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HISTOIRE et CONTEMPORAIN dans Paris

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HISTOIRE et CONTEMPORAIN dans Paris
序章
はじめに
このテキストは 2002 年 6 月よりパリに住み始め、それからの生活において、私自身が個
人的にパリの建築について感じた事、思ったことをつづった物であって、決して、それが本
当の事実かどうかは不明であり、実際に裏づけをとった訳でもない。しかし、建築とは単な
る孤立するアートではなく、いざ、建つとそれは設計者の手から離れ、その社会の中で、多
くの人と共在するものであって、その人たちがそれをどう感じるのか。それが重要である。
建築家のコンセプトなどは社会の中では知らない人の方が断然、多いのであり、雑誌やその
業界だけで 専門用語 で語られている事である。
(それで言うならば、建築家はもっと社会
に出て、それらについての説明などが必要なのかもしれないが…)
このように、実際は、その都市に住む人たちが自分たちの住む場所にできたものに対し、
何らかの判断をするものであろう。そういう観点から、私自信、一市民として、パリの現代
建築について思うところを書き記そうとした訳である。
また、上記でも述べたように、建築家のコンセプトという事については私自身、それがど
ういう意味を持ち、いざ建った時にどう機能するのか、またそれが単なる建築家のエゴイズ
ムとして終わってしまわないのだろうかなど悩む事が多い。そういった私自身の悩みに対し
ても一つの解決の手段に成り得るのでないかと期待したい。
加えて、一章を立ててパリの建築・歴史について要約としての説明しようと思ったが、そ
れはまたの機会とする。
第一章
歴史都市の中の現代建築−侵食されるパリ
前項で述べたようにパリは長い歴史を持っており、現在もその姿を残している事は、誰も
が感じるところであろう。しかし、そんなパリにも、時代と共に、新しい建築が建ちつつあ
り、今も様々な新しいプロジェクトがパリの中で動いている。
実際にパリと言われているところは市内を一周している幹線道路 boulevard Périphérique
の内側部分である。実際にこの一線を超えると banlieue と呼ばれ、雰囲気も少し変わってく
るのである。
初めて、パリに来た時、このboulevard Périphériqueの存在はすごく印象的だった。まるで
歴史都市パリを守っている城壁のように感じたからである。しかし、現在では徐々にこの城
壁を越え、現代建築がパリ市内に侵食しようとしている。それが顕著に見られるのが 13 区
のあたりであろう。これについてはアトリエ・ワンによるリサーチ1)でも取り上げられてい
たが、ここでも、個人的意見にこだわりたいと思う。
パリ 13 区とは南東部に位置し、boulevard Périphérique に接する地区である。この辺りは
中国人が多く住むところでもあり、大きな中華街も形成しており、また有名なところでは
Dominique Perrault による国立国会図書館もあるところである。ここで、もし、パリに行く
機会があるならば、是非とも見ていただきたい場所がある。それは métro の5番に乗り、Gare
d’Austerliz に着く直前での Seine 川上の風景である。ここで、はっきりと歴史都市に向かっ
てくる現代建築を感じることができるのではないだろうか。つまり、線路より西側には St
Louis 島などパリに歴史をはっきりと残すところを見ることができるが、東側には国会図書
館をはじめ、
Paul CHEMETOV らによる大蔵省新庁舎など、現代ビルが多く建ち並んでおり、
その迫ってくる感覚を持つのである。実際、この地域は Chistian de PORTZAMPARC をマス
ターアーキテクトとして、様々な都市開発が行われている。当初、孤立していた国会図書館
周辺も MK2(映画館)が作られ、かなりの人が出入りするようになった。また、図書館か
ら Seine 川を越えて、bercy の Omni-Sports Center へ間もなく、現代的な橋もかけられるで
あろう。このように 13 区はすでにかなり現代建築が侵食してきているところでもある。
しかし、このように boulevard Périphérique に接するところでの都市開発は単なる侵食と
いうだけではなく、治安の向上という面でも大きな役割を持っている。この 13 区の国会図
書館周辺でも、当初は治安が悪いところであったが、現在では映画館や図書館の影響もあっ
て、多くの人でにぎわうという事で行きやすい雰囲気を出しているし、また Parc de la Villette
がある 19 区の方でも、この公園を出て、少し離れるとかなり治安の悪いところであったが、
ここでも、MK2(映画館)を用いた都市開発によって、その治安の改善に成功している。そ
ういった意味で映画好きなフランス人にとって、映画館は治安維持のための一つの手段なの
かもしれない…。ちなみに、この 19 区はパリ北東部の boulevard Périphérique に接する地区
である。ここでも、Chistian de PORTZAMPARC による Cité de la musique や Bernard Tsumi
による Parc de la Villette の計画など現代建築がパリ内部にしっかりと入ってきている。この
ように boulevard Périphérique に近接する場所ではかなり現代建築が出現しており、これか
らどうなっていくのかは興味深いところである。
では、より、パリ内部ではどうかというと、Renzo PIANO による Centre George Pombidou
や Jean NOUVEL による FoundaionCartier などが有名なところであろう。これらについての
パリとの関係については後で詳しく述べたい。
歴史が深く残り、またそれが形としてはっきりと残っているパリをどのようにしていくの
だろうか。改修だけでやっていくのか、またはその様式に沿っていくのか。あるいは新たに
現代的なものを作っていくのか、パリのような街では非常に難しいところである。しかし、
どの形態をとったとしても、挑戦なしに進歩はないということは確実であろう。これまでに
も上記の建築はできるたびに市民の批判を受けてきたのであり、現在ではパリのメインスポ
ットとして有名な la tour eiffel でさえも当初はパリ市民からものすごい批判を受けたのだか
ら、それは建築と市民とが同レベルで共存する事によって、徐々に受け入れられていくので
あろう。このように新たにできたものに対し、市民が批判し、受け入れるということは、た
だ歴史だけを守っているのではなく、新たな文化を築こうとする姿勢でもあると思う。ただ
批判するだけではない。自分の意見は言う。良いものは受け入れる。こういった姿勢が市民
の文化レベルの向上にもつながり、また建築というものをしっかりと
地
につける方法で
あるだろう。こういった環境ではやはり建築家の立場というものをしっかりと考えなければ
ならないだろう。決して、自分の考えだけを紙面上でつくるものではない。いかに都市・市
民との関わりが重要であるかということをこの歴史都市の中で感じるのである。自分がただ
個人で考えることではなく、やらなければならない事をしっかりと都市から肌で感じ取るこ
とが大切である。その都市と市民の反応の中から個人のアイデアというのもできていくので
はないだろうか…。
そういった中で、実際にパリの中で作られているものについて、次章以降にて、その手法
を自分の感じた中で紹介していきたいと思う。今回取り上げるものは、ファサディズム、透
明建築、未完成式建築であり、これらは私自身にすごく印象深いものである。その捉え方は
様々であろうが、最初にも述べたように、あくまで、私個人の意見として受け取ってもらい
たい。実際に見て、感じて述べること。それが市民の意見としての大切な事なので、建築家
の考えがどうかという事については全く、気にしておりません。しかし、その他まだまだ様々
な意見があるのだろうが、それはまた、次の機会、あるいはそれぞれの意見として持ってい
ただければ良いと思う。
第二章
ファサディズム
この名は友人のドイツ人が言った言葉である。
パリは古い建物が残るだけに改修という形をとることが多い。その中の手法の一つである
が、パリの建物で驚くのはとおりから見ると、古い建物なのに、中に入ると、すごく現代的
にリメークされているものがある。これはブティックなどの店舗計画にも取り入れられてい
る。古い建物の中にガラスのショーケースを店の分だけ挿入するのである。これなら外観を
守りながら、中身を使いやすくする事ができるという訳である。通りから見る感じは小さい
のに、中に入るとすごく大きな空間となる。このような手法は特にそのためだけに用いられ
たのではなく、元々の文化のように思う。つまり、パリの住居は通りとの関係よりも、内部
(中庭)との関係が深いのである。それはどういうことかというと、日本では通りに面して
隣人との関係などがある。しかし、パリの中ではそれ以上に内部(中庭)でのコミュニティ
が成り立っているのである。パリの建物の内部に入るとびっくりするであろう。それは外部
からは戸が一つあるだけの小さな感じである。しかし、内部にはものすごい大きな空間が潜
んでいる。戸を開け、小さな廊下をくぐると、そこには別の世界。周りが住居に囲まれた空
間に辿り着くのである。パリの中のもう一つのパリである。これについては一度航空写真な
どで実際にどうなっているのか見てみたい。単純に興味あるのだ。おそらく、航空写真など
で見ると納得できるのかもしれないが、実際に実感するとすごい感覚を持つのだ。川端康成
が「トンネルを抜けるとそこは雪国…」1)といった小説を書いていたが、まさにそんな感じ
である。廊下を抜けると別世界…。
私がパリに来て、最初の頃、友人の家を借りていたが、そこはまさにそういった世界であ
った。窓から見る景色はパリではなく、別のパリなのだ。あのドアから入ってきたという事
なんて全く感じさせない。そとでは通りに合った風景。しかし、内部ではまた別のコンテク
ストが存在している。それ以降からであろうか、私がこの手法に興味を持ったのは…。
その後、私は人の家に行く時などに、そういっ
たところに視点を置いてみた。また、工事してい
る現場を見に行ったりもした。(写真 2.1)もちろ
ん無断で…。そのため、工事をしている人に何を
こんなところで写真を撮ってるんだ?という目で
見られたりもした。しかし、本当にこのつくりは
面白いのである。それができる過程においては構
造とファサードだけ残され、他のもの、窓さえも
写真 2.1 工事現場
すべて取られているのである。すべてが改修され
る。
(写真 2.2、2.3)しかし、通りとのプロポーションは保ちながら…。この骨と皮だけにな
った建築は外から見ていると、本当に寂しい感じがするが、何か力を発揮しているのである。
おそらく生まれ変わるときはまた、歴史都市パリの一部として成り立つのであろう。こうい
ったやり方はあまり日本では見たことがないのだが、こちらでは多く見ることができ、 裸
の建築を見るには良い機会であった。
では、それが日本でも可能なのだろうか?
これについては私もまだまだ勉強不足なので、
はっきりとはわからないが、一つ言える事は生活
のスタイルが全く違うというところに、問題点が
あるような気がする。日本の伝統的な住居方式で
は、外部と内部が一体化するような感じで、縁側
からも自由に出入りすることができ、襖を開放す
れば、部屋全体が見通せるという感じである。し
写真 2.2 骨と皮 1
かし、こちらでは 100%自分たちのプライバシー
を守る。そのため、絶対に通りとの間には壁が必
要なのである。だからこの壁は不動のものとして、
固定し、それは残したままの建築−ファサディズ
ムが成り立つのであろう。日本の伝統的住居では
このような手法は通りとの関係では難しいのでは
ないだろうか。しかし、店舗計画などではどうだ
ろうか?
写真 2.3 骨と皮 2
店舗計画ではそういったファサードを残してい
る部分にガラスボックスを挿入しているようなイメージである。カフェなどでは元来あった
ものであるので、別に問題なく成り立つのであるが、例えば、有名ブランド店などはどうだ
ろうか。これも決して、建物全体を変えるのではない。歩いている人の目に触れる部分、つ
まり一階部分のみがガラスボックスが入れられる。後は内部のみの変更である。地下に作っ
てみたりもしている。こういったやり方は日本の歴史保存地域などで生かせる手法ではない
だろうか?外部に強い主張をせずに、そこの場所に現代的なものを挿入する。確かに歴史保
存地域を守ろうとする考え方はわかる。しかし、それを保存地域としてだけでおいておくの
であれば、単なる博物館である。人も住んでいるのに、それはおかしい。都市・建築も人と
共に生きなければならないのである。その中で人が歴史的な伝統的生活を送っているという
のであれば、問題はない。しかし、実際にはそうではない。人は現代的な生活を送ろうとす
る。しかし、そういった人たちが歴史保存、景観保存などと騒ぐ。これはおかしいのである。
双方にギャップがありすぎるのである。パリは歴史を守ろうとするがそれらと共に常に生活
する。だから、活き活きとした都市として今も輝いているのではないだろうか。歴史保存地
域というものだけを守り、それだけを街の売りとする。この言葉通り、自分たちの住んでい
るところを売っているのである。フランスのモンサンミッシェル島をご存知だろうか?ここ
はまさにそういった場所である。過去は修道院として成り立っていたところであり、潮の満
ち干きによって、そのアプローチが海底に沈んだりし、海に浮かぶ島として世界文化遺産と
して登録されているところである。しかし、今では、昔ほどの満ち干きもなくなり、バスな
どで島のすぐ前まで行って、そこから観光する。中はそういう観光客を相手にするだけの場
所であり、昔は持っていたであろう力強さというものは完全に影に潜んでいる。中に入った
瞬間、カタカナで商売をしている店を見て、本当に呆れかえってしまった。本当はこの場所
のどこかに宿泊して、堪能しようと思っていたが、そんな気持ちも一気に失せ、そのまま TGV
で帰った思い出がある。たしかに街の財政上、それしかない。観光地としての宿命なのかも
しれないが、大切にしているものを間違っている。売りに出された街にはもう歴史都市とし
て今も残る力はないのだ。ただ、死んだ街の博物館として存在するのみである。
私が思うのは、歴史都市としてそこを本当に保存していこうと思うのならば、時代と向き
合って、常に共に生きていかなければならない。古き良き時代のまま時を止めようとしても、
不可能なのである。都市も建築もまた、生きているのだから。
このような理由で、このファサディズムというものに興味があり、何かに転換できないか
と日々思うのである。時を止めず時代と共に生きていく手法。これは後に述べるものも含む
が、歴史都市の中に、現代建築を挿入する手法として、重要なキーワードだと私は思う。
第三章
透明建築
パリの透明建築。私がすぐに浮かぶのは Jean
NOUVEL による Foundation Cartier である。
(写真
3.1)実際、ここではこの Foundation Cartier に焦
点を当てたい。というのは個人的な意見として、
これが最も透明建築というのに、相応しいと思う
からである。
この建物は多くの人がご存知の通り、ガラスの
壁によって構成された、ギャラリー兼オフィスで
写真 3.1 Foundation Cartier
ある。最初に言っておくが、私自身、この建物が
ものすごく好きというわけではない。確かに初めて行った時には、心打つものもあったが、2
度目以降はそれほど何も感じなくなったのだ。それはなぜだかわからないが、個人的意見で
ある。
さて、ここでこの建物を例に挙げたのは立地し
ているところが、古い建物が並ぶところにあり、
違和感を覚えさせないからである。
(写真 3.2)こ
のガラスの建物は単にファサードにガラスを用
いたものではない。プランはガラスによって機能
のレイヤ分けされているようになっている。通り
−庭−ギャラリー−庭。
また、庭には木が植えられ、これもまたガラスを
写真 3.2 ファサード
引き立たせるものとなっている。朝焼け、夕焼け
時期のこの建物は美しい。ガラスに反射するものが映し出されているのだが、それが回りの
建物であったり、木であったり、内部のものであったりする。重ねられたガラスの反射が様々
なものを映し出す。このガラスの反射は幻想的なものだ。単なるカーテンウォールのビルに
はできないことであろう。
この複数のガラスを用いた透明建築はこの反射の特性を活かし、見事に歴史都市の中に浸
透していると言って良いと思う。簡単に透明建築、反射ということでこのように言って良い
のかという意見はあるかもしれないが、やはり、周辺との関係で違和感を持たせないという
事は本当に透明なのだと感じる。つまり、透明によって、ある時は美しい建築であり、ある
時はその反射によって、周囲の中で姿が消えていき、一風景となっていく。この手法は、現
代建築を歴史都市に対抗させて、その力を発揮させていくという形ではないが、周りの建物、
雰囲気、自然を見方につけ、同時に体感することで、現代建築の挿入に成功している一例と
言えるのではないだろうか。常に自分の考えだけを表に出すのだという主張だけでなく、す
べてを吸収する。+の考えだけで取り入れたものではなく、−の考えを引き込んだ良い例で
ある。
「押してだめなら引いてみろ!」的な考えだろうか?最初にこの建物について、もはや、
当初の感動を覚えないと述べたが、そのような自分の意見は別として、単純に Jean NOUVEL
という建築家の考えの深さには頭が下がるのみである。
透明建築というのは名前だけなら流行っている。すべてをガラス張りにすれば透明だとい
った勘違いも少なくはない。しかし、本当の意味で透明とは何か?この Foundation Cartier
もやはり自分のエゴイズムの透明論ではない。すべての環境に溶け込んでいるのだ。自分自
身が消えていくかのように。そこにこの建物における彼の
では、この
透明
透明
感はある。
感の日本における転換方法とは何か?
はっきり言って、まだわからない。ただ、単にこの透明という言葉の乱用は避けるべきで
あろう。ここでは、歴史都市との融合ということで用いた手法である。日本の都市ではどう
か?姿を消すのか?周りはどうなっているのか?複雑な都市構造をより複雑にするのか?透
明建築について、自分なりにこういう意見がある。
また、住宅などで、透明という言葉を使うには問題があるだろう。確かに前にも言ったよ
うに、日本の住宅というのは外部と内部の連続性というのものが伝統的なことかもしれない。
しかし、それは当時の環境であり、かつ自由に行き来することができるということにあった。
透明といってもガラスの壁があったって何の意味があるのだろうか?住宅にてガラスの外壁
の多様は単に生活の暴露になっているだけでは?クライアントにとって、住宅とは人生最大
の買い物である。2 世代に渡ってローンを組んだりもしている。それを建築に携わっている
人たちはどうするのか。クライアントは不安で一杯だろう。そこで決して、その瞬間の感動
だけで動いてはいけないと思う。そんな弱い一瞬をついて自分のエゴを押し付けるのは後々
彼らの後悔を招きかねない。できることは彼らと共に考え、不安を取り除き、自分のアイデ
アを用いて、彼らの可能性を引き出してあげることではないだろうか?そのためにはどうあ
るべきか?それが自分自身の現在の問いでもある。自分がこれからどういう方向に行かなく
てはならないのか?自分自身、建築家のコンセプトというものに疑問を感じている。これら
を解決することが自分の道を開くことになるだろう。
第四章
未完成式建築1−ネット
ここでは未完成式建築と名をつけて、私が感じ
た二つの例を挙げたい。一つはネット式、もう一
つは踏み場式。ここでは最初にネット式について、
説明する。
なぜ、未完成式と名づけているか?それはパリ
のような歴史都市においてはつねに修復作業が行
われている。
(写真 4.1)そういった中で、そのよ
うなコンテクストを建物の中に感じたものがあっ
写真 4.1 工事中の ODEON
たからである。現代建築を歴史都市に挿入する方
法として、そういった考えを入れる手法があるの
ではないかということである。建築家がそれを意
図したかどうかはわからないが、成功の奥にはそ
ういった考えが市民を納得させていると思われる。
ここでいうネットとは左のようなものである。
(写真 2.1)工事現場におけるネット。これが手
法の一つとして可能性を持っていると思うのであ
写真 4.2 パリ市内の工事現場
る。このような風景は普通に街を歩いていると、
何回かは必ず目にするであろう。つまり、建築に
対して、意見を持つ市民でもこれは街の維持とし
て、当然のことであると感じているのであろう。
ノートルダム寺院にしても、なかなか完全体で見
る事は難しいのだから。
ここで、この考えを含んでいると思われる現代
建築を紹介したい。それはパリ 14 区、métro13
写真 4.3 H and M の住宅
番の plaisance という駅から南に歩いてすぐのと
こ ろ に あ る ス イ ス の 建 築 家 Herzog and De
Meuron の住宅(写真 4.3、4.5)である。初めて
見たときはそんなことは思わず、ただここも内部
に入ると全くの別世界(写真 4.4)があり、第三
章で話したような構成だと思っていた。
(注:現在
では勝手に内部に入ることは禁止されているらし
い。)
外部と内部のこの建物の違いについてはまた、
写真 4.4 中庭
別な資料によって見ていただきたいが、ここのフ
ァサードの構成について触れておくと、1 フロア
分の高さの雨戸(?)のようなものが開閉式にな
っており、それをあけるとガラス張りの家となっ
ている。夜にこの通りを通って、窓があいていて、
中の生活風景を見る機会があったら、ビックリす
るだろう。はっきり言って、丸見えである。個人
的には住みたくはない。私はたまたま 2 階に住む
写真 4.5 H and M の住宅
人たちを見たのだが、下から見上げて、彼らが食
事をしていた。これが逆の立場ならどうか…。まぁ考えは人それぞれである…。
さて、未完成式建築の話となると、この個人的な好みは別として、この開閉式の幕の構成
である。基本的には閉まっている。その姿は真っ黒の幕である。つまり私はこれを工事現場
のネットと重ねてみた。まるで同じである。この周辺も古い建物が残るところであって、工
事現場の一つや二つあって何の違和感もない。そして、それが開くときには現代的な生活が
姿を見せる。パリの建物では内部が全く違うということはファサディズムの話でしたが、こ
こはそれを黒い幕を開くとそのまま、断面が見えるのだ。幕をしめるとまた、工事現場…。
そんな感覚である。つまり、この建物は完成がない住宅と考えることができる。日々、人の
生活と共にパリの市内のコンテストに合った形で動いている。Herzog and De Mouron が何
を意図したかはわからない。しかし、彼らは建物前の通りのグレーチングをファサードのモ
チーフにしたりしていることから、この幕にも何かと関係する意図があるだろう。しかし、
もし、これが本当に工事現場のネットと関係しているならば、パリに合った手法であったと
思う。こういった、現状ある都市の姿をしっかりと捉えるところから、現代建築のあり方を
考えるというのは、非常に重要なことである。例え、それがどんなものであっても、現実は
現実として受け入れて、それをプラス要因に変えていく。そういう転換方法を一層考えてい
かなければならないし、パリのような歴史都市に現代建築を挿入するときには重要な要素と
なる。
第五章
未完成式建築2−踏み場
踏み場として、紹介するのは私自身がパリで最
も 好 き な 建築 で あ る イタ リ ア の 建築 家 Renzo
PIANO 氏とイギリスの建築家 Richard ROGERS
氏による Centre George Pompidou である。場所
はパリ 4 区。Métro11 番 rambuteau を降りて、す
ぐ目の前にあるところである。(写真 5.1)
この建物はいわゆるハイテクのものである。し
写真 5.1 Centre George Pompidou
かし、単にハイテクで現代アートを扱う場と単純
に考えるのには少し疑問があった。場所的にもアーティストの集まるマレ地区、そして学生
たちが集まるカルチェ・ラタンをつなぐようにあり、また前の広場ではそういった理由から
いろいろな人が自分の芸を披露したりしている。常に何か動きがあり、ある人は絵を書き、
ある人はパントマイムをし、ある人は人を待つ…。活力の中心と言える。そして、何よりも
この Pompidou 自体が変化している。企画展示の際にはいつも大きな幕をこの骨組みの上に
貼っていく。その都度、その表情は変わるのである。この建物自体が決して一つの形として
存在していない。
そこで、ここでは「踏み場」と表現したが、そ
れはこの写真 5.1 に見られる通りである。前章の
ネット共に工事現場には必ず踏み場がある。
(写真
5.2)つまり、この建物もまた、常に工事中の建物
というイメージがある。またその幕の変化がそれ
を思わせるのに十分である。結構、この建物が「な
んなんだ!」っていう人がいるけれども、このよ
うに、人が常にたくさん出入りし、受け入れられ
写真 5.2 踏み場
ているということは、そういった見えない要因が
あるのではないかと感じる。それがきっと私自身がこれを見て、初めて思った時の感覚なの
ではないかと思う。内部については特にここでは触れないが、その構造を外部に持ってきた
というのは単に内部の空間をフル活用させるという以外に、パリにあった、ファサードを築
いたのではないだろうか。偶然、この建物は美術館となっており、その幕となるものを宣伝
用のものとして、使えるので理にかなっており、その姿を随時変化させることが可能となる。
しかも、そのおかげで全く飽きない。この前にはフランスの建築家 Christian de Portzamparc
による beaubourg というカフェがあるのだが、そこの2階から見る、この pompidou の姿も
またすばらしい。機会があれば、是非試していただきたいです。夕方から夜にかけては本当
に最高の姿を見せてくれるでしょう。敢えて、ここでは自分が最も好きなものなので、みな
さんにお薦めします。そして、そのエネルギーを感じとって頂きたいです。おそらくは建物
だけではなく、そこにいる人すべてがこの空間の一部になっているということを肌で感じる
のではないかと思います。そういった意味でも、常に生成し続ける(未完成な)建築と言え
ると思います。
終章
展望
本論においてはすべて、私自身の意見について書かせてもらいましたが、実際にやはりパ
リ、いや、それだけでなく、歴史都市というのは現代建築と共存しなければならない。また、
日本においても同じであろう。そこで、ファサディズム、透明建築、未完成建築(ネットと
踏み場)を挙げて、説明したが、歴史都市に新しいものをつくる時、必ずといっていいほど
問題がある。現代のパリにしても、それを創ったオースマンは当時、かなり批判され、また
あのエッフェル塔でさえ、当時、以下のような抗議文が出されている。
「われわれ、作家、画家、彫刻家、建築家は…脅威を受けているフランスの芸術と歴史の
名のもとに、無益で醜悪なエッフェル塔をわが国の首都のまさしく中心部に建設することに
講義するものである。…これは、野蛮な大きさによって、ノートル=ダム、サント=シャベル、
サン=ジャック塔、など、わが国の建造物すべてを侮辱し、わが国の建築物をすべて矮小化し
て、踏み砕くに等しい。」(ルイ・シェロネ)1)
つまりは、何事であれ、挑戦の裏には激しい反対もあると言うことであろう…。
ここで、私が特に魅力を感じたのはファサディズムと未完成式建築である。ファサディズ
ム建築では、その通りからの都市景観をパリのイメージとして守らなければならないという
感覚を受けることもあるが、それでも、やはりこうやって、パリイメージが保たれ、かつこ
のように好かれているということには、成功していると言えるのであろう。また、未完成式
建築では住宅と美術館ではあったが、それでは、他の建物となったときにどうなるか?また、
日本を考えたときにどうなるのか?これは私にとっての課題でもある。日本ではどうしても、
3 次元の空間というよりも、2 次元の土地という感覚がある。だから、どうしても、その建
物は前に塀があり、かつ、前庭があってというのがだいたいのパターンである。あるいはそ
れすらも決まっていない。まさにやりたい放題で、すごく複雑である。その中心にはやはり
建築というものに対する意識の低さというのは明快である。建築だけでなく、大きく文化と
いっても、間違っていないと思う。建築に携わる我々にとっては、建築が社会に建つ以上は、
単に建築界だけのクローズされた議論だけではなく、もっと広く自分たちの考えなりを広げ、
また、逆にいろんな意見をうけるという事が必要なのではないかと思う。建築家とは常に自
分の新しいスタイルだけを見つけ出そうとする。しかし、そうではなく、もっと根本的な問
題に今、気づきそれをやるべきである。
今回はこのあたりで終わらせていただきます。あくまでエッセイという事を忘れず、軽く
読んでください。もし、感想、意見などがあれば送ってください。第一弾ということで、ま
だまだ、薄いですが、それは次に期待してください。
ありがとうございました。
eito-M
参考文献
第一章
1)「ブロークン・パリ」アトリエ・ワン
第二章
1)「雪国」川端康成
第三章
第四章
第五章
終章
1)「パサージュ論」第一巻 ヴァルター・ベンヤミン著
今村仁司、三島憲一ほか訳
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