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震災後だからこそ質のよい雇用を

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震災後だからこそ質のよい雇用を
緊急ティーチイン@和光:震災・脱原発を考える
震災後だからこそ質のよい雇用を
竹信三恵子
所員/現代人間学部教授
1 ── 被災下の女性たち
実は 3 月末まで新聞記者をやっていまして、いろいろ事情があってこちらの大
学に移ったのですが、その直前に震災が起こってしまって、ああ、やめなきゃよ
かった、なんて実は思っているところです。やっぱり現場に行かないとわからな
いことが多すぎて。
気になっているのは、被災地の人たち、とくに女性など社会的少数派のニーズ
が見えてこないこと。もちろん男性も大変なんだけれども、女の人の声ってほん
とに聞こえてこないんですよね。女性固有の悩みがたくさんあって、たとえば、
避難所はたくさんの人が集まっているところなのに、間仕切りがない。赤ちゃん
にお乳をあげようとして胸を出さなくてはいけない母親の横を、見知らぬ男性が
たくさん通っていくので、壁を向いて、こっそり授乳している。避難所っていう
ものは、もう公道と同じですから。それから、化粧水や洗顔用品がほしいとか言
うと、こんなときに贅沢なんて言われてしまったり。避難所によっては、女性の
被災者に炊事がまかされてしまって、肉親の行方を捜して疲れきって戻ってきた
ら食事のしたくが待っていたり、朝から晩まで100人分の食事を作って「もうで
きない」と言ったら、男性たちが代わるのでなく、
「そうか、しかたないから今
日はかっぱえびせんにしよう」と言われたり。どれもこれも地味なことなのです
けど、いるところが避難場所しかないもんですから、断るとわがままと言われて
追い出されると思うから、我慢しているわけです。女性固有の負担とストレスが
たまって、被災のトラウマの上に重なって来る。DVやレイプなど被災下での性
暴力の問題も、そうした女性がモノを言いにくい構造の上に起きています。それ
で、そうしたことを顕在化しようということで、現地の女性を助ける間接支援の
ための「東日本女性支援ネットワーク」を立ち上げました。
緊急ティーチイン@和光大学:震災・脱原発を考える
── 267
2 ──「仕事があるだけまし」?
震災だけでなく、労働も同じです。働く現場に行って、当事者の話を聞いてい
ないと、感覚がぼけてくるんですよね。ここ数年、労働について取材してきまし
たが、そのことについて話すと、何人もの人たちから、働いても貧乏だなんて人、
どこにいるの?
とか、別にだれも困ってないじゃん、とか、言われてきました。
震災後については、被災者支援のため雇用を作ろうという議論は活発ですが、現
地に求人が来ている雇用の質がすごく悪いと言われています。極端な低賃金だっ
たり、不安定な危険労働だったり、震災だからしかたないということなのか、こ
ういう労働ではサステイナブルには働けないだろうという職ばかりです。
震災前の日本社会の構造が、震災によって極端な形で浮かび上がりつつあると
いうことでしょうが、日本はもともと、人が人として存在できるまともな仕事を
創ろうという動きが鈍く、
「仕事があるだけましだ」という声が強い社会です。
原発についても、産業のない貧しい地域に原発が来てくれて、雇用ができたのだ
から、いったい何が悪い、ということになる。でも、原発は働く人が多かれ少な
かれ必ず被ばくする、という構造のもので、労働災害がかなり悲惨な形で起きて
います。被ばく線量を超えないように、働き手をとっかえひっかえしなければな
らないので、とりあえずの人集めのために、多重下請けによる、雇う側が責任を
負わなくていい働かせ方が横行するわけです。下請けをひとつくぐるたびに賃金
のピンはねがあり、最初に元請けが受け取った額の半分以下しか働き手に渡らな
い仕組みです。こうした働かせ方も、震災に伴う原発事故によってあぶり出され
ました。
この構図は、実は、製造業派遣に酷似しています。原発は、日本全体でみれば
そんなにたくさんの人を雇用しているわけじゃないかもしれないけど、日本の働
き方をめぐる考え方のひとつの原型みたいなものがそこにある、という気がして
います。
「仕事があるだけまし」という発想からは、雇用の質をあげようという動きは
盛り上がってきません。この震災を機に、そういう動きを盛り上げていかないと、
震災だからしょうがない、仕事がないんだからしょうがないと、サステイナブル
に働けないような劣悪な働かせ方が、これまで以上に一気に蔓延していく、とい
う恐怖感がものすごくあります。
この際、日本は質のよい雇用を作ろうという動きが鈍い社会なのだということ
を、直視したほうがいいと思います。たとえば、外国人研修生ですが、研修であ
って雇用じゃないということで、時給300円で働かせてもしかたない、というこ
とがまかり通っているわけです。たとえば、北関東の農家で働いていた中国人研
修生の女性は、お金になる新しい農業を中国でやりたいのでイチゴやほうれん草
268 ──和光大学総合文化研究所年報『東西南北2012』
などの換金作物の作り方を学びたいと思ってやってきたんですが、やらされたの
は製材工場で木を切ったりという単純作業ばかり。研修生を受け入れた有力者の
家で、家族の靴を磨いたり、お手伝いさんのような仕事までやらされ、家賃や家
電製品の使用料として毎月数万円も給料から引かれた。その上に、研修先の男性
にレイプされ、なんとか逃げ出してユニオンに駆け込みました。
会社がつぶれちゃうから賃金が安くてもしょうがないとか、安い賃金でなけれ
ば産業が成り立たないとか、そんな言説ばかりが幅を利かせ、働く人の労働条件
の方をもっとまじめに考えようという世論がわきあがりにくい。産業は働き手の
しあわせのためにあるという意見が支配的な社会だったら、働き手が満足に暮ら
せない会社なら、会社の方につぶれてもらって、本来の役割を果たす会社を興そ
うという動きが広がるわけですよね。北欧型はそうでしょう。働き手を食べさせ
られない会社はつぶれてもらって、産業構造を転換し、これによって失業した働
き手には失業中に職業訓練をしっかり施して、次の食べられる産業へと誘導して
いくという発想です。でも、日本って、それが浸透しなくて、会社がつぶれない
ためには人が多少死んでもかまわないといった感じでやっている。
一時的に失業や会社の倒産があっても、人を食べさせる産業を作るんだという
発想がどうして生まれないのか。まずそういう方向に行くんだっていう旗を掲げ
ないと、ワーキングプアは増えるばかりです。この震災を機にそのことを考えて
いきませんか、と問題提起したいです。
そんななかで、多少は希望の芽かなと思ったのは、小宮山洋子厚生労働副大臣
が最近、被災地のハローワークにもっと質のよい雇用を出してほしいと呼びかけ
たことです。民主党はボロボロに批判されていますけど、前の政権だったら言わ
なかったようないいことも、多少はあります。
震災から 1 カ月たって「心のケアより仕事がほしい」という被災者の声が出始
めています。とくに、
「男性は家族を養うから仕事がないと困るだろう」と優先
的に雇用創出の対象になり、女性が後回しにされたらどうしようという不安が、
女性の中には強いです。御両親と一緒に家業を営んでいて、津波で家も両親も失
い、一人で避難所にいる女性からも「女性の一人暮らしとか、典型的な働き方か
らこぼれる被災者の雇用にも目を配ってほしい」と悲鳴のような声が上がってい
ます。震災後の復興というと、がれきの片付けとか土木工事とか、男性向けの仕
事が優先的に始まることが多いと思いますが、肉体労働ができない人が就けるケ
アやサービスの分野での復興事業をこれから考えていかなきゃいけないんだろう
なと思います。それはこれまでの発想にはたぶんないことです。
3 ──若者全員が潜在的被災者
もうひとつ、若い人の就職ですよね。被災地の雇用喪失が全国に波及する可能
緊急ティーチイン@和光大学:震災・脱原発を考える
── 269
性はあるわけで、ある意味、これからは若い人全員が雇用においては被災者にな
りうると思います。となると、新卒から非正規雇用、という事態はさらに深刻化
するでしょう。非正規雇用をもっと安定した仕事につなげていく工夫を意識的に
やらないといけない。
「震災だからしょうがない」と、働き方を細切れ化し、し
かもそれを野放しにしていったら、日本の雇用はめちゃめちゃです。
経営者の方々が、これからは付加価値の高い、グローバルに通用する人材を育
成しなきゃってよく言うでしょう。それはどういう人なのって聞くと、
「ノーベ
ル賞取れるような人」とかスーパーマンみたいな人を挙げてくる。もっと普通の
人が普通に参加して力を発揮できる働き方をたくさんつくるなかで、働き手の能
力を上げていく工夫が、本当は必要です。そのためには、地域での社会的起業、
社会で貢献できるような事業を増やして、一人ひとりが社会に参加して人らしく
暮らしながら、何とか食べていけるような場所が必要です。もともと働く場所っ
てのはそういう部分もあると思うんですよ。私たちの若い時は、3 年か 5 年は
「まあこいつダメだけど、何とかなるまで我慢してやろうか」みたいなところが
あって、支援機能がある職場がけっこうあった。でも、いまそこがボロボロにな
っている。働く人を社会的な存在として受け入れてくれるような機能のある居場
所をたくさん地方に作って、いろんな産業を興していく、というイメージが必要
です。
救いは、今回の震災の後は、さすがにリーマンショックの前のように、仕事が
あるだけでも幸せと思えといったことを公言する人は意外と少ないということか
もしれません。大変ななかでも、なんとかまともな雇用を作る努力をしなくては
と、いろんな人が言っている。人間は学ぶ力があるというか、リーマンショック
の前の状況を繰り返しちゃいけないということが、それなりにはわかってきてい
る。こうした芽を伸ばして、震災前の働き方の構図を転換していけたらと思って
います。
[たけのぶ みえこ]
270 ──和光大学総合文化研究所年報『東西南北2012』
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