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不登校児は何を考え何をしているのか

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不登校児は何を考え何をしているのか
2007
主査 奥平 康照
不登校児は何を考え何をしているのか
04D119
弓削 真理子
キーワード 不登校 子ども 親 教師
1
―目次―
はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・p3
1章
1節
2節
2章
不登校への理解
不登校とは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・p4
不登校という時間とは・・・・・・・・・・・・・・・・・・p6
不登校児は何をしているのか
1節 不登校中の生活態度・・・・・・・・・・・・・・・・・・・p7
2節 不登校中の過ごし方・・・・・・・・・・・・・・・・・・・p10
3節 時期による生活態度と行動の違い・・・・・・・・・・・・・p11
1項 不登校初期に見られる行動・・・・・・・・・・・・・・・p11
2項 不登校中期から後期に見られる行動・・・・・・・・・・・p12
3章
1節
2節
3節
4節
4章
1節
2節
第5章
不登校児は何を考えているのか
時期による思考の違い・・・・・・・・・・・・・・・・・・p14
不登校初期に考えていること・・・・・・・・・・・・・・・p15
不登校中期に考えていること・・・・・・・・・・・・・・・p18
不登校後期に考えていること・・・・・・・・・・・・・・・p18
不登校児の望む対応
親に対する望む対応・・・・・・・・・・・・・・・・・・・p19
教師に対する望む対応・・・・・・・・・・・・・・・・・・p21
自己の経験から、不登校という時間を考える・・・・p23
おわりに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・p25
引用・参考文献・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・p26
2
はじめに
心に何か問題を抱えた時、あるいはストレスの多い、本人にとってのマイナ
ス環境に置かれたとき、子どもたちはどうするだろうか。「不登校」はそのよ
うな心の問題が起き、自己に多大なストレスがかかった時、自己を防衛するた
めに学校を休む、という選択肢の結果であると私は考えている。あるいは、防
衛できずにすでに傷つけられ、その結果学校へ行くことができなくなった、防
衛反応である。
そのような「不登校」を、自分の身近な問題として考え、理解を深めようと
する者は少ない。自分の家族が不登校であれば別であるが、例えクラスメイト
に不登校児がいようと、興味関心を抱かない子どもがほとんどであろう。子ど
もに限らず、未だに「自分とは関係のない世界」と捉えている人間ばかりなの
である。しかし、本当に自分とは関係のない世界なのだろうか。
「学校に行く、行かない」ということだけを考えると、明確に登校意欲があ
り、「このために学校へ行っている」と答えられる子どもは珍しいだろう。む
しろ、「何となく行っている。そうするものだから行っている」と、答える子
どもの方が多いのではないかと思われる。そのような子どもが突然学校へ行か
なくなったとしても、不自然なことではない。また、誰にでも「自分に自信が
ない、自分が嫌いだ」と思う時期があるのではないだろうか。そのような時に
は一度立ち止まり、自分を立て直す時間も必要である。それを結果、「学校へ
行かない」という形で表しているのが「不登校」だという子どももいる。誰で
も行う自己の心の中の作業を、「学校を休んで行っている」のである。これら
のことを考えれば、学校へ毎日通うか通わないか、「不登校」になるかならな
いかは、紙一重の差だと考えられるのである。
それゆえ、「不登校」を特定の子どもに特有の問題があることによって起こ
ることとしてではなく、また「自分とは無縁の世界」と考えるのではなく、ど
の子どもにも起こる可能性のあるもの、「今は無縁なだけである」ものとして
捉え、不登校当事者への理解を深める必要がある。
また、不登校への入り方や過ごし方は、決して同じ性格の人間が地球上に存
在しないように、千差万別である。そのため、さまざまな要因や背景のある不
登校を一括りにし論じることは問題であり、子どもに対する対応も個別なもの
が求められている。その個別対応にあたり、不登校児の行動や考えていること、
気持ちなどを知ることが大切なのではないだろうか。不登校児に対する対応の
在り方を考えるに当たっても、不登校の当事者の声に耳を傾けることは大切だ
と考えられる。
3
そして「不登校」は、
「不登校の当事者」以外の人々によって論じられること
が多い。不登校のつらさや苦しさなど、まるでわかっていない人が公の場で不
登校について語る。その語りに説得力はあるのだろうか。そのことからも、
「不
登校の当事者の語り」に着目する意義があると考えられる。
不登校をしている者の気持ちは、本人にしか分からない。自己の不登校経験
も交え、不登校という時間の中の、不登校児の行動と気持ちを考えたいと思う。
また、不登校中に子どもは何をしているのか、その生活のようすも記していき
たい。そして、その行動と気持ちから見える親や教師へ望む対応についても考
え、不登校という時間は不登校児本人にとってどのようなものなのか考えたい。
1章
不登校への理解
1節
不登校とは
思春期問題とは切っても切れない関係にある不登校。まずは、「不登校」に
ついての共通理解をしておきたいと思う。
子どもたちは実にさまざまな理由で登校できなくなるわけであるが、文部科
学省は「不登校」を、「何らかの心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・
背景により、登校しないあるいはしたくともできない状況にあるため年間30
日以上欠席した者のうち、病気や経済的な理由による者を除いたもの」1と、定
義している。
また東山氏は不登校を、「登校拒否とは、学校嫌い、学校恐怖症、不登校症
候群などと呼ばれる、学校へ行きたいのに(学校に関心があるのに、学校に対
して神経過敏になっている)行けない、行くことを拒否する症状を持つ子ども
達の総称である」2とし、典型的な不登校の症例として、「五月の連休あけ、夏
休みの後、はじめての遠足やテストの翌日などに、疲れ、腹痛、風邪、下痢、
発熱などを訴えて、学校へ行くのを渋る。身体症状はあっても、たいしたこと
はなく、親がすすめても医者へ行くことを渋り、たいていは、一日休養すれば
大丈夫、などと言う。学校のある時間は寝ているが、下校時近くになると、元
気になり、夜には友人に電話をし、宿題や翌日の持物を教えてもらい、準備を
し、その夜は機嫌よく眠る。しかし、朝学校へ行く段になると、同じような症
状を再び示しだす。二、三日して、親が本人の訴えに不信感を持ちだすと、本
人の態度がだんだん拒否的になり、反抗的になる。学校へ必死に行く試みをす
る子どももいるが、戸口まで行っても、そこから一歩も踏み出せず、うずくま
ってしまうこともある。担任の教師や両親が、学校へ行かせようとすればする
4
ほど、反抗的になり、自分の部屋へ逃げこむ。さらに、親や教師や親類などの
関係者が、学校へ行くことを強制すると、症状が悪化し、暴力を振るうように
なり、家庭内暴力に発展することがしばしば見られる。症状が進んでくると、
昼夜が逆転し、午後になって起き出し、夜になると一人でごそごそと何かをす
るようになる。親や他人の干渉を極度に嫌う。お風呂、散髪、着替えを渋った
り、拒否する。母親が作ったものを食べず、夜中に自分でラーメンを作ったり、
家族と食事せず、一人自分の部屋で食べる子どももいる。外出することがなく
なり、あっても、休日か早朝、夜間になる。学校の友人、先生、近所の人に会
うこと、親類や訪問者に会うことを脅える」3と、示している。
また、「怠学との違いは、反応が神経症的(行動に矛盾があり、理由の説明
が現実的でない)であることと、家に引っ込む点である。怠学の場合は、家に
引っ込むよりも、学校以外の外、盛り場や友人と遊ぶ、冒険する方向に関心が
むく。また、家の環境や家族関係も異なる」4とも述べており、不登校と怠学は、
同じ欠席でも中身に違いがあることを述べている。また「登校拒否まっただ中
の時には、登校刺激や登校援助について強い拒絶反応があり、手のつけられな
い状態」5になり、「怠けや非行の子どもは、親や教師の登校刺激や登校援助に
ついては大きな反応を示さず、何回かに一度は素直に登校に応じ」6るという違
いもある。
高校生の時に不登校だった私自身も、欠席が続く中たまに学校へ行った日、
隣の席の子に「今日もずる休みするのかと思った」と言われ、内心傷つき、ま
すます、登校することやクラスメイトに対し、嫌悪感を覚えた経験がある。
不登校の子どもに容易に「サボり」「怠け」「ずる休み」などと言った言葉
を投げつけたり、「怠け」だと決めてかかったりすることは、余計に不登校を
助長させることになりかねない。しかし、子どもが学校を欠席し始めると、多
くの親はそれを「怠け」と捉えてしまう。
不登校というのは、「不登校」という現状を理解し受け入れるまで、本人や
家族にも多大な時間を要するものなのである。また、不登校という現象は単純
なものではなく、現象は同じでも原因は百人百様違いがあり、複雑な要素がか
らみ合っている。自らその道を選択している子どももいれば、学校へ行こうと
すると身体症状が出るために、行きたくても行けない子どももいる。原因も違
えば状況も違うのである。
5
2節
不登校という時間とは
1日中寝てばかりいたり、ゲームをしたり、テレビばかりを見て過ごしてい
たりする不登校の子どもを見て、「好きなことばかりして怠学している」「何
に対しても意欲がない」と親は感じる。しかし、これらの「一連の何々ばかり
しているという行動は、子どもが何もない登校拒否生活の中で発見したほんの
わずかなやることなのです。しかも本人が自主的にやり始めたこと」7なのであ
る。
そして、生活をしている限りは「全く意欲がない」ということはないはずで
ある。「ゲームをする」「テレビばかり見ている」というのも、1つの意欲な
のだ。それ以外にも、生活の中で本人なりに「やろう」と思っていることもあ
るはずである。それゆえ、何もしていないように見える過ごし方をしていても、
不登校が終わりのない無駄な時間のように周囲からは見えても、不登校という
時間は変わる可能性を持っているのである。
そのように、周りの者にとっては無駄な時間に見えがちな不登校という時間
だが、本人にとっては成長し自立する、大切な時間になっている場合が多い。
例えば、私立の女子校に通っていた、中学 1 年生の時に不登校になった女性
は当時の自己を振り返り、「私にとっての不登校の時間っていうのは、自分を
見つめ直す時間。そのまま学校に行き続けていたら、考えもしなかったような、
たくさんのいろんなことを得られたと思います」8と述べている。また、「不登
校は深刻だと言われるが、そんなことはありません。僕は不登校になって、本
当に良かったと思っています」9、「大袈裟かもしれないが自分史の中での一大
革命だと思っています。何ものにも変えられない貴重な体験をしたと思ってい
ます」10、
「自分自身も苦しかったし、多くの人に迷惑をかけてしまったけれど、
これから生きていくなかでたくさんの困難に出会った時、立ち向かっていける
強さを身につけることができたと思うので、これも一つの良い経験になったと
今では思われる」11、「勇気一つで世界が変われることを教えてくれたのが、僕
のこの経験だった」12、「努力する事や勇気を出す事も知りました。感動する心
も覚えました。そして何より笑顔を知る事ができました。私は今、登校拒否で
きた事を、本当にうれしく思っています」13などというように、不登校になった
当時を振り返っている者たちもいる。
「不登校」という経験は自己を成長させ、気が付かなかった感情をも気付か
せてくれるのである。また不登校中は、学校を休んでいるわけであるから、必
然的に暇な時間が多くなる。そうすると、普段は考えないようなことを考える
余裕や、何か新たなことに取り組む余裕も出てくる。その為、自己を見つめ直
し、自己に対する意外な発見や、新たな発見をすることができると考えられる。
6
そして、不登校児は考えていないように見えても、本人なりに将来のことを
考えている。私の弟は中学3年生の1年間不登校であったが、その当時を振り
返り、「不登校という時間は、自分を見つめ直し、自分の人生や将来のことを
考える時間になった」と言っている。本人にとって不登校という時間は、人生
の進路を模索し、決定する大切な時間になることもあるのである。
「僕が今しなければならないことは青い学校に行くことでも、変な名前の学
校や病院に行くことでもない。僕が今しなければならないこと。それは本当に
僕が出るべきレース場を探すこと。僕が出なければならないレースを見つける
こと」14。「それをするために」不登校になった、と現在お笑い芸人である千原
ジュニア氏は「14歳」という手記で述べている。また、「僕はあしたのため
にこの部屋の中にいるんだ。学校に行ってたんじゃ時間がたりない。僕は今、
僕がこの先進むべき道を慎重に選んでるんだ。逃げてるんじゃない。あいつら
とは違う。僕はそう想った」15とも記している。このことから、学校という場に
対し、「自分の戦うべき場所ではない」、つまりは「自分にとって自分が力を
注ぎ出し切れる、何か熱中して他人と競うようなものが在る場所ではない、自
分が在るべき場所ではない」と感じ、学校を長期欠席していることが分かる。
そして、「進むべき道を慎重に選んでいる」ということからも、自己の進路を
模索し、自分に合った進路へ進もうとしていることが読み取れる。
この例からも不登校という時間が、学校に通う意義が見出せず、自分が本来
望んでいる進路、または、まだ自分では発見出来ていない自分に合った進路、
もっとも幸福を感じることができる生き方などを、模索する時間となっている
子どもがいることが分かる。
このように、不登校という時間は、必ずしも「学校へ行っていない時間」を
無駄に過ごしているとは限らないのである。不登校という自ら「作り出した時
間」。それは、自分を守るための時間であったり、自分づくりのために必要な
時間であったりもするのだ。
2章
不登校児は何をしているのか
1節
不登校中の生活態度
不登校といっても、必ずしもどの子どもも引きこもり(家から出ずに生活す
る状態)になるわけではない。不登校が継続して引きこもりに移行する割合は
決して高くはなく、不登校から引きこもりになるのは、約3割の子どもである
7
ともいわれている。それ以外の子どもは、何らかの形で社会と関わり過ごして
いる。
そのように、不登校中は、外出するかしないか、また外出せずとも規則正し
い生活をしているか、していないかなど、さまざまな行動が見られる。そして、
学校へ行かなくなった子どもの大多数が自宅へ向かう。学校から不特定の場所
へ撤退離脱することはまずない。そこでまず、家庭内での生活の仕方、生活態
度に焦点を当ててみたいと思う。
家庭内の生活では、登校していた時は規則正しかった生活リズムが乱れ、不
規則なものへと変化する場合が多い。例えば、その生活態度の乱れが顕著に表
れているのが昼夜逆転の生活である。
昼夜逆転生活とは、昼間に眠り、夜に起きて活動し、夜中、または朝方に眠
りにつく生活である。実際の例を示すと、「学校に行かなくなると、だらだら
と夜更かしする生活になり、昼夜が逆転してしまいました」16、「そのころのわ
たしは、学校に行かなくなったあげく、生活がめちゃくちゃになってしまい、
昼夜逆転で、昼の二時くらいに起きるので、夜眠れず、ゲームばかりやってい
た」17、「だいたいお昼ぐらいから起きて、一日中家にいて夜寝る、という生活
でした」18などといったことである。
学校の授業開始時間はどこの学校も朝方である。その授業開始時刻に合わせ、
子どもたちは起床し、身支度をし、学校へ向かう。そうすると当然、朝方早く
に起床することになるのだから、いくら睡眠時間を十分に取っていても多少眠
気を感じるだろう。そして学校を欠席した後、その眠気や、学校を欠席してい
るという精神的負担からくる疲れから眠りに落ち、結果的に、起きるのは夕方
から夜に差し掛かる頃になるのではないだろうか。そして夕飯を済ませ、眠り
につこうとしても、昼間に睡眠を取ってしまったおかげでなかなか眠りにつく
ことができない。そして夜中に活動し、眠りにつくのは朝方、結果、学校へ行
くために起床すべき時間には起きることができない。そしてまた同じことを繰
り返す、という結果になるのではないかと考えられる。
また、この昼夜逆転という生活態度は、学校を欠席しているということに対
する後ろめたさや罪悪感、また「学校を欠席しているという現実」からの逃避
の表れであるとも考えられる。寝ている間は、誰に邪魔をされることもなけれ
ば、学校では授業が行われているという現実も忘れることができるからだ。少
なからずとも、学校へ行かなかった事実から逃避することができるだろう。そ
して、親が寝静まった頃に活動すれば、親に「学校へ行かなかったこと」を責
められる機会もない。「夜中は家族と顔を合わせなくてすむため、小言を言わ
れず、精神的に楽になる」19のである。
8
また、夜中に行動する理由としては、「昼間はどんなに閉じこもっていても、
家族が動き回る、電話のベルが聞こえる、他人の話し声がする、外で子どもの
騒ぐ声がするなど、邪魔が多くて心理的閉じこもりがうまくいかないのです。
その点、夜は静かです。家族も寝静まってやっと自分のペースで自分の作業に
集中できる環境が用意されるのです」20とも言われている。夜中という時間は、
不登校児が行動する時間帯には最適なのである。
そしてまた、この昼夜逆転の生活の繰り返しは、学校の欠席を繰り返すこと
にも繋がり、結果、不登校からなかなか抜け出せなくなる要因のひとつにもな
ると予想される。このループをどこかで止めなければ、ずっと昼夜逆転サイク
ルの恐れもある。そのため、家族が食事を一緒にとったり、食後に共に過ごし
て規則正しい生活をさせたりするなど、何らかの対応が必要だと考えられる。
しかし、子ども本人にとって、昼夜逆転を改善し規則正しい生活をすることが
苦痛となるのならば、無理に昼夜逆転生活から抜け出させる必要はないと考え
られる。「夜の明けるころには眠りにつき、夜中はずっと起きていて生き生き
と生活していたようだ」21と、不登校の子どものようすを述べる親もいるのであ
る。不登校児本人にとって、もっとも精神的に負担にならない生活リズムにす
ることが大事なのだ。
またその他、「お風呂に入らない」、「散髪をしない」、「身だしなみを気
にしない」などといった生活態度の乱れも見られる。実際、先に述べた通り、
不登校だった私の弟も不登校中は散髪をせず、身なりを気にしようとはしてい
ない様子であった。
不登校中に髪の毛を抜き始め、「どんなに『やめよう』と心の中で決心して
も、三カ月ガマンしているのが限度で、一度髪の毛を抜きはじめるとどうにも
止まらなくなってしまいます」22と述べる子どもがいる。しかし、「私が自分自
身に、というよりも、もう一人の自分に、『私はもうムリに学校に行かないか
ら、髪の毛を抜く必要はないんだよ』と言い聞かせたあとは、全然抜こうとし
なくなりました」23、と変化を述べている。このような例もあるため、学校へ行
きたくない、外出したくない、人に会いたくない、といった思いから、無意識
のうちに、身なりを気にしないようにしているということも考えられる。
また、情緒不安定な状態であれば、「身だしなみを構っている余裕がない」
という理由も考えられる。しかし考えてみれば、そもそも外出しないのであれ
ば、身だしなみに構う必要性は特にはないのであり、身だしなみに構わなくな
ることは妥当である。
また「口数が少なく朝食は食べない」24、「食事は二食になってしまいました」
25
、「半年ほど昼間食欲がなくやせた」26といった子どもたちや、「過食となり
太りすぎてしまった」27、「体重がみるみる増加して肥満になり、さらに過食に
9
はしった」28子どもたちなど、不登校期間中は食欲の低下や過食、拒食などとい
った食生活の乱れもみられる。
また、後に別の章で詳しく述べるが、不登校児は人目に付くことを恐れる傾
向がある。そのため、人目を気にしての行動が目立つ。例えば、「午後の決ま
った時間になると、窓の下を学校帰りの小学生の集団が通り、見つかるはずな
んてないのに恐ろしくて風呂場に隠れた」29、「目と鼻の距離のポストにさえ、
夜遅く人目をはばかって行った」30などである。
2節
不登校中の過ごし方
次に生活態度の他に、何をして過ごしているのかを見てみたい。家に居る時
の過ごし方としてよく見られるのが、次のようなことである。「マンガや本、
雑誌を読む」、「ゲームをする」、「テレビやビデオを見る」、「絵やマンガ、
詩などを描く」ということだ。「起きだして自分で好きなようにごはんを作り、
本を読んだり、昼のテレビを見たり、ノートに詩のようなものを書きつけたり、
スケッチブックに絵をかいたりしていた」31子どもや、
「家にひきこもりながら、
テレビを見たりとか、本を読んだり考えごとをしたりゲームをしたり、そうい
う感じでした」32、「テレビを見たり、ゲームしたり、マンガ読んだり」33と述
べる子どもなど、家の中では自分の好きなことをやっていることが多いが、娯
楽に興じていることが多いと思われる。
だからといって、家で勉強をしない子どもばかりなのかというと、そうでも
ない。学校の勉強に対し、「全然しなかったですね」34、「ろくにしないで絵を
書いていた」35、という子どももいれば「勉強は算数だけ、親の買ってくる『た
のしい算数』とか『自由自在』といった問題集を家でひとり、解いた」36、「家
で勝手なことして、勉強もして、テレビ見たり」37していた、と述べる子どもも
いる。このように、勉強をしているか、していないかはそれぞれであるが、「学
校」という言葉さえも聞きたくない時期や、情緒が不安定な時期というのは、
勉強にまで頭が回らないと考えられる。
しかし、勉強をせずとも、ゲーム、パソコン、絵を描くなど、少しでも熱中
できるものを持っていることは、親の目から見たらくだらないと思えても、大
事なことなのである。「継続的に関心を向けられる対象を持つことは、不登校
という混乱し不安定になっている心理状態を、落ち着かせ安定させていく原動
力になっていく」38と考えられるのだ。
10
その他、「近所の友人と遊ぶ」、「犬の散歩に行く」、「図書館に行く」、
「塾には行く」など、家の中で過ごすだけではなく、外出をしたり、学外の友
人と遊んだりと、他者との関わりも持ちながら過ごす子どももいる。
一方、上記のように生に対し前向きであると感じられる行動に対し、「自殺」
といった、生に対し後ろ向きの行動をとる子どももいる。「私は真暗な部屋の
中で、左の手首にカッターの刃をつきたてようとしていた。けど出来なかった。」
39
、「近所の陸橋から列車に飛び込もうとしたり、近所のマンションや学校の屋
上から飛び降りようとしたり、手首を切って自殺しようとしたこともよく有り
ました」40などと、自殺を考える子どもたちもいるのである。「しなければなら
ないということをしていないというのは、とても後ろめたいことなんで、生き
ることにも後ろ向きになりました」41と言う子どもがいることからも、不登校と
いうのは、不登校児本人の生死にすら影響しかねないものなのである。
3節
1項
時期による生活態度と行動の違い
不登校初期に見られる行動
ある不登校児の親は、登校しなくなってからの子どもの生活のようすを「日
毎の起床時間が遅くなり、じきに完全な昼夜逆転になりました。閉じこもりが
はげしく、自室から一ヶ月近くはほとんど出ず、ろくに顔も見ませんでした。
その後は歩いて五分ほどのポストへすら出ない生活が長く続きました」42と述べ
ている。そしてその後の子どものようすを「通信制高校の三年に在学し、友人
も自分から求めて広げ、アルバイトにもきちんと出かけ、全く普通(?)の子
です。生活も規則正しくなりました」43、と述べている。このように、学校に行
かなくなってからの生活のようすとそれ以後では、違いがあることが分かる。
時間の経過と共に、不登校児の行動にも変化が表れるのだ。
そのため、不登校という時間を、大きく不登校初期、中期、後期と分け、不
登校の行動を見てみたいと思う。ここでは、実際に連続して欠席が始まり、子
ども自身の気持ちも激しく揺れ動き、周囲もその対応にとまどうことが多く、
登校に向かうエネルギーが急激に落ちてくる時期を初期、子どもの気持ちの動
揺は治まり、状態としてはじっとして動きが見られなくなり、登校へのエネル
ギーとしては、最も低くなっている時期を中期、自分から動き出そうとする様
子が見られるようになり、エネルギーの高まりが感じられるようになる時期を
中期の後半から後期、として考えていきたい。もちろん、これらの経過は子ど
もによって個人差はあるが、このような経過を辿っていくという見通しをもち
ながら、不登校児の行動を見ていきたい。
11
まず、不登校初期の行動を見てみたい。連続欠席をし始めた頃、つまり不登
校初期は、子ども自身がその不甲斐なさにストレスの発散のやり場がなく、破
壊的、暴力的な行動を取りやすい。「しだいに家族との会話も少なくなり、反
抗的なことばと態度になり、逃げ込むようにファミコンに夢中になっていきま
した」44、「学校に行けなくなった当時はイライラして、カッとなり物を壊すこ
ともありました」45、「一日中『胸が苦しいよ』と訴え、物に当たったり、兄弟
に当たったり」46、「姉兄に乱暴なことばを吐いたり、障子やふすまをやぶいた
りしました」47、「法外な要求をもち出し(あれを買って来いこれを買って来い
など)、要求が受け入れられないとさわいだりする」48、「いらいらするとこた
つとか机をひっくりかえしたり、弟と妹にあたって、泣かしたりすることが多
く、夜泣きもひどかった」49などと、不登校の子どもの状態を述べる親たちの例
もある。また、「誰とも話さず、いらいらして家の中のものを壊し、弟に暴力
をふるった。弟はふとんをかぶり、震えていた。外でも、気弱そうなヤツにつ
っかかっていった」50、「壁に穴を空けた」などと述べる子どもたちもいる。
この時期は感情のコントロールができず、その心は不安定で混乱状態にある。
そのために、物や周囲の者に対しても攻撃性が高まる。また、不登校がはじま
った初期には、親はなんとかして子どもを登校させようとありとあらゆる方法
を試す。そして親の叱咤激励に対抗した結果が、激しい身体症状を訴えること
や、家庭内暴力、暴力的行動でもあると考えられるのだ。
またこの頃は、登校することへの反抗的態度が強く、また極力外に出ること、
人に会うことを嫌う時期でもある。「友達と会わず電話にも出なかった」51とい
う子どもや、「部屋に閉じこもり、食事も家族と一緒にしなくなる」52子どもも
いる。
2項 不登校中期から後期に見られる行動
不登校中期は、子どもの心も安定し、親も不登校という事実を受け止め動揺
が治まる時期である。精神的に安定して、学校のことさえ言わなければ、家の
中では特定の家族と話したり、テレビを見たり、ゲームをしたりと穏やかに暮
らせるようになる。しかし、体力的にも学力的にも衰え、
「家から一歩も出ない
53
で、やることのない生活しかしてなかった」 というように、無気力な生活に陥
り、部屋に閉じこもる子どももよくみられる。そのため、この時期は好きなこ
とに没頭させて、
「元気が出るようにエネルギーを貯めさせること」が必要であ
る。
また、この無気力状態の時期に、何もする気がなく特に熱中してするものも
12
なかった不登校の息子を、早朝にボーリングに連れ出した親がいる。早朝とい
う理由は、人目に付きにくいからであるとも考えられる。そしてこのことによ
り、親子のコミュニケーションをとることができ、暗く沈んだままであった家
庭内の雰囲気も穏やかなものになったという。また「“休んでいるからこそでき
ること”から始めようと、二人の子どもと相談所の子供の会へ行ったり、図書
館、手話サークル、子供の居場所(ブルースカイ)へと出かけるようになりま
した」54と述べる親もいる。この時期に、親子のコミュニケーションをとろうと
することも大事なことなのである。
そして、中期の後半から後期になると、自分から動き出そうとする様子が見
られるようになり、エネルギーの高まりが感じられるようになる。
また、「母親が学校のことを言わなくなって以来、からだの不調を訴えるこ
ともなく、マンガを読んだり、ビデオを見たりして元気に過ごしていました」55
という小学生の不登校児がいる。これは、不登校初期には、学校へ行くことを
強要していた母親が、学校のことを口にしなくなり、「学校へ行かなくていい
のだ」という安心感を得たことから、元気に過ごせるようになったと考えられ
る。同じような例として、「一時は、家族のだれとも話をせず、自分の部屋に
閉じこもっていた時期もありましたが、親があきらめたせいか、夏ごろからは
学校の話さえしなければ、家の中では普通に話ができるようになりました。秋
くらいからは友達が来てくれると会うようになり、家族と一緒であれば食事に
外にも出られるようになっています」56と述べる中学生の不登校児の親もいる。
この子どもも、親が「学校」のことを口に出さなくなり、安心感を得たことか
ら行動範囲が広がり、生活の様子に変化が見られたのである。
また、「カウンセラーのお世話になり、学校との接触も極力少なくすること
で昼夜逆転の中でも、家事の手伝いをしたり、自分の好きな洋裁をしたりして
過ごせるようになりました」57という子どももいることから、「学校」との接触
の有無や頻度が、不登校児の生活にどれ程影響するかが分かる。
また上記の例や、「カウンセリングに週1回通うようになりました。これま
で、映画はお母さんと一緒に見に行っていました。このころから、徐々に1人
でも行くようになり、繁華街をぶらぶらと見て歩いたりもすることもできるよ
うになります」58、という子どもの例もあるように、カウンセラーに通うことに
より行動範囲が広がり、生活のようすに変化がみられるようになることもある。
しかし、カウンセラーが子ども本人にとって影響力があるか否かは、人それぞ
れである。
ある中学生は、心身供に落ち着いた中期後半から後期という時期には、「ち
ょこちょこ家から出られるようになって図書館に行ってみたり」59していたと述
べている。また「そろそろ『動きたいな』という気持ちになって、教育研究所
13
の方に行った」60とも言っており、時間の経過と共に自ら将来へ向けて動き出し
たということが分かる。
そして不登校後期という時間になると、「大検の勉強もしている」61、「毎日
水泳に通ったり、パソコンを使って英語の勉強をしたり、ワープロを練習した
りして、近い将来の就職に必要なことをやっている」62、「学校の授業のある時
間帯でも、自由に外出できるようになり、登校の準備も兼ねて、家庭教師に来
てもらうようにも」63なったなど、自分の進路や目標が見え、それに向かった行
動をとっている子どもが多い。
3章
不登校児は何を考えているのか
1節 時期による思考の違い
私の3歳年下の弟は、私立中学に通い、成績も優秀で友人にも恵まれていた。
そんな弟が中学2年生の時、高校2年生の私は通っていた高校を休みがちにな
った。そしてその後、連続欠席や遅刻、早退を繰り返し、私の年間合計欠席日
数は30日を越えていた。文部科学省の定義で言えば「不登校」である。だが
私立の学校であったため、面談をした程度で進学させてもらえた。そして私は
高校3年生に上がったが、相変わらず決して欠席が少ないとは言えない生徒で
あった。
そんな折、今度は弟が風邪を長引かせて休んでいたと思っていたら、そのま
ま不登校になった。理由ははっきりとはわからない。弟に聞いてみても、「行
きたくないから行かない」と言っていた。そして、不登校中の弟は、何を考え
ているのかまるで分からなかった。「不登校になるような子ではない」という
気持ちも、私自身の中にあったためとも思われる。
このことからも、不登校になった理由も含め、不登校中の子どもの考えてい
ることや気持ちなどは、本人にしか分からないものなのである。もっとも、不
登校をしていない人にとっては想像もつかないような、理解共感し難いものだ
ろう。
ところで、不登校当時何を考え、思っていたのか弟に聞いたところ、「どの
ように学校に行かなくて良いようにするか、ということ」、「ゲームをしたり
本を読んだりと、遊びを満喫し、いろいろなものに手を出そうとしていたとい
うこと」、「勉強をしたほうが良いのかなということ」、「今のまま進学する
のではなく、新たな別の進路のこと」、「新たな進路が決まってからは、休ん
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でいるうちにできること」など、と述べていた。しかし、この「考えていたこ
と」というのは時期により異なるようだ。
「学校を休む方法」を考えていた時期は、欠席し始めた時期であり、親も子
どもの突然の行為に動揺を隠せない時期である。そして「ゲームをしたり本を
読んだりと、遊びを満喫し、いろいろなものに手を出そう」と考え、今まで関
心の薄かったサッカーを観戦するようになったり、三国志を読むことに熱中し
たりと、家の中で何かに熱中していた。次に、親が「不登校」を容認し、坦々
と一日を過ごしていた頃は「進路も考えず、何も考えていなかった」ようであ
る。しかし、時間が経つにつれて進路のことを考え出し「勉強したほうが良い
のかな、勉強しなければ」と思い始め、勉強をし始めた。そして、その後「今
のまま進学するのではなく、新たな別の進路のこと」を考え、進路が決まって
からは、休んでいるうちにできることをしようと思い、外出することが平気に
なり、「また高校から再出発でがんばろう」と思うようになったようである。
このように、時間や状態の変化に伴い、不登校児が考えていることも変化し
ていくと予想される。そのため、不登校児の考えていることや気持ちを、前章
の「時期による生活態度と行動の違い」同様、不登校初期、中期、後期と、時
期別に分けてみていきたい。
2節
不登校初期に考えていること
「このまま夜が永久につづけばいいと思った。朝が来れば、また病気のふり
をしなければならないし、休むいいわけを考えなければならない。そして何よ
りいやだったのは、担任が私を連れに来るかも知れないという恐怖だった」64。
こう述べる不登校児もいるように、欠席し始めた頃は、「どうしたら学校を休
めるか」、「どうやって休むか」という学校を休む手段を必死に考えているこ
とが多い。これはやはり学校へ行きたくはないが、「行きたくない」の一言で
は安易に許してくれない親の存在があるからではないだろうか。不登校になっ
た初期というのは、親も「学校へ行かない我が子」を理解、容認できず強制的
に行かせようとする。そんなことをされたのならば、例え、無意識だろうと少
なからずとも、学校へ行きたくないという思いがあるからこそ欠席している子
どもが、抵抗を試みるのは当たり前である。その抵抗方法を、考えているので
ある。そして無意識に「学校へ行きたくないが、どうしたら行かなくて済むの
か」という思いが表れるのが、身体症状として腹痛や頭痛などに見舞われ連続
欠席をするパターンであると思われる。
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そして「休んでいる時は、いつも明日は行こうという気がした。しかし行け
なかった」65、「学校へ行きたい、行かなければと、夜はカバンの中を何度も確
かめ、明日の準備をしていました」66、「学校へ行きたい。でも行けない」67と
いうように、「学校に行かなくてはいけない」と「学校に行きたくない」とい
う気持ちが心の中で葛藤している。「学校へ行かなければいけないという強迫
観念と、ベッドの中から抜け出そうとしても、抜けられないという現実は、悲
しいぐらいの葛藤だった」68というほど、不登校児は「学校へ行かなければなら
ない、学校へ行きたい。でも行けない」という苦しい気持ちを抱えているので
ある。登校に対し非常に大きな不安を抱き、強い葛藤状態に置かれているのだ。
そしてこの頃は、「学校に行ってない自分に対して、自分が悪いんじゃない
かっていうのがあって」69と述べる子どももいるように、「不登校という自分」
を責め抜いている子どもが多いと考えられる。例えば、「大学生の登校拒否、
明確な理由もないなんて、甘え以外の何物でもないのだ。自分で解決するしか
ない。そう分かっているはずなのに、出口が見つからない。怠慢な自分を責め、
憎む毎日が続く。自分を責めることがこんなに辛いなんて!いっそ死んでしま
いたい、とまで考えた」70と当時を述べる不登校経験者もいる。
不登校初期段階から中期は、人目に付くことを嫌い、人目を大変気にする傾
向がある。「休みだしたら、他人の目がたしかに気になった。そんな自分がい
やになることの毎日だった」71、と述べる子どもや、「周りの中学生は学校に行
っている時間帯なのに、自分だけ外にいるのは変だなというのがありました。
人はそんなに見てないんですけど、すごく人目が気になって、ひきこもってい
る間も、外の人に何を思われてるのか、とか、昔の友達は、どう思ってるだろ
うとか」72と考え、実際には周囲の者は考えてもいないようなことを過度に気に
していた、と述べる子どももいる。
また、「クラスの友達が毎日宿題を持って来た。しかし、私は彼らに会いた
くなかった。玄関のチャイムが鳴り、私は押し入れに隠れた。今考えると何の
為だったのかと思うが、彼らに顔を見せるのがいやだったのは確かであった」73
という例や、「クラスの子達が毎朝のように迎えに来たり、担任の先生から毎
日のように電話が掛かってくると、家に居ても、学校のことが頭から離れなく
なってしまい、常にどうしようもない不安を感じ、おびえて夜も眠れなくなっ
てしまう」74という子どもの例がある。これらは、「学校」との接触が本人にと
って辛く苦しいものである時期に、接触せざるを得ない状況に陥り、精神的に
苦しんでいる状態である。また「インターホンや電話が鳴っただけでトイレに
逃げ込んだり、2階に逃げて行き、布団をかぶって震えていたりしたことも、
よく有りました。とにかく、人と会ったり話したりすることが、とても怖くて
仕方なかったのです」75と述べる子どももいることから、大概の子どもが人目を
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気にし、恐怖することが分かる。人目を気にするという点においては、欠席を
し始め、新たな道を見つけ、一般的なイメージである「不登校」という枠に入
らなくなる時まで、心の中に付きまとう意識であると思われる。
では、なぜそこまで人目を気にするのか。その理由のひとつは不登校に対す
る周囲の偏見からであろう。この偏見は、不登校児本人だけに影響するもので
はない。「大人社会は、登校拒否に対し、子どもの資質や両親の育児が問題だ
と信じ、強い偏見を持っている。それが登校拒否状態となった子どもとその両
親への心理的圧力となり、両親は一層子どもに再登校を願い、子どもはさらに
引け目や負い目を強く持たされることにもなるのである」76というように、子ど
ものみならず親へも影響するのだ。
山崖氏は、「わが子が登校拒否になったために、職場での雑談に参加できな
くなって出社拒否になったお父さん、近所のスーパーで知人に会うのがこわく
て隣町まで買い物に出かけるお母さんなど、それこそ家族じゅうがパニックに
陥ってしまいます」77、「現代の日本では『学校信仰』があまりにも強すぎるた
めに、学校に行かないで生きることは考えられないということをしっかり頭に
入れておかないと、登校拒否児、およびその家族の苦しみを『わかる』ことは
できないのだ」78と、不登校に対する偏見が、どれほど本人やその家族に影響す
るか、その偏見にどれほど苦しんでいるかということを述べている。
不登校児だった当時の自分を、こう振り返る者がいる。「『登校拒否児=さ
ぼり、怠学、変な子』というような偏見なまなざしで見て、治療や矯正の対象
として決めつけ、大人の立場から批判し、強制的にでも学校に行かせようとし
ました。あの頃は本当に生き地獄で、息苦しくて、何度、自殺しようとしたこ
とか全くわかりません」79。
このように自殺まで考えさせた「不登校」という偏見に、不登校の子どもが
どれ程苦しんで過ごしているかが分かる。これは先に述べた「不登校の自分を
責め抜いている」という理由にも繋がると思われる。このような不登校に対す
る偏見があるために、「自分を責め抜く」のである。このように、不登校児が
抱いている感情や考えていることというのは、決して楽観的なものではない。
考えていることが楽観的なものとはほど遠いということは、以下の不登校た
ちの言葉からも読み取れる。「学校に行かないことは、絶対に許されないこと
だった。だから、実際に学校に自分が行けなくなった時、もう世界の終わりだ
と思った」80、「『ふつう』というレールをはずれた時に一人ぼっちになり、辛
かった」81、「自分ではただ、ゆっくり休みたかった。それをおおげさにとられ
ていく状況の中で『誰も自分をわかってくれない』と思い、周りの人が大嫌い
になっていった」82、「いつのまにか奥へ奥へと追いつめられるように、部屋に
こもりつづけ、この世界そのものに絶望して、気がつけば死ぬことばかり考え
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ていた」83。子どもの内面は、自己嫌悪や不安、絶望感に押しつぶされているの
である。
3節
不登校中期に考えていること
少し体力、学力的にも衰えを感じ、どうしていいかわからず、一日一日を坦々
と過ごす時期である。かつて不登校だった者は、家で好きなことをするように
なっていた当時を振り返り、「心持ちはと言うと、それでも大変苦しかった」84
と述べ、「焦燥感と孤独とを感じた。他から自分がドロップアウトしていくよ
うな暗い気持ち」85と語っている。また「私はその時、自分が嫌いだった。悩ん
だり、家族に迷惑をかけている自分が、ものすごく嫌で嫌でたまらなかった」86、
「日がたつにつれてプレッシャーにおしつぶされそうになった。このままでは、
何も変わらない、と思うが実行できない無力さをいやというほど感じた」87、
「自
分がどんどん後退してゆき、どんどん無価値な、無意味なものになっていき、
最後には石ころや枯れ葉になってしまうんじゃないかと思った」88などと述べる
子どもたちがいることから、「不登校」という自分の状態を考え、それに対し
て向き合おうとはしているが、何も希望が見えず、どうしたら良いのか分から
ない状態であり、やはり決して明るいとはいえないことを考えているというこ
とがわかる。
また、「毎日毎日、何をしていても、どこにいても、『自分は学校に行って
いないんだ』ということを意識していた」89、「徹夜でファミコンをしていたと
きも、テレビの時代劇を観ていたときも、上野の博物館にいたときも、泣きわ
めきながらお皿を割っていたときにも。心の中にポッカリと大きな穴があいて
いるような感覚があった」90と、この時期もやはり「自分は学校に行っていない」
ということを意識し、考えているのである。
4節
不登校後期に考えていること
引きこもっている状態から脱したい気持ちが芽生え、不安との葛藤の中で右
往左往している時期であり、頭の中で学校復帰のシミュレーションを盛んにし
ている時期でもある。中期の後半から後期になると、自分から動き出そうとす
る様子が見られるようになり、エネルギーの高まりが感じられるようになる。
疲れている時には精神的に余裕もなく、とても今後のことなど考えられない心
境だったが、精神的に元気になるに従い今後のことを考え出すようになる。
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「時々、学校のこと考えていた。『もうこれ以上休んだら留年になる』とか、
『今行ったって勉強がついていけない』とか」91、というように、学校のことを
考え始める。そしてまた、「正直に言ってやっぱり、将来のことを考えると辛
く、このまま無理にでも学校へ行ったほうが良いのか。行かないと卒業は出来
ない。そうなれば当然、就職だって難しいだろうし、誰かが助けてくれるわけ
じゃない」92、と将来のことも考えるようになる。そして、「僕は登校拒否をし
ていたが、いつしか大切なことに気がついた。いつまでも逃げ回っているわけ
にはいかない」93、「このまま行けば高3は無理ですと言われ、僕の頭の中に何
かが輝いた。それは新しい自分だった。過去は変えることができない現在、未
来は変えることができると思ったからだ」94、といった例のように、現状を脱し
て新たな未来を築こうと考え始めるのだ。
この時期の子どもは、動き出す「きっかけ」も大事である。「登校できる」
と自分では思っても、踏ん切りをつける何かきっかけが欲しいのである。その
ようなときに、学校や友人からの誘いかけがあると、学校へ行けるようになる
子どももいる。
4章
不登校児の望む対応
1節 親に対する望む対応
「不登校は問題行動ではない。正常な人間だからこそ、今の社会の中で不登
校になったのです。親の皆さんは心配せず、自信を持ってください」95、「有意
義に過ごして、不登校を楽しむこと、親は見守りつつ放っておいてほしい」96。
これは2004年に行われた、「不登校の子供をもつ親の会」に参加した、あ
る子どもの親へ向けた言葉である。その子どもの言葉に対し、不登校の子ども
をもつ親は「不登校は困ることではない、楽しんで欲しい、との息子さんの話
を聞き、あぁそうだと思えて良かった」97と感想を述べている。
しかし、不登校児の親が、不登校をそう理解し受け入れることは容易いこと
ではなく、多大な時間や、あるいはきっかけが必要であると考えられる。学校
に行きたくない子どもは死んでも行きたくないのであり、学校に行って欲しい
親は死んでも行って欲しいのだから、その時点で思いが全く違っているのであ
る。
それゆえ、親は必死になって子どもを学校へ行かせようと、子どもを布団か
ら引きずり出したり、玄関から無理やりに外へ押し出したりする。そして子ど
もは、そのような親に必死に抵抗をする。それはもう、学校へ行きたくない子
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どもは命がけで抵抗する。「何とかして、学校を休む事を許してもらおうと、
冬でも、ほとんど布団を掛けずに、上半身裸で寝たり、しょう油を飲んだりし
て、必死で、病気になろうとしました」98と話す子どもや、「玄関まで引きずっ
ていかれそうになると、わたしはわんわん泣きながら必死で家の柱につかまり、
下半身をひっぱられて、からだが横向きになっても、命綱にしがみつくように
絶対に離さなかった」99という人もいるように。
しかし、永井氏が「親が強い期待を持っているうちは、なかなか子どもは学
校に行かない」100と述べているように、親が子どもに対し、学校へ行くように必
死に促すことは、再び学校へ登校することに繋がるとは限らないのである。む
しろ、不登校初期の子どもにとってはその登校をすすめる働きかけ、「登校刺
激」という行為が、重圧になるのだ。学校へ行けなくなった時点で、少なくと
も本人は精神的に疲れ果て弱っており、子どもによっては、生きているだけで
精一杯な状態である子どももいるのである。その状態の子どもに対して、「ど
うして」や「もっと」という言葉を掛ける、あるいはそのような気持ちが見え
てしまうような態度をとるということは、「じゃあこんな自分は何なのだ」と
思ってしまい、本人の存在価値さえも否定することになりかねない。より子ど
もを追い詰めることになるのである。学校へ行かないことで、親への罪悪感や
プレッシャーがある子どもからすれば、そのような「登校刺激」は、更なる追
い討ちなのである。
しかし親は「なんとか学校へ行かせたいと、たたいたり、突きとばしたり、
力ずくで登校させたりもしました。知らなかったとはいえ、ほんとうにすまな
かったと思います」101というように、その気持ちを知らずに学校へ行くことを強
要する。
では、不登校児はどのような対応を親に望んでいるのか。先に述べたように、
「学校へ行くことを期待せず、見守りつつ放っておいてほしい」のである。斯
くいう不登校を経験した私自身も、当時それを望んでいた。怒られたり、叩か
れたり、布団から引きずり出されたり、学校へ行くことを強要されていた中で、
親に「学校へ行かなくても良いよ」と言ってもらい、罪悪感やプレッシャーか
ら解放される日を待っていた。また、かつて不登校だった私の弟は、「親に『学
校へ行かなくて良いよ』と言われ、気持ちが楽になった」と、当時の気持ちを
述べている。また「干渉しないでくれっていう意味で、放っといてくれて欲し
かった」102、「僕は、本当はその時、親に、『どうしても辛ければ、無理してま
で学校に行く必要はないよ』と言って欲しかった」103、「絶対に、登校する事を
子供に脅迫しないで、親は、子供が安心して学校に行ける状況になるように、
担任の先生等に相談したりして、一生懸命努力して下さい」104と述べている子ど
ももいる。
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これらのことからも分かるように、子どもに対し親が、「学校に行けること
をそこまで強く期待はしていないから、自分の好きなようにしなさい」という
気持ちを伝え、過度に干渉せず、命令はせず、見守ることが大事なのである。
今以上のレベルを期待せず、頭を切り替えて子どもの現状を認めることが必要
なのだ。
2節 教師に対する望む対応
次に、不登校児が教師に望む対応について考えたい。先に、子どもが教師に
望む対応を述べてしまうと、
「逆に不信感を与えるようなことはしないでくれ」、
「思いやりを持って向き合おうとしてくれ」ということだ。
不信感を持つ行動というのは、少しでも「形式的」「義務的」だと感じるこ
とである。「形式的」に「義務的」に心配されて、嬉しく感じる者などいるだ
ろうか。いや、いないであろう。不登校当時、「このような対応をして欲しく
なかった」ということを、次のように述べている不登校経験者もいる。
「形式的な家庭訪問とか、大して話もしないような面接、というようなこと
は、逆に不信感を与えると思います。『先生は、自分では何も考えないで校長
に言われたり、マニュアルに書いてあるようなことを単にやっているだけで、
自分のことを全然考えてくれない』、『相談者でも何でもない、ただ行動して
いるだけ』と思われてしまうので、そういった形式的なことというのは、やら
ない方が良いと思います」105。
子どもは人の感情に対し、大人が思っている以上に敏感である。子供という
ものは、自己に対する行為が、本当に自分のためを思っての行為か否かは、案
外本能的に見抜いてしまうものなのである。特に、精神面でより敏感になって
いる不登校児は、教師が「形式的」、「義務的」に対応しているのか、否か、
感じ取れることができると考えられる。
私の弟が不登校をしていた頃、弟の担任教師から弟へ向けて定期的に E メー
ルが届いていた。しかし弟は、そのメールを読むこともなく、読もうともしな
かった。担任教師に不信感を抱き、「どうせ義務だから送ってきているのだろ
う」と、自分のことを思ってのメールだとは思わず、義務感により送られてき
たメールだと思っていたのだ。電話も掛かってきていたが、弟は「自分のこと
を思ってやっているわけではないから」と思い、電話に出ることもなかった。
また親も、「担任教師との面談は形式的なものだと感じた」と、当時の担任教
師との面談を振り返り述べている。
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私も、自身の不登校期間中、教師に協力してもらうことなどひとつもないと
考えていた。そして実際、教師には不信感を抱いていた為、協力も最初から期
待などしてはいなかった。
私は当時、エレキベースを弾くことが趣味であり、エレキベースが友達だと
思っていたくらい大切な楽器であった。エレキベースと一緒ならば、学校にも
行けると思っていた程である。そして、学校という場において、何か勉強以外
の目標、楽しみ、居場所を見出だすことができれば、登校することができる気
がしていた私は、担任教師にある相談を持ちかけた。「ベースを学校に持って
きたいのだが、どうだろうか」という相談である。ベースを持参し、休み時間
に弾くことができれば、それが私の居場所にもなる。そして学校へ行く生き甲
斐にも、楽しみのひとつにもなると思ったからだ。しかし担任教師は、「エレ
キベースはうるさいからちょっと無理だ」と言っていた。返答には期待はして
いなかったが、学校へ行く気が更に失せた瞬間だった。そしてそれと同時に、
教師へ対する不信感が高まった。なぜなら、アコースティックギターを持って
来ている友人がいたからである。彼女はアコースティックギターを持参し、昼
休みや放課後に皆の前で演奏していた。なぜ彼女は許されて、私は許されない
のか。なぜ私の話を聞こうとしなかったのか。ベースを持ってくることは叶わ
なくとも、鼻から否定せず、「少し考えてみる」、「他の先生と相談してみる」、
という言葉が欲しかった。少しでも、向き合おうとしてくれる姿勢が見たかっ
たのだ。「自分が学校を休んでばかりいる、何を考えているか分からない生徒
だからなのだろうか」とも考えた。
しかし、同じクラスに不登校をしている生徒がもうひとりおり、不登校につ
いて考えさせられる環境にあったという理由もあってか、その担任教師もやが
て不登校に対し、理解を示してくれるようになった。
私の不登校期間も終わりに差し掛かった頃だ。遅刻や早退、欠席を繰り返し
ていた私は、その日いつものように遅刻をして登校した。そして担任教師に、
登校をしたという旨を伝えに行くと、「よく頑張ったね」との言葉と共に頭を
撫でられた。職員室の前であったが、私は静かに泣き出した。今でも思い出す
と涙が出そうになる理由は分からないし、考えようとも思わないが、やっと担
任教師が不登校児の自分を受け入れてくれたと感じた言葉であった。
自らの不登校経験もなく、不登校児に接する機会もなく生きてきた教師とい
うのは、不登校児に対してどのように接して良いかまるで分からないだろう。
しかし、不登校児に限らず、思いやりをもって接することが大事であると考え
られる。向き合おうとしているという態度でもって、接しようとすることが大
事なのである。それは意識的にでも良い、と私は思う。「理解しなくてもいい
から温かい目で見守って欲しい」106との子どもから周囲への言葉もあるように、
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不登校を理解せずとも、「いつでも学校に来て良いよ」、「いつでも待ってい
るよ」という受け入れる態勢を持ってくれることを、教師に望んでいるのであ
る。
中学、高校と不登校を経験した女性はこう述べている。「体裁、先生の体面
というものが教育を阻んでいる場が多すぎるのだと思う。だから学習面でも生
活面でも本当の指導が出来ないのである。自分の任期の間、何事もなくという
のが第一の希望の先生がほとんどなのだ」107、「先生というものは少数派の味方
では決してないのである。それは教師というものの体質として十年一日の如く
受けつがれているもののようだ」。108
不登校児と向き合う時、学校の全ての教師が、上のような教師の体面を抜き、
生徒ひとりひとりの個性が異なることを常に意識し、ひとりの人間として子ど
もと向き合おうとして欲しい。不登校児はそれを望んでいるのである。
5章
自己の経験から、不登校という時間を考える
高校3年生、卒業が迫った頃、高校3年間の思い出を作文にしたため、発表
するという授業があった。クラスの皆は修学旅行や体育祭、学園祭など、友人
と楽しく過ごした思い出を書き発表した。しかし、先にも述べてきたように、
2年次も3年次も欠席が多く、修学旅行も不参加であった私には大した思い出
もない。思い出がないというよりも、2度と会うことがない人がほとんどであ
ろうクラスメイトの前で発表し、最後に伝えたいことはそんなことではなかっ
た。そのため私は、自己の不登校体験から考えたことについて発表した。発表
した際は案の定、教室の雰囲気は暗くなり、読み終わった際の義務的な拍手も
似つかわしくないものであった。しかし卒業後友人から、かつてのクラスメイ
トのひとりが私の発表に対し、「あの発表が1番印象深いし、感動した」と言
っていたと伝えられた。何も伝わらなかったと思っていた発表だったが、気づ
かぬところで、何かが伝わっていたのだ。
私は「皆が楽しく学校生活を送ってきた中で、その環境に合わず、勝手に苦
しみ学校へ行かなくなった人もいる。だが、不登校は悪いことではないし、人
生の選択肢のひとつだと思っている。だから、様々な人生があることを理解し
て欲しい」というような内容を発表した。それがどう伝わっているかは分から
ないが、少なくともひとりのクラスメイトの心には、少しでも響いたのである。
「不登校」に対し、何かしら感じてもらうことができたのである。
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不登校は無駄な時間ではない。結果、不登校がプラスの経験になったにしろ、
マイナスの経験になったにしろ、不登校をしたかしないかでは人生は違う。私
にとって自己の不登校経験は、人生の進路においてはプラスにもならなければ
マイナスにもならなかった。なぜなら、結局は在籍していた学校を卒業したわ
けであり、不登校になってもならなかったとしても、「その学校を卒業した」
という結果は変わらなかったからだ。だが、不登校の経験が、そして不登校と
いう時間が、マイナスになることは決してなかった。不登校になったからこそ、
自己の人生や世界、この世界に生きる人間というものについて見つめ直し、考
えることができた。そして、皆が学校へ毎日通う中、通わなかった自分、つま
りはいわゆる「一般的な人と違う行動」を取った自分は、それだけで自信がつ
き強くなった。たしかに学校を休んだ日は、他の不登校児同様、人目を気にし
ていた。しかし、「皆が学校へ行っている時間に自分の好きなように買い物を
している、図書館へ行っている。これは他の人にはできないことなのではない
か」と思うようになり、自信がついた。また、学校へ来てみたはいいものの、
やはり学校の空気に耐えられず、教師に無断で学校を飛び出し早退をしたこと
もある。周りは驚いていたし、迷惑もかけたと思うが、「そんなことができて
しまう自分」に自信がついた。
そしてまた、「人はいつ死ぬか分からないのだから、人になんと言われよう
が思われようが、自分のやりたいことをやろう」という信念ができた。私は、
「不登校」という自分の状況を受け入れ、親も私が学校を休むことを容認する
ようになってから、学校を休んでいる間に好きなことをやって過ごした。学外
の友人を作り、新たな自己を発見し、視野を広めることにも繋がった。自分の
所属する「学校」と「家庭」のみが、自分の見ている世界だった時には、気が
つかなかったもの、見落としていたものが多々あったのだ。
そして、自己の不登校経験により、不登校を体験していない誰かに、何かを
感じてもらえた。それだけで、私の不登校経験はマイナスにはならなかったの
である。 また、些細な喜びや、普段は何も考えずに通り過ぎていた物事に対し、
立ち止まり考える機会を与えてくれた。人々が「普通」だと思っていることは
「普通」のこととは限らず、様々な生き方があることを知った。不登校経験者
に対し、安易に同情の目を向け言葉をかけることは考えとどまるべきだ。必ず
しも本人が、自身の「不登校」を、後悔しているとは限らないからである。
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おわりに
人生は常に選択である。家から外へ出て、電車に乗る。「いつもは一番前の
車両に乗るが、今日は一番後ろの車両に乗ろう」と思い一番後ろの車両に乗る。
それだけで選択しているのである。そして、その選択だけで、人生は変わるの
である。「一番前の車両に乗った日」と、「一番後ろの車両に乗った日」では、
些細な違いであってもまるで違う人生なのである。
今までみてきたように、不登校になったばかりの頃というのは特に、抱く感
情も負の感情であり、辛く痛ましく、その感情が行動や生活態度に出ている。
しかし、だからといって不登校を経験した者の全てが、その当時を振り返り「痛
ましい経験でしかなかった」と思っているのではなく、「自分にとって良き経
験となった」と思っている者もいることがわかった。
不登校をした人生としなかった人生。どちらが良いかは人それぞれである。
そのため、不登校を体験していない者は「不登校は悪いもの」という安易な考
え方は持つべきではないのだ。不登校をしていない子どもは不登校児に対し、
「何で学校へ来ないのだろう。変わっているなぁ」と思うかもしれないが、学
校へ毎日通う子どもに対し、「何で毎日学校へ通うことができるのだろう。変
わっているなぁ」と思っている不登校児もいるということだ。それは親も同じ
であり、自分の子どもが不登校になったからといって、不登校の子どもを否定
しないで欲しい。今まで見てきたように、初めから、戸惑うことなく受け入れ
ることは無理であろう。しかし、心身ともに落ち着いてきたならば、不登校の
子どもを受け入れ、向き合ってほしい。そして子どもの立場になり、子どもが
何を考えているか、どのような気持ちなのか、考えることが大事である。
学校へ行かないからといって「悪いこと」「間違っている」とはだれも定め
てはいない。学校という制度があっても、利用する人もいれば、休みつつ利用
する人や、全く利用しない人があっても不思議ではないのだ。
「不登校」は子どもの自己表現であり、生き方であり、立派な個性のひとつ
である。それゆえ、親や教師から子どもに対する登校に向けた取り組みも大事
といわれているが、不登校児の気持ちや考えていることを知り、「学校へ行か
ない子どももいるのだ」、「これが個性なのだ」、「今、人間として貴重な経
験をしているのだ」と、理解することが大切であり必要なのである。
子ども側に、問題の原因を求め、彼らの表面的な姿を見て解決を図ろうとす
るのではなく、子どもの声を聞き、大人に訴えかけている問題に耳を傾け、そ
れを社会に生かしていくことが、この世界に住むすべての人にとって住み良い
世界を作ることにもなる。
25
引用・参考文献
1文部科学省『今後の不登校への対応の在り方について(報告)』2003
年、
http://www.mext.go.jp/b_menu/public/2003/03041134.htm
東山紘久『母親と教師がなおす登校拒否 母親ノート法のすすめ』創元社 1984 年、p
13
3 同上書、p13∼15
4 同上書、p15
5 高橋良臣「
『生き方探し』としての登校拒否の研究」学事出版 1993 年、p77
6 同上書、p77
7 同上書、p78
8 池上 彰(著)
・牟田 武生「池上彰が聞く『僕たちが学校に行かなかった理由』∼不登校
シンポジウムより∼」オクムラ書店 2003 年、p261
9 鈴木正輝・鈴木はつみ・鈴木正洋・梅原利夫『不登校だったボクと島の物語』ふきのとう
書房 2005 年、p98
10 福澤英敏『私の登校拒否』近代文藝社 1995 年、p95
11 同上書、p28
12 同上書、p37
13 同上書、p142
14 千原ジュニア『14 歳』講談社 2007 年、p28
15 同上書、p49
16 磯部潮『不登校・ひきこもりの心がわかる本』ほおずき書籍 1992 年、p48
17 貴戸理恵・常野雄次郎『不登校、選んだわけじゃないんだぜ!』理論社 2006 年、p59
18「池上彰が聞く『僕たちが学校に行かなかった理由』∼不登校シンポジウムより∼」前掲
書、p163
19 『不登校・ひきこもりの心がわかる本』
、前掲書、p42
20 山崖俊子『思春期のこころが壊れるとき』主婦の友社 1998 年、p81
21 木戸一雄『不登校児に学ぶ』ほおずき出版 1992 年、p84
22『私の登校拒否』前掲書、p9
23 同上書、p11
24『不登校児に学ぶ』前掲書、p203
25 同上書、p205
26 同上書、p206
27 同上書、p203
28 同上書、p204
29 『不登校、選んだわけじゃないんだぜ!』前掲書、p56
30 『不登校児に学ぶ』前掲書、p84
31 『私の登校拒否』前掲書、p160
32 「池上彰が聞く『僕たちが学校に行かなかった理由』∼不登校シンポジウムより∼」前
掲書、p220
33 同上書、p153
34 同上書
p153
35 『私の登校拒否』前掲書、p136
36 『不登校、選んだわけじゃないんだぜ!』前掲書、p34
37「池上彰が聞く『僕たちが学校に行かなかった理由』∼不登校シンポジウムより∼」前掲
書、p225
2
26
永井徹『不登校の心理』サイエンス社 1996 年、p64
『私の登校拒否』前掲書、p126
40 同上書、p55
41「池上彰が聞く『僕たちが学校に行かなかった理由』∼不登校シンポジウムより∼」前掲
書、p254
42『不登校児に学ぶ』前掲書p204
43 同上書、p204
44 高垣忠一郎(編)
・藤本文朗(編)
・横湯園子(編)
『登校拒否・不登校―小学生―』労働
旬報社 1995 年、p21
45 原田正文『不登校をプラス思考でのりこえる―親子の道しるべ 30 の事例―』健康双書
1994 年、p214
46 『不登校児に学ぶ』前掲書、p204
47 同上書、p207
48 同上書、p202
49 同上書、p201、p202
50 明橋大二『思春期に がんばってる子』1万年堂出版 2002 年、p163
51 『不登校児に学ぶ』前掲書、p205
52 同上書、p202
53 「池上彰が聞く『僕たちが学校に行かなかった理由』∼不登校シンポジウムより∼」前
掲書、p214
54 『不登校児に学ぶ』前掲書、p70
55 『不登校をプラス思考でのりこえる―親子の道しるべ 30 の事例―』前掲書、p26
56 同上書、p156
57 『不登校児に学ぶ』前掲書、p110
58 高垣忠一郎(編)
・藤本文朗(編)
・横湯園子(編)
『登校拒否・不登校―高校生―』労働
旬報社 1995 年、p80
59 「池上彰が聞く『僕たちが学校に行かなかった理由』∼不登校シンポジウムより∼」前
掲書、p225
60 同上書、p225
61 『不登校児に学ぶ』前掲書、p205
62 『私の登校拒否』前掲書、p40
63 『登校拒否・不登校―高校生―』前掲書、p81
64 『私の登校拒否』前掲書、p126
65 同上書、p36
66『登校拒否・不登校―小学生―』前掲書、p21
67 同上書、p132
68 同上書、p143
69 「池上彰が聞く『僕たちが学校に行かなかった理由』∼不登校シンポジウムより∼」前
掲書、p255
70 『私の登校拒否』前掲書、p17
71 同上書、p36
72 「池上彰が聞く『僕たちが学校に行かなかった理由』∼不登校シンポジウムより∼」前
掲書、p255
73 『私の登校拒否』前掲書、p148
74 同上書、p53
75 同上書、p54
76 渡辺位『不登校のこころ』教育史料出版会 1992 年、p85
38
39
27
77『思春期のこころが壊れるとき』前掲書、p67
78
同上書、p67
『私の登校拒否』前掲書、p55
80『不登校、選んだわけじゃないんだぜ!』前掲書、p131
81『がんばってる子』前掲書、p168
82 同上書、p163
83 『私の登校拒否』前掲書、p127
84 同上書、p160
85 同上書、p160
86 同上書、p41
87 同上書、p36
88 『不登校、選んだわけじゃないんだぜ!』前掲書、p59
89 同上書、p131
90 同上書、p131
91 『私の登校拒否』前掲書、p39
92 同上書、p40
93 同上書、p110
94 同上書、p37
95 鈴木正輝・鈴木はつみ・鈴木正洋・梅原利夫『不登校だったボクと島の物語』ふきのと
う書房 2005 年、p98
96 同上書、p98
97 同上書、p98
98 『私の登校拒否』前掲書、p52
99 『不登校、選んだわけじゃないんだぜ!』前掲書、p25
100『不登校の心理』前掲書、p72
101 『登校拒否・不登校―小学生―』前掲書、p22
102 「池上彰が聞く『僕たちが学校に行かなかった理由』∼不登校シンポジウムより∼」前
掲書、p233
103 『私の登校拒否』前掲書、p52
104 同上書、p52
105 同上書、p233
106 『私の登校拒否』前掲書、p40
107 同上書、p159、p160
108 同上書、p160
79
小田貴美子『人とうまくつき合えない子どもたち』学事出版 2006 年
奥地圭子・多田元・山田潤・山下耕平「この人が語る『不登校』」講談社 2002 年
森下一『不登校児が教えてくれたもの』グラフ社 2000 年
木下秀美『不登校自殺 そのとき親は、学校は―』かもがわ出版 2005 年
明橋大二『翼ひろげる子』1 万年堂出版 2003 年
生駒富男『不登校・中退者たちの挑戦』ゴマブックス 2002 年
文部科学省『今後の不登校への対応の在り方について(報告)
』2003、
http://www.mext.go.jp/b_menu/public/2003/03041134.htm(2007 年 12 月 5 日アクセス)
文部科学省『児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査』2005 年
高橋秀雄『自律神経失調症』高橋書店 2003 年
28
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