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屋 須 弘 平 物 語 さ く ら

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屋 須 弘 平 物 語 さ く ら
3
まちの総合情報誌ふじさわ
No.626
は弘
主平
役の
の望
屋郷
須心
弘を
平熱
を演
演。
じ満
る席
佐の
藤会
重場
光は
さ涙
んと
︵
感
49 動
︶に
=包
黄ま
海れ
字た
辻。
山写
=真
物縄
語
文
ホ
さー
くル
らで
﹂2
は月
、 26
中日
米開
グか
アれ
テた
マ第
ラ7
で回
生藤
涯沢
を町
閉民
じ劇
た場
写﹁
真屋
家須
屋弘
須平
屋特
集
須◎
第
弘7
回
平藤
沢
物町
民
語劇
場
さ
く
ら
第7回
藤沢町民劇場
屋須弘平物語
さくら
く ら
Fujisawa.Iwate
2
語り継ぎたい
郷土の偉人
屋須弘平
や
す こう へい
屋須弘平(1846−1917年)は、
グアテマラで活躍した藤沢出身の写真家。
仙台藩が旧幕府側にあったため
日本での出世は閉ざされたが、
夢を海外に求め、果敢に挑んだ郷土の先人だ。
屋須は地球を半周した日本の裏側
中米グアテマラで、人生の大半を過ごした。
彼は道しるべやマニュアルのない
波瀾万丈の人生の中で、
自ら道を切り開き、そして大きな足跡を残した。
1世紀の時を超え2004年4月、
彼の遺作品の一部が故郷藤沢に戻ってきた。
く
奇しくもそれは、彼が渡航するきっかけとなった
天文学上の現象「金星の太陽面通過」が
130年ぶりに観測された年と重なった。
そして2006年2月26日、藤沢町民劇場は
屋須弘平という「郷土の偉人」を
町民劇場という「地域の文化」に変えて
縄文ホールから発信した。
本特集では、
涙と感動に包まれた舞台をリポートしながら、
郷土の偉人屋須弘平の生涯に迫る。
(特集 17ページまで)
3
Mar.2006
さ
第1場◎発見
し 写
撮 真
ら に
れ も
て 匹
い 敵
た す
。 る
衝
撃
的
な
世
界
が
写
通
っ
た
。
本
か
ら
手
紙
が
届
い
た
。
そ
こ
に
は
屋
須
な
が
ら
、
メ
キ
シ
コ
市
内
の
天
文
学
校
に
一
八
八
六
︵
明
治
十
九
︶
年
七
月
、
日
ダ
ー
ル
の
肖
像
写
真
や
ア
ッ
ジ
ェ
の
風
景
た
。
彼
が
残
し
た
写
真
原
板
に
は
、
ナ
年
前
、
こ
の
街
で
暮
ら
し
、
写
真
を
撮
っ
の
名
は
屋
須
弘
平
。
彼
は
今
か
ら
百
二
十
屋
須
は
コ
バ
ル
ビ
ア
ス
の
家
に
寄
宿
し
グ
ア
テ
マ
ラ
で
写
真
を
学
ぶ
古
里
の
母
親
と
暮
ら
し
た
い
真
家
と
し
て
の
道
を
順
調
に
歩
ん
だ
。
は
藤
沢
出
身
の
写
真
家
だ
っ
た
。
そ
の
男
の
美
し
い
街
を
最
初
に
写
真
に
撮
っ
た
の
え
る
建
物
が
数
多
く
残
さ
れ
て
い
る
。
こ
産
に
指
定
さ
れ
、
今
も
当
時
の
面
影
を
伝
一
九
七
九
︵
昭
和
五
十
四
︶
年
、
世
界
遺
コ
に
渡
っ
た
。
ス
・
コ
バ
ル
ビ
ア
ス
隊
長
と
共
に
メ
キ
シ
シ
コ
観
測
隊
の
フ
ラ
ン
シ
ス
コ
・
デ
ィ
ア
八
七
五
︵
明
治
八
︶
年
、
帰
国
す
る
メ
キ
る
古
都
ア
ン
テ
ィ
グ
ア
。
十
六
世
紀
ス
ペ
ラ
。
こ
の
国
で
一
番
美
し
い
街
と
い
わ
れ
古
代
マ
ヤ
文
明
が
栄
え
た
中
米
グ
ア
テ
マ
と
き
メ
キ
シ
コ
隊
に
通
訳
と
し
て
雇
わ
れ
メ
キ
シ
コ
か
ら
観
測
隊
が
訪
れ
た
。
こ
の
さ
れ
た
。
そ
の
観
測
地
と
し
て
最
適
地
欧
米
各
国
か
ら
世
界
中
に
観
測
隊
が
派
遣
太
陽
と
地
球
の
距
離
を
測
る
絶
好
の
機
会
。
通
過
﹂
は
、
天
文
学
者
た
ち
の
夢
だ
っ
た
館
入
の 撮 り
緻ち 影 し
密みつ 、 た
な 現 。
作 像
、
業 焼
は き
、 付
屋 け
須 な
の ど
性 、
格 写
に 真
だ
っ
た
日
本
に
は
ア
メ
リ
カ
、
フ
ラ
ン
ス
、
天
文
学
者
を
夢
見
て
い
た
屋
須
は
、
一
文
学
者
の
道
は
閉
ざ
さ
れ
た
も
の
の
、
写
に
ス
タ
ジ
オ
を
開
い
て
大
繁
盛
し
た
。
天
二
年
で
独
立
。
ク
リ
ス
ト
街
や
南
八
番
街
合
っ
て
い
た
。
彼
は
写
真
を
学
ん
で
か
ら
て
い
た
ウ
ブ
ル
ー
ヘ
ス
の
写
真
館
に
弟
子
る
た
め
に
公
使
館
前
で
写
真
館
を
経
営
し
お
金
が
な
か
っ
た
。
そ
こ
で
、
収
入
を
得
給
さ
れ
る
金
は
安
く
、
帰
国
し
よ
う
に
も
思
い
立
っ
た
が
、
コ
バ
ル
ビ
ア
ス
か
ら
支
た
。
屋
須
は
母
が
待
つ
日
本
へ
の
帰
国
を
イ
ン
人
に
よ
っ
て
建
設
さ
れ
た
こ
の
街
は
知屋
る須
を
た
の
が
二
十
七
歳
の
屋
須
だ
っ
た
。
陽
面
を
通
過
す
る
と
い
う
天
文
学
上
の
重
要
な
現
象
が
起
き
た
。
﹁
金
星
の
太
陽
面
グ
ア
テ
マ
ラ
で
の
暮
ら
し
は
退
屈
だ
っ
ス
に
同
行
し
公
使
館
で
働
い
た
。
文
学
を
学
ん
だ
。
医
学
、
フ
ラ
ン
ス
語
、
ス
ペ
イ
ン
語
、
天
語
を
学
び
、
十
七
歳
で
江
戸
に
出
て
漢
学
、
し
て
藤
沢
に
生
ま
れ
た
。
父
に
オ
ラ
ン
ダ
月
二 屋
十 須
七 は
日 一
、 八
蘭 四
医 六
屋 ︵
須し 弘
尚ょう 化
安あん 三
の ︶
長 年
男 十
と 二
マ
ラ
市
に
移
っ
た
。
彼
は
天
文
学
者
に
な
に
一
八
七
八
︵
明
治
十
一
︶
年
、
グ
ア
テ
公
使
に
任
命
さ
れ
た
コ
バ
ル
ビ
ア
ス
と
共
壊
。
屋
須
は
、
政
権
交
代
で
グ
ア
テ
マ
ラ
て
い
た
レ
ル
ド
・
デ
・
テ
ハ
ダ
政
権
は
崩
一
八
七
四
︵
明
治
七
︶
年
、
金
星
が
太
る
と
い
う
夢
を
あ
き
ら
め
、
コ
バ
ル
ビ
ア
タ
ー
が
勃
発
。
コ
バ
ル
ビ
ア
ス
が
支
持
し
ル
フ
ィ
リ
オ
・
デ
ィ
ア
ス
に
よ
る
ク
ー
デ
天
文
学
者
を
夢
見
て
海
外
へ
し
か
し
一
八
七
六
︵
明
治
九
︶
年
、
ポ
グ天
ア文
テ学
マ者
ラの
で
写夢
真破
館れ
開
く
Fujisawa.Iwate
4
屋須弘平
物語
さら
く
屋須とマリア夫人の結婚式の記念
写真。グアテマラシティのスタジ
オで撮影されている。彼の肖像写
真を象徴するような1枚だ
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グアテマラ共和国
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【面 積】108,89k㎡【人 口】1,270万 人【首
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都】グアテマラシティ【気候】標高によっ
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て異なる。熱帯気候にある沿岸地域の平
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均気温は28℃、中央高地は20℃ と穏や
かだ【人種】先住民(インディオ)45%、
ヨーロッパ系2%、混血(ラディノ)52%【言語】
スペイン語【宗
教】カトリック【略史】(1523)スペインが征服(1821)スペインか
ら独立(1823)中米諸州連合結成(1838)グアテマラ共和国設立
(1986)民政移管【政体】
立憲共和制【産業】
主要産業は農業(コー
ヒー、バナナ、砂糖、綿花、カルダモンなど)【通貨】ケッツア
ル(Q)【予算】200.79億Q(2000年度)
(資料:グアテマラ共和国大使館)
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金星の太陽面通過
2005年6月8日、130年ぶりに日本で観
測された金星の太陽面通過。地球、金星、
太陽
太陽が一直線に並ぶ現象で、太陽の前を
金星が移動していく様子が見える。金星
と地球の会合周期は584日だが、584日
金星
ごとに起きるわけではない。金星の軌道
面は地球より約3.4度傾いており、たい
ていの場合太陽の北か南を通過している。つまり新月ごとに日
食が起こらないのと同じだ。金星が地球の軌道面を南から北へ
抜ける点を昇交点、北から南へ抜ける点を降交点というが、昇
交点通過は毎年12月上旬、降交点通過は6月上旬だ。ちょうど
そのときに金星が内合になれば太陽面通過が見られる。これは
短期間に2回の通過がセットになっていて、2度目は8年後に
起こる。しかしその次は100年以上の間隔があく。
す
る
つ
も
り
で
い
た
が
、
ニ
ュ
ー
ヨ
ー
ク
向
か
っ
た
。
こ
の
と
き
彼
は
数
年
で
帰
国
す
る
の
は
遺
憾
﹂
と
一
人
グ
ア
テ
マ
ラ
に
ま
れ
、
穏
や
か
な
表
情
で
眠
っ
て
い
た
。
あ
っ
た
。
彼
は
グ
ア
テ
マ
ラ
の
人
た
ち
に
囲
リ
エ
ガ
が
写
し
た
屋
須
の
最
後
の
写
真
が
5
は
﹁
志
を
立
て
た
に
も
か
か
わ
ら
ず
帰
国
た
の
だ
。
開
拓
団
が
帰
国
す
る
中
、
屋
須
発
見
さ
れ
た
千
枚
の
写
真
の
中
に
、
ノ
Mar.2006
き
七
十
二
歳
だ
っ
た
。
山
は
す
で
に
掘
り
つ
く
さ
れ
た
廃
坑
だ
っ
か
し
、
銀
山
開
発
は
失
敗
に
終
わ
る
。
銀
み
、
南
米
行
き
の
船
に
乗
り
込
ん
だ
。
し
屋
須
は
母
を
フ
ラ
ン
ス
人
宣
教
師
に
頼
く
し
て
日
本
を
離
れ
た
屋
須
は
、
こ
の
と
涯
を
閉
じ
た
。
天
文
学
者
を
夢
見
て
、
若
︵
大
正
六
︶
年
二
月
二
十
八
日
に
、
そ
の
生
に
写
真
館
を
譲
り
、
一
年
後
の
一
九
一
七
ら
わ
ず
か
半
年
後
の
こ
と
だ
っ
た
。
た
屋
須
は
ホ
セ
・
ド
ミ
ン
ゴ
・
ノ
リ
エ
ガ
ン
語
を
話
せ
る
屋
須
を
雇
っ
た
。
帰
国
か
坑
夫
の
監
督
に
あ
た
る
通
訳
に
、
ス
ペ
イ
一
九
一
六
︵
大
正
五
︶
年
、
病
気
を
患
っ
い
穏
や
か
な
日
々
を
送
っ
た
。
し
た
。
そ
し
て
、
現
地
政
府
と
の
交
渉
、
カ
ラ
ワ
ク
ラ
地
方
銀
山
の
開
発
に
乗
り
出
日
本
初
の
海
外
事
業
と
し
て
、
ペ
ル
ー
の
生
と
は
違
い
、
晩
年
は
さ
ほ
ど
波
風
の
な
し
て
い
た
。
結
婚
前
の
波
乱
に
満
ち
た
人
べ
て
、
コ
ー
ヒ
ー
を
飲
む
の
を
楽
し
み
に
高
橋
は
一
八
八
九
︵
明
治
二
十
二
︶
年
、
ン
の
木
の
周
り
に
テ
ー
ブ
ル
と
い
す
を
並
を
夢
見
て
い
た
。
り
つ
め
る
高
橋
は
、
こ
の
こ
ろ
一
攫
千
金
運
命
は
急
転
す
る
。
後
に
首
相
に
ま
で
上
い
う
野
心
に
燃
え
た
男
が
現
れ
た
こ
と
で
、
と
こ
ろ
が
、
屋
須
の
前
に
高
橋
是これ
清きよ
と
高
橋
是
清
と
運
命
の
出
会
い
な
ど
の
野
菜
を
育
て
、
自
宅
裏
庭
の
レ
モ
じ
り
が
好
き
だ
っ
た
彼
は
ト
マ
ト
や
大
根
し
、
土
地
の
生
活
に
と
け
込
ん
だ
。
畑
い
の
経
営
者
と
し
て
、
こ
の
地
に
根
を
下
ろ
ン 十
テ 八
ィ ︶
グ 年
ア 、
市 首
に 都
移 グ
転 ア
。 テ
日ハポ マ
本ネ ラ
人スフ 市
写ォト か
真グラフ ら
館ィア ア
二
度
と
な
か
っ
た
。
一
八
九
五
︵
明
治
二
日
々
を
過
ご
し
た
。
そ
の
後
、
屋
須
が
日
本
に
帰
る
こ
と
は
ノ
リ
エ
ガ
を
後
継
者
と
し
て
迎
え
た
。
え 伝
、 道
母 教
む 会
ら に
子 近
と い
姪めいた 築
環まき 地
の の
三 片
人 隅
で に
平 居
穏 を
な 構
藤
沢
に
帰
り
、
母
を
連
れ
て
上
京
し
た
。
マ リ
リ ア
ア ・
の ア
甥おい ン
に グ
あ ー
た ロ
る と
ホ 結
セ 婚
・ 。
ド
ミ さ
ン ら
ゴ に
・ 妻
カ
ル
メ
ン
教
会
で
ス
ペ
イ
ン
人
の
女
性
マ
十
四
年
ぶ
り
の
日
本
。
屋
須
は
す
ぐ
に
屋
須
は
そ
の
一
年
後
、
丘
の
上
に
建
つ
六
月
三
十
日
に
横
浜
港
に
着
い
た
。
十
二
︶
年
五
月
に
グ
ア
テ
マ
ラ
を
出
発
、
マ
リ
ア
と
結
婚
永
住
を
決
意
へ
の
帰
国
を
決
意
。
一
八
八
九
︵
明
治
二
屋
須
は
、
八
十
歳
に
な
る
母
が
待
つ
日
本
た
。
写
真
館
の
収
入
で
お
金
を
手
に
し
た
の
帰
国
を
待
つ
母
の
消
息
が
記
さ
れ
て
い
が
起
き
た
と
思
わ
れ
る
。
館
を
開
い
た
こ
と
で
大
き
な
心
境
の
変
化
か
ら
写
真
機
器
を
取
り
寄
せ
、
再
び
写
真
第1場◎発見
グアテマラ市時代の屋須の
写真館。
「首おさえ」や「背
景」などが見える
を
示
し
て
い
る
。
こ
れ
ら
の
写
真
か
ら
は
、
彼
が
な
み
な
み
な
ら
ぬ
力
量
だ
っ
た
こ
と
な
画
面
の
構
成
力
、
堂
々
た
る
構
図
な
ど
、
を
的
確
に
と
ら
え
る
目
の
確
か
さ
、
精
密
写
屋 真
須 だ
の 。
建
築
写
真
は
、
建
築
物
の
構
造
会
、
病
院
や
庁
舎
な
ど
を
撮
影
し
た
建
築
て
い
る
の
は
、
ア
ン
テ
ィ
グ
ア
市
内
の
教
乱
に
満
ち
た
人
生
を
送
っ
た
日
本
人
写
真
不
幸
な
地
震
が
、
屋
須
弘
平
と
い
う
波
の
屋
須
弘
平
だ
っ
た
の
で
す
﹂
と
語
る
。
こ
と
に
、
撮
影
し
た
の
は
日
本
人
写
真
家
教
は
、
そ
う
受
け
入
れ
が
た
い
も
の
で
は
タ
ン
の
里
だ
。
屋
須
に
と
っ
て
キ
リ
ス
ト
百
人
も
の
殉
教
者
を
出
し
た
隠
れ
キ
リ
シ
江
戸
初
期
、
仙
台
藩
の
弾
圧
に
よ
っ
て
三
た
。
そ
の
た
め
死
者
の
肖
像
写
真
を
撮
る
だ
け
が
大
切
な
思
い
出
と
な
る
も
の
だ
っ
し
た
親
に
と
っ
て
は
、
死
者
の
肖
像
写
真
般
的
で
な
か
っ
た
当
時
、
子
ど
も
を
亡
く
肖
像
写
真
と
と
も
に
数
多
く
撮
影
さ
れ
精
度
の
高
い
建
築
写
真
撮
影
グ
ア
の
街
で
し
た
。
そ
し
て
、
驚
く
べ
き
さ
ん
は
﹁
地
震
で
発
見
さ
れ
た
ガ
ラ
ス
湿
同
セ
ン
タ
ー
所
長
の
タ
ニ
・
ア
ダ
ム
ス
た
と
さ
え
い
わ
れ
て
い
る
。
の
地
方
で
撮
影
し
な
い
神
父
は
い
な
か
っ
た
。
グ
ア
テ
マ
ラ
の
大
司
教
は
じ
め
、
こ
写
真
﹂
だ
。
を
高
め
た
も
の
が
あ
る
。
﹁
死
者
の
肖
像
が
中
心
だ
っ
た
が
、
そ
の
中
で
彼
の
評
価
に
よ
っ
て
包
み
込
も
う
と
す
る
彼
の
意
志
力
を
や
わ
ら
げ
、
キ
リ
ス
ト
教
の
安
ら
ぎ
を
使
っ
た
屋
須
の
演
出
は
、
死
の
非
情
な
東
北
の
島
原
と
い
わ
れ
た
本
町
大
籠
は
写
真
が
ま
だ
高
価
で
、
肖
像
写
真
が
一
の
表
れ
で
あ
る
と
い
わ
れ
て
い
る
。
板
は
、
約
百
年
前
に
写
さ
れ
た
ア
ン
テ
ィ
に
保
管
さ
れ
て
い
る
。
人
類
学
調
査
セ
ン
タ
ー
︵
C
I
R
M
A
︶
い
う
こ
と
で
、
現
地
に
あ
る
中
南
米
歴
史
た
写
真
は
現
在
、
歴
史
的
価
値
が
高
い
と
グ
ア
テ
マ
ラ
大
地
震
の
際
に
発
見
さ
れ
え
ら
せ
た
の
だ
。
う
日
本
人
写
真
家
と
そ
の
作
品
を
よ
み
が
す
べ
て
の
人
に
と
っ
て
死
は
悲
し
い
。
さ
ん
使
っ
て
撮
影
し
て
い
る
。
も
を
天
使
の
人
形
に
抱
か
せ
、
花
を
た
く
て
い
く
よ
う
に
と
祈
り
を
込
め
て
、
子
ど
屋
須
は
死
ん
だ
子
ど
も
が
天
国
に
召
さ
れ
然
。
屋
須
が
亡
く
な
っ
て
か
ら
五
十
九
年
さ
れ
て
い
た
。
必
然
と
し
か
思
え
な
い
偶
グ
ア
の
街
の
様
子
が
は
っ
き
り
と
写
し
出
会
で
洗
礼
を
受
け
た
。
歳
の
誕
生
日
に
屋
須
は
サ
ン
タ
ク
ラ
ラ
教
か
か
わ
り
の
深
い
写
真
を
次
々
と
撮
影
し
驚大
く地
べ震
きで
技見
術つ
とか
豊っ
た
か屋
な須
表の
現写
力真
子
ど
も
の
場
合
は
痛
切
だ
。
天
使
や
花
束
目
に
起
き
た
大
地
震
が
、
屋
須
弘
平
と
い
洗
礼
を
受
け
た
屋
須
は
キ
リ
ス
ト
教
に
そ
こ
に
は
、
な
ん
と
百
年
前
の
ア
ン
テ
ィ
グ
ア
テ
マ
ラ
に
渡
っ
て
八
年
。
三
十
六
上
る
ガ
ラ
ス
湿
板
が
見
つ
か
っ
た
の
だ
。
の
本
棚
が
倒
れ
、
そ
の
陰
か
ら
千
枚
に
も
震
で
彼
の
写
真
館
を
継
い
だ
ノ
リ
エ
ガ
家
キ
リ
ス
ト
に
か
か
わ
る
写
真
起
き
た
グ
ア
テ
マ
ラ
大
地
震
だ
。
こ
の
地
し
ま
っ
た
か
の
よ
う
だ
。
一
九
七
六
︵
昭
和
五
十
一
︶
年
二
月
に
る
で
一
世
紀
も
の
間
、
時
間
が
止
ま
っ
て
発
見
さ
れ
た
。
お
た
く
さ
ん
残
っ
て
い
る
。
こ
の
街
は
ま
屋
須
の
写
真
は
、
あ
る
偶
然
に
よ
っ
て
屋
須
が
見
た
も
の
と
同
じ
風
景
が
、
今
な
屋
須
よ
み
が
え
ら
せ
た
地
震
ン
テ
ィ
グ
ア
の
街
に
は
、
百
年
以
上
前
に
家
と
そ
の
作
品
を
よ
み
が
え
ら
せ
た
。
ア
写
真
館
の
仕
事
は
、
肖
像
写
真
の
撮
影
リ
ッ
ク
の
国
を
中
心
に
行
わ
れ
て
い
た
。
ら
第
一
次
世
界
大
戦
ご
ろ
ま
で
、
カ
ト
な
か
っ
た
の
か
も
し
れ
な
い
。
習
慣
は
、
カ
メ
ラ
が
発
明
さ
れ
た
直
後
か
上 約100年前に屋須が撮影した時計台のあ
るアンティグアの街並み。美しいこの街は
1979年、世界遺産に指定された
下 屋須が撮影した位置とほぼ同じ場所から
撮った現在のアンティグア市街。120年前と
ほとんど変わっていない。この街の時間は、
まるで1世紀の間止まってしまったように思
えてしまう
Fujisawa.Iwate
6
屋須弘平
物語
さら
く
年表で見る屋須弘平の生涯
代表作「十字架の丘から見たボル
カン・デ・アグア山とアンティグ
アの町」。屋須が愛した古都アン
ティグアは、館山から望む故郷藤
沢の風景にどこか似ているようだ
12月27日、蘭医屋須尚安の長男として藤沢
に生まれる。幼いころから父にオランダ語
を話す
江戸に出る。このとき弘平17歳。叔父から
漢学、真田信濃守の侍医村上栄信から医術
を学んだ。さらに、フランス人エームリエ
から医学と天文学を学ぶ
帰郷し3年ほど藤沢で医業
1846(弘化3)
1864(元治元)
1868(明治元)
1873(明治6)
外務省に渡米の免許
天文観測の大イベント。「金星の太陽面通
過」。日本が観測地としてもっとも適して
いたことから、アメリカ、フランス、メキ
シコから観測隊が来日。屋須は横浜でメキ
シコ観測隊の通訳を務めた
メキシコ観測隊の隊長フランシスコ・ディ
アス・コバルビアスと共にメキシコに渡る。
コバルビアスの家に寄宿し、メキシコ天文
学校に入学
クーデター勃発。政権が崩壊し、コバルビ
アスはグアテマラ駐在公使に任命される。
屋須もいっしょにグアテマラに渡る。写真
館ウブルーヘスから写真術を学ぶ
独立し、グアテマラ市のクリスト街に写真
館をオープン。大統領やグアテマラ大司教
の肖像写真を焼き増し販売して大繁盛。南
8番街にも写真館を開設
サンタ・クララ教会で、ラファエル・アン
グーロ神父からキリスト教の洗礼を受ける
1874(明治7)
1875(明治8)
1876(明治9)
1880(明治13)
1883(明治16)
故郷藤沢で待つ母むら子と暮らすために帰
国を決意。5月15日グアテマラを出発し、
6月30日に横浜に到着。すぐに藤沢に帰郷
し、母(当時80歳)と姪環を連れて上京。東
京築地の教会近くに写真館をオープンし居
を構える。同年11月16日、銀山開発のため
ペルーに渡航する高橋是清に声をかけられ、
通訳として再び渡航。母むら子と姪環を、
フランス修道院に頼む
銀山開発事業は失敗。高橋是清は帰国する
が、屋須は「志なかばで帰国するのは遺憾
だ」と現地に残る。同年7月、以前暮らし
たグアテマラに再び渡る
グアテマラ市内に写真館を開設。スペイン
人の女性マリア・アングーロと結婚
1889(明治22)
1890(明治23)
1891(明治24)
1895(明治28)
アンティグアに移転し日本人写真館を開設
1916(大正5)
松谷英吾氏(妹の嫁ぎ先)へ手紙を出す。「病
に倒れる」
1917(大正6)
古都アンティグアで永眠(享年72歳)
1976(昭和51)
グアテマラ大地震でノリエガ家の本棚が倒
れ、その陰から屋須が撮影した千枚ものガ
ラス湿板が見つかる
左 市庁舎、総督府や大聖堂などが並ぶアンティグアの中央広場。大統領の就任を祝うパ
レードを撮影したもの。集まったおよそ3000人の群衆が、シャッターを切る屋須の合図を
待った。屋須はこうした大きな仕事を任されるほどの腕と信用を得ていた/中 ドラマチッ
クに写し出されたサン・ペドロ教会。石畳と建物の配置を的確にとらえた奥行きのある作品
だ/右 天使の像に抱かれた子どもの肖像写真。屋須の深い信仰心とやさしさが表れている
故・八巻信氏 編
の
か
も
し
れ
な
い
。
7
で
、
自
分
の
半
生
を
語
ろ
う
と
し
て
い
た
し
た
ら
彼
は
、
写
真
を
撮
り
続
け
る
こ
と
グ
ア
テ
マ
ラ
に
来
て
二
十
年
。
も
し
か
Mar.2006
写
真
を
撮
っ
た
。
の
人
々
に
も
興
味
を
持
ち
、
た
く
さ
ん
の
た
と
い
う
。
屋
須
は
晩
年
、
イ
ン
デ
ィ
オ
写
真
を
写
し
て
も
ら
い
た
い
と
思
っ
て
い
ン
テ
ィ
グ
ア
の
人
々
は
、
誰
も
が
屋
須
に
う
な
奥
行
き
を
感
じ
る
。
こ
の
当
時
、
ア
撮
っ
た
写
真
の
多
く
は
引
き
込
ま
れ
る
よ
表
現
し
て
い
る
。
そ
の
た
め
、
屋
須
が
ト
を
う
ま
く
使
っ
て
、
遠
近
法
を
上
手
に
屋
須
の
写
真
は
光
と
陰
の
コ
ン
ト
ラ
ス
合
図
を
待
っ
た
と
い
う
か
ら
驚
き
だ
。
の
群
衆
が
、
シ
ャ
ッ
タ
ー
を
切
る
屋
須
の
広
場
﹂
で
は
、
集
ま
っ
た
お
よ
そ
三
千
人
い
た
。
代
表
作
﹁
ア
ン
テ
ィ
グ
ア
の
中
央
さ
れ
る
ほ
ど
信
用
さ
れ
、
腕
を
買
わ
れ
て
て
、
も
っ
と
も
重
要
な
行
事
の
写
真
を
任
屋
須
は
グ
ア
テ
マ
ラ
の
人
た
ち
に
と
っ
国
民
か
ら
絶
大
な
信
用
得
る
信
仰
の
証
だ
っ
た
の
か
も
し
れ
な
い
。
記
す
ほ
ど
で
、
お
そ
ら
く
彼
に
と
っ
て
、
と
ん
ど
の
教
会
を
撮
影
し
た
﹂
と
手
記
に
そ
の
力
の
入
れ
よ
う
は
﹁
こ
の
地
方
の
ほ
か
ら
教
会
の
写
真
を
撮
り
続
け
て
い
た
が
、
屋
須
は
グ
ア
テ
マ
ラ
市
内
に
い
る
こ
ろ
し
出
さ
れ
て
い
る
。
た
技
術
と
豊
か
な
表
現
力
で
し
っ
か
り
写
み
な
ど
が
、
計
算
さ
れ
た
構
図
、
卓
越
し
か
ら
眺
め
ら
れ
た
ア
ン
テ
ィ
グ
ア
の
街
並
え
る
教
会
や
人
気
の
な
い
街
路
、
丘
の
上
震
に
よ
っ
て
崩
れ
落
ち
、
修
復
の
跡
が
見
明
ら
か
に
記
録
の
意
志
が
感
じ
ら
れ
、
地
第2場◎発信
第6回公演
2005年2月27日
森に消えた十字架
森に消えた十字架
盛岡グランドホテル
縄文ホール
皆川洋一
皆川洋一
皆川洋一
皆川洋一
皆川洋一
皆川洋一
物
三 語
作 だ
目 。
︵
第
三
回
公
演
︶
の
﹁
ま
ほ
ろ
舞
台
裏
は
J
ス
タ
ッ
フ
協
議
会
︵
及
川
に
消
え
た
十
字
架
﹂
を
上
演
し
た
。
こ
の
こ
と
は
、
何
で
も
手
に
入
る
豊
か
文
化
が
あ
る
。
し
て
き
た
。
少
性
を
打
ち
出
し
た
オ
ン
リ
ー
・
ワ
ン
の
ま
で
の
村
づ
く
り
を
描
い
た
愛
と
感
動
の
フ
に
、
黄
海
・
二
日
町
の
洪
水
か
ら
再
興
演
は
、
盛
岡
公
演
と
合
わ
せ
て
三
度
﹁
森
そ
し
て
二
〇
〇
五
年
二
月
の
第
六
回
公
岡
行
き
﹂
と
い
う
新
た
な
図
式
を
打
ち
出
水
況
物 二 ぶ
語 作 り
目 で
杣そま ︵ 、
お
音と 第 涙
は 二 と
知 回 感
っ 公 動
て 演 に
い ︶ 包
た の ま
﹂ ﹁ れ
は お た
二 菊 。
〇 の
れ
た
。
会
場
は
立
ち
見
が
出
る
ほ
ど
の
盛
説
る
人
間
模
様
が
描
か
れ
た
創
作
劇
だ
。
大
石
の
除
霊
を
め
ぐ
っ
て
繰
り
広
げ
ら
れ
ま
つ
わ
る
物
語
で
、
村
人
を
怖
が
ら
せ
る
四
年
二
月
に
上
演
。
増
沢
の
立
石
神
社
に
覆
し
、
﹁
藤
沢
発
東
京
行
き
﹂
﹁
藤
沢
発
盛
へ
﹂
と
い
う
従
来
の
文
化
の
流
通
経
路
を
﹁ 町
中 民
劇
央 場
か 。
ら
地
方
へ
、
都
市
か
ら
農
村
か
ら
故
郷
の
文
化
を
発
信
し
て
き
た
藤
沢
打
ち
破
り
、
東
京
や
盛
岡
の
ひ
の
き
舞
台
多
方
面
か
ら
注
目
さ
れ
て
い
る
。
義
ま
で
も
発
信
し
た
先
駆
的
事
例
と
し
て
、
で
な
く
、
地
域
文
化
の
あ
り
方
や
そ
の
意
自
の
文
化
を
創
造
・
発
信
し
て
き
た
だ
け
藤
沢
町
民
劇
場
は
、
故
郷
を
テ
ー
マ
に
独
な
い
一
〇
〇
㌫
藤
沢
産
に
こ
だ
わ
っ
た
こ
の
町
に
は
、
他
に
は
な
い
個
性
や
希
〇
一
年
二
月
に
上
演
。
郷
土
史
を
モ
チ
ー
錫
杖
の
音
こ
だ
ま
し
て
﹂
は
二
〇
〇
し
ゃ
く
じ
ょ
う
〇
〇
〇
年
二
月
、
縄
文
ホ
ー
ル
で
上
演
さ
処
女
作
は
﹁
森
に
消
え
た
十
字
架
﹂
。
二
四
作
目
︵
第
五
回
公
演
︶
の
﹁
巨
岩
伝
た
十
字
架
﹂
を
上
演
し
た
。
〇
〇
五
年
一
月
の
盛
岡
公
演
︵
盛
岡
グ
ラ
第
四
回
公
演
は
二
〇
〇
三
年
二
月
、
東
100
%
藤
沢
産
へ
の
こ
だ
わ
り
地
域
で
完
結
す
る
町
民
劇
場
の
概
念
を
だ
と
思
い
ま
す
﹂
と
言
い
切
る
。
ら
継
続
で
き
る
し
、
成
長
発
展
で
き
る
の
月
の
東
京
公
演
︵
世
田
谷
区
民
会
館
︶
、
二
過
去
六
度
の
地
元
公
演
と
二
〇
〇
二
年
十
か
な
人
間
模
様
が
描
か
れ
て
い
る
。
の
藤
沢
を
舞
台
に
、
火
の
尊
さ
や
情
緒
豊
京
公
演
と
あ
わ
せ
て
、
再
び
﹁
森
に
消
え
こ
こ
に
し
か
な
い
、
こ
こ
で
し
か
で
き
ン
ド
ホ
テ
ル
︶
を
成
功
さ
せ
て
き
た
。
こ
と
を
知
っ
て
い
ま
す
。
感
動
が
あ
る
か
ス
ト
、
ス
タ
ッ
フ
が
、
心
を
一
つ
に
し
て
、
﹁
縄
文
﹂
に
ス
ポ
ッ
ト
を
当
て
、
縄
文
時
代
沢
町
民
劇
団
︵
皆
川
洋
一
劇
団
長
︶
の
キ
ャ
〇
二
年
二
月
に
上
演
。
町
を
象
徴
す
る
け ず す フ
た れ べ が
。 も て 担
原 住 当
作 民 。
、 の 五
脚 手 作
本 づ と
は く も
皆 り 地
川 で 域
団 行 を
長 わ テ
が れ ー
手 、 マ
掛 い に
労
を
乗
り
越
え
て
こ
そ
感
動
と
出
合
え
る
え
ま
す
が
、
キ
ャ
ス
ト
も
ス
タ
ッ
フ
も
苦
﹁
こ
だ
わ
れ
ば
こ
だ
わ
る
ほ
ど
苦
労
は
増
た
J
ス
タ
ッ
フ
協
議
会
の
及
川
会
長
は
一
九
九
九
年
十
月
に
旗
揚
げ
さ
れ
た
藤
す
る
取
り
組
み
だ
。
ば
の
唄
よ
み
が
え
る
命
の
火
﹂
は
二
〇
隆たか
司し
会
長
︶
を
中
心
と
す
る
劇
団
ス
タ
ッ
今
回
の
町
民
劇
場
で
舞
台
監
督
を
務
め
他
に
は
な
い
独
自
の
文
化
を
創
造
、
発
信
劇
上
演
を
通
じ
て
地
域
を
見
つ
め
直
し
、
町
民
劇
場
は
、
総
合
芸
術
と
し
て
の
演
故
郷
を
発
信
す
る
町
民
劇
場
創こ
造こ
に
、
発し
信か
すな
るい
藤独
沢自
町の
民文
劇化
場を
−
盛岡公演
2005年1月22日
二
〇
〇
六
年
二
月
二
十
六
日
、
藤
沢
町
民
劇
団
は
屋
須
弘
平
と
い
う
﹁
郷
土
の
偉
人
﹂
を
町
民
劇
−
場
と
い
う
﹁
地
域
の
文
化
﹂
に
変
え
て
縄
文
ホ
ー
ル
か
ら
発
信
し
た
。
屋
須
の
半
生
を
再
現
し
た
−
屋
須
見
せ
る
を キ
、 ャ
こ ス
こ ト
で た
し ち
か 。
で 音
き や
な 光
い を
オ 操
ン っ
リ て
ー 舞
・ 台
ワ を
ン 支
の え
文 た
化 ス
と タ
し ッ
て フ
創 た
造 ち
・ 。
発 こ
信 こ
し に
た し
軌 か
跡 な
を い
追 テ
う ー
。 マ
の
概
念
﹂
を
象
徴
し
て
い
る
。
地
方
も
都
市
も
関
係
な
い
と
い
う
﹁
感
動
も
あ
り
、
い
い
舞
台
に
は
プ
ロ
も
ア
マ
も
、
の
が
見
直
さ
れ
て
き
て
い
る
と
い
う
証
で
さ
れ
る
も
の
、
い
つ
ま
で
も
心
に
残
る
も
Fujisawa.Iwate
な
時
代
だ
か
ら
こ
そ
、
本
当
に
心
を
動
か
8
屋須弘平
物語
さら
く
原作・脚本を手がけ、町民劇団を率いた
皆川団長にインタビュー
皆川洋一さん
劇団長に聞く
みなかわ・よういち 57歳 黄海字西深萱
屋須の生き方を通して
伝えたかった望郷の念
い
な
が
ら
グ
ア
テ
マ
ラ
で
一
生
を
終
え
た
て
た
わ
け
じ
ゃ
な
く
、
ず
っ
と
藤
沢
を
思
て
い
ま
し
た
。
屋
須
は
決
し
て
故
郷
を
捨
う
気
持
ち
を
う
ま
く
表
現
し
た
い
と
思
っ
念
が
強
く
な
っ
て
い
く
、
そ
の
故
郷
を
思
あ
る
よ
う
に
、
年
を
と
る
に
つ
れ
望
郷
の
に
故
郷
が
あ
り
ま
す
。
屋
須
の
手
記
に
も
ど
こ
に
住
ん
で
い
て
も
、
す
べ
て
の
人
何
で
す
か
は
?
劇
を
通
し
て
伝
え
た
か
っ
た
こ
と
は
て
い
ま
し
た
。
き
上
げ
ま
し
た
。
十
月
に
は
台
本
が
で
き
月
か
ら
書
き
始
め
、
一
気
に
一
カ
月
で
書
ラ
マ
の
構
成
が
で
き
ま
し
た
。
脚
本
は
九
ご
ろ
か
ら
情
報
収
集
を
始
め
、
八
月
に
ド
昨
年
の
町
民
劇
場
が
終
わ
っ
て
、
四
月
い
か
か
り
ま
し
た
か
?
を
書
こ
う
と
思
っ
て
い
た
と
き
だ
っ
た
し
、
け
で
す
か
ら
ね
。
ち
ょ
う
ど
新
し
い
作
品
観
測
が
な
け
れ
ば
屋
須
は
日
本
に
い
た
わ
前
か
ら
始
ま
る
わ
け
で
す
が
、
あ
の
天
文
た
こ
と
で
す
。
物
語
は
、
そ
の
百
三
十
年
太
陽
面
通
過
﹂
が
百
三
十
年
ぶ
り
に
あ
っ
ラ
に
行
く
き
っ
か
け
と
な
っ
た
﹁
金
星
の
つ
は
昨
年
六
月
八
日
、
屋
須
が
グ
ア
テ
マ
や
作
品
を
取
得
し
て
き
た
こ
と
。
も
う
一
テ
マ
ラ
に
渡
り
、
屋
須
の
遺
族
か
ら
遺
品
聞
き
ま
し
た
。
川
光
男
さ
ん
=
藤
沢
字
早
道
=
か
ら
話
を
つ
な
く
て
、
そ
れ
ら
は
屋
須
に
詳
し
い
古
れ
た
家
族
の
こ
と
を
伝
え
る
も
の
が
何
一
く
調
べ
る
こ
と
が
で
き
ま
し
た
が
、
残
さ
を
収
集
し
ま
し
た
。
屋
須
の
こ
と
は
詳
し
米
館
に
も
足
を
運
ん
で
さ
ま
ざ
ま
な
情
報
グ
ア
テ
マ
ラ
大
使
館
や
愛
地
球
博
の
中
南
マ
ラ
の
民
話
や
風
俗
な
ど
も
調
べ
ま
し
た
。
ん
の
図
書
な
ど
を
読
み
ま
し
た
。
グ
ア
テ
研
究
家
で
写
真
評
論
家
の
飯
沢
耕
太
郎
さ
原
作
、
脚
本
を
書
く
の
に
ど
の
く
ら
−
人
間
で
あ
る
こ
と
を
皆
さ
ん
に
知
っ
て
ほ
−
し
い
と
思
い
ま
し
た
。
屋
須
弘
平
物
語
は
タ
イ
ム
リ
ー
だ
っ
た
と
−
−
原
作
・
脚
本
を
書
く
た
め
の
屋
須
に
思
っ
て
い
ま
す
。
で 屋
ひ す 須
と か 弘 原
つ ? 平 作
は
を ・
町
テ 脚
が
ー 本
一
マ を
昨
に 手
年
選 が
四
ん け
月
だ て
に
理 い
、
由 ま
グ
は す
ア
何 が
、
て
し 関
い 脚 た す
ま 本 か る
す は ? 情
。 あ
報
屋 く
収
須 ま
集
の で
は
手 事
、
記 実
ど
の に
の
ほ 基
よ
か づ
う
、 き
に
彼 書
し
の い
ま
藤沢町民劇場第1回公演からの軌跡(2000−2005)
公演名
年月日
第1回公演
2000年2月27日
第2回公演
2001年2月25日
第3回公演
2002年2月24日
東京公演
2002年10月13日
第4回公演
2003年2月23日
第5回公演
2004年2月22日
劇 名
森に消えた十字架
お菊の水物語
杣音は知っていた
まほろばの唄
よみがえる命の火
森に消えた十字架
森に消えた十字架
巨岩伝説
錫杖の音こだまして
会 場
縄文ホール
縄文ホール
縄文ホール
世田谷区民会館
縄文ホール
縄文ホール
原 作
皆川洋一
皆川洋一
皆川洋一
皆川洋一
皆川洋一
皆川洋一
脚 本
皆川洋一
皆川洋一
皆川洋一
皆川洋一
皆川洋一
皆川洋一
演 出
皆川洋一
皆川洋一
佐藤重光
皆川洋一
皆川洋一
皆川洋一
上演風景
9
Mar.2006
余波
す瀾
と万
こ丈
ろの
な生
く涯
伝を
え生
たき
最た
上強
級さ
のと
舞故
台郷
。を
カ愛
メし
ラ続
がけ
追た
っや
たさ
し
さ
を
手紙を託す
【第1場】
「頼んだぞ、昇太」。屋
須は日本に戻らない心
中をつづった母むら子
に宛てた手紙を鉱夫昇
太に託す
結婚を祝う
【第5場】
「皆さん、今宵は二人を
祝し、飲み、歌い、踊り
明かしてください」
。仲
間は温かく屋須を迎え、
祝福した
決心を知る
本番前の楽屋。化粧スタッフのメイクで顔をつくり
ながら、志気を高める劇団員。役者に変わる瞬間だ
創
造
・
発
信
し
た
感
動
の
舞
台
を
カ
メ
ラ
リ
ポ
ー
ト
す
る
。
−
【第6場】
帰国した昇太は屋須の
母むら子を訪ね、手紙
を渡す。むら子は生涯
グアテマラで暮らす決
心をした弘平の気持ち
を知る
緊張の楽屋【開演前】
日本を探す
【第10場】
「写真屋が引っ越して
来るそうだ」
「ニホンか
ら 来 る ら し い」
。世 界
地図を広げて日本を探
すアンティグアの市民
訪
ね
る
。
昇
太
は
弘
平
か
ら
託
さ
配
す
る
む
ら
子
の
も
と
を
昇
太
が
い
ま
だ
帰
国
し
な
い
弘
平
を
心
め
ら
れ
て
い
た
。
ア
テ
マ
ラ
に
残
る
こ
と
が
し
た
た
紙
が
届
く
。
手
紙
に
は
弘
平
が
グ
藤
沢
の
屋
須
家
に
弘
平
か
ら
手
弘 ら
平 子
を が
心 、
配 な
す か
る な
。 か
帰
国
し
な
い
ラ
ン
ス
修
道
院
に
預
け
ら
れ
た
む
そ
の
こ
ろ
日
本
で
は
、
横
浜
フ
は
温
か
く
迎
え
て
く
れ
た
。
す
る
女
性
マ
リ
ア
と
結
婚
。
仲
間
さ
屋 せ
須 る
は 。
鉱
夫
た
ち
と
別
れ
、
愛
て
た
手
紙
を
託
し
、
昇
太
を
帰
国
を
説
得
。
弘
平
の
母
む
ら
子
に
宛
マ
ラ
に
渡
る
こ
と
を
決
め
、
昇
太
か
し
、
屋
須
は
自
分
だ
け
グ
ア
テ
子
に
し
て
く
れ
る
よ
う
頼
む
。
し
千
葉
憲
一
さ
ん
。
劇
団
員
が
心
一
つ
に
し
て
、
先
人
の
半
生
を
地
域
文
化
に
変
え
て
始
船 ま
上 る
で 。
鉱
夫
昇
太
は
屋
須
に
弟
ま
な
人
間
模
様
を
通
じ
描
か
れ
て
い
る
。
原
作
、
脚
本
は
皆
川
洋
一
団
長
、
演
出
は
の
直
前
ま
で
故
郷
へ
の
思
い
を
断
ち
切
れ
な
か
っ
た
屋
須
の
心
の
揺
れ
が
、
さ
ま
ざ
生
涯
を
終
え
た
本
町
出
身
の
写
真
家
屋
須
弘
平
の
望
郷
の
念
を
描
い
た
創
作
劇
。
死
物
語
は
日
本
へ
帰
国
す
る
船
か
ら
平
。
し
か
し
、
銀
山
開
発
は
失
敗
。
て
高
橋
是
清
に
同
行
し
た
屋
須
弘
舞
台
が
、
詰
め
か
け
た
演
劇
フ
ァ
ン
を
魅
了
し
た
。
物
語
は
、
中
米
グ
ア
テ
マ
ラ
で
二
十
六
日
、
縄
文
ホ
ー
ル
で
上
演
さ
れ
、
キ
ャ
ス
ト
、
ス
タ
ッ
フ
六
十
人
の
手
づ
く
り
ペ
ル
ー
銀
山
開
発
の
一
行
と
し
第
七
回
藤
沢
町
民
劇
場
﹁
屋
須
弘
平
物
語 さ
く
ら
﹂
︵
同
実
行
員
会
主
催
︶
は
二
月
迫屋
真須
のを
名伝
演え
技る
◎
第
7
回
藤
沢
町
民
劇
場
﹁
屋
須
弘
平
物
語 さ
く
ら
﹂
あ ら す じ
屋須弘平
物語
さら
く
Fujisawa.Iwate
10
命が尽きる【第16場】
「あなた、しっかりして。ここはアンディグア
ですよ」
「桜…館山…」
。病に倒れた屋須は、故
郷を懐かしむかのように息を引き取った
鳴き声聞く【 第17場】
藤沢の屋須家を訪ねた昇太。
アグア山での出来事を語り始
めた時、日本にいるはずのな
いケツァールの鳴き声が聞こ
えてくる
故郷を思う【 第15場】
「わたしは恋しい。故郷藤沢が恋しい。館山の桜、大平川での魚取り、そ
してこのアグア山に似た保呂羽山。ケツァールよ、一日でいい。お前の
翼をこのわたしに貸してくれないか。その自由と気高き心をわたしに与
えてくれ。ケツァールよ」
成功たたえ【終演後】
舞台支える【裏方】
舞台の成功をたたえ、がっちり握手。中央は
屋須弘平役の佐藤重光さんとグアテマラ大使
館のフロリダルマ・フランコ・パイス領事
舞台裏を支えたスタッフ。音響・照明など舞台業務は、Jスタッ
フを中心とする劇団スタッフが、食事は2度のリハーサルを含
め、町婦人団体連絡協議会の皆さんがボランティアで提供した
く ツ 本 話
る ァ に し
。 ー は 始
ル い め
の る る
鳴 は 。
き ず が
声 の 、
が な そ
聞 い の
こ あ 時
え の 、
て ケ 日
11
Mar.2006
家
族
に
ア
グ
ア
山
で
の
出
来
事
を
藤
沢
の
屋
須
家
を
訪
ね
た
昇
太
。
看み 激
取 し
ら く
れ 鳴
息 く
を 。
引 屋
き 須
取 は
っ 、
た 家
。 族
に
す
る
。
そ
の
時
、
ケ
ツ
ァ
ー
ル
が
桜
﹂
と
、
思
い
出
の
言
葉
を
口
に
を
懐
か
し
む
か
の
よ
う
に
﹁
館
山
、
病
に
倒
れ
た
屋
須
は
故
郷
藤
沢
が
、
突
然
、
山
中
で
倒
れ
る
。
次
第
に
望
郷
の
念
が
募
っ
て
い
く
。
郷
藤
沢
へ
の
気
持
ち
を
語
り
始
め
、
見
に
ア
グ
ア
山
に
来
た
屋
須
。
故
誘 行 は テ
昇 う こ 自 マ
太 。 う 由 ラ
を
と の で
連
、 鳥 暮
れ
昇 ケ ら
て
太 ツ す
ケ
を ァ と
ツ
ア ー 言
ァ
グ ル う
ー
ア を 。
ル
山 見 屋
を
に に 須
を
勧
め
る
が
、
屋
須
は
生
涯
グ
ア
た ホ 訪
昇 。 セ ね
太
港 て
は
で き
屋
別 た
須
れ 。
に
た な
日
あ ん
本
の と
へ
昇 、
の
太 サ
帰
だ ン
国
っ ・
日
、
写
真
館
に
一
人
の
日
本
人
が
の
写
真
館
は
順
調
だ
っ
た
。
あ
る
ア
ン
テ
ィ
グ
ア
に
開
い
た
屋
須
意
。
マ
リ
ア
に
話
を
切
り
出
す
。
テ
ィ
グ
ア
に
移
り
住
む
こ
と
を
決
後
、
故
郷
藤
沢
に
似
た
古
都
ア
ン
写
真
館
を
開
い
た
。
そ
し
て
十
年
屋
須
は
グ
ア
テ
マ
ラ
シ
テ
ィ
に
る
弘
平
の
決
心
が
記
さ
れ
て
い
た
。
こ
に
は
、
グ
ア
テ
マ
ラ
に
永
住
す
れ
た
手
紙
を
む
ら
子
に
渡
す
。
そ
第2場◎発信
最後まで無事に演じほっとした
2時間
畠山裕子さん
◎屋須弘平の妻マリア役を務めた
はたけやま・ゆうこ 藤沢字古川
最後までしっかりできるか不安で
したが、無事に終えることができ
てほっとしています。見に来てく
れた高校時代の友人から「おつか
れさま」と声を掛けられた時は本
当にうれしかったです。皆さんも
町民劇場に参加してください。
すべてが真剣勝負の演劇の世界に「やり直し」と
いう言葉はない。鮮やかな光を浴び、迫真の演
技で客席を魅了したキャストと、最上級の舞台
を裏方で支えたスタッフに話を聞いた。
一人ひとりの力を結集して成功
いろいろな役に挑戦してみたい
◎舞台監督を務めたJスタッフ協議会の会長
◎演劇に興味があって初めて舞台に立った
及川隆司さん
佐川美有希さん
おいかわ・たかし 西口字玉川
さがわ・みゆき 黄海字天堤
新作でもあり、前日まで変更が続
く中、本番はベストの舞台を見せ
ることができました。7回と回を
重ね、キャストもスタッフも臨機
応変に対応できる力がついていま
す。一人ひとりの力を結集できた
からこそ成功できた舞台です。
一つになった
地
域
文
化
創
造
、
発
信
の
立
役
者
。
キ
ャ
ス
ト
・
ス
タ
ッ
フ
前回の劇を見て、難しそうでした
が興味を持ち、入団しました。本
番は、緊張して早口になったとこ
ろもありました。劇団に入ってか
ら大きな声で話せるようになりま
した。これからもいろいろな役に
挑戦したいです。
お客さんの表情を見て安心した
自分の集大成となる納得の舞台
◎演出、ドミンゴ、モラレスと一人3役こなした
◎ちとせとミレーヌの2役を演じた
千葉憲一さん
小山美紀さん
ちば・けんいち 徳田字曲田
おやま・みき 一関市千厩町
舞台は海外、戸惑いの中でのス
タートでした。今回は舞台に立つ
だけでなく演出も担当したので、
どこまでお客さんに伝えられるか
とても気になりました。終演後、
お客さんの満足そうな表情を見て
「伝わったんだな」と安心しました。
第4回公演から出演していますが、
今回はいろんな意味で自分の集大
成になりました。満席の会場は気
持ちよかったし、いろいろな人か
らアドバイスをもらって、納得で
きる演技ができました。子どもた
ちもよく頑張りましたね。
互いに刺激を受けた舞台づくり
初の女性役に姿勢や仕草も研究
◎美術スタッフとして裏方で舞台を支えた
◎第1回公演から7回連続で出演している
小野寺盛雄さん
千葉徳利さん
おのでら・もりお 保呂羽字上野平
ちば・のりとし 西口字東小戸沢
美術を担当しましたが、抽象的な
舞台だけに大道具選びには細心の
注意を払いました。頑張るキャス
トを見てスタッフが、支えるス
タッフを見てキャストが互いに刺
激を受け、いい舞台をつくること
ができたと思います。
ペレンとむら子の二役を演じまし
た。そのうちむら子は、名家の奥
さまという役柄上、台詞だけじゃ
なく姿勢とか仕草まで研究しまし
た。細かい反省点はありますが、
気持ちの切り替えもうまくできた
し、満足できる出来でした。
◎在日グアテマラ共和国大使館大使
アルトゥーロ・ドゥアルテさん
屋須の写真は、グアテマラで行われた日本の芸術と技の融合です。しか
も、グアテマラの豊かな民族性を見事に反映したものであり、芸術・文化
に関心を持つ次世代に、そのレンズを通して、民族そのものの永遠を伝え
続けています。日本人でありグアテマラ人であった屋須の遺品、作品を故
郷の文化遺産として取得し、町民劇場として情報発信した藤沢町の精力的
な仕事に賛美を送ります。
Fujisawa.Iwate
12
舞台と客席が
幕が下りても涙が止まらなくて
◎一関市花泉町から見に来たキャストの姪
安部美貴子さん
感動の
あべ・みきこ 一関市花泉町
叔父(屋須役の佐藤重光さん)に誘
われて見に来ました。一人海外に
渡り、懸命に頑張った姿に感動し
ました。幕が下りても余韻が残る
素晴らしい劇で涙が止まりません
でした。花束を用意していたのに、
泣き顔で渡せませんでした。
郷
土
の
偉
人
屋
須
弘
平
の
半
生
を
、
客
席
か
ら
見
た
人
た
ち
屋須を知る人も、初めてだという人も、誰もが舞
台にくぎ付けになった2時間。屋須弘平という
偉大な先人に、演劇ファンの心は揺れた。町民
劇場を見た人たちに感想を聞いた。
毎回感動している藤沢町民劇場
上京した自分と重なった望郷心
◎一関市東山町から家族で来た藤沢ファン
◎東京から応援に来た在京藤沢郷友会の会長
鈴木幸次さん
佐藤健男さん
すずき・こうじ 一関市東山町
さとう・たけお 東京都 在京藤沢郷友会会長
藤沢町民劇場の大ファンで、見に
来たのは5回目です。今日は家族
5人で来ました。屋須弘平のこと
は知りませんでしたが、舞台を見
て彼のすごさを理解することがで
きました。藤沢町民劇場は今回に
限らず、毎回感動させられます。
2002年の東京公演以来、すっかり
藤沢町民劇場のファンになりまし
た。屋須のことは劇を見るまで知
りませんでしたが、故郷を忘れな
かった彼の人生は、昭和24年に上
京した自分の人生に重なりました。
心から感動させられました。
子供から大人までよく頑張った
史実に基づく劇素晴らしかった
◎今回親子でいっしょに初めて見に来た
◎町内在住の屋須弘平の関係者
須藤なおみさん・志織さん
小野寺君雄さん
すとう・なおみ/しおり 藤沢字仁郷
おのでら・きみお 保呂羽字口舟
(な)小さい子どもたちから
大人までみんながよく頑
張っていて、とてもよかっ
たです。
(志)裕子先生が出るので見
に来ました。先生もみんな
も上手でびっくりしました。
初めて町民劇場を見ましたが、本
当にすごいですね。劇団員の努力
による手づくり舞台は素晴らし
かった。実はわたしの妻は屋須の
子孫です。当時の史実に基づいて、
屋須の暮らしが忠実に再現されて
いるところも感動しました。
当時の様子がとても理解できた
現代から発信する意義は大きい
◎大船渡市から見に来たキャストの友人
◎屋須弘平横浜展を企画・開催したプロデューサー
佐竹真智子さん
藤原敏雄さん
さたけ・まちこ 大船渡市
ふじわら・としお 東京都 ガレリアリブロ代表
マリア役の畠山裕子さんを応援し
に大船渡市から来ました。すごく
頑張ってましたね。わたしも藤沢
町出身ですが、屋須のことは劇で
初めて知りました。彼の人生や当
時の歴史的な出来事などもわかっ
て、とても勉強になりました。
移民にまつわるドラマは誰もが
持っていますが、屋須は130年も
前に一人で南米に渡ったのです。
その勇気と波瀾万丈の生涯をたく
ましく生きた強さを、現代から、
そして故郷から発信することの意
義はとても大きいと思います。
◎グアテマラ共和国公使参事官兼領事
フロリダルマ・フランコ・パイスさん
13
Mar.2006
グアテマラでもっとも偉大な写真家のひとり、屋須弘平の偉業をたたえ
る町民劇場が、彼の故郷藤沢町で開かれることは素晴らしいことです。彼
が残した功績に対し、こうして皆さんといっしょに感謝する機会を得たこ
とを心からうれしく思っています。わたしは日本語がわかりませんが、そ
れでも舞台を見て感動し、涙を流しました。文化は国境や言葉を越えて、
人を感動させるものだということをあらためて感じさせられました。
第3場◎発展
開大
拓志
者を
精抱
神き
を道
学切
ぼり
う開
く
第7回藤沢町民劇場実行委員長
藤沢町長 佐藤 守
さとう・まもる◎「住民が自ら創造、発信する
文化活動の拠点」として縄文ホールを建設。同
時に町民劇場の開催を提唱。2000年2月の第
1回公演から7回連続で実行委員長を務める
い
屋
須
さ
ん
の
遺
作
品
百
六
十
点
を
遺
族
を
訪
問
し
、
歴
史
的
、
文
化
的
価
値
の
高
町
は
二
〇
〇
四
年
四
月
、
グ
ア
テ
マ
ラ
と
思
っ
て
い
ま
す
。
ま
し
い
生
き
方
を
学
ぶ
こ
と
に
こ
そ
あ
る
テ
ィ
ア
ス
ピ
リ
ッ
ト
あ
ふ
れ
る
彼
の
た
く
思
っ
て
い
ま
す
。
く
べ
き
し
て
行
っ
た
の
だ
と
わ
た
し
は
グ
ア
テ
マ
ラ
に
渡
っ
た
の
で
は
な
く
、
行
を
向
け
た
の
は
当
然
の
こ
と
。
彼
は
偶
然
え
た
り
で
き
た
屋
須
さ
ん
が
、
海
外
に
目
大 須
な 弘
道 平
の と
り い
に う
思 志
高
い い
を 人
馳は 物
せ が
、 歩
フ ん
ロ だ
ン 壮
エ
ネ
ル
ギ
ー
で
す
。
大
切
な
こ
と
は
、
屋
要
な
パ
ワ
ー
で
あ
り
、
未
来
を
切
り
開
く
激
動
の
時
代
を
生
き
る
わ
た
し
た
ち
に
必
◎File-02 レンズ
ニューヨークから取り寄
せたアメリカ製、イギリ
ス製のレンズ。名刺判写
真用の四つ玉もある
び
、
グ
ロ
ー
バ
ル
な
視
点
か
ら
見
た
り
考
幼
少
時
代
か
ら
父
に
オ
ラ
ン
ダ
語
を
学
屋
須
さ
ん
が
貫
い
た
開
拓
者
精
神
は
、
組
み
だ
っ
た
と
確
信
し
て
い
ま
す
。
間
性
で
す
。
界
を
雄
飛
し
た
彼
の
壮
大
な
生
き
方
や
人
大
志
を
抱
き
、
開
拓
者
精
神
に
あ
ふ
れ
世
さ
や
作
品
の
芸
術
性
も
さ
る
こ
と
な
が
ら
、
れ
て
な
ら
な
い
こ
と
は
、
撮
影
技
術
の
高
屋
須
弘
平
と
い
う
人
物
を
語
る
と
き
忘
個
性
を
発
見
、
発
信
し
た
意
義
深
い
取
り
た
だ
け
で
な
く
、
地
域
の
新
し
い
価
値
や
し
ま
し
た
。
屋
須
さ
ん
へ
の
理
解
を
深
め
う
人
物
を
生
誕
の
地
藤
沢
か
ら
情
報
発
信
町
民
劇
場
を
開
催
し
て
、
屋
須
弘
平
と
い
か
ら
譲
り
受
け
ま
し
た
。
そ
し
て
今
回
、
◎File-01 カメラ
奥はベルリン製のカメラ。
スタジオ撮影で使われて
いたもの。手前はコダッ
ク製の携帯用カメラ
組 と
み い
が う
重 人
要 物
だ を
。 財
産
と
し
て
残
す
だ
け
で
な
く
、
そ
こ
か
ら
学
び
、
未
来
へ
と
結
び
つ
け
る
取
り
ぶ
り
、
幾
多
の
波
乱
を
乗
り
越
え
た
た
く
ま
し
さ
、
そ
し
て
故
郷
を
思
う
や
さ
し
さ
。
屋
須
弘
平
に
し
た
も
の
は
彼
の
﹁
モ
ノ
﹂
だ
け
で
は
な
い
は
ず
だ
。
勇
気
あ
る
行
動
、
情
熱
あ
ふ
れ
る
仕
事
価
値
の
高
い
彼
の
遺
作
品
は
、
言
う
ま
で
も
な
く
未
来
へ
の
遺
産
で
あ
る
が
、
わ
た
し
た
ち
が
手
町
は
グ
ア
テ
マ
ラ
の
遺
族
か
ら
屋
須
の
遺
品
や
作
品
百
六
十
点
を
取
得
し
た
。
歴
史
的
、
文
化
的
町
が
誕
生
し
て
五
十
年
、
屋
須
が
グ
ア
テ
マ
ラ
に
渡
っ
て
百
三
十
年
と
い
う
節
目
の
二
〇
〇
四
年
、
屋
須
に
学
ぶ
町が取得した屋須の遺品
町がアンティグア在住の屋須の子孫イルマ・ノリエ
ガさんから取得した遺品の一部。当時の暮らしや仕
事ぶりをかいま見ることができる
Fujisawa.Iwate
14
屋須弘平
物語
さら
く
豊デ
かジ
さタ
知ル
っ世
て代
ほに
し本
い当
の
仕事は写真店、舞台では照明を担当した
皆川栄光さん
みなかわ・えいこう◎家業の写真店を継ぎ、J
スタッフとして平成10年から縄文ホールの舞台
業務を担う。今回の町民劇場では光の職人とし
て照明卓を操作した。藤沢字町裏在住
し
、
町
民
劇
場
を
開
催
し
ま
し
た
。
次
は
、
町
は
屋
須
さ
ん
の
遺
品
や
作
品
を
取
得
多
い
と
思
い
ま
す
。
た
そ
の
ス
ピ
リ
ッ
ト
は
、
学
ぶ
べ
き
点
が
ま を い に
す 実 う 入
。 現 人 る
す 物 時
る を 代
力 通 だ
を じ か
学 て ら
ん 、 こ
で 心 そ
ほ の 、
し 豊 屋
い か 須
と さ 弘
思 や 平
い 夢 と
の
障
害
を
乗
り
越
え
な
が
ら
夢
を
実
現
し
前
に
、
た
っ
た
一
人
で
海
を
越
え
、
幾
多
デ
ジ
タ
ル
化
さ
れ
、
便
利
で
何
で
も
手
を
実
感
で
き
る
の
で
は
な
い
で
し
ょ
う
か
。
せ
た
理
由
の
一
つ
に
思
え
ま
す
。
百
年
も
そ
ん
な
時
代
背
景
も
海
外
渡
航
を
決
意
さ
屋
須
さ
ん
を
身
近
に
感
じ
、
彼
の
偉
大
さ
で
し
ょ
う
。
言
葉
で
語
り
継
ぐ
以
上
に
、
日
本
は
ち
ょ
う
ど
明
治
維
新
の
こ
ろ
で
、
た
ち
に
撮
影
を
体
験
さ
せ
る
こ
と
も
い
い
の
だ
っ
た
よ
う
で
す
。
カ
メ
ラ
に
触
れ
る
機
会
を
設
け
、
子
ど
も
今
と
違
っ
て
、
当
時
写
真
は
、
特
別
な
も
ら
れ
ま
す
。
い
つ
で
も
ど
こ
で
も
撮
れ
る
る
か
が
わ
か
ら
な
い
と
思
い
ま
す
。
昔
の
た
ち
は
、
ど
の
よ
う
に
し
て
写
真
が
で
き
演
出
に
し
て
も
か
な
り
の
こ
だ
わ
り
が
見
ま
す
。
背
景
に
し
て
も
大
が
か
り
だ
し
、
た
と
え
ば
、
デ
ジ
タ
ル
世
代
の
子
ど
も
な
取
り
組
み
が
必
要
だ
と
思
い
ま
す
。
な
手
間
と
時
間
を
か
け
て
撮
影
さ
れ
て
い
屋
須
さ
ん
の
写
真
は
、
一
枚
一
枚
相
当
動
や
文
化
活
動
に
生
か
し
て
い
け
る
よ
う
屋
須
さ
ん
の
ス
ピ
リ
ッ
ト
を
国
際
交
流
活
さ
て
、
今
回
の
町
民
劇
場
で
わ
た
し
が
り
組
み
が
大
事
だ
と
思
い
ま
す
。
要
だ
と
思
い
ま
す
。
後
世
へ
と
語
り
伝
え
て
い
く
仕
組
み
が
必
い
﹁
成
果
﹂
へ
と
発
展
で
き
る
よ
う
な
取
す
。
そ
れ
を
﹁
資
源
﹂
と
と
ら
え
、
新
し
す
。
こ
れ
ら
を
発
掘
、
調
査
、
研
究
し
て
遺
業
は
わ
た
し
た
ち
の
誇
り
で
も
あ
り
ま
文
化
は
放
っ
て
お
け
ば
﹁
風
化
﹂
し
ま
で
し
ょ
う
か
。
か
と
い
う
疑
問
に
か
ら
れ
ま
す
。
先
人
の
る
郷
土
出
身
の
偉
人
が
い
る
の
で
は
な
い
様
に
、
町
内
に
は
ま
だ
ま
だ
埋
も
れ
て
い
る
人
は
一
部
に
過
ぎ
ま
せ
ん
で
し
た
。
同
年
。
そ
の
こ
ろ
は
ま
だ
、
屋
須
さ
ん
を
知
や
ア
イ
デ
ア
を
収
集
で
き
る
の
で
は
な
い
で
き
る
し
、
次
の
舞
台
に
生
か
せ
る
情
報
ま
す
彼
に
つ
い
て
理
解
を
深
め
る
こ
と
が
え
て
語
り
合
う
場
な
ど
が
あ
れ
ば
、
ま
す
点
は
多
く
、
町
民
劇
場
後
に
、
町
民
を
交
父
が
調
査
・
研
究
し
た
の
は
、
昭
和
九
屋
須
さ
ん
の
偉
大
さ
が
理
解
で
き
ま
す
。
屋
須
弘
平
と
い
う
人
物
か
ら
学
ぶ
べ
き
屋須を調査研究した齋藤恕平氏の6男
齋藤建吾さん
さいとう・けんご◎文化交流センター運営委員
長。日本で最初に屋須弘平を調査・研究し、「郷
土の生める海外進出の先駆 屋須弘平氏畧傅」
をまとめた齋藤恕平氏の6男。藤沢字柳平在住
マ
に
、
思
わ
ず
涙
が
あ
ふ
れ
ま
し
た
。
し
た
だ
ろ
う
﹂
と
話
し
て
い
ま
し
た
。
高
橋
国
し
て
い
た
ら
、
是
清
を
越
え
る
活
躍
を
生
前
父
恕じょ
平へい
は
﹁
も
し
、
屋
須
さ
ん
が
帰
れ
が
巧
み
に
描
か
れ
た
素
晴
ら
し
い
ド
ラ
あ
っ
た
こ
と
で
す
。
屋
須
さ
ん
の
心
の
揺
も
主
題
は
﹁
望
郷
心
﹂
、
つ
ま
り
故
郷
に
注
目
し
た
点
は
、
舞
台
は
グ
ア
テ
マ
ラ
で
成屋
果須
へを
と資
発源
展に
さ新
せた
よな
う
◎File-05 辞書
◎File-04 手記
◎File-03 色彩写真
フランス語とスペイン語
の辞書。奥はメキシコ観
測隊来日の際、通訳に使
われた仏和辞典
「愛する母との悲しい別
れ」
「洗礼の思い出」など、
1874−1916年 ま で の 様
子が書かれている
家族の集合写真や子ども
の写真に着色した色彩写
真。精細な仕上がりで緻
密な仕事ぶりがわかる
15
Mar.2006
是
清
は
後
に
首
相
ま
で
上
り
詰
め
た
大
物
。
屋保
須呂
に羽
な山
り、
き館
る山
たの
め桜
に、
館大
山平
か川
らの
町魚
をと
見り
た⋮
Fujisawa.Iwate
16
屋須弘平
物語
さら
く
取材を終えて
鳴りやまぬ拍手、止まらない涙。
幕が下りても消えぬ余韻…。
「さくら」の名のとおり、キャスト、
スタッフが心を一つにつくり、発信
した藤沢町民劇場は見事、満開の花
を咲かせた。
日本で初めて屋須を調査・研究し
た齋藤恕平氏の6男建吾さんは終演
後、
「あのケツァールは今、エメラル
ドの羽を光輝かせながら、どこを飛
んでいるのだろうか」と語った。
きっと、多くの人が同じ気持ちに
なったのではないだろうか。
地球を半周した常春の国グアテマ
ラで、屋須は半生を過ごした。屋須
弘平という人物を知れば知るほど驚
かされ、そして彼の魅力に引き込ま
れた。優れた写真家として知られる
屋須だが、彼の偉大さは、卓越した
撮影技術や芸術性高い作品だけでは
ない。むしろ、夢を海外に求め、そ
れを実現するために、幾多の直面す
る困難を一つひとつ乗り越えていっ
た不屈の精神、たくましい生き方に
こそロマンを感じ、感銘を受けた。
あらゆるプロジェクトの成功者も、
その第一歩は挑戦者だ。夢を抱き、
希望を持ってチャレンジしなければ
決してドラマは生まれない。自らの
意思、自らの足で道を切り開いてこ
そ人は成長し、夢を実現できる。
屋須が生涯貫いたフロンティアス
ピリットは、激動の時代を生き抜く
力、そして未来を切り開くエネル
ギーだ。挑戦者として今、新しいま
ちづくりに挑むわたしたちが忘れて
はならない一番大切なものではない
だろうか。
じょ へい
劇
は
一
人
じ
ゃ
で
き
ま
せ
ん
。
自
分
が
い
な
き
ゃ
相
方
だ
っ
て
け
い
こ
に
な
ら
な
い
仲
間
た
ち
。
だ
か
ら
や
る
以
上
は
、
し
っ
し
。
そ
れ
で
も
温
か
く
見
守
っ
て
く
れ
た
見
事
に
咲
き
誇
る
満
開
の
桜
や
大
平
川
で
同
じ
風
景
を
眺
め
た
。
目
を
閉
じ
る
と
、
屋
須
と
同
じ
空
を
見
上
げ
た
。
屋
須
と
か
っ
た
。
の
拍
手
は
、
幕
が
下
り
て
も
鳴
り
止
ま
な
舞
台
の
成
功
を
象
徴
す
る
割
れ
ん
ば
か
り
返
し
、
そ
し
て
館
山
に
向
か
っ
た
。
表
情
は
、
充
実
感
で
い
っ
ぱ
い
だ
っ
た
。
だ
り
、
み
ん
な
に
迷
惑
を
か
け
ま
し
た
。
い
﹁
︵ た
け 。
い
こ
の
︶
時
間
に
遅
れ
た
り
休
ん
ん
さ
は こ れ
、 う そ
妻 し う
敬けい て な
子こ 迎 時
さ え も
ん た あ
相 本 っ
手 番 た
にせ の 。
台り 朝
詞ふ 。
を 重
繰 光
り さ
コ
ー
ル
で
客
席
に
手
を
振
る
重
光
さ
ん
の
午
後
四
時
、
舞
台
は
終
演
。
カ
ー
テ
ン
多
く
の
人
が
涙
を
流
し
た
。
が
忙
し
く
、
劇
に
専
念
で
き
な
い
日
が
続
ベ
テ
ラ
ン
キ
ャ
ス
ト
だ
が
、
今
回
は
仕
事
郷
心
が
ピ
ー
ク
に
達
す
る
第
十
五
場
で
は
、
の
場
所
で
、
屋
須
さ
ん
と
同
じ
気
持
ち
に
第
一
回
公
演
か
ら
連
続
出
演
し
て
き
た
な
っ
て
本
番
を
迎
え
た
か
っ
た
ん
で
す
﹂
が
で
き
る
だ
ろ
う
か
﹂
う
か
。
彼
の
心
の
揺
れ
を
、
伝
え
る
こ
と
﹁ と
本 迫
る
当 本
に 番
自 。
分
は
屋
須
に
な
れ
る
だ
ろ
舞
台
に
く
ぎ
付
け
に
な
っ
た
。
屋
須
の
望
ら
﹂
開
演
。
満
席
の
会
場
は
第
一
場
か
ら
焦
る
気
持
ち
と
募
る
不
安
に
押
し
つ
ぶ
て
く
る
ん
で
す
か
ら
﹂
午
後
二
時
、
﹁
屋
須
弘
平
物
語 さ
く
か
つ
て
屋
須
さ
ん
が
愛
し
た
で
あ
ろ
う
こ
す
。
満
開
の
桜
も
イ
メ
ー
ジ
で
き
ま
す
。
人
﹁ 物
こ だ
こ 。
に
来
れ
ば
保
呂
羽
山
が
見
え
ま
︵ る か 四
九
こ 二
︶ 一 ら
〇
= 人 、 の 〇
感
日
の
黄
六
海 男 慨 の 年
深
朝
字 が
二
辻 い げ 、 月
町
に
山 た
二
= 。 保 を 十
一
呂
。 佐
六
今 藤 羽 望 日
で
山
し
回 重げ
。
の 光みつ を き
る
見
劇 さ
つ 館
で
め 山
ん
、
は
ん か
﹁ 、 し で り
役 役 か す 責
は づ し ﹂ 任
屋 く 、
を
須 り 新
果
さ の 作
た
ん 障 の
し
一 害 重
た
人 と 圧
い
。 な と
、
で っ 主
そ
も た 役
う
、 。 の
思
四
重
っ
責
た
十
主
役
の
屋
須
弘
平
を
演
じ
た
劇
団
の
中
心
で 人 演 代
屋 す が じ か
須 ね 見 な ら
に ﹂ せ き 七
な
る ゃ 十
り
百 な 代
き
の ら ま
れ
表 な で
な
情 い の
い
⋮ 。 違
日
。 百 う
々
難 の 屋
。
し 役 須
刻
か よ さ
一
っ り ん
刻
た 一 を
の
鳴
き
声
が
ケ
ツ
ァ
ー
ル
の
声
に
聞
こ
え
こ
と
な
ん
だ
っ
て
思
い
ま
し
た
。
カ
ラ
ス
﹁ の
イ 芯
か
メ ら
ー 熱
ジ い
が も
わ の
く が
っ 込
て み
、 上
こ げ
う て
い き
う た
。
不
安
は
一
気
に
消
え
た
。
同
時
に
、
体
を ば
支 に
え は
て こ
き の
た 三
妻 カ
が 月
い 間
た 、
。 し
っ
か
り
主
役
白
い
雲
が
ゆ
っ
く
り
と
流
れ
て
い
た
。
そ
を
駆
け
め
ぐ
る
。
そ
っ
と
目
を
開
け
た
。
の
魚
と
り
が
、
走
馬
燈
の
よ
う
に
頭
の
中
特集 屋須弘平物語 さくら 終わり
【参考文献】日本写真史を歩く(飯沢耕太郎
著 新潮社)/写真の力(同 白水社)/日本
写真史概説(同 岩波書店)/日本写真家事
典(東京都写真美術館監修 淡交社)/高橋
是清随想録(高橋是清口述、上塚司聞き書
き 本の森)/郷土の生める海外進出の先
駆 屋須弘平氏畧傳(齋藤恕平記)/藤沢町
史
17
Mar.2006
新作の重圧はねのけ
主役の重責を果たす
◎第7回藤沢町民劇場で主役屋須弘平を演じた
佐藤重光さん
さとう・しげみつ 49 黄海字辻山
し
た
。
地
域
、
住
民
、
行
政
が
一
体
と
る
町
民
は
、
心
の
豊
か
さ
を
求
め
て
き
ま
な
手
づ
く
り
の
祭
り
に
過
疎
の
町
に
生
き
り
、
火
を
お
こ
し
て
焼
き
上
げ
る
、
そ
ん
祭
り
で
し
た
が
、
土
を
こ
ね
て
作
品
を
作
当
初
は
参
加
者
三
百
人
規
模
の
小
さ
な
数
え
ま
し
た
。
き
を
復
原
し
た
祭
り
で
昨
夏
、
三
十
回
を
ら
が
中
心
と
な
っ
て
、
古
代
縄
文
式
野
焼
を
提
唱
、
藤
沢
焼
窯
元
の
本
間
伸
一
さ
ん
に
足
を
運
ん
で
野
焼
き
を
生
か
し
た
祭
り
学
者
の
塩
野
半
十
郎
氏
︵
故
人
︶
が
本
町
の
風
物
詩
で
す
。
昭
和
五
十
一
年
、
考
古
藤
沢
野
焼
祭
は
、
全
国
に
誇
る
本
町
夏
つ
の
イ
ベ
ン
ト
が
表
彰
さ
れ
ま
し
た
。
門
賞
と
選
考
委
員
特
別
賞
、
合
わ
せ
て
九
行
委
員
会
主
催
︶
、
そ
の
ほ
か
五
つ
の
部
ジ
ャ
パ
ン
I
N
か
く
だ
2
0
0
5
︵
同
実
と
宮
城
県
角
田
市
の
エ
ア
ロ
バ
テ
ィ
ッ
ク
委
員
会
主
催
︶
、
優
秀
賞
に
藤
沢
野
焼
祭
小
樽
市
の
小
樽
雪
あ
か
り
の
路
︵
同
実
行
ン
ト
が
エ
ン
ト
リ
ー
。
大
賞
に
は
北
海
道
府
県
の
推
薦
を
受
け
た
百
二
十
六
の
イ
ベ
取
り
ま
し
た
。
員
長
が
小
林
理
事
長
か
ら
表
彰
状
を
受
け
開
か
れ
、
皆
川
洋
一
藤
沢
野
焼
祭
実
行
委
日
、
東
京
・
丸
の
内
の
丸
ビ
ル
ホ
ー
ル
で
評
価
さ
れ
た
も
の
で
、
表
彰
式
は
三
月
七
で
も
あ
り
ま
せ
ん
。
の
原
動
力
と
な
っ
て
い
る
こ
と
は
言
う
ま
で
き
、
そ
の
エ
ネ
ル
ギ
ー
が
ま
ち
づ
く
り
く
り
の
歴
史
と
も
重
ね
合
わ
せ
る
こ
と
が
歴
史
は
、
過
疎
の
町
を
再
生
し
た
ま
ち
づ
な
っ
て
つ
く
り
、
築
い
て
き
た
三
十
年
の
し
て
窯
の
番
を
行
い
、
翌
朝
作
品
を
窯
か
ご
と
に
設
け
ら
れ
た
テ
ン
ト
村
で
夜
を
徹
ま
す
。
参
加
す
る
住
民
は
自
治
会
や
学
校
小
千
点
も
の
作
品
が
一
晩
か
け
て
焼
か
れ
縦
八
㍍
、
横
四
㍍
の
穴
窯
十
六
基
で
、
大
で
開
か
れ
ま
す
。
盛
り
土
し
て
造
ら
れ
た
ラ
ウ
ン
ド
に
設
け
ら
れ
る
﹁
特
設
縄
文
村
﹂
像
﹁
縄
文
人
﹂
は
、
祭
り
に
感
動
し
た
岡
タ
ー
前
庭
に
設
置
さ
れ
て
い
る
ブ
ロ
ン
ズ
ふ
る
さ
と
イ
ベ
ン
ト
大
賞
に
は
各
都
道
祭
り
は
お
盆
の
季
節
、
藤
沢
中
学
校
グ
受賞を喜ぶ右から佐藤町長、皆川実行委員長、高橋武司文化振興課長
し そ 縄 焼
現 た し 文 き
在 。 て の サ
、
世 町 ミ
町
界 藤 ッ
文
へ 沢 ト
化
と を ﹂
交
発 全 を
流
信 国 開
セ
し へ 催
ン
ま 、 、
芸
術
家
を
招
い
て
﹁
縄
文
野
話
し
て
い
ま
す
。
過
性
の
祭
り
で
は
あ
り
ま
せ
ん
。
毎
年
そ
で
も
あ
り
、
町
を
挙
げ
て
喜
び
た
い
﹂
と
住
民
活
動
そ
の
も
の
が
評
価
さ
れ
た
こ
と
土
と
炎
の
祭
典
で
す
。
今
回
の
受
賞
は
、
こ
に
喜
び
と
感
動
を
つ
く
り
上
げ
て
き
た
陽
子
氏
ら
国
内
を
代
表
す
る
氏
、
バ
オ
リ
ニ
ス
ト
の
佐
藤
佐
藤
町
長
は
﹁
野
焼
祭
は
、
単
な
る
一
て
い
ま
す
。
︵ 版 画
故
家
人 画 の
家
︶
、 の 岡
陶 池 本
太
芸
家 田ま 郎
の 満 氏
︵
辻 寿す 故
せ
お
清い 夫 人
明めい 氏 ︶
、
回
野
焼
祭
︵
平
成
二
年
︶
。
洋
象
徴
と
な
っ
た
の
が
第
十
五
果
た
し
て
き
ま
し
た
。
そ
の
化
の
創
造
・
発
信
の
役
割
も
る
祭
り
は
一
方
で
、
地
域
文
縄
文
の
原
風
景
を
再
現
す
動
を
続
け
て
い
き
た
い
﹂
と
喜
び
を
話
し
ま
す
。
日
本
に
正
月
が
あ
る
よ
う
に
、
藤
自
信
と
誇
り
に
つ
な
が
っ
て
い
る
と
思
い
い
て
き
た
こ
と
は
、
町
民
一
人
ひ
と
り
の
あ
り
、
自
分
た
ち
の
個
性
を
生
か
し
て
貫
し
い
で
す
。
祭
り
は
偉
大
な
マ
ン
ネ
リ
で
﹁
長
年
の
取
り
組
み
が
評
価
さ
れ
て
う
れ
ん
で
い
ま
す
。
こ
れ
か
ら
も
息
の
長
い
活
沢
の
野
焼
祭
は
町
民
の
暮
ら
し
に
と
け
込
十
一
万
人
に
も
上
り
ま
す
。
作
品
制
作
に
携
わ
っ
た
人
は
受
賞
に
当
た
り
皆
川
実
行
委
員
長
は
て
い
ま
す
。
れ
た
作
品
は
延
べ
四
万
点
。
三
十
回
の
祭
り
に
出
品
さ
を
展
開
す
る
本
町
の
シ
ン
ボ
ル
に
も
な
っ
﹁
縄
文
﹂
を
キ
ー
ワ
ー
ド
に
芸
術
文
化
活
動
ら
取
り
出
し
ま
す
。
本
太
郎
氏
か
ら
寄
贈
さ
れ
た
も
の
で
、
性
を
生
か
し
た
ユ
ニ
ー
ク
な
取
り
組
み
が
昨
夏
三
十
回
を
数
え
た
歴
史
と
地
域
の
個
が
大
賞
に
次
ぐ
優
秀
賞
を
受
賞
し
ま
し
た
。
イ
ベ
ン
ト
大
賞
で
、
本
町
の
藤
沢
野
焼
祭
林
実
理
事
長
︶
主
催
の
第
十
回
ふ
る
さ
と
財
団
法
人
地
域
活
性
化
セ
ン
タ
ー
︵
小
ふ縄
る文
さ生
とか
イし
ベた
ン藤
ト沢
大野
賞焼
優祭
秀が
賞
立組昨
ちま夏
上 れ 、 る た 30
巨高回
大さを
な8数
火㍍え
柱のた
はシ藤
、ン沢
見ボ野
るル焼
者﹁祭
を縄。
圧文井
倒のげ
す炎た
る﹂
か状
らに
Fujisawa.Iwate
18
さ
ん
は
﹁
す
ご
く
う
れ
し
い
で
す
。
お
父
に
も
褒
め
ら
れ
ま
し
た
﹂
と
、
三
浦
春
奈
の
で
び
っ
く
り
し
ま
し
た
。
お
う
ち
の
人
平
君
は
﹁
入
選
す
る
と
思
っ
て
な
か
っ
た
︵
こ 四
の 年
う ︶
ち が
入 入
選 り
し ま
た し
徳 た
田 。
小
の
佐
藤
和
の 藤 は ね
三 槙しん 徳 ﹂
人 哉や 田 の
が 君 小 二
、 ︵ か 句
保 三 ら が
選
呂 年
羽 ︶
、 橋あ ば
小 千 旺き れ
か 田 大ひろ ま
ら 基きし 君 し
千 晋ん ︵ た
一 。
葉 君
年 佳
光みつ ︵
︶
隆たか 五
、 作
佐 に
君 年
︶
﹁
カ
ブ
ト
虫
あ
な
た
も
す
ご
い
日
や
け
だ
前 ︵
な 二
ら 年
え ︶
﹂ の
と ﹁
三 あ
浦 き
春はる の
奈な 空
さ 雲
ん が
︵ い
二 っ
年 ぱ
︶ い
話
し
て
い
ま
す
。
な
視
点
で
見
る
力
が
つ
い
て
い
ま
す
﹂
と
普
段
か
ら
俳
句
を
意
識
し
て
、
い
ろ
い
ろ
す
。
空
を
見
る
と
き
も
山
を
見
る
と
き
も
、
葉
に
対
す
る
感
覚
が
敏
感
に
な
っ
て
い
ま
り
ま
す
。
保
呂
羽
小
で
俳
句
を
担
当
す
る
入
れ
て
お
り
、
ほ
と
ん
ど
の
お
父
さ
ん
、
教
諭
は
﹁
本
校
で
は
昔
か
ら
俳
句
に
力
を
さ
つ
ま
い
も
ほ
っ
か
ほ
っ
か
に
な
っ
た
よ
う
︻
佳
作
︼
徳
田
小
一
年 橋
旺
大
君
藤
原
ゆ
か
り
教
諭
は
﹁
俳
句
に
よ
っ
て
言
く
家
庭
で
も
は
ぐ
ま
れ
て
い
ま
す
﹂
と
語
た
ち
の
感
性
や
技
術
は
、
学
校
だ
け
で
な
あ
き
の
空
雲
が
い
っ
ぱ
い
前
な
ら
え
お
母
さ
ん
が
経
験
し
て
い
ま
す
。
子
ど
も
︻
入
選
︼
徳
田
小
二
年 佐
藤
和
平
君
万
八
千
三
百
三
十
八
句
が
寄
せ
ら
れ
、
俳
ま
し
た
。
こ
の
う
ち
小
学
生
の
部
に
は
十
い
ま
す
﹂
と
口
を
そ
ろ
え
ま
す
。
わ
る
環
境
や
継
続
的
な
取
り
組
み
が
、
子
橋
校
長
は
﹁
小
さ
い
時
か
ら
俳
句
に
か
か
人
入 の
選 金
に 子
は 兜
徳 太
田 郎
小 氏
ら
か が
ら 審
佐 査
藤 し
和かず ま
平ひら し
君 た
。
徳
田
小
で
俳
句
を
指
導
す
る
佐
藤
明あき
子こ
ど
も
た
ち
の
豊
か
な
感
性
に
つ
な
が
っ
て
カ
ブ
ト
虫
あ
な
た
も
す
ご
い
日
や
け
だ
ね
︻
入
選
︼
徳
田
小
二
年
三
浦
春
奈
さ
ん
八
万
八
千
七
百
九
十
六
句
の
応
募
が
あ
り
生
の
各
部
と
無
差
別
級
に
、
全
国
か
ら
十
徳
田
小
の
佐
藤
校
長
と
保
呂
羽
小
の
中
で
俳
句
に
親
し
ん
で
い
ま
す
。
同
大
会
に
は
小
・
中
・
高
校
生
、
大
学
お
り
、
五
・
七
・
五
の
心
の
揺
れ
を
つ
づ
っ
わ
た
っ
て
日
常
的
に
俳
句
に
取
り
組
ん
で
作
に
入
り
ま
し
た
。
両
校
と
も
、
長
年
に
童
三
十
二
人
︶
の
児
童
六
人
が
入
選
と
佳
保
呂
羽
小
学
校
︵
童
は
一
般
と
い
っ
し
ょ
に
な
っ
て
地
域
の
の
里
﹂
︵
現
在
九
十
九
号
︶
を
発
行
し
、
児
会
が
昭
和
六
十
一
年
か
ら
俳
句
集
﹁
白
雉
呂
羽
小
は
保
呂
羽
地
区
三
世
代
俳
句
交
流
と
よ
り
学
校
表
彰
も
受
け
て
い
ま
す
。
保
年
の
よ
う
に
入
賞
者
を
出
し
、
個
人
は
も
伝
統
校
。
徳
田
小
は
過
去
の
大
会
で
も
毎
コ
ス
モ
ス
が
マ
ラ
ソ
ン
お
う
え
ん
し
て
く
れ
た
︻
佳
作
︼
徳
田
小
三
年
佐
藤
槙
哉
君
たかはし・あきひろ
さとう・かずひら
みうら・はるな
さとう・しんや
お父さんが焼いてく
れた焼き芋は、長く
て大きくてとてもお
いしかったです。ま
た食べたいです。
家の庭で見た空いっ
ぱいに広がる雲が、
一列に並んで、まる
で前ならえをしてい
るようでした。
小 さ い 時、お ば あ
ちゃんちの花壇で見
たカブトムシ。日焼
けしたみたいに真っ
黒でした。
校内マラソン大会で
走っている時、道ば
たのコスモスが応援
してくれているよう
で頑張れました。
19
Mar.2006
︵
佐
藤
せ
つ
子
校
長
橋 、
児
喜き 童
久く 五
子こ 十
校 四
長 人
、 ︶
児 と
た
豊
か
な
感
性
が
評
価
を
受
け
ま
し
た
。
回
全
国
学
生
俳
句
大
会
で
、
徳
田
小
学
校
両
校
と
も
日
常
的
に
俳
句
に
取
り
組
む
い
た
だ
き
ま
す
父
ち
ゃ
ん
の
笑
顔
と
い
も
の
こ
汁
た
﹂
と
喜
び
を
語
り
ま
し
た
。
日
本
学
生
俳
句
協
会
主
催
の
第
三
十
六
さ
ん
や
お
母
さ
ん
も
喜
ん
で
く
れ
ま
し
︻
佳
作
︼
徳
田
小
五
年 千
田
基
晋
君
ちだ・きしん
秋に食べた芋の子汁
はおいしかったです。
それを食べてる父
ちゃんの笑顔は、
もっとよかったです。
徳 第 田 36
、回
保全
呂国
羽学
小生
の俳
6句
人大
が会
入 で 賞
い
わ
し
雲
ま
る
で
一
つ
の
兄
弟
だ
︻
佳
作
︼
保
呂
羽
小
四
年
千
葉
光
隆
君
ちば・みつたか
学校の教室から見た
いわし雲は、ぼくの
兄弟といっしょで、
とても仲良く見えま
した。
商品券贈り新聞少年を激励
藤沢岩手ライオンズクラブ
たき
お
藤沢岩手ライオンズクラブ(佐藤 滝 雄 会長、会員33
人)は2月22日、青少年健全育成事業の一環として町
内の新聞販売店で新聞配達をしている中高生32人に
共通商品券を贈り、激励しました。
同日は午後、同クラブの佐藤会長と千葉修幹事が藤
沢字柳平の千葉新聞店(千葉 猛 代表)と新沼字石合の伊
勢田新聞店(伊勢田利信代表)を訪問しました。このう
ち千葉新聞店では佐藤会長が「毎朝早くからご苦労さ
まです。特にも冬場は寒くて大変だと思いますが、皆
さんのおかげで毎日家庭に新聞が届き感謝しています。
これからも健康に気をつけて頑張ってください」と畠
山 勇 一 君(藤沢高2年)=徳田字萱刈場=と佐藤 成 君(
同)=藤沢字八沢=に、町内加盟店で利用できる「ふじ
さわ共通商品券」を贈呈しました。
中学2年から朝刊を、今冬から夕刊も配達をしてい
る畠山君は「これからも早起きして新聞配達を続けま
す」とお礼を述べ、昨春から朝刊、昨秋から夕刊を配
達する佐藤君は「ありがとうございます。これを機に、
一生懸命頑張ります」と決意を新たにしていました。
おさむ
たけし
とし のぶ
ゆう
いち
しげる
新聞少年の畠山君と佐藤君に共通商品券を贈る佐藤会長と千葉幹事
同新聞店の千葉代表は「みんな本当によく頑張ってくれています。
朝早くて大変な仕事ですが、毎日の配達で責任感と忍耐力が養われ
ています。将来、きっと役に立つときがくるでしょう」と二人の姿
に目を細めていました。
郷土の偉人高橋東皐を学ぶ
藤沢小で教育講演会を開催
よう
こ
藤沢小学校(菊池 陽 子 校長、児童208人)のPTA教育
講演会は2月24日、同校で行われ、父母や学校関係者ら
が郷土の偉人高橋東皐について学びました。
「俳聖・書聖 高橋東皐」と題した講演会は、同校の
授業参観に合わせて行われ、氏の研究家でもある町史談
会会長の及川成一氏=藤沢字町=が、東皐の人物像や作
品について講演しました。
及川氏は「宝暦2年、藤沢に生まれた東皐は、書道と
俳諧で当代一流の評価を受けた先人。とくに与謝蕪村を
師に学び、極めた俳諧は、藩政期の奥羽地方で最高峰と
までいわれました。ぜひ東皐のいったんに触れ、その世
界を感じてほしい」と話していました。集まった父母ら
は、熱心に耳を傾けていました。
とう こう
せい いち
9チームが熱戦を繰りひろげた第6回冬季インディアカ大会
9チームが熱戦繰り広げる
冬季インディアカ大会開催
き
いち
町インディアカ協会(佐々木喜一会長)主催の第6回冬
季インディアカ大会は2月19日、町民体育館で行われ、
男女9チームが参加して熱戦が繰り広げられました。
バドミントンのコートを利用して行われるインディア
カは、バドミントンのシャトルに似た羽根の付いたボー
ルをバレーボールのように素手で打ち合うスポーツ。同
日は男子6チーム、女子3チームが参加して、息の合っ
た連携プレーを披露していました。白熱した優勝争いを
制したのは男子が保呂羽Mic、女子がFMCでした。結
果は次のとおりです。
【男子】①保呂羽Mic②やっぱり深萱③黄南インディアカ
同好会A【女子】①FMC②黄南インディアカ同好会③
やっぱり深萱
及川成一さんの高橋東皐に関する講演に耳を傾ける父母ら
Fujisawa.Iwate
20
伝統の舞い後輩たちに継ぐ
新沼小で神楽の引き継ぎ式
とし
お
新沼小学校(佐々木敏男校長、児童67人)の「神楽引き
継ぎ式」は2月23日、同校体育館で行われ、今春卒業す
る6年生が同校で38年間踊り継がれてきた伝統の舞を
後輩たちに継承しました。
同校は昭和44年から増沢神楽保存会(菅原武徳会長)の
指導で、神楽の伝承活動に取り組んでいます。4年生以
上全員が練習を重ね、同校運動会や町子ども郷土芸能発
表会などで披露しています。授業参観日に合わせて行わ
れた引き継ぎ式には、4年生以上の児童と今春から新た
に加入する3年生児童、教職員、父母、保存会の指導者
らが出席しました。式では6年生代表の伊藤篤也君が5
年生代表の伊藤誠君に鶏兜など神楽道具を手渡し、いっ
しょに神楽を舞って引き継ぎました。
児童たちに神楽を指導してきた保存会の村上光雄さん
(81)は「みんなまじめに練習し、今日は本当によく踊れ
ていました。これからも頑張ってください」と講評。村
上則雄さん(80)は「自分たちは3代目の指導者ですが、
今の児童たちの父母もまた神楽を舞ってきた人たち。歴
史と伝統を感じますね」と感慨深げに語りました。
たけ のり
あつ
や
まこと
みつ
のり
お
お
上 6年生はステージで、3−5年生
はフロアで舞った。/下 引き継ぎ式
では兜などを引き継いだ
最後の舞となった6年生の千葉
俊也君は「後輩たちは覚えが早く
て立派に踊っていました。今日は
みんなで踊れてよかったです」と
満足そうでした。
とし
や
46人が新たな一歩踏み出す
17年度県立藤沢高校卒業式
ひとし
県立藤沢高等学校(佐藤 平 校長、生徒115人)の17年度
卒業式は3月1日、同校体育館で行われ、卒業生46人が
新たな人生への第一歩を踏み出しました。
午前10時から行われた式では、国歌斉唱に続いて佐藤
校長から卒業生一人ひとりに卒業証書が手渡されました。
この日の天候は雪。式辞に立った佐藤校長は「真っ白い
キャンパスに一筆一筆人生の絵を描いてほしいという天
の計らいです」と述べました。
式では、卒業生を代表し畠山健君が感謝の気持ちを込
め答辞を述べたほか、皆勤賞や学校賞の表彰式なども行
われました。同校は県立千厩高との統合が決まっていま
すが、現在の1年生が卒業する20年3月まで存続し、在
校生は藤沢高生として卒業します。
たけし
ミニ消防車を先頭に火の用心を呼びかける幼年消防クラブの子どもたち
商店街で火の用心呼びかけ
幼年消防クが防火パレード
よう
こ
藤沢幼稚園(菊池陽子園長、園児21人)・同保育園(佐々
木百合子園長、園児100人)の園児による防火パレードは
3月2日、藤沢商店街で行われ、法被姿の園児たちが沿
道の住民に火災予防を呼びかけました。
同パレードは、春の全国火災予防運動期間(1−7日)
に合わせて行われたもので、幼年消防クラブを結成して
いる同幼稚園・保育園の4・5歳児71人のほか、園職員、
千厩消防署藤沢分署、町自治振興推進室、町交通指導隊、
千厩警察署藤沢駐在所など関係者らが参加しました。
かわいい法被や防火服をまとった園児たちは、午前10
時に園を出発。ミニ消防車を先頭に約1キロの藤沢商店
街を練り歩き、沿道の住民に「火の用心」を呼びかけて
いました。
ゆ
21
り
こ
Mar.2006
佐藤校長から卒業証書を受け取る卒業生
[問]自治振興推進室63-4121
表彰された個人・団体
会
や
E
M
︵
有
用
微
生
物
群
︶
ボ
カ
シ
長
︶
の
三
浦
フ
ミ
子
副
会
長
が
女
性
議
女 四
性 部
組 門
織 の
連 表
絡 彰
会 が
議 行
︵ わ
須 れ
藤 た
千ち ほ
代よ か
子こ 、
会 町
▽
防
犯
▽
生
徒
指
導
連
絡
協
議
会
▽
コ
ミ
ュ
ニ
テ
ィ
ー
花
壇
▽
交
通
安
の 全
−
◎コミュニティー花壇表彰
【自治会花壇】
■最優秀賞=41区■優秀賞=深萱、9区■審
査員特別賞=7区■奨励賞=39区、七日町、
29区、25区、2区
【個人・事業所花壇】
■最優秀賞=佐藤トキ子(砂子田)■優秀賞=
菅原秀子(保呂羽)、熊谷衣子(黄海)■審査員特
別賞=皆川チヨミ(藤沢)■奨励賞=インテグ
ラン岩手工場、及川加奈子(藤沢)、徳田保育
園
◎交通安全表彰
【優良運転者】
■四輪の部=小野勝美(西口)
、及川軍一(藤沢
)、熊谷征一(黄海)、柴田久江(西口)、伊藤咲子
(黄海)、小野寺守(西口)、橋本信子(藤沢)、千葉
啓子(黄海)、小野寺仲二(砂子田)、遠藤一司(黄
海)、千葉康紀(西口)、千葉朋子(徳田)、星富士
子(同)、小野寺征平(砂子田)■二輪の部=三浦
徳雄(徳田)
【飲酒運転追放自治会】
小日形、27区、39区、43区、29区、千松、18
区、深萱、26区、34区、3区、2区、6区、
13区、17区、上大籠
◎防犯表彰
【防犯功労者】
玉澤豊士(砂子田)、千葉勘司(黄海)、伊藤初男
(保呂羽)、千葉勉(藤沢)、及川高治(同)、須藤清
三(黄海)、伊東昌人(同)、須藤健一(同)、畠山賢
一(徳田)
◎生徒指導連絡協議会長表彰
【非行防止標語】
■最優秀賞=昆野賢太(黄海小)■優秀賞=畠
山洋希(徳田小)■入選=小山佳奈(藤沢小)、小
野寺佑介(同)、菅原若葉(黄海小)、鈴木悠太(同
)、菅原由香(新沼小)、伊藤五生(同)、山口れな
(保呂羽小)、岩渕和英(藤沢高)、伊藤進(同)、千
葉真理子(同)
【交通安全標語】
■最優秀賞=菊地由奈(新沼小)■優秀賞=金
野敬太(藤沢高)■入選=佐藤槙(藤沢小)、菊池
泰広(同)、横田美咲(同)、佐々木優莉(黄海小)、
千葉勇貴(同)、伊藤五生(新沼小)、千田明日香
(徳田小)、畠山涼(同)、千葉みゆき(保呂羽小)、
佐藤圭(藤沢高)
づ
く
り
講
習
会
な
ど
の
活
動
を
報
告
し
百
人
が
参
加
し
ま
し
た
。
第
一
部
で
は
会
関
係
者
や
受
賞
者
、
来
賓
な
ど
約
四
に
開
か
れ
た
フ
ォ
ー
ラ
ム
に
は
、
自
治
ち
づ
く
り
を
推
進
し
よ
う
﹂
を
テ
ー
マ
﹁ く
地 り
の
方 一
分 層
権 の
時 推
代 進
、 を
協 誓
働 い
に ま
よ し
る た
ま 。
演
な
ど
を
通
し
て
協
働
に
よ
る
ま
ち
づ
生徒指導連絡協議会の表彰風景
と
お
り
で
す
︵
敬
称
略
︶
。
表
彰
さ
れ
た
個
人
、
団
体
は
左
表
の
が
大
事
で
す
﹂
と
訴
え
ま
し
た
。
習
慣
や
慣
行
の
見
直
し
を
進
め
る
こ
と
職
場
、
家
庭
や
地
域
で
の
さ
ま
ざ
ま
な
は
、
社
会
的
性
別
の
視
点
を
定
着
さ
せ
、
﹁
男
女
共
同
参
画
を
実
現
す
る
た
め
に
し
て
講
演
し
ま
し
た
。
新
妻
助
教
授
は
女
共
同
参
画
社
会
を
め
ざ
し
て
﹂
と
題
セ
ン
タ
ー
所
長
の
新
妻
二
男
氏
が
﹁
男
助
教
授
・
同
学
部
付
属
教
育
実
践
総
合
第
二
部
で
は
、
岩
手
大
学
教
育
学
部
り
の
一
層
の
推
進
を
呼
び
か
け
ま
し
た
。
り
ま
し
ょ
う
﹂
と
、
協
働
の
ま
ち
づ
く
大 性
学 組
教 織
育 連
学 絡
部 会
新にい 議
妻つま の
二つぎ 活
男お 動
助 報
教 告
授 、
の 岩
講 手
ホ
ー
ル
で
開
か
れ
、
各
種
表
彰
や
町
女
り
フ
ォ
ー
ラ
ム
は
二
月
十
二
日
、
縄
文
が
住
み
続
け
た
い
と
思
う
地
域
を
つ
く
は
こ
の
町
に
住
む
住
民
と
自
治
会
。
子
﹁
地
方
分
権
時
代
、
地
域
を
つ
く
る
の
ど
も
た
ち
が
夢
と
希
望
を
持
ち
、
誰
も
雄お
会 藤
長 沢
︶ 町
主 自
催 治
の 会
十 協
七 議
年 会
度 ︵
地 小
域 野
づ 寺
く 恒つね
フ
ォ
ー
ラ
ム
開
き
協
働
の
ま
ち
づ
く
り
推
進
を
誓
う ま
あ し
い た
さ 。
つ
に
立
っ
た
小
野
寺
会
長
は
男女共同参画社会に
ついて講演した岩手
大学新妻二男助教授
[問]保健センター63-5304
健診でむし歯のなかった子供たち紹介します
あゆみ
ゆき
な
しょう ご
え
◎平成18年2月17日の3歳6カ月健診
み
れい
か
は
ゆ
伊勢マリアちゃん
熊谷 歩ちゃん
千葉如奈ちゃん
千葉 匠 悟くん
熊谷笑未ちゃん
畠山玲佳ちゃん
岩渕羽佑ちゃん
西口字木ノ中
徳田字曲田
黄海字町裏
藤沢字早道
藤沢字仁郷
保呂羽字宇和田
新沼字石合
Fujisawa.Iwate
22
[問]自治振興推進室63-4121
菅
原
さ
ん
は
入
隊
以
来
、
女
性
の
視
婦人消防協力隊の
菅原豊子副隊長 な
け
れ
ば
な
ら
な
い
場
合
が
多
く
、
こ
し
た
。
万
一
の
際
、
女
性
は
家
を
守
ら
と
大
き
な
力
に
な
る
こ
と
を
実
感
し
ま
の
力
は
小
さ
く
て
も
み
ん
な
が
集
ま
る
演
習
で
千
三
百
食
を
炊
き
出
し
、
一
人
菅
原
さ
ん
は
﹁
十
六
年
秋
の
郡
消
防
す
ね
﹂
と
話
し
て
い
ま
す
。
ま
す
。
今
回
の
受
賞
は
励
み
に
な
り
ま
た
ち
に
は
防
火
思
想
が
身
に
付
い
て
い
切
で
す
。
毎
月
の
避
難
訓
練
で
子
ど
も
い
時
か
ら
防
火
の
心
を
学
ぶ
こ
と
は
大
育
園
の
佐
藤
と
よ
子
副
園
長
は
﹁
小
さ
ま 地
り 域
を の
創つく 文
っ 化
て 活
い 動
く と
必 し
要 て
が 新
あ た
る な
。 深
基
本
に
原
点
を
見
失
う
こ
と
な
く
、
で
い
る
。
住
民
の
主
体
的
な
活
動
を
影
響
で
縮
小
や
取
り
止
め
が
相
次
い
ど
の
町
村
で
も
厳
し
い
財
政
状
況
の
23
Mar.2006
価
さ
れ
ま
し
た
。
災
組
織
が
重
要
で
す
﹂
と
、
保
呂
羽
保
防
活
動
へ
の
積
極
的
な
取
り
組
み
が
評
れ
か
ら
は
、
地
域
に
精
通
し
た
自
主
防
イ
ベ
ン
ト
の
開
催
を
巡
っ
て
は
、
両
の
見
学
な
ど
、
さ
ま
ざ
ま
な
火
災
予
実
に
育
っ
て
い
る
こ
と
を
感
じ
た
。
た
団
体
や
個
人
を
表
彰
し
て
い
ま
す
。
大
会
へ
の
参
加
や
避
難
訓
練
、
消
防
車
て
お
り
、
地
域
の
防
災
活
動
に
貢
献
し
と
の
合
同
訓
練
を
は
じ
め
、
幼
年
消
防
表
彰
は
昭
和
五
十
七
年
か
ら
行
わ
れ
り
組
ん
で
き
ま
し
た
。
保
呂
羽
小
学
校
消
防
ク
ラ
ブ
が
表
彰
さ
れ
ま
し
た
。
か
ら
の
防
火
・
防
災
意
識
の
啓
発
に
取
[問]生涯学習課63-5515
ん 人 同
︵ 消 組
五
防 合
七
︶ 協 消
= 力 防
砂 隊 本
橋 子 副 部
喜き 田 隊 で
久く 字 長 行
子こ 新 の わ
園 田 菅 れ
長 = 原 、
︶ と 豊とよ 本
幼 保 子こ 町
年 呂 さ 婦
羽
保
育
園
︵
昭
和
五
十
七
年
に
結
成
さ
れ
、
幼
児
期
保
呂
羽
保
育
園
幼
年
消
防
ク
ラ
ブ
は
果
敢
な
防
災
活
動
が
評
価
さ
れ
ま
し
た
。
の
育
成
に
も
力
を
入
れ
る
な
ど
、
積
極
織
表
彰
式
は
二
月
十
八
日
、
一
関
市
の
就
任
し
、
隊
長
を
補
佐
し
な
が
ら
隊
員
防
長
︶
の
十
七
年
度
優
良
自
主
防
災
組
き
ま
し
た
。
平
成
十
二
年
に
副
隊
長
に
地
域
で
の
積
極
的
な
防
災
活
動
が
高
く
評
価
さ
れ
る 両
磐
地
区
消
防
組
合
︵
佐
藤
志し
行こう
消
点
か
ら
火
災
予
防
活
動
に
取
り
組
ん
で
32人が出席した60歳同年の集い
充実した人生歩むこと誓う
60歳同年の集いに32人
町60歳同年の集いは2月26日、まる
ふく会館で開かれ、同年者が互いの健
康を祝い、充実した人生を歩むことを
誓いました。
同年の集いは同実行委員会(菊地 平
一 会長)が主催。町内在住の還暦を迎
える同年者が集い、交流を深めること
を目的に毎年行われています。今年の
対象者は昭和20年4月2日から21年4
月1日までに生まれた88人です。
午後4時半から行われた耳順式では、
菊地会長のあいさつに続き、菅原清信
さん=砂子田字新田=が「還暦を迎え
るにあたり、同年の連帯を大切にしな
がら、心身共に充実した人生を歩み、
夢と誇りをつないでいくことを誓いま
す」と耳順宣言しました。
式典終了後に開
かれた懇親会では、
久しぶりにあった
友人との再会を
祝って杯を交わし、
思い出話や近況報
告に花を咲かせて
耳順宣言した
いました。
菅原清信さん
へい
いち
きよ のぶ
保呂羽保育園幼年消防クラブの園児たち
姿
が
あ
っ
た
。
素
晴
ら
し
い
芽
が
着
テ
ィ
ア
で
炊
き
出
し
を
し
て
支
え
る
に
、
女
性
団
体
の
方
々
が
ボ
ラ
ン
ま
た
、
舞
台
の
裏
方
の
活
動
の
中
に
包
ま
れ
た
。
と
重
ね
る
人
も
多
く
、
会
場
は
感
動
望
郷
の
念
の
熱
演
に
、
自
分
の
人
生
の
方
々
も
会
場
に
訪
れ
た
。
役
者
の
ア
テ
マ
ラ
領
事
や
在
京
藤
沢
郷
友
会
ち
た
生
涯
が
描
か
れ
た
。
当
日
は
グ
身
の
写
真
家
屋
須
弘
平
の
波
乱
に
満
開
催
さ
れ
て
い
る
。
今
回
は
本
町
出
二
月
二
十
六
日
に
は
町
民
劇
場
が
び
合
い
た
い
と
思
う
。
の
皆
さ
ん
と
共
に
、
こ
の
受
賞
を
喜
も
の
で
、
祭
り
を
支
え
て
き
た
町
民
イ
ベ
ン
ト
と
し
て
高
い
評
価
を
得
た
大
切
に
し
た
創
意
と
工
夫
に
富
ん
だ
れ
た
。
地
方
の
発
想
を
東
京
で
表
彰
式
が
行
わ
に
決
定
し
、
三
月
七
日
、
ン
ト
大
賞
﹂
の
優
秀
賞
す
る
﹁
ふ
る
さ
と
イ
ベ
性
化
セ
ン
タ
ー
が
主
催
が
、
財
団
法
人
地
域
活
を
迎
え
た
藤
沢
野
焼
祭
昨
年
三
十
回
の
節
目
[問]在宅介護支援センター63-2021
4月から介護保険業務は
広域行政組合で行います
藤沢町、一関市、平泉町の3市町は、
介護保険事業の保険者としての事務お
よび衛生事務を広域的に処理するため、
平成18年4月から「一関地区広域行政
組合」を設置して、従来各市町が行っ
ていた介護保険の保険者事務を広域行
政組合で行うこととしました。
◎介護保険および高齢者の総合窓口は
在宅介護支援センターから保健セン
ターに変わります
町はこれまで介護保険事務の全般を
在宅介護支援センターで行ってきまし
たが、18年4月から相談や各種申請の
受け付けは保健センターで行います。
◎4月から基準月額保険料は3,496円
になる予定です
両磐地区介護保険事業計画策定委員
会は、今後の両磐地域の人口、高齢者
数、要介護認定者数などを推計し、向
こう3年間の介護保険事業計画を審議
しました。その中で18年度から20年度
までの第1号被保険者(65歳以上の人)
の介護保険料を基準月額3,496円とす
ることで答申が行われました。
第1号被保険者の保険料は世帯や本
人の課税状況や収入によって下記区分
で決まります。詳しくは在宅介護支援
センター (63-2021)までおたずねく
ださい。
■4月からの保険料額
区 分
対象者
生活保護受給者、老
保 険 料
齢福祉基礎年金受給
第1段階
者
保険料額
基準額×0.5
世帯全員が町民税非
課税で高齢者本人の
保 険 料
年金収入が80万円以 基準額×0.65
第2段階
下で年金以外の収入
がない人
世帯全員が町民税非
保 険 料
課税で第2段階に該 基準額×0.75
第3段階
当しない人
保 険 料
本人が町民税非課税
第4段階
基準額
本人が町民税課税で
保 険 料
所得金額が200万円 基準額×1.25
第5段階
未満
基準額×1.5
け
花
、
ハ
ー
ブ
ク
ラ
フ
ト
、
吟
行
会
の
た
ほ
か
、
書
道
、
墨
彩
画
、
油
絵
、
生
茶 習
道 成
︵ 果
煎せん を
茶ちゃ 発
︶ 表
コ し
ー ま
ス し
が た
茶 。
席 館
を 内
設 に
け は
舞 講
け
踊 評 続 取
、 を い り
箏こと 述 て ま
、 べ 各 し
着 、 講 た
付 そ 座 。
け の の
の 後 講
四 、 師
コ 植 が
ー 木 一
ス 剪せん 年
が 定てい 間
学 、 の
が 小 代
岩 野 表
渕 寺 し
英えい 徳のり て
生き 子こ 着
教 さ 付
育 ん け
長 = コ
か 黄 ー
ら 海 ス
受 字 を
講 下 受
証 中 講
を 山 し
受 = た
な
ど
約
百
五
十
人
が
出
席
。
受
講
生
を
②
に
は
受
講
生
や
講
師
、
主
催
者
や
来
賓
午
前
十
一
時
か
ら
行
わ
れ
た
閉
講
式
台
発
表
な
ど
が
行
わ
れ
ま
し
た
。
タ
ー
で
開
か
れ
、
受
講
証
の
授
与
や
舞
①
④
③
⑥
⑤
①植木剪定コースの活動成果を報告する佐藤静雄さん②艶やか
な着付けコースの発表③見事な演奏を披露した箏コースの皆さ
ん④躍動感あふれる舞で会場を沸かせた舞踊コースの皆さん⑤
会場にはたくさんの作品が展示された⑥仮装大賞で合格した新
沼小学校親子の息の合った美しい演技
タ
ー
内
生
涯
学
習
課
︵
6
3
5
5
で
す
。
詳
し
く
は
、
文
化
交
流
セ
ン
全
二
十
二
コ
ー
ス
が
開
設
さ
れ
る
計
画
も
同
セ
ミ
ナ
ー
の
メ
ニ
ュ
ー
に
加
え
、
ド
ー
ム
で
開
か
れ
て
い
た
趣
味
の
教
室
十
八
年
度
は
こ
れ
ま
で
ニ
コ
ニ
コ
し
ま
し
た
。
の
十
二
コ
ー
ス
を
百
七
十
九
人
が
受
講
茶
道
︵
煎
茶
︶
▽
I
T
ア
カ
デ
ミ
ー
−
1
5
︶
ま
で
お
た
ず
ね
く
だ
さ
い
。
−
本人が町民税課税で
保 険 料
所得金額が200万円
第6段階
以上
[問]生涯学習課63-5515
▽
植
木
剪
定
▽
舞
踊
▽
箏
▽
吟
行
会
▽
ハ
ー
ブ
ブ
ク
ラ
フ
ト
▽
書
道
▽
着
付
け
年
度
は
▽
生
け
花
▽
油
絵
▽
墨
彩
画
▽
年
度
か
ら
ス
タ
ー
ト
し
ま
し
た
。
十
七
学
習
の
場
を
広
く
提
供
し
よ
う
と
十
一
タ
ー
を
主
会
場
に
、
地
域
住
民
に
生
涯
閉
講
式
は
三
月
五
日
、
文
化
交
流
セ
ン
セ
ミ
ナ
ー
︵
町
教
育
委
員
会
主
催
︶
の
十
七
年
度
生
涯
学
習
講
座
わ
く
わ
く
系
の
新
春
人
気
番
組
﹁
欽
ち
ゃ
ん
&
香
閉
講
式
終
了
後
に
は
、
日
本
テ
レ
ビ
作
品
が
一
挙
展
示
公
開
さ
れ
ま
し
た
。
親
子
が
仮
装
の
演
技
﹁
新
年
へ
の
バ
ト
賞
﹂
に
出
場
し
た
新
沼
小
学
校
六
年
生
取
慎
吾
の
第
七
十
五
回
新
!
仮
装
大
せ
て
い
ま
し
た
。
ン
タ
ッ
チ
﹂
を
披
露
し
、
会
場
を
沸
か
同
セ
ミ
ナ
ー
は
、
文
化
交
流
セ
ン
閉
講
式
を
開
き
セ
ミ
ナ
ー
の
学
習
成
果
を
発
表
す
る Fujisawa.Iwate
24
特定非営利活動法人 藤沢町ボラントピアセンター情報誌 №26 平成18年3月15日発行
あ
と
ら
ぼ ん ぴ
主な内容
こんにちわヘルパーです………26
◎生活援助サービスについて
新しい仲間を紹介します………27
第2回「参加で・きずく・とーば
んフェスタ」に参加……………27
25
Mar.2006
夫
婦
で
い
て
く
だ
さ
い
。
こ
れ
か
ら
も
い
つ
ま
で
も
、
お
し
ど
り
る
瞬
間
で
も
あ
り
ま
す
。
な
り
、
訪
問
し
て
よ
か
っ
た
な
ぁ
と
感
じ
を
い
た
だ
き
、
と
て
も
温
か
な
気
持
ち
に
い
よ
。
ど
う
も
あ
り
が
と
ね
ぇ
﹂
の
言
葉
帰
る
と
き
に
は
、
﹁
気
ぃ
つ
け
て
い
が
か
っ
て
い
ま
す
。
し
て
か
ら
お
話
し
し
て
く
れ
る
の
で
、
助
何
を
す
る
に
も
、
い
つ
も
二
人
で
相
談
思
い
ま
す
。
る
と
、
と
て
も
仲
が
良
く
う
ら
や
ま
し
く
二
人
で
お
話
を
し
て
い
る
姿
を
見
て
い
ん
、
ひ
ろ
の
さ
ん
ご
夫
妻
=
藤
沢
字
町
=
。
も
元
気
に
応
え
て
く
れ
る
高
橋
喜
利
治
さ
で
す
﹂
の
声
に
、
﹁
は
ぁ
ー
い
﹂
と
い
つ
﹁
お
は
よ
う
ご
ざ
い
ま
す
、
ヘ
ル
パ
ー
こんにちわヘルパーです
訪問介護サービスには「身体介護」と「生活援助」があります。
今回は生活援助サービスを紹介します。
お風呂清掃
居室内清掃
り
銭
の
確
認
な
ど
買い物
給
油
な
ど
■
そ
の
他
の
サ
ー
ビ
ス
手
紙
・
ア
ン
ケ
ー
ト
等
の
代
筆
な
ど
郵
便
物
・
回
覧
版
等
の
読
み
上
げ
・
■
代
筆
・
代
読
・
読
書
ど 居 ■ シ ■ 的 生 用 た 汗 安
室 掃 ー ベ 援 活 者 り ・ 否
内 除 ツ ッ 助 上 の の 体 確
・
交 ド な の 介 調 温 認
台
換 メ ど 助 護 整 等 ・
所
な イ
言 の ・ 、 顔
清
ど ク
・ た 寝 換 色
掃
情 め 台 気 ・
等
・
報 の 周 ・ 全
ゴ
提 情 囲 室 身
ミ
供 報 整 温 症
出
・ 収 頓 ・ 状
し
心 集 ・ 日 ・
な
理 ・ 利 当 発
衣
服
の
整
理
・
補
修
り
内
容
の
確
認
・
買
い
物
物
品
と
釣
買
い
物
内
容
の
確
認
・
金
銭
の
預
か
■
基
本
的
サ
ー
ビ
ス
ど 洗 ■
濯 洗
・ 濯
乾
燥
・
取
り
入
れ
・
収
納
な
■
買
い
物
洗濯干し
調
理
・
配
膳
・
後
片
付
け
な
ど
■
衣
服
の
整
理
・
補
修
■
調
理
と
片
付
け
等
調 理
訪問介護サービスの利用者負担額
利用者さんの声
お支払いいただく料金は下記のとおりです。
毎週、金曜日が来るのが
待ち遠しいです。
区 分
身体介護
生活援助
30分未満
231円
−
30分∼1時間未満
402円
208円
●早朝・夜間の割り増し
1時間∼1時間30分未満
584円
291円
早朝 午前6時∼午前8時→25%加算
−
83円
お部屋をきれいにしても
らって、その後ヘルパーさ
んとお話をするのを楽しみ
にしています。おかげさま
で、助かっていますよ。
佐藤富久さん
(藤沢字柳平)
30分増すごとに
夜間 午後6時∼午後10時→25%加算
深夜 午後10時∼午前6時→50%加算
Fujisawa.Iwate
26
No26
ぼらんとぴあ No26
よ
ろ
し
く
お
願
い
し
ま
す
。
て
い
き
た
い
と
思
い
ま
す
の
で
、
る
介
護
が
で
き
る
よ
う
、
頑
張
っ
す
が
、
利
用
者
の
方
々
に
喜
ば
れ
張
っ
て
い
き
た
い
と
思
い
ま
す
。
る
ヘ
ル
パ
ー
に
な
れ
る
よ
う
頑
の
声
も
聞
き
な
が
ら
、
頼
り
に
な
ろ
教
わ
り
、
そ
し
て
利
用
者
さ
ん
訪
ま 問
だ し
ま て
だ い
不 き
慣 た
れ い
で と
は 思
あ い
り ま
ま す
。
じ
優 始
し め
い て
先 い
輩 ま
た す
ち 。
に
、
い
ろ
い
さ
き
﹂
の
葛
西
秋
夫
理
事
長
か
ら
﹁
ア
ー
ト
で
明
る
ぐ
生
ぎ
る
か
わ
︵
大
東
町
︶
の
菅
原
仁
理
事
長
、
わ
れ
ま
し
た
。
﹁
ど
ん
ぐ
り
協
会
﹂
﹁
な
ん
で
も
話
そ
う
﹂
放
談
会
が
行
午
前
の
ホ
ー
ル
イ
ベ
ン
ト
は
、
あ
っ
て
緊
張
し
な
が
ら
も
、
グ
て
お
り
、
町
外
で
の
ス
テ
ー
ジ
と
さ
ん
は
、
定
期
的
に
練
習
を
重
ね
﹁
す
ず
ら
ん
コ
ー
ラ
ス
﹂
の
皆
が
土
俵
入
り
を
披
露
し
ま
し
た
。
劇
を
、
千
厩
愛
宕
花
相
撲
保
存
会
ド
バ
イ
ス
を
い
た
だ
き
な
が
ら
、
こ
れ
か
ら
も
先
輩
の
方
々
か
ら
ア
な
サ
ー
ビ
ス
を
提
供
で
き
る
よ
う
、
幸
せ
を
感
じ
て
い
た
だ
け
る
よ
う
利
用
者
の
皆
さ
ん
に
、
少
し
で
も
も
で
き
る
よ
う
に
な
り
ま
し
た
。
が
、
こ
の
ご
ろ
は
、
笑
顔
で
お
話
宅
を
覚
え
る
の
が
精
一
杯
で
し
た
最
初
は
、
道
路
と
利
用
者
の
お
り
、
こ
の
仕
事
に
や
り
が
い
を
感
で
も
で
き
た
ら
と
い
う
思
い
に
な
し
で
も
手
助
け
す
る
こ
と
が
少
し
し
て
い
く
う
ち
に
、
こ
ん
な
わ
た
事
を
始
め
て
、
利
用
者
さ
ん
と
接
ま
し
た
。
で
も
、
ヘ
ル
パ
ー
の
仕
事
に
就
く
こ
と
を
た
め
ら
っ
て
い
の
か
?
﹂
と
思
い
ヘ
ル
パ
ー
の
仕
﹁
わ
た
し
に
ヘ
ル
パ
ー
が
務
ま
る
が
、
昨
年
五
月
。
そ
の
こ
ろ
は
、
ヘ
ル
パ
ー
の
資
格
を
取
っ
た
の
ま
り
ま
し
た
。
ど
さ
ま
ざ
ま
な
分
野
の
団
体
が
集
ま
た
、
子
育
て
支
援
サ
ー
ビ
ス
な
同
様
の
保
健
、
福
祉
サ
ー
ビ
ス
、
し
て
ボ
ラ
ン
ト
ピ
ア
セ
ン
タ
ー
と
境
を
よ
り
豊
か
に
す
る
活
動
、
そ
団
体
、
自
然
保
全
団
体
、
緑
の
環
団
体
、
環
境
問
題
へ
の
取
り
組
み
生
か
し
た
地
域
貢
献
事
業
を
行
う
の
ほ
か
高
齢
者
の
趣
味
や
特
技
を
立
、
社
会
参
加
促
進
活
動
の
団
体
参
加
団
体
は
、
障
害
者
等
の
自
議
会
が
﹁
男
女
共
同
参
画
﹂
の
寸
せ
た
ほ
か
、
千
厩
町
女
性
団
体
協
が
参
加
し
て
自
慢
の
歌
声
を
聞
か
ク
ラ
ブ
﹁
す
ず
ら
ん
コ
ー
ラ
ス
﹂
本
町
か
ら
は
砂
子
田
地
区
の
老
人
ス
テ
ー
ジ
発
表
が
あ
り
ま
し
た
。
行
っ
て
い
る
グ
ル
ー
プ
・
団
体
の
午
後
か
ら
は
、
地
域
活
動
を
販
売
な
ど
で
に
ぎ
わ
い
ま
し
た
。
プ
、
作
品
の
販
売
、
産
直
の
出
張
手
紙
の
交
流
、
コ
ー
ヒ
ー
シ
ョ
ッ
意
欲
を
燃
や
し
て
い
ま
し
た
。
を
目
標
と
し
て
、
次
回
の
開
催
に
け
る
よ
う
P
R
を
し
て
い
く
こ
と
分
た
ち
の
活
動
を
知
っ
て
い
た
だ
美しい歌声を披露するすずらんコーラスの皆さん
27
Mar.2006
ヘ
ル
パ
ー
と
し
て
誇
り
を
も
っ
て
を
さ
せ
て
い
た
だ
い
て
い
ま
す
。
ア
セ
ン
タ
ー
で
訪
問
介
護
の
仕
事
昨
年
の
八
月
か
ら
ボ
ラ
ン
ト
ピ
せ
て
い
た
だ
い
て
い
ま
す
。
紹
介し
しい
ま仲
●す
間
●
を
足 利 往 枝
訪
問
は
一
日
二
件
か
ら
三
件
回
ら
に
二
日
か
ら
三
日
の
勤
務
で
す
。
今
は
、
訪
問
介
護
が
主
で
、
週
も
の
で
す
。
周
知
、
啓
発
を
目
的
に
行
わ
れ
た
展
示
さ
れ
た
ほ
か
、
手
づ
く
り
絵
各
団
体
の
活
動
紹
介
の
パ
ネ
ル
が
鼓
を
打
ち
ま
し
た
。
ロ
ビ
ー
に
は
今
後
さ
ら
に
、
地
域
の
方
々
に
自
解
を
深
め
た
今
回
の
イ
ベ
ン
ト
を
●
●
新●
し
て
お
世
話
に
な
り
、
早
い
も
の
昨
年
の
十
一
月
か
ら
介
護
員
と
地
域
住
民
へ
の
活
動
団
体
の
紹
介
、
て
い
る
団
体
相
互
の
交
流
を
図
り
、
東
磐
井
地
方
で
市
民
活
動
を
行
っ
タ
ー
も
参
加
し
ま
し
た
。
こ
れ
は
、
催
さ
れ
、
ボ
ラ
ン
ト
ピ
ア
セ
ン
と
﹂
が
配
ら
れ
、
伝
統
料
理
に
舌
ヅ
ク
ガ
ニ
を
使
っ
た
﹁
か
に
ば
っ
会
︵
伊
藤
靖
一
理
事
長
︶
か
ら
モ
法
人
北
上
川
流
域
生
態
系
保
全
協
昼
食
に
は
、
川
崎
町
の
N
P
O
に
活
動
し
て
お
り
、
自
分
た
ち
の
た
め
、
東
磐
井
の
活
性
化
の
た
め
と
こ
ろ
は
、
住
ん
で
い
る
地
域
の
て
お
り
、
皆
さ
ん
が
共
に
目
指
す
団
体
同
士
の
交
流
、
活
動
に
理
●
で
四
カ
月
が
た
ち
ま
し
た
。
生
き
が
い
に
も
な
っ
て
い
ま
す
。
佐 藤 ●
ひ
ろ
み
●
●
八
日
、
一
関
市
川
崎
公
民
館
で
開
す
る
第
二
回
﹁
参
加
で
・
き
ず
く
・
り
団
体
な
ど
が
活
動
内
容
を
紹
介
非
営
利
団
体
︶
や
各
種
地
域
づ
く
東
磐
井
地
方
の
N
P
O
︵
民
間
み
が
紹
介
さ
れ
、
意
見
交
換
が
行
か
ら
も
各
団
体
の
活
動
の
取
り
組
ま
し
た
。
ま
た
、
会
場
の
参
加
者
状
況
、
課
題
な
ど
の
発
表
が
あ
り
活
動
を
始
め
た
き
っ
か
け
、
活
動
会
場
か
ら
は
大
き
な
拍
手
が
送
ら
方
々
の
生
き
生
き
と
し
た
活
動
に
、
に
歌
い
上
げ
ま
し
た
。
高
齢
者
の
ル
ー
プ
紹
介
の
後
に
、
三
曲
見
事
わ
れ
ま
し
た
。
各
団
体
と
も
意
欲
的
に
活
動
し
と
ー
ば
ん
フ
ェ
ス
タ
﹂
は
二
月
十
れ
て
い
ま
し
た
。
第東
2磐
井
回N
﹁P
参O
加イ
ベ
でン
・ト
き
ず
く
・
と
ー
ば
ん
フ
ェ
ス
タ
﹂
に
参
加
http://www.town.fujisawa.iwate.jp/
源管理センター
(61)1044 海洋センター
(63)5551 文化交流センター
(63)
5515 町民病院
(63)5211 老健ふじさわ
(63)2010
しています。利用者のトラブルも
増えています。(社)岩手県トラッ
ク協会では、引っ越し相談所を開
設し、電話などで相談に応じてい
ます。緑ナンバーのトラックを利
用した引っ越しやサービスについ
ての困り事はお気軽に相談してく
ださい。
■相談時間 月∼金曜、祝日を除
く午前8時半∼午後5時
■相談窓口および問い合わせ
(社)岩 手 県 ト ラ ッ ク 協 会 019637-2171
開催します
銃砲刀剣類登録が必要
忘れずに登録審査会へ
岩手県教育委員会
18年度の銃砲刀剣類登録審査
会は、次のとおりです。忘れずに
登録しましょう。
【盛岡地区審査会】
■日 時 4月20日(木)、6月20日
(火)、8月21日(月)、10月20日(金)、
12月20日(水)、2月20日(火)
*時間はいずれも午前10時から
午後3時
■会 場 岩手県庁10階会議室(盛
岡市内丸10-1)
【教育事務所審査会】
■日 時 7月20日(木)午前11時
∼午後4時
■会 場 北上地区合同庁舎(北
上市芳町2-8)
[問]県教育委員会生涯学習文化課
019-629-6182
岩手県への就職希望者
対象に就職面接会開催
談、ハローワークによる職業相談、
雇用能力開発機構岩手センターに
よるコンピュータでの適職診断な
どです。詳しくは、ふるさといわ
て定住財団までおたずねください。
【いわて就職面接会(仙台)】
■日 時 4月14日(金)午後1時
∼4時
■場 所 仙台サンプラザ(仙台
市宮城野区榴岡5-11-1)
【いわて就職面接会Ⅰ】
■日 時 4月19日(水)午後1時
∼5時
■場 所 岩手産業文化センター
アピオ(岩手郡滝沢村滝沢字砂込
389-20)
[問](財)ふるさといわて定住財団
019-653-8976
こんにちは赤ちゃん
ち
ゆき
小野寺千
幸(巧・育恵/徳田字塒)
あす ま
及川 飛舞(辰徳・友美/藤沢字仁郷)
だい き
伊藤 大輝(昌紀・松子/増沢字柏木)
ご結婚おめでとう
熊谷 勝・江利加(黄海字上場)
千葉健一・由 紀(黄海字鬼田)
佐藤将行・ 望 (藤沢字伏房)
畠山信也・真由美(徳田字桜ノ沢)
佐藤昌宏・銀 實(西口字東小戸沢)
お悔やみ申し上げます
募集します
岩手県障害者スポーツ
大会の出場選手を募集
保健センター
第8回岩手県障害者スポーツ大
会に出場する選手を募集します。
大会は6月3日、盛岡市で開かれ
ます。対象は身体障害者手帳、療
育手帳、精神保健福祉手帳を持っ
ている人です。詳しくは保健セン
ターまでおたずねください。
■募集人数 身体障害者7人、知
的障害者6人、精神障害者2人
■募集期間 3月15日(水)∼4月
10日(月)
[問]保健センター63-5304
熊谷 希男 80 黄海字町裏
佐竹 法男 81 砂子田字百目木
三浦 光栄 32 徳田字辻道
佐々木富久子 81 黄海字山谷
畠山 豊子 91 徳田字萱刈場
千葉文八郎 78 保呂羽字宇和田
皆川 保 97 藤沢字榴
皆川喜美子 89 藤沢字町
石川正一郎 93 黄海字辻山
小山 萬吉 83 藤沢字板橋
*届け出時に総合情報誌への掲載を希
望した方だけ載せています
休日の当番医(東地区)
【3月】
日
医療機関
19 本多医院
26 ひがしやま病院
電話番号
(72)2133
(48)2666
【4月】
ありがとう
ございました
ふるさといわて定住財団
(財)ふるさといわて定住財団で
は、岩手県内への就職を希望する
人を対象に、次のとおり就職面接
会を開催します。対象は、いずれ
も19年3月卒業予定の大学、短大、
高専、専門・専修学校の学生また
は既卒者および一般求職者です。
面接内容は、参加企業との個別面
戸籍の窓
■(有)橋本ファーム(代表取締役 橋
本志津さん・埼玉県深谷市)
町の国際交流事業の充実に役立
ててと金100万円が寄付されまし
た
■畠山輝男さん(徳田字萱刈場)
町民病院の設備充実に役立てて
と金5万円が寄付されました
日
医療機関
2 たかがね内科泌尿器科クリニック
9 川崎弥栄診療所
16 室根診療所
まちの人口
地 区
藤 沢
黄 海
八 沢
大津保
計
男
女
電話番号
(51)1375
(43)3114
(64)2127
3月1日現在( )は前月比
人 口
3,291(+ 1)
2,655(- 5)
2,507(+ 4)
1,507(- 1)
9,970(- 1)
4,899(- 1)
5,071(± 0)
世帯数
1,062(+ 1)
725(+ 1)
777(+ 3)
436(± 0)
3,000(+ 5)
Fujisawa.Iwate
28
藤沢町役場 TEL0191(63)2111 自治センター(63)4121 議会事務局
(63)
5301 教育委員会
(63)
5302 農業委員会
(63)
5303 保健センター
(63)5304 水資 お知らせ
新しい病院移転に伴い
外来診療を休診します
県立磐井病院・県立南光病院
県立磐井病院と県立南光病院では、
新病院移転新築に伴う移転作業と入
院患者移送のため、下記のとおり外
来診療を休診します。
■外来休診日 【磐井病院】3月
29日(水)∼4月3日(月)【南光病
院】3月29日(水)から4月2日(日)
■外来診療開始 【磐井病院】4月
4日(火)
【南光病院】4月3日(月)
[問]磐井病院総務課23-3452/
南光病院総務課23-3655
ジョブカフェいわてが
新鮮館おおまちに移転
ち」(旧ダイエー一関店)に移転し
ます。
■移転開設日 3月24日(金)
■移転場所 新鮮館おおまち(旧
ダイエー一関店1階)
■業務内容 ①ジョブカフェいわ
てサテライト一関=祝日・年末年
始を除く毎日オープン。若年者の
就業支援、内職、労働相談、カウ
ンセリングなど②きらめきサポー
トステーション一関=火∼日曜
オープン。NPOサポート、子育
てサポート、消費生活サポート、
シルバーサポートなど
[問]一関地方振興局企画振興課
26-1414
国民年金保険料を前納
すると割引になります
一関社会保険事務所
一関地方振興局企画振興課
17年7月、一関市大町のあべう
ちビルにオープンした「ジョブカ
フェいわてサテライト一関」と「き
らめきサポートステーション一
関」は3月24日、
「新鮮館おおま
国民年金保険料を前納すると割
引になります。18年度保険料で
は、1年度分を現金で前納した場
合は2,950円、口座振替で前納し
た場合は3,490円の割引になりま
す。 口座振替は①1年度分②6
カ月分③毎月納付(早割)④毎月納
付(割引なし)の4種類から選べま
す。役場窓口での18年度1年前
納の申し込みは2月28日で締め
切りましたが、社会保険事務所で
は3月中も受け付けています。希
望される人は社会保険事務所まで
おたずねください。
[問]一関社会保険事務所
23-4246
労働保険料の申告納付
は5月22日が期限です
岩手労働局総務部
労働保険料は年度当初に概算で
保険料を納付し、翌年度に確定保
険料を精算します。18年度の申
告・納付期限は5月22日です。事
業主の人は、最寄りの銀行または
郵便局で手続きしてください。
[問]岩手労働局総務部労働保険徴
収室019-604-3003
引っ越し相談窓口開設
相談はお気軽にどうぞ
岩手県トラック協会
引っ越し運送に伴うサービスの
料金体系は近年、多様化、複雑化
小さな掛金、大きな補償のスポーツ安全保険 [問]藤沢町体育協会事務局(63)5551
スポーツ安全保険は、(財)スポーツ安全協会が契約者となって、5人以上のアマチュアスポーツ活動、文化活
動、ボランティア活動、地域活動、指導活動などを行う社会教育構成団体の構成員を被保険者とする補償制度
です。期間は18年4月1日から19年3月31日まで。詳しくは、町体育協会事務局(63-5551)まで。
保 険 金 額
団 加 入 区 分
体
掛け金
(年額)
障 害 保 険 対 象 範 囲
死 亡
A
◎中学生以下の子ども
◎スポーツ活動を行わな
い大人(高校生以上)
500円
団体活動中とその往復中(学
校管理下を除く)
大
人
の
団
体
29
Mar.2006
にスポーツ活動を行う大
人(高校生以上)
1,500円
A
◎高校生以上の文化活動
団体
500円
B
◎老人クラブなどの団体
800円
C
◎高校清浄のスポーツ活
動団体
通 院
(最高)
(1日)
(1日)
4,000円
身体賠償=1人1億円、1事
1,500円 故5億円/財物賠償=1事故 突然死(急性
心不全、脳内
500万円(各免責金額1,000円)
5,000円
2,000円
1,000円
500円
2,000万円 3,000万円
1,500円
D
◎危険度の高いスポーツ
活動団体
9,000円
校管理下を除く)
(支払い限度額)
出血など)
上記補償に身体・財物賠償合 160万円
算で、1事故500万円を加算
身体・財物賠償合算で1事故 対象となりま
せん
500万円(免責金額1,000円)
2,000万円 3,000万円
4,000円
突然死(急性
1,000円 身体賠償=1人1億円、1事 心不全、脳内
故5億円/財物賠償=1事故 出血など)
160万円
1,500円 500万円(各免責金額1,000円)
2,000万円 3,000万円
4,000円
1,500円
900万円
1,800円
2,000万円 3,000万円
4,000円
1,000円 身体賠償=1人1億円、1事
故5億円/財物賠償=1事故
1,500円 500万円(各免責金額1,000円)
1,800円
1,000円
2,500円
外(学校管理下を除く)
団体活動中とその往復中(学
共済見舞金
入 院
子
団体活動中とその往復中(学
2,100万円 3,150万円
ど
校管理下を除く)
も AW ◎中学生以下の子ども
1,050円
上記以外の個人練習、個人
の
100万円 150万円
活動など(学校管理下を除く)
団
体
◎A、AWの子どもの指
AC 導・支援としていっしょ 1,000円 団体活動中とその往復中以 1,000万円 1,500万円
C
賠償責任保険
後遺障害
600万円
500万円
750万円
突然死(急性
心不全、脳内
出血など)
160万円
TEL 0191(63)4121 FAX 0191(63)5022 Eメールアドレス [email protected]
情
報
広
場
まちの文芸
ΑζͼσĮŇŪŭŦӼ
の
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Communication
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人 冬 々 流 し のつ 十 の
の 日 と 釣 ぶ 蕾ぼみ 余 寒
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赤 竹 の ね 吾 待 通 く
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炎 キ の や 青 日 の 場
に ー 作 な 春 を 道 温
平 な 吉 ぎ を 友 に い
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Fujisawa.Iwate
30
情 報 広 場 Hot
Hot Communication
Communication
【今月のおすすめレシピ】
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季
節
は
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〒029-3405 藤沢町藤沢字町裏187 藤沢町自治振興推進室「総合情報誌ふじさわ」
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み
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に
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。
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て
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の
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み
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、
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。
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ン
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噌
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●材料
ニンニク…………………………5片
ゴマ油………………………大さじ1
みそ…………………………100g
砂糖………………大さじ1∼2
A みりん…………………大さじ2
酒………………………大さじ1
白ゴマ…………………大さじ1
●作り方
①押しつぶしてから荒みじんにした
ニンニクを焦がさないようにゴマ油
で炒める②①にAの調味料を加え、
つやが出るまでよく練る③最後に白
ゴマを加えて出来上がり
今月の料理人
せい
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佐藤誠子さん
藤沢字古
31
Mar.2006
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ま
で
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劇
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良
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根
拠
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今 、
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TEL 0191(63)4121 FAX 0191(63)5022 Eメールアドレス [email protected]
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職
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明
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瞳
は
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夢
と
希
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隊
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訓 も
練 持
に っ
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経
験
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狭 用
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破 性
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明 を
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く う
頑 。
固
。
決
し
て
譲
さ 訪
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た た
イ 。
ラ テ
ク レ
派 ビ
遣 の
や 画
災 面
害 に
復 映
興 し
に 出
得
試 し
験 た
は 。
二
十
八
倍
の
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関
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、
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夢 ア
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突 の
然 が
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強 自
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意 官
志 に
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反 り
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母
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を
説
守
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社
会
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じ
ま
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と
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な
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命
を
大
切
に
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る
社
会
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な
で
命
を
の
価
値
を
軽
視
す
る
傾
向
を
強
く
感
ま
っ
て
い
る
。
動
物
が
好
き
だ
っ
た
栄
美
子
さ
ん
。
乗
﹁ っ
お
父 て
、
さ
ん 心
は
、 決
お
母 ま
さ っ
ん た
、 。
わ
た
し
自
衛
隊
朝
霞
駐
屯
地
で
の
仕
事
が
決
埼
玉
県
と
東
京
都
に
ま
た
が
る
陸
上
を
見
学
し
、
大
船
渡
港
で
軍
艦
に
し
か
し
、
岩
手
駐
屯
地
︵
滝
沢
村
︶
中
は
、
戦
争
や
殺
傷
事
件
な
ど
、
人
き
る
人
間
に
な
り
た
い
で
す
﹂
と
い
ま
す
。
地
域
社
会
や
国
に
貢
献
で
き
っ
ぱ
り
。
さ
ら
に
、
﹁
今
の
世
の
会
の
一
歩
を
踏
み
出
す
栄
美
子
さ
ん
。
美
子
さ
ん
。
初
め
は
迷
い
も
あ
っ
た
。
迎
え
ら
れ
る
こ
と
に
喜
び
を
感
じ
て
四
月
か
ら
女
性
自
衛
官
と
し
て
社
来
た
。
進
学
だ
け
を
考
え
て
い
た
栄
﹁
社
会
へ
の
第
一
歩
を
自
衛
隊
で
社428
会月倍
のかの
一ら難
歩女関
踏性を
み自突
出衛破
す官し
と
し
て
千葉栄美子さん
ちば・えみこ(18)千厩高3年
黄海字熊館
ぼくとわたしの
絵画展
ゆう
き
ぼうかパレードで
ひのようじん
千葉祐樹くん
かまくらのなか
きもちいいね
佐藤永遠くん
と
けい
「ひのようじん!」
畠山 啓くん
パレードおもしろかったよ
佐藤勝平くん
わ
しょう へい
今月は、藤沢幼稚園・保育園の
お友達の絵です
まちをパレード
うれしかったよ
ひろ
と
皆川啓人くん
Fujisawa.Iwate
32
情 報 広 場 Hot
Hot Communication
Communication
〒029-3405 藤沢町藤沢字町裏187 藤沢町自治振興推進室「総合情報誌ふじさわ」
係 T
﹁
北問
原題
保な
雄日
・本
編語
﹂
藤沢町図書館から
3月のおすすめ図書
﹁
オジは
オェじ
サラめ
ワルて
・ドの
チ・よ
カスう
・テち
絵ーえ
ルん
・﹂
作
◎ヤングアダルト(中高生から一般)
コンビニやファミレスでよく耳にす
る気になる話し方。慣れてしまうと間
違いにも気付かなくなるので、正しい
言い方をもう一度見直したいものです。
﹃﹁
日10
本年
の後
論の
点日
﹄本
編﹂
集
部
・
編
◎幼児向け 初めての幼稚園は不安でいっぱい。
パパとママがバイバイしたとたん泣き
出しちゃった。でも、先生のポケット
からおもしろいものが出てきたよ。
及川幹太くん
ち
ょ
う
し
ん
た
・
絵
おいかわ・かんた
平成16年9月生まれ 1歳5カ月
黄海字箕ノ輪 光弘さん・直美さん夫妻の長男
ぼくのなまえはかんただよ。ほいくえんで
はカンカンってよばれてるんだ。すきなたべ
ものはイチゴとおさかな。テレビは「いない
いないばあ」がすき。おひるねは、ばあちゃ
んのせなか。きもちよくてすぐにねむれちゃ
うんだ。さいきん「かんぱい」をおぼえて、お
やつのじかんも「かんぱい」してるよ。ぼく
はつよいパパとやさしいママがだいすき。
◎小学生向け のぶと君は、となりの席のきよみ
ちゃんにいじめられ、先生も、のぶと
君を悪い子扱い。「二人とも怪獣に食
べられちまえ」と思っていたら…。
【両親から】元気でやさしい子になってね
一
月
二
十
九
日
は
、
並
木
寮
や
グ
せ
て
く
れ
た
情
報
交
換
会
で
し
た
。
33
へ
の
ス
テ
ッ
プ
に
な
り
ま
す
。
い
ろ
い
ろ
な
思
い
を
持
つ
こ
と
が
次
か
っ
た
こ
と
、
残
念
だ
っ
た
こ
と
、
が
ん
ば
る
ぞ
﹂
。
こ
ん
な
思
い
に
さ
し
た
ら
、
こ
ん
な
生
活
が
し
た
い
。
ル
ー
プ
ホ
ー
ム
で
生
活
し
た
い
。
そ
Mar.2006
ま な
し が
た ら
。 た
楽 く
し さ
か ん
っ の
た 出
こ 会
と い
、 が
苦 あ
し り
り
そ 上
し が
て っ
﹁ て
い い
い ま
な し
、 た
わ 。
た
し
も
グ
地
域
の
皆
さ
ん
の
協
力
を
い
た
だ
き
動
、
盆
踊
り
大
会
や
ふ
じ
の
実
祭
。
ど
、
い
ろ
い
ろ
な
話
題
で
大
い
に
盛
﹁
生
活
の
仕
方
﹂
﹁
結
婚
の
こ
と
﹂
な
外
出
や
買
物
、
実
習
や
ク
ラ
ブ
活
与
﹂
﹁
小
遣
い
﹂
﹁
人
間
関
係
の
悩
み
﹂
い
う
間
の
一
年
間
で
し
た
。
情
報
交
換
会
で
は
、
﹁
仕
事
﹂
﹁
給
十
七
年
度
の
目
標
で
す
。
あ
っ
と
あ
り
ま
す
。
ア
ッ
プ
し
よ
う
﹂
メ
ー
ジ
で
き
な
い
こ
と
が
た
く
さ
ん
術
や
技
能
︶
を
身
に
つ
け
、
ス
キ
ル
活
す
る
た
め
に
必
要
な
ス
キ
ル
︵
技
さ
ん
の
経
験
を
し
よ
う
。
そ
し
て
生
﹁ 季
地 節
で
域 す
で 。
生
活
す
る
た
め
に
た
く
三
月
、
進
路
の
こ
と
が
気
に
な
る
る
の
か
。
施
設
の
生
活
で
は
、
イ
な
生
活
な
の
か
、
ど
ん
な
こ
と
で
困
で
生
活
し
た
い
と
思
っ
て
も
、
ど
ん
会
主
催
︶
が
あ
り
ま
し
た
。
並
木
寮
ル
ー
プ
ホ
ー
ム
で
生
活
し
て
い
る
人
た
ち
と
の
情
報
交
換
会
︵
利
用
者
の
◎一般向け 世界に類例のない超少子高齢社会に
なった日本に何が起こるのか。年金崩
壊から学力衰退まで、みんなが抱いて
いる47項目の10年後を予測。
※臨時休館のお知らせ
年度末蔵書点検のため、3月28日か
ら31日まで臨時休館します。
●開館時間 午前9時から 午後6時
●休 館 日 毎週月曜日・ 毎月第4金
曜日・祝日・年末年始
[問]藤沢町図書館(63)5515
●文・写真 ふじの実学園
並木寮やグループホームってどんなところ?
情報交換会がありました
情報交換会で話し合う利用者たち
や﹁
まか
ない
かじ
ひゅ
さう
しら
・ん
作ど
せ
る
﹂
目
立
ち
ま
し
た
。
こ
こ
に
き
て
、
ミ
ス
が
減
波
が
あ
り
、
ミ
ス
か
ら
自
滅
す
る
ケ
ー
ス
が
ま
皆 し
川 た
寿とし ﹂
と
博ひろ 喜
主 ぶ
将 。
は
﹁
新
チ
ー
ム
結
成
後
、
く
修
正
し
、
最
高
の
ゲ
ー
ム
を
し
て
く
れ
欠
き
、
不
安
も
あ
り
ま
し
た
が
、
選
手
は
よ
大
会
一
週
間
前
の
練
習
試
合
で
は
精
細
を
和かず で 標
浩ひろ 崩 の
が し 4
打 、 強
つ 拾 入
う っ り
ち て を
の つ 果
バ な た
レ い せ
ー で
が 阿 ま
で 部 し
き 完かん た
ま と 。
サ
し 畠 ー
た 山 ブ
。
チ
ー
ム
を
率
い
る
佐
藤
し
秀ゅう
一いち
監
督
﹁
。
目
ア
ピ
ー
ル
し
て
き
た
。
れ
た
も
の
の
県
内
ト
ッ
プ
レ
ベ
ル
の
実
力
を
手
に
中
盤
ま
で
互
角
の
戦
い
を
演
じ
、
敗
準
決
勝
で
は
優
勝
し
た
紫
波
第
一
を
相
強
進
出
を
決
め
た
。
を
展
開
、
2
0
の
ス
ト
レ
ー
ト
勝
ち
で
4
乗
る
藤
沢
は
、
攻
守
に
自
分
た
ち
の
バ
レ
ー
南
︵
盛
岡
市
︶
。
強
豪
西
根
を
下
し
、
勢
い
に
戦
を
制
し
た
。
準
々
決
勝
の
相
手
は
は
見
前
セ 序
ッ 盤
ト か
29 ら
点
27 を
、 取
第 り
二 合
セ う
ッ 好
ト 27 ゲ
ー
ム
25 。
で 第
接 一
−
り
、
安
定
し
た
試
合
が
で
き
る
よ
う
に
な
−
り
ま
し
た
。
二
年
生
が
一
年
生
を
、
一
年
生
−
が
二
年
生
を
と
、
互
い
に
思
い
や
る
気
持
ち
初
戦
、
西
根
︵
八
幡
平
市
︶
と
対
戦
。
試
合
は
巻
市
総
合
体
育
館
で
開
か
れ
た
。
藤
沢
は
大
会
は
二
月
十
八
、
十
九
の
両
日
、
花
ベ
ル
な
大
会
。
同
校
は
新
人
大
会
8
強
入
り
バ
レ
ー
ボ
ー
ル
県
中
学
校
選
抜
バ
レ
ー
第
3
位
入
賞
藤沢中学校男子バレーボール部
◎監督 佐藤秀一◎コーチ 皆川昌寿◎主将 皆川寿博
◎選手 阿部完、小林慎、畠山和浩、及川千彰、佐藤陽佑、
須藤貴浩、須藤勇記、千葉和希、千葉耕平、三浦大輝
ト す
16 同 る
以 大 堂
上 会 々
の は の
チ 、 戦
ー 県 い
ム 中 ぶ
り
が
学
だ
選
っ
抜 校 た
新
さ
。
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る 大
ハ 会
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レ ス
信
条
の
つ
な
ぐ
バ
レ
ー
で
強
豪
校
を
撃
破
紫
波
第
一
︵
紫
波
町
︶
に
敗
れ
た
も
の
の
、
三
位
に
入
賞
し
た
。
準
決
勝
で
優
勝
し
た
県
中
学
校
選
抜
バ
レ
ー
ボ
ー
ル
大
会
で
つ抜
な群
ぐの
バチ
レー
ーム
でワ
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4ク
強と
Fujisawa.Iwate
藤
沢
中
男
子
バ
レ
ー
ボ
ー
ル
部
し
、
推
薦
を
受
け
た
。
34
い 指
体 ん
る 導 藤 は 。
。 者 中 優 拾
っ
、 男 勝 て
父 子 し つ
母 の た な
の つ い い
心 な ﹂
と で
も ぐ 前 、
し バ を 春
っ レ 見 季
か ー る 大
り は 。 会
つ 、
と
な 選
中
い 手
総
で 、
35
Mar.2006
も
ボ
ー
ル
を
落
と
さ
な
け
れ
ば
負
け
ま
せ
皆
川
主
将
は
﹁
ど
ん
な
に
相
手
が
強
く
て
次
の
目
標
は
県
の
頂
点
に
立
つ
こ
と
だ
。
せ
ん
で
し
た
﹂
と
皆
川
コ
ー
チ
。
ム
に
と
っ
て
、
こ
れ
ほ
ど
の
支
え
は
あ
り
ま
勝
っ
て
ほ
し
い
か
ら
⋮
。
部
員
の
少
な
い
チ
ー
立
つ
ん
で
す
。
強
く
な
っ
て
ほ
し
い
か
ら
、
を
経
験
し
た
こ
と
の
な
い
父
親
が
コ
ー
ト
に
支
え
続
け
た
父
母
の
姿
が
あ
っ
た
﹁
。
バ
レ
ー
そ
こ
に
は
必
ず
縁
の
下
の
力
持
ち
と
な
っ
て
し
、
信
頼
関
係
を
築
い
て
き
た
。
そ
し
て
、
毎
日
の
練
習
の
ほ
か
合
宿
で
寝
食
を
共
に
チ
ー
ム
一
番
の
自
慢
は
チ
ー
ム
ワ
ー
ク
だ
。
を
後
押
し
し
た
。
は
い
か
な
い
﹂
そ
ん
な
強
い
気
持
ち
が
選
手
に
も
、
東
磐
井
の
た
め
に
も
負
け
る
わ
け
に
枠
が
二
校
に
増
え
る
﹁
。
自
分
た
ち
の
た
め
抜
で
4
強
入
り
す
る
と
県
中
総
体
の
出
場
さ
れ
た
こ
と
も
大
き
な
支
え
と
な
っ
た
。
選
た
ち
の
分
ま
で
頑
張
っ
て
ほ
し
い
﹂
と
応
援
地
区
予
選
で
敗
れ
た
他
校
か
ら
﹁
自
分
と
分
析
す
る
。
両
エ
ー
ス
の
ス
パ
イ
ク
に
つ
な
が
り
ま
し
た
﹂
く
拾
っ
て
く
れ
ま
し
た
。
そ
れ
が
完
と
和
浩
、
が
平へい こ 川
、 と 昌まさ 練 っ
二 が 寿とし 習 た
の
人 勝 コ を だ
の 因 ー 任 と
リ で チ さ 思
ベ す は れ い
﹁
ロ
、 ま
が 。
佐 攻 選 す
攻 藤 め
め 陽よう の 手 ﹂
と
を に
の
す姿
け
佑
気
勢 指 っ
持 と を 導 こ
ち 千 貫 す り
で 葉こ い る 。
よ 耕う た 皆
が
チ
ー
ム
ワ
ー
ク
を
築
き
、
好
成
績
に
つ
な
未来への遺産
保
呂
羽
山
と
ほ
ろ
わ
湖
標高433㍍の頂からふもとに伸びるなだらかな稜線が美しい保呂羽山。地域
のシンボルとして多くの人から愛され、親しまれているこの山は、古くから
神々が宿る山と伝えられ、山頂には保呂羽山神社がある。ふもとに広がる棚田
や点在する民家は、里山特有のぬくもりを醸しだし、情緒あふれる景観をつく
り出している。近年では、山麓に金越沢ダム(ほろわ湖)も整備され、水と緑が
調和する癒やしの空間へと、その姿を変えている。写真は3月7日、まだ湖面
の一部が凍っている金越沢ダム湖畔から撮影したものだが、山肌の深い緑はま
もなく訪れる春に向かって、少しずつ呼吸を始めていた。生命息吹く季節はも
うそこまで来ている。
て
し
︵ ま
自 う
治 。
振
興
推
進
室 畠
山
浩
︶
取
り
持
つ
運
命
的
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も
の
を
感
じ
一
致
で
あ
る
が
、
何
か
、
数
字
が
六
事
件
の
日
▽
こ
れ
ら
は
偶
然
の
高
橋
是
清
が
暗
殺
さ
れ
た
二
・
二
は
、
屋
須
の
運
命
を
急
転
さ
せ
た
劇
場
が
開
か
れ
た
二
月
二
十
六
日
さ
れ
た
一
昨
年
▽
そ
し
て
、
町
民
過
﹂
が
、
百
三
十
年
ぶ
り
に
観
測
け
と
な
っ
た
﹁
金
星
の
太
陽
面
通
氏
が
グ
ア
テ
マ
ラ
に
渡
る
き
っ
か
ら
遺
品
・
作
品
を
取
得
し
た
の
は
、
テ
ィ
グ
ア
に
住
む
屋
須
の
子
孫
か
月
二
十
八
日
で
あ
る
▽
町
が
ア
ン
の
節
目
。
ち
な
み
に
誕
生
日
は
二
誕
︵
一
八
四
六
年
︶
百
六
十
年
目
偉
人
屋
須
弘
平
。
今
年
は
屋
須
生
▽
本
誌
特
集
で
紹
介
し
た
郷
土
の
編
集
後
記
●総合情報誌ふじさわ3月号の印刷経費は1部78円です
■発行 岩手県藤沢町役場 〒029-3405岩手県東磐井郡藤沢町藤沢字町裏105番地 ■編集 自治振興推進室 ■電話 0191(63)2111
■ホームページアドレス http://www.town.fujisawa.iwate.jp/ ■Eメール [email protected] ■印刷 内藤印刷(有)
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