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久米島 文化スポット ガイドマップ

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久米島 文化スポット ガイドマップ
久米島
文化スポット ガイドマップ
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久米の息吹を感じる島散歩
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ミーフガー
半日コース❶∼❼
●具志川城跡
北原海岸の石切場
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阿嘉のヒジミジは、旧阿嘉集落の背後に屏風を張り巡らしたようにそり
信号機
立った断崖の上に懸かる小さな滝のことです。強い北風のをまともに受
学校
村役場
けると逆に吹き上げられ、飛散霧消し、その光景は左右の岸壁の奇と相
病院
その他の道路
郵便局
ガソリンスタンド
まって壮観な光景を見せてくれます。ひげ水のある崖は、比屋定から続
バス停
いており、地層は主に砂岩と泥岩からできています。地層が北に傾斜して
交番・派出所
いるため、不透水層の泥岩の上を流れてきた地下水は、北側の急崖から
県道
阿嘉のひげ水
●君南風殿内
宿泊施設
流れ出ています。水流や風の影響で変化する層理(斜交層理)が認めら
※地図に掲載されている情報は時間とともに変化する場合があります。
五枝の松園地
自販機・売店
●上江洲家
●仲里間切蔵元跡・石牆
シンリ浜
仲里漁港
●
久米島ホタル館
登武那覇城跡
●
伊敷索城跡
●
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れることから、琉球孤がまだ中国大陸に近接していた頃の大陸河川域
(古揚子江水系)において形成されたものと考えられています。そこから
産出する貝化石の年代測定では約300万年前という結果が出ています。
お手洗い
天后宮●
二重ノッチ
阿嘉のひげ水
(町指定名勝)
●
宇江城城跡
比屋定バンタ
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宇根の大ソテツ●
涙石
●
●
ソナミの
烽火台
久米島博物館
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ガラサー山
久米島町奥武島の畳石
(国指定天然記念物)
畳石は、奥武島海岸にある六角状の岩石群で、安山岩質のほぼ均一な溶
久米島ウミガメ館
1
久米島博物館
イーフビーチ
の厚さに比例するといわれていますので、
ここの畳石は比較的厚いものと
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久米島町奥武島の畳石
が作る模様の形から、別名亀甲(かめこう)亀甲(かめこう)石とも言われま
化石標本を交えて紹介しています。久米島が大陸と陸続きだった
す。その範囲は南北50m、長さ250m位で、直径1m前後のものが約1千
時代があること、島の主体となる地質は、火山性起源のものである
個あるといわれていますが、砂に埋もれて見えない部分があります。
ことなどが展示通して理解できます。
※柱状節理:溶岩やマグマが冷えて固まる過程において、
2方向以上の鉛直
な摂理面が発達して柱状の岩塊を形成するような節理をいいます。
清水小学校前海岸の二重ノッチ
干潮時に清水小学校前の礁原にある大きな岩(石灰岩)
を見てみま
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しょう。大きなくびれ
(ノッチ)が二つあるのに気がつきます。海水によ
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り削られてできるノッチは平均海水面に接するところが最も影響を受
けるので、そのへこみ部分が海水面の高さを表します。低いところに
柱状節理の安山岩
あるノッチは現在の海水面で、
これより約1.8メートル上部のノッチは
フガーのそれとは違い、比較的新しくできたもの
世界的に海水面が上昇していたとされ(縄文海進)、久米島も波打ち
(イリビシ石灰岩と呼ばれ、約4000年前にできた
際が現在よりも島内に入り込んでいました。 空港周辺からミーフ
と言われています)です。太古から延々と続く地球
ガーにかけてのイリビシや東へ伸びる沖合いのリーフなども、その頃
の営みが感じられます。※凝灰角礫岩:直径32ミリ
にサンゴ礁として形成されたものと考えられています。
北原海岸の石切場
に赤茶色の層がありますが、
これも前述の凝灰角礫
岩です。しかし、上に乗っかっている石灰岩は、ミー
約4,200年前の縄文時代にできたことが分っています。縄文時代は
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推定されます。表面は波の浸食を受け、ほぼ平坦であたかも六角の畳を敷
き詰めたような景観を示すことから、畳石の名が付いています。また、節理
久米島及び琉球列島の成り立ちを地質模型や写真・岩石標本や
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岩がゆっくり冷えて岩石になる時に、溶岩の体積が収縮して規則的に割れ
目が出来たと考えられる六角柱状節理です。この六角柱の大きさは、溶岩
以上の火山岩と大量の火山灰が海底に堆積してで
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ぎょうかい かく れき がん
ミーフガーと凝灰角礫岩・石灰岩の不整合
きた岩石です。
柱状節理の安山岩(島尻)
奥武島の畳石を見学する際、
「五角形あるいは六角形の石がそのまま
柱状に地中から伸びていて(柱状節理の石)、その上面が地上に出てい
ます。」とされますが、畳石ではその節理面を横からみることはできません。
島尻の海岸には畳石ほどの規模ではありませんが、側面が観察できる柱状
節理の安山岩が波打ち際に転がっています。柱の大きさ(面の大きさ)は
ゆっくり冷えたほど大きくなると言われていて、畳石に比べるとより早く
冷えて固まった溶岩であることが分ります。
※柱状節理:溶岩やマグマが冷えて固まる過程において、
2方向以上の鉛直
な節理面が発達して柱状の岩塊を形成するような割れ目のことです。
ひ
や
じょう
空港北側の海岸線に沿った石灰岩地帯
岩壁の中央に空洞があり女岩とも呼ばれ、
「子宝に恵まれな
にあります。石切の跡は、字宇江城の海岸
い女性が拝むと、ご利益があると言われます。」というのが一
休憩処
付近、字鳥島の海岸や一着(イッチャチ)
般的な説明ですが、地学的に見るとミーフガーは一枚の岩に
(町指定史跡)
などでも見られますが、中でもここは島内最大規模の石切場です。
穴が空いているのではなく、穴の上に走っている亀裂を境に
比屋定から阿嘉に向かって緩やかな坂を登りつめた所に、展望台があります。このあたりを宮城鷹夫(当時、沖縄タイムス記
比屋定バンタ
切り出された石材は主に屋敷囲い、お墓、家屋のなどの部材とし
海側の岩が石灰岩、陸側の岩が凝灰角礫岩という岩石で400
者)氏によって、比屋定バンタと命名されました。この比屋定バンタの展望台に立ってみると、右側には延々12kmも青海原を
て利用されました。石切場は県内各地のサンゴ石灰岩地帯に見ら
万年以上前にできたものであり、この2つはそれぞれ違う時
突っ切って延びているリーフと、その隣に横たわる白砂の美しいハテの浜が遠望できます。眼下にはエメラルドグリーンの海と
れましたが、海岸域の整備改変に伴い、その多くが失われてきまし
代にできた岩です。海底にあったこの地帯が陸地化する過程
海岸線が美しく、はるか水平線上には粟国、渡名喜、慶良間の島々が眺望できます。これだけの絶景を同時に堪能できる場所は
た。北原海岸の石切場は明治から昭和(戦前)
にかけての建築文化
で潮や風に削られ、固い部分だけが残り現在のミーフガーに
数少ないとして、
文化財
(名勝)
に指定されました。
※バンタ:方言で崖や端を意味します。
をうかがい知ることのできる貴重な遺跡です。
なりました。ミーフガー手前、左側のくぼ地には石灰岩層の下
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