィヒ。交響曲第九番、第四楽章。 べートゥレテェン ダイン dein betreten お父さんとお母さんが最後に遺した音。 ウィア ﹁Wir ムリッシェ mmlische, 雨がぼくの体を打つ。 ぼくは気にせず歌う。 ツァーヴァー アー ヴォ Al wieder, ゲッタイルッ binden シュレン Zauber 声は高らかに、ただ歌だけがぼくのそばにある。 ダイネ ﹁Deine モーデ geteilt; ディ streng バス die Mode as Wo weilt.︱︱﹂ ヴァイルッ ブリュウダ Brüder, フリューガ Flügel べアデン werden ザンフター sanfter メンシェン Menschen ルェ le ダイン dein 溜息をついた。 鼻をすすって。大きく息を吸った。 185 雨は休むことなく降りつづけている。 ﹁は、あ︱︱﹂ もう一度、ぼくは深く溜息をついた。そのとき。 ふわと。 身体の浮きあがる感覚があった。 ﹁え⋮⋮﹂ 不思議に思い目を開けると、だれかが、ぼくの体を抱きかかえて いた。 ﹁久遠、さん⋮⋮?﹂ 見れば、それは先刻去ったはずの久遠さんで。 彼はどうしてか怒ったような目つきで、ぼくを見つめていた。 ︵どうして︱︱︶ ぼくは訳がわからなくて、混乱した。 彼は何も云わず、なかば無理矢理にぼくを背負った。 さしていたはずの傘はなく、彼もまた雨に濡れていた。 ﹁何を︱︱﹂ 彼は答えない。 脱いだ上着で、ぼくを背にくくりつけていく。 ぼくはうごこうとしたが、彼の、見た目に似合わぬ強い力で押さ 186 えられ、のがれることはできなかった。 彼をぼくをきっちりその背にくくりつけると、無言のまま歩きだ した。 ﹁ちょっと︱︱﹂ 抗議もむなしく、ぼくは彼の背に揺られて、幼子のように運ばれ た。 ぼくは、彼の思ったよりもひろい背に体をぴったりと密着させて いた。 冷えきった身体に心地よい熱が伝わってきて、不覚にも安心して しまう。 何かうれしいような、なつかしいような、あたたかい気持ちにな った。 彼がぼくを気づかっているのは明白で。 それがぼくを静かに高揚させてもいた。 ﹁あ、ああの﹂ ﹁⋮⋮なんだい﹂ ようやく彼は口を利いた。 ﹁え、ええと。⋮⋮重くない、ですか?﹂ ﹁キミみたいなやせっぽちのチビ、どうってことない﹂ にべもなく云う。 そのあまりと云えばあまりな物言いに、ぼくはすこし腹が立った。 ﹁だれもたのんでません﹂ ﹁ああ、こっちも勝手にしてる。ほっとけ﹂ 187 ﹁ほ、ほっとけませんよ⋮⋮!﹂ ぼくの顔はきっと紅くなっていたろう。 あたりまえだ。 ぼくはこの歳になるまで、男とつきあったこともなければ、手を つないだことすらない。 男子と話したことすら、そうある方でなかった。 ﹁だってこんな﹂ ぼくは、自分が胸を押しつける形となっていることに、今さらな がら強い羞恥を覚えた。 女としては小振りな胸が、彼にどう思われているのだろうか。 気になって仕方がなかった。 ぼくはきっと、今、生まれてはじめて男性というものを意識して いた。 久遠さんは平然と、なんでもないといった風情で夜の街道を歩ん でいる。 青になった横断歩道を、ライトを横切ってすすんでゆく。 ﹁あ、あの!﹂ 恐るおそる、ぼくは尋ねてみた。 ﹁ん?﹂ ﹁か、傘は⋮⋮どうしたんですか?﹂ ﹁傘? ああ﹂ ﹁持ってた、でしょう﹂ ﹁棄ててきた﹂ 188 久遠さんは不機嫌さを隠そうともせず、ぶっきらぼうに告げた。 ﹁え、棄て︱︱って﹂ その意外な答えに、ぼくはさらに動揺する。 久遠さんはつづけた。 ﹁正確に云うなら置いてきた。近くのコンビニの傘立てに。邪魔だ からね。ま、安物だしべつにいいさ﹂ そう久遠さんは云った。 ぼくはそれ以上何も云えず、そっと、彼の首にしがみついた。 ◇ ◇ ◇ シャワーからあがると、味噌と和風だしの、とてもよい匂いがた だよってきて空腹を刺激した。 ぼくを運んだ、あのお節介な青年はどうやら料理の最中であるら しかった。 ﹁あの︱︱﹂ ぼくはキッチンに立つ彼に声をかけた。 ﹁あがったかい。キミのサイズにあいそうなのは、古いパジャマし かなかったけど、べつによかったよね⋮⋮って︱︱﹂ 189 ぼくの姿を認めた久遠さんは、なぜか顔を紅らめ、あわてて目を そらした。 ﹁パ、パンツはさすがに他人のはいやだろうと思って、出してない けど。ま、しばらくはノーパンで我慢してよ。べつに男同士だし、 かまわないだろう?﹂ と、そんなことを云う。 何やら盛大に勘違いしているようであったが、ここで﹁わたし、 女です﹂と云い出すのもなんだか可哀相な気がして、ぼくはだまっ ていた。 自分が女らしくないのは知っていたし、よく女子からラブレター をもらったりする程度には男前だということも理解していた。 ﹁あの、それで脱いだものは?﹂ 見当たらない、とぼくが云うと、 ﹁ああ、それなら全部まとめて管理人室の洗濯機に放りこんできた。 さすがに今の時間、伯母さんにたのむのは気がひけるから明日にな るけど﹂ ﹁え⋮⋮?﹂ ﹁ん? 何かまずかった? でもアレ全部びしょびしょで、とても じゃないけど着られないぜ﹂ ﹁いえ、それはべつにいいんですが⋮⋮あの、気づかなかったんで すか?﹂ ﹁うん?﹂ 何を? と怪訝な表情で、彼はぼくを見た。 190 ﹁いや、いいです︱︱﹂ ぼくの脱いだものには女物のショーツがあったはずだが、彼は気 がつかなかったらしい。 最初からすべて男物と思いこんでいるようだった。 191 専門学校生、水樹準の場合 その2 ﹁えっと、じゃあ、わたしはこれで﹂ ぼくが告げると。 久遠さんはその言葉も予期していたようで、 ﹁今日はキミ、ここに泊まりだ﹂ と、決めつけた。 ﹁あれだけ濡れたんだ。体も相当に冷えてたぜ。今はすこしよいみ たいだけど、また具合悪くなったらことだし。今晩くらいここで休 みな﹂ こう云って、彼はぼくを強引にとどまらせた。 ﹁今、ご飯できるからさ。もうちょっとまってて﹂ おなか空いてるだろ、彼は云った。 ぼくはもはや反抗する気も失せていたので、あえてそれに逆らう ようなことはしないでいた。 またすこしずつ、この久遠虎ノ介という人物に好感をいだきつつ もあった。 このひとと、もうすこしふれていたいという思いが心のどこかに あって、それがぼくから言葉と行動を奪っていた。 ぼくは座布団の上に身を置きつつも、手持ち無沙汰な思いから、 192 ﹁何か、手伝いましょうか﹂ と云ってみた。 いい、と彼は首を横に振った。 そうしてほどなくし、 ﹁よしできた﹂ おんやっこ うれしそうに云い、できたばかりの料理をぼくの前に持ってきた。 ⋮⋮ちいさなテーブルにならべていく。 いか それは純和風の献立だった。 ねぎ ご飯に味噌汁、焼いた烏賊に湯気立つ温奴。 和え物、それに浅漬け。 豆腐にはすりおろした生姜と、葱、みょうがの刻んだものがそえ られてあって、烏賊には何か淡い色のソースがかけられていた。 全体的にあっさりとしていたが、若い男が用意したにしては、充 分すぎるほど手がこんでいると云えた。 ﹁すごい﹂ ぼくは感嘆の声をもらした。 その感想に、久遠さんは静かな微笑を浮かべた。 今夜、はじめて見る彼の笑顔は、知らずぼくの胸を高鳴らせた。 ひや ﹁豆腐は冷より、あたたかい方がいいだろうと思ってね﹂ そう云って、彼は冷蔵庫から自分用に缶ビールを取った。 黒ビールとふつうの生ビール、ふたつの小缶を開けコップにそそ いでゆく。 その二種で割ったビールを飲みつつ、彼はひと切れ烏賊をつまん 193 だ。 彼の前には、烏賊と漬物の小皿だけが置かれている。 ﹁久遠さんは食べないんですか?﹂ ぼくの質問に、久遠さんは軽くうなずき、 ﹁おれはもう夕食をとったからね。⋮⋮はは、ンな申しわけなさそ あしたば うな顔しなくていいって。べつにたいしたことじゃあないさ、こん なの。とにかくほら、食いな。味噌汁にはいってるのはね、明日葉。 ばっけ味噌 って云うんだけど。こ 食ったことある? ない? そう。ウマいよ。こっちはフキノトウ の和え物ね。おれの田舎じゃ れもウマい。今が旬だからさ。おしんこはセロリの浅漬けで︱︱﹂ と、久遠さんは聞いてもいないのに、それらの料理についてつら つらと語りはじめた。 どうやら食べ物に関してはうるさいクチであるらしかった。 ぼくはそれらの説明を聞きながら、﹁いただきます﹂と告げた。 彼の厚意はとてもあたたかく、そして料理はたしかに美味しかっ た︱︱。 ◇ ◇ ◇ ひとごこち 食事も終わり、人心地ついたころには、時計の針もすでに十二時 をまわっていた。 久遠さんは食事の片付けをすませると︵これも彼がひとりで片付 けた︶、早々にソファへ横たわった。 そうして﹁電気消すぜ﹂と云い、照明のリモコンへ手をのばした。 194 ﹁今のところ熱とかはないみたいだけど。具合悪くなったら隠さな いで正直に云えよ﹂ ﹁⋮⋮はい﹂ ﹁うん、おやすみ﹂ ﹁おやすみ、なさい﹂ ぼくにあたえられたのは彼の普段使っているベッドで。 暗闇のなか、ぼくは彼の匂いにつつまれながら、なかなか寝つく ことができないでいた。 はんもん かすかな熱が身体の芯から持ちあがってくるようで、ぼくはその 理由を考えていた。 そして、しばしの煩悶ののち︱︱ ﹁まだ⋮⋮起きてますか?﹂ そっと。小声で云ってみた。 答えは、ない。 ﹁寝た?﹂ もう一度だけ。高鳴る心臓を押さえて問う。 ﹁なんだい﹂ 抑揚のない、最低限まで感情味を抑えたような声で、彼は返事を くれた。 ぼくは意を決し訊いた。 ﹁訊かないんですか﹂ 195 ﹁⋮⋮聞いてほしいか?﹂ 何を、とは彼は云わなかった。 ﹁聞いてほしいなら、聞くよ。でもさ。正直キミ自身、よくわかっ てないのじゃないか? 自分でもどうしてくるしいのか、さ﹂ ﹁それは﹂ ほんとう それは実に的を射た意見だった。 真実のところ、ぼくは自分が、なぜつらいのかすらわかっていな い。 ただ自分を持てあましているだけ、ただあがいているだけであっ たから。 ﹁そうです、わかりません。でもなんとかしたい。つかれたから。 もう独りはいやだから⋮⋮。わたしは安心がしたい﹂ ︱︱生きているのはくるしい。 ぼくは感じるままを云った。 子供の泣き言でもよかった。 とにかく救われたいと思った。 だれかに、たすけてほしいと思った。 ﹁く﹂ ちいさく、久遠さんは笑った。 ﹁キミはおれに似てる﹂ ﹁え?﹂ ﹁おれもずっとそんなことを考えてたよ。つまらない、はずかしい 196 話だけどね﹂ ﹁久遠さんも?﹂ ﹁虎ノ介でいいよ﹂ と、久遠︱︱いや、虎ノ介さんは云った。 ﹁どうしてこの世はこうだろう。ひとは争わなければ生きていけな いのか。くるしまなければならないのか。なぜ嘘をつき、傷つけあ う不徳こそが尊ばれるのか。人生とは戦いなのか。それが道理なら ば、はじめから戦いを避ける自分のような者は到底生きるに値しな い。このような世のなかに、どうしておれのような弱く、人頼みな 者のいる意味などあったろう︱︱﹂ なんてねぇ、と虎ノ介さんは苦笑する。 ﹁ずいぶん考えたなあ﹂ そう感慨深そうに告げる彼の口調は、年齢以上に大人びて聞こえ た。 ﹁虎ノ介、さんも?﹂ ﹁うん﹂ ﹁考えて⋮⋮わかったんですか?﹂ ﹁さあ﹂ 彼はあっさり云った。 ﹁わかんないや。さんざ考えたけど、ね﹂ ﹁そう、ですか﹂ 197 ぼくの声はやや気落ちしたものだったろう。 それが伝わったのか、彼はすこしだけおかしそうに、 ﹁でもね﹂ と、云った。 ﹁得たものもある﹂ ﹁得たもの?﹂ 生きる ってこと。何がなんでも ﹁そう。信念っていうかな。そういうの﹂ ﹁信念︱︱﹂ ﹁うん。おれの信念は 。自分を殺さないってことだ﹂ ﹁生きる⋮⋮﹂ いのち 生きる ﹁人生で一番大事なものってなんだと思う? 金? 地位? 女?﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁答えはね、単純。生命だよ。だってそうだろう、おれたちがここ にこうしていられるのも生きてるからだ。命あっての物種ってやつ ね。だからまあとりあえず生きる。自分の命を粗末にしない﹂ それはぼくにはない心だった。 遠くかけはなれた地平の、生きいきとした宣言だった。 ﹁虎ノ介さんは⋮⋮強いですね﹂ ぼくは云った。 何か寂しい風が、心を吹き抜けていた。 ﹁でもわたしには︱︱﹂ 198 できない︱︱そう云いかけたところで。 ﹁できるよ﹂ ぼくの言葉は彼によってさえぎられた。 ﹁できる。できるに決まってるさ。おれみたいなものでも生きてる んだから。⋮⋮ね、生きるって何か、キミわかるかい?﹂ ﹁え⋮⋮?﹂ ﹁生きるってさ、ただ生きてりゃあいいってもんじゃあないぜ。生 命活動があるってだけじゃなくて。なんていうか、生かさないとい けないんだ﹂ ﹁生かす、ですか﹂ ﹁うん。たとえば、そうだな。ちょっと話がそれるけど。おれの父 親の話をしようか。︱︱彼はね、ちいさな村にあるとても古い家の ひとだった。資産家のいわゆる名家ってやつで。そこの跡取り息子 でね︱︱﹂ と、虎ノ介さんは思いついたように自分の父親の話をはじめた。 よおう 曰く、彼の父親は一種の性格破綻者であったらしい。 旧家の余殃を一身に受けたような人物で、名家の惣領でありなが ら若くして精神を病み、最期は座敷牢のなかで首を吊って果てたと いう。 ききょう ﹁彼は思春期を迎えたころから、奇矯なふるまいを見せるようにな った。他人に乱暴したり、極端に自分をおとしめるような真似をす るようになっていった。で、そのころ、田村の家に住みこみのよう な形ではたらいていたのがおれの母親︱︱﹂ ﹁え⋮⋮?﹂ ﹁気づいた? そう。彼は四歳年上の母を無理やり乱暴して子供を 199 妊娠させた。そして生まれた子がこのおれ、田村虎ノ介﹂ 久遠は母方の姓だ、と虎ノ介さんは己の生い立ちを淡々と話した。 ぼくはなんと答えていいかわからず、ただじっとその凄絶な過去 に耳をかたむけていた。 ︱︱久遠家は田村家とまったくちがう意味で有名な家であったとい う。 戦時中、軍人を相手とした売春︱︱つまり私娼館のような仕事を して財を得たらしく、そのせいで周囲からはよく思われていない家 系であったらしい。 それは戦後落ちぶれたあとも変わらなかった。 そのような背景もあり、犯された女の味方をする人間など、だれ ひとりとしていなかった。 むすこ それどころか久遠のひとびとさえも彼女を見放した。 彼女が中絶せずに虎ノ介を生んだからである。 狂人の子を生んだ女は懸命に生き、子を養い、そしてだれにかえ りみられることなく死んでいった。 それが去年の話︱︱。 勘違いしないでくれよ、と虎ノ介さんは云った。 自分の生まれをなげいているわけではない、と彼は語った。 むしろ両親には感謝していると。 彼の両親は、ふたつの相反する生き方を彼に見せたのだ。 父は命の殺し方を。 母は命の生かし方を。 彼の母親は、死んだ父親について一度も悪く云わなかった。 それどころか相手のことをいつも心配していた。 田村の家との約束で、彼女が子の父に会うことは二度となかった が。 200 それでも彼女は相手のことを気にかけていた。 田村龍之介というひとは、とても可哀相なひとだ。 あのひとには心が壊れてしまうだけの理由があったのだと、彼女 は幼い我が子によく諭していたという︱︱。 その理由までは教えてくれなかったけれど、と虎ノ介さんはひど くつかれたような声を出した。 ﹁母さんはおれに心を残した。それだけでおれは十分だと思うよう になった。生きるってことは、命をどうつかうかだと考えるように なった。この世は循環で。ひとのつながりで巡っている、と彼女は よく云っていた。生まれたばかりの赤ん坊を母親が無償で愛するよ うに、おれが彼女にそうしてもらったように。この世界はそのよう にして循環しているのだと︱︱﹂ ひとはどんな形であれ、自分を生かす道を考えるべきだ、と彼は 告げた。 それはぼくにとって、あたたかい光のような答えで︱︱ ︵自利とは利他をいふ︶ 同時にお父さんの好きだった言葉が、突然、ぼくの脳裏に思い出 された。 それはナントカいう、えらいお坊さんの言葉︱︱。 ︵ひとにつくすことが、結局は自分を生かすことになるんだよ。⋮ ⋮準もね。そういう大人になるといい。そして自分以外にそんなひ とを見つけたら、きっと大事にしてあげなさい。そうしたひととは、 よくわかりあえるから︱︱︶ 201 どうしてか忘れていた、とてもなつかしい声だった。 ぼくは目に、涙の浮かんでくるのを止められなかった。 ﹁キミだって生きられるのさ。キミの亡くなった両親はたくさん遺 しただろう。その綺麗な声も、音楽の才能も、ほかにもいろいろさ。 それをつかってキミは次につなげられる。お父さんたちが生きたよ うに、キミだって自分を生かせるんだ﹂ そのほかは考えなくていい、そんなのどうだってもいいことじゃ ないか。 と、虎ノ介さんは締めくくった。 や ぼくはもう、ほとんど子供のように泣きじゃくっていた。 虎ノ介さんは静かにぼくが泣き熄むのをまってくれていた︱︱。 ◇ ◇ ◇ ﹁キミのね、歌がよかったんだ﹂ と、虎ノ介さんは云った。 ﹁フロイデーシェーナーゲッターフンケン⋮⋮ってやつね。歓喜の 歌だっけ? ベートーベン?﹂ はい、とぼくは答える。 ﹁あれ、好きなんです。お父さんとお母さんが、出かける前、わた しの誕生日にって音源を残しておいてくれて︱︱﹂ ﹁そう﹂ 202 お母さんは有名な指揮者で、お父さんはチェリストだった。 彼らはぼくが十六歳のとき、海外公演へ向かい、飛行機事故によ ってその命を失くした。 それからぼくはお祖父ちゃんたちと暮らすことになり。 そうしていつの間にかぼくの顔からは笑いが消えていた。 ﹁でもそれは、命を殺してることになるのかな︱︱﹂ けっしてお父さんたちの望む方向ではなく。 ぼくはたぶん彼らを悲しませていた。 ⋮⋮ぼくはソファの方を見つめた。 暗闇に慣れた目は、虎ノ介さんのシルエットをとらえてくれてい た。 ぼくはなんとなしに、彼のその姿をながめた。 と、不意にその影が揺れた。 ﹁きしっ﹂ 妙な声を立てて、虎ノ介さんはその身をふるわせた。 くしゃみだった。 立てつづけにくしゃみし、鼻をすする。 ﹁虎ノ介さん?﹂ ぼくは心配になって声をかけた。 ﹁寒いんじゃないですか?﹂ ﹁いや⋮⋮﹂ 203 ﹁でも、ふるえてるじゃないですか﹂ ﹁み、見えるのかよ。すげいな、キミ﹂ ﹁そういえば虎ノ介さん、シャワー浴びてませんよね。着替えたん ですか?﹂ ﹁いや、ちゃんとタオルでふいたし⋮⋮﹂ ﹁ダメですよ、そんなの︱︱!﹂ ぼくは起きあがって、彼のもとへよった。 彼はぶるぶると、明らかにふるえていた。 ﹁お、おお。やめろ、さわるな、頭が揺れる﹂ ﹁そんなこと云ってないで、こっちにきてください。いっしょにベ ッドで寝ましょう﹂ ﹁お、お⋮⋮ベッド?﹂ ﹁はい。こっちなら布団ありますから﹂ ﹁いやでも、お客にソファつかわせるってのも﹂ ﹁だいじょうぶ、わたしもいっしょに寝ますから﹂ ﹁へ⋮⋮キ、キミと?﹂ ﹁だいじょうぶですよ、何もしません﹂ ﹁そ、そりゃあそうだけど。男同士だし⋮⋮でも﹂ ﹁いいからっ﹂ ごちゃごちゃと抵抗する彼を、強引にベッドへ入れた。 羽毛布団をかぶせ、その隣にもぐりこむ。 彼の身体へと身をよせた。 つめたい手が、ぼくのふとももにふれた。 ﹁おおう、ぬくい︱︱﹂ 気持ちよさそうに云う虎ノ介さん。 204 ぼくは笑って、彼と身体を密着させた。 ﹁どうですか?﹂ ﹁うん。⋮⋮すこし楽になった﹂ ﹁よかった﹂ 云って、ぼくはほっと溜息をついた。 ﹁無理しないでください。わたしのために倒れられたら申しわけな いです﹂ ﹁は、は、無理するつもりはなかったんだけどねぇ。なんかいきな り寒気が︱︱﹂ と、彼は苦笑した。 そいね ﹁それにしてもまさか男の子に添寝してもらうなんて思わなかった な。は、は⋮﹂ この言葉に。 ふと、ぼくの心にある気持ちが湧きあがってきた。 それはいいかげん鈍すぎる彼にいらだちつつあった、ぼくの残酷 な嗜虐心とも呼べるもので︱︱ ﹁あの、勘違いしているようなので云っておきますが、わたしは︱ ︱女です﹂ この発言が、彼のうごきを止めた。ぴたりと。 言葉も呼吸も一斉になくなっていた。 そうして、ややあってから︱︱ 205 ﹁し、知ってたよ?﹂ そう、裏返った声で。彼は云った。 ︵嘘つけ!︶ 心中、ぼくは全力でつっこんでいた。 206 専門学校生、水樹準の場合 その3 ﹁ふむ、風邪だな﹂ 虎ノ介の様子を診た僚子は、こう告げて彼の頬をさわった。 世 ﹁すこし熱はあるが、まぁ、そう大事にはなるまいよ。薬を飲んで ニ、三日安静にしていればじきによくなるだろう﹂ ﹁どうも、ありがとう、ございます﹂ てい 常日頃からいろいろと ほとんど死に息の態で、虎ノ介は礼を云った。 ﹁何、礼にはおよばないさ。キミには 話になっているからね。仕事からもどったらまた診にきてあげよう﹂ そう云いおいて、僚子は﹁では﹂と虎ノ介の部屋をあとにした。 あとに残されたのは︱︱ ﹁ばかね。雨のなか、傘もなしで歩くなんて﹂ と、冷ややかな目で虎ノ介を見つめる舞と、 ﹁仕方ないわよ。貧血起こしてた準くんを運んであげたんだもの。 ね? えらいわよ、虎ちゃん﹂ やさしく虎ノ介の頭をなでる敦子に、伏せたまま、やっとのこと で﹁うん﹂とか﹁そう﹂とか曖昧に返している虎ノ介の三人である。 207 ﹁また母さんはそうやって甘やかす。だいたい、それで年下の子に 添寝してもらってちゃ世話ないわよ﹂ 不興げに眉をひそめ、虎ノ介をにらむ舞であった。 準くん 朝、よりそって眠る虎ノ介と準を見てからというもの、舞の機嫌 はすこぶる荒模様である。 ﹁仕方ないでしょ⋮⋮。もとはと云えば、姉さんたちが なんて呼んでるから﹂ 勘違いする羽目になったのだ、と虎ノ介は抗議した。 ⋮⋮今、虎ノ介の胸のうちは強い後悔でいっぱいであった。 壁に頭を打ちつけたい気持ちでいっぱいであった。 年少の少女にそわれ一夜を過ごしたという事実は、朝になって激 しい自己嫌悪と変わり彼を襲った。 また準に抱かれ安心していたことも、彼の自己不信を深めた。 いつもならば熱を出せば、たいてい悪夢で目覚める虎ノ介である。 それが準によりそわれて寝た昨日にかぎって、一度もそうしたこ となく朝までぐっすりと休んでいたのであった。 これが朱美や僚子であったなら︱︱と、虎ノ介は思わずにいられ なかった。 自分は節操がないのではないか、女ならだれでもよいのではない かと、恐ろしくさえ感じた。 考えるにつれ、先夜、準に語って聞かせたことなども、これ以上 ない厭味な失敗と思われてきた。 真剣に悩む年ごろの少女へ、えらそうに大上段から説法した自分 がひどい恥知らずに思われてきた。 生きるのが信念だなどと、青臭い言葉を発した自分をなぐりつけ たい気分に彼はなった。 すべてをアルコールのせいにしてしまえたら、どれだけよいだろ 208 うか︱︱。 熱に浮かされた頭で虎ノ介は思った。 ﹁準くんなんて云うから︱︱﹂ 虎ノ介はかきくどいた。 準ちゃん はた って感じじゃないでしょ、 熱のせいで神経質になっている様子が、傍からもありありと見て 取れた。 ﹁だって、準くんだよ? どう見ても。マニッシュというかボーイッシュというか、格好いい もの、あの子。︱︱ねぇ、母さんだってそう思うでしょう?﹂ 虎ノ介のいつになくうらめしそうな、哀しそうな目に、舞はやや たじろいだ顔を見せた。 話を振られた敦子は、すこし考えこむ風に顎に手をやってから、 ﹁そうね。やっぱり準くんは準くん、かしらね﹂ ﹁そうよね? だいたい気づかない方に問題があるわよ。洗濯機に 彼女の服入れたの、トラなんでしょう? あんなローライズのショ ーツ、ふつう気づくでしょうが﹂ ﹁うう⋮⋮そんな、まじまじと見たりしないよ﹂ ﹁それにしたってねぇ。⋮⋮あんな、かわいい子フツー間違う? 美少女よ、美少女。ひかえめに云っても、その辺のアイドルにだっ て引け取らないクラスでしょう﹂ ﹁う、たしかに女顔だとは思ったけども。かわいいとも思ったけど も。でも、いつもフードかぶってたし、こっちは男とばかり思いこ んでいたし︱︱﹂ 舞は溜息をついた。 209 ﹁ひとの顔色うかがってるくせに、目が悪いのよトラは。⋮⋮まぁ、 けしき いいけどさ。あとでちゃんと謝っておきなさいよ﹂ ﹁⋮⋮うん﹂ ﹁よし﹂ す いかにも弟をいつくしむ姉といった気色で、舞は虎ノ介の汗ばん だ髪を、手で梳いた。 そのふたりを見、敦子は満足げに微笑んでいた。 ◇ ◇ ◇ 翌日︱︱。 だいぶ体調のもどってきた虎ノ介のもとへ、準が見舞いに訪れた。 準は以前とはまったくちがった、晴れやかな表情をしていた。 めずらしくフードパーカーも着ておらず、ナチュラルショートに、 ほそい首のラインがのぞいている。 黒のチュニックに、下はジーンズという出で立ちである。 右足部分は大きく切り取られてあって、ホットパンツに近い形状 となっている。 そうして、そこから白磁のようなふとももがのぞいている。 くちびる 目には秘めた意志を感じさせるような強い光がある。 うすく色づいた口唇からは、低めで透明な色をした、それでいて 非常に力のこもった声が出る。 ﹁体の調子はどうですか?﹂ 準は見舞いの品だと云って、持ってきた果物を置いた。 210 ﹁だいぶよくなったよ。明日にはうごけるかな。︱︱心配かけたね﹂ こう虎ノ介は答えた。 ﹁それはよかった﹂ ぱっと。はじけたような笑顔で準は云った。 ﹁心配だったから︱︱﹂ と、虎ノ介を見つめる。 虎ノ介はおどろき、思わず準を見返した。 頬を紅めて、何やら甘えかかる風な準は、まるで別人であった。 先ごろまでの、険しい態度は影をひそめていて。 ﹁あの、林檎でも剥きましょうか﹂ などと云ってくる様子は、まさしく恋する乙女のそれであった。 ﹁あ、ああ﹂ 虎ノ介は何がなんだかわからず、彼女のなすがままとなった。 準はうれしげに、かいがいしく虎ノ介の世話を焼いた。 ◇ ◇ ◇ ﹁ライブ?﹂ 211 準の顔をながめてみて、虎ノ介はオウム返しに尋ねた。 準はちいさくうなずき、 ﹁ロックバンドをやってるんです。もちろんアマチュアですが。そ れで今度、近くのライブハウスでやることになったので、よかった ら虎ノ介さんもどうかと﹂ ﹁へぇ、ロックねぇ﹂ ﹁どうですか?﹂ ﹁うん。ちょっと興味ある。けど︱︱おれ、あまりくわしくないぜ。 それでもだいじょうぶかな。ライブハウスなんて、いったことない し、場違いじゃない?﹂ と、虎ノ介はほんのすこし考える風にして、壁に背をあずけた。 準は、虎ノ介の膝をわずかにずれた毛布を取り、そっと直した。 ﹁だいじょうぶですよ﹂ と、微笑む。 ﹁そんな特別な場所じゃあないですから。ただの遊び場ですよ。カ ラオケボックスとか、映画館とか、そんな感じに思ってくれればか まいません﹂ ﹁む。そっか。それならいいや﹂ 云って、虎ノ介は綺麗に切りわけられた林檎を、ひと切れ口に運 んだ。 とげとげ ﹁なんかモヒカンとかスキンヘッドに刺々しい革ジャンスタイルの ひとたちが、ギターでひとぶん殴ったり、国旗燃やしたりするイメ 212 ージがあってさ﹂ ﹁あはは、どんなイメージですか、それ。大丈夫ですよ、もっとふ つうです。それに、わたしたちも激しいタイプのバンドじゃありま せんから﹂ ﹁うん、わかった。いくよ。いくらだい?﹂ ﹁え? あ、いや、お金はいいですよ。虎ノ介さんはタダでいいで す﹂ ﹁そういうわけにはいかないよ、これでも年上なんだし、それに最 近は伯母さんに隠れて、浩さんのところでバイトさせてもらってる からね。すこしぐらいは払える﹂ ﹁ほんとうにいいんです。これはわたしのお礼︱︱というより、我 儘みたいなものですから。あの、その代わりと云ってはなんですが、 ひとつお願いしていいですか?﹂ ﹁う、うん? 何?﹂ けお 準のその真剣な目に気圧されつつも、虎ノ介は聞いた。わずかに 警戒をして。 ﹁あの、その日は虎ノ介さんひとりできてもらえますか?﹂ ﹁⋮⋮どうして?﹂ ﹁えっと︱︱その、ライブが終わったあとで、ふたりでどこか食事 でもいきませんか?﹂ ﹁メシ? それはかまわないけど︱︱でもいいの? ライブのあと って、なんか打ち上げとか、そういうのあるのじゃない?﹂ ﹁それはたぶん、だいじょうぶです。元々アルコールはあまり好き じゃないですし、それにわたしはいても、ほとんどしゃべらないで すから。前もって伝えておけば、問題なく抜けれると思います﹂ ﹁そう? おれはまあ、いいけど﹂ 答えつつ、虎ノ介は不思議な思いがした。 213 準が虎ノ介を食事に誘ったこともそうであったが、彼女が人前で ほとんど話さぬということがどうにも納得のいかない気がした。 虎ノ介の前ではこれだけよくしゃべる彼女が、外ではやはり、こ れまで虎ノ介が知っていた、あの無口な彼女にもどるのであろうか。 ︵わからん⋮⋮︶ 虎ノ介はただ首をひねるのみであった。 ◇ ◇ ◇ ソフトドリンク 話が決まると、準はライブハウスの場所であるとか、そこではア ルコールを一杯か、清涼飲料水二杯かの、どちらかが飲めるである とか、チケットは向こうで取り置いてあるとか、入場時には﹃cl epsydra﹄を観にきたと告げてほしいだとか、そうしたこま ごまとしたやり方を虎ノ介に伝えた。 そしてすべてが終わると︱︱ ﹁じゃあそろそろ、部屋にもどります﹂ と、名残惜しそうな気分を見せつつ告げた。 ﹁ああ。今日はありがとう、それじゃあね、おやすみ﹂ ﹁はい、おやすみなさい。虎ノ介さんもあったかくして寝てくださ い﹂ ﹁うん﹂ 部屋を出る直前、準は振り向くと、身体をひるがえして虎ノ介に 214 よった。 何かを云う間もなく、虎ノ介はあっけなく唇を奪われた。 ﹁おやすみなさい︱︱﹂ 準は去った。 ルージュ 虎ノ介は玄関に立ったまま、ぼんやりと己の口唇をなでてみた。 かすかな口紅の跡がそこにはあった。 215 専門学校生、水樹準の場合 その4 指定の駅を降りた虎ノ介は喧騒につつまれた街のなかを足早に歩 いていった。 陽は今まさに暮れようとしている。 黄昏に沈んでいく街と、何かに追われるように、いそがしくゆき かいこう 過ぐひとびとをながめながら、虎ノ介はついさっき電車のなかであ った出来事︱︱なつかしい旧友との邂逅について思いを巡らせてい た。 かつて同級だったその青年は、ドロップアウトした友人の顔を忘 れてはいなかった。 彼は虎ノ介の近況を聞き、次に自分の生活のことを云った。 そしてまた虎ノ介にとって忘れられぬふたりの名をもあげた。 彼らの話は自然と、彼らの過去の話へと落ちていった。 ◇ ◇ ◇ ﹁おまえが高校を辞めたあとで﹂ いなぎ かずひこ と、青年︱︱稲城和彦は語った。 ほうづき ﹁法月先輩に訊かれたんだ。おまえの連絡先を知らないかって。で もおまえ、だれにも連絡先を告げないまま越しちまったろ﹂ ⋮⋮ほとんど逃げるようにして高校を辞めたのち、虎ノ介は故郷を 216 離れ大学病院のある隣県の街へと引っ越していた。 それは母の命がさほど長くないと知った時期でもあった。 ﹁どうして和彦に?﹂ 虎ノ介は尋ねた。 虎ノ介の知るかぎり、和彦に法月伊織とのつきあいはなかったの である。 こうした虎ノ介の疑問へ、 ﹁あのあと、ふたりを問いつめたのがおれだから﹂ 和彦はすこし気まずそうに答えた。 ﹁それで、おまえらのあいだにあったことを知った。そのとき、い きおいで手が出ちまったんだが。以来、ときどき連絡を取るように なった﹂ ﹁手を出した? なぐったのか?﹂ ﹁ああ﹂ 和彦はうつむいて肩をすくめた。 ﹁法月先輩は一発だけ。大友っつったか。あいつの方は足腰立たな くなるまで﹂ ﹁先輩もなぐったのかよ﹂ ﹁ああ、ふたりとも思いっきりいった。おかげでおれは指の骨を一 本やって、二週間の停学をくったよ﹂ ﹁馬鹿な真似をする﹂ 虎ノ介はこの一本気で友思いな男の、損な生き方を心配せずにい 217 られなかった。 ﹁あのときはどうかしてたんだ﹂ ﹁よく退学にならなかったな﹂ ﹁法月先輩の親父さんが口添えしてくれたらしい﹂ ﹁おじさんが︱︱﹂ 虎ノ介の脳裏に、むかし、よくいろいろな話をした、なつかしい ひとの顔が思い出されてきた。 法月伊織の父親は、少年時代から虎ノ介をかわいがり世話してく れていた、いわば虎ノ介にとって恩人とも云える人物であった。 ﹁で、そのあと、先輩に呼び出された。顔の怪我も治らないうちに なんだこいつは、と最初は思った。でも会ってみると、おまえの連 絡先を教えてくれって話だった。知らないとおれが答えると、じゃ あもし連絡があったら教えてくれなんて云いやがる。なんとなくだ が断るに断れなくてな。それでときどき連絡を取りあうようになっ た﹂ ﹁つきあってるのか?﹂ ﹁法月先輩と? よせよ。おれには恋人がいる。先輩の方もそんな つもりこれっぽっちもないはずだ。あのひとは、まだおまえのこと が忘れられないでいるみたいだ﹂ ﹁まさか﹂ 虎ノ介は自分の口もとに、皮肉な笑みが浮かぶのを止められなか った。 ﹁あのひとはおれを選ばなかった﹂ だから大友裕也と体を重ねていた。 218 虎ノ介の知らぬところで何度も。 虎ノ介の目に、あの日の、あの夜の光景がまざまざとよみがえっ てきた︱︱。 冬も終わりに近かったあの日。 風邪をひいていると云った伊織を見舞いにいき、虎ノ介は法月邸 にだれもいないことを知った。 携帯もつながらなかった。 虎ノ介は伊織を探した。 雪降る街のなかをあちこち駆けずりまわった。 そうやって探したあと、偶然見つけた彼女の姿には、何かえも云 われぬうつくしさがあって。 おれ ひと 虎ノ介は彼女に声をかけるのを躊躇ってしまった。 あれは自分の知らぬ女ではないか、そう考えた。 躊躇うべきではなかった。 虎ノ介はすぐにでも彼女を呼び止めるべきであった。 問いつめるべきであった。 だが虎ノ介はそれをせず。彼女のうしろを離れてついていった。 ある種の予感があった。 頭のなかで警報が鳴り響いていた。 心臓は痛いくらいに跳ねてい、背すじには熱い汗が流れていた。 喉は枯れきって、呼吸もうまくできなかった。 そうして︱︱⋮⋮虎ノ介は見てしまった。 虎ノ介の知らなかった伊織の姿。 見てはいけなかった伊織の姿。 清楚で輝きに満ちていた法月伊織。 眉目秀麗、成績優秀、スポーツ万能。 男の理想を具現化したような少女。 近く行われる卒業式で、答辞役を務める予定の元生徒会長。 219 虎ノ介のひとつ上の幼なじみで、平々凡々とした虎ノ介が唯一誇 ひと れるものだった彼女。 おんな 将来を誓いあった女。 その裏にあった牝としての顔を虎ノ介は見た。 買い物袋を手に、ただいま、と云って男の部屋にはいっていった 法月伊織。 躊躇いながらも男のキスを受け入れていた法月伊織。 みさお 快楽に目を歪ませ男につらぬかれていた法月伊織。 からだ 虎ノ介にささげるといった操へ、男の情欲を丹念にそそぎ込まれ、 法悦に肢体ふるわせていた法月伊織。 そして。窓越しに立つ虎ノ介へ、歓喜と絶望の入りまじった目を 向けた法月伊織︱︱。 さまよ 吐き気をこらえ、その場を逃げ出した虎ノ介は、街を彷徨いさま よい歩いて。 結局は胸の奥底、大事にしまっていた引き出しの中から︱︱失く したはずの姉への思慕を想い起こさずにはいられなかった。 ︱︱会ってはいけない。 田村の祖父から繰り返し授けられた戒めを破ってでも、虎ノ介は 姉の声が聞きたかった。 やさしかった伯母にふれたかった。 虎ノ介は緑色の公衆電話へと手をかけた。 双眸は濡れてい、髪には綿雪が降り積もっていた。 体は冷えきっていて、指先は寒さでふるえた。 ︱︱はい、田村です。 220 数年ぶりに聞いた舞の声は硬く︱︱。 あまりのなつかしさに、虎ノ介はかすれた嗚咽をもらした。 それが四年前の出来事。 虎ノ介が田村母娘と再会する遠因となった話だった。 虎ノ介は無言でいた。 よみがえるフラッシュバックに心臓はやかましく騒いでいた。 頭のなかはぐらぐらと沸騰して、目眩に似た揺れを感じていた。 おれ 虎ノ介は舞や敦子、僚子に朱美といった女たちのことを想った。 今の己はだいじょうぶだ、と自分に云い聞かせてみた。 いくつか深い呼吸を繰り返すと、だいぶ気持ちも鎮まってきた。 電車がひときわ大きく揺れ、車内アナウンスが目的の駅の近いこ とを告げた。 ﹁あのあと、先輩はすぐに大友と切れたらしい﹂ 和彦が云った。 虎ノ介はちいさく溜息をついた。 ﹁裕也のやつも可哀相にな。あいつは先輩のことが本気で好きだっ おまえ た。好きで好きでどうにもならなかったんだ。泣いて謝りながらお れに云ってた。それが和彦に半殺しにされて、結局先輩とも別れた のじゃ、丸損だ。おれは身を引いた意味がなかった︱︱﹂ 和彦はちいさく鼻を鳴らした。 ﹁だからって他人を傷つけてもいい道理はねぇ。法月先輩もあいつ も、きっちり筋はとおしておくべきだった﹂ 221 そう。いかにも頑固な目つきをして、虎ノ介を見た。 ﹁そうか? おれはそういうのもけっこう、ありなんじゃないかっ て、今は思うよ﹂ 他人がどうなろうと、自分の欲しい物を得る。 奪おうが、傷つけようが、みずからが満たされるならばそれでい い。 そういう生き方があってもいいと、虎ノ介は思っている。 ﹁よく云うよ。おまえ、自分じゃそんな生き方選ばないだろ﹂ 虎ノ介は答えなかった。 痛ましい沈黙がふたりのあいだに下りた。 しんくずはら ﹃次は新葛原︱︱。新葛原︱︱。アァ、お出口は右側です。京横線、 代田急線にお乗換の方は⋮⋮﹄ アナウンスを聞き、虎ノ介は席を立った。 ﹁じゃあな﹂ ﹁あ、おい﹂ 和彦が呼び止める。 ﹁なんだ?﹂ ﹁せっかく会えたんだ。携帯番号とアドレス、交換しようぜ﹂ ﹁⋮⋮わかった﹂ 222 云って、虎ノ介は携帯電話を取り出した。 和彦と番号を交換する。 ﹁なあ﹂ ﹁ん﹂ ﹁先輩に訊かれたら、教えていいか?﹂ 虎ノ介は迷った。 反射的に﹁やめろ﹂と云いそうになり、それからひとつ呼吸をお いて考えた。 電車が停まり、扉がひらいた。 ﹁好きにするさ﹂ そう虎ノ介は云った。 ◇ ◇ ◇ 目的のライブハウスには八時過ぎについた。 すこし遅れた、と虎ノ介は思った。 虎ノ介にとっては、はじめての街であり、勝手がわかっていない。 駅でもどの出口から出るのかをしばし迷った。 結句、自分は骨の髄まで田舎者なのだと、彼は考えた。 地下への階段を降りていくと、扉の向こうから歌が聞こえた。 その澄んだ声の色から、すぐに準のものだとわかった。 入口そばにちいさなテーブルと椅子を置いた受付がある。 そこにいた女性へ、虎ノ介は名前と観にきたバンド名を告げ、そ 223 フライヤー してドリンク代を払った。 ろう チケットと広告を受け取り入場する。 扉を開けると、耳を聾さんばかりの大音響が虎ノ介の体を打った。 お 思わず虎ノ介は息を呑んだ。 予想以上のエネルギーに圧され、彼の足は止まった。 客は百人ほどはいるだろうか。 横長のステージ上で、準がまばゆい光につつまれシャウトしてい た。 激しいバンドではない、そう云った準の言葉を思い返して、虎ノ 介は苦笑した。 虎ノ介にはこれ以上なく、激しい音楽に思えた。 ﹃走れ! 走れ!﹄ 準が叫んだ。 いかにもロックらしい曲だ、と虎ノ介は思った。 ハードで、アップテンポで、それでいてメロディアスな。 虎ノ介はドラムやベースの重たいリズム、コーラスの灼けるよう な叫びに、心臓のくるしくなる思いがした。 強烈な存在感を放つ準の声を聴くと、それだけで圧倒され意識が 犯されるような錯覚に陥った。 わだち ﹃夜の高速を 自転車で逆走した 体は光に飲みこまれ こぼれる 血は轍になった﹄ 準はTシャツにホットパンツ、黒のオーバーニーソックスという 格好で、耳にはピアス、首もとには銀のネックレスが見えた。 準の衣装は必要以上に色気を強調したものではなかったが、彼女 が生来持つ性差を超えたうつくしさと、若々しい青春の潮とがひと つになって、独特な色彩の官能を放っていた。 224 それはたとえるなら蘭の花に似ていた。 洗練された女性美と異形の造形美の合一︱︱こうした印象を虎ノ 介は持った。 ﹃ぼくたちはいつもここにある この世界の裏側にある﹄ ﹃あの向こう側を見ている キミはいつも檻のなか いつもやつら に嗤われてる﹄ 準は身体をねじまげるようにして、バンドのメンバーを見たりし ながら、あるいは観客を見渡すようにしながら、あるいはギタリス トやベーシストに体をあずけるようにしながら、あるいは天を仰ぎ ながら、まっすぐ歌っていた。 出会ったころの、渋面の彼女からは想像もつかない姿。 その彼女から出るのは、狼の咆哮のような、それでいながらすこ しも枯れていない声だ。 光がはじけて、ひろがるかのような声だ。 ロック その声に、虎ノ介は準の輝かしい才能を見た。 音楽のことはよくわからなかったが、彼女はきっと一流になれる だろう、と虎ノ介は判じた。 あるいはそれが音楽でなく、彼女の本来目指している声優の道で あったとしても。 彼女には未来があった。 ﹃だから さあ なんとかするんだ 真実の方向性をのぞいて﹄ ﹃目に見えない境界 殴りつけてひびを入れ 天にましますあのお 方に きっと吠え面をかかせてみせよう﹄ オーディエンス 観客の興奮は最高潮に達しつつある。 押しあてたナイフがごときギター、海鳴りのようなベース、脈動 に似たドラムのまたたき、そして光の粒のような準の歌声︱︱それ 225 らが一体となって会場に熱狂をもたらしていた。 is and gone, gone︱︱﹄ and la 虎ノ介は幾分ぐったりとなって、フロア後方にある鏡張りの柱へ よりかかった。 He dead ⋮⋮熱気にあてられていた。 ﹃Woo︱︱ is dead He dy, ﹃叫べ! 叫べ!﹄ 観客が歌詞にあわせて叫ぶ。 準は最前列の柵近くで、足を突き出し、客に語りかけるようにし た。 虎ノ介はだまって微笑んでそれを見た。 うらやましいような、寂しいような、愛おしいような、そんな心 としした 持ちになった。 年少の妹を持つ兄の気分とはこのようなものだろうか、ふと考え てみたりした。 226 専門学校生、水樹準の場合 その5 駅裏にある焼肉店を出て片帯荘に帰ったのは十一時をすこしまわ ったぐらいであった。 帰り道のあいだ、虎ノ介はめずらしく悪酔いしたようで気分がす ぐれなかった。 一方で準はライブが上々であったからか、それとも虎ノ介の前で あったからか、終始上機嫌な様子で虎ノ介へ話しかけたり、彼の腕 を取ったりした。 虎ノ介が﹁やめろよ﹂と云うと、﹁すいません⋮﹂と舌足らずな、 寂しがる子猫のごとき甘えた声を出す。 これがまた虎ノ介を閉口させた。 片帯荘につくなり、虎ノ介はさっさと部屋へもどろうとした。 虎ノ介には準と向きあっているのが、つらく感じられてきていた。 ﹁じゃあ今日はこれで。ライブよかった。ありがとう﹂ と、まったく感情のない声でこれだけを告げると、虎ノ介は準に 背中を向けた。 ひどいな、と虎ノ介自身思わぬでもなかった。 だがどうにも気分が悪かった。 頭のなかでは、過去の自分と、法月伊織の痴態と、スポットライ トを浴びて輝く準の姿とが交互に繰り返されている。 虎ノ介は自分と準とを引きくらべてみて、なんとも云えぬ、いた たまれない気持ちになっている。 ︵まったく成長してない、おれは︱︱︶ 227 虎ノ介は己を罵らずにいられなかった。 準に対する嫉妬めいた感情が、虎ノ介の心をひどく沈鬱でみじめ なものにした。 ⋮⋮と、準の手が、虎ノ介の背をつかんだ。 かお 虎ノ介が振り向くと、準はじっと彼を見つめていた。 その表情は真剣な色を帯びてい、虎ノ介をたじろがせた。 ﹁何?﹂ ﹁虎ノ介さん﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁あの︱︱わたしは何かしたんでしょうか?﹂ ﹁え︱︱﹂ 意味がつかめず、虎ノ介は問い返した。 準の目にはうすく涙が浮かんでいた。 ﹁ライブ、つまらなかったですか﹂ ﹁いや⋮⋮﹂ ﹁でも虎ノ介さんは怒っている﹂ ﹁そんなことは︱︱﹂ ない、と云おうとし。 しかし虎ノ介はうまく言葉を発せないでいた。 ひと ﹁わ、わたしには他人の気持ちがよくわからないんです。だから、 ときどきひとを不快にさせたり、お、怒らせたりもする。もしかし たら虎ノ介さんにも、気づかないうちに何か失礼なことをしたかも しれない﹂ ﹁なんの話を﹂ 228 ぼく は虎ノ介さんのそばにいたい。 ぼく は虎ノ介さ ﹁でも虎ノ介さんは、虎ノ介さんにだけはきらわれたくないんです ︱︱。 んが好きだ﹂ 準は懸命に言葉を紡いでいた。 虎ノ介に伝えたい。 虎ノ介にわかってほしい。 その必死な想いが虎ノ介の心にも響いてきた。 ﹁お、おい﹂ ぼく を ﹁ごめんなさい。ゆるしてください。もし虎ノ介さんを傷つけてた なら謝ります。この通り謝りますから。だから、だから ︱︱﹂ きらわないで︱︱。 と。準は廊下にすわりこみ、ほとんど床に頭をこすりつけんばか りにして哀願した。 ﹁ば、ばか﹂ 虎ノ介はあわててしゃがみこんだ。 準をかかえるようにし、抱き起こした。 準の目から涙がこぼれた。 ﹁なんで謝るんだ﹂ 虎ノ介はついきびしい口調となって云った。 ﹁おれは怒ってなんかないし、キミをきらったりもしてない﹂ ﹁嘘です﹂ 229 ﹁嘘? どうしてわかる﹂ ﹁だって﹂ ﹁だって?﹂ ﹁虎ノ介さん、今日はずっと機嫌が悪いじゃないですか。口調もい つもと全然ちがう。硬くて、目も笑ってない。一度も笑ってくれな い﹂ ﹁︱︱︱︱﹂ 鼻をすすりあげながら準は云った。 ここにいたり、さすがに虎ノ介にも準の云わんとしていることが わかってきた。 自分は何をしていたのだろう。 どうして、うつくしいものを汚すような真似をしたろう。 か どうしていつも己を余計に貶める方向へとうごくだろう。 としした 虎ノ介は斯く思い沈んだ。 無意識に年少の少女へ八つ当たりしていた己を強く羞じた。 和彦との会話からこちら、むかしにもどっていた自分︱︱それを 自覚しないわけにいかなかった。 溜息をついた。 大きく深呼吸し準の頭をなでた。 写真でしか見たことのない父の顔が、虎ノ介のまぶたに浮かんだ。 父はいつもこんな気分だったのだろうか、そんなことを思った。 ﹁ああ、その、なんだ⋮⋮ごめんね﹂ 口調を意識的にやわらかいものに切り替えて、虎ノ介は膝立ちの まま準に正対した。 指で少女の涙をぬぐってやった。 ﹁ちがうんだ。これはね、キミが悪いんじゃない。キミのせいじゃ 230 ないし、ライブが悪かったわけでもない。これはただ単に、おれの 問題なんだよ。おれが幼稚だってだけだ。だからキミは謝らなくて いい﹂ ﹁幼稚⋮⋮? 虎ノ介さんが?﹂ よくわかりません、と準は虎ノ介を見上げ云った。 虎ノ介はうなずいて見せた。 こうなった以上、準にも聞かせるしかない︱︱と己の浅はかさを 悔やみながら笑った。 ﹁ハ︱︱﹂ ﹁あの、虎ノ介さん?﹂ かお 目をつむり、言葉を失くした虎ノ介を、準は怪訝な表情で見つめ た。 ﹁⋮⋮ね。おれの部屋にこない? 聞いてほしいことがあるんだ﹂ しばしの思案ののち、虎ノ介はこう云ってみた。 準を見やる彼は平常の自分に返りつつあった。 ◇ ◇ ◇ わけ ﹁そんな理由なんだ﹂ と、語り終えた虎ノ介は、準と視線をあわせぬよう、ゆっくりと コーヒーを口に運んだ。 先刻から虎ノ介はまともに準の顔を見られないでいた。 231 逆に準の方はと云えば、すわったままほとんど身じろぎもせず、 虎ノ介を見すえている。 ﹁つまり、その元彼女の伊織さんが﹂ ﹁う、うん﹂ ﹁もしかしたら虎ノ介さんを好きかもしれない。そういうことです か﹂ ﹁うん﹂ 虎ノ介の動揺の根。 それは、伊織がまだ虎ノ介を忘れていないかもしれないというこ と、その一点にあった。 ﹁は、は。情けないでしょ。笑ってくれていいよ? あきれるよね。 フラれてから何年もたつのにさ。どんだけ未練たらしいんだよって 話。⋮⋮いやね、自分でも、ここまで引きずってるとは思ってなか ったんだ。もうとっくに過去の話だと思ってた。ふ、ホント女々し くて自分でもいやになる︱︱﹂ 顔を腕で隠すようにして、虎ノ介は壁へもたれた。 天を仰いだ。 ﹁虎ノ介さんはまだ⋮⋮好き、なんですか?﹂ ﹁いいや﹂ 虎ノ介は答えた。 ﹁好きじゃない︱︱と思う。忘れてないだけ。痛みを覚えてるだけ だ。だからたぶん、これはただの執着なんだろうと思う。今は先輩 とやり直したいなんて思ってないし、そもそもおれには先輩より大 232 切なひとがいる﹂ 今、虎ノ介のそばには僚子に朱美、そして田村母娘がいる。 彼にとって彼女たちより大切な存在はない。それでも︱︱ ﹁それでもおれにとって、あれがショックだったのは間違いがなく て。そのせいかな、当時のことを思い出すと﹂ 自分のコントロールができなくなる、と虎ノ介は云った。 この四年。 傷跡にさわりさえすれば、いつでも、傷つけた相手を思い出すこ とができた。 だから虎ノ介は、その傷跡を大事に大事に、えぐり、引き裂き、 かきむしっていた。 忘れぬように。 血が止まらぬように。 涙途切れぬように。 あこがれの女性の姿を、ずっとそうやって心のなかにとどめてい た。 それはもはや妄執と呼べるもので︱︱。 法月伊織は、確かに、久遠虎ノ介へ深いくさびを残していた。 ﹁だからゴメン。キミに八つ当たりするつもりはなかったけど。結 果的にキミを傷つけた。キミの姿があまりにまぶしくて、その光が おれを照らす気がして︱︱﹂ キミと話すのが怖かった。 と、虎ノ介は自分の心情を、つつみ隠さず話した。 話が終わると、準は静かにその場を立ち、ベッドにすわる虎ノ介 233 のそばへとよった。 虎ノ介の肩にやさしくふれながら、みずからも隣にすわった。 ﹁み、水樹くん?﹂ ﹁準でいいですよ﹂ と云って、準は虎ノ介の首すじに顔をよせた。 ﹁ああ、うん。何を﹂ 準は、十九の少女に似合わぬ積極さで、虎ノ介へその身をすりよ せた。 鼻先をこすりつけるようにし、虎ノ介の首すじに口づけてくる。 喉仏を舐め、ふとももを手でさする。 それは明らかに性的な愛撫だった。 虎ノ介は先刻、準を泣かせてしまったことへの罪悪感から、強い 拒否をしめせずにいた。 虎ノ介の優柔不断な︱︱よくとればやさしいとも云える性質が、 準の行動を妨げずにいた。 ﹁虎ノ介さん⋮⋮虎ノ介さん﹂ ﹁おい、準くん、何を﹂ ﹁好き⋮⋮好きです、虎ノ介さん﹂ ・ ・ ・ 強引にかぶせられた準の唇が、虎ノ介をむさぼりはじめると、さ すがに虎ノ介にもあせりが出てきた。 どうしておれは女の子に押し倒されそうになっているのだろう、 と虎ノ介は混乱した。 先の会話に、そのような文脈ははたしてあっただろうか。 そんなことを考えてみても、やはり何もわからなかった。 234 無理にでも振り払ってしまおうか、などとも考え、準が泣きだし たらどうしよう、とこれにも迷いがあった。 そして何より理解できなかったのは︱︱ ︵ど、どうしておれ、モテてるの︶ であった。 センス 虎ノ介のルックスはあくまで人並みで。 きょくそく 特別、会話や感性が優れているというわけでもない。 たち とは云うものの、それにしてもここ最近の むしろ女々しく局促とした人間像は、女性にはけして好かれない 性質のものであろう。 たで 蓼食う虫も好きずき 人気ぶりは、虎ノ介からしてもいささか異常にすぎるよう思えた。 ﹁か、確変⋮⋮?﹂ ぼく が慰めてあげます⋮⋮ん︱︱﹂ わけのわからぬことをつぶやいてしまう虎ノ介であった。 ﹁可哀相な虎ノ介さん⋮⋮ そんな虎ノ介のとまどいなどまったく意に介さず、準は一生懸命 に虎ノ介へ口づけてくる。 虎ノ介の胸に、準のひかえめな乳房が押しつけられてくる。 ﹁いや、ちょ、まって。ねぇ、いや好きって云われるのはうれしい んだけど、ね。ちょ聞いて︱︱ふむっ︱︱﹂ 押し倒され、唇を吸われながらも、虎ノ介は必死で理性をはたら かせた。 235 ﹁まって、準くん。ダメ、ダメだって。おれにはつきあってるひと が﹂ いる。と、ここまで云ったところで︱︱ ﹁ああ、それならかまわないさ。わたしたちはすでに許可している﹂ そんな︱︱予想だにしていなかった声が頭上から降ってきて。 ﹁は?﹂ 虎ノ介は呆けた顔で、枕元に立つふたりの女をながめた。 そこに僚子と朱美がいた。 236 専門学校生、水樹準の場合 その6 ﹁ど、どうしてここに?﹂ 虎ノ介は云った。 これに僚子はにやりとし、答えた。 ﹁メールをもらったからだよ﹂ ﹁メールって﹂ ﹁準くんよ﹂ と、朱美があとを引き取って云った。 手のなかの携帯を、虎ノ介に向かって見せる。 どうやら虎ノ介が準を見ず話していたあいだ、準はメールで朱美 と僚子に連絡を取っていたらしい。 ﹁準くんが﹂ 虎ノ介は胸にすがりついている準を見、その彼女の頭をなでた。 さらと、やわらかい感触が手のなかを抜けていった。 準は顔を紅めて、上目づかいに虎ノ介を見た。 ﹁だけどどうして﹂ 虎ノ介は困惑していた。 準に迫られていることにくわえ、虎ノ介の恋人とも呼べるふたり が悪戯な笑みを浮かべていることに。 237 キミ キミ ﹁このあいだ準くんに相談されてね。︱︱虎ノ介が好きになってし まった。虎ノ介のそばにいたいがそれでもいいか、とね﹂ たのしげな顔つきで僚子は上衣を脱いだ。 ブラウスやスカートをもはずし、ブラジャーとショーツにガータ ーストッキングという挑発的な下着姿になると、虎ノ介の枕元に腰 かけた。 見れば朱美の方もTシャツとジーンズを脱ぎさっていた。 こちらはノーブラで、いつ見ても見事な爆乳をさらしている。 僚子はつづけた。 キミ ﹁それでわたしたちも準くんに教えた。わたしたちの関係をね。わ たしと朱美さんが虎ノ介を共有していること。その条件を。すると 彼女もまたそれにくわわりたいと云うじゃあないか﹂ 微笑みながら僚子も準の髪にふれた。 うれしげな目つきをして、準は僚子を見やった。 僚子は云った。 ﹁わたしたちはこう答えた﹂ ﹃もちろんオーケー﹄ 僚子と朱美、ふたりが、同時にそろえておなじ言葉を口にした。 虎ノ介は思わず目頭を押さえた。 ﹁正直に云うとね。わたしたちもそろそろメンバーを増やそうと思 としうえ っていたところなのだよ。わたしたちの大切な旦那様がエッチに飽 きたらこまるからね。年長ばかりでなく、準くんのような年少も選 択肢にあるとありがたい。というわけで準くんにはハーレムの入会 238 規約である︱︱独占しない、浮気しない、妊娠しても父親としての 責任をもとめない︱︱この三箇条を呑んでもらった上で、めでたく 入会してもらうことになった﹂ 僚子は立て板に水といった調子で語った。 その横では朱美がくすくすと笑っている。 準は真剣な顔をしている。 ﹁あ、あんたらなァ﹂ 虎ノ介は眉宇をひそめ、つかれきった目をして、朱美と僚子のふ たりへ交互に視線を向けた。 かたおびそう よそ ﹁一応断っておくと、これは片帯荘住人だけに認められた特権だ。 だから間違ってもキミ、わたしたちの了解なく他所の女とゆきずり でしちゃあダメだぞ。そんなことした場合、最悪刺されても知らな いからな﹂ たぶん刺すのはわたしだが、と僚子は云った。 こらえきれぬといった風情で朱美が噴きだした。 ﹁何がハーレムですかっ。またあなたたちはいつもいつも、そうや っておれの知らないところで勝手に話をすすめる﹂ ﹁だってキミ。キミに相談したら怒るじゃないか﹂ ﹁あたりまえですよ。ただでさえ、もういっぱいいっぱいなのに。 これ以上増えたら、おれそのうち死にますって、腎虚か何かで﹂ ﹁はっはっは。何を大げさな、若いんだからまだまだ余裕だろう? キミぐらいの年ごろだと精力がありあまってて、女の子のパンツ オナニー がちょっと見えたくらいでも余裕でち○ちん立っちゃうンだろ。一 日五回くらい自慰するのだろ﹂ 239 ﹁しねーよ! 中学生じゃねぇっつーの﹂ ﹁徳川家康や豊臣秀吉は十人以上妻がいたというが﹂ ﹁そんなむかしのひとと、くらべられてもこまります。というか、 ンな無茶苦茶な話どうして認めるんですか﹂ ﹁しかしそうは云ってもね。本人がそうしたいと云うんだから仕方 ないだろう﹂ なあ、準くん? と僚子は問いかけ、それに対し準はちいさく、 しかしはっきりとうなずいた。 ﹁かまいません。それで。それで虎ノ介さんのそばにいられるなら﹂ と、健気に虎ノ介の胸へ取りすがっている。 その怖いくらいひたむきな様子に、虎ノ介はひるまずにいられな かった。 何故このコはこれほどに思いつめているのだろう。 虎ノ介は不思議な気がした。 ﹁い、いや、でもね。準くん、おれの都合についてもすこしは勘案 を﹂ ﹁虎くん、準くんがきらいなの?﹂ そう朱美が問う。 ﹁え?﹂ ﹁きらいなら仕方ないけど。でも好きならかまわないのじゃない? わたしたちも準くんのことは妹みたいに思ってるし﹂ ﹁いや、でも﹂ ﹁きらいですか?﹂ 240 を抱いてください﹂ なんて、抱く気も起きませんか?﹂ じゃダメですか? こんなおっぱいもちいさい、男みた ぼく ぼく 途端にしおれた気色となって、準は虎ノ介を見つめた。 ﹁ いな 虎ノ介は首を振った。 ぼく ﹁そういうわけじゃないけど﹂ ﹁だったらお願いです。 ﹁もっと自分を大切にしなよ。一時の感情に流されて、こんなひど い男を選ばなくったって﹂ ﹁一時の感情なんかじゃないっ﹂ ぼく は虎ノ介さんが欲しい。虎ノ介さんが好きだ。道をしめ 準は強い口調で反駁した。 ﹁ してくれた虎ノ介さんのものになりたい。恋人︱︱いや、恋人じゃ なくたっていい。虎ノ介さんと過ごせるならペットみたいなあつか いだっていいんです﹂ ﹁ペ、ペット?﹂ この発言に、虎ノ介はぎょっとし息を呑んだ。 いよいよ準が、何か恐ろしく得体の知れないものに思われてきた。 ぼく を虎ノ介さんの犬にしてくださいっ﹂ 隣では僚子が﹁ほう﹂と興味深そうな声を発した。 ﹁ こう云って、準は虎ノ介にむしゃぶりついてきた。 それは言葉通り、愛犬が主人に甘えかかる姿にそっくりであった。 準は虎ノ介の首へ腕をまわすと、首すじへ鼻っつらをよせ、しき 241 りに舐めたり匂いをかいだり、まさに犬のような振舞いを見せた。 虎ノ介は何か大型のハスキー種か、あるいは狼にでものしかから れているかのような、そんな気分になった。 先程からの準の行動を思い返してみて、こうした準の嗜好をよう やくに理解した。 ﹁キ、キミ、甘えんぼだったのな﹂ なかばあきれ、なかばかわいく思いながら、溜息まじりにつぶや く。 ﹁あは。準くんって、そういうのが好みなんだ﹂ 朱美がたのしげに笑った。 そうして虎ノ介の枕元へまわると虎ノ介の手を取り、 ﹁虎くんもいいかげん、あきらめたら? 彼女、ここまで本気にな ってるんだし。それにほら、実際虎くんだって満更でもないンでし ょ?﹂ 見透かした風に云う。 虎ノ介は一瞬答える言葉につまった。 ﹁う、朱美さんはそれでいいんですか?﹂ ﹁うふ。今の寂しそうな顔、それが見れたからいいわ。それにね︱ ︱﹂ 朱美は虎ノ介におおいかぶさる形で深い口づけをした。 ﹁くちゅ⋮﹂と舌を鳴らし、虎ノ介の口内を犯していく。 虎ノ介は舌を吸われ、大量の唾液を流しこまれ、急速に思考が遠 242 ざかっていくのを感じた。 朱美はしばし虎ノ介を味わったあと、ゆっくり顔を離した。 ﹁前にも云ったでしょ? ときにはきっちりオトしてあげるのも、 女に対する礼儀だって﹂ ﹁ああ、そうだね。子宮に精子の味を覚えこませるのも、男として の役割だよ、虎ノ介くん﹂ 云って、虎ノ介のズボンとパンツを引き下ろす僚子。 衣服のなかから虎ノ介の男性が外に出された。 日々の荒淫により剥き癖のついてきたペニスはすでに半勃ちにな ってある。 オトされるのはおれだ、と虎ノ介は思った。 ﹁ふふ。虎ノ介くんは潔癖なところもあるが、こうしてち○ちんを かわいがってあげれば︱︱﹂ 二度三度と、僚子は虎ノ介のペニスをなであげた。 たちまちペニスは硬度を得て、たくましくそりかえった。 虎ノ介は茫とした様子のまま、僚子に目をやった。 ﹁ふ、ふ、すぐにおとなしくなる﹂ 虎ノ介はもはや抵抗する気も失せていた。 くつがえ 彼が準にモノにされる すでに確定事項であるように思われた。 今夜、彼が準をモノにするのは、否︱︱ のは これ以上何をどう云ってみたところで、けっして覆らないであろ うことはこれまでの経験からよくよくわかっている虎ノ介である。 虎ノ介は深々と溜息をつき、そしてうなずいた。 243 準の頭をなで、準はうれしげに、虎ノ介の手へ顔をこすりつけた。 ﹁わかりましたよ﹂ 虎ノ介の言葉に、準の顔がぱっと輝いた。 ﹁虎ノ介さんっ﹂ ﹁ただし避妊はするからね。キミを妊娠させるわけにはいかない﹂ と、虎ノ介は年上らしい配慮を見せて云った。 が、これに異を唱えたのはふたりの年長者であった。 なかだし ﹁何をぬるいことを云ってるんだいキミ﹂ ﹁ダメよ。最初くらいは膣内射精キメておいた方がいいわ。エッチ ってこういうものなんだって体に教えこまないと﹂ 虎ノ介は、あわてた。 ﹁な、何を云ってんですか﹂ ﹁ああもう、いいから。虎くんはだまってて。ね、準くんもはじめ てくらい生でしてみたいわよね﹂ こくり、ちいさくうなずく準である。 ここ 虎ノ介はひたいに冷汗の浮かんでくるのを止められなかった。 片帯荘の人間は変人ばかりだと、虎ノ介は思った。 それは舞から聞かされ、自分でも薄々感じていたことではあった。 しかし今度こそ、疑惑は確信に変わった。 ⋮⋮準もまた、濃情な片帯荘の女であった。 ﹁はいはい。というわけで、準くんの記念すべき処女喪失は生セッ 244 なかだし クス生膣内射精にけってーい! 虎くんも張りきってオマ○コマー キングしてあげてね﹂ だいじょうぶ、そうたやすく孕んだりしないわよ。 と、朱美は生来の楽天家ぶりを発揮し告げた。 ﹁マーキング⋮⋮虎ノ介さんにマーキング、される⋮⋮? ぼくが ? ああ︱︱﹂ 準は紅潮し、恍惚とした表情で虎ノ介を見ている。 虎ノ介は強張った愛想笑いを浮かべ視線をそらした。 ◇ ◇ ◇ 準の股間を見、まず虎ノ介がおどろいたのは、 ﹁毛が、ない﹂ ということであった。 ﹁はい︱︱﹂ はずかしそうに準はうなずいた。 ⋮⋮彼女の秘部には一切の毛がなかった。 うぶげ 剃っているのでなく自然と無毛状態であるのだった。 全身を見渡してみても彼女の体には毛がうすく、産毛すらもほと んどなかった。 その透き通るような肌の白さとあいまって、何か不可思議な神性 245 すらを見る者に感じさせた。 ﹁や、やっぱりおかしいですか?﹂ 不安そうな目つきをして、準は虎ノ介に向かい訊いた。 虎ノ介はゆっくりと首を振った。 246 専門学校生、水樹準の場合 その7 ﹁そんなことは全然ない。綺麗だよ。⋮⋮キミによく似合ってるっ て思う﹂ ﹁よかった﹂ 準はうれしそうにはにかんで笑った。 ﹁ぼくは胸もちいさいですから、ちょっとだけ心配だったんです﹂ ﹁綺麗だって﹂ こう虎ノ介は云った。 ﹁その証拠にほら、おれのだってこんなになってるだろ﹂ 己のイチモツをつかみ、準にしめす。 男根は張りつめ充血しきっていた。 虎ノ介の興奮を如実に物語っていた。 ﹁す、すごい︱︱男のひとって、こんなに大きくなるんですね﹂ ﹁そりゃキミみたいな可愛い子が目の前で、扇情的な格好で誘って それ に手をのばした。 くれれば、男なら大抵こうなるよ﹂ ﹁う、うれしいな﹂ 云いつつ準は虎ノ介の そっとやわらかくにぎる。 準の指のつめたさが男の芯をつつみ、虎ノ介は緊張して喉を鳴ら した。 247 ﹁すごく熱い。それにびくびくふるえてる。これが男性のペニスか。 ⋮⋮大きくなってるところ、はじめて見ました。とても獰猛で、で もどこか可愛くて︱︱なんだか不思議な感じだな﹂ 好奇心旺盛な子供のように、準はペニスを興味深げにいじりまわ した。 ﹁く﹂ 虎ノ介が低くうめく。 おどろき準は手を離した。 ﹁あ、すいません。痛かったですか?﹂ ﹁い、いや﹂ 横合いから、僚子が口をはさんだ。 ﹁気持ちよかったんだよ。今のはそういう声さ﹂ ﹁そうなんですか﹂ ﹁ああ。ほら、もうすこし上下にこすってみるといい。皮ごとつか むようにして⋮⋮ね、いい顔するだろう? これが虎ノ介くんの感 じてる顔だよ。わたしはこの顔が一番好きなんだ。切羽つまってく う るとね、今にも泣きそうな顔で一生懸命に腰をつかってくれる。こ れが愛い﹂ ﹁な、何を馬鹿なことを﹂ 虎ノ介は僚子を横目でにらんだ。 248 ﹁本当すごい⋮⋮可愛い顔してます。虎ノ介さん﹂ ﹁準くんまで︱︱﹂ ﹁さすがに準くんは筋がいいね。これさえわかれば彼のツボを抑え たも同然だよ。あとはこの表情を引き出すようにやさしく、やさし く可愛がってあげれば、自然とこっちになついてくれる﹂ ﹁はい﹂ ﹁ちょっと、何をいらんアドバイスくれてんです。だいたい、いつ までここにいる気ですか。あとは準くんとしますから、そろそろ帰 ってくださいよ。僚子さんも、朱美さんも。あなたたちがいると電 気消さないから、準くんだってはずかしそうじゃないですか﹂ ﹁む? これは異なことを云う。わたしたちはみなキミの恋人なの だから、いっしょにする権利くらいあるだろう。準くんだっていい って云ってるし﹂ ﹁だ、だからって﹂ ﹁だいたい明るいからはずかしいってのは準くんじゃなくて、包茎 を見られたくないと思ってるキミの方じゃないのかい?﹂ ﹁う︱︱﹂ 図星であった。 情事中、暗闇を好む傾向なのは虎ノ介であり、僚子や朱美は逆に 明かりのある場所でのセックスを好んだ。 ﹁常々思っているのだけれど。こんなに可愛らしいのに、いったい 何をはじることがあるんだい? 朱美さんなんてかむってる方が蒸 れた匂いがしていいとまで云ってるんだぞ﹂ ﹁ちょ、ちょっと僚子センセ⋮⋮!﹂ 朱美があわてた声を出す。 さすがの朱美も、僚子ほどには自分の性癖についてオープンには なれぬようである。 249 ﹁ねぇ、準くん。キミも可愛いと思うだろう? この子供ち○ちん﹂ 僚子が尋ねる。 ペニスは僚子の手と準の手とに支配され、しごかれたり、皮をの ばされたりしている。 ﹁え、ええと﹂ 準は躊躇いがちに、しかしはっきりとうなずいてみせた。 ﹁す、好きですよ﹂ 恐るおそる準は答えた。 虎ノ介の反応をうかがう様子でもある。 ﹁ほら聞いたかい? べつに包茎だってかまやしないのさ。もっと 堂々としてていいんだよキミは。銭湯にいったとき、無理にち○ち んの皮を剥いたりする必要なんてないんだ﹂ ﹁もういやだあ﹂ 虎ノ介はわめいた。 ﹁だからいやだったんだっ。なんだってそう、はしからムードをぶ ち壊すんですか、あなたたちは。ハーレムだマーキングだ包茎だと。 おれが必死でムードつくろうとしてるのに﹂ ﹁む、出たなロマンティック。キミは女性やセックスに幻想持ちす ぎなのだよ。だから何年もバカ女を引きずる羽目になるんだ﹂ そうそう、と朱美もうなずく。 250 準もまたうなずいていた。 痛いところを指摘され、虎ノ介は口ごもった。 ﹁そ、それは﹂ そとみ ﹁虎くん。女なんてみんなスケベな生き物なんだから。外見にだま されちゃダメよ﹂ と、これは朱美である。 虎ノ介の抗議は女たちの耳に、まったくとどいてはいなかった。 みな、虎ノ介という餌を前にした獣であった。 ﹁虎くんだって、けっこう好きでしょうエッチ。これで恋人が淡白 だったら、きっと切ないわよ?﹂ ﹁そ、そりゃそうかもしれませんけど。てゆうか、たぶんそうです けど。⋮⋮って、なんかずれてきてるな。いや、おれが云いたいの は淡白だとか淫乱だとか、そういうことじゃなくてですね、準くん ははじめてなんだし、もっとムードを大切にしたいって話で︱︱﹂ ﹁ああもう、相変わらずぐだぐだとうるさい子ね﹂ 虎ノ介の上半身は朱美によってとらえられた。 強引に乳房を口にふくませられ、目を白黒とさせる。 朱美は虎ノ介へ乳をあたえながら、膝枕で抱きかかえると、 ﹁うん、静かになった﹂ やさしく頭をなでた。 はじめて むっちりと張った乳房とふとももにはさまれ虎ノ介は脱力した。 処女の準を相手に、年長者の余裕を見せようとした虎ノ介の見栄 は、ふたりの恋人によってあっさりと打ち砕かれた。 そうして虎ノ介は仰向けにされ、準による愛撫を受ける形となっ 251 た。 けずね 虎ノ介は毛脛を投げ出したみっともない姿勢で、女たちに身をゆ だねた。 ミルク 準は僚子の指導のもと、虎ノ介に快感をあたえるべく懸命に奉仕 をはじめた。 虎ノ介は口中に乳首をころがし、甘い母乳を味わいながら、下腹 部に生じつつある熱を意識した。 今、虎ノ介は三人の女によって蹂躙されようとしている。 この異常とも云える状況に、彼は己が激しく興奮しているのを認 めた。 なぶ 喉奥から心臓がせりあがってくるかのような感覚を覚えた。 準のつめたい手が、さかんに男を嬲る︱︱。 ﹁ほら、先っぽから液体があふれ出てきたろう? これがクーペル 氏腺液。いわゆる先走りとか我慢汁と呼ばれるものだよ。男性が興 奮したり感じると出てくる﹂ ﹁これが︱︱﹂ それ に舌をのばす。 興味津々といった風情で、準は虎ノ介のペニスに口をよせた。 亀頭から流れ出ている 熱い生き物のような感触に、虎ノ介は思わず腰をふるわせた。 ﹁ん⋮⋮﹂ ﹁どうだい?﹂ ﹁なんだか変な味ですね﹂ ﹁でも興奮するだろう?﹂ ﹁はい。この上なく﹂ 準の荒い息づかいがペニスを揺らした。 虎ノ介は目をつむった。 252 準は躊躇いがちに、ペニスへ口づけた。 準は、虎ノ介が考えていたほどに初心ではなかった。 処女であり、また男についてくわしいわけでもなかったが︱︱ ﹁この一週間。ずっと虎ノ介さんとこうなりたいと思ってたんです﹂ 告げる準の目は、確かに情欲に支配されているようであった。 虎ノ介への恋心が、準の身体と精神とを急激に成長させていた。 くちびる 本格的に口淫がはじめられた。 肉茎に舌を這わせ、口唇で亀頭をついばむ。 最初はゆっくりと。 慣れてくると徐々にそのうごきははやくなってきた。 僚子や朱美にくらべれば、たどたどしく未熟な口技ではあったが、 その初々しさは虎ノ介を存分にたのしませた。 僚子に教えられ、準が喉奥での愛撫をはじめたころには、虎ノ介 にはわずかの猶予も残されていなかった。 虎ノ介はあっけなく準の口中へと射精した。 ﹁っっ!?﹂ 不意の吐精に準はむせた。 男を知らぬ準には、射精の前触れなどわかりようもなかった。 しかしそれでも準は口を離そうとはしなかった。 僚子の云いつけどおり、虎ノ介の衝動をすべて喉奥で受け止めて いった。 くるしげに涙を浮かべながらも、男の精を無理矢理に飲み下して フェラチオ いく。 口淫による射精は口内で受け、そしてできるかぎり嚥下する︱︱。 こうした僚子と朱美の哲学は、準へもまた受け継がれていた。 虎ノ介はじんとしびれるような、重ったるい快感を味わいながら、 253 無意識のうちに腰を突きあげた。 喉奥を突かれ、準がうめく。 うめきながらも、準はペニスを銜えたまま愛撫もやめなかった。 やわやわと陰嚢をもみほぐしつつ、尿道に残った精液を吸い出し ていった。 そんな準を見て、僚子と朱美は満足げな笑みを浮かべた。 虎ノ介は。かすかに腰をふるわせ、ただぼんやりと虚空を見つめ ていた。 ﹁んふ︱︱﹂ ちゅぱちゅぱと、室内には準の息づかいだけが、しめやかに聞こ えている。 ◇ ◇ ◇ しばらくの休憩のあと。 虎ノ介はふたたび準と向かいあっていた。 準を女にする。 虎ノ介には仕事が残されていた。 ﹁もう一度だけ訊くけどさ。ほんとうにおれなんかでいいの? お れなんかが好きなの? おれ、キミに好かれるようなことは何もし てないと思うけどな﹂ 虎ノ介は訊いた。 ただの確認である。 準を抱くことへの抵抗感はすでになかった。 254 衝動のまま準を奪い、引き裂き、犯す。 女の象徴である子宮へ己が精を思う存分にそそぎ、魂までも染め あげる。 そんなドス黒い欲求が、虎ノ介のなかには渦巻いている。 ﹁虎ノ介さんはやさしくて、あたたかいひとです﹂ こう云って準は虎ノ介の口へ、己から唇をよせた。 軽く口づけをしながら、 ﹁理由なんてそれで充分です。どうして好きになったかなんて、そ んなのぼくにもわからない﹂ ﹁そ、そう﹂ ﹁でも好きです。好きになりました。虎ノ介さんがぼくを抱きあげ てくれたあのときから、きっとぼくはあなたに恋している︱︱﹂ 潤んだ目でささやく。 ﹁ぼくはあなたのものだ﹂ 虎ノ介は大いに照れた。 元々、女性に想われたことの少ない虎ノ介である。 こうした直截な好意は彼の心を強く惹いた。 って云ってるよね。前は わたし っ そばでは年上の女たちが、にやにやと、やり取りをながめている。 ﹁そ、そういえばさ﹂ ぼく ごまかすように虎ノ介は話を変えた。 ﹁キミ、さっきから 255 て云ってなかったっけ?﹂ ﹁あ、それは﹂ 準はうつむき、不安そうな目つきをした。 256 専門学校生、水樹準の場合 その8 ﹁や、やっぱりおかしいですか?﹂ ﹁おかしくはないよ。ただどうしてかなと思って﹂ 準はみずからの身体をかきいだくようにし、 ﹁い、いじめられてたんです﹂ と云った。 指先で耳をさわる。銀色のピアスがかすかに揺れた。 虎ノ介はだまって言葉のつづきをまった。 ﹁ちいさいころから、まるで男の子みたいだったんです。見た目も 話し方も、男の子みたいだってよく云われてました。自分でもあま り女の子っぽいことに興味なかった。たぶん、お父さんの影響だと 思うんですが﹂ 父親の言葉づかいなのだ、と準は語った。 ﹁お母さんはいそがしいひとで、あまり家にいなかったけど、お父 さんはいつもぼくのそばにいてくれました。お父さんが大好きだっ って云うようになってました。お父さんは直してもらいたか たぼくは、楽器や歌を真似して練習して。気づけば自分のことも ぼく ったみたいだけど、お母さんやお祖父ちゃんたちはべつにかまわな いって云ってくれてた﹂ むかしをなつかしむ風に微笑む。 257 女なのにぼ って。⋮⋮吃驚しました。そんなことで否 びっくり ﹁小学生のとき、学校で男子にからかわれたんです。 くなんて変だ、男女! 定されたのははじめてだったから。そのとき自分や家族とはちがう、 それ以外の外界があるんだって知ったんです。ぼくはあまりに外の 世界に無頓着だった。だれもが家族とおなじで寛容だと思ってた。 過ちをすれば怒られるのは知っていたけど、それ以外のことで他人 に攻撃されるなんて思ってなかった。ぼくはあわてて言葉を直しま した。家族以外の前では、できるだけ、ひととずれないように気を つけました。でも一度そう思われてしまうと、ちいさい子供たちっ てなかなかゆるしてくれないんです。それから事あるごとにからか われるようになりました﹂ 準の目はだんだんと昏いものになっていった。 ﹁特に最初に云いはじめた子が全然ゆるしてくれなくて。あのとき はいやだったな﹂ その子は不器用だったのだろう、と虎ノ介は思った。 子供なりの、つたない関心の表し方であったのだろうと。 虎ノ介は年上のふたりへと視線を向けた。 見れば朱美と僚子もまた複雑な、娘か妹を慈しむような表情を浮 かべていた。 ﹁ぼくは嘘をつくことにしました。普段の自分と、外の自分とを完 全につかいわけるようにしました。女らしくあるように心掛けまし た。そうしたら、どうしてか︱︱今度は女の子たちから無視される ようになったんです。可愛い子ぶって男子に媚びていると云われま した、ふふ﹂ ﹁ああ、そうきたのか﹂ 258 虎ノ介は実に気の毒な思いがした。 準ほどの容姿であれば、同性から僻みや妬みの対象とされるのも また、さもあらんと思えた。 だが本人はまったく意識していなかったのだ。 自分は男性的で魅力などないと考えていた。 混乱するのも無理からぬことであったろう。 虎ノ介は準の頭をなでた。 準はうれしそうに目をほそめた。 ﹁もちろん、そんなひとばかりじゃなかったんです。でも⋮⋮いつ からかな。ぼくはもう外の世界に興味を失ってて。⋮⋮高校にはい るころには口も利かず表情もできるだけ出さないようにしてた﹂ 準は虎ノ介の目を見つめた。 ﹁だから虎ノ介さんといっぱい、ちゃんと話したいって思うと、な んだかうまく話せないんです。ついお祖父ちゃんやお祖母ちゃんと 話すときみたいに、素の言葉になってしまって︱︱﹂ そう云って、準は話を終えた。 虎ノ介は準は抱きしめた。 虎ノ介のなかに、準を憐れむ気持ちが強く起こってきた。 家族にしか心をひらけなかった少女が、飛行機事故でいっぺんに 両親を失った︱︱。 そのときの哀しみは如何ばかりだろうと想像してみた。 虎ノ介は準のしあわせを願わずにいられなかった。 ﹁と、虎ノ介さん?﹂ ﹁おれに﹂ 259 虎ノ介は云った。 ﹁おれに、何かしてほしいことがあるか?﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁なんでもいいよ﹂ きゅ、と準は虎ノ介の首へまわした手に、強く力をこめた。 ﹁そばに置いてください。ぼくを虎ノ介さんのそばに、ずっと﹂ 虎ノ介はうなずき、準へ静かにキスした。 そのまま押し倒す。 準は抵抗せずされるがままとなった。 ﹁すぐ入れてもだいじょうぶよ﹂ 朱美が云った。 虎ノ介の休んでいたあいだ、準の体は僚子と朱美によって、丹念 にほぐされてある。 つるつるの股間は潤み、男の来訪をまちわびている。 虎ノ介は準の陰唇を割りひらき、おもむろに己のイチモツをあて た。 ﹁あっ⋮⋮﹂ 準のもらした吐息は期待に満ちていた。 ひらかれた花弁はしきりに涙を流して、虎ノ介の視覚に訴えかけ ている。 260 ﹁パイパンってエロい﹂ ひおん ごくちいさな声で独りごち、虎ノ介はそのだれも踏み入ったこと のない桃色の秘苑へとすすんだ。 己が分身を押しこんでいく。 予想していたよりも遥かに強い抵抗感に、虎ノ介は汗を流した。 ﹁んっ︱︱﹂ 眉宇をひそめ、準は苦悶の声を発した。 ﹁きついな﹂ つぶやき虎ノ介は腰をもどした。 無意識に準の腰が引けるのもあって、虎ノ介はずいぶんとやりに くさを感じた。 慣れていない相手とはこれほど面倒なものか、そんなことを考え た。 苦い表情を浮かべる虎ノ介に、 オナニー ﹁準くんは最近まで自慰もしたことがなかったそうだよ﹂ こう云ったのは僚子だった。 ﹁そ、そうなの?﹂ ﹁ああ﹂ は うなずき、僚子はやさしい視線を準に向けた。 ﹁云っておきたまえよ﹂口の端を歪める。 準は実に申しわけなさそうに虎ノ介を見やってから、 261 ﹁こ、この前、泊めてもらった日にはじめて、その、しました。そ れからは毎日︱︱﹂ 消え入りそうな声で白状した。 ﹁へ? この前? って、え、あの夜か﹂ おお 虎ノ介はおどろき、間の抜けた声をあげた。 準は耳まで朱くし、顔を腕で覆った。 ﹁ご、ごめんなさいっ。虎ノ介さんがつらそうだったのに、ぼ、ぼ く我慢できなくて、つい︱︱﹂ ﹁あ、いや⋮⋮﹂ 虎ノ介はなんと答えてよいかわからず、言葉を濁した。 ﹁まあ、その、いいけど﹂ ほっぺた 頬辺をかき、思案する。 ﹁ん⋮⋮じゃあ、ほんとうに手つかずなのか。⋮⋮おなじ処女でも だれかさんとはえらいちがいだな﹂ ﹁おい﹂ ジト目でにらむ僚子へ﹁冗談﹂と愛想笑いを返しつつ、虎ノ介は ふたたび準の股間へとペニスをあてた。 ﹁もっと強引にいきたまえな。ちんたらやってちゃ終わらないぞ﹂ ﹁ん、でも﹂ 262 ﹁何、多少痛くったって死にはしないさ。チ○ポ入れたくらいでわ めいてたら子供など生めない﹂ ﹁またそうゆう身も蓋もないことを﹂ ︱︱と。苦笑する虎ノ介の手を、準がにぎった。 ﹁だいじょうぶですから。虎ノ介さんの好きなように引き裂いて⋮ ⋮ぼくを犯してください﹂ 準は、これが彼女の地であるのか、けなげな性分を存分に発揮し ていた。 虎ノ介はそんな彼女を愛おしく想った。 彼女を欲してペニスが、ぶるりとふるえた。 ﹁じゃあいくけど。どうしても無理そうだったら云いなよ﹂ 云って、虎ノ介はペニスを花芯へと押しこんでいった。 ﹁ふッ⋮⋮ンン⋮⋮く﹂ ﹁力を抜いて﹂ ﹁は、はい﹂ 準のひたいに、たちまち玉のような汗が浮かんできた。 虎ノ介はその汗を手でぬぐってやった。 ゆっくりと、だが着実に腰をすすめた。 白魚のような体が逃げようとするのをつかまえ、なかば無理矢理 に自身の肉棒を打ち立てていく。 苦痛に歪む準の姿は、虎ノ介に憐憫の情と、昏いよろこびとを同 時にもたらした。 準のような美少女が苦痛に耐えてまで、自分のモノになろうとし 263 ている。 この優越感は彼の興奮を激しく駆り立てた。 怒張はますます硬く、大きく、自己を主張した。 ⋮⋮そして。 すこしの時間のあと、虎ノ介は準の最奥へと達した。 準の目からひとすじの涙がこぼれた。 結合部から流れた血は、シーツを紅く濡らしていた。 ﹁だいじょうぶ?﹂ ﹁だ、だいじょうぶです﹂ 虎ノ介の問いに、胸をはずませ答える。 準の目には虎ノ介の女になったというよろこびが、はっきりとあ らわれてきていた。 ﹁これでぼくは﹂ ﹁ああ。キミはおれの女だ﹂ 虎ノ介は準のひたいへキスをあたえた。 準は虎ノ介の腰と足へ、みずからの両足をからませた。 ﹁うれしい︱︱。これが、これが虎ノ介さんか。とても熱いものが、 ぼくのなかにある﹂ きゅん、と準の蜜壷がふるえた。 ﹁うう﹂ ﹁? どうしました?﹂ ﹁いや⋮⋮﹂ 264 先刻から味わっている準の膣内の感触。 その強烈な締めつけ。 顔にこそ出さなかったものの、虎ノ介ははやくも射精の欲求に襲 われていた。 気を抜けば、すぐにでももらしてしまいそうな、そんな締めつけ であった。 せまい膣洞のせいで生じる、ややもすると痛みさえ感じられるよ うな圧迫。 おそらくは処女だからというだけでなく、準の性器自体、元々せ まいつくりになっているのだろうと虎ノ介は判じた。 僚子も相当に締まりのよい名器であったが、こと締めつけの強さ だけで云えば、断然準に軍配があげられる。 しかし準のそれには、僚子や朱美のような味わい︱︱男をたのし ませる熟成された女の豊かさはなかった。 朱美のつつみこむやわらかさもなければ、僚子の、生き物のよう にうねり飲みこんでくる貪欲さもなかった。 すべてが青く未成熟な果実の味であった。 ︵これはこれで個性か︶ ついほかの女とくらべてしまう。 虎ノ介は尻に力をこめた。 わずかに準が腰をうごかした。 ﹁お、おい﹂ ﹁ッ⋮⋮だ、だいじょうぶです。男のひとは、うごかないと気持ち よくなれないんですよね。ぼくはだいじょうぶですから、虎ノ介さ んもうごいて、いいですよ﹂ おれがだいじょうぶではない、と虎ノ介は内心で悲鳴をあげた。 265 すさまじい締めつけが、今も虎ノ介のペニスにはくわえつづけら れている。 準の腰のうごきにともなって、虎ノ介の顔には痛憤とも焦燥とも うっとり 歓喜ともつかぬ色があらわれてきている。 いたみ 準はそんな虎ノ介の顔を恍惚とした目で見つめている。 まさ 準のおもてには苦痛よりも、虎ノ介とひとつになれたことへのよ ろこびが優ってあらわれている︱︱。 準が口を半開きにして、そこから舌をのぞかせた。 口づけ、舌をからませながら虎ノ介は観念した。 ︵ええい、やっちまえ︱︱︶ 266 専門学校生、水樹準の場合 その9 準の体に対する気づかい、膣内射精への不安、準を置いて自分だ もろもろ け達したくないという男の見栄。 そういった諸々の考えを投げ棄て、虎ノ介は腰をつかった。 強引に、劣情のおもむくまま腰を振りたてる。 準の身体が強張りを見せる。 カウパー だがその強張りも口内と膣内を蹂躙されるうち、やがて消えてい った。 唾液と先走りを丹念に流しこまれ、くぐもった準の声にだんだん と甘いものがまじるようになってきた。 くちくちと、結合部からはしめった音がもれ出てきた。 ﹁フー∼∼∼ッ。フー∼∼∼∼∼∼ッ。ふぅんッ? ンっンっ﹂ 鼻息を荒くしながら、準は虎ノ介の身体にしがみついている。 虎ノ介は準のほそやかな腰を折れんばかりに抱きしめ、ペニスの 出し入れをしている。 虎ノ介の背には、準の手による引っかき傷ができつつある。 ﹁い、いつになく情熱的だな、虎ノ介くん﹂ ﹁そ、そうね。準くんもよくなってきてるみたい﹂ ふたりの交合をながめ、僚子と朱美は言葉をかわした。 ギャラリー うらやましい、と喉を鳴らしたのは、はたしてどちらであったの か。 ⋮⋮虎ノ介と準は、観客の存在も忘れ、たがいをむさぼっている。 267 ︵おれのだ。 なか これ もの はおれの女だ︱︱︶ 虎ノ介の裡、獣が咆哮していた。 だれにも渡さぬ。 この女を犯していいのは自分だけだと、自己保存の本能に根差し たエゴイスティックな欲求が、炎のように燃えさかっていた。 ﹁あンっ! あンっ! ンっ! ひあっ♥﹂ 男の乱暴な愛撫に応える準もまた、すでに初心な乙女ではなかっ た。 降りかかる熱と情欲をその身に受け止め、それでもなお快楽にふ るえる一個の牝へと変貌しつつあった。 より深く虎ノ介につながろうと、みずから積極的にうごきはじめ てもいた。 ﹁好きっ、好きですっっ、虎ノ介さん!! ひっ♥♥﹂ ﹁準くん。うあ︱︱﹂ ﹁だめだ、くるっ、くる。⋮⋮まだ、まだ虎ノ介さんがイってない のにっ﹂ 準が叫ぶ。 虎ノ介はこくこくと必死な表情でうなずいて見せた。 彼はもはや限界を超えつつあった。 なか ﹁イクよ。おれもイク。だから足をはずしてっ﹂ ﹁きてっ。きてください、ぼくの膣内に射精して。たくさん出して くださいっ﹂ ﹁くっ、準っ﹂ ﹁すごい⋮⋮こんな、こんなの⋮⋮はあぁぁぁぁッッ♥♥♥﹂ 268 準の絶叫を聞きながら、虎ノ介は射精した。 どぷりと、大量の精子が準の子宮めがけ、すさまじいいきおいで 放出される。子宮口にほとばしりを受け、準もまた絶頂に達した。 ﹁んんんんぃ∼∼∼∼∼∼∼ッッ♥♥♥﹂ おとがいをそらして準はうめいた。 つまさき ほそい脚が虎ノ介の体へ、強くからみついた。 爪先をまるめ全身をつっぱらせる形で、彼女はふるえた。 噴き出した白濁は、準の膣と子宮をたっぷりと汚していった。 結合部からあふれた精液がシーツへとこぼれ落ちた。 ﹁うわあ⋮⋮。準くん、はじめてなのにすごいイキっぷり。淫乱の 素質あるなァ。⋮⋮あ、イクとき、足先まるめるのね。わたしとお んなじ﹂ ﹁ふむ。わたしはむしろひらきますね、足の指。こう、ひらいたま まのばす感じで﹂ ⋮⋮外野のふたりはあくまで落ちついている。 虎ノ介は、激しい快感に気が遠くなった。 自然と体がふるえ、かくりと力が抜け落ちた。 ﹁あ、やば﹂ 変調に気づいた朱美が、あわて虎ノ介の体をささえた。 ﹁虎くん、虎くん? ⋮⋮あああ、落ちてる。こいつぅ、またアル コール入れたなァ﹂ ﹁な!? おいまて、寝るなっ。キミが落ちたらわたしたちはどう 269 なる。ここまで焦らされておあずけなんていやだぞ、おいっ!?﹂ 虎ノ介のペニスはいまだ牡液を吐き出しつづけている。 準はうつろな目をして、子宮にそれを受け入れている。 ⋮⋮朱美と僚子、ふたりの声も、虎ノ介にはもはやとどいてはいな かった。 ◇ ◇ ◇ ﹁というわけで。そのあと、ふたりとも怒っちゃって大変だったん です﹂ ︱︱数日後。 虎ノ介は準からその後の顛末を聞かされていた。 今、虎ノ介は準のベッドの上で仰向けに寝そべっている。 その上に準が覆いかぶさる形で乗りかかっていた。 ふたりとも全裸である。 ﹁だろうね。だって最近、まともに口利いてくれないもの、あのふ たり﹂ レジュメ 朱美にはぶちぶちと嫌味を云われ、僚子には無言でアルコール依 存治療の要約を渡されたりしている虎ノ介であった。 ﹁おれ、そんな飲む方じゃないンだけどな﹂ ﹁ふふ⋮⋮﹂ ﹁参考までに訊くけど、その後ふたりに変なことされなかった?﹂ ﹁ぼくがですか? それとも虎ノ介さんが?﹂ 270 いたずらな目で、準は微笑んだ。 ﹁い、いや。どっちも﹂ ﹁ぼくはべつに。虎ノ介さんは⋮⋮そう、とても云いにくいのです が、その、すごいことになってました﹂ ﹁ああ⋮⋮やっぱりそうなんだ﹂ ﹁はい。⋮⋮大レイプ祭りという感じでしたから﹂ ﹁ああ、道理で朝起きたら、ち○ちん痛いはずだ。夢だと思ってた けど、アレ現実だったのか﹂ ﹁あはは。知ってたんですね、されてたの﹂ ﹁記憶はあやふやなんだけどね。しかし寝てるとこ無理矢理犯すと か、ひととしてどうなんだ。⋮⋮一応訊くけど、避妊は?﹂ ﹁まったく。すべて生で膣内射精でした。意趣返しで妊娠してやる と云ってましたから﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁このあいだので、もしかすると、ぼくら全員妊娠したかもしれま せんね﹂ 虎ノ介は目頭を押さえた。 何やら目眩がする思いであった。 準は虎ノ介の喉や口の周りを、じゃれつく犬のごとくしきりと舐 ロールプレイ めている。⋮⋮はじめての日以来、彼女は虎ノ介にペットとしてあ バック つかわれるのを︱︱そういったなりきりのセックスを好んでいた。 云わば擬似獣姦である。 人間の言葉を解さぬ犬を虎ノ介が後背からつらぬいて犯す。 こうした倒錯したセックスが、準に強い興奮と安心をあたえるら しかった。 そうして犯されたあと、しばらく﹁クゥン⋮﹂とか﹁ハゥハゥ﹂ などと云って、虎ノ介に甘えかかる準なのである。 271 ﹁いいじゃないですか。ぼくらはみんな虎ノ介さんのものだ。虎ノ 介さんに愛されて、その結果孕んだとしても問題なんて何もありま せん﹂ 虎ノ介の匂いをかぎつつ、準は云った。 ﹁い、いや、問題大アリですよ、準さん?﹂ 変態でも見るような目で、虎ノ介は引いた。 もし三人のうち、ひとりでも妊娠したなら、さすがにそのときは 敦子や舞に報告しなければなるまい。 そのことを考えるだけで、虎ノ介は気が滅入ってくる。 激怒する舞と、つめたい笑みを浮かべる敦子がまぶたに浮かんで くるようであった。 ⋮⋮ハーレムなどと云い出した僚子を、つくづくうらめしく思って いる虎ノ介である。 ﹁だけど、もう手放せるわけもない﹂ うめくようにつぶやく。 準も、朱美も、僚子もすべて等しく己のものであるという認識。 こうした子供じみた独占欲を、虎ノ介はすでに三人にいだいてし まっている。 自分が複数の女と関係することを当然とする一方、彼女たちが自 分以外と肌をあわせることには強烈な抵抗感があった。 べつの男に心ゆるす彼女らを想像してみるだけで、虎ノ介は嫉妬 で胸のかきむしられる思いがした。 伊織との別れが、彼に異常なまでの恐れと執着とをいだかせてい た。 272 それは愛などと呼べる代物ではなかった。 モラル それはまさに怨念だった。 虎ノ介は、自分の倫理観がここにきて、急速に失われていること を思わずにいられなかった。 ﹁あー、なんかおかしくなってるのかな、おれ﹂ うれい 深く溜息をつき、虎ノ介は頭をかかえた。 三番目の恋人は、そんな虎ノ介の憂愁など気にも留めぬ様子で、 うれしげにその身をすりよせている︱︱。 273 幕間 島津僚子の日常 着替えを終えた僚子がロッカールームを出てまずしたのは、コー ヒーを飲むことだった。 ナース 機能の低下している脳をカフェインと糖分で無理やりに起こす。 僚子にとっては当直明けに行うお決まりの儀式である。 自販機前の椅子に腰かけ、ひとりコーヒーを飲む僚子を、看護婦 のひとりが認め近寄ってきた。 普段から他人の噂話が好きな、若くかしましい娘である。 いやな相手に見つかった、と僚子は内心で舌打ちをした。 ﹁おはようございまぁす﹂ 看護師が挨拶した。 妙に間延びした、媚びた声だった。 ﹁おはよう﹂ ﹁島津先生、今お帰りですか?﹂ ﹁ああ﹂ ﹁昨日も当直だったんですかあ? すごいナァ、島津先生って今月 鉄人 と呼ばれるだけのことはありま だけでもう相当してますよねぇ?﹂ ﹁そうだったか﹂ ﹁そうですよぉ。ウーン。 すね﹂ ﹁鉄人?﹂ なんだそれは、と僚子は眉をひそめ尋ねた。 274 ﹁知らないんですか? 葛ヶ原病院の鉄人 津僚子︱︱って有名ですよぅ﹂ ﹁は。無限の体力、ね﹂ 、 無限の体力 ややあきれ気味に云って、僚子はコーヒーを飲んだ。 島 うら若き乙女に対して失礼な話だ、といささか腹の立つ思いがし た。 ﹁たいしたことじゃないさ﹂ 云われたからやってるだけだ、こう云って、僚子は席を立った。 飲み干したコーヒーのカップをつぶし、ゴミ箱へと放る。 ﹁そうですかあ。でも島津先生くらい仕事ひとすじだと、プライベ ートもほとんどなくて恋人とかつくれないんじゃないですか?﹂ ほらきた。︱︱笑いたくなるのをこらえ、僚子は相手を見た。 ゆっくりと眼鏡の位置を直す。 僚子の、涼やかな目に見つめられて、相手は緊張した顔つきにな った。 僚子は哀しそうな目つきをして。 ﹁そうなんだよ。こういそがしいとやはり、ね﹂ 残念そうに云ってみせた。 親しい人間ならいざ知らず、職場の人間に自分の異性関係を教え るつもりなど僚子にはなかった。 ただでさえあの愛する青年とは複雑な関係をむすんでいる︱︱。 ﹁ほう、島津先生はフリーですか。やあ、それはよいことを聞いた 275 なあ﹂ 僚子の言葉を受けたのは、看護師ではなかった。 すこし離れた場所に、白衣を着たひとりの男が立っていて、僚子 はそちらに顔を向けた。 ﹁秋田先生﹂ 男は僚子の同僚で、名を秋田と云った。 いわお 腕の立つ外科医であり、年は四十そこそこ、僚子と同様にタフな 男である。 がっしりとした巌のような体躯で、ふとい眉にふとやかな鼻、穏 やかな目。 あごには無精ひげを生やしている。 どこか熊を彷彿とさせる男で、その邪気のない豪快な人柄には僚 子も好感をいだいていた。 ﹁どうです。今度ふたりでメシでも食いにいきませんか。冴えない ぼくなんぞでは、島津先生に見劣りするかもしれませんが、そこは それ。こう見えて女性を退屈させることだけはないと自負してます よ﹂ 野太い声で秋田は笑った。 ﹁はぁ。いや、わたしは︱︱﹂ ﹁あれ? でも僚子先生、年下の恋人さん、いますよね?﹂ さえぎったのは例の看護婦だった。 ﹁っ!?﹂ 276 ﹁ほう﹂ 興味深げな目つきで、秋田は僚子と看護婦とを見くらべた。 ﹁今の今まで、忘れてましたけど。このあいだ葛原の駅で男の子と 抱きあってるの見ちゃったんですよね、わたし﹂ と。どう考えても忘れていたとは思えない口ぶりで、彼女は云っ た。 ﹁︱︱︱︱﹂ 失敗した、と僚子は思った。 別段、知られてこまるものでもなかったが。虎ノ介の顔を、この 噂好きの女に見られたことだけは僚子にとっていささか不愉快であ った。 僚子は、虎ノ介をあくまで自分の手のなかに置きたいと考えてい た。 管理人の敦子が、片帯荘の住人限定で彼と関係を持つことをゆる ゲマインシャフト したのも、おそらくは同様の理由だろうと思っている。 一種の家族的な共同体とでも云おうか。 そういった枠のなかで自由をあたえることによって、結果的に虎 ノ介を逃がさぬよう囲いこむつもりなのだろうと、僚子はひそかに 推測していた。 片帯荘の牝たちをあてがうことで。 彼が気づかぬうち、片帯荘という檻にとじこめるつもりなのだ、 と。 どうして敦子がそれほどまで彼に執着しているのかは知らなかっ たが、彼と相性のよさそうな人間を意図的に配置していたのは、ま 277 ず間違いないように思われた。 くわえて片帯荘の住人たちもまた、彼を捕らえるために都合のよ い性質を備えているのだった。 強烈な独占欲でもって、虎ノ介を支配しようとする人間は、僚子 の知るかぎりあのアパートにはいない。 みな、自分を愛してもらえるならば、多少のことには目をつむる ような、けなげな女たちである。 僚子自身、相手が玲子や朱美や準であるならば、虎ノ介がまじわ ってもかまわないと考えているのだ。 唯一、障害になりそうなのは舞だったが、それも敦子がなんとか するのだろう。 ⋮⋮ともかくも、僚子はその計画に乗ろうと考えていた。 虎ノ介のハーレムをつくりあげる︱︱。 つまりはこの一事である。 虎ノ介は今や僚子にとって重大な位置を占めるパートナーとなり つつある。 それを手放す気はさらさらなかった。 あまり表には見せないでいるが僚子の虎ノ介に対する愛着は相当 に強く存在している。 男にふ振られつづけてきたせいだろうと、僚子も己の異常さにつ いて自覚している。 ︱︱想いびとを手に入れる、そのためにはなんでもしよう。 逆を云えば、こうした偏執的な考え方こそが、僚子や敦子の強い 支配欲︱︱歪みのあらわれであると云えた。 そしてそういった部分すら見越して自分を配置したフシのある敦 子に、僚子は舌を巻かずにいられないのだった。 ︵邪魔は入れたくないな︶ 278 僚子は考える。 計画ははじまったばかり。 大事なときである。 もうすこし安定したあとならばよいが、今はまだ不確定要素を入 れたくはない。 発情した匂いを、むやみやたらと撒き散らす若い牝など︱︱。 まして、それが他人から嬉々として男を奪い、食い散らかすよう な、ふしだらな牝であるならばなおさら。 ﹁純朴な雰囲気の子ですよねえ。どこで知りあったんですかぁ? 一度紹介してくださいよぉ﹂ そう、女は云った。 虎ノ介には絶対に見せぬようなつめたい目で、僚子は相手を静か に見つめたのだった︱︱。 ◇ ◇ ◇ ﹁僚子さんは﹂ 云いつつ、虎ノ介は腕に持った本の束を、乱暴に床へ置いた。 ﹁どうして、こんなに部屋をすぐよごすんですか﹂ あきれた様子の虎ノ介に、僚子はベッドの上で寝返りを打ちなが ら、 279 ﹁仕事がいそがしいんだ。片付ける時間がないのだよ﹂ と答えた。 まどろみのなか、愛しい男を見つめ手をのばす。⋮⋮僚子は裸で あった。 ﹁こっち﹂ ﹁それにしたってですね﹂ ﹁こっち﹂ ﹁おれ、一週間前に片付けてあげたばかりじゃないですか﹂ ﹁部屋なんて、一週間もあればよごれるさ。エントロピー増大の法 則だよ。⋮⋮もう、いいからこっちへきてくれ﹂ ﹁はいはい﹂ 仕方ないといった風情で、虎ノ介はベッドにあがった。 ﹁ん、キス﹂ ﹁はい﹂ 身体をよせた虎ノ介に、僚子はキスをせがんだ。 虎ノ介は逆らわなかった。 ﹁ん⋮⋮﹂ ふたり、唇をあわせる。 虎ノ介のキスはやさしく。相変わらずぎこちなかった。 僚子はすぐに自分から舌を送りこみ、主導権を奪った。 ﹁ん、ふ⋮⋮﹂ 280 ちゅばちゅばと音を鳴らす。 どちらがどちらの息で、どれがだれのつばか。 それがよくわからぬ風になるまで、たいして時間はかからなかっ た。 自分の身体が汗で濡れてくるのを、僚子は感じた。 ﹁ふ、ふ、こうして抱きあってると、しあわせだな﹂ ﹁そうですね﹂ ﹁服、脱いで﹂ ﹁うん﹂ 虎ノ介の服を剥ぎ取りながら、僚子はキスをつづけた。 ネクタル 歯列を舐め、唇を甘噛み、舌を吸う。 アムリタ 僚子にとって愛する男の体液は、霊酒である。 甘露である。 それは精液であろうが、小便であろうが、つばであろうがおなじ である。 虎ノ介があたえてくれるなら、血であったところで僚子は飲むだ ろう。 彼女はそう思っている。 それを虎ノ介に告げたことはない。 だが僚子は心中で決している。 虎ノ介が望むなら、それがどんなことであれ拒むまい、と。 虎ノ介に処女をささげた日、僚子が己に誓ったことである。 ︵だが︱︱︶ と、一方で僚子は考える。 ︵虎ノ介くんが無理を云うことは、この先ほとんどないだろうな︶ 281 一抹の寂しさが、僚子の胸をかすめた。 短いつきあいではあるが、僚子は虎ノ介の性質をおよそ理解して いる。 弱い男だ。 傷つきやすく、自尊心が低く、喪失感をいだいている。 自分を低く見積もっているがゆえに、他人を恐れ、大切にする。 さけび それは切実な努力である。 涙ぐましい咆哮である。 実に憐れむべき性質である。 あるいはそれを自己愛と云う向きもあろう。 しかしそう云って彼の弱さを否定することは、少なくとも僚子に はできなかった。 それはあまりに人間を知らぬやり方のように思えるのだった。 僚子は己が強いことを知っていた。 他者を愛し、いたわり、傷つけ、踏みつぶす。 それをみずからの意思で行うことになんの躊躇もない。 その過程で生じた犠牲も痛みも、それが自身の選択の結果である なら、易々と飲み干してみせるだろう。 たぐい 己の方向性になんらの疑問もいだかぬ。 島津僚子はそういう類の人間である。 自己の能力と限界を見極め、その範囲内で最善の結果を導くよう 行動ができる。 そこには不安も恐怖もなく、ただ意思だけがある︱︱。 久遠虎ノ介はその点、真に脆弱であった。 しかしだからこそ。 真に強い僚子には、そうした虎ノ介を否定することもまたできな いのであった。 282 ﹁くっ⋮⋮ひっ⋮⋮くッ⋮⋮んん、んんんん♥﹂ 淫らに腰を振りたてながら、僚子は虎ノ介の愛撫に応えた。 こご 虎ノ介は幼子のように無心で、僚子の膣洞を指でいじっている。 ぬめる液体が、虎ノ介の指にからみ凝っている。 ﹁もう、もう入れてくれ﹂ コンドーム 息も絶えだえに、僚子は哀願した。 虎ノ介はうなずき、避妊具をつけた。 283 幕間 島津僚子の日常 その2 ﹁前から訊きたかったんですが︱︱﹂ と、虎ノ介は、女の子座りでいる僚子に向かって云った。 ﹁どうして、おしっこなんか欲しがるんですか?﹂ 僚子の眼前に立つ虎ノ介は、ペニスを揺らしながら、当惑した目 で僚子を見ていた。 越してきてからというもの、毎日のように女と身体を重ねてきて いる虎ノ介であった。 朱美との母乳プレイや、準とのワンコプレイ、僚子と排便を見せ あうのにもそれなりに慣れてきて。 彼がセックスで躊躇を見せることはほとんどなくなりつつある。 が︱︱ ﹁どうにも、こればっかりは慣れません﹂ と、虎ノ介は、これから行われる行為について愚痴をこぼした。 一〇五号室のバスルーム。 ぶっかけ そのなかにあって、僚子と虎ノ介︱︱性交を終えたふたりは全裸 のまま、たがいに向きあっていた。 りこう 僚子はほとんど恒例ともなった、自身への放尿を虎ノ介に要求し ていた。 彼女はいつもの、悧好で年上らしい情愛に満ちた目つきをして見 せて。 284 ﹁どうしてと云われてもね。キミのが欲しいから、という理由では だめかな? わたしとしてはキミの出すのを見たり、浴びるだけで このうえなく興奮するし満たされるのだけれど﹂ セックスとはまたちがうよろこびがある、と答えた。 ﹁まったくもってよくわからない﹂ 虎ノ介は云った。 僚子もそれを否定する気はない。 自分でも説明のできない衝動が彼女にはある。 ﹁あの、ちょっとつかぬことを訊きますけど﹂ 虎ノ介はさらにつづけた。 ﹁もしかして、普段もやってるんですか?﹂ その表情には、何か恐ろしいものを見るようなところがあった。 僚子は質問の意味がつかめず、﹁普段?﹂と問い返した。 ﹁普段とは?﹂ ﹁ええと、だから、そのう︱︱﹂ 虎ノ介はわずかに口ごもった。 ﹁いつもひとりでいるときは、どうなのかなって。⋮⋮たとえばお れが越してくる前とか、僚子さんはいったい、どうしてたのかな﹂ ﹁ふん?﹂ 285 ﹁僚子さん、おれとつきあうまで彼氏いなかったんですよね?﹂ ﹁ああ、そうだよ﹂ ﹁ということはつまり、おしっこかけたりしてくれる相手もいない ワケで﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁てことは、自分で自分のを飲んだり、とか⋮⋮?﹂ ﹁な︱︱﹂ ここにいたり、僚子も質問の意味を理解した。 つまり虎ノ介は、僚子が自分を慰めるためにひとりスカトロプレ イにいそしんでいたのではないか︱︱こうした疑念をいだいていた らしく。 ﹁バ、バカかキミは。そんな、自分で自分の飲んだり、食べたりす るわけないだろう。そこまで変態じゃないぞ、わたしはっ﹂ あわてて僚子はその疑惑を否定した。 自分のなかにある、めずらしくゆずれぬ部分を問われた気がした。 虎ノ介にだけはそんな誤解をされたくない、と僚子は思った。 ﹁し、してない?﹂ ﹁してないっ。断じてしてないっ。名誉にかけて誓うが、わたしは 自分の排泄物には一切興味がない!﹂ ﹁え、そうなの?﹂ ﹁そ、そうなのって︱︱あ、あたりまえだろう。こういうのは好き なひとのだから興奮できるんであって、糞便ならなんでもいいと云 うのじゃ︱︱い、いや、なかにはそういった剛の者もいるかもしれ ないが。少なくともわたしはちがう﹂ それを聞いて、虎ノ介はあからさまに安堵の色を見せた。 286 ﹁そっか。それを聞いて安心した。僚子さんが今より上のステージ の住人だったらどうしようかと﹂ ﹁む。な、なんだい。その顔は。⋮⋮キミ、もしかしてわたしが自 家製カレーや特製ハヤシに一家言あるとでも思ってたのか﹂ ﹁そのたとえやめてくださいよ⋮⋮。いや、そういうわけじゃない ですけどね。もしそうだったらこの上なくヤダなぁ、と﹂ ﹁ばかばかしい。だいたいな。おしっこはともかく︱︱や、おしっ こも、ほんとうはよくないが︱︱そこはまあ、置いておくとしてだ ね。それにしても大きい方はキミ、相当危険なんだぞ? 下手をす れば、死ぬ﹂ は ちょんと、僚子は手で首を刎ねる仕草をした。 ﹁そうなんですか﹂ うへぇ、と顔をしかめる。 虎ノ介はつかれたように僚子の目前にすわった。 ﹁ああ、有害な細菌や病原体がてんこもりだ。元々不要だからこそ、 体外に排出されるのだからね。それを再度取りこむなんて、ばかげ た真似をしてはいけない﹂ 医者として、わたしは絶対に推奨しない。 僚子は力強く云った。 ﹁小便を飲むのは﹂ ﹁わたしのことはいい﹂ そう、ばっさりと切り棄て、 287 ﹁それともキミ、興味あるのか? ⋮⋮その、つまり大きい方に﹂ ﹁ないですとも﹂ ﹁わたしとしては、キミがどうしてもと云うなら、やぶさかでない けれど﹂ ﹁いや、けっこうです﹂ ﹁というか、個人的にはキミのモノ限定で興味がないわけでもなく﹂ ﹁ねぇよ、しつけえな﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ しばし、ふたりは沈黙した。そうしてややあって︱︱ ﹁なんだよ、ケチだな! べつにキミに食えって云ってるわけじゃ ないだろ? わたしがちょっぴり試してみたいってだけ︱︱﹂ ﹁いやー、い、や、だ! 何があってもそれだけはダメ、ゼッタイ !!﹂ けんかい 僚子の予想以上に虎ノ介は強い拒否反応をしめした。 こうなると虎ノ介もなかなか狷介な男であった。 ﹁おしっこ見せるとか、う○ち見せるくらいならそりゃ我慢もしま すけどね、好きなひとにテメーの食わせるとか、そんな鬼畜行為さ すがにマジ無理です﹂ ﹁す、好きって﹂ ﹁いくら僚子さんのたのみでもこれだけは聞けません﹂ そんなことをするくらいなら、死んだ方がマシだと云って、虎ノ 介は僚子の手を引いてきた。 僚子は抵抗をしなかった。 288 好きなひ されるがままに男の胸へ抱きかかえられる形となった。 という言葉が響いて伝わってきた。 男に愛されたことのない僚子の胸に、虎ノ介の云った と ふたり抱きあったまま、たがいを見つめた。 今、己は顔を紅くしているのだろうな、と僚子は考えた。 ﹁勘弁してくださいよ。おれ、僚子さんが具合悪くならないか、い つも心配してるんだから﹂ 虎ノ介が、ぽつりとつぶやくように云った。 ﹁む。そう、か。⋮⋮ああ、その、ごめん﹂ 謝って、僚子は虎ノ介へしなだれかかった。 ﹁すまない、キミの気持ちを考えてなかったな﹂ ﹁それはべつにいいんですけどね。遼子さんさえ無事なら、おれも できるだけつきあいます﹂ 虎ノ介はやさしげに云って、僚子の身体を抱きすくめた。 僚子は抱かれた部分から熱が伝わって、子宮をうずかせるような、 そんな錯覚を覚えた。 つくづく女というものは現金な生き物だと、自分のことを考えて みた。 あざけ ほんのすこし甘い言葉をかけてもらっただけで、何もかもがどう ざま でもよくなってしまう。 自分のこの様はどうだと、内心で己を嘲った。 これではまるで、ほんとうに虎ノ介を好きで、この関係に踏みこ んだかのようだ。 自分はいつから、この男にこれだけの愛着を持ちはじめたのだろ 289 う。 僚子は自身の惚れっぽさに少々あきれる思いがした。 ︵まあ、いいか︱︱︶ 惚れたが負け、世の男女の常である。 それはおそらく僚子と虎ノ介の関係においても正しくあてはまる。 とにかく僚子は虎ノ介を好いていた。 それが、はじめて知った男に対する執着なのか、はたまた虎ノ介 が彼女を受け入れたことに起因するのか、あるいはその両方である のか、僚子自身判然とはしていなかったが。 それでもいいと僚子は考えていた。 ⋮⋮ひとつ確かなのは、今、僚子が心底満たされているという事実 であった。 ﹁ふ、ふふ。⋮⋮そうか。そう。ならば虎ノ介くん、まずはもうす こしつきあってくれ﹂ 一転にやりとし、僚子は虎ノ介へ迫った。 押し倒し、虎ノ介の瞼にキスをした。 繰り返し、虎ノ介の顔へキスを降らせた。 ﹁へ? ま、まだするんですか?﹂ おどろいたように、虎ノ介は僚子を見ている。 ﹁うん? 何をおどろいているんだい? 愛しい男にそんなうれし と いことを云われたらキミ。女なんてのはみな、アソコがぐずぐずに 蕩けてどうにもならなくなる生き物なんだぞ。男なら、そうなった オマ○コの責任はきちんと取るべきじゃないか﹂ 290 そう云って、僚子は虎ノ介のペニスに手を這わせた。 ゴム ﹁それなら避妊具を︱︱﹂ ﹁ああ、それはもういらない﹂ 言下に、僚子は否定した。 ﹁へ? いらないって︱︱﹂ ﹁これからわたしは、キミとするときは一切、避妊しないことにし た。今、決めた﹂ ﹁き、決めたってね﹂ ﹁どうも、あんなものをつけてエッチするなんてことがいやになっ てきた。せっかくキミとするんだから、やはり生でしたい﹂ ﹁でも妊娠が﹂ ﹁問題ないさ﹂ ﹁いや、ありますって﹂ 虎ノ介は苦虫を噛みつぶしたような顔をしている。 ﹁どうしてだい? べつにキミに結婚してくれと云ってるわけじゃ ないぞ。前にも云ったとおり、わたしはキミに迷惑をかけるつもり はない。キミの子を孕んだとしてもキミに父親の機能をもとめたり はしないさ﹂ と、僚子は思ったままの心情を述べた。 ﹁どうせいずれはそうするつもりだったし、べつにいいだろう。キ ミは好きに出してくれればいいだけだよ。あとはこっちで勝手に受 精するから﹂ 291 ぐさ ﹁な、なんつー言い種ですか。カップラーメンじゃないんだから﹂ ﹁言葉は適当でも、気持ちは本気︱︱だよ? わたしはキミの子供 なら妊娠してもかまわないと思っているし、今はむしろ欲しいとさ え思ってる﹂ ﹁いや、その、そう云ってくれるのはありがたいんですけど。やっ ぱりそれはゆるしてほしいというか。⋮⋮べつに僚子さんと子供つ くるのがいやってわけじゃないですけど、おれが、おれ自身がまだ 父親になる決心がつかないんです﹂ ﹁そんなもの︱︱﹂ なくたっていい、と僚子は云ったが、虎ノ介は頑なに首を横に振 った。 ﹁おれがいやなんです。前に話したましたよね、おれの父親のこと﹂ ﹁︱︱︱︱﹂ その言葉に、僚子はわずかに瞳を曇らせた。 ﹁自殺したとかいう父親の話か﹂ 虎ノ介はゆっくりと首肯した。 ﹁おれは、親父みたいなことはしたくない。子供をつくるならきち んと面倒をみてあげたい。親として、その存在を祝ってあげたい。 だから今の、ガキそのままなおれじゃあ︱︱﹂ 無理だ、と虎ノ介は答えた。 僚子は不機嫌さを隠そうともせず、立ちあがった。 ﹁僚子さん︱︱?﹂ 292 スキン ﹁避妊具をとってくる。⋮⋮仕方がないから、もうしばらくは、キ ミの云うとおりにしよう﹂ 次まで に気持ちを準備しておきたまえよ﹂ ﹁あ、うん。ありがとう、僚子さん﹂ ﹁⋮⋮ちゃんと 決めつけて、僚子は風呂場の引き戸を開けた。 虎ノ介は困惑した様子で、 ﹁ええと、一応訊きますけど、次とは?﹂ ﹁さて、ね。わたしの我慢が限界に達したら、かな。そのときは朱 美さんも準くんも誘って、みんなで生解禁の種付けパーティだ。キ ミの言い訳も聞かない﹂ ﹁え、えー⋮⋮﹂ ﹁それと今日はフルコースだぞ。エッチしたらわたしのウ○コも見 てもらう。あと最後におしっこ︱︱﹂ ﹁あ、やっぱりそれはするんだ︱︱﹂ ﹁なんでもつきあうと云っただろう。うふ、ふ﹂ いんび 淫靡に僚子は微笑った。 虎ノ介はつかれたような目をして僚子を見た。 しかし、それとは裏腹に、彼のペニスに次第に力がこもりはじめ ているのを遼子は見逃さなかった︱︱。 293 幕間 島津僚子の日常 その3 僚子は思わず鼻をうごめかした。 台所からただよってくる、そのスパイシーな香りは今夜の夕食が カレーであることを知らせている。 椅子にすわって、虎ノ介の料理する姿をながめていた僚子は、 ﹁キミはすごいなァ﹂ と、感心した声を出した。 食欲を刺激された胃は、先ほどからさかんに空腹を訴えている。 ﹁いいお嫁さんになれる﹂ 虎ノ介は苦笑の色を隠さず、﹁それはどうも﹂と、応じた。 ﹁今まで自炊でしたからね。料理は得意な方です。と云っても、自 己流で適当なもんですけどね﹂ 云いつつ、虎ノ介は煮込んだカレーの鍋をテーブルの真ん中へと 置いた。 そして、まるい平皿にご飯をよそうと、カレーをたっぷりとかけ まわした。 ﹁はい、どうぞ﹂ ﹁うん、ありがとう﹂ 礼を云って、僚子は受け取った。 294 薄黄色に色づいたご飯の上に、スープに似た熱いルーがかかって いる。 ルーには海老と野菜が、やわらかく煮込まれてある。 ﹁ずいぶんとマイルドな感じだね。見た感じタイ風カレーみたいだ が﹂ うなずき、虎ノ介が説明する。 ﹁ベースはトマトですけど、おれはいつも豆乳を入れるンです。ま ろやかになるし、ココナツミルクより甘くないんで。こうすると一 見、タイ風ぽくはなりますね﹂ ﹁ふぅん。なるほど豆乳か。⋮⋮ご飯が黄色いな。これはサフラン ライスかい?﹂ ﹁ええ﹂ ﹁こっちのそれは?﹂ ﹁それはローストビーフ﹂ ﹁ローストビーフ? オーブンなんてつかってたかい?﹂ ﹁これはあらかじめつくっておいたんです。サフランライスとはべ つに、炊飯器で﹂ ﹁炊飯器で?﹂ そんなものでつくれるのか、と尋ねると、 ﹁オーブンより簡単ですよ﹂ と、虎ノ介は静かな微笑を浮かべた。 僚子はますます感心をした。 ﹁すごいな﹂ 295 ﹁はは。こんなものでよかったら、いつでもつくりますけど﹂ 云いつつ、虎ノ介も自分の分を用意していく。 ﹁それは魅力的な提案だが。うぅん⋮⋮それにしても手がこんでい る﹂ ﹁僚子さん、いつもろくなもん食ってないでしょう。たまにはちゃ んとしたもん食わないと体壊しますよ﹂ 冷蔵庫の中身がビールばかりだ。 と、虎ノ介は溜息とともに云った。 ﹁ああ、それは気づかいありがとう。やっぱりキミはわたしのお嫁 のあとで、このメニューをチョイスす さんになるべきだね。⋮⋮ふぅむ。しかし、カレーか﹂ アレ ﹁? どうしたんです?﹂ ﹁いや⋮⋮さっきの るとは、キミも案外タフな神経をしてるんだなと思ってね。キミ、 実はなんとも思ってないんじゃないか?﹂ 虎ノ介が怪訝な表情を浮かべるのへ、僚子は冗談めかして云って みた。 この言葉に、虎ノ介は途端にへどもどとして︱︱ ﹁な、何を⋮⋮﹂ やっとのことでそれだけを云った。 ﹁いやいや、冗談、冗談さ。さ、冷めないうちに食べよう、食べよ う。︱︱いただきます﹂ 296 笑いを噛み殺し、僚子はカレーに口をつけた。 まろやかな風味のなかから、はじけるような辛味と深いうまみと がひろがってきて、僚子の舌をよろこばせた。 ﹁これは、うまいな﹂ 僚子は云った。 お世辞でもなく、ほんとうに美味であった。 今まで食べたカレーのなかでも一番うまいのではないか、と僚子 は思った。 その後は何も云わず、ただ目の前の食事に専心した。 そんな僚子を、虎ノ介はやさしげな目つきをして見つめていた。 ◇ ◇ ◇ ﹁じゃあおれはそろそろ部屋にもどります﹂ 食事を終えしばらくしてから、こう虎ノ介は告げた。 ﹁泊まっていかないのかい?﹂ ﹁今日はやめときます﹂ ﹁どうして?﹂ 僚子はすこし寂しい気を隠せず、理由を尋ねた。 ﹁今日は夜、姉さんに勉強を見てもらう約束になってて﹂ ﹁ああ、例の家庭教師か﹂ 297 僚子は納得した。 せっかん 虎ノ介が、舞から勉強を教わっていることは僚子も承知していた。 ほとんど勉強の名を借りた折檻なのだ、と虎ノ介はよく僚子へこ ぼしていた。 ﹁舞くんも虎ノ介くんがかまってくれないせいで、いろいろと不満 に思ってるのだろうよ﹂ ﹁おれは姉さんに逆らったことは一度もないですよ﹂ ﹁そういうことではないのだがね。キミだって薄々気がついてるの だろう? ⋮⋮ふふ、まあいいさ。勉強、がんばってきたまえな﹂ ﹁⋮⋮そうします﹂ 虎ノ介は溜息をつき、立ちあがった。 ﹁そうだ。今度、暇なときにでも勉強を見てあげようか?﹂ 虎ノ介の憂鬱そうな顔が可愛らしく思われ、そう僚子は試みに云 ってみた。 虎ノ介は意外そうな顔で、﹁僚子さんが?﹂と返した。 ﹁私も学生時代、学力は高かった方だよ。まぁ、勉強なんてずっと してなかったから、現役の舞くんにはさすがに劣ると思うけれどね﹂ それでも受験勉強くらいなら教えられるさ。 と、僚子は胸をそらした。 ﹁どうだい?﹂ ﹁ええと⋮⋮﹂ 虎ノ介はすこし考える風にして。 298 ﹁でも僚子さんっていそがしいのじゃ?﹂ ﹁ん? それはまあ、仕事はいそがしいけれどね。しかしまったく せんせい 休みを取れないってわけでもないさ﹂ ﹁けど僚子さんは、ほかの医師より、当直も多くて全然休んでない って︱︱﹂ ﹁む⋮⋮それはそうだが﹂ 虎ノ介の言葉に、僚子は違和感を覚えた。 どうして虎ノ介が、僚子の勤務状況を知っているのだろう。 自分は虎ノ介に語っただろうか、僚子は考えてみた。 ︵いや、教えていない︶ 僚子は思った。 これが玲子や朱美なら、そんなことも云ったかもしれない。 彼女たちとはそういったことを語りあう間柄だからだ。 だが僚子は虎ノ介には伝えていない。 虎ノ介に心配されるのを僚子は好んでいない。 ﹁虎ノ介くん︱︱﹂ ﹁おれ、ただでさえ今日みたいに僚子さんの休みをつぶしてるし。 夜もよく朝まで、その︱︱してるじゃないですか。僚子さんのこと 考えると、もうちょっとひかえた方がいいのかなって思ったりもし てて﹂ ﹁ストップ。それはキミの意見か?﹂ すが 僚子は目を眇め虎ノ介を見た。 ﹁え? そ、そうですけど﹂ 299 ﹁ほんとうに?﹂ ﹁はい。だけど、どうしてそんなことを?﹂ ﹁だれかに云われたのじゃないのか?﹂ ﹁え⋮⋮﹂ な ﹁たとえば、わたしの職場の人間が、そんなことを云ったとか。 島津先生はつかれてるから、もうすこし気をつかった方がいい どと﹂ 凝と僚子は虎ノ介を見すえた。 虎ノ介はおどろいた様子でごくと喉を鳴らした。 ﹁よ、よくわかりますね﹂ ﹁やっぱりか﹂ 僚子は溜息をついて視線を落とした。 ゆっくりと足を組み替えた。 ﹁すわりなさい﹂ ﹁は、はい︱︱﹂ 虎ノ介は素直にしたがった。 彼は僚子に怒られるのではないかと、すこし怯えた風であった。 ﹁あ、あのう、僚子さん?﹂ ﹁キミにそんなくだらないことを吹きこんだのはだれだ﹂ ﹁え、えと。こないだ葛原で会ったひとで、葛ヶ原病院の看護婦さ さくらい みち んをしてるっていう︱︱﹂ ﹁桜井美智、か?﹂ ﹁あ、はい。そのひと﹂ ﹁携帯の番号かアドレスを渡されたりした?﹂ 300 ﹁⋮⋮うん﹂ ﹁まさか連絡を?﹂ ﹁し、してないです﹂ ﹁棄てなさい﹂ ﹁はい⋮﹂ しょんぼりとして、虎ノ介はうなずいた。 ﹁やってくれるな、あの女﹂ 僚子は頭をかきながら、忌々しいといった気分を隠さず吐き棄て た。 ︵さてどうしてくれよう︱︱︶ 僚子はひさしぶりに、己の内に残酷な気分の湧いてくるのを自覚 シニック した。 皮肉な笑みを浮かべながら、すばやく、いくつかの考えを頭のな かでまとめていく。 虎ノ介はだまっていた。 だまって、険しい顔で思案に沈む僚子をながめていた︱︱。 301 幕間 島津僚子の日常 その4 ﹁ひ、ひあああああっんんん!!﹂ かん高い女の嬌声がひびいた。 せまく薄暗いロッカールームには、淫らな牝の匂いがぷんぷんと ただよっている。 長椅子の上に、若い女がひもで手足をくくりつけられ、くるしげ にあえいでいた。 女は全裸に近い状態だった。 身につけている物はショーツと靴下だけという有様で、股間には うすく、愛液によるにじみができていた。 女の傍らに立ち、僚子はつめたく嗤った。 くん? だったかな﹂ ﹁まったく油断できない女だなキミも。ええと、なんだっけ。桜井 ビッチ クロッチ 云って、僚子は女の股間を足で踏みつけた。 染みのある股布部分へ、ぐりぐりと足の爪先を押しこむ。 粘度の高い液体によって、親指がストッキングごしに濡れ、僚子 は不快げに眉をひそめた。 ﹁しかしまあ、こんな状態だというのに、だらだらとよくたれ流す ね。マゾの気でもあるんじゃないか﹂ 云いつつ、僚子は足先でショーツをずらした。 そのまま膣口へ足指をねじ入れる。 302 ﹁ふぅひぅいんんッ﹂ ﹁あまり大きな声を出すんじゃあない。みんな寝てる時間だが。だ れかにバレるとこまるのはキミだぞ﹂ ふだん 平素と一切変わらぬ怜悧な目で、僚子は女を責めた。 クリトリスを踏みつぶし、膣穴を執拗にほじくりかえす。 僚子の足指はまたたく間に愛液で濡れていった。 ﹁こ、こんなことして︱︱﹂ ﹁こんなことをしてなんだい? キミはまだ自分の置かれた状況が わかってないんだな。自分の立場を﹂ こう云って、僚子はポケットから複数枚の写真を取り出して見せ た。 それは女の写真であった。 女︱︱桜井美智が男とホテルにはいっていくところを収めた写真 であった。 ﹁外科部長と、それからこっちは製薬会社の営業さん、かな? ま バレてもいい ったく。とっかえひっかえよくやるよ。キミさ、たまにはホテルく と云ってるようなものだぞ﹂ らい変えたらどうだい。いつもおなじ場所なんて、 です 女はくやしげに顔をそむけた。 ﹁べ、べつにいいでしょ、そんなの⋮⋮!﹂ ﹁そりゃあ、わたしには関係ないけれどね﹂ ﹁だいたい、そんなの撮ったからって、なんだって云うのよ﹂ ﹁ほう?﹂ ﹁あたしはべつに知られてこまるひとなんていないの。結婚してる 303 わけでもないし。相手がこまるだけじゃないっ。別れたってなんだ って、あたしには関係ないわ﹂ きっ 云って、女は僚子の顔を屹とにらみつけた。 女の口調は、常日頃のものとはちがってきている。 間延びした独特の喋りが、今は怒りと不安と敵意とに満ち、あわ てたものに変わっている。 僚子はぐっと笑いをこぼした。 ﹁ぷっ。ふふ。わたしには関係ない? 知られてもこまらない? ほんとうにキミは頭がおめでたいね。仮に相手が別れたとして、そ の際、慰謝料を何百万と請求されても、それでも関係ないと? 同 時に複数、裁判沙汰になっても? あはは! これは傑作だ﹂ ﹁い、慰謝料?﹂ ﹁あたりまえだろう。不倫がバレて別れるようなことになったら、 おまえ はこれがバレ 当然慰謝料は請求されるさ。旦那だけでなく、浮気相手だってね﹂ ﹁だってあたしは女よ?﹂ ﹁アホウ。女だ男だ関係あるか。いいか、 たら破滅する。これは絶対だ。だれがなんと云おうとわたしが破滅 させる﹂ ﹁な、何よ、あんただってこんな脅迫したのがバレたら︱︱﹂ ﹁それが残念。わたしには傷ひとつつかない﹂ ﹁なんでよっ。こんなの立派な犯罪でしょ﹂ ﹁ひとつ。わたしはキミに何かしたわけではない。その証拠がない﹂ ﹁え、え?﹂ ﹁キミ、どうして自分がここにいるか覚えてるかい?﹂ ﹁そ、それは﹂ ﹁わからないだろう。当然だ。キミは眠ったまま、ここに運びこま れたのだから。だれも見ていない。次に。仮に今、だれかがここに 飛びこんできたとして︱︱まぁ、実はそれもありえないことなのだ 304 けれど︱︱もしそうなった場合は、わたしはすぐにキミのことを心 配そうに介抱する﹂ ﹁はあ?﹂ ﹁つまりちょうど今ここにきたばかりだという顔をするのさ﹂ ﹁そんな言い訳︱︱﹂ ついさ とね。くわえて普段からの勤務態度、 ﹁それが通る。なぜならわたしには証言者がいるからね。 っきまで何処そこにいました 人間性。それらを勘案し、ほぼ間違いなくわたしの云い分が通る。 妙なうめき声が きらわれてるというのは損だぞ? 敵に事欠かない。逆にわたしに とってはそれが味方となる。わたしはこう云う。 とね。そしてキミの体内からは麻薬に似た成分 聞こえたのできてみたら、桜井看護師が長椅子に横たわりアヘ顔全 開でヨガっていた が検出され、キミの発言はすべて錯乱から生じた妄想と判断される。 警察だって相手にしないだろう﹂ ﹁︱︱︱︱﹂ ﹁最後につけくわえるとだ。私はさるひとと大変に親しい仲でね。 このひとがなんて云えばいいのか。⋮⋮まあ、とにかくちょっと怖 いひとなのさ。そのひとがうごけば、下手をすると、ここの病院自 体つぶれることになるような。そんなひとだ。だからそれを恐れて 上の人間はわたしを守ろうとするだろう。そうして事件はもみ消さ れる。結果、キミはこの病院を放り出され、さらには不倫もばれ、 何もかも失う羽目になる。⋮⋮だいじょうぶかい。キミそんなにお 金あるようには見えないけどね﹂ にやりとして、僚子は云った。 女の顔は次第に青ざめたものになってきた。 ﹁ようやく状況が飲みこめたみたいだな、このバカ女﹂ 云って、僚子は愛液でベトベトになった足を、女の顔に押しつけ 305 た。 ﹁い、いや︱︱﹂ ﹁なあ、ビッチくん。わたしはこれでも穏便な方法を選択している つもりだよ。前置きなしでキミをつぶそうと思えばつぶせたんだ。 けれどそれを選択しなかったのは、できるだけだれも傷つかない方 法を取りたかったからだ。キミの意思ひとつで、すべてがまるく収 まる。そういう方向へ持っていくつもりで﹂ ﹁ど、どうしたらいいのよ﹂ 恐怖と不安から、目に涙を浮かべ女は云った。 僚子は目をほそめて、女をにらんだ。 女は﹁ひ﹂とちいさな悲鳴をもらした。 ﹁どうしたらいいんですか、だ﹂ ﹁どうしたらいい⋮⋮ですか﹂ そこで僚子はようやく表情をゆるめた。 踏みつけていた足をどけ、己も長椅子にすわった。 ﹁何、そんなにむずかしいことじゃないさ。⋮⋮わたしの恋人にこ れから先、一切ちょっかい出さないでほしい。これを呑んでくれた らゆるしてあげよう。キミの不倫も口外しないであげるし、何をど うしようともかまわない。ただひとつ、久遠虎ノ介に近づかない、 これさえ約束してくれればいい﹂ ﹁そ、それだけ?﹂ ﹁ああ、それだけだ。簡単だろう? これまでと何も変わらない。 キミが何か失うこともないし、わたしもうれしい。ウィンウィンと いうやつだ。ただし︱︱﹂ 306 僚子は慈愛深い笑みを浮かべ、女を見やった。 女の目が恐怖に歪んだ。 ﹁もし仮に。キミが彼に近づいたことがわかった場合、問答無用で キミを殺すゾ? そのときは言い訳など聞かない。即行で地獄に送 りとどけてやる。わかったか?﹂ こくこくと、女はうなずいた。 彼女の股間からはわずかに小水がもれ出ていた。 ﹁よろしい。なら﹂ 僚子は立ちあがった。 ﹁契約は済んだ。あとはキミにお仕置きして終わりだ﹂ この言葉に、女は困惑の目を向けた。 ﹁ど、どういうこと!?﹂ ﹁当然だろう。さっきまでの話はあくまでこれからのこと。これか らのキミの身を保障するための契約だ。それだけならこんなまわり くどい真似をしてキミを拘束する必要などなかった。おたのしみは これからさ﹂ ﹁そんなっ﹂ ﹁⋮⋮キミがわたしの想い人に粉かけた事実は変わらないのだから ね。その分の代償はきちんと払ってもらわなくては﹂ つめたい目で告げると、僚子はロッカーからいくつかの道具を取 り出した。 それは巨大なバイブにクリップ、洗面器、それにガラス製の浣腸 307 器などであった。 ﹁な、何をするつもり?﹂ ﹁何かな﹂ ポーカーフェイスをくずさず、僚子は女へと近づいた。 ﹁近よらないでっ﹂ 女が云った。 僚子は応えず、手に持ったクリップを女の乳首へとはさみつけた。 ﹁︱︱!﹂ ﹁痛くはないだろう? キミにはだいたい通常の倍に相当する量を 投与してある。今なら風が吹いただけでも快感に変換されるさ。わ たしも一度試してみたが、あのときは死ぬかと思ったからね﹂ こう云って、僚子はいくつものクリップを女の乳房へはさんでい った。 それらクリップはすべてが一本のひもでむすびつけられてある︱ ︱。 ﹁あ、はァ︱︱﹂ 女の口からかすかなあえぎがもれた。 快感が女の身の内に生じているのは明らかであった。 ﹁また声が甘くなってきたな﹂ はさみ 僚子は女のショーツを鋏で切り取ってはずすと、指でその濡れた 308 股間をまさぐってみた。 ﹁ひああんっ﹂ ぶるりと。女の肢体がふるえた。 とば口から、愛液と尿のまざった雫が跳ねて飛んだ。 苦々しい目つきをして、僚子は顔に飛んだそれをぬぐった。 ﹁汚いモノを飛ばすのじゃない。わたしはキミの汚物になんて興味 ないんだからな。よごしたら片付けるのはキミだぞ﹂ 女は答えない。 ただうめきとも、あえぎともつかない声をあげている。 その彼女のクリトリスへ、ひもつきクリップがつけられた。 ﹁ひぃ︱︱ッ﹂ クリップをつけ終わると、僚子は次に浣腸器を手に取った。 薬液のはいったパックから、ガラス製のシリンダーへ薬液が吸い あげられてゆく。 その光景を見た女の顔に、新たな恐怖の色が浮かんだ。 309 幕間 島津僚子の日常 その5 ※スカトロ ﹁まさか﹂ ﹁そのまさかだよ﹂ なんの感情も見せず、僚子は告げた。 ﹁や、やめて﹂ ﹁無理だね﹂ 僚子は女の下半身の方へまわると、濡れた浣腸器の切先を女の尻 穴へ向けた。 女の肛門は愛液と尿により、すでに濡れている。 僚子は無造作に浣腸器を肛門へと突き入れた。 ﹁ひぃ∼∼∼∼∼ッ﹂ おとがいをそらせ、女があえいだ。 目は焦点を失くしていた。 僚子は淡々と作業をこなしていく。 一本目のシリンジを注入し終えるとつづけて二本目を手に取った。 女は体をふるわせて、体内へ薬液を受け入れていく。 ﹁も、もうやめてぇ。くるしい、くるしいの︱︱﹂ 三本目の注入が開始されると、苦痛に顔を歪めて女は哀願した。 僚子は一切耳を貸さず、ただ作業をすすめていった。 310 ⋮⋮そして。 合計四本の薬液が腸内へそそがれたころには、女の下腹部はかす かに盛りあがりを見せ、その陰唇と肛門はひくひくと小刻みにふる えるまでになっていた。 ﹁準備よし、と﹂ くるしそうにふるえる女を見つめ、僚子は満足げな様子でうなず いた。 つと眼鏡を直し、口の端を歪める。 ﹁トイレ、トイレに﹂ ﹁うん?﹂ ﹁トイレにいかせてください⋮⋮!﹂ ﹁却下﹂ 言下に切り捨て、僚子はふたたび女の横へとうごいた。 ﹁さて。そこから時計が見えるかな? 今だいたい一時五十分って ところか。あの時計で二時になったらキミを解放してあげよう。い いかい。十分だ。この十分間を耐えきったらキミはトイレにいける。 死ぬ気で我慢したまえよ。もし我慢できずにもらしたら、さらなる ペナルティをあたえるからな﹂ ﹁そ、そんな⋮⋮十分も保たないっ﹂ ﹁そのくらい我慢したまえ。わたしの彼はもっと耐えたぞ﹂ 意地悪く云って、僚子は手にバイブレーターを取った。 ﹁たったの十分。それさえ過ぎればキミは自由だ。まあ、もっとも ⋮⋮これからはじまる責めに耐えられたら、の話だがね﹂ 311 と、僚子は女のぐしょぐしょの膣穴へ、その巨大で凶悪な形をし た、あちこちにイボや棘のあるバイブを、ぐいぐい、ねじこんでい った。 ﹁ひぎぃぃッ﹂ 女の口から悲鳴があがった。 僚子はサディスティックな笑みを浮かべて、強引にそのありえな いサイズの巨大バイブを出し入れした。 振動のレベルを強にした状態で、女の膣奥をえぐった。 じゅぷじゅぷと膣口から愛液があふれ出た。 淫らな水音と、低い電動音が、ロッカールームのなかに響いた。 ﹁んひぃぃぃぃッ﹂ ﹁おい、うるさいぞ。ちょっとボリュームさげろ﹂ ﹁うひぃっ、ひぃ∼∼ッ。無理、無理! こんなのっ! 死んじゃ うっ﹂ ﹁無理じゃない。ちゃんとはいってる。しかしまあ。実を云うと、 これはわたしも試したことがないんだ。さすがにでかすぎるだろう。 外人のスーパーラージだからね。こんなの入れたら裂けてしまう。 裂けなかったとしても、ゆるマンになってしまう可能性はある。最 愛のひとにゆるマンだなんて思われたら、わたしの女としての沽券 にかかわるからね。⋮⋮まあ、キミはべつにいいよな? どうせみ んな遊びなのだろうし、ガバマンだろうがなんだろうが、入れて出 せればいいのだから。こんな真っ黒で分厚いビラビラの、きったな いタワシみたいなマ○コしているんだ。むしろちょうどいいのかも しれない。⋮⋮ああ、しかしよくもまあ、好きでもない相手に、こ ビッチ スラット んなに感じられるものだな。わたしならはずかしくて死んでるとこ ろだよ。あばずれというより淫売といった方がしっくりくるね。⋮ 312 ⋮さっきからうるさいな。深夜なんだから、静かにしたまえよ﹂ ﹁ンひぃぃぃぃぃィッ♥♥♥﹂ 狂ったようにあえぎ、泣きわめく女を横目に、僚子はしばし、手 をうごかしつづけた。 ﹁ほらほら。もっとちゃんとしめないと、くさいモノがもれ出すぞ ? いや、すでにさっきから屁がもれてるな。匂ってしょうがない﹂ ﹁うぅぅぅぅ♥﹂ 涙とよだれと鼻水をたらしながら、女は僚子へすがる目を向けた。 ﹁だめえっだめなのぉぉっっ。気持ちいい。気持ちいいのっ。出ち ゃう、このままじゃ出ちゃううっっ。お願いだからゆるしてっ﹂ ふるふると首を振りながら女は云った。 ﹁出したらいいじゃないか。好きなときにひり出していい。まあ、 ここまで耐えたのは無駄になるがね。あと約四分。さてどうかな﹂ 僚子は手をゆるめなかった。 巨大バイブを縦に、横に、あるいは円を描くようにうごかし、女 の秘所を蹂躙していく。 ﹁いい∼∼∼っ! だめっ、だめっ、感じすぎるぅぅぅ♥♥♥﹂ ﹁あと三分﹂ ﹁んんんいいっっ﹂ 便意をこらえながら、必死に快楽に耐える女を見て、僚子は酷薄 な笑みを浮かべた。 313 責めを受けているのが己で、それを行っているのが愛する青年だ ったなら。 と、こうした妄想に僚子は想いを馳せた。 子宮がうずいて、股奥はじゅんと潤みを帯びてきた。 ﹁一分﹂ ﹁イグぅっっ、いっちゃうっ! いっちゃうう! ダメ、いったら っ絶対! 絶対出るぅぅ!!﹂ ﹁三十秒﹂ ﹁ダメぇぇぇぇ!﹂ ﹁よし。そら、イケ︱︱﹂ 告げて。僚子はクリップにつけられたひもを、思いきり引いた。 同時にバイブを、女の肉壺の奥、子宮口めがけて突きこむ。 ばちばちと、クリップのはじける音がし、乳房とクリトリスから クリップが飛んだ。 もう一方の手には、ごりと鈍い手応えが残った。 ﹁んほあああああ∼∼∼∼∼∼ッッ♥♥♥﹂ 盛大に、女は噴きあげた。 大便と薬液。 それらが女の胎内から一気に噴出した。 肛門からシャワーのようにあふれた薬液。 そこにまざって、はっきりと形の残る糞が、床と云わず、長椅子 びろう と云わず、そこら中にぶちまけられていった。 尾籠な音がはじけて僚子の耳にとどく。 室内は鼻のまがりそうな悪臭によって満ちた。 女は一分ほどの時間をかけ、胎内のモノを出していった。 白目を剥いて痙攣しつつ、すべてを出し終えると、次にゆっくり 314 と失禁した。 小水のこぼれる音が、静かに流れていった。 ﹁さて⋮⋮。こうして、ゲームはめでたく失敗したわけだが﹂ と、僚子は女の無惨な姿を見下ろしつつ、よごれを避ける形で部 屋の出口へと向かった。 ﹁そろそろ、わたしはいこうと思う。当直医があまり空けてると問 題だからね。⋮⋮キミは負けたのだから、しばらくそこで、バイブ に犯されているといい。媚薬の切れる朝まで、百回は天国と地獄を 見れるだろう。それと、このロッカールームはだれもつかっていな いし、ここのフロアは改装工事中だから、だれかに見られるとか、 そういった心配もしなくていい。朝になったら迎えにくるから、そ れまでじっくりとその﹃ハイパー虎ノ介くん1号﹄を堪能してくれ たまえ︱︱⋮⋮と云っても、ま、もう聞こえてないかな﹂ 肩をすくめ、僚子は部屋をあとにした。 室内には、快楽にふるえる女の呼吸音と、バイブの電動音だけが ひそやかに残された。 僚子の靴音が、真暗な廊下に残響した。 ◇ ◇ ◇ それから数日後のこと︱︱。 僚子は病院内のラウンジにあって、頭をかかえ、すわっていた。 僚子の周りには、若い看護婦たちがあつまって、すわっている。 彼女たちは、かしましく噂話に興じている。 315 ある者は笑いながら、ある者は興味深そうに話している。 またある者は嫉妬の目で僚子を見ている。 その話題の中心には、僚子の恋人があった。 それは先日、虎ノ介が患者として訪れた折の話である。 つい気のゆるんだ僚子が、虎ノ介へ親しげに接した。 そこを看護婦のひとりに見られたのだった。 そうして僚子のいないところで、虎ノ介は看護婦たちにつかまり、 根掘り葉掘り、僚子との関係について訊かれる羽目となったのだっ た。 ︵失敗した︱︱︶ 僚子は隠れて接吻をあたえたことを悔やんだ。 女たちに取り囲まれ、あれこれと質問責めにされる。 これほどの苦痛はないと、僚子は思った。 ﹁でね。その子、今、島津先生にすっごい夢中らしくって、島津先 生さえよければ結婚したいと思ってるんだけど、無職の自分じゃそ んなことも云えないって﹂ ﹁へー。愛されてるナァ、いいな島津先生﹂ ﹁んー、でも無職か。個人的にはちょっと無理かナ。将来性ないじ ゃん。島津先生くらい甲斐性あれば、年下の彼でも養ってあげられ るだろうけど﹂ ﹁でもその子の家って、けっこう資産家みたいよ。いやがって、あ んまりくわしくは教えてくれなかったけど﹂ ﹁嘘、玉の輿!? や、それは正直ちょっとアリだわ﹂ ﹁それでねぇ︱︱﹂ こうした会話を延々と聞かされ、僚子としては気が滅入る一方で あった。 316 虎ノ介も苦労したのだろうな、と我が恋人の不運を、しみじみと 憐れんだ。 しかし、何より僚子をこまらせたのは、当の虎ノ介の直截さであ った。 ひと 好きだの、愛してるだの、結婚したいだの、自分には不似合いの 口のうまい奴だ と、僚子 すばらしい女だのと、歯の浮くような単語が、話のなかで何度も出 てくるのである。 これには僚子もまいった。 堂々と情熱的に語ったのであれば、 も笑って済ませられたかもしれない。 だが虎ノ介はそういったタイプではない。 けっして手慣れているわけではないのだ。 たち ︵性質が悪い︶ と、僚子は思った。 僚子の脳裏には、不機嫌な顔つきで、ぼそぼそと答える虎ノ介の 姿がありあり浮かぶようだった。 それらが、僚子のような女の琴線にふれぬはずもなかった。 事実、僚子は紅くなりっぱなしであった。 そしてまた、そうした僚子を見慣れていない周囲の人間は、ます ますおもしろがって僚子に質問するのだった。 ﹁も、もう勘弁して﹂ うつむき、僚子は悲鳴にも似たつぶやきを発した。 それは僚子には実にめずらしい。 敗北宣言とも呼べるものであった。 317 ⋮⋮そんな僚子を、すこし離れた場所から、ながめる者がある。 女である。 飲み物にも手をつけず、女は、ただじっと僚子の姿を見つめてい た。 見て、そして、そっと切なげに溜息をついた。 ﹁ああ⋮⋮僚子先生⋮⋮﹂ 僚子が見れば、その表情にきっとおどろいたであろう。 彼女の急変は、僚子にも、はたして本人すらも予想のできていた ものか。 その目はうっとりとしてい、何か尊いものでも見るかである。 ⋮⋮女の名は、桜井美智と云った。 ﹁ああ⋮⋮﹂ ふたたび、女は甘やかな吐息をもらした。 僚子はしかし、そんな彼女に気づかないでいる︱︱。 318 女社長、氷室玲子の場合 ひ あごづえ サイドウインドウには華やかな灯と、自分の顔が映っていた。 軽くにぎったこぶしで、ドアに顎杖をつくわたしの表情は、まる で苦虫を噛みつぶしたかのようだ。 眉間にしわをよせ、目にはつかれといらだちを浮かばせている。 口唇には紅がうすくにじんでいる。 ︵ひどい顔︱︱︶ わたしは目をつむり、そっと溜息をついた。 つきの 月野にある会社を出たのは八時ごろだった。 甲洲街道から小銀井通りを北にすすんで、愛車で約一時間。 自宅アパートはもうすぐそこだ。 前方には小梅街道が見える。 四車線ほどのひろい通りだ。 いくつものヘッドライトが、都会の夜を流れるように過ぎていく。 近くに工事現場でもあるのか、重機の作業しているらしき音が、 風にのって聞こえてくる。 救急車のサイレンも、どこか遠くの方から、響いて聞こえてくる。 道路脇の歩道には、女子高生らしき少女たちが、何か話しながら 歩いている。 そのそばを、ピストバイクにのった若い男が、通り過ぎてゆく。 沿道のファミリーレストランには、家族連れが夕べをたのしんで いる。 たた 街灯はそれほど多くなく、道路に面した場所のほかは、ひそやか に闇を湛えている。 319 ⋮⋮信号の青になったのを認め、わたしはギヤを入れた。 アクセルを踏みこみ、クラッチをつなぐ。 すべるようにうごきだした景色を、ぼんやりとながめる。 わたしの脳裏には、先刻、会社で見た光景が、繰り返し思い起こ されている。 ﹁⋮⋮⋮⋮ッ﹂ ギヤレバーを操りながら。わたしは思わず舌打ちをした。 ︵男なんて、みんなおなじだ︱︱︶ 傲慢で、自分勝手で、うぬぼれが強い。 女など、甘い言葉とステータスをちらつかせれば、すぐに尻尾を 振ると思っている。 実際、打算だけで男を選ぶ女もいる。 金があるか、仕事ができるか。 だに ひる そういった女は手頃でわりのいい物件︱︱将来性とそこそこの容 姿を持った︱︱そんな男を見つけた途端、壁蝨か蛭のように喰らい ついて、血を吸いはじめる。 男を、都合のいいアクセサリーか何かと勘違いしているのだ。 どういうわけか、男は男でそうした女にころっと騙されるのだか ら、不思議だ。 まるで、そうした女こそが魅力的だという風に。 ︵馬鹿なやつ︱︱︶ わたしの周りにもそうやってころんでいった男は大勢いた。 恋人だった男も、よき理解者だと思っていた友人も、そして可愛 320 がっていた部下も。 みな、わたしとはちがう 可愛らしい女 の見えすいた手にすん なりと落ちて、わたしの元を去っていった。 手料理? 女らしい気づかい? 男を立てるやさしさ? まったくおめでたいったらない。 馬鹿じゃないかと思うのだ。 目が悪いと思うのだ。 すこし考えればわかることだ。 彼女たちは、男の本質的な部分に惚れているわけじゃない。 周りを取り巻く付属品を見ているのだ。 けれど男たちはそれに気づかない。 それは彼らが鈍いからだ。 うぬぼれが強いからだ。 ほんとうに必要としている相手を見抜けないから。 ほんとうに、彼らを見つめているひとに気づかないからだ。 ︵あんなのに簡単に引っかかって︱︱︶ 心中で吐き棄て、わたしはハンドルを切った。 いつもよりアクセルを踏む足に力がこもった。 ⋮⋮目をかけていた入社二年目の男性社員が、オフィスで同期の女 とセックスしていた。 その場面は、わたしに思いがけないショックをあたえた。 自分でも理由のよくわからぬまま混乱した。 あの誠実な印象の彼が、女の尻へ自分のモノをたたきつけていた ことに、わたしは激しく動揺した。 321 ︱︱社内恋愛を禁止するつもりはないけど、そういうことはホテル か家でやってちょうだい。 冷静を装って告げた言葉は、しかしふるえてはいなかっただろう か? おもて 自分では、仮面をかぶって、動揺を隠していたつもりだったが、 はたして面に出てはいなかっただろうか? こうも心がふるえるのはどうしてなのだろう。 わたしは彼に対して特別な感情など持っていなかったはずだ。 ようやく仕事でつかえるようになってきたことを、うれしく思っ てはいたけれど、でも、ただそれだけのはずだ。 ﹁ああもう︱︱ッ﹂ ヘッドレストに頭をぶつけて、わたしは怒鳴った。 ︵そんなの嘘じゃない、このバカ女︶ 認めろ。 認めろ。 馬鹿はわたしだ。 わたしは彼を好ましく思っていた。 きびしくあつかっても、ついてくる彼が可愛かったのだ。 男女の関係になりたいと、積極的に願っていたわけじゃなかった けれど、それでも、ほかの社員とはちがう目で見ていたのだ。 あの若い女に、自分のものを横取りされた気分になったのだ。 ⋮⋮つまり、今感じているこのストレスは、わたしのみっともない 嫉妬心の産物でしかないのだ。 ﹁あああう∼∼﹂ 322 情けなくて。思いきり叫び出したい気持ちになった。 叫んで、わめいて、泣き出したかった。 ︵男なんか︱︱︶ わたしは思った。 ︵もう男なんか欲しがらない︶ 恋なんてしない、わたしは心に決めた。 わたしを必要としない男たち。 そうした男たちに心と体をささげた︱︱。 そんなときは過ぎた。 今度こそ。わたしは独りで生きていくのだ。 ﹁うううう∼∼﹂ わたしはうめいた。 後部座席に置いたパンプスの、ちいさく、ころがる音が聞こえた。 ◇ ◇ ◇ ﹁で? 帰るなり、ひとの部屋に押しかけて、飲んだくれか﹂ 僚子は相変わらずのつめたい目つきをして、わたしの顔をながめ ている。 323 ﹁うっとうしい﹂ 云い放つ僚子。 実に友達甲斐のある女だった。 ﹁な、何よ。すこしぐらい聞いてくれたっていいじゃない。ひとが みじめな思いしてへこんでるっていうのに。ちょっとは慰めてよ﹂ わたしは缶ビールを、グラスにそそぎながら云った。 テーブルの上には、すでに空き缶が何本かころがっている。 ﹁ばかばかしい。玲子の一人相撲はいつものことじゃないか。勝手 に惚れて、勝手につくして、さんざん遊ばれた末に棄てられる。キ ぐさ ミのすれちがいっぷりを見てるとわたしは喜劇でも観てる気分にな る﹂ ﹁なんて云い種よ。こっちは真剣に悩んでるのに﹂ ﹁まあ、よかったじゃないか。今回は深入りする前に終わったんだ ろう。寝たわけでもないし、金を貢いだわけでもない。ただの岡惚 れだ。何を沈む必要がある﹂ ﹁そ、そうだけど﹂ わたしは頬をふくらませて抗議した。 ﹁でもわたしの気持ちとしては、いろいろあったのよ﹂ ﹁そりゃあ、いろいろあるだろうさ。人間なんだから。わたしだっ ていろいろある。文句を云いたいことだってね。たとえば、だれか さんがいきなりきたおかげで、わたしは今晩のエッチをあきらめな きゃいけなくなった﹂ ﹁へ? エッチ?﹂ 324 僚子の口から、何かとんでもない言葉を聞いた気がして、わたし は問い返した。 ﹁エッチってだれが?﹂ ﹁そんなの、わたしに決まってる﹂ ﹁う、うぇ!?﹂ その答えに、わたしは思わず、手のなかのグラスを取り落としか けた。 ﹁お、おっと﹂ ﹁おい、あぶないな。落とすなよ﹂ ﹁あ、うん、ごめん﹂ うなずき、グラスを置く。 あらためて質問した。 ﹁僚子、恋人できたの?﹂ ﹁ああ、つい最近な﹂ ﹁けど僚子って処女じゃなかった?﹂ ﹁処女だったよ。そのひとに女にしてもらった﹂ 簡単に云う。 ﹁! も、もしかして⋮⋮あっちの趣味は﹂ 恐るおそる、わたしは訊いてみた。 僚子には特殊な⋮⋮スカトロという、けっしてノーマルとは云え ない性癖がある。 管理人さんや、舞さんにも匹敵する美形でありながら、そのせい 325 で二十七年間、一度も恋人というものを持ったことのない彼女なの だ。 その彼女に恋人ができ、しかもすでに女にしてもらったのだと云 う。 わたしはどうしたわけか、奇妙なあせりが心中、生じるのを感じ た。 僚子は静かに肯定した。 ﹁話してあるよ。程度の軽いものならつきあってもくれる﹂ ﹁う、嘘︱︱﹂ おどろきだった。 まさか彼女のスカトロ趣味を受け入れる、そんなふところ深い男 が現れるなど思っていなかったからだ。 わたしは常々、その性癖だけは隠しておけと、彼女に忠告してき た。 それが、彼女が男としあわせになるための、唯一の道だと、そう 考えていた。 ﹁失敬な。嘘なんかじゃないぞ。彼はすべてを知ったうえで、わた しを愛してくれている﹂ 僚子はほんとうに、うれしそうに語った。 いくばく わたしは、そんな彼女を複雑な心境でながめた。 友人のしあわせをよろこぶ心と、幾許かの寂しさと、すこしだけ うらやむ気持ちとが、胸のなかでひとつになっていた。 ﹁そ、そう。そっか﹂ ﹁うん﹂ ﹁僚子もそんなひと見つけたんだ。よかったわね﹂ 326 ﹁ああ﹂ ﹁⋮⋮そっかあ。ついに僚子も男持ちかァ。しっかし、奇特なひと もいたものね。一度顔を見てみたいわ﹂ 何気なく、そんな軽口をたたいた。 僚子は︱︱ ﹁見てるよ﹂ と。わたしの言葉に、あっさりと答えて云った。 ﹁へ?﹂ ﹁わたしの恋人だよ。彼ならキミも見てる﹂ ﹁見てるって?﹂ ﹁わたしの恋人。虎ノ介くんさ。久遠虎ノ介。一〇三号室の﹂ ﹁え、ええっ? あの久遠くんっ?﹂ シ わたしは今日、何度目になるかわからないおどろきをもって、僚 子を見つめた。 ﹁だ、だって、あの子は朱美さんの彼氏じゃなかったの?﹂ ﹁そうだよ﹂ ﹁そ、そうって、じゃあ何。二股かけてるわけ?﹂ ェア ﹁二股じゃない。わたしも朱美さんも了解してるからな。つまり共 有さ﹂ ﹁しぇ、シェア!?﹂ わたしは、なんだかくらくらとしてきた。 テーブルにひじをつき、手をひたいにそえた。 327 ﹁何してるのよ、あんたたち⋮⋮﹂ ここ ﹁そんな、おどろくようなことかい? こないだ朱美さんが云って たろう? 彼とセックスする権利が、片帯荘の住人にはあるって。 薬もわけてもらった﹂ ﹁あんなの、ただの冗談でしょ。本気にするなんてどうかしてるわ﹂ 僚子は肩をすくめた。 ﹁まあ、べつに玲子に認めてもらう必要はないがね。ただわたした ちの関係は、冗談でもなんでもないよ。わたしと朱美さん、それに 準くん。みな同意の上で、彼を共有してる﹂ ﹁ちょっ、準くんまでくわわってるの!?﹂ ﹁ああ﹂ ふつう 僚子はしごく平素の顔をして認めた。 ﹁みんなラブラブさ。関係はきわめて良好、朱美さんも準くんも、 彼に夢中だよ。当然わたしもね﹂ ﹁信じられない。どうかしてる﹂ ﹁キミは堅いな。いいじゃないか、当人たちが納得してるんだから﹂ ﹁そ、それはそうかもしれないけど﹂ なんとなく釈然としない気分だった。 僚子も朱美さんも大切な友人である。 準くんもまた、年の離れた妹のように思っていた。 その彼女たちが全員、わたしの知らぬ間に、ひとりの男に篭絡さ れていたという事実に、いらだたしい気持ちが湧きあがってきた。 久遠虎ノ介という青年を思い、あの純朴そうな表情の裏に隠され た、好色な本性に怒りを覚えた。 328 ﹁何か勘違いしているようだが﹂ そんなわたしの顔を見て僚子は、云った。 ﹁虎ノ介くんは何も悪くないぞ。むしろ彼をこういう関係に引きず り込んだのは、わたしたちだからな﹂ ﹁それ、どういうこと﹂ ﹁つまりさ。ハーレムだよ、ハーレム。わたしたちが、虎ノ介くん を逃がさないよう、すすんで檻にとじこめたのさ﹂ 僚子の顔には、ひとの悪い笑みがべったりと張りついている。 329 女社長、氷室玲子の場合 その2 ﹁ハーレムって︱︱﹂ ﹁ひもをつけたのだよ。片帯荘から逃げられないように、わたした ちから逃げられないようにね。相手がひとりなら、あっさり関係を 終わらせて、どこかへいけばいいだろうが、三人ともなればそれも できないだろう。法ではなく、情と責任感に縛られる、彼の性格か らすればね。これで子供でもできれば、もうアウト。彼は一生、わ たしたちから離れられない﹂ 彼に篭絡されたのじゃない。 自分たちが彼をとらえたのだ、と。 僚子はたのしくて仕方がない、といった風情で語った。 わたしはすこしばかり、恐ろしい心持ちがした。 ﹁な、なんなのよそれ。そんなことする意味、あるの?﹂ ﹁意味? 意味とは?﹂ ﹁だ、だからっ。そこまでする必要があるのかってこと。三人で捕 まえてなきゃいけないほど、イイ男かって訊いてるのよ。あんなの かね どこにでもいる、ふつうの子じゃない。僚子が入れこむメリットな んてないわ。特別、容姿がいいわけでも、お金銭を持ってるわけで もない。無職の低学歴。なら能力高いってわけでもないんでしょう、 典型的なダメ男じゃないっ﹂ 気づけばそんな、とてもいやらしいことを。 わたしは腹立ちまぎれに喋っていた。 ﹁︱︱︱︱﹂ 330 す、と僚子の目が、ほそめられた。 わたしは、そのつめたい視線に気圧され、目をそらした。 奇妙な感情の昂ぶりから、つい蔑む物云いをしてしまった。 そのことに、すぐさま強い後悔が湧きあがってくる。 これはいったいどういう感情なのだろう。 嫉妬? ああ、きっとそうだ。 でも、それはどちらに対して? わたしは、そんな自分への問いにすら、答えを出せなかった。 僚子は、わたしの顔をしばし見つめたあと、ぼそりとちいさな声 を発した。 ﹁つまらないことを云うんだな﹂ キミにしてはめずらしい、そう僚子は微笑した。 ﹁たしかに彼には何もない。世間一般でいうところの魅力なんてゼ ロだ。でも玲子︱︱キミはひとを好きになるとき、わざわざ意味と か、メリットなんて考えるのかい? そういう打算は、キミがもっ ともきらうところじゃなかったか?﹂ ﹁それは﹂ アイスペールからグラスへ、僚子は氷を放りこむと、モルト・ウ イスキーをオンザロックスにした。 そうして琥珀色の液を舐めつつ、 ﹁朱美さんや準くんはどうか知らないがね。わたしはべつに虎ノ介 くんに期待するところなんてないよ。彼を手元に置いておければそ れでいい。体と心を満たしてくれさえすればいいンだ。それ以上は もとめないさ。収入とか、能力とか、そんなものどうでもいい。幸 331 い、セックスと人間性には満足してるからね﹂ ﹁相変わらず男前ね﹂ ﹁そうさ。キミとおなじだ﹂ 云って、僚子はグラスをゆらゆらとまわした。 ﹁玲子だってそうだろう? 生活力とか、将来性とか、そういう一 切がどうでもいいタイプじゃないか。わたしたちがもとめてるのは そういうことじゃあない。わたしが、わたしたちが欲しているのは﹂ 僚子の顔をながめた。 そこにあるのはいつもの、感傷味少ない、冷徹なまでの彼女だっ た。 ﹁わたしたちは能力が高い。だから、たいていのものが手にはいる。 その気になればね。金銭も、仕事も、男も。そんなわたしたちが真 に欲しかったものは、いつだってひとつだった。それだけが、わた したちの得られなかったものだ﹂ ﹁心、なんて云わないでよね﹂ ﹁ふ、ふ、わかってるじゃないか﹂ ﹁ふん﹂ わたしは鼻を鳴らして、ビールをあおった。 僚子はつづけた。 ﹁キミはわたしより、その傾向がずっと顕著だ。だからいつも男で 失敗してきた。それどころか、愛してくれるなら、自分などどうな ってもかまわないとさえ思ってる。いや、本当は壊されたいと願っ ているんだ。愛するひとにもとめられ、結果として壊されるなら︱ ︱きっとそれ以上のよろこびはないと。キミにとって愛と陵辱、抱 332 擁と蹂躙は同義なのだろ。⋮⋮まったく難儀な女だよ﹂ ﹁⋮⋮馬鹿ばかしいわ。あなた、いつからカウンセラーになったの よ﹂ そんな風に否定しつつも。 その意見を、わたしは笑い飛ばせずにいた。 実のところ、内心では納得してもいた。 自分でも気づかぬ心を、はっきりと言葉にあらわされた気がした。 僚子の、人間を見抜く鋭さに、驚嘆してもいた。 ﹁心なんて、そんな埒もないものをもとめたって︱︱﹂ 無駄だ、そんなのは。 だってそう。そんなのは、自分自身を見ればすぐにわかる。 思うまま でありたいのだ。 どれだけ自分が、身勝手に他者へ理想を押しつけているか。 そのくせ自分は都合よく ありのままの自分を、受け入れて欲しいのだ。 そんな我儘、云ったって仕様がない。 自分がそうであるように。 相手だって応えられるわけがない。 ⋮⋮だから恋愛なんてものは幻想でしかない。 知っている。 そんなことは十分に理解している。 わたしは、わたしが欲しいものを、どうしたって手に入れられな いと知っている。 だと云うのに、どうしてこうもわたしは︱︱ ﹁どうしていつも期待しちゃうンだろ︱︱﹂ 333 ふいに、視界が涙で歪んだ。 こみあげてきた想いに、鼻の奥がつんと熱くなった。 頭のなかを整理できぬまま、わたしはテーブルに突っ伏した。 僚子は何も云わず、静かにウイスキーを舐めつづけていた。 氷が、からと音を立てた。 ◇ ◇ ◇ ﹁おなかへった﹂ しばらくし、落ちつきを取りもどしたわたしは、僚子の顔をなが め云った。 ﹁何かない?﹂ ﹁ないよ。わたしが料理できないの、知ってるだろう﹂ ﹁うん、知ってる。でもおなかへった。そう云えば、今日は昼から、 何も食べてない﹂ ﹁うむ、カップラーメンならあるが﹂ ﹁カップラーメン? もうちょっとまともなものないの?﹂ ﹁うるさいやつだな。それがイヤなら出前︱︱はもうやってないか。 じゃあコンビニいって、弁当でも買ってきたまえよ﹂ ﹁ラーメンと似たようなものじゃない。ああ、もういい。寝る。今 日はここで寝てくから。ベッド借りるわよ﹂ ﹁それはかまわないが︱︱ああ、そうだ。おい玲子。夕食の残りで よければあるぞ﹂ その場を離れかけ、そう僚子に呼び止められた。 僚子は席を立ち、冷蔵庫の前までいって、 334 ﹁確か、明日の朝の分にと、置いていってくれたはず⋮⋮と、あっ たあった﹂ などと云いながら、冷蔵庫から二枚の皿を取り出してきた。 そこには、色あざやかな料理が、盛りつけられてあった。 かきあぶら ﹁やあ、なんだかおいしそうね﹂ ﹁帆立と小松菜の牡蠣油炒めに、鶏肉と春雨の中華風サラダ、だ。 ん、ちがったかな。まあいい。とにかく、なんかそんなんだ﹂ ﹁適当ね。でもどうしたのこれ、敦子さんにでも、もらった?﹂ 僚子は首を振り、否定した。 ﹁虎ノ介くんがつくってくれた﹂ ﹁へぇ。あの子、料理できるんだ﹂ ﹁ああ、できたお嫁さんだろう?﹂ 自慢げに云い、僚子は皿にかけられていたラップをはずした。 中華風サラダへ箸をのばす。 ﹁うまい﹂ と云う。 きくらげ わたしも割り箸を取って、そのサラダをつついてみた。 鶏ささみと春雨に、細切りにした胡瓜、人参、それに木耳などを 和え、中華風のドレッシングで、さっぱりと仕上げてある。 ﹁あ、ほんとう。おいしい﹂ ﹁だろ﹂ 335 ご飯もあるんだ、と僚子は、炊飯器と茶碗を引き出し、まだあた たかいご飯を茶碗へとよそった。 椅子にすわりつつ置いたそれは、どうしてか二人分であったが。 キンメ ﹁もうちょっと、はやくきてたら、金目鯛の香草煮も食べられたの だけれど﹂ ﹁彼氏におさんどんさせてるわけ?﹂ ﹁料理が好きなのだよ、彼。性格的なものだろうさ﹂ ﹁ふぅん。そう云えば、ここの住人って料理するひといないわよね。 敦子さんくらい?﹂ ﹁ああ、これだけ女がそろってるというのにな。まったく﹂ ﹁そうね。じゃあいただきます﹂ ﹁うん、いただきます﹂ こうして、女ふたりでの夕食がはじめられた。 わたしにとってはずいぶんと遅めの。 僚子にとっては、今日二度目の夕食だった。 ◇ ◇ ◇ ﹁玲子もどうだい?﹂ こう僚子が云ったのは、食事もそろそろ終わりに近づいたころだ った。 ﹁どうって何?﹂ ﹁ハーレム。はいってみないか﹂ 336 ﹁は?﹂ わたしは言葉の意味がつかめず、問い返した。 ﹁それ冗談のつもり?﹂ ﹁まさか。本気だよ。というかね、最初から玲子も誘おうと思って いたンだ﹂ ﹁やめてよ。わたし、そんな不健全な関係は﹂ きらい、と云おうとし、しかしその言葉は僚子によってさえぎら れた。 ﹁満たされるよ﹂ それはどんな魔法だったのか。 わたしは思わず食事の手を止め、僚子を見つめた。 僚子は平然と食事をつづけている。 ⋮⋮胸の鼓動。 それがだんだんと、はやまってくるのがわかった。 ゆっくりとつばを飲みこみ、それから口をひらいた。 声は、かすかにうわずっていた ﹁み、満たされるって﹂ ﹁心さ。玲子は欲しかったものを得られる。わたしはそれが玲子の ためだと思う。ほら、どうせ恋愛しないとかなんとか云ったって、 結局いつもすぐダメな男に惚れるのだからさ。前みたいにセックス のあいだ、なぐったり首絞めたりするような男よりは、虎ノ介くん のような善良な子の方がいいだろう﹂ ﹁う︱︱で、でも彼は共有なんでしょ﹂ 337 ﹁そうだな。独占しない、浮気しない、妊娠しても、父親としての 責任をもとめない。これがわたしたちのルールだ﹂ ﹁ひどいルールね﹂ ﹁慣れるよ、玲子なら﹂ 僚子は口中の油を洗い流すように、水を飲んでいる。 わたしは溜息をついた。 ひとつ、間を置いてから、 ﹁じゃあ訊くけど。僚子は久遠くんとわたしがしても、気にしない の?﹂ と、尋ねてみた。 グラスを置いて、僚子がこちらを見る。 その目は実に彼女らしい、余裕のある強い光があった。 たち ﹁どうもね。わたしはその辺が、あまり気にならない性質らしい。 ああ、隠れて浮気されたり、わたしに見向きもしないというなら、 これはゆるせないが。目のとどくところで、朱美さんや準くんと、 そして玲子とエッチする分には、ゆるせる﹂ ﹁嫉妬しないの?﹂ ﹁するよ、それは。うん、いつだってしている。これは朱美さんや 準くんもそうだろうさ。けれど裏切られたという怒りはない。当然 だが、自分たちで選んだことだからね。でも、そうだな。自分が女 でよかったとは正直思うかな﹂ ﹁? どういう意味?﹂ ﹁だってそうだろう。わたしたちは自分の子供を生めるじゃないか。 他人の子じゃない、間違いなく、自分と好きな男との子だ。それに 相手を独占されるようなこともない。精神的な部分でなく、肉体的 な部分の話でね。これが仮に、わたしが男で、ひとりの女に群がる 338 立場だとしたら、落ちついてなどいられないだろうさ。他人に十ヶ 月も、想い人を奪われるなどゆるせない。ましてや胎内という象徴 的なものを、べつの牡に征服されるだなんてね。たとえ妊娠しなく ても、女の性交は、その危険性を常に孕んでいる。自分のつがいに、 他人の遺伝子をそそがれる。このことに対する、本能的な恐怖や焦 燥感は、女のわたしたちが正確に理解するのはむずかしいのじゃな いかな﹂ ﹁ああ、そっか。云われてみればそうかもね。女は託卵される可能 性がない﹂ ﹁む、なるほど。託卵とは云い得て妙かもしれない。うん、つまり、 もしわたしが、虎ノ介くんの子供を生んだとして。それが実は、べ つの女と虎ノ介くんがセックスしてできた子だった︱︱というよう な仮定だな。⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮おぅ、これは相当にキツいな﹂ そんなことされたら絶対殺すな、うん間違いなく。 と、笑いながら云う僚子である。 そう だからだよ﹂ ﹁まあ、その辺の性差によるちがいは置いておくとしても﹂ 僚子はつづけた。 ﹁一番の理由はね。わたしたちが ﹁そう、って?﹂ ﹁相性の問題さ。ハーレムなんて、異常な関係を築ける女なんだよ、 わたしたちは﹂ そう だよ。断言してもいい、ち 僚子は、さも当然と云った風に告げた。 ﹁ほんとうさ。おそらく玲子も ゃんとハマるから﹂ 339 ﹁は、は、ハマるって︱︱﹂ ﹁だいたい、その辺の相性は、わたしたちが気にするまでもなく、 天女様がちゃんと図ってあるのだから。ハーレムだろうが、なんだ ろうが問題ないのさ﹂ わたしはもう、何も反論できなくなって、ぱくぱくと口をうごめ かせた。 わたしが久遠くんにハマる︱︱? そうした関係を想像してみる。 三十に近い変態女を、あたたかく、つつみ癒してくれる年若な男。 すべてを受け入れ、けっして見捨てることのない男。 利用するのではなく、愛してくれる男。 わたしは理想の相手に抱かれ、そして自分のすべてを投げ出して つくす。 一瞬考えたそれらの想像は、とても甘く、しあわせなもので︱︱ ︵って何考えてるのよ、ない。ない︶ あわてて頭を振った。 何を都合のいい妄想をしているのだ、と自分を叱る。 そんな乙女じみた願望が、いつだって自分をくるしめてきたので はなかったか。 過去の反省から、恋愛に希望など持たないと決めたのではなかっ たか。 ︵けど︱︱︶ ゆめ 一方で思う。 もし、その願望が現実になったら。 もし、そんな都合のいい男がいてくれたなら。 340 どれだけ、わたしは満たされるだろう︱︱。 いら だまりこんだわたしを見つめ、僚子はにやりと弄うようなまなざ しを向けてきた。 ・ ・ ・ ・ ﹁お似合いだと思うがね。デキるくせに寂しがりの女には、ああゆ う男がちょうどいい。なあ、玲子。彼はキミを棄てないぞ﹂ ﹁⋮⋮っっ。⋮⋮こ、こういうことは気持ちの問題よ。条件の善し 悪しだけじゃ決められないわ﹂ 深呼吸し。できるだけ己を平静に保ちながら答えた。 心拍は先程から激しく。 腹の底から湧きあがってくる欲望は、どくどくと脈打って体をふ るわせている。 股奥は濡れ、わずかにショーツをにじませてきている。 ﹁なら試してみればいい﹂ ﹁試すって、どうやって﹂ ﹁おつきあいだよ﹂ ﹁セックスしろってこと?﹂ ﹁いやならしなくてもいいさ。そうだな、しばらく彼といっしょに 過ごしてみるとか。デートしてみるとか。彼を部屋に泊めてみると か、そんなのでもいい﹂ わたしは溜息をついた。 ﹁なんで、そこまでハーレムに入れたがるのよ﹂ 眇めて僚子を見る。 この親友の考えることが、わたしにはどうにも理解できなかった。 341 ﹁そんなの、キミが大切だからに決まってるじゃないか﹂ そう。まっすぐ語る僚子の目に、嘘はなかった。 彼女が、どこまでもわたしを心配しているのがずん、と伝わって くる。 わたしは、自分の顔が紅潮してくるのを、自覚せずにいられなか った。 ﹁な、何よ、その冗談﹂ ﹁無理にとは云わないさ。キミの感情を無視してまで、やるような ことでもないし﹂ と、僚子は締めくくった。 わたしは唇を舐めた。 胸中には若干の躊躇いと、それ以上の期待に似た何かがある。 大きく息を吸い、ゆっくり言葉を紡いでいく。 答えはほとんど決まりつつあった。 ﹁わ、わかった。そこまで云うなら﹂ わたしはうなずいた。 僚子はにっこりと満足げな笑みを浮かべていた。 342 女社長、氷室玲子の場合 その3 ﹁これからは、わたしも朝を、いっしょにしようと思うのよ﹂ こう舞が云い出したのは、六月初旬の朝であった。 普段、朝食をとらない主義である、舞の唐突な発言は、虎ノ介と 敦子、仲良く食卓につこうとしていたふたりを、いぶかしく思わせ た。 ﹁でもあなた、朝ご飯は食べたくない、って云ってなかった?﹂ 敦子が問うのへ、 ﹁そうだけど。考え直してね。美容と健康のためには、朝食は抜か ない方がいいって云うし﹂ ﹁わたしが前におなじこと云ったときは、自分にはあてはまらない って胸を張ってたでしょう﹂ ﹁う。ま、まあ、いいじゃない、細かいことは。ね、だから今日か らは、わたしの分も用意して﹂ 敦子はちいさく溜息をついた。 ﹁いいけどね﹂ 云いつつ、目をほそめて、舞の顔をのぞきこむようにする。 ﹁でも理由くらいは、はっきりさせときなさい。大方、虎ちゃんと いっしょの時間を増やしたくなったんでしょう?﹂ 343 こまった子、と苦笑しながら、敦子は台所にもどった。 ﹁な、何を﹂ ﹁いいわよ、あわてなくても。べつに悪いなんて云ってないわ。⋮ ⋮最近、夜はいないことが多いものね、虎ちゃん﹂ ﹁わ、わたしはそんなこと︱︱﹂ 舞は顔を真っ赤にし、視線を虎ノ介へ向けた。 虎ノ介はあくまで自然な態度でいた。 舞は余計にはずかしそうな色を浮かべた。 ﹁はあ。相変わらずわかりやすい子。トーストとハムエッグでいい ?﹂ ﹁う、うん﹂ ﹁トーストには何を?﹂ ﹁⋮⋮じゃあ、マーマレイドを﹂ 元気をなくし虎ノ介の隣にすわる。 これを虎ノ介は沈黙をもって迎えた。 何を云えばよいのか、虎ノ介はしばらく思案したのち︱︱ ﹁姉さんといっしょに食べれるのはうれしい﹂ と、結局はいささか安直な文句を述べるにとどめた。 ﹁そ、そう?﹂ それでも舞は満更でない様子を見せた。 喜色もあらわに虎ノ介を見る。 344 虎ノ介もまた敦子と同様、苦い笑みを浮かべた。 ⋮⋮如何な虎ノ介と云え、近頃では舞の心情に薄々気がついてきて いる。 ひと 舞の虎ノ介に向ける好意は、だれの目にも明らかであったし、虎 ノ介自身うれしく感じてもいた。 虎ノ介にとって、舞と敦子はずっと特別の女であったから。 今では虎ノ介も、舞や敦子をほんとうの家族のように見ていた。 舞のしめす好意。 家族のそれを超えて見えるそれが、ときに彼女らに対し、いかが わしい劣情をいだいてきた虎ノ介をとまどわせていた。 ﹁そう云えば﹂ 己が思いを打ち消すように、ちいさく、かぶりを振って、虎ノ介 は話題をそらした。 ﹁名人、勝ったね﹂ 舞はたのしげに﹁それよ﹂とうなずいて見せた。 ﹁これで三勝。ようやくリーチね。あー、まったくハラハラする将 棋だったわ﹂ などと云う。名人びいきの舞なのである。 ﹁横歩取りだったから、見てておもしろかったな﹂ ﹁そう云うわりに、横歩と角換わりは指したがらないよね、トラは﹂ ﹁だってむずかしい﹂ ﹁トラも観てたの? 中継﹂ ﹁うん﹂ 345 ﹁でもあれ、ネット中継だけでしょ。あんたパソコンもスマホも持 ここ ってないじゃない﹂ ﹁うん、だから管理人室で観てた。伯母さんといっしょに﹂ ﹁え、ここで観たの? 何よ、ならわたしもここで観たらよかった。 母さんも教えてくれたらいいのに﹂ 不服そうに唇をとがらせ、舞はみずからの母親を見やった。 ﹁ふふ。ふたりきりで観たかったのよ﹂ 卵を焼きながら、敦子が答えた。 ﹁将棋のシの字も知らないくせに﹂ と、半眼でぼやきつつ、舞は虎ノ介の肩に腕をまわした。 ﹁ね、母さんに変なことされなかった?﹂ 身をよせ、小声で問いかける舞のまなざしは真剣である。 腕にやわらかな胸が押しあてられ、虎ノ介はわずかに身を硬くし た。 当惑そうに舞をながめやる。 ﹁変なことって?﹂ ﹁ううん、何もなかったんなら、べつにいいんだけど。忘れて﹂ 舞が体を離したところで、敦子が朝食を運んできた。 ﹁何? ふたりでこそこそと内緒話なんかして。わたしもまぜなさ い﹂ 346 むっ、と眉根をよせ云う。 その様子が可愛らしく思われ、虎ノ介はつい微笑を浮めた。 ハムエッグとトーストの皿を受け取りつつ、﹁いえ、たいした話 じゃ﹂答えた。 ﹁いいじゃない、たまには﹂ そっぽ 苦々しげに云い、舞は外方を向いた。 とし ﹁いい年齢して、母さんって、ほんとうにずるいわよね。ただでさ え人間離れした若づくりのくせに、トラといつもいちゃいちゃして さ﹂ ﹁云ってくれるわね﹂ 不敵な面構えで、敦子は己が娘へと、視線を向けた。 ﹁そうね、否定はしないわ。たしかにわたしは虎ちゃんが好きだし。 見た目にも気をつかっているわ。年齢を云い訳にしたくないもの﹂ ﹁母さんのそういうところがいやなのよ。もう四十にも手がとどこ うってのに、二十代にしか見えない母親がいるなんて。ちょっとは わたしの気持ちも考えてほしいわ﹂ 舞は嘆息した。 敦子は虎ノ介の隣にすわると、 うち ﹁そんなこと云うけれど、これは家の女系の特徴みたいなものよ。 さが あなただって、あと十年もすれば、きっと感謝するわ。いくつにな っても好きな男の子によく見られたいっていうのは女の性でしょう﹂ 347 こう云い、虎ノ介の頭をなで、引きよせた。 虎ノ介は敦子の、むっちりとやわらかな身体に、顔をうずめる形 となった。 すかさず逆隣にすわっていた舞が、引き剥がしにかかった。 ﹁わたしのことじゃなくて、母さんの振る舞いが問題なの﹂ またはじまった、舞に抱き締められながら、虎ノ介は思った。 事あるごとに繰り返される母娘の云い争いは、もはやおなじみで ある。 これがふたり流のコミュニケーションなのだと、虎ノ介も知って いた。 特に、敦子はこうした会話を、どこかたのしんでいる節がある。 おどろきはしなくなったものの、しかしできればやめてほしいと いうのもまた、虎ノ介の偽らざる心情であった。 彼女たちのあいだにあって、いつも愛玩動物のごとく、あつかわ れる虎ノ介である。 ◇ ◇ ◇ ﹁二〇二号室の玲子さんだけど﹂ 朝食を終え、みなでお茶を飲む段になり、敦子の云い出したこと があった。 ﹁虎ちゃんをしばらく借りたいって話﹂ ﹁ああ、それ。聞きました﹂ 348 緑茶をすすりつつ、虎ノ介は答えた。 ﹁なんだか仕事の手伝いをしてほしいと云ってましたけど﹂ ﹁そうらしいわね。受けるの?﹂ ﹁考えてます。バイト代ははずむって云ってくれたんですけど、ど うかな。おれなんか、あんまり役に立てない気がするし﹂ 虎ノ介は率直に云った。 ﹁迷惑かけたくないから、断りたい気持ちの方が強いな﹂ ﹁そう? 向こうだって、あなたにそこまでの期待はしてないと思 うわよ﹂ 敦子と舞は紅茶を飲んでいる。 舞が云った。 ﹁やめたら?﹂ ﹁姉さん?﹂ ﹁トラ、最近あんまり勉強してないでしょ。よく夜遊びしてるみた いだし、バイトなんかしてる暇あるわけ?﹂ ﹁うん。⋮⋮そう、そうだね﹂ 舞に云われ、虎ノ介は急に決まり悪く思われてきた。 実際、虎ノ介自身、反省していることである。 ︱︱色に溺れている。 この思いが、ここのところ、虎ノ介の脳裏には常にある。 僚子や朱美、準の肉体をむさぼることに夢中となって、肝心のこ とができていないでいる。 ﹁そんなことはないわ﹂ 349 しかし、そんな虎ノ介の考えを否定するように、敦子は虎ノ介を かばった。 ﹁いいのよ。虎ちゃんはアパートのみんなの手伝いをしてるんだか ら。それに勉強なら、ちゃんとしてるわ。僚子先生もときどき見て くれてるらしいし。ね、虎ちゃん?﹂ ﹁え、そうなの?﹂ それ、ほんとう? と、途端に舞はあわてた風となって、虎ノ介 に向かった。 ﹁え? う、うん。僚子さんたちの時間が空いてるときに﹂ ﹁たち!?﹂ ﹁あっと、歴史と国語は朱美さんが。準くんにも英語なんかを﹂ ﹁ちょっとどういうことよ。あなたの教師はわたしでしょう﹂ 食ってかかる舞を、敦子は﹁はいはい、落ちつきなさい﹂となだ めてから。 ﹁だれが教えたっていいでしょう、そんなこと﹂ ﹁それはそう、だけど⋮⋮。うう﹂ くやしげにうつむき、舞は口唇を噛んだ。 ﹁泣くんじゃありません。まったく⋮⋮ほんとうに子供なんだから﹂ ﹁泣いてないっ﹂ ﹁とにかく。虎ちゃんは勉強がんばってるわ。それにアパートのみ んなにも気に入られてる。これはいいことよ。だからみんな、虎ち ゃんを応援してるんだもの。姉のあなたが否定してどうするの﹂ 350 ﹁だって、トラに教えるのは、わたしのはずなのに﹂ じわりと、潤んだ目で、舞は虎ノ介をにらんだ。 虎ノ介は、舞から視線をはずしつつ、茶をすすった。 敦子が云った。 ﹁勉強は大事だけど、だからと云って、何がなんでも大学へはいら ないといけないってわけじゃないんだもの。虎ちゃんのできるペー スでゆっくりやればいいわ﹂ ここ ﹁それは、わたしだってそう思うわよ。トラがいい大学はいったり、 いい企業に就職する必要なんか全然ないし、ずうっと片帯荘にいれ ばいいんだから。でも教養として、勉強はした方がいいじゃない。 だからわたしは︱︱﹂ ﹁そうね。虎ちゃんもそれはわかってるわよ。その上で好きなこと をするならいいでしょう﹂ ﹁で、でも。母さんだって、バイトは反対してるって︱︱﹂ ﹁今度のはバイトと云っても、ただの手伝いでしょう。それに一週 間程度の話らしいし﹂ 安心しなさいと、ひと口紅茶を飲んでから、さらに敦子はつづけ た。 ﹁虎ちゃんもね。できれば玲子さんを気にしてあげて。虎ちゃんは 知らないかもしれないけど、あのひと、去年、倒れて救急車で運ば れたりしているから﹂ ﹁倒れた、ですか?﹂ ﹁ええ。過労とストレス、それに栄養不良が重なって﹂ ﹁そうなんですか﹂ 敦子はうなずいた。 351 舞もまた﹁あー、そんなこともあったわね﹂とつぶやく。 ﹁まじめって云うか、ちょっとシリアスすぎるところがあるのよ、 あのひと。いつもきりっとしてて、眉間にしわをよせて、でもなん か余裕ないって感じで﹂ そう舞は評した。 たしかにそうだ、と虎ノ介は思った。 僚子の仏頂面や、準のポーカーフェイスとはまたちがう、玲子の、 冷然とひとを見下した態度。 高慢と独善の混じったような目つき。 そこに、どこか追いつめられたような、くるしさが感じられるの である。 ﹁僚子先生も気にしててね。最近また元気ないらしいから。だから 虎ちゃん、しばらく玲子さんの様子を見てあげてくれる?﹂ ﹁おれが、ですか?﹂ ﹁仕事はともかく、虎ちゃん料理とかは得意でしょう? そういう 方面ならフォローできると思うわ。彼女の粗食がすぎるようなら、 わたしも手伝うから﹂ ﹁はあ﹂ 曖昧に、虎ノ介はうなずいた。 ﹁それじゃあ、おれに何ができるか、わかりませんけど︱︱﹂ こ いや できるだけはやってみよう、虎ノ介は思った。 敦子に請われれば否とは云えない虎ノ介である。 ﹁仕方ないわね﹂ 352 へいげい 舞の、つまらなさそうにつぶやくのを聞きながら、虎ノ介はあの 苦手な女社長の顔を思い浮かべてみた。 ⋮⋮記憶のなかの彼女は変わらず。つめたく虎ノ介を睥睨していた。 353 女社長、氷室玲子の場合 その4 結論から云うなら、虎ノ介の懸念は杞憂であった。 実際のところ、玲子は虎ノ介に、みずからの仕事を手伝わせよう などと考えていなかったし、またその要求もシンプルだった。 彼女が虎ノ介に望んだもの。 それは、虎ノ介が、彼女のそばにいることだった。 それのみであった。 うち ︱︱キミに会社の仕事やれって云っても無理でしょうし。 こう云って、玲子は虎ノ介を冷ややかに見たのである。 虎ノ介は、はなはだおもしろくなかった。 だったら呼ぶな、と云ってやりたい気がした。 虎ノ介が玲子に拘束された時間は、朝の出勤時から夜帰宅するま で。 ほとんど一日中である。 しかも、どうやら食事に同席するのも、虎ノ介の務めであるらし い。 敦子と僚子に頼まれたのでなければ、絶対に断っている話である。 ︱︱玲子をたのむよ。あれはあれで、実に可愛らしい女なんだ。 こうした僚子の言も、虎ノ介の心を慰めはしなかった。 おもいやり むしろより重苦しい感じを彼にあたえた。 僚子の友人に対する同情を知るにつれ、虎ノ介はどうして自分な ぞにその役目がまわってきたのか、ということに頭を悩ませた。 いつもの自己不信から、思いがけず生じた責任から、逃れたいと 354 思うようになってきた。 そして、そんな彼の憂鬱は、玲子の叱責により決定的となった。 ︱︱その格好で会社へくるつもり? 朝、普段着のままあらわれた虎ノ介を見、玲子は険しい表情を浮 かべた。 ︱︱べつに、あなたに仕事をしろと云うつもりはないけど。それに しても身なりぐらいしっかりしてちょうだい。遊びと勘違いされち ゃこまるわ。 と、あきれと侮蔑のこもった声調で、虎ノ介にスーツに着替える よう命じたのであった。 スーツなど虎ノ介は持っていなかった。 母の葬式のときですら、借り着ですませた虎ノ介である。 そのことを正直に告げると、玲子はますます不興げな顔になった。 ︱︱これだからニートは。 眉根をよせ、吐き棄てる玲子に悪意はなかったろう。 ひとりの社会人として、ごくあたりまえの意見を述べたにすぎな い。 物知らぬ田舎者を嗤うつもりもない。 ただ青年の心に、棘が刺されただけである。 虎ノ介はちいさな反感と、それよりも大きい羞恥とを得て、悄然 と首をたれた。 ﹁すいません﹂とだけ告げ、彼は玲子が話をつづけるのを、だまっ て聞いた。 355 ︱︱まあ、事前に云っておかなかったわたしにも責任はある、か。 いいわ、きなさい。 溜息をつきながら云って、玲子は虎ノ介を連れようとした。 虎ノ介はとまどった様子を見せ、どこへいくのかを尋ねた。 今度の話は、てっきりなくなったものと、彼は思いこんでいた。 ︱︱あなたのスーツよ。会社へいく前に買いましょう。 すこしぐらいなら時間あるから。 と、玲子は腕時計を見つつ云った。 そんな金はない、そう虎ノ介が答えると、 ︱︱そんなの、わたしが出すわ。 決めつけるようにして、玲子は虎ノ介の手をつかんだ。 こうして朝、虎ノ介は玲子に引かれる形で、アパートをあとにし たのだった。 ◇ ◇ ◇ ﹁うん、なかなか似合ってるじゃない﹂ スーツ姿の虎ノ介に向かって見て、玲子は、満足げに目をほそめ た。 ﹁こうやって、きちんとした格好すれば、それなりなのよ、あなた﹂ 356 虎ノ介の首に手をのばし、ネクタイを直しつつ云う。 虎ノ介の目に玲子が映る。 虎ノ介は、はじめて間近で玲子を見た。 まつげ つりあがった意志の強そうな目。 花のように咲いた、長い睫毛。 酷薄な雰囲気をかもす紅い唇。 短い髪は、毛先がすこし巻いている。 玲子はネクタイの歪みをただすと、虎ノ介の頬へ手をそえ、確か めるようにわずかに身をそらせた。 ﹁ん、いい男﹂ 虎ノ介は答えに窮した。 彼は自身の容姿を十分に自覚している。 玲子の言葉も、単なる愛想としか思われなかった。 くわえて心の深いところに女性に対する不信があった。 高級な店で、虎ノ介などのため、数十万もの金をつかう玲子。 そんな彼女に対し、虎ノ介は疑念をいだかずにいられなかった。 ときに、女は男を試すものだと、知ってもいた。 虎ノ介の服や靴をひと通りそろえて、すべての代金をカードで支 払うと、玲子は店をあとにした。 虎ノ介もそれにつづいた。 ﹁残りはあとで取りにきましょ。急場仕立てだけど、今日はそれで 我慢なさい﹂ くるま 玲子は手ずから、車輌の後部座席に荷物を置き。 代わりにひとそろいのローファーを引き出して、パンプスと履き 替えた。 そうして運転席へとまわった。 357 ﹁ほら、何してるの。さっさとのって。だいぶ遅れたから急がない と﹂ 虎ノ介をうながす。 ﹁お金はきっと、あとで返しますから﹂ 虎ノ介は云った。 喉がかすかにふるえた。 脳裏には、まず宮野の店でのバイトが通り過ぎた。 わ 敦子や朱美には、できるだけ頼りたくないという思いも過ぎてい った。 彼はどうにかして、金の工面を考えないわけにいかなかった。 ら 玲子は、助手席へついた虎ノ介をながめやると、不思議そうに微 笑った。 ﹁お金のことは気にしなくていいって云ってるでしょう。キミみた いのから、取ろうなんて思ってないわよ﹂ ﹁そういうわけには﹂ ﹁ふぅん⋮⋮﹂ 虎ノ介のこだわりを見て、玲子の目つきは、途端に鋭く変わった。 プライド ﹁男の矜持傷つけちゃったか﹂ 虎ノ介は答えなかった。 矜持などない、と心中でつぶやいた。 ためし そんなものには生まれたときから縁がない、そう思ってもみた。 実際、虎ノ介は、己に自信を持った例などなかった。 358 しくじり さけ 過去を見れば、挫折と苦い後悔ばかりである。 思い出せば、はずかしさに咆哮んで、顔を覆いたくなるような記 憶もある。 あるいは人柄だけ見れば、そう悪くないと、かつてひそかに思わ ぬこともなかった。 だがそれが錯覚であると気づくのに、さほどの時間はいらなかっ た。 現実というものに接して、無力であることを、何か純粋で尊いも のかのように見ていた自分がある。 哀しみと痛みとを、アイデンティティにしている自分がある。 女を憎んでいる自分もあった。 そんなグロテスクさを己に見出したとき、彼は戦慄した。 他人の不徳をただせるほど、価値ある自分など、そこにはいなか った。 そう思いつつも、昏い快感は、執拗に彼につきまとった。 法月伊織に棄てられた自分を、自己憐憫の感傷味でもってながめ る久遠虎ノ介を見つけ。 彼は、人間に自由性などないと、思いきわめたのだった。 からだ ︱︱この世に、生きようとして生きる肉体などない。 こうした言葉を、虎ノ介は己に問いかけてみた。 法月伊織の父︱︱悟朗が、幼い虎ノ介に、語って聞かせたこの言 葉は、人間の不遜をたしなめる言葉であった。 自分ひとりで生きているような気になるな。 おまえは、自分の心臓すら操れないのだと。 実感 は痛みをともない、成長した虎ノ介を打ちのめした。 自分の内に何があるかすら、知ってはいないのだと。 その きもち 肉体どころではない。 自分の精神すら、彼はろくに操れなかった。 359 だれかを好きになる気持ちも、だれかを憎いと思う気持ちも、だ いつわり れかを蔑む気持ちも、己を卑しむ気持ちも、計算式のように割り切 れるものではないと知った。 ⋮⋮確固として、理想的な自分など仮偽でしかなく。 とうかい 世界に、思い通りになるものはないと知った。 否定と肯定と韜晦と懺悔とを繰り返し、結局のところ、自己の値 打ちは、砂粒ほどでしかないと、虎ノ介は断じた。 自分は、世界に数多ある、石ころのひとつだと思った。 それは自己を投げ出す殊勝な姿勢ではけっしてない。 心の奥底。弱さを武器とし、他者を見下げているからこそ、そう 判断するよりないだけの︱︱真実、矛盾した態度であった。 ﹁景気の悪い顔しちゃって﹂ 玲子が云った。 虎ノ介は静かに笑って見せた。 沈んだ気分になるほど、彼は自己を解剖していく傾向にあった。 そのようなとき、彼の頭は奇妙に冴えざえとしてくる。 いつか過去にかわした会話なども思い出されてくる。 ︱︱誇りと虚栄心はちがうのよ。 ようえい こう云ったのは、はたしてだれだったか。 記憶の海を揺曳しながら、虎ノ介はゆっくりと玲子に向けて答え た。 ﹁よく云われます。器ちいさいとか不景気とか、それから辛気くさ いなんて。自分じゃ、そんなつもりないんだけどな﹂ にこやかに笑って、虎ノ介はシートベルトを締めた。 360 ﹁︱︱︱︱!﹂ それの何がおどろきだったのか。 幾分ぎょっとした様子で、玲子はしかめつらになった。 ﹁どうしたんです?﹂ ﹁やめてよ、そんな顔︱︱﹂ 険しい表情のまま、目をそらして、玲子は云った。 ﹁顔?﹂ どこか変だったか、と虎ノ介は、顔を鏡に映してみた。 そこにあるのは、いつもの平々凡々とした青年である。 別段おかしなところはなかった。 ﹁ん、どこもおかしくないと思うんですけど﹂ あごをなでつつ、虎ノ介は云った。 玲子は、無言のままエンジンをかけ、車を発進させた。 虎ノ介は心配な気持ちになってきた。 顔や言葉には気を配っていたので、先日の準のときのような失敗 はしていないはずだ。 落ちついている、そう思った。 しかし、それ以外で、彼女を怒らせた可能性は否定できない。 ︵いや、今日は朝から怒られてばかりか︶ 苦笑しつつ、機嫌をうかがうようにして、虎ノ介は玲子の顔を見 361 やった。 かお 玲子はわずかに蒼ざめた表情で、前を見ている。 そっと虎ノ介は尋ねた。 ﹁もしかして、怒ってますか?﹂ 玲子は答えなかった。 ﹁服のことだったら、その、すいません。はは、ほんとうはうれし いんですけど。ただ安い買い物じゃないから、云われるまま受け取 ったら、伯母さんに怒られるかもしれない。なので伯母さんに訊い てみてからにしたいな、と。⋮⋮あ、ほらウチって、伯母さんが最 高権力者じゃないですか。おれは居候みたいなもので逆らえないん です﹂ 玲子は答えない。 虎ノ介は溜息をつき、そして頭をかいた。 やっぱりこの女性は苦手だ、と思った。 ふたりの間に沈黙が下りた。 仕方なく虎ノ介も口をとじた。 元々、常日頃から黙しがちな虎ノ介である。 一度だまってしまえば、沈黙もたいして気にはならなかった。 虎ノ介は窓の外をながめた。 街は変わらずに騒々しく、都会の空は排ガスで汚れている。 車はだんだんと、その速度を速めていく。ややあって。 ﹁べつに怒ってなんか︱︱﹂ ない。と運転席からのそんな︱︱聞き取れないほどの弱々しい声 を認め。 362 虎ノ介はそちらへ振り向いた。 363 女社長、氷室玲子の場合 その5 ﹁え?﹂ ﹁だ、だから。怒って⋮⋮ないから﹂ もう一度、今度はすこしだけ強く、玲子は云った。 静かにハンドルを切る。 路面の溝でも踏んだのか、車体ががたんと揺れた。 玲子はつづけて、何かを云いたい様子を見せて、しかし結局は何 も云わず。 ただ﹁ほぅ⋮﹂と、ちいさい溜息をついた。 それから一分ほどを沈黙で過ごしてから。 ねぇ、と考え深い目つきをして云った。 ﹁恋人が複数いるって、どんな気持ち?﹂ 質問は直截だった。 ﹁どうして、それを﹂ ﹁僚子の恋人なんでしょ、あなた﹂ ﹁恋人って云うか﹂ 虎ノ介は動揺した。 ひと そんなことまでも僚子はしゃべったのかと考えた。 基本的に、ハーレムのことは他人に話さないというのが、彼らの 暗黙のルールになりつつある。 特に敦子や舞に知られるのを、虎ノ介はことのほか恐れている。 364 女たちもその辺は気を払い、片帯荘周辺では、虎ノ介との恋人関 係を隠している。 その上で僚子が話したというのであれば、これは心配する必要が ないということだ。 虎ノ介としても、敦子らにさえ知られなければ、これといってか まうことのない話ではあったが︱︱。 ﹁安心しなさい。だれにも云ったりしないわ﹂ 虎ノ介の不安が伝わったのか、こう玲子は落ちついた口調でもっ て聞かせた。 ﹁はあ﹂ シフトレバーに置かれた、ほそく優美な手を見ながら。 虎ノ介は曖昧に返事をした。 ﹁一応、そうなってるみたいです﹂ ﹁一応?﹂ 聞き返す玲子の言葉にかすかな棘を感じ、虎ノ介はふたたび窓の 外へ視線をやった。 大型のバイクが、彼の目の前を過ぎた。 歩道をゆく人々も目にはいった。 四、五歳くらいの、ちいさな男の子が、母親に手を引かれている のも映った。 虎ノ介はじっと、その遠ざかっていく親子の姿を見つめた。 ﹁一応って﹂ 365 はきとしない虎ノ介の態度に、玲子はアクセルを踏みつつ聞き返 した。 何か満足のいく答えを得ようとして。 ﹁彼氏に一応も何もないでしょう。⋮⋮僚子はね、無愛想で変人み たいなあつかいされるけど、でも根はイイ女なんだから﹂ ﹁そうですね﹂ 虎ノ介は同意した。 ひと ﹁素敵な女です。おれには不釣合いなくらいの﹂ ﹁え?﹂ この答えに、玲子は心底、意外そうな声を出した。 横目で、虎ノ介をちらと見やる。 ﹁べ、べつに不釣合いってことはないのじゃない?﹂ ﹁そうかもしれません。だけど結局、決めるのはおれじゃない。僚 子さんだ﹂ ﹁どういう意味?﹂ と、 現実、彼氏で ﹁おれは僚子さんが好きです。手放したくない。でもそれだけです。 はべつのことだ﹂ おれが僚子さんの彼氏でいたいと思うこと いられるかどうか 独特の云いまわしで、虎ノ介は述べた。 それが彼の恋愛観だった。 相手も自分も、男も女も関係ない。 恋情や愛などというものは、たがいに想われてこそ、もとめあっ てこそ意味があると虎ノ介は考えていた。 そこに例外などない。 366 だれであろうと、気持ちが離れてしまえば、 ある。 それで終わり おわり で 本質的に、責任や倫理では縛れぬことであり、その点においては むつごと 僚子も、準も、朱美もおなじだった。 どんな規律も、約束も、睦言も関係はなく、いつ目前に終局が訪 れても不思議でないもの︱︱それが虎ノ介にとって恋愛だった。 いつか︱︱法月伊織とおなじように、別れのときがやってくるだ ろう。 願わくは、そのときがくるまで、彼女たちを傷つけずにおきたい、 と。 虎ノ介はひそかに思っていた。 そして別れに際しては、綺麗に受け入れられる自分でありたいと。 しかしそうした自信など、実のところ、まるでないのであったが。 ﹁あなたが彼氏なのは、まぎれもない事実でしょう?﹂ ﹁僚子さんが思っているかぎりはそう、です﹂ ぼんやりと、窓の外をながめながら、虎ノ介は答えた。 そしてあらためて﹁いや⋮⋮﹂と苦っぽく笑んで頭を振った。 ︵ばかなことを云った︶ 虎ノ介は思った。 こんなこと、他人に云ってみたところでどうなると云うか。 自分の心情など、語って聞かせるべきものでも、理解をもとめる ものでもない。まして部外者に。 こうした考えをもって、虎ノ介は口をつぐんだ。 普段、僚子たちを前にしても、このようなことはけっして云わな い虎ノ介である。 女たちも、聞けばおもしろくないだろう。 367 ︱︱おまえはおれのモノだ。 こう云われて、よろこぶ女たちなのだ。 だが虎ノ介は玲子に本心を語った。 憂鬱な気分が、玲子から配慮を引き出そうとしたのだ︱︱と。 彼は甘えた自分を、何かにつけ、ひとにふれようとする自分を、 はずかしく思った。 ﹁つまらないことを云いました。忘れてください﹂ ﹁忘れて、って﹂ 玲子は虎ノ介に向けて、とまどいのある、どこか接し方を決めか ねる様子で。 ﹁わ、わたしはべつに。あなたが僚子を好きならそれでいいんだけ ど﹂ とだけ云った。 それきり話題は途絶えた。 玲子は何度か話しかけようとしたが、結局、話がはずむことはな かった。 虎ノ介は、丁寧ながらも距離を置く姿勢を見せて、玲子を拒んだ。 恋人について言及されたことが、彼の態度を決定的にしていた。 ぎょうこう ⋮⋮玲子と話すほどに、卑屈な気分が引き出されてくる。 うすもや 今のしあわせが何か、特別な僥倖であると思われてくる。 へいぜい 自分が愛されることへの疑問。 平生、見ないようにしてきた違和感が、薄靄のごとくあらわれて くる。 368 そうした感情を虎ノ介は持てあました。 ︵苦手だ、この人は︱︱︶ 虎ノ介は繰り返した。 寂しい心が。虎ノ介の胸のなかに起こってきた。 ◇ ◇ ◇ 月野市にある玲子の会社へ着いてから、虎ノ介はひとりで置かれ ることとなった。 玲子のいないあいだに、ちょっとしたトラブルが起きたらしく、 ひっきょう 玲子はその後始末に追われ、いそがしくはたらく羽目となった。 畢竟、玲子に、虎ノ介を見ている暇などなかった。 ﹁じゃあ、おれは電車で帰ります﹂ ちいさなオフィスビルの一画。 そのなかで虎ノ介は静かに云い、玲子を見た。 玲子は腕の時計を見つつ、すまなそうに謝罪を口にした。 近くで、だれかひとを呼ぶような声があった。 電話の鳴る音もあった。 談笑の響きもまたあった。 ﹁ごめんね。ほんとうなら、今週は暇な予定だったんだけど﹂ ﹁仕方ないですよ﹂ ﹁昼もいっしょできなくなっちゃったわ﹂ ﹁そこらですませますから﹂ 369 ﹁そうしてもらえると助かるわ。帰り方、わかる?﹂ ﹁八王子が近いんですよね。そこまで出れば、たぶん、だいじょう ぶです﹂ ﹁そうね﹂ そうして。玲子は口もとに手をあて、考えこむようにした。 ﹁もうすこし﹂ ﹁え︱︱?﹂ ﹁もうすこしくらい話せるかな、って思ったんだけど、ね﹂ わら 微笑う玲子の顔には、何か寂しげな色があった。 ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁もしかして、わたしのこときらいだった?﹂ 虎ノ介は首を横に振った。 まっとうな人間 の代表である。 きらっているのはそちらではないか、と彼は問い返したかった。 虎ノ介から見れば、玲子は 才気にあふれてい、世間に対し自分が思ったとおりに振る舞える。 そのようなひとである。 虎ノ介とは、正反対の人である。 その玲子が何を云いたいのか。 虎ノ介にはよくわからないでいた。 虎ノ介がきらおうが、どうしようが、彼女になんの意味があるだ ろう。 ︱︱おれのことなど、歯牙にもかけちゃいないくせに。 虎ノ介の考えはこの一点に落ちていった。 370 こうした劣等感は、彼をいっそうみじめにした。 ﹁まさか。氷室さんのこと好きですよ、おれ﹂ 自分の心を努めて押し隠し、虎ノ介は笑った。 ﹁嘘ね﹂ す 言下に否定し、玲子はやさしげな目で虎ノ介を見つめた。 すと手をのばし。虎ノ介の髪を梳く。 虎ノ介は息を呑んだ。 ﹁どうして⋮⋮﹂ 発した言葉は、かすかにひび割れていた。 うそ ﹁相手の虚偽くらい見抜けなくちゃ、経営者なんてやってられない のよ﹂ おどろきつつも、虎ノ介は表情をくずさなかった。 仮面をかぶることに慣れてもいた。 彼は苦笑した。 ﹁すごいな﹂ ﹁そうでしょう﹂ ﹁でも、あたり半分ってとこです。べつにきらってやしない﹂ ﹁そう?﹂ ﹁ええ。正直に云えば、美人が苦手なだけです。緊張するから﹂ 肩をすくめ、大きく息を吐き出して云った。 371 ちいさく。玲子は首を横に振った。 ﹁それも嘘、か︱︱﹂ ﹁︱︱︱︱﹂ ﹁ブティックのあと、駐車場で見せた顔。あれが一番生だったな﹂ こう云ってから、玲子は離れていった。 パーティション 虎ノ介は無言のまま玲子を見送った。 間仕切りの向こうに、玲子の姿が見えなくなると、彼は興味深いと いった目つきで周囲を見回しながら、おもむろにその場をあとにし た︱︱。 オフィスを出てから、虎ノ介はあてどなく街をぶらぶらとするだ けであった。 ⋮⋮玲子の寂しい微笑は、虎ノ介のなかに種々の、説き明かせない 感情をもたらしていた。 一部だけを見れば、それは罪悪感であったり、嫌悪であったり、 おり また憧憬であったりもした。 それらは澱のように腹底へ残って、虎ノ介の気分を優れぬものに した。 ﹁虎ノ介くんじゃないか﹂ やがて。見知らぬ街をとぼとぼと歩く背に、声をかける者があっ て、虎ノ介は振り向いてうしろを見た。 ひとりの中年男が、虎ノ介の方を向いていた。 ﹁浩さん﹂ 372 そこにいたのは宮野だった。 ﹁よお﹂と手をあげる宮野は、虎ノ介と同様めずらしく背広姿で、 普段より引き締まった印象があった。 ◇ ◇ ◇ 辺りには、香ばしい匂いがただよっている。 振るわれる鍋と、おたまのぶつかりこすれる音。 はじける熱と油の音。 換気扇のまわる音などが耳にとどく。 中国訛りのある日本語も聞こえてくる。 昼どきのニュースを告げるテレビの声もある。 ぬく 所用で近くを訪れたという宮野に誘われて、虎ノ介はちいさな中 華料理店にいた。 宮野のお気に入りのその店は、こぢんまりとした構えで、温みの ある家庭的な空気と、人なつかしげな店主が印象的であった。 虎ノ介は、L字なりのカウンターから、しきりと厨房をながめて みて、店主の手元が見えないか、どんな料理をするのか、知りたい 気分に駆られた。 ﹁なるほど。それで浮かない顔をしてたのか﹂ 紫煙をくゆらせながら、宮野はネクタイをゆるめた。 373 ﹁そうか、氷室くんがな﹂ 煙草のからいけむりから顔をそむけ、虎ノ介は壁一面に貼られた メニューを見た。 油で薄汚れた紙に、手書きで料理名が書かれてある。 虎ノ介の知らない料理の名も記されてある。 ﹁ちょっときついところがある、彼女は﹂ 話を聞いた宮野は、そう云って二度三度とうなずいて見せた。 374 女社長、氷室玲子の場合 その6 ﹁だが、キミはあまり顔に出すタイプじゃあないと思うがな。実際、 ほかの住人とは、うまくやってるだろう﹂ ﹁そうですけど。でも、どうもあのひとだけは苦手で﹂ ﹁ああ。してみるとよほど相性が悪いんだろう。天敵、仇敵、捕食 者。⋮⋮そういう類の相手かな﹂ ははは、と快活に笑う。 笑いごとじゃないと、冷水を飲みながら虎ノ介はぼやいた。 ﹁あのひと、なんだかよくわからない理由で不機嫌になるから﹂ ﹁ふん? なるほど。理由がよくわからない、か﹂ くわ 宮野は銜え煙草のまま、ゆっくり腕組みをした。 ﹁案外、向こうもおなじことを考えてるかもしれない﹂ あごをなで、思案げな体で云う。 ﹁え?﹂ ﹁虎ノ介くんは、感情を殺すのがうまい。だが基本的に器用じゃあ ない。まあ根っこのところじゃ不器用なタイプだろう﹂ 紫煙を吐き出しながら、宮野は穏やかな表情をつくった。 アパート つくってない キミをだ﹂ ﹁キミがきて二ヶ月。片帯荘じゃ、そろそろみな、素のキミを知り つつある。つまり 375 ﹁はあ﹂ ﹁あまり接点のない氷室くんにしろ、キミの人となりくらい知って いるだろうさ。普段のキミは自分から壁をつくったりしない。そん なキミが、彼女の前だとひとが変わったように緊張する。一切本心 を見せなくなる。まるで敵に出会ったようにね。そんなところが彼 女からすれば、おもしろくないのかもしれない﹂ ﹁そ、それは﹂ ﹁その様子じゃ心当たりがあるようだね﹂ 云いつつ、宮野は灰皿に煙草を押しつけた。 ﹁そうは云っても、あのひとは、おれのことが︱︱﹂ きらいなのだ、虎ノ介はかろうじてその言葉を飲みこんだ。 子供じみた劣等感を見せるのは、さすがにはばかられた。 そもそも玲子にきらわれたからといってなんだと云うのだろう。 見下されてるとして、それがいったいどうだというのか。 虎ノ介は目を伏せ、物思いに沈んだ。 他人に低く見られるのは慣れたことである。 痛みを感じつつ、それを覆い隠して生きるのも、ひとつの習いと してある虎ノ介である。 しかしその態度こそが問題だと、宮野は云うのだった。 虎ノ介は唇を噛んだ。 ﹁あーい。天津麺と炒飯、水餃子と汁なし坦々麺ネ、お待ちドサマ﹂ 料理が出されてきた。 ふたりは話をやめ、しばし目の前の料理に向かいあった。 376 ◇ ◇ ◇ ﹁さて。じゃあ虎ノ介くんはどうする? 帰るのだったら家まで送 るが﹂ 店を出たところで、宮野はこう云って虎ノ介を見た。 虎ノ介はだまって、考えこむ風に宮野を見た。 宮野はにやりとして、﹁なあ、虎ノ介くん﹂と云った。 ﹁なんです?﹂ ﹁もう放っておけよ、氷室くんにどう思われようがいいじゃないか﹂ ポケットからライターと煙草を取り出し、吸いつける。 ふぅ、と大きく吐き出して。 ﹁女なんて、面倒な生き物だぜ﹂ ふと遠い目をして、宮野は語った。 ﹁縛る、試す、裏切る。感情でうごくばかりで、それを抑える術を 知らない。男は馬鹿でどうしようもないが、女は小賢しく浅はかだ﹂ 宮野の口から出た、こうしたきびしい言葉は、虎ノ介をかなりお どろかせた。 宮野の口調には、どこか重い実感のようなものがこもっていた。 ﹁べつに男が立派だと云うつもりはない。男も女も、人間なんてだ いたいがロクでもない。等しく。等しくやりきれない。だが︱︱﹂ 377 と宮野は何かを哀しむような、あるいはなつかしむような、そん な顔で微笑った。 ﹁いつだって、男を振りまわすのは女だからな﹂ 虎ノ介は返事にこまった。 彼は宮野ほど先鋭な意見を持ってはいなかった。 女に不信を持ちながら、同時に女をたのんでもいた。 女を憎みきれるような男でもなかった。 ﹁キミの言葉で傷ついたとしても関係なんてないじゃないか。気に してやる義理はない。相手がつめたく見てくるのなら、自分はそれ 以上に軽蔑して見てやればいい。なあ虎ノ介くん、世のなかなんて そんなものさ。そして、それが一番確かなやり方だと、ぼくは思う ぜ﹂ ﹁おれは﹂ 虎ノ介は何かを云おうとした。 しかしつづけて出てくる言葉はどこにも見つからかった。 ただ哀しい気持ちだけがあった。 ﹁おれは、ただ﹂ 何かを云うべきだ、と虎ノ介は思った。 脳裏に寂しそうな目をした玲子の顔が浮かんだ。 玲子をたのむと云った僚子の顔も浮かんだ。 宮野はゆっくりとした仕草で、煙草を携帯灰皿に押しこんだ。 片頬を吊りあげ、やさしげに二度、虎ノ介の肩をたたいた。 ﹁そうしていればいい﹂ 378 と云い、宮野はうなずいた。 虎ノ介は宮野の顔を見やった。 ﹁そういう感じでいい。格好つける必要なんてないのさ。キミがど ういう感情を持って、氷室くんを見てるかは知らないが︱︱。しか しほんとうにきらいなら、わざわざ苦手な彼女につきあったりしな いはずだ﹂ ﹁あ⋮⋮それ、は﹂ ﹁もう、とっくに答えは出てるんだろう?﹂ 告げて、宮野は歩きだした。 ﹁浩さん﹂ 虎ノ介はうごかず、その背に声をかけた。 わずかだが気持ちは落ちつきを取りもどしていた。 深く呼吸をし、虎ノ介は云った。 ﹁おれ、ちょっといってきます﹂ ﹁ああ。がんばれよ﹂ 宮野は振り向かず。 ただ片手をひらひらとあげた。 虎ノ介は背中に一礼すると、宮野とは逆の方角へ歩きだした。 あせる必要はなかった。 告げるべき言葉もまた決まっていた。 ◇ ◇ ◇ 379 数時間後︱︱。 虎ノ介の姿は、玲子の会社ビル前にあった。 午後八時。辺りはすでに暗い。 街にはネオンが点り、雲ひとつない空には、明るい月が浮かんで いる。 ⋮⋮宮野と別れたあと。 虎ノ介はひとりで玲子の会社までもどり。それからビルの入口そ ばで玲子をまつことに決めた。 仕事を邪魔したくないという思いから、携帯にも連絡しないでい た。 最初、しんねりとただビルの入口付近にいた虎ノ介であったが、 不審者然としている自分を思い、さすがに人目が気になったため、 すこし離れた喫茶店に場所を移した。 そうしてコーヒーとサンドイッチでねばりながら、 ﹁まだかな⋮⋮﹂ などと時折つぶやいて、今は窓の外にビルの入口をながめていた。 ﹁もしかして直帰しちゃったのかな﹂ くるま 駐車場に車輛のないことを虎ノ介は確認していた。 つまり現在、社内に玲子はいない。 予定ぐらいは聞いてもよかったかと、彼は思いはじめていた。 話すのなら、アパートにもどってからでもよかったとも思いだし ていた。 こんなストーカーじみた真似をする必要などまったくなかったと、 彼は自分の後先考えない迂闊さに頭を痛めた。 380 ﹁何やってんだ、おれは﹂ 溜息をつく虎ノ介の前に、ことんと、細長いグラスが置かれた。 グラスには黄色いシェイクのようなものがはいっている。 虎ノ介がつと目をやると、白いひげをたくわえた、五十がらみの 店主が﹁どうぞ﹂と差し出して置いた。 ﹁えっと、たのんでません、けど﹂ ﹁サービスです。よろしければお飲みください﹂ 空の皿やカップをさげつつ、店主は云った。 ﹁いつもこの時間は客もいませんので。仕事ができてうれしいんで すよ﹂ にこやかに笑みを浮かべる。 虎ノ介は店内を見回してみた。 確かに店内はがらんとしてひろく、客は虎ノ介しかいなかった。 ゆっくりと流れるショパンの音色だけが、静かな店内を満たして いた。 ﹁すいません。じゃあありがたく﹂ 云って、虎ノ介は出された飲み物に口をつけた。 それはバナナシェイクだった。 あっさりとした甘みが、口のなかへとひろがる。 何か、緊張をほぐしてくれるようでもあった。 ﹁おいしいや﹂ 381 店主は軽くうなずいて会釈すると、近くのテーブルをふきはじめ た。 ﹁待ち人きたらず、ですか?﹂ ﹁え? ええ。まあ、そんなところです﹂ 虎ノ介は苦笑して店主を見た。 自分はそれほどに物寂しげに映ったのだろうかと考えた。 あるいは落ちこんで見えたのかもしれない、とも思った。 店主はそれきり何も云わず、また虎ノ介もしゃべらなかった。 虎ノ介の目に、赤いイタリア車が見えたのは、それから数分後の ことだった。 その車輛が地下へとはいっていくのを確認し、虎ノ介は席を立っ た。 店主に代金を支払い、礼を伝えてから、虎ノ介は喫茶店をあとに した。 そして玲子に連絡を取ろうと、携帯を取り出したところで︱︱ ﹁あれ?﹂ 虎ノ介はビルから出てくる玲子を認めた。 ﹁氷室さん⋮⋮?﹂ 玲子は携帯を片手に何かを話しながら、周囲を見回すようにした。 道路をはさんだ場所にいる虎ノ介に、玲子が気づく様子はなかっ た。 その玲子に、歩道を、離れたところから歩いてきた若い男が声を 382 かけた。 かお 男は親しげな様子を見せて玲子に近づき、玲子はどこか苦渋のあ る表情で男を見ていた。 虎ノ介は立ち止まったまま、ビル前で話すふたりの様子をながめ た。 彼らの会話は、次第に険悪な調子を帯びていくようであった。 特に玲子の方は、男に対しての嫌悪を強くしめしていた。 そのうちに突然、男が玲子の顔をなぐりつけた。 ︵︱︱︱︱!︶ 虎ノ介はうごいた。 はじかれたようにガードレールを乗り越え、流れる車列のあいだ を抜けていった。 無数のクラクションが、彼の耳朶を打った。 まばゆいヘッドライトが体を照らした。 急ぎ、ふたりのもとまでいくと、虎ノ介は倒れこんだ玲子に駆け よった。 ﹁く、久遠くん?﹂ ﹁何してんだ、アンタ﹂ 切りつけるように云って、虎ノ介は相手の男を見た。 脈拍ははやまり、声はふるえていた。 男は﹁うん?﹂と不意にあらわれたこの闖入者を、眇めるように して見た。 ﹁おまえ、だれ?﹂ 虎ノ介は答えず、玲子を抱え起こして男をにらんだ。 383 若い男だった。 体は大きく、固太りで、たくましいつくりをしていた。 シャツからのぞく日焼けした肌は、なめした革のようで、ほそく てすばやくうごく目は爬虫類のそれを思わせた。 ﹁なあ、こいつだれよ?﹂ 男は玲子に問い、玲子はわずかに虎ノ介を見たあと、 ﹁わたしの、今の恋人よ﹂ と、挑発するような声で云った。 虎ノ介は玲子の言葉に、何かを云いたい気もしたが、じっと男を ねめつけるにすませ、ゆっくりと玲子を立たせた。 ﹁マジで? へえ。あそう。彼氏できたんだ玲子サン﹂ よかったじゃん、とからかうような声をあげつつ、男は虎ノ介の そばへとよった。 ﹁よろしくね彼氏。あ、おれはさ、玲子サンと前つきあってたんよ﹂ ﹁おい、よるな﹂ 虎ノ介は手で相手を制した。 ﹁なんだよ、おい。⋮⋮そんな、おい、なあ。何そんな怖え顔して んの? はは⋮﹂ ぺちぺちと、虎ノ介の頬をやさしくたたきながら、男は笑った。 384 かね ﹁何、怒ってんの? あー、ごめんね。まあいいじゃん。な? ち ょっと金銭借りにきただけだって。べつにそれ以上なんかしようと かじゃないから。ホントはヤリたかったけどさ、まあ今日は我慢す るわ。⋮⋮おまえもうヤラせてもらった? まだ? はは、まだっ ぽいな。いいぜ、こいつ。ババアだけどな、あっちの方はマジ最高﹂ ﹁よるなってっ!﹂ 強く、虎ノ介は怒鳴った。 385 女社長、氷室玲子の場合 その7 男は目をほそめ、上唇をまくりあげるようにして、また笑った。 ﹁なんだよ、マジになるなよ﹂ からかう男の目には、虎ノ介への遠慮や敬意などわずかにもない。 あきらかに馬鹿にした目つきで見ている。 ﹁いきましょう﹂ 玲子が虎ノ介の手を引いた。 ﹁まだ終わってねえだろ、コラッ﹂ 男が怒鳴った。 びくりと、玲子の肩がふるえた。 ﹁あ、何?﹂ 虎ノ介の顔を平然と見、男は煙草を取り出し銜えた。 そうして玲子に向かい、 ﹁もういいから、こいつ帰しちゃえよ﹂ 吸いつけながら云った。 ﹁何を云ってるのよ﹂ 386 ﹁玲子サンの彼氏とか、もったいねーし、全然似合ってねーよ、こ いつ。マジヘタレじゃん。ていうか、何さっきから見てんだよ、お い﹂ 威圧的な態度を見せ、男は紫煙を吐き出した。 虎ノ介は恐怖した。 恐怖しながらも、玲子をかばうべく男とのあいだに立った。 緊張と混乱があった。 ふかん それとは裏腹に、冷静な自分もまたあった。 幼いころより培ってきた、物事を俯瞰する癖が、不意に訪れた剣 呑な場においてもはたらいていた。 玲子の存在が自分を助けている。 玲子がいなければ、とっくのむかしに逃げだしているだろう。 手の先をふるわせながら、虎ノ介はそんな風に、いささかおもし ろくも思った。 ﹁いって、氷室さん﹂ 虎ノ介は玲子に目をやった。 ﹁会社にもどって。それから警察に電話するんだ﹂ 男が舌打ちした。 ﹁なんなんテメー。おい。マジむかつくんだけど﹂ ﹁うるせえな﹂ こういう ともだち 虎ノ介は腹の底から、声をしぼり出して応えた。 荒事のときはまず腹に力を入れろ、そう語った稲城和彦の顔を思 387 い浮かべた。 おれの女 だ。手ェ出してんじゃねえ﹂ 虎ノ介は云った。 ﹁お、 ﹁︱︱︱︱﹂ 息を呑んだのはだれであったか。 次の瞬間。虎ノ介の顔面に拳がふっ飛んできた。 ﹁ッッ﹂ 鼻っつらに拳をたたきこまれ、虎ノ介は思わずよろめいた。 ひざに力を入れ、なんとか倒れるのをこらえる。 たたらを踏んだところへ、男の蹴りがつづけざま飛んだ。 腹に重い衝撃を受け、思わず虎ノ介はうめいた。 身をまるめ苦痛を噛み殺す虎ノ介の襟首を、男がぐいとつかんだ。 ﹁殺されてえか﹂ 吐き棄てるように云い、男は虎ノ介を引き起こした。 顔と云わず腹と云わず、男のひざが虎ノ介を打った。 ⋮⋮悲鳴があがった。 ﹁やめて、やめてよ︱︱﹂ 金切り声を発し、玲子が男にしがみついた。 そこでようやく男は虎ノ介を放した。 虎ノ介は二、三歩よろめき、その場へと倒れこんだ。 玲子が取りすがった。 388 ﹁久遠くんっ、久遠くんっ﹂ 虎ノ介は目を開けてみた。 その目に、涙に濡れた玲子の顔が映った。 虎ノ介の視界は紅く、朱に染まっていた。 こご 倒れたときにガードレールに打ちつけたせいで、ひたいが切れ、 出血していた。 ぐらぐら揺れる脳内と、鼻孔と喉奥に凝る血の鉄くささを意識し ながら、虎ノ介は四肢に力を入れた。 よえ ﹁弱えくせに調子のんな、ばか﹂ どくづ 唾を吐き、男が毒吐いた。 ﹁だいたい、おまえなんかの女じゃねえっつの。おれのだぜ、そい つは。ここ一年はおれとヤリまくってんよ。勘違いしてんなって童 貞が﹂ 煙草を放り棄て、告げる。 ﹁アンタなんか⋮⋮!﹂ 怒気を孕ませた調子で玲子が罵った。 ﹁ばかっ。アンタなんか、アンタみたいな男、好きじゃないんだか ら。もう、もうアンタとは終わってるんだ﹂ ﹁ああ、いいから。十万でいいから貸せよ。そうしたら今日のとこ ろは帰る﹂ ﹁だれが︱︱﹂ 389 玲子に最後まで云わせず、虎ノ介は身を起こした。 ﹁久遠くん?﹂ 玲子をどけるようにして立ちあがると、虎ノ介はふらつく体で男 に飛びかかった。 呆気にとられる相手の目前で、体を沈ませ、そのまま足もとへぶ つかっていく。 もつれこむように二人は倒れた。 虎ノ介は男へのしかかる、夢中で拳をふるった。 あご、側頭部、そして肝臓。 めくらめっぽう あとじさ 人体の急所を思い出しながら、しかし実際のうごきは、ほとんど 盲滅法に。 虎ノ介は相手を殴りつけた。 けれどそうした反撃も長くはつづかなかった。 男は力にまかせ虎ノ介を引きはがすと、すぐさま蹴りつけ後退っ た。 口もとに血がにじんでいた。 ﹁調子にのりやがったな﹂ い 云って、男はふところから何か、ちいさな物を取り出だした。 ナイフだった。 あざけりの響きはなくなっていた。 まとも ﹁正気じゃない﹂ 虎ノ介は紅い唾をぺっと、アスファルトの歩道に吐き出して云っ た。 喉がふるえ、声はかすれていた。 390 ネオンサイン ちっぽけな刃が街明かりを受け、ぎらっぎらっと光った。 虎ノ介は玲子を見た。 とにかくどこか、建物のなかに逃げこむべきだと思った。 玲子の方へ向け、手をのばした。 ⋮⋮その手を玲子が取った。 ほそい、すべやかな手が、虎ノ介を大事そうにつかんだ。 ﹁冗談だろう?﹂ そんなふたりの様子に、何か気づいたものでもあったのか。 男は顔をうつむけ、うめくように云った。 ﹁そんなやつが好きだなんて、う、嘘だよな、玲子サン﹂ 玲子は答えなかった。 男が顔をあげた。 その目は血走り、虎ノ介への殺意をあらわしていた。 ﹁殺してやる﹂ じりと。 男が一歩、前にすすみ出た。 と同時、遠く離れた場所から怒鳴り声が響いた。 ﹁おい、おまえ何やってるんだっ﹂ 虎ノ介の後方から、だれかの走ってくる足音が聞こえ、男はあき らかに動揺した様子を見せた。 くやしげに歯を噛み、一、二秒虎ノ介をにらんだあとで、何も云 わず背をひるがえした。 391 去っていく男の背が、闇に溶けていくのを見ながら、虎ノ介は手 の甲でひたいをぬぐった。 血と脂汗が、べったり彼の手を濡らした。 ◇ ◇ ◇ ﹁じゃあ﹂ と、僚子は手のなかのガーゼを、虎ノ介のひたいへ押しあて云っ た。 キミ ﹁その喫茶店のマスターが、虎ノ介を助けてくれたのか﹂ ﹁そうです﹂ 虎ノ介は答えた。 ⋮⋮日付の変わるすこし前。 片帯荘にもどった虎ノ介は、自室で僚子の手当てを受けながら、 事のあらましを話し聞かせていた。 虎ノ介の窮地を救った人物。 それはあの道路をはさんで斜向かいにある、喫茶店の店主であっ た。 ﹁店を出て、いきなり道路を横切っていったでしょう? ちょっと 気になったものですからね﹂ 店主の語った言葉である。 虎ノ介が、玲子とともに、丁重に礼を述べたのは云うまでもない。 392 ﹁虎ノ介くん﹂ ﹁なんです?﹂ ﹁無事でよかった﹂ 手当てを終えた僚子はつかれたような溜息をついた。 虎ノ介はうなずき、微笑を浮かべた。 ﹁僚子さんでもあんな顔するんだね﹂ ﹁む﹂ 虎ノ介は先刻の僚子の顔を思い浮かべてみた。 話すうち、次第に表情の険しくなっていった僚子である。 血まみれでかつぎこまれた虎ノ介を、めずらしく蒼ざめた顔つき で見たのも彼女である。 それは舞や敦子にしても、おなじことではあったが。 ﹁するとも。キミのことなのだから﹂ こう僚子は断言した。 そっと。虎ノ介は僚子の手をにぎった。 僚子が顔をよせる。 ふたりの口唇が、深くむすびついた。 ﹁痛みが引いてきた﹂ 舌をからませながら、虎ノ介は云った。 ﹁ん︱︱。今夜はすこし熱が出るかもしれない。それから明日、病 院でくわしく診てもらおう。ん⋮⋮っ﹂ ﹁わかった﹂ 393 云いながら、虎ノ介は僚子の胸へ手をのばした。 ﹁こら﹂ 胸元に手を入れてまさぐる虎ノ介を、僚子がにらんで見た。 ﹁そんな身体で︱︱﹂ ﹁いいじゃない﹂ ﹁ん︱︱。だが︱︱﹂ 僚子を引きよせ、虎ノ介はベッドへと押し倒した。 ﹁な、なんだか今日はやけに積極的だな﹂ 女の胸に顔をうずめながら、虎ノ介は肯定した。 ﹁欲しいんだ、無性に﹂ 愛撫する虎ノ介の指は、小刻みにふるえていた。 僚子はその手を取り、虎ノ介の頭をなでた。 ﹁怖かったかい?﹂ ﹁うん﹂ ﹁それでも玲子を守ったじゃないか﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁立派だよ、キミは﹂ ﹁そうかな﹂ ﹁そうさ﹂ 394 そうして僚子は、﹁よしよし﹂とやさしげに云って。 ﹁でも今はダメだ﹂ ゆっくりと体を起こした。 ﹁⋮⋮どうして?﹂ ﹁玲子、な。さっき管理人室へ行ったぞ﹂ ﹁え?﹂ 服を直す僚子を、虎ノ介はするどい目で見た。 ﹁なんだってまた﹂ ﹁さっき帰ってきたとき。キミはうとうとしてたから、気づかなか ったろうが、敦子さんと舞くんもきてたんだ。それで玲子が説明す るからと﹂ ﹁まずい﹂ あわて虎ノ介は立った。 舞の気性を思い、背につめたい汗の流れるのを感じた。 じか 敦子らがいたことには虎ノ介も気づいていた。 だがまさか玲子が直接に話そうとは考えていなかった。 ﹁くそっ。あれほど、おれがあとで説明するからって。そう云って おいたのに!﹂ 毒吐きながら、虎ノ介はシャツに袖を通した。 あちこちが痛み、彼は思わず身を硬くした。 ひと ﹁ああもう。あの女は﹂ 395 失敗した。と、虎ノ介は思った。 まず敦子らと話すべきだった。 玲子の言葉で、あの舞が納得するとは、到底虎ノ介には思えなか った。 とにかく一刻もはやい説明が必要とされた。 そして、部屋を出ていこうとする虎ノ介へ、背後から声がかかっ た。 ﹁虎ノ介くん﹂ ﹁なんです?﹂ 室内ドアを引き開けつつ、虎ノ介は振り返った。 僚子が云った。 ﹁玲子を﹂ ﹁はい﹂ ﹁たのむよ、玲子をさ。だいぶ落ちこんでるだろうから。気が強く 見られがちだけど、アレで案外、もろいところがあるんだ﹂ 僚子は、すこしだけ申しわけなさそうに虎ノ介を見つめた。 虎ノ介はうなずいて応えた。 ﹁できたら抱いてやってくれ﹂ ﹁わかりました。おれにできるだけのことは︱︱﹂ ﹁たぶん最初は拒むだろうから。強引に力ずくでいってくれ﹂ ﹁︱︱って、え? 抱いて?﹂ と、僚子はとてつもないことを云い。 虎ノ介は顔を引きつらせて、自身の恋人を当惑げに見た。 396 ﹁え、え??﹂ ﹁被虐趣味と云うか。マゾと云うか。つまりまあ、ちょっと乱暴に されるのが好きなんだ、アレは。被レイプ願望︱︱いや、これは見 知らぬ男に乱暴されたいとか、輪姦されたいというわけじゃあない やっかい から、厳密にはすこしちがうか。あくまで恋人や信頼できる相手に 限定される︱︱難儀な性癖なんだが﹂ ﹁な、何を﹂ ﹁この性癖のおかげか、彼女ははずれくじばかり引いていてな。ま たいつもいつもロクデナシを好きになる。もとめるより、もとめら れたい女だからか。妻子持ちとか暴力男とか⋮⋮キミが今日見たの も、それのひとりだよ﹂ ﹁ちょっと。ちょっとまってください﹂ ﹁つまり何を云いたいかと云うとだ﹂ 混乱し、話を止めようというそぶりの虎ノ介へ、しかし僚子はあ くまで僚子らしくあった。 右手の人差し指、中指のあいだに、ぐっと親指をはさんでにぎり こんで見せる。 ﹁玲子をレイプしてほしい﹂ こう、いつもの調子と、実にさわやかな笑みで告げたのだった。 397 女社長、氷室玲子の場合 その8 虎ノ介の耳へ、最初に飛びこんできたのは、ヒステリックな舞の 怒声であった。 ﹁あなたの気持ちなんて聞いてないわ。わたしは、トラの怪我の責 任をどう取るつもりかって訊いてるのよっ﹂ こうした姉の剣幕は、虎ノ介をひどくおどろかせた。 常にかけて取り乱すことの少ない舞である。 家族以外の前で感情をあらわすのも滅多とない舞である。 ﹁ごめんなさい﹂ 消え入りそうな声で玲子は謝罪した。 リビング ぱしんと、彼女の頬を打つ音が鳴った。 室内ドアを開けて、虎ノ介は居間へはいった。 ⋮⋮暗い顔をした玲子が、まず彼の目についた。 顔をうつむけ、片頬はすこしばかり紅く、前髪が片方の目をおお っていた。 その玲子の前に立ち、にらむ舞も映った。 ダイニングルームの方から、椅子にすわって、そちらを見ている 敦子の姿もあった。 敦子は﹁やれやれ﹂といった様子でひたいに手をやると、 ﹁舞。虎ちゃん、見てる﹂ と、静かに告げた。 398 ﹁トラ︱︱﹂ 気まずそうに目をふせる舞へ、敦子はさらにつづけた。 ﹁これ以上、過ぎたことを云っても仕方ないでしょう。玲子さんも 悪かったと云ってるのだし、それに、その元彼のこともあるわ。聞 いた話じゃかなりあぶない性格みたいだもの。そちらを先になんと かしないと﹂ そう落ちついた口調で云う。 ﹁そうね﹂ 舞は同意し、それからまた玲子へと向けて、強い光のある目をや った。 ﹁玲子さん。あなたの元彼、こっちで始末つけるから﹂ ﹁え︱︱?﹂ 物騒な物云いに、玲子はわずかにとまどった反応を見せた。 ﹁始末?﹂ ﹁大きい事件ならともかく、この程度じゃ警察に云ったところでア テにならないもの﹂ あとを引き取って、敦子が云った。 ﹁ど、どうするつもりですか?﹂ ﹁心配しないで。悪いようにはしないから。あなたや虎ちゃんに二 399 度と近づかないよう、 丁寧に その声はあくまでやさしい。 教えるだけよ﹂ 噛んでふくめるような調子である。 しかしながら虎ノ介はどうしてか背すじがふるえた。 ほのぐら 表情こそやわらかくあったが、敦子の目の奥には何か仄暗いもの があって。 それが虎ノ介の心臓を奇妙にざわめかせた。 ﹁文句は云わせないわよ﹂ 決めつけるように舞が云うと、結局は玲子も仕方ないといった風 にうなずきを返した。 舞はそうした玲子を、すこしのあいだ、ながめやり。 やがて視線をはずして、ふるふると首を左右に振った。 それから虎ノ介のそばへ近づくと、彼の傷の具合を見て、 ﹁もう大丈夫?﹂ 虎ノ介の口もとをなで、気づかわしげに尋ねた。 ﹁ん。明日、僚子さんのところで診てもらうよ﹂ ﹁今は痛くない?﹂ ﹁だいじょうぶ﹂ ﹁そう。よかった﹂ 安心した、と微笑を浮かべ、舞は身体を離した。 そうして壁がけにしてある固定電話のところへゆくと、手に受話 器を取った。 どこかに電話する舞を見やりながら、虎ノ介は玲子へも注意をく 400 ばった。 玲子はちょうど部屋を出ていこうとしているところであった。 敦子にちいさく頭をさげたのち、やおら虎ノ介を見た。 ﹁ごめんね﹂ こう告げ、玲子は管理人室を出ていった。 そのうしろ姿を、虎ノ介はだまって見送るしかなかった。 ⋮⋮舞の話し声が、虎ノ介の耳に聞こえてきた。 みづはら ﹁︱︱あ、もしもし、三津原さん? わたしよ、舞。うん。こんな 夜遅くに悪いわね。ちょっとさ、急用があって。ううん、ちがうち がう。お祖父様じゃなくて。どっちかと云うと、あなたにたのみた いことがあってね。そう、急ぎなのよ。くわしいことはあとで説明 するから、ともかくこっちにきてくれる? 今すぐ。今出れば明日 なち さち の昼までにはこれるわよね? 無理? なんでよ。じゃああなたじ ゃなくてもいいわ。那智と佐智をよこしてちょうだい。⋮⋮はあ? 許可? そんなものがどうしているのよ。お祖父様なんて関係な いわよ。なら無理? ⋮⋮⋮⋮アンタね、ふざけんじゃないわよ。 あんな棺桶に片足突っこんでるようなクソジジイと、わたしとどっ ちを優先するつもりよ。当主? 調子に乗ってるんじゃあない、そ こにすわるべきだったはずのひとを殺して、わたしたちを追い出し た男のどこが当主よ。今は母さんの代理をお義理でやらせてあげて るだけに過ぎないし、くわえて次期当主はわたしでしょうが。アン うち タ、ボケ老人の相手しすぎて、だれを優先するべきかの判断もでき うち なくなったんじゃないでしょうね? アンタのとこがどれだけ田村 女系 わたしたち がいることで保ってるんだから。それは千年前か も の世話になってるか、忘れたなんて云わせないわよ。本質的に田村 の権能は くるま ら何ひとつ変わってないのよ。そのわたしたちが呼んでるンだから、 車輛でも電車でもバスでも飛行機でも、なんでもいいからつかって 401 きなさい。東北道が事故で渋滞? 知るかっ。空泳いででもやって こいっ︱︱﹂ さかんにまくしたてる舞をよそに、虎ノ介は敦子に目をやった。 敦子は目にやわらかい微笑をたたえ、 ﹁いってらっしゃい﹂ ちいさく手を振ってよこした。 こくり、虎ノ介はゆっくりとうなずいて返した。 ﹁このーッ、能面執事︱︱ッ﹂ 舞はいらだたしげに爪を噛んでいる︱︱。 ◇ ◇ ◇ 氷室玲子の部屋は、虎ノ介のイメージ通りのもの、であった。 清潔でこざっぱりとしており、細かいところまでよく掃除がゆき とどいている。 ノウブル 室内に置かれた家具や小物、照明などは厭味のない気の利いたも シック のばかりである。 としうえ 部屋全体に、小粋で高貴なものが自然な空気として、ある。 総じて生活感がない、である。 二〇二号室︱︱。 虎ノ介はそうした空気のなかへ身を置き、年長の女社長へと相対 していた。 402 ﹁それで、どういう用件なの?﹂ ジャスミンの香る茶を虎ノ介の前に置き、玲子がそう尋ねた。 虎ノ介は所在なさげに身をかがめて、言葉をさがした。 ﹁あの、ですね﹂ それ を直截に述べるのは彼にとってむずかしかった。 語るべきことはあった。 けれども 結局、彼は迷った挙句、 ﹁すいません、姉さんが︱︱﹂ 前置きとして、そんな話を選んだ。 ﹁姉さん? ああ︱︱﹂ 己の頬に手をあて、玲子はちいさく笑った。 ﹁舞さんのことね﹂ ﹁ほんとう、すみませんでした﹂ ﹁べつにあの程度、なんでもないわよ﹂ ﹁しかし﹂ ﹁久遠くんが謝ることじゃないでしょう?﹂ ﹁だけど、姉さんが怒ったのはおれのせいだ﹂ ﹁それを云うなら、もとはわたしのせい、よ﹂ 玲子の口ぶりは、みずからをあざける風でもあった。 403 ﹁あいつに久遠くんを会わせた、わたしの責任﹂ かね ﹁氷室さんは悪くないです。むかし、つきあっていたからって、あ なたが責任を負う必要なんか﹂ ﹁ううん。そうだとしても、わたしが迂闊だった。あいつがお金銭 の無心にくるのは今にはじまったことじゃないのよ。それどころか 最近はむしろ頻繁になってた。そんな状況で虎ノ介くんを呼んだ。 配慮がたりなかったわ﹂ と云い、玲子はソファの背もたれにのけぞって身を沈めた。 黒いワンピースの胸もとから、色白い、鎖骨の辺りがのぞいた。 ﹁そのうえ虎ノ介くんが彼氏だなんて嘘までついたりして﹂ ﹁それは⋮⋮方便でしょう﹂ 仕方のないことだ、あの場で男を牽制するためには。 こう虎ノ介はなぐさめるように云った。 ﹁幻滅した?﹂ ﹁え?﹂ ﹁あんな男とつきあってたわたしに﹂ ﹁そんなことは﹂ 曖昧に首を振る。 だって。 ﹁気をつかわなくていいのよ。自分でも馬鹿だったと思ってる。暴 好き って言葉だけでゆるしてた。ようやく別れても、ああ 力ふるわれても、さんざん貢がされても。それでも 愛してる やってくるたび、お金銭あげて。馬鹿な女だわ、ホント﹂ ﹁やさしい⋮⋮ンだと思います﹂ ﹁そうかな。︱︱ね、ワインでも飲む?﹂ 404 思いついたように立ちあがると、玲子はキッチンに向かった。 冷蔵庫の脇、小型のクーラーからワインボトルを、棚からグラス をふたつ取り出してリビングへもどると、 ﹁これね、おいしいのよ﹂ ふたり分のグラスにワインをそそぎ、テーブルへと置いた。 出されたワインに、虎ノ介は手をつけなかった。 深夜、独身女性の部屋にあがりこんで、さらに酒まで飲むという のはどうにもあざといように彼には思われた。 ︱︱玲子を犯せ。 僚子に云われた虎ノ介ではあったが、それでも彼に玲子をどうか しようという気はなかった。 ただ玲子を慰めたいという気持ちだけがあった。 まったく意識しなかったというわけではなかった。 玲子をモノにしたいという気分もすこしはあった。 しかしそれらは戯れ程度の考えであったし、無理やり抱かねばな らぬほどに虎ノ介は女に飢えていなかった。 相手を傷つけたくないという配慮もまたあった。 虎ノ介は生来の臆病さから、玲子に対する距離を計りかねていた。 ﹁ん、おいし⋮⋮﹂ ゆっくりと紅い液体を舐める玲子へ、虎ノ介は目を向けた。 あざ 考えこむように背をまるめ、両ひざに腕を置く。 玲子の目の下には、赤黒い痣があった。 405 ﹁おれが、もっと頼りになる男だったら︱︱﹂ なぐったことを後悔させる。 それさえもできなかった自分が、虎ノ介は無性にくやしかった。 虎ノ介の身体のつくりは、ふつう一般的なところだろう。 肉体労働をしていたおかげか、わりと筋肉質な方ではあったが、 あなど それでもああした荒事に向いているとは云えない。 事実、相手の男は最後まで虎ノ介を侮っていた。 虎ノ介はくやしさを隠すように、ぐいと、ひと息に茶を飲みほし た。 ﹁ほんとう、格好悪くて﹂ ﹁ううん。そんなことなかったよ﹂ 玲子の声はやさしかった。 ﹁久遠くんは、格好よかったよ﹂ もう一度、確かめるように云って、玲子は虎ノ介を見つめた。 その顔にはわずかに紅みが差し、瞳は潤みを帯びていた。 虎ノ介は息を呑んだ。 部屋の空気が一気に、女の薫りを持って花ひらいた気がした。 同時にここへきてようやく、玲子のすわっている位置が、先程ま での対面から、斜め隣へ移っていることに気づいた。 ﹁あ、あの﹂ ﹁ね。どうして久遠くんはあそこにいたの?﹂ くちびる ひとつ口唇を舐めて、玲子はやや躊躇いがちに、上目づかいで質 問した。 406 ﹁あの喫茶店で、ずっと待っていてくれてたんでしょう?﹂ トライアングル 紅い液体を舐め、ゆっくりと脚を組み替える。 見事な脚線美のあいだにのぞく三角の影を、虎ノ介はつい目のは しで追った。 407 女社長、氷室玲子の場合 その9 ﹁期待してもいい、のかな? すこしは、わたしのこと気にかけて くれてるって﹂ ︱︱きらわれている。 そうした虎ノ介の意識はまったく見当ちがいであった。 今、玲子が生じさせている雰囲気は、牝特有の甘いものである。 おんな 媚びをふくんだ性的なものである。 ⋮⋮玲子は牝として虎ノ介をもとめていた。 だれの目にもそれは明らかであった。 ﹁お、おれは﹂ ﹁おれは?﹂ ﹁あなたに謝ろうと思って﹂ 虎ノ介は考えてみた。 何か、うまいことを云おうと。 だがそれも無理であった。 心臓が早鐘を鳴らした。 ﹁何を謝るの?﹂ ﹁お、おれはあなたを、きらってなんかいないんです。それはほん とうです。ただおれは︱︱﹂ ﹁久遠くん⋮⋮﹂ くちびる 虎ノ介の言葉をさえぎるように、玲子は身体をよせた。 口唇がふれるか、ふれないかの距離で、 408 ﹁もう、云わないで︱︱﹂ そっと。玲子はささやき、虎ノ介の口へみずらの口唇を押しつけ た。 虎ノ介はソファに倒されながら、女の背中へ手をまわした。 ◇ ◇ ◇ たがいに相手の舌をねぶり、存分に唾液を交換しあってから。 ふたりは寝室へと移った。 乱暴に服を脱ぎ棄て、もつれあうようにベッドへ倒れこむ。 虎ノ介は興奮していた。 暴力の空気に接したこと。 僚子にまじわりを拒否されたこと。 玲子︱︱きらわれていると思っていた︱︱が意外にも、自分への 好意を見せてきたこと。 これらが重なり、虎ノ介のペニスは痛いほど充血した。 少年のころ、敦子の自慰を見たときのように。 虎ノ介は胸は、罪悪感と興奮でいっぱいになってきた。 ⋮⋮玲子の興奮は虎ノ介以上だった。 発情している。 そんな表現がしっくりとくるくらいに、玲子は欲情の色をあらわ にしていた。 股間はすでに潤みきってい、目には飢えた肉食獣のごとき獰猛な 光をたたえている。 わずかにふれただけで、乳首がすでに張りつめている。 409 あなたを食らわせなさい︱︱。 かお 虎ノ介はそんな、玲子の声なき声を聞いた気がした。 サバナ 思いつめた表情で、月光に裸身を濡らす女。 その姿は、熱帯草原に生きる、孤独な黒豹を想わせもした。 めにく 前戯もそこそこ、窓のカーテンも閉めぬままに、ふたりはつなが スキン りあった。 避妊具一枚へだてた向こうに、牝肉のざわめきを感じながら、虎 ノ介は玲子の股奥に腰をすすめた。 大ぶりな乳房と、肉づきよい、つやつやと光る尻をなでまわし。 かくはん 虎ノ介は玲子のぬめる膣内を、肉棒でかきまわした。 ぐちゅ、ぐちゅ、としたたる蜜の、撹拌される音が鳴る。 玲子がよがった。 ﹁ああっ﹂ 身体をわななかせ、おどろいた様子で虎ノ介を見つめる。 ﹁な、何、これ⋮⋮!? し、信じられない⋮⋮っ﹂ なんのことか。 虎ノ介にはわかっていない。ただ身のうちに猛る熱にまかせ、腰 をつかっている。 側位である。 玲子の腰と尻、むっちりと張ったふとももをつかまえ、脚を交差 させる形で、虎ノ介は必死に出し入れを繰り返す。 ﹁あ、ああ⋮⋮いいっ、こ、こんなのはじめてよ⋮⋮っ﹂ なかば悲鳴に近い声をあげ、玲子は訴えた。 410 ﹁気持ちいいですか?﹂ 玲子はこくこくと、つらそうな顔でうなずいた。 ﹁熱くて、硬くて、すごい⋮⋮。りょ、僚子や朱美さんが云ってた の、ほんとうだったのね⋮⋮!﹂ とろけた目を虎ノ介に向けて云う。 口もとがゆるみ、ひとすじ、よだれがこぼれ落ちた。 や ﹁まるで灼けた鉄の棒。⋮⋮こ、こんなのっ。たえられないっ。あ、 あ∼∼∼っ﹂ 玲子の感じるさまに気をよくし、虎ノ介はがむしゃらに腰を振っ た。 玲子の、上向きな巨乳がひと突きごとに、ぶるんっぶるんっと揺 にくひだ れた。 肉襞のめくりあがった結合部から、白い泡が立ってはじけた。 玲子のふとももと、虎ノ介の腹筋が、ぶつかりあって音を立てた。 ﹁あぁーーーっ!! す、すてきぃぃーーーーっっ。すごすぎてっ、 な、何も考えられなくなるぅ⋮⋮﹂ 虚ろな眼差しになりながらも、玲子はまるでダンサーのように腰 をくねらせる。 虎ノ介はそんな玲子の手をにぎった。 玲子もまた、そこに指をからめた。 ﹁ううっ⋮⋮⋮⋮もう、もう。出るよ﹂ 411 なか 甘美な味わいに、虎ノ介は早々と屈した。 コンドーム 玲子の膣内にある、ざわめきと肉のうねりは、避妊具ごしにも彼 の快感を強く引き出していた。 ﹁い、いいわっ。だ、出して⋮⋮っ。わたしの膣内にいっぱい出し てっ!!﹂ ﹁ううっ、い、いくっ。いくよ、玲子さんっ﹂ ﹁ひぃ∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼ッ﹂ あっけなく虎ノ介は射精した。 どびゅる、と。大量の白濁が輸精管を通って、避妊具のなかへと 吐き出されていった。 がくがくと腰をふるわせ、虎ノ介は玲子にもたれるようにくずれ 落ちた。 玲子は荒い息をつき、そうした虎ノ介を愛おしそうに抱きしめ、 受け止めると、自分の膣から抜けた愛液まみれのペニスを愛おしげ になでた。 ◇ ◇ ◇ 虎ノ介の回復ははやかった。 十分もしたあとには、すでに虎ノ介のモノはぐんといきり立って、 まだ物欲しそうにしている玲子の前で、血管の浮いた姿を見せた。 ﹁す、すごいものね﹂ 玲子は感心しきりといった様子で、虎ノ介のそれにふれた。 412 虎ノ介ははずかしそうにして﹁ちょっと変なンですよね、おれ﹂ と云った。 ﹁変?﹂ 変って、何が? こう訊きつつ、玲子はゆっくりと虎ノ介のペニスを上下にしごい た。 ここ やさしい手つきと心地よい感触に、虎ノ介は﹁ほう⋮﹂と溜息を ついて、 ﹁どうも性欲過多みたいで﹂ ﹁性欲過多? そうなの?﹂ ﹁ええ。その⋮⋮前はそうでもなかったんですけどね。片帯荘に越 してきてから、めっきり性欲が強くなったみたいで。⋮⋮自分です ることはなくなったんですけど、性欲自体はずっと。ときどき、い てもたってもいられないくらい、その、興奮するというか。悶々と するんです﹂ ﹁ふぅん⋮⋮﹂ ﹁今日もなんだか、そんな感じです。玲子さんが魅力的すぎるのか な︱︱﹂ ﹁く、久遠くんたら﹂ 玲子が顔を紅める。 ペニスをつかんだ手の、上下するうごきが、はやく大きくなった。 鈴口からあふれた粘性の液が、玲子のほそい指を濡らした。 ﹁あんまり気にしなくていいと思うわよ。それってたぶん﹂ 薬のせいだもの、とうつむき。 413 玲子はほとんど聞こえぬような声を口のなかで発した。 ﹁え、なんです?﹂ ﹁う、ううん。なんでもないの。さ、もう一回しましょう﹂ こう云って、玲子は虎ノ介の首に腕をまわした。 口づけと愛撫をかわす。 虎ノ介は玲子の秘唇を、指でいじりまわしておいて、ふたたび玲 子の膣内へと侵入した。 ﹁玲子さんのアソコって、なんだかすごいや﹂ ﹁ん︱︱。す、すごいって、何が? ンあああんっ﹂ 不安そうな目つきで、玲子は虎ノ介にすがりついた。 そんな玲子の乳房を、虎ノ介は舐めまわす。 乳首が舌の上でころがるたび、低い、獣じみたあえぎが、玲子の 口からもれた。 おうとつ ﹁いや⋮⋮そのなんか、肉のつき方っていうか凹凸が。とにかく、 すごくえげつない︱︱﹂ つまるところ感触の多彩さである。 肉の見事さである。 入口から天井まで、全体に不統一な肉ひだがからみつくように男 を責めあげるのである。 そうして入口、中程、最深部と奥にすすむにつれて、部位ごとに 強さの異なるしめつけ、無数の突起、形状のちがうひだがペニスを 刺激する。 虎ノ介は思わず眉根をよせた。 挿入と同時に、すさまじい快感が男根から送りこまれてきていた。 414 ゴム ﹁これ、避妊具なかったら瞬殺だな﹂ 虎ノ介は云ってみた。 なんとかやれている 事実、虎ノ介は避妊具を着けている場合、着けていないときとく らべ、はるかに達しにくくなる。 だからこそ三人もの恋人を相手にしても のであるし、まただからこそ、女たちも避妊具を着けたがらない。 得られる快感が減るということもあるが、何より愛する男を悦ば ほんろう せられないことに不満を抱いているのであった。 どうやら女というものは、己の肉体で男を翻弄することについて、 なか 何かゆずれないプライドのようなものがあるらしい︱︱。 ︵でも︶ と、虎ノ介は思った。 っていうのかな︶ などと形 先刻、虎ノ介は玲子の膣内であっさりと絶頂に導かれている。 名器 みみず千匹 数の子天井 これは彼にしても大きなおどろきであった。 ︵こういうのが 俗に男を悦ばす女性器が 容されること。 そうした言葉を虎ノ介は知らなかった。 玲子がいわゆるそれらの複合型であることも。 避妊具のおかげで膣内にある細かなざらつきや突起の感触も、大 部分がスポイルされている。 それでも、玲子のそれがはなはだ尋常でないことは、虎ノ介にも 肌を通して理解できていた。 415 ﹁や、やばいな、くそ﹂ 顔を歪めながら、虎ノ介は玲子を抱きしめた。 玲子もそれに応える。 しなやかな女の脚が、大蛇のように、虎ノ介の腰へ巻きついた。 虎ノ介は玲子のふとももを抱きかかえると、つながったまま玲子 を窓際まで運んだ。 ﹁ちょ、ちょっと、久遠くんっ﹂ ﹁こ、ここなら﹂ ﹁や、やめてよっ。やめてったらっ。外から見えちゃう︱︱﹂ 玲子の抗議を無視して、虎ノ介は膣奥を突いた。 亀頭がごつと玲子の子宮口へたどりついた。 ﹁ひあああんっ﹂ 玲子がおとがいを反らした。 ﹁あ、あ⋮⋮いきなり、し、子宮︱︱﹂ ﹁ほら、玲子さん﹂ ﹁え⋮⋮﹂ ホームレス ﹁下の道路にひとがいますよ。酔っ払いか、サラリーマンか、もし かしたら浮浪者かもしれない﹂ ﹁え、え⋮⋮?﹂ ﹁こっちを見てますよ﹂ 云いつつ多少乱暴に、虎ノ介は玲子の胸をもんだ。 乳房を強く押しつぶしながら、玲子の体を窓にあずける。 そうして立ったまま、虎ノ介は上下に腰をゆすった。 416 ﹁ひぃっ!! そ、そんな、だめよっ、み、見られてるのにっ﹂ ﹁⋮⋮玲子さんのおま○こにズッポリとはいってるところ、見ても らいましょう﹂ ﹁そ、そんな! そんなの見られたらっ!﹂ 嫌悪の声をあげつつ、玲子はあえいだ。 膣の、強烈に締まるのが、虎ノ介にもはっきりと感じられた。 ﹁す、すごいのぉっ。感じすぎちゃうっ! あ∼∼∼∼∼∼っっ。 あ∼∼∼∼∼∼∼∼∼っっ! ダメっ、ダメえっ﹂ 身体をぶつけあいながら、どんどんと、ふたりは昂ぶっていった。 ⋮⋮彼らの情事をのぞき見る者など、いはしなかった。 時計の針はすでに深夜の二時をまわっている。 いかに都会とはいえ住宅街である。 通行人の姿などはほとんどない。 それでも虎ノ介はあえて嘘をついた。 僚子から聞いた、玲子の性癖を思い出してのことだった。 玲子もまた、冷静な思考を投げ棄て、虎ノ介の望むまま羞恥に乱 れた。 ﹁あ、あ∼∼∼∼っ。と、虎ノ介くんっ、虎ノ介くんっ!!﹂ 強く。玲子は虎ノ介の名を呼んだ。 バック 虎ノ介は息をはずませながら、乱暴に玲子を犯しつづけた。 位置を変え、後背から突く。 玲子の大きな胸が、窓ガラスへ押しつけられひしゃげた。 結合部からあふれた愛液によって、玲子のふとももはびっしょり と、小便をもらしたように濡れていた。 417 ﹁あ゛∼∼∼∼∼っ!!﹂ 玲子の膣がざわざわと、強くうねった。 虎ノ介は玲子の絶頂が近いことを知った。 ﹁はぁっ、何、何これ? はぁっ⋮⋮⋮⋮こ、こんなの、こんな感 覚はじめてよっ。⋮⋮だ、ダメ、ゆるしてっ。怖いの、怖いのよっ、 虎ノ介くんっ、あああ﹂ ﹁イって。我慢しないで⋮⋮⋮⋮そのまま自由に⋮⋮⋮⋮イってい いから、うう﹂ ﹁イク? こ、これがイクっていう感覚なの? でも、わたしはじ めてじゃないのに⋮⋮⋮⋮あ、ああ、あ゛あ゛あ゛∼∼∼∼∼∼っ﹂ 虎ノ介に二度目の限界が訪れたとき。 玲子もまた生涯で初の絶頂に達した。 押さえつけていた感覚を解放し、全身にこめていた力をゆるめる。 玲子はがくんっと大きくふるえ、窓ガラスへともたれた。 ﹁あひぃ∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼っっ!!!﹂ おこり 絶叫があがった。 瘧のように全身をふるわせる玲子を、虎ノ介は抱きしめて支えた。 びくびくと跳ねるペニスを玲子の子宮へ押しつけたまま、ちいさ くうめく。 ⋮⋮射精がはじまっていた。 玲子は。 背すじや尻を痙攣させながらも、けっして離すまいという風に、 虎ノ介のひざへ足をからめていた︱︱。 418 女社長、氷室玲子の場合 その10 ﹁嘘だからね﹂ 朝も近いころになって、つぶやくように玲子が云った。 うろん ベッドの上でふたり、身体をよせあうように寝ている。 虎ノ介は、うとうとと胡乱な意識のまま、重いまぶたを持ちあげ て玲子を見た。 ﹁あいつの云ってたこと。あれ、嘘だから﹂ 虎ノ介の胸板をやさしくなでながら、玲子は虎ノ介の足に、自分 の足をからめた。 ﹁あいつとエッチなんて数えるほどしかしてないのよ? エッチす るとき、あいつ必ずなぐるの。それで⋮⋮僚子が心配してね。けっ こう無理やりに話をつけてくれたの。あ、もちろん、変なことはさ なかだし せてないからね。あいつはよくお尻でしたがってたけど、つかわせ ゴム たことないし、膣内射精だってさせてないの。セックスのときは、 いつだって避妊具つかってたし﹂ ﹁ん∼⋮⋮﹂ 曖昧に虎ノ介はうなずきを返した。 玲子はうっとりした目で虎ノ介を見つめ、彼の顔のあちらこちら にキスを降らせた。 ﹁妊娠なんてこまるもの。だから今まで、だれかに生でエッチさせ たこと、一度もないのよ、わたし﹂ 419 ﹁そう、なんだあ⋮⋮﹂ 答える虎ノ介の声は、すでに眠たげである。 だが、そんなことを気にした風もなく、玲子はつづけた。 ﹁キミなら、生でもいいわ﹂ ﹁うう⋮⋮ん﹂ ﹁ね、どうして虎ノ介くんはわたしとエッチする気になったの﹂ ﹁えー⋮⋮えー⋮⋮と、それは⋮⋮﹂ ﹁わたしにちょっとでも関心あった?﹂ ﹁⋮⋮うん﹂ ﹁そっか。興味持ってくれてたんだ﹂ 真実、うれしげに。 玲子は虎ノ介の胸に頬をすりよせ、笑んだ。 ﹁ねえ、虎ノ介くんはもっと、わたしとエッチしたい?﹂ ﹁ん⋮⋮﹂ ﹁いっぱいしたい?﹂ ﹁ん⋮⋮﹂ 虎ノ介の声は、だんだんとちいさくなっていった。 はため 睡魔が、虎ノ介の意識を黒く塗りつぶしていく。 その様子が傍目からもはっきりと見てとることができた。 玲子はかすかに息を荒くし、唾を飲みこみながら、そんな虎ノ介 に質問した。 まえ ﹁ま、以前から、わ、わたしを犯したかった?﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮うん﹂ ﹁犯して、は、孕ませたいの?﹂ 420 ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ なかだし ﹁わたしがいやがっても、無理やり奪って、膣内射精して、あふれ るくらいに精子をそそぎこんで⋮⋮子宮を、女の一番大事なところ を征服したい⋮⋮? わたしの心も身体も、魂まで犯して、キミの モノにしたい?﹂ 虎ノ介は答えなかった。 あきらかに夢うつつで、ただ寝息だけが静かに聞こえはじめてい た。 ﹁お願い。嘘でもいいから、したいって云って。わたしがキミのも のだって、だれにも渡さないって﹂ 喉をふるわせ、玲子はすがるように云った。 ぼんやりと、虎ノ介は曖昧なままで答えた。 もの ﹁したい、です。⋮⋮玲子さんを、おれの女にしたい。玲子さんは おれの⋮⋮です⋮⋮﹂ そこまで云ったところで虎ノ介の意識は完全に途切れた。 玲子は感きわまった恍惚の表情を浮かべると、そっと溜息をつき、 虎ノ介の頭を、胸へかきいだくようにした。 ﹁ふ、ふ⋮⋮﹂ 真っ暗な闇に、玲子のつぶやきが響いた。 ﹁わたしは、キミのもの︱︱﹂ 421 ◇ ◇ ◇ ︱︱数日が過ぎた。 虎ノ介の身のまわりでは、たくさんのことが、いちどきに変化を 見せていた。 それらは虎ノ介にとってうれしいことであり、また厄介の種とな る可能性もあった。 虎ノ介は青年らしい柔軟さと、彼自身の素直さでもって、それら を受け入れる態度をとった。 ⋮⋮まず大きな変化のひとつとして挙げられるのが、玲子の態度で あった。 たとえば朝である。 玲子は掃除をしている虎ノ介を見つけると、ぱっと顔を紅めて、 ﹁おはよう﹂と、近づいてくるようになった。 そこに以前の、険のある、とりすました空気はない。 ただ年下の男に心よせる、三十路間近な年増の気後れがあるのみ である。 玲子は恥じらう乙女のごとく、しきりにもじもじとして、今日の 天気はどうだとか、たまには食事をいっしょにしないかとか、虎ノ 介の気を惹くようなことを云い。 ときには昨日の株価がどう、などと虎ノ介の理解できぬ話までも はじめる始末であった。 そして最後にはいつも、表情の多い瞳にさんざん逡巡を見せたの ち、 ﹁と、虎ノ介くん︱︱﹂ ﹁っ!?﹂ ﹁ん︱︱︱︱ンちゅ⋮⋮ル﹂ 422 ほとんど奪うようにして、舌をからめた濃厚なキスを、虎ノ介へ あたえた。 これが彼女の日課となりつつあった。 虎ノ介は。そのひたむきな好意に、男としてうれしく思いつつも、 やはりどこか持てあますような、釈然としない気がした。 くるす さち ﹁来栖佐智です。よろしくお願いします﹂ こう名乗った、虎ノ介よりいくつか年上に見える女性は、まず虎 ノ介を見て、﹁おひさしぶりです。ぼっちゃま﹂と云った。 ﹁彼女には、はじの一〇七号室へはいってもらうわ﹂ 敦子はそう云って、女︱︱来栖佐智を虎ノ介に引き会わせた。 変化のもうひとつ。それが片帯荘への新たな入居者であった。 ﹁ぼ、ぼっちゃま︱︱﹂ 虎ノ介は動揺した。 まさか現実に、そのような言葉を聞くとは思わなかったからであ る。 まして自分に向けられる日がくるなど、彼は夢想だにしていなか った。 ﹁ええと、その、もしかしてだれかと間違えてませんか?﹂ 423 あいせき 虎ノ介は佐智をながめやり、尋ねた。 ポーカーフェイス その、目元にわずかだがやさしい愛惜をたたえた、しかしながら あくまで能面じみた無表情を、虎ノ介は憶えていなかった。 長めで直線的な黒髪にも、ほそく切れ長の瞳にも、黒いスーツに つつまれたしなやかな身体つきにも、女性にしては高い身長にも、 一切覚えがなかった。 ﹁ぼっちゃまはお忘れかもしれませんが、十年以上前に何度か、田 やかた 村本家で御目にかかったことが﹂ ﹁はあ﹂ ﹁くわえてわたしの場合、お屋形様︱︱つまり虎ノ介様のお祖父様 にあたられますが︱︱。その方の命令で、この十年、陰ながらぼっ ちゃまのそばでご様子をうかがいつづけてまいりましたので﹂ ﹁オヤカタ!﹂ 虎ノ介はもはや呆然となって、佐智を見つめるよりなかった。 いったいこれはどこのファンタジーか。 そう思い、そばにいた舞と敦子にもまた目を向けてみた。 ﹁ああ⋮⋮⋮⋮トラは知らないから、おどろくのも無理ないか。ま おおやけ あ、田村の人間はだいたいこんな感じよ。万事、時代錯誤っていう か、大宅気分が抜けてないのよ﹂ ばかよねー、と舞はあからさまな侮蔑の言葉を発した。 佐智の表情は変わらなかった。 みち ﹁ま、それはそれで使い途もあるっていうか。便利ではあるんだけ はじめて聞いたけど﹂ ど。⋮⋮で、何? お祖父様がトラのこと気にかけてたって話、そ れ、ほんとうなの? 424 と、佐智に向け問う。 佐智はいたってまじめな顔つきのまま、肯定した。 ﹁はい。お屋形様は常々、ぼっちゃまのことを心配しておられまし た。虎ノ介様こそ、田村の正当な嫡流だと。自分が死んだのちは、 来栖の者は虎ノ介様を当主と思え、と﹂ ﹁ハ。あのジジイ⋮⋮﹂ 舞はあきれたように目をほそめ、口のはしを歪めた。 ﹁てめえで追い出しておいてよく云うわよ。そのせいでトラと京子 さんがどれだけ苦労したと思ってるんだか﹂ ﹁まあまあ、舞。ちょっと落ちついて。⋮⋮きっとお父様も虎ちゃ んのことがかわいいのよ﹂ ﹁何よ。自分の敵は虫けら程度にしか見ない母さんが、らしくない じゃない。まさか、あのひとのしたこと、母さんはゆるすって云う の?﹂ あのひと ﹁うふ。まさか、そんなわけないでしょう。だって虎ちゃんをいじ めた張本人はお父様なんだから。⋮⋮それより舞、あんまり虎ちゃ んの前でおかしなこと云うんじゃありません。これ以上わたしのイ メージを壊すようなこと云うと⋮⋮⋮⋮ひどいわよ?﹂ にっこりと笑む敦子を前に、舞は急に蒼ざめた顔となって、 ﹁う。わ、わかったわよ。わかったから、その顔やめて。全然目が 笑ってないから、怖いから﹂ と云った。そうして腕組みをし、 ﹁とにかく。お祖父様はお祖父様で、すこしは思うところがあった 425 ってことかしらね﹂ 考え深い目つきをして、虎ノ介を見る。 ﹁そうね。今さらずいぶんと都合のいい話だとは思うけど﹂ ﹁いずれにせよ、トラに財産くれるって云うなら、素直にもらっと けばいいわ﹂ などと。母娘は虎ノ介の意向など介せず話をすすめた。 ⋮⋮虎ノ介は、ただだまって、ふたりの話を聞いている。 虎ノ介にとっては、まるで興味のない話であった。 わかもの 田村の本家にも、その財産にも、虎ノ介は執着がなかった。 と、母の遺言として持たさ もとより縁なき世界として割り切ってきた青年である。 田村本家には迷惑をかけないように いま れた青年である。 何より、彼は現状の生活だけで、充分過ぎるほどしあわせであっ た。 佐智は、そんな虎ノ介を硬い面持ちで見つめていた。 ◇ ◇ ◇ ﹁それにしても﹂ と、僚子は虎ノ介の顔をながめて、おかしそうに笑った。 きむすめ ﹁あの玲子が、ああまで変わるとはね。セックスまでしたっていう のに、あの反応。まるで生娘じゃないか﹂ ﹁やっぱり、変わりましたよね?﹂ 426 まえ ﹁ああ、変わった、変わった。それはもう、これ以上なくだ。しか し年増好きな虎ノ介くんとしては、あれでいいんだろう? 以前と ちがって怖くないのだから﹂ ﹁だれが年増好きですか。⋮⋮いや、まあ、否定はしませんけども。 たしかに苦手じゃなくなりましたけども。でも、なんていうのか﹂ ﹁なんていうか?﹂ ﹁いや、これでいいのかなって﹂ 虎ノ介はうつむき、率直な疑問を述べた。 片帯荘からすこし離れた坂道を、虎ノ介は僚子とふたり、ゆっく りと歩いている。 両手には食材のつまったビニール袋がぶら提げられている。 週末の午後。 近所のスーパーで買い物をすませた虎ノ介は、片帯荘を目指して 家路についていた。 僚子は、ひさしぶりの休日を得て、虎ノ介につきあってくれてい る。 陽は傾き、朱い西日を彼らに投げかけている。 ﹁いいさあ。玲子もしあわせ。キミもしあわせ。わたしもうれしい。 これで何を悩む必要があるんだい﹂ 僚子は云った。 ﹁しかし、最近、どうも生活態度がアンモラルな気がして﹂ ﹁何をつまらないことを。世間一般の常識がなんだと云う。大切な のはわたしたちの認識だろう。自分たちの心をだます方がよっぽど よくない﹂ ﹁そうですかねぇ⋮⋮﹂ ﹁なんだい、キミ、今日はやけにくどいじゃないか。もしかして、 427 わたしたちと別れたくでもなったかい? それとも玲子がきらいか ?﹂ ﹁そ、そんなことは。僚子さんたちのことは大切ですし、手放した くないですよ。れ、玲子さんのことだって、その、正直、ハ、ハー レムにはいってくれたらな⋮⋮とか、勝手なこと考えてます﹂ ﹁なら、いいじゃないか。決まりさ。玲子もよろこぶだろう﹂ ﹁う。そ、そうですか?﹂ ﹁うん。間違いなく、ね。⋮⋮キミ、あれからまだ一度も玲子とエ ッチしてないんだろう? 今晩辺り、また誘ってみるといい。きっ と尻尾振ってやってくるぞ。ふ、ふ﹂ ﹁また、そういうことを﹂ ﹁本来なら尻尾を振るのは準くんの専売特許だが⋮⋮。ふむ、そう だな。今夜はわたしもくわわろうか﹂ ﹁え?﹂ ﹁だってほら、わたしたちも最近ご無沙汰じゃないか。ローテーシ ョンもくずれていたしね。うん、そうだ、そうしよう。今夜は朱美 さんと準くんも誘って大乱交パーティとしゃれこもうじゃないか﹂ ﹁ええー﹂ ﹁そうと決まれば善は急げだ。早速、準くんにメールしないとな。 ふふ、彼女、新しい首輪とアナルプラグを購入したと云ってたから、 よろこぶぞ﹂ ﹁や、ちょ、ちょっと待って。タンマ。乱交はタンマ。明日うごけ なくなる。明日は和彦とフットサルの予定が︱︱﹂ レイプしろ ってアドバイスのおかげで、玲 ﹁なんだよ、すこしぐらい、わたしたちにも餌をくれたっていいじ ゃないか。わたしの 子とうまくいったのだろう?﹂ なかだし ﹁レ、レイプなんてしてませんしっ﹂ ﹁え、してないのかい? じゃあ膣内射精は?﹂ ﹁してないですよ。妊娠はこまるって云ってましたし﹂ ﹁どうしてっ﹂ 428 おどろきを隠さず、僚子は虎ノ介を見た。 ﹁だって、ほんとうに妊娠させちゃったら︱︱﹂ ﹁いいのだよ、そんなのはポーズなのだから。問答無用でズビっと キメればよかったんだ。いいかい、あの手の女はな、堕とせるとき に、きちっと堕としとかないと、あとあと面倒なことに︱︱﹂ ﹁そんなこと云われたって、おれだってこまりますよ。責任なんて 取れないもの。女性を無理やり孕ませるなんてしたくない︱︱﹂ そんな云いあいをしつつ。ふたりは片帯荘へともどってきた。 そうして塀のある道の方から、角をまがり、玄関のある前庭へと はいって︱︱。 ﹃あ﹄ ふたりは間の抜けた声をあげた。 そこに。顔をくしゃくしゃに歪ませて泣く玲子の姿があった︱︱。 429 女社長、氷室玲子の場合 その11 ﹁ど、どうしたんですか?﹂ 虎ノ介は尋ねた。 ﹁もしかして、またあいつが︱︱?﹂ しかし、玲子は答えなかった。 ただ濡れた目で。虎ノ介をにらむように見つめていた。 ﹁れ、玲子⋮⋮﹂ 僚子が、何かを思いついたように云った。 ﹁もしかしてキミ、聞いてたのかい? わたしたちの話を﹂ ﹁あっ?﹂ 即座に、その言葉の意味を理解し、虎ノ介は傍らにあるコンクリ ート塀へと目を向けた。 ここ それは片帯荘の敷地と、外の道路をへだてるものである。 そして、片帯荘の駐車場から、前庭までをふくめると、先刻、虎 ノ介たちが通ってきた道と、かなりの距離を内側で共有し歩くこと が可能だった。 つまりそれは、偶然なんらかの理由で、はやめに帰宅した玲子が、 思いがけず僚子と虎ノ介の会話をひろえたことをも意味していた。 ﹁あちゃあ︱︱﹂ 430 間が悪い、と僚子は手で、己の目頭をおおった。 玲子は何もしゃべらなかった。 無言のまま、虎ノ介らの横を過ぎて走り去った。 ﹁玲子さんっ?﹂ ﹁まったく相変わらずナイーブだな、あの女は﹂ 苦笑し頬をかく僚子へ、虎ノ介はあわてて振り返った。 ﹁僚子さん﹂ ﹁ああ、わかったよ。いってくるといい。⋮⋮たのんだよ﹂ 虎ノ介は荷物をあずけると、すぐさま玲子のあとを追った。 ◇ ◇ ◇ ﹁ちょっと、ちょっと待ってよ、玲子さん﹂ 静寂の満ちた礼拝堂のなか。 急ぎ足で逃げていく玲子を、うしろからつかんで引き止め、虎ノ 介は声をかけた。 ︱︱聖ウルザ教会は、今日もひと気がなかった。 長椅子のならぶ聖堂には、礼拝に訪れた者はもちろん、修道女で あるシミーの姿もない。 おそらく彼女は牧師館の方にいるのだろう。 うすく西日の差しこむ礼拝堂を見守るのは、ステンドグラスへあ ざやかにえがかれた聖母のみである。 431 虎ノ介はすこしだけ安心した。 この教会でなら、だれに聞かれる心配もない、そう考えた。 ﹁待ってったら﹂ ﹁何よっ﹂ 昂ぶった感情のまま、玲子は怒鳴った。 目には涙と、そして怒りとが見える。 虎ノ介はその強い光にやや気圧されつつも、努めて冷静に訊いた。 ﹁何をそんなに怒ってるのさ﹂ ﹁何を? 何をですって﹂ きっ 玲子は屹として。 ﹁よくも抜けぬけと云えたものね。全部嘘だったくせに﹂ ﹁嘘?﹂ ﹁そうよっ。キミがわたしに云ったこと、したこと。全部が嘘。抱 きたかったとか、わたしに興味があったとか、すべてでたらめじゃ ない。関心なんてすこしもなかった。ただ僚子にそうしろって云わ れたから、わたしとセックスした。そういうことでしょう﹂ ﹁ご、誤解だよ﹂ ﹁そう? 毎朝、わたしを見るたび、こまったような顔をするのに ?﹂ ﹁そ、それは︱︱﹂ 虎ノ介は口ごもった。 玲子は振り払うように虎ノ介の手をほどくと、手の甲で目元をぬ ぐった。 432 ﹁うふ、ふ、ふ。⋮⋮わ、わかってたけどね。いつものことだし、 うっとうしがられるのには慣れてるもの。でも、それでもいいと思 ってた。それがただの肉欲でも、わずかでもわたしを欲してくれて るなら、どんなあつかいをされてもいいと思った。僚子や朱美さん ほどに愛してくれなくても我慢できると思った。そう、そう思った のに⋮⋮⋮⋮!﹂ 泣きながら、虎ノ介をにらみつける。 思わず虎ノ介はひるみ、目をそらした。 ﹁そ、その気がないなら、さ、最初から期待させないでよォ︱︱﹂ 肩をふるわせ。 って、 手を しゃくりあげながら、玲子は長椅子にうずくまるようにすわった。 ﹁れ、玲子さん⋮⋮﹂ おれの女だ って云ってくれて、う、嘘でもうれしかった。そのあとだ ﹁あ、あのとき、あいつの前に立って 出すな って、わざわざ部屋まできてくれたし、エッチな目で、わたしの身 体を舐めまわすように見て︱︱。泣きたかった。女としてもとめて くれてるんだって。涙が出そうなくらいうれしかったのに︱︱﹂ ﹁う⋮⋮﹂ ﹁だけど、こ、こんなの、みじめじゃないのよう﹂ ﹁玲子さん﹂ ﹁さわらないで﹂ 強く。玲子は虎ノ介を拒否した。 涙で、メイクの落ちかかった顔を左右に振る。 そうしたあとで、彼女は再度、射抜くような視線を虎ノ介へと向 けた。 433 ﹁ねぇ、どうしてわたしを抱いたの?﹂ と、問う。 虎ノ介は返答に窮した。 一歩、あとじさった。 ﹁わたしが可哀相だったから? 男に貢いで、なぐられてる馬鹿な 女を憐れんだつもりだった?﹂ ﹁そんなつもりは︱︱﹂ ﹁じゃあどういうつもり? まさか、ほんとうにわたしに欲情して くれたとでも云うの? これまで男に棄てられつづけてきた女よ。 馬鹿で可愛げがなくて、仕事しか取り柄のない女よ。いい年して好 みの子をいじめちゃうような女よ。キミはそんな女が欲しかったワ ケ?﹂ ﹁そうですよ﹂ いらだちを返すように、虎ノ介は反駁した。 ﹁︱︱︱︱﹂ ﹁お、おれは。あなたを、玲子さんを抱きたいと思ったんです。か わいいと思った。自分のモノにしたいと思った。だから︱︱﹂ ﹁そ、そんなの嘘よ﹂ ふるえる腕で、玲子は己の身体をかきいだいた。 ﹁ほ、ほんとうは面倒くさい女だって思ってたくせに﹂ ﹁そんなこと︱︱﹂ ﹁ふ、ふ⋮⋮ば、馬鹿よね、ホント。男の、甘い言葉なんか真に受 けるべきじゃないって知ってたのに。いつも、おなじ間違いを繰り 434 返して﹂ ﹁玲子︱︱﹂ ﹁でもね﹂ とも と。そこまで語ったところで、玲子の泣きはらした目のなかに、 新たな感情の火が点った。 それは愚か者を嗤う愉悦であり、また同時に、みずからを必要以 上に傷つけようとする自虐の光でもあった。 ﹁キミだっておなじよ﹂ 玲子は云った。 ﹁え?﹂ ﹁わたしとおなじ、勘違いしてるだけ。キミだってすぐ棄てられる に決まってるわ。だって考えてもみなさい。僚子だって、朱美さん ダメな男 をいつまでも相手にすると思う? 準くんだっ だってすごいひとよ。キミみたいに若さだけが取り柄の、ほかに何 もない てそう。彼女には才能がある。今にきっと一流のアーティストにな るわ。ひるがえってキミはどうなの? 学歴も、仕事も、才能も、 地位も、人脈も、金銭も︱︱。何ひとつ持ってない。ただ浮かれて るだけ。そんなキミが、あんな三人に囲まれて、このまま過ごして いけるとどうして思うの。まったくもって夢よ。あなたは今、ただ 夢を見てる︱︱﹂ ︱︱それは。 ﹁お、お笑い種よ。わ、わたしと一緒なんだから、あなただって︱ ︱﹂ 435 それは虎ノ介の芯を刺す言葉だった。 もっともふれてほしくなかった深層の部分であった。 虎ノ介自身、おぼろげに認めつつ、しかし目をそむけてきた未来 だった。 虎ノ介はあざけりの言葉を前に、唇を噛んだ。 ﹁︱︱︱︱﹂ 沈黙が、痛ましい空気が礼拝堂に落ちた。 ⋮⋮しばしのち、うつむき、声を発しなくなった虎ノ介から視線を はずして、玲子は気まずそうに席を立った。 ﹁帰るわ﹂と云い、虎ノ介の横を過ぎようとし︱︱ その玲子の腕を、虎ノ介の手がとらえた。 ﹁離してよ﹂ 虎ノ介は応えなかった。 昏い目をして、静かに板張りの床を見つめている。 ﹁離してったら﹂ 玲子が繰り返して云った。 けれど、そうした抗議も虎ノ介にはとどかなかった。 ⋮⋮虎ノ介のなかに、さまざまな感情が渦巻いてきていた。 それは玲子のような昂ぶりとは別種の、沈んだ、吐き気もよおす ようなうねりであった。 ﹁︱︱てる﹂ かすかな発語があった。 436 ﹁え?﹂ ﹁知ってるよ﹂ 低く。うめくように云って。 虎ノ介は玲子の腕を引いた。 ﹁きゃっ﹂と玲子の声があがった。 体勢のくずれた玲子を長椅子へと引き倒し、虎ノ介はその身体の 上におおいかぶさった。 ﹁な、何を⋮⋮﹂ おどろき見上げる玲子を、そのまま上から押さえつける。 ﹁し、知ってるんだよ、そんなことはさあ⋮⋮﹂ 告げる虎ノ介の声はふるえていた。 強引に、虎ノ介は玲子の前をはだけさせた。 シャツのボタンがちぎれ、玲子のふくよかな双乳があらわとなっ た。 ﹁な、何するつもり﹂ つめたい、自罰的な衝動に押されるまま、虎ノ介は女の肢体をむ さぼるべくズボンのファスナーをさげた。 不器用にもたつきながら、そこからペニスを取り出す。 赤黒い性器が外気にふれ、ぶるりとふるえた。 ⋮⋮それはすでに、牝の肉をもとめ硬く持ちあがっていた。 玲子が息を呑んだ。 437 ﹁今、これで犯してあげます﹂ ﹁い、いやよ﹂ ﹁どうして? 犯してほしかったんでしょう? こんな風に﹂ 二度三度とペニスをしごき、虎ノ介はそれを玲子のふとももに押 しつけるようにした。 ﹁本気? こんなの犯罪よ。わたしが大声を出せばすぐにひとがく るわ﹂ ﹁好きにどうぞ。⋮⋮おれはかまいません﹂ ﹁脅しだと思うの?﹂ ﹁どっちでもいい﹂ しん 云い棄て、虎ノ介はいよいよ本格的に玲子を蹂躙しようとうごき はじめた。 ⋮⋮玲子は、たいして抵抗しなかった。 多少四肢に力をこめるのみで、虎ノ介に危害をくわえるような心 からの厭悪は見せないでいた。 その瞳は、ただ困惑に揺られていた。 ﹁どうして?﹂ 玲子は訊いた。 ﹁どうしてこんなことするの?﹂ 答えはなかった。 虎ノ介は無言で、目の前の肉に食らいついている。 ストッキングが、無惨に引き裂かれた。 438 ﹁︱︱︱︱ッ﹂ にくひだ むしり取るようにショーツを引き下ろすと、虎ノ介は玲子の秘唇 に手をのばした。 ぐにと。 やわらかい草むらの下、そこに隠れた肉襞を左右に割りひろげ、 そしてとじる。 子供が遊び慣れた玩具をつかうように。 繰り返し肉をひらいてはとじ、ねじる。 ⋮⋮たちまち玲子の女は潤みを帯びてきた。 虎ノ介は手についた粘りを見て、にちにちと指先でもてあそんだ。 ﹁もう濡れてきた﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮っっ﹂ 顔を真っ赤にしつつ、それでも玲子はあえて挑発的な目で虎ノ介 を見た。 ここ 虎ノ介は、目をあわせることができなかった。 いれ 責任なんて取れない ﹁それで? これからどうする気? このまま聖堂で犯すつもり?﹂ ゴム ﹁挿入ますよ﹂ のでしょう? キミは、 ﹁避妊具⋮⋮持ってないでしょ﹂ 妊娠はこまる ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁ ゴム んだから﹂ ﹁避妊具なんて、いらない﹂ 虎ノ介はペニスを持って、玲子の濡れた淫唇にあてた。 そうして、そのまま、ひと息につらぬこうとし︱︱ 439 ﹁そろそろ、あぶないわよ、わたし﹂ 玲子のひと言により、虎ノ介はそのうごきを止めた。 440 女社長、氷室玲子の場合 その12 ﹁あらかじめ断っておくけど⋮⋮⋮⋮わたし、キミの子なんか生ま でき かね ないわよ。将来性もない、甲斐性もない。そんなダメ男の子供なん かいらないもの。もし妊娠たって絶対堕ろすわ﹂ ﹁︱︱︱︱﹂ ﹁それだけじゃない。キミを訴える。そしてキミの家族にお金銭を 払ってもらうわ﹂ ﹁う⋮⋮﹂ さあ、それでもわたしを犯したいの? 犯す勇気があるの? そう。玲子の瞳は雄弁に語っていた。 それは単なる脅しである。 玲子の、青年を試そうとする、ただそれだけの言葉である。 ちぢ すこし落ちついてみれば、容易に知れるものである。 だが心の千々と乱れている虎ノ介に、それらの言葉を吟味する余 裕などなかった。 彼は玲子への欲求と、怒りと、愛と、執着と、自己の保身とを秤 にかけ︱︱ ﹁どうせ、いなくなるくせに﹂ 静かにふるえた。 彼のまぶたには、法月伊織の顔が今やはっきりとよみがえってき ていた。 僚子や朱美、準の顔も浮かび過ぎていった。 父に強姦されたという母の、寂しい横顔もまた思い出された。 441 ガキ ﹁⋮⋮え? と、虎ノ介くん?﹂ ﹁おれみたいな子供がいくら本気になったところで、どうせみんな、 僚子さんも、朱美さんも、あなただっていつか﹂ ﹁ッ︱︱﹂ ずぐと。まだほぐれていない玲子の膣内へ、虎ノ介は進入した。 ﹁⋮⋮⋮⋮っ﹂ 胎内を食い荒らされる痛みと快感を受けて、玲子はわずかに歯を 食いしばった。 ﹁だったら妊娠なんて、そんなリスクはできるだけない方がいいじ ゃないか。つきあった相手に何かを残そうなんて︱︱﹂ そんな思いあがりは持つべきでない。 わかれ 虎ノ介は本心から、そのように考えていた。 いつか別離る日がくるのなら。 相手にあたえる傷はできるだけ少なく。 痕跡は最小限に。 それが愛する者に対する彼の誠意であった。 ゼロ そうした責任感、そうした強迫観念に彼は縛られていた。 喪失を前提とした恋愛観︱︱。 自分が消える ことで 自身のおよぼす影響、価値を不自然なほど零に近づけて考えるく せ。 いた だれも傷つかないようにと願いながら、 周囲にあたえる傷みは一切無視した︱︱ そうした歪みを。 虎ノ介ははじめて他人に吐露していた。 442 僚子でも朱美でもなく、玲子だけを、虎ノ介は何か手ひどく傷つ いたみ けてやりたい気分に駆られた。 苦痛と狂人の血と。 彼はこれまで育んできた卑屈な精神のすべてでもって、己を否定 した女を汚したいと思った。 ︵孕ませてやる︶ こう、つめたく煮えたぎった頭で虎ノ介が決心したとき。 す、と。 虎ノ介の頬に手がそえられた。 それはやさしく、慈しむように彼の顔をなでた。 ﹁⋮⋮泣い、てるの?﹂ おもいやり じっと、虎ノ介を見上げる玲子の目は、深い情けをたたえている。 あだかも慈母のように、あたたかい憐憫をしめしている。 虎ノ介に涙などなかったが。 彼は吸いこまれるように玲子へ顔をよせた。 玲子は拒まなかった。 かくはん ゆっくりと口唇が重なり、舌がからめられた。 ぴちゃぴちゃという唾液の撹拌される水音が辺りにひろがった。 ﹁れ、玲子﹂ ﹁虎ノ介、くん﹂ ふたりの空気は、次第に甘やかなものに変わっていった。 口唇を吸い、唾を飲ませながら、虎ノ介は必死に、縦や横、ある いは円をえがくように腰をつかった。 443 肉壷はまたたく間にほぐれてき、玲子はその濡れた股間を押しつ けるようにして虎ノ介を離すまいとした。 むっちりと張ったふとももを。虎ノ介の腰に巻きつけ、愛情豊か にしごきあげた。 結合部からはおびただしい量の愛液が、ひっきりなしにこぼれ長 椅子を汚した。 ﹁んくっ⋮⋮⋮⋮キ、キミなんかきらい。きらい、なんだからねっ ⋮⋮あンッ﹂ ﹁お、おれは好きかもしれません。いや、きっと玲子さんが好き、 だ﹂ 場の雰囲気に流された、ただ気分からくるだけの甘い囁きをあた えて、虎ノ介は玲子を犯しつづけた。 乳房をもみしだきながら、繰り返しペニスを突きたてた。 それに対し、玲子の特徴である凶悪な膣は、先だっての夜よりも 激しくうごめいて虎ノ介を追いつめつつあった。 たいして時間もかからずに、虎ノ介はほとんど余裕を奪われた状 態になった。 ⋮⋮玲子もまた快感にあえいでいた。 ﹁こ、これが生のおち○ちん⋮⋮⋮⋮! す、すごいわ、まるでオ マ○コから全身が溶かされていくみたい⋮⋮ッ!﹂ じか はじめて知る直接のペニス。 それに陶然とし、甘えきった姿で虎ノ介へすがっている。 目は切羽つまった風に見開かれ、だらしなく開いた口からは、よ だれがだらだらとたれている。 全身に玉のような汗を浮かべ、背筋を弓なりにそらせ、ふるえて いる。 444 つまさき 足の爪先はまるめられ、力んではゆるみ、を繰り返している。 カウパー 虎ノ介は玲子の奥、子宮口に亀頭を押しつけた。 鈴口からあふれた先走りを子宮になじませるよう、のってりとな すりつけ、狙いを定めた。 ﹁う゛う゛ぅ∼∼∼∼∼∼∼∼∼﹂ ﹁ど、どうですか、生チ○ポの味は。⋮⋮おれのチ○ポの形、ちゃ んと覚えてくださいね。これからずっと玲子さんを、可愛がるチ○ ポなんですから﹂ ﹁これからずっと⋮⋮?﹂ 茫とした目を向けて、玲子は問い返した。 ﹁そうです。玲子さんのマ○コはおれ専用ですから。もうだれにも、 つかわせちゃあだめですよ﹂ ﹁そ、そんなの⋮⋮勝手に決めないでよ⋮⋮⋮⋮ン、んんっ、ああ ンッ﹂ ﹁いやですか? おれの専用になるの﹂ ﹁い、いやよ。だれがキミなんかの﹂ ﹁そんなにうっとりして気持ちよさそうなのに?﹂ ふるふると玲子は首を左右に振った。 ﹁こんなの、全然気持ちよくなんか⋮⋮﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮っ。こ、の⋮⋮目の奥ハートマークにしてるくせに、説 得力ないってぇ⋮⋮!﹂ ひときわ強くペニスを突きこんで、虎ノ介はなじった。 ﹁ひああああんっ﹂ 445 ゴム ﹁気持ちいいんでしょう、生ハメセックス。⋮⋮これから玲子さん とするときは、もう避妊具なんてしませんから。か、覚悟しといて くださいね﹂ ﹁かはっ⋮⋮あは、は⋮⋮⋮⋮か、覚悟? 覚悟って﹂ ﹁今日、危険日なんでしょ﹂ なか だ ﹁そ、そうよ⋮⋮﹂ ﹁膣内で射精しますから﹂ ﹁へ、へぇ﹂ ﹁たとえ今日、妊娠しなくたって、何度も犯して、種付けして⋮⋮ もの 玲子さんがいやがったって孕ませてやる。そ、そして、おれの、お れだけの女に︱︱﹂ ﹁そんなの⋮⋮⋮⋮だめよ﹂ おんな 言葉とは裏腹に、玲子は頬を染めて虎ノ介を見つめた。 そこに虎ノ介の暴走を、至福として受け止める濃情な牝の姿があ った。 おっぱい ﹁玲子さんのおなかふくらませて、胸だって母乳出るようになって もらいます。朱美さんみたいに⋮⋮﹂ 朱美の名が出ると同時、玲子の膣が急激に締めつけを増した。 虎ノ介はその理由に気がつかなかった。 玲子は怒ったように、みずから腰を振りたて、虎ノ介をしぼった。 ﹁うう? 急にきつく︱︱﹂ ﹁んくっ、ど、どうしたのよ。⋮⋮ンっ⋮⋮⋮わたしに膣内射精の 味を教えこむのじゃなかったの? わ、わたしの卵子をキミの精子 で受精させるんでしょ? さっさと出したら? しゃべってるだけ じゃ、いつまでたったって妊娠なんかしないわよ﹂ ﹁う、うるさいな。せかさなくったって、今、出しますよ。こっち 446 なか だって、もうとっくに限界なんですから。⋮⋮ちゃんと膣内で射精 しますから、おれの精液、よく味わって覚えてくださいね﹂ と云って、虎ノ介はフィニッシュへ向け、うごきを加速させた。 腰のストロークはより小刻みになり、そのなかで、時折深くはい ったペニスは子宮口へキスをあたえた。 玲子は眉宇をよせ、快感に打ちふるえる姿を見せまいと懸命にこ からだ らえながら、しかしそれでも腰をうごかすのをやめないでいた。 虎ノ介を絶頂に導くこと︱︱。 玲子の意思は明瞭だった。 ﹁うくっ、あ、っい⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁玲子さん、玲子さん⋮⋮!﹂ 虎ノ介はいよいよ高まっていった。 子供のように玲子の名を呼び、その恵まれた肢体をむさぼる。 たがいの指と指をからませ、見つめあう。 強姦する者とされる者という構図はもはやどこにもなかった。 玲子はその生来の気質を存分に発揮し、虎ノ介を愛していた。 としうえ ほかの女たちとはまたちがった形の︱︱少年のやわらかい心を勇 気づけようとする、年長の心づかいがあった。 ﹁もうイク﹂ 背中を強張らせ、虎ノ介が限界を告げた。 ペニスが、玲子の深奥でふるえた。 ﹁い、イクのね。⋮⋮子宮に一生懸命チ○チン押しつけちゃって、 本気でわたしを孕ませるつもりで。⋮⋮ねえ、いいの、虎ノ介くん ? そんなに深いところで出したら、ほ、ほんとうにわたし妊娠し 447 ちゃうわよ⋮⋮?﹂ 頬をかすかに引きつらせ、玲子は笑った。 口のはしがひくひくとふるえ、恐怖とも嫌悪とも、歓喜ともつか ぬ表情を浮かべている。虎ノ介はそっとうなずいた。 ﹁もうだめ、で、出るっ﹂ 我慢に我慢を重ねた末の射精は、やはり大変なものであった。 どぱと、それはまるで壊れた噴水のように撃ち出され、玲子の胎 内を蹂躙したていった。 ちから 子宮内壁をたたく灼熱の溶岩。 その圧倒的な快楽に、玲子はいとも簡単に屈した。 否、最初からあらがってなど玲子はいなかった。 玲子は心から欲した男の精を受けて、なすすべなく理性を剥奪さ れた︱︱。 ﹁あ゛∼∼∼∼、あ゛∼∼∼∼∼∼っっ!!﹂ なか ﹁う、うっ、また、し、締めつけが!?﹂ なかだし ﹁す、すごぃぃぃっ! 出てる! 膣内でどぴゅどぴゅ出されてる わ。こ、こんなの無理っ。イク。イカされちゃうっ。膣内射精され てイっちゃうぅぅぅぅっっ!!﹂ 断末魔の絶叫をあげ、玲子は虎ノ介にしがみついた。 息も絶えだえ、よだれと嗚咽をもらしながら、唇をわななかせ、 両足はカニばさみのように虎ノ介をはさんでとじ、その腕は虎ノ介 の頭を愛しげにつかんで離さずにいた。 その絶頂はさらなる肉のざわめきを、玲子のなかに生じさせた。 女の全身全霊からなる愛撫を受け、虎ノ介は残った精液すべてを 放出させるほどのいきおいで吐精しつづけた。 448 こご 玲子は、貪欲な女の本性でもって、一滴残さずしぼろうと無意識 に腰をゆすった。 こってりと、ゼリーのように凝った濃密な精が、輸精管を通し子 宮へと送りこまれた。 ﹁∼∼∼∼∼∼∼∼∼っっ﹂ ﹁れ、玲子さん﹂ ﹁う、うう。で、出てる⋮⋮。出してる、わ、わたしのタマゴめが コ けて、と、虎ノ介くんのおたまじゃくしが、いっぱい⋮⋮。あ、あ あ。妊娠させられる⋮⋮。虎ノ介くんに、年下の男に受精させられ るぅ⋮⋮﹂ ﹁ま、まだ出るぅぅ﹂ ﹁し、しあわせぇ︱︱﹂ 恍惚として、玲子は云った。 449 女社長、氷室玲子の場合 その13 玲子の胸にうもれ、しばしの休憩を得たのち。 虎ノ介は静かに体を起こし、己のしおれかけたペニスを玲子の秘 所より抜いた。 かお ふさぐ物を失ったことにより、玲子のそこはおどろくほど多くの 精液をあふれさせた。 玲子はやや名残惜しそうな表情をして、虎ノ介と、自分のひどい 有様となった股ぐらとを交互に見やった。 ︱︱もったいない。 玲子は虎ノ介に聞こえぬ程度の声でつぶやくと、片方の手でもれ た精液をすくいとった。 そして、わずかにためらいを見せたあと、 ﹁んっ⋮⋮﹂ おずおずと、その白い液体を舐めた。 虎ノ介は、そうした玲子のふるまいを見ながら、自分の、何か云 うべきことを思案した。 荒かった息が落ちつくにつれて、心の方も平静を取りもどしてき つつあった。 虎ノ介は客観的に己の姿をながめて見て、自分の無様、幼稚さ、 不甲斐なさを、しでかしたことの大きさとともに思い、恐ろしさに ふるえた。 ﹁あ、あの﹂ 450 そうして青年の心が、罪の重さに耐えきれず、安易な謝罪を選択 しようとしたとき︱︱ ﹁ねぇ︱︱﹂ そっと。玲子の口がひらいた。 ﹁はい﹂ 虎ノ介は観念した。 おこない どれだけ言い訳してみたところで、虎ノ介のしたことは犯罪であ る。 ひとの尊厳を傷つける行為である。 少なくとも、その認識が虎ノ介には、ある。 虎ノ介は玲子の言葉を待った。 弾劾の言葉も、贖罪のもとめも、すべて甘んじて受けるつもりで あった。 父とおなじ過ちを犯した。 その事実が、彼を絶望的な気分にしていた。 ﹁結婚しようか﹂ あっさりと、他愛ない話でも語るかのように、玲子は云った。 ﹁え?﹂ 思わず、虎ノ介は問い返した。 ﹁け、結婚?﹂ 451 ﹁うん、結婚﹂ やわらかな面差しのまま、玲子は虎ノ介を見つめていた。 ﹁だれと、だれがですか?﹂ ﹁キミとわたし﹂ ﹁⋮⋮怒って、ないんですか?﹂ 玲子は答えなかった。 ただ静かに顔を左右に振るのみであった。 その表情に、怒りや、虎ノ介を責める気分は微塵も見当たらない。 ﹁深く考えなくてもいいの。べつに籍を入れようってわけじゃない わ。キミにはたくさん恋人がいるのだし。わたしだけ結婚したのじ ゃ、それもこまるでしょう。だから、そうじゃなくて⋮⋮⋮⋮うん、 契約 でもない。単なる言葉。なん かな︱︱﹂ でも 宣言 誓約 云ってみればこれは ﹁宣言?﹂ ﹁そう、宣言。 ほご の法的な拘束力も、道義的な責任もない。未来への保証も担保も何 いま 宣言 もない。いつ反故にしたってかまわない、そんな。⋮⋮軽い軽い、 いつわり 仮偽みたいな言葉。純粋に、ただ感情だけで語る︱︱だから ね、これは﹂ 玲子はやおら立ち上がると、祭壇の前まで歩いた。 服のやぶれた無惨な姿を、ステンドグラスから落ちた淡い残光が 照らしている。 虎ノ介はそんな玲子の姿に、何か神々しい、目のくらむような思 いがした。 ﹁誓うわ。わたしは、あなたをけっして独りにしない。裏切らない。 452 ひと だれがあなたを見棄てたとしても、あなたがどれだけ他人にうとま れようと。わたしがそばにいる。あなたを愛して、あなたを護る。 すこやかなるときも病めるときも、富めるときも貧しいときも、よ とわ ろこびのときも哀しみのときも。あなたを愛し、なぐさめ、敬い、 助け、節操を守るわ。⋮⋮永遠に﹂ そこでいったん言葉を切ると、玲子はわずかにはにかんだような 微笑を虎ノ介へと向け。 ﹁氷室玲子は、キミを愛します﹂ 告げた。 かりそめ 誓うと、玲子は云った。 なんら意味のない、仮初の言葉だと、みずから断りながら。 それでも神前で誓いを口にした。 その意味、そのやさしさを受けて、虎ノ介は喉を鳴らした。 ⋮⋮唇が、ふるえていた。 ﹁あーっと。⋮⋮と、虎ノ介くん? 引いた? や、やっぱり変だ ったかな? あ、あんまり真剣に取らないでね、その。じょ、冗談 みたいなものでさ。単に一度やってみたかったっていうか︱︱﹂ 虎ノ介の沈黙に、玲子はあせった様子で、あわてて取りつくろお うとする姿勢を見せた。 ﹁わわ、やっぱり重すぎたか﹂ などと、手で頭をくしゃくしゃとかきまわして、混乱するそぶり もあった。 虎ノ介は無言のまま、玲子に歩みよった。そして、 453 ﹁え︱︱?﹂ 大事そうに、虎ノ介は玲子を抱きしめた。 ﹁と、虎ノ介くん?﹂ ﹁誓います﹂ 虎ノ介は云った。 ひざはかすかに揺れていた。 以前の自分なら、きっと泣いていたろう︱︱そんなことを虎ノ介 は思った。 ﹁氷室玲子を妻とし、永遠に愛することを︱︱﹂ 玲子の、溜息もらすような声があった。 虎ノ介の背にほそやかな腕がまわされ。 それからふたりは、しばらくそのままの形で抱きあっていた。 ⋮⋮辺りには、夜の帳がはや落ちつつあった。 天窓の外に、明るい月が浮かんでいる。 電車が、遠くを走っていた。 ◇ ◇ ◇ ﹁それで? 結局あれからどうなったんだい? ちゃんと仲直りは できたのかい﹂ 454 まあ、あの燃え方を見ればだいたいのことは想像つくけれど。 と、僚子はひとの悪い、いたずらな目を玲子に向けた。 ﹁そ、それはまあ、ね﹂ 云いつつ、玲子は顔を紅め、視線を僚子からはずした。 僚子は満足げにうなずくと、水のはいったボトルを口に運んだ。 ﹁ふ﹂と笑う。 玲子はますます照れ、口元を手の甲で隠した。 深夜の二〇一号室︱︱。 朱美の部屋、照明を落とした薄暗いリビングに彼女らはいた。 ⋮⋮ふたりとも全裸である。 そしてまた、ふたりともに、全身を汗でびっしょり濡らしていた。 彼女たちの胸や尻、ふとももはてらてらと汗で光り。 いんわい 股間からは白く泡立った精液がねっとり、たれてきている。 空調の効いていない室内には、淫猥な牡と牝の匂いが、むせかえ るような濃さで立ちこめている。 情事のあと、であった。 九時ごろからはじめられた、虎ノ介と四人の女たちによる愛欲と 抱擁の宴、熱烈なる大乱交は。 主役である虎ノ介から、体力と意識をすっかり奪ってしまい、今、 彼は寝室で、欲も得もない眠りへとついていた。 としうえ その彼の隣には、首輪をつけた準の、よりそって眠る姿もある。 そうして比較的元気を残していた年長の女たちは、リビングに場 所を変え、朱美は夜泣きをはじめた娘のもとへ、残ったふたりは、 おなじ男を愛する友人同士として、垣根ない会話に花を咲かせてい た。 455 もとカノ ﹁いろいろ聞いた。⋮⋮虎ノ介くんの過去のこと。お父さんの話と か、元彼女のこととか、それにその、彼がわたしを苦手に思ってた ことも﹂ と、玲子は云った。 ﹁ああ、聞いたのか﹂ ﹁うん。なんだろう、わたしは。そんなの全然気がつかなかった。 ⋮⋮ねぇ、わたしってそんなに怖いかな?﹂ ひと口水を飲んでから。不安げな顔で玲子は尋ねた。 ﹁さあ、どうかな﹂ 考え深い目つきをして、僚子は腕組みをした。 組み替えられた足の付け根から、大量の白濁があふれ、ソファへ とこぼれた。⋮⋮女たちはシャワーを浴びていない。 彼女たちには、まだ朝まで数戦をこなす腹づもりがあった。 そして同時に、妊娠に対する心構えも。 ﹁同姓相手だとそうでもないがね。男性にはきつく見えるのじゃな いか?﹂ ﹁う⋮⋮と、虎ノ介くんもそんな感じのこと云ってた。はじめて会 ったとき、値踏みされてると思ったって﹂ コンプレックス じんぴん ﹁ああ、ならそれが理由だろう。キミの、いつもの社長モードが出 たんだろうさ。彼はほら、劣等感が強いから、そういう人品を見る 視線には敏感なのだよ﹂ ぼくとつ ﹁うぅん、わたし、そんなに虎ノ介くんを下に見たつもりはないん だけどなあ。むしろ、可愛らしい朴訥な子だなって、好感持ったの よ?﹂ 456 腑に落ちない、といった様子で玲子は考える仕草をとった。 ﹁あれは自己不信の気があるからな﹂ ﹁虎くん、実家のひとたちから、うとまれたり、いろいろあったみ たいね﹂ と、すこし離れたところで話を聞いていた朱美が、あとを引き取 って云った。 ⋮⋮彼女もまた全裸であった。 股間からは、やはり白い液体がふとももをつたい、たれ落ちてい る。 朱美は娘をあやしつつ、 ﹁これは敦子さんに聞いたんだけど。お母さんがガンになってから は、だいぶ金銭的にも苦労したみたい。高校辞めたのもそれが理由 って聞いたわ﹂ ﹁最近のガン治療は、なんだかんだとかさみますからね。彼は母子 ふたりきりだったそうですから。ならまあ、苦労もそれなりにはあ ったのだろうと︱︱﹂ わずかに瞳を曇らせ、僚子が云った。 その目は、虎ノ介があまり語ろうとしない過去に、同情をよせる 風でもあった。 う ﹁学歴についても本人、微妙に気にしてるのでしょう。勉強を教え やっちまったー てると、ときどき、とてもはずかしそうな顔をする。そこがまた愛 いのですが。⋮⋮おや玲子、なんだってそんな ってな顔をしているんだい?﹂ ﹁う︱︱﹂ 457 ﹁う?﹂ ﹁う、う⋮⋮﹂ ﹁なんだ、はっきりしないやつだな。おいほら、さっさと云いたま えよ。わめきたまえよ、泣き叫﹂ ﹁うわぁんっ、あんた、なんでそんなイジメるのよー! わ、わか ってるくせにー﹂ ﹁ふっふっふ﹂ 深刻な表情から一転。 今にも泣きそうにしている玲子を見、﹁その顔が見たかった﹂と 僚子は意地悪く笑った。 けんつく ﹁予想はしてたが、やっぱりそうか。その様子じゃ相当剣突くらわ せたな﹂ ﹁うん⋮⋮。ああ、わたしったら、知らなかったとは云え、なんて ひどいこと云っちゃったんだろう﹂ 心底、後悔した様子で、玲子は頭をかかえた。 あんたの子なんか絶対いらない、妊娠ても堕ろして でき ﹁甲斐性なしとか、ダメ男とか、さんざん云っちゃった﹂ ﹁ふ⋮⋮﹂ って﹂ ﹁とどめに、 やる ﹁そんなことまで云ったのか? ク。そいつは傑作だ﹂ ﹁あはははっ。⋮⋮⋮⋮そ、それは男にはきついわね。うん、虎く ん、可哀相﹂ 僚子と朱美、ふたりが笑った。 玲子はふてくされた目つきをして、ふたりをにらんだ。 458 ﹁わ、笑わないでよ﹂ ﹁ハハッ、まあいいじゃないか。おかげでこうして踏みこむことが できたのだから。怪我の功名。玲子が堕としてくれたおかげで、わ たしたちも今、ここにこうしていられる︱︱﹂ こご と云い、僚子はみずからの股間に手をのばすと、秘唇を割りひろ げ、そこに凝った精液を指ですくい取った。 ﹁ふ、ふ⋮⋮﹂ ﹁そうね﹂ おの 朱美もまたにこやかに同意し、己が下腹部を愛しげになでる。 ﹁どうやって生でしようか、わたしも僚子先生もこまってたところ だし、きっかけができてよかったわ﹂ ︱︱玲子にだけ生セックス、膣内射精を解禁したのは不公平だ。 ゴム こうした主張を強くして、結局なしくずしに、これから避妊しな いことを虎ノ介に認めさせた女たちであった。 アレ ﹁それにやっぱり、一度、生知っちゃうと⋮⋮⋮⋮正直、避妊具あ りじゃモノ足りないのよね﹂ 恍惚を目に浮かべ、朱美が溜息をもらす。 ﹁ああ、それは実によくわかります。あの熱が身体の芯にひろがる 瞬間、女に生まれてきてよかったと、心底思いますね﹂ ひざを打って、僚子もそれに応えた。 459 ザーメン ﹁特に、あの精液を奥にくらうと、一発でくずされるというか。ト バされるんですよね、子宮が。もう妊娠とか、そういうリスクがど うでもよくなるくらい、とろけてしまう。⋮⋮あれは正直、異常だ。 わたしは、これはもしかしたらと、にらんでいるんです﹂ ﹁もしかしたらって何?﹂ 玲子が横から尋ねた。 ﹁つまりだ。あれは何か、薬物的な作用なのじゃあないか。そう思 うのだよ。わたしたちは、このところ、ずっと虎ノ介くんに隠れて はじめて 薬をあたえてきただろう。主に媚薬だが。わたしも朱美さんも玲子 も、最初のときはがっつり仕込んだし、準くんも焼肉屋でひそかに 飲ませたと云ってた。それ以外にも事あるごとに、栄養ドリンクに 混ぜたり、お茶に混ぜたり、食事に混ぜたり⋮⋮⋮⋮いや考えてみ ると、わたしたちもけっこうひどいな﹂ 僚子はひたいに汗を浮かべ、苦い顔つきをした。 ﹁あ、あはは⋮⋮。複数プレイのときは、たいてい飲ませてるから、 ね﹂ 壁によりかかり朱美は腕組みをした。 玲子はあきれた顔をしている。 ﹁ま、まあとにかく。この薬のおかげで、彼は最近ずっと絶倫だし、 普段でも精力が増加してきているようだ。敦子さんは別段、恐れる ような副作用はないと云うが⋮⋮⋮⋮やはり正規の薬ではない、田 村家秘伝の薬なわけだし、なんらかの影響があってもおかしくない、 とわたしは思う﹂ ﹁なるほど。それで?﹂ 460 カウパー ザーメン ﹁薬の副作用で、虎ノ介くんの体質そのものを変化させてしまった のじゃないかということさ。具体的に云えば、先走りや精液に快感 を増大させるような、何か麻薬的な薬効があらわれているとか⋮⋮﹂ ﹁まさか⋮⋮﹂ 否定しつつも、それを完全には笑い飛ばせぬ朱美と玲子であった。 虎ノ介とのセックスにおいて、今までの男に知らなかった、すさ まじい快感を得ているふたりである。 朱美が尋ねた。 ﹁もし、ほんとうにそうだったら。僚子先生はどうするつもりなの ?﹂ ﹁ふむ⋮⋮まあ、彼の健康には今のところたいして影響はなさそう ですし、さほど心配することもなさそうですが﹂ と。僚子は、しかし実にさっぱりとした風情で答えた。 ﹁てことは問題は﹂ ﹁わたしたち、か﹂ 朱美が云い、玲子があとを継いだ。 ﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹂ 三人、考えこむようにして、おたがいの顔を見やった。 しばしのち、三人の顔に笑みが浮かんだ。 ﹁ふ、ふ﹂僚子が笑うと、玲子もまた﹁ま、今さら、べつにね﹂と さばけた様子で隣室の方をながめた。 よそ ﹁他の女とだけは、絶対エッチさせないようにしないとね﹂ 461 朱美が云った。 苦笑し、うなずきあう三人であった。 そんな女たちの決意など露知らず、虎ノ介はすこやかに、安楽な 眠りをむさぼっている︱︱。 ◇ ◇ ◇ 翌日。 虎ノ介はひとり、キングサイズのベッドの上で目を覚ました。 寝室に、明け方までつながりあっていた女たちの姿はない。 ヒナタ 僚子と玲子はすでに出勤し、準は自分の部屋にもどったのだろう。 朱美はリビングか書斎で赤ん坊の世話でもしているだろうか。 そのようなことをぼんやりと、虎ノ介は胡乱な頭で考えてみた。 ⋮⋮携帯電話の、やかましい着信があった。 ﹁ん、電話。⋮⋮電話﹂ ふらふらと立ちあがり、虎ノ介はベッドを下りた。 足元にたたんで置かれていた衣服の上、携帯電話を認め、それを 手に取った。 おそらくは和彦だろう。 用件は今日のフットサルについてだろうか。 時計の針はすでに約束の時間に近い︱︱そうした分別をしつつ。 虎ノ介は電話に出た。 相手の確認は、しなかった。 462 ﹁もしもし。和彦か? 悪いけど、今日はちょっと遅れそう︱︱﹂ あくびを噛み殺し、告げる。 そうして。 虎ノ介は思いがけない声を聞いた。 ︱︱虎、くん⋮⋮? ﹁え?﹂ それは。 ひと もはや聞くことはないだろうと、そう思っていた。 心奥に沈めた、あこがれだった女の声︱︱。 ﹁イオ、ねぇ﹂ かすれてはっきりしない声で、虎ノ介は相手の名を呼んだ。 ⋮⋮電話の向こう、法月伊織がいた。 463 幕間 水樹準の日常 もや 外に出てみると。夜の空気は準の想像よりも冷たく、彼女の肌に さわった。 雨上がりの夜気。辺りにはぼんやりと薄い靄が立ち込めている。 すでに六月も終わりに近いとはいえ、深夜ともなればやはり少し肌 寒い気温である。 準は鳥肌の立った己の素肌を思わず、両腕でかき抱いた。 ﹁ほら、やっぱり寒いよ﹂ きつ と云って、隣に立つ青年、久遠虎ノ介は気遣わしげな目を準に向 けた。 準はわずかに視線を強くして、虎ノ介を見た。 ﹁大丈夫ですよ﹂ 答える準の身体に、冷気をしのぐための服はない。裸、であった。 否、身に着けられているものもあった。それは申し訳程度、身体 の一部を隠すのみで、およそ服と呼べるような代物ではなかったが。 ﹁風邪を引くかもしれない﹂ 外に出るのはやめよう。こう抵抗を示した虎ノ介に向け、準は若 々しい熱情を帯びた目に、不満の色を濃く浮かべて、 ﹁なんでもしてくれるって云った﹂ ﹁たしかに、そうは云ったけどさ﹂ 464 までしてあげたんでしょう?﹂ ﹁男が一度口にしたことを取り消すんですか? 玲子さんには 婚 ﹁そ、それは﹂ 困りきった様子で、虎ノ介はへどもどとした。 ﹁嘘つき﹂ 結 すねた顔つきをして、準は云った。この頃では準も虎ノ介に対し、 強い言葉を使うようなりつつある。 ﹁あ、あれはただの真似事なんだって﹂ 真 を心の底から喜んでいるのも。玲子さんにとっては虎ノ介さ ﹁それは⋮⋮ぼくだってわかってます。そして玲子さんがその 似事 んとそういう誓いをかわせたことの方が、籍を入れるとか、指輪を もらうなんてことより、ずっと大事なんですよ﹂ ﹁う⋮⋮﹂ ︱︱虎ノ介と玲子の結婚。 の この子供じみた二人のままごと遊びは。玲子のハーレム加入後、 ぼ 少しして他のメンバーにも知れることとなった。これまでになく逆 上せている玲子を不審に思った僚子が、ねちねちと念入りに問い詰 め、明らかにしたのである。虎ノ介がどういう言動をとり、玲子が それにどう応じたか。さらには二人でどういった云い合いをし、ど んなセックスをしたかまで、僚子は事細かに玲子から聞き出してい た。結果︱︱。 ︱︱それはズルい。 465 ひっきょう すでにハーレムのメンバーだった準たちから、そうした抗議が出 るのも畢竟であり。 ﹁玲子さんだけでなく、ぼくらの願いも聞いてくれる。そういう約 束です﹂ こうした約束が虎ノ介と女たちの間に取りつけられたのもまた、 自然な流れではあった。 と云って、準たちハーレムの女に虎ノ介や玲子を責める気はない のである。片帯荘に住む女たちは互いに交流があり、だいたいにお いて仲がよい。玲子のハーレム参加にしても準たちに否やはなかっ た。もとより独占する気などない女たちである。ただひとつ、そん な彼女らに不満があったとするなら︱︱ 棄てられる と思ってる。 ︱︱虎ノ介くんはいつかわたしたちと別れる︱︱ううん、わたした ちに 玲子の云った言葉。このことであった。これのみであった。 いつか別れる日のため。相手にできるだけふれないでおきたい。 ねが 半端に心繋ぐようなことはせずにおきたい。 こうした虎ノ介の希い︱︱あるいは自己防衛にも似た︱︱が女た ちを納得させることはついぞなかった。朱美は﹁ばかな子﹂と目を 伏せ。僚子は憐れみの溜息をついた後で少し笑った。とりわけ準は おもしろくない顔をした。 ︵どうして︱︱。どうしてそんな話になるんだ︶ きょくそく 自分はそこまで信用がないのか。哀しみと憤りとが、準の心を苛 立たせた。見くびられたという気持ちもあった。虎ノ介の局促とし 466 た心をなじり、問い詰めたい気分に駆られた。何より虎ノ介の寂し さを埋められない自分が悔しかった。 あなた ︵ぼくが、虎ノ介をきらう訳ないじゃないか︶ さまよ 準にとって虎ノ介は初恋の相手であると同時、それ以上の存在で ある。闇の中、彷徨い泣いていた幼子のごとき準を、手を引き導い いだ てくれた人である。預言者であり、福音そのものである。準は虎ノ 介に対し、ある種崇高な、信仰にも似た愛情を抱いている。準もま た、若者らしい純粋な愛を信ずる者であった。それは過去に虎ノ介 が持ち、やぶれたものと近い。しかしだとしても、準と虎ノ介では 決定的な違いがあった。準は、虎ノ介のように人の善性など信じて はいなかった。どれだけ言葉をつくそうと、どれだけ誠意を見せよ うとも、理解しあえない相手がいることを。同じ言語、同じ文化の 中にありながらけっして通じることのない世界があることを、その 鋭敏な感性で直覚していた。それこそがかつて準をくるしめていた ものだった。 ⋮⋮云わば種族である。 準が信じるのは、己と、己が決定した愛しい者たちだけ。それ以 外は信じるに値しない別種の者たちであった。偏狭な見方だと、準 ひと 自身、思わぬでもなかったが。それでもかまわないと彼女は考えて いた。 のだ。そして。 ひかり 知った 準は知っている。この世界に信じるに足る者が在ることを。人間 を信じるのではない。ただ光があることを 久遠虎ノ介という男は、まさに彼女が待ち望んだ世界だった。 ︵だから︶ 準は思う。 だから悔しかった。 467 だから哀しかった。 くら 虎ノ介を癒してやれなかったことが、虎ノ介のふるえをとめられ なかったことが。 あの寂しい目の奥、昏かったものが薄らいでいるのを見た時。玲 子を隣に眺めて、いつになく穏やかな顔をした虎ノ介を見た時。準 は、胸中で醜い嫉妬が渦巻くのを、自覚しない訳にいかなかった。 玲子がうらやましい。そう思った。 全てをぶちまけた虎ノ介が、泣きわめき、甘えかかり、﹁独りに しないで﹂と哀願した。受けとめた玲子はどんなにしあわせだった ろう。どんなに女の欲を充足させただろう。 以前、玲子は云ったことがある。 おんな ︱︱結局のところ、女性の上司はだめね。母性本能があるから。 男を甘やかしてしまうのだ、と。彼女の声は冷嘲を帯びて準に届 いま いた。それが本心だったのか、定かではない。けれども、その玲子 が現況、晴々とした顔で虎ノ介を見ている。自分に相応しい対象を 得た喜びが全身に満ちみちている。 ︵ぼくだって︶ 虎ノ介をなぐさめてやれる。 甘えるばかりでなく、満たしてやれるのだ。いつもそばにいる。 かんがえ そんなわかりきった真実、証明して見せるに何程のことがあろう。 こうした思考を以て。準はひそかに決心した。 ︵もう遠慮なんてしてやらない︶ 手加減なしで愛してやる。⋮⋮準の内、凶暴な獣が牙を剥いてい た。そうしてその獣は、自身と虎ノ介の関係性をより明らかにしよ 468 うとしていた。 虎ノ介に対する愛情、隷属を示すこと。 ご主人さま ﹂ 準が虎ノ介に希望したのは、そうした彼女の本能的な欲望をもっ とも端的に表した行為だった。すなわち︱︱ ﹁うう、準くん⋮⋮﹂ からだ ﹁さあ、ぼくを散歩に連れて行ってください。︱︱ 準は云った。 細い、若鮎のような肢体には、首輪、膝当てのサポーター、靴、 リード 手袋、そして頭に獣の耳を模したカチューシャが着けられているの けば みである。首輪からは散歩紐が伸びて、虎ノ介の手ににぎられてい る。手袋や靴は皆、動物の手足を模しており、毛羽だった布地に、 ぬいぐるみかクッションのようなやわらかさが持たせられてある。 さらには︱︱ ﹁見てください。⋮⋮この間、新しい尻尾を買ったんです﹂ 準の尻︱︱尾骨の辺りから、白い、ふさふさとした尾が生えてい ストッパー る。準は腰をくねらせ、その尾をふって見せた。 アナルプラグ、であった。 ハー 尾の根からは合成樹脂でできた栓が鉤状に伸び、準の菊門へ繋が ネス っている。そして、肛門内へ挿入された栓が抜けないよう、紐様の 下着によってしっかりと固定されている。 ﹁前はちゃんと挿入もできます﹂ ﹁⋮⋮こんなの、どこで買ったの?﹂ ﹁つ、通販です﹂ ﹁あ、ああそう⋮⋮﹂ 469 うれしげに語る準を前に、虎ノ介はやや引きつった笑いを浮かべ ている。⋮⋮ほとんど全裸で、尻にはアナルプラグを着け、それで いながら胸と股間だけは大事そうに腕で隠す準を、あるいは不思議 に、あるいはあきれはてた気持ちで見ているのかもしれなかった。 準は︱︱ ︵は、はずかしくて死にそう⋮⋮!︶ 実のところ、湧き上がってくる羞恥をこらえるのに必死だった。 懸命にふるえを押し殺し、気丈にふるまっていた。 ︵うう。とんだ変態だ、ぼくは︱︱︶ 準の女としての機能は、遅ればせながら訪れた初恋によって一気 はじめて に花開いたのであったが。それはまた彼女の変態性の発揮も意味し ていた。 虎ノ介の犬として扱われること。 犬として犯され、犬として種付けされる。初体験の時から、これ が準にとってのスタンダードであり、心地よい交わり方だった。ど うしてこのような変態的プレイに心惹かれたのか。おそらくは自ら の認識に対する過去が関係しているのだろう、と準はなんとなく感 じている。男女の差異に傷ついてきた準は、男でもなく女でもない 自分を剥奪してくれる、そんな相手を無意識に望んでいたのではな いか。心から信頼し、性差など関係なしに隷属できる相手を求めて いたのではないか⋮⋮。 ︵で、でも、少なくとも露出の趣味はなかった、はず︶ 準の目的は、虎ノ介に自分の全てをさらすことであって、何も他 470 人にセックスを見て欲しい訳ではないのだ。⋮⋮羞恥に顔を紅めな がら、しかし、これから行う散歩のことを思うと、何やら股奥の濡 れてくる準であった。 ︵な、ないよな? ぼく︱︱!?︶ シミーが云うところの﹁完全な露出狂﹂である、とある人物のは じけぶりを思い出し、準はひたいにひと筋の汗を流した。 ﹁じゃ、じゃあ行こうか﹂ み 虎ノ介が一歩、足を踏み出して云った。首に繋がれたリードがわ ずかに引かれた。 ﹁わんっ﹂ かげいし 答えつつ。準はその場で四つん這いとなった。玄関に敷かれた御 影石が、冷たく準の足にふれた。 471 幕間 水樹準の日常 その2 人を犬に見立てての散歩。 それは準の考えていたよりも、ずっと大変な作業であった。常に 四つん這いでの移動を余儀なくされるのだから、当然と云えばそう かもしれない。移動速度は普通に歩く半分以下であるし、地面にふ れる箇所も格段に多い。 無論、よごれる。 雨上がりということもあって、公園に着いた時には準の手も足も、 泥水まみれとなっていた。 片帯荘からごく短い距離を歩いただけでこの有様である。アスフ ァルトでない、土の地面を直接に行けば、どれだけよごれるか見当 もつかない。が、 ﹁行くよ、準﹂ 躊躇いを見せる準に対し、虎ノ介は容赦なく紐を引いた。 ︵き、きた⋮⋮︶ 喉へと食い込む革の感触にえずきながら、準は潤んだ瞳を虎ノ介 へ向けた。 ︵ご主人さまモードだ︱︱︶ ◇ ◇ ◇ 472 虎ノ介の変化。 おどろき それはハーレム内にもたらされた、近頃ではもっとも大きな吃驚 のひとつだった。 と云って、根本から何かが変わった訳ではない。基本的な彼の性 情、人間性はそのままに、ただ姿勢だけが変わったのだ。やさしい、 恋人として ふ ある意味では脆弱ともとれる性格に変わりはないが、準らハーレム の女に対しては以前よりも積極的に、情熱的に、 るまうようになった。特にセックスにおいてそれは顕著だった。 ひと たとえば朱美である。 愛しい男の子を望む彼女に対し、必ずと云ってよいほど膣内射精 をする。この際、互いに妊娠を意識させるような会話︱︱受胎に肯 定的な︱︱を多くするようになった。そして以前はあまり好んでい なかった、身体を清めてない状態でのセックスも、虎ノ介はよくす るようになった。これは朱美の、体臭を好む嗜好にあわせたものと しお 云ってよい。きちんと身体を清めた朱美に、あえて自分の汗ばんだ、 鹹はゆい身体をあたえる。そうして朱美の中で射精した後は彼女が 飽きるまで存分にペニスをしゃぶらせるのである。 たとえば僚子である。 なかだし 避妊具を着けない、生での性交はすでにハーレムの女全員に平等 に行われている。僚子に対しても虎ノ介は今、膣内射精を躊躇って はた いなかった。妊娠も、朱美のそれと同様、まったく忌避していない。 子づくり に励んでいる。こうした 孕ませプレイ はハーレ 卑猥な︱︱傍から見ればあざといまでの下品さで、僚子は虎ノ介と の ムの女たちの間でおおむね好評であった。 たとえば玲子である。 玲子の場合、前述の二人と少し違っている。女性優位、女性主導 473 マゾヒズム を好む二人に対し、玲子はあくまで虎ノ介優位を好んでいた。虎ノ 介も玲子の被虐趣味的傾向を満足させるべく、荒々しい、攻撃的な メス ののし セックスを彼女にあたえた。時に擬似的なレイプを演出し、時に淫 なかだし らな牝の浅ましさを罵ったりもした。軽く尻を叩いてみたり、望ま ない妊娠を仮定して膣内射精することもあった。だが、それらもま た、玲子の嗜好に沿うものでしかなかった。⋮⋮嘘のないセックス せがんで 、それを玲子が年長の としうえ をすれば、玲子と虎ノ介の交わりは、おおよそ甘やかに締められて 終わる。虎ノ介が玲子に妊娠を 寛大さで以て、やさしく受け入れるのである。恍惚に打ちふるえな がら﹁仕方ないわね⋮﹂と膣内射精を許可する瞬間が、玲子にとっ じゅん 主人 マスター であった。主 ての至福であるらしい。男性優位からの逆転︱︱そこに玲子の女と しての性格が表れていると云えなくもない。 そして準︱︱。 じゅん 準とのプレイにおける虎ノ介の主な役割は 人として犬をしつけ、主人として犬を甘やかす。遊ばせ、怒り、褒 美をあたえる。この場合、褒美となるのは主としてセックスである。 擬似獣姦。準の身体は、常に主人である虎ノ介のために開かれてい る。 重要なのは、これらの役割を、虎ノ介が率先して引き受けている という点であった。 求めに応じるまま役割を変える虎ノ介に、女たちはひそかに不安 やけ を覚えぬでもなかった。虎ノ介が本心からたのしんでいるのか、心 配になった。 ヘンタイ ︱︱情の深い女たちに囲まれ、自棄になったのではないか⋮⋮? 女たちは気が気でなかった。 虎ノ介がセックスに積極的なのはいい。虎ノ介ならば、どんな役 474 割をあたえてもけっして女を傷つけたりしないし、本当に嫌がるこ ところ とはしないだろう。そういう点では彼ほど信頼の置ける男もいない。 だが一方で柔弱な精神性のある若者である。いつか暴発して、失踪 されたり、あるいは彼の父親のようにおかしな方向に向かわれても 困る。 ⋮⋮という訳で、全員で相談をし、しばらく距離を置くことも検討 した。 が、虎ノ介。よくよくうかがって見れば、どうやら嫌々つきあっ ている⋮⋮⋮⋮という風でもないようであった。女たちが誘わぬと、 それはそれで何やら寂しげな顔をしたりもする。彼の方から﹁今晩、 行ってもいいか﹂などと云う。 とどのつまり、虎ノ介もたのしんでいるらしい。 女たちは結論づけた。 考えてみれば、虎ノ介の恋人はそれぞれ魅力的な女ばかりなのだ。 ひと癖もふた癖もある連中だが、客観的に見て美人ぞろいであるし、 ライバル 皆、献身的である。つまらぬ我を押しつけることもない。この辺り は互いに恋敵が多いことも影響しているのだが⋮⋮。いずれにせよ、 このようなハーレムを得て、うれしくない男のあろうはずもない。 も 何より虎ノ介自身、性欲過多な現状、女たちに癒してもらわなけれ ば、はっきり云って保たないのである。 とするなら、積極的なアプローチも、距離を縮めたいという彼の すなお 正直な願望と見るのが妥当だ。女たちの希望を優先するのは、生来 の、物事に従順な気質ゆえだろう︱︱。 こうなると女としては俄然おもしろく感じられてくる。 何せ、その人間不信から、心の深いところは必死で隠そうとして きた青年である。そんな青年がはじめて、己から他者を求めた。 云ってみれば、打ち棄てられた子犬のようなものだ。別の人間に 拾われはしたものの、容易になつこうとしないのに似ている。近づ けば逃げ、吠えたてる。あたえた餌も食べようとしない。それが、 475 うしろ ふとある時、拾い主の手を舐めた。その日を境に、さかんにじゃれ、 まとわりつくようになった。いつでも背後をついてくるようになっ た。 まず情けない男、と云ってよい。 だが、これが準たち片帯荘の女にとってはたまらなくよかったの である。 ◇ ◇ ◇ 恐るおそる、準は公園内に足を踏み入れた。ぐちゃりと。冷たい 泥が手袋や膝当てを通して、準の身体にふれた。 虎ノ介は軽くリードを引き、準はそれに従ってゆっくりと進んだ。 池の周りの遊歩道を、四つん這いで進む姿は正しく変態的であっ た。そんな準を見る虎ノ介の目は、あくまでやさしい。 かお ︵ぼくがどんなヘンタイでも愛してくれる。虎ノ介さんは︱︱︶ ﹁わんっ﹂ 時折、準はこう吠えて虎ノ介を見た。 深夜の公園に、準の、透明な声が響いた。虎ノ介の表情には緊張 が浮かんでいる。幸い、辺りに人の気配はない。だが⋮⋮ ︵もしこれがバレたら、絶対言い訳できませんよ、虎ノ介さん︶ ひたいから汗を落としながら、それでもつい口の端が歪んでくる のを、準はとめられないでいた。 股間はすでに濡れそぼっており、愛液がだらだらと、とば口から 476 ふとももをつたわって流れているのがわかる。尻穴も腸液で徐々に 潤みを帯びつつある。 ︵ぼくに大声を出してほしくないなら、怒ればいいのに︶ 虎ノ介の足に頬をすりよせ、準は甘えた調子で喉を鳴らした。 虎ノ介は怒らない。 ただ吠えたというだけで、愛犬を叱るような主人ではない。 ﹁わおんっ﹂ もう一度。今度は大きく、準は声を空に響かせた。 ﹁わお∼∼∼∼んっ、うぉんっ﹂ 犬、いや狼に似た遠吠え。 誰もが惚れぼれとするような、野生味ある獣声の再現。 ︵声帯模写の才能もあるな、ぼくは︶ 自分の才能がそら恐ろしく思える準であった。 ﹁こ、このバカ犬⋮⋮﹂ 頬を引きつらせる虎ノ介の手を、準は舐めた。 ︵ふふっ⋮⋮︶ みなも 池の水面には、上弦の月が静かに揺らいでいる。⋮⋮虎ノ介はい よいよ険しい顔になりつつある。 477 ⋮⋮虎ノ介は変わった。 大胆になったし、物怖じせぬようになった。ハーレムについても 腹をくくったようで、以前ほど管理人母娘の目を気にしなくなった。 言葉にこそ出さぬが、この異常な関係を堂々つづけていこうという とぼ 意思も垣間見えた。誰か妊娠でもしたなら、その時こそ虎ノ介は正 直に告げるのだろう。あの夕暮れの教会以降、虎ノ介は乏しい、わ ずかばかりの勇気をふり絞って女たちの愛情に応えようとしていた。 ひと 玲子というたしかな支えを得てみて。あらためて我が身のそば、他 にも自分を支えてくれる女がある。その大切さに気づいたものか⋮ ⋮。 こうした虎ノ介の姿勢は当然のこと女たちの心を惹いた。 ひま 朱美はますます虎ノ介を可愛がるようになり。僚子は貪欲さを隠 さず、閑さえあれば虎ノ介に夜這いをかけている。玲子にいたって はほとんど我が世の春といった風情で、虎ノ介を溺愛している。時 々、彼の財布へ勝手に小遣いを足しているのを、準は何度も目のあ たりにしている︱︱。 ︵冷静に見て、全員おかしいんだろうけど︶ 複数の女がたった一人を共有する。まともである訳がない。狂っ ているからこそ、こんな関係で満たされている。母乳を飲ませもす れば、小便を飲みもする。夜の公園を裸で歩いたりもする。 あなた ︵ぼくらは虎ノ介に狂っている︶ くわ そんな独白を思いながら。準は、虎ノ介のズボンを口に銜え引い た。 478 利尿剤が効きはじめていた︱︱。 479 幕間 水樹準の日常 その3 準の放尿には公園の中央近く、遊具の置かれた広場と、ボート乗 り場の間の見通しよい場所が選ばれた。 ⋮⋮暗い公園の中、比較的明るい場所である。 おぼろ 桟橋と繋がったコンクリート造りの建物を、脇に並んだ自動販売 機と電話ボックス、そして広場横の街灯が朧に照らしている。照明 には無数の羽虫が集まり、街灯は﹁テ、テ⋮﹂と音を立てて点滅を 繰り返している。昼間、カップルや親子連れでにぎわうであろう売 店は、ひそやかな闇につつまれている。 子供の背丈ほどしかない茂みの奥で、準は恐るおそる四つん這い のまま片足を持ち上げた。躊躇いはまだあった。 ごしゅじん ︵おしっこ︱︱。虎ノ介に、ぼくのおしっこ、ちゃんと見せなきゃ ︱︱︶ 顔を紅くし瞳を潤ませながら、準は虎ノ介の足に頬をすりよせた。 虎ノ介はやさしい目をして、そんな準を見つめている。 アパートを出る直前に飲んでおいた利尿剤はよく効いて、膀胱は 先刻から準に放出を要求している。羞恥も、興奮と尿意の前に、は ご褒美 をあげる﹂ や意味をなさなくなりつつある︱︱。 ﹁ちゃんと出せたら、 虎ノ介は云った。 準は虎ノ介を見上げて、ぶるりとひとつ、身ぶるいをした。 虎ノ介の股間、ズボンが持ち上がっていた。 480 ︵虎ノ介さんも興奮してる。ぼくの姿に︶ うれしさに笑い出したくなるのをこらえ、準は下腹部に意識をや った。ちょろちょろと、透明な液体が割れ目からこぼれはじめた。 ︵ぼくのおしっこ見て。ぼくを犯したくてウズウズしてるんだ︶ 尿は次第にいきおいを強くして、茂みの中へぶちまけられていっ しぶき た。葉や土、水たまりに落ちて、ばちゃばちゃと跳ねを飛ばした。 じっ その飛沫は虎ノ介の足にもかかったが、虎ノ介は一切かまう様子を 見せなかった。彼は凝と準の放尿を眺め、股間を硬くしていた。 しつけ ︵犯して。ぼくを犯してください。ご褒美。種付けを。虎ノ介さん のおち○ちんで、ぼくのおま○こ、躾てなつかせて︱︱︶ 尿を出し終えると、準は軽く尻をふった。尻尾が揺れ、虎ノ介の 足をなでた。尿の残りが、準のふとももをつたい流れた。 虎ノ介がその場にしゃがんだ。 ﹁よく出したね。偉いぞ﹂ 云いつつ。虎ノ介は準の股間に手を伸ばした。ほとんど不意打ち 気味に、秘唇へと指を差し込まれ。 ﹁︱︱︱︱ッ﹂ 準は思わず声を上げそうになった。 人間の声。それが今の自分にはふさわしくないと思い、準はあわ て声を殺した。 481 ﹁気持ちいいなら声、出してもいいからね﹂ 人差し指を前後にスライドさせ、虎ノ介は云った。無毛の女陰か ら、ちゅくちゅくと淫らな水音が鳴った。尿と愛液の混ざったぬめ りが、虎ノ介の指に糸を引いた。 ﹁お尻、もうちょい上げて﹂ 本格的に、虎ノ介は準の秘唇をなぶりはじめた。指で膣穴をほぐ し、割れ目を押し広げる。クリトリスをなで、はじく。執拗な、容 赦ない愛撫を受け、準の身体は徐々にふるえに支配されていった。 甘美な快感が、準の身体を何度も通り過ぎた。 ﹁∼∼∼∼∼ッ﹂ ﹁準のおま○こは狭いから、ちゃんとほぐしておかないとね。⋮⋮ 感じる?﹂ ﹁く、くぅん﹂ 小さく首肯し、準は鼻を鳴らした。鼻息は、荒い。 ﹁そっか。じゃあ、そろそろご褒美をあげよう。⋮⋮っとその前に﹂ 云って。虎ノ介は立ち上がり、自らのズボンとパンツを引き下ろ した。憤ったようなペニスが、血管をみなぎらせて準の目の前に出 た。 いれ ﹁挿入る前にまずはフェラを︱︱うわっ﹂ 虎ノ介が云い終える前に、準は、ペニスにかぶりついた。襲いか 482 こ かるようにして、草むらに押し倒す。準はこれ以上、虎ノ介に何か を語らせるつもりはなかった。 こ ﹁⋮⋮ちょ、準、待てっ。いや、準くん、待って。冷たいっ。草む ら冷たいよっ? 寝てやるんなら、あっちのベンチの方が︱︱うひ ぃ﹂ ︵もう、あなたって人は︱︱︶ カウパー 虎ノ介へのしかかる形で、準は彼に愛撫をあたえた。ペニスを舐 め、しゃぶり、先走りを飲む。熱い亀頭を喉奥で締めつける。唾液 をまぶし、舌先で鈴口を刺激する。陰嚢をもみほぐし、甘噛みして やる。⋮⋮またたく間に虎ノ介の全身からは力が抜けていった。 ﹁うう、こ、このバカ犬⋮⋮﹂ ︵油断しすぎだ。ご主人︱︱︶ そんな恋人を可愛く思いながら、準はゆっくりと相手を追いつめ ていった。 わずかにえぐみのある先走りを嚥下するたび、強いアルコールに 似た揮発を感じ、むせそうになる。身体の芯が重たく熱を帯び、子 宮が子種を欲してとろとろとうずいてくるのがわかる。野性味ある、 果実か花のような香りがふうわりと鼻に抜ける。そうして︱︱ ﹁うう、だ、ダメ、出るうっ。準くん!!﹂ 虎ノ介が絶頂に達するまで、長くはかからなかった。うめいた青 年の両手が、準の頭を押さえつける。喉奥に亀頭を押し込まれ、固 定された状態のまま、準は愛する男の射精を受け入れた。 483 ﹁ぶっ。んぐ∼∼ッ﹂ 先程までとは比べものにならぬ生臭さ、塩気、苦味のある粘液が。 準の喉奥へと叩きつけられた。反射的に逃げようとするも、虎ノ介 は彼女を逃がさなかった。灼けるような汚泥。それを準はむせなが らも必死に飲み下していった。 ﹁ごほっ。ぅおえっ。んく⋮⋮んぐ﹂ 口からはよだれ、目から涙を流し、鼻からは逆流した精液をたれ 流して。それでも準は虎ノ介のモノから口を離さなかった。ペニス を傷つけぬよう、精一杯口を開き。舌と頬の動きだけで精液を喉に 運んだ。虎ノ介がふるえるたび、ペニスが喉奥を刺す。こうしたく るしさすら準は拒まなかった。何度も喉奥を押し潰されながら、準 は全身が火照ってくるのを感じていた。 ︵ああ、きた。いつもの︱︱︶ と 虎ノ介の射精を受けると生ずる感覚。身体の中心に点る火。目は 蕩け、思考は分散し、秘裂はだらだらと淫液をあふれさせる。快楽 が身体を支配し、なんの躊躇もなく子宮が男を受け入れようとする ︱︱。 ︵発情、だ︶ 準は思った。 ペニスを解放した口元、そこに。見た者を蒼ざめさせる、恐ろし く淫蕩な笑みが浮かんでいた︱︱。 484 ◇ ◇ ◇ ﹁ただいまァ⋮⋮﹂ 告げて、準が古びた木造りの玄関をくぐると、 ﹁ああ、準ちゃん。お帰り﹂ 奥から現れた老祖母はうれしそうな顔を向けて、孫を出迎えた。 祖母︱︱名をトキと云った︱︱は、割烹着を身に着け、手にはおた まを持ち、彼女が今、料理の最中にあることをうかがわせた。 ﹁ひどい雨だねぇ。濡れなかったかい?﹂ ﹁ちょっとだけ。そこまで送ってもらったから﹂ 準は手に持ったビニール袋を上がりがまちに置くと、傘を傘置き に、そして泥にまみれたバスケットシューズを脱いだ。 ⋮⋮外では雨がいきおいを強くしている。ばちばちと、屋根瓦を叩 く雨音が、蒸し暑い家内全体に落ちている。 ﹁今年はよく降るねぇ﹂ ﹁今からお昼?﹂ ﹁そうだよ。準ちゃんも食べるだら?﹂ ﹁うん﹂ 云って、準は家に上がり込むと、氷の詰まったビニール袋をトキ に渡した。 485 ﹁これ、敦子さんから﹂ ﹁なんだい⋮⋮あり、立派な鯛じゃあないやぁ?﹂ ﹁もらい物。食べきれないからおすそ分けだって﹂ ﹁やぁまいしったさぁ﹂ トキは吃驚いた様子で、その大ぶりな鯛を眺め見ている。 準は頭のフードとイヤホンを外すと、濡れた靴下を脱ぎ捨て。 ﹁お祖父ちゃんは?﹂ ﹁店番しとらぁね﹂ ﹁ふうん﹂ ﹁ご飯まで少し間ァがあるしかい、あんたも、風呂でも入ってきた らどうやい﹂ ﹁ん。そうする﹂ 答えつつ、台所へと準は進んだ。手を洗い、ガス台上にある煮物 の鍋に手を伸ばす。 ﹁これっ。はしたない真似を﹂ トキの声が飛んだ。 ◇ ◇ ◇ あきな 水樹準の実家、水樹家は、代々銭湯を商んでいる。 ていじろう と云っても、準の父親は家を継がずに音楽家となったため、現在 も商売をつづけているのは祖父の貞次郎だ。年々、経営はくるしく なる一方だが、風呂屋であることに誇りを持っている貞次郎は、け 486 っして店をたたもうとしない。幸か不幸か、今時の銭湯にしては客 もそれなりに多く、繁盛しているとまではゆかずとも、かと云って どうにもならぬと諦めるほどでもない。 ︱︱なぁに、世の中に必要とされるうちは、天が護ってくれらぁ。 とは、貞次郎の言である。 家のある裏口から、準は銭湯﹃音の湯﹄へと入っていった。脱衣 場前の広間に立つと、受付に座った人の好さそうな老人が目ざとく 彼女を見つけ声をかけてきた。 ﹁おい、準﹂ と、老人︱︱貞次郎はにこにこと笑って準を呼んだ。 ﹁ただいま、お祖父ちゃん﹂ ぺたぺたと裸足を走らせて、準は祖父の元へよった。 ﹁おかえり。雨、濡れんかったか﹂ 準は首を左右にふった。 ﹁大丈夫。舞さんが送ってくれた﹂ ﹁おう、そうか。まったく田村さんにはいつも世話になっとるな。 ⋮⋮時々はアパートのみんなで、うちきて風呂入ってくれと、伝え といておくれ。いつでも貸切にするから﹂ 準は頷くと、辺りを見まわし、 487 ﹁今、忙しい?﹂ ﹁いやあ、そうでもないわえ。今日は夕方まで雨だから、そっから だろうよ﹂ ﹁そっか﹂ ﹁風呂入ってくんか?﹂ ﹁うん﹂ ﹁ちょうどええわ。今、女湯の方は誰もおらんよ。ゆっくり入って きな﹂ とん こう云って、貞次郎は孫娘の頭をくしゃくしゃとなでまわした。 準はくすぐったそうに、それを受け入れてから、 ﹁お祖母ちゃんが、もうすぐご飯できるって﹂ ﹁おっ、わかった﹂ ﹁それじゃあね﹂ きびす 準が踵を返そうとした時、貞次郎は何か思い出したように、 ﹁ああ、そうだ。準や﹂ たいち 準を呼びとめた。 ﹁ん?﹂ とんけん ﹁さっきな、太一ちゃんがきたぞ。ほれ、三軒向こうの角の。﹃屯 々軒﹄とこの子な﹂ ﹁太一? ああ⋮⋮﹂ あいつか。と、準はまるで興味を示さず、ぼそぼそとつぶやくよ うに云った。 488 ﹁おまえ、小、中と一緒だったろう?﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ くろさか たいち こくり、頷く。 黒坂太一。準の幼馴染であり、ある時期まで常に準のそばにいた。 幼少の頃、彼女のことを散々にからかった少年︱︱。準の、ひとつ の傷となった少年だった。 今はおらん 、こう 云うたんだ また後でくる 風呂にでも入ってけ と云うと、 ﹁なんだか、えらい思いつめた様子でな。おまえに用事があるって 云ってたわえ。 云い残してな。久しぶりだし、 が⋮⋮﹂ ﹁⋮⋮ふうん﹂ ﹁おまえ、なんぞ心当たりあるかい﹂ と、貞次郎はさぐるような目を準によこした。 ﹁⋮⋮別に、ない﹂ イケメン だ﹂ ﹁そうかえ。しかしまあ、太一ちゃんもおっきくなったもんよなあ。 立派になって、それにおまえ、あれ。ありゃあ 貞次郎はにやにやと笑って。 ﹁どうだい、準﹂ ﹁? どうって、何が﹂ ﹁太一ちゃんさ。おまえの婿にどうだね。うちの銭湯継いでくれん かな﹂ ﹁ばかばかしい。﹃屯々軒﹄の跡継ぎじゃないか。太一は﹂ 489 つまらなげに云って、準は祖父をにらんだ。 490 幕間 水樹準の日常 その4 ﹁それにぼく、もう彼氏いる﹂ この準の答えに、貞次郎は﹁はあ?﹂とひとつ間の抜けた声を上 げてから、 ﹁な、なんだと﹂ 呆然とした様子で準を見つめた。 ﹁か、彼氏ってな、あの彼氏か。恋人ってやつか﹂ ﹁ほ、他に何があるの﹂ ﹁おめぇ、いつのまに﹂ 顔を紅め、準は小さく頬をかいた。 貞次郎は口をもぐもぐとさせ、何故かきょろきょろと周囲に視線 を彷徨わせた後、 ﹁か⋮⋮﹂ ﹁?﹂ ﹁母ちゃんっ! え、えらいことなったぞ、じゅ、準が︱︱﹂ あわてて母屋へ向かおうとする貞次郎の背を、準は引きつかんで とめた。 ﹁い、いいよっ。今すぐ教えなくたって。いいよっ﹂ ﹁ばか、おまえ。こんな大事なこと、知らせんでどうする﹂ 491 ﹁今じゃなくていいってば。それにお祖父ちゃん、店番でしょう。 空けたら誰がお客さんの相手するの﹂ ﹁う、ううむ⋮⋮﹂ 無念そうにうつむく貞次郎であった。 ﹁じゃ、じゃあ、ぼくお風呂入ってくるね﹂ ﹁ま、待て﹂ ﹁な、何⋮⋮﹂ ﹁そいつはどんな奴だ。おれの知ってる奴か?﹂ 興味津々といった風情で貞次郎は尋ね。 ﹁お祖父ちゃんは会ったことない人だよ﹂ 準はうるさそうに手をふって、答えた。 ﹁一度、連れてこい。こい﹂ ﹁う⋮⋮。まあ、じゃあ今度アパートのみんなと一緒にくるから﹂ ﹁みんなと? なんだ、アパートの住人か﹂ ﹁う、うん﹂ ﹁手近なところで捕まえたな﹂ ﹁べ、別にいいじゃないか﹂ ﹁いい男か?﹂ 腕を組み、半眼で考え深げにしつつ、貞次郎は準を見やった。そ の目には孫を心配する情愛が見てとれる。 ﹁それは、うん、いい人だよ。⋮⋮やさしい﹂ ﹁男はやさしいだけじゃ、だめだ。ここぞって時は、こんにゃろっ 492 てできる奴じゃないとな﹂ ﹁そういうのは期待できない。ちょっと頼りないものな﹂ ﹁ふうむ。おまえの父親みたいな奴だな﹂ ﹁うん﹂ ﹁あれも、頼りない男だった。おれの息子とは思えんような﹂ 貞次郎は苦笑いをした。 ﹁でも、多分お祖父ちゃんも気に入ると思うよ﹂ ﹁む、そうか﹂ ﹁敦子さんのね。甥にあたる人なんだ﹂ ﹁ちょっと待て。今なんと云うた﹂ ﹁? 敦子さんの甥っ子﹂ ﹁⋮⋮とんでもねぇことさらりと云ったな。おめぇ、そりゃつまり 田村の御曹司ってことじゃねぇか﹂ ﹁そうなるのかな﹂ ﹁世が世なら殿様だぜ﹂ ﹁そうなの?﹂ ﹁うむ。この辺の土地だってなァ。もとはと云や全部田村家のもん ひら だ。あそこの昔の当主が人が住めるように山々を開墾したり、田畑 を耕したりして、村をつくった後でな。その拓いた土地を、みんな たす 片っ端から村の者に分けあたえっちまったんだ。そうしておいて自 分たちは何処だか、東北の山奥に引っこんじまった﹂ ﹁へぇ﹂ ﹁戦後のひどかった時も同じだ。私財を使って、ここらの人間を援 けた。そのくせ見返りは一切求めんかった。まあ、ざっくりと云っ て相当に変わり者の家系だな、ありゃ﹂ しかし、だからこそ田村家は名士で通っている、と。貞次郎は準 に教えて聞かせた。尊敬され大切にされていると。 493 ﹁まあ、今じゃあどんどん新しい街になってきて、そんなこと知っ うち てる人間の方が少なくなっちまったがな﹂ ﹁ふぅん。偉い家系なんだ﹂ ﹁おう﹂ それは準の知らない歴史だった。しかし祖父の言葉により、どう して田村親子が様々な人間と繋がりを持ち、佐智のような人間を従 えているのか、準は理解できたような気がした。田村の当主は大物 政治家や経済界の重鎮にも顔が利くと云う。裏の世界、暴力を生業 とする連中すら動かせるとも。 カリスマ、なのだ。 てんにん 田は他であり、村は群である。すなわち群れの外からきた者、異 邦人を意味する。別種の群れ、別種の人間たち。天人を祖とする彼 女らにふさわしい名︱︱。 しかしながら、準の見たところ彼女たちはけっして聖人という訳 ではない。どちらかと云えば普通人より人一倍、何か薄暗い欲望を 秘めているよう準には思える。そう。淫靡で、異質で、堕落した欲 望を。 それはたとえば。 ︵甥っ子や弟を家族じゃなく、異性として見る、とか︶ などと準は思ってみた。 ⋮⋮祖父との会話を打ち切り、大浴場へと向かう。 女湯に客はおらず、準は閑散とした脱衣場の中、ひとり服を脱い でいった。 494 ◇ ◇ ◇ とう かご 椅子がある。ロッカーがある。籐で編まれた籠なぞもある。ドラ しつら シーリングファン イヤーもある。扇風機が置かれている。ある一方の壁には洗面台と 鏡が設えてある。頭上では木製の天井扇がまわっている。 脱いだ服を無造作に籠へ押し込んで、準は背伸びをした。鏡には 一糸まとわぬ姿の彼女が映っている。少年のような清潔感と、その 少年性ゆえのエロチシズムを持った少女がいる。股間に一切の茂み ぶきょう を持たぬ少女がいる。細い、しなやかな体に白い雪のような肌を持 ち、その目は相変わらず無興げに、目の前の自分をにらんでいる。 ﹁小さい、な﹂ 自らの胸へ手を伸ばすと、準はそっと乳房をつかんでみた。わず かにもんでもみた。限りなく平らに近い胸は、己が女であることを ひかえめに主張している。 ﹁去年に比べたら、少しは﹂ これ むー、とうなりつつ、準は二度三度と乳房をマッサージした。 現在、十九歳になったばかりの準の、最も切実な悩みが、 貧乳 これ だものな︶ である。小さい胸。準の考えるうち一番のハンディキャップだっ た。 ︵ぼくだけ、 ⋮⋮女たちに云わせれば。 虎ノ介の年上好きは、もはや周知の事実なのだ。加えて大きい乳 房や尻、張りのあるふとももを好んでいるということも。女たちは 495 おおよそ知りつつある。準を気遣ってか、虎ノ介自身ははっきりと 明言していないのだが、やはりつきあっていればそれとなく知れる ものである。 朱美や玲子の胸を愛撫する時、虎ノ介の顔には、大抵だらしない そうごう 笑みが浮かんでいる。それは準が見ようと思っても見れない顔だ。 玲子や朱美がうれしそうに相好をくずす時の顔だ。自分のスタイル からだ のくずれていることをしきりと気にしている朱美も、虎ノ介が大き な胸や肉づきのよい肢体を好んでいるという事実には何かと自尊心 を満たせるようであった。 確証もまた、準たちは得ていた。 ﹁あのコレクション、全部巨乳モノだったからな﹂ 準は先日見たポルノ作品の数々を思い出し、こう独りごちた。 ﹃爆乳家政婦がやってきた、ユリア﹄ ﹃JカップアナウンサーMIREI、わたし、本番中に受精します﹄ ﹃エッチで綺麗な叔母さんは好きですか? 絶頂生中出し四時間S P﹄ エトセトラ ﹃人妻妊娠ファクトリー﹄ etc、etc⋮⋮。 なか この聞くだけで頭の痛くなるようなラインナップはしかし。虎ノ 介の性的嗜好を如実に表していた。 だし 年上、熟女、伯母︵叔母︶、姉︵義姉︶、近親相姦、巨乳、膣内 射精⋮⋮。 佐智が虎ノ介よりひそかに回収しておいたという本やDVDは、 今、準らハーレムメンバーの手に渡っている。それらコレクション の中に、準たちは虎ノ介の興味を見ることができた。⋮⋮いささか の偏りについて、彼女たちが眉宇をひそめたのは云うまでもない。 出演している女優が全体的になんとなく舞や敦子を思わせること、 496 近親相姦と妊娠をテーマにした作品が多かったことなども彼女たち の目を引いた。 ︵むっつりスケベだ、虎ノ介さんは︶ 虎ノ介が敦子や舞を孕ませたいと思っている︱︱とは。さすがに 準たちも考えていない。 インセスト・タブー 夢想と現実、理性と感情の相克がそれほど単純ではないと知って モチーフ いるからだ。なんらかの変態性欲︱︱この場合では近親相姦だ︱︱ が性欲の動機として意味を持ったとしても、それがただちに実際の 行為へ繋がるかと云えば少々話が違ってくる。まして片帯荘の女た だいぶん ちは、それぞれが特殊な性欲を持ち合わせている。その辺の理解、 変態 なんだ︶ ふところの深さは、普通一般の女性に比べて大分に違うと云ってよ い。だが︱︱ ︵だけど、敦子さんたちも ろう それだけが、女たちの気にとまった。 敦子と舞。あの賢く臈たけた二人の女は、実のところ近親性愛者 なのである。それは虎ノ介だけが知らない、ハーレムメンバー間の 公然の秘密だ。虎ノ介が先か、それとも管理人母娘が先だったのか。 それはわからなかったが。しかし確かにあの美人母娘と青年は惹か れあっている。 ︵異性として︶ ブラコン 母娘の姿を、準はまぶたへ浮かべた。 舞は典型的な弟へ性愛を抱く者である。虎ノ介の従姉であるが、 実質姉としてふるまっている。そして姉という枠を超えて虎ノ介を 切望している。機会さえあればいつでも犯すくらいはしてのけるだ 497 ろう。同じ女性であれば容易にわかることだ。あまりに露骨で幼い 接し方に、準には好感さえ持てたほどだ。 みは 敦子にいたっては、すでに虎ノ介と関係を持っているらしい。 最初にそのことを聞いた時、準は目を瞠る思いにすらなった。 朱美曰く。虎ノ介がはじめて片帯荘にきたあの日、敦子は薬で眠 らせた彼をレイプしたのだ。そうして、その場面を見てしまった朱 美へ、 あなたたち ︱︱片帯荘の住人も虎ちゃんを自由にしていいわ。 告げて、さまざまな薬をよこしたのだと云う。よければ虎ノ介を 可愛がってやってくれと。敦子の方から住人が虎ノ介を抱くよう仕 向けたのだ。 がんろう 口どめというよりは、はじめから想定していた風に見えた。と朱 美は語った。 ほんとう 敦子は自分で虎ノ介を玩弄しておきながら、さらに朱美たちへも それを許したのである。 わたしたち わたしたち ︱︱なんて、片帯荘の住人は思ってるがね。しかしまぁ。真実のと ころは逆なのだろうさ。最初から、敦子さんは片帯荘の住人をこそ、 丸ごと虎ノ介くんへあたえるつもりだったのだろう。彼を逃がさな いためにね。そこにわたしたちの意思は関係がなかった。わたした ちが満たされているのも、彼に夢中なのも、あくまで副次的なもの であって、敦子さんにしてみればどうでもよかったのかもしれない。 ⋮⋮ふん。だからと云って文句を云う気にもなれないがね。現にわ たしたちは彼に溺れきってる。いまさらハーレムをなかったことに はできないし、むしろ彼を引きあわせてくれた敦子さんに感謝して るくらいなのだからね⋮⋮。 かんがえ などと僚子は敦子の意図を分析して云った。 498 優秀で、相性のよい女たちを手ずから集め。それらを妻、恋人、 保護者、ペット、あるいは性欲のはけ口として配する。情の深い女 たちを。虎ノ介がどんな苦境に陥ろうと身を挺し護るであろう甘や かな牢獄。糖蜜でからめた女体の檻に閉じ込め。彼を手元に置きつ づける︱︱。 それが真実なら、なんと異常な価値観だろう。 溺愛、などと云うものではない。女たちの意思も、あまつさえ虎 ノ介本人の意思も無視した暴挙である。自分さえ、自分たちさえよ ければよいといった自己中心的な態度である。 499 幕間 水樹準の日常 その5 ︱︱おそらく自らもハーレムに加わるつもりだよ、敦子さんは。 僚子は云った。それだけでない。娘の舞もそこに入れるつもりだ ろう。今、僚子が押し進めているハーレム計画は、最終的に敦子ら の加入を以て完成するのだ。 そしてそれを拒む権利は、準たちには、ない。 僚子の言葉とおり、虎ノ介に溺れている女たちに選択肢などもと より存在しない。 に 準も、朱美も、僚子も、玲子も、佐和も、テリーも。等しく虎ノ く 介のために集められた供物である。供されるだけが存在意義の牝奴 隷に、どうして否と云うことができるだろう。 ひと ︵すごい女だな︶ と、準は思う。 異様な母娘。自分の欲望に忠実で、他者など歯牙にもかけていな い。けれど不思議と嫌悪は感じなかった。それはきっとあの母娘の 感覚が、常識の枠に留まっていないからだろう。一般的な幸福感︱ ほうし ︱金銭や名誉、権威や安定⋮⋮そういった経済的物質主義に価値を のり 見出していないのだ。同時にそんな彼女たちの放肆なふるまいは、 周囲へ幸福をもたらす。 ⋮⋮己の欲するところに従いて矩を越えず。天人の徳とは、もしか するとそんな境地なのかもしれない。と、準は思ってみた。 ひと ︵だいたい、ぼくらみたいな変態が、他人のことをとやかく云える 訳ないのだし︶ 500 チョーカー とうかご 右耳のピアスをケースへしまうと、それもまた準は籐籠へ放り投 げた。それから自らの首につけられた黒の首輪へ手を伸ばすと、 ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ こちらは少し考えたのち、鍵つきのロッカーへしまった。手首に 鍵バンドをまわし大浴場へ向かう。ガラス戸を引き開けた準を、蒸 し暑い、大量の湯気が迎えた。 銭湯独特の匂い。お湯と石鹸と洗剤の入り混じったそれが、準の 鼻をたのしませた。水滴とお湯の流れる音が耳を打った。白々とし た砂浜と海と、彼方に富士を望む風景が、奥の壁に力感持って描か れてあるのが目に入ってきた。入口そばにはたくさんの手桶が重ね られてあり、浴場の隅の方には水風呂とサウナ室が見えた。 準は手桶をひとつつかむと、まず壁際に並んだシャワーのところ で、軽く身体を洗った。それからおもむろに広々した湯舟へ身を沈 めた。 ﹁ああ⋮⋮﹂ 知らず、準の口からは溜息がもれた。久しぶりに得た実家の大風 呂に、少しずつ身体がほぐれていく。 ﹁︱︱︱︱﹂ 頭まで湯の中へ沈め、準は手足を伸ばした。そうしつつ虎ノ介の ことを考えた。 ︵お殿様、か︶ 501 田村家が資産家だというのは、雰囲気からそれとなく察していた みため 準である。何せ敦子には片帯荘の他、都内にいくつも物件があると 云うし、片帯荘にしろ外観こそ古い木造モルタルだが、中はしっか り改装がされてあって、吃驚くほど住みよいつくりになっている。 設備も新しく、防音加工などもほどこされているくらいで、実は新 たなこ 規にマンションでも建て直した方がずっと安くついたのでは⋮⋮こ う思わせる具合なのだ。それでいて準ら店子からはタダ同然の家賃 しか取っていない。 はじめ安い家賃で住まわせてもらえると聞いた時、準は水樹、田 じぶん 村両家の親交ゆえだろうと考えた。両親を失ったばかりで不安定だ った準の、気分の転換を図って敦子が気を利かせてくれたのだろう と。ちょうどある問題を起こしたばかりだった準は、様々なことに おちつ ついて深く考えられるような状態ではなかったし、また興味もなか った。けれども環境が変わり少し沈着いてくると、色々なことが知 とんじゃく れてくる。先に入居していた玲子や僚子の話から、家賃が安いのは 自分だけでないと知る。敦子が金銭に頓着しない人間ということも わかってくる。田村母娘の清廉さや品格、能力の高さ、恐ろしさな んてものもだんだんと見えてくる。 ただの人物であるはずがない。 田村母娘は天女の血を引いている。そんな与太話でさえ、準は半 ば信じたのだ。 ノウブル ⋮⋮しかし虎ノ介は違う。敦子の血縁ということを考えても、虎ノ 介からはそうした感じ、生まれ持った高貴な血の気配が見られなか った。それは虎ノ介の育ちによるところもあるのだろうし、あるい は佐智の云っていた、 で ︱︱優秀でカリスマに富んだ女子が多く輩出る一方、田村家の男子 はだいたいが凡庸なのです。 こうした部分も関係しているのかもしれない。と、準はなんとな 502 く思うのである。 ただでさえ男子がほとんど生まれないという女系家族で、しかも 能力的に劣る者しか出ないとなれば、扱いが悪くなるのも必定だろ う。 ︵殿様なんかじゃないな、虎ノ介さんは︶ こころ 実家を追われたという虎ノ介や、精神を壊して死んだという虎ノ 介の父。それらを思う時、準は何かやるせない、暗澹とした気持ち になった。 ◇ ◇ ◇ アールェメンシェン アールェメンシェン アールレェ 長い長い風呂から出た準は、濡れ髪をふきつつ母屋へもどった。 アールェメンシェン ﹁全ての人たちは、全ての人たちは、全ての人たちは、全ての︱︱﹂ 上機嫌で歌を口ずさむ準の手には、瓶入りのコーヒー牛乳がにぎ られている。 ﹁ただいまァ⋮⋮﹂ 云って、準が廊下から居間へ入ろうとした、その時︱︱。 ﹁やめてください﹂ 男の焦ったような声が、準の耳に届いた。 503 ﹁そんな、頭を下げてもらうようなこと、本当に何もしてないんで すから﹂ ︵虎ノ介さんだ︱︱︶ 準の鋭い聴覚は、すぐにその声が恋人のものであるを判じた。ど うやら居間にいて、誰かと話をしているらしい。準は足をとめ、そ の場で耳を澄ました。 ﹁いや、久遠さん⋮⋮﹂ ここ 答える声は貞次郎だ。 何事か。どうして水樹家に虎ノ介がいるのだろう? 何故祖父と 話している? 何を祖父と話している? 準の中でいくつもの疑問が交錯した。ぎし、と板張りの床が音を 立てた。 ﹁あなたのおかげで、わたしたちの孫は救われました。どれだけ感 謝をしても足りません⋮⋮﹂ 貞次郎の口調は常と違ったもので、普段の気軽さはすっかり影を 潜めていた。 ﹁そんな、おれは﹂ 虎ノ介は困っているようだ。 準は居間に踏みこむべきか迷った。状況を確かめたい気持ちと、 虎ノ介をたすけたいという気持ちと、もう少し話を聞くべきだとい う思いがあった。 504 ﹁と、とにかくお顔を上げてください。奥さんも﹂ しばし沈黙があった。 準は隠れるように壁に背を預け、凝と息を殺した。 かったつ たち やがてぽつぽつと貞次郎が喋り出した。 あれ ﹁準は元々は闊達な性質の子でしてな。小さい時はそりゃあもう明 るい子だったんです。やんちゃだったが、とてもやさしい、そんな 子だった。それがいつの間にやら⋮⋮しんねりといつも難しい顔で いるようになって﹂ 深々と、貞次郎は溜息をついた。 ﹁あの子ぉやさ。繊細な子ぉやしかい。人を傷つけたりできる子じ ゃあないやし。だから自分が傷つくばっかりで︱︱﹂ と、トキの声もまた準の耳に入った。貞次郎が後を継いだ。 ﹁それでも高校に入るまではよかった。両親らの前では明るかった。 ⋮⋮あの飛行機事故が起きるまでは﹂ 両親の死。心の拠りどころであった家族の死。 それは少女から笑顔をうばった。支えを失った少女は精神的に見 るみる追いつめられていき、やがて︱︱ たす ﹁わたしたちは思いました。準を救けてやりたい。どうにかして以 前の明るさを取りもどしてやりたい。しかしわたしら老いぼれにそ こまでの力はなかった。通り一遍の言葉をかけるだけで、準の心を なぐさめてやることさえできんかったのです。そんな時ですよ。途 方に暮れていたわたしたちに田村さんが云ってくれたのは﹂ 505 ︱︱お孫さんはわたしがなんとかしますわ。 こう云い、敦子は準を引き受けた。準に片帯荘での暮らしと年上 の友人たちをあたえた。 ﹁最初は半信半疑だったんです。でもこれが少しは気分転換になっ たようで⋮⋮。高校にもまた行くようになったし、バンド云うんで すか、歌なぞもちょいと歌うようになったみたいでした。ですがそ れでもね、やっぱり準が笑顔を見せることは﹂ 虎ノ介は何も云わず。黙って貞次郎の話に耳を傾けているらしい。 ﹁準の様子がぐんと変わってきたのはついこの間からです。はっき ここ り憶えていますよ。あれは息子夫婦の命日の、翌日でした。毎年、 準はやってくるんです、次の日に実家にね。法事なんかにゃ絶対顔 を見せないんだ。一晩中どこそこかほっつきまわって、それからや ってくる。今にも死にそうな、ひどい顔をしてね。それがどうした お なんて云いやがるんだ﹂ 訳か、今年は違った。こう、にこにこっとしてね。くるなり、 祖父ちゃん、お父さんの声を聞いたよ 貞次郎の調子は、次第に生きいきとしたものに変わってきた。 ﹁うれしかったです。安心しました。はっきりしたことはわからん かったが、誰かが準を救ってくれたことだけはわかった。⋮⋮そし てそれはあなたなんだ、久遠さん。今日、準の話を聞いて確信しま した﹂ 貞次郎の声には、深い感謝の響きがあった。トキもまた礼を述べ た。その声は半ば涙で濡れていた。 506 虎ノ介は何も云わないでいる。 そっと。ガラス戸越しに、準は虎ノ介の顔をうかがって見た。虎 ノ介はやさしい、それでいて寂しそうな、どこかうらやましそうな 目つきをして二人の老人を見つめていた︱︱。 ◇ ◇ ◇ ﹁それじゃあ虎ノ介さん、帰りは気をつけてください。道ももう暗 いですから﹂ 玄関前に立つ虎ノ介へ、準は見送りの言葉をかけた。虎ノ介は準 へ向け、静かに肯きを返して。 ﹁メシまで食わせてもらっちゃって﹂ 少しだけばつが悪そうに云った。 ﹁別に。たいしたごちそうじゃないですよ。あの鯛のお刺身だって、 敦子さんにもらったものですから﹂ 準はわずかに笑って、 ﹁こっちこそ、お祖父ちゃんが変なこと云っちゃってすみませんで した﹂ ﹁いや、大丈夫だよ﹂ ﹁そうですか? それならいいんですが。なんだか子供の話とか、 銭湯継ぐ気はないかとか、無茶なことばかり云ってた気がしますし﹂ 507 準は先刻の食事中のやり取りを思い返して、盛大に顔を紅めた。 ひまご 貞次郎は虎ノ介がいたく気に入ったらしい。盛んに﹁準を頼む﹂ とか﹁曾孫はいつごろ見れるか﹂などと云い、虎ノ介は虎ノ介で﹁ わかりました。きっと、自分にできるだけのことは﹂といつになく 男らしく請け負って見せるので、ますます貞次郎は喜び。しまいに は虎ノ介へ銭湯を継がせるところにまで話がおよんだ。さすがにそ れは時期尚早ということになったものの、準はとにかく顔を紅くし たり蒼くしたりで、大変に疲れる思いがした。 ﹁ははは。いいお祖父ちゃんじゃないか﹂ 虎ノ介は笑う。準もまたわずかにすねたような顔をして微笑んだ。 ﹁でも本当にどうしたんです? いきなりくるなんて。さっきは言 葉を濁してましたけど﹂ たまたま近くを通りかかったため、挨拶にうかがった。突然の来 訪を、虎ノ介はこう説明していた。 ﹁わざわざ菓子箱を持って、偶然に通りかかる人はいないと思いま すよ﹂ いたずらっぽく見て、準は訊いた。虎ノ介は﹁うん⋮﹂と躊躇い を見せつつ、頬をかいた。 508 幕間 水樹準の日常 その6 ﹁本当はね、ちょっとキミの顔を見たくなったんだ﹂ や と、虎ノ介は空を見上げながら、少し照れくさそうに答えた。 雨はすでに熄んでい、頭上には満点の星空が浮かんでいる。 ﹁ぼくの顔?﹂ 準は不思議に思った。一昨日会ったばかりなのだ。一緒にいたし セックスもした。どうしてそんな風に思うのか。準は率直な疑問を 述べた。虎ノ介は︱︱ ﹁ああ、うん。⋮⋮あのさ、明日、会ってくることになった。だか ら﹂ ﹁会う? 誰とですか﹂ ﹁イオねぇ⋮⋮と云ってもわからないか。その、前に教えたでしょ。 おれが高校の時つきあってた⋮⋮﹂ ﹁法月、伊織﹂ 吃驚きを隠さず、準はその顔をかすかに険しくした。 ﹁どうして﹂ ﹁こないだ電話があってね﹂ ﹁いつです?﹂ ﹁三週間くらい前。今、こっちにいるらしくてね。おれの友達から、 おれの居場所を聞いたらしい。それで時々連絡がくるようになって た。会ってくれって。ずっと考えてたんだけど、やっぱりきちんと 509 話しあった方がいいかと思って。おれはその、多分逃げてきたよう みんな なもんだったから﹂ ﹁そのことを恋人は?﹂ ﹁うん、今日ここにくる前に教えてきた﹂ ﹁みんなはなんて?﹂ ﹁ん。ちゃんと話あってこいってさ﹂ ﹁そう⋮⋮﹂ 二人の間に沈黙が落ちた。 準は困惑した。どうして今になって、と。その顔も知らぬ女の心 に不審を持った。会わせたくない。そんな気持ちも強く起こってき た。 ﹁虎ノ介さんは﹂ ﹁やり直すつもりはないよ﹂ 準に最後までを語らせず、虎ノ介は告げた。 ﹁やり直すつもりはない﹂ やま もう一度、きっぱりと。己に確かめるように繰り返す。 準は上目遣いに虎ノ介を見た。虎ノ介の表情に疚しさはなかった。 準は虎ノ介の胸へ、軽く拳を突き当て溜息をついた。 ﹁嘘だったら、泣くから﹂ 虎ノ介は苦笑を浮かべた。 ﹁わかった﹂ ﹁キスして﹂ 510 虎ノ介は肯き、準の唇へ軽く口づけをした。 ﹁ダメ。もっとしつこく、ねちっこく﹂ ﹁はい⋮⋮﹂ もう一度、今度はしっかりと、虎ノ介は準へキスをあたえた。準 は舌をからめて、その深い口づけを受け入れた。何度も虎ノ介の口 を吸った。唾を飲み、また相手にも飲ませた。しばし、二人は抱き あったまま、互いのぬくもりに陶酔した。 ◇ ◇ ◇ やがて虎ノ介は去って行った。 準は、闇に溶けていく虎ノ介の背を見送りながら、清々しい気持 ちと不安な気持ちのふたつが同時に湧き上がってくるのを感じた。 ﹁大丈夫さ、きっと﹂ 今さらハーレムを棄てて、一人の女に走る訳がない。 己に云い聞かせるようにして、準は家の中へもどった。 居間には、貞次郎がテレビを見ていた。 ﹁お祖母ちゃんは店番?﹂ ﹁おう﹂ ﹁そっか﹂ 準は貞次郎のすぐ隣に座った。テレビを見る。 511 画面の中では、頭脳派の刑事が熱血漢の刑事と一緒に事件の犯人 を追いつめていた。 ﹁相変わらず頭いいね、この刑事﹂ ﹁うむ。キレ者だな﹂ ﹁これだけ毎回手柄を立ててるのに、この人の助言を無視する上司 ってすごいね﹂ ﹁ある意味とんでもないわ﹂ ﹁個人店主だったら、すぐ潰れるね﹂ ﹁まず、そうだろうよ﹂ ちゃぶだい そんな会話をしつつ、二人仲良くドラマを見る。準は卓袱台の上 にあった煎餅をとり、貞次郎は湯呑みの茶をすすった。 ﹁久遠さんは帰ったかい?﹂ 貞次郎が問うた。 ﹁うん﹂ ﹁そうかぇ﹂ 準の答えに対し、貞次郎は特別何かを云うでもなかった。ただぼ んやりとテレビの画面を眺めていた。準は小さな声で、 ﹁ねぇ、お祖父ちゃん﹂ ﹁ん⋮⋮?﹂ ﹁もう、あんなことはしないよ﹂ そっと。それだけを云った。 512 ﹁そうか﹂ とんとんけん 貞次郎の答えも単簡だった。貞次郎は準の頭をなで、準は無言で 煎餅をかじった。 ◇ ◇ ◇ 虎ノ介の訪問があった翌日。 準は﹃音の湯﹄から少し離れた場所の中華料理店﹃屯々軒﹄にそ の姿を見せた。 狭い、油汚れの目立つ店内に客の姿はない。時計はちょうどラン チタイムを過ぎたところで、閑散とした店には店主の息子である青 イケ 年の姿しかなかった。その準の幼なじみでもある青年は、短い髪に ところ と評したのも、なるほどもっともと思わせるような、どこか きりりとさわやかな顔つきをした今風の美男子で、貞次郎が メン 華やいだ雰囲気があった。 青年の名を黒坂太一と云った。 おば ﹁小母さんたちは?﹂ ﹁今、奥で休憩してる。この時間は客もほとんどこないからな﹂ 準の問いに、そう太一は答えると。恐るおそるといった様子でそ の目を準に向けた。 ﹁何?﹂ きっ 屹として準は太一をにらんだ。太一は﹁い、いや⋮⋮﹂と視線を 外し、所在無げに店内をうろうろとした。 513 ﹁ふ。そのエプロン、結構似合ってるね﹂ 云いつつ準は座敷席へと上がった。 エビチリ ﹁とりあえず⋮⋮広東麺に炒飯と餃子。それから乾焼蝦仁﹂ 注文し、かぶっていたフードをとる。銀のピアスがかすかに光が 跳ねた。 ﹁相変わらずよく食うな。そのほそっこい体のどこに入るんだ。お まえの胃袋は不思議なポケットかなんかか﹂ ﹁今夜ライブなんだよ。食べないと歌えない﹂ ﹁そうかよ。⋮⋮ちょっと待ってな﹂ 頷き、太一はテーブルに冷水の入ったコップを置くと、そのまま 厨房へまわった。冷蔵庫から食材を引き出し、火にかかった寸胴の お湯を調べる。 ﹁大学はどう?﹂ と、準は冷水を舐めつつ尋ねた。 ひま ﹁別に代わり映えはしないな。底辺大学の学生なんて一年中閑だよ。 そっちは?﹂ ﹁それなりかな。おもしろいし、声使うのは性にあってる﹂ ﹁ふうん。さすがだな﹂ ﹁まあ、才能だけはあるし﹂ ﹁は、云ってろ﹂ 514 カウンターごしに笑うと、太一は本格的に料理をはじめた。鍋に あん 油を引き、熱し、具材を切り、炒め、麺を茹でる。御飯をほぐし、 卵を焼き、餡をからませる。 そうした手際を眺めてみて、準は、 ︵ここに虎ノ介さんがいたなら、きっとうれしそうに目を輝かせる な︶ ぼんやり、そんなことを思った。 エビチリ ﹁はいよ、広東麺に炒飯と餃子。乾焼蝦仁はもう少々お待ちくださ いな、と﹂ 数分ほどして、準の前に頼みの品が出されてきた。準はその湯気 立つ料理の数々に顔をほころばせ、早速それらに取りかかった。 ﹁うん、おいしい﹂ 割り箸片手に、準が感想を述べると、 ﹁そりゃよかったな﹂ と太一はぶっきらぼうに。しかし、それでも満更でない様子を準 へ見せた。 ◇ ◇ ◇ ﹁で、今日はいったいなんの用事?﹂ 515 食事を終えて。一息ついたところで、準はそう太一へ尋ねた。今 日の本題。準が﹃屯々軒﹄を訪れた理由だった。 ﹁ま、だいたいは予想できてるけどさ﹂ 壁に背を預けてくつろぐ姿勢をとりつつ。準は目を眇め太一を見 た。 太一はやはり視線をそらし、準と目を合わせずにいた。 ﹁見たんでしょう﹂ ﹁な、何を﹂ ﹁公園でのエッチ﹂ ﹁︱︱︱︱ッ﹂ 太一が大きく息を飲んだ。動揺が傍目にも容易に見てとれた︱︱。 516 幕間 水樹準の日常 その7 ﹁それじゃあ、いくよ﹂ お待ちかねのチ○ポだ、と虎ノ介は告げた。 ﹁クォン⋮⋮﹂ ひとつ鳴き、準は四つん這いの姿勢のまま、高々と尻を上げた。 片足は膝立ちに、もう一方の足は地面へしっかりと踏ん張る形をと る。なんともはしたない格好だが、今の準はしょせん犬である。交 尾をするのに羞恥や体面など関係なかった。 膣口へペニスが押しつけられる。ぐぐ、と入口が広がり、膣内部 そうきょう へ肉の棒が押し入ってくる感触を、準は背をふるわせ堪能した。 ︵き、気持ちいい︶ と 身体はすでに発情している。 理性はすでに蕩けきっている。 股間から下腹部へと這い上がってくる快感の火に、準は双頬をゆ るませ、声をもらした。張りつめた剛直は狭い膣洞を押しわけ、行 きつもどりつを繰り返した。 ﹁うううう⋮⋮﹂ 気持ちがいい。気持ちがいい! 全身が性感帯になったかのよう さが に燃えている。どうしてこんなに感じるのだ。準は己に問いかけて みた。わからない。けれど、これが女の性だというなら、これほど 517 どうにもならない生き物もないだろう。こう準は思った。好きな男 に抱かれるというだけでこの至高ともいえる法悦を味わえるのなら。 自分は喜んで愛に永遠の隷属を誓うだろうと。 獣のごとく後背から責め犯されながら、準は女のしあわせに打ち ふるえた。 ﹁うう、相変わらず準の中は狭くて気持ちがいいな﹂ ヴァギナ ペ うめきながら虎ノ介は腰を遣った。準の尻と虎ノ介の下半身がぶ ニス くわ つかって音を立てる。綺麗な、まるで子供のそれのような陰唇が肉 茎をがっちり銜えこんでいる。愛液がぼだぼだ足元にたれる。時折、 深めに入ったペニスが準の子宮へと口づけをする。そのたびに準の 口は悲鳴に似た、快楽のあえぎを発する。 ﹁わうっ﹂ ﹁おっと。痛かった?﹂ 尻尾を左右へ小刻みにふって。準は否定の意を示した。尻尾によ るボディランゲージ。上下へ揺らすとイエス。左右はノーである。 ﹁そっか。気持ちいい?﹂ 今度は上下に。準は尻を揺すった。その動きがさらに自らへ快楽 をあたえた。 ﹁うぅん。いつもより感じてるんだなあ。濡れ方が尋常じゃないよ 今日は。ふとももがべちゃべちゃだ。朱美さんと同じくらい濡れて るじゃないか﹂ ﹁わう⋮⋮﹂ ﹁あ∼あ、よだれまでたらしちゃって、べっとべと。本当、準はい 518 やらしい子だな﹂ ︵い、いやらしい?︶ ﹁変態だよ。知ってるかい? そういうの ぜ﹂ アヘ顔 って云うんだ ごりごりと。子宮の入口をすり潰しつつ虎ノ介は少し意地悪な、 煽るようなことを云った。電流のようなしびれが体奥を直撃する。 そこから全身へと広がってゆく。呼吸さえ困難になるほどのオーガ ズムを味わい、準はまず一度目の絶頂に達した。 ﹁∼∼∼∼∼∼∼∼ッッッ﹂ つんのめる形でくずれながら、準は腕と肩で体重を支えた。 ︵イ、イったあ。虎ノ介さんにひどい顔見られながら︱︱︶ ﹁あ、あれっ? もうイッたの? は、はやっ。⋮⋮⋮⋮ええー。 こっちはまだまだ余裕だよー。つか、イキっぷり凄いね。大丈夫か い﹂ 心配そうに、虎ノ介は尋ねた。 準はぶるぶると身体を痙攣させつつ、 ﹁くぅん⋮⋮﹂ くいくいと、尻尾を上下に動かして答えた。それに対し虎ノ介は。 ﹁そっか。でもおれはまだイッてないからね﹂ 519 にっこり笑うと、すぐさま律動を再開した。準のほそやかな腰を つかみ、前後左右、彼女の膣内をペニスで以てこすり上げた。 ﹁︱︱︱︱!!?﹂ たまらないのは準である。ただでさえ敏感な花芯。絶頂直後でし かも発情しきっている。烈しい責めに耐えられる訳もなかった。た ちまちのうち、準は打ちよせる快感の波にさらわれ正体をなくした。 ﹁やっ、あっ、ああ!﹂ ﹁くう、準のイキま○こ、締めつけ強すぎ⋮⋮!﹂ ﹁いっ、ああん、ダメっ、虎ノ介さんっ﹂ もはや準に理性はなかった。公園にいることも獣姦プレイである ことも忘れ、遠慮なしに準は大声を上げた。ほとんどうつ伏せで尻 だけを上げてい。その彼女に虎ノ介はしゃがみこむような形で腰を 叩きつけている。 ︵こ、これじゃ犬じゃなくてしゃくとり虫だ︶ 葉に這う芋虫を、準は胡乱な頭で連想した。さしずめ虎ノ介はそ の芋虫を襲う外敵と云ったところか。準は生きたまま、その身を食 われる悦びによがり泣いた。 ﹁準、準⋮⋮!﹂ ﹁ううう⋮⋮ン﹂ 虎ノ介の手が準の股間に伸びた。 520 ﹁ひィっ︱︱!?﹂ ぐ、と。 だしぬけにクリトリスを指で挟み潰され、準はふたたびの絶頂を 迎えた。 ︵に、にかいめえぇ∼⋮⋮︶ 股間から、透明な潮が盛大にしぶいた。 ﹁わー。⋮⋮背筋がこわばってふるえてる。子宮もおま○こもキュ ンキュンきてるね。今頃、準くんの爪先は可愛く丸まってるのかな。 あれ見ると、ああ感じてるんだなァ、気持ちよくなってるんだなァ、 ってうれしくなるんだ、おれ﹂ 準くん、と虎ノ介は云った。ともすると素にもどりがちな虎ノ介 である。やはり厳しい姿勢をとりつづけるのは、この青年にとって は難しい話であるらしい。 ﹁ハァ︱︱﹂ いき 準は荒い息を沈着かせるように、深く肩で呼吸をした。青くさい 匂いがしない こと、だと 草の香りと雨の匂い、そして先刻自身の出した小便の臭気が、むっ と彼女の鼻をついた。 ⋮⋮虎ノ介が曰く、準の一番の特徴は 云う。 汗に体液、そういうものの匂いが吃驚くほど少ないのだと。同じ ハーレムメンバーと比べてみても、それは明白であるらしい。 ︱︱準くんのおま○こ舐めた後に僚子さんのおま○こ舐めると、同 521 びっくり じ女性でここまで違うのかと吃驚する。 虎ノ介の言である。この発言後、青筋浮かせた僚子による説教と 強烈なヘッドロックを彼がもらい受けたのは云うまでもない。 ︵⋮⋮でも、やっぱりおしっこの匂いはするなあ︶ 目前にできた水たまり︱︱否、小便だまりを眺めてみて。ふと準 はそんなことを思い出していた。 その時である。がさりと。近くの茂みが揺れた。 ︵誰かいるのか︱︱?︶ 誰何すべく準が顔を上げた瞬間。同時にずん、と準の子宮口へ、 虎ノ介の熱っぽい亀頭が突き刺さった︱︱。 ﹁∼∼∼∼∼ッ!?﹂ はし 戦慄が、準の背筋に疾った。 ﹁おお⋮⋮うぁお⋮⋮ほ﹂ ︵待て。待て︶ ﹁まだ物足りないよね﹂ こう云い、みたび虎ノ介は動き出した。真直ぐ。単純なピストン 運動を、膣奥めがけて繰り出しはじめた。 522 ︵無理。無理、無理無理無理! イってるっ。イってるから! こ んなの烈しすぎる⋮⋮! す、少し休まないと、息が︱︱︶ ねが 虎ノ介は準の希いに気づかない。この辺、やはりまだまだ女慣れ していない男であった。緩急を知らない。加減がわからぬのでつい 限界まで相手を追いつめてしまう。烈しくすることでしか、女の快 感を引き出す術を知らない。 がづん、と。何度目かになる奥への侵入を受け、今度こそ準は完 全にくずされる羽目となった。 ずいき ︵や、休ませる気ゼ、ゼロぉ∼∼∼∼︶ かお 悦びと絶望の混じった表情で、準は随喜の涙を流した。がくりっ がくりっと身体がふるえるたび、口の端からはよだれがこぼれ落ち た。 ﹁準くん、準くんっ﹂ ﹁う゛∼∼∼∼∼∼∼∼∼∼っ﹂ 虎ノ介は少年の無邪気さで、ひたすらにしつこく準の膣奥を叩き つづけている。ぱんぱんと肉をぶつけあう音、ぐちょんぐちょんと いう淫らな水音が、絶え間なく二人の耳朶を打つ。 ﹁うぅん⋮⋮この姿勢だと尻尾がちょっと邪魔だな。準くんのは下 つきだから挿入自体は問題ないけど⋮⋮﹂ やがて虎ノ介はピストンを中断した。ほっと準が安心したのも束 の間。虎ノ介は考え深げな目つきとなって。 ﹁よし。アレをやってみよう﹂ 523 くの字 に折り曲げた。 云うや繋がりを解き、準の身体を引っくり返した。そうして仰向 からだ けにした準の肢体を、今度は頭を下向きに 準の脚は大きく広げられ、彼女の目の前には自らの恥部がさらされ た。雨に濡れた草むらが、準のうなじをくすぐった。 ︵ああ⋮⋮これか︶ いわゆる 脱力しきった状態でされるがままとなっている準は、先日、本で 得たばかりの知識を思い返していた。 女性がM字開脚した状態で、逆さまになった形。所謂まんぐり返 しと呼ばれる体位である。 いれ ︵この形で挿入られるのかな。変形の正常位⋮⋮?︶ 別にかまわない、と準は思った。準は身体がやわらかい方だし、 どんな体位をとるのも特にくるしくはない。こうした無理やりに押 し曲げられたような姿勢から挿入されながら、ゆっくりと舌をから めてキスするのも悪くないかもしれない。などと、ひそかに期待し たりもした。 逆の方向から ペニスをあてた。 しかし虎ノ介の次の動きは準の想像とは違った。準の割れ目に対 し、予想とは ︵え、え? ちょ、ちょっと待って。それって変じゃないか?︶ ここにいたり、さすがの準にも焦りが生じてきた。 明らかに奇妙な格好。虎ノ介はまるで四股を踏む力士のように、 しゃがみ腰になって女陰に向かっている。そうしつつゆっくり、準 という椅子に座るような仕草で、欲棒を押しこんでいった。 ︵や、やっぱり変だ。変だよっ。こ、これじゃ本当に犬の交尾じゃ 524 ないかっ︶ 過日見た犬の交尾を思い出し、準はひたいに汗を流した。膨らん だ陰茎を挿入したまま、尻を合わせ行う犬の射精。その記憶に自分 たちの姿を重ね合わせた。 ︵で、でも変だけどやっぱり︶ も しかし、そんな準の抵抗感も長くは保たなかった。 ︵き、気持ちいい︱︱︶ 上から烈しく打ちつけられる肉棒の感触に、準の中の女は無条件 に狂わされた。かすかにあった抵抗はあっという間に快楽に溶け霧 散した。 ︵ああもう、ずっこいなぁ、男って︶ 何か。くやしさにも似たうれしさ、愛おしさがこみ上げてきて、 準はそっと顔を紅めた。腕で己のゆるみきった口元を隠した。 ︵チ○ポ挿入れられただけで、こんなグダグダ︱︱︶ 準の視界で、虎ノ介のずっしり重たげな陰嚢が揺れた。縮れ毛の 茂った尻穴もひくひくと息づくように動いた。虎ノ介もまた感じて きぬた 砧 って云うんだって。衣板︱︱つまり濡れた服 きぬいた いる。それが準にもわかった。優越感にも似た喜びが彼女の胸をよ ぎった。 ﹁こ、これね。 を棒で叩いてシワを伸ばしたりする、今で云うアイロンかな。その 525 台のことを指すんだってさ。⋮⋮こ、こうやって出し入れしてるの が、棒で叩くのに似てるのかな⋮⋮﹂ うんちく と、虎ノ介は場にそぐわない薀蓄を披露したが。 準の耳はろくすっぽ、そうした言葉はとらえていなかった。 ︵女に生まれてよかった︱︱︶ 甘美な官能に酔いしれ、準はひたすらに虎ノ介のことを想った。 虎ノ介のやさしさ、弱さ、愚かさを想った。虎ノ介の腰遣いはいよ いよ烈しさを増していき。準の口からはとめどもなくあえぎがもれ た。ぬかるんだ結合部からはひっきりなしに愛液が噴き上げ、彼女 の胸や顔を汚した。一物と淫裂にからんだ白いぬたつきが、ねっと りたれて腹をつたい落ちた。二人は絶頂に向かい、どんどんと昂ぶ っていった。 ﹁んぃ、ああん⋮⋮はっ、あう、あん、ああんっ⋮⋮﹂ ﹁うう、準くん、そ、そろそろダメだ。イクよ、もう限界、だ﹂ ﹁あんっ、はん⋮⋮ん、あうっ⋮⋮はうぅぅう﹂ 腰を遣いつ、虎ノ介はさらに準を高みへ導くべく、彼女のアナル プラグへと手を伸ばした。固定している紐を外し、ぐいとプラグを 引く。 ﹁あ、だめ、それはっ﹂ ストッパー 準の制止は間に合わなかった。ぬるり。数珠状の栓が腸液、ワセ リンとともに引き抜かれ。肛門にかかった玉の次々抜けていく感覚 が、準に膣から得るのとはまた違った快美な戦慄を運んだ。 526 ﹁はうぅ∼∼∼∼⋮⋮﹂ 途端、肛門からはひどい悪臭がもれ出てきた。ぷすっぷすっとい う放屁の音が準の甘やかだった意識を凍らせた。 ﹁やぁ⋮⋮っ。い、いやあ⋮⋮っ﹂ ︵は、はずかしすぎる⋮⋮! 死んでしまう⋮⋮!︶ 快感と羞恥がない交ぜになった中で、準の視界は涙で歪んだ。虎 つぼ ノ介はそんな準の心には気づかず、準の肛門を無心にもてあそんだ。 ゆるんだ窄まりへ指を指しこみ、直腸と入口を何度も往復させた。 あぶ 直腸ごしに膣を執拗に刺激され準はわなないた。新たに広がった火 が準の子宮を炙り、なぶった。その間も虎ノ介は変わらず、ペニス を上下へ出し入れしている︱︱。 ﹁ひっ⋮⋮おひっ⋮⋮ひぃぃ∼∼∼∼!!﹂ 獣のような、なりふりかまわぬ嬌声が、準の口をついて出た。 ﹁し、締めつけが強くなったね。マ○コがチ○ポにすっごいからん できてる。これは準くんも、相当気持ちいいんじゃない?﹂ ﹁いぃ∼∼∼い、いい! もういいからぁっ! あ∼∼∼∼ああっ ⋮⋮﹂ ﹁準くん、準⋮⋮﹂ ﹁もう! もうイって! 出して! ああン∼∼っ、もう無理だか ら!﹂ ﹁よし、イクよ⋮⋮﹂ 云って。虎ノ介はぐっと重心を落とした。子宮口へ、硬く熱した 527 みなぎ 漲りが押しつけられる。 なか ﹁出すよ、出す。このまま膣内に出すからねっ﹂ ﹁射精して! ぼくに⋮⋮﹂ ︵出してっ。射精して。このまま、おま○この中に!!︶ ﹁うう、出るっ﹂ ︵ぼくもイクっ⋮⋮またイクっ。イっちゃうっ。イクイクイク∼∼ ∼∼∼∼ッ!!︶ なか 膣内で膨らんだペニスが、すさまじいいきおいで射精をはじめた。 寒天質の体液がばちゃばちゃと準の奥へと吐き出されていく。子宮 ダイレクト を中心に体中が溶けてゆくような麻薬的な快感と、脳のあちこちで 火花が散るような直截な刺激が一度に訪れ、準の四肢はひとりでに 動いた。足はいつものごとく爪先をまるめ、手は虎ノ介の足首をし っかりとつかんだ。全身は呼吸も忘れて張りつめてきた。 ﹁ん゛∼∼∼ん゛∼∼∼っ﹂ びゅくびゅくと、子供をつくる小部屋にまで大量に白濁を流しこ まれ、準は己の卵子へ無数の精子が群がっているところを幻視した。 目もくらむような歓喜。しあわせに包まれて。 ︵見て、太一⋮⋮︶ 準は己から数メートル離れた先の茂みへ、その蕩けた視線を向け た︱︱。 528 ⋮⋮準と虎ノ介が繋がりあっているその場面を、少しの距離から見 ていた者がいた。 じっ その少年、いや青年と云ってもよいような年頃の男は。 準らの性交を、つつじの植え込みの陰から、凝と息を殺しのぞい ていた。だが同時に準もまた気づいていたのだ。準だけが、闇の中、 絶望的な目で見つめる幼なじみに気がつき、それに気づかぬふりを していた。絶頂の瞬間、準が青年に向けた目には、のぞきという行 為への軽蔑と、青年の存在を無視する残酷さがふくまれていた。 おまえなどどうでもいい。見られようが知られようが関係ないと。 準の目は。そう、はっきり彼に言葉を浴びせていた。 ガチガチに股間を張りつめさせた青年は、血が出るほど自らの唇 を噛みしめた後、脱兎のごとく駆け出していった。 ⋮⋮背を向ける形で射精の余韻にひたる虎ノ介は、その夜の闇に消 えゆく青年に気づかない。 準は半ば忘我の状態でいながら、それでもその顔に余裕のある淫 蕩な笑みを浮かべていた。四肢を投げ出す。どろりと、股間から大 量の白濁があふれ出した。虎ノ介もまたその場に座りこんだ。その 際、膣より引き抜かれたペニスが、白いつぶてをいくつも準の顔に 落とした。 ﹁んぷ⋮⋮ん⋮⋮ぐ、ぷは。⋮⋮えほっ﹂ 顔に落ちた精液を舐めとり。準が口を開いた。 ﹁⋮⋮⋮⋮ねぇ、虎ノ介さん﹂ ﹁ん⋮⋮?﹂ ﹁気持ちよかったですか?﹂ ﹁ああ。最高に﹂ 529 ﹁そうですか。そうか。それはよかった﹂ ﹁準くんは?﹂ ﹁うん⋮⋮。ぼくもよかったですよ﹂ ﹁そうか﹂ ﹁ちょっと、気になったこともあったんですが﹂ ﹁へ⋮⋮?﹂ ﹁いえ、なんでもありません﹂ ﹁??﹂ 虎ノ介は怪訝な顔をして準を見た。 ﹁ふ。虎ノ介さんって、結構油断してますよね﹂ 子供でも見守るような慈愛に満ちた目つきをして。 ﹁もうちょっと、このままで⋮⋮﹂ 準は虎ノ介の手をにぎった。 530 幕間 水樹準の日常 その8 それが、つい先日の夜にあった出来事︱︱。 準は特に責める風でもなく。淡々とした調子で太一へ向け云った。 ﹁あの公園、太一もよく通り道にしてたからね。よく考えたらニア ミスしても不思議じゃない訳だ﹂ ﹁や、やっぱり気づいてたか﹂ ﹁そりゃあね。いくら暗くったってあれだけガン見されたら、女な ら誰でも気づくさ﹂ ﹁う⋮⋮で、でもおまえ、あんなとこで、あんなことしてる方だっ て﹂ ﹁だからって、三十分ものぞくかな? しかも、あっちの方まであ んなにおっきくしてさ。⋮⋮正直あれは犯罪ものだったよ﹂ ﹁ち、違うんだっ。あ、あれは別にのぞこうとした訳じゃない。こ、 こここ公園通ったら、おまえに似た声がしたから、ただおまえかど うかを確認したかっただけで。暗かったから、なかなかわからなか っただけであって、けっしてのぞきをしようと思った訳じゃあ﹂ うなだ ﹁嘘つき。五分過ぎには思いっきりぼくだって確信してたくせに﹂ ﹁う、お⋮⋮﹂ しお 今度こそ太一は萎れた。言葉を失い、しょんぼり項垂れる。 準は小さく肩をすくめ、 ﹁ま、別にいいけどさ。⋮⋮ぼくは誰に見られたからって、どって ことないし。虎ノ介さんも気づいてなかったみたいだし﹂ ﹁と、トラノスケっていうのか、あいつ?﹂ 531 とも 太一の目に敵意が点った。 ﹁⋮⋮。そうだよ。久遠虎ノ介さん。ぼくの一番大事な人﹂ ﹁ッ! ⋮⋮お、おおおまえ。や、やめとけ!﹂ ﹁はあ?﹂ いきおいこむ太一の言葉に、準は目を剣呑に光らせた。 ﹁⋮⋮どういう意味?﹂ ﹁深い意味なんかない。単におまえには似合わないって意味だ。あ んな、あんな場所で女とヤリたがるやつなんか﹂ ろくなもんじゃない。と太一は決めつけた。 ﹁ああいうタイプはな。女とヤることしか考えてないんだぞ? 散 うぶ 々遊んで、飽きたらポイだ。女をしあわせにするつもりなんかまる でなくて、ただ下半身の欲望で動いてるんだ。おまえみたいな初心 なやつにはわからないだろうけど⋮⋮⋮⋮おれはそんなやつ、腐る ほど見てきてるから。だから悪いことは云わない。あいつだけはや めといた方がいい。なんだったら、おれが話つけてやってもいいか ら﹂ と、太一は真剣な目をし準を見つめた。準は︱︱ ﹁は﹂ いかにもつまらない意見を聞いたという風な、心底あきれた顔に なって立ち上がった。シューズを履き、いつものようにフードをか ぶった。 532 ﹁お、おい﹂ ﹁ばかばかしい。何云うかと思えば。どうせくだらない話するなら、 もうちょっとマシなこと云えよな﹂ 云い棄て店を出る。 あわて太一はその後を追った。 ﹁お、おい、待てよ﹂ ﹁知らない。じゃあね﹂ ﹁待てったら﹂ 準の肩をつかみとどめる。 準は不機嫌さを隠さず。ふり向き太一をにらみつけた。 ﹁うっさいな。離せよ、ばか太一。おまえと話すことなんか何もな い﹂ ﹁聞けよ。聞けって!﹂ その大声に周囲の視線が集められた。商店街を歩いていた数人の 男女は何事かといった様子で、訝しげな、あるいは痴話ゲンカでも 見るような好奇の目を準たちへ向けた。 ﹁ばか。声がでかい﹂ 準が咎める。しかし、そうした非難も周囲の目も太一は意に介さ なかった。力強く、真正面から準を見つめた。 ﹁いいか。よく聞けよ、準。おれはおまえのことを思って忠告して るんだ。⋮⋮このままじゃあ、おまえはいつか泣くことになる。な あ準。これは本当だ﹂ 533 ﹁⋮⋮ハァ。⋮⋮仕方ないな。いいよ、最高に不愉快だけど聞いて あげる。ならどうして太一はそう思うの、その根拠は?﹂ わけ ﹁む⋮⋮﹂ スツール ﹁理由もなしに勝手なことを云ってるんじゃないだろ﹂ 準はうつむき、店の中へともどった。 太一は入口の戸を閉めるとひとつ唇をなめ、丸椅子に腰をかけた。 そうして、 ﹁こんなこと本当は告げ口するみたいで嫌なんだが﹂ と、苦い口ぶりで前置きをすると、 ﹁あいつは、とんでもないやつなんだ﹂ へり そう、おもむろに語りはじめた。 準もまた座敷の縁に腰を下ろした。 ﹁? 虎ノ介さんがとんでもない?﹂ ﹁そうだ。おれはあの公園をよく通るから知ってるんだ。こっから じゃちょっと遠いけど、バイト先が葛ヶ原だからな。だから今でも あの近くをよく通ってる﹂ ﹁ふぅん。⋮⋮それで?﹂ ﹁あれは今年の四月頃の話だ。ちょうど桜も見頃って時期で、あの 公園にも花見客なんかがよくきてた。おれもバイト帰りに時々桜を 眺めながら通った。⋮⋮それで、その時見たんだ﹂ ﹁何を﹂ ﹁あいつだ。トラノスケ。おまえが恋人って云ってる男だよ。⋮⋮ いいか、準。あいつはな、あの公園で、おまえじゃない別の女とセ ックスしてた。しかもだ、いいか吃驚くなよ。おれが見た時、相手 534 は二人もいたんだ。二人だぜ? 美形のインテリっぽい女と、いか にも人妻って感じの艶っぽい三十くらいの女だ。そんな二人をはべ らせて、あいつは同時にセックスしてやがったんだ⋮⋮!﹂ 今でもはっきり憶えている。衝撃的な光景だったと、太一は鼻息 を荒くして語った。 準は大きく溜息をつくと、そっと顔を左右へとふって、 ﹁ねぇ太一﹂ ﹁なんだ﹂ ﹁そんなにのぞきが好きなの?﹂ ⋮⋮憐れむように太一を見やった。 ﹁ばっ、ばか。偶然だ、偶然。たまたま目に入っただけだ。勘違い すんな﹂ ﹁嘘だあ⋮⋮。そこまで克明に相手を記憶してるって。普通にチラ 見しただけじゃ絶対無理じゃないか。きっとまたかぶりつきで⋮⋮﹂ ﹁ち、違うっての、しつこいな。⋮⋮と、とにかく。これでわかっ たろ。あいつはとんでもない女たらしだ。おまえなんかの手に負え るやつじゃないんだ﹂ ﹁む﹂ ﹁別れろ、準。おまえだったら、きっとまたいい相手が見つかる。 だから今回はあきらめて︱︱﹂ ﹁虎ノ介さんが女たらしなのはわかってるけどね⋮⋮﹂ 相手に終いまで云わせず、準はかぶりをふり話をさえぎった。 ﹁ああ、太一。残念だけど、それならぼくは知ってるよ﹂ ﹁え?﹂ 535 はそれを承知でつきあって その準の言葉に太一はきょとんとし。準はあらためてなんと云う ぼくら べきか考えるような仕草をした。 ﹁忠告はありがたいけどさ。 るんだ﹂ ﹁何? ぼくら? ぼくらだって?﹂ 太一は混乱した様子で、 ﹁どういうことだ? まさか、おまえは相手を知ってるのか?﹂ ﹁そうさ太一。太一の見たっていう眼鏡美人も爆乳おっぱいも、両 方ぼくの姉みたいな人だよ。そしてね、ぼくらは全員でかかって大 好きな人を射止めたんだ。⋮⋮それがあの人、久遠虎ノ介さんなん だよ﹂ ﹁おい、おまえ何云って﹂ ﹁わかってほしいとは云わない。太一は普通の人だ。でもね、ぼく らはぼくらで考えて、あくまで自由意志で決めてるんだ。だからこ れ以上の口出しはやめてほしい。正直、迷惑だから﹂ ﹁じゅ、準⋮⋮﹂ 準のその真摯な、そして意志のこめられた瞳に、太一は言葉を消 した。 ﹁そういう訳なんだよ、太一。ぼくはね、あの人が好きなんだ。あ の人と結婚することになると思う。戸籍とか、どんな形になるかま ではまだわからないけど。多分、ぼくはあの人の奥さんになって、 あの人の子を生む﹂ ﹁お︱︱﹂ ﹁ん?﹂ 536 ﹁おれじゃ、ダメかっ?﹂ ﹁⋮⋮は?﹂ ﹁だからっ。あいつじゃなくて。おれ⋮⋮⋮⋮じゃあダメかよ﹂ ﹁太一?﹂ まじまじと、準は目前の幼なじみを見た。太一がこんなことを云 い出すとは、思ってもみない準であった。 ﹁なんで?﹂ ﹁なんでって、そんなの、す、好きだからに決まってるだろ﹂ ﹁うん。⋮⋮ああ、そうか冗談?﹂ ﹁じょ、冗談じゃない。お、おれはあ⋮⋮! お、おれはおまえが 好きだ! おまえのこと、ずっと昔から。それこそガキん時から好 きだったんだよ﹂ 太一は顔を紅潮させ、唾を飲みこみ言葉を飲みこみしながら、か ろうじてその秘めていた準への想いを告白した。 ﹁⋮⋮え﹂ かお 今度は準が吃驚く番であった。準は先程までの太一とそっくり同 じ表情をし、呆然と相手を眺めた。 ﹁え? ⋮⋮ええ? そ、そうだったの?﹂ ﹁そ、そうだよ﹂ ﹁だ、だって! 太一って、いっつもぼくのことをいじめてたじゃ ないか﹂ ﹁しょ、小学生の頃だろ、そんなの。しかも幼稚園から上がったば っかの、ほんの一時期だ﹂ ﹁いやだって﹂ 537 ﹁というか、その後はむしろずっとかばってやってたろ?﹂ ﹁ええ、そんな記憶ないよ﹂ ﹁なに、その都合いい記憶喪失!?﹂ 二人、にらみ合う形となった。気まずい沈黙が二人の間へ落ちた。 ややあって︱︱ ﹁や、やっぱ無理、か?﹂ 太一は準の顔色をうかがうように、声を細め問うた。 準はゆっくりと、しかしはっきりとした調子で否定を示した。 ﹁悪いけど﹂ ﹁そ、そうか﹂ ﹁ぼく、今すっごくしあわせなんだ。あの人の隣にいれてさ。だか ら、その。⋮⋮太一の気持ちには応えられない﹂ 太一は﹁ほう⋮⋮﹂と息をつくと、カウンターによりかかるよう にし天井を仰いだ。 ﹁そっか。そう、だよな。いきなり好きだって云われてもそりゃ困 るよな﹂ ﹁ごめん﹂ ﹁いや、準が謝ることじゃあないけどな﹂ ﹁うん。そう、だね﹂ そこでまた会話が途切れた。 太一は沈黙を持てあまして、 ﹁まあ、なんだ。その⋮⋮がんばれよな﹂ 538 取り繕う風に云った。そっと準は頷きを返した。 ﹁うん﹂ ﹁本人がしあわせなら、他人が云えることなんてない訳だし﹂ ﹁うん﹂ ﹁それでも、さ﹂ ﹁?﹂ ﹁もし。もしもだぜ。何か、どうしようもない事情があって、別れ るようなことになったらさ。そん時は⋮⋮⋮⋮おれんとここいよ﹂ ﹁いや、遠慮しとく﹂ ﹁そこは嘘でも肯くとこだろ!?﹂ 準の即答に太一が抗議の声を上げる。準は笑った。 しばしののち。準は﹃屯々軒﹄を後にした。 店を出てすぐ、太一の、低い嗚咽のようなうめきが聞こえ。準は つい足をとめふり返った。最後にかわした幼なじみとのやり取りが、 準の胸に寂しくよみがえってきた。 ︱︱もし、おまえに恋人ができる前、おれが告白してたらどうなっ てたかな。恋人になってたかな。 そうしたことを太一は問い。 ︱︱どうだろう。可能性としてはあったかもしれないね。 こう準は答えた。 539 せんたく 可能性。それだけはあったことだ。と準は考えてみた。 ま い いくつかの過去の果て、もしかしたら彼らには違う世界、違う未 いま 来があったのかもしれなかった。準と太一がむすばれ、虎ノ介と伊 織がむすばれる。準にとっては考えたくもない、そんな未来もあっ いま たのかもしれなかった。だがそうはならなかった。準と太一、二人 はそれぞれの選択をして現在ここにあった。それはもう仕方のない ことだ、と準は思う。望むべきことではないと思う。 ︵ぼくだって色々あった︶ しくじり 喜びがあった。愛があった。哀しみも、種々の失敗もまたあった。 二度と思い出したくないような恥ずべき過去も。 そのような境涯を経て構築した自分を、準は棄てる気にならなか った。こんなものでも自分であり、そのような自分だからこそ虎ノ 虎ノ介 なのだが、しかし同時に自身の重ねてきた 介と通じることができたという思いがあるのだった。早い話がどこ まで行っても 過去を大切にしたいというのも、偽らざる彼女の本心であった。 ︵虎ノ介さんは、どうしてるだろう︶ 法月伊織と会う。そう云って出た恋人へ準は思い馳せた。 ⋮⋮虎ノ介はやり直せるのかもしれない。少なくとも彼はその機会 を得た。太一とは違い、過去ではなく現在において。 ふと、そんな考えが脳裏を過ぎ。 準は恐ろしくなって、携帯を取り出し眺めた。 そこに虎ノ介からの着信はまだ、ない。 四時五分前。 虎ノ介と伊織、二人の再会から、すでに一時間が過ぎようとして いた︱︱。 540 番外編 かつての恋人、法月伊織の場合 ※NTR どんてん それはまだ冬の名残がある三月のはじめだった。 ◇ ◇ ◇ 朝、目を覚ますと。 連日、街をおおっていた曇天はいつの間にかさっぱりと過ぎ去っ ていた。何日ぶりかに訪れた晴れ間は、一週間以上沈んでいたわた しの心をかすかに軽くしていて。わたしは微力ながらもどってきた 心身の調子を確かめつつ、まず顔を洗い、歯をみがき、そしてシャ ワーを浴びた。鏡の中には相変わらずうっとうしい、ひどい顔の女 くま がいたが。その目には若干の生気があった。しばらくの間、ろくに 食事や睡眠をとっていなかったせいで、頬はこけ、目の周りには隈 ができていたものの、それでも以前に比べ、わたしの気分は悪いも のではなかった。 あざ そっと、わたしは目の下を指でふれた。 そこに青紫色した痣があった。わたしはその痣をなで軽く苦笑い をした。 ︵卒業生代表がなんて顔︶ そう思った。そう思い、そして次に、わたしの前から姿を消した ひとりの少年のことを想った。 ︵こんな顔で卒業式に出るって知ったら、虎くんはなんて云うかし 541 ら︶ こうこう 久遠虎ノ介。あの人の好い、まだ子供こどもした雰囲気を持つ彼 は。 あの日 から数日をして知った。 周囲の誰にも相談せず、ひとり上ノ杜学園を辞めていた。その事 実をわたしは あの日︱︱あの深々と綿雪の降っていた寒い晩。 わたしは彼に裕也との関係を知られた。 じっ 狭いアパートの中で裕也に貫かれるわたしを、彼は痛々しい目で 凝と見つめてい。そうして、わたしが快楽と絶望の入り混じった声 を上げると同時、まるで逃げるようにして走り去った。彼に気づい たわたしはすぐさま後を追った。けれど彼の姿はまたたく間に闇へ と溶け。わたしは雪降る中、裸のまま探す訳にもゆかず、ただ裕也 の部屋へもどるしかなかった。 裸足が雪道に足跡を残すたび。 心には種々の感情が渦を巻き起こってきて。わたしは自分の心を なじった。 気づいたものがあった。よみがえってきた想いがあった。失った さげす 陽だまりへの未練があった。彼への思慕と、裕也への同情と、肉の 快楽を蔑む声とがあった。 ⋮⋮はじめて見た色の涙に、心がふるえた。 ︱︱ああ、やっぱりわたしは虎くんが好きだった。 わたし 法月伊織は確かに恋をしていた。 ⋮⋮その後、わたしは彼に何度も会おうとした。 542 とにかく会って話をしなければと思った。わたしと裕也の関係、 わたしの彼への想い、彼を裏切ったことへの謝罪の気持ち、そうし たものを全部説明する必要があると考えた。 非難されてもいい。 軽蔑されてもいい。 望むならいくら殴ってくれてもかまわなかったし、泣いてすがる のも、土下座するのも、それで彼の気がすむならそうするつもりだ った。極端な話、靴裏を舐めろと云われたとしても、きっと躊躇な くした。もっともわたし自身に、そうしたことへの抵抗感がまるで ないのだから、そんなことは謝罪にもならなかったのかもしれない。 全ては自分のためであって。 わたしは彼を失いたくない一心から出る嘘の行為を、ひたすらに ほんとう 彼へ捧げたかった。 真実、ばかみたいな話だけれど。 とにかく、わたしは彼との関係を終わりにしたくなかったのだ。 それだけは認められなかった。 なげ 自分の愚かさが彼を傷つけ、こうした破局へ導いたのだとしても、 それを嘆くだけで終わりにできるほど物わかりのいい女にはなれな かった。 虎くんを失いたくない。 わたしの心にあるのはその気持ちだけで。 ⋮⋮しかし、そんなわたしの願いを、神様が叶えてくれることはつ いになかった。 何度電話をしても携帯は通じず、アパートに行っても誰も、彼の 母親の姿すらなかった。不安がわたしの神経をささくれだたせた。 結局、わたしが彼と会えたのは彼が姿を消す直前の︱︱学園です れ違った一瞬だけだった。 あの時。あの最後の日。 どうしてわたしは何も云えなかったのか。わたしは彼の感情の消 543 えた乾いた目を見るや、思うように喋れなくなって。あらかじめ考 えていた釈明や謝罪、自己弁護に愛の言葉、どれも満足に伝えるこ とができなかった。彼の言外の態度が、わたしの全てを拒否してい て、わたしはそれに対して何ひとつ意味のある言葉をかけられなか った。胸の痛みをこらえながら、心の中、声なき声で呼びかけるし かできなかった。 彼は姿を消した。 それを知ったわたしは、半ば放心状態で数日を過ごした。 裕也との関係も終わった。裕也は彼がいなくなったことを理由に 関係の継続を望んだけれど、わたしはまったく耳を貸さなかった。 いきさつ そしてわたしは彼の友人である稲城和彦に殴られ。そのことが原 因で父にも、彼との︱︱虎くんとの別れの経緯を知られることとな った。虎くんを息子のように思っていた父は、ひどく残念そうな顔 をし。 キミ ︱︱伊織は残酷なことをしたんだね。 とだけ、云った。 あなた ︱︱ええ。父さんと同じです。 そう、わたしは父へ答えた。 父はそれ以上何も云わなかった。 メイク 多少化粧をほどこすと、目の下の痣はほとんど目立たないほどに は消えてくれた。 わたしはひとつ顔を叩き自分へ気合を入れてから、いつもの、お 544 気に入りのダッフルコートを羽織った。 ︵泣くのはもう十分︶ そんなのは飽きるだけやった。これ以上、自分を﹁バカ女﹂と罵 ってみたところで何も変わる訳じゃない。 ︵なら動くしかないじゃない︶ かれ わたしは決めた。 いつか虎ノ介を取りもどす。そのために今はできることをしよう。 ほんとう いつか彼と再会できた時、彼が望んでいた︱︱否、それ以上の理 想の女でいるために。いつか、あの女からこちらへ、彼を真実にふ り向かせるために。わたしはこれ以上立ちどまる訳にいかないのだ。 伽藍としたリビングに別れを告げ、独り、わたしは家を後にした。 ◇ ◇ ◇ 卒業式は昼前で終わった。 泣き顔を見せる後輩たちを前に、わたしは少しだけ困った顔でな ぐさめてやり、同級生たちの誘う打ち上げは笑顔をつくってやんわ り断った。先生らには丁寧に三年間の感謝を述べてまわった。 とどこお わたしは変わらず。最後まで優等生の仮面をかぶったまま、自ら の学園生活を滞りなくすませた。 そうして。 学園を出て少し行ったところ、街と学園区をむすぶ大橋の上で。 545 わたしは彼女に出会った。 その姿は以前見た時と同様、息を飲むほどに凄艶で、とても同じ 女性とは思えなかった。 切り揃えられた長い黒髪を無造作に下ろした女。整った目鼻立ち め こせい がまるで人形のよう。そのくせ無自覚にこの世全てを見下したツメ タイ瞳は、強く彼女の魂を感じさせて。 ⋮⋮わたしはつい、笑みをもらした。 明るく晴れた空には、はらはらと花びらのような雪が。 わたしを見据える彼女の手には、小さなナイフがあった。 ﹁やっときたわね﹂ あのおんな そう、田村舞は云った︱︱。 546 番外編 かつての恋人、法月伊織の場合 その2 カフェ 待ち合わせには、片帯荘からほど近いところにある駅のすぐそば、 しゃれ おちつ 小さな喫茶店が選ばれた。 洒落てはいるが沈着いた雰囲気の、こぢんまりした店である。大 きな街には土地勘がほとんどないという虎ノ介への配慮から、伊織 が決めた場所であった。 ︱︱別にデートするって訳でもなし、おれはどこでもいいですよ。 虎ノ介の言葉である。 伊織は虎ノ介の冷たい、牽制にも似た態度に気づいていたが、そ れに対して意見を云ったりはしなかった。 何よりもまず虎ノ介の都合と感情を優先する。 虎ノ介と連絡を取る前、伊織が心に決めていたことだった。 一時間以上も早く、伊織は待ち合わせ場所である店に着いた。 元々時間には几帳面なタイプである。加えて伊織にしたところで あまり詳しい街でもない。待ち合わせ場所を違えて、せっかくのチ ャンスを不意にするのは避けたかった。 ︵虎くん、デートには遅れたことないものね︶ メイク 化粧室で、服装と化粧のチェックをする。 鏡の中には、普段より二割増し美人度の上がった女。 薄めの化粧に、セミロングの髪はきちんと手入れがゆき届いて、 ワンピース ナチュラルな曲線が肩に少しかかっている。今日のために選ばれた ゆるめの服は厭味を感じさせない程度には華やかで、ネックレスも 547 トレンカのボトムスもみすぼらしくない程度にはさっぱりとしてい る。 伊織は深呼吸し、自分を確かめてみた。 おちつき 揺らぎは、ない。四年前には気の強さが鋭さとなって表れていた 目も、今日は沈静をたたえている。口元はやわらかい微笑をふくん でいる。自信のなかった虎ノ介への愛着も、今は確固として自らに ある。 武器は十分。 後は正々堂々、虎ノ介を奪い返すのみ︱︱。 ︵さあ、決戦よ︶ ぴしりと頬を叩き、伊織は自らをふるいたたせた。 彼女の脳裡には、愛しい少年の幻影があった。そして過去におい て、一方的に彼女を打ちのめした少女の姿も。 ︵もうあなたには負けない︶ わたしは揺るがない。彼を放したりもしない。わたしは二度と、 わたしの心を裏切らない。 強く。伊織は思った。 ◇ ◇ ◇ あの女、と和彦は云った。 ﹁あの女はやめとけよ。虎ノ介とは︱︱違いすぎる﹂ 548 そう云うと、和彦は取り出した煙草へ火をつけた。 ﹁歩き煙草はよくないぞ﹂ 虎ノ介はちらりと和彦を一瞥して。 ﹁よくわかってるさ。容姿、知性、学歴、職歴、家柄︱︱どれをと ってもおれには不釣合いな相手だ。それくらい云われなくったって 自覚してるよ﹂ ﹁そういう意味で云ったのじゃない﹂ 和彦は煙草の先を虎ノ介へ向けると、 ﹁むしろ先輩︱︱法月伊織って女が、おまえにふさわしくない﹂ 確かな口調で語った。 虎ノ介はあきれたように笑った。 ひと ﹁おい、何云ってんだ? 彼女は︱︱﹂ ﹁確かにあの女はハイグレードだ。美人だし、能力は高い。頭もい いし、今はどっかの法学部だったか︱︱ゆくゆくは弁護士か検事に なるって話だから、地位も収入も得るんだろうさ。父親は大学教授、 母親は高級官僚。生まれつきのエリートで? はん、そりゃまあ、 世間一般的に見れば申し分ないイイ女だろう﹂ 虎ノ介は足をとめた。交差点の信号が赤に変わっていた。 かね ﹁ああ。対しておれは無職だし金銭もない。学もない。ないないづ くしだ﹂ 549 街の雑踏を眺めながら虎ノ介は答えた。 車の群れが、よごれたガスを吐き出しやかましく流れてゆく。老 若男女、さまざまな人々が雑多な中を思いおもいの場所をさして過 ぎてゆく。信号も待てぬほど急いでいるのか、無理をして道路を渡 ってゆくサラリーマンがある。笑顔でチラシを配る若い女もいる。 何事か、大声で笑いあいながら歩道いっぱいに広がって歩く女子高 生らの姿もある。 虎ノ介はぼんやりと、それらを目で追った。 和彦は顔を下に向け、ふうと紫煙を吐いた。 ﹁よせよ。そう自虐的になるな。金銭? 地位? そんなもん知っ たことか。全部クソだ。人間の生きる意義ってな、そういうものじ ゃないはずだろう﹂ ﹁金銭は大事だよ。独りになってつくづく思う﹂ ﹁最低限はな。けど大抵の奴はそれ以上に求める、な﹂ 虎ノ介は答えなかった。和彦はつづけた。 ﹁なんて云うかな⋮⋮。実際のところ、おれには先輩の気持ちがわ かる気もするんだ。おれも似たところがあるし、ずっと憧れてたも のが手に入ったってのかな。自分には縁のないはずだったものだ。 舞い上がっちまって⋮⋮。でもそれが本当に自分のものになったか どうか⋮⋮。わからないんだ。気になるんだな。自信がないから、 気になるから表面を剥がして、それで裏側まで見たいと思っちまう。 おれと違うのは、先輩の場合それがいきすぎて、そのものを壊しち まうってとこで﹂ 虎ノ介はかぶりをふった。 ﹁おい、何を云ってるんだよ﹂ 550 ﹁先輩の話だ﹂ ﹁どこがだよ﹂ ﹁ちっ﹂と、虎ノ介は舌打ちした。 ﹁だいたい和彦が彼女に教えたんだろ。おれの連絡先。それがなん だって、今になってそんなことを云うんだ﹂ ﹁だから責任感じてるんだろう。おれが教えたから。⋮⋮正直、お チキン まえが先輩に会うとは、おれは思ってなかった﹂ ﹁む⋮⋮﹂ ﹁だっておまえ臆病じゃないか﹂ チキン もう一度、虎ノ介は舌打ちをした。 チキン ﹁臆病は臆病なりに考えるんだよ。⋮⋮これでいいのかってさ。お れはただ逃げてきただけだった。過去から目をそむけてきただけだ った。先輩の話はろくに聞かなかったし、聞こうともしなかった。 裕也の云い分を鵜呑みにした。裕也が先輩を好きなのは本当だろう と思ったし、先輩があいつに惹かれていったのもなんとなく納得で カンテラ きてた。だってそうだろう? あいつはヨーロッパのビッククラブ から下部組織入りを誘われるような男で。先輩は云わずもがな、学 園のアイドルだ。対しておれはなんだ? たまたま彼女と家が近か ったってだけだ。父親にも、その娘にも世話になったってだけだ。 ふたりはお似合いだろうと思ったよ。だから﹂ ﹁だから何も云わず高校を辞めた、か?﹂ 信号が青になった。虎ノ介はふたたび歩きはじめた。 ﹁辞めたのは別の理由だ﹂ ﹁ああ、知ってる。⋮⋮聞いたよ。おふくろさん、亡くなったんだ 551 ってな﹂ ﹁⋮⋮なんで知ってる﹂ ﹁島津サンつったっけ? あのインテリっぽい女医さんに教えても らった﹂ ﹁おまえ、いつの間に﹂ ひと ﹁こないだ、迎えに行った時にちょっとな。あと氷室サン? あの ちょいキツそうな感じの社長さんとか。あの女ら、うちの虎ノ介を よろしく、って云ってたぜ﹂ 虎ノ介は吃驚き、それから苦い顔つきとなった。 ﹁余計なことを⋮⋮﹂ ﹁いやあ、おまえ、すげぇトコに住んでるな。あんなレベル高いお 姉様方とお近づきになれるとか、どんな天国よ。おまけに管理人さ チク んはほぼ女神だし。いいなあ。ずりいよなあ。おれも住みたいマジ で﹂ ﹁美菜ちゃんに密告るぞ﹂ その言葉に、和彦は露骨にあわてた。 チク ﹁お、おまっ。冗談にしてもひどすぎるぞ。鬼か﹂ ﹁うるせえ。マジで密告んぞ﹂ ﹁ごめん⋮⋮それだけは勘弁して﹂ トーン 和彦は急に声調を落とすと、おびえた風に云った。 ﹁やばいんだよ、あいつ。普段はニコニコおとなしいけど、キレる と容赦ない﹂ ﹁そうなのか、美菜ちゃん﹂ 552 そんな風には見えないけどな。虎ノ介は少し笑った。 ﹁いや、これがホントなのだー。一見おっとり系のお嬢様だろ? そのくせ中身は結構烈しいんだよなァ。他の女に色目つかったりす ると特に﹂ ﹁愛されてるんだ﹂ ﹁軽く云ってくれんな﹂ ひとつ照れくさそうに咳ばらいすると、和彦は胸ポケットから携 帯の灰皿を引き出した。 ﹁だがそりゃあ、お互い様だな﹂ 煙草を灰皿に押しこみつつ、にやりと虎ノ介を見る。 ﹁なーんか尋常じゃなかったぜ。お姉様方のおまえを見る目。語る 言葉﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁もしかして、あの中の誰かが、恋人だったりするのか? ん?﹂ 肘で虎ノ介を突く和彦。 虎ノ介は溜息をついた。 ﹁ようやく理由がわかったよ﹂ ﹁あん? 理由? なんの﹂ ﹁和彦が今日一緒についてきた理由だ。おまえ、僚子さんたちにな んか頼まれたな?﹂ 虎ノ介は凝と、傍らの友人を眇めて見た。 553 ﹁さあて。おれは知らんぜ﹂ 和彦はそしらぬ顔で、下手な口笛を吹いて見せる。﹁やれやれ﹂ 虎ノ介は首を左右にやった。 ﹁いいけどな。でも店までだぞ? 後は約束したとおり途中でどっ か行けよ﹂ ﹁わァかってるって。安心しろ﹂ 虎ノ介の肩を叩くと、和彦は笑った。笑って、そしてすぐにまた まじめな顔つきをした。よせていた体を離すと、しばしの沈黙の後、 ﹁どうして黙っていなくなった﹂ 和彦は疑問を口にした。 虎ノ介は黙っていた。彼の視界には目当ての喫茶店が映りつつあ った。 ﹁おふくろさんが病気になって、引越さなきゃならなかったっての はいい。高校辞めたのも。色々あったんだろ。費用とか、病院の関 係とか。上ノ杜の市立病院じゃできない治療もあっただろうよ﹂ まち それは過去における事実だった。虎ノ介はいくつかの理由から育 った故郷を離れ、大学病院のある隣県の街へと引越し。そして結局、 学生であることを辞めた。 ﹁けどよ。一言くらいあってもよかったんじゃあないか﹂ 和彦はわずかに失望のある面持ちで、虎ノ介へ向けた。 554 ﹁うん。そうだな。和彦には教えるべきだった。悪い﹂ 素直に。虎ノ介は謝罪した。 ﹁いや⋮⋮。別に、おれのことはいいんだけどよ﹂ 少しだけ困ったように、和彦はボサボサの頭をかいた。 ﹁なんで先輩に云わなかったのかなって。そう思ってな﹂ ﹁それは︱︱﹂ 虎ノ介は口ごもった。 ﹁あの時。別れを、おまえの気持ちを伝えていたら、お互いこんな にも引きずらずに済んだのじゃないか?﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁なんでもよかったんだよ。恨み言でも、罵倒でも、執着でも⋮⋮ 恋慕でも。ぶつっけりゃあよかったんだ。なんだったら、ひとつふ たつ引っぱたいてやって。その方がよかった。そうすりゃお互い傷 つきはしても、だけどここまで引きずることもなかった︱︱﹂ ふと、虎ノ介の足がとまった。 和彦もまた歩みをとめた。伊織との再会の場所は、すぐ目と鼻の 先にあった。 ﹁云えなかったよ﹂ ぼそりと。虎ノ介は云った。 ﹁何?﹂ 555 ﹁あの最後の日、学園で先輩とすれちがった。おれは罵ってやろう と思った。唾を吐きかけて、胸の中にわだかまった感情を、ひとつ 残らず吐き出したいと思った。殴ればよかったと云ったな。そうし ようと思ったよ。よくも騙してくれた。おれが今どんな想いでここ にいるか、あなたにわかるか。あなたが裕也の体の下で狂ってる時、 おれは街を離れなきゃいけないことを、どうやってあなたに伝えよ うかずっと悩んでいたんだ。淫売め、アンタが裕也を想ってる間、 おれはずっとアンタを想っていたんだぞ。アンタを信じて。アンタ を、アンタを︱︱。そんな心がぐらぐら煮えたぎってた。⋮⋮先輩 は痛ましい顔をしてたよ。はじめて見る顔だった。おれは︱︱﹂ そこで虎ノ介は言葉を切り、深く息をついた。口元には皮肉げな 笑みがあった。 ﹁勘違いだよね、と云った。⋮⋮勘違い? 何が勘違いだ。そんな 訳あるはずがない。それを重々承知で。おれはあさましく嘘をつい た﹂ いいんだ、わかってる。ぼくが悪かった。ごめん。イオねぇはユ ウヤの方が好きなんだろ。ぼくがそれに気づかなかっただけだ。イ オねぇを縛りつけてた。でもぼくはイオねぇが好きだよ。イオねぇ がぼくをきらっても、きっとぼくはイオねぇを想いつづける。ごめ ん。だけどイオねぇ。ぼくにもそれくらいの自由、許してほしいん だ。 ﹁そんな言葉ばかり浮かんだ。先輩の目を見て、どんな言葉が彼女 を傷つけるか。それが手に取るようにわかった。どんな風に云えば 彼女がくるしむのか。心に傷を残せるか。それだけがおれの中で駆 け巡ってた。最低だ。得意げな被害者面で。心の中じゃ、彼女をく るしめることばかり考えてたんだ。それだけじゃない。自分を憐れ 556 んでもいた。恋人に裏切られた可哀相な奴だと。昏い快感でなぐさ めて、だから先輩をいくら傷つけたっていい。先輩もおれのために 泣くべきだって思ってた﹂ 虎ノ介は顔を上げ、天をふり仰いだ。 それは、感情を必死でこらえているようでもあった。 ﹁それに気づいて。⋮⋮ははっ。愕然としたよ。気色悪いったらな い。おれが大事にしてるのは、おれの、おれだけの感情で。先輩な ほんとう んかどうでもよかったんだ。好きとか、大切だとか、そんなのは口 先ばかりで真実は違った。気持ちがいいからそばにいただけだ。自 分に都合が悪くなれば、こんなに簡単に裏切れる。そう思った。そ う思ったら、もう何も云えなくなった。彼女を責める言葉なんて出 なかったよ︱︱﹂ 557 番外編 かつての恋人、法月伊織の場合 その3 虎ノ介の横に立つ和彦の姿を認めて、伊織ははっきりと落胆の息 このひと をついた。 虎ノ介はやはりこうなのだ。 伊織は思ってみた。過ぎし日、伊織と虎ノ介のふたりしかなかっ こいびと た世界に、大友裕也という異物を招き入れたのもまた、このお人好 しの青年であった。伊織に望まれれば、簡単に別の男とふたりきり にするような男だった。そのくせ不安から、何度もふり返り去って いくような男だった。 ︵四年ぶりの再会なのに友達連れてきちゃうなんて︱︱︶ なつかしさと寂しさが伊織の心を満たしていった。 ひとりで彼女に向かい合おうとしない。あくまで逃げようとする 虎ノ介。柔弱な、その勇気のとぼしさである。伊織はそうした虎ノ 介を糾弾したい気分に駆られ、つい。 ︵どうしてひとりじゃないの︶ かすかに非難がましい目を、かつての恋人へ向けた。 ︵キミがそんなだから︱︱︶ わたしは隣にいれなかった。 こう云いかけたのをこらえ伊織はうつむいた。視線を隠し唇を噛 む。 思えば虎ノ介とつきあっていた当時から、伊織はよくこうした気 558 持ちを抱くことがあった。 ねが 不満︱︱というには大げさだったが、もっと強引であってほしい という希いは常に彼女の心へつきまとっていた。 もの 裕也のような身勝手さが、虎ノ介にわずかでもあってくれたら。 他人の女であろうと奪いとるような強さがあったなら。あるいは今 のようなふたりにならなかったのではないか。そんな風に思うこと があった。 ﹁こんにちは。おひさしぶりです、先輩﹂ だいぶん 虎ノ介は少し硬い面持ちで云った。 おちつき 四年ぶりに見る男は記憶の中とは大分に違っていて、伊織はその 大人びた顔つきに心臓の鼓動を早めた。 変わった。と思う。 子供こどもした雰囲気は消え、男らしくなっている。目は沈静を たたえ、頬は引き締まっている。以前にはなかったひげの剃り跡が あご先に薄く見える。身体はひとまわり大きくなった。何より昔と 比べ、持った空気がまったくというほど違った。無垢な幼さに代わ って、深い青春の憂鬱が、青年の影を濃くしていた。人なつかしげ なやさしみはそのままに、何かをあきらめたような昏さが目の奥に あった。 ︵かっこよくなったな︶ 視線を上げ、伊織はまじまじと虎ノ介を見た。虎ノ介の隣では和 彦が悪戯っぽい笑みを浮かべ会釈していた︱︱。 ◇ ◇ ◇ 559 その男にはじめて会った時。 伊織は運命を感じた。運命︱︱。直感と云ってもいい。 小さな頃から伊織は不思議な勘のしばしば働くことがあった。 たとえば誰かの死。 たとえば誰かの不幸。 たとえば別離。 それらを予感することがあった。 祖母の亡くなった日。その死を、伊織は自室のベッドにいながら にして知った。両親に告げると。幼い娘の言葉をふたりは一笑に付 した。怖い夢を見たんだね。そう云って娘の頭をなでた。後になっ て病院からの電話に顔を蒼くするとも知らずに。 ⋮⋮祖母の死にはじまり、幾度も、伊織はそんな不幸のきざしを見 た。 友人の怪我、母親の不貞、両親の離婚⋮⋮。 それらを特別、奇妙に思ったことはなかった。また実際何か変わ ったことがある訳でもないのだ。予知夢であるとか、映像が目に浮 。 かぶであるとか、不思議な声が聞こえるとか、そういった超能力め そんな気がする いたものでもない。 ただ 誰にでもある茫漠とした話である。伊織の場合、折々、それが高 い精度で訪れるというだけである。 予感は外れたことがなかった。 伊織は自分の根拠のない勘に自信を持っていたし、同時にきらっ てもいた。 何故ならそれは過去にずいぶんと試してみて、どうにもならない ことだったからだ。当たり障りなくやり過ごすしか手がなかったか らだ。 だからこそ。 560 その予感が、はじめて自分の身に降りかかってきた時。あっさり と伊織は納得した。 恐怖も焦燥もなく。ただこれから起こる未来として実感した。 ︱︱ああ。わたしはこの子とセックスするんだ。 こいびと あるいはそれはひとめ惚れだったのかもしれない。虎ノ介の隣に からだ 立ち、軽薄な微笑を浮かべる大友裕也という男を見た時。 伊織は自分の肉体がすでに男を受け入れていると知った︱︱。 ◇ ◇ ◇ 伊織と虎ノ介の話し合いは、彼らのその事前の事情にしては、わ りあい和やかな調子で進められていった。 たち もとより当事者の一方はあの虎ノ介であるし、伊織にしても無闇 な騒がしさを好む性質ではない。ともすれば一番しゃべるのは同席 した和彦という具合で、たびたび伊織は渋い顔をし、虎ノ介は苦笑 をした。 ふたりの再会はまず互いの息災をよろこぶところからはじめられ、 現在の生活や住む場所、家族の話などへと落ちていった。ふたりは、 いくつかのことについて教えあい、そしていくつかのことについて 語りあった。共通の友人のことなどを引き出し、持ち出しては笑っ た。 伊織は。 虎ノ介との会話の中に、過去の関係性を見出していた。なつかし い姉と弟の関係を思った。これは存外にすんなり、よりを戻せるの ではないか⋮⋮。そうした期待も抱きつつあった。 561 かたくなで。人間味少ない、およそ 介を見るまでは︱︱。 ﹁虎、くん⋮⋮?﹂ もっともらしくない その時。虎ノ介のはじめて向ける目に、伊織は困惑した。 無関心︱︱。 端的に云えば、その事実だけが根本にある態度だった。 虎ノ ⋮⋮話がふたりの恋愛におよぶや、虎ノ介は態度を一変させ。 伊織の言葉の一切を、否定でも肯定でもない、己と完全に切り離 した別の線上で語りはじめた。にこやかに。伊織のための現実を語 った。世間から見た場合の、魅力的な男性︱︱虎ノ介とは対極にあ る︱︱の獲得を薦めてきた。全力で自分も応援すると云った。 自分とは別の世界を眺める、冷めきった視点︱︱。 そこに、彼を知る誰もが目をそむけるだろう、そんな別人のごと き久遠虎ノ介がいた。 ﹁あ∼あ⋮⋮﹂ 数分ののち、伊織がついに言葉を失うと、和彦は溜息をついた。 彼は伸びをし、頭をかくと、暗に虎ノ介を批判するような口ぶり で云った。 ﹁あほくさ。うすら寒くってよ。見ちゃらんねぇわ﹂ ﹁帰ってもいいんだぞ﹂ 友人を見ようともせず。冷たい口調で虎ノ介は応じた。 562 ﹁云われなくてもそうするよ。こんなもん時間のムダだ﹂ 吐き棄て、和彦は席を立った。 ﹁好きにしろ。コーヒー代ぐらいはおごっといてやる﹂ ﹁そりゃサンキュー﹂ ふたりのやり取りに、伊織は言葉を挟まなかった。ただ凝と、蒼 ざめた顔で虎ノ介を見つめていた。 胸の中には予期した以上の哀しみがあった。 どこかで期待していた自分があった。 ねが 虎ノ介ならば、あのやさしい男ならば自分を許してくれるのでは ないか。そんな思いがあった。 しかしそうした伊織の、都合よい希いは、今はっきりと打ち砕か れた。 伊織はふるえる唇を噛み、必死に涙をこらえた。もれそうになる 声を殺した。泣いてどうする。簡単に許されないことぐらい、自分 でもわかっていただろう。 ︵ええそう。そんなことはわかってた。虎くんがわたしを拒んだっ て不思議なんかない。そう考えてた︶ けれど。と、伊織は思う。 ︵だからってこんな、虎くんがこんな顔をするのは︶ 嫌だった。 嫌で嫌でたまらなかった。哀しくて苛立たしくて、そして我慢が ならなかった。 やめて。と伊織は云いたかった。叫び出したかった。 563 ごめんなさい。許してください。 あこがれ 謝るから。あなたの前にひざまずくから。なんでもするから。だ からもう、そんな顔はよしてください。わたしの憧憬を︱︱。自分 をよごそうとするのはやめてください︱︱。 そうした感情が伊織の中で烈しく渦巻いていた。ざわざわと、濁 流のように荒れ狂い、冷静な思考を押し流していった。 ⋮⋮声はかすれ、言葉にならなかった。 ﹁⋮⋮ああ、そうだ﹂ 店を出る直前。ふり返った和彦が、虎ノ介を呼んだ。 ﹁忘れてたわ。ちょっとこっちきてくれ、虎ノ介。おまえに渡した いものがある﹂ ﹁なんだ?﹂ ﹁いいからこっちこいよ。島津さんに頼まれたものだ。先輩にはち ょっと見せられないんだ﹂ ﹁なんだよ⋮⋮﹂ 渋々といった気色で、虎ノ介は席を立った。和彦の元へ向かい、 ﹁渡すものがあったなら、ここくるまでにちゃんと︱︱﹂ そこまで云ったところで、虎ノ介の言葉はさえぎられた。 和彦の、ふりかぶられた拳が、虎ノ介の顔面を打ち抜いていた。 鼻っ面をしたたかに打ちつけられ、虎ノ介は無様に転がり倒れた。 転倒と同時、いくつかの椅子や机も、けたたましい音を立て倒れた。 グラスの割れる音。周囲の吃驚く声が重なって響いた。 ﹁ぐ︱︱っ﹂ 564 だ﹂ 自分を大事に。 床に這いつくばる形で、虎ノ介はうめいた。顔からはぼだぼだと 大量の鼻血が落ちた。 ﹁い、いきなり、何を﹂ ﹁島津さんからの伝言を教えてやるよ﹂ 勇気を持て。キミはひとりじゃない 殴った拳をぶらぶらとさせ、和彦は云った。 ﹁ ﹁︱︱︱︱﹂ ﹂ ﹁頭に刻んだか? それからこっちが氷室さんだ。 キミらしくありなさい ﹁玲子さん︱︱﹂ 虎ノ介は、何かに気づいたような目をして和彦を見た。声をふる わせ、伊織の知らぬ女の名を呼んだ。 ﹁虎くんっ﹂ ざわつきのある店内を、伊織は虎ノ介の元へと駆けた。抱き起こ し険しい目で和彦をにらむ。 ﹁ちょっと稲城くん、なんのつもり︱︱﹂ ああ、いいからさっさと済ませて早く帰 伊織の抗議も介さず、和彦はつづけた。 ﹁最後に火浦さんはな。 ってきなさい。大好きなおっぱい、たくさん飲ませてあげるから ⋮⋮だとよ﹂ 565 ひとさま ﹁おい、最後だけおかしいだろ﹂ だ﹂ いつまでもガキみたいに怯えてんじゃねぇぞ、 ﹁知らん。他人様のフェチに口出す気はねぇ。⋮⋮ついでにおれか らも一言やるよ。 この腰抜け野郎。いい加減目を覚ませボケナス ﹁む⋮⋮﹂ ﹁じゃあな。ま、後はひとりでがんばれ﹂ 云うだけ云うと、和彦はさっさとその場を去っていった。 立てる?﹂ 最後に﹁ああ、またやっちまった。美菜にどやされる﹂などと云 い残して。 ﹁と、とにかく。虎くん、大丈夫? 伊織はまず虎ノ介の傷を診るべく、虎ノ介の顔を指でふれた。ハ ンカチを鼻にあてる。タオル地のハンカチは血を吸い、またたく間 にドス黒い色へと変わっていった。 ﹁あつっ⋮⋮!﹂ ﹁あ、ご、ごめんっ。だ、大丈夫?﹂ 気遣わしげにして、伊織はハンカチを少し離した。腕の中の虎ノ 介を見つめる。 虎ノ介の手が、伊織の手をつかんだ。 ﹁イオねぇ﹂ どきりと。自分の心臓がひとつ、大きく跳ねるのを伊織は感じた。 ﹁な、何?﹂ ﹁おれ⋮⋮別に授乳フェチじゃないからね﹂ 566 顔に押しつけられた豊満な乳房を眺めて、虎ノ介は云った。 567 番外編 かつての恋人、法月伊織の場合 その4 伊織が虎ノ介の紹介により、裕也という少年と知り合ってひと月。 三人は時々遊んだりもする仲になっていた。 互いに接点などなかった三人であった。 学園を代表する才女で生徒会長の伊織。平凡で特に目立つところ のなかった虎ノ介。そして一年生ながら全国でも強豪とされるサッ カー部において、エースとして君臨しはじめていた裕也。 本来なら知り合うことすらないはずの三人が、むすびつきを深め ていったのはひとえに虎ノ介の存在があったからである。 たまたま虎ノ介がバイト先で知り合った後輩。それが裕也だった。 片親で家が貧しいという共通点を持つふたりが、親しくなるために 時間はさほどかからなかった。 としした 裕也は虎ノ介を慕い、よく上の学年の教室にまで遊びにくるよう になり。伊織は伊織で、年少の恋人を学園でも気にかけていた。 周囲は当然、疑問に思う。 ︱︱こうし 実は なぜあの地味な、取り立てて取り柄のある訳でもない虎ノ介が、 虎ノ介はただの友達 有名人の二人と一緒にいるのかと。それは徐々に形を変え、 伊織と裕也がつきあっている た見方へと変わっていった。 伊織はよく同年の友人たちに聞かれたものだ。 ︱︱ね、法月さんって、サッカー部の有名なあのコとつきあってる んでしょう? サテライト ちょうど裕也がテレビに取り上げられた時期であった。 スペインのプロチーム︱︱下部組織ではあるが︱︱そんなところ 568 はため から声がかかった裕也と、学年一優秀で、教師からの信頼も厚い美 少女のカップルは傍目にも興味深いテーマと映ったらしい。 ばかばかしい。 伊織はしばし溜息をついた。 何を云っているのだ。わたしが虎ノ介以外になびくなどあってた まるか。 とらのすけ そうした反発を伊織はよく持った。引っ越してきた当初から、何 とらのすけ とらのすけ かと彼女の琴線にふれた少年である。仲良くなるのになんらの抵抗 もなかった少年である。﹁お姉ちゃん﹂と云って慕ってきた少年で とらのすけ ある。両親の離婚した時、自分のことのように哀しみ、涙をいっぱ こと ほか いに浮かべて抱きしめてきた少年である。 幼かった伊織は彼を殊の外可愛がった。成長し、高校へ上がる頃 には将来を誓い合うようになった。 ⋮⋮そんな虎ノ介に比べ、大友裕也は伊織の目にひどく醜悪にうつ った。 美形というにふさわしい整った顔立ち。 常に余裕を浮かべた口元。 利己的な人間性。 女に囲まれながら、そのくせ女というものを嘲笑っているかのよ うな目つき。 己への絶対的な自信。 ⋮⋮まるで自分ではないか。伊織は思わずにおれなかった。違うの は外側を包む性別という殻だけであって。中はまるでそっくりなも のが、その男には詰めこまれていたのだ。 ︱︱誰があんなやつ。 裕也とふたりきりになる時、伊織はあからさまな嫌悪を彼にぶつ けた。 569 裕也は、そんな伊織をいつも興味深そうに見つめていた。 ◇ ◇ ◇ ﹁いつつ⋮⋮。あンのバカ、思いっきり殴りやがって﹂ 鼻と口元を押さえて、虎ノ介は顔をしかめた。 駅の雑踏から少し離れた場所、四車線の通りに面した大きめの公 園で。伊織は、虎ノ介の傷の治療にあたっていた。通りの向かい側 にはすさまじく大きな団地群や高層マンションが立ち並んでい、そ の威容のところどころある間からは、傾きかけた陽の、朱い光線が いなか 射している。紫色した雲の薄くたなびく空に、伊織は生まれ育った 上杜の空を想った。 虎ノ介の口元、そして鼻先を消毒する。近くのドラッグストアで 仕入れた間に合わせの薬は、傷にひどく沁みるようで虎ノ介はいか にもつらそうな目つきをした。 ハナ ﹁手っ取り早いやり方を選んだだけだろうが。おまえの云いたいこ となんざ最初からわかってたっての⋮⋮﹂ くそっ、と。虎ノ介はめずらしくいらいらとした様子で、ベンチ に座ったまま足元にあった小石を蹴飛ばした。石は跳ねるように飛 んで、金網製のゴミ箱をかつんと鳴らした。 そうした虎ノ介の態度を見て、伊織はようやく腑に落ちた思いが した。 ﹁ね。⋮⋮もしかして、虎くん、わざとあんな態度してたの?﹂ 570 伊織の問いに虎ノ介は答えなかった。 視線をそらし、ぼそぼそと云い淀むようにして、 ﹁さっき立て替えてもらった迷惑料、返します。三万でしたよね。 多分そのくらいなら財布に︱︱﹂ ﹁ねぇ、ごまかさないで︱︱。虎くん、キミ、わたしにきらわれよ うとした?﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁どうして﹂ 伊織は溜息をついた。ひさしぶりで彼女は弟のばかな失敗を見つ けた気がしていた。 ﹁男女の別れぐらい、男が憎まれ役を引き受けるべきだ、なんて︱ ︱まさかそんなばかげたこと信じてるの?﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁どうして、虎くんはそんなにずるいのかな﹂ ﹁ずるい? おれが?﹂ 横目で、虎ノ介は伊織をにらんだ。 伊織もまた虎ノ介をにらみ返した。 ほんとう ﹁自分、自分、自分。いつも虎くんは自分のことばかり。キミが見 てるのはわたしを通しての自分で、真実に大切なのは自分の在り方 なんだわ﹂ ﹁そんなこと﹂ ﹁ない? 本当にそう云える? キミがわたしとやり直したくない 理由も、プライドが傷つくからじゃないの?﹂ ﹁そんなものどうだっていい﹂ 571 虎ノ介はうつむき、疲れたような声で云った。 ﹁おれはただ⋮⋮自分に嘘をつきたくないだけだ﹂ ﹁嘘?﹂ ﹁イオ︱︱⋮⋮⋮⋮先輩を失うのが怖い。傷つくのが怖い。どんな に取り繕ったって昔のようにあなたを信じることができない。最初 の電話の時、許してって云ったよね。許してる。許してるよ。でも それ以上に怖いんだよ。その怖さがあるおれには︱︱あなたを、無 邪気なまでにまた信じられるなんて、そんな嘘どうしたってつけな いんだ﹂ その言葉に伊織は唇を噛んだ。 虎ノ介は伊織を拒否していた。しかし彼の心に自分が深く深く消 えない鎖となって、からみついていることもまた伊織は知った。苛 立ちとうれしさと、自分の愛で相手を傷つけてやりたいという心と が、伊織の中で複雑に入り交じってふるえた。 ﹁⋮⋮やっぱり自分なんだわ﹂ 伊織は皮肉げに笑って、虎ノ介を情愛のこもった目で見つめた。 ﹁だからっ、あんたはおれに何を望んでるんだよ。自分で棄てた男 にさ﹂ ﹁棄てたなんて云わないで﹂ ﹁事実だ﹂ 興奮からか、男友達と接するような、そんなくだけた言葉つきが 虎ノ介の口から出た。 ﹁別にあんたを責めてるんじゃないぜ? わかってるんだ。それが 572 幻想だって。だから、正直なところ、期待すらしてないんだ。淡い 想いを集めて、ただあてもなく歩いてる。夢みたいなもんさ﹂ ﹁でもわたしが裏切ったって思ってるんでしょう﹂ 苦く、虎ノ介は笑った。 ハナ ﹁云ったろ。期待はないって。最初からそういうもんだろ人間なん ああ、またか って思うだけだ﹂ て。だから、おれの中にあんたを責める気持ちなんてこれっぽっち もないよ。 ﹁そうやって責めてるじゃないっ﹂ 伊織はかぶりをふった。 ﹁虎くんはいつもわたしを責めてる。程度の低い人間だって。理想 に生きれる人間が、現実に生きることしかできないわたしを見下し てる﹂ ひと ﹁⋮⋮聞かれたから答えただけだよ。おれは、そんなこと、あんた ほんとう を下に見たことなんてない。尊敬してた。かっこいい女だと思って た﹂ ﹁嘘よっ﹂ 伊織は苛立たしげに叫んだ。 さげす ﹁虎くんはいつもそう。口ではそんなこと云ってても、真実はわた しを蔑んでた﹂ ﹁それはこっちの言い分だろ﹂ 虎ノ介は、うずくまるように背を丸め。がしがしと頭をかきむし った。 573 ﹁いつもいつも、あんたら出来のいいやつらは、おれみたいな人間 をばかにしてくる。口ばかりでなんの力もない、地に足のついてな い半端者だって。⋮⋮実際それは正しい。確かにおれには何もない。 学もなけりゃ金銭もない。父親にも棄てられた。親戚からは狂った としした 男の息子だって白い目で見られた。ずっと自分に分不相応だと思っ てた宝石だって、年少の友人に寝取られる始末で。おれは人生の落 伍者、社会のゴミか。だけどじゃあどうすりゃいいんだっ。おれは おれだ。イオねぇからすりゃクズみたいな人間かもしれないけど、 おれはそんなおれをやめられない。おれが自分を上向きにしようと しても、それはあくまでおれでなきゃいけないんだ﹂ ﹁⋮⋮論点がズレてる。⋮⋮それにわたしはキミをダメな人間だな んて思ってない﹂ ﹁だからどうすりゃよかったんだよっ。イオねぇっ。あんたに行か ないでくれって! 頼むからぼくのそばにいてくれって! そうや って泣いてぶちまけりゃよかったの!?﹂ ﹁そうよっ!﹂ 伊織は声を荒げた。 ﹁どうしてそう云わなかったの? 弱いくせに、どうして泣いて懇 願しなかったのっ。ぼくを棄てないでって。ユウヤなんかよりぼく を愛してって。いつも泣いてたくせに、わたしのそばにいたがった くせに。ホントの、実のお姉さんの代わりにしてたくせにっ﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮!﹂ はっとし、虎ノ介は伊織を見た。 伊織はすばやく動くと、虎ノ介をベンチの上に押し倒した。 ひと ﹁痛ッ︱︱﹂ ﹁あの女は云ったわ。代替品って。わたしはキミの初恋なんかじゃ 574 ひと なかった。あの女の面影を重ねられてただけだった。すごく納得し たわ。だってどう考えてもおかしかったもの。どうしてわたしみた ひと いな醜悪な女が、キミみたいな純粋なコに好かれるのかってずっと 不思議だった。ふふ、あたりまえね。わたしとあの女は似てるもの。 ひと マキのこと憶えてる? 彼女が云ってたわ。雰囲気がそっくりだっ て。ただあの女はわたしよりずっと強くて、隔絶してるから、偽装 する必要がないんだって。見る目があると思わない? さすがは画 家志望だと思ったわ、その時は﹂ ﹁せ、先輩﹂ ﹁イオねぇって云いなさい﹂ ぎらついた声で伊織は云った。 かわり ﹁イオねぇって云うの。⋮⋮ねえ、虎くん。別にいいのよ。わたし はそれでもよかった。虎くんが望んでくれるなら、代替品だってな んだってよかったの。キミがわたしのものになるなら、わたしをキ ミのものにしてくれるなら、それでよかったの。だからあの日だっ て誘った。処女を捧げようと思ったわ。⋮⋮なのに、どうして逃げ たの? 学生の身でセックスするなんて抵抗があった? それとも わたしが避妊しないって云ったから? 危ない日だって聞いて怖気 づいた?﹂ ﹁イ、イオねぇ﹂ バージン ﹁あの日、わたしを抱いてくれてたら、裕也に奪われることもなか ったのよ。わたしの処女。彼に犯されることも、彼とつきあうこと もなかった。わたしはキミの隣にいれた。わたしたちに絶望なんて なかった。⋮⋮教えてあげる。まだ聞かせてなかったわよね? わ たしがどんな風に犯されたか。どんな風に彼とセックスしたか。ど んな風に女にされていったか。今度こそちゃんと逃げないで聞いて ちょうだい。そこまでされて、それでもまだ、わたしが虎くんを好 きなんだって、ちゃんと知ってちょうだい⋮⋮!﹂ 575 番外編 かつての恋人、法月伊織の場合 その5 ※NTR 伊織の心は急速に、過ぎ去った昔へと思い向かっていった。 四年前。虎ノ介との恋愛に挫折した記憶。二度と思い出したくも ない記憶。忘れたくともけっして忘れられない過ちへ。 ﹁四年前の夏︱︱﹂ 伊織は語りはじめる。 虎ノ介は悲痛な、今にも泣き出しそうな目で伊織を見つめた。 ◇ ◇ ◇ ︱︱これはいったいどういうことか。 伊織は思ってみた。 うろん 考えても答えは一向に出てこない。 頭には霧がかかっている。胡乱な意識を明確な一本の糸につむご うと試みてはみるものの、その糸はつむぐ端からほどけていって、 容易に形をなそうとしなかった。 こご 身体には熱があった。 女芯に凝る快楽の火。肉の悦びが。子宮の奥からこんこんと湧き 上がって伊織の脳をしびれさせていた。快感は伊織の腕を、足を、 と 背を、腰をふるえさせた。股間は透明な蜜をたらたらと流して男を 誘っている。伊織の身体はすでに蕩けきっていた。 ﹁すごいよ、伊織サン。ぐしょ濡れ。そろそろ切なくなってきたん 576 じゃない。アソコがこんなに泣いてる﹂ さいな こう云った者があった。少年だった。若々しく健康そうな、甘い 顔立ちの男だ。 クリトリス 少年は横たわる伊織へおおいかぶさるようにして、さかんに苛む ような愛撫をあたえている。淫唇を指で割りひろげ、肉の実に口づ け、ひだを舌先でねちねち、こねまわしている。会話のために口を 離せば、その時は両手が休まず動きつづけている。 ・・・ 伊織は弱々しく、力のない声で否定した。 ﹁嘘、そんなの﹂ ﹁嘘じゃないですよ。ほら、こんなにおつゆがたれてひくついてる。 いやらしいな。⋮⋮伊織サンは淫乱だ﹂ ちゅうしん はし 云って、少年は伊織のふとももをさすった。ぞくぞくと、電流が 伊織の体幹を奔り抜けた。 ﹁ひうっ⋮⋮﹂ ﹁こんなんじゃいくら反論したって説得力ないと思いますけど?﹂ ﹁ひぁっ、や、ちょっ⋮⋮っと⋮⋮やめ﹂ ﹁すごいなあ。こうやって、入口こすってるだけで、ねばついた白 ひと い汁で濁ってきて、ふともももびくんびくんってふるえて。ははっ、 こんな感じやすい女はじめてだ。エロすぎ﹂ ﹁裕、也く︱︱﹂ 少年︱︱裕也を、伊織は眉宇をひそめにらんだ。 ﹁だめですよ、そんな怖い顔したって。下の方は全然そんなこと云 ってないですから。﹃いじめてー、もっと愛してー﹄って、可愛く 云ってます。それに先輩だってさっきからまったく抵抗してないじ 577 ゃないですか。これって和姦だと思うな。本当に嫌なら押しのけれ ばいいんだ。そうすればすぐにでもやめてあげますけど?﹂ 裕也が笑った。 彼の言葉通り、伊織はほとんど抵抗らしい抵抗を見せなかった。 全身が快感に支配され、動こうにも動けないのだった。烈しく運動 した時のような高揚感が伊織を包んでいた。伊織の身体はすでに裕 也の支配下にあった。 ﹁できたらっ⋮⋮とっくにやってるもの⋮⋮んっ、くっ﹂ ﹁それってホントは気持ちいいってことですよね? つまり本心じ ゃつづけたいけど、虎ノ介さんに悪いからせめて嫌がるふりをして るってこと? ははっ。虎ノ介サンも可哀相だな﹂ ﹁そんなの︱︱﹂ ない。と伊織は答えられなかった。 あなた ﹁あははっ。いいですよ。わかってます。おれには先輩の気持ち、 ようくわかります。だから言い訳なんかしなくったっていい。あい つは︱︱虎ノ介サンは嫌な奴だ。あいつほど嫌な奴は見たことがな い。あんな風にお高くとまって、世のことなんか、なんにも知らな いでいる。そんな顔がね。おれは無性に腹が立つ。ばかならよかっ た。他の連中みたいに。今さえよくて、おもしろいことだけ探して かげひなた るような奴なら、気にもならなかった。だけどあの人はそうじゃな い。だから余計に腹が立つんだ。陰日向の多い道を、じいっと息を 殺して歩いてきたような人間が、そのくせまるで欲のない子供みた ねが いにしている。誰より救われたいくせに、必死で我慢して誰かの幸 たす 福を希おうとしてる。そうやって行儀よくしてれば、いつか回りま わって自分も救けてもらえると信じてる。本気で。そんな絵空事を ね。⋮⋮気に入らない。必死さが足りない。おれは、おれはね。あ 578 づら あなた の人の取り澄ました聖人顔を、いつかぐしゃぐしゃに歪ませてやり たいと思ってたんだ﹂ ﹁だから⋮⋮わたしを犯すの?﹂ 裕也は首を横にふった。 あのひと ﹁まさか。これは純粋な善意ですよ。先輩に対するね。なぐさめて なかま あげたいだけだ。あなただって虎ノ介サンには散々傷つけられてき たはずだ。だからおれは先輩のことは同士だと思ってる。同情して しん ますよ。あんな人にまとわりつかれて。それに勘違いしないでほし いけど、おれはあの人が心からきらいな訳じゃない。むしろ逆だ。 あの人が好きだ。あの人を尊敬してる。先輩が虎ノ介サンを恋人だ と思ってるように、おれも彼を得難い友人だと思ってる。だけど、 それと同じくらい痛めつけてやりたいとも思う。⋮⋮あの人がおれ や先輩を憎むようになったら、きっとこの上なく愉快でしょう。大 笑いして、それで、今よりずっとあの人のことを好きになるだろう な﹂ なめくじ 裕也はひどく意地の悪い顔つきで、伊織のふとももを持ち上げ、 舐めた。紅い小さな蛞蝓が、白い肌の上を這いずる。 伊織は指を噛み、思わずもれそうになる声を殺した。 ﹁わたしは、ちが、う﹂ ﹁へえ?﹂ 裕也は悪戯っぽい目つきで伊織を見た。 ﹁どこが違うんです。おれとあなたと。虎ノ介サンを好きで、憎ん で、そして傷つけてやりたいと思ってる﹂ ﹁違うわ﹂ 579 ひと ﹁違わない。知ってましたよ。はじめて会った時から。ひとめ見て、 この女はおれと同じだってすぐにわかった。自分だけが大切な人間 だ。自分以外、誰も信じちゃいない。親も、教師も、同級生も。こ ひと のクソったれな世の中の何ひとつ信用してない。ね、そうでしょう、 先輩。あなた頭のいい女だ。自分にとって誰が有益で、誰がそうで ないか計算できる女だ。自分以外どうでもいい女だ。そんなあなた が虎ノ介サンだけは大事なんて、まだそんなでたらめ云うんですか﹂ ﹁わたしは、わたしは、虎くんを傷つけたいなんて思ってないもの﹂ ﹁本当にそうですか? 拒まれても?﹂ ﹁︱︱︱︱﹂ 伊織は言葉を失った。 裕也はいたぶるような口ぶりで云った。 ﹁逃げられたんですよね。昨日、あの人に迫って。せっかく川端町 ゆうべ まで行ったのに、ホテルでシャワー浴びてるうちにいなくなってた って。⋮⋮ふふ、昨夜、云ってたじゃないですか。憶えてないです か? まあ、あんな無茶な飲み方してたら自分が何云ったかなんて 憶えてないか。トール缶でいち、にぃ⋮⋮四本は飲んでたかな。チ ューハイって意外と酔っぱらうんですよ。飲みやすいからって一気 に飲んじゃあダメだ﹂ ︵ああ、そうだった︶ 云われ、伊織は納得した。 だからこんなにも頭が重い。と、うなり、自らのひたいを押さえ た。 はじめてラブホテル街へと行き。はじめてそうしたホテルへ入っ たことも彼女は思い出した。 ロビーに並んだ写真パネルも、手元しか見えないフロントも、枕 580 うぶ いたみ 元に避妊具の置かれたベッドも。全ては伊織に初心な緊張を残した。 高揚を感じさせた。虎ノ介との新たな繋がりは、伊織が得た悲痛を やわらげるはずであった。 ⋮⋮田村舞。あの過激と理性、美と狂とを持ち合わせたような少女。 傲岸であると同時に高貴な気配を持った︱︱。虎ノ介の姉と名乗る 少女がもたらした衝撃を。 あのひと ︵虎くんはずっと舞さんを見ていた︶ 舞と伊織、ふたりはとても似ていた。 顔つき、目つき、体つき、髪型︱︱。それぞれひとつひとつを挙 げれば、それほどでなかったかもしれない。しかし身にまとった雰 囲気、気配は酷似していた。本質はまったく別物なのに、どうして ガラス か共通する部分があるように見えた。 みなも 舞が宝玉なら伊織は硝子だった。 舞が月なら、伊織は水面に映る影だった。 舞が陰なら、伊織は陽だった。 ⋮⋮舞が真なら、伊織は偽だった。 伊織は、虎ノ介の恋の底にあるものを知った。 ︱︱代用品。 そう伊織に告げ、舞は去った。それは一学期の終業式にあたる日 で、この時から伊織は、非常な葛藤にくるしむようになった。混乱 ほんとう と疑惑の目で虎ノ介を見るようになった。虎ノ介を愛しながら、し かし恐れから真実のことは問いただせずいた。 ︱︱身体で繋がれば。 581 伊織が決心するのにたいして時間はかからなかった。 もとより虎ノ介へあたえるつもりでいた純潔である。いつか結婚 することも、伊織はなんとなく考えていた。学生らしい清らかな交 際も打ち棄ててしまおうと決めた。身体でむすばれれば、虎ノ介も きっと自分だけを見てくれるに違いない。期待をいだいた。 ︵そう、思ったのに︶ 伊織は唇を噛んだ。 虎ノ介は、逃げた。 伊織を置いて、ひとりホテルから姿を消したのだった。伊織は彼 と連絡をとろうと、何度も電話をしたが結局、その電話が繋がるこ とはなかった。 ︱︱あなたのおかけになった番号は、現在、電波の届かない場所に あるか、電源が入っていないためかかりません。 電話するたび、同じ音声メッセージが繰り返された。ならばと家 の方へかけてみても、こちらも留守番の録音が流れるだけであった。 ﹁ごめんなさい また後で連絡します 虎ノ介﹂乱れた筆跡で、こ のように書かれたメモのみが伊織の手には残った。 伊織は沈んだ。 全てのことに向けて、何かすてばちな気分になった。何もかもが どうでもよく思えてきた。 だから。 ︱︱たまには、ふたりで遊びませんか。 582 こうした裕也の誘いに乗ったのも、その時の気分によるところが 大きかった。 街でたまたま裕也と会ったこと。 虎ノ介に袖にされ、寂しい心持ちだったこと。 このふたつの偶然が重ならなければ、気まぐれにしろ、伊織が裕 也へ近づくことはないはずだった。 伊織と裕也はふたりでカラオケへ行き、ゲームセンターへ行き、 ファミレスで軽い食事をして、それから︱︱ このコ ︵それから⋮⋮どうなったのかしら。確か裕也のアパートで飲もう って⋮⋮そんな話が出たような︶ 眉間にしわをよせ、伊織は考えた。が、どうにもそれ以上のこと は思い出せない。 ︵ああもう、よくわからない︶ さだまらぬ思考に苛立ち、伊織は己の頭を乱暴に押さえた。 ︵ここはどこ︱︱︶ 視界には見知らぬ天井が映っている。染みのある、薄汚れたそれ から円環の蛍光灯が吊り下がっている。目を移せば狭い中に雑然と 物の置かれた︱︱お世辞にも綺麗とは云えない部屋が見てとれる。 ﹁きたない部屋﹂ 小声で伊織はつぶやいた。 583 番外編 かつての恋人、法月伊織の場合 その6 ※NTR 部屋の中は暗い。夜明けまではまだ少しあるのか、カーテンの隙 間からは薄ぼんやりとした明かりがわずかに射しこんでいる。汗の 匂いの染みこんだ布団へ、伊織は衣服のはだけた状態で寝かされて いる。どうやら伊織は、ここで酔い潰れてしまっていたらしい。 空気は涼しく、昼間のような暑さはない。それでいて火照った身 体を伊織はひどく持てあました。そんな伊織を、裕也は執拗になぶ っている。 ﹁まだ頭痛いですか? さっき酔い覚ましにスポーツドリンク飲ん だんですけど覚えてます?﹂ 少しだけ心配そうな面持ちで裕也が尋ねた。 ﹁頭は平気、だけれど﹂ ﹁だけど?﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ それ以上、伊織は答えなかった。身体の方がとんでもなく発情し ている︱︱とは、さすがに云えなかった。伊織は自分の官能に弱い からだ 性質を思いもよらぬ形で知った。つくづく己が嫌になった。好きで もない男にさわられ悦ぶ肉体を呪った。 ︵最低だわ、こんなの︱︱︶ 不意に、視界が涙で歪んだ。 伊織の身体は、これからはじまるであろう行為を期待し、静かに 584 打ちふるえている。だらしなく開かれた両脚には力が入らず。女芯 はゆるみきって、だらだらとねばついた汁を流している。子宮は男 を待ちわび、じんわり下腹に汗を浮かばせている。 裕也は伊織の内心を察したのか、薄笑いして伊織の胸に手を差し 伸べた。 ﹁んっ﹂ 伊織はふるえた。 裕也は乳首を指先で軽くつまみながら、やさしく掌で全体をなで るようにした。 ︵やっ⋮⋮こ、この子、なんでこんなに、じょ、上手︱︱︶ 十六歳という年齢にも係わらず、裕也の性技は巧みだった。 たやすく、伊織は翻弄された。 ︵気持ちイイ︱︱︶ ﹁あ、くっ⋮⋮ひうっ﹂ ﹁ここ、いいですか? うん、やさしくされるのが、いいのかな?﹂ ﹁キ、キミ、はじめてじゃ⋮⋮ない、の? ⋮⋮んんっ﹂ ﹁エッチのこと? ああ、まあね。それなりには﹂ なんてことない、と裕也は答えた。 ﹁か、彼女が、いる、なら﹂ ﹁彼女なんていませんよ。そりゃまあ、エッチに困ったことはあり ませんけどね。ほら、ぶっちゃけおれってモテるじゃないですか。 先輩と同じで有名人ですから。ちょっと遊んであげるだけで、エッ 585 コ チさせてくれる娘も多いんですよ。セフレってやつ?﹂ ﹁セ、セフレ⋮⋮っ?﹂ うぶ ﹁あれ? 何、吃驚いてるんです? おれが童貞だとでも思ってま した? まさか、虎ノ介サンじゃないんですから。そんな初心じゃ ありませんってば。⋮⋮童貞なんて小×校入ってすぐになくしまし たよ﹂ ﹁しょ、しょうが︱︱って﹂ ﹁はじめては義理の母親でね﹂ ﹁え?﹂ ﹁まあ、あれはレイプみたいなもんでしたけど。親父が家をよく空 ける人でしてね。しかも浮気性なもんだから女とっかえひっかえ。 それで二番目の奥さんが、ある日、学校から帰ったおれを寝室に呼 びっくり パク ってね。精通前の子供のチ○ポですよ? あはは、 ガキ ぶんですよ。行ってみたら素っ裸で。ふふ、いきなりおれのズボン 下ろして もうすげぇ吃驚しましたよ﹂ 軽い調子で。裕也は告白した。 ただ ﹁そっからはもう爛れた日々ってやつ? 欲望のはけ口って感じで。 絞られ、仕込まれ。うふふ、最後にはこっちが仕込んじゃいました けどね。ま、おかげで女性をなぐさめるのは得意になりました。親 父が新しい女泣かすたび、代わりになぐさめるのがおれの役目でし たから﹂ ﹁裕也くん、あなた︱︱﹂ ﹁そんな訳ですから。伊織サンも安心して乱れてくれてかまいませ ん。おれは虎ノ介サンと違って女性に幻想なんて持ってませんし﹂ おおき ・・ 云いつつ、裕也はTシャツとトランクスを脱いだ。運動で鍛えた、 たか 見事な肉体があらわとなった。ペニスは太く、巨大く。エラの張っ た亀頭が、烈しい昂ぶりを見せていた。剥け上がった先端の割れ目 586 しずく からは、ひとすじ透明な雫がたれている。 伊織は息を飲み、未だ力の入らない四肢をなんとか動かそうと試 みた。 ﹁逃げられませんよ﹂ 裕也は云った。顔にあった微笑はいつしか消えていた。 ﹁ここから何もせずに帰すとか、ありえません。あんたはヤラれる。 ⋮⋮いい加減、あきらめな﹂ 冷たく告げ、裕也は伊織を正面から見すえた。 ﹁⋮⋮っ﹂ 気圧されつつも、伊織は相手をにらみつけた。裕也は動じない。 まっすぐに伊織を見ている。 ⋮⋮やがて、伊織は静かに目をそらした。 ﹁せめて避妊はして。おねがい﹂ コンドーム 歯を強く噛み、それだけを、やっとの思いで伊織は口にした。 裕也は頷き、そばにあった避妊具を取った。 ◇ ◇ ◇ モノ こうして伊織は、あっけなく裕也の女になった。 裕也はこの一件を機に、露骨に伊織へ関係を迫るようになり。伊 587 ポーズ 織もそれを拒むことができなかった。裕也は何かと虎ノ介の名を出 し、関係の暴露もしてみせるという態度を取った。証拠となる、伊 織のセックスを映した動画や写真も見せた。 ばら 伊織は本来の気性で裕也に向かった。 ばら ︱︱暴露したければ暴露してもいいわ。その代わり、わたしもあな たを告訴するでしょう。 下卑た余裕を、裕也はくずさなかった。 ︱︱どんなに云ってみたところで、先輩はおれに逆らえませんよ。 当然、伊織は反発した。 何を云っているのだ。脅迫されたくらいで、好きでもない男に黙 って抱かれつづけるほど、自分はお人好しでもばかでもない。おま えを地獄に落とすのになんの抵抗もない、と。 裕也はせせら嗤った。 ︱︱無理ですね。絶対にできっこない。確かに先輩はばかじゃない つうよう でしょう。根性もタフだ。なるほど、こんなモノばら撒かれたって 毛ほどの痛痒も感じないタイプですよね。周囲の人間にいくら蔑ま れたところでなんとも思わないでしょう。けど先輩。そんなあなた でも、虎ノ介サンにだけは知られたくないはずだ。虎ノ介サンには ばかな女だと思われたくないはずだ。あの人をよく知る先輩なら。 誰に見放されても、彼には見放されたくないはずだ。自分が彼を下 目に見る。可哀相な奴だと思う。これはいい。だけど彼に、あの片 輪な久遠虎ノ介って男に、愛想つかされるのだけは我慢ならないん だ。くそったれなあの目で、憐れみを向けられるのだけは。許せな い。他の誰がよくてもあいつだけはまっぴらごめんだ。⋮⋮ねぇ、 図星でしょう、先輩。そう。そうですよ。それは間違いじゃない。 588 むしず あたりまえです。おれだって嫌だ。虫唾が走る。ふふ⋮⋮だから、 もう、あんたは彼を裏切らずにはいられないんだ︱︱。 伊織は、否定できなかった。 裕也の言葉は伊織の心を正確に切り取り、そしてえぐっていた。 まさしく伊織は虎ノ介にだけは知られたくないと思っていた。 裕也とのセックスを。狂ったように歓喜し、あさましくよだれを 流す自分を、あの幼なじみの少年には見られたくなかった。 虎ノ介とのセックスであれば。と伊織は思わずにいられなかった。 それがどんなにみっともなく、下品で、そして愚かしくあったと しても。虎ノ介との間にあったことであれば、彼女に後悔などなか ったろう。恥辱とも思わなかったろう。 犯されたことに対する精神的動揺︱︱これは思いの外少ないもの であったが。しかしそれでも伊織は絶望した。 軽蔑していた母。 その母と同じことをした自分。はじめてのセックスを存分にたの あのおんな しんだ自分。このことが彼女をくるしめた。ひとりきりの時、伊織 はよく泣くようになった。こんな時、田村舞なら、どうふるまうだ ろうか。そうしたことも考えるようになった。 二週間が過ぎた︱︱。 虎ノ介に気づいた様子は、ない。 伊織は失望した。自分はこんなにもくるしんでいるのに。普段と 変わらぬ様子でいる恋人を腹立たしく思った。 いっそ虎ノ介が気づいてくれれば。そうすれば全てをやり直せる。 こう身勝手に考えたりもした。 自然、虎ノ介との距離も開いてきた。 あれ以来、伊織は虎ノ介に関係を迫っていない。時々あたえてい たキスもしなくなった。虎ノ介は寂しそうな表情をして、伊織を見 589 るようになった。伊織は内心、ひそかに溜飲を下げた。 ◇ ◇ ◇ 川沿いの土手に沿って、大きく曲がりのついた道を、ゆっくり伊 織は歩いて行った。 伊織の横には、虎ノ介が浮かない顔でいる。さらにその少し後ろ から裕也がいつものさわやかな笑みを浮め、ついてきている。 暑い。 北の澄みきった空気は、湿度がないだけ都会よりは過ごしやすか ったが、代わりに強い日差しを彼らの頭上へと投げかけている。 蝉が鳴いている。うだるような暑さの中、合唱は飽きることなく つづいている。見上げてみれば青く広がる空に、アイスクリームに も似た入道雲が高く、その背を伸ばしている。地に目をもどせば、 アスファルトの路面が焼けたフライパンのように熱せられてある。 遠くには逃げ水がゆらゆら、おぼろげに光って見える。 首にかけたタオルを使い、伊織はひたいの汗をぬぐった。 汗は彼女の身体のいたるところをじっとり濡らしている。麦わら 帽子の下の首筋。ショートパンツからすらりと伸びた脚。Tシャツ も濡れて肌に貼りついている。 かみのもり 駅前から繁華街を抜け、大橋を越えた先、つづら折れの坂を進ん そりん だところに伊織たちの通う上ノ杜学園はあった。 坂の脇にはちょっとした疎林があって、途中、バスの停留所や公 園、神社などもあり、それらを過ぎるとなだらかな丘が目の前に開 けてくる。学園の門から校舎までは、二百メートルほどもあるだろ うか。青々と繁った桜並木が、涼しい影を落としている。太陽が照 りつける中、歩いてきた者は、ここにきてようやく一息つくことが 590 できる。 ﹁ふう︱︱﹂ ひとごこち 伊織もまた人心地ついたという風情で、桜の下に立ちどまった。 ﹁暑いわね﹂ ﹁テレビじゃ今日は34度まで上がるって話でしたよ﹂ 腕時計を確認しつつ、裕也が云った。 ﹁ちょうど十一時ですね。それじゃ、おれはちょっとサッカー部の 方へ行ってきます﹂ ﹁ええ、行ってらっしゃい。暑いから気をつけて。水分と塩分はま めにとるのよ﹂ ﹁イェッサー。んじゃ、先輩たちは﹂ ﹁うん、わたしたちは、先にプールで待ってるわ﹂ ﹁了解です。じゃあまた後で﹂ 手をふり、裕也はグラウンドの方角へ駆けて行った。 ﹁それじゃあ、虎くん。わたしたちは先に泳いでることにしましょ う﹂ こう伊織が向けると、虎ノ介はあまり気乗りのしない様子で小さ く頷きを返した。 ﹁どうしたの? さっきから黙って。気分でも悪いの?﹂ ﹁え? いや、そんなことないよ。⋮⋮大丈夫﹂ ﹁そう?﹂ 591 少し考えたのち、そっと、伊織は虎ノ介の前に、手を差し伸べた。 ﹁?﹂ 虎ノ介は、不思議そうな、なんだかわからないという顔をする。 そうした虎ノ介へ、伊織は微笑みかけて。 ﹁手、繋ぎましょ﹂ ﹁あ⋮⋮。う、うん﹂ うれしげに。虎ノ介は伊織の手を取った。伊織はやさしく、その 手をにぎりしめた。 592 番外編 かつての恋人、法月伊織の場合 その7 ※NTR 裕也の手が、伊織の首筋へ伸びた。 伊織はいやいやをする。その彼女を押さえつけるように、裕也は 小柄だが雄々しい、引きしまった身体で迫る。伊織は余計、逃げよ うとする。愛撫から逃れようと、力んだり、身をよじったりする。 ﹁い、嫌。だ、ダメよ、やめて⋮⋮やめてったら⋮⋮っ﹂ 抵抗も、裕也には届かなかった。裕也は水に濡れた伊織の身体を 抱きすくめた。水着がずれ、日焼けした肌にそのまま、白い水着痕 がくっきりと浮いて出た。 ﹁虎くんのいる場所じゃしないって、云ったでしょう⋮⋮!﹂ 伊織は咎めた。 こんなところ ﹁虎ノ介サンならジュース買いに行ったじゃないですか﹂ ﹁すぐにもどってくるわ。それに、こ、女子更衣室でなんて⋮⋮。 いつ人がくるかもしれないじゃない⋮⋮﹂ ﹁大丈夫ですよ。こんなとこ探しにきたりしませんって。それに部 活もないのに、夏休みに学園までくる物好きなんて、おれたちぐら いのもんですよ﹂ こう云って裕也は、伊織のはだけた胸元に口を押しつけた。 ふたり以外、更衣室に人の影はない。 あるのは夏の空気と、木々の香りと、そしてさんざめく蝉の声だ けである。 593 そうした中で、伊織は裕也に、あの忌まわしい愛撫をあたえられ ている。壁際に立ったまま、水着越しに胸をもまれ、秘唇をいじら れている。水着は学園指定の、ワンピース型で紺色をした、いわゆ るスクール水着と云われるものである。 ﹁ん∼∼。塩素の臭いと先輩の体臭が混ざって、これは女のコって 感じだなァ﹂ ﹁何よ、それ。⋮⋮変態っぽいわ﹂ あきれと軽蔑の混じった視線を、伊織は裕也へ向けた。裕也はた いして気にした風もなく、 ﹁そうですか? うふふ、変態っぽい?﹂ ﹁ええ。とっても。気色悪いったらないわね﹂ ﹁傷つくなあ。これでも褒めてるのに﹂ ﹁あなたに褒めてもらっても、うれしくないもの﹂ ﹁虎ノ介サンならよかった?﹂ ﹁︱︱。⋮⋮そうね﹂ ﹁ふぅん? だけど虎ノ介サンじゃ、気持ちよくはしてくれないと 思うなァ。こんな風に﹂ 水着を引き下ろしつつ、裕也は伊織のあらわとなった乳房︱︱形 のよい、上向きの美乳︱︱その乳首をやさしくつまんだ。 ﹁んっ︱︱﹂ ﹁綺麗なピンク色乳首、つんつんつんっと﹂ ﹁んッ︱︱ぃッ︱︱﹂ ﹁ねじ、ねじ、ねじじ﹂ ﹁ん⋮⋮んっ⋮⋮っ⋮⋮んんっ﹂ ﹁噛んじゃったりして﹂ 594 ﹁あひっ﹂ ﹁不意打ちでマ○コぐりぐりー﹂ ﹁ひや︱︱ッ!?﹂ 突如、裕也の指が、内ふとももから水着の内側、伊織の股間へと 潜りこんだ。差しこまれた二本の指はすでに濡れはじめていた淫唇 を開くと、返す刀で伊織の充血したクリトリスを挟みつけ、そうし て一気にねじり上げた。 ﹁ひーーーッッ﹂ 伊織の身体が跳ねた。声にならない悲鳴を上げ、びくびく、のけ ぞってふるえる。 さらに裕也は指先を膣に沈め、折り曲げると、膣壁の手前上部を 指の腹で圧した。 ﹁ア∼∼ッ! ア∼∼∼∼ッッ﹂ ﹁ぐりんこ、ぐりんこ﹂ ﹁う゛う゛∼∼⋮⋮あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛∼∼∼∼﹂ ﹁おう、イッた、イッた。ホント、簡単にイキますよね、先輩って。 ばかみたいだ﹂ ﹁∼∼∼∼∼∼∼ッッ﹂ 数秒のこわばりの間、伊織は力の抜けきった、がに股に近い格好 で快感にふけった。 ﹁ああああ⋮⋮ああ⋮⋮﹂ 壁にもたれたまま、だらしなく膝を揺らす。天を仰いだ姿勢で、 口を半開きにし、焦点の怪しくなった瞳を彷徨わせている。口の端 595 からはよだれがこぼれている。股間からは愛液が大量にあふれてき た。 裕也はうれしそうに、膣から引き抜いた指を舐めた。 ﹁さって。それじゃそろそろ本番といきますか﹂ おもむろにビキニパンツを外す。ぼろんと。極悪なサイズのペニ スが、宙に揺れて出た。 ﹁ふんふんふ∼ん♪ ふふふ、ふふ∼ん♪﹂ 鼻歌を歌いながら、裕也は二度、三度と、自らの男根をしごいた。 すでに力を得ていたそれは、さらに充血し、すさまじいいきおいで 勃起した。赤黒い亀頭は醜く腫れ上がり、幹には幾筋か、血管が浮 カウパー いている。裕也はそれを見せつけるように腰を揺らした。とろり。 先走りがひとすじ、糸を引き床に落ちた。 ﹁あ⋮⋮すご、い﹂ いれ ﹁ふふ。すごいでしょ﹂ ﹁挿入る、の?﹂ ﹁そうですよー﹂ ﹁避妊、して⋮⋮﹂ ﹁イエース。そこは云われなくてもちゃんとするよ。妊娠させちゃ コンドーム ったら大変だもんねぇ。自分の子供殺すなんざ一回で充分﹂ かご 云うと、裕也はそばにあった脱衣籠から避妊具を取り出し、それ を装着していった。伊織は終始無言で、その様子を眺めていた。 ﹁そんな物欲しそうな顔しなくても、すぐに挿入てあげますってば﹂ 596 いたずらっぽく、裕也は唇を舐め、そして伊織に向かい片目をつ ぶって見せた。 ﹁だ、誰も欲しがってなんか⋮⋮!﹂ あわてた風に、伊織は顔を腕で隠した。頬も耳も、紅く色づいて いる。 裕也は笑った。 ﹁ああ、はいはい。虎ノ介サンに悪いですもんね。エッチをたのし むにしても、そこはきちんとポーズしておかなきゃね﹂ ﹁べ、別にそういう訳じゃ⋮⋮﹂ 答える声に力はない。 ﹁も、もうっ。いいわ、好きにしたらいいじゃない。どうせ何云っ たって犯すんでしょう﹂ ﹁犯すなんて、人聞きが悪いなあ。これは和姦なのに﹂ 裕也はいやらしい、眇めるような目で伊織を見ると、 ﹁そんな風に云われると、なんだか意地悪したくなる﹂ 伊織の前へと立ち、彼女の股間へペニスを押しあてた。 ﹁んっ︱︱﹂ ﹁挿入はナシにしよっか﹂ またぐら ぐい、と。裕也は、伊織の股座へ、亀頭を押しこむと、そのまま 水着と肉の隙間へ引っかけるようにし、出し入れをはじめた。 597 ﹁ちょ、ちょっとっ、裕也くん!?﹂ ﹁んん? なんですか?﹂ ﹁んっ⋮⋮、まっ⋮⋮こ、これ﹂ ﹁なんです?﹂ ﹁ふ⋮⋮っ⋮⋮く、は、挿入ってない。コレ、ちゃんと⋮⋮挿入っ てないわ⋮⋮﹂ 美しい眉宇をひそめ、伊織は訴えた。 しかし裕也はまったく気にしないそぶりで。 ﹁なんか困ります?﹂ ﹁え? だ、だって、これじゃイケない、でしょ⋮⋮﹂ ﹁おれはこれでも十分イケますけど﹂ ﹁え⋮⋮﹂ ﹁だって先輩、乗り気じゃないみたいだし、あんまり無理させるの も悪いかなーって﹂ こうしたことを云い、裕也はゆっくり、その亀頭とひだをこすり あわせるだけの、緩慢で刺激の少ないプレイを続行した。湿潤な肉 ひだの下を、にゅるん、にゅるんと、亀頭がすべってゆく。たちま ち伊織の身体は、快感と、そしてそれを遥かに上回る物足らなさで 埋められてきた。 ︵こんな中途半端な仕方でイケる訳ないじゃない︱︱︶ しゃく という裕也の狙いは明らかであり。こ と、伊織は思ったが、しかしあえて反論せず、裕也のなすがまま に任せた。 伊織におねだりさせたい れに伊織から応えてやるのは、彼女としても幾分癪であった。 598 裕也は丁寧に、しつこく、何度もペニスをスライドさせてゆく。 巨大な男根が前後に、クリトリスをやわらかくこすり上げた。 ﹁ふっ⋮⋮ん⋮⋮あっ﹂ ﹁また、声が甘くなってきたね﹂ ﹁んく⋮⋮⋮んんっ﹂ 余裕に満ちた態度で裕也は腰の出し入れを繰り返す。 対して伊織の方は、だんだんと、確実に我慢ができなくなってき コンドーム た。十分も経つと、自分からも恐るおそる腰を遣うようになった。 ︵す、少しくらい、動かしても平気よね⋮⋮?︶ ペニスの動きに合わせ、腰を少しずつ動かす。 呼吸が、徐々に浅く早くなってくる。 愛液がちゅくちゅく、水着の中で音を立てる。白い泡が避妊具に まとわりついている。 ︵もうちょっと、もうちょっとだけ烈しく︱︱︶ ﹁先輩、自分から腰動かしてません?﹂ 意地悪い声。﹁ッッ﹂伊織は肩をふるわせ、上目遣いに裕也の顔 を見た。 裕也は動きをとめると、壁に両手をつき、おおいかぶさる形で伊 織の耳元へ唇をよせた。 ﹁そろそろ我慢できなくなってきました?﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮っ﹂ ﹁へへ。もっと烈しくしてほしい?﹂ 599 ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁先輩が望むんなら、挿入てあげますよ。発情しきったマ○コ、ガ ンガン突いて、子宮までほぐしてあげます﹂ ﹁う⋮⋮﹂ ﹁嫌ならやめてもいいですけど。どうします?﹂ ﹁うう﹂ ﹁きっと気持ちイイですよ﹂ やさしく。子供に云いふくめるような調子で、裕也は語りかける。 伊織はうらめしげに、裕也をにらんだ。 ﹁どうせ︱︱﹂ ﹁ん?﹂ ﹁どうせまた、卑怯な手を使ったんでしょう?﹂ ﹁⋮⋮なんの話です﹂ ﹁知ってるんだから。最初の、あの日、何かおかしなクスリを飲ま せたでしょう﹂ ﹁︱︱︱︱。あれ、なんだ、知ってたの?﹂ 伊織は肯いて見せた。 裕也は心底、吃驚いたようで、目を丸くし、伊織をまじまじと見 つめた。 ﹁すごいな、さすが先輩。よくあんな状態までされて気づくね﹂ ﹁気づいたのは後になってからだわ。⋮⋮薄々ね。いくらなんでも おかしかったもの、あんなとんでもない狂わされ方。普通じゃない わ﹂ 紅らんだ顔に汗を浮かばせながら、伊織は不敵に笑った。 600 ﹁でもそこまでしないと、キミは女ひとり、モノにできないのよね。 可哀相な子だわ﹂ ﹁云ってくれますね。まあ、確かにあの日はクスリを使いましたけ どね。チャンスだと思いましたから。アレ、バカ高かったんですよ。 くすり バイト先の先輩から特別にゆずってもらった、フツーじゃ絶対に手 に入らない媚薬なんです。エッチの、性感を高めるためだけにつく られたセレブ御用達の。けどまあ、おれ先輩のことは前々から狙っ てましたし。好きでしたから、そこはいいやって感じで﹂ 云いつつ、裕也は伊織のふとももをつかみ、ぐいと持ち上げた。 と同時に、伊織の水着、その股のところを横にずらした。伊織の蕩 けきった肉のとば口が、なんとも云えぬ発情の薫りを放って表に出 た。そこへ、裕也は自らのペニスをひたと押しあてた。 ﹁ね、云ってください。先輩。挿入てって。突きまくってって。い やらしくおねだりしてください。どうせもうここまできたら我慢な んてできっこないでしょう﹂ ごくりと、伊織はそのイチモツを見つめ、唾を飲んだ。 ﹁⋮⋮虎くんなら﹂ ﹁?﹂ ひと ﹁虎くんなら、きっと、もっと気持ちイイんだわ。あなたなんかよ りずっと。わたしは淫乱な女だけど、好きな男を特別に思う心と身 体くらいあるもの︱︱﹂ 顔をうつむけ、昏い目を光らせると、伊織はつぶやいた。 ﹁⋮⋮て﹂ ﹁え?﹂ 601 いれ ﹁して。挿入てっ﹂ ﹁いいんですか﹂ ﹁ばかっ。我慢できないの。そんなの、さっきからわかりきってる じゃないっ﹂ もろて 双手を男の首へまわし、伊織は片脚を相手の腰にからめるように した。 ﹁突いてぇ。いっぱいっ。おま○こっ、ほじくるの。子宮まで突き くずしてっ。早く。わたしが、わたしが正気にもどらないうちにっ ︱︱﹂ 何かを吹っ切るように、伊織は裕也の身体へとしがみついた。裕 也はひとつ舌舐めずりすると、狙いをさだめ、一気に伊織の深奥ま でをつらぬいた。 ﹁んっ⋮⋮つ⋮⋮んんん∼∼∼ッ﹂ 熱い涙が、伊織の頬をつたって流れていった。 602 番外編 かつての恋人、法月伊織の場合 その8 ※NTR ﹁ふァ∼∼∼っ、あっ、あっ、あっ﹂ な 伊織は啼いた。はじらいも忘れ、あだかも狂ったようにあえいだ。 裕也は立位のまま、伊織の芯を突き上げ、何度も責めつけた。伊 織はすぐさま絶頂へと導かれた。 ﹁イく。こんなの、イっちゃうわっ﹂ ﹁いいですよ、イって。イってください。好きでもない男のチ○ポ でイってっ﹂ ﹁あ∼∼∼∼∼っっ! んっんんんんんん!!﹂ す 伊織の全身がわなないた。小刻みな振動が、カタカタと足元の簀 の子を鳴らした。女の潮が股間で繰り返しはじけた。 伊織が絶頂している間も、裕也はピストンを休まなかった。巨根 が子宮口を圧すたび、伊織は達しながらさらに新たな、上の段階へ と昇りつめていった。もう何度目かになる、官能に自己を塗りつぶ される至福を、伊織は全身で受けとめていた。 ⋮⋮そうして散々にイッた後で。 伊織は脱力した。 裕也はそんな伊織を支え、その膣洞からペニスを引き抜いた。み なぎりは、未だ強く存在を主張している。そのさまは﹁早く射精さ せろ﹂﹁種付けさせろ﹂と、さかんに訴えているようで、伊織は何 か、見ているだけで鼓動が早まってくるような思いがした。子宮が、 女の本能で以て、じゅんと熱を帯びてくるように思えた。妊娠して あげたい。理性とは別の部分が、叫んだ。 603 裕也は、伊織の水着を完全に剥ぎ取ると、タオルを重ね敷いた簀 の子の上へ、四つん這いとさせた。 バック ﹁はぁ⋮⋮はぁ⋮⋮。今度、は、後背位でするの?﹂ 朦朧としながら、伊織は床へ肘をついた。裕也が見やすいよう、 尻を持ち上げる。 夏の熱気と、烈しい運動によってできた汗が、玉となり背中を転 がった。 裕也は満足げに伊織の、大きな尻をなでると、次にその真ん中の すぼみ、そしてその下の割れ目へと指を伸ばした。 ﹁ひうんっ、そ、そこは⋮⋮お、お尻﹂ 伊織の嫌悪など気にせず、裕也は彼女の菊門を責めた。濡らした 人差し指で、ぐにぐに、腸壁の内側を愛撫する。同時にもう片方の 手で秘裂をなぶった。 ﹁あっ⋮⋮ひっああ⋮⋮あは⋮⋮ん﹂ 尻奥から立ち上がってくる、快と不快とが入り交じった感覚に、 たく 伊織はとまどった。しかしそうしたとまどいもやはり一瞬のことで、 蜜肉をいじる裕也の巧みな手技はすぐに次なる快感のステップへと 伊織を押し上げていった。 膣と腸の、蕩けて繋がったかのような感覚に、伊織はもはや息も 絶えだえとなってきた。 ﹁⋮⋮おお⋮⋮おおおう⋮⋮﹂ 獣じみたうなりが、口からもれはじめた。 604 ﹁だめぇ⋮⋮だめなのぉ⋮⋮ぐずぐずぅ⋮⋮おま○こもお尻もぐず ぐず⋮⋮頭、ばかになるぅ⋮⋮!﹂ ﹁いいですよ、ばかになって。おれはそんな先輩が好きです﹂ 裕也はペニスを尻穴へあてると、徐々にその奥へ沈めていった。 胡乱だった伊織の目が、ぱっと見開かれた。 ﹁く⋮⋮ぐうう。締め、つけ、半端ない﹂ うめきながら裕也は律動を開始した。腰は、徐々にその動きを早 めていく。さすがに限界が近いのか、裕也の呼吸も相当に荒くなっ ている。射精は近かった。 伊織は、すでに肘でも身体を支えきれていない。肩と顔、腕と胸 を支えにして、官能を受けとめている。 ﹁はっ、ふっ、ふっ、ふっ﹂ ﹁あうっ⋮⋮ひ⋮⋮⋮⋮んっ⋮⋮⋮!﹂ ピストンが烈しさを増した。 ぱんぱんと、尻と腹筋のぶつかり合う音が、どんどんと大きく、 で 早くなっていく。裕也がうめいた。 だ ﹁うう⋮⋮っ。射精る、射精る! 先輩、中でイキます!﹂ ﹁あ∼⋮⋮射精して! 中で射精して! お尻に、精液、いっぱい ⋮⋮!﹂ ﹁ううっ!!﹂ ﹁ひっくぅぅぅうううう!﹂ 裕也は果てた。伊織も、イった。 605 ふたりは結合したまま、しばしシンクロしてふるえた。 ◇ ◇ ◇ ﹁どうしてこう⋮⋮男の子って、いちいち変態っぽいことが好きな のかしら⋮⋮?﹂ あきれた目で、伊織は裕也を見た。 ﹁ん∼。変態って、お掃除フェラのこと?﹂ 裕也が問う。伊織はまなじりを吊り上げ、冷たく裕也を見すえた。 ﹁ええ、そう。こんなにきたなくて臭いモノを舐めさせるなんて。 きたなくて臭い す はひどいなァ﹂ 裕也ったら、ひどいと思わないのかしら﹂ ﹁ 苦笑いする裕也。 今、裕也は更衣室の隅、簀の子のない、一段高い床へ裸身を横た えている。伊織もまた、彼へよりそうにようにして四つん這いとな くわ っている。伊織の口には、行為を終えて力をなくしたペニスがやさ しく銜えられている。 すえた匂いのこもる更衣室へ、じわじわアブラゼミが語りかけて いる。 ﹁だって先輩、キスはさせてくれないし。いいじゃないですか。フ ェラくらい﹂ ﹁あたりまえよ。⋮ふむ⋮⋮んぢゅ⋮⋮⋮。ぷはっ。⋮⋮裕也は恋 606 人じゃないんだもの。キスは恋愛感情を示す行為って云うでしょう。 それは虎くんだけのものだわ﹂ 精液まみれのペニスへ舌を這わせつつ、伊織は云った。 黄色味がかった白濁を舐め取り。舌で転がし。そして飲みこんで ゆく。その丁寧で愛情こもったやり方に、裕也は喜悦を隠しきれな いでいる。 ﹁はいはい。おれは単なるセフレですよね。わかってますよ﹂ ﹁そうよ。⋮⋮んっ﹂ ﹁だけど、男なんてみんなそんなもんですよ。誰でも可愛い女の子 に舐めてもらいたいし、顔にかけたいし、マ○コに入れたいし。虎 ノ介サンだってさ。あんな純朴そうな顔してるけど、頭の中はエロ い妄想ではちきれそうなんですよ﹂ ﹁⋮⋮そんなの、知ってるわ﹂ からだ 口淫を終えると、伊織は立ち上がった。籠からタオルを取り、汗 で濡れた肢体をふいていく。 ﹁前に彼の家で見つけたことあるの。エッチな本とかその手のビデ オ﹂ ﹁へえ。そうなんだ。どんな趣味してました? 虎ノ介サン﹂ 興味津々といったていの裕也である。 ﹁⋮⋮近親相姦﹂ ﹁うわお﹂ 伊織の答えに、裕也は頬を引きつらせた。 607 ﹁マジかよ。虎ノ介サン、清純派に見せて結構エグいな﹂ ﹁それから年上とか、おっぱいが大きいコがいいみたい﹂ 云いつつ、伊織は服を身につけていった。 ﹁ああ。それじゃ先輩はストライクゾーン真ん中じゃないですか。 よかったですね﹂ 身体を起こし、体育座りとなった裕也を伊織は横目で眺めて、 ﹁裕也って、避妊はちゃんとするわよね﹂ ﹁え? ああ、まあ。そりゃ﹂ ﹁妊娠させたいとか、ないの?﹂ ﹁ハ? 妊娠ですか?﹂ ﹁孕ませ願望っていうのかしら﹂ ﹁孕ませ。⋮⋮ああ、いや、それはないっすね。おれは一回、義理 の母親を妊娠させてますから。それ以来、近親相姦とか孕ませとか、 そっち系はちょっと﹂ 手をふり、裕也は否定した。 ﹁虎くんはそういうのがイイみたい﹂ ﹁うわ。業ふけぇな﹂ ﹁だから、ちゃんと危険日に誘ってみたんだけど⋮⋮﹂ ハァ。と伊織は溜息をついた。 身体を丸め、無造作に靴下を履いていく。 ﹁危険日? それってなんの話ですか?﹂ ﹁この前。最初にあなたに犯された日のこと﹂ 608 ﹁嘘、そうだったんですか﹂ 無言のまま肯き。伊織はTシャツの袖に腕を通した。 ﹁あっぶねー。さりげに地雷踏むとこだったんだ、おれ﹂ ﹁ちゃんと周期も計算して排卵期本命に誘ってみたのだけど⋮⋮﹂ 逃げられちゃったわ。 哀しげな目で、伊織はつぶやいた。 ﹁⋮⋮それ、もしかして虎ノ介サンに云ったんですか?﹂ ﹁え? ええ、もちろんよ﹂ 裕也はあきれた、と云わんばかり。溜息をつき。 ﹁やりすぎ。そりゃあ逃げられますって﹂ なかだし ﹁え? ど、どうして? だって、虎くんはそういうのが好きなの よ。エッチだって、みんな膣内射精とか、妊娠させるとか、中には 妊婦さんとするのだってあったわ﹂ ﹁ああ∼⋮⋮まあ、ね。虎ノ介サンがディープなムッツリだっての はよくわかりましたけど。でもだからって、それをそのまま現実に 置き換えても、逆に引かれるだけだと思いますよ。虎ノ介サンなら 欲望と現実くらいわけて考えてるでしょうし。エロ本なんかも、そ ち のための代替物⋮⋮っていうか単なる願望充足のためのモンでしょ う。⋮⋮ぶっちゃけ、虎ノ介サン家貧乏だし。今、先輩を妊娠させ たりとか絶対困るでしょ。あの人に学校辞めて、いきなり親子三人 養うバイタリティとかある訳ないじゃないですか﹂ ﹁そ、それは、そうかもしれないけど﹂ ﹁あー。そっか。やっぱ虎ノ介サンは先輩のことがきらいで逃げた 訳じゃないんだ。先輩がいきなりトチ狂った真似したから、混乱し 609 て逃げただけなんだな﹂ 合点がいった。と裕也は手を打ち合わせた。 伊織は呆然として、 ﹁じゃ、じゃあ、虎くんはわたしとエッチしたくなかったとか、そ ういう理由で逃げたんじゃないの?﹂ ﹁あったりまえでしょ。虎ノ介サンなんてどうせ童貞に決まってる んだし。余裕でレイプできましたよ﹂ ﹁そ、そんな﹂ なかだし ﹁先輩もさー。迫るんなら、もっとうまくやればいいんですよ。適 ゴム 当に安全日って嘘ついて、膣内射精させりゃよかったんだ。それか 避妊具に傷つけとくとかさ。何も真っ正直にやる必要ないじゃん。 孕んじゃえば、もう先輩の勝ちなんだし。先輩なら虎ノ介サンのひ とりやふたり、余裕で面倒みて生きていけるでしょ﹂ だめだなー、わかってないなー。と裕也はかぶりをふった。 伊織は、胸の前に手を置き、くやしげに唇を噛んだ。 ﹁わたし、失敗したのね⋮⋮﹂ ﹁あ、いやまあ、そんな落ちこまなくても﹂ ずうん、と肩を落とし暗くなる伊織に、裕也はなぐさめるように。 ﹁まあ、そのうちもっかいやりゃいいじゃないすか。そん時は確実 に。はは﹂ 伊織は横目で、じとり、裕也を見た。 ﹁何よ、裕也ったら。それって、なぐさめてるつもりなのかしら?﹂ 610 ﹁まあ、一応ね﹂ ﹁⋮⋮よくわからない。あなたはいったい何が目的なの? わたし をレイプして、虎くんを傷つけたいなんて云ってるくせに。本当は 何をどうしたいの?﹂ ﹁さあ?﹂ ﹁とぼけないで﹂ 裕也は腕を枕に、床へ横になると。にやにやとして伊織を見つめ た。 ﹁おれはおもしろけりゃなんでもいいんですよ。虎ノ介サンも先輩 も好きですしね。虎ノ介サンと遊んで、先輩と遊んで。サッカーで 周りのゴミどもを蹴散らして。うん。それで時々こうして先輩とエ ッチできれば、特にそれ以上はいらないかな。⋮⋮先輩と虎ノ介サ ンがうまくいけばとも思いますよ。先輩が虎ノ介サンを首尾よくハ メるの、おれも応援してます﹂ ﹁はぁ。⋮⋮あなたって、歪んでるのね﹂ ﹁よく云われます﹂ ﹁行くわ。虎くんも待ちくたびれてるでしょうし﹂ 云い置き、伊織は部屋の外へと向かった。その背へ、裕也は声を 投げた。 ﹁おれはもうちょいここで休んでますから。先にふたりで帰ってく ださい﹂ ﹁ええ。そうするわ﹂ ﹁あ、それと﹂ ﹁何?﹂ 立ちどまり。伊織は顔だけをふり返って見た。 611 ﹁先輩。ここのところ、虎ノ介サンが変だって気づいてます?﹂ ﹁え?﹂ 伊織は表情を険しくして、裕也を見つめた。裕也の顔つきもまた 真剣なものに変わっていた。 ﹁変って? まさかわたしたちのこと気づいたの?﹂ ﹁いや⋮⋮わかりません。どうも、そういう感じじゃなさそうだけ ど﹂ ﹁なさそうだけど?﹂ ポスティ ﹁んん。わかりませんけど。ただ最近、妙に元気がないというか。 悩んでるような﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁バイトもやたらと詰めて入れるようになったし﹂ ﹁そう、なの?﹂ 頷く裕也。伊織は小首をかしげた。 ﹁そう云えば、最近、家にいないことが多かったわ﹂ ング ﹁ちょっと無茶なペースでバイト入れてますよ。こないだもビラ撒 も き、三千枚とか入れてたし、夜は夜で夜勤の荷物仕分けもやってて。 いくら夏休みだって云っても、あれじゃあ身が保たない﹂ こう、裕也は心配そうな面持ちで語った。 伊織はわずかに考え深い目つきをして、 ﹁裕也も虎くんを心配してくれてるの?﹂ ﹁云ったじゃないですか。おれは虎ノ介サンのことが好きなんです よ﹂ 612 ﹁よく云うわ。嘘ばっかりじゃない。でも⋮⋮そう。わかったわ、 わたし聞いてみる﹂ 答え、伊織はドアノブを回した。 613 番外編 かつての恋人、法月伊織の場合 その9 ほうづき ごろう 伊織の父、法月悟朗は大学で教授を務めている。 おもて とし この人は若い時分から、なかなかに苦労を重ねてきた人で、年齢 ひと は五十の坂を越したばかりなのだが、その面には経験から培われて きた自信と、他人への愛情深い見方とがあった。背は低いが、学者 のわりには堅固な体つきをしており、体力も、なるほどフィールド ワークで鍛えただけはあろうと思われた。彼は生家が貧しかったこ ともあり、学問ひとつするにも相当骨の折れる思いをしたと云って、 またその時々の事情で、筑波、京都、弘前と、あちこち渡り歩きも こま し、そのたびいくつかの辛酸を舐めてきたような人だったから、自 然、人の労苦もわかり、気配りも濃やかで、たたずまいには深沈と したものがあふれ、これはたしかに娘の伊織などから見ても、実に 立派な、栄えある成功者と云えた。 この悟朗を指し、口さがない者は、﹁岩でできた猿﹂だとか﹁女 房に逃げられた古置物﹂などと呼んだが、これとても伊織に云わせ たち れば的外れな意見であった。あまり調子のよいことを云わない悟朗 だったが、本来は積極的な性質であったし、またそれに見合うだけ の能力も有していた。夫婦の離別にしろ、実際は逃げられたなどと というものではなくて、単に不貞を働いた妻を悟朗が棄てただけだ と伊織は解釈していた。もっともこの話に関しては、伊織の方にも ほだ 少しは言い分があった。伊織の母はたしかにしてはならないことを さけ したが、しかし他方、悟朗を深く愛してもいた。悟朗への愛に絆さ れていた。傷つきながら﹁助けてくれ﹂と咆哮んでいた。悟朗に責 められること︱︱悟朗の怒りと、罵倒と、愛と許しとを欲していた。 どうして応えてやらないのか︱︱。 幼かった伊織はよく悟朗に迫った。一言。たった一言で彼女は救 614 モノ われる。﹁ばかな真似をするな、おまえはおれの女だ﹂そう云って 殴りつけてやれば、彼女は女として満たされるのだ。己の不始末に 対する罰を、誰より望んでいるのは彼女なのだ、と。 しかし伊織の訴えに対する悟朗の返事は、冷淡なものだった。 ︱︱それは彼女が決めることだよ。 伊織は納得がいかなかった。 ひとり 伊織は、父母を愛していた。ふたりが離ればなれになるなど、ど うしても許せなかった。伊織は単独で動いた。母の浮気の証拠を自 ら集め探した。 結果。 起きたことは二人の破局だった。わかったことは、伊織の母もま た、その若い相手の男に遊ばれていたという事実だった。男は責任 を取る気など最初から毛頭なく。本命と思われる彼女も別にいて、 浮気が悟朗にばれたと知るや、すぐさま悟朗の元を訪れ自己の弁明 に走った。曰く、﹁自分は奥さんに誘われただけであり⋮⋮﹂ 悟朗は、男を責めなかった。慰謝料を求めたりもしなかった。当 事者である妻は何ひとつ言い訳めいたことを云わず、ただ己の責任 だとだけ告げ、自分から離婚を切り出した。 悟朗はあっさりと、離婚届に署名した。 この時から伊織は、父を一歩引いた目で見るようになった。 母を憎むようになった。鏡を見るたび、そこに母親とよく似た美 さか 貌を見つけ、自分に流れる血をどうしようもなく疎ましく思った。 母ゆずりの知性と能力︱︱賢しらな才能をはじた。 おやこ 悟朗と伊織は、妻であり母であった人をなくした。 女は寂しげに、父子の元を去っていき。伊織は心中で、去りゆく プライド 背中をなじった。 バカ女と。気位を棄てられない憐れな女と。 615 こ 機会があった。彼女にはやり直すチャンスがあった。許しを請う これ以上甘えられない ・・・・・・・・・・ という気 ことも、泣いてすがりつくこともできた。そうすれば悟朗は必ず許 したはずであった。だが女は、 取った理屈を以て別れを選んだ。引きとめて欲しいという心を隠し、 最後まで、悟朗に甘えていた。 悟朗は結局、最後まで妻を引きとめようとしなかった。 当時のことを思えば、伊織の心はいつでも、硬く、こわばってく る。冷えびえとしたものが腹底から噴き上がってくる。冷たい男だ。 と、父のことを思う。母は愚かだったが、その愚かな女を選んだの は他ならぬ父ではないか。ならば最後まで面倒を見てやる義理が父 にはあったはずだ。そう思う。母は一生くるしむだろう。確信に似 た思いが、ある。 しかし。 ちち こうした一方で、疑問に感じるところも伊織にはあった。 真実に ほんとう 母さんを見棄てたのかしら︶ それは悟朗に向けてのことで。 ︵父さんは ほんとう あの美しく、無様で、憐れむべき女を、法月悟朗は真実に忘れた のか。 たしかに別れた。女は家を出て行った。 しかしながら悟朗は一度として妻に﹁別れよう﹂とは云わなかっ た。破婚を受け入れてなお、﹁出て行け﹂と云わなかった。 かつて悟朗は伊織に云ったことがあった。 ︱︱怖いからね。 伊織はこの言葉を額面通りに受け取った。 父は母を責めたり、問い詰めたりすることによって局面が進むの 616 を恐れたのだと。事実を曖昧にし、できれば穏便に、すべてなかっ たことにしたいという、おびえの表れだろうと。誰か、力を持った 者が都合よく現れ、光ある方へ導いてくれはしないか。そんな不自 然な期待をしているのだと。 けれどもそれは、はたして本当に正しい見方だったのか⋮⋮? ︵もしかすると、父さんはまだ諦めていないのかもしれない︱︱︶ 裕也と関係を持つようになり、自分と虎ノ介にかつての父母を重 想い を、 ねて見るようになって。伊織には時々、無闇とこうした考えが生じ てくるようになった。 悟朗が真に恐れていたもの︱︱それは過去の自分の 自ら間違いとすることで。ならば、彼は未だに妻を信じているので はないか。帰りを待ちつづけているのではないか⋮⋮。 別れから一年が過ぎ、三年を経ても、まだ一向に変わらない母の 寝室や書斎、湯呑みや歯ブラシがある。 これらを見る時、伊織は父の胸の内を少しだけ想像してみる。そ こから引き出されてくる答えを恐れを以て噛みしめてみる。何かが ひと 痛みをたずさえ、自分を追いたててくるような、そんな心持ちにな る。 恋は破れた。 理解して、それでもかの女を想ったことに間違いはなかったと。 後悔など断じてないと。 そう誇るような父の背から、伊織は、いつか目をそらすようにな った︱︱。 ◇ ◇ ◇ 617 かつお にしめ あ きゅうり 枝豆、鰹のたたき、里芋と人参の煮染、ウドの酢味噌和え、胡瓜 こと の浅漬。それに御飯を食べる時のとろろ汁。全て伊織の手料理のも ので、悟朗は虎ノ介を夕飯に招いた。 悟朗は、隣家に住む、この気のやさしい少年を殊の外、気に入っ ていた。 少年の貧しく、縁ある者から見放されたという寂しい境涯もまた 悟朗の気を惹いたようだった。少年とその母、ふたりの心配をし、 ねが 悟朗は何くれとなく彼らの面倒をみたが。あるいはそれは息子が欲 しかったという悟朗のささやかな希いからかもしれなかった。伊織 と虎ノ介の仲も、むしろ悟朗の方から後押すようなところがあって、 娘が虎ノ介の世話を焼いていると、﹁いや、これはお似合いだねぇ。 天にあっては比翼の鳥、地にあっては連理の枝というところだ﹂な どと、よくからかうようなことも云った。 ゆくゆくは虎ノ介とともに、専攻する民俗学の研究や野外調査を したい︱︱これが悟朗のひそかな夢であるらしかった。 ﹁⋮⋮というようなことがあってね﹂ 口元についたビールの泡もそのままに、悟朗は云った。 かみもり ﹁つまりだ。云ってみれば、この田村氏というのが、この上杜の地 における正統な支配者の血統なんだな。こういった異類婚姻譚は昔 血の継続 をつまびらかにされている例はかな ケース から日本各地、いや世界にもたくさんあるのだけれど、しかしこれ だけ文献や資料で ゆうなぎ ルーツ りめずらしい。全国にちらばる他群の系譜、たとえば名が残ってい るところだと火浦や夕凪なんかがあるが︱︱これら全ての源流が、 皆、そのひとりの天女だと血統を明示されている。こんな例はそう 618 はないんだよ。さらにどの家も、自分たちで率先し記録を残してい あが た訳じゃなく、全部、風土記や別の大名家の記録なんかとして出て くる。要は周囲の人間が、勝手に彼らを特別の存在として崇めてい たんだね。関わる人間を災厄から遠ざける田村氏は、時の権力者か らも一目置かれていて、事実、南部藩なども寛文十年に、上杜山へ の立ち入りと木の伐採を禁じる旨の法令を発布している⋮⋮﹂ ﹁立ち入り禁止? そうだったんですか? あの山﹂ ねぎ しょうゆ たのしげに語る悟朗へ向け、虎ノ介は怪訝そうな顔で尋ねた。刺 しょうが と 身に、たっぷりの葱をのせ、それを醤油へとひたす。醤油にはこれ ゆず これ またたっぷりと、おろしたニンニク、生姜が溶いてある。隣を見れ ば、伊織は柚子をしぼった醤油だれで刺身を食べている。 ﹁ンまい︱︱﹂ 旬だから と 刺身を食べ、虎ノ介はうれしそうに顔をほころばせた。虎ノ介の 反応に、伊織も表情をやわらかくした。 ﹁そうか。それはよかった。ちょうど知り合いから もらってね﹂ か 頷き、悟朗はグラスを口へと運んだ。ひと口ビールを飲み、それ から枝豆をつまむ。 のう ﹁昔からあの山の大部分は私有地だ。たしか田村氏の分家である狩 もの 野家が、その大半を管理していたと思ったな﹂ ﹁? 田村家の土地じゃないんですか?﹂ ﹁うん。わたしもあまり詳しいことは知らないんだがね。今の田村 ソ 本家には、ほぼ財産と呼べるものはないそうだ。おそらく一族内部 レ で資産を巡る争いでもあったんだろう。とてつもない額とされる資 619 あちら 産は、現在、分家にそれぞれ分割して引き継がれているという話だ﹂ ﹁へぇ⋮⋮﹂ ﹁そういえば虎ノ介くんも山の出だったかな﹂ だまって肯く虎ノ介である。 ﹁もしかしたらキミの家も、田村氏となんらか関係があったのかも しれないね﹂ ﹁⋮⋮そう、ですね。でも、あの辺じゃあ田村という名字はめずら しくないし﹂ ﹁うん。たしかにあの地区には田村姓が多い。元々田村家に仕えて いた者が多かった関係で、そうなっているんだね。明治の苗字必称 義務令後もそのまま︱︱とはいえ、実際の血縁関係はないという者 がほとんどだな﹂ 虎ノ介は熱心に耳を傾けている。そっと、伊織は席を立った。 ﹁ああ、伊織くん。立ったついでにビールを一本、追加してくれる かい﹂ ﹁父さんたら、それでもう二本目でしょう。ちょっと飲みすぎだわ﹂ ﹁いいじゃあないか、キミ。こうして未来の息子と、古代のロマン に想いを馳せつつ飲む。わたしの数少ないたのしみなんだから﹂ ﹁何がロマンよ。さっきから父さんが一方的にしゃべってるだけだ わ。虎くんだって困ってるじゃない。⋮⋮ああ、わかったから少し 待っていて﹂ あきれたように云うと、伊織は台所へ向かった。 ﹁イオねぇ、ぼくおかわり﹂ ﹁ん﹂ 620 返事をし、伊織は冷蔵庫からビールの大瓶と、黒ビールの小缶と を出した。 ﹁お﹂ 少しだけ、吃驚いたように、悟朗が見た。 や ﹁めずらしいね。キミも飲るのかい?﹂ ﹁うん。ちょっとね。なんだか今夜は飲みたい感じ﹂ ﹁うん、そうか。⋮⋮じゃあ、虎ノ介くんもどうだい﹂ と、悟朗は虎ノ介に向けた。 ﹁だめよ。虎くんは。未成年でしょ﹂ そう伊織が咎めた。 ﹁それを云ったらキミもじゃないか﹂ ﹁わたしはいいの。虎くんはお客様で、預かってる子なんだから、 お酒なんて飲ませられないわ。京子おばさんに申し訳ないもの﹂ ﹁む⋮⋮。それはそうかもしれないね。⋮⋮ああ、時に虎ノ介くん。 京子さんは今日も遅いのかい?﹂ 悟朗が問いかける。里芋の煮物に箸を刺しつつ、虎ノ介は首肯し た。 ﹁母さんは、その⋮⋮しばらくは忙しい、みたいで﹂ 虎ノ介の表情に、すと陰が差した。 621 そのことへ悟朗は気づかなかった。 622 番外編 かつての恋人、法月伊織の場合 その10 ※NTR ﹁それじゃ、おやすみ。イオねぇ。御飯、おいしかった﹂ かお 告げて、虎ノ介は法月家の玄関先に立った。 伊織はわずかに紅い、たのしい表情をして虎ノ介に笑いかけた。 ﹁ごめんね、お父さんが﹂ こう伊織が謝ると、すかさず虎ノ介は首を横へとふった。 ﹁ううん。おもしろかった﹂ ﹁それならいいのだけど。父さんたら、虎くんがくるとホント、子 供にもどるんだから﹂ 困るわ。と、ふり返り、伊織は家の奥をにらんだ。⋮⋮悟朗は風 呂に入っていた。 ﹁ぼく、おじさんの話を聞くの好きだよ。古い話も﹂ ﹁本当かしら。そのわりにキミの歴史の成績、いまひとつだった気 がするけど?﹂ 冗談めかし、伊織は云ってみた。あわて、虎ノ介は言い訳をはじ めた。 ﹁が、学校の授業と、おじさんの話は違うよ。おもしろさが全然違 あんしょう うもの。おじさんの話にはドラマがあるけど、学校で問題になるの は事象の羅列なんだ。それだけさ。お経を暗誦するのと変わらない 623 よ﹂ ﹁歴史のロマン?﹂ ﹁そう、歴史のロマン﹂ その答えに、伊織は溜息をついた。心持ち険しい顔つきで虎ノ介 を見る。 ﹁またお父さんみたいなこと云って。いい? おもしろくなくても、 学校で習う知識はないがしろにしたらダメ。どんな分野にだって最 低限の知識と勉強は必要なんだから。いつも云ってるでしょう? 不毛の荒野に突然生えてくる木はない、って。地味でも、つまらな くても。きちんと土を耕しておくからこそ、新しいものや発見が生 まれるのよ。虎くんは将来、誰かのためになる働きをしたいんでし ょう?﹂ ﹁う、うん﹂ 気まずさを隠すように、虎ノ介がうつむく。 ﹁なら、今はちゃんと勉強しなくちゃ。父さんの大学に行くんでし ょう﹂ ﹁大学︱︱﹂ 虎ノ介の目が、急に、曇った。 ﹁無理だよ﹂ 冷めた声色が、少年の口から出た。 ﹁え?﹂ ﹁ぼく、大学には行かない﹂ 624 ﹁ええ!? ちょ、ちょっと、虎くんたら、何を云ってるの?﹂ 伊織は吃驚いた。常日頃から、悟朗への尊敬を隠さずいた虎ノ介 なのだ。伊織と同じ大学へ行きたい、無邪気に慕っていた虎ノ介な のだ。動揺が、伊織の胸の中、さざなみのごとく広がった。 ぽつり。雨がひとしずく、虎ノ介の頬に落ちた。真っ暗い空には、 分厚い雲が重く立ちこめている。 ところ ﹁ずっと前から父さんのところに行くって。そう云ってたでしょう ?﹂ ﹁だっておじさんの大学は国立だし、偏差値だって高いじゃない。 ぼくじゃ無理だよ。ぼく頭悪いし、だから︱︱﹂ ﹁そんなこと。心配しなくても勉強ならわたしが見てあげるわ。虎 くんは不器用だけれど、根っからばかな子じゃないもの。ちゃんと 勉強すれば、きっと大丈夫。⋮⋮そうね、なら今度から一緒に勉強 しましょう。わたしが虎くんの勉強を見てあげる﹂ そう爽やかに笑んで、伊織は虎ノ介の頭をなでた。 ﹁え? い、いいよ、そんなの。悪いし﹂ ﹁遠慮しなくてもいいわ。わたしにとっても勉強になるもの﹂ ﹁でも⋮⋮﹂ 虎ノ介の返答は重い。どこか気乗りしないといった風で、その様 子に伊織はますます不安を覚えた。大学へ行かない。この突然の言 葉がどこからきたのか。伊織はすがるように、媚びのある目を虎ノ 介へと向けた。 ぽつ、ぽつと。細い雨が、庭先を濡らしはじめている。 伊織は云った。 625 ほんとう ﹁あの、ね。それにその⋮⋮真実のことを云えば、わたしのためで もあるの。最近、ふたりきりの時間が少なかったでしょう。その、 あの日、ホテルへ行って以来﹂ ﹁あ、それ、は︱︱﹂ タブー それはふたりの間で、禁忌となりつつある話だ。伊織が避け、虎 ノ介がふれてこなかった話題だ。思い出すたび伊織をみじめにする あの夜の記憶だ。 沈黙がしばし、ふたりの間に落ちた。 ⋮⋮伊織の脳裡に、舞の、あの美少女の顔がよみがえった。 虎ノ介の口が開いた。 ﹁あの夜は︱︱﹂ ﹁そ、そう云えば﹂ 反射的に。伊織は虎ノ介の言葉をさえぎっていた。 つくろ ふりしぼったはずの勇気は、あっけなく失せてい、伊織はひたい に汗を浮かべ、ただ繕いの言葉を探した。 ﹁あっと、ええと⋮⋮。そ、そうだわ。虎くん、最近バイトばっか りして、勉強をおろそかにしてるでしょう!﹂ ﹁え⋮⋮?﹂ 虎ノ介の表情が変わる。意外なことを聞いたという気色で、彼は 伊織を見た。 ﹁どうして、それを?﹂ ﹁ふっふ、お姉さんに知らないことはないのです。⋮⋮まったくう、 キミはひとりじゃダメね。うん、やっぱりわたしが見ててあげない と﹂ 626 ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁勉強も、スケジュールを考えてみるわ。安心して。わたしが、ち ゃあんと、虎くんを大学に連れて行ってあげる﹂ ののし お姉さんにまかせなさい。と、伊織は自分の胸を叩いて見せた。 じぶん これでいい。胸の奥、誰かが云った。臆病者。己を罵る声には耳を ふさいだ。 伊織はできるだけ平静をよそおい、平常の、頼れる姉を演じた。 ⋮⋮少しだけ、虎ノ介が微笑った。その手はかすかにふるえ、髪に は小さな水滴がつきはじめている。雨は次第にいきおいを強くして いる。 ﹁イオねぇはすごいね﹂ 虎ノ介は云った。伊織は頷いた。 ﹁そうよ、わたしはキミのお姉さんだもの﹂ ﹁うん。ぼくの、自慢の姉さん﹂ こうもまた虎ノ介は云った。そうして、何やら上着のポケットを ゴソゴソまさぐると︱︱ ﹁?﹂ ﹁はい、これ﹂ そっと、彼は懐から小さな包みを取り出した。 ﹁これは?﹂ ﹁プレゼント。明日、誕生日でしょ。その、本当は明日渡したかっ たんだけど﹂ 627 どうしても外せない用事がある。と、虎ノ介は頭をかきつつ云っ た。恐るおそる、伊織はその包みを受け取った。渡された包みを眺 めてみる。ラッピングの無造作にほどこされた、飾り気ない紙包み だった。 ﹁これを、わたしに?﹂ ﹁安物だけど﹂ ﹁開けても?﹂ ﹁いいよ﹂ 伊織はひとつ深呼吸をして、その包みを開いた。そこに、小さな 銀色のアクセサリーがあった。鼓動が烈しく高鳴ってくるのを、伊 織は感じた。 チャーム ﹁キーホルダー? ううん、これは魔除け、かしら⋮⋮?﹂ ﹁本当はネックレスかブレスレットがいいかなって思ったんだけど、 イオねぇ、金属系のアクセサリーは肌荒れしてダメだって云ってた から。これならバッグや携帯につけれると思って﹂ ﹁もしかして、このためにアルバイトを?﹂ 虎ノ介は首をふった。 ﹁別にそういう訳じゃないよ。これは小遣い稼ぎのついで。夏の間 にできるだけ、バイトしとこうと思ったんだ。だからそんなに深刻 に考えないで﹂ 照れたようにはにかむ。 一方、伊織はあらためてその銀製のチャームを眺めた。⋮⋮それ ほど大ききなものではない。けれど銀鎖の輪に、植物の葉や鍵、ツ 628 タ、鳥の羽、薔薇、十字架を模した物など。いくつか連なって、そ のひとつひとつに細かな細工がほどこされていた。その丁寧な仕事、 チャームの数から考えると、それはどんなに安く見積もっても二万 から三万円はする物と思われた。 ﹁ばかっ﹂ 伊織は虎ノ介へ近づくとその肩をつかんだ。 虎ノ介の目におびえが浮かんだ。伊織は虎ノ介の首に腕をまわし 抱きよせると。そのまま強く、その男にしては華奢な身体を抱きし めた。かつんと、サンダルが音を立てた。少しの間を置き、伊織の 背にも、おずおずと腕がまわされてきた。 ﹁もう、ばか、なんだから﹂ ﹁あんまり、こっちにくると⋮⋮濡れるよ﹂ ﹁いいのよ、こんなの。寒くないんだから﹂ 伊織はわずかに怒ったような声で。虎ノ介もそれ以上何も云わな かった。 ふたりは抱き合ったまま、雨の中、しばらく立ちつくしていた。 ﹁おおい、伊織くん。バスタオルがないんだが、どこにしまってあ るんだったかな﹂ 家の奥から、悟朗の呼びかける声がする。 彼方より遠雷がひびいてきた。 ◇ ◇ ◇ 629 降りだした雨は、風を呼び嵐になった。 ﹁へぇ。それで伊織サン、今日は機嫌がいいんだ﹂ クレバス 云うと裕也は、ゆっくり伊織の秘裂へ指を差し入れた。 伊織は小さく肯くと、眉根をよせ、目をつぶった。 ﹁んっ⋮⋮そう、よ⋮⋮ンっ⋮⋮んっっ。だって、虎くんが、ひっ ⋮⋮んんッ︱︱くれ、たから︱︱ンウゥンンンッゥッ⋮⋮!﹂ ﹁そっか。よかったですねえ。いや、きた途端、いきなり部屋の掃 除とか料理とかしてくれちゃうから、正直、おれは何があったかと﹂ ﹁だ、だって。この部屋、いつも⋮⋮あんっ⋮⋮きたないし⋮⋮ア アッ⋮⋮あっああっ﹂ ﹁ははは。まあひとり暮らししてると、ついね。ほら、おれってサ ッカーとセックス以外はスキル壊滅してるじゃないですか。ぶっち ゃけ、この部屋に入れるのも先輩だけだし﹂ 云いながら、裕也は愛液でぬらつく膣口を指で、ぐにぐにといじ くった。濡れ光る肉に、白いぬたつきがまじってふるえた。伊織は おとがいを反らし、シーツを噛んだ。 ﹁飯も、ひとりの時はたいていコンビニ飯っすからね。なんで、久 々にいいモンが食えました﹂ ﹁んんっ︱︱ンンゥッ︱︱アッッ﹂ 裕也のアパート。 そこにふたりはからみ合っていた。ふたりとも全裸である。 あぐら 小さな布団の上で、伊織は四つん這いでいる。尻を高々と、犬の ように持ち上げている。その横に裕也が胡坐で、やさしく伊織をな 630 ぶっている。伊織の股間はさかんに濡れ、牝の匂いぷんぷんと放っ ている。裕也は指で膣口をほぐしつつ、同時にもう片方の手で、伊 織の白桃のような尻をこねまわしている。股間は荒ぶり、見事な隆 起を見せている。 部屋の中は薄暗かった。 嵐は世界から光を奪い、まだ昼を過ぎたばかりだというのに、黄 きし 昏に近い暗さをもたらしていた。雨は窓を烈しく叩き、風もまた家 屋全体を軋らせている。窓の外が白く染まるたび、鼓膜を割らんば かりの雷鳴がとどろく。 その部屋には彼らしかいなかった。 外界から隔絶された世界で、ふたりは獣のように快感をむさぼっ ている。 ﹁そっかあ。虎ノ介サン、これ買うためにバイトに明け暮れてたの か。⋮⋮ううん、やるなあ。この性格、その気になれば結構モテそ うだな、虎ノ介サン﹂ なか テーブルに置かれたチャームを眺めて、裕也は云った。指は休ま ず、伊織の膣を往復している。くちょり、くちょり、肉ヒダが水音 を立てる。 ﹁んっ⋮⋮くあっ⋮⋮ああんっ﹂ ﹁もうちょい積極的ならねぇ。きっと女が放っとかないのになあ﹂ ﹁んん、キ、キミなんかは⋮⋮んっ⋮⋮女、の子が誕生日でも⋮⋮ ンゥッ⋮⋮な、何もして、あげないん、でしょ⋮⋮。アアっッン!﹂ ﹁え? おれ? んー、そうですねー。おれも基本的にビンボーだ し。バイト代もほとんど生活費と遊ぶ金に消えちゃうからなぁ。女 なんかに使う分までは到底残らんってゆうか。むしろ出してもらっ てる方かな。年上のオネーサンなんかだと、よくメシとかおごって 631 くれますよ。後、服買ってもらったり﹂ ﹁はっ⋮⋮あんっ⋮⋮はあっ︱︱ッ﹂ ﹁基本的にこっちはエッチでお返しって感じですかね。ほら、先輩 も知ってる通り、おれのチ○ポテクって、すごいじゃないですか。 一晩エッチにつきあってあげれば、もうほとんどのコはそれで、他 にいらないって云ってくれるんで。だからホテル代とかも払ったこ とないし﹂ ﹁ひっ︱︱⋮⋮あんっ⋮⋮ああっっ⋮⋮あっ、あっ、あっ︱︱﹂ こうした裕也の声も、伊織にはろくに届いていなかった。 ひおん 伊織はただ裕也の指遣いに翻弄され、追いつめられていた。伊織 の、毛の薄い、いかにも少女らしい秘苑は、すでに裕也に征服され、 つゆ なすがままとなっている。一番分厚い、外側の肉ヒダ︱︱そこをめ くった先の、うねうねとうごめく赤みがかった肉穴。露のしたたる そこに裕也は、唇を押しあてた。⋮⋮吸いこむ。 ﹁ひっっ! ひああああんっ﹂ 632 番外編 かつての恋人、法月伊織の場合 その11 ※NTR 啼き声が、伊織の口から出た。 ずずっ、ずずずっ、と。いかにも下品な音が、伊織の秘所からも れた。 ﹁ひいっ︱︱⋮⋮! やあっっ⋮⋮ああ⋮⋮こんな、気持ちイイ︱ ︱﹂ ぶるり、腰をふるわせる伊織。 裕也は満足げに、顔を離すと、その愛液にまみれた口元をぬぐっ た。 ﹁⋮⋮ッ。うっわ、マン汁くせェ︱︱。伊織サンってけっっっこう、 あそこの匂いキツイよね。牝くさいってぇの? 男のチ○ポ刺激す るマ○コ臭してるんだよなァ﹂ ﹁なっ︱︱﹂ ﹁お、顔が紅くなった。かわいいー﹂ コンドーム からかいつつ、裕也はテーブルに置いてあった避妊具へ手を伸ば した。箱からひとつ引き出し、イチモツへとかぶせてゆく。 伊織はその様を眺めて、ひそかに息を飲んだ。 ︵ああ、挿入れられる︱︱。またあの大きいのが挿入ってくるんだ わ︱︱︶ 女のしあわせというものがあるなら。 それには間違いなく、この快楽が上位にくる、と伊織は思うよう 633 になっていた。男に抱かれ、突かれ、子宮をえぐられる。自分が女 だと、否応なく思い知らされる瞬間である。道徳も、倫理も、愛も。 全てがこの快楽に吹き飛ばされてしまうのではないか。そうした恐 怖すら伊織は覚えることがある。全身が蕩かされるたび、女に生ま れてよかった、と感じる。 虎ノ介︱︱。もし自分の相手が彼であったのなら。自分は精神の こころ 安らぎと肉の悦びとを得て、真実、満たされるだろう。そう思う。 人を想う心は、身体の生理など遥かに上回る。 こうしたことを伊織は虎ノ介との絆に見つけたかった。弱い精神 を持ったこのような自分であっても、虎ノ介に抱かれさえすれば、 それが実感できるのだ。伊織は信じたかった。 ゴム 避妊具を着け終えると、裕也は伊織の後ろに回った。両手で伊織 の尻肉と淫唇を割り開く。砲塔をそえる。 ⋮⋮ずぶり、切っ先が入口に沈んだ。 ﹁んっ︱︱﹂ 伊織は歯を食いしばった。 ︵くる︱︱。チ○ポ、大きい︱︱︶ ﹁行きますよ﹂ 裕也が告げる。伊織は頷いた。裕也の位置からは見えなかったが、 伊織は何度も首を上下させた。 ︵ああもう、いいから早く︱︱︶ ところ 一気に、しかしやさしく。裕也は子宮に届く場所まで深く、ぬと 634 ペニスを埋めた。圧迫が伊織の胎内に、新たな快感を生んだ。 ﹁う゛、う゛う゛う゛う゛∼∼っっ﹂ 殺した声はうめきとなって伊織の口からもれた。伊織は全身を小 刻みにふるわせ、男根からもたらされる官能に酔った。 ﹁入った。気持ちいい?﹂ 裕也が問うた。伊織は⋮⋮答えない。 ﹁ねぇ。答えてくださいよ﹂ ゆるく、裕也は腰を使った。ぐちゅり、水音が鳴る。 ﹁う⋮⋮ひあんっ⋮⋮やっ、だめっ﹂ ﹁ねえってば﹂ ずんっ、と。深奥に亀頭が打ちこまれた。伊織の目が、大きく、 見開かれた。 ﹁ンいいいいっ﹂ あ 野太い、獣の叫び。子宮をしたたかに打たれた伊織は、口を大き は く開いた、だらしない顔つきでよがった。犬のように舌を伸ばし、 口の端からは、よだれが大量にこぼれた。 裕也はたのしそうに。 バック ﹁後背位だと顔が見えないから、先輩がどんなアクメ顔キメてるか、 わからないんですよね。ま、この声聞く分じゃあ、相当よさそうで 635 すけど。⋮⋮ね、先輩、気持ちいい?﹂ ﹁き、きも⋮⋮気持ちイイっ⋮⋮ひっ⋮⋮アアンッ﹂ 伊織は答えた。息も絶えだえ、くるしげな表情で、布団に爪をた てた。 ﹁キ、キミじゃなければ、んっ⋮⋮も、もっと気持ちよかった⋮⋮ あんっ﹂ ﹁くっ﹂ 裕也の顔に、笑みが浮かんだ。くやしそうな、しかしどこかうれ しげな笑みだった。 ﹁⋮⋮ですよね。やっぱり先輩はそうでなくっちゃあ。だからこそ、 おれも先輩が好きなんですよ。虎ノ介サンのことを一途に想ってる 先輩だからこそ、おれのチ○ポもギンギンになる。本気で堕せない からこそ、どうして堕してやろうかって思うんだ﹂ 前後に、ピストンしながら云う。 ぱんっぱんっと、肉の打ちつけあう音が暗い室内に響く。 ﹁あっ、あっ、あっ、あっあっあっ、あああっっ!!﹂ ﹁好きだ、先輩。あなたが、虎ノ介サンを愛してるアンタが大好き だっ﹂ ﹁やっ! アンッ! アンッ! アアンッ! アアアンッッゥウン ッ!!﹂ チュウ⋮ っ ﹁うおっ、うおっ。すげぇ締めつけ。肉が、とろっとろっの肉が! うねってチ○ポにからみついてくるっ。子宮口が て先っぽに吸いついてくる。⋮⋮ははっ。と、虎ノ介サンの名前出 すたび、まるで別の生き物みたいに締めつけが変わってくるよ。ど、 636 どんだけ虎ノ介サンのこと意識してんのさ? 虎ノ介サンのこと想 像して、裏切ってるの意識して、余計興奮してるんだろ、先輩。す げぇ。エ、エロすぎですよ、先輩⋮⋮!﹂ ﹁い、いやああっ。い、云っちゃダメぇ⋮⋮! と、虎くんのこと、 はァ⋮⋮ッ! ヒアッ⋮⋮やっはああっ! い、云わないでぇ⋮⋮ ッ! ウッウンンンンッッッ!!﹂ ﹁くっ。やばい。ど、どんどん、烈しくなってくる⋮⋮! こ、こ んなの、おれがこんな、簡単に⋮⋮!?﹂ 律動は、だんだんとその動きを大きくしていった。 ペニスのカリ。その開き具合が、伊織に男の絶頂が近いことを報 せる。伊織自身もまた、己の絶頂が近いことを予感していた。 ⋮⋮突然、裕也は伊織を抱え起こすと、その身を裏返しにした。伊 織の両足をつかみ、V字に広げ。そのまま圧しかかる形で、膣洞を 掘削した。 屈曲位。 悲鳴が、上がった。 ﹁ひあああっ!? だ、ダメェ! こ、こんなのっ。深いっ! 深 すぎるのっっ。届いちゃうっ。子宮に届いちゃうっっ! んっぃ! あぎっ! あひっ! んほぉおおっ! き、キモチッ! キモチ なか イイッ。⋮⋮んふうぅぅうう! イクッ。いっちゃうっ! イっち ゃうのぉお! おま○こ、ぐりぐりされて! 膣けずられてっ! イクっっ! んふっ⋮⋮アアン! イ、イッくぅぅうううっっ!﹂ ﹁くおっ、で、出るっ! 出すよっ先輩!﹂ ﹁んひぃいいいいいっっ﹂ たまげ 魂消るような声が、部屋中に木霊した。 両の手を男の首に巻きつけ、伊織はのどを反らせた。白い、白い、 純白なオーガズム。これが伊織の意識を塗り潰していった。 637 裕也は、びくびくと、射精の快感にふるえながら、腰を押しつけ た。 ﹁せ、先輩﹂ 裕也の顔が、伊織の顔に近づく。 ﹁ゆ、うや⋮⋮?﹂ 伊織はあやふやな意識のままで、裕也の顔を眺めた。伊織の口唇。 そこに裕也の唇が重ねられた。 ﹁き、す⋮⋮? ん︱︱ッ!?﹂ 気づいた時はすでに。伊織の口内は、裕也の舌によって蹂躙され ていた。ぬめる肉が、伊織の口を犯し、唾を流しこんでいた。 ﹁ふぐっ、むうう∼∼∼っ﹂ 抵抗し、押しのけようとする伊織を力で押さえ。裕也は執拗に唾 を流しこんだ。伊織は抵抗したが、その抵抗も長くはつづかなかっ た。つながったままのペニスが、﹁こつん、こつん﹂と子宮口へ口 づけを繰り返すと、伊織は次第に力を奪われていった。見開かれた 目は快感にぼやけていった。 ︵だめっ! キスは、だめっ⋮⋮だめ、なのに⋮⋮︶ さけ くやしい。伊織は咆哮んだ。涙がこぼれた。好きでもない男のキ スで感じる自分が許せなかった。 やがて。裕也が口を離した。光る銀糸が、ふたりの口と口とを繋 638 いだ。 ﹁泣かないで。これはキスじゃないですから。愛情の確認なんかじ ゃない。プレイですよ、プレイ。単なるエッチ用唾飲みプレイ。ね っ?﹂ ﹁キミ、は⋮⋮﹂ イカ ﹁ほら、つづけますよ。おれは射精しても、そうそう萎えませんか ら。堪能してください。ガンガン絶頂せてあげます﹂ 再度、裕也は伊織へ口づけてきた。 伊織はもう抵抗しなかった。舌をむすび、からませ、唾を飲み。 そして裕也の言葉通り、ゆるやかな腰遣いに幾度も絶頂した。 しばらくし。裕也は虎ノ介のチャームを手に取ると、そのいくつ かを鎖から取り外した。 そうしてそれらの小さな金属片を、ほとんど身動きとれないでい る伊織への愛撫に使いはじめた。秘苑にチャームをねじこまれ、伊 織は絶叫した。噴き上がった潮が、布団を濡らした。脱力しきった 股間から小便が、ちょぼちょぼ、もれ流れた。 ⋮⋮雷雨はすさまじい強さで、いつまでも家屋を鳴らしつづけてい た。 ◇ ◇ ◇ 季節は過ぎる。 全ての事は移ろい変わってゆく。 639 かみもり 短かった夏も終わり、秋の気配が、紅く上杜山をおおう頃、伊織 たちの関係もまた変化を迎えた。 大友裕也。この稀代の才能。中学時代から、幾多の大会で輝き、 多くの指導者たちをうならせてきたサッカーの申し子は、しかしそ の途上にあって、重苦しい痛みと、挫折とを味わうことになった。 下腿部骨折。縫工筋、内転筋群断裂。内側半月板損傷、前十字靭 帯断裂、後十字靭帯、内側側副靭帯損傷。 これら深刻な怪我は、裕也からアスリートとしての未来を完全に 奪ってしまい。そして同時に、彼を彼たらしめていた余裕や、他人 に向けた見下し、女性への蔑視などもその意味を失わせた。 翼をもがれた鳥への憧憬など、あるはずもなく。 最初あった憐れみの声も、やがて彼の淫らがましい私生活が噂さ れるようになると、これも徐々にその数を失っていった。 堕ちたスター。 皆の記憶から、裕也の存在が忘れ去られるまで、そう長い時はか からなかった︱︱。 ◇ ◇ ◇ ﹁花、ここに飾っておくわね﹂ こう云い、伊織は窓際の花瓶へ花を生けた。 おやこ ﹁またあの人たちきていたのね。母娘でそろって﹂ この言葉に、裕也は苦笑し、手で顎をなでた。 640 ﹁もうこなくても大丈夫だ、って何度も云ってんだけど﹂ ﹁感謝してるのよ、きっと﹂ ﹁それはわかるんですけどね。でも、あのかしこまった、申し訳な さそうな態度見てると、正直こっちの胃が重たくなるっていうか。 ⋮⋮気を使うんだよなァ。あのちっこいコなんか、いっつも泣き出 しそうにしてるし﹂ やれやれ、と裕也は肩をすくめた。 真っ白なベッドに、裕也は仰向けで寝転んでいる。⋮⋮小さな病 室には、彼以外、患者の姿はない。 伊織は窓際にたたまれ置かれていたパイプ椅子を取ると、おもむ ろにベッド脇へと広げた。秋の日差しがやわらかく、スチール製の 椅子に跳ねた。 ﹁今日、先生と話したんでしょう?﹂ ﹁うん﹂ ﹁まだ退院は決まらないの?﹂ 座る伊織を横目で見ながら、裕也は頷いた。 ﹁先生はなんて?﹂ ﹁まあ今年いっぱいはかかるだろうって。怪我も一気には直せない から、リハビリして、よくなったらまた手術して。退院しても完治 まではだいぶかかりそうだなァ。来年いっぱいかけてどうかってと こ⋮⋮もう、かったるいったらさあ﹂ へらへらと、裕也は軽い調子で笑った。 伊織は普段と変わらぬ、冷たい目でそうした裕也のそぶりを眺め た。 641 ﹁そういえば、さっきまで虎ノ介サンがきてたんですよ﹂ 少しだけたのしそうに、裕也は云った。 ﹁虎くん?﹂ ﹁うん。またゲームとか、漫画とか色々持ってきてくれてさ。先輩 もやります? ﹃鬼ハンター﹄。結構おもしろいらしいっすよ。お れもちょっとやってみたけど、鬼猪が強いのなんのって。ガンアッ クス、超使えねー﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ 伊織は答えない。 裕也は、考え深い目つきをし、そっと口の端を歪めた。 ﹁⋮⋮ふ。⋮⋮まったくさ、本当あの人くるたび、こっちまで泣き たくなるんだよな。なんてゆうか⋮⋮ずるいんですよね。あの人に あんな顔されたらさあ、そりゃ勝てないっつーのよ。まったくお人 好しにもほどがある。こっちゃあテメーの彼女寝取ってるってのに。 ぶっちゃけバカなんだよね、あの人。はは、知能指数にだいぶ問題 がある⋮﹂ 裕也の声は、自嘲の響きを帯びていた。 伊織は何も云わず。凝と裕也の言葉に耳を傾けている。 ﹁謝りたい、って﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁あの人に、謝りたいって。⋮⋮考えたりもして、さ﹂ ギプスで固定された膝へ、裕也は目を落とした。 642 ﹁そう。⋮⋮なら謝るといいわ﹂ 無感情に云い棄て、伊織は席を立った。 ﹁じゃあ、また明日。同じ時間にくるから﹂ その背に引きすがるように、裕也は手を伸ばした。 643 番外編 かつての恋人、法月伊織の場合 その12 ﹁何?﹂ つかまれた腕を見、伊織は訊いた。 ﹁まだ、何かあるの? セックスする?﹂ 問いかける。なんとか、自力で上半身を起こした裕也は、うつむ きかぶりをふった。 ひま ﹁じゃあ何かしら。わたしもあまり閑じゃあないのだけれど。そろ ところ そろ中間試験も近いし、生徒会の引継ぎもしなきゃいけないのよ。 ⋮⋮正直に云って、こんな病院にくる閑があったら、その時間で虎 くんの勉強を見てあげたいの。彼ったら、何度云い聞かせてもバイ ト辞めないから⋮⋮。きっと何か欲しい物があって、そっちに夢中 になってるのだわ﹂ 伊織は、怪我で動けない裕也に、なんらの感傷も見せていなかっ おもいやり た。 同情もなく。ただ日常そのものといった空気で接している。 ﹁さ、いや⋮⋮ちょ、ちょっと⋮⋮もうちょっとだけ、そばに、い てくれませんか﹂ かすかに。裕也の声がふるえた。 伊織は冷えきった、ごみでも見るかのような目を裕也へ向けた。 644 ﹁じゃあセックスしましょう﹂ 伊織は誘った。 裕也は答えない。ただ無言で首を横に送る。 ﹁どうして? キミ、セックス好きじゃない﹂ ﹁今は、そういう気分じゃ﹂ ﹁そう。なら帰るわ。⋮⋮わたしたちは恋人じゃない。ただのセフ レだもの。一緒にいるならセックスするのが自然でしょう? それ 以外にふたりでいる理由なんてないのだわ。セックスしたいから、 あなたも毎日わたしを呼んでるのでしょう?﹂ ﹁違う、違うんだ、先輩。そうじゃない。おれはエッチしたくて呼 わら んでる訳じゃない。そうじゃなくて⋮⋮ただ、ただおれは先輩にそ ばにいてほしい︱︱﹂ げきてつ カチン、と。伊織の頭の中、怒りの撃鉄が落ちた。 伊織はやさしく、情愛のこもった顔つきをつくって嗤った。 ﹁そばにいてほしい? キミが? わたしにそんなことを望むの? やだ、裕也ったら。⋮⋮うふ、うふふふっ。冗談はやめてちょう だい。うふ、うふふふふ、あははは﹂ 伊織は笑った。次第に本当に笑いがこみ上げてきて、とまらなく なった。おかしくてたまらなかった。 ﹁いつもセックスしてたじゃない。⋮⋮ふたりで会えば、それしか い なかった。まるで猿みたいにさかり狂ってた。セックス。セックス。 セックス︱︱。おま○こにチ○ポ挿入れて。射精して、潮を噴いて。 顔をザー汁で真っ白にして、うれションもらして、キスして、唾を 飲んで。手コキもした。足コキもした。パイズリ、手マン、クンニ、 645 フェラチオ、イラマチオ、アナルセックス、コップいっぱいに溜め た精液を飲んだことだってあったわ。正常位。騎乗位。立位、座位、 なかだし 側位、屈曲位、後背位。やらない体位はなかった。やってないのは 膣内射精だけ。わたしは虎くんが熱で寝こんでた時も、知らずにキ ミのチ○ポをしゃぶってた。キミのチ○ポにおま○こくずされてよ ほんとう がってた。三人で遊園地に行けば、はぐれたふりをして、ふたりで トイレでヤリまくった。ばかみたいに。真実にばかみたいにね⋮⋮ ! ⋮⋮そして、キミはわたしにそれしか求めなかった。脅して、 すかして。何度も抱いた。どれだけわたしが嫌だと云っても、わた からだ しがどれだけ虎くんを好きだと云っても、けっして許さなかった。 わたしの感情を無視して、わたしの肉体を狂わせた。⋮⋮なのに、 そんなキミが今になってわたしに慰めてほしいの? 人らしく、ま ず気持ちから大事にしてほしいの?﹂ 吐き棄てるように笑って、伊織はひとつ息をついた。 ﹁ばかにしないでほしいわ﹂ おえつ 裕也はうなだれたまま、かぼそい、嗚咽にも似た声を発した。 ﹁すみ、ま、せ⋮⋮﹂ 伊織は激発した。 歯を軋らせ、裕也が云い終えるより先に、堅くにぎった拳を彼の 顔面に叩きつけた。その、女性にしては綺麗なフォーム︱︱体重の 乗ったパンチを受け、裕也はどうとベッドに倒れこんだ。鮮血が、 鼻から噴き出た。 ﹁ふざけるなあッ﹂ 646 伊織は吠えた。 ﹁っっ﹂ ﹁何がっ﹂ わがまま 無性に。伊織は頭にきていた。 ごうがん 許せなかった。 傲岸で、不遜で、卑劣で、我侭だった少年。常に伊織の前でいや しい笑みを浮かべていた少年。その裕也が、今、肩を落とし、他人 かん さわ に助けを求めていた。十六歳らしい本来の弱々しさで、伊織にすが ろうとしていた。 このことが、無闇と伊織の癇に障った。 ﹁あんたが︱︱﹂ ぶるぶると、拳をふるわせ、伊織は裕也をにらみつけた。 はじめて ﹁あんたが反省するなっ。謝りたいなんてっ。今さらっ。全部今さ らなのよっ。謝られても意味なんかないわよ。わたしの処女は返っ てこないわっ。虎くんを裏切った事実は消えないっ。自分が淫乱だ って、気づかされたことにも変わりないっ。わたしたちが、こんな わたしたちが彼に謝ったりできる訳ないッ!!﹂ バージン くすり 唇を、血が出るほどに噛みしめ、伊織はベッドの上、裕也の身体 にのしかかった。 ﹁せ、先輩﹂ バージン ﹁返してよっ! わたしの処女! 媚薬まで使って奪ったわたしの 処女、返しなさいっ! 虎くんを! あのコの恋人だったわたしを 返しなさいよっっ﹂ 647 二度、三度と、伊織はにぎりしめた拳を、裕也の顔面にふるった。 ﹁ぎゃっ、ぎゃっ﹂ 裕也がうめく。血が、しぶいた。裕也は両腕で顔をおおい隠した。 伊織はその腕の隙間に手を差しこみ、体重をかけて首を絞めた。 ﹁傷ついたふりなんかするなっ! この卑怯者ッ! あんたは違う っ。虎くんとは違うっ! あんたなんか傷つくことも知らない、他 人の痛みも知らない奴だわ。自分が悪かったなんて、思う訳ないっ。 そんな、そんな今さらムシのいい、殊勝な言葉を︱︱ふ、ふざけな いでよッッ﹂ ﹁がっっ﹂ 裕也の首、その血管が、膨れ上がった。 ﹁死ねっ。死ねっ。死んでよっ。死になさいよっ。どうして足だけ なのよっ。わたしの前から消えていなくなればよかったっ。あんた なんか、あんたなんかっ﹂ みつき 三月の間。心中で、積もりに積もった泥。それを伊織は吐き出し ていた。 つらかった。くるしかった。そうした日々でしかなかった。 肉の快楽など、しょせんは幻であり。日々、心に刺さってくる棘 の前にはなんの助けにもならなかった。たのしくも気持ちよくもな かった。移ろう雨や雲と同じ。一瞬の、現れては消え去る現象に過 ひごと ぎなかった。 日毎に重さを増していく、彼女が失った陽だまりに比べれば、全 てがくだらない、取るにたらないものであった。 648 それに気づくたび、純粋な少年が彼女を責める。 イオねぇ。 イオねぇ。 イオねぇ。 や 虎ノ介の笑顔が、伊織にとってもっとも恐るべき罰であり。その 身を灼く、もっとも無慈悲な拷問だった。 伊織は虎ノ介の顔を見るたび、いつも泣いた。 おもんぱか 具合の悪そうな顔でバイトに明け暮れている虎ノ介を前に、やさ しく心配することすら裏切りと思えた。貧しい少年とその母を慮り、 夕食のおかずを持っていく。こんなことさえもできなくなった。裏 切り! 裏切り! 裏切り! 裏切りだ。自分はいつでも、彼らの 全てを裏切っている! 虎ノ介の隣にいる資格はない。伊織は思った。 代用品であることさえ失敗した。そう思った。 誰のせいか。 かんせい それはこいつだ。この少年だ。いやらしい、卑怯きわまりない手 で自分を性の陥穽に落としこんだ、この悪魔のような男だ。 ︱︱いつか殺す。大友裕也を殺す。 虎ノ介のチャームを、その身にねじこまれた日から。 伊織は決めていた。 絶対に許さないと。自分と虎ノ介を引き裂いたこの男を殺してや る。何に引き変えても、自分のしでかしたことの罪、その代償に恐 れおののかせてやる、と。 ﹁がっ⋮⋮かっくっ!?﹂ 首を絞められ、裕也はもだえた。暴れ、逃れようとし。しかし腹 上に伊織が馬乗りにまたがっていて、どうにも逃げられなかった。 649 さらに間の悪いことに彼の右足は壊れ、がっちりと固定されていた。 だから。裕也は手で伊織の手首をつかみ、引きはがそうとしたの だ︱︱。 ⋮⋮伊織の腕力、体力。これは女性にしては非常に優れている。平 均より図抜けて上のところにある。しかし男の、それも同世代でト ップクラスの運動能力を持つ裕也に敵う訳もないのだった。純粋な 力比べをすれば、裕也と伊織にはまさに圧倒的といってよいほどの 差があった。 ・・・・・ ・・ けれども裕也は知らなかった。 法月伊織の本気。 じぶつ その性能、的確な判断力。どんな状況、どんなテンションにあっ ても冷徹に事物を処理しうる能力、わずか十一歳にして、母の浮気 の証拠をひとつの言い訳も許さぬレベルで集めきった意志力を。 ペキリ、と。 地面に落ちた小枝を踏み折るような、そんな乾いた音がした。 ﹁︱︱?﹂ 裕也は呆けた顔で、その異様に曲がった、己が右人差し指を見つ めた。 第二関節の先が、あらぬ方向を向いてねじ曲げられてい。そして 遅れてやってきた痛みに彼が眉をしかめた時には、もう遅かった。 伊織は、流れるような動きで裕也のこめかみに肘を打ちこみ、次 にあごへ向け拳でつくった鉄槌を落とした。裕也の目が焦点を失っ た。伊織はそのまま次の動作で裕也の左手指をつかむと、その小指、 てだて 薬指をもひと息にへし折った。 裕也は抵抗する手段を全て失った。 細い、白魚のような手が、裕也の首へ巻きついた。 650 ︵殺す︱︱︶ 伊織は、本気だった。 本気で裕也を殺すつもりになった。後先のことなど考えもしなか った。怒りが、腹底から煮えたぎりあふれた憎しみが、伊織の全身 しょくざい を支配していた。冷静に状況を分析しながら、しかし未来など投げ 棄てていた。いや、それはむしろ贖罪なのかもしれなかった。自分 の手で裕也を殺す。将来を投げ打ち、自らふたりの関係に終止符を 打つ。あるいはそうすれば虎ノ介に顔向けできるかもしれない︱︱。 実を云えば、こうした意識も彼女の心深いところには働いていた。 ⋮⋮鼓動は、狂わんばかりに騒いでいる。 伊織は、虎ノ介への愛と、良心と、憧憬をまるごと狂気に変え、 その50kg超の握力を以て、裕也の首を一気に握りこんだ。 裕也の身体から抵抗が消えた︱︱。 裕也の、赤黒く鬱血した顔に、血管が幾筋か浮いた。 目が、紅く充血する。口角からはよだれと白い泡がかすかに。び くびく、鼻孔は何度もふくらんではもどりを繰り返した。脂汗がど っとひたいから出てきた。そのうちに裕也の顔色は、赤から土気色 へと変わってきた。 ︵帰れる︶ 伊織は思った。 根拠などない。けれど少女の心にはそうした思いが去来した。 こ 帰れる。自分の手でけじめをつけて、ようやく少女は少年に許し を請える。 つ あたたかい秋の日差しに包まれて、伊織は何かに衝き動かされる 651 ように裕也の首を絞めつづけた。 ﹁⋮⋮⋮⋮な⋮ぃ﹂ ふと。伊織は何か、言葉を聞いた。 ﹁⋮⋮⋮⋮なさぃ﹂ ﹁何?﹂ うわごと しかめっつらで、伊織は目前の男を見下ろした。 裕也は小さな声で、何か、譫言のように繰り返していた。 虚ろな目は涙を流し、伊織の背後、誰か別の者を見るようでもあ った。 ﹁︱︱なさい﹂ ﹁何、何を云ってるのよっ﹂ 苛立ち、伊織は訊いた。 ﹁命乞い? 死にたくないって云う訳っ?﹂ ﹁ん、なさい﹂ ﹁え⋮⋮?﹂ ﹁ごめんなさい︱︱﹂ その言葉の意味を理解し、伊織は息を飲んだ。 ⋮⋮裕也は、謝っていた。 誰に向けてのものかはわからない。伊織か、それとも虎ノ介に向 けてか。だが、いずれにせよ意識の朦朧とした中で、裕也はひたす らに謝っていた。 652 ごめんなさい。 ごめんなさい、ゆるしてください、ごめんなさい、ごめんなさい、 ごめんなさい、ゆるしてください、ごめんなさい︱︱。 いい子になります、と。 そう、彼は、必死に謝罪を繰り返していた。 泣きながら。棄てないでくれ、と。哀願のつぶやきをつづけてい た。 ﹁あ⋮⋮あ⋮⋮﹂ 伊織はそれ以上、絞めつづけることができなかった。 何か。彼女は昔、これと似たような景色を見た気がしていた。 ﹁ゆるして︱︱おかあさん﹂ 裕也が云った。 伊織の目から、涙があふれた。 脳裡には幼かったあの日。 去りゆく母の背を眺めて涙を流した少女がいた。その傍らで、自 身も涙を浮かべて、懸命に励まそうとする少年がいた。 だいじょうぶ。だいじょうぶだよ。いつかきっと、おばさんは帰 ってくるよ。おばさんがイオねぇのこと忘れるわけない。おばさん はイオねぇが大好きなんだもん。だから、きっと帰ってくる。それ まではぼくがいる。ぼくがイオねぇのそばに。ぼくはいなくならな い。ぜったいにイオねぇのそばをはなれないから。だから、だいじ ょうぶだよ。今はいっぱい悲しくても、きっとがんばれるんだ。だ いじな、だいじな人がいなくなっても、だれかが背中を抱いててく れる︱︱。 653 伊織の頬、熱い涙が、幾筋も流れてはつたった。 ︵こいつはわたしだ︱︱︶ 伊織はふるえた。そこにいたのは虎ノ介に出会えなかった彼女。 救われなかった彼女だった。伊織は裕也の顔にかつての自分を見た。 棄てられ泣きじゃくっている子供を見た。 手がゆっくり、裕也の首から離されていった。 ﹁がはっ︱︱﹂ 裕也が咳きこんだ。ひゅーひゅー、かすれた呼吸を繰り返した。 伊織は、腕を顔に押しあて烈しく泣いた。 654 番外編 かつての恋人、法月伊織の場合 その13 ﹁うらやましかった﹂ と、息を吹き返した後で。裕也は告白した。 ﹁先輩をはじめて見た時、吃驚きました。こんな人がいるのかって 思った。⋮⋮光ってた。うちの市って、近隣中学合同で体育会をや るじゃないですか。体育系部活動のアレ。おれも出たんです。⋮⋮ 先輩はテニスの部で優勝してた。一遍でファンになりました。おれ は中学の時からサッカーでそこそこ名前が知れてて、正直うぬぼれ てたところもあったから、同世代の他人をすごいと感じたことなん て一度もなかった。けど、あの大会で先輩を見つけた時だけは正直、 手がふるえた﹂ 包帯の巻かれた指に視線を落として、裕也は少しだけ笑った。 カミガク ﹁先輩が上ノ杜学園だって聞いて、おれも行こうと思いました。ち ょうど誘いもかかってたし、サッカーも全国で準優勝してる強豪だ。 うまくいけば先輩とも知り合えるかなって﹂ 窓際に立つ伊織は、無言のまま窓の外を眺めて、ブラックのコー ヒーを口に運んだ。伊織の手首は紅く腫れを帯び、湿布が貼られて いる。 ﹁ショックでした。何がショックって。⋮⋮はは、自分でもうまく 虎くんなんか と、つきあってたから?﹂ 説明できないんですけど、そのつまり先輩が﹂ ﹁⋮⋮わたしが、 655 抑揚ない声で、伊織は云った。 五階の窓の外、視線の先には夕焼けにかすむ上杜の街があった。 いくつかのビルと、かかげられた看板と、それらを飾る照明灯が見 がん えた。たなびく赤や紫の雲が、山の遠くから包むように近づいてき ていた。雁の群れが三角を形づくって、ビルの上を飛んでいった。 こくり、裕也は肯きを返した。 どうしてあんな地味な子と? って。⋮⋮ば 伊織は裕也の横顔︱︱反射で、窓に映りこんだソレを見やった。 ﹁よく、云われる。 うま かばかしいわ。何が、他人にあの子の何がわかるの。知りもしない くせに。外見やら、ファッションやら、言葉の巧さやら。そういう 枝葉しか見ない人間に虎くんの好さがわかる訳ない。わたしが彼に どれだけ救われてきたか。彼の存在に、どれだけ心慰められてきた かなんて、他の誰にも理解できない﹂ 自分だけが彼を理解している。伊織は考えてみた。 そう自分だけだ。虎ノ介とともに過ごしてきたのは田村舞でも別 の女でもない。自分だけなのだ。 伊織は氷を噛み砕きながら、口にふくんだコーヒーを喉奥に流し こんだ。 ﹁うん﹂ また裕也は肯いた。 ﹁今ならわかりますよ。先輩と虎ノ介サンがつきあってた理由。あ の人と知り合って、最初おれはバカにしてた。何もできない、取り 得のないグズだって。だけど⋮⋮はは。一方じゃ、はっきりうらや 656 ましかった。おれと同じゴミ溜めにいても、虎ノ介サンは見る物が ひと 違った。自分が傷ついても、傷つけ返そうとする人じゃなかった。 傷つけられても、その分、他人にやさしくしたいと思う人だった。 ⋮⋮サッカー部にね、お願いしにきたんですって。おれを辞めさせ ないでくれって。どこで調べたんだかさ、最近の医療と怪我に関す ケース るデータ持って。高校にいる間に絶対に復帰できる。隣県の大学病 院の、そこで何人も似た例を見てきた立派な医者がそう云ってるん だって。まったく、お人好しっつーか、ばかつーか。どうかしてる よね。⋮⋮復帰したって、そん時ゃもうどうにもならないってのに﹂ 長期の離脱、筋肉の衰え、技術力の低下。たとえ復帰できたとし ても、その時はすでに競技者として絶望的である。 ﹁サッカーさえできてりゃ、おれがしあわせだと思ってるから、あ の人﹂ ﹁違うの?﹂ ﹁ボールは友達って? は、まさか﹂ 裕也は首をふった。 ﹁そんなおめでたくありませんよ、おれは。サッカーは武器です。 好きとかきらいじゃあない。他人を蹴散らす武器、自分の道を切り 開くための武器だ。それだけです。単にこっち、一番得意だったか こしゅう ら選んだ。その武器がたまたま砕け散ったってだけです。修理して も元の斬れ味にはほど遠い。ならその壊れた武器に固執するのはア ホのやることだ﹂ ﹁⋮⋮そうね﹂ ﹁うん。でもあの人はばかだから、それがわからない。おれや先輩 とはその辺からして違うな﹂ 657 裕也は指の折れた手で、脇にある台からジュースをとった。 ﹁いててっ⋮⋮。くっそ、これ今日、寝れるかなあ。明日の手術ま で地獄だぞ、これ⋮⋮﹂ ﹁平気でしょ、そのくらい。キミなら﹂ ﹁あー、もう、人のことだと思って容赦ねぇなあ。⋮⋮ひっでえ女﹂ ﹁キミには云われたくないわ﹂ 云い棄て、伊織は空になった紙コップをにぎり潰した。近くのゴ ミ箱へと放り棄てる。 くやしそうに、裕也は笑った。 ﹁⋮⋮まあ、だからこそ、虎ノ介サンだ﹂ ﹁うん﹂ ﹁先輩と虎ノ介サンがふたりで並んでるとね。おれはくやしくて仕 方がなかった。ああ、ホントはおれもこうなりたかったんだ︱︱な るはずだったんだ︱︱って﹂ ほうと、裕也は疲れたように吐息をもらした。 ﹁憧れてた。ふたりに﹂ ﹁そう﹂ ﹁先輩みたいなすごい人に好かれる。虎ノ介サンになりたかった﹂ だから汚した。 伊織を汚し、虎ノ介を地べたに這いつくばらせようとした。 伊織は。自らの中にある黒い想いを、裕也にも見ていた。残酷な。 時々、無性に愛する者を傷つけたくなる心。好きだからこそ、傷を 残したいという心。他人に向かった歪んだ愛情。 裕也の心はまさに、伊織にとっての鏡だった。 658 ﹁なれるわよ、今からでも。遅くないわ﹂ ぼそりと、伊織は窓の外を眺めたまま告げた。 ﹁なれ、ますかね﹂ ﹁あなた老けすぎなのよ、考え方が。だから歪むんだわ。もっと素 直に、子供らしくしてたらいいのだわ﹂ ﹁虎ノ介サンみたいに?﹂ ﹁ええ、虎くんみたいに﹂ ﹁じゃあ先輩もそうしたらいい﹂ ﹁わたしはもう大人なの﹂ 裕也はかぶりをふった。 ﹁はっ。お互い持って生まれた性格ッつーか。ヒネてるのだけはど うにもならない気がしますよ。おれも、先輩も﹂ たたず 伊織は答えない。 ただ窓際に佇み、だんだん暗くなってゆく街並みを凝と見つめて いる。 ﹁データは消します﹂ 裕也は云った。 ﹁おれが撮った先輩のハメ撮り写真と動画、ヌードとか、それ系全 部。物に残してあるのはないんで、消せば終わりです。とりあえず 携帯の方はここで消しときますけど。家のパソコンの方はまあ、退 院してからってことでいいですかね。信じてもらえなければ、消す 659 時、立ちあってください。⋮⋮おれにデータ復旧とか、そういうス キルはないですけど、もし心配だったらハードディスクごと持って ってもかまいません。⋮⋮見舞いも、今日限りこなくていいです﹂ 伊織はふり向き、腕の時計を見やった。何気ない調子で、 ﹁いいわ、消さなくて﹂ ﹁え?﹂ きょとんと。不思議そうな目をして、裕也は伊織を見つめた。 ﹁五時か。そろそろ帰らないといけない。今日は父さんが帰ってく るからスーパーでお夕飯の材料を買わなくっちゃ﹂ ﹁ちょ、ちょっと先輩?﹂ ﹁何?﹂ ﹁け、消さなくていいって。ど、どういう?﹂ 訳がわからぬといった風で、裕也は訊いた。伊織は︱︱ ﹁別に。そのままの意味よ。⋮⋮もう少しだけつきあってあげる。 あなたの右足がよくなるまで。だからあなたは、わたしを脅迫する のにデータがいるでしょう? まあ、消したかったら、好きな時に 消しておいてもいいけれど﹂ ﹁せ、先輩﹂ ﹁勘違いしないで。わたしは虎くんが一番大事。あなたはついでだ わ。⋮⋮それにエッチももうしない。⋮⋮それでいいなら、もう少 しだけ、せめて卒業するくらいまではつきあってあげてもいい。リ ハビリとかね。⋮⋮あなたの家族は、やっぱりこないんでしょう?﹂ ﹁︱︱︱︱﹂ 660 そうした伊織の言葉に。裕也はゆっくりその頭を下げた。 肩はふるえて、呼吸は浅くはずんでいた。⋮⋮嗚咽がはじまった。 ﹁今度、虎くんと一緒にくるわ﹂ 伊織の声がやさしみを帯びた。 ◇ ◇ ◇ みつき こうして、三月におよんだ伊織と裕也の不倫は終わりを告げた。 み そこからの日々は伊織にとって、以前よりは容易に、穏やかに過 ぎていった。 伊織は学業の傍ら、裕也の面倒を看、虎ノ介に勉強を教えた。忙 しかったが、それでも伊織にとっては楽なことだった。 冬になっても、虎ノ介はアルバイトをつづけている。 ⋮⋮伊織の、虎ノ介に対する罪悪感は、まだ消えていない。 ◇ ◇ ◇ 翌年になり、裕也が退院をした。 まだリハビリは必要で、さらに場合によっては手術ということも あったが、とりあえず日常生活を送れる程度には回復していた。 伊織は裕也と過ごす時間を減らした。受験や進路など、考えねば ならぬことも、彼女の身の回りには増えてきてあった。伊織の志望 は父親のいる近隣の大学だったが、父の意向も受け、念のため首都 圏にある高ランクの大学も受験することにした。 661 一月が過ぎ、二月に入っても、伊織は虎ノ介に罪の告白ができな かった。 そして、ちょうど受験についても一息ついた頃、伊織は裕也に呼 び出された。 ﹁どうしたの、その顔?﹂ 夜。 ひさしぶりに裕也のアパートを訪れた伊織は、まずその裕也の変 わり果てた面相に吃驚いた。 あと 裕也の唇はひどく切れ、目の下は赤黒く腫れ上がっていた。鼻か らは鼻血が、絨毯にはあちこち、点々と乾いた血の痕があった。 裕也は陽気な笑みを浮かべて、伊織を出迎えた。 ﹁あはははあっ。センパアイ。ひさしぶりです! ちょっとお、も う、最近全然きてくんないし、超寂しかったっすよ∼﹂ 伊織は顔をしかめ、裕也を見た。 ﹁仕方ないでしょう、忙しかったんだから。⋮⋮何、キミ、お酒飲 んでるの?﹂ ﹁ん∼? 酒? ああ、ちょっと。ちょっとだけね。うふ、うふふ﹂ 松葉杖片手に、ふらふらとあやしげな足どりで、裕也は伊織に近 づくといきなり抱きついてきた。 ﹁うーん。先輩だぁ。やーらかい、先輩、センパイ、好きだあ。大 好きだあ﹂ ﹁ちょっ、ちょっと、やめなさい。何をしているの﹂ ﹁センパイ、センパイ∼。好きだよー。愛してるんだあ﹂ 662 ﹁ちょっっと! やめ、やめてったら。やめなさいっ!﹂ 伊織が引きはがすと、簡単に、裕也は床へと落ちた。右膝から倒 れる。 ﹁あっ﹂ 663 番外編 かつての恋人、法月伊織の場合 その14 ※NTR 伊織は思わず、伏した裕也へよった。松葉杖が、がたんと音を立 てた。 ﹁だ、大丈夫?﹂ しゃがみ、伊織は裕也の様子を見た。 ﹁裕也、大丈夫?﹂ ﹁くっ⋮⋮ふっ⋮⋮っ⋮⋮くっ﹂ ﹁泣いているの?﹂ 裕也は答えなかった。ただ伊織から顔を隠すようにして、身を丸 め、小さくふるえていた。 伊織は溜息をついた。 ﹁何かあった?﹂ しゃくり上げる裕也の背中をなで、それから立ち上がって食器棚 からコップを出した。台所へ向かい、水道のカランをひねる。 ﹁またお父さん? ⋮⋮それとも、いつか云ってたセフレの女のコ かしら? 向こうの男にバレでもした? いざとなったら女の方に も手のひら返されたとか﹂ コップを水で満たし、伊織は、裕也の前へソレを置いた。 664 ﹁まあ、なんでもいいけれど。ほら、水。飲みなさい。酔いを覚ま しなさい。涙をふいて。わたしはちょっとそこのドラッグストアま で薬買いに行ってくるから﹂ こう云い。伊織は立ち上がった。 ︵こいつはなんで、わたしの前じゃよく泣くのかしら︶ 甘えられているな。と伊織は思った。 普段は強気で、格好つけの裕也だったが、どうしてか伊織の前で は年相応の子供へともどる。伊織に殴られた日から、どこか姉を慕 う弟のようになっている。 ︵ホントに甘えてほしい人は、全然甘えてくれないのにね︶ それどころか最近ますます沈みがちでいる虎ノ介だ。 身体も痩せ細って、ろくに食事もとれていないのではないか。そ んな風にも見える。 なんともやりきれない気持ちで、伊織は裕也の部屋を出ようとし た。 と、そうした時だった。 不意に電話が鳴った。響く着信は伊織の携帯電話からのもので。 見ればそこには虎ノ介の名が光っていた。 ﹁虎くん?﹂ あわて伊織は携帯をとった。身ぶりで裕也に黙っているよう指示 し、電話を耳にあてた。 665 ︵ああもう、間が悪いのね︶ こんな時間に男の部屋にいる。正直に云えることではなかった。 今でこそ肉体関係もないが、以前はさんざんに繋がりあった二人な のだ。 伊織は電話を繋いだ。 ︱︱もしもし、イオねぇ⋮⋮? 電話口から出る虎ノ介の声は、元気がなかった。 伊織は、努めて冷静に応じた。 ﹁はい。もしもし、虎くん? どうしたの?﹂ ︱︱うん。やあ。 ﹁うふふ、やあ﹂ さび 云いつつ、伊織は裕也の部屋を出た。古びたアパート。その風雨 にさらされ赤錆の浮いた門︱︱雪に埋もれるようにしてある︱︱を くぐった。 ︱︱元気? 虎ノ介が問う。 ﹁ん? うふふ、何、昨日だって話したばっかりでしょう? あ、 でも、そうね。虎くんとは朝に少し話しただけだったわね。その前 は試験やら何やらでずっと家を空けてたし。⋮⋮ん、ここのところ、 あわただしくて顔をあわせても、ちゃんと話せてなかったわね﹂ 666 ︱︱イオねぇ、忙しそうだったから。今日から休みなんだよね。 ﹁そうね。ようやく全部終わったわ。試験もだいたい良かったし、 もう後は特に心配することもないかな。⋮⋮わたしは元気よ。虎く んこそ元気だった?﹂ ︱︱ん。ぼくも、元気。 ﹁今朝、電話もしたのよ。でも虎くん電源切ってたでしょう。何? またバイトだった?﹂ ︱︱ん⋮⋮。携帯、つけられない場所にいたから。 いぶか 首をかしげ、伊織は訝しんだ。いつもと違う。そんな気がした。 ﹁何かあった?﹂ 尋ねる。虎ノ介の答えは、沈黙。 ﹁虎くん?﹂ ︱︱あのさ。 虎ノ介が云った。声が、揺れていた。 ︱︱今から、そっちに行っていい、かな⋮⋮? ﹁え?﹂ 667 伊織は狼狽した。どきりと。心臓の跳ねる音を聞いた。 ﹁い、今からって。うちに?﹂ ︱︱うん。⋮⋮ダメ、かな? もう試験も済んだんだよね。 ﹁だって、遅いわよ?﹂ 伊織は空を見上げた。真っ暗な空からは、綿のような雪がのその そ、落ちてきている。濡れ雪だった。 ﹁電話じゃダメなの? それか明日じゃ﹂ ひま これからは閑な日がつづく。伊織は云った。 ︱︱できれば今夜のうちに話しておきたくて。電話じゃ云いにくい 話なんだ。そろそろ時間もなくなってきた。 ﹁時間がないって? いったいなんのこと? 別に明日でもいいじ ゃない。ね? 明日にしましょうよ﹂ ︱︱うん⋮⋮。本当は明日でも、いいんだ。⋮⋮でも、そうやって ずっと先延ばしにしてきたから。 雪の積もった夜道を歩きながら、伊織は考えてみた。 虎ノ介の声の調子。なぜ、彼はこんなことを云い出すのか。時間 がないとは︱︱? ︵大通りはまずい︶ 668 車の音が聞こえてしまうかもしれない。こう判断して、伊織は住 宅街へと入った。 ああ、なんだって、自分はこんな時にきてしまったのだ。こうし たことも思った。 家にいればよかった。裕也の呼び出しなど無視しておけばよかっ た。 よくよく考えてみれば、虎ノ介は昨日も、何か云いたそうにして いたのだ。今夜は虎ノ介と過ごすべきだった。こんな寒い日に。今 日はいつにも増して雪が降る。足元がすべる。虎ノ介はいったいど うしたのだろう? 元気がない。もしかして、受験の済んだお祝い に一夜をともにしようとでもいうのだろうか? 抱いてくれる? 虎ノ介が? 元気がないのに? いや待て、そも自分は今日、安全 な日だったか? おちつ とりとめない思考に、少女じみた期待をぐるぐると巡らせ、伊織 は唾を飲んだ。息を沈着かせつつ、言葉を探した。 ﹁と、とにかく今夜は無理よ。⋮⋮どうしてかって? ええっと、 あの、そのね、ちょっと気分が悪いの。⋮⋮もしかしたら風邪かも しれない。い、インフルエンザ。そう、インフルエンザだわ。最近 流行っていたから。何かゾクゾクしてきたもの。⋮⋮うん、たぶん 熱もあるわ﹂ かぜ ︱︱感冒? だ、だいじょうぶかい、イオねぇ? み、看に行くよ。 声に心配の色が混じった。 うつ ﹁あ。いや、ダメ。ダメよっ、きちゃダメ。うん、だいじょうぶ。 だいじょうぶだから。感染るといけないわ。イ、インフルエンザだ から﹂ 669 ︵何がインフルよっ、ばか︱︱︶ 自分で元気だと云ったばかりではないか。己で己を罵倒しつつ、 伊織は夜道を足早に進んでいった。 なんとかごまかして乗りきろう。伊織の心は、この一念に落ちて いった。 ざくり、ざくり、雪道を歩く。 除雪のされていない道は歩きにくかった。ブーツからは冷えびえ した空気が立ちのぼってくる。道の少し先、切れかけた電柱灯が繰 り返し点滅をしている。 伊織の稚拙な言い訳も、しかし虎ノ介は信じたようであった。 伊織はけして家にこないよう念押しをしてから、電話を切った。 しばらく考え、電源もオフにした。 ◇ ◇ ◇ ドラッグストアで薬とガーゼ、そしてスーパーマーケットでわず かばかりの食材を買いこんでから。あらためて伊織は裕也のアパー トへと向かった。裕也の酔いの醒める頃を見計らい。わざとゆっく り、時間をかけてもどった。 伊織の胸には、先刻の電話があった。 虎ノ介の、どこか余裕のない様子が気にかかった。思いつめてい る。と伊織は感じた。 ︱︱悩み。 思えば、だいぶ前から虎ノ介にはそうした兆候が見えた。 大学へ行かないと云い出し、アルバイトに精を出すようになった。 670 いつも疲れはててい、勉強にも身が入らない風で、そのくせバイト は辞めようとせず、では稼いだ金はどこに遣っているのかといえば、 取り立てて無駄遣いしている気配もなかった。むしろ彼は倹約に努 めているようでさえいた。伊織の知る限り、虎ノ介が遣った中で高 額だった物は伊織へ贈ったチャームのみだった。 ︱︱おかしい。 伊織にしても不思議に思わなかった訳ではない。 まれ 彼女は何度か、久遠家を訪ねてもみた。けれど虎ノ介がいること は稀で、たいていは誰もおらず、留守であることが多かった。 ︵誰もいなかった。⋮⋮いない? 誰も︱︱?︶ ふと、奇妙な違和感が、伊織の脳裡をかすめた。 ︵おばさん︱︱。そういえば京子おばさんはどうしているのかしら ? 近頃、全然、姿を見かけないけれど︶ 虎ノ介の母。その幸の薄い、やさしげな顔を思い出し、伊織は考 えてみた。 ︵三ヶ月? いいえ、もっと? ⋮⋮夏に会った記憶が最後だった ?︶ 疑念が、黒雲のように湧き上がってくるのを感じ、伊織は口元を 手でおおった。 何か、自分の知らないことが虎ノ介の身の回りに起きつつある。 そんな気がした。 671 ︵話さないと︶ 伊織は、自分に云い聞かせた。 虎ノ介と話さなければいけない。そう思った。 不倫のこと。裕也とのこと。田村舞のこと。全て話し、そして虎 ノ介に許しを請わなければいけない。話し合わなければいけない。 受験や、忙しいことを逃げる理由としていた自分。自分が傷つきた くないからと、言い訳をしていてよい時期はもうきっと過ぎた。 全てを告白し新たにやり直す。いよいよ、その時がきたのだ。 ︵だって︱︱︶ なぜなら。虎ノ介が悩んでいる。泣いているのかもしれなかった。 ならば、力になれるのは自分しかいない。自分が助けなければいけ いっこ ない。もし彼が泣いているのなら、今度は自分が彼を抱きしめてや らねばならない。 伊織は考える。 そのためなら、自分の恐れなぞ一顧だに値しない。虎ノ介に軽蔑 されることなど、なんの痛みにもならない。処女を捧げられなかっ た負い目がある。裕也に抱かれたという無念もある。虎ノ介にきら われるかもしれない、そうした恐怖も。 けれどだからと云って放っておけるはずもなかった。姉として。 久遠虎ノ介のたったひとりの姉として、それはやっていいことでは ない︱︱。 とも ⋮⋮冬の夜道にあって、伊織の心に光が点りつつあった。 きょうだ 罪に立ち向かおうとする勇気が、ふつふつと湧き上がってきてい た。弟を想う純粋な愛が、彼女の心から怯懦をぬぐい去っていた。 伊織は決心した。 672 ◇ ◇ ◇ 裕也のアパートにもどってみると、そこは真っ暗で。伊織はまず、 とまどいながらも裕也の名を呼んだ。 ﹁ただいま。⋮⋮裕也? いないの? もしかしてもう寝たのかし ら?﹂ 入るわ。云いながら伊織は中へと上がって、電気のスイッチを探 した。 あたたかい空気が、外気に冷えきった身体をつつむ。 ﹁あれ? ない。⋮⋮えっと、ここって壁のスイッチはないのだっ たかしら﹂ 暗闇の中、手探りで進む。 奥の部屋は常夜灯の、オレンジの明かりで照らされている。ぼお ⋮と、石油ストーブの赤い火が燃えている。 と。不意に部屋の隅、闇の中から、荒い息遣いと人の気配とが伊 織へぶつかってきた。 ﹁きゃっ﹂ 伊織は悲鳴を上げた。 人影は壁に押しつける形で、伊織を奥の部屋へ押しこむと、その まま強引におおいかぶさってきた。 あっけなく、伊織の唇はその何者かに奪われた。 673 ︵ゆ、裕也︱︱︶ 伊織はすぐに気づいた。 その男が裕也であること。そして何も身に着けていないことに。 伸びた舌が、伊織の口内を蹂躙する。同時にそれは何か冷たい液 体のようなモノを伊織の喉奥へと流しこんできた。若干、仰ぎ見る ような姿勢だった伊織は、いきおいその何かを飲んだ。 ﹁むぐっ? ンン∼∼∼∼ッ!?﹂ ⋮⋮胃から、身体に沁みとおってくる液体。アルコールにも似た揮 発する高揚感。伊織の呼吸はたちまちに乱れた。身体がじんわりと 熱くなってきた。 ︵これ、これって︱︱︶ かわ 伊織には心当たりがあった。 そのしびれ。 全身が快感で変質っていく感覚。子宮がうずいてくるような感覚。 自分が自分でないものへと、無理やり塗り潰されるような感覚。 ︵最初の、あの日に使われた︶ それはまさしく裕也との初体験における感覚だった。 さんざんに伊織の口内をねぶってのち、裕也は唇を離した。 ﹁先輩⋮⋮﹂ ﹁あな、た⋮⋮また⋮⋮﹂ 674 目の前の少年を、伊織はにらみつけた。 暴れようとする腕は、裕也に押さえつけられている。 くすり ﹁ごめんなさい。先輩。でも、でもおれ﹂ ﹁まだ持っていたの? あの媚薬﹂ ﹁最後の分です﹂ ﹁最後?﹂ ﹁譲ってもらったのは全部で三回分。うち粉末状が二回。そのうち の一包が最初。今のが二包目です。そしてこれが正真正銘の最後。 塗布用のジェル薬です﹂ 云うや否や。裕也は伊織の股間、ズボンの中へと手を差しこんで きた。ショーツの中。パッケージ状のビニールを潰す。そこからあ ふれたものを伊織の秘裂全体になすりつける。 ﹁やっ、冷たい﹂ ﹁我慢してください。今日は酒も入ってないし、もうこうするしか ︱︱﹂ ﹁ふ、ふざけないでっ。あなたとはもうエッチしないって云ったで しょう?﹂ 強い語調で、伊織は拒否した。 裕也は息を荒くし、伊織の服を脱がせにかかった。 と ﹁嫌だっ。だって、だって、おれ! 先輩が好きなんです。好きだ っ。好きなんだっ。先輩に棄てられたくないっ。虎ノ介サンに盗ら れたくない。先輩までいなくなったら、おれは、もう⋮⋮!﹂ ほとんど破り棄てるように、裕也は伊織の服を剥ぎ取っていった。 ブラウスもブラジャーもショーツも、靴下までも伊織は脱がされた。 675 だいだい 橙の暗闇の中、伊織は全裸となってもだえた。 ﹁嫌っ、嫌よっ。わたしは虎くんが好きなのっ。虎くん以外の男に、 もう気持ちよくなんてされたくないっ。抱かれたくないのっ﹂ ﹁嘘だ。違いますよっ。そうじゃない。先輩は虎ノ介サンが好きな んじゃない。ただ憧れてるだけだ。あの人が綺麗だから、すがって るだけだ﹂ ﹁そんなこと﹂ ほん ﹁勘違いです。全部、全部勘違いですよっ。先輩が虎ノ介サンを好 とう きなんじゃない。虎ノ介サンが先輩を好きなだけだ。先輩自身は真 実はどうなってもかまわない。だから彼を裏切った!﹂ ﹁︱︱︱︱!﹂ ﹁虎ノ介サンじゃ先輩をしあわせにはできない。あの人は容赦ない 人だ。えげつない人だ。おれや先輩と違って。誰かをしあわせにで きるような人じゃあない。自分は泥の中にいて微笑んでいられる。 そこから天上にいる奴らをやさしく嗤ってる。そんな人なんだ。⋮ ⋮だめだよ、先輩っ。そんなのだめだ! あの人の前じゃ先輩はい つだって傷つくだけだ﹂ 云いながら、裕也は裸となった伊織の、その秘苑へ肉棒をうずめ た。 生︱︱。愛撫のまったくされていない秘奥を、裕也の裸のペニス が食い荒らした。 ﹁いった︱︱⋮⋮い﹂ ﹁おれが。おれなら先輩を助けられる。しあわせにできます。あの 人から先輩を奪って、自由にしてやるっ﹂ こう決めつけると、裕也は再度、伊織の唇を吸った。 舌をからませる情熱的なキス。強いアルコールの匂いが、伊織の 676 や 鼻をついた。裕也はテクニックなど忘れたかのように、ひたすらに 想いをぶつけてきていた。がつんっ、がつんっと、灼けた杭を伊織 の中へと打ちこむ。そのたび、伊織の子宮は女の悦びを脳に伝えた。 なか 痛みすら、快楽へと変わる。 伊織の膣、熱が生まれてきていた。官能が。幾度も身に刻まれた ただ 法悦が、次第に伊織の芯を蕩かしていった。股間からは蜜があふれ てきて、伊織の表情は妖しい、爛れた顔つきへと変わってきた。目 は蕩け、膝がだらしなく笑いはじめていた。 ︵嫌︱︱︶ 伊織は思った。 また。まただ。また自分はよがっている。快楽に溺れている。決 心をした。今度こそ虎ノ介を守ろうと決めた。全て清算すると決め たはずだった。 ︵それなのにどうして︱︱どうして、わたしは悦んでいるのよ︱︱ ?︶ 裕也は位置を変えると、伊織を後ろから抱きかかえ、ピストンし た。 立ったまま、伊織の巨乳を上下から腕で挟みこむようにした。伊 織を、裏庭に面した窓へと押しつけ、乱暴に腰を揺すった。 伊織の口から、あえぎと、よだれとがこぼれた。 ︵最低︱︱︶ 伊織は泣いた。泣きながら絶頂した。幾度も、オーガズムによる 大小の波が、彼女の理性を押し流してはさらった。 677 ︵わたしは⋮⋮わたしは、やっぱり虎くんを好きじゃないのかな⋮ ⋮?︶ 裕也の云うように、それはただ綺麗な物に憧れていただけで。自 分は最初から、虎ノ介の恋人になどなれてはいなかったのか︱︱。 涙が、とめどなく流れた。 田村舞。記憶の中の女が、伊織を嘲笑した。 ﹁あっ、あっ、あっ、あっ︱︱﹂ ﹁うううっ。先輩っ、先輩っ、先輩っっ﹂ 裕也の絶頂は早かった。 ひときわ深くペニスを突き入れると、裕也はぶるりとふるえた。 亀頭を子宮口に押しつけたまま、射精を開始した。 イキ ﹁うっ、出るっ! 射精ますっ。先輩っ!﹂ ︵え︱︱? イク? イクって︱︱︶ 伊織は。胡乱な意識で言葉の意味を考えようとした。しかしその や 時にはもはや、解放された大量の精液が、伊織の子宮へと撃ち出さ れてきていた。灼熱の白い溶岩。その塊が一気に伊織の深奥を灼い た。 ︵嘘︱︱。これってもしかして、生︱︱︶ ぞくり、悪寒とともに理解をした時。伊織もまた、人生で最大の 絶頂へと押し上げられた。 すさまじい快感。伊織は烈しくよがり、全力でアクメし、そして 暴れた。 678 裕也は、そんな伊織の反応をわかっていたかのように、力で押さ えつけ、精子を伊織の芯へ吐き出しつづけた。 デキ ﹁暴れないでっ⋮⋮大丈夫。大丈夫ですっ。もし妊娠ても、おれが っ。ちゃんと⋮⋮ちゃんとおれが︱︱! だから⋮⋮!﹂ 伊織はもがいた。 快楽に蕩けきったまま、しかし同時に嫌悪と恐怖におびえた。 嫌だっ。 嫌だっ。 知らなかった。こんなにも嫌なものだなんて気づかなかった。お おぞけ しん ぞましい! 虎ノ介以外に孕まされることが、こんなにも、こんな にも怖気走るものだなんて、自分は心から想像できていなかった︱ ︱。 伊織はよがり狂いながら、必死に腰の動きでペニスを抜こうとし おおき た。抜いてすぐにでも、精液をかき出したかった。だが裕也のソレ は長く、巨大く、たやすく膣から抜けなかった。伊織は恐怖から、 全身に鳥肌を浮かばせた。大量の白濁が、ごぽと伊織のとば口から あふれた。 ﹁∼∼∼∼∼∼ッッ﹂ 伊織は悲鳴を上げた。 ⋮⋮わずかの時が過ぎた。 射精の余韻は裕也から力を奪っている。伊織もまた、だんだんと 力を取りもどしてきている。 だらしない顔つきをさらして、伊織は何気なく窓の外を見た。 そして彼女は。 679 ようやく。 ・・ くもった窓ガラスの向こう、視界の片隅に映ったソレに気づいた。 それは少年だった。 見慣れた、見慣れた、彼女が愛し、誰よりも可愛がってきた少年 だった。 久遠虎ノ介。 さけ 伊織は、咆哮んだ。 なか 彼女の咆哮ぶと同時、虎ノ介は身をひるがえした。雪の降りしき る中、闇に姿を消していった。 ﹁うっ! せ、先輩⋮⋮!﹂ 裕也がうめいた。 どぷどぷ。裕也は尿道に残った精液を、しつこく伊織の膣内へと 撃ち出しつづけていた。 なかだし ﹁気持ちイイでしょ!? 生で膣内射精! 先輩も気持ちイイよね !? イッてくださいっ。おれの、おれの真心で﹂ ﹁! き、気持ちいい⋮⋮ッ﹂ 伊織は歯を噛んだ。 全身に力をこめた。躊躇いはもう、すでに消えていた。 ﹁︱︱訳ないでしょ、このばかッッ﹂ 力いっぱい。伊織は裕也の右膝へと踵を打ち下ろした。 680 ﹁ぎっ!?﹂ なか 悲鳴を上げ、裕也は倒れた。同時にずるり、その長いイチモツが 伊織の膣から抜け落ちた。大量の精液がごぽりと、秘唇から噴水の ようにあふれた。ペニスから白濁をまき散らし、裕也は転げまわっ た。﹁あ∼∼ッ!﹂彼は叫んだ。 伊織は、精液で足をすべらせつつも、すかさず立ち上がり、這い つくばった裕也の顔面を、おもいっきり蹴った。鼻骨のひしゃげる 感覚が、彼女の足を重たくしびれさせた。 ﹁冗談じゃないわよっ、この恩知らず! ばかっ! 死ねっ!﹂ 云い棄て、伊織は裕也の部屋を後にした。 裕也は苦悶の声を上げつつ、伊織を何度も呼びつづけた。 ◇ ◇ ◇ 裸のまま、伊織は走った。 寒さなど気にならなかった。ただひたすらに虎ノ介を探した。 外はもう、一面が全て、白に埋もれるほどで。その中で伊織は必 死に虎ノ介の名を呼んだ。雪に残る虎ノ介の足跡を追った。けれど 足跡は、世界をおおう白い綿に、無情にもかき消されていって。 やがて、彼女はひとり立ちつくした。 夜闇に。泣きじゃくる声が響いた︱︱。 681 番外編 かつての恋人、法月伊織の場合 その15 それはまだ冬の名残のある三月のはじめだった。 どんてん 連日、街をおおっていた曇天が過ぎ去り、ひさしぶりで太陽がそ の顔をのぞかせた日。 法月伊織は高校を卒業した。 式では卒業生代表として、伊織が答辞を読んだ。後輩たちには泣 かれ、教師たちにはたくさんの祝いと激励の言葉とを送られた。同 級生には種々の誘いをかけられた。 このまち 伊織は愛想笑いをつくり、全てをやり過ごした。彼女の心は、す でに上杜市になかった。 少女はこの寒い雪の降る街で、新たな大人への第一歩を踏み出し。 そうして。 彼女 と出会った。 学園を出て少し行ったところ、街と学園区をむすぶ大橋の上で。 ふたたび その姿はかつて見た時と同様、息を飲むほどに凄艶で、妖しいま での存在感があった。 切りそろえられた長い黒髪を無造作に下ろした女。整った目鼻立 め こせい ちはまるで中世の絵画のごとく。そのくせ無自覚にこの世全てを見 下したツメタイ瞳は、強く彼女の魂を感じさせて。 ⋮⋮伊織はつい、笑った。 明るく晴れた空には、はらはらと花びらのような雪が。 682 ぶきょう 伊織を見すえる彼女の手には、ちっぽけなナイフがあった。 ﹁やっときたわね﹂ らんかん そう、舞は云った。 伊織は頷いた。 舞は橋の中ほど、欄干のたもとに立ち、不興げに伊織を見ている。 伊織は橋の入り口の辺りで歩みをとめた。鮮やかな風が一陣、橋 上をなでた。舞の手が流れる髪を押さえる。ダウンジャケットの下、 茶色いマフラーがなびいた。 ﹁満足した?﹂ 舞の口元、酷薄な笑みが浮かんだ。 ﹁なんのこと?﹂ ﹁姉弟ごっこ﹂ ﹁意味がわからないわ﹂ ﹁たのしんだんでしょ、色々﹂ 低くつぶやき、舞は欄干へよりかかった。 ﹁虎くんはどこ?﹂ 伊織は尋ねた。 ﹁知っているんでしょう? あなたは﹂ ﹁それを聞いてどうする気よ﹂ ごうつ ﹁会うわ﹂ ﹁やけに業突く張りね、あんたも。さんざん遊ばせてあげたじゃな 683 い。チャンスもあった。そのチャンスを無駄にして他の男とよろし くしてたのはいったいどこの誰よ﹂ 伊織は答えない。無言で腕の時計に目をやる。 舞は欄干に背を預けた姿勢で、小さく足を揺らした。 ﹁イケメンの後輩とヤってたんですって? よかったじゃない、イ ケメンつかまえられて﹂ ﹁ねぇ、田村舞﹂ ﹁何、法月伊織﹂ ﹁さっさと本題に入りましょう? そんなことを云いにきたのじゃ ないでしょう?﹂ 舞は薄く嗤い、手の上のナイフをもてあそんだ。 づら ﹁これが本題よ。文句と、ついでにあんたのバカ面を拝みにきたの。 ⋮⋮でもちょっと意外だったかな。てっきり、もっと落ちこんでる と思ったから。案外、元気そうじゃない。⋮⋮フン、やっぱり恋人 じゃなくても股開くような女は、その辺も相当図太いのかしら﹂ めんば こう面罵する舞を、伊織はにらみつけた。こわばった舌を動かし 答えた。 ﹁別に⋮⋮あなたには関係ないでしょう。これはわたしと虎くんの 問題なのだわ﹂ きっ 舞は屹として。 ﹁関係ない? 関係ないですって?﹂ 684 声を荒げると、舞は歩道を歩きはじめた。伊織に向かい近づいて くる。ぎゅっ、ぎゅっと。新雪が踏みしめられては鳴った。 ﹁わたしの弟があんたに傷つけられた。それだけで充分よ。わたし がここにくる理由なんかね。云ったでしょう。あの子のそばにいる つもりなら、けっしてあの子を傷つけるなって。代替品らしくおと なしくして、ばかなこと考えるなって。⋮⋮でもそう、あんたには わからないわよね。偽者のあんたには。別の男と浮気して、抱かれ て、イキ狂うようなあんたにはね﹂ ﹁⋮⋮っ﹂ ﹁当ててあげましょうか? 今、あんたが落ちこんでない理由﹂ ﹁なんですって?﹂ ﹁生理がきた。大方、そんなところでしょ﹂ 伊織は言葉を失った。舞はつづけた。 ﹁図星? は、どこまでも安い女。自分のことしか考えていない。 そんなだからトラに愛想つかされるのよ。心配だった? 不安で、 不安で、仕方なかった? 自分の選んだ過ちでも、やっぱり妊娠は 避けたかった? フン、別に焦る必要なんかないわよ。だってトラ はもう、あんたに興味ない。あんたがトラと会うことなんて二度と ないんだもの﹂ こうした言葉に。しかし伊織は心を乱したりしなかった。 まぶたには過ぎし日の記憶がよみがえってきている。雪降る夜を 裸で歩いた記憶が見えている。泣きながら虎ノ介の名を呼んだ場面 おもい を思い起こしている。後悔と恐怖にふるえた感情がある。感覚の消 えた足を引きずり、胸の痛みに慟哭した︱︱そうした確かな愛も。 わら それは真実だった。伊織に勇気あたえる本心の光だった。 伊織はゆっくり、かぶりをふって微笑った。 685 ﹁今、わかった﹂ その微笑を見て、舞は怪訝そうに足をとめた。ふたりの距離は五 メートルほどまでせまっている。 ﹁わかったって? 何がよ?﹂ ﹁あなた、わたしに嫉妬していたのね﹂ ﹁なんですって﹂ 舞の表情が、はっきり険しくなる。 伊織は精一杯の強がりを以て、舞を見つめた。 ﹁不思議だったの。どうして、わざわざ東京から、こんな田舎にま できたのか。どうして、わざわざ、あんな牽制の言葉を置いていっ たのか。⋮⋮あなた、虎くんに会ってないんでしょう。いいえ、会 えなかったのね。何か理由が、虎くんに近づけない理由があったの だわ。だから代わりにわたしに会いにきた。直接、虎くんに云わず に、わたしにだけあきらめさせようとした。つまり、あなたは嫉妬 していたんだわ。わたしに。虎くんの恋人だったわたしに。︱︱彼 の子を生めるわたしに﹂ ﹁な︱︱﹂ ﹁あざとい手。どっちが安い女よ。どっちが自分のことしか考えて ないのよ。あなただって同じじゃない。結局、身勝手な女よ。⋮⋮ えらそうに、笑わせないで﹂ ﹁こ、このバカ女︱︱﹂ ﹁わたしはね。虎くんが好きなの。大好きだわ。何があったってそ れは変わらない。どれだけ身体を汚されても、この気持ちだけはつ づいてる。⋮⋮わたしは虎くんを抱く。いつかきっと、この手に彼 を取りもどすわ。だけどあなたはいつまでも姉のままよ。何をどう 686 ・・ したって、それは変わらないのだわ。あなたは一生、彼の女にはな れない⋮⋮っ﹂ ﹁ざ︱︱﹂ 舞の顔が、引きつれてふるえた。 いとこ ﹁ふざけるんじゃないわよ、この淫乱女︱︱⋮⋮。わたしがあの子 の女になれないですって。⋮⋮わ、わたしは彼の従姉なんだからっ。 結婚だって、セックスだって、しようと思えばできる︱︱﹂ ﹁そんなの、虎くんが嫌がるに決まってるわ。絶対拒否するわよ。 彼はいたってノーマルなのだわ﹂ ﹁だまれっ、だまれ淫売︱︱﹂ 舞が激昂した。走り出す。 伊織もまた、コートの前をほどき、かまえた。 ⋮⋮ふたりが交錯する。 まっすぐ。舞は、腰だめにかまえたナイフを、伊織の喉めがけ突 き上げてきた。 その刃を、伊織は身をひねりかわした。 ひと ﹁あなたは他人を舐めすぎたわっ﹂ ・・ 吐き棄て。伊織はひねりによってつくった溜めから、蹴りを放っ ばね た。右上段回し蹴り。 その鋭い、発条の効いた蹴りを、舞は腕を十字に重ね、とっさに 防御した。身をしならせ、いきおいを殺す。たたらを踏む。 うけ 伊織は踏みこみ、さらにパンチを放った。 その拳を腕で防御つつ舞は反撃した。ナイフを袈裟がけにふるっ た。 687 ﹁こ、の︱︱。あきらめろ、牝ブタッ!﹂ ﹁うるさいっ。あなたこそ引っこみなさいっ、ブラコンストーカー 女っ!﹂ 身をひるがえし、伊織はナイフをかわした。かわしざま後ろ回し 蹴りを、舞の腹へと叩きこんだ。 舞は腹に蹴りをくらいながらも、しかし自ら後ろに飛んでダメー ジを逃すと、そこから欄干を足場に、まるで牛若丸のごとくに跳躍 した。ナイフの刃に陽光がきらめく。 伊織はかまえ、拳をにぎりしめた。 ﹁泣かす︱︱﹂ 舞が吠えた。 せりふ ﹁こっちの科白︱︱﹂ さけ 伊織も咆哮んだ。 ふたり、ぶつかりあった。 ◇ ◇ ◇ 一瞬の静寂ののち。 ﹁そこまでです、ふたりとも﹂ こうした声があって。ふたりの戦いはようやくに終わりを告げた。 688 ふたりはもつれあう形で、雪上に倒れている。舞のナイフは伊織 の頬をかすめ裂き。伊織の拳は舞の鼻をとらえていた。 ふたりの腕は。不意に横から現れた女性によりしっかとにぎられ ていた。 長身でスーツ姿の女。彼女のすさまじい握力は、ふたりの動きを 完全にとめてしまっている。 ま ﹁ちぇっ。⋮⋮撒いたと思ったのに﹂ くやしげに、舞は舌打ちした。 そうした舞を、その女性は力任せに引き起こして。頭をむんずと つかんだ。⋮⋮舞の、悲鳴が上がった。 ﹁痛いっ。痛いっ。いたいたいたい、痛いわよっ、佐智。離しなさ いっ、こら、ちょっと! アイアンクローやめなさいよっ! 痛い、 痛いって!﹂ ﹁ええ。わざと痛くしてるんです。悪い子にはお仕置きしていいと、 奥様にもお屋形様にも仰せつかっていますので﹂ ﹁ぎぶっ、ぎぶーっ! ぎゃー! や、やめろー、フリッ○・フォ ン・エリ○ク∼∼∼!!﹂ わめく舞をよそに、佐智と呼ばれた女性は伊織のこともひょいと、 抱え起こした。 舞を小脇に抱えまま、ぱたぱた、伊織の身体についていた雪を払 い落とす。 ﹁申し訳ありません。うちのが迷惑をかけました。⋮⋮法月伊織様、 ですね?﹂ ﹁は、はい﹂ ﹁その傷、どうされますか。もし病院にかかられるのであれば、わ 689 たくしどもで手配もしますし、治療費もお出しさせていただきます が﹂ ﹁あ、い、いえ。そんな別に。こんなのたいした傷じゃ。それにわ たしも殴っちゃってるし﹂ 毒気を抜かれ、舞を見る伊織。舞の鼻からはひとすじ、紅い血が たれている。 ﹁そうですか。わかりました。ですが顔は女性の命。大事になさっ た方がよろしいでしょう。一応、軽く応急手当てをさせたいと思い ます。ナイフと素手の喧嘩など、あきらかにフェアではありません しね。それくらいはさせてください﹂ ﹁は、はあ⋮⋮﹂ ﹁ふん⋮⋮いいわよ、そんな女なんか気にしなくても。⋮⋮いだ、 いだ、わかった、わかったってば! ごめん、もう云わない。喧嘩 もしないから!﹂ 文句云う舞を黙らせ。その女性︱︱佐智は、伊織を近くの路肩へ と導いた。長い、やけに車長のある黒塗りのセダンから、もうひと り、佐智とそっくりの女が降りて出てきた。 ﹁どうぞ、こちらへ﹂ うやうやしい態度で、車の後部ドアを開ける。 伊織は、躊躇いながらも車内に足をかけた。 ﹁それでは。わたくしどもはこれで。⋮⋮ではな那智、後は頼んだ。 わたしたちはこれから病院に行く﹂ ﹁ああ。お嬢様たちをよろしくな﹂ ﹁ああ﹂ 690 云って、佐智は伊織を残し、去ろうという気配を見せた。舞もま た、襟首つかまれたまま、ずるずる引きずられてゆく。 伊織はふり向き、ふたりの方を見やった。思わず声をかけた。 ﹁田村舞︱︱﹂ ﹁あン?﹂ ふてくされた態度で、舞が伊織を見た。﹁何よ?﹂ 伊織はひとつだけ深呼吸してから。意を決し尋ねた。 ﹁お願い。虎くんの居場所を。お願いだから彼の居場所を教えてち ょうだい﹂ 真剣な様子で。こう伊織は舞へ頼んだ。 舞はわずかに吃驚き、まじまじと伊織を見た。見て、そして︱︱ ﹁⋮⋮あの子ね、死のうとしたわよ﹂ 感情の消えた目つきで、それだけを告げた。 ◇ ◇ ◇ 那智の運転する車の、その去ってゆくのを眺めて。舞は﹁くく﹂ と人の悪い笑みを浮かべた。 ﹁くく⋮⋮ふふ、うーふふ、ふぅーーーわははっ! やった! や ったわ、大勝利よ。見た? ねぇ見た、佐智。あいつの血の気引い 691 た顔。⋮⋮はっはーっ! ざまー見さらせっていうのよ。ばか女め。 せいぜいくるしむといいわ﹂ よっしゃーとガッツポーズする舞へ向け、佐智はあきれたように。 ﹁またあんな意地悪な嘘を。⋮⋮ぼっちゃまが聞いたら怒りますよ ?﹂ ﹁あ、トラには云っちゃだめよ。絶対内緒だからね﹂ ﹁はあ⋮⋮。彼女も可哀相に。それこそ彼女の方が死にそうなくら いの顔つきでしたよ﹂ ﹁死にそう? はっ。あの女がこれくらいで死ぬ訳ないでしょ。ン なやわなタマじゃないわよ、あれは。だいたい、あいつが悪いんじ ゃない。トラみたいな超優良物件うっちゃらかしてフツー浮気とか する? どうかしてるわよ。美少年よ? めちゃんこイイ子なのよ ?﹂ ﹁⋮⋮はあ。⋮⋮まあ、お嬢様の視力が最悪という点をのぞけば、 おおむね同意ではありますが﹂ ﹁ちょっと、それどういう意味よ?﹂ じとり、横目で佐智を見つめる舞である。 佐智は一切の気後れも見せず、 ﹁いえ、他意はまったく﹂ ﹁ふん⋮⋮。じゃあ佐智は、もしトラが誰かにひどい怪我でも負わ されたら、どうするの。許すの?﹂ ﹁さて。怪我の程度や、相手の素性など、条件にもよりますが。⋮ ⋮とりあえず現実的に取れうる手段の中でということでしたら﹂ ﹁現実的な手段だったら?﹂ ﹁殺して、どこかの山中に埋めます﹂ 692 あっさりと、佐智は云った。 舞は頬をひくつかせた。 ﹁あ、あなたの現実的って何よ﹂ ﹁お嬢様こそ。たかが喧嘩にナイフなど使ってはいけません﹂ ﹁あれはただの脅しよ。中身はゴムよ。刺すとぐにょって曲がるの よ﹂ ﹁嘘云わないでください。思いっきり顔切れてたじゃありませんか。 出してください。ナイフ、没収です﹂ かくし ナイフを取り上げる佐智。 舞は舌打ちしつつ、隠袖から取り出したティッシュを、自分の鼻 穴へと詰めた。 佐智が微笑んだ。 ﹁しかしまあ、よかったではありませんか﹂ ﹁⋮⋮何が﹂ すが 目を眇め、舞は歩き出した。佐智もまた、その後ろを付き従うよ うに歩き出す。 ・・・・・・・・・ ﹁ぼっちゃまのことです。ぼっちゃまの方からわたくしたちへ連絡 をくだされた訳ですから。これでお屋形様と京子様の間に交わされ た約束も無効になった。わたくしたち田村の者が堂々とぼっちゃま に接触できるようになった訳です﹂ ﹁ん。それは、まあね﹂ ﹁結果だけを見れば、お嬢様の︱︱いえ、わたしたちの望んだ通り かのじょ になった。理想的な。実に理想的な展開です。この点で見るなら、 法月伊織には感謝してもしたりないぐらいです。ですからその罪も 一等か二等くらい減じてあげてよいでしょう﹂ 693 わたし ﹁フン。ま、そうかしらね。⋮⋮天人たちからは約束を破れないの だし﹂ ﹁ええ。ぼっちゃまの心の傷は、おいおい、わたしたちが癒してい けばよろしい話です﹂ ﹁うん﹂ ﹁京子様としては複雑でございましょうが﹂ 佐智の言葉に、舞は顔を歪めた。 も ﹁保って半年、か︱︱﹂ ﹁できるだけのことはいたしましょう﹂ ﹁そうね﹂ こう舞はつぶやき、空を見上げた。 頭上には青い空が広がっている。光の中から、粉雪が、ひらひら 舞い落ちてくる。 ほんとう ﹁ああ、今日は真実にいい天気。素敵ね、空から花が降ってくるみ たい︱︱﹂ 舞が云った。 694 番外編 かつての恋人、法月伊織の場合 その16 車の行き交う音がある。 鉄道が線路を走る音、頭痛を誘う踏み切りの警告音がある。流行 りのアイドルの歌もあった。どこかで救急のサイレンが鳴っている。 遠くからはオートバイのかん高く啼く声が、﹁かあん⋮﹂と風に乗 って聞こえてくる。 夜の闇はとうに落ち、伊織と虎ノ介、ふたりを街底へと沈めてい る。 ふたりのいる公園は暗く、街灯の明かりすら充分でない。それで も大通りから届く街の灯のおかげで、伊織は虎ノ介の顔を見失うこ とがなかった。 伊織は語った。 全て、過去にあったことを包み隠さず話した。 虎ノ介は、それら伊織の話を黙って身じろぎもせず聞いた。 やがて全てを語り終えると、伊織はベンチに腰かけた虎ノ介の前 で、地べたに座りこんだ。手をつき、身をかがめ、地面に頭をこす りつけるようにした。 ﹁ごめん、なさい︱︱﹂ 伊織の声がかすれる。 通りから射しこむヘッドライトが、謝る彼女の姿を淡く、照らし た。 ﹁ごめんなさい。わたしは虎くんを裏切りました。ばかな女でした。 本当は虎くんは何も悪くない。わたしがばかだっただけです。わた 695 しが、勝手に不安になって、虎くんの気持ちを疑って、そして裕也 と浮気しただけ。⋮⋮虎くんが大好きだったのに、そばにいたかっ ざんげ たのに、それなのにわたしは、じ、自分勝手にそれを壊したの﹂ かいご 聞いている方までもが胸の痛くなる、そうした懺悔があった。た しかな悔悟の響きがあった。 伊織は身体を丸め、子供のようにふるえた。虎ノ介の断罪を求め、 同時に恐れていた。四年におよんだくるしみ、そのことに決着をつ けようとしていた。 ﹁ごめんなさい。許してください。わ、わたしを。こんなばかだっ たお姉ちゃんを許して﹂ ﹁う︱︱﹂ その時、突然、虎ノ介が立ち上がった。 ﹁うわーっ﹂ さけび 感情をほとばしらせるかのような、悲痛の咆哮だった。 みは 虎ノ介は天に向かって吠え、伊織は顔を上げ、その烈しさに目を 瞠った。十年を越えるつきあいの中にも、彼女は虎ノ介のこうした 衝動的な姿を見たことがなかった。いつも何かこらえていた。鬱々 あね と痛みに耐えていた。そのような少年だった。不安そうな目をして、 必死に伊織の後を追いすがってくるような子供だった。 ⋮⋮けれども今、その虎ノ介が泣いていた。 ひとしきり咆哮んだ後、虎ノ介はぐいと涙をぬぐうと、目の前の 伊織をにらんだ。 伊織は息を飲み、虎ノ介の言葉を待った。 虎ノ介は伊織の胸ぐらをつかみ、乱暴に引き起こすと。腕を大き 696 くふりかぶった。 ︵殴られる︱︱︶ 伊織は目をつぶった。仕方ない、と思った。 これは当然の罰だ。自分にあたえられるべき当然の報いだ。罰を 受けなければ、自分は虎ノ介に許される資格もない。そうも思った。 伊織は痛みを覚悟し、次なる瞬間を待った。 ぱしんっと。伊織の顔、平手が頬を鳴らした。 ﹁えっ︱︱﹂ 伊織は恐るおそる目を開いた。 それは、確かにそれなりの痛みと衝撃を持った、暴力と呼べるも のであった。がしかし、それでも伊織の考えていたものよりはずっ とやさしく、軽微であった。かつて伊織が裕也にあたえ、また稲城 和彦が彼女たちにふるった、掛け値なし本物の暴力と比べれば。虎 ノ介のそれは特に取りたてて語るようなものでなかった。 伊織は虎ノ介を見た。 虎ノ介は、吃驚いている伊織を、少しだけ不安の目で見て、 ﹁な、殴らないとでも思ったかよ?﹂ そう不器用に怒った。どこか胸を張るような態度で、彼は伊織を 叱っていた。 ﹁あ⋮⋮﹂ ぼう 茫と顔を紅くし、伊織は虎ノ介を見つめた。 その様子に、虎ノ介は伊織がショックを受けていると思ったのだ 697 ろう。幾分かばつの悪そうな、けれども意思のこもった顔つきをし て、もう一度手をふり上げた。 伊織も、今度は目をつむらなかった。 虎ノ介はふたたび伊織を打った。それは最初のよりもまた少しだ け弱い、形ばかりの平手打ちだった。伊織は受け入れた。伊織を殴 ったそののち、虎ノ介は静かに、情け深い態度で以て伊織を抱きし めた。 ﹁い、痛かった?﹂ きゅっと。伊織を抱き、虎ノ介は云った。 伊織は、双眸から熱いものが噴き上がってくるのを感じた。 彼女はもはや自分の感情がどこへ向かっていくのかも、よくわか らなくなった。彼女は虎ノ介の身体にしがみつき泣いた。声を上げ、 ひたすら、子供のように泣いた。 虎ノ介は伊織の背中をさすった。やさしい手つきで、伊織の髪の 毛をくしけずった。 ﹁ごめ、ごめ゛んなさい⋮⋮! と、虎くん、虎くん⋮⋮っ﹂ みにくく歪んだ顔を、涙と鼻水でぐしょぐしょに濡らして、伊織 は謝った。虎ノ介は沈着いた顔つきをして、小さく頷いた。 ﹁ゆ、ゆるしてください。謝るから、なんでもするから。ごめんな ひかり さい、だって虎くんっ、虎くんだけが、わたしの宝物だった。キミ だけがわたしの希望だった。寂しかった。いつも寂しかったよ。虎 くんがいない日々なんて、虎くんがいない世界は、誰もいない部屋 と同じだったの。寒くて、暗くて⋮⋮誰も、誰もいなかったんだよ﹂ ﹁うん。ごめんね。イオねぇ。ごめん。ひとりにしてごめん。気づ いてあげられなくて、ごめん﹂ 698 虎ノ介が伊織の背をなでる。伊織はぶるぶると、何度も首を横に ふった。 ﹁ううん、ううん⋮⋮。ち、違うの、わ、わたしが悪かったの。と、 虎くんのせいじゃないよ⋮⋮! わたしが、わたしがばかだったか ら。と、虎くんに隠してたから。虎くんにきらわれたくなくて、嘘 ついてたから⋮⋮! ごめんなざい。と、とだくんに、とだくんが あ、じ、自殺なんか考えたのも、ぜ、全部わたしのせい︱︱﹂ ﹁え? じ、自殺?﹂ ﹁虎くん︱︱﹂ 虎ノ介はわからぬという顔をする。 そうした虎ノ介へ、必死で伊織はとりすがった。 いきおいは強く。 ﹁え、ちょっ、おわ﹂ 足をもつらせ、虎ノ介は地面に尻餅をついた。伊織は馬乗りに、 虎ノ介へおおいかぶさるようにした。伊織の大きな胸が、虎ノ介の 顔へ押しつけられた。わあわあ、伊織は泣きながら虎ノ介の頭に顔 をこすりつけた︱︱。 ◇ ◇ ◇ ﹁少しは沈着いた?﹂ 十五分ほどののちに。虎ノ介は泣き疲れ放心している伊織を抱き、 699 おもむろにベンチへと座らせた。公園の隅に置かれた自動販売機で、 二人分の緑茶を買う。 ﹁はいこれ。緑茶はリラックスするから﹂ こう云い、虎ノ介もまたベンチへ腰かけた。 伊織は﹁あ、うん⋮﹂と若干の気まずい気分を見せつつ、差し出 された緑茶を取った。 ﹁あの、ご、ごめんなさい。なんだか変なとこ見せちゃったわね﹂ ﹁いや﹂ 虎ノ介はやんわりと、同情のある目でそれを否定した。 ﹁は、はずかしいわ。いい歳して、あんな子供みたいに泣いたりし て﹂ ﹁いいさ、たまには﹂ 答えて虎ノ介は茶をすすった。 ぐすと鼻をすすって、伊織もその缶入りの緑茶を舐めた。 しばし、沈黙が落ちた。 ややあって、意を決したように、虎ノ介が口を開いた。 ﹁あの夜さ﹂ 伊織は虎ノ介の横顔へ、視線をやった。虎ノ介はひとつひとつ、 言葉を確かめるようにつづけた。 ﹁⋮⋮あの夜。イオねぇが、その誘ってくれたろ﹂ ﹁あ、ええ﹂ 700 わずかに身がまえ、伊織は虎ノ介の言葉を聞いた。 伊織の誘った日。となれば、それは四年前、伊織と虎ノ介がふた りでホテルに行った夜の話しかなかった。 ﹁あの時さ。うれしかった。⋮⋮そのイオねぇとエッチできるって 思って。正直、頭が混乱してて、でもとてもうれしかったんだ﹂ ﹁え︱︱﹂ その答え。それは伊織が聞きたかったことであった。何より望ん でいた言葉だった。 舞が否定した虎ノ介の恋︱︱それを証明する、かけがえのない言 葉だった。 伊織は鼓動を早めた。 ﹁そ、そうだったの﹂ ﹁うん。イオねぇ。おれはね、い、イオねぇを姉さんの代わりに見 たことなんてなかったよ。そんなことは考えたこともなかった。⋮ ⋮最初は寂しかった。親父にも姉さんにも伯母さんにも、みんなに と云った。でもイオねぇは違った。おじさんとイオねぇは 棄てられたと思った。親戚は、久遠の人間は、おれのことを目で きちが 気狂い やさしくしてくれた。憶えてる? 知り会ったばかりの頃。おれが もっと小さい時だった。学校が半日で終わりの日にさ。母さんは仕 かね 事で家にいなかった。その日は母さんが特別忙しくて、食事もつく っておけなかったから。仕方なくお金銭だけ残してあった。おれは 無理に使うこともないと思った。台所の棚にカップラーメンのやき そば、あれがあるのを知ってたから。そいつを食べればいいと思っ わたしがやってあげる って、イオねぇは云ったのに、お たんだ。イオねぇは、おれにつくってくれようとした。カップラー メン。 れは聞かなかった。あの頃おれはまだ、イオねぇに心を許してなか 701 ったから。母さんとおれを憎む奴ら︱︱彼らと同じだと思っていた。 シンク びっくり ⋮⋮おれは自分でできるって無理してお湯を入れた⋮⋮そして、い ざお湯を棄てようって時、流しが大きい音を立てたのに吃驚して︱ ︱﹂ そこで虎ノ介は言葉を区切った。伊織を見た。 ﹁おれは椅子から落ちた。流しで、踏み台にしてた椅子ごと、ひっ くり返った﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ 随分とひさしぶりで、伊織はその時の光景を思い出した。 熱湯を撒き散らし飛んだヌードル。椅子から落ちる少年。伊織は 無造作にふたつを受けとめた。湯から虎ノ介をかばって抱きとめ、 顔と腕にお湯をかぶりながら、つかんだヌードルのカップを流しに 放り棄てた。虎ノ介は顔を真っ青にした。伊織は険しい顔つきで﹁ ばか。気をつけなさい﹂とだけ云い、冷水で火傷した肌を冷やした。 虎ノ介は泣いた。 当時のことを思い浮かべたのか。虎ノ介は苦い笑みをつくった。 ﹁おれはおびえたさ。椅子から落ちたことなんかじゃなくって、イ オねぇが怪我をしたことに。イオねぇに火傷させたのが怖かった。 子供心に女の子を傷つけたと思ったから。⋮⋮あれが傷痕にならな くて、おれがどれだけ安心したか、イオねぇは知らなかったでしょ﹂ 伊織は頷いた。 今になって云われるまで、伊織はそんなことのあった事実さえ忘 れていた。 虎ノ介は首の後ろをかくような仕草し、﹁はは﹂と笑った。 702 ﹁あの時、おれは神様に、天からおれを見てるっていう神様にずっ と謝って祈ってた。イオねぇには云えなかった言葉を。許してって。 なんでもするから。他人にやさしくできる人間に、母さんが教えて くれた、善の循環の輪にきっとなるから。だからイオねぇに傷を残 さないでくれって﹂ ﹁と、虎くん⋮⋮﹂ ﹁あの時から、イオねぇはおれの家族になった。舞姉さんとは違う。 でもたったひとりの、おれだけの姉さんになった。大事な人だ。イ ひと オねぇと結婚したいって云った時、ばかにせず肯いてくれた。おれ の大切な、初恋の女だったんだ﹂ ﹁あ︱︱と、虎くん︱︱﹂ 甘い吐息。それを、伊織は無意識にもらしていた。 知らなかった。虎ノ介の素直な感情。伊織への想いのきっかけ。 それらを伊織は知った。舞への劣等感と対抗意識から、およそ勝手 に決めつけていた。虎ノ介の初恋は自分でないのだと。だがそれは 間違っていた。 ︵ああ⋮⋮わたしは、わたしと虎くんは想いあっていた︶ 胸の高鳴りと、虎ノ介への恋慕は、なつかしい少女時代の自分を、 伊織の中へ引き出してきていた。やわらかい素直な心情で、伊織は 虎ノ介を慕わしく想った。 ﹁だけど電話があった﹂ 虎ノ介が云った。 くら 彼は大きく息を吐き出し。こみ上げてきた感情を押さえるように、 わずかに唇を噛んだ。その目に昏い、何かが揺れた。 703 ﹁え⋮⋮?﹂ 伊織は虎ノ介へ伸ばしかけた手を、ふれる寸前でとめた。 ﹁あの日、イオねぇがシャワー浴びてる時、電話があった。知らな い誰かからの電話だ。おれは出た。それは病院からのもので︱︱⋮ ⋮﹂ そこまでを云い出しかけ。それから虎ノ介はひどく蒼ざめた顔で うなだれた。顔を歪め、自分の胸を手でつかんで押さえつけるよう にした。 ﹁虎、くん?﹂ ﹁報せだった。母さんが﹂ ﹁京子おばさん?﹂ ﹁か、母さんが倒れたって。急に具合が悪くなって救急車で運ばれ たって﹂ ﹁︱︱︱︱﹂ ﹁ずっと。ずっと変だった。春先から、いつも顔色が悪くて⋮⋮。 ただの疲れよ って、そんな母 身体の調子が悪かったんだ。お、おれはそれを知ってた。知ってた のに、な、何もしてこなかった。 さんの言葉に安心して。母さんはずっと無理してたのに。おれはそ のことに気づいてたはずなのに︱︱﹂ 膝に肘をついて、虎ノ介はぐっと、頭を落とした。 ﹁お、おれはもう、何がなんだか⋮⋮わからなくて、あ、頭の中が 真っ白になった。何が起きてるのか、考えられなくなった。だ、だ っておれ、じ、自分のことしか見てなかった。頭がいっぱいだった んだ。セックスができるって。浮かれて。これで高校を卒業したら、 704 おじさんの大学に行って、きっとイオねぇと結婚できるぞって、そ、 そんな自分のことだけで︱︱﹂ それは伊織とはまた別︱︱。 あなた 久遠虎ノ介という少年が抱いてきた。深重な罪の告白だった。 ﹁い、いいよ﹂ 反射的に、伊織はさえぎろうとした。 云わなくていい。云う必要はない。これ以上虎ノ介が傷つくこと はない。それはあなたの罪ではない。⋮⋮四年ぶりで対する弟がい た。その小さな姿を眺め、伊織は心を傷めた。ああ、やはり彼は泣 いていた。あのうだるように暑かった夏。あの時から、わたしの弟 はずっと泣いていた! がん あなた イオ ﹁末期の癌だった。もう手のほどこしようがないくらい進んでた。 虎ノ介と伊織ちゃんの結婚を見れな って。はは、結婚。笑うよね。たったそれだけ。 母さんは残念そうに笑った。 いのが心残りだわ それだけが母さんのたのしみだったんだよ。おれを生んだせいで苦 労してきた人だ。久遠からは疎まれて、田村からは追い出された人 だ。狂人の息子を、必死に育ててきた人なんだ﹂ ﹁っ! い、いいよ。虎くん、もういい﹂ ﹁兆候はあったんだ。おれは気づけたはずだった。あの日の朝だっ 寄り道しないで 。そう云われた。でも、それでもおれはイオね て、母さんのひどい顔色の悪さが気になってた。 帰ってきなさいね ぇとホテルに行ったんだ。⋮⋮な、何が善の循環だ。おれは、ガキ の時と少しも変わってなかった。狭い視野で、誰かの役になんて、 なんにも立っちゃいなかった。おれのことを、い、一番大事に思っ てくれてた人さえ︱︱﹂ ﹁もういいからっ。それ以上云わなくていいっ﹂ 705 おこり 虎ノ介の言葉を制して。伊織は虎ノ介を抱いた。 虎ノ介は目を見開き、ぶるぶる、まるで瘧かアルコール中毒のよ うに全身をふるわせていた。伊織はその肩へ腕をまわすと、強く身 をよせた。 ﹁もういいわ﹂ ﹁イオ、ねぇ︱︱⋮⋮﹂ ﹁虎くんのせいじゃない。何も、虎くんのせいなんかじゃないわ。 わたしが気づいてあげられなかったのが悪いのだわ。わたしが虎く んを信じられなかったのが。虎くんがひとりで心細い思いをしてた 時、助けられなかったわたしが全部悪いの。ごめんね、ごめんなさ い︱︱﹂ 虎ノ介は感情を整えるようにひとつ深呼吸すると、伊織の手に、 己が手を重ねた。 ﹁⋮⋮違うよ、イオねぇのせいじゃない。おれはイオねぇも助けら れなかった。イオねぇが裕也に犯されたのは、おれのせいだ﹂ ﹁⋮⋮やめましょう。もう過ぎたことだわ。そんなことを云っても 何もはじまらない。虎くんは救われない。虎くんが自分を責めても 誰も喜ばない﹂ そう云ってゆっくり、伊織は虎ノ介の顔へ唇を近づけた。 ついばむように。まぶたや頬、そして唇に口づけをした。 ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁虎くん⋮⋮﹂ ﹁い、イオねぇ﹂ ﹁好き⋮⋮好きよ。今なら胸を張って云える。わたしは虎くんが好 706 き。誰より、この世の誰より愛しているわ。あなたを姉として女と して想っている﹂ ささやき。伊織はひたいを、虎ノ介のひたいへとあてた。 ﹁い、イオねぇ﹂ ﹁虎くんはどう? わたしのことが好き? きらい? や、やっぱ り別の男とセックスした女は許せない? 抱く気にもなれない?﹂ 707 番外編 かつての恋人、法月伊織の場合 その17 もろて おちつ 息のふれあう距離で。双手を首にまわし、問う。 虎ノ介はわずかに口ごもった。昂ぶった感情を沈着ける風に、彼 は目をつむりわずかに沈黙をつくった。 ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁虎くん⋮⋮だめ? や、やっぱり、わたしのことなんか﹂ 伊織の胸の中、不安が黒雲のように広がってきた。 虎ノ介はゆっくり思慮のある顔つきで、空を仰いだ。 ﹁⋮⋮き、だよ﹂ と、虎ノ介が云った。﹁え?﹂伊織は問い返す。虎ノ介はできる だけ冷静であろうと努める様子で、 ﹁好きだよ。イオねぇ。⋮⋮そんなの、決まってる。何したって。 誰に抱かれたって。おれがイオねぇのこときらいになれる訳ない﹂ ﹁と、虎くん︱︱﹂ ぱあっ、と伊織の顔が輝く。 ﹁じゃ、じゃあ﹂ ﹁ま、待って﹂ こう云うと、しかし虎ノ介は、伊織の両肩をつかみ離した。 708 ﹁あ⋮⋮と、虎くん?﹂ ﹁イオねぇ。よく聞いて﹂ 深く息を吸いこむ虎ノ介。伊織は不安の面持ちで凝と虎ノ介を見 つめた。 ﹁おれはイオねぇのことが好きだ。たぶん今でも好きだ。初恋の人 だ。どうしたって忘れられない。⋮⋮正直に云えば、今だって、イ オねぇに好きだって云われて、すごくうれしかった。すぐにでも、 そこのホテルに連れこんで抱きたいくらいだ﹂ ﹁あ︱︱。な、なら︱︱﹂ 紅く、伊織が頬を染める。 虎ノ介は首を横にふった。 ﹁でもダメだ。それはできないんだ﹂ ﹁え? ど、どうして︱︱﹂ 虎ノ介はベンチから立った。伊織は見上げ尋ねた。 ﹁どうして? だ、だって虎くんはわたしをまだ好きでいてくれて るんでしょう?﹂ ﹁イオねぇ。おれ、今つきあってる人がいる﹂ ﹁え︱︱﹂ おどろき それは今日、何度目かの吃驚で︱︱。伊織は動きをとめた。 ﹁好きな人がいる。イオねぇとは別の意味で大切な。おれにとって 家族じゃなく、ただ女でしかない︱︱。そういう恋人がいるんだ﹂ ﹁こい、びと?﹂ 709 肯く虎ノ介だった。⋮⋮伊織はわからなかった。 ﹁ちょっと待って⋮⋮。な、何? 何を云っているの? と、虎く ん﹂ ﹁言葉通りの意味だよ。おれには今、恋人がいるんだ。⋮⋮だから おれはイオねぇとはやり直すことができない。彼女たちを裏切れな い﹂ ﹁ま、待ってよ、待って﹂ ﹁おれはイオねぇが好きだよ。今でも。ううん、これからも。男女 の関係にはなれなくても、イオねぇが大事なことには変わらない。 おれのもうひとりの姉さんだから。それはこれからも死ぬまで変わ らないよ。おれはイオねぇの弟だ。だからイオねぇ。何か困ったこ とがあれば、いつでも遠慮なく︱︱﹂ ﹁待ってったらっ!﹂ ヒステリックな声で。伊織は虎ノ介の言葉をさえぎった。 虎ノ介は言葉をとめ、伊織を見つめた。 伊織は両手で、自分のこめかみの辺り、髪をかきむしるように押 さえた。 ﹁や、やめてよ︱︱﹂ ﹁イオねぇ﹂ ﹁と、虎くんたら⋮⋮何を云ってるのよ? じょ、冗談なの? ⋮ ⋮そう、わかった冗談ね? わたしが裕也とエッチしたから、わ、 わたしを困らせるためにそんなことを云ってるのでしょう。嘘なの よね? お、お姉ちゃんに意地悪して、そんな嘘を云ってるのだわ﹂ 虎ノ介は首を横にふった。 710 ﹁冗談なんかじゃないよ。おれには今、四人の︱︱﹂ ﹁嘘よっっ﹂ 伊織は怒鳴った。立ち上がり、強い調子で虎ノ介の胸元へすがり ついた。 ﹁嘘! 嘘、嘘っ。そんな訳ない。虎くんが他の女とそんな関係に なる訳ない! だ、だって、虎くんっ! キミは虎くんだもの! 虎くんの好さがわたし以外の、別の女にわかる訳ない!﹂ ﹁い、イオねぇ﹂ ﹁あいつ!? あいつなの!? 田村舞。そうだわ、あの人、あ、 あの女なら、たしかにやりかねない。で、でもそれなら︱︱﹂ ﹁姉さん? 違うよ、イオねぇ。だって姉さんは姉さんだ。おれの 姉だ。そうじゃなくておれは⋮⋮﹂ ﹁じゃあどういうことっ? なんで恋人なんかいるのっ? おかし いわよ。いる訳ないっ。う、嘘云わないで。他の男ならともかく、 虎くんが、なんで恋人なんて、そんな嘘、いや︱︱﹂ まるで駄々っ子のように。伊織はわめき、虎ノ介の胸に顔を押し つけた。 ﹁嫌、嫌よ⋮⋮っ。どうして、どうしてそんなこと云うのよ。やっ と会えた。やっと会えたのよ。虎くんに会えてこれから。これから って時なのに。わたしも、虎くんもようやくやり直せるんだわ。そ れなのにどうしてっ。どうして、キミにいるはずのない恋人なんか ⋮⋮?﹂ ﹁い、イオねぇ。なんで、そんな。⋮⋮お、おかしいよ。おれだっ てさ、恋人ぐらい﹂ ﹁違うのっ。違うのよっ。そういうことじゃない! キミにはわか らないっ。虎くんは違うの。あなただけは別なのよ! あなたには 711 あのおんな わからなくても、わたしや田村舞にはわかってる。キミはいつでも ひとりぼっち。誰かに愛されることなんてない。孤独で、寂しくて、 無音の世界の人間。だから虎くんを愛せるのは、キミを愛するのは ︱︱﹂ いきどお わたしだけなのに。伊織は唇を噛んだ。強く噛みすぎて唇が切れ た。鉄臭い血が、口中に流れた。 ⋮⋮虎ノ介はとまどいの表情でいた。伊織が何に憤っているのか、 彼にはさっぱりつかめない風で。 やがて伊織は憮然とした様子で、その身をふわりと離した。 ﹁セックスなら﹂ と、伊織は云った。 ﹁そう⋮⋮虎くんだってセックスくらいはしたいわよね﹂ ﹁イオねぇ?﹂ ﹁心なんてなくてもセックスはできるのよ。快楽に狂うことも。⋮ ⋮男も女も。愛情がなくてもセックスはできる。ただの生理的欲求 と電気信号による反応だもの。オナニーに愛情が必要な人間はいな い。まして男の子なら余計我慢できないわよね﹂ ﹁な、なんのことだい?﹂ ﹁⋮⋮その恋人って女﹂ ﹁え?﹂ ﹁何か⋮⋮別の目的があったりするのじゃない?﹂ かね 冷たい、冷たい。殺意すら感じさせる目で、伊織はつぶやいた。 ﹁な、何を﹂ ﹁たとえばお金銭とか。⋮⋮虎くん、最近、そういうことはなかっ 712 た? 土地とか財産を、誰かから受け継いだとか。偶然に手に入っ たとか。なんでもいいの。ない? ⋮⋮後はそう。詐欺かもしれな い。結婚詐欺とか﹂ ﹁待ってよ、イオねぇ。そんな考えおかしいよ﹂ ﹁セックスを餌に、何か絞り取ろうって魂胆かもしれないわ。虎く ん、気をつけなさい。ダメよ、その女は。変よ。何か裏があるに決 まってる︱︱﹂ まだ顔も見たことのない女へ、虎ノ介の恋人へ、伊織は今、はっ きりと敵意を抱いていた。思考を巡らせ、これからどうしていくべ きかを考えていた。 自分から弟を奪おうとする女。愛もないくせに、無垢な弟をたぶ らかそうとする女は許せない。どうやって排除するべきか。 こうした心が伊織の腹底から、むくむくと湧き上がってきていた。 ﹁や、やめろよ︱︱﹂ ぎっ、と歯を噛み。鋭く虎ノ介は咎めた。 ﹁あっ︱︱﹂ その虎ノ介の声。その怒りの色に。伊織はびくり、肩を揺らした。 おびえのある表情を向けて、虎ノ介をうかがって見た。 虎ノ介は棘のある目つきで、伊織を見すえていた ︵怒らせた︱︱︶ 伊織はうつむき、黙った。 ﹁やめてよ⋮⋮。いくらイオねぇでも⋮⋮そういうことは云わない 713 でよ。おれはイオねぇのこと、きらいになりたくないんだ﹂ ﹁ご、ごめんなさい。で、でも、虎くん﹂ ﹁とにかくっ!﹂ ﹁︱︱︱︱﹂ ﹁とにかく、さ﹂ 気分を切り替えるように、虎ノ介は笑顔をつくった。 ﹁おれは今しあわせなんだ﹂ 虎ノ介は云った。 ﹁恋人も、家族もいる。イオねぇにも会えた。ずっとわだかまって たことも、こうやって話せた。⋮⋮ねえ、イオねぇ。おれはもう十 分だよ。よかったって、イオねぇと会えてよかったって思う。本心 からそう思う。おれがこれから、どんな風にこの先、生きていくの か⋮⋮。もしかしたらイオねぇが云うみたいに、またひとりぼっち になるのかもしれない。誰からも忘れられるもしれない。でも、い いって思う。かまわないって思う。これで十分だって思える。おれ はもう、この思い出だけで生きていける。イオねぇとみんなの、こ の記憶さえあれば、ひとりでもきっと迷わず歩いていける。⋮⋮だ から。だからさ、イオねぇ﹂ ﹁い、いや︱︱﹂ 伊織は拒んだ。喉がふるえた。 虎ノ介が語ろうとしているもの。それはまぎれもない別離の言葉 で。伊織は、虎ノ介を思いとどまらせたかった。その口をふさぎた かった。強引に押し倒したかった。 けれど虎ノ介の意思のある目は、伊織にそれを許さなかった。 714 ﹁イオねぇもおれの心配はしなくていい。もう出来の悪い弟のこと なんか気にしなくていいんだ。おれのことなんか忘れて、自分のた めの人生を歩いていっていいんだ。しあわせになって。だいじょう ぶ、おれが許すから。おれはもう、イオねぇのこと、怒ってないか ら︱︱﹂ ﹁いや⋮⋮いや⋮⋮嫌よ⋮﹂ 伊織は虎ノ介の腕をつかんだ。目が潤み、視界がぼやけた。 ﹁だからイオねぇ。おれのことは﹂ ﹁嫌よ⋮⋮やだ⋮⋮嫌だ。やだやだっ。やめて、そんな、そんなこ と云わないで。わた、わたしを棄てないでよ﹂ ﹁イオねぇ⋮⋮﹂ ﹁棄てないでよ。すき⋮⋮す、すき⋮⋮好きなんだよ。大好きなん だよ⋮⋮ど、どうしようもないくらい好きなのよう。ず、ずっと忘 いみ れられなかったの。と、虎くんのお嫁さんに、と、虎くんと生きる ことだけがわたしの希望だった。わたしの存在にそれ以外の価値な んてなかった﹂ 虎ノ介はかすかに痛ましい、哀しげな目をし、伊織の頭をなでた。 伊織のつかんだ手をゆっくりほどいた。 ﹁そろそろ行かなきゃ﹂ ﹁いか、行かないで、虎くん。わたしを置いてかないで﹂ ﹁さようなら、イオねぇ。元気で﹂ そう告げ。 虎ノ介は伊織に背を向けた。歩きはじめる。その背は伊織の言葉 や行為、追いすがること、全てを拒んでい、彼は公園を離れ、だん だんと伊織の目に後ろ姿を小さくしていった。 715 伊織はよろよろ、おぼつかない足取りで虎ノ介の背を追った。ま おとうと た涙が流れた。泣きながら、歪む残像へと、彼女は必死で手を伸ば した。虎ノ介の名を呼んだ。 虎ノ介は伊織を置いて去った。 彼がふり返ることはとうとう、最後までなかった。 ◇ ◇ ◇ す そうして伊織はそこにきた。 疲れきった身体と、磨り減った感情。頬には涙の痕が残っている。 どこをどう歩いたものか。見知らぬ街の中、伊織が顔を上げた先 には教会があった。小さな教会。住宅街の片隅にあるそれに、伊織 はふらふらと入った。 どうしてそこに入ったのか。 特に考えがあった訳ではなかった。ただ伊織は休みたくなった。 神の家で。あるいは神に泣き言を云いたかったのかもしれなかった。 またあるいは、己にあたえられた運命を呪い、文句を云ってやりた いのかもしれなかった。助けてくれと。すがりたい一心からかもし れなかった。 とにかくも、伊織はその牧師館横にある礼拝堂へと足を進めた。 おもむき 夜の礼拝堂は真っ暗で人気なく、扉には鍵もかかっていなかった。 手ずれて趣のある扉を押し開ける。伊織は足をひきずり、中へ進 んでいった。祭壇の向こうにはステンドグラスに描かれた聖母が慈 愛の笑みを浮かべ、伊織を見ている。 ふと物音がした。 ぎし、と。床の軋む音だった。女のあえぎのような、こもった声 716 だった。男の鼻息のような呼吸音だった。すえた精液の匂いと、女 の淫らな発情の匂いがあった。 無人と感じたのは、伊織の間違いで、礼拝堂にはたしかに先客が いた。 そして伊織は中に数メートルほど行ったところで、その﹃事実﹄ に気づいた。⋮⋮普段の伊織であれば、そこで行われていた行為に 眉をひそめたかもしれない。すばやく退き、聖堂を出て行ったろう。 けれどもこの時、伊織はなんの感慨も持たなかった。静かに長椅子 に座り、ただその情景を眺めた。 ⋮⋮祭壇の少し手前、長椅子とオルガンの間に、複数の男女がから みあっていた。 暗闇の中、おぼろな月明かりに照らされ、女が犯されていた。 可愛いらしい女だった。 幼い顔つきの年増で、長い髪を後ろにまとめ、美しいラインのふ くよかな体つきに張りのある乳やふとももが目立つ。犯している方 ぼろ は三人いた。男たちの身なりは誰もが相当に貧しく、そして全員が 一様に不潔だった。半裸に襤褸をまとい、生まれてこの方、風呂に あぶら 入ったことがないというような。そんな垢じみた肌つやをしていた。 髪は長く、ひげはごうごうと伸びてい、全身が脂でべたついていた。 こうした男たちがぎらぎら、目を光らせ、呼吸も荒く女を貫いて いた。ひとりは下から、騎乗位で女を突き上げていた。ひとりは後 ろからおおいかぶさる形で尻穴を犯していた。もうひとりは、あえ ぐ女の口中に肉棒を押しこみ、乱暴に腰を揺すっていた。 はた 女が輪姦されている。 傍から見れば、まずこのように見えた。 伊織は、その光景を無情に見棄てていた。 云うなら誰が陵辱されようと伊織にはどうでもよかった。獣のご とき男たちが、仮に伊織へ矛先を変えてきたとしても、それもまた 彼女には関係がなかった。 717 純潔などとうに喪失している。操を保つ意味すらもすでにない。 伊織は神の目前で繰り広げられるこの肉の饗宴を、ただ麻痺した心 で呆然と眺めていた。 ⋮⋮そのうち陵辱にしてはどうもおかしいことに伊織は気づいた。 第一に、女に嫌がるそぶりがなかった。女は時折苦悶の声を上げた りするものの、よく見ればやはりたのしんでいた。甘い快感の叫び を上げていた。男たちは、乱暴に女を犯しているものの、殴ったり、 はんちゅう 罵倒したりといったことはしていなかった。尻を軽く叩き、髪を少 し引っ張ったりという程度で、それはやはり通常のプレイの範疇に 収まる程度だった。 女はあえぎ、悦び、そして絶頂していた。そうした女を男たちも うれしそうになぶっていた。 やがて男たちが野太いうめきを上げ、射精をはじめた。女の膣、 腸、口に存分に出した後、それでもおさまりきらない分の精液を、 女の全身にかけていった。汚いイチモツをしごき上げ、髪や顔、胸、 股間などへ、バシャバシャと黄色味がかった精液をぶちまけていっ た。 女は精液におぼれてむせながら、男たちの精を全身に受けとめた。 そのうち射精が終わると、男たちは満足げに息を吐き、女に向け て云った。 さわ ﹁ふうう。今日もえがったわあ。⋮⋮あんがどな、佐和さん。これ で今月も、またいつ死んでもええって気分よ﹂ ﹁んだんだ﹂ うれしそうにもっぱら感謝を述べる男らへ、女は自身も満足そう な微笑を浮かべ。 ﹁あらあら。わたしも、そう云ってくださるとうれしいです。⋮⋮ 皆さんのもとぉってもスゴくて、わたしも、何度も頭が真っ白にな 718 って、すごく気持ちよかったですよお∼﹂ と、なんとも軽い調子で答えた。 ﹁おお。そう云ってくれっとよ、おれらも頑張った甲斐があらあな。 来月まで、なんとか生き延びてやるんじゃという気分になるわい﹂ ﹁そんなあ。来月なんて云わず、ずうっとお元気でらしてくださぁ い﹂ 行為を終えた女と男たちは、こうした調子で二言、三言、話をし た後で、 ﹁んじゃ、佐和さん。おれらはこれで行くから。悪いけんど、また 後始末頼むわ﹂ ﹁はいはぁい。わかりましたァ﹂ ﹁じゃあの﹂ 男たちは服を着、礼拝堂を去ろうとした。 と、その途中。長椅子に座っている伊織に気づき、彼らは悲鳴を 上げた。 ﹁おわああっ﹂ ﹁ひっ。だ、誰じゃ、おまえ﹂ 伊織は答えず。茫と男たちを眺めて見た。その明らかに浮浪者と いった風体の連中は、伊織の冷たい視線を受けると、途端におびえ た気色となった。 ﹁あんた、こ、この教会の人かね﹂ ﹁や、す、すまんね。こ、こんなところで、こんなコトしちまって。 719 けんども悪気はないんさな。ただおれらじゃ、ヤル場所見つけるに も難儀するんでよ︱︱﹂ ﹁い、今、帰るっからさあ。か、勘弁してくれよ﹂ と、めいめい、口々に言い訳のようなことをしゃべりだした。 その間も伊織は何も云わず、微動だにせず座っていた。 そんな伊織が、男たちには何やら薄気味悪く感じたらしい。言い 訳もそこそこに、半ば逃げるようにして立ち去った。 伊織は視線を女へと向けた。 全身、白濁まみれの女は立ち上がると、異臭を漂わせながら伊織 の方へ近づいてきた。伊織を見て、うれしそうに口を開いた。 ﹁あら∼? 舞ちゃん∼? あ∼、やっぱり舞ちゃんだぁ。うふふ、 どうしたのお、舞ちゃん。こんな遅い時間に。一瞬、誰かと思っち ゃったあ⋮⋮。誰か知らない人に見られたのかな∼って。どうした の? また虎ノ介くんが授業サボって逃げたの∼? ⋮⋮ってー、 あれれぇ? あなた舞、ちゃん⋮⋮?﹂ 怪訝そうに、女は伊織を見つめてきた。 ﹁とらの、すけ︱︱⋮⋮まい⋮⋮?﹂ ゆっくり、伊織はうつむき加減だった顔を上げた。 聞きなれた言葉が一瞬だけ、絶望に沈んだ心へ波紋を起こしてい た。ひとすじ、涙が頬をつたった。 720 伯母と姉、田村母娘の場合 前編 おとうと わたしは虎ノ介を愛している。 誰よりも愛している。 この世界の何より執着している。 ⋮⋮そう、これは執着だ。 愛しているなどと、口清いことを云っても、根底には淫らで醜い 感情が渦巻いている。 独占したい。 離したくない。 他人に渡したくない。 ︱︱あきらめられない。 そんなドロドロとした想いだ。 だからわたしは自らの罪深さをよく知っている。 そしてそうした血族への愛に、わたしたち田村の女がどれだけく るしんできたかも。 わたし それでもわたしは、自身を容認する。 わたしが弟を愛しているのは、くつがえすことのできない事実だ し、それがただの家族愛でないことももはやごまかしようがない。 いや、正直に云おう。わたしは弟への恋情を隠そうと思ったこと さえない。 子供の頃から、わたしはいかに弟の気を惹こうか、そのことにい つも一生懸命だったし。弟に喜んでもらえるように、女としての自 分をみがく努力をした。小さかった弟にそれが通じていたかどうか、 今考えれば大いに疑問の残ることだけれど。とにかくわたしにとっ 721 ては、弟の歓心を得ることだけが日々、切実な問題だったのだ。 おやこ だから祖父の命により弟が引き離されると知った時、わたしは絶 だくだく 望した。自分たちの都合で、わたしたち母娘から弟を離そうとする 祖父に怒りを覚えた。それに諾々と従う母も許せなかった。 わたしは抵抗した。 抵抗し、言葉の限りをつくし、そしていかなる手段を用いようと 別れをまぬかれないと理解して。 わたしは家族、および他人に対する感情を完全に失くした。期待 することも、理解されることも、親らしい愛情を求めることも、一 メンタリティ 切興味を持たなくなった。冷たく観察し、事実を事実として切り棄 てる。そんな吐き気をもよおすような精神性が、自分の中に確立さ れた。少女らしい弱さなど消え。そしてそれと相反するように弟へ の想いは強く、度を深めていった。離れれば忘れることができるか もしれない︱︱そんな淡い希望を抱いたこともあったけれど。そん なのはまったくの見当違いだった。 いびつ ただじくじくと、喪失感だけが血を流し、痛みを訴える。 わたしの心は弟を失い。ますます歪に、軋みをたてて変容してい った。 もの ⋮⋮わたしは決意した。 いつか失った虎ノ介を取りもどす。そのために今は努力しようと。 いつか弟を迎えに行った時、弟が自分を女として見てくれるよう。 いつか姉弟という禁忌を力で打ち破れるよう自らを高めるのだと。 ほんとう 少年と別れたあの日、無力だった少女は子供であることをやめ。 そして真実の意味で田村の女になった。 わたしは憶えている。 722 キミを、あきらめない︱︱と。 手を引かれ去りゆく泣き顔の少年を見つめて、そう誓った当時の 気持ちを。 今も。わたしは憶えているのだ。 ◇ ◇ ◇ 八月、初旬︱︱。 ﹁いーやーだーあっ!!﹂ トラ と、わたしが手を引くのに逆らって、虎ノ介は声を上げた。 ﹁嫌だっ、嫌だっ、嫌だあっ﹂ ぶんぶんと頭や手をふり必死に拒否の姿勢を示す。 ﹁お、おれはもう! 二度と! 姉さんの運転する車には乗らない と決めたんだっ﹂ トラ などと、訳のわからぬことを云う。わたしは目をいからせ。ます ます腕に力をこめ虎ノ介を引いた。 わたし ﹁な∼に∼を∼っ。意味不明な言い訳してんのよ、アンタは。姉の 云うことが聞けない訳?﹂ 723 くるま トラ こっちきなさい、と愛車に押しこむべく、虎ノ介の肩へ手をまわ す。 ここ 彼の身体からは汗がじっとりと吹き出てい、それがわたしの腕に 心地よくふれた。 ⋮⋮毎年のことながら、関東の夏の蒸し暑さには閉口する。陽もだ いぶ傾いてきてはいたが、外気はまだ優に三十度を超えていた。 ﹁嫌だあっ。こればっかりは嫌なんだあっ。あ、あんな、雪道で1 00km出すようなキチ××の運転、おれはもう死んでも乗りたく ないんだああ∼∼∼っ﹂ ﹁誰が××ガイよっ! 云っとくけど、わたしはこれまで事故った ボール ことなんか一度もないんだからねっ。視界に入る全ての物体軌道は 計算できるし、反射神経や動体視力だって、150kmの球を余裕 で場外ホーマーできるくらいにはあるんだからっ﹂ ﹁それはそれで異常だぁあ∼∼っ﹂ ﹁なんですってえっ﹂ トラ ⋮⋮などと、ムキになるわたしと虎ノ介のやりとりはしかし。やは りというか、なんというか。 ﹁こらっ、舞。虎ちゃんに無理強いするんじゃありません。⋮⋮ね、 虎ちゃん、それならわたしたちと一緒にあっちのワゴンに乗りまし ょう。あっちは広いし、それに佐智の運転は安全よ﹂ じゃまもの こう横からしゃしゃり出た母親によってさえぎられた。 ﹁お、伯母さぁん﹂ トラ その助け舟に、虎ノ介はぱあと目を輝かせて、にっこり笑った。 ⋮⋮か、可愛い。 724 ﹁という訳で舞。虎ちゃんはこっちに乗るから。あなたは一人で寂 しくしてなさい﹂ ﹁む、むう﹂ トラ わたしは唇を噛んだ。 トラ 虎ノ介は母さんの豊満な胸に抱きしめられ、とてもうれしそうに している。母さんは﹁よしよし﹂とそんな虎ノ介の頭をなでている。 ババア そうしつつ、わたしを横目で見て、﹁ふふん﹂と勝ち誇った笑みを 浮かべている。ちっ、年増女め。年増、淫乱、変態、人でなしとド ラ乗りまくりのくせに。 トラ そうしたわたしの心中を嘲笑うかのように、母さんはいつもの優 くるま 雅な仕草で虎ノ介を連れると、傍らのワンボックスカーへと乗り組 んでいった。 ﹁仕方ないわね﹂ トラ わたしは虎ノ介を自分の愛車に乗せることをあきらめ、 ﹁佐智﹂ くるま と、先程から荷物を車輛へ運び入れている佐智に向けて声をかけ た。 ﹁なんでしょうか、お嬢様﹂ 手をとめ、佐智がわたしの方へ向き直る。わたしは小声で、 ﹁あなたの方にトラと母さんが乗るわ。もし母さんがトラに何か変 なことしようとしたら、すぐにわたしに教えなさい﹂ 725 佐智へ、こう命じた。 ﹁承知しました﹂ 頷く佐智。わたしはその答えに満足し、佐智が荷物を運ぶのを手 伝ってやった。 ﹁ま、そっちには朱美さんも乗るから、いくら母さんでもそうそう 下手な真似はできないでしょうけど。⋮⋮それでもあの女は油断で きないからね﹂ たち 性質の悪さで云えば、アレよりひどい人間は見たことがない。 そう愚痴りつつ、わたしは、玄関前に置いてある旅行鞄をワンボ ックスカーの荷置きスペースへと運んだ。 ﹁お嬢様、そんなことはわたしが︱︱﹂ ﹁いいのよ。トラが母さんに捕まっちゃったから他に手伝い期待で きないでしょ﹂ ﹁しかし﹂ ﹁ああ、うるさいわね。ごちゃごちゃ云わないの﹂ そんなやり取りをしつつ荷物を運んでいると、子供を抱いた朱美 さんと準くん、それに玲子さんと僚子さんの四人がアパートの中か ら姿を現した。 彼女たちそれぞれと挨拶を交わす。 ﹁いよいよね﹂ そう云った朱美さんの声には実にたのしげな色が含まれていて。 726 ﹁まったく、わたしたちも仕事さえなければ﹂ と、こぼす僚子さんの声は大変残念そうなものだった。 片帯荘住人による長期旅行︱︱。 この、およそひと月もの間を東北の避暑地で過ごすという、大が かりな計画は。わたしの考えていた以上に片帯荘の住人たちへ、衝 もよお 撃と喜びを以て迎えられた。 普段こうした催しにあまり興味を示さない準くんや、仕事でスケ ジュールが埋まっているはずの僚子さん、玲子さんまでが、どうし た訳か今回の旅行には参加すると云い出したのである。そのため母 が提案した時点では単なる田村家の里帰りでしかなかった企画が、 トラ いつの間にやら近年でも稀に見る大イベントとなった。これはわた しにとっても予想外で、田舎に行けば虎ノ介と二人きりの時間を増 やせると思っていただけに、正直手痛くもあった。 もっとも全員が参加するという話にはやはりならなかった。まず 長期間、店を空ける訳にはいかないというので宮野さんは無理であ ったし、高校教師である佐和さんも補講や夏季講習があるので同じ く無理とのことだった。テリーは相変わらず海外をひとり旅行中で あったし、強く参加を希望した僚子さんと玲子さんも、さすがに一 夏を丸々なんとかするというのは無理だったらしく、結局、後半か ら途中参加する予定となった。 ﹁虎ノ介くん、また二週間後にね﹂ トラ 云って、玲子さんが虎ノ介に手をふる。僚子さんもまた、旅の上 トラ での健康に関する注意などをいくつか彼にあたえていた。 ⋮⋮最近、住人たちと虎ノ介がだいぶ親密になりつつあるよう見え る。 727 それがわたしにはどうにもおもしろくなかった。 トラ わたしに云わせれば犯罪的に可愛い虎ノ介だ。だから彼が女性に 好かれるのはむしろ当然という認識も少しはある。とはいえ虎ノ介 の性格上、自分から女性へアプローチするというのは、かなり考え トラ にくい。だからこそ安心していたところもあったのだ。 ︵けど、どうも最近、変なのよね⋮⋮︶ おんな これも全て、あの母親のせいだろう。あの年増が虎ノ介に余計な 仕事を頼んだりして、住人と接触する機会を増やしたからだ。さら には住人たちに何か妖しげなことを吹きこんでいる気配すらある。 ︵これは、そろそろ猶予がなくなってきたかしら、ね︶ とき いよいよ計画を実行に移す時期がきたのかもしれない。 年上女たちと和やかに談笑する弟を眺めながら、わたしは思った。 そう。 計画である。 わたしが虎ノ介をモノにする。つまりはその時がやってきたのだ。 トラ ︵今回の旅行で虎ノ介の童貞を奪う︱︱!︶ 姉弟の壁を越える。こう、ひそかに決心をし、わたしは拳をにぎ りしめた。 虎ノ介と肌を合わせる︱︱そのことを想像してみるだけで、脈拍 は早まり、手には汗が浮かぶ。呼吸は荒くなり、股奥は潤みを持ち はじめてくる。 おちつ ︵お、沈着け。沈着け、わたし︶ 728 すぐにでも自慰にふけりたくなる身体を必死に理性で抑え、わた しはまず大きく深呼吸をした。そうしておいて︱︱ ﹁ああ、準くん。ちょっとこっちきてくれる﹂ ワンボックスへ乗りこもうとしていた準くんを手招きし、その腕 を取った。 ﹁準くんはこっちだからね﹂ ﹁え?﹂ ﹁トラがわたしと一緒に行くの嫌だって云うのよ。準くんはそんな こと云わないわよね﹂ ﹁え、え?﹂ クーペ 混乱し、視線を彷徨わせる準くんを引きずり運び。そのままわた しの愛車助手席に備えつける。 ﹁ええ︱︱?﹂ ﹁高速は長いからね。途中でサービスエリアには停まるけど、おし っことかちゃんと大丈夫?﹂ ﹁あ、あの。ぼ、ぼくは虎ノ介さんとワゴンに﹂ ﹁はいはい。ちゃんとシートベルトしなさい。あぶないから﹂ 云って、わたしは運転席に着いた。 午後六時。出発の時刻になったのを確認し、アクセルを踏む。エ ンジンが爆音を奏ではじめた。重々しい力が車輛全体に溜まってい く。一種独特の感覚を背中を通してたのしみながら、わたしはクラ ッチを繋いだ。⋮⋮全身を加速が心地よく包んだ。 トラ 別れ際、急速に離れゆくこちらを、虎ノ介がどこか同情を持った 729 目つきで眺めているのが見えた。 ﹁ま、待って︱︱﹂ 悲鳴じみた声が上がった。 730 伯母と姉、田村母娘の場合 前編 その2 おきび 股間からじんわりと這いよる熾火のような熱に、虎ノ介は困惑を 隠せなかった。 ﹁あはっ。虎くんの、もうすっごい硬く熱くなってるわね﹂ びくびくとふるえる虎ノ介のむき出しになったペニス。それを、 カウパー 朱美は口元に淫らな微笑を浮かべ、なぶっている。上下する朱美の 手は、すでに虎ノ介の出した先走りで濡れ、車内には青臭い性臭が 濃く立ちこめている。 ﹁つらかったら出してもいいわよ⋮⋮﹂ こう耳元でやさしげにささやく敦子の手もまた、虎ノ介の陰嚢を やんわりともみほぐしていた。 くるま 虎ノ介たちが乗り、佐智が運転する車輛︱︱。 がんろう 東北道を高速で北上するその途上にあって、虎ノ介は敦子と朱美、 ふたりの熟女による巧みな性の玩弄を一身にその若々しい肉体へ引 き受けていた。 ⋮⋮時刻は夜の七時を大きくまわっている。夕闇に沈みつつある車 内で、男と女、三人による性の饗宴がはじまりつつあった。 ﹁くあ⋮⋮。お、伯母さん、どうして、こ、こんな⋮⋮?﹂ 訳がわからぬといった気分で、虎ノ介は問うた。 それも仕方のないことだったろう。 731 すす 虎ノ介は、朱美と自分との関係が、敦子の勧めによりはじまった ことを知らないでいる。そして敦子が、現在虎ノ介が持つハーレム の現状を正確に把握していることも。 ﹁どうして? それはわたしがこうやって、虎ちゃんのオチ○ポを 可愛がってること? それとも虎ちゃんがアパートのみんなに、白 くて濃ゆ∼いエッチなおつゆをどぴゅどぴゅしてるって話かしら﹂ ﹁なっ? なあ!?﹂ ﹁なあに、虎ちゃん? わたしが虎ちゃんの女性関係を知らないと でも思っていた? わたしはこれでも虎ちゃんの保護者なのよ﹂ 虎ノ介の、朱に染まった耳を甘噛みしつつ、敦子は虎ノ介の張り つめた怒張の裏筋を指先でなでた。 ﹁も、もしかして朱美さんも、そのこと⋮⋮?﹂ 虎ノ介は朱美へ目をやった。 朱美は申し訳なさそうな顔をし、そっと首肯した。 はじめ ﹁ごめんねぇ、虎くん。実は最初から敦子さんとは話がついてたの。 ああ、でももちろん虎くんのことは好きよ? そんなの関係なしに 恋人だと思ってるし、虎くんの子供を生みたいってのも本当だから 安心して﹂ この衝撃の事実に、虎ノ介は呆然とした。呆然とし、 ﹁なんで⋮⋮﹂ ますます混乱した。 どうして敦子が、朱美をあてがったりするのか。ショックよりも 732 疑問の方が大きく虎ノ介の脳裡を占めた。 ﹁なんでわたしが、虎ちゃんに片帯荘の住人を抱かせた、か? わ からない?﹂ 虎ノ介のはだけられた胸元、そこにあらわとなった乳首を、敦子 は舌で愛撫した。真っ赤な舌が生き物のようにうごめき、虎ノ介の 乳首を舐めあげる。 ﹁わ、わかりませんよ﹂ 羞恥に顔を紅め、虎ノ介は目をつぶった。力ずくで抵抗する訳に もゆかず、虎ノ介はただ敦子のなすがままとなって、あたえられる 快感にふるえた。 ﹁お、おれは敦子さんの家族でしょ。それなのに、どうして﹂ ﹁そう、わからないの。相変わらずばかね、虎ちゃんは﹂ 敦子はその怜悧な顔へ、かすかに興奮の朱みを差して、何か期待 するように虎ノ介を見つめた。 虎ノ介は息を飲んだ。 こんな伯母は知らない。と、彼は思った。彼の知る敦子は、常に 毅然としてい、凛としてい、そして高潔だった。女性的な美しさと、 はなすじ 人としての格好よさを備えていた。その眉宇は知的で、切れ長の眼 あで プロポーション 差しは涼やかで、す、と伸びた鼻梁は可憐で、かすかに濡れて見え しし る口唇は艶やかだった。その肢体もまた完璧だった。すらりとした 手足。むっちりと張ったふともも。肉置きのある尻に、ほんのわず かたるんだ腰まわりと下腹。そして大きくなめらかな曲線を持った 果実のような双乳︱︱。朱美の、はちきれんばかりに膨らんだ、ぱ つんぱつんの爆乳とはまた違う。やわらかさと年齢なりの熟れた匂 733 い、淫靡さと包容力を持つ重たげな巨乳である。脂ののった肌に大 きめの乳輪が咲き、そこに桜色の乳首がほんのり色づいている。 過去。虎ノ介は、敦子の裸を想い、何度、己を屹立させたか知れ ない。何度、己をにぎりしめ、烈しくこすりたてたか知れない。自 慰のためにポルノを見る時ですら、彼はまず敦子に似た女優を探し た。顔や体つき、乳の大きさ。そうして彼は敦子に似た、しかした だの代替に過ぎない女へ幾度となく劣情を放った。そのたびに自己 を嫌悪した。 よそじ とし 虎ノ介は伯母に、女性の究極、人間の理想を見ていたのだ。 も おご 四十路に近い年齢にありながら、二十代にしか見えない若々しさ を保つ敦子だ。美の化身のようで、そのくせ少しも驕ったところが ない敦子だ。やさしく、賢く、気取らず。虎ノ介のような半端者に か も気遣いを忘れない敦子だ。 女、斯くあれかし。⋮⋮虎ノ介は一種、敦子を神聖視していたと 云ってもよい。 けれど。その敦子が今、うっすらと頬を紅め、虎ノ介に身をよせ ている。 やわらかな乳房が虎ノ介の肩に押しつけられている。虎ノ介の右 手は敦子の両ふとももの間に挟みこまれている。ズボンの間に沈ん だ右手は、虎ノ介の脳に女のやわらかさを伝えている。敦子のワイ シャツは胸元が少し開かれ、虎ノ介の目を釘づけにしている。 ﹁う、う﹂ ひと 虎ノ介はもだえた。 憧れの女に局部をあそばれ、男ならば抗することのできない劣情 が、否応なしに彼を昂ぶらせた。熱の塊が、砲塔から烈しく噴き上 げようとしていた。 734 ﹁ね、佐智。答えてあげて﹂ あなたならわかるでしょう? と敦子は、表情ひとつくずさず運 転している佐智へ、試すような視線を送った。 佐智は、ミラーごしにちらとうしろを見やってから、 ﹁奥様はぼっちゃまを心配しておられるのです﹂ と云った。 ﹁し、心配⋮⋮?﹂ 虎ノ介は息を荒くして、佐智の言葉を聞いた。佐智に痴態を見ら れている。そのことが余計に彼の緊張を高めた。 ﹁失礼なことを申し上げるようですが。ぼっちゃまはご自分が女性 にモテるとお思いでしょうか?﹂ ﹁え⋮⋮? おれ? おれは﹂ ﹁残念ながら、ぼっちゃまはモテません﹂ ﹁う﹂ いとま 考える暇すらあたえず。佐智は切り棄てた。 かね ﹁学もなく、仕事もなく、地位も、金銭も才能もありません。人づ き合いもダメ、友人も少ない。女性にはつまらない幻想を持ち、甲 斐性はゼロ。容姿も微妙ときています。さらにはあろうことか奇跡 的に得た恋人までイケメンに寝取られる始末。はっきり云ってダメ ダメです。男として、いえ人間として異性に好かれる要素が皆無で す﹂ ﹁ぬ、ぐ⋮⋮﹂ 735 次々刺される言葉のナイフに、虎ノ介は頬を引きつらせ、うめい かお た。そんな虎ノ介を﹁気の毒に⋮﹂と、朱美は同情と苦笑の混じっ た表情で見ている。 フィルター ﹁ごく稀に、お嬢様のような、目に特殊な偏光器のかかった人間も いるにはいますが⋮⋮。しかしそれも例外のようなものですね﹂ は ふっ。と皮肉げに、佐智は口の端を歪めた。 虎ノ介はくやしげにうつむいた。 ﹁わ、わかってますよ、そんなの。だからって、わざわざ彼女のこ とまで心配してもらう必要なんか﹂ ﹁そういう訳にもまいりません。ぼっちゃまは田村家の直系。云わ ば正統後継者ですから。子供をつくるのが義務と云えます。種をば らまき、優秀な女を片っ端から孕ませる。これこそがぼっちゃまに 課せられた使命です﹂ ﹁は、はら︱︱って⋮⋮。そ、そんなの、おれはもう田村を出た人 間ですし、だいたい姉さんだっているじゃないですか﹂ ﹁たしかにお嬢様が婿を取るという方法もあります。実際、現当主 であるお屋形様も元は分家の人間と聞いております﹂ ﹁なら︱︱﹂ ﹁ですが肝心のお嬢様にはその気がありません。それに、そもそも ぼっちゃまは本当にそれでよろしいのでしょうか﹂ ﹁う?﹂ ﹁お嬢様がどこぞの阿呆なボンボンと結婚して、ぼっちゃまは満足 ですか?﹂ ﹁︱︱︱︱。⋮⋮そ、それは﹂ 最近妙にすっぱいものが欲しいのよねー なんて云っ ﹁アホボンの妻になったお嬢様が、そのふくらんだお腹をなでさす りながら、 736 てる場面を本当に見たいのですか?﹂ ﹁う、う﹂ ﹁⋮⋮田村家には男子が生まれにくい土壌があります。しかし家を 存続させるという意味では、女がひとりを生むより、男が複数に種 をまく方がずっと効率がよいのは確かです。ですからぼっちゃまも。 やはり田村の男子として生まれたからには本来の役割を果たすべき です。救えないほど女に相手をされないという事実はこの際忘れ、 どんな手段を用いようと、どんどんとイイ女に種付けしていくべき です﹂ えぐ と、佐智は実に反道徳的な、そして虎ノ介の心を抉る意見を述べ てみせた。 にっこりと。敦子が微笑んだ。 かね ﹁佐智の云うとおりよ。虎ちゃんの一番大事なお仕事はお金銭を稼 またぐら ぐことでも、勉強することでもないの。それはそれで悪くないけれ おくて ど。でも一番は女の股座へ子種をそそぎこむことよ。けど虎ちゃん はその辺、とっても晩生でしょう? だからわたしが虎ちゃんへハ ーレムをつくってあげることにしたの﹂ 敦子は虎ノ介のペニスへそえた手を上下させさつつ云った。朱美 は黙って、虎ノ介の首筋へ舌を這わせている。 ﹁ハ、ハーレムって、伯母さん﹂ ﹁隠さなくてもいいわ。もう半分くらいはできてるんでしょう。い いのよ、それで。片帯荘の住人は、みんな虎ちゃんへあげるつもり で集めたんだから。全員、好きにしていいの。朱美さんも、僚子さ んも、玲子さんも、テリーちゃんも、準くんも。全部孕ませちゃっ ていいのよ。⋮⋮まあ、佐和さんは、あの人だけはちょっと特殊枠 だけれど﹂ 737 こう敦子は苦笑して語った。 ﹁やりなさい。虎ちゃん。これはわたしや舞、田村家皆の総意なの。 そしてあなたは田村の後継よ。好むと好まざるとに係わらず全てを 引き継ぐ義務と責任がある。富と、権力と、それにふさわしい女た ちを。大丈夫、心配しなくてもいいわ。あなたは何もしなくていい。 あなたはわたしたちのそばにいればそれでいいの。面倒事はわたし と舞で全部引き受けてあげる﹂ その声は。 どこか天啓のごとく虎ノ介の耳に響いた。 敦子の言い分は明らかにおかしい。しかし頭ではそう思うのだけ れど、何か逆らえない力が働き、虎ノ介は否といえないでいた。自 分の足元がなくなるような不安と、不思議な高揚とに包まれ、敦子 の突飛な話もあながち悪いことでないように感ぜられてきた。敦子 の言葉を聞くたび不安は薄れていき、次第にこれでよいのだという ひと 気分に思われてきた。 ああ、自分はこの女には敵わないのだ。 虎ノ介は諦念に近い思いで以て、伯母の目を見つめた。 敦子はつづけた。 ﹁全員、モノにしなさい。孕ませて、子宮を征服して、あなたから 逃げられなくしてしまいなさい﹂ ﹁ぜ、全員⋮⋮?﹂ ﹁そうよ。片帯荘の女は全部、あなたのものだわ﹂ ﹁それは⋮⋮お、伯母さんもですか?﹂ ﹁︱︱︱︱﹂ ほんの少し、吃驚いた様子で、敦子が息を飲んだ。 738 ﹁だめ⋮⋮ですか?﹂ 切なげな表情で問う虎ノ介だった。敦子は照れたように頬を紅め、 ﹁そ、それは⋮⋮だめよ。わたしはあなたの伯母じゃない。近親相 姦になるわ﹂ ﹁そ、そうです、よね﹂ ﹁わたしとエッチがしたいの?﹂ しばしの沈黙の後。虎ノ介は躊躇いながらも、恐るおそる肯きを 返していた。 車内には奇妙に背徳的な感情が満ちてあって。それが虎ノ介の常 識的な道徳観を麻痺させつつあった。虎ノ介は本能のままに伯母の 存在を欲していた。 朱美が溜息をついた。興奮しきった眼差しが伯母と甥、ふたりの 姿を凝と眺めていた。 エッチ ﹁うふ、ふ、ふ。困った子ね。⋮⋮でもそうね。時々ならこうして 可愛がってあげてもいいわよ。挿入はだめだけど、手とか口でくら いなら、ね﹂ 肩を落とす虎ノ介の頬へ、敦子はやさしく口づけをあたえた。 ﹁とにかくね⋮⋮わたしはだめだけど、それ以外なら全員問題ない わ。たとえば興味があるなら、そこの佐智でもいいのよ﹂ ﹁え? さ、佐智さん﹂ 虎ノ介は快感に目を潤ませながら、運転席の佐智と敦子を見比べ た。 739 伯母と姉、田村母娘の場合 前編 その3 ﹁ええ。ねぇ、佐智、いいわよね?﹂ ﹁⋮⋮はい﹂ うべな かすかに表情を硬くしつつもはっきりと、佐智は肯いを返した。 敦子は目を眇めて佐智を見た。 ﹁そう云えば佐智。あなた舞にはなんて云われたの?﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮奥様がぼっちゃまに手を出すようであれば教えろと﹂ ﹁ふうん。相変わらずツメが甘いわねえ。頭はいいくせにどこか抜 けてるというか。命令の優先順位で云えば、わたしの方が上だって 少し考えればわかるでしょうに﹂ 佐智は答えなかった。ただ無言でハンドルをにぎっている。 ﹁佐智ちゃんは、舞ちゃんの御付きか何かなの?﹂ と、こうした質問をしたのは朱美だった。敦子は頷き。 ﹁ええ。田村家にはたくさん使用人がいるのだけれど。その中で来 栖家の人間が代々、わたしたちのそばに仕えてるの。舞の場合、佐 このコ 智と、そのお兄さんの那智って子が世話係。本来なら佐智は虎ちゃ ほんとう んの世話係だったんだけど、虎ちゃんは訳あって家を出されちゃっ たから﹂ ﹁ふうん。色々あるんだ﹂ ﹁そうね。まぁ、だから、佐智の真の主人は虎ちゃんと云ってもい いのよ。⋮⋮ねえ、佐智?﹂ 740 ﹁はい﹂ 無表情で運転する佐智へ、敦子は何かおもしろい玩具でも見るよ うな、そんな目つきを向けている。当の佐智に、目立った変化は、 ない。 ﹁ところで佐智。あなた、まだ処女だったわよね﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮はい﹂ とぎ ﹁誰か、セックスしてみたいと思った相手は、今までいた?﹂ ﹁⋮⋮いえ﹂ ﹁そうよね。あなたの身体は虎ちゃんのモノだもの。伽の機能を求 められてない那智ならともかく、男子の世話役が勝手に誰かへ身体 をあたえる訳にはいかないわよね﹂ にちにちと。白いぬたつきにまみれたペニスをもてあそびながら。 敦子はたのしげにつづけた。虎ノ介は、場の空気が何やら不穏にな りつつあるのを感じながらも、そこに口を挟むのははばかられ、た だ持ち上がってくる快感に脳を揺られたまま、ぼんやりとふたりの やり取りを見守っていた。 ﹁あなたもいい年なんだし、そろそろ男を知ってもいい頃よね。今 日辺り処女を棄ててみるのもいいとわたしは思うのだけれど﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮ッ﹂ ギチと、佐智の歯を噛む音が鳴った。 ﹁佐智。あなたを虎ちゃんの、この可愛いくて立派なおち○ちんで 処女喪失させてあげる。とっても素敵だと思うわよ。どう? うれ しい? うれしいわよね﹂ ﹁⋮⋮はい。うれしいです﹂ 741 ﹁そう。じゃあ虎ちゃんにお願いして﹂ 虎ノ介は困ったように、敦子を見た。 ﹁お、伯母さん⋮⋮﹂ 性行為の強要などしたくない。こうした心が虎ノ介の胸に起こっ てきた。しかし敦子は﹁いいから見てなさい﹂と首をふって見せる と。 ﹁お願いしなさい。佐智。そうすればあなたにも虎ちゃんをあげる わ。虎ちゃんの熱いオチ○ポで、あなたの欲張りなオマ○コをかき まわしていい。それだけじゃないわ。子を生むのも許してあげる。 うず どう? 百年ぶりに来栖家へ彼の血を入れることができるのよ。あ なたが彼の子を孕むの。それを思うだけで身体が疼いてこない? あなたにだって、薄いなりにもわたしたちと同じ血が流れてるんだ から、この栄誉がどれだけのことか、頭じゃなく子宮で理解できる でしょう?﹂ と強く、佐智へ命令した。 敦子のこの有無を云わせぬ調子に、佐智はひとつ喉をふるわせる と︱︱ ﹁ぼっちゃま⋮⋮﹂ ゆっくり、前方を見据えたまま云った。 ﹁は、はい﹂ やや緊張した面持ちを以て、虎ノ介は返事をした。 742 ﹁こんなことを主人に願うのは、とてもはずかしい、使用人にある まじきことだと重々承知していますが⋮⋮。ですが、どうかわたし の処女をもらってはいただけないでしょうか。ぼっちゃまの⋮⋮そ のたくましい、素敵なオ、オチ○ポで、わたしを女にしてほしいの です﹂ ﹁さ、佐智さん﹂ ﹁わたしのこのはしたない牝オマ○コに、ぼっちゃまの牡汁をそそ ぎこんで種付けしてください。⋮⋮⋮⋮ぼっちゃま。ぼっちゃま⋮ ⋮わたしは、佐智は、ずっと昔からあなたを⋮⋮虎ノ介様のことを お慕い申し上げておりました。どうか、わたしの願いをお聞き届け ください。わ、わたしを、佐智をぼっちゃまの女にしてください﹂ 微動だにせぬまま淡々と語る佐智の能面は、しかし徐々に紅潮し て、その感情のこもってきた調子の声に虎ノ介は唖然とした。 朱美は﹁うわー、萌えるわー﹂と目を輝かせて、その告白に見入 っていた。 敦子は実に満足げな、感じ入ったという風情で深く頷いた。 ﹁はい、よくできました。⋮⋮よく云えたわね、佐智。えらいわよ。 約束どおり、あなたにも虎ちゃんをあげる。次のパーキングへ入り なさい。しましょう﹂ ﹁は、はい⋮⋮﹂ 佐智の、今にも消え入りそうな声が、車内に響いた。 ◇ ◇ ◇ 743 ﹁はい、佐智。痛みどめにこれ、舐めてなさい﹂ と、敦子は一糸まとわぬ姿となった佐智へ、一粒の錠剤をわたし た。 ﹁即効性だから数分もすれば効いてくるわよ﹂ 頷き、佐智はそれを口に含んだ。 ﹁飲んでも?﹂ ﹁いいわ﹂ ︱︱高速道路沿いにあるパーキングエリア。 ひとけ そこに駐車されたワンボックスの車内で、虎ノ介と佐智はいよい どんちょう よひとつに繋がろうとしていた。 辺りはすでに暗い。 陽は完全に落ち、下りた夜の緞帳が人気少ない駐車場へ穏やかな ナトリウムランプ 静寂をもたらしている。周囲を照らすのは場内に点在するオレンジ 色の街灯と、土産物を置く売店やトイレ、自販機コーナーなどが入 テール った休憩施設の明かりだけである。そばには北へ向かう高速道が遠 く近く、点々と浮かぶ尾灯に彩られ延々つづいている。少し目を離 せば、都会のあざやかな夜景がまばゆいばかりに視界へ飛びこんで くる。 ﹁本当にいいんですか?﹂ からだ かすかな光に照らされた、佐智の引き締まった肢体を見て、虎ノ 介はごくりと喉を鳴らした。 744 抱きたい。 抱いて思う存分味わいたい。佐智の中へ、その猛り狂った情欲を 吐き出したい。 なぶられ、じらされきった虎ノ介には、当然そうした思いが強く あった。けれども、やはり棄てきれぬ理性と、人を思いやる心が、 彼に佐智への気遣いを口にさせた。 ﹁お気遣いありがとうございます、ぼっちゃま。⋮⋮ですがお気に なさらず。わたしは大丈夫ですので﹂ 紅らんではいるものの、その能面じみた表情はあくまでくずさず、 佐智は冷たく答えた。 ﹁そ、そうですか? でも嫌々だったら本当、無理しなくても。さ っきの告白だって、なんだか無理やりって感じだったし。伯母さん も、その、あんまり意地悪なことは、その⋮⋮﹂ 勘弁してやってくれ、と。虎ノ介はおずおずといった様子で伝え た。 その発言に、朱美は﹁はぁっ?﹂と間の抜けた声を上げ、敦子は あきれの溜息をついてひたいを押さえた。 ﹁ね。佐智、これでわかったでしょう。こういう子なのよ。いつま で経っても子供なの。力ずくで奪ってあげないと、女を知ることも 無理だったのよ﹂ ﹁奥様のご苦労、心よりご同情申し上げます﹂ 敦子と佐智のやり取りに、虎ノ介はむっとした顔つきをしたが、 それについてあえて反論はしないでいた。 自身の不器用さ、間抜けさについては自覚している虎ノ介である。 745 ﹁はいはい、いいから虎ちゃんは少し横になって静かにしていて。 朱美さん、ヒナタちゃんはもう寝たかしら﹂ ﹁ええ。もう沈着いたわ﹂ ﹁それじゃあ虎ちゃんをお願い﹂ ﹁オーケー﹂ 淫らな笑みを浮かべると、朱美は自分の膝へクッションを敷き、 さらにその上に虎ノ介の頭を置いた。そうして自らのシャツを捲り 上げると︱︱ ﹁はぁい、虎くぅん。大好きなおっぱいですよう﹂ 仰向けに寝かされている虎ノ介の口へ、うれしげに乳房を含ませ た。 ﹁ま、またこのパターンか、む、むぐ⋮⋮﹂ けずね 口をふさがれ。やむなく虎ノ介は乳を吸った。観念し、毛脛と露 うるお 出した性器を投げ出したまま目をつむった。朱美の顔が授乳の悦楽 に染まり、ほのかに甘い、独特な香りのする液体が虎ノ介の喉を潤 していった。 虎ノ介の逸物は、血管を浮かばせ、ますます反りかえった。 ﹁うふふ、いい感じに盛り上がってきたわね。⋮⋮さ、佐智、いい わよ﹂ ﹁は、はい﹂ 佐智はさすがに緊張しているのか、ゆっくりと虎ノ介の、ふとも もの上へ腰を下ろした。 746 虎ノ介は薄く片目だけを開け、佐智の姿を眺めた。 佐智の身体は無駄な肉の一切ついていない、女性にしてはやや筋 肉質なものだったが、それでも女性的な美しさ、魅力は十分にあっ た。大きな乳房は敦子のような下垂型で、手足やその締まった腹部 とは対照的にやわらかさを感じさせる見た目をしていた。 モノ ﹁いつもスーツ姿だったからわからなかったけれど、佐智ったら案 外いい巨乳を持ってるのね。⋮⋮申し分ない大きさとやわらかさ。 舞が嫉妬する訳だわ﹂ ﹁お、奥様⋮⋮おや、おやめください﹂ ﹁あら、どうして? わたしの大切な虎ちゃんの女になるんだもの。 と くすり きちんとこういうことは確認しておかないといけないじゃない。⋮ ⋮下の方もぐずぐずに蕩けちゃって。これなら媚薬なんていらなか ったわね。ふ、ふ、あなた虎ちゃんのエッチな姿に興奮してたのね ?﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮は、はい﹂ ﹁もしかして、最初から少しは期待していた?﹂ 敦子は片手で佐智の胸をもみ、もう片方の手で佐智の秘所をほぐ しながら問いかけた。 佐智は、虎ノ介が見ていないのを確かめてから、そっとそのほそ やかで美しい顎を小さく上下させた。 敦子は薄く笑うと、小声で佐智にだけ聞こえるように、 ﹁うふ、ふ、ふ。あなたも結局は田村の女ねぇ。情が深くて粘着質。 この子の女になる資格あるわ﹂ 佐智の耳元へささやいて聞かせた。ぐ、と佐智の喉がふるえた。 ﹁じゃあ本番といきましょう。ほら、好きにしていいから。十年来 747 に溜まってるんでしょう。ぐっといっちゃいなさいな。大丈夫、こ の分なら前戯なんていらないし痛みもまずないわ﹂ ﹁⋮⋮はい﹂ そうして佐智は腰を浮かせ。虎ノ介のペニスをつかんだ。 その冷たい手の感触に、虎ノ介は思わず腰をひくつかせた。 ﹁申し訳ありません、お嬢様⋮⋮。お先にもらわせていただきます ︱︱﹂ 懺悔するような言葉の後。 佐智は虎ノ介のペニスを己が膣口へと導いた。ぬるり。ぬめやか な刺激が虎ノ介の先端を包んだ直後。ぐん、といきおいよく押しか かった体重が、虎ノ介のペニスへ落ちた。 ﹁あっ︱︱﹂ あな ずちゅり、と。肉と肉がぶつかり音を立てた。 剛直がその潤んだ洞へ押し入る感覚に、虎ノ介はふさがれた口で うめき。佐智は﹁く、ふぅぅ⋮﹂と法悦の吐息をもらした。両者は ともに背なをわななかせ、お互いの肉をこすり合わせた。佐智の、 硬く強張ったふとももが虎ノ介の身体をぎゅっと挟みつけた。 ﹁ぼっちゃま︱︱﹂ 万感こもったような声が、虎ノ介の耳を打った。 748 伯母と姉、田村母娘の場合 前編 その4 おぼ 夜明け近い頃、車内で仮眠をとっていた虎ノ介は強い尿意から、 くるま その目を覚ました。 車輛を出ると、すでに仮眠を終えたと思しき佐智が、少し離れた場 所から目ざとく虎ノ介を見つけ近よってきた。佐智の手には、眠気 覚ましに買ったと思われる缶コーヒーがにぎられていた。 ﹁おはようございます、ぼっちゃま。もうお目覚めですか?﹂ あまり眠れていないようだ、と虎ノ介の顔を見るなり、佐智は云 った。表情の乏しい瞳に、少しくあるじを心配する気遣いを浮かべ て。 ﹁ええまあ。さすがに車輛じゃぐっすりという訳にいかなくて。⋮ ⋮他のみんなは結構熟睡してるみたいですけど﹂ ﹁そうですね。図太さが巨樹ほどもある奥様やお嬢様は云うにおよ ばず、火浦様、水樹様も相当にタフでいらっしゃるようです。電柱 ぐらいはありますか﹂ ひ弱 です。蜘蛛の糸ですね﹂ ﹁あは、は、は⋮⋮。ちなみにおれの神経はどのくらいですかね﹂ ﹁あの方々に比べればぼっちゃまは 佐智は口の端を吊り上げ虎ノ介を見た。 虎ノ介も苦笑し、佐智を見返した。あまりと云えばあまりな物云 いなのだが、どうしてか虎ノ介は反論する気が起こらないでいた。 それは反論の難しい事実ということもあるにはあったが、また同時 に、徹頭徹尾、主観を排して語ろうとする佐智の明快な姿勢がおも しろく感じられたからでもあった。歯に衣着せぬ批評をしながらも 749 厭味を覚えぬところに、佐智の人柄と対象への親しみが表れている と、虎ノ介はこの鉄面の従者を見ながら思った。 ︵姉さんたちには大いに意見のあるところだろうけど︶ そんなことを考え、辺りを見まわす。 薄暗い中に白々とした光が、東の空から差しつつあった。広い駐 車場には、ぽつりぽつりと何台かの車輛が離れて停められてあって、 その間に人の動きもちらほら見ることができた。朝のパーキングエ リアは閑寂だった。 ﹁ここまでくると結構涼しいですね﹂ ひさしぶりに味わう北の空気に、虎ノ介は無性になつかしい心を 覚えた。 かみもり ﹁ええ。だいぶきました。上杜市ももう、すぐそこです。八時か九 時には着きますよ﹂ ﹁今、何時ですか?﹂ ﹁四時少し前です﹂ ﹁姉さんは?﹂ ﹁まだ眠っていらっしゃいます。もう少し経てば起きてくると思い ます。寝起きはいい方ですから﹂ 虎ノ介は無言で肯いた。そうして、ちょっとだけ考え深い目をし、 彼方に広がる山々を眺めた。 ﹁もうちょっとで上杜市、か﹂ ﹁ぼっちゃまは四年ぶりですか﹂ 750 と、佐智は普段からはめずらしい、やわらかな表情を虎ノ介へ向 けた。 ﹁はい⋮⋮。お山の、本家の方なんか十年以上行ってないですしね﹂ ﹁そのように不安な顔をしなくても大丈夫ですよ。仮にもぼっちゃ まのご生家ではありませんか。ぼっちゃまにつらくあたるような方 はおりません﹂ ﹁ん⋮⋮そう、ですね﹂ ﹁もし何かあったとしても、佐智がお守りいたします﹂ そう、佐智ははっきりとした態度を以て云った。 ﹁佐智さん?﹂ 虎ノ介は困惑した。⋮⋮佐智はさも当然といった顔をしている。 ﹁あのう、佐智さんはその﹂ ﹁はい﹂ ﹁田村家の使用人、なんですよね?﹂ ﹁はい。そうです﹂ ﹁そ、そうですよね。うん、それはそうですよね。⋮⋮ということ は、じゃあ佐智さんはそのうちまた本家にもどるって考えていいん ですよね?﹂ おずおずと、確認したいという風に虎ノ介は訊いた。 佐智は急に冷たい目つきとなって。 ﹁ぼっちゃま﹂ と、云った。 751 そのかしこまった、それでいて強い決意を感じさせる様子に、虎 ノ介は思わず背筋を反らし気味に伸ばした。 ﹁は、はい﹂ ぼっちゃまの 付き人です。もっと云えば田 ﹁⋮⋮ぼっちゃま。確かに、わたしはお嬢様の付き人を務めてはお りますが、正しくは 村家に仕える者ではなく久遠虎ノ介個人に仕える者なのです。給金 は田村家からいただいておりますので、お屋形様や奥様、お嬢様に 仕えていると云っても過言ではございませんが。しかし本来はぼっ ちゃまの専属です。つまりわたしにとってはぼっちゃまが最優先で す。以前ならばともかく今現在のわたしは奥様よりもお嬢様よりも、 ぼっちゃまを優先します。ですから当然、これから先、わたしがぼ っちゃまのおそばを離れることはけっしてございません﹂ きっぱりと。佐智は告げた。虎ノ介はますます混乱をして、 ﹁今現在は⋮⋮って、どうして﹂ ﹁どうしても何も⋮⋮⋮⋮昨日、そう決められたじゃありませんか﹂ あざわら ふっ、と。佐智は虎ノ介の愚鈍を嘲笑うかのように、その疑問へ 答えた。 ﹁決めたって、誰がです﹂ ﹁ぼっちゃま。それをわたしに云わせるおつもりですか?﹂ 佐智の声は、徐々に愉悦の響きを帯びてきている。それはさなが ら捕らえた獲物をいたぶる捕食者がごときで、虎ノ介は少しばかり 背の寒くなる思いがした。体を合わせたこともあってか、虎ノ介は、 佐智の冷静そのものな態度の中に、若干の感情を見出せるようなっ ている。 752 ﹁まさか﹂ もの ﹁ええ、確かにぼっちゃまはおっしゃいました。わたしの奥の奥。 自分の女になってくれ。ずっと と。こうしたことを何遍も切願されました。⋮⋮必 女の一番大切な芯を貫きながら、 そばにてくれ わたくし 死に腰を遣う主人にそのようなことを云われ、そしてあれだけ情熱 的に子種をそそがれてしまえば。佐智などはしょせん卑しい牝です から。もはや身も心も従属するよりないというものです﹂ ﹁げぇっ﹂ げぇ ねや ですか。ぼっちゃま、殿方がそんなやられ役みたい 虎ノ介は愕然とし。佐智は眉間へしわをよせた。 ﹁何が な声を上げるものではございません。男子が我を忘れてよいのは閨 で女を抱く時だけです。女の身体に溺れている時であれば、どれだ け無様に醜態をさらそうとも、それもまたひとつの醍醐味として結 ずっとそばにいろ 、 子供を生め 。このような おれの 構ですが。⋮⋮ああ、そういえばぼっちゃまは先夜も、わたしの腕 の中で泣きながら射精をしておられましたね﹂ ﹁さらっと嘘を云わないでくださいっ、嘘を﹂ 、 ﹁嘘など申しません。ぼっちゃまは確かにわたしへ向かい もの 女になれ うけたまわ いくつかの言葉をおっしゃいました。命令というよりはお願いとい った感じでしたが⋮⋮。そして、わたしは謹んでそれらを承りまし た。これについては奥様と火浦様が証人になっていただけると存じ ます﹂ ﹁嘘、そんな、まさか﹂ 虎ノ介は一部あやふやな記憶をしきりに思い出そうとして頭を悩 ませた。 実際のところ、虎ノ介自身、自分の無意識に出る甘え︱︱女性に 753 対する子供じみた独占欲︱︱を最近ではよく自覚しつつあった。正 直、自分でも情けないと思うために、それらをできるだけ表に出さ ぬよう努めてもいた。しかし、なんと云ってもまだ若い青年であっ た。折にふれ心の表面に浮き上がってくるのも、また無理からぬこ とと云えた。 なか ﹁な、なんか水を、口移しで飲まされたところまでは憶えてるんだ﹂ ﹁そのすぐ後です。わたしの膣へたっぷりと吐き出しながら、ぼっ ちゃまはお目を潤ませになって哀願されました。⋮⋮わたしもやは り女ですので? あんな風に、熱っぽく殿方に求められれば否とは 云えません。えげつない量の精液をあんな風に⋮⋮⋮⋮。こちらの 都合などおかまいなし、問答無用で孕ませようとするところに、ぼ っちゃまの心意気と勇気と、そして男らしさを見たような思いがい たします﹂ ﹁いや、そんな、妙なところで感心されてもですね﹂ ﹁佐智は決めました。ぼっちゃまに一生ついていこうと。ぼっちゃ まへわたしの全てを捧げつくそうと。⋮⋮⋮⋮しかしそれをまさか。 ぼっちゃまは冗談だったと申されるのでしょうか? わたしの決心 を無意味なものにされると?﹂ 虎ノ介に身をよせ、佐智は甘やかな声で云った。喉奥にはく、と 笑いがあった。 虎ノ介は自分よりわずかに背の高い佐智を見上げ、引きつった顔 で曖昧に笑んだ。 ﹁あ、あれはおれにとってもその、ほとんど無理やりだったという か﹂ ﹁わたしの処女を奪っておいて、そのような言い訳が通用すると思 っていらっしゃるので?﹂ ﹁いえ⋮⋮﹂ 754 虎ノ介はうつむき視線をそらした。 佐智はかすかに勝利の微笑を浮かばせている。 ︵ぐぬぬ⋮⋮︶ 虎ノ介は歯噛みした。 ◇ ◇ ◇ ﹁あの、佐智さんの言い分はよくわかったんですけど﹂ と、虎ノ介は息を荒くして、背後に立つ佐智へ話しかけた。 こんなトコ ﹁ど、どうして男子トイレまできて、こ、こんなことするんですか﹂ 膝をふるわせ、虎ノ介は尋ねた。 きつりつ 衣服を脱がされた下半身に、むき出しとなった男性器が痛いほど 屹立していた。そうして虎ノ介を背後から抱きしめている佐智が、 ペニスをにぎりしめ上下にこすりたてていた。いわゆる手コキであ る。佐智の手には先端からあふれ出た汁が、にちゃにちゃと糸を引 き白い泡をつくっている。 ︱︱休憩施設内の男子トイレ。 その個室のひとつに、虎ノ介は佐智とともにいた。早朝というこ ともあって、トイレ内に彼ら以外の姿はない。 ﹁どうして? ぼっちゃまがトイレに行くと云ったのですよ?﹂ 755 ﹁た、確かに云いましたけど、だからってなんで佐智さんまで﹂ ﹁お手伝いしてさしあげます﹂ ﹁いらない、そんな手伝いいらないですっ。というか、もう用なら 済ませたじゃないですか﹂ 虎ノ介は抗議した。佐智はいささかの痛痒も感じた様子なく。 ﹁起きた時から大きくなっていらしたので、お慰めした方がよいか と﹂ ﹁こんなもん男の生理現象ですから﹂ ﹁ああ⋮⋮。ぼっちゃまのおち○ちん⋮⋮いつ見ても愛らしくて、 それに立派ですね。本当に何度見ても飽きない⋮⋮﹂ こう、うっとりした調子で語った。 ︵き、聞いちゃいねぇ︶ 虎ノ介はうなだれた。羞恥に顔を紅め、目をつむる。抵抗しよう いちもつ と力をこめてみても、佐智の細い身体はまるでびくともしない。そ の上、逸物をにぎられている。虎ノ介は泣きたい気持ちになった。 身動き取れない状態で快楽にふるえながら、僚子とのはじめての時 もこんな風だったな、とそんなことを思ったりもした。 ﹁ほら、ぼっちゃま。立ったままじゃ沈着かないでしょう。座りま しょうか。わたしの身体にもっとよりかかってください。力を抜い て。ええ、そうです。⋮⋮気持ちいいですか? ふ、ふ、いいです よ、出しちゃっても。佐智の手の中でみっともなく、ばかみたいに どぴゅどぴゅしてください﹂ うれしげに。佐智は虎ノ介へ愛撫をあたえてくる。 756 ︵やばい、色々と強すぎる、この人︶ 虎ノ介はだんだんと明らかになってきた佐智の本性と、その身体 能力の高さに、ほとんどおびえる小動物のような態度で従うしかな かった。 757 伯母と姉、田村母娘の場合 前編 その5 虎ノ介は蓋を閉じた腰かけ式の便器の上で、佐智へ背をあずける 形で座っている。佐智は背後から、大事そうに虎ノ介を抱きしめて いる。 ⋮⋮佐智の責めはつづく。 ﹁ふふ、まったくぼっちゃまったら、こんなにビンビンにち○ちん をおったてて⋮⋮。まさに節操なしですね。無能なくせに子孫を残 すための欲だけは人一倍あるんですから。なんて図々しい。ぼっち ゃま、それはとてもはずかしいことですよ⋮⋮﹂ カウパー こう、はじしめるようなことを云い、佐智は虎ノ介のペニスをな でた。先端からこぼれた先走り汁が佐智の手との間、つと糸を引い た。 ﹁う、う﹂ 何度目かになるうめきを、虎ノ介は上げた。 佐智は虎ノ介を抱えたまま、己の長い脚を持ち上げると、その足 から器用にパンプスを外し︱︱ ﹁我慢は体に毒ですよ、ぼっちゃま﹂ 足先で虎ノ介のペニスをつまんだ。スラックスからのぞいたほそ やかな足指が、ストッキングごしに亀頭を愛撫する。佐智はいっそ う強い力で、からみつくように虎ノ介を抱きしめ、虎ノ介の首筋を 舐めた。ストッキングの黒に、粘着質な液がのってりとなすりつけ 758 られた。 おどろき 佐智の身体の柔軟性に虎ノ介は吃驚を持った。 ︵まるで蜘蛛みたいだ︱︱︶ 長い脚を広げた女郎蜘蛛、そして巣にからめとられた憐れな小虫 などを思い慄然とする。 ﹁くう⋮⋮!﹂ ﹁どうですか、こういう趣向は。感じますか?﹂ 虎ノ介は肯きを返した。 ﹁そうですか。よかった。なら、そろそろイってくれませんか。わ たしも、あまりぼっちゃまの相手ばかりしていられないので﹂ うなじから耳裏、耳穴と、丁寧に舌で舐めあげながら佐智は云っ た。そうしつつも丸められた足先で執拗に虎ノ介のペニスをなぶる。 耳穴を舌先で犯されながら、虎ノ介は怖気とも悪寒ともつかぬ快 感に翻弄され尻穴を強張らせた。 ﹁うう⋮⋮で、出るッ﹂ 告げた瞬間。 ペニスがびくんと跳ねた。尿道口から噴き上がった精液が宙空に 飛んだ。撒き散らされた大量の精液は、あっという間に佐智の足と ストッキングを白く汚していった。 虎ノ介は全身を満たす快楽に息をはずませながら、繰り返し精液 を放つ己の、荒ぶったペニスを眺めた。女に足でしごかれ、このよ うに簡単に放出する。自分を情けなく思う気持ちがわずかにあった。 759 佐智は、黒地を白く染める液体へそっと手を伸ばすと、 ﹁ふ⋮⋮﹂ それをすくい取り自らの口に運んだ。にちゃりと、舌の上、精液 を転がす音が虎ノ介の耳にも届いた。 ﹁ん⋮⋮。やっぱり⋮⋮そうおいしいものではありませんね、精液﹂ そんなことを云う。 ﹁そりゃあ、そう、ですよ⋮⋮﹂ 味を想像し、虎ノ介は顔をしかめた。 ⋮⋮僚子や朱美、玲子などは虎ノ介の精液を実にうまそうに飲んだ り舐めたりするのである。これが虎ノ介にはとても信じられなかっ た。まったく味覚障害にも程がある⋮⋮とひそかに思ったりもして かんじ いる虎ノ介だったのだが、しかし彼にしたところで女たちの秘蜜を 莞爾として味わうのである。お互い様と云うべきかもしれなかった。 事実、女たちは虎ノ介の口淫を喜びはすれど、﹁おいしい﹂という 彼の言については少しも信用していない様子であった。 シックスナイン 虎ノ介はちょっとおかしい。 顔面騎乗や相舐めの体位をとる時、嫌がるそぶりなく相手の肛門 まで舐める虎ノ介を、女たちはよくこう評した。 生粋の変態たちに云われたくない。 虎ノ介は思ったものである。 ひと ︵この女の⋮⋮佐智さんのアソコも舐めてみたいな︶ 佐智の女はどんな味がするのだろうか。射精の余韻にひたりなが 760 ら、茫と、虎ノ介はそんなことを考えてもみた。 ペニスは依然、萎えることなく張りつめている。 その一向にいきおいを失わない肉棒を見、佐智は、 ﹁まだ足りませんか。よくよく意地汚いチ○ポですね﹂ と云うと、やおら立ち上がり虎ノ介の前へとまわった。そうして 虎ノ介を座らせたまま目前で見せつけるように、一枚、また一枚と おちつ その服を脱いでいった。黒のスーツにワイシャツ。ネクタイ、スト ッキング、それに下着まで外された頃には、沈着きかけていた虎ノ 介の興奮もまた烈しくよみがえってきた。当然、佐智の次なる行為 ︱︱すなわち挿入を期待して。 い ﹁挿入れたい、ですか?﹂ 佐智は舌舐めずりをし、情欲たぎる様子の虎ノ介へ冷たく微笑ん でみせた。 ﹁挿入れたい、ですか?﹂ 繰り返し問う。佐智は、個室内に備えつけられた多目的の台︱︱ おそらくは赤ん坊を置くといった用途の︱︱へ服を放り投げると。 なか ﹁わたしのオマ○コへ挿入れたいですか? その可愛らしい皮のあ まったチ○ポをわたしの膣へ突きこんで、思う存分エッチなおつゆ をぶちまけたいですか?﹂ 虎ノ介は喉を鳴らした。 佐智は全裸にパンプスのみという挑発的な姿で、虎ノ介の前へ立 っている。虎ノ介は佐智の、均整のとれたしなやかな肉体へ見入っ 761 ていた。 佐智は片方の靴を脱ぐと、精液まみれとなった虎ノ介のペニスへ ふたたび足を伸ばした。 ﹁答えてください、ぼっちゃま。⋮⋮ぼっちゃまはわたしとセック スしたいのでしょう?﹂ 足裏で上下に、やさしく怒張をこすりたてながら、佐智は荒い息 をついた。興奮からか佐智の股間からはすでに愛液の匂いがむんと 漂いつつあった。 ﹁し、したい、です﹂ 躊躇いながらも虎ノ介は答えた。 ﹁なら、お願いしてください﹂ ﹁お願い?﹂ ﹁わたしにお願いしてください、ぼっちゃま。わたしの、佐智のオ マ○コでいかせてほしいと。ぼくのチ○ポをどぴゅどぴゅさせてく ださい、と﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁嫌ですか?﹂ 目を細め、佐智は虎ノ介へやさしげな視線を向けた。 ﹁ぼっちゃま。わたしはぼっちゃまに体を差し出したのですよ? からだ 処女を。男として、なんの取り得もないぼっちゃまに。相手が主家 の人間だというだけで、わたしは自分の意思を殺し、この肉体を捧 げた﹂ 762 虎ノ介ははっとし、佐智を見た。 ﹁何を吃驚いた顔をしているのですか。あたりまえでしょう。わた しが本当にぼっちゃまに抱かれたかったとでも思いましたか? ふ、 ふ、ご冗談を。それはうぬぼれがすぎるというものです。⋮⋮ぼっ ちゃま。わたしは他の方々のように奥様が選んだ女ではございませ ん。ぼっちゃまに抱かれて至福を感じるような、そんな都合のいい 女ではありませんし、女性として、ぼっちゃまに魅力を感じたこと も一切ありません﹂ 語る佐智の足は、虎ノ介のモノを一向離そうとしなかった。しつ こく、丁寧に、そして愛おしげに虎ノ介をもてあそんだ。佐智の口 はうれしげに歪み、紅潮した頬には玉のような汗が浮かんでいた。 佐智はさかんに息を荒くしてつづけた。 ﹁わたしは奥様に云われ、やむなく従ったのですよ。しかし正直な ところを云えば、こんな日がくるのも覚悟はしていました。わたし は来栖の女ですから。田村の男に肉体をあたえるのは半ば宿命と云 ってもいい。⋮⋮ただ一方でそれでも自分にその機会は訪れないだ ろうと思っていました。自分は自由恋愛ができるのではないかと。 そう期待していました。どうしてかわかりますか? 答えは田村家 パートナー に男子がいなかったからです。家の跡継ぎは舞お嬢様で、わたしに は伴侶としての機能は求められていなかった。⋮⋮⋮⋮ぼっちゃま がもどってくるまでは﹂ ﹁︱︱︱︱﹂ ﹁ああ、勘違いしないでくださいね。先程云ったわたしの決心に嘘 はございません。わたしは生涯ぼっちゃまに仕えるつもりですし、 また望まれればこのように性処理役も務めさせていただきます。も とよりそれは覚悟していたことですので﹂ 763 と云うと、佐智はひとつ間を置き唇を舐めた。 ﹁ですがぼっちゃま。わたしが好きでぼっちゃまに抱かれたとは思 わないでください。全て奥様の命令からしたことです。わたしがぼ っちゃまに惚れていたとか、抱かれたかったなどと︱︱そんな都合 のいい妄想はお棄てになってください﹂ ﹁あ、さ、佐智さん、うくっ﹂ 虎ノ介は混乱した。 そして昨夜聞いた佐智の告白を思い返した。敦子に命じられた時 の、佐智の苦渋の表情も思い出した。 びくりと、ペニスが大きくふるえた。 ﹁や、やっぱり嫌だったんですね﹂ ﹁あたりまえじゃないですか。わたしは処女だったんですよ。命令 で好きでもない男に無理やり抱かれることを喜ぶ女がどこにいるで しょう。まして、わたしはつきあっていた男性とも別れさせられた のですから。⋮⋮全てぼっちゃまのために﹂ ﹁な︱︱ッ﹂ 虎ノ介は愕然とした。 自分のために好きな男との別れを強要されたという佐智。仕方な くその処女の肉体を捧げたという佐智。その事実を噛みしめてみて、 彼はつい言葉をなくした。 ︵なんだって、そんな、ばかなことを︱︱︶ 苛立ちに彼は歯を鳴らした。 自分にそんな価値はない、と云いたかった。つまらぬことを強要 した田村の人間たちや、そのような理不尽に従っている佐智を怒鳴 764 りつけてやりたい気分になった。いつのまにか、女に云いよられる のをあたりまえのように考えていた己にも腹が立った。 ︵この勘違い野郎︱︱︶ 虎ノ介は、今にも放出しそうなくらいに高まった股間の熱を抑え て、無理やりに腰を引いた。 ﹁ぼっちゃま?﹂ 佐智は、愛撫から逃れるべく動いた虎ノ介を怪訝そうな目で見つ めた。 ﹁どうしました? あっ、も、申し訳ありませんっ、もしかして痛 かったですか?﹂ 心配そうに見る佐智へ、虎ノ介はふるふると首を左右にふった。 ﹁あの⋮⋮こんなことしなくて、いいですから﹂ ﹁ぼっちゃま⋮⋮?﹂ ﹁ごめんなさい、佐智さん。あの、こんな、謝ったって許されるこ とじゃないかもしれないけど⋮⋮。すみませんでした。おれ、なん か勘違いしちゃってて、佐智さんが好きだって云ってくれたの、半 分くらい真に受けてました。望まれてるんだったら、伯母さんが云 うように愛人だってなんだって有りじゃないかって。心のどこかで そんな風に思ってた。⋮⋮⋮⋮ごめんなさい。そして、そして、お れのことはもう見棄ててください。おれも今さら田村の家にもどる つもりはありませんし、田村の跡継ぎなんてきっと務まらないと思 います。あ、心配しないでください。伯母さんやお祖父ちゃんには、 おれからちゃんと云いますから。おれを拒否したからって、佐智さ 765 んが罰を受けるようなことにはきっとしませんから、だから︱︱﹂ 望まないセックスなどしないでくれ、と。 虎ノ介は顔を歪ませ、消え入りそうな言葉で懇願した。ごめんな さい、と。非力な自分と、横暴な田村家のやり方を、血を引く者の 一人として謝罪した。 ⋮⋮佐智は、しばし声を発しなかった。 彼女にしてはめずらしい、意表を突かれた様子で、呆然と虎ノ介 を見つめていた。 ﹁え⋮⋮? もしかして今の本気にしました?﹂ ぼそりと。佐智は小声で云った。 766 伯母と姉、田村母娘の場合 前編 その6 ﹁は⋮⋮?﹂と、これは虎ノ介。 ﹁あ、いえ︱︱﹂ 奇妙な沈黙が二人の間に落ちた。ややあって︱︱。 ﹁あの、とにかく服を着ませんか﹂ 場を取り繕う風に、虎ノ介はこう佐智へ向けた。⋮⋮虎ノ介のペ ニスはまだ痛いくらいに充血してい、血管を浮き上がらせている︱ ︱。 と。突然、佐智の肩がふるえはじめた。 ﹁く、くくく⋮⋮⋮⋮くっくっ⋮⋮﹂ 佐智は⋮⋮笑っていた。 ﹁さ、佐智さん?﹂ ﹁いや、いや⋮⋮いいから、座っていてください⋮⋮くっ﹂ 立ち上がりかけた虎ノ介を制すると、佐智は少々強引な仕草で以 て彼の膝上へとまたがった。豊乳が、虎ノ介の顔すぐ近く、ぶるり とはずんだ。 ﹁ああもう、なんて可愛いんですか、ぼっちゃまは﹂ 767 云いつつ佐智は虎ノ介を抱きすくめた。 虎ノ介は乳房に顔をうずめる形となった。 好き 好き って。そう云ってください。わたしに悪いと って云いなさい﹂ ﹁うぷっ。さ、佐智さん、もうこんなことは︱︱﹂ ﹁ ﹁え?﹂ ﹁ほら早く。 思ってくれているのでしょう? だったら謝ってください。わたし して。 好きです、お姉ちゃん。ぼくを棄て に、 と。それで許してあげますから﹂ ごめんなさい ないで その佐智の、有無を云わせぬ調子に、虎ノ介はたじたじとした。 したが︱︱ ﹁? ? す、好きです﹂ お 佐智お姉ちゃん が抜けています﹂ 真剣な目に圧され、結局は云われるがまま答えた。 ﹁だめです。 ﹂ ずっと佐智お姉ちゃんのことが好きでした。ぼくのお嫁さんに ﹁す、好きです。佐智お姉ちゃん﹂ ﹁ なってください。ぼく以外の男なんて相手にしないで ﹁いや、ちょっと﹂ ﹁いいから云ってください、ほら。さん、はい﹂ ﹁ず、ずっと佐智お姉ちゃんのことが好きでした。⋮⋮ぼ、ぼくの お嫁さんになってください⋮⋮﹂ 虎ノ介は顔を真っ赤にし、指示されたとおりに云った。言葉の意 味はわからなかった。 佐智は。うっとりと、恍惚の表情を浮かべている。 768 ﹁で、では⋮⋮。こ、これも云ってくれますか﹂ こほんと、ひとつ咳払いをすると、佐智は虎ノ介の耳元へ唇をよ せた。そうして小さな声でいくつかの言葉を告げた。虎ノ介はぎょ っとし佐智を見すえた。 ﹁⋮⋮な、なんで! そ、そんなこと云うんですか?﹂ 抵抗を見せる虎ノ介へ、佐智はたのしげに肯いて。 ﹁お願いしてください。ほら﹂ ﹁い、いやだっ﹂ ﹁嫌じゃないですよ。ぼっちゃまは全然嫌じゃないです。ぼっちゃ まはやればできる子です。ですから⋮⋮ね? 云ってください。ほ らほら。はやく﹂ ﹁だっ⋮⋮。う、うう∼∼っ﹂ 虎ノ介は観念した。仕方ないと目を閉じ、崖から飛び降りるよう な気持ちで、教えられた科白を絞り出した。 ﹁お、お姉ちゃんの﹂ ﹁お姉ちゃんの?﹂ ﹁おま○この中で﹂ ﹁おま○この膣内で?﹂ ﹁⋮⋮ぼくのおち○ぽを可愛がってください。⋮⋮包茎チ○ポ、佐 智お姉ちゃんの、ね、ねっとり淫乱な極上エロマ○コでイかせて。 ぼくの、普通の人には見向きされないダメ遺伝子を、子宮でいっぱ い受けとめて⋮⋮﹂ ﹁はい⋮⋮!﹂ 769 耳にするだけで頭の悪くなりそうな言葉に、しかし佐智は天使の ごとき笑みで応じた。 ﹁よくできましたね、ぼっちゃま。やはり、ぼっちゃまは正しく田 村の跡継ぎにふさわしいご器量をお持ちです。ええ、そこまで殿方 に云わせた以上、女が退く訳にはまいりません。不肖、来栖佐智。 一人の女として、ぼっちゃまの御子を孕まさせていただきます。ふ ふ⋮⋮ですから、どうぞぼっちゃま。これからこの佐智が受精する ところ、しっかりと見ていてくださいね⋮⋮?﹂ ﹁え、え!? なんでっ﹂ 普段の無表情からは考えられぬその笑顔に、虎ノ介はおびえの表 情で後じさった。おまえは何を云ってるのだ。そうした言葉も口を つきそうになった。⋮⋮もちろん狭い便座の上でのこと。どこにも 逃げる場所などなかった。 虎ノ介の動揺など一切をかまわず、佐智は嬉々として腰を浮かせ た。そうして、 ﹁んっ︱︱﹂ あっという間に。ペニスを、その身へ飲みこんだ。 ﹁うあっ﹂ 背を反らせ、虎ノ介はあえいだ。 引き締まった肉の、熱い締めつけが男の芯を襲っていた。 鍛えられた佐智の肉体。その締めつけは実に強烈で、虎ノ介にま ず強い印象をあたえた。僚子の膣洞が全体で吸いこむような締めつ けを持つなら。佐智のそれは段階的な輪の締めつけだった。入口と 770 らせん 中と奥とで、それぞれきつさが違う。ところどころ螺旋に備えられ た輪が、奥に向かうほど締めつけを増す。 ばね ︵すごいな。すごい気持ちいい。⋮⋮熱くて、ぬるぬるで、締まり 方が撥条っぽいというか︱︱︶ 虎ノ介は思った。 熱い輪が、ぬかるみの中、幾重にも彼を捕らえていた。 ﹁ぜ、前戯もなしで﹂ 虎ノ介は佐智の身を心配したが、佐智は少しもこたえた様子なく、 ﹁いいえ、大丈夫です。わたしは、佐智のおま○こはぼっちゃまの ためだけにあるのですから⋮⋮。んくっ⋮⋮うふ、ふ、ふ。どうで すか、とてもいい感じにほぐれているでしょう⋮⋮? ぼっちゃま に挿入れてもらえると思っただけで、とろっとろっに発情するんで す、わたしのマ○コは﹂ と云って、腰をくねらせた。ぬちゅり、ぬちゅりと。結合部から、 体液の撹拌される音が鳴った。 ﹁さ、さっきと云ってることがちが︱︱くぅっ﹂ ﹁ああ、ぼっちゃま⋮⋮。ぼっちゃま⋮⋮ぼっちゃま、ぼっちゃま、 ぼっちゃま⋮⋮!﹂ 佐智は体面座位の姿勢のまま、腰を上下左右へと烈しくふりたて た。いわゆるロデオスタイルに近く。足を開いた状態で腰を上下さ せるたびに、佐智の大きな胸は揺れ、虎ノ介の喉や胸元をなでた。 パンプスのヒールがタイルの床にぶつかり、硬質な音を立てた。 771 濡れた膣壁はウネウネとうごめき、さかんに虎ノ介へ射精をうな うち がしてくる。すぐに虎ノ介は我慢の利かぬ状態となった。二度目の 射精の予兆を裡に感じた。 ﹁あンっ⋮⋮あンっ⋮⋮ああんっ⋮⋮! ぼ、ぼっちゃま! ぼっ ちゃまあっ。やっと、やっと帰ってきてくれましたね。待ってたん です。ずっと、十年間、待ってたんです。こうしてぼっちゃまと繋 がる日を佐智は、ずっと夢見て⋮⋮あっ、あっ、あンッ! ん⋮⋮ んっんっいっ﹂ てい ほとんど狂乱の態で、佐智は腰を使った。 虎ノ介は自分では一切動かずにいながら、射精へと追いつめられ ていった。彼の頭の中には大きな混乱があった。しかしそれも、次 第に巨大な快楽の波へと飲みこまれていった。虎ノ介は無我夢中で、 つきたての餅に似た巨乳をこね上げ、もみしだいた。大きな乳輪を 舐め、隆起した乳首を一生懸命に吸った。 ﹁ぼっちゃま。赤ちゃんみたいに必死にお吸いになって⋮⋮。申し 訳ありません。いくら吸っても、わたしのおっぱいはまだ出ないん です⋮⋮。ごめんなさい、ぼっちゃま。はぁ⋮⋮はぁん⋮⋮。ちゃ、 ちゃんとおっぱいを出せるようになるには、ぼっちゃまが仕込んで くれないと、ダメなんです⋮⋮んっ﹂ 佐智は、くるしそうにしている虎ノ介の頭をなで、やさしく見つ おり めた。佐智の全身には、玉のような汗がびっしょりと浮かんでいる。 佐智の中へ出入りを繰り返す肉茎には、白く泡立った澱がべったり とこびりつき、彼女の昂ぶりを示している。 ﹁うっ、うっ、さ、佐智さん﹂ ﹁あんっ。⋮⋮ぼ、ぼっちゃまのチ○ポ、びくびくとふるえて⋮⋮ 772 カリが開いてきてます。い、イキそうですか? もうイキたいです なか か? イクんですね? ⋮⋮あん、んっ⋮⋮ふっ、くぅん⋮⋮い、 いいですよ。ぼっちゃま。遠慮なく、佐智の膣内へ、いやらしいミ ルクどぴゅどぴゅしてください。エッチなおつゆ、いっぱい出して ⋮⋮!﹂ ﹁うっくっ﹂ ﹁あんっ⋮⋮! くぅっ⋮⋮! だ、だめです、我慢なんてしたら っ。はぁ⋮⋮わたしの子宮の奥の小さな壺。ぼっちゃまの愛で満た して⋮⋮! 妊娠させてぇ⋮⋮!﹂ ﹁くう、もう、もう⋮⋮﹂ 虎ノ介は限界に達した。 訪れた多幸感に身体をふるわせ、一気に、佐智の胎内へと精をぶ ちまけていった。 ﹁で、でるうっ﹂ 烈しい噴射を子宮口に浴び、佐智もまた絶頂に達した。 ﹁き、キタっ! ぼっちゃまの⋮⋮! ひいっ! やっ、やっぱり、 こ、これ⋮⋮っ! すご、 い、イっちゃうッ。イクッ。おま○こ イクッ。わた、し⋮⋮受精して、イ、イクゥううううッ。んん∼∼ ∼∼∼∼∼∼∼∼ッッッ﹂ 虎ノ介の精液が導く、すさまじい、破壊的なまでの快感に、佐智 は口を半開きに視線を虚空に彷徨わせた。口の端からこぼれたよだ れが、虎ノ介の頬に落ちた。射精のいきおいはとどまることを知ら ず、ペニスは寒天質な体液を、佐智の奥に吐き出しつづけた。佐智 は虎ノ介にしがみついたまま、ぶるぶると全身を痙攣させた。 773 ﹁∼∼∼∼∼∼∼ッッ﹂ いき 声にならぬ声で佐智はもだえた。もだえ、しかしそれでも、でき るだけ呼吸を殺して冷静であろうと努める姿勢を見せた。ひとしき り身体をふるわせたのち、佐智は虎ノ介を見つめ微笑を浮かべた。 ﹁はぁっ⋮⋮はっ⋮⋮んっ⋮⋮。よく⋮⋮よくがんばりましたね。 おつらかったでしょう﹂ けしき す 大変な負担︱︱重労働をさせてしまったという気色で、佐智は虎 ノ介へ接した。やさしくいたわるように、虎ノ介の頬をなで髪を梳 く。虎ノ介はぽう⋮⋮と、普段とは別人に見える佐智へ見惚れた。 ⋮⋮と、その時であった。 ﹁トラー。いるー?﹂ 虎ノ介を呼ぶ声がトイレ内に響いた。 虎ノ介はぎくりとし、思わずその身をこごめた。 ﹁トラー。トイレじゃないのー?﹂ ︵ね、姉さんっ?︶ 舞であった。 どうやら入口から声をかけているらしい。足音と虎ノ介を探す声 とが、交互に、虎ノ介の耳へ聞こえてきた。 ﹁トラー⋮⋮いないのー? 大の方かしら。⋮⋮こんな時間だし、 他に人もいない⋮⋮よね、きっと。よし⋮⋮トラー、いるんでしょ 774 ⋮⋮もしかしてお腹でも痛い⋮⋮?﹂ そっと。舞のトイレ内へ入ってきたのが、虎ノ介にははっきりと 感じとれた。タイルの上をかつん、かつんと足音が近づいてくる。 ︵やばい。これはやばいっ︶ ところ 虎ノ介は焦った。 こんな場面を見られたら何を云われることか。下手をすれば血を 見ることにもなりかねない。 そう思い、あわてて動こうとして︱︱ じっ ︵しっ! 静かに。凝としててください︶ そう、佐智に押しとどめられた。 なか ︵ダメです、ぼっちゃま。今はとにかく動かないで。声も出さない で。下手に動くと気づかれます︶ 目に剣呑な光を浮かべ、佐智は小声で云った。 虎ノ介はこくこくと肯き、息を飲んだ。びくりと、佐智の膣内で ペニスが大きくふるえた。 775 伯母と姉、田村母娘の場合 前編 その7 ﹁あんっ︱︱﹂ 佐智が感じ声を上げた。 虎ノ介はどきりとして佐智を見やった。 ︵ちょ、ちょっと︶ 非難のまなざしを向けると、佐智は佐智で苦んだ顔つきをした。 ︵ぼぼぼ、ぼっちゃま⋮⋮! エッチなのはもう終わったでしょう !? どうして動かすんですか。少し、アレを小さくしてください。 そんな風にいやらしくされたら、その⋮⋮⋮⋮どうしたって反応し てしまいます⋮⋮!︶ ︵そんなこと云われても︱︱︶ 困る。 と、虎ノ介は思った。 くわ 虎ノ介とて反応したくてしているのではない。彼の上には今、佐 智が乗っているのだ。佐智がモノを銜えこんだまま強く締めつけて いるせいで、抜きたくても抜けないのである。加えて佐智の子宮は 欲深だった。深いところで繋がった子宮が、未だ精子を求め﹁ちゅ う⋮﹂と亀頭へ吸いついていた。 ︵うう⋮⋮き、気持ちよすぎ⋮⋮!︶ 虎ノ介は快感にふるえた。ペニスが、うねる膣内へと、ふたたび 776 精子を吐き出しはじめた。 ︵︱︱︱︱ッッ。ぼ、ぼっちゃま、どうしてまた大きくなってくる んですか? もう二回も射精させてあげたでしょう。それなのに⋮ ⋮ああ、あああ。出てる。また精子出てるっ。びゅくびゅくって⋮ ⋮。わたしの中に沁みこんでくる⋮⋮! 発情おま○こ、くずしに きてる⋮⋮!︶ ︵さ、佐智さんのマ○コがドスケベすぎるのが悪いっ。お、おれは 悪くないっ︶ ︵な、何、人のせいにしてるんですかっ。スケベはどっち︱︱ひぃ っ! ま、またキタあ⋮⋮! ⋮⋮かたまり⋮⋮! 今度は精子の かたまりがびゅっって! びゅびゅーって⋮⋮! 気持ちいいのが ⋮⋮! すごくしあわせになっちゃうのが⋮⋮ッ︶ 焦りと快楽の両方をにじませ、佐智は虎ノ介をにらんだ。眉をひ そめ、必死で声を出すまいとこらえた。 ︵こ、こんな状況で⋮⋮ば、ばかですか? ばかなんですか︱︱︱ ︱ッ!?︶ 官能のあえぎをもらす佐智に、虎ノ介はますます興奮してきた。 ガチガチに強張ったペニスは、本能的に佐智を求めひくつきはじめ た。 ⋮⋮舞の足音はだんだんと近づきつつある。 虎ノ介は生きた心地がしなかった。心細さから佐智の身体を抱き しめた。いきおい、腰がぐんと動いた。 ﹁∼∼∼∼ッ﹂ 佐智は背筋をふるわせると、いよいよ怒りをあらわにしたが。そ 777 あか の目は快楽に染まり、頬は火照って紅らんでいた。 ︵わ、わざとやってませんか、ぼっちゃま︶ ︵な、なんのこと︶ 次第に険しくなる佐智の表情にも、虎ノ介は恐怖を覚えた。どう しておれはこんな状況に置かれているのだ。訳がわからぬ思いであ った。はっきりしているのは、佐智と繋がっていることが途方もな く甘美だということだけだった。 佐智は﹁ふ⋮﹂とひとつ、微笑を浮かべると。 ︵わかりました。ぼっちゃまがその気なら、わたしも覚悟を決めま しょう︶ 告げた。だしぬけに虎ノ介の唇をうばった。 ﹁!?﹂ 思わず、虎ノ介は目を白黒とさせた。 ﹁ふっ⋮⋮ぢゅ⋮⋮んっ⋮⋮ぷ⋮⋮ん⋮⋮﹂ ﹁ん∼∼っ。ん∼∼っ﹂ 舞がすぐそこにいる。 だというのに、佐智は性交を再開した。じたじたと暴れる虎ノ介 を力で無理やりに押さえつけ。みたび果てさせようと、大胆に腰を 動かしはじめた。その膣で、ペニスを妖しくしごきはじめた。 たまらないのは虎ノ介である。 射精直後の敏感なペニスは、火のような快感に包まれた。 778 ︵⋮⋮ぷはっ。⋮⋮や、ちょっと! ちょっと待って! 佐智さん、 ムリ! ムリだっ。もう限界! ち○ちんがじんじんしてきたっ⋮ ⋮むぐっ︶ からだ 虎ノ介の抵抗など意に介さず、佐智は腰をグラインドさせた。両 足を床に踏ん張り、肢体ごと腰をくねらせる。ぐちゅ、ぐちゅ、と 濡れた水音が立った。パンプスが繰り返し不規則なリズムを刻んだ。 ︵ひぃっ︶ もれかけた悲鳴は、全て佐智の口へと吸い取られていった。深い 口づけが、舌が、虎ノ介の口を封じていた。顔を上に、顎を持ち上 げられた形で、虎ノ介は佐智に口腔を蹂躙された。口と性器で犯さ れ、唾液と精液をうばわれた。 虎ノ介は徐々にその意識を曖昧にしていった。 ﹁ん⋮⋮ぢゅっ⋮⋮ぢゅる⋮⋮ふっ⋮⋮む﹂ 口を使わぬ二人の荒々しい呼吸が、トイレ全体へと散じた。 ﹁虎ノ介?﹂ 舞の声が上がった。 答えは、ない。 ﹁あ、あれ? もしかして虎ノ介じゃない⋮⋮? んでもってお取 り込み中⋮⋮?﹂ ﹁ん゛∼∼∼んんん∼∼⋮⋮﹂ ﹁わ。ま、まず⋮⋮﹂ 779 舞は声をひそめた。 誰かが、腹痛でくるしんでいる。 どうやら彼女は、そうした具合に受け取ったようであった。なる ほど、二人のくぐもった息遣いは確かにそう聞こえなくもない︱︱。 ﹁もうっ。トラのやつ、どこ行ったのよー﹂ 小声で苛立たしげに云い棄て、舞は去って行った。 ⋮⋮気配が完全に消えたのを確認してから、佐智はその唇を離した。 二人の唇の間を、銀の糸がツ⋮と繋いだ。佐智は解き放たれた獣の からだ ごときに、はじらいも棄てよがりはじめた。嬌声が、トイレ内を満 たしていった。 女の、汗に濡れた肉体が、淡い照明の下、軽やかに跳ねた。 ◇ ◇ ◇ 二十分ほどの交合ののち。 ようやくに佐智は、虎ノ介を解放した。虎ノ介は精も根もつきは てたといった気色で、ぼんやりと佐智を眺めた。 するだけして満足したのか。佐智はやたらと上機嫌な様子で、鼻 歌なぞ歌って後始末に取りかかっていった。ペーパータオルで自ら の股間を大雑把に拭くと、全身の汗も、胎内の精液もそのままに服 を身に着けていく。その程度ではあきらかに処理しきれぬだけの精 を佐智は受けているはずだったが︱︱。 ﹁いいんですよ、こんなものテキトウで。見えなきゃいいんです。 別に下着がぐちょぐちょだからって、普通にしてれば気づく人はい ませんから。わたしなんて、しょっちゅうスケベな妄想してパンツ 780 濡らしてますけど、今まで誰にも気づかれたことはありませんよ。 な 要は顔に出さなきゃいいんです。それにぼっちゃま。ひとつ教えて かだし おきますと、女はですね。このドロっとくるのが好きなのです。膣 とき 内射精された後に、ゼリー状だった精液が溶けてこぼれてくる︱︱。 これこそが女の至福の瞬間です。誰だってそうなんですから。本当 ですよ?﹂ ネクタイを締めつつ、こう佐智は語って聞かせた。 ︵それは貴女だけです︶ 虎ノ介は思ったが、それは口に出さないでおいた。服を身に着け 終えた佐智は、次に虎ノ介の方へ取りかかった。 虎ノ介は下半身を露出した、そのままの姿で待っていた。性交後 の始末は自分の仕事だと、佐智が譲らなかったためである。 ⋮⋮虎ノ介の股間および便座は、多量の精液と愛液によって今や目 もあてられぬさまとなっている。 ﹁ちょっと冷たいですけど我慢してください﹂ 云い置き、佐智は濡らしたタオル地のハンカチで、股間からよご もっ れをぬぐいとりはじめた。それが済むと、今度は備えつけの消毒用 アルコールで以て、尻やふとももを、ペニスにはふれないよう丁寧 に拭き清めていった。そうして最後に虎ノ介を立たせてから。 ﹁あむ⋮⋮﹂ そのすっかりやわらかくなったペニスを口中へと運んだ。 ﹁ん⋮⋮るろ⋮⋮んォ⋮⋮﹂ 781 舌と口で。我が子を慈しむように、佐智はペニスをしゃぶった。 つぼ 肉茎にこびりついた精液の残滓は、彼女の長い舌によって残さず舐 すす めとられた。尿道内に残っていた精子も、佐智は頬を窄めあまさず 啜った。 スペルマ 全てを終えると、佐智はしゃがんだまま虎ノ介へ口を大きく開い て見せた。 ⋮⋮ピンク色の舌の上に、黄色味がかった精液がこってり、のせら れている。 佐智は虎ノ介が見届けたのを確認すると、 ﹁⋮⋮んくっ﹂ その濃厚な白ジャムをうまそうに嚥下した。 ﹁ああ⋮⋮なんだか、慣れると思ったよりおいしいですね、これは﹂ そんな感想を述べた。 虎ノ介は佐智のなすがままにされつつ、 ﹁あの、佐智さんは、どうしてここまでしてくれるんですか?﹂ と、ずっと疑問に思っていたことを口にしてみた。 ﹁? どうして、とは?﹂ ﹁だって、仕事にしてはあまりにその、ひどいなって思うし。⋮⋮ 好きな男の人がいたんでしょう?﹂ ﹁ああ、そのことですか﹂ 佐智は立ち上がると、けろりとして答えた。 782 ﹁それは嘘です﹂ くれは 口元をぬぐいつ云う。 ﹁はい⋮⋮?﹂ ﹁お屋形様や、紅葉様にはよく見合いを薦められてますけどね。強 いてわたしの男関係を挙げるとすれば、そのくらいでしょうか﹂ ﹁え、え⋮⋮?﹂ ﹁何を不思議そうな顔してらっしゃるんですか、ぼっちゃま。基本 的に田村の血を引く女は、皆同世代の宗家男子︱︱つまりぼっちゃ わたし まのモノなんですよ? これは強制ではなく自然とそうなるのです。 ですから狩野も阿仁も橘も、当然来栖も。分家の女は全てぼっちゃ まびいきです。云ってませんでしたか?﹂ ﹁あの、いったいなんの話を﹂ ﹁まあ本家に男子が生まれることはほとんどないですから普段はあ まり関係ないですが。ぼっちゃまは早世された龍之介様のこともあ って、とても望まれておいでですね。今の分家の女はだいたいまだ 未婚です。阿仁家などは三十過ぎてもまだ独身でがんばってる哀れ わ なのがいますし、それに下手をすると既婚者のくせに手を出してき たし そうなババアもちらほら。あ、ですがご心配なく。ぼっちゃまは佐 智が守りますから。あのような淫乱な牝豚どもに勝手はさせません﹂ ﹁ちょ、ちょっと待って﹂ 虎ノ介は混乱し、佐智の言葉をさえぎった。 ﹁そ、それじゃええと。つ、つまり佐智さんは、ほ、本当におれの ことが好きだったんですか?﹂ 恐るおそる問う。 783 佐智は平然と、しかしわずかに微笑を浮かべて。 ﹁はい﹂ と肯きを見せた。 ﹁だ、だって! 昨日はあんなに嫌そうにしてたじゃないですかっ。 伯母さんに命令されて。だからおれ、てっきり︱︱﹂ レイプ ﹁ああ⋮⋮。あれはちょっとおもしろくなかったので﹂ はじめて ﹁や、やっぱり﹂ ﹁わたし、処女喪失は無理やりと心に決めていたのですが。思いが けず和姦になってしまって正直、残念だったなと﹂ ﹁は、はいぃ⋮⋮?﹂ 虎ノ介は呆然とし、佐智を眺めやった。佐智は少し照れたように 顔を紅めた。 ﹁い、いや。やはりわたしも女ですから。はじめてくらいは、ムー ドというか、そういうロマンチックな中でしたいな、などと⋮⋮。 まあ、その、そんな風に思っていた訳でして。たぶん女なら誰でも ゆめ 逆レイプが理想のロストバージンだと思うのですが、わたしもその 例にもれず、そうした乙女チックな野望を持っていたといいますか﹂ ごほんっ。と咳払いなどしてみせる佐智。 虎ノ介は。もはや文句を云う心さえ失せてきていた。 ﹁はあ。⋮⋮そうですか﹂ 疲れた声で、かろうじて答えるのみであった。 だめだこいつ。何云ってるかわかんねぇ。 784 虎ノ介は何かあきらめに近い心持ちで、この照れる年上の女を見 つめた。 佐智は虎ノ介の視線に気づくと、 ﹁え、ええっと⋮⋮あの、向こうへ着いたら、い、一度夜這いをさ せてもらってもよろしいでしょうか? できればぼっちゃまは本気 で抵抗してくれるとうれしいのですが︱︱﹂ 期待に満ちた目を向け、云った。 ◇ ◇ ◇ 車輛に戻ると、 ﹁あー、やっと帰ってきた。どこ行ってたのよーっ﹂ 舞がまず大きな声で迎えた。 皆もうすでに起き出してい、それぞれがそれぞれのことをしなが ら、虎ノ介の帰りを待っていた。 飲み物や軽食を引き出して朝食の用意をする敦子の姿があった。 赤ん坊に授乳する朱美の姿があった。 柔軟と体操をする舞の姿があった。 携帯プレーヤーで音楽を聞く準の姿もあった。 ﹁ごめん、ちょっと朝の散歩に。佐智さんとね﹂ 虎ノ介は引きつった笑顔で、舞に答えた。 785 ﹁散歩? こんなところで?﹂ ﹁うん、まあ⋮⋮ちょっとその辺、自販機コーナーとか﹂ ﹁⋮⋮ふうん?﹂ 舞は疑わしげな顔をする。 佐智は平然とした顔つきで以て、ワンボックスカーの方へとまわ った。 敦子が佐智へ声をかけた。 ﹁佐智﹂ ﹁はい。なんでしょうか、奥様﹂ ﹁そっちにナプキンなんかがあるから、とってくれる?﹂ ﹁承知しました﹂ ﹁ありがとう。⋮⋮で、どうだったかしら、感想は。ハマるもので しょう?﹂ ﹁⋮⋮はい。確かに、アレはとてもいいものですね﹂ ﹁そうよね。うん、よかったわ。やっぱり、お互いたのしまなくち ゃもったいないもの。⋮⋮それで? 先のことは決めてきた?﹂ ﹁はい。こちらは週四を希望したのですが、先方が難色を示されま して﹂ ﹁あら﹂ ﹁仕方なく、週三ということで契約しました﹂ ﹁そう⋮⋮。でもちょっとそれじゃ足りないわね﹂ ﹁最終的には全員相手に、週五くらいが理想のような気がします﹂ ﹁そうね。じゃあ考えておきましょう。ちょうど新薬の方もメドが つきそうって話だから。おそらくなんとかなるでしょう﹂ こうした会話をしつつ、二人は食事の用意を進めていった。 ﹁ちょっと、母さん、こんなところまできて仕事の話はやめてよ。 786 佐智も﹂ そう、舞が文句を云った。 787 伯母と姉、田村母娘の場合 前編 その8 としつき 十以上の年月を経て、虎ノ介は己の生家へ帰ってきた。 ふもと 同じ土地に住みながらも近よることのなかった家である。手紙や 電話すら送ることのできなかった家である。麓の街に住み、遠くに 見える峰にその生活を想像してみるぐらいしかふれえなかった場所 である。 つばき 木々の匂いさえも彼はなつかしく感じた。その地方には比較的め さえず ずらしい、よく育った椿が一面森となってある山に、子供の頃と同 かやぶ さ くつぬぎ じ木々のそよぎを聴いた。風の騒ぎと、鳥たちの囀りを見た。 すみ 古びた木戸も、萱葺きの屋根も、寂びのある沓脱石も、陽あたり のよい縁側も、皆、記憶のおぼろの中にあった。前庭の隅にある小 さな一本の椿は、幼い虎ノ介がねだり母とともに植えた木だった。 ああ、自分は帰ってきたのだ。 虎ノ介は思ってみた。同時にわずかな不安も生じてきた。 どれだけ大変でも田村家に頼ってはいけない。母にはそう云い聞 かされた。 田村の家のことは忘れろ。祖父はそう云った。 みじん それらの戒めを破ってまで虎ノ介は伯母を頼った。破ってなお後 悔の気持ちは微塵もなかった。虎ノ介はあたたかい、家というもの への憬れを持って敦子たちを見ていた︱︱。 ﹁お帰りなさいませ。敦子様、舞様。⋮⋮そして虎ノ介様。おひさ しぶりでございます﹂ 車を降りた虎ノ介たちを待ち受けていたのは、そうした出迎えの 788 みづはら 言葉だった。 三津原と名乗ったその渋みある中年の家宰は。冷静な顔つきにか すかな柔和さを浮かべ、うやうやしく頭を下げた。 三津原の横には幾人かの使用人が控えており、虎ノ介はその中に、 背広を着た、佐智とそっくりな女性︱︱佐智よりは幾分か男性的な ︱︱を見つけた。おそらくはこれが佐智の双子の兄なのだろうと、 虎ノ介は当たりをつけた。その女性︱︱否、佐智の兄は、虎ノ介の 視線に気づくと涼やかに微笑し目礼した。男性とは思われぬような 可憐な仕草に、虎ノ介は顔を紅めた。 どのくらいあるのか。そうしたことを思わせる大きな屋敷に入る と、虎ノ介たちはまず三十畳ほどある客間へと通された。 荷物などは皆、使用人らが運んでいった。中年の女もいれば老い た男もいた。若い少女もいた。和服にフリルエプロンというお仕着 せを着、折り目正しく働く彼女らを虎ノ介は瞠目して見た。佐智や、 その兄の那智も彼女らとともに動いた。虎ノ介も手伝おうとしたが、 それは聞き入れられなかった。 田村邸では現在七人が働いている。と三津原は云った。 家宰である三津原にメイドが二人、料理人が一人、下男兼庭師が 一人、そして来栖兄妹の二人である。来栖家は分家でもあり本来は その立場も高いのだが、二人は代々の役目を継いで使用人として働 いているのだという。 ﹁ご逗留されている方々を含めますと、もう少し住人は多くなりま す﹂ ﹁逗留、ですか?﹂ 虎ノ介は尋ねてみた。三津原は肯き。 789 ﹁はい。ぼっちゃまがご帰還されるというので、分家の方々が幾人 か。ご拝顔を賜りたいとおっしゃられ、一週間ほど前から当家へ滞 在されておられます﹂ ﹁ご拝顔∼? よくそんな心にもないこと云えたものね。いったい どこのどいつよ﹂ 出された麦茶を飲み、舞が問いかけた。 くれは ﹁まずは狩野家の紅葉様が﹂ ﹁ああ、あのオバハンね。⋮⋮あの人なら仕方ないか。わたしたち おぼろ ゆら がいた頃から、ちょくちょくやってきてたものね﹂ ﹁それから阿仁家から朧様、橘家から由良様、速瀬家から明彦様と 桜子様、そして風宮家から広人様がこられておいでです﹂ ﹁何それ。六家そろい踏みじゃない。しかも当主はオバサンだけで、 他はみんな次期当主ばかりって。⋮⋮ああ、ああ。どうしてウチの 連中はこうわかりやすいのかしら。ハイエナどもが。トラの前で少 しでも自分トコの印象よくしとこうって魂胆が見えすいてるわ﹂ がりがりと氷を噛み砕きつつ、舞は吐き棄てるように云った。乱 暴に置かれたコップの表面を、水滴が流れて落ちた。 ⋮⋮敦子は何も云わず、静かに話を聞いている。朱美と準もまた黙 って座布団に座っている。 なんのことを云っているのだろう。 虎ノ介は考えてみた。田村家には分家がある。以前から聞かされ いだ ていたことであった。しかしながら、それが自分と係わってくると いうことについて、何かはっきりとした考えを抱けるほど、彼は情 うち ねが 報を持ってはいなかった。敦子たちと暮らせさえすればいい。彼の 心の裡には、そうした希いだけがひそやかにあった。 ﹁それについてはなんとも申し上げようがございませんが︱︱﹂ 790 三津原は眼鏡の奥、ひとつ考え深い目つきをしてから、 ﹁旦那様は虎ノ介様のご結婚相手を決めるおつもりのようです﹂ と、抑揚ない口調で答えた。 ﹃ふあっ!?﹄ おどろき その場にいたほとんどの人間から、吃驚が起きた。 ﹁ど、どういうことよ、それは?﹂ 舞は色をなし。準は無言で目を険しくした。朱美は沈着かない表 情のまま、虎ノ介はぽかんとして三津原を眺めた。 ⋮⋮ただ一人。敦子だけが沈着きはらった様子で熱い紅茶を舐めて いた。 ﹁さあ。旦那様のお考えをわたしごときが語るのはいささか出すぎ ておりますゆえ⋮⋮。ですが話としては、要はお見合いのようなも のでございましょう。誰か、虎ノ介様にふさわしい相手はいないか、 と。そう旦那様が各家の当主へおうかがいしたところ、なればと⋮ ⋮。各家はそれぞれご息女を推薦されたようですな。ですから、こ たびの虎ノ介様のご帰還は、各分家、次代の方々との引き合わせの 場にもなると︱︱﹂ ﹁ふざけないでよ﹂ 舞が大声を上げた。 ﹁何を勝手な。と、トラが結婚? そんな、本人の意思を無視して 791 ぼ 許される訳ないじゃない。ついに惚けたわね、あのジジイ︱︱﹂ 憤懣やるかたないといった気色で立ち上がった。 と︱︱。 ﹁誰も惚けちゃおらん﹂ そんな重々しい声が、舞の背中へかかった。 その場にいた全員の視線が、声の先へと向けられた。⋮⋮舞の背 後。傍らに美貌の青年を連れた、いかにも厳しい顔つきの老人が、 廊下から姿を現した。 ◇ ◇ ◇ ﹁火浦様と水樹様には空調のある部屋をご用意させていただきまし た。机もありますので執筆もできるかと存じます。何か困ったこと があればいつでもお声をおかけください。電話で内線のゼロを押し ていただければ、いつでもわたしか他の使用人が出ますので﹂ ﹁すいません。何から何までお世話をかけてしまって﹂ と朱美が礼を云うのへ、美貌の青年︱︱来栖那智は、 ﹁いいえ。奥様やお嬢様のご友人とあれば、わたくしどもにとって も大切な方々です。ご遠慮は無用でございます﹂ こう告げると、慇懃な仕草で一礼し去って行った。 ﹁ふあ∼。話には聞いてたけど。すんごいわね、舞ちゃんち﹂ 792 朱美は感心とあきれの半々といった風情で舞へ云った。 ⋮⋮正午少し前。 虎ノ介と舞、それに朱美と準の四人は、それぞれにあたえられた 部屋の割りふりを皆で確認していた。何しろ数十人は余裕で暮らせ ようかという大邸宅である。母屋は東棟と西棟とに別れており、大 部分は和風の日本式建築だが一部には洋室もある。離れには使用人 たちの暮らす部屋、そしてまた別のところには茶室などもあった。 つくりも複雑で、虎ノ介などは舞の案内なしにトイレに行くことす らおぼつかなかった。 ﹁ばかみたいでしょう﹂ 舞は疲れたような声で答えた。 ﹁二十一世紀にもなって、未だに武家か貴族かって勘違いしてるん だもの。ホントはずかしいったら﹂ ﹁いやあ、ばかってことはないけどね∼。物書きのはしくれとしち ゃあ、なかなか興味深くもあるし⋮⋮⋮⋮わ、虎くん、見て見て。 窓から見えるの、露天風呂よ、露天風呂。やあ、ホントすごいわ。 ほとんど旅館なみね﹂ ﹁後で一緒に入りましょう﹂と、舞に聞こえぬよう小声で誘う朱美 であった。 虎ノ介は曖昧に笑ってから、 ﹁ここが朱美さんで、こっちの部屋が準くんですね。で、姉さんは﹂ ﹁わたしは向かい側ね﹂ ふすま 云いつつ舞は口にリボンを銜えると。少し歩き、部屋の襖を開け 793 放した。かき上げた髪をうしろでひとつにまとめる。 広々とした中に、小さな机と本棚、それに電気スタンドが置かれ てあった。空調が効かされていたらしく、ひんやりとした空気が部 屋から廊下へと次第に広がってきた。 ﹁わたしの隣が佐智で。その向こうが母さん﹂ ﹁おれの部屋は?﹂ 虎ノ介が問うと、舞は﹁ああ﹂と頷き。 ﹁ちょっと離れてるけど。ほら、あそこ。あの角の部屋﹂ 指で指した。 ﹁小さい部屋で、エアコンもたしかついてないけど。なんか母さん があそこにしろって強引にね﹂ ﹁伯母さんが?﹂ ﹁ええ。叔父さんが使ってた部屋なんですって﹂ ﹁親父が⋮⋮﹂ ふすまど 虎ノ介はその離れたところにある座敷の襖戸を眺めてみた。 ﹁お祖父ちゃんも親父のことを苦々しく思ってたのかな﹂ つぶやく。 虎ノ介の脳裡には先刻の祖父の姿がはっきり思い出されてきてい た。高齢だが背筋のぴんと伸びた、和服姿の祖父が思い出されてき ていた。厳粛な、見る者を威圧するような人であった。白いひげと けんちゃく しわと、引き締まった口元が、永年の人生における険しさ、是非利 害の揀択の鋭さを思わせる人であった。十年ぶりに会う孫を前に、 794 ほうげん 何ひとつ云わなかった祖父に、虎ノ介は寂しい気持ちを抱いた。 祖父︱︱田村鳳玄は、舞へ向け語った。 ︱︱虎ノ介に結婚を強制するつもりはない。見合いは分家の者たち との顔合わせの一環であり、余興のようなもので、当人が望まぬな ら無理にそれを行うこともない。 こうしたことを云った後、鳳玄は敦子との間でいくつかの言葉を 交わした。それから家の主人として朱美や準へもてなしの挨拶をし た。だが、虎ノ介に対しては一切の言葉もなかった。ほとんど無視 するかのような冷たい態度で、鳳玄は虎ノ介をいない者としてあつ かった。それは彼が客間を出てゆく最後までつづいた。 虎ノ介はひそかにあった期待の、完全に打ち砕かれたのを知った。 見かねた舞は祖父に食ってかかった。 しかし鳳玄は、去り際にちらと一瞥をくれたのみで。結局はその まま屋敷の奥へと下がっていったのだった。 ﹁親父や母さんのことがあるから、おれも疎ましいのか﹂ ぽつりと、虎ノ介は独りごちた。準が気遣わしげな目を向ける。 ﹁あんなの⋮⋮気にしないでおきなさい﹂ 云って舞は虎ノ介の頭をなでた。 795 幕間 ティータイム かれ ﹁虎ノ介を好きになったきっかけ?﹂ ほん 読んでいた小説から目を上げ、僚子は問い返した。 ﹁どうしてそんなことを?﹂ 寝そべったまま向けた視線の先には、ノートパソコンを前に作業 する玲子の姿があった。 ︱︱聖ウルザ教会の牧師館。 静かな週末の午後を、僚子らは気の置けない友人同士、のんびり と過ごしていた。 牧師館は、司祭や修道士のために用意された住みこみ用の家屋で シスター ある。聖ウルザ教会の神父は別に家を持ち、通いできているため、 この牧師館は管理者兼修道女であるシミーの住居として使われてい る。 おちつき フローリングされた客間には僚子とそして玲子の姿があった。 ⋮⋮玲子は優雅な、沈静ある仕草で、紅茶を口に運んだ。 窓の外では細かな雨がしとしと降りつづいている。部屋の中はわ ずかに蒸し暑い。 ﹁別に。特に理由はないけどね﹂ 目はディスプレイを見たまま、玲子は云った。 ﹁ただちょっと気になったのよ。⋮⋮ほら、僚子って昔からあんま 796 り何かに固執するタイプじゃなかったじゃない。割とこだわらない っていうか﹂ パソコンの電源を落とすと、玲子はディスプレイを閉じた。テー ブルに置かれたケーキの皿をとる。 僚子は本を読むのをやめ、間にしおりを挟んだ。 ﹁ふむ⋮⋮まあね。たしかにこれといったきっかけがあった訳じゃ あないな。最初は興味本位でからかう程度のつもりだった﹂ ﹁やっぱりそうなのね﹂ 肯くと。僚子は寝そべっていた身体を起こして、テーブルのコー ヒーへ手を伸ばした。 ﹁今は割と執着してるよ。独占欲はないにしてもね。彼なしの生活 は考えられない﹂ ﹁そっか。ちょっと安心した﹂ ﹁うん?﹂ ﹁だって、どうせここまで滅茶苦茶してるんだもの。いっそみんな で一緒にやりたいじゃない。途中で誰か抜けたりしたら寂しいでし ょう?﹂ ﹁ふ⋮⋮相変わらず乙女だな、キミは﹂ ﹁べ、別にいいでしょう﹂ ﹁そっちこそどうなんだい﹂ ﹁何が?﹂ ﹁どうしてハーレムに参加したんだよ。最初は乗り気じゃなかった ろう?﹂ にたにたと、僚子はいやらしく笑ってコーヒーを舐めた。 797 ﹁そ、それは前に云ったでしょう﹂ ﹁たしかに。元彼とのいきさつは聞いた。教会でのレイプも。ん∼ ⋮⋮でもね。ちょっとおかしいと思ったのだよね﹂ ﹁お、おかしいって?﹂ ﹁いやあ、虎ノ介くんが殴られた時の︱︱⋮⋮と。ああ、そういえ ばキミ。その元彼は、あれからどうなったんだい?﹂ ふと思いついたように、僚子が尋ねる。 ﹁あの虎ノ介くんを殴ったDV男さ。殺すとかなんとか、物騒なこ とを口走っていたのだろう?﹂ ﹁ああ⋮⋮。彼なら、敦子さんが話をつけてくれたみたい﹂ ﹁敦子さんが?﹂ ﹁うん。ほら、一〇七に新しく入ったでしょう? 佐智さん。あの 人がちゃんと話をつけてくれたって﹂ ﹁く。話ねぇ﹂ そんな物わかりのいいタイプじゃなかったけどな、彼は。 やっつけた きぼうほう の間違いじゃないのかい﹂ こう小さく笑い、僚子はカップをテーブルに戻した。 ﹁ ﹁さあ。敦子さんは、今頃喜望峰目指して船酔いでもしてるんじゃ ないか⋮⋮って、そんなこと云ってたけど。なんだか怖くてそれ以 上聞けなかったわ﹂ ﹁おいおい⋮⋮﹂ 苦笑いを浮かべ、僚子は姿勢を直した。足を組み、玲子の顔を見 る。 ﹁ま、しかし、それならひと安心か。キミも舞くんに殴られた甲斐 798 があったってものじゃないか﹂ ﹁殴られたなんて⋮⋮そんな大げさな話じゃないわよ。ちょっと舞 さんが興奮したってだけ。別に気にしてないわ。わたしだって虎ノ 介くんが傷つけられたら黙ってないと思うし。⋮⋮それにあの後、 謝りにきてくれたしね﹂ ﹁謝りに? そうなのかい﹂ 切りわけたケーキを口に運びつつ、玲子は首肯した。 ﹁あの子、ああ見えて素直なのよ。ちょっとブラコン入ってるけど、 いい子よ﹂ ﹁そうだな。いい子だ。ブラコンだがね﹂ 僚子もまたケーキの皿に手を伸ばすと、フォークを取った。窓の 外、雨のつづく景色を眺める。 ﹁今頃、虎ノ介くんは上杜市か。さて敦子さんはどうやって、あの ブラコンお嬢様を云いくるめるのやら﹂ ﹁あ。とうとうオープンにするつもりなのね。わたしたちの関係﹂ ﹁うん。そう云ってたけれどね﹂ ﹁そっか。いよいよハーレム完成か﹂ ﹁うれしいかい?﹂ ﹁そりゃあね。だってこれで人目を気にしなくてすむでしょう。今 までお出かけのキスするのだって気を遣わなくちゃいけなかったし﹂ ﹁玲子のアレは、ほとんどセクハラだと思うが﹂ ﹁僚子のエッチだって、ほとんどレイプでしょ﹂ ふたり、お互いにらみ合う形となった。 やがて、どちらからとなく、笑い声が起こってきた。 799 ◇ ◇ ◇ ﹁それにしてもおかしいのだよ﹂ しばらくし。ふたたび僚子は先刻の話を持ち出して云った。 ﹁おかしいって何がよ﹂ 玲子が、警戒の目つきで見る。 ﹁いやなに。どうもキミらしくないなと思ってさ﹂ ﹁? 何が﹂ ﹁キミさ、あの元彼に、虎ノ介くんを恋人だと云ったんだって?﹂ ﹁そ、そうだけど﹂ ﹁どうして?﹂ 納得いかないといった風情で、僚子は問いを向けた。 ﹁ど、どうしてって。それは状況的に仕方なく﹂ かた ﹁本当に仕方なくかい? キミらしくないじゃないか。方便とはい え、そんなことを騙るなんてさ。わたしの知ってる玲子なら、どん なに困っていようが、興味もない男に頼るなんて真似はしなかった はずだ﹂ ﹁う︱︱﹂ 図星だったのか。玲子は苦い顔つきとなって、視線を下にそむけ た。 800 かれ ﹁もしかしてさあ。キミ、もうその時点で虎ノ介に気があったのじ ゃあないか?﹂ ﹁︱︱︱︱﹂ ﹁何か、エッチな目を向けられたーとか、かばってもらえたーとか、 無理やり犯されたーとか、色々喜んでたみたいだけど。それだって 結局のところ、彼とラブラブしたくてたまらなかったからじゃない のかい?﹂ ﹁う⋮⋮く﹂ ﹁どうなのだよ。そこのところ﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮そうよ﹂ と。いくらかの逡巡ののち、玲子はほとんど消え入りそうな声で 白状した。 ﹁ん? なんだって? 聞こえないぞ﹂ ﹁そうよっ! 好きだったわよ。もう別に、あんなことがなくたっ て好き好き大好きだったし、機会があれば薬飲ませて無理やりヤっ としした ちゃおうと思ってたわよっ。わ、悪かったわね。何よ、好きになっ ちゃ悪いっ? わたしみたいな面倒くさい女は年少の子をレイプし ちゃダメだって云うのっ?﹂ ﹁や、それはもちろんダメだろうがね︱︱﹂ 息巻く玲子に対し、僚子は、くつくつと煮え立ちながら唇をなめ る仕草をした。 ﹁そうか。やっぱりなあ。キミ虎ノ介くんが気になってた訳だ。⋮ ⋮しかし、それにしても、いやにあっさり落ちたものだね。キミが 惚れっぽいのは知っていたけれど。なんだい、実はひとめ惚れだっ たか?﹂ ﹁べ、別に⋮⋮﹂ 801 玲子は少しだけ、おもしろくないといった態度をとりつつ、 ﹁泣いてたから﹂ と云った。 ﹁泣いてた?﹂ 問う僚子。玲子はこくりと肯定を返し、つづけた。 ﹁あの日、ね﹂ ﹁あの日? 虎ノ介くんが殴られた日か﹂ ﹁うん。あの日、最初に服を買ってあげたのよ。彼に。スーツとか、 って云ってね。わたし、おもしろくなくてさ。ち ネクタイとか、適当にね。それでその、彼は困ってたみたいだった。 かね お金銭は返す ょっと意地悪云ったの。挑発するっていうか﹂ ﹁ふむ﹂ ﹁どうせたいした稼ぎもないくせに、何云ってんのよって。格好つ けないでよって。そんな風に思ってつい︱︱﹂ ﹁ああ、それは実にキミらしい﹂ ﹁う︱︱﹂ ﹁ああほら、いちいちヘコまないでもいいさ。で? それでなんて 云ったんだい? 彼は﹂ ﹁何も云わなかった﹂ ﹁ほう⋮⋮﹂ ﹁ただ静かに、何かに傷ついたみたいな。⋮⋮そんな顔して泣いて た。特別、表情は変わらなかったし、涙も流してなかったけど。わ たしにはわかったの。ああ、きっとこの子は涙を流さないだけで、 心の中ではずっと泣いてるんだなって﹂ 802 ﹁ああ、時々見せるね、そんな顔﹂ ﹁うん。とっても可愛いでしょ。⋮⋮だからそれを見た時が、その ⋮⋮つまり、彼を好きになった瞬間、というか﹂ ぼそぼそと、玲子は顔を紅めて語った。 僚子はふーんと相槌をうった後で。 ﹁それから?﹂ と、つづきをうながすように訊いた。 803 幕間 ティータイム その2 ﹁それから、って?﹂ ﹁え? いや、それで全部じゃないんだろう? つづきは?﹂ ﹁こ、これで全部よ﹂ しばし二人は見つめあった。ややあって。 ﹁みじかっ!﹂ 僚子が吃驚の声を上げた。 ﹁⋮⋮ってか早っ。オチんの早っ﹂ ちょろい。ちょろすぎる。 こう云って、僚子はソファへもたれた。天を仰ぎ、足をばたつか せる。 ﹁ないだろー。いくらなんでもないだろー。なんだ、その洗脳でも されたかのようなオチっぷりは﹂ ﹁えっ、ええー。ふ、普通よっ。わたしは普通。好きになるのに、 普通は特別な理由なんてないわよ﹂ 玲子が反論する。 ﹁僚子だって、虎ノ介くんとつきあうまでほとんど恋愛経験なかっ たまたま 初恋が虎ノ介くんだったってだけよ。れ、恋愛 たでしょう。虎ノ介くんを選んだ理由もないって。それと一緒だわ。 僚子は 804 なんてね、好きになった後からあれやこれや理由がついてくるんだ からっ。そ、そんなねっ、わたしがばかなのはあんまり関係ないん だからねっ﹂ そっぽ むくれた顔で。外方向く玲子であった︱︱。 ◇ ◇ ◇ ふたりの話はなかなか尽きなかった。 お互い忙しく、普段ゆっくりと話せることのないふたりである。 最近では常に虎ノ介を間に置いて、友人というよりは家族のような ふたりである。 虎ノ介のいない場所で、虎ノ介にはあまり聞かせたくない話を心 ゆくまでするのも、ふたりにとってはまたたのしい試みであった。 玲子は云った。 ﹁佐和さんはどうするのかしら﹂ ひとつの事柄の話が終わると、また別の事柄へと話題は移ってい く。 玲子の疑問もまた、彼女たちの間では重要な、よくよく考えてみ るべき問題のひとつだった。 ﹁敦子さんは佐和さんもハーレムに入れるつもりなのかしら﹂ ﹁いや、それはないだろう﹂ 僚子が答える。 805 ひと ﹁佐和さんの性癖はちょっと特殊すぎるからな。そもそもあの女は 操をたてられない訳だから。虎ノ介くんのモノになるなんてのはど だい無理だ﹂ ﹁うん。まあ、ね﹂ 引きつった笑みを浮かばせる玲子である。 ニンフォマニア ひと ﹁色情狂⋮⋮。男なら誰でも。不特定多数とエッチするのが趣味っ か て女に、ハーレム入りしろなんて無理よね﹂ こじま さわ 小島佐和︱︱。 二〇六号室に住む、彼の未亡人女教師は。 スカトロジスト マゾヒスト 曲者ぞろいの片帯荘においても、なお図抜けて癖のある、変態中 の変態であった。 近親性愛者の田村母娘、糞便愛好家の僚子、被虐性愛者の玲子。 量 という一点に関しては、小島佐和 個々の質、過激さ、異常さだけをとればけして見劣りしない片帯荘 こと の面々である。しかし、殊 は圧倒的に特異だった。何しろ相手を選ばないのである。男ならば、 セックスに応じてくれるなら誰でもよい。人種、職業、年齢、経験、 容姿、性格。一切を問わず。どんな相手だろうとその身へ受け入れ ぶおとこ る包容力の持ち主。若者であろうと、子供であろうと、老人であろ うと。美形でも醜男でも白人でも黒人でも資産家でもホームレスで も、ありとあらゆる相手を差別なしに愛することができる。セック スをたのしむことができる。 そんな究極の博愛主義者が、小島佐和という女であった。 ⋮⋮要はセックス中毒であるのだったが。 その彼女が片帯荘に、敦子に選ばれてあるという事実は、玲子ら ハーレムメンバーの間でもひとつの気がかりとなっていた。 ﹁別に佐和さんがきらいって訳じゃあないんだけどさ。⋮⋮でも正 806 ひと 直、あの女がハーレムに入るのは嫌、なのよね﹂ 躊躇いつつも。玲子ははっきりと意見を口にした。 ライバル ﹁他のみんなは虎ノ介くんが好きで、ずっとそばにいたくて⋮⋮。 誰でも 好きな人だわ﹂ だから我慢もできるわ。恋敵だけど同じ男を愛する家族だって思え る。でも佐和さんは違うわ。あの人は 誰でも好き。 それはつまり誰でもよいということだ。誰も好きにならないとい シェア うのと、ある種、同義である。 ひと ﹁恋愛が成り立たない女と共有はできない﹂ だからこそ、恋愛至上主義者である玲子とは相容れないところが あった。 男は世界に虎ノ介ただひとり︱︱そう思いきわめている舞や準に は理解のできない人物であった。物事にこだわらない僚子や朱美で さえ、佐和のハーレム入りには懸念を見せることがあった。 ﹁キミの気持ちはわからないでもないが、ね﹂ 穏やかな声で僚子は答えた。 ﹁特別だと云っていたよ。敦子さんは﹂ ﹁特別?﹂ ﹁うん。虎ノ介くんの恋人にするつもりはないらしい。元々、普通 の生活がしにくい人だったのを敦子さんが助けてあげたようだから。 ほら、例の媚薬。あれと逆の薬で、今はいくらか抑えてるらしい。 まあ、敦子さんもアレで根はやさしい人だから。放っとけなかった 807 んだろう。それに佐和さんのおかげでより強力な薬もできそうだと 云っていた﹂ ﹁ああ⋮⋮。そっか、そっち方面の人材なんだ、あの人﹂ 玲子の表情が微妙に揺らいだ。ややげんなりといった様子である。 ハイソ ﹁月に一度か二度。都内で乱交パーティを開いているそうだ。薬の 効果の確認と、佐和さんの欲求不満の解消を兼ねてね。上流階級な 紳士淑女の社交場としても大人気だそうだよ﹂ キミ、興味あるかい? いたずらな目つきを向ける僚子に対して、玲子はぶるぶると烈し く、首を左右にふった。 い ﹁ぜぇったいイヤっ。虎ノ介くん以外とエッチするなんて、もう無 理、死んでも無理!﹂ ﹁乙女だなァ﹂ 僚子が笑う。 い ﹁意外とたのしいかもしれないじゃないか。前に挿入れられ、後ろ に挿入れられ、さ﹂ ﹁冗談。⋮⋮何、僚子はそういうのがしてみたいワケ?﹂ ﹁ふむ、どうだろうね。それも悪くないかもしれないな﹂ と満更でもない風に、うそぶく僚子である。 ﹁勘弁してよ⋮⋮。わたしたちが他の男に抱かれたりしたら、今度 こそ死んじゃうわよ虎ノ介くん。それか女ぎらいになるわね。もう 誰も女を信じられなくなって、男に走ると思う﹂ 808 ﹁あはは、宮野さんと仲良くなったりしてね﹂ 僚子はひとしきり笑うと、少しだけ心配そうな、息子を想う母親 のような表情を見せた。 ﹁虎ノ介くんか。⋮⋮もう少しだけ、強くなってくれると安心なん だが﹂ ﹁弱いから可愛いのよ﹂ 玲子は反論した。 ﹁弱いから、わたしたちで見てあげるんじゃない。わたしも僚子も、 そうじゃなかったらきっとここにいないわ。違う?﹂ ﹁⋮⋮そう、だな。それについてはキミが正しい。ただ⋮⋮﹂ ﹁ただ?﹂ ﹁寂しすぎるからな。もし、わたしたちがいなくなったら、彼はど うするんだろう。人を信じて生きていけるのかな﹂ 真剣な目つきをしてつぶやく僚子へ、玲子は何も答えられずにい た。 ﹁できれば虎ノ介くんには人を信じる強さを持っていてほしい。愛 する心を。人生何があるかわからないからね。それはわたしたちだ って一緒だよ。いつ、どんな不慮の事故があって死ぬかもしれない。 虎ノ介くんも﹂ ﹁やめてよ﹂ 途端に玲子は不機嫌な声を発した。 ﹁そんな話、聞きたくない﹂ 809 ﹁仮の話さ﹂ ﹁仮定でもやめて。⋮⋮虎ノ介くんがいない未来なんて、そんなの 考えたくないの﹂ ﹁ふ、ふ⋮⋮キミは乙女だなァ。そんなんじゃ、彼がいなくなった ら生きてけないぞ﹂ ﹁いいもん別に。だって事実だもの。彼がいなくなったら生きてけ ない。わたしも後を追って死ぬ﹂ ﹁いいや。違うよ、玲子。そんなことはない。誰が死のうが、いな くなろうが、フツーに生きていけるよ、キミは。人間なんて、そん なにヤワにできてないさ。哀しみながら、それでも立ち直って、働 いて、別の男を愛して子を生む。それがわたしたちにある本質的な 強さだ﹂ ﹁もう、やめてったら!﹂ 声を荒げ、玲子はテーブルへと突っ伏した。 僚子は微笑を浮かべて、玲子のそばへよった。やさしく見つめて、 玲子の頭をなでる。 沈黙が、部屋の中に落ちた。 がちゃりと。客間のドアを開ける音が鳴った。 修道衣を着た女がひとり、入口に立っていた。 ﹁あら、どうしたノ?﹂ と、その修道女︱︱シミー・オリヴェイラは云った。 片帯荘の隣人であるシミーは、三十そこそこのヒスパニック系で、 彫りの深い顔立ちにウェーブがかった長めのブルネットと、修道衣 からのぞくアーモンドの肌が魅力な、実に人当たり好い人物である。 片帯荘の女たちとは仲がよく、よく様々なことで相談しあう間柄で もあった。 810 ﹁いえ。大丈夫です。ちょっとわたしが彼女をいじめすぎましてね﹂ なんでもない、と僚子は軽く手をふって答えた。 ﹁あら。イジメはよくありませんヨ。リョーコはすぐレイコをいじ めるのネ﹂ ﹁うふふ⋮⋮。これがわたし流の親愛の表現でしてね。⋮⋮そちら は済みましたか?﹂ ﹁ええ。ようやくネ。⋮⋮ああ、疲れタ。まったく、告解なんて誰 がこんな面倒な儀礼を考えたんでしょウ。聞きたくもない濁った泥 を吐き出されて、こちらまでドス黒く染まった気分になりまス﹂ 大きく息を吐くと、シミーはソファへ体を投げ出した。疲れきっ た顔で自分の肩をもんだ。 それは大変でしたね、と僚子はねぎらうような声色で、 ﹁ちょうど二時間ですか。こんなにかかるとは知りませんでした﹂ ﹁ンン⋮⋮普通はもうちょっと短いですけどネ。最近よくこられる 人が、ちょっとそのアレな人でして﹂ ﹁アレ?﹂ ﹁ソウ⋮⋮。なんというカ。恋人にふられたとかどうとかで、とて も憎んでる相手がいるみたいで。殺してやりたイ、このままだと罪 を犯してしまいそうダ⋮⋮ナンテ﹂ ﹁殺す、ですか。それは物騒ですね﹂ ﹁ええ、本当ニ。なんかストーカーめいたこともしはじめてるよう ですし⋮⋮。もう、むしろ教会じゃなくて警察に行ってくださイ! てすんごく云ってやりたいんですけド︱︱っと。おお、イケナイ イケナイ。懺悔の内容を人に教えちゃまずいですヨ。何してんです カ、わたしってば。毒を浴びたせいで、こっちまで思考がおかしく 811 なってまス。⋮⋮ごめんなさいリョーコ、今聞いたことは全部忘れ てくださイ﹂ こう云って、シミーは手をひらひらとふった。 ﹁⋮⋮⋮⋮うお∼、ファッキンジーザス。ファッキンイカレ野郎。 てめーのおかげで、わたしの静謐な午後は最悪の気分になったです よう、もゥ。さっさと地獄へ行けってんでス∼﹂ わめき、ソファの上でごろごろ転げまわるシミー。 僚子は。そんなシミーを眺めながら、顎に手をあて少しばかり考 えるそぶりをした。 ﹁ストーカー、ね﹂ つぶやく。 僚子のなでる手に、玲子がすりすりと甘えた仕草で髪をおしつけ た。 812 伯母と姉、田村母娘の場合 中編 夢を、見た。 きおく とても淫らで無惨な夢。愛しいあの子を犯す夢だ。 いつもとなんら代わり映えのない、遠い昔の夢だった。 目を開け股間を探ってみれば、そこは尿でももらしたみたいにび っしょりと濡れそぼっていた。 甘くただよう蜜の薫り。 わたしは仰向けに寝たまま、ひたいに手をやった。溜息をつく。 生理が近づくといつもこれだ。自分に流れる淫蕩な血を、つくづく うとましく思う瞬間である。 ﹁こんなんじゃ舞のこと笑えないわね﹂ 自嘲気味につぶやいて体を起こす。濡れて肌に張りついたショー ツがひどく気持ち悪かった。 ﹁ン⋮⋮﹂ 枕元に置いてあったボトル入りの水をひと口飲んで。わたしは部 屋の中を眺めた。軽く首をまわし肩をもむ。 障子から薄く射しこんだ朝日が、室内を淡く照らしていた。一年 ぶりに訪れた実家の部屋は、前見た時とまったく変わっていない。 畳の匂いがする広い部屋に、ひとりぽつんと布団を敷いて寝る図は いささか寂しい気がしないでもない。 あのこ ︵虎ちゃんと一緒なら、使いでもあるんでしょうけれど︶ 813 だだっぴろい部屋にはそんな感想しか出てこなかった。 これなら舞の部屋で寝たらよかった。そう思いつつ、わたしは布 団から這い出た。ネグリジェを脱ぎ、ショーツを剥ぎとる。全裸に なるといくらかすっきりした。股奥からは粘度の高い液体がしつこ く流れ出ていたが。わたしはふとももをつたわるソレにかまわず、 部屋の隅へ行った。持ってきた荷物から一枚の写真立てを出す。 中には最愛の甥っ子が写っている。 わたしは写真を持ち、布団に戻った。 布団に腰を下ろし、写真を畳の上へと置く。写真の中の甥っ子へ 向け、見せつけるように股を開く。 わたし クリ ︵見て、虎ちゃん。伯母さんのここ、もうこんなになってるの⋮⋮︶ けむら 毛叢の下、性器を割り開き、指先で陰核をなでた。包皮を引っ張 るようにして、もっとも敏感な部分をこすりあげる。ねばつく液の 中、何度も小刻みに指を上下させる。 ペニス まぶたには愛しい虎ちゃんの顔があった。 陰茎をなぶられ、快感に眉宇をひそめる虎ちゃんがあった。わた しと繋がりたいと云った虎ちゃんの声があった。息を荒くし、腰を ふるわせ、盛大に白濁を噴き上げる虎ちゃんの姿があった。わたし の入浴をのぞき顔を紅くする幼い虎ちゃんがいた。 ︵ああ⋮⋮虎ちゃん、虎ちゃん⋮⋮!︶ 指遣いは次第に早く、烈しくなってゆく。呼吸はだんだんと荒く 途切れとぎれになってゆく。ちゅくちゅくと愛液が音をたてる。 ﹁あっん⋮⋮ンッ⋮⋮ン⋮⋮ッ﹂ クリトリスだけでは物足りなくなって、膣洞に指を差し入れる頃 814 には、わたしの腰は意思とは関係なくひくつきはじめていた。 ﹁虎ちゃん、虎ちゃん︱︱ッ﹂ なか 虎ちゃんのペニスを想像する。 必死な顔をした彼がわたしの膣内で、他愛なく果てる瞬間を夢想 する。子宮を満たした精子がわたしの卵子に恋焦がれる姿を幻視す る。 ﹁んンン∼∼∼∼︱︱ッ﹂ な ⋮⋮数分ののち、わたしは絶頂に達した。 おとがいを反らし啼く。畳の上に投げ出された足がふるえた。ば りと、足指が畳をかきむしった︱︱。 ◇ ◇ ◇ ﹁あら、お父様﹂ 朝食後。 屋敷内を何気なく散歩していたわたしは、虎ちゃんの部屋の前で うろうろとする挙動不審な人物を見つけた。 ﹁ッッ⋮⋮な、なんだおまえか﹂ 声をかけると、その人物は露骨にあわてた様子でわたしを見た。 わたしを見る田村鳳玄は安心したような、それでいて少し残念そう な、そんな顔つきをしていた。 815 こっち ﹁実の娘に向かってなんだとはご挨拶ですね。どうしたんです、こ んな場所で。いつもなら西棟にくることなんてほとんどないでしょ う?﹂ ちち わたしの質問に鳳玄は苦虫を噛み潰したような、ひどく不愉快な 風となって﹁散歩だ⋮﹂と実にくるしい言い訳をした。 ﹁そうですか﹂ わたしはとぼけて云う。 ﹁てっきり虎ちゃんの顔でも見にきたのかと思いました。虎ちゃん、 お父様に冷たくされて落ちこんでいましたから﹂ ﹁む⋮⋮そ、そうなのか?﹂ ﹁ええ﹂ ﹁そうか⋮⋮﹂ ﹁お父様が訪ねてきたら、虎ちゃんは喜ぶでしょう﹂ ﹁虎ノ介は部屋におらん﹂ わたしはにやりとし、鳳玄を見た。 ﹁ええ。朱美さんたちと一緒に街へ買出しに行きました。ひと月は 長いですものね。日用品が色々と必要になるでしょう﹂ ﹁む。そうだったか﹂ ﹁がっかりした?﹂ 意地悪く尋ねてやる。鳳玄はふんと鼻を鳴らすと顔をそむけた。 ﹁お父様、虎ちゃんに話しかけるのを必死で我慢してらしたものね。 816 なんですか、あれは。話したら泣けそうだったとか、そういうこと だったんですか?﹂ ﹁⋮⋮つまらん詮索はよせ﹂ ﹁ああ、やっぱり図星でしたか。そうですよね、あきらかに不自然 でしたもの。おかしいと思ってました﹂ 云って、わたしは虎ちゃんの部屋の襖戸を引いた。 なつかしい狭い室内が視界に映し出される。部屋の中からもれた じゃこう 甘い、かすかな香気が、鼻先をふうわりと包んだ。そのかぐわしい、 麝香に似た香りに、鳳玄は即座に反応した。 ﹁貴様、また︱︱﹂ 顔を曇らせ云う。その目は剣呑な光を帯び、声には怒気がふくま れていた。 わたしは微笑で答えて、部屋の中へと進んだ。鳳玄もまたついて くる。 ﹁エアコンがないですからね、ここは。時々は換気してやらないと 空気が淀みます﹂ 障子戸を開け、その先にある一面ガラス張りの窓を開け放した。 夏山の爽やかな空気が、一陣の風とともに入ってくる。かしまし い蝉たちの声もまた、向かいに見える林から届いてくる。 ﹁させんぞっ﹂ 部屋の空気がふるえた。 わたしはゆっくりとふり返って鳳玄を見た。 817 ﹁おまえらの好きにはさせんっ。あの子は、あの子だけは。わたし がいる限り、自由にしてやる。この呪われた家の呪縛から解き放っ てやる﹂ 強い口調で云う鳳玄を、わたしは目を細めて見つめた。 ﹁あの子に自由なんてありません﹂ ﹁なにっ﹂ ﹁この家に生まれた時から、自由なんてものはないんですよ。それ わたしたち にえ はお父様だってよくわかってらっしゃるでしょう? 彼は生まれな がらにして女系に捧げられた贄です。あれはわたしたちのモノ。わ たしたちから衣を盗み、下界に繋ぎとめようとした愚かな男が、そ の代償に払った哀れな魂︱︱。よかったじゃないですか。あなたた き ちは望みどおり富と権力とを得た。代わりにわたしたちは永遠の牢 獄で彼をさいなむ。これはもう定められたことです。誰が仕組んだ かなんてどうでもいいわ﹂ ﹁ばかなっ﹂ 吐き棄て、鳳玄はかぶりをふった。 ﹁あれの気持ちはどうなるかっ。意思は。おまえらはいい、だがあ の子は? 自分で望んだ訳でもなく、ばかな男の過ちによって、こ の家に魂を縛りつけられたあの子は﹂ ﹁あの子は片帯をつかんだ者です。状況に、わたしたちの愛に逆ら うことすら許されていません﹂ ﹁そうやって、あれまで殺す気かっ﹂ 鳳玄が怒鳴った。 ﹁龍之介のことを忘れたとは云わさんぞ、おまえの弟のことを。あ 818 やつが狂ったのも、首をくくったのも全ておまえらが原因だったで はないか﹂ わたしはひとつ溜息をついた。 ﹁そのことは、わたしじゃなく死んだお母様に云ってください。手 を出したのはわたしじゃないんですから。むしろ龍のことはわたし だって被害者なんですよ? ⋮⋮それに彼が死んだのはお父様にだ って責任があります﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ 少し考えこむように。鳳玄は畳の上へ、腰をどっかと下ろした。 苛立ちを隠さず。あるいは懺悔だったのかもしれない。うつむき、 つらそうに唇を噛み、声をもらした。 ﹁そうだ。たしかに、わたしの責任でもある﹂ そう云って深く息を吐くと、彼は強い光を持った目を、わたしへ 向けた。 ﹁だからこそ。わたしは虎ノ介を守らねばならん。⋮⋮遺された子 を。二度とあのような悲劇を起こさんためにも﹂ ﹁だから︱︱⋮⋮京子さんに預けて、一度はこの家から追い出した ?﹂ ﹁そうだ﹂ ﹁血の薄い分家の女と見合いさせようというのも?﹂ ﹁そうだ。おまえたちより、彼女らの方がまだしも気楽だろう。い いか敦子。あれは普通の子だぞ。凡庸な、どこにでもいる子だ。そ れなのに女どもの分まで業を背負わされておる﹂ ﹁そんなこと、わたしや舞が納得するはずないでしょう﹂ 819 わたしは肩をすくめ答えた。 ﹁舞なんて、あの子に恋人できたって聞いて、わざわざ東京からこ こまできたんですよ。相手の顔を見に﹂ ﹁そうらしいな。那智から聞いたわ﹂ ﹁ふたりの仲を壊そうと、何かちょっかいかけたに決まってるわ﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁わたしだって舞が行かなきゃどうしてたかわかりません﹂ とう 苦笑し。窓際に置かれた籐椅子へ座る。そばのテーブルには灰皿 が置かれてい、そこには小さな香木が灰となってあった。 ﹁こんな異常なわたしたちが、あの子をあきらめると思いますか?﹂ ﹁⋮⋮無理、だろうな﹂ ﹁ええ。そのとおり、無理です。だってわたしの本命はずっと前か らあの子だったんですから﹂ ﹁? どういう意味だ﹂ 薄い 人でしたから。よくわからなかったんで ﹁言葉どおりですよ。お母様は間違えたんです。あの人はわたした ちの中じゃ比較的 しょう。龍よりずっと濃い因子がすぐ近くに生まれるなんてね。い いえ、もしかしたら、まだ生まれてもいなかったあの子に惹かれて あの女 の話か?﹂ 我慢できなかったのかもしれない﹂ ﹁なんの話をしている。 鳳玄は困惑の表情となった。わたしは首を左右にやった。 ﹁⋮⋮やめておきます。お父様にはわからないでしょうから。⋮⋮ とにかくわたしはあの子を手放すつもりはありません。二十年も待 ったんですもの。いい加減、好きにさせてもらいます﹂ 820 ﹁敦子⋮⋮。何を云っても無駄か﹂ ﹁はい。残念ながら。⋮⋮けど安心してください、お父様。わたし だってあの子をむざむざ不幸にするつもりはありません。あの子が 壊れないように、ちゃんと準備はしてありますから﹂ ﹁準備、だと?﹂ ﹁ええ。丹念に長い時間をかけて用意したものが。ですから心配し ないでください。あの子は、わたしが必ずしあわせにします﹂ こう、わたしはきっぱりと告げた。 たもと 鳳玄はしばらく疑い深い目をしてこちらをにらんでいたが。やが て疲れたように目をつむった。袂に手を差し、考えこむようにしな がら、二度三度まばたきをした。 ﹁条件がある﹂ ﹁なんでしょう﹂ ﹁まず子供のことだ。もし子ができても、あれには負担をかけるな。 あれに世間の目と戦ってまで我を通す甲斐性はない。無理に使えば 早晩壊れるだろう﹂ ﹁そうでしょうね﹂ ﹁ならば道義的な責任は全ておまえが負え。できれば生まれた子も 庶子として扱え。こちらも援助は惜しまん﹂ ﹁わかりました。いずれ、こちらもそのつもりでしたから﹂ ﹁それから分家の連中だ。おまえと舞が手を出したと知れば、彼女 たちも黙ってはおらんだろう。その時、わたしは抑えることができ ん。本音はともかく言い分としては向こうに理があるからな。おそ らくある程度は、彼女らにもあたえてやらねばなるまい﹂ ﹁そうですね⋮⋮。まあ、それは致し方ないでしょう。最初から独 占しようとも思っていませんし、多少は目をつむりましょうか﹂ ﹁まったくな。⋮⋮我が孫には同情するわ﹂ ﹁あら、それだとあの子が大変な目にあってるみたいじゃないです 821 か﹂ 下唇に人差し指をあて、いたずらっぽく笑って見せる。 ﹁よく云う。女難の塊みたいなやつが。ふん、まあよいわ⋮⋮それ から最後にな﹂ ﹁まだ、何か?﹂ ﹁あやつまだ童貞か?﹂ ﹁は?﹂ その言葉に、わたしは口を開けたまま、間の抜けた表情を浮かべ た。 鳳玄はまじめくさった顔をしている。 ﹁虎ノ介は童貞かと聞いている﹂ ﹁は、はあ⋮⋮? え、ええと、どうでしょうか。とりあえずわた しと舞はまだ手をつけてないですが﹂ それが何か? 彼の真意がつかめず、そう聞き返す。 鳳玄は︱︱ ﹁そうか。まだ子供か。たしかにそんな感じではあったがな。ぬう、 ならばいきなりはまずいだろうな⋮⋮。やはりここは誰かに筆おろ しを頼むか⋮⋮﹂ ぶつぶつと、つぶやくように云った。 わたしは思わず、吹き出してしまった。 やはりこの人は孫が可愛くて仕方ないのだ。十年ぶりに会った孫 へ、何かをしてやりたくてたまらないのだろう。いかんせん狂った 女たちのせいで、そうした情愛の発露もセックスがらみになってし 822 まうのが、我が家の因業なところであったが。 ﹁さてっと︱︱﹂ ぽんと膝を打って。わたしは立ち上がった。 思考を切り替え、腕時計を見る。 時刻は正午に近く、そろそろ虎ちゃんたちの帰ってくる頃だった。 ﹁そろそろ御飯の仕度しないとね。今日は何をつくろうかしら﹂ 何やらひとり考えこみはじめている鳳玄を前に。わたしはさて、 今日はどんな風に甥っ子を愛してやろうか。そんなことを思案して みるのだった︱︱。 823 伯母と姉、田村母娘の場合 中編 その2 決心してはくじけ、思い立ってはよし。散々迷った末、虎ノ介は 祖父の書斎を訪ねて行った。 東棟の一番奥まったところにある部屋は、縁側から西日が射して 赤々と照らされていた。裏庭を囲うようにある林からは、ひぐらし の声が静かに聞こえている。 意を決し廊下から声をかけると、部屋にこもった鳳玄の、何か気 をもむような気配があった。 ﹁どうした。何か用か⋮⋮?﹂ ふづくえ 虎ノ介を中に迎えると、書き物の途中だったらしい鳳玄は、文机 の上を片付けつつ、いくらか硬い面持ちで尋ねた。 虎ノ介は恐るおそる手に持った物を見せた。 ﹁将棋盤、か?﹂ 鳳玄が云った。 ﹁あの⋮⋮しょ、将棋﹂ ﹁うむ⋮⋮﹂ ﹁将棋を指しませんか﹂ ﹁わたしと、か﹂ ﹁はい﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ 沈黙。あわて、虎ノ介は言葉を足した。 824 ﹁い、忙しかったらいいんです。その本当によければ、で﹂ じっ 次第に消えゆくような弱々しい調子で、虎ノ介は祖父を将棋に誘 った。ひとつ唾を飲みこみ、凝と祖父を見る。 鳳玄はしばらく黙っていたが︱︱ ﹁ずいぶんと古い物だな。駒も﹂ 少しのち、虎ノ介の出した道具を取り、眺めた。 ﹁あ⋮⋮う、うん。これお祖父ちゃんが昔、買ってくれたやつ。お れずっと大事に使ってたんだ。⋮⋮です﹂ ﹁無理に敬語なぞ使わんでもいい﹂ 云い直す虎ノ介に、鳳玄は渋い口調で聞かせ。 ﹁こんな安物を、十年以上もか︱︱﹂ あぐら つぶやくと感慨深そうな目をして、傷みのところどころあるそれ らをなでた。そうして胡坐の姿勢のまま、顔を下に向けた。 ⋮⋮喉をふるわせ、膝を強くにぎりしめ。 鳳玄は深々と息をついた。そんな祖父の姿に虎ノ介はどうしてよ いかわからず、ただその場に立ち尽くしていた。 ﹁お祖父ちゃん?﹂ ﹁ああ︱︱。指そう︱︱。指そう、虎ノ介。座れ﹂ ﹁う、うん﹂ ぱっと目を輝かせて、虎ノ介は祖父の前へと座った。 825 ◇ ◇ ◇ 朱い夕日。 ひぐらしの声。 書物の匂い。縁側には猫が背を丸め眠っている。 鳳玄はそばにあった小さな木箱から葉巻を取ると、手馴れた仕草 で吸いつけ、駒を動かした。 正座した虎ノ介は、真剣な目で盤上を見つめている。 会話はなかった。本に囲まれた十畳ほどの部屋に、木製の駒の、 ぱちり、ぱちりという音だけがひそやかに流れていた。 ⋮⋮穏やかな時間であった。 三十分ほども過ぎたろうか。 の ﹁虎ノ介は、煙草は喫まんのか﹂ 盤面をじっくりと見ながら、ふと。鳳玄がそうしたことを訊いた。 虎ノ介は首を左右にふりつつ、駒を進めた。 ﹁そうか⋮⋮。これもなかなか悪くないものだぞ﹂ や 喫ってみるか。 そう云って、鳳玄は吸いかけの葉巻を虎ノ介へ差し出してよこし た。虎ノ介はおっかなびっくりでそれを受け取った。 ﹁肺には入れるなよ﹂ 826 くわ こうした祖父の言葉に従って、その細めの葉巻を銜える。 ﹁︱︱︱︱ぶっ﹂ ひと口吸って。すぐと虎ノ介はむせた。むせ返り、祖父へと煙草 を戻した。 ﹁む、無理だよ、お祖父ちゃん﹂ ﹁む⋮⋮そうか、これは煙も少ないし、やさしい方なんだがな﹂ 鳳玄はわずかに残念そうな表情を浮かべた。虎ノ介はその目に涙 を溜めつつ、鳳玄を見た。 ﹁これがおいしいの?﹂ パイプ ﹁うむ。葉巻は天使と寝る味︱︱西洋じゃそんなことわざもあるく ふひ らいでな。煙管や紙巻にもそれぞれよさはあろうが⋮⋮しかし中で もいい葉巻なぞは本当にうまいものだ﹂ ﹁匂いは悪くないと思うけど﹂ ﹁まあ、慣れよな。慣れるとやみつきになる。酒と一緒だ﹂ ﹁おれはアルコールもあんまり好きじゃないや﹂ ﹁そうか﹂ 鳳玄は頷いた。頷き、微笑する。 ﹁煙草も酒もやらんか。なら女はどうだ﹂ ﹁女?﹂ ょう うむ。云いつつ鳳玄は駒を動かした。虎ノ介の陣へ食いこんだ歩 兵が乾いた音をたてた。 827 ﹁恋人はいるのか?﹂ ﹁恋人︱︱﹂ とし ﹁おまえももう女を抱ける年齢だろう﹂ なんと答えるべきか。 虎ノ介は迷った。女ならたくさんいるのだ。しかし、素直にそう 答える訳にもいかず、彼は視線を宙に彷徨わせた。 ﹁なるほど﹂ その沈黙をどう受け取ったものか。 鳳玄は腕を組み、煙草をくゆらせながら、少し考え深い目つきと なった。 ﹁まだ女を知らんか﹂ ﹁え? ええと、そ、それはね︱︱﹂ 云いよどむ虎ノ介へ、鳳玄は﹁ああ、いい﹂と手をひらひらとさ せた。 ﹁はずかしがらんでもいい。経験が多ければよいというものでもな いからな﹂ ﹁あ、う、うん﹂ 虎ノ介はうつむいた。駒に指を送る。 何故祖父が突然女のことを云い出したか⋮⋮わからぬ虎ノ介であ った。 ﹁ふぅむ⋮⋮と金を受けずに銀冠をつくるか。妙に手厚いな﹂ 828 虎ノ介の指し手を見、鳳玄は感心したような声を出した。言葉を 切る。わずかに間を置いてから、 ﹁あまり、な。女というものを重くとらえんでおけ﹂ そう、やや躊躇いながら、つづけた。 虎ノ介が疑問の目を向ける。 鳳玄はひとつ顎をなでると、盤上へ目をすべらせた。 ﹁この家の男子はおまえひとりだからな。女を抱く機会も増えるだ ろう。さすがに童貞というのではまずい。これからは女の扱い方を 覚える必要がある﹂ ﹁え⋮⋮? お祖父ちゃん⋮⋮?﹂ ﹁吃驚くなというのも無理だろうな。しかし、おまえの役目なのだ。 ⋮⋮女の相手をするのも﹂ 苦りきった顔で語る鳳玄の顔を、虎ノ介は呆然と眺めた。 宗家の男子はどんどん女を孕ませなければならない。そう云った 敦子や佐智の言葉を、彼は脳裡によみがえらせていた。 ほんとう ︵あれって真実だったのか︶ ﹁や、役目って、つまりその、女性とセックスするのが?﹂ ほんとう ﹁有体に云えばそういうことになる﹂ ﹁冗談じゃなくて?﹂ ﹁うむ⋮⋮。残念ながら、な。真実を云えば、わたしもこんなこと を強制したくはないのだ。しかし⋮⋮まあ、おそらくどうにもなら んだろう。分家ふくめて、田村の女どもは皆、宗家男子︱︱つまり おまえのことだが︱︱これを自分たちのモノだとくだらん勘違いを 829 していてな。また昔からそうしたやり方でやってきたものだから、 考えを直そうにも、これがなかなか上手いこといかん。⋮⋮そうい う訳でな。おまえには悪いが、このひと夏の間は、彼女らの相手を 務めてもらうことになるだろう。何、さほど難しく考える必要はな からだ い。発情した犬か猫を相手にすると思えばよいのだ。さいわい田村 の女どもは皆、外見と肉体だけはできておるしな。飽きない程度に はたのしめるはずだ。また、おまえを本気で害するようなのもおら んだろう⋮⋮。まあ体調にはよほど注意はするべきだが⋮⋮﹂ と鳳玄は、それだけが心配という顔つきで手を進めた。 ﹁気が向いたときにでも種をつけてやればいいだけだ。それで満足 する。それから避妊はするな。それではあの情深い女どもは納得せ ん。孕んでも気にする必要はないぞ。おまえの責任ではないからな。 ⋮⋮ほれ⋮⋮どうだ、飛車金両取りぞ﹂ ﹁た、タネってさ﹂ 半ば混乱しながらも虎ノ介は祖父の手に応えた。 飛車を棄て、金将を自陣へ呼びこむ。 ﹁何? 飛車を切るのか﹂ ﹁うん。⋮⋮そうすると、取るでしょ飛車﹂ ﹁取る。そ、そりゃあな。取るが︱︱﹂ 面食らいつつ、飛車を取る鳳玄。 ﹁じゃあはい、これ﹂ ﹁ぬ。王手か。⋮⋮⋮⋮む、まあ。こう避けるしかないな﹂ ﹁うん。はい。王手飛車取り﹂ ﹁っ! ま、待て!﹂ 830 ﹁タンマ? いいよ﹂ ﹁こっちに避けると両取りをかけられる。ここはこいつを取ってお くべきだ。よし、いいぞ⋮⋮ふふん﹂ かく ﹁うん、そうだよね。じゃあはい﹂ ﹁ぬ。ここで、角行打ちだと⋮⋮。お、王の行き場が﹂ ぎりぎりと歯軋りしつつ、自陣の守りを固める鳳玄であったが、 そこへ虎ノ介の攻めは、次々矢継ぎ早にかけられていく。対して虎 ノ介の玉将は堅く守られてい、いささかも寄る気配がない。 ﹁よくわからないけど。おれが必要とされてるの? ⋮⋮おれなん かのどこがそんなにいいのさ﹂ ﹁⋮⋮深く考えるな。見た目や能力の問題ではない。やつらに理屈 は通じん。女を抱くということも、それほど重大事にとらんでよい。 ほんとう おまえは気楽にしていろ。⋮⋮ぬ、く、け、桂か﹂ ﹁気楽って、真実にそれでいいの? お祖父ちゃん。おれ、この家 のことなんにも知らないし、信じちゃうよ?﹂ ﹁おお、信じろ信じろ。⋮⋮ぬう、この手は少し待て﹂ ﹁ん﹂ ﹁すまんな。⋮⋮むむむ﹂ うなる鳳玄である。 虎ノ介は溜息をつきながら、ぼんやりと将棋盤を見つめた。 ︵なんかなー。吃驚くのは吃驚くんだけど。あんまり動じなくなっ てきたよな、最近。あ、でも朱美さんたちに言い訳する必要はある か︶ ただ 自分の爛れた性活を今さらながらに思う虎ノ介であった。 831 ︵エッチもいいけど、こうやって祖父ちゃんと一緒に将棋する方が うれしいな、今は⋮⋮︶ ねが うれしげににっこりと笑って、将棋を指す。 虎ノ介が幼い頃から希ってきたしあわせ。それは確かにあった。 夕日射す部屋の、穏やかな世界にあった。 ﹁た、タンマだーっ﹂ 猫があくびをした。 ⋮⋮鳳玄の声は次第に大きくなってゆく。 ◇ ◇ ◇ 虎ノ介の去った後の書斎で。 鳳玄はひとり葉巻をふかしていた。 茫と。傷の多い将棋盤を眺めながら、そっと駒を動かす。 リベンジマッチ 虎ノ介が持って戻ろうとした将棋盤を、鳳玄は自らの書斎へ残し てゆかせた。後でまた再戦をする。これはその研究のために置いて おけ。おまえには後で新しい物を買ってやるから。そうした理由を あれやこれやとつけて。 ﹁お屋形様、お呼びでございますか?﹂ ふすま 襖ごしに声がかかる。 ﹁きたか。入ってくれ﹂ 832 顔は盤面に向けたままで、鳳玄は云った。 襖戸を開いて、ひとりの女性が入ってくる。 ⋮⋮女は年増であった。 ゆ 年は三十ほどだろうか。和服の似合う美女。長い髪を後ろで結い 上げ、襟元からはうなじと首筋のほそやかな線がのぞいている。目 は大きく。それでいて涼やかに流れる線で、物を見る。少し厚めの 唇は真っ赤な紅が濡れたような艶で塗られている。口元にはほくろ がある。しっかりと隠されたはずの肥えた肉体からは、いかにも妖 艶な色香が隠しようもなく、ぷんと匂っている。すさまじいボリュ ームの乳と尻は、衣服を下から押し上げその存在を主張している。 印象深い女であった。 女は鳳玄の手にした将棋の駒を見て、微笑を浮かべた。 ﹁あら。将棋ですか?﹂ めずらしい。そう云って畳にうやうやしい仕草で座った。 ﹁⋮⋮トラの奴が持ってきてな﹂ ﹁まあ、若様が? ⋮⋮それはようございましたね。さぞ、うれし かったのではございませんか﹂ ﹁うむ⋮⋮﹂ ﹁若様はお屋形様のことを忘れていなかったのですねぇ﹂ ﹁うむ⋮⋮﹂ しみじみとした口ぶりで、鳳玄は答えた。 ははおや ﹁あやつのな。京子のことをよ﹂ ﹁はい﹂ ﹁謝ったらな⋮⋮﹂ ﹁はい﹂ 833 ﹁泣いていた﹂ ﹁まあ⋮⋮﹂ 鳳玄は将棋盤の、その表面をなで目をつむった。 ﹁恨んでいないと、云っていたよ。京子も、虎ノ介も、な﹂ くれは ﹁そうですか。それはよろしゅうございました﹂ ﹁紅葉﹂ ﹁はい、なんでございましょう﹂ ﹁頼む。⋮⋮虎ノ介をよく導いてやってくれ。この通りだ﹂ 鳳玄は居住まいを正すと、しっかりとした仕方で以て頭を下げた。 ﹁お、お屋形様﹂ ﹁わたしは。何もできん当主だ。男だからな。おまえや敦子のよう な力はない。だが、わたしは虎ノ介が誰より可愛い。あれをくるし めたくはない。頼む。どうかやさしくしてやってくれ。壊れないよ うに。全ておまえたちに任す。だがその分、大切にしてやってくれ。 あれの父親のようにだけはしないでくれ﹂ ﹁お屋形様⋮⋮﹂ 紅葉と呼ばれた女は、鳳玄の手をやさしくとると。 ぱしんと自らの胸を叩いた。そうしていかにも鉄火な気風で以て、 ﹁お任せくださいな、御屋形様。全てこの紅葉姐さんに。ええ、若 様のことは、このわたしがしっかり引き受けましたわ。大丈夫、わ たしたち田村の女が集まれば、どんな難題だってモノの数じゃござ いません﹂ そう頼もしく云った。 834 鳳玄は少し戸惑った様子で、 ﹁い、いや。だからな、そのおまえら女たちこそが不安な訳だが﹂ ﹁大丈夫です、お屋形様。宗家に生まれた男が、運も才も女系に奪 われた挙句、代わりに不幸を背負わされて早死にするだなんて︱︱ おほほ、そんなの迷信に決まってますでしょう。考えてもみてくだ さいな、わたしやアッちゃんみたいなイイ女が全身全霊で尽くすん ですもの。しあわせでないはずがありません﹂ ﹁いや。⋮⋮いやいや。違う。違うぞ、わたしはな、おまえらがそ うやってすぐ図に乗って重い重い方向にいくから︱︱﹂ ﹁ところでお屋形様?﹂ ﹁な、なんだっ﹂ 身を乗り出してくる紅葉に、鳳玄は心底嫌そうにその身を離した。 ﹁若様は、童貞でございますか?﹂ ﹁む⋮⋮そ、それは﹂ ﹁それは?﹂ ﹁どうやら童貞のようだな﹂ ﹁まあっ。まあまあ! で、では筆おろしをしないといけませんわ ね﹂ ﹁ま、まあ、そうだろうな﹂ ﹁お屋形様は誰に頼むおつもりだったのですか? まさかアっちゃ んや舞ちゃんにさせる訳じゃございませんでしょう?﹂ ﹁それはいかんだろうよ。心の準備がいる。いきなり肉親とさせて 狂われても困る。⋮⋮わたしとしては佐智か、朧あたりに頼もうと 思っているが﹂ ﹁わたしでいかが?﹂ ﹁な、何っ﹂ 835 ぎょっとし、鳳玄は頬をひくつかせた。 からだ ﹁わたしだって、まだまだ殿方の寵愛を受けるにふさわしい肉体を 維持してると。そう自負していますけれど﹂ ﹁そ、そりゃあな。確かに外面だけ見れば、下手をすれば二十代で 通じんこともないが⋮⋮しかし﹂ とし ﹁子供だってまだつくれますし﹂ ﹁な、なんだと。貴様、その年齢でガキまでつくる気かよ﹂ 愕然とする鳳玄に向け、紅葉はにっこりと頬を染めて。 ED ﹁それはもちろん。わたしだって女ですもの。若様にお情けをいた だけるなら、それは⋮⋮﹂ ﹁だ、旦那はどうする気だ。いただろう、おまえには﹂ ﹁あの人⋮⋮子種がないでしょう? それにもうずっと勃起不全で すし。わたし、あの人のことはそりゃあ愛してますけど、夜が寂し いのだけはどうにもつらくって。ああ、大丈夫ですわ。あの人には きちんと話した上で納得させますから。おそらくデキるのは女でし ょうし、生まれた子は狩野家の跡継ぎにすると云えば一も二もない でしょう。できれば三人ほど欲しいですから、年子で来年と再来年 の夏も。⋮⋮ああ、いえ、もういっそのこと若様はこちらに住まわ せてしまえばよろしいですわ。その方が安定期入ってからもたのし めますし、他の子もよろこぶでしょう。ええ、そうと決まればアッ ちゃんに薬を用意してもらいましょうか。確か新しい排卵誘発剤も 完成したとか︱︱﹂ うきうきと。そうしたことを云いつつ紅葉は立ち上がった。 鳳玄は呆然と、その背を見送るしかできなかった。 836 伯母と姉、田村母娘の場合 中編 その3 ﹁ぬぐぐぐ⋮⋮﹂ 将棋盤の前、鳳玄が顔を紅くしている。 向かい合いに座る虎ノ介は、涼しい顔で茶を飲んでいる。 二人の周りには敦子と舞、そして準が少し離れて座って、興味深 そうな様子で二人の対局を眺めている。 客間の入口のところには佐智が壁に背をあずけて立ち、腕を組ん でいる。 窓の外には丸い月が浮かんでいる。 ﹁たっだいまァ﹂ そこに、顔と肌を火照らせた浴衣姿の朱美が、娘を抱いてやって きた。 ひのき ﹁はあ、さっぱりした。ホント、ここはいいお風呂ねー。大きいし、 檜づくりで雰囲気はいいし。内風呂も最高だわ。さって風呂上りに はビール、ビールっと⋮⋮。⋮⋮あれ、どうしたの、みんな。しん としちゃって﹂ 朱美の疑問へ、敦子が小さな笑みを浮かべて答えた。 ﹁ほらあれ。将棋。⋮⋮お父様が、虎ちゃんにリベンジするんです って﹂ 座卓に置かれた大ぶりのワインクーラーから、氷づけの缶ビール 837 を取り渡す。それを受け取りつつ、朱美は敦子の隣へと座った。﹁ あぶぶぅ﹂赤ん坊が手をふる。 ﹁将棋? あ、そう云えば夕食の時、そんなこと云ってたっけね﹂ 缶を引き開け。朱美は云った。膝の動きに浴衣のすそがめくれ、 肉づきよい、ふとやかなふとももがのぞいた。 片帯荘の面々が田村家へきて二日目の夜。 一同食事を終え、さてそれぞれがそれぞれに風呂へ入るか、寝る 支度をするか、あるいは就寝前に軽い寝酒でも一杯やろうかと、そ んな思案をしていたところへ。 いかめしい顔つきの鳳玄が、将棋道具の一式を持ってやってきた のであった。 それは木目の大変に立派な、足つきの将棋盤と駒台、そして椿油 の香りする、つやのある将棋駒で。あまりそうした物の価値がわか らぬ虎ノ介にも、その道具がかなりの高級品であろうことは容易に 見てとれた。吃驚く虎ノ介へ鳳玄は、 ︱︱これまでの物へ代わり、これをやる。 そう告げてよこし、早速一局指そうと虎ノ介へ持ちかけた。 到底、折りたたみの安物に見合う代物ではない。虎ノ介はもらっ てよいものか逡巡し。しかし結局はありがたく受けることにした。 それは、 ︱︱いいからもらっておきなさい。 こう云った敦子や舞の言葉からでもあり、またせっかくの祖父の 838 厚意を無下にしたくないという思いからでもあった。 素直な気分で礼を云う虎ノ介へ、﹁うむ⋮﹂鳳玄はぎこちなく肯 いたものである︱︱。 ⋮⋮時刻は九時にさしかかろうとしている。 虎ノ介と鳳玄、ふたりの対局は、今まさに大詰めを迎えようとし ていた。 盤面はすでに終盤。空調の効いた部屋の中で、鳳玄はひたいへじ っとりと汗を浮かばせている。 ﹁む、む⋮⋮。六四の地点を受ければ⋮⋮角が動いてくるのは必定。 そうなるとくるしいか⋮⋮ならばあるいは銀を浮かせ交換に持ちこ んだ方が得⋮⋮いやしかし﹂ ぶつぶつとつぶやき、前後へ身体を揺らす鳳玄へ、舞が戯れるよ うに笑って云った。 ﹁いくら考えたって無理むり。お祖父様なんかにトラが負ける訳な いって。わたしだってトラにはなかなか勝てないのに﹂ ﹁あら、そうなの?﹂ 意外だという調子で敦子が見る。 ﹁あなた計算とか先読みとか得意じゃない。麻雀すると待ちの確率 がどうとかよく云ってるでしょう。なのに将棋は虎ちゃんの方が強 いの?﹂ ﹁ああ、知らない人はみんなそう云うのよ﹂ そんな簡単なもんじゃないって。手をふり舞は答えた。ビールを ひと口飲んで。 839 ﹁計算が得意だったら、たくさん手が読めたら︱︱。そんなんで勝 てたらね、もうとっくにコンピューターが銘人倒してるって。そり ゃね、手が読めれば有利なことは間違いないわよ? わたしだって 手数の検索だけならコンピューターに負けない自信あるし。だけど ね、これだけ複雑なゲームになると、どうしてもそれだけじゃ語れ なくなってくるの。単純な駒の損得じゃ計れない、判断の難しい局 面が山ほどあってさ。仮にAとBというふたつの手があるとするで しょ。片方はどう見ても悪手にしか見えない。相当先まで考えても 局面は不利。だけど当然全てを読みきれる訳じゃないもの。それこ そ宇宙の星の数ほど選択肢のあるゲームで、相手の応手によっても ひが 変わってくる。⋮⋮こちらは常にベストに近い選択をしているはず。 なのに最終盤、気づけば彼我の天秤は向こうに傾いている。⋮⋮ど うしてそうなったのか。その原因をたどってみれば実はA、B︱︱ 悪手と思われた手の選択で間違えてた︱︱そんなこともよくあるの よ﹂ いか ﹁ふうん? つまりそれって単純な頭のよさじゃ計れないってこと ?﹂ 朱美が尋ねる。 舞は肯き、つまみの裂き烏賊に手を伸ばした。 ﹁わかりやすく云うならセンス。そういうのは絶対必要かな。どう 局面を判断するか。仕掛けるべきか、守るべきか。棄てるべきか、 貫くべきか。そこら辺の取捨がトラは抜群に上手いの。直観力って いうか、勝負の嗅覚っていうかね。わたしは正直そういうあやふや なのは苦手。詰めや寄せは得意なんだけどね﹂ ﹁あなたは小理屈ばっかりだものねぇ。そのくせ麻雀もわたしにて んで勝てないし﹂ 840 はんばく ダメな子ねぇ。可哀相なものでも眺める目つきで敦子が云った。 あわて舞は反駁した。 ﹁そ、それは! 母さんがおかしいだけでしょ? 点棒さえ残って チュウレン ればどんな場面からでも役満ツモが期待できるとか、そんなの母さ んだけよ。お正月のダブリー九連一発ツモは、わたしいまだにイカ サマ疑ってるんだからねっ?﹂ ﹁やあねぇ、全自動卓でイカサマなんてできる訳ないでしょう﹂ ﹁舞さん、あれでラスに落ちましたもんね﹂ ぼくは助かった。横で聞いていた準が笑った。 ﹁あれのおかげで、ひどい罰ゲームくらって⋮⋮わたし二、三日吐 き気がとまらなかったんだから﹂ ﹁しょうがないじゃない。だってあのおせち、誰も食べないんだも の﹂ ﹁母さんが、佐和さんに料理手伝わせたりするからでしょ?﹂ 言い合いをはじめた母娘を横目で見やり、鳳玄が溜息をついた。 ﹁女というのは⋮⋮うるさいのう﹂ ◇ ◇ ◇ それは深夜、突然に起こった。 ︱︱異変。 全身に生じた違和感に気づき、虎ノ介は目を覚ました。 841 ⋮⋮めまいがあった。 ぐらぐらと、乗り物酔いに似た気持ち悪さが腹の奥から持ち上が ってきて、虎ノ介はえずいた。 真っ暗な中、布団から身体を起こすと、下半身の一部が硬く持ち 上がっているのがわかった。 普段あるような生理現象ではない、それは烈しく、異常なほど張 りつめていた。がちがちと、痛みさえともなって勃起したそれは大 おきび 量の我慢汁をあふれさせ、パンツも寝巻きの浴衣すらもその液が染 みとおっていた。全身にわだかまる熾火のような熱。関節の痛み。 噴き出るあぶら汗。 それらの異常に虎ノ介は背を丸め、手足を強張らせた。小刻みに ふるえる指先は力が入らず、水を飲もうと、枕元から取ったペット ボトルは、畳の上に落ちてその中身をこぼした。 ﹁な、なんだ、これ⋮⋮。気持ちわる︱︱﹂ 崩れそうな身体を無理やり起こす。 甘い。どこからかただよう甘い香り。その匂いに、虎ノ介はます ます吐き気を強くした。 ﹁やばい、吐きそう﹂ ふるえる足を引きずり寝室を出る。 暗い廊下は蒼い月明かりによって静かに照らされていた。 ﹁ハァ⋮⋮ハァ⋮⋮﹂ 荒く息をつきつつ、壁によりかかるようにして虎ノ介は足を進め た。 一番近いトイレはどこだったろうか。 842 さいな そんなこともよく判断できぬほど、思考は鈍重になっていた。頭 の中に流しこまれた毒の鉛。ずきずきと陰茎を苛むマグマの熱。全 としゃぶつ 身を駆け巡る悪寒と渇き。耐えかね、虎ノ介は廊下に倒れ伏した。 ﹁うえ︱︱﹂ びろう 胃の中のモノを吐き出す。 尾籠な、びしゃびしゃという音と、吐瀉物のかもす、すえた匂い が辺りに広がった。 イチモツ 虎ノ介は浴衣をよごしながら、胃の中のモノを吐きつくすと。次 に、壁へ身体をあずけて己が逸物を引き出した。 ︵痛い、痛い、痛い痛い痛い︱︱。痛くて休むどころじゃないっ︶ だ ﹁ちくしょう⋮⋮! ⋮⋮はやく⋮⋮早く射精さないと⋮⋮!﹂ ペニスはすさまじい威容でそそり立っていた。 その包皮は勃起だけで完全に剥け上がってい、みなぎった血管が 網の目のように浮き出ていた。先走りはどぷどぷ、ほとんど間欠泉 のようないきおいで、その鈴口からあふれていた。幹は普段の勃起 の倍近く、陰嚢ははちきれんばかりにふくれ。先端からは発酵食品 に似た性臭を強く発していた。 その信じられない有様のペニスを、虎ノ介は乱暴につかみ、手で しごいた。 ﹁う、く﹂ 上下に。強くこすりたてる。 幹から亀頭へ、皮ごと裏筋を縦に引くように。 843 ﹁な、なんで⋮⋮イケない。⋮⋮ど、どうして⋮⋮ッ?﹂ 絶頂は訪れなかった。 こすれどしごけど、ペニスは一向に射精しない。気が狂いそうな ほどの快感を脳が受容しているに係わらず、肝心のペニスは先走り を流すばかりで、白濁を噴き上げようとしなかった。 も ﹁くそおっ。な、なんでだよ⋮⋮? いつもはあんなにバカスカ簡 単に射精らすくせに⋮⋮ッ﹂ しごき上げる手は先走りでベトベトになり、股間は白い泡が積も る形でよごれている。 虎ノ介は無理やり絶頂へ届こうと、両手で思いきりペニスをにぎ りしめた。 ﹁イケよ⋮⋮! イケっ⋮⋮! 頼むから⋮⋮﹂ ほとんど懇願するようにして虎ノ介は手淫をつづけた。彼の胸の 中には混乱と焦り、そして訳のわからぬ恐怖とが生まれていた。 ﹁若様︱︱?﹂ 不意に。そうした声があって、虎ノ介はその身を硬直させた。 朦朧とした意識で目を向けると。そこに背の高い女性が立ってい るのが見え、彼はかすれかすれの声でその名を呼んだ。 ﹁さ、佐智さん﹂ ﹁佐智︱︱? いえ、わたしは︱︱︱︱⋮⋮⋮⋮っっ? ど、どう したのですか、若様?﹂ 844 佐智は虎ノ介の元へ急いでくると、ふるえる虎ノ介を抱いた。 ﹁若様、若様っ? 大丈夫ですか。しっかり。どこか痛いのですか ?﹂ ﹁さ、佐智さん。佐智さん︱︱﹂ 佐智の胸へ、虎ノ介は甘えすがった。 ﹁た、たすけて、たすけ。くるしい⋮⋮っ﹂ 涙を流して懇願する、その尋常でない虎ノ介の様子に、佐智は何 エス かを悟ったらしき様子で軽く頷いた。 ショック ﹁中毒症状を起こしてる。Esかba系の薬だな︱︱。イケなくて ツラいんですね?﹂ 虎ノ介は無言で唇をふるわせた。 ﹁少し待っていてください。この状態ではいくら刺激しても射精で きません。精神を安定させる必要があります。他人に抱いてもらわ なければ。⋮⋮今、誰か、相手をしてくれる者を呼んできます。こ こにいてください﹂ 845 伯母と姉、田村母娘の場合 中編 その4 離れ行こうとした佐智を虎ノ介は引きつかんだ。 力の入らない身体で抱きつく。 ﹁い、行かないで。ひ、独りにしないで⋮⋮﹂ 虎ノ介は云った。 思考力の低下した青年には心細さと、そして眼前の女体に対する 劣情しかなかった。 なか ﹁させて、佐智さん。お願いだから佐智さんの膣に入れさせて⋮⋮ っ﹂ ﹁わ、わたしですか︱︱? いや、しかし︱︱﹂ ﹁お願いだからっ。あ、頭がおかしくなりそうだ⋮⋮!﹂ 虎ノ介の必死の哀願に、佐智は困ったように少し考えるそぶりを した。そうしたのち︱︱ ﹁わかりました。で、ではその、応急処置でよろしければ﹂ やや躊躇いがちに頷くと、そっと、虎ノ介へその身をよせた。か がみこみ、股間へと顔を近づけた。 ﹁⋮⋮気を楽にしてください。わたしにまかせて。射精のことは意 識せず、気持ちよくなることだけを考えてください﹂ こう云うと佐智は、おもむろに虎ノ介のその醜悪にふくらんだペ 846 ニスを口にふくんでいった。 ﹁う、あ⋮⋮っ。な、何これ⋮⋮っ? す、すごい。さ、さっきま でと全然⋮⋮き、気持ちいい⋮⋮っ﹂ 舌と口の、あたたかくしめった感触に、虎ノ介は眉根をよせた。 あか 髪が口に入らぬよう耳のところでかき上げ、ペニスを喉奥まで沈 める佐智。月光に濡れるその美しい横顔に虎ノ介は頬を紅め見惚れ た。 ﹁き、綺麗だ⋮⋮。さ、佐智さん⋮⋮﹂ ﹁ふぁ、ふぁひがとう⋮⋮ぷは。⋮⋮あ、ありがとうございます﹂ 横目で、虎ノ介を見つめ佐智は云った。佐智の顔もまた朱に染ま つうよう っていた。舌と唇と頬肉とで、しめやかにペニスを愛撫する。 虎ノ介は腰をふるわせ、その痛痒にも似た甘い快感に酔った。 ﹁るっ⋮⋮どうですか、若様。っ⋮⋮⋮⋮わらひのフェラで⋮⋮気 持ひよくなれへまひゅか⋮⋮? ん⋮⋮﹂ ﹁ああ、すごい。すごい。気持ちいいよ⋮⋮。さ、佐智さん⋮⋮佐 智さぁん﹂ ﹁わ、若様のもすごいです。⋮⋮こんなに凶悪で⋮⋮可愛くて⋮⋮ すごく、いい匂いが⋮⋮します⋮⋮んっ⋮⋮脳天までしびれて蕩け そうな味⋮⋮っ﹂ ぶどう カウパー 葡萄色の長い舌を、佐智はれるれると亀頭にからませた。尿道を 舌先でこじ開け、そこからこぼれる先走りを﹁ずず⋮﹂とすすりあ げる。 虎ノ介は息をもらした。 847 ﹁お、思い出した﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮んぐ。何を、ですか⋮⋮?﹂ 口元のよだれをぬぐい。佐智が尋ねた。 ﹁昔︱︱ずっと昔に、おれが木から落ちて怪我をした時﹂ ﹁うん⋮⋮﹂ ﹁こ、こんな風に、傷を吸ってくれた人がいた。泥や血を舐めとっ てくれた。あれは姉さんじゃなかった。さ、佐智お姉ちゃんだった﹂ ﹁そんなことも⋮⋮ありましたね。ん︱︱﹂ ﹁さ、佐智さん﹂ ﹁んっ⋮⋮んっ⋮⋮んっ⋮⋮﹂ ﹁うっ、も、もう︱︱﹂ ﹁す、好きな時に出していいですよ。ぶちまけてください。わたし のことは気にせず、便器か何かだと思って︱︱﹂ つぼ 佐智は口淫の速度を早めていった。リズムよく。顔を上下させる。 口を窄め、喉奥まで使って奉仕する。﹁じるるる⋮﹂肉棒を吸い上 げる音が、蒼暗い廊下に響いた。 虎ノ介はにわかに起こってきた射精の欲求に身をまかせて、泣き 声に似たうめきを発した。 ﹁で、出るっ。出るよ、佐智さん。飲んでっ。お、おれの精液飲ん でッ﹂ ﹁︱︱︱︱ッ!? ぶふっ! ふぐ、ごっ、おっ⋮⋮! ふ∼∼∼ ∼ッ! ん゛∼∼∼∼∼ッッ﹂ や いきおいよく噴き上がった熱情が佐智の喉奥を灼いた。 大量な、あまりにも大量な精。そのすさまじく凝縮された淫欲を 前に、佐智はむせた。むせかえり、ほとんどおぼれそうになりなが 848 ら、 ﹁んぐ⋮⋮うく⋮⋮っ﹂ しかしそれでも彼女は、けっしてペニスを口から離そうとしなか った。懸命に、濃密な精液を飲み下していった。 ﹁んくっ⋮⋮ん⋮⋮ぷっ⋮⋮⋮⋮ん、ぷはぁっ⋮⋮﹂ やがて。虎ノ介の射精が一段落したところで、佐智はその伏せて いた顔を上げた。 ﹁えほっ。⋮⋮ご、ごちそうさまでした。わ、若様の精液、と、と ても濃厚で、おいしかったですよ﹂ とろんと、まるで強い酒にでも酔ったかのような目つきで、佐智 は虎ノ介へ笑みを向けた。頬は赤らんで、口元からは多量のよだれ と精液が糸を引きこぼれていた。 虎ノ介は佐智のその淫靡な姿に、ふたたび情欲がこみ上がってく るのを感じた。 ﹁佐智さん⋮⋮﹂ ﹁わ、若様⋮⋮?﹂ ふらふら、火に迷う羽虫のごとく。虎ノ介は佐智へ身をすりよせ た。 佐智は怪訝そうに、そうした虎ノ介を眺め見た。 虎ノ介の股間は未だいきおいを失ってはいなかった。一度射精を したことでだいぶ沈着いてはいたものの、みなぎり自体はまだ強く、 女体を求め昂ぶりを示していた。 849 ﹁わ、若様? ︱︱!?﹂ ふらつく体で立ち上がると、虎ノ介はとまどう佐智の顔に性器を 押しあてた。 頬から鼻、唇にかけて、のってりと白い液がなすりつけられる。 強引な腰遣いが、顔をそむけようとする佐智の口へペニスを押しこ んだ。 ﹁ふぐっ?﹂ ﹁ごめん、佐智さん。まだ、足りないんだ。もう少し、だけ︱︱﹂ 告げて、虎ノ介は佐智の頭をつかんだ。 両手で固定し、佐智の口にペニスを押しこんだまま腰を動かして ゆく。喉奥へ亀頭を突き刺し、気道を押し潰す。ぬめる舌へ裏筋を こすりつける。 たん ・・・ たちまち佐智の目には涙が浮かんできた。口中を犯されるくるし さから、呼吸のたび痰のからんだようなえずきを見せた。 ﹁ごぉっ⋮⋮かっ⋮⋮ふ⋮⋮ぉえ⋮⋮ッッ﹂ ﹁ああ、佐智さん。佐智お姉ちゃん。気持ちいい。最高に気持ちが いい⋮⋮!﹂ 全身を小刻みにふるわせ、虎ノ介は乱暴に腰を揺すった。 佐智は明らかにくるしそうにしながらも、なお虎ノ介を拒まずに いんのう いた。むしろ積極的に虎ノ介を愛撫するように舌をからめ、肥大し イラマチオ た陰嚢をやわやわともみほぐした。ペニスに歯をあてないように気 遣いつつ、強制口淫を受け入れていた。 ﹁うああ、すごっ、すごい、出る。イクよ、イク⋮⋮ッッ﹂ 850 ﹁∼∼∼∼∼∼∼∼ッッ﹂ 佐智の口中で。再度、ペニスがはじけた。 びゅくり。びゅくりと。喉奥をふさいだ状態で撃ち出された白濁 は、一度目に負けぬいきおいと量を以て佐智の口腔を蹂躙した。到 底飲みきれぬほどの精液が逆流し、佐智の口や鼻穴からあふれた。 快感と征服感が、虎ノ介の脳髄をしびれさせた。 ﹁うあああっ﹂ ﹁ん゛ん゛∼∼∼∼∼ッ﹂ 虎ノ介は佐智の頭をわしづかみにしたまま、がしがしと腰をふっ た。 佐智はその動きに逆らわず、膝立ちで、虎ノ介の腰の辺りを大事 そうに抱きしめる。一向に終わらぬ射精が、佐智の胸元を白く染め あげていった。 ﹁佐智さんっ。顔、顔で受けてっ﹂ 十秒ほど飲精させた後、虎ノ介は口中からペニスを引き抜くと、 それを今度は佐智の顔へと向けた。 ペニスはまるで壊れた噴水のように射精をつづけ、バシャバシャ と白濁を佐智の顔面へとぶつけていった。佐智は目をつぶり、それ らを顔で受けとめていった。 ⋮⋮全てが終わった後。 虎ノ介は呆然として佐智の顔を眺めた。佐智の、つやのある髪に は、ところどころ精液や先走りがかかって、顔はいたるところがど ろどろになっていた。 851 ﹁あ、ありがとう、佐智さん﹂ 荒い息のまま、虎ノ介は佐智に礼を云った。 ﹁い、いえ⋮⋮。こ、こちらこそ。お役に立てたなら、う、うれし いです⋮⋮﹂ 息も絶えだえな様子で、佐智は答えた。目に涙を浮かべ、やさし く虎ノ介を見やる。 ⋮⋮虎ノ介のペニスも陰嚢も、いつしか元のサイズへと戻っていた。 虎ノ介はひどい有様となった佐智に、何か感謝を伝えたいような、 愛おしい気持ちになった。佐智を抱きしめようとかがみ︱︱ ﹁佐智、さん︱︱﹂ そうしたところで、意識が遠ざかっていくのを感じた。全身を包 む疲れと気だるさ、血圧の急激な変化が、虎ノ介から急速に力を奪 いはじめていた。 ﹁若様!?﹂ くたり、くずれ落ちた虎ノ介を、佐智はあわて抱きとめた。 あたたかい腕の中。そこに安らぎを覚え、虎ノ介はまぶたを閉じ た。意識落ちる直前、佐智の、人を呼びたてる声が彼の耳に届いた。 ◇ ◇ ◇ 852 どれほどの時間が経ったのか。 身に残った熱に血が煮えたつようで、虎ノ介は深く眠ることがで きないでいた。 うとうと、眠っては目を覚まし、意識を失っては気づきを繰りか えし、なかなか訪れない朝をぼんやりとした心持ちで待った。暗い、 見知らぬ天井を眺めるたび、ここはどこだったろうかと不鮮明な考 たち えを巡らせてもみた。 ねつ くるしかった。 元来、発熱に弱い性質である。ぐるぐると、天井が回りながら落 ちてくるような、そんな感覚に囚われはじめると、いよいよ悪夢は、 独りきりの心を冒してくるように思われてきた。取り返しのつかぬ ほど大きな負債か何かが、全身に圧しかかってくるよう思われてき た。恐怖の源泉がどこか、論理だてて考えることもできなかった。 得体の知れぬ恐怖感、罪悪感におびえ、虎ノ介は必死に宙空へと 手を伸ばした。 ﹁助けて︱︱﹂ ひとすじ、涙が虎ノ介の頬をつたった。 ﹁だいじょうぶよ﹂ そうした声があった。 虎ノ介の手をつかみ、さする手があった。ひたいにふれる冷たい 掌があった。 そのなつかしい、やさしげな声に虎ノ介は心が沈着くのを感じた。 不思議な、泣きたくなるような安心が彼の心を包んだ。 ﹁かあ、さん︱︱?﹂ 853 眼界に映ったおぼろな人影に、虎ノ介は問いかけてみた。人影が 虎ノ介の頬をなでた。 ﹁なあに?﹂ ﹁怖い夢を見た﹂ ﹁夢?﹂ 虎ノ介は小さく、顎を引いた。 ﹁独りだった。夢の中で独りなんだ。白い、誰もいない部屋に。独 りでうずくまってた。どうしてか、母さんもいないんだ﹂ ・・・ ﹁そう⋮⋮。怖かったのね﹂ ﹁うん﹂ ﹁もうだいじょうぶよ。わたしはどこにも行かないわ。これからも ずっと、あなたのそばにいる。安心してお眠りなさい﹂ ﹁ん⋮⋮﹂ ﹁いい子ね。⋮⋮お水飲みたい?﹂ ﹁うん⋮⋮﹂ ﹁水差し、は無理ね。やっぱり口移しがいいかしら。ん、少し待っ ててね︱︱﹂ 少しの間を置いて。 虎ノ介の唇に何か、あたたかくやわらかなものが押しつけられた。 その何かは彼の唇を上下へ、器用に割り開くと。そこからぬるん、 と弾力ある濡れたモノを押し入れてきた。それは虎ノ介の舌や歯列 をまさぐるように動き、同時に動きに沿って冷水を流しこんでよこ した。 虎ノ介はゆっくり、その流れてくる水を飲んだ。冷たい水に体内 の熱が少しだけ下がるような気がした。 ようやく眠れる。 854 うるお 疲れきった頭で思いながら、虎ノ介は意識を手放した。 虎ノ介の喉を潤し終えると、やわらかな感触は彼の唇からそっと 離れていった。 ﹁おやすみなさい。虎ちゃん︱︱﹂ 855 伯母と姉、田村母娘の場合 中編 その5 ﹁だから云ったのだっ﹂ こう激した調子の声が聞こえて、虎ノ介はまずその意識だけを覚 醒させた。 目は閉じたままで、徐々にはっきりとしてきた意識を周囲へ向け る。声の主はどうやら鳳玄であるらしい。誰かに向け鳳玄が怒鳴っ ている。そうしたことが、虎ノ介の胡乱な頭にもなんとなく判じら れた。 くれは ﹁あれほど頼んだろう、紅葉。虎ノ介を頼むと。それが何故こんな ことになる﹂ ﹁も、申し訳ありません、お屋形さま﹂ つか ﹁どれほどの薬を投与されたものか。同時に数種類、しかも多量に 使用われた痕跡があると医者は云っておったぞ。下手をすれば廃人 になりかねん量だ。よしんば平気だったとしても、また強姦騒ぎな ぞ起きてみろ。今度はこの子が首を吊りかねなかったのだぞ。田村 の正統な後継者が。貴様ら︱︱﹂ 鳳玄の怒りは収まる気配を見せなかった。 周囲に複数ある人の気配もまた、気をもむ様子であるのがうかが われた。 ﹁敦子、なんとか云え。部屋にあった香、あれはおまえの用意した ものだろうが﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁敦子っ﹂ 856 ﹁いいじゃん、別に。大事なかったんだからさァ﹂ と。敦子に代わって誰か。他の女の、小声でふてくされたような 声があった。 ゆら ﹁ゆ、由良ちゃん﹂ つづいてもうひとり。また別の女が後を追うように云った。 虎ノ介は目を薄く開け、周囲へ目を配ってみた。 ふすま 広い広い、百畳はあろうかという大広間だった。部屋と外を仕切 る襖、障子は全て閉じられてい、外の様子はうかがい知ることがで きない。綺麗な、青畳の敷かれた部屋の真ん中に、虎ノ介は布団で 寝かされ、その虎ノ介を囲むように数人の男女が座っていた。 ある者は当世風の年若い女で、ある者は和服姿の青年だった。髪 かのう くれは を金に染め、まるでパンクロッカーのような青年もいた。海老茶色 の和服に身を包んだ年長の女、狩野紅葉︱︱虎ノ介は知らない︱︱ もいた。いつもの黒いスーツ姿で、背筋を伸ばし正座した佐智と那 智の姿もあった。眼鏡の奥のやわらかな視線で虎ノ介を見つめる、 いかにも大人らしい女があった。伏し目がちに何か、自分の思いに 沈んだような敦子がいた。そうした中で鳳玄だけが、ひとり苛立ち を隠せぬ様子で部屋の中を歩き回っていた。 舞はいなかった。 虎ノ介は祖父の険しい表情と語気から、目覚めたことを何やら云 い出しにくく感じて、仕方なしに彼らのやり取りへ耳を傾けた。ど の機会で声をかけようか、そんなことをうかがって見ながら。 ﹁よ、よした方がいいよ、由良ちゃん﹂ こう云ったのは見るからに幼い少女だった。小さな顔に小さな体 つき。切り揃えられた黒のボブカットがまるで日本人形を思わせる。 857 それに対し、隣の、これも年恰好から女学生だろうか︱︱いかに も気の強そうな少女が口をとがらせた。ふうわり、つやのあるツイ ンテールが肩で跳ねた。 ﹁だって、桜。これじゃまるでわたしたちが悪者みたいじゃん。わ たしたちが疑われてるんだよ? そんなさァ。写真でしか見たこと ない人に、わたしたちがわざわざそんな薬盛る訳ないっての。そも そも興味なんかこれっぽっちもないしィ。ね、桜だってそうでしょ ? 桜なんて学校じゃ掃いて棄てるほど男子に云いよられてるもん ね﹂ ﹁え? わ、わたしは⋮⋮﹂ ﹁ま、厭味で性格の悪いイケメンよりは、人畜無害っぽい虎っちの 方がマシとは思うけどね。ねえ? 広人﹂ ﹁あ? テメー、そりゃおれのこと云ってんのか?﹂ 由良という少女の言葉に。金髪の青年︱︱広人が目つきを険しく する。 ﹁こんなガキがおれよりマシってな、どういうことだ﹂ かざみや ﹁すごまない、すごまない。どうせアンタみたいな能無しの役立た ず、すごんだって意味ないんだから。風宮の家だって肝心の女子が 出ないんじゃ、さすがに今度は本家から養子とることになるでしょ。 ひがみたくなるのはわかるけどさ、現実は素直に受け入れなさいよ﹂ ﹁こ、このクソアマ︱︱﹂ 広人は顔を強張らせて、由良をにらんだ。長い金髪が揺れ、そこ からピアスのいくつもついた耳がのぞいた。 ﹁風宮はおれが継ぐに決まってるだろうが﹂ ﹁もう四代つづけて男子しか出てないのに? 無理に決まってるじ 858 ゃん﹂ ﹁うちはそうでも、本家の︱︱舞の血が入れば﹂ ﹁はぁ? 舞さんが? ⋮⋮ぷっ。あはははははははっ﹂ 田村の鬼子 が本気で 大声で笑う由良。整った顔立ちに、サディスティックな侮蔑が浮 かんだ。 広人はますます目つきを鋭くした。 ﹁な、なにがおかしい﹂ ﹁ばっかじゃないの? 舞さんよ? あの あったま アンタなんかになびくと思ってるワケ? あはははっ。無理に決ま ってんでしょー。頭わるーい、超勘違ーい、ウケるー﹂ わァ ﹁な、なななっ、何、何しゃべってらんだばっ、るなら、オメっ、 なま ま、舞はわ、わ⋮⋮おれか明彦と結婚すんだっで、むがしから決ま っちゃっけな!﹂ ﹁おーちーつーけー。素に戻りすぎて訛り出てんぞー。敦子さんの 前なんだからさ。もう少し気を遣えってば﹂ ﹁ぐ、む﹂ 由良が云うと、広人は一瞬だけ言葉をつまらせた。そうしてくや しげに視線を外すと、向かい合いに座る和服の青年へと声を向けた。 ﹁あ、明彦。オメーもなんか云え。おれたちが婚約者のはずだろ。 舞は﹂ おちつき 周囲の視線が、和服の青年へと集まった。鳳玄や敦子の目もまた、 その虎ノ介よりいくつか年上に見える沈静ある青年へと向いた。明 たもと 彦と呼ばれた青年は、広人の問いかけに深く考えるような目をする と、袂に両の手を差しこみ、ゆっくり虎ノ介の方を見た。 859 ︵やばっ︶ あわて虎ノ介は目をつぶった。 別に起きているのを気づかれたところで特に問題はないはずであ った。が、どうしてか気まずく感じられ、虎ノ介はその身を硬くし た。 舞に結婚を約束した相手がいる。その事実が虎ノ介の鼓動を早く していた。 ﹁舞ちゃんに、ぼくらと結婚する気はないだろうな﹂ こう、明彦は淡々とした口調で語った。 かれ ﹁あ、明彦。おまえまでそんなこと云うのかよ﹂ かがみ ﹁仕方ないさ、広人くん。彼女は昔から弟にぞっこんだ。姉弟愛な んて生易しいものじゃなく、心底から執着してる。まさに田村の鑑 みたいな女性だ。⋮⋮それはキミもよく知ってるだろう?﹂ ﹁う。そ、それは、よ⋮⋮﹂ ﹁仮にぼくらが彼女と結婚したとして。それで彼女がおとなしく田 村の当主に納まってくれるかな。本来の相手である虎ノ介くんを差 し置いて。⋮⋮桜子はどう思う?﹂ そう明彦は、桜子︱︱最初に由良をたしなめた、人形じみた雰囲 気の少女へと尋ね。 ﹁え? わ、わたし︱︱﹂ ﹁速瀬の次期当主としてどう思う? 正直な意見を聞かせてくれな いか﹂ ﹁う⋮⋮。そ、そのわたしは︱︱﹂ 860 桜子は、おずおずといった調子で口を開いた。 ﹁あの⋮⋮えっと。もし舞さんが、アキ兄様や広人さんと結婚した ら⋮⋮。多分、その、虎ノ介さんはきっとこの家に残ってくれない んじゃないかなって、そう思います。元々、この家に縁のない人だ ウチ し、きっと居づらくなるかなって。そうしたらこの家を出て行っち ゃって。そうなると一番困るのは田村なんじゃないかって﹂ ﹁そう思うかい?﹂ こくり。頷く桜子である。 ﹁朧さんも佐智さんも由良ちゃんも⋮⋮わ、わたしもずっと帰って くるのを待ってた人だし。何より舞さんが、一番そんなの納得しな いと思う。虎ノ介さんが帰ってこなかったら、おそらく田村の家を 棄てちゃうんじゃないかな。飛び出して、虎ノ介さんのところに︱ ︱。そして大事なのは、それが舞さんだけの話じゃなくて、もしか したら敦子さんや佐智さん、みんながそうするかもしれなくて︱︱。 そうなったら、もうグループ全体が立ち行かなくなるんじゃないか なって﹂ ﹁ふむ、一理あるかもしれん﹂ こう頷いたのは鳳玄であった。 ﹁揃いもそろって、ウチの女どもは他人の都合より自分の愛欲を優 先させる連中だものなあ﹂ 畳へ無造作に腰を下ろすと、じろり、その場にいる女性陣を見回 しねめつけるようにする。 敦子は答えず。佐智は相変わらずの無表情で、由良はむっ、と不 満げな顔つきをした。紅葉は照れたように顔を紅め。眼鏡の女は人 861 の好さそうな顔を歪め、困った風に笑った。 このコ このコ こ ﹁そうですね。きっと桜子の云うとおりなんでしょう。⋮⋮桜子も のコ おとなしく見えて根は強情ですからね。真っ先に家を棄てるのは桜 子かもしれない﹂ 明彦が云った。 ﹁お、お兄様っ﹂ か ﹁はは。ごめん、ごめん。⋮⋮まあ、そういうことだよ、広人くん。 れ ぼくらが舞さんに認めてもらうのは難しい。ここにこうして、虎ノ 介の存在がある以上は、ね⋮⋮﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ 広人は答えなかった。ただ凝と、険しい目つきをして虎ノ介を見 ていた。明彦もまた複雑な感情を浮かばせ虎ノ介を見つめていた。 ﹁話は︱︱済んだかしら?﹂ ︱︱と。 そこでタイミングを見計らったように。敦子が口を開いた。 ︵伯母さん?︶ 虎ノ介は敦子の、いつもとは違う冷えた調子の声に、若干の違和 感を覚えた。 敦子の顔を見るべく、そっと薄目を開ける。 敦子の表情はいつもとなんら変わっていない。怜悧で凛とした風 862 情である。だが何か。普段と決定的に違うところがあった。それが 何かわからず、虎ノ介はとまどいとともに彼女を見つめた。 すと敦子は立ち、鳳玄の隣から虎ノ介の枕元へと場所を移した。 優雅な仕草で座り、虎ノ介のひたいをなでる。 かも ⋮⋮誰も声を発する者はいなかった。 皆、敦子がほんのわずか醸し出した空気に飲まれていた。鳳玄で すらが己の娘の気配に息を飲んだ。⋮⋮緊張が広間を包みはじめて いた。 ﹁な、何よ、敦子さん。急に怖い顔しちゃって﹂ 由良がおびえた風に云った。 ﹁怖い? ふふ、由良ちゃん。わたしがそんな風に見えるかしら﹂ にこやかに笑うと、敦子は少し考えるように口元へ手をやった。 ・・・・・・・・・ ﹁ふ、ふ。やあねぇ。わたしまだなんにも云ってないわよ? 誰も あなたたちをひどい目に遭わせるなんて云ってないでしょう?﹂ ﹁︱︱︱︱!﹂ ぎくりとして、由良は背を強張らせた。 敦子はひとつ唇を舐めると。 ﹁ああ、明彦くん、広人くん。あなたたちはもういいわ。下がりな さい。用は済んだから﹂ ﹁は? い、いやしかし﹂ 怪訝そうに、明彦は敦子を見た。 863 いもうと ﹁その、桜子は?﹂ ﹁聞こえなかったの? 下がりなさい︱︱﹂ もう一度、鋭く敦子は繰り返した。 その有無を云わせぬ調子に、明彦と広人、ふたりは蒼ざめた顔で 立ち上がった。無言で広間を後にする。 場には虎ノ介と鳳玄、そして那智という三人の男と、そして敦子 もふくめた六人の女が残った。 敦子は一人ひとり、残った女たちの顔を眺め見て、おもむろに話 をつづけた。 ﹁ふふ。じゃあ話を元に戻しましょうか。由良ちゃん。わたしはね、 分家だとか本家だとか、誰が跡を継ぐだとか、そんな話はどうでも いいの。ごまかそうとしても無駄よ﹂ ﹁べ、別にごまかすつもりなんか︱︱﹂ ややたじろいだ気色で、由良は目をそらした。 ﹁ふ⋮⋮。昨夜、わたしが使った薬は香木タイプのエスプロピン。 紅葉さんに頼まれてた分よ。もちろんそれだけで中毒を起こすよう な量じゃないわ。ほんの少し。男なら性欲と勃起力、回復力が増進 されて。女ならいくらか淫らな気分になって股間が濡れる。その程 度よ。けっして目が視えなくなったり、嘔吐や射精不全を起こすよ うなものじゃないわ。︱︱紅葉さん﹂ ﹁なぁに、アっちゃん?﹂ 紅葉が敦子を見る。 ﹁昨夜は夜這いをかける予定じゃなかったのですよね?﹂ ﹁へ? え、ええ、そうねぇ。昨晩はいったん家に戻ってたから。 864 旦那に話もしなきゃいけなかったしねぇ。それにあの薬は直接服用 しないと効果は薄いって、アっちゃん云ってたじゃないさ? 香を 使うなら、今回は二、三日かけて状態をつくると思ってたのだけれ ど﹂ 違った? と、紅葉。 小さく敦子は首肯した。 ﹁ええ︱︱。そのつもりでした。直接服用させた場合、効果は大き いのですが妊娠の確率が若干下がりますし、紅葉さんも跡継ぎが欲 このコ しいようでしたから⋮⋮。ところで紅葉さんは誰かにこのことを云 いましたか? つまり、近いうち紅葉さんが虎ノ介の筆下ろしをす ることを﹂ ﹁そうねぇ。それは確か、みんなには云った⋮⋮わよねぇ?﹂ 紅葉が、女たちの顔を見た。 途端、佐智をのぞいた三人の女︱︱由良、桜子、そして眼鏡の女 の表情が曇った。 さまよ 由良は舌打ちをし、桜子はうつむき、もうひとりはあからさまに 焦った様子となって、視線を宙に彷徨わせた。 ﹁豚め⋮⋮﹂ 冷たい目を向け、佐智がつぶやいた。 865 伯母と姉、田村母娘の場合 中編 その6 ﹁な、何よ、敦子さん。たったそれだけのことでわたしたちを疑う そのひと このコ の? い、いくらなんでもそんなの横暴だわ。さっきも云ったけど、 わたしは虎ノ介のことなんか︱︱﹂ 由良が反論する。 敦子はそうした由良の言葉にかまわず、 おぼろ ﹁朧︱︱素直に白状した方が身のためよ。あなた、虎ちゃんに盛っ たわね?﹂ と、先程から無言のままでいる眼鏡の女性へと話を向けた。 おど 問われた女は、敦子に見すえられると﹁ほぅ﹂とひとつ溜息をつ き。 ﹁ごめんなさい、敦子さん﹂ 観念したようにそっと頭を下げた。 ろき その場にいたそれぞれ︱︱敦子と来栖兄妹をのぞいた︱︱に、吃 驚の表情が浮かんだ。由良は﹁嘘っ!?﹂と云い、桜子は目を丸く し、鳳玄は思案するように腕組みして目をつむった。 虎ノ介もまた吃驚いていた。 自分がいつの間にか、何やら薬を飲まされていたらしい事実。そ して朧というやさしげな女性。そのギャップに疑問を持った。どう してそのようなことをする必要があるのか。虎ノ介はわかりあぐね た。 866 ﹁何をしてるんだい、あんたは﹂ あきれた様子で紅葉が眺めやる。 どうきん ﹁別にこんな真似しなくったって、若様と同衾する機会ならこの先 いくらでもあったじゃないさ﹂ としした ﹁す、すみません。紅葉様。ですが、その⋮⋮わたしは虎ノ介くん のことが好きだったんです﹂ ずっと前から。と、朧は身体を小さくし答えた。 ﹁だから昨日だったのね?﹂ 嘆息し、敦子はこめかみを指で押さえた。 ﹁今日になれば紅葉さんが相手をすることになるから﹂ ﹁はい﹂ ﹁薬はどうやって?﹂ とし ﹁彼がお風呂あがりに飲んでた水に⋮⋮﹂ はじめて ﹁まったくいい年齢をして。あなた、今年で三十でしょう。年少の 童貞を無理やり奪おうなんて、はしたないと思わなかったの?﹂ ﹁と、年齢のことはおっしゃらないでください。⋮⋮わたしはただ、 彼に愛してほしかっただけなんです。女として見てほしかった。⋮ ⋮彼をくるしめるつもりはありませんでした﹂ ﹁処女のくせに﹂ ぼそりとつぶやく者がいた。佐智であった。 ﹁さ、さっちゃん!? ど、どうしてバラすのっ﹂ 867 半ば泣き顔で、朧が抗議する。 ﹁あら、朧はまだ処女なのね﹂ くすりと。紅葉が勝ち誇ったような笑みを浮かべた。 ﹁おほほ。それじゃあ若様の相手は無理ねぇ﹂ ﹁む、無理じゃありませんっ。できます⋮⋮! わたしも勉強はし ておきましたから﹂ ﹁そんなことを云っても、知識だけで肝心の経験がないんじゃ、童 貞をリードするのは難しいでしょう。やっぱり若様の筆下ろしはわ たしがした方がよさそうだわ。⋮⋮ねぇ、お屋形様?﹂ ﹁こ、ここでわたしにふるのかっ?﹂ 鳳玄はびくりと肩を揺らし、実に嫌そうな、苦りきった顔を紅葉 に向けた。 ﹁だってお屋形様もおっしゃったじゃないですか、若様のことはわ たしに任せると﹂ ﹁いや。確かにそうは云ったがな。別に虎ノ介の相手まで定めたつ もりは﹂ きむすめ ﹁ならこの場でもう一度おっしゃってください。わたしに、この紅 葉に若様の筆下ろしをまかせると。乳くさい生娘では頼りにならな いと、この小娘どもに、当主らしくビシっと﹂ 云ったって云ったって。 うながす紅葉に鳳玄は﹁う、うむ、そ、そうだな⋮﹂と曖昧な口 ぶりで同意を示すのみで。朧はそんな鳳玄をうらめしげな目つきで 眺めた。 868 ﹁はあ。アホらし﹂ と、そうしたやり取りに愛想をつかしたのか、由良が立ち上がっ た。 ﹁こんなコント見てらんないわ。犯人もわかったことだし、わたし たちはそろそろいいわよね。⋮⋮桜、行きましょ﹂ 束ねた二本髪を揺らし、広間を去ろうとする。 その由良の背へ、敦子は冷たい、やさしい声で声をかけた。 ﹁待ちなさい、由良ちゃん﹂ ﹁何? まだ何かあるの?﹂ ﹁もちろん。だってあなたもなのでしょう? ︱︱犯人﹂ ﹁っっ﹂ 由良の足が、とまった。 ﹁全て朧の責任にして逃げようとしても、そうはいかないわよ。ね え、桜ちゃん? 昨日夕、あなたと由良ちゃんが厨房にきていたの は、下女たちの証言で裏がとれているの。肉より魚が好きな虎ちゃ んのためのメニュー。どの膳か聞いたそうね﹂ おもて 決めつける敦子の面には、穏やかな、それでいてどうしてか見る ひとでなし 者をぞっとさせずにおかない笑みがべったり貼りついていた。それ はまさしく禍々しいといった形容がふさわしい、天人の笑みであっ た。 由良は言葉を失い、その場に立ちすくんだ。桜子は不安そうに由 良と敦子を交互に見た。 869 ﹁仕方ないじゃん︱︱﹂ きっ しばしの沈黙の後。由良が口を利いた。屹としてふり向き、 ﹁だって、し、仕方ないじゃんっ。ああでもしなきゃ紅葉様に虎っ ちが襲われてたんだもの﹂ 敦子と紅葉、ふたりをにらんだ。 ﹁だ、だいたい敦子さんだってひどいよっ。わたしたちのけ者にし て、虎っち囲って。十年経ってようやく里帰りしたと思ったら、わ たしたちは顔も見に行っちゃダメとか。西棟には入っちゃダメとか。 ずるい。そんなのずるいよっ。待ってたんだよ? ずっと写真だけ で、どんな人なんだろうって憬れて、想像してて。わたしだってい、 一緒にいたかったのに︱︱﹂ この衝動 こう由良は、半ば泣き声に近い、鼻にかかった声で責めた。 ﹁あなた、この子に興味ないんじゃなかったの?﹂ うち ﹁そ、そんなのっ。⋮⋮う、嘘に決まってるじゃない。 に逆らえる女なんて一族にひとりだっていないこと、あ、敦子さ んよく知ってるでしょ⋮⋮﹂ 興奮し、まくしたてる。由良の顔には怒りや羞恥、そして嫉妬な てい どが混じりあったような、なんともいえない感情が浮かんでいた。 やれやれ。敦子は疲れたという体で肩をすくめた。 ﹁まったくあなたときたら。面倒くさいんだから。好きなら好きと 云いなさい。シたいならシたいと云いなさい。変な格好つけてない で。ああ、そう。そうなの。あなた、そんなにこの子が好きだった 870 の﹂ ふくれっつらで。しかし由良はこくんと肯いた。 ﹁好き。虎ちゃんが好き。チュー⋮⋮したい。虎ちゃんと、その、 エッチして、い、いちゃいちゃしたい⋮⋮!﹂ ﹁桜ちゃんも? だから由良ちゃんと一緒に?﹂ 敦子の問いに、桜子もまた、躊躇いつつ頷きを見せた。 ﹁ご、ごめんなさい。その、由良ちゃんに誘われて、わたしも悪い こととは思ったんですけど﹂ 我慢できなかった。と桜子は云った。 ﹁わたし、悪くないもん⋮⋮っ﹂ そっぽ 由良は畳に座りなおし、ふてくされた態度で外方を向いた。 そうした二人に、佐智は蔑みの視線を送り、紅葉は苦笑をした。 先程まで怒りを見せていたはずの鳳玄は毒気を抜かれた様子で、ふ たりを眺めた。 敦子は三人の犯人を見つめると、やがて冷然と告げた。 ﹁理由はわかったわ。あなたたちの気持ちもよくわかった。虎ちゃ んを傷つけるつもりはなかったこともね。⋮⋮けれどね。とにかく、 あなたたちの勝手が原因で、虎ちゃんは倒れたのよ。同じ晩に薬を 数回分、重ねて使われたせいでね。それ自体は偶然だったんでしょ う。朧もあなたたちも、まさか同じように薬を使う者がいるとは思 ってなかったんでしょうし。でも意図したことでないとはいえ⋮⋮ まかり間違えば命に係わるところだった。朧、由良、桜。わたしは 871 ね、その事実だけを重く見るわ。⋮⋮⋮⋮この責任はとってもらう わよ﹂ その宣告に、三人の表情が曇った。 ﹁せ、責任って﹂ ﹁うふ。もちろん厳しいきびしい︱︱罰よ。あなたたちには何より 重い罰をあたえるわ﹂ 由良の問いへ、一転し、敦子はにこやかな微笑を見せた。 ﹁罰とはなんですか?﹂ 朧が問うた。 敦子はにやりとして、 ﹁そうねぇ。何がいいかしら。キっついやつがいいわねぇ。二度と ホームレス 不埒なことを考えたくなくなるような。⋮⋮ああ、そういえば全員 処女なのよね、あなたたち。⋮⋮そうだわ、浮浪者に輪姦してもら グループ うなんてどうかしら? きたないオジサマたちに処女喪失を手伝っ てもらうの。ねぇ、一族のトップに位置するあなたたちが、くさい くっさいオジサマたちの相手をするなんておもしろいと思わない? でき ああ、安心して。ちゃんと排卵誘発剤も打ってあげるから。最近 開発た新しいやつはね。すごいのよ。精子活性化剤と併用した場合、 妊娠確率はなんと90パーセント以上。ふ、ふ。ほぼ確実に妊娠す るわよ? 無垢な乙女が好きでもない男に孕まされるのって素敵よ ねぇ。甘美でせつない。とってもロマンチックだわ﹂ 敦子の口から出たのは、恐ろしい残酷無惨な計画であった。 一気に。三人の表情は蒼ざめたものになった。 872 その敦子の遊びない、真剣そのものな声色に、朧は鋭い顔つきと なり、桜子は﹁ひ﹂と、のどをふるわせた。 ﹁に、妊娠って⋮⋮しょ、正気!? そんなむちゃくちゃな罰、わ たしらが素直に飲む訳ないじゃんっ﹂ 由良は全身に嫌悪をあらわにして敦子をにらんだ。 鳳玄と紅葉もまたぎょっとして敦子を見た。 のんき ﹁ふ、ふ。嘘だと思う? ねぇ、由良ちゃん。この期におよんで、 そんなことを云うあなた。きらいじゃないけど、ちょっと暢気って いうか、考えが甘いんじゃないかしら⋮⋮?﹂ と、ひとつ。敦子が目くばせをした。直後︱︱ ぱっと、動いた者があった。 佐智と那智。ふたりが同時に動き、佐智が朧を、那智が由良と桜 子を、それぞれ背後から腕をうしろ手にひねる形でうつぶしに押さ えつけた。背中に膝をあて、体重をかけ押しつぶす。 ﹁きゃっ﹂ ﹁な、何よ﹂ ﹁さ、さっちゃん!?﹂ 抵抗する間もなく畳に押さえられ、三人は悲鳴と苦悶の声を発し た。それぞれ抵抗するも兄妹の力は圧倒的に強く、三人はただ自ら の関節が軋む音と痛みとに、おびえた声でうめくしかできなかった。 敦子は沈着きはらった様子で、 ﹁ばかねぇ。もしわたしが犯人だったら、こんな場にノコノコやっ てきたりしないわよ。朝になる前に姿をくらますわ。それをしない 873 って、あなたたち。わたしをなんだと思ってる訳?﹂ と、三人の女を嘲るように笑った。 ﹁さて。今からあなたたちを座敷牢に捕らえて薬漬けにする訳だけ ど、何か云い残すことはある? 命乞い以外ならできるだけ要望は い 聞いてあげるつもりだけど。ああ、プレイ内容もお好みに応じてい ぶおとこ つでもチェンジ可能よ。オプションは、挿入れたら壊れそうなサイ ズの黒人とか、死にかけた老人とか、醜男百人の精液でロシアンル ーレットとか⋮⋮。どれでも好きなプレイと遺伝子を選ばせてあげ る。受精はできないけど犬や豚なんかの獣姦もアリよ。ああそれと、 それぞれの家には田村家次期当主に対する毒殺未遂ってことでちゃ んと連絡は入れておくから、あなたたちが死んでもなんの問題はな いわ。安心して狂ってちょうだい﹂ ⋮⋮もはや。三人に声はなかった。 由良は涙目で歯を食いしばりながら、必死に敦子をにらみつけて い、桜子はかちかちと歯の根すら合わない状態でふるえていた。朧 は、諦念に近いものをにじませ、やりきれないといった風に吐息を もらした。 874 伯母と姉、田村母娘の場合 中編 その7 ︵お、おいおい。嘘だろ? じょ、冗談だよな︶ 虎ノ介は布団の中ではらはらとしながら、事の成り行きを見守っ ていた。 わかもの 根のところで温和な性質の虎ノ介である。自分が傷つくのも他人 が傷つくのも嫌がる青年である。その感じやすさから他人の痛みを ねが も我がことのように引き受ける青年である。世の中から争いや不調 わら 和がなくなればよいと、そんな子供じみた希いさえ半ば本気で持ち、 己を嗤ったりする青年である。 そうした虎ノ介にとって、目前で行われようとする非道、これを 見過ごすことは難しかった。 たとえ己が損を見たとしても︱︱否、自分が被害者だからこそ、 余計に彼は抵抗を覚えた。 たかが自分ひとりのことで三人もの女がむごい目に遭う。 こうしたことは虎ノ介の価値観から云ってあってよいことでなか った。特段、善人を気どるつもりはないにせよ︱︱ ︵ね、寝覚め悪いっての︶ これであった。 そして何より、 ︵伯母さんがそんなことするなんて絶対嫌だ︶ この想いが虎ノ介を強く動かした。 ようやく得た家族なのである。愛し、敬い、ともすれば己より大 875 ひと 事にしたい女である。わがままと云われてもよかった。ともかくも、 彼は敦子の無慈悲なふるまいなど見たくなかった。 ︵伯母さんはおれの大切な︱︱︶ その先は考えなかった。 虎ノ介は衝動に突き動かされるまま、身体を起こした。 ﹁三人を牢へ︱︱﹂ ﹁ま、まって。伯母さん!﹂ 敦子の命令をさえぎるようにして、虎ノ介は声を張り上げた。 広間にいた全員の視線が、虎ノ介へと集まる。 ⋮⋮由良のにらむような目があった。桜子のすがる目があった。朧 の安堵した、虎ノ介の復調を喜ぶ目があった。鳳玄と紅葉の安心し た目、来栖兄妹の期待と確信のこもった目があった。 虎ノ介は敦子の腕を引きつかんだ。 ﹁やめてください。お、おれは大丈夫ですから。そんなこと、伯母 さんがする必要なんて、全然ないんですから︱︱﹂ 敦子は吃驚いた表情で虎ノ介を見返すと、うれしげに笑んだ。 ﹁虎ちゃん。気がついたのね﹂ ﹁は、はい﹂ 虎ノ介は肯いてみせた。敦子は﹁よかったわ﹂とひとつ、虎ノ介 の頭をなでると。 ﹁ちょっとまっててね。今、虎ちゃんをひどい目にあわせた、この 876 しつ 淫乱な牝たちを躾けるところだから﹂ ﹁! あ、あの、そ、それっ﹂ ﹁なあに? 虎ちゃん﹂ ﹁し、躾って、薬を使って輪姦させるって︱︱﹂ ﹁聞いてたの? そうよ。この発情した牝どもにはそれくらいがち ょうどいい罰だと思うの。ふふ、ああ心配しなくても殺したりはし ないわ。ちょっと牢の中で自分のしたことを反省させるだけ。まあ 自殺するのも、狂うのもそれはこの子たちの自由だけれど﹂ 虎ノ介は息を飲んだ。そうして薄く笑う敦子へ向けて、躊躇いが ちに質問した。 ﹁ほ、本当にする訳じゃないですよね﹂ ﹁? ⋮⋮どうして?﹂ ﹁伯母さんはそんなことできる人じゃないでしょう。だって、やさ しい。伯母さんは誰よりやさしいんだから﹂ 虎ノ介の言葉は、場に、不思議と穏やかな気配をもたらしていた。 敦子を信じる心、慕う心がそのまま言葉の響きとなって表れ、敦 子を和ませていくのが周囲の者にも空気としてわかった。皆、ふた りを見比べてみて、どうしてか敦子と調和のとれた風に映る虎ノ介 の姿に感心の吐息をもらした。敦子のまばゆいまでの華やかさに負 けぬ虎ノ介の微妙。 ⋮⋮凍りついた空気はいつの間にか春の雪解けを迎えつつあった。 ﹁うふ、ふ、ふ。わたしがやさしいなんて、やっぱり虎ちゃんはば かね﹂ 虎ノ介は布団から出ると、その上に正座し凝と上目遣いで敦子を 見つめた。 877 ﹁お願いだから拷問みたいな真似はよしてください。その、伯母さ んにそんなことは似合いませんよ﹂ ﹁あら。わたしに似合わないかしら?﹂ ﹁ええ、絶対﹂ 強く、虎ノ介は肯いて見せた。 敦子は満更でもないといった様子で頬を紅め、しかしゆるゆると 首を左右にふった。 ﹁虎ちゃんの言葉はうれしいけど︱︱﹂ じろりと、横目で畳に押さえこまれた由良たちを見すえる。 ・・・・・・ ﹁こういうことをお咎めなしに見逃してたら、規律というものがな くなるでしょう? だからね、いくら虎ちゃんのお願いでもこれば っかりは聞けないのよ﹂ ﹁! そ、そんな﹂ 愕然とした、痛ましい表情が虎ノ介の顔に浮かんだ。鳳玄や紅葉 も意外そうな顔つきをして、敦子の言葉を聞いた。 虎ノ介は必死で取りすがった。 ﹁じゃ、じゃあ。もっと軽く︱︱軽い罰にしてあげてください。彼 女たちの心に傷が残らないような﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁いくらなんでも輪姦なんてひどすぎます。女の子にするようなこ とじゃないですよっ。おれはこうして大丈夫だったんですから、だ からお願いです、伯母さん⋮⋮!﹂ 878 虎ノ介は布団に頭をこすりつけんばかりにして、そう敦子へ哀願 した。と、その時︱︱ ﹁そんなお願いなんてしなくていいわ﹂ こう、強い口調で云う者があった。 ひと 由良であった。由良は押さえつけられた形のまま、虎ノ介にやわ らかい、この上なくやさしい目を向けると、 うち ﹁いくら虎ちゃんがお願いしたって無駄よ。その女は根っから田村 の女なんだから。知ってる? 田村の女はね。生まれつき人でなし なの。冷血、冷徹、残酷。他人の都合なんておかまいなし。係わる 者にとっては福徳の象徴。傷があれば癒してやって、貧しければ富 ませる。天の女らしくね。けど自分が敵だと見なしたら容赦なく罰 をあたえるの。無慈悲に。さながら天が人を裁くみたいにね。それ がわたしたち田村の女。敦子さんはその中でもとびっきりの典型。 ⋮⋮だからさ。そんな顔しなくていいわよ。あなたのせいじゃない。 大丈夫、わたしたちもこれで案外タフだからさ。負けないって。レ イプされるぐらいどうってことないから﹂ 由良の目には強い光があった。その隣の桜子もまた先刻までのふ るえが嘘のように消え、凝と決心のある目を虎ノ介へ送っていた。 敦子は無言でいた。興味深そうに少女たちを眺めている。 ﹁さあ、敦子さん。さっさとやったら。好きなだけレイプさせれば いいじゃん。別に気になんかしないわよ。そんなの野良犬に噛まれ るようなもんだってえの﹂ 由良が云った。 879 ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ 敦子は少し考えるそぶりで、佐智へ視線を送った。 由良が激発した。 ひと ﹁早くしなさいよっ! 薬だって妊娠だって陵辱だって好きにさせ てやるから、いい加減その男をくるしめるなッ﹂ 瞬間。 佐智が動いた。それまで押さえていた朧を放し、掌で叩きつける ように由良の頭をつかんだ。由良は短い悲鳴を上げ。しかしその声 は畳に押しつけられて消えた。 ﹁黙れ、ばか。今、一番大事なところなのがわからないか。いいか ら邪魔せずおとなしくしていろ︱︱﹂ 小さな声で告げると。佐智は由良と桜子の耳元に口をよせ、さら にぼそぼそと小声で何事かささやいた。 由良の抵抗がやむ。桜子の目が見開かれた。 ﹁虎ちゃん﹂ 敦子が云った。 由良たちに気をとられていた虎ノ介は、不意をつかれたように肩 を揺らし、敦子へとふり返った。 ﹁な、なんですか﹂ ﹁ねえ、虎ちゃん。あなた、この三人を助けたい?﹂ 敦子が訊いた。虎ノ介はこくこくと首を縦にふった。 880 ﹁そう。でもね、繰り返しになるけれど、こういうことは規律の問 題もあるし、しっかりしないといけないでしょう? それはわかる わよね? 今回の件は下手をすれば警察を呼ぶ事態になってたかも ・・ ・・・・・・・・・ しれない。そんなことは由緒ある田村の家には絶対あっちゃいけな いの﹂ ・・・・・・ ﹁そ、それはそうかもしれませんけど﹂ ほんとう ﹁だからわたしはね、こんなことは本当にしたくないけれど、涙を 自分が気に入らないからく 呑んで彼女たちに罰をあたえようと考えている。真実の田村の当主 、そう云うのよね?﹂ としてね。でも、それを虎ちゃんは、 つがえしたい ﹁そ、それは﹂ ﹁いいのよ。虎ちゃんのやさしさだもの。虎ちゃんのそういうとこ ろ、わたしは好きだわ。⋮⋮でもねぇ、虎ちゃん。それをわたしに 認めさせるにはいくつか手順があるでしょう?﹂ ﹁手順?﹂ ﹁そう、手順﹂ と、敦子は悪戯っぽく口の端を歪めると、﹁お父様﹂と鳳玄の方 に向き直った。 ﹁む、な、なんだ?﹂ 突如、話の矛先を向けられ、鳳玄は居心地の悪そうな顔つきで敦 子を見た。 ﹁今、お父様はわたしの代理として、うちの当主をしていますよね﹂ ﹁そうだが⋮⋮﹂ ﹁でもわたしが決めたことにはお父様は逆らえない﹂ ﹁いや、だってそれはおまえ、そんなことしたら本気でキレ︱︱﹂ 881 ・・・ ﹁ですがっ。お父様、この世にひとりだけ、わたしに命令すること のできる人間がいますよね?﹂ ﹁ぬ?﹂ 鳳玄は怪訝そうに自らの顎をなでさすった。敦子の真意を探るよ うに、 ﹁ふむ。わたしや紅葉のことではないな。分家の長老たちでもなく ・・ ・・・ ・ ・ ・・・・・ ︱︱⋮⋮ああ、なるほど。つまりこういうことか。おまえに命令で きるのは、名実ともに真の田村家当主だけだと﹂ 合点がいったと手を叩く鳳玄。 虎ノ介はふたりの会話の意味をわかりかね。祖父と伯母を交互に 眺めた。 ﹁いや、なるほど、たしかにな。わたしはおまえに命令できんが、 しかし当主代理として次の後継者を指名することはできる﹂ ﹁ええ。わたしの同意さえあれば、今すぐにでも新しい当主を決定 することができます﹂ ﹁え、伯母さん? お、お祖父ちゃん?﹂ すました顔で会話するふたりに、虎ノ介は先刻までとは違った焦 りを覚えはじめる。 敦子はつづけた。 ﹁つまり虎ちゃん。あなたがもしこの三人を助けたいと思ったら。 うふふ、話は簡単なのよ。要はあなたが今、この場で。新しい田村 家当主になってわたしに命令すればいいの。ね、簡単でしょう?﹂ ﹁ふえっ!?﹂ 882 ふうき 伯母と姉、田村母娘の場合 中編 その8 ﹁な、なんだこれ﹂ 虎ノ介が目を輝かせる。 口中にとけて広がる甘い香り。その富貴な味は虎ノ介がこれまで 食べたことのあるどんな果物とも違っていて、人一倍食に喜びのあ る彼をたのしませた。 ﹁おいしい︱︱。トロピカルフルーツ、バナナみたいな。ん、違う な。濃厚だけどそんなにしつこくない﹂ 不思議そうに白い果肉を口へと運ぶ。 座卓の前、虎ノ介は薄緑色したこぶし大の果物と向き合っていた。 くれは おぼろ ゆら 切り分けられた切断面には黒豆に似た種がいくつものぞいている。 虎ノ介の周りには紅葉、佐智、朧、由良、そして桜子の五人が取り 囲むようにして座っている︱︱。 ⋮⋮屋敷の東棟にある一室。 その離れにほど近いところの座敷に、虎ノ介の、当主としての部 屋は割りあてられていた。 特別の必要があって用意された部屋ではなかった。田村家の面々 が虎ノ介と会いやすくするために設けられた、ただそれだけのため の部屋である。 三日に一度は東棟で過ごす。そうした取り決めを虎ノ介は紅葉や 敦子との間に交わしていた。 壁の時計は午前の九時を示している。朝食を終えた虎ノ介はゆっ くりと沈着いた気分で朝のひとときをたのしんでいる。 女たちのまなざしは、ひどく、やさしい。 883 ﹁チェリモヤははじめて?﹂ 朧が目を細め尋ねた。 ﹁ちぇりもや?﹂ 知らない。と虎ノ介は答えた。 ﹁高い果物はあんまり食べたことなくて﹂ はずかしそうにしている虎ノ介を、その隣に座っていた由良があ きれた風に見やった。 ﹁高いって⋮⋮。虎っちってば今までいったいどんな生活してたの よ﹂ くわ たかが果物じゃない、と口に銜えたスプーンをぷらぷらと上下さ せる。 ﹁もしかしてとんでもない貧乏だった訳?﹂ ﹁うん⋮⋮どうだろうね。自分じゃ普通だと思ってたけど。まあ裕 福とは云えなかったろうな﹂ ﹁ふーん。そういえば久遠の家って評判悪いもんね。ああ、そっか。 だから貧乏なんだ﹂ ﹁ゆ、由良ちゃん﹂ はす 由良の斜向かいにいた桜子が小声で注意をする。 ﹁そういう云い方はよした方が﹂ 884 ﹁え? な、何よ桜。わたし、なんか変なこと云った?﹂ 何が悪いのか。由良は気づいていない。 虎ノ介は特に怒るでもなく、そうした由良を見て微笑った。 由良の隣、佐智が平手で由良の頭をはたいた。ぺしと、小さな音 が鳴った。 ﹁いたっっ。⋮⋮ちょっと、何するのよこの筋肉女!﹂ ﹁バカ。少しは礼儀というものを覚えろ。ぼっちゃまに失礼は許さ ん﹂ ﹁だ、誰がバカよっ。オナニー中毒の佐智に云われたくないわよ。 頭の中エロい妄想ばっかりのくせに。わたしはこれでも学年で五番 以内はキープしてるし! 優等生だし!﹂ ﹁誰が学力の話をしてるか。ばかめ。それにオナニー中毒はわたし だけじゃない。朧もだ﹂ ﹁さ、さっちゃん! 虎ノ介くんの前でさらっとおかしなカミング アウトしないで﹂ 顔を真っ赤にする朧。佐智は相変わらずのポーカーフェイスであ る︱︱。 ﹁どっちもムッツリスケベってことに変わりはないでしょ。変態脳 筋女﹂ ﹁残念だったな、スケベで巨乳はぼっちゃまの大好物だ。おまえみ たいな低脳まな板女と違って﹂ ﹁ああ! ま、また! またバカにしたっ。しかも人の身体的特徴 までっ﹂ ﹁貧乳ツインテール﹂ ﹁なんですってえっ﹂ 885 冷たく云い棄てる佐智へ、由良はなおも反論しようとし、 ﹁まったく。あんたたちときたらねぇ︱︱。⋮⋮ほらほら、やめな さい由良。佐智も。若様が困ってるじゃないさ。⋮⋮すみません、 若様。とんだお見苦しいところを﹂ と、虎ノ介のそばで甲斐がいしく世話を焼いていた紅葉がそう場 を収めると、佐智は﹁申し訳ありません﹂と頭を下げ、由良は﹁ふ ん﹂とつまらなそうに横を向いた。 紅葉が溜息をつく。 ﹁この子たちはあまり世間を知らないでしょう? 特に由良と桜は 箱入りですから。常識という部分で少し欠けるところがございます﹂ ﹁い、いや。別に気にしていないですから﹂ ﹁まあ。⋮⋮やっぱり若様は御心が広くていらっしゃる﹂ おおき こう云うと紅葉ははじらうような笑みを浮かべ、虎ノ介へ身をす りよせるようにした。 ﹁わたくし、本気で惚れてしまいそうですわ﹂ 甘いささやき。 紅葉の上目遣いから、虎ノ介はつい顔をそむけた。巨大すぎる乳 房が着物ごしに腕へと押しつけられる。紅葉の身体からは熟れきっ た女の色香が匂い立っていた。 かのう ﹁あ、あの、狩野さん?﹂ ﹁他人行儀な呼び方はおよしになって。わたしのことは紅葉と呼ん でください。紅葉と﹂ ﹁いやでも﹂ 886 ﹁当主が分家の女ごときに遠慮なんてしてはいけませんわ。田村の 女は全て若様のものなのですから﹂ ﹁あ、はい。⋮⋮じゃあええと、その、紅葉さん﹂ ﹁はい、なんでしょう。若様﹂ ﹁ええと。そんなにくっつかれると﹂ ﹁お嫌?﹂ 凝と哀しげな目で見つめる紅葉。 ﹁い、いや別にそういう訳じゃないんですけど﹂ 虎ノ介は口ごもった。 本当は動きにくいのである。そして何より紅葉の甘い体臭とやわ らかな感触が虎ノ介を閉口させた。腰を引き、立ち上がりつつある 股間のモノを隠す。そんな虎ノ介のふとももを、紅葉はそっとなで さすった。 とし ﹁いい年齢して発情しまくりのオバサンに、常識をとやかく云われ たくないんですけど﹂ いちよう 由良のつぶやきに、女たちが一様に頷く。 虎ノ介は、とまどいとうれしさの混じった複雑な感情を胸に抱き つつ、敦子の言葉を思い返した。 ◇ ◇ ◇ ︱︱田村の当主になれ。 そう云った敦子の言葉は虎ノ介を烈しく動揺させた。 887 それはつまり、虎ノ介の今後をこの際決定づけてしまおうという 敦子の意思である。虎ノ介が敦子の庇護下で生きていくという宣言 のようなものである。 当主になれば朧、由良、桜子の三人は辱められずすむ。全ては虎 ノ介の希望に沿って。けれども︱︱ ﹁う、ううっ。お、おれなんかに、そんなのっ、無理に決まってる じゃないですかっ﹂ 虎ノ介にはやはり躊躇があった。 ﹁おれみたいなばかな世間知らずに、そんな、なんだか偉そうなも の︱︱﹂ なんらの心の準備も彼にはなかった。なんとなれば、ただなつか とんぼ しい祖父に会うためだけに帰ってきた虎ノ介である。 あるいは祖父の言葉次第で、東京へ蜻蛉返りすることすら彼は覚 悟していた。 ﹁そ、それがいきなり、と、当主なんてっ﹂ ﹁あら。そんなこと関係ないのよ。虎ちゃん。ばかだとか頭がいい だとか。ふふ、そういうのはね。あなたに求められてることじゃな いの。そんなのは別の人間が考えればいいこと。⋮⋮うちの一族は あり はち ねぇ、虎ちゃん。組織じゃなくて共同体なのよ。⋮⋮ひとつの意識。 ⋮⋮ひとつの観念。象徴の下に閉鎖された社会。たとえば蟻とか蜂 とか︱︱彼らは女王に働き蜂の役割を求めたりしないでしょう? そんなのナンセンスだもの。つまりはそういうことよ。ふさわしい 人がふさわしい座にあること。それこそが重要なの。この女系一族 にはね。⋮⋮大丈夫。面倒なことは全部、わたしたちが引き受ける わ。わたしや舞や、そしてこの子たちがね。虎ちゃんはただわたし 888 ちょうあい さず たちのそばにいればいい。女たちに尽くされて、世話をされて、そ して時々寵愛を授ける︱︱。簡単な仕事よ﹂ ﹁む、無理、無理ですよ。おれなんか務まりませんって!﹂ おび 虎ノ介はあくまで抵抗する。彼には怯えがあった。自分が何か、 訳のわからない急流に運ばれていくような不安があった。 ﹁あら。じゃあこの三人がどうなってもいいの?﹂ ﹁なっ︱︱﹂ ﹁わたしに云うことを聞かせようと思ったら、虎ちゃんが当主にな る。残念だけど、これが絶対条件よ﹂ ﹁きょ、脅迫だ﹂ ﹁ええ、そう、これは脅迫よ。そう取ってもらって結構。⋮⋮うふ ふ、あなたのことだから、片帯荘も近いうちに出て行くつもりだっ たんでしょうけど。⋮⋮そんなのダメよ、そんな逃げの人生、伯母 さんは許しません﹂ ﹁︱︱︱︱﹂ 観念しなさい。敦子は極上の笑みを浮かべ、虎ノ介へ迫った。 虎ノ介はもうほとんど何も云えなくなって、うつむき肩を落とし た。 ﹁こ、これって決定事項なんですか﹂ ﹁あら、そんなことないわよ。これはあくまで虎ちゃんの自由意志 で決めるべきこと。わたしたちと一生をともにするか。それとも⋮ ⋮別の人生を選択するか、ね﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁わたしたちにあなたの人生を決める権利はないわ。⋮⋮でもね、 虎ちゃん﹂ 889 と、敦子は慈愛のこもった手つきで虎ノ介を頬をなでると、やさ しく虎ノ介の手をとった。 ﹁お父様だって、本当はあなたにちゃんともどってきてほしいと考 えてるのよ。ね、お父様?﹂ 敦子が鳳玄を見やると。鳳玄はごほんとひとつ空咳をし、それか ら重々しい態度で首を下げた。 ﹁まあ、そうだな。虎ノ介には苦労をかけた。せめてこの家と財産 ぐらいは遺してやりたい﹂ ﹁お、お祖父ちゃん﹂ ⋮⋮虎ノ介は己の内に沈んだ。 敦子のこと。舞のこと。鳳玄のこと。死んだ父や、母の遺した言 葉などを考えた。先日、別れを告げた元恋人のことなども思ってみ た。過去に味わった挫折や無力感と、そこからつくり上げてきた自 はかり 分の逃避的な性質。自分が歩むべき道。家族の期待。そうした諸々 を秤にかけてみて︱︱ ﹁片帯荘のみんなはどうなりますか?﹂ 虎ノ介は頭をかきむしった。 結句、最後に彼の口から出たのは、彼の心を救った愛しい女たち のことであった。 ◇ ◇ ◇ 890 ︱︱結局のところ。 事は敦子の企図したと思われる方向へ落ちていった。 虎ノ介はおよそ予期していなかった田村の後継という地位を得、 同時に当主としてのふるまいを求められることとなった。 複数の女と関係を持つこと。 子づくり と、そして彼女らの 要はこれを義務として明確に約束させられたのである。具体的に 云えば、それは各分家当主らとの 愛と忠節を引き受ける。このことを意味していた。 虎ノ介は人生を送る上で、ほとんどの自由を許されたが、しかし 決定的な不自由もあたえられることになった。 たとえば長期の一人旅や、居場所を明らかにしない放浪の禁止、 敦子の前から姿を消すような逃避的な行動一切の禁止である。この ことから云っても、敦子は虎ノ介のかねてからの計画︱︱片帯荘か いくばく らの脱出とひとり暮らし︱︱を見抜いていたようであった。虎ノ介 の預金口座、そして彼が敦子に残していくために貯めた幾許かの金 ねが 銭、次の住居の予定などは全て敦子に差し押さえられていた。新し と い家族との暮らしをひそやかな希いとして持ってきた虎ノ介のこう した行動は、彼自身にすら説き明かせない矛盾そのものの現れであ しあわせな生活 から逃げ出そう ったのだが、いずれにせよ彼が片帯荘を去るつもりでいたのは明白 だった。 虎ノ介はかつて夢見たはずの とし。そしてその寸前、首根っこをつかまれたのである。ちなみに この一件で、彼がのちに敦子や舞、玲子や僚子ら片帯荘の女性陣か らこっぴどく叱られたのは語るまでもない。 ⋮⋮加えてもうひとつ、はっきりと形になったものがあった。 それはハーレムの義務。恋愛の不自由である。すなわち一般的な 恋愛、結婚の自由を虎ノ介は奪われたのだった。たったひとりだけ を愛し、生涯をよりそうように過ごす。そうした普通の恋愛は虎ノ 介には望めぬものとなった。もっともこれについてはすでに複数の 恋人を持つ虎ノ介である。さほど抵抗があるものでもなかった。 891 虎ノ介に若干の抵抗があったとするなら。 それは道徳的、倫理的な部分だった。男子一人前の覚悟として、 一生女たちに養われていくということがどうにも情けなく思われた のである。 ﹁そう深刻に思いつめんでもよい。人の役割というのは皆それぞれ に違うものだ。どのような形であろうと誰かに望まれたならば、そ の心に応えるため、その場その場で己にできることを一生懸命に考 えていく。それだけで人間ひとりの働きとしては充分に意味がある というものではないか﹂ こういった鳳玄の言葉も、虎ノ介の心をわずかになぐさめたのみ でしかなかった。 892 伯母と姉、田村母娘の場合 中編 その9 おちつ 虎ノ介の生活、片帯荘と田村家との兼ね合いについては、おおよ そこれまでと変わりない形へ沈着くこととなった。 基本的には片帯荘に住み、敦子の庇護の下で暮らす。そして年に 二度、冬と夏の数ヶ月を上杜市で過ごし、この間できるだけ分家の おどろ 女たちの相手をする︱︱。 吃驚くことに、一族内から反対の意見はほとんど出なかった。 鳳玄が推し、それを六家の長老が認め、そして何より発言力の高 い女たちがそろって支持にまわったことで、虎ノ介の帰参はあっさ りと許されたのである。 もちろん何かできるという訳でもない虎ノ介は所詮お飾りの当主 であったし、一族が司る力の実質の運用も今までと同じく当主代行 グループ である鳳玄、敦子らが受け持つ形となった。虎ノ介自身、当主にな ったからと云って、一族の仕事に口出すつもりは毛頭ない。黒い噂 の絶えない政治家や財界人、外国の貴族︱︱そうした人間が訪ねて こと ほか くる田村の威光を彼は一種恐ろしささえ以て眺めている。 しかしながら、この帰参がもたらした衝撃は殊の外大きいもので あったらしい。さまざまなところでその影響が波紋のように生じた。 まず屋敷に訪れる人間が増え、虎ノ介も、見知らぬ客人︱︱その ほとんどは同じ田村分家の女だったが︱︱とよく引き合わされたり した。縁故以外にも新当主との対面を望む者は多くいたが、これは ・・・・・ 鳳玄や敦子、紅葉の計らいによって全て退けられた。あくまで虎ノ 介は一族のために存在する当主であり、外界との接触は必要最低限 に置くというのが女たちの方針だった。 ⋮⋮虎ノ介に政治的野心や権力欲といったものはまるでない。そう いった意味でも、彼は田村の女にとって都合のいい、理想的な当主 だった。 893 よ やしろ けいだい 夏の満月の夜。山間にある小さな社境内において。 かがりび 虎ノ介は三十人からの女が見守る中、正式に他群の男となった。 明々とした篝火に揺れる、白い浄衣姿の虎ノ介を。女たちは皆う っとりと瞳に喜悦ある表情を浮かばせ眺めつづけた。 ◇ ◇ ◇ ﹁あの時の若様は本当に格好よくて。わたしなど年甲斐もなく胸が 高鳴りました﹂ こう、紅葉は虎ノ介の腕に自らの豊満な乳房を押しあて告白した。 ごへい ﹁白の狩衣に、手には御幣の笹を持って、雲間から射しこむ月明か りに照らされた若様はそれはもう⋮⋮。この世のものと思えない美 しさで﹂ ﹁いや、ない。ないです。盛りすぎです﹂ 虎ノ介はいくらかうんざりとした気分を以て返した。 ﹁そんなことはございませんわ。わたくし、あの時思ったのです。 か ああ、きっと我らが始祖たる天の女もかつてこのような気持ちだっ たのに違いない、と⋮⋮。ですから彼女は彼の男にもあえて衣を奪 わせたのだと﹂ ﹁? 彼の男?﹂ ﹁あら。そう云えば若様は何も知らないのでしたね。おほほ。わた くしとしたことが。余計なことを申しました。何、若様がお気にな さるようなことではございませんわ。昔々の、今はもう誰も覚えて 894 いないカビの生えた話ですから﹂ ﹁はぁ︱︱。昔話、ですか﹂ ﹁はい。⋮⋮かつて天から降りてきた女がひとりの貧しい男を狂わ せたという、ただそれだけの︱︱﹂ なま ごまかすように笑って、紅葉はその艶めかしさの中に深い思慮の こちら ある目を、佐智の方へ送った。佐智はほんの一瞬考えこむようにし てから、 こよい ﹁ぼっちゃま。今宵は東棟でお休みになられますか?﹂ つと、こうした質問を虎ノ介へ投げてよこした。 虎ノ介は軽く手をふって答えた。 あっち ﹁いや。それは無理ですよ。姉さんがいますもん。夕食も西棟でと ります﹂ ﹁そうですか。わかりました。ではそのように用意しておきます。 むこう ⋮⋮それでは紅葉様、今夜はそういうことですので﹂ ﹁ええ、わかったわ。わたしが西棟へ出向きましょう﹂ ﹁お願いします﹂ 佐智と紅葉、このふたりのやり取りに、虎ノ介は露骨に困った様 子となった。 ﹁本当にするんですか?﹂ 困惑の目で眺める。 ここ数日、幾人もの女性と引き合わされるたび、その熱を帯びた 視線と情の深い態度に押されっぱなしの虎ノ介である。 一族の女︱︱個性的な美女たちの、瞳の奥にある妖しいまでの輝 895 き。 それは狩野家の女当主、狩野紅葉にしても同じだった。 ﹁もちろんですわ﹂ 紅葉が云う。逡巡はなかった。 ﹁先日も申しましたでしょう。若様の当主としての役目は血を遺す こと。つまり女を抱くことが使命です。いずれ今ここにいるこの子 はなは たちや、希望する別の女にも情けをおあたえになる必要があるでし ょう。その若様が女を知らないというのでは甚だ困ります。ですか ら、今夜はこの紅葉が若様に女の抱き方を教えてさしあげます。そ れともその⋮⋮若様はこんなオバサンが相手ではお嫌、でいらっし ゃいますか⋮⋮?﹂ 見つめられ、虎ノ介は言葉を失う。 嫌という気持ちはないのだった。むしろうれしさの方が、彼の心 には強くあった。 何しろ紅葉は魅力的だった。 四十過ぎの大年増だが、その顔つき、身体つきには異常なほどの 若々しさがあった。敦子と同様、成熟した官能と、肉体の絶頂期を つみ 長く持った女の生気が満ちみちていた。二十代後半からせいぜい三 ぶか からだ 十半ばほどに見える彼女へ虎ノ介は惹かれてもいた。いっそその罪 深な肢体におぼれてしまいたい。そんな想いが虎ノ介にはあった。 ︵それが問題だ︶ おの 彼は己をののしらずにいられなかった。誘惑に抗えない己が性情 の弱さを、絶望的な気分で噛みしめていた。 朱美がいる。 896 僚子がいる。 準がいる。 玲子がいる。 一生を仕えると云った佐智もいる。 不満はない。虎ノ介の心も身体も、彼女たちの愛と奉仕によって もっ 充分に満たされている。これ以上、他者に繋がりを求める気持ちも なかった。感謝と、愛に報いたいという心だけがあった。 しかしこれらの献身的な愛人に守られ、自己を律する精神を以て なお、虎ノ介は新しい欲に悩まされた。 ⋮⋮田村の女が愛しかった。 紅葉が、朧が、由良が、桜子が、引き合わされた全ての女が欲し かった。その肢体の奥に情欲のたぎりを放ちたかった。発情した牝 の匂いが心地よかった。女たちに名を呼ばれ手をにぎられるだけで、 彼の股間はいともたやすく昂ぶりを示した。 それだけでない。敦子や舞への忌むべき劣情もまた一向おとろえ ず、いよいよ強く彼の心を締めつけてきた。事実、敦子に性交を拒 いた ねが 否されたことで彼はひどく失望した。のみならず、それは後になっ て彼の心を傷めた。 敦子に向け恥知らずな希いを口にしたこと。これはどれだけ悔や み、自分を責めてみたところで最早取り返しがつかなかった。 敦子に軽蔑されたかもしれない。いつ見棄てられるかしれない。 さけ こうした恐れは、歯痛のようにつきまとって虎ノ介をくるしめた。 女たちの知らないところで彼はよく咆哮んだ。森で、神社で、風呂 場で。心を切り刻み、切り刻みしていくような彼の痛ましい世界は しかし誰に知られることもなかった。 彼は時々ひそかに、舞や敦子にあて、けっして見せることのない 手紙を書いた。 897 ﹁虎っちさ。嫌なら嫌って、はっきり云ってもいいんだよ﹂ 虎ノ介の躊躇を見て取ったのか、由良がそんなことを云った。 ﹁無理してエッチしなきゃいけないなんて。そんなひどいこと誰も 云わないからさ。は、だいたい嫌に決まってるよね。四十過ぎの紅 葉様となんてさ。胸だってたれてきてるし、下腹だって相当ゆるん でるでしょ、ありえないじゃんね﹂ 朧が相槌を打った。 ﹁そ、そうね。紅葉様には申し訳ないけれど、やっぱりもう少し若 い子の方が虎ノ介くんには似合ってるかな﹂ 桜子もまた、その小さな顎を何度も上下させ、すがるように虎ノ 介を見た。 ﹁あんたらねぇ︱︱﹂ こめかみを押さえ、紅葉は疲れた調子で溜息をついた。じろりと。 周囲をねめつける。 ﹁アっちゃんに云われたこと、もうお忘れかい? 今年のあんたた ちに権利なんてありゃしないんだ。セックスはもちろん、キスも愛 撫も、若様との性的接触は禁止、一切が禁止! 本当は来年の正月 まで若様と会っちゃいけないんだよ。それを若様の温情で面会だけ とはなん とは。ふざけたことお云いでないよ、この紅 たれてる は許されてるんじゃあないさ。それを何、堂々とアピールしてるん ゆるんでる だい。しかも由良っ、あんた云うに事欠いて だい。 葉姐さんはね、肌と身体にはちょいとばかし自信があるんだ﹂ 898 紅葉の言葉はだんだんと勇ましい、伝法なものへと変わっていっ た。 由良はちっと舌打ちし。他のふたりも、思い出したくないことを 聞いたという気色で、﹁ぐう⋮﹂と唇を噛んだ。 ﹁それはあの。本当に、この夏いっぱいつづくんでしょうか﹂ 朧が問う。 ﹁ああ、そうさ﹂ ﹁改悛の情を考慮して減刑、などは﹂ ﹁あるもんですか﹂ ・・・・ 紅葉はあくまでにべもない。本来のおきゃんな性質を存分に発揮 し、意地悪く三人を見た。 ババア ﹁年増女、ちょー最悪⋮﹂ ぼそりと。由良が小声でつぶやいた。 紅葉のこめかみにぴきり、青筋が浮いた。﹁ひ﹂虎ノ介は思わず 後じさった。 ﹁ふ、ふ、ふふふ。⋮⋮由良。あんた、刑期延ばされたい?﹂ ﹁は?﹂ ﹁この家でのあたしの序列を忘れたのかい? アっちゃんと舞ちゃ 権力らんよー じゃん んに次ぐ三位。あんたら小娘なんてあたしの裁量でどうとでもなる んだよ、本来﹂ ﹁なっ。ちょ、ちょっとそんなのズルい。 っ﹂ 899 ﹁知らないねぇ。だいたいあんたは若様に興味ないんだし、別にか まやしないじゃないさ﹂ ﹁うっ︱︱﹂ ﹁あたしや佐智が若様とどんな風に愛し合おうと、由良には関係な いねぇ﹂ ﹁うううう﹂ 由良は押し黙った。紅葉をにらむ。 はじめて 勝気な娘。その気性ゆえ素直に好意を示せずいる由良だ。虎ノ介 おもんぱか と最初の会話で、﹁話、どこまで聞いたの?﹂とまずそこから入っ てくるような由良だ。心情を慮り、ほとんど知らぬふりをした虎ノ 介へ真実うれしげに接してきた由良だ。 虎ノ介はくやしげな少女を眺めて、そっと頬を歪めた。同情と苦 笑とやわらかい心持ちとが起こってきた。 紅葉は勝ち誇った笑みを浮かべて、虎ノ介をぐいと抱きよせた。 ﹁当主の前でお漏らししちゃうような娘、若様だっていただけませ んわよね﹂ すが 媚びのある態度でしなだれかかりながら、横目で由良を眇め見る。 由良の顔色が、さっと、変わった。 900 伯母と姉、田村母娘の場合 中編 その10 ﹁や、やめてよ、何度もっ。ちょっとしつこいってば﹂ それを見た佐智が、口の端を歪め笑った。 ﹁お嬢様に殺されなかっただけマシと思え﹂ この佐智の言葉は、虎ノ介に過ぎた場面を思い起こさせた。 虎ノ介が敦子の計画通り田村家を継ぐと決め、そしてようやくに 由良たち三人が許されようとした、あの時のことだ。 ◇ ◇ ◇ ︱︱トラっ。 ふすま 突然、声を荒げ広間に飛びこんできた者がいた。 まなこ その闖入者はゼェゼェと肩で息をしながら襖を乱暴に引き開ける と。うつむき加減で、長い前髪の下からぎらついた眼を巡らせ、そ うして来栖兄妹へ組み伏せられている三人の女を見つけるやいなや。 ︱︱オ、マエらあッッ!! すさまじい速度で一同めがけ駆けてきたのだった。 二十メートルはあろうという大広間を、ほとんど一足飛びに駆け 抜けたその乱入者の手には、どこで見つけたものか、ひとふりの日 901 本刀がにぎられていて。 ︱︱いかんっ、佐智ッ。 ︱︱ダメです、お嬢様っ。 鳳玄の声も、即座に反応した来栖兄妹も、舞のその獣のごとき身 のこなしに間に合わなかった。舞は佐智をすり抜け、那智を突き飛 ばすと、刀を鞘から抜き放ちつつ宙へと飛び上がった。気迫が空気 をふるわせた。白刃が三人の喉元へ迫った。悲鳴が起きた。虎ノ介 はうろたえながらも必死で布団を蹴った。 そうして。 虎ノ介が気づいた時には、舞は彼の目の前に立っていた。 いつもの悧好な顔にやさしい微笑をたたえて、舞は呆然と見上げ る虎ノ介の頭を静かになでたのだった。 ︱︱うん。案外元気そうで安心した。 こう、舞は普段とまったく変わらぬ調子で云うと、三人の女を冷 たく見下ろした。 ︱︱ま、見た感じ、相当母さんに絞られたみたいだしね。今日のと ころはこれで許してあげるわ。 虎ノ介が身を投げ出しかばった少女らの髪は、皆、わずかに斬ら れ畳へと散らばっていた。虎ノ介の腰の辺りには押しのけられた格 好の由良が、ふるえの治まらない身体でしがみついていた。朧や桜 子も力の抜けきった様子でへたりこんでいた。そして由良の鼻先に は、畳へ深々と食いこんだ和泉守兼定︱︱。 虎ノ介はなかなか言葉が出てこなかった。それは居合わせた全員 が同じだった。 902 そんな中、敦子だけがひとり沈着きはらった様子で舞へ声をかけ た。 ︱︱おはよう舞。虎ちゃん当主になることに決まったから。 ︱︱え。決まったの? 嘘。よくトラが呑んだわね。 ︱︱ええ、ちょうどいい材料があったから。うまく運べたわ。 ︱︱ふうん? おやこ しれっと語り合う母娘に虎ノ介はあきれた。あきれ、次に怒りが こみ上げてきた。 ひどいではないか。いくらなんでもやりすぎだ。そう抗議をした。 誰しもが凄惨な死を予感した場面で、敦子たち母娘だけがどこまで も日常の延長といった気分を見せていたのだ。 虎ノ介が、かすかなアンモニア臭に気づいたのはそれから間もな くしてのことだ。ちょろちょろと。由良の股間から流れ出た液体が、 虎ノ介の足をあたたかく濡らしていた。⋮⋮また、大騒ぎとなった ︱︱。 ◇ ◇ ◇ ﹁な、何よ、あんなの仕方ないじゃんっ。あんな風に脅されたら誰 だって。ひ、ひどいよっ、佐智も紅葉様も﹂ かんしゃく 鼻にかかった涙まじりの若い声に、虎ノ介は意識を思考から戻し た。 ⋮⋮由良の癇癪はいよいよ本当になってきている。 虎ノ介は膝を進めると何も云わず由良を抱きしめた。皆一様に吃 驚いた顔で虎ノ介を見た。 903 ﹁あ、う﹂ まつちやま 由良は頬を紅め、口を開けたり閉じたりした。 ◇ ◇ ◇ でしお 夕暮に、眺め見渡す隅田川、月に風情を待乳山、帆上げた船が 見ゆるぞえ 船に船頭ささやいて、今朝の出汐に首ったけ、惚れて通えば、 千里も一里じゃえ あれ鳥が鳴く鳥の名も、都に名所があるわいな 仄暗い部屋の中で、その本調子を聴いているうち、虎ノ介は次第 に安楽なよい気持ちとなってきて、布団へ身体を横たえた。 とき 三味線をつまびき唄う紅葉は、まるで母親が我が子を慈しむとい いま った風情で虎ノ介を見ている。朱鷺色の地の小紋に渋い黒のなごや さ 帯という姿で。結い上げていた昼とは違い、夜はその濡れぬれと黒 い髪を、ゆるやかにまとめ後ろへ提げ下ろしている。身体からは、 湯上がりのいい匂いがほんのり立ちのぼっている。 虎ノ介は仰向けとなって、窓の外へ目を向けた。窓には真円に少 し足りない月が、雲間にかすみ浮かんでいる。 紅葉は唄い終わると三味線を置き、 ﹁そろそろ舞ちゃんもお風呂から上がる頃でしょう。このくらいに しておきましょうか﹂ こう虎ノ介へ告げた。立ち上がり、窓際に置かれた香へそっと火 904 じゃこう をつける。甘い、麝香に似た香りが部屋の中へ漂う。 ﹁今夜はアっちゃんが見てくれるそうだから。舞ちゃんのことは心 配しなくていいですわ﹂ 云うと紅葉は寝転んだ虎ノ介の枕元へ、心持ち足をくずした姿勢 で座った。 わたし こうしん ﹁紅葉と若様のふたりだけ︱︱﹂ あだ 紅い舌先が、わずかに開いた紅唇をちろり、舐めた。 その婀娜っぽい仕草に虎ノ介は喉を鳴らした。彼はひとつ深呼吸 すると、以前より気にかかっていた疑問を紅葉へと向けた。 ﹁あの、紅葉さん︱︱﹂ ﹁はい? なんでしょう﹂ ﹁どうして紅葉さんたちは、おれなんかにこだわるんですか?﹂ ﹁? と、云うと?﹂ ﹁つまり、その、なんて云うか。卑下する訳じゃないですけど、お れなんて半端者だし。男らしい取り柄だってない。得意なのはせい ぜい料理と将棋くらいで。でも伯母さんはそんなおれがこの家には 必要だって云う。紅葉さんは女を教えてくれると云う。どうしてで すか。なんで紅葉さんはこんなによくしてくれるんです﹂ こうした虎ノ介の問いに、紅葉は口元に指をやって少しだけ考え こむそぶりを見せた。その後で、 ﹁さあ? なんででしょうねぇ﹂ にっこり、実にたのしげな笑みを浮かべた。 905 ﹁は、はぐらかさないでください﹂ ﹁別にはぐらかしているつもりはございません。本当のことですわ。 若様。わたくしには理由などわかりません﹂ ﹁そんな﹂ わけ みため ﹁では逆にお尋ねしますが。若様は自分がなぜ他人を愛するのか、 その理由がわかりますか? 外見が好み? 独りは寂しい? やさ しくされた? それではそういった枝葉を取り払ってみた後で、し さけび かしなお残る恋の本質は? 自分でも知らぬところから湧き上がっ てくる感情の慟哭は? 若様は答えられますか? ふふ、無理でご ざいましょう。ひとたび好きになってしまえば、あばたもえくぼ。 どんな欠点も美点に見えてくる︱︱そんな男女間の微妙に、そうそ うわかりやすい理屈などつけられませんでしょう﹂ ﹁で、でも﹂ わたしたち ﹁強いて云うならそれは若様だからです。久遠虎ノ介という魂の形 が田村の女の魂と重なり響きあったのです﹂ そう云うと紅葉はす、と立ち、虎ノ介をまたぐ姿勢をとった。 あなた ﹁だから若様を想うだけでこんなになってしまう︱︱﹂ すそ 着物の裾をつまみ、おもむろにたくし上げる。 ぬく 紅葉は下着をつけていなかった。和風の、小さな照明がもたらす 温みある光線が、紅葉の、むっちりと肉づきのよい下半身を照らし としうえ た。股間はすでに濡れそぼり、ぐっしょりと女の蜜をしたたらせて いた。 ﹁く、紅葉さん﹂ ﹁ああ若様。どうか、こんなわたくしをお嫌いにならないで。年長 でありながら、あなたへの恋情を抑えきれず、このようなはしたな 906 い真似までして誘うわたくしを︱︱﹂ 紅葉はその朱に染まった顔をわずかにそむけると、絞り出すよう クレ な声で謝罪した。どうにもあざとい、芝居がかった媚態だったが、 バス 虎ノ介は気づかず、若い男特有の余裕のない目つきでその濡れた秘 うっそう 所を見つめた。情欲が、彼の股間を起こしつつあった。紅葉は虎ノ 介の熱い視線に応えるように、鬱蒼とした密林の奥から新たな牝汁 をあふれさせた。こぼれた牝汁は彼女の太ももをつたわり膝下まで 流れた。虎ノ介は身体を起こすと紅葉の脚にふれた。 ﹁あっ﹂ 電流でも受けたかのように、紅葉の喉が少し、ふるえた。 ﹁若様︱︱﹂ 興奮と期待に満ちた表情で、紅葉は息をもらした。唇がわななく。 虎ノ介は脚につたう果汁へ、ゆっくり舌を伸ばした。 ﹁あっ、若様。そんな、ダメですわ。きたない︱︱﹂ しずく ながじゅばん すそ 虎ノ介は紅葉の、膝からふとももへと舌を這わせ、そのかぐわし い香りのする蜜をすくいとった。そうしつつ手を対丈襦袢と裾よけ の下へ差し入れ、紅葉の尻とふとももとをまさぐった。 ﹁そんなことないですよ。おいしいです、紅葉さんのエッチなおつ ゆ﹂ こう云って、虎ノ介はさらに執拗に紅葉のふとももを舐めた。 しっとりと吸いつくような肌に、まるでつきたての餅のようなや 907 かし わらかさを持った紅葉の下肢。その、さわれば指の勝手に沈みこむ からだ ような、それでいて張りのある独特の感触は、虎ノ介を一瞬で虜に した。女の肉体とはこれほどだったか。と、虎ノ介は今さらながら に驚愕した。春以来、幾人もの女をむさぼってきた虎ノ介にして、 まだ見たことのない見事な肉体がそこにあった。 紅葉はうっとりと、優越と歓喜の合わさった目で虎ノ介を見てい る。 虎ノ介は直接匂いを嗅ぐようにして、紅葉の割れ目へと鼻先を押 しつけた。くちゅり、秘唇が水音を立てた。と同時に、紅葉の腰が くだけ、少しだけその高さを下げた。 ﹁あっ︱︱﹂ たくし上げられていた裾が離されて落ちる。 紅葉の股間へと顔をうずめていた虎ノ介は、そのまま着物の下に 頭を隠す形となった。 ﹁わ。真っ暗﹂ ﹁あ、あら。こ、これはとんだ失礼を﹂ もすそ ほほほ。ごまかすように笑い、紅葉はふたたび裳裾を引きつかん だ。 908 伯母と姉、田村母娘の場合 中編 その11 ﹁服、脱いでもらっていいですか﹂ 虎ノ介は云った。 ﹁おれじゃうまく脱がせられそうにないや﹂ さらし 紅葉は肯くと、虎ノ介の見つめる前で静かに帯を解いていった。 上着に、ちりめんの対丈襦袢、それから白の肌襦袢とが、青い畳へ おおき 落とされてゆく。 巨大な、朱美に勝るとも劣らないサイズの乳があらわとなった。 少しばかりくずれて、肉づきの多い下腹も出た。迫力ある尻と、ど たび っしり重そうな腰、そこから伸びたやわらかく張りのあるふともも なども出た。 ⋮⋮紅葉は、全裸に白足袋だけという格好になった。 その暴力的な威容に虎ノ介の男は少年の素直さで反応した。 じっ いきり立ち、浴衣越しに烈しく自己主張するそれを、紅葉は熱の こもった目で凝と見つめた。興奮からか、彼女の雪のような肌は徐 々に紅みを帯びてきた。 ﹁すごいや﹂ 虎ノ介は思わず感嘆の溜息をついた。 紅葉は相好をくずした。 ﹁お気に召してくださいました?﹂ ﹁それはもう。なんていうか。その、すごく魅力的です。もう見て 909 るだけで我慢できなくなりそうなくらい﹂ ﹁まあ。若様ったら、お上手ですね﹂ うれしいこと。云いつつ、紅葉は隠すように前をおおっていた手 を、すと外した。 おぼろな明かりの中、大きめでぷっくりふくらんだ乳輪と、土手 の高い恥丘とが浮かび上がった。 パフィニップル ︵おお、隆起乳輪︱︱。はじめて生で見た︶ ささやかな感動を以て虎ノ介は紅葉の爆乳を眺めた。 パフィー ︵こんな巨乳でぷっくり乳輪なんて見たことないぞ。本当にいるん だ、こんな漫画みたいなおっぱい。な、なんて反則的︱︱︶ ごくり、息を飲む。 紅葉はそうした虎ノ介の興奮を見て取り、息を荒くしていた。虎 ノ介の横にうやうやしく座って、彼の浴衣へと手をかけた。 ﹁若様も⋮⋮お脱ぎくださいまし﹂ ゆっくり、虎ノ介の服を脱がせていく。引き締まった身体があら わとなった。 ﹁下も⋮⋮﹂ 云って、紅葉は虎ノ介のパンツにも手をかけた。 丁寧に足から引き抜くようにして脱がせていく。虎ノ介は逆らわ なかった。田村の当主になったこと。そしてこれまでの経験もあっ て、その気になった年上女への反抗は無駄であると、彼は身に沁み 910 ていた。 つ 見事に勃起したペニスが、紅葉の眼前で天を衝いた。 ﹁まあ︱︱﹂ 満面の笑みで、紅葉は虎ノ介のイチモツを見た。 ﹁愛らしいおち○ちん。ぼっちゃまは仮性包茎ですのね﹂ ﹁は、はい﹂ としうえ 顔を紅めて、虎ノ介は肯いた。年長で、しかも親戚筋の紅葉へ全 きょうそく 裸をさらす。このことに彼は強い羞恥を覚えた。紅葉に導かれるま ま脇息にもたれて、虎ノ介は、紅葉の見やすい形をとった。 紅葉は虎ノ介に身をよせ、ペニスに手を伸ばした。壊れやすい芸 術品を扱う︱︱そのような手つきで、彼女は肉棒をさすった。 ﹁⋮⋮立派なおち○ちんね。ひとりでする時はこんな風に?﹂ と、問う。ほそやかな指が、包皮をつかみやさしく上下した。も う一度、虎ノ介は肯いた。 ﹁うふふ、そうですか。ではきっと若様は敏感なのでしょうね﹂ ﹁よ、よくわからないけど、たぶん﹂ 虎ノ介は答えた。ざっくりと云って、虎ノ介は早漏の部類に属し た。彼にはその自覚があった。恋人たちとのセックスにおいても、 ちから 持続力より回復力と回数が頼りだった。またこの点においては投薬 の効果もあって、尋常でない精力を彼は有していた。 一晩で二十回イケる。とは僚子の弁である。 911 ﹁あの、おれ、すぐ出ちゃうし、たぶんその、早漏⋮⋮かも﹂ ﹁まあ。うふふふ。⋮⋮よく正直に云えましたね。偉いですよ﹂ よしよし。虎ノ介の頭をなでる紅葉である。 ﹁心配しないでくださいな。だいたい女というものは遅漏より早漏 を好むものですから﹂ ﹁そ、そうですか?﹂ ﹁ええ。いつまでもイかないよりは、たくさん感じてたくさんイっ てくれる方が、女としては張り合いがございます。若様だって不感 症でぴくりともしない女よりも、淫乱で存分に乱れてくれる女の方 が好ましくはありませんか?﹂ ゆるゆる、ペニスをしごきながら云う。迫力ある爆乳が虎ノ介の 視界の中で揺れる。 ﹁そ、それはまあ、そうなのかな?﹂ 曖昧に、虎ノ介は返事をした。 はじめて はじめて ﹁うふふ、今日が初体験の若様にはあまりピンとこない話かもしれ ませんが﹂ ﹁う、うん⋮⋮﹂ 気まずげに、虎ノ介は紅葉から目をそらした。 はじめて ︱︱紅葉さんとする時は童貞のふりをしてあげなさい。童貞のつも りで相手をしなさい。 こうした言いつけを敦子から持たされた虎ノ介であった。女をた 912 しごと のしませるのも男の役目。こう語ったのもまた敦子であった。 ︵い、いいのかなあ︶ 多少の心苦しさを覚えつつ、虎ノ介は紅葉のふとももをさわった。 紅葉はかすかに身じろぎをし、やわらかく虎ノ介をにらんだ。いた ずらな子ね。紅葉の目が虎ノ介を叱った。虎ノ介は甘えた声で紅葉 の名を呼んだ。紅葉は虎ノ介によりそい、その身を横たえた。身体 を、肌をぴったりと合わせ、ふたりは口づけを交わした。 ﹁若様⋮⋮﹂ ささやく。押しつけられた爆乳が、弾力を持って肩に歪んだ。 からだ ﹁殿方が感じてくだされば、女は安心ができるのです。ああ、わた しの肉体で感じてくださっている。たまらず腰をふるわせていると ︱︱こうした優越の喜びを見出すのが女ですから。よろしいですか、 虎ノ介様。女などというものは元来があさましいもの。スケベな生 き物なのです。ですから罪悪感や劣等感など一切いだく必要はござ わたしたち いません。何も気にせず、思うがままに犯せばよろしいのです。そ れが若様と田村の女との間にある絶対の関係ですのよ⋮⋮?﹂ こう卑下するようなことを云って、紅葉は虎ノ介の足へ自らのふ とももをからませた。虎ノ介のペニス、その包皮と亀頭の隙間へ指 を差し入れる。ちゅくり。小さな水音が立った。虎ノ介の先端はあ ふれた先走りによってすでにびしょ濡れとなっている。 ﹁ふふ⋮⋮。この濡れやすさ。いいです。すばらしいですよ。やは り若様はこの田村の当主にふさわしいお方。心も身体も素直なご気 性の方⋮⋮﹂ 913 紅葉は手の動きを早めた。むけ上がって、完全に露出した亀頭を、 紅葉は手のひらの中心で円を描くようなでた。鈴口から出た透明な 液体が紅葉の手をよごした。 ﹁うっ、うっ﹂ ﹁⋮⋮あらあら。切なそうな顔。なんて可愛らしい。⋮⋮うふふ、 おつらかったらいつでも出してよろしいんですのよ。好きな時に射 精なさってください﹂ ﹁でも﹂ ﹁気になさることはありませんわ。云いましたでしょう。早漏は悪 いことではございません。⋮⋮性交の際、若様が真に気をつけるべ きはそこではないのですから﹂ ﹁気をつけるべき、こと?﹂ ﹁ええ⋮⋮。先程申しましたとおり、若様は女に対して何も気を遣 ったり、心配することはございません。ですがひとつ、いえふたつ だけ。若様もお心に留めておかなければいけないことがあります﹂ ﹁な、なんですか﹂ 虎ノ介は不安の顔つきで紅葉の言葉を待った。紅葉はそんな虎ノ 介がますます可愛いといった風情で、 ﹁そう難しいことではございません。ただの心構えです。⋮⋮まず 若様は、これから大勢の女とまぐわってゆくことが求められる働き となってゆく訳ですが。しかし、よいですか。この使命を恐れては なりません。逃げてもなりません。男子たる者、女ごときに背を向 けてはならないのです。据え膳食わぬは男の恥。誘惑、夜這い、力 ずく。さまざまありましょう。されど、いかように求められたとし ても、いずれこれに応えないというのは、田村の当主として恥です﹂ ﹁え⋮⋮﹂ 914 ﹁満ち足りない女を置き、ひとりさっさと寝てしまう。これもいけ ません。よいですか、これは絶っっっ対にダメです。許されません。 早漏はかまいませんが、手抜きはダメですよ。求められたら求めら れただけ、いえそれ以上に犯しぬくのが男子の本分であり義務です。 これがまずひとつ﹂ ﹁えっ、え?﹂ ﹁もうひとつは余計な分別を棄てることです。具体的に云って、避 としうえ としした 妊など考える必要はありません。というより避妊は禁止とします。 なかだし 年長であろうが、年少であろうが、人妻、近親であろうが。臆して はなりません。躊躇せず膣内射精してください。たとえば由良辺り などは嫌がったりもするでしょう。しかしそれも単なる女の嘘。容 赦なく、生で放ってください。世間では避妊こそが殿方のマナーで おなご あり情愛のあらわれという向きがありますが⋮⋮。若様には関係あ りません。女子を抱く時は常に孕ませる。このくらいの心構えが男 らしくてちょうどよいでしょう﹂ ﹁な、何それ⋮⋮﹂ ぽかんと口を開け。虎ノ介は間の抜けた声を出した。紅葉は平然 としている。 しつ ﹁大事なことですわ。若様。女というのは時に嘘つきな生き物です から。素直にするには子宮を躾けるのが一番なのです。そしてこれ がわたしから、若様への最初のレッスンです。⋮⋮さ、どうぞ、若 さず 様。今宵はまずこの紅葉でお試しください。わたくしを、この紅葉 へお情けを︱︱。子種をお授けくださいませ⋮⋮﹂ ﹁こ、子種﹂ しなをつくる紅葉に。虎ノ介は頬を引きつらせた。 ﹁ほ、本気です?﹂ 915 ここ 子づくり。これは虎ノ介が田舎に帰ってきてから、散々に聞かさ れたことであった。避妊はするな。鳳玄からも云われたことである。 とはいえ︱︱ ﹁いいんですか? そ、その⋮⋮だって、紅葉さんは﹂ いまだ虎ノ介には抵抗があった。 紅葉はペニスをしごきながら﹁ちろ﹂と舌なめずりをした。 ﹁ええ⋮⋮わたくしは人の妻です。気になりますか?﹂ ﹁そ、そりゃあ。そりゃあ気になります﹂ ぶんぶんと、何度も首を上下させる。 紅葉は喉の奥で笑いつつ、少しだけ強めに、ペニスをにぎった。 ﹁うっ﹂ ﹁⋮⋮そんなこと。気にしなくてもよろしいのですよ、そんなこと は。他人を気遣えるのは、若様の美点ですけれど⋮⋮。田村の女に 限ってはそれも無用です。わたしたちは誰かに強制されて若様に抱 かれる訳ではなく、皆、己の意思で抱かれるのですから。その点は 夫も理解しておりますわ。わたしがどれだけあの人を愛し、あの人 がどれだけわたしを愛そうとも、しょせんどうにもならないことも。 あの人は知っています。わたくしにとって、誰であろうと若様の代 わりは務まりませんし、一度抱かれてしまえば、心も身体も、否応 なく若様の物となるでしょう。⋮⋮いえ、最初から若様の物なので すわ。そのことをわたしたち夫婦はよくわきまえております。あの 人もそれでかまわないと云ってくれています。もう若くはない夫で すがわたしと若様の子は、狩野家の跡継ぎとして大切に育てると。 ⋮⋮虎ノ介様。わたしたち夫婦は全て承知の上であなたにおすがり 916 ねが しているのですわ。子種のない夫は、わたしが御子を授かることを 切に希っております。わたくしは夫の望みを叶えてあげたい。そし うば てそれ以上に、若様の女になりたいのです。あの人から、わたくし を略奪ってほしいのです⋮⋮!﹂ ﹁そ、そんな。だ、だって。そんなことって﹂ わたしたちに わた ﹁ふ、ふ⋮⋮。言い訳は聞きませんわ。あなたは田村家当主。わた したち したちが待ち望んだお方。天人に捧げられた救いの供物であり、天 人のための魂なのですから﹂ 動揺おさまらない虎ノ介の口を。紅葉は無造作に吸った。 れるれると、半開きの口から伸ばした舌を、互いにからめ合わせ る。唾液を交換する。その間も紅葉の手は休まず、ペニスを愛撫し ている。ディープキスに手コキ。このふたつが、虎ノ介の思考を鈍 らせていった。 ︵ああもう、いいや。知らない。知ったことか︶ 虎ノ介は思った。何がどうなろうとも自分に責任はない。面倒事 は全部、女たちに任せる。こう心に決め、快感に身をゆだねた。目 をつぶり、ペニスを反らせ、時折腰をひくつかせる。そうした虎ノ 介の様子を、紅葉は満足げに見入った。彼女もまたしゃべるのをや め、官能の世界へ徐々に没入していった。 917 伯母と姉、田村母娘の場合 中編 その12 十分ほどキスを交わした後で、ふたりは姿勢を変えた。 それは紅葉の性器を見たいという虎ノ介の希望からで。紅葉も虎 ノ介のペニスを舐めたいということから、ふたりはお互い頭と足を 逆に、相舐めの形で布団へ横たわった。要は横向きのシックスナイ ンである。 虎ノ介のペニスをしゃぶりながら、紅葉は股を大きく開き、己を 性器を見せつけるようにした。﹃女﹄のふれ方、愛撫の仕方などを 教える。 ・・ ﹁⋮⋮ええ。いいですよ。そうです、そう、丁寧に。やさしくなぶ ってください。はぁ⋮⋮お上手ですよ。んっ⋮んっ、ひだを広げて、 お豆を細かく、ゆ、指の腹でこすって⋮⋮っ。ああっ、そう。そう です。感じますよ。見えますか? お、おそらく、アソコの穴がひ くついてきているでしょう? 感じると、し、自然に⋮⋮っ⋮⋮ぬ、 濡れてきて動きますから、濡れていれば、穴の︱︱わかります? 下の方に、大きめの穴が見えますね? んっ⋮⋮そ、そこの入口、 浅い部分をいじってもいいです﹂ うぶ 云われた通りに、虎ノ介は指を動かした。 童貞︱︱。 今、虎ノ介は初心な少年になりきっていた。子供が、親からあた えられた本に夢中になるように。好きな遊びに時間も忘れのめりこ はや むように。彼は真剣に紅葉へ向かっていた。とろり、蜜を流す花芯 に逸った。いずれ童貞くささの抜けない彼にとって、女に童貞と思 われることはさして難しいことでもなかった。紅葉をだます上で、 虎ノ介の素直さ、生来の好色は大きな要素となる。演技のできない 918 虎ノ介ではあるが、それだけに紅葉の﹃女﹄に心奪われる様子は自 然だった。 ﹁うわ⋮⋮わ、わ。すごい、こ、これが紅葉さんの⋮⋮お、おま○ こ﹂ ﹁うふふ⋮⋮そうですよ。これがわたくしのおま○こです。女の、 ややこ へや 淫らな本性が出る場所ですわ。んんっ⋮⋮そ、そして虎ノ介様を迎 える場所であり⋮⋮その奥が、あなたの稚児を宿す子宮です﹂ ﹁お、おれの?﹂ ﹁ええ。⋮⋮見えますか⋮⋮どうです? ン⋮⋮どうなっています か﹂ ﹁あ、赤い肉が⋮⋮穴の周りにうねうねイソギンチャクみたいです。 い、糸を引いてる﹂ ﹁それが開いたりすぼんだりしているでしょう?﹂ ﹁はい﹂ ﹁これは殿方の精を欲しがっている証拠です。んっ⋮⋮女は興奮が 強くなると、自然と腰がふるえたり、尻穴に力がこもったりします から⋮⋮。と、殿方のおち○ちんがふるえてくるのと一緒ですね。 ⋮⋮あっ⋮⋮んっ⋮⋮こ、こんな風にあさましく、とば口をパクパ さ クさせるようになったら、お、おおよそ食べ頃です。挿入して問題 ありません﹂ ﹁は、はいっ﹂ ﹁我慢できなければ、最低限、濡れはじめたところで挿してくださ い。相手の痛みは⋮⋮んんっ、それほど。き、気にする必要はござ いません。犯していれば自然とよくなります﹂ ﹁え、い、いいんですか⋮⋮?﹂ ﹁ええ⋮⋮。⋮⋮ひっ、人にもよりますが⋮⋮あっ⋮⋮たとえばわ たしなどは﹂ ﹁紅葉さんは?﹂ ﹁ゆっくりと長時間される方がつ、つらいですわ﹂ 919 ﹁え、つ、つらいんですか? 逆じゃなくて?﹂ ﹁え、ええ⋮⋮感じ方も烈しくなりますし⋮⋮マッサージでじ、じ らされるのもよいですが⋮⋮お、女にとってはそれが苦痛であるこ ともございます。まして若様とする女でしたら、発情を抑えられぬ 場合がほとんどでしょう⋮⋮わ、わたしもそうですから﹂ 紅葉の説明はだんだんとあえぎの混じったものになりつつある。 時折、思い出したようにペニスをしゃぶりながら、紅葉は虎ノ介に 語りかける。 説明の間も、虎ノ介は手を休まなかった。⋮⋮紅葉流に云うなら、 発情を抑えられない女こそ彼の性に合った。女に捕食されるかごと きセックス。虎ノ介と片帯荘の関係性もそこにつきた。朱美も僚子 も玲子も準も佐智も。それぞれ特徴は違えど根本はひとつだった。 つまり性欲が旺盛なのである。それはおそらく虎ノ介以上に。 紅葉がつづける。 ﹁殿方と違い、女は全身に性感帯があります。⋮⋮アソコはもちろ ん、乳房や、乳首、尻。さらには首筋やふともも、脇腹、背中⋮⋮ わたしたち そうした部分でも感じることができます。んっ⋮⋮ふふ、ですから さ もし、田村の女以外とする機会がありましたら、その時は挿入より はなは も前戯の方に多く時間を割いてあげてください。早い段階での乱暴 な挿入はきらわれますし、いきなり中心から責めたりするのも、甚 だよろしくありません。身体の末端から中心へ向けて、ゆっくり、 やさしく時間をかける。これが基本です。⋮⋮ですけれど、まあ、 これは余談ですわね。若様には必要ない知識ですから頭の片隅にと どめておく程度でよろしいでしょう﹂ ﹁は、はあ﹂ ﹁そして挿入ですが、お、女によっては、膣口が見えにくい者もい ます。膣の傾斜や角度、位置、ひだの深さなどの問題で⋮⋮。そう した場合でも⋮⋮あまり焦らないでくださいね。きちんと指で探せ 920 ば、暗闇でも問題なくわかりますから。んっ⋮⋮挿入する時はおま ○この中心から下側へ、亀頭を押しこむように⋮⋮﹂ ﹁はい﹂ 紅葉の言葉にいちいち頷きながら、虎ノ介はこれまでに抱いた女 たちを思い起こしてみた。朱美の、僚子の、女たちの割れ目を、頭 の中で比べてみた。 ︵云われてみれば⋮⋮女性器も人によって相当違うよな。肉のつき 方とか、ひだの大きさ、色つや⋮⋮︶ 五人が五人、まったくと云ってよいほどに違う。そんなことをあ らためて彼は考えた。それがおもしろいと思った。男をたのしませ る味。それが女によって大きく違うのが不思議だった。 たとえば朱美がいる。 彼のセックスした中で、朱美のそれが一番やわらかかった。股間 なか いれ の肉づきも厚く、指で入口を開けば吃驚くほどの柔軟性を持って伸 びた。とても濡れやすい性質で、膣内は挿入れば、ねっとりとから あな みつく。固さは皆無で、全体でやわやわ蕩けながら包みこむ味はま るで餅か何かのようである。 たとえば僚子がいる。 僚子のそれは躍動の魅力だ。朱美ほどのやわらかさはなく秘唇そ のものの肉づきも少ない。薄いひだを両脇に引くと、すぐに毒蛇を 思わせる貪欲な牝穴が﹁ぐぱ⋮﹂と口を開ける。ひくひく、男の精 おく おく を求めて、バルトリン腺液が白くにごりだす。挿入するや否や、す さまじい肉のうねりが牙を向く。騎乗位で子宮へ子宮へと飲みこん でゆくような感触。これをあたえてくれるのは僚子のみである。 921 たとえば準がいる。 あな この娘の特徴はその硬さ、狭さにあった。彼女の秘唇は入口から 奥にいたるまで、実に窮屈である。全体につくりがとても小さく、 未発達で、常に男を受け入れまいとしている。茂みは一切なく、穴 なか もぴったりと閉じている。挿入すれば、痛みすら覚えそうなほどの おもむき あ 幼い抵抗を見せる。ごりごりとペニスで膣内を掘削する作業は、他 の女とはまた違った趣がある。 たとえば玲子がいる。 な 彼女のセックスは虎ノ介にとって最もくるしい。若干下づきの秘 唇は濃いめの陰毛に囲われていて、形としてはとりたてて語るとこ ろもない。肉づきもあり、さわれば伸びるし、僚子ほどではないに しろグロテスクにうごめく。しかし特筆すべきはやはり内部の凶悪 さ、感触の多彩さである。ふぞろいな肉粒やひだが、まったくばら ばら、玲子の意思とは無関係に働くのだ。一瞬たりとも同じ動きは なく、淫らに、ひたすら愛情豊かに男をしごき上げる。玲子と身体 を重ねれば、虎ノ介はいつも一方的に翻弄され、複数回の射精を求 められた。 たとえば佐智がいる。 この鉄面の従者の魅力は、その丁寧で献身的なしめつけにある。 秘唇は一見、彼女の冷徹さを思わせる見た目をしている。茂みもひ そとづら だも薄い。濡れやすいが、虎ノ介がさわっても、あくまで冷静を保 とうする姿勢がある。そしてそんな外面とは裏腹に内部は妖しく情 熱的である。佐智の奥、膣壁には角度を持ったリングが何箇所か隠 されていて、それが強力に男を締めつけるのだ。玲子の、嵐に似た ざわめきとも、縦に喰らいつく僚子のうねりとも違う。単調だがど こかやさしい、虎ノ介を愛する肉の螺旋である。 女性は不可思議。 922 虎ノ介から見ればこう云うしかない。 ︵それに比べて男のつまんないこと︶ 比較しても仕方ないことである。 だがそれにしてもと。虎ノ介は思う。女性の個性、たのしさに比 べて男はつまらないと思ったりする。 男性器など、ただ棒のように一本あるだけで、別段、奇天烈な動 きをする訳でも、妖しくうごめく訳でもない。腰の動きで抜いたり 挿したりするだけである。せいぜい人によって大きさ、長さに多少 違いがある程度で、後は腰で円を描いたり、抜き差しのタイミング を変えてみたり、手指や舌の動きを交えたりと⋮⋮結局は技術と真 心の問題に行き着く。虎ノ介はそんな気がしている。 ︵みんなに云わせれば色々あるらしいけど︶ まじわり 交合の後。ダウンした虎ノ介を置き、時々ハーレムメンバーによ る女子会が開かれることを彼は知っていた。 そうした時、彼は何気なく耳をすまし、寝室からリビングの話を まちまち うかがってみたりもする。 女たちの話はいつも色々だった。 互いの近況から世間話へと入り、仕事や政治といった固い話もす れば、さまざまな趣味の話、時には芸能人の誰ソレが結婚したなど という興味本位の話もあった。とりわけ彼女たちの話で盛り上がる のはやはり共通する恋人についてだった。 今日、虎ノ介とどこそこへ行った。 今日、虎ノ介とこんな話をした。 どんなセックスをした︱︱。 朱美とそして玲子に云わせれば。虎ノ介と他の男とではセックス においてまるで得られる感覚が違うらしい。キスも。愛撫も。抱擁 923 も。挿入も。特別な充足が得られるのだと。ペニスのつくり、ふる え方、味、匂い。仕草ひとつひとつにいたるまで心惹かれるのだと。 虎ノ介以外を知らぬ僚子や準に向け、そう力説しているのを、虎ノ 介は聞いたことがあった。 ︱︱相性よね、きっと。自分にぴったりの男を遺伝子レベルでしつ らえて、自分好みにしつけて育てたらこうなるかなって感じ。 他の男にはなかった感覚。それがどんどん自分になじんでくるの がわかる。こう、ふたりは語っていた。 これに対し僚子と準は神妙な気配で肯いていた。彼女たちもそれ ぞれ何か思うところあるらしく、その意見を笑い飛ばしたりはしな かった。 何をおおげさな。虎ノ介は思ったものである。自分以上にセック スの上手い男など大勢いるだろう。おそらく彼女たちは知らないだ けなのだ。 云い分を疑う訳ではないが、そのまま受け取る気にもなれなかっ た。こと恋愛に関して、久遠虎ノ介という青年は素直味がなかった。 やつ ︵ちっちゃい時は手近なおもちゃ兼親友としてイカした息子だと思 ってたけど⋮⋮。エッチにはちょっと頼りない、よなあ︶ ひいきめ 愛情ゆえか、しばしば贔屓目に虎ノ介を語る恋人たちなのだ。 ⋮⋮女子会での話はしばしば虎ノ介の生活、勉強から将来にまでお よんだ。 他愛ない話もあれば、まじめな心遣いのこともあった。虎ノ介が 伊織と四年ぶりで会ってきた日などはそろって心配そうにしていた。 虎ノ介を失わずにすんだと安堵しつつ、その上で虎ノ介の傷心を気 にかけていた。 924 こうしたことへ、当然、虎ノ介は感謝している。 いくばく 彼女たちの心をうれしく思いながら、今のしあわせを噛みしめて いる。同時に少しばかり、それが重苦しい。幾許かの重圧も感じて いる。 ﹁ああっ⋮⋮あ、おおっ⋮⋮そ、そこイイッ⋮⋮ひっ。⋮い、っひ いいっ!﹂ ぴゅっ、と。紅葉の股間が潮をしぶかせた。 紅葉はがくりっ、とふるえ、おとがいを反らせた。そんな紅葉を 見て、虎ノ介は指をとめた。 ﹁あ⋮⋮﹂ 顔にかかった水滴をぬぐいながら、虎ノ介は紅葉を心配そうに見 た。 ﹁だ、大丈夫ですか﹂ わずかの沈黙ののち、紅葉は荒い息のまま云った。 ﹁だ、だいじょうぶ、ですわ。⋮⋮軽くイっただけです。そ、その、 わたくし⋮⋮はずかしいのですが、下の方が少しゆるいもので⋮⋮ イクとよく⋮⋮もらしちゃうんですの。い、今のは潮でしたけど、 時々おしっこの方も⋮⋮ご、ごめんなさいね﹂ ﹁あ、いえ。お、おれは別に。紅葉さんのおしっこなら、全然嫌じ ゃないですから﹂ 虎ノ介は答えた。女の排泄など僚子で慣れきっている。 しかし紅葉は、この言葉に感激を隠せぬ様子で、 925 ﹁まあ︱︱。な、なんて、なんて⋮⋮﹂ 身体を起こすと、紅めた顔に満面の喜びを浮かばせ、またもや虎 ノ介を抱きしめた。 虎ノ介は抱きしめられたまま、頭や背中、ペニスを何度もなでら れた。 ﹁わ﹂ ﹁おやさしい方。おやさしい若様。⋮⋮なんてよいコでしょう。こ んな方が当代で出るなんて、本当にわたしたちは運がいい﹂ ﹁あ、あの、あの紅葉さん﹂ 紅葉はほとんど夢中で虎ノ介に口づけをあたえた。虎ノ介は黙っ てなすがままとなった。 紅葉は虎ノ介を仰向けで寝かせると、いきりたったペニスを、そ の巨大な乳房の谷間で挟んだ。虎ノ介のペニスは紅葉の爆乳につつ まれ完全に姿を隠した。 926 伯母と姉、田村母娘の場合 中編 その13 紅葉は手馴れていた。 ペニスを胸の中でころがしつつ、亀頭に舌を這わせる。陰嚢をや わやわともむ。 虎ノ介は翻弄された。すぐに我慢ができなくなった。 ﹁く、紅葉さん﹂ ﹁はい﹂ ﹁あの、おれ、もう﹂ ﹁我慢できませんか?﹂ 虎ノ介は首肯した。 ﹁いいですよ。我慢せずイってください。お口で受けとめてあげま す﹂ にゅるり、にゅるりと。先走りと唾液でべとべとになったペニス も を胸間にすべらせる。左右の乳房を上下に、入れ違いに動かす。乳 圧がペニスをしめつける。 ミルク ダイナミックな動きに虎ノ介はうめいた。五分と保たなかった。 で ﹁うわわっ。で、射精るっ﹂ くわ ひとつ大きくふるえた後で、虎ノ介は射精した。 紅葉はペニスを口に銜えると、口をすぼめ、絞りたての精液をう れしげに飲んでいった。 927 ﹁ん゛∼∼∼ッ﹂ 濃厚な精が喉をしたたか打つたび、目を白黒とさせる。 けれどそこには明らかな喜びの色があった。興奮と発情の匂いが あった。やがて射精がいきおいを失ってくると、紅葉は口を外して 虎ノ介の方を見た。口元についた精液を舐め取り、淫蕩に笑んだ。 ﹁ん⋮⋮。うふふっ。おいしいですわ。若様のミルク。こってりと コクがあって、甘くて、少しだけ苦味と酸味があって⋮⋮。これな ら他の娘たちも間違いなく気に入るでしょう﹂ なめくじ 云いながら、紅葉はふたたびペニスへ舌をからめた。 赤い舌が蛞蝓のように這いずる。尿道を舌先が犯す。鈴口が、ど ぷり、尿道に残った精液を吐く。 ﹁うふっ⋮⋮んむ⋮⋮まだ出てきますわ。すごいです、全然萎える 気配がありませんのね。とてもたくましいですよ⋮⋮﹂ 虎ノ介は腰を小さくふるわせ、紅葉の舌技に身を任せていた。 そんな虎ノ介をやさしく見て、紅葉は精液を吸い出していった。 ・・・・ しばしの休憩の後、紅葉は虎ノ介の腹上にまたがってきた。 そんきょ それは座るというよりもしゃがむといった風で、そのあられもな い姿勢︱︱いわゆる蹲踞とかウ○コ座りと呼ばれる︱︱に虎ノ介の 男は大いに反応した。ごくり、虎ノ介が喉を鳴らすと、紅葉はそう した反応も見越していたように、開いた股間を見せつけ、ゆらゆら、 尻と腰とをふった。 ﹁⋮⋮っ﹂ 928 虎ノ介は待ちきれないという顔をする。紅葉の女を求めてペニス が涙を流す。 ・・・・ ﹁うふふ。もう我慢できない感じですわね。いいですわ、若様。今 入れて差し上げます。ふ、ふ、念願の童貞卒業、ですよ﹂ 花芯を割り開き、紅葉は肉棒をそえた。そのまま、ゆっくり腰を 落としてゆく。 ひたいには玉の汗、ひきつった口元には歓喜の笑みがある。 かたち ﹁⋮⋮んっ。は、はじめてがこんな騎乗位で申し訳ありません。男 うち 性にとっては無礼な、見ようによっては不敬なやり方ですけれど︱ ︱。でも田村ではこれが正しい作法とされていますから。やはり最 初くらいは、ね。ンっ︱︱⋮⋮﹂ なか ずるりと。腰が落ち、虎ノ介のそれは完全に紅葉の膣内へと飲み こまれてしまった。 ﹁うっ﹂ ﹁ああんっっ﹂ 甘い鳴き声を上げ、紅葉がわななく。半開きの口から舌をちろり と出す。 ﹁ひぃっ⋮⋮。こ、これ⋮⋮すごお、ううっ! ⋮⋮おおおっ﹂ 甘やかだった声は、すぐに女のものから獣のそれへと変わった。 ﹁イ、イイ⋮⋮っ! コ、コレ⋮⋮これが若様なのね⋮⋮! あ、 929 みじん ああ⋮⋮キク⋮⋮キクわあ⋮⋮。ひ、ひさしぶりのおチ○ポ様、や っぱりたまらないっ⋮⋮ぃん!﹂ としうえ 語る紅葉の姿には、すでに年長の威厳など微塵もなかった。だら しない顔つきに焦りと官能を浮かべ、ただあらぬところを見ていた。 ﹁はぁ⋮⋮さ、最高⋮⋮っ。やっぱりコレ最高だったわぁん。こ、 こんなのおっ。⋮⋮わ、わかってたけど、こんなの知ったらもう⋮ ⋮! もうもどれない。あんなフニャチン男になんてもどれないわ っっ﹂ かちかち、歯の根も合わぬままにしゃべる。 ⋮⋮紅葉も、そして虎ノ介自身も気づいていなかった。媚薬と化し た精液が薬効に気づいていなかった。 ﹁ううっ﹂ 虎ノ介もまた冷静ではいられなかった。 いれ 紅葉の膣は見事な、実にすばらしいつくりをしていた。 イチモツを挿入るや否や、一斉にソレをねぶりはじめ。一気に奥 だ 深いところまで呼びこんで、そこでむすびついていた。 一度放出したにも係わらず、性欲のマグマは、早くも虎ノ介に次 なる衝動をもたらしつつあった。 ︵⋮⋮すごい。予想はしていたけど⋮⋮やっぱりこの人も最高なん だ。こ、このまとわりつく感じが反則⋮⋮! 締めつけはそれほど じゃないけど、あったかくてぬかるむ感じが、し、しあわせすぎる ⋮⋮︶ 女は卑怯だ。あらためて虎ノ介は思いを強くした。 930 はじめて知る紅葉の身体は彼にとって、とても相性のよいものだ った。 どちらかといえば朱美と似たやわらかい味で、それが虎ノ介の好 みに強く合致した。 なか 僚子や玲子のように男を追いつめるところがなく、ひたすら男に にく つくすような膣内は、朱美よりさらにやわらかい。まるで液化した ような媚肉が、ぬぷぬぷ、適度な締めつけを以て男根を溶かしてく る。快楽で男を捕らえる花芯︱︱。そんな食虫植物を虎ノ介は夢想 した。 なか ﹁ふぅ⋮⋮はあ⋮⋮い、いかがですか。虎ノ介様。こ、これが女の 膣内です。⋮⋮どうですか、痛くないですか?﹂ 紅葉が問う。 虎ノ介は肯いた。 ﹁すごい。すごいです⋮⋮。き、気持ちいいです。こ、これが紅葉 さんなんですね﹂ ﹁ええ、そうですわ、若様。これが紅葉です。若様の⋮⋮若様だけ の女です﹂ ﹁お、おれの女⋮⋮﹂ たけ 茫とした目に、劣情の色を宿し、虎ノ介は猛った。 がばりと身体を起こし、紅葉の腰をつかむ。紅葉の、その巨大す ぎる胸に顔を押しつける。いきおい、肉棒が紅葉の中へと押しこま れた。 ﹁ひぃっ﹂ お 子宮口を圧され、紅葉が嬌声をもらす。 931 ﹁わ、若様?﹂ ﹁く、紅葉さんっ。紅葉さん﹂ ﹁な、何、ど、どうしたんですか。若様。きゃあっ﹂ 乱暴に、虎ノ介は腰を揺すった。 乳房を頬張り、ぐちゅぐちゅ、蜜をしたたらせる肉壷を突いた。 もはや⋮⋮我慢などできなくなっていた。 ﹁紅葉さんっ。おれの、おれのモノになってくれるんですか。本当 に? おれの女に﹂ つ もろて 衝き上がる欲望に任せて、彼はがむしゃらに女を犯しはじめた。 紅葉はこくこく、何度も首を縦にふった。虎ノ介の首に双手をま わして、自分からも腰を遣いはじめた。 ﹁ええっ。そうですっ。そうですわ⋮⋮! 若様っ。紅葉は若様の モノです。虎ノ介様の女です。⋮⋮あなたのそばに一生お仕えし、 あなたを護る天の鎖です﹂ ﹁紅葉さんっ﹂ ﹁好きっ。好きですわ、若様。愛しています。あんっ! ⋮⋮あな たが子供の頃からずっと。い、いえ、生まれる前からお慕いしてお りました⋮⋮!﹂ 烈しく、紅葉は腰を揺すった。 にく そのたび結合部から﹁ブジュ﹂と愛液がしぶいた。ひだがめくれ、 そこから陰茎に食いついた媚肉がずるずる引き出され、もどされを 繰り返した。巨大な乳房がぶるんっぶるんっと踊り、腰を打ちつけ あう音が﹁パンパン⋮﹂薄暗い部屋に響いた。 932 ﹁おれも好きです。紅葉さんが好きですっ、愛してます﹂ てい 夢中で、虎ノ介も返した。 紅葉はほとんど狂乱の態で、虎ノ介の顔に口づけを降らせた。 ﹁ああ若様︱︱。わたしの愛しい若様。すごい、可愛いくて、でも こんな男らしくて⋮⋮ひんっ⋮⋮ああんっ! んん、最高⋮⋮最高 だわっ。ハマっちゃうんんっ⋮⋮こ、こんなっ⋮⋮こんなのっ。⋮ ⋮ひぃっ! こんなチ○ポでしたことないものっ! あひっ! ⋮ ⋮くひぃぃんっ﹂ ﹁はぁ⋮⋮紅葉さんっ、く、紅葉さぁん﹂ ﹁あ゛∼∼あ゛∼∼∼っ! すごいぃイイっ! こんなっ! 若様 チ○ポすごいのっ。とってもすごいのお! ⋮⋮は、はしたないの にっ! アァンッ! ⋮⋮ンッ⋮⋮! お、おっぱいブルンブルン 揺らしてっ⋮⋮! 腹の贅肉も揺らしてっ⋮⋮! お汁いっぱい飛 び散らせてっ⋮⋮! ンンンっ。でもとまらないいっ。腰がとまら ないのおっ。ウ○チ座りのガニ股騎乗位やめられないいいっっ!! ︱︱ンンあううぅぅううンゥンンンンッッ!!﹂ まるでヒンズースクワットだった。 紅葉は、腕と下半身に力をこめ、上下に、尻を叩きつけるように して虎ノ介を責めている。時にのけ反り、時に前かがみになって、 そのいずれの時も、胸や結合部が虎ノ介に見えるように、両足を心 持ち離し気味に動いていく。 虎ノ介が興奮できるようにという配慮がそこにあった。 もっとも虎ノ介はそうした紅葉の意図には気づかず、こうしたあ ざといまでの下品さをたのしんでいた。 ⋮⋮ふたりの結合部には、すでに白い泡がべったりと咲いていた。 ﹁うああっ。す、すごい。すごいです、紅葉さん。気持ちよすぎる。 933 で こ、こんなのまたすぐ射精ちゃいますっ。本気で、ほ、本気で孕ま せちゃいそうだ、おれっ﹂ ﹁イひいっ⋮⋮! い、イイ、いいですわっ。いっぱい。いっぱい 出してくださいっっ。⋮⋮え、遠慮なんてしちゃダメよっ。⋮⋮ん んぃっ⋮⋮! お、おま○この中に、いっぱい出して孕ませるのっ。 どぴゅどぴゅどぴゅって! たくさん出すんですっ。⋮⋮く、紅葉 のマ○コに、淫乱な年増マ○コにいっぱい出してっ! ⋮⋮わ、若 様の暴れん坊の子種で、く、紅葉のおま○こ確実に種付けしてぇ∼ ∼∼っ﹂ ﹁ううう﹂ ﹁ンンンンっっ! ンふゥゥうううウンンンっ!﹂ ﹁うううっ。ダメ、ダメだ。そろそろまたっ﹂ ﹁き、きてぇぇぇえええ∼∼∼っ。ちょ、ちょうだいっ! 若様の なか 愛らしい精子でぇっ。ひウぅうっ! ⋮⋮わ、わたくしの子宮いっ ぱいに満たしてっ﹂ ﹁いいんですか? な、膣内で出しますよ、おれ。本気で紅葉さん を妊娠させちゃいますよ!﹂ ﹁いいのっ。いいのぉおおん。⋮⋮あ、あなたの子供が欲しいのお っ﹂ ﹁く、紅葉さん⋮⋮! ⋮⋮う、ううっ。も、もう! くそっ。こ、 こうなったら、に、妊娠してくださいっ。お、おれの子、生んでく ださいっ﹂ ﹁ああンっ⋮⋮! う、生みますっ。に、妊娠しますううっ。は、 孕みますからっ。生ませてぇ∼∼∼! わ、わわ、若様の精液で、 分家の年増当主ボテ腹にしてくださひぃいぃイイッ!!﹂ ﹁紅葉さんっ。う、うっ、うあ﹂ フィニッシュに向け、虎ノ介はいよいよ烈しく腰を突きこんでい った。 劣情は抑えきれないところまでこみ上がって、雁首を大きく開か 934 せはじめている。射精は時間の問題だった。 紅葉もまた、そうした虎ノ介の事情を敏感に感じ取って、それま で大きくとっていた動きをほとんどなくしていた。腰を密着させ。 逃がさぬとばかり、動きの大半を性器を押しつけあった状態での前 後左右や円での動きに切り替えた。それは抜き差しの間にも何度か ペニスが抜けることのあったからで。ぎゅっと。肉づきの多いふと ももで腰を締めつけられると、もはや虎ノ介に逃げ場はなかった。 おく ﹁くる、くるっ⋮⋮! クルクルクルクルクルぅぅぅうゥゥウウウ !! お、おち○ちんが、子宮を狙ってきてるぅっ! 下がってき た子宮に、ぐりぐり亀頭を押しつけてるっ! 妊娠! 妊娠! 孕 まされちゃうんっ⋮⋮! 濃厚精子、直接、子宮に受け入れてっ! は、孕みアクメでイっちゃうううウウウウウ∼∼∼∼っ﹂ ﹁く∼∼∼っ。イ、イクぅっ﹂ ﹁ひっ! ンほおおおおンンオォオオオっ!!﹂ こご 大きく。虎ノ介の身体が跳ねた。 直後、凝った、濃密な汚濁が砲塔から一気に噴き上がった。その いきおいはすさまじく、紅葉の子宮内壁は何度も叩かれ、またたく 間に絶頂へと達した。 ﹁んほおおぉおお⋮⋮! キ、きたああっ! キテるぅぅぅう、お ま○こ! し、しし子宮に直接! いひいイっ⋮⋮おま○こキマっ てるぅぅ⋮⋮! わ、若い男の新鮮なザーメンがどぷどぷっ、子宮 犯されて受精しちゃううんっ!! イっクぅぅぅゥうううぅんッ! !﹂ ﹁ああっ。紅葉さんっ、紅葉さんっ、紅葉っ﹂ ﹁ンんんんんんんっっ!!!﹂ 全身を痙攣させ。紅葉はおとがいを反らした。 935 ぜんどう おく 両の足と腕は、虎ノ介の身体に巻きつけられ、イチモツをしっか り捕らえている。膣は小刻みに蠕動し、精液を子宮へと吸い上げて いる。子宮は液体と固体の混じったようなそれを、一滴もらさず受 け取ろうとしている。 そうした女の身体にしがみつき、虎ノ介は射精しつづけた。双乳 に顔をうずめ。どくんどくん、欲望がが容赦なし、女を汚すたび、 彼は快感と達成感とで気が遠くなった。 固くなった子宮が﹁ちゅう⋮﹂と亀頭に口づけをした。 散々液体を放った肉棒は女の求めに応じて、最後にゼリー状の精 液を吐き出し、それもまた子宮へと吸いこまれていった。 やがて、ふたりはもつれあったまま、口づけと愛の言葉とを交わ した。 ◇ ◇ ◇ ﹁あ、あのう、折り入って若様にお願いがあるのですけれど﹂ こう、もじもじと紅葉が云い出したのは、十分ほどの休憩を挟ん でからであった。 ⋮⋮未だ、ふたりは抱き合った姿勢で繋がりつづけていた。 紅葉が虎ノ介を解放しなかったのである。 しおれかけたペニスを胎内に収めたまま、おおいかぶさる形で布 団に横になって、ふとももを虎ノ介の足へ巻きつけ、その姿勢で、 抜かず三発 をやりたいらしい。そ キスをしたり、なでたり、乳を吸わせたり、しつこく愛撫をあたえ ているのだった。 どうやら紅葉は文字通りの の年齢にそぐわぬ性欲の強さに、虎ノ介はあきれ、しかしうれしく 936 も感じた。 ﹁なんですか? お願いって﹂ 虎ノ介は訊いてみた。 ﹁ええと、その、す、少しはずかしいんですけれども﹂ 紅葉はめずらしく口ごもりつつ。 ﹁その。お、怒らないで聞いてくださいます?﹂ ﹁? なんですか? 別に怒ったりしませんよ。おれが紅葉さんを 怒る訳ないじゃないですか。だって、紅葉さんはおれのはじめての 人⋮⋮なんだから﹂ ぽっと。紅葉の顔が朱に染まった。それからかすかに微笑し、 ママ と呼ん ﹁ああ⋮⋮だめ。もうダメ。だめだわ、我慢できない。可愛すぎる わ﹂ ﹁紅葉さん?﹂ ﹁わ、若様!﹂ ﹁は、はい?﹂ ﹁い、今だけ。⋮⋮い、今だけです﹂ ﹁はい﹂ ﹁今だけ⋮⋮わ、わたくしを⋮⋮わたくしのことを でくださいませんか?﹂ ﹁ああ。なるほど、ママ。⋮⋮⋮⋮えっ。⋮⋮あ、いや、え?﹂ ぽかんと。口を開け、虎ノ介は紅葉を見た。 937 ﹁お、お願いですわ。今だけ。今だけでイイの。ママって呼んで。 んっ⋮⋮わ、わたしをあなたの母親に⋮⋮!﹂ 目を光らせ、そう懇願する紅葉は。同時にどこか不安げで、何か すがるようでもあった。 さまざま 虎ノ介は一瞬とまどった。呼吸をとめ、紅葉を見つめた。 ねがい だが彼もまた、これまで複数の女と関係を持つ中、種々な欲望を 見てきた者だった。 間を置かず、紅葉の願望に応えた。 ﹁す、好きだっ。ママ﹂ ﹁! ⋮⋮あ、ああっ。わ、若様っ﹂ 目に涙さえ浮かばせ。紅葉は興奮しきった様子で虎ノ介を抱いた。 すさまじいボリュームの肉が、虎ノ介の呼吸器をふさいだ。 ﹁むぐぐっ﹂ ﹁ああ、若様、若様︱︱﹂ ﹁⋮⋮ぷ。わ、若様じゃないよ、ママ。もっとちゃんと呼んでよ﹂ ﹁! え、ええっ。⋮⋮そ、そうね。そうよね。ちゃんとしなくち ゃいけませんわね。わかったわ、虎ノ介。坊や。わたしの可愛い坊 や⋮⋮。マ、ママと。ママともっとエッチしたい? いっぱいエッ チなことしたい?﹂ ﹁うん、ママ。ぼくママのこと大好き。ずっとこうなりたかったん だ﹂ ﹁まあっ⋮⋮まあまあっ! そう、そうなのね。そうだったのね。 い、いけない坊やだこと。⋮⋮で、でもいいわ。ママも坊やのこと 大好きだから⋮⋮。もっとエッチになってあげる。坊やだけのエッ チなママでいてあげる⋮⋮。だ、だから虎ノ介。ママのこと⋮⋮い っぱい愛してちょうだいね。ママのおま○こ、坊やのたくましいお 938 ち○ちんでいっぱい突いてちょうだい⋮⋮﹂ ﹁うんっ、ママ!﹂ 内心の羞恥をこらえ、虎ノ介は紅葉に付き従った。 母と子を模してのセックス。 まさに異常としか云えないプレイだったが、しかしそのことを虎 ノ介は別段、奇妙とも思わなかった。こういう趣味もあるか、その 程度にしか考えなかった。 部屋にこもった媚香が思考を奪っている⋮⋮というのもあったが。 しかしそれだけでなく、彼もそろそろ本質を理解しつつあったのだ。 一族に共通した異常性。 自分が必要とされる理由。 それは代々、男性当主を囲ってきたという女たちの年月を経ても 変わらぬ変態性だった。そうしてそのはけ口とされることを、虎ノ 介はだんだんと受け入れる気にもなってきていた。 ﹁ママ、愛してる︱︱﹂ ゆるやかに、虎ノ介は律動を再開した。紅葉の中にいたオスも徐 とき 々に力を取りもどしつつあった。ふとももをかかえ、その間で腰を グラインドさせる。 ごぽり。結合部から大量の白濁があふれた。 そっと、ふたり顔を近づける。 そして、ふたりが愛のこもった口づけを交わそうとした瞬間︱︱ ふすま ﹁なっ、何をしてるのよっ、あんたたちは︱︱!﹂ かもい 乱暴に。⋮⋮部屋の入口。廊下に面した襖戸が開け放たれた。 鴨居の下、今にも泣きそうな顔の舞と、薄く笑う敦子の姿があっ 939 た。 940 幕間 二人旅 いち 数時間ぶりに目を覚ました玲子は、何度もまぶたを手の甲でこす った。口を開け、大きくあくびする。 ﹁ふあ⋮⋮﹂ わら ﹁つつしみも何もあったものじゃないな﹂ べつ 運転席にいた僚子があきれたように苦笑った。助手席をちらと一 瞥し、 ﹁虎ノ介くんにきらわれても知らないぞ﹂ ﹁大丈夫よ。彼の前では絶対しないから。それにそんなことで人を きらうほど、虎ノ介くんは浅くないわよ﹂ ﹁ふむ﹂ それもそうだ。僚子は相槌を打った。 ﹁わたしがどれだけみっともない真似をしてもつきあってくれてる、 彼は﹂ ﹁そうよ。すごいのよ、あのコは﹂ 玲子はひとつ背伸びをし、それから腕の時計を見た。 時計の針は朝の四時を示していた。 ﹁だいたい三時間くらい寝たかな。そろそろ変わるわ、運転﹂ 玲子は云った。 941 ⋮⋮窓の外、景色は高速で流れている。 しろじろ フロントガラスの向こうには、連なる山の稜線が朝日に白々とか すんでいる。紫の雲はたなびき、峰の顔をかくしている。 ふたりは高速道路を行く旅の上にあった。 ﹁いいさ。疲れてるだろう。わたしはまだだいじょうぶだ﹂ ﹁そう? 相変わらずタフね。じゃあ、もう少しだけお願い﹂ 云いつつ、玲子は身をひねり、後部座席へと手を伸ばした。そこ に置かれたクーラーボックスからミネラルウォーターのボトルを引 き出す。 ﹁徹夜つづきだったから。もう眠くて﹂ ﹁忙しかったのかい﹂ ﹁とてもね﹂ ﹁ふむ﹂ ほんとう ﹁最近、人手が減ってさ。その関係もあって、てんてこ舞いだった わ。⋮⋮真実、休暇がとれてよかったな﹂ ﹁社員、辞めたのかい?﹂ 肯き、玲子は水を飲んだ。 ﹁またきびしくやっつけたんだろう﹂ ﹁失礼ね。そんなことしてないわよ。これでも部下想いなんだから﹂ ﹁そうかい? 前は何かあるとよく、かっとなってただろ﹂ ﹁そ、それはまあね。そういうこともあったけど。てゆうか、いっ ぱいあったけど。⋮⋮で、でも今は違うわ。自分でも云うのもなん だけど、うまくやれてると思う。最近は感情的になることだってほ とんどないし﹂ 942 玲子は誇らしげに胸を反らした。大きな果実がふたつ、シャツを 押し上げた。 ﹁やっぱりあれがよくなかったのかな⋮⋮﹂ ﹁あれ? あれとは?﹂ ﹁ん⋮⋮。前に云ったかな。オフィスでエッチしてた子たちがいた って﹂ ﹁ああ、キミが目をかけてたとかいう﹂ ﹁うんまあ。⋮⋮その子なのよね、辞めたの﹂ ﹁む? そうだったか。では、気まずかったのかな﹂ ﹁うーん、それもあるだろうけど、でもたぶんそれだけじゃなくっ てね﹂ 玲子は、ひたいへ手の甲をあてると、疲れたように溜息をついた。 ﹁告白されたのよね。その子に﹂ ﹁告白? 誰がだい﹂ ﹁わたしが﹂ ﹁なんだって?﹂ ﹁エッチしてた相手とは、つきあってた訳じゃない。誘惑されて、 いきおいでシタけど、でも本当に自分が好きなのは社長ですって﹂ ﹁ほう﹂ 僚子の目が俄然、輝きを増した。 ごうぎ ﹁自分とこの社長にセックスしてる場面を見られ、それでもひるま ず、逆に告白するか。なんとも豪気だな﹂ 笑って、僚子はギヤレバーを送った。 ぐん、と。かすかに車体が揺れた。 943 玲子もまた微笑し、水の入ったボトルをドア横の小物入れへと置 いた。 ﹁わたしも吃驚いたわ。今までそんなそぶり一度も見たことがなか ったし、今時に多い、あんまりガツガツしてないタイプだと思って たから。一見ほわっとした、可愛いらしい感じの、アイドルっぽい 顔立ちの子でね﹂ ﹁小動物系?﹂ ﹁そうね。そんな感じよ﹂ ﹁それでキミはなんて答えたんだい?﹂ ﹁別に。いたって普通に返したわよ。気持ちはうれしいし、社員と しては認めてるけど、自分は社長でもあるし、キミを男性として見 ることはできないって﹂ ﹁く﹂ 僚子は皮肉っぽく笑い、視線を玲子の方へと向けてよこした。 ﹁よく云う。さんざん好みのタイプだと云ってたくせに﹂ ﹁やめてよ﹂ 玲子が口をとがらせる。 ﹁わたしのタイプは虎ノ介くんだけ。彼に会うまで、知らなかった だけよ﹂ ﹁そうかい?﹂ つる 僚子は考えるような仕草で、眼鏡の蔓を直した。二度三度と、意 味ありげに頷く。 玲子は怪訝そうな目で、そうした親友を眺めた。 944 ・・・・・ ﹁な、何よ﹂ そっぽ ﹁いや何。精神安定剤がよく効いてるなと﹂ ﹁︱︱︱︱﹂ あか ぱっと顔を紅め、玲子は外方を向いた。 ﹁う、うるさいわね﹂ ﹁うふ、うふ、ふ﹂ いやらしく、僚子はふくみ笑いをした。 ﹁恐るべきは愛の力か。心まで犯されて、うふふ、仕事でストレス ・・・・・・・ を発散する必要がなくなった訳だ。しかし、それも当然かな。虎ノ モノ 介くんほど献身的に愛されてくれる男もそうはない。ああ、だから ぐさ 云ったろう、玲子。さっさと彼の所有物になれと﹂ ﹁ひどい言い種。フェミニストの先生が聞いたら怒るわよ﹂ ﹁云わせておけばいいさ。考え方が違うんだから﹂ だいたい、男なんてダメな方が可愛いのだ。と僚子ははっきり、 断固とした調子で語った。 もっとも、それについては玲子も同意見である。男のダメな部分、 欠点こそを愛している。男女の違いこそがすばらしい。こうした思 想のある玲子なのだ。 ﹁彼のことを云うなら、僚子だって相当入れこんでるでしょう。聞 いたわよ﹂ ﹁何を﹂ ﹁この前、彼をお兄さんに紹介したんですって? 今度、一緒にな る予定の恋人だって。すごい緊張したと云ってたわよ、虎ノ介くん。 なんだかお兄さんをだましたみたいできまりが悪いって﹂ 945 ほんとう ﹁だましてなどないさ。一緒になるのは真実なのだから。それを普 通の結婚と受けとるのはあちらの勝手だ。うふふ、マサにぃの奴、 目を白黒とさせて、最高に見物だった﹂ ﹁気の毒に﹂ ﹁何が気の毒なもんか﹂ ハンドルを切りつつ、僚子は答えた。 ごうがんちゅうびゅう ﹁あの男はな。常々、わたしに説いてきたんだ、結婚のよさとやら を。義姉さんの前で、したり顔でな。結婚はすばらしい。合歓綢繆 は人にあたえられた、もっとも気高き祝福だと。そうして最後には 決まってこう締めくくるんだ。おい僚子、おまえもそろそろ相手を 見つけろよ。いや、そんなことを云っても無理か。僚子だものな、 無理だよな︱︱﹂ と、声色を使っておいて、僚子は舌打ちした。 ﹁実に腹が立つ!﹂ 玲子は吹き出した。 彼女は僚子の兄、雅彦ともわずかばかり面識があった。そして僚 子が虎ノ介と兄を引き合わせたという事実。その意味にも気がつい ていた。 本来がドライで面倒くさがり屋の僚子なのである。知人を、家族 へ紹介するなど滅多にない。 そんな彼女が、恋人を兄へ紹介した。 云ってみればこれは宣言のようなものだ。 この人と生涯をともに︱︱。 まず、このような意味合いがある。だからこそ雅彦も吃驚いたの 946 いもうと だろう。まさか、これほどアクの強い僚子が恋人を連れてくるなど、 彼は思ってもみなかったに違いない。 かたち つまりは結婚。 形式こそ違え、それは玲子が以前虎ノ介と交わした、あの教会で の契りと同じだった。 ﹁もしかすると、わたしたちはツイてたのかな﹂ 疑問に思ったのか。ふと玲子がそんなことを云った。 ﹁もしかしなくても﹂ちろり、僚子は舌で唇を舐めた。 ・・・・・・ ﹁わたしたちは幸運だよ。考えても見たまえな。世間一般で云うと ころの恋や結婚なんてのはキミ。こんなのは苦行だ。人生における へだ 試練だよ。程度の差こそあれ。おおよその人間にとって恋は錯覚、 結婚は幻さ。だから人はその隔たりにくるしむ﹂ ﹁でもわたしたちは彼に会えた﹂ ﹁そうだ。わたしたちはよかった。彼を手に入れることができた。 都合のいい。理想的なね。わたしたちの肉欲と、心の欲と。そうい そと ったものを満たしてくれる存在だ。少し露悪的な云い方をすれば、 彼はわたしたちの愛玩動物か奴隷だ。世間から見れば、久遠虎ノ介 という青年が、わたしたちによりかかってるように見えるかもしれ ない。でも実際は逆だ﹂ わたしたちが甘えている。僚子は自嘲するように云った。 彼女は自身の行為を自覚していた。自分たちの愛が、身勝手なも のだと知りながら、それでも虎ノ介を腕の中に捕らえておきたかっ た。 ﹁嫌な云い方しないでよ。⋮⋮わたしだってわかってるわよ。わた したちのしあわせが虎ノ介くんのしあわせとイコールじゃないこと 947 くらい。でも今さらじゃないの。わたしたちが彼から自由と未来を いくばく 奪ってるのかもしれない。だけどもう手放せる訳ない。だって⋮⋮ だって好きなんだもの︱︱﹂ とびいろ 軽く、玲子は唇を噛んだ。 僚子はその深い鳶色の目に、幾許かの憂鬱をたたえ、小さく首肯 した。 ﹁ああ、そうさ。わたしだって彼を手放す気はさらさらない。たと え彼がくるしんだとしても、わたしを憎んだとしても。わたしは彼 を棄てない。けっしてきらいにはならない。好きだから。気づいて しまったからね。⋮⋮ふふ、こういうのは正しい愛ではないのかも しれないけれど。まあ、性分だな。虎ノ介くんには悪いが⋮⋮﹂ 彼はわたしのものだ。僚子ははっきりと云った。 ﹁まるで呪いね﹂ 玲子はつぶやいた。 ﹁呪い?﹂ ﹁ほら。云ってたじゃない。虎ノ介くんのご先祖の話﹂ ﹁ああ、天女かい?﹂ ﹁うん。天から降りてきた女が、呪いの帯で男を呪縛した。⋮⋮考 えてみれば、それって今のわたしたちみたいよね﹂ 玲子は窓の外を眺めた。その目は遠く離れた恋人を思うようでも あった。 羽衣と帯でがんじがらめとなった、哀れな青年。 その青年は今、上杜市にいる。 948 ﹁天の女は何を思っていたのかしら。うれしかったのか、哀しかっ たのか、後悔と懺悔か。あるいはどれでもなく、あるいはその全て だったかもしれない。いずれにせよ、彼女はしあわせだったのでし ょうね。今、わたしたちがこの上なく満たされているように﹂ ◇ ◇ ◇ 光ヶ関ICから一般道へと下りたところで、ふたりは運転を代わ った。 上杜市もすでにそう遠くないところまできている。おおむね朝食 の時間には到着できそうだった。 ﹁そういえば﹂ シートベルトを締めつつ、玲子が助手席を見た。 僚子はハンカチで眼鏡をふいている。 ﹁頼まれてた物、できたわよ﹂ ﹁本当かい!﹂ 僚子が顔を紅潮させた。眼鏡をかけ直し、目をしばたたかせる。 ﹁出来は保証しないわ。見よう見真似でつくったものだから﹂ ﹁かまわないさ。誰かに見せる訳じゃあない。自分で見てたのしむ ために撮影したのだから﹂ と、僚子はうれしげに云い、 949 ﹁記念すべきコレクション第一号か﹂ ﹁持ってきたわ﹂ ﹁見ても?﹂ ﹁いいわ。後ろのノートに入ってるから﹂ 玲子が後部座席を指した。 身をひねり、僚子はノートパソコンを取り上げた。 950 幕間 二人旅 その2 くるま ﹁デスクトップにショートカットがあるわ﹂ やまあい 云って、玲子は車輛を発進させた。ギヤを入れ、アクセルを踏ん だ。 緑の多い山間の道を、車はゆっくりと進みはじめた。開け放した 窓から、真夏の暑気と、森の清々しい香りが吹きこんできた。 ゼロイチ ﹁Tora01、これか﹂ PCを立ち上げ、僚子は目的の動画を再生した。 ぱと、ディスプレイ上に、三人の男女が映った。 それは僚子と玲子、そして虎ノ介の三人で。三人がいる場所は玲 子の部屋の寝室だった。 映像はビデオ撮影されたものらしく、時刻は昼らしい。開け放た おちつ れた窓からは淡い陽が射しこんでいる。⋮⋮三人ともに全裸だった。 ﹁おお﹂ 僚子の声に興奮が混じった。 映像の中の虎ノ介はしきりと沈着かない様子で。対して、女たち はくつろいだ表情でベッドに寝転んでいる。 ︱︱なんだい、緊張してるのかい。 映像の中、僚子が云った。 951 ︱︱大丈夫よ。わたしたちしか見ないんだから。 そう云う玲子の身体には、しっとりと汗が浮かんでいた。 虎ノ介の局部は、青すじを立て雄々しく隆起していた。 ︱︱じゃあお願いね、虎ノ介くん。 ︱︱頼むよ、虎ノ介くん。 ワゴン ふたりの美女にうながされ、虎ノ介が動いた。 ベッド脇、配膳台から、何やら液体の入ったボトルを取ると、彼 はその液体を手にたらしはじめた。さらにベッドに近づくと、うつ ぶせでいる玲子の背にもたらしていった。 ︱︱んっ。冷たい。 玲子が身もだえした。 同時に画面が切り替わった。離れたところから引いて全体を撮っ ていた画面が、ベッド脇から玲子を見下ろす位置になった。 つややかな背中が光る。 どうやら複数のカメラで撮影しているらしい。虎ノ介が玲子の背 をなではじめると、やがてまた画像は切り替わり、今度は横から、 玲子をアップでとらえた視界となった。薄く頬を染め、目をつぶっ た玲子の横顔と、うつぶせてひしゃげた大きな乳、そして先端から 透明な雫を流す、荒ぶった男根が映し出された。 ﹁うまく撮れてるじゃないか﹂ 僚子がほめた。感心した様子で、彼女は映像を見ている。 ﹁素人編集だから雑だけど。でも画質はそこそこいいし、一応見れ 952 るくらいにはなってるでしょう﹂ ﹁十分さ。別に売り出す訳じゃあないのだから。⋮⋮ふ、ふ。しか し、この虎ノ介くんの表情はどうだい。⋮⋮たまらないな﹂ うっとりと、僚子は動画の中の恋人に見入った。 ﹁これはしばらく、わたしの夜のオカズ、第一位をランキングしつ づけるな﹂ ﹁何、僚子って、まだひとりエッチしてるの?﹂ ﹁む? それはもちろんしているが﹂ ﹁あれだけ濃いエッチしてるのに?﹂ オナニー ﹁セックス覚えてからは、むしろ、前より頻度が増したくらいだよ。 今じゃ虎ノ介くんとできなかった夜はほぼ確実に自慰してる。⋮⋮ 玲子はしてないのかい?﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮してる﹂ 若干気まずそうに、玲子は告白した。 ﹁なんだよ。キミだってしてるんじゃないか﹂ ﹁だ、だって。ひとりだと寂しいんだもの﹂ 信号が赤になったのを認め、玲子はブレーキを踏んだ。 がくと車体が揺れた。すぐ横を大型のダンプカーが過ぎていった。 ﹁した後、寂しくなるからきらいなんだけどね﹂ ﹁うふふ。根が淫乱だからな、キミは。わたしと一緒で﹂ ﹁淫乱かあ。⋮⋮そんなこと考えたこともなかったけど。でもそう なのかしらね。エッチもどんどん変態ぽくなってる﹂ ・・ ﹁ああ、それはあるな。ここのところのキミの堕落っぷりを見ると、 時々恐ろしくなる。たがが外れてきているというか、セックスの最 953 中、おま○こやら、おチ○ポやら、下品な言葉がどんどん⋮⋮﹂ なげかわしいことだ。 芝居がかった仕草で、僚子はひたいを押さえた。 ﹁な、何よ。いいでしょ、エッチの時くらい。てゆうか、僚子にだ けは云われたくないわよ。あなたと朱美さんのエロっぷりったらな ただ いわよ!? 頭溶けてるのかってくらい、はしたない単語のオンパ レードじゃない﹂ ﹁淫語好きなんだ、わたしは。爛れてる方が盛り上がるからな。虎 ノ介くんも喜ぶ﹂ ﹁⋮⋮あのコちょっとおかしいのよ﹂ 信号が青に変わり、玲子はアクセルを踏んだ。クラッチを繋ぐ。 ﹁あんまり乱れると、引かれるかなって思ってたんだけど、でもあ のコがうれしそうにするから︱︱﹂ 顔を紅め、玲子は唇をとがらせた。 ﹁格好つけても仕方ないわ。だって、わたしがスケベなのは本当だ いき し、素直にふるまった方が気持ちいいしね﹂ ◇ ◇ ◇ その部屋には甘い香りが満ちていた。 静寂の中に、女のあえぎと、男の熱い呼吸がある。 ⋮⋮撮影がはじまり、三十分は過ぎたろうか。 954 ほて ふだん 虎ノ介がほどこすマッサージは、すでに佳境を迎え、平素は凛々 と しい女たちを、見る影もないほど無様に火照らせている。 ﹁ああ⋮⋮ン⋮⋮﹂ 声をもらしたのは誰だったか。 し 特製の媚薬オイルは、もはやとっくに女たちを蕩かしていた。 おく 皮膚から、粘膜から、呼吸から。沁みとおった媚薬が、ふたりの 子宮を発情させていた。 虎ノ介の手が玲子の尻をなでた。谷間をなぞり、そこから女の割 れ目へと落ちていく。 とろり、オイルが足される。 ﹁んっ﹂てらてら光る尻が、かすかにふるえた。 指が、玲子の牝くさい茂みへと伸びた。 ﹁んっ。んんっ﹂ 玲子が顔を上げた。腰を浮かし、背すじを弓なりに反らせる。四 肢を強張らせ、四つん這いにも似た姿勢をとる。手と足指が、ベッ ドに敷いたタオルをかきむしる。 やさしく。虎ノ介は指で、肛門をなで上げた。 ﹁ひうンっ!﹂ ﹁力を抜いて﹂ ﹁む、無理よ⋮⋮っ﹂ せっぱ 目に涙を溜め、玲子は切羽つまった調子で云った。 ﹁さ、さっきから何度もイッてる。イキまくってるわ。おま○こが 955 ひくひく、おち○ちん欲しがってる⋮⋮!﹂ 玲子は訴えた。 なか 犯してほしい。肉棒で、下の口をふさいでほしい。精液をたっぷ り、自分の膣内へとそそいでほしい。 ﹁だめだよ、まだね﹂ そう告げた虎ノ介のイチモツを、女のほそやかな指がつかんだ。 僚子だった。 じ ﹁今日はやけに焦らすじゃあないか﹂ カウパー 包皮ごと、上下へ。いきりたった肉棒をこすりたてる。 亀頭が新鮮な先走りをもらした。 かまわず、虎ノ介はマッサージをつづけてゆく。僚子に男性を遊 ばれながら、膝立ちの格好で玲子の股間をまさぐる。 ﹁んんんんんんいいいんっ! ひぃんっ! ⋮⋮あっ。あっ、あっ、 あっ。ああ∼∼∼っ﹂ 玲子があえぐ。 ちゅくちゅく、玲子の股間が水音をかなでる。 キングサイズのベッドが、ぎしと音を立てる。 ﹁今日はマッサージをするんでしょう?﹂ 云って、虎ノ介は僚子に笑いかけた。 虎ノ介の視線の先には、僚子のだらしなく開かれた両足、そして その中心に濡れそぼった花びらがある。 956 きらきら 僚子の女芯もまた、とうに花開いていた。 全身を汗と油で煌々と光らせ、股間はとめどなく愛液を流してい る。こぼれた蜜は糸を引き、下敷きのタオルを、まるで小便でもも らしたかのようにぐっしょり濡らしている。 僚子は虎ノ介の視線をたのしんでいた。 ﹁まあ一応は、ね﹂ ﹁なら、ちゃんとしなくちゃ﹂ 虎ノ介は玲子の秘唇︱︱愛液と油でドロドロになった︱︱を責め た。 いれ クリ ビラビラ 内ふとももからもみ上げ、丁寧に尻肉と腰骨、股関節、恥丘とほ ぐしてゆく。膣口には指を挿入ず、陰核や淫唇にもあえて軽くしか ふれない。その迂遠なやり方に、玲子はいい加減、我慢の限界だと いった風で。 じ ﹁いいから。もうそんなのいいからっ。早くっ、おち○ちんちょう だいっ! こんなの無理。これ以上焦らすと、こっちから無理やり するからっ﹂ 頭をかきむしるようにかかえ、歯を食いしばって。玲子はくるし げにふるえた。 ﹁おやおや﹂ 僚子が苦笑した。 ﹁これは相当キテるな。⋮⋮ふふ。虎ノ介くん、そろそろしてあげ たらどうだい。どうやらキミのここも、玲子を犯したくて、相当に ウズウズしてるようだし、さ﹂ 957 ぬるぬるの先端を、指先で遊びつつ云う。 ﹁⋮⋮まだダメです﹂ 虎ノ介は冷たく告げ、平手で軽く玲子の尻を打った。ぴしゃんっ、 と気持ちのいい音が鳴った。 ﹁ひうううっ!﹂ ぴゅっと、玲子の股間がしぶいた。 なかだし ﹁だって玲子さん、いつもおれにおあずけ食らわせるでしょ。おれ が膣内射精お願いするまでイクの許してくれないし、そのくせ足か らめてくるし﹂ ﹁そ、それは⋮⋮だ、だって⋮⋮!﹂ ﹁だから今日はいつもの仕返しです。⋮⋮まあでも、このままじゃ あんまりだから、指くらいは入れてあげる﹂ 云って、虎ノ介は玲子をうつぶせから、あおむけへと動かして寝 かせた。 重力で平らかとなった巨乳を、ぐいぐい、もみしだく。不満げに する玲子の口元へ、ペニスを向ける。 それ ﹁チ○ポあげますから。しばらく我慢しててください。⋮⋮ほら、 足上げて。自分でかかえててください。いや、M字に開くんじゃな くて、そろえた形で⋮⋮体育座りっぽく。そうそう。はい、いいで すよ﹂ 自分の愛撫しやすい形へ誘導してから。虎ノ介はあらためて秘唇 958 をさわりはじめた。指で陰核をこすり、そうしながら別の指を秘裂 の中へと差し入れた。 ﹁ふぁっ⋮きゃああああんっっ﹂ 玲子の口から、すぐと嬌声が上がった。 玲子は目を白黒させながら、たちまち快感によがりはじめ、その 様子を横から眺めていた僚子は、 ﹁お、語尾にハートがつきはじめたな﹂ からかい そう、揶揄とうらやみのある声を向けた。 虎ノ介は、僚子の手が、ひそかに自身のヴァギナへ伸びたのを見 逃さなかった。 ﹁これが終わったら、すぐに僚子さんにもしてあげますから﹂ 僚子の頬が紅らむ。 ﹁そ、そうだな。⋮⋮⋮⋮頼むよ﹂ ごくり。喉を鳴らし僚子は肯きを返した。 玲子の方はと云えば、こちらはうれしげに目を閉じ、ひたすら官 能へ没入している。 ﹁ほら。玲子さんも、口が留守になってますよ﹂ 指の抜き差しをしながら、虎ノ介は玲子のゆるみきった口へペニ スを押しこんだ。 959 ﹁ふむう⋮⋮っ﹂ よだれをこぼして、玲子があえぐ。 虎ノ介はほとんど顔面騎乗のような姿勢で、玲子にふくませなが ら、ゆるやかに腰を揺すった。 960 幕間 二人旅 その3 ﹁ん⋮⋮んん⋮⋮っ﹂ 呼吸器をふさがれ、玲子はくるしげにうめいた。 だが虎ノ介は動きをゆるめなかった。ペニスを乱暴に突きこみ、 喉奥を押しつぶした。 玲子の口からよだれが、目から涙がこぼれた。 ﹁ずいぶんと喜んでいるね、玲子は﹂ 僚子が云った。虎ノ介は頷いた。 事実、玲子は悦んでいた。口腔を犯され、その状態のまま膣をか き回されて、強く感じていた。腰をくねらせながら、快感に打ちふ るえていた。マゾ気質な玲子にとって、この程度の責めはセックス におけるスパイスでしかない。もっとも虎ノ介にしても本気で彼女 を痛めつけようという意図はない。玲子の呼吸、顔色、感じ具合。 そうしたところを見ながら、くるしくなりすぎない程度に責めてい る。だからこそ玲子も安心して身を任せられる。大胆に、虎ノ介を 味わえる。 ﹁ん∼∼∼∼っ!!﹂ 悲鳴に近い声を上げ、玲子は絶頂に達した。 しお 四肢がこわばりふるえる。焦点をなくした瞳が至福を浮かべる。 弛緩した全身から、汗がどっと噴き出る。秘裂がさかんに汐をしぶ かせる。 虎ノ介は反応をたしかめた上で、蜜壷から指を抜いた。玲子から 961 離れる。おさえていた手がなくなると、玲子は糸の切れた操り人形 のように、両足をぱたりと投げ出した。 僚子の両腕が、虎ノ介の首へ巻きついてきたのはその時だった。 僚子は虎ノ介をふり向かせるやいなや、いきなりその口を吸った。 虎ノ介を押し倒し、しゃにむに、むさぼった。 虎ノ介は面食らい、目を白黒とさせた。 さんざんに唾液を交換し舌をからませてから。僚子はおもむろに 唇を離した。つと銀色の糸が、たがいの口をむすんだ。 ﹁わたしの番だろう?﹂ 息も絶えだえな虎ノ介を見下ろし、僚子は云った。 ﹁い、息できないって﹂ ﹁それは申し訳ない。だが、こちらも限界でね﹂ 僚子は虎ノ介の抗議さえたのしんでいた。 にく ﹁さあ、愛しい人。たっぷりと愛し合おうじゃないか﹂ ﹁りょ、僚子さんが上?﹂ ﹁嫌かい?﹂ ﹁かまいませんよ﹂ 虎ノ介は素直だった。 やわにく 僚子は虎ノ介をまたぐと、手ずから己の媚肉を割り開いた。濡れ た柔肉がねっとり、糸を引いてねばった。 ﹁お? 今、喉を鳴らしたね? チ○ポも可愛くふるえた。ふ、ふ ⋮⋮虎ノ介くんもなんだかんだ云って、早くしたかった訳だ﹂ 962 虎ノ介の顔を眺め、僚子は不敵に笑った。ひたいを、汗がつたう。 虎ノ介は答えなかった。無言で顔を紅め、僚子を見つめた。 ふたり、見つめあう形となった。 はちきれそうなペニスは、とくとく、期待に涙を流しつづけてい る。 なか ﹁はああ⋮⋮。す、すごいな、このおち○ちん。わたしの膣内にと っても入りたそうにしている︱︱﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁こんなに泣いて、可哀相に。⋮⋮ふふ、それも当然か。せっかく つくった赤ちゃんの素だ、無駄撃ちなんてしたい訳がない。もった いないからな。男に生まれた以上、女を孕ませなければ嘘だ。本当 は玲子にも出したかったんだろうが⋮⋮うふ、うふ、ふ﹂ で ﹁ちょ、ちょっと僚子さん。あんまりさわらないで。それ以上なで られると射精る﹂ ﹁おっとすまない﹂ 頬を染め、僚子はそっと身をよせた。 ﹁代わりに、わたしが受精してあげよう⋮⋮﹂ いきり立つペニスへ、ぬらぬらと輝く媚肉をあてる。 いれ ﹁挿入るぞ﹂ だ ﹁たぶん長持ちしませんよ﹂ ﹁いいさ。好きに射精すといい。全部、受けとめるから。⋮⋮その 代わりたくさんしてくれ。いっぱい、おま○こが壊れるくらい﹂ ﹁きびしいな﹂ ﹁今日のわたしはあぶない日なんだ。二、三回じゃ許さないからな﹂ 963 告げて、僚子は槍先を自身の奥へと沈めた。 嬌声が高らかに響いた。 ◇ ◇ ◇ 山の中腹にさしかかると、景色は次第に幽玄味を帯びてきた。 そば 対向車はなくなり道幅もせまくなってきた。日光をさえぎる森、 なら くぬぎ ぶな ざつぼく 岨づたいの谷の道などはいかにも山里の暮らしをふたりに思わせた。 周りを見渡せば、楢や橡、橅といった雑木の並んだ森が、道に沿 つばき うようにしてある。朝露に濡れ、むせかえるほど濃い緑の匂いをた だよわせている。斜面の上方、ところどころ椿が茂っているのも見 えた。 ﹁結構、深くなってきたわね、山﹂ きじばと クーペ 雉鳩の声に耳をかたむけながら、玲子はハンドルをまわした。 険しい山坂を、ふたりの乗る車輛は低速で進んでいた。 ﹁耳がずんとしてきた﹂ 僚子は答えなかった。無言で膝上のパソコンへ見入っている。 画面の中では、乱交が山場を迎えていた。 虎ノ介が四つん這いになったふたりを、取っ替え引っ替えつらぬ いている。女たちは肉棒に犯されるたび、あられもなくよがってい る。 ﹁ねえ﹂ 964 もう一度、玲子は呼びかけた。 ﹁ねえったら﹂ ﹁⋮⋮何?﹂ ようやく僚子が視線を上げた。 ﹁今どの辺り?﹂ ﹁道が? それとも動画?﹂ ﹁道よ﹂ ﹁地図によれば、もうすぐだよ﹂ ﹁そう﹂ ﹁こっちは、玲子が舌出してアクメったところだ﹂ ﹁し、舌なんて出してないわよ﹂ 玲子は焦って云った。 ﹁いや、ちゃんとはっきり映ってるぞ。口を半開きで、うれしそう に甘えイキしてる﹂ ﹁う、嘘、そんなシーンあった?﹂ ﹁あったあった。まあ、わたしも同じようなものだがね。⋮⋮あー あ、ひどいな、こりゃ﹂ たのしげに僚子は目を細めた。 ﹁これでも職場じゃ堅いイメージで通ってるのだがな。⋮⋮しかし、 虎ノ介くんもよくこんな女たちとセックスしてる。嫌にならないの かな﹂ ﹁自分で云ってちゃ世話ないけどね﹂ 965 玲子は苦笑で返した。 ﹁背すじがゾクゾクっとする。虎ノ介くんに てお願いされると﹂ 膣内に出させて っ ﹁玲子は笑うんだ。フィニッシュの時、くるしそうに、顔をしかめ っつらしくしていてもね。目だけは必ず笑ってる。食いしばった口 の端をくっと持ち上げてさ﹂ ﹁だってうれしい﹂ だ 相手に全てを征服される。心も身体もささげる。それが玲子には たまらなく心地よかった。 なか ﹁僚子も好きでしょ、膣内に射精されるの﹂ ﹁まあね﹂ 虎ノ介が持つ精液の威力は、すでに片帯荘住人の誰もが認めると ころである。 ﹁虎ノ介くんはまだいくらか抵抗あるみたい﹂ ﹁避妊をしてる?﹂ 小さく、玲子は首を横にふった。 コンドーム ﹁してない。わたしはいつも生でしてるわ。避妊具は禁止。僚子も そうでしょ﹂ ﹁うん﹂ ﹁朱美さんもそうみたい﹂ ﹁年長組は孕む気満々か﹂ 僚子は快活に笑った。 966 ﹁虎ノ介くんも大変だな。三人も子づくりせがまれて﹂ ﹁腎虚で死ぬ、って﹂ ﹁何をおおげさな﹂ ﹁準くんだけは避妊してるらしいわ。あまり生でしてくれないって、 彼女こぼしてたから﹂ でき ﹁あ、そうなのかい?﹂ ﹁本人はいつ妊娠てもかまわないらしいけどね。虎ノ介くんが色々 云ったみたいで﹂ ﹁何を?﹂ ﹁ふたりの将来とか、生活設計とか。ほら準くんって、わたしたち と違って収入がある訳じゃないでしょう。そこを突かれたそうよ。 もし子供ができても自分じゃ家族を養えないからって﹂ ﹁あははっ。彼らしいな、まじめだ﹂ ﹁開き直ったとも云えるけど﹂ ﹁準くんはなんと?﹂ ﹁相当かちんときたようね。燃えてきたって云ってた﹂ ﹁燃えてきた?﹂ ﹁文句云わせなくするそうよ。今やってるロックバンド、デビュー ・・・ の話がきてるみたい。それを受けようかなって。ほら、彼女もさ、 くすり わたしたちと一緒で根っこで烈しいというか。かあっとなると、手 段を選ばなくなるでしょ﹂ ﹁そうだね。初恋の相手を、媚薬使ってレイプしようとするくらい は女だ﹂ ﹁そうそう。⋮⋮ま、実際問題として、虎ノ介くんに銭湯継いでく れとも云えないんだろうけど﹂ ﹁ふむ、つまり彼に云うことを聞かせようと思ったら、ある程度、 地位なり収入なりを得ないといけない訳だ。彼をお嫁さんにするだ けの社会的な力を。⋮⋮ああ、それはハーレムのルールでもあるな。 子供ができても父親としての責任を求めないこと。その点、年長組 967 は皆、高給取りだから自由にできる﹂ ﹁そうね。わたしたちは子供ができても虎ノ介くんに頼るつもりは ないから⋮⋮﹂ ﹁キミはむしろ頼られたい女だものな。男を甘やかすのが好きで﹂ くるま ﹁べ、別に甘やかしてはないと思うけど。ふ、普通よ﹂ ふたまた ﹁普通は車輛なんて気安く買いあたえないぞ。あれにはさすがのわ たしも引いたと⋮⋮あ、そこの二岐を左だ﹂ 僚子の言葉に、玲子は顔を紅めた。乱暴にハンドルを切った。 ﹁あれはその⋮⋮は、反省してる﹂ ﹁ペーパードライバーにこんな高級車あたえてどうするつもりだっ たのだよ。事故って死ぬのがオチだろうに﹂ ﹁わ、わかってるわよ。だからこうしてわたしが引き取ったでしょ﹂ 敦子にもさんざん云われたのだ。 と、玲子は疲れたように溜息をついた。 ﹁虎ノ介くんって物欲少ないのよね﹂ ﹁いいじゃないか。愛と性欲さえ旺盛であれば。⋮⋮ああ、玲子、 着いたぞ。たぶんあの屋敷だ﹂ 云って、僚子は地図と、フロントガラスの先、森へ隠れるように してある屋敷とを見比べた。 ほっと、玲子が顔をほころばせた。 ﹁ようやく到着ね⋮⋮。長かったな﹂ ﹁ひさびさに虎ノ介くんと会える﹂ ﹁そうね。二週間ぶり﹂ ﹁二週間ぶり。⋮⋮二週間ぶりの虎ノ介くんか﹂ 968 ふと、僚子の顔つきが考えこむものとなった。 くるま 玲子はちらりと目を送ってから。 ﹁どうしたの?﹂ ﹁なあ、玲子﹂ ﹁何﹂ ﹁ちょっと、屋敷の手前で車輛を停めてくれないかな。到着まで、 もう少しだけ時間が欲しいんだ﹂ ﹁え、いきなり何よ﹂ 怪訝そうに問う。 僚子は真剣な目つきをして云った。 オナニー ﹁虎ノ介くんと会う前に、自慰する時間が欲しいんだ。動画見てた ら、なんだか無性にムラムラとしてしまった。⋮⋮今から虎ノ介く んと顔を合わせて、夜まで我慢できる自信がない。いいかな?﹂ ﹁やめてよ!﹂ これ新車よ。 玲子が怒鳴った。 ◇ ◇ ◇ 二十分後。ふたりの客が田村邸を訪れた。 そのふたりの表情は、妙にすっきりと晴れ渡っていたが、そのこ とを疑問に見た者は誰もいなかった。 969 伯母と姉、田村母娘の場合 後編 その昔、あるところに仲のよい年の離れた兄弟がいた。 兄は腕の立つ猟師で、弟は百姓だった。 兄は頭がよく弁舌もさわやかだったので、同じ村の長老や村民か らもよく頼りにされ人望があった。 一方、弟は出来が悪かった。人は好かったが頭が弱く、何をさせ てもやりとげるのに人の倍もかかった。村人たちは彼のことを内心 ばかにしていたが、悪さをするような人間でもなかったので、取り たててかまう者もなかった。弟は幼なじみの妻にかしずかれ、日々 を静かに暮らしていた。 そうしたある日、猟師である兄が、山で、ひとりの天女に出会う。 泉で水浴びをしていた天女はこの世のものとも思えぬほど美しく、 兄をひとめで虜にした。兄はそばの木にかけてあった羽衣を奪い、 自分のふところへと隠した。羽衣をなくしたことで天へと帰れなく なった天女は、兄へ衣を返してくれるよう懇願する。兄はこう要求 した。 ︱︱我が妻となり、地上にとどまるのなら、衣を返してあげよう。 天人は福徳をつかさどる存在。天女を妻にすれば、未来永劫、栄 華を約束されよう。兄はそう考えた。 天女はこたえた。 ︱︱わかりました。ではわたくしに魂をおあたえください。その魂 とわたくしを帯でむすびましょう。さすればあなたの家は来世の先 までもさかえるでしょう。 970 男は問う。きっとだな、約束をたがえぬな。 女はこたえる。嘘は人の心にあり、天に偽りはなし。 こうして兄は村へ女をつれて帰った。 けれども兄は衣を返さなかった。返せば女は天へと帰ってしまう。 そう思った兄は、腕のいい職人に命じて、そっくりの羽衣をつくら せ、それを天女にあたえた。そうして本物の羽衣を、女が見つけら れぬよう弟の家にあずけて隠した。 いきさつ その夜、弟の家を天女が訪れた。 天女は自分がきた経緯、衣を奪われ妻とされた事情を話した。女 は男の嘘をすべて見通していたのだ。不憫に思った弟は、兄よりあ ずけられた衣を返した。女はその時、弟が衣の帯をつかんだのを見 て喜んだ。 ︱︱あなたには二度も助けられました。一度目は罠からたすけても らい、二度目はこうして衣を返していただいた。感謝のしるしに、 あなたの妻となりとうございます。 弟は気持ちだけで十分だ、と天女の申し入れを断る。 だが天女はこう告げるのだ。あなたとわたしはすでにむすばれた。 あぜん たしかに、来世の先までも。 唖然とする弟へ、天女は羽衣を羽織り、舞を披露して見せる。 こつぜん 翌日、村にふたりの姿はなかった。 天女も、百姓の弟も、忽然と姿を消していた。 ◇ ◇ ◇ 971 とっつばれ ﹁めでたしめでたし︱︱﹂ 締めくくり、わたしは杯を口に運んだ。 よく冷えた日本酒が喉を過ぎる。その心地よさにわたしはうっと り息をついた。 わたし 露天の岩風呂には、敦子と舞のふたりしかいない。 久々の親子水入らず。母と娘の時間を、わたしはたのしんでいた。 ﹁何がとっつばれよ﹂ つまらなそうに云うと、舞は両腕をひろげた。岩によりかかるよ うにして、天を仰ぐ。 湯けむりが揺れた。 わたしは湯の中で、のばした足を組み替えた。首すじを、汗がゆ っくりとつたった。 ﹁昔の話よ﹂ わたしは空を見あげた。 ・・・ もくろみ 満天の星空が、きらきらと頭上にかがやいていた。 ﹁そんなこと知ってるわよ。あの女がどんな目論見でやったかも知 ってる。わたしたちは当事者だったんだから﹂ ﹁憶えてる?﹂ ﹁なんとなくね﹂ ﹁夢を?﹂ ﹁時々見る。だいたいトラのちいさかった頃とか、冬にこっちに駆 けつけてきた日のこととか、その辺の記憶とごっちゃになって、も う支離滅裂だけど﹂ 972 わたしはかすかに笑った。 それはわたしたちの過去の話だ。家の歴史であり、犯した罪と云 ってもいい。 ある天女が、人間の男に助けられ恋をする。 恋をした女はその男の妻となるため、地上へ降りてくると、神通 力を使い男を魅了してしまう。その後、ふたりは夫婦となってしあ わせに暮らす。 ⋮⋮これがおおまかなすじだ。 いわゆる白鳥処女説話とかいうものにあてはまる。 つまり白鳥が人に化身し水浴びをしているだとか、それを見た青 年が衣を隠し、女と結婚するだとか⋮⋮。 その後の展開はさまざまだが、いずれにせよ誰もが一度は聞いた ことのあろう話だ。 少し変わっているとすれば、わざと衣を奪わせるくだりだろうか。 天女は猟師の兄を使い、慕わしい弟へ衣をわたすのだ。 天女にひとめ惚れした兄は、女の思惑通り、欲望と疑念から約束 を破る。そして結局、彼は天女を妻とできず、女は望み通り愛しい 男を得るのだ。 ﹁だったら、わかるでしょう?﹂ 湯に浮かべた盆へ、杯をもどす。わたしは舞を見て云った。 ﹁今さら、あなたひとりの感情でどうなるってものじゃないのよ﹂ ﹁それはわかってるけど﹂ ﹁わかっていないわ。わかってないから、つまらない我欲であの子 を独占しようとする﹂ ﹁そ、それのどこが悪いの、女だったら誰だって、母さんだって﹂ ﹁そうね、わたしもあの子をできれば独り占めしたい。でも我慢し 973 ているわ。あの子も。⋮⋮見たでしょう、あの手紙を﹂ 舞は黙りこんだ。 わたしはつづけた。 うち ﹁読んだでしょう、わたしたちにあてた手紙を。あの子の胸の裡を﹂ 久遠虎ノ介がしたためた手紙。 あの筆跡の乱れた、涙の多い手紙を、わたしは佐智を通じ舞にも つたえていた。そこにつづられた悲痛な叫びを、わたしたちこそ知 るべきだと考えたからだ。 ﹁あの子はくるしんでいるわ。自分の気持ちがどこからくるものか、 そのこたえも知らずに﹂ 頭に巻いたタオルを、わたしは手で直した。 ﹁責任はわたしたちにあるわ。わたしたちに求められれば、あの子 は否とは云えない。くるしみながらも必ず受け入れる。そういう﹃ 血﹄だから﹂ ﹁うん﹂ ﹁それなら、わたしたちはその責任をとらないといけない。わたし ひと たちがあの子を手放せないのなら︱︱。せめてくるしみを減らして ウチ あげる必要がある﹂ ﹁それが、片帯荘の女たちって訳?﹂ ﹁あら﹂ 舞の言葉に、わたしは﹁く﹂と喉を鳴らした。頬のゆるむのが自 分でもわかる。 974 ﹁気づいてたの?﹂ 舞はうなずいて見せた。うしろでむすんだ髪が、ちいさくはずん だ。 ・・・・・・ はい ﹁薄々、ね。つまりそういうことなんでしょ?﹂ ﹁いつから?﹂ ﹁去年、朱美さんが入居った時に。火浦なんてめずらしい名字だも の。確信したのは最近になってからよ。朱美さんも、僚子さんも最 初からトラのことずっと可愛がってたし、玲子さんや準くんまで女 の目でトラを見てる。そんなの思い当たるところなんてひとつしか ないじゃない﹂ じっ わたしはこたえなかった。ただ凝と娘の顔を見た。 ・・ ﹁きっとテリーもそうなんでしょ。⋮⋮佐和さんは、ちょっとよく わかんないけど﹂ ﹁うふ、ふ、ふ﹂ ﹁どうやってあつめたの?﹂ ﹁知りたい?﹂ ﹁もったいぶらないで﹂ ﹁そんなにむずかしい話じゃないわ。時間をかけて探し出したの﹂ ﹁時間をかけて?﹂ ﹁ええ。ずっと前から、虎ちゃんがもどってきた日のためにね﹂ わたしは言葉を区切ってから、そっと湯船を出た。 ざぶり、湯面が波打つ。 ておけ ガラスのサッシ窓を引き開け、湯気の立ちこめる洗い場へともど ししおき る。モザイク模様の石床に、椅子と手桶とを引き出す。椅子に座る と、鏡の中に、むっちりと肉置いい女が映った。舞もまた、わたし 975 のあとを追い、湯船からあがってきた。 ﹁最初から、トラにあてがうつもりだったの?﹂ おとうさま ﹁そうよ。あなただって、もう気がついてるでしょう? 鳳玄が、 京子さんたちを追い出した理由に﹂ ﹁わたしたちと引き離すため?﹂ うなずきつつ、わたしはスポンジと石鹸をとった。少し遅れ、舞 が隣に座った。 ﹁鳳玄は、龍が、息子が死んだことですごく心を痛めていたから。 虎ちゃんだけは守りたかったんでしょうね﹂ だから京子さんと話し合い、親子を出て行かせた。孫を守るため に、表面上は追い出したように見せて。わたしと舞を上杜の地から 遠ざけて。 かたく ﹁そしてそれは京子さんの望みでもあった。だから京子さんは頑な に、こちらからの援助を受けなかった﹂ もっともこれについては、わたしはいまだ鳳玄を許していない。 あの親子が貧しく、さびしい暮らしをした原因が、このばかげた取 り決めにあったのは疑いようもないからだ。京子さんが実家から疎 まれるようになったのも、このことにそもそもの発端がある。田村、 久遠両家が現在、絶縁状態にあるのもおなじだ。つまり、まちがい でできた子とはいえ、跡継ぎを追い出すとは何事だ、と久遠の方で 文句を云ってきたことが理由である。正論だ。けれどもこの正論を 鳳玄ははねつけた。仕方がない。当人の意思でもあったのだから。 だが久遠はおさまらなかった。虎ちゃんを当主にすえることで、田 村とパイプをつなごうと考えていた彼らにしてみれば、完全にアテ 976 が外れた格好となった。彼らは身内である京子さんを責めた。無理 を通して狂人の子を生んだくせに、最後にまたいらぬ我を通して田 村を棄てた、という訳だ。 ﹁そうして、虎ちゃんが帰ってくるまで十年以上︱︱﹂ わたしは少しだけ、昔を思い浮かべた。石鹸を染みこませたスポ ンジで、腕をこすった。 ﹁わたしは、ずっとあの子を待ちつづけてきたのよ。舞、あなたが、 幼い頃からそうしてきたように﹂ ﹁む⋮⋮﹂ ﹁あの子が帰ってくるのはわかってた。わたしたちと離れて、彼が 生きていける訳もないから。ううん、これは何も、遺伝的な特質を 指してるんじゃないのよ。本家の男子が短命という問題については、 ・・・ ・・・ この山の霊薬が解決してくれてる。⋮⋮そうではなくて、宿命的に、 ・・・・・ 彼はわたしのものだから﹂ ﹁わたしたち、よ﹂ ﹁おなじことよ、舞。まったくおなじこと。ふふ、わたしはあなた、 なんだから﹂ ﹁何よ、それ﹂ みが 舞は半眼で、ぼやくように云った。 わたしは丁寧に、自分の身体を磨いていった。 ﹁下手に追いつめれば壊れるわよ。人なんて簡単にね﹂ 舞はだまった。そしてしばしの沈黙のあと、考え深い目つきをし て、こちらを見た。 977 ﹁叔父さんみたいに?﹂ わたしはこたえず、横目で、ちらりと舞を見た。 ﹁龍之介叔父さんがああなったのは家のせいよね。狂わせたのはお ばあ様で、殺したのはおじい様﹂ ﹁あの人は︱︱﹂ わたしはそこで、いったん言葉を切った。 どう説明したものか。適当な言葉を探し、首を左右へとふった。 にぎりしめたスポンジから、白い泡がもくもくと落ちた。 ﹁お母様は龍之介を愛していたわ。息子としてだけじゃなく、男と してね。そして彼を自分だけの物にした。自分の腕の中に閉じこめ ・・・・・・ たの。わたしはね、それでもかまわなかったわ。わたしは龍を弟と してしか見れなかったし、彼がそうじゃないってことも知ってた。 でもお母様はちがった。あの人は龍に狂ってた。わたしは、仕方な いと思った。これは我が家の業だし、それでふたりがしあわせなら ってね。でも龍は少しずつ心を病んでいった。彼はあくまでふつう の、やさしい、母思いの子だったから。⋮⋮結局、お母様が病で亡 くなった時、彼の心も死んだ﹂ 手をのばし、シャワー・ノズルをとった。カランをひねると、ぬ るめのお湯がいきおいよく噴き出た。わたしは身体についた泡を流 しながらつづけた。 ﹁やり方というものがあるのよ。加減というものが。ねえ舞、わた しの可愛い娘。これだけ狂った女がいて、誰も彼もが好き放題、欲 望をぶつけていったら虎ちゃんはどうなると思う? まちがいなく 潰れるわ。その点では、わたしもお父様が正しいと思ってる。だか 978 おやま ら、わたしは準備をしてきたのよ。外界に、この息ぐるしい御山の 外に、あの子のための別荘をつくったの。あの子のストレスを減ら し、そして逃がさないための揺り籠をね。彼の妻になるのは、わた ひと しとあなた、そしてわたしが手ずから選んだ女たち。それで十分よ。 あとはわたしたちが管理していけばいい。⋮⋮わたしはいい女を揃 えたつもり。あの子をなぐさめ力になってくれるような、そういう 相手をね。それでもあなたは彼女たちを気に入らないと云うの? あなたひとりであの子を独占して、ふたりでどこかへ逃げようと云 うの?﹂ 979 伯母と姉、田村母娘の場合 後編 その2 身体を洗ったあと、わたしたちはふたたび湯船へとつかった。 熱い岩風呂で存分にのぼせておき、それからおもむろに風呂を出 た。冷房のほどよく効いた脱衣場で、しばし休憩をとる。 ひろめの脱衣場は、光量を抑え目にしてあって、少々薄暗い。 ゆかた その中で舞は、冷房の真下、ちょっとした座敷のところに陣取り、 ドライヤーで髪を乾かしている。薄手の浴衣は、胸元がわずかに開 とう いて、その奥に可憐な桜色の実をのぞかせている。わたしはと云え ば全裸のまま籐椅子に座って、だらしなく四肢を投げ出している。 とし ﹁ああ、ちょっと酔ったかしら。なんだか頭がぼうっとする﹂ ﹁いい年齢してはしゃぐからよ。風呂で泳ぐなんて﹂ 舞はそっけない。 わたしは口をとがらせた。 とし ﹁またすぐ年齢のこと云って﹂ ﹁だって本当でしょう。今年でいくつだっけ、母さん。三十五? 三十六?﹂ ﹁十八歳、女子高生よ﹂ ﹁ああ、はいはい﹂ ﹁いわゆるJKね﹂ ﹁そんな、みっともなくおっぴろげてる女子高生なんていないわよ、 だいたい何よJKって。どこでそんな言葉覚えてくるのよ﹂ ﹁虎ちゃんが持ってたビデオにあったわ。﹃JKナンパ! ∼絶頂 中出し15連発∼﹄だそうよ﹂ ﹁あ、あの子っ⋮⋮! またそんなろくでもない物を買って︱︱﹂ 980 ﹁いいじゃない。男だったら誰だって興味あるものよ。⋮⋮ああい うのは男の生理なんだから、少しぐらい大目に見てあげなさい﹂ ﹁それはわかってるけど﹂ 舞は不満げな顔つきをした。 わたしは椅子から立つと、壁際の洗面台へ向かった。 横長の大鏡に、我ながら見事と思えるような、肉感的な裸が映っ た。わたしは鼻歌を歌いながら、いくつか気取ったポーズをとった。 舞が眉をひそめた。 ﹁やめて、エマニ○ル夫人のテーマ、やめて﹂ ﹁まずいわね、少し太ったかしら﹂ からだ 鏡に映った肉体を眺めて、わたしは眉をよせた。下腹をさわる。 舞が、鼻で笑った。﹁今さら﹂ わたしは舞を軽くにらみつつ、あらためて彼女の身体を眺めた。 にく ﹁しばらく見ないうちに、あなたもいい身体つきになったわね﹂ ﹁まあね、母さんみたいに余分な贅肉はついてないわ﹂ ﹁失礼ね⋮⋮。そんなものはないわ。あなたこそ肝心な部分が痩せ すぎなのじゃない﹂ 云って、わたしは舞へ近づいた。その形よい胸に手をのばした。 ﹁何、ちょっと、やめてよ。⋮⋮や、やめてったら。きゃっ﹂ ﹁うふふ、ほら、ちょっと母さんに見せてごらんなさい。どのくら い育ってるか見てあげるわ﹂ ﹁ちょ、ちょっと、どこさわってるのよ。おっぱい押しつけないで ⋮⋮⋮⋮あんっ。や、やあっ⋮⋮そこはダメったら⋮⋮んんっ﹂ 981 甘い声がもれた。 わたしは背後から娘を抱きしめると、浴衣をはだけさせ、乳房を まさぐった。 ﹁んっ﹂ ﹁敏感ね、やっぱり﹂ ﹁か、母さんっ、やめ⋮⋮!﹂ ﹁まだ処女なの?﹂ ﹁えっ﹂ ﹁やっぱり虎ちゃんとはまだ?﹂ ﹁な、何を﹂ 舞は口ごもった。 わたしは舞の手からドライヤーを奪うと、スイッチを切った。そ うしてそのまま、彼女を畳の上に引き倒した。﹁きゃっ﹂悲鳴があ がった。 ﹁チャンスはあったんじゃない? あの時、虎ちゃんが電話をよこ した日のことよ。あなたは夜通し高速を駆けて東京からここ上杜ま できた。そしてあの子と再会した。手紙と写真でしか見れなかった、 長年、恋焦がれた弟にね。その時、犯そうと思えばできたはずよ。 一緒に温泉宿に泊まったのでしょう? そこまでしておきながら、 どうして最後までしなかったの?﹂ ﹁そ、それは﹂ わたしの言葉に、舞の喉がぐっとふるえた。若々しい胸のふくら みが、呼吸とともに何度も上下した。濃い眉の下の目がこっちを見 た。 ﹁トラは失恋した直後だった。とてもそんなことができるような気 982 分じゃなかったわ﹂ ﹁だから抱かなかった?﹂ わたしは舞のそばに寝ころび、肘枕をしながら、彼女の頭をなで た。彼女の顔や首すじが、だんだんと紅みをおびてくるのがわかっ た。 ﹁抱けばよかったじゃない。無理やり。つかんで、押し倒して、犯 せばよかった﹂ ﹁誰かの代わりなんてまっぴらだわ⋮⋮﹂ ぶぜん 憮然とした面持ちで、舞は云った。 わたし ﹁トラは泣いてたの。泣いて、哀しんで、姉にすがってた。わたし はうれしかったわ。だって十年ぶりに会えたんだから。でも同時に 哀しかった。トラの涙はわたしに向けられたものじゃなかったから。 ⋮⋮母さんならどうする? 自分以外の女を想って泣く男を、それ でも無理やり抱ける?﹂ わたしは静かに首をふった。舞はうなずいた。 ﹁負けたと思ったわ﹂ ﹁負けた?﹂ ﹁そう、あの法月伊織って女に。あの十年間、トラの隣にいた幼な じみに﹂ 舞はくやしそうに唇を噛むと、腕で顔を隠した。 ﹁負けたっていいじゃない﹂ 983 す わたしは云った。舞のひたいにかかった前髪を、指で梳いた。 ﹁今、ここにこうしているのは舞、あなたなんだから﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁勝ち負けなんて関係ない。虎ちゃんの初恋が誰であるかなんてこ とも。そうでしょう、舞? わたしたちはここにこうしている。そ れが大事だわ。あの子とともに生きる。それだけがね。そのために わたしたちはこの十年を耐えてきたのだわ。⋮⋮舞、わたしの可愛 い娘。あなたはあの子の妻になるのよ。田村虎ノ介のね。それで十 分じゃない。それ以上必要なことなんて何もないでしょう?﹂ ﹁母さんも?﹂ じっ 腕で顔をおおったまま、その下から凝と上目遣いで見てくる。わ たしはうなずいた。 ﹁そうよ、わたしも⋮⋮。ダメ?﹂ ﹁⋮⋮ううん。ダメじゃ、ないわ﹂ 舞は考えこむようにちいさく溜息をついた。 ﹁わたしだって田村の女だもの。母さんの立場くらい知ってる。わ たしひとりのモノにできないこともね。ホントは、最初からわかっ てた。でも︱︱﹂ ﹁でも?﹂ 舞はかぶりをふった。そうしてかすかに苦笑を浮かべた。 ﹁母親と男を奪いあうだなんて、ぞっとしない話よ﹂ ﹁奪いあうんじゃないわ。共有するのよ﹂ ﹁似たようなものじゃない。要はライバルってことでしょ、わたし 984 と母さんは。正妻の座を争う﹂ ﹁あら、決めるつもり、それ?﹂ ﹁あったりまえでしょ。トラがハーレム築くのは、まあこの際仕方 ほんとう ないにしても⋮⋮。でも誰が正妻かははっきりさせるわよ﹂ ﹁勝負事でわたしに勝ったことないあなたが?﹂ ﹁はんっ。百回負けたって、最後に一回勝てばいいのよ。真実の大 勝負でね﹂ ﹁ふふ、そう⋮⋮そうね⋮⋮。いいわ、その勝負、受けて立ってあ げる。きっと勝つのはわたしだけれど﹂ ﹁云っててよ。吠え面かかせてあげるから﹂ にやりとし、舞は身体を起こした。 わたしもまた、それにつづいた。わたしは云った。 ﹁なら善は急げ、さっそくはじめましょうか、その正妻レース﹂ ﹁えっ﹂ 舞が吃驚いた顔をする。 わたしは浴衣を羽織ながら、軽く片目をつぶって見せた。 ◇ ◇ ◇ 人の寝静まった西棟は、静寂で満たされていた。 真っ暗な廊下には、かぼそい月明かりだけが薄く差しこんでいる。 わたしはその蒼い光の中を足音を殺して進んだ。 ほんとう ﹁ね、ねえ、母さん、真実にするの、今夜?﹂ 985 うしろから舞が訊いてきた。おびえる風に、おずおずと。まるで いたずらをとがめられないか心配してる子供のようだった。 ﹁いきなり今夜って云われても、心の準備が﹂ ﹁何を云ってるの﹂ わたしは語気を強めた。 おじけ ﹁わたしと勝負するのでしょう。あの子の恋人に。今さら怖気づい てどうするの﹂ ﹁べ、別に怖気づいてなんかないけど﹂ ﹁だったらもっと堂々としてなさい。女が当主に夜這いをかけるの は、うちの昔からの伝統なんだから、何も引け目に感じることなん てないわ﹂ ﹁いや、それもどうなのよ⋮⋮﹂ ﹁求めよ、さらばあたえられん、よ﹂ 云って、わたしは舞の手を引いた。舞の手は熱を持って、少しば かり汗ばんでいた。緊張が、その手から伝わってきた。廊下の角を 曲がる。客間の並んだ一角へと入る。虎ちゃんの寝室が視界に映っ た。 ﹁そろそろ濡れてきた?﹂ ﹁な、なんで﹂ ﹁知ってるのよ。生理が近づくと、ちょっとエッチなこと想像した だけでも、アソコがじゅんとしてくるでしょう?﹂ ﹁な、なんでわたしの周期知ってるのよっ﹂ ﹁おおきな声出さないの。⋮⋮あら﹂ 目的の部屋から数メートルというところで、わたしは歩みをとめ 986 た。いぶかしげに、舞が目を細めた。 ﹁どうしたの?﹂ ・・・・ ﹁これは⋮⋮どうやら先客みたいね﹂ ﹁先客?﹂ わたしは耳をすませた。 寝室からは、紅葉さんの嬌声が予定通りもれ聞こえてきていた。 ﹁ずいぶんとおさかんね﹂ ・・ ふすま その声の烈しさに、わたしは唾を飲んだ。狩野家当主の悦び具合 に、演技はまったくこめられてなかった。 さっ、と舞が動いた。 舞は寝室の入口まで駆けると、いきおいよく襖戸を引いた。ぱし んと、引戸が音を鳴らした。 ﹁な、何をしてるのよ、あんたたちはっ﹂ 舞が怒鳴った。 舞の目の前には、からみあうふたりがいた。 とろ 男はぎょっとした顔で、女の方は別段吃驚いた風もなく、完全に 蕩けきった表情で。 わたしは、娘の、今にも泣き出しそうな声につい笑みをもらした。 987 伯母と姉、田村母娘の場合 後編 その3 ﹁それで? お嬢様はなんと云ったのですか?﹂ 座卓に身をのりだしてくる佐智に、虎ノ介は今日、何度目になる かわからぬ溜息をついた。 虎ノ介の顔色はすぐれない。寝ていないせいか、その表情はいさ さかやつれて見える。 ⋮⋮まじわりを舞に見られての翌日。 朝食の時から、虎ノ介は上の空で溜息ばかりをついていた。自室 にもどってもそれは変わらず、今は愛人とも呼べる佐智の前で元気 をなくしている。 いつもと様子のちがう虎ノ介を心配し、佐智が部屋を訪れたのは 十分ほど前のことである。 うつ さまよ それから虎ノ介は、この押しの強い付き人によって、先夜あった 事情を問いただされている。 ﹁うぅ⋮⋮﹂ 虎ノ介はふたたび溜息をついた。 あんどん 無言で外の景色や、部屋のあちらこちらへ、虚ろな目を彷徨わせ た。 書院造の部屋は特段いつもと変わりない。 家具は少なく、座卓に座布団、それにちいさな行燈があるのみで きごう ある。床の間には枯れた味わいのする壺が置かれている。ちょっと かけもの した飾り棚と生け花用の小瓶もある。﹁不思善不思悪﹂そう揮毫さ れた掛軸もあった。小瓶には草花があざやかに生けられている。障 子のむこうを見れば、こちらは外を見渡せる全面の窓と板張りの空 988 間が部屋の畳に沿うようにしてある。 ﹁ぼっちゃま、お嬢様はなんと?﹂ 佐智の追求はしつこかった。 仕方なく、虎ノ介は先夜あったことを話した。 舞に怒鳴られ、叱られたこと。泡食う虎ノ介にかまわず、さらに 紅葉が行為をつづけたこと。そして敦子がとりなし、その場は解散 となったことも。虎ノ介は洗いざらい話して聞かせた。 ﹁何を云われたか、細かいところまでは憶えてないけど﹂ ﹁怒られた?﹂ 虎ノ介はうなずき、湯呑みに入った茶をのろのろと飲んだ。 ﹁すごく。あんな風に感情あらわにした姉さんははじめて見た。伯 母さんは心配するなって、そう云ってくれたけど﹂ おちつ それでもやはり彼は沈着かなかった。 姉の瞳に浮かんだ涙が忘れられなかった。結局、彼は一睡もしな うち よど いまま朝を迎えた。 胸の裡は重く淀んでいる。朝食の場に、舞も敦子もいなかったこ とが、その心情にさらに拍車をかけた。 虎ノ介は嘆息し、座卓へ突っ伏した。 ﹁ああ⋮⋮﹂ くるべき日がきた。こうした思いも実はあった。 いつか自分の女性関係を告白しなければならない。覚悟していた ことである。だがそれにしても昨夜はタイミングが悪すぎた。 989 セックスの最中。 よく しかも人妻である女と、母子相姦プレイしているところを見られ たのである。まず間違いなく、 ︵軽蔑をされた⋮⋮︶ こう云ってよかった。 ﹁荒療治なさったのですね、奥様は﹂ 佐智は普段と変わらぬ調子で云った。 ﹁荒療治? いったいなんのことです﹂ ﹁お嬢様のことですよ。あの方はいささか独占欲の強い人ですから。 ぼっちゃまのことも、自分の所有物のように捉えているフシがあり ます﹂ ﹁姉さんがですか?﹂ ﹁ええ、まったく見当ちがいもいいところです。それを奥様は正し たかったのでしょう﹂ ﹁はあ﹂ モノ ﹁ぼっちゃまはお嬢様個人のものではありません。ぼっちゃまは田 村の女すべてのものです﹂ ﹁⋮⋮えーと、それツッコミどころです?﹂ 佐智は首を左右へとふった。 めと ﹁ぼっちゃまも納得されたはずですよ。わたしたちの当主になると。 あの夜、あの神社で。あれは田村の女を娶る儀式ですから。つまり 結婚されたのです、ぼっちゃまは﹂ ﹁それだと重婚じゃないですか﹂ 990 はる ﹁重婚結構。ぼっちゃま、田村の一族は遥か昔より、そうして生き てきたのですよ。ですからぼっちゃまが紅葉様を抱くのは、これは もう仕方がないことです。わかりやすく云えば、今回のことに関し てぼっちゃまに非はございません。落ち度ゼロです﹂ わがまま ﹁でも姉さんは怒ってたんだ﹂ ほんとう ﹁お嬢様の方が我儘なのです。ぼっちゃまは責められるべきではご ざいません。このことはお嬢様自身、真実はわかってらっしゃるは ずです。誰と寝ようが、誰を妻にしようが、ぼっちゃまはけっして 悪くないと﹂ ﹁そんなこと︱︱﹂ ない。虎ノ介はこたえようとした。 どんな理由があるにせよ、男と女のつきあいである以上、そこに 信頼関係は必要となる。その例外が自分であるなど、虎ノ介は思わ いとこ なかった。恋に破れた痛みを知るのもまた彼という青年であった。 もっとも舞は虎ノ介の恋人ではない。ただの従姉である。だから舞 に責められる道理も本来はないのかもしれない。姉という立場から、 弟の不義理な仕様を叱った⋮⋮と考えられなくもないが、昨夜の様 子にはそうした気配も、 ︵少なかった⋮⋮︶ と、虎ノ介は見ている。 虎ノ介が舞から感じたものは嫉妬からくる女そのものの怒りであ り、そうであるなら舞に虎ノ介を責める権利はない。ないのだが、 しかしそれはそれで奇妙に、 ︵わかる⋮⋮︶ 納得できるのである。 991 たとえばの話、虎ノ介自身、舞が恋人をつくったとして、それを 容認できるかと問われれば否だ。表面上は祝福するかもしれないが、 内心ではおそらく複雑な心持ちになるだろう。まして舞のセックス など見てしまったら、冷静でいることは不可能にちがいない。 そしてその時、仮に虎ノ介が舞を責めたとしても、やはり舞は、 その怒りを理解してくれる。そんな気がするのである。 ﹁⋮⋮姉さんはまちがってないよ﹂ 虎ノ介は低くつぶやいた。﹁別にトラは悪くないわ。おおむね佐 智の云った通りだもの﹂不意に戸口の方から声がかけられた。 ふすま なげし 虎ノ介ははっとし、ふり返った。 襖戸が、するするとひらいた。長押の下に舞が姿を見せた。 ﹁ね、姉さん﹂ 出した声はうわずっていた。 虎ノ介は喉をふるわせながら、座ったまま舞を見上げた。 ﹁おはよう、トラ﹂ 舞は虎ノ介を見すえると、そっけない口調で云った。 ﹁お、おはよう﹂ ﹁ちょっといい?﹂ ﹁え?﹂ ﹁入っても?﹂ ﹁あ、ああ、うん﹂ 舞は部屋に入ると、うしろ手に襖を閉め、 992 ﹁⋮⋮おはよう、佐智﹂ ちらりと佐智の方を見やった。 佐智はいつもの無表情で会釈をした。 ﹁おはようございます、お嬢様﹂ ﹁トラから話は聞いた?﹂ ﹁おおよそは﹂ ﹁わたしは間違ってる?﹂ ﹁はい﹂ 佐智に逡巡はなかった。 ﹁好きなら好きとおっしゃるべきです。抱いてほしいなら抱いてほ しいと、自分に正直に。云うべきことも云わず、ただ先を越された 悔しさでぼっちゃまを責めるのは理不尽というものです﹂ ﹁母さんにも云われたわ、それ﹂ 舞は苦っぽい笑みを浮かべると、戸口近くの柱へよりかかった。 ﹁慣れてないのよ、わたし、直球なのは﹂ ﹁もっぱら求愛される側ですからね﹂ 佐智は緩慢な動作で、湯呑みを口に運んだ。 舞は凝と考えるような目つきで、虎ノ介を見つめた。虎ノ介はな んと云ってよいかわからず、沈黙したままで舞を見ていた。 ﹁ねえ、トラ﹂ ﹁は、はいっ﹂ 993 不意に向けられ、虎ノ介は背すじを硬くした。 ﹁そんな緊張しなくてもいいわよ﹂ ﹁う、うん﹂ ﹁あのさ、トラってわたしのこと好き?﹂ ﹁え⋮⋮﹂ ﹁今のやりとりでわかったと思うけどさ、わ、わたしってその﹂ そこで舞はひとつ深呼吸をした。 息を吐き出し、たしかめるようにしながらつづきを口にした。 ﹁あんたのことが好き、なのよね﹂ たこ 思わず虎ノ介は目を見開いた。まじまじと見る。 ⋮⋮舞の顔は、茹であげた蛸のように紅く染まっていた。ばつが悪 そうに、怒ったような目つきで虎ノ介をにらんでいた。 ﹁たぶん、あんたも気づいてたと思うけどさ。む、昔から好きだっ たのよ。家族としてだけじゃなくて、その男として、ね﹂ ﹁ね、姉さん﹂ ﹁ホントは云わないつもりだったんだけど、まあ一応、ケジメって いうかさ。⋮⋮こういうことはちゃんと伝えておくべきかと思って﹂ ﹁う、うん﹂ ﹁い、従姉だし。姉だし。⋮⋮い、色々問題はあるかもしれないけ どさ。それでも、その、つまり﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁そ、そうなりたい訳よ、あんたと﹂ そこまで云うと、舞は己の身体をかきいだくように、口元を手で 994 隠した。 虎ノ介は押しだまった。 何を云うべきか。それは知っていた。だが言葉は失われていた。 ごちゃごちゃになった脳は機能を停止している。虎ノ介はうろたえ た様子で、目だけをきょろきょろと憐れに泳がせた。 そんな主人を佐智は横目で冷静に見ている。 ﹁な、何か云ってよ﹂ 舞がはずかしそうに云った。 虎ノ介はうつむいた。うつむき畳を見た。 ︵何を云うべきかはわかってる︶ ひと 迷う必要などない。夢の中で何度も口にしてきたことなのだ。 少年の時分から、虎ノ介はその女を心の支えに生きてきた。敦子 と彼女こそ、彼にとっての憧れだった。 虎ノ介は息を吸った。破裂しそうな心臓がひどくやかましかった。 ﹁す、好きです、おれも。姉さんのことが﹂ 虎ノ介はこたえた。 顔を伏せたまま。肺の中の空気を必死で絞り出した。顔が火照っ てくるのがはっきりと感じられた。視線を合わすことはできなかっ た。 ﹁︱︱︱︱﹂ 舞が息を飲んだ。 突然、蝉がやかましく鳴きはじめた。 995 佐智だけがいつもの無表情でいる。 ◇ ◇ ◇ 奥の部屋は蒸し暑い空気に満たされていた。 開けた襖の先から、ぬるま湯に似た空気が押しよせてくる。 虎ノ介は思わず顔をしかめ、舞の顔を見た。 舞もまた、軽く眉宇をひそめ﹁あっついわね、この部屋﹂吐き棄 てるように云った。 ﹁ここはエアコンがありませんからね﹂ 云いつつ佐智が襖や窓を開け放していった。裏庭の林から、涼し い、さわやかな風が吹きこんできた。 ﹁なんだって、こんなことにしてるのかしらね。仮にも当主の部屋 なんでしょ、ここ﹂ 云って舞は押入れの襖を開けた。 田村の先祖がこの地へ入ったのは天正の頃と記録されている。そ れより以前については詳しく知るよしもないが、いずれにせよ当時 の当主だった田村監物が、病弱だった第二子、図書助を病気療養の ためこの地へ住まわせたのがはじまりであるらしい。図書助は実の 姉とふたりで生涯を静かに暮らしたといい、以来この地は田村家の 枢要として、大切に守られ現在に至っている。 ﹁この屋敷も何度かつくり直されたそうですが、当主の部屋だけは 必ずここと定められているそうです﹂ 996 と、佐智は押入れから布団を引き出しつつ説明した。 ﹁そうなんですか? このちいさな部屋が?﹂ 虎ノ介が尋ねる。 佐智はうなずいた。 ﹁当主といっても、他家からの養子はふくまれません。ここはぼっ ちゃまのように、この家で生まれた男子だけが使うことのゆるされ た部屋です﹂ ﹁おれだけ? どうしてです?﹂ ﹁おそらくは配置の関係でしょう。敵に攻めこまれた時、ここは表 玄関から最も遠い位置になりますし、裏山に逃げこみやすいため安 全と云えます。かつてはこの山の構造上、ここへ攻めこむには東の 街道からしかこれませんでしたから。それが理由でぼっちゃまの部 屋は西棟の一番奥になっている訳です。伝統ですね﹂ ﹁空調がないのはなんでよ? 正直、暑くって敵わないわ﹂ ﹁空気を滞留させるためのようです。薬の使用のために⋮⋮それに ついては特に説明せずともよろしいでしょう。まあ、あとは風邪を 引かないように、でしょうか﹂ 宗家の男子は病弱な方も多いですし。 と、佐智は敷いた布団へ、丁寧にシーツをかぶせていった。 舞は﹁ああ⋮﹂と、ややげんなりした面持ちで嘆息した。 わたしたち ﹁いつもいつも天人の都合ね﹂ ﹁どうしても暑ければ、他に部屋をご用意いたしますが﹂ 佐智の問いに、舞はふるふると首を横へふった。 997 ﹁いいわ。ここが一番静かだもの。それにどうせこれから汗をかく ことになるんだし。⋮⋮ね、トラ﹂ 舞は虎ノ介を見ると、凝と熱っぽい目を向けて云った。手をのば し、虎ノ介の手をにぎってくる。虎ノ介もまたにぎり返す手に力を こめた。じっとり、掌に汗が浮かんだ。見つめあうふたりの呼吸は 早い。ふたりの間には、生々しい性欲がふつふつと煮えたぎってき ている。 ﹁ト、トラ﹂ ﹁姉さん﹂ 次第にふたりの距離が狭まってきた。たがいの唇と唇が近づく。 そして、ふたりの口がふれかけた瞬間︱︱。 ごほん。佐智がわざとらしく咳払いした。 998 伯母と姉、田村母娘の場合 後編 その4 ﹁何よ⋮⋮﹂ じろと、舞は佐智をねめつけた。 佐智はまったくひるんだ様子なく、 ﹁いえ、夜具の用意ができましたので﹂ ﹁そんなの見ればわかるわ。どうもありがとう﹂ ﹁はい﹂ こくり、とうなずき。佐智は布団のそばに正座した。 ﹁ちょ、ちょっと、なんのつもりよ﹂ ﹁何、とは?﹂ ﹁どうして、そこにいるのかって訊いてるのよ。というより、さっ きからしれーっとしていたけど! ずっと、あたりまえみたいな顔 していたけど! あなた、いつまでここにいるつもり﹂ ﹁はい、もうしばらく︱︱﹂ ﹁いなくていいわよっ。出て行きない、わたしとトラは、今から⋮ ・・・ ⋮きょ、姉弟の絆を深めるンだからっ﹂ ﹁エッチをされると﹂ ﹁そ、そうよ。聞いてたでしょ﹂ ﹁つまりセックス⋮⋮﹂ ﹁そうよ﹂ ﹁夜まで我慢が⋮⋮﹂ ﹁できないわよっ。べ、別にいいじゃない、もう恋人になったんだ から。昼にしようが、夜にしようが﹂ 999 ﹁わかりました、ではお手伝いを﹂ ﹁いらないっ﹂ がー。火を噴くいきおいで舞は吠えた。 対して佐智はあくまで冷静さをくずさずいる。 ﹁あのう、佐智さん。少しふたりきりにしてもらえませんか﹂ やんわりと、虎ノ介は云ってみた。 ﹁やっぱり人目があると、やりにくいですし﹂ けれども佐智はにっこり微笑むと。 いしくれ ﹁おかまいなく。わたしのことは石塊か何かと思ってください。邪 魔をするつもりはございませんので﹂ ﹁こっちがかまうのよ。そこにそうしてられるだけで邪魔なの﹂ 舞が云う。 佐智は少しだけ目を細く、鋭くした。 ひと ﹁お嬢様。虎ノ介様の女ともなれば、別の女に房事を見られるのも、 あきらめねばなりませんよ。仕方ないことです、これはもう。これ からは3P、4Pなどあたりまえ、場合によってはもっと増えるか もしれないんですから﹂ ・・・・ ﹁さっ、さんぴ︱︱﹂ ﹁そして、わたしははじめてでいらっしゃるお嬢様に何か助言をで ねや きればと、そう考えているだけです。殿方とつきあったこともない お嬢様ですから、閨でのやり方も詳しくないでしょう﹂ ﹁ば、ばかにしないでよ。そのくらいわたしだって勉強してる﹂ 1000 ﹁レディコミやハーレク○ンで、ですか? 甘い、甘いですよ、お 嬢様。あのような糖分過多なものでは不十分です。殿方を本気で悦 ばせるのであれば、もっと専門的な知識を身につけなければ﹂ ﹁せ、専門的?﹂ ﹁はい。すなわち陵辱、淫語、アヘ顔の三原則です﹂ ﹁りょ、りょう⋮⋮?﹂ ﹁そしてこの三要素に加え、より難度の高い触手、乱交、悪堕ち、 ボテ腹、ダブルピースの五要素をマスターしてはじめて真の床上手 と︱︱むぐっ﹂ 佐智の言葉は途中でさえぎられた。 虎ノ介が手で、佐智の口を押さえたからである。 何をする じゃねー、このすっとこどっこい執事。あんた姉さ ﹁⋮⋮ないをふうんでふは、おっふぁは﹂ ﹁ んに何教えるつもりだよ﹂ 虎ノ介が云うのへ、佐智は沈着きはらった態度で手を外した。 ﹁何って、正しいセックスの作法ですが﹂ ﹁ええい、何が作法か。んなマニアックな作法があるか。全部あん たの趣味だろーが﹂ ﹁そんなことは︱︱﹂ 云いつつ、佐智は虎ノ介の腕をひねった。自らの足を、虎ノ介の 膝へからめる。なすすべなく、虎ノ介は布団の上へ無様にころがっ た。 ﹁いだっ﹂ ﹁⋮⋮そんなことはありませんよ、ぼっちゃま﹂ 1001 がしっ。と馬乗りになる佐智。 そのしなやかなふとももに挟まれ、虎ノ介はまったく身動きがで きなくなった。仰向けで佐智を見上げる。佐智はにやり笑うと、や おら背広を脱ぎはじめた。鼻にかかった声でメロディを口ずさむ。 ﹁ぺーぺぺろぺー、ぺぺろぺー、ぺろぺぺー♪ ぺっぺっぺぺ、ぺ ろーぺー♪﹂ ﹁なんでエ○ニエル夫人のテーマなのよ⋮⋮﹂ 舞がつぶやいた。 佐智は機嫌よくブラウスを脱いだ。ゆさっ、と重そうな乳房がブ ラジャーにつつまれて出た。佐智はつづけてフロントホックのブラ ジャーをも外した。少し乳輪のおおきい、下垂型の巨乳がぬっとま ろびでた。 ﹁うっ﹂ 虎ノ介の喉がふるえた。 佐智は勝ち誇ったように、舞へ視線を向けた。﹁どうですか﹂と 前置きをして、 ﹁セックスというものは、五感すべてをつかうものです。そして殿 方はこのように、興奮を視覚と聴覚に多く頼っています。ですから、 あざとい科白や、下品なまでの痴態も、時に彼らをたのしませる手 助けとなります﹂ ﹁う⋮⋮。な、なるほど、たしかに説得力あるわね﹂ ﹁ない、ないよ、姉さん。騙されないでっ﹂ ﹁でも佐智、あなただって処女でしょう?﹂ 1002 舞はふたりのそばに座りこむと、顔を紅らめて訊いた。佐智の迫 女 です﹂ 力ある胸と、虎ノ介の起きあがりつつある股間を見比べる。 佐智がこたえた。 ﹁いえ、わたしは貫通済みです﹂ ﹁はっ? う、嘘﹂ ﹁嘘ではございません。れっきとした ﹁いつ、誰としたのよ﹂ ﹁それは⋮⋮﹂ 佐智はゆっくりと虎ノ介の目を見つめ、そのまま彼の頬をなでた。 きっ 虎ノ介の目が泳いだ。 舞の目が屹となった。 ﹁ああ、そう⋮⋮。そういうこと﹂ ﹁あ、あのね、姉さん﹂ ﹁紅葉さんだけじゃなくて、佐智ともしてたんだ、こういうの﹂ ズボンの下の主張へ、舞が手をのばす。熱しつつある怒張をふれ られ、虎ノ介はにごったうめきをあげた。 ﹁いっ、ね、姉さん、ちょっと待って、話を︱︱﹂ ﹁うるさい、この浮気者っ! あんたはだまってち○ちんおっ勃て てればいいの﹂ 舞は乱暴に虎ノ介のズボンへ手をかけた。ベルト、トランクスと 無造作に下ろしていく。いきおい、いきり立った怒張が舞の眼前へ とそびえた。 ﹁∼∼∼∼っっ! こ、これがトラの⋮⋮﹂ 1003 ごくりと喉を鳴らし、舞はわずかに身を反らせた。 イチモツは強い性臭を放っていた。 のみならず乾いた分泌物のよごれと、ちぎれたティッシュの繊維 が、べったりと幹全体に付着している。むけあがった尖端からは、 早くも透明な液がもれていた。 ﹁す、すごい。お、おち○ちんって、思ったより、思ったより⋮⋮﹂ ﹁迫力あるものでしょう?﹂ 舞はこたえず、こくこくと何度も首を上下させた。 なか ﹁これがお嬢様の胎内に入るのです。さ、お嬢様﹂ ﹁う、うん﹂ 立ちあがる舞。服を脱いでいく。佐智と一緒ということへの抵抗 感は、どうやらすでに薄らぎつつあるようだった。 虎ノ介は興奮した目つきで舞の脱衣を眺めた。 舞もまた、興奮に目を血走らせ、服を脱いでいった。そしてブラ ジャーとショーツのみという姿になると、 ﹁何よ、そ、そんなにわたしとしたい訳?﹂ 虎ノ介を見てうれしそうに云った。 虎ノ介は舞を見つめたまま、何も云わない。 ﹁息、荒くしちゃって。ふ、ふ、スケベなんだから﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁ねぇ、びくびくふるえてるわよ、これ﹂ 1004 舞は立ったまま、足指でもって虎ノ介の男を愛撫した。虎ノ介の 表情が歪んだ。 ﹁このグロテスクなので佐智を女にしたのね⋮⋮﹂ ﹁うう﹂ ﹁ねえ、紅葉さんはどうやって犯したの? こんな風に。こ、こん な風に烈しくやった訳?﹂ ﹁ね、ねえさ﹂ ﹁それとも、もっと強くこすったの? いきおいよくしたの?﹂ ﹁うああ﹂ ﹁こたえて、トラ﹂ 舞はブラジャーを取り去ると、その場へ座りこんだ。あわてたよ うにイチモツへ手をのばした。形のいい真っ白の双乳が揺れた。 そうした舞を満足げに見ながら、佐智は虎ノ介の腹上からどいた。 ﹁あは、あははっ。すごいわよ。おち○ちんの先から透明なのがい っぱい出てきてる。すごい。すごい青臭くてエッチな匂いのするの が。先っぽがぐっ、ぐって、とってもふくらんできてる⋮⋮!﹂ 虎ノ介は手を舞の方へと向けのばした。 舞はその手をつかむと、指をからめて繋いだ。 ﹁ねえ、トラ。わたしとしたい?﹂ ﹁え⋮⋮?﹂ ﹁こたえなさい。わたしとエッチしたいでしょ﹂ スリット 虎ノ介の腹上にまたがると、舞はぎらついた声で云った。手ずか らショーツをずらし、その奥にある秘裂を見せつけた。 1005 わたし い ﹁こ、ここに。わたしのここに挿入れたいんでしょう? 姉さんの ここに。弟なのに、姉のこと犯したくてたまらないんでしょう? 犯して、その袋に詰まったものをいっぱい出したいんでしょ﹂ 虎ノ介はうなずいた。何度も、何度も。彼はうなずいて見せた。 きょうだい ﹁いいわよ。挿入れさせてあげる。トラのモノになってあげる。ト ラの子供を生んであげる。でもいい? わたしとあんたは姉弟なん だから。これはいけないことなんだからね。ゆるされない、禁忌な んだから。それでもその先に進むなら、ちゃんと覚悟が⋮⋮わたし たちの両方に覚悟がいるのよ﹂ 虎ノ介はそっと身体を起こした。 ﹁覚悟なら、あるよ﹂ ﹁そ、そう﹂ ﹁昔から。ずっと餓鬼の頃から、姉さんのものになりたかった。姉 さんを、あなたを自分のものにしたかった﹂ ﹁︱︱︱︱﹂ うる 舞の目が、潤んだ。顔をそむけ、ぼそぼそとつぶやく風に云った。 ﹁じゃあ、こういう時なんて云ったらいいか、わかる?﹂ 虎ノ介は深く息を吸うと、こたえた。 ﹁好きだ、姉さん。世界中の誰より愛してる。ゆるされない恋かも しれないけど、それでも﹂ 1006 直後、舞は虎ノ介に襲いかかってきた。 虎ノ介は押し倒されながらも、必死で舞の求愛にこたえた。 口を吸われ、シャツを脱がされながら、舞の身体をさわった。ふ とももをさすり、脇腹をさぐり、乳房をもんだ。髪を梳き、乳首を 噛み、首すじに舌を這わせた。 舞は虎ノ介の口といわず目といわず、あちこちへ、ひたすらキス をつづけ、強い力で虎ノ介の頭を抱きしめた。 やがて全裸で向かいあう頃には、ふたりの身体はたがいの汗と唾 でべとべとによごれていた。 熱く淀んだ空気が、狭い部屋の中へと充満し、ふたりの呼吸をく るしくしている。 ﹁トラ、ずっと好きだったよ﹂ 半ば呆然とした気色で、舞は虎ノ介にキスすると、舌をからめた まま腰をゆっくりと浮かせた。 虎ノ介は朦朧とした意識で、自らのペニスを眺めた。女の指に導 かれたペニスが女体の奥へと沈むのを見送った。 送りこまれてくる唾を飲みながら、彼はしとどに濡れたひだが、 亀頭をつつむのを意識した。ぬるり、すべるような感触とともに、 狭い膣口を引き裂く感触があった。 ︵熱い︱︱︶ 対面座位。 虎ノ介が最初に感じたのはこれだった。 うごめくひだがある。ぎゅうぎゅうと絞る筋肉のうねりがある。 身体の深奥から届く血の脈動もあった。だが何より彼に深く印象づ けたのは、その膣内の熱っぽさだった。 1007 一般に体表より少し高めとされる深部体温ではあるが、舞のそれ は、虎ノ介が今まで経験した女性のものと比べても、 ︵だいぶあったかい⋮⋮︶ のであった。 虎ノ介は舞の舌先を、己の舌先でからませ遊びながら、しみじみ と舞の膣を味わった。 しばらく舞は動かなかった。舞は全身をこわばらせたまま、静か に口づけを離した。 ﹁いっ︱︱﹂ と、舞の口から子供のような泣き声が出た。 ﹁いっったぁい︱︱⋮⋮﹂ 1008 伯母と姉、田村母娘の場合 後編 その5 ﹁痛い、何、これ。エッチって、こんなに痛いの⋮⋮っ?﹂ 引きつった顔で、舞はうめいた。 いきおいで挿入したはいいが、貫かれた痛みでそれ以上動けない という様子であった。 ﹁だ、だいじょうぶ、姉さん?﹂ 虎ノ介は気遣わしげな顔をする。舞は、 ﹁へ、平気よ。このくらい﹂ 無理やり笑って見せた。股間からはふたすじ、血の流れが虎ノ介 のふとももへとつたっている。 ﹁ヘーキヘーキ。平気に決まってます。女なら誰しもが通る道なの ですから﹂ こう云ったのは佐智であった。 佐智はいつの間にか全裸となってい、その姿で舞のうしろへと立 った。⋮⋮彼女の股間は、あふれ出た愛液でぐしょ濡れとなってい る。 ﹁さあ、お嬢様。休んでいる場合ではございませんよ。だまってじ っとしてても、ぼっちゃまはイケないのですから。⋮⋮それに後が つっかえてます。いそいでください﹂ 1009 告げて、佐智は舞のふるえる両肩へと手を置いた。 舞は、びくりと恐怖にひきつった顔でうしろをふり返った。 ﹁な、何を﹂ ﹁この痛みは女だけの特権ですよ。もっと存分に味わうべきです。 ほら、もっと腰をぶっつけて。烈しくぶっつけて。チ○ポ、ハメる のです、お嬢様。マ○コ、じゅぼじゅぼして。どんな風にお嬢様が おま○こアクメするか、佐智に見せてください﹂ 佐智は膝立ちの姿勢になると、背後から舞の身体をかかえた。そ うして無理やりに舞の身体を動かしはじめた。上下に。 いたみ 舞の長い黒髪が揺れた。 破瓜の苦痛に、舞はわなないた。 ﹁いだっ、いだっ! 痛いって、佐智、あんた何すんのよ、やめて、 ホントに! いっ、痛いんだから⋮⋮! こんなに烈しくされたら、 し、死んじゃう⋮⋮﹂ 歯を食いしばり、佐智に抗議する。その目には、先程とは別の涙 が浮かんでいた。 佐智はかまわず舞の身体を上下に揺さぶった。 舞の尻と、虎ノ介のふとももがぶつかり、ぺちんっぺちんっと音 を立てた。 ﹁おおげさですよ、お嬢様。そりゃあ最初のエッチなんて痛いです よ。痛いに決まってます。でもこれが女になるってことなんですか ら。我慢してください、お嬢様はクスリも飲んでませんしね。⋮⋮ いいじゃないですか。これこそが生の初体験です。生の味わいです。 それにほら、見てください。ぼっちゃまも気持ちよさそうにしてい 1010 ますよ⋮⋮?﹂ 佐智の言葉に、舞は泣きながら弟を観察した。 事実、虎ノ介は男根から生じる快感に酔いしれていた。ぎごちな い縦の動きと、きびしい責めつけ、それに舞特有の熱っぽさが彼を 追いつめていた。佐智が荒っぽく舞を動かすたび、彼は舞の涙とオ ナホールじみた動きに、罪悪感と嗜虐性のある快感を覚えていた。 ︵ああ、おれってやつは︱︱︶ 虎ノ介は自分がひどい極悪人のように思えてきている。 ﹁ト、トラ、気持ちいいの?﹂ ほとんど死に息の態で、舞は訊いた。虎ノ介はかすかな首の動き で肯定をした。 ﹁ご、ごめん、姉さん。おれだけ気持ちよくなって。こ、こんな、 姉さんは痛がってるのに﹂ 謝る。 舞はゆるゆるとかぶりをふった。 ﹁い、いいよ。トラが気持ちいいなら。いっ、痛いけど⋮⋮! 死 ぬほど痛いけど、ト、トラが気持ちいいなら⋮⋮わ、わたし⋮⋮ん んっ﹂ 涙まじりの鼻声で。舞はこたえた。虎ノ介の顔に手をそえる。 ﹁わた、しは⋮⋮んっ⋮⋮いっっ⋮⋮ト、トラ。トラあ⋮⋮っっ﹂ 1011 佐智は舞を休ませなかった。舞の身体をつかった器械的な運動を つづけてゆく。それは烈しさを増しつつ、徐々に甘いものをも舞の オナホール 啼き声に混ぜていった。 舞はうれしげに、自慰用具としてあつかわれている。 髪が、乳房が、全身が。 汗を散らしながら跳ねる。 結合部から、女の蜜が糸を引いてしたたる。 ﹁んっ⋮⋮あんっ⋮⋮あんっ⋮⋮んんっっ﹂ ﹁ね、姉さん、姉さん⋮⋮!﹂ ﹁トラ、トラ⋮⋮!﹂ ふたりの呼吸が早くなってくる。 佐智は、舞の耳を甘噛みしつつ、小声でささやいた。 ﹁少し⋮⋮よくなってきましたね?﹂ ﹁うん⋮⋮トラの、トラのが⋮⋮わたしを﹂ ﹁ええ、蕩かしていますね。それが女の悦びです、舞様。一度、こ れを知ってしまえば、女はもう男なしでいられなくなります﹂ ﹁そ、そうなの?﹂ ﹁ええ。そしてこれこそが、女のしあわせというものです。⋮⋮ほ なかだし わたしのおま○こに射精して と⋮⋮こう云うので ら、ぼっちゃまもそろそろ限界のようですよ。云ってあげてくださ い、お嬢様。 す。そうすればぼっちゃまは喜び勇んで膣内射精してくれます﹂ ﹁な、なかだし? ⋮⋮あんっ、あんっ⋮⋮あんっっ﹂ ﹁⋮⋮すごいですよ、ぼっちゃまの射精は。間違いなくお嬢様のこ とも絶頂に導いてくれます﹂ ﹁あんっ⋮⋮んっ、んん⋮⋮!﹂ ﹁ほら、ぼっちゃまもおつらそうです。もう限界、今がチャンスで 1012 す、やさしく許可してあげてください。これでぼっちゃまはお嬢様 のモノになりますから﹂ ﹁あ⋮⋮わ、わたしの﹂ 舞の声がふるえた。 虎ノ介は朦朧としながら、舞の胸にしがみついた。すでに虎ノ介 は限界であった。 ⋮⋮舞が尋ねる。 なか ﹁いきたい? トラ、わたしの、わたしの膣内でイキたい?﹂ ﹁姉さん⋮⋮姉さん﹂ だ ﹁うん、わかってる。わたしも好きよ、トラ。愛してる。⋮⋮いい よ、イって。わたしの膣内でいっぱい、浅慮せずいっぱい射精して。 子宮の、おま○この奥に射精して。姉さんを愛して︱︱﹂ その言葉はあだかも慈母のように、やさしく、やわらかだった。 虎ノ介は瞬間、すべての我慢を忘れ、絶頂へと達した。 脳天に電気が走り、白濁が輸精管を駆け抜けていった。噴きあげ た牡液は舞の子宮をしたたかに打ち、その熱い一撃によって舞もま た押しあげられた。虎ノ介は舞に抱きつかれながら腰をふるわせた。 射精はとめどなくつづいた。 どびゅどびゅ、何度も、何度も、虎ノ介は放った。 どびゅどびゅ、何度も。 ﹁トラっ﹂ 舞が叫んだ。 と同時、虎ノ介の眼前に花びらが散った。 真っ赤な、あるいは純白の花びらが辺り一面に舞い散っていた︱ ︱。 1013 それは地面を絨毯のように埋めつくし、さらには視界をおおうほ どにひろがり、ゆっくりと虎ノ介の前に散らばっていった。 どこかなつかしく思える︱︱。 そんな風景を眺めながら、虎ノ介は静寂に意識を手放した。 ◇ ◇ ◇ ・ ︱︱そして、そこに彼はいた。 ﹁よう﹂ ひとえ へこ と、その男︱︱若い二十四、五才に見える青年が、虎ノ介に声を かけてくる。 紺がすりの単衣に兵児帯を巻いている、いささか古くさい格好の 青年であった。あごに無精ひげを生やし、悪戯っ子のような目つき が印象深い。着物の下には何も着ておらず、胸元には青白い病人の ような肌がのぞいている。耳の裏から首元にかけて、何かで切り裂 いたような、赤い、おおきな傷跡がある。 虎ノ介は辺りを見回してみた。 白い部屋だった。 狭い二部屋のアパート。 あぐら どこか見覚えある殺風景な部屋に、虎ノ介は立ち、その目前に和 装の青年が胡坐をかいて座っている。六畳ほどの部屋は寒く、呼吸 をするたびに息が白く染まる。 ﹁ようって﹂ 1014 青年は人なつかしげな笑みを浮かべ、もう一度云った。 すそ 虎ノ介は青年をぼんやりと見、﹁何?﹂問いかけた。記憶に、そ の青年のことはなかった。 ﹁何、アンタ﹂ 虎ノ介は云った。 青年は吃驚いた風に、虎ノ介を見た。 ﹁何って⋮⋮﹂ すね 苦笑しながら、青年は膝を立て、くずした座りをとった。裾の下 に、毛深い脛がのぞいた。 ﹁おまえ、そんな口調だったか?﹂ ﹁え?﹂ ﹁あっちじゃもっと、やわらかい、好青年風だったろ?﹂ 虎ノ介はだまっていた。 相手が何を云ってるのか、彼はまったくつかめないでいた。 ﹁ああ、そっか。おまえの本来の心象にあわせてもどってるんだな。 四年前か、三年前か。⋮⋮それとも母親が死んだ頃か?﹂ ﹁何を云ってるんだ、おまえ?﹂ ﹁しっかし殺風景な部屋だな、ここは。いや殺風景というか、抹香 くせえというか。⋮⋮おれの時も相当ひどかったが、ここの辛気く ささにゃ負けるなあ﹂ ﹁誰だよ、おまえは﹂ 1015 すが 虎ノ介は目を眇めた。 がたがた、部屋の戸口が揺れた。 たたき ドアの隙間から風によって吹きこんだ雪が、玄関の三和土に粉と なって白く積もっている。窓は雪におおわれ、サッシの内側は硬く 凍りついている。台所は何も置かれておらず、蛇口の先もシンクに 落ちた水も、水分という水分が透明に固まっていた。 ﹁それにしても寒い、寒いな。なんか暖房ないのか。あ、あそこに ストーブあるな﹂ 青年が指差す。見れば虎ノ介のうしろ、奥の畳の部屋に、小型の 石油ストーブが置かれていた。 ﹁あれ、つけようぜ、あれ﹂ ﹁あれはダメだ﹂ ﹁なんでだ?﹂ ﹁灯油がもうない﹂ 虎ノ介はこたえると、奥の部屋へ行き、押入れを開けた。そこか ら薄い、すれてもう目の粗くなった毛布を二枚取り出した。 ﹁これ使え﹂ 一枚を青年にあたえると、虎ノ介は残ったもう一枚をとり自分に 巻きつけた。そして部屋の隅に膝をかかえ座った。 青年はうれしそうに毛布を羽織った。 ﹁しけてやがるけど、まあ、ないよりはマシだな﹂ ﹁文句云うならつかわなくていいぞ﹂ ﹁つかう、つかう。おまえがくるまで、ずっとふるえてたんだ。な 1016 んせこっちはこんな格好だろ。寒くって敵わなかった。昨日の最低 気温知ってるか? マイナス8度だぞ。日中でもマイナス3。こん な環境に暖房もなしとか地獄だ﹂ ﹁よく知ってるな﹂ ﹁ん?﹂ ﹁気温﹂ ﹁ああ、テレビで見たんだ。天気予報でやってた﹂ ﹁テレビ、まだついてたか﹂ ﹁昨日は見れたぜ﹂ ﹁そうか。今日はたぶんもう見れないぞ﹂ もがりぶえ ﹁なんでだ。おれ水曜は見たいのがあるんだ、時代劇と刑事物が﹂ ﹁電気が止められたんだ、ガスも﹂ 云って、虎ノ介は膝を抱きかかえた。 ごうっ、と叩きつける吹雪が烈しさを増した。どこかで虎落笛の ような音も空気を裂いて鳴った。 青年は困った風情で虎ノ介に向けた。 ﹁む。それだと風呂も入れねえなあ。じゃあ水道は﹂ ﹁水道はまだ出る﹂ ﹁じゃあいいな﹂ ﹁けど今は水抜きしてある。そのままにしとくと水道管凍るから﹂ ﹁水出ないのか﹂ ﹁⋮⋮元栓開ければ、出る﹂ ﹁なら問題ない﹂ ﹁ただ、お湯がないから⋮⋮蛇口周りの氷が溶かせない﹂ ﹁お湯は?﹂ ﹁ガスがない。それに沸かすための水も﹂ ﹁なんだよ、つまり全部つかえねぇってことじゃあねえか﹂ 1017 青年は天を仰ぐと、がっくりと肩を落とした。 虎ノ介は膝をかかえたまま、うつむいた。無言で畳の目を眺める。 すべてがどうでもいい。そうした気分が、胸の奥、じっとりとわだ かまっていた。 だん ﹁まあいいか、ないもんはしゃあねえ。ふん、さいわい毛布はある しな。暖がとれりゃ文句はねえさ﹂ 気を取り直すように云うと、青年は虎ノ介の前に近よってきた。 毛布でぐるぐる巻きになりながら、胡坐をかく。 ﹁それより。おまえ、舞としたんだな﹂ にやりとして云う。 虎ノ介はわずかに視線をあげ、青年を見つめた。 ﹁舞? 姉さんのことか?﹂ ﹁それ以外に誰がいるんだよ。舞つったら田村舞、あいつだけだろ﹂ ﹁ああ、うん。そうだな﹂ ﹁やったろ﹂ ﹁何を?﹂ ﹁セックスを﹂ ﹁?﹂ ﹁とぼけるなよ。おれはこの目でしっかり見てたんだぞ。おまえが 舞のアソコにナニを突っこんで、ヒィヒィ云わせてるところを﹂ その言葉で。 虎ノ介の心に、ひとつの情景が浮かんできた。真夏の田村屋敷。 その一室で肌を合わせる姉弟の姿が、光とともに。 虎ノ介はちいさく、ほんのちいさくだが微笑った。 1018 ﹁ああ、そうだった。おれは姉さんと寝た﹂ ﹁最高だったろう﹂ ﹁もちろんだよ﹂ ﹁今までで一番か﹂ ﹁ああ﹂ ﹁いいねえ、若いモンは。アレだな、今で云うリア充ってやつだな﹂ ぱしぱし、青年は膝を叩いて笑った。 ﹁まあ、舞が最高なのも無理はない。あいつはおまえと血が近いか らな﹂ ﹁そうなのか?﹂ いとこ ﹁ああ、だっておまえら姉弟だろ﹂ ﹁見かけ上はね。正しくは従姉弟だ﹂ ﹁あ? おまえ何云ってんだよ。舞は⋮⋮。ああ、そうか、あいつ ら隠してんだったな。そっか﹂ ﹁隠す?﹂ ﹁うーん、まあ、どうせあっちにもどっても、おまえは記憶してな いだろうし、おれが話してやってもいいか。⋮⋮あのな、吃驚くな っつっても無理だとは思うけどな、おまえな。おまえ、舞の弟だぞ﹂ ﹁知ってるよ、そんなことは﹂ ﹁そうじゃない。役割としての意味合いじゃなくって、実の弟なん だよ﹂ ﹁は?﹂ ﹁まあ、従姉ってのも別に間違っちゃないんだけどな。敦子の娘だ からな。だけどおまえら父親が一緒だからな。実の姉弟でもあるん だよ﹂ ﹁実の父、っておまえ、それさ﹂ 1019 虎ノ介は低く、うなるように息を吐いた。 ﹁田村の鬼子だから、あいつは﹂ 青年は寂しげな表情を浮かべた。 1020 伯母と姉、田村母娘の場合 後編 その6 ﹁鬼子って﹂ ﹁そう云われてたんだよ、舞は﹂ ﹁どっかで聞いたな、それ﹂ ﹁そうか。まあ、と云っても特にめずらしい話じゃあない。姉弟の 近親相姦なんてな。昔から田村はそうして繋いできた一族だしな﹂ ﹁そうなのか﹂ 青年はうなずいた。ほうと、白い息がもれた。 ﹁血さ、血、血だ。そういう血すじなんだよ、田村の人間は。近親 婚を繰り返して生まれた、身近な人間に欲情する変態一族なんだ﹂ ﹁ふうん﹂ ﹁天女とか、なんとか云ったってな。別になんのことはない、自分 に混じったほんのわずかな人間の血に焦がれて、永遠、輪廻の地獄 を彷徨ってるだけさ﹂ ﹁そうなのか﹂ ﹁吃驚かないな﹂ ﹁あまり実感ないな、結構どうでもいい感じもする﹂ ﹁たぶん、前に聞いたことがあるせいだな﹂ ﹁前に聞いた?﹂ ﹁ああ。おまえの記憶の深いところにあるぜ。初耳じゃない。今、 話の途中で記憶の検索が見えた。法月とかって大学の先生がおまえ に話してる﹂ ﹁そうか﹂ ﹁まあ、そういう訳だよ。おまえが実家に帰ってモテた理由もそれ。 別におまえが特別って訳じゃあない。みんな、分家だろうが遠縁だ 1021 ろうが、天人の血さえ入ってれば宗家男子に惹かれてくからな。お まえじゃなくてもいいんだ、宗家の男子ならな。⋮⋮事実上どれも 近親婚みたいなもんさ。自分で生み落としたかつての恋人と、また セックスしたいってだけなんだから﹂ ﹁なるほどな﹂ ひと ﹁いやにあっさりしてるな﹂ ﹁どうも他人事に感じる﹂ ﹁そうか﹂ 青年はごろりと、畳の上に寝ころんだ。 ﹁まあ、知ったところでどうしようもないけどな﹂ ﹁うん。⋮⋮ああ、なあ﹂ ﹁なんだ?﹂ ﹁おれと姉さんが、実の姉弟だって云ったな﹂ ﹁ああ﹂ ﹁つまりそれってあれか? おれと姉さんが腹ちがいってこと? 伯母さんが親父とやってたって?﹂ ﹁そうなるな﹂ ﹁そうか﹂ ﹁ショックか?﹂ ﹁少し﹂ ﹁安心しろよ、あれは、事故みたいなもんだったから﹂ ﹁どういう意味だい?﹂ 青年は指先で、自分のこめかみをとんとんと叩きつつ、 きちが ﹁おまえの親父はな、頭のイカレた気狂いだった、そのことは知っ てるだろ?﹂ ﹁ああ﹂ 1022 ﹁十代の頃から心を病んで、ずっと座敷牢に閉じこめられてた。暗 い、格子窓のついたな。⋮⋮まあ、めずらしくもないことさ。田村 の家じゃ、遺伝的に男子は病弱だったり精神疾患が出やすいんだ。 近親婚を繰り返してきた弊害だな。異常なくらい、とにかく死にや すいんだ。おまえもちょっと身体が弱いな﹂ ﹁そうか?﹂ ﹁ああ、それでもウチにしちゃかなりマシな方だが﹂ ﹁それって男子だけに?﹂ ﹁男子だけだ。女子に異常は出ない。天女の血だな、その辺うまく できてる。やつらは何しようが、痛まないし、傷つきもしないよ﹂ ﹁すごいな﹂ よおう ﹁ああ、すごいんだ。才能もあるしな。おれたちとはちがう。⋮⋮ で、おまえの親父も御多分にもれず、田村の余殃を背負ってた。あ いつは心のよりどころだった母親を失うと、ひどく落ちこんでな、 自暴自棄になってばかな真似を繰り返した。他人を傷つけたり、死 のうとしたり、な﹂ ﹁それで母さんをレイプしたんだろ﹂ ﹁そうだ、それだけじゃない、てめえの姉も犯した。薬で頭がばか になってやがったからな。本来は短命を矯正するべくつくられた神 森山の霊薬だが、使い方を間違えれば逆効果になる。やつは姉と、 その時家で働いてた女中のひとりを強姦して孕ませた。それででき た子が虎ノ介、おまえと舞のふたりさ﹂ ﹁親父が、伯母さんを﹂ ﹁やつが京子を犯したのは、敦子を孕ませた後だ。鳳玄もさすがに まずいと思ったんだろう。二度目の間違いだ、厳重にやつを監禁し た。誰も近づけないようにしてな。京子にすがるようになってたあ いつは、好きだった女を傷つけたてめえと、その好きだった女と会 えなくなったことに絶望し、最期は首を吊ってくたばった﹂ ﹁自業自得だな﹂ ﹁そうとも﹂ 1023 青年は静かに云った。 ﹁だが、これでわかったろ。敦子はおまえの親父とできてたんじゃ あない。無理やり犯されただけだ。つまり被害者だ。田村龍之介は ほんとう どうやら血が薄かったらしくてな。敦子は興味を持てなかったらし い。だから敦子が真実に好きなのはおまえだけだ。いたたまれない ほどにな。知ってるか、おまえに母乳をやってた時、敦子は濡れて たぞ﹂ 青年は天井を見上げ、くつくつ煮立った声をあげた。 虎ノ介はつめたくなった手を毛布の中でこすりあわせた。白い息 を吐きながら云った。 ﹁ずいぶんと詳しいんだな、あんた﹂ ﹁まあな﹂ ﹁なあ、なんでそんなに詳しいんだい? あんた、いったい誰なん だ﹂ ﹁おれか?﹂ 青年はふてぶてしく、片頬を歪めて見せた。 ﹁守護霊さ﹂ ﹁守護霊?﹂ ﹁そうだよ、おまえの守護霊だよ﹂ ﹁ばかにしてるのか?﹂ ﹁そうじゃあない。本物の︱︱っと云っても、正直、本物かどうか 自分でも確信は持てないけどな。そういう形をした別のもんかもし れない。ただまあ、おまえの前にこうしているんだ。ってことは、 やっぱりそうなんだろうと思うよ。本物のご先祖様ってことだよ﹂ 1024 ﹁先祖だって﹂ ﹁ああ。知らないか、おれの顔、田村屋敷のどっかに遺影が飾って たりしないか﹂ ﹁知らない、見たこともないよ、アンタの顔なんて。だいたいあの 家じゃ、男の数自体少ないだろ。アンタがいつの人か知らないけど、 記録なんてきっと残ってない﹂ ﹁そっか、そいつは残念だな﹂ ﹁まあ、守護霊だっていうのはわかったよ。信じるかどうかは別に﹂ ﹁信じろよ﹂ ﹁でもなんで、おれの部屋にいるんだい? こんな何もない、うす らっ寒い部屋にさ。もっと天上から見守ってるものじゃないのか、 神様仏様って﹂ ﹁見守ってるよ。上からだろうが、下からだろうが﹂ ﹁禅問答はきらいなんだよ﹂ ぶ ﹁言葉遊びしてる訳じゃあない、実際そうなんだから。おれはどこ も みしょう いぜん にでもいるよ。実際の現実でもおまえのそばにいるし、こうして父 母未生以前の自己にも帰ってこれる。要はおまえが気づくか気づか ないかだ﹂ ﹁何を云ってるのかわからないよ﹂ ﹁頭の悪いやつだな﹂ ﹁そりゃ悪いさ、中学しか出てないんだ﹂ 虎ノ介は強く毛布を巻きかかえた。咳きこむ。少し、身体が冷え てきていた。 ﹁怒るなよ、おまえを責めてる訳じゃないんだ﹂ 守護霊と名乗った青年は身体を起こすと、ふたたび虎ノ介の前へ 向き直った。 ばしっと、凍った窓ガラスが音を立てた。 1025 ﹁おれが見えたってことはきっと先触れだよ、虎ノ介﹂ ﹁先触れ?﹂ ﹁そうさ、先触れだよ、虎ノ介。おまえの魂の汚染がいよいよひど くなってきたんだ。おそらく敦子と舞、ふたりとまじわった影響だ ・・・ よ。一気に進んだせいで、現実以外のモノが見えるようになっちま った﹂ ﹁現実? これが現実だろ、何云ってるんだ﹂ ﹁今のおまえにとっちゃあな。おれが云ってるのはあっちのことさ。 こんな凍えきった心象じゃない、おまえが必死で善の輪になろうと してるあっちさ。まあいい、ともかくおまえはおれが見えるように なった。こうなったら後は早い。だからおれは早めに伝えておく必 要がある﹂ ﹁伝える? 何をだい?﹂ ﹁いいかい、虎ノ介。よく聞いておけよ、他のことは忘れても、こ れだけは覚えておくんだ。いつか、この先に行って迷わないように﹂ と云って、青年は毛布の奥から出した手を、虎ノ介の腕に置いた。 ﹁よく聞くんだ虎ノ介、おまえはもうすぐ︱︱﹂ 青年が見つめてくる。 その目の中には不思議な輝きがあった。あたたかく、昏い、深淵 に似た色があった。虎ノ介は見惚れた。はじめて会ったはずのその 誰かが、何か忘れがたい大切な人の背を思い起こさせた。 ﹁その生をおえる。哀しくみじめで、みすぼらしい死を。そのこと をけっして忘れないでくれ﹂ ごうと。吹雪が、一段と強く戸を鳴らした。 1026 ◇ ◇ ◇ ﹁上場廃止? するんですか、玲子さんのトコ﹂ ﹁ええ、MBOでね。最近、どこも不景気でしょ、ウチものび悩ん でてね。ま、それ自体は別にいいんだけど、色々考えてみた時、ち ょっと長期的な方針を採ってやりたかったのよね﹂ ﹁⋮⋮ええと、どういう仕事をしてるんでしたっけ、玲子さんの会 社って﹂ ﹁企業向けのソフト開発よ﹂ ﹁IT関連会社ってやつですね。⋮⋮かっこいいな﹂ ﹁なんなら準くんもウチくる? 準くんなら一発で採用するわよ、 縁故採用﹂ ﹁ったく、聞いてよ、ひどいのよ、佐智ったらさ。まだ慣れてない わたしをうしろから強引にかかえてデッドリフトしたのよ。それも 何度も、何度もよ。信じられる? どうかしてると思わない、アソ コが裂けるかと思ったわよ、本気で。ねえ那智ってば、あなた聞い てる訳﹂ ﹁わ、わかりました。わかりましたから。後でわたしからきつく叱 っておきますから。ですから沈着いてください、お嬢様﹂ ﹁もうさ、那智もやられてみてよ、佐智のデッドリフト式初体験。 佐智の肉親として、わたしとおなじ痛みを責任とって共有してちょ うだい。虎ノ介には目隠しさせておくからさ、テキトーに佐智だっ て云っておけばわかんないでしょ﹂ ﹁え? ど、どうしてわたしがそんなことを﹂ ﹁腹いせに決まってるでしょ。わたしがあんたの処女喪失を見たい だけよ。虎ノ介にがっつんがっつんヤラれちゃってるところを、わ 1027 たしとおんなじ痛みを味わってもらいたいの。だから⋮⋮そうね、 今度の麻雀大会にはあんたも参加しなさい。佐智とペアで﹂ ﹁い、いやですよ、あのコは全ツしかしないんですから。ものすご いハンディじゃないですか﹂ ジュース ⋮⋮めいめいが、めいめい会話に花を咲かせている。 茶や清涼飲料水片手に、思いおもいのたのしみに興じている。 そうした中に虎ノ介は目を覚ました。 部屋には、冷房の涼しい空気が流れている。頬をなでるそよ風が ある。かしましい蝉の鳴き声もあった。 ﹁でね。その看護婦が結婚することになったのさ、くくっ、そして その結婚相手というのが、これまた傑作でね︱︱﹂ ﹁それって、前に僚子センセがお仕置きしたって子? へえ、結婚 したんだ﹂ こころもち 僚子のシニカルな笑いに、朱美が相槌を打つ。 虎ノ介はぼんやりと、よい心情のまま寝返りを打った。ひたいに、 やわらかな手の感触がふれ、彼は薄目を開けた。 1028 伯母と姉、田村母娘の場合 後編 その7 リビング そこは、実家へきてからいつも使っていた居間であった。 風通しもよく、縁側から少し離れた場所に、虎ノ介は布団で寝か されている。柱の時計は正午過ぎを指している。周囲の様子からし て、皆はちょうど昼食の後であるらしい。 うちわ 虎ノ介は身をよじった。顔を動かしてみると、枕元で敦子が団扇 をあおいでくれていた。 ﹁伯母さん⋮⋮?﹂ ﹁起きた? 虎ちゃん﹂ やさしく云う。 すそ 虎ノ介は敦子の膝へ手をのばした。その手を敦子が取った。 ﹁だいじょうぶ?﹂ ﹁ん⋮⋮﹂ ﹁暑くて倒れちゃったのよ、虎ちゃん﹂ ﹁ん⋮⋮﹂ もめん 目を閉じ、虎ノ介は声だけで応えた。膝を動かす。木綿の裾がふ くらはぎをなでた。虎ノ介は、自分が寝巻を着ていると知った。 ﹁涼しい?﹂ 敦子が問う。虎ノ介はちいさくうなずき、甘えた仕草で正座する 敦子の膝へ顔をすりよせた。 1029 そっと、敦子は指先で虎ノ介の乱れた髪を直した。 虎ノ介はまた健やかな寝息を立てはじめた。敦子がそばにいる。 このことが虎ノ介を安心させていた。 ﹁起きたんですか?﹂ 近くにいた準が顔を向けた。と、他の女たちも会話を中断した。 敦子と、虎ノ介へ視線をあつめる。 敦子は目で否定した。 ﹁まだ、ちょっと無理みたい﹂ ﹁佐智が無理させるからよ﹂ 舞が半眼でぼやいた。しかし云われた当の本人は、 ﹁わたしがした後、また襲ったのはお嬢様です﹂ 平然としていた。 ア ﹁ははっ、それにしても初体験で相手が倒れるまでするなんて、舞 くんらしいことだね﹂ 僚子の言葉に、舞はいくらかバツの悪い顔つきとなった。 ﹁りょ、僚子さんだって、似たようなことしてきたんでしょ﹂ パート ﹁まあね、わたしは精力がありあまってる方だから。というより片 帯荘の連中はみんなタフさ。朱美さんも玲子も準くんも、放ってお けば一日中でもセックスしてる﹂ ﹁猿じゃない、まるっきり⋮⋮﹂ ﹁そうそう、猿も猿、みんな猿だよ。朱美さんなんて、いつだった 1030 か二日くらい寝てない状態で乱交にきてね。これがもう、ものすご ばら いのだよ、乱れまくってね。最後には虎ノ介くんが悲鳴を上げてね﹂ ﹁ちょ、ちょっと僚子センセ、そんなの暴露さないでよ﹂ ﹁僚子の夜勤明けも相当ひどいけどね﹂ あごづえ 玲子が後を引き取って云った。顎杖つきつつ、つめたい麦茶を舐 める。表情の多い目で、眠る虎ノ介をやさしげに見る。 ﹁大変なのは虎ノ介くんよ、まずエッチして、それから朝御飯つく って食べさせて、エッチして昼御飯つくって、それからまたエッチ。 あなたね、まず寝なさいよ、ロボットじゃないんだから﹂ ﹁三時間も寝れば十分だよ、睡眠なんて。それに玲子だって人のこ と云えた義理じゃあないぞ。こないだ出社直前に虎ノ介くんを犯し てたろう、トイレで。キミな、朝くらい寝かせてやりたまえよ。わ たしはあの時わざわざ自分の部屋まで用を足しにもどったんだぞ﹂ ﹁ち、ちがうわよ。あれは、わたしから誘ったんじゃなくて⋮⋮わ、 わたしがトイレ入ってるところに、虎ノ介くんが寝ぼけて入ってき たから。そしたら彼が可愛いのをおおきくさせてるでしょ、だから、 ああ出したいんだろうな、って、しょうがないから口で︱︱﹂ ﹁してあげてるうちにムラムラっときて、そのままエッチになだれ こんで二発絞ったのだろ? 聞いたよ、彼から。⋮⋮云っておくが、 男の子は睡眠中に勃起するのがふつうなんだぞ。だから寝起きに勃 起してるのも、別に性的に興奮してる訳じゃあない。寝てる最中に おおきくなってるからって勝手にフェラしたりペッティングするの はよくない﹂ ﹁そ、それは僚子だってしてるじゃないの﹂ ﹁ちょ、ちょっと待って。ストップ、ストーップ﹂ ふたりの云い合いを、舞はあわて制した。手をひろげ、沈着けと いう仕草をする。 1031 ﹁じゃあ何、み、みんなは、そんなしょっちゅうトラとエッチして たの?﹂ 僚子はしばし考えるようにしてから周囲を見回した。 ﹁そうだね、乱交ふくめて週三? いや四くらいしてもらってたか な、それぞれ﹂ 朱美、準、玲子の三人がうなずく。 ﹁虎ノ介さんを自室に泊めていい日が週一回なんです。基本的にそ の夜だけはそれぞれ独占できます。それからみんなでする日が一回。 で、残った夜は流動的になってます。でも虎ノ介さんの予定さえゆ るせば、たいてい誰かの部屋にあつまって遊んだりしてたから⋮⋮﹂ 準が説明する。 舞はくらり、よろめくと畳に手をつき、自らのひたいをおさえた。 ﹁な、なんなのよ、この人たち。この節操のない人たちは。全員倫 理観ゼロ⋮⋮っていうか、性欲の権化ばかりじゃない。あ、姉のわ たしだって、もうちょっと遠慮してたわよ。⋮⋮ちょっと、母さん、 ホントにこの人たちでいい訳? 絶対トラの寿命ちぢめてるわよ、 この人たち⋮⋮﹂ ﹁そ、そうねえ。わたしも、正直よくわからなくなってきたけど⋮ ⋮﹂ 敦子は苦笑いしながら、団扇を横に置いた。悪戯っぽい目つきで、 舞を見た。 1032 ﹁でも好きな人とだったら、たくさんしたいものよ、だって女です もの。舞だって、本当のところ虎ちゃんとたくさん繋がりたいでし ょう?﹂ ﹁む。⋮⋮ま、まあ、そりゃあ﹂ ﹁一般的に、性欲は男性の方が強いと思われてるけど⋮⋮実際は女 の方が底なしよね。男とちがってきりがないから﹂ ﹁そればっかりっていうのも、なんかね。トラのことを思って我慢 してきたわたしがばかみたいじゃない﹂ こう機嫌の悪い舞に、﹁いやいや﹂僚子は手をふってこたえた。 ﹁わたしたちだって、そんなにエッチばかりしていた訳じゃあない さ。ふつうに御飯食べたり、映画見たり、恋人っぽいっこともして るよ。勉強なんかも教えてたしね、そんな、うん、舞くんの考える ような不健全な生活は送ってない﹂ ﹁でもエッチはしてたんでしょ、週四で﹂ ﹁そこはまあ、わたしたちも多感なお年頃だよ﹂ がりがり、グラスに残った氷を噛み砕きながら云う。 たち ﹁わたしは元々性欲の強い性質だし、朱美さんも欲求不満で熟れた 肉体を持てあましていた。玲子はレイプされて喜ぶような重たい女 で、準くんもこれで意外に熱っぽいところがある。⋮⋮みんな彼が こく 大好き。⋮⋮ああ、たしかにこれはおもしろい人選だと思いますよ、 敦子さん。でも虎ノ介くんのことを思えば少々酷すぎやしませんか ?﹂ ﹁あら、あなたが一番率先してハーレムづくりにいそしんでくれた と、わたしはそう思っていたけど?﹂ 涼やかな目をすと細め、敦子は、この切れ者の女医を見た。 1033 僚子もまた﹁くくっ﹂笑いながら、敦子を見返した。 ﹁ええ。あなたの目的がなんであろうと、わたしはかまいません。 わたしは彼を愛していますからね。彼はいい子だ。そこにあなたの 思惑や事情は関係がない。⋮⋮とはいえ、そろそろはっきりさせて ほしいのも確かです﹂ ﹁はっきり?﹂ ﹁そうです、敦子さん。あなたはわたしたちをあつめ、彼のための ハーレムをつくった。彼を、久遠虎ノ介を手元に置くために。それ はいい。でもなぜそんな面倒なことを? 彼をそのままモノにする のではダメだったのですか。自分の娘をハーレムに入れて、しかし タブー ご自分では彼と関係を持たずにいるのはどうしてです? まさか近 つじつま 親相姦は禁忌だからなんて、今さら云わないでしょう? それでは 朱美さんが見たという、初日の話と辻褄が合わない﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ 敦子はすぐにはこたえず、思案にふけるような様子で、上唇を舐 めた。紅い舌がちろりとうごめいた。 ﹁初日って?﹂舞が怪訝そうに尋ねた。 敦子が口をひらいた。﹁本音を云えば︱︱﹂ ﹁わたしは、舞さえいればいいと思っているわ。それが別にわたし じゃなくってもね﹂ わずかに、僚子は吃驚いた表情をした。 ﹁嘘でしょう、それは﹂ ﹁いいえ、本当よ。わたしはね、間近で見てきているの。生きるこ ほんとう とに絶望した人間をね。⋮⋮悲劇なんて、この世界にはめずらしく ない。だから真実は大騒ぎするようなことじゃないのかも⋮⋮。け 1034 すえ れど他群の末裔はよく悲劇的な結末をむかえてきたから⋮⋮。どう してかしらね、男を守ろうとさまざまつくしてきた女たちだけれど、 すえ 一方で彼女たちは失うことも多かった。人に福徳をさずけるはずの 他群の霊力は、男の末裔をきらった。あるいは他群の血が、混じり つばき こんだ異物を拒否しているのかもしれない。だから彼女たちは男の ︱︱いえ自分たちのために、神山へ居を移し、森で採れる椿から霊 薬をつくった﹂ ﹁いったいなんの⋮⋮? 昔話ですか? 天人がどうの、という﹂ 僚子はなぜ今その話が出るのだ、といった風に首をかしげた。 敦子は寝ている虎ノ介の頭をなでた。 ﹁家はね、栄えたの。いつか誰かが望んだように。いつの世もそれ が人のしあわせ、天の女にとっては猟師の男も他の誰かも変わりな い。おなじ血の流れる、おなじ血脈の家を、彼女たちは約束通りお おきくした。人間に望んだ物をあたえる。彼女はそれだけでよかっ たから。けれども魂を繋がれた男に望みなんてありはしなかったの。 かいらい 彼は静かに生きていけさえすればよかった。なのに女に見初められ たことですべてを失い、結局は意思持たぬ傀儡になった﹂ ﹁話が見えませんよ、敦子さん。⋮⋮いったいそれが、わたしたち とどういう関係があると?﹂ 敦子はまぎらすように笑った。﹁うふふ﹂と気味の悪い、ふくん だ声が、口紅の濃い唇の間からもれた。 ﹁関係なんてないわ、これっぽっちもね。もう全部過ぎ去ったこと だもの。何を云ってみたところで、もはや繰り言にしかならない。 ⋮⋮そうじゃないの。そうではなくて、わたしはただおなじ間違い をしたくないだけ。この子がしあわせであればよかったのよ。仮に この子がわたしを選ばなかったとしても、娘を、舞を愛してくれる 1035 なら、それでかまわないと思う。あなたたちを愛してくれるなら、 それでいいと思う。わたしはこの子からたくさんの物をもらったか ら⋮⋮。たくさんの、数えきれないほどの幸福をもらった。そして、 わたしを抱きたいとも云ってくれた。ふふっ、こんなおばさんをよ ? だからその言葉だけで十分。わたしは満足しているの﹂ 敦子はそこで言葉を区切ると、その場にいる一同を順に見回した。 ひとり ﹁後はあなたたちに託すわ。舞や佐智、そして僚子さん、あなたた ちにね。あなたたちなら、この子を孤独にはしないでしょう。この 子と一緒に歩いていってくれるでしょう。そして、それこそがわた しのつくりたかったもの。わたしがこの子にあたえたかったものだ わ。京子さんの望んだ形ではなかったかもしれない。だとしても、 わたしはわたしなりにこの子のしあわせを考えてきたつもり。呪縛 からは逃れられなくても、人並みのあたたかい家を知ってもらえた なら、それだけでもこの子を呼んだ価値はあった。そう、わたしは 信じているから﹂ ◇ ◇ ◇ 夕方になってようやく、虎ノ介は目を覚ました。 疲れきっていたのだろう。無理もないことであった。ほとんど寝 ていないところに、つづけざまでセックスしたのである。それも気 温三十度を超す蒸し暑い部屋で。倒れても不思議ではなかった。 ︵いつか腹上死するな、おれ。間違いなく︶ あくび まだくたびれた気分を残しながら、虎ノ介は欠伸した。 1036 ⋮⋮居間にはひとり、那智だけが残っていた。 虎ノ介は彼に、他の家族についてを尋ねた。 ﹁皆様なら、ふもとの街に買出しへ向かわれましたよ﹂ こう、那智はかしこまった口調で云った。 ﹁買出し?﹂ ﹁今朝、島津様と氷室様がまいられましたので。おふたりのご逗留 のための準備、とのことです﹂ ああ、と虎ノ介は嘆息して。 ﹁僚子さんたちがくるの、今日でしたね。⋮⋮失敗したな、出迎え もせず眠りこけてた﹂ ﹁それについては、ご心配せずともよろしいでしょう。おふたりと も気にされたご様子はありませんでした﹂ ﹁そうですか?﹂ ﹁ええ、それに倒れたのは若様のせいではありませんから。佐智と お嬢様のせいです。聞けば午前中とはいえ、あの暑い日盛りにふた りでかかってレイプしたとか。⋮⋮それでは若様が気を失うのも当 レイプ という単語に、虎ノ介は 然です。申し訳ありませんでした。妹は、いえお嬢様も、後でわた しがきちんと叱っておきます﹂ ﹁あ、はい﹂ 那智の口からあっさりと出た 戸惑いながら返した。 虎ノ介は来栖那智という青年をよく知らなかった。この美貌の青 年はいつも穏やかな顔つきで、敦子や鳳玄のそばにいる。この程度 1037 いもうと の認識しかなかった。容姿は佐智と瓜ふたつで、若干、佐智よりも 男性的に見える。見た目だけで云えば、これはもうはっきりと美女 で、男と見るのはむずかしい。物腰もやわらかい。このような那智 が平然とセックスについて語るのは、虎ノ介にとっていささか気恥 ずかしいことと云えた。 ﹁あの︱︱﹂ 言葉を選びつつ虎ノ介は那智を眺めてみた。 ﹁何か?﹂ ﹁もしかして那智さん、ずっといてくれてたんですか、ここに?﹂ ﹁そうですね。寝ていた時のご様子からして、身体に問題はないだ ろうと判断しましたが、一応念のため、そばに付き添っておりまし た。⋮⋮ご迷惑でしたでしょうか?﹂ ﹁い、いやっ。全然、迷惑なんてことは﹂ ぶんぶん、顔をふってこたえる。 ﹁かえって、おれの方が迷惑かけちゃって、その、すいません﹂ 虎ノ介の言葉に、那智は破顔した。 ﹁迷惑だなどと。そんなことは一向にないですよ。そのようなお気 遣いは無用です。むしろ十年ぶりで、若様の寝顔をなつかしく拝見 させていただきました﹂ あいせき 那智は虎ノ介の前へ膝を進めてきた。 ⋮⋮その目には、何か妖しい、愛惜と狂熱とが揺らめいている。 虎ノ介は目をそらし、あわてて話題を変えた。 1038 ﹁そ、そういえば、お腹が空きました﹂ 1039 伯母と姉、田村母娘の場合 後編 その8 ﹁食事ですか? わかりました、すぐに仕度をさせます。少々お待 ちください﹂ 那智はふたつ返事で、すぐさま立とうとした。 ﹁源さんにたのむんですか? でも源さんはそろそろ夕食の仕込み になるのじゃあ?﹂ ﹁おそらく、そうとは思いますが﹂ ﹁なら、いいですよ。わざわざ二度手間かけさせるのも悪いですし﹂ ﹁ははあ、ですが夕食まではまだしばらくありますよ。それまで我 慢されるのですか?﹂ ﹁ううん、どうしようかな﹂ 虎ノ介は思案してみた。 夕食までは、ざっと三時間ほどある。それまで腹の虫を抑えられ る自信はなかった。もちろん田舎の山奥のこと、近場にコンビニや 弁当屋などない。 ﹁くだものじゃ物足りない気分だしな﹂ ﹁それも仕方ありません。若様は昼食を摂っていないのですから。 気にしないでいいと思いますよ。源三さんもそれが仕事なのです﹂ 那智が云うのへ、虎ノ介はちいさくかぶりをふると﹁自分でつく みは るか﹂とつぶやいて、布団から立った。 那智が、目を瞠った。 1040 ﹁つくる? 若様が食事をつくられるのですか?﹂ ﹁厨房、借りていいですか﹂ ﹁そ、それはかまいませんが⋮⋮。若様、料理ができるのですか﹂ ﹁料理なんて云えるほど、おおげさなものじゃあないですけど﹂ 虎ノ介は布団をてきぱき畳むと、居間を後にした。そのうしろを 何やら愕然としつつ、那智がついてくる。 ﹁わ、若様﹂ ﹁いやあ、暑いですね、今日は。山なのに、三十度越えるんだもん な。朝晩はさすがに涼しいですけど。あ、厨房ってこっちでしたよ ね?﹂ しゃべりつつ廊下を進んでゆく。廊下の、つやのある板張りがか すかに足音を立てた。 ﹁若様﹂ ﹁はい?﹂ ﹁若様は料理を?﹂ 再度、那智はたしかめるように訊いてきた。﹁ん⋮⋮﹂虎ノ介は 視線を前に向けたまま軽く顎を下げた。 ﹁自己流ですけど﹂ ﹁ではアパートの皆様︱︱恋人の方々にふるまっていたというのは、 若様の手料理だったのですか﹂ ﹁え、え、恋人?﹂ ﹁ちがうのですか? 島津様や火浦様は、若様の恋人だと⋮⋮そう 聞いたのですが﹂ ﹁だ、誰がそんな⋮⋮﹂ 1041 へどもど、うろたえる虎ノ介に、那智は平然とした態度で云った。 ﹁それは奥様が云っておられましたが。火浦様に水樹様、島津様、 氷室様︱︱。全員、虎ノ介様の妻になられる方だと﹂ ﹁う、そ、それは﹂ 虎ノ介はうめいた。 ﹁それ、もしかして姉さんも?﹂ ﹁ご承知です。先刻もそのことについて語っておいででした。⋮⋮ ど、どうされました、若様、なぜそのようにふるえておられるので すか。だいじょうぶですか、しっかり︱︱﹂ 虎ノ介の目に、般若のような舞がよみがえってきた。 虎ノ介は那智に背をなでられながら、しばらく、生まれたての小 鹿のようにふるえた。 ◇ ◇ ◇ 厨房へ着くと、虎ノ介はまず冷蔵庫へ足を向けた。 と云っても、食材など大量に保存してある業務用冷蔵庫ではなく、 厨房の隅に置かれた家庭用の方である。日々、大勢の食事をまかな う業務用とはちがい、こちらは住人が個人的に使用している物で、 ジュースやおやつ、ちょっとした食材などが保存されている。 虎ノ介は、業務用冷蔵庫に納められた食材を使おうとせず、あく まで家庭用の方だけで何かつくろうと考えていた。それは専属の板 前である源三に遠慮をしたからで。那智は﹁どちらを使ってもかま 1042 たち わない﹂と云ったが、虎ノ介自身、料理をする者であったし、また 持ち場 をさわ 神経質な性質でもあったので、そこでのやり方についても自分なり の流儀と礼儀とを持っていた。自身に最適化した られたくない。そうした気持ちも知っていた。つまり最低限、線引 きはするべきだと判じたのである。うかつに手を出し、源三の仕事 に影響したりしては、 ︵困る⋮⋮︶ のであった。率直に云って、源三のつくる朝夕を一番たのしみに しているのは虎ノ介である。 もっとも田村家の厨房であるにはちがいない。 食材も食器も料理用の器具も。すべて田村家のふところから出さ れているのであって、これは当然ながら虎ノ介が使用したところで 問題ない。単に虎ノ介の心情として、 ︵使いにくい⋮⋮︶ と、いうだけの話であった。 ちょりつ いずれにせよ伊勢海老やヒラメなど、使いきれない食材も多い。 そう説明すると、虎ノ介は佇立するスリードアの冷蔵庫に向かっ た。家庭用とはいえ、こちらもそれなりに大型である。野菜やくだ もの、肉、魚など、食材もひと通りそろっていた。軽い料理であれ ば、十分な材料があった。 おさなご ﹁よし﹂うなずき、材料を吟味する。虎ノ介の目は、遊戯する幼子 のように輝いていた。 1043 ﹁スパゲッティにしようかな。スパゲッティ。ひさしぶりに食いた いな﹂ ﹁パスタですか﹂ ﹁簡単ですしね。それにほどよくチープなのがいい﹂ ﹁チープ、とは?﹂ ぜいたく ﹁忘れそうになるんですよ、ここのメシを食ってると、自分が庶民 だってことをね。おいしいけど、贅沢すぎる。舌が肥えてよくない﹂ 云いつつ、虎ノ介は取り出した食材を調理台の上に並べていった。 乾物のしまわれた棚から乾燥パスタの瓶を出し、ガス台に火をつ ける。火にかけた、水のたっぷり入った鍋に、塩をふたつまみほど 落とす。 こうした手際に、那智は興味深そうに見入っている。 ﹁このマッチで火をつけるコンロ、慣れないんだよな。⋮⋮よし﹂ ﹁味つけは何を?﹂ ﹁まずはペペロンチーノを一皿。後は⋮⋮どうしようかな。材料だ けで云えば、結構色々つくれそうですけどね。ツナとレタスか、辛 子明太子か、アボガドのクリームなんかもいいな﹂ ﹁二品つくる?﹂ うん、虎ノ介はうなずいて見せた。 ﹁だって那智さんも食べるでしょう?﹂ ﹁え?﹂ 那智はきょとんとして。 ﹁ああ、まさか、わたしにもつくってくださるので?﹂ ﹁そのつもりですけど。⋮⋮嫌でした?﹂ 1044 ﹁嫌だなんてまさか。でも、よろしいのですか?﹂ ﹁そんなの⋮⋮﹂ 苦笑が、虎ノ介の口元に浮かんだ。 ﹁おれひとりで食っても仕方ないですよ。メシなんてひとりほど不 味いものはないんだ﹂ 虎ノ介の言葉にはどこか実感がこもっていた。 那智はうなずいた。 しょうばん ﹁わかりました。では、ご相伴にあずかります﹂ ﹁はい、お願いします。よければ食べてやってください﹂ ﹁いいですとも﹂ にっこり、那智が笑う。 虎ノ介はこの笑顔を見てわずかに頬を紅めると、二、三度かぶり をふってから料理に取りかかった。 パスタを茹でている間に、フライパンにオリーブ油を引き、こま かく切ったベーコンをニンニクと唐辛子とで炒める。さらには別の フライパンを出し、こちらはバターでベーコンを炒め、そこへパス タの茹で汁を加えつつ、別のボウルにすりおろしたチーズ、卵黄を 用意して、 ﹁苦手なものってあります? アレルギーとか﹂ と、那智が首を横にふるのを確かめてから、これらの具に、好み ペペロンチーノ カルボナーラ に茹であげた少し細めのパスタをからめ、最後に黒胡椒をふった。 十分とかからず、ニンニクと唐辛子、そして卵とチーズのそれが、 ふたりの前に引き出されてきた。 1045 虎ノ介はうれしげに鼻をうごめかすと、冷蔵庫からワインとビー ルを出し、皿と一緒に配膳盆へ乗せた。﹁涼しいところで食べまし ょう﹂ 那智は無言でうなずき、盆を取りあげた。 およそ二時間、那智は虎ノ介と一緒にいた。 その間、ふたりは料理に舌鼓を打ち、酒を飲み、あるいは他愛な い世間話などに興じた。 虎ノ介のつくった皿はおおむね好評で、とりわけ那智は生クリー ムを使わないカルボナーラを気に入ったらしく、たちまち自分の分 をたいらげてしまった。虎ノ介が自分の食べかけの皿を示して、 ﹁よければ、こっちも食いますか?﹂ きらきら つ と訊くと、﹁よいのですか?﹂目を煌々とさせ喜ぶ。虎ノ介は皿 ごと那智に渡し、自分はグラスにビールを注いで、そちらに専念し た。 ︵おれの周りには健啖家が多い⋮⋮︶ こう、ひそかに考えたりもした。 ◇ ◇ ◇ 那智が席を立った頃には、虎ノ介はだいぶ酔いが回っていた。 彼は少し酔いを醒まそうと、飲みかけのビールを手に、屋敷の前 庭に面した部屋へと行って、そこの縁側へ身体を落ち着けた。縁側 1046 に寝そべり、火照った身体を風にさらしていると、にごった意識が 次第に澄んでくるのがわかった。 周囲には淡い夕闇がただよっている。 裏の森ではひぐらしが合唱をはじめている。 ︵ああ、どうしておれはこうだろう︶ 山の稜線へ沈む残光を眺めながら、虎ノ介はぼんやりとつぶやい てみた。 ⋮⋮寂しい気分があった。 青年らしい憂鬱が、彼の心をとらえ離さずいた。 前に前に勇気を持って生きてゆく。 一歩ずつ、自分の新しい人生を確かにしていく。 いのち こうした決意を胸に燃やすたび、彼は自己の内部から芽ぐんでき た若々しい生命と、それを阻害する何かの間でくるしんだ。得体の 知れぬ衝動に。自分を責め、ばかばかしいと知りつつも、身悶えし た。 敦子をあきらめられなかった。 伯母への恋情と肉欲。 社会的にも法律的にも許されざる不徳に相対するに際し、虎ノ介 はきわめて常識的であった。無力で、善良で、憐れむべき者であっ た。かつて、いくつかの肉親争闘を見てきた青年にとって、それを 引き起こしかねない近親相姦は、およそはっきり悪と呼んでさしつ かえない。だが女を知り、憧れだった舞とまじわってなお︱︱否、 舞を知ってなおさら、虎ノ介は敦子を抱きたくなった。心の深いと ころが、舞とその母親に惹かれた。 虎ノ介は沈んだ。 1047 は 逃げたい。どこか誰も知らない遠くに行きたい。そうしたことを ずっと考えた。 はやし 彼はいつも何かに羞じているような自分を殺してしまいたかった。 くさきり 蛙が、どこかで鳴いた。 ふもと 草螽斯の、﹁ぎぃん⋮﹂というノイズもはじまった。 かね 祭りでもやっているのか、麓にほど近いところの集落からは囃子 と、民謡調の踊り歌が聞こえてきた。笛と太鼓、鉦の響きも、風に 乗って届いてきた。 どこかなつかしいそれらに耳をすませ、虎ノ介は寝返りを打った。 折りたたんだ座布団を枕に、仰向けになって目を閉じた。 薄暗い縁側にはひとり、虎ノ介だけが残されている。 ど、ど、どん。 ど、ど、どん。 太鼓の音が響く。 こずえ 蚊取り線香の匂いが鼻孔をくすぐる。 庭の木々がざわり、梢を鳴らす。 酒の進みは、すでにとまっていた。 ﹁何してんのよ︱︱﹂ 不意に。 頭上から声をかけられ、虎ノ介はそっと目を開けた。 そこに不機嫌そうな舞の姿があった。枕元に立ち、冴えざえとし た目で虎ノ介を見下ろしていた。 うすっくらやみ ﹁何してるの、こんな薄暗闇で﹂ 1048 ﹁お帰り、姉さん﹂ 虎ノ介は微笑し姉を見上げた。 ﹁ん。ただいま﹂ 舞はうなずくと、その場に腰を下ろし、おおきく息をついた。虎 ノ介はねぎらうように云った。 ﹁疲れてるみたいだね﹂ ﹁⋮⋮まあね。昨日から一睡もしてないんだもの。あんたと一緒よ﹂ ﹁だいじょうぶ?﹂ ﹁あんたこそ。もう身体は平気なの?﹂ ﹁うん、もうだいじょうぶ﹂ ﹁こんなとこに寝て、身体痛くない?﹂ ﹁平気だよ﹂ ﹁蚊、刺されてない?﹂ ﹁線香、焚いてるから﹂ ﹁昼間は悪かったわね、無理させたわ﹂ ﹁気にしなくていい。姉さんこそ、ずいぶんつらそうにしてたね。 だいじょうぶ?﹂ ﹁別に﹂ 舞はぶっきらぼうに返した。 ﹁たいしたことないわ、あんなの﹂ きょうり 虎ノ介は舞との睦み合いを胸裡に浮かべ、とてもそんな風には思 われなかったが、しかしそれ以上は追求もしないでおいた。あまり 突っこんだことを訊けば機嫌が悪くなる。このことは普段の経験か 1049 ら身に沁みていた。 ﹁⋮⋮みんなは?﹂ ﹁客間で御飯食べてる。みんな、アンタのこと気にしてたわよ﹂ ﹁僚子さんと玲子さん、きたって?﹂ ﹁ええ。後で顔見せてあげなさい。ずいぶんと話したがっていたか ら﹂ ﹁わかった﹂ ﹁なんだって、こんな端っこの部屋で寝てるのよ﹂ ﹁夕涼み。ビール飲んでたんだ﹂ 中身の半分ほどになったトール缶をふって見せる。 舞は少しあきれた様子で、﹁弱いくせに﹂と云った。 ﹁お酒飲むんでも、明かりくらいつけなさいよ﹂ ﹁考えてたんだ﹂ ﹁何をよ﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ 虎ノ介はこたえず、別のことを尋ねた。﹁今日、祭り?﹂ 舞はおもむろにうなずいて、 よみや ﹁宵宮。天ノ宮のね。帰りによったから、一応食べ物とか買ってき たわ﹂ ﹁お土産? 何を買ってきたの?﹂ シャーピン ﹁えっとね⋮⋮りんご飴でしょ、それにチョコバナナと焼きそばと たこ焼き、それから餡餅。あ、後、屋台のじゃないけど、アイスも 買ってきたから。冷蔵庫に入ってるからね﹂ ﹁やった、チョコバナナ好きだ。ありがとう﹂ ﹁うん。⋮⋮で?﹂ 1050 ﹁で、とは?﹂ ﹁話のつづきよ。何を考えてた訳?﹂ ﹁たいしたことは﹂ ﹁とぼけないの。どうせまたつまんないことで悩んでたんでしょ、 あんたのことだから﹂ ﹁別に悩んじゃあいない﹂ ﹁じゃあ何を考えてたか、云ってみなさい﹂ ﹁昔のことを、ちょっと、さ﹂ ﹁昔?﹂ 虎ノ介はふたたび寝返りを打つと、庭の方に身体を向けた。 ﹁まだこっちに住んでた頃、こうしてこの縁側から、よくあの木を 眺めてた。あの椿の木をね。座って、足をぶらぶらとさせてさ﹂ ﹁トラの植えた木ね﹂ ﹁ここにいると色々なものが見えたよ。森や鳥や、空、玄関からや ってくる客や車なんかも見えた。畑で採れた野菜やくだものを持っ てくるお爺さん、毎週火曜になるとやってくる医者、離れに食事を 運ぶ手伝いの女の人。おれは姉さんを待ってた。姉さんが帰ってく る。それがたのしみだった。姉さんは時々、友達を連れてきて︱︱ そう、年上の髪の長い子と短い子だった。⋮⋮おれは人見知りでさ、 最初はふてくされてたな。姉さんを取られたみたいに感じてた。だ けど姉さんたちは、おれのこともかまってくれたろ。友達のいなか ったおれは、すぐにそれがたのしみになった。あの木戸をくぐって 姉さんたちが学校から帰ってくるのが、いつも待ち遠しかった﹂ 舞は口中でふくんだ笑いをすると、虎ノ介の顔をのぞきこむよう にして見つめた。 ﹁覚えてないの? あれ、来栖兄妹よ﹂ 1051 ﹁嘘だあ﹂ ﹁本当よ。ふたりもここに住んでたし、トラだってよく遊んでもら っていたじゃない﹂ ﹁そうだったかな﹂ ﹁そうよ﹂ ﹁そういう人がいたのは、なんとなく覚えてるんだ﹂ 確かな記憶はなかった。虎ノ介が屋敷を去ったのは小学校へあが って間もなくである。 舞はからかうような目つきをして、虎ノ介の顔をなでた。 ﹁ちいさい頃は可愛いかったわ。わたしが遊んでると、トラはいつ も、わたしの視界にちょこちょこと入ってきて、物陰に隠れながら こちらをうかがってきた﹂ ﹁そういう話はやめてよ。死にたくなるよ﹂ ﹁でも遊びもあまり上手じゃなかったのよね、体力がないから。サ ッカーも缶蹴りも、縄跳びも、雪だるまづくりも下手で﹂ ﹁餓鬼だったんだ﹂ あぐら 虎ノ介はむっくり身体を起こすと、胡坐を組み、舞の顔を見つめ た。 ﹁今なら体力あるよ﹂ ﹁そう?﹂ ﹁うん。姉さんが悦ぶくらいにはね﹂ 舞の目がす、と細められた。口の端がわずかに吊りあがる。妖し い情欲の火が、目の奥にぎらりと輝いた。 ﹁生意気な言い草ね﹂ 1052 ﹁今夜、部屋に行ってもいい?﹂ ﹁わたしと⋮⋮エッチしたいの?﹂ ﹁ダメ?﹂ ﹁別にダメじゃないわ﹂ ﹁じゃあ行くよ、姉さんの部屋に﹂ ﹁⋮⋮ふ、ふうん。そんなにわたしとエッチしたいんだ?﹂ 虎ノ介はこくり、うなずいた。 舞は上目遣いで虎ノ介を見ると、いくらかの沈黙ののち﹁いいわ ⋮﹂と云った。 ﹁そうね。じゃあ今夜は一緒に寝ましょう。わたしもね。ちょうど 考えてたことがあるから。でも場所はわたしの部屋じゃないわ。別 のところにしましょう﹂ ﹁別の部屋? 何故だい?﹂ ﹁やりたいことがあるのよ。はっきりさせたいことが。わたしたち の、ふたりの未来のためにね﹂ ﹁おれたちの?﹂ 舞は微笑むと、すばやく虎ノ介へ顔を近づけ、その耳元に唇をよ せた。 ﹁母さんの部屋に行く﹂ 腕を首に回す。舞は虎ノ介を抱き寄せると、きっぱりと力をこめ て云った。 ひと ﹁あの女は云ったわ。好きな男がしあわせならそれでいい、自分は たとえ選ばれなくてもかまわないってね。わたしは頭にきたの。あ んなふざけた、自分をごまかした嘘にね。だからこの際わからせて 1053 やろうと思う。無償の愛なんて不可能、到底わたしたちには持ち得 ない徳だって。ねえトラ、わたしは本当に頭にきてるのよ。トラ、 わたしの可愛い弟︱︱。だから決めたわ。わたしは今夜、母さんを あなたの女にするわ﹂ 1054 伯母と姉、田村母娘の場合 後編 その9 夜の十二時を過ぎた頃︱︱。 虎ノ介は足音をしのばせ、敦子の寝室へと入った。 それは舞から、あらかじめそう指示をされたからで。虎ノ介とし ては無断で女性の部屋へ入ることに相当な強い抵抗があったのだが、 舞はそうした彼の臆病さをも見越し、前もっていくつかの理由を持 たせ説得していた。 敦子のため。 つまるところ、こう云われてしまえば虎ノ介に反論はむずかしか った。 ﹁姉さん、きたよ﹂ 暗闇の中、手探りで進む。 部屋には一切の明かりがない。 広い、二十畳ほどの間に、甘ったるい媚薬の香りだけが濃く立ち こめている。エアコンは働いておらず、淀んだ空気の流れにかすか な息遣いだけがしめやかにある。 ﹁姉さん、伯母さん、どこだい⋮⋮?﹂ 小声で呼びかけ、虎ノ介は目をこらした。辺りを探りながら壁際 を歩く。 ﹁こっちよ﹂ 部屋の奥から舞の声がした。 1055 ・ 虎ノ介は声のした方へとすり足で進んだ。視界に舞の姿が映った。 ﹁姉さん⋮⋮?﹂ 舞は寝巻姿だった。 ・ 座った舞の横にはもうひとり、さかんに息を荒くし、もだえる誰 かがいる。 虎ノ介はしゃがみこみ、険しい目つきでにらんだ。⋮⋮人影は敦 子だった。 ﹁あっ﹂ 虎ノ介は思わず声を上げた。 反応するように、敦子の身体がふるえた。身をよじり、舞のうし ろへ隠れようとする。しかしその動きは舞にさえぎられ、結局はも じもじと膝を揺らすだけだった。 ふたり あわいろ 虎ノ介は窓際へとよった。急ぎ、障子を開け放した。 蒼い月明かりが落ち、母娘を淡色に照らした。 敦子が、手をうしろに縛られ布団へ転がっていた。 口には粘着テープを貼られ、声を封じられている。着ているのは 寝巻きの浴衣のみで、胸元ははだけ、迫力ある重たそうな乳房がゆ さり⋮と露出している。ほとんど全身が水に似た透明の液体で濡れ、 この粘り気ある液によって、浴衣が肌に貼りついていた。目元はく るしげに歪み、ひたいには玉のような汗が浮かんでいた。 虎ノ介は息を呑んだ。 敦子がいるのは当然である。敦子の寝室だ。そこに不思議はない。 そして舞が、虎ノ介ふくめた家族の関係についてなんらか︱︱場合 によってはひどくインモラルな話し合いをするつもりだというのも、 1056 これは事前の雰囲気から薄々察していた。 しかしそれにしても、舞がここまで乱暴な手段に出るとは、 ︵思ってもみなかった⋮⋮︶ 虎ノ介なのである。 ﹁ど、どうしたの、これ﹂ 虎ノ介はうろたえながら尋ねた。 舞は悪びれた風もなく。 ﹁ちょっとね。騒がれると面倒だから﹂ けろりとして云った。 ﹁め、面倒ってさ﹂ ﹁勘が利くのよ。なまじっか回りくどいことするより、腕力にモノ 云わせる方が確実なの﹂ と、舞は自分の採った単純な方法について語った。 それによれば、舞は敦子の部屋で待ち伏せ、風呂からもどってき た母親をいきなり暗がりから殴りつけたのだという。敦子は部屋に 入ってすぐ、何か様子のおかしいことに気づいたのだが、その時に はもう舞は獣のすばやさで彼女に襲いかかり、彼女の腹をしたたか 殴っていた。そうして悶絶させた後で悠々、縄で縛りあげたのであ る。 これには虎ノ介もあきれるよりなかった。 1057 ﹁山賊じゃないんだからさ﹂ 舞はふんと鼻を鳴らすと、むっつりとして。 ﹁あんたのためにしてあげたんでしょ﹂ ﹁おれのため?﹂ ﹁そうよ、それと母さんのね﹂ てのひら 舞は敦子を押さえつけたまま、掌ほどの小瓶を取り、その口を敦 子へ向けた。のろり、透明なローションが、敦子の首や肩、胸、乳 房、ふとももへと落ちていく。舞はそれを手で引き伸ばし、敦子の 身体の上に広げた。 舞の手がうごめく。 そのたび、敦子は美しい眉宇をひそめ、焦点の怪しくなった目を 虚空へと彷徨わせた。 この敦子の痴態に、虎ノ介は喉を鳴らし魅入った。 見てはいけない。これ以上はまずい。そうした思考とは裏腹に、 輝く肢体に釘づけとなった。 ﹁どう? ちょっといいでしょ、これ﹂ 舞はたのしげに敦子の乳房をつかんだ。 肉のかたまりが、もっちりと歪んだ。﹁ん゛ん゛⋮っ﹂くぐもっ たうめきが、敦子の鼻からもれた。 ところ このひと ﹁朧さんの会社で開発した媚薬ローション。濃いめに調整した強力 なやつよ。母さんの話じゃ、最大で通常のおよそ50倍程度の性感 を得られるんだって。かれこれ二時間はこうして使ってるから、も う頭の中、気が狂いそうになってる頃ね﹂ 1058 ﹁んん∼∼っ﹂ 敦子が、舞をにらみつける。 舞は﹁はいはい﹂とうなずき、敦子の乳房をもんだ。ヌルヌルの でしょ。さっきから聞こえて 乳首を指でしごき、転がし、さらには乳房ごと引っ張ったりした。 後で覚えてろ ﹁!? ふっっンン⋮⋮ッ!!﹂ ﹁わかってるって。 るし、云いたいこともちゃんと理解してるってば。いいわよ別に。 後で好きなだけ、拷問でもなんでもすればいいじゃない。甘んじて 受けてあげるわよ。あ、だけどエッチはトラ限定だからね? 痛い のも禁止。だいたいこれは母さんのためにやってることで、何も嫌 がらせしてる訳じゃないんだから﹂ 敦子は首をふった。必死に、足で虎ノ介を指した。 ﹁何? トラがなんだっての? ⋮⋮痛っ、痛っ、何よ、蹴らない でよ。トラが見てる? そりゃ見てるわよ。あたりまえじゃない、 見せてるんだから。痛っ、痛いってば! いーでしょ別に、見られ たって。今さらエロいのなんてどうってことないし、そもそもこれ がわたしたちの地なんだから。格好つけてイメージつくってた母さ んが悪いんでしょ﹂ ﹁お、おれ、もどるよ﹂ 虎ノ介は目をそらして云った。 敦子の懸命な様子と、舞のこれから出るであろう言葉に、彼は気 後れを感じた。 ﹁いいからいいから。いなさい。それにちゃんとこっち見る。ほら、 見るのよ﹂ 1059 舞は強い調子で告げると、敦子をしっかりと押さえつけた。その まま彼女の両脚をM字に開脚させる。 浴衣の割りひらかれた奥、ショーツも何もない秘奥が、はっきり と見えた。 ︵うわ︶ 虎ノ介は目を奪われた。 敦子のヴァギナ。 よそお 茂みの薄い、膣も肛門もしごくさっぱりとしたそれが、年齢のわ りに筋肉質なふとももの付け根に見えた。 申し訳程度に丘を彩る草原。 きゅっ、とすぼまった可愛げある肛門。 張りのある肉と、切れあがった谷が見事な土手。 かおり ひろう 貝のヒモに似た肉厚の美唇はぴったりと閉じて、貞淑を装ってい る。 きらきらと輝く液体は、ローションの甘い芳香に混ぜ、女の卑陋 な発情をぷんぷんただよわせている。 手入れされた花園。その美しい庭園が、舞が手を動かすごと、膝 とふとももとに連動し﹁ひくひく⋮﹂とふるえる。 虎ノ介は興奮した。心臓がエンジンのように吠え声を上げた。 舞はこうした虎ノ介を眺め、満足そうに笑った。 ﹁ふふん、興奮してるわね。⋮⋮はい、ご開帳。これがトラの見た かった、憧れつづけた母さんのアソコよ。どう? 結構普通でしょ。 トラは母さんを女の理想みたいに見てたから、幻滅したかな。でも 年のわりには使いこまれてないし、綺麗だと思うわ。オナニー狂い にしては綺麗な形してるわよね﹂ 1060 ﹁∼∼∼∼っ﹂ ホント ﹁ちょっと暴れないでよ、真実のことでしょ。嘘は云ってないわよ、 わたしは﹂ 云うと、舞はさらに敦子の股を大びらきにして、秘唇に指かけた。 ぐにぐに、陰核を指先でこねる。 ﹁ッ⋮⋮ッッ﹂ ﹁イジメるのは好きだけど、イジメられるのはきらいってさ、人と して問題アリだと思うのよね。そういうの放っとけない訳よ、娘と しては。それから自分も大好きなくせに、娘のために身を引く⋮⋮ みたいなのもね。正直、大っきらいなの。不戦勝とか、一番きらい だわ﹂ 敦子はかぶりをふりふり、顎で虎ノ介を指した。 舞はうなずいた。 ﹁虎ノ介次第だって云うんでしょ。無理強いはしないって。それも わかってるわ。でもね、母さんは自分の代わりにわたしを使ってる だけよ。代償行為としてわたしをトラに抱かせてるだけ。それで満 足した気になって本心をごまかしてる。そんなのってないわよ。少 しはわたしたちの気持ちを汲んでくれたっていいじゃない。トラの 気持ちをね。トラの方から母さんを口説き落とすなんて、無理に決 まってる。だってトラなんだもの。やさしいんだから、母さんにダ メって云われたら、それ以上踏みこめないに決まってるもの。叔父 さんがやったことを、誰より重く感じてるのはトラなのよ。そのト ためら ラに近親相姦なんて最初からできる訳ない。できないからくるしん でるんだわ。それを知ってるくせに母さんは躊躇ってるのよ。本当 は母さんの方から誘惑するべきなのに、お祖母様と同じになりたく なくて、手を汚さずいるのだわ﹂ 1061 ﹁ね、姉さん⋮⋮!﹂ 姉の容赦ない物言いに、虎ノ介は蒼ざめた。﹁もういい﹂そう云 おうとした。だが、その言葉は舞にさえぎられた。舞は斬りつける ようないきおいでつづけた。 ﹁わたしはそんなのゴメンよ。好きな人を傷つけようが、罪を犯そ うが、欲しい物は手に入れる。絶対にね。母さんにもトラの女にな ってもらう。約束したようにちゃんとこの子を共有して、わたした ちのどっちが正妻か決める。ふたりで子供を生んで、しあわせな家 庭をつくる﹂ ﹁姉さん﹂ ﹁母さん云ったわよね。手放せないのなら、せめてくるしみを減ら す責任があるって。なら母さんも抱かれるべきよ。この子の背中を 押して、一緒に地獄へ落ちるべきよ﹂ ﹁姉さんっ﹂ ﹁あんたも! いい加減はっきりしなさいよ、トラ。好きなんでし ひと ょう、母さんが。抱いて、犯して、自分のモノにしたいんでしょう。 わたしとこの女を両横に置いて、ずっと家族として暮らしていきた いんでしょう﹂ ﹁お、おれは﹂ ﹁わたしが気づいてないとでも思っている? わたしと母さんが、 あんたの気持ちに、声殺した姿に心をよせないと、本気で? 周囲 にいる者がなんにも知らないとトラは思うの?﹂ ﹁で、でも、それは﹂ ﹁そうよ、それは近親相姦になる。トラと母さんは甥と伯母で。世 間的にはゆるされない罪だわ。だけどそれがなんだというのよ。あ んたの心がそれで何か変わる訳? わたしと母さんの、あんたにか ける愛が何か失われる?﹂ 1062 舞の言葉は、次第に激した調子となってきた。 だんだんと、敦子のような、人を信服させる響きをおびてきた。 ぼう 虎ノ介は膝をつくと、茫と舞を見た。 さと 何を云うべきかわからず、力なく舞と敦子を交互に見た。 言葉を失った虎ノ介に、舞はやさしく、諭すように云った。 ﹁いいのよ、トラ。悩んでたのはわかる。くるしんでたのも知って る。叔父さんのことで自分を責めてたのも。でももう悩まなくてい いわ。わたしたちはあんたが好きだもの。あんたを憎んだりしない わ。あんたが母さんを愛してもかまわない。それが罪なら、わたし がゆるす。くるしいなら一緒にくるしむわ。だからトラ。もう心配 しないでいい。わたしと母さんに全部任せなさい。母さんの気持ち に応えてあげなさい﹂ ﹁応える⋮⋮伯母さんに?﹂ ﹁そうよ。母さんはあんたが好き。あんたも母さんが好き。だった らやることはひとつでしょ。さあ、やるのよ、トラ。⋮⋮母さんを、 犯しなさい﹂ その言葉は。 まるで脳髄をしびれさせるようであった。 思考を砕き、ひれ伏さすようであった。 人を支配し、鼓舞する言葉。 虎ノ介はよろよろ、膝立ちのまま敦子のそばへよった。 ﹁お、伯母さん﹂ ﹁はい⋮⋮母さん﹂舞は敦子の背後に回ると、うしろから敦子を抱 おちつ つと きしめた。﹁最高の場面よ、母さんの待ち望んだ、ね﹂ 敦子は、沈着こうと努めている風に見えた。感情の読めぬ目で、 凝と虎ノ介を見つめている。 1063 つみびと 虎ノ介は懺悔する罪人のようにうなだれ、敦子の前へふるえる手 をついた。 ﹁ごめんなさい。おれ⋮⋮おれ、伯母さんのことが好きです。いけ ないことだってわかってるけど、それでも伯母さんのことが好きで す。伯母さんと愛し合いたいって思ってる。自分でもどうかしてる おそれ って思うんだよ。父さんが、あれだけ迷惑かけて、なのに、おれま でこんなさ﹂ 虎ノ介の心には恐怖があった。 ふたりに見棄てられないかという怯懦があった。 だがそうした虎ノ介の心も、この時ばかりは意味を失っていた。 舞の、以前とはちがった力強さ。これが虎ノ介をも気づかぬうち に動かしていた。実際のところ、虎ノ介はほとんど導かれるままに、 伯母への愛情を告白した。 ﹁好きです。おれと、け、けっ、結婚してください⋮⋮!﹂ 母娘は⋮⋮だまって聞いていた。 うる 舞は満足そうに口の端を吊り上げ。敦子は哀しげな、しかしどこ か慈愛のある目を潤ませた。 敦子はやがてゆっくりとうなずき、両足を動かすと、自分から虎 ノ介の腰へとからめた。 ﹁伯母さん﹂ それは敦子のゆるしだった。 虎ノ介は顔を歪ませ、うつむいたまま目元を手でこすった。 舞は姉そのものの面持ちで、喜ぶ弟を祝った。 1064 ﹁よかったわね、トラ。⋮⋮母さん、トラの女になってくれるって さ﹂ ﹁う、うん﹂ ﹁ああもう、いい歳して泣かないの、みっともない﹂ ﹁な、泣いてはいない﹂ ﹁嘘ばっかり。ま、仕方ないか。ずっと憧れてたんだもんね。⋮⋮ でもいい? わたしと母さん、ちゃんと公平にあつかうのよ? わ たしだって、トラの恋人なんだから。夜も昼も、母さんと差をつけ ちゃダメだからね﹂ ﹁うん。わかってる。あ、ありがとう、姉さん⋮⋮﹂ ﹁いいわよ、トラのためだもの。弟のために骨を折るのが姉っても のでしょ﹂ 舞は莞爾として笑った。 くうき ﹁⋮⋮さて、それじゃあ早速エッチしましょうか。結婚記念にね。 いやもう、この媚薬のせいで、正直わたしもかなりきちゃってるし、 トラもつらいでしょ。あんた、もう思考能力ゼロっぽいしね。とり あえず、これからのことを相談するのは全部明日にして、今夜はエ ッチを︱︱﹂ こう舞が云いかけたところで。 敦子がぐいと身をよじり、何やらアピールをした。 舞は怪訝な顔つきで母親を眺めた。 ﹁ん? 何よ、母さん。まだ何か問題ある訳? 心配しなくても一 番手は母さんにしてあげるけど﹂ ﹁んー﹂ 敦子は肩をひねると、ロープでむすばれたうしろ手を舞に見せた。 1065 ﹁え? 何、もしかしてロープと猿ぐつわ外してほしいの?﹂ ﹁んー﹂ うなずく敦子。しかし舞はあっさり首をふると︱︱ ﹁ダメに決まってるじゃない、そんなの﹂ 言下に否定した。 ﹁えっ﹂ びっくり 虎ノ介は吃驚した。 敦子もまた目を見開き、娘の顔をまじまじと見た。 こいつ、何を云ってるのだ。敦子の顔にはそうした気分があらわ れていた。 そんな敦子へ、舞はくつくつ、くつくつと煮立ちながら舌舐めず りした。 ﹁やめてよ﹂ うち 舞の目には邪悪なものがはっきりと浮かんでいた。 虎ノ介の胸の裡を冷えびえとした風が吹き抜けていった。 ﹁やめてよね、母さん。わたしがこんなチャンス逃す訳ないでしょ。 何、甘いこと云っちゃってるのよ。今夜はずうっとこのままよ。身 動きとれない母さんを、わたしとトラで延々可愛がるんだから。朝 までね。⋮⋮さ、やるわよ、トラ。今日は無礼講だから、ガンガン、 ハードにいきなさい、ハードにね。人間あつかいしちゃあダメよ。 便器と思って、内臓がぐちゃぐちゃになるくらい烈しく犯すの。心 1066 ひと 配しなくたっていいわ、この女はトラが思うよりずっとタフだから。 ⋮⋮どうせ後でわたしもやられることだもの。今日はきっちり元を 取るわ。そうでもしないと割に合わないわ︱︱﹂ 1067 伯母と姉、田村母娘の場合 後編 その10 からだ 舞は小瓶を取ると、また敦子の肉体へローションをかけていった。 たらり。たらり。 多量のローションが肌を流れながら、へそや鎖骨、身体のいたる くぼみに、水溜まりをつくってゆく。 瓶が底をつくと、次に舞は、敦子の寝巻を剥ぎ取った。乳をもて あそんで、乳首を指先ではじいた。さらには女芯を割りひらき、増 めあな のり 粘剤でねばりつくそれを指でかき回したりもした。 ピンク色の牝穴は、見る間に、白い糊でよごれはじめた。 まばゆい、淫堕の光景が、代わるがわる虎ノ介の眼前へ引き出さ れてきた。 ﹁ンムムゥ⋮﹂ ローションまみれとなった敦子は、虚ろな目で呼吸を荒くしてい る。 低い、こもった声を発し、光沢ある全身をくねらせている。 たっぷりと量感ある胸は、ぼだぼだ、透明な液を落として踊って いる。 じゅうりん 虎ノ介はすぐにたまらなくなった。 じゅういつ すぐにでも襲いかかり、蹂躙したいと思った。 男ならば抗せない衝動が、マラを太く充溢させていた。 敦子を抱く。 それだけが彼の念頭にあった。 ﹁ふふ、イイ感じにキいてきてるわね﹂ 1068 舞は母親のヴァギナへ、深く中指を差し入れた。 弓なりに背を反らせ、敦子があえぐ。 獣のような呼吸が、ふさがれた口の奥で鳴った。 ﹁ンンッ⋮⋮! ンッ、ンンッ、オオ⋮⋮!﹂ はげ 舞は上機嫌で、指を動かしていった。 烈しい愛撫に、敦子の腰がうねった。 ﹁ほらほら。どう? キク? キクんでしょ? わたしの指でアソ コが気持ちよくってたまらないんでしょ?﹂ ﹁フンン⋮⋮ッ﹂ ﹁こんなに腰ふっちゃってさ。おっぱい、ぶるんぶるん揺らして。 本気アクメ したいんでしょ?﹂ おつゆもいっぱい飛び散らせてさ。気持ちいいんでしょ、アソコが。 もういい加減、 ﹁オ⋮⋮ンンッ⋮⋮!﹂ ﹁いいわよ、イって。娘の指でイっちゃって。大好きな甥っ子の前 で、はしたなくイって見せて﹂ 敦子は眉間にしわをよせ、顔を左右へとふった。険しい目つきで、 なぶる娘をにらんだ。 ﹁ん? まだ頑張る気なの。限界近いのに、よくやるわね。⋮⋮あ あ、もしかしてトラがいいのかな。どうせなら指なんかじゃなくて、 トラに抱かれてイキたい?﹂ 舞が問うと、敦子は何度も、首を上下させた。 舞はうなずき、舐め回すように敦子の身体を見た。蜜壷から指を 抜き、言葉を継いだ。 1069 ・・・・ ﹁なんだかんだで母さんも女ね。可愛いところがある﹂ ぶどう ぴゅっと。透明な蜜が、とば口でしぶいた。 舞は葡萄色の舌を伸ばすと、指先についた白いぬたつきをゆっく り舐め取った。 ﹁それもいいんだけどさ。その前に母さん、まずはトラのを可愛が おやこ ってあげてよ。痛いと可哀相でしょ、だからちゃんと濡らしてあげ て﹂ きつりつ こう云い、虎ノ介に服を脱ぐよう、うながす。 虎ノ介は云われるまま脱いだ。屹立した怒張が、母娘の前でぐん と上を向いた。 ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ふたり 母娘の息呑む気配が、虎ノ介にも伝わってきた。 虎ノ介が膝立ちになると、敦子は興奮で目を輝かせながら、足で ペニスをさわった。 白く、伸びやかな両脚。 しなやかなそれが、虎ノ介のすぐそばにあった。 平泳ぎの構えで、おおきく弧を描き、広げた股間を見せつけてい る。両足でつつむように足指を曲げ、やさしく虎ノ介をなで上げて いる。 ﹁うう⋮⋮﹂ 虎ノ介は腰をふるわせた。我から、分身を足へこすりつけた。 1070 敦子は勝ち誇ったような目つきで、繰り返し足を上下させた。 ︵結局、わたしが一番なのよね⋮⋮?︶ こう、敦子の目が云った。 ひと 虎ノ介は背筋を強張らせ、伯母の名を呼んだ。ローションでべと べとになった足裏に、裏筋と我慢汁とをなでつけ、幾度も愛する女 を呼んだ。 ﹁伯母さん⋮⋮敦子さん⋮⋮!﹂ その愛しげな響き。 切ない恋の呼びかけに、敦子はますます目をうっとりとさせた。 舞が、いささかムッとした風に口を引きむすんだ。 ﹁ちょっと⋮⋮。云ったそばから、ふたりの世界に入らないでよ︱ ︱﹂ 舞は敦子の胸をつかむと、乳首を強くねじり上げた。そしてもう 一方の手で、彼女の陰核へ爪立てた。 ﹁ッ∼∼∼∼∼∼∼∼!!﹂ さん ふたたび。敦子の全身が強くわなないた。 声にならない悲鳴が、障子の桟をふるわせた。 美しいおとがいが反り、膝が、がくがくと揺れた。 敦子の絶頂はすさまじく。重ねて彼女の股間からは液体がゆるや かに流れはじめた。 かすかなアンモニアの匂いと、こぼれる水音に、姉弟は顔を見合 わせた。 1071 ﹁あ、あらら。おつゆだけじゃ飽き足らなくて、今度はおしっこ? ⋮⋮うぅん、母さんてば意外と締まりが悪いのね。そんなんじゃ あトラにきらわれるわよ﹂ 冷笑する舞。 だが敦子にはそうした声も聞こえていないようであった。放心し きった様子で、小刻みにふるえている。舞はそうした敦子を眺めて から、手ぶりで虎ノ介に指示した。 ﹁いいわよトラ、そろそろ﹂ ﹁え、でも﹂ ﹁いいって、いいって。準備ができたと思やいいのよ。ほら、あん ただってもう元気いっぱいじゃない﹂ いれ ﹁ま、まあね﹂ ﹁挿入たいんでしょ﹂ ﹁うん﹂ ﹁なら、いいわよ。やっちゃいなさい。遠慮なしに、子宮がひっく り返るぐらい、ガツンと突っこみなさい﹂ 云われ、虎ノ介もまたその気になった。 舞の言葉通り、虎ノ介にも限界が近づきつつある。衝動を放ちた いという欲求が、むくむくと持ち上がってきている。 虎ノ介は伯母のふとももを抱え、やさしい手つきで、濡れそぼっ た花びらをなでた。 びくり、敦子の胸がはずんだ。 コンドーム ﹁あ、そう云えば、避妊具はどうする? いる?﹂ 舞が訊いてくる。 1072 虎ノ介は敦子と舞、ふたりの顔を交互に眺めてから、 ﹁くれるかい﹂ ひとつ、うなずいて云った。 ﹁ばっちいもんね﹂ スキン おお 舞は枕元に置いてあった箱から、避妊具を取り出すと、それをひ とつ虎ノ介へと放った。 虎ノ介はこたえず、受け取った避妊具でイチモツを丁寧に覆った。 ﹁ほら、母さん。お待ちかねのおち○ちんよ。ちゃんとおねだりし て。トラがいい気分になれるよう、ちゃんと女の務めを果たして﹂ うろん 舞は敦子を抱え起こすと、口にあった粘着テープを剥がした。 敦子はちいさく口を開け、二、三度まばたきをし。それから胡乱 なまなざしですがりつくように云った。 なか ﹁ああ⋮⋮虎ちゃん。⋮⋮わたしの可愛い虎ちゃん。お、お願い。 わたしに、伯母さんの膣内にきて。虎ちゃんの立派なおち○ちんち ょうだい。いじめて、種つけしてぇ︱︱﹂ ﹁うん。⋮⋮いくよ、伯母さん﹂ ためら 挿入は手早に行われた。 はし 虎ノ介に躊躇いはなく。彼が押しあてた分身は、すんなりと蜜壷 に呑まれていった。 虎ノ介の背に、深い、深い、電気にでもふれたような感覚が疾っ た。脊髄を通ったその感覚は、脳へとつながり、そこから全身へか すかな波紋を押し流していった。 1073 むすめ 甘くやわらかい肉と、適度な締めつけ。舞に似た、ひどく攻撃的 な熱量が、虎ノ介を戦慄させた。挿入と同時、彼はほとんど反射的 ・・・ に、がむしゃらに腰をふった。 狂ったようなあえぎが、敦子の口から出た。 ﹁ンあああああんッ⋮⋮!﹂ うが 突き立てられる男根。 穿たれ、ねばりつく牝穴。 ぶつかりあう肉の、心地よいリズム。 敦子はまるで羞恥という感情を失くしたかのように、無様に乱れ、 腰をふり立てた。ぐちょりぐちょり、蜜穴を鳴らし、ラテン女のよ うに腰と尻だけを器用にうごめかせた。 虎ノ介は歯を食いしばり、襲ってくる快感に抵抗した。 ﹁んひぃいいいいっ! あッ! あッあッあ⋮⋮ッ﹂ ﹁くうっ。し、絞り取られる⋮⋮!﹂ ﹁ああんっ! すごいっ⋮⋮! すごいわっ。こ、こんなのって、 ね、眠ってる時とは全然⋮⋮ッ!﹂ ﹁お、伯母さん。す、好きだ、好きだよっ。愛してる⋮⋮っ﹂ ﹁!! ⋮⋮わ、わたしもよッ! ええ、わたしも愛してるわッ! 虎ちゃん、あなたのことを、ずっと、ずっと前から愛してたわ⋮ ⋮!﹂ 敦子が叫んだ。 ふたりは屈曲位で腰をぶつけあい、キスをした。 ふたり分の体重がかかり、敦子の背のうしろ、拘束された両手が ﹁ごり⋮﹂と軋みを鳴らした。 虎ノ介は気づかなかった。 1074 敦子もまた、痛みを意に介すことなく、欲望のままひたすら腰を 揺すった。虎ノ介の口を吸い、舌をねぶり、執拗に唾液を奪った。 リズム ⋮⋮工夫ない、単調な律動が繰り返された。 ぱんぱん、品性の欠片もない音が、甥と伯母の間で鳴りつづけた。 ﹁んん⋮⋮ッ。あああああンっ⋮⋮!﹂ からだ 歓喜の声があがる。 汗ばんだ肉体が跳ねを飛ばす。 肉棒が、奥深いところに突き刺さるたび。敦子は喜悦に歪んだ顔 で、牝の喜びを発した。だらしなく開いた口から、だらだら、よだ れをこぼした。 子宮が亀頭に﹁ちゅう⋮﹂と吸いついた。 ﹁ああッ! アソコ、アソコがとってもいいッ⋮⋮。わたし、虎ち ゃんのモノで感じちゃってるわ⋮⋮ッ。ズンズンされて、奥がッ﹂ ﹁伯母さんっ、伯母さんっ、伯母さんッ!﹂ ﹁⋮⋮ぐちゃぐちゃ⋮⋮! もう、ぐちゃっ、ぐちゃっ⋮⋮になっ てるッ⋮⋮! いっぱい、かき回されて⋮⋮! こ、こんなの覚え させられたら! こんな男らしいやり方されたら⋮⋮。無理だわ。 絶対、忘れられないわ⋮⋮! 我慢なんてできない⋮⋮。こんなの 知ったらあなたを手放すなんてもう無理よ⋮⋮ッッ﹂ ﹁おれも、おれもですよっ! こんな、伯母さんのこんな素敵な身 体を知っちゃったら⋮⋮! もう伯母さんなしじゃ、一日だってい られない⋮⋮!﹂ 虎ノ介は感動にふるえた。 伯母と自分の相性のよさにおびえた。 敦子にふれるたび起こる、痛みにも似た痺れ。 1075 この深い電光が、虎ノ介を追いつめ疲れさせていた。彼は伯母の、 豊満な肉体を存分にたのしみつつも、打ちよせてくる快楽の波に、 早い敗北しか予感できなかった。 ⋮⋮挿入から十分と経たずして、早くも彼のマグマは放熱を訴えて きていた。 ﹁ああっ⋮⋮虎ちゃんッ! そう⋮⋮。そうね。あなたはわたしの モノだもの。わ、わたしのっ、わたしとむすばれるために生まれて きた子⋮⋮! んんっ! だ、だから、こうやってエッチなことを しても⋮⋮ぜっ、全然おかしくない⋮⋮。じ、自分を責める必要も ないのよ。⋮⋮あなたは⋮⋮わたしが守ってあげる。わたしが⋮⋮ 命に代えても守る、からッ⋮⋮! だからずっと、ずっと、わたし のそばにいなさい⋮⋮! わた、しだけの⋮⋮ッあッ、あッ⋮⋮あ あン、んっ、フッ⋮⋮ンン!﹂ も ﹁ああ、ダメだ、伯母さん⋮⋮! 気持ちよすぎるよ⋮⋮! おれ、 もう保たないよっ﹂ ﹁くうんっ⋮⋮ああっ⋮⋮い、いいわっ。イって、好きに、好きな なか 時にイって。⋮⋮が、我慢なんてしないで、好きに射精しなさい。 わ、わたしの膣内でいっぱい出していいから。ぜ、全部、伯母さん が受けとめてあげる⋮⋮ッッ﹂ 絶頂が近いと見るや、敦子は虎ノ介に云って、前屈に折り曲げて いた姿勢を直した。屈曲位から正常位へと変え、そうして足をから なかだし かたち め、虎ノ介の腰を押さえつけた。 膣内射精を強要する姿勢。 敦子は、その姿勢のまま、愛情豊かに男をしごき上げた。 ﹁うう、お、伯母さんっ! お、おれ、もう﹂ ﹁いいわ、イって! わたしも、わたしもイクからっ! あなたの イク顔で、わ、わたしも﹂ 1076 ﹁で、出るっ﹂ ﹁ああッあああッ⋮⋮イク、イク⋮⋮イクイクイクイクイクイク! ! イ、イク∼∼∼∼∼∼ッッ!!﹂ 虎ノ介はうめいた。うめき目をつぶった。 どびゅり。 ゴム 一際おおきくふくらんだペニスが、吐精をはじめる。大量の白濁 が、避妊具の中へと撃ち出されていく。 快感が視界を純白に染めた。 虎ノ介は射精しながらも、敦子の奥をしつこく、こね回した。ま だ硬度の残るペニスが、こつこつ、子宮の入口をノックした。 ﹁んん∼∼∼∼ッッッ﹂ 敦子もまた断末魔を上げた。ぶるぶる痙攣し、全身を突っ張らせ る。 目一杯ひらかれた足指が、ぴくぴく、あてどなく動いた。 虎ノ介は敦子の達したことに安心し、身体の力を抜いた。敦子を 抱きしめる形で、やおら彼女の隣へと横たわった。 1077 伯母と姉、田村母娘の場合 後編 その11 ﹁うっほんっ!﹂ からぜき まどろみ 突然、横合いから空咳を浴びせられ、ふたりは微睡から気を引き もどされた。 舞が、苛立ちある表情で、ふたりをにらんでいる。 虎ノ介は愛想笑いを浮かべ、へつらうように訊いた。 ﹁あ⋮⋮、ね、姉さん、どうしたの? 機嫌が悪そうだけど﹂ ﹁いいわね、ラブラブエッチ﹂ ﹁う、うん。よ、よかったよ﹂ ﹁そうよねえ、途中からこっちのことすっぱり忘れて、母さんにだ け夢中になってたものね﹂ 云うと、舞は虎ノ介の頬をつまんできた。 ﹁痛いっ⋮⋮!﹂ ゴム なか 虎ノ介は思わず腰を浮かせた。力を失った男根と、精液によって 先のふくらんだ避妊具。これが敦子の膣内からずるり、と抜け落ち た。 ﹁あんっ﹂ 少しだけ残念そうに、敦子は離れた虎ノ介を見た。彼女の目はす でに理性を取りもどしつつあった。 1078 ﹁なあに? 舞ったら、またやきもちを焼いてるの?﹂ やれやれ。疲れた風に溜息をつく。 舞はおもしろくない顔をした。 ﹁そういう訳じゃないけど︱︱﹂ ﹁面倒くさい子ね、あなたがお膳立てしたのでしょう?﹂ ﹁そうだけど⋮⋮! でもなんか、なんかヤなんだもん。母さんも トラもわたしのことなんか忘れてイチャイチャしてるんだもの。ず るい﹂ そう頬をふくらませる。 敦子は苦笑すると、 ﹁なら一緒にしましょう。順番じゃなく、ふたり同時にしてもらえ ば、あなただって文句はないでしょう。ほら、こっちにおいでなさ い﹂ じいっ こうやさしげに誘った。 舞はしばらく母親を凝と見つめた後で︱︱ ﹁うん⋮⋮。それならいい。⋮⋮そうする﹂ と、いそいそ寝巻を脱ぎ出していった。 ﹁ほら、虎ちゃんも﹂ 敦子がうながす。 おやこ 虎ノ介はやや呆然としつつも、あわてて避妊具を外した。ふたり 折り重なるようにする母娘を見て、ひたいから汗を流した。 1079 ﹁す、すぐするんですか? 休憩はなし?﹂ ﹁なあに、虎ちゃん。休みたいの? だいじょうぶよ、なんたって 若いんだから、このくらい平気でしょ。おち○ちんの方もまだまだ 元気みたいだし。うふ、ふ、ふ⋮。⋮⋮ああ、舞、いい加減にこの 手首の縄を外してちょうだい。これじゃあ虎ちゃんを抱きしめるこ ともできやしない﹂ ﹁ち⋮⋮仕方ないわね﹂ 思案ののち、舞は敦子の戒めを解いた。 虎ノ介はその間に新たな避妊具を着けた。 自由になった敦子が、舞の膣穴を﹁ぐに⋮﹂と割り広げる。透明 な愛液が、﹁にちゃり⋮﹂糸を引いた。 ﹁さ、入れてあげて、虎ちゃん﹂ 今夜は長くなる。 虎ノ介は覚悟した。深く呼吸し。それからゆっくりと舞の尻へ手 を伸ばしていった。 ◇ ◇ ◇ ﹁はあああああんッ⋮⋮! あッはあああああッ⋮⋮!﹂ 嬌声があがる。 しなやかな肢体が、汗にまみれてうごめく。 ぱんっ、ぱんっ、強烈なインパクトを持った音が、液体とともに はじける。部屋には体液の生ぐさい匂いがむん⋮と立ちこめている。 1080 母娘は布団の上で、軟体動物のように身体を重ねあわせている。 虎ノ介は腰をふるった。がつがつ、舞の膣奥に亀頭をたたきつけ た。 ﹁ああんっ! あんっっ! ああっ、あっ、あんっ⋮⋮!﹂ 舞があえぐ。 ピストン 虎ノ介はすでに姉の嗜好を理解しつつあった。 技巧のない、がむしゃらな律動。余裕なく、ただ欲望のままに求 める︱︱そんなやり方こそ舞は悦んだ。弟に女として見られる。舞 の望みなのだった。 ﹁ひあっ⋮⋮! ああんッ! ひい⋮⋮ッ。それいいっっ。すごく いいよお、トラ、もっと⋮⋮! もっとしてっ。もっと、強く、腰 ぶっつけてッ﹂ ﹁姉さん、そんな締められたら﹂ なか ﹁んンンンンッ! い、いいよおっ、トラっ。あなたなら、トラな らいいからっ。わたしの膣内でイっていいからっ。全部、全部わた しが受けとめてあげるから⋮⋮! だからわたしを、姉さんを妊娠 させてっ。いっぱい、出して︱︱﹂ 射精を要求する舞。 だがこうしたふたりのやり取りを、 ﹁あんっ。ダメよ、さっきから舞ばっかりしてずるいわ﹂ 敦子が妨げた。尻をふりふり、蜜液に濡れた秘所を、手ずから﹁ くぱあ⋮﹂と広げた。 1081 ﹁きてえ⋮⋮虎ちゃん。わたしのおま○こに入れて⋮⋮。甥っ子が 好きでたまらない、はしたない発情伯母マ○コ、いじめて、なぐさ めて。叱って、手なずけてぇ⋮⋮﹂ ねだり、誘う。 虎ノ介が惹かれぬはずもなかった。彼は舞から分身を引き抜くと、 それをすぐさま敦子のひくつく女芯へとあてた。切っ先をぬかるみ に押しこむと、敦子の月光に濡れた背がふるえた。 ﹁あんっ、抜いちゃダメよ﹂ 舞が抗議する。 しかし虎ノ介はかまわず、伯母へと向かっていった。すぐに敦子 は獣じみた声であえぎはじめた。 ﹁んあああ∼∼⋮⋮ッッ﹂ と ﹁くおっ⋮⋮やっぱり、お、伯母さんのはすごい。ダンチですごい。 う おんな とろっとろ⋮⋮! 蕩けてからみついてくるっ⋮⋮!﹂ おちつ なか 虎ノ介はできるだけ沈着いた動きで、熟れた牝を味わおうと努め た。ペニスに集中し、くまなく膣内を探っていく。内壁をカリで丹 念にこすり上げ、子宮をやさしく亀頭でノックする。ねじるように、 押しつけるように、ペニスで甘える。 ﹁んほおおおおおおっっ⋮⋮! きゃおおおおおおンッ⋮⋮! あ ンッ⋮⋮! ああンッ! アオ、オ、オオオオオゥ⋮⋮ッッ!!﹂ 敦子の反応はすさまじいものだった。 単調で烈しい動きを好む舞とちがい、彼女は遅く、ゆったりとし た動きを好んでいる。しつこい、粘着な動きを好んでいる。しかし 1082 他方、快感にはきわめて弱かった。だらしなく、そして正直だった。 ︵チ○ポに弱いんだ、伯母さんは︶ 虎ノ介は普段、怜悧な伯母の弱点を見つけた気がしていた。 ﹁ちょっともう、母さんったら、また邪魔して。いいからさっさと イってよ﹂ うしろ 舞もまた母親への愛撫をはじめた。 後背からつらぬかれている敦子を、下から、乳首を責めたり、陰 核をなでたりする。口づけをあたえ、唾液を交換する。 敦子は娘と抱き合う形で、がくがくと身体をふるわせた。 ﹁ンふうっ! ンンッ! んむう⋮⋮ぷわっ⋮⋮あ⋮⋮舞⋮⋮舞⋮ ⋮﹂ ﹁母さん、母さん⋮⋮どう? 気持ちいい? トラのチ○ポ、うれ しい?﹂ ﹁う、うれしい⋮⋮うれしいわ⋮⋮ッ。き、気持ちよくって狂っち ゃうわ⋮⋮﹂ ﹁そう⋮⋮。いいよ、もっと気持ちよくなって⋮⋮。もっとトラの ち○ちんにハマって﹂ ﹁んああっ! ふわっ⋮⋮ふああああン⋮⋮ッ! こ、こんなのっ ! ぐッ⋮⋮ぐりぐりっ、ぐりぐりってェ⋮⋮! クリこすれてる ぅ⋮⋮! こすれてるのぉおおっ! 娘の指で潰され⋮⋮な、中は ぐちゃぐちゃれえ⋮⋮あ、頭がおかしくなるう⋮⋮あっ⋮⋮あっあ あ∼∼∼ッ⋮⋮わ、わたし⋮⋮ッ⋮⋮イキすぎて⋮⋮トんじゃうッ ⋮⋮真っ白になるうッ⋮⋮ッッ⋮⋮ンンンンンン∼∼∼∼ッッ!!﹂ 1083 よがりながら、敦子は腰を遣いはじめた。 なか とばくち ピストン 生来の欲深さで、自ずから尻をふり立て、律動を早めた。腹筋を 使って膣内をくねらせ、括約筋で膣口を締めつけた。そうしてしま いには虎ノ介を押し倒し主導権を奪うと、娘と同様、騎乗位で狂っ たように腰をぶつけてきた。 なか ぶるんっぶるんっと爆乳が上下に、烈しく揺れた。 ⋮⋮たちまち、虎ノ介はたまらなくなった。 紫電の快楽に焼かれ、我慢を放棄した。 ﹁ううああっ。ダメ、で、出るっ﹂ ﹁いいわっ⋮⋮! き、きてっ! わたしの膣内に。子宮にいっぱ い出して! 虎ちゃんの子種で、伯母さんを汚してッッ﹂ ﹁うお、お、伯母さん⋮⋮! 出る、出すよっ﹂ ﹁ア∼∼∼∼∼∼ッッ﹂ びゅくり。射精が開始された。 はじけた欲望は、避妊具を破るいきおいで、ちいさな精液だまり へとそそがれていった。 何度も、虎ノ介は、敦子の奥にペニスを打ちつけた。子宮の先、 卵管にあるタマゴと、それに群がる無数の遺伝子たちを夢想した。 せな 敦子はオーガズムに揺れ、背を反らしている。 舞が、横から敦子の唇を吸った。そして彼女は母親に深く口づけ しつつ、そのまま虎ノ介の顔へとまたがってきた。 ぷんと、牝くさい匂いが、虎ノ介の鼻を刺激した。 ◇ ◇ ◇ 1084 ﹁別に、あなたのために、あきらめようとしたのじゃないのよ?﹂ 数時間後︱︱。 情事を終えた敦子はあらためて、娘にそうした意味のことを語っ ひも あと た。開け放した窓の手前に座り、確かめるように手首を回す。腕に は、紐の巻きつけられた痕が、くっきりと残っていた。 ﹁そこまで殊勝じゃないわ、わたしは﹂ ﹁じゃあどうして。どうしてトラの恋人にならなくてもいいなんて ?﹂ すもも 汗ばんだ全身を夜気にさらし、舞は静やかに尋ねた。くだものの ここち 積まれた盆から、巴旦杏をひとつ取り、かじる。 冷やしておいたそれは、火照った身に心地よかった。甘味とさわ うるお やかな酸味が喉を下りていく。舞は庭先へ種を放ると、次にトマト きゅうり を取った。かぶりつくと、これもまた、よく冷えた果汁が喉を潤し た。 敦子はと云えば、こちらはポリポリ、胡瓜を生でかじっている。 ふたりは全裸であった。 うしろ 全裸で、夜風を浴び、虫の鳴く声に耳を傾けていた。 わたし ・・・・ ふたりの背後では、虎ノ介が疲れきって眠っている︱︱。 ・・ ﹁だってね、くるしむでしょう。それはやっぱり、伯母とそういう 関係になったりしたらね。わたしじゃなく、虎ちゃんがくるしむ﹂ ﹁ならなくても、くるしんでる﹂ ﹁そうね。それも正しいけれど﹂ 敦子は肩をすくめた。口元をゆるめ、少し考えるようにし、それ 1085 から言葉を継いだ。 ﹁それでもわたしと寝れば、よりつらくなるわ、確実にね。傷つく とわかっていて、あえてするのは、保護者として躊躇われるものよ﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁わたしは別に、どうなってもよかったの。今さら善人ぶるつもり もないし、お母様みたいに強引にしてもよかった。でもやっぱり虎 ちゃんの気持ちを思うとね⋮⋮。迷うところもあったわ。舞もいる し、家族のままでもつきあっていける訳だしね。それにエッチだけ なら、やりようもあったから﹂ 敦子は軽い調子で云った。 舞は鼻を鳴らした。 ﹁あー⋮⋮出たわね、犯罪者発言﹂ ﹁うふふ﹂ ﹁ま、いいけど。でも、それは結局のとこ無駄じゃない?﹂ ﹁無駄?﹂ ﹁たぶんね、母さんは我慢できなかったわよ。今じゃなくても、い つかトラを襲ってたと思う。だって母さんが本当に望んでるのはト ラの身体なんかじゃなく心だもの。トラに心を向けられてはじめて、 母さんの魂は満たされるンだわ﹂ ﹁⋮⋮そう、かしらね﹂ ﹁そうよ。だいたい肉親だって云うなら、わたしだってそうじゃな い。トラの姉なんだもの﹂ ﹁あなたはいいのよ。虎ちゃんは気づいてない﹂ ﹁教えてもいいわ、わたしは﹂ 敦子はかぶりをふり、娘をたしなめた。 1086 ﹁やめなさい。これ以上、あの子に重荷を背負わせる必要はないわ﹂ ﹁ふん﹂ ﹁あなたの云う通りよ。わたしに勇気がなかった。わたしがすべき だったのは責任を取ること。一生、わたしの名で、あの子に罪を負 わせることだった。その覚悟が足りなかったのよ﹂ 敦子は微笑し、うしろをふり向いた。寝息を立てる甥を愛情深い 目で見つめた。 ﹁母さんだけの責任じゃないわ。わたしだって同罪﹂ ﹁そうね。それはそう﹂ ﹁わたしはよかったと思ってる、これで﹂ 云って、舞は中天を仰いだ。頭上には満天の星空が、パノラマで 広がっていた。 ﹁ねえ、母さん﹂ ﹁ん?﹂ ﹁ちょっと訊いていいかな﹂ ﹁何を?﹂ ﹁わたしたちのことをよ。ねえ母さん、わたしたちって本当に親子 なの?﹂ ・・・ 桃を、皮ごとがぶりとやって。舞は質問した。 ﹁わたしは本当に叔父さんと、お母さんの子なのかな?﹂ ﹁⋮⋮どうして、そんなことを?﹂ ﹁別に、なんとなくだけどね。ただ︱︱﹂ そこで舞はひとつ言葉を切った。舌を鳴らし、桃の果肉をすする。 1087 こぼれた果汁が、手と口元をつたった。 ﹁舞?﹂ ﹁もしかしたら、お祖母様が、わたしの本当の母親なのかなって﹂ ﹁お母様?﹂ ﹁だって、叔父さんとお祖母様は、男女の関係にあったんでしょう ? だったらそういうこともありうるかなって。つまり本当のとこ ろ、わたしはトラの叔母さんで、姉でもあって。そして母さんにと っては姪で妹で︱︱﹂ ﹁そんなややこしいこと﹂ 苦笑し、敦子は否定した。 ﹁ないわよ、まったくね。あなたはわたしの実の娘、お腹を痛めた ね。だいたい、お母様が死んだのはあなたの生まれる一年も前のこ とだもの﹂ ﹁ふうん﹂ ﹁訊きたいことってそれ?﹂ ﹁うん﹂ うなずき。舞は手で口元をぬぐった。 ﹁安心したかったから﹂ おやこ ﹁安心?﹂ ﹁母娘丼の方が響きがいいわよね。姉妹丼より﹂ ﹁なあに、それ﹂ 敦子は吹き出した。 舞はまじめくさった顔つきで返した。 1088 ﹁佐智が云ってたのよ。わたしと母さんで母娘丼だって。そういう 言葉、知ってた?﹂ ﹁嫌がるあの子に、無理やり食べさせてるって訳ね、わたしたちが﹂ ﹁カロリーは高そうよね、胸焼けしそう﹂ ﹁伯母と姉ですものね⋮⋮。あの子はよくお腹をこわすから気をつ けないと﹂ ﹁そうね。あは、あは、は⋮⋮﹂ ﹁ふ、ふ⋮⋮﹂ 笑って、ふたりは顔を見合わせた。 流れ星がひとつ、南の空につと落ちていった。 1089 ハーレム、共有する女たちの場合 ﹁ではこれより、第一回、片帯荘ハーレム特別裁判をはじめます︱ ︱﹂ 告げて、島津僚子は虎ノ介を向かいに、座卓の反対側へと座った。 ﹁被告、久遠虎ノ介クン、前へ﹂ ﹁いや、前と云われても﹂ 虎ノ介は困った。 彼がいるのは、いつもの二十畳ほどの畳の居間で、当然、裁判所 でも、証言台がある訳でもない。座卓と座布団がならべられ、そこ にちんまりと座っているだけである。 しかし僚子は戸惑う虎ノ介を見すえると、実につめたい目つきを して、 ﹁被告人、無駄口は叩かないように。質問があれば挙手でお願いし ます﹂ こう云った。 ただならぬ迫力である。虎ノ介はうなずくしかなかった。僚子の 横には氷室玲子が、同じくつめたい、張りつめた表情でいる。すぐ そばで、たのしげに彼らを見る火浦朱美、相変わらずの無言でノー トパソコンに向かう水樹準もいた。 恐るおそる、虎ノ介は手を挙げてみた。 1090 ﹁どうぞ、被告人﹂ ﹁あーっと⋮⋮その、どうして、おれが被告にされてるか、いまい ちわからないんですけど﹂ つる 僚子は眼鏡の蔓を直すと、少し考えるように玲子を見やった。そ うして何事か視線で語らってから︱︱ ﹁有罪﹂ ﹁有罪ね﹂ ふたり決めつけるように云った。 ﹁なんでっ?﹂ ﹁裁判長、被告は犯した罪の重大さに気づいていないようです。反 省がまったく見えません。よって検察は本被告に対し極刑を求めま す﹂ ﹁ちょ、ちょっと玲子さんっ?﹂ なぜか裁判長を務めている僚子と、そしてこちらはなぜか検事を 務めている玲子に、虎ノ介は抗議の声を上げた。 ﹁てか何さっ、この裁判って何さっ?﹂ ・・ ぴしり、ふたりのこめかみへ青いすじが浮く。 ﹁聞いたか氷室検事、とんでもない畜生発言だ﹂ ﹁ええ、ゆるせませんね、島津裁判長﹂ ﹁どうする?﹂ ﹁後悔させましょう﹂ ﹁そうだな。あー、では判決を云い渡す。︱︱被告人は死刑﹂ 1091 ﹁死刑かよ!﹂ 思わず、虎ノ介は口にふくんだ茶を吹き出しそうになった。 僚子は表情変えることなく、さらに告げた。 ﹁主文、被告人を強制射精からの拷問死に処する﹂ ﹁い、意義あり﹂ ﹁意義は認められません﹂ ﹁せめて弁護人を﹂ ﹁却下します﹂ ﹁なしてさっ﹂ なま 魔女裁判だー。虎ノ介の声に訛りと焦りとが混じった。 ﹁怒ってるんですよ、玲子さんたちは﹂ と、説明したのは準であった。彼女はパソコンの画面を見つめた ままパチパチとキーボードを叩いて。 ゆうべ ﹁虎ノ介さん、昨夜約束をすっぽかしたでしょ。夜、僚子さんたち と過ごす﹂ ﹁え?﹂ ﹁お風呂入った後、ふたりが部屋に行くって﹂ ﹁ああ︱︱﹂ 云われ、虎ノ介もようやく気がついた。ふたりと交わした話の中、 そうした約束のあったことが、不覚にも思い出されてきた。 ﹁忘れてたんですね﹂ 1092 準はそっけなく。虎ノ介はわたわたと、両手をふり回した。にら む僚子と玲子を、交互に何度も見た。 ﹁あ、そんなっ、え? あれって、昨夜の話? だ、だって昨日は ふたりとも疲れてるって云ってたよ?﹂ ﹁虎くんたら﹂ 横から、朱美が笑った。 ﹁このふたりがそのくらいであきらめると思う? 甘い甘い。まし て二週間もおあずけくらってたのよ? 溜まりに溜まってたんだか ら。もうね、朝までドロドロになるつもりで、ずっとたのしみにし てたの。眠れる訳がないでしょう﹂ 娘をあやしつつ、朱美はそんなことを云った。 重々しい態度で、僚子が腕を組んだ。 ﹁キミの部屋に行ったのだよ、わたしたちは﹂ ﹁う、うん﹂ ﹁だが誰もいない。探したけれど、この屋敷はおおきいからね。見 つからない。途方に暮れていたら、偶然、通りがかった佐智さんが 教えてくれた。キミが今、敦子さんの部屋で、母と娘相手にハッス ルしているとね﹂ ﹁!! そ、それは﹂ ﹁ああ、そうかと思ったよ。それでキミの様子にも納得がいった。 どうもキミ、昨日は上の空だったからね。わたしたちの話もまるで 聞こえていない風だった。二週間ぶりに会う妻に対し、その態度は ごうはら どうかとも思ったが、まあ相手が敦子さんでは仕方ない。⋮⋮ふん、 実に業腹だが﹂ ﹁怒ってるんですか﹂ 1093 ﹁怒ってるさ。謝る気があるかい?﹂ ﹁謝れるなら﹂ しお 女たちから顔をそむけ、虎ノ介は力なく萎れた。 僚子の険しかった眉がぴくりと動いた。 ﹁ゆるしてほしいの?﹂ 玲子が訊く。こちらにも、虎ノ介はうなずいた。 ﹁ごめんなさい﹂ ﹁埋め合わせは?﹂ ﹁し、します﹂ 虎ノ介は上目遣いでじいっと、玲子を見つめた。 こうした時、女には逆らわない方がいい。下手に逆らえば余計痛 い目を見る。 虎ノ介は学びつつあった。とりわけ片帯荘の女性には、言い訳し たりするより、謝って甘える方が効く。賢いやり方でもあった。 ﹁しょうがないな︱︱﹂ 仕方ない という風に微笑を 長い沈黙の後。果して、ふたりは虎ノ介をゆるした。 玲子は表情をゆるめ、僚子もまた 浮かべた。 ﹁今日のところはゆるしてあげようか、玲子﹂ ﹁そうね、イジメすぎても可哀相だしね﹂ この言葉に虎ノ介は安堵した。おおきく息をつき、見えない位置 1094 で軽く拳をにぎる。 ﹁よしよし﹂僚子がうなずいた。﹁じゃあ、これを頼むよ﹂ 僚子が差し出したのは一枚の紙切れだった。 ﹁? なんですか、これ?﹂ ﹁収支表、兼借用書だ。わたしたちの勝負の結果のね﹂ ﹁勝負?﹂ 虎ノ介はその渡された紙切れを眺めてみた。 僚子、玲子、朱美、準、佐智︱︱五人の名前と、さらにいくつか の数字が乱雑な筆致で書きこまれてあった。僚子マイナス9、玲子 マイナス7。他の三人はそれぞれプラスであった。 ゆうべ ﹁おふたりだけマイナスになってますけど﹂ ﹁昨夜な、眠れないから、みんなを誘ってカード大会をした。ちょ っとした賭けをしてね。それはその結果さ﹂ ﹁カード大会。トランプとか?﹂ ﹁うむ。昨夜はついてなかったな。結局、わたしと玲子だけが負け てしまった。ぼろ負けさ﹂ ﹁つまり?﹂ ﹁代わりに支払っておいてくれ﹂ ﹁おれがですか?﹂ ﹁埋め合わせしてくれるんだろう?﹂ ﹁それは確かに、そう云いましたけども﹂ ﹁いやあ、助かったよ。正直、洒落にならないほどの負けだったん だ、昨日は﹂ 虎ノ介は頬を引きつらせた。 1095 かね ﹁や、でもおれ、金銭はあんまり﹂ ﹁ああ、いやいや。安心してくれたまえ。賭けたのは金銭じゃない から﹂ ﹁金銭じゃない?﹂ ﹁その負け分はね。あっちの回数なんだ。わたしたちは夜を賭けて たんだよ﹂ ﹁夜⋮⋮?﹂ ﹁要するにだね、わたしたちがそれぞれ持っている、キミを独占で きる夜。その持ち分を賭けて勝負したんだ﹂ 当惑げな虎ノ介に向け、僚子は説明した。玲子が後を引き取って 云った。 ・・・・ ﹁わたしたちが虎ノ介くんと過ごせる夜が、朱美さんたちに取られ ちゃったのよ。だからその分の支払いを代わりにお願い﹂ ﹁は︱︱﹂ 虎ノ介は溜息をついた。 ﹁何をしてるんですか、あなたたちは⋮⋮﹂ 頭をかきかき、女たちを見やる。 女たちは全員﹁重要なことだ﹂という目で虎ノ介を見つめ返して きた。 虎ノ介は苦笑した。 じかん ﹁⋮⋮はいはい、わかりました。いいですよ、要はおふたりと過ご す夜をしばらく朱美さんたちにあてればいいんですね﹂ ﹁ううん、それはダメよ﹂ 1096 しかし、そうした虎ノ介の返事を、玲子はきっぱりと否定する。 ﹁わたしは払わないわ。だって無理よ、嫌だわ7日分のマイナスな んて﹂ ﹁嫌って。玲子さんは負けたんでしょう?﹂ ・・・・・・ ﹁だからね、その分を虎ノ介くんが肩代わりしてほしいのよ﹂ ・・・・・・・ ﹁どういう意味です?﹂ ﹁つまりわたしたちの夜はそのままに、それ以外の時間でがんばっ てほしいの。わたしたちの負け分を、キミが朱美さんたちに、身体 で支払ってちょうだい﹂ ﹁は、はい?﹂ ﹁朱美さんたちもそれでかまわないって云ってくれたわ。幸い、三 人は時間も自由だしね。エッチしてくれるなら夜じゃなくてもイイ って﹂ ﹁や、それは、ちょっと﹂ ﹁じゃあ、お願いね。よろしく頼んだわ﹂ 尻込みする虎ノ介に、玲子は社長スマイルで話を押しつけた。 そしてそれを合図に、朱美と準、ふたりが立ちあがる。ふたりは 口元に微笑をたたえ、ゆっくりと虎ノ介へ近づいてきた。 ﹁じゃあ早速お願いするわね、虎くん。わたしはプラス8日上乗せ だから。しばらくは昼間も乾かないつもりでいてね﹂ ﹁ぼくはプラ5です。虎ノ介さん、お風呂に行きましょう﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮ッ!?﹂ こご 虎ノ介は座った姿勢のまま、朱美と準とを見上げた。 ふたりの目は、すでに欲情が凝り、妖しい火を揺らめかせている。 虎ノ介は、おびえた。 1097 ﹁ま、まだ朝ですよ﹂ ﹁気にすることないわよ。休みなんだし。朝からシたってかまわな いでしょう。それに、虎くんは知らないかもしれないけど、もうわ おじ たしたちの関係って隠す必要は全然ないのよ。わたしたち、敦子さ んにも舞ちゃんにもちゃんと許可もらったの。鳳玄の小父様にもね﹂ ﹁う、嘘﹂ ﹁ホントよ。キミのご両親にも報告してきたわ。昨日、みんなでね﹂ ﹁じゃあ昨日って﹂ ﹁うん、お墓参り﹂ 朱美はにこやかに笑った。 ﹁まあ、わたしなんて子持ちのバツイチだし。再婚なんて、今さら 孫を頼みます っ と思ってたんだけど⋮⋮。でもキミのお祖父様に頼まれたのは正直 うれしかったわ。あんな風に頭を深々と下げて て云われちゃったら。うん、そりゃあもう、がんばって虎くんのこ と、ちゃんとしあわせにしなくちゃって﹂ ﹁お祖父ちゃんが?﹂ ﹁そうよ。いいお祖父様を持ったわね、虎くん﹂ ﹁でも、それってつまり﹂ ﹁うん。これでわたしたち全員、晴れてキミの奥さんよ、家族公認 のね。敦子さんと舞ちゃん、それにわたしたち⋮⋮いよいよハーレ ムルート開放ってことね。どう? うれしい? もうこそこそ、隠 れて寝泊りしなくてもいいのよ﹂ ﹁え、ええと﹂ ﹁敦子さんと舞ちゃんも加入して、フラグ管理も完璧。理想的な展 開ね。このいきおいでトゥルーエンディングを目指しましょう﹂ ﹁いや、ちょっと何云ってるかわかんない⋮⋮⋮⋮え、何ナニなん なの? ちょっと待って痛いどこ行くの?﹂ ﹁よしよし、いいからおとなしくしててね。それじゃあ僚子先生、 1098 わたしたちはちょっとお風呂に行ってくるわ。ヒナタのこと、お願 い﹂ ﹁了解。ま、できれば程々にしておいてください。今夜もあります から﹂ ﹁ええ、わかったわ。さ、行くわよっ、虎くん﹂ ﹁お、犯される﹂ ﹁ふっふっふ、よいではないか、よいではないかー﹂ 力で、強引に虎ノ介を立たせ、朱美はまずその腕を取った。準と ふたり、両脇からかかえるようにつかむ。意外と強いふたりの腕力 に、虎ノ介は半ば呆然と運ばれていくしかなかった。 1099 ハーレム、共有する女たちの場合 その2 脱衣場についてすぐ、乱交ははじめられた。 朱美は恥ずかしがるでなく、そのはちきれんばかりの乳房をあら わとした。準も生まれたままにチョーカーという姿で虎ノ介の前に 立った。 虎ノ介は立ったまま服を脱ぎ、女たちの愛撫を受けた。 ふたりの女が、交互に口を吸い、舌で口内をまさぐり、さかんに 唾液の交換を迫ってくる。あるいは裏すじを舐め、陰嚢をふくみ、 亀頭を甘噛みする。耳の穴、脇の下、肛門までも、舌で犯してくる。 虎ノ介は抵抗しなかった。 一切をされるがままに任せ、自らは動かず、時々準の頭をなでた ・ り、朱美の乳房をもんでやるだけで後は女たちの好きなようにさせ ・・ ・・・ た。女たちも虎ノ介の反応をたのしんでいるのであって、余計な手 出しは望んでいない。虎ノ介が時折、膝を揺らしたり、うめきをも らすだけで十分、彼女らは満足と股間の潤みを得ていた。 ﹁ああ、これはいい⋮⋮﹂ 腹底から立ちのぼってくる快感に、虎ノ介は背をふるわせた。 彼の眼下では、ひざまずいた準が、献身的にイチモツをしゃぶっ ている。 ﹁気持ちひい⋮⋮でふか?﹂ ﹁ああ、最高だよ﹂ 1100 少年のエロチシズムを持つ童顔の少女。そのような子に己をしゃ ぶってもらう、これは男の、支配欲と優越感を強く刺激した。 虎ノ介は仁王立ちで準の頭をつかみ、腰を烈しくふるった。 ﹁くふっ⋮﹂ くるしげな、鼻にかかった声がもれる。 ﹁うう、気持ちいい。気持ちいいよ、準くん。キミの口マ○コは絶 品だ﹂ ﹁ふぐ⋮⋮ッ! んんっ﹂ 顔を歪ませつつも、準はけっして口を離そうとしなかった。虎ノ ・・・ 介を見上げ、陶酔しきった気色で、懸命に勃起へ舌をからめている。 虎ノ介はしばし口淫をたのしんだ後で、イチモツを抜き、よだれ でベトベトのそれを彼女の顔へ載せた。濡れた肉の塊が、準の頬、 鼻先、まぶたの上をなでる。 ﹁⋮⋮そのチョーカー、おれが買ったやつ?﹂ 尋ねた視線の先には、白い首に巻きつく黒の首輪があった。 ﹁は、はい。⋮⋮そ、そうです。前にもらって⋮⋮ん、くっ、それ からずっと宝物にしてます﹂ ﹁そか﹂ ﹁お風呂入る時は外します。今はまだ﹂ ﹁好きなのかい、チョーカー﹂ ﹁主人のくれた首輪は大切にするんですよ、飼い犬は﹂ 顔を汚され、しかめつらになりながらも、それでも準は愛撫を忘 1101 れなかった。手で陰嚢をもみしだき、もう一方で虎ノ介の肛門︱︱ 前立腺を刺激する。 腹底から持ち上がってくる射精欲に、虎ノ介の我慢も限界に達し た。 ﹁うっ⋮⋮! そ、そろそろ出そう。出る⋮⋮!﹂ うしろで耳を舐めていた朱美が、虎ノ介の身体を支えた。罪づく りな乳房がひしゃげ、存在を主張する。虎ノ介は朱美にもたれかか り脱力した。射精の前兆か、砲身がへそに近い位置にまで、ぐんと 反り返った。 ﹁出るっ。もう出るよ﹂ ﹁はい、いいですよ。うんと出してください。ぼくのお口に、いっ ぱい﹂ ﹁う⋮⋮っ!﹂ 紅い舌先が尿道口をなぶる。 と同時、白いマグマが、少女の顔めがけ撃ち出された。堰を切っ たようにあふれた汚濁が、準の、おおきくひらかれた口内、そして 端正な顔の上へぶちまけられていく。 ﹁んくっ⋮⋮ぷふ﹂ まるで小便のように、ペニスは精液を出していった。 虎ノ介は一向に射精を終えないそれをつかみ、準の口に無理やり 押しこんだ。 ﹁ごッ!?﹂ 1102 逆流し撹拌されたミルクが、準の鼻孔からあふれた。 ﹁∼∼∼∼ッ!?﹂ 当然、準はえずいた。 うが だがそうした反応にもかまわず、虎ノ介はさらに容赦のない動き で準の口内をえぐっていった。喉奥を穿ち白濁をしごき出した。 ﹁ふぐ∼∼∼∼ッ!﹂ 準の目に涙が浮かんだ。 ゼリー状の粘液が、口の端からこぼれた。 ﹁飲んで﹂ 虎ノ介は云った。 そうして、たっぷり十秒は飲ませておいてから、おもむろにペニ スを口内から抜いた。 いきおいの弱まった噴出が、ばちゃばちゃ、準の顔に降りそそい だ。 ﹁こほっ﹂ 涙目でむせる準の顔は、すぐに生臭い粘液で見えなくなっていっ た。 ◇ ◇ ◇ 1103 ﹁最近の虎ノ介さん、すごいですよね﹂ この言葉に、虎ノ介はうつむき加減だった顔を上げ、準の方を見 た。 西棟はずれにある朝の露天風呂︱︱。 そこに余人の姿はなかった。岩肌の湯船と白い湯気、石鹸の匂い しずけ ひな が漂うばかりである。仕切りの竹柵のむこうには、青く茂った森と 遠くつづいた山々が見える。自然のふところにある幽静さ。鄙びた 温泉旅館といった風情があった。 ⋮⋮虎ノ介の身体には、ひとりの女が軟体動物のようにからみつい ている。 背を赤子のごとく丸め、汗だくでしがみついている。騎乗位で深 ミルク くつながったまま、両足で虎ノ介を挟みつけている。熱病患者のよ しお うにふるえ、足の爪先に力をこめ、迫力ある双乳から、母乳をした たらせている。 ﹁ああんっ⋮⋮!﹂ 女があえぐ。 イクと同時、淫裂から汐をしぶかせ、虎ノ介の顔を胸にうずめる。 へり 虎ノ介は抱かれながら、女の︱︱朱美の首元へ舌を這わせた。 ふたりが腰かけているのは湯船の縁で、向かいには上機嫌で朝湯 を堪能する準の姿がある。 ⋮⋮虎ノ介は射精していた。 すでに幾度目かになる射精。 なか この以前とは比べ、量も時間も比較にならないほど増えた射精を、 虎ノ介は朱美の膣内でもう一分以上つづけていた。どびゅどびゅ、 1104 際限なく吐き出される大量の汚液は、朱美の子宮を満たし、さらに は結合部からあふれ、モザイク模様の石床をよごしている。 ﹁ああ⋮⋮い、イキすぎるう⋮⋮あ、頭がおかしくなるう⋮⋮﹂ 朱美がうめいた。 背をそらせ、頭をかきむしり、陸に揚げられた魚のように口をパ クパクと動かす。紅い舌がピン、と伸び突っ張る。 そうした様子の朱美を、虎ノ介は床に引いたバスタオルへ、そっ おり と寝かせた。彼女の腰をつかみ、まだ痙攣のおさまらぬ膣の中を、 まだ硬みの残るペニスでかき回していく。結合部についた澱がねち ゃり、糸を引く。 ﹁あンっ⋮⋮あおおおンっ⋮⋮! ほお、オオオ︱︱﹂ 朱美は身体を強張らせながら、すがるように虎ノ介を見た。 硬い石床の上で、半ば以上、虎ノ介が体重をあずける形なのだが、 おちつ それでも朱美は嫌な顔ひとつせず、むしろ虎ノ介が離れるのをきら うように抱きしめている。 虎ノ介はやさしく、朱美が沈着かせるように、キスと愛撫をあた える。腰の動きに沿って、白く泡立った精液がタオルへと落ちる。 ﹁えげつない量ですよね。いったい、どうなってるんですか、それ ?﹂ 湯船から、準が声をかける。 彼女の目の先には、朱美のふともも、それから下腹部があった。 練乳のチューブを一本、まるまる絞りかけたように濡れている。 ﹁う、うん、我ながらちょっとひいてる﹂ 1105 甘い香りの乳房をもみしだきながら、虎ノ介はこたえた。 ﹁ひどい量だ、ひどい﹂ ﹁前も多い方でしたけど、ここ最近はホントすごいっていうか﹂ ﹁医者に見てもらった方がいいかな?﹂ ﹁どうしてです?﹂ ﹁いや、だって、どう見てもおかしいでしょ、これ﹂ ﹁そうですか? 多い方がいいじゃないですか﹂ ﹁でも普通はこんなに出ない﹂ ﹁出ないんですか?﹂ ﹁うん⋮⋮。病気かもしれない﹂ なか 虎ノ介は云った。動かしていた腰をとめ、朱美の膣から抜く。ぽ っかりと開いた肉穴が、ひくひく、うらめしそうにふるえる。 うつ ﹁病気ならキミたちに感染してる可能性も﹂ ﹁まさか﹂ 準は鼻で笑った。 ﹁気にしすぎですよ。つまらない考えだ﹂ ﹁そうかな﹂ ﹁実際ぼくら、なんともありません。それに、それは副作用ですか ら、たぶん﹂ ﹁副作用? どういう意味だい?﹂ ﹁えっと、それはその﹂ と、それまでよかった歯切れが急に悪くなる。 1106 ﹁準くん?﹂ ﹁あっ! そ、そう! あれじゃないかな、虎ノ介さんが飲んでる 薬﹂ ﹁え?﹂ ﹁ほら毎月一回、もらってきてるでしょう? 僚子さんのところで﹂ ﹁ああ、病院⋮⋮﹂ ﹁薬の副作用だと思います、きっと﹂ ﹁ううん、そうなのかなあ﹂ ﹁そうそう。きっとそうです。ですから心配しなくても﹂ 云うと、準は風呂からあがった。 朱美の隣に座り、仰向けで足をかかえる。無毛の丘がきらきら、 湯と愛液にきらめく。 ﹁そんなことより、ぼくにもシてください。もう我慢できない﹂ ﹁は、はは⋮⋮。すごい眺め﹂ 蕩けたイキ顔、だらしないがに股で、股間から精液をこぼしてい る朱美と、その隣にならび、こちらは手ずから閉じた両足を持ち上 げている準。 虎ノ介は苦笑するしかなかった。 女たちの欲深さにあきれ、そしてまた、すぐに天衝く己が節操の なさにもあきれた。 ゴム 力み返った切っ先は、だらだら透明な雫を落としている。 虎ノ介は避妊具のパッケージを取ると、歯でそれを破った。 ﹁好き︱︱﹂ 一言、準が、うっとりと云った。 1107 幕間 田村の女 だ 田村家は遠く昔から政治、学問、商売⋮⋮と、さまざまな方面へ 有能な人材を輩出しつづけている家系である。 彼らの世に対する影響力は一言で云っておおきい。 無論、規模だけでいえば田村家よりおおきい組織はいくつもある。 しかし企業体でないことを加味して考えた場合、この田村家の特 異さというものはきわだっていた。 たった一個に過ぎない血族が持つ、その分野を限定しない影響力 よりどころ たるや、ほとんど異常ですらあった。 しかも彼ら︱︱否、彼女らには、拠所としての理念や思想がなか った。利潤の追求も採算性も、およそ一般の企業に見られるような 経済的指針の一切がなかった。その目的も、活動の資するところも 何ひとつ余人にはわからなかった。それでいて彼女たちのむすびつ きは固く、いかなる外部の干渉も受けつけなかった。 損得の分別がまるでない彼女たちの真意はまったく不明であり。 自然、周囲は彼女たちを畏れた。 あたりまえである。彼女たちは天人。見返りを求めず、そのくせ 都合よく他者へ利得をもたらす存在など、どう考えたところで普通 の人間には理解できない。世のほとんど、凡夫にとって、そんなも のは手にあまる。 人は警戒した。 ある者は疑い恐れ、ある者は敬い、またある者は彼女たちの敵に まわった。一族の男に取り入り、内情を探ろうとした者もいた。一 族ごと、抹殺を試みた権力者もあった。 けれど、いつしか、そうした疑念も時代の流れとともに消えてい った。 1108 ⋮⋮かの一族は敵に回すべきでない、周囲がそう気づいたからであ る。 田村家と敵対するメリットは皆無に等しい。 反目したり攻撃をすれば、まず間違いなく後悔する羽目になる。 このことは過去に少なくない数の愚か者たちが、身をもって示して いた。 田村家を敵にまわしてたどる道はふたつ。苛烈な反撃を食らい根 こそぎさらわれるか。あるいは天に見放されたような衰運が待ち受 けているかである。 そして他方、彼女たちとうまくつきあうこと自体は、さほどむず かしい問題でもなかった。 よ たす 元々、他者に関心薄い女たちである。干渉さえしなければ、損害 をこうむることもない。むしろ能く調和した働きが、周囲を援ける 場合の方が多い。天人は誰かの居場所を奪ったり、威圧して他人を 服従させたりすることはなく、敬意と礼儀をもって接する者には富 と繁栄をもたらす。 云ってみれば、それはひとつのシステムのようなものだ。 かみよ 一本の、巨大な古木に似ている。 神代の時代から存在し、そこに変わらぬ形を保ちつづけている。 ひっそりと静かに佇んでいる。地に根を張り、天に枝葉を巡らせ、 集めた星の輝きと大地の鼓動を使い、豊穣という名の新たな実をつ めぐみ けるのである。樹下の人間を風雨から無償で守り、時がくれば甘い 果実をあたえる。 こうした生き方︱︱システムこそ連綿とつづく田村の在り方だっ た。 人は彼女らを愛した。 どうかして彼女たちの秘密を知りたいと考えた。 時に、その宝石のような女を望んだ者もいた。天人の系譜とされ 1109 る女を妻とする。これは一部の権力者や富裕層に、強烈な誘惑をも たらした。事実、田村の加護を受ければ、富も名声も望むままに得 ることができた。美しい女たちは年齢を経ても若々しいままで、至 高の快楽を男たちにあたえた。 とは云え、独自の価値基準を持ち近親婚を繰り返してきた一族で ある。見込まれる男はそう多くなかった。加えて女系至上主義の田 村家において、男ないし外部の人間が、秘枢にふれることもまた不 可能であった。秘密を暴こうと画策したり、力ずくで女を奪おうと する者は例外なく天の怒りにふれた。 誰も、秘密を知る者はなかった。 聖を好み、善たるを愛す彼女たちが、その実、自らの欲望によっ て焼かれもだえていることを。 もっとも当人たちに云わせれば、それは秘密でもなんでもない、 単なるありがちな性的嗜好に過ぎなかった。ひとつのライフスタイ ルであり、価値観であり、そして魅惑に満ちた冒険の日々でしかな かった。 ◇ ◇ ◇ 田村屋敷の朝は早い。 特に夏は夜明けの近いこともあって、使用人たちは空の白みはじ める、およそ四時前後には起き出してくる。この時間、山は涼しい。 ひんやりとした空気が霧となって峰全体をおおっている。日中には 三十度を超す気温も、この時は十五度を少し下まわる。こうした中 で使用人たちは一日を働きはじめる。彼らは自らの仕事に余念がな やと い。そういう風に仕込まれているからである。また、そのような人 物でなければ田村屋敷に雇われることもない。 1110 みづはら 庭師も女中も料理人も、全員が全員、自分の仕事に誇りと責任を 持っている。 たとえ年若い者であっても家令である三津原や、来栖の長老が、 ︵これは⋮⋮︶ と、見込んだ人物であるから、その人柄は折り紙つきと云ってよ い。仕事にはまじめに取り組むし、辛抱もする。口は堅く、主人に へんぴ 対し無用の詮索を働かせることもない。もっともそれだけの給金を 彼らは受け取っている。職場の環境も悪いものではない。辺鄙な山 奥だが、仕事上のストレスも少ない。鳳玄は気むずかしい人間だが 下の者へとやかく云うほど狭量ではないし、田村の人間はおしなべ てやさしげな者が多いので、ともすれば一番口やかましいのは家令 の三津原という具合で、使用人たちはむしろ主人よりこの執事を苦 手としていた。三津原の方でも、そうした役目をあえて意識してい るものらしい。物云わぬ主人に代わり、使用人の気を引き締めるの はいつも彼の仕事だった。 とまれ田村屋敷の使用人たちは、おおむね主人に対し真心をもっ て仕えていた。 そしてその真心は、東京からきた新たな当主にもちがいなく向け られていた。 くるす なち 庭先に出た来栖那智を迎えたのは、まずホトトギスのさえずりだ った。 リズム それからサクラドリ、ヨシキリ、川のある方からはカッコウとヒ バリの鳴き声も聞こえた。﹁ホーホ、ホホー﹂山鳩の特徴ある韻律 もあった。 1111 那智は清々しい気持ちで、朝日にきらめく庭木を眺めて歩いた。 手入れされた木々は青い葉をのびのびと広げている。 那智は前庭の一番広いところまでくると、椿の木の前に立ち、軽 めの柔軟を行った。ゆったりと、しかし念入りに全身を伸ばしてい く。二十分ほどをかけ身体をほぐし終えた時、那智の全身はじっと りと汗ばんで、顔はうっすらと上気していた。 ておけ 二度、那智はおおきく深呼吸した。タオルを手に、庭隅にある井 戸へと向かった。つるべで水を汲みあげ、それを木製の手桶へと移 す。そうしておいて顔を洗った。 虎ノ介が起き出てきたのはこの時だった。 くま 彼は雨戸を引き開け、縁側に立つと、少しばかり吃驚いたような 顔で那智のことを見つめた。目の下には薄い隈があった。 ﹁おはようございます、那智さん﹂ 乱れた寝巻を直すと、虎ノ介は気まずそうに云った。彼の顔はや つれ、病人のように青白くなっていた。那智はこたえた。 ﹁おはようございます、若様。お早いですね﹂ ﹁那智さんも。いつもこのくらいなんですか﹂ ﹁ええ、だいたい今くらいです。朝の仕事がありますので﹂ ﹁大変ですね﹂ ﹁それほどでもありません。要は慣れですよ﹂ 那智は口に髪留めを銜えると、うしろで、長い髪をまとめた。 虎ノ介は縁側に腰かけると、ぼんやりした目でジャージー姿の那 智を追った。 ﹁これからジョギングですか?﹂ 1112 ﹁はい。ひと回りしてくるつもりです﹂ ﹁どのくらい走るんですか﹂ ﹁距離ですか? そう、5kmほどでしょうか。時間のある時はも う少し走りますが、日課としているのは、まずそのくらいです﹂ ﹁5kmか、すごいな﹂ うらやましい。虎ノ介は云った。 ﹁おれも走れたらな﹂ ﹁一緒に走りますか?﹂ ﹁いやあ⋮⋮﹂ 首を横にふる。虎ノ介の口元には、かすかな苦笑が浮いてあった。 ﹁倒れます、今、走ったりしたら﹂ ﹁寝不足ですか? どうも、お疲れのご様子ですが﹂ ﹁というより、寝てないんです﹂ ﹁⋮⋮またお嬢様が?﹂ ﹁姉さんと、それから︱︱﹂ うつむき加減で、虎ノ介は那智の顔を見つめてよこした。 それだけで那智は、彼の云いたいことを悟った。﹁ああ、あのコ﹂ そう云ってうなずく。 ﹁申し訳ありません、妹がご面倒を﹂ ﹁そんなことは﹂ 虎ノ介は力なく笑った。 ﹁むしろ謝らないといけないのは、こっちで﹂ 1113 ﹁若様が? 何故﹂ ﹁いや、那智さんの妹さんを、なんというか﹂ ﹁抱いている?﹂ ﹁ええ、まあ﹂ ﹁気にしないでください。アレは好きで若様に抱かれているのです﹂ ﹁腹が立ちませんか?﹂ ﹁どうして?﹂ ﹁おれは、彼女を愛人みたいにしてる﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁女を何人も抱いて、それでみんなを好きだなんて云う男です﹂ ﹁⋮⋮まあ、確かに、虫のいい話ではありますね﹂ 那智は表情を変えずこたえた。 虎ノ介の頬が歪んだ。それが自嘲なのか、痛みをこらえているの か、那智には判別がつかなかった。 ﹁罪悪感があるのですね、若様は﹂ ﹁どうですかね﹂ ﹁罪悪感ではない?﹂ ﹁よくわかりません。痛むことで、自分を正当化したいだけかもし れない。殊勝な人間のふりをしてるだけなのかも。もう何がなんだ か、さっぱりわからないんです。ただ、今の状況が正しくないのは わかる。しあわせで、うれしい反面、これでいいのかって思う。そ れにおれは姉さんや佐智さんだけじゃない。伯母さんとも寝た﹂ ﹁わたしも田村の人間ですよ、若様。女たちの性質は知っているつ もりです。いえ、はっきりと知っています。よくも悪くも彼女らの 性状は、簡単に揺らぐものではありません。その点から云って、わ たしはあなたを責める気になれない。云った通り、これは女たちの 意思だ。あなたの希望でどうにかなることでもない﹂ ﹁そうでしょうか﹂ 1114 ﹁少し気分を変えてみることです、若様。世間ではゆるされない罪 も、ここでならゆるされる。世間がどう思おうとも、あなたは田村 に必要な人間だ﹂ ﹁不安なんです﹂ ﹁わかります、それも﹂ ﹁うん﹂ ﹁いたずらにご自分を責めるのは不健康だ。よした方がいい﹂ ふち 虎ノ介はうなずき、座ったまま雨戸の縁にもたれた。淡い陽が顔 を濡らした。 ﹁納得はしているつもりです。今さら世間体を気にしてる訳でもな い。⋮⋮ただ、いつか、こんな時間も終わるんじゃないかと。それ が怖いんです。みんなに見放されるのが怖い。今のしあわせがずっ とつづけばいい、そんなことを思ってるんです﹂ ﹁つづきますよ、あなたが望むなら﹂ 云って、那智は虎ノ介の隣に腰かけた。 虎ノ介は蒼ざめた唇を動かすと、ちいさく笑った。 ﹁那智さんはいいですね﹂ ﹁は?﹂ ﹁那智さんと話をすると、気が楽になる﹂ ﹁わたしでよければ、話相手になりますよ、いつでもね﹂ ﹁友達?﹂ ﹁あなたが望むなら﹂ ﹁うん⋮⋮うん⋮⋮いいですね。それはいい⋮⋮もうずっと独りだ ったから。友達ってのを持ってみたかったんです﹂ うわごと 虎ノ介は半ば譫言のように云った。那智はそこにかすかな違和感 1115 を覚え、尋ねた。 ﹁⋮⋮友達、いないのですか?﹂ ﹁いないです。日がな一日、あの暗い座敷牢の中ですからね。そん なもの、つくりたくったってつくれやしなかった。⋮⋮いや、昔は いたかな。いたかもしれない。⋮⋮いや、いた。いたな、確かに。 すもも らいごろう よしいづ そう竹二くん、そんな名前でした。運動が得意な子で、よく一緒に 牡丹杏を取って食べました。ほら、雷五郎と葦一の境にある、背の 高い牡丹杏の。あの子だけはおれの育ちなんか、まったく気にしな い子で︱︱ああ、彼、今どうしてるんだろう︱︱﹂ ﹁雷五郎って⋮⋮若様、よくそんなことまで知ってますね﹂ ﹁え?﹂ ﹁ここの村にある屋号です、それは。⋮⋮誰に聞いたんですか? それに座敷牢とはいったい?﹂ ﹁? なんのことです?﹂ ﹁屋号や座敷牢の話をした者は誰です?﹂ ﹁えっと、誰だったかな。うん、誰かから聞いたとは思うんだけど﹂ 虎ノ介はどこか定まりのつかない目で、さかんに首をかしげた。 那智の背を、何か冷たいものが下りていく。彼は虎ノ介に添いな がら云った。 ﹁だいぶお疲れのようですね。少しお眠りください。⋮⋮昨夜は薬 を飲まれましたか?﹂ うち ﹁薬⋮⋮薬は、病院からもらったのを﹂ ﹁田村の薬は?﹂ ﹁ウチ?﹂ ﹁食事の時に渡されてませんか?﹂ ﹁ううん、飲んでません﹂ ﹁そうですか。では飲んでください。今、水と一緒に持ってきます﹂ 1116 ﹁でも、あれは効かないからな﹂ ﹁⋮⋮なんですって﹂ ﹁効かないらしいですよ、あれは。身体にはいいみたいですけど、 根本的な解決にはならないって﹂ ﹁誰が、そんなこと︱︱﹂ 那智は、表情の険しくなっていく自分に気づいた。 虎ノ介は重そうなまぶたを、ようやっと開けるようにして那智の 方を見ている。那智は重ねて訊いた。 ﹁誰ですか、若様。あなたに、あなたにそのような、いい加減なこ とを吹き込んだ者は。使用人ですか? それとも別の者が? まさ か広人や明彦ということはないでしょうね﹂ ひと ﹁⋮⋮ん? ん、誰だったかな。ちょっと憶えてないな⋮⋮。まあ、 アーラヤ とにかくそこのところ、伯母さんも紅葉さんも、今までの天人たち けが は皆、勘違いしていたそうですよ。霊薬は体には効いても、阿頼耶 識の穢れまでは除けないから、結局は同じことなんですって。⋮⋮ ただびと 縁起の外にある女系の業が、直系の蔵を借りる形で見かけ上の釣り 合いを取る訳ですから、徒人でしかない男は自然、短命にならざる を得ないんだそうで⋮⋮﹂ ﹁わ、若様︱︱﹂ ﹁ああ、もうすぐここの生活も終わりだ。東京にもどったら、また バイト、しなくちゃ﹂ それきり虎ノ介は雨戸にもたれた姿勢で、舟をこぎはじめた。 言葉を失った那智は、そのまま朝日に照らされた虎ノ介の寝顔を 見つめつづけた。 1117 女教師、小島佐和の場合 夏休み。補習、最後の日は、静かな雨となりました。 わたしは朝起きると、普段のとおりに、歯をみがき、シャワーを 浴び、髪をブローし、それからパンとコーヒーの朝食をすませ、化 粧し、服を着替えました。 服は教師らしくグレーのスーツ。眼鏡は目立たないチェーンのつ いたものです。コンタクトより眼鏡の方がいい、そう云ってくれた 生徒のために選んだものでした。もちろん、ショーツは着けていま せん。いつもではありませんが、学校でセックスをする日はたいて い、そう決めていたのでした。それと云うのもわたしが通勤の途中、 生徒たちにされるであろうことを想像してしまうからで、そうなる と決まってわたしのアソコは濡れ、大量の汁をあふれさせてしまう のでした。 この日も愛液がストッキングまでつたって、あの愛液に特有の、 とてもいやらしい匂いが、狭い電車内を満たすようで、わたしは不 むれ 安な、いてもたってもいられないような気持ちになりました。 ああ、この周囲をぐるりと囲む雄の群たち。彼らに気づかれたら、 わたしはいったいどうなってしまうのだろう。きっと、そろってお そいかかってくるにちがいない。 そんな風に思われました。わたしは、さかりのついた雄たちに犯 され、ふた目と見られなくなった自分の姿を夢想し、強く、内股を こすり合わせました。それと同時に、実際の生活で、そうした露出 を好むテリーさんや、玲子さんの勇気に︵同じアパートに住む彼女 たちは、時々、そのような話をわたしにしてくれます︶ひどく感心 する気持ちも湧き上がってきました。 見知らぬ多くの前で、セックスをする。そんなことは、わたしに は到底できそうにありません。 1118 実際、自分のセックス︵それも危険日の!︶を、ネットで放送し たいと語るテリーさんなど、これはもう、ほとんど狂気の考えとし いくばく か思えませんでした︵冗談でなく、テリーさんはこれが夢なのだそ うです︱︱︶。 わたしも自分の性欲に、幾許かの悩みをいだいてきた女でしたが、 それでもこうした意見を聞くと、あの片帯荘に住む、平気でおしっ ひと こを飲んだり、ウンチをもらしたり、裸で散歩したり、あるいは息 子同然の子を強姦するといった個性的な女たちとくらべて、自分が だいぶんとマシにも思え、たびたび、ひそかな安堵を覚えることが ありました︵とは云え、それが自分に都合のよい見方だというのも 承知しています︶。 とまれ、わたしは淫らな女でした。 淫乱であるということを、生来の宿業として、この肉の身に引き 受けてきたかのような者でした。そしてだからこそ、あの憐れな娘 ︱︱法月伊織にも同情をよせたのでありました。誰より気持ちがわ かるからこそ、あの全てを失った娘、愚かな娘を、なんとか元気づ けてやりたいと思っていたのです︱︱。 くずはら しょうどうかん 九時過ぎになると、わたしは学校に向かいました。 またぐら 葛原駅から歩いて、十五分のところにある私立聖道館高校。そこ にわたしの勤務先はあります。 駅に降りて、学校までを歩く間も、わたしは股座から、はしたな い液を流しつづけていました。門扉横にある守衛所の警備員へ挨拶 を向けた時。職員室でお茶を飲んだ束の間の時間も、わたしの股間 が乾くことはありませんでした。そうして時間がくると、興奮で張 り裂けそうな心臓と裏腹に、素知らぬ顔つきで、生徒たちの待つ教 室に向かいました。 頭の中はセックスのことでいっぱいで、教師らしい、啓蒙的な気 分は微塵もありません。 1119 わたしは薄暗い、カーテンにおおわれた教室へ入るなり、服を脱 ぎ棄て、ブラジャーとガーター、ストッキングのみの姿となって、 生徒たちを迎え入れました。 生徒たちは全員、すでに裸となっていました。怒張はみなぎって 天を衝き、先から透明な汁を流しています。全員、わたしがくるの を、心待ちにしていたようでありました。 わたしは無言で、ひざまずき、彼らのペニスをつかみました。ペ ニス。いいえ、ここではチ○ポと呼んだ方がいいかもしれません︵ セックスにおいて、女はすべからく下品にふるまうべきだと、わた しは考えます︶。チ○ポ。 そうチ○ポなのでした。 この世の全ての女を狂わせ、啼かせ、悦ばせ、悲嘆に暮れさせ、 うるわ あるいは愛と勇気とに心をふるい立たせる生き物。チ○ポ。この世 界の何より麗しく、醜く、愛らしい魔性の宝石。 男の何が卑怯かと云って、このチ○ポほど卑怯なところはないと、 わたしは思います。たとえ積極的に使わないとしても、そうしたも のを潜在的に持ち合わせるのが男の人なのです。あの魔力。いきり 立った肉の槍で愛された時、女はどこまでも弱くなります。生物的 に強いはずの女が、組み伏せられ、子宮をチ○ポでかき回された途 端、やはりその男が愛しくなってしまい、結局は言いなりとなって しまうのです。そのことを、わたしは経験から嫌というほど知って いましたし、わたしの生徒たちもまた本能的に気づいてるようでし た。 彼らはわたしにチ○ポを突きつけ、代わるがわる、愛撫を求めま した。 わたしはそうした彼らの求めに応じ、向けられたモノを次々、な ぐさめてやりました。 手と口で、しごき、舐めあげる。ブラを外し、皮のかむった子供 らしいソレを胸に挟む。あぶれた生徒には、結いあげた髪をほどい て、髪にこすりつけさせました。 1120 ﹁あげてる髪型の方が好きなんだけどな﹂ こう語る生徒もいました。 わたしは笑って、その生徒の胸板をなで、キスをしてやりました。 舌を突き出し、唇の間でからめるのは、生徒のほとんどに人気あ る行為でした。わたしはキスしつつ、手も休みません。やがて生徒 たちは、ひとり、またひとりと精をもらしてゆきました。 口で、顔で、ひととおり彼らの精を受け止めたあとで、わたしは 彼らを一列に並ばせ、順番に、尿道に残った精液を口で吸い出して いきました。 精液特有の滋味。あのしょっぱさと苦味、甘味の入りまじったも のが、わたしの喉を落ちてゆきました。 年頃の男子生徒が十人もですから、その量もやはり相当なもので す。 飲みこむのもなかなか大変な骨折りでありました。とりわけ何人 かは、味も匂いもきつく、彼らの若さを強く感じさせるものでした。 粘液で、まったくひどいことになった顔面をぬぐうと︵あれは目 に入ると、とても痛いのです︶、わたしは口を大きくあけ、口内に 残った残滓を舌でもてあそんで見せました。 生徒の何人かは、それだけでまた、すぐにむくむくとおおきくな って、今度は本格的に挿入したいとねだってきました。 ﹁じゃあ、村瀬くんからね? 前戯は、しなくてもいいから﹂ セックス 挿入の順番は、成績順とあらかじめ決まっていました。 わたしはクラスで一番よい成績の子を呼んで、それから彼の前に 股をひらきました。指で秘唇をひろげ、穴を見せつけます。陰毛を 剃ってあるのは、経験の少ない彼らに対する、わたしなりの配慮で した。 1121 なか 濡れてひくつく花芯に、少年はまず息を飲み、それからはずかし そうに、膣内へと入ってきました。 突きあがるマ○コ。態度とは逆の、大胆な動きに、わたしはたま らず嬌声をもらした。電流が、子宮から脊髄をとおして駆け抜けま した。こちらの反応を見るや、チ○ポはうれしげに、さらに中で大 きくなりました。 ﹁先生、先生、好きっ、好きですっ。け、結婚してっ。ぼくと結婚 してくださいっ!!﹂ こうした言葉を出すのも、また若い年頃にありがちなことでした。 わたしは彼の頭をやさしくなでてやるだけに留めました。 こういった告白を受けた場合、年長者としての態度をくずさない のがわたしの常のやり方だったからです。 彼がわたしに母親を重ねて見ているのは明らかでした。 若いということは、とかく自分の感情を誤解しやすいものです。 肉便器への排泄すら、少年の純真は、ときに愛と取りちがえてしま うのです。 ﹁ばかなことを云っちゃダメよ。わ、わたしとのエッチはただの練 習なんだから。⋮⋮そ、そういうことは、本当に好きな子ができた 時に、ね?﹂ さと あえぎを殺し、わたしは彼を諭しました。 脳は快楽漬けで今にも、蕩けてしまいそうでしたが、懸命に教師 としての自分をふるい立たせ、なるべくきびしい表情をしました。 彼は哀しげな顔で、ますます、腰を烈しくふりたてました。 ﹁ぼくは本当に﹂ ﹁だめよ、それ以上は﹂ 1122 ﹁せ、先生っ﹂ ﹁あっ⋮⋮はあぁあんっ! わ、わたしはあなたたちの先生で。今 はセックスを教えてるだけなのぉ。だから、それ以上はダメえ。そ ういう言葉は、わたしみたいなオバサンじゃなくて、もっとふさわ しい子に取っておいて、ね?﹂ ﹁せ、先生。⋮⋮う、うう﹂ ﹁ああん、もう、高校生にもなって泣かないのぉ。⋮⋮ほらあ、わ たしはキミの恋人にはなってあげられないけど⋮⋮。んっ⋮⋮っ⋮ ⋮そ、それでも、こうしてエッチはできるでしょう。い、今は、キ なか ミの⋮⋮キミだけの女だからあ⋮⋮。だから今だけ、先生を恋人と 思って愛して。いっぱい︱︱いっぱい、わたしの膣内に出してくれ ていいからぁ⋮⋮!﹂ ﹁な、膣内に? で、でもそんなことしたら、に、妊娠しちゃうん じゃ︱︱﹂ ﹁いいよ⋮⋮。そそぎこんで、たくさん。先生、妊娠してあげる。 結婚はできないけど、キミの赤ちゃんなら生んであげられるから︱ ︱﹂ わたしは両脚を相手の腰にからめ、締めつけを強めました。 不思議なもので、こう云えば、たいていの生徒は素直に、おとな しくあきらめてくれるのでした。 女を自らの種で孕ます︱︱このことが、男性の支配欲を満たすの でしょうか。 彼もまた、それ以上は云いませんでした。ただ息を荒げ、目を閉 じ、わたしの身体にしがみついてくるのみでした。 わたしはもう一度、彼の頭をなで、それから腰をゆすりたてまし た。 ﹁んあああんっ。いいっ、いいよお、キミのち○ちん最高∼ッ! 最高よおっ、ひゃあ、烈しいっ、感じすぎちゃう∼∼∼ッ!﹂ 1123 ﹁先生っ、先生っ! すごいっ、すごい! も、もうっ、ぼくっ、 ぼくっ!﹂ ﹁ああ∼ッ! 出してっ! いっぱい出してえっ! いいのよ、お まん○こっ、子宮にッ! 精子出してッ! 好きなだけ射精してッ ! 先生を妊娠させてえッッ! 孕ませてぇ∼∼∼∼ッッ!!﹂ 淫らな言葉で、わたしは妊娠をせがみました。 もっともこれは、芝居のようなものでありました。生徒たちは知 らないことですが、わたしは以前から避妊薬を飲んでいましたから、 妊娠という結果はまずもって、ありえなかったのです。 ﹁ああっ! イクっ! イクよっ! 先生ッ!﹂ ﹁はいっ! イキますっ! 先生もイキますうっ! おま○こ、し びれてるう! イクうッ、イクッ、イクッ、イクイクイク、イっク ぅぅううう∼∼∼ッッ!!﹂ ﹁うっ! うおおおっ! せ、先生ッ! に、妊娠してっ! ぼく の精子でっ!﹂ ﹁ああんっ、出てるっ! 精子がいっぱい、いっぱい出てりゅぅう !﹂ ﹁じゅ、受精しろ、佐和っ、孕めっ! 孕めっ! 孕めええッッ!﹂ ﹁ふあああっ! んははああああン∼∼∼∼ンンンッ!!﹂ ふたり、たがいに絶叫し、昇りつめてゆきました。 わたしは膣内に熱いものを感じつつ、思いきり四肢をふるわせ。 わたしにしがみついた生徒は、泣きながら、子宮に亀頭を叩きつ け、射精をつづけていきました。 やがて射精が終わると、彼は涙をぬぐいながら身を離し、それに 代わって別の生徒がわたしの前に立ちました。その生徒は血管の浮 いたチ○ポをにぎりしめ、嫉妬に曇った表情で﹁おれも⋮﹂と云い ました。 1124 わたしはうなずき、それに応えました。 ﹁いいよ、荒木くんも、いっぱい出して。⋮⋮先生、ちゃんと、荒 木くんの赤ちゃんも妊娠してあげる。だから村瀬くんに負けないよ うに、赤ちゃんの素、いっぱい出して、先生のこと、孕ませてね︱ ︱﹂ ⋮⋮それからは、もう、ひどいものでした。 蒸し暑い、サウナじみた教室の中。わたしは次々、ぶつかるよう に向かってくる生徒たちに、なぶられ、突かれ、そして精をそそが れていきました。 日が傾く頃には、身体中ありとあらゆる箇所がよごされつくして、 もはや精子のかかっていないところなどない⋮⋮というくらいの、 まるで乳白色のプールに泳いだかのような姿となっていました。秘 裂や尻穴はぱっくりと口開け、そこからボトボトと、あらゆる体液 のブレンドされたものを泡立ちと一緒にこぼしていました。髪は乾 いた精液によってあちこちにへばりつき、口や鼻の中はぐちゃぐち ゃ、まともに呼吸もできない有様でした。 そうして、わたしをさんざん犯して満足した生徒たちは、いつも どおりの締めとして、伏せるわたしに向かい、全員で小便をかけま した。 わたしもまた、そんな彼らを眺めながら、やはりいつもどおりに 意識を遠ざけてゆきました。 ◇ ◇ ◇ 目を覚ますと、真っ暗な教室内に、わたしはひとり裸で寝かされ 1125 ていました。 気を失ってから、どれだけ経ったのか。わたしの身体は丁寧にふ き清められてあって︵もちろん、それでもところどころには精液が こびりついて、匂いもひどいものでしたが︶、床もきちんと清掃が スマートフォン なされておりました。枕元にはわたしの着ていた服が綺麗に折りた たまれてあり、その上に眼鏡と携帯電話、それからちょっとしたメ モと、あんぱん、水のボトルが置かれてありました。 うろん わたしは眼鏡をかけ、電話の薄明かりでメモを読みながら、ああ、 今日の後始末は××くんだったのだなと、胡乱な頭で思いました。 ボトルをつかみ、無造作な態度で、胃に水を送りこむと、頭も次第 にはっきりしてきて、今日もまた、一日が終わったのだとようやく に理解できました。 ﹁はァ︱︱﹂ 身体は泥のように疲れきっていました。 わたしは私物を引きつかみ、全裸のまま、教室を出ました。 ぺたぺた、廊下を歩いていくと、冷たいリノリウムが素足にひど く心地よく感じられました。暗い廊下は、非常口を示すランプが、 緑色に不思議な静けさをたたえておりました。 ﹁おはよう、ようやくお目覚め?﹂ 声をかけられたのは、ちょうどこの時でありました。 わたしは吃驚き、声のした方に目をやりました。 階段のある廊下の突き当たりから、細い、手のひらほどの光線が こちらに向けられていました。そこにいたのは懐中電灯を手に立つ、 目つきのきびしい、スーツ姿の女性でした。 ﹁教頭先生。いやん、あんまり吃驚かさないでください﹂ 1126 こうした言葉に、スーツの女性︱︱わたしの同僚でもある女教師 は、あきれた風に、肩を懐中電灯でたたき、それからゆっくりとし た足取りで近づいてきました。 ﹁小島先生、あなた、いったい今何時だと思ってるの?﹂ ﹁えっと⋮⋮八時くらいですか?﹂ ﹁九時よ。九時二十五分。守衛さんもとっくに帰ってる時間。まっ たく、こんな時間まで生徒とセックスだなんて、いくらなんでもや りすぎだわ。わたしも理事長も、そのうちかばいきれなくなるわよ﹂ ﹁すいません。でも、安心してください。生徒たちなら、先に帰ら せてますから﹂ ﹁あたりまえよ。そうじゃないと、親御さんが心配するでしょう。 ⋮⋮まったくあの子たちも物好きね。わざわざ、あなたなんかの趣 味につきあって、その上きちんと片付けまでしていってくれるんだ から﹂ ﹁うふふ。そうなんです、とってもいい子たちなんですよ。⋮⋮ど うですか、今度、教頭先生も一緒に﹂ ﹁遠慮しておくわ。わたしはあなたとちがって生徒と一線を越える つもりはないの。それに生徒たちだって、こんなオバサンは嫌でし ょう﹂ ﹁教頭先生がオバサンなら、わたしだって立派なオバサンですよ﹂ 云って、わたしは彼女を見つめました。 彼女は微笑を浮かべ、廊下を歩きはじめました。闇の中に、硬い 足音が響、わたしも裸で、彼女のうしろについていきました。目指 す職員用更衣室は、校舎の一階、その中ほどにありました。 ﹁教頭先生みたいに綺麗な人がシングルだなんて、もったいないで すよ﹂ 1127 ﹁わたしなんかより、大串の会長を心配しなさい。もてなす準備は ひと できているの? あの堅物のP○A会長、下手をしたら本当にさわ ぎかねない。そうなったら、あの女、ただじゃすまなくなるわ﹂ ﹁そこはだいじょうぶです。わたしの知り合いの中でも、特にうま い子たちに声をかけましたから。きっと満足してくれると思います よ。それに︱︱﹂ ﹁それに?﹂ ﹁今回は、とっておきを用意してあるんです。理事長に頼んで、特 別に用意してもらった人なんですけど﹂ ﹁理事長に?﹂ ﹁はい。理事長の秘蔵っ子で、というより、ほとんど息子さんみた いな人なんですけど﹂ ﹁理事長の息子? それは⋮⋮よく許可が下りたわね﹂ ﹁すごく頼みこんだんですよ。もう、あちこちに、ほとんど泣き落 としでえ﹂ ﹁それは理事長も困ったことでしょうね﹂ 同情をよせるように、教頭は云いました。﹁でも、ちょっとおも しろそう﹂ かつり、かつりと、階段を踏む音が、暗い踊り場に消えていきま した。 うえ ﹁教頭先生もきますか? その場合、病気の検査だけはしてもらい ますけど﹂ ﹁病気?﹂ ﹁やっぱり上流の人ですから。そこはきちんとするのがルールなん です﹂ ﹁ふうん﹂ ﹁どうですか? きっとたのしいと思いますよ﹂ ﹁そうねえ﹂ 1128 しばし考えた後で、躊躇いがちに教頭はこたえました。 ﹁じゃあ、わたしも参加してみようかしら。⋮⋮パーティはともか くとして、理事長の息子さんには会ってみたい気もするし﹂ ﹁わあ、本当ですか? うれしい、教頭先生のはじめての参加﹂ ﹁ああ、でも、あんまり期待はしないでね。できるだけ場の空気に は合わせるつもりだけど、わたし、そっちの経験はほとんどないか ら。どうしてもなじめないところや、わからないこともあると思う の。できないこととか﹂ ﹁だいじょうぶ、だいじょうぶですよう。今回はあくまで女性向け のパーティなんですから。先生はたのしむだけ、たのしんでくれれ ばいいんです。相手役にはみんな、ジェントルな子を選んでありま すしぃ、本当に嫌がるようなことはしませんから。避妊もちゃんと しますし、気に入った子だけ選ぶのも、なんだったら途中で帰って もらってもかまいません。そこは参加者の自由です﹂ ﹁そう、それならいいのだけれど﹂ 教頭先生は苦笑いしながら、せわしなく手先を動かし、口元をさ わりました。頬の、かすかに紅らんでいるのが、暗い廊下にあって も、なんとなくですがわかりました。いい年をして、自分は何をし ようとしているのだろう。こうした冷嘲の気分も読み取れました。 わたしは彼女の気持ちが変わらぬうちにと、彼女を後押しすべく、 携帯からいくつかの画像を引き出して見せました。二十歳前後のハ ンサムな若者たち。次のパーティで相手となる予定の子たちです。 ﹁どうですか、可愛い子たちだと思いませんか?﹂ ﹁そうね。たしかに可愛いわね﹂ ﹁あっちの方もとびっきりなんですよ﹂ ﹁そ、そう﹂ 1129 ﹁綺麗な顔をしてるのがケイタくん、ワイルドな感じの子がシンヤ くんです﹂ ﹁ずいぶん若いのね。こっちの子は? ⋮⋮ふたりと比べて、ちょ っと地味な感じだけど﹂ ﹁彼はタイガくんです。たぶん、ふふ、彼はふたりと比べてあまり 人気にはならないと思うんですけど。でもとってもいい子なんです よ﹂ こたえるわたしの脳裡には、青年の、沈んだ横顔が思い出されて おりました。それとともに、彼を囲う、まるで宝石のような美女た ちと、そしてそれを遠くから眺める、ひとりの哀しげな女も引き出 ひと されてまいりました。わたしと、わたしがかつて、ただひとり愛し た夫。ふたりで過ごした、夢のような日々も思い起こされてきまし た。 ﹁仮に⋮⋮。進む先が闇でしかないふたりがいるとして︱︱。それ でも手と手をつないで、ずうっと、歩いていけるなら⋮⋮。たとえ 炎に焼かれても相手の手をつかんでいけるのなら、うふふ⋮⋮。そ れはそれで、やっぱりお似合いのふたりだと、わたしなどは思うん ですけれど⋮⋮﹂ わたしのつぶやきに、教頭は怪訝そうな表情を浮かべました。 わたしは彼女に向かい、にっこりと、片目をつぶって見せました。 ﹁オプションは高くなると思います。でも、ええ、彼が一番たのし めると思いますよ。大串会長︱︱由利子さんにも薦めるつもりです。 うふ、うふ、ふ。わたしのオススメは、外れたことがないんですか ら。教頭先生も由利子さんも、ふふ、女に生まれてきてよかったと、 心底から思えるはずですよ︱︱﹂ 1130 女教師、小島佐和の場合 その2 その部屋に通され、虎ノ介がまずしたのは挨拶だった。 ﹁こんばんは、タイガです。今日はよろしくお願いします﹂ 曖昧な笑みをつくり、会釈をする。 するとすぐに、ソファでくつろいでいたふたりの青年が、虎ノ介 の方を見て、立ち上がった。 ﹁ああ、あなたが噂のタイガさん? やあ、こちらこそ、よろしく お願いします。あ、ぼくケイタって云います﹂ ﹁おれはシンヤっす﹂ それぞれ頭を下げる。ふたりは興味深そうな目つきで、新たな来 訪者であるタイガ︱︱久遠虎ノ介を眺めていた。 若い男たちだった。 ふたりともにハンサムで、タイプはちがえど、それぞれが女にも てそうな雰囲気をまとっている。 ケイタは色白で線の細い、無邪気な感じのする青年で、逆にシン りゅうき ヤは、長髪にアスリートのような引き締まった体躯、そしてどこか 荒々しい、男らしい面立ちをしている。 ⋮⋮ふたりがふたり、股間のイチモツを隆起させている。 ︵で、でかい︶ 内心うめきながら、虎ノ介は目の端でふたりのモノを観察した。 1131 うりがた はちきれんばかりにふくらんだ、瓜形の巨根はケイタのそれであ る。力感のある、赤みがかった肉が、少年の初々しさを思わせる。 シンヤの方は長い。黒光りするエラと、血管のみなぎった雄々し い幹は、まさに肉槍と呼ぶにふさわしい。 どちらも見事なまでに反り返って、ひくひくと、その存在を主張 している。尖端を濡らす透明な液が、若い牡特有の匂いを放ってい る。 こうしたふたりに対し、虎ノ介はと云えば、これははっきりと元 気がなかった。 しお 成人男性として、ごくありふれたサイズのペニスは、やわらかな フードをまとい、ふとももの間で萎れている。眼前の獣たちに気圧 されたのか、まるで子犬のごとき気弱さですくみ上がっている。 全員、裸であった。 都心にある高層のホテル。 その一室は特別の客が使う、ひときわ豪華なスイートで、階層高 きら いところにあり、部屋もひろく、壁の一面が窓で、外には見渡す限 りの夜景が煌めいてひろがっていた。内装や調度の類は、品のよい クリームと白、ダークブラウンとにまとめられ、淡い照明に照らさ れた空間は、日常に遠い空気を静やかに演出している。間取りはベ ッドルームだけでも複数、さらにはキッチン、リビング、ダイニン グとあって、その度を過ぎた贅沢さは、元来庶民である虎ノ介に、 何か場違いな感覚、あるいは嫌悪に近い感情を持たせもした。 そしてそんな場所に、全裸で男が三人︱︱。 異常なシチュエーションである。 虎ノ介は戸惑いとともに、ふたりを眺めた。視線に気づいたケイ タが、照れくさそうに笑った。 1132 ﹁あはは、男三人、こんな格好でよろしくもないもんですね。すい ません、みっともないところ見せて。ぼくらもう、クスリが効いて きちゃってるんで﹂ 云いながら、ケイタは手振りで、虎ノ介にソファを勧めた。 虎ノ介は素直に応じ、ソファへ腰を下ろした。やわらかい布地に パーティ 身体がぐっと沈んだ。 ﹁クスリ?﹂ ﹁精力剤ですよ。乱交の時は前もって渡されるんです。お客さんに 恥をかかせたらいけませんから。タイガさんはもらいませんでした ?﹂ ケイタたちも椅子に座り直した。ぶるんっ、と瓜形の巨根が揺れ た。 虎ノ介は首を振った。 ﹁先生? 佐和さんのことですか? それなら自分は何も。普段か ら常用してる薬があるんです。これ以上は増やすなって、医者に云 われてて﹂ ﹁あ、そうなんですか﹂ ﹁ケイタさんたちはいつも?﹂ ﹁さんづけはよしてくださいよ。ぼくらの方が年下なんです﹂ ﹁え? いや、でも﹂ は 虎ノ介は視線を横に向け、シンヤの方をうかがってみた。 シンヤもまたうなずき、口の端を曲げた。 ﹁タメ口でいいっす。無礼すんなって、おれたち、先生からキツく 云われてるんで﹂ 1133 ﹁そうそう、失礼なことすると黒服にさらわれて山に埋められるぞ って﹂ ﹁いや、いや。嘘うそ、そんなの大嘘だからね﹂ あわて虎ノ介は云った。 ニート 佐和が何を吹きこんだか知らないが、自分は乱痴気さわぎに駆り 出された単なる無職に過ぎない。敦子に頼まれたのでなければ、こ のような場所へくることもなかったろう。虎ノ介は思ってみた。 にっこり、ケイタたちが笑った。 くんとう ﹁先生に云われたら、うなずくしかないんです、おれたちにすれば。 高校の時から頭の上がらない恩師なので﹂ ﹁今、キミたちは?﹂ ﹁学生です、ぼくも、シンヤも﹂ ﹁大学生?﹂ ﹁ええ﹂ ﹁佐和さんとは?﹂ ﹁小島先生は高校の時の担任で⋮⋮。まあ色々と薫陶を受けたって 云うか、可愛がられました﹂ ﹁主にセックスの方っすけどね﹂ シンヤがつけ加える。 ﹁今でもこうして、時々呼ばれるンす。おれたちが一番、評判がい いらしくて。奥様おねーさま方にね。最近だと、大事な客のいる時 は、だいたいおれたちだ﹂ ﹁まあ、ぼくらは彼女もいないし、使いやすいってこともあるんだ と思います﹂ 屈託ない顔で、ケイタが云った。 1134 おどろ ﹁だから今回は吃驚きました。理事長先生の息子さんがくるって聞 いて﹂ ﹁いや、まあね﹂ ﹁でも、だいじょうぶかな。結構ハードですよ、ここのパーティ。 竿役はたいてい朝まで寝かせてもらえないし﹂ ﹁しぼられる?﹂ ﹁そりゃもう。もし明日、他に遊ぶ予定があるなら、それはキャン セルした方が無難です。まず反応しませんから。⋮⋮失礼ですけど タイガさん、彼女は?﹂ ﹁うん。⋮⋮いるよ﹂ ﹁今夜のことはもちろん﹂ ﹁知ってる﹂ ﹁恋人公認なんですか? そ、それはすごいな。寛大なんですね﹂ ﹁うん、心がね⋮⋮ひろいんだ﹂ 嘘だった。 おんな 佐和がホステスを務める、このいかがわしいパーティについて、 虎ノ介の恋人たちは最後までいい顔をしなかった。虎ノ介が東京に もどってからの約ひと月、片帯荘に吹き荒れた怒りと嫉妬の台風は、 もっぱら佐和のパーティ︱︱フリーセックスに原因があったのであ る。 事の発端は佐和がハーレムを知ったことだ。 ようらん 敦子と僚子のたくらみによって完成した久遠虎ノ介と下宿人のハ ーレム。ひとりの青年を囲う天鎖の揺籃に、唯一、女性住人でふく まれていなかったのが、かの淫乱女教師、小島佐和であった訳だが ⋮⋮ 1135 ひま ︱︱そりゃあ、こんな大所帯にもなれば、バレない訳もないさ。わ たしたち全員、閑さえあればアパートのあちこちで、イチャついた りエッチしたりしてるんだから⋮⋮あまつさえ敦子さんまで加わっ てるとあれば、これはもう、バレない方がおかしい。 そもそも隠す気がない。こう僚子が語ったとおり、彼らの関係は、 彼らが田舎からもどってすぐ、アパートの皆が知るところとなった。 佐和と、そして宮野である。 もっとも、それで何か問題があるのかと云えば、そうではない。 インセスト ハーレム 佐和も宮野も、性においてはマイノリティであり、だからこそ他 人の恋愛に口を挟んだりはしない。近親愛であろうが、後宮であろ うが、合意にもとづく愛である以上、彼らは一定の理解をしめす。 野暮な一般論をあたえるほど狭量でもない。 ふたり そしてまた、虎ノ介の一番気にかけていた面倒も、おおよそ舞と ひらき直って 虎ノ介を犯している現状、ほぼ全ての問題は 敦子に関わることであって、世間体ではなかったのだ。母娘が、云 わば 解決していると云える。 はじまりが女性陣の主導だったこともあって、ハーレムはしごく 順調に運営せられている。虎ノ介はハーレムという関係性を、ひと つの日常として暮らすようになっている。けれど。 の ︱︱わたしだけ、除け者なんて嫌です。 まさか、そうしたことを佐和が云い出すとまでは、さすがの敦子 も想定しなかったらしい。 あたりまえだ。除け者も何も、佐和は虎ノ介と恋愛関係をむすん でいない。 虎ノ介は佐和をきらっていないし、それなりに親しくもしていた が、それはあくまで下宿人同士のつきあいに過ぎず、男と女のそれ ではなかった。佐和にしても、不特定多数と乱交したり、人目はば 1136 じとく と云い出した。 からず自涜にふけるといった、日頃から問題のある人物であったか 自分もハーレムに入りたい ら、特定の恋人とはやはり無縁だった。 その佐和が、 みは 周囲が吃驚いたのは云うまでもない。 朱美は目を瞠り、玲子は冷たいまなざしを向け。そして僚子は好 奇心から目を細めた。準が﹁またか⋮﹂とつぶやく横で、舞は彫像 のように色を失って絶句し、敦子はめずらしく困った様子で眉をひ そめた。 佐智だけがいつもと変わらぬ無表情でいた。 虎ノ介は﹁無理だ﹂と叫んだ。﹁これ以上は死ぬ﹂とも。 ・・・ 当然、もめた。 まず僚子らによって虎ノ介の浮気が追及され、彼の、直近の動向 ただ がくまなく調べられた。そうして潔白が証明されると、次に女たち は佐和の真意を糾した。これまで虎ノ介に対し、特別の好意を見せ てこなかった佐和である。誰とも寝る代わり、誰とも深くつながろ うとしなかった佐和である。そんな佐和が、今さら都合よく虎ノ介 に惚れるとは考えにくい。 ⋮⋮女たちの読みは正しかった。 佐和は虎ノ介に惚れていた訳ではなかった。単に自分だけ外野と いう形が寂しいのであった。とにかくみんなと一緒がいい。佐和は、 敦子に訴えた。 もちろん敦子は認めなかった。 虎ノ介を想っていること。虎ノ介に想われていること。貞操を守 ること。 とし 敦子の考える最低限度の条件を佐和は満たせていなかった。 すると今度、佐和は泣いた。泣きまくった。いい年齢をして、本 気で涙ぐんだ顔つきで、敦子たちに甘えすがった。 1137 ほだ この攻撃は数日にわたってつづき、敦子と住人たちを困らせた。 もと 情に絆されたか、虎ノ介などはだんだんと同情的な意見を述べる ようにもなった。 しまいに敦子も折れた。 どうきん 結局、敦子は舞や他の住人と話し合い、いくつかの条件の下、月 に一度だけ、虎ノ介との同衾をゆるすことにした。月にひと晩程度 さと であれば、紅葉を抱いていた時と大差ない。まあ妻公認の遊びのよ うなものだと、敦子は舞や玲子らに云って諭した。つまり妻でなく 愛人、そんな立場を佐和にあたえたのである。 ︱︱ごめんね、虎ちゃん。形だけでも相手してあげれば、それで彼 女も満足すると思うから。 こう敦子は、虎ノ介に謝った。 気にしなくていい、虎ノ介は答えた。 佐和はよろこんだ。とてもよろこび、早速、虎ノ介に手をつけた。 虎ノ介も今や相当な性豪だったので、愛人のひとりやふたり、今 さらどうということもなかった。特別の情愛はないにしろ、情け望 ニンフ む女をむなしくさせぬ程度には慣れている。朝までかけ、彼は存分 に年上の淫婦を可愛がった。そして︱︱。 ︵その結果が、乱交デビューとはね︶ パーティ に引き出 ソファの背に身体をあずけ、虎ノ介は苦笑を浮かべた。 佐和に気に入られた虎ノ介は今、こうして されている︱︱。 佐和のパーティ。 それは本来、敦子が主催のものである。田村と親交のある人物を 1138 きょうえん 招き、もてなす性の饗宴である。普段は政財界の関係者、高級官僚、 各業界の大物などが招かれ、佐和をふくむ大勢の女たちと、後腐れ ない一夜の冒険をたのしむ。あるいは別に、欲求不満な婦人たちが つどって、若い男をつまんだりする。 こうしたパーティへ虎ノ介が出る。 恋人たちから文句の出ない訳がなかった。 佐和との同衾は認めたが、浮気をゆるした訳ではない。舞は青す じ立てて怒った。 けれども、それもまた佐和の性癖なのであった。 彼女と同衾する以上、乱交、スワッピング、その他諸々。視野に 入るのは当然ではないか⋮⋮。 そう冷静に云ったのは佐智で。 云われてしまえば、舞にもそれ以上の反論はむずかしかった。た しかに、舞にしろ敦子にしろ、片帯荘の女たちは皆、さまざまな形 で欲望を持っている。そして虎ノ介が逆らわぬのを良いことに、そ れを好き放題にぶつけている。ならば佐和だけ制限されるのもおか しい話だ。佐智は淡々と云った。渋々だが、舞もうなずくしかなか った。 無論、それで全てが丸く収まる、とはいかない。 その後もしばらく、女たちの機嫌は荒れ模様だったし、虎ノ介は ひま 折にふれ、彼女らの嫉妬にさらされた。 怒りの日 ディエスイレ を大音量で流す⋮といった地 たとえば準は、閑さえあれば虎ノ介の部屋にきた。きてはステレ オから、モーツァルトの 味な嫌がらせを繰り返した。玲子などは露骨に、佐和へ厭味を云っ た。比較的、浮気に寛容な僚子や朱美でさえ、時折、会話の中でチ クリと虎ノ介の胸を刺した。 愛が重たい。 1139 虎ノ介は思わずにいられなかった。 背に冷たい汗を浮かべ、しかし同時に、そんな愛が無性に心地よ いのも、またたしかだった。 1140 女教師、小島佐和の場合 その3 ﹁タイガさんはどうして、ここに?﹂ ケイタが云う。 虎ノ介を見る彼の目は、どこか熱っぽい光があった。 ﹁乱交に興味でも?﹂ ﹁興味⋮⋮﹂ 虎ノ介は少し考え、それから、ゆっくりとした調子で答えた。 ﹁というより手伝いでね﹂ ﹁手伝い? 理事長先生のですか?﹂ 虎ノ介はうなずいた。 脳裡には最愛の伯母と、そしてその伯母のためにはたらく無邪気 な女がよみがえってきている。温柔で、だらしない女教師がある。 わら 虎ノ介は今一度、佐和の頼みを思ってみた。女性客へのもてなし。 自分などに何ができる、そう嗤いはするものの、しかし彼は敦子の ために、己を棄てても惜しくなかった。たとえ、それが敦子の望み でなかったとしても。彼は敦子の役に立ちたかった。 足をのばし、動かす。絨毯の毛並が、裸足の指をやさしくくすぐ った。 虎ノ介は出がけに見た、舞の不機嫌そうな顔と、敦子の心配そう な顔を交互に浮かべてみて、﹁く⋮﹂と喉奥で微笑った。 1141 女の子 って感じじゃあ、ないっすよ﹂ ﹁エッチはきらいじゃあないな。女の子も﹂ ﹁ アルコール こう云ったのはシンヤだった。彼はトレイにいくらかの酒類を引 き出してきて、それらを丁寧な動作で、ガラスのローテーブルへと 置いた。一瞬だったが、そのやわらかな手つきに、 ︵なるほど︶ 虎ノ介は感心した。 無骨な外見にそぐわぬ、洗練された態度がそこにあった。普段は って感じスよ。 牝 って感じ﹂ 強引でも、ベッドではちがうのだろう。そう感じさせる手つきだっ オンナ た。 ﹁ ﹁それも悪くない﹂ カクテルの瓶をとり、虎ノ介は云った。蓋を引き開け、舐める。 甘いオレンジの香りが、喉奥を落ちていった。 ﹁あ、あまり飲み過ぎない方がいいっス、一応。勃たなくなるとマ ズイんで﹂ と、シンヤは腕の時計を見ながら云った。 ﹁もう、そろそろ時間だ。女性陣があつまってくる頃だ﹂ モノ を眺めて、おずおず、躊躇いがちに話を切り ケイタはひとり酒をとらなかった。﹁あの、タイガさん?﹂と、 彼は虎ノ介の 出した。 1142 ﹁ん?﹂ ﹁タイガさんの それ ﹁そ、そうだね﹂ 、まだちいさいままですよね﹂ ﹁あの、もしよかったらですけど﹂ ﹁うん﹂ ﹁ぼく、舐めましょうか?﹂ ﹁はっ?﹂ 突然の申し出に、思わず虎ノ介は飲んでいた酒を噴き出した。む せながらケイタを見る。﹁え、ええ⋮?﹂ ケイタは、色白の整った顔をほんのりと桜色に染め、虎ノ介の返 事を待っていた。⋮⋮期待からか、彼の尖端は先刻よりはっきりと 濡れ、透明な液をトクトクと流している。 虎ノ介は当惑した。 ﹁な、何を﹂ ﹁だ、だめですか﹂ ﹁いや、だめというかさ﹂ ﹁というか?﹂ ﹁おれ、男じゃん﹂ ﹁はい﹂ ﹁キミも男だし﹂ ﹁だめですか?﹂ ﹁それは、だ、だめじゃないかな、やっぱり﹂ 若干、引いた姿勢で答えると、ケイタは見るからにしょんぼりと した様子で肩を落とした。 テーブルの煙草を引きよせ、シンヤが云った。 1143 ﹁うまいっすよ、ケイタのフェラは。そこらの女よりよっぽど上手 い。試してみたらどうすか。たのしめることは、おれが保証します﹂ くわ 煙草を銜え、手慣れた仕草で吸いつける。 ケイタは甘えるように虎ノ介を見ていた。 虎ノ介はそうしたふたりを制して、片手を上げた。 ﹁待ってくれ。たのしめるって、キミたちはそっちの気もあるのか い?﹂ シンヤはかぶりをふった。 ﹁おれはストレートすよ。セックスも女とヤル方が好きだな。ケイ タは︱︱﹂ ﹁ぼくは両方いけます。男性も女性も。あ、でも本当に好きになっ ちゃうのはたいてい男性ですけど。タイガさんも、あの、実を云う とかなりタイプです﹂ にっこりと微笑む。 さすがに薄気味の悪いものを感じて、虎ノ介はソファの席ひとつ 分を、座ったままでずれた。 ﹁そんな逃げなくても﹂ ケイタは哀しげだった。シンヤが紫煙を吐き出して笑った。 ・・ ﹁乱交とかやってると、そういうのは案外ふつうって云うか、ざら なンすよ。男同士でキスするとか舐めあうとか、どうしてもね。そ の時のノリで、もちろんメインは女なんすけど、アルコールとか入 ってますから。どうでもよくなってくる。ぐちゃぐちゃになってく 1144 るでしょ。そうすると女性陣もやっぱり女同士でキスしたり、アソ コ舐め合ったり、ディルド突っこんだり⋮⋮まあ、中にはそういう のきらう人もいますけど。タイガさんもだめなタイプっすか?﹂ 一所懸命、虎ノ介は首を縦にふった。 ﹁うん無理、無理だよ、おれ。女性同士とか、見てる分には綺麗だ と思うけど。自分が男とするのは無理だ﹂ ﹁あー、潔癖なンすね。なら仕方ねーか。⋮⋮だってよ、ケイタ。 タイガさんは無理だから、今日はストレートに徹しろ﹂ ﹁そんなあ﹂ ﹁いいだろ、人数も少ねえしな。我慢しろよ。それにタイガさんだ って、仲良くなれば、そのうち抱いてくれるって﹂ ﹁ちぇー、仕方ないな﹂ ないない。絶対ない。 心中つぶやきながら、虎ノ介はふたりの美青年を見つめた。世の 中には、自分の知らない、さまざまな世界がある。奇妙で恐ろしげ な世界がある。虎ノ介はあらためて世間のひろさを思った。 ﹁ナショ○ルジオグラフィ○ク⋮⋮﹂ ﹁何か?﹂ ﹁いや、なんでもない﹂ 怪訝そうなケイタから、虎ノ介は目をそむけた。 ◇ ◇ ◇ 1145 しばらくすると、彼らのいる部屋に、ひとり、ふたりと女がつど ってきた。 バーから、別室から、ラウンジの方から。めかしこんだ格好の女 が佐和に通されて入ってくる。それぞれ入室前に佐和から一杯の水 ひと を受け取り、それを干してリビングへとくる。ボルドーのワンピー ひと ドルマンスリーブ スを着た、いかにも貴人らしい威厳のある女。スーツ姿で、きびし レギンス ひと い顔立ちの、まじめな雰囲気のある女。茶色いトルコ風のニットに、 ひと 下には股引を履いた、大人らしい余裕をたたえた女。歌劇の男役を 思わせる、長身でさわやかな風貌の女もいた。型はちがえど、いず れも女ざかりで、生活に余裕のありそうな、なるほど、こうした遊 びをするのもうなずける、ちょっとよい身なりをしている。 女たちは佐和をふくめ、およそ十人はいた。 だいたい常連なのか、リビングへくるなり、各人、お目当ての若 者へ群がっていって︵と云っても、それはケイタかシンヤでしかな かったが︶、室内はいっぺんにさわがしくなった。 ひさしぶりね、元気していた? 会いたかったケイちゃん。シン ヤくん、ずっとこないから心配したのよ。外で会う話、考えてくれ た? 今夜もたくさん、たのしませて。 けしき そんな黄色い声が、ふたりの青年を取り巻いた。 ふたりは手慣れた気色で女たちの相手に向かっていった。笑いな がら応え、機嫌を取る。女の髪をさわり、頬をなでる。耳元に顔よ せ、何事かささやく。そのたび女たちはうれしげな様子で頬を紅め た。情欲ににごった目を、ふたりの、股間へそびえる男根に向けた。 そのうち、しゃべるのにも飽きたのだろう、女のひとりがケイタ にキスをした。そしてそれを皮切りに、他の女たちもいよいよ発情 の気分をあらわにしはじめた。ある者は服を脱ぎ、ある者はさかん オナニー インディゴ にキスをねだりはじめた。ペニスをなでる者、あるいは見せつける ように手淫する者もあらわれた。照明はさらに暗く落とされ、青藍 1146 に乳をぶちまけたような夜景が、窓越しにはっきりと映るようにな った。 ︵盛り上がってきたな︶ 虎ノ介はひとり離れた場所に座って、それらの光景を眺めていた。 手には安物のカクテル。彼の相手をしてくれそうなものは酒しか ない。 ︵わかってたけどね︶ 赤い酒を、虎ノ介はぼんやりと舐めた。 不満に思う気持ちはなかった。むしろいつもとはちがう新鮮な気 分で、彼は目の前の乱交を眺めていた。片帯荘も外から見れば、こ のように見えるのかもしれない。そうしたことも考えた。 ソファの上では、女がひとり、シンヤの愛撫を受けている。 痩せ型で、茶色いソバージュ髪の、派手な化粧をした女。服を着 けたまま、股間にイボのついたバイブを差しこまれている。大股び らきで、細い腰をくねらせ、もだえている。 ﹁ああんっ。イイっ。イイのっ。気持ちイイのっ。イっちゃう。シ ンちゃんにおま○こッ! おま○こ、かきまわされてイっちゃう! イク∼∼∼∼∼ッ!﹂ しぶき がくがく、全身をふるわせ、絶頂する。股間が飛沫を上げる。 ﹁いいぜ、ミキさん。イっちゃって。我慢しないで、気持ちよくな って﹂ ﹁ひゃあああんッ!!﹂ 1147 半開きの口から舌をのぞかせ、女はおとがいを反らした。 シンヤはまったく休ませる気配を見せず、ズコズコと、バイブを 膣洞に出し入れしている。そしてそのシンヤの股間にもまた、別の 女性がうれしそうに舌を這わせている。 クローズドフィーメル ネイキッドメイル ︵男は全裸で女は着たままか。そういう趣味の人が多いのかな︶ 虎ノ介は視線を移した。 見れば、数人を連れたケイタが、寝室に向かおうとしていた。 両脇にはべらせた全裸の熟女の尻には、ケイタの白い手がのびて いる。なぞるように、女の秘裂を愛撫している。ふたりはそれを恍 惚として受け入れ、愛液をしたたらせている。 ﹁あちらは年長組か﹂ 虎ノ介の見立てでは、客の年齢は二十代後半から四十半ば。三十 代が多かった。その中で、比較的若い層に人気なのがシンヤで、逆 にケイタは年長に人気があった。 ﹁おもしろいな﹂ 独りごち、虎ノ介はカクテルを干した。テーブルに空き瓶を置い た。 ﹁おもしろいな﹂ もう一度、繰り返す。 ひとり、女が近づいてきたのはその時だった。 三十くらいだろうか、きびしい目つきをした、どこかまじめな匂 1148 いのする女だった。セミロングの髪をひっつめにし、どちらかとい えばシャープな、抑制のきいた顔立ちで、しかしそれとは裏腹に、 身体は肉感的な線をもって訴えていた。服装はスーツで、禁欲なも のだが、それが逆に秘めたエロチシズムを見る者へ感じさせた。 女性は虎ノ介の隣へ座り。虎ノ介が目をやると、少し照れたよう に微笑った。 ﹁こんばんは﹂ おちつ 沈着かない様子で云う。ブラウスの胸元は、じっとりと汗ばんで いた。 虎ノ介は会釈し、眼前の乱交へ意識をもどした。 リビングではシンヤが、客たちに愛情こもった口淫をほどこして いる。女たちの、黒だったり、ピンクだったりする花芯を、口で、 あるいは指先でなぐさめている。 女たちは白くねばついた股間をふるわせ、荒い息であえいでいる。 ﹁ッンンンンンン!! シ、シンちゃあんっ! あっ、あっ、あっ。 ああ∼∼っ﹂ ﹁舐めてっ。もっとわたしのマ○コ舐めてェッ! わたしのスケベ なマ○コ、シンヤの舌でお仕置きしてえーっ﹂ ﹁だめよッ! だめなのッ! ひぃっ! いひィイっ! そ、それ 以上されたら、おしっこ出ちゃう! やぁああんっ! お、おもら しでイグぅううっっ!!﹂ ⋮⋮嬌声が、リビングをふるわす。 ﹁すごいものね﹂ あきれた風に、スーツの女が云った。 1149 虎ノ介は上下に、首を何度かふるった。 ﹁そうですね、ホント、すごい﹂ ﹁あなたがタイガくん?﹂ ﹁ええ﹂ ﹁さっきから静かなのね。あなたは参加しないの?﹂ 虎ノ介は苦笑し、隣の女を見た。 女はやさしいまなざしで虎ノ介を見ている。教師が、生徒を見る ような目で見ている。 虎ノ介は自分が全裸であることを思い出し、急にはずかしい気分 になった。 分身は、目前に見える性の饗宴に興奮し、すでに強くいきり立っ ている。ひくひくと、女を求め、無意識のうちに尖端を濡らしつつ ある。 虎ノ介はさりげない態度をよそおい、腕で勃起を隠した。女の目 が、目ざとくそれを追った。 ﹁見てのとおり、相手がいません﹂ 客のほとんどはケイタか、シンヤへと向いていた。 あるいはそれ以外の者もいるにはいたが、その彼女らもまた、少 し離れた場所から、酒片手に乱交を眺めるだけだった。時折、虎ノ 介の方へ視線を向けたりするものの、誰も積極的に話しかけてこよ うとはしない。 ひと ﹁ひとりだけ、相手をしてくれそうな女もいたんですけどね。いな くなったので﹂ ﹁小島先生なら、別のお客さんを迎えに行ったわ﹂ ﹁別の客?﹂ 1150 ﹁ええ﹂ ﹁佐和さんとお知り合いなんですか?﹂ ﹁同僚よ。だからあなたのことも少し聞いているわ、タイガくん。 あなたは理事長の︱︱﹂ ﹁甥です﹂ ﹁甥? 息子さんでなく?﹂ ﹁まあ、似たようなもので﹂ ﹁育ての親?﹂ ﹁そんなところです﹂ 虎ノ介はうなずいた。 事実、ふたりの関係は親子と変わらなかった。親子であり、恋人 であり、夫婦であり、そしてまた義理の母と息子でもあった。今で はさまざまな垣根を超え、深くむすびついたふたりであった。 しき ななえ ﹁そう、理事長の⋮⋮。ああ、ごめんなさい。挨拶が遅れたわね。 わたしは志木よ。志木七重。七重と呼んでちょうだい。理事長には いつもお世話になっているわ﹂ よろしく、と。七重は虎ノ介を見すえたまま云った。 ﹁ナナエ、さん? もしかして本名ですか?﹂ ﹁そうよ、なぜ?﹂ ﹁こういう場では、本名を名乗らないと思ってたので﹂ ﹁え?﹂ ﹁みんな偽名なのかと﹂ ﹁あ⋮⋮そ、そうね。そうかもしれない。考えてみればあたりまえ よね。こんなパーティだもの。⋮⋮ごめんなさい、わたし今日がは じめてなものだから、その、こまかいルールとかわからなくて、つ い﹂ 1151 みは うつむき、七重は顔を紅くした。白い首すじ、うなじが桜色に染 まる。 その美しさに、虎ノ介は思わず目を瞠った。 七重は取りつくろうように云った。 ﹁い、嫌ね、わたしったら。はずかしいわ﹂ ﹁七重さんは、今日がはじめてなんですか?﹂ ﹁ええ、小島先生に誘われてね﹂ ﹁おれもそうです。おれは久遠虎ノ介。虎ノ介って云います。こっ ちが本名です﹂ 虎ノ介は云った。 今度は七重が吃驚く番だった。 ﹁虎ノ介、くん﹂ ﹁はい。これで呼んでください﹂ ﹁でも、どうして?﹂ ﹁おれだけ嘘の名じゃあ失礼ですから﹂ 虎ノ介は思ったままを告げた。 七重は虎ノ介をまじまじと、好ましげなものでも見るように見つ め。それから少しだけ、声を上げて笑った。 ﹁うふ、ふふっ﹂ ﹁七重さん?﹂ ﹁ええ、ごめんなさい。なんでもないわ。ちょっと吃驚いただけ﹂ と云って、七重は手元のハンドバッグから煙草を引き出した。 1152 ﹁吸ってもいいかしら。なんだか緊張しちゃって﹂ ﹁どうぞ﹂ 虎ノ介が答えると、七重は取り出した煙草を銜え、ライターで火 をつけようとした。火はなかなか、つかなかった。ライターをこす る手がふるえていた。虎ノ介は七重の手からライターを取ると、そ っと火を向けた。七重はそれで煙を吸いこんだ。 ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ す うまそうに喫った後で、七重は虎ノ介から離すように、ふうと煙 を吐いた。 虎ノ介はテーブルにあったトレイから、グラスとウィスキー、ア イスキューブの入ったボックス、それにミネラルウォーターを取り よせた。封切った三十年もののモルトは、えも云われぬ、芳醇な香 りをたたえている。虎ノ介は、その琥珀の液体を、用意したふたり 分のグラスへとそそいだ。七重にはオンザロックスを、自分には、 じゃぶじゃぶに薄めた、もはや酒か水かもあやしい、特別な水割り をつくった。 ﹁そうよね。たしかに、自己紹介したって仕方ないのだわ﹂ 七重は足を組むと、考え深い調子で云った。 虎ノ介は何も云わず、水割りを舐めた。 七重はつづけた。 ﹁遊びのためのパーティですものね。セックスをするだけの。なら そう、そうね、虎ノ介くん︱︱﹂ ﹁はい﹂ ﹁よかったら、わたしの相手をしてくれないかしら﹂ 1153 ﹁相手?﹂ ﹁さっきから身体が熱くて仕方ないの。うずいてる、って云うのか しら。はずかしいけれど我慢できそうにないわ。⋮⋮仕方ないでし ょう。さっきからずっと見せつけられてるんだもの。キミの、すご く張りつめて、つらそうにしてるそれ﹂ ﹁あ︱︱﹂ ﹁いいでしょう? もとより、そういうパーティなのですもの。そ れとも、わたしじゃだめかしら﹂ ﹁まさか﹂ 虎ノ介は首を左右へとふった。 ﹁おれなんかでよければ、よろこんで。でもいいんですか? 彼ら じゃなくて﹂ ﹁あなたがいいの。ハンサムは苦手だわ﹂ ﹁ふむ﹂ ﹁勘違いしないでね。あなたの器量が悪いと云ってるのじゃないの ひと よ。そうではなくて、単にわたしの趣味の問題と云えばいいかしら。 ほら、整った顔立ちの男って、なんだか全体に真実味がないでしょ う。簡単に女を騙しそうだし、自信満々だもの。それが苦手なのね、 怖いのだわ﹂ ためし ﹁なるほど。そういう意味じゃ、おれはちがいますね。女性をだま せた例もない﹂ ﹁ええ。あなたは素直な、とってもイイ子だわ﹂ 断定し、七重は虎ノ介のふとももへ、そのほそやかな手を伸ばし た。足のつけ根に近い、ペニスにふれるかふれないかというところ を、ゆっくりさする。 白魚のような指の、冷ややかな感触に、思わず虎ノ介は声をもら しかけた。 1154 ﹁っ⋮⋮お、おれは趣味に合う?﹂ ﹁ええ。率直に云って、好みよ。くる前は不安だったのだけれど、 あなたのような子がいてよかったわ﹂ 云いながら、ふとももをさわる。 虎ノ介は七重の手をにぎった。 ﹁七重さん﹂ ﹁と、虎ノ介くん﹂ 視線が交錯する。 やがて、どちらからと云わず、ふたりは唇を合わせた。 虎ノ介は七重の口を吸いながら、彼女の胸へと手を這わせた。や さしい手つきで、乳房をもんだ。標準よりおおきい、巨乳と呼んで さしつかえないものが、狭いブラウスの中で、くるしげにはずんだ。 ﹁んふっ⋮⋮ん、んん⋮⋮と、とらのふへ、くん﹂ いき 徐々にキスは烈しくなり。それとともに七重の呼吸も上がりはじ めた。 虎ノ介は、七重の舌をねぶりながら、愛撫の手を彼女の股間へと 向けていった。スカートへ手をもぐりこませる。七重ははっとした 様子で唇を外した。唇と唇の間に、銀の糸が﹁ツ⋮﹂とたれ下がっ た。 ﹁ま、待って﹂ ﹁何﹂ 虎ノ介は手を止めなかった。びしょ濡れになったショーツの奥を、 1155 指先で探った。七重がふるえた。 ﹁んんっ! まっ、待ちなさい︱︱﹂ ﹁なんですか﹂ ﹁わ、わたし、こういうのはっ⋮⋮あんまり、な、慣れてないから﹂ ﹁慣れてない?﹂ ﹁そ、そうよ、慣れてないの。男の人としたのも、ずっと前のこと だし、だ、だから、もっと⋮⋮ひっぁあああッッ!?﹂ ﹁これから慣れていけばいいですよ、ゆっくりとね。だいじょうぶ、 七重さんのおま○こは嫌がってないです﹂ ﹁お、おま︱︱﹂ ﹁怖がらないで﹂ 絶句する七重を無視し、虎ノ介は愛撫をつづけた。肉芽をなでつ つ、中指と薬指を膣内に送る。不安に身をすくませる七重の、頬や 喉にキスする。けっして急がず、あくまでもやさしく。虎ノ介は七 重を、真心のこもった奉仕でつつんでいった。 うた 七重は、だんだんと力を失っていった。 愛液は粘り気を増し、謳うような声が、高らかに響きはじめた。 ◇ ◇ ◇ しばしの時が過ぎた。 虎ノ介がつくった水割りは、干され、なくなっている。 吸いかけの煙草も、灰皿でとうに燃えつきている。 七重は、もはや何も考えられないといった風情で、天井を見つめ ていた。ソファに座ったまま、だらしなく放り投げた足を、ひくひ く、がに股でふるわせている。あえぎつかれた口元は、たれ落ちた 1156 よだれが幾すじも痕を残している。 虎ノ介は自分の、愛液でふやけた、女くさい指を舐めると、そう した後で七重の服をつかんだ。スーツと、ブラウスと、ひとつひと つ丁寧に剥ぎ取っていった。 ﹁す、すごいものね﹂ 七重が虚ろな表情でつぶやく。 虎ノ介は尋ねるような視線で、七重を見た。七重は云った。 ﹁こんなにイかされたの、生まれてはじめてよ。オナニーでもこん なに感じたことはなかった﹂ ﹁経験があまり?﹂ ﹁そうね。少ない方だと思うわ。男性に興味ない訳ではなかったけ れど、機会がなくて﹂ ﹁欲求はあった?﹂ 七重の前へしゃがみこんで、虎ノ介は尋ねた。愛液でぐしょぐし ょに濡れたショーツへ手をかける。 七重はうなずくと、両足を持ち上げ、ショーツから片方ずつ抜い た。陰毛の剃り上げられた、うつくしい丘が虎ノ介の前に出た。 ﹁あ、処理してるんですね。道理でさわっても見つからないはずだ﹂ 濡れた庭園を眺めて、虎ノ介は云った。 七重ははずかしそうに、顔を紅めると、口元に手の甲をあてた。 白い腋下があいた。 1157 女教師、小島佐和の場合 その4 ﹁い、一応、今日のために剃ってきたの。こんなオバサンを抱くの、 若い子は嫌でしょう? だからせめて身綺麗にしておこうと思って﹂ ﹁そんなことないですよ。うん、綺麗だ﹂ 虎ノ介は七重のとば口をひろげた。 のり 陰唇の間、花園のやや下方に、肉穴がぽっかりとあいている。白 い糊のこびりついたそれは、息づくようにうごめき、女の浅ましい 匂いを﹁むん⋮﹂と漂わせている。 ﹁いい匂い﹂ ﹁じょ、冗談よしなさい﹂ ﹁ちょっと信じられないな﹂ ﹁な、何が﹂ ﹁七重さんが独りだってことが。だって、こんなに魅力的なのに。 もったいない。七重さんの周りの男性は見る目がないね﹂ ﹁それは、わたしに女としての魅力がないから﹂ ﹁そんなの嘘だよ﹂ 云って、虎ノ介は七重の花びらを舐めた。 またぐら 七重はうれしげに声を上げると、ゆっくり、虎ノ介の首へ足を巻 きつけた。 虎ノ介はしゃがみこんだまま、座る七重の股座へ、顔を押しつけ た。張りのあるふとももが、虎ノ介をはさんだ。 ﹁本当よ。地味で退屈で、まじめしか取り柄のない女なの﹂ ﹁そんな風には思えないな﹂ 1158 ﹁キミは、ふだんのわたしを知らないのよ﹂ ﹁ふだんはどんななの?﹂ ﹁⋮⋮つまらない女よ。生徒にも陰口を云われてる。鬼教頭とか、 女を棄ててるババアだとか、それから鉄の処女なんて﹂ ﹁教頭先生なんだ﹂ ﹁そうよ﹂ ﹁ババアはひどいな。こんなに綺麗なのに﹂ ﹁そんなこと云ってくれるの、あなただけよ﹂ ﹁セックスは?﹂ ﹁大学時代につきあってた人と少しだけ。⋮⋮痛いだけで、まった くよくなかった﹂ ﹁そう﹂ ﹁たのしんでみたい気持ちはあったのだけれど﹂ 過去をなつかしむように、七重は微笑った。 ﹁まさか、こんな形でセカンドバージンをなくすなんて思わなかっ た﹂ ﹁今夜は相当に勇気がいったんじゃないですか﹂ ﹁ええ、でもあなたがくるって聞いていたから﹂ ﹁おれ?﹂ 虎ノ介は首をかしげた。七重の、腫れあがった突起をついばんだ。 ﹁んんっ。そ、そこっ、弱い⋮⋮﹂ ﹁おれがなんだって云うんです?﹂ ﹁ンッ⋮⋮あ、あなたが理事長の息子さんだって聞いたから﹂ ﹁どういう意味?﹂ ﹁彼女を︱︱敦子さんを尊敬していたわ、学生だった頃から。特別 な、そう彼女は特別な人、だから︱︱。綺麗で、格好よくて、華が 1159 あって︱︱⋮⋮ンッ! ンンンンッ!﹂ ﹁よくわからないな﹂ 膣口へと、虎ノ介は舌先をねじこんだ。 七重の腰が跳ねた。その表情は快楽に歪んでいる。 ﹁ひ︱︱﹂ ﹁それがおれとなんの関係が?﹂ ﹁か、関係はないわ。でも理事長の息子さんなら︱︱﹂ ﹁息子なら?﹂ ﹁きっと、素敵な人だろう、って﹂ ﹁何それ﹂ ぷ、と吹き出して、虎ノ介は応じた。 ﹁おれはただのニートですよ。職も学もない﹂ ﹁そ、そうなの?﹂ ﹁ええ、残念ながらね﹂ ﹁で、でも、わたしはちがうと思うわ。ええ。やっぱりちがうと思 う。あなたはイイ子だもの。わたしみたいなオバサンにもこうして、 やさしくしてくれる﹂ 七重は自分の指を噛むと、ぐうっと、おとがいを反らした。 ﹁す、好きになっちゃいそう⋮⋮ッ!﹂ 虎ノ介はうなずいた。やさしく肉芽を舐める。 ﹁いいですよ。たのしんでください。好きになってください、エッ チ。たのしんで、溺れてください﹂ 1160 ﹁そ、そういう意味じゃなく、て︱︱ンひいいいいッ! ああっ⋮ ⋮はひっ、きゃひいィッッ﹂ それ以上、七重は言葉をつづけられなかった。 虎ノ介は愛撫を中断して、七重の隣へと座った。 七重はとろんと、痴呆じみた目つきで虎ノ介を見た。 ﹁奥、行きましょうか﹂ ﹁お、奥?﹂ ﹁ベッドルーム。ひろい方が、存分に乱れられますよ﹂ ﹁あ⋮⋮そ、そうね。行きましょう。ベッドで、ベッドで愛してち ょうだい﹂ 唇を近づけ、七重はキスをねだった。 虎ノ介も応え、彼女の唇を吸った。 ﹁ブラも外します﹂ ﹁ええ⋮⋮﹂ ブラを外すと、ずっしりとした巨乳が、外にこぼれ出た。 虎ノ介はその少し垂れ気味だが、重い、張りのある乳房をつかむ と、二度三度ともみ上げた。 ﹁ううん、いいさわり心地﹂ ﹁お、おっぱいが好きなの?﹂ ﹁うん﹂ ﹁そ、そうなの。そうなのね⋮⋮じゃ、じゃあ、いいわ。あなたの 好きにしてちょうだい。わたしのおっぱい⋮⋮あなたにあげるわ﹂ ﹁そいつはうれしいな﹂ 1161 云いつつ、虎ノ介は立ちあがった。七重を両腕にかかえる。 七重が、あせった様子で云った。 ﹁ちょ、ちょっと﹂ ﹁よいしょ。⋮⋮じゃあ行きますね﹂ ﹁あ、あなた、だいじょうぶなの? 重くない? 重くない⋮⋮?﹂ ﹁だいじょうぶ、だいじょうぶ。七重さん、軽いですから﹂ 悠々と、虎ノ介は七重を運んで行った。 ◇ ◇ ◇ 寝室には先客がいた。 ケイタが、三人の女と情熱的にまぐわっている最中であった。 虎ノ介は謝り、すぐに別の寝室へ変わろうとした。が、そうした 虎ノ介を、ケイタは引き止めて云った。 ﹁一緒にヤリましょうよ。せっかくだから見せっこしましょう﹂ こう隣での行為を勧める。女たちも、かまわぬようであった。 虎ノ介ははずかしく思い、七重も幾分かとまどっていたが、しか し結局、ふたりはケイタの提案に乗ることにした。 こうしたパーティである以上、もはや人目は避けられないのだ。 ならばどこでしようと結果は同じである。 腹を決め、虎ノ介はもうひとつあるベッドへ、七重を降ろした。 すぐさま挿入するべく、その熟れきった女体へと向かう。ベッドサ イドテーブルから、避妊具を取りよせる。 1162 ﹁なんです? タイガさん、まさか、ゴムつけるんですか? 避妊 を?﹂ きらきら ケイタは煌々と目を輝かせながら、虎ノ介のやりようを見ていた。 正常位でごりごりと女を犯しながら、虎ノ介へと云った。 ﹁もったいないですよ、無駄撃ちなんて﹂ ﹁どういう意味だい? ここじゃ避妊するのがルールだと聞いたよ﹂ 虎ノ介はケイタの顔を見つめた。 ケイタは、笑いながら腰をふるっていた。 眼鏡をかけた、清楚な顔つきの女が、悩ましげにあえいだ。 ﹁一応はそうなってますけどもね。そんなの誰も守ってやしません よ。女性客次第でね。つけても、つけなくてもいいんです。客の希 望に応えるのがぼくらの仕事だ。そうなってくると、やっぱり生が ふつうになっちゃいますからね。⋮⋮ねえ、マナさん。マナさんも、 ゴム有りなんて嫌ですよねえ?﹂ 云って、身体の位置をずらす。ケイタは女性との結合部を、虎ノ 介と七重へ見せつけるようにした。 極太の巨根が、眼鏡の女の秘部に、出たり入ったりしている。 生の結合部は泡立ち、白いものが、ねっとりと竿にからんでいる。 女は細い腰をくねらせると、高い声で叫んだ。 ﹁そんなの、イヤよっ。せっかくセックスしてもらうのに、ゴム有 りなんて嫌ッ! ケ、ケイタさんの生でして欲しいッッ!﹂ ﹁だよねー。マナさんは、こうして、おま○こを直接、生でほぐす のが好きだもんね﹂ ﹁は、はひいいっ。す、好きです! セックス好きィッ! オマ○ 1163 なか コッ! 生のチ○ポでオマ○コされるのッ! 膣内で出されるの好 きッ! う、浮気セックス、大好きィィィイッッ!! あッ! あ ッ! ああああッ﹂ ﹁う、浮気?﹂ 七重が、引いた目で訊いた。 ﹁まさかそちら、人妻なの?﹂ ﹁えー? ⋮⋮ああ、そうですよ。マナさんには立派な旦那さんが れっき いますよ。一流商社に勤めてる、エリートの、ね。それに、そっち のトモヨさんも、ミサエさんも、歴とした人妻さんです﹂ そう、ケイタはあっさりと云った。 虎ノ介は吃驚き、彼のそばにはべった女たちを見た。 股間から大量の白いものをこぼしながら、年長の女たちは、はず かしそうに笑みを浮かべていた。 ﹁ケ、ケイタ様ったら。⋮⋮た、確かに、そうだけど。そんなはっ きりと云わないでください﹂ ﹁はっきりも何も、このパーティにくる人って十人中九人までが人 妻だし。ミサエさんなんて、ここの他にも若い子かかえてるって云 うじゃない﹂ ﹁まあっ。どうして知ってるの?﹂ ﹁聞こえてくるんだよ﹂ ﹁い、嫌ね、勘違いしないで。わたしのお気に入りはあなただけな んだから。あの子はダメだったのよ。わたしが人妻だって知った途 端、怖気づいちゃって。それまで生でガンガン出してたのに、いき なりゴムつけはじめちゃうんだもの。こないだなんて、ちゃんとピ ル飲んでるって嘘までついてあげたのに、嫌がって、もう関係やめ たいだなんて。がっかりしたわ﹂ 1164 そう、少し厚化粧の、水商売風の女が、弁解するように語った。 コンドーム その隣、沈着いた雰囲気のある年増女も、同情するように。 なかだし ﹁それはひどいですね。エッチするのに避妊具使うなんて。男らし くないですよ。女は危険日に、膣内射精されて、オマ○コ堕とされ ちゃうのが一番うれしいのに﹂ ﹁そうよね、それが女のしあわせってものよね。人妻でもなんでも、 男なら、がっつり孕ませてくれなきゃ﹂ ﹁そうですね。こちらはせっかく準備してきてる訳ですし﹂ ﹁ええ、愛する夫のために丹精した子宮だもの。ちゃんと寝取って、 堕としてくれないと。⋮⋮その点、ふつうの子はダメね。結局わか っていないんだわ。やっぱり、ここの倶楽部みたいにお金払って、 斡旋してもらうのが一番いいのだわ﹂ ﹁ちょっとお高いですけどね﹂ ﹁いたれりつくせりなんですもの、多少高くったってかまわないわ﹂ ⋮⋮こういった会話がつらつらとつづけられ、七重と虎ノ介は、そ れを半ば呆然と聞いた。 ケイタはたのしげに﹁ね、すごいでしょ?﹂と片目をつぶった。 腰は変わらず、休まず、女を責めている。責められている方は気が 狂ったように、悲鳴にも似たあえぎを上げつづけている。 ﹁だいたいこんな感じですからね。気にしたってしょうがないんで すよ。タイガさんもかっこいいですからね。たぶん、二、三回も出 席して、ひと通り犯してあげれば⋮⋮きっと相当欲しがられるよう になりますよ。スケベなファンたちがね。つくと思いますよ﹂ ﹁い、いや。そういうのは、おなかいっぱいだけど﹂ 虎ノ介は七重を見た。 1165 七重もまた、不安そうな目で虎ノ介を見つめていた。 ﹁えーと。ひ、避妊はしますよね、やっぱり﹂ そっと。虎ノ介は七重に尋ねた。 七重は上目遣いで、何度かまばたきをすると、困った風に視線を そらした。 ﹁わ、わたしは﹂ ﹁ああイヤ、聞くまでもなかったですね。すみません、つけます﹂ スキン 最後まで聞かず。虎ノ介は避妊具のパッケージを切ろうとした。 と、いきなり七重が、虎ノ介の手をつかんだ。 虎ノ介は七重を見た。 七重は目をあわせようとしなかったが、しかしその手は、しっか りと虎ノ介の手を押さえていた。 ﹁七重さん?﹂ ﹁もし、もしだけれど﹂ ﹁は、はい﹂ ﹁あなたさえ、よければ。⋮⋮そ、その、お願いします。きょ、今 日はたぶんあぶない日だけれど。よ、よかったら、つけないで⋮⋮﹂ 云うと七重はふるえる手で、自ら秘唇をひろげた。その顔は紅潮 し、真っ赤に染まっていた。 ごくりと。虎ノ介はつい喉を鳴らした。 ◇ ◇ ◇ 1166 十分後。 七重は乱れきっていた。 ベッドの上で、四つん這いになり、そのままバックから、虎ノ介 に犯されている。 ひと突きされるごとに、ぶるんっぶるんっと乳房を揺らし、あえ ぐ。蕩けきった顔で、口から舌先をのぞかせている。 ﹁んはあああっ! あっ! あああああんッ!! す、すごいのっ ! こ、こんなのすごいっ! よすぎるううっ!!﹂ ﹁な、七重さん⋮⋮!﹂ ﹁か、感じるぅぅ⋮⋮あぁあ⋮⋮すごい、すごい。これが本当のセ ックスなのね⋮⋮! し、知らなかった⋮⋮! 知らなかったわ。 こ、こんなに気持ちいいモノだったなんて。そ、損してた。損して たァ⋮⋮! こ、こんなに気持ちいいなら、も、もっとセックスし てたらよかった⋮⋮もっと早く⋮⋮あ、あなたに抱かれたかった⋮ ⋮あっ、あっ、ふあああッ!!﹂ おく ﹁七重さんもすごいですよ。オマ○コがキュンキュン締めつけてく る。子宮口がチ○ポに、ちゅうっと吸いついてくる。たまらない⋮ ⋮!﹂ ﹁ああっ⋮⋮き、気持ちいい? ⋮⋮はあぁん⋮⋮あ、あなたも気 持ちいいの? わ、わたしの身体で気持ちよくなってくれてるの?﹂ ﹁もちろんですよ。七重さん。最高に気持ちいいです。ずっと、こ うしていたいくらいだ。気をゆるめたら、すぐに射精しちゃいそう だ﹂ ﹁ああ⋮⋮っ! そ、そうなの? そうなのねっ? ⋮⋮ひっ⋮⋮ くひぃっ、あひィッ⋮⋮! と、虎ノ介くんも気持ちいいのね⋮⋮ わ、わたしのアソコで︱︱﹂ ﹁おま○こ。おま○こです、七重さん。こういう時はいやらしい言 葉で云って﹂ 1167 虎ノ介は腰に力をこめた。 先走りの止まらなくなった亀頭で、奥をこねまわす。ぐつぐつ、 煮立った肉穴がうごめく。 ﹁ひい⋮⋮!﹂七重は背中をふるわせた。 なか ﹁ええっ。ええっ。お、おま○こよ。わたしの、おま○こッ!﹂ ﹁気持ちいい。気持ちいいよ、七重さん。七重さんの膣内でたくさ んイキたいよ﹂ なか ﹁イ、イキたい? わたしのおま○こで射精したいのね? ⋮⋮わ、 わたしの、膣内でっ⋮⋮に、妊娠しちゃうのを、いっぱい、いっぱ い出したいのね⋮⋮? ああ⋮⋮いい、いいわ! お、おま○こに 出していいわ。⋮⋮赤ちゃんつくっちゃう、あなたの⋮⋮い、いっ ぱい出してェ⋮⋮! わたしの子宮、仕留めて︱︱﹂ 七重はもう、逆らえなくなっていた。前後の見境がつかなくなっ ていた。虎ノ介の、セックスの虜だった。なかば妊娠さえも、かな りのところで望んでいるように見えた。 隣で見ていたケイタたちすらも、こうした七重の満たされた豹変 ぶりに、何か羨望のまじった吐息をもらした。 ひと ﹁すごいな、すごい。甘いセックスだ。相手の女、完璧にオチてる よ⋮⋮。いいな。やっぱり、すごいんだな、タイガさん。うー、ぼ くも抱かれたいな﹂ ﹁でも相当ヤバい堕ち方じゃない? これ。遊びじゃない声出しち ゃってるもの。声にハートマークつきまくり⋮⋮﹂ ﹁そ、そうですよね。この甘い感じって、もう、ちょっとタダじゃ 済まなくなってるような気が﹂ ﹁そう。そこがまたいいんだよー。なんかこう綺麗な感じがするも の。ふたりだって、そう思うでしょう?﹂ 1168 ﹁そ、それはまあ、少しは﹂ ﹁たしかにそうですね﹂ ﹁抱かれてみた方がいいよ、絶対。ふたりとも、タイガさんにされ たら、きっと病みつきになると思う。病みつきになって、本気でオ チちゃうと思うな﹂ ﹁そ、そう? そう思う?﹂ ﹁ケ、ケイタ様がそう云うなら⋮⋮﹂ などと、ケイタたちのしゃべっているその横で。 七重と虎ノ介は、あくまで自分たちの世界に没入していた。余人 にかまわず、烈しく求めあっていた。 ふたりのセックスにはどこか必死な、それでいて甘やかなところ があって、それが見る者に、強烈なエロティシズムを感じさせる。 匂い立つような恋の気配。刹那の愛情があった。 虎ノ介は遊びで女を抱けない。 彼は常の癖として、肌合わせた女に情をよせる男だった。 七重に対しても、そうした気持ちは働いていて、せめてひと晩︱ ︱今夜くらいは彼女の恋人であろうと、努めていた。そして、そう した虎ノ介の真剣な気分は七重の方にも伝わっている。 ﹁ひゃうっ! くふっ! ⋮⋮あふぅあぅあぁんっ! ⋮⋮ふあ、 すごいっ。ダ、ダメっ。おかしくなっちゃう。わたし、馬鹿に、お ま○こで馬鹿になっちゃうンンンッッ!﹂ ﹁おかしくなってください。もっと乱れて⋮⋮気持ちよくなって﹂ ちゅうそう 耳元へ、虎ノ介はささやきかけた。七重の背中、脇腹、尻をさわ りながら、抽挿を繰り返す。 パンっ、パンっという、肉のぶつかりあう音は、どんどん間隔を 短くしていった。 1169 虎ノ介は唾で濡らした指先で、七重の尻穴をも犯した。きゅっと すぼまった、しわだらけの穴に、指をやさしくこじ入れ、その腸壁 をなでた。すぐにヌルヌルとした液体が、肛門まわりを濡らしはじ めた。七重のあえぎは、いよいよ烈しく、獣じみてきた。 ﹁ううう⋮⋮! あぅ⋮⋮おお⋮⋮すごいいィィイ⋮⋮! こ、こ れ、すごい゛の゛オ゛⋮⋮!﹂ ﹁うっ、くぅっ、うう﹂ ﹁あ゛あ゛∼∼っ。あ゛あ゛∼∼∼∼っっ。イグ∼∼! イっぢゃ う゛う゛∼∼ッ!! わ、わたし、イちゃうのおォオ⋮⋮! と、 虎ノ介くんに∼⋮⋮わ、若い子に犯されていぐううゥウ⋮⋮! 子 宮、ぐずぐずに蕩かされてイクううゥゥウ⋮⋮ッ! これ以上我慢 するの無理ィ⋮⋮! あっ⋮⋮! あひっ⋮⋮! おっ! オオ⋮ ⋮! オオッ⋮⋮! ンおほオオォ⋮⋮ッ!﹂ ﹁ああ、もう、いいよ。イって、いっちゃってください。我慢しな いでイって。おれも出すから。膣内で出すから。心配しないで、気 持ちよく飛んで⋮⋮!﹂ ﹁イキたいィ⋮⋮! チ○ポでイキたいィッ! あなたのチ○ポで イかされたいィ⋮⋮!﹂ ﹁ああ⋮⋮イけっ! イくんだ、七重ッ! だらしない牝の顔で、 絶頂しろッ!﹂ 射精へ向け、虎ノ介はピッチを早めていった。腰を、小刻みに、 七重の尻にたたきつける。 カリ 両者の欲求はすでに限界へ達していた。 雁首はぐっとひらき、鈴口はぴくぴくとふるえて、劣情を、蜜壷 の奥へ吐き出そうとしている。女の膣肉はねっとりと男にからみつ き、男の射精に備えている。子を孕むため、がっちりとペニスをく わえこんでいる。 1170 ⋮⋮ほどなく虎ノ介は絶頂した。 そしてその瞬間、大量の白濁が、どばどばと七重の奥へそそがれ ていった。容赦のない、受精のための射精だった。 ﹁キ、きたあッ! せ、精子キタああ∼∼∼ッ!﹂ 七重は歓喜に全身をふるわせ、それを受け入れていった。白濁を そそぎこまれるたび、快感に意識を押し流された。 ﹁ふぎゅうう∼∼∼∼ッ! イッ! イクイクイクぅう! 射精ザ ーメンでトんじゃうううッ!! し、子宮がゴクゴクしてるのっ! こ、こんなドビュドビュされたらああ⋮⋮! こんなの、ホ、ホ ントに妊娠しちゃうぅう!!﹂ ﹁くううっ。し、しぼりとられるッ﹂ ﹁ふああああっ! た、種付けされてるうッ! とらのふへの、赤 ちが しゃん、妊娠するうッ! だ、ダメなのにッ。は、孕みアクメでイ や っちゃうううううッッ!!﹂ おちつき 七重の絶頂は熄まなかった。 虎ノ介が沈静を取りもどした後も、ほとんど気が狂ったようにイ キつづけた。イキつかれて、ベッドに倒れこむと、涙とよだれと鼻 水とをたらし、そのまま失神した。 ﹁あ⋮⋮ふぁぁあ⋮⋮ぁぁぁ⋮⋮っ﹂ 荒い息をつきながら眠る七重の背に、虎ノ介はペニスを向けた。 尿道に残った精液を、七重の尻や背中、まとめ上げた髪、顔へと まんべんなくかけていった。大量の白濁は、七重を見る影もなくよ ごしつくした。七重の股間には、子宮に収まりきらなかった精液が ごぽりと泡を立ててこぼれていた。 1171 ◇ ◇ ◇ ﹁う︱︱﹂ 静けさの中、誰かの息飲む音が、奇妙な強さで部屋に響き渡った。 虎ノ介は、ぼんやりと辺りを見まわしてみた。 いつの間にか、彼は大勢の見物人によって囲まれていた。 隣のベッドでは、どうしてか途中で行為をやめたらしいケイタや 女たちが。 そして入口の方からは、シンヤと別の女たちが、何やらすさまじ く興奮した目で見つめていた。 しお ギャラリーたちは、虎ノ介と倒れこんだ七重、それから虎ノ介の 股間に萎れたミニサイズのものをしきりと見やり。それぞれ何か云 いたいような、しかしやはり何を云うべきかわからないといった風 情で、周囲の仲間と視線を交わしあったり、何かささやきあったり していた。 ﹁な、何か?﹂ 虎ノ介はなんとなく不安を覚え、もう一度、周囲を見まわした。 1172 女教師、小島佐和の場合 その5 ﹁いや⋮⋮﹂ シンヤが居合わせたギャラリーを代表するように云った。 こめかみをちいさく指でかきつつ、 ﹁なんつーか、吃驚いたっていうのか﹂ ﹁吃驚いた?﹂ ひと ﹁はは、疑ってた訳じゃないっすけど。先生の太鼓判だ、セックス にかけちゃあ、あの女の右に出る人はいない。だからタイガさんが うまいってのも知ってました。そうだとしても︱︱﹂ ﹁だとしても?﹂ ﹁ちょっと、すごいな、と﹂ いぶか シンヤは苦笑いした。 虎ノ介は訝しげにシンヤと、そして周囲の女たちに目を向けた。 女たちは一様に紅潮し、目を潤ませている。 ﹁淫魔ってのが、現実にいるとは思わなかった﹂ ﹁はあ?﹂ 虎ノ介は困惑した。 先祖が天女だとされる田村家ではあるが、さすがに淫魔がいたと は聞いたことがない。虎ノ介は反応に困った。あいまいな顔で、言 葉のつづきを待った。 ひと ﹁いやだって。はは⋮⋮。その女性、すげえ乱れ方だったじゃない 1173 まじめ すか。堅物そうな女性だったのに。タイガさんだって、そんな特別 なテクを使ってる感じじゃねえし。正直、おれやケイタでも、はじ めてでこんなにはできませんよ﹂ ﹁え? そんなにすごかった? ふ、ふつうだと思うけどな﹂ ﹁﹃すごかった?﹄ってアンタ。いやいやいや⋮⋮普段どんなセッ クスしてんすか。ふつうて﹂ ﹁だって、キミらも烈しかったよ、十分﹂ ﹁そうでもないすよ。タイガさんにくらべたら、同じセックスでも、 熱の入り方がちがう。とてもじゃないけど、あんな、おれには﹂ いとま 無理だ、とシンヤが云ったところで。不意に、ひとりの女が虎ノ 介へ身をよせてきた。 女は虎ノ介に抵抗する暇すらあたえず、虎ノ介を抱きしめ、口を キスでふさいだ。舌と舌をからめ、唾液を吸い、上あごを舌でなぞ った。虎ノ介は目を白黒とさせた。 ﹁ああん、ずるいわ。ヨウカさんっ。わたしも⋮⋮!﹂ 女たちから声が上がった。 ひとり、またひとりと虎ノ介へ群がってきた。 虎ノ介は女たちに押し倒される形で、ベッドへと沈んだ。女たち は砂糖に群がる蟻のように、虎ノ介の奪いあいをはじめた。虎ノ介 の口を、ペニスを、肛門を、乳首を、足指を。ほとんど全身、くま なく舐めていった。 虎ノ介は状況のわからぬまま、女たちに翻弄された。 狂乱の中へ落ちていくしかなかった。 代わるがわる、顔にまたがってくる女のヴァギナを舐めさせられ、 そしてまた別の膣奥深くにペニスを飲みこまれた。虎ノ介は絶倫と 早漏という、ふたつの特徴をもって、女たちの慰み者となっていっ 1174 た。 女たちは皆、子宮へ精を求めていく。 さけ 虎ノ介が射精すると、彼女たちはそれぞれ、うれしげに咆哮び、 よがり狂った。 ﹁ま、こうなるわ﹂ シンヤが、誰云うともなく云った。虎ノ介のむさぼられる様を見 つつ、ケイタの横へと座った。 ケイタもまた﹁ほう﹂と溜息をついて、同意した。 ﹁そりゃ輪姦されちゃうよね﹂ ﹁ああ、もっと猫かぶっとくよう云っとくべきだったかもな。った く、先生も罪だぜ、こんな素朴な、好さそうな人をよ﹂ ﹁うん⋮⋮。これ絶対、この先も呼ばれるよね。彼が出ないってだ けで、すっごい文句出そう﹂ ﹁だなあ。プライベートでも会いたいってお客さん、かなり出てき そうだ﹂ ﹁気の毒だねぇ⋮﹂ ﹁気の毒だなぁ⋮﹂ しみじみ語りあうふたりの目には、どこか同情があった。 そして、それからふたりは、しばしの休憩のため、それぞれに酒 や煙草、あるいはテレビへと向かっていった。 夜は長い。 ふたりは経験から、まだまだ女たちの性欲がつきないことを知っ ていた。乱交はまだはじまったばかりで、数少ない男性陣は、適度 に休息を入れる必要がある。 1175 ⋮⋮虎ノ介は、解放されなかった。 やけ ベッド、風呂場、リビングと、女たちに引き回され、その都度、 射精を要求されていった。虎ノ介はなかば自棄っぱちで、女たちへ 精を放っていった。 ◇ ◇ ◇ 夜も深まってくると、姿の見えなかった佐和が、どこからかもど ってきた。 佐和は部屋にくるや、虎ノ介と七重の、パーティになじんでいる ところを見つけ、たいそう満足げに、 ︱︱教頭先生、この際だからホントに孕ませてもらっちゃったらど うですかあ? などと云い、まず虎ノ介の度肝を抜いた。 妊娠など、望んでいない虎ノ介である。七重や女性陣の無避妊や 楽天的な態度も、何かそれなりの︱︱つまり排卵期の確認や、アフ ターピルといった、そうした考えあってのことで。まさか本気で妊 娠を希望しているものではないだろうと、彼は思っていた。もちろ でき ん、そうした手段が万全でないのは知っていたし、あるいは事故的 に受胎てしまうことも、また有りうると考えていたのだが⋮⋮。 ︱︱そ、そうね。それもいいかもしれないわね。 しかし、そんな虎ノ介の予想と裏腹に、七重は子を宿すことに肯 定的だった。本気で、虎ノ介との無避妊のセックスをたのしんでい た。 1176 顔を紅める七重に、虎ノ介は内心、あわてた。 だがもう時すでに遅し。 虎ノ介は幾人もの女に膣内射精をほどこしてしまっていた。妊娠 しても迷惑をかけないという、肝のすわった女たちへ向け、男の都 コネクトルーム 合で、避妊や堕胎を求めるのはなかなかむずかしかった。 うやむや くわえて、佐和がつづき部屋の方から、もうひとり別の女を連れ てくると、虎ノ介の心配はいよいよ有耶無耶になっていった。 大串由利子。 くすり 手足を縛られ、虎ノ介の前に引き出された彼女こそが、今回のメ インゲストだったからである。 虎ノ介は彼女を知らない。だが、そのさんざんに媚薬を嗅がされ、 発情しきった大年増を抱くことも、虎ノ介にあたえられた仕事のひ とつだった。 今年、四十になる大串由利子は、敦子の経営する学園で、P○A の会長を務めている。 そうして、いくつかの事情から、佐和と七重は彼女の篭絡をたく らんでいた。 その計画の要となるのが、虎ノ介の存在だったらしい。 虎ノ介は抱いた。 はじめ、由利子は抵抗した。 裸の男女や、虎ノ介を見るなり、わめいて逃げようとした。強く、 七重を罵倒した。 ちが ︱︱あなたまで気が狂ったの? くすり こう由利子は七重を責めた。 けれど媚薬で、発情をうながされていた彼女に、それ以上、抗う 1177 すべ 術はなかった。 七重と佐和によって、なかば強制的に、結合せられてしまうと、 彼女はあっさりと堕ち。虎ノ介の上でそのだらしない身体をふるわ せた。女としての寂しさ、長年のセックスレスを告白し、我から、 虎ノ介の精と、甘いささやきとを欲した。 スワッピング 虎ノ介が膣内射精をほどこすと、由利子もまた七重と同じように、 獣じみた絶頂へと達した。 それからは、もうひどい有様であった。 佐和、七重、由利子。それに他の女たちもまじえた、本格の乱交 がはじまった。 虎ノ介たち男は、取っ替えひっかえ、相手を交換しつつ、女たち まえ うしろ を抱いていった。 バック 秘裂から肛門から、時には前後同時に犯し、あるいは女を三人ず つならべて、それぞれ好みのタイプを選んで、後背位から犯したり した。カメラでよがる様子や、女のピースサインを撮影したりもし た。 狂乱は、朝まで、つづいた。 ◇ ◇ ◇ てい 乱交の終わった頃には、虎ノ介は動くのもやっという体だった。 寝室のベッドに寝転び、何するでもなく、ただぼんやりとする。 おっくう 全身にはダルな疲労が、積もり重なってい、寝返り打つことさえ 億劫であった。 参加者たちは、それぞれ好き勝手に眠り、ある者は虎ノ介を胸に 抱きながら、ある者は虎ノ介へのしかかるようにして寝ていた。シ 1178 ンヤも、ケイタも、似たような様子で女につつまれていた。 やがて空が白んでくると、目を覚ました者から、ぽつ、ぽつと帰 りはじめた。 女は全員、満足げな表情をしていた。 シャワーを浴び、服を着、何事もなかったかのような顔つきで部 屋を後にしていく。去り際、参加者の多くはお気に入りの男にキス をあたえ、虎ノ介も、何人かからキスをもらった。中には一分近く、 ディープキスで舌をねぶっていった女もいた。己の連絡先を置いて いった女もいた。 シンヤとケイタは、虎ノ介と茶を飲み、少し話した後、まじめな なごり 挨拶をして帰っていった。 七重は名残惜しそうな気分を隠さず、虎ノ介に何度もキスをあた えてから、由利子とともに帰っていった。 最後には佐和と虎ノ介、それから静寂だけが残された。 ﹁そろそろ、帰りましょうか﹂ 窓ごしの朝日を見ながら、虎ノ介は云ってみた。 頭をふりふり、身体を起こす。全身、女の体液でべたついていた。 佐和はまだ眠たげに、ベッドの上を転がっている。 虎ノ介は身体についた性臭と香水の匂いを落とすため、ひと足先 に、風呂場へと向かった。 ︵今日は疲れた︶ あくびし、肩をほぐす。 帰ったなら、とにかく何もせず眠ろう。 そうしみじみと考え、虎ノ介は備品のある棚からタオルを引き出 1179 した。くたびれきったペニスをふりふり、風呂場へと入る。 風呂場は浴槽と洗い場の他に、シャワーブースのついたタイプで、 虎ノ介はそこでざっとシャワーだけを浴びて身体を清めた。 頭を洗い、歯をみがく。 風呂場から出た頃には、意識もだいぶすっきりとしていた。 ﹁佐和さん、風呂、空きましたよー﹂ 云いつつ、寝室へもどる。 寝室に、佐和はいなかった。 ﹁佐和さん?﹂ 虎ノ介の耳に、物音が聞こえたのはこの時だった。 虎ノ介はふり返り、音のしたリビングの方を見やった。寝室の斜 向かいにあるリビング。そこに誰か人の気配がした。 ﹁佐和さん?﹂ 濡れ髪を拭きつつ、虎ノ介はリビングへと進んだ。 誰かが、リビングの、窓際近いソファに座っていた。 背格好から、すぐに佐和でないことがわかった。参加者の誰かが、 忘れ物でもしてもどったのだろうか。そんなことを考えた。 ⋮⋮近づくと、虎ノ介の目にも、座っている相手の顔が見えた。 ぎくりと、虎ノ介は進む足を止めた。 ﹁なんで︱︱﹂ 声が割れる。 1180 虎ノ介は、全身の筋肉がこわばってゆくのを感じた。 ソファにはふたりいた。 男と女。 中年で少し腹の出た、渋がった感じの男と、一見してすぐれた美 人とわかる、年若な女だった。 法月伊織︱︱。 虎ノ介の姉にして、元恋人がそこにいた。 ふたりは、全裸だった。 ◇ ◇ ◇ ﹁なんで、だよ⋮⋮ッ﹂ 虎ノ介は唇を噛んだ。 強く噛みすぎたせいで、唇が切れた。切れた箇所から血が噴き出 たが、全身のふるえを止めるにはそうでもするしかなかった。 いるはずのない人だった。 別れたはずの女だった。 どうしてここに? 虎ノ介は混乱した。混乱した頭で、必死に答 えを探した。 おれはまた幻覚でも見ているのだろうか。薬を飲み忘れたのか。 トランキライザー いや昨日飲んだはずだ。いつもの通り、葛ヶ原病院でもらった。S SRI。でも最近は調子がよかった。だから向精神病薬は減らして いた。いや、そんなことはどうでもいいのだ。思考がまとまらない。 ああ、何故。どうして彼女がここにいる︱︱!? 1181 ⋮⋮男は伊織を愛撫している。伊織の乳房をもみしだいている。桜 色の乳首へ口づけ、花びらのような膣口へ指を挿し入れている。 伊織は上気した顔で、すがるように虎ノ介を見つめている。 ﹁とら、くん﹂ 伊織が云った。 まさしく伊織の声だった。 はっ、と虎ノ介は息を飲んだ。 脳裡にはかつて見た光景がよみがえってきていた。あの雪の夜の、 男につらぬかれもだえる姉が、まざまざとよみがえってきていた。 ﹁虎くん﹂ 繰り返し、伊織は虎ノ介を呼んだ。 中年男は、愛撫を止めなかった。伊織の、しとどに濡れたクレヴ ァスを、二本の指で丁寧にかきまわしていた。 虎ノ介は動けなかった。 ﹁キミが虎ノ介くんかね?﹂ 男がしゃべる。 静かで、低い声だった。 おちつき 微笑を浮かべ、横目でちらと虎ノ介を見る。男の態度には余裕と 沈静があった。 ﹁伊織くんを棄てたんだって?﹂ 虎ノ介は答えられなかった。喉が、からからに渇いていた。 棄てた? 1182 何を云ってやがるんだ、この野郎は。 虎ノ介は男をにらんだ。 おれがイオねぇを棄てる訳がない。 彼女とは姉弟なのだ。血のつながりはなくても、れっきとした姉 弟なのだ。そんな彼女を自分が棄てる訳がない。いや、待て。棄て たのか? おれは彼女を棄てたのだったか? そうかもしれない。 おれは彼女と別れる決心を⋮⋮いや、ちがう。棄ててはいない。誰 が見棄てても、自分だけは見棄てない。そう約束したのだ。ずっと そばにいると。必ずたすけると約束したのだ。法月伊織は自分の姉 だ。自分だけは彼女の家族だ。その家族に、大切な人に、ああ、テ メエはいったい何をしてやがる︱︱。 とりとめない思考が、虎ノ介の脳内を、ぐるぐると駆け巡った。 ぐびりと、虎ノ介は喉を鳴らした。喉が渇いていた。 男は手で伊織の股をひろげると、つづけた。 ﹁もったいないことだ、こんなイイ女を﹂ ﹁︱︱︱︱﹂ ﹁わたしはここの常連でね。いつもは客なんだが、今日は佐和さん に呼ばれてきた。彼女を、伊織くんを抱くためにね﹂ ﹁なんで⋮⋮﹂ ﹁何故? ふ、それを聞くのかい? さっきまで人妻たちをよろこ ばせていたキミが?﹂ 男は笑った。 びくりと、虎ノ介は背をふるわせた。 ﹁寂しい女を男がなぐさめる。あるいはまた逆も︱︱そういう場所 だろう? ここは。伊織くんだって例外じゃない。寂しくて人肌の 1183 恋しい時だってあるさ。たとえば大好きだった弟に見棄てられたり したらね﹂ 云いつつ、男は伊織の口を吸った。見せつけるように舌と舌をか らめていった。 びう ⋮⋮伊織は嫌悪に顔をしかめていた。 眉宇をよせ、虎ノ介を見る目には涙が浮かんでいた。彼女にキス をたのしもうという気分はまるでなく、その姿はいっそ哀しげでさ えあった。 男のモノは、隆々と天を衝いていた。 虎ノ介はふるえた。 いよいよ、ふるえが止まらなくなってきた。何度も、浅い呼吸を 繰り返した。心臓はばくばく、狂ったようにさわいでいた。 虎ノ介は立ちつくしたまま、拳をにぎりしめた。 ︵選択︱︱︶ 選ぶべきだ、と虎ノ介は思った。 だがどうすればいいのか。 自分は何をすればいいのか。ここでただ伊織が抱かれるのをだま って見ていればいいのか。それとも何かを云うべきなのか。 わからなかった。 いや、わかっていた。 ︵そう、わかってるんだ︶ 虎ノ介は心中で叫んだ。 全てわかっていながら同時に、何もかもがわからなくなっている。 1184 何が正しくて何が間違いか、判断しようにも、揺れる世界が定まら ない。 ︵和彦︱︱!︶ 虎ノ介は友人の顔を浮かべた。 稲葉和彦。あいつならどうするだろうか。 信念に従って生きる、人生において間違った選択などしそうにな い彼だったら。いったいどう振舞うのだろう。 あるいは宮野浩。 こころ あの人慣れた、いかにも大人然とした男ならばどうしただろう。 父なら。 狂った血と精神を遺した、あの昏い目の男なら︱︱。 わからない。 虎ノ介は唇を噛んだ。 わからなかったが、しかし状況は、確実に選択を迫っていた。 動くのか。とどまるのか。あるいはこの場から逃げるのか。時間 はなく、考える猶予さえもなかった。 虎ノ介の心を、さまざまなものが過ぎていった。 笑う母の横顔があった。悄然とした父の背があった。 舞や敦子、恋人たちの姿も浮かんだ。母を罵る親戚たち、幼い日 見た、姉の強いまなざしも浮かんだ。 ⋮⋮不意に、何かが虎ノ介の肩にさわった。 虎ノ介はふり返った。 佐和がいた。 1185 女教師、小島佐和の場合 その6 佐和は虎ノ介の肩をつかんで、彼を見ていた。やさしい、慈母の ような目を向けていた。 ﹁時には、感情のままに動いてみるのも、間違いじゃないと思いま すよ?﹂ ﹁アンタ︱︱﹂ 虎ノ介は佐和をにらみつけた。ぎりぎりと、怒りをこめ、佐和を 見すえた。 佐和は特にひるむ様子もなく、淡々とつづけた。 ﹁わたしは伊織ちゃんが好きです﹂ ひとごと ﹁な、何﹂ ﹁他人事と思えないんです。わたしも⋮⋮そう、わたしも色々とあ りましたから。死んだ主人や敦子さんに会うまで。たくさんの人を 傷つけたし、いろんな人に蔑まれて生きてきました。過ちを犯した ことも、人に責められたこともたくさん、たっくさんあります。後 悔もありますが⋮⋮ふふ、けれど、そういう過去をなかったことに したいとは思わないんです。間違いはよくありませんけどお、でも 間違えることで、人は少しずつ、成長してゆけるんだと思います。 間違えて、後悔して、でもだから、その分、誰かを愛したいと思う んじゃないでしょうか。過去に間違えた分、少しでも誰かをたすけ たいと﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁わたしは昔の自分を否定しません。敦子さんが、わたしを必要だ と云ってくれたからです。夫を、こんなわたしでも好きだと云って 1186 くれた、夫を愛しているからです。わたしはふたりに救われました。 だからこそ、今こうして、ちいさなことですが、人の役に立ててい ます﹂ 佐和は虎ノ介の前に立つと、虎ノ介の手をにぎった。虎ノ介の手 を引き、リビング奥へと進んでいった。 ﹁わたしは伊織ちゃんをたすけたいと思いました。人はどう云うか 知りませんけど、彼女に立ち直ってほしいと思いました。わたしが 夫と敦子さんに救われたように。過去を悔いる彼女には、救いがあ ってほしかったから﹂ ﹁それは⋮⋮っ﹂ ﹁はい。それは虎ノ介さん次第です。あなたが彼女を受け入れるか どうか、それにかかっています﹂ 佐和は微笑った。 ﹁わたしにはきっかけをつくることくらいしかできません。人の気 持ちは左右できませんから。ここで虎ノ介さんが拒否するのも、そ れは自由ですし、いけないとも思いません。あなたには、あなたな りの痛みと葛藤があったでしょうから。でも︱︱﹂ 言葉を切ると、佐和は、伊織の前へ、虎ノ介を押し出すようにし た。 中年男は伊織の秘裂へ、そのいきり立ったペニスを押しあててい る。後ひと息、切っ先を押しこめば、伊織は男のものとなる︱︱。 そのまさにすんでのところで、男は挿入の動きを止めていた。 虎ノ介の耳元で、佐和がささやいた。 ﹁ここで止めないと、伊織ちゃんは犯されちゃいますよ﹂ 1187 ﹁︱︱︱︱﹂ ﹁あの、たくましいペニスが、ねっとり、おま○このお肉をかきわ けて、伊織ちゃんの子宮まで到達します。ごつごつ、子宮口を突き 上げて、伊織ちゃんに中年男性のテクニックを刻みこみます。遊び 相手なんかじゃない。正真正銘、あなたのお姉さんが。おじさまチ ○ポでアクメされるんです。あなたの、大事な︱︱﹂ ﹁き︱︱﹂ ﹁彼女にはリスクを背負ってもらっています。賭けをするリスクで す。あなたの心を試す。それに見合うリスクを。だから今日、彼女 なかだし は避妊をしていません。そして危険日です。特別の薬を投与してあ るので、膣内射精された場合、かなりの高確率で孕むことになりま す。もちろんそれでもおじさまは容赦しません。問答無用で膣内射 精をキメます。伊織ちゃんをオトしちゃいます﹂ ﹁きたないぞ、こんなやり方﹂ ﹁はい。ズルいやり方だと思います。そういう手を使いました。こ れが一番、あなたを揺さぶれると思ったので。そしてここなら、舞 うば ちゃんにも邪魔はできません。だからあなただけ。彼女を救えるの は虎ノ介さんだけです。伊織ちゃんを犯して救えるのは、あなただ けの権利です﹂ ﹁は︱︱﹂ ﹁彼女が欲しくなければ、ここから出て行ってください。最後まで 見届ける必要はありません﹂ 虎ノ介は膝をついた。疲れきってうなだれ、絨毯を見つめた。 これは罰か。 虎ノ介は思ってみた。 母を救えず、伊織を救えず。そうした自分にあたえられた天の罰 かもしれないと。こんな自分でもどうにか生きていきたいと願った。 人の役に立ちたいと願った。そんな恥知らずな自分に対する、相応 の罰なのだと。 1188 ﹁ははははははは﹂ 虎ノ介は笑いだした。ひどい声だった。 彼の心はどこか、深く暗い場所に進もうとしていた。彼の逃避的 な性質が、これ以上、現実との相克を自身に認めなかった。 ﹁ははっ⋮⋮はっ﹂ 急に、虎ノ介は眠気を覚えた。 寒い、寒い、殺風景な部屋が、まぶたの裏に浮かんできた。見慣 れた、いつもの景色だった。 ﹁いいよ﹂ ︱︱と。 それまで無言だった伊織が、急にしゃべって。 虎ノ介は現実に意識を引きもどされた。 虎ノ介は顔を上げ、伊織を見た。 どこか清々しい表情で、伊織が虎ノ介を見ていた。 ﹁もう⋮⋮いいから。⋮⋮虎くんの気持ち、よくわかったから。く るしいよね。やっぱりわたしとやり直すなんてつらいよね。わかっ ひと てた。知ってたの。虎くんには別れられない恋人がいるって。だか ほんとう ・・・・ ら気づいてた。あの女たちが恋人だと知った時、気づいた。わたし ・・ ・・・・ とやり直しできない理由を。他の女性は抱けても、真実はわたしだ けを抱けない理由を﹂ 伊織は泣いていた。 はらはらと、涙をこぼしながら微笑っていた。 1189 それは全て察した顔だった。弟の苦悩を理解した顔だった。虎ノ 介はかすれ声を上げた。﹁イオねぇ︱︱﹂ 伊織がうなずいた。 そうした伊織を見て、年長の男が腰を進めた。たるんだビール腹 が動き、切っ先が、ぐっと沈んだ。 ﹁ひ︱︱﹂ 反射的にか。伊織の口から声がもれた。 虎ノ介は﹁あ﹂と間抜けた声を発した。 あわてて声を殺した伊織だったが、その双眸は、虎ノ介に語りか けていた。 ︱︱たすけて。 それは無声の叫びだった。魂の慟哭だった。 伊織の唇がふるえていた。 虎ノ介はいつか想像した場面を、まぶたの裏に浮かべた。 ⋮⋮狭い部屋の中、男女の交わる場面だった。ひとりの若い男が、 たけ 女を犯そうとしている。酒に酔った伊織を、力ずくでモノにしよう としている。 大友裕也。 虎ノ介は立ち上がった。 ふるえる足で、決然と。 かすれ、はっきりしない声で哮った。 1190 ◇ ◇ ◇ 一時間後。 ホテルの部屋には、佐和と中年男だけが残っていた。 全裸だったふたりも、今はきちんと服を着ている。男はソファに 座って葉巻をふかしてい、佐和は窓際の籐椅子でワインを飲んでい る。 虎ノ介と伊織はすでにいなかった。 ﹁それにしても﹂ と、たのしげに男が笑った。 佐和はそうした男を見やり、尋ねた。 ﹁なんですか?﹂ か︱︱﹂ ﹁いやあ、ずいぶん子供っぽい告白もあったものだと⋮⋮そう思っ たりしてね﹂ ぼくのイオねぇにさわるな ﹁ああ、あれですか﹂ ﹁ ﹁まだまだ子供ですよう、二十歳なんて﹂ ﹁ちがいない﹂ 男は口の端を曲げると、うまそうに葉巻の煙を吸った。 ﹁子供のやることは綺麗なもんだ﹂ ﹁そうですねえ。綺麗でした﹂ ﹁うん。ひさしぶりに見たよ、あんな綺麗なセックスはね﹂ ﹁静かで、豊かで、情愛に満ちていて﹂ 1191 ﹁そして哀しい﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ほんとう ﹁あの娘はしきりと謝っていたな。すまないと﹂ ﹁あれは虎ノ介さんにとって、真実の浮気でしたから。いえ、本気 と云った方が正しいのでしょうか。愛する男性に罪を犯させた。誘 導した本人としては謝らずにいられなかったんでしょう﹂ ﹁それでも彼をあきらめられなかった﹂ ﹁ええ。そして彼も﹂ ﹁わたしも、できたらあんなセックスをしたいと思ったよ。年甲斐 もなくね﹂ ﹁うふふ、その気になれば、まだまだできますよう﹂ ﹁はは、そう云ってくれるのはうれしいがね。まあ、どうだろうね﹂ ﹁奥様とはどうですか?﹂ ﹁知ってるだろう、キミもあいつのことは。若い男に入れあげて、 最近じゃあ家にもよりつかん﹂ ﹁奥様も寂しいのですよう、きっと﹂ シーン ﹁ふん。どうにもならんよ、ウチはね。さっきの彼らとはちがう。 やり直せる場面はとうに過ぎちまってるのさ。後はもう傷つけあう かね だけでしかない。それはおたがいにとって不幸なことさ﹂ 男は葉巻をくゆらせながら云った。 ゆらゆら、佐和はワインのグラスを回した。 ﹁別れるのですか?﹂ ﹁向こうから云ってきてる。離婚してくれとな。金銭もいらんそう だ。わたしとしてはせめて老後の面倒くらいみてやるつもりだった んだが。ま、それもいいだろう﹂ ﹁そうですか。それは残念でしたねえ﹂ ﹁何、そうでもないよ。幸い、わたしたちは子もいないし、それに じき、わたしも再婚するつもりだからね﹂ 1192 ﹁あらあ、そうなんですか?﹂ ﹁ああ﹂ ﹁お相手は?﹂ ﹁リンコくんだ﹂ ﹁まあ、リンコさん? ついこの間まで女子高生だった、あの?﹂ ﹁ああ、そのリンコくんだ﹂ ﹁まあまあ、それはおめでたいですねぇ。ええと、そうなると倶楽 部でのカップル成立は︱︱﹂ ﹁ちょうど200と云ってたよ、200組だと。おたくの理事長が ね﹂ ﹁あら∼﹂ ﹁ははは、いつの間にやら増えたものだね。天の導く、愛深い絆と やらが﹂ 男は煙を吐き出すと、照れくさそうにつづけた。 ﹁まだ結婚前だってのに、あいつめ、もう女房きどりでな。わたし の身体をやたらと心配しては、事あるごとに、酒や煙草をやめろと 云う。まったく困ったものさ。だから仕方なく、こうして隠れてや ってるんだ﹂ 佐和はワインを舐めつつ、くすくすと笑った。 ﹁困ったと云うわりにはうれしそうですけどお﹂ ﹁キミも次のを見つけたらどうだね﹂ ﹁わたしですか? わたしは︱︱﹂ 少し考えるようにした後、佐和は首を横へと振った。 ﹁もう十分です。夫は⋮⋮よくしてくれましたから﹂ 1193 ﹁あの若いふたりに手を貸したのは、自分たちと重ねたからなんだ ろう?﹂ ﹁さあ、どうでしょうか﹂ 佐和はグラスのワインを干した。静かに籐椅子から立ち上がった。 ﹁これからですよう。いずれにせよ全てはこれからです。わたしは きっかけをあたえたに過ぎません。彼らがこれから、しあわせにな るか、愛を育んでいけるかは、後はふたりの努力次第だと思います﹂ ◇ ◇ ◇ 虎ノ介と伊織は、ふたりで家路についた。 ホテルを出た後、道慣れない虎ノ介を送るということで、伊織は、 虎ノ介につきそってきている。虎ノ介もこだわらず、伊織にしたが っている。 ふたりは無言だった。 電車でも、路上でも、ふたりは何もしゃべらなかった。 しゃべれば、どうしても話はこれからのことへ落ちていく。だか らふたりは、それを避け、何もしゃべらなかった。ただ手だけをつ なぎ、薄もやのかかる都会の朝を、ゆっくりと帰っていく。 始発の電車から何本か乗り換え、そして駅の合い間では徒歩で︱ ︱。 見慣れた駅へたどり着いた頃には、陽はもう完全に昇っていた。 ﹁間もなく、二番線に、急行新宿行きがまいります。あぶないです ので、黄色い線の内側に︱︱﹂ 1194 アナウンスが流れる。 人が歩く。 電車を降りたふたりは、朝の通勤ラッシュの中を、流れと逆向き に歩いていった。混みあっていたホームも、そこを過ぎてしまえば、 わずかな降り客がちらほら見える程度で、駅そのものはいたって閑 散としていた。 駅舎を出ると、駅ビル前のロータリーそば、バスとタクシーの待 合所近くに、ふたりの女が待っていた。 ﹁伯母さん︱︱﹂ 舞と敦子だった。 敦子は、穏やかな微笑を浮かべて。そして舞は険しい表情でふた りを︱︱否、伊織をにらんでいた。 じっ 虎ノ介は何かを云おうと思い、言葉を探した。しかし結局は何も 云えず、だまって居心地悪そうにうつむいた。 伊織は何も云わなかった。 おやこ なんとも云われない、複雑に感情の入り組んだような目で、凝と 田村母娘を見すえていた。 虎ノ介をつなぐ手に、ぎゅっと力がこもった。 ﹁お帰り、虎ちゃん﹂ 敦子は、いつもとなんら変わらぬ様子だった。 ﹁トラ、帰るわよ﹂ 1195 舞は、ぶすっ、とふてくされた態度だった。 ﹁あ、うん﹂ 虎ノ介はうなずいた。一歩、ふたりの方へ踏み出そうとした。 ふたり 伊織は動かなかった。虎ノ介の手を離さず、別れをきらうように 虎ノ介の手を引いた。虎ノ介の目を、ひたと見つめた。 ﹁イ、イオねえ⋮⋮﹂ 足を止め、虎ノ介は言葉を失った。 伊織の云いたいことはわかっていた。 伊織とセックスしたこと。そのことを虎ノ介は、妻である母娘へ 告げるべきだった。それは伊織を抱いた瞬間に、はっきりと決定づ けられたことだった。 けれど、虎ノ介はそれを云えなかった。 虎ノ介は昏い、陰惨な目で、伊織をすがるように見た。 そうしたみじめな青年を、伊織は責めなかった。 やがて伊織は自分から、そっとその手を離した。 ﹁じゃあ、ここで﹂ ﹁イオねえ﹂ ﹁だいじょうぶ、わかってるから﹂ 不安そうに見る虎ノ介へ、伊織は微笑って云った。 そうして、そちらはそちらで、ずっと無言でいる母娘へ向け、伊 織は静かに頭を下げた。 ﹁じゃあね、虎くん、また﹂ 1196 云って、伊織は虎ノ介から離れた。そのまま、そこから去ろうと し︱︱ ﹁嘘⋮⋮﹂ しかし、どうしてか。 二、三歩進んだところで、彼女は、その歩みをぴったりと止めた。 ﹁イオねぇ?﹂ 虎ノ介は伊織を見た。 伊織はふるえていた。 ところ 立ち止まったまま、真っ青な顔で、ぶるぶると身体を小刻みにふ るわせていた。あらぬ虚空を見つめ、何かを恐れるように、冷たい 汗を流していた。 ﹁? どうしたの、イオねぇ﹂ 伊織の様子を訝しく見た虎ノ介は、彼女のそばへとよった。 伊織は、両手で自分の身体をかきいだき、しきりと何事かつぶや いていた。 虎ノ介は伊織の肩をつかんだ。 ﹁イオねぇ、どうしたの﹂ 伊織は答えなかった。 重ねて、虎ノ介は尋ねた。 ﹁だいじょうぶかい? 顔が真っ青だ﹂ 1197 がたがたとふるえながら、伊織は虎ノ介の胸にすがりついてきた。 その姿はまるで熱病に浮かされたか、あるいは夢遊病の患者のよう で、虎ノ介はひどく心配になった。何か、ざわざわと、沈着かない 気分を感じた。 そしてそのただならぬ雰囲気を感じ取ったのか。 舞と敦子も、ふたりのそばへと近づいてきた。 ﹁ど、どうしたのよ、法月伊織?﹂ と、舞が尋ねる。 伊織は顔を左右へとふった。 ﹁う、嘘よ、これ、この感覚︱︱。こ、こんなのって嘘よ﹂ ﹁う、嘘? 嘘ってなんだい? イオねぇ、どうしたんだい?﹂ ﹁嫌、いや︱︱。そんな。どうして。なんでよりによって、この子 なのよ。どうして︱︱! せっかく、せっかくむすばれたのに。や っと、やっと手をつなげるようになったのに﹂ ﹁ちょ、ちょっと法月伊織? アンタ、だいじょうぶな訳?﹂ 要領得ない伊織を舞がつかむ。 伊織は舞を見るや、いきなり彼女の胸倉をつかんだ。 くるま ﹁ちょ、ちょっと﹂ ﹁ナイフと車輌。こ、このままだと、このままだと﹂ ﹁な、何を云ってるのよ﹂ ﹁たすけて。たすけてよ、田村舞⋮⋮。あぶないの、虎くんがあぶ ないのよ。⋮⋮このままだと死んじゃう。この子が死んじゃう。殺 されちゃう⋮⋮﹂ 1198 ﹁な、何よ? いったい、なんの話?﹂ ﹁だからっ! あぶないのよ! 虎くんの身が。虎くんに危険が迫 ってるのよっ。それが見えちゃったのよ! こ、こんなこと。こん なことなかった。こんな映像で、はっきり見えることなんて、今ま で﹂ ﹁あんた︱︱﹂ ﹁お願いよ。お願いだからっ。あなたなら、あなたならなんとかで きるんでしょうっ? 虎くんをたすけられるんでしょう? あ、あ なたなら。わたし、なんでもするから。なんだってするから⋮⋮! だから、お願いよ、虎くん、虎くんをたすけて︱︱⋮⋮﹂ ⋮⋮必死に哀願する伊織の姿に、周囲からはだんだんと視線があつ まってきていた。何が起こったのか、という風に通勤途中のサラリ ーマンやOLたちが見ている。 そうした注目の中で、しかし虎ノ介たちは何もできずにいた。 虎ノ介も、舞も、敦子も、伊織の語る意味がわからず、ただ当惑 して、おびえる彼女をなだめるしかなかった。 1199 番外編 大串由利子の受難 その日、由利子は十年ぶりで男に抱かれた。 都内にある高層のホテル。 そこに呼び出され、ほとんどだまし討ちのような格好で、見知ら ぬ男にレイプされた。 計画したのは佐和と七重。 ふたりは、由利子のひとり息子が通う学園の教師だった。そして その学園、私立聖道館において、由利子はP○Aの会長をしていた。 ︵どうしてこんなことに⋮⋮︶ 由利子は思わずにいられなかった。 ただ あのとき何故、あの青年を受けいれたのか。学園における佐和の、 淫らな行状について糾すつもりだった自分が、どうしてああも易々 と流されてしまったのか。 佐和の口車のせいか。 七重に脅すようなことを云われたからか。 それとも自分でも気づかぬうち溜まっていた肉欲のせいか。 ⋮⋮あの見ているだけで不安になる、青年の瞳のせいか。 わからない。 そうした理由だった気もするし、また、そのどれでない気もした。 いずれにしろ由利子はセックスにおぼれた。 そこが一番わからなかった。 たしかにここ数年、夫との間に肉体の接触はなかった。けれど、 そのことを特別、不満に思ったこともないのだ。 1200 由利子は性的に淡白だった。 これまで一度も、己からセックスを望んだことはない。セックス したいと思ったこともない。時折、生理の近い頃にムラムラとする くらいで、それさえも、いつも軽い自慰で満足した。 だというのに。 どうしてか、あの夜だけはちがった。 男が欲しくて、欲しくて、どうにもたまらなかった。身体につい た火が烈しく燃え、朝まで沈着くことがなかった。脳はぐらぐらと 煮え、股奥はうるみきっていた。 由利子はなす術なく、男たちの巧みな性技に翻弄された。狂わさ れた。理性を、官能の波に押し流された。 気持ちがよかった、と思う。 あれは、たしかに気持ちがよかった。天上の酒に酔いしれた、そ うした気分だった。 きたならしいものと、子供をつくるためだけのものだと、そう決 めつけていた行為。しかし、その認識は今や完全にくずれた。 由利子は虎ノ介に犯され、はじめてセックスのよさを知った。 男とつながる喜び、支配されるよろこびを知った。 甘美な充足と、女の欲のすさまじさを知った。 もう一度したい。 由利子は思った。 るつぼ はしたない、間違った考えだとしつつも、しかしもう一度、あの 肉欲の坩堝に身を投げたいと思った。 あの夜、身体にきざまれた熱。 昏い目をした青年とのセックス。 おきび 子宮に受けいれた、白濁の味。 青年の残した熾火は、いまだ由利子の腹底でくすぶっていた。 1201 ︵でもだからと云って︶ 切なげに息を吐くと、由利子は己の股間へ手をやった。 そこに男のイチモツがある。 黒光りするペニスが、由利子の身体、奥深くまで差しこまれてい る。 ぱんっぱんっ、リズムよく、由利子の尻を打ち鳴らしている。 後背位。 今、百合子はうしろから犯されていた。 彼女をつらぬくのは若い男。長髪に浅黒い肌で、口元に軽薄な笑 みを浮かべている。 ︵わたしったら、何をしてるのかしら。こ、こんな簡単に⋮⋮︶ ゴム せめて避妊具をつけてほしい。 官能に身をふるわせながら、由利子は唇を噛んだ。 ふたりがいるのは、海を望む高台のリゾートマンションで。 由利子は、熟れきった肉体を男にあたえていた。フローリングの 敷かれた室内は明るく、強い太陽の日差しが、一面ガラス張りの窓 から差しこんでいる。さわやかな海の匂いが、ベランダから潮風と ともに吹きこんでくる。 窓の外を見れば、なだらかな曲線を描く海岸が、入り江の内側に 遠くのびていた。 ひろがった白い砂浜には、海水浴へ訪れた、たくさんのひとがあ のき る。浜の西側は、古びた石の防波堤があって、そのそばに海の家や、 ちいさな屋台が何軒か軒を連ねている。砂浜の手前にはアスファル ていざん トの道が、ずうっと遠くから沿うようにつづいて、岬の向こう、湾 を囲むようにならぶ青い低山の先へと消えている。 1202 外は暑い。 九月の空気は、まだまだ夏のさかりといってよいほどで、ベッド であえぐ由利子の肌に、大粒の汗をもたらしていた。 ﹁感じてんだろ、オバさん。素直になれって﹂ 男がささやいた。由利子の耳元に口よせ、耳たぶを噛む。 由利子はあえいだ。 自分が、肉体の反応に流されていると感じた。 ぎしり、ベッドが揺れる。キングサイズのベッドには、女物の下 着がとりちらかっていた。 ﹁はああぁああん⋮⋮っ﹂ ﹁おお、すげえしめつけ。いいよ、オバさん。いいアソコしてる。 ・ ・ ・ とろっとろだし、歳の割にゆるくもないしな。気にいったよ。最近 じゃあ一番のあたりだ﹂ 男は由利子の、わずかにたるんだ腹部をさわった。 ﹁身体もいい。特に肌が。もっちりと弾力がある。ちとたれちゃい るが、この巨乳もなかなかだ。ケツに迫力あるのもいい﹂ ぴしゃんと、平手で、由利子の尻を打つ。 由利子は振り返り、男をにらんだ。 ﹁な、何するんですか﹂ ﹁そう怒るなよ﹂ ﹁いつも、こんなことをしているの?﹂ ﹁こんなこと? ナンパかい?﹂ 1203 怪訝そうに、男は首をかしげた。無精ひげをなでる。 ﹁まあね。おれたちも若いから。時々はナンパでもしないと、チ○ ポがもたねえよ。ほら、オバさんだって、ヤリたいときぐらいある だろう? こうしてマ○コにチ○ポ突っこまれたくなるときがさ﹂ なか な 一段と深く。男は由利子の膣内を、そのふとく長いペニスで押し た。 ぬ⋮と押しこまれた亀頭が、子宮の入口をつぶす。 目の奥に電流が走り、思わず由利子は、悲鳴に近い声で啼いた。 ﹁きゃひっ!﹂ ﹁オバさんだって、結局ヤリたかったワケじゃん? おれらと一緒 だよ﹂ ﹁い⋮⋮、一緒にしないでくださいっ。わたしは、ただ姉と旅行に きただけで、こんなこと望んでなんか⋮⋮っ。くッ⋮⋮ンッ﹂ ﹁いいって、ごまかさんでも。別に人妻だろうが、子持ちだろうが ナンパされたってかまやしねーよ。セックスしたってよ﹂ ﹁あっ! あっ、あっ! ンン∼∼∼∼ッッ!﹂ ﹁貞淑じゃないといけねえなんて、そんなこと云うつもりはねえ、 ガキじゃあるまいしな。それにほら、見なよ、あっちを。アンタの 姉さんをよ。完璧に蕩けちまってるぜ﹂ そう云うと、男はうしろから由利子を抱きよせ、あごを引きつか んだ。 片手で胸をもみあげ、もう片方の手で由利子のあごを動かす。 いきおい由利子の目はベッドの向こうを向いた。 ベッドの先︱︱ベランダではもうひとり、女が犯されていた。 年齢は由利子と同じくらいだろうか。由利子と似た顔立ちで、濃 1204 い化粧、きつい目をしている。 グラマラスな身体を、うしろからかかえられ、両脚をひらいた格 好で宙に置かれている。 まえ うしろ いわゆるM字開脚のまま、前後の肉穴を犯されている。 膣は金髪の男が、肛門は両耳にピアスをした、茶髪の男が埋めて いる。 サンドイッチの形である。 男はともに若く、由利子の相手と同様、日に焼けた肌と、筋肉の 多い身体をしていた。ふたりは、ふやふやと下卑た笑いを浮かべ、 ゆっくり腰を動かしていた。 ﹁あんっ、あん。⋮⋮す、すごいっ。すごいわあっ。もうこんなっ、 こんななってるゥ⋮⋮! すごい、すごすぎってイッちゃうッ。我 慢できないっ。お尻の穴がめくれてるのっ! おま○こ、けずれて るっ! 二本のチ○ポでゴリゴリしてるわっ。おま○こも、お尻も っ。溶けてるッ! ンいいのっ、若い生チ○ポでっ、ンッ飛ぶうッ !!﹂ 大声で。女は叫んでいた。 焦点のあやしくなった目で、金髪の男を見つめている。ほそい腕 を、金髪の首に巻きつけてもいた。 ﹁瑠璃⋮⋮ッ﹂ 喉をふるわせながら、由利子は女の名を口にした。 女が、あえいだ。 ◇ ◇ ◇ 1205 るりこ ふじした きっかけは瑠璃子の誘いからだった。 うえ 瑠璃子︱︱藤下瑠璃子は、由利子の三つ年長の姉にあたる。 由利子と同様、人妻であり、十歳になる子供もいる。ひとに好か れる由利子とちがって、気性が烈しく権力志向が強い。仕事もでき るが、元来が高飛車なため、周囲にはきらう者も多い。 おどろ だからこそ由利子も吃驚いた。 妹の秘めた本性︱︱夫に隠れ、男漁りしているという事実を驚愕 をもって見た。 ︱︱由利、あなた欲求不満なの? だったら、いい場所知ってるわ よ。 じょうし こう誘ってきたときも、最初、由利子はなんのことかわからなか った。市内にある城址公園や葛原駅前ロータリーが、有名なナンパ スポットだというのも知らなかった。 ︱︱セックスできるわよ。 瑠璃子は、旅行の計画を立てた。 二泊三日のセックス旅行。 由利子の息子が修学旅行へ行く。その日程にあわせたものだった。 目的地は東京から20キロ離れた、伊豆にほど近い観光地。 由利子は迷った。 セックスの快感。確かに魅力ではあったが、しかし由利子は人妻 である。妻として、やはり罪悪感はある。親にすすめられ、流され るまました結婚ではあったが、それでも、夫の人物と能力だけは正 しく評価している。 1206 評価。 そう、由利子は夫を評価していた。 地味ではあったが、由利子の夫は客観的に見てよい夫だった。夫 として、父親としての機能は十分にはたしている。酒はつきあい程 度、博打も女遊びもしない。世間の基準で見れば、それなりに高い 給料を持ち帰ってくる。短絡的に、情緒に振りまわされることもな い。成功や出世とは遠いタイプであったが、万事をそつなくこなし て、派手な失敗をしない。 何より由利子を愛してくれている。 理想の夫。由利子は、夫をそう見ていた。 もっともそう見ているというだけで、たぎるような情熱や愛を感 じるかというと、実のところ、そうでもなかったのであるが⋮⋮。 ﹁あンッ! あンッ! す、すごっ! や、やっぱりっ! すごい っ、わっ! 由利っ! こんなのッ、が、我慢なんて、おかしいで しょっ! こ、こんなっ、こんな気持ちイイことォッ!!﹂ じっ 犯されながら、瑠璃子が云う。 由利子は凝と姉の姿を見つめた。 瑠璃子にふだんの面影はなかった。面貌をだらしなく歪ませ、ひ たすらセックスをたのしんでいるだけだった。ボリュームの多い身 体をくねらせ、髪を振り乱している。果実のような双乳をはずませ、 絶頂に身をふるわせている。 ﹁はんっ。あンッ! ああンッ! き、気持ちいいッ。あッ、あッ、 ほああ⋮⋮ッ!!﹂ ﹁おいおい、よろこびすぎだろ、ババア﹂ ピアスの男が、あきれた風に笑った。 彼の肉棒は、腸液とローションによって、ぬらぬらと光っていた。 1207 そして、それが肛門に出たり入ったりするたび、瑠璃子は悲鳴とと もに、おとがいをそらした。 こっち ﹁肛門もかなり使いこんでるみたいだし、相当遊んでるな、アンタ﹂ ﹁そ、そんなこと、ないわよ⋮⋮! う、う、うう∼∼∼∼ッッッ ッ﹂ ﹁嘘つけって。じゃあなんで、こんなにケツ穴が仕上がってんだよ。 キュンキュン締めつけて、チ○ポを飲みこんでくるぜ﹂ 嘲笑うような態度で云うと、ピアスの男は角度をつけ、ペニスを 突きこんだ。 尻穴から、ぶじゅり、腸液がこぼれる。悪臭が鼻を刺激した。 うしろ ﹁そっ、それはっ。それは主人が、肛門でするから⋮⋮ひいっ﹂ 頬を染め、瑠璃子ははずかしそうに言い訳した。 そんな瑠璃子の口を、金髪の男が舐めた。 ﹁ふむっ。んんっ⋮⋮むうう﹂ ﹁おら、舌出せ。もっと、そう、前にのばせ。もっとだ。おれの舌 にからめろ﹂ 瑠璃子に命令する。 瑠璃子は云われるまま応じた。金髪の唇を吸い、まるでヘドロの ような匂いのつばを飲んでいく。 金髪は長いキスをした後、瑠璃子の顔をも舐めまわし﹁そろそろ イクぜ。どこに出してほしい?﹂瑠璃子に尋ねた。 なか ﹁膣内に。膣内にちょうだい。たくさん出して。出すのよっ﹂ 1208 腰に足を巻きつけ、瑠璃子は相手にぎゅっとしがみついた。 ﹁へっ、とんでもねえスケベ女だな﹂ ピアスの男が、笑いながら離れた。ずるりと、ペニスが瑠璃子の 尻から抜ける。 身体の自由になった瑠璃子は、金髪にしがみついたまま、烈しく 腰をくねらせはじめた。 金髪の方もこみあげてきたらしく、フィニッシュに向け、いよい よピストンの動きを強めていく。 ﹁よし、イクぞ。イクぞ、ババア。お望みの射精だ。マ○コにくら ってイケっ。子宮で孕みやがれっ﹂ なかだ ﹁きてぇーーっ! い、いっぱい! いっぱいちょうだいいィーッ ッ!!﹂ ﹁おっ、で、出るっ﹂ し ﹁おうっ! んんんっ! きっ、きたァ! おま○こッ! 膣内射 精ィッ! 生でっ! 子宮に膣内射精されてるゥ! 濃いの、たっ もろて ぷり出てるゥーーーっ! ふううっ、んンンンンンンンンンッッッ ッ!!!﹂ どぶりゅ、と男が射精する。 瞬間、瑠璃子は絶頂した。全身をふるわせ、双手で、男の首を抱 く。両の足指をひらいたり閉じたりさせる。切羽つまった表情で、 歯をかちかちと鳴らす。股間では、秘裂におさまらなかった白濁が、 黒い草むらをよごしていた。さらには黄色味がかった透明な液体ま でも、ちょろちょろ、もれ出てきた。 ﹁∼∼∼∼∼∼∼∼ッッ﹂ 1209 見栄もはじらいもなかった。 母親としての尊厳すらなかった。 ただ一匹の牝。快楽をむさぼる牝がそこにあった。 ◇ ◇ ◇ ﹁る、瑠璃﹂ 由利子は溜息をついた。あれでは、あれではまるで白痴ではない か。そう思った。けれど︱︱。 ︵求めたのはわたしも同じ⋮⋮︶ 由利子は自覚していた。自分で、自分に幻滅していた。 ﹁それじゃあ、こっちも本格的にヤろうか﹂ 長髪の男が告げる。 由利子は息を飲んだ。 ﹁ど、どうするつもり?﹂ ﹁どうしたい?﹂ 質問で返す。男は手慣れていた。由利子の、セックスに向ける葛 藤に気づいていた。 ゴム ﹁希望があったら聞くぜ。アンタの、いいようにしてやる﹂ ﹁な、なら。なら避妊具をつけてください﹂ 1210 ゴム ﹁避妊具? あー⋮⋮それはパスだ。それ以外で﹂ ﹁そ、そんな﹂ ﹁いやあ、コンドーム着けてっとさ。イケねえんだよ。あんなもん つけてするくらいならオナニーの方がマシだ。まだマシだ。それに、 こういうのはよ、おたがい気持ちよくならねえと嘘だろ、セックス はよ。だから生でしたいんだよ。アンタも絶対その方がキモチイイ って。な、だから他でさ﹂ ﹁ほ、他なんて、別に﹂ ﹁あるだろ、何かひとつくらい﹂ 男は由利子のあごをつかむと、強引に、部屋の奥へ向けた。 ししおき 奥には大きな姿見があって、由利子本人の痴態を映している。 肉置豊かな、ウェーブ髪の女だ。 ひと好きのする、やわらかい顔立ちの女だ。 おおき それが今、背面座位で犯されている。座位でつながったまま、う のり こご しろからのびた手に、その巨大な乳と、たるんだ下腹をこねまわさ れている。結合部は白い糊がべったりと凝り、女が本気で感じてい ることをしめしている。 長髪の男は、無精ひげを押しつけながら、唇で女の耳を甘噛みし ている。 ﹁う⋮⋮っ﹂ 由利子は熱い吐息をもらした。 姿身に映った女は、眼鏡の奥、明らかな快感を見せている。 申しわけ程度に保たれていた表情も、次第にとろけ、官能にくも っていく。 口は自然とひらき、そこから舌がだらしなくのばされてくる。 粘性のある液体が、つ⋮と、口の端からこぼれる。 1211 ﹁ヤリたいんだろ、滅茶苦茶に﹂ 男がささやく。 由利子は喉をつまらせた。 ︵したい⋮⋮︶ 認めるよりなかった。 由利子は発情していた。男の、セックスの快感を欲していた。 由利子は云った。﹁や、やさしくして﹂ にたりと、男が笑った。 なめくじ ﹁オーケイ。やさしくしてやるよ。腰抜けて立てなくなるくらい、 かわいがってやる﹂ 云うや、男は由利子の肩越しに唇を吸った。 じゅうりん 自然と由利子は、顔をうしろへねじ向ける形となった。⋮⋮蛞蝓 のような舌が、由利子の口内を蹂躙する。 ﹁く、くさい﹂ 息苦しさにあえぐ。 男は唇をねぶりながら、由利子の両乳首をもつねりあげた。巨大 な肉の塊が、ぐうと引きのばされる。 由利子は唇をふさがれたまま、ちいさく感じ声をあげた。 ︵ら、乱暴じゃないっ︶ 抗議するようににらむ。 だが男は一切かまわず、由利子をベッドへ押し倒した。唇を離し、 1212 ちゅうそう うしろから、うつ伏しに密着する。寝バックの形で抽挿を再開する。 由利子は反射的に逃れようとした。 けれど男も、由利子を逃さず、押さえつけたまま腰をゆすった。 由利子の背中、首すじ、そして腋の下を舐めた。 ﹁あっ⋮⋮ああーーっ﹂ 由利子はもだえた。 あまったるい、なまめかしい声であえいだ。 嫌悪を覚えつつも、由利子の肉体は快感を享受している。 亀頭が荒々しく膣奥をけずるたび、云いしれぬ感覚が、子宮から 這いあがってきて、脳髄をしびれさせる。 ︵す、すごい⋮⋮!︶ 徐々に、由利子は抵抗をなくしていった。 男の腰の動きにあわせ、自らも尻を振る。 寝バックの姿勢で、両の膝を曲げ、かかとを男の脚にからめる。 うしろの男の脚に。それはまるでベッドで平泳ぎするかのようであ った。 ︵これ⋮⋮! これが欲しかったの⋮⋮!︶ 口角がゆるむ。 ピストンのたび、腹底から背すじに衝きあがってくる官能。その パルスがたまらなく心地よかった。 男もまた、由利子の変化に気づいたのか、うれしそうに笑った。 ﹁盛りあがってきたじゃん﹂ ﹁そ、そんなこと⋮⋮う、うう⋮⋮ンッ⋮⋮!﹂ 1213 ﹁声、出てるぜ﹂ ﹁ッ! そ、それは⋮⋮﹂ ﹁素直になりなよ、素直に﹂ 姿身に見える由利子の顔は、快楽によってドロドロに蕩けている。 涙とよだれ、鼻水に濡れている。 食いしばった口元、その口角が、笑うように吊りあがっている。 男が腰を動かすたび、ぱちゅんっ、ぱちゅんっと、うるんだ肉壷 が音を立てる。 ﹁うう∼∼∼! うふゥうん∼∼ッ﹂ ﹁ほらー、すっげえ顔してんじゃん。イキたそうな顔だよ。よがり 狂って、アヘ顔さらしたいと思ってる顔だよ﹂ ﹁そ、そんな⋮⋮そんなごどォ⋮⋮ッ。な、ないい⋮⋮っ、ンっ、 ンン! んッ、んッ、ひぐうう∼∼っ﹂ ﹁ちっ、強情なババアだな﹂ 男は苦笑しながら、由利子の身体をかかえた。身体をいれ替え、 正常位の姿勢にする。そうして由利子の目を見つめながら、あらた めて挿入した。 ﹁おら、よがれよ。感じまくって、旦那じゃねえ男のチ○ポでイケ よ﹂ ﹁ンッ! あッ! あはあーーーーッ!﹂ ﹁おらっ、おらっ﹂ ﹁おおンッ! や、やめっ。烈しいっ。おンッ! ひっ! そ、そ こ、子宮⋮⋮ッ! ンンーーッ!﹂ ﹁イってるだろ、なあっ。今イってんだろう﹂ ﹁んはあ∼∼∼∼∼ッッ!﹂ ﹁感じ、ってる、なら⋮⋮! ちゃんと、云えよ⋮⋮オバサンっ。 1214 おま○こイイって云えよ﹂ ﹁⋮⋮う、うう﹂ ﹁云えよ、云わねえとやめちまうぞ﹂ ﹁イ、イイーーっ! お、おま○こっ! おチ○ポがイイのおーー ッ! も、もうイキそうっ。最高ッ! あッ! あひいいーーーッ !!﹂ 由利子はもはや、正常な思考すらできなくなりつつあった。 目をかっと見開き、涙と鼻水をたらしながら、ひたすら快楽にふ るえていた。 ﹁へっ。へへ⋮⋮い、いいぜ。これだよ。この感じ方だよ。男がそ そる最高の乱れ方だ。まったく、とてもじゃないが人妻とは思えね え。子供が泣いてるぜ﹂ ﹁や、やめて⋮⋮っ。あ、あの子のことは云わないでえ⋮⋮! ス、 スケベなだけ⋮⋮子供は大切だけど、でもエッチも好きなだけなの ォ⋮⋮っ﹂ ﹁ははは⋮⋮じゃあ、そのスケベなママは、どっちを選ぶんだ? 子供とセックス、どっちをとるかって云ったら﹂ ﹁そ、それは﹂ ﹁ほらほら云わないと、やめちまうぞ。チ○ポ、マ○コから抜くぞ ⋮⋮?﹂ ﹁ひ、ひどいわ﹂ ﹁ああ。ひどくて結構さ。おら、云えよ﹂ ﹁う⋮⋮﹂ ﹁どっちがいいんだ? マ○コするのと、子供と﹂ 由利子はかぶりをふった。こんな中途半端で終わられたら困る。 最後までシてほしい。そうした欲望の声が背中を押す。何を云おう と所詮は嘘の言葉。そんな思いもあった。 1215 しばし躊躇ったあと。由利子は振り切るように叫んだ。 ﹁セ、セックスです∼∼∼∼っ! セックス! セックスがいいの ォーッ。お、おま○こ! セックスなのォ∼∼ッ。これっ、こんな なかだし の知ったら、もう無理ッ! セックスなしなんて! そんな生活で きない∼∼ッ!﹂ ﹁はっはっ。よく云えた。ご褒美に、たっぷり膣内射精してやるか らな﹂ なかだし ﹁ああ∼∼、ごめん、ナオくん。駄目なママをゆるしてっ。ママ、 駄目なのッ! もうこれがないと生きていけないッ! 膣内射精さ れないとしあわせになれない∼∼∼∼ッ!!﹂ 云いながら、由利子はキスをねだった。 男もそれに応える。舌をのばし、間でからめあう。大量の唾液が、 由利子の口元に落ちた。 男はもはや限界に近いらしく、ペニスはびくびくと、由利子の中 で痙攣を繰り返している。 由利子の子宮もまた、最高の絶頂と受精にそなえ、ペニスを奥に 引きこもうとしている。 ﹁出すぞ。膣内へ⋮⋮!﹂ 荒い息で告げる。 男は両手で由利子の膝を押さえつけ、なかば膝立ちのような格好 で、ピストンしはじめた。 ひと打ち。 ふた打ち。 出入りのたびに陰嚢が尻をたたく。肉棒にからみついた花びらが、 めくれあがってのびる。 1216 ﹁は、はいっ。出して、出してくださいっ。⋮⋮ひっ、ひいっ! は、烈しいィーーッ!﹂ ﹁うお、くっ、く﹂ ﹁ひーーっ! い、イっちゃうーーっ! こ、こんなの、また、イ クぅぅーーーーっ!!﹂ ﹁くおっ! ぐっ、出る、もう出るッ!﹂ ﹁ンひいいいい∼∼∼っ! お、おま○こイクゥーーー! しびれ るゥーーッ!!﹂ ﹁うおおっ﹂ ずびゅっ、と。 ペニスがふるえ、由利子の胎内に、大量の精液がはじけた。 その噴水にも似たいきおいの射精を受けて、由利子は背をぶるり とふるわせた。 今日、何度目かの絶頂。 由利子は男にしがみつくと、巻きつけた両足に力をこめ、全力で 男を締めつけた。 ﹁ンンンンッ! き、きてるッ! ⋮⋮あ、会ったばかりの男の精 液⋮⋮奥にいっぱいそそがれてる⋮⋮ッ! どびゅどびゅ出てる⋮ ⋮っ! も、もうムリ、そ、そんなに出されたらあふれる⋮⋮っ! 受精する⋮⋮孕むゥ⋮⋮!﹂ ﹁くうっ、すげえ締めつけ⋮⋮!﹂ がくがく、男の身体が揺れる。それとともに、大量の精液がさら に子宮へと送りこまれた。 すさまじい、たとえようもない快楽に、由利子は目を白黒とさせ た。 ﹁∼∼∼∼∼∼∼ッッ﹂ 1217 気づいた時には、由利子はもうもどれないところまできていた。 白い闇が、意識を溶かしていく。消えかかった意識の底で、由利 子は脳裡に夫の顔を浮かべた。 ︵ああ、ごめんなさい、あなた。わたし、いっぱい出されちゃった ⋮⋮︶ ◇ ◇ ◇ ﹁それから?﹂ そう云うと。 じっ 志木七重はゆっくり、コーヒーのカップを口へ運んだ。 テーブルをはさみ、向かいに座っていた由利子は、凝と、蒼ざめ た顔で七重を見た。 都内にある私立聖道館高校。 その来客用応接室に、今、由利子はいた。 テーブルと革張りのソファが置かれた部屋には、由利子と七重の 姿しかない。 由利子はソファに座り、自分のしてきた旅行︱︱その一部始終を 七重にはなし聞かせていた。 ﹁まだつづきがあるのでしょう? それで終わりだったら、ただの 不倫旅行だもの﹂ 決めつけるように七重が云った。 1218 由利子はしばし沈黙し、やがておずおずと、躊躇いがちに話を切 り出した。 ﹁脅迫されてるんです﹂ ﹁脅迫?﹂ 七重はわずかに眉をひそめ、 ﹁脅迫って、その男たちに?﹂ ﹁また会えないかって﹂ ﹁会えないかって︱︱ただの遊びだったんでしょう? ナンパされ て、ううん、実際には逆ナンパというのかしらね。ともかく、あな たたちは一夜を過ごした。よくある恋の火遊び、アバンチュールじ ゃないの﹂ ﹁わたしも、そう思ってました。もう終わったことだと。でも相手 の男のひとが、わたしを気にいったらしくて、こちらへもどってか ばら ら何度も、携帯に連絡が。わたしは断ってるんですけど、会ってく れなきゃ夫に暴露すって﹂ ﹁脅されてる?﹂ こくんと、由利子はうなずきで返した。 ﹁お姉さんはなんと云ってるの﹂ ﹁瑠璃子は、無視しろって。そんなのはよくある嫌がらせで、無視 すればこなくなるからって﹂ ﹁わたしもそう思うけれど﹂ ﹁でも、わたし不安で。向こうには動画もあるし﹂ ﹁動画?﹂ ﹁セックスの時の、ビデオカメラで︱︱﹂ ﹁まさか撮らせたの?﹂ 1219 ﹁わ、わたしは嫌だと云ったんですけど。姉さんが許可してしまっ て﹂ ﹁どんな動画なの﹂ ﹁エ、エッチしてるところの、その挿れたり、口でしてるところと か、それから﹂ ﹁それから?﹂ ﹁出されたあと、指でひらいて見せたり、それからピースとか﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ふうと。七重は溜息をついた。﹁ばかね﹂由利子に向けて云う。 由利子はかすかに非難のまじった目で七重を見つめた。 ﹁何か云いたいことでもあるの?﹂ 冷たく、七重が問うた。 ﹁も、もとはと云えば、先生たちのせいでもあるんです﹂ ﹁あら? どうして?﹂ ﹁志木先生が、あんな、あんなことするから。わたしだって、あん なことさえなかったら、こんな旅行なんて﹂ ﹁わたしは不倫旅行なんてすすめたつもりはないわよ﹂ ﹁で、でもっ﹂ ﹁勘違いしないで。いけないと云ってるんじゃないのよ。あなたを 責めるつもりもない。わたしが云いたいのはね、どうしてわたしに 相談しなかったかということよ。不倫旅行なんていく前に、わたし よ。あれ以来、わたしも と会っているわ。時々、セ のような子を﹂ 彼 彼 たちに相談してくれたら問題はなかった。もっと安全に、もっとい い男を紹介してあげられたわ、 彼 ﹁彼? 彼って﹂ ﹁ ックスのためにね﹂ 1220 ﹁セ、セックスフレンドということですか﹂ ﹁そうよ、うらやましい? 否定しなくてもいいわ。顔にはっきり とそう書いてあるわ﹂ 七重は再度コーヒーを舐めた。 漆黒の液体からは、複雑で深みのある香りが湯気とともにただよ っている。﹁コピ・ルアクよ。理事長が好きなの﹂ 由利子はコーヒーに手をつけなかった。 七重はカップを置くと、ふところから携帯電話を出しつづけた。 ﹁いずれにせよ事情はわかったわ。男の件はこちらでなんとかしま しょう。理事長にお願いしてみます。特に問題なければ、数日中に も解決できるでしょう。相手の連絡先は知ってるのよね?﹂ うなずき、由利子はポーチから電話を出した。 七重はペンと手帳をとると、軽い手つきでペンを走らせていった。 ﹁じゃあそれを教えて。⋮⋮はい⋮⋮はい。わかったわ。これが相 手の連絡先ね。ええ、もう帰っても結構よ。あとはわたしたちでな んとかするから、安心してちょうだい﹂ 事務的な態度で、七重は話を終えた。電話を持ってどこかに連絡 をはじめる。 由利子は席を立ったものの、やはりまだ何か不安な気がして、し ばらく部屋を去る気になれなかった。戸口の前でうろうろ、様子を うかがっていると、連絡を終えたが七重が携帯をしまいつつ、由利 子の方を見た。 ﹁まだ何か?﹂ 1221 ﹁ほ、ほんとうに﹂ ﹁ふん?﹂ ﹁ほんとうにだいじょうぶなんでしょうか?﹂ ﹁⋮⋮だいじょうぶよ。心配しなくても、ええ、理事長がなんとか してくださるわ﹂ ﹁理事長が?﹂ ﹁それより、ねえ、由利子さん﹂ 七重はカップに残っていたコーヒーを干すと足を組み直した。優 雅な仕草に、スカート奥の影が揺れる。 ﹁あなたも、くるつもりはない?﹂ ﹁え?﹂ ﹁気にいったのでしょう? この間、試してみて。なら無理するこ 彼 はやさしいひとだもの。あなたが理事長の敵にならないか ともない。あなたもくればいいわ 。 ぎり、抱いてくれる。あの晩のようにね。そして、わたしたちはあ なたの力になれる﹂ ﹁な、何が云いたいんですか?﹂ ﹁満たされるということよ、わたしたちの仲間になれば﹂ ﹁そ、それは﹂ それは由利子に向けた誘いだった。 甘美な情と、背徳へのいざないであった。 由利子は動揺した。動揺しつつ迷った。 燃えあがった欲望。これはすでに七重に話したとおりだ。今さら ごまかしたところで仕方のないことである。しかしそれでもなお、 由利子はいまだ踏みきれなかった。 妻である自分。母である自分を棄てきれなかった。 惰性で家族を裏切りつづけることに理性の抵抗があった。 1222 一回も二回も同じ。そんな風にはとても割り切れないのだ。 答えあぐねていると、そうした由利子の心情を察してか、七重が つけくわえるように云った。 ﹁あなたの旦那さん、浮気しているわよ﹂ ﹁えっ﹂ 横にあったノートパソコン、そしてシガレットケースを引きよせ くわ 七重はつづけた。 煙草を口に銜える。 ﹁ほら、これ見て。この写真﹂ ﹁これは︱︱﹂ それは盗撮写真だった。 由利子の夫。それが若い女とともに写っている。場所はラブホテ ルの前で、どれも女の肩を抱くようにしている。キスをしている。 そうした写真もあった。 ﹁これって︱︱﹂ ﹁相手の女性は、会社の同僚のようね。歳は二十八歳。あなたより だいぶ年下﹂ ﹁ど、どうして、こんなもの﹂ ﹁調べさせておいたの。いざというとき、あなたにつかおうと思っ てね﹂ ﹁そ、そんな﹂ ﹁で、どうするかしら? わたしたちの仲間にはいる?﹂ ﹁そ、そんなこと、急に云われても﹂ ﹁旦那さんへ義理立てする必要なんてないと思うけど、彼の浮気は 1223 七年も前からつづいてる関係よ。あなたの息子さんがそう云ってた わ﹂ ﹁? ナ、ナオくん?﹂ どうしてそこで息子が出てくるのか、由利子は吃驚きを隠せなか った。 七重は特に気にした風もなく、 ﹁直樹くん、父親の浮気で、相当心を痛めていたようね。あなたの ことも心配して⋮⋮そのことを小島先生に相談していたの﹂ ﹁こ、小島先生に⋮⋮?﹂ ﹁彼女は彼を指導したわ。それは、あなたも知ってるわね? でも そのことで、彼は精神的に余裕を持てた。彼、云ってたそうよ。あ なたにも恋人ができたらいいのにって。そして大学を卒業したら、 自分はいい仕事について、あなたを家庭から自由にするんだって﹂ ﹁ナ、ナオくんが⋮⋮﹂ ﹁親が思ってるより、子供は成長してるってことね﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁さ、それじゃあ答えを聞かせてくれる? 由利子さん。わたした ちのサークルへはいる? それとも︱︱あきらめる?﹂ ◇ ◇ ◇ ひと月後。 由利子は、あるホテルの一室にいた。 ピンクの照明が照らす、安いラブホテルの部屋。 部屋では男女が数人、全裸でからみあっていた。 男がひとりに対し、女が三人。 1224 由利子は、二十歳くらいの青年につらぬかれ、もだえていた。 ﹁んおお∼∼∼っ! ほおおっ! んひぃいいいいっ﹂ ベッドの上であえぐ由利子は、屈曲位で、子宮をつぶされている。 男はずんずんと、休みなく、由利子を責め立てている。 そうした由利子の横には、煙草を喫いながら歓談するふたりの女 があった。 佐和と七重、である。 ふたりは話しながら、横目で由利子の犯される様子を眺めている。 ﹁すごいですね。またイッたみたい。もう何回目でしょうか、これ﹂ ﹁十回くらい、かしらね﹂ ﹁教頭先生、何回イキました?﹂ ﹁そう、わたしは七回くらい﹂ ﹁あらあ、わたしまだ四回なんですよ。なんかわたしだけ少ないで す﹂ ﹁あなたは毎日、別のひととセックスしてるからいいでしょう? 彼 とするのは月イチですよう﹂ わたしたちは月イチなのだから﹂ ﹁わたしだって ﹁その月イチの権利はわたしが正式に引き継ぎましたよ。もうあな たの権利ではありません。理事長から正式にいただいたんです﹂ ﹁そんな、ずるい﹂ 云いあう。 寝ころんだふたりの全身は、すでに汗と粘液にまみれていた。七 重も佐和も、股間から白く泡立った液体がこぼれている。 ﹁ひぐううううう∼∼∼!﹂ ﹁あ、またイったわね﹂ 1225 ﹁そういえば、なんで、今日なんですか? お休みでもなんでもな い平日ですけど﹂ ﹁平日の方が、おたがい自由が利くでしょう。特に主婦の由利子さ んは﹂ ﹁あらぁ、そういう理由なんですか? ほんとうに?﹂ ﹁嘘。ほんとはわたしの危険日なの﹂ ﹁あらら、本気で孕むおつもりなんですね﹂ ﹁ええ、理事長からもおゆるしをいただいてるから﹂ と、七重は口から紫煙を吐きながら、云った。 佐和もまた頬杖ついた手をうごかし、煙を吸いこむ。 ﹁シングルマザーですか﹂ ﹁それも悪くないと思って﹂ めかけ ﹁そうですね。理事長の下で働くなら、虎ノ介さんとも頻繁に会え るでしょうから、まあ実質お妾さんというか。あ、虎ノ介さん、イ キましたね。ううん、すごい濃さ。相変わらずエグいですね﹂ ﹁由利子さんも、両足ですごい固めしてるわ﹂ ﹁安全日でも妊娠しそうですね﹂ ﹁あひいいいいい∼∼∼∼∼ッ!﹂ 由利子の絶叫が響く。 やがて由利子は青年の身体の下で、意識を失った。 それを見届け、今度は七重たちがうごく。 ﹁交代ね﹂ ﹁そうですねえ。ヤリましょうか﹂ 語るふたり。 舌舐めずりしながら、男にかかっていく。 1226 ⋮⋮狂宴はまだまだ終わりそうになかった。 1227 無職、久遠虎ノ介の場合 ・・ 夢を、見ていた。 夢の中で、おれはそれを夢だと認識していた。 最初はいつものやつかと考えた。 いつもの悪夢。また、あの白くて寒い部屋にきたかと思った。 けれど、その夢はふだんと様子がちがっていた。 夢の中で、おれは子供だった。 あの屋敷に暮らした、愚かで、何もできない子供だった。 夢はあの日の記憶だった。 冬の近づいていたあの日。打ちつける雨が、ひどく身体をふるわ せたあの日のことだった。 少年がいた。 少年の隣には、少女がいた。 姉と弟。少年は姉に手を引かれ、降りしきる雨の中を懸命に走っ ていた。 ・・ おれは。 そう、おれと姉さんは走っていた。 ◆ ◆ ◆ ささい 何がきっかけだったのか。今はもう思い出せない。たぶん、些細 なことだったろうと思う。記憶が、遠く、忘却の彼方へ消え去る程 1228 度には。 ともかく彼らは家を出たのだ。 家の者に気づかれぬように。ふたり引き裂かれぬように。母や、 祖父の目を逃れて。 狂った男が住む離れの横を駆け、古びた井戸の先から裏口を抜け、 早春には椿の一面に咲くうつくしい山の森を、ちいさな懐中電灯ひ とつ提げて。 憶えているのは夜の闇だ。 闇の中、聞こえる遠雷だ。 夕方から降り出した雨は、夜が深くなるにつれ、冷たさといきお いを増していった。 傘はなかった。 姉さんの持ち出した傘は、折りたたみの一本だけで。それは山道 から森へ、車のライトを避けた時に壊れていた。木々の枝が、薄い ビニール部分を突き破っていた。 ︱︱仕方ないわね。 こう云って姉さんは、着ていたウィンドブレーカーを、おれに着 せてくれた。彼女はブラウスに薄いセーターという姿になって、雨 に濡れた、おれの頭をなでた。 おれと姉さんは、雨に濡れながら山を下りていった。 こずえ 恐ろしい、とおれは思った。 夜の闇も、さわぐ木々の梢も、遠くから響く雷鳴も、時折起こる 鳥の羽ばたきも、全て。おれは恐ろしく感じた。だまって家を出た こと。母さんと離れたことが不安だった。屋敷に住む年長の幼なじ みに聞かされた、ゲーテの﹃魔王﹄の詩を思い出した。 ︱︱いったい、どこへ行くの? 1229 おれは何度も、姉さんに尋ねた。 姉さんは﹁遠くよ﹂とだけ云って、おれの手を引く。おれはそれ で、言葉を失う。いつも姉のうしろをついて回っていた少年にとっ て、彼女の言葉は絶対であったから。彼女についていけば間違いが ない。子供心にそう信じていたから。おれはちいさな歩幅で、彼女 の背についていった。にぎった手からつたわってくるぬくもり。そ れだけを頼りに、闇の中を懸命に歩いた。 子供の足では、そう遠くまでは行けない。 屋敷の方でも、子供たちがいなくなったことに気づく。⋮⋮おれ たちはすぐに見つかるはずだった。 けれども姉さんはふつうより少し頭がよかった。短絡な、幼い感 情からの行為であっても、彼女がすることにはいつも、いくつかの 備えがあった。 姉さんはおれを連れ、まず沢に向かった。 山の中央を流れる渓流。それは、おれたちがよく遊び場にしてい た沢だった。 みねみね 透きとおった水の流れる沢で、下流へ行けば、その付近一帯にあ る峰々からの湧水、あるいはまた別の川、上流からのダムの流れと しじみ つながって、上杜市をつらぬく一本の太い川となる。さらに遠く河 口付近へと進めば、海そばの汽水湖があり、そこは昔から蜆の産地 として有名な場所だった。 ふと かつて、おれたちは家族でその汽水湖へと行った。そこで母さん だし や、伯母さんと一緒に蜆を食べた。まるまると肥った蜆の、たっぷ りと入った汁。蜆の出汁が利いた塩焼きそば。それらを姉さんや伯 母さんに世話されながら食べた。 だから思ったのかもしれない。 1230 あの湖へ、また行くのだと考えた。 ふたりでボートに乗って。 ⋮⋮そう。そこにはボートがあった。 ちいさなゴムボート。姉さんが前もって隠しておいたものだった。 姉さんは引き出したボートを沢へ流す。 おれのよくかぶっていた、黄色い、ちいさな帽子もつけて。 ボートは雨で水かさの増した流れを、回りながら落ちていった。 岩の隙間にできた急な流れを通って、暗い闇へと消えていった。 当時、おれは、そうした姉さんの行動がわからなかった。一連の 行動に意味を見出せなかった。 街へ行くなら、ボートを使えばいい。そんな風に素朴に思ってい た。 だが今ならばわかる。 今のおれならわかる。 あれは時間稼ぎだった。 ボートは途中で転覆する。ちいさな沢ではあったが、流れは急で、 あちこちに突き出した岩や段差がある。ところどころ底の深いとこ ろもある。経験のない子供が、川下りで街までたどりつくなど、到 底不可能な渓流だった。 まずもって、ボートはたいした距離も行かぬまま岸へ打ち上げら れる。 ⋮⋮だからこそ時間を稼げる。 沢へボートを落とすことによって。 大人たちの注意をそらせると、少女は、姉さんは考えたのだ。 仮に家の者が、家出に気づいたとしても。谷川からボートが見つ かれば、まず水の事故を疑うだろう。姉弟が川に流された可能性を 考える。少なくとも、少年の身は案じる。泳げない少年。田村家で 1231 もっとも大切にされ、もっとも無能だった少年を。 結果として、川を中心に大規模な捜索がされる。付近の村人も動 員して、姉弟の行方を捜す。 それこそが姉さんの狙いだった。 何より時間の欲しかった姉さんにとって、一番の好都合だった。 ボートを流した後、姉さんは藪の中から、また別の物をも引き出 す。 それは自転車だった。 子供用でない、一般用の、少し径のちいさな自転車。 せ ︱︱本当は原付がよかったんだけど、身長が足りなくってね。 うしろ と云って、姉さんは後部につけたハブステップへおれを乗せた。 しっかりつかまってるのよ。こう、頼もしい態度とともに告げて。 おれは彼女の背にしがみつく。 彼女は自転車を漕ぎはじめる。 足はペダルへやっと、満足に地面へもとどかない、そんな子供に は不釣合いの自転車が、夜の山道を下っていく。街灯も月明かりも ふもと ない、真っ暗な闇を進んでいく。 おれは遠く麓に見える街の灯を、姉さんの背から眺めていた。 姉さんにしがみついたまま、凝と、夜の情景を眺めていた。 ◆ ◆ ◆ 目が、覚めた。 いや正確には意識だけが、身体に先んじて覚醒していた。 1232 それが証拠に、おれのまぶたは一向にひらいてくれなかった。身 体はぴくりともせず、意識だけが暗い闇の底にあった。 おれは寝ているのだろうか。 鼻孔にはつん、と刺すような匂いがある。病院で使用する消毒薬 の匂いだ。機械か何かの電動音が聞こえてる。くぐもった呼吸音、 ポンプに似た、何かを動かす音、一定間隔で鳴る電子音もある。そ れらは全て、今いる場所から聞こえた。おれは動こうと思った。寝 はし 返りを打とうと。だが身体をひねろうとした瞬間、全身に鈍い痛み が疾った。 ︵痛︱︱︶ なんだ。何が、どうなってる。 おれは暗闇の中でもだえた。声は出ず、身体はまるで動かなかっ た。まぶたも、やはり開いてくれなかった。 何かがおかしい。そう思った。 誰かが、声をかけてきたのはその時だった。 ﹁よう、起きたか?﹂ いつの間に現れたのか。そいつは屈託ない調子で云うと、おれの 枕元に立った。 や ﹁ああ、ひでえな。ずいぶん痛んでるな﹂ 同情をよせるように云う。 若い声だった。少し枯れたところのある、おそらくは青年の声。 魅力ある声だった。 1233 ﹁魅力がある、か。そんな風に云われたのははじめてだぜ。ああ、 おんな そう云えば、おまえは綺麗な声を好む性質だったな。凛々しい声の 女性に惚れるんだった﹂ 青年はまた、その渋い声で云った。 ﹁不思議に思ってるな。いや、おまえは何もしゃべっちゃあいない。 おれが、おまえの心に答えてるだけさ、勝手に。おれはそういうこ ともできるんだ﹂ 心に答える? 何を云ってるんだ、いったい? おれは思った。 青年は笑った。おそらくは手だろう。あたたかい感触が、寝てい るおれのひたいをなでた。 ﹁やれやれ。これを答えるのはいったい何度目かな。いつもおまえ は忘れてる。たまに憶えてたと思ったら、おかしなことを口走って、 周囲を不安にさせやがるし。⋮⋮まあいいけどな。おれはおまえの ための存在だ。何度だって答えてやるさ。いいか、おれはおまえの 守護霊 ってものをイメージしてくれればいい。 そばにある。おまえのそばで、常におまえを護ってる存在だ。わか りやすく云うなら おまえにあたえられた方向性に、人間的な性格、意味性が付与され かみ ひと がおれだ。全と一とをつなぐのがおれだ﹂ はじまり ひとつ たものさ。もっと正確に云うなら、おまえという端末につながる 道 守護霊? 守護霊だって? かんかく ﹁混乱してるな。無理もない。肉体の波長は、最初の一ともっとも 遠いものだ。理解できないのも仕方ねえ。だけどまあ、このことに クオリア し ついては、いつかまた別の機会に話そう。そもそも言葉で伝えるの はむずかしいことだし、何より、おまえ自身の体感によって識るべ 1234 きことだからな﹂ 青年は云うと、おれの首すじへ手をあてた。 おれは言葉を出そうと思った。声は出なかった。頬がふるえ、舌 がわずかに動いただけだった。 ﹁無理をしなくていいぜ。まだ目覚める時間じゃあないんだ。おま えが起きるのはもう少し先、今から二十五分四十秒後のことだ。そ の時間になれば嫌でも、目を覚ますことになるから。2014年へ ・・ ようこそ、虎ノ介。ちょっとの間つらいだろうが、我慢しろよ。何、 ・ 心配することはねえ。だいじょうぶ、慣れるまでの辛抱だぜ、ぼう や﹂ 云いつける言葉。 さき それが、おれは妙に気にかかった。 言い種が、まるで未来を見通した風であることも気になったが、 しかしむしろ、そのことより、彼がおれの知る誰かと、とてもよく 似ているような、そんな気持ちの方が強く引っかかった。だが、そ デジャブ の似ている相手とははたして誰だったか。どうにも思い出せないま はんすう ま、おれは何か釈然としない気持ちで、その既視感にも似た感覚を、 二度三度と反芻した。 青年はおれの頭をくさくさ、なで回すと、枕元から離れて行った。 足音はなく、ただ気配だけが忽然と消えていった。 ⋮⋮またひとりの世界がもどってきた。 消毒薬の匂いが漂っている。機械は変わらずに動いている。電子 たん 音は一定のリズムを刻んでいる。⋮⋮呼吸がやけにうるさかった。 痰が喉にからむ。それが無性に気に障った。動けないのもつらい。 だがそれにしてもいったい、この息苦しさときたらどうだ! 1235 いらいら 苛々としながら、おれはどうにか身体を動かそうと試みた。その たび身体のあちこちが軋んだ。おれはもだえた。不安と恐怖が、徐 々に心を押しつつみはじめた。 ああ、誰か。誰かきてくれ。おれのそばにきて、話をしてくれ。 おれをなぐさめてくれ。 胸の中で云った。 伯母さんや姉さん、なつかしい恋人たちのことを浮かべた。 やがて、どこからか、人の足音が響いてきた。 がちゃり、ドアの開く音がして、かすかな明かりが室内に差しこ んできた。 1236 無職、久遠虎ノ介の場合 その2 誰かが入ってくる。 かつり、かつり、足音が近づく。それはおれのそばにまでくると 止まった。枕元が明るくなる。まぶたごしに光を感じる。ひたいに 温かい指先がふれた。 くどう ﹁こんばんは、久遠くん。今日の調子はどうかなー﹂ 女の声。知らない声だった。妙に間延びした、子供でもあやすか のような声だった。 ﹁うーん、悪くはないねえ。血圧、体温ともにマルっと。ちょーっ と、脈拍が早いかな。怖い夢でも見てるのかなー。だいじょーぶで すよー。わたしがいますからね﹂ どうやら脈拍が早くなってるらしい。 そうかもしれないと思った。 おれは今、間違いなくおびえている。 自分の動かない身体、出ない声、ひらかないまぶた。その全てに。 できることなら、今すぐにでも泣き出して、自分の不条理な境遇 をこの見知らぬ誰かに訴えたかった。 ﹁だいじょーぶ、だいじょーぶ♪﹂ 女は云った。 こちらのひたいをなでてくる。 その温かな感触は、わずかだが、おれを安心させた。 1237 おちつき 徐々に沈静がもどってくる。人がそばにいる。たったこれだけの ことが、おれの不安をやわらげていた。 ﹁今日は寒かったよお。風が身体に突き刺さるみたいでねぇ。びゅ ーびゅーって。寒かったなあ。この分だと、来週は雪になるかなあ﹂ そう云いながら、女はおれのひたいから手を離した。 じっ 気配で椅子に座るのがわかる。きしり、パイプ椅子が鳴った。 おれは凝と彼女の話へと耳をかたむけた。 雪という言葉が不思議だった。 雪。もうそんな季節になっただろうか。 ﹁外はもう、クリスマスムード一色だよ∼。街を歩いててもね∼、 よくわかるんだ。病院の中でもね、浮かれてる感じがつたわってく るの﹂ 女が語りかけてくる。 おれはだまって︵それしかできないのだから当然だ︶彼女の話を 聞きつづけた。 彼女の声は寂しげで。同時に、どこか友人へ向けるような気安さ があった。 ﹁今年もひとりなんだ、わたし﹂ ふいに女がこちらへもたれてきた。うつ伏せで、ベッドに寝てい るおれの︱︱おそらくは、だが︱︱おれの胸へと顔をうずめてきた。 ﹁久遠くんと一緒。今年もまたぼっちだよー﹂ わずかに吃驚いたものの、彼女の愚痴に納得もした。 1238 つまり彼女は恋人のいないことをなげいているのだ。 自慢ではないが、おれも独り身でクリスマスを過ごす寂しさは知 っているつもりだ。今年は幸いにも恋人がいるが、以前は独りで過 ごすクリスマスをひどくつまらないと感じたものだ。ファストフー ド店でぱくつくハンバーガーが、あれほど味気ない日もそうはない。 ﹁僚子先生は結婚しちゃったしさー﹂ 聞き慣れた人物の名が出る。 どくんと。ひとつ、心臓がひとつ跳ねた。リョウコ? いか ﹁秋田のやつ、本当ひどいよね。傷心と弱みにつけこんでさあ。あ の熊、病院で抱いてるんだよ。僚子先生のことをさ、あの厳つい、 もっさい毛むくじゃらの身体で。夜勤の日なんてぇ、仮眠室でしま くってるの。ベッドが壊れるくらい、いきおいつけて。⋮⋮こない だなんてぇ、シャワー室でおしっこまで飲ませてたんだから。わた し見ちゃったんだ。ホントゆるせないよ、あのゴリラ﹂ 結婚。 抱く。 リョウコ。 ⋮⋮僚子。 ひと いや、それはない。おそらくは同名の別人物だろう。 脳裡に浮かんだ女を打ち消し、おれは考え直した。リョウコなん て名前、そうめずらしくもない。なら、おれの知ってる人ではない はずだ。 汗が、背中を濡らす。 心臓の鼓動が早まっている。 1239 たん 喉に痰がからんでる。 口の中が、からからに渇いている。 女が、顔を起こす。 ﹁PVS︵遷延性意識障害︶かあ。二年以上、寝たっきりで。目を 覚ます可能性がほとんどないとは云え。僚子先生もよかったのかな ァ、これで﹂ 女は。 何か、何か本当に、不穏な意味のことを語っていた。 危険な。 おれの存在意義に係わる話をしていた。 おれは集中し、彼女のしゃべった内容を考えた。 二年。 二年。 何が二年だと云うのだろう。寝たきりとはつまり、この動けない、 今のおれの状態を指しているのか。まさか。 ﹁もうクリスマスだよぉ、久遠くん。キミがここに運びこまれてか ら三度目のクリスマスだよ。今年はちゃんとパーティひらいてあげ るね。去年はぁ、ほとんどお通夜みたいだったし、可哀相だなーっ て思ってたんだ。だから、今年はわたしがなんとかしてあげる。友 達だもんね﹂ と、そこで女はいったん言葉を切り、少しの間、考えこむように 沈黙した。 ﹁これる人は⋮⋮ちょおっと少なそうだけどねえ。わたしとシミー さん⋮⋮後はイオリンと稲葉くんぐらいかなあ。僚子先生は⋮⋮新 1240 婚旅行で海外に行ってるし。JUNはさすがに無理だよねぇ⋮⋮。 年末、年明けとライブやらテレビ出演やらで超多忙でしょ。だけど キミってすごいね、あのJUNと友達なんだもん。わたし、こない だサインもらっちゃった♪﹂ ⋮⋮うれしげに語る。 ひと おれの意識は凍りついていた。 いったいこの女は何を云っているのだろう。なんの話をしている のだろう。 準くんがテレビに出る、と云う。 僚子さんが結婚した、と云う。 何を。いったい全体、彼女は何を? わからなかった。 何もかもがわからなかった。 おれはおかしくなったのだろうか。親父のように、ついに狂いは ててしまったのだろうか。 心臓がざわめく。 胸が張り裂ける。 心が、壊れる。 薬。 薬だ。薬を飲む必要がある。 SSRI。ベンゾジアゼピン。リスペリドン。なんでもいい。と にかく飲まないとまずい。気分を沈着かせないとまずい。脳みそが。 このくそったれな脳みそが悲鳴を上げてるのだ。不安が。脳内のセ と。 ロトニンが圧倒的に足りない。あのヤブの精神科医も云ってた。 薬はきちんと飲んでくださいね ああ、だがなんだって、おれの身体は動かない⋮⋮! 1241 ﹁キミの保護者の人たちはねえ⋮⋮。やっぱり、これないみたいな んだ。⋮⋮ごめんね。わたしも先生に聞いてみたけど、最近はもっ ぱら費用がふりこまれてくるだけで、連絡もないんだって。⋮⋮薄 情だよねえ、これだから金持ちって嫌よ。そりゃあ、わたしだって、 人に胸張れるような生き方してきてないけどさ。それでも家族とか、 恋人とか、そういう人を見棄てるなんてしないわ、そんなの最低よ﹂ だまれ。 だまれ、だまれ。 これは夢だ。夢にちがいないはずだ。 だからこの女の話も嘘に決まってる。全て幻覚、おれの妄想のあ らわれだ。 あのくそったれな夢。白く凍りついた部屋と同一のものだ。 さけ おれはもだえた。 もだえつつ咆哮ぼうとした。悲鳴を上げ、暴れようと全身に力を こめた。痛みなど気にならなかった。全身に走る激痛。けれど今は 何より彼女の言葉が聞きたくなかった。殴りつけてだまらせたいと 思った。 身体は、動かなかった。 ﹁あきらめてるんだろうね﹂ 哀しげに云うと、女は立ち上がった。﹁そろそろ時間、行かなき ゃ﹂ 立ち上がった拍子に、ぎしりと、またパイプ椅子が鳴った。 女はおれの身体にかかっていた布団を直し、おれの頭をなでた。 枕元のライトを消す。ふたたび暗闇がもどってきた。 1242 ﹁じゃあ、また明日ね。おやすみ﹂ 女が立ち去ろうとする。 からからと、スライド式のドアが響く。 おれは呼吸を止めた。下腹に意識を集中し、必死に力をこめつづ いたみ けた。 苦痛が騒ぐ。 背中が、胸が、手足がバリバリと内部で音を立てる。 筋肉が裂けていく。 ﹁う︱︱﹂ わずかに声が出た。 まぶたがふるえる。熱い涙が、頬をつたう。 おれは夢中で、去りゆく誰かに向かい手をのばした。見知らぬ誰 か。その影が、愛する人たちに重なって見えた。 僚子さん、玲子さん、準くん、朱美さん、佐智さん。そして︱︱ ﹁ね、お⋮﹂ 最愛のふたりがいた。 おれは必死でふたりの名を呼んだ。声はろくなものにならなかっ たが。それでも。それでも力の入らない身体を無理やりで動かした。 ﹁⋮⋮えっ?﹂ 女がふりかえった。 ﹁嘘︱︱﹂ 1243 唖然としてつぶやく。 こちらの意識がもったのはそこまでだった。 おれの身体は、空中に手を投げ放ったまま、そのままの姿勢でく ずれ落ちた。落下防止用のストッパーを越え、ベッド脇へと落ちる。 点滴用の針、チューブ、ガーゼが、ぶちぶち腕から外れた。喉に開 いた穴からも、何かがぐうっと、外れかかる感じでのびた。肩に衝 撃があって、膝が台のようなものにぶちあたった。リノリウムだろ かすみ うか、頬に、冷たい床がさわった。何か金属が倒れ、けたたましい 音を鳴らした。 ﹁きゃあっ。く、久遠くんっ!?﹂ 悲鳴が上がる。女があわただしく駆けよってくる。 おれはぼんやり、その様子を聞いた。激痛と脱力感が、意識へ霞 をかけていく。 ﹁ぅ︱︱﹂ ゆっくりと目をつむった。 ひどく疲れていた。 たしかめたいことは山ほどあったが、それを聞くことは不可能の ようだった。 仕方なく、祈ることにした。 目覚めた時、この悪夢が終わっているように。ただそれだけを天 に祈って、おれは暗闇の中へと沈んでいった。 ◆ ◆ ◆ 1244 声が聞こえている。 それはぼそぼそと、泣くような、鼻をすすり上げるような声。誰 かが泣いている。 どこか薄暗い部屋の中で、数人の女が話をしている。 おれは寝ている。 話している女は、そのおれを取り囲むようにして見ている。ぼそ ぼそと、小声で、感情を押さえつけるようにしゃべっている。 いろんな言葉が聞こえた。 意味のとれない、言葉の断片だった。 意識不明。嘘。美里翔太。ナイフで刺された。路上に倒れて、車 が。田村は連絡がつかない。回復の見込みはない。宮野さんが東北 に行った。生きて帰れるか、わからない。舞ちゃんが結婚するらし い。連絡がつかない。費用はなんとかなる。それまで、みんな、が んばって。もう起きない。あきらめた方が。新しい人生。彼も望ん でいる。泣いているわたしたちを、彼はよろこばない。踏み出すべ きというのか。忘れられない。愛している。彼を愛している。彼を。 植物状態。植物状態。 おれは自分を見ていた。 もうひとりの自分となって、寝ている自分を見下ろしているのだ。 見える人影は皆、女だった。 そしてその人影は、寝ているおれの周りを高速で動いていた。ま るで長時間を撮るカメラの微速度撮影のように。見下ろした街に流 れるたくさんのテールランプ、あるいは夜空をまわる星空の軌跡の ように。そんな動きが、俯瞰する視界として見えていた。人影はち いさな部屋に出たり入ったりし、それと同時に彼ら同士でさまざま な会話をしていた。 ⋮⋮やがて部屋からは、人が減りはじめた。出たり入ったりしな 1245 いくたり がら、少しずつ、ぽつ、ぽつと減り。また幾人か、もどってきたり するものの、しかし彼女たちは確実にその数を減らしていった。そ れにともない、会話も途絶えがちになる。空間を満たす静寂が増え ていった。 そして、ほどなく、部屋には誰もいなくなった。 暗い空間にぽつん、と眠るおれだけが残された。 ああ、とそこで気づいた。 これは多分、おれのキオクなのだ。 おれが無意識下で処理していた、キオクの連結なのだ。 もと 機能の大部分を停止させていた脳が、わずかなグリーンランプの 領域であつめた情報。それが今、夢となってあらわれている。二年 ぶりに脳がディスクチェックをして、キオクが映像として正しい再 生を得たのだろう。 それはつまり。 おれが長い間、眠っていたことを意味していて︱︱。 おれは泣いた。 よくわからない気分のまま、眠る自分を見て、慟哭した。 ひさめ 時間とともに、キオクにも、終わりがやってくる。 季節が変わり、三度目の秋が近づいてくる。 窓の外に見えた柿の木。その葉が枯れ、紅い実が氷雨に打たれて いる頃。 ひとりの女性が、誰もいない病室へとやってきた。 おれだったもの にす ちいさな白い部屋。魂の消えた肉体が、ただ物として置かれてあ る部屋に。 女は白衣を着たスマートな女で。彼女は がりつくと、やさしく、そのふるえる手をおれの首にかけた。 1246 起きろっ。 と、彼女は怒鳴った。 キミはわたしのものだ。わたしの男だ。ずっと昔にそう約束した。 あの羽衣をむすんで、わたしを妻にしたのはキミだ。なぜ起きない。 なぜ答えない。ひどい契約違反じゃないか、これは。答えろ、答え ろっ、久遠虎ノ介。くそ、起きろっ。わたしを泣かせるな。 僚子さんだった。 それでおれは、彼女とはじめて会った日を思い出した。 ボサボサの頭。肌の透けたキャミソール。眼鏡の奥の眠たそうな 目。 そして、そんな格好でありながらも、疑いようのないうつくしさ。 おれはあの時、彼女に見惚れていた。 凛とした格好いい女。クールで、タフで、スケベで風呂ぎらいの 女。 その彼女が、おれに抱きつき、泣いていた。 涙を落とし、必死にすがっていた。 おれはそれを黙って見つめていた。 ひどい罪悪感。申し訳なさが、腹底からつき上がってくる。彼女 はこれまで、どれだけ、おれのために泣いてくれたのだろう。どれ だけおれのことを想ってくれていたのだろう。 しばらくして、もうひとり、誰かが部屋に入ってきた。 男だった。 中年で、あごひげの濃い、大きな体格の男だった。一見し、その みため 強固な身体つきや、毛深さといったものがうかがわれる男。まるで 熊が白衣を着ているような︱︱そうした外見の男だった。 男は同情するように、僚子さんの肩に手を置く。そうしてひと言、 ふた言、何かを告げた後、僚子さんの背をなで、肩に手をまわした。 1247 僚子さんは逆らわなかった。 彼女は何云うでもなく、ただふさぎこんだ様子のまま、男に引か れ、病室を出て行った。 キオクは進む。 季節は移り過ぎ、冬となる。 おれの部屋にくるのは看護婦だけで、他には誰もやってこない。 誰もやってこない。 そして十二月。 おれはようやく長い眠りから覚めたのだった。 1248 無職、久遠虎ノ介の場合 その3 昏睡から覚めて数日。 身体の回復は思ったより早く、おれはなんとか自力で歩けるまで に回復していた。 もちろんその足取りはおぼつかないものだったし、細りきった身 体もあちこち痛んだが、それでも二年以上寝たきりだったにしては、 かなり順調な経過だと、医者はおれの回復力に目をみはった。 腕にはまだ点滴をしている。 気管切開をしていた喉は、痛みがあって、声をはっきりと出せな い。 抜管から間もないので、当然まともな食事もできない。 医者も焦る必要はないと云ってる。 それでも柔軟や歩行訓練といったリハビリに励んだのは、その方 がはっきり楽だったからだ。なまった筋肉を慣らすために少しでも 早く︱︱そんな理由より単に。動いていれば余計なことを考えずす んだからだ。 じっとしていると、どうしても考えてしまう。 この二年間。 何があったのか。 おれが眠っていた間のこと。片帯荘のみんなはどうしていたのか。 なぜ、誰も見舞いにきてくれないのか。 姉さんと伯母さんは、どこに行ってしまったのか。 それを考えると夜も眠れない。 つくづく、自分が自立精神の乏しい人間だということがわかる。 医者は何も答えてくれなかった。 1249 世話を見てくれる看護師の美智さんも、﹁事故があった﹂としか 云わない。それ以上を尋ねると、気まずそうに言葉をにごし逃げる。 おれ自身、昏睡の原因となった出来事を思い出せない。 ただなんとなく、強い光と衝撃、車輌のスキール音らしきものが 記憶にあるだけだ。 僚子さんはいない。 電話もしてはみたが、片帯荘も、田舎の田村屋敷も、どちらもつ ながらなかった。どちらにかけても、回線そのものがつながらなか った。 他に暗記している番号はなかった。 恋人たちの連絡先も、和彦の携帯も、ウルザ教会のシミーさんも、 全てちっぽけな携帯電話におさめられている。そしてその肝心の携 帯は、今どこにあるのかもわからなかった。 玲子さんの会社や教会くらいなら見つかるかもと、無料の電話案 内も調べたが、これも成果はかんばしくなかった。 そんな状態で、おれにできることといえばリハビリぐらいしかな かった。 幸い三度の食事は出る︵まだ重湯と、すりおろした果物だけだっ たが︶し、医療費や入院については誰も何も云ってこない。下着や 身のまわりのこまごまとした物は、全て美智さんがそろえてくれる ので、特に目立った不自由もない。 不安だけが気分を重くする。 おれは医者に睡眠薬をもらい、夜を眠った。 ◆ ◆ ◆ 1250 12月24日は、朝から深い雪となった。 外は曇り空で、灰色の重たい雲が、のそのそ、水気のたっぷりふ くんだ雪を落としている。 街を行く人々は、皆一様にうつむき、街路樹の下を足早に過ぎて いく。街は雪に埋もれた。上空に冷たく差しこんだ寒波は、関東地 方に数年ぶりの大雪をもたらしている。 午前中、CTで脳の検査をした後、おれはひさしぶりで風呂に入 った。 風呂と云っても、シャワーを浴びただけだが、それでも身体をふ くだけに比べると、だいぶマシなのもで。おれは久々にずいぶんと さっぱりした気分になった。 長い間寝ていたとはいえ、いったん起きてしまえば、やはり身体 は文化的な生活を欲する。メシは食いたくなるし、汗も流したくな る。のびたひげも髪も、うっとうしいものだ。シャワーのついでに、 ひげをそり、それから歯をみがいた。 気になっていたペニスもいじってみた。ちゃんと反応することが わかった。朝勃ちがあったので、さほど心配はしていなかったが、 それでもこの確認は、おれを少しばかり安堵させた。何度かペニス をしごき、先走りで亀頭がヌルヌルになったところで、いじるのを やめた。射精できそうなのがわかったので、シャワーで洗い流し、 そのまま風呂を出た。 午後五時。 そわそわと、沈着かない時間を過ごす。 見舞い客はまだこない。 だが美智さんの言葉によれば誰かがくるはずだった。和彦と、そ しておそらくシミーもくるだろう。彼らに話を訊けば、少しは状況 も見えてくるはずだ。 1251 ベッドに横たわり、彼らを待った。 窓の外を眺める。 しんしん かみもり 雪は変わらず降りつづけている。まるで上杜の冬のように。 深々と、白い雪が街をおおっていく。幻想的なホワイトクリスマ スだ。 恋人たちは、聖夜を祝うのだろう。 家かホテルか、あるいはレストラン。またあるいはベッドの上で。 ﹁まだかな。あんまり遅いと面会時間、終わっちゃうぞ﹂ 待ちきれず、おれは病室を出た。 点滴スタンドを支えに、外科病棟から受付のある病院ロビーへと 向かった。リノリウムのしかれた渡り廊下を進み、怪しい足取りで エレベーターへと乗った。 ﹁そういえば、おれが目が覚ましたこと、和彦たちは知らないんだ よな﹂ 連絡する人がいないのだ。 病院が連絡するのは、身元引受人である家族だけで。わざわざ友 人や知り合いに連絡することはないだろう。⋮⋮もしかすると、片 帯荘の人たちも知らないのかもしれない。 ﹁知れるとしたら、まず伯母さんたちだろうし﹂ そう考えてみると、今まで見舞いがこなかったのも、特別おかし くないように思われた。 たまたま、前後で行きちがいがあって、田村の人たちに連絡がと どいていない。そうした状況なのではないか。 1252 そして、おれが意識不明なのであれば、見舞いなんて、いつでも かまわないのだ。何せ、おれは動きもせず話もできない有様だ。そ んな患者に、客がわざわざ都合をあわせる必要はない。 長期入院の場合、面会にも融通が利く。伯母さんたちが、静かな 時間を見計らってくることも考えられる。 ﹁それ、ありそうだな﹂ 七時過ぎた頃に、伯母さんや姉さん、僚子さんたちが、勢ぞろい であらわれる。 そうした可能性を想像し、おれは頬をゆるめた。 料理やワインを提げ、玲子さんや朱美さんが語らいながら歩いて くる。その横をイヤフォンをつけた準くんがつまらなそうに歩いて くる。姉さんは、伯母さんと何か云い合いをしていて。うしろには、 佐智さんが相変わらずの無表情でひかえている。僚子さんは、ハイ ヒールのくせに、おれを見るなり駆けてきて、きっとおれにヘッド ロックを仕掛けてくる︱︱。 想像にひたりながら、おれはエントランスロビーへと降りた。 夕方のロビーは殺風景で、人がほとんどいなかった。 いくぶん空気が冷たい。 くるま 空調は利いているが、時々自動ドアから入りこむ外気が、ロビー 全体の温度を下げている。 外は暗かった。 うすもや 日の落ちかかった空に雪が降りしきり、薄暗い中を、車輌がライ トをつけて走っている。 街のいたるところにあるネオンは、雪の白さに反射し、薄靄のか かった大気をぼんやりと照らしている。 病院の玄関は、純白に染まっている。 1253 おれはどこか座ろうと、適当な場所を探した。 ﹁よく見える位置がいいな﹂ 点滴スタンドをころがし、階段近くの長椅子に行く。そこからは 外の景色もよく見えた。玄関のガラスも、道行く人々も、車輌の流 れも確認できた。 ここならいいだろう。おれはのろのろ、重たい動きでクッション の利いた椅子へ座った。 ﹁はあ﹂ 溜息をつく。なんとなく身体がだるかった。熱っぽい感じがある。 あるいは微熱があるのかもしれない。 おれは腕を抱くようにして、椅子のうしろ、コンクリートの壁へ ともたれた。壁は冷たかった。どうやら空調の届きにくい場所らし い。 茫と、玄関を眺めた。ガラスの向こう、一台の車輌が、病院の敷 地内に入ってくるのが見えた。 ︵タクシー、か?︶ 緑色のセダン。ナンバーは緑だった。車体の屋根には、白い社名 灯に浮かんで黒い文字がある。キムラ交通。文字はそう読めた。車 輌は玄関前に着けると、後部座席から乗客を降ろした。 客はひと組の男女だった。 若い女と中年の男の組み合わせで、ふたりは運転手に支払いをす ませた後、急ぐ足取りで、病院へと入ってきた。正面玄関を通って ︱︱とりわけ女性の方が、ひどく焦った風で、ロビーへと駆けこん できた。 1254 あっ、と息を飲んだ。 女性は息を切らせていた。そして顔にたくさんの汗を浮かべてい た。 ちょうど通りがかった看護婦が、吃驚いた様子で、女性に話しか けた。 ﹁島津先生? 帰ってらっしゃったんですか? まだ一週間以上あ ったんじゃ﹂ 女性は答えなかった。無言のまま、ロビーの中央を足早に進んで 行った。エレベーターの前に立ち、ボタンを二度、三度と押す。い らいらとした様子で、エレベータランプを見上げる。 その見上げた横顔でようやく、おれもその女性が誰か、はっきり と確認した。 ﹁僚子さん︱︱﹂ 僚子さんだった。 おれの知るふだんとちがって、見慣れないワンピース姿ではあっ たが、その秀麗な顔立ちはまぎれもなく、おれのよく知った彼女だ アクセサリー った。いつもの斜にかまえた感じはなく、いかにも女性らしい、や わらかな格好で、首や耳に装身具をつけている。長い髪を片方に結 わえ、片目を隠すようにして顔の前側に提げ下ろしている。ほそや かな腕をひじで組み、指を気ぜわしく動かしている。 ﹁僚子、さん⋮⋮っ﹂ 彼女を呼ぶ。 喉はかすれ声しか出さなかった。喉に貼った、傷のガーゼがふる 1255 えた。 ﹁っ︱︱︱︱!?﹂ そんな声でも、彼女はすぐと気づいた。 ばっとふり返り、その場で、おれを見つめる。 なつかしい彼女は、やはり美しかった。そして、なんともたとえ ようのない表情をしていた。 喜んでいるような、苦んでいるような、むずかしい顔つきだった。 哀しみと愛惜と後悔が溶けてまじりあったような、そんな感情のあ らわれに見えた。 おれは何も云えなかった。 腹底から、さまざまなものがこみあげてくるようで。声が出なか った。仕方なく、彼女を見つめた。 それは彼女にしても似たようなものだったらしい。言葉を探すよ うに何度か唇をふるわせたあと、彼女はゆっくりと云った。 ﹁おかえりだ。虎ノ介くん︱︱﹂ うるんだ瞳と、かすかな笑み。 おれは緊張をなくした。そのひと言だけで、胸裡にあった不安が 一気に解きほぐれていった。 僚子さんにあった感情。それは以前とまるで変わらない、深い慈 愛に満ちたもので。 おれはそれで彼女を感じた。 彼女の、以前と変わらぬ真心を。自分との間にあったものを。そ れらは何ひとつ失われていないと確信した。 そうだ。 1256 たしかに自分は二年もの間、眠っていたのかもしれない。 あるいは不幸な行きちがいで、彼女たちを悲しませていたのかも しれない。けれど、それは全部過ぎたことだった。自分と彼女の関 係性を変化させる要因でなどなかったのだ。 ﹁僚子さん⋮⋮!﹂ 椅子から立った。 もつれる足を動かし、彼女へ向けて歩いた。 そして笑った。自分でも自覚する、ひさしぶりの笑いを浮かべた。 そうしたおれを見つめ、僚子さんもうれしそうに、こちらへと歩 いてこようとした。 ﹁僚子﹂ 突然、しゃがれた胴間声が聞こえた。 低い、男の声だった。 僚子さんはハッとして、おれへ近づこうとする足を止めた。 ﹁どうした、エレベーターきてるぞ﹂ うしろから、男がくる。僚子さんと一緒に、タクシーから降りた 男だった。 夢で見た、あのまるで熊のような男に似ていた。 ふたりを、おれは交互に見た。 僚子さんは男の方をふり向き、男はそうした彼女を見すえて、ニ コニコと笑った。 こちらへ歩いてきながら、僚子さんへ向け、手をす、とのばした。 1257 ﹁タケオさん﹂ 僚子さんが云った。 男は彼女の隣に立つと、その肩へと手をやった。ひとつうなずき、 それから僚子さんの視線を追って、こちらを見る。﹁おお﹂男は吃 驚いたように云った。 ﹁久遠くんか⋮⋮! 本当に目を覚ましたんだね。や、ぼくのこと がわかるかな? ぼくは、以前キミの担当医をしていた者だ。秋田 というんだが﹂ ﹁担当医?﹂ ﹁そうだ。まあ、担当医と云っても、最初の手術と、その後しばら くを見た程度だが﹂ おれは曖昧に男︱︱秋田を眺めた。 彼はうなずくと、にっかり、黄ばんだ歯を見せて笑った。 ﹁ううむ、本当だな。本当に回復したようだ。言葉もしっかりして るね。どうやら、だいじょうぶそうだ。よかった。本当に安心した よ﹂ さかんに喜ぶ。 おれは、なんと答えてよいかわからず、その場で立ちつくした。 秋田は手ぶりをまじえ、たのしそうにつづけた。 ヨーロッパ ﹁旅先で聞いたんだ。欧州で。キミの意識が回復したとね。だから 急いでもどってきたんだよ。僚子が︱︱女房が、どうしてももどる と聞かなくてね﹂ ﹁え⋮⋮?﹂ 1258 間抜けに、ポカンと口をあけた。﹁女房?﹂ ﹁や、これは失敬﹂ 秋田は愉快そうに笑い、困り顔でいる僚子さんを抱きよせ、手を とった。そうして、おれにふたりの手を見せつけるようにして︱︱ ﹁まずこれを云わないといけなかったな。ぼくらの結婚のことを﹂ ﹁け、結婚? 結婚ですって﹂ ﹁そう。彼女とぼくのね。キミのことはよく聞いてるよ。大切な友 人だと。僚子︱︱この人はもう島津僚子じゃない。島津僚子から、 秋田僚子になった訳だ﹂ ﹁アキタ、リョウコ﹂ ﹁本当はキミにも式に出てもらいたかった。僚子の可愛がっていた、 弟のようなものだと聞かされていたからね。しかし残念なことに、 事故で傷ついたキミは眠りつづけていて⋮⋮どうしようもなかった。 ぼくは自分の非力さを、痛いほどに痛感したよ﹂ ﹁タケオさん⋮⋮!﹂ 僚子さんは、どこか咎める風に秋田の話を止めようとした。 おれはそうした彼女を見つめた。つなぎあった、ふたりの手には、 おそろいの指輪が銀色に輝いていた。 ﹁僚子さん?﹂ 訳がわからず、尋ねる。 僚子さんはおれの目から逃がれるように、顔を下に下げた。﹁や めてくれ、タケオさん﹂ 秋田はニコニコと笑いながら、僚子さんを見て、それからまたお れへと向けた。 1259 ﹁ははは、これはめずらしい。僚子がはずかしがるとはね。⋮⋮ど うしたい、久遠くん。顔色が悪いのじゃないか? ひどく蒼ざめて いるよ。だいじょうぶかい?﹂ 云いながら、秋田はこちらへ進み出てきた。そうして呆然とする おれに手をのばし、おれのひたいをさわった。 ﹁⋮⋮や、こいつはいかん、少し熱がある。病室にもどった方がい いな。ここは寒い。キミも起きたばかりで、本調子じゃないんだろ う﹂ おれの背を押し、病室へもどらせようとする。 ﹁い、いや﹂おれは彼の手をはねのけ尋ねた。﹁そ、それより先生﹂ 声がふるえるのはどうしようもなかった。 ﹁うん? なんだね?﹂ ﹁僚子さんと結婚を?﹂ ﹁ああ、そうだよ﹂ ﹁いつ?﹂ ﹁先月にね﹂ ﹁結婚式を?﹂ ﹁ああ﹂ ひとつ深呼吸し、息を整え。おれは恐るおそる僚子さんへと顔を 向けた。 ﹁僚子さん﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁結婚、したんですか﹂ 1260 彼女の、揺れる目を見る。 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 口調は冷静だ。感情はひどいものだが、身体の方はコントロール できている。 そう。 ・ ・ ・ ・ ・ ・ やはりおれは、どこまでもこうした男なのだ。こういう出来事に は慣れている。この手の話は。あきらめるのは。こんな日がくるの は覚悟していた。だから吃驚かない。これを乗り越える。大切なの はここからだ。ここから前向きに生きていくのだ。そうでなければ いけない。人間はそうでなくっちゃあいけない。とどのつまりは勇 気だ。人間に必要なのは実際的な勇気だ。失敗や事故、悲劇。誰だ って、不幸の、予期せず己に降りかかることくらいあるのだから。 ましてや失恋。よくある話だ。騒ぐようなことじゃない。たまたま、 二年ばかし眠っていて、目を覚ましたらそうなってたってだけの話 だ。そう、騒ぐようなことじゃない。けっして。 僚子さんは迷った末、ちいさな声で認めた。 ﹁そうだ⋮﹂ ﹁おめでとうございます。よかったですね、僚子さんの花嫁姿、見 てみたかったな﹂ 平静をよそおって告げた。 返ってきた答えに絶望しながらも、引きつる頬を押さえて無理や りに笑顔をつくった。 僚子さんはいかにもつらそうに、そうしたおれを直視していた。 ﹁結婚は、どちらから?﹂ ﹁なあ虎ノ介くん。こんなことを云うと、キミは今さらと思うかも しれない。怒っているかもしれない。けれどね、虎ノ介くん、わた しは嘘を云ったつもりはないんだ。わたしも、あの片帯荘にいたみ 1261 んなも﹂ ﹁こんなこと? こんなことってなんです? 結婚は、喜ばしいこ とじゃないですか﹂ 即座に切り棄てる。 弁解など聞きたくなかった。⋮⋮何ひとつ。 ちゃんと話すべきだ。と、頭の中で誰かが云う。このままじゃ何 もわからない。おれが眠った経緯、片帯荘のみんなのことを聞くべ きだ、と。くるしくても、つらくても、しかし最後まで話して解決 するべきだと。同時に、やはり聞きたくないとも思う。顔を見るの も嫌だと思う。 結婚? おれが寝ていた間に結婚をした? こんなやつと? 冗談だろう。何かの間違いだろう。ふざけるな。ふざけるな。 そうした思考が脳裡を駆け巡る。そしてそれらの疑問に、彼女の 痛々しい表情が、少しずつ解答をあたえていく。 知りたくなかった無慈悲な真実を、おれに突きつけてくる。 答えはこうだ。 島津僚子は、久遠虎ノ介を棄てた。 おれより好きな人ができた。 この事実に、おれはいたたまれなくなった。 一秒でも早く、この場所から逃げ出したくなった。ああ、これが おれの癖だ。おれの在り方だ。前向き? 何を云う。そんなもの、 おれには無理だ。前向きに生きたいと願いながら、いつも現実から 逃避してきたのが、おれという男なのだ。 ﹁嫌味はよしてくれ、虎ノ介くん。話を聞いてほしい。まず話を。 似合わない態度なんてやめて、わたしの話すことを聞いてほしい。 1262 わたしたちの気持ちに嘘はなかったことを。キミに向けた心の何ひ とつ、まだ変わってないんだ。わたしは、今でもキミのことが好き だ。玲子だって、キミさえいればあんな男と︱︱﹂ ﹁聞きたくない﹂ ﹁虎ノ介くんっ﹂ ﹁沈着いてください、僚子さん。ほら、秋田先生が困ってる﹂ ﹁沈着くのはキミだ。キミの方だ、虎ノ介くん。声がふるえてる。 喉も唇も、指先までふるえてるぞ。興奮してる証拠だ﹂ よく見てるな。さすがは僚子さんだ。 おれは片手を突き出して制した。 ﹁やめましょう。こんな場所で話すことじゃない。むずかしい話だ。 病室へ行きます。つづきはそこで話しましょう﹂ 僚子さんは溜息をつくと、首を縦にふった。 ﹁わかった﹂ ﹁先に行っててください。おれの病室は﹂ ﹁知ってる。外科病棟の501号室だろう﹂ ﹁そうか。知ってますよね﹂ ﹁キミはどうするんだ?﹂ ﹁コーヒーを買ってきます。そこの自販機で。少し気分を沈着かせ ないと。ふたりは先に行っててください﹂ ﹁わたしもつきあうよ、自販機まで﹂ ﹁いいですよ。あなたは秋田先生と待ってて﹂ 云って、ふたりから離れた。 ﹁待て、キミは病み上がりだ﹂ 1263 僚子さんはおれについてこようとする。だがそうした彼女へ向け、 話についてこれない秋田が何事か尋ねた。彼女はそれで足を止め。 うるさそうに、秋田へと向き直った。 おれは彼女を置き、ひとりで歩いた。 玄関の方へ進みながら、腕に刺さった点滴の針をむしり取った。 自動のガラスドアがあいた。 ﹁おい、待てっ! どこへ行くつもりだ⋮⋮!﹂ 気づいた僚子さんが、あわてて走ってくる。 おれは玄関をくぐると、段差横のゆるやかなスロープを下り、そ の途中で点滴袋の下がったスタンドを放り棄てた。スタンドが段差 に倒れ、がしゃんっと派手な金属の音が鳴った。ふり向いてみると、 ロビーにいたわずかばかりの人が、びっくりしたようにこちらを見 ていた。 おれはこちらへと走ってくる僚子さんに向け、かすれた声で叫ん だ。 ﹁くるな、裏切り者ッ﹂ びくりと、それで僚子さんはショックを受けたように立ち止まっ た。 おれはひと呼吸し、それからひっそりと微笑い、またつづけた。 ﹁しあわせになってください、僚子さん。おしあわせに。それを、 それだけをおれは願ってるから﹂ ﹁な⋮⋮っ﹂ 僚子さんが絶句する。 1264 おれはうしろ向きで二三歩歩くと、それからふり向いて、道路へ と走り出した。 雪の降る街。 行くあてなどない。 だが、ここにはいられない。それだけはわかっていた。醜い感情 スタンド ︱︱愛する人に向けるべきでない心が、おれの心にははっきりとあ った。 僚子さんが追いかけてくる。邪魔な障害を飛び越えてくる。だが パンプスのせいで、それほど速くは走れてない。 駐車場から、車列の流れる道路へと出た。 誰かの悲鳴。クラクションが響いた。 車輌を無視して、道路を渡る。体力の落ちたはずの身体は、それ でも興奮からか、思ったよりスムーズに動いてくれた。 や ⋮⋮街は、いよいよ夜に沈みはじめている。 雪は、一向に熄む気配がなかった。 1265 無職、久遠虎ノ介の場合 その4 くずはら どこをどう走ったものか。 気がつけば、新葛原の駅前におれはいた。市のおよそ中央にある 街、一番大きい繁華街だ。 くるま クリスマスのにぎわいで、そこはとても騒がしかった。 話し声、足音、車輌の排気音、横断歩道の信号。がやがやとした それらに混じって、ジングルや流行りの楽曲が聞こえてくる。街を 飾るイルミネーションはまぶしく、雪の夜空を照らしている。 とぼとぼと。おれは駅前を歩いて行った。 この寒空にあって、パジャマにカーディガン姿は、すれちがう通 行人から奇異の目で見られている。身体は雪にまみれ、足には病院 のスリッパが、水雪に濡れて冷たくなっている。入りこんだ雪のお いっとき かげで、足先の感覚さえすでにない。 ﹁さて、どうしたものか﹂ 自分に云ってみる。 考えなどなかった。ただ一時の感情に負けて、逃げてきただけな のだ。 そのことが実に情けない。情けなくて死にたくなってくる。 僚子さんに云った言葉。裏切り者だなどと。アレはおれの云って いい言葉じゃなかった。好き勝手に女を抱いてきた男が。まったく 何様だと云う。彼女はしあわせになりたかっただけで。それを否定 する資格など、誰にもなかったのだ。いつ目覚めるともしれない男 を、待ちつづけてほしいなど、そんなのは子供の我儘にすぎない。 1266 ﹁失敗した﹂ 頭をふって、通りを道なりに進んだ。 駅舎とデパート、そしてロータリーをむすぶ歩道。そこから空中 広場へとつづく階段をのぼる。 広場には大勢の姿があった。会社帰りのサラリーマンやOL、親 子連れ、若いカップルたちが、バスターミナルや駅ビル、レストラ はす ンの立ちならぶテナント街など、思いおもいの方を指し歩いていた。 かい 広場は駅ビルの二階部分から、北側を取り巻くようにつづいて、斜 交にあるファッションビルと、下の通りをまたぐ歩道橋につながっ ていた。広場中央には電飾に彩られたツリーが、輪形に置かれたベ ンチと街頭時計の向こうにあった。 ﹁どうすりゃいいのかな﹂ 独りごち、街を眺める。 広場の先には夜景がひろがっていた。 フタマル 林立するビルの向こう、群れなした団地の明かりと、赤い電波塔 の灯が、星のように輝いて見える。﹁20ニュース、本日のトピッ ク︱︱﹂斜交のビルから、街頭テレビが云った。見れば壁面の大型 スクリーンに、原稿を読みあげる若いアナウンサーが映っていた。 ﹁⋮⋮本日、人気ロック歌手のJUNさんが都内で結婚の会見をひ らきました。会見によりますと、入籍の届けをしたのは昨日、お相 手は一般男性で、結婚式は来年の一月にハワイで執り行われるとの クレプシドラ ことです。JUNさんといえば若者の間で絶大な支持を誇るロック バンド﹃clepsydra﹄のボーカルでもありますね。その中 性的な容姿から女性にも大変な人気を誇る彼女の結婚に、街ではな げきの声も多く聞かれるようです︱︱﹂ 1267 アナウンサーが語る。 おれは広場の端で金属の柵にもたれ、注意深くテレビを観察した。 ニュースには、最近結婚したという若いミュージシャンの写真が 出ていた。 華奢で、髪の短い、ボーイッシュな女性。外界の音をさえぎるよ うに、携帯プレーヤーのイヤフォンをつけている。そして、そのサ ングラスを外した彼女︱︱愛想の欠片もないといった風な彼女は、 実際のところ、おれのよく知った人物でもあった。 ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ 息を吐く。 えり 手すりから離れ、頭の雪を払う。 白い息が立ちのぼった。襟から、雪のかたまりが、服にいくつも 入りこんでくる。 重い足を引きずり、冷たい雪を踏んでいくと、視界に街頭時計が 入った。時計の針は八時過ぎを指してい、下には幾人か、若い男女 がベンチに座っていた。 ﹁ふう﹂ もう一度、溜息をついた。 ひどく疲れた気分だった。 身体がだるく、重い。 現実感がなく、微熱と悪寒が、全身をつつんでいる。 だが、ここでこうしていても仕方ない。風は冷たく、到底、身体 によいとも思われない。混乱した頭にも、その程度のことはわかっ ていた。もっとも身体はすでに冷えきっているのだった。降りつづ く雪は、身体の隅々にいたるまで熱をうばっている。 1268 ﹁帰るか﹂ つぶやきがもれた。 帰る? どこへ? 自分に問う。答えはもちろん、わかっていた。 ︵片帯荘⋮⋮︶ そう。片帯荘。 片帯荘だった。片帯荘。あの家、あの居心地のいいアパート。 ﹁そうだな、帰ろう﹂ 何気なく決めてみると、案外自然のことのように思えた。 考えてみれば、おれの家はあそこで。おれはあのアパートにいた いと、いつの間にか、そう思うようになっていた。雪におおわれた 寂しい部屋でなく。あそここそが、真に望んだ場所だった。愛する 人がいた。家族がいた。母が死んで以来、ようやく心安らげる気持 ちになった。 ﹁しかし、おまえは逃げようとしたな﹂ 誰かが云った。 おれはハッとし、辺りを見回して探した。 誰がしゃべったかはわからなかった。 道ゆく人々は、誰もおれのことなど気にかけていない。雪降る夜 を、ただたのしげに、あるいは物憂げに、急ぎ足で歩いている。 ﹁う⋮⋮﹂ 1269 頭痛が、いっそう烈しくなった。 こめかみを押さえ、その場に膝をつく。 視界が乱れ、﹁ザ⋮﹂と耳障りなノイズが疾った。 ﹁うるさい﹂ おれは逃げたのか。 ちがう。いや、そうだ。逃げようとした。たしかに片帯荘から。 伯母さんの手の中から。 恐ろしいと。あのやさしい人たちに、愛想つかされることを恐れ、 その前に自分から姿を消そうと思ったのだ。そうした自分の、なん と愚かだったことか。ああ、望んだはずの結果がこれだ。これでお れは満足できるのか。そんなはずはない。なのに、いつも選んでし まうのだ。何度も繰り返してしまうのだ。何度も。いったい幾度こ んな寂しい思いをすれば、おれは︱︱。待て。幾度? 幾度だと? ﹁うるさい⋮⋮!﹂ 怒鳴り、立ち上がった。広場を進む。膝がぶるぶるとふるえ、身 かね 体がかたむいたが、それでもなんとか歩いた。 頭痛がひどかった。 頭の奥で耳鳴りがする。 歩きつつ、パジャマのポケットを探った。 そこには何もなかった。財布も、電話も、金銭も、家の鍵も、何 ひとつ。 電車にも乗れない。 おぼつかない足取りで、駅ビルへと入るが、改札口の前で足が止 まった。 ﹁く、く﹂ 1270 笑った声は、すすり泣きのように聞こえた。 自分の発した声に吃驚き、あわてて口を押さえた。口にあてた手 はふるえていた。 ﹁なんだよ﹂ 両手をにぎってみるも、ふるえは収まらなかった。ざわざわと、 何かを訴えるように揺れる。小刻みに、ざわざわと。﹁なんだよ、 ちくしょう、止まれよ﹂ 両手を合わせ、歯で拳を噛んだ。 鋭い痛みが走った。手の甲が裂け、血が出る。 へこ その時、ふいに背後から誰かが近づいてきた。 ひとえ ふり向くと、青年がひとり立っていた。 年の頃は二十四、五で、紺がすりの単衣に、兵児帯を無造作に巻 いた、やや時代がかった風な青年だった。下駄を履き、肌着はつけ ておらず、胸元には色白の肌がのぞいていた。耳の下から首元にか けて、何かで切り裂いたような大きな傷跡があった。 ﹁よう﹂ 青年は悪戯っ子のような目つきで、こちらを見ていた。 ﹁ようって﹂ 無言でいるおれに、繰り返してくる。おれを身体を丸め、青年の 視線から顔をうつむけて外した。 青年が云った。 1271 ﹁元気ないな﹂ ﹁元気⋮⋮﹂ ﹁寒くないのか、そんな格好で﹂ ﹁⋮⋮そっちこそ﹂ ﹁うん、寒い。とてもな。今日は冷えるなあ﹂ おれは視線を駅の外にやった。 水気の多かった雪は、いつの間にか、ちいさな粉雪へと変わり、 風に舞っている。気温が下がってきているのだ。おれは舞い狂う雪 を眺めた。﹁雪だ﹂ ﹁ああ、雪だな﹂ ﹁何か、用か?﹂ ﹁ん?﹂ ﹁用があるから声をかけたんだろ﹂ ﹁血が出てるぜ﹂ ﹁血?﹂ ﹁困ってねえかと思ってな﹂ たもと 彼は思案するように云った。片手を袂にしまい、もう片方でひげ の浮いたあごをさする。﹁迷ってるのじゃないか? これからどう すが すればいいのか﹂ おれは眇めて、彼の顔を眺めた。 ﹁誰だ、アンタ﹂ ﹁そう警戒した声を出すなよ。これでもおまえの味方なんだから。 病院でも云ったろ﹂ ﹁病院だと?﹂ ﹁そうさ病院だ、おれはおまえを導くためにきたんだ﹂ 1272 云われて、思い出すことがあった。 昏睡から目覚める前、病院で聞いた、あの不思議な声と足音とを 思い出した。 ﹁アンタ、あの時の︱︱﹂ ﹁思い出したか。また忘れてたら、どうしようかと思ったぜ。説明 するのも難儀だからな﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁そう人をにらむものじゃないぜ。目が充血してる、真っ赤だ﹂ わけ ﹁どうして、あそこにいた。アンタ何者だ﹂ ﹁理由なんざない。名前も﹂ ﹁はぐらかさないでくれ﹂ ﹁はぐらかしてる訳じゃない。これは事実だ。事実なんだよ、ぼう や。今のおれは単なる現象に過ぎない。見せかけの姿、大脳皮質が つくりあげたでっちあげだ。カタチはこうしてあるが、そんなのは ⋮⋮。いや、そんなのはいいか﹂ ﹁何を、何を云ってる﹂ ﹁まあ待てよ。そう焦るな。質問には答えてやる。致命傷をまぬか れてるうちに⋮⋮時間ならまだあるからな。それよりも切符を買い たいんだろう? なら、これを使え。足りるはずだ﹂ 云って。青年は一枚の紙幣を差し出してきた。それはくしゃくし ゃに折れ曲がった一万札だった。 ﹁これは?﹂ ﹁やるよ。さっきそこで拾ったんだ。何、遠慮はいらねえさ、どう いわ せ棄て物だ﹂ ﹁もらう謂れはない﹂ ﹁いいさ。おれが、おまえにあたえたいんだ﹂ 1273 おれは黙っていた。 青年は無理やり、こちらに紙幣をにぎらせると、それから改札へ 向け歩き出した。﹁気に入らないなら後で返してくれればいい﹂ かね この言葉に、おれはしばし考え、そして結局、金銭を受けとるこ とにした。 正直に云えば、金銭は必要だったし、またあの和装の青年が持つ 印象も理由にあった。もちろん見込みちがいの可能性はあったが、 それでもおれには、彼がそれほどタチの悪い人間に見えなかったの だ。 ﹁⋮⋮悪い。じゃあ使わせてもらう。ありがとう﹂ ﹁礼はいい。さあ、まずは帰ろう。切符を買うんだ。ここは寒いか らな。つづきは電車の中で話そう﹂ ﹁なあ﹂ ﹁なんだ?﹂ ﹁おれについてくるのかい? どうして?﹂ ﹁云ったろ、守護霊だと。おれはおまえのそばにいるのが仕事だ﹂ 青年は下駄を鳴らし、自動改札口へと歩いていった。 その背に、おれは声をかけた。 ﹁切符はいらないのか﹂ ﹁だいじょうぶ、おれは例外だ﹂ ひらひらと青年は手をふった。 1274 無職、久遠虎ノ介の場合 その5 ﹁さて、まず何から話すか﹂ すそ けずね 電車に乗りこむと、青年は切り出し、おれの隣へ座った。 単衣の裾から毛脛をさらけ出し、やおら足を組む。 おれは暗い窓の外を見ていた。 結露したガラスに、虚ろな顔が反射して映っていた。﹁べつに⋮﹂ ﹁べつに?﹂ ﹁どうでもいいよ﹂ ﹁捨て鉢なんだな、ずいぶんと﹂ ﹁金銭は帰ったら返す。家にね、家族がいるんだ﹂ 横目で、青年をながめる。 横から見ると、青年の首すじに残る赤黒い傷跡が、はっきりと浮 かんでわかった。 ﹁家、ね﹂ ﹁名前を教えてくれよ﹂ 方向性 に過ぎない。便宜上、霊な ﹁またそれか? おまえもしつこいやつだな。云ったろう、名前な んかないって。おれはただの んて名乗っちゃあいるが、云ってみれば極論、データにすぎないん だ﹂ ﹁データ?﹂ ﹁人格は持っちゃいるがね。それが本物か確かめることはできない、 自分でも。おれは自分のことを知っているが、誰もそれを真実だと 語ることはできやしない。海馬から引き出された偽りの記憶かもし 1275 れない。あるいはただの夢かもしれない﹂ ﹁信じちゃいないよ、そんな与太話は﹂ ﹁与太話だろうがなんだろうが、おれはここにいる。おまえのそば にな。だから好きに呼べばいい。天使でも霊でも、タイラー・ダー デンでも、なんでもな﹂ ﹁呼びにくいんだよ、名前がないと﹂ ﹁なら龍之介だ﹂ ﹁龍之介?﹂ ﹁そう呼べよ。おれの名だ。おれが生きてた頃の﹂ しんむらだい こう云ったところで、ホームの、発車をしらせるメロディが鳴っ た。 つづいてアナウンスがはじまる。 おれは青年の言葉を考えた。 かみきた ﹁間もなく二番線から上北線、普通列車、新群台行きが発車いたし ます。ドアが閉まります。ご注意ください﹂ 車体が揺れ、がたりと、電車がすすみはじめた。 高架下の夜景が、横へ横へと流れ出した。 ﹁聞き覚えのある名だ、どこかで﹂ ﹁ふつうにある名だろう。芥川龍之介とかよ﹂ くわ 龍之介はふところから煙草を出すと、それを口に銜えた。 ライターをつかって吸いつける。 ﹁車内は禁煙だぞ﹂ ﹁かまやしねえさ。誰も文句なんて云わない﹂ 1276 うまそうに煙を吸いこむと、龍之介は座席の背へもたれた。 口元を蒼い煙がたゆたう。 おれは車内を見回してみた。 乗客は少なかった。 混雑の時間を過ぎたのだろう。 しかし、客の何人かは明らかにこちらを気にしていた。 の おびえたような、あるいは嫌悪の表情でいて、おれが見返すとそ ろえてきまり悪そうに目をそらした。 ﹁こっちを見てる﹂ ﹁おまえパジャマだからな、目立ってるんだよ﹂ こう ﹁目立ってるのはアンタじゃないのか。着物で煙草なんて喫んでる﹂ ﹁気味が悪いんだろうな、ひとりでしゃべってるから﹂ ﹁何?﹂ しん ﹁アルコールはほどほどにしておけ。これは忠告だ。被暗示性を亢 進させるからな。それから薬だ。これもよくない。頼りすぎはな。 わかるだろう?﹂ ﹁なんだい、いきなり﹂ ﹁忠告だよ。親切心ってやつさ。おまえの飲んでる薬、なんと云っ たかな。選択、選択︱︱﹂ ﹁セロトニン? 選択的セロトニン再取りこみ阻害薬﹂ ﹁ああ、そう。それだ。その手の︱︱抗精神薬。あまり飲みすぎる な﹂ ﹁どうして知ってるんだ、おれが薬を飲んでること﹂ ﹁なんだって知ってるよ。おまえのことなら﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁おまえが他人を信じてないことも知ってる。ひとを愛せない、そ れもな﹂ わら おれは喉の奥で嗤った。 1277 ざらりとしたノイズが、また目の前をよぎった。 し ﹁やめてくれ、知った風なことを云うのは﹂ ﹁知った風じゃない。これはすでに識っていることだ。今、確かに 起こっていることだ﹂ ﹁おれがひとを愛せないだって?﹂ ﹁そうだ﹂ ﹁孤独な人間だと?﹂ ﹁そうだよ﹂ ﹁ダメなやつか、おれは﹂ ﹁そういう人間はわりと多いんだ。むかしからな。だからずっと振 りまわされてる。ひとはいつの時代も、何か問題をかかえてるな﹂ ﹁まるで神様みたいな言い種をする﹂ ﹁神なんていない﹂ ﹁いない?﹂ ﹁おまえの考えるような神はな。神は方向性だから﹂ 云って、龍之介は紫煙を吐いた。 おれは手すりによりかかってもたれた。 ﹁なあ﹂ ﹁なんだ﹂ ﹁何故そんな忠告を?﹂ ﹁人殺しにはなりたくねえだろ?﹂ ﹁人殺し?﹂ ﹁可能性があるからな。おまえが狂う場合、アルコールと薬が、分 岐点での確率に微少ながら影響する。その点についちゃ、おれも失 敗したクチでな﹂ ﹁他人を傷つけるっていうのか、おれが﹂ ﹁さっきの駅でも可能性はあったぞ。殺人じゃなく、喧嘩だがな﹂ 1278 ﹁なんの話だよ﹂ ﹁可能性さ。おまえは頭痛で周りを見てなかった。だからよろめい たとき、ぶつかったんだ。改札から出てきた、男女の、ひと組のカ ップルとな。おまえはぶつかったあとにころんだ。ころんだ拍子で と﹂ 水が跳ねた。男は迷惑そうにしたあと、倒れたおまえを見て云った、 知的障害か? そこでいったん切ると、龍之介はもう一度、煙草を吸った。 ﹁実際、そう見えなくもなかった。病院から抜け出してきた、その ままの姿だからな。しかしそのあとがよくなかった。女が笑ったん まさ だ。男の言葉を聞いて、くすりと。おまえは逆上したよ。かっとな ってふたりに殴りかかった。相手の男は、おまえより体力で優って いた。おまえはひどく打ちのめされたが、そのときは完全にキレて た。だから相手の目をえぐった﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁壊れる運命にはいくつかパターンがある。どれも依存する対象を 失くしたときが多い。おまえは対象を分散させたが、その試みも効 果は薄いな﹂ しばらく、おれは無言でいた。 なんと答えればよいか、わからなかったからだ。 龍之介もそれ以上は云わなかった。 煙草に専念している。 しばし考えてから、おれは口をひらいた。 電車が、すこしだけ強く揺れた。 ﹁ひとを愛せないと云ったな、おれが﹂ ﹁ああ﹂ ﹁どうしてそう思う﹂ 1279 ﹁ひとを信じてないからだ﹂ ﹁おれが?﹂ ﹁そうだ。おまえは人間を信じてない。自分すらもな。打算による 恋愛をきらいながら、その実、自分を愛する誰かもまた、そうした 打算でうごいてると信じてる。つまり愛そのものを信じてねえのさ。 それは決定的な矛盾だ。愛にすがろうとする少年が、愛を欲する幼 子が、みずから、それを棄てようともがいてるようなものだ。だが よく聞け、ぼうや。ひとの心の根源にあるのは愛だ。愛があればこ そ不安も生じるが、その不安を包括するのもやはりまた愛なんだ﹂ と、龍之介は肩をすくめ、首の傷をさわった。 しがん ﹁かく云うおれも、此岸にいたころはわからなかった﹂ おれはぼんやり、中吊りの広告をながめた。 広告には見知った少女の姿があった。ロックンロールの歌を歌う、 うつくしい少女。 全身黒ずくめの衣装を着て、顔に奇妙な化粧をほどこしている。 ﹁CDが出たのか﹂つぶやくと、龍之介がこちらを見た。 ﹁まあまあ売れてるようだ﹂ ﹁そうなのか﹂ ﹁うれしそうだな﹂ ﹁知り合いなんだ﹂ おれは首肯して云った。 ﹁だから、よかった。しあわせそうで﹂ 彼女も僚子さんも、次のしあわせを見つけた。 1280 そこは、そこだけはよかったと思う。 真実によかったと思う。 痛みがあった。 いくばく 寂しさがあった。 後悔と未練、幾許か、うらめしく思う心も。 だがそれでも、彼女たちがしあわせなら釣り合いが取れていると 思う。 おれの無念と、彼女たちの幸福が引き換えなら、それはきっと分 のいい取引にちがいない。 あとは朱美さんと、玲子さん。 そう、彼女たちさえ元気でいてくれれば⋮⋮。 ﹁わかっちゃいないな﹂ 煙草の先を、龍之介はこちらへと向けた。 ﹁彼女たちがそう云ったのか? おまえを失って、しあわせだと?﹂ 煙草を持った指を小刻みに揺らす。つまらなそうに。 灰が床へと落ちる。 おれは、小声で弁解した。 ﹁聞いたわけじゃないが﹂ ﹁決めこんでるじゃないか﹂ ﹁それは、おそらく︱︱﹂ ﹁なあ、虎ノ介﹂ ふっと、龍之介はその口元をゆるめた。 ひと ﹁おまえはもっと信じてやるべきだよ。自分を。愛する女をさ﹂ 1281 ﹁信じてるさ﹂ ﹁いいや、信じてない。信じたつもりになってるだけだ。心の深い ところじゃ、おまえはおびえている、そして疑ってる。いや、信じ てることもあるんだ。自分が無価値だということはな。そこだけは 確信してる。ほとんど信仰に近いほど固く思いこんでる。いったい どういうわけだ? ええ? 何がおまえをそうまで思わせるんだ﹂ 云いながら、龍之介は煙草を床に棄てた。 足で火を踏み消す。 おれは窓の外をながめた。 マナ ﹁云えよ、虎ノ介。おまえは理想の世界をつくった。あるべき自分 アーラヤ も と、それにふさわしい現実。もっともこれは歪んだ現実だ。末那識 と阿頼耶識が混ざりあうこの領域じゃ、そんなもん長くは保たねぇ。 肉体というくさびがなくなれば、いずれこちらも消え去る﹂ ﹁わからないよ﹂ ﹁弱さは純粋の証明じゃないんだ。現実がひとのツールなら、おま えは信じる心を持たなきゃいけない。愛に向きあわなきゃいけない。 罪悪感でなく、それは、おまえならわかるはずだ﹂ ﹁頭が痛いんだ﹂ ﹁熱のせいだ﹂ ﹁もっと︱︱﹂ ﹁もっと?﹂ ﹁り、立派な人間になりたい、そう思うことはあるんだ﹂ 龍之介は思案げな様子で目をほそめた。﹁京子のことか﹂ おれは答えなかった。 彼は低い調子でつづけた。 ﹁あいつに後悔はなかったぞ。おまえの母親であったことに﹂ 1282 ﹁でも苦労した﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁苦労したんだ、すごく、おれを生んだせいで。おれは母さんのた めに何かしたかった。母さんをよろこばせたかった。だから母さん の望むひとになろうとした。母さんの教えてくれた善の輪。社会の、 ひとの助けになりたかったんだ﹂ だが、それは叶わなかった。 おれには無理だったのだ。 ひとを憎まず、操らず、傷つけず。 誰かのためと願うほど、おれはどこか力のない人間になっていっ た。 世情を知れば知るほど、自分が社会に不必要の者だと思い知らさ れた。 かね 金銭が必要。 親戚のひとりは云った。 世の中は金銭がすべて。 競争を勝ち抜き、ひとに認められてこそ一人前の男と云えるのだ と。 おれは反論できなかった。 無力であったから。 理想など現実の前にはなんの足しにもならない。 実際、彼には力があった。 くじけない意思の力と、奮闘しつづける気力。 痛みをものともしない傲岸さ。 強い欲望。 自分の感情を傷つけた相手は滅ぼさずおかぬという精神性。 おれは彼をひそかに嫌悪した。 腹の底で侮蔑した。 1283 ﹁えらそうに。誰ひとり救えないくせに﹂ わら おれはかぶりを振り嗤った。 何をいきがる。 母親を救うことも、善の循環になることも、何ひとつできなかっ た男が。 云ってみれば、あの親戚は正しかったのだ。 お世辞にも人物と呼べない彼だったが、しかし、おれよりはずっ と世間にはたらきかけていた。 功利主義的ではあったが、ひとの役に立っていた。 誰かを傷つけながら、同時に誰かを救ってもいた。 間違っていたのはおれの方だった。 ◆ ◆ ◆ ﹁兄ちゃん、さっきから誰と話してるんだね?﹂ そうした声がして。おれはハッと、顔をあげた。 ぼろ ホームレス 目の前には、薄汚れた格好の男がいた。 ・・・ 襤褸をまとった初老の浮浪者。 日焼けして黒ずんだ顔に、目やにが浮いている。 口からは口臭と、強いアルコールの匂いがする。 ぼ ﹁独り言かね、まさかその年で惚けちまったわけじゃあるまい﹂ ﹁え⋮⋮?﹂ 1284 あわてて、周囲を見回した。 着物の青年はいない。 周囲の客席には、こちらを胡散くさそうに見るサラリーマンや若 者がいるだけだった。 ﹁だいじょうぶかい、顔が真っ青だぞ﹂ ﹁りゅ、龍之介は﹂ 立ちあがって、隣の席を見つめた。 けれど、そこはやはり無人のままで。 おれはこめかみをつかんだ。 何かが頭のなかでがらがらとくずれていくような、足元が壊れて いくような、そんな感覚があった。 ﹁誰もいねえぞ。アンタ、さっきから独りでしゃべっとったろ﹂ 浮浪者が云った。 直後、がたんっという音がし、車体が揺れながら停まった。 重い低音を響かせ、車輌の両びらき扉が横にひらいた。 ﹁う、う﹂ 車内からホームへと出た。 もつれる足で、ころげ逃れるように。 外気の冷たさが、肌にもどってきた。 ﹁お、おい、兄ちゃんっ?﹂ 浮浪者の男性が云った。 おれはかまわず前を見て歩いた。 1285 何歩かすすむうちに、すれちがうひとが、おれを避けていること に気づいた。 彼らは一様に、何かにおびえた表情をしていた。 ︵おれを見てるのか︶ そんなにひどい顔をしてるだろうか。 足を止め、周りを見る。 すぐ脇にシャッターのとじた売店があった。 時刻表、ベンチ、そして四面にちいさな鏡のついた柱もあった。 鏡は、ひと気のまばらな駅ホームと、帰路につく乗客の姿を映し ている。 夜の闇。 舞い散る粉雪。 そのなかに自分の姿もあった。 鏡に映った男は土気色の肌をしていた。 パジャマ姿の青年。 やぶにらみの目つきで、蒼い唇は今にも、何か吐き出しそうにふ るえてる。 両の目は、まるでよくない病気でもわずらったかのように、真っ 赤に充血して。 おれは身をかがめた。 せりあがってくる吐き気に、胃のなかのものを吐き出していた。 口中を満たす酸っぱい味。 胸元が反吐で汚れた。 反吐をこぼしたあと、また歩いた。 階段をのぼり、改札を抜け、そしてまた階段を降りる。 1286 駅前のロータリーから表通りへと出て、そこから市民体育館の横 を抜け、緑地公園の方へ。 放置自転車のならぶ駐輪場から、薄暗い公園横の坂を歩いていく と、出口の向こうに桜並木のならぶ通りが見えてきた。 人通りの少ない道は白い雪におおわれ、まるで絨毯が敷かれてい るようだ。 おれは息を白くして、ひとり、そこを歩いていった。 桜並木から住宅街のある方へ折れると、家々の向こうに、ひとき がち わ背の高い教会の屋根が見えた。 せんれい しょうろう 古びて雅致のある洋館。 繊麗な線を描く鐘楼。 その十字架を目指し歩く。 上り坂をせかせかと。 やがて聖ウルザ教会がその姿を徐々にあらわしてくると、その奥 に見慣れたアパートの姿も見えてきた。 ﹁家だ⋮⋮﹂ 片帯荘がそこにあった。 古い木造のアパート。 いてもたってもいられず、おれはアパートに駆けた。 途中スリッパが脱げたが、かまわず裸足で走った。 ﹁姉さん、伯母さん⋮⋮!﹂ 敷地にはいる。 アパートへ駆けこむ。 ガラスドアをくぐり、つめたい塩化ビニルの床を蹴って、入り口 に近い管理人室のドアを開けた。 1287 ﹁伯母さんっ﹂ 返事はなかった。 部屋のなかは静寂と闇、つめたさで満ちていた。 ﹁伯母さん、いないんですか? おれです、虎ノ介です﹂ 濡れた足で、なかへと踏みこむ。 室内ドアをあけ、リビング、寝室、キッチン、バスルームと家族 を探してすすんだ。 ﹁姉さんっ、伯母さんっ﹂ がらん 誰も見つからなかった。 部屋のなかは伽藍として。 電気が通じていないのか、照明のスイッチも用を足さなかった。 窓からの雪明りで室内は視認できる。 しかしどの部屋にもふたりはいなかった。 家具も何もなく、ベッドや、カーテンすらない。 まるで生活の匂いがしなかった。 ﹁なんで⋮⋮っ﹂ 管理人室を出て、別の部屋を探す。 一〇二、一〇三、一〇五、一〇六⋮⋮。 二階も、貯水タンクのある屋上にも行った。 誰もいなかった。 やさしい伯母も。 弟思いの姉も。 風変わりな女医も、身内に甘い社長も、ボーイッシュなロックシ 1288 ンガーも、子持ちの小説家も、ポーカーフェイスの執事も、淫乱な 女教師も。誰ひとり。 ﹁なんでだよ⋮⋮!﹂ しばらく、アパート中を無闇にうろついた。 だが、それも徒労に過ぎず。 なかには何ひとつ、彼女たちの存在をしめすものはなかった。 おれは誰も住んでいないことを確認して、それから仕方なく、管 理人室へともどった。 管理人室は寒かった。 おれは独り、リビングの隅へ座り、壁に背をあずけた。 ひどい寒気と悪寒があった。 だれもいない部屋でうずくまっていると、やがて静かに、意識が 遠ざかっていった。 1289 無職、久遠虎ノ介の場合 その5︵後書き︶ 作者によるテキトーな注釈 タイラー・ダーデン ⋮⋮映画﹁ファイトクラブ﹂の登場人物。主人公の前にあらわれる 謎の男。 選択的セロトニン再取りこみ阻害薬︵SSRI︶ ⋮⋮抗うつ薬の一種。不安をやわらげる。自殺志向、他者への攻撃 性を高めるといったリスクを指摘する声もある。 1290 無職、久遠虎ノ介の場合 その6 街へ着いて、姉さんの最初に云った言葉はたしか﹁銭湯に行こう﹂ だった︱︱。 きらきら もう、夜もだいぶんにふけていたと思う。 雨は熄み、雲間からは、星々が煌々輝いていたことを覚えている。 人口十八万の地方都市は、すでにその半ばまでが眠りについてい、 車輌も、街行く人の姿も、駅前とその裏の飲み屋街へ、わずかに見 える程度でしかなかった。 ふたりきり。おれと姉さんは、静かな夜の街を歩いていった。 おれ 姉さんは身体の冷えきった弟を心配し、とにかく身体をあたため ようと思ったらしい。自分もまた濡れていたのだが、そんなことは おかまいなしで、おれの身を案じていた。 ⋮⋮風呂屋の主人は、幼いふたりをうさんくさそうに見ていた。 姉さんは、入口でふたり分の料金を支払うと、石鹸とタオルをひ とつずつ買い、それから、女風呂へとおれを押しこむ。夜更けの女 風呂は無人で。おれは脱衣所で素っ裸に剥かれると、手を引かれ湯 殿に入った。 湯殿には煙が立ちこめていた。 姉さんは、まずおれにかけ湯し、自分にもそうした上で、おれを 湯舟に入れた。 湯は熱かった。 おれは嫌がった。姉さんはそんなおれを抱きしめ、ほとんど無理 やりに湯へと沈めた。湯は天然の温泉で、その地方に多い、茶褐色 1291 こけ の含鉄泉だった。かけ流しだったが、あまり掃除はされていないら しく、浴槽を歩くたび、風呂底の湯垢がぬめって感じられた。 細い指で、姉さんは、おれの身体をあちこちとさわった。 おれは声を上げ、きゃっきゃっと笑う。姉さんはそんなおれの反 応をたのしむように、首すじを舐めたり、脇をくすぐったり、ちい さなペニスをもてあそんだりする。 そうして存分にあたたまった後、湯舟を出たのだ。 姉さんは泡立てた石鹸で、おれの身体をくまなく洗った。頭から 爪先まで、特にペニスは包皮の内側まで丹念に洗われた。 その間、おれは目に石鹸が入らぬよう、上を見上げていた。ぼん やりと、天井から落ちてくる水滴の数を数えて。 幼いペニスが、姉の手に反応してたことも覚えてる。 伯母や幼なじみたちとよく入った風呂。それらの時と同じく、鋭 く、尖って天を見ていた。 銭湯を出た後は、コインランドリーへと向かった。 姉さんはリュックに、着替えを少し持ってきていたため、濡れた 服のまま寒い思いをすることはなかった。 服を乾かした後は食事に行った。 姉さんは、おれに何が食べたいかと聞いてきた。おれはそれに食 べたくない、と答えた。 もちろんそんなのは嘘だ。 戸締まりをされる前、夕食直前に家を抜け出したのだ。空腹でな いはずもなかった。 けれど、おれはごまかしたのだ、なんてことないと。 胃がきゅっきゅっと鳴っていたのに。 姉さんを心配していた。 おれは、頭の弱い子供だったが、一方で他人の感情にはかなり敏 1292 感だった。 銭湯でタオルをひとつしか買わなかったこと。 濡れたタオルを絞りしぼり、湯上りの身体をぬぐったこと。 姉さんのやさしげな表情が、母さんが時々する表情とよく似てい たこと。 そうしたことなどを思ってみて、おれは、彼女の困っていること をなんとなく察した。そうして、そこへきてようやく、自分たちの 冒険が、何やら事情があって、大変な困難の元から出発しているこ とに気づいたのだ。 おれは寂しくなった。 家に帰りたくなった。 母さんのそばにいたいと思った。 ⋮⋮帰りたい、と云いたかった。 しかし、とうとう最後まで、その言葉を出さなかった。その理由 もやはり姉さんの顔を見たからで。 考えてみれば姉さんだって不安だったのだ。 家を出たこと、大人たちの手から逃れること、そしてこの先ふた りで暮らしていくこと。全てがわからない行き先の中、必死で不安 を殺し、おれを守ろうとしていた。おれとふたりで生きようとして いた。不安でなかったはずがない。 プラン それでも彼女は計画がある、と云った。 東京まで行き、知り合いの元を訪ねる。それから、その知り合い のツテで洋行︱︱つまり海外へ出るのだと。 洋行先では住む家も、学校も、全て用意されており、何も心配す る必要はない。 自分たちはそこで大人になり、勉強してから日本に帰るのだと。 そう、深夜のラーメン屋で語った姉さんは、おれにだけ夕食を摂 1293 らせた。 おれは申し訳ない気がした。好物だったはずのバターコーンラー メンが、その時ばかりは味を感じなかった。 無力な自分が哀しかった。 追いつめられたような姉さんの顔も。 食事の後、おれたちはふたりでターミナルビルへと向かった。 1Fのバスターミナルへと行き、そこで身体をよせあって眠った がらん のだ。 伽藍とした、ひろい待合所のベンチで。 おれは姉さんを抱きしめて眠った。姉さんも、おれを抱いた。 ⋮⋮そしてそれが、おれたちのした逃避行の全てだった。 ◆ ◆ ◆ どのくらいの時間が過ぎただろうか。 ふと誰かに呼ばれた気がして、おれは浅かった眠りから意識をも どした。気づけば眠っていたようだ。真っ暗な無人の部屋で、壁に もたれ、うずくまった格好でいる。身体には薄手の毛布がかかって いた。 ﹁起きたか﹂ そうした声が、すぐそばから聞こえた。 見れば窓際に、着流し姿の男がひとり、月明かりに濡れて立って いた。やさしい表情でこちらを見ている。﹁アンタか﹂おれはひた いを押さえ云った。 1294 ﹁眠れたみたいだな。熱も引いたようだ﹂ ﹁どれくらい寝てた?﹂ ﹁二時間ってところだ、雪も熄んだ﹂ ﹁この毛布はアンタが?﹂ 尋ねてみる。 男︱︱龍之介はかすかにうなずいた。 ﹁そっか﹂ ﹁夢でも見たか?﹂ うわごと ﹁なんで﹂ ﹁譫言を云ってたからな﹂ ﹁ああ﹂ おれは軽くうなずき、指で眉間を押した。寝起きで乱れた思考を 整理する必要があったからだ。 記憶をめぐらせていると、興味深そうに龍之介が訊いてきた。 ﹁どんな夢だったんだ﹂ ﹁別に、なんてことない﹂ ﹁いいじゃねえか、聞かせろよ﹂ ﹁どうして﹂ ﹁興味があるんだよ﹂ 龍之介はしつこかった。 仕方なく手をふって答えた。 ﹁姉さんの夢だ。子供の時、姉さんと一緒に家出した﹂ ﹁家出?﹂ 1295 ﹁姉さんと逃げるつもりだったんだ、遠くへ﹂ ﹁行ったのか﹂ ﹁すぐ連れもどされたよ﹂ 簡潔に答える。過去に対する想いは特段わいてこなかった。 ﹁失敗したんだ、おれたちは﹂ ﹁なるほど、そうだったな﹂ くわ うなずくと、龍之介はふところから煙草を出し、それを口に銜え た。ライターを鳴らす。そんな彼をおれは眺めつづけた。 ﹁なあ﹂ ﹁ん?﹂ ﹁アンタ、幽霊なのかい?﹂ おかしな質問をしている、そう思った。 龍之介はおかしそうに口の端を歪め、﹁く﹂と喉を鳴らした。口 の端から、煙が螺旋を描いた。 ﹁なんだそりゃ﹂ ﹁だって、他のやつには見えないのだろ﹂ そんぴきせん ﹁他の定義にもよる。本来、万物は全体性の中のひと欠片に過ぎね えからな。尊卑貴賎、全てをふくんだ︱︱﹂ ﹁ふつうの話だよ。全体性じゃない、ふつうの人間の。おれは荘周 じゃないし、花の間を飛ぶ蝶でもない﹂ ﹁胡蝶の夢か﹂龍之介は微笑を浮かべた。頬を指先でかいた。 ﹁そういう認識でもかまわねえがな﹂ 1296 ﹁守護霊?﹂ ﹁おれとしてはそっちを推したいところだ﹂ ﹁どうして﹂ ﹁響きがいい﹂ ﹁幻覚の可能性は?﹂ ﹁それもある﹂ おれは声だけで笑った。 もう、どうにでもなれという気分だった。手に残った最後の綱。 それがぶっつりと切れた気がした。﹁気づかなかったな﹂そう笑い ながら云った。 ﹁何が?﹂ ﹁ショックだ、意外と。自分の狂ってることに気づくのは﹂ いぶかしげに、龍之介がこちらを見た。 おれは壁に頭のうしろをぶつけ、なおも笑いつづけた。 乾いた声が腹底からわいてくる。 そうこうしているうちに、さっきまでの記憶もだんだんとよみが ほこり えってきた。無人のアパート。居所のわからない家族。手でさわっ てみると、冷えきったフローリングは、わずかだが埃で汚れていた。 長期間、人の住んでいなかった証左だ。 ああ、と考える。 おれには家族なんていたのだろうか? いた、と思う。 でも、それは本当に? 何もかも、狂った男の見た一夜の夢ではなかったのか? 夢を見ている時、人はおかしいなどと思わないものだ。蝶になっ た荘周のように、それがどんなに奇妙であっても。 1297 ﹁ふ、ふ﹂ ﹁虎ノ介?﹂ 龍之介が云った。 ﹁泣いてるのか?﹂ おれは答えず、膝と毛布をかかえ、そこに顔を押しあてた。視界 が曇るのに気づいたからだ。鼻の奥がつんと熱くなった。 龍之介は煙を吐きながら、諭すような調子でつづけた。 ﹁がんばれ、もう少し。もうすぐ終わりがくるから﹂ ﹁終わる? いったい何が終わるって云うんだ?﹂ 目をこすり、顔をあげた。 龍之介は煙草の端を噛み、ふたたび煙を吸った。闇の中にある火 が﹁ジ⋮﹂と赤く輝きを増した。 ﹁人のかかえる蔵︱︱普遍的無意識は、いくつかのスケールでわか れてる。個人、家族、民族、国家、それぞれの段階でそれぞれのス しき ケールに。それらが重なりあい影響しあいながら、現実にあらわれ る個人の体験や運命に色をあたえていく。事故や病気といった個々 のレベルから、戦争や自然災害のような社会規模のレベルまで、人 の縁起︱︱幸不幸はそうして形づくられてるんだ。過去世と来世、 現世を行ったりきたりしながらな。それはあだかも舞台に立つ役者 のようなものだ。役者であると同時に脚本家だ。彼らは自らの魂に ツール ふさわしい舞台と脚本をえらんでこの世に生まれる。現実はそのた めの道具でしかない。自らを表現し、進ませるための﹂ ﹁何を云ってる﹂ ﹁仕組みだ、この世の﹂ 1298 ﹁人の運命は決まってるというのか? 最初から?﹂ ﹁ある程度はな﹂ ﹁ある程度?﹂ ﹁実際の因果は単純じゃあない。想念、哲学、行為、発語。反発と 受容︱︱。複雑にからみあってる。今、この瞬間も。人は折々の局 ピース 面において、脚本を書き変えながら進む。脚本を変えちゃいけない なんてルールはない。パズルの欠片は決まってるが、その数は無数 で、組みあわせも星の数ほどある。人の短い一生じゃ、それこそ使 いきれないほどに﹂ ﹁そんなもんクソだ!﹂ 語気荒く叫び、おれは龍之介をにらんだ。 ピース ﹁選択肢があるだって? 無限にある欠片だと? 人間は自分で、 なんでも好きなように決められるって云うのか﹂ 頬の引きつれるのがわかった。 龍之介はこちらへ顔を向けると、銜えていた煙草を、二本の指で 挟んだ。口先を外した煙草から、灰がぽとりと落ちた。 ﹁魂の視点で見るなら、そうだ﹂ ﹁嘘をつけ﹂ ﹁嘘?﹂ ﹁嘘じゃないなら何故母さんは死んだよ? 何故? 現実に選択肢 があるというなら、どうしておれは、こうももがきつづけなきゃい けない﹂ つ とっさに怒りが衝いて出た。 それは世をうらむ心だった。いじけ、ひがんだ。 何もかもを消してしまいたい、そんな歪んだ衝動だった。 1299 ﹁いいことなんてなかったさ、何ひとつ。何ひとつ! 何も持てず、 どこにいても、どこを歩いていても独りだった。おれは映らなかっ た、いつも誰の視界にも。誰もおれを見てくれない。しゃべってく れやしない。ああ、わかってる。それが当然なんだ。そんなもの、 わざわざ云いつのるほどのことじゃあない。わかっているんだ。だ から他人に何かを求めたことだってないさ。甘えるなよ、それが人 生だ、社会だ。だからなんだ。それがわかってたからって、なんの たすけになるんだ。何も変わりやしなかった。おれは、おれはどう すればよかった⋮⋮!﹂ 過去を思った。 バイトに明け暮れた日々を。罵声をあびせられながらつづけたい くつかの仕事を。同世代の若者、青春の汗を流す学生たちを、おれ は遠くから眺めていた。思い出すのはあの日の夕暮れ。夕日のせま った朱い運動場だ。列になってランニングをする少年たち。遠いか け声。制服の警官がふたり、声をかけてくる。こちらが答える前に、 ひとりがおれのデイパックをうばった。ひとりは無線でどこかに連 絡をとってる。バッグの中には、別にたいしたものなんて入ってや しない。ぎっしり、投函用の不動産広告がつまってるだけだ。すぐ にバッグは返される。口のあいた、調べた終えたままのバッグをよ こして、警官たちは去っていく。﹁ここら辺は高級住宅街だ、不審 ビラ 者に対する通報も多いから、あまりうろつかないように﹂去り際に 云い残して。おれはひとり、道に落ちた広告を拾いあつめる、のろ のろと。のろのろと。 ﹁母さんが死んだ﹂ おれは云った。 龍之介をこちらを見すえたまま、哀れむような目を向けた。 1300 澄みきった瞳。吸いこまれてしまいそうな光があった。 ﹁宿命だよ﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁宿命なんだ、虎ノ介。それがおまえの﹂ そう云った口には、煙草の火が短く、唇のつい先までせまってい た。 龍之介は窓をあけ、その煙草を外に放り棄てた。ふわりと、風が 室内に流れこんできた。 ﹁善的な犠牲を宿命としてふくんでる、そういう人間がいるんだ。 生まれる以前から魂のレベルで、それを選択した人間たちが。いろ んな形がある。戦地で医者になる者。貧しい国へ行き学問を教える 者、武器をとって祖国のために命を落とす者もいる。あるいは世界 の業︱︱理不尽とも云える断罪を引き受け、他者の身代わりとなっ て死ぬ者も﹂ 外を見やる。 窓の向こうには洋館の白い十字架が、月の冴えざえとした光に照 らされてあった。 ﹁それが自己の進んだ表現となるからだ。他者へのきっかけ、新た な道をしめす﹂ 云いながら龍之介は窓際を離れ、こちらへと歩いてきた。 ﹁煙草、喫うか?﹂ ﹁え?﹂ ﹁煙草だよ、喫うか? おまえも﹂ 1301 無言で、おれは首を左右にふった。 ﹁そうか、ま、その方が賢明だ。煙草なんてやらないにこしたこと はない。身体に悪いからな。テリーにもそう云ってやれ。仲良くな ったら﹂ ﹁テリー? 誰だい?﹂ ﹁テリー・アンダーセンさ﹂ あぐら 龍之介はうなずくと、こちらの前に胡坐をかいて座った。 ﹁たとえば、ある一族は先天的に男子が生まれにくかった。血が濃 くなればなるほど、その傾向は強くなった。古い家で。忌むべき因 習と、近親婚を好む異常な性質があった。その家じゃ生まれつき才 あが 能に優れた女子が多く出て、周囲の人々は彼女たちを鬼、または天 女と呼んで崇めた﹂ ﹁天女︱︱﹂ ﹁人以外の血がまじってる。そう云われた。だが当の女たちは気に かけなかった。それよりも考えるべきことがあったからだ。男子の 生まれないこと、運よく生まれても、ひ弱で、すぐに死んじまう﹂ おれは黙って、彼の話に耳をかたむけた。 龍之介は片目をつぶり、ひげの浮いたあごをさすりながらつづけ た。 くすりくそうばい ﹁彼女たちは考えた。どうにかしたくてな。そして医学、薬学に通 じたものをあつめて薬をつくった。さまざまな薬だ。薬九層倍、女 やまい たちはずいぶんと稼いだよ。だが男子の短命はいっこうよくならな かった。何しろ手に負えない。薬で病を治しても、明くる日には別 の理由で死んじまうんだ。酒を飲みに行けば喧嘩の仲裁、地回りの 1302 くるわ ごろつきに殴り殺され。廓に行けば、思いつめた女郎に刺される。 家に閉じこめれば、心を病んだ挙句、首をくくる﹂ どうしようもない、龍之介は両肩をすくめた。 ﹁もっとも釣りあいはとれていたんだ。男たちはそうした役目だっ しき たから。元々、上位の存在を迎え入れた一族だ。女たちによどんだ 想念はかからない。だが人の世を生きる中で、さまざまな色があら よおう われては消える時、その負のあらわれを引き受ける役目が形として 必要だった。だから彼は何代かにひとり生まれた。一族の余殃を背 負って死ぬために。痛まないはずの女に痛みを教え、一族の運命を 浄化するために﹂ 龍之介は微笑を浮かべると、こちらの頭へ手をのばしてきた。 頭がなでられる。 ﹁ある男は、自分の息子がその役目だと思った。縁側で遊ぶその子 を見た時に。だから彼を守ろうと決めた。どこまで行っても、自分 だけは彼を見放すまいと思った﹂ ぐしゃぐしゃ、龍之介はおれの髪をかきまわした。 おれはどうしていいかわからず、彼のなすがままにまかせた。 ﹁だいじょうぶさ、おまえは間違っちゃいない。ただ忘れてるだけ だ。愛に怯えてるだけだ﹂ 噛んでふくめるように云う。 おれはどうしてか、身体がふるえた。心が。 こぼれかけた嗚咽をこらえ、目の前の青年を見つめた。﹁上杜へ 行け﹂青年が告げた。 1303 ﹁か、上杜?﹂ ﹁敦子たちは上杜にいる。おそらくは佐智も﹂ ﹁ほ、本当?﹂ ﹁たしかめた訳じゃねえが﹂ 龍之介はおれから離れると、また窓際へと行った。さっきと同じ ように静かに壁に背をあずけ、 ﹁おれにも、はっきりしたことはわからない。ここはおまえだけの 世界だからな。ただ、おまえが昏睡状態になったことで、一族内に 何か問題が生じたらしい。それがここでの基本線になってる。おま えを当主から降ろそうという動きだ。ふたりはそれを解決するため に上杜市へ行った﹂ ﹁げ、元気なのか、ふたりは﹂ ﹁元気だ、しかし﹂ そこで言葉が途切れた。おれは先をうながした。 ﹁しかし何﹂ ﹁いや、なんでもない。とにかく彼女たちは元気だ﹂ おれは溜息をついた。 彼女たちが無事だったことに対する安堵なのか、あるいはおれを 置いていったことに対する落胆なのか。自分でも判別はつかなかっ た。 ﹁他のみんなは? 玲子さんたちはどうなった?﹂ ﹁島津僚子は同僚の医師と結婚した。水樹準はロックシンガーとし てデビューしたのち、ずっと自分を想ってた幼なじみとむすばれた。 1304 氷室玲子は渡米後、元部下だった男と再会、同棲をはじめた。小島 佐和は宮野浩とともに上杜市へ向かって、それからは行方不明だ。 火浦朱美は︱︱﹂ とそこで、ふいに龍之介はしゃべるのをやめた。険しい表情で、 どこか遠くを見るように窓の向こうをにらんだ。 おれも立ち上がって、窓の外を見た。 外は白い、静かな景色があるだけだった。 ﹁どうしたんだ﹂ ﹁おかしい﹂ ﹁な、何が?﹂ ﹁迎えがくるのは夜が明けてからのはずだ。ここで起こることに蓋 然性の入る余地はない。だと云うのになぜこれる、こいつは? い ったい何者だ、この女﹂ ﹁何を云ってるんだよ﹂ 困惑し、おれは龍之介へ視線を移した。 龍之介は無言で、部屋の出口へと向かう。 あわてて彼のうしろを追った。 龍之介は部屋を出て、廊下を抜けると、それからアパートの外へ 出た。 ⋮⋮外は寒かった。 おれは持ってきた毛布を身体に巻き、周囲を眺めた。道路にはう っすらと白い雪が、道路を挟んで向かいには十字をかかげた教会が ある。 雪はすでに降っていなかった。 ﹁なあ、どうしたんだよ﹂ 1305 龍之介の背に向かい、尋ねた。 裸足の足がひどく冷たい。おれは周囲を見回した。 龍之介は二度三度、周囲をたしかめてから、こちらを見やった。 ﹁虎ノ介﹂ ﹁うん﹂ ﹁教えておくことがある、最後に﹂ ﹁最後?﹂ ﹁もうじき話せなくなるから。おれと話せるのは、今ここにいる間 だけだ。死に近い瞬間、だけど、それも後少しで終わる﹂ 真剣な顔つきで語る。 おれはよくわからなかったものの、ともかく、うなずいて応えた。 ﹁どこかに行っちゃうのかい? アンタも?﹂ ﹁心配はいらないさ、見えなくなるだけだ。いつでも、おれはおま えのそばにいるよ﹂ ﹁だけど﹂ ﹁夜が明ける。もうすぐ長かった夜が。目をつぶってられる時間も そろそろ終わりだ。おまえは選択しなきゃいけない。この白い部屋 から、いいかげんに踏み出さなくちゃいけない﹂ やさしい声だった。 しゃべり方が少しちがってきている。くだけた、友人に向けるよ うな云い方から、次第に歳の離れた子供に云い聞かせる、そんな云 い方へと。 おれは彼を見つめた。吸いこまれそうな光のある目を。 もうさっきまでのような、何物かに対して憤っていた、そうした 気分はなくなっていた。 1306 ﹁おまえはおれの誇りだ﹂ 龍之介が云った。 ふいに、風が低く鳴った。 1307 無職、久遠虎ノ介の場合 その7 アスファルトの地面から、粉雪が舞い上がる。 はらはらと、月の光の下で。 その光景に、おれは忘れていた記憶を呼び起こした。 なつかしい景色を。 辺り一面に咲いた椿の花。赤や白の、まるで絨毯のように落ちて 敷きつめられた椿。うつくしい花の道。 とお その道に少女が立っている。 まだ十かそこいらの幼い女の子だ。泣きはらした顔で、こちらを にらみ、必死で涙をこらえている。いや、こらえることなんてでき てなかった。 彼女は涙と鼻水を流しながら、懸命に自分を保とうとしていた。 何かを思いつめた、悲壮な顔つきで。 彼女のそばには硬い顔の大人たちが立ってる。 母さんに手を引かれ、おれは椿の道を歩いていく。 うしろに少女と大人たちを残して。 あの泣いてる少女は姉さんだったろうか? どうもしっくりとこない。おれの知っている彼女は、あんな風に 絶望を見せる人ではなかったから。子豚のようにぐひぐひと喉を鳴 らして、あんなみっともない顔をする人ではなかったから。いつも 自信満々だった。弱さはあっても、あんな風に泣くことはなかった。 それとも、あるいは。 おれが知っていたつもりの顔こそ、勘違いでしかなかったのか。 1308 ◆ ◆ ◆ くるま おどろ 突然、背後で車輌のスキール音が響いた。 いきなりのことに、おれは吃驚いてうしろをふり返った。 見れば車輌が二台︱︱黒塗りのセダンとワンボックスが、猛スピ ードでせまりつつあった。それほどひろくない住宅街の道をだ。ヘ ッドライトを上向きにしてる。まぶしさに、おれは手で顔を隠した。 何かが変だった。危機感にも似た、あやしい緊張が身体をつつみこ んだ。 ﹁うぅ、こ、これは?﹂ 隣を見る。だがその時はすでに、和装の青年の姿はどこにもなか った。 代わりに青年が立っていた場所、そのずっと向こうに、ひとりの 女性の姿が見えた。 ﹁えっ? イ、イオねぇ、か!?﹂ 思わず見入ってしまう。 遠くの女性は、知った人によく似ていた。姉であり、恋人であっ た人に。彼女は何かを叫んでいた。手をふって、何かを訴えていた。 そちらへ、おれは踏み出そうとした。 近づいてたしかめようと、その女性の方へ。 だがそこへセダンがやってきた。ワンボックスも。 二台の黒い車輌は、派手な音を響かせながらまわりこむと、おれ の前後をふさぐように道の真ん中へと停まった。 1309 街灯の下で、光る黒塗りのドアがひらいた。 人が降りてくる。出てきたのはスーツを着た、見るからに屈強そ うな男たちだ。 ワンボックスからも作業着姿の男が数人、ライトを背に降りてく る。 こいつらはなんだ、いったい? 眉をよせ彼らをにらみつけた。 男たちは、おれを見るや、何かをたしかめる風に目でうなずきあ った。 おれは唾を飲みのみ、尋ねた。 ﹁なんなんだい、あんたら? おれに用が?﹂ 男たちは答えなかった。誰も。 無言で、無造作な態度でこちらへ近づいてくる。 その数は確認できるだけで五人はいた。 険しい、あるいは硬すぎるほどの無表情だった。 とっさに身をひるがえした。 考えがあった訳じゃない。反射的に身体が動いたのだ。まだふさ がれていない教会めがけ、一目散で駆ける。 すると男たちも、こちらの逃走を見るや、いっせいに動いた。 ﹁逃げたぞっ﹂ ﹁追え!﹂ ﹁囲むんだ、まわれっ﹂ 口々に怒鳴り、追いかけてくる。 その動きはけっして冗談に見えなかった。 まるではじかれたピストル弾みたいにせまってくる。 1310 ︵なんだ、こいつら!︶ 脳裏に、さまざまな疑問がよぎった。 彼らは何者なのか。いったいどういう理由で、おれを狙うのか。 おれをどうするつもりなのか。つかまえる気か、暴力で屈服させる つもりか。それともまさか、本当にまさかだが、おれを殺すことも、 よう あるいは可能性としてありうるのか⋮⋮? そうした疑問が次々と。 ︵殺す? おれを?︶ 恐怖が心臓を打った。 背すじに不快な、あぶら様の汗が噴き出てきた。 しかし同時に、なんともいえないおかしみも、胸の奥から起こっ てきた。 死。 死。 それがどうしたというのだろう。今さら。もう何もかもどうでも いいと、ついさっき思ったばかりではないか。生に執着する必要が どこにあるのか、意味が? 素直につかまって、やられてしまえば いいではないか︵それが何を意味するかはわからない︶。今のおれ に逃げる意味などありはしない︵生きる意義さえ存在しない︶。 ︵いや︱︱︶ ちがう、と思い直す。 意味ならあるのかもしれない、まだ。 なんとなれば、おれはまだふたりに会っていない。ふたり、姉さ んと伯母さんに。 龍之介はふたりに会えと云った。上杜に行けと。 おれは彼女たちを探す必要がある。だから今は逃げなくてはなら 1311 ない。少なくとも、今は。 そしてこうも思う。おれは混乱している。ほんとうに頭がおかし くなっている。だからこんなにも口が歪むのだ。訳のわからないピ ンチに、笑いがこみ上げてくるのだ。 きちが みょうせんじしょう 見ろ、この姿を。 気狂いの顔を。 これがおれだ。 久遠虎ノ介だ。名詮自性、虎のように吠え狂う。遥か彼方の昔か ら、ずっと遠くの未来まで。 ﹁ウォー!﹂ とって 叫びながら、礼拝堂につっこんだ。 ほこり 傷の目立つ金属の把手は、思ったよりもすんなりと動いてくれた。 どうやら鍵はかかってなかったらしい。聖堂の中は、ひどい埃とか びの匂いで満ちてた。月の光が、くもった天窓を抜け、聖女像を照 らしてる。 おれは入りざま、うしろをふり返って通ったばかりの扉を蹴った。 観音びらきの扉を。 蹴りつけた先には作業着の男がいる。扉はいきおいよく跳ね返っ て、男へぶちあたった。二、三歩、男がよろめく。すかさず、手に 持った毛布を投げつけ、相手の視界を隠すようにおおった。よろめ いた足元に体当たりをくらわせる。男は倒れなかった。四肢を踏ん ばり、耐えようとする。おれは相手のかかとに腕をからませ、強引 に地面へ引き倒した。てこの原理で、足首をねじり曲げる。それで ワークブーツ も男はひるまなかった。強いいきおいで、下から蹴りつけてくる。 さらに足首をねじった。半長靴の先をつかんで、ぐいと。強く! 強く! ﹁ぐう︱︱ッ﹂ 1312 男の口から、にごったうめきがもれた。 唾が、かすれた呼吸音とともに空中に吐き出された。 ぶつっぶつっという奇妙な音が、足首の方から鳴ってくると、そ のうめきは盛大な悲鳴へと変わった。 おれはつかんでいた足をほどいた。そして男の顔面を蹴った。全 力で、サッカーボールを蹴るようにして。素足に、ぐちゃり肉のつ ぶれる感触が走った。 ﹁こいつっ﹂ すぐ前から別の男がせまってくる。 ダークスーツに身を固めた男だ。手には四十センチほどある金属 の棒が光ってる。おそらくは伸縮式の警棒だろう。そいつのうしろ には、また別の男もいる。 倒して抜けるのは無理。 そう判断し、おれはふたたび逃走に転じた。 聖堂内を走る。 男たちはこの中をも追ってきた。長椅子を飛び越え、板張りの床 を踏み鳴らしながら。 祭壇奥のドアから、おれはさらに建物の奥へ入る。 中は光が届かないため真っ暗に近い。 だが、それでも走るのをやめなかった。 しょうろう 目は闇に慣れていたし、聖堂の構造もだいたいは記憶してる。ま っすぐに進んだ。告解室の横を抜け、鐘楼へとつづく階段の脇を、 まっすぐ。 裏口はすぐに見つかった。ドアについた窓から薄明かりが射して いる。抜ければ裏路地だ。後はどうとでもなるだろう。公園までも どって茂みに隠れてもいいし、逆の繁華街に逃げるのもいい。いず れにしろ五分とかからない。 1313 そう考えながら裏口を出た。 ◆ ◆ ◆ 裏手には砂利が敷かれていた。 踏み出した足に、小石が痛みをともなって食いこんできた。 ﹁我慢しろ⋮⋮﹂ 痛みに顔をしかめながら、自分に云い聞かせた。 裸足と砂利のことまでは計算に入っていなかったが仕方ない。こ こで休んでいては追いつかれてしまう。だから今は痛みをこらえて 進む。この妻側から角をすぐ曲がれば、裏通りにつながる金網があ る。そこさえ越えてしまえばもう安全のはずだ。 おれは小走りで進み、そして聖堂から牧師館へとつづく角を曲が った。 ﹁︱︱︱︱﹂ その直後、横から殴りつけるような一撃をもらった。 それはすさまじい頭部への一撃だった。 角を曲がった瞬間、横にきた誰かによって、頭部をしたたかに打 たれたのだ。 思考が飛び、感覚が乱れる。 膝が云うことを聞かなくなり、おれはなすすべなく、その場によ ろめいてくずれた。 視界に幾人かいるのが確認できる。ひとりの出した蹴りが、こっ ちのみぞおちに突き刺さった。 1314 胃液をまきちらし、おれは砂利の敷かれた地面をころげまわった。 ﹁クソ餓鬼ァ、手間かけさせやがって﹂ 蹴った男が、ぺっ、と唾を吐いて云った。 砂利の上を、足音を立てながら近づいてくる。 蹴った相手を眺めた。中年の男。がっしりとした体躯に、色黒で、 短気そうな目をしている。眉毛が薄い上に、目が極端に細く、ほと んど白目に近いような目つきでこちらをにらんでいる。あるいは暴 力を生業とする人間かもしれない。彼の角ばった顔には、そう思わ ていねん せる凄みがあった。他人を傷つけてきた者が持つ特有の匂い︱︱あ る種の自暴自棄と、自己の運命に対する暗い諦念がうかがわれた。 ﹁洒落にならん真似しくさって、殺されたいんか、オオ?﹂ 罵りながら、執拗に踏みつけてくる。 おれは這いつくばったまま笑い、それから口元についた胃液をぬ ぐった。 いかれ ﹁あ、あんたら、ヤクザなんだろ?﹂ ﹁物狂いが、ぶち殺そうか。誰に訊いとるつもりじゃ。他群の人間 かなんか知らんが、おまえなんぞ、ただのゴミやろうが﹂ ﹁そ、そうさ、あんたと同じ。うふ、うふふ⋮⋮﹂ 蹴られながら笑った。 男は逆上したのか、さらに烈しく、蹴りのいきおいを強めてきた。 おれは猫のように背中を丸め、この蹴りを受けつづけた。 脇腹、背、頭、肩、ふともも。男は何度も蹴った。きっと暴力に や 酔っているのだろう。蹴りのひとつが顔に入り、靴の爪先が目に刺 さった。灼けるような痛みとともに、視界の半分が赤黒く染まった。 1315 ﹁がっ、づッ⋮⋮ッッ﹂ うめく。 仰向けになった目に、空があざやかに映った。 空。朱く染まった夜は、銀盆に似た月を浮かべ、こちらを静かに 見つめていた。 ﹁やめろっ、死んじまうぞ。殺すつもりか﹂ 誰か別のやつが云った。 ﹁生かして連れてこいという命令だぞ、広人様からの﹂ ﹁ウチはあんたらの手下じゃねえ!﹂ ﹁無視する気か? それがどういう結果になるかわかってるのか? タダじゃすまない、あんたも、あんたの組も。指つめるだけじゃ すまなくなるぞ﹂ 云いあいののち、蹴っていた男は舌打ちして、ようやくおれから 離れた。 するとまた別の男が、彼らのうしろから進み出てきた。 こいつもまたスーツだった。細身の、インテリゲンチャ風な男で、 手にほそい筒状の何かをにぎっている。そいつはそばにしゃがむと、 動けなくなったおれの首すじへ、その細筒︱︱ペン状の何かをあて た。 かすかな、一点の痛み。 おれは注射されたことを悟った。薬物。何かが首すじから体内へ 注射されたのだ。 気づいた時にはすでに遅かった。 身体がみるみる重くなりはじめた。男たちの声も遠ざかり、やが 1316 て意識も真っ暗な穴へ落ちていった。 1317 無職、久遠虎ノ介の場合 その8 目を覚ますと、また別の場所にいた。 暗い。 とても暗い部屋だ。 まったくといって光がないため、周囲を把握できない。 わかるのは屋内であるということのみ。 暖かい空気と清浄な匂い、そして肌にさわる毛織の感触。おそら くは高級な絨毯のそれが、その事実をしめしている。 ﹁ここは⋮﹂ 身体を起こした途端、目に強い痛みが走った。 さわってみると、片方の目に包帯が巻かれている。さっき蹴られ さっき さえ、判然としていない。 た場所だ。誰かが応急の手当てをしてくれたらしい。 もっとも、その 自分の感覚で云っているだけで、実際の時間にすれば、すでに相 当の時を過ごしてるのかもしれなかった。 ︵場所もわからないな。見当もつかない︶ 手探りで周囲を探りつつ、膝立ちの姿勢になった。 動揺はなかった。 感情なんてとうに麻痺している。さまざまなことが同時に起こり すぎて、もはやいちいち吃驚く気にもなれない。 ︵おれの世界だと云った、あいつは︶ 1318 龍之介を思い浮かべた。 あれが何を意味するのか。 理解はできなかったが、おおよそのニュアンスだけは想像がつく。 要は結果の話だ。 全ての現実・事象は徹頭徹尾、己という存在に帰結する。 そういう因果性、自己責任観をあいつはきっと説きたかったので はないだろうか。 どんな幸福も不幸も、過去のしがらみも。全ては自己の認識の上 に成り立っていると。 あるいはだとするなら。これから起こるであろう出来事もまた、 どんな結果であれ、おれの選択した結果ではないのか。 おれの卑小でクソったれな精神が導いた、当然な︱︱。 とも そんなことを考えていると、突然、部屋に明かりが点された。 いや正確に云えば、その明かりはおれのいるここではなく、もう ひとつ隣の部屋からだった。 隣とこちらとは、透明な︱︱おそらくガラスだろうか︱︱大きな、 天井から床までの一枚板で仕切られ、行き来することができなくな っている。 だがその掃き出し窓のようなガラスからも、向こうのつながった 部屋ははっきりと視認できた。 ならんだキングサイズのベッドに紅い絨毯。 いかにも高級な家具や調度類。 こういった諸々の物が、二十畳ほどの部屋に整然と配置されおか れていた。 そして明るく照らされた向こうとは対蹠的に、こちらはいっこう 暗いままでいる︱︱。 1319 おれはガラスの先を見つめた。 動揺はなかった。 痛みも⋮⋮気にならない。 しばらくして、奥の部屋に誰かが入ってきた。 ﹁まったく、たのしみだよ。ひさしぶりに若い肌︱︱それも田村の 姫を味わえるというのだ﹂ そんな声が聞こえた。 男の声。 おれは顔をあげ、自分のいる場所、その天井を見た。 暗くてよく見えないが、こちら側のどこかにスピーカーがあるの だろう。向こうの音声をひろって流している。それはつまり、目の 前にある窓が、この空間において完全な防音であることをしめして いた。 ﹁この匂い⋮⋮薬をつかっとるのかね﹂ 入ってきたのは見知らぬ男だった。 鼻をひくつかせ、つぶやく。 そうぼう 歳は五十かそこら。でっぷりと肥えた、肥満と呼んで差しつかえ ない身体をしていた。 顔も丸顔で、身体にふさわしいサイズを持ってる。 特筆すべきは目だ。その独特な、横に尖ってせり出した双眸は、 まるで眼光から直接、卑しい性根がにじんでいるかのようで、ひか えめに云っても強烈な印象をおれに持たせた。 服などは何も身に着けておらず、ビア樽じみた腹と、黒いイチモ ツを揺らす姿は、なんともいえずむさくるしい。 デメキン。 1320 脳裡にそんな単語がよぎった。 ﹁たのしんでってくれよ、会長﹂ つづいて入ってきたのは、金髪の若い男だった。 こちらは上半身裸で、腰にバスタオルを巻いている。 ﹁存分にたのしんでくれ。今日はあんたの買った夜だから﹂ かざみや ひろと こいつには見覚えがあった。 風宮、広人。 上杜の山で会った男。 田村の分家すじだというあの男だ。 一度見ただけだが、あのパンクロッカーじみた金髪は今でも記憶 に残っていた。何より姉さんの婚約者だったという事実が、彼をお れにとって忘れがたいものにしていた。 疑問とともに彼らを眺めやる。 どうして風宮広人がここにいるのか。 何故、こんな暗い部屋に、おれは閉じこめられてるのか。 ガラスの向こうでは、広人とデメキンが下卑た笑みを浮かべ会話 している。 ﹁つかってるのかね、薬を?﹂ ﹁つかわないと盛りあがらねえさ﹂ 広人が云った。 ﹁何せ─こいつら︽・・・・︾ときたら尋常じゃない。半端な精神 力じゃねえんだ。ふつうにつっこんだぐらいじゃ、顔色ひとつ変え 1321 ねえ。薬も時間も、通常の倍は必要になるし︱︱まぁ、その分はた と のしめるさ。こいつらには黄金の価値があるからな。とりわけ存分 に蕩かしておいてからのセックスは最高だ。会長も好きだろう? 発情した女ってやつが﹂ ﹁うむ﹂ ﹁おれもさ。殴りながらヤるのもきらいじゃねえが、やっぱり本当 におもしろいのはこっちだよ。すまして装った女のうわべを、一枚 いちまい、快楽で剥ぎとってくんだ。貞淑だった女を淫乱にしつけ る。いちばん股間のたぎるときだよ﹂ 口を大きく歪め、広人はデメキンと笑った。ドアに向かい、手招 きする。 また別の客が、廊下から入ってきた。 おれは息を止め、ガラスの向こうに見入った。 部屋に入ってきたのはふたりだった。 ◆ ◆ ◆ おれは声も出せなかった。 ただ釘づけとなって、よろよろ、その仕切り窓へ向かった。 あとから入ってきたふたり。 そこにいたのは間違いなく、おれの大好きなふたりだった。 はば 田村舞と敦子。心から求めてやまなかった、命より大事な母娘だ った。 おれはふらふらと手をのばす。 その手はだが、硬質のガラスによって阻まれた。 薄暗いこちらと、向こうをへだてた一枚のガラス。 1322 そいつをたたいた。ガラスを。 ひびわれた声でふたりの名を呼んだ。 つくり 窓はびくともしなかった。 ふたりは気づかない。 向こうからは見えない構造なのか。 ゆっくりと部屋に入ってくる。 そのふたりの格好が、余計おれの胸をざわめかせた。 下着姿。 それもきわめて扇情的なものを、ふたりはつけていた。 さくらんぼ 姉さんはレース柄のオープンランジェリーだ。上も下も、それぞ れ肝心な部分が、あいた布の隙間からのぞいてる。上は桜桃のよう な乳頭、下は薄色の花びらだ。 伯母さんにいたっては、ほとんど全裸と変わらなかった。 黒いボディストッキングに、ずっしりと重量感のある双乳、そし て処理された無毛の恥丘が透けて見えている。 ﹁う、うぅ﹂ 手が、ふるえる。 喉が、ひりひりと渇く。 おれは、周囲を見回してみた。 差しこむ光で、さっきよりかいくぶん見えやすくなってる。 壁にそって探していくと、奥にドアのあるのが見えた。ちょっと したソファ、そしてサイドテーブルもあった。 急ぎドアノブをまわす。 ドアはあかなかった。 鍵がかかっているのだ。押せどまわせど、がちゃがちゃと音が鳴 るばかりで、肝心のドアはいっこうにひらかない。 1323 仕方なく蹴った。 一度。 二度。 三度蹴ってもドアは動かなかった。 重く頑丈なそれが、無言で、立ちふさがっていた。 おれはいったん離れ、それからいきおいをつけて、身体ごとドア に突進した。 ぶつかると同時に、にぶい音が肩のつけ根あたりから鳴った。 痛みが脳天まで突き抜ける。無視して、もう一度体当たりした。 ごきん、とふたたび肩が嫌な音を発した。 ドアはあかなかった。 ﹁あけよ、あけ⋮⋮!﹂ 痛みなど気にならなかった。 動揺はない。ないはずだ。 感情なんてとうに麻痺してる。 だから身体が壊れても、心が壊れても、こうして立っていられる のだ。止まったりしない。必要ならどこまでだって動ける。なんだ ってできる。 ぎしぎし。 ぎしぎし。 脳が、胃が、軋んで悲鳴をあげてる。 しかし、そんなことさえ、もうどうでもよかった。 おれはひたすら、突進を繰り返した。 ◆ ◆ ◆ 1324 ﹁また、この部屋なの﹂ 姉さんが云った。 彼女は険しい顔で、広人をにらんでいた。 ﹁きっとまた大勢いるんでしょうね。あのガラスの向こうに。脂ぎ った親父どもが﹂ ﹁いつでも、おまえらは人気商品さ﹂ いろ 淡々と、広人は答えた。悪びれた様子はなかった。 ﹁ふん﹂ ﹁今夜、あっちにいるのは特別な客でね。せいぜい艶っぽいところ を見せてやってくれ﹂ ﹁知ったこっちゃないわね、あんたらの都合なんて﹂ ﹁おいおい、舞。これはれっきとした取引だぜ、おたがいのための。 そうだろ?﹂ ﹁だから、云われなくたって約束は守るわよ。⋮⋮あの子を守るた めだもの﹂ ﹁へっ。たすかってるよ、話が早いからな。これでも感謝してるさ﹂ ﹁よく云う。そんなの、露ほども考えちゃいないくせに﹂ 姉さんの言葉に広人は薄く笑い、そしてベッドに腰かけた。巻い ていたタオルをとる。股間には肉の槍が、雄々しく天をにらんでい た。 ﹁ひとつ忠告してあげるわ、あんたに﹂ ﹁何を?﹂ ﹁これからのことよ﹂ 1325 ﹁これから?﹂ ﹁これからあんたの身に起こること。あんたたち、勝ったと思って るんでしょうけど、それは大間違いよ。このクーデターは失敗する、 必ずね。あんたは殺されるわ。ううん、あんただけじゃない。明彦 も、他の男たちも、このたくらみに加担したやつらは全員、残らず 破滅の道をたどる。女たちの手によって﹂ ﹁ふうん﹂ そいつはたのしみだ、と云って、広人は姉さんから視線を外した。 ベッドに腰かけたまま、横にいた伯母さんの手を引く。 ﹁だがまぁ、今はとりあえず、こっちに専念してもらわないとな﹂ 広人の、座ってひろげた両足の間に、伯母さんがひざまずく。 伯母さんは多少、不本意そうにしながらも、しかしあっさりと広 人の股間へ顔を沈めた。 口をひらき、肉棒をほおばる。 葡萄色の舌がうごめき、幹をぬるぬると濡らした。 ぶるり、顔をしかめ、広人がふるえた。 ﹁何度味わってもたまらねえ、この舌テク﹂ 目をつぶり、天を仰ぐ。 しゃぶる伯母さんの髪をつかみ、広人は腰を動かした。 喉奥を突かれた伯母さんは、くるしげに目を見開き、彼に非難の まなざしを向けた。 ﹁乱暴にしないでちょうだい﹂ ﹁ああ、悪い。つい力んじまった﹂ ﹁おとなしくしてなさい。気持ちよくなりたいんなら﹂ 1326 ﹁ああ、そうだな︱︱たのむよ、敦子さん。︱︱おい舞、何をぼう っとしてんだ。おまえも早くしろ。会長が待ちくたびれてる﹂ 指図する。 姉さんもまた、この指示に従い、もうひとりいる男︱︱デメキン へと向かっていった。 デメキンの手を引き、もうひとつのベッドに座る。 デメキンはそこの真ん中へと座った。 ﹁ではやってもらおうか、舞くん﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁わしは以前から目をつけていたんだよ、キミにな。田村の姫であ るキミをずっと犯したいと思っていた。手に入れたいと思っていた んだ。もちろん、そんな願いは叶うはずもなかったがね。他群はあ らゆる権力に屈しない。わしは我慢していたよ。自分を慰めていた、 こ 他の女でな。だが今夜はちがう。本物の天女だ。まったく吃驚いた おど よ、キミたちが競売にかけられると知ったときには。うれしくて小 躍りしたくらいだ﹂ あぐら こう云ったデメキンの股間は、いまだ力なくすぼんだままだった。 胡坐をかいて、姉さんの手をとる。 姉さんはごまかすようにデメキンから目をそらした。 ﹁さ、まずは口でしたまえ。ふくんで、やさしくするんだ。何せ歳 が歳だからな、若い頃のようにはいかん。何、心配にはおよばんぞ。 ピル 薬は飲んでいるからな。すぐ熱してくる。そうしたら存分に可愛が ってやろう。キミは避妊薬を飲んどらんのだろう? 聞いとるよ、 広人くんから。それがここの売りだ。オークションじゃそういうふ れこみで客をあつめていた。あの他群の女王と姫を好きにできると な。わしはキミを他人にゆずる気はない。だから今回はなんとして 1327 も買いたかったのだ。キミの危険日を︱︱。他の男に孕まされてた まるものか。田村舞はわしのものだ。わしが舞を孕ませる。前二回 は残念なことに競り負けたが、しかし、それさえも今夜に比べれば、 さほどの重大事じゃない﹂ デメキンは粘々とした口調で云った。 姉さんはだまっていた。 ﹁まったくラッキーだよ、わしは! とてつもないラッキーガイだ。 こうなった今でも信じられんくらいだ﹂ 意気揚々とつづける。その股間へ姉さんは顔を伏せた。﹁うほっ﹂ びくんと、デメキンがあごをあげた。 ﹁た、たまらん﹂ イチモツを頬ばると、姉さんはそのまま、上下に、口と舌で愛撫 をしていった。 やさしく、愛情のこもった口淫。丹念にしゃぶる。 デメキンはしゃべるのをやめた。 それきり、誰もしゃべらなくなった。 沈黙が部屋に満ちる。 ふたりの女の、男根をなめる音だけがしめやかに響いた。 ずう、ずちゅり、ずず。 しばらく、にごった水音がつづいた。 やがてデメキンが思い出したように云った。﹁そういえば︱︱﹂ ﹁明彦くんはどうしてるんだね? 彼は。今日、彼はこないのか?﹂ 広人が首をふった。﹁あいつはこねえ﹂ 1328 デメキンが不思議そうに見た。 ﹁こない? 何故だ﹂ ﹁ガキどもの方がいいのさ﹂ ﹁ガキども?﹂ ﹁分家の次期当主たちだ。特にやつは、自分の妹がお気に入りらし い。薬づけまでしてモノにした。おかげで今や桜子は完璧にイカれ ちまってる。それを由良が横からかばって、今じゃふたりともやつ の専用だ﹂ ﹁ふうむ、彼は少女が好みか﹂ ﹁変態だ、あいつも﹂ げんなりしたように広人は肩をすくめた。﹁趣味はひとそれぞれ、 だけどな﹂ デメキンはうなずき云った。 ﹁魔羅の調子がだいぶあがってきた、そろそろ本番に入らせてもら おう﹂ 姿勢を変える。 のばした手を姉さんの尻へ。 逃げようとする尻をつかまえ、デメキンは指をショーツの隙間へ と差しこんだ。 ﹁逃げるな。もっと尻を持ちあげるんだ。そうだ、よし。︱︱いい ぞ、濡れてきとるな。愛液がふとももまでつたわっとるじゃないか。 カウパー飲んで発情したか。はは、照れんでもよろしい。薬をつか っとるんだ、こうならなきゃあ嘘というものだ﹂ くちゅくちゅ、デメキンは二本の指で器用に、姉さんの蜜肉をい 1329 じりまわしていった。 四つん這いになっていた姉さんは、頬を紅め、口をくやしそうに ぬぐった。 ﹁さ、行くぞ。舞、わしの可愛い女よ。たんと可愛がってやるから な﹂ デメキンは姉さんのうしろにまわりこむと、彼女の尻からショー ツを剥ぎとった。いきりたったイチモツを花びらにあてる。﹁まっ ︱︱﹂姉さんが何かを云いかけた。が、かまわずデメキンはペニス を押しこんでいった。 ずぶり、血管の浮いた怒張が、濡れそぼった花芯へ沈んだ。 ﹁っい︱︱﹂ 姉さんが背をそらせる。 肉感あるくびれ。スズメバチの胴にも似たそれが動く。 デメキンは、うれしげに、ひたいから汗を流した。﹁こ、こたえ られん味だわい﹂云いつつ、うしろから烈しく腰を突きこんでいく。 出っ張った腹が、尻にあたって音を立てた。 快感に耐えているのか、姉さんは必死な様子で、声を噛み殺して いた。 ﹁盛りあがってきたな﹂ 広人が横を見ながら云った。﹁そろそろハメるか、こっちも﹂そ ひょっとこ う伯母さんの髪をなでる。 伯母さんは、まるで火男のように顔を歪め、広人のモノを喉深く まですすりあげている。 1330 ﹁ふひにはひゃはいの?﹂ ﹁はは、何云ってるかわかんねえ﹂ ﹁⋮⋮口に出すんじゃないの?﹂ しゃぶるのをやめ、伯母さんは云いなおした。冷たいまなざしで 広人を見やる。 なか 広人は、そうした伯母さんの口元を手でぬぐってやってから、 なか なか ﹁気が変わった。まず膣内に出す﹂ ﹁膣内? わたしの膣内へ出すと云うの? 生で?﹂ ﹁ああ﹂ ﹁わたしもあぶないのよ、今﹂ ﹁それが?﹂ ﹁妊娠させるつもり?﹂ ﹁問題でもあるのか?﹂ 冗談がましく尋ねる。 伯母さんはふっと小首をかしげたあと、冷たい微笑をにじませ、 立ちあがった。 ﹁そうねぇ︱︱大アリだけれど﹂ ﹁拒むか﹂ ﹁いいわ、別に﹂ ﹁いいのか? 孕むかもしれないんだぜ﹂ ﹁どうせ抵抗したって無駄でしょう。︱︱妊娠したら堕ろすわ。そ のくらいはゆるしてくれるんでしょう?﹂ ﹁あっさりしてるな。自分のことなのに﹂ ﹁わたしはね、広人クン。あなたに興味なんてないの。あなたの子 も。たとえ自分との間にできた子でもね。好きでもない人間の生き 死になんて、わたしにはどうでもいいことよ﹂ 1331 きっぱり、斬って棄てる。 広人はまぶしそうな目で、そうした伯母さんの顔を見つめた。 ﹁生め、と云ったら?﹂ ガキ ﹁そのときは仕方ないわね。云うとおりにするわ﹂ ﹁田村を継ぐ者が必要だ、おれとあんたの子供ならふさわしいから な﹂ ﹁好きになさい﹂ ﹁もし仮に、相手が虎ノ介だったらどうする﹂ ﹁聞くまでもないことでしょう、そんなのは。生むわよ。あの子が 嫌がったって﹂ くはっ、と広人は声を出して笑った。 ﹁業の深い女だな、あんたも﹂ ﹁ええ、おかげさまでね﹂ ﹁ふ⋮⋮ちょっと妬ける﹂ 云いながら、広人はうしろ手に身体を支えるようにし、ベッドの 深い位置へ腰をずらした。﹁乗れよ、敦子。孕ませてやる﹂ 伯母さんは無言のまま、自らストッキングの股間部分を破いた。 びりびり、黒地に肌色が大きくなる。 伯母さんの股間は、姉さん同様、ぐっしょりと濡れそぼっていた。 ﹁身体の方はすっかりできあがってるじゃないか﹂ ﹁薬のせいよ﹂ そんきょ 云いつつ、伯母さんはハイヒールのまま、ベッドへあがった。 蹲踞のような、あるいはスクワット運動にも似た姿勢で、広人の 1332 上へまたがっていく。そそり立つ男根へ、腰をゆっくりと落とす。 ぬちゅり、水音を鳴らして、亀頭がひだに沈んだ。 ﹁これだけ甥っ子が好きなあんたでも、まだ生でしたことはないん だろ? あいつとは﹂ ﹁ええ⋮⋮﹂ 唇をふるわせ、熱っぽい吐息をもらしながら、伯母さんはうなず いた。 ﹁後悔してるわ。無理にでも、しておけばよかったと思ってる﹂ ﹁存分に愛してやるよ、おれが。今夜は、おれをあいつだと思って、 たのしんでくれ﹂ ﹁そう︱︱いいわ、仕方ないから孕んであげる。感謝なさいな? あんたみたいな馬鹿の、できの悪い子供を生んであげるんだから。 覚悟しなさい。覚悟して、わたしの優秀な卵子、あなたのクズ遺伝 子で受精させなさい︱︱﹂ ◆ ◆ ◆ おれは床にころがっていた。 何もできぬまま、ガラス越しの光景を眺めていた。 繰り返した突進のせいで、身体はもう満足に動かない。 右腕は脱臼でもしたのか、肘から先がおかしな方を向いてる。 ⋮⋮ガラスの向こうでは、女がふたり、懸命に腰をふりたててる。 どうしてこうなった? 己に自問する。 1333 わからなかった。わかるわけもなかった。 突如、訪れたしあわせの終わりだ。 悪夢めいた、絶望の深淵だ。 想像できたわけがない。 回避できたとも思わない。 だからこんなのは理不尽な定めだ。 神がつくった、一方的な落とし穴だ。 だがその落とし穴にだって、こうして落ちてみれば、不思議と納 得するところもある。 それはお似合いの結末。 ・ ・ ・ ・ ・ どこかで思っていた。今までがうまく行きすぎていた、という気 持ちだ。 あんなしあわせ、長くつづくわけがない。このおれに。 卑下するわけじゃないが、少なくとも、おれはそのことを知って る。 何故なら親父の息子だからだ。あの狂った親父の。 久遠の家の人間、誰も彼をよく云う者はなかった。みな彼のこと をひどく馬鹿にしていた。おれにやさしかった祖父母ですら、彼に 関しては死ぬまでゆるしてなかった。 してみると、おれはやはり彼と似ているのかもしれない。ひとか ら見たとき。 ああ、そうかと思う。 ああ、そうだと思う。 そうだ。おれはこんなものだ。 こんな結末こそが似合いなのだ。 狂気と絶望。 正しく。正しく。親父の息子として。 この世に役立たずだったおれは、善の循環となれなかったおれに は。 1334 さけび せめてたすけたかった誰かの分まで。罰を。 ﹁ざけんな︱︱﹂ 声が出た。 勝手に。腹底から。 湧いてきた怒りが、おれの意思と関係なく咆哮をあげた。 ﹁何が業だ。何が宿命だ﹂ 嫌だ。そんなのは、嫌だ。 だって誰かがくるしむ場面など、見たくない。 おれは、おれなんかのことで、ひとが傷つくのは。絶対、我慢な らないのだ。 ﹁こんなさ、いちいち、関係ないやつ巻きこんでんじゃないよ⋮⋮ !﹂ 力を入れる、四肢に。 身体はまだ、ゆっくりとだが確実に動いてくれた。そのことに感 謝する。いつもおれをたすけてくれる。いつでも命を生かしてくれ る。肉体という相棒はやはり最高に頼りになった。心臓も、心も、 おれは動かす方法さえ知らないのに。 ﹁龍之介︱︱﹂ ふるえる手でサイドテーブルをつかむ。 そいつを床で引きずり、ガラスに向かう。 ドアはあかなかった。 あれを破る手立てはきっとないだろう。ここから出るのはかなわ 1335 ないのだ。向こうの乱痴気さわぎが終わるまで。だが、それでもや らなきゃいけない。あがかなきゃならない、最後まで。おれにはそ うする義務があった。おれの生を証明する必要があった、彼に。 ﹁おれだって好きな女くらい、いるんだぜ﹂ テーブルを肩にかつぐ。 目の前には硬質のガラス壁がある。 おれはそれを見た。 ガラスの先では、男女が声をあげからみあってる。 ﹁罰なら引き受けるさ、神様。だからたのむよ︱︱﹂ 狙いはちゃんと、こっちに向けてろ。 云い棄て。おれはテーブルをふりおろした。 1336 無職、久遠虎ノ介の場合 その9 音が鳴った。 強烈な衝撃が、手をしびれさせた。 くう テーブルがくだける。 木片が空にはじけ飛ぶ。 ・ ・ ・ ・ ・ おれは身体ごと前につっこんだ。投げ出すように、首と顔を前へ と。 ガラスは破れなかった。 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ただ強く振動しただけだ。 予想どおりに。 そして。 ・ ・ ・ ・ ・ くだけ跳ねた木片は、これもおれの考えたとおりに、おれの首と 顔を打った。 ﹁がっ﹂ 視界がふさがった。 無事だった方の目が、烈しい痛みと熱を帯びた。おそらく木片が 刺さったのだろう。失明したかもしれない。おれはテーブルごとガ ラスにぶちあたって、それから倒れた。バラバラになった木片の上 へ、うつぶせに。這いつくばって喉を押さえると、口から、大量の 血があふれた。 何か壊れたのがわかった。 どこかにあった見えない壁だ。自分の中にあったそれが今、確実 に壊れた。 そこから冷気が差しこんでくる。白い部屋の、冷たい冬の空気が。 1337 おれは血のかたまりを吐き出し、それから深呼吸した。 ﹁︱︱︱︱﹂ ・ ・ 傷ついた喉は、﹁ひゅう⋮﹂とまるで下手くそな笛みたいに鳴っ た。 絨毯にひろがった血が、床にしみをつくっていく。 おれは目をつぶった。 やがて呼吸は、どんどんと音を下げていった。 うまくいった。そう思った。 ・ ・ 自殺は、たしかにうまくいった。 ﹁な、何、今の︱︱!?﹂ 予想外の声が聞こえた。 姉さんの声だった。向こうにも異変がつたわったらしい。セック スをやめる気配がした。﹁⋮⋮隣から聞こえたわね﹂伯母さんも云 った。 ﹁野郎︱︱﹂広人がどこかに連絡をとった。﹁どうなってる?﹂ 苛立ちのまじった声。ふたこと三言、電話先とやりとりしたあと、 広人は強い口調で叱った。 ﹁バカ野郎、さっさと手当てしろ! 医者だ。そいつに死なれちゃ 困るんだよっ﹂ 受話器をたたきつける。 このやりとりが、おれにひとつの確信をさせた。つまり自分の考 1338 えが正しいことを。 やはりこちらの部屋は監視されていた。 どこかにカメラがあったのだ。 行動はモニターされてた。 ドアへの体当たりも。 ふるえながら、ころがってたのも。 ・ ・ ・ ・ ・ そして今、喉に木片を刺して死にかけてるのも、全て。 ﹁自殺だと? クソっ! 親子そろって面倒くせえ﹂ ﹁広人? 自殺ってなんの話﹂ ﹁うるせぇ、舞、だまってろ﹂ ・ ・ ・ ﹁教えなさいよ、広人。聞きたいのよ。隣で、いったい何が起きて いるの?﹂ ﹁うるせえったら!﹂ 広人が怒鳴る。 同時に部屋の外がさわがしくなった。廊下から足音が聞こえてく る。ドアの鍵を外す音、それからつづいてドアのあく音がした。複 数人がこっちへ、どかどかと入ってきた。 ﹁おい、だいじょうぶか! おい!﹂ ﹁まずいぞ、意識がない、気道確保!﹂ ﹁担架持て、持て!﹂ ざわめきと怒号。その中で、誰かがおれを抱き、仰向けにした。 おれは抱かれながら、気づかれないよう、そっと目の包帯を外した。 朱い視界。周りは全員、男だった。医者と看護師、そしてダークス ーツの男がひとりいる。廊下の方にもひとり、誰かいるらしかった。 喉にあてた木片を棄てる。おれは静かに、沈着きはらった態度で 身体を起こした。 1339 ﹁な⋮⋮!?﹂ ぽかんと。間抜けた顔で、こちらを見てくる。 それはそうだろう。血まみれで重症と思われた男が突然起きあが ったのだ。 さぞかし混乱しているにちがいない。 おれは手に隠し持ってた金属のプレート︵テーブルの台座だ︶で、 すぐそばにいた男を殴った。 相手はもんどりうって倒れる。やはり隙だらけだった。立ちあが り、さらにつづけて殴る。あごを。 直後。うしろから誰かがふっとんできた。廊下にいた、もうひと りの男だった。 おれたちは殴りあい、押さえつけあいながら、絨毯の上をころが った。男の緊張した背中がふるえた、肩が。おれは必死で、逃げよ うと腕に力をこめた。だが力は相手が強かった。馬乗りになろうと 圧してくる。おれは腹に力を入れ、狙いを定めると、口中に溜めた 血を相手の顔面へ噴いた。大量の血。血の霧が男の視力を奪った。 血に濡れた、紅い肉片が、床にぼとり落ちた。 ﹁ぐおっ﹂ うめき、男はおれを見失った。 そこをすかさず、プレートで殴りつける。倒れたところを、つづ けて蹴り飛ばした。さらに蹴る。蹴る。やがて、男は気絶して動か なくなった。 オートマティック 男の腰を探る。目的の物はわりとすぐ見つかった。 コンシールドキャリー。自動拳銃。 教会で襲われたとき、相手の服のふくらみにはすでに気づいてい 1340 た。 スライド おれはその拳銃をとり、歯で遊底を噛んだ。 最初に殴った男が、起きあがってくる。 そいつに銃を向けた。 そいつはこっちの銃を見るや、ぎょっとして動きを止めたが、ま たすぐ強気な表情となって云った。 ﹁沈着け。怪我するぞ、素人がそんなもんふりまわしたら︱︱﹂ 引き金をしぼる。 銃口がぶれ、銃は乾いた音を鳴らした。 炸裂音が空気を切り裂き、男のふとももから血しぶきがあがった。 絨毯の上をころげまわる。男の悲鳴があがった。 ﹁ごめん﹂おれは深く、咳きこみつつ云った。 夏目陽太郎のおかげだ。そう思った。 ブラッドシール 本の知識というのも時々は役に立つ。銃の扱いについては、彼女 さ の二作目﹃血の封印﹄が詳しかった。二ぺージ丸々、銃器の解説に 割いた彼女の偏執が、今はただありがたい。 うしろを見やる。また咳が出た。血があふれるせいで、まともに しゃべることもできない。喉に血が入ってくる。 うしろでは医者と看護師が、呆然とした表情で、床の肉片を見つ めていた。 ﹁し、舌を噛み切ったのか、自分で﹂ 答えようとして、しかし、それも億劫になってやめた。 彼の云うとおりだった。 舌を噛み切り、その出血を首の怪我に見せかけたのだ。おれはう なずき、口をぬぐってから、倒れた相手のポケットを探った。 1341 ﹁な、何をするつもりだ﹂ ライターをとると、医者があわてたように云った。 おれは折れた右腕にパジャマの上着を巻きつけ、その上でライタ ーをにぎった。ライターをこする。たちまち服が燃えはじめた。 ﹁な、何を﹂ 悲鳴に近い声をあげ、医者はおれを止めようとした。 おれはかまわず、その燃えた腕を頭の上にかかげた。 黒煙があがる。肌が焼ける。火舌が天井近くを舐めた。熱を感知 したらしい。火災報知のベルがけたたましく鳴り出した。スプリン クラーが作動する。水が頭上で降りまかれはじめた。 ⋮⋮火のついた上着を棄てる。 監禁部屋を出ると、そこは高級なホテルのように見えた。長い通 路に、いくつもドアがならんでいる。 おれは廊下を道なりに進み、それから最初の角を曲がった。 部屋の構造から、隣室の場所は目星がついていた。 ベルは、まだうるさく響いてる。当分、鳴りやみそうにもなかっ た。 ﹁伯母さん、姉さん︱︱﹂ 目的の部屋を見つける。 そのドアをたたいた。﹁火事です、逃げてください。聞こえます か?﹂たたきつつ繰り返した。 ややあってドアがあいた。 あけたのはガウン姿の広人だった。すかさず中へ踏みこんだ。ま 1342 さか、おれがくるとは思わなかったらしい。広人は呆然とした様子 だった。﹁さがれ﹂おれはそうした彼に銃を突きつけ、部屋の奥ま でもどらせた。 奥には三人。 姉さんと伯母さんと、そして中年の男がひとりいた。 三人とも裸で、そして吃驚いた様子で、おれを見つめていた。 ﹁おまえ、なんで︱︱﹂ ﹁だまれ﹂ 云いかけた広人を制し、銃を向ける。出血のせいか、視界がチカ めまい チカとぼやけた。すぐにもこいつらを殺してやりたい。そうした強 い感情が眩暈とともに襲ってきた。 中年の男︱︱デメキンが、腰をあわてたように浮かせた。 ﹁そっちのあんた。動くんじゃあない、怪我したくないだろ﹂ ﹁ち、ちがうんだ、わしは。ちがうんだよ﹂ ﹁うるさい、だまれ﹂ ﹁ちがうんだよ、わしは﹂ オウムのように繰り返す。 おれはぺっ、と血の唾を吐いて云った。 ﹁さえずるな。アソコふっとばされたくなきゃ﹂ ﹁う、うぅ﹂ デメキンは青い顔をして、ベッドにもどった。 その横から姉さんが飛びついてきた。﹁トラ!﹂彼女が云った。 1343 ﹁トラ、ほんとうにあなたなの? ほんとうにほんとう? ああ神 様、なんてこと。目が覚めたのねっ﹂ ﹁迎えにきたよ、姉さん﹂ こう云った直後だった。いきなり別の女性に背後を抱きしめられ た。やわらかな胸の、背に押しつけられるのがわかった。 ﹁伯母さん⋮⋮﹂ ﹁虎ノ介︱︱虎ちゃん﹂ 聞いた声はふるえていた。 それははじめて聞く、伯母さんのひどい声だった。彼女は、今に も泣き出しそうだった。 ﹁虎ちゃん、あなた、ほんとうに、よく無事で﹂ ﹁うん、ごめんね、伯母さん﹂ ﹁⋮⋮ううん。そう、ちがうのね。無事なんかじゃない、ひどい怪 我。きっと無茶をしたのね﹂ ﹁平気ですよ、おれは。それより伯母さんたちはだいじょうぶです か? 怪我ない?﹂ 尋ね、おれはふたりを観察した。 ふたりに目立った外傷はなかった。 ただ身体が濡れていた。汗で全身が濡れ、そしてそれに加え、股 間が白いものでねばついていた。 ふたりは困った様子で、おれの視線から逃げるように、自分たち の姿と交互にくらべた。 ﹁あのね。虎ちゃん、その、これはね︱︱﹂ 1344 何かを云いかける。 おれはかぶりをふって、伯母さんの目を見た。折れた腕で抱きよ せ、唇を奪う。伯母さんは吃驚いたように目を見開いた。舌をから ませてやると、彼女ははじらうように頬を紅くした。 ﹁関係ない。あんたは、おれの女だ﹂ ﹁は、はい﹂ まじまじとこちらを見つめる。 怪我した口でキスしたせいで、伯母さんの口元も真っ赤になって いた。 痛みに顔をしかめていると、広人がぽつりと云った。 ﹁芝居を打ったか﹂ おれは広人を見た。声に力をこめ、はっきりと告げた。 ﹁ふたりは返してもらう。聞きたいことはあるが、それは全部終わ ってからだ。そのうちにな。⋮⋮まあ、それはおれの仕事じゃない かもしれない。ともかく今は帰る。おまえらは、そのままじっとし てろ。追ってくるなよ﹂ ﹁どうする気だ﹂ 広人はひたいに汗の粒を浮かべていた。くやしそうにこちらをに らんでいる。 ﹁さあね﹂おれは口を歪めた。痛みのせいか、顔がうまく動かない。 笑いには見えないかもしれなかった。 ﹁おれは田村のことはよく知らない。家のこともな。だからまかせ るさ、彼女たちに。あんたのこともね。あんた、えらいんだろ? 1345 だいたい予想はできるんじゃないか﹂ ﹁今さら、そいつらに何ができるってんだ﹂ ﹁わからないよ、それも。彼女たちの力は、あんたの方が詳しいは ずだ。おれはふたりを守るだけだ﹂ 母娘の、おれを抱く力が強くなった。 デメキンが悲鳴じみた声でうめいた。 ﹁行こう。ふたりとも、ガウンを着て。姉さん、案内をたのめる?﹂ ﹁わかったわ、まかせて﹂ ﹁たのむよ、ここを出よう﹂ 背を向け、部屋を出る。 おれはゆっくり、広人の動きに注意して廊下へ出た。 廊下では、火災報知機がいまだけたたましく鳴りつづいていた。 何名か、ホテルの従業員らしい人間が、部屋のいくつかをまわって いた。 ﹁これもトラが?﹂ ﹁うん﹂ ﹁火をつけたの?﹂ ﹁もう消えたよ﹂ ﹁その火傷は?﹂ ﹁そのときに、ちょっとね﹂ ﹁目は? そっちの目、ちゃんと見えてるの?﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁口、血が出てるわ﹂ 姉さんの表情が険しくなる。彼女は少し怒ったように云った。 1346 ﹁帰ったらわたしにもしてもらうからね﹂ ﹁何を?﹂ ﹁キスよ。母さんばっかり、ずるいわ﹂ ふたりをうながし、先を歩かせた。追っ手のくる気配はなかった。 少し行くとエレベータのならんだ、ひろいホールに出た。 ﹁このフロアは貸切になってる。エントランスまで行けばもう安全 よ﹂ ﹁エレベータ使えるかな﹂ ﹁無理ね。たぶん停まってる。階段を行きましょう﹂ ﹁うん﹂ うなずき、おれは云った。 ﹁終わりが近いな、そろそろ﹂ ﹁終わり?﹂ ﹁予感がするんだ﹂ 云いつつ階段に向かう。不思議そうに、姉さんがこっちを見た。 ﹁どういう意味?﹂ おれはなんと答えてよいかわからず、彼女を見つめた。﹁夢が︱ ︱﹂ 夢が終わる。ここまで長かった夢が。あの白い部屋が見えたとき から予感はあった。龍之介の云った世界の終わり。イオねぇが告げ たおれの死だ。その正体がなんとなく見えた気がしていた。﹁姉さ ん﹂おれは彼女の頬をなでた。 1347 ﹁何よ、どうしてそんな目をするのよ﹂ 姉さんが云った。不安そうに。伯母さんもこっちを見た。 ﹁今までありがとう、ふたりとも。勝手な物語につきあわせて。愛 してくれてうれしかった﹂ ふたり 母娘へ感謝を告げた。階段へのドアをあける。 ふたりは困惑した表情で何か云おうとした。エレベータが音で到 着を報せた。 ﹁エレベーター、動き出したみたいだ。行ってください、ふたりと も﹂ ﹁行けって? トラもくるんでしょ﹂ ﹁ああ、おれも行く︱︱﹂ 答えたそのときだった。 おやこ ふいに廊下の角から男がひとり出てきた。血まみれの足を引きず りながら走っている。手には拳銃があった。おれは反射的に母娘を 抱きよせ、横に押した。やかましいベルの音にまぎれて、パンと乾 いた破裂音がした。 ﹁かっ︱︱﹂ 逃げる余裕はなかった。 強い衝撃を感じ、おれは押されるように倒れた。うしろには非常 階段がある。そのまま、背中から落ちていった。身体が段差にぶつ かる。音が鳴る。痛みは感じなかった。ただ首だけが異様に熱く感 じた。一秒か二秒か。ずいぶんと長い時間のあと、おれの身体はこ ろがるのをやめた。 1348 おやこ ⋮⋮悲鳴が、あがった。 母娘の声だった。すさまじい形相で階段をおりてくる。踊り場ま でくると、ふたりは懸命におれをかかえ起こそうとした。ふたりと も、うまく言葉が出ないらしい。意味のとれない、短い発声を繰り 返していた。 おれは、ふたりを沈着かせようと思った。 何か、冗談を云おうか。そんなことを考える。だがうまい冗談は 出てこなかった。我ながら出来の悪い頭だと、あきれたい気分にな った。苦笑するべく、顔の表情をつくろうと試みたが、これもうま くいかなかった。 喉がやけに熱い。さわってみると、首から胸にかけ、べったりと 紅く濡れていた。 ﹁トラ﹂ 姉さんの目がうるむ。 伯母さんはふるえていた。浅い呼吸を繰り返しながら、何かにす がるように、誰かに救いを求めるように、視線を周囲に彷徨わせて る。 おれはむせるように笑った。母娘に怪我はない。それがうれしか った。腕に抱かれたまま、ふたりへ手をのばす。頬をなでると、真 っ赤な血が、ふたりの頬を濡らした。 ﹁ガウン、血、が﹂ ごめんよ、と謝る。 姉さんは首を横にふった。 1349 ﹁嫌よ、嫌︱︱し、死なないで﹂ 涙が、頬をつたう。その彼女の顔は、常の涼やかなるものでなか った。今にも絶望に押し潰されそうな、ひとりの少女の気色だった。 とても姉さんらしくない。余裕のない表情。過去一度だけ、この表 情を見たことがあった。幼い頃、あの椿の一面に咲く山で、姉さん と別れるとき。 少し申しわけない気がした。 だがこれ以上、おれにできることもないだろうと思った。身体は ふたり ずんずんと冷たく、重くなっていく。さすがにこれはたすからない とわかる。自分の感覚ではなく、母娘の態度がそうおれに教える。 とうとう終わりのときがきたのだ。この世界で。おれはふたりと生 きられなくなった。 ﹁だ、だいじょうぶよ、虎ちゃん。すぐに医者がくるから。気をし っかり持つのよ﹂ 伯母さんが云った。真っ青な顔で、おれの傷を押さえる。 いいです、もう︱︱。おれはそう唇を動かした。 ﹁何云ってるの! あきらめちゃだめ、こんな怪我たいしたことな いわ。意識を︱︱﹂ 言葉の後半は聞きとれなかった。 ただ彼女が怒っていることだけはわかった。きびしい目つきで、 眉根をよせている。 はじめて見る怒りの表情はやはりうつくしかった。やはり伯母さ んは綺麗だった。どこまでも。 だが次第に視界も暗くなっていく。 伯母さんの顔も見えなくなる。 1350 それと入れ替わりに、冷たい風がどこからか吹いてきた。冬の冷 気が。びうびう、びうびう。 おれは目を閉じた。 やがて痛みも消え、そして、何も感じなくなった。 誰か、叫んだような気がした︱︱。 1351 無職、久遠虎ノ介の場合 その10 誰か、叫んだような気がした。 どんどん、どんどん。 何かたたく音が聞こえる。 目をあけ、周囲を確認した。 ⋮⋮そこは見慣れた部屋だった。 ひどく殺風景な部屋。 狭い、ふた部屋の安アパートだ。 おれはその六畳の一室で、座って壁によりかかっていた。 どうやら眠ってしまってたらしい。そう思った。おかしな格好で 寝ていたせいか、首と肩の辺りが、妙に痛い。 ﹁頭痛もだ﹂ 部屋に火の気はなかった。 冷たい氷点下の空気が、部屋中を満たしていた。 窓は雪におおわれ、サッシの内側は硬く凍りついている。台所で は、蛇口の先もシンクに落ちた水も、水分という水分が透明に固ま っている。 どん、と音が鳴った。 おれはびっくりし、戸口の方を見た。 あがりがまちの向こう、建てつけの悪い戸を、誰かがたたいてい た。 1352 ﹁久遠さん、いないのかい﹂ しきりにドアをたたく。 声には聞き覚えがあった。 身体にかけてた毛布を払い、ドアへと向かった。 ◆ ◆ ◆ ﹁たまってる家賃だけどね。先月と先々月分﹂ こちらを見るなり云った、初老の男性の言葉には、急所へ打ちこ む針の鋭さがあった。 ﹁すいません﹂ おれはまず頭をさげ、それから卑屈な上目遣いで、顔を紅くしな がらその初老の大家を見た。 ﹁母親があんなことになって、あんたも色々大変だろうとは思うけ れど⋮⋮﹂ 大家はねばねばと云った。あがりがまちに腰をおろす。 おれはその場で膝をさげ、正座した。 ﹁こっちにも都合というものがあるからね。これ以上、面倒見れな いんだよ﹂ ﹁すみません、バイト代が明後日に入りますから、そのときにまと 1353 めて﹂ ﹁ほんとうかい? まあ、こっちは払ってもらいさえすれば、それ でいいんだがね﹂ 云いながら、彼はポケットから煙草を引き出して銜えた。 がたがた、玄関の戸が風で鳴った。 ﹁あんたも、いつまでもつまんない仕事なんかしてないで、ちゃん と働いたらどうだい。じゃないと、亡くなったあんたのお母さんだ って心配で沈着かないだろう﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁世間じゃ仕事がないなんて云うけど、わたしはそうは思わんよ。 そんなのは選り好みしてるだけさ。わたしなんて若いときは、日が とし な一日中、汗水たらして歩きまわったもんだよ﹂ ﹁はい﹂ かね ﹁あんたもねぇ⋮。もう働ける年齢だろうに。それをこうして、う すらみっともないことさ。金銭のことで、他人に迷惑をかけるなん てね。︱︱あんた、大学はいったの?﹂ ﹁いえ⋮⋮﹂ ﹁ふぅん⋮⋮。高卒?﹂ ﹁中退です﹂ こめかみを押さえ、おれは云った。 頭痛が、ひどくなりはじめていた。 ﹁まともに勉強もしとらんの﹂ 大家はあきれた風に云った。 おれはだまっていた。 大家は再度﹁家賃さえ払ってもらえるなら、いいがね﹂と繰り返 1354 し、それから口元の煙草を揺らした。 ﹁通夜でも香典を受けとらんかったし、どうも、おかしなところが あるな、あんたは﹂ ﹁⋮⋮すいません﹂ ﹁顔色が悪いんじゃあないか?﹂ ﹁え?﹂ ﹁顔色だ。ひどい顔しとるぞ﹂ 頭痛のせいだ、そう思った。 かぶりを振る。はやく帰ってくれ、心の中で叫んだ。 数分後、大家は帰っていった。最後に家賃の支払いを念押しして。 おれは立ちあがり、奥の部屋にいった。 位牌と骨壷の置いてあるテーブル、その横の棚へ手をのばす。薬 の袋はすぐに見つかった。おれは袋からカプセルと錠剤を引き出し、 それらをいくつかまとめて、喉へ放りこんだ。毛布をひろいあげ、 頭からかぶる。寝ころがると、畳の冷たい感触が頬にふれた。薬も 少なくなっている。また病院にいかないといけない。ぼんやり考え、 目をつぶった。 ⋮⋮ぴりりと、テーブルの携帯電話が鳴った。 ◆ ◆ ◆ たくさんのひと。 薬の匂い。 あわただしく働く看護婦。 1355 毅然とした様子で、廊下を歩いていく医者。 待合ロビーから見る大学病院は、相変わらずのせわしさがあった。 おれはといえば、そうした風景を眺めながら、やはりいつもと変 わらず。 ふだんどおり受付をすませ、二階の精神科の前へといき、そして いつもの長椅子の、いつもの場所へと陣どった。 壁に後頭部をあて、周囲を観察する。 耳にどこからか、患者か看護婦かの、浮かれた声が入ってきた。 ﹁何、何? じゃあキミってぇ、今、島津先生とつきあってるの?﹂ ﹁へぇ∼∼、あの鉄人、島津先生と﹂ ﹁家は資産家で、おまけに国立大の院生で? いやあん、エリート じゃん田村くん。島津先生うらやましいな∼﹂ ﹁島津先生自体、けっこうオカネモチだって話だしねぇ。しかも美 人だし、天は不公平だわ。二物も三物もあたえちゃうんだもん。そ の上、こんなイケメンの恋人まで。きー、くやしい﹂ 看護婦が噂話をしている。 なんとなしに、そちらへ目をやってみると、五メートルほど離れ た場所にいた男性と、一瞬だけ目があった。ハンサムで明るそうな、 爽やかな風貌の青年だった。看護婦たちに囲まれ談笑している。彼 は、おれを一二秒見ると、すぐ興味をなくした風に、看護婦との会 話にもどっていった。 少し、うらやましい気がした。 ああいう嫌味のないハンサムが、きっと世間ではもてるのだろう。 ⋮⋮おれとはちがう。 ﹁久遠さん。久遠虎ノ介さん﹂ 1356 名が呼ばれた。 振り返ると、看護師がおれを呼んでいた。﹁中にどうぞ﹂そう云 う。 うながされるまま、診察室へ進んだ。 部屋の中央に、三十半ばの若い医者が見える。彼はおれを見ると、 手慣れたやわらかい笑みを浮かべ、おれを迎えた。﹁こんにちは、 久遠さん﹂ おれは無言で頭だけをさげ、すすめられた円椅子に座った。 医者はこちらの態度にも嫌な顔ひとつ見せず、手に持ったクリア フォルダから、何枚か紙を引き出して視線をやった。 ﹁ええと、三ヶ月ぶり、ですか⋮⋮。先月と先々月は何かご都合が ?﹂ 思わず口ごもる。 きたくなかったからだ、とはさすがに云えなかった。 ﹁バイトが、忙しくて﹂ ﹁なるほど、バイトが﹂ ﹁でも、薬が切れて、ど、どうしてもきつくて﹂ ぼそぼそと、医者の視線をよけ答える。 彼はおれを見つめると、やさしい目をして云った。 プ ﹁うん、お薬は出しますよ。でも、もう少し定期的にきてくれると ログラム チック たすかるかな。あまり薬にばかり頼るのもよくないですからね。行 動療法はつづけてますか?﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁記録の方はつけて、ますね。うん、汚言もだいぶ減ってるようだ。 散歩と瞑想はちゃんとしてますか? 意識の方はどうです? まだ 1357 つらい?﹂ てきぱきと、矢継ぎばやに質問を浴びせてくる。 モルモット おれはこの時間がきらいだった。医者の、この、内側に入ってこ ようとする質問が。実験動物を解剖するときのような憐れみが見え るからだ。 うつむき、膝をにぎりしめる。 医者は辛抱強く、ひとつひとつ、こちらに話しかけてくる。 おれはそれに、小声で答えていく。 解剖の時間がはじまった。 ◆ ◆ ◆ ﹁なるほど、そうですか。︱︱ではそのひとと、つきあうことにし たんですね? そのずっと仲がよかったお姉さんと﹂ 恋人ができた。そう報告すると、医者は手放しで、おれを祝福し た。 ﹁やあ、それはいい。よかったじゃないですか。離ればなれだった のが、とうとう会えたわけだ﹂ ﹁でも、おれは﹂ ﹁やっぱり気になりますか? 彼女の、過去の浮気が﹂ ﹁⋮⋮それは、別に﹂ 首を横に振った。 医者はまたうなずくと、口元を押さえ、手元の紙にペンを走らせ た。 1358 ﹁セックスはしてますか?﹂ ﹁え?﹂ ﹁セックスです。その伊織さんと。再会してから﹂ ﹁ええと﹂ ﹁答えにくいなら、無理に答えなくてもかまいませんよ﹂ ﹁し、してます﹂ ﹁そうですか。頻度はどのくらい?﹂ ﹁週に、三四回くらい﹂ ﹁三四日︱︱。そのときに、何か嫌な気分になったりとかはありま すか?﹂ ﹁嫌な?﹂ ﹁たとえば、吐き気がしたり、胸が痛くなったりといったようなこ とです﹂ ﹁ない⋮⋮です。頭が痛くなるのは、しょっちゅうだし﹂ ﹁過去の映像が浮かんだりは?﹂ ﹁映像?﹂ ﹁フラッシュバック︱︱つまり、彼女との嫌な思い出なんかが﹂ ﹁ない、ですけど﹂ ﹁けど?﹂こちらをのぞくように、尋ねる。﹁他に気になることが ?﹂ おれはひとつ唾を飲み、それからゆっくりと答えた。 ﹁夢、が﹂ ﹁夢、ですか?﹂ つる 医者は走らせていたペンを止めると、指で眼鏡の蔓を直した。 ﹁夢をよく見るようになりました﹂ 1359 ﹁どんな夢ですか?﹂ ﹁ええと﹂ ﹁説明がむずかしい?﹂ ﹁なんというか、こう、ちょっと馬鹿ばかしいというか、ひどい夢 で﹂ そう前置きしてから、おれは夢の内容を語った。 医者はおれのしゃべることを、紙へ書き止めていった。 ﹁なるほど、たくさんの女性に愛されて過ごす夢、ですか。それに 和服の若い男性と、うつくしい母娘⋮⋮最後には、形がちがうけれ ど、決まって死ぬと。起きたあとには焦燥と罪悪感⋮⋮ふむ﹂ おれがしゃべり終えると、その若い医者はあごをさわりながら、 何やら考えこみはじめた。革張りのハイバックに、ぐっと体重をあ ずけ、うなったり何かつぶやいたりする。 おれはその間、だまって彼を見つめていた。 なんだって、こんな話をしているんだろう。 こんなことでおれのイカれた脳味噌がよくなるのだろうか。そん な疑問もないではなかった。 しばらくすると、医者は天井を見つめながら、ぽつぽつとしゃべ り出した。 ﹁話そのものは典型的な貴種流離譚ですよねぇ。一夫多妻も、巨額 の資産も、わかりやすい劣等感の裏返しとも見えるし、その点では とりたてて、めずらしくはないですか。気になるのは、和服の男性 ですねえ。予言的な発言をする⋮。ユングの論文に似たケースを見 たな﹂ と、医者はこちらに向き直ると、ペンを指でまわしつつ、 1360 ﹁その男性に見覚えは?﹂ ふるふると首を横に振って、おれは否定した。 ﹁ではその母娘に心当たりは? そういえば以前、親戚がいらっし ゃるとおっしゃってませんでしたか?﹂ ﹁はあ、親戚はいますけど、もうずっと会ってません。そんな母娘 も知らない﹂ ﹁父親が自殺したことについては?﹂ ﹁自殺?﹂ おれは顔をあげ、彼を見つめた。 ﹁自殺ってなんです?﹂ ﹁⋮⋮以前、父親が自殺したと﹂ ﹁誰がそんなことを?﹂ ぼ 何を云ってるんだろうか、こいつは。頭のヤバい連中を相手にし てるうちに、自分もとうとう呆けちまったのか? おれは彼をしげしげと見た。 彼はこちらをしばし不思議そうに見つめたあと、話を変えた。 ﹁マルチバースという言葉を聞いたことはありますか?﹂ ﹁マルチバース? いえ、なんですか、それ﹂ ﹁簡単に云うと、この世界には複数の宇宙があるんじゃないかとい う、そうした仮説なんですが﹂ ﹁複数の宇宙?﹂ ﹁ええ、つまり多世界の﹂ ﹁多世界⋮⋮﹂ 1361 ﹁もちろん仮説によって文脈はさまざまですが︱︱ほらSFなんか でよくあるでしょう、パラレルワールド﹂ ﹁あまりSFは読まないので﹂ ﹁そうか、久遠くんはもっぱら推理小説かハードボイルドでしたね﹂ と、医者はいくらか親しげな呼び方に変え、 ﹁わたしも好きですよ、夏目陽太郎。特に、なんと云ったかな。最 近賞をとりそこねた﹂ ﹁遠雷のカルナヴァル﹂ ﹁そうあれ。あれはよかった。賞をやらなかった選考委員はどうか してましたね﹂ ﹁いずれとると思います、彼なら﹂ ﹁久遠くんはファンですよね﹂ ﹁はい﹂ ﹁なるほど。そういえば、これは最近知ったことなんですが︱︱﹂ 彼 じゃなく 彼女 と、彼はこちらの反応をうかがうような、あるいはからかうよう な態度で、身体を猫背に丸めた。 ﹁知ってましたか? 夏目陽太郎は、実は らしいです﹂ ﹁女性ということですか?﹂ ﹁うん、どうもペンネームらしいですね。ここの医者に、彼女と友 人の女性がいるんですよ。そのひとに聞いたんですがね﹂ ﹁へぇ﹂ ﹁キミの夢にも出てきますね、小説家の女性﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁名前は思い出せる?﹂ 1362 首を横に振った。 夢に出る人物については、ほとんど記憶になかった。 ﹁そう、まあ夢ですからね。細部を覚えてないのも仕方ありません﹂ ﹁誰ひとり、名前までは。顔もろくに思い出せない﹂ ﹁そして、そのことに罪悪感がある﹂ ﹁⋮⋮ええ、まぁ﹂ ﹁セックスのとき、それを強く感じる﹂ ﹁妄想なのかも﹂ ﹁うん⋮⋮しかし行為自体はできてるようだし、さほど心配もいら ないと思いますがね﹂ 云いながら、医者はファイルをまとめた。 ﹁とりあえず、それについては様子を見てみるということで、今日 はこの辺にしましょうか。はい、お疲れ様でした。ではまた一ヵ月 後にきてください﹂ こう告げる。 おれは礼を云い、その場を立った。 ようやく帰れる。そう思いつつ、診察室のドアを引きあける。そ うして出ようとしたところで、ふと頭に疑問が引っかかった。﹁あ の⋮﹂振り向き尋ねてみる。カルテから顔をあげ、医者がこちらを 見た。 ﹁? なんです?﹂ ﹁あのう、さっきの話で、ちょっと気になったことがあるんですけ ど﹂ ﹁ふむ、どの部分ですか﹂ ﹁いえ、おれの話じゃなくて、その先生が云った﹂ 1363 ﹁ああ、マルチバース﹂ ﹁結局のところ、先生は何を云おうと?﹂ おれは彼を見つめた。 彼は少しだけ、照れくさそうに笑うと﹁何⋮﹂と頬をかいた。 ﹁昔ね、ちょっと考えたことがあるんです。ひとの心はまるで宇宙 のようだ、とね﹂ ﹁宇宙?﹂ ﹁ええ、それぞれが、それぞれの視点で観測している宇宙です。先 人の云う人類的な無意識があるとしたなら、実はそれこそが根源的 な宇宙の源じゃないかと。まあ、イデア論に近いんですが︱︱そう いうことをね、ちょっとキミの話で思い出しました。わたしたちの 世界に、同じ世界というのは実はなくて、皆それぞれに別の世界を 持ち、それが重なって、見かけ上の、全体として観測可能な世界を つくり出していると︱︱。その和服の青年の云った世界というもの が、キミの、キミだけの世界であったなら︱︱つまりキミの観測し ている真実は、この世界は、はたしてどれだけ真実たりえるのか。 真実にはちがいない。けれども世界の外側には、また別の真実があ るのかもしれない﹂ ざれごと ﹁おっしゃることがよく⋮⋮﹂ ﹁戯言ですよ。戯言。深く考える必要はありません。そういうこと を思ってみただけです。わたしとキミで見えるものがちがうように、 キミがこの先どんな選択をするかも、わたしの関与するところでは ない。わたしにできるのは、キミの背を押すことだけですから﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁ただ、ひとつ云えるのは、ひとは変わるということです。今まで わたしは、たくさんの患者を見てきた。しかし、どれだけ重篤な患 者でも、変化しないひとはありませんでした。よくも悪くもひとは 変わる。それが成長か、堕落かはさして重要じゃあない。大切なの 1364 自性 自性 が、あるいは穢 けが そのものにかかっている、と云って は、そうした方向性を持っているということです。ならば、わたし たちの方向は、人間の いいでしょう。そして、ひとの奥底にある れでなく、ほんとうは光明であったとするなら、いつか、キミも救 われるのだろうと思います。︱︱きっと。そうであってほしいと、 わたしは願っています﹂ ◆ ◆ ◆ ﹁あ、虎くん、こっち﹂ 病院を出ると、ちょうど通りを挟んで向かいの薬局から、イオね ぇが、こちらに気づいて手をあげた。 病院前の並木通りは、桜が満開に咲いている。 おれは信号の青であるのを確認し、そちらへ向かった。 花びらの舞い落ちる中を、イオねぇが駆けてくる。彼女は、おれ のそばにまでくると、にっこり笑顔でおれの手をつかんだ。 ﹁お帰り、虎くん﹂ ﹁イオねぇ。うん、ただいま﹂ ﹁どうだった?﹂ ﹁うん、まあ、いつもどおりだったよ﹂ ﹁薬もらっていくの?﹂ ﹁うん﹂ 答えて、薬局に入る。 薬手帳、保険証、処方箋︱︱それらを薬剤師に渡し、椅子に座っ た。 1365 おちつき イオねぇもまた、おれの隣に座った。機嫌がいいのか、ぱたぱた と沈静なく足を揺らす。 ﹁そっちはどうだったの?﹂ 尋ねてみる。 そっぽ とイオねぇは、ちらりとこちらを見やり、それからうれしそうな、 はずかしそうな顔をして外方を向いた。 ﹁イオねぇ?﹂ ﹁できてたよ﹂ おれの質問に、彼女は息をひそめて、 ﹁に、二ヶ月だったわ﹂ ﹁妊娠?﹂ ﹁ええ!﹂ 興奮した様子で、こちらへ抱きついてくる。 おれは若干押されつつも、彼女を抱き返した。 ﹁子供よ、わたしたちの子供!﹂ ﹁ああ⋮⋮そう。そっか、できたんだね、子供﹂ つぶやく。イオねぇの言葉は、おれに特別な感慨をもたらしはし なかった。 茫と天井を眺める。 彼女はそうしたおれの態度が不満だったのか、口をとがらせて云 った。 1366 ﹁虎くんはうれしくないの?﹂ ﹁いや、そんなことないけど﹂ ﹁全然うれしくないみたいだわ﹂ ﹁実感はないよ。おれが父親になるなんてさ。むしろ、いいのかな って思う﹂ ﹁い、いい︱︱って、それどういう意味? ま、まさか、おろせっ てこと?﹂ ﹁ああ、いや。そうじゃないよ。そうじゃないけどさ。ごめん﹂ ﹁ごめんじゃわからないわ﹂ にらんでくるイオねぇ。 おれはどう答えればよいかわからず、うつむき、自分の髪をつか んだ。 ﹁だって、おれなんかが、だよ﹂ それは確かな事実。仕事も、勉強も、何ひとつ満足にやれない男 だ。 そんなおれが、父親なんて大任だ、果たせるわけもない。 怖い。 ﹁生まれてくる子に悪いなって﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁あ、ごめん。ホントはイオねぇの方が不安だよね。⋮⋮あー、ご めん。やっぱダメだな、おれ﹂ 自嘲して笑う。髪をかきむしる。 イオねぇは、そうしたおれを見つめ、少し考えるようにしたあと 云った。 1367 おば ﹁母さんもね、できたんだって﹂ ﹁え? できたって、小母さん? 子供?﹂ ﹁うん。笑っちゃうよね、こないだ暮らしはじめたばっかりで、も うよ? ふたりとも、いい歳して、どれだけはげんでるのって話だ わ﹂ ﹁ははあ、それでふたりは?﹂ ﹁ふたりとも大よろこび。母さんなんて、もうみっともないくらい にはしゃいじゃってね、弟と妹どっちがいい? なんて。⋮⋮ホン ト、十年前の離婚はなんだったのかなって感じ﹂ ﹁あはは、よかったじゃない﹂ ﹁そう思う?﹂ ﹁うん﹂ おれは云った。 それは本心からの思いだった。 命はあたたかい。うれしくて、やさしいものだろう。イオねぇの 両親に、つらかったふたりの愛に、ようやく神様の祝福があたえら れたのだ。 ﹁よかったよ﹂ もう一度、おれは云った。 と、イオねぇは、そうしたおれの顔を両手でつかみ、真剣な目を して云った。 ﹁なら、もっとよろこんで、あなたも。父親としての心配なんかど うだっていい。将来のことも。この子のために痛むんじゃなく、自 分のためによろこんで﹂ ﹁イオねぇ﹂ ﹁それが、きっと、この子が虎くんに望んでる一番のことだから﹂ 1368 ね、とおれを抱く。 おれはそっと彼女の背に手をまわした。 ﹁うん⋮⋮そうだね﹂ 彼女の腰をなでる。 彼女はおれにキスをした。 ごほん、とカウンターの向こう、薬剤師が咳払いをした。 1369 無職、久遠虎ノ介の場合 その11 ふたりで道を歩く。 手をつないで、川沿いの道を歩いていく。 のんびりと、安らかな気分で。 ああ、こうした気分はいつぶりだろう。ひさしく忘れていた気が する。 ここ数年、おれは何かに常に怯えていたし、自分の、離人症めい た症状に悩んでもいた。だがイオねぇはそうしたおれでもかまわな い、と云ってくれた。そして、こんなおれの子供を生むとも。 それは正直に云って、奇跡のようなものだと思う。ありがたい救 いの手だと思う。 子供の名前を何にしようか、と彼女は云う。 おれはなんでもいい、と答える。 ちゃんと考えて。なら、ふたりの名前からとろう。そう云いあう。 風があたたかだった。 川沿いの桜も満開だった。 川の向こうには線路があって、道の先には公園がある。公園には の山と。 親子連れや、恋人たちが、笑顔で散歩をたのしんでる。 なつかしい、とおれは思った。 あのひとたち ここはどこか故郷の山に似ていた。 椿のたくさん咲いた、 彼女と別れた山と。 ⋮⋮彼女? 何かが引っかかった。あのひとたちとは、いったい誰のことだろ う。 1370 いや、すぐに否定する。これが悪い癖だ、と思う。 イオねぇが手を引いてる。 今はそれだけが大事なことだった。大事な。何より大事な。そこ を見失うな、と思う。 道を歩いていく。 すれちがうひとの、しあわせそうな笑みが見える。 ひと 赤子を抱いた女性がいた。 眼鏡の理知的な女がいた。 ひと 中性的な雰囲気の美少年、いかにも有能そうなキャリアウーマン もあった。 まるで能面じみた無表情で歩いていく女も。 そうしたひとたちとすれちがいながら、おれは桜の落ちる中を歩 いた。 ああ、ここはいい。 とても、とても静かな世界だ。 深く呼吸する。 新緑の爽やかな香りが胸に満ちた。 強い風が吹く。 花びらが舞いあがり、歩くひとたちの髪をなでた。 足を止め、辺りを見回す。イオねぇが振り返った。 ﹁どうしたの、虎くん﹂ ﹁ん、今⋮⋮﹂ ﹁今?﹂ ﹁着物のひとと、すれちがった?﹂ ﹁着物?﹂ 1371 ﹁着流しって云うのかな。単衣の男のひと﹂ ﹁さあ、わたしは気づかなかったけど﹂ ﹁そう⋮⋮﹂ ﹁だいじょうぶ?﹂ ﹁ん⋮⋮﹂ ﹁また頭が痛いの?﹂ ﹁いや、だいじょうぶ。今日はすごく調子がいいんだ﹂ ﹁そう? 無理しないでね﹂ イオねぇが云う。 おれはもう一度、周囲を振り返って見回した。 川沿いの桜並木。公園が見える。 歩いていたひとたちは、もうどこかにいったのだろう。姿が見え ない。 見えるのはたったひとりだ。 幼い少女が、たったひとり。 あっちは確か教会のある方だったか。 そうひとりごち、おれは少女を見た。 風に乗って。花びらがいくつも川を渡っていく。 少女は道の先にたたずみ、こちらをじいっと見つめている。 人形のような少女。切りそろえた髪に花びらがついてる。 ﹁どうしたの?﹂ イオねぇが聞いた。﹁あの子﹂とおれは云った。 ﹁あの子?﹂ 1372 イオねぇが少女を見る。 ﹁ん⋮⋮見かけない子ね。この辺の子かしら﹂ ﹁見たことない?﹂ ﹁んー。まあ、わたしもこの辺の住人、全部知ってるわけじゃない けど﹂ ﹁そう⋮⋮﹂ ﹁なんか、こう、重そうな感じの子ね。虎くんのことずっと見てる﹂ ﹁うん﹂ ﹁ひとめ惚れね、これは﹂ ﹁まさか﹂ 笑いながら、おれは少女へと近づいた。 イオねぇは離れた場所で見ている。 じっ 近づいても少女は逃げなかった。 凝とおれのことを見ている。 おれは少女の前にしゃがみ、その子と顔をあわせた。 ﹁どうしたの、お嬢さん。お母さんとはぐれちゃった?﹂ 頭をなぜ、尋ねてみる。 やさしい声が出た。ああ、こういう声を出せたのか、おれは。自 分で自分に吃驚く。もうずっと、こんな声は忘れていたように思う。 ﹁トラ﹂ と、少女が云った。﹁ん?﹂おれは微笑みとともに首をかたむけ た。 ﹁トラ﹂ 1373 ﹁トラってぼくのこと?﹂ こくり、うなずく少女。 少女はおれに話しているようだった。 おれはわずかにたじろぎ、少女を観察した。 ﹁確かにぼくは虎ノ介だけど、あれ、どうしておじさんのこと知っ てるのかな? おじさんとどこかで会った?﹂ 尋ねる。 少女はおれを見つめたまま、寂しそうに云った。 ﹁信じてるの﹂ ﹁信じる?﹂ ﹁必ず迎えにいく、って。トラはそう云ったわ﹂ おれは息を飲んだ。 少女の双眸にふつふつと、熱いものがこぼれはじめていた。 少女は強いまなざしで、こちらを見すえると、それからうしろを 振り向き、ててと走っていった。走っていった先は坂のある住宅街 で、おれをその上の方を眺めた。黒い屋根と十字架が、住宅街のな らんだ家の先に見えた。 ﹁どうしたの、あの子?﹂ うしろからイオねぇが声をかけてくる。 ﹁うん⋮﹂おれは十字架を眺めたまま、それに答えた。背中から、 熱い汗の噴き出てくるのがわかった。少女の姿が、いつか見たうつ くしい女性の幻影とだぶった。ツタのようにからんでいた深い記憶 と、幻想の現実が、頭の中でかすかだが、ほどけていた。 1374 ﹁イオねぇ﹂ ﹁ん?﹂ ﹁イオねぇはやっぱりすごいね﹂ ﹁は? な、何、突然?﹂ 意味がわからない、といった風にイオねぇは云う。 おれは振り返ると、彼女に近づき、抱きしめた。 ﹁ありがとう、イオねぇ﹂ ﹁ちょ、ちょっと? 虎くん?﹂ ﹁今まで、ありがとう。こうして、おれを、ひとりにしないでくれ て﹂ ﹁れ、礼なんて﹂ イオねぇは困ったように言葉をにごした。 ﹁感謝してるんだ。それだけはつたえたかったから﹂ 云って彼女を離す。彼女は呆然として、おれを見ていた。 ﹁と、虎くん﹂ ﹁ちょっと、用事を思い出した。いかなきゃいけない﹂ ﹁よ、用事って、どこへ?﹂ ﹁ん、すぐそこだよ。すぐもどるから、イオねぇは先に帰ってて﹂ 坂をのぼる。 イオねぇはどこか不安そうな、すがる調子で云ってきた。 ﹁と、虎くん!?﹂ 1375 ﹁ン?﹂ ﹁あ、あの、お昼ご飯だから﹂ ﹁うん﹂ ﹁すぐ、帰るわよね?﹂ おれは、にこりと笑って答えた。 ﹁だいじょうぶ。心配しないで。ご飯までにはもどる。⋮⋮またす ぐ会えるさ﹂ ◆ ◆ ◆ 坂をのぼる。 一歩、一歩。住宅街の坂道を。 そこは見慣れた道。 歩き慣れた家路だ。 坂をのぼると、道の前方に、教会が見えてきた。聖ウルザ教会。 そしてその横に、あのアパートも。 おれは教会の中にはいった。 聖堂につづく扉をあける。 長椅子のならんだ奥、祭壇の前に、男が座っていた。 ﹁よう﹂ と、彼はニヒルな笑いを浮かべ云った。 若い、着物を着た青年だった。 1376 年の頃は二十四、五。紺がすりの単衣に、兵児帯を巻いている。 首には耳のうしろから、赤い切り裂かれたような傷跡がある。 ﹁もういいのか?﹂ と、問うてくる。 おれは静かに、だまってうなずいた。 ﹁ああ、待たせてるひともいるしな。そろそろ、ちゃんとしないと﹂ ﹁そうか﹂ ﹁どのくらい、おれはこうしてた?﹂ ﹁外の時間で、五年ってところか﹂ ﹁それがおれの選択だった?﹂ 青年は首肯した。 ﹁おれは眠ってたのか﹂ ﹁おまえにとってはそれこそが現実だった。生のくるしみ。それが 自分の人生だと﹂ ﹁いい夢もあったよ﹂ ﹁そうだな。でも、それも終わりだ﹂ ﹁終わり?﹂ ・ ・ ・ ・ ・ ﹁おまえの蔵はもう吐き出されちまった。潜在意識に溜めこまれた ・ ・ ・ ・ ・ ・ 負の念も、血脈がたくわえた業もすべてつかいきった。おれがこっ ちで出させた。だから、おまえはもう空っぽだ。夢見ることもでき ない。あっちの現実は︱︱﹂ 混ざり はない。自分の、自分だ と、青年は引き出した煙草を銜え云った。 ﹁あっちでまた補充しろ。もう 1377 けの光をつかって暮らせ﹂ にやりと笑う。 うすずみ おれは静かに青年を見つめた。青年の姿はどこか存在感をなくし ていた。薄墨を引いたように、体の輪郭が背景に溶けて沈んでいた。 ﹁もう会えないのかい?﹂ ﹁いや、いつでも会えるさ﹂ ﹁ほんとう?﹂ ﹁つらくなったら、おれを呼べ。そうすりゃ会える。目には見えな くっても、必ず、おれはおまえのそばにいる。⋮⋮まあ、話すのは ほんとうにこれで最後だけどな﹂ ﹁龍之介﹂ ﹁ンな顔するなって。おまえもう二十歳すぎてんだろうが。だいた いな今回だって、ほんとうならはなさないつもりだったんだぞ。大 変なんだ、こうして条件無視で姿見せるのは﹂ ﹁お、お父さん﹂ ﹁︱︱︱︱﹂ 声がふるえた。 おれはもうまともに、話もできなくなっていた。視界が涙で一気 に歪んだ。 青年は、微笑みながら立ちあがると、おれの頭の上に手を置いた。 ﹁へっ、お父さんか。ひさしぶりに聞いたな﹂ ﹁おれ、一生懸命、一生懸命やってきたよ︱︱﹂ ﹁ああ、知ってる﹂ ﹁だ、だけど、うまく、できなくて、いつも失敗ばかりして﹂ ﹁失敗なんかしてないさ。おまえはやさしい人間だ、それは間違っ ちゃいない﹂ 1378 ﹁ほんとうに?﹂ ﹁ああ、云ったろ。おまえはおれの誇りだ﹂ ﹁と、父さん﹂ ﹁さあ、いけ虎ノ介。場所は駅前だ。今度こそ帰ってやれ、待って るやつらのところに。あいつらのもとに︱︱﹂ ◆ ◆ ◆ 気づけば、龍之介の姿はなくなっていた。 おれはしばらく聖堂で気持ちを沈着かせ。それからあらためて別 の場所を目指した。 駅前。 龍之介のしめした場所へ向かう。 時刻は正午に近い。 イオねぇは、家で食事をつくってる頃だろう。家︱︱それがどこ なのか、おれには見当もつかない。 片帯荘なのか、上杜市か、それともあの白い部屋か。 わかってるのは、ここが間違ってるということだけだ。 待ってるひとがいる。おれは帰らなきゃいけないということだ。 だから向かう。 久遠虎ノ介という男に何が起こったのか。それを確かめるために。 駅前はひとでごった返していた。 おれはゆっくり、ロータリーの前を歩いていった。 うららかな春の日差し。 静かな時間が流れていた。 1379 ﹁おれはこうして歩いていた?﹂ 誰と? 自分に問いかけながら歩く。 商店街にはさまざまな店があった。薬局、焼き鳥屋、居酒屋、コ ンビニ、肉屋、歯医者、蕎麦屋⋮⋮。 それらを眺めながら歩き、踏み切りをわたった。 市民体育館と、アイスアリーナがある。 アイスアリーナの向こうには高層マンションと、大学のグラウン ドが見える。 アリーナの横で少し休憩した。 自動販売機でジュースを買って、ベンチへ。 子供たちがたのしそうに笑いながら走っていく。 ﹁子供はいいよな﹂ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ふと、そう考えたとき、脳裡に何かひらめきのようなモノが走っ た。 ﹁子供︱︱?﹂ そうだ。子供だった。 おれは子供といたのだ。赤ん坊を抱いて。あのとき、確かに。 赤ん坊。あれは誰の赤ん坊だった? おれの? いや、そうじゃ ない。そんなわけはない。 あっちで、おれはまだ、誰も孕ませちゃいない。子供なんていな いはずだ。 だから、そう。 あの子はおれの子なんかじゃなく。 あの子は、彼女の︱︱。 1380 ﹁ヒナタ︱︱﹂ 立ちあがり、つぶやく。 その瞬間。どん、と背中に何かがぶつかった︱︱。 ◆ ◆ ◆ 最初に感じたのは熱だった。 つづいて烈しい痛みと悪寒。 それが腰から脳髄までを突き抜け、おれは思わず意識を遠くした。 膝が揺れる。 たたらを踏む。 だが、倒れる寸前で、なんとか踏みとどまることに成功した。 倒れるわけにはいかない。 ひなた 腕の中に、大事なひとがいたから。 火浦陽向︱︱。 彼女の大事な一人娘が。 ﹁ひっ、ひ、ひ﹂ おれの背にしがみついた男は、泣き笑いに近い声をあげてる。お れの腰に、とがった何かを突き立てて。 ﹁お、おまえのせいだ。おまえがいるから、ぼくの、ぼくの︱︱﹂ わめく男の目は、大きく見開かれ、どこか異常な感じをあたえた。 1381 ﹁返せ。ぼくの家族を返せ。朱美を、ヒナタを返せよ⋮⋮!﹂ 云いながら、ぞぐり、とナイフを押しこんでくる。 おれは踏みとどまりながら、手で男の手をつかんだ。こねまわさ れるナイフ。激痛で視界に霧がかかる。今にも失神しそうだった。 ﹁こ、この、馬鹿⋮⋮!﹂ 生ぬるい鮮血が、ジーンズとアスファルトの地面を濡らす。 誰かの悲鳴があがった。どうやら通行人が気づいたらしい。 おれは男をはねのけようと、腕に力をこめた。 男はおれにしがみつくのをやめようとしない。 逃げる気もないのだ。 おれは怒りとともに云った。﹁し、したな﹂ ﹁ヒナちゃんを犯罪者の子にしたな⋮⋮!﹂ ﹁⋮⋮ッッ!?﹂ ﹁ふ、ふざけんなよ、子供はな、い、一生それを背負ってくんだぞ ⋮⋮!﹂ 強引に引きはがし。おれは男を蹴りつけた。 相手は思ったより力なく倒れた。 周囲の騒ぎがまた大きくなった。 おれは男の凶刃から逃れたものの、しかしそれ以上、うごくこと もできず、そのまま力ない身体でふらふら、うしろにさがった。 ﹁ぼっちゃま!﹂ 声が聞こえた。 また悲鳴。 1382 くるま 車輌のクラクションが鳴った。 まずい。どうやら道路によろけ出てしまったらしい。 視界の端に、トラックが見えた。 同時に、歩道をひとりの女性が駆けているのも。 おれはその女性へ向かって、腕の中の赤ちゃんを投げた。 ﹁佐智さん、たのんだ︱︱﹂ つかの間、衝撃が、身体をつつんだ。 1383 無職、久遠虎ノ介の場合 その12 虎ノ介 目をあけると、そこは知らない部屋で。 その蛍光灯のついた白い天井に、 この世にいることを悟った。 身体はひどく疲れている。 はまだ自分が生きて、 酸素マスクをつけた状態でベッドに寝かされており、麻酔が効い ているのか、意識も冴えず、思考も働かない。 ︵ここはどこだ?︶ 思ってみる。 集中治療室とでも云うのだろうか。病室とはまたちがった、ガラ スで仕切られた部屋に虎ノ介は寝かされていた。横に視線をやると、 カーテン越しに幾人かベッドに寝かされているのが見える。 ︵喉が、くるしい︶ たん 痰がからまっている。虎ノ介は咳をした。すると背中がずきりと 痛んだ。 ﹁︱︱︱︱﹂ 顔をしかめていると、部屋の入り口らしい自動ドアがあいて、何 人かが中へはいってきた。 全員、女である。 看護婦と、そして若い女性がふたり。 看護婦が先導する形で、虎ノ介の寝るベッドまできた。 1384 看護婦がうしろのふたりへ云った。 ﹁まだ意識がもどったばかりなので、ぼんやりしていると思います。 体も疲れていますので、あまり長い時間の会話もひかえるようにお 願いしますネ。それから付き添いで泊まる方はあとで、こちらにお 知らせください。布団も貸し出してますので﹂ ﹁わかった、ありがとう桜井くん。秋田先生にも、礼を云っておい てくれ﹂ ﹁いいえ∼、いいんですよう。わたしもダーリンも∼、島津先生の ためなら、えんやこらですゥ﹂ 云い置き、看護婦は去っていった。 あとには女性がふたり、虎ノ介のもとへと残された。 そのうちのひとり、眼鏡の女性が云った。﹁やあ、おはよう。虎 ノ介くん。気分はどうだい?﹂ ﹁りょう、こ、さん﹂ 虎ノ介は唇をうごかし、なんとかこれに答えた。 女性は虎ノ介のよく知る人物だった。 島津僚子と氷室玲子。ふたりともタイトなスーツ姿だった。 ﹁ん、どうした?﹂ ﹁喉、が﹂ ﹁痰か? わかった︱︱よし、いいぞ、出せ﹂ ティッシュを使って、虎ノ介の口中をぬぐいとると、僚子は丸椅 子を引き出しベッドの脇へと座った。 ﹁ふむ。なんとか、だいじょうぶそうだね。これは熊に感謝しない 1385 とな。まったく話を聞かされたときは心臓が止まるかと思ったよ﹂ ﹁と、と、と虎ノ介くんっ!!﹂ 語る僚子のそばから、玲子が身を乗り出してくる。 玲子は僚子から奪うようにして、虎ノ介にすがった。 ﹁お、おいこら﹂ ﹁虎ノ介、だいじょうぶ? 生きてる? 痛くないっ? しんどく ない?﹂ ﹁おい、ちょっと静かにしたまえ。ICUで騒ぐな、あとわたしの 場所とるな﹂ ﹁だ、だって僚子っ、刺されたのよ!? もうちょっとで死んじゃ うかもしれなかったのよ。虎ノ介くんが︱︱﹂ オト ﹁わかってる。わかってるから、静かにしろ。じゃないと追い出さ れる。⋮⋮それとも舞ちゃんみたいに気絶されたいのか? あの来 栖とかいう連中、容赦ないぞ﹂ こう僚子が云うと。玲子は涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしなが ら、しぶしぶ僚子の隣へ座った。﹁く、くるしくない?﹂と問う。 虎ノ介はふたりを眺め、途切れとぎれの声で尋ねた。 ﹁い、今は︱︱﹂ ﹁え?﹂ ﹁い、今は何年、ですか?﹂ ふたり、わずかに顔を見合わせ。 ﹁2012年だが?﹂ ﹁じゅうに⋮⋮﹂ 1386 ﹁どうした、虎ノ介くん? 何か気になることでもあるのか?﹂ ﹁いえ⋮⋮。そうですか。2012年︱︱じゃあ、刺されたのは﹂ ﹁今日の昼だ。今は夜の十時になる。時間の感覚がないか?﹂ こくり、虎ノ介はうなずきで返した。 くるま 僚子もわかっているという風にうなずいた。 ﹁そうか、無理もない﹂ ﹁おれは、どうして⋮⋮車輌に轢かれたんじゃ﹂ 疑問を口にする。 あの瞬間、虎ノ介は確かに轢かれたと思った。 男に刺されたあと、路上でトラックに。 ﹁キミは轢かれてないよ。那智くんがたすけてくれた﹂ ﹁那智さんが?﹂ ﹁ああ、警護の人員を増やしたのはやはり正解だったね。轢かれそ うになったキミを那智くんがとっさに抱いてかわしたらしいよ﹂ うち ﹁そう、だったんですか﹂ ﹁キミはすぐ葛ヶ原病院に搬送された。運もよかった。うちの救急 には名医がいるからな﹂ ﹁名医?﹂ ﹁うん、秋田と云ってね﹂ ﹁秋田センセイ︱︱結婚した︱︱﹂ ﹁む? よく知ってるね。確かに彼はつい最近結婚したばかりだが。 わたしはキミにそのことを云ったか?﹂ ﹁僚子先生の結婚相手︱︱﹂ うろん 胡乱な頭でとなえる。 その言葉に、僚子は﹁は?﹂と怪訝な表情で、 1387 ﹁なんでわたしが? そんなわけないだろう。あの熊が結婚したの は、桜井美智︱︱さっきの看護婦だよ。新婚で、ところかまわずイ チャついてるから、うっとうしくてかなわない﹂ ﹁え⋮⋮﹂ ﹁なんだい? 夢でも見たのか? 勘弁してくれ、わたしがなんの 因果であんな熊と結婚しなきゃいけないんだよ。だいたいわたしの 夫はキミだ、キミ﹂ ﹁夢、そうか、おれは︱︱﹂ とそこではじめて、虎ノ介はすべてを理解し、そして大きく、疲 れたように胸を上下させた。 ﹁︱︱おれは、ようやく帰ってきたんだ﹂ ◇ ◇ ◇ ﹁? 帰ってきた?﹂ 僚子はわからぬという顔をする。 隣の玲子もまた同様だった。 虎ノ介は手をうごかしてみた。ゆっくりとだが、手は確実にうご いてくれた。 その手をふたりがつかむ。 ふたりの手はあたたかかった。 ﹁わ、手、冷たいわ﹂ ﹁ふだんなら、わたしたちの方が体温低いんだがな﹂ 1388 ふたりが云う。 虎ノ介はやさしく微笑んだ。﹁はじめまして、ふたりとも﹂ ﹁久遠、虎ノ介です。これからもどうぞよろしく﹂ 聞いたふたりは、きょとんとして、顔を見合わせた。 ﹁ちょ、ちょっと、僚子。ほんとうに、だいじょうぶなの虎ノ介く ん。なんかおかしなこと云ってるじゃない⋮⋮!﹂ ﹁検査では頭部に怪我はなかったはずだ。まあ、混乱してるんだろ う﹂ ﹁でもなんかこう微妙にちがってない? ほわっとしてるし。かわ いさもアップしてる気がするわよ﹂ ﹁む、云われてみれば、そうだな。ちょっとショタ度があがったか﹂ ﹁聞こえてますよ、ふたりとも﹂ 苦笑する。 と、背中がずきりと痛み、虎ノ介は思わず顔をしかめた。 僚子が心配そうに見た。 ﹁痛むのか? 麻酔が切れてきたんだろう。局所麻酔はしてあるは ずだが⋮⋮ああ、ちょっと待て肩の挿管がはずれてるな。今、直し てやろう﹂ ﹁すみません﹂ ﹁気にするな﹂ ﹁そういえば、他のみんなは?﹂ ﹁ああ、他の連中なら、色々とこなしてるよ。みんなキミに会いた がっていたが、やらなきゃいけないこともあってね。幸い一命はと りとめていたし、麻酔でキミも眠ってたから。ここで待っているの 1389 は、とりあえずわたしと玲子だけでいいだろうということになった﹂ と、麻酔を直しながらしゃべる。 玲子があとを引き継いでつづけた。 ﹁敦子さんと朱美さんは、待合室で警察の事情聴取を受けてるわ。 佐智さんと那智くんは病室前で警護にあたってる。舞ちゃんはちょ っと冷静じゃなくなってて︱︱泣きながら犯人殺しかけたから、佐 智さんが無理やり気絶させたそうよ。今は準くんが、実家に連れ帰 って見てるわ﹂ ﹁ヒナちゃんは?﹂ ﹁だいじょうぶよ、キミのおかげでね。こちらも準くんが見てる。 ほう 準くんのところは、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんがいるから、たぶ んだいじょうぶでしょう﹂ ﹁そう⋮⋮﹂ げん くれは ﹁キミの実家にも連絡したわ。たぶん明日にも大勢くると思う。鳳 玄様や紅葉さんが、とてもあわてて、一族総出できかねないいきお いだったから︱︱﹂ ﹁うわ、何それ怖い﹂ ﹁久遠のおうちは︱︱連絡してみたけど、こないみたいだった。も う関係ないからって﹂ ﹁うん﹂ ﹁ああ、でも伯父さんってひとはきたわ﹂ ﹁伯父さん?﹂ ﹁ええ、キミのお母さんの、お兄さんにあたるひとだって﹂ ﹁そんなひとが?﹂ ﹁ええ、自分は勘当された人間だから、虎ノ介くんは知らないんだ って。キミの手術が成功したのを確認して帰っていったわ﹂ ﹁そのひとの名前は?﹂ ﹁あ∼、名前は、その︱︱﹂ 1390 云って、玲子は僚子へ視線をやった。 僚子が首を振った。 ﹁そ、そうね。名前は名乗らなかったわ﹂ ﹁そう、ですか﹂ いろいろなことが同時に起こりすぎて、理解が追いつかない。 虎ノ介は呆然と天井を眺めた。 麻酔を直し終えた僚子が、体をもどして云った。 ﹁刺した男は、朱美さんの別れた元旦那だった。復縁を断られたの が理由で、キミをうらんでたらしい﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁まったくはた迷惑な話さ。自分の浮気で破綻させたくせに、都合 よく再構築をねがって、挙句逆うらみでひとを殺そうとするなんて﹂ ﹁わかる気もします﹂ 虎ノ介はしんみりと云った。 女たちは吃驚いた顔で、彼を見た。 ﹁かばうのかい? キミを刺した相手だぞ﹂ ﹁そういうわけじゃないですけど。でも、おれも男ですから、そう いう感情は理解できるかなって。好きな女性を奪われたら、やっぱ りくやしいですし﹂ ﹁ふん。キミは理解などしなくていい。キミはあんなやつとは根本 的にちがう﹂ 腕を組み、僚子は決めつけるように云った。 虎ノ介もあえて反論はしないでいた。 1391 ◇ ◇ ◇ 虎ノ介の無事を確かめると、ふたりはICUを出ていった。 今夜は病院に泊まるのだと云い、その準備をするらしい。 そして、それと入れ替わりで、またふたりの女性がはいってきた。 敦子と朱美だった。 敦子はめずらしく余裕のない険しい表情で。 朱美もまた、ふだんの明るい様子とは別に、ひどく落ちこんだ顔 をしていた。 虎ノ介はふたりへ礼を云った。 ふたりは意味がわからなかったようだが、彼は気にかけず、ふた りへ言葉をかけた。 ︱︱ただいま。これからもよろしく。 敦子は元気そうな虎ノ介を見て安心したのか、それからどこかへ 電話すると云って出ていった。 ⋮⋮朱美はまだ落ちこんでいた。 虎ノ介は朱美の手をつかんで云った。 ﹁朱美さん﹂ ﹁何⋮⋮?﹂ ﹁落ちこんでるんですか?﹂ 朱美は答えなかった。 1392 ﹁おれ、安心してるんです﹂ 虎ノ介は云った。 ﹁安心?﹂ ﹁はい。結局あっちじゃ、いつも最後で会えなくなってたから﹂ ﹁なんのこと⋮⋮?﹂ ﹁うれしかったのは、こっちでも朱美さんは小説家なんですよね。 おれは、あなたのファンで︱︱そのあなたが、おれのそばにこうし ていてくれている﹂ ﹁う、うん? わ、わたしは小説家だし、キミのそばにいるけど︱ ︱﹂ ﹁ならそれで、何も悩むことないじゃないですか﹂ ﹁え⋮⋮?﹂ ﹁今回のことは朱美さんのせいじゃないです。もちろんおれのせい でもない。ただ運が悪かっただけだ。なら忘れましょう。おれは朱 美さんが悲しんでるのなんて嫌だし、朱美さんが罪悪感でくるしん でるのはもっと嫌だ﹂ ﹁と、虎ノ介くん﹂ ﹁忘れましょう。そして、ずっと、おれのそばにいてください。お れと結婚してください﹂ ﹁︱︱︱︱ッ﹂ 朱美の顔が、紅潮する。両肩がふるえ出す。 虎ノ介はひとつ笑い、それから茶化すようにつづけた。 ﹁実を云うとおれ、朱美さんのことが大好きなんです。それと朱美 さんのおっぱいも。だからね、朱美さんが元気じゃないと困るんで す。だって退院したあと、おっぱい飲めなくなっちゃう﹂ ﹁それって︱︱﹂ 1393 ﹁エッチするのも好きだ。朱美さんの身体も、顔も、そのやさしく て強い心も。最初にエッチしたときからずっと虜になってる。はじ めて女を知ったのは朱美さんで、そのときから、おれの心にはいつ も離れず朱美さんがいた﹂ ﹁ふ、ふ、ふ﹂ 涙が、ぽろぽろと朱美の両眼からあふれた。 朱美は泣きながら笑い、笑いながら虎ノ介の頭をなでた。 ﹁わ、腋毛と下腹のたるみも?﹂ ﹁もちろん﹂ ﹁じゃあ早く退院しないとね﹂ ﹁はい、がんばります。退院したら、子宮が裏返るくらい犯すつも りですから、覚悟しててくださいね﹂ ﹁あはっ。わかった、約束ね、約束︱︱﹂ 云うや、朱美は虎ノ介の酸素マスクを外した。 虎ノ介は少し、あわてる。﹁ごめんなさい、キスは今、ちょっと 無理です。口に痰が︱︱﹂かまわず朱美は身体を押しつけ、虎ノ介 の口を吸った。 ﹁かまわないわ。吸い出してあげる﹂ 朱美の白い喉が、どくり、音を鳴らした。 1394 エピローグ 舞 それから虎ノ介は忙しくなった。 見舞いと称した謁見希望者が、大勢、彼のもとを訪れたからであ る。 刺された怪我は重大だったものの、幸い命に別状なかったために、 虎ノ介としては軽く受け止めていたのだが、蓋をあけてみれば、ま あくるわくるわ、予想に反して、彼の身を案ずる見舞いやご機嫌う かがいといったものがどっさりときた。 見舞いといっても、立場はそれぞれである。 どこぞの企業の社長もいれば、市長や県議など政治家もいた。 だがそういった人々は問題ではなかった。 虎ノ介は面識も仕事上のつながりもないのだから、会ったところ であまり意味もないし、そもそも向こうとしても、田村家への義理 いくばく で顔を出しているのであって、当主自体には興味がない。だから怪 我の状態を理由に面会を断わられれば、言葉と見舞い品、幾許かの 金銭だけを置いて帰る。 あっさりしたものだ。 あるいは敦子に挨拶することが彼らのほんとうの目的だからだろ う。 問題は女、である。 つまり田村の人間︱︱田村の親戚すじの人間だ。 それなりに 女の機嫌をとる 彼女らの相手をすることと これについては、さすがに敦子たちもむげに追い返すわけにいか ず、虎ノ介も当主として なった︵そもそも虎ノ介の当主としての役目は ことなので、これは本来の仕事だと云える︶。 1395 虎ノ介はベッドの上で、彼女たちの媚びと親愛、および劣情を受 けとった。 そして、そのたびに舞や他のハーレムメンバーたちから、冷たい 嫉妬の視線を送られる羽目ともなった。 ◇ ◇ ◇ ﹁だからよ、白狼鬼は双銃かハンマー安定なんだって。おまえ、な んでかたくなにガンアックスなんだよ﹂ ﹁だって他に持ってない﹂ ﹁だから新武器つくれってんだろう。なんであつめた素材、全部ガ 男なら美学持て って、明彦さん云ってたし⋮⋮﹂ ンアックスにつぎこむんだ﹂ ﹁ ﹁嘘だぞ嘘、あいつめっちゃ効率厨だかんな!﹂ うららかな午後。 虎ノ介は病室のベッドで、遊びに興じていた。 入院して、もう一週間が経つ。 体調もだいぶ回復してきており、無茶なうごきさえしなければビ デオゲームで遊ぶ程度までには回復できていた。 としうえ かざみや ひろと 虎ノ介と向かいあって遊んでいるのは金髪の青年︱︱。 虎ノ介より少し年長の彼の名は風宮広人と云った。 六分家のひとつ、風宮家の次期当主である。 広人が明彦とともに見舞いに訪れたのは、虎ノ介が入院して二日 後のことだ。 ︱︱なんつうか、その、悪かったな。 1396 はやせ あきひこ 速瀬明彦とともにきた彼は、そう云って頭をさげた。 当然、虎ノ介は吃驚いた。 広人とは接点がない。 虎ノ介にしてみれば謝罪される理由など思いあたらないのである。 ︱︱いやまあ、なんとなく、な。 そう言葉を濁す広人に、一緒にいた明彦は、 ︱︱最近になって、キミの生い立ちを聞かされたんだ、彼は。 と説明したが、そうした説明を受けても虎ノ介はよくわからない でいた。 自分の生い立ちの、どこに心惹かれるところがあったのか。﹁つ らかったよな﹂と神妙な面持ちでつぶやかれてみても、曖昧な返事 しか返せなかった。いずれにせよ風宮広人という青年は、顔に似合 わぬ、やさしいところがあるらしい。 それからというもの、時々見舞いに訪れるふたりと、虎ノ介は話 すようになった。 広人は、廃絶寸前である風宮の後継という立場から。また明彦は 同じ一族の年長として、女の都合で操られる虎ノ介に対し同情をよ せているようであった。 ◇ ◇ ◇ ﹁ちょっと訊いていいかな﹂ 1397 と、遊ぶ手を止めて虎ノ介が尋ねると、広人は手元のゲームから 顔をあげ、 ﹁あん?﹂ ﹁広人はさ、クーデターって考えたことある?﹂ ﹁クーデター?﹂ ﹁うん、クーデター﹂ ﹁クーデターって日本政府をか?﹂ ﹁ああ、いや、そうじゃなくて。そのままの意味じゃなくてさ、な んというかたとえ﹂ ﹁ああ?﹂ ﹁えっとさ、つまりその、田村の男たちが、女性陣から権力を奪う、 とか﹂ 途端、広人は目をほそめ、じろりと虎ノ介をにらんだ。 せまい病室内に、かすかな緊張が流れる。 ﹁おまえ何たくらんでる? ンなこと聞いてどうする?﹂ ﹁い、いや別になんとなく⋮⋮だけど﹂ 広人はゲーム機をベッドサイドテーブルに放り投げると、ポケッ トから煙草を引き出し、これをゆっくりと銜えた。 安物のパイプ椅子が、ぎしり音を立てる。 ﹁やめとけよ、馬鹿な考えは。おまえの立場にゃ同情するし、たす けてやりたいとも思うが﹂ 無理だ。 と、広人は手元の煙草に火をつけながら云った。 1398 ﹁自殺の手伝いはできねぇ、おれは﹂ ﹁じ、自殺?﹂ 思いがけない言葉に、虎ノ介は息を飲んだ。 広人はうなずき、 ﹁相手が悪いんだよ。完全にな。おめーは知らんだろうが、おれは ガキの頃から見てきてるんだ。やつらのことも知ってる。悪いこと は云わねぇ。妙な考えは棄てとけ﹂ ﹁う、うん? いや、おれはクーデターなんてしないよ﹂ ゆら ﹁ああ、そうしろ。やつらに歯向かったって損するだけだからな。 くれは そういう連中だ。つらいだろうが我慢するしかねえのさ。由良みた いなクソガキや、紅葉のババアなんかと寝なきゃならんのは苦痛だ ろうが﹂ ﹁え、えっとね﹂ ﹁倫理感というものがねーからな、やつらは。どだい勝てっこねぇ﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁とにかく辛抱だ、辛抱、虎ノ介。めげるな。そのうちおれがイイ 女を紹介してやるからよ。月に一、二度あと腐れなく遊べる女をな。 田村の連中みたいにイカれたのじゃない、ふつうの女たちだ。おま えはその中から気に入った女を選んでよろしくすりゃいい。なんな ら愛人にしてもいいさ。そういう条件も織りこんで探してやる、お れと明彦でな。なあに、そう悲観することもねぇ。おまえはルック スはさほどじゃねえが、他人にあたえる印象は悪くないからな。不 憫な立場の御曹司だって云や、きっとモテモテに︱︱﹂ と、そこまで云ったあと。 広人はぎくりとした風に腰を浮かせた。 1399 つむぎ ⋮⋮見れば入り口のところに、何人か立っている。 かのう たび ぞうり 和服姿の女︱︱淡い紫の紬に濃紺の帯をつけて、白足袋と草履も あざやかな彼女は、狩野紅葉である。その横には白いワンピース姿 の舞もいる。そしてふたりのうしろには、黒いスーツを着た長身の ・ ・ ・ ・ 女性︱︱虎ノ介の見知らぬ女が立っている。 紅葉はにっこりと微笑み。 舞は、眉間にしわをよせ、今にも射殺さんばかりの視線で広人を にらんでいる。 ・ ・ ・ ・ ﹁おや、どうしたんだい広人。つづけておくれな。たのしそうに話 してたじゃないさ。若様がモテモテで、どうしたって?﹂ ﹁く、紅葉っ︱︱⋮⋮さん。い、いったいいつから﹂ ﹁いつから? そうさねぇ、紅葉のババアと寝るのは最悪︱︱と、 その辺だったかしらねぇ。ええ、もちろん、はっきり聞こえたけれ ど、それがどうかしたかい? ああ、それよりまずその煙草消しな さいな。ここは病院だからね﹂ 口ごもった広人の顔が、見るみる汗で濡れはじめる。 三人の女性客はゆっくりと、ベッドを囲むようにはいってきた。 広人は椅子から立つと、﹁ン、ンン﹂と咳払いし、煙草を携帯の 灰皿へ押しこんだ。 ﹁ちょ、ちょっと急用を思い出した。わ、悪いな虎ノ介。今日はこ れで帰らせてもらうぜ。あとでメールすっから﹂ ﹁ちょ、ちょっと広人︱︱﹂ ﹁すまんな、あとはひとりでなんとかしてくれ。⋮⋮おれには無理 だ﹂ 云って、そそくさと病室を出ていく。 あとには虎ノ介と三人の女だけが残された。 1400 紅葉は笑顔に、不穏なものをみなぎらせ。舞はひたいに青すじを 浮かべていた。 長身の女はひとり、なつかしげに虎ノ介を見つめていた。 ◇ ◇ ◇ ﹁で、あの馬鹿と何を相談してたわけ?﹂ と。 舞は虎ノ介のそばに陣どると、まずそう云って、顔を近づけた。 ﹁べ、別に何も﹂ ﹁嘘おっしゃい、どうせろくでもないことに決まってるわ﹂ ﹁そんなことないよ﹂ ﹁どうだか。じゃあどうして浮気だとか、愛人なんて話をしてたの よ﹂ ﹁そんな大げさな話じゃあないよ。ひ、広人がね、今度合コンする っていうから﹂ ﹁合コン? だめよ、そんなの、ゆるさないわ﹂ ﹁だ、だよね﹂ ﹁だいたいこれだけ女に囲まれてて、まだ他のひととどうにかなり たいわけ? さすがに無節操すぎない?﹂ ﹁女のひとと、どうこうなんて考えないさ﹂ ﹁ほんとう?﹂ ﹁ホント、ホント﹂ ねめつける舞へ向け、虎ノ介は愛想笑いを返した。 本心である。 1401 広人の気持ちはありがたいが、これ以上つきあう相手を増やそう とは思っていない。いくら栄養剤を飲んでいるとはいえ、さすがに 限界というものがある。 これ以上の荒淫は、命をちぢめるというものだ。 ﹁若様、あのような者とは、あまりつきあわぬ方がよろしゅうござ います﹂ ﹁紅葉さん﹂ ﹁あれは田村でも、特にタチの悪い半端者ですから。二十二にもな って定職にもつかず、フラフラ遊んでばかりいる、鼻つまみです﹂ 困ったものだ、と紅葉は頬に手をあてて云った。 ﹁あれの両親も大変に心を痛めているのですよ﹂ ﹁は、は、は⋮⋮。じゃあおれと一緒だね。おれも仕事してない﹂ ﹁とんでもございません! あのようなごくつぶしと若様が一緒な どと⋮⋮。そんなことをおっしゃってはなりません。若様とあれで は、まったく立場がちがうのですから﹂ ﹁ちがうかな﹂ ﹁ちがいますとも。若様は当主として、務めを立派に果たしていら っしゃいます。やれサーフィンだ、スキューバだ、ロックだダーツ だと⋮⋮。次から次へ手を出すわりに、何ひとつ掘りさげようとせ ず、また満足に結果も出せぬ者とは到底⋮⋮。いいえ、結果が出ぬ のはかまわないのです。非才であっても、それはそれなりに、何か ひとつへ一心に打ちこむ、石にかじりついてでもやっていくという ・ ・ ⋮⋮そうした気構えがあれば、誰も何も申しませんでしょう。問題 はその軽さです。あの腰の軽さ。あの者は、たいがいのことをそつ なくこなす反面、わずかな障害でもすぐに投げ出す気性。先が見え る、と本人は申すのですが、なまじ目端が利くだけに、見切りも早 いのです。わたしに云わせれば、勘違いもはなはだしい。才能など 1402 というのは、深くその世界へもぐってみぬことには、どうにもつか めないところがあって、まったく凡才と思われていた人間が、その いしくれ 実すばらしい才能を秘めていたり、玉だと思っていた才能が、実際 うわて には単なる石塊であったりとさまざまなのです。それを、あの広人 はわかっておりません。わかっていないから、自分より上手を見て 早々とあきらめる。あきらめるならあきらめるで、自分には才がな いと、あきらめきった上で打ちこめば、そこからまた別の視界もひ らけてくるというものですが︱︱ああ、これはわたくしの見てきた 経験上のことですが、ひとはあきらめきったときに、しかしそこか ら逃げ出さず、あたえられた場でただ全力をつくすのだと、そうし た覚悟でおりますれば、また自分の深いところから不思議と、何や ら見えない力の起こってくるものです。そうした境地を知らずして、 やれ才能があるだないだと、物事の上っつらだけで語るというのは、 あの者がこれまで何ひとつ、真剣に打ちこんでこなかったことの証 左でございましょう︱︱﹂ へいぜい ︱︱と平生の不満を吐き出すように、くどくどと云いだした紅葉だ ったが、しかしすぐに虎ノ介のことを思い出し、 ﹁余計なことを申しました。これは、若様に聞かせるような話では ありませんでしたね﹂ おほほ、と笑ってまぎらしてしまった。 ﹁別の話をいたしましょうか。今日は若様に紹介したい者もおりま すし﹂ ﹁紹介?﹂ ﹁ええ、新たに、若様の付き人となる者を連れてまいりました﹂ ﹁付き人⋮⋮﹂ 1403 虎ノ介は、紅葉のうしろに立つ、スーツの女性を見た。 長身で、少しくせのある髪をうしろへ提げおろしている。 顔に少しかかった前髪の下は、幅広の眼帯が、右目とひたいを隠 とし すようにおおっている。 実際の年齢は、紅葉と同じくらいだろうか。 たち もっとも他の田村の女同様、若さとうつくしさについては豊富な 性質らしい。外見では判断しにくかった。化粧もほとんどないが、 ぱっと見た感じでは三十ほどに見える。 くるす まきえ ﹁隻、眼?﹂ ﹁来栖蒔絵。来栖家の現当主ですわ﹂ ﹁現当主、ということは︱︱﹂ ﹁ええ、那智と佐智の母親です﹂ そう紅葉が云うと、うしろの女性︱︱来栖蒔絵は前に一歩進みい で、 ﹁ひさしぶりだね、虎ノ介ちゃん﹂ わら 虎ノ介を見て微笑った。 虎ノ介は相手を眺めた。 ひさしぶり、と云われても思い出せない。 強そう だった。 だが云われてみれば確かに、どこかで会ったような気もするし、 おぼろげながら声にも聞き覚えがある。 来栖兄妹の母蒔絵は、やはりふたりと似て 荒事を生業としている人間、修羅場をくぐった人間の持つ独特な 空気︱︱血と危険の匂いをまとっていた。 それもずっと濃い純度で。 蒔絵は虎ノ介がごとき一般人の気づくレベル、道ゆくひとがすれ ちがった瞬間、ふと寒気を覚えるレベルで危険人物だった。 1404 それはさながら獣。 せいひつ 大型の肉食獣である。 静謐の中に、ひと振りの刀を抱いているような来栖兄妹とは、実 に反対の印象をあたえる。 ﹁さすがに憶えていないか。十年もむかしに会ったきりだものな﹂ 云いながら、蒔絵は舞の頭に、ぽんと手を置いた。 黒い革手袋。 ・ ・ 手をのせられた舞が、心底嫌そうな視線を向ける。 その光景を見て、虎ノ介は、あっと思い出した。 ﹁あなたは⋮⋮!﹂ 記憶がよみがえってくる。 青い作業着を着た長身の女。 白の手袋。 意識を失った少女。 少女をかかえた彼女の顔には、黒い幅広の眼帯。 女はやれやれと溜息をついて︱︱ ﹁な、殴ったひと、あのとき⋮⋮! 姉さんを思いっきり殴った︱ ︱﹂ 虎ノ介は言葉をつまらせた。 そこに、かつて幼い姉弟をふるえあがらせた暴力の化身がいた。 1405 エピローグ 舞 その2 ﹁こ、子供をグーで殴るひと︱︱﹂ 虎ノ介は思い出した。 十年以上前、姉とした逃避行を。 かね ふたりで街までいったこと。夜の風呂屋にはいったことを。中華 こころもち 料理屋で食べたラーメン。少なかった手持ちの金銭。身体をよせあ って眠った、深夜のバスターミナル。あの夜の心情、肌の感覚まで を思い出した。 大人たちの対応は早く。 彼らはあらゆる方面で手を打っていた。 駅も、銀行も、バスも、タクシーも、旅行代理店も。 たったひと晩の間に、どこもが彼らの監視のもとへ置かれた。 ふたり 早い話、冒険は終わった、簡単に。 朝になって、姉弟はくすねてきたカードを使い、ATMから現金 を引きおろそうとしたが、そこで捕まった。 背の高い、作業着を着た女。幅広の黒い眼帯をつけた彼女に。 部下を引き連れた彼女︱︱来栖蒔絵は、姉弟を見つけるや、すか さず姉の方を殴り飛ばして。 ︱︱このクソ餓鬼が。手間をかけさせるんじゃあない。 そう云って、煙草に火をつけた。 はずした手袋の下には、鍛錬によるものか、古い傷跡がたくさん あって︱︱ 1406 ﹁こ、殺し屋!﹂ むかしの光景を思い出して指差した虎ノ介に、思わず紅葉がむせ た。 同時に、舞も、イヒヒといやらしく笑って、 ﹁憶えてたんだ、トラ。⋮⋮ま、そうよね、このオバさんのせいで、 あのあと、しばらく泣きっぱなしだったっていうし﹂ ﹁こ、殺し屋かい、こりゃあいい。蒔、あんた若様に忘れられてな かったんだねぇ。あは、あは、は﹂ つられて紅葉も笑う。 笑われた蒔絵はぶすりとして、長身をすねるように押しつけ、虎 ノ介のそばへ座った。 ﹁それはないだろう、虎ノ介﹂ ベッドの上である。 ただ やわらかな双丘を押しつけられ、虎ノ介は息を飲んだ。 自然と、ここ数日の爛れた夜が思いだされてくる。 むくむく、股間が鎌首をもたげた。 蒔絵はちらと、その反応した股間を見やってから、虎ノ介の顔を のぞきこんだ。 ﹁わたしはな、この十年、おまえがどんなイイ男に育つか、ずうっ とたのしみにしてたんだぞ﹂ ﹁い、イイ男?﹂ ﹁おまえのために、娘たちも鍛えてやったし︱︱﹂ ﹁はあ⋮⋮﹂ 1407 ﹁それなのに貴様、わたしを殺し屋だと? 上等じゃないか、この クソ餓鬼︱︱﹂ 甘い吐息とともに、蒔絵は虎ノ介の口を吸った。 突然、唇を押しつけられ、虎ノ介は目を白黒とさせる。 ﹁む︱︱ふ、ふふ。⋮⋮どうだ? 大人のキスは、すごいだろうが ? ほらほら、チンポがもう反応してるぞ﹂ ささやき、蒔絵はパジャマの上から虎ノ介の陰嚢をもんだ。 力をうばわれ、虎ノ介はへなへなと、蒔絵にもたれかかった。 そうした彼をそのボリュームある胸で受け止め、蒔絵は、さらに 深い口づけをあたえていく。 舞が、あわてたように止めた。 ﹁ちょ、ちょっと何先走ってんですか! トラもちんちん勃てない まき !﹂ ﹁蒔、昼間からさかるんじゃないよ。部屋あけっぱなしにしてるん だから﹂ 紅葉と舞、ふたりで引きはがそうとする。 蒔絵はさんざんに虎ノ介の口内を蹂躙し、ねぶってから、ようや く身を離した。 銀糸が、たがいの唇に﹁つう⋮﹂とのびた。 ﹁どうだ、まいったか﹂ 唇をなめつつ、蒔絵は満足げに云った。 1408 ◇ ◇ ◇ 来栖蒔絵の来訪の目的は、虎ノ介の、 ﹁あたらしい世話役になるため⋮⋮﹂ であった。 増強された三人目の護衛らしい。 どうしてそんな話になったかと云えば、それは虎ノ介が刺された ことによる影響のせいで。 今回の一件で、来栖家は一族からの強い批判にさらされたと云う。 もともと来栖は、田村の一族にあって、武をつかさどる家柄であ る。 同時に本家当主︱︱特に直系男子の世話一切︵護衛、身のまわり の世話、さらには性処理まで︶を受け持つ家であって、しかし、こ れが理由から他家にあまりよく思われていない。 早い話が、ねたまれている。 当主のそばにいつもはべっているのが、 ︵気に入らない⋮⋮︶ というわけだが、六家の一角とはいえ、グループへの影響力も少 なく、家格も低いこの家がねたまれるあたり、女の嫉妬というのは なかなかに厄介なものらしい。 ﹁まあ、今回は云われても仕方ないところではあるんだ﹂ こう蒔絵は、目前にあるベッドを見ながら云った。 そこに虎ノ介の姿はない。 1409 彼は舞につきそわれ、トイレへ出たばかりだった。 ﹁バカ娘どもが、油断しやがったからな﹂ 語る口ぶりは苦い。 蒔絵は煙草を引き出して銜え、しかしすぐに病室ということを思 りんご い出したのか、またふところへしまった。 紅葉は見舞いの品である林檎を、皿へ切りわけている。 ﹁そう云いなさんな。ふたりとも、よくやってるじゃないさ﹂ ﹁甘い、紅葉は﹂ と蒔絵は不満そうに。 ﹁よくもクソもない。あっちゃあいけないんだよ、こんなことは。 隔世の男子 だけは奪われち わたしら来栖にとってはな。たとえメシ食ってようが糞たれていよ うが、寝所でアヘってたとしても、 ゃならんのだ。⋮⋮あのふたりはそれをさせた。正直、殺されても 文句は云えん﹂ ﹁アっちゃんが早々にゆるしたからねぇ。それ以上は、誰も何も云 えないさ﹂ ﹁まったく、やさしいことだ、敦子も﹂ ﹁わかってないねぇ、たすけられたのは、あんただよ。あんたが来 栖の当主なんじゃないさ。こう云っちゃあなんですけど、今度のこ との責任はすべて、あなたにありますよ﹂ ﹁わかっている。弟子の未熟は師の責任。悪いのは、あのふたりを つかわせたわたしだよ。だから、わたしも、こうしてここにいるん だ﹂ ﹁悲しむんだよ。あの姉妹を責めたら、ほかでもない若様がね﹂ ﹁ふっ、お人好しだなぁ、虎ノ介ちゃんは﹂ 1410 うれしげに云い、蒔絵は林檎をつまんだ。 紅葉もそうした蒔絵を眺めながら、微笑を浮かべる。 ﹁しかしあんたがくるとは思わなかったよ。てっきり別の人間をよ こすもんだとばかり⋮⋮。ドイツの方はいいのかい?﹂ ﹁ん⋮⋮まあ、こんな事態だ。さすがに顔を出さないわけにもいか ないだろう? 娘たちのネジも締め直さないといけない。あっちは あっちにまかせるさ﹂ ﹁そんなこと云って、ほんとうは若様のそばに、はべりたかっただ トシ よとぎ けなんじゃないのかい? 単に、あんたがさ﹂ ﹁おまえこそ、いい年齢をして、夜伽にくわわってるそうじゃない か。聞けば子も望んでるとか。どれだけあつかましいんだよ。おま え、旦那いただろうが﹂ うち ﹁いいのさ、ちゃんと許可もらってるんだから。若様にいただいた 子は狩野の跡継ぎにする、夫婦で話しあって決めたことさね﹂ ﹁なら妊娠さえすれば、はずれるんだな?﹂ ﹁何を?﹂ ﹁ハーレムだよ﹂ ﹁ごめんだね﹂ ぷいと横を向き、紅葉は手のひらのなかのナイフをもてあそんだ。 ﹁わたしはもう若様の女なんだよ。心も体も捧げた、愛しいあの子 にね。あの子にうばわれてしまった。ええ⋮⋮夫には申しわけない けれど、でもこれは仕方ないこと。女が、運命の男と出会って、寝 取られないわけがないだろ?﹂ ﹁ちっ、とんでもない女だ﹂ ﹁あんただって、そのつもりじゃあないのかい、蒔。だから今も独 りをつらぬいてる。那智と佐智の父親︱︱あの彼と別れた理由を、 1411 わたしたちは聞かされていないよ﹂ ﹁むかしの話だ﹂ ﹁むかし?﹂ ﹁若かったということだよ、おたがいに。だから、いろいろとズレ が生じた、それだけのことだ﹂ ﹁それだけかい?﹂ ﹁何があると云うんだ? ほかに﹂ ﹁若様のおんな、に⋮⋮﹂ ﹁ばか﹂ 言下に、蒔絵は否定した。 とし ﹁いくつ離れてると思ってる﹂ ﹁年齢は関係ないだろう? 千年からの恋だ。いつだってわたしら よくぶか は、この恋を叶えようと躍起になってたじゃないか﹂ ﹁ああ、欲深に﹂ ﹁ええ、欲深に﹂ 紅葉はたのしそうに、口の端を歪め、つづけた。 ﹁あんたが独りになったのは、この日を望んでのことじゃあないの かい?﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁いつか若様に抱かれる日を夢見てさ。あの別れた彼︱︱今は九州 の方で指導員をしてるって云ったかい? ああ、彼のことは好きだ ったんだろう、愛してたんだろうさ。でもあるとき、ひとりの子供 ゆかり が生まれた。生まれちまったのさ。一族の近親相姦からでなく、縁 も所縁もない、まさかの、外のひとのところにね。そしてその赤ん 坊を見たあんたは、確信したんじゃないかい? いつか自分がその 子のもとへ馳せ参じる未来をさ﹂ 1412 ﹁ふん、もしそうなら、それはずいぶんと偏執的だな﹂ ﹁もちろん、わたしたちはみな歪んでるさ、ひとりのこらずね。だ あの子 の女なんだから。 からこそ、あんたも旦那を棄てた。いや、棄てたという云い方はお かしいね。そもそもが、わたしたちは どれだけほかの男に抱かれようが、誰を愛そうが、結局のところ︱ を生み、手に入れる。そのためだけにさ﹂ ︱。わたしたちは、おなじ目的を持ってこの世を生きてる。いつか 彼 ﹁呪いだよ﹂ ﹁なんだって?﹂ ﹁呪いだ、片帯のな。わたしたちは全員、縛られている﹂ ﹁呪いかい? この気持ちが?﹂ ﹁少なくとも、彼にとってはそうだ。わたしらにとっては︱︱どう だろうな﹂ ﹁わたしは、そんな風に思ったことはないね。これは祝福さ﹂ ﹁祝福?﹂ ﹁ほかのすべてに優先される衝動︱︱こんな感情を知る女が、この 世にどれだけいると思うんだい? こうした狂熱を持てる女が。わ たしはね、それはしあわせなことだと思うよ。女にとって、これ以 上の幸福はない。これが祝福でなくて、なんだって云うのさ﹂ きっぱりと云う。 蒔絵は、そうした紅葉をまぶしそうに見つめて、 ﹁わたしは、田村の衝動など信じていなかったよ。あの日、彼をこ の目で見るまでな。田村の業などないと思っていた。むかしの言い つたえなど嘘だと。いつも夢に見るあの青年も、あの山々、あの暮 らしも、幻想にすぎないと。⋮⋮だが、それは勘違いだった。わた しは己の性質を知らないだけだった。それに気づかされたのがあの 日だった。はじめて出会った日。自分の身体へ流れる血、その罪深 さを、あのちいさな手で、指をつかまれたときに﹂ 1413 ﹁わたしたちは天国の住人さ。生まれついての、そのことに間違い はない。そしてそれは、あの子を知れば確信できることだよ﹂ ﹁そうか、そう思えるんだな、紅葉は﹂ そう云った。 紅葉はちいさく首肯すると、切りわけた林檎を口に運んだ。 ﹁じきに、あんたもそうなるよ。あの子に抱かれさえすれば、すぐ に﹂ ﹁そうか︱︱﹂ ぶるり、と体をふるわせ。 蒔絵はやや紅潮した面持ちになった。 その目にはかすかだが、官能と陶酔の色が見てとれる。 彼女はすんと、ひとつ息を吸いこむと、自分を沈着かせるように、 舌先で、自分のふるえる唇をなめた。﹁ふ︱︱﹂ ﹁そうか、わたしもそうなるのか、うふ、ふ、ふ⋮⋮﹂ そう笑った声は、かすれていた。 紅葉はそれ以上、何も答えず、ただ静かに窓の外を眺めつづけた。 窓の外では、うすい帯に似た雲が、秋の高い空をゆっくりと流れ ていた。 ◇ ◇ ◇ ふたりがそんな話をしていたころ⋮⋮。 病室を出た虎ノ介は、おなじ階にある男子トイレにいた。 1414 虎ノ介のそばには、姉である舞がぴたりとよりそっている。 怪我した弟の介助⋮⋮という名目なのだが、しかし、それがただ の口実であるのは間違いがない。 証拠に、虎ノ介の怪我はもうだいぶんによくなっていて、少々背 中に張りがのこってはいるものの、しかしこれまでのように、いち いち用のたび看護婦へ頼る必要はなくなっていた。 ⋮⋮ふたりは個室へこもっている。 くわ 洋式トイレへ腰かけた虎ノ介の、その股間へ顔を沈める形で、舞 はしゃがみこんでいる。 さらけ出されたペニスを、喉の奥まで銜え、ゆっくりと、前後へ 顔を揺りうごかしている。 その顔に、ふだんの凛とした様子はない。 あるのは、官能の火にあぶられ、のぼせた目つきをした、牝その ものの本性だけだった。 ﹁そんなわけで、来栖家はあまり、ほかからよく思われてないのよ﹂ 舞が云った。 フェラチオ真っただなかの声は、虎ノ介の耳に、ややくぐもって 聞こえた。 舞は、しゃべりながらも休まず、じっくりと弟のペニスを味わっ ている。 ひょっとこ うすく紅を差した唇からは、透明な液がひっきりなしにこぼれ、 可憐に色づいた頬は火男のようにすぼまって、肉棒を﹁ずず⋮﹂と 食道の方まで吸いこもうとしている。 ﹁ああ、いいよ、姉さん、それ︱︱﹂ ﹁来栖は︱︱﹂ ﹁え? 何?﹂ 1415 ﹁来栖はね、武門の家なのよ﹂ と、舞は一族についての説明を、虎ノ介へ聞かせた。 田村の一族︱︱。 それは本家を頂点に、狩野、阿仁、橘、速瀬、風宮、来栖といっ た分家が仕切る形をとっている。 序列で一番上なのは、本家の世話役兼、分家のまとめ役である狩 野家である。 くすし 実質のグループ管理者であり、重要な事案については万事、この 狩野家を通される。 その次が阿仁家で、これは薬師の家系だ。 むかしから学問の世界に強く、現在はグループの中核企業である を母体に、 製薬会社を運営している。多くの優秀な研究者やエンジニアをかか 橘組 えており、虎ノ介の常備薬も彼らがつくっている。 次の橘は人材斡旋と建設業に強い。 もとは口入れ屋で、現在は地方ゼネコンである さまざまな仕事を手がけている。 裏の世界に人脈があるため、何か厄介な問題が持ちあがった場合、 あるいはよごれ仕事が必要とされるような案件については、この家 へまわされることになる。 じんぎ さいし 四位、速瀬は拝み屋である。 一族の神祇、祭祀、星辰に関することをつかさどり、来栖につい で、本家とのむすびつきが強い。 五位、風宮は一族の外交と根回しが主な役目。 つまるところ政治屋なのだが、現在は血が絶えているため、ほか のいくつかの家がこれを担当している。 そして、最後が来栖である。 きんじゅ 本家男子の護衛役であり、一族で一番の武闘派と云っていいだろ う。 六家のなかではもっとも低い家格なのだが、当主の近習という役 1416 目上、実際の立場は強く、一族のなかで唯一、独自の判断による行 動がゆるされている。 1417 エピローグ 舞 その3 ﹁いろいろあるんだね﹂ 溜息まじりで虎ノ介が云った。 その表情には余裕なく、着ているシャツの首もとは、じっとりと 汗でしめっている。 熱した砲身からは、ぐつぐつ煮立った白濁が、今にも噴き出そう としている。 ﹁うふふ⋮⋮﹂ ぴくぴく、とふるえる砲身を、舞がうれしそうに舌でなであげる。 紅い肉が、まるで生き物のようにうごめいて、先走りをすくいと った。 ﹁はう﹂ 股間から背すじへ。 ざわざわと這いのぼってくる快感にたまりかね、虎ノ介はあごを あげた。 舞は、そうした虎ノ介を観察しながら、さらに烈しく、舌を鳴ら した。 ひざまずいた彼女は、弟を口で愛撫すると同時、片手を自分の股 ぐら︱︱ワンピースの奥へもぐりこませ、みずからをもさかんにな ぐさめている。 ・ ・ 最初はうごきの少なかった指も、時間の進むうち大胆になって、 今ではとば口を︱︱ひととくらべるとだいぶひだのうすい、入り口 1418 ・ ・ ・ のぴったり閉じあわさったそれを、こじあけてくちゅくちゅかきま わしたり、あるいはあの野山などに咲く、イチイの実にそっくりな 女の宝石を、濡れた指先でぬるぬるとこすりあげたりしている。 草むらは愛液でびっしょり濡れそぼり、ショーツは透けて、肌へ 張りついている。 ﹁はぁ⋮⋮ん⋮⋮そろそろ、イキそう? 虎のおつゆ⋮⋮匂いが変 わってきたわ⋮⋮⋮⋮おいしい﹂ ・ ・ ・ うっとり、のぼせた顔で舞は云った。 舌先でペニスの先端︱︱尿道口をこじり、右手でさらにつかんだ 幹をしごく。 左手は、指を二本、己の奥へ沈めていた。 大量にあふれた蜜液の雫が、よれたショーツの隙間から、ぼだぼ だと、床へ水たまりをつくる。 ﹁ん⋮⋮出して、もっといっぱい、虎のジュース出して。姉さんに 飲ませて﹂ 甘い声で告げる。 虎ノ介は力なくうなずいた。 ﹁姉さんて、実は結構エッチだよね﹂ ﹁今さら?﹂ 上目づかいで、舞は不思議そうに弟を見た。 ﹁わたしと母さんがスケベだなんて、むかしからわかりきってたこ とじゃない﹂ ﹁そ、そう?﹂ 1419 ﹁少なくとも、わたしは隠してたつもりなかったわ、母さんとちが って﹂ ﹁ふたりとも格好よかったよ、むかしから﹂ ﹁今は? 幻滅した?﹂ ﹁ううん、今も格好いい﹂ ﹁こんなことしてても?﹂ ちゅくり、ちゅくり。 口淫をつづけつつ、舞はわざと水音を響かせながら、指で己が膣 洞をかきまわした。 気を惹かれた虎ノ介は、何か云いよどむような仕草で、しゃがん だ舞の姿を見つめた。 ﹁格好いいよ、姉さんは、いつでも﹂ ﹁そう?﹂ ﹁そうだよ﹂ ﹁わたしが誘ってたことは知ってる?﹂ 虎ノ介は重々しくうなずいて見せ、それから舞の横顔へ手をよせ た。 ﹁よく、おれの前で服を脱いでた﹂ ﹁誘惑してたつもりだったの、あれでも﹂ ﹁笑いごとじゃあない﹂ ﹁なかなか手を出してこないから、もうじれったくって﹂ 最後にはこっちから押し倒しちゃった、と舞は再度いきり立った 剛直を、可憐な唇のなかへと飲みこんだ。 また虎ノ介がうめいた。 1420 ﹁姉さん、そろそろ︱︱﹂ ﹁っ⋮⋮いいわ、出して。わたしの口のなかに、飲むから︱︱﹂ 云って、舞は口のうごきを早めた。 ﹁ぐうっ﹂ひとつ、低いうなり声をあげ、そのまま虎ノ介が果てる。 こってりと粘度の高い液体が、舞の口中へと吐き出された。 いきおいよく撃ち出されたそれを、舞は喉を鳴らし飲んでいく。 射精はいつもどおりの烈しさで、そのあまりの量の多さに、彼女 は何度かむせるように呼吸し、そのたびに彼女の口からは、こぼれ た生臭い液体が、喉から胸から、糸を引き、磁器のような肌をつた い落ちていった。 ⋮⋮ひと通り精液を飲み干したあとで。 ﹁飲んだわ、全部﹂ 舞はそう、得意げに舌をぺろりと出して見せ、口もとや胸につい た精液を指ですくいとった。 よこびん それらをまた口へと運んで、舌でころがすように味わいつつ、髪 の横鬢のところを指でかきあげる。 市松人形のようなそろった髪が揺れ、しばし虎ノ介はその様子に 心をうばわれた。 ﹁無理に飲まなくてもいいんだ﹂ 虎ノ介は云った。 舞は立ちあがると、着ていたワンピースを脱ぎ棄て、それからブ ラジャーとショーツをもとりさった。 1421 全裸にハイヒールだけという姿になって、 ﹁好きなのよ、飲むのが。それにこういうのがエッチの醍醐味って ものでしょ。それに飲んだ方が発情の効果も出やすいし﹂ ﹁発情?﹂ ﹁こうなってみると案外わかるものね、朱美さんや僚子先生の気持 ち﹂ ﹁? どういう意味さ、それ﹂ ﹁トラの匂いは好きだし、精液だって平気よ。たぶんね、おしっこ だっていけるわ﹂ ﹁はい?﹂ ﹁さすがにウンチ食べろって云われたら、これはちょっと考えるけ ど﹂ ﹁い、云わないよ、そんなこと﹂ ﹁そう? 一応、チャレンジくらいはしてみてもいいわよ?﹂ ﹁いや、いやいや﹂ 虎ノ介は、わからぬといった風に姉の顔を見た。 舞は平然として、便座の、虎ノ介の上にまたがってきた。 ﹁一種の支配欲なのかも。あんたを︱︱自分のものにしたいと思っ てる。だから体液をとりこむことで、対象を支配下に置こうとする んだわ﹂ 萎える気配のないペニスをつかみ、みずからの入り口へと導く。 そのまま舞は乱暴に腰を落とした。 少し抵抗のあったあと、にゅるる、とペニスは舞の膣奥へ飲みま れ埋没していった。 そのなかはすでに十分うるおっている。 灼けるような熱と、ぬめった肉のしめつけが、虎ノ介の脳髄を刺 1422 激した。 火のついたイソギンチャクのようだ、と考えのまとまらぬ頭で虎 ノ介は思った。 舞が腰をグラインドさせつつ、うっとりした表情でつづけた。 ﹁同時に支配されたいとも思ってるの。だからセックスがしたい。 トラを感じさせてほしい﹂ ﹁支配されたい?﹂ ﹁そう⋮⋮よ。トラは⋮⋮そういう気持ちない? 支配したい、独 占したいという気持ちの一方で⋮⋮ンッ⋮⋮そ、そのひとに独占さ れたいという強い感情が、願いが﹂ ﹁それは︱︱﹂ 虎ノ介はしばし言葉を探して考えこんだ。 舞の気持ちはわかる。自分にもそうした感情がないと云えば嘘に なるだろう。 脳裡には、子供のころ見た景色がある。 椿の一面に咲いた山で、少女とかわした約束の光景がある。 ︵ああ、そうだ︶ あのとき泣いていた少女。 あの少女も今では大人になった。 成長し、こうして、虎ノ介の上で腰を振っている。 全身を汗に濡らし、淫らに、男女の性愛をたのしんでいる。 まったく人生とはおかしなものだ、と虎ノ介は考えてみた。 舞や敦子に対し、虎ノ介がいだいてきた感情。 それは家族に向ける愛情だけではなかった。 ふたりを、みずからのものにしたいという男の欲の入りまじった ものだった。 1423 だが、それはふたりの方もそうだったのだ。 舞と敦子も。虎ノ介とつながりたいと願っていた。 ﹁そうだね。そうかもしれない﹂ 虎ノ介はうなずいた。 舞もまたやさしげにうなずいた。 虎ノ介は云った。 ﹁ねぇ、姉さん﹂ ﹁何?﹂ ﹁姉さんは憶えてるかな、あのときのこと﹂ ﹁あのとき?﹂ ﹁むかし、上杜の山で。おれが山を出ていった﹂ ﹁ああ﹂ 舞は微笑を浮かべると、虎ノ介の頭を胸に抱いた。 ふたつの乳房が、虎ノ介の顔をなでる。 ﹁忘れるわけないわ。あれが、わたしの原点だもの﹂ ﹁そう⋮⋮? あのとき姉さんは泣いていたよね。おれがはじめて 見た姉さんの泣き顔だった﹂ ﹁う⋮⋮やめてよ、そのことは﹂ ﹁約束は守ったよ﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁ちゃんと姉さんのところに帰ってきたよ、こうして﹂ もろて 舞の乳房に顔をすりよせ、虎ノ介は小声でささやいた。 そうした虎ノ介を、舞はきつく双手で抱きしめ、そしてそれ以上 言葉もいらないという風に、腰を烈しくくねらせはじめた。 1424 ◇ ◇ ◇ ﹁ん⋮⋮こっ⋮⋮これ⋮⋮♥ これよ⋮⋮。これ好きィ⋮⋮♥ こ ⋮⋮このアソコがほぐされる感じ⋮⋮奥までとどいて⋮⋮あたる⋮ ⋮♥﹂ 息を荒げ、舞があえぐ。 にゅる、じゅぷ、水音が結合部から響く。 なか ﹁ね、ねぇ? トラ、わたしの膣内いい? オマ○コの具合いい? オチ○チン気持ちいい?﹂ ﹁う、うん⋮⋮! いいよ、姉さんのなか、熱くて、やわらかくて、 しめつけてくる﹂ ﹁もっと⋮⋮もっとしめてあげるわ⋮⋮。だから、もっと気持ちよ くなって。なりなさい。なるの⋮⋮!﹂ ﹁うっ⋮⋮くぅーーー⋮⋮ッ﹂ 強烈な熱と快感に、虎ノ介は目をつぶった。 そうしながらも、舞のうごきに負けじと、自分からも腰を突きあ げる。 舞のヒールの先が、こつ、こつ、ピストンにあわせ靴音を鳴らす。 向かいあった座位だが、のびやかな彼女の足は、虎ノ介をまたい だ状態で、床までとどいている。 ⋮⋮挿入してから二十分がたつ。 そのあいだ、この拷問めいたまじわりは、虎ノ介のなかへ性欲に よる衝動︱︱波をつくりつつあった。 いい加減、このいやらしい牝穴へ、ぶちまけてしまいたい。 1425 そうした衝動を抑えているのは虎ノ介の、男としてのプライドだ った。 女を置いて、自分だけ満足してはならない。 紅葉にも云われた言葉である。 だがその我慢もそろそろ限界に近い。 虎ノ介は尻と腹筋に力をこめ、ともするとペニスへ集中しがちな 緊張︱︱反りかえろうとする力を解こうとした。 ﹁う⋮⋮♥﹂舞が、虎ノ介の口を吸いつつ云った。 ﹁ダメ、ダメよ⋮⋮っ。トラはおとなしくしてなさい。わたしがト ラを気持ちよくする、んだから⋮⋮あンッ♥﹂ ﹁おれも、姉さんを気持ちよくするさ⋮⋮っ﹂ ﹁な、生意気⋮⋮!﹂ ﹁せっかくの姉さんとのセックスだし。や、やられっぱなしじゃ終 われないからね﹂ ﹁生意気よ⋮⋮生意気ィ♥ ンっ⋮⋮はあァン⋮⋮♥ お、弟の、 弟のくせにィ。姉に刃向かうなんてダメよ⋮⋮﹂ 虎ノ介をにらむ。 が、そうした舞の声は、やはりどこか陶然と、甘い響きをふくん でいた。 ﹁でも好き、やっぱり好き、トラ⋮⋮♥﹂ しがみつき、さらに烈しく腰を振る舞。 ヒールの刻むリズムは、次第しだいにその速度を早めていった。 そして、それとともに舞の口元は甘く、しまりのないものへ変わ っていく。 ﹁ダメよ⋮⋮ああン⋮⋮♥ はァッ⋮⋮ン♥ こんなのダメェ♥ 1426 イイ、イイのォ⋮⋮っ。腰が止まらない⋮⋮♥ 我慢できないのお っ♥ ダメなのに⋮⋮! わたしがトラを感じさせなきゃいけない のに⋮⋮っ! おマ○コ感じちゃってる⋮⋮♥ オチ○ポに負けて ⋮⋮よろこんじゃってる⋮⋮っ。自分が気持ちよくなるためのオマ ・ ○コ⋮⋮♥ ガニ股スクワットでマ○コしてるの⋮⋮♥ よがりな ・ ・ がらチ○コ、マ○コにじゅぷじゅぷ出入りさせて、身勝手アクメと ぼうとしてる⋮⋮♥﹂ ﹁うっ⋮⋮く⋮⋮を、姉さ︱︱﹂ ﹁ンンっ♥ もう、もうダメ、イっちゃうわ。わたし、イクッ。イ ク⋮⋮♥ トラのオチ○チンで、溶かされちゃう♥ ずこずこ、生 ハメピストンされて⋮⋮♥ 避妊なんてまったく考えてない、子づ くり本気ファックで⋮⋮ああァンっ♥ イク♥ イかされちゃう♥ とぶうぅぅ⋮⋮っ﹂ ﹁おれもっ。おれもイクよっ、姉さんッ﹂ なか ﹁き、きてえ∼♥ うう、いっぱい、トラのザーメン、いっぱい出 してぇ⋮⋮♥ わたしの膣内でっ。⋮⋮ちゃ、ちゃんと妊娠するか なかだし ら♥ 孕むから、お姉ちゃんの危険日発情ドスケベマ○コ、容赦な オト い膣内射精で種付けしてえっ⋮⋮♥ ああっ! 期待してうずいて る子宮、あつあつの弟精子、直飲みで陥落して。受精させてえ⋮⋮ ♥♥♥﹂ ﹁う、うう﹂ ﹁ンン⋮⋮♥ イっっくうぅぅぅうう♥♥♥﹂ ﹁うお、おっ﹂ がくん、とひとつ大きく体をふるわせると。 虎ノ介は舞のほそい腰をつかみ引きよせた。 膣奥にペニスを押しこみ、たまりにたまった性欲を一気に解き放 つ。 ﹁ひっ! き、きた⋮⋮♥ きたわ⋮⋮♥ ビューーーって! な 1427 かでどぴゅどぴゅって、き⋮⋮きてるわ⋮⋮♥ オマ○コに⋮⋮虎 の精子が⋮⋮♥ オ⋮⋮オ⋮⋮♥ ⋮⋮わ、わたしの卵子を受精さ せるつもりで、いきおいよく⋮⋮♥ ンンッ∼∼∼∼っ♥♥♥﹂ 舞のなか、異様にふくらんだペニスが、おりてきた子宮の入り口 へ、その先端をあてこみ、その放出をはじめる。 舞もまた、虎ノ介の吐精を受け、絶頂に達していた。 両足を痛いほど虎ノ介に巻きつけ、さらには体を折れんばかりに そらせる。 大量に出された白濁は、すぐにいっぱいになって、舞のなかから あふれてきた。 ぼだぼだ、結合部からたれ、股間をつたい、便器のなかへと落ち ていく。 ドク、ドク、射精はしばらく止まりそうにもなかった。 舞はぶるぶると、虎ノ介に抱きついたまま、絶頂の余韻にひたっ ていた。 ﹁∼∼∼∼ッッ♥♥♥ オオ⋮⋮オ⋮⋮⋮す、すごい⋮⋮♥ や、 やっぱりコレ、すごい⋮⋮。あぶないわ、こんなの、女だったら絶 対オチちゃう⋮⋮ほ、本気で、中毒になる⋮⋮♥﹂ つぶやいた舞の顔には、ひくひく、笑みに似たものが張りついて いた。 1428 エピローグ 敦子 その霊園へ敦子が訪れたのは、秋の、まださほど日も高くない午 前中のことだった。 参った先は、駐車場から三分ほど歩いたところにある、ちいさな 墓。 それは霊園の端、比較的さびしい場所に、人目をしのぶように立 てられてあって。 敦子はそこで花をそなえ、まず手をあわせた。 それから墓の掃除︱︱辺りを箒で掃き、用意してきた水桶で、墓 石を綺麗にぬぐい清めていく。 そうしてすべて片付けたあとに、水を、別の手桶から墓前へとそ なえ直した。 ⋮⋮墓には田村家とある。 敦子は線香をあげ、墓前にあらためて祈りの手をあわせた。 ﹁あら⋮⋮?﹂ そのとき、敦子のうしろから誰かくる気配があった。 振り返ってみると、思いがけず、見知った顔が歩いてくる。 敦子はおどろきに近い声で、相手を迎えた。 ﹁宮野さん﹂ 男は宮野だった。 葛原でバーを経営している男で、同時に片帯荘の住人でもある。 彼は敦子を認めると、軽く挨拶するように手をあげた。 1429 ﹁管理人さん。これは奇遇ですね﹂ 落ちついた声で云う。 喪服の敦子に対し、こちらは白い半袖のシャツに、スラックスと いう格好である。 背が高く、筋肉質な体で、彫りの深い顔にあごひげを深く生やし た様子は、十人見れば十人ともがハンサムと答えるだろう。 そしてまたその物腰、渋い味の声、知性的な目つきなどには、性 別を問わず、どこかひとを惹きつけるところがあった。 事実、彼の女性遍歴は華やかだった。 敦子が知るかぎり、この独身男から、女の匂いの絶えたことはな い。 もっとも彼は両性愛者でもある。 つまり男も女も﹁いける⋮⋮﹂クチなのであるが、その一方、女 性へ対してドライな面もあるため、あまりひとりの女と長つづきす るということもなかった。 ﹁こんにちは、宮野さん。ここで会うのはめずらしいわね。いつ、 こちらへ?﹂ はなたて 敦子は尋ねてみた。 宮野は花立へ、持参した百合を飾り、云った。 ﹁昨日です。こっちのワイナリーへ用事がありましてね。まあ、そ のついでというわけで﹂ ﹁そう、京子さんへ?﹂ ﹁生前は何もしてやれませんでしたからね、墓参りくらいは﹂ 煙草を引き出して銜える。 宮野の顔には、苦い自嘲の色があった。 1430 ひざたけ かたわらにある膝丈ほどの、コンクリの仕切りに腰かけ、ライタ ーで煙草を吸いつける。 かすかな紫煙が、静かな秋空へと溶けていった。 しきたり ﹁管理人さんは、こちらへ何か用事でも?﹂ ﹁ええ、いろいろとね。これでも慣例の多い家だから。当主の怪我 ひとつとっても、方々へ通しておかなきゃならないことが山ほど﹂ ﹁なるほど﹂ ﹁虎ちゃんが入院してるあいだに、できるだけ片付けておきたいけ れど﹂ ﹁虎ノ介くんは元気ですか﹂ ﹁おかげさまで、術後の経過は順調よ。来週には退院できるんじゃ ないかしら﹂ ﹁ああ、それはよかった﹂ ﹁あなたのおかげよ﹂ ﹁ぼくは何もしてませんがね﹂ 答え、宮野はうまそうにけむりを吸った。 敦子は首を振り、つづけた。 ﹁そんなことないわ。あなたのはたらきがなかったら、今の片帯荘 はないんですもの。彼女たちを見つけだしてくれなかったらね﹂ ﹁見つけただけですよ﹂ ﹁それでも、よ。今度のことも、彼女たちがいたからたすかったん だわ。わたしはそう思ってる。朱美さんがいたから、僚子さんがい たから。玲子さん、準くん︱︱彼女たちがいたから、だからきっと ね、虎ちゃんは死なずにすんだのよ﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁まだ話す気にはなれない? 虎ちゃんへ、きちんと﹂ 1431 この質問に、宮野はかすかに唇を歪めた。 いもうと ﹁ぼくが伯父だと? ⋮⋮それは今さらでしょう。ぼくは家を棄て た男だ。京子とその子供が、大変な思いでいたころ、ぶらぶらと、 海外で遊びほうけていたような男だ。博打に女。久遠の家のことな んてすっかり忘れていた。今さら、伯父貴ヅラして会えるわけもな い﹂ ﹁みんなは迷ったみたい、虎ちゃんに、あなたのことを話すか﹂ ﹁教える必要はありませんよ。彼には単なる知りあい、そう思って いてもらえば十分です。それがぼくの望みだ﹂ ﹁出ていくつもり? 片帯荘を﹂ ﹁もう、彼はだいじょうぶですよ。まだまだ子供で、たよりないと じんきょ ころもあるが、しかし︱︱あなたがいる。舞くんも、そしてアパー トのみんなもいる。平気でしょう、心配なのは腎虚くらいのものだ﹂ ﹁腎虚?﹂ ﹁荒淫がね。それだけは心配だ。それについてはあなた方、いやど うもほかのひとより、むしろ不安なところがある﹂ ﹁そ、それはまあ、そのね、我が家の業みたいなものでね﹂ ホホホ、とごまかす。 宮野は苦笑しながら立つと、まだのこりのある煙草を、携帯灰皿 へと押しこんだ。 彼のせまった、ふとい眉の辺りが、ぴりりと、わずかだがふるえ た。 ﹁いずれにせよ、もうぼくの出る幕はない。これからは彼が自分で 立っていくでしょう。自分の二本の足でね。少しさびしい気もしま すが、まあ、彼も男の子ですよ﹂ 1432 ◇ ◇ ◇ 二日後⋮⋮。 敦子は実家のある上杜から、東京へと帰った。 夕方近くに田村家を出て、それから新幹線で約三時間。 アパートへ帰りついたころには、辺りはすっかり暗くなっていた。 部屋へともどりシャワーを浴びる。 それから服を着替え、彼女は今日はじめてとなる食事をすませた。 部屋には誰もいない。 舞は友人の︱︱大学でのつきあいらしい︱︱そちらの用件で出か けている。 敦子にとって、ひさしぶりとなる、ひとりの時間だった。 ︵まあ、役得ということでいいわよね︶ 敦子は病院へいくことにした。 今夜、虎ノ介へ付き添っている女はいない。 これは彼の怪我がもうすっかりよくなっているためで。 それとともに過度な見舞いはひかえようと、女たちで話しあった 結果でもあった。 病院の方から︱︱どうやら看護師から苦情が出たらしい︱︱院内 でのセックスをひかえてくれと、たのまれたことも背景にはあった。 いくらグループ傘下とはいえ、葛ヶ原病院は医療機関︱︱れっき とした公共の施設である。 あまり無茶を云うわけにもいかない。 ゆえに敦子は、女たちの虎ノ介へ向けた見舞い︱︱実際は見舞い と称したレイプだが︱︱を中止させることにした。 虎ノ介の安全を考えるだけなら、来栖蒔絵とその部下を病院へ置 けばいい。 1433 医療関係者も、信頼の置ける者がついている。 もちろん、この決定には反発もあった。 特にふだん当主と会う機会のない、一族のひとびとが抵抗した。 一族における上位の者さえも、めずらしく敦子に対して反対を出 してきた。 そして、そうなると、さすがの敦子でも、すべてを抑えるのには 限界があった。 結局、 ﹁後日、場をもうける⋮⋮﹂ という、そんな引きのばしの形へ決着せざるよりなかった。 ・ ・ ・ 虎ノ介が体で接待する、その時間をつくるという意味である。 しかしながら、当主に惚れること自体は一族の宿命でもあるし、 敦子としても口出しはしにくい。 いずれにしろ、今しばらくのあいだは、虎ノ介も哀れな被害者で いるしかなかった。 悪漢に襲われた、かわいそうな青年当主。 その当主へ見舞いもせず、愛もあたえず、などという選択肢は、 一族の女性たち︵一部既婚者もふくむ︶にとって、到底納得のでき ることではなかった。 ◇ ◇ ◇ 病院は静まりかえっていた。 面会時間も過ぎ、診察も終わった時間である。 今ごろは虎ノ介も、食事を終え、ベッドでくつろいでいるころだ。 病院を訪れた敦子は、甥の顔を浮かべつつ、院内を歩いていった。 1434 やがて、やわらかいLED照明の下、目当ての病室が見えてきた。 ﹁虎ちゃん、起きてる?﹂ ノックし、ドアを引く。 スライド式のドアは簡単にひらいていった。 同時になかであわてたような、ひとのうごく気配があった。 ﹁虎ちゃん?﹂ そのまま敦子は、なかへはいった。 何気ない考えで、特に何かを疑う気分もない。 虎ノ介はひとりでいた。 ベッドに、寝そべった形で。 だが少しばかり、彼の様子はおかしかった。 ズボンと下着がおろされ、そこから、たくましい男の象徴がにょ っきりとのぞいていた。 その肉の先端からは、先走った大量の汁がだらだらとこぼれてい、 また彼の右手も、同様にねばついた液でよごれている ⋮⋮彼の前には、一冊のグラビア雑誌が。 女の裸体と、男女のみだらな場面がひろげられている。 ﹁あら⋮⋮﹂ ﹁お、伯母さん⋮⋮?﹂ なんで、とうめくように虎ノ介は云った。 敦子は即座に状況を理解した。 虎ノ介が自慰にふけっていたこと。 布団のなかへ雑誌を隠そうとしたこと。 ズボンを引きあげようとし、しかしあわてたがため、うまくいか 1435 なかったこともすべて見てとれた。 その上で、敦子は言葉を探した。 ︵どうしましょう︶ ここは気づいてないようにふるまうべきか、いや、そうもいかな いだろう。 ここまではっきりと見てしまっているのだ。 いきりたったペニス、ねばり気の強いカウパー、青くさい性臭。 どれひとつとっても、彼のオナニーを裏付けている。 しばらく考えたのち、敦子は結局、見たまま対応することにした。 虎ノ介は股間を隠し、いたたまれないといった風にうつむいてい る。 顔を真っ赤にし、はずかしさに打ちふるえている。 そうした彼へ、敦子はやさしく云った。 ﹁あ、あのね、虎ちゃん﹂ ﹁う⋮⋮﹂ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ﹁ごめんね、よく確かめずにはいったりして。⋮⋮伯母さん、まさ か、そういうことしてるなんて思わなかったから。⋮⋮その、ごめ んなさい、悪かったわ﹂ ﹁う、ううう﹂ あやまると、虎ノ介はますますちいさくなった。 敦子はベッドの、虎ノ介の隣へ腰をおろした。 ﹁はずかしがらないで。あなたのオチ○チンなら、エッチのとき何 度も見てるじゃない。虎ちゃんだって、わたしたちの︱︱﹂ ﹁う、うわあ∼∼∼! オ、オナニーしてるとこ見られた∼∼∼っ !﹂ 1436 と。 突如、虎ノ介は悲鳴をあげた。 頭をかかえ、﹁最悪だー﹂と何やら、もだえながらくるしむ。 これには、敦子があわてた。 ﹁ちょ、ちょっと待ちなさい。何も、そんなに落ちこまなくったっ ていいでしょう﹂ さと 諭すが、虎ノ介は聞かない。 羞恥に頭をかきむしり、すねた子供のようにつっぷす。 敦子はあきれるしかなかった。 ナイーブだとは知っていたが、まさかここまでとは、といささか おどろいた気分にもなった。 もっとも敦子にしろ、彼のすべてを知るわけではない。 性格の図太い虎ノ介など見たくない、そうした気持ちもある。 恋仲とはいえ︱︱いや、恋仲だからこそ、手淫を見られてはじる でもなく、 ︱︱よう、伯母さん。 などと答えてくる︱︱たとえばだが、そのような甥っ子を敦子は 見たくはない。 ︵だから、それはいいんだけど︶ よいが、しかし虎ノ介は思いのほかダメージを受けているらしい。 これには敦子としても、なんと言葉をかければよいかわからなか った。 1437 ﹁こまったわね﹂ 頬に手をやり云う。 虎ノ介はいじけた風に、毛布に隠れ、うごこうとしない。 ﹁はぁ﹂敦子は溜息つくと、みずからの頬に手をやり、云った。 ﹁じゃあ、虎ちゃん、わたしのひとりエッチでも見る?﹂ ぴくりと。 虎ノ介の背に反応があった。 ﹁こんなオバサンのオナニーなんて、見てもつまらないかもしれな いけど︱︱﹂ ﹁見る!﹂ がばと跳ね起き、虎ノ介は云った。 目を輝かせ、鼻息もずいぶんと荒い。 ﹁う、即答なのね﹂ 幾分か気圧されつつ、敦子は虎ノ介を見た。 彼の股間には、男のたぎりきった興奮が、堂々ともちあがってい た。 1438 エピローグ 敦子 その2 ﹁そんなにいいものじゃないから、見てもがっかりしないでね﹂ こう照れくさそうに前置きをしてから、敦子は服を脱ぎ、下着姿 となった。 虎ノ介の前へ、M字なりの、両足をひらいた格好ですわる。 ねりぎぬ ショーツとブラジャー、そしてパンティストッキング。 男の劣情を誘う体、練絹のような肌もあらわとなった。 その肢体を、虎ノ介は食い入るようにじっと見つめてくる。 前かがみとなって、肉棒をにぎりしめる。 ﹁虎ちゃんたら、そんなに夢中になって﹂ ﹁う⋮⋮。だ、だって﹂ ﹁興奮しているの?﹂ 顔を紅める虎ノ介の、その股間を敦子は見た。 そこにはひくひくと、今にもはちきれそうなペニスが、先端から 透明な汁をあふれさせている。 ︵あぁ、すごい⋮⋮︶ 敦子は息を飲んだ。 興奮から、自分のひたいや首すじが、汗ばんでくるのがわかった。 ︵わたしで興奮してくれているのね⋮⋮︶ そう思うだけで、胸のなかが熱くなってくる。 1439 鼓動が早まり、股間がうるみをもちはじめる。 無性に相手のことがいじらしく思え、同時に女としての優越感が、 口元をほころばせてくる。 ﹁最近してないから、たまってて﹂ 虎ノ介は情けなさそうに、うなだれていた。 敦子はそうした甥のペニスへ、ゆっくり足を這わせた。 ﹁あっ﹂びくり体をふるわせた虎ノ介が、すがるようなまなざしで 見た。 ﹁うふ、うふふ﹂ ・ ・ ・ 両足でこすると、虎ノ介はたちまちもだえはじめた。 ペニスのふるえが、ストッキングごしにつたわってくる。 敦子は口の端をつりあげ、云った。 ﹁エッチしたかったの?﹂ くるしげにうなずく虎ノ介。 さもあらん、と敦子は考えた。 虎ノ介が今、常用している薬。 あれは、もともと田村一族のつくった秘薬なのだ。 媚薬︱︱つまり発情効果のある薬だが、しかし本来の効能はそこ にはない。 本来は滋養強壮、そして体質改善のための薬なのである。 虎ノ介にあたえているのもそのためで、発情効果自体はその分量 から云って、さほどない。 あくまで健康維持が目的の投薬にすぎない。 しかしそれでも性欲の増進、精力増強という部分で、効果を見込 1440 めるのも確かだった。 毎日、女を抱く。 そのように調整されている虎ノ介なのである。 ︵それがいきなりセックス禁止じゃあ、欲求不満になるのも仕方な いわ︶ ならば、ここは自分が相手をするしかない。 そう心で言い訳をして、敦子は虎ノ介を抱くことに決めた。 のばした足指で、器用にペニスを愛撫する。 透明のねばついた液が、ストッキングごしに足裏を濡らした。 ﹁ふふ、虎ちゃんはほんとうに濡れやすいのね。とっても素直で、 かわいいオチ○チン﹂ ﹁か、かわいいなんて﹂ 虎ノ介はうらめしそうな口ぶりで云った。 彼にとって包皮あまりのそれは、コンプレックスのひとつである。 ﹁おれのことはいいですから。伯母さんのオナニー、み、見せてく ださい、先に﹂ ﹁え? ああ、そうね。あやうく忘れかけていたわ﹂ そう答え、ストッキングに手をかける。 脱ごうと腰をうごかすと、虎ノ介が突然、思いだしたように云い そえた。﹁ちょっと待って﹂ ﹁パンストはそのままでお願いできませんか﹂ ﹁は??﹂ 1441 思わず、間の抜けた返事をしてしまう。 虎ノ介の顔つきは真剣そのものだった。 ﹁大事なところなので。パンストは履いたままでお願いします﹂ ﹁でも、このままじゃ、やりくいのだけれど﹂ ﹁そこをなんとか⋮⋮!﹂ 懇願してくる虎ノ介に、敦子は承諾するしかなかった。 ﹁仕方ないわね⋮⋮﹂と、しぶしぶ、ストッキングの股部分へ指を かける。 引っぱると、うすいナイロン製のそれは簡単にやぶれていった。 股間を中心に、円状の穴があき、そこから白い肌とレース地のシ ョーツとがのぞく。 と、虎ノ介のペニスが、いっそうふとく充血してきた。 敦子は、あきれた風に云った。 ﹁まったく虎ちゃんったら、おかしな趣味をもっているのね。あな たの年ごろに似つかわしくないわよ、こんなのは﹂ ﹁そ、そんなことないですよ。ふつうです、ふつう﹂ ﹁ふつうねぇ︱︱。まあ、いいわ﹂ 言い訳がましくこたえる虎ノ介を、敦子は年長の余裕でもって見 て、 ﹁そこで見える? もっと近づいてもいいのよ﹂ ﹁あ、うん﹂ 虎ノ介がひざをすすめてくる。 敦子は指で、ショーツのクロッチ部分をずらした。 鬱蒼とした密林の下、年齢のわりに綺麗な、あまりつかいこまれ 1442 ・ ・ てないひだが見えた。 ﹁どう? 見える?﹂ ・ ・ とうみつ 毛むらをかきわけ、指で、ひだを割りひらく。 ﹁ねちゅ⋮﹂とわずかにしめった音を立てて、糖蜜の女園があらわ となった。 ・ ・ 桃色の花びらは、興奮から、すでにうっすらと濡れている。 下部にはふちのふぞろいに波打った肉穴が、ひくひくと物欲しそ うに息づいていた。 虎ノ介がごくり喉を鳴らす。 敦子はその反応に満足しながら、ゆっくりと唇をなめた。 ︵ああ、わたし見せてるんだわ。虎ちゃんに。こんなはしたない格 好で、股を大びらきにして。男のひとにオマ○コを見せつけてるん だわ︶ そう思うだけで、ますます濡れてくる。 はずかしい。そう思う気持ちも当然あった。 だが自身の淫乱な性質を自覚する敦子にとって、その気持ちが抵 かて 抗となることはなかった。 羞恥心さえ快楽の糧にしてしまう。 敦子、いやいったい田村の女たちには、総じてそうしたところが あった。 ﹁ああ、見て⋮⋮。虎ちゃん⋮⋮﹂ ブラジャーをずらし、まろびでた乳房をもむ。 いじった乳首は、たちまち、硬くしこりはじめた。 敦子は乳房をさわりつつ、さらに秘裂を何度となく、指でこすり 1443 あげた。 最初はゆっくり、それからだんだんと、うごきをはやめていった。 ﹁はぁ⋮⋮はぁ⋮⋮あぁン⋮⋮﹂ 口から声がもれる。 甘い快感が、毒のように体をしびれさせる。 体の深いところからのぼってくる、海にたゆたうような浮遊感。 いつの間にか、膣口には、指が二本もはいりこんでいる。 己の意思とは関係なくうごく指を、敦子は制御できなくなりつつ あった。 かぐわ 秘所からあふれた大量の愛液は、今や肛門にまでつたわって、あ たりには芳しい牝の香りが、ぷんと立ちこめている。 ﹁オ⋮⋮オォ⋮⋮おォン⋮⋮♥﹂ 目をつぶり、あごをあげ、もだえる。 ちゅくちゅく、股間が音を鳴らす。 絶頂はもうすぐそこにあった。 敦子は、甥に抱かれる自分を夢想し、その甘いファンタジーに酔 いしれていた。 ︵な、なんだか⋮⋮最近してなかったせいで、わたしまで興奮して ⋮⋮︶ 想像のなかの虎ノ介は、すでに敦子へ挿入している。 生のペニスで、彼女を犯しているのだ。 のみならず、なかで果てようとしている。 いつもは必ず避妊する虎ノ介だったが、夢のなかでは強引だった。 1444 ﹁オオ⋮⋮♥ い、いいわ⋮⋮♥ そうよ、きて⋮⋮そう、そのま まァ⋮⋮♥ オオ⋮⋮♥﹂ 抽送は、どんどんはげしさを増す。 敦子はもう現実も忘れ、自慰に没頭しつつあった。 痛いほどに張りつめたクリトリス。 体はがくがくとふるえ、自然と腰が浮かんでくる。 夢のなか、虎ノ介が射精する。 それと同時、敦子はほとんどブリッジのように腰をはねあげ、絶 頂した。 ﹁ああ⋮⋮くる⋮⋮♥ くるわ⋮⋮♥ これはダメ♥ 本気アクメ、 き、きちゃうわ⋮⋮ッッッ♥♥♥﹂ 股間から、透明なしぶきが噴きあがる。 それは間近で見ていた虎ノ介の顔︱︱現実の虎ノ介にも、ぴしゃ りとふりかかった。 ﹁ッア︱︱♥ ∼∼∼∼ッいくッ♥♥♥﹂ イキながら、敦子は考えた。 ︵これじゃ本気オナニーじゃない。なんて、みっともない。いい歳 した年増女のくせに、こんな簡単に本気イキするなんて︶ オーガズム だが一度はじまった絶頂はそう簡単には止まらない。 敦子は頭のなかを真っ白に染め、ベッドへ倒れこんだ。 しばしのあいだ、手足をぴんとつっぱらせ、ぶるぶる、小刻みな ふるえを繰りかえした。 1445 ◇ ◇ ◇ ﹁ハァ︱︱﹂ やがて。 絶頂の興奮と余韻もおさまってくると、敦子の心も、次第に落ち つきをとりもどしてきた。 全身の汗も引いていき、それと前後し、強い羞恥と後悔が襲って くる。 敦子は体を起こすと、顔を紅くしつつ、乱れた髪など直した。 本気 でオナニーして見せること まったく、ばかなことをしてしまったと思う。 甥のためとはいえ、ここまで もなかった。そう考える。 そして、いざやってみると、これがなかなかにはずかしいという こともわかった。 本性をあらわにしたあの淫乱で下品なセックスも、アレはアレで はずかしいものだが、しかし自慰を他人に見せるのも、またちがっ た方向のはずかしさがある。 ︵まあいい︶ いずれ虎ノ介との話なのだ。 虎ノ介に見られるのであれば、これは十分、本望と云っていい。 敦子は深呼吸した。 と、そこで虎ノ介の息が荒いことにも気づく。 ﹁虎ちゃん⋮⋮?﹂ 1446 見れば虎ノ介のペニスから、白い粘液が噴きあがっている。 どうやら彼もまた、我慢できずに達してしまったらしい。 射精は断続してつづき、ペニスはいまだ大量の白濁を流している。 敦子は無言で、手まねきした。 ﹁お、伯母さん﹂ よろこんだ虎ノ介は、パジャマを脱ぎ、勇んで立ちあがった。 そなえつけの収納棚から、コンドームをとりだす。 敦子はしばし考え、虎ノ介に云った。 ﹁虎ちゃん。それ、いらないわ﹂ ﹁え?﹂ 虎ノ介は不思議な顔をする。 敦子は手をのばし、虎ノ介の手からコンドームをうばいとった。 にぎりつぶして、ゴミ箱に棄てる。 ﹁お、伯母さん?﹂ ﹁わたしたち、伯母と甥でしょう?﹂ ﹁う、うん、だから避妊しないと﹂ ﹁ええ、けどそれで虎ちゃんは満足?﹂ ﹁え︱︱﹂ ﹁わたしはね、満足できないの﹂ 云って、敦子は虎ノ介を押し倒した。 唇を吸い、舌をからませる。 唇をはなすと、ふたりのあいだ、唾液が透明な糸をむすんだ。 ﹁いったい虎ちゃんが、どういうつもりでわたしを抱いてくれてる 1447 のか、これまでは聞いてこなかったけれど﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁わたしは貪欲よ。好きな相手とはどこまでも一緒でいたい。だか らね、もしわたしと関係をつづけたいなら、あなたにもそういう気 持ちがあるのなら、そう︱︱﹂ ひとつ言葉を切り、敦子は虎ノ介を見つめた。 これからだす言葉。 そのイメージが引き起こす、寒気にも似た快感が、ぞくりと背す じへ這いあがるのを感じる。 敦子はつづけた。 うっとりと、陶酔の笑みを浮かべた。 ﹁わたしを陵辱しなさい。わたしを不幸にするつもりで。あなた自 身のために、わたしを汚し、殺し、うばい、わたしの魂を堕としな さい。それができなければ、わたしはあなたに従えない。︱︱もう 二度とあなたとはしないわ﹂ しばし目を見開き、虎ノ介は沈黙した。 敦子はそのあいだ、無言で返事を待ちつづけた。 一秒か二秒。 わずかな時間が、敦子にはひどく長ったらしく思えた。 心臓は先ほどから、うるさいくらいに暴れている。 敦子は息をするのも忘れ、甥っ子の顔を見つめた。 あるいは、すがるようなまなざしであったかもしれない。 ぽたりと、敦子のあご先から、汗のしずくが落ちた。 と、いきなり虎ノ介がうごいた。 ﹁きゃあっ﹂ 1448 位置を入れかわりに、今度は敦子が押し倒される形となる。 虎ノ介は、ぐっと口もとを引きむすび、何か決心したような顔つ きであった。 ﹁いいの?﹂ 敦子は尋ねた。 ﹁わたし、そろそろあぶないわ。生でエッチなんてしたら、妊娠も ︱︱それでも⋮⋮?﹂ ﹁かまわない、決めたんだ﹂ 憤然と、虎ノ介は襲いかかってきた。 敦子は嬌声をあげ、そのまま虎ノ介に組み敷かれた。 深いキスをかわしながら、ひらいた両足を相手にまきつける。 腰を押しつけ、挿入しすいようショーツをずらしてやると、ペニ スはぐっと角度をつけ、秘裂へとはいりこんできた。 また敦子は声をあげた。 ﹁ダメ、ダメよ虎ちゃん♥ あァン! わ、わたしたち伯母と甥な のよ? こ、こんなたくましいオチ○チン⋮⋮こ、こんなの生で犯 されたら、伯母さん妊娠しちゃう。虎ちゃんの子供、受精したくな っちゃう⋮⋮♥﹂ 快感が脳を溶かす。 敦子は甘い快感に蕩けつつ、嘘の拒否をかさねた。 もちろん肉体はそうではない。 敦子の体は、虎ノ介をにがさないよう、しっかりつかまえている。 ﹁ごめん。ごめん、伯母さん。おれ、やっぱり伯母さんに子供生ん 1449 でほしい。おれと結婚してほしい⋮⋮!﹂ そう情熱的にプロポーズして、虎ノ介は抽挿を繰りかえした。 乱暴なピストンに、敦子ははやくも次なる絶頂を感じはじめてい た。 ﹁伯母さん、結婚してよ。おれと一緒に、ずっとおれのものに﹂ ﹁ああ、と、虎ちゃん。なる、なるわ。虎ちゃんのものになります。 一生ずっと、あなたのそばにいます。あなたを愛して、あなたを守 ります⋮⋮!﹂ ﹁お、伯母さぁん﹂ ﹁ア、アァ∼∼∼∼♥♥♥﹂ 部屋のなか、絶叫が響いた。 敦子は虎ノ介と唾液を交換し、さらに本能のおもむくまま、腰を ふりつづけた。 ︵謝るのはわたしの方︱︱。ごめんなさい、虎ちゃん。ごめんなさ い、龍。ごめんなさい京子さん。だけど、ゆるしてちょうだい。わ たしにはこうするしかできなかった。この子を守るにはこれしかな かった。今のわたしには、この子を手放すことなんて、もう︱︱︶ 敦子の心を、虎ノ介は知っていただろうか。 ふたりのむつみあいは、そのまま夜の明け方近くまでつづいた。 ◇ ◇ ◇ 翌日⋮⋮。 1450 虎ノ介のいる個室から、一台のベッドが運びだされた。 ベッドの布団、マットレスはひどくよごれ、到底つかいものにな らない有様だったため、仕方なく廃棄処分とされた。 敦子にはまた病院からの苦情があったらしい。 敦子は、その日一日、晴れやかな顔をしていた。 1451 エピローグ つづきゆく日々 三月にはいって、急によくなった陽気の影響らしい。 先週まで、まだつぼみの多かった桜も、ここにきて一気に花を咲 かせはじめた。 片帯荘の近所にある、川沿いの桜並木も、今週にはいって咲きだ し、今やその風姿は見事な花のトンネルになっている。 よ。なーにが、 わたしたち 沿道では、ときどき道を歩く親子づれが桜を見上げ、たのしそう にしていた。 ダメよ、虎ちゃん よー。てーやんでぇ。ノリノリでせまってるくせに、 ﹁ちぇっ。何が 伯母と甥なの いちいち白々しいってのよー。あーもー、これだからオバさん世代 ってのはイヤよ﹂ 路肩に停められた、シルバーメタリックのセダンで、こうぶつく さ、女がつぶやいていた。 田村舞である。 ・ ・ ・ ・ とびぬけた美貌に、モデルと見まごうばかりのスタイル。 切りそろえたみじかい髪が目を惹く。 そしてその隣にいる、スーツの女は佐智だ。 運転席にすわって、助手席の主人を、サングラスごしに見ている。 背すじをのばし、まったく表情を変えないさまは、どこかむかし の武士を彷彿とさせる。 舞の耳にはイヤホン。 デジタルケーブルが首すじをつたい、上着のポケットまでのびて いる どうやら、携帯プレーヤーで音楽でも聴いているらしい。 1452 いらだった顔つきで、時折、何事かつぶやいている。 ⋮⋮虎ノ介の怪我から、半年がすぎている。 あれから、虎ノ介はさほどかからずに退院することができた。 予後も良好で、体についての問題はない。 ただ今年は厳冬だったせいもあり、虎ノ介もしばらくつらい思い をした。 寒さが、怪我した背中に響くのである。 痛みが消えたのは、梅のぽつぽつと咲きはじめたころで、医者に よればおそらくこの先も、冬になればこうした痛みの出るというこ とだった。 もっとも本人はあまり気にしていない。 あたえられた状況を素直に受け入れるのが、虎ノ介という青年の 美点であり、またひとから見て、どこかもどかしいと感ずるところ でもあった。 ﹁いったい先ほどから、何を聴いていらっしゃるのですか?﹂ 運転席から佐智が云った。 舞はイヤホンをはずすと、佐智の方に目をむけ、つまらなそうに 前髪をかきあげた。 つややかなショートボブが、指のあいだで、はらりと揺れうごい た。 ﹁トラの記録よ。部屋の録音。半年前の、入院してたときのね﹂ ﹁録音、ですか?﹂ ﹁そう。トラがICUから個室へうつったときにね。まあ蒔オバさ んにバレて、没収されたんだけど。でも、ついこないだ、那智が見 つけてくれてね。すこしだけデータを回収できたの﹂ ﹁それは盗聴というものですよ、お嬢様。まったく、あなたときた 1453 ら、ほんとうにいつまでたっても﹂ ﹁那智とおんなじこと云わないでよ。だって気になるでしょ。わた したちがいないとき、トラが何してたか﹂ ﹁何をしてたんですか?﹂ ﹁うん、そんなにおかしなことはなかったわね。ひとりのときは、 だいたい本読んでるか、眠ってたみたい﹂ ﹁それはそうでしょう。怪我で入院していたわけですから。それに ぼっちゃまは、いつもおつかれですし﹂ ﹁女が問題なのよ。どいつもこいつも、くるなり、トラをつまみ食 いするから﹂ ﹁まぁ、そうなのですが﹂ ﹁このときだってそうよ。まず紅葉のオバさんでしょ、橘組の美佐 子オバさん、それから、あの風宮分家︱︱国交省の女大臣まで。い い歳したオバさんたちが、なんだって、こぞって遊びにきているの よ。どいつも人妻じゃない。なんなのよ、ウチの連中のモラルのな さは﹂ ﹁分家の方々もチャンスと思ったのでしょう。夏はいろいろあって、 自由になりませんでしたからね﹂ ﹁蒔オバさんもよ。知ってる? あのひとね、このころから何度も トラとしてるのよ﹂ ﹁それについてはあきらめていますよ。あの母が、彼を前に何もし ないわけがありませんから。ボヤくだけ無駄ですし﹂ ﹁それは、そうだけど﹂ デジタルプレーヤーをはずし、舞はこれをダッシュボードへとつ っこんだ。 佐智が窓を開ける。 風にのった花びらが、車内へとはいりこんできた。 ﹁母には、わたしもひどい目にあわされました﹂ 1454 ﹁ひどい目?﹂ ﹁ええ、ぼっちゃまの怪我の件で﹂ ﹁う⋮⋮もしかしてバイオレンスな感じ?﹂ ﹁それはもう、とても。わたしも那智もボロ雑巾みたいにされまし た。骨が6本いかれましたよ﹂ ﹁うわ。そ、それって、いつの話なわけ?﹂ ﹁ぼっちゃまが退院した、すこしあとですね。ちょうどお嬢様が、 研究室の用でロシアへ︱︱﹂ ﹁ああ、バイカル湖にいってたときか﹂ 顔をしかめる舞。 佐智はドアにあご杖をつくと、さらにつづけた。 ﹁ふたりがかりで、それでしたからね。あの女を殺すのは、残念な がら、まだ先のようです﹂ ﹁ああ、はいはい。死なない程度にがんばりなさい﹂ げんなりした様子で、舞は手をひらひらとふった。 舞にとっても、来栖という家は理解の外にある。 サングラスをとった佐智が、ぽつり、ぽつり、云った。 ﹁壁に埋められました﹂ ﹁は? 壁?﹂ ﹁そう、壁に﹂ ﹁埋められたって、どういうことよ?﹂ ﹁そのままですよ。母はわたしと那智を、気絶するまで打ちのめし はめこま ました。その後、わたしたちは怪我の手当てもされないまま︱︱目 で設置されていたわけですが﹂ を覚ましたときは壁のなかにいました。正確には、壁に れる形 ﹁ああ、なんか、想像ついてきた﹂ 1455 尻ラック と呼んでい ﹁わたしたちはふたりとも裸でした。そしてコンクリートの壁から、 そのまま腰と尻をつきだす形で⋮⋮。母は ました。壁のむこう︱︱わたしたちから見えない場所に、知らない 男性がいて︱︱実はそれがぼっちゃまだったのですが︱︱母はぼっ とかなんとか﹂ ちゃまに、いたずらを仕掛けていたようでした。つまり、その︱︱ 利きマ○コ ﹁うわ、何それ、たのしそう。やってみたい﹂ ﹁やられてる方は、大変ですよ。固定されてるせいで、あちこち痛 いし﹂ ﹁コンクリなんかに埋まって、だいじょうぶだったの?﹂ ﹁肌にさわる部分には、クッションがあてられていました。ですか ら、こすれてもだいじょうぶだったのですが⋮⋮しかし、あちこち 怪我をしている上に、治療もせずにでしたからね﹂ ﹁そ、それって拷問じゃない﹂ ﹁そういうひとなんですよ、あのひとは。実の娘であろうと容赦が ないのです。しかも壁には、わたしと那智のほかに、当の母までは いっていて﹂ ﹁は?﹂舞は、ぽかんと口を開けた。﹁蒔オバさんも?﹂ ええ、と。佐智は手ぶりをまじえ、さらに、くわしく説明をはじ めた。 おやこ ﹁つまり、こういうことです。まずふたつの部屋があり、そのあい だの仕切りに、わたしたち母娘がはまっていた。わたしたち母娘は 三人ならび、壁のむこうにいるぼっちゃまへ、お尻をむけていまし た。ぼっちゃまには、わたしたちの尻と性器、ふとももなど見える だけで、顔も誰かも見えません。同様にわたしたちも、うしろの部 屋に誰がいるのか、まったくわからない。その状態で、母はぼっち ゃまに指示をだしていたわけです。⋮⋮最初は恐ろしかったですよ。 いったい誰に犯されてるのか、知らないわけですから。那智なんて、 1456 本気で泣いてましたよ﹂ ﹁ま、まあ、あたりまえよね。何考えてンのよ、あなたの母親は﹂ ﹁頭がおかしいんですよ。とはいえ、相手がぼっちゃまということ は、すぐわかりました。母はうれしそうにヨガってるし、実際わた しも入れられてみると、勝手に体が受け入れてしまいました。すぐ にゾクゾクときて。ああ、これはぼっちゃまにちがいない、ぼっち ゃまのソレだと﹂ ﹁わかるもの?﹂ ﹁わかりますよ。もっとも、ほかの男で試したわけではないので、 断言はできかねますが﹂ ﹁試したくもないわね﹂ ﹁はい。しかし考えてみれば、どだいあの母がぼっちゃま以外に、 体をゆるすとも思えないわけで﹂ ﹁それにしても、あなたたちからは見えないわけでしょう? その、 つまり挿入してる相手が。蒔オバさんだけがトラとしてて、あなた たち姉妹には別の男︱︱たとえば蒔オバさんが決めた見合い相手と か、そういう男を、あてがわれる可能性もあったわけでしょ﹂ ﹁そうですね。ですから、あとで一応、確認はしました﹂ ﹁ふうん? オバさんはなんて?﹂ 利きマ○コ ?﹂ ﹁ただのいたずらだと﹂ ﹁それが おやこ ﹁はい。ぼっちゃまと、わたしたちと、やりたかったそうです。そ ういう母娘プレイを﹂ ﹁それだけ?﹂ 意味不明じゃない、と舞は云った。 佐智は首を横へふった。 ﹁あのひとの考えることはわかりません。わたしたちに罰をあたえ たかったのか。それともお仕置きと云いつつ、遊んだだけなのか。 1457 まあ、おそらくはその両方だったのでしょう﹂ ﹁ふうん、オバさん、母娘丼プレイが好きなのかしら﹂ ﹁さあ、どうでしょう﹂ ﹁でも、おもしろいアイデアよね。トラはあなたたちに気づいたの ?﹂ ﹁わたしと母にはすぐに。ただ那智のことまではわからなかったよ うですが﹂ ﹁那智はよろこんでたでしょう﹂ ﹁うっとうしかったですよ、数日間は、にへらにへらと。まったく 最初は泣いていたくせに﹂ 尻ラック をですか? 面倒ですよ、あれは。後始末とか、そ ﹁わたしもやってみようかしら﹂ ﹁ れにけっこう体力をつかいます﹂ ﹁わざわざ壁にハマんなくたっていいわよ。トラに目隠しして、あ とは介助役をつければいいでしょ。女性陣を一列にならべてさ。順 番に挿入してくの﹂ ﹁それでどうするんです?﹂ ﹁そうね、ルール決めて、ゲーム形式がいいかな﹂ ﹁どんな?﹂ ﹁トラが相手を判別できなかった場合だけ罰ゲームをあたえるとか。 ああ、でもそれだと全員あてちゃったりすると、つまんないか。ひ とりあたり持ち時間つくって、イカせるのを競う、とかの方がいい かな? トラが目隠ししてるなら、条件は一緒だし﹂ ﹁しかし、それだと、順番の問題がありますよ﹂ ﹁そんなの、クジでもなんでも、好きに決めればいいわよ。勝った ひとからポジションをえらべばいいじゃない。射精回数を三回とか に決めてね。トラが三回射精したらゲーム終了。つまり勝者は三人。 自信があればトップバッターでもいいし、中盤の適当な場所にかま えとくのでもいいし、そこは戦略次第よね﹂ ﹁狂っていますね﹂ 1458 ﹁おもしろそうでしょ?﹂ ﹁わたしとしては、ふつうにぼっちゃまと一夜をすごしたいのです が﹂ ﹁ダメよ、そんなの、つまらないもの。ただでさえトラはフツーが いいって云うのだし。だから、つきあいなさい。いいでしょ、たま には﹂ ﹁そうですねぇ﹂ 佐智はあまり乗り気ではないようだ。 舞はじれたように、云った。 ﹁じゃあ豪華景品つけるわ、それなら参加するでしょ﹂ ﹁景品? なんですか?﹂ 目つきをするどくし、佐智が尋ねた。 舞はにやりと笑い、これが本題だと云わんばかりに、 ﹁トラの独占権、一ヶ月。どう?﹂ ﹁やります﹂ 即答する佐智。 きまりね、舞が指を鳴らした。 そうした主人に、佐智はめずらしく、やれやれといった風に苦笑 いをむけた。 ﹁しかし、そんなのが通るんですか? ぼっちゃまを一ヶ月も独占 するなど、奥様や六分家にも相談してみないと﹂ ﹁だいじょうぶよ。母さんも、この手のイベントじたいはけっこう 好きだし。分家の方は、そうね⋮⋮参加自由ってことにすればいい ンじゃない? 分家、本家、関係なくさ。この際なんでもいいわよ、 1459 かね 人妻、独身、未成年なんでもオーケー。参加料金はひとり五万円。 あつめたお金銭はトラの個人口座にお小遣いとして入金。︱︱ね、 これなら公平でしょ﹂ ﹁まったく、お嬢様もだんだん奥様に似てきましたね。確かにその 条件であれば、おそらく通るとは思いますが。ですが、そんなに参 加者をふやしていいのですか? 負けたらつらいですよ、一ヶ月は﹂ ﹁はんっ。わたしが負けるはずないでしょ。絶対独占するわよ。そ れで今年こそ、海外へハネムーンにいくの。そうね、南ヨーロッパ でもまわってこようかしら﹂ ﹁なるほど、勝利しか見えない、と。いいですね、それは、なかな か。負けたときのお嬢様のお顔が今からたのしみです﹂ ﹁だから負けないっての。あなたこそ、自分の心配なさい﹂ ﹁さて︱︱わたしには、お嬢様よりも、奥様や島津様あたりが、要 注意と思えますが︱︱ま、それはさておくとして。それでは場所を 決めなければなりませんね。どうしますか? やはり上杜の屋敷で ?﹂ ﹁場所なら、準くんとこにしない? あの銭湯、貸切で﹂ ⋮⋮などと。 そうした淫らな計画を、ふたりは勝手に練りはじめていった。 とそこへ、女がひとり、駅の方からゆっくりと近づいてきた。 歳のころ二十代後半。 わずかだが、下腹部のあたりが、まるく突き出ている。 妊婦だった。 女はセダンのすぐうしろまでくると、ひさしのついた帽子をとり、 それから手をあげた。 ﹁お待たせー。やーやー、ゴメンね、遅くなって。病院混んでてさ﹂ 小走りで駆けよってくる。 1460 気づいた舞が、あわてたように叫んだ。 ﹁ちょっと、ダメですよ、走っちゃ﹂ ﹁んー? 平気、平気よー﹂ ﹁平気じゃないってば。おなかに子供いるんだから、ころんだらど うすンのよ﹂ ﹁舞ちゃんってば、きびしいのねぇ﹂ ﹁朱美さんがいいかげんなのっ﹂ 溜息をつき、舞は車を降りた。 うしろへまわり、後部ドアをひらく。 その後部座席へ、朱美が体をすべりこませた。﹁ありがとう﹂朱 美が云った。 ﹁検診の方はどうでしたか﹂ 運転席から、佐智が、ミラーごしに尋ねた。 ﹁うん、順調。母子ともに健康そのものだって﹂ ﹁そうですか、それはよかった﹂ ﹁ええ。ありがとう、佐智さんも﹂ ﹁え?﹂ ﹁佐智さんも、はやく授かるといいわね﹂ ﹁わたしは、その﹂ 佐智がちょっと、だまった。 助手席に乗り組んだ舞が、たすけるように云った。 ﹁いいわよ、佐智。遠慮しなくたって﹂ ﹁お嬢様?﹂ 1461 ﹁あれだけしてるんだし、いずれ遅かれはやかれ、できるわよ。ピ ルは飲んでないのよね? もし飲んでるなら、すぐやめなさい。心 配せずとも、わたしも母さんも、とがめる気なんてないんだから﹂ ◇ ◇ ◇ 車は環状八号線を、南へとすすんでいった。 外はあたたかく、まだ三月だというのに、すっかり春の陽気で満 ちている。 空は澄みわたって、雲ひとつない青空がひろがっていた。 道は混んでいたが、といって、あまりいらだつほどでもなかった。 ﹁それじゃ、朱美さん、相手の女のひとに会ったんだ﹂ 舞が助手席から、ふりかえった。 訊かれた朱美は、考えぶかげな様子で、ひとつうなずいた。 ﹁うん。偶然、刑務所の前でね。彼女も面会だったみたい。特に何 か話したわけじゃないけど、申しわけなさそうにしてたわ﹂ ﹁ふぅん⋮⋮﹂ ﹁まあ、二度と会うこともないでしょうし、どうでもいいけどねー﹂ ﹁相手が犯罪者になっても待ちつづけるなんて、案外まじめね、そ の彼女﹂ 感心した、という風に舞が云った。 朱美が声もなく笑った。 ﹁そうね。翔太︱︱アイツにはもったいないくらいに。わたしなん 1462 かより、そっちを大事にしてれば、こんなことにはならなかったの に。ばかよね﹂ ﹁旦那さん︱︱ううん、今は元旦那か。そのひとは?﹂ ﹁うん。ヒナタとは会わないって。だからもう、これで完全に終わ り﹂ ﹁ほんとうに?﹂ 舞の視線が、探るような光を見せた。 なるほど、舞が不審がるのも無理はない。 朱美の元旦那は、虎ノ介のことをうらみ、ついには殺そうとした 男だった。 自分の不義を棚にあげ、朱美に執着しつづけた男だった。 彼がまだ、虎ノ介に殺意をいだいているとしたら⋮⋮。 片帯荘の女たちにとっては、気にかけずにいられない問題だった。 ﹁それはないでしょ﹂ しかしながら、朱美はそれをあっさり否定した。 ﹁どうして云いきれるんです?﹂ ﹁だって、アイツすっかり腑抜けちゃってるもの。枯れたっていう かさ。まるで別人になったみたいにね﹂ ﹁別人? そんなに?﹂ ﹁ええ。今回の件じゃ、いろいろと考えることがあったみたい。特 に、虎くんに云われたことがこたえたらしかったわ﹂ ﹁トラ?﹂ 舞は怪訝な顔をした。 朱美はうなずき、 1463 ﹁刺されたときにね。ヒナタのこと考えなかったのかって。虎くん がそう云ったんだって﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁それが胸に刺さったらしいいのよね。自分の殺そうとした男に云 われたその事実がさ﹂ そこまで云うと、朱美は言葉を切った。 舞は体を前方へもどすと、口のなかでちいさくつぶいやいた。﹁ そっか。やりかえしたんだ、あの子﹂ それきり、誰もしゃべらなくなった。 三人のあいだに、しばし沈黙が落ちた。 ややあって、沈みかけた空気をふりはらうように、朱美が明るい 声をだした。﹁えっと︱︱﹂ ﹁それでテリーはいつごろ、羽田につくの?﹂ ﹁あ、うん、電話だとお昼ごろって云ってたんだけど﹂ 舞はすこし曇った表情で云った。 ﹁何か気になることでもあるの?﹂ ﹁気になるというか。あのひと、とにかく適当だから﹂ 舞のこたえはいまいち、判然としない。 だがそれでも朱美は納得した風にうなずいた。 ﹁ああ、そっか。前のときは、一日遅れで空港にいたのよね﹂ どうも三人は、空港へ、ひとを迎えにいく途中らしい。 だが当の相手が、何やら妙な人物であるらしかった。 1464 ﹁ちゃんといるといいけど﹂ 舞が云った。 花びらがまた、窓から車内へはいりこんできた。 ◇ ◇ ◇ おなじころ⋮⋮。 片帯荘のすぐ近くをひとりの女が歩いていた。 白のワンピースにカーディガンを羽織り、うしろ手にバッグと旅 行カバンをはこんでいる。 ざっと見て、美人︱︱そんな女性であった。 強いまなざしの光に、清廉さをただよわせる口もと。 そして、そのやわらかな歩く姿などは、少女から大人の女へ変わ る、そうした年ごろの空気を強く感じさせ、すれちがったひとを、 ついふりかえらせる。 法月伊織であった。 ﹁ええっと、確かこの辺だった、かしら﹂ 独りごち、周囲をたしかめる。 伊織はゆっくりと、桜の咲く川沿いから、住宅のある坂の方へと 折れた。 あたりを見回す彼女の手には、ポケットサイズの地図帳がにぎら れている。 坂の上には、住宅がいくつも、重なるようにならんである。 そのなかに、ひときわ高い尖塔が、すっくとそびえているのが見 えた。 1465 ﹁あれ︱︱﹂ 目的の場所を見つけた。 伊織は、急いで坂を駆けのぼりはじめた。 とその途中、もうひとつある方の坂から、ふいに別の女性があら われた。 ﹁きゃっ﹂ ふたつの坂の合流地点で、ふたりはぶつかった。 伊織は注意をはらっていなかったため、そのまま相手の女へとぶ つかったが、相手はどうやらぶつかる直前に気づいたようで、 ﹁おっと﹂ 抱きかかえるようにして、伊織を受け止めた。 ﹁だいじょうぶか?﹂ 巨大、と云っていいサイズの胸が、伊織をささえる。 伊織はあわてて、顔を紅くしながら、とびのいた。 ﹁ご、ごめんなさい﹂ 女は屈託のない笑みを浮かべると、云った。 ﹁いいさ、こっちはだいじょうぶだ。だけど、車には気をつけなよ﹂ ﹁ホントにごめんなさい﹂ 1466 ・ ・ ・ 謝りながら、伊織は相手の言葉に、奇妙ななまりのあるのを感じ た。 外国人風のアクセント。 上目づかいで、伊織は相手を見た。 見ると、相手は日本人ではなかった。 若い白人女性。 アメリカか、ヨーロッパか、いずれにしろ生粋の西洋人に見える。 旅行者風の格好をして、背が高く、長い金髪︱︱いくらかくすん だ色のそれを、うしろで結って背中へ提げおろしていた。 ガイジン のなりして 伊織の視線に気づいたのか、照れくさそうに、肩にかけたデイパ ックをゆすった。 ﹁一応、これでも日系人なんだよ、こんな るけどね﹂ ﹁あ、すみません。じろじろ見ちゃったりして﹂ ﹁いいよ、見られるのには慣れてる﹂ ﹁ご旅行、ですか?﹂ ﹁いやあ、逆。昨日、帰国したところでさ﹂ ﹁あ、そうなんですか。じゃあ、帰るところだったんですね﹂ これ以上、引き止めることもない。 会釈し、伊織ははなれようとした。 彼女自身、めざすところがある。 考えなければいけない問題もある。 バックパッカーになど、特に興味もわかなかった。 ﹁まずはそう、交渉よね。交渉。とにかく話さなくっちゃ﹂ 特別 の物件。 歩きだし、これからのことをシミュレートする。 不動産屋に教えてもらった 1467 その物件の管理者へ、伊織は会おうとしていた。 と︱︱。 ﹁あれ?﹂ 数歩をすすんでから、伊織はうしろをふりかえった。 はすかい なぜか例の白人が、うしろをついてくる。 伊織はまた数歩、歩いてみた。 まだついてくる。 やがて教会が見え、そこからさらに斜交に、木造のアパートが見 えた。 女性は伊織のうしろをはなれなかった。 ﹁あの、何か用ですか?﹂ 不審に思いながら、伊織は尋ねた。 見れば、相手も怪訝そうな表情を浮かべている。 ﹁いや、アタシんちも、このアパートなんだ、けど﹂ ﹁え︱︱? まさか、ここの住人?﹂ そう云ったとき、アパートの庭先で掃除をしていた女性が、しゃ べっているふたりに気づいた。 箒を置いて、小走りに近づいてきた。 ﹁あら、テリーちゃん! お帰り! どうしたの、今、舞が空港に 迎えにいったばかり︱︱ってあら、あなた︱︱?﹂ 管理人らしき女性が、伊織とテリー、ふたりをくらべるようにな がめた。 1468 伊織は緊張から、ぐびり、とつばを飲んだ。 思いがけない展開があったが、ついにこのときがきた。 ともかくまずは交渉︱︱。 伊織は頭をさげ、それから切りだした。 ﹁あ、あの︱︱っ﹂ 伊織の意図を察したのか、管理人の女性は、すこしだけおもしろ そうに微笑した。 金髪の女性は、伊織を不思議そうに見ている。 風が、ふわりと吹いてきた。 たくさんの白い花びらが、アパートのまわりを流れるように舞っ た。 1469 エピローグ つづきゆく日々︵後書き︶ この話で完結となります。 最後まで読んでくださり、どうもありがとうございました。 1470 PDF小説ネット発足にあたって http://novel18.syosetu.com/n9283bc/ 変態荘へようこそ! 2016年10月30日06時36分発行 ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。 たんのう 公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、 など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ 行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版 小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流 ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、 PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。 1471