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中央ヨーロッパ大学留学報告 - 独立行政法人日本学生支援機構

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中央ヨーロッパ大学留学報告 - 独立行政法人日本学生支援機構
ウェブマガジン『留学交流』2013 年 12 月号 Vol.33
中央ヨーロッパ大学留学報告
-ブ ダ ペ ス ト で の 一 年 を 振 り 返 っ て 中央ヨーロッパ大学・歴史学部博士課程在籍
杉山 杏奈
SUGIYAMA Anna
キーワード: ハンガリー、海外留学、留学生交流支援制度
留学先の選択から応募まで
ハ ン ガ リ ー の 首 都 ブ ダ ペ ス ト は 、「 ド ナ ウ の 真 珠 」 と も 呼 ば れ る ヨ ー ロ ッ パ で 最 も
美しい都市のひとつで、世界中から多くの観光客が訪れている。
そのブダペストを流れるドナ
ウ川にかかる大きな橋のたもと
に 、 中 央 ヨ ー ロ ッ パ 大 学
( C en t ra l E u r op e an Un i v er s it y、
以 下 CEU) と い う 大 学 院 大 学 が
あ る 。創 立 か ら 2 2 年 と 歴 史 は ま
だ浅いものの、大学の創設者で
もあり出資者でもある投資家ジ
ョ ー ジ・ソ ロ ス の 名 前 と と も に 、
ヨーロッパでは比較的名の知ら
れている私 立 の研 究 機 関 である。
CEU は 、 か つ て ソ ヴ ィ エ ト 連 邦
の影響下にあった国々の民主化
写 真 1 :ド ナ ウ 河 の 景 色
に伴う、同地域のリーダー・研
究者の育成という目的のもと創立された。そのため、中欧・東欧・中央アジアなどと
呼ばれる地域を対象とした人文・社会科学の分野に特化し成果を上げている。
冷 戦 時 代 の ポ ー ラ ン ド と チ ェ コ の 文 化 史 ・ 制 度 史 を 専 門 と す る 自 分 に と っ て 、 CEU
は ま さ に う っ て つ け の 大 学 だ 。 今 回 、 JASSO 長 期 海 外 派 遣 奨 学 金 に 応 募 し た と き 、 私
は ポ ー ラ ン ド で 修 士 課 程 に 在 籍 し て い た 。日 本 の 国 際 基 督 教 大 学( I C U )を 卒 業 し た の
ち、自分の興味がある地域のことを研究するためには、現地の大学に入学したほうが
良いのではないかと考え、ポーランドの大学に進学した。そして、博士課程進学を決
意 し た 頃 、 た ま た ま CEU の こ と を 知 人 か ら 聞 き 知 る 機 会 が あ り 、 自 分 で ホ ー ム ペ ー ジ
などを調べるうちに、ぜひこの大学で研究したいと思うようになった。
当 初 、私 は 奨 学 金 応 募 の 段 階 で 日 本 の 大 学 を 既 に 卒 業 し て い た た め 、母 校 で あ る I C U
の大学院事務局に連絡を取り、応募が可能かどうかを問い合わせた。応募ができるこ
とが分かった後は、すぐに、必要な書類を準備して国際郵便で取りまとめ先である母
校 宛 に 送 付 し た 。 現 在 は 個 人 応 募 も で き る よ う だ が 、日 本 で の 所 属 が な い と い う 人 も
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ま ず は 母 校 や J A SSO の 担 当 者 に 連 絡 し て み る と 良 い か も し れ な い 。 個 人 的 に は 、 母 校
の先生や事務局の人が連絡を仲介してくれているということから得られるサポートに
も非常に感謝しているので、事前に相談することを奨めたいと思う。二次審査で面接
を受ける場合のことを考えて、なるべく予定を確認して試験や学会などと重ならない
ようにするなど、海外からの応募の場合は気をつけなければならないことも多い。予
め募集要項をよく読んで分からないことはすぐに確認するようにした。
ア メ リ カ や イ ギ リ ス の 大 学 で は 、1 0 月 か ら 2 月 に か け て 出 願 期 間 が 続 き 、合 格 の 通
知 を も ら う ま で 2 、 3 ヶ 月 程 度 の 時 間 が か か る の が 通 例 だ 。 CEU で も 締 め 切 り が 1 月
に設けられ、合否結果の連絡は3月という予定だった。そこで、応募時点で担当教員
と の や り と り し か な か っ た 私 は 、少 し で も 早 く 合 格 通 知 を も ら え る よ う に 早 期 審 査( e a r l y
a d m is s io n と 呼 ば れ る 制 度 )を 利 用 し 、入 学 許 可 の 証 明 書 を 早 め に 発 行 し て も ら っ た 。
早期審査の制度を設けている大学や、奨学金応募の事情を説明すれば別の証明書を出
してくれる大学もあるということを知っておくと、応募の際に書類の不備などで困る
ことは減ると思われる。
CEU は 少 し 特 殊 な 大 学 で あ る 。 ま ず 、 CEU
はアメリカの高等教育機関として認可を受け
ている。つまり、大学自体はアメリカの大学
だと言える。しかし米国に本校があるわけで
は な く 、キ ャ ン パ ス は ブ ダ ペ ス ト に し か な い 。
また、ハンガリー政府からも高等教育機関と
しての認可を受けている。このことから、所
定の条件を満たせば米国とハンガリー(を含
む欧州連合)の双方から正式な学位を取得す
ることができるのである。アメリカの大学な
ので、授業や学位論文の執筆は全て英語で行
われるというのも特徴のひとつである。ハン
ガリーやルーマニア、そしてクロアチアとい
った近隣の国々からの学生が多いが、アジア
や北米出身の学生も決して少なくはない。こ
ういった大 学で一日 の大半を過ごしていると、
自分がハンガリーにいるということさえ忘れ
写 真 2 :ハ ン ガ リ ー 科 学 ア カ デ ミ ー
てしまいそうになる。
で行われた入学式
博士課程のプログラム
私 が 現 在 所 属 し て い る の は 、 CEU の 歴 史 学 部 ( Department of History) で あ る 。 比
較歴史学の博士課程プログラムが開講されており、私の学年では8人の学生が、そし
て 博 士 課 程 全 体 で は お よ そ 50 人 が 、 在 籍 し て い る 。 プ ロ グ ラ ム の 基 本 的 な コ ー ス は 、
1年目に授業とコースワークを、2年目に個人でのリサーチを、そして3年目に指導
補 助 ( Te ac h i ng As si s t an t) と い う 流 れ が モ ジ ュ ー ル と し て 提 示 さ れ て お り 、 い く つ
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か の 授 業 を ま と め て 1 年 目 に 取 ら な け れ ば な ら な い 。 CEU は 三 学 期 制 で 、 最 初 の 二 学
期 分 ( そ れ ぞ れ 9 -12 月 、 1 -3 月 ) が 授 業 を と る 期 間 、 そ し て 最 後 の 三 学 期 目 は 各 自
の試験勉強やリサーチ期間として自由に時間を使うことが許されている。
米 国 式 の 大 学 で は 、 一 年 次 の 終 わ り に 行 わ れ る 修 了 試 験 ( Comprehensive Exam) に
向けた勉強に取り組まなければならない。昨年は授業のかたわら、この試験に向けた
勉強で忙しく過ごしていた。これは、二年次以降のリサーチに必要な専門知識の確認
を 行 う も の で 、 指 導 教 官 ・ 副 査 の 他 、 外 部 の 専 門 家 を 招 い て 行 う 口 述 試 験 で あ る 。 50
冊 程 度 の 本 と 5 0 本 程 度 の 論 文 を 指 導 教 官 と 共 に あ ら か じ め 選 択 し 、そ の 内 容 を も と に 、
博士論文の計画書について議論をする。試験では、二次文献について正確に理解し、
専門家として議論する力について評定される。この試験を6月に行ったあとは、晴れ
て P h D s t ud e n t で は な く P hD ca n d id a t e と し て 博 士 論 文 を 執 筆 す る 資 格 が 与 え ら れ る 。
ひとまずこの試験が終わるまでは自分の研究を始めることはできない。
試 験 準 備 の 中 で 一 番 大 変 だ っ た こ と は 、文 献 を 選 ん で い く 作 業 だ っ た 。こ れ ま で 自
分が読んだもので重要なものがあればリストに加えても良いとのことだったが、最重
要文献以外はなるべくこれまで読んだことのないものを選ぶようにした。探している
うちにあれもこれも加えたいと考えつつ、実際に読む分量を考えると削らなければな
ら な い 。二 次 文 献 の 性 質( 著 者 の 傾 向 、出 版 社 の カ ラ ー 、出 版 さ れ た 年 代 に よ る 違 い )
についても以前よりもっと細かく考えるようになった。試験本番は非常に緊張してし
まい、上手く答えられない場面もあったが、試験の議論で多くのことを学んだという
実感もある。
授業は、毎回3、4本の論文を読んで準備をし、それぞれが持ち回りでプレゼンテ
ーションをし、残りの時間討議するというタイプのものが殆どであった。一年次は博
士課程の必修科目以外に、修士課程の学生が参加するコースや他学部との共同開講の
授業にも参加した。これは知り合いを増やす良いきっかけにもなった。それなりに学
生の数がいるとは言え、歴史学部ではリサーチなどでブダペストにいない人も多い。
ま た 、 CEU で は 修 士 課 程 か ら そ の ま ま 博 士 課 程 に 上 が る と い う 人 が 比 較 的 多 い た め 、
博士課程の友人たちの多くはみな既に大学の環境や制度に慣れ親しんでいる。全くの
外部から来た私のような学生は戸惑うこともあったのだが、入学時期が一緒だった修
士課程の学生たちと悩みを共有することができたためあまり不安を感じることはなか
ったように思う。
研究とアーカイブ
上述したように、一年次は自分の専門の研究よりも課題や授業準備に追われていた
が 、 こ の 夏 か ら は 大 学 の す ぐ 近 く に あ る オ ー プ ン ・ ソ サ イ エ テ ィ ・ ア ー カ イ ブ ( OSA
A r c hi v e)で 史 料 の 収 集 を 開 始 し た 。こ の 史 料 館 は 、ジ ョ ー ジ ・ ソ ロ ス の 設 立 し た オ ー
プ ン ・ ソ サ イ エ テ ィ ・ フ ァ ン ド ( OS F ) と い う 基 金 に 支 え ら れ て 、 冷 戦 時 代 の 諜 報 機 関
や ラ ジ オ 局 ( R a d i o F r e e E u ro pe ) が 残 し た 史 料 、 ソ 連 圏 の 国 々 で 発 行 さ れ た 地 下 出 版
な ど を 収 集 し て い る 。 上 記 の フ ァ ン ド は CEU の 設 立 母 体 で も あ り 、 大 学 と ア ー カ イ ブ
には深いつながりがある。
今年の5月には、館長でもある副査の先生の授業を受講した学生らと、史料館での
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展示企画に参加した。展覧会は『未来の図書館』という表題で、再来年度から建設が
始 ま る CEU の 新 図 書 館 の 計 画 に つ い て 紹 介 し た も の だ 。
現在も、その先生が企画して
いるプロジェクトに参加し、冷
戦時代の社会科学の発展につい
て調査をしている。歴史研究に
おいては一次史料にあたること
が肝要だと言われるが、実際に
アーカイブを利用するだけでな
く、その活動に関わることで史
料との向き合い方についても理
解を深めることができる。例え
ば、史料のスクリーニングや分
類・整理の方法といった細かい
作業を通じて、思いがけない発
見をすることもある。
特に、私が研究している現代
写 真 3 : オ ー プ ン・ソ サ イ エ テ ィ・ア ー カ イ ブ で の 展
覧会の様子
史のような分野においては、かなりの量の史料が比較的良好な状態で残されているた
め膨大な情報の中から必要なものを取捨選択する力が要求される。インターネットを
通じてオンラインで公開されているものも年々増えてきた。また、民主化して以降の
中央ヨーロッパでは、かつての共産党政権時代の史料を公開したり、人々の記憶や証
言を記録・保存したりするために、多くのアーカイブや博物館が設立されている。こ
う し た 状 況 の 中 、 O S A Ar c hi ve は 、 単 な る 史 料 館 と し て の 役 割 の み で は な く 、 史 料 の
ありかたそのものを考察し直し、アーカイブの役割を発信していくこともその目標に
掲げている。時代の変化とともに移り変わってきた史料と史料館の関係について、理
論を学びながら実践の場に携わることができるのは歴史研究者としてとても良い経験
になるだろう。
英語で研究すること
少し話が逸れるが、英語で研究することについて、現在の学問状況に触れつつ考え
たことを書いてみたい。私の専門がポーランド・チェコの歴史だという話をすると、
よく、
「 ど う し て ハ ン ガ リ ー に 留 学 し て い る の で す か 」と 尋 ね ら れ る こ と が あ る 。初 対
面 の 人 に 事 情 を 説 明 す る と き は ど う し て も 一 言 で は 答 え に く い 。ハ ン ガ リ ー に あ っ て 、
でもアメリカの大学で、名前は中央ヨーロッパ大学で…となると、とてもややこしく
聞 こ え て し ま う の も 仕 方 が な い こ と で は あ る 。だ が そ れ よ り も 、
「どうしてポーランド
とチェコのことをやるのに、その国に行かないのか」あるいは「どうしてそういった
国々のことを学ぶのに、英語を主言語とする大学を選んだのか」ということには少し
ばかり説明が必要になると思う。
もちろん、ポーランドやチェコの歴史を学ぶ上で、それぞれの国の研究者が書いた
ものや各国内の最新研究動向については常に目を光らせておかなければならないだろ
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う。しかし、フランスやドイツ、ロシアといった関心を集めやすい国々と違い、ヨー
ロッパの(相対的)東側に位置する地域の歴史については、外国の研究機関による成
果というものを全く無視することができないという事情がある。理由はいくつか挙げ
ら れ る 。例 え ば 、多 く の 研 究 者 が 二 度 に 渡 る 大 戦 や 共 産 主 義 政 権 か ら の 弾 圧 を 理 由 に 、
各地(主にアメリカ)に亡命したこともそのひとつだ。また、冷戦時代の世界情勢も
関係している。一方のアメリカやイギリスでは、敵国であった東欧圏をはじめとする
国々について本格的な研究機関を作るなど情報収集に徹底し、他方の共産主義国家に
おいては自国の歴史についての研究が政治的な理由から制限されることさえあった。
こ う い っ た 背 景 か ら 、近 年 で は ア メ リ カ や イ ギ リ ス な ど で 広 が っ た ス ラ ヴ 研 究( S l a v i c
S t u di e s、 あ る い は Ru s s ia n S tu d i e s 、 E a s t e r n E u r o p e a n S t u d i e s な ど と も 呼 ば れ る )
が、翻って各国々での研究にも影響を与えているのである。
また、これらの地域の歴史は、相対的に話者数の少ないローカルの言語で書かれる
と、どうしても読者が限定されてしまう。多くの研究者に読んでもらうためにも、な
るべく英語・仏語・独語といった言語で書くことが分野の裾野を広げていくうえでも
重要なように思われる。私はハンガリー語が読めるほどの知識は持っていないため、
ポーランドやチェコと同じソ連の衛星国であった社会主義時代のハンガリーの歴史に
ついて書かれた英語の専門書があればとてもありがたいと感じる。これは他の分野の
ひとにとっても同じではないだろうか。
もちろん、猫も杓子も英語にするべきだという主張に賛同するつもりはない。日本
でも、多くの専門書が日本語に翻訳されており、そういった翻訳の労苦に対してはど
れほど敬意が払われても足りないと思う。しかし、学術の成果をなるべく多くの人に
届けるという努力も同時に必要だ。 自分の成果がよりたくさんの専門家の目に触れる
ことで、改善点について様々な意見を得ることが初めて可能になる。自分が研究して
い る 対 象 や そ の 研 究 者 の 層 を 考 え る と 、な お さ ら こ の こ と の 重 要 性 を 感 じ る 。
「英語で
書かなければ評価されないから」英語で書くのではなく、視野を広げて伝える努力を
することで、自分が研究している分野についての見識や理解が深まれば良いのではな
い だ ろ う か 。 私 が 日 本 語 で は な く 英 語 で 博 士 論 文 を 書 き た い と 思 い CEU を 選 ん だ 理 由
も、こういった考えがあってのことだ。時に英語の覇権主義ということを語りアカデ
ミックな世界での英語の隆盛に懸念を示す人もいるが、より柔軟な姿勢でコミュニテ
ィに向き合っていくことも大切なはずだ。
現状とこれからの課題
中 央 ヨ ー ロ ッ パ 大 学 の 博 士 課 程 に 在 籍 し て か ら お よ そ 1 4 ヶ 月 が 過 ぎ た 。こ れ ま で の
ところ、自分の成果への満足度はあまり高くない。新しい環境に慣れるのに少し時間
がかかったのもあるが、何よりこれまで知らなかったことをたくさん学んだため、自
分の計画や考えの不十分さをどのように修正していくか苦心している。コースワーク
を中心に過ごした 1 年を終え、年明け以降はプラハやワルシャワといった街にしばし
ば出向いて本格的なリサーチ期間に入る予定だ。これまでの時間を振り返ると、時間
が経つのがあまりにも早く驚きを隠せないが、残りの留学生活で博士論文をしっかり
と書くことができるよう、一日一日を大切にしたいと思う。歴史研究は、どこまでや
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ってもやりつくすことがない広大な領域だ。人間の過去の営みに対して、自分と異な
る文化や言語に対して、想像力を働かせ、それをひとつの連続性として描き出さねば
ならない。そしてそのような力は、小さな努力の積み重ねを通じてのみ得られるもの
だ。今回、体験記を書く機会を頂いたことで、これまでの留学を振り返ることができ
た。この反省を忘れず、日々目標に向けて、少しずつ前進していきたい。
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