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ビジネス・パーソンが論理思考を学ぶ理由
ビジネス・パーソンが論理思考を学ぶ理由 小野泰稔 「お父さん、僕、新しい靴を買って欲しいんだけど」 ある日の父子の会話です。突然、靴をねだられた父は、当然のように小学3年生の息子 に訊きます。 「どうして?」 すると息子は泥で汚れた靴を見せながら、 「ほら、穴が開いちゃったんだよ」 そして、父は一言、 「そうか」 何気ない日常の会話ですが、こんなありふれた会話も論理思考で成立しているのです。 どこに論理思考があるのか、お分かりでしょうか。 「靴が欲しい理由を明らかにしているか ら?」いや、そこまで単純なことではなさそうです。少し掘り下げてみましょう。 靴を買って欲しいと主張する息子。その主張を聞く父。息子は実際に穴が開いている靴 を証拠として見せることで、自分の説得力を高める。という構図のように思えます。しか し、何故、靴に穴が開いていることが主張に説得力を与えるのか。この点についてはもう 少し考察が必要になります。 靴に穴が開いたことが証拠として息子の主張に説得力を与えるためには、父子の間に言 葉にしていなかった共通の認識があることが前提になります。すなわち、「穴の開いた靴は もう履けない」という共通認識です。この二人の間では過去の体験と記憶から、それは今 更説明するまでもない共通の認識になっているのです。この認識があるからこそ、息子が 見せた穴の開いた靴(証拠)は、新しい靴が欲しいという主張に見事な説得力を与えたの です。このような共通認識を論拠と言います。 論理思考の原点は、主張、論拠、証拠の3つの要素の間に筋道を通すことだと言われま す。息子の主張は、とても論理的だったということになるのです。ところで、息子はどこ で論理思考を学んだのでしょうか。まさか、小学3年生の息子が、学校で論理思考を勉強 したとは思えません。父も恐らく教えてはいないでしょう。実は私たちは、日常の体験や 会話などを通して、子供のうちから無意識に論理思考を学び身に付けていくのです。 では、子供のころから自然に身に付けているものなら、どうして今更ながらにビジネス・ パーソンが論理思考を学ぶ必要があるのでしょう。実は、‘無意識に’学んでいるというと ころに大きな落とし穴があるのです。無意識が故に私たちは、人に誤解なく理解してもら うため、あるいは人に心から納得してもらうために、何を意識すべきかが良く分からなく なっているのです。それは、自分にとって当たり前でも人にとっては当たり前でないこと、 それがどこにあるかということです。 1 例えば、よく教科書に出てくる「人はいつか死ぬ」といった、地球上の人間なら誰もが 疑わない論拠があります。しかし、このような鮮やかな論拠など、ビジネスの世界にはあ まり存在しないのです。先ほどの「穴が開いた靴は履けない」という論拠も、戦時中の日 本や貧困に苦しむ国に行ったなら、成立しなくなります。そこには、「小さな穴ならまだ履 ける」という共通認識があるかも知れません。そうなると証拠の見せ方が変わるのです。 「ほ ら、こんなに大きな穴が開いちゃったんだよ」と。さらに共通認識が変われば、穴の開い た靴自体、証拠としての意味がなくなるかも知れません。ですから、論拠が異なる 2 人が 話をすると訳も分からず話が通じなくなります。 論拠とは実にやっかいな存在です。立場が変わっても論拠が変わります。管理者と担当 者、業績を伸ばしている事業部長と業績低迷に苦しむ事業部長、株主と社長。みんないい 仕事をしたい、いい会社にしたいという思いは同じはずなのに、そこには大きな論拠の違 いがあるのです。その違いを表に出さず、勝手な解釈でそれぞれが自分の役割にまい進す る。その結果、何が起こるのか。 論理思考を勉強することは、相手と理解を共有するためには、何を表に出して(言葉に して)確認したらいいのかを的確に理解することにつながります。それは、相手の頭の中 を想像して、理解する上で危ない場所がどこにあるかを予測することでもあります。予測 したらそのことを相手と話してみる必要があります。言葉にして話さなければ、本当に危 ないかどうかがわからないからです。 危なさはあらゆる処に潜んでいます。当たり前のように使っている一つひとつの言葉(単 語)にさえ、大きな落とし穴が一杯潜んでいるのです。例えば「ちゃんと計画を立てよう」 と私が言ったとき、 「はい」と答えたメンバーが思う‘計画’という言葉は、同じなのかど うか。 ビジネスにおける論理思考とは、立場も価値観も異なる相手と一つひとつ丁寧に理解を 確認し共有するためのコミュニケーションの方法です。見方を変えれば、自分が主張した いことがあるとき、人に納得してもらいたいとき、何をどのように整理し説明すべきかを 示唆してくれるものなのです。そして、そのように主張を整理していった時、自分でも納 得できない決定的な要素を見つけたなら、私たちは自分で自分の主張の誤りや弱点を知る こともできるのです。 2