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場実詩。料P だより - 山形大学地域教育文化学部
場実詩。料P だより 第 26 1 9 8 4 .1 2 .2 0 山形大学 {岨字ほ竹内学部長} 教官 '~ØII附属教育実問研究指導センタ 次 自 符績紙調伺鍾を脅える 大学で何を学ぶか 験育学郡長竹内労男 一一 3 年生緒定。 高橋智也 5 閣繕専攻 小 野智弘 5 《退官広あた っ て 》 ibc8?-" 見であるーー 疏属医術1II寄鍋長沢井 IIR 理科専攻 2 教員保周紋験合格状況をみて 想えば副司, 9 J. . 2-3 '"ロ線 三 退官に際して想う鈴木 芳 6 6 今年のfU臨戦線に思う 父兄会会長佐磁器夫 3 《叙質保周鼠 u 合格体駿舵》 数学海,.佐藤 情 妓術専攻 歓楽美広 養鰻穏健 4 4 訟判ド和子 4 111Ji噂攻長岡賢 二 4 礎教別将 5 5 司管履"''''子 美術専攻附 橋 《鑓Eまと払》 趣味のない話 阿梅昭 1i . ... _ _ .. 山形散事行状記 高木和子 《在学窃修を鋸って》 " ' ' ' 7.,.イグネスリ ジ , 11 平悶俊博 7 ? 8 《阻初版障鹿山彪県叡員療用限量集合宿駅況) _ . .9 《学!!I!ニコース, ~ 9 教員採用試験合格状況をみて 大学で何を学ぶか 3 年生諸君,あと 8 ヶ月である一一 教育学部長竹内芳男 就職指導委員長沢井昭男 音「大学は出たけれど」ということばが流行したこ とがある。乙れは昭和初期のいわゆる不景気時代の乙 。中学校上昇,小学校下降 とで,当時大学を卒業しでも大多数の者が就職できな かったのである。 ζ の時代の大学は国立では 8 帝大の 冬の到来で寒さが厳しい。昭和 60年度山形県教員採 ほかに数校の単科大学しかなく,公立・私立も十指で 用試験がおわり,先月上旬 IL結果の発表があった。詳 数えられるほど Tごから,現在の大学数とは比べものに 細は表にみるとおり厳しい。 学部全体としては, ならないほど少なかったのである。それにもかかわら 3 ヶ年(昭和 58.59. 60 年度)の合格率は 59.596 , もちろん大学は職業学校ではない。大学の目的は, 「学術の中心として,広く知識を授けるとともに,深 く専門の学芸を教授研究し,知的,道徳的及び応用的 能力を展開させる J 309 人が受験,合格者は 148 人 合格率は 47.996 ,前年度の 50.2% を下回った。こ乙 ず就職できない時代であった。 50.2% , 47.9% と下降をたどり,とうとう 50%台を 割ってしまっ位。 校種別にみると,中学校教員の受験者は健協した。 (学校教育法第 52条)乙とである。 する乙とを目的とはしない。しかし結果として,卒業 伸び,合格者数も 10人台から 30人台へ躍進した。 者は社会人として,職業人として,大学で習得した諸 それにひきかえ,小学校がよくない。本学部の場合 新規卒業予定者の 6 分の 5 が地元山形県の教員採用試 能力を介して,貢献することになるのである。 「大学で学ぶ ζ と」は将来の職業を志向する乙とは あっても,職業人となるための手段ではない。 47. 4 %, 6 0 . 0%と したがって大学は卒業者に就職を保障しあるいは斡旋 乙 ζ3 ヶ年間の合格率は 40.7 弘 I大学 験を受ける。しかも,その 3 分の 2 は小学校教員を希 望する。今回は受験者 226 人,第一次合格者 143 人 (合格率 63.35ぢ) ,第二次合格者 100 人(合格率 44.2 で学んだもの」が職業に直接役立たない乙ともありう るし,また役立たない乙とを非難すべきではない。大 %)である。ここ 3 ヶ年の合格者は 150人, 学で学ぶものは一般的教養に関するもの,専門的知識 技能に関するもの,そして課外活動を通して自然に学 100 人,合格率は 64.4 %, 50.05ぢ, 110 人, 44.2% と下降の 一途をたどり,歯止がかからなかった。 ばれるものなど広範囲にわたっている。乙れら広範な 。日冬の時代u の到来か 内容がまとまった全体 κ統合( integrat討されたもの もし,乙れらの数字が県の教員採用数は少なくそれ が「大学で学ばれたもの」でなければならない。 乙の「全体 I乙統合する」のは学習者自身であり,統 合された内容は学習者自身のものである。だから「大 だけ競争も厳しく激戦の末の結果であるならば,学生 を慰め励まし,臥薪嘗胆,捲土重来を期す。 学で何を学ぶか」の答を他人 lζ期待するのではなくて, 自分自身で出さなければならない。乙れは創造活動で ところが,県の教員採用数は本学部受験者数寄上回 るのである。つまり,採用の余地がありながら合格で ζ れ乙そまさに自己陶冶というものである きないのである。ついでにいえば,小学校教員の場合, の「淘治」はドイツ語の Bildは習で、あ匂,英語の 乙こ 3 ヶ年の県採用数に占める本学部合格者数の割合 c u l t u r eに通ずる。 cul tur巴信教養は他から与えられ は 50.85ぢ, あり, しく, 「教育のある人」とはまさに,乙の意味の「教養のあ わが学部 tζ学ばれる学生諸君が,将来どのような職 れることを期待する。 、、冬の時代、、の到来を思わせる。 山形大学教育学部への入学は山形県公立学校教員と る人」でなければならない。 I教育のある人」たるべく努力さ 39.4% である。 本学部学生の山形県教員採用試験をめぐる状況は厳 るものではなくて,自分で創出するものであると思う。 業人となるにせよ, 4 5 . 1%, しての採用を意味しない。また,教員採用試験は厳し い状況にある。全国的にみても,公立小・中学校教員 の採用数は,第二次ベビーブームの波が小学校から中 学校そして高校へと移っていくなかで減少していく。 2 一一 今年の就職戦線に思う 。自覚と意欲と実力を 小・中学校の採用枠が今後狭まっていくなかで, 父兄会会長佐藤泰夫 「自分は本当に教員になりたいのか」を自問自答し, キャンパスの中には,今秋の就職戦線の余韻がまだ 自己決定をしなければならない。教員志望であるなら 残っている ζ とだろうと思います。 ばいまや 8 ヶ月後 K迫った採用試験をめざして取組み 11 月 2 自に発表された県教育委員会の本年度採用試 を開始していなければならないハズである。厳しさを 自覚し意欲をもって備え,実力を養う以外 Iζ途はない。 のであるが,新聞等の報ずると乙ろ』と依れば,受験者 就職指導委員会は,乙れまで 4 年次の春 K実施して きた第 1 回就職指導講習会を半年繰り上げ 験合格者数は,本学部関係者全員の最も関心の高いも 2 ,4 72 名,合格者 554 名,合格率 22 .4 5ち となってい 3 年次後 る。そうすると 77.6%. 期の始めに開催する乙とにした。 ほどが出席した。真面白な学生である。しかし. 員採用該験は,あと 10ヶ月後」といえば. 1"エ 1, 918 名の人は涙を飲んで, 今年の戦いは終ったのである。 今年はさる 10月 8 日。 3 年次学生の約半分の 170 名 とれらを見ての私の感想を述べ,御参考に供したい。 1"教 第 1 は合格者 554 名のうち,本学部出身者は何名だっ ッ」 たのだろうか。さらには本学部学生全体の何 必が合格 という程度の自覚。先が思いやられる…・ したものだろうかという乙とである。 3 年次学生で今年の夏休みを遊んで過ごしてしまっ たのは危ない。乙の冬休みを遊んで過としたならばま 「教育学部の卒業生の数より,採用者数が多 れか ず駄目。来年 3 月の春休みを遊んで過とすならば必ず っ学生の資質においても劣らないのに,巌近他大学 κ 落 ちる。来年 6 月の実習後 l 乙取組みを始める気ならば 侵略されて,本学部からの合格者は減少傾向にある」 受けないほうがいい。いわんや,講習会を欠席したり という声を聞くにつけ,私 l 乙はもったいないなあとい 途中退席したりする不要企面白は合格するハズがない, う気持が強くしてならない。入口は関かれているのに, と私は思つでいる。自覚と意欲と実力がほしい。 入口がせまいと言いながら,ついに入口に入ろうとし ないでいると言えるのではあるまいか。 。結局.臼頃の学習態度 第 2 は,採用試験の選考基準が「知・徳・休を総合 的 fc評価し, 真 』乙「師』たるにふさわしい人材を選ぶ J 教員採用誌験はそれなりの特徴があり対応が必要で ある。山形県は記述式であるから,知識や技能は構造 乙とにあったと言われている乙とから,合絡された方 的理解や体験的確認が大事である。教育実習の活用が 々には,一段と重い責任と自覚が求められるわけであ ポイントになる。しかし,教員 採用試験の復元問題を る。来春の採用配置まで若干時間があるので,真剣に みたかぎり,テキストは授業前にサッと自を通してお その辺りの考え方を整理する時間にあてていただきた く。ノートはメモ程度でいいから自分でとる。必要に い。配鐙 されたら立ち止まる程の余裕もないのだから 応じてまとめる。乙の程度で充分対応、できるようにも 思える。結局,日頃の学習態度が問題になってくる。 第 3 f 乙は,初めて挑戦し,一敗地にまみれた方々に 大学は小学校にくらべて大きいから大学というので 申し上げたい。 はない。1"大J いに「学」ぶと乙ろという意味で「大 人間の長い一生にとって,とくに若いときの涙は長 学」なのである。学生も「学」ぶ乙とに「生J 甲斐を い自でみると非常 κ;意味のある乙とである。 高校一大 見出すものという意味で[学生」なのである。学校教 学一就職とストレート K進む乙とが果してベストなの 育が高度化・概在化している今日,教職は「大学J で だろうか。 私にはわからない。むしろ社会が,主主々複 「学生」時代を過ごした人間を求める。当然である。 雑化しているときだけに,人間の弱さも人の心の痛み また,そのような「学生」だけが採用状況の厳しさを もわかる人材を,社会は欲しているのではあるまいか。 突破できる。日頃の勉学 l 乙心を打ち込んでほしい。 その 意味では,今口には苦い体質改善の漢方楽を飲ん 3 年生諸君,あと 8 ヶ月である。 でいると受けとめるべきであり,直ちに捲土重来を耳目 (1984. 1 2 . 1 記) しての努力をスタートしてほしいと思うのである 。 一-3 一一 《教員採用試験合格体験記》 総本和子(費値線復} '人事告尽して天命を待つa 心鳴で紙厳に臨む Tζ 佐賀 弘治・考えると乙ろ 清{数学専攻} 受厳者が数民採用銀厳に臨む際 れが私の理忽でゐりました . しかし,実憶にとり〈ん だのが鼠験 2 ヶ月前と遅< , あぜって働金量..始めたの でしに . 山形県の過去数年の問題を教科亡とに分鎖し. 。ι戸銀う乙とは。各毎週附県が 11 自 tζ鉱厳問題を作成 解答..作ヲて何度 色 見直しましに . 敏民数震や関係際 しているにめに漢代学生が得怠とする H OW - TQ 税標 T-渇り終わ 9 た友還と問題の出し合い色しまし 弐勉強方法を傑し凶ぜずに,勉強し'.<ては俗らはい た.で も。時聞には限りがゐります.結局!鼠厳当日 のどが 伺を勉強すれば良いかがわからはいという状 1ζ'" ても理盟@境地。乙至る ζ と u できず,火事場 "'''陥ってしまう乙とでゐる.さら tζ。合絡朝臣11<'匹 の鰯鹿カ a のみを信ずる t まかは伝いと信ヲにのでした. が 11弘喝eでゐるため Fι そして。とにか〈問割は全部場めようと思。たのです. 峨々'.デマが..れ. それが受 験者~閤s. ぜている乙ともゐげられよう . すると . 過去の側聞から その中で数限への志向は年々*.伝高まりを見せ ており 11 ,友速との間胞の出し 合いから 2 周,出閉されているではめりませんか. ζ れt乙伴って I 観'l>l\lは磁化しI 採用銀験も 「やうに h. J そんは気符で.きましに.友速から教 限度の高い問題が尚信されるようには。てきた .ー方 えて 色ら。た乙とは窓外 κ碩κ残。 ているもので す. では 勉曲して桜れたとき伝とは! 休徹する時聞を利m して 学俊教育に対する社会的要械も強〈借り。乙れ κ応えるだけの実力のゐる人材金 6 とめる傾向島強〈 友還と開園の仰し合いをすれば短時間でいろいろは分 '"てきている . 野の知指令得る ζ とができると思います. 従。て。探同誌厳令受験し,合絡 .. 買うためには 。 山かけ κ領らはい+分は箪婦が必要で..り 日頃から 101覧学綬の側聞1( 1;1;, .援関係のサ ー クルの活動を 過して臼頃考えている ζ とが役"'"らましに.鱒書児 峨々と勉強する以外 tζ ,自前~遣成するにめの王道は とのつき..いや学習会信どでの.,し合も咽 刷ζ周置を 俗いのでは伝かろうか. 解〈鍵があると患います. 11後4ζ,乙の場舎かりて,御指渇いただきましに学 私が体厳 IC,基づいて宮えるのは乱上の ζ とぐらいで 部の締先生,鮒属中 学佼の絡先生比厚く御礼附し上げ すが ます. いです. 秋集 英 ζ れから受験されるみなさんの診考 κ似れ"幸 長岡賢 広 (筏術専攻) ニ {笑師専攻) 山形県 敏民 I"~ りたいといヲはっき り した希担金持。て教 の掛合. 開銀県の丸暗記"げで 11絶対にどぬどという 育学il< IC入学して来た人はいヲたいどれどけいるでし 今図私が鼠厳令受け てまず思じた ζ とは ζ とです.ですから は伝〈 問阻鍋の用問のみ令覚えるので その言葉の意味を, きちんと自分の口て包明 a うか. 恐ら〈多〈の人還は,もし他にやりにい ζ と が則;ftJ.らは"れ II敏員にでも与ろう。はどという考 できるよう比する ζ とが大切 t!. t.@lいます. そ乙で, えで入学しにとんでもはい先注の卵にと思います.か 弘の織合は 少しの略聞を見つ"て I 友還と関砲を出 く宮う私も爽 "J'"世間伐とんでもはい卵だったのでゐ し合い , 111哩するようにしていましに.友遣と問題を りまして.気韮万が「自分が教員に向レてい信いと思 出し合うのは うはら皐〈あきらめに万が子供のためだJ "どとお。 自分の盲点令見つける乙ともできるし お瓦L 噌岨しゐえるので , 大震効栄町f と思います. ",,'感じた乙とは l 教育実習の縫駿が一次二次 しゃるの令聞く皮 IC ,小さ と五ハ トはグラクラ摘ら留 保周鼠厳の勉強'.どとて色手につきませんでした.し ~通してi 非常 K役t ζ立。にという ζ とです. 教育実 かし 習で学んだ ζ とは。どん伝聞阻集や本よりも役比立っ 深夜。ムと ζ う考えました, と思います. もの 11無いんだから I 今年 f!.11 でも敏録』ζ自慢を絞っ 敏員 4ζ" る IC I;I: , 伝規'.ど , 九.01'"し信"れI!伝ら はい分野も多〈ゐります. しかし それより色大切伝 鼠厳の日までゐと半年ほどとせまヲにある自の r送っていて色何色得る て色撤U篠いU ずだれそ ζ で, すぐ K孤島の明り令 つ"て , d、事与紙切れにボールペ μ で , にか< ぶ ζ とであり れtζ忍ばぜましに.今考えるとハカみたい信乙とを・ またそ ζ から自分〈よりの閉阻.f,\~見つ 年間 11がんばるぞ//"と・いてI "選ぅ" . と ζ とは。教育実習俗どを通して,実際 iζ 白分の体で学 そっと軍入 付てI 常に教育 I Gjする自分のg奪えを,しっかりと持 いたもので っている ζ とだと思います.ですから のかどうかは 11 っきり胃って分かりません. しかし, される後販のみ'"んは とにか〈敏育英習を大切に して下さい. そ ζ から学べる ζ とは います. 乙れから受験 策曜にあると思 ζ んは紙切れがほんとう κ効離があ句た 斑の中が少し鰻く伝うたのは健かです.と ζ ろで.と んでも低い卵 f:!. "?に弘が今はどうはヲにかというと 早〈子供遣に茶Jlili'教えにくでうずうずしています. <- 高橋哲也 (理科専攻) 斎藤美紀子 (養護別科) 医療現場の第一線から離れ養護教諭という道に進も どんな試験も,合否の判定とは学力や知識量だけで うと決心した私にとって,今回の採用試験は何よりも 決まるもりではない。特 K教員採用試験ではそれが明 霊嬰かつ貴重なチャンスでした。在学期間 1 年の護教 白であるた。知識十 d の総合的な判定であると思う。 別科には,入学から採用誌験まで 3 ヶ月という短い期 十 d というものが何であるかを考えると,それは , 遂 lI!ij しか与えられません。入学前の雪の降る 3 月,この であり,感であり,偶然であり,その人自身の個性で 小白川キャンパスまで採用試験の問題集を実いに来た あり,人間性,巴 tc であるのではないかと 思う。とは 乙とを思い出します。とにかく , 養護教諭と~,う目標 言うものの知識は当然つけるべきである。ただ,問題 は絶対的なものでじたが,それでも,一度は自分で選 集や参考書だけにたよっては十分でない。一次の教職 んだ看護の道で働きだしたのに,中途半端なままに別 専門とも,ほとんどが記述式でしかも難解だった。指 の道を歩乙うとしている自分がど乙か許せないような 導法,考え方,つながりを問うものが多い。よって, 気持 K もなり,乙れは是非とも採用試験をがんばらね 断片的な問題を練習するのではなく,教育原理 ・ 心理 ばと思わずにはいられませんでした。人一倍要領の悪 の専門蓄を読み深めていく必要性があると思う。その い ζ とは十分自覚していまじたので,生半可な気持で 乙とにより , 基本ラインをつくりあげ, 何にでも対処 は目標、を達成する乙とはできないと思われました。私 できる姿勢ができると思う。 とにかく , 試験がせまっても焦る必要はない。教育 にとって一番恐い敵は, 、 自分自身の盤けそうになる心 でした。しかし,目的意識だけは強く存在していまし K関する広い視野をもら , たので,どうにか乗り越えられたのかもしれません。 をまとめておくべきである。そしてさら κ6 月 4〉教 育実習で実践力をつけ,教員切願を自覚し,熱くな、っ 来春から私は養護教諭として保健室を預かる ζ とに なりますが, しっかりした自分の教育論t そこからが本番です。今を奉る乙となく, たところで集中的に勉強する乙とが大切である。 最後 K,今回の試験で,私は諏訪神社の偉大な力を 常に目的意識を持って努力し, 少しでも役立つ人間的 確信した。 も また, 友人達の邦可思議な力そも認めさf る な養護教諭になりたいと思っています。 を得なかった。 ι ぺ関 浩 (美術専攻) 小野智弘 (国語専攻) 言ぎまでもなく採用試験は資絡試験や検定試験と遠 い,合格点=合格というものではない。その年その年 今年度の採用試験は , 学校教育の現場や実践を霊視 で採用数は大きく変化するわけで,それも二次試験を した問題が多かったと思います。一次試験では , 論説 終え採用者が はっきりして初めて解るといったもので 文の指導案を寄かせたり,視聴覚機器を用いる i時の留 あるから,試験前の心構えとしてはれ結果は成り行き 意点を述べさせたりでし た。更に二次試験では, と勢い " と割り切って,マイペ ー スの準備をする ζ と 教育に関われているものは伺か」などの問題がありま r今, した。 だろう。 {j,、 は山形県しか受験していないのでそれだけについ 私の場合,机上で勉強した乙と以上に教育実習で ℃常 わせて もらうが,山形の一次試験はご存知の通り 学んだ乙とが , 多く参考になったと思います。実習を 出 !法式 であ{j "Q .' そして問題がやたら 日と多い。いちいち 通して,一人一人の生徒の意見を大切に取り上げてゆ 巧えていたり 店 出版者の意図を探っていたりしたらと く乙との難しさなど ,間嵐長に触れるなかで,理惣的 沼 も 60分 :Ck~~ 相手・ではない ぷ 法律の条文や教育思想、 な教師像が再度自覚されてくると共 fC,自らの人間性 イ:H'1}~ê lμ それをイ&い 11\ しでは紀述するというような についてまで考えさせられるものがありました。 iLjj'(r[ さを j叫すっ るより c 詩i~TI主 l 乙 自分の言葉で自分の答え と乙ろで, 採用試験は競争訟験ではなく選考試験で ~ ~割けるようポイントだけを押え自分の頭 K入れてお あるとされています。そ乙で人間性を見るという漠然、 とした不安感を与えるものです。私は面接指導を受け く勉強をした方が得なようである。 る中で,私は何度怒とされても教師になるんだと教え 二次試験は伺も考えず望むべきではないかと思う。 ,(ïj t長官 は何十年も人間相手に商売してきたプロである られました 。 そして ,より大切な乙とは,その熱意を から, 理想として墜落させる前に,現実的にどのように表現 言 ってる乙とが本音かどうかなどすぐ解るよう で ある。乙 ζ では一次誌験に増して 自分のありのまま してゆくかが必要なのではないでしょうか。 最後に,私を選考して下さった教育委員会の皆様を 会出すことが良いのではないか。その方が結果はどう あれ後味は良いものである。 落胆させないよう精進していきたいと思っています。 尚,教育実習に問題意識を持って参加し,体験や感 仕!を自分の中で整理しておく乙とが,何よりも強い味 )'J になる乙とだけは確かな乙とである。 一- 5 《退官にあだって》 退 官に 際 して想う 想えば 50 年 保健体育科鈴木 教育科溝 口 芳 娘三 戦中と戦後を鍾た教鰍艇は, 紹相時 10.月。政敵役の混乱 文部省命令で低圧した償州の 2 大学厳罰詳として山形 年聞から始まりまし t::. 箪で 6 飾臨学校1<赴怪した.現在の県 があ ζがれた地であり歳出.'悟 教育資料館〈山岡国}の校舎 いをし 伝がら故あって修段』ζ のa最中に でゐ 0'ニ . 新学網にはって山形 ひっぱられそのまま郷翠でも~ 大学教育学問ζ引継が札現在 り 妥の身となりして何年咽本学に線を下してしまい までに37等学も 一つの学伎に凶着して動岨し続けた ζ ました.その聞他からの転勤勧誘が"ったりしに全く とになる.ずいぶんと長くお世話 IC I" : >f : :t.のである. よき時代でとざいました. 新制大学の発足は厳しかった . 教員後成の科目 t乙必 自分では-Jil IC充実した学回生活のようであ 9 ても, 修として「教育社会学j が新g宣された.とれまで専門 考えてみますと絡しく,楽しい ζ とだ"でないつらい。 とした人がい低いので紙専のわたしが担当させられ にがいい《つかの節目があって た . 英霊的信社会純学という ζ とで m地・,",ζ入り ζ たよう比也、ます. 弘信りの組伏を作っ "ζ とにした . 調査用紙令つのにリ.,クを背負って E愛されたわずか位月固と '.0 た今は, 本学の鑑史的 学生を連れて,毎年のよう K山将へき地の小さ俗学 発展の'"で歩いてきた体験をつ」にさに個組する眼也は 俊を !i' き廻った。恵まれ'.い地械とされるへき地の子 く溢宮を迎えてしまった気がいたします. 10月半ば項の乙と。鯖周で庶'"にとぴ ζ んだ時 1 氏 どもたちは。li>かな自然の仰で明かるか。た . が「失珪乙んどやめられる方は乙の聞紙 K記入して下 教育学省>1<尉属援監学校が役温されるとと κは り, 佼授として創設の位..を盤当した."らえおくれ H と さい」と. いわれ,俊聞から遣さげられている子どい』剖孟 !ζ のでしょう」氏は小さは声で『先生の ζ とですJ の学校では生き生きと行動していた. -oJ と大戸を出 したらー岡大笑い.闘のMI<入る 学捜管理の 4 年間@仕事は,直銭的は教育活動剖式 次元が異なり, rやめる人がいなければ密か伝〈てもいい r " と.,事長もまた κζi乙ζ していました . 不必要伝大声 き わめて震いものであ 9 た . そしてわ 6 災いのもとに伝り易い.自分自身の乙とに気づか信 たしは緩うからの教師である ζ とを細い返した. い厳か者とはいえ,忙しい ζ とは挙せでもあります. わたしの小さは f敏育史 J 11 ,昭和 9 年陀教員を志 f ロを捌いて五島を表わす~"ぴ合屯」という調子 ざして旧制の師範学校1<入学した時 ,c;白まる.その後 の私にもかかわらず多くの歓臓買の温情とと銀助に恵 悶制高等師範大学で教育学を噂渡し!率2躍して教育 まれてきた ζ とは限りはい感謝でございます. 学噂門の大学教師と伝っ て,いま 終ろうとしている. また数えきれ勾い多 く@学生に対しては ! 情熱}とも 鋭えばま剖白低芋である . 教館トー途,0<手の長〈て短か えてはいてもホ明的志向の未熟は育審時代から . い平板伝道程であった. 育とは向か」を自分の専門舟努に求めるように匂るま r教 ある年の卒業生民筒人のIb.爽壁仁失遣の r鯨」の での 1 コマに過ぎ信い出会であり , のちに補血される 跨~縛備して銭けとした ζ とがあ令た. いまほわが身 ζ ともはいまま. 心Sζ残 るも のは偵しいだけではあり である.そのー簡は。 まぜん. .,,,ζ立っと き 1m'"遺究には終 り が往し学ぶ ζ と色終 り が俗、、 ζ すぎ来し道ははっかし〈 との実感を強めていると乙 ろです. 慶げくる遣はたのしい 教育とも、うと とばのいち U軍a lC~ って女性の感 わたしの日俸の教姉の退色,多〈の"を魁えはがらい ま録後の併に立っている . 傷に甘んじる境地 IU.. りたいと思うのですがどんなも rすぎ来し道」は苦しくも のでし ょ うか.それに しても剣道粧の銭かさを強調し あったが。いま塑えば「たのしいJ ものであ。た. つづ げてきた怠味が, ζ れからの自分に必裂は ζ とば 「段 "くる逝」はいまは限られた週にすぎないが未 来多き学生鰭君の大きは展望令続念し'.がら.わたく 与のかもしれません. もろ 6 ろの歓を鍵れて空白の郎 し も#1 - 1 1い「たのしく j 生きようと思う . 分を理めるために血が低 ければと思います.愛する本 字毎の力強L 唖展を閥絡し街念いたします. 6 山形散車行状記 趣味のない話 音日 日百 家庭科保育 τt 口 子 阿 吉岡 理科化学 木 手口 今回「学部だより」編集委員より,上記題名で原稿 散Iliとは散歩の車版のことである。車は自転車でも の依頼があった。委員の先生方は,私が道楽者である 自動車でもよい。サイクリングとかドライブとかの片 とでも思っているらしい。反省を込めて,過去を辰返 仮名概念と少しく臭る点は,散歩のも Iつ気ままさ,自 って見る乙とにした。 然、の変化 K ひかれての自由な道のたどり方を旨とする 学生時代,研究室の忘年会の酒席で,実験について ところである。目的地というものはほとんどもたない。 λ 論をし,恩師から「趣味は,化学でもよいが,年と 風のむくま!ま気のむくまま κ出かける。自然との対話 ってから困るぞ」と,たしなめられた。得意になるよ や暮らじの表情などを楽しむのだから車の通りの多い り不安が強かった事を思い出す。友人がガールフレン 国道などは走らない。村の中の道,林道,はては農道 ドに「私の趣味は亀の甲" (化学〉ですJ と言っ ゃあぜみちまでも通る。道端に咲く花を賞で,庭先の て,持てたとの事。私には,話せるメッチェンが居な 柿の美しさに感動し,畑のにおい,せせらぎの音に誘 くて残念であった。 われて立ちどまっては又移動する。たまには目的地ら 理化学研究所研究生の時,爆発事故で試薬が自に入 しきところをもって出かける乙ともあるが,途中の楽 札一週間富で過した。殺から危険な商売を辞める しみの方がずっと多い。当然のこととして往きと還り よう説得された。一年後,網膜出血(自の結核 7) を の道はちがうところを極力さがすようになる。 川し,暗室・監獄のような病室 l 乙監禁され,全治不能 こんな風Tごから失敗もある。自転車で須JII のJl I べり と宣告された。自分の暗い将来を死と背中合せで考え を走り,新緑 I乙狭える蔵王めながめを楽しんでいたら ざせられた。その問に得た知識は,当り前の事だった。 小さな潜に出くわしてしまった。(小さな流れは散車 |人生は,一度しかない J I今の仕事しか,他 l 乙出来 の邪際をする乙とが多い。) 自転車をおいて溝をとび る 'nがない」であった。医者を信用するなら,治せな 乙し,少し先まで歩いてみたら,どうしてもそちらへ い医学の病Im l 乙隠ることないと,半年後病院を飛び出 行ってみたくなり,やむなく,大汗をかいて自転車を い以後限科 l 乙は行かないことにした。病気の事は, かついで潜をこさせることになった。車の場合 7ごと惑 f'Iらにハンデイキャップ(甘まえ)になり,周閲の迷 はよりめんどうである。山道へ分け入って行き 1上りに Jぷになるので,一般人と同じく振舞い,話題にもしな なったりすると, いおにした。還に任せて,商売続行となった。 スペースを探さねばならなくなる。 近くの友人 l 乙誘われて,海釣 l 乙行ったことがある。 しばらくパックして U ターンできる ある時,大久保あたりの畑道を下ると最上川の水辺 夕方,街の魚屋で秋刀魚を貿い,徹夜で釣った。朝に に車で乗り入れる乙とができた。初夏の夕暮れ時, なって,サンマがf尽くなり,戦果零で帰った。釣に行 うとうと流れるJl I を前 l 乙風にふかれるという気持のよ と かずに,サン?を食えば善かったと後悔した。趣味と い一時をすごし,伊j によって別の方向へ帰りはじめた。 は何ぞや, しかし趣味を持てない自分に嫌悪を覚えた。 軌の跡があるので安心していたのだが,だんだん道は 趣味を持てぬ劣等感と同居して人生半分を過ごした。 お11 くなる。こんなに細いとパックするのも容易ではな ì!Ï頃, I防人が減って,大工も下手になった。自分で建 いと車をおりてしばし思案…一。行く手をみると薮の てようと思ったが,土地が狭く豪邸は建たないので, 中への小さい坂がみえ,仰とか車一台は通れそうであ 大工にまかせた。外周りは自分でやった。本職が見学 る。地形からいって,あの上は道路につながっている J 乙来て言った「工法を教えて下さい。注文が来ている はずだ。イチかパチかの気持でE与を進め,坂をのぼっ んです J 。時計震の治せない時計を動かします。元北 た。勘が当り,アスフアルトの路面がみえた時には正 辰寮の H寺言 i も我が家で動いています。自分で画いた絵 直ほっとしたものである。 山形へ来てから 10年,こんな気ままな散車行が,季 奇玄関に飾っています。お金が無いからです。 つぎに,神様も造れなかったモノを作ります。それ 節ととの気持のよい臼曜日の楽しみである。 最後にこれまでのヒットを紹介しておこう。 は合成樹脂でした。つぎは,合成生物です。 今でも,恩師が安心するような趣味を持ちたいと願 って居ます。 (絵は,ある地方展にl却しています。入選率 100% う ち,特選率 50 労以上,山形県御買上げ) 春一一長谷堂の裏山のまEれ桜。大蕨附近の山桜の大*。 夏 最上川隼の搬の発見。西成王の野 m つみ。 秋 楢下宿から金山峠をへて七ケ宿の大路へ。 冬 小国へぬける 1 13 号線紅葉干高附近の雪長色。 7 一一 綴って日本では,明治初年に近代学制が布かれて以 《在学研修を終って》 来,学校教育の比重が他を圧倒してきたようです。 「国家の発展に奉仕しうる人材の養成J をめざす教育 アウフアイゲネス 勅語でも, リージコ .ゲ 社会科倫理学 平田俊 r人格の完成」をめざす教育基本法でも, 国家機関たる制度としての学校の勢威下に家庭も宗教 もかすんで見えます。国威を背}とする学校教育と張り 博 合うだけの力量と自信を,両者は欠いていたようです。 溝口前学部長をはじめ教育学部同僚諸兄並 び l ζ学生 答申「期待 される人 関像 1 が殊更「 家庭を教育の場 諸君の暖かい御支援を受けて,深い感謝の念のうちに とすること」を説き,また宗教の法律上の復権を目 私は, 198 2 年 10月 より I 年 10ヶ月間,西ドイツ政府 論むなどは, その笑 , 家庭や宗教をないが し ろにする の国際学術交流機関 Tこるアレキサンダー・フォン ・ フ 借越にほかなりません 。 国家や学校制度 κ遥かに先ん ンボルト財団の奨励研究員として,同国でカント哲学 じて家庭が あり 宗教があったのですし,国体や法律の の研究 l 乙従事致しました。私の研究課題は「カントの 転変を越えて両者はその機能を全うし続けてきたので 人絡性概念の概念史的研究」でし た。そ乙で以下 , 帰 すから,国家ないし学校はもっと家庭教育と宗教教育 国報告を兼ねて,人格ないし人格性概念、の理解のズレ を信頼し尊重すべきではないでしょうか。学校教育 に起因するとみられる臼独両国の教育観の相違を述代 は謙虚に自己本来の領分 l 乙,つまり知識・技能の伝達 させて頂きま す。 役割 1<:'5 1 き 下がるべきと思えます。学校教育が禁欲的 まずドイツで気づいたのは,教育 l 乙三本柱があるこ ならば,家庭や宗教はおのずとこれらに国有の教育機 とです。家庭教育 ・ 宗教教育 ・ 学校教育が相互補完的 能を発揮しだす弓じよう。人間の三種の在り方 κ対応 ではあれ,おのおの固有の機能を果している , 少くと して , 、 家庭と宗教と学校が三種の教育機能を補完的 l 己 も斯く期待されている,と見受けられました。家庭で 分担し合うー乙うして子弟の全人的教育が可能とな は将来一個の社会人たるべく,厳絡な喜美を通じて基本 るのではな いで しょうか。 的生活習慣と礼儀作法の習得が , 宗教教育ではーキ 「人格の完成」という ζ とで今日日本の教育が目ざ リスト教であれ何であれーー 一人ひとりの魂の世話が, すのは そして学校教育では知識と技能の習得が目ぎきれます。 しかも調和的に発展せしめる J 乙とのようです。しか r人 間の具えるあらゆる能力を , できる限り, 人と人との閥に在る社会的人倫的存在として の人 間と, し,乙乙には問題点が三つ認めら れ ます。第ーに, 人 自己に向き合う内面的道徳的存在としての人間と,自 間の能力にはむしろ抑制すべきものもあるという点で 然に立ち 向かう自然的動物的存在としての人 間, す。神にも獣にもなりうる『ー 乙れが人間なのです。 これ 第二 l 乙,学校教育単独の任務としては過大にすぎる点 ら三種の人間の在り方 K対応して , 教育の場と機能が 適切に配分されてい るのです。それでいて基本は家庭 です。~香 は喫がせておくだけなら余 りに残酷 です。 教育に置かれています。教育とは本来未熟な,つまり 時として不信ど乙ろか憎悪と荒廃の温床ともなりかね 一人前でない子弟を対象とし,乙れを一人前 κする乙 ません。第三 K ,人格紙念の理解が適切でな川県です。 とを目ぎすわけですから , 複雑な概念史を背後に控え, まずもって既に一人前であ しばしば矛盾する定義を るはずの両親が第一義に教育の責務を担う必要がある 担わされてきたこの概念を,余りに不用意に折衷的に わけです。両親による家庭教育を補完し是正する上で 用いています。 宗教及び学校教育が要議されます。乙乙で一人前であ ア ・ ノレネサンス期の理想的人間像 Tこる「万能の天才」 r人間能力の全面的展開 」とはイ タリ るとは,自分のした乙とに責任をもてる乙とを意味し に起源する理想であって,教育の一般的目標にふさわ ます。そして乙れ乙そ哲学者カントが「人絡」という しくないと思われます。可能性という甘美な幻想 K惑 言葉で示そうとしたものなのです。ドイ、プの田T を歩く 溺し生径教育漬けを志向する半人前以下のモラトリア と.IDJ I アウフ ム人間の族生の原因です。私は学校教育は肩肘らぬ, アイゲネス のが自に留ります。 リージコ」と謹ー かれである 「リスク U芭険)は自分で」とも解しえます。要する に, もっとささやかなものであってよいと思います。学校 I 自分の責任で」という意味です。 教育を担う教師にとってもその方がふさわしいのでは r一人前なんだろう。好きにやるさ。ただ落し前 だけはきっちり付けて貰うぜ。」 という乙とです。自 ないでしょうか。アウフ アイゲネス リージコ(自 分の責任で)グ 由の責任というか,甘えを許さない大入社会の凄みを 日本の教育目標も簡素に乙れぐらいでいいと思います。 感じます。アウフアイゲネス 既に人格枇念の核心を突いているのです。 リーフコ!!一一乙れが ドイツの教育目標です。 一-8 一一 昭和 60年度山形県教員採用試験合格状況 除ごと 県全{本 一次一次 受一験者数 合格者数 合格率 受一験者次数 969 130 196 75 91 49 46 113 22 31 81 834 25 58 9 412 49 28 39 32 19 20 29 14 13 28 271 12 15 4 143 7 12 122 153 38 886 26.2 26.9 8 . 2 37.3 2 0 .9 22. 4 2 6 .1 14. 2 36. 4 19. 4 21 .0 2 0 . 1 44. 0 15 . 5 22. 2 14 . 6 17 .3 1 7 . 0 29 . 2 22. 4 226 9 4 10 5 4 9 2 6 2 4 55 7 2 2 48 433 548 96 2 ,4 72 254 35 16 28 19 11 12 16 8 6 17 168 11 9 2 7 75 93 28 554 l l 5 16 309 5 10 205 国 社 数 理 音 美 体 技 校 家 英 特殊学校 体 3 E3 1 C I片J ミ手 チ: 英 その他 校 Z愛 教 ぷ E2ヨh 計 f筆 課 4呈 中 小学校 養 護 特 音 専攻科 中学校 特殊学校 中 養 叫三3絃< 特 音 一Z 守治主 ~ 謹 中 高等学校 特 3日 ' " 専攻科 養 教 dchコh 設 教 計 二次 受験者数 l 8 4 3 7 受験者数 合格者数 合格率 168 35 14 2 7 5 45 1 4 7 2 2 73 18 5 1 3 2 28 43.5 51 .4 35.7 50. 0 42. 9 40. 0 62. 2 100.0 50.0 71 .4 50.0 50 . 0 100. 0 43 . 8 47 . 9 I 2 5 1 1 1 16 309 l 7 148 I I 《学部ニュース 》 人事 (昇任 , 異動,退職等〕 59 年 10月 1 日付 け 遠藤賢太郎 (絵画〉 昇任 寺島恒世 (国文学" 教授 助教授 一-9 一一 生 学 合格者数 合絡率 l 100 6 1 8 1 2 5 44.2 6 6 .7 250 80.0 20.0 50.0 55.6 4 2 4 33 5 1 66.7 100.0 100.0 60.0 71 . 4 50.0 50.0 100.0 3 7 148 60.0 43 . 8 47 . 9 。 。 6 2 4 42 5 2 2 I 過去 3 年間の合格状況 校種・課程別状況 校 部 受験者数 小学校 l'ー 学 1 ・ 、 教育学部だより 1984 年 1 2 月 20 日 第 26 号一 発行 発行人 山形 大学教育 学部 編集 教育学部編集委員