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New Edition CURRENCY MUSEUM
日本貨幣史 History of Japanese Currencies わが国の貨幣はどのようにして発生し、どのように発 The major section of the Museum traces the 達してきたかを明らかにするため、日本貨幣史上の重要 origin and evolution of currencies in Japan, なできごとを時代区分にしたがって取り上げ、世界貨幣 comparing them with the developments in the 史上の動きとも比較しながら展示してあります。 history of world currencies. 9 ● 古代 Ancient Times 物々交換から物品貨幣へ[8世紀以前] 大昔の人々は自給自足の生活をしていたので、貨幣 (交換のなかだち) を必要としなかった。 やがて人々は自分の物と他人の物とを交換して、欲 しい物を手に入れる (物々交換) ようになったが、物々交 換にはお互いの希望が容易に一致しないなどの難点が あった。そこで 誰もが欲しがり、 集めたり分けた りして任意の値打ちを表すことができ、 持ち運びや 保存の容易な品物が、交換のなかだちとして使用され るようになった。これが物品貨幣で、矢じり、稲、砂 金、麻布などが多く用いられた。 Commodity Money[Before A.D.8c.] In ancient times, our ancestors exchanged what they had for goods that others had, in order to match mutual wants. However, barter was troublesome, since wants of buyer and seller did not always coincide and standard measures of value were not provided. To solve these problems, items that were (1) generally accepted, (2) easily assembled or divided to buy things of different values and (3) easy to handle and save, were used as mediums of exchange. This was the beginning of money. They are called commodity money, and such items as arrowheads, rice, gold dust, hemp cloth and other things were used in Japan. わが国古代の物品貨幣 Commodity Money of Ancient Japan せきぞく 石鏃 (矢じり) Arrowheads 稲 Rice in the Ancient Pottery 砂金 Gold Dust 紀元前 3000 1000 2000 紀元 500 縄文文化時代 10 300 400 500 ●日本 ●外国 大和時代 弥生文化時代 ●・・・トロヤ戦争 ●・・・貝貨 ( 殷 ) ● 200 ●・・・水田耕作伝来 ●・・・大和朝廷全国統一 ●・・・エレクトロン貨 (リディア ) ● 57 倭奴国王後漢から金印を受ける ●・・・メソポタミア文明 ●・・・ピラミッド 100 334 ● BC アレクサンダー大王大遠征 ●・・・布幣 (殷・周) 221 ● 239 邪馬台国卑弥呼魏に遣使 ● BC 始皇帝中国統一 ● 105 蔡倫紙を発明 ● 375 ゲルマン民族大移動始まる 他民族の物品貨幣 世界各地のさまざまな民族は、物品 貨幣として貝殻、石、穀物、毛皮、家 いん 畜、金属などを使用した。中国の殷・ しゅう 周の時代には、装飾品として珍重され 殷墟 た南方海域産の宝貝が物品貨幣として 使用されたことから、貨幣や経済に関 係のある漢字には貝のつくものが多 黄河 い。 いんきょ 貝貨の出土した殷墟の位置 いん しゅう ばい か 中国殷・ 周 時代の貝貨(宝貝) Cowrie Shell Money of Ancient China ( 16c.∼8c.B.C. ) 腹 V 腹 V 背 D 腹 V 背 D 背 D 腹 V V 背 D Ventral Side, D Dorsal Side 貝のつく漢字の例 貨 貸 賣 買 寳 財 貯 贈 賜 資 貿 費 貰 賞 購 販 賦 賭 賃 貢 質 貧 賽 賠 賄 賂 賊 11 ● 金属貨幣の発生と伝播 中国の古代青銅貨 物品貨幣のなかでは、金属、とくに金、 Metal Coins of Ancient China 銀、銅が貨幣として優れた性質をもって いたために、やがてこれらが他の物に 代って広く用いられるようになった。 金属貨幣の歴史をさかのぼると、デザ インや製法の違いによって、中国などの ちゅうぞう 文字を表わした鋳 造貨幣(東洋式貨幣) と、 ふ へい 布幣 Spade Money (Bronze) ギリシア・ローマなどの人物や動物を描 だ こく いた打刻貨幣 (西洋式貨幣) との2つに大別 紀元前8∼5世紀/8c.∼5c.B.C. される。 中国の古代金属貨幣 中国の金属貨幣は、農具、刃物などを ふ へい とうへい かたどった布 幣 (鋤形青銅貨) や刀幣 (小刀 形青銅貨) に始まる。これらは春秋時代の 紀元前8∼7世紀頃、交易の発達を背景 として鋳造された。その後、紀元前3世 ほうこう 紀に秦の始皇帝が漢字を配した円形方孔 (中央に正方形の穴をあけた円形) の貨幣 「半両銭」による統一を試みた。「半両銭」 は漢の時代に統一貨幣となり、この形態 とうへい 刀幣 Knife Money (Bronze) はその後約2千年間踏襲されるとともに、 東アジアの中国文化圏に伝播した。 紀元前7∼4世紀/7c.∼4c.B.C. はんりょうせん 半両銭 Round Coin with a Square Hole (Bronze) 紀元前210年/210B.C. 秦の始皇帝が統一を試みた貨幣 ● 12 えん じ かんせん ご しゅせん 垣字環銭 Round Coin with a Round Hole (Bronze) 五銖銭 Standard Coin (Bronze) 紀元前5∼3世紀/5c.∼3c.B.C. 紀元前2世紀/2c.B.C. 西洋の古代金属貨幣 西洋の古代金銀貨 Metal Coins of Ancient Europe and Neibouring Countries 西洋ではリディア(現トルコの西部)で 紀元前7世紀に最古の金属貨幣がつくられ た。これはエレクトロンと呼ばれる天然の 金銀合金の粒に動物や人物を打刻したもの (エレクトロン貨)で、その形態がギリシア へ、そしてローマへと伝播した。ギリシア 様式の貨幣はアレクサンダー大王の東征に よって西アジア地域までも広まり、その後 起った西域諸王朝も同じような様式の貨幣 を発行している。 エレクトロン貨(金銀合金貨) Electrum Coin (Gold-Silver Alloy) テトラドラクマ銀貨 Tetradrachm (Silver) リディア[現トルコ]紀元前7∼6世紀/ Lydia, Asia Minor 7c.∼6c.B.C. / 11×13mm 古代ギリシア 紀元前449∼413年/ Athens, Ancient Greece 449∼413B.C. / 23×24mm ソリドゥス金貨 Solidus (Gold) デナリウス銀貨 Denarius (Silver) 古代ローマ 紀元324年/ Ancient Rome A.D.324/直径 (Diam.)19mm 古代ローマ 紀元前140∼135年/Ancient Rome 140∼135B.C./直径 (Diam.)19mm 13 ● わが国における貨幣発行の開始[8世 紀∼] 中国の先進的な文物制度を積極的に取り入れようと かいげんつうほう していた政府は、和銅元(紀元708)年、唐銭(開元通宝) わどうかいちん をモデルに和同開珎(わどうかいほう)という銀銭と銅銭を発 行した。独自の銭銘をもつ貨幣の鋳造は、東アジアで は中国に次いで早い。 それ以後約250年の間に、銅貨12種、銀貨2種、金貨 1種がつくられた。これらは朝廷の発行した貨幣という こうちょうせん 意味で「皇 朝 銭」(本朝銭)と総称されている。 Early Days of Japanese Coinage[8c.∼] The“Wado Kaichin”or“Wado Kaiho”were minted by the Government in the early 8th century. The Government, which had promoted the introduction of the advanced civilization of Tang China, modeled them after the Kai Yuan Tong Bao issued by the Tang Dynasty. In the following 250 years, however, the value of the coins declined rapidly as their contents were periodically debased. By the end of the 10th century, people no longer used coins, and commodity money such as rice was again used. ( ほう) わ どうかいちん 和同開珎 Wado Kaichin or Wado Kaiho 和銅元年 / A.D. 708 和銅元年5月にまず銀銭が発行され、8月になって しょく に ほん ぎ 銅銭が発行されたと続日本紀に記録されている。 銀銭 ( Silver ) 銅銭 ( Copper ) 直径 (Diam.) 24mm 直径 (Diam.) 24mm かいげんつうほう 唐銭「開元通宝」(銅銭) Kai Yuan Tong Bao, Chinese Copper Coin A. D. 621 せんぱん 銭笵(鋳型)の破片 Broken Pieces of Wado Kaichin Molds 現代の鋳物の製造には砂でつくった鋳型が用いられるの が通例であるが、初期の和同開珎の鋳造には、銭笵といわ れる素焼きの鋳型が使用された。鋳銭所の跡からその破片 が出土している。 ● 14 貨幣の流通促進策 政府は、皇朝銭を広く民衆に使用させ 平城京 るため、① 多額の貨幣を蓄えた者に位階 越前 を授与する、② 田畑の売買や旅行に貨幣 を使用するよう強制する、などの措置を 丹波 播磨 摂津 和泉 講じた。 近江 山背 河内 その結果、官吏や土木工事関係の労働 尾張 者が給与や工賃として支払われた貨幣を 伊賀 大和 用いて都の東西市等で農産物を買い入れ 伊勢 たり、家屋敷や田畑が貨幣で売買される など、次第に皇朝銭が流通するように 紀伊 なってきた。 しかし、その流通範囲は主として近畿 地方に限られ、それ以外の地域では依然 皇朝銭以外の物が貨幣として使用された。 ちょうせん 政府が税の銭納制度 (調 銭) を設けた地域 も近畿およびその周辺に限られていた。 税の銭納制度が設けられた地域(養老6年/A.D.722) ふ ほんせん 富本銭 Fuhonsen 7世紀後半 / Late 7c. あ す か ふ ほんせん 奈良県明日香 村の発掘調査(1997 ∼ 1999 年)で発見された富 本銭 は、富本 もっかん 銭と一緒に出土した土器、瓦、木簡の年代などの分析の結果、7世紀後半に鋳造 こうちゅう されたことが確認され、和同開珎が公鋳 される和銅元(708 )年以前のものである ことが明らかになった。 しかし、富本銭はまだ出土例が少なく、また、貨幣としてどのように使用され たかといった点で解明されていないことが多いため、今後の調査・研究が期待さ れている。 富本銭(拓本) Fuhonsen (Copper, Rubbed Copy) (『 古 泉 通 500 600 大和時代 ● 538 仏教伝来 700 800 奈良時代 900 』よ り ) 1000 平安時代 ● 593∼622 聖徳太子摂政 ● 701 大宝律令制定 ● 894 遣唐使廃止 ●・・・班田制行なわれず荘園増大 ● 630 遣唐使派遣 ● 708 和同開珎発行 ●・・・鋳銭停止され銭貨流通とまる ● 645 大化改新 ● 711 蓄銭叙位令布告(797廃止 ) ● 907 唐滅亡 ● 960 宋, 中国を統一 ● 607 遣隋使派遣 ● 683 銭貨使用の最古の記録(日本書紀天武天皇紀12年の詔) ●・・・世界最古の紙幣発生(北宋「交子」) 15 ● 皇朝銭の鋳造停止 政府は財政事情の悪化や銅の涸渇など から、改鋳のたびに銭貨の材質を悪化さ 皇朝銭(本朝銭) Copper Coins of Ancient Japan ( 8c.∼10c.) せていった。このため、その通貨価値は 急速に低下し、9世紀中頃には銭1文当り の米の購買量は僅か13グラムと、8世紀 初め頃の約2キログラムに比べ1/150に下 落した。 やがて民衆の間に銭離れが起こり、荘 じんごうかいほう 園の発達によって政府も弱体化して、10 わ どうかいちん まんねんつうほう 和同開珎 万年通宝 神功開宝 世紀末には皇朝銭の鋳造が停止され、再 ( 708 ) ( 760 ) ( 765 ) び稲などの物品が貨幣の主流となった。 じょうわしょうほう りゅうへ い え い ほ う 隆 平 永宝 富寿神宝 ( 796 ) ( 818 ) ちょうね ん た い ほ う 長年 大 宝 ( 848 ) かんぴょうた い ほ う 寛平大 宝 ( 890 ) に ほん き りゃく 民衆の銭離れに関する日本紀 略 の記述 平安時代末期に完成した歴史書「日本紀略」の、 け び 永延元(987)年11月2日の項には、政府が検 非 い し 違 使 に命じて世間の人々に銭貨の使用を強制さ せたこと、同月27日の項には、十五大寺でそれ ぞれ80人の僧によって7日間銭貨の流通を祈願さ せることとしたことが記されている。 ● 16 ふ じゅしんぽう にょうや く し ん ぽ う 饒益 神 宝 ( 859 ) えん ぎ つうほう 延喜通宝 ( 907 ) 承和昌宝 ( 835 ) じょうが ん え い ほ う 貞観 永 宝 ( 870 ) けんげんたいほう 乾元大宝 ( 958 )