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2011 年 3 月 質問 今回は、行政の説明責任について伺ってまいります
2011 年 3 月 質問 今回は、行政の説明責任について伺ってまいります。 今回の質問は、基本的に、行政と、県民の皆様との、真の相互理解を構築しうるポテン シャルを持った「説明責任」及び、それを、遂行する手段としての「広報」というものに、 触れたいと思っています。 皆様もご承知のとおり、県は現在、財政再建のまっただ中で厳しい財政運営を強いられ ています。 しかしながら、一方で、解決すべき課題は山積しています。こうした厳しい状態にあっ ても、この状況を乗り越え、岐阜県の未来を拓くためには、県民の皆様との相互理解のう えに立った、県政に対する、今日まで以上のご協力を、いただかなくては、立ち行かない ことは、執行部の皆様も強くお感じになっていると思います。 県民の皆様に、ご理解を得て、ご協力を頂くためには、何より、真の信頼関係を構築す ることが不可欠であり、信頼関係を構築する上において最も重要な事が、行政として、 「説明責任」を果たす事であることは、間違いありません。 今回の質問では、今後、県政を進めて行くうえで、県民の皆様とどの様に真の信頼関係 を構築されようとしているのか、県の姿勢をうかがわせて頂きたいと思います。 もちろん、この事は行政だけの問題ではなく、当然、議会にも同様の責任があり、私達 も一層の努力をし、双方が切磋琢磨する事が、今後の県政をより良きものにできるものと 思っております。 決して行政だけに説明責任を負わせるという事では無いことを、あらかじめ明確にさせ ていただきたいと思います。 さて、この「説明責任」という言葉ですが、今回の質問では、日本語としての単なる「説 明責任」という理解ではなく、今日、よく使われる「アカウンタビリティ」として、ご理 解ください。 ご存知のこととは思いますが、アカウンタビリティとは、従来は、単純に「会計説明責 任」という理解でしたが、時代の変遷と共に、拡大解釈されるようになり、今日では、権 力をもつ人、あるいは、企業・行政が、外部のステークホルダー、いわゆる利害関係者に 対して、自身の、また、企業・行政の行動について、事前・事後に説明し、理解を得られ るだけの説明を果たす責任を負うことを意味するようになってきています。 このことからすると、岐阜県の行政の長である、古田知事は、基本的に全県民に対する 説明責任を負うと共に、事柄によっては、更に広範囲に対して説明責任を負う事になりま す。 日本では、この「アカウンタビリティ」という言葉を、単に「説明責任」と訳して捉え ることも多いのが現状ですが、説明を行いさえすれば「アカウンタビリティを果たした」 ということになるのでしょうか? 確かに、どこまでやれば、アカウンタビリティ(説明責任)を果たしたといえるのか、 明確な基準はありません。しかしながら、たとえ、説明をしたとしても、受け手が、その 説明に対して理解し、納得していなければ、説明そのものが意味をなさなくなるわけです から、この場合、アカウンタビリティを果たしたとは言えないのではないでしょうか。 もちろん、いま問題になっている、モンスターペアレントなどに対し、ここでいうアカ ウンタビリティを果たすことは不可能に近いと思います。あくまでも常識の範囲とお考え 下さい。 「アカウンタビリティ」とは、受け手の理解と納得の得られる説明責任ということにな ると思います。 こうした理解は、日本において、特に行政において、まだまだ浸透していないと感じて いますが、今後、県民の皆様の積極的なご協力を頂くためには、行政として説明責任を果 たすことは、必要最低条件であると思います。 また、 「広報」についても、従来はパブリックインフォメーションという意味の断続的、 随時的な「公的な情報」に限定された概念でした。しかしながら、今日では、パブリック リレーションズ、すなわち、双方向コミュニケーションによる相互理解と、ほぼ同義で用 いられています。 また、近年、責任逃れの魔法の言葉の様に使われる「パブリックコメント」については、 広く県民の意見を聞く「広聴」の手続きのひとつですが、パブリックインフォメーション に基づく広聴では、意味がありません。 パブリックリレーションズに基づく広聴、つまり、正しい理解の上に立った「広聴」を 行わなければ意味がありません。 県民の正しい理解が無いままに行われるパブリックコメントは、単に「県民から意見を 聞いた」というアリバイ作りでしかなく、そのような「広聴」は全く意味がないことは、 ご理解いただけると思います。 さて、以上のような共通理解に立ち、行政の「説明責任」について伺って参ります。 繰り返しになるかもしれませんが、県政において、 県の施策や主張を県民に知らせ、 県民の皆様に理解をしていただき、ご協力を得ていくという、課程において、行政の、説 明責任は大変重要なものであり、私は、こうした説明責任を果たしていくことが、県政そ のものといっても過言ではないと思っています。 しかしながら、現状では、様々な県政の課題において、県民の皆様との相互理解を得る だけの説明責任は果たされていないと感じています。 例えば、国と地方との関係ですが、民主党政権は地域主権改革を1丁目1番地の課題と しながらも、ことごとく地方と対立しています。しかし、何が対立しているのか、県民へ のメッセージは発せられていません。 また、子ども手当の地方負担の問題や、国の出先機関改革の問題も同様です。 更に、社会保障と税の一体改革に伴う地方の税源確保問題や、縮減され続ける公共事業 の問題等、ことごとく地方の主張と対立しています。 この様な問題が、県民の目にどう映っているのでしょうか? なぜ、国と地方が対立しているか? その意味を県民が理解しているかは、疑問が残ります。 私は、このような国のあり方に大きく関わるような問題は、単に国と地方自治体との争い に収束してしまってはならないと思います。 地方の主張は、本来、地域住民のためであり、県民のための主張であるべきです。 そうであるなら、しっかりと地方の主張を県民に示し、何故、そうした主張をしている のか、県民の生活にどのような影響が出てくるのか、県民に理解していただき、支持をし てもらわなくてはならないと思います。 現在、県の財政状況は大変に厳しい状況にありますが、そうした厳しい中にあっても、 県民のための政策は進めていかなければなりません。そのため、当然のこととはいえ、県 は、まず、自らの身を削り、財政再建に取り組んでいる訳ですが、県民の何割の方がこの 事を認識され、理解して、「そんなに厳しいなら、協力しよう」という思いになって頂い ているのでしょうか? 場合によっては、県民に負担を求め、また、我慢をお願いしたり、協力をいただいたり、 自発的な行動をお願いしなければならない場面が、今日の財政状況のなかでは出てきます。 その際、重要となるのは、県民に対する説明責任をしっかりと果たすことだと思います。 県はこれから、どういう県にしようとしているのか、何を目指そうとしているのか、そ のために何をやろうとしているのか、県民に何をお願いするのか、そうしたメッセージを 県民に示し、理解を得ることで、協力いただき、行動していただかなくてはなりません。 例えば、今定例会で既に質問に出ました森林環境税の問題を考えてみます。 一般の感覚からすれば、当然、負担は軽い方が良いに決まっているのであり、新たな税 金を納めることを、無条件によしとするような方はいないと思います。 なぜ県民に追加負担をお願いするのか、それにより何を行い、何を目指そうとしている のか、まずはしっかりと県民にメッセージとして伝え、それを理解していただかなくては なりません。県民に広く負担をお願いするのなら、「広く県民の受益をもたらすための取 組の財源とするためである」といった、受益と負担の関係についても説明が必要だと思い ます。 そして、受益と負担ということから言えば、森林づくりは、森、川、海とつながり、県 という枠組みを超えて、下流域の住民にも恩恵をもたらし、さらには、きれいな空気は日 本国中、地球温暖化ガスの吸収は地球規模で恩恵をもたらします。 愛知県や名古屋市の繁栄は、岐阜県の森林が支えていると言っても過言ではないでしょう。 そうした恩恵に対し、県民だけに負担を求めるということでよいのでしょうか。 受益と負担の範囲が異なる場合には、それをどのように考えているのかについても説明 責任を果たす必要があると考えます。 県民に負担を求めるような内容のものに対し、県民の全面的な賛成をいただくというこ とは難しいかもしれません。 しかしながら、森林環境税は、私達が暮らす地域のためにも、子供や孫たちが安心して 暮らせる未来のためにも必要なことであり、今を生きる私たちの、後世への責任として、 大切なことであり、導入にあたっては。十分な説明責任を果たすことで、県民の皆様に、 「よくわかった、みんなで、後世の為に力を合わせよう」と言って、気持ちよく、ご協力 いただけるようにして頂きたいと思います。 その説明責任を果たすためのひとつの手段が「広報」です。ここで言う広報は、単に知 らせるだけの、今までの「広報」ではなく、県民の皆様に、相互理解をしていただけるポ テンシャルをもった、広報でなければなりません。 先程も述べましたが、パブリックインフォメーションではなく、パブリックリレーショ ンズでなくてはならないのです。何としてもしっかりとした広報の体制を整えていただき たいと思います。 さらに例として、国体の意義について考えてみたいと思います。 国体開催まで 1 年半、冬季競技会に至っては 1 年を切ったという、まさに、国体が間近 に迫った時期を迎えながら、地元で色々な方々とお話をさせていただくと、国体に対する 県民の関心、あるいは機運の盛り上がりは、あまり感じられず残念でなりません。 国体を一過性に終わらせず、これを契機にどういう岐阜県を作っていくのか、県民の皆 様に理解していただき、協力して頂かなくてはなりませんが、知事の思いは、いまだ、県 全体には伝わっていません。知事は、昨日、国体に対する熱い思いを答弁されていました が、もっと激しく思いを伝えていただかなくてはならないと思います。 国体そのもののPRはもとより、今回の国体開催意義や、国体を契機に、どのような岐 阜県を目指しているのかについて、知事の思いを伝え、相互理解を構築したうえで、 県民の皆様に、どう行動してほしいのか、 県民運動として、いかに取り組んでいってほしいのか理解していただき、ご協力を頂か なくては、知事のお考えになっている “県民のための国体”にはならないと思います。 また、この国体を契機に、岐阜県の良さを磨き、そして、県の内外に、PRし、県の発 展につなげることで、県民生活の向上につなげていく絶好の機会ととらえているならば、 ものづくり等の岐阜の技術の高さ、そしてものづくりのみならず、自然環境、医療・教育 など、岐阜県の暮らし良さをアピールして、岐阜のイメージアップをはかる取り組みに、 全庁一丸となって目的を共有し、更に県民の皆様にこの目的を共有していただき、実際の 行動に結びつけて行かなくてはならないと思いますが、今の状況では、一過性のイベント に終わってしまいます。今後の取り組みに期待してやみません。 さらに例を挙げますが、次にお話しさせて頂くのは、今までの例とは違い、県が直接的 な説明責任を負うものではありませんが、行政の責任として、県民の生命を守るために、 関係者に対し説明責任を果たすよう、いかにして働きかけ、行政としての責任を果たして いくのか、ということです。 このことは、県が固有の問題として説明責任を負っているということではなく、県として、 いかに的確に説明責任が果たされる社会システムになるよう取り組んでいくかというこ とです。 例えばジェネリック医薬品についてであります。先発薬と比べ、効果がそれほど違わず、 副作用の問題もないのなら、社会的な医療費負担を少なくするためにも、ジェネリック医 薬品の使用は大いに進められるべきであり、玉田先生の、代表質問のとおり、このこと自 体を否定するものでは決してありません。 しかしながら、一方で、県民の生命と健康に直結する問題であることも事実です。 また、以前と違い、今日では、医師の判断でジェネリック医薬品の使用を制限することは 可能ですが、基本的には、薬を選択する上で、患者が選択のイニシアティブをもち、的確 な判断をしなければならないシステムになっており、医療機関の側に選択のイニシアティ ブがあった以前のシステムとは、変わっています。 このようにシステムが変更されているなかで、ジェネリックに対する説明責任というも のは、果たされているといえるのでしょうか。 先発薬とジェネリックは、有効成分は同様ですが、製法特許や、製造特許が切れていな い場合は、添加物や剤形の違いで、薬の溶けだす速度等に違いが出たりしますし、ジェネ リック医薬品の試験には、有効性の試験はありますが、安全性については、先発医薬品で 確認されているということから、安全性の試験は行われておりません。有効性については、 統計学的に先発品と差がないということです。このような事実も含め、患者に対し、ジェ ネリック医薬品が、信頼に足り得るだけの情報が与えられ、先発薬とジェネリックの違い を、正確に理解出来るだけの説明がなされなければ、的確な判断は難しいのではないでし ょうか。 ジェネリックの普及のためには、製薬会社が、まず医療機関の側にも、薬剤師にも、的 確な説明責任を果たし、医療機関等が、患者に対して的確な判断ができるだけの説明責任 を果たすことが、大切であり、行政として関係者に対し、説明責任を果たす事を、 指導することが、患者の不安を取り除くと同時に的確な判断を可能にし、ジェネリック医 薬品の健全な普及につながると思います。 十分な説明がなされていないまま、医療費の削減、個人負担の軽減だけを宣伝し「使え、 使え」という、一方的なメッセージでは不安や不信をよび、命にかかわる問題では、逆効 果になると思います。 先ほども申し上げましたように、本来この問題で、直接的に説明責任を負っているのは、 県ではありません。しかしながら、県民の命を守るという、県の行政責任において、この 問題に対し説明責任を果たす社会システムを構築し、県民の健康を守るためには、県とし て国に対し、ジェネリック医薬品の安全性、信頼性を担保しうる機能の整備と共に、説明 責任を求めるべきだと、私は思います。 医療費の抑制は大きな課題ですが、お一人お一人の意識とモラルの向上なくして、医療 費の削減は不可能であり、説明責任を果たし、理解を頂き、自発的行動につなげていくこ とが必要なことは、ご理解いただけると思います。そのためには相互理解を構築しうる広 報のありかたが、今後、大きな課題であると感じています。 以上、いろいろと例を挙げて、県政を進める上での説明責任の重要性について、指摘し て参りました。 ここで知事にうかがいます。 今後、行政として果たすべき「アカウンタビリティ」について、知事は、どのような、 お考えをお持ちでしょうか? また、今後どのようにして県民に対する説明責任を果たし、真の相互理解の構築を進め、 県民の皆様の協力を得て、よりよい未来の岐阜県をつくっていくおつもりなのか? 知事の、お考えをお聞かせください。 私は、今日の厳しい状況を乗り越え、未来の光を見出すためには、今まで以上に、県民 の皆様の、ご協力が必要だと感じています。 どうか、県民の皆様との、真の相互理解、構築のためにも、この場でしっかりと説明責 任を果たして頂けることを期待して質問を終わります。 ご静聴、 ありがとうございました。