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戦t ,J としての芸術

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戦t ,J としての芸術
明治大学教養論集通巻 5
1
6
号
(
2
0
1
6・
3
)p
p
.
5
3
6
5
「
戦 t,
J としての芸術
一一岡本太郎の聖なる根源一一
岩野卓司
悲劇的な自然が没落するのを眺めながら,深い理解と感情と同情を抱
いているにもかかわらず,なおも笑いうること,それが神的である。
フリードリッヒ・ニーチ ι
はじめに
林雅彦先生は国文学研究をご専門にされており,文学における絵解き研究
の第一人者である。私とは専門は違うが,法学部と教養デザイン研究科でと
もに教鞭をとった。特に,教養デザイン科の思想コースではいろいろな面で
お世話になった。先生のご研究に関してはまったくの門外漢であるが,先生
の明治大学での長年にわたる業績を称えるためにあえて寄稿した次第である。
日年一 1
9
9
6年〉は,アヴァンギャルドの芸術家である。それ
岡本太郎(19
とともに,芸術や文化について独創的な見解を示す思想家でもあった。芸術
家・思想家としてすでに活躍していた彼がわが国で特に有名になったのは,
1
9
7
0年大阪で開催された万国博覧会のテーマプロデューサーとなり,
r
太陽
の塔」という万博を象徴するオブジェを残したことによる。ここでは大阪万
博,狩猟文化,戦争画,
r
明日の神話」というテーマを取り上げながら,岡
本太郎の思想の根本にある「対極主義」を分析しつつ,それが意味する根源
5
4
明治大学教養論集通巻5
1
6号 (
2
0
1
6・
3
)
的な「戦 L、」について明らかにしていきたい。
1
) 大阪万博
1970年代を迎える日本はどういう状況であったのだろうか。それはちょ
うど戦後の復興が一段落して高度成長に遁進していく時期であったと言える
,大阪での万国博のデーマは「人類の進歩と調和」
であろう。そうであるか ι
であった。当時の人々は人類の発展とその結果の輝かしい平和を信じていた
のである。しかし,テーマプロデューサーに就任した岡本太郎は,そういう
万博のあり方に疑問をもっていた。ひとつには,そこには「悶威宣揚」のよ
うなナショナリズムの倣慢さがあったからである。オリンピックにしろ万国
博覧会にしろ,こういった国際的なイヴェントは,開催国がその力を誇示す
るためのものという面は拭い去り難 L、。またもうひとつには,それまでの万
博と変わらないただの「見本市」に過ぎなくなる恐れも岡本は感じていた。
そもそも万博とは,それまで欧米の国々で開催されたものであり,常に科学
r
や産業の発展を誇示するものであった。岡本の言葉を借りるならば. 科学
の進歩をオプティミスティックに信じ込んで,華やかな見せものを誇示す
るjIlものであった。ロンドンの万博のシンボル,水品宮にせよ,パリ万博
r
r
. 未来への夢J
のというメッセージ
のエッフェル塔にせよ. 進歩への期待 j
r
を含んでいるのだ。だから. 人類の進歩と調和」というスローガンだけで
は,それまでの西欧的な万博のあり方をただ模倣しているだけに過ぎない。
アジア・アフリカではじめて行う万博として,ちがったことを考える必要は
ないのか。そういった聞いのもとで,岡本は未来だけでなく「過去や根源」
を同時に考えていくべきだと主張した。だからこそ,彼は「テーマ展示の一
過去・根源の世界』を置いて全体を支える構想を考えたの
番根もとに. r
だj
3
)と述べている。そのため,彼は多くの人々の協力をえてアジア・アフ
リカの途上国に向かい未開部族の「神像,マスク,生活用品 j4) を集め,進
「
戦 L、
」としての芸術
5
5
歩志向と正反対のこともおこなっているのである 。 これによって,彼は万博
を,人類の根源に呼びかける神聖な「祭り 」にしようとしたのである 。科学
技術の進歩が置き去りにするか過去の遺物にしてしまおうとする未開部族の
r
神具や生活用品を用 意することで. 進歩Jと 「未来」 に対して火花を散ら
す戦いを挑む万博を表現しているのだ。「太陽の塔J
5
lはこういった万博のあ
り方の象徴だったのである 。
彼は 「
調和」と「進歩」 について次のように説明している 。「激しい対立
の上に火花を散らした,そのめくるめくエネルギーの交換によって成り立つ。
それを本当の調和と考えたいのだ。 〔
…〕矛盾を内にはらみながら,それを
(岡本太郎「太陽の塔J
)
5
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6・
3
)
跳躍台として飛躍してゆくダイナミックな進歩であり,調和である。 J
のつま
進歩」や「調和」があっても,それは「激しい対立」や「矛盾」をは
り
, I
らみながら成立しているのである。こういう正反対のものがぶつかりあって,
矛盾や不協和を生み出すこと安岡本は重視するのであるが,これはまさに彼
が芸術運動において主張する「対極主義」なのではないのだろうか。彼は現
代の芸術運動が,モンドリアンのような抽象表現を重んじる合理主義と,そ
れとの対極をなすダダイスムやシュルレアリスムのような非合理主義がしの
ぎをけずって相手を誘起しあっている事実を指摘している。そして,これか
らの芸術は単に合理主義や非合理主識を主張するだけではだめで,両方の対
立や矛盾を同時に抱え込む必要があると主張している。彼はこう述べている。
「私はこれ安対立する二極として一つの精神の中に捉え, しかもそれらを折
衷・妥協させることなく,いよいよ引き離し,矛盾・対立を強調すべきだと
思うのです。そこに真に積極的な新しい芸術精神のあり方を見出すので
す。J')ただ臆史的には,ゲーテがその自然の解釈において「対様性は統一性
によって包摂されるもの」として説明しているが,岡本はこういった解釈を
形市上学的と退ける。この矛盾は統ーによって包摂されるものではなく,常
に緊張をもって対立し続けるものなのである。この点でへーゲルの弁証法と
も岡本の思想は一線を酉すであろう。ドイツの哲学者へーゲルは「精神現象
学J以来,弁証法による思紫によって哲学体系を樹立すること安試みてきた。
矛盾や対立が運動の原動力になっている点で岡本とへーゲルは一見類似して
はいるが,最終的に統一し和解するヘーゲルの論理は,岡本の視康からいえ
ば,形而上学的なのである。「対極主義」とは,和解なき対立に他ならない。
これは常に戦いの状態であること, しかも根源的な次元での戦いなのではな
いのか。こういった岡本の考えは,彼がパリ留学時代に影響を受けたジョル
ジュ・パタイユの思想とよく似ている。パタイユはへーゲ、ルの弁証法をたど
り受け入れつつも,弁証法をさらに徹底したため弁証法をはみ出してしまい,
神秘的経験における正反対のものの混在の考えに歪っている S)。ギリシアの
「
戦 L、」としての芸術
5
7
哲学者へラクレイトスは万物の根源に「戦 Lリを見出したが,それと同じよ
うに芸術の真理はこの根源的な「戦 L、」を表現しているのではないのだろう
か。それは完成し閉域をつくってしまうものではなく,常に未完成で聞かれ
ている状態にあるものだと言えるであろう。
2
) 聖なる戦い
芸術に関するこういった「対極主義」は,彼の芸術観・思想、観のなかで
「
戦 L、」や「戦争」に関する考えのなかによく現われている。
岡本は縄文時代の狩猟文化に関心を寄せている。フランス留学中にマルセ
ル・モースの文化人類学の講義を受けていた岡本は,人類学や民俗学の分野,
さらには考古学にも博識で,早くから縄文土器の美しさを高く評価していた。
のみならず彼は縄文時代の狩猟文化にも関心を寄せている。この文化は宗教
的・呪術的であり,そこではあらゆる現象は呪術的に解釈されている。縄文
人にとって,狩猟は呪術と結びついていたのだ。まず獲物を呪術の力でおび
き寄せ,狩りをするのである。呪術がかからない場合は,誰かが禁忌安破っ
たりして,精霊が怒ったからだと考える。狩りが成功した場合は,精霊に感
謝をささげ次の狩りでのご加護をお願いする。また殺した動物の霊を慰める
儀式を行い,その復讐ぞ避けようとする。彼らの世界観は,このように呪術
をベースにしている 9)。
この世界観においては,動物は縄文人にとって戦うべき敵であるとともに,
そのおかげで生命を維持できる神でもあるのだ。岡本はこう述べている。
「狩猟民族にとっては,獲物は激烈な闘争の相手であり,敵です。ところが
彼らはそれぞ糧にして生きているのです o 獲物がないということはただちに
飢であり,死を意味します。彼らは全存在をそれにゆだね,かけている。だ
1
0
) 彼ら
からこそ獲物は彼らにとってまた神聖な存在,つまり神なのです。 J
の狩猟は聖なる戦いなのだ。狩猟民にとって動物は自分を襲う怖い存在であ
5
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1
6・
3
)
るとともに,それを食べて生きて L、かざるをえない糧であり,生存を賭けた
戦いを通して動物は聖なる存在なのである。岡本はここに戦いの原点を見る。
そういった場合の縄文人の感情は,アンビヴァランスという愛憎が両立する
感情である。「人間の本能の深みにひそむ,愛するからこそ憎み,憎むから
こそ愛するというアンピヴァランス」 ω である。そこには殺したくない神を
殺さざるを得ない人聞の悲劇が読み取れるであろう。岡本にとって,この戦
いが悲劇的なのはとのアンピヴァランスによるからである O
もちろん戦いについてわれわれは近代的なイメージを抱くかもしれな L
。
、
しかし,非人間的で大最殺裁を行う近代の戦争には,縄文人の神聖なる悲劇
は見いだせな L、。聖なるものもアンビヴァランスも存在しない。政治の延長
としての戦争,国家の利害関係による戦争,大量破壊兵器と総力戦による戦
争といった,近代の戦争のイメージは,縄文時代の動物との戦いとは程遠い
であろう。われわれが戦場で向かい合う敵の兵隊は,個人的にはまったく憎
しみを抱いていない人たちなのだ。さらに,現代の戦争では,遠方からミサ
イルを発射したりして,戦場での生々しさを感じることなく戦争を遂行でき
る。いわば,シミュレーションゲームさながらになっている。われわれの世
や原初の愛憎から遠ざかっているのだ。し
界では,戦争は次第に神聖な悲劇l
かしながら,戦いの本質はこういった近代的な戦争によってのみ語りつくさ
れるのであろうか。むしろ近代の戦争観でのみ戦いぞ考えていくと,戦いの
本質的なあり方が見失われてしまうのではないのだろうか。だから,岡本太
郎は「近代戦にばかり捉われず,戦争は本来祭りと揮然一体だったというモ
メントを考えるべきだ」 ω と主張する。原始社会では,動物との戦いは聖な
る儀式であり,ひとつの祭りだったのである。ここに近代が忘却している戦
争としての人聞のあり方が隠されているのだ。こういった戦争観は,岡本の
親友のパタイユやカイヨワのそれとよく似ている。彼らは戦争の中に計算や
打算を超えた狂気を見て L、く。だから,戦争は聖なるものや祝祭とむすびっ
くのだ 1九
「戦い」としての芸術
5
9
3
) 戦争についての絵画
この視点から,岡本は人聞の矛盾した感情に気づく。人はどんなに平和が
好きでも,平和な絵画より地獄を描いた芸術のほうを好む。「たとえば天国
の絵よりも残酷な地獄のイメージの方が,はるかに情感的に描かれ,喜ばれ
てもいる。ボッシュ,ブリューゲル,ゴヤ,それに一連のスュールレアリス
ム芸術,仏画の地獄凶絵でも。」凶こういった感情は戦争聞についても同じ
である。「平和を象徴したイメージよりも戦いの表現の方に強烈な美しさが
あり,魅惑的なのだ。これもまた古今東西を通じてそうである。日本の合戦
絵巻なども優美だが激しい。タッシリ遺跡の岩絵,アッシリアの浮彫り。ア
ンコールワットの像を使った大戦争図,ウッチェロの戦争画,アルトドルファー
のあの『アレキサンダーの戦 L、』にしても,世界全体がふくれあがり,渦巻
いているようだ。 J15) このように戦争を描いた絵画が感動をもたらすことも
また否めない事実なのである。しかし,この絵削.に感動するのは,岡本やわ
れわれが戦争を賛美しているからではな L、。また,ただ単純に人聞の残虐さ
をサディスティックに喜んでいるからでもない。そこには人問の根本にかか
わる奥深い理由が隠されているのだ。
このことは岡本によるピカソの作品「ゲルニカ Jの分析のなかで示されて
いる。ゲルニカはスペイン北部の村である。スペイン内戦でナチス・ドイツ
9
3
7年この村を無差別爆撃した。虐殺に
はフランコ将軍の陣営を支援し, 1
怒りを覚え, ピカソはこの絵を描いた。『ゲルニカ』はファシストたちの残
虐非道を芸術を過して社会的に告発したものなのである。しかし,この作品
が芸術的なのは虐殺への怒りのためだけではな L、。岡本はこう語っている。
「ナチによるゲルニカの無差別爆撃というものがモティーフになっているが,
そういうものへの直接的憤りが,絵を描いているうちに昇華され,芸術表現
による遊びが浮かび出てくる。もちろんその遊びは雷いようのない緊張感だ。
6
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号 (
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0
1
6・3
)
激しい怒りそのものが遊んでいるのだ。JI
6
lそこには怒りとともに怒りと対
極のものが存在しており,それは冷たさであり,遊びの感覚である 。彼はこ
うも述べている 。 r~ 、ずれにしてもピカソの作品はあくまでも激しいと同時
に冷たく,微妙な 計算の上で作裂している 。 そこに同時に遊びがあるの
だ。J
l
7
l そこには悲劇への憤りと 笑 いが共存しているのである 。 これも岡本
が言 う「対極主義」であろう 。 ここで興味深いのは,芸術家が絵を描くとき,
単に怒りや情熱で我を忘れて描いているのではなく,怒りと遊び,熱さと冷
たさがある緊張関係にあるということである 。 この両極が並存しなければ,
芸術は存在しえないのだ。
このように戦争 についての絵画が感動的なのは,怒りと笑い,熱さと冷た
さ,悲劇と 喜劇が混在し,その二つがぶつかり合っているからなのである 。
そして,この終わりのないぶつかり合いこそが人間の本質であり,文化や歴
史の原動力なのである 。われわれは絵画に接しながらそれを感じとるのであ
る。そして,戦争 を描いた絵画は, 模範的なかたちでこの 「
対極的なもの」
を伝えてくれるのだ。われわれが戦争の悲惨さを倫理的に非難しながらも,
戦争の絵画に感動するのはこういった理由からである 。 そして,この「対極
にある 」二つの間にあるのは根源的な「戦 L、」である 。戦いの絵画がわれわ
れに伝えているのは,単なる戦争の画面ではなく,根本的な次元での「戦 L
」
、
(パブロ・ピカソ「ゲルニカ J
)
「
戦L
」
、 としての芸術
6
1
に他ならない。
4
)
r
明日の神話』
これと同じことが, 1
9
6
9年に岡本自身が描いた『明日の神話』 にも 言え
る。 アメリカがビキニ環礁で行った核実験で日本の 漁船第五福竜丸が被爆し
た事件を題材にしたこの絵は,単純に核兵器を批判するためのものではな L、
。
彼は核爆発がもたらす悲惨を描きながら,どこかコミカルに死の悲惨さと戯
れている 。 この絵はまずメキシコのホテルの壁画として描かれたものであり,
この絵がこの国の人々の死生観と合致していることを岡本は指摘している 。
彼らは死を遠ざけないで,死を崇高 なものと扱い, 日常的に死と共存してい
るのだ。「生活の中の至るところに骸骨が平気で出てくるし, w
死者の日 』 と
いう 祭 りもある 。ハリボテの骸骨をかつぎまわったり,骸骨の扮装をして陽
気に騒いだりする 。JI8l だから,メキシコの人々は岡本の絵の中で 「骸骨が
炎をふいて燃え上がっている JI
9
l さまに感動するのである 。 ここには死の悲
惨と笑いの緊張関係,両者の「戦 L、」があるのだ。
さらに彼は,この 「
戦 L、
」から核の悲惨さを乗り越える可能性を模索する 。
岡本は 「中国新聞」 のイ ンタヴューにこう答えている 。「原爆 が爆発し,世
界は混乱するが,人聞はその災い,運命を乗り越え未来を切り開いて行く
といった 気持ちを 表現した」
叫 と。原爆 の悲惨な現実のなかには,すでにそ
れを超え出るものが苧まれているのではないのだろうか。爆発のネガテ ィヴ
なパ ワーはさらに根源的なポ ジティヴな パ ワーの可能性をはらんでいるので
璽
璽
¥
量
(岡本太郎「明日の神話J
)
6
2 明 治 大 学 教 養 論 集 通 巻5
1
6
号 (
2
0
1
6・
3
)
はないのか。岡本は広島の被災について蜂谷道彦の『ヒロシマ日記』ぞ引用
しながら,原爆におけるきのと雲の美しさとその下の人々の悲惨について吉
いている。爆発の瞬間,英と不幸が両立しているのだ。しかもそれ以上に,
彼はここから新たな切り拓くべき運命を考えようとしている。日く, 1
"
原
爆
が美しく,残酷なら,それに対応し,のりこえて新たに切りひらく運命,そ
のエネルギーはそれだけ猛烈で,新鮮でなければならない。でなければ原爆
はただ災難だった,落とされっぱなし, ということになってしまう。j2n わ
れわれに残酷な現実を突きつける原爆も新たな何かの可能性を秘めているも
のなのである。人類が生み出してしまった核の宿命を受け入れながら,岡本
はそれを乗り越える新たな運命を切り拓こうとしているのだ。だから,彼は
ただ平和だけを唱える「平和運動」や核反対のみを唱える反核の思想には賛
成しない。彼の描く世界は,思想家中沢新ーが言うように,核を超えようと
する「超核の神話 J22l なのである。核爆発の災いのパワーは, 1"対極主義」
の観点にたつと,その反対のパワーを生み出すのだ。核の悲惨さから核克服
の手立てが発見できるわけである。既に説明したように, 1"合理主義」が
「非合理主義」を呼び覚まし, 1"非合理主義」が「合理主義」を呼び寄せるよ
うに,反対のものどうしが火花を散らすのが現実なのであり,未来は核のエ
ネルギーとともに対極のものへと聞かれている。そういった意味で, ~明日
の神話』は『ゲルニカ』より未来へと聞かれていると言えるのではないのだ
ろうか。
おわりに
岡本太郎の芸術と思想の根本にあるのは,このように根源的な「戦 L、」で
ある。しかもその「戦 L、」に休息もなければ,終わりもない。常に「対極に
あるもの」どうしの火花を散らす闘争があるのだ。それは「戦 L、」が人聞の
根本にあり現実を動かしていると考えているからである。芸術はそれを先鋭
「
戦 Lリとしての芸術
6
3
に感じとり表現している。彼が夢想する「戦 L、」は,敗者のいない戦争なの
だ。誰も犠牲にならないし,悲惨な現実もない戦いなのだ。彼は言う. I
伝
説とか芸術表現のなかには醜い敗者はいないのである。」 ω 根 源 と し て の
「戦 L、」には勝ち負けがないのだ。『ゲルニカ』における怒りと遊びの関係で
あろうと, ~明日の神話」やメキシコ文化における死と笑いの関係であれ,
対立する二項のうちの一つが敗れて消えてしまうことはない。弁証法のよう
に戦いつつも妥協しながら調和し統一するのでもなければ,二ょっの項のうち
の片方が勝利して他方を従属的なものにしたり抹消したりするのでもない。
これが「戦 Lリの究極の姿であろう。もちろん現実の戦いには勝者と敗者が
いる。彼は芸術を通して現実を自分の理組に近づけようとしているのではな
いのだろうか。それによって「戦 L、」の概念の根本的な変革をわれわれにも
たらしてくれるのではないのだろうか。
《注}
1
) 岡本太郎,
r
岡本太郎の宇宙1J/,ちくま学芸文庫,
2
0
1
1年
, 5
1
5頁
。
2
) 同
, 5
1
6頁
。
3
) 同
, 5
1
7頁
。
4
) 同
, 5
1
8頁
。
5
) この塔には太陽の顔が三か所描かれている。頂上の黄金の顔は未来と進歩を表
し,地上の怒った顔は現在と調和を表し,裏側の黒い太陽の顔は地下にある過去
と根源を表している。この三つの太陽はそれぞれ,塔内の三つの展示テーマと一
致している O
6
)
r
岡本太郎の宇宙lJ].前掲書,
5
5
2頁
。
7
) 同
, 4
3
5頁
。
8
) 第一次世界大戦と第ニ次世界大戦の聞のフランスでは,シュルレアリスムの巡
動が隆盛を誇っていた。この運動は,文学から絵画にまたがり,人間の無意識を
追求するものであった。その総帥アンドレ・ブルトンは,ロートレアモンの「マ
ルドロールの歌』に記されている「解剖台の上でのミシンとこうもり傘の偶然の
出会いのように美しい」という,無関係なものの出会いが生み出す美を探求し,
伝統的な美の観念を破壊していった。そして,こういった美の追求から,
r
反対
物の一致」という考えを唱えていた。ただ,ブルトンはへーゲルの影響が強く,
6
4 明治大学教養論集通巻 5
1
6号 (
2
0
1
6・
3
)
この一致は「調和」や「和解」であった (
A
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8
)。この一致
をむしろ「引き裂き」や「戦 L、」と解釈し直したのは,パタイユである。 G
.
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d,1
9
7
3そ参照のこと。岡
本とバタイユは親友であり,秘密結社「アセファル」や「社会学研究会」でとも
に活動していた。バタイユと岡本の交流については,以下のものを参照のこと。
5
1
4
5
6頁,格木野衣. r
太郎と爆発
岡本太郎, ~岡本太郎の宇宙LIl,前掲書, 4
来るべき岡本太郎へ~.河出書房新社,
2
0
1
2年
, 6
9
1
0
1頁
。
9
) 岡本太郎. ~附本太郎の宇宙 3.t ちくま学芸文庫, 2
0
JJ年
, 5
1
5頁
。
1
0
) 同
, 7
9頁
。
1
1
) 同
, 8
0頁
。
1
2
) 岡本太郎, IT'岡本太郎の宇宙 5
.
],ちくま学芸文庫, 2
0
1
1年
, 1
1
2頁
。
1
3
) G
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i
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9
6
3
.
1
6頁
。
1
4
) ~岡本太郎の宇宙 5.] ,前掲書, 1
1
5
) 同
。
1
6
) 同
, 1
0
1頁
。
1
7
) 同
。
1
8
) 同
, 4
4
2頁
。
1
9
) 同
, 4
4
1頁
。
2
0
) ~中国新聞.],朝刊, 1
9
6
8年 1月 2
7日
, 4頁
。
2
1
) 岡本太郎,
~岡本太郎の宇宙1.],前掲書,
2
2
) 中沢新一,
~ミクロコスモスJ],中公文庫,
4
7
7頁
。
2
0
1
4年. 1
4
1頁
。
2
3
) 岡本太郎,
r
岡本太郎の宇宙 5
J
. 前掲書,
1
0
7頁
。
参考文献
岡本太郎, r
i
岡本太郎の宇宙1.],ちくま学芸文庫, 2
0
1
1年
i
岡本太郎の宇宙 2
J,ちくま学芸文庫, 2
0
1
1年
間
, r
同
, r
i
岡本太郎の宇宙 3
.1,ちくま学芸文庫, 2
0
1
1年
同
,
r
岡本太郎の宇宙4J.ちくま学芸文庫,
2
0
1
1年
0
1
1年
間
, ~岡本太郎の宇宙 5.] ,ちくま学芸文庫, 2
同
,
r
岡本太郎の宇宙
別巻 J
.2
0
1
1年,ちくま学芸文庫
権木野衣監修, IJ'岡本太郎爆発大全J
,河出書房新本土. 2
0
1
1年
『中国新聞~.朝刊, 1
9
6
8年 1月 2
7日
「明日の神話』再生プロジェクト編著,
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明日の神話
岡本太郎の魂
メッセージ.],
「
戦 Lりとしての芸術
青春出版社
権木野衣,
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戦争と万博j,美術出版社 2
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, ~太郎と爆発
来るべき附本太郎へ~,河出番勝新社
中沢新一, ~ミクロコスモス~,中公文庫
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4年
平野暁目編著, ~岡本太郎と太陽の塔~,小学館
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8年
吉村絵美留, r 岡本太郎『明日の神話』修復 960 日間の記録~,青春出版社, 2
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(いわの・たくじ
法学部教授)
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