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31.中世ヨーロッパ文化
31.中世ヨーロッパ文化 □1. 中世の西欧文化は、ローマ=カトリック教会が絶大な権威のもとで人々の精神面・生活面を支配したため、キ リスト教中心に発展し、教会の統制下に合理的かつ現実的な文化の発展は抑制された。 □2. 学問では“ 【①】 ”の言葉のように神学が諸学問の中心であった。この神学の土台を築いたのが教会公認の著作 家である【②】で、 『 【③】 』や『告白録』を著した【④】が名高い。【④】らの【②】哲学を基礎に形成された神学 を【⑤】とよぶ。この【⑤】はカール大帝時代に開花したカロリング=ルネサンスの中心人物【⑥】に始まり、実在 論( “スコラ学の父” 【⑦】が代表)と唯名論(12 世紀、フランスの哲学者【⑧】が代表)の間の普遍論争を経て、 13 世紀に【⑨】が著書『 【⑩】 』で信仰と理性を調和させて大成した。しかし、14 世紀にイギリスのスコラ学者【⑪】 が信仰と理性の分離を主張し、唯名論が主流となるとスコラ哲学は衰退に向かった。 □3. 十字軍を契機に東方との交流が盛んになると、ビザンツ帝国やイスラーム世界からギリシア・ローマ時代の古 典がもたらされた。 【⑫】のパレルモやスペインの【⑬】などで【⑭】に翻訳され、12 世紀ルネサンスが開花した。 イスラーム科学にも影響されて科学的精神が発達し、イギリスの【⑮】は実験・観察を重視し、近代科学への道を 開いた。 □4. 大学は教会や修道院の付属学校を母体に、教授や学生の組合として形成されたものを起源とする。中世の大学 は自治権を得て、ギルド形式で運営された。北イタリアに成立し法学で有名な【⑯】、南イタリアの医学で有名な【⑰】 などが代表的である。 □5. 中世西欧の美術はキリスト教の隆盛を背景に教会建築が発達した。初期は【⑱】を使用した壁画とドーム(円 屋根)を特徴とする【⑲】が盛んで、コンスタンティノープルの【⑳】が有名である。11 世紀には半円状アーチを 21 】が現れ、イタリアの【○ 22 】やドイツの【○ 23 】が築かれた。12 世紀には尖頭アーチと【○ 24 】 用い、重圧感がある【○ 25 】が登場し、パリの【○ 26 】やドイツの【○ 27 】などが築かれた。 を使用した窓、空高くそびえる塔を特徴とする【○ □6. 学問には【⑭】が用いられたが、民衆の間では日常語による俗語文学が誕生した。ブルグンド人の英雄を題材 28 】 29 】 としたドイツの『 【○ 』 、カール大帝の遠征を題材としたフランスの『【○ 』、ケルト人の伝説を題材としたイギリ 30 】 スの『 【○ 』などが名高い。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ ⑬ ⑭ ⑮ ⑯ ⑰ ⑱ ⑲ ⑳ ㉑ ㉒ ㉓ ㉔ ㉕ ㉖ ㉗ ㉘ ㉙ ㉚ 36.主権国家体制の成立(フランス・三十年戦争) □1. フランスでは 16 世紀、大貴族抑圧のため、国王【①】の母后【②】が勢力を拡大していた新教徒への寛容策 を採ると、宗派対立に貴族同士の権力闘争も加わったユグノー戦争に発展した。1572 年の【③】で対立が激化し、 1589 年にヴァロワ朝が断絶すると、新教徒の【④】が王位につき【⑤】を創始した。 【④】は旧教徒との融和のため 旧教に改宗し、1598 年には【⑥】を発布して新教徒に旧教徒と同等の権利を保障し、また、個人に信仰の自由を承 認してユグノー戦争を終結させた。 □2. フランスは【⑤】の時代に絶対王政を完成させた。初代【④】は【⑦】を設立し、続く【⑧】の時代は宰相【⑨】 のもとで王権強化が進んだ。1615 年には【⑩】が停止され、三十年戦争には反ハプスブルクの立場から新教側に立 って参戦した。1643 年に幼少で即位した【⑪】の時代、宰相【⑫】は三十年戦争終結で領土を拡大し、国内では王 令審査機関の【⑬】を中心とした貴族の反乱である【⑭】を鎮圧した。1661 年から親政を開始した【⑪】は、精強 な陸軍を整備し、 【⑮】を財務総監に任じて重商主義政策を展開するかたわら、自然国境説を根拠に積極的な対外戦 争を行った。1701 年に勃発した【⑯】ではスペインと共同でイギリスやオーストリアと戦い、1713 年の【⑰】で孫 【⑱】のスペイン王位継承を認められたが、フランスはイギリスにハドソン湾地方、アカディア、【⑲】を割譲し、 21 】の造営、 スペインも【⑳】 、ミノルカ島をイギリスに割譲した。 【⑪】によるたびかさなる対外戦争や【○ 【⑥】廃 止による商工業者の亡命などの結果、仏の財政は著しく悪化した。 22 】の不備から新旧両派が同盟を結成して対立していた。1618 年、新教徒弾圧から【○ 23 】で反乱 □3. ドイツでは【○ 24 】王が率いるスウェーデン、 が発生すると諸外国も介入して三十年戦争が始まった。新教側にはデンマークや【○ 25 】が傭兵隊長として活躍した。1648 年の【○ 26 】に 反ハプスブルクの立場からフランスなどがついた。旧教側は【○ より終結し、①ドイツの諸領邦がほぼ完全な主権を認められ、神聖ローマ帝国の有名無実化が決定的となった。② 27 】の独立が承認された。③フランスが【○ 28 】とロレーヌの一部、スウェーデンが【○ 29 】を獲得した。④ スイス、 【○ カルヴァン派が公認された。また、この戦争でドイツの人口は激減し、農村や都市が衰退して近代化の遅れの大き な要因となった。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ ⑬ ⑭ ⑮ ⑯ ⑰ ⑱ ⑲ ⑳ ㉑ ㉒ ㉓ ㉔ ㉕ ㉖ ㉗ 28 ○ 29 ○ 38.西ヨーロッパ諸国の植民活動 □1. 絶対王政時代の西欧各国は海外市場獲得のため活発な植民活動を進め、海上覇権を競った。16 世紀は【①】と スペインが、17 世紀前半には【②】 、その後【③】と【④】が争い、18 世紀後半に【③】が勝利して植民地帝国を 樹立した。 □2. インド航路を開拓した【①】は 1510 年にインド西岸の【⑤】を占領してアジア貿易の拠点とし、東南アジア では交通の要衝である【⑥】をおさえ、香料諸島として名高い【⑦】に到達して香辛料貿易を独占した。1557 年に は【⑧】での居住権を得て中国とも交易した。新大陸では【⑨】を領有し、首都の【⑩】は繁栄したが、国内の工 業生産が弱かったために植民地の喪失とともにその勢力は衰退した。 □3. 新大陸中心に進出したスペインは、毛織物を輸出して銀を独占した。国王は植民者に統治を任せる【⑪】を採 用したが、その苛酷な支配は神父【⑫】などの非難を受け、17 世紀には奴隷使用の大農園制度の【⑬】に移行した。 アジアではフィリピンの【⑭】を経由しメキシコ銀を中国に運ぶ【⑮】を行った。だが、国王【⑯】の旧教強制で 毛織物業者が亡命し、 【⑰】がイギリスに敗北すると衰退した。 □4. スペインからの独立後【②】は、1602 年に【⑱】を設立し、アジアに先着の【①】から【⑥】や【⑦】を奪い、 ジャワの【⑲】に拠点を築いた。1623 年には【⑳】事件で【③】を駆逐して【⑦】の支配を確立した。また台湾を 21 】植民地を建設した。首都【○ 22 】は 17 世紀前半に金融・商 占領して日本にも進出した。新大陸では北米東部に【○ 業の中心となったが、イギリス=オランダ(英蘭)戦争に敗北して以降は衰退していった。 23 】などを拠点に □5. 【③】は 1600 年に【⑱】を設立した。アジアでは【⑳】事件の後、マドラス、ボンベイ、 【○ 24 】に最初の植民地を築き、イギリス=オランダ(英蘭)戦争では【○ 21 】 インド支配に専念した。新大陸方面では【○ 25 】と改称した。 を奪い、その中心都市ニューアムステルダムを【○ 26 】が【⑱】を再建し、ポンディシェリや【○ 27 】を拠点にインド □6. 【④】ではルイ 14 世の財務総監であった【○ 28 】の活躍で優位に進めたが、1757 年の【○ 29 】で へ進出した。インドにおける【③】との抗争では、インド総督【○ 30 】が指揮する【③】に敗れてインドにおける勢力は大きく後退した。また北米でも植民 は東インド会社書記の【○ 地をめぐり英と抗争したが、敗北し撤退した。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ ⑬ ⑭ ⑮ ⑯ ⑰ ⑱ ⑲ ⑳ ㉑ ㉒ ㉓ ㉔ ㉕ ㉖ ㉗ 28 ○ 29 ○ 30 ○