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Ⅲ ト ー ア 漆 津 会 - 会津・漆の芸術祭2010-2012

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Ⅲ ト ー ア 漆 津 会 - 会津・漆の芸術祭2010-2012
会津
漆
アート
Ⅲ
━パネリスト プロフィール━
シンポジウム
北川フラム(大地の芸術祭越後妻有アートトリエンナーレ総合ディレクター)
1946年、新潟県出身。東京芸術大学美術学部卒業。代官山
で「アートフロントギャラリー」を経営すると共に、アー
トディレクターとして国内外の美術展、企画展、芸術祭を
多数プロデュースする。1997年より越後妻有アートネック
レス整備構想に携わり、2000年から開催されている「大地
の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」では総合ディレ
クターを務める他、瀬戸内国際芸術祭でも総合ディレク
ターを務めた。
樋田豊次郎(秋田公立美術工芸短期大学学長)
1950年、東京都出身。秋田公立美術工芸短期大学 学長。芸
大芸術学科大学院卒業。東京近代美術館工芸館研究員等。
1994年倫雅美術奨励賞、2007年秋田公立美術工芸短期大学
長に就任。日本では数少ない工芸評論家の一人。
『明治の輸出工芸図案』編著、
『明治・大正図案集の研究』、
『楽
地の記憶
未来へ
浪漆器』『
、工芸の領分』『
、工芸家「伝統の生産者』等を著作。
山下裕二(明治学院大学教授)
会津・漆の芸術祭の選考委員をパネリストに招き
「地の記憶
未 来へ」をテーマに掲げて開 催した「会津・漆の芸術祭
2012」を振り返り、会津・漆・アートから未来へのメッセージ
を贈りました。
1958年、広島県出身。日本の美術史家、美術評論家。東京
大学大学院で日本美術史を専攻。室町時代の水墨画を研究
し、現在明治学院大学文学部芸術学科教授。赤瀬川原平と
親しい。「日本美術応援団」を名乗り、専門外でも様々な絵
師や画家、作品を応援し、その普及と再評価に努めてい
る。著書は『岡本太郎宣言』、『室町絵画の残像』、『水墨画
発見』、『日本美術の二〇世紀』、『伊藤若冲鳥獣花木図屏
シンポジウム
会津・漆・アートⅢ
地の記憶 未来へ
〈ボイスリライト〉
風』等。
赤坂憲雄(会津・漆の芸術祭総合ディレクター/福島県立博物館長)
1953年、東京都出身。東京大学文学部卒業。学習院
大学教授・福島県立博物館館長。東日本大震災復興構
想会議議員。福島県復興ビジョン検討委員会委員。日
本思想史・東北文化論を中心に岡本太郎研究にも取り
組んでいる。著書『異人論序説』『東西/南北考』
『東北学へ』。2007年『岡本太郎の見た日本』でドウ
マゴ文学賞、2008年同書で芸術選奨文部科学大臣賞
(評論等部門)受賞。
会津・漆・アートⅢ 地の記憶・未来へ
小林:本日は御来場くださいましてありがとうございます。定刻になり
ましたので、只今より「会津・漆の芸術祭 2012 地の記憶 未来へ」
シンポジウムを開催いたします。シンポジウムの初めに、今年の芸術祭
の内容を紹介する時間を 15 分程頂戴いたします。その後、各先生方に
ご登壇いただきまして、シンポジウムを開催いたしました後、最後の
30 分ほどは会場の皆様から御質問や御意見・御感想をいただく時間に
2012年11月23日(金・祝)
13:30 ー 16:00
福島県立博物館講堂
したいと思っております。
また、シンポジウム終了を 4 時で予定しておりますが、引き続きこち
らの会場で参加作家の広島市立大学の皆さんが作られた「えんがわ」と
いう、只今博物館のエントランスホールで展示しております作品を会津
若松に避難していらっしゃいます富岡幼稚園に寄贈する贈呈式を行いま
パネリスト:北川フラム
樋田豊次郎
山下裕二
コーディネーター:赤坂憲雄
司会進行:小林めぐみ
(福島県立博物館主任学芸員)
す。是非御来場の皆様にもお付き合いいただいて、贈呈式にも御参加い
ただけると幸いです。
改めまして、皆様ご来場くださいましてありがとうございました。司
会をさせていただきます、博物館学芸員の小林です。よろしくお願いい
たします。今年の漆の芸術祭は 10 月 6 日からオープンしまして、本日
11 月 23 日が最終日となります。皆様御覧いただけましたでしょうか。
3 年間毎年開催してきました芸術祭、最終日には選考委員の先生方を
お招きし、赤坂館長がコーディネーターを務めましてシンポジウムを開
催して参りました。本日も先生方に今年の漆の芸術祭を御覧いただいた
上での御意見をいただいて、何が今年できたのか、そして 3 年間ででき
たことや今後にむけての御意見もいただけたらなあと思っております。
簡単に先生方の御紹介をさせていただきます。北川フラムさんは、
1946 年新潟の御出身です。皆さまよく御存じのように新潟県で行われ
ております越後妻有アートトリエンナーレをディレクションしていらっ
このコンセプトを表現していただいたわけですけれども、作品に至るま
しゃいます。今年も開催されてたくさんの人がお越しになったというこ
でに大事だと思えるものがありましたので、御紹介させていただきます。
とです。北川先生には漆の芸術祭開催初年度から選考委員をしていただ
それは地の発見、漆の発見の場だったのではないかなと思っているの
きまして、様々な御意見・アドバイスを頂戴しております。
が 6 月に行われましたエクスカーション、作家向けの体験型説明会です。
樋田豊次郎先生は、秋田公立美術工芸短期大学の学長をしていらっ
公募前でしたので、ここには応募予定の作家さん、招待された作家さん、
しゃいます。先生にも様々な御意見・アドバイスをいただきながら、3
地元の方も含めて参加してくださいました。その方々に、会津・喜多方
年間進めて参りました。大学に籍を置かれる前は東京の近代美術館など
の昨年会場だった場所をいくつか見ていただきました。もちろん今年の
で学芸員のお仕事もされていらっしゃいまして、工芸の視点からの御意
会場は作品に合わせて決定ということでしたので、あくまで予定の場所
見もいただいています。
でしたが、会津の地の記憶を、会場を一緒にたどっていだだいて、体感
山下裕二先生は、明治学院大学の教授をしていらっしゃいます。縄文
していただき、そのことを作品を通して表現していただくための場とし
から現代までの幅広い日本美術に造詣が深い先生でいらっしゃいまし
て設けたものです。会津若松では今年も拠点としてお世話になった末廣
て、博物館が行う芸術祭へのアドバイスを是非、ということで山下先生
酒造さんで、酒造りの説明に始まり、様々なフロアを案内していただき、
にも開催初年度からお世話になっております。では、この三人の先生に
建物に刻まれた歴史も教えていただきました。市内の蔵を改装して古美
お話をいただきながら今日のシンポジウムを行って参ります。
術を販売しているところではお店の中やまた暮らしの場までも見せてい
只今から少しお時間をいただきまして、今年の芸術祭の紹介を簡単に
ただいて、会津の風習や風土のようなものも体験していただきました。
させていただきたいと思います。今年の漆の芸術祭は「地の記憶 未来
若松市内にある漆器店さんも少しですが一緒に回りまして、販売してい
へ」というサブテーマで開催して参りました。少しお時間を取りますけ
るものを見たり、会津の漆を見ていただくということも行いました。喜
れども、開催趣旨とコンセプトを皆さまに改めて御紹介させてください。
多方の方では、今年も去年と同様蔵の会場が多かったのですが、会場と
なった蔵の御主人にこの場所で何が行われてきたのかなど、その場の歴
「地の記憶 未来へ」…さまざまな解釈が可能なテーマでしょう。
史を御案内いただきました。喜多方の拠点は若松と同様酒屋さんの大和
ここに私たちは会津・福島、そして東北、日本が培った生きる力と可
川酒蔵さんにお世話になりましたが、そこで滾々と湧きたつ水を体感し
能性を掘り下げる機会に漆の芸術祭がなり、未来への可能性を示すこ
ていただいたことも大事な要素だったと感じています。
とができれば、との願いを込めました。この大きなテーマに切り込む
そして、漆についてもエクスカーションで皆さんに学んでいただきま
素材が「漆」です。繰り返し思い出してみましょう。人は自然から多
した。会津の作り手の方々にお世話になりまして、色々なことを教えて
くのものを得て命長らえてきました。時には自然を傷つけて。だから
いただいたエクスカーションでした。喜多方では NPO 法人はるなかさ
こそ、先人は自然と共に生きていることを決して忘れませんでした。
んが行っている漆の木の植栽場に行き、漆の木そのものについてお話を
人の手により傷を受け、そこからにじみ出る漆の液は、祈りや祝い、
お聞きしました。また漆の木を掻いている所では、エクスカーションの
時には悼みの場の特別な器物となって人間に大切に使われてきまし 参加者が実際に漆を掻くという体験もさせていただきまして、とても大
た。「漆」に込められた先人の心を顧み、再び我々の心を復興しましょ
きなインパクトを持って帰っていただいたようでした。また若松の方で
う。「漆」に学ぶ。この事が今ほど重い時はありません。
はいくつかの工房にお世話になったのですが、木地師さんの工房では実
際に木を挽くという体験をさせていただいたり、たくさんの木をストッ
このような開催趣旨で「地の記憶 未来へ」というサブテーマで開催
クしている場所を見せていただいたりしました。蒔絵師さんの工房では
して参りました。そして、それぞれ、「地」「記憶」「未来」に合わせた
どういう風に作っているのかをデモンストレーションのような形で見せ
コンセプトも設けておりました。
ていただくのと同時に現在の会津の漆器業界の状況も教えていただきま
した。
「地」について。昨年春、地が震えました。私たちはこの大地がま
エクスカーションに参加した東北芸術工科大学の「東北画は可能か?」
さに生きているということを身体で思い知ることとなりました。また、
という絵画が表現手段の日本画や洋画を専攻している大学生チームから
大地の震えが呼び招いたかのように海はかつての渚にまで戻ってきま
は、エクスカーションで見聞きした職人さん達の技に感銘を受けたこと
した。海辺の多くの地は、縄文人の末裔たる我々が営々と作り上げて
から、漆の芸術祭に参加するにあたって漆を要素として制作をする、そ
きた土地だったことが残酷なかたちで明らかとなりました。さらに、
れと同時に職人さんと一緒に作品を作りたいというお話を受けました。
大地の与り知らぬ原発が崩壊し、福島の地には見えない境界が引かれ
そこでエクスカーションでお世話になった木地師の三浦さんに作品づく
ました。その境界の周辺では生き物を育んでいる土が至る所で剥ぎ取
りに手を貸していただきました。そしてできたのが大きな盃でした。
「東
られています。今、私たちは大地・土・故郷の意味を考えねばなりま
北画は可能か?」のチームは大きな絵画作品を展示したのですが、その
せん。自然から大地を取り戻すのではなく、自然とともにそれぞれの
脇に初めてチャレンジした漆のオブジェ、そして三浦さんや塗師さんに
地で暮らす生き方を築き上げていきたいと思います。
作っていただいた盃に乗せた作品を展示しました。これは人と自然との
「記憶」について。津波の行き着いた先にいくつもの神社が残りま
関係をもう一度結び直すという主旨で作られた「さかずきごと」という
した。その配置こそが先人の津波の記憶でした。津波と原発事故で分
作品でした。
断・縮小したコミュニティにおいて真っ先に復活が望まれたものはそ
そしてもう一つ、会場リサーチも地の記憶の発見に繋がるものでした。
の地に伝わる芸能でした。打撃を受け途方に暮れる人々に各地に伝わ
参加作家さん達にはたくさんの会場を見ていただき、その会場ならでは
る記憶が力を与えているのです。復興にかかわるいくつかのプロジェ
の作品が作れるように、また会津を感じてもらえるようにということで
クトには、泥土に漬かった写真を洗浄・復元するもの、言葉や暮らし
基本的に一度は会津に足を運んでいただきました。喜多方の JA 会津い
を記録・保存するものが見受けられます。記憶を守り伝えることの重
いで石倉では米を保管する空き倉庫を見ていただき、結果的に作家の吉
さを私たちは直観しているのでしょう。今、思い起こすべき記憶は私
田重信さんに作品を展示していただきました。また金沢美術工芸大学の
たちの足下にあるのかもしれません。
皆さんが下見に来た時には、喜多方の座敷蔵や倉庫蔵など様々な蔵を見
そして「未来」へ。私たちは生き続けます。未来へ向けて。この地
ていただいた結果、展示場所として座敷蔵に展示するチームと土が露出
に立ち、記憶を携えて。原発の惨事は私たちが加担して引き起こされ
しているような蔵に展示するチームに分かれて作品を展示することにな
ました。そして、その負の遺産は未来に残されます。それに打ち勝つ
りました。喜多方の大和川酒蔵に展示された招待作家の吾子可苗さんも
だけの力を私たちは未来に伝えなければなりません。過去を振り返り、
たくさんの場所を見た上で、御自分の作品を表現する場所を選んでもら
記憶を伝える、その上に、未来への贈り物を生み出しましょう。東北、
いました。参加作家の泉洋之さんにも作品を展示するにあたってたくさ
福島は大きく傷つきました。今、再生への歩みが始まります。
んの場所を見ていただきました。大和川酒蔵さんの社長さんに御案内い
ただいて喜多方盆地が一望できる場所に連れて行ってもらった時に、喜
作品を通して、あるいはイベントを通して関わってくださった方々に
多方は田に水が張られると水鏡のようになるということや、伏流水がと
ても豊かに流れているということをお聞きしたことが、もともと水の女
私からの簡単な紹介はここまでにしまして、ここからは館長にマイク
神をコンセプトにしようとしていた泉さんの作品制作に大きく関わって
をお渡しして先生方に御登壇いただいて、シンポジウムを開催したいと
いったのではないかと思っています。そして泉さんが制作されたものが
思います。 ありがとうございました。では、先生方御登壇お願いいた
今大和川さんの一角に展示されています。隣は水が滾々と湧き出る場所
します。
でもありまして、調査した場所を見ていただいたことが展示に結びつい
ていったのかなと思っています。
そして地の発見のもう一つとしてレジデンスがあります。今御紹介し
た泉さんは 8 月から喜多方に滞在して作品を制作していきました。漆が
この場所の湿度、喜多方の空気に触れて乾燥していき、同時に喜多方の
土をいただいて作っていったものです。そしてもう一人、佐藤香さんと
いう作家さんもレジデンスで作品を作りました。土で表現する方なんで
すが、佐藤さんも喜多方の土を採集し、大和川酒蔵さんの空いているス
ペースをお借りして作品を制作していきました。町の人や観光客が覘い
ていく場所で人々と触れ合いながら、地元の材料も使って描いた作品が、
喜多方蔵の里という所で展示されているものです。
そして漆の発見に繋がったものが、2010 年から行ってきた漆の職人
と作家さんとのコラボレーションによる作品の制作です。今年の作品の
一つに、逢坂卓郎さんというライトアートの作家さんが細谷誠さんとい
う会津の作り手の方と灯りによってどう漆の艶が変わって見えていくの
かということをコンセプトにしたものがありました。細谷さんが作って
くださった螺鈿や蒔絵といった様々な漆の技法を施した三角形の板を逢
赤坂:こんにちは。「会津・漆の芸術祭 2012」も今日が最終日です。例
坂さんのライトが照らし出して刻一刻と変わっていく漆の表情が見えて
年といっても今回で 3 回目ですけど、最終日にこういう形で先生方にお
くるという作品になりました。先程会場下見のところでもお話しました
話をいただいております。1 年目、何をやるのか分からない状態でとに
吾子可苗さんは若松の塗師の富樫さんと一緒に作品を作りました。石榴
かく会津で漆という地場産業の一つである漆を素材にしてアートと土地
をテーマにしていたのですが、会津でかつて輸出漆器として使われてい
とそれが結び直すような試みができないだろうかということで始めまし
た玉虫塗の技法を富樫さんにお世話になり、石榴の果肉の部分を担当し
た。
ていただいたものです。作品は大和川酒蔵さんの醸成蔵という古酒をね
昨年は 3.11 震災に遭遇して、とてもできるような状態ではないと思
かせておく場所の脇に展示されました。渡邊晃一さんは、福島大学の学
いながら、でもやろうということで動き、予算も少なかったんですけれ
生さん達を率いての参加ですが、御自身の作品として塗師さんの所に何
ども、とにかく昨年は「東北へのエール」ということで震災に絡んだテー
日か通って作品を制作してきました。色漆をたくさん使って、それをま
マをそれぞれの作家さん達が選んで表現するという形になりました。昨
るで絵具のように扱って丸いガラスに塗ったものを 365 枚制作したもの
年のこの最終日のシンポジウムで漆というテーマが見えなくなったとい
です。365 日の地球のイメージだそうですけれども、通常ですとヒビも
う批判をいただきました。それはある意味では企画を立てている我々が
入らずに盛り上がることもないように塗る漆が、全く違った表情を見せ
「漆」というテーマで皆さんにお願いすることができない、むしろ「東
てくれた作品になったのではないかと思います。これは作家さんに漆を
北へのエール」ということで開いてしまおう。そういう思いでやりまし
発見していただくと同時に、関わっていただいた会津の作り手さんに
たので、当然の結果ではあったのですが、改めて先生方からこれは「漆
とっても、通常のお仕事と違うところに参加していただくことで何か新
の芸術祭」であるという初心に戻るべきだという批判をいただいたと思
しい発見が生まれていたら嬉しいなと思いながら行っている企画でもあ
います。
りました。
3 年目、今年はいわばとりあえずの 3 年間の総決算のような形になっ
そして、地の発見であり漆の発見の例としてもう一つ、上越教育大学
たかと思います。漆という素材、この会津にとってはまさに大地に根付
伊藤研究室の活動を御紹介いたします。体験自体が作品となったものな
いた数千年の歴史を持った、そして面の広がりを持った素材である「漆」
んですが、彼らは会津の漆の苗をバトン代わりにして日本海と太平洋を
というものをとにかくどこかで取り込みながら表現を作品を制作して下
つなぐということを企画しました。震災後の日本海側と太平洋側の温度
さいということでお願いしました。初めて我々が漠然と思い描いていた
差を解消できればという目的で行ったものなのですが、歩きながらそれ
「会津・漆の芸術祭」がようやく浮かび上がったのかなという印象を持っ
ぞれの地を体感して人と出会い、福島の今を感じながら行っていったも
ております。ただ、あらかじめ申し上げておきたいことは、県のお金を
のです。郡山の仮設住宅では参加者の方と一緒にハートの形をアップリ
使って 3 年間なんとか運営してきましたが、今年で終わりです。ですから、
ケしたものを作って、それをマント代わりにしていわきまで歩いて行き
来年以降これを継続するとなると、全く違った仕組みを作らなくてはい
ました。いわきでは色々なものを目撃して帰ってきたと聞いています。
けない。我々にとっては既に始まる前からそれがテーマだったんですけ
展示は会津若松市内のお店の一角にルートとそれぞれの場所で体験した
れども、もちろん、結論も出ていない。このまま放っておけば、3 年間
ことを掲示しました。ここで紹介しているもの以外に、ずっと歩きなが
で終わりで消えていく。しかし、やっている我々としては、この 3 年間
ら得てきたもの、体験してきたこと自体が作品であったのだろうと私は
の小さな芸術祭がいろいろな種を蒔いたということだけは感じています
思います。
し、その種が芽吹いてこれから育っていくのを消してしまうことが果た
そしてもう一つの発見者としてボランティアスタッフの方も紹介しま
していいのだろうかとそんな思いも持ちながら、今日に至っております。
す。カキコ隊という名称で 2010 年から募集し、応募した皆さんと活動
皆さんの御意見もいただきながら、来年以降どうするのか、というテー
してきました。一緒に会場整備をしながら会津の様々な場所の発見もで
マについても御意見をいただきたいと考えております。それでは今から
きたのではないかと思います。古い蔵に入っているたくさんの物を整理
1 時間半ほど何のシナリオもありませんけれども、進めたいと思います。
したり、掃除をしたりして、その建物の記憶も一緒に理解していただけ
まず、山下さんから今回の芸術祭を御覧になった感想を、具体的な作品
たのではないかと思います。漆については職人さんから教えていただい
もあれば挙げていただいて、自由にお話しください。
たり、会場を一緒に御案内する機会を設けたりして触れていただくこと
も少しはできたのではないかと思います。
山下:はい。私が見た中で一番いいなと思ったのは「
、くいぞめ椀プロジェ
こんな様々な発見の上で行ってきた漆の芸術祭、個々の作品について
クト」でしたね。
「くいぞめ椀」つまり小さな子供のために作られたお椀。
はここでは御紹介いたしませんが、全部で 83 組の作家さんに参加して
これを地元の職人さん達に発注して、それを小さな子供達を会場に連れ
いただき、若松 25 会場、喜多方 14 会場で開催して参りました。
てきた親子連れの観客の方に差し上げるというプロジェクトだったと思
います。地元の職人さん達の非常に堅実な仕事ぶりと、そしてこの芸術
赤坂:では樋田さん、お願いします。
祭でこういう企画を通して古くから伝わる風習を若い親御さん達にも伝
えていくという大変意味があることだなと思いました。樋田先生もこれ
樋田:最初にいいな、と感じた作品からお話くださいということでした
から生まれてくるお孫さんのために予約されたそうで。今回は 25 個で
ので、まず四つ、お名前だけ挙げます。まず一つは吾子可苗さんがいい
したか、作られたのは。本当はこれを 1,000 個ぐらいするといいな、と
と思いました。吾子さんは石榴をテーマで作品を作っていまして、大和
思いましたね。そして 1,000 できた「くいぞめ椀」を一同に並べたらな
川酒蔵さんの奥のせまい所の地面に石榴をあしらった平たい作品を置い
んと壮観だろうかと思いましたね。他にも地元の職人さん達のいい作品、
ていました。二つ目は同じく大和川酒蔵さんに置いてありました福島大
あれはどこでしたかね、末廣酒造だったかな。末廣酒造に展示されてい
学の渡邊晃一先生の、卑弥呼の時代にあったような大きさの鏡に 365 日
た木地師さんであったり、そういう方々の作品の展示。あれはどれも本
分、一枚一枚全部違う模様を漆で描いた作品です。三つ目が宮原克人さ
当にいい仕事だなと思いましたね。僕は今回はなんだか現代美術的なイ
んの作品です。葉っぱを二つくっつけた不思議なプロペラみたいな形で、
ンスタレーションよりもそちらの方が非常に強く印象に残りました。も
あり得ない形なんですけど。でも葉っぱだから妙に身近で、それが赤い
ちろん現代美術的な、インスタレーション的な作品も、喜多方の方の蔵
光の中で何か不思議な、怖いような、どこか暖かいような作品でした。
を使った作品なんかはかなり迫力があるものもありました。逆にこれは
最後は佐藤香さんという若い方の作品です。この方の作品はあえて分か
まだ空間に負けちゃっているなと思うものもありましたけれど。まずは
りやすくいえば、ネイティブ・アメリカンの人達が岩に描くような文様
そんな感想を伝えておきます。
とかアボリジニのアートのような感じの平面作品です。この四人の中で
佐藤さんのことを伝えたいと思います。
赤坂:一言だけ「くいぞめ椀」の話をさせていただきますけれども、実
私が佐藤さんの作品の何がいいと思ったかというと、全体として土を
はあのプロジェクト、遠藤由美子さんという方と僕が常磐自動車道を若
使っている点ですね。いろんな土を使ってますからその天然の土の色の
松に帰ってくる途中で話をしていて思いついたんですね。3.11 に遭遇し
違いでアースアートともいうのでしょうか、大地を考えさせる絵を描い
た全ての子供達、そして 3.11 後に生まれた子供達、その全ての子供達
ているのですけれども。その中の新作を見ると、本当にポイントになる
に対して「生まれてきてくれてありがとう」という思いを込めて、「く
所だけ朱色の漆を使っているんですね。その使い方が私はいいと思いま
いぞめ椀」を贈りたい。会津では 1 年を迎えた子供達に喰い初めの儀式
した。このイベント全体がそうかもしれないですけど、作品が美術の方
を行ってこの世に生まれてきたことを祝福してきたわけですけれども、
にシフトすればするほど「漆」というものの役割が見えなくなっていく
そういうことをやれないか、と思って始めました。最初は 1,000 でも
ところがあるんです。そういう時にたとえ平面的な絵画のような作品で
2,000 でも作ろうと思ったんですけれども、僕のお金集めがうまくいか
あっても、一箇所象徴的に漆を使えばいいんだと口ではよく言うんです
なくて、結局 25 個という形で落ち着きました。でも、あれでもやっぱ
けれども、口で言うのは簡単で、実際にやってみると難しいだろうと思っ
り良かったなと。この年の会津の芸術祭が福島の子供達に向けて、漆を
ていたんです。でも佐藤さんの作品は漆を使うことによって、漆の質感
通して伝統的な形を踏襲しながらメッセージを送ることができた、それ
と土の質感の全然違うものがうまく調和していて、漆というのは大地に
だけで僕らは良かったと思っています。
負けない力を持っているんだなと感じさせてくれたんですね。
なおかつ、使っている土が故郷の土なんですね。故郷っていうのは言
山下:じゃあ、芸術祭の一環という形じゃなくても博物館の事業として
葉にするとすごくありきたりなんですけど、今、私の中で割と重要なテー
もこういうことやっていったら良いんじゃないかと僕は思いましたね。
マとして改めて感じているんです。今日、ここに来ていらっしゃる方の
中にも若い方が多いから、そういう方は同じ思いを、もしかしたら持っ
赤坂:今年で終われないなと。とにかく福島にとっては子供達のために
ているかもしれないんですけど。我々年寄りだと故郷といえば、どちら
というテーマは 10 年 30 年と引き受けなければならないテーマだと思
かというと捨てる所だったんですね。故郷を捨てて東京に行って一旗揚
いますので、ある意味シンボリックな仕事として継続していくのが必要
げるとか。そういうものとして故郷ってあったんですが。今の大学生く
だと思いますね。
らいの若い方は必ずしもそうじゃなくて、自分が生まれ育った故郷とか、
あるいはどこかで出会った第二の故郷になった場所を好きになって、そ
山下:あれは抽選になるんですか。貰える人は。
こでしっかり根を生やして生きていきたいという人が多いんですよ。私
事で申し訳ないのですが、今私は北海道と東北に公立の美術大学をつく
る仕事に携わっています。そのことと繋がっているんですけれども。と
にかく金がないから東京に行けないというのは昔の感覚なんですよ。今
は、そうじゃない。家にお金があっても故郷で社会や文化のことを勉強
して、将来はそれを背負って立ちたいという人が増えてきたんですね。
私は昔のイメージとは違う故郷というのが、もう一度浮上してきている
感じがして、そこら辺をこの佐藤さんの作品が故郷というのをもう一度
掬い取り直してくれている感じがして、そこに非常に惹かれたんです。
それとね、もう一つだけ付け加えますと、この佐藤さんの経歴をみます
と、大学で壁画の勉強をされてる。私がずっと関係している栃木県の佐
野市というところで、鋳金だけに絞った「佐野ルネッサンス鋳金展」と
いうのがあるんですが、そこで去年大賞になった人も壁画をやった人
赤坂:小林さん、参加してください。僕は企画を思いついただけで何に
だったんです。材料は鉄の鋳物でしたけどね。改めて考えてみると、壁
もしていません。すべて彼女がやっています。
画ってね、近代絵画みたいに「俺が俺が」というような主張をするわけ
ではなくて、「私達が私達が」という感じでコミュニティや仲間の集団
小林:25 客の中から好きな椀を選んでいただいて、応募用紙に記入し
の思いを出すところがあるじゃないですか。そういうところで繋がって
てもらいました。書いていただくのは親御さんになるのですが、そのお
て、今日故郷と壁画というのが妙に私の中で繋がって感じました。そう
椀を子供にどう使って欲しいかということを書いていだだきました。複
いう点で非常に印象に残った作品です。
数の申込があったものに関しては書いていただいた文章で選びたいと
思っております。
山下:佐藤さんの作品は私も見てですね、展示もなかなか迫力があって
いいなと思ったんですね。ただ一つ問題なのは、土を使って非常に大き
山下:なるほど。貰う人はさぞや嬉しいでしょうね。とてもいいプロジェ
な、壁面に飾る非常に似た作品を作っている作家がいるんですね。今、
クトだと思いました。
東京の現代美術館なんかでかなり目立つ展示をしているんですね。ある
程度現代美術を見ている人だったら、彼女の作品はあれとあまりにも似
北川:あの、全然面白かったと思いますね。
てますねと言われると思うんですね。それが偶然の一致なのか、あるい
は彼女自身も意識しているかどうかは分からないけれども。それが私が
山下:前回より良いですよね。
思ったことです。
北川:断然良いですね。いろんな意味で良いと思いました。ただ、いろ
樋田:漆はどうでした?
いろと試行錯誤していくということは重要で、もともとその地域のいろ
いろな材料を使って生活の用具を作っていくのが本当に基本ですよね、
山下:漆は使ってないですよ。その人は。
美術というか私達の文化の。それをやっていたのに、突然日本の場合は
100 年近く前に世界と出会っちゃった。その時にどういう風にやってい
樋田:そこが違うんですよ。
くかという大課題があって、当然試行錯誤したわけで。漆という、特に
極めて伝統的といったら変だけれども、地域に深く根ざしているものを
山下:そこが違いなんですね。なるほど。
これをもっといろんな意味で試行錯誤して、もうちょっとやってみると
もう少し分かるし、ただ、3 回で終わりだと思うとそれはもう絶対まず
赤坂:後で会場に佐藤さんがいたら聞いてみたいと思います。僕が知っ
いと。とにかく 10 年、20 年やんなきゃダメだし、「漆」という非常に
ている若い人達でも、3.11 を契機にして福島を、東北を故郷として見直
ある限定した中で、それを大切にしながら世界と出会う。そういう中で
そうとして帰ってきている人達が結構いますね。彼女がどこまで意識し
どうやるかというのは非常に大きな課題なので、断固続けなきゃいけな
ているか分からないですけれども、福島の土って汚れているわけですよ。
いと思うし、かなり前回けちょんけちょんに文句を言ったので、今日小
その汚れているということをどう認識しているのか。そこを超えてや
林さんとかに会うのが怖かったけれど、良い感じでそれが受け止められ
るっていうことに、まあそんなに意識していないとは思いますけどね。
たのかな、とも感じることができて、今回は来て良かったですね。
後で会場にいたら聞いてみたいですね。では北川さんお願いします。
山下:僕は、今回も北川さんがけちょんけちょんに言ったらどうしよう
北川:今お二人が言われたこととほとんどダブっているんですが、挙がっ
かとヒヤヒヤしていたんですけれども。前回あれだけ厳しいことを言っ
てない中で、紐というか縄を漆で固めた、酒屋さんにあった。
た甲斐があるということでしょうかね。
山下:さっき写ってたやつ。
赤坂:あの後、作家さん達はすごかったらしいですよ。
北川;そう。あれは僕は割と面白いな、と思いましたね。以上です。
山下:そうですか。
山下:少ないですね。
赤坂:「負けらんない!」という思いが。
北川:最後の土で描いたのに関して、ちょっとズレた観点から言えば、
山下:「良かったですね、良かったですね」なんてだけ言ってたって、
日本ほど土の種類が多い列島はないので、これはもっと展開が、いろん
シンポジウムなんかやる意味ないんですよ。
な意味で可能性があるなと思っていて、土を実際にあそこに展示してい
たのも良かったなと思いましたね。
赤坂:あのね、3 回やりましたから、その 3 回を通してのお話をいただ
きたいんですけれども、樋田さん。
赤坂:今、佐藤さんここにいます?来てないのかな、もったいないね。
こんなに褒められているのに。もう少し話をしていこうと思うんですけ
樋田:本当に段取りの打ち合わせがないシンポジウムですね。
ども。今年は漆という素材をどこかで必ず使って欲しいという制約をか
けたわけですね。選考会の時にも実は今年は応募作品がすごく多くて、
赤坂:すみません。本当に内容を何も打ち合わせしないんですよね。
レベルも高いなとみんなで感心しながら…。
樋田:色々な視点で 3 回を振り返ることができると思うんですが、私は
山下:前回よりは確実に上がっていたと思いますね。それとやっぱり、
さっきその繋がりで、4 人挙げさせてもらったけれども、吾子さんを例
漆という原点に戻ったというのも、僕は去年よりはよほど良かったと思
にして 3 回の変化を話したいんですよ。どういうことかというと、会場
いますね。それと職人さんとのコラボレーションというのも 3 回目になっ
にいらっしゃる若い作家さん達の中には漆を大学で漆工芸としてオーソ
てかなり練れてきたという感じがしています。たしか去年のこのシンポ
ドックスに学んでこられた方が多いと思うんですね。そういう方からす
ジウムの席上で、北川さんと私はずいぶん厳しいことを言った記憶があ
ると、大学の先生達は伝統工芸のような分野に進みなさいとか、そうじゃ
りますけれども。今回は北川さんはそういう点ではどうですか?
なかったら思い切ってオブジェと称されている説明のつかない立体造形
の道に進むか、そういう道しか提示してくれなかったろうと思うんです。
そういう方が第 1 回目に出してきたんです。その時に、それまでのホワ
イトキューブに並べるのと違って蔵に並べるということで、場が変わる
と自分の作品がこんなに大した意味もなく見えてしまうのかということ
を、きっと内心感じた方が多いと思うんです。そうした中で我々が古い
ことは捨てなさい、もっと新しい芸術とか、あるいは漆とか、あるいは
場の力とかを感じてくださいと言ったんだけど。そう言われたからと
いって作品がどう変わるかという根本的な戸惑いが、皆さんの中にあっ
たと思うんですね。そういう中での話なんですが、私は吾子さんは大い
に変わったと思うんです。どこが変わったかと言うと、要するに大学で
習ったオブジェだろうが、伝統工芸だろうが、どちらも結局はアカデミッ
クだと私は思っているんですが、そういう自分の身に付いた垢みたいな
のを捨てているところです。そういうものを、解体して捨てていく時の
一種の外側からの圧力として会津とか喜多方とか、あるいは蔵があった
と思うんです。吾子さんの場合も同じだったと思うんです。吾子さんの
場合は、最初は分かりやすく言えば、おしゃれなドライフラワーのよう
き言った佐藤さん、あれはシチュエーションが良いので、まさにああい
な、そう言うと言い過ぎかもしれないけど、オブジェとしての花を作っ
う風にバーッとやるような場所で、もともとの建物がいいからあれは
てたわけですね。それはそれで非常におしゃれだし、きっと人気もそれ
もっていると思います。文句言っているわけではないけど、吾子さんが
なりの需要もあったと思うんです。でも、そういうものを蔵の中に置い
やっているあの空間ではまだ全然弱い。だから僕はしっくり来なかった
てどういう意味があるのか、と作者は考えだしたと思うんです。つまり
ですね。それで、もったいないなと思ったというのがあって。それはそ
オーソドックスな教育を受けてきた本人としてはずいぶん悩んだり、考
れで、本当に徹底的に好意的に批判をしているわけだけど、御本人の感
えたりされたと思うんですけど。そこで、今回は地べたに置くタイプ。
覚が見えなかったという悔しさが、あれにはあるというふうに僕は思い
要するに地べたに置く作品なんて美術大学の漆の講座じゃそんなの作ら
ましたね。もう一つ僕が触れた縄の、あれはオブジェとしては面白いけ
せないんですから。発想さえないんですから。それを汚い土間のような
ど、そういう意味で言うと、まだこんなものかっていうかな、空間とし
所に作ったでしょ。しかもそこに職人さんの力を借りてるんだよね。つ
てはしっくりいっていないというふうに思ったことも確かです。
まり近代の美術大学でやってきた教育というのは、職人の方から離れて、
自分達は高等な倶楽部みたいなもので、西洋とか新しいことが分かって
赤坂:お名前出てきたので参加してもらいましょうか。吾子さん?
いる内々の集団でやっていくんだというところに近代があったと思うん
ですけど。
山下:本人見ると何にも言えなくなっちゃうんだけど。
山下:だからダメになったんですよ。
赤坂:吾子さんいかがですか。勝手なこと、皆さん言ってましたけど。
樋田:そう、そう、それが言いたい。吾子さんはそれに気付いて、自分
吾子:ありがとうございました。お誉めいただいたこともとても嬉しい
で壊したってことを評価したい。
ですし、もちろん批判していただいたこともとてもありがたく聞いてお
りました。樋田先生がおっしゃっていたことは本当にその通りで、この
山下:確か、吾子さんの作品、朝日新聞に取り上げられてましたね。朝
芸術祭に 3 年間参加させていただいて私自身すごく漆に対する思いも変
日新聞の全国版でこの漆の芸術祭がかなりのスペースとって報道されて
わったし、表現に対する思いもどんどん変わってきて、土地に対する思
て。それの一番メインの写真に使われていたのが、吾子さんの作品だっ
いというのがすごく出てきたなと思って作品を制作しています。今まで
たと思いますけどね。
は大学を出たという自負心とか、そこで学んだということをどうしても
払拭できずにいました。それが今年、作品を作るにあたってそんなこと
赤坂:読売だった?朝日だった?
はどうでもいいというくらい自分の思いの方が募って、結果としてああ
いう形になったのかなと思っております。ただ北川先生がおっしゃって
北川:ちょっと良いですかね。再三熱烈歓迎的に芸術祭は面白かったし、
いたように、まだまだというのは自分でも感じておりますので、これか
とにかくいろいろ可能性あるから続けて欲しいし、手伝いたいと思いま
らも頑張っていきたいと思います。
す。これは真面目に言ってる。それでね、前回僕は生まれて初めてあん
なにけちょんけちょんにモノを言ったんです。
北川:もうちょっと具体的に言うと、だからそうすりゃいいということ
ではなくて、僕の感じ方なので、根本からちょっと僕の考え方から言う
山下:そうですか。
と、厚いんですよ。もっとグニャッとしていると、もっとピシッときた
と思うんだけど、オブジェの感覚が抜けていない。たとえばダリの時計
みたいにグニャッとしていたら、僕はもっとピタッときたんだけど。石
榴の部分との収まりが、ちょっとうまくいってないと思いましたね。御
本人がいればいくらでも言える。そうじゃないところで好意的でも批判
すると、全部悪くとられて美術以外のところからも文句言われるので、
僕は外で美術作品の批判はしたくないと思っているんですね。本人相手
じゃないところで、全然違う文脈で「だから美術はダメなんじゃないか」
とか言われると嫌だなと思って言わないんだけど、本人がいれば言いに
くいけど、思っていることは言いやすいですね。そんな感じで、まだそ
こが。そういう意味で本人の個人がまだ見えてないという感じがした。
吾子:そうだと思います。
北川:つまり、組織とかいろいろな動きに関してはそれまでけちょんけ
ちょんに言っているけれど、個人の作品について何を間違ったか、いや
樋田:僕の思いはね。当然御自分であそこの場所を選ばれたわけでしょ。
間違ってはいないけど。何をして僕はあんな風に言い出したのか、って
だから敢えて難易度の高い場所を選んでいるんだよね。これまでの大学
いうのがずっとあって、本当にあれから僕人生変わったんですね。
教育の文脈から言うと。だからちょっと自虐的な感じがあって、そこは
今年やった越後妻有も、今準備している瀬戸内国際芸術祭も全部作家
何とかして自分をぶち壊したい、未体験ゾーンに入ってみたいという感
の中に入り出しちゃったんですね。今まで言うまいと思っていたし、作
じがした。
家もそこそこやるだろうと思ってたんだけど、それは今も思っているん
だけれども、ガンガン言うようになった。つまり昨年何で言ったかとい
北川:つまりナメクジみたいなのだといいんですよ。あの場所には。と
うと、赤坂さんとかやってるし、スタッフはもの凄い頑張っているし、
いう感じがちょっとしたな。
そういう中でこのままじゃ危ないぞという、その辺でいろいろやってい
るつまらない美術祭に、福島や会津の芸術祭がなっちゃまずいと思った
赤坂:あのね、3 年間やってきて、例えば越後妻有と比べる必要もない
から言ったんです。
んだけども、漆をもって野外、屋外、土の上に立てるのかと僕はいつも
それはそうとして、今樋田さんが言われたことに関して言うと、吾子
思っていました。彼女の作品は多分それに対する初めての挑戦だったの
さんの作品はあのグニャグニャッとした形は全く生理的じゃないんです
かな、と。漆が地べたを這い始めるって、どういうことが始まるんだろう、
ね。僕に言わせると。あれはやっぱりまだ全然空間に合ってないぞと僕
と僕はワクワクしましたけれども。まあ作品としては言われている通り
は思っている。やっぱりもうちょっといろんなこと考えた方が良いし、
なのかもしれませんけれども。山下さん、どう思いましたか。
空間ともっと本当に格闘した方がいいなと僕は思いました。それでさっ
山下:北川さんが言われたようなことは私も感じていたことです。だか
樋田:さっきの繰り返しになるからもう言いませんけど、誉めたんです
らなんかもうモノであるというのじゃなくて、空間と一体化して欲しい
よ。一言で言うと。
という感覚があるんですよね。その辺はですね、インスタレーション的
なことをやっている作家の方でベテランの人は空間をうまく使っている
佐藤:ありがとうございます。
な、という気はしますね。例えば逢坂さんの作品なんかは、さすがいろ
んな場所でやってらっしゃるから、空間の使い方なんかはお手の物だな
樋田:色々な観点で、まず二つ。故郷の土というポイントと、漆を使っ
という感じはしましたね。それと、さっきの佐藤さんは、もう会場にい
ているというポイント、それと同時に壁画というキーワードが大きいな
らっしゃったのかな。
と僕は思いました。一種の近代美術批判ですよ。個人主義とか主体とか、
そういうものを超えて行くときに壁画というのがキーワードになると思
佐藤:はい。
いましたね。御自分の育っている、今学んでいる場所の意味を考えると
もっともっと表現が強くなると思いました。
山下:もうすごく絶賛されていたんだけど、樋田先生に。それは聞いて
ないのかな。今来たの?
山下:出身、福島のどちらですか。
佐藤:すみません。
佐藤:田村市の船引町というところです。
山下:すごく樋田先生に絶賛されていたんだけど。僕が気になったのは、
山下:といっても僕はどの辺かよく分からないんだけど。
あの淺井裕介さんっていう、やはり土を使って壮大な画面を作っている
作家がいるじゃないですか。あなたの作品は必ず彼の作品を知っている
佐藤:郡山の近くです。
人から見ると似てますねって言われちゃうと思うんですよね。
山下:そう。
佐藤:言われますね。
赤坂:タイトルに故郷って入れたのはどういう意味ですか。
山下:もうすでに言われちゃっている?その辺は自分の中の意識として
はどうなんですか。
佐藤:やっぱり土を使うということも震災をきっかけに始めたというこ
とがあるので、原発事故の影響で土が汚染されたということが自分の中
佐藤:やっぱり自分でも、土を使っているということで似てるなとは思
できっかけがあって。その汚染されたもので何かできないかと考えた時
うんですけど。でも淺井さんって、割と童話的というか天使というか、
に、自分の故郷の土を使って絵を描こうと思ったことが始まりだったの
ほんわかした絵だと思うんです。
で、タイトルにも付けたいなと思って付けました。
山下:なんかイノセントな感じですよね。
山下: あなた確か東京のペッパーズギャラリーという所でもやってま
したよね。
佐藤:はい。今年の 4 月に。
赤坂:なるほど、二人がちょうど来ていて良かったです。改めて戻りま
すけど、山下さん、3 年間を通して発見したこと、可能性としてこれか
ら追求してほしいことなどはありますか。
山下:1 回目は本当に試行錯誤という感じでしたね。2 回目は右往左往
という感じでしたね。3 回目になってやっと方向性が定まってきたとい
う感じなんじゃないでしょうか。3 回目で終わりと赤坂さんおっしゃっ
たけど、今後続く見込みはないんですか。
赤坂:終わるつもりはないんです。でも、放っとけば終わるという状況
は皆さまの前にあらかじめ提示しておきたいと思ってお話しています。
佐藤:はい。私の作風は割とドロドロしていたりとか、抽象的だと思う
ので、そういうところでちょっと違いがあるから、やり続ければ違いが
山下:それはこれから、県との折衝という感じになっていくんですか。
出てくるとは思うんですけど。
赤坂:僕は県の補助金でやるという形はもう取りたくないんです。
山下:そうですよね。あなたはこれをやり続けることによって表現の強
度を増していかないといけないんだと思うんですよ。
山下:なるほど。
北川:そう思う。それでやっぱり極めて装飾的だし絢爛な方に思い切っ
赤坂:何かまったく違う形でやっていけないかと思っています。
ていけるならものすごく面白いと思う。
山下:その辺は北川さんが詳しいと思いますね。
山下:ギトギトになっていけばいいと思う。
赤坂:そうですよね。僕は金集めができないので、その辺は北川さんに
北川:土でいうと、淺井さんの他にもう一人南条さんという人がいて、
教えていただこうと思ってるんですけど。
この人は本当に風景画なんだけど、その土が採れたその場所で絵を描い
ている。その土そのもので風景画とか。これはなかなか良いですよ。
山下:それはプロ中のプロですから。北川さんから良いアドバイスはな
いですか。
意味を持つのか。そんなものいらないのか。
北川:博物館でこういうことをやってきたというのが相当厳しいだろう
樋田:職人さん達が主体的に自発的に目覚めたという文脈もあるのかも
し、会津という場所が福島のある一部、決定的な一部ではあるけど、一
しれないけど、僕はまだ職人さん達に一方的に何かを大きく期待しなく
部であるということで、しかも 3 年と決めてきたことで、県がそれを続
てもいいんじゃないかと。その前に、これまで美術学校でやってきた教
けるというのは普通はなかなか面倒だろうと思うんですが。どういうや
育全てね、個人という作家を育てたように見えたかもしれないけど、僕
り方でやるかというのを考えられるのはいいんだけど、ただやっぱり行
には集団を作っているように見えるんですよ。つまり、文壇とか美術画
政とやった方がいいと僕は思いますね。博物館でやるということは行政
壇とかって言葉あるけど、あれと精神的に似ている感じがするの。それ
なんだけど、博物館が引っ張り続けて、引き続けていかないと面白いこ
を自ら、一旦そのハイクラスグループを壊してね、職人さん達の力を借
とできませんよ。
りようと率直に思い出したこと、まずそこを第一歩と考えた方がいいと
思う。職人から美術を壊していく、そこまで一気にいってるかどうかは
赤坂:県の職員さんもいらしているので、後で意見を聞いてみたいと思
期待し過ぎという感じという印象ですね。
います。それは最後に取っておきたいんですけど。職人さんとのコラボ
というのが出てきましたけれど、本当に様々な場面で、うちの学芸員が
赤坂:「会津・漆の芸術祭」というのは、矛盾だらけだと思っているん
駆けずりまわって、普通であれば出会うことのない人達が当たり前に出
ですよ。たとえば、なぜ博物館がアートに関わるのか、芸術祭を主催す
会って、漆を掻く人から木地を作る人、塗る人、蒔絵を描く人、そして
るのかという問いそのものが、我々の文脈の中では博物館と美術館とい
現代アートのこれまで漆を扱ったことのない人が出会っているというこ
うのは厳然と境界があって、全く違うものだと思われている。でも実は
と自体が可能性なのかなと僕はどこかで思っています。
我々やってみて、博物館が主体になるということが単なるアートとか美
術ということではない、歴史とか地場産業みたいなある意味では不純と
山下:それは大きな意味があると思いますね。それは双方にとってね。
思われるようなものまでも全部抱き込むような形で転がっていく可能性
職人さんにとっても、若い人とコラボするということは大きな刺激にも
がある。それは博物館という場が関わっているということがプラスの意
なるだろうし。逆に自称アーティストみたいな人達は、職人さん達のき
味合いを持つのかなと思っているのですけれども。
ちんとした仕事ということから学ぶべきことはものすごくありますよ。
物を作るということは、どういうことなのかという一番根本的なことを
北川:僕は来年 3 月から始まる「瀬戸内国際芸術祭」というのをやって
ね。特に浮ついた、それこそ現代美術でございます、みたいなことしか
いますが、あそこには高松市の美術館とか丸亀の猪熊現代美術館とかい
やってない人はですね、その職人の仕事の凄さというのを絶対体験する
くつかあって、割と現代美術に対して興味を持っている。割と仲はいい
べきですよ。
んだけど、断然近しいのは山の上にある瀬戸内海歴史民俗資料館。つま
り海とか島とか生活とかに興味がいっているというか、そういう風なと
赤坂:小林さんね、職人さん達の中からも、「地の記憶 未来へ」みた
ころで動いているし、そういう観点から見ると現代美術館よりは断然身
いな時代がぶつかっているテーマみたいなものに呼応しようとする動き
近だね。現代美術館はその地域の生活ということよりも、欧米 200 年の
が出てきているといことを聞いたんですが、その辺はどうですか。それ
美術史の流れの中で今はどうだ、ということをやろうとかしているから、
がいいのかどうか僕は分からないんだけれども、時代の中で工芸とか漆
だいぶ僕とは違っていて。おそらく今後、美術というものが彫刻と絵画
の器というものがあるんだということが当たり前に共有されつつあるの
から離れて、お祭りとかをそういうことを全部一緒に巻き込むような形
かな。
じゃないと、自然と文明と社会と人間との関係を表すものとしていかな
いと。今までのジャンルでいえば博物館の方が断然距離が近くなってい
ると思うので、頑張って新しい何かが出てくるような気がしますね。
赤坂:博物館はいいですよ。クモごときでは驚かないですから。展示し
た木からカミキリムシが 6 匹も出て来ました。
樋田:僕はこの企画は博物館じゃなかったらできなかったと思いますよ。
山下:逆にね。
樋田:美術館って綺麗にジャンルを分けちゃうでしょ。彫刻だの絵画だ
のって。そうすると、そもそもこういう企画が成り立たないもの。
小林:11 月 4 日に「漆でつくる、漆で暮らす」というテーマで赤木明
人さんと仁城義勝さんに来ていただいてトークイベントを行ったのです
赤坂:ではこの辺で休憩入れましょうか。3時から始めます。
が、会津の職人さん達にもたくさん来ていただいたので、その後半の部
分でお話を伺いました。その中で、この状況で漆の器を作っているから
−休憩−
こそ、それを通して何か福島に伝えることができるんじゃないかと言っ
てくださった方がいました。後、今のことと直接リンクしないかもしれ
ませんが、コラボの結果として新しいことをやっていきたいと思ってく
ださったり、何か挑戦したいと考えてくださった方がもしかしたら少し
ずつ増えてきたりしたのかなと思っています。
会津・漆・アートⅢ 地の記憶・未来へ
赤坂:それでは、後半始めたいと思います。時間をこういう形で切ってし
まったので、後半はどんどん会場から参加していただく形にいたします。
赤坂:樋田さん、僕にはそれがいいことなのか悪いことなのか分からな
まず、こちらの実質的なディレクターの学芸員の川延の方から「自己批判
いんですけど、どういう風に考えられますか。
をしたい」と言ってます。
樋田:職人さんとのコラボレーションですか。
川延:どうも皆さま、お集まりいただきましてありがとうございます。3年
間お付き合いいただいてどうもありがとうございました。
赤坂:職人さん達が時代性みたいなのを意識するということがどういう
北川先生から、
「 10年、20年のスパンでやんなきゃだめだよ」というお
話をいただいております。そこに対して、今事務局として来年やるという
山下:限界集落ですよね、いわゆる。
ことを明確にお応えできていない。この状況が一番マズイということは
自覚しております。先生方に前半は、それぞれの作品のお話をずっとして
北川:限界も越えてるわけですね。
いただいたわけなんですけれども、この芸術祭第1回目を始めるにあたっ
て、一つ大きな課題だったのは、地域との関係があったと思います。ここ
山下:妻有はどうですか?
からが自己批判的な部分ですけれども、3回やっていく間に、徐々に作品
のクオリティを上げることには成功したとは思っているんですが、町と
北川:妻有、山間部は相当厳しいですね。だからその人達は、もう人が
のお付き合いっていうのが、若干停滞しているんじゃないかなという反
来てくれれば嬉しい。すごく典型的な例をいいますと、手島っていう島
省は持っています。そこについてを後半で、会場をお借りした方々とか、
で波止場があって、そこにおばあちゃんが住んでる。後ろの方に作品が
町の声をお聞きしておければ、それに基づいて4回目以降の事を考えて
あるから、波止場に降りた人はそこを通ってく。1週間くらいしたら、
いきたいな、と思っています。
よく野球なんかやるとビールとかコーラとか入れていく発泡スチロール
の箱あるじゃん、水入れて。そのおばあちゃんが、あれ持ってきてコー
赤坂:確かに、少し気になることはありました。作品を置いていただいて
ラとか入れてる。値段見たら 100 円なの、何でも。「これどこから仕入
るお店で話を伺っていて、
「県外の人が、3回目の今年はとても多かった。
れてきてるの」っていったら、「あそこ」って言って、そばにある自動
それは嬉しいんだけども、市内とか福島の人達があまり来てくれない。」
販売機から買ってきて 110 円とか 120 円のも 100 円で売ってる。「な
と言われた方が何人かいらっしゃいました。つまり、芸術祭としての地域
んでこういう事やってんの」って言ったら、とにかく人が通り過ぎてっ
との繋がりとか広がりというのが、うまくいってないのかもしれない。と
て、見てたんだけど寂しい。何か売っていれば喋れるんじゃないか、と
同時に、僕の知り合いで、会津と喜多方を作品を見て回った人の話ですけ
思って売り出してる。これは本当に僕はびっくりしたっていうか、感動
ども、とりわけ若松の小さなお店で作品を置いてくださってるところと
したっていうか。そういう感じですよ、人が来れば嬉しいって。
か、そこの方たちと言葉を交わすと、会津の女性がものすごく元気で活き
十日町の商店街は別の意味で厳しい。厳しいっていうか、今の文脈で
活きとしていて、置いてる作品を可愛がってくれていて、可愛がってくれ
言えばまだ余裕がある。つまり売れる売れないということに問題が行っ
てる姿が気持ち良かった。そういう声も聞きました。だから、そういう広
てんの。来るわりに売れてないとか山の方行っちゃうからって言って。
がり、そういう人達が、多分あまり広がってない、ということが問題点と
しかも政治的な圧力は、一番人口が密集しているから強い。それはまだ
してあるのかな、と思いました。
お金に換算できてない。
後半は会場からお声をいただきながら進めますけども、今の反省の弁
その手島のおばあちゃんとか、あるいは松代のおじいちゃんとかは、
を聞いて、フラムさんどうですか?
もう人来れば楽しい。だから何かやりたい、したいと思ってるというよ
うな感じくらいの差があるな。
赤坂:漆の産業ということで言うと、すごい縮小してるでしょ?多分漆
器産業に携わってる若い世代はものすごい危機感を持っていらっしゃる
んじゃないかと思うんですが、その辺はいかがですか?
樋田:それはその通りですよね。秋田で言えば川連という産地があって
そこも、もはや怪しいしね。それはそうだけど、いわば地場産業を活性
化するという方面から入っていくとね、県の助成金がついて、100%あ
げるんじゃなくて何割か自分が負担すると、そのうちの何割かを助成す
る、あのやり方をやってくとますます疲弊してくでしょ?僕はそっちの
やり方よりはね、3年間関わらせてもらって思ったのは、今回ここでの
やり方は都市型なんですよ。あえてさっきのフラムさんの話と対比させ
ればね。都市型でこういう町起こしなり、アートフェアがやれる場合は、
それは助成金が県から付けば、話はすぐに決着つくのかもしれないけど、
僕は、必ずそういう方面のやり方よりも、具体的な名前出していいのか
北川:また挑発的なことになるんだけど、そうだとすると、まだ会津の人
分かりませんけど、例えば喜多方だったら大和川酒蔵の社長さん、弥右
はあまり困ってないんですよ。だから本当に厳しい所はどうしようもな
衛門さんとか、あと若松だったら末廣ね。蔵というか造り酒屋というか、
いから、手伝いにきちゃったりしながら拡がっちゃうんです。だから会津
そういう中でも文化的な、その町のパトロンというような役割が担える
はまだ余裕をお持ちなんだと思いますね。まだ本当の危機感がない。
ような方がいる地域じゃないですか。この辺は都市型という意味で。だ
からそういう人たちが声をかけて、知恵は博物館が出すというような形
赤坂:なるほど。会場から反論…ないですね。これは…。
でやっていくほうが、むしろ 21 世紀型のアートフェアじゃないかと僕
は感じます。
山下:だからフラムさんは、本当に厳しい場所を選んでやってるわけです
よね。
北川:もう一つ言うと、食べ物と漆、もっとくっついてやらないとダメだ
と思いますね。やっぱり食べ物がめちゃめちゃ強ければ、リピーターはガ
北川:まあ、わりとそうなるんだけど…。
ンガン来ますよ。土地の特色どこにあらわれるかっていったら食べ物だ
から。要するに、食べ物と食い初め椀とか蔵とか、食べ物をもっとベース
樋田:そんな厳しくないんじゃない?豊かじゃないですか?
にして食べ物を含んでやった方がいいと思う。もうちょっと言うと国内
でそういった伝統産業の勝負をしているから駄目だと思うんですよね。
北川:100人、200人の島は厳しい。もう子供はほとんどいませんけど、子
漆で食べたら、フランス料理だってもっと美味いぞと。フランス料理な
供が高校生になる度に平均4∼5人は島から出るわけ。それまで頑張って
んていうのは食材以外はほとんどまるで変わっていても…僕は好きなわ
るんだけど、高校になると島にいないですから。そうするとじいちゃん、
けじゃないけど、力を持ち続けているわけで。そういう意味で言うと、
ばあちゃん、夫婦、あるいは妹とか、高校になる入る前の人間も、まとまっ
今日本の中での伝統産業っていうのは、国内の問題でやると世界がワッ
て、四国の内地に対して、本土って言うんだけど、本土に移っちゃうとい
ときた中での勝負に、小さな場での勝負になってしまっていて。世界が
うことがあって、完全に見捨てられてますから、もう危機感はすごい。
ワッときてるそこを飛び越しちゃう商売の仕方を真面目に考えて、その
場合に和食とか、陰翳礼讃的空間とか、そういうことを含めた形で出さ
室の学生さんに参加してもらうような形を作りました。
ないとダメだろうと。そういう意味では視野が狭いし、ターゲット間違
筑波大学で最初から参加してくださっている宮原さんにお伺いしたい
えてる。要するにフリースタイルなのに、寝技かけやってるみたいなさ。
のですが、学生を最初から連れて来てくれて、2、3 カ月も弥右衛門さ
そういうような感じに近いくらいちょっと発想を変えないとやっぱり駄
んの所に滞在させてもらったりだとかしてきました。、僕らは宮原さん
目だと思いますね。
自身の変化に注目しましたけども、若い作家さん達にとって会津がどう
今、越後妻有のお酒とか、そういうのはメチャメチャすごい。要するに、
いう意味を持つのか、そのことについてお話しいただけますか?
いろんなデザイン賞をバンバンとっちゃって、伝統産業のこういうのを
作るところの厳しいとこはそういうことばかりじゃないけども、日本の
宮原:まずは学生の方から。ここに3カ月いた、柵瀬がいるので。
9 割 5 分くらいは全くモノを考えないで流行に乗ってる世界なんだから、
そこで勝負したらそれは負けるに決まってる。その自己認識がやっぱり
柵瀬:柵瀬茉莉子と申します。私は 2 年前に、芸術祭始まって最初の年
マズイんだと思う。そのためには、簡単な話で、新聞・テレビ信じない、
に大和川酒蔵でずっと 3 か月くらい生活をさせてもらいながら、近くの
バラエティーショー絶対観ない。石原…これやめた。〇〇なんか信じな
職人さんの所へ行き、材木屋さんを教えていただき、そこから材料をい
い!っていうくらいの気持ちで商売考えないと本当に駄目ですよ。
ただいて、制作させていただきました。その時は 1 日、1 日の事で精一
杯で、3 年経って今年は研究室のひとつの企画として材木屋さんの方で
赤坂:わかりました。佐藤弥右衛門さんがいらっしゃるんで…。日本酒
展示をさせていただいたんですけれども。3 年間自分の中で、自分の作
で世界にうって出ようとして仕掛けたりいろんなことやってますので。
品に関しての、成長っていうのは中々見つからなかったけれども、色々
な人と話したり、この土地で職人さんの仕事を見せていただいたり、作
ることをこれから続けていくのだったらこういう経験を、自分の責任と
してこれから作っていくことで、こやしにしながら作っていきたいなっ
て思っているんです。
ほんとに私達みたいな、何も分からなくて外で発表したこともない学
生を、美術館の人ではない酒屋さんという社長が受け入れてくれて、そ
の人が若い子をどんどんみんな連れて来いって言ってくださって。そし
たら東北の学生さん達との会話も生まれたり、何かこれから自分達で
やっていけて、…あと何年後かはわからないけど、一緒に何かやってい
きたいって思えるような、仲間がちょっとずつ見つかってきているので
はないかなというのを、この 3 年間ですごく思いました。ありがとうご
ざいます。
宮原:初年度は、能舞台という形で参加したんですね、研究室では。今
年は北川先生おっしゃったように、食を持ってきて、食と器、喜多方の
食材と喜多方の竹とか漆、それでイベントをやって、とにかく学生には
弥右:パトロンなんて、お褒めいただいたのか、けなされたのか分かり
プレーヤーとして遊びきれと。そんな感じでみんな積極的にできたので、
ませんが、微妙に聞いておりました。
非常に貴重な経験となりました。
フリースタイルっていいですね。私は本当にそう思います。たとえば
私ども酒屋でも、ついこの間といっても 10 年くらい前までは、「酒屋は
赤坂:井波さん、地元の会津短大の先生ですけども、最初から我々は井
良い酒さえ造ってれば良い」と、卸し屋はあちこちの酒蔵から酒を卸し
波先生の御協力をいただいて本当に助かっています。一言、若い人達の
て小売店に売る、小売店はお酒を小売りすると。消費者はフリースタイ
ことを中心に、お話をお願いします。
ルであったわけですけども。漆器の世界でいうと若松がそうですよね。
座敷牢のような所に閉じ込められたかは別としても、ひたすら職人が作
井波:はい、井波です。本当に、この3年間と言いますか、その1年前
る。でもそれでも、卸しがあって小売りがあって、量がさばけてた時は
から博物館は準備段階としてあったと思うんですけれども、その時から
機能してたんですけど、今はその真ん中がなくなってきているんですね。
関わらせていただいています。今年3年目で終わってしまう…とは思い
生産するのと消費するのはあるんだけど、やっぱりフリースタイル。作
たくないんですけれども、一つの区切りだと思います。
る方もあんなのあってもいいんじゃないかと。消費者の方はもっとわが
ただ、私地元の短期大学ですけれども、漆を教えてる立場で考えると、
ままで勝手でやっても良い。
実際に漆を教えてる美術大学、美術系の大学は、全国で 10 校あまりし
多分、この3年間の芸術祭は、よく分からないけど都市型だったのか、
かないわけですが、先程第一部の方で樋田先生よりお話ありました、以
山里型だったのかは分かりませんが、特にスクランブルになっていたと
前の美術大学の教育っていうのは、若い人達を大学のカラーの中で、そ
ころが面白かったですね。今日1時半くらいに喜多方を出てきたんです
の権威の中にどう押し込めるかっていう流れが非常に強かったと思いま
けども、スタッフと喋ってましたが、観光で来るお客様より圧倒的に芸
す。そういった流れがここ 20 年くらいで少しずつ崩れてきはじめて、
術祭を見に来るお客様がいる。逆転してる圧倒的に。3年間やって、3
団体展に参加しない若い作家達が目指す方向性が個展っていうものが中
年目で形がなって、これは観光の活性化ですよね。旅の中にアートがあ
心になってきました。ただ、個展という流れの中で、一般の現代美術と
るって一番いいことですから、贅沢な空間ですよね。そういう意味でフ
違う所は、工芸という素材をあつかってる分野ですから、非常に、自分
リースタイル。一旦フリースタイルにしないと、日本の経済が小さくなっ
達が学んだ素材感から逆に言えば抜けきれなくて、孤高の工芸家が非常
ていくから、もう一度生産と商品を作っていく。それがいいんじゃない
に多かったと思います。
でしょうか。今北川さんの話を聞いて思いました。
この話を最初博物館からいただいた時に、じゃぁ私がここに来て何が
できるのかなと考えました。私も7年前に会津短大に着任しまして、元々
赤坂:いつもお世話になっております。滞在させてもらったり、あやし
は孤高の工芸家の一人だったんですけれども、東京から来て、この博物館
てもらってます。実は僕らがこの漆の芸術祭で大事にしてきたのは、若
が漆っていうものを持ち出して、地元の漆器産地でもある流れもありま
い人達なんですね。学生さんとか、20 代の新しいというか若い作家さ
すし、そこで私にお手伝いできるとしたら、知ってる限りの、そういった
ん達を、会津から育てることはできないか、あるいは会津と言う場に集
団体に属さない形で何か模索している人達の集まれる一つの場が、この
まってそこから刺激を受けて、…とそういう姿を思い描いていたんです
会津という所から発信できれば、それは未来的な、新しい流れがまた東北
けれど。今年は大学 10 くらいで大学枠を作りまして、先生とその研究
の地から築きあげることができるんじゃないかなっていう風に考えてお
りました。
それが、新しい後継者の世界にもつながればいいなと感じます。
その点では、3年間の話をさせていただきますと、長くなって申し訳な
いんですけれども。初年度は、横のつながりを何とかしようと試行錯誤し
樋田:来てくれた職人さん達は、若い人に教えるとき、自分の秘伝の技術
ながら。そして昨年度は厳しい状況の中、それでも1年目の繋がりがあっ
なんかを惜しみなく教えてくれました?
たおかげで、昨年は開催できたんだなぁと思います。確かに昨年のあり
方っていうのは、なんとか存続させる流れ。それは現代美術家の方々が、
井波:学内ではそこまではさすがにできなかったんですけれども。でもど
応援してくれたことに非常に感謝しなければならない。その中で、漆とし
うでしょうね、吾子とコラボレーションをやった作家さんとかは、その場
てできるだけ、美術大学系の学生も集まってやることができて、今年は、
で結構自慢気に、良い意味で教えてくれたっていうことは、やっぱり惜し
本当は今年の段階を去年やる予定だったと思うんですよね。それでさら
みない所もあると思います。
に熟成していくという流れだったんだと思うんです。
今年は本当に良い形で。初年度は公募が少なく審査もどうなるんだろ
赤坂:じゃ作家さんに聞いてみましょうか。
「くいぞめ椀プロジェクト」の
うっていう不安感がありましたが、今年は非常に公募作品が多く集まっ
取りまとめ役をしてくださった山内さん。
て、しかも先生方に選んでいただいたものが実となって現れた非常に充
実感のあるものだなっていう実感を持ちました。
小林:山内さんは蒔絵師さんです。
ですから、なおさら 3 年で終わらせない方法を、私は地元の大学の教
員でいるということも含めてなんとかして、これがビエンナーレになる
赤坂:蒔絵師さん。
のかトリエンナーレになるのかにしても、若い人達が集うひとつの場と
して、なんとか継続していきたいなっていうことは考えています。是非、
小林:御自身で作られたくいぞめ椀も入ってました。
お知恵を…。
赤坂:関わった感想も含めて、広い話でも結構です。
山内:そうですね、私達普段は、おくいぞめ椀という決まった形では表
現してはいないんです。たまたま、お話があって日にちもなかったんで
すけども、みんなで同じ形のものに自分の表現をしてみようって形で参
加したんです。私達もお互いの仕事ってなかなか見れないので、勉強に
もなりましたし、またこういう機会があれば私達も参加したいと思いま
した。
ただ、やっぱり私達は職人ですから、どうしても普段使ってる…器、
漆器ですね、作ってるのが。ですからこういう芸術祭でいろんな作品を
見れたことは本当にためになりましたし、勉強になりました。
樋田:一つだけ、短く伺いますが、井波さん現場にいらっしゃって、言っ
赤坂:初年度のクロージングパーティの時に、ある人に言われたんです
てみればアカデミズムの工芸とか美術教育をね。この現場、土地へ来た
「今ここでとても不思議なことが起こってる」、東京の方でした
けども、
からには壊すというか、変えてみたいという気持ちもあると思うんだけ
かね。「蒔絵師の方も塗師の方も、漆を掻く人も、ここではみんなフラッ
ど・・・。その時具体的にね、学生さん達は「職人さんとやってみようよ」
トだ。ヒエラルキーがここにはない。」と言われた。とても驚きを持っ
みたいなことを言ってみた時に、どんな反応でした?逆に職人さん達は
て言われたことが、こちらは新鮮だったんですけれども。たぶん我々の
どんな反応でした?その辺リアルなところで教えてください。
知らないところでそういう漆器をめぐる見えない伝統的なヒエラルキー
みたいなものを、最初から無視してしまっている。それを許してもらえ
井波:学生と言いましても、私が教えている短期大学はどうしても美術
るのは、博物館だからなのかなという感触を持ったことはあるんです。
系の大学ではない所があって専門的な時間が少ないんで、まず漆を知ら
ないわけですから、非常に新鮮に受け取るわけですね。例えば2年前の
樋田:赤坂さんがそれを知らなかったから良かったんだよね。なまじそ
ボンネットバスを、短大内で職人さん達に来てもらって作った時もそう
んなことを知ってて始めたら、なんか妙な気の遣い方ばっかりになって、
でした。
ここまで思い切ってできなかったと思いますよ。
以前にも一度お話したことがあるんですけれども、私は石川県の輪島
出身なんですけれども、石川県の輪島はとても非常にすばらしい工芸王
赤坂:僕は知らなくても、彼女たちは知っていたと思うんです。だいた
国として某地元新聞社が売り出しておりまして、その中に組織づけられ
いそういうの無視します。知ってても知らん顔してやってますね。漆掻
た体制がしっかりあるわけですね。
きの谷口さん。もうお世話になりっぱなしで、1年目の辻けいさんの作
一方会津というところは、私も来てから思ったんですけれども、職人
品からお世話になってたんですけれども…。
さん達が 2 分されます。本当に漆屋さんのそういった流れの中で、もち
ろん、それが従来職人さんとしての立場ではそうです。先ほど、フリー
小林:今年は御自分で塗って作ってらっしゃる大きなお匙も出品してく
スタイルの話がありましたけれども、バブルが崩壊して、漆屋さんからま
ださいました。エクスカーションでのレクチャーと両方、御協力いただ
とまった発注とか注文とかっていうことだけではやっていけなくなり、
きました。
自分自身で、塗師なら塗師の世界、蒔絵師は蒔絵師の世界、というものを
自分のオリジナルとして、東京と直に繋げることをされてる、そういった
谷口:はい、自分で漆の木から液を取って、それを商品まで持っていく、
職人さん達がいらっしゃいます。
一人の手でやっていくっていうことをやったのは、産地的な規模で生産
そういった方が、コラボレーションについても最初から理解を持って
しようとした時に、あまりにも資源的な部分で木がないということがあ
協力してくださった。少なからず、3年間というスパンの中で少しずつで
りまして、それを誰かに助けてほしいということも言えない。今、漆掻
すけども変化は生まれています。やっぱり正直言って、
「勝手にやってん
きという技術は文化庁のバックアップで、岩手県の浄法寺でやってます
でしょ、博物館が」という意見は当初あったし、まだまだそれは正直改善
けども、あそこで学んだことも、現場に行きますと漆の資源がない、そ
しているとは思いません。ただ少しずつ、塗りをやったり蒔絵をやったり
ういうこともあるわけですよ。そういう面から言えば会津は結構資源的
している若い人達の中で、自分で作り出すこと、それは言われて作るもの
に、僕自身が仕事するには十分な資源があるんです。
ではなくて、自分の意志で作ってもいいんだなってことを感じ始めてる。
ただ、産業として考えた時には、とても微々たるもので、1本から
200g くらいの漆しか採れませんから、例えば会津で 100kg を使うとな
らうと良いんじゃないでしょうかね。あと僕はそのパトロンの力っての
りますと、何百本という漆の木が毎年必要になるわけですよね。100 本
も可能性あると思うんですよ。そもそも喜多方っていう町自体日本の近
で言うと、だいたい一反歩かかりますし、時間もかかりますし、100 本
代美術の歴史において、あるパトロネージとしての役割が非常に目立つ
で 20kg くらい採れますけども、100kg で言うと、五反歩ずついるわけ
ところですよね。結構な著名の方なんかが訪ねて行ったり、たしかそう
ですよね。それを最低 15 年やるっていうことになれば、三町部くらい
いうテーマの展覧会なんかも、…あれはどこで開かれたんだろう、県立
の準備はしないといけないし、そういう面で言えば、産業ということで
美術館で増渕さんという学芸員がその辺のことを一生懸命調べておられ
ずっとやり続けていくのは難しいかなというのは思ってました。
ましたよね。だからそういう喜多方の文化的パトロネージの伝統ってい
現実的には、行政が少し、植栽という活動に動いてくださるそうなの
うのは、今でも生きてるなってやっぱり現地に行くととても感じました
で、結果的にはいいかなぁと思いますけども、それすら 15 年 20 年先
ね。だから僕はやっぱりその両輪でね。その北川さんが言われた行政も
の話になるので、それまで若い人がちょっと質の高い日本産の漆を使っ
巻き込んでっていうのと、その民間のパトロネージ、両輪でやってくっ
てものづくりをしたいと目指す方がいらっしゃれば、その時に役立つ、
てことを赤坂さん考えられたらいいんじゃないかと思うんですね。どっ
そういう形を今僕たちは準備して、セットしてあげられるというか、恩
ちかだけじゃなくてね。
着せがましいことではないですけれども、選びたいなぁと思った時にそ
の資源があるという形をできれば残したいなと思って活動しています。
今回末廣酒造さんで、自分の作ったもの少し見ていただきましたけれ
ども、たいしてニーズがあるわけではないんですけれども、時々あれを
御覧になっていただいて「欲しい」と言われる方もいらっしゃるので、
細々とですけど、自分の漆掻きという技術を支えるひとつの商売の道具
としてああいうものも作らせてもらっています。そういう面では、会津っ
ていうのは僕にとっては豊かな地方の一つですね。そういう形で、今後
もできればと思っています。3年間いろいろ、アートの部分で自分の仕
事はどういう風に関わらせてもらえるのかなぁと思いましたけど、よく
よく考えるとどこかで繋がっていて、全く関係ないわけでもないんだろ
うなぁという風には改めて認識いたしました。そういう 3 年間であった
と思います。どうもありがとうございました。
赤坂:ありがとうございました。NPO 法人のはるなかさんのグループが
漆を植える活動も始めてますけれども、これをもっと大きく拡げていく
ことによって漆をめぐる風景というのを会津から変えていくことができ
赤坂:もちろん二元論で言ってるつもりはないんですけど、行政だけに
る、多分そこから始めなければ駄目なんだろうなという風に思っており
頼ってるとね、お金が切れたらもう終わりみたいなことになってしまう。
ます。
我々も 3 年間は支えてもらったけども、ここで終わればそういう轍(わ
あと25分ほどなんですけれども、「これからどうするのか」という
だち)を踏んでしまうわけで。じゃぁその向こうにっていう時に、この
ことがテーマになっていくと思います。北川フラムさんは最初に「続け
一連の自分の動きの中でも草の根の力を信じてみたいっていう思いがと
ろ!」という風に統括の声をあげてくださいましたが、山下さん、その
てもある。この会津・漆の芸術祭も先ほど出ている佐藤弥右衛門さんと
テーマに関してはいかがですか?
か末廣酒造さんとか、まさにかつてあったパトロン文化の細々とした火
がまだここには灯っていて、そこでいろんなことをやらせてもらってい
山下:さっき北川さん「
、やっぱり行政とやらなきゃだめだ」とおっしゃっ
る。ですから、実は新しい時代の 21 世紀のパトロン文化みたいなもの
た。一方で赤坂さんの方からは「そういう行政とかじゃなくパトロンの
を掘り起し育てていくという事も、我々の芸術祭の仕事なのかな。頼り
力を借りる」って。僕自身はどっちがいいとか判断できないけれども、
にすればするほど応えてくれるんですよね、弥右衛門さん。
そこですよね、問題はね。北川さん行政って言っても国を動かしてるわ
けだから、あれでしょ、瀬戸内なんかは国土交通省でしょ?言ってみれ
山下:もう絶大な期待がよせられてますね。
ば。お金じゃないにしろ…。
赤坂:これ街中でやってるでしょ?だから、酒蔵、弥右衛門さんのとこ
北川:いいですか?行政が関わらないと、本当に例えばこういうこと嫌
の酒造会社の中を歩くとか、その周りを歩くとか町を発見する、…その
いな人とかやな人が、外れたままでいるんですね。だから税金使ってる
すごい場になってると僕は思うんですよ。だからもっとたくさんの町の
限り偉い人は文句を言う、言えるわけだから、その一番美術展嫌いだと
力、町人の力っていうのを巻き込む形でやりたいなっていう思いがやっ
か、漆嫌いっていう人はあまりいないと思うけど、かぶれる人はいるか
ぱりあるんですね。
もしれないけど、だけどそういう人がこういう場に出てくるってことと
か、一緒に関わることとか、お金出してお店使ってやってるとか。そう
山下:ただそういう形でやっていくには、さっき北川さんが指摘された
いう関係ない人が文句言いに出てくる場面がないと、やっぱり内輪の中
ように中途半端なところがあるわけですよね。都市型なのか、山里型な
だけで回ってて本当の課題が見えてない、と思っているので、とにかく、
のかっていうことでいうと。ほんと人が来てくれるだけで喜んでくれる
ものすごい手間かかりますよ。はっきり言って、これで3年間終わるよ
じいちゃんばあちゃんとはちょっと違う状況があって、その辺の見定め
と。今からやって来年までできるわけないよね、普通から言うと。オー
方っていうのがこれから大事になっていくんじゃないでしょうか。
ソライズしてなんかっていう。越後妻有でいったって、今年終わって普
通でいうと、実行委員会とかなんかガタガタやると来年いっぱいかかる。
赤坂:話を聞く限りは、かなり県外から来てらっしゃる、リピーターも
それであと2年で、2年目が芸術祭だから、1年でどうこうって本当に
増えている。赤いパンフレットを持って歩いている若い人達を見かける
手間がかかってやっていくような事になっていて、すごくしんどいです
と嬉しくなるんですけれども。確実に、拡がりはあると思ってるんです
ね。それだけを考えてみても。でもとにかく、文句もめちゃめちゃ言う
よ。その経済効果がどのくらい出てるのかって残念ながらうまく計算で
人が出てくるっていうことが、本当の普遍的な何かを見つけていくため
きないんで、また数字は出すんですけれども、多分かなり経済効果が今
の手立てだと僕は思いますから、それはやった方がいいと思う。
年は出てきているんじゃないか、そんなこともきちんと調べて情報とし
て提示したいなとは思っているんですけれども。樋田さんいかがです
山下:その辺の北川さんのある意味確信犯的なやり方、是非伝授しても
か?
樋田:私もね、都市型と言いますか、パトロン型賛成なんです。これは
ども、漆という地域の宝物がアートという形で光を注がれた。そして呼
自分のつたない経験で行政と、今も渡り合っているところがあるんです
吸し始めたなぁという感じがしておりますし、漆ということを繋げてき
けれども…。
た会津地区の部分、非常に大事にしなきゃいけないかなぁと思っており
ます。そして先程柵瀬さんという学生さんのお言葉もこれから長い将来
山下:大変な渡り合いですね。
に渡ってこの漆で繋がってく人々の力っていう部分もとても大きく感じ
でおります。
行政というのはどうしても目的を持って事業として重点化させていた
だいて、ある一定期間の中で成果をあげなければいけないという宿命が
ございます。そういう意味ではこの3年間、これだけの方々が漆に目を
向けて、そして将来に渡っての漆の可能性をこれから先も見つめてくだ
さるというのはとても嬉しいし、そして特に福島県は放射線被害により
復興の長い長い、やってもやっても、長くて長くてという道のりの中に
あって、会津の力がこれからもっともっと福島県の中では光り輝いてい
くんじゃないかなぁという風に思っております。
職人さん、作家さん、地域の商店街の方々そして皆さま方、県外から
おいでになる観光のお客様方。とても嬉しい、ありがたいと思っており
ます。実際には、これからはってことで今、沢山ご教授いただいたんで
すが、21 世紀のあり方としてパトロン型でありますとか、行政と民間
とがどうやって連携していくのかというところは私共自身も模索しな
きゃいけないと思っておりますので、もう少しお時間をいただきながら、
皆さま方自身もこれからの漆ということで考えていただければと思いま
樋田:まあそうですねぇ…。それでいうとね、やっぱりここは主体が 館 、
す。県といたしましては、会津若松市・喜多方市が何にしろ地元ですので、
つまり役所でしょ?博物館自体がね。博物館自体が主体で行政の助成金
その部分でもっともっと連携を図って頂きながら何か新しい方向性を見
でやるという発想というのは、今もしここに、行政の方がいらっしゃる
出せたらなぁと考えております。本当に3年間ありがとうございました。
なら後でよくお話させていただきたいんだけども、簡単に言うと、その
美術館が地域にどれだけ貢献してるか、そこが尺度になりますよね。当
山下:ちょっと聞いてみたいことがあるんですけれども、今、会津の観
然だけど、社会教育という点で。それってね、僕は限界あるだろうと思
光 PR みたいなの東京で結構目にするんですね。観光パンフレットが山
うんです。それより、なぜパトロン型が良いかというと、例えば 2 つな
のように置いてあるし、おそらく来年大河ドラマが会津ゆかりのテーマ
り 3 つなりの拠点的なパトロンができて、そこが母体になってたとえば
で取り上げられることもあって観光 PR みたいなものの予算って県の方
「会津文化協会」的な形を作って、そういう民間が母体になって、それ
で付いてたりするんでしょうか?
を県なら県が、市なら市が助成するというのはありだと思ってるんです。
つまり、フラムさんとこはそうだと思うんです、フラムさんのとこは役
瀬谷:観光交流局の方で観光協会が主体となって八重洲にあるセンター
所じゃない訳ですから。
が中心になって、漆のパンフレットですとかマップですとか、公募作家
こういう形の上では民間団体があって、それがそれなりの企業と連携
さん達の応募のチラシなんかも置かせて頂いたりして取り組んで参りま
してそこへ行政が助成していく。そういう形を作っていかないと、僕は
した。なので観光についてはこれから大きく、特に昨日なんかも会津の
文化の発展は難しいと思うんです。役所が中心で役所から金とるってや
市町村の方々がおいでになったんですけれど、要望をたくさんいただき
り方は、なんか 20 世紀的な感じがする。そういう意味で、僕は新しい
ながら、観光についての予算化を大きくさせていただきたいということ
形を考えてほしい。
は、国の方ですね、今観光庁とか観光交流局の方に申し出ています。県
としては社会教育課も、今こういう形で携わらせていただいております
赤坂:官官接待?
ので、博物館の方で来年大河ドラマの特別展もやらせていただきます。
それもありますのでいろいろと観光という部分で、県として一体化して
樋田:そうそう。
やっていかなければいけないということを国の方に働きがけをしなが
ら、予算はこれからなんですけれども、進めていきたいということは、
赤坂:官々?
樋田:そうね、あれは良くない。
積極的に、前向きに考えていきたいと思います。
山下:そうとう分厚いパンフレットができててですね、仏像の情報なん
かもすごいちゃんと載ってるんですよね。僕、ここ何度か来たんですけ
赤坂:発言していただけますか?県のずーっと応援していただいている
れども、来る電車の中でやっぱり観光客がみんなそのパンフレットを見
県の社会教育課の…。
てるんですよね。それに漆の芸術祭のことがどのくらい載ってるのか
な?って思ったんだけど、あんまり載ってなかったのでちょっと残念だ
瀬谷:県庁社会教育課課長の瀬谷と申します。今日は本当に感動してずっ
なって思ったんですね。今相当観光のほうに力入れてるっていったら
と聞いておりました。3 年間この事業をやらせていただいておりまして、
チャンスだったんだと思うんですね。それは来年以降どうなっていく
活き活き地域文化活力創出事業という、県立文化施設、社会教育施設が
かっていうのは大事ですね。もう一つちょっと伺いたいのは、このパン
連携したりしながら、地域の地場産業を地域活性化に繋げていこうとい
フレット見ると「後援」という形で各新聞社、放送局の名前って入って
う事業の中で、特にこの会津・漆の芸術祭というものが重点事業という
ますけど、川延さんそのマスコミとの関わりっていうのはどういう風な
ことで力強く根ざしてきたという風に感動して聞いておりました。
形だったんですか?いわゆる名義後援…?
漆の可能性をこれだけ引き出せたこと、それから博物館が館外に出て
いって、そして美術分野専門の学芸員がこれだけ地域の力を引き出しな
川延:そうですね。
がらやれたことっていうのは素晴らしいと思います。全国的にも珍しい
ことではないかなぁという風に考えております。そして3年間、終わり
山下:こういうイベント、展覧会、私も展覧会のプロデュースしてるん
ますけれども、これからのあり方ということ非常に私自身も悩ましい所
で良くわかるんですけれども、やはりメディアをうまく使わないといけ
でございます。皆さま方にいろいろ今御意見をいただいてきましたけれ
ないと思うんですね。逆に東京の展覧会事情を見てると、美術館・博物
館がメディアに使われてるような状況ね。ほとんど貸会場みたいになっ
とその力を上手に使って動かして新しいこと作ってくことをやらないと
て、大マスコミが発想した美術館から適当なもの持ってきて、やれルー
日本社会本当に駄目になりますね。なんて思いますね。
ブル美術館展だー、くだらない展覧会をいまだにやり続けてるわけだけ
北川さん、もうさっき言ったから他人事みたいな顔してますけれども、
れども。そうじゃなくて僕自分で企画する展覧会の場合は、やっぱりそ
もう一発。
の展覧会に人を呼ばなきゃいけないから、完全にどこか一社の取材じゃ
なくて各メディアをうまく使ってやってるつもりなんですよね。やはり
報道されるっていうことは、人を呼ぶことに直結するから。だから僕は
自分の展覧会やりたいから、普段マスコミからの取材は極力受けるよう
にしてるわけですよ。ある意味バーターとしてね。だからマスコミとの
付き合い方っていうのも、単なる名義後援じゃなくて本当に協力してく
れる人をガッチリ捕まえてですね、うまくメディアを使っていく。そう
いうことがやはり大切なんじゃないかと思いますね。
樋田:県の方に伺いたいんですけど、教育庁の方ですか?なんかすごく
専門的なというか、内々の話みたいなことも聞いて悪いんだけれども。
さっきからね、あれだけ漆職人の話出てるんだから、来年というか、次
からはね産業労働部とか、そっちの分野でやれないですか?博物館を助
成するんじゃなくて漆職人団体を助成するような、そっちの文脈でのね。
新しい 3 年間の漆職人活き活きプランとか、そういうのどうですか?す
ごく良いと思うんだけどな。
北川:全然漆と関係ない話いいですか。今の県の方の名前なんて言われ
瀬谷:御意見ありがとうございます。実際は観光交流局であるとか、そ
たっけ、瀬谷さん。も、そうなんだけど、最初の小林さんがここで説明
れから労働局の方ですね。県は漆の職人さんであるとか、漆器組合さん
したでしょ。あれ原稿なしであれだけ、「あのー、そのー」言わないで
とはそちらの方の連携でもって助成であったりいろいろやらしていただ
喋るっていうの僕初めて聴きましたね。本当に、福島県の女性ってこん
いています。先程お話のあった漆の木は農林水産部の方で関わっていま
なにキチッと…本当に驚いた。みんな誰が喋っても「えー」とか「あー」
すので。県としては様々な形で繋がってる部分はございます。この漆の
とか「あのー」とか言いながら喋るじゃない。それなしでさ、ピーッとさ。
芸術祭とどう関わっていくか、ということにつきましては、様々な分野
での繋がりはあると思いますけど、大変良い御意見をいただきましたの
山下:立て板に水ってやつですよね。
で、繫げたいと思います。ありがとうございます。
北川:いや、本当に驚いて、ちょっとびっくりしましたね。もう何人分
樋田:と言うと抵抗する議員さんもいると思いますから、会津職人活き
の能力あるから、人増えなくてもいいんじゃないかって。
活きプラン、そっちで攻めてみたら? 3000 万くらい出るでしょ。そう
すれば、いけると思うけどな。是非考えてみて下さい。
赤坂:ありがとうございます。だからさっきも言いましたけど、若松市
内を歩いていて作品を置いているお店の女性が、なんて活き活きで誇ら
瀬谷:ありがとうございます。
しげに語ってくれるかって、とっても大事だと思いますね。一番大事な
ことかもしれないって思いますね。何か言い足りないことありますか?
赤坂:瀬谷さんには本当にお世話になっていて、用意した連携云々って
いうのは全部、あっちにまわっちゃってるんですよ。よろしくお願いし
樋田:なかなか難しいね。女性が活き活きしてるって、言われたらね。
ます。あと5分になってしまったんですけども、これで終わりにする気
でも、男の人も元気ですよ。福島、職人さん元気だもん。職人さんも活
はないんです。だから、したたかにどういう風に次を考えるかというこ
き活き、女性も活き活き、みんな活き活きしてる。博物館もますます活
とをやっていきます。
き活きしてください。
山下:ただ毎年である必要があるのか。
赤坂:いや∼、うまくまとめていただいたんだか、そらしていただいた
んだか分かりませんけども。色々なことを実は考えています。今年の公
赤坂:それも考えています。
募がすごく多かった。そして、結構とんがった企画で応募していただい
た 方 達 も い ら っ し ゃ い ま し た。作 品 の 展 示 を 見 て い て も や は り 今、
山下:ですよね。
2012 年の福島であることに応答している方たちの力っていうものをい
ただいた気がします。公募作品のどこにも書いてませんけれども、今こ
赤坂:はい。だから隔年にしてその間の時は大和川酒蔵、末廣酒造、博
の福島だから表現の場として選びたい、参加させてもらいたいという人
物館とか小さなところでやるとか、いろんなことは考えられると思いま
達の声とか、声なき声のようなものに、あおられていたところがあると
す。やれる形を作りたいと思ってます。
思います。
福島は大変厳しい状況にありますけども、この会津は比較的被害が少
山下:むしろちょっと 2 年くらいかけて本当に、周到にプランを練るほ
なかった。そして会津にはまだパトロン文化がかろうじて残ってること
うが僕は現実的な気がしますけどね。
からわかるように、文化のとても豊かな土地なんですね。漆というのは
あるシンボル的なものです。だから、そこを起点にそこから福島の復興
赤坂:本当に周到にプランを練るとかしたことがないんですよね、我々。
というものをなんとか作っていこう、始めよう、そういう思いで今年は
いつもいきなり3月とか4月になって、「予算がついた走れ―!」みた
開催いたしました。お約束をすることはできませんけども、会津・漆の
いな。おかげで学芸員は寝られない日々が続く。お金も少ないですけど
芸術祭 2013 はきっと開催されると僕は思っています。是非、応援して
も、動ける人間も実はムチャクチャ少ないという問題も抱えてます。だ
ください。
からそこももっと拡げたい。嬉しいことに関わってくれる人達、ボラン
3 人の先生方、来年もきっと、手弁当でお願いいたしますので、よろ
ティアとか嘱託の形で関わってくれてる人達がすごく有能なんですよ。
しくお願いいたします。拍手をお願いします。ありがとうございました!
なんでこの人達が仕事がなくて、若いこの女性達がって思うくらい、もっ
小林:ありがとうございました。先生方に改めまして拍手をお願いいた
ただきたいと思います。本日はどうも、ありがとうございました。
します。本当にありがとうございました!
最初に申し上げましたが、エントランスホールに展示されてます漆の
小林:ありがとうございました。皆さまもありがとうございました。長
芸術祭の参加作品、広島市立大学大塚研究室の作品「縁がわ」を、こち
時間お付き合いくださいましてありがとうございます。
らに避難してこられてます富岡町の幼稚園に寄贈することになりまし
これをもちまして、会津・漆の芸術祭 2012 シンポジウム「会津・漆・アー
た。こちらで贈呈式をさせていただきます。富岡幼稚園から堀内副園長
トⅢ」を終了いたします。アンケートを御用意しております。今後のた
先生と佐治先生が来てくださいましたので、前の方にお進みください。
めに、皆さんの御意見が力強く、そして色々な意味で後押ししてくださ
そして広島から遠路、大塚先生がお越しくださいました、大塚先生も前
ると思いますので、御協力をぜひよろしくお願いいたします。また、展
によろしくお願いいたします。大塚先生に、まず作品の説明をしていた
示は、営業店舗さんそれぞれではありますが、遅い所は夜 7 時ぐらいま
だきまして、それから目録の贈呈にさせていただきたいと思います。大
で御覧いただけます。今日が本当に最終日で、このあと、明日以降幻の
塚先生、よろしくお願いいたします。
ようにあの場にあった作品達が姿を消していきます。お時間の許す限り、
御覧いただければと思います。
大塚:広島市立大学の大塚と申します。広島で私、漆の指導をしている
んですけれども、震災後、芸術祭で何かできないかと思いまして、大学
では、本日は本当にありがとうございました。これからも応援よろしく
の漆を学んでる学生といろいろ考えました。遠方のため状況も分からず、
お願いいたします。
本当にどうしたらいいか分からないということばかり考えていたんです
けれども。広島はやはり以前、原爆が落とされてそういう状況から大き
く復興して参りました。そういう状況があるので、広島の市民に、何か
協力いただけないかという形で、人がくつろげる椅子ですね、それに漆
のスタンプを市民の方、子供から老人までお願いして、色漆をつけたス
タンプを押していただきました。それを使っていくことによって、広島
でもこういう思いで応援していた人がいた、という証というか、スタン
プが何色も重ねて押されるんですね。
座っていくと色も変わってきて変色していろんな味が出るんですけど
も、ずっと使っていく間で「え∼、なんで漆の椅子がここにあるんだろ
う?」ということが、永遠にこちらで語り合っていただければいいなと
いううちの学生の考えもありまして。今回こういった形で寄贈先もしっ
かりしたところに置かれて大変光栄です。今回、椅子と一緒にこのえん
がわプロジェクトの経緯ですね、学生と市民の方たちがいつ、何名スタ
ンプを押してくれたかっていうのを作りましたので、椅子と一緒にどこ
かに貼って、幼稚園の皆さまに使っていただければと思います。
小林:それでは、贈呈をお願いいたします。
━━━ 贈呈 ━━━
小林:それでは、堀内先生から一言お願いいたします。
堀内:皆さんこんにちは。初めまして、私、福島県富岡町から会津若松
市に避難しております。富岡町の堀内と申します。震災以降、こちらの
会津若松市でお世話になって、被災地の子供達を集めて幼稚園をしてお
ります。相双地区の方では、漆というものと縁がない生活をしていまし
たが、こちら会津で漆というものに出会って、実はわたくしも、少しず
つですがせっかく会津にいるのだということでコレクションを始めてお
ります。このたび、「縁がわ」を幼稚園の方にいただけるということで、
大変嬉しく思っております。以前に拝見させていただいたんですが、色
がすごくきれいで、子供達もすごく喜ぶと思います。大切に使わせてい
広島市立大学大塚研究室「縁がわ」
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