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標榜し、 活動をしている宗教法人です。 先師である中川田哲上人 (故人
平成27年11月15日 兼山守教育屠一泉谷 御中 福岡県遠賀郡遠賀町上別府2008−5 宗教法人 本門立正宗 信者代表 中川 正衛 教科書並びに教育現場での宗教的中立性の遵守を要望する請願について …・基本的人権である信教の自由が侵されないように・・・・ 当宗は法華経塚溺竃し立憲」と名乗り、純粋に日蓮聖人の教えを現代に広めることを 標楊し、活動をしている宗教法人です。先師である中川日哲上人(故人)とその師、橋本 日種上人(故人)は、戦時中の国家神道政策による、天照大神のお札の祭祀強制を拒否し たため、「治安維持法違反、不敬罪」などに問われ、終戦までの2年間、牢獄に繋がれ、 「銃殺しようと思えばすぐにでも出来る」等と脅され、過酷な拷問にあったため、終戦後 GHQからも取り調べを受けたのですが、その際には、罪科のない一般民衆を大量虐殺し た大空襲と原爆投下を「キリスト故国アメリカは仮面を被ったジェントルマン」であると 糾弾し、取調主任官E・H・ネルソン氏に「あなた方こそ真の宗教家だ。」と言わしめた権 門に屈せぬ歴史を有している宗門であります。 平成17年にも同様の請願をいたしましたが、この度の検定に際しても、当宗信者の子 弟が学校教育の現場で、キリスト教に関する宗教教育と同等の授業を受ける虞のある教科 書が検定通過したと聞き及び、この現代において、宗教ゐ偏向教育により信教の自由が再 び冒されることがないよう、憲法第16条の請願権に基づき、みだしのことについて、下 記のとおり請願いたします。 記 1 請願事項 憲法第20条で「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはなら ない。」と規定されているにも拘わらず、宗教的色彩の濃い中学校英語教材 ① 学校図書 TOTALENGLISH2rMo也erTeresa」 ② 開隆堂出版 S皿Shine2 「フィンランドにやってきた 由紀からのメール」 ③開隆堂出版 SunShine3 ExtensiveReading2 MotherTeresa ④教育出版 ONEWORD2 「HalloweenParty」 ⑤ 三省堂出版 NEW CROWN3 「Ihavea血eam」 等の教材が文部科学省の検定に合格し、公立の学校教育現場で教科書として使用される予 定ですが、宗教的信条を異にする者たちにとっては、当該授業を受けることは、単に快・ 不快の段階を遥かに超えた大いなる違和感と精神的苦痛を感じるものであり、国民に保障 −1− された基本的人権である信教の自由を著しく侵害するものですので、以下の措置を直ちに 取っていただきたいのであります。 2 取るべき措置の内容 (l)直ちに、前記①②③④⑤及びこれらと同様に宗教色が濃いと判断される教科書・ 教材を使用しての公立学校での授業を即刻中止するように、各教育委員会及び公立 の学校等へ通達を出すなど、教育現場で、今後このような教科書が使われないよう 指導をお願いします。 (2)今後の教科書検定に際しては、憲法第20条に違反している疑いのある宗教的色 彩の濃い記述については、教科書として採用しないための基準を作るなど、宗教的 信条を有する者の宗教的人格権を踏みにじることがないよう、宗教的中立性につい て、厳格な解釈を採用していただきたい。 (3)これまでも教育現場における教師等の宗教的無関心・無頓着等からくる各種宗教 行事(クリスマス・ハロウイン・神社参拝等)が「宗教に関する一般的な教養」ま たは「習俗的行事」であるとの安易な決めつけから、宗教的信条を異にする児童学 生へ、結果的に参加強制となる事案が頻発していますが、これらの現状を把握のう え、一部参加者に多大な精神的苦痛を味あわせる虞のある宗教的色彩の濃い行事 祭礼を、授業等に取り入れることのないよう、公立の教育現場への指導教養を1 徹底していただきたい。 3 要望とその理由 (1)マザーテレサとカトリック・バチカンの問題点 学校図書等の「マザーテレサ」を題材にした中学生用英語は、形は単なる英語の 教材のようにみえますが、英語読解の過程で、キリスト教の聖人とされる「マザー テレサ」の賛美や理解を促すに充分な効異を発揮するものであり、そのような観点 から、この教材を使用しての授業は、結果的に憲法20条3項の 「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教活動もしてはならない。」 に明らかに抵触していると考えます。よって、同教科書を全ての教育委員会管内に おいて使用しないように、要望いたします。(三省堂出版のキング牧師の公民権運 動の紹介も神への賛辞で締めくくられ、彼の伝記を通じて、宗教的ハードルを下げ る等の布教的効果があることは否定できません。それだけでなく、彼の品行は極め て悪かったこと《乱れた女性関係・博士論文盗用疑惑等》をFBI等が明らかにし ており、実は到底、教科書にふさわしい人物とは言えないようです。新潮45∼井 卜簾夫「キング牧師の不都合な真実」参照) その理由は ① この人物がたとえ「ノーベル平和賞」を受賞し、一般的に賞賛すべき点があ ったとしても、キリスト教の聖職者の宗教的発露に基づく行為であり、その人 物への賛辞は、取りも直さず、宗教的行為への賛辞・その宗教への礼賛に繋が りかねないからです。これは少なからず布教の手助けを公の機関でしているよ うなものではないでしょうか。 −2− ② そもそも、「マザーテレサ」は、それほどまでして子供たちに知らしめるに 値する人物なのでしょうか。 カナダの宗教学専門誌「Reli gi e u s e s」で大学の研究者が発表し た論文によると、「マザーテレサ」の美談や名声はカトリック教会の誇大宣伝 のためにでっち卜げられたもので、聖人とは程遠い人物であったとされていま す。 モントリオール大とオタワ大の研究者たちは、彼女に関する300件以上の 文献・資料を精査し、「マザーテレサが世界に開設した517のホスピスは衛 生状態が悪く、医薬品が慢性的に足りず、満足な治療は施せなかったと報告さ れている。しかし、彼女の修道会は何百万ドルの多額の寄付金を受け取ってお り、金銭的に困っているわけではなかった。」という事実を突き止めているの です。 そして、モントリオール大とオタワ大の研究者たちは、「マザーテレサは、 患者の痛みを和らげる事はせず、痛みに耐えることを賛美して癒すという、怪 しげなことをしていた。多くの患者は、彼女のもとを訪れれば、医師が治療を してくれるものと思っていたにもかかわらず、彼女は、イエス・キリストの受 難のように、痛みに耐えることは尊いことだと繰り返し言うだけだった。聖職 者による性犯罪や隆しげな資金洗浄や運用等により「人気が低迷しつつあった バチカンは、劣悪な環境で苦しむ人々に優しく接していると、マザーテレサを 『牛きる聖女』だと大げさに宣伝することで、カトリックのイメージアップを 図ろうとした。」と指摘しています。 「マザーテレサ」は食わせ物で胡散臭い人物との意見は、実は昔からあった ようです。具体的には、ジャーナリストの故クリストファー・ヒッチンスなど は彼女を告発する本を出版しています。その書籍のなかで、クリストファー。 ヒッチンスは、「彼女が世界中から集めた寄付金を使えば、ベンガルに一級の 病院を建てることだって容易だったが、彼女はそうせず、劣悪な施設に患者を 収容し、ろくに治療も施さなかった。痛みを和らげるなど嘘だ。死ぬこと、痛 みに耐えることを賛美する。まさしくカルトのような施設だったのだ。」「信 仰する宗教に関係なく看病したと言うのも嘘」「痛みに耐えれば天国に行ける と繰り返し言い洗脳した。」と厳しく批判しています。 また、バチカンは、rマザーテレサは、ひどい腹痛に苦しむインド女性モニ カ・マガリッジの腹部に宗教的メダルを置き、ただ祈ったら治癒した。」と奇 跡として世界に喧伝しています。しかしながら、その女性患者の苦しみを見か ねた医師は、「卵巣嚢腫と結核であったので投与した薬により治癒したのだ。」 とこれを否定しているのです。それでもいまだにバチカンが「奇跡だ」と主張 し続けるのは、マザーテレサが薬やお金を使って治療するはずはないと思って いるのか、結果として今なお多くの人々を騙し続けています。 ちなみに、「マザーテレサは晩年心臓病を患いペースメーカーを入れる手術 をアメリカの衛生的で設備の整った近代的な病院で、痛みを和らげる麻酔薬を 投与されながら治療を受けており、(彼女の死後には、「彼女の個人口座には ー3− 48億円以上の大金が残っていた。」《出典アウロラ∼旧旅の軌跡》あったと の情報もあるなど)、聖人■とは程遠い人物であ.った。」ようです。 教育基本法第2条3号には、教育の目標として「正義と責任、男女の平等・ ‥・」とあり、出版社は「編修趣意書」でこの文言を、マザーテレサを教材 として取り上げた理由にしています。しかしながら、マザーテレサが、ハイチ やアルバニアの独裁者を支持し、多額の寄付金を得たという説(不正義の疑い) や、キリスト教原理主義者だった彼女は、避妊、妊娠中絶、離婚に対し非常に 批判的であったため、女性の人権にとって大きなマイナスになっていたとの評 価もあります。にもかかわらず、友人であったダイアナ妃の離婚には、「ダイ アナ妃は幸せではなかった。良かった。」とコメントするなど(出典「キリス ト教の問題について考える」∼不平等)、教育基本法第2条3号の目的に相応 しい人物とは到底言えない事実があることを知るべきではないでしょうか。 rReligieu s e s」に掲載された論文は、「マザーテレサの創られ た神話は(中略)人道活動家を励ますことになっているのは確かだ。J「しかし、 マザーテレサに関するメディア報道は、もっと慎重に、事実に基づいたことを 伝えるべきだ」という言葉で締めくくられています。 この言葉は、教育の場でも真撃に受け止めるべきであろうと思います。 (さ 百歩譲って人道活動家を励ます立派な行いがあったとしても、一般でもその 所属する組織に問題があるとしたら、例えば何かの善行で表彰対象者となろう とも、不適格な組織を理由に表彰対象から外されるのと同様に、マザーテレサ が善行の人として教科書の教材になるなどの顕彰は悼られるべきです。 マザーテレサの所属母体カトリック・バチカンはその歴史上の問題点だけで なく(なお、歴史上の問題点については後述(2)参照)、近年の不祥事を挙げ るだけでも、学校教育に相応しくないものばかりです。 年端もいかぬ少年少女を件的虐待したカトリックの聖職者たちのスキャン ダルは全世界で暴き出されています。たとえば、米国でも、米ニューヨーク・ タイムズ紙(2003年1月11日電子版)は「過去60年間で米国カトリック 教会の1200人を超える聖職者が4000人以上の子供に性的虐待を加え た。」と報じています。さらに、2004年2月16日CNNテレビでは「1 950年から2002年の52年間で、神父4450人が11000件以上の 性犯罪を犯した。」とも報じています。これらの事実を長年司祭らは隠蔽し続 け、大きな批判を浴びることとなりました。その結果、本来終身であるはずの 法王の座をベネディクト16世は責任追及に耐えきれず、退位せざるを得なか ったようです。多くの聖職者が牢獄に収監されたにもかかわらず、この病巣は いまだに根深く、組織的な問題として世界から糾弾されているのは周知のこと ではないのですか。 またバチカン銀行が犯罪マネーロンダリングに関わったとして、米国務省は 「国際麻薬統制戦略報告書」において、マネーロンダリング懸念先にバチカン を入れています。 このような事実からも、カトリック・キリスト教等が関連するもの(教材) _A_ は、青少年の教育の場から忌避すべきは、当然のことと患われますが、それで も憲法違反をしてまで、教育基本法の示す教育の目的及び理念に反しても、な おこの教材を使用しなければならない理由があるのでしょうか。 (2)キリスト教(聖書の世界観)の問題点 このマザーテレサに限らず、そもそも、憲法問題を度外視したとしても、キリス ト教が情操や一般的な教育等の教材として、何故教科書に掲載され、その行事を体 験させるに相応しい宗教として推奨されるのか、大きな疑問を感じざるを得ませ ん。 ① キリスト教の歴史(聖書の世界観にとらわれた歴史)は、血で血を洗うよう な凄惨な戦争と虐殺が繰り返された歴史であることは皆が否定しょうもない ことです。これは「宗教が悪いのではなく携わった人間の責任と、よくキリ スト教徒は言い訳をしますが果たしてそうでしょうか。 その原因は、聖書に記載されている内容にあると思われます。日本では、博 愛や神の愛という言葉だけがアピールされていますが、決してそのような神で はないことが、聖書を紐解くとわかってきます。 以下に、旧約聖書の一部の要約を上げてみます。 ア ファラオがユダヤ人の出国を認めないので、神が、その年にエジプトで生 まれた赤ん坊を全員殺した。(ユダヤ人以外) イ モーセが、ユダヤ人をエジプトから出国させる際に神が、追跡してくるエ ジプト軍を全滅させた。 ウ 十戒を授かりシナイ山から下山したモーセが「黄金の子牛」を鋳造してど んちゃんさわざをしている民をみて、その日のうちに3000人を殺害し た。 エ モーセに盾突いたコラなど250名を神が殺害した。 オ コラが殺された翌日、「主(神)の民を殺した」とモーセとアロンを非難し たユダヤの民14000人を神が殺害した。 カ 異教徒の弊風に染まったユダヤ人を神の命令で2400人殺害。 キ カの異教徒の弊風に染まったのは、ミディアン人のせいであるとして、神 がモーセに復讐を命じ、モーセはr処女以外皆殺しにせよ」との殺戟命令 を下す。 ※ 兵士が女子供を生かしたままにしたことを神が怒り「戻って男子は皆殺 せ、男と寝た女も殺せ、男を知らない処女はおまえ達のために生かしてお け」とモーセを通じて命じた。その上で略奪した羊や牛・財宝・処女をどう 分配するか、民数記31章に詳細に記述されている。 ク モーセ没後、神が、後継者ヨシュヤに命じ、カナン制圧戦争を指揮して、 カナン人の大量殺教を行った。 以上のように、神は、異教徒と神に逆らうものに容赦はないのです。この神 を信じる者は、神の手を煩わせるまでもなく、自らの手で、異教徒を滅ぼし異 端を殺致したのであって、決して神の御心に背いたのではないことがわかりま す。 −5− また、旧約聖書の記述以外にも、キリスト教徒が、宗教的独善から、多くの 殺教を行ったことが歴史上も明らかです。具体的には、十字軍の遠征、30年 戦争(カトリックとプロテスタントの戦い)、異端裁判、魔女狩り、ユダヤ大 虐殺、南北アメリカ大陸におけるインデアン・インデオの大虐殺、広島・長崎 への原爆、東京大空襲等により80万人の一般市民を虐殺《戦時国際法違反》 ∼(国家神道の日本社会はカルト社会と認定されていたからか?) 等々、枚挙に暇がないほどの聖書の世界の歴史が物語っているものは、宗教的 独善と反キリスト者の死(亡び)なのです。 ② 今ある、いわゆるイスラム国の過激なテロも倣懐で横暴なキリスト教社会の もたらした帰結であると指摘する者がいますが、奴隷制度や植民地の理論的根 拠(口実)にも聖書はなっていると指摘する研究があります。 それは、ノアの方舟の一節で、預言者ノアが600歳のある時、酔って素裸 で寝込み醜態をさらしたところをハムに目撃されたが、自分を責めるのではな く、ハムを責め、ハムの息子カナンに対し「呪われよ、カナン、兄弟達の下僕 となれ。」と呪う婆年があります。そして、ノアの息子三兄弟が各人秤の先祖 でヤペテは白人、セムはアラブ・ユダヤ人、ハムは黒人・有色人種の先祖とさ れており、このノアの言葉を根拠にして19世紀イギリス探検家ジョン・H・ スピークがrハム仮説」を打ち出し、黒人奴隷及び有色人種の植民地政策の理 論的根拠としたとされているようです。 またこのノアの方舟の「最後の審判」もまた、「神の手を煩わせるまでもな い、我々の手で・‥」という発想につながる異教徒・異端虐殺の理論的根拠とな っていると指摘しておきたいと思います。 ③ その思想の先にあるのが、キリスト教国による世界制覇とキリスト教化だっ たということを主張する者もいますが、必ずしも的外れな論でない証拠もあり ます。 第2次世界大戦後の日本人に対して、GHQは徹底した自虐史観の刷り込み を行ったWGIP(War GuiltInforma tion Program)のみな らず、日本のキリスト教化にも力を入れました。 キリスト聖公会の熱心な信徒であったマッカーサーは、1945年秋に来日 したプロテスタント指導者に対し「今、日本は精神的真空状態にある。」とし て「日本をキリスト教で満たすため、私のところに1000人の宣教師を送っ てくれ。」と依頼し、1951年までに軍用機等を使って合計2500人の宣 教師が来日しました。国内での移動、宿舎も軍用のもので便宜が図られ、聖書 も1000万冊か軍用船で輸入されました。 また、米軍を苦しめた戦闘機「隼」などを作っていた中島飛行機工場を跡形 もなく取り壊し、その跡地に「国際基督教大学」を開校するなど、占領中に2 0万人の信徒数を激増させる「500年に一度といっていい宣教拡大の機会」 (マッカーサー)と捉え、徹底したキリスト教化が推進されたようです(袖井 林二郎著『マッカーサーの二千日』)。 しかし、その成果は20万人からほとんど増えなかったという説と1943 −6− 年に32万人だった日本のキリスト教徒が、1951年には9万人増えて41 万人になったという説とがあるようですが、このことについて、1950年4 月16日付「ロンドンタイムス」紙は「マッカーサーの影響力にもかかわらず、 日本をキリスト教化しようとした努力は失敗した。」と報じています。 戦後レジームの脱却を掲げた安倍政権ですが、今なお「日本キリスト教化政 策」は続行中なのでしょうか。GHQ占領下と同じく、キリスト教だけが、憲 法違反にならないとでも言うつもりなのでしょうか。 ④ そもそも、日本ではキリスト教布教は困難と言われています。キリスト教硬 の中には、負け惜しみでか、現世利益に結びつかないキリスト教は日本人のメ ンタリティに合わないからと指摘する向きもありますが、それより何よ’り仏教 的素養がある日本人には、キリスト教の天地創造・原罪論。処女懐胎・死後復 活等をまずは信じなければ始まらない荒唐無稽な世界観や神観に飽き足らな いのが主な原因と思われます。 ザビエルは日本人を来日当初、「異教徒の中では将来最も有望で、教養があ る」と本国に報告していましたが、仏教的素養のある一般民衆がキリスト教の 教義に疑問を呈し、宣教師が回答に窮することが多く、彼は「ゼウスに関心を 持たない」r日本人を理解するのを断念した。」とイエズス会に書き送ってい ます。 仏教の中でもとりわけ法華経の世界観である「一念三千論」などを多くの民 衆が理解していたであろう日本においては、あまりに稚拙なキリスト教の教義 に満足するはずもなかったのでしょう。 そのような当時の日本人も示したとされる疑問として ア 「キリスト教を信じずに死ぬと地獄に堕ちる」の教えに対し、「では既に 死んでいる先祖や祖父母は地獄行きか?全知全能の神なのに何故、今頃日 本に布教に来たのか?(なお、日本へのキリスト教の伝来は、1549年 のことです)」1552年、ザビエルのイエズス会あて書簡で、信者とな った「日本人は親しい人々が救われないと聞くと泣くのをやめない」とい う国民性が指摘されているのですが、多くの人々は、上記のような疑念が 晴れなかったのです。 イ 全知全能の神なのに何故「悪魔」や病気の元を創造したのか? ウ キリスト教の考え方である原罪のあり方には、根本的な矛盾があるのでは ないか? ○ すなわち、第1点として、「知恵は悪なのか」という問題があります。 具体的には、無学文盲ならば聖書も読めないではないか∼何故、知恵の 実を食べてはいけないのか、その理由を何故、神は教えなかったのか? ※ エデンの園にいたアダムとイブは自由意志を持っているに過ぎな い人間の形をした羊か?. 0 また、第2点として、「神は、人の罪を赦す方法として、罪なきイエ スにすべての人の罪を負わせ、彼を十字架の上のうえで死なせた」とあ りますが、イエスは3日後に復活したのであれば、その死にはどれだけ −7− の重みがあるのか? エ キリスト教の教えは、因果律を無視した荒唐無稽なものではないか? 〇 本無今有の失(ほんむこんうのとが)∼無の世界から今ある世界が忽 然とできるのは、因果律無視∼神といえども因果律を無視すると、神の 教えそのものが論理破綻し(全知全能の神による天地創造と現実世界は 既に論理破綻しているのだが)、混沌とするのではないか? ○ 完壁な善で全知全能なる創造主(神)が無から全てを創造した世界の はずなのに、この現実世界は何故かくも悪に満ちているのか? ○ 完壁な善で全知全能なる創造主のはずの神が「最後の審判」で人間の みに責任を負わせ、しかも年まれたての罪科もない赤ん坊を含め無数の 動物までも死に至らしめるのは、善なる神の行為か? ・・・等々 これらの疑問に答えられず、失意のうちに帰国したザビエルでしたが、後に 秀吉によってキリスト教は禁教となります。 その理由としては、以下の事情が挙げられます。 ア イエズス会 ルイス・デ・アルメイダはキリシタン大名と組み、領地内の神 社仏閣を全て破壊した。 イ 宣教師により持ち込まれた商談∼硝石(火薬)一樽と女性50人の交換(日 本側は年季奉公と理解)は天正少年使節団の帰国報告「欧州各地で見目良 き日本の娘達が秘所丸出しで鉄棚に繋がれて売られていた」により、奴隷 売買であると判明し、秀吉は烈火のごとく怒り、宣教師ガスパール・コエ リヨに直ちに連れ戻せと命ずるも、それを無視し、キリシタン大名に秀吉 潰しをそそのかしたとされる。 ウ 数年後、手品や妖術を使いキリストの奇跡と吹聴する宣教師たちに秀吉は 業を煮やし、伴天連追放令を発令した。 であったようで、必ずしも、為政者より重きを為す「主(神)」が目障りだった からだけではないのです。 (3)公教育の場における宗教行事等に関する矛盾と問題点 戦国時代に限らず、今なおキリスト教を中心に聖書の世界観を共有し反目し合う 者同士の紛争が後を絶たないと言えるのではないでしょうか。 旧約聖書+タルムート=ユダヤ教 旧約聖書+新約聖書 =キリスト教 旧約聖書+コーラン =イスラム教 と言う構図により、近親憎悪を募らせるばかりの情勢下で、日本だけが無批判・ 無頓着に、学校教育の中でも、安易にキリスト教的世界観を持ち込むなどは、非常 に危険で厳に慎むべきであります。 「マザーテレサの創られた神話」にもかかわらず、カトリック・バチカンの一連 のおぞましい不祥事等により、ドイツでは国内2500万人のカトリック信者のう ち19%が教会を離れるとの世論調査もあります。そして、カトリック教会は、2 −8− 1世紀に入り、信者数では世界一の座をイスラム教に奪われました。(2015年 9月読売新聞) 平成18年の改正で付け加えられた教育基本法15条の「宗教に関する一般的な 教養」によって「クリスマス」やrハロウイン」もフリーハンドに「⑳⑳の行事に ついての教材を通して、外国の伝統文化に触れ、他国を尊重する態度を養えるよう にしました。」程度の「編修趣意書」で検定が通るとしたら、何故、世界最大の宗 教となったイスラムの宗教行事「ラマダン」や「女性のスカーフ」の体験が教材候 補とならないのか? イスラムに限らず、ヒンドゥー教は? 南伝仏教の伝統的行事は体験しなくてい いのか?といった疑問が生じます。 キリスト教の行事は、あえて教育現場で取り上げるまでもなく、すでにあたりま えのように社会に浸透しています。にもかかわらず、教材として検定に通るのは、 やはり、さらにキリスト教を日本で布教しようという「日本キリスト教化政策」が 今なお、公の教育現場でも続けられているということなのでしょうか。 それとも、もし各宗教関係者が、我も我もと我が宗教行事を教材にしてくれと要 望すれば、「宗教に関する一般的な教養」として、平等に受け入れるおつもりでし ょうか。世界一の信者数を誇るイスラム教徒には妥協しますか?政権与党公明党 の支持母体創価学会だったらやむを得ないと教材にしますか?仏教をお説きにな った釈尊を蔑ろにして、経文・御書に根拠のない日蓮本仏論の暴論でも載せます か?これは、もしかしたらその時のための布石でしょうか? 一方、選択権は政府や行政の側にあるとして、上記イスラム教や創価学会の主張 を受け入れずに、キリスト教の行事である「クリスマス」や「ハロウイン」を紹介 することは、差別となります。そして、一定の宗教に肩入れしたとして、これもま た意法論議を生む結果となるでしょう。 たとえば、首相が一宗教法人である靖国神社に、公人として参拝することが違憲 であると指摘されるのは、この参拝が「権威ある公人(首相)が一宗教を是認許容 している、または特別視している意思表示である。」とされる故、政教分離や他宗 派の信教の自由を阻害する疑いがあるとされるからです。教科書や学校における授 業等も、公教育の一環であり、首相による靖国神社参拝と同様に、権威があるもの としての影響力を無視してはなりません。公共性がある以上、靖国神社参拝と同様 に、一宗教を是認容認しているような教科書の記載や授業内容は、政教分離政策と 明らかに矛盾するという問題点をはらんでいるのです。 特に影響を受けやすい低学年や特別支援学校の子供達には、厳格な配慮が必要で す。彼らは、いやだと感じても、どう表現していいのかわからない場合が多く、家 庭での教育とのギャップにも傷っきかねません。しかし、これらの児童の多くが クリスマス等を楽しみにしているのだから、堅いこと言わずに楽しませたらいいで はないかという人がいるようですが、これはあたかも、「健康被害があるかもしれ ない食品だけど、おいしそうだし、子供が好きだから給食に使ってもいいじやな ー9− い。」と、うそぶいているようなものです。 このようにして、権威ある教師(教育委員会等)が、無頓着にクリスマスを祝い、 ハロウインを楽しむことが、あたかも良いこと・普通のことと判断して、学校行事 に組み入れているようですが、これは、その行事に拒否反応を示す児童生徒がいじ めの対象になる虞があるだけでなく、その行事自体が大きなストレスとなり、子供 を傷つけ、家庭における親の宗教的教育権や躾けを大きく阻害する結果となってい るのです。 そもそも、どの宗教の行事や伝統を教材にしよぅとも、全てを網羅できるはずも ありません。だからこそ、見え透いたキリスト教ありきの「宗教に関する一般的な 教養」などで逃げることなく、最初から本来の姿に立ち戻り、公的教育の場に、い かなる理由があろうとも宗教的な行事やその礼賛につながる伝記や教義は持ち込 まない、体験などさせないというルールが確立されるべきです。「このおぞましい キリスト教の祭事であるクリスマスもハロウインも、真似事でもいやだ」という感 情は、例えば、オウム真理教のおぞましさを知っている普通の日本人が、「彼らの 宗教的グッズなど触りたくもない。」という感情に似ており、清純であるべき教育 現場に、血にまみれた歴史だけではなく、今なお性犯罪やマネーロンダリングで薄 汚れている宗教の行事などはもってのほかではないでしょうか。 先に述べた、「いかなる理由があろうとも宗教的な行事やその礼賛につながる伝 記や教義は持ち込まない、体験などさせない」とのルールは、公的教育現場におい て、極めて重要なことだと考えます。 たとえば、平成18年ころ、大学を中心に、信者を増やしていったキリスト教系 カルト集団『摂理』(教祖は強姦罪等で服役)は、当初は宗教を前面に出さず、異 文化交流、ゴスペルや気功といった「お楽しみ」を前面におし出して勧誘をしてい ました。結局、国立大学を中心に多くの学生が、この集団に参加することになり、 社会問題化しました。オウム真理教の勧誘も同様で、危険性のある宗教は、宗教性 を前面に押し出さずに、いかにも楽しげに世俗性を前面に掲げ勧誘を仕掛けるもの です。 これまでも、績々述べてきたように、キリスト教は、神の意志による大量虐殺を 肯定する記述がある聖書を基にしており、それが現実に血に塗られた歴史を現出し てきたのは、紛れもない事実です。また、キリスト教は、今なお危険性を有する宗 教であることは言い逃れができないはずです。その危険性を、クリスマスやハロウ インといった「お楽しみ」あるいは「異文化交流」といった世俗性で隠蔽をするの は、果たして教育現場ですべきことなのでしょうか。そのやり方は、これまでも社 会問題となってきたカルト集団の勧誘の仕方と通ずるものがあります。 そもそも、子ども達に「お楽しみ」的に宗教行事に参加させたり、「異文化交流」 「宗教に関する一般的な教養」を理由に宗教家の言動を教材に用いることは、適切 ではありません。大人であれば、ある程度、キリスト教やその他の各宗派について の問題点を認識し、批判的な目でそれらを捉えることができるかもしれません。し −10− かし、子ども達は、そのような批判的な目が酒養されていません。学校教育の場で 「お楽しみ」や「異文化交流」という名のもとに、クリスマスを体験させ、または、 ノーベル平和賞受賞者だとういうだけで、マザーテレサの伝記やキング牧師の演説 を教えると、この宗教の本質を知らないまま興味を持った児童・生徒が、無批判に、 楽しいイベントとしてのクリスマスを感じ、マザーテレサやキング牧師は単に良い 人であるという印象だけを持つことになります。しかしながら、クリスマスは伝道 。布教手段の一つで有り、マザーテレサの慈善活動の背景には、キリスト教の教え があります。また、キング牧師の行状やスキャンダル(ノーベル受賞祝賀乱交パー ティ等々)は決して子供達に語れるようなものではないようですし、その演説は、 終盤に聖書のアモス書やイザヤ書からの引用がなされ、最終的には、神に対する感 謝で締めくくられているのです。 このように、「お楽しみ」や「異文化交流」の 名のもとに、子どもに、このような教育をすることは、宗教に対する心理的なハー ドルを低くさせることは明らかで、言うなればこれは公教育の場で、特定の宗教の 勧誘・布教を行っているようなものです。結果として、子どもは、正しい宗教観を 持つ機会がかえって奪われ、真の意味での善悪の判断が付かず、誤った認識を持ち つつ、成人してしまうかもしれません。その誤った認識は、場合によっては、自身 の人生や社会との大きな髄齢や乳楔を生じさせる可能性もあるように思われます。 この事は歴史や倫理社会等の授業で宗教に一切触れるなといっているのでは勿 論ありません。当たり前のように、事実に基づいた「宗教に関する一般的な教養」 をどちらにも偏ることなく行えばいいのだと思います。 (4)キリスト教的思考の危険性 ∼理性(科学的教育)と対極にあるもの また、キリスト教を信じることにより聖書の神のように残虐になるというだけで はなく、キリスト教的思考を身につけることでの危険性もあると考えられます。 スコラ哲学者アルベルトクス・マグヌスは 「哲学は、厳密な論理的方法によって、真理を探究しようとするから、誤る可 能性があるが、神学は、理性では把握することの出来ない、啓示された真理 を前提として論述するので、理性に基づく事柄よりも、一層確実である。」 と説いています。 啓示された真理とは「三位一体」の「神と神の子と聖霊」のうち聖霊が真理に 迷った人間に「これが真理だと確かに言ってくれる」ものといわれています(矢内 原忠雄著「キリスト教入門」)。つまるところ、頭の中で「異教徒は死ぬべき」と 思い込んだら聖霊から啓示された真理として、一層確実になるとも考えられます。 すなわち、啓示された真理は、宗教的ドグマに陥りやすい、理性や科学的教育と対 極にある危険な思考と言えます。 ルターは、そのことを「神の言に捕らわれている」と表現しています。しかし、 彼もまた多くの宗教的敵対者を粛正しています。彼の宗教改革に賛同して蜂起した ドイツ農民戦争においては、ルターは、領主側につき、「できる者は誰でも、ひそ かであろうと公然であろうと、彼ら(暴動参加の農民)を打ち殺し、絞め殺し、刺 −11− し殺さなければならない。」等の激越な言葉を発しています。その結果、ルターは、 宗教改革の同志であったが農民側についたトマス・ミュンツアーと多くの農民を死 に至らしめています。また、晩年の著作「ユダヤ人と彼らの嘘について」「口にす ることの出来ない御名について」(ユダヤ宗教指導者全員の殺害と全ユダヤ人の奴 隷化等を主張)が、後のナチスのホロコーストにお墨付きを与え、扇動し、影響力 ・のある提案を行ったとして、身内である現代のドイツ・ルーテル派は悔悟の念を表 明しているほどです。 神の考えは、こうであると感じたこと(自分の考え)がそのまま「神の考え」と なるのであり、つまりは自分の主観が絶対性を持ってしまうことになるということ です。これは、宗教間の紛争や残酷な異端の審問にも大きく影響してきましたが、 米社会等に観る原理主義的宗教観に根ざした病的犯罪の一因にもなっているので はないかと思われます。 原理主義はイスラムだけの問題ではなく、キリスト教も科学の発達に伴い、聖 書に書かれていることと、科学的現実が帝離しすぎている事が露呈することになり ました。その矛盾に対し20世紀初頭「危機の神学」が興り、聖書に書かれたこと しか真実と認めない福音派(進化論の授業をボイコット等をする集団)等が米国で 大きな勢力を持つこととなりました。そのような集団は、米大統領選の趨勢にもか なりの影響を与えている状況となっています。 このように、今なお聖書の害毒が世界に暗い影を落としている現実を思うと、子 供たちが理性的に正しく世界を認識できるようにするためにも、「もっと慎重に、 事実に基づいたことを伝えるべき」というマザーテレサ研究者の結びの言葉を再度 噛み締める必要があると強く感じます。 4 結び 法華経の大事な法門に「一念三千論」があることは先にも述べましたが、その極一 部を解説させて貰うと我々凡夫の一利郡の心の中にも、地獄から仏界に至るまでの十 界が有り、それが又、互有(十界互具)している故、極悪非道の者にも仏性が有り、仏 界も又他の九界の要素を持っている(仏界所具の九界)と云う内容で、他の仏教諸宗も 借用(盗用?)している「悉有仏性」(しっうぶっしょう)の法門です。 この仏性を開き顕らかにする「仏性開顕」こそが我々が目標とする成仏の要諦なの です。但しこれが非常に難しく、智慧で「無常」が悟れたとしても、釈尊の為された 瞑想の真似事を座禅によって追体験しようとも、また方便・仮の仏として示された阿 弥陀仏や大日如来を渇仰しようと、成就することは出来ません。 真の仏(本仏)に出会えて始めて、この仏性の本質を知り・感得する事が出来るのだ と教えられています。これを「見俳の因縁」と云い、「一心に仏を見立てまつらんと 欲して」修行し、真の本仏の姿、つまり久遠賛成の釈迦牟尼仏とそのお説きになった 法を正しく了解する事が大事になります。 それ故、日蓮聖人は身命を賭して、「釈尊を本尊とすべし」(本仏である久遠賛成 −12− の釈尊に還れ)と説かれ、御遺文(御書)に枚挙にいとまが無い程にそのような御言 葉が溢れています。ちなみに、日蓮正宗・創価学会は、そのような御遺文を無視し、特 別な秘伝、口侍があると云い張り、日蓮本仏論を言い募ってはいますが、その相伝書 が偽書の疑いが濃く、そもそも広く布教《広宣流布》することに重きを置いていた日 蓮聖人の御遺志と秘伝の類はかけ離れたものです。他にも論点は数あれ、またの機会 と致します。 それ故に我々は、家庭においても常に久遠賛成の釈尊の存在に感謝し、その御教え を中心に意識しながら、生活するよう家庭教育もしているつもりです。 これは、方便・仮の仏である阿弥陀仏・大日如来はもとより、仏教以外の諸神をもこ れを忌避し、清純・無垢な信仰を理想として生活するということなのです。 そのような者にとって、年末のクリスマスセールなどの喧嘆もただでさえ不快なも のですが、行政が管理する公の場所や公教育の場でなされる各種宗教行事やクリスマ スなどは、単に不快どころか強い憤りを感じるものであることを、どうぞ御理解下さ い。 バチカンには釈尊を模した像を踏みつけにしているキリスト像があると聞きます。 このような宗教に肩入れするが如き、現今のキリスト教ありきの見え透いた教材の 作成・選定は、多くの真面目な仏教徒、とりわけ法華経信徒を侮辱・冒涜するものであ ると、これを機会に是非気づいて頂きたいのです。 教育基本法15条1項に「宗教に関する寛容の態度」が規定され、宗教一般につい ての知識や借換を養う教育は法令上認められているとしても、それは特定の宗教に限 られたものではなく、当然遍く全ての宗教が対象となるべきですが、これは前述のと おり無理なことだとお気づきのはずです。さらに、この法令は個人の信教の自由より も、公教育の必要性やその公教育の実践方法の相当性が優先することを認めたものと は言えないことは、判例でも明らかなとおりです。そもそも、憲法20粂3項の趣旨 は少数者の信仰を保障することです。教育基本法15条は、憲法20粂3項の政教分 離の趣旨を教育現場において実践させるためのものです。 以上の点を踏まえ、選定に携わる皆様の良識あるご判断により、教科書の作成及び 検定をより慎重に行っていただくのは勿論ですが、現実に教科書検定を通過した教科 書の運用、教育現場の無配慮な宗教的行事が多くの宗教的信条を異にする児童学生及 びその家族の人権を侵害していることに気づいていただき、学校教育現場に対しても、 きめ細かなご指導を通達されるなどして、教育における宗教の中立性の確保をより厳 格にしていただきますまう、心より請願するものであります。 5 追記 なお、当宗としては、平成17年及び平成23年と継続的に各教育委員会に対して、 請願を行っております。今回の内容を更にご理解いただくために、参考までに、平成 17年及び平成23年請願書を同封させていただきます。 以上 ー13−