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マニフェストとしての 『王様のレストラン』読解

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マニフェストとしての 『王様のレストラン』読解
J
、一.、3
忌",,-;
﹁伝説のギャルソン﹂ の葛藤と遍歴 l
マニフ ストとしての ﹃王様のレストラン﹄
読
解
物語だと言えよう。本稿は﹃王様のレストラン﹄のスト
図を暗喰とし、未だに異端視されがちなエンターテイン
﹁王様のレストラン﹄は一九九五年四月から七月にか
テレビ、映画と幅広く活躍中のシチュエーション・コメ
メント性を中心に据えた文化研究の人文学的正当性を確
ーリーを貫く﹁伝説のギャルソン﹂を中心としたエンタ
ディを得意とする劇作家三谷幸喜。舞台劇から映画化さ
募のラジオドラマの脚本が生放送中に無惨に改賀されな
るところにそれぞれ遠いはあれども、生物としての栄養
式的な色彩を帯びるものである。所属する文化が規定す
食事というものはどのような場であっても、ある種儀
認しようと提出された一種のマニフェストである。
がらも、心あるスタッフの子によって本筋であったハッ
え、誰の日もなく一人きりで食車に向かっていようとも、
各々の身にすり込まれた習慣に従って、あるいは神に食
補給以上の意味がそこには付与されることになる。たと
前の祈りを捧げ、あるいは食前食後に子を合わせ感謝の
ピーエンディングに立ち戻っていく様が描かれていた。
の物語は、エンターテインメントを生み出す﹁場﹂に働
意を表し、食事は儀礼として完結する。これが、レスト
ランなどで衆目にさらされる場であればなおさらその儀
く力学を、戯画化された人間関係とセリフの掛け合いを
﹁王様のレストラン﹄もまた、食のエンターテインメ
式的な要素は濃厚になる。注文の際の決まりごと、食器
通じて提示するものとなっていた。
制御不能のすったもんだが大団円へとつながっていくそ
エンターテインメント番組を発信するラジオ局で一般公
れ、脚本家自らが監督も務めた﹁ラジオの時間﹄では、
ーテインメントの場としてのレストラン再構築という構
也
一回にわたるこのドラマの脚本を手がけたのは、舞台、
拓
けてフジテレビ系列で放送された連続ドラマである。十
畑
ントを提供するレストランという場の力学を戯画化した
-9-
エ
使用の作法、その他諸々。食事を楽しむ場でありながら、
はありがとうございました。
ご来屈のないことを心より願っております。本日
せん﹂と諭す場面がある。さらに千石は、客の希望を抑
ギャルソン﹂千石が﹁飯を食うのにル l ルなんでありま
が教える﹁ル l ル﹂を遵守しようとする禄郎に﹁伝説の
い。﹃王様のレストラン﹄の第一話でも、ガイドブック
視して好き勝手に振る舞おうとする﹁客﹂の側。ルール
経済力という﹁権力﹂を背景に時にこうしたル l ルを無
いったレストランという場の﹁食のル l ル﹂を示す側と、
の性格が浮かび上がることになる。シェフやソムリエと
ここに、﹁伝説のギャルソン﹂千石の﹁調停者﹂として
(後略)
えつけてまで﹁料理にあった﹂ワインをすすめるソムリ
に押しつぶされそうになる﹁客﹂にル l ルに先立つ﹁食
ω04)
エの姿を見て、﹁飲みたいワインを飲ませてやればいい﹂
一
ロ
と言い放つ。一方で、行き過ぎた振る舞いを見せる横暴
暴な振る舞いに﹁食事を楽しむ場﹂が壊されそうになっ
事を楽しむ﹂という原則を示して力づけながら、客の横
(第一話
そこは食事を楽しむための﹁ル l ル﹂が支配する一種の
権威の場になっているのである。
しかし、その権威のあり方が、﹁食事を楽しむ﹂とい
な客を、自らも客として訪れているにもかかわらず、ギ
たときには﹁ル l ル﹂に則ってレストランとして必要な
う大原則をひっくり返すようになってはどうしょうもな
ャルソンを装い撃退してみせる。
快適な空間を回復してみせる。﹁食事を楽しむ﹂という
原則に基づいて、臨機応変、柔軟に﹁ル l ル﹂の適応範
囲を見定めていく。そうした﹁調停者﹂としての役割が
(前略)
お前にお前呼ばわりされる筋合いはございません。
千石というキャラクターに割り振られているのである。
(中略)
暴を諌め、聞き入れられなかったためであった。そして、
友であったオーナーシェフ(食事の場における権威)の横
千石
お引き取り下さい。私どもはお前様の家来ではご
千石 私は、先輩のギャルソンにお客様は王様だと教え
調停者である千石を失ったレストランは凋落の一途をた
その調停者たるべき千石がかつて屈を去ったのは、盟
られました。しかし、先輩は二一一口いました。王様の
どる。かつて自らが働いた屈に客として訪れた千石はそ
ざいません。お帰り下さい。
中には首をはねられたヤツも大勢いると。 またの
-10-
「伝説のギャルソン」の葛藤と遍歴:マニフェストとしての『王様のレストラン』読解
その誘いを一度は断るのだが、代理シェフしずかの﹁お
そのしずかがパティシエの稲毛と交わす会話の中に、
ることを承諾する。
すすめ料理﹂を口にして一転、再びギャルソンの服を着
は限りません。そこがこの世界の難しいところで
プロフェッショナルとアマチュアの関係を考える上で示
しかし、偉大なシェフが偉大なオーナーになると
の有様を見て、過去を顧みながら次のように語る。
千石
す。彼は天才であるが故にわがままだった。自分
しずか
おどり踊れるようになると思う?
ああ、うまいこと言うねえ。
ここでしずかはプロとアマを隔てるものの存在を訓練で
ω04
に立つような状況下で、レストランの従業員たちも好き
専門的知識・技術を身につけたダンサーの例を引き、客
(第一話
勝手な振る舞いをするようになっている。シェフ代理の
がそれを﹁見ただけでは﹂再現できるはずがないと断二一目
一
ロ
ブロードウェイで三年ミュージカル見てたら、
たら、かなり腕も上がったんじゃないの?
いや、でもあの、そこの料理屈で三年飯食って
唆的な要素が含まれているので見ておきたい。
ω
0
.
-
のいいなりになる人間しか周りにおかなかった。
その結果がこれです。この屈は最低です。
(後略)
(第一話
一
ロ
﹁食事を楽しむ﹂ための場を快適に保つために適応され
るべきル l ルの数々が、あるいは失われ、あるいは形骸
化して、ただただ体裁を取り繕う権威主義に奉仕するこ
しずかはプロとしての素質を秘めながら﹁転職﹂のこと
決意し、訓練を始めたらどうなるか。そして、その元観
ばかり考える素人の位置に甘んじ、厨一房からは活気が失
知識をひけらかすソムリエ。支配人とのコネだけで雇わ
客が訓練によって開花する素質を秘めているとしたら。
おりであろう。しかし、観客が自ら舞台に上がることを
れたバーテン。新たにオーナーとなった禄郎は千石の力
レストランという場においては﹁客﹂という役割を割り
する。確かに、訓練を伴わなければしずかの指摘すると
を借りてこのレストランを一流にしようと目論む。アマ
振られる人物色、異なる属性を秘めていることがあり得
われている。料理の知識に乏しいメートルに、ワインの
とになってしまっている。﹁権威﹂が﹁娯楽性﹂の優位
毛
毛
チュア集団でしかない従業員たちの様子を見て、千石は
-11-
稲
稲
るのではないか。ちょうど、千石がギャルソン時代の役
割を演じ、横柄な客を追い出したときのように。権威主
義に囚われ、﹁レストラン﹂と﹁客﹂の関係性が固定し
たものだと思いこんでしまうと、そうした関係性が特殊
な場によって前景化しているだけにすぎないと言うこと
を見失ってしまいがちである。そうした硬直した思考を
解きほぐすものとして、このレストランには﹁調停者﹂
この後、禄郎と千石の協力によって、屈は次第に持ち
としてのギャルソンが必要となるのだ。
直していくのだが、今度は﹁調停者﹂たるべき千石が権
威主義の陥穿に落ち込んでしまうことになる。シェフと
比べて腕の劣るパティシエ稲毛を切り捨てようとして、
無理です。
他の人を雇って屈が評判になっても何の意昧があ
るんですか?
これはサークル活動ではない。
そんなのわかってる。
我々はプロです。妙な仲間意識は捨てるべきです。
僕はこのメンバーでやっていく。
やってみなきやわからない!
今のパティシエでは無理です。
私にはわかります。
だったら、一流になんかならなくたっていい!
禄郎さん・ ..
この場面でオーナー禄郎が発するセリフの中には第一話
お)
ためにやって来たんです。あと一歩で、その夢が
(第十話口一
g
そこまでして一流になりたいとは思いません。
叶うところまで来てるんです。それが今、たった
ストランの権威に優るという構図が生きている。個性豊
かな従業員を抱える現状を保ち、﹁食事を楽しむ﹂場を
で千石が示して見せた、食の娯楽性を保証することがレ
稲毛さんには残ってもらいます!
﹁一流﹂の称号は必要ないという考え方が示されている
提供し続けられる限り、権威主義的なランク付けによる
のだ。一方、千石はレストランの行く末を思うあまりに、
オーナー!
今のメンバーでやっていきたいんです。このメン
いつの間にか禄郎の父である先代オーナーと同じ振る舞
別のパティシエを呼ぶ必要はありません!僕は
バーで屈を一流にしてみせる。
-12-
禄千
郎石
禄千禄千禄千禄千禄千
郎石郎石郎石郎石郎石
一人の人間のために足を引っ張られている。
私は、この屈を一流のフレンチレストランにする
オーナー禄郎と対立するのである。
千石
禄千禄
郎石郎
「伝説のギャルソン」の葛藤と遍歴:マニフェストとしての『王様のレストラン』読解
いをするようになってしまっている。千石自身が思い描
ときの彼だ。
いたことを、今思い出しました。今の私は、あの
そして、しずかが示した価値基準の多様性に触発され、
ω
o
h
H
)
千石はかつて自らが激しく非難した硬直した権威主義的
一
ロ
オーナーとやり合った千石は、いまや﹁一流の﹂シェ
(第十話
いた﹁理想﹂のレストランを実現するためには邪魔にな
りそうな要素は排除するという態度を取り始めているの
フとなったしずかとの会話の中で、自分自身が拘ってい
傾向が自身のうちに芽生えていたことを認識し、屈を去
である。
た﹁一流﹂という基準の暖昧さをあらためて知ることに
っていく。それは、先代オーナーとの確執の再現に似た
っていろいろあると思うのね。料理が一流とか、
一流のシェフから言わせてもらうと、一流った
とともに屈を去ることで、今度こそレストランという場
る場としてのレストランは続く。千石は内なる権威主義
であったといえる。禄郎は残り、﹁食の娯楽性﹂を求め
所﹂を残し得たということでは全く逆の意味を含む行為
構図を持ちながら、レストランという﹁食事を楽しむ場
ああ、はい。
を守ったことになるのである。
屈の作りが一流とか。
働いてる人間が一流って言うのも、あるんじゃ
ギャルソンの服を脱いだ千石は、以前にギャルソンの
なる。そこを再び禄郎が訪れ、もう一度レストランのた
職を離れていたときと同じく給食センターで働くことに
めに協力して欲しいと頼む。活気あるかつての職場での
ω
o
h
p
)
千石 彼は、自分の思い通りにならない人間をどんどん
食事に招待された千石は、禄郎の申し出を受け、ギャル
一
ロ
首にしていった。それを戒めるのは私一人でした。
ソンとして復帰することを承諾する。以前に復帰したと
一流のギャルソンは
きと同じセリフで。
禄郎さん、ご存じですか?
そして、結局私もやめる羽目に。屈を去る時、私
千
屈でも、あなたに人を思う心の優しさがない限り、
このレストランは三流以下だって。ずっと忘れて
石
は彼に言いました。たとえ、一流と呼ばれている
(第十話
ないの?腕がじゃなくって、人間が。
か
-13-
なる。
しずか
し千
ず石
ギャラも一流だってことを。
(第一話
OZ04)
千石 ご 存 じ で す か ? 一 流 の ギ ャ ル ソ ン は 、 ギ ャ ラ も
一流だってことを。
知っています。
(後略)
(最終話
一
ロ
ω
o
h
F
)
一流のギャルソンは決して、妥協しないってこと
を
。
ていきたいと考えている。
人の﹁調停者﹂としての位置を自覚し、その技術を磨い
学研究﹂という領域において、﹁研究者﹂である私も一
人文学のうちでも娯楽性と権威主義がせめぎ合う﹁文
停者﹂としての技術を洗練させているかのようである。
としての食の場でリセットすることにより、千石は﹁調
え込んだ葛藤を、給食センターという生命維持システム
娯楽性と権威主義がせめぎ合う場であるレストランで抱
センター←レストラン←給食センター←レストランと、
だろう。先代オーナーのレストランを振り出しに、給食
かくして﹁伝説のギャルソン﹂の遍歴は終わった、の
千禄
石郎
引用資料
O C一一一年)
B
﹁王様のレストランロ︿ロ ∞。凶円ゐ出色。開門戸巳℃ゆ﹂(ポニ lキャニオン一
﹁壬様のレストラン﹂の放送時期等の詳細については日本語版
一
一
参照した。
豆E胃
三E習岳山・2
仏E
C
m
m
)の当該項目ほか、ウェブ上の情報も適宜
i
噌
Aτ
且
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