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梵住 ( 慈 ・ 悲 ・ 喜 ・ 捨 ) の解釈

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梵住 ( 慈 ・ 悲 ・ 喜 ・ 捨 ) の解釈
【電子文書 PDF 形式 CD - R 版】
パーリ語仏典シリーズ
T- 2
『清浄道論』(Visuddhimagga)
第九品
『梵住 ( 慈 ・ 悲 ・ 喜 ・ 捨 ) の解釈』
(Brahmavihra-niddesa)
監修 ウ.ウィッジャーナンダ大長老
訳注 北 嶋 泰 観
発行 ダンマパダ ( 法句経 ) を学ぶ会
1
まえがき
この【電子文書 PDF 形式 CD - R 版】パーリ仏典シリーズは、既刊『パーリ語仏典 CD シリーズ』第 18 号『清浄道論』
第九品『梵住 ( 慈・悲・喜・捨 ) の解釈』(Brahmavihra-niddesa) 全 CD 10枚に付属している「ローマ字表現パーリ
原文対訳小冊子」十冊を1冊に合冊して A4 サイズに拡大し PDF 形式に変換した「文書テキスト」であります。
【電子文書 PDF 形式 CD - R 版】に対応する環境は、Windows XP Windows Vista Macintosh OS X Adobe Reader
8 です。購入された方は、先ず、パソコンにデーター保存することをおすすめします。Windows XP を一例にしてそ
の方法を紹介致します。
【保存方法について】
11 パソコンにこの【電子文書 PDF 形式 CD ー R 版】を CD-R/RW ドライブに入れる。
22 マイコンピュータをクリックして、CD 挿入のドライブをダブル・クリック、
「現在 CD にあるファイル」から挿入
したファイルを選択してダブル・クリック、画面に文書が表示されます。
33 [ 編集 ] をクリックして「すべてを選ぶ」を選択してクリック、次に [ ファイル ] をクリックする。
44「コピーとして保存」を選択してクリックする。
55「コピーを保存」の保存する場所:例えば、マイコンピューター、ファイル名を入力、ファイルの種類:Adobe
PDF ファイルであることを確認して OK をクリック、保存が完了です。
【有効利用について】
●●
【電子文書 PDF 形式 CD - R 版】
:保存されたファイルを紙に印刷することにより一冊の私的な本が出来ます。
●●
【電子文書 PDF 形式 CD - R 版】+【パーリ語仏典 CD シリーズ】との併用:耳で聞きながらパソコン画面でパー
リ仏典を読むことが出来ます。例えば、
『梵住の解釈』の場合、先ず、保存されたこの文書ファイルを開きます。次に、
Windows Media Player を選択してクリック、このお経が録音されている CD を CD ドライブに挿入、「オーディオ
CD の再生」を選択して OK をクリックします。目次を参考にして CD その ( 2) からスタートも出来ます。
●●
【電子文書 PDF 形式 CD - R 版】+【パーリ語仏典 CD シリーズ】+【書籍『ダンマパダ』アップグレード版全一巻】
+【ホームページ「ダンマパダ ( 法句経 ) を学ぶ会」との併用:パーリ仏教を学習されている皆様にとって一つの
効率のよい学習方法です。
【電子文書 PDF 形式 CD - R 版】発行に際し、皆様の、次のような声に少しでもお役に立てれば、幸甚でございます。
●●CD 付属の「対訳小冊子」はコンパクトにまとめられているため通勤・通学時でも読むことが出来て便利な反面、
文字が小さい、破れたり、汚れたり、紛失したりする。
●●
「対訳小冊子」の冊数が多過ぎる。例えば、CD シリーズ第 13 号『長老偈経』全 CD20 枚は付属の「対訳小冊子」
も 20 冊であり、一気に通読するためにも一冊に合冊して欲しい。
●●本格的にじっくり学習する上で文字が大きく読みやすい「テキスト」のようなものが欲しい。特に、
『清浄道論』
など内容の深い仏典の場合は、耳から聴くだけでは理解しにくいところが多々あります。その内容を理解してから
再び耳で聴く方がより仏陀の教えに深く触れるような気がする。
Yours in the Dhamma,
北嶋 泰観
2
目次
表紙 p1
まえがき
CD その ( 1)
[ 1] 慈の修習 (Mettbhvankath)
序文 p2
p5
怒りによる過失と忍耐による利益についての観察 p5
瞑想初心者が避けるべき慈の所縁 p6
慈の修習の所縁として不適当なもの p7
一.自分に対する慈の修習 p8
二.尊敬できる人に対する慈の修習
p10
三.すべての者に対する慈の修習 p11
CD その ( 2)
四.怨みがある者に対する慈の修習 その一 p12
四.怨みがある者に対する慈の修習 その二 p12
四.怨みがある者に対する慈の修習 その三 p15
四.怨みがある者に対する慈の修習 その四 p18
CD その ( 3)
四.怨みがある者に対する慈の修習 その五 p19
四.怨みがある者に対する慈の修習 その六 p21
四.怨みがある者に対する慈の修習 その七 p26
四.怨みがある者に対する慈の修習 その八 p27
CD その ( 4)
四.怨みがある者に対する慈の修習 その九 p28
四.怨みがある者に対する慈の修習 その十 p29
五.平等の慈の修習 慈の修習による禅定の言葉の意味について
p30
p33
CD その ( 5)
慈の修習に関する語句の解釈 慈の修習の功徳 [2]
p35
p37
悲の修習 (Karubhvankath) CD その ( 7)
[3] 喜の修習 (Muditbhvankath) [4]
捨の修習 (Upekkhbhvankath) 3
p42
p46
p49
CD その(8)
[5].雑論 (Pakiakakath)
p51
慈・悲・喜・捨の意味について
p51
慈悲喜捨の相・現状・直接因・幸福・不幸
p52
四つの梵住の修習の結果
p54
四つの梵住の敵
p54
四つの梵住の初め・中間・完了
p57
四つの梵住の所縁の増大
p57
四つの梵住の流れの結果の関係
p58
CD その ( 9)
四つの梵住に関する四つの質問
四つの梵住と色界の諸禅定との関係
p59
p63
CD その (10)
四つの梵住と色界の諸禅定との関係 -続編 p67
四つの梵住によりて到達できる世間法における最高の境地
p69
四つの梵住は十善業事など一切善法を円滑に進める
p72
4
パーリ語仏典『清浄道論』(Visuddhimagga)
第九品 『梵住 ( 慈 ・ 悲・喜・捨 ) の解釈』
(navama-paricchedo brahmavihra-niddesa)
Namo tassa bhagavato arahato sammsambuddhassa
[ 1] 慈の修習論 (mettbhvankath)
【序文】
[240] Anussatikammahnnantara (1.0287) uddihesu pana mett, karu, mudit, upekkh ti imesu catsu
brahmavihresu metta bhvetukmena tva dikammikena yogvacarena upacchinnapalibodhena
次に、[ 第八品 十の ] 随念 (Dhp-U.p43、 註② ) 業処の [ 解釈の ] 後に示された「慈」
「悲」
「喜」
「捨」という、こ
れら四つの梵住 (brahmavihra,Dhp-U. p 306、 註① 「梵行」 ) の中の慈の修習を先ず行ないたいと望む初心者の瞑
想修行者は、[ ①住む所 (vsa)、②親戚の家 (kula)、③利益 (lbha)、④仲間たち (gaa)、⑤雑用 (kamm)、⑥旅行
(addhna)、⑦親族 (ti)、⑧病 (bdha)、⑨仏典の研究 (gantha)、⑩神変 (iddh) など十種の ] 障害を、急ぎ、断絶して、
gahitakammahnena bhattakicca katv bhattasammada paivinodetv vivitte padese supaatte sane
sukhanisinnena dito tva dose dnavo, khantiyaca nisaso paccavekkhitabbo.
[ 禅定の修習の所縁となる ] 業処を [ 心で ] しっかりとつかまえ、食事をした後の眠気をとり除き、[ 人里から ] 遠く
離れた、[ 坐禅に ] よく適した場所に安楽に坐り、先ず最初に、怒りによる過失 [ あやまち ] と忍耐による利益につい
て観察すべきである。
【怒りによる過失 [ あやまち ] と忍耐による利益についての観察】
Kasm ?
何故 [ 観察する必要があるのか ] ?
Imya hi bhvanya doso pahtabbo, khanti adhigantabb. na ca sakk kici adihdnava pahtu, aviditnisasa
v adhigantu.
実に、この [ 慈の ] 修習によりて怒りが捨断されるべきである、忍耐が明かに得られるべきである。[ しかし、これが
できなければ、初心者の瞑想修行者は ]、今だかつて見たことのない [ 怒りによる ] 過失・過ちを捨断できないであろ
う、あるいは今だかつて見たことがない [ 忍耐の ] 功徳を明かに得ることができないであろう。
tasm “ duho kho, vuso, dosena abhibhto pariydiacitto papi hanat” ti- dna vasena dose dnavo
dahabbo.
5
それ故に、
『友よ、邪悪な怒りに打ち負けて [ 怒りに ] 心を占拠された者は、生き物も殺すこと』など、怒りによる過
失・過ちを見るべきである。
“ Khant parama tapo titikkh, nibbna parama vadanti buddh ”;
『[ 侮辱に耐え忍ぶ ] 忍辱は、最高の苦行なり、涅槃は、最高の [ 境地である ] と、諸ブッダは説く。※ Dhp-U. 第 184
詩句。
“ Khantbala balnka, tamaha brmi brhmana.
忍耐強い彼を、私は、バラモン [ =阿羅漢聖者 ] という。※ Dhp-U. 第 399 詩句
“ Khant bhiyyo na vijjat” ti忍耐よりも [ 勝れたるものを ] 見出すことは [ でき ] ない』と。
dna vasena khantiya nisaso veditabbo.
[ これらの詩句の ] 意味するところによりて忍耐による功徳を知るべきである。
【[ 瞑想 ] 初心者が避けるべき慈の所縁】
Atheva dihdnavato dosato citta vivecanatthya, viditnisasya ca khantiy sayojanatthya mettbhvan
rabhitabb.
次に、かくの如く [ 初級の瞑想修行者は ] 怒り [ による過失・過ちを見つけては、その怒り ] から心を遠く離れるため
に、あるいは [ 忍耐による功徳を ] 自ら知りては、その忍耐を [ 心に ] 結びつけるために、慈の修習に励むべきである。
rabhantena ca dito va puggalabhedo jnitabbo, “ imesu puggalesu mett pahama na bhvetabb, imesu neva
bhvetabh” ti.
叉、
[ 慈の修習に ] 励む者は、
最初に、
これらの人々 [ を所縁 ] に慈の修習を行なうべきである、[その反対に ] これらの人々
[ を所縁 ] に慈の修習をおこなべきではないなどと、[ 所縁としていろいろと ] 種類の違う人間 [ たちがいること ] を
知っていなければならない。
Ayahi mett appiyapuggale, atippiyasahyake, majjhatte, verpuggaleti imesu catsu pahama na bhvetabh.
実に、この慈 [ の修習の所縁として ] は、愛せない人、大いに愛する友人、無関係な人、怨みがある者、これら四 [
種類の ] 人間 [ を所縁 ] として、最初の [ 段階では、慈の ] 修習をすべきではない。
Ligavisabhge odhiso na bhvetabb. Klakate na bhvetabb va.
[ 特に ]、異性を特定に [ 所縁として慈の ] 修習をすべきではない、あるいは死んだ人間を特定に [ 所縁として慈の ]
6
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