...

03小玉齊夫 029-092.indd

by user

on
Category: Documents
5

views

Report

Comments

Transcript

03小玉齊夫 029-092.indd
翻訳について・粗描
「悪い翻訳は非本質的な内容を不正確に再伝達する」
(ヴァルター・ベンヤミン「翻訳者の課題」:野村 修 編訳)
小 玉 齊 夫
2007 年 9 月 14 日付『ル・モンド』紙は、その書評欄で、「裏切らずに翻訳する」(Traduire
sans trahir)と題された翻訳特集を掲載している(1)。新鮮な記述があったかと問われれば、
返す答えは、いささか否定的であらざるを得ない。資料的な意義はあったし、ギュンタ・グ
ラス作品の異なる言語への翻訳者たちが共同で翻訳内容を検討し合っている、という興味深
い現状紹介もあった。だが、翻訳に関しては、
「ある程度接近できるが、徹底的には接近し
得ない」という、
こう言って良ければ、ありふれた、乗り越えようもない事実の確認にとどまっ
ている。結局のところ、今日、翻訳について語ることは、具体的な作品の翻訳ぶりを検討す
るのでなければ、(本稿も同じ運命を免れ得ない…)翻訳作業の外縁をなぞり沿革を辿るこ
とだけ、なのかもしれない。
本稿は、2006 年 12 月 16 日の「多言語文化サロン」に於ける、「逸脱」というテーマの展
開としての「話題提供」草稿に基づく。後から書き直したものとして、発表時よりはその内
容が少しではあれ質的に豊富に(量的には殆ど変わっていない)かつ明確になった、と信じ
たい。
(1)
[語彙の創出としての翻訳]
1902 年(明治 35 年)3 月の講演「洋学の盛衰を論ず」で、森鷗外は、
「業」(原
語はドイツ語の Arbeit。ここでは、今日の
「研究」にあたる)という語彙に関連する
「業績」
、
「研究室」)
「業府」(研究発表機関のこと。現在の「紀要」の類)、そして「業室」(同じく、
− 29 −
小 玉 齊 夫
等が、自分の「創り出した」語彙であることを、いささか誇らしげに、述べて
いる(2)。原語と対応する「もの」さえ存在していなかった、そういう時代にな
された外国語の翻訳は、まずなによりも、新たな日本語彙の創出の企てであった。
とはいえ、翻訳に際しての語彙の創出は、鷗外に始まるわけではない。
既に『解体新書』(1774 年刊)は、その「凡例」で、「訳に三等あり」(三種類、
三区分)として、翻訳の実際の在り様・指針を提示していた。
「翻訳」「義訳」「直訳」の三つがそれで、対応し得る日本語彙があるときの
言い換えが「翻訳」、当時の日本語には該当する語がないため原語の意を勘案
してなされた造語が「義訳」、そして原語そのままの音の表記が「直訳」とさ
4
4
れている(この、カッコつきの「翻訳」「直訳」は、今日の、翻訳、直訳の用い方と同じで
はない)。杉田玄白の挙げる例では、
「骨」が、原語(オランダ語)beenderen に対
応し得る既成の日本語としての「翻訳」
、
「軟骨」は、軟らかいという意の原語
kraak と「骨」の原語 beenderen の略語の been から成る原語 kraakbeen(オランダ語)
に対する、新たな造語としての「義訳」
、そして「機里爾(キリル)」が、原語(オ
ランダ語)klier の音を写し取った「直訳」
、ということになる。
「翻訳」・「義訳」・
「直訳」のこの「三等」は、以後の日本語に於ける翻訳作
業に関して、その基本的な型・傾向を抽出し規定したもの、と言うことができ
る(3)。
しかしながら、
「翻訳される(原典の) 言語」も「(原典の言語を) 新たに翻訳
していく言語」も、ともに、現実の在り様としては、静止態のまま、辞書の
内にひそやかに固定された語彙として在りつづけるわけではない(たとえば、上
記の「機里爾」が後に「腺」と「義訳」され、
「扁桃腺」等の語彙を創出する際には「翻訳」
の対象の語となったように)。
「三等」の区分に基づく翻訳作業じたいも、言語の
現実的な動きのなかでは、おのずから、或る種の特徴、文化的な動向を反映す
ることになる。
西周が[翻訳・創出]した語彙を一例として、その動態を見返してみると:
− 30 −
翻訳について・粗描
(ヒロソヒ)→「
(希哲学)→「義訳」
(哲学)
①「哲 学」
:
「直訳」
(義訳に近い)翻訳」
(ロジック)→「
(致知学)→「義訳」
(論理学)
②「論理学」
:
「直訳」
(義訳に近い)翻訳」
のように、時の移ろいとともに、
「直訳」から「翻訳」そして「義訳」へと、
翻訳語彙が固定されていく方向性が認められる。「原語の音の可能なかぎりの
再現」から、既存の「漢語(文脈) を中心とした語彙との対応」へ、そして、
中国原典での使い方を敢えて無視して「日本語(独自の、ということは、従来の規
範に照らしてみれば「恣意的な」)表現の創出」へ、
と移行していく過程である。
「翻
、
「思想(了解)の次元」での要請・困難との交錯を経たうえ
訳(表現)の次元」
での、その動向を見通すなら、翻訳のあらわれから見る日本の(西周もその一翼
を担った)
「近代化」は、
「西欧思想と中国思想との類比を断ち切るあらたな「義
(4)
と規定することができる。
訳」を産み出す方向であった」
この種の動向の、その背景には、文化も高い所から低い所へと流れて行く(そ
の「高低」を「精確に認定する基準」は多様であり流動的であり、要するに一面的ではなく、
商業主義との結びつきや自身に無いものを求める心理的あるいは経済的な余裕・欲求等とも
絡み合って、簡単には決め難い)という一般的傾向性があり、好むと好まざるとに
関わらず、明治文明開化期以来、今日に到るまで一貫して、西欧・アメリカを
(素朴な「前近代的」
始点とする文化が他の文化へ伝播していく、という方向性が、
要素を求める欲求も生じているにしても、そして、さまざまな「地方固有の」文化が「取り
入れられて」くる事態は時とともに増加しているとしても、しかし、日本だけでなく全世界
的に見て)長期にわたって継続している、と言うことができる。
(2)
[解釈としての翻訳]
翻訳作業は、一般的には、或る言語表現を、そのさまざまな価値 を考慮し
4
4
4
4
4
4
4
つつ、他の言語表現で(に)言い換えることを指す。(本稿では、上に記したように、
(起点となる)「或る言語」を「翻訳される」言語、
(終点となる)「他の言語」を、新たに「翻
− 31 −
小 玉 齊 夫
訳していく」言語、と言い表わすことにする。
)
原典の「翻訳される」語彙等の意義を確定し、「新たに翻訳していく」語彙
等を選択するためには、あるいは、「翻訳していく」言語に該当する語彙がな
い場合に、類似の語義を有する(かのような)語彙を(「翻訳していく」言語のなかで)
新たに創出していくためには、(出発点・到達点に在るふたつの原語・語彙等について、
あるいはその背景となっている文化についての)広範囲な「解釈」作業を前提とする。
「翻訳=解釈」というこの等式化を認めることは、同時に、翻訳の範囲を拡
大することをも意味する。
[翻訳の多様性]
解釈という語彙に関連しているフランス語を通して、
翻訳を見直してみると、
翻訳作業の範囲にも、以下のような広がりがあることに気づく。
traduire:
翻訳する、通訳する:(隠していた、あるいは隠されていた)意図などが
明らかになってしまう(暴露される)場合にも用いられる。
traduction: 翻訳、通訳
comprendre: 理解する:ジョルジュ・シュタイナーの『バベル以後』
(1998 年版)第一
(5)
章は、
「理解すること、それは翻訳することである」
という観点に基づき、
翻訳作業の領域を非常に広く、知的活動全体にまで求めて、書かれている。
これに従えば、個人のさまざまなかたちでの「表現・了解」活動も、殆どす
べて、根拠としての「自身の在り様」の翻訳である、
と見なし得ることになる。
精神分析上の、内奥の「抑圧された欲望の表現行為」も「自身の在り様の翻訳」
となり、その他の、多様な象徴的なメタファー的表現行為も、同じく、翻訳
作業と見なされ得る。
interpréter: 解釈する、演奏する(後述)
interprétation: 解釈
interprète:
「解釈する人」だが、実際には、翻訳者(traducteur、traductrice)よりも、
「通
− 32 −
翻訳について・粗描
訳(する人)」を指す。通訳(する人)は、書き言葉よりは話し言葉(会話、
交渉、時には講演等も)を中心に、異なる言語間の意義の伝達に関わる「仲
介」作業を行う。一般に通訳によって訳された語群は、直ちに相手に伝えら
4
4
4
れ、直ちに相手によって解釈・判断され、直ちに相手から返答されてくるの
4
4
4
4
4
4
で、多くの場合、通訳者には自身が企てた翻訳内容を推敲する時間的余裕が
ない。ことさらそう言わない場合でも、通訳作業は、つねに「殆ど同時通訳」
になっている(にならざるを得ない)
。実際の場面から課せられる拘束(時
間的・意味的な制約)が大きい(多い)という点で、通訳作業は、さまざま
な推敲・改変の後に固定され静態化を目指し得る書き言葉の翻訳の一特殊例
と言うことができる。
sous-titrage : 同様に、映画の「字幕翻訳」も、大きな制約が課せられている。時間的・
空間的な拘束のために(次の画面に変わるまでの時間内に、提示し得る語彙
数が限定されている空間内で―テレヴィ画面では映画よりも制限はさらに強
くなる―)
、場合によっては言葉が発せられた背後の状況なども含めて、提
示された内容を可能なかぎり的確に、理解しやすく、伝えなければならない。
視聴者の便宜を図る(理解を容易にする)ために、
「誤訳」ともされかねない「意
図的な訳」(いわゆる意訳)をも許容し・前提とするもの、として「字幕翻訳」
はなされている。(もっとも、以前、NHK 第 3 チャンネルで放映されたフラ
ンス映画の字幕で、若い女性の発した言葉:“J’ai mal au cœur ! ” が、「心臓
が痛い」と訳されていたが、妊娠した(らしい)場面での発言であったから、
これは「本当の誤訳」であろう。)
transposer: 同じ言語内での表現の変換の場合:①難易の水準が異なる語彙や用いられ
る領域が異なる語彙等によって言い換えを行う場合にも、
「翻訳(する)」と
いう語彙が当てられることがある(6)。さらに、②谷崎潤一郎「訳」の『源
氏物語』とか、中江兆民の『三酔人経綸問答』の「現代語訳」
(岩波文庫)
などと言うときの「訳」は、
「現代語への置き換え」
(transposition en langue
moderne)として理解されるが、これも、広義の翻訳に含められよう。次の
鷗外の例などは、単なる戯れかもしれないが…。
− 33 −
小 玉 齊 夫
「徂徠の「人々以己心所安断之可也」(人々己の心の安んずる所を以
て之を断ずれば可なり)は、訳していえば「手ん手に気の済むように
4
4
4
4
4
4
(7)
するが好い」となる。」
(8)
言語のみではなく、より広範囲な「システムとしてのコード間の変換」
を翻訳と認める立ち場もある。
ところで(上に挙げたフランス語の)interpréter は、音楽の領域では「演奏する」
という作業になり、その前提には、やはり、
「解釈する」が含まれている。(「ワ
ルターによって interprétée されたベトォーフェンの交響曲第五番」のような場合は、ワルター
が指揮者であるために「指揮された」と訳されるが、
「解釈され、その解釈に基づいて指揮され・
4 4 4 4
4
4
4
4
演奏された」交響曲の意で用いられている。「パールマンによって interprété された」であれば、
彼によって「解釈され、その解釈に基づいて演奏された」ヴァイオリンソナタ『春』(など)
4
4
4
4
4
4
4
4
4
と理解される。―interprété は interpréter の過去分詞。受身的形容詞として用いられている)
。
作曲者が完成させた楽譜として厳密に固定したはずの「原テクスト」を、解
釈者(指揮者・演奏家)は、自身の批評的観点に基づいて「自分流に」解釈し(指
揮者の場合は、オーケストラ等に自身の自在な意図を指示し)・解釈させ、
[演奏する・
演奏させる]に到っている。このような事態は、厳格なまでに原テクストに忠
実な(解釈者としての)演奏者・指揮者(トスカニーニのような)の例がないわけで
はないが、そして、いわゆる浪漫派的解釈に同調した極論である、と否定的に
判断されることもないわけではないが、しかし一般的には、演奏者あるいは指
揮者の独自な音楽個性の現われとして、要するに、多様な解釈作業の結果を総
提示するものとして、求められ、歓迎されつづけてきた。それぞれの様式が要
(解釈に基づく演奏・
請する基準・拘束の範囲内で、
原テクストのさまざまな「翻訳」
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4 4 4
4 4
指揮)が多様に展開されてきたのが、演奏の側面から捉えられた音楽史、とさ
4
4
4
え言うことができる。
(「多言語文化サロン」では、ここで、
指揮者の解釈・演奏の違いを知るために、
以下の曲の「一
部分」をテープによって聞く機会を挿入した。A)ベトォーフェン(1770-1827)の交響曲
− 34 −
翻訳について・粗描
第五番 .。冒頭、例の「運命が扉を叩く」箇所を、①ブルノー・ワルター(1876-1962)がコ
ロンビア・フイルを指揮した「なめらかで比較的穏やかな、流動的な」演奏と、②フルトヴェ
ングラー(1886-1954)が、1947 年 5 月 27 日、ベルリンのテイタニア・パラストでベルリン・フィ
ルを指揮した、
「重厚で深遠で荘重でもある」いわゆる(「ベトォーフェン的」、
「ドイツ的」な)
「歴史的」演奏(ライブ録音)版。B)同じく、ベトォーフェンの交響曲第九番。①今度はフ
ルトヴェングラー指揮(バイロイト祝祭管弦楽団・合唱団、1951 年 7 月 29 日の、第二次大
戦後のバイロイト再開記念のライブ録音版)の演奏の方に、いわば「標準形」を求め、②メ
ンゲルベルク指揮、アムステルダム・コンセルト・ヘボウ管弦楽団の演奏に、いささかの「逸
脱」のかたちを見ることにした。第三楽章、祝祭の楽しさを求めているかのごとく、歯切れ
よく刻まれる行進のリズムをトランペットで強調するメンゲルベルク。そして第四楽章終結
部。とてつもない速さで終熄しようとするフルトヴェングラーの指揮に、オーケストラも追
いついていくのが精一杯のようで、最後は音程が狂ってしまったかのようにさえ聞こえる(第
一楽章の出だしも、緊張のためかヴァイオリンのフライングがあり、音が揃っていない。もっ
とも、仮に当時の録音技術で可能であったとしても、フルトヴェングラーなら、レコード製
作時の「修正」は拒否したかもしれない…)。一方、フルトヴェングラーに「対抗意識があっ
たメンゲルベルク」(宇野功芳)も、同じく猛烈なスピードで結末部へと向かいながら、フ
ルトヴェングラーとは異なる効果を求めてであろう、聴衆の気を、はぐらかすように、考え
られないほどの、遅いリタルダンドで、終わっていく…。殆ど、珍妙とさえ、言える、終結の、
かたちを、聴衆に、押し、つけて、くる…。
さらに、時間の都合で聞けなかったが、クナッパーブッシュ(1888-1965)指揮の、悠揚
迫らぬ、歯がゆいほどに展開の遅い『モルダウ』
(ベルリン・フィル)も、ゆったりと流れ
る大河の趣きを十二分に表現し尽くしていて、
「超」をつけたいほどに個性的な演奏である。
今にして思えば、演奏会場での「演奏第一主義」(レコードを媒体としての音楽表現を殆ど
拒否する立ち場。本稿の枠内で言えば、翻訳よりも通訳に近い在り方、ということになろう
か…)、指揮者個人への崇敬、
「ドイツ的深み・内面性」等々、
「ドイツ浪漫主義」以降の神
話が落とす濃い暗影が、この種の「超」的「解釈」
、解釈の多様性を許容する背景であった
かもしれない…)
− 35 −
小 玉 齊 夫
言語の翻訳に際しては、
[出発点・仲介点・到着点]としての[
「翻訳される」
言語・表現された際の場面の、意味に関わる諸状況・
「翻訳していく言語」
]等
の、それぞれについての、多様な解釈が必要とされる。翻訳された表現は解釈
の結果であり、つまりは選択あるいは創出の結果であり、そして解釈の多様性
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
は、ほとんど必然的に、評価の多様性をもたらすことになる。
4
4
4
4
4
4
やはり「演奏第一主義者」
(コンサート会場での演奏が「本物」
(?)だとすれば、
レコードなどは「マスターベーションだ」というのがチェリビダッケの妄言(?)
である。だが、しかし、時代は、その後、音声録音の内部以外に音楽の存在を認めず、
演奏活動を拒否するに到ったグレン・グールドを、対極に登場させてきた。現実の
実相は、
少数の個人によって提示された極端な二方向が形成する扇形の領域の内部・
内側を、さまざまに悠然と歩みつづける諸個人の諸芸術がある、と理解するほかな
いのかもしれない…)で、フルトヴェングラーの芸術しか認めないルーマニアの指
揮者チェリビダッケが、他の指揮者に対して下した酷評(9)を、ひとつの例として
読んでいくと、演奏の場面での優れた音楽の基準というものも、実は、規範どおり
の表現が最も精確かつ至上というものではなく、むしろ、さまざまな「逸脱」を可
能とするものとしてしか存在し得ない、ということを改めて意識させられる。翻訳
(演奏・解釈)が多様であれば、それだけ、評価も多様になり得るようである。
[創作としての翻訳]
解釈に基づく演奏・表現は、作曲者の創出した原テクストからの「逸脱」と
も言いうるが、しかしそれは必ずしも負(マイナス)の価値に落ちこむのでは
なく、新たな別の、しかし原テクストに拘束された範囲・方向内での、
「創作」
と理解することもできる。
我々は、音楽演奏のなかに、そのような例の典型を受け取ってきた。
「詩は、
音楽の豊かさを取り戻す営みである」というフランス象徴主義詩の意図・方向
を示す表現に依拠すれば、もしくは、その表現の延長にあるものを想定してみ
れば、文学作品等の翻訳も、音楽での原テクストからの逸脱の在り様と同様な
− 36 −
翻訳について・粗描
過程を辿る、言うならば新たな創作として、つまりは「豊かさを取り戻す」営
みとして、考えられるのではないか、そういう側面もあるのではないか。(こ
の想定が、後出の、本稿「結論」への伏線である。)
(3)
[生命感情と文化的特性]
ところで、しかし、フルトヴェングラーは、
「音楽をつくるのは楽器でもなく、
党派でもなければ才能でもない、音楽をつくるのは人間であり、人間的な生命
感情であり(…)」「ヴィーン・フィルが例外的な交響楽団であるのは、それが
徹頭徹尾ヴィーンのオーケストラであるからだ。
(…)ヴィーンのフリュート、
ヴィーンのオーボエ、ヴィーンのクラリネット、ヴィーンの打楽器、ヴィーン
の弦楽器があるからこそ…」云々と記している(10)。
フルトヴェングラーの、このような、
「文化的な形成力が実現させる作品」
という見方は、殆どつねに、解釈あるいは翻訳の前提・源泉として要請されて
いる。(客観的に見れば)作品はそこから流出してくるもの、とも解釈され、(主
観的に捉えれば)創作の際には、おのずから、それを「反映させてしまう」もの、
として作者によっても(反省的に)意識されてくる。了解と表現の両肢を有す
る精神的・心理的活動は、
「人間的な生命感情」の現われであり、その生命感
情は、何らかの「文化性の現われ」でも(現われでさえ)ある、という「客観性」
(あるいは「民族精神」・「時代精神」等々)重視の考え方である。
したがって、仮に、作品の「正しい」解釈を求める、とするならば、その解
釈には、作品の文化性を正しく再現したものでなければならない、という一要
素が(つねにそれに言及する必要があるかどうか、は問わないとしても)要請されてくる。
文化性の再現というこの問題は、翻訳に於ける(翻訳を契機として生じ得る)重要
な課題として、今日でも、在りつづけている。
以上、ここまでの「話題提供」は、「多様な解釈の可能性、その解釈の終結
− 37 −
小 玉 齊 夫
として、時には語彙の創出としても現われ出る翻訳は、しかし、その解釈の根
拠に、或る生命感情あるいは文化性を擁している」というふうにまとめられる。
だが、この、
「文化性を擁している」側面を強調しすぎると、自分たちに固
有のものではない(理解し難い)文化性に於いて存在する表現作品の翻訳など、
不可能ではないか、あるいは、
不要ではないか、
という主張に近づきそうである。
(フィラデルフィア管弦楽団を育てたレオポルド・ストコウスキー(1882-1977)
は、カラヤンなど、暗譜での指揮者が増えてきた頃、「あなたはなぜ、譜面を見て
指揮をしつづけるのか」と問われ、「私は譜が読めるからだ!」と答えた、という
4
4
4
4
4
笑い話がある。これにならって言えば、「多くの」ことばを操ることができさえす
れば「翻訳など不要である!」と広言し得ることになる。だが、仮に「一般翻訳
論」を考えるとして、シュタイナーによれば世界には 4000 から 5000 もの言語が
あり、数キロメートルも歩けば異なった言語を話す地域もある(11)というのだから、
そのような実情から判定すれば、
「個人が、あらゆる言葉を理解・表現できる、あ
らゆる言葉を翻訳できる」ということは、現実的には不可能である…。)
翻訳は、細かく見れば「不十分な」ところが殆どつねに存在するために、そ
れじたい不可能であると思わせる強い圧力を、受けつづけてきた。だが、しか
し、(広義の)翻訳は、それにもかかわらず、異なる言語や文化性と遭遇した際
には、つねに、必ず、実施され、それなりの効果をあげてきた。
それが、「有用であるから」
、
「必要であるから」、である。
だが、功利性を目的として翻訳行動に移る、その前の段階に、次のような実
態が在る。
一般的な通性として、ひとは、お互いに理解不可能な交流の機会が現われ出
てきた場合、お互いの意志の通じ合いがなされない事態に対して、心理的に、
耐え難い、耐えられない、と感ずる。あるいは、
「知らない」
「分からない」と
いう事態に安住できない、という通性が、ひとには在る。これは、人間の本質
規定というよりも、外部世界に対する習慣的な適性として、ひとにはそのよう
− 38 −
翻訳について・粗描
な在り様(現実的傾向性)がある、ということである。
「了解」という語彙を、心の在り様まで変化させてしまう(感動と通底する)
ほどに「深く、根源的な、十分な理解の極限に在ること」、あるいは「そのよ
うな状態に到る理解の仕方」として考えると、我々の(表現と了解を二極とする)
精神生活は、根本的には、その種の「深く、根源的な、十分な理解の状態に在る」
ような了解に依存していることがわかる。そのような「了解」が在るからこそ、
ひとの生活は継続し得ている、ということがわかる。その種の「了解」が少し
もなかったら、我々は、潤いのない・平板な・無感動な日常生活を送ることに
なり、それはそれで、おそらく最低限度の必要は満たされるではあろうが、し
かし必要以上のもの(「文化」!)への切実な意欲がかきたてられることなど無
くなってしまうに違いない。習慣的な状態の単調な持続それじたいは、残念な
がら、必ずしもひとの求める、理想とする在り様ではない。深い「了解」に基
づく、言うならば生活への感動が、ひとをひとらしく生きさせるもの、として
尊重されてきたのであり、現在に於いても尊重されているものである。
このような実相を、既に古代ギリシアでは、「哲学は驚きから生まれる」と
表現したのではないのか。あるいは、
「ひとには、本来的に知りたいという根
本的な欲求がある」(アリストテレス)とも…。人間には「知りたい」という欲
求がある、という言い方は、上の、お互いの意志が通じ合わない事態には耐え
られない、という人間の心の素朴な在り様の、別の面からの表現になっている。
翻訳は、したがって、表現されたさまざまな状況を通して、相手を理解した
い、と感ずるこころの、素直な「翻訳」行為である、と言うことができる。
このような感情的な要因に依拠する立ち場を前提として確認しつつ、翻訳の
実際に関わるさまざまな語彙の整備作業を、以下、簡単に辿ってみることにし
たい。
− 39 −
小 玉 齊 夫
(4)
[翻訳の機縁]
ドイツ浪漫派の翻訳作業を追ったアントワヌ・ベルマンの労作『異なるもの
(12)
の試練』
に関する書評として書かれた『翻訳について』のなかで、ポォル・
リクールは、翻訳は、①必要に迫られて ②役に立つので ③翻訳への意欲が
あるので、という三つの機縁によって行われる(13)と記している。確かに、現
実的な機縁に促され、さまざまな領域に於いて、いつでも、到る所で(リクー
ルの知見の範囲外と思われる日本でも)、必要に迫られ、役に立つものであるからこ
そ、翻訳が実行されてきた。
江戸時代、対外交流のための翻訳(ペリー来航以前でも、幕府天文方は、諸外国との
外交書簡を作成し訳す作業を強いられた…)や、それ以前の「実学」の領域での多様
な翻訳活動も、役に立つからでもあっただろうが、必要に迫られての翻訳でも
あった。とはいえ実際には、有用であるかどうか、その判定があらかじめ可能
4
4
4
4
4
なほど、江戸期にさまざまな(物質的)資料が既に整っていたわけではない。有
用性を断言できるほどの思想的基盤も充分には成熟していなかった。とすれば、
やはり、翻訳によって新たな知識を得たい、とする意欲の方が先行していたの
ではないのか。福沢諭吉が回想する適塾でのハルマ辞書の「奪い合い」の挿話も、
現実の翻訳作業が、多大な困難・労苦に直面しつつ、新たな知識を得たいとす
る意欲によって、それらを克服していく過程であったことを示している。事実、
蘭学への傾斜は、時と場合によっては、死罪にさえつながる行為でもあった。
必要に迫られて、という強迫観念めいた要因だけでなく、やはり根底には、原
作品で展開されている新たな知識への情熱、翻訳の結果として形成されるであ
ろう新たな社会を希求する情熱(このような情熱がなかったならば、原作品で展開され
ている知識に無関心でありつづけ、あるいはそれを拒否・否定しつづけていたであろう)
、要
、その作
するにリクールが(西欧での在り様に基づいて)指摘する「翻訳への意欲」
業に歓びと感激を見いだす意欲、それがあったからこそ(文化的には事情が異なる
日本に於いても同様に)数々の翻訳がなされ得たし、なされてきたのであろう。
− 40 −
翻訳について・粗描
[対応の様相]
そして、その翻訳作業の実際は、既に見た『解体新書』の「凡例」が示して
いたように、原語の音を採取する作業に加えて、対応する語彙の発見、対応す
4
4
る語彙の創出の作業であった。
4 4
対応の諸相は、①語彙と語彙との間の対応 ②文章と文章との対応(文章と
文章との繋がりに関する対応)③文化的・社会的な特定の「表現・了解」様式の対応、
それらに関しての検討・吟味を前提とする。対応は、それぞれの水準で、対応
の有無についての検討(有り無しを断定するには、「思想の次元」で、それぞれの対応に
関する認識・了解が、既に深められているのでなければならない)を出発点とし、
[自/
他]の様相を比較・評価して、文化的・社会的な(これまでの表現形式に適ってい
るかどうか、という)
「表現の次元」
での対応の在り様をも確定する作業となる。
「対
応の原則」に基づいて、他の言語の背景に在る思想性と自身の言語の背景に在
る思想性とが、事実的に対応するか否かの検討に付されることになる。
「或る国民には或る詞が欠けている。何故欠けているかと思って、よくよく考え
4
4
4
4
4
4
4
4
4
てみると、それは或る感情が欠けているからである。」(…)「独逸語に Streber(立
4 4 4 4 4 4 4 4 4 4
身出世主義、ガリ勉主義)
」という詞がある。
(…)Streber は努力家である。勉強
家である。抵抗を排して前進する。努力する。勉強する。こんな結構なことはない。
(…) 然るに独逸語の Streber には嘲る意を帯びている。
(…)Streber はなまけもの
やいくじなしよりはえらい。場合によっては一廉の用に立つ。しかし信任はでき
ない。(…)日本語に Streber に相当する詞がない。それは日本人が Streber を卑し
むという思想を有していない からである。」「もうひとつの例。sittliche Entrüstung
4
4
4
4
4
4
4
4
4
道徳的憤怒と訳しても好かろう。約めて言えば義憤であろう。独逸人なら、
(…)
義憤と言うことが気恥かしい事になっている。それを敢えてする人は面皮の厚
い人とせられている。(…)とにかく、義憤が気恥かしいという感情が日本人に
4
4
4
4
4
4
4
は欠けているのは事実である。そこで嘲の意味を帯びた sittliche Entrüstung という
4
4
4
4
4
4
ような詞は日本にはないのである。
(…)もう一つ、今の日本人に欠けている詞に
4
4
4
4
4
4
4
4
ついて簡単に話そう。Sich lächerlich machen (…)se rendre ridicule(…)Lächerlich
− 41 −
小 玉 齊 夫
も ridicule も可笑しいと言うことである。然るに自分を可笑しくするという詞が日
本にはない。人に笑われるというと、大相意味が軽くなってしまう。世の物笑え
になるなどという詞が古くはあった。これはやや似ているようだが、今はそんな
詞も行われていない。西洋人は自分を可笑しくすることをひどく嫌う。それだか
らその詞がある。日本人は自分を可笑しくするのが平気である。それだからその
詞がない。義憤なんぞが好い例である。義憤の当否は措いて、何に寄らず、けし
4
4
4
4
4 4
4
4
からんけしからんを連発するのは、傍から見ると可笑しい。日本人がそれを構わ
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4 4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
(14)
ずに遣るのは、自分を可笑しくすることを厭わないのである。」
4
4
4
4
4
4 4
4
4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4
4
4
語彙の対応の在り様、語彙が通用している(あるいは、語彙がないために、通用
していない)背景への評価に関わる森鷗外の発言である。或る「詞(ことば)が
ない」という事実が、即「感情が欠けている」
、即「思想を有していない」と
いう事実へと、すぐに、つながっていくかどうか、詳細な吟味は必要かもしれ
ないが、しかし、鷗外の主張は明快である。「言葉の、根拠にある感情」とい
う考え方は、論理性を軽視しているようにも見られるし、単なる一面だけで
はないか、という批判もあり得るが、それでも、
「御国風」に、あるいは「言
霊」として、むやみに神秘化するよりは、論理風に割り切れている。いわゆる
dénotation/connotation の概念設定に際しても、後者は、或る時期には affectivité
(感情性)と言われていた
(15)
ことを想い起こせば、鷗外の指摘も、それほど時
代遅れでも、的外れでもない。
背景としての「思想の有無」を言及する態度は、鷗外ならずとも必要な作業
と思われるが、この、
「感情と絡み合った思想性」を、鷗外は、終世、重視し
ていたようである。重視したかった、のであろう。僅かな期間とはいえ西欧で
の「生活」体験を有した鷗外の、根拠のところでは軸足を思想性に置いた、置
きつづける、その態度が、彼のことばの端々に窺える。上の引用文が刊行され
てから半年ほど後に、以下のような述懐がある。
− 42 −
翻訳について・粗描
「私は私で、自分の気に入ったことを自分の勝手にしているのです。それで気が
済んでいるのです。(…)こういう心持ちは愚痴とか厭味とかいう詞の概念とは大
へんに違っていると信じています。いつか私は西洋にある詞で、日本にない詞が
ある、随(したが)ってそういう概念があちらにあって、こちらにないというよ
うな事を話したことがありました。縦令(たとい)両方にその詞はあってもそれ
が向こうでは日常使われているのに、こちらでは使われていないという関係もあ
るのです。これは確かに思想の貧弱な徴候だろうと思うのです。
」(16)
4 4 4 4 4 4 4 4
根拠の思想が不在のゆえに、その思想に依拠している個人の感情的な意向を
反映する語彙がない、というのが、対応の在り様を体験的に吟味しなおした際
の、鷗外の立ち場(ドイツ語であれば自分の感情をより適切に、より精確に表現できるが、
残念ながら、その原語に関わる思想性を持っていない日本語では、対応する語彙も無く、し
たがって自分の感情を日本語では十分に表現し得ない)ということになる。
とはいえ、他の(外国語の)言語・語彙に対する(感情的)反応は、語彙と(語
4
4
彙が指し示す)実際のものとの「一対一の対応が有れば良し、無ければ悪し」と
4
4
いう判断だけで、すべてが言い尽くされるわけでもない。既知の(自分にとって
十分に親しい)語彙と(語彙が指示する)実際のものとの対応の在り方じたいでさえ、
4 4
4
4
画家によって(17)その摩訶不思議さが指摘されるまで、意外に錯綜したその実
態に気づいたひとも少なかったのである。
さらに、別の一例。
ヘミングウエイの『誰がために鐘はなる』
は、
原語・語彙を知らないことによっ
て生ずる肯定的・否定的な感情反応の方が、自分の感情をより良く表現し得る、
という例を挙げている。確実に死に到りそうな状況下、死を待ち受ける夜の闇
のなかで、ロバート・ジョーダンがマリアとの出逢いを回想しながら、外国語
「死」「戦争」
で表現された語彙(の音)と現実に在る、あるいは在ることになる、
との対応、微妙なズレを意識する場面:
− 43 −
小 玉 齊 夫
「死― dead ― mort ― muerto ― todt。Todt が一ばんという感じがする。戦争 ― war
― guerre ― guerra ― Krieg。Krieg が一ばん戦争らしい。それとも、ちがうかな。
(18)
おれがドイツ語を一ばんしらないせいかな。」
疎遠なものであれば疎遠なままに、自身には殆ど影響を与え得ないのが外国
語であり、それが日常態であるが、ここで取り上げられているのは、ふだん
は自身とは疎遠な関わりにある外国語の語彙(の音)が、そうであるからこそ、
或る極限的な状況では、(「死」や「戦争」という語彙の)指示連関(音によって指示
される対象物、もの)として、そのものじたい(現実に迎えるはずの死、現実に展開さ
4
4
4
4
4
4
4
れている戦争)を、
より切実な感情を伴って、出現させるに到る(想像の上に現われ、
よりつよい現実感覚を強いてくる)という体験である。
鷗外の場合は、外国語語彙・思想性を知悉しているがゆえに、自身の言語で
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
は自身の感情を十分には表現し得ないと感じている。
ヘミングウエイの創作は、
自身の感情に訴えてくる迫力として計量される場合、対応する外国語語彙(の
4
4
4
4
4
44
音)の方が、知らないものであるがゆえにこそ、かえって、自身の感情にふさ
44
4
4
4 4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
わしい表現となっていること、を主人公に実感させている。
上の二例は、[自/他]の関わりとして捉えられたとき、外国語語彙の方が、
それに関わる知識の(実感の) 有無に関わらず、自身の「感情表現」として、
より適切な場合さえある、という事態を示している。翻訳の在り方として考え
れば、鷗外の場合なら、「Resignation」のように、さまざまなかたちでの注釈
をつけた「原語そのものの採用」に到らざるを得ない(事実そうなった)。ヘミ
ングウエイの場合は、ことさら対応する語に置き換えるという意味での翻訳を
必要としない(しなかった)。翻訳ではなくて、外国語の「語彙(の音)の即物的
な提示」によって、それこそ即物的な「感情的反応」を与えることが、その目
的であったからである。
鷗外・ヘミングウエイの例は、「自己の言語を使用する時と他の言語を使用
− 44 −
翻訳について・粗描
する時とでは、言語に対する感覚が同じようには把握され得ない」
「自己の言
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
4
語への(からの)感覚と他の言語への(からの)感覚とは乖離している」という原
4
4
理を提出していることになる。自分の居る位置の違い、擁している座標軸の違
いに基づく乖離感覚の経験は、実際に多くのひとが、日常的に感じとっている
ものである。分からないものは分からない、のであって、そのまま、放置する
のが日常の態度ではあるが、
しかし一般的に「翻訳の原則」は、
このような「文
化的な乖離の原則」(言語の上で、あるいは文化的に、隔たっているがために、お互いが、
言うならば通分ができないために、お互いに理解不能・表現不能であらざるを得ない、とい
う在り様)を認めたがらない。認めたくない。認めたとしても、渋々、
「認めざ
るを得ない」ものとして、認める。なぜなら、翻訳は、もともと乖離している
ことどもを、何とか、一つの原則に収束させ、まとめあげたい、という希望(感
情的反応)に基づいているからである。
鷗外およびヘミングウエイの指摘は、翻訳の場面あるいは二つの言語の交錯
の場面で(言うならば「ハイゼンベルクの原理」のように)、この「乖離の原則」を認
めるべきではないか、という問いかけとして考えることもできる。(言語学での
指摘を挙げれば、
「二つの同じような状況は決して存在しない。それゆえ、同じように見え
(19)
る二つの状況と関連した二つの伝達表現(メッセージ)の意味も、やはり、同じではない。」
という、いわゆる「ブルームフィールドの公式」とも関連するもの、と言えるかもしれない。
ただし、本稿では、これに基づいて「不可知論」にまで滑り入るつもりはない。なお、この
原理に、事実上、反すると思われるのが、サミュエル・ベケットなどの、いわゆる「バイリ
ンガル」とされる言語主体が二つの言語表現に対して抱く、おそらくは「同じ」感覚、とい
うことになり得るが、本稿の時点では、これを対象化し得ない。
)
4
4
4
4
ヘミングウエイの場合は、この「乖離の原則」を否定的なものとして受け入
れるのではなく、むしろ肯定的な価値を産み出してくるものとして、実際の一
場面に採用している。極限的な状況を強調するために、敢えて、外国語相互の
有する異質性が持って来られ、強調されたのかもしれない。例外的な、窮地に
追いこまれて縋りつきたくなる、麗しい束の間の幸福の代替イメージとして、
偶然の僥倖としての肯定的な役割を果たすことを、「知らない外国語」が求め
− 45 −
小 玉 齊 夫
られたのかもしれない。
「乖離の原則」の結果として、個人の感情がどういう条件下で[肯定的/否
定的]、そのどちらの方向を辿ることになるのか、一般的には確定し難い。だ
が、
「乖離の原則」を否定的に、徹底させて捉えれば、或る言語を母語とする
者は、他の言語を母語とする者と、何らかの領域で、あるいは何らかの行動に
於いて、まったく同じ感情を共有することはできない、ということになる。あ
る程度までは感情移入ができるとしても、しかし、その感情移入も、言語表現
と対応するような広がりのすべての領域では不可能なのではないか。時には不
十分な、あるいは過剰な、感情移入となるのではないか…。(先に見たフルトヴェ
ングラーの指摘、
「文化性にもとづく感覚の差異」が、ここでは、語彙に対する感情の次元で、
指摘されていることになる。)
翻訳は、創作の方向を目指すとすれば、或る程度は、原作品とは違った、何
か異なった別のものを作り上げる作業となってしまう。とすれば、感情的な場
面に於いても、或る程度は、原作品とは違った、何か異なった別のものを作り
上げる作業となってしまうのではないのか…。つまりは、正確な翻訳などは、
不可能、なのではないのか…。
(5)
[翻訳の可能性]
翻訳のさまざまな現われ方を見てくると、人間の精神活動には、未知の事が
らを、システムとして関連づけられた既知の体系の内に統合しなおし、それに
よって知識の領域を拡大していき、それを周囲に伝えていく、そういう意味で
の(了解作業とも表現作業とも言える)翻訳作業が、[内在し・実際に機能し・反芻
されつづけている]と認めることができる。
翻訳作業をそのように広義に捉えることは、それに付随したさまざまな特性
を見通すことができる、という利点はあるとしても、しかし、普通言われる(狭
義の) 翻訳に対しては、あまりにも一般的なことがらの羅列で具体性に欠け、
− 46 −
翻訳について・粗描
だからどうしたのだ、という反発をもたらすだけになりかねない。
対応する「言語の言い換え」としての(狭義の)翻訳を、万能(と思われる)の[交
流・交換・交歓]の作業としての(広義の)翻訳として認容し、許容・承認し
ていけるのかどうか。
我々は、いよいよ、翻訳について語るときに最も問題となる(おそらくは特殊
例としての)
「文学作品の翻訳」について、その吟味を開始していかなくてはな
らない。そこでは、「文学作品」という語彙が強いてくる変様のひとつの場合
として、これまでは原則として目指されていた語彙等の「対応の在り様」は、
通用しなくなるようである。「対応は不可能である」、
「対応は必要ではない・
無視し得る」という在り様が、したがって、以下、文学的な翻訳での中心的な
課題となってくる。
だが、まずは、前提としての「文学的翻訳」の特殊な位置について。あるい
は、文学的翻訳を行う翻訳者の任務について…。
ヴァレリイ・ラルボ:
「音楽作品と同じようにどんな文学作品にも、
物質的な文字通りの意味以外に、表面からは見えにくいが、それだけ
が、詩人によって望まれている審美的な印象を我々の内に創り出す、
そういう意味(sens)がある。この意味を明確にすることが重要であ
4
4
り、翻訳者の任務はもっぱらそこにあるのだ。それが出来ない翻訳者
は、読者であることに甘んじるべきである。それでも敢えて翻訳をし
たいのなら、(…)哲学とか純粋歴史の著作とか、自然科学の論考や
入門書の類い、必要ならば法律、商業上の資料等の翻訳をすればよい
のであって、ヴェルギリウスの詩など、要するに文学的作品のすべて
は、静かに放置しておくべきである。文学的著作の、この “ 文学的な ”
4
4
4
4
意味を明確にするには、まず、その意味を把握しなければならないが、
4 4
しかし、把握するだけでは十分ではない、さらにそれを再創造しなけ
4 4 4
4
4
(20)
ればならないのだ。」
− 47 −
4
4
小 玉 齊 夫
文学作品の場合は、普通では読み取り難い或る特定の「意味」を伝えること、
さらにはそれを「再創造」することが「本当の翻訳」である、とする観点は、
ラルボだけではなく、多くの文学・詩の創作者たちによっても指摘されている
ようである。極端に決めつければ、
「哲学とか歴史とか自然科学」なら「適当な」
翻訳で構わないが、文学作品の翻訳の場合には、翻訳者には「特別の任務」が
課せられている、という認定である。このような特別な任務の要請は、おのず
から、
「乖離の原則」を基準とする考え方から抜け出た領域・水準で、
翻訳の[可
能性/不可能性]
という問題と関わり合うことになる。翻訳は可能であるのか、
不可能であるのか。文学作品の翻訳に於いて、乖離を基準とするような考えの
水準を抜け出た「本当の翻訳」という言い方が在るとすれば、
どういう点で、
「本
当の翻訳」になり得るのか。
図式的に考えれば、翻訳は[可能/不可能]、そのどちらか、と言うこと
になる。
① 翻訳は可能である。
なぜなら、少なくとも「伝えたいことがら」(意図・意味。単なるメッセージ
としての「伝えたいことがら」だけではなく、圧縮され深められ究められた、ということ
は「要約」にも近づく、「意味」として考えてみる。)は、伝えることができるから。
或る特定の作品、あるいはその一部分が、翻訳不可能ということはあり得
るとしても、そして、仮に「うまくない」訳しかできない場合であっても、
少なくともその言いたい意図・意味を伝えるものとしての翻訳は、多くの場
合、可能である。不十分な箇所、
「うまくない」部分等は、
「注」等による「説
明」を行い、あるいは新たな「造語」(前出の「義訳」)によって説明し、要す
るに「言葉の移し替え」をすることによって、
たいていの翻訳は可能になる。
仮に翻訳が「説明」的なものになったとしても、作者の「意図・意味」は十
分に伝達され得る。
ただし、そのような、「伝えたいことがら」(意図・意味)を伝えるだけの作
業など翻訳とは認められない、ということになれば、
「翻訳は不可能」とい
− 48 −
翻訳について・粗描
う認定になる。
② 翻訳は不可能である。
なぜなら、それは「他の言語」によって書かれているから。
作者が或る語彙を選んだということは、
他の語彙ではなく、
その語彙によっ
てしか言い表せない特別の意図・意味を自身で感じたからであり、その表現
を求める結果として、その語彙が選択されたのである(詩の場合などは特にそ
うである)。作者は、それ以外の語彙をすべて拒否したのである。同じ言語圏
の内部で、それ以外の語彙への「言い換え」を拒否したからこそ、その語彙
によってその作品を形成したのである。とすれば、作品全体の語彙をすべて
外国語に移し替えることなど、当然、作者がみずからに対して、あるいは他
者(翻訳者)に対して「拒否・禁止」すべきことがらとなる。仮に作者が「翻
訳」を求める、あるいは許容するならば、それは、(原理的には不可能な…前提
がそうであった!)
「言葉の言い換え」という次元には属さない、他の、別の「翻
訳への意欲」によってなされるものと考えざるを得ない。この、
「別の意欲」
が翻訳という作業に伴って在るのだとすれば、つまり、或る言語による「創
作」と他の言語への「翻訳」とは、実は別の原則に立つ作業である、という
ことが認められれば、
その場合には「翻訳は可能」という認定になる。(だが、
「可能」であるという在り様も、その内容を見直すと、上記の、
「伝えたいことがらを伝え
るだけならば可能」という事態に舞い戻ってしまう…)
以上のような、直線的な、翻訳の[可能性/不可能性]の認定は、お互いに
相手の在り様に依存する状態に到るということになり、そういう説明でことが
済めばそれ以上に取り上げる必要もなくなってしまう。基準の立て方によって
相反する結論を導き得る問題は、問題の設定よりも、基準の設定じたいを明確
にすることが求められている、のかもしれない。ここでの基準とは、翻訳に於
ける、或る「言語・語彙」と他の「言語・語彙」との精確な「対応」という基
準である。
− 49 −
小 玉 齊 夫
何れにしても、しかしながら現実的には、それこそ有史以来、翻訳不可能な
[語彙・文章・文化的活動]に対して、
「注」もしくは「説明語」を付す場合で
あっても、とにかく、何らかの相互的な理解を求めて、あるいは誤解をも顧み
ず、翻訳は、実際に敢行されてきた(文化的な活動に見られる、「模倣としての翻訳」
は、当然、自身の根拠を維持しての受け入れ活動なので、些細な誤解は、すべて、許容ある
いは看過されることになる)。
「注」や「説明」等が、実際の翻訳を助けているのか、
実際の翻訳を台なしにしているのか、その判定は個々の状況に応じて改めて考
慮されなければならないとしても、
「必要に迫られて」
、その方が「有用である」
がゆえに、厳密な意味で翻訳が可能であろうと不可能であろうと、多くの翻訳
が、文学的翻訳も含めて、事実上、まさに「事実性」として、なされてきたの
4 4 4 4 4 4 4
4
4
が実態であり、これからも、さまざまな条件の改善をともなって、なされつづ
けていくであろう。(衛星放送などでの同時通訳は、現時点では、まだまだ改良されるべ
き「翻訳」ぶりが多いとしても、しかし最低限の要求を満たすという観点に立てば、10 年前
よりは格段に進歩したと評価され得るのではないか。将来的には、より正確度の高い翻訳へ
の楽観的な見通しも立てられるのではないか。「1960 年のロシア語からフランス語への翻訳
(21)
は、1760 年のロシア語からフランス語への翻訳の在り様と同じではない」
とジョルジュ・
ムナンが述べているのも、同じ趣旨に基づくものであろう。物質的な条件とともに、翻訳の
技能の進展は、内容的にも、当然あるはずなのだから。)
[仲介の場としての翻訳]
異なる複数の「言語・語彙」の対応関係は、実際には、或る「交流・伝達」
の場に於ける対応である。つまり、翻訳じたいの実際の在り様は、異なる言語
の間で、対立にちかいものとして響く「対応」よりは、
むしろ、
積極的な「仲介」
を行う作業・場所になっている。それまでは孤立し固有の空間の内部に閉じ込
められていたはずの伝達内容は、翻訳によって、他の、それまでは(客観的には、
あるいは事実的には)対立あるいは対抗していた地域にまで、その意向が伝えら
れ、理解され、反応をもたらすための可能性を開いてくることになる。このよ
うな事態から考えれば、翻訳が完全に精確になされるか否かはともかくとして、
− 50 −
翻訳について・粗描
何らかの程度の確実さを以て、相互の意向が相互に理解され、その結果として、
相互の、新たに開かれた[交流・交換・交歓]の場が確定していく、そのため
の作業の端緒に、翻訳がある、とも考えられる。
この[交流・交換・交歓]の場は、特にその初期の段階に於いては、翻訳を
とりまくさまざまな事情に基づいて、不正確に、あるいは恣意的に、時には歪
められたかたちで、作り上げられることがあった(22)。文学作品も、基本的な
知識の欠如を主たる理由として、翻訳と称しながら抄訳、あるいは翻案(言う
ならば自由訳)で満足してしまってもいた。だが、翻訳の不十分さの根拠は、実
際には、翻訳じたいに要求することがらが異なっていたから、
でもあろう。モー
パッサンの『首飾り』とか『月光』の、明治期のいくつかの翻訳の、その冒頭
部分を見比べても分かるように、当時の翻訳の目的は、必ずしも、語彙 ・ 表現
じたいの移植に関わる「精確さ」ではなかった(23)。フランス文学というもの
はこのような動向にあるのだという知識を、共通の関心の場に載せたい、その
ような文化的な位置に、当時の翻訳は在ったのである。言うならばフランス文
学との[交流・交換・交歓]の場として、その翻訳作業は在った、のである。
現在では、このような目的が翻訳の「全域」を覆ってしまうことは、おそらく、
なくなっているであろうが、しかし、翻訳作業に付随する性格としては、今日
でもそれは残存しているようにも思われる。
[翻訳を構成する三契機:原作者の作品・翻訳者・読者]
翻訳は、[原作者の作品(原作者の言語)
・翻訳者(翻訳者の言語)
・読者(読
者の言語)]という三つの「契機」(構成要素 Moment としての意味合い)に於いて
現実化される。翻訳者は、原作者の作品の言語と、読者の言語との、仲介者と
しての働きをする。翻訳者は、翻訳の作業それ自体の内部に於いて、原作者の
作品の言語もしくは読者の言語の、いずれかの側に加担しそうになりそうな、
その境界につねに位置し、原則的にはその稜線の上で、どちらの側にも偏らず、
4 4
(24)
とを、意識あ
しかしながらつねに、どちらかの側への「忠実さと裏切り」
るいは実施せざるを得ないという、
微妙な在り様を経験しつづけることになる。
− 51 −
小 玉 齊 夫
あるいはまた、同じことであるが、原作者の作品の言語と、自身がそれへと翻
訳していくことになる読者の言語とのあいだの、規則・規制にかかわる「拘束
と自由」を、不断に、意識、経験せざるを得ないことになる。(作品・翻訳者・
読者は、いずれも、個人ではなく共同作業者の場合もあるし、仲介者としての翻訳者は、
「翻訳」
という語の意味合いに於いて、原作品ならびに読者と同じ言語を用いる場合もあれば、原作
品とは異なるが読者とは同じ言語を用いる場合もある。)
翻訳者の翻訳に関わる[才能・教養・感覚]が、おのずから翻訳には反映さ
れるが、しかし翻訳は、原作者個人と翻訳者個人との個人的な対応・対話の作
業では必ずしもない。読者という、原作者・翻訳者にとって、ともに、未知な
存在空間が在る。翻訳者にとっての原作品は、言うならば翻訳者自身がそこに
投げ置かれた世界であり・原テクストであって、そこから、自身が構成する新
たな「翻訳していく・作っていく世界」を、読者と共有するに到る過程を、翻
訳者は、自身の作業に於いて引き受けなければならない。翻訳者の[才能・教
養・感覚]は、少なくとも或る程度に於いて、原作者のそれとも読者のそれと
も通底するようなもの、となるのでなければならない。
一方に「対応」の原則を抱えつつ、しかし同時に、[交流・仲介]の作業を
主導する翻訳者は、その[才能・教養・感覚]を研ぎすましつつ、自身にとっ
ても未知な、原作者と読者とを結びつける空間形成に向って、忠実な「下僕」
であると同時に卑劣な「裏切り者」ともなり得る(感謝されることもあり得れば、
排斥されることもあり得る)
、そのような過酷な作業に取りかかることになる。そ
の時、あるいはそれ以降、
「翻訳者の課題(任務)
」についての問いかけが、絶
えず執拗に、厳しく、容赦なく、
翻訳者の心を締めて(占めて)くることになる。
[
『翻訳者の課題』・任務1]
ラルボの挙げた「翻訳者の任務」は、「詩人の望む審美的な印象を我々の内
に創り出すような、そういう “ 意味 ” を明確にすること」から始まった。この
− 52 −
翻訳について・粗描
規定は、それ自体としては妥当な表現の一つであろうが、しかし結局は、
「教養・
才能を有する達人なら、
天才的なちからで、
巧みな翻訳をなし得る」という、
「常
識的」な判定にしか届かないものかもしれない。
文学的翻訳の在り様・規定に関して、
より「文学的」な、
と言うよりも、
むしろ「形
而上学的」な考察を試みた例として、ヴァルター・べンヤミンの論考「翻訳者
「純粋言語」という「形而上学的」概念に拠るこの
の課題(25)」を取りあげる。
翻訳論は、一つの傾向を代表するものであるが、その論述の切実さは、必ずし
も容易に理解し得るものではない。以下、
場合によっては叙述の結構をも無視し、
可能なかぎりの分かりやすさを求めて、その主張・記述を翻訳してみることに
したい。(ついでながら、ここでは、ドイツ語原文の日本語への翻訳と、ドイツ語原文の仏訳
を日本語に翻訳した文との比較も試みている。
)
1)翻訳の合目的性はけっきょく、諸言語相互間のもっとも内的な関係の表現
に取ってのものである。」(注 25 で述べたように、この部分は、フランス語訳本の邦訳
のように、
“翻訳の最終的な目的は、結局のところ、諸言語のあいだの最も親密な関わりを
表現することである”とする方が理解しやすいと思われる。だが、本稿では刊行本に敬意を
表し、ドイツ語版からの邦訳―岩波文庫本―を引用し、必要に応じて、その部分についての
フランス語訳本からの引用者訳を“ ”で囲んで提示する)。そして、
「このような見方は、
これまでの翻訳の考え方とそれほど変わらないように思えるかもしれない」と
続けた後で、ベンヤミンは、しかし、
「原作と翻訳とのあいだの真の関係を把
握するためには、認識批判が模写理論のたぐいの不可能性を証明するときの思
考の運びと、徹底して似通った思考の運びを意図するような、考察がなされな
(26)
(邦訳本 p.74 〜 p.75。フランス語訳本からの邦訳:
“原作と翻訳との
ければならない」
間の本来的な関わりを把握するためには、認識の批判に於いて模写理論は不可能であること
を証明することになった、そのときの論証と全く同様な意図を有する論理的思考によって検
討されるのでなければならない。”)としている。つまり、
言葉は、
物(の像)を単に「写
し取った」ものだとか「移し替えた」ものだ、などと捉えるのではなく、ひと
つのシステムとして、ひとつの言語体系の内部で、他のさまざまな語彙等との
− 53 −
小 玉 齊 夫
関連を確定したうえで(「構造としての言語」観の方向で)言葉と物との対応を捉え
ていかなければならない、それと同様に、原作品と翻訳との間の関わりも、単
に言葉と物との対応を求めるような在り方ではなく、言葉と物とが照明してく
る新たな観点に基づいた新たな関わりを把握する、そういう方法に於いて対象
化されるのでなくてはならない、という見方を、既に 1923 年に、ベンヤミン
は提唱していた、ということになる。
2)言葉と物との間の「単なる対応を拒否する」見方に立つとすれば、翻訳は
原作品の単なる「移し替え」ではなく、
「写し取った」ものでもない。
「翻訳は
原作品に似ていれば良い、似ていなければならない」という見方は、原則的に、
否定される。そういうことにはならない(かもしれない)と考えられてくる。翻
訳は「原作品に似ている」ことを実現するためになされる作業ではない。そし
て、原則としてそういう立場に立つなら、「翻訳が究極的に原作との類似性を
(27)
とい
追求するものである限り、いかなる翻訳も不可能である」(邦訳本 p.75)
うことになる。翻訳が原作品に似たものを創り出そうと努めると、翻訳と原作
品との間の関わりが、言葉と物との間の(古い観点に基づいた)一対一の対応の
みを追求することになり、それは、現実の言語と物との関わりの在り様を求め
ていることには必ずしもならず、結局は、翻訳が原作品と同じ在り様に到達す
ることができず、「翻訳は不可能だ」ということになってしまう。
ベンヤミンの言わんとするところは、翻訳は、類似する作品を作り上げるこ
とを目指すのではない、そうではなくて、ただ、本来的な在り方で言語間の類
似性を追いつづけること、その追求に於いて、結果的には原作に限りなく接近
していってしまう、そういう作業なのだ、そういう想定に立っているように推
測される。
ここからのベンヤミンの求める方向は、言語学的というよりもむしろ、極め
「至上の言語」への仮託(純粋であり完全である、そのような言
て文学的な(虚構の)
語が存在するはずである、そのような言語のもとで、問題は解決されるはずである)という
主張になる。
− 54 −
翻訳について・粗描
3)ところで、言語じたいの変化の在り様も、その原因を言語以外のもの(た
とえば、心理的なもの等)に求めてはならず、
「変容の本質的なもの」は「言語お
よび言語作品の独自きわまる生のなかに」求めなければならない(邦訳本 p.76)
としている。この要請は、変化する言語の背後に不動の「実体めいた言語」を
信じたいベンヤミンの仮託でしかない、かもしれない。諸言語の基底に在るか
のような、おそらくはさまざまな諸言語の規範となるような、そのような言語
が存在することへの希望、それに基づく要請が、ベンヤミンの求める方向、そ
の基調である。言語と言語との関連の展開・追求から「諸言語の親縁性」(la
parenté des langues)という概念、「親戚同士であるような」言語という考え方
が求められ、したがって当然、
「バベルの塔」の神話・伝説が起こる以前の、
人類が同じ言葉を話していた(はずの)時期の言語の在り様を偲ばせる展開が、
以下、繰り広げられてくる。ただし、ここでも、翻訳をとおして二つの言語の
(28)
に見
類縁性が示されるとしても、それは「模写と原作との曖昧な類似性」
られるような類縁性ではない、という原則は貫かれている。対応ではなく、元
の「原・言語」的なものからの派生として、諸言語の在り様を想定することに
よって、ベンヤミンは、体系(システム) として在る、或る言語と或る言語と
の関わりを、(「対応」ではなく)「親縁性」という言葉によって、言うならば垂
直的な動きのなかでの関わり(フルトヴェングラーの言うような、おのずから形成され
ている「文化的特性」があるとするなら、ここでは、それら複数の文化性を平面上に列挙す
るのではなく、言うならば統合されるような垂直的な―何ものかを目指しての―動きとして
捉えているのかもしれない)として捉え直したのである。
「二つの言語の親縁性は、
歴史的な類縁性を度外視するとしたら、どこにもとめられるだろうか?とにか
く文学作品の類縁性のなかにでもなければ、言葉の類似性のなかにでもない。
むしろ、歴史を超越した諸言語の類縁性は、挙げて、完全な言語としてのおの
おのの言語において、ひとつの、しかも同一のものが志向されている点にある。
そうはいってもこの同一のものは、個別的な言語のいずれかによって到達され
るものではない。それは、諸言語の互いに補完しあう志向の総体によってのみ
(29)
」(邦訳本 p.77~p.78。“もし言
到達可能となるもの、すなわち純粋言語である。
− 55 −
小 玉 齊 夫
語が歴史的なものでなかったならば、二つの言語の類縁性(parenté)など、どこに求めるこ
とができるだろうか。何と言っても、諸作品を作っている言葉(mots)の類似に求めること
はできないし、諸作品それじたいの類似(ressemblance)に求めることも、やはりできない。
各言語をひとつの全体として捉えた場合、ひとつひとつの言語は、どれも、一つの同一のも
のを狙っているのだが、しかしながら狙われているそのものは孤立したひとつひとつの言語
によっては到達され得ず、ただ各言語がまとまって全体として相互に補完しあう場合、つま
りそのような志向性の総体としての「純粋言語 le pur langage」を想定した場合でなければ到
達され得ない、という事実があり、歴史を通して見通すことのできる諸言語のあいだの類縁
性というものは、むしろそのような事実に基づいて居るのである。”)
ここに「純粋言語」という概念が登場する。
シュタイナーは、「純粋言語」概念について、
「バベルの塔」以前の、諸言語
に分岐する以前の「原・言語 Ur-Sprache」である、と明記している(30)。それ
はそれで、憧憬の対象としての「完全言語」として、想像はしやすいが、ベン
ヤミンに於ける「純粋言語」も同じものを指していると認めてよいのであろう
か。言語間相互の言うならば水平的な類似性ではなく、天上の神への接近を企
てるような、完全な言語への生成を目指す垂直的「志向」
、その動きのなかで、
つまりは言語自身が自己を完成させていく「存在・活動」の在り様のなかで、
「純
粋言語」と称される言語との一体化があり得る、そのような理想的言語とでも
解するほかはないようである。
だが、しかし、そのような仮託じたいが、たとえ比喩的な発言であるとして
も、文学領域での神秘主義の域を超えて、言語の実際の在り様として、これま
で展開されてきたし今も展開されている、ということを、現時点で、言語学あ
るいは言語哲学に納得させることは、これは、そんなに容易なことではなさそ
うである。(ベンヤミンの論考は、同時に、「純粋」をひとつの至上の価値、在りうべき理
想としてまだ考えることが可能であった時代のもの、と極め付けることもできる。)
4
4
4
4
4
4
4 4 4 4 4 4 4 4 4 4
4)べンヤミンの言う言語の「志向」は(フランス語訳本では intentionalité ではなく
て intention が用いられているので、
「意図」という訳も考えられるが、やはり) 現象学に
− 56 −
翻訳について・粗描
於ける「意識の志向性」を、言語の次元・領域に援用して唱えられた概念と見
ることができる。
上記の、いわゆる「模写説」が、対象の在り様を受け取ってくるかたちで自
身を形成していく在り方とすれば、この志向性の援用は、対象にぶつかり、対
象に積極的に意味付与をする能力を伴なった、意識の能動的な活動の在り様、
それを言語の働きとして汲み取ろうとする意図が表明されたものと考えられる。
言語は、ひとつの働きとして、対象物への志向性として在るもの、と捉えられ
ている。
「異なる諸言語のすべての個々の要素は、語であれ文であれ文脈であれ」
4 4 4 4 4
「互いに排除しあう」が、これに反して「志向自体においては、諸言語は補完し
あう」(邦訳本、p.78)。つまりは、さまざまな言語は、同じ志向の在り方で純粋
言語を目指している、という事態の想定の、別の表現であると見られる。
(「志向によって諸言語は補完しあう」ことの一例として、ドイツ語の Brot とフランス語の
pain の例が挙げられる。「ふたつの語は、言い方としては互いに逆らっているのに、これら
の語を生んだふたつの言語の中では、その言い方が互いに補完しあう」。ドイツ語としての
パンとフランス語としてのパンは、指示連関の「物」として捉えても、色、形、味等、実質
的な相違があり得るし、
「語彙」としても、音声、書き方等での相違はあるが、そのような「自
然的な態度」の次元ではなく、「意義のあるもの」へと向かう言語の観念的な「志向性」の
動きのなかでは、ドイツ語のなかで果たしている Brot の働きと、フランス語のなかで果たし
ている pain の働きは(志向性として)同じ、という観点を取った、ということであろう。
「補
完しあっている」という言い方は、純粋言語へと向かう動きとして、お互いに同様な働きを
しているとみなすことができる、という意味合いであろうか。純粋言語とは、さまざまな言
語に於いて、さまざまな語彙(Brot や pain はその一例)が目指しているものであり、その、
目指すという動きとして互いに補完しあっており、その(言うならば)総和のごときものと
しての完全な言語、と見なされているのである。)
そして、ベンヤミンによる「翻訳者の任務」は、言語のこの「志向」の動き
を見て取り、言語のこの「志向の反響」を巧みに処理する(「反響させる」、「重
なりあわせる」)こと、となる。
− 57 −
小 玉 齊 夫
「翻訳者の課題は、翻訳言語のなかに原作のこだまをよびさまそうとする志
向を、その言語への志向と重ねるところにある」(“翻訳者の任務は、原作の、翻訳
される言語が、翻訳していく言語に向かうときの或る志向、つまり、原作の、翻訳される言
語のこだまを、翻訳していく言語のなかに目覚めさせ響かせるに到るような、そういう志向
(31)
を発見することにある。
”仮に、このベンヤミン原作のドイツ語本―ベンヤミンは文学作
品の翻訳について述べているので、論文翻訳の場合とは重ならないかもしれないが―を日本
語訳する場合に当てはめて書き直せば、「ベンヤミン原作本の翻訳者の任務は、ドイツ語が
4
4
4
4
4
4
日本語に向かう時の或る志向、つまりドイツ語のこだまを日本語のなかに目覚めさせ響かせ
るに到るような、そういう志向を発見することにある」ということになる。こういう「任務」
が現実的なものとして要請されている、と感じ得るかどうか。これは、
「翻訳者の」受けと
め方によって異なっているに違いない。)
この、ドイツ語と日本語との「こだまの響かせあい」を、後述の「逐語性」
4
4
4
とも絡ませて考えると(「逐語性」は、ベンヤミンの考えでは、ドイツ語と日本語との間
でのことではなく、同じ言語系のものの間でのみ認め得るものであったに違いない。当時の
ベンヤミンは、自分の作品が日本語に翻訳されることになる、などとは、思ってもみなかっ
たであろう…)実際の翻訳とは遥かに隔たった境界での、仰ぎ見てひたすら乞い
願うが如き「理想的・宇宙的・想像の極致」での、(普通の領域では不可能な)翻
訳のもつ「美しさ・在り難さ・有り難さ」が、
企てられているようにも思われる。
次いで、ベンヤミンは、文学作品の創作と翻訳との違いを示すことで、翻訳
に於ける志向の働きを、側面から、説明づけようと試みる。
「創作の志向は、けっして言語そのものに、その総体性に向かうものではな
く、もっぱら言語内容の特定の関連へ直接に向かう」が、
「翻訳は、創作とし
ての文学作品がいわば言語の内部の山林自体のなかにあるのとは異なり、その
山林の外側に位置して、その山林と対峙している。そして山林に足を踏み入れ
ることなしに、自身の言語のなかのこだまが他言語の作品のこだまとそのつど
重なってゆけるような唯一無二の場所を見いだし、その場所にあって、翻訳は
原作を呼びこむ(“翻訳は…外国語で書かれた原作品のこだまを聞かせることができる、
− 58 −
翻訳について・粗描
(32)
その場所に於いて、
こだまが聞こえるそのたびごとに、
原作品を反響させる”
)
のである
」
。
文学作品の志向は、作者自身の言語から発していくが、
「翻訳の志向は、翻
訳者にとっては外国語である言語の個別的な芸術性から出発しつつ総体として
の言語に向っていく。」志向そのものも、翻訳と創作とでは違う。
「創作者の志
向は素朴で初原的で具象的(“作家の志向は、素朴で、直接的で、直観的なもの”)で
あるが、翻訳者の志向は派生的・究極的・理念的(“派生的で、最終的で、理念に
基づいたもの”)である。というのも、多くの言語をひとつの真の言語に積分す
るという壮大なモティーフが、翻訳者の仕事を満たしているのだから(33)」(“な
ぜかと言えば、翻訳者の仕事は、唯一の真の言語を形成するために、多数の言語を統合する
という壮大な動機に力づけられているからである。”)
(邦訳本、p.82)
「あるべき」姿、理想的な姿を、ベンヤミンは、比喩・イメージで説き明か
している。そのために、原文と翻訳文との実際の関わりについての見通しは、
「論
証」的ではないという意味で、必ずしも、明確ではない。現実の在り様を比喩・
イメージで述べると、それだけ余分な解釈が介在してきて、分かり難さの度合
いも上昇し得るのと同様に、理想化された純粋な言語の在り様も、或る種の美
しさを備えた幻影として(のみ)、眼に映じてくることになる。
次に引用する文の、その分かり難さは「逐語訳」の部分に集中する。
「真の翻訳は透明であって、原作を覆い隠すこともなければ、原作の光を遮る
こともない。真の翻訳は純粋言語を、翻訳の固有の媒体である翻訳言語によっ
て補強され増幅された分だけ、原作の上へ投げかける。そのことは何よりも、
シンタクスを逐語的に訳出することから、可能になる。逐語性こそが、文では
なくて語が翻訳者の根源的な要素であることを、明証する。というのも、文は
(34)
(邦訳本 p.86。
」
原作の言語の前に立つ壁であり、
逐語性はアーチだからである。
“真の翻訳は透明であり、原作を隠すこともなく、原作の光を遮ることもない。真の翻訳とは、
媒介体としての翻訳していく言語によって強められた純粋言語を、強められただけ広範囲に、
原作の上に落としかける作業である。この、純粋言語を原作に落としかける作業は、何より
− 59 −
小 玉 齊 夫
も文の構造を移し替えるときの逐語的な書き換え作業に於いて、成功を収めることができる。
まさにこの逐語的な書き直しによって、単文(フレーズ)ではなく単語が翻訳者にとっては
最も重要な要素である、ということが示される。なぜかと言えば、単文が、原作の言語の前
に在り、遮るための壁・塀であるとすれば、単語の逐語的な書き換えは、その下を進むこと
ができるアーケードだからである。”)
既に示されてきたように、ベンヤミンが述べているものの究極の姿は論証に
よって示されてはいない。ベンヤミンは、
「山林」とか「こだま」のような、
或る種のイメージによる表現に頼って、それによって理解の筋道を辿ることを
求め、そのように語ってきている。ここでの、「単文」と、その(文の)構成要
素としての「単語・語彙」の在り様も、それを「壁」と「アーケード」との関
わりに当てはめることは、イメージを用いた比喩に基づく図解である、と理解
するほかない。イメージを借りてくることによってのみ説明し得る表現態がこ
こでは展開されている。そう理解することによって、ベンヤミンの言葉の詩的
な脈絡を、辿り得ることになる。
そして、そのようなイメージの、見事に流麗で美しい最終版・決定版が、以
下に述べる「接線」である。
「意味からの解放が忠実の課題にほかならなかったが、そのような意味を伝達
することには、自由の存立の基盤はない。むしろ自由は、翻訳言語自体にお
(35)
」(邦訳本 p.88。ここで「忠実」「自由」
いて純粋言語をめざすところに示される。
というのは、翻訳が原文に対して忠実な訳をしているか、自由な訳をしているか、という意
味での「忠実」
「自由」である。“「忠実」な翻訳を目指す場合、情報伝達(コミュニケーション)
に於ける意味は把握されないが、そうかといって、
「自由」な翻訳を目指す場合でも、その「自
由」は、情報伝達に於ける意味から生まれてくるのではない。実際は、まったくその逆であっ
て、純粋言語への愛に於いて、自分自身の言語に向かうときに、
「自由」が実際に生まれて
くるのである。”)
「他言語のなかに呪縛されていたあの純粋言語を自身の言語のなかで解き放つ
こと、作品のなかに囚われていた言語を改作のなかで解放することが、翻訳者
− 60 −
翻訳について・粗描
の課題である。この課題のために翻訳者は、自身の言語の腐朽した枠という枠
を打破する。ルターもフォスも、ヘルダーリンもゲオルゲも、ドイツ語の限
界を拡大してきた。このことから、翻訳と原作との関係にとって意味に残され
る意義は、ひとつの比喩で捉えられる。接線が円に瞬間的にただ一点において
接触するように、そして法則に従ってさらに無限のかなたへ直線的に延びてゆ
くことを接線に指示するものが、この接触ではあっても接点ではないように、
翻訳は瞬間的に、かつ意味という無限小の一点においてのみ原作と接触した
のち、忠実の法則に従いつつ、言語運動の自由において翻訳独自の軌道を辿っ
てゆく。(36)」(“外国語のなかに亡命していたこの純粋言語を、自身の言語のなかへと奪
い返すこと、作品のなかに置き換えることによって、囚われていたこの純粋言語を解放する
こと、それこそが翻訳者の任務である。純粋言語への愛のために、翻訳者は、自身の言語の
朽ち果てた垣根を打ち破ろうとする。事実、ルターやフォス、ヘルダーリン、ゲオルゲ等は、
そのようにしてドイツ語の境界を拡げてきたのだ。原作と翻訳との間の関わり、その意義は、
ここではどのような意味合いを持ち得るのか、それは、ひとつの比喩によって表現される。
接線が、たった一点で円に接し、直ちにそこから逃げ去っていくように、そして、この接す
る一点ではなく接触によって、軌道をまっすぐに無限に辿っていくという法則に従うのと同
じように、翻訳は、意味という無限に小さな一点だけで原作に接し、直ちにそこから逃げ去っ
て、言語の運動の自由のなかで、忠実さの法則にしたがいながら、最も適切な自身の軌道を
辿っていくのである。”)
[
『翻訳者の課題』・任務2]
これまで言及されてきた「翻訳者の任務」は、以下の三つにまとめられる。
①
ラルボの場合:「詩人の望む審美的な印象を我々の内に創り出すような、
そういう意味を明確にすること」
4 4
②
ベンヤミンの場合:
「翻訳の合目的性はけっきょく、諸言語相互間のもっ
とも内的な関係の表現に取ってのものである。
」(それが翻訳の目的である
とすれば)
「翻訳者の課題は、翻訳言語のなかに原作のこだまをよびさま
4
− 61 −
4
4
小 玉 齊 夫
そうとする志向を、その言語への志向と重ねるところにある」
③
ベンヤミンの場合:「意味からの解放が忠実の課題にほかならなかった
が、そのような意味を伝達することには、自由の存立の基盤はない。む
しろ自由は、翻訳言語自体において純粋言語をめざすところに示される。
」
(そうであるとすれば、そのような動きとして)
「他言語のなかに呪縛されていた
あの純粋言語を自身の言語のなかで解き放つこと、作品のなかに囚われ
ていた言語を改作のなかで解放することが、翻訳者の課題である。
」
ラルボの場合は、翻訳者の成し遂げるべき努力目標とでも言うべき作業・目
的を説いている。そのためには、翻訳者は、翻訳に関わる[才能・教養・感覚]
を備えていなければならず、それがない人は文学作品の翻訳をするべきではな
い、とラルボは言い切る。文学作品の翻訳を、他の領域のものとは異なった特
権的な翻訳と認めること、それは、同時に、確かに、言語を文化的な構想物・
構築物として捉え、文化の代表的な表現態として厚く遇する態度の表明でもあ
る。文学的な表現を、言い換え難い、究極的には翻訳を拒否するものでさえあ
る、という事実を認めることでもある。
この、
「翻訳を拒否する」という在り様の一端を見るために、サロンでは、部分的な挙例
でしかなかったが、芭蕉の俳句の英語訳・フランス語訳、いくつかの短歌のフランス語訳、
それと、芥川龍之介の短編『羅生門』の一部のフランス語訳(森 有正訳)を見た(37)。芭蕉の、
佐渡の上空に横たわる「天の川」という感覚と、
”Milky way”あるいは ”Voie lactée”(いず
れも「道」と捉えられる)の感覚、
その違いを延長すれば、
「ブルームフィールドの原則」もあっ
て(!)、「指示されることがらは分からないわけではないが、作者の(その文化で)言わん
とするもの・事がらは、翻訳し難い」という意味での、翻訳じたいの「無意味さ」をも、も
たらしかねない。
ベンヤミンの例は、その「形而上学」的要請・その表現をどのように理解す
るかによって、評価が変動すると思われる(ベンヤミンの他の作品からの推量によっ
− 62 −
翻訳について・粗描
てなされる評価は、しかし、これは、ベンヤミン理解には役立つかもしれないが、翻訳それ
じたいの問題とは、また別のことがらになろう)
。翻訳の在り様のなかに、単に対応す
る言語同士ではなく、より一般的な、理想としての「完全な言語」が在ると仮
定して、その上で、そういう仮定のもとに見いだされるであろうような、翻訳
される言語と翻訳していく言語それぞれのなかにある表現のちからをつねに意
識つづけ、場合によってはそのちからを、みずから取り戻し表現しつくしてし
まおうという、自然な傾向としての翻訳への意欲、それを無視して翻訳はなさ
れるべきではない、というのがベンヤミンの(「仮託」を超えた)主張の眼目とい
うことになるのかもしれない。
別の観点から、ひとつの言語に集中するのではなく、他の外国語の在り様
をも考慮して、言うならば「開かれた」(ベルクソンによって有名になるこの表現は、
それじたい、当時の時代の動向を示す語彙でもあった!)言語表現を求めていこうとす
る、そういう要請・指摘もベンヤミンの論考の結論部に紹介されている。ル
ドルフ・パンヴィツ『ヨーロッパの文化の危機』
(Die Krisis der europaeischen
Kultur. 1917)からの引用である:(“ ”内は、フランス語訳本のなかで、ドイツ語訳
本(岩波文庫版)とは異なっている部分の摘出・邦訳である。)
「ドイツ語の諸翻訳は、最良のものすら、誤った原則から出発して
いる。それらはインド語(“サンスクリット語”)やギリシア語や英語を
ドイツ語化しようとしていて、
ドイツ語をインド語(“サンスクリット語”)
化、ギリシア語化、英語化しようとはしていない。それらは、他言語
の精神(“外国語の作品の精神”) にたいしてよりも、自身の言語習慣に
たいして、畏敬を払いすぎている。(…)翻訳者の基本的な(“根本的
な”) 誤謬は、自身の言語を他言語によって力づくで運動させること
をせずに(“自身の言語を、外国語の強力な活動に従わせるかわりに”)、自身
の言語の偶然的な状態に執着している(“状態を保存している”) ところ
にある。翻訳者は、僻遠の言語から翻訳する場合はとくに、
語とイメー
− 63 −
小 玉 齊 夫
ジと音調とがひとつになる究極の言語要素自体にまで溯って、これに
肉迫しなければならない(“溯らなければならない”)。彼は自身の言語を
他言語によって(“外国語を利用して”)拡大し、深化せねばならないの
だ。いかなる規模でそのことが可能なのか、どの程度まであらゆる言
語が(“(ひとつの)言語”は)変化(変貌)しうるものなのか、はたして
言語と言語との差異は方言と方言との差異ほどになってゆくものか、
誰にも分からない。このこともしかし、諸言語をあまりにも軽く見る
事なく、十分に重く見るときに限って、いえることである。
」(邦訳本
(38)
p.88~p.89)
(「ヘルダーリンのソフォクレスの二編の悲劇の翻訳」について):
「この翻訳では、二
つの言語の和音(“調和”)がじつに深遠なので、意味のほうは、風に触れられ
て鳴るアイオロスの琴のように、言語にふと触れられるに過ぎない。ヘルダー
(39)
」という究極の模範を提出してから、ベ
リンの翻訳は、翻訳形式の原像だ。
ンヤミンは、その翻訳論のまとめとして、次のように語り終える。
「テクスト
が意味に媒介されずに直接に、その逐語性において、真の言語に、真理ないし
教説に、結ばれている(“真の言語から、あるいは真理や教説から、起ち上がってくる”)
(40)
ところでならば、テクストは徹底して翻訳可能である。
」しかし、
ここでの「テ
クスト」は、既に、
「聖書」(”Saintes Écritures”仏訳本 p.262)へと結びつくもので
あり、もとより「完全な、至高の、純粋な」等々の形容によってみずからを飾
り得るもの、と見なされている。おそらくベンヤミンは、そのような範型が確
固として存在している、だからすべては保証されているのだ、などと言いたい
のでは、ない(いや、彼の出自からすれば、実際には、そう言いたかったのかもしれない)。
ただ、そのような、在るべきはずの範型への道をみずから辿ることによって、
さまざまに完全であるような言語の出現をもたらす翻訳作業を望見しているの
であり、その願望のもとに、翻訳の在り得べき、在り難い、在り様の記述を試
みたのであろう。
在り得べき「純粋言語」への接近は、「森の中のこだまの響き」や「接線」
− 64 −
翻訳について・粗描
などの美しいイメージによらざるを得なかった。麗しいヘルダーリンへの讃歌、
竪琴の和音がやわらかに響き渡る、
その穏やかな光のもとで、
ベンヤミンの「翻
訳」像は、水晶のように硬い言語の堆積によって巧みに彫り上げられ、ひかり
のただなかに置き据えられ、輝き、その光輝のおのずからの華やぎのなかに、
「幻像」と
賛嘆すべきかたちを造形し放散するに到った、そのような(しかし)
も言える。ベンヤミンの推薦する「逐語訳」方式の「翻訳の勧め」も、文化的
背景を共有するヨオロッパの言語を前提としているはずであるが、
「僻遠の地」
での翻訳作業に、それを敷衍・展開しようとする者がいたとして、その場合
には、前提を異にする翻訳者自身の予備的な考察を経て、その責任のもとに為
されるべきなのであり、その責務をもベンヤミンの「原・記述」に求めること
は、これはやはり妥当ではないと判断すべきなのであろう…。
ベンヤミンの「翻訳者の課題」は、翻訳を、あり得べき言語の模範、範型に
近づく作業とすることによって、おのずから、その言語の理想的な在り様に於
いて、翻訳じたいを原作の域に達するような作品ともなし得る(かもしれない)
という(可能の)方向性を提示した。その論述は言語哲学、言語学の方向にも
翼を広げた翻訳論の、先駆としても、意義があったと考えられる。(ムナンによ
れば、翻訳論の名に価するような作品がフランスで刊行されたのは、1960 年代、Mechanical
traduction(1962 年)と Babel という二つの雑誌が刊行されて以降のことで、それ以前は、翻
訳作業についての単なる体験談程度のものしかなかった、という(41)。そのような事情を考
慮すれば、ベンヤミンの論考の先駆性は、形而上学的なその記述とともに、また別の光輝を
発している、と言わねばなるまい。)
(6)
[翻訳論の領域]
ラドミラル(42)は「翻訳には二つの根本的な方法」があり、一つの方法は、
(langue-source)の指示性を
原語の「指示意向」(signifiant)ならびに「原作の言語」
− 65 −
小 玉 齊 夫
重視するもので、ベンヤミンやメショニック、ベルマン等を、この、言語の「起
源を重視する」
「文学的」
あるいは
「言語哲学的」
傾向の代表者として挙げており、
もう一つの方法は、原作品と翻訳作品とを「指示意向」(signifiant)と「被指示物」
(signifié)との対応で捉えるのではなく、
「翻訳された作品の方の意義(sens)」を
重視する、いわば「目的派」
、
「言語派(言語学傾向派)」で、彼は、ムナンと共
に自分をこちら側に入れている。もちろん、この分類は評価を内包していて、
ベンヤミン派に批判的なラドミラルによれば、ベンヤミン的方法は(「重要そう
だが、結局、何を言いたいんだか分からん!」…)
、
「形而上学」過剰で、科学的吟味
には耐え得ない、としている。
ムナンの指摘にも触発されつつ、翻訳作業に対する解釈の領域を、以下、
「優
勢な」部分を考慮に入れて(相互に関連しあってもいるので厳密な領域区分は難しいが)、
見通してみると、
言語学的翻訳論
言語科学、言語哲学ともつながる 文学的翻訳論
審美学、言語哲学ともつながる 哲学的翻訳論
科学的解析(43)普遍文法、解釈学、語源論 文化的翻訳論
社会学・民俗学的探究の結果ともつながる これまで記述してきた「翻訳の在り様」を振り返って見直してみれば…。
鷗外の「語彙の創出」は、言語・文化圏の相違を背景に、新たな価値を内蔵
した日本語・語彙を作りあげようとする試みであった。
翻訳語彙は、したがって、
外部から無理矢理に、いささかの違和感を伴い、きしみ音を立てながら、既存
の言語・文化圏の内部に、新たな思想的・感情的意義をともなって、入り込ん
できた。翻訳語は、異種・別種としての新しさ・違和感を引き受けるものであ
り、強いるものであったために、[その異質性にもかかわらず/その異質性の
ゆえに]、結局は、[受容される/拒否される]のどちらかの方向に於いて、自
身の命運を定めていった。翻訳者の名声、翻訳された作品の好感度、翻訳され
た時代の動向等々が、この「命運」に微妙に関与していたことは想定され得る、
− 66 −
翻訳について・粗描
にしても。
いずれにせよ、「翻訳される原言語」のもつ多様な価値を引き受けるのに際
して、
「翻訳していく言語」の方は、実質的には受け身の位置にあるために、
さまざまな面で「遅れ」をとっていた。
「翻訳されるもの・言語・作品」と[翻
訳していくもの・言語・作品]との間の関わりは、翻訳じたいが流布し始めた
当初は、文化的交流の意味合いを確認するために、むしろ、
「原作」の傘の下で、
原作の盛名を利用して、原作品とは何の関わりも持たない部分をも含んだ「創
作品」を発生させていた。次いで、そのような事態への反省期には、今度は、
[原本/複製(コピー)]という関係項に近いものとして認定する方が、より「正
しい」翻訳と見なされる考えの方が、いわば優勢、となるに到った。それから、
翻訳作品が、単なる複製・コピーではなく、言うならば、
[原作品/翻訳作品]
4
4
4
4
という関係項に近いものとして認定されるまでには、翻訳作品それじたいが傑
作であるか否かという次元での判定が在り得る、という見方が承認される必要
があった。といっても、事態の推移はそれほど図式的ではなく、かつ複雑でも
あって、
「完全な」あるいは「精確な」翻訳作業をしたから、
[原本/複製(コピー)]
の関係項になり、「自由な連想」で翻訳したから[原作品/翻訳作品]という
関係項になる、と定まっているものでもない。仮に「逐語訳」的な翻訳が系統
を同じくする言語間にあって可能であるなら[原本/複製(コピー)]という関
わりに近い方が、かえって理想的な翻訳として認定されることも、大いに在り
得るのである。
「意味」の移し替え作業は、言語表現の内部での意味付け作業ということで
言えば、必ずしも語彙に拘束されないかたちで、成され得る。一方に、
[才能・
教養・感覚]として示される「名人芸」によって、
「文学的」な意味合いでの
他方では、
客観的あるいは「科
翻訳がなされ得る(ベンヤミン系の主張)とすれば、
学的」な意味合い・方向で、翻訳の[可能性/不可能性]を立証しようとする、
あるいは可能性等を吟味しようとする試み(ラドミラル系の方向)も登場するこ
とになる。
− 67 −
小 玉 齊 夫
1)言語学的翻訳観:(「一般言語学」として)人間の精神活動の共通性・一般性
に基づいて、科学的・合理的側面から、
翻訳というよりは「コミュニケ―ション」
の可能性、その実現のための条件等を検討する。ソシュールの「意味」関連;
「ソシュールによる意味についての批判は、科学的に、なぜ、語彙と語彙との
対応による翻訳は、満足し得るほどには力を発揮できないかを説明した。なぜ
ならば、異なった言語間で、あらゆる語彙は、必ずしも、同じ概念面をもって
。実際の翻訳は、語と語との対応とは異なった、対応「以
いないからである(44)」
外」の原則でなされるものでなくてはならない、ということになる。
2)文化的翻訳観:語の対応が忌避されるのは、それぞれの語彙が、自身の属
する言語のなかで固有の意義を有している、
ということが在り得るからであり、
したがって、二つの言語間では、同じ意義を共有してはいない、ということが
在り得るからである。この観点の展開は、ヴイルヘルム・フォン・フンボルト
による「言語に内在する文化性」の認定へと到る。名人芸によって到達し得る
かもしれない翻訳も、しかし実際には、或る特定の言語に依存しているかぎり、
他の言語とは共有し得ない文化性を刻印されている、それゆえに、厳密な意味
での翻訳は不可能であるという、
「文化的(差異に基づく)翻訳」観である。言語は、
固定されたひとつの堆積物のようなものではなくて、
[動きつつ・形成し・形
成されていく]活動態、と見なされ、それゆえにこそ、或る言語のなかでの語
彙も、その言語のなかでの相互影響(等)の反映を経て形成されていることに
なる。
「言語はエルゴン ergon ではなくてエネルゲイア energeia である。言語は、
。
「言
人間が、概念や了解、客観的現実の価値等を創り出すための手段である(45)」
語じたいのなかに、既に、そのなかで生きている世界についての見方が含まれ
ている。我々は言語をとおして、世界を見ている。
」「人間の精神的な生命の内
容とその言語的形式とは、相互に条件づけられており、分離して考えることは
出来ない。
」「言語は、その形式のもとに個人が世界を見て、それを自身の内部
。言語学者バンヴニストの見解 :「世
に持つ、そのような形式の表現である(46)」
界を考える時、私たちは、私たちの言語がまず作り上げた、そいういう世界を
− 68 −
翻訳について・粗描
考えている(47)」。そしてさらに、カッシラーの「象徴形式としての言語」
:
「世
界は、言語を用いる人間によって理解され、考えられるだけではない。人間の
世界に対する見方、この見方に基づく生き方、それらが既に言語によって規定
されている(48)」。
このような主張は、「人間と世界」との対比という次元で考えれば、フラン
ス人も日本人も、ともに人間として世界に対しているのだ、と考えることが可
能であり、したがって、言うならば「共同戦線」を張ることもできる。だが、
「言
語と世界」との対比という次元で読めば(実際にはそういう主張になるのだが)、用
いている言語(に基づく認識能力)の相違によって、「人間」という項目の方も内
部的に分化し、
「世界」も「分化」も個別なものとして分け隔たれることになる。
言語に既に或る「文化性」が内在しているとすれば、特定の表現は、その文化
の外部の者に対しては、なんらかの「説明」で共有を強いるのでなければ、理
解され得ないことになる。或る原語と他の言語との対応が不可能であるばかり
でなく、言語表現それじたいも、或る特定の場面では、他の言語表現・文化表
現とは「対応」もせず、相互理解も、近似的でなければ、不可能、ということ
になる。
3)哲学的、論理哲学的翻訳観:普遍学(デカルト)普遍文法(チョムスキー)な
どの試みに於いてみられたが、
文法的な
「普遍性」
ヘの眺望は、
論理学的な
「範疇」
「アリストテレスが述べたカテゴリー
に於いては成立する(かもしれない。バンヴニスト:
は、ギリシャ語に固有な、言語にかかわるカテゴリーを、哲学の用語に言い換えたものに過
ぎない」(49))としても、翻訳の実際の場面を考えると、その投網はあまりにも
4
4
4
4
4
網目が広く、緩やかに過ぎる、
と言わざるを得ない。言語を特定の観点から、
「存
在の在り様(住処)」の翻訳・表現として認める立場は、普遍的な意味合いでの
翻訳への接近を試みているとも理解されるが、しかし、現在のところ、翻訳作
業への具体的な反映(言語間の対応・文化性の浸透等の観点からの…)にまでは、言
及が届いていないようである。
そして、いわゆる「科学的な領域」(社会科学も自然科学も…。後者に於ける数式
− 69 −
小 玉 齊 夫
表現は、或る意味では、翻訳行為の結果表現であろう) の文については、説明的な翻
訳あるいは新たな造語等による処理によって「翻訳し終えた」と納得できる場
合が大半であろう。基本的に「数式扱い」となし得ることがらについては、そ
れほど翻訳上の「技巧」を必要としない、というのが、このような「非・文学
的」翻訳にあてはまる考え方であろう。(新しい造語などを用いての説明、さまざま
に多岐にわたる解釈・翻訳は、必ずしも翻訳不可能性に対する明快な解決策とは言えないか
もしれない。とはいえ、たとえばヘーゲルの『精神現象学』の最良の「翻訳」は、アレクサ
ンドル・コジェーヴの、さまざまな語義・論述にかかわる解説を含んだその講義録(50)である、
という主張に対して、内容的にこれを反駁するのは難しいように思われる。「それは翻訳で
はない!」と言い得るであろうか?言い得る、かもしれない。だが、
「翻訳以上である」と
4
4
4
4
4
認定し得る講義録に対して、
「翻訳ではない」と言い張りつづけることは、それじたい、素
4
4
4
4
直な真摯な対応ではない。新しい造語の手軽な提示は、翻訳に限らず、(インテリの)
「悪し
き習性」とも言えるが、ヴァレリイ・ラルボの言う「非文学的領域」での翻訳作業に対し
ては、実際にそう行なわれているように、[造語・説明]という方法を当てはめても良いの
ではないか。造語ばかりの翻訳は、翻訳作業に内在する、例の「不実さ」の、新たな実例と
判断されるだけかもしれないが…。)
4)文学的翻訳観:上述したベンヤミンのイメージによる表現が示しているよ
うに、特定の「境地」に於いてなされる翻訳は、まさに「文学的なもの」と言
わざるを得ないのかもしれない。その境地とは、拘束のなかで自由に依拠する
翻訳であり、新たな解釈に基づいて訳者じたいが「創作」へと踏み込むことを
も「許容」する翻訳である。いや、本来的には(初めは)許容などしていない
のだが、しかし、翻訳活動のおのずからなる自由な展開に於いて、翻訳者の[才
能・教養・感覚]の、制限されてはいるが(さすがに、原文とは「全く無縁な、異なっ
た」翻訳とするわけにはいくまい…)、しかし自由な飛翔によって、結局は(終りには)
おのずから、初めから許容されていたのと同じ事態に到達してしまう、そうい
「翻訳していく言語」そ
う翻訳でもある。文学作品の翻訳は、極端に言えば、
4
4
4
4
4
4
れじたいに於ける創作として、原作とは「異なった」(言語は、当然、異なってい
− 70 −
翻訳について・粗描
る…!)他の、
「新しい作品」を作り上げること、にもなっている。音楽に於け
る「演奏」interprétation に近づきつつ、文学作品の翻訳は、それじたいの固有
な作品性を表に出して、
しかしまったく原作とは無縁な作品とも言い切れない、
しかしやはり別種の、別の存在として、しかしまた、ある種の類縁性に於いて
存在しつつ、知っていることを知っているものとして、知らないことを知らな
いものとして、知らせるもの、で在りつづけている。
そのような体裁を取らない、取るまでに到らない、「それ以外」の翻訳は、
依然として、あるいは本来的に、原作に包含されつづけることによって、つま
りは、原作の厳たる存在のゆえに、(辛うじて)意義を有しつづけるもの、で在
りつづけることになる。
さまざまな分野・領域での検討を必要とし、そしてそれでも、なかなかその
全貌にかかわる明確な処方箋を提出し得ない、以上のような翻訳の諸問題につ
いて、ジョルジュ・ムナンは、言語学の観点からきわめて平凡に以下のように
結論づけている。(あるいは、以下のような結論へと逃げ込んでいる、と言っても良いの
かもしれない。)
(51)
「翻訳は必ずしも全てが絶対的に不可能なわけではない」
(7)
[翻訳の無化― 結論にかえて]
1)いわゆる外国語彙に対する感覚を備えているかどうか、外国語彙によって
表現されている文化に親しんでいたかどうか、そのような、受け手の「文化の
受信」の在り様によっても、翻訳の意味・重要さの意義は左右されるが、同時に、
送り出す側に於いても、
「文化の発信」
にかかわる感覚の問題がありそうである。
フランス語を世界中に流布させようと努める運動が計画され、そのひとつの
手段として、結果的にフランス語の学習者が増えるであろうことを期待して、
− 71 −
小 玉 齊 夫
まずはフランスの文学作品をそれぞれの国のことばに翻訳する作業を支援しよ
う、との提案がなされた。だが、翻訳活動を積極的に推進しようとするその主
唱者が、つい、次のような言葉を付け加えてしまったことを、すかさず、アン
トワヌ・ベルマンは指摘している。「もっとも、言うまでもなく、英語のサル
トルは、もはやサルトルではないでしょうが…(52)」
単なる「文化的ナショナリスム」の現われと判断するべきであろうか。だが、
翻訳を勧める(する)発信者(必ずしも「著者」ではない)にも、「翻訳作業」に関
する固定観念(原作品尊重。翻訳などは付属品・「影武者」でしかない。翻訳作品は原作
品を飾るためのもの、使い捨て可能な、予備的な消耗品、等々)があって、翻訳の「巧
み、良さ」などへの評価は(たとえ、なされても…)付随的にしかなされ得ない、
という状況は、やはり現在でも在りつづけているように思われる。原作品尊重
は、創造を讃える意味合いでは、それはそれとして理解できるとしても、しか
(ベトォーフェンの原作品を、解釈・翻訳した演奏・指揮並みの)創造性・
し、翻訳作品も、
作品性を有するものとして、「原テクストの現時点での現実化」として、やは
り尊重されるべきではないのか、という反撃・反省も生じてくる。
にもかかわらず、「英語でのサルトルは、もはやサルトルではない」という
表現は、少なくとも私的な空間の内部では(相手との[交流・交換・交歓]を求める、
「公共の空間」内での在り様ではない次元では)、
無視しがたい重みを見せている(くる)。
サルトルの思想じたいの了解、その価値の評価は、フランス語・フランス語表
現に密接に結びついている、という感覚は、(フランス語での)サルトル読者に
憑きまといつづけている(この感覚に関わる言語・文化的な規定は、既にフンボルトに
よって提唱された)。
「英語のサルトル」は、英語の造語等に基づく「説明によっ
て既に毒された」サルトルとなるがゆえに、(フランス語の読者にとっては)「既に
サルトルではない」ということになる(もちろん、我々は、「日本語のサルトル」が
どうであるか、を思い浮かべることになる。あるいは、フランス語による『源氏物語』を)
。
このような実感覚を翻訳作業は無視し得ない。文化の根拠を言語に求める立
場が在りつづけるとすれば、この実感覚は、文化の根拠としても存続しつづけ
− 72 −
翻訳について・粗描
ることになる。それを、
「ナショナリズム」として排するのは、強いて異なっ
た方向へと向かわせる運動になってしまうであろう。そのような実感覚に囲ま
れながら、翻訳はなされている、という実態は、安易に否定され得ないものと
して、在りつづけている。
2)翻訳の実際の場面では、
或る言語は自身の固有の枠内で他の言語に対面し、
自身の基盤から発した翻訳作業を行うことになる。だが、一般に、言語は、交
流の流れのなかで、絶えず他の言語の影響を受け、あるいは影響を与えている。
それゆえにこそ、ある言語は、自身の固有の枠を逸脱するかたちで、つまりは、
4
4
4
4
他の言語を[導入・吸収・消化]する過程を経て、自身の枠を拡大し、(少なく
とも量的に)より豊かな言語となり得る。
この前提に立てば、翻訳に於いても、言うならば自身の言語の豊饒化への端
緒としての翻訳作業もあり得る、と言うことになる。
「《美しい文体》は、健康な生き生きとした言語からしか生じ得ない、
つまり、他の言語から多くを借りて来た言語からでなくては。極端な
旧式主義に基づけば、フランス語は(スペイン語や英語もそうだが)
、
自らの根拠の上でのみ生きつづけることで、自身の実質を食い尽くし
てしまうことになる。
(…)だが、事実は逆で、多くのものを、良心
のとがめもなく、しかし学術的な態度で、周辺から、直接的にであろ
うと翻訳者の作品を介してであろうと、受け入れようとするものは、
その言語に、生き生きとした要素、生地、新たな連想、関係づけの可
能性をもたらしてくるものである。そうすることで、長い時期で考え
れば、“ 依然としてフランス語ではあるが、もはや同一のものではな
(53)
」
い ” という状態になっていく。
明治文明開化期、つまり西欧起源の語彙を「導入」する時期であったならば、
この種の楽観的な予測は素直に聞かれたかもしれない。しかしながら、現時点
− 73 −
小 玉 齊 夫
では、この種の、「外へと開かれた態度によって自己の言語を豊かにしていこ
うとする」
、そういう動き・働きを、牧歌的な態度で、安んじて見守っている
(ア
だけで良い、とは安易に断定できないようである。
「世界的な文化の同一化」
メリカ化) の動きのなかで、特定の言語の[保護/拒否]に関しては、以前と
同じように考えてはいられない事態になっている。「他の言語をも取り入れる
ことで、自身の言語の豊饒化がなされる」のでは必ずしもなく、逆に、
「他の
言語を取り入れることによって、自身の言語の貧困化がおこりかねない」状況
なのだ。アメリカ語が入りこむことでフランス語(あるいは日本語)が豊かにな
るはずであったのに、アメリカ語が入りこむことでフランス語(あるいは日本語)
が隅に追いやられ、痩せ細り、老衰していくことになりかねない。借りること
によって、さらに自身の豊かさを産み出すのか、それとも、自身の本来の在り
様さえ失うのか、どのような場面で、どちらの方向を取ることに定まってくる
のか。その診断・見きわめは容易ではないし、望む方向へ導くための方策につ
いて検討してみても、現実がそのような青写真に従っていく保証はない。
ただ、そのような、他の言語の「取り入れ」という現象は、おそらく、翻訳
固有の問題にはなりにくいのであろう。
「取り入れ」は、無媒介な「言い換え」
であり、新たな語彙の言うならば無条件な採用であるから、仲介作業としての
翻訳はそこでは認められ難い。あるいは、極めて微小な役割しか果たしていな
い。とすれば、「他の言語の取り入れ」よりも、他の「語彙の翻訳化」の試み
をさらに広く展開することの方が、自身の言語を豊かにするために役立つこと
になるのであろうか…。中江兆民の世代が有していた中国的(漢文)教養など、
現在のインテリ階層からも完全に失われてしまった、そういう在り様も重ねあ
「他の言語の取
わせてみると(日本の近代化は漢文脈からの離脱の方向であった…)、
り入れ」に秀でた文化的背景のなかでは、言語あるいは文化の豊饒化への処方
箋など、なかなか容易には見いだされないようにも思われる…。
3)翻訳者の解釈作業によって翻訳が形成されていくが、翻訳の結果として、
あるいは翻訳の実施の過程で、翻訳者自身が「他文化」化する、という在り様
− 74 −
翻訳について・粗描
が指摘され得る。おそらく、翻訳者は、自身の文化性の在り様の推移に対して、
自覚的であらねばならないのであろう。フランス文化を(広義に)翻訳するも
のは、自身の「フランス文化」化を感ずるのは当然である。逆に、頑なに日本
の文化性に執着しつづけること、それじたいが、かえって、ひとつの自己欺瞞
の在り様とさえ見えてくる(いる)。いわゆるアイデンティテイの規定は、固定
された強固な不動の枠などではなく、本来、[観念的・流動的・両様的]なも
のである。
文化的な流動性を拒否すること、
文化的な在り様の意識を固定化することは、
拠って立つみずからの視点を確保・確立したかのように見えて、
実際にはかえっ
て、実質的な把握のちから(了解・表現)の逓減をもたらす、と思われる。流動
性を拒否することは、或る固定された観点からのみ、文化的な在り様を求める
ことを意味するが、(ベンヤミンにならって)対立する二項のせめぎ合いを円錐の
頂点としてイメージすれば、①文化に関するさまざまな表明は、もし、単にひ
とつの固定された観点から見られた結果であるなら、頂点(頂点は、あらゆる視
点の統合態として、流動する動きの結果として、いわば稜線のように、一番上に在ることに
なる)よりは下に落ちた位置で、
[どれか/どこか]の固定された位置からの狭
い見通しを取り得るだけであり、②視野の高さ・眺望に於いて、流動している
がゆえに拮抗し上昇し得た(つまりは頂点での)在り様・活動力に、遥かに到ら
ない(遅れをとっている・劣っている)ということになる。
4)アメリカ製西部劇では、インデイアンの中にも必ず(白人と)同じ言葉(英語、
スペイン語等)を喋る者が登場する。
「語学の天才」ガリバーも、行く先々の言
語を即座に習得し、相手の言葉・音をすぐに真似して、その豊かな言語的才能
を我々に見せてくれる。一方的に吐き出される言葉は、確かに、相手との[弁
別・隔離・対決]の方向も備えているが、翻訳作業は、対立項の仲介者として、
それら[弁別・隔離・対決]を否定し、[交流・交換・交歓]を実現しようと
する効能を有する。翻訳は、それによって、他の言語を理解可能にし、自らの
方向に引き寄せ、同化させる働きを持つ。 − 75 −
小 玉 齊 夫
このような仲介を勤める翻訳作業の、その利点を極限にまで押し進め、象徴
化する試みとして、逆説的に翻訳の(部分的な) 放棄・不在化、あるいはその
無化の方向を見すえてみたいとする(虚構の)希望の例も、既に文化表現のな
4
4
かに見いだされる。
ポルトガルのマヌエル・オリヴェイラが作成した映画、
『Un film parlé』(直訳
では『話される(た)映画』であるが、商業的には『映画は語る』とでも訳すのであろうか。
ただし、これはフランス語版(のみ?)につけられた題名と思われる)。地中海を横切る
クルーズ船、若い女性歴史学者が娘(7 〜 8 歳?)に、各停泊地で、ヨーロッパ
の歴史を教えながら、夫の待つボンベイへ向かうという想定。リスボンを出て
からの寄港地は、マルセイユ、アテネ、コンスタンティノープル。言葉と歴史
と文化(ヨーロッパからアジアへの旅)についてのさまざまな言語による会話と説
明。それが、しかも、通訳なしで展開される。港ごとに新たな人々が乗船、フ
ランスの女優(カトリーヌ・ドヌーブ)はフランス語で、イタリアのオペラ歌手
はイタリア語で、船長(マルコヴィッチ)は英語で等々、出演者は、皆、自分の
言葉で自分の「文化的活動」(としての職業)に関わるお喋りをし、誰もが、お
互いの言葉が分かっているかのように、普通の調子で会話を交わし行動し合う。
4
4
4
4
4
ギリシャ人が「ギリシャ語はギリシャでしか理解されない」
と嘆くと、
「ヨーロッ
パの学術語の 40%にギリシャ語が入っている」と英語で慰められる。アテネ
では、ギリシャ正教司祭がギリシャ語で「西欧は技術で「進歩」したが、アラ
ブ世界には「宗教」しか残っていないから、
両者の交流が不可能になっている」
云々。そこへ、(ヨーロッパに敵対する側からの?)爆弾テロの情報。女の子が船長
からもらった人形を取りに船室に戻り、母親も娘を連れ出すためにその後を追
い、結局その二人だけが救命ボートに乗れないまま、爆発の焔があたりを舐め
尽くす。
映画の鑑賞者は、字幕(この場合はフランス語)で、登場人物が語っている言
葉を理解することができるし、その意味では、翻訳が完全に「不在」だったわ
けではない。だが、映画の展開にしたがって、眼前の字幕が何とはなしの邪魔
− 76 −
翻訳について・粗描
者に見えてくる(話している言葉と読む字幕とが一対一の対応であれば字幕翻訳は許容で
きるが、複数の原語が飛び交い、それぞれの音に対して意味の側面から即座に反応し難い我々
は、画像として話し合っている人同士が「理解」し合っている(という想定)のを見ると、
それならなぜ字幕がいちいち必要であるのか、という思いに駆られてくる…)不思議さが
あった。複数の言葉による実際の交流の現場に同席している感じが強くあり、
映画自体がきわめて「ヨーロッパ連合」的な「作品」として創られていること
が理解される。目指している方向は、複数の原語の同時介在であり、その意味
での翻訳の不在化の方向なのであろう。
なぜ、そんな事態が目指されているのか。あるいは、それを目指している、
と受け取られ得る作品が構想されたのか。
おそらく、≪翻訳という仲介なしに交流しあえるようなユートピア≫を可能
4
4
4
4
4
なかぎり現実化したいという夢が、ずいぶん以前から在りつづけ、その映画化
が、ようやく今日、このようなかたちで、可能な状況になった、ということで
あろう。そして、ユートピアとしての「翻訳なしに」
、と言うその実態は、実は、
翻訳のいっそうの隆盛化によってもたらされる状況を求めることでもある。翻
訳がいっそう盛んになり、それを通じてさまざまな言語表現への共通の理解が
進展していくにつれて、翻訳の介在ゆえの「翻訳の無化」の状態が、象徴的に
現実化されてくる、のであろう。
あるいはまた、以下のような根本的な変化の在り様の反映、であるかもしれ
ない。
翻訳作業が結果的なその表現に於いて指し示すのは、「事態の推移」という
次元での了解と、語彙等によって表現される「情動的な反応」の次元での了解
である。前者は、たとえば映画(画像と言語との共存。音楽等も含まれるが…)では、
主として場面の推移で表現され得る。一方の情動的要素は、画面がそれを象徴
的に代替したり、出演者の言語に於いて具体的に喚起されたりする。だが、た
とえばこの映画の結末、爆発の焔の内部に閉じ込められた二人の女性の失われ
た生命への[共感 ・ 情動]は、焼けこげた屍体の提示によっていっそう強めら
れることになるだろうか。そうなる場合もあるかもしれず、却って逆効果をも
− 77 −
小 玉 齊 夫
たらす場合もあるかもしれない。オリヴィエラの映画では、燃え盛る焔の画像
の後は、言葉による表現は一切なく、そのまま、作品の終わりとなっている。
情動的な要素は、表現の現実的な在り様に対して、
「創造的な想像のちから」
によって喚起されること、が目指されている。
翻訳に於いても、「事態の推移」を明示して表現する場合もあろうし「情動
的な反応」の喚起を促して、おのずからその効果を高めていくことを目指す場
合もあろう。だが、注 37 で挙げられたような、翻訳の結果を受けとめる際に
「違和感」が生じてしまう場面では、不徹底な感情的受けとめ方を、再び「事
態の推移」の次元で捉え直すことによって、翻訳作業を再度、意識的に、
「非・
情動的に理解」するしかない、のであろう。だが、情動的な受けとめかたも含
めて、もし充分に「深い理解」がなされた場合には、その時には、
「事態の推移」
をも含んだ或る「情動的な状況」に於いて、
何かが、
了解の核に触れたのである。
日本語とかフランス語とか英語とかの、それぞれの「言語の相違」を超えた次
4
4
4
元での[共感 ・ 相互了解]が成され、それとともに、原作のもたらす情感とも
翻訳作品のもたらす情感とも決定し難い(確かに、原作から触発されたのではあると
しても、今さら、どちらと決めても意味がないような)新たな情感が生まれ、それが、
読者の存在の全域を包みこみ、
情動の[歓喜/悲哀]
で存在を浸しきってしまう。
清新な、香り豊かな、艶やかな[原作・翻訳]が、光輝に満ちたその姿が、み
ずからのちからで、そこに立ち上がってくることになる。その場面に於いては、
その感動が生起したことによって、原作に因るとも翻訳じたいに因るとも決め
難い新しい経験が、現前していることになる。その意味に於いても、
「翻訳の
無化」としての或る働きが成された、ことになる。人形を取りに船室に戻る女
の子、彼女を追いかける母親の後ろ姿、それらを見詰める我々には、本来的に、
翻訳の字幕の文字群は、仮に在ったとしても、全然、眼に映じて来ないのであ
り、燃え盛る焔の画像の、ほとんど永遠の持続のただ中に於いては、翻訳は(画
像の喚起力に意識を奪われている、だけではなく)完璧に無と化していることが理解
される…。
− 78 −
翻訳について・粗描
ポルトガル語との関連で、もうひとつの「ヨーロッパ連合」的な現われとし
て、スイスのドイツ語圏で生まれ、現在はベルリンで哲学を教えているパスカ
(54)
がある。(ポルトガル語・イタリア語
ル・メルシエ著の『リスボン夜行特急』
等)多くの言語・語彙も内に含んだドイツ語本の、
フランス語訳本を読んだので、
他の言語・語彙の多くはフランス語訳により説明されているが、「読者は理解
できるであろう」と著者が考える範囲の語彙・表現等は、そのまま原語で記載
されている(当然のごとく、主人公の高校の先生は、ガリバーのように、あっという間に
ポルトガル語の達人となる!)
。外国語の併用は、さまざまな書籍・記述にこれま
でも採用されている(真摯な場合、単なる装飾の場合、スノビズムの場合等々…)から、
作者の意図に新しい、深い意味づけはないかもしれない。だが、いくつかの言
語の併用という課題が、現実的に、現実をなぞりつつそれなりの理想を描く小
説に出てくる事実・状況は、やはり注目すべきかと思われる。何が進展してい
るのか、即断は出来ない。だが、何かが、ヨーロッパの言語を取り巻いてうご
めいている、ことは感じられる。
言語のウゴメキは、文化のウゴメキでもある。
タダモノ
経済的な強者が文化の中心的な位置・地位を占める、その「唯物論」的傾向
は今でも変わっていないかもしれない。だが、複数の言葉の反抗は、おそらく、
カネ・モノの動きとは必ずしも同調せずに、自身の、お互いの、観念のなかに
於ける≪境界の無化≫という夢の、ユートピアの世界の方向に向って、自由に
動きつづけるものとも思われる。
小さな一点、密やかな「接点」に於いて、現実と接触しながら… 自由な動
4
4
4
4
きとして、ひたすら、忠実に、≪翻訳の無化≫へ向って…。
4
完
注
(1) ウンベルト・エコーの翻訳論(『翻訳の経験。ほとんど同じことを言うこと』。フランス
語書名は Dire presque la même chose. Expérience de traductions)の刊行を契機に企画され
た。ここでの、
「裏切らずに翻訳する」(“Traduire sans trahir”)というフランス語表現は、
− 79 −
小 玉 齊 夫
Traduttore è traditóre(“ 翻訳者は裏切り者 ”― 翻訳には誤訳がつきもの ―)という、周
知のイタリア語表現との関連で用いられている。言語学者ジョルジュ・ムナンの翻訳論
『美しき不貞女たち』
(Les Belles Infidèles : 1955)も、
「麗しき」翻訳作品が如何に原作を「裏
切っている」かを示す標題を採用している。
(2) 森鷗外:
「洋学の盛衰を論ず」
。1902 年(明治 35 年)3 月に講演(演説)、同 6 月に『公
衆医事』第六巻第四号および第五号に発表。参照したのは『鷗外論集』
(講談社学術文
庫 1990 年版 p,46)。この講演で鷗外は当時の
「洋学無用論」
(西洋化はもう十分と判断し、
お雇い外国人の雇用中止、外国語書籍の翻訳中止を求める当時の国粋化の動向)に反対
し、日本の近代化の成功は(
「シナ、朝鮮」とは異なり)西洋学問の「果実」を輸入し
たからであるが(
「果実の輸入」とは、完成品の受け入れ、したがって「完成されたも
のの模倣」ということ)果実をみずから育む学問の「雰囲気」
(ベルツの語)は、まだ
持ち得ていない、と指摘して、
「雰囲気」醸成のための「洋学輸入」
(学問の研鑽)
、そ
のための(外国人教師のもとでの)外国語学習も依然として必要であることを主張して
いる。講演は、「山根武亮閣下は、北清より帰りて、熊本において演説して曰く、
「我国
は西洋諸国を模倣することに由りて、今の好結果を見たり。今より後も只管これを模倣
して可なり」(下傍線あるいは下傍点はすべて引用者による。以下に於いても同様)と。
言やや奇なりといえども、おそらくは予の意と契合する成らん」という鷗外自身の態度
表明でまとめられている。文化的表現・行為を対象とし、それらの内容・形態の転移を
試みる作業も、言うならば(広義の)「翻訳」であり、かぎりなく模倣行為に近づいて
いく、その実勢を、鷗外の講演のなかに見ることが出来る。
(3)「西周と哲学・粗描」(駒澤大学『外国語部論集』第 10 号 , 1979 年 6 月 ; pp. 37~38)鷗
外の「四種の訳法」については、別の機会に譲る。
(4) 同上 p. 42。移行のおよその時期等については注3の稿参照。さまざまな翻訳語彙につ
いては森岡 健二『近代語の成立 ― 明治期語彙編』
(明治書院 1969 年)に詳しい。なお、
『<逆さ遊び>の反響』
(駒澤大学『外国語部研究紀要』第 33 号、2004 年3月)、それ
に『ピラネージとフランス ―『カルチェリ』の螺旋階段を中心に ―』(駒澤大学『外国
語部論集』第 52 号、2000 年 8 月)なども、引用者の「文化の伝播・模倣としての翻訳」
という意味での(広義の)翻訳作業への関心を示すものである。
− 80 −
翻訳について・粗描
(5) George Steiner の仏訳本 : Après Babel -Une poétique du dire et de la traduction(Albin Michel
1998 年版 p.29~p.90 “Comprendre c’est traduire” )。英語版の書名は After Babel ― Aspects
of language and translation(Oxford Univ. Presse, 1975)
(6)「同じ言語内での言い換え」については、Michel Serres の挙げている例を「文化の翻訳可
能性について」で指摘した(駒澤大学『外国語部研究紀要』第 36 号、
1992 年9月 ; p.72)
。
traduire については既にそこで言及したので、
本稿では interpréter の方に重点を移している。
(7) 森鷗外「礼儀小言」(『鷗外随筆集』、岩波文庫 2006 年版 p.34)
(8) Henri Meshonnic : Pour la Poétique IV ―Poésie sans réponse―
(Gallimard, 1978; p.192)
メショ
ニックは、翻訳を、言語学的な検討では追求し得ない、文学固有の問題領域と考えている。
(“La théorie de la traduction n’est … pas une linguistique appliquée. Elle est un champ nouveau
dans la théorie et la pratique de la littérature.” Pour la Poétique II ― cité p.27 : Après Babel )
(9)「クナッパーブッシュは音楽など何も分かっていない …」「カラヤンは大衆受けすること
だけを知っている。つまり、コカコーラと同じだ …」、「カール・ベームの場合は、指
揮棒を振れば降るほど、彼自身と音楽とが遊離していく …」等々のチェリビダッケの
発言(以上は大意)は、
『レコード藝術』(2006 年 12 月号)の「特集」による。
(10)フルトヴェングラー:『音と言葉』(新潮文庫 1993 年版 p.214~p.215)
(11)シ ュ タ イ ナ ー 上 掲 書 p.93(“On pense que c’est quatre à cinq mille(langues)qui sont
pratiquées à notre époque.”)。同 p.97(“Comment rendre intelligible une situation dans laquelle
des villages distants de quelques kilomètres … emploient des langues incompréhensibles entre
elles et sans unité morphologique ?”)。多くの言語が在るということは、同時に(同書に
詳しいように)、多くの言語が急速に消滅しつつあるという実情をも、背後に潜めている。
Épreuve は
(12)Antoine Berman : L’Épreuve de l’étranger(Gallimard 1995 年)。
「試練」
とも
「試験」
とも、l’étranger は「奇妙なもの」とも「外国のもの」とも「外国人」とも理解される。
(13)Paul Ricœur : Sur la traduction(Bayard, 2004 年 2 月。p.38)。この箇所だけであれば、わ
ざわざ衒学的にリクールの名を出すほどのこともない、ありきたりの指摘である。リ
クールはフランスに於ける「解釈学 herméneutique」の主導者であるが、解釈学の言う
ならば根拠に在るギリシャ語 hermeneuein は、G. Ebeling に拠るなら、①「確定し・表
現する」②「解釈し・説明する」③「翻訳し・意義の媒介をする」という「三つの方向」
− 81 −
小 玉 齊 夫
がある、とされる(“Dans son célèbre article encyclopédique ≪Hermeneutik ≫,G, Ebeling
compte, parmi les trois directions dans lesquels on doit chercher le sens du grec hermeneuein,
non seulement≪affirmer(exprimer)
≫et≪interpréter(expliquer)
≫, mais également≪traduire
(servir d’interprète)
≫ ”. D.Jervolino : Ricœur - Herméneutique et traduction ; Ellipses, 2007 年
12 月。p.71~72)
。翻訳を必要とする「解釈」の状況は、この hermeneuein の三つの「方
向・意義」を「展開させ、重ねあわせた領域」として記述され得るであろう。
(14)森鷗外「当流比較言語学」
(明治 42 年 7 月『東亜の光』
。『鷗外随筆集』岩波文庫版
p.126~p.132)
(15)Georges Mounin : Théorie de la traduction(Gallimard, coll. Tel ; 2004 年版) p. 146 で Charles
Bally の Traité stylistique française に 於 け る dénotation = aspects intellectuels, connotation =
aspects affectifs(du langage)の分類を紹介している。
(16)森鷗外「余が立ち場」(明治 42 年 12 月、『新潮』。『鷗外随筆集』岩波文庫版 p.135)。
この後に、例の「Resignation」という、「私の心持」を「言いあらわした」「詞」が言及
される(同 p.136)。
(17)ルネ・マグリットの、極めてリアルで実際のパイプにしか見えないパイプを描いた絵の
下に、
「これはパイプではない」というフランス語(Ceci n’est pas une pipe.)を書き添え
た作品 ― それを拙く「剽窃」したものが今回の「多言語文化サロン」のポスターであ
る ― は、une pipe という語彙と、語彙が指示する記号としてのパイプの画像と、実際の
(も
のとしての)パイプとの、つまりは語彙と画像と実際のものという三者間の対応・関わ
りについて、それに加えて、否定表現の語彙(〜ではない)が介在することによって現
出してくるさらなる錯綜ぶりを、意識させ提出したもの(=作品)、となっている。こ
の絵画作品に於ける「語彙・画像・もの」表現(discours)の多様性について言及する
余裕は、物質的な条件のせいもあって、サロンの当日にもなかったし、残念ながら、現
在でも、ない。
(18)
『誰がために鐘は鳴る』大久保康男訳(河出書房新社、1961 年版。p.190)。「今」、「今
晩」などの語彙を想い浮かべた後で、
「死」と「戦争」を指す原語彙が、英語、フラン
ス語、スペイン語、ドイツ語で提示されている(引用は訳文のママ )。ブランショは、
4
4
4
4
4
4
4
4
「Traduit de ….」
(La Part du Feu : Gallimard, 1949. 6e édition)と題された書評で、『誰がた
− 82 −
翻訳について・粗描
めに鐘は鳴る』のこの箇所をきっかけに、アメリカ文学、特にヘミングウエイに於ける
いわゆる「非人称小説」について言及、フランス文学と対比して文体の相違を述べつつ、
『鏡の中の少女』(“La demoiselle aux miroirs”)の著者(=ジャン・ポーラン)も、「翻訳
される言語(原語・外国語)の方が、それを翻訳していこうとする言語(自分たちの言
語)よりも、より明確な画像をもち(imagée)より具体的(concrète)であるように思わ
れる」
(上掲書 p.180)という「逆説」を述べていることを紹介し、しかし、
「死」や「戦争」
を言葉によって現実化することを目指すのが文学であるとするならば、そしてそのため
には、
「知らない」外国語の方が無条件に恵まれているということになるならば、これ
はこれで無視しがたい「言語の在り様」である、との確認から、「翻訳」にかかわるブ
ランショ風なさまざまな(簡単には要約し難い)感慨を、晦渋な語彙・論理の連続によっ
て提示・展開している。
(19)ムナン上掲本 p.173。≪Il n’y a jamais eu deux situations semblables, et par conséquent les
sens de deux messages liés à deux situations qui paraissent semblables, ne le sont jamais non
plus.≫ おおげさに生半可な物理学の術語に依存しなくても、日常生活のなかに見いだ
される経験原理でもある。
「池の向こう岸から、私の池に落とす影を眺めたら、さぞ綺
麗でございましょう。私がこちら岸にいて、同時に向こう岸にいられないとは、何とい
う不自由なことでしょう。ねえ、そう思召しませんか?」(三島由起夫『豊饒の海』第
一巻『春の雪』、新潮文庫版 p.158)
.≪
(20)Valéry Larbaud : Sous l’hospice de Saint Jérôme(Gallimard, 1986 年版。p.69~p.70)
(Chaque
texte a un son, une couleur, un mouvement, une atmosphère, qui lui sont propres.)En dehors de son
sens matériel et littéral, tout morceau de littérature a, comme tout morceau de musique, un sens moins
apparent, et qui seul crée en nous l’impression esthétique voulue par le poète. Eh bien, c’est ce senslà qu’il s’agit de rendre, et c’est en cela surtout / qui consiste la tâche du traducteur. S’il n’en est pas
capable, qu’il se contente d’être un lecteur ; ou bien, s’il tient absolument à traduire, qu’il s’attaque à
n’importe quelle matière imprimée ou manuscrite : ouvrages de philosophie et d’histoires pures, traités
scientifiques, manuels, et au besoin documents légaux ou commerciaux, mais qu’il laisse Virgile, et
tout ce qui est littérature, tranquille ; mais pour rendre ce sens littéraire des ouvrages de littérature, il
faut d’abord le saisir ; et il ne suffit pas de le saisir : il faut encore le recréer. ≫
− 83 −
小 玉 齊 夫
(21)ムナン上掲書 p.277
(22)Jorge Luis Borges :≪Les traducteurs des Mille et une nuits≫(dans Histoire de l’infamie, Histoire
de l’éternité ; coll. 10/18, 1964)p.231~p.268.『千夜一夜物語』の「翻訳者」に関する 1935
年の論考で、
『千夜一夜物語』の翻訳者たちが、自身の基準に基づいて、先行の翻訳者
とは「異なる翻訳」をするよう努めた(
「レインはガーランドに反して翻訳し、バー
トンはレインに逆らって翻訳した」≪Lane traduisit contre Galland, Burton traduisit contre
Lane… ≫ p.232)が、それでも、性的な表現を中心に、翻訳が社会の中のさまざまな「検
閲」にさらされ、屈服していた状況を指摘している。蛇足ながら、ボルヘスは、小さい頃、
英語版(バートン訳)の『千夜一夜物語』を「屋根の上で隠れて」読んでいたという。
『ド
ン ・ キホーテ』も最初に読んだのは英語版で、後年、スペイン語版を読んだ時には「質
の悪い翻訳本」を読んだ気がした、と述懐している(“Essai d’autobiographie” in Livre de
4
4
préfaces ; Gallimard, 1980. coll. Folio p.276)
(23)サロンでは、参照しやすかったものとして、モーパッサンの『首飾り』と『月光』を、
明治期の翻訳の参考資料として見た。登場人物の名前、地名等の不正確さのなかに、あ
るいは文体の相違等のなかに、当時の翻訳の、外的な状況も含めた、水準、実態、なら
びにその推移の一端が窺える。以下、いくつかの『首飾り』
、
『月光』の冒頭部分を参考
のために示す(古字は、適宜、現在の漢字に変えてある)
。①『頸環』
(小日向 是因、
『帝国文学』明治 34 年 7 月。20 頁)
「艶色千人の男を魅するに足り、窈窕華の如き少女
も、運命の失錯に出逢ひて、刀筆の小吏風情が家族の群れに、呱々の産聲を放てるも、
敢て珍らしとにはあらずといへども、彼女も又その數に漏れざりける。
」②『頸飾』
(前
田 古水、
『婦人界』明治 37 年 12 月。21 頁)
「お牧は十八、花恥かしき美人であったが、
中等社会の貧しい家に生まれた為にはや戀盛りの妙齢になっても、定まった持参金があ
るでもなければ、遺産を譲られる見当もなく、遂にまた名士や富豪に見染められるやう
な機會もなかったので、その年秋の末つ方、極く薄給の文部の属吏、青山遜と呼ぶ若者
と結婚したのであった。
」③『首輪 1』
(人見 一太郎(築地庵主人)
、
『家庭雑誌』明治
30 年 2 月。6 頁)
「世の中に運命の神ほど的にならぬものはありません稼ぐに逐付く何
とやらと申しますが妾も此齢になりまして始めて自分の力ほど恐ろしいものはないと心
底から感心しました」④『月光』
(川上 桜翠、
『明星』明治 37 年 1 月。4 頁)
「ジュリイ、
− 84 −
翻訳について・粗描
ルウベエル夫人は時しも端西の旅より歸りこし姉なるアンリエット、ルトオル夫人を待
…」⑤『月光』
ちわびぬ。ルトオル一家は凡そ五週間前に旅に上りしが、
(野尻 抱影、
『白
百合』明治 38 年 11 月。3 頁)
「ルーブルは今宵あたり、端西の小旅行を終へて歸り来る
姉を心待ちに待ち焦れて居る。姉の夫婦が旅に出でてより今はもう四週間(ママ)目。
」⑥『月
光』
(八橋 有春、
『文庫』明治 39 年 11 月。4 頁)
「ジュライ・ロムア(ママ)夫人は、スウ
ヰツランドに旅枕をかさねて、今や都なる姉君、ヘンリエット・レットア夫人の訪問を
…」⑦『月光』
待てり。レットア家族は、
五週日許り前に住みなれし家を去りけるが、
(植
田 稔 訳『アララギ』明治 44 年 9 月。4 頁)
「ジュリエット・ルーブル夫人は姉のア
ンリエット・レトール夫人がスヰスへの旅行から歸って来るのを待って居た。レトール
家では五週間も前に出發したのであった。
」
(24)ラルボー上掲書 p.9:
「仕えること、それが翻訳者のモットーである。彼は自分自身への
見返りなど何も求めない。自身の知的性格まで無にしてしまうほど、自分が選んだ主人
たちに対して忠実であることに、彼の栄誉のすべてを帰すのである。」
(≪“Servir”est sa
devise, et il ne demande rien pour lui-même, mettant toute sa gloire à être fidèle aux maîtres qu’il
s’est choisis, fidèle jusqu’à l’anéantissement de sa propre personnalité intellectuelle.)冒頭に述
べた「翻訳することは裏切ること」は、翻訳について述べられる時には、既に「自明の
事実」として扱われる。
(25)Die Aufgabe des Ubersetzers. ベンヤミン自身の翻訳によるボードレール『巴里風景(Les
tableaux parisiens)』への序として 1923 年に書かれた。参照したのは野村修 編訳『暴
力批判論 他十篇 ベンヤミンの仕事1』
(岩波文庫版 1995 年版)p.69~p.91。同時
に、原論考の仏訳である、Walter Benjamin : Œuvres 1(Gallimard, Folio essais, 2000)に
収められた La tâche du traducteur を、日本語訳との比較・検討に利用した。仏訳者は
Maurice de Gandillac(Rainer Rochlitz による校訂)。論考名の「翻訳者の課題」の「課題」は、
フランス語本では tâche と訳され、
「任務」とも理解されるので、本稿では場合に応じて「翻
訳者の任務」という訳語も用いた。ベンヤミンのこの論考は「グノーシスとカバラの言
語を借りて、ベンヤミンは、純粋言語の概念の上に翻訳に関する形而上学を作り上げた」
(シュタイナー上掲書 p.109)と評されている。『翻訳 ― 翻訳のための諸定理』
(Jean-René
Ladmiral : Traduire, théorèmes pour la traduction(Gallimard, coll, Tel. 1994)の著者ジャン =
− 85 −
小 玉 齊 夫
ルネ・ラドミラルも、ベンヤミンのこの「翻訳者の課題」は「しばしば引用され、時お
り読まれてはいるが、殆ど理解されていない」
(上掲書 p.XIV)と述べている。「理解さ
れていない」は、文脈から判断して、「理解不可能な文」と言っているのに等しい。ベ
ンヤミンの論考の難解な文体のせい、というよりも、依拠している基盤の違い(ラドミ
ラルは、言語学的な地平に立つ)に基づくことに間違いはない。ところで上記参照本(岩
波文庫版)では、原文の「分かり難さ」は邦訳文の分かり難さによってさらに増幅され
ているようにも思われる。任意の例として挙げれば、「翻訳の合目的性はけっきょく、
諸言語相互間のもっとも内的な関係の表現に取ってのものである。
」というドイツ語か
らの邦訳文(p. 74)は、フランス語訳本では≪Ainsi la finalité de la traduction consisite、en
fin de compte、à exprimer le rapport le plus intime entre les langues.)(P.248)であり、日本
語に直せば、“ 翻訳の最終的な目的は、結局のところ、諸言語のあいだの最も親密な関
わりを表現することにある ”(引用者訳)となる。ドイツ語邦訳本(岩波文庫版)は、
翻訳上の要請として、原文の「荘重さ」や「深み」
、いわば「形而上学性」を尊重する
意図があったであろうし、フランス語訳本からの邦訳(引用者訳)は分かりやすさのみ
に意を注いでいるから、相違はおのずから明らかになるわけであるが。それよりも、フ
ランス語訳本がドイツ語原文をどのように翻訳したのか、それについての判定が現時点
では介在していないので、ドイツ語邦訳本の訳の仕方よりも、フランス語訳本の方に問
題がある、ということもないわけではあるまい。大いにあり得ることではある。とはい
え、仮に、
「形而上学性を尊重する」ことによって日本語での理解が著しく妨げられる
事態があるとすれば、その翻訳は問題であろう、という立ち場は、あり得る。さまざま
な場面で、特に重要と思われる箇所で、この「翻訳としての文の分かり難さ」は、あっ
た。ドイツ語邦訳本(岩波文庫版)は、原文の「分かり難さ」じたいも忠実に翻訳する
という原則に立ったのであろう。いずれにしても、原著じたいの分かり難さから問題が
生じてきているのは明らかである。
(26)ベンヤミン邦訳本 p.74 〜 p.75。仏訳本の該当箇所は、≪Pour saisir le rapport authentique
entre original et traduction, il faut procéder à un examen dont le propos est tout à fait analogue
aux raisonnements par lesquels la critique de la connaissance doit démontrer l’impossibilité de la
théorie du reflet.≫(p.249)
− 86 −
翻訳について・粗描
(27)仏訳本 p.249:≪on peut prouver qu’aucune traduction ne serait possible si son essence ultime
était de vouloir ressembler à l’original.≫
(28)仏 訳 本 p.250:≪Si la parenté des langues s’annonce dans la traduction, c’est tout autrement
que par la vague ressemblance entre l’original et sa réplique.≫
(29)仏 訳 本 p.250~p.251: ≪ En quoi peut consister la parenté de deux langues si elle n’est pas
historique ? Pas plus, en tout cas, dans la ressemblance des œuvres que dans celle des mots dont
elles sont faites. Toute parenté transhistorique entre les langues repose bien plutôt sur le fait
qu’en chacune d’elles, prise comme un tout, une seule et même chose est visée qui, néanmoins,
ne peut être atteinte par aucune d’entre elles isolément, mais seulement par la totalité de leurs /
intentions complémentaires, autrement dit le pur langage.≫
(30)シュタイナー上掲書 p.109。ベンヤミンに於ける「純粋言語」については、たとえば、
次のような「解説」も参考になるであろうか。「構造としては観念主義、発想は神秘主
義、その源泉は浪漫主義であるベンヤミンの言語理論は、根源的な二項対立、即ち、
(…)
伝達の機能と、彼によれば言語の中心的な機能である、ことば(verbe)によって人間
4
4
4
の本質を開示する機能、というふたつの機能の対立に基づいている。彼のことば は、
4
4
4
他の人間に対してではなく、神に対して発せられているのだ。」時代のせいもあろうが、
「北方の魔術師」ゲオルク・ハーマンと同じく、ベンヤミンも、ヘブライ語を「根源的
な言語」(至高の言語あるいは「祖語」)としている。(上掲仏訳本 p.23, “Présentation”
par Rainer Rochlitz)
(31)仏訳本 p.254:≪Elle(=la tâche du traducteur)consiste à découvrir l’intention, visant la langue
dans laquelle on traduit, à partir de laquelle on éveille en cette langue l’écho de l’original.≫
(32)仏訳本 p.254:≪C’est là un trait qui distingue absolument la traduction de l’œuvre littéraire, car
l’intention de celle-ci ne vise jamais la langue comme telle, dans sa totalité, mais seulement, de
façon immédiate, certains ensembles de teneurs langagières. La traduction, cependant, ne se voit
pas, comme l’œuvre littéraire, pour ainsi dire plongée au cœur de la forêt alpestre de la langue ; elle
se tient hors de cette forêt, face à elle, et, sans y pénétrer, y fait résonner l’original, au seul endroit
chaque fois où elle peut faire entendre l’écho d’une œuvre écrite dans une langue étrangère.≫
(33)仏 訳 本 p.254:≪ Non seulement son intention vise autre chose que ne le fait celle de l’œuvre
− 87 −
小 玉 齊 夫
littéraire, à savoir une langue dans son ensemble à partir d’une œuvre d’art singulière écrite en une
langue étrangère, mais elle-même est autre : l’intention de l’écrivain est naïve, première, intuitive ;
la sienne est dérivée, ultime, idéelle. Car son travail est animé par le grand motif d’une intégration
des nombreuses langues pour former un seul langage vrai.≫
(34)仏訳本 p.257:≪La vraie traduction est transparente, elle ne cache pas l’original, ne l’éclipse pas,
mais laisse, d’autant plus pleinement, tomber sur l’original le pur langage, comme renforcé par son
propre médium. C’est ce que réussit avant tout la littéralité dans la transposition de la syntaxe : or,
c’est elle, précisément, qui montre que le mot, non la phrase, est l’élément originaire du traducteur.
Car si la phrase est le mur devant la langue de l’original, la littéralité est l’arcade.≫
(35)仏 訳 本 p..259 :≪ Cette liberté ne doit pas son existence au sens de la communication, auquel
précisément la tâche de la fidélité est de faire échapper. Bien au contraire, pour l’amour du pur
langage, c’est vis-à-vis de sa propre langue que l’on exerce sa liberté. ≫
(36)仏訳本 p..259:≪Racheter dans sa propre langue ce pur langage exilé dans la langue étrangère,
libérer en le transposant le pur langage captif dans l’œuvre, telle est la tâche du traducteur. Pour
l’amour du pur langage, il brise les barrières vermoulues de sa propre langue : Luther, Voss,
Hölderlin et George ont élargi les frontières de l’allemand. ―Quelle signification conserve ici le
sens pour le rapport entre la traduction et l’original, on peut l’exprimer par une comparaison. De
même que la tangente ne touche le cercle que de façon fugitive et en un seul point et que c’est ce
contact, non le point, qui lui assigne la loi selon laquelle elle poursuit à l’infini sa trajectoire droite,
ainsi la traduction touche l’original de façon fugitive et seulement dans le point infiniment petit du
sens, pour suivre ensuite sa trajectoire la plus propre, selon la loi de la fidélité dans la liberté du
mouvement langagier.≫
(37)たとえば、
荒海や
The rough sea―
静かさや
Quietness―
佐渡に横たう
Extending toward the Sado Isle,
岩に沁み入る
Sinking into the rocks,
天の川
The Milky Way
蝉の声
A cicada’s cry.
古池や
The old pond―
Dans le vieil étang
− 88 −
翻訳について・粗描
蛙飛び込む
A frog leaps in,
Une grenouille saute
水の音
And a splash.
Un ploc dans l’eau !
旅に病んで
On a journey, ailing―
Tombé malade en voyage
夢は枯れ野を
My dreams roam about
Mes rêves errent
駈けめぐる
Over a withered moor.
Sur une plaine dénudée.
(The Master Haiku Poet Matsuo Bashô by Makoto Ueda(上田 真)(Kodansha International,
1982); Anthologie de la poésie japonaise classique. Traduction, préface et commentaires de G.
Renondeau(Gallimard, 1971)
以下の短歌は上記注の G.Renondeau による仏訳で、右側には、文学的な配慮をしない「そ
のままの訳」を記してみた。
Ono no Komachi
La couleur des fleurs
花の色は
S’est fanée, hélas ! 哀しいことに、褪せてしまった!
Tandis que, le regard perdu,
虚ろな眼で
Je pense à la fuite de mes jours 逃げ去った日々を思っているあいだに
Dans la nuit où il pleut sans fin. 絶え間なく雨降る夜に
Fujiwara no Kunifusa(vers 1084)
Contre cette tristesse
この悲しみに対して
Que purrait-on faire ?
何が出来よう?
Sur les collines
丘の上で
Les chênes laissent pendre leurs feuilles
柏の樹は葉を垂れ
Et il va encore neiger.
また雪が降るだろう
(38)仏訳本 p.260。仏訳本の注によれば、著者のルドルフ・パンヴィツは、ゲオルゲのサー
クルに近い、ニーチェの影響を受けた詩人・評論家であり、
「シュテファン・ゲオルゲ
と同様に、パンヴィツは大文字と句読点を無視している」(仏訳本、下注 p.261)。事
− 89 −
小 玉 齊 夫
実、仏訳本は、以下に見るように、句読点のない文をそのまま引用しているが、岩波
文庫版邦訳の方は、これを無視して、普通の(句読点のある)文として訳している。
≪nos traductions même les meilleures partent d’un faux principe voulant germaniser le sanscrit
le grec l’anglais au lieu de sanscritiser d’helléniser d’angliciser l’allemand. Elles ont beaucoup
plus de respect pour les usages de leur propre langue que pour l’esprit de l’œuvre étrangère.
[…] l’erreur fondamentale du traducteur est de conserver l’état contingent de sa propre langue
au lieu de la soumettre à la puissante action de la langue étrangère. Surtout lorsqu’il traduit
d’une langue très éloignée il lui faut remonter aux éléments ultimes de la langue même là où se
rejoignent mot image son il lui faut élargir et approfondir sa propre langue au moyen de la langue
étrangère on n’imagine pas à quel point la chose est possible jusqu’à quel degré une langue peut
se transformer à quel point de langue à langue il n’y a guère plus de différence que de dialecte à
dialecte mais cela non point quand on les prend trop à la légère au contraire quand on les prend
assez au sérieux.≫
(39)仏訳本 p.261:≪(…les traductions de Hölderlin, surtout celles des deux tragédies de Sophocle,
représentent une confirmation de notre thèse.)L’harmonie entre les langues y est si profonde que
le sens n’y est effleuré par le langage qu’à la manière dont le vent effleure une harpe éolienne. Les
traductions de Hölderlin sont des archetypes de leur forme ; […] ≫
(40)仏訳本 p.261 :≪Là où le texte, immédiatement, sans l’entremise du sens, dans sa littéralité, relève
du langage vrai, de la vérité ou de la doctrine, il est absolument traduisible.≫
(41)ムナン上掲書 p.11 ~ p.12
(42)ラドミラル上掲書 p.XIV。メショニックの翻訳論については上掲注 7 参照。
(43)デカルトについてのムナンの言及(ムナン上掲書 p.131、p.139)
(44)ムナン上掲書 p.27:≪La critique saussurienne du sens explique tout au plus, scientifiquement,
pourquoi la traduction mot pour mot n’a jamais pu fonctionner de façon satisfaisante : parce que les
mots n’ont pas forcément la même surface conceptuelle dans des langues différentes.≫
(45)ム ナ ン 上 掲 書 p.44:≪Le langage n’est pas un ergon, mais une energeia, et le langage est le
moyen par lequel les hommes créent leur conception、leur compréhension et leurs valeurs de la
réalité objective.≫ フンボルトは「エルゴン」と「エネルゲイア」によって言語の特性を
− 90 −
翻訳について・粗描
表わした。泉井久之助の訳では「エルゴン」は「固成体」
「
、エネルゲイア」は「エネルギー」
とされている。
(『言語研究とフンボルト』、弘文堂、1976。p.275 )
(46)ムナン上掲書 p.44. ≪(Trier revient à la conception soutenue par Humboldt que)le contenu et la
forme linguistique de la vie spirituelle de l’homme se conditionnent réciproquement et ne sauraient
être considérés séparément. La langue est l’expression de la forme sous laquelle l’individu voit le
monde et le porte à l’intérieur de lui-même.≫
(47)ム ナ ン 上 掲 書 p.49. E. Benveniste:≪ Nous pensons un monde que notre langue a d’abord
modélé.≫
(48)ム ナ ン 上 掲 書 p.44. ≪Cassirer、lui-même、s’exprime ainsi : “Le monde n’est pas seulement
compris et pensé par l’homme au moyen du langage ; sa vision du monde et la façon de vivre
dans cette vision sont déjà déterminées par le langage. ≫(Cassirer : Pathologie de la conscience
symbolique, 1929).
(49)ムナン上掲書 p.49 ≪(E. Benveniste a fourni sur ce point, finalement, la démonstration formelle
de cette vue en établissant que)les catégories logiques, telles qu’Aristote les énonçait, sont
seulement la transposition, en terme de philosophie, des catégories de langue propres au grec.≫
(50)Alexandre Kojève : Introduction à la lecture de Hegel(Gallimard, 1947)
。加えて、J.Hyppolite
の「翻訳と解説」の総体、即ち、La Phénoménologie de l’Esprit. tome 1(初版は 1939)et
tome 2(初版は 1941); traduction Jean Hyppolite, Aubier Montaigne および Genèse et Structure
de la Phénoménologie de l’Esprit de Hegel(tome 1 et tome 2, Aubier Montaigne, 1970)を挙げ
ることもできよう。
「翻訳以上」の「解説」があれば、
「翻訳」などは不要、というのが、
社会科学的文献の翻訳に対する一般的反応ではないだろうか …。
(51)ムナン上掲書 p.279. ≪elle(=la traduction)n’est jamais inexorablement impossible.≫ これが、
全体的な展望の広さを誇り、該博な知識に基づいて展開される事実・資料の豊かさに瞠
目せざるを得ないムナン本の、
「最後の文」
、結論である。我々としては、
「翻訳」に言
及している他の本の冒頭に立ち戻ることを選ぶか、あるいは、もう他の本を開かないか、
そのいずれしかない、と言うほかない。
(52)ベルマン上掲書 p.299:≪Bien entendu、Sartre en anglais n’est plus Sartre.≫(Bernard Catry
“L’édition française face à Babel” ; Le Débat、NO22、1982 ; p.898 )
− 91 −
小 玉 齊 夫
(53)ラルボ上掲書 p.179:≪Un “beau style” ne peut sortir que d’une langue bien vivante et saine, et
donc bien nourrie ― d’emprunts. Avec les archaïsants à outrance le français(l’espagnol, l’anglais
…)tend à vivre sur son propre fonds et à dévorer sa propre substance: c’est l’artifice stérile
dénoncé par A. Millet chez les écrivains de la Koinè impériale. Au contraire ceux qui empruntent
largement et sans sculpures、mais d’une manière savante、aux domaines voisins、―soit
directement、soit à travers l’ouvrage des traducteurs― apportent à leur langue des éléments、du
tissu、vivants、et la possiblité d’associations、de rapports、nouveaux. C’est toujours le français、
mais ce n’est plus le même.≫
(54) Pascal Mercier : Train de nuit pour Lisbonne(Maren Sell Éditeurs, 2006; 496p. traduit de
l’allemand(Suisse)par Nicole Casanova)
− 92 −
Fly UP