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Departmental Bulletin Paper / 紀要論文
授業における討論の課題設定について(そ
の1) : 大学教育実践研究(2)
On Selecting a Subject of Discussion in the Instruction in
Higher Education (Part 1)
佐藤, 年明
Satou, Toshiaki
三重大学教育学部研究紀要. 教育科学. 1993, 44, p. 99-115.
http://hdl.handle.net/10076/4492
三重大学教育学部研究紀要
第44巻
教育科学(1993)99-115頁
授業における討論の課題設定について(その1)
一大学教育実践研究(2)∬
佐
藤
年
明
OnSelectingaSubjectofDiscussioninthe
InstruCtioninHigherEducation(Partl)
ToshiakiSATOU
〔要
旨〕
本紀要第43巻所収の拙稿の続報である。1991年度前期「初等教育方法Ⅰ・中等教育方法
I」における討論の授業(1991年7月5日)について、「ストップモーション方式」による
授業記録を掲載した。また、授業における「ディベート」の意味について検討している。
Ⅰ.はじめに一前稿からひきついだ課題
前稿(1)において残した課題を検討することから始めることにしたい。
前稿では、三重大学教育学部における1991年度前期の私の授業「初等教育方法Ⅰ・中等教
育方法I」の全体の概要を紹介することに多くの紙数を賛し、そこで試みた討論の詳細な記録
とその分析を提示することができなかった。つまり討論を位置づけた授業についての教師側の
意図の紹介に終わり、これを受けとめた受講生側の反応については、感想文の一部を私の要約
を経た形で紹介することにとどまった。
その後現在までに、1991年度後期・1992年度前期の実践を終え、さらに1992年度後期の実
践に取り組みつつある。それらの実践の一部についても、すでに他の機会に発表している(2)。
その間授業内容についてはさらにいろいろと修正・発展を試みてきているのであり、前稿で
取り上げた実践はすでに3期前の過去のものになってしまったわけである。
しかし、上述したような前稿の不十分性を踏まえて、実践の自己分析を相対的に完結させる
ために、本稿を前稿の続報としたい。
前稿で紹介したように、私は1991年6月28日・7月5日の授業で、ある中学校教師の社会
科の授業のビデオ視聴を素材として、この教師の授業方法を支持するか批判するかについて、
受講生の8つの斑を機械的に4班ずっに二分して討論を行なわせた(3)。6月28日の段階では、
各班が指定された立場から主張を発表するところまでしか進まなかったので、本稿では実質的
な議論の応酬があった7月5日の授業における討論について、自己分析を行ないたい。
Ⅱ.「ストップモーション方式」による授業記録について
授業研究の方法として、「ストップモーション方式」と呼ばれる新しい方法がある。これを
提唱した藤岡信勝によると(4)、「ストップモーション方式」には次の2つの意味が含まれてい
-99-
佐
藤
年
明
る。
「〈1〉ビデオを用いた授業検討会の方法としてのストップモーション方式
〈2〉授業記録の書き方としてのストップモーション方式」(5)
本稿で試みるのは、このうち第2の意味での「ストップモーション方式」だが、もともと第
2のものは第1のものから生まれてきたという関係にあるので、両方について簡単に説明する。
第1の「ストップモーション方式」とは、「授業を録画したビデオを再生して見る際に、ビ
デオの走行を一時停止して個々の場面における教師の教授行為について議論する方法」(6)で
ある。
第2の「ストップモーション方式」とは、「ビデオを用いた授業検討会の方法としてのストッ
プモーション方式が、再生の際しばしば授業の進行をとめてコメントを加えたり、議論したり
するのと同じように、授業記録でも記録部分の中にコメントや授業の構造・前後関係を解明し
た記述をさし込むと授業の立体構造がわかりやすくなるだろう、という考え方から生れた」(7)
ものである。
発言の記録方法など細かい点で、藤岡と見解の異なる部分ほあるが、以下の私の授業の記録
は、基本的にこの「ストップモーション方式」に基づいている。具体的作業としては、当日の
授業を教室の前後から2台のビデオカメラによって撮影し、映像・音声を同期化させて合成
(仮に「シンクロ・ダビング」と呼称している)したビデオテープを再生しながら、いわゆる
「テープ起こし」を行なったのだが、「T-C記録」と呼ばれる教師と学習者の会話だけを再現
した記録ではなく、ビデオの映像と授業者としての記憶に基づいて言語コミュニケーション以
外の情報も記録に盛り込んだことと、後日記録を検討してみて言及しておくべきだと判断した
ことがらを、〈ストップモーション〉という表示の下に随所に挿入していることが特徴である。
Ⅲ.1991年7月5日「初等教育方法Ⅰ・中等教育方法I」
(授業者:佐藤年明)の授業記録
(記録中『』は教師の発言、「」は学習者の発言を表わす。××××××は聴取不能部分、
……は問、…は文頭・文末が途切れていることを表す。)
[午前10時42分、12分遅れで授業開始]
教師は、レポート課題について説明し、本日の授業をビデオ撮影することを予め断った上で、
本日のディベートについての指示を行なう。
前回、1・3・5・7班が「漆間氏の授業支持」、2・4・6・8班が「漆間氏の授業批判」
の立場に立って意見発表を行なったことを確認し、今回は相手の立場への反論のための班討論
をまず行なうと指示し、その前に思い出すためにもう一度漆問浩一実践のビデオの一部を視聴
すると説明。
[午前10時48分:開始後6分]
ビデオ視聴開始(14分間)。
[午前11時2分:開始後20分]
班討論開始を指示。
『「いじわるよっちゃん」のとこだけもう1回見てもらいましたが、それでほさっそく今から、
反論のための班討論、そうですね、11時20分を目途に、班討論を開始して下さい。討論用紙
配っていきますので直ちに始めて下さい。』
-100-
授業における討論の課題設定について(その1)
受講者がなかなか行動に移らないので、教師は討論記録用紙を配付しながら、『できるだけ
全体討論に時間かけたいので速やかに班討論やって下さい。』と促す。
受講者は席を移動し、討論の態勢を作る。
〈ストップモーション〉討論中のビデオ撮影の方針が曖昧なため、2台のカメラはそれぞれ近く
にいる班の討論を撮影してはいるのだが、音声がはっきり記録されてい
ないし、また討論の間の教師の動きが写っていない。グループ別討論の
場面をより詳細に記録するには、さらに数台のビデオカメラを持ち込み、
討論開始直後に「合わせ」(映像同期化のために映画の「カチンコ」の
ように、手をパチンと叩く場面を全てのカメラで撮影しておくこと)
を行なって、1台のカメラが教師を、残りのカメラが分担していくつか
のグループをそれぞれ撮影するのがよいだろう。
教師は討論中に黒板のまんなかに縦に線を引き、左半分の上部に<支持派→批判派>、右半
分の上部に<批判派→支持派>と書いておいた。あとで発言を整理して板書するためである。
[午前11時18分:開始後36分]
『そろそろ20分になりますから、切ってもよろしいか?司会者の人ちょっと判断して下さい。
まだ続けて議論する必要のある班の司会者の人、ちょっと手をあげてくれますか。もうちょっ
と議論したいというとこ……。3つぐらい…。じゃああと5分延長しますから、25分に全体
に移ります。』
班討論再開。
〈ストップモーション〉
班討論をどこで切り上げるかは、いっも迷うところである。討論の途中
で無理やり終わらせると、全体討論の場でまとまった意見発表を行なう
ことが難しくなる。かと言って、もう意見が出尽くした班を、いっまで
も待たせておくわけにもいかない。小学校の授業ならば、討論が終わっ
た班の子どもたちには討論の内容を自分のノートにまとめるという課題
を予め与えておくという指導も考えられるが、ノート指導までやるわけ
ではない大学の授業でそこまでやるのもどうかと思う。
[午前11時23分:開始後40分]
『そろそろ締め括って下さいね。もうすぐ終わりです。』
[午前11時24分:開始後41分]
『はいそれでは、班討論を終了して下さい。班討論終了して下さい。……いいですか?
それではね、進め方は一応通信に書いときましたけど、私もこういう形でやるのは初めてで
すから、うまくまとまるかどうかわかりませんが-まあまとまらなくてもいいんですけど
も-なるべく活発に意見交換ができればと思います。ちょっとミニ・レポート書く時間も
はしいので、まあ12時までには一応全体の討論は終わりたいと思いますので、だいたいそう
ですね、一方が…一方的に批判して片方が防戦するというのでも不公平ですから、まあだいた
い15分ぐらいを目途に、前半は支持派から批判派への反論を中心に、もちろん逆の再反論が
ありますからやりとりになりますけど、前半は支持派の方からまず意見を出していくのを中心
に、後半は逆に、批判派の方から意見を出していくというふうな形でだいたい進めます。
それで、関連する意見はどんどん追加で発言をしていってはしい。∵応1班からやりますけ
ど、同じような意見があったら、発言をしてはしいということと、それから発言するときに自
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分の班と名前を言ってもらって、どの班の意見に対する批判かということをね、はっきり言っ
てもらう。でないと、だれが反論したらいいかわかりませんから。
ということで、それでは1班の記録者の人からお願いします。……あ、名前言ってね。』
[午前11時25分:開始後43分]
1班の記録者が発言する。
「平川です。まず2班から順番に行きたいと思います。2班の方の意見で、先生の威厳がなく
なるのではないだろうかという意見に対してなんですけれども、先生の指示にもきちんと従っ
ていて、親しみやすいからといって威厳がないというのはおかしいのではないか、つていうの
がまず第一点です。.
次の二番目の意見として、「楽しそうだがショウのようで授業らしくないところがよくない。」
というところがあるんですけれども、授業らしい・らしくないというのは、いったいどういう
ことを指しているのかということです。
もう1つ2班の、手を挙げる時の注意についてなんですけれども、「これで授業の流れが止
まっているのではないか。」という意見ですけれども、私たちでは、授業の流れが止まってい
るとは思えないのに、どういったところが授業の流れが止まっているのかという具体的なとこ
ろを教えていただきたいと思います。
次に4班なんですけれども、「言葉遣いが荒い。」という意見がありましたけれども、これも
どういった点が荒いのか具体的に言っていただきたいと思います。
もう1つば、「考える時間を制限するのはどうか。」というのがあるんですけれども、授業を
進めるにあたっては必要なことと考えますので、制限しなかった場合授業はどういうふうに進
んでいくのか、というところを教えていただきたいと思います。
次に6班なんですけれども、ノートの取り方について指示を与えていますが、私たちでは中
1の段階ではノートの取り方を指示することは必要なのではないかと思います。
もう1つは、「テーマへの導入が長すぎて、結果的にポイントがぼけているのではないか。」
という意見ですけれども、これは、この時の授業の内容として生徒に興味を持たせることば必
要なので、適当ではなかったかと思います。
次に8班なんですけれども、「子ども同士の対立も必要だったのではないか。」という意見で
すけれども、「原子」について生徒同士が質問し合っていた場面があったと思うんですけれど
も、そういった以外にどういった対立が必要だったのか、もしあれば言っていただきたいと思
います。
最後にパフォーマンスについてですけれども、私たちの意見として、パフォーマンス自体は
ある程度必要だと思いますので、なぜパフォーマンスが授業では必要ではないのかという…具
体的にもう少し説明していただきたいと思います。以上です。」
〈ストップモーション〉1班に羅列的に発表させたのは不適切だった。羅列的な批判に対応して羅
列的に反論を要求したのでは討論にならないことば明らかなのだから、口
火の批判は1点に絞らせたはうがよかった。但しその場合、発言者の判断
で絞らせるよりも、班討論の段階で最も批判したい点を予め絞っておくよ
う指示すべきであった。1時間のディベートでどれだけの量の議論ができ
るかについての見通しが立っていなかったことからくる指示の甘さである。
[午前11時29分:開始後46分]
-102-
授業における討論の課題設定について(その1)
『たくさん出ましたので、ちょっと咄嵯には整理しきれませんが、3・5・7班の中で今出た論点
と関係あるとこがあったら、どこでもいいですから発言してはしいんですけど。3・5・7班の記
録者の人で、今1堆からたくさんでましたけど、関係ある……ところないですか?後でまた同じこ
とを繰り返しても仕方がないんで…。
じゃあそうですね、どこにしようかな、まあ最初の方から取り上げていきましょうか。2班の
「先生の威厳がなくなり、生活指導など他の指導がやりにくくなるのではないか。」というのに対し
て、1班は、子どもたち、生徒たちは先生の指示に従っているわけだし、別に威厳がないとは思わ
ないという意見なんですが、まず支持派の方から、この点に関連して他に意見ないですか?…この
点に関して、3・5・7班の人…。……いいですか?』
教師はなんとか1班だけではなく他の班の意見をからませようとするのだが、まだ指名なしに自
発的発言が出る雰囲気ではない。教師はしかたなく名指しで批判された班に水を向ける。
『それじゃあ2班の方、再反論して下さい。先生の威厳…。』
教師、左側に<教師の威厳>と板書。
2班の畑君が、隣の人と相談したりしばらくもじもじした後ようやく立っ。
『どうぞ。名前言って下さいね。』
「畑です。やっぱり生徒でも、そんなよい子ばっかりじゃないんで、かちと思われるので、やっぱ
り時には先生の威厳というものは必要ではないかと思うんですけど。いっも友達同士やったら生徒
もこれからのことについてとか、生活していく上であまり真面目に考えないんではないかと…。だ
から時には厳しくあたれるようになった方がいいんじゃないかと思います。」
『友達同士のようだということですか?漆間先生の…』
(2班・畑)「なれあいに…、先生となれあいになるのがいけないんではないかと…」
教師は先の板書に続けて<く→友だちどうしのよう/教師と生徒が慣れ合いになる>と板書し
ながら、黒坂に向かったまま言う。
『はい1班どうですか?』
声がないので、教師は振り返ってさらに発言を促す。
『誰が言ってもいいよ。』
1班の4人ぐらいの間で誰が立っかの軽い応酬があった後、滝沢さんが立っ。
『はいどうぞ…あ、ちょっと待って、名前…。』
「滝沢です。あの授業を見てる限りは、なれあいっていうのは同等の立場であるんだけれども、ちゃ
んと先生も指示する時に敬語を使っていましたし、やっぱりある程度距離はあったと思うんですけ
れども、どの場面において威厳がないと思われるのか教えていただきたいです。」
鋭い突っ込みに笑いが起こる。教師は反論を促す。
『(笑い)どうぞ。』
再度2班が答えなければならないのだが、2班のメンバーははとんど相談らしい相談をしていな
い。
教師は板書に<(教師の威厳)はあった/指示の時、敬語を使っていた)>と追加した上でさら
に反論を促す。
『なれあいと言われるのはどういう場面か、という質問です。』
姫君が座ったままで開き直って答える。
「そんなもんは見ていてわかる…」
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まわりから笑いが起こる。
『えっ?(笑い)…見ていてわかる?…あの、他の人も助けてあげてね。一人に集中砲火を浴びせ
るのはかわいそうだから。
同じように思う人ありませんか?批判派の方で…。教師と生徒のなれあいである…。こういう場
面で、教師と生徒の関係としてふさわしくないと思った…。
こちらの支持派の意見は具体的なんですよ。教師が生徒に指示するときには、敬語って言ったか
な?丁寧な言葉を使ってたということです。だからつまり、きちんと距離を置いてたと、距離を置
くべきとこでは。だから別になれあいじゃない…。(笑い)劣勢ですね。』
教師はさらに2班の反論を促す。姫君は小さい声で「参った。」とか「ごめんなさい。」とブツブ
ツ言っているだけで、もう発言しようとしない。また2班の他のメンバーも助け船を出してくれな
い。
『特に反論ないですか、追加の反論…ここはおかしかったとか、ここがなれあいだとか…。……ちょっ
とじゃあ置いときますよ、それ以上進まないようなんで…。』
これで第1の論点についてのディベートが終わる。5分足らずの討論だった。
〈ストップモーション〉討論の雰囲気は笑い声も起こるものではあったが、批判の矢面に立った
姫君の応対には、なぜ自分ばかりが槍玉にあげられなければならないの
か、という憤藩のようなものが感じられた。以前にもよく似た場面に遭
遇したことがあるが、大勢の前で特定の学生にたたみかけるように発言
を求めると、衆目に晒して辱めたという反発を感じさせてしまう場合が
ある。あるいは、畑君にとってはあらかじめ教師によって押しつけられ
た立場にすぎないのだから、本気で擁護する気にはならなかったという
ことなのかもしれない。ゲームとしてディベートを楽しむということ、
そしてその過程で論証能力を身につけていくのだということについて、
受講生の中に十分な合意がないのである。教師の説明不足や、基礎訓練
なしにいきなり本番の討論に入ったことが原因だろう。
[午前11時34分:開始後52分]
『そしたら…、はっきり意見が対立する点がありましたね。4班に対して、「考える時間を制
限することば必要だと思う。」というのが1班の意見なんですが、これに対して、4班‥・。』
(4班・大川)「大川です。ある程度の時間制限をするのは、授業を進めるにあたっては必要だ
とは思うんですけど、質問を教師が与えるたびに、20秒という、はとんど時間を区切ってし
まって、そういうのを瞬発的に答えられる子とかはいいんですけど、それでないじっくり考え
たい子どもとかは、考えてるうちにどんどん先に進められてしまって、焦ってしまうんでない
かと思います。それで、そういう子どもは授業についていけないのではないかと思うんですけ
ど、どうでしょうか?」
『時間制限は子どもを…、子どもによっては焦らせることになるし、ついていけない子どもを
生み出すんじゃないかという意見ですが、1班…、1班じゃなくてもいいですよ、3・5・7
班でもいいですよ。[2・4・6・8班を指して]こちらからは反論しないではしいんです。
[1・3・5・7班を指して]こちらの半分からは、どこから反論してもらってもいいです。』
1班から手が挙がる。
「小久保です。20秒って指示していた時っていうのは、たとえば電気を使っているものとか、
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授業における討論の課題設定について(その1)
発電の仕方とか、じっくり考えて出てくるものではなくて、ある程度もう頑に浮かんでくるよ
うなもののときに20秒という時間制限をして、それで1分、2分取ったとしても、ある程度
思いっいてくるものやから、じっくり考えるものじゃなくて、…つていう質問の時に20秒と
いう時間制限をしてたので、それは、だらだらだらだら放っとくよりもいいんじゃないかなと
思うんですけど、どうでしょうか。」
教師は小久保君の発言中に、前の大ノーlさんの発言をまとめて<「20秒」という/時間制限
は子どもをあせらせる>と板書し、その後小久保君の発言の主旨を復唱する。
『質問の内容によって、なんだっけ?電気を使うものだった?(小久保「電気を使うものとか、
発電の方法とか…」)ふんふん、すぐに思いっくような事項に関して、短時間…だらだらやら
ずに短時間…制限していたので、むしろ効果的だったんじゃないかと…。なんでもかんでも時
間を短く切り捨てたわけじゃないよという意見です。さあ…。(笑い)』
すぐに大川さんが立っ。
「そうだとは思うんですけど、どうしていちいち20秒っていうふうに制限するのか、ちょっ
となんか先生のエゴって感じがして…」
『数字を出してることにこだわってるんですか?』
「はい。」
『さあどうでしょう。「ちょっと考えてみましょう。」とか、「しばらく考えてみましょう。」じゃ
なくって、「20秒」って言った…。(笑い)』
小久保君が、まわりの班員に同意を求めるように見回しながらブツブツ言う。
「決まりでしょうね。=…・ルールでしょ。」
教師はその言葉を拾い上げる。
『ルールっていうのは?』
(1班・小久保)「××××××、だからすぐ考えれるようなことばだいたい20秒くらいって
いうのを…授業のルールっていうか習慣的にあったんじゃないかと思いますけど。たぶん今日…
この当日だけ20秒、20秒じゃなくて、たぶんもう4月の段階から20秒というのがあったと
いうのをすごく感じられるんですけど。だからそれにはもう慣れていると思います、20秒の
考え方は…。」
教師は発言を聞きながら<時間制限は必要/授業のルールとして確立しているのでは?>と
板書する。
『まあここからはちょっと推測になっちゃいますね。あの時間の授業だけではわからない。ま
あ確かにバッバッバッと教師が指示して、生徒は「えっ?」とか言いながらもそれに従ってま
したから、もうそういう習慣になってたんじゃないかという推測もできますが。
いかがですか?この時問制限…、子どもに考えさせる時の時間制限について、他に××××
××意見ないですか?……まあ時と場合によりと言ってしまえばもうそれでおしまいなんです
けども(笑い)…。……一人一人の子どもにとってどうかという問題は、確かに残りますね。
だけど、われわれとしては検証のしようがありませんけど、どうだったんかという…。残る問
題ではあります。』
これで第2の論点についてのディベートが終わる。これも約5分間だった。
〈ストップモーション〉4班と1班、と言うより、大ノーlさんと小久保君のやりとりは、やや「論
戦」らしくなった。二人とも、促される前に発言する姿勢を示した。た
-105-
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だ、時間を限定して考えさせることが普段からの授業での約束事になっ
ているのではないかという、この場では検証不可能な推測が小久保君か
ら出された段階で、教師が介入して論争を打ち切ってしまったかたちに
なった○ここをもう少し時間をかけてじっくり議論していくと、1時間
の授業から1年間の実践へと視野を広げていく絶好のきっかけになった
だろう。しかし教師の意識は、残った問題を残った時間内にできるだけ
処理すること、そしてもっと多くの班を議論に参加させることの方に向
いていたのである。
[午前11時39分:開始後57分]
『それから、もう1つぐらいいきましょうか08班に対して、「子ども同士の意見対立」と書
いてあるけれども、…何だっけ?原子力のとこだったかな?…で、えっ、違う?…子ども同士
が…、子ども同士が意見交換をする場面があったと…、で、それ以外にどういうことが必要だ
と思いますかという質問というか反論です。8班いかがですか?』
しばらく沈黙が続く。
『はい、どうぞ。』
(8班・片岡)「片岡ですけど、子ども同士の意見対立が若干あっただろうという気もするん
ですけども、わざわざ先生が「よっちゃん」という名前をっけて、そして生徒と対立する必要
はなかったのではないかという、そこの点なんですけど、あそこの場面で「よっちゃん」では
なく、子ども同士の対立の方がいいんではないかと思います。」
教師は発言を聞きながら、<よっちゃんが生徒と対立する>と板書する。
『これはかなりね、根幹になる問題なんで、こちら[=1・3・5・7班]の方も少し反論し
てはしいんですけど、「いじわるよっちゃん」の名札をっけて-そこで先生でなくなるわけ
ですが-「いじわるよっちゃん」が生徒とあえて対立するというのはね、不自然…不自然っ
ていうか、わざわざそうする必要はないっていうのが、今の片岡さんから出た意見です。
(<必要はない>と板書をっけたした上で)いかがですか?……支持派の人々、「いじわるよっ
ちゃん」…「いじわるよっちゃん」ていうのは、わざとらしいと、要するに。ね、そんな方法
をとらなくても、生徒の問の議論の組織ができるんじゃないか・‥。
……反論しないと、「いじわるよっちゃん」は正しくない…正しくないってちょっと変だけ
れども…ことになりますよ。評価できない…。』
挑発しても沈黙が続き反論が出ないので、教師は前回の班討論の記録に基づいて、当然反論
すべき班を指名する。
『えーつとどこ行こ…ああ3班にもありますね○他の班もあるかな?「『いじわるよっちゃん』
がよかった。」とあります。3班ト…‥よかった点を、どうぞ。』
3班はのろのろと相談するようなしないような雰囲気。教師は20秒以上待っが、たまりか
ねて再度促す。
『どうですか?よかった点…』
ようやく1人が立っ。
『はい、どうぞ。あ、名前を…』
「金森です。……よかった点っていうのは、あの授業の中で……、もし先生がこのような「よっ
ちゃん」にならなかったら、……」
-106-
授業における討論の課題設定について(その1)
金森君は、督促されてしかたなく立ったけれども、まとまった答えを用意していなかったよ
うで、沈黙して立往生してしまった。教師は発言を反復して続きを促す。
『もし先生が「よっちゃん」にならなかったら?』
l==∴===l
金森君はようやく3班のメンバーと相談し始める。しかしなかなか発言できるところまでま
とまらないようだ。教師は約1分30秒待った上で言う。
『支持派の人はみんな反論しないといけないんですよ、これ。(笑い)金森君1人に任しとい
たらだめですよ。形勢不利!』
金森君はなお班のメンバーと相談していたが、ようやく発言する。
「「いじわるよっちゃん」にならなかったら、普通の先生のままで正しい意見を言うと思うん
ですけど、でも「よっちゃん」になったことによって、立場は子どもになって……」
教師、金森君の発言を途中まで板書(<教師から「子ども」へ立場をうつすことで>)して、
さらに次を促す。
『立場が子どもになることが…?』
「さっき言った2班の「威厳がなくなり…」っていうことが、威厳がなくなるんじゃなくて、
立場が変わることによって威厳はなくならないと思うんです。(教師笑う)わかんないけど、…
ほんとにわかりません。だから……」
『いや、威厳はなくならないのは、こちらの反論に対する消極的な評価やから、立場が変わる
ことの積極的な意味ということはどうですか?』
「生徒をひきつける。」
『あ、生徒をひきつけるね。』
教師は<生徒をひきつける>と板書し、『みりがとう。』と言って金森君を座らせる。金森君
は5分あまり立ちっばなしだった。
『支持派の人たち、他にないですかはんとに、「いじわるよっちゃん」を支持できる理由…
(笑い)。このままだとね、漆間さんのパフォーマンスとしてはまあおもしろいけど、特にそれ
が積極的意義を持ってるわけでもないし、たとえば自分がそれをね、教壇に立って使う必要も
ないと…、効果もない…。漆間さんがやってるのは、まあまあおもしろかったけど、おもしろ
いという以上に意味はない‥・(笑い)。
批判派の人、追い討ちの批判はありませんか?「いじわるよっちゃん」について…。他の班
なかったかな……。』
教師はそう言って前回の討論記録を見直す。
『ないですか、これ以上…。もう十分ですか?』
反応がないので、教師は次の論点に移ることにする。
[午前11時49分:開始後1時間7分]
『えーつとそしたら、1・3班と来たんで、どうしようかな。今度は、まだ5・7班が残って
るんですけど、…3班には全部の意見は発表してもらってませんが、時間が気になるので、……
じゃあね、さっきからまだ発言のない班……あ、6班!6班の人、今度は批判派の方から支持
派への反論をお願いします。』
「高柳といいます。まず1班の方で、「活発」ではなく、ただ見て楽しんでいるだけというこ
とです。あと「授業に打ち込んでいる」と書いてありますが、××××××ですね、生徒がつ
-107-
佐
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年
明
くっている授業ではなく、先生が独自の世界をっくりすぎであり、結局だから先生中心の授業
であるということです。
3班の方で、「時間の切り替えがうまかった」とありますが、切り替えはできてなく、先生
がずっとしゃべっていると思います。
5班、「先生の声が大きくて…」とありますが、他の班にもこういうの…「おもしろい」だ
とかそういうのも全部絡めて、先生の声が大きいとか、そういうのは集中力がなくなり、私語
が多くなる。なぜかというと、大きいので聞こうとする意欲がなくなり、耳を傾けることに集
中できなくなるので、結局授業も、聞こえてくることしか耳に入ってない心配がある。
7班の、さっきも出てますが、20秒というのは、発問の内容に応じては、もう少し時間を
取るところは取ったりなりとかしたほうがいいんじゃないかと思います。板書の方も、ノート
をとらす××××××など、時間をあと与えてあげたり、方法なども生徒に任したらいいと思
います。もうあと……、「先生と生徒が一体化している。」と書いてありますが、これはどうい
う意味なのかわからないので、質問です。」
『ええっと、それは7班?』
「7班です。
最後に、「教材研究をしっかりやっている。」とありますが、水力・火力など発電のしくみと
か、太陽電池のことなど、先生の方がまだ知識不足のような気がします。終わりです。」
[午前11時52分:開始後1時間10分]
『そしたら、またいろいろ出ましたが、1班に対する意見もいろんな問題があるんだけども、
さっき1班だいぶ答えてもらったんで…って言うか発言してもらったんで、それではね、5班
に対して、先生の声の問題が出ましたね。「大きくてわかりやすい。」という意見に対して、か
えってああいう大きな声では集中力がなくなるんじゃないか、生徒の側は聞こうと努力しない
のではないかと、だいたいそういう意見ですね?
5班、いかがでしょうか?』
「先生の声は…」
『あ、ちょっと待って、名前…』
「北村です。…ひょっとして聞こえないことがあったりするんで、やっぱりできるだけ大きい
方がいい。」
『(笑い)先生の声は大きい方がいいと‥小う簡単な反論でしたが(笑い)、……どうですか、
今の反論に対して、高柳君。』
「はい。まあ大きいのに越したことは…大きい方が・t・要するに声の大きさとか通りとか、そう
いうのを聞くと、結局通っとる方がいいんですけど、ただ大きすぎるとかえってそういうのが
出てきて、ほんと自分も授業して気づいたことでも、やっぱり大きすぎるとかえって動きが、
生徒の動きがランダムになりやすくて、そういう雑談とかがふえてくると思っています。」
教師は高柳君の発言の間に、<大きい声>と板書する。
『支持意見ありますか?教師の声が、いや大きい声だとよく通るというのが北村君の意見でし
たね。まあ、常識的な意見だと思うんだけど…。高柳君は、だけど大きすぎるとかえってざわ
ざわするって?生徒が?…というのは自分の経験としてということですか?』
「経験とか、それも考えてみると、声の大きい人…だからこうやってしゃべっとっても、耳傾
けなくても聞こえてくるちゅうのがあるし、ちょっとぐらいしゃべっとっても…ちゅうか、ま
-108-
授業における討論の課題設定について(その1)
あある程度通る声やったら、集中して、静かにパアーツて集まるんですけど、そんなような意
味で、大きすぎるとよそごとやってるとか、そういうのも含めて…と思います。」
教師は発言の間に<・教師の声
大きすぎると集中しない>と板書する。
『他の人意見ないですか?はいどうぞ。』
ここでついに自発的発言第1号が出た!同じ6班の大葉さんである。
[午前11時55分:開始後1時間13分・全体討論開始後32分]
「大要です。ちょっと違うんですけど、教師の声が大きすぎるというのの、大きいのはいいと
思うんですけど、場面によっては押さえた方がいい所もあって、授業ずっと見てて生徒が考え
る場面でも同じ大きさの大きな声で、子どもの思考をかえってじゃましている場面もあると思
いました。」
教師は<場面によってはおさえたはうがよい/(子どもの思考をじゃまする)>と板書する。
『他にないですか?……漆間先生も自分で「大きすぎるから…。」って言ってましたけどね。
これはねえ、すごい大事な問題だと思いますね。もちろん教室の条件によっても違うんだけど、
でも皆さんでも大学で授業聞いてて、マイク使って話をする授業、それから一定の人数でこう
いうふうに地声で話すのと、その人の声の質にもよるだろうけど、どっちが聞きやすいか?1
時間通して考えた場合にね。そういう…、ちょっとそんなことをミニ・レポートに書いてた人
もいましたが…。これねえ、大学では…大学ではというか、教師養成のカリキュラムとしては
やってないことだと思いますね。音楽で発声する…歌うための発声についてはやってると思う
んですけど、それも初等…小学校課程の方と、中等の方だと音楽の課程の方だけですよね。ま
してや、話し声の訓練というのか、子どもたちにどうしたらよく伝わるかという…大学ではやっ
てないことなんだけど、すごく大事なこと‥・、まあ大学でどこまでできるかということもあり
ますけども、教育実習の際には、そういうこともたぶん言われるとも思いますし、これから行
く人は考えてほしいことですね。
ちょっと脱線しちゃいましたが、……大事な問題だと思います。ちょっと十分…違う意見が
出たままですけど…。』
[午前11時58分:開始後1時間15分]
『じゃあね、今の6班からの批判で……7班に対して、「生徒と先生が一体化している。」と評
価しているが、これはどういう意味かという…、これは質問ですね、…がありました。7班の
人…』
「木平です。「生徒と先生が一体化している。」というのは、その前に授業の約束事で、スライ
ドを見せた時に、「オーッ!」と盛り上げる、という文章で、先生だけが決めるのじゃなくて、
先生と生徒がいっしょになって約束をして、その場の…授業の雰囲気を盛り上げていくという
ことで、先生だけが××××××、生徒もいっしょになって授業をっくっていくとあったので
「先生と生徒が一体化している。」というので、書きました。」
教師は<・教師一生徒の"一体化">と板書する。
『スライドを××××××出すときに、「オーッ!」というね…、あれ約束事になってるよう
です。そういうことだということで、どうですか高柳君?それで1さらに批判ありますか?』
この教師の問いかけに対して、6班の別のメンバーが挙手した。2人目の自発的発言者であ
る。
『ああ、はいどうぞ。』
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「西田ですけども、そういう意味で一体化ということを考えられたなら、まあ別に意見はない
んですが(教師笑う)、仮に生徒と教師の方のやりとりの方の関係の方で一体化ということを
もし考えられていたなら、それはちょっとだめだということを言いたかったもんで、一応これ
はどういう意味か聞いてみたんですが、他の班にもあるんですが、漆間先生の授業を見ている
限り、どっちかというと、教師が尋ねて生徒が答えるというパターンで、一つ一つのオウム返
し…変な言葉で言えば、オウム返しというような感じがするんですが、生徒と生徒の意見交換
があまり見られないというところで、そういうところを書かれた班には聞きたいなと思って、
一応出したん…そういう一体化についての具体的なことを聞きたいということで出したわけな
んですけども××不×××。」
教師は発言中に板書を一部修正してさらに追加し、<(教師一生徒の)関係Q-A、Q-A
のくり返し>と書く。
『オウム返しと言うと同じことを返したことになるから、一問一答ですよね、要するにね。QA、Q-Aのくり返しになってて、生徒間の討論がない。』
教師は<生徒間の討論がない>と板書に追加する。
『支持派の方から何か反論ありますか?さっきちょっと出てたことではありますけどね…。生
徒間の意見交換のあった部分もあったという意見はすでに出てましたけど、何か加えて反論あ
りますか?……生徒と生徒の関係は深まってないとね、いうふうな‥・。はいどうぞ。』
3回目の自発的発言である。
(木平)「生徒の意見交換がないと言われたんですけれど、それはちゃんと、水力とか原子力っ
て出していったときに、「これはいいかなぁ…」とか、そういうことをちゃんと見てて知って、
生徒も原子力がどういう…、「原子の力とかどういうことですか?」とか、ちゃんと生徒の意
見に対して生徒が質問してたと思うんですけれど。」
具体的事実を証拠に挙げた有力な反論である。
[午後0時2分:開始後1時間19分]
『生徒の意見…1つの意見に対して、他の生徒が質問したり…ということばあったじゃないか、
という意見ですが……いかがですか?』
再批判は出てこない。教師はこの問題に大いに関心を持っているので、ついっい口をはさん
でしまう。
『これもね、実に大きな問題…中学校の場合、中学校・高校の場合特にそうだと思うんですね。
漆間さんの授業だけを見て判断できないこともあると思うんだけど、まあ失礼ながらこの大学
の皆さんの授業でもそうなんですけど、発言してもらうというのはね、なかなか大変ですよね、
正直に言って。こんな風に場面を設定して、いま発言してもらってますけど、どうでしょうか、
皆さん自身の経験として、授業の中で発言するという経験がいっごろから-多分少なくなっ
てきて現在に至っていると思うんですが-いっごろから少なくなってきているか…。小学
校では、おそらく人によって、担任の先生によって、差はあったでしょうけど、全然なかった
ことは多分ないでしょうし、中学校以降でなんかそういうふうになってきたのじゃないでしょ
うか?……ですからせいぜい一問一答なんですよね。教師が指名して、生徒が立って何か答を
言う。でまた、次の質問…というパターンが多いんじゃないかと思いますけど。……そうじゃ
ない授業を工夫している先生もたくさんいて、まあ藤間先生もその1人だろうとは思うんです。
で、評価が今の討論の中ではやや分かれました。もっと生徒間の…生徒間の意見交換がないと
-110-
授業における討論の課題設定について(その1)
いけない…。さっきの教師主導という意見とも絡んでいるというふうに思うんです。』
2分余りの発言だった。教師は時間を気にしながらも、ぎりぎりまで討論を続行しようとす
る。
[午後0時4分:開始後1時間22分]
『残った時間もう5分しかありませんので、できるだけ議論…せっかくの機会ですから、議論
を時間のある限りしたいんです。ですから…‥tうん、もう少しこれだけは言っておきたいとい
う意見があったら、出してはしいんですけど。それぞれ‥ぜちらからでも結構です。』
教師は間を置くが、もう意見は出てこない。
〈ストップモーション〉「これだけは言っておきたいという意見…」云々は、議論をしめくくる
際の司会者の常套文句ではあるが、この授業での意見発表が議論白熱と
言える状態ではなかったことや、この直前に教師が長々としゃべって討
論の流れを断ち切ってしまったことから見れば、この場面でははとんど
効果がなかったと言える。
『ないですか?そしたら、なんとなく中途半端に終わっちゃうなという感じもするんですけど
も…。班討論をやってる過程では、「論破してやる。」という声も聞こえたんですが…。まあ論
破されてしまったとこもあったような感じもしますけど…「いじわるよっちゃん」のジとこなん
かは積極意見が出てこないんで、あれだめなんかというふうになりますが…。
本当はもう少し時間があったら、実は去年なんかもこういう…おととしかな?こういう授業
のやり方をちょっとここでやったときに、「私ははんとの自分の立場で意見が言いたかった。」
という感想があとから出てきたもんですから、はんとは時間があったら、途中でこの指定討論
は打ち切ってね、あとは自分自身の立場でどんどん発言してもらうということをやろうと思っ
たんですけど、時間がなくなってしまいましたので…。
それから、あと少しやっぱり今日皆さんの意見聞いてて、触れておかなければいけない点も
いくつかあると思いますので、これで終わらしてしまわずに、次回の時に私の方からまとめを
ある程度したいと思います。はんとは、この残り後半3回ぐらいで、3つぐらいビデオを見て
もらおうと思ったんですけど(笑い)、やっぱりこの、見てもらった漆問さんの授業をめぐっ
て、少し考え方を整理しておきたいと思います。』
以上の総括発言に続き、教師は最後に本日のミニ・レポートの課題を指示した。
[午後0時6分:開始後1時間24分]
『それで、ミニ・レポートですけど、こういうふうに書いてはしいと思うんです。もう、ちょっ
と口頭で言いますね。
立場をとりあえず分けます。「支持」か「批判」か。両方だと思うんですが、「どちらかと言
えば…」ということでいいです。
まず1番として、この議論やる前の当初の自分白身の立場をね、どっちだったか…。つまり
「漆問氏の授業支持」なのか、「漆間氏の授業批判」なのか。「どちらかと言えば…」ですよ。
「どちらでもない。」と言わずに、どちらかにしてはしいと思います。それが1番ですね。それ
から、2番としては、今日の短時間ですが議論をしました。その議論の中で、どちらの立場が
説得的だったのか?支持派の立場と批判派の立場…ずーつと議論聞いててね、発言した人もあ
るけど聞いてるだけの人もありますが、聞いててどっちの立場が説得的だったのか。…主張に
ね、説得性があったか。客観的判断です、これは。今日の議論の中で、どちらが説得的だった
-111-
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か…。
3番目に、現在の自分自身の立場は、どっちか?支持派か批判派か…。
ちょっと2番と3番と区別しにくいかもしれませんが、1番と3番はつまり自分自身の本音
ということになります0で、1番の方が始まる前、3番の方が現在…。2番は、今の議論を聞
いてて、たとえばこういうことがあると思うんです、「私としては、漆間氏の授業を支持した
い一自分自身はね-だけど今日の議論ではどうも支持派の方は劣勢であった。」という判
断もあり得ると思うんです。そういう人の場合は2番と3番の答えが変わる…。
それを書いてもらって、もう時間がないんですが、できれば一言だけでも今日の討論につい
て感想をっけたして、そして出して下さい。一言で結構です。1・2・3書いて、その後に一
言感想を・‥。』
[午後0時8分:開始後1時間26分]
このあと教師はメイン・レポートのことで少し説明し、指示を終わる。すぐにチャイムがな
り、授業時間終了。受講生はまだミニ・レポートを書いている。やがて、書けたものから順次
提出して退室していく。
板書は最終的に以下のようになった。
(黒板の左半分)
支持派→批判派
教師の威厳はあった
く
>
指示の時、敬語を使っていた
友だちどうしのよう
教師と生徒が慣れ合いになる
「20秒」という
時間制限は必要
<
>
時間制限は子どもをあせらせる
授業のルールとして確立しているのでは?
教師から「子ども」へ立場をうつすことで
よっちゃんが生徒と対立する
生徒をひきつける
必要はない
(黒板の右半分)
批判派→支持派
・教師の声
大きすぎると集中しない
場面によってはおさえたはうがよい
(子どもの思考をじゃまする)
・教師一生徒の関係
QrA、Q-Aのくり返し
生徒間の討論がない
Ⅳ.授業分析(1):「ディベート」としての限界
これまで分析してきた1991年7月5日の授業における討論を前稿では「ディベート」と呼
称していた。そこではこの用語を「意見の対立を意図的に組織して主張の論理的説得力を競い
合う」(8)ものと自己流に定義していた。しかし、以下に見るような「ディベート」の解説に従
-112-
授業における討論の課題設定について(その1)
えば、私が組織した討論は「ディベート」と呼び得るための基本的条件を十分に満たしていな
いことがわかった。
まだまだ授業における討論の指導方法について、全面的な検討を行なったわけではないが、
「ディベート」とは何かについて、とりあえず2、3の文献を参照してみた。
大学を含めて学校教育の授業に「ディベート」を導入することを熱心に主張している岡本明
人によると、「ディベート」は次のようなルールから成り立っている。
「ルール1
論題をきめる。
ルール2
形式的に肯定側・否定側の2つの立場をきめる。
ルール3
立論・反対尋問・最終弁論の3つの要素が必要である。
ルール4
勝ち負けの評価をする。
ルール5
時間をきめる。」(9)
岡本によれば、これらのルールの中で2と4が満たされなければ、ディベートとは言えない。
なぜならその2つが、「ディベートのゲームとしての特徴を明確に表している」(10)からである。
また、岡本が「日本におけるディベート教育の第一人者」(11)と紹介する松本道弘によると、
「ディベート」の定義は次の通りである。
「①
ある一つの論題をめぐり、
②
肯定と否定といった、相対する二組の間で行なわれる
③
④
一定のルール(人数、進行方法、審査方法)に従って行なわれ
立証される議論を交互に闘わせ
⑤
語られた言語と論理(詭弁はルール違反)を武器として
⑥
スポーツにみるフェアネスとジェントルマンシップの精神により闘われ
⑦
なんらかの形で審査判定された
⑧(1)真理の追求、(2)意思決定、(3)問題解決、(4)問題発見、などを目的とした
⑨
レフリーつきの
⑬
建設的なツー・ウェイ・コミュニケーション」(12)
松本は、「ディベート」はこの10の条件を常に完備しなければならないわけではなく、③④
⑥⑦⑨が満たされれば、「ディベートというゲームは成立する。」(13)と述べる。
この2つの定義に従って前述の私の実践における討論を見直してみると、まず岡本の言う必
須条件の2は満たしているが、4を満たしていない。また松本があげる必須の5条件の中では、
④をある程度実現できた以外ははとんど満たしていない。
特に、「ディベート」はゲームであり、したがって勝ち負けの判定を行なわなければならな
いという発想が私にはなかった。というよりは、ゲームに徹することへのためらいがあったと
言えよう。7月5日の討論の終了後に書かせたミニ・レポートでは、質問項目の最後に「支持
派と批判派ではどちらの主張が説得的だったか?」という点を挙げており、確かに審査や判定
を求めているのだが、これは各自に書かせてそのまま回収し、次の授業で他の項目と合わせて
結果(14)を発表したのであり、討論の最後に勝ち負けを判定して終わったというわけではない。
これは、機械的に決めて教師がむりやり押し付けた立場に立っての討論なのだから、主張の説
得力で勝負するのは酷だ、あるいは自分の本当の立場とは違うにも関わらず真面目に考えて主
張を組み立てているのに、それに対して勝ったとか負けたとかの判定をゲーム感覚で楽しんで
下すことは、反発をかうのではないかというためらいがあったのだと思う。
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授業記録を見ると、2度3度と突っ込まれると開き直ったり、逆に黙り込んでしまったりす
る学生が多く、必ずしも「論駁」されてしまったわけではないのに討論が続かない、という場
面がある○大勢の前で主張の論理性を競い合うこと、しかもそれを「自己の存在を掛けて」と
いうように正面から引き受けるのではなくて、ゲームとして楽しんでしまうこと、これらを実
現するには、やはりそれ以前の段階でかなりの事前準備が必要な気がする。
Ⅴ.授業分析(2):課題設定の検討へ一次稿にむけて
ここまで考えると、授業の中で「ゲームとしての討論」を行なうことの意味、あるいは是否
の問題に行き着く。.これまでどちらかというと討論の組織・運営の方法に傾斜をかけて検討を
行なってきたが、ここへきていま一度「何をこそ討論するのか?」という課題設定のあり方の
検討が必要になってくるわけである。ようやく本稿の題目に掲げた問題に到達したわけだが、
もはやこれについて十分に論じるための紙数はない。
本稿で検討した1991年度前期の「立場指定討論」は、誤解を恐れずに言えば、議論の素材
である中学校教師の授業実践自体について、十分に時間をかけて検討できなかったがために、
かろうじて成立したとも言えるのである。論点は1時間の授業の中での教師の授業方法総体に
ついて「支持か批判か」という、きわめて粗いものだった。実践の具体的事実に即して個別に
もっと緻密な論点設定をしていくと、学習集団を二分してのディベートを組織することはかえっ
てむずかしくなる。
実は1992年度前期の実践(「初等教育方法Ⅰ・中等教育方法Ⅰ・教育課程論I」)でその問
題にぶつかったのである。同じ漆問浩一氏の授業実践の検討を、今度は授業の全期間を通じて
行なったのだが、授業期間の末期に全体討論を組織しようとした時、それまでの具体的事実に
即した実践検討の延長線上に改めて二大グループに分かれて互いに批判し合うための論題を設
定することができなかったのである。そこで、全体討論は「ディベート」形式ではなく、多様
な意見を集約する報告会のような形式に切り替えた。(15)
言うまでもなく、授業における討論の形態は「ディベート」だけではない。学習者参加の方
法としての討論はより多様な形態で構想してよいだろう。ただ、学生の現状を見た場合、一定
の「しかけ」を用意しないと、なかなか意見発表自体が自発的には行なわれないし、発言があっ
たとしても、その内容が相互に絡み合って議論が深まる状態にもっていくことば容易ではない。
そこで学生の参加意欲を高める手段のひとっとして、授業に「ゲーム性」を持ち込むことを考
えるわけである。不十分ながら「ディベート的な討論」をめざしてきた理由もそこにある。だ
が、この方法を徹底して、「ディベート能力の形成」自体を授業の主要な目標にすべきかどう
かについては、卿寺点ではやはり考え込んでしまう。「教育方法学」の授業において教師とし
て伝えたいものが、この方法で適切に受講生に受けとめられるのかどうかについて、判断に迷
うのである。
「学習者参加」を前面に打ち出し、学習者をどう動かすかに重点をおいてここ3年ほどの授
業を運営してきたが、このような方法面の改善への努力を続けつつ、改めて私自身の「教育方
法学教育」「教育課程論教育」の内容構想を全体的に吟味すべき時期に来ている。
この報告は今後も継続し、その中で当面個別の具体的な討論課題の設定についての自己検討
を行なっていく予定である。その際、個別課題と全体的カリキュラム構想の再検討とのつなが
りについても、常に念頭に置いておきたい。
-114-
授業における討論の課題設定について(その1)
註
(1)拙稿「多人数の授業における討論の試み一大学教育実践研究(1)一」(『三重大学教育学部研
究紀要第43巻(教育科学)』1992年、以下、A論文と略記する)
(2)拙稿「『教育方法の授業』の2つのねらいと1つのジレンマ」(『授業づくりネットワーク』No・60
学事出版1992年11月、以下、B論文と略記する)参照。また日本教育方法学会第28回大会(1992
年10月3-4日、奈良教育大学で開催)の課題研究Ⅲ「大学における『教育方法学』教育の検討」
において、「『参加』と『批判』の体験を通じて学生自身の学習指導観の形成を促す」と題する個人報
告を行なった。
(3)佐藤、A論文、p.92-93、94、98参照。
(4)藤岡信勝『ストップモーション方式による授業研究の方法』(学事出版1991年)
(5)同上、p.3
(6)同上、p.4
(7)同上。
(8)佐藤、A論文、p.98
(9)岡本明人『授業ディベート入門』(明治図書1992年)p.18
(10)同上、p.19
(11)同上、p,53
(12)松本道弘『これがディベートのやり方だ!』(中経出版1986年)p.24
(13)同上、p.25
(14)佐藤、A論文、p.94
(15)佐藤、B論文参照。
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