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個別ケアを支えるのはチームケア、チームケアに欠かせないのはケアの

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個別ケアを支えるのはチームケア、チームケアに欠かせないのはケアの
個別ケアを支えるのはチームケア、チームケアに欠かせないのはケアの
水準を自覚しているリーダー
個別ケアを支えるのはチームケアである。チームケアに欠かせないのはケアの水準を自覚
しているリーダーの存在である。リーダーとして育つというのは、この 器づくりのような
気がする。器はやっぱりぴったりとくるものがいい。とってもいい。小さかったり大きか
ったりだとどうしてもうまくいかない。時には味まで 変わってくるものである。
はじめからぴったりとくるリーダーなんていない。どんなに気持ちがあってもチームケア
をマネジメントしていこうという視点と方法がそなわってなければ結果 としてそこで暮
らす入居者にしわ寄せがくる。ユニット型の特養に限らす高齢者施設において施設全体の
目標にそって、それぞれのユニットが取り組んでいると 思います。その中で、特にリーダ
ーさんの役割は大きいものと考えます。
自分も一人のケアワーカーとして従事する必要がありますし、リーダーとしてスタッフへ
の指導、大きなミスにならないように小さなミスを見逃さす軌道修正し なければならなか
ったり、またときには個々のスタッフへのメンタルなサポート、専門職として成長を期待
した支持的教育などそれはそれは多岐にわたっている と考えます。
そして何よりリーダー自身が「こんなケアをやっていきたいんだ」という思いです。施設
の理念を自分なりに消化し、そこからきっかけを創っていくと同時に、 この思いをスタッ
フを通じて、ケアという形にしていなかなくてはなりません。他のケアワーカーと役割が
大きく違う点がここにあります。個々の力量だけだな くリーダー全体としての、底上げ的
な取り組みが必要ではないかと思っています。それは仕組みであったり、流れであったり
すると考えます。やはりそれには、 短期の目標、長期の目標、対応した結果の評価、次へ
の課題とコツコツと自分たちの取り組みを評価しながら進めていく流れと底上げ的な方策
が必要だと考えま す。ひとつの案として作ってみました。月間、四半期報告、その報告書
をもってリーダーとの面談です。この時間をしっかりともち共に方向性を確認しながら進
む、そしてリーダー全体での器づくり(マネジメント方法)と考えています。
よりより介護を創っていくことがある意味、リーダーの役割で、方法を見出し、それを定
着させ入居者に役立っているか最後まで見届けること、そしてそれを自 覚しているリーダ
ーがいるかどうかである。どんなにやる気があっても、役割達成のためのマネジメントの
方法をもっているかどうかによるのではないだろう か。施設の機能として捉えて確立して
ゆくかどうかに介護がかかっている。リーダーが変わり介護視点やそ方法が変わればいず
れ職員が変わってゆくと考えま す。職員が変わればそこで暮らす入居者も変わってゆくの
ではないだろうか。施設がそうやって変化していく。仕事として介護が「人」を育ててゆ
くのだと考え ます。そんな仕事としての介護をやっていきたい。
個別ケアを支えるのはチームケア、チームケアに欠かせないのはケ
アの水準を自覚しているリーダー②
介護を提供することが仕事なのですが、私たちは介護を提供する組織の中にいます。どの
施設でも組織表があるように、何かしらの部署に所属し上司、部下の関 係にあり、各セク
ションには責任者、リーダーなど中間管理職、そして施設長(管理者)がいます。入居者
とのケア関係だけではなく介護を提供する組織内の人 間であります。
介護の提供を通じてうまれてくる様々事柄について、どの職員が対応するのか、例えば監
査のときなどはだれがどう対応するのか、また、具体的な介助について の家族からの問い
合わせや、事故などに係わる保険者や家族の対応、医療機関等への連携などの様々な要求
に応えなくてはなりません。だからその対応すべき役 職を、組織内のスタッフは相互に理
解しておくことが必要となります。当然、事故やケアの質に係わることが起きた場合に、
施設長(管理者)がどう対処するの かということは、スタッフも組織内の人間であるので
自分たちの問題でもありますが、管理者がどう対処するかというのはスタッフとしてもう
一つの関心事だと 思います。対応を求められる事象が起きたときどう対処するか責任であ
ったり、その後の取り組みであったりと管理者の判断はまさに自分の施設の方向性が表れ
る時のような気がします。このように責任と権限の所在を明確にすることが必要であって、
権限のもと様々な対処を行なっています。
ケアに関してもっともっと解決しなればならいことは山積みなのに何故配置だとか、組織
なのかという、そういう意味で組織の中のリーダー(中間管理職)が、 施設で起きている
事態に混乱すれば、現場はもっと混乱し組織全体が混乱するからだと考えるからです。リ
ーダーとしての役割は多岐にわたるため、仕事も複雑 であるようにその複雑さのために見
失いがちな役割を常にどこかで意識して、前を向いて取り組んでいくことが施設にとって
は、そこで働く他の職員にとっては とても大切な部分であると思います。現場で起きてい
るミスや失敗の要因を個人に求めるのではなく、リーダーとして半分は自分の肩に背負い、
それがミスなの か、仕組みの問題なの、流れの問題なのか、単純な個人のミスなのか、そ
んな考えを持ち、先を見た進め方が必要なのだと思うのです。
個別ケアを支えるのはチームケア、チームケアに欠かせないのはケ
アの水準を自覚しているリーダー③
誠意があって、心がこもっていれば、お年寄りのケアだけやっていれば、あとのことは知
らなくてもいい、組織のことなど知らなくてもいいというのは、自分がやりたいケア(事)
をやっているにすぎない。
お年寄りだけをみて、中心に据えて、考えていく、そういう気持ちをもつことはとても大
切で重要なことだと思うが、介護サービスは組織として提供してされていて、当たり前の
ことだが一人ではできない仕事である。スタッフは組織内の人間である。
介護保険はよりよい制度となっていくと同時に、よりよい制度として永続的なものとなる
必要があると思う。そのためにはサービス事業者として、質をあげて、それこそ事業者自
身も事業体として永続的であるようすすんでいく必要があると思うのである。
サービスを提供し介護報酬を得て成り立っている以上、質の良し悪しは事業存続に直結し
ている。質を上げていくことが事業体としては必要であり、具体的な介 護の方法や視点を
作り出し、それを維持させていくというのがリーダーの役割であって、立ち位置であると
いうことをしっかりと受け止めることから、リーダー としての仕事が始まるのではないだ
ろうか。その一つが個別ケアを支えるのはチームケア、チームケアに欠かせないのはケア
の水準を自覚しているリーダー②に記した組織表と役割であり、組織内の他の仕事の役割
を知り理解するとともに、リーダーとして自分の役割をとらえていくことにあるのだろう
と思う。
お年寄りのケアにはトップは関係ないと思っていた。自分のケアを信じてかかわっていれ
ば、いいと思っていた。けれども現場をまとめる中間の役割の存在と必 要性を強く感じた。
でも、それだけでなくやっぱりトップの考えやビジョンが何より大切だということをよう
やく知った。どれが欠けてもいけないことがようや く解かった。
先の見えない時代にありながら、先の見える達成感を感じたいと思った。
個別ケアを支えるのはチームケア、チームケアに欠かせないのはケ
アの水準を自覚しているリーダー④
他責の念ではいけない。現場でおきていることの半分を自分の肩に背負うのがリーダーで
ある。背負って一緒に潰れては困るが。問題の原因や要因をスタッフ個人だけに求めたり、
失敗だけを取り上げてしまうのはリーダーとしてのその技量を疑う場面である。
仕組みの問題なのか、流れの問題なのか、あるいは技術的なことでいうと、知っているこ
ととできるということは違うし、尚かつそのお年よりを知らなければな おさらケアが合っ
ていないという状況が起きてしまう。知っている(知識)ということと、それができる(具
体的な介助)そして、その人らしさ(その人の個別 のきまりごと)、この三つを近づけて
いく必要があると思う。正確な情報を呼び込むこととそれをケアとして導き出すこと、そ
して重ねていくことがどうしても 必要となる。瞬時にこのこと導きだすことができるのが
経験といえるのかもしれない。ケアがぴったりとその人に合っているのである。
事の原因や何故そうなったのかというプロセスを一緒に考えていくことは結果的には、事
の原因を明確にするともに、同じような状況をつくらないように次につ なげることになる、
その先にある介護をつくっていくことになる、スタッフもそういうリーダーとの関係を通
じて新たな視点を持ちえたり、責任を知り、身につ けていく、リーダーもその関係を通じ
ていくことがひとつひとつ確信を得る作業となっていくものである。
ケアの水準に受け入れがたい状況を知ったとき、リーダーは何らかの行動にを起こすこと
が求められる。それは自分の目で耳できいて知った場合、文書を通じて知った場合、ある
いはお年寄りから、家族からの話の中で、スタッフからの報告からと様々である。
行動になかなか移せないという実態もあるが、リーダーもまた人の子であり、役割ももつ
以前に一人に人間である。様々な気持ちの動きがあり押しつぶれそうに なってしまう。で
も役割はすでに個人を越えるものなのかもしれない、強くなるというか仕事だけでなく私
たちはいろんな役割を日常生活の中でも担っている。家 庭の中でもそうだと思う。役割関
係で成り立っているのかもしれない。
現場でおきていることの半分を自分の肩に背負うというのは、行動に移す、はじめの一歩
であると思う。
個別ケアを支えるのはチームケア、チームケアに欠かせないのはケ
アの水準を自覚しているリーダー⑤
ただ長く勤務していれば、年齢が上だからということでリーダーになれる訳ではない。5
年たったら、5 年の経験があるからリーダーとしての能力が身につくかという、それも有り
得ない。10 年選手の答えが正しいかというと決してそうではないと思う。
よく現場での古株がリーダーや中間管理職として、起用され、当の本人もその辞令を受け
取ってしまう。あとは、本人任せという状況で結果、「やっぱり、でき なかった」と能力
を評価されてしまう。これでは適切な人選とそのあとの取り組みについても施設も本人も
方向性を失う結果になりかねない。
どのような職場、職種であっても仕事としての介護にあたっているとき、その経過の中で
この介護方法はもっとこうすればいいのではないか、この連絡経路や流 れはこのように変
更すべきではないだろうか、仕組みの問題ではないだろうか、と流れや仕組みそしてスキ
ルの質を上げて施設を良くしていこうとう意見や提案 を持つものである。少しでもその糸
口が見つかり、解決できるようであれば、解決できるような取り組みに自分も参加するこ
とができるようであれば、その一連 の取り組みを体感できそれなりに得るものがあるだろ
うと思う。けれどもこれらは誰かが把握し吟味し改善に向けたG0サインを出す必要があ
る。
リーダーとして自分以外の職員のこのような改善や見直しのための提案や意見があるとい
うことの存在を認識し、仕組みや流れを現場からの必要性をもって動きださせていく、新
たな仕組みと流れを創っていく視点と動きがリーダーには必要となってくる。
この視点や動きがにいつその職員、あるいはリーダー自身が気付き、ものにし動きが能力
となっていくかはまさに一つ一つの体験や課題解決に向けた取り組みの体感によるのでは
ないだろうか。
このような視点をもってリーダーとして臨むことが必要な点である。リーダーとなってか
らもこの能力を磨くという意味では施設は教育の現場であるといってい いのかもしれな
い。体験や動きを経たとしても、すべての職員がそのような視点や能力を持ち合わせるわ
けではないからこそ、リーダーとしてスタートしてから も、できればリーダー全体として
の底上げ的な教育システムも必要となるだろうし、リーダーの存在自体が施設の中心的な
機能として捉え、持ち合わせていくこ とが必要な点であると考える。では誰がそのような
部分、目に見えない、これから先の部分を作っていくのかという点がある。これはやはり
その施設の核となっ ている人がやっていくしかない。役職は勿論、その立場を受け止め苦
渋しつつも自覚している人なのかもしれない。長い勤務、年齢が上、順番などでリーダー
に なれる訳ではないというのはこのような理由からである。
個別ケアを支えるのはチームケア、チームケアに欠かせないのはケ
アの水準を自覚しているリーダー⑥
治癒しない、回復しないからということではなく病気や疾患を抱えながらも暮らしてゆく
存在と受け止める、それが生活モデルのような気がする。
医療モデルと生活モデルの違いがあり、施設は生活モデルを目指しているということ理解
する。医療モデルの考えかたは、その中心となる視点を機能障害として いる。治療・訓練・
処置といわれるキュアであり、目指すところは治癒であったり回復であったりする。文字
通り機能が障害を受けることを、この考えに基づく 介護はある意味できる限り防ぐ、リス
クを伴うことをできるかぎり避けるというような考えにいきつく。
「歩くと骨折してしまう
から」
「立ったりすると転倒が 心配だから」と行過ぎたリスク管理である。
生活モデルは、その考えの中心を生活障害、自身の要因もあるが取り巻く環境による不自
由さのようなものと捉えられると思う。支援・援助・具体的な係わりか ら生れる介護関係
を大切にしている生活モデルはその人にとっての「普通の暮らし」を介護を通じ職員との
相互関係の中にも求めているところに医療モデルとの 大きな違いを確認できると思う。
それらを総じて、ケアと認識しているが、めざすところは本人にとっての自立と自律であ
る。様々な支援の中心にあるのはある意味、本人にとっての自立と自律 とは何なのだろう
かと探り出すことにあると考える。生活障害はいいかえると、生活のしにくさであると思
う。様々な生活行為を他者の手と力をかりて行わなく てならないし、そのことを実感して
いる利用者がいる。そこでの具体的な介助が本人にとって満足できるものであればその後
の介護関係も良好となっていくだろ うが、ケアに満足できない状況であれば介護関係に隔
たりが生れる、不自由な暮らしとなってしまう。
その方が普通と思っていることは、他者にとっては到底理解できないことが「普通のこと」
なのかもしれない。
「人に委ねられる私の行為は」と考えれば、もっ と、もっとその方の
事考え、思い、それがケアにつながっていくと思う。生活モデルの探りだしは、その人に
とっての普通のことを見つけ出し、ケアとして変え てゆくことなのかもしれない。その人
が不自由に思っている生活障害を少しでも取り除いていく。これだと思う。
「背中を掻いてもらうと気持ちいいですよね」
個別ケアを支えるのはチームケア、チームケアに欠かせないのはケ
アの水準を自覚しているリーダー⑦
生活の場の専門性とは何か。僕はこれまでも施設の常識とされていることが、実は普通(一
般の方)や社会にとっては必ずしも受けいれられるものではなく、逆 に感覚麻痺の状態で
非常識に近いと思われて仕方がないということに気付かされました。たずさわる人間とし
て認識しなければならないということを考えてきた し現場でのそういう行動をとってき
た。
例えば施設の造りと職員のかかわりである。今でこそなくなったが、施設の車椅子トイレ
などはカーテンがであったり、アコーディオンカーテンであったりし た。お年寄りを車椅
子でトイレまで連れて行き、あたり前のようにカーテンを閉め、車椅子から立ってもらい
便座を移ってもらう。可能な限りと、トイレ排泄を 目指している。おそらくその方の定時
の排泄介助ということだろう。僕の含め職員は、当たり前のようにこのような介護を行っ
ていた。時にはカーテンを閉め ず、外からは丸見えで、外から来た人や面会の家族の人に
とっては目に映る光景はびっくりというより、受け入れがたい光景であったに違いないと
思う。
けれども専門性や介護の名のもと当たり前にそうやって介護してきた現場があった。しか
し自分たちがトイレに行くとき、排泄したい時にカーテンのトイレに入るだろうか。そこ
でできるだろうか。どんなにしっかりと閉めたカーテンであったとしてもできないと思う。
安易や布オムツ、紙おむつの選択もそうである。私たちは、怪我をしてもどんなに高い熱
が出ても、インフルエンザにかかってもトイレに行き、用を足す。足す ものである。しか
し、介護の現場では簡単に排泄用具の選択に移ってしまう。排泄とはそれだけ、大切なも
ので尊厳そのものであるのではないだろうか。
専門性を教育で学んできたことのように、学んできたことそのものと思い込んでいる人が
いる。排泄ケアはこうだ、食事ケア、認知症と、確かにそれも必要なことには違いない。
生活の場の専門性とは、私たちが当たり前としていることは実は違うのではないだろうか、
という視点をもって今を見ていくという考えがあり、間違っていたの なら、お年寄りにと
ってあってはならない対応だったとすれば、介護の方法や視点を変えてゆく行動をとるこ
と、そして継続してゆくことだと思う。介護の方法 が変われば、職員が変わる、職員が変
わればそこで暮らすお年寄りが変わる。要はお年寄りが「安心」を実感できるような係わ
りを目指そうとしている人が専門 性を備えていると言えるのではないだろうか。
個別ケアを支えるのはチームケア、チームケアに欠かせないのはケ
アの水準を自覚しているリーダー⑧
生活の場の専門性とは理論と実践をみつめ、今を洗い直すことであり、当たり前を疑うと
いった視点を持ち得るということといえる。ではいったいそれに携わる専門職とは、生活
の場の専門職とはどのような人を指すのだろうか。どのような要素を持ちえているのだろ
うか、あるいは求められているのだろうか。
一般的には有資格者である介護福祉士、社会福祉士、看護師、ヘルパー1 級2級の資格取得
者、医師などがあげられる。しかしながら高齢者施設で暮らす入居者 は、様々な生活行為
の実施のための介助を利用しながら、あるいは病気を抱えながらも主体的に生活するとい
うことが本人にとっても施設の目的にとっても大き な部分である。
ADL については改善や向上というよりは維持することが重要な視点でありそのためのケア
プランも作成される。病気についても、ほとんどの入居者の方がなん らかの疾病を抱えて
いる。抱えていながらも本人、本人に代わる家族の意向を中心にした、治療でなく安定状
態を維持させるための対応が中心となる。リスクを 抱えながらも、予見しながらもその方
にとって暮らしの彩りを華やかにするのが私達の役目なのかもしれない。この様な意味か
らも施設はまさに「生活」を支援 することがその目的となり、生活を支援するということ
は主体者である入居者に指向性が起こりえるような、結果として、その人らしく、いきい
きと暮らしを営 むことができるところであると考える。(どのような状態がその人らしく
なのか、効果に値するもの、評価方法が必要となるが)
介護の現場においては、新卒の介護職員や資格をもっていない介護職員も多数いる。勿論
長年のキャリアを積んだ職員もいる。様々なスキルレベルの違うという 状況の中でチーム
ケアが提供されていく。資格だけではない技術を使う人の要素に大きく左右されるなぁと
思うことがある。新卒の職員や経験の浅い職員が、認 知症高齢者の方の傍らに行き、すー
っと身体を誘導し、トイレへ向かいます。認知症の方は安心しきっています。このように
素晴らしい介護の現場の光景をみることがあります。経験や技術だけではない、その人を
知った動きや、その人の今の感情や気持ちにピントを合わせ、良い関係でケアを提供しよ
うしているところが見えてきます。
本来持ちえている主体性を指向性を兼ね備えた援助者により引き出すことによって、主体
者自身が指向性(やる気)を持ち得る援助過程がそこにはあると考えます。
あぶないあぶないというリスク管理者になるのではなく、知りえた知識、そしてそれが自
分の手足をつかって介助ができるという「持ちえている介助」そして せっかく知りえた「そ
の人のこと」これを転倒等の危険があるからと、様々な行為を行おうとすることを制限す
るリスク管理者になるのではなく、介護から生れ る様々な援助者の課題と認識するととも
にそうなるおそれがあることを認識しながらも、主体的な行為を引き出すための持ちえる
技として、自身の指向性と入居 者の方の指向性を引き出せるのが生活の場の専門職ではな
いかと考える。不安をかかえながらも行動に移すことにふみきれるような支援ができる人、
「あなたが いるから」「あなたが言うなら」とその職員がいるこの安心をもとに、なんと
うか生活の拡がりが生れてくる、生活の場の専門職とはまさにこのことではないだ ろうか。
光はそのままでは見えないけれど反射する水面があることにより美しい光、眩しい光とな
るようにいかに主体性を引き出せるかどうかは私たち援助者の係わりの指向性いかんによ
るのではないかと思う。
すーっと身体を誘導し、トイレ
ホーム内を歩いていると「気持ちいい」と感じさせてくれる場面にでくわすことがある。
お年寄りとワーカーさんが何やら世間話をしているらしい。
なんとか自分で歩こうとしているお年寄りに寄り添うワーカーさん。このような場面は
同じ同業者が見ても「気持ちい」なあと感じられずにはいられません。 そんな時はきっと
お年寄りとワーカーさんは「よい関係」にあるのだと思います。私たちワーカー職は、日
ごろからお年寄りの身体的な自立とか生活の質の向上 を目標にしていますが、このように
お年寄りと接する際、その時々の「よい関係」を保つことを大切にしていることに気づき
ます。実は、この「よい関係」をも とに対人援助サービスを仕事としているのですが、身
体的は障害を抱えたお年寄りが故に、その障害ばかりに目を奪われすぎて知識や技術が優
先になってしまい がちです。
日々、多々あることですが容易な介助でもお年寄りの気分しだいで、困難を極めること
があります。
認知症のある 80 代の女性の場合ですが、一番工夫を要するのが排泄介助です。この方は
オムツを使用していますが、排尿があってもオムツが濡れていてもト イレへ行こうとしま
せん。相当濡れていて自分でも気持ちが悪くなるとトイレへ行くことがあります。こちら
側から時間を見計らってトイレ誘導を促しても「何 よ、そんなことは自分でできます」と
怒って怒鳴ってしまいます。多くのワーカーさんがこのお年よりの誘導に失敗する中で、
誘導の成功率の高いワーカーさん がいます。私たちは、そのワーカーさんから誘導のコツ
を学びます。それは、知識と技術以外に必要な「心」の誘導です。そのワーカーさんはト
イレ誘導を主と しないで、まず、いろんなことを話しかけます。そっと手を差し伸べてト
イレへ上手に誘導します。このワーカーさんはお年寄りの「こころ」に近づこうといつ も
努力してます。
「お世話してあげてる」という姿勢は必ず見抜かれるようです。
時間的なこともありますが、何事もなく済ませたいという気持ちにもなります。そんな
時は、お年寄りを急がせてしまうことがあります。そんな時は、お年寄 りを不愉快にさせ
逆効果となってしまいます。介護はお年寄りと、そのお年よりを取り巻く「生活環境」と
の間に、よりうまく調和するのに役立つように、お年 寄り自身の力を引き出す「援助」で
はないかと思います。この行為は常にお年寄りとワーカーさんとの間で展開されているも
のであり、そこには個々人の人格を 重んじ、このお年よりが障害を抱えながらも生きよう
としている意志を支えるワーカーさんの姿勢が見られます。
お年寄り自身が、自分の抱えている障害を見つめたり、自分を振り返る時間をもてたり、
周囲の人々から支えられている実感をもてること、すなわち「よい関係」が創り出されて
過程があります。
お年寄りと接していくことは、知識と技術を深めていくことと同時に「こころ」を養っ
ていくことでもあります。ひとり一人が皆違うということを認識し、個々人に対応してい
くことはとても難しいことだと思います。
介護の奥深さに気づいて・・・。
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