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現代フランス社会における伝統文化のリバイバル ーラング ドッ ク地方の

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現代フランス社会における伝統文化のリバイバル ーラング ドッ ク地方の
人間科学研究 Vo1.18,Supp1ement(2005)
博土論文要旨
現代フランス社会における伝統文化のリバイバル
一ラングドック地方の事例をめぐって一
Reviva1ofTraditiom1Cu1ture inModem French Society:on the Case ofLanguedoc
出口 雅敏(Masatoshi Deguchi)
本研究は、南フランスのラングドック地方における伝統
指導 蔵持 不三也教授
バイバルする理由、またトーテム動物という固有のシンボ
的祝祭の変容を詳細に記述することを通じて、近年、「伝統
ルの社会的用途とはいったい何か、という問題にっいて中
文化のリバイバル」という形で起きている、フランス農村
心的に考察した。
文化の変容を考察した。ここで伝統文化の復活ではなく、
本研究の主な調査地とその選定理由についてだが、ラン
リバイバルと敢えて表記する理由は、それが昔日のままに
グドック地方エロー(〃6左〃)県メーズ(〃台zθ)を主
単純に復活・復興したものではなく、新たな変化や変容を
要調査地として、毎年行われるトーテム動物祭(トーテム
含むような幅を持った復活・復興現象として、この現象を
動物は「牛」)を調査対象とした。メーズを調査地として選
捉えようとしたからである。
択した理由には、以下の2つがあった。第一の理由は、トー
主要な事例対象としては、ラングドック地方の「トーテム
テム動物である牛が比較的古くからメーズには存在してい
動物祭(〃fθ8dθ8∂刀加〃X‘of6〃σ〃θ5)」を扱った。
るので、トーテム動物祭の歴史的変容を分析することが可
今日、この祝祭は同地方の市町村(oo㎜αηθ)で毎年行わ
能ではないかと考えたからである。第二の理由としては、
れており、なかでも、ベジエ(36力θr)、ジニャック
メーズ・コミュニティが農民と漁師から構成された「複合
(αh∂o)、ペズナス(月6Zθ刀∂8)、メーズ(〃虹θ)など
的コミュニティ」という歴史的性格を有しているため、コ
の市町村のトーテム動物祭は同地方でも名高い。この祝祭
ミュニティ内部の関係性の歴史的変化を分析できるのでは
の基本的な内容は、「動物張りぼて」が通りを練り歩く、と
ないかと想定したからであった。
いうものだ。19世紀末、この祝祭はラングドック地方(よ
調査方法としてはフィールドワーク(現地調査)を採用
り正確には、低地ラングドック地方)の少なからぬ各市町
した。メーズの祝祭を含むラングドック地方のいくつかの
村で行われていたことが当時の記録から推測できる。20世
トーテム動物祭に関する参与観察、また、メーズの祝祭に
紀に入ると、やがて多くの市町村でこの祝祭は消減してし
関わる住民を対象としてインタビューを行った。単なる聞
まったが、1960年代半ば以降、いくつかの市町村では逆に
き取り調査で終わらないよう、現存する民族誌学的・民俗
そのリバイバル現象も確認できるようになった。
学的な文献資料も収集し、考察に大いに役立てた。また、
一般に、このトーテム動物祭は南フランスを代表する「伝
古文書記録、地元紙、広報誌、さらに町当局によって編纂
統的祝祭」として位置づけられ、とくに文化圏論的な祝祭
された様々な観光用小冊子なども駆使して研究を進めた。
研究あるいは観光産業の現場では、「北フランスの《巨人》の
調査期間についても明記しておく。メーズのトーテム動
張りぼてに対して、南フランスには《動物》の張りぼてが
物祭に参加したのは、1997年から99年までの毎夏であり、
存在する」と、言わば祝祭文化における北仏文化と南仏文
とくに99年は集中的な現地調査を実施した。また1998年、
化の違いを端的に示す民俗文化として、これまで数多く語
99年の5月にはジニャック、99年2月、7月にはペズナスの
られてきた。しかしながら、リバイバルを経た今日のトー
それぞれのトーテム動物祭についても集中的な現地調査を
テム動物祭を、再びこのような見方や言説に閉じ込めてし
行った。メーズにおける他の祝祭に関しても、1999年6月
まうことには明らかに無理がある。なぜならそこには、トー
から8月にかけての現地調査の際に得た証言・情報・資料
テム動物祭を南仏文化の根拠として本質化・自然化してし
を基にした。次に、本研究の各章について概略する。
まう危険性、要するに本質主義的に民俗文化を語ることの
まず第I章は、南フランス・ラングドック地方の伝統的
間題点が含まれているからだ。むしろ、伝統的祝祭が現代
祝祭とされているトーテム動物祭のリバイバル現象につい
社会においてリバイバルし、今日それが多くの人々に受け
て、その一般的傾向と全体像を把握することを目的とした。
入れられているとするならば、それはいったい何故なのか
そのため、始めにトーテム動物祭の基本的モチーフ(伝承、
を問う必要がある。本研究ではそれゆえ、トーテム動物祭
トーテム動物の形態や所作、展開など)を、「ペズナスの仔
の現在、およびその歴史を丹念にまず記述することで、現
馬」と「ジニャックのロバ」という2つの代表的事例に即
代社会で行われる伝統的祝祭の意味、その伝統的祝祭がリ
して報告を行った。トーテム動物祭のおおよその輪郭を把
一g5一
人間科学研究
VoL18,Supp1ement(2005)
握した上で、次に、この伝統的祝祭に近年どのような変化
「イベント」と異なるのは、「伝統」という名の「集団の過
が見られるのか、今日知り得る限りの同地方のトーテム動
去」「集団的記憶」との関係を強調するからだ、とした。要
物祭(38市町村)について比較検討を試みた。
するに今日の伝統的祝祭は、コミュニティの一体性の表現、
調査によって明らかにされた今日のトーテム動物祭の一
というすぐれて政治的機能を担っている。
般的傾向とは、とりわけ次の5点であった。第一に、各市町 農村世界において伝統的祝祭がリバイバルする現象を理
村ごとにトーテム動物が異なる点。言いかえれば、各市町
解するために、このように「農村コミュニティの解体」に
村はそれぞれ独自のトーテム動物を持っていること。第二
起因するものとみること、その背景に、農村世界の「文化
に、大部分の市町村がそのトーテム動物を、1970年代から
的自律性の終焉」と「絶対的都市支配の完成」という状況
80年代にかけて登場させている点。ただし、ごく少数の市
をみる視点は重要である。とはいえ、そこには、そのよう
町村ではトーテム動物を継続的に登場させてきたが、その
な否定的意味のみならず積極的・能動的意味もある。なぜ
他の多くの市町村では一度喪失したトーテム動物の「再生」
ならば伝統的祝祭のリバイバルを通じて、都市生活とは異
か、あるいは「新生」させていること。第三に、トーテム
なる「農村生活モデルの提案」も、新たに行われているか
動物は年に数回登場するが、なかでも集中して出現するの
らだ。
は夏期休暇シーズンだという点。第四に、今日、各市町村
第3章では、現在、牛の担ぎ手たちが「若い漁師たち」
のトーテム動物は行政当局、あるいは行政当局下の祝祭実
であるという事態について、それが何故なのかを探った。
行委員会に所有されている場合がほとんどだ、という点。
そのため、メーズにおける2つの漁民祭の歴史をはじめ、
そして最後に、必ずしも再生もしくは新生トーテム動物に
かつてトー潟湖沿岸で差別されていた漁師集団が、戦後は
伝承が伴うとは限らない、という点である。以上の調査結
貝養殖業の発展に伴い「海の農民」となることで、メーズ
果から考察できたことは、もし今日、トーテム動物祭文化
の漁師集団はコミュニティにおける杜会的地位を改善する
圏が同地方に観察できるとしても、それはかつて形成され
に至った歴史的経緯を説明した。さらに今日、貝養殖やトー
ていた文化圏とは質的に異なる、という視点である。
潟湖の観光開発に積極的なメーズ町当局による漁師集団の
続く第2章では、前章で把握したトーテム動物祭のリバ
民俗化・象徴化が行われていることも調査から分かった。
イバル現象をその内側から理解するために、メーズのトー
近年のこのような、コミュニティにおける漁師集団の杜会
テム動物祭を対象に行った集中的・長期的な現地調査で得
的・象徴的地位の向上が、メーズの若い漁師たちにとって、
た一次資料、さらに関連する歴史資料を踏まえたメーズの
メーズに残りそこで糧を得ながら生活してゆくだけでなく、
事例分析と考察を行なった。まず、メーズの伝統的祝祭の
自らの誇りを支える象徴的場となるがゆえに牛の担ぎ手と
現在とその歴史的変容を比較検討するために、以下の5点
なるのではないか、と論じた。
に着目した。①メーズ祭の暦日は毎年変わる。したがって、
かつてE.ヴェイユは、「伝統主義(施”がoη∂伽㎜θ)の
それは「移動(移動可能な)日」と言える。②この祭りは
誕生とは、すなわち、伝統文化から自律した主体の誕生で
「遊び」という要素を保ってはきたが、「激しさ」という要
ある」と言った。フランス農村部における1960年代半ば以
素は減衰している。③ガヴァシュをはじめとする他所者を
降の伝統文化のリバイバル現象とは、ヴェイユの言う伝統
コミュニティに迎え入れる「通過儀礼」としての牛の役割
主義の誕生が、フランス農村部でも徐々に始まっていたこ
は、今日すでに消失している。④祭りのシナリオの変更と
とを明らかにする。伝統主義とは、歴史的には都市エリー
言える「牛の死」をともなうスペクタクルは、しかしそれ
トや都市生活者から始まったものであり、それは逆説的な
以前の伝承と何ら関係がない。⑤祭りを組織するための役
がら、伝統文化に束縛されない都市的な自律的主体の誕生
割は分担されているが、町当局(祝祭実行委員会)は、こ
を示すものであった。農村生活者も、1960年代、70年代を
の分担に重要な位置を占めている。
通じて都市生活者化する過程で、彼らは都市生活者のまな
以上の結果を踏まえ、伝統的祝祭とされるメーズのトー
ざしから地元の農村文化の伝統や祝祭を価値化、再活性化
テム動物祭のみならず、今日の動物祭とは「伝統的」という
していった。その意味するところを本研究は探った。そし
名を冠した「近代的祝祭」であり、かつて含意されていたそ
て、ラングドック地方の人々が、「文化から自律した主体」で
の象徴的意味は(部分的に)脱意味化(d6−3肋θ〃8∂がoη)
あるならば、今後の課題とは、彼らの「伝統」や「文化」
されスペクタクル化された、「民俗化された祝祭(胤θ
との様々な関係のあり方、その多様性や複数性を豊かに描
カ〃o沈6θ)」である、とした。それは「見させる(危伽θ一
いてゆくことにある。
阿oか)、信じさせる(危加一〇ro加)、集団を存在せしめる
(危加一θ嚇‘θ〃θ甜o4ρθ)」という現代的祝祭の性格を典
型的に示すものであり、それが今日の他の祝祭、いわゆる
一96一
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