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日本の絵本を非日本語で読む2014

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日本の絵本を非日本語で読む2014
日本の絵本を非日本語で読む 2014
──法政大学大学院国際日本学インスティテュートでの試み──
横 山 泰 子
Ⅰ
法政大学大学院国際日本学インスティテュートで「伝統文化と民衆世界 I」と
いう科目を担当している私は、毎年絵本を題材とした授業を行っている。近年日
本の子どもむけの絵本は諸外国語に翻訳され、海外で広く読まれている。しかし、
その事実は当の日本人にはあまり知られていない。また、外国人留学生は日本の
マンガについてはよく知っているが、絵本に関する知識はない。つまり、受講生
の出身国を問わず、外国語に翻訳された日本の絵本は、彼らにとって未知の新し
い研究対象なのである。
以前から日本の絵本を外国語訳を受講生と読み、考察する授業を行い、過去の
授業実践の様子をそのつどまとめてきた(1)。本稿では、2014 年度の授業を行い
ながら考えた点を記録しておきたい。
今年度の受講生は日本、イタリア、中国から集まった総勢 14 名で、全員の共
通言語は日本語であったため授業は日本語で行った。留学生には外国語に翻訳さ
れた絵本を渡し、テキストを日本語に訳し直すという課題を出した。中国人留学
生の場合、日本の絵本の中国語訳を読み、自分なりに訳した和文を授業中に音読
し、翻訳の際に難しかった点や気づいた点を報告する。日本人学生には日本の絵
本の英語版を渡し、英文和訳を課した。
実際に授業で扱ったのは以下の絵本である。
1 長新太『しんくんとへんてこライオン』小学館 1995
英語版 Shin and the Magic Lion, Shogakukan, 2012
2 松野正子作 瀬川康男絵『ふしぎなたけのこ』福音館書店 1963
—
53 —
英語版 Taro and the Amazing Bamboo shoot, Fukuinkan, 1991
3 長新太作絵 野村雅一監修『世界のあいさつ』福音館書店 1989
中国語版『向世界打招呼』小魯文化 2012
4 真珠まりこ作絵『Mottainai Grandma, もったいないばあさん対訳版』
講談社 2005
中国語版『怕浪費婆婆』二十一世紀出版社 2009
5 きもとももこ作絵『うずらちゃんのかくれんぼ』福音館書店 1994
中国語版『捉迷藏』教育科学出版社 2010
6 松居直再話 赤羽末吉絵『だいくとおにろく』福音館書店 1962
中国語版『木匠和鬼六』南海出版公司 2008
7 tupera tupera 『パンダ銭湯』絵本館 2013
中国語版『猫熊澡堂』小魯文化 2014
8 五味太郎『そらはだかんぼ!』偕成社 1987
中国語版『看、脱光光了』新星出版社 2012
伊語版 Vai a fare il bagno!, Kalandraka, 2007
9 安野光雅『おおきなもののすきなおうさま』講談社 1976
中国語版『喜欢大的国王』二十一世紀出版社 2007
10 かこさとし『からすのぱんやさん』偕成社 1973
中国語版『烏鴉面包店』南海出版公司 2011
『烏鴉面包店』新星出版社 2013
11 いとうひろし『へびくんのおさんぽ』すずき出版 1992
中国語版『小蛇散歩』南海出版公司 2008
教材を選ぶ際に注意しているのは、長く読み継がれてきた古典的作品
と、最近刊行されて人気のあるものとのバランスである。今回選定した
1960 年代から 70 年代に日本で刊行された作品は現在も入手可能なロング
セラーであり、質が安定しているので教材向けといえる。新しい作品は
子どものみならず若者の感覚にあうので、毎年何冊か選んでいる。
日本人学生に翻訳を課している英語版には、日本人児童を対象とした
英語教材絵本(1、4)を準備した。日本の新しい絵本はここ数年で大量
に中国語訳が出るようになり、中国語圏では容易に購入できる。留学生
—
54 —
が帰国時に書店で買い求めてくれた作品(7、11)と、筆者が旅行先で見
つけた絵本(3)を教材として加えた。イタリア語の絵本を入手するのは
昨年度からの課題であったが、今回はようやく一冊を得ることができた。
この授業も五年目を迎え、外国から絵本を入手するやり方に慣れを感
じてきたが、受講生の数が増えてきたのに伴い、購入しなければならな
い絵本が増加し、学期中に全員に報告させるための時間のやりくりが難
しくなった。ひとことで絵本といっても、0 歳児を対象としたものから大
人向けの芸術的な作品まであり、文中のテキストの分量や難易度にはか
なりばらつきがある。学生が少なければ、一人が簡単な本と難しい本を
一冊ずつ担当してもらうこともできるが、それができなくなった。学生
には多様な作品にふれてもらいたいと思うのだが、教材としての公平性
を考えると、選書は常に難しい。
Ⅱ
今年度、印象に残った作品は 11 の『へびくんのおさんぽ』であった。
一匹の蛇が散歩に出かけると、水たまりがある。自分の体を伸ばして水
たまりの向こう側に頭部をのせると、小さな蟻が背中を渡らせてほしい
と言う。蛇が承知すると、蟻、かたつむりなどの小動物が次々にやって
来て蛇の体を橋にして渡る。次々に動物が来て蛇の体を踏みつけていく
が、ライオンや象など巨大な動物までが来る。蛇は重さに耐えた自分を
褒め、水たまりの水を飲み干して去るという内容だ。
本作には頁ナンバーがないので便宜的に見開きごとに番号をふり、以
下全文を記す。
1 ながいあめもやっとあがり へびくんはおさんぽにでかけました。
2 ところがしばらくいくと みちのまんなかにおおきなみずたまりが
できていました。
3 なーに こんなのへっちゃらさ こうやって
おっと さてあとはしっぽを ちょっとまってください
せなかをわたらせてもらえませんか どうぞどうぞ
—
55 —
4 ぞろぞろ ぞろぞろ ぞろぞろ
5 どうもありがとう おやすいごよう いつでもどうぞ さてと もう
わたってみるひといませんか
それじゃ ぼくらも わたらせて
もらおう どうぞどうぞ
6
7
8
9
10
どかどか どかどか
どすどす どすどす
どしん どしん どしん
ふーっ よくがんばった えらいえらい もうわたるひといないよね
それでは ・・・のどがからからだ ごくごくごく
へびくんはみずたまりのみずをすっかりのみほすと
11 たっぷんたっぷん
12 おさんぽをつづけました。
この本の中国語版『小蛇散歩』(図 1)を担当した馮其源さんは、日本
語の原文を見て驚いたという。なぜなら、彼女は主人公の蛇を「蛇ちゃ
ん」すなわち女の子だと思っていたのである。日本語版では題名に「へび
くん」とあり、「くん」が大抵の場合男性の氏名に添える語に付けられる
と知る読者は蛇を男だと思って読む。中国語版では「へびくん」は「小
蛇」と訳されており、「蛇」には「小」
が添えられている。『中日辞典』を
見ると (2)、「小」は「年下の人の一
字の姓の前や子供の名前の前につ
けて親しみを表す。・・・
君。・・・さん(ちゃん)」とあり、
日本語の「くん」と「さん」「ちゃ
ん」に重なる、広いニュアンスを
持っているようだ。「小」が性別を
問わずに使われる語であることか
ら、馮さんは「小蛇」をかわいらし
い感じを出そうとして「蛇ちゃん」
図1
と訳し、何となく女の子だと思っ
—
56 —
たのだろう。
ここで、あらためて『へびくんのおさんぽ』日本語版のテキストを読
んでみよう。先ほどの引用部分のうち、蛇の台詞に下線部を付しておい
た。少なくとも蛇の台詞からは、男子が自分自身を指す語(例えば、「ぼ
く」や「おれ」など)や、女子が自分自身を指す語(例えば「あたし」
や「わたし」)など)は使われていない。よって、人称から蛇の性別は判
別できない。台詞の中に「へっちゃらさ」と男性らしさを感じさせる表
現はあるものの、ことさら性別は強調されていない。それゆえ、台詞だ
けを見れば蛇が男の「へびくん」であっても、女の「へびちゃん」で
あってもよいように思われる。
しかし、題名に『へびくんのおさんぽ』とあることから、日本語話者
は蛇を男性として認識する。主人公の蛇が男だというのは日本語版読者
の暗黙の了解事項となっており、へびくんが女かもしれないなどとは夢
にも思わない。
『へびくんのおさんぽ』がかりに『へびちゃんのおさんぽ』
であったなら、日本語版読者は主人公を女と思って疑わずに本文に接す
ることとなる。それでは、主人公が女の「へびちゃん」であったら、読
者はこの物語をどう受け取るだろうか。事実、馮さんが日本語版では蛇
が男性であるので驚いたとコメントしたところ、逆に日本人受講生から
は「この物語の主人公が女の『へびちゃん』だとしたらかわいそうでは
ないか」との感想が寄せられた。これは蛇が自分の体を橋にして動物た
ちを渡してやる物語である。男の「へびくん」が重量に耐えて自らライ
オンや象たちの橋になるのはわかるが、それと同じことを女の「へび
ちゃん」がするのはかわいそうだというのだ。自分の身を犠牲にして他
の生き物に尽くす蛇は、単純に同情すべき存在である。しかし、なぜか
「へびちゃん」であったら「へびくん」よりも同情される。
絵本が外国語に翻訳される時、登場者の性が問題になることがある。
日本語から中国語への翻訳の場合は、「へびくん」が「小蛇」にされるこ
とにより、男の属性が中性化され、男でも女でもあり得る存在者となっ
た。その逆の例として、レオ・レオーニの作品『あおくんときいろちゃ
ん』(レオ・レオーニ、藤田圭雄訳、至光社、1967 年、英語版の題名は
Little Blue and Little Yellow)をとりあげよう。板橋区立美術館でレオ・
—
57 —
レオーニ展を手がけた松岡希代子は、『レオ・レオーニ 希望の絵本をつ
くる人』で、レオーニ本人に『あおくんときいろちゃん』の日本語訳に
ついて尋ねた経験を記している。
『あおくんときいろちゃん』の日本語版では「あおくん」という男の子と
「きいろちゃん」という女の子の設定で翻訳されている。しかし、フラン
ス語版やイタリア語版の『あおくんときいろちゃん』のタイトルは、い
ずれも男性形でかかれているのだ。語学に堪能なレオがタイトルの翻訳
に注意していないわけはない。これは、どういうことなんだろうと、つ
ねづね疑問を感じていた。
この質問に、レオは非常にクリアにこたえてくれた。
「わたしは、この物語を男の子と女の子のお話として考えたことはあ
りません。小さな青と小さな黄色は一般的な、男性形で表現しています」
この絵本は、『あおくんときいろくん』の物語だったのだ。この青い丸
と黄色い丸に男の子と女の子の小さな感情をつけ加えることは、この物
語の持っている「普遍性」を減らしてしまう恐れがあるような気がした。
しかし、一方で、日本の子どもたちに長年にわたって親しまれている、
『あおくんときいろちゃん』という物語もいとおしいと感じた(3)。
私自身、小さい時から日本語版の『あおくんときいろちゃん』に親し
んできたのだが、本来「あおくん」と「きいろくん」の物語であったと
知って本当に驚いた。青い丸の「あおくん」と黄色い丸の「きいろちゃ
ん」が大の仲良しで、二人で重なりあって緑の丸になる。日本語版を読
む限り「あおくん」が男の子、「きいろちゃん」が女の子であることが物
語の前提なので、二人の関係は幼い恋人同士のようである。しかし、本
来この物語はそのような感情とは無縁の、より一般的とも普遍的ともい
える物語だったのである。
さらに思い起こせば、過去の授業で扱った作品でも、同様の事例が
あった。日本のベストセラー絵本『ぐりとぐら』の一冊『ぐりとぐらの
おきゃくさま』
(なかがわりえこ作、やまわきゆりこ絵、福音館書店、1966)
を扱った時のことである。中国語版『古利和古拉的神秘客人』(南海出版
—
58 —
公司、2008、図 2)を担当した学
生は、主人公のねずみのぐりを
男の子、ぐらを女の子と思って
読んでいた。中国語訳、すなわ
ち台詞や地の文からぐりとぐら
の性別は判別できず、絵を見て
青い服を着ているぐりが男、赤
い服を着ているぐらが女ではな
いかと考えたという。実際、日
本では青は男を示す色、赤は女
を示す色とされていることが多
い(4)ので、留学生が青=ぐり=男、
赤=ぐら=女と考えたのは理に
かなってもいる。著者はインタ
ビューでぐりとぐらの二人を
図2
「双子の兄弟である」と述べてお
り(5)、日本語版を読むと兄弟であ
るかどうかはわからなくとも、台詞から男の子たちであることは推測で
きる。しかし、登場者の関係を双子の兄弟とするのと男女とするのとで
は、読後感がかなり変わるのではないかと思われた。
与えられたテキストから登場者の属性を見極め、適切な訳文を考える
ことが翻訳の際に求められる重要用件であるが、絵本の場合は絵をよく
見る必要もある。日本語にはいわゆる「役割語」(話し方と人物像を結び
つけたステレオタイプ的表現)がある。役割語については最近類例のな
い有益な書『<役割語>小辞典』が刊行された (6)。この辞典はマンガ、
アニメ、ドラマ、映画、落語、漫才といった大衆的なフィクションすな
わちポピュラーカルチャー的作品から数多くの用例を集めているが、大
人向けの作品だけではなく、子どもむけの絵本にも非常に多くの役割語
が使われていることに私は目をむけたいと思う。特に役割語の中でも男
ことばと女ことばは、性差に無自覚な段階の子どもにジェンダー意識を
与えるものとして、注目すべきである。
—
59 —
日本の国内外で人気がある作品に、いわいとしおの『100 かいだての
いえ』シリーズには、たくさんの生き物が登場する。作者は虫や魚など
の様々な生き物を細かく描き分けており、通覧すると目にまつげがない
ものは男性、あるものを女性としている。台詞も工夫されており、多様
な男ことばと女ことばが使い分けられ、生き物たちの作中での役割が反
映されている。例えばいわいの最新刊『うみの 100 かいだてのいえ』(偕
成社、2014)を見ると、
ダンスをするひとで(男) 「ぼくたち、ダンスのとっくんちゅうさ。
」
海賊のカニ(男) 「ここをとおりたきゃ、オレとしょうぶしろ!」
宝飾品をつけたアンコウ(女) 「このブレスレットさいこうざます。
」
着替え中のヤドカリ(女) 「キャー、いま、おきがえしてるの、みないで!」
など、様々な日本語表現が使われている。これらを読んだだけで発話者
がどのような人(動)物像か日本人はおおむね想像することができるが、
日常生活の場においてこのような表現はあまり使われない。
『 100 かいだてのいえ』シリーズは中国や韓国で翻訳版が出ており、
授業でも扱ったが、役割語(特に男ことば、女ことば)は留学生にはし
ばしば難しく、また日本人話者が外国人に対して説明するのも難しいと
感じた。『事典世界のことば 141』で「日本語」という項目を見ると、砂川
有里子がこのように書いている。
外国語として日本語を学び始めた人の中には、教科書の日本語ではなく、
みんなが使っている日本語を教えてほしいと言ってくる人がいます。そ
の原因は、初級教科書のほとんどが「ですます」の丁寧体で書かれてい
るからです。日本の友人たちは丁寧体など使わない、だから普通体のほ
うを教えてほしいと彼らは言うのです。しかし、普通体を教えるのは、
実はそう簡単なことではありません。なぜなら普通体で話すには、女こ
とばと男ことばの違いに触れないわけにはいかないからです。(中略)
女ことばと男ことばは依然として存在しますが、気さくさや気っぷのよ
さを表すために女性が男ことばを使ったり、甘えや連帯感を表すために
—
60 —
男性が女ことばを使ったりと、ことばが性差を超えて利用されるように
なってきています。一方、小説や漫画などで、通常は使わない極端な女
ことばや男ことばが使われたりしていますが、そのことを私たちは特に
変だとも感じずに、自然に受け入れています。失われつつあるといって
も、日本人の言語生活の中には意外に根強く男女の違いが根付いている
のです(7)。
日常生活においてはあまり使われないのに、フィクションの世界では
女ことばや男ことばが多用されている現実を、私を含め多くの日本人は
男女問わず受容している。役割語特有の微妙なニュアンスは、翻訳版で
はどのように伝えられているのか、あるいは伝えられていないのかを考
えることは来年度以降の課題である。日本人は子ども時代に、マンガや
アニメだけではなく絵本を通じても役割語に接する。日本の役割語の特
徴を日本文化の問題として批判的に考察することもまた来年度以降の課
題としたい(8)。
Ⅲ
学期中はつとめて様々な絵本を見せているが、学生にとってどんな本
が印象に残ったかを知りたいと思った。そこで、「印象に残った絵本」と
いう題名で作文を課したところ、複数の学生が真珠まりこの『もったい
ないばあさん』を挙げた。食べ物を粗末にしたり、電気や水をむだに使
っている子どもの前にもったいないばあさんが出現し、「もったいない」
という言葉の意味を伝える教訓的な絵本である。2004 年の刊行以来ベス
トセラーとなり、『もったいないばあさんのいただきます』『もったいな
いばあさんがくるよ!』『もったいないばあさんのてんごくとじごくのは
なし』などの続刊が出され、シリーズ累計発行部数は 85 万部に達した。
日本以外でも、韓国、タイ、中国(図 3)、台湾、フランスなどで翻訳が
出されている。
以下、『もったいないばあさん』についての学生の感想文を紹介する。
拜尓娜塔依尓さんは
—
61 —
私が今までの授業の中で一番
印象に残った絵本は『もったい
ないばあさん』です。子供はま
だ様々なことに出会っていない
ため、食べ物などを大切にする
といった概念がなく、むだ使い
などをすると思います。なので
子供が成長していく幼稚園から
小学校の時期に『もったいない
ばあさん』を読んであげたらと
てもいいと思います。『もったい
ないばあさん』の中ではご飯の
食べ残しや色えんぴつの残った
部分で絵をかけることや、電気
の節約、食べたみかんの皮を再
図3
利用し、他の所でも使えるとい
うことが書かれています。(中略)資源を守るために、幼い頃からむだ使
いをしないという教育を絵本で学べることは子どもたちにとって良い教
育になります。
と書いた。このように、環境教育に役立つ『もったいないばあさん』は、
シンプルでわかりやすいこともあって、学生からの評価が高かった。昨
年度の日本人受講生の一人が『もったいないばあさん』が外国で広く読
まれるとよいと述べていたが、その感想が今年度の外国人留学生にも共
有されたのは興味深かった。例年感じることだが、中国からやって来る
学生は教訓的な絵本を好む傾向がある。絵や物語の面白さよりも、作中
で書かれていることは何か、知識や教訓を得られるかどうかに興味を
示す。その点で『もったいないばあさん』は地球環境問題という大き
なテーマを身近なレベルでわかりやすく伝えており、彼らの評価基準に
合致するものと思われた。
—
62 —
また、次の作文はともに家族を思い出したという点で興味深かった。
中国出身の鄒慧さんは
私にとって、強い印象を残した作品は『もったいないおばあちゃん』で
す。絵はとてもかわいいし、ストーリーは教育意義が深い。でも、私が
好きな理由はこれだけではなく、やはりあのおばあちゃんがわたしのお
母さんと似ているからです。私の両親の収入はあまり高くなく、最も貧
乏な時期もありました。このため、母はいつもつましい暮らしをしてい
ます。(中略)彼女は普段はほとんど車に乗らないで、遠くても歩きます。
洋服はとても古くても、ただ安い服を買います。暑い夏にもできるだけ
エアコンを使わず、いつも「もったいないでしょう」
「いらないでしょう」
と言います。
と書き、彼女が質素な暮らしをするのは娘(すなわち自分)に教育を受
けさせるためだという。また、日本人学生の長井理沙さんは
個人的に、『もったいないばあさん』がとても印象に残りました。何故な
ら、私が現在、御年八十歳になる「リアルばあさん」と二人暮らしをして
いるからです。絵本の内容を聞きながら、心の中で「いやいや、さすが
にリアルばあさんでもこんな風には言わないよ」とか「あー、ウチのば
あさんもこういうこと言ってたっけ」とか、絵本のばあさんと自分の祖
母を比較して楽しませてもらいました。
と書いている。『もったいないばあさん』は現在幼稚園や保育園などの読
み聞かせで使われており、読み聞かせる成人世代にとっては、自分の家
族を思い出させるノスタルジックな絵本といえよう。私自身も、祖父母
や両親がもったいないばあさんのようであったことを思い出した。もっ
たいないばあさんのように物を大事にする人は、豊かでなかった時代の
日本にもたくさんいた。物のない時代を知っている世代は、壊れた物は
できる限り直して使い、節電をこころがけて「もったいない精神」を子
どもたちに伝えようとしていたと思う。このように、子どもにとっても
—
63 —
大人にとってもアピールする点が『もったいないばあさん』の強みなの
ではないだろうか。
また、通常の絵本のみならず、『もったいないばあさんかるた』や『C
Dブックもったいないばあさん音頭』が販売されていることも、もった
いないばあさんの人気を反映している。授業では、絵本とともに『もっ
たいないばあさんかるた』を持参して皆で遊んでみたところ、なかなか
の盛り上がりを見せた。留学生の多くはかるたで遊んだ経験がなく、
「ゲームが楽しかった」「授業がにぎやかになった」等好評であった。日
本の絵本で人気のある作品は、かるたや双六などの紙おもちゃにうつさ
れている。これまでも『ぐりとぐらかるた』『ばばばあちゃんすごろく』
『からすのぱんやさんパズル』で学生と遊んでみたが、絵本とタイアップ
した紙おもちゃ類が日本では非常に多いのではなかろうか。外国では絵
本をもとにしたゲーム類があるのか、あるとしたらどのようなものかを
比較文化研究として考察するのも面白いだろう。
今年度はイタリアと中国からの留学生が参加していたため、日本の絵
本だけではなく現代のイタリアの
絵本(
『とおもったら…』イエラ・
マリ作、栗栖カイ訳、ブロンズ新
社、 2005)と中国の絵本(『ヤン
ヤン市場ヘ行く』周翔作、文妹訳、
ポプラ社、2006)を紹介した。絵
本文化の広がりを感じてもらいた
かったからだが、その時の感想を
書いた学生もいた。
『ヤンヤン市場へいく』日本語
版を私が読み聞かせていた時、あ
るページの絵(図 4)を見た中国
人が皆笑い出した。物語の展開上
笑いが出る場面ではなかったので、
どこがおかしいのかを説明しても
らった。すると、絵の中の建物に
図4
—
64 —
落書きがあり、その内容が笑えるのだという。建物の落書きはいわゆる
「絵内文字」であり、日本語版では絵の中の中国語として残されているた
め、日本人には意味がわからないのだが、当然中国人には理解できる。
この時のことを王尚力さんは
ヤンヤンの中で翻訳されていない「少生孩子多养猪」という言葉がある
シーンだ。私なりに翻訳してみると、「子供を生むのを控えて、豚をたく
さん飼おう」になる。その言葉を見れば中国人なら誰でも笑うが、日本
人は何が面白いのかさっぱりわからないだろう。たとえどんなに正確に
翻訳しても、中国の一人っ子政策を連想しない限り、笑うところも知ら
ないだろう。これを見ると、あらためて翻訳の難しさを感じた。
と書いた。絵本の絵内文字は翻訳される場合とされない場合があり、翻
訳されなくても物語の理解にさしつかえない時はしばしばそのままの形
で残される。今回の落書きもそうで、ここで笑わなくても作品を理解す
ることは十分可能である。事実、私は『ヤンヤン市場へ行く』を何度も
読んでいたにもかかわらず、建物の落書きには全く注目していなかった。
しかし、留学生から説明を受けた後で再読すると、ヤンヤンの父親には
きょうだいがいるのにヤンヤン本人は一人っ子らしく、物語の設定も現
実の中国社会を反映しているのだろうと思われた。こうしたことを知ら
なくても物語は楽しめるが、知識があれば物語の深さを感じることがで
きる。
これは逆にいえば、作品を翻訳するといっても、伝えられないことがあ
まりに多いということである。学生がこの点に気づいたことは本人にとっ
ても大きな収穫であったはずだが、私自身常に意識していたいと思う。
Ⅳ
学期末、私は学生に「翻訳したい日本の絵本」という題名のレポート
提出を課す。留学生は日本の絵本を母語に訳すとしたら何を選ぶか、日
本人は外国に輸出したい日本の絵本は何か、書店や図書館などに足を運
—
65 —
んで考える。私の側では、若い世代の人々が日本の絵本のどういうとこ
ろを評価するかを知ることができるので、レポートを読むのは毎回楽し
みである。
趙磊さんが選んだのは『なんでもあらう』
(鎌田歩、福音館書店、2014)
である。自転車、自動車、道路、飛行機など、何かを洗浄する方法と効
果が絵で示される教育的な絵本である。趙磊さんは
この本を読んだ時私はすごく国の子どもに紹介したいという気持ちがど
んどん浮かんできた。洗うことで得られる安全という考え方はとてもい
いと思う。鎌田さんの写実的でありながら、かわいらしい絵に魅惑さ
れる。
と書き、さらに、車や運輸機械についての詳細な説明がされていて子ど
もに知識が与えられる点、物語の最後で主人公が自分の体を洗ったかど
うかが問題とされ、読者が生活の細部を反省できる点を評価した。この
ような知識絵本は中国人学生に好まれる傾向があり、鎌田の絵本は既に
台湾で翻訳が出ている。本書もぜひ中国語に翻訳してもらいたいものだ。
絵本を選ぶにあたって、周囲の友人にアドバイスを求めた学生もいた。
マスキオ・パオラさんは子供の頃愛読した絵本について友人に質問した
ところ、『ぐるんぱのようちえん』(西内ミナミ作、堀内誠一絵、福音館
書店、1966)との答えを得て読んでみたところ、非常によい作品と思い、
イタリアでも読まれるべき一冊だと考えたという。この作品は大きな象
ぐるんぱが働きに出て失敗を繰り返し、最後に幼稚園を開いて幸せにな
るという物語である。パオラさんは大人の目線と子供の目線という複眼
的な視座から『ぐるんぱのようちえん』を評価し、
『ぐるんぱのようちえん』の魅力は、子供たちに失敗しても自分の目的に
辿り着くまで努力するように励まし、人生では失敗も役に立つというメ
ッセージ性とともに、同時に存在する「大人になりたい・なりたくない」
という子供の気持ちに引っ掛かることにあると思う。また、このような
メッセージや子供の気持ちは、どの国でも共通しているので、イタリア
—
66 —
の子供たちも『ぐるんぱのようちえん』が読めれば、そのメッセージを
よく理解でき、ぐるんぱと共感して前向きにがんばる続ける姿勢をまね
することができる。そのため、『ぐるんぱのようちえん』をイタリアで出
版できれば、イタリアの子供たちにもためになって、愛読される一冊に
なるだろうと思う。
と述べている。私は子
どもの頃『ぐるんぱの
ようちえん』をたしか
に愛読していたが、パ
オラさんの文を読み、
あらためてこの作品の
先見性と普遍性に気づ
いた。十分大きいのに
一人ぼっちで働くこと
もないさびしがりやの
ぐるんぱは、今でいう
図5
ひきこもりの青年のよ
うである。そのぐるんぱが一念発起して社会に出て行き、様々な職を
転々とする様子は現代社会をうつしているようで痛々しさすら感じる。
しかし、最後に自分の天職が遊びであると発見する。これが子どもの読
者にも大人の読者にも、十全な満足感を与える結論になっているという
パオラさんの視点は鋭く、読み応えのあるレポートであった。ちなみに、
国会図書館のデータベースで検索すると(9)、『ぐるんぱのようちえん』は
英国、デンマーク、タイ、韓国(図 5)で翻訳が出ており、イタリアでは
未訳のようだ。将来に期待したい。
また、藤田智子さんの選んだ『あかちゃんのくるひ』(岩崎ちひろ文・
絵、至光社、1970)も古典的な絵本であった。弟を出産するために母が
家を留守にしている間の、小さな女の子の揺れ動く気持ちを描いた繊細
な作品である。藤田さんは岩崎ちひろの絵本の世界観を「くっきりと描
かないこと」として、女の子の切なさや喜びの感情の機微が描かれてい
—
67 —
ると評価する。そして「このような機微をシンプルな絵と文章で表現し
たこの絵本は、他の絵本とは一線を画する。大人にも理解できる子ども
共通の普遍的な世界観を描いたものとして翻訳が可能だろう」と述べて
いる。近年日本の絵本は数多く作られているが、人気を集めている作品
の絵はマンガ的、アニメ的なものに偏っているように感じるのは私だけ
であろうか。受講生が翻訳したい絵本に選ぶものも、マンガ的、アニメ
的であることが多い。その中において、岩崎ちひろの描く、柔和で暖か
く、淡く、優しい印象の絵に注目した藤田さんのセンスは異彩を放って
いた。もともと岩崎ちひろの至光社の絵本は 1960 年代に海外で紹介され
たフロンティア的存在であり、ちひろの絵を用いた 1981 年の黒柳徹子の
エッセイ『窓ぎわのトットちゃん』もアメリカ、韓国、エジプトなど多
くの国で翻訳されている。ロシア版では独自の絵が表紙に使われている
ものの、多くの国ではちひろの絵が表紙に生かされている(10)。その意味
では、ちひろの絵は外国で既に評価されていえるのであり、未訳の作品
も十分受容される可能性がある。
『ぐるんぱのようちえん』も『あかちゃんのくるひ』も古典的作品だ
が、再読してみると、現代の絵本にはない絵の魅力と普遍的な主題が認
められた。刊行されたばかりの『なんでもあらう』は現代の子どもに対
する教育絵本としてもちろんよいものだが、古典的作品の底力を感じた
2014 年であった。
最後に今年度の受講生の氏名を記す。曹思文、范暁哲、裴麗穎、長井
理沙、拜尓娜塔依尓、許自力、マスキオ・パオラ、陳潔瑩、馮其源、王尚
力、丁萌、趙磊、藤田智子、鄒慧。
(1)横山泰子「日本の絵本を非日本語で読む 法政大学大学院国際日本学インスティ
テュートでの試み」
『小金井論集』8 号〜 2011 年から、9、10 号に連載。
(2)『中日辞典』小学館、1992 年、「小」の項目。
(3)松岡希代子『レオ・レオーニ 希望の絵本をつくる人』美術出版社、2013 年、35 〜
36 頁。
(4)美馬のゆり『理系女子的生き方のススメ』岩波書店、2012 年、28 〜 31 頁。
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(5)福音館書店母の友編集部編『ぼくらのなまえはぐりとぐら』福音館書店、2001 年、
16 頁。
(6)金水敏編『<役割語>小辞典』研究社、2014 年。
(7)梶茂樹、中島由美、林徹編『事典世界のことば 141』大修館書店、 2009 年、 42 〜
43 頁 砂川有里子筆。
(8)前掲『<役割語>小事典』では、金水が冒頭において、役割語は現実の人物の日常
的なリアルな話し方について規定するものではなく、たとえば「すてきだわ」のよ
うな表現はいかにも女性的に感じられるので、<女ことば>の一要素と捉えるが
「女性の日本語話者は必ずそのような表現を用いる」とか「女性の日本語話者は用
いるべきだ(用いた方がいい)
」ということを主張するわけではなく、
「すてきだわ」
のような言い方を多くの日本語話者が「女性的である」という知識を共有している点
に注目すると延べ、言葉のステレオタイプ的知識が偏見や差別と結びつきやすいこ
とも指摘している。中村桃子『女ことばと日本語』(岩波新書、2012)によると、
女ことばは歴史的産物であり、特定の人称詞や文末詞が女ことばとみなされるよう
になったのは近代以降で、女ことばが日本語の伝統になったのは第二次世界大戦中
であったという。中村の『翻訳がつくる日本語』(白澤社、2013)は、外国語から
日本語に翻訳される際に特殊な役割語が強調されている点を指摘する。絵本を含め
児童書に見られる様々な役割語は、国語の知識の乏しい子どもに言葉のステレオタ
イプ的知識を植え付ける。その意味で、児童書全般における役割語は、批判的な視
点から研究する必要もあると思う。
(9)https://rnavi.ndl.go.jp/childbook/honyaku.php(外国語に翻訳された日本の児童
書情報)
(10)国立国会図書館国際子ども図書館編『日本発☆子どもの本、海を渡る』 2010 年、
53 頁。
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