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特集: 妻が、車に撥ねられる

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特集: 妻が、車に撥ねられる
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http://www.sciencehouse.jp/
特集: 妻が、車に撥ねられる
連載トップ http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/01/1.html
連載収録(1)∼(17)まで
これは、社長ブログからの抜粋である。一度はすべて消失してしまったブログ
を愛読者などの協力のおかげで大半を復旧することが出来た。「後日談」を除
けば、主として復旧分からこの特集は構成されている。
2004 年 3 月 29 日、社長とその奥さん(総務)は、早めに帰宅した。この日は
帰宅のバスに珍しく間に合った。バス停から自宅に向かう夜道を律儀に右端を
歩いていた社長と奥さんは、後ろから忍び寄るように近づいた乗用車にぶつけ
られた。乗用車は中央よりは左に寄って走っていたというが、ぶつかる寸前に
右に急カーブを切って二人に急接近し、当たる寸前から左にハンドルをひねり
ながらアクセルを力いっぱい踏んでいるのである。奥さんは運悪く道路側にい
たので、跳ね上げられて空中を 10 数メートル跳んだ後コンクリートの路上に叩
きつけられた。社長も奥さんが空中に飛び出す勢いに引きづられて半身になり
つんのめったものの飛ばされるところまでにはいたらなかったという。
この特集は、事故の瞬間から、生死をさ迷う奥さんに付き添い、ありとあらゆ
る交渉ごとをこなした社長の、ある意味で男としての生き様の記録である。
署名にある「琵琶」とは社長のネットネームである。
(SH Web Master)
(補 1)この記事を引用または翻案して、公的に発言または発表される場合は、
事前にメール等でお知らせください。
(補 2)社長の個人ブログは下記の通りである。今も記事は書き続かれている。
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/
---------------------------------------------------
(1)妻が、車に撥ねられる
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/01/1.html
2004/04/02
1
このところ、この WEBLOG への書き込みをしていない。
この間、年度末と月末が重なって、忙しかったこともあるが、実はとんでもな
いことが起こった。怒りと心配が一刻一刻と私を責め立てる。
3 月 29 日 21 時半頃、妻が車に撥ねられたのである。ライトさえつけていれば
見通しのよい道路(幅 7-8 メートル)で、右端を歩いていた私たちに低速(30
キロ以下と推定)でライトも消して音もなく後ろから近づいた乗用車があった。
私たちは当然気がつかなかった。この車が左手にハンドバックと手提げカバン
を持って、私の左にぴったりとついて歩いていた妻だけを跳ね上げたのである。
直前で急に右にハンドルを切った事実を加害者は認めており、ボンネットに妻
を跳ね上げたあと、左に急ハンドルを切りながら、アクセルを吹かしたのは、
前のめりになりながら、妻を眼で探した私がしっかり見た。奴は自車への衝撃
を少なくして被害者への打撃を強くするために実にうまくやったのである。妻
は、柔道の払い腰にあったように、右前方に高く投げ出された。15-6 メートル
先のコンクリートの路上に頭から落ちた。私は妻を受け止めようと懸命に走っ
たが間に合わなかった。車はブレーキもふまずにそのままするすると走り去ろ
うとする。車も人も通っていない。大声で「待てっ、馬鹿やろう、止まれ、止
まれ」なにを叫んだかはっきりとは覚えていないが、近所の人がドアを開けて
くれることを心で念じた。このまま逃がしてなるものか、必死の大声だった。
あまりの大声に加害者のドライバは、次の交差点の手前まで行って止まった。
妻の頭の周辺からは血がどくどくと流れ始めていた。妻はいびきをかくような
息をしていた。脳がやられている、と心臓が縮む思いだった。
やられた、その瞬間から、「ひったくりか」と感じた。ライトを消して走行す
ると、その道では、右端の U 字溝の上を歩いていた私は車からは見えにくく、
その左に寄り添う妻だけが街灯にわずかに照らされていたものとおもわれる。
妻は左手にハンドバックと手提げかばんを持っていたのだ。女の一人歩きに見
えたに違いない。音もなく、近づき、急に右ハンドルを切って女を撥ねて倒し
た後、ハンドバックなどを奪う手口が頭を掠めた。奴は妻を撥ねた瞬間、その
隣に男(私)がいたことに気づいて動転したのだ。と思う。
以下は、関係者に送ったメールからの転載である。
3/30 朝
(官庁への納品デモへの参加が出来ないことのお断りのメール)
------------------------昨夜、夫婦で徒歩で揃って帰宅途中、無灯火で急に右に寄せてきた乗用車に妻
が跳ねられて、飛ばされました。
現在生死をさまよっていますので、納品デモは当社社員の U に一任いたします。
よろしくお願い申し上げます。
2
------------------------3/30
(プロジェクトを共にする大学教授などへのメール)
------------------------唐突ですが、29 日夜 9 時半ころ、自宅(バス停から 2 分くらい)近くで、私と
道路の右端を並んで歩いていた妻がライトを消した乗用車が急に右寄せしては
ねてしまいました。乗用車は、妻をボンネットの上に載せたまま、左急ハンド
ルでアクセルを吹かしたので、妻は宙を舞って、右手前方のコンクリートと U
字溝のふたの上に頭から落ちました。2-3 分は意識がありませんでした。いろ
いろとあったあげく、29-30 日は集中治療室内の個室で夜を明かし、昨夜は一
時帰宅し、今朝から病院-警察-会社にあわただしく、行動しています。本日は
年度末でもあり、支払いや新旧の人の入れ替え(派遣契約で来ていただいてい
る労働者の皆さん)もあり、時間との競争中です。明日の午後には落ち着くで
しょう。意識は戻りましたしたが、うとうとしていることが多く、目覚めたと
きに取り留めない話をしています。後遺症がどの程度残るか心配しているとこ
ろです。このところ応答が鈍くなります。ご容赦ください。
------------------------このあと、回を改めながら、私が信頼する先輩で弁護士の S 氏に送ったメール
を転載することにする。このあまりにもひどい出来事を、誰かに訴えざるを得
ない思いからである。固有名詞は伏せさせていただく。
琵琶
---------------------------------------------------
(2)希望はあるが、よい状態ではないらしい
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/01/2.html
2004/04/02(2)
3/29 の夜、妻が車に撥ねられた後、病院で手当ての後、医師の説明を聞いた。
クモ膜下出血と脳挫傷の存在を説明される。希望はあるが、よい状態ではない
らしい。妻について集中治療室に入ったが、15 分程度で出て行ってくれといわ
れてあわてた。集中治療室内の個室を頼んで、そばにいることにした。意識は
やや混濁しているが、時々うわごとのように語り、不安で時々叫んだり、起き
上がろうとしたりする。心拍数は 62∼110 と安定しない。血圧も、55-82∼80-145
3
とふらつく。心電図はときに落ち着き、ときに乱れる。センサーについている
警報は 20-30 分おきになる。黄色の点滅なので、看護婦や医師が駆けつけるほ
どのことではないのだろうが、警報が鳴ってもだれも様子を見に来る気配はな
い。そのたびに、じっと妻の手を握る。手を握ると少し落ち着くらしく。まも
なく心電図も落ち着いて、警報も止まる。一晩中、それを繰り返していた。
午前 8 時半、CT を撮る。医師からの説明を待つ。息子がやってきた。私と交代
するためである。10 時、医師からの説明。クモ膜下出血と脳挫傷の存在を改め
て説明。写真の影がはっきりしてきているので、脳内手血液が凝固を始めてい
る証拠であるとの説明。固まった血を溶かすには、どうするのか。医師は詳し
い説明しなかったが、なにか方法はあるのだろう。ビートたけし(本名:北野た
けし)と同じだな、とそのとき考えていた。彼は、私と高校は同じで同学年。
交友関係はなかったが、何かと気になる存在だ。ミニバイクでおこした事故の
後の脳内写真(週刊誌に掲載された)よりは、妻の CT の画像のほうがダメージ
は少ないように見えた。北野の場合、何年かかかったがかなり回復した。彼に
は悪いが、妻は彼よりも軽そうだから、もっと希望が持てる。と感じた。
医師の説明を聞いて、すぐに、自宅に帰ることにした。妻の兄(地方在住)に
知らせること、弁護士の S 先生に連絡することを最優先にしたかった。車を運
転したが、一睡もしていないのに、眠くは感じなかった。年度末のせいで道路
はあちこち工事中で、病院から帰る細い路地はあちこちで通行止めや迂回路の
指定がされていた。大回りして帰った。義兄は、「何ですぐに知らせんね」と
怒った。衝突、救急隊員との応対、警察の現場検証、病院へ直行、付き添い、
と息をつく暇もなく、自宅以外に連絡先の控えもなかったのだという説明はで
きなかった。ただひたすら、すいません、と謝った。義兄は動転していた。彼
は、自宅から、手元にあるかぎりの現金をポケットに、着の身着のまま、新幹
線に飛び乗って、やってきた。
弁護士の S 先生は、大先生で、忙しい。いつ連絡がつくかわからないので、と
りあえず。メールで、第一報を送った。
3/30
(弁護士 S 先生への第一報)
---------------------------------------S 先生
昨夜、夫婦で徒歩で揃って帰宅途中、無灯火で急に右に寄せてきた乗用車に妻
が跳ねられて、飛ばされました。現在、S 病院の ICU におり、危険な状態が続
いています。脳内出血と脳挫傷が認められます。
加害者は、そのまま、低速運転のまま立ち去ろうとするそぶりを見せたので、
罵声を浴びせて制止し、救急車と警察を呼びました。加害者(K 某、35歳自
4
称フリータ)は、どこかヘラヘラしているところがあり、警察には車のライト
はつけて走っていたと言い張っているようです。引ったくり(妻は車道側にハ
ンドバックをもっていた)のような気がしてなりません。
予期される、今後の交渉ごとの代理人を S 先生にお願いいたします。詳細は、
また後で、申し上げます。
携帯電話 xxx-xxxx-xxxx
今、徹夜明けで、自宅に荷物を取りに来ましたが、また病院に向かいます。ご
連絡は携帯電話しかできません。携帯につながらないときには留守録に入れて
おいていただければ、折り返し電話いたします。よろしくお願い申し上げます。
草々
---------------------------------------琵琶
---------------------------------------------------
(3)脳挫傷、脳内出血あり
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/01/3.html
2004/04/02(3)
3/31、朝、病院に立ち寄る。面会時間は午後 2 時からなので、看護婦さんから
はしかられた。その足で、現場検証のときに頼まれた診断書を持って、警察に
行く。年度末のせいで、道路は込んでいる。
年度末の資金にとかねてから頼んでいた銀行からの借入金が入金になっている
はずである。担当の営業マンから書類に記載漏れがあったので印鑑が欲しいと
電話があったが、約束の時間には間に合いそうにない。道路はますます混んで
くる。車の中から、会社に電話をしたり、銀行に電話をしたりして約束の時間
を遅らせてもらう。途中、義兄からも携帯に電話があり、どうしても会いたい
という。まだ東京にいて毎日病院に見舞うというので、夜、病室で会いたいと
こちらはいうが、電波状態が悪くて、途中で切れてしまった。
会社に到着すると、銀行マンと義兄が待ち構えていた。義兄の動きはすばやか
った。義兄は、思いもかけない見舞金をくれた。こちらに向かう途中で用意し
てきたという。ありがたくいただく。
社員の給与の支払いが最優先だろう。いつもは妻が準備し、小銭も用意して社
員に渡してくれていた。今月は、出退勤の点検、集計も済んでいるのかどうか
5
もわからない。概算で支払って、後日清算を社員らに頼む。社員らは、前日に
相談して、給与は後でいただくので、月末は辞退すると決めていたらしい。し
きりに、いらないと言い張るが、まさかそうはゆくまいと、強引に押し切る。
やがて納品デモをやってくれた社員 U と外部のご協力者の MK さんが帰ってきた。
MK さんは私を慰めようという心積もりだ。ありがたいが忙しい。MK さんがとり
あえずご帰還になると、社員の概算額を決めて、覚書や特製の領収書を作成し
ていると午後 2 時 40 分、しまった銀行が閉まってしまう、と駆け出した。借入
金以外に、別の口座に、社員の給与等月末支払い分相当額は移動してあるはず
(29 日の夜の事故は、まさに、その報告を聞きながら歩いていたときに起きた)
だが、どの口座かがわからない。えい、ままよ、現金があればなんとでもなる
だろう。借入金が振り込まれた口座はわかっているので、この銀行の支店に走
る。閉店ギリギリに飛び込む。現金を引き出すと取って返して、社員やアルバ
イトさん別に小分けして、配布。その間に、今日でお別れとなる中国人技術者
のお別れ会を社員らが企画していることを知る。普段ならば、私が企画して、
宴会部長もやるのだが、今回は気が回っていなかった。社員の企画に乗ること
にした。はじめだけ私は参加し、MK さんが後から参加した。MK さんが到着する
のを待って私は、病院に向かった。病院の医事課の方が待っているということ
だった。病院にいた息子から携帯電話に連絡があった。病院についたのは、約
束の時間を 20 分ほどまわった 8 時 20 分ころだった。
3/31
(以下は、31 日の朝に弁護士 S 先生に送ったメールである)
------------------------------------なぜか M 警察がかなり必死に加害者について、調べているようです。理由はわ
かりません。当て逃げなどの類似犯との関連を探っているようでも有ります。
一夜明けた 3/30 午前中の医師の説明
--------------頭部に脳挫傷、脳内出血あり。脳挫傷の部分の影がはっきりしてきている。し
かし、脳の腫れ、追加の出血はほとんどない。後遺症のおそれはある。脳内の
血の塊が悪い作用をするようならば今後手術も有りうる。いまは、安静が一番。
1 週間は集中治療室、その後一般病棟で 1 か月程度の治療が見込まれる。予断
は許さないので、大幅にスケジュールが変更になる場合もある。
--------------妻が跳ねられた状況
場所
****高校敷地沿いのの北側の道(道幅 7-8 メートル)、正門から体育館に向か
う中間くらい。我が家までは徒歩残すところ 2 分くらい。我が家に向かって、
6
右手が高校の敷地との境の鉄格子の柵がある。我が家に向かって左手に街灯が
あり、夜間でも道はほぼ見通せる。右手が高校の敷地で、敷地内の大木が影を
作っているので、右側のところどころが街灯だけでは見えにくい。しかし、車
のライトがあれば、完璧に人物やゴミなどはは把握できる見通しのよいところ
である。
直前
9 時半頃(時計を確かめなかったので不正確)、高校正門前でバスを降り、ゆ
っくりと歩いて、正門前の道を横切って直行するこの道に入ったところでまも
なく事件がおきた。バスの周辺、正門前の道を横切る際に特別車の存在に気が
つかなかった。
事件
私は、右端の U 字溝のフタの上に右足、左足は道路と U 字溝の境目のデコボコ
を感じ時ながら歩いていた。妻は、人気のないことをよいことに私に身を押し
付けるようにして歩いていた。突然、妻が強い力で引き上げられたように感じ
た。私もはじかれたように半身になり前につんのめった。つんのめりながら、
妻の方向を見る車は加速しながら左へとかじを切っているようだった。妻は宙
を舞うように回転しながら飛び、地面に落ちていった。受け止めようと必死に
走ったが間に合わなかった。妻からはすぐにだらだらと血が流れ出した。ぶつ
けた車はそのままの速度で直進して行こうとしていた。運転席がわの窓は開い
ていたと思う。「馬鹿やろう。止まれ!」と思い切り叫んだ。「近所の人、ド
アを開けてくれ」と念じて 2 回叫んだ。車が左に寄せて止まった。止まった場
所は、この道の行き止まり丁字路の手前の民家(*****さんのお宅)の前である。
止まるまで車のライトはついていなかった。止まり掛けたのを確認して、妻を
抱きおこそうとしたが意識がない、いびきをかくような呼吸しかしていない。
脳がやられたと思った。加害者が逃げないように上目遣いのまま、携帯電話で
救急車をよぼうとするが手が思うように動かない。やっとの思いで 119 に電話、
3-4 分後くらいに救急車が到着。その間に携帯で息子を呼ぶ(我が家の車を持
ってこさせる、病院に行くためである)。息子が到着するとかすかに妻の意識
が戻る。「痛い」という。2-3 分は全く意識がなかったことになる。息子は、
(偶然かもしれないが)加害者の車の正面に対向してぴったりと車を止めた。
加害者の車は、逃げられなくなった。事件の直前、車のライトも接近する車の
音も感じなかった。音がしなかったので、時速は 2-30 キロ、ライトは消してし
たと思われます。
加害者の説明(警官に対する説明をヨコで聞いた)
道の左に猫がいたので、右にハンドル切った。時速は 20 キロ台だったと思う。
ぶつかった瞬間動転したのですぐにブレーキはふまなかった。
7
加害者の車の動き(総合)
ライトを消したまま、事件のある道に進入した。当初は道の左または中央に入
って来たたと思われる。衝突の直前、右に急にカーブを切り、妻を引っ掛けて
ボンネットに乗せると加速しながら左に急ハンドルを切った。妻は、ボンネッ
トから右前方に放り上げられて投げ出された。妻は、左手に手提げカバンとハ
ンドバックを持っていた。狙われたのかもしれない。車の動きは、当てて被害
者から物盗りを狙う者の動きに似ている。
警察
119 番通報の後、すぐに警察にも電話をして、出動を依頼した。電話の向こう
の警察官は、「あ、体育館の辺りですね」というので、場所はすぐにわかった
ようだった。しかし、なかなか、警察が来ない。救急車が入院先を決めて、出
発した後もしばらく来ない。路上には加害者と私の二人きりである。加害者の
車と息子が残した(息子は付き添って救急車に同乗)我が家の車しかない。昔
と違って、近所の人は出てきてくれないものですね。再度、警察に電話する。
先に出た事故処理車が道に迷ったようだった。その間、加害者と気まずい会話
を続ける。結局、後から出た事故処理車が先に到着して、先に出た車が遅れて
やってきた。その間、加害者はいろいろと言い訳を考えただろうと思う。警官
の問いに「猫が原因」などと、言い出すとは思わなかった。加害者と 30 分以上
二人だけの会話をしたが、「猫」のことなど、なにも言わなかった。やってき
た警察官は、男性 6 名+女性 1 名で合計 7 名(?)この種の事故としては多いほ
うと思う。
関係者
・加害者
K
s44.2.8
35 才
(救急隊員からいただいた聞き取りメモより)
松戸市***************
フリーター、ただし「仕事はしている」とのこと
***-****-****
・警官
M 様、T 様、K 様ほか(交通事故連絡表より)
M 警察署*******現場検証をした後、病院にも来る。
〒271-***************
***-****-****
Y様
(3/30 に入院した病院に電話があり、折り返し私から電話)
M 警察署********病状などの説明を求められた。
8
***-****-****
昨日の加害者
一夜明けて 10:30 ころ私が病院から自宅にもどるとまもなく、加害者から電話。
様子を聞きたがる。医師の説明をオウム返しに伝える。再度、私は息子と入れ
替わりに病院へ。
夜 8 時半頃、病院から帰るとまもなくまた加害者から電話。料金未払いでつな
がらなかった携帯がつながるようになったという連絡。実家に警察から電話が
あったが、何か知っているか、というような探りを入れるような電話内容だっ
た。
私の帰宅を当家の周辺で見張っていて、電話してくるような感じ。考えすぎか
も知れないが、単なる物取りではなく、「狙われた」のかもしれないと不安が
よぎる。交代で自宅にいる息子に聞くと、息子だけのときは、加害者からの電
話はないという。
加害者から頻繁に電話があったり、病院に来られたりするのは、たいへん不愉
快です。今後は、S 先生にお願いできれば幸いです。
S 先生のご登場
本日、警察に頼まれた診断書(封がしてあるため中は見られない)を届けに行
きます。このとき、S 先生に代理人をお願いする旨をお話しする予定です。
よろしくお願い申し上げます。
草々
-------------------------------------琵琶
---------------------------------------------------
(4)弁護士 S 先生へのメール
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/01/s4.html
2004/04/02(4)
4/1 早朝
(弁護士 S 先生へのメール)
-------------------------------先生
ご報告いたします。長文、ご容赦ください。
9
1.M 警察
昨日(3/31)、11 時ころ、警察に行きました。事故当日の現場で、警官から求
められていた医師の診断書を届けました。M 氏と K 氏が応対。S 弁護士の連絡先
等のメモを手渡した。K 氏は、「被害者は、ライトをつけて走っていたと言っ
ている。水掛け論だ。本人は覚えていないらしいが、車はブレーキを踏んだか
ら被害者がボンネットから飛び出したと警察は判断した」と強弁し、自説を曲
げるつもりはないとの姿勢でした。
私は全く事実に反すると指摘した。その場では詳しく説明しなかったが、警察
の仮説では事実を矛盾なく説明することはできない。ブレーキ痕もなかった。
なによりも、私が見た事実に反しています。加害者は、直進中に急に右に突進
して、道路右端を歩いていた被害者にぶつかり、ボンネットにすくい上げてし
まったあと、左急旋回しながら、アクセルを吹かした。それ故に、もともとは
それほどのスピードはなかったにもかかわらず、被害者はかなり高く飛ばされ
たのです。衝突の前後、私たちはライトを浴びなかったこと、加害者の車が停
止するまでの間、ずうっと車に向かって叫びながら、妻と車の間を私は眼を激
しく往復していましたが、ライトの光も、それに映し出される光も影もみなか
ったのです。
2.医事課
病院の医事課の A 氏が面接を求めていると病院で母に付き添っていた息子から
電話があった。私は月末で年度末の対応に会社で追われていたので、病院着は
遅くなった。20 時 20 分ころから、A 氏の説明を聞いた。
・衝突の衝撃について
(A 氏)怪我の状況から見るとかなりのスピードで衝突されたようですが、
・・・。
(私)車の音を感じなかったので、30 キロ以下で接近したものと思います。し
かし、加害者の車は直進後、急に右にハンドルを切り、妻をボンネットの上に
跳ね上げると、さらに急に左旋回しながらアクセルを吹かしたのです。だから、
もともとのスピードがなかったのに、妻は右前方に高く飛び出して、地面にた
たきつけられてしまったのです。(A 氏)なるほど。
・医療費の件
(A 氏)交通事故の場合、被害者側が支払うことは原則としてありません。た
だし、病院が加害者に直接請求することもありません。加害者が任意保険に入
っている場合は当該保険会社に請求します。入っていなければ、自賠責保険か
ら支払われますが、間には民間の保険会社が仲介に入ります。
・健康保険の場合
(A 氏)事故の場合、健康保険は使えません。とくに、任意保険の場合は、保
険会社が、自分の支払い分を減らす目的で、みだりに健康保険を勧めるケース
10
がありますが、きっぱり断ってください。責任割合(被害者と加害者の)の報
告は、この保険会社が密室でいたしますから、責任割合を被害者に不利になる
ように操作する危険性が増します。被害者の責任割合を増やせば、健康保険組
合が多くを支払い、保険会社が少ない支払いで済ますことが出来る可能性があ
るからです。これは発覚しにくい犯罪ですが、後日発覚して被害者本人に健康
保険組合から、被害者本人に返済請求が届くケースが有ります。現に、そのよ
うなケースは私の体験上にもないとは言いません。任意保険会社は、医療費、
休業補償、後遺症の通院費用、慰謝料の一切を払います。後遺症が続く場合に、
保険会社は示談を急ぐケースが多いです。急いで示談にしないでください。頭
を打っていますから、後遺症の恐れは極めて強く、数か月、1 年∼2 年過ぎてか
ら、障害が現れて、手術が必要になるケースが極めて多いということを記憶し
ておいてください。再発の際の再保障を確約しておく必要もありますが、時間
を掛けて、示談する場合には、再発の危険性が出来るだけゼロに近づいてから、
してください。
・自賠責保険の場合
(A 氏)医療費だけが上限 120 万円まで補償されます。休業補償、後遺症の通
院費用、慰謝料などは、加害者の個人負担になります。間には、保険会社が入
りますので、好きな保険会社を指定してください。この場合は、任意保険の場
合と違って、健康保険を使う場合があります。支払いの元が、自賠責保険も健
康保険も国であることに変わりないので、120 万円では手術代は出ませんので、
120 万円が 3 割負担の限度内になるようにするためです。たとえば、400 万円の
医療費がかかったとしても、健康保険から 7 割の 280 万円、自賠責保険から残
り 3 割の 120 万円を支払えば、被害者ご本人の負担が軽いということです。
・弁護士さんの件
代理人を立てられる場合は、その方からの問い合わせにもお答えしますので、
何なりとおっしゃってください。
・入院時保証金の件
入院時保証金が 10 万円が必要ということだったので、その場で支払う。退院時
に返済されるということだった。
3.「入院診療計画書」
医事課の A 氏と会ってから、本人を病室に訪ねる。面会時間を大幅に過ぎた時
間だった。看護婦から「入院診療計画書」を貰う。おそらく、警察に提出した
診断書と同一の内容と思われます。
----------------------------------------主治医****
日付 3 月 30 日
11
病室 ICU-352
看護師****
病名等外傷性クモ膜下出血、急性硬膜下血腫、脳挫傷
症状傾眠傾向
治療計画様子観察入院
検査内容及び日程 CT
手術及び日程未定
推定される入院期間 16 年 3 月 29 日∼未定日間
その他症状の変化に留意し、以上の早期発見に努めます。
清拭など身体の清潔を保つ援助をします。
----------------------------------------4.加害者からの電話
・病状の件
10 時すぎ、帰宅すると加害者(K)から電話。くどくどと病状を尋ねる。医師
ではないので、ただしい病状などは伝えられないと私は説明した。本人がうと
うとと眠り続けていること、時折目覚めて話は出来ること、午後は頭が痛い(脳
内の圧が高くなっている、悪化している)と訴えていたことを説明する。事態
は楽観できないが、希望を持っていると話す。
・任意保険の件
(私)任意保険には入っているんだろうね。
(K)入っていないです。失業中で、
引越しのバイトをしている身なので。
・自賠責保険
(K)今手続きを取っている。申請の用紙を送ってもらっているところです。
・弁護士の件
今後は弁護士さんに電話してくれと伝える。いやだというが、長い時間を掛け
て説得。やっと納得して電話を切る。
-------------------------------琵琶
---------------------------------------------------
(5)O さんからの激励メール
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/01/o5.html
12
2004/04/03
おおくの方が、このブログを見て、妻の容態をご心配をしてくださり、激励し
てくださった。まことにありがたく感謝申し上げます。
サンプルとして、O さんからの激励メールとそれに対するご返事を転載します。
O さんは、私より、やや年長のご婦人で、ご主人とともに出版界ではおおきな
活躍をされている方です。
----------------------------I(琵琶)様
「琵琶」を拝読して奥様の交通事故のことを知りました。
K さん、知っていたのになんにも言ってくれなくて・・・・
大変なことになりましたね。歩いているだけでそんなめにあうなんて!しかも、
加害者が任意保険に加入していないとは。
お話ができる状態とのこと、よかった!
次男の R が、昨年バックして来た車にコンビニの出口で跳ねられたように、横
断歩道で左折してきた車に跳ねられた
K.S.氏のように、不意打ちの交通事故があまりに多く、驚いています。頭のケ
ガは、重大です。大事になさって下さい。
I(琵琶)さんも仕事のパートナーとしての奥様の入院は痛手でしょうけれどこ
こは、無理せずに、気長に療養していただきたいと思います。
K.S.さんも、弁護士をつけ、半年医者がよいを続けていましたが、後遺症が残
ったとの医者の判断を先方に通告し、ひとまず締めて来月フランスマルセーユ
からピースボートに乗船するとのこと。
とにかく、弁護士をつけたことはいいと思います。慰謝料の判例は多岐にわた
り、これだと決まったものはないそうですよ。K.S.さんは弁護士から資料を見
せられ驚いたとのこと。お金をいくらもらってももとの身体に戻るには、時間
がかかります。
お金はいらないからもとの身体に戻して欲しいというのが実感でしょう。
しかし、充分休養を取るためにも、しかるべき額を加害者に支払っていただか
なければ。ご健闘をお祈りします。
病院は、松戸市立病院ですか?脳神経外科は、評判がいいそうです。
次男の R も、そこで診ていただきました。
それでは、どうぞお大事に。
--------------------------------------------------------O さん
13
ご心配をいただきありがとうございます。
新 MCH 病院に入っています。事故当日の外科当番がここだったためです。私に
とって「ウデ」は未知ですが、医師も看護婦も結構親切です。見てくれの設備
はよく有りませんが(床が古い、蛍光灯が切れそうなくらい暗いなど)、一方
で患者に付けるセンサなどは、最新のものでした。「人手」を削減する用具に
は予算をつけるが、そうでないものは徹底的に節約しているということのよう
です。
市立病院よりも病室はゆったりしている(空きベッドも多い)のも特徴です。
公立病院と民間病院の違いを見ているような気がしています。私が妻に本人の
病状を説明したり、使用している薬の意味などを解説しているのを看護婦に聞
かれて、「医療関係の方ですか?」といわれてしまいました。いつものことで
すが、以降は、いっそう丁寧に応対してくれるようになってしまいました。一
生懸命に否定したのですが。ありがたい「誤解」です。
草々
----------------------------昨日、医師からの呼び出しがあり、妻の実の兄と一緒に話を聞いた。
全体的には快方に向かっているということだったが、一緒に CT のフィルムを見
ている間に、脳挫傷の周辺の脳が腫れていることに気づく。これは、心配な兆
候である。事故の翌日には腫れがなく、ひとまず安心したにもかかわらずであ
る。本人が、しきりに頭痛を訴えるの原因がこれだろう、医師と私は同時にそ
う言ってしまった。実は、本人から頭痛の訴えを聞いて、「内圧が高くなって
いるらしいので、何とかして欲しい」と私は 4/1 から看護婦に繰り返していた。
医師は即座に「内圧を下げる薬を点滴します」と言った。
医師の説明によれば、数年たってから痙攣(ひきつけ)や硬膜下出血を起こす
ことがありうる。痙攣の場合は、すぐ病院へつれてくること、硬膜下出血の場
合は手術が必要になると言う。本人にはショックが大きいだろうから言わない
ようにとのこと。しかし、状態のよいときにきちんと説明はしておくつもりだ。
本人には、そのくらいの理解力はある。ショックを与えないよう、タイミング
をみて話そうと思う。
脳の腫れが引いて食事が出来るようになれば退院できる、それまでに、1-2 週
間は必要だろう、とも言った。実の兄の心配そうな顔を見て、医師は「今は、
命に別状はないと判断しています」ときっぱり。兄の顔が安堵に変わる。
一度、自宅に戻って、本人が望む薄掛けの布団を買出だしに行く。ついでに、
病院食が口に合わないと訴える妻の食事が進むように卓上の調味料(粉末ゆず、
しょうがペースト、七味、黒胡椒、粉山椒、小梅はりはり漬け、・・・)を買
い込んだ。病院に届けて、看護婦に、使用許可を求める。OK ということなので、
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妻のベッドサイドにおく。しかし、妻は、不要なものを買い込んだとやや不服
顔である。
会社からは社員が携帯に電話してくる。商品の仕入れルートを間違えて、重複
発注してしまった顧客からの問い合わせがあったのだという。対処ずみのケー
スなのだが、顧客は不安なのだろう。社員の説明では納得が行かないようだ。
私がよく説明してあげることにしよう。急いで社に戻ると伝えて、すぐに車に
乗る。
弁護士さんとは電話でお話しする。月曜日には、事務所で詳細を話し合うこと
にした。いつものことだが、着手金をそこそこ用意してゆかなければならない。
加害者本人を刑事告発するかどうか、本人から保証金が取れない場合は、どう
するのか、などがテーマになるだろう。お金よりも、本人をうんと懲らしめた
い気持ちのほうが今の私には強い。特に妻の実家のご家族には激しい怒りがあ
る。何も悪いことをしていないのに身内を傷つけたのはなんとも納得がゆかな
いのである。思いは私も一緒である。私の対応が手ぬるいと思われてもいけな
い。冷静かつ厳格にことを進めるつもりである。
夜、病院によると、点滴は終わっていて、寝るばかりだった。聞くと点滴をし
ている間は頭痛がしなかったが、終わってしばらくしてから、また痛くなって
いると言って顔をしかめた。あまり連続して投与してはいけない薬なのかも知
れない。なによりも、早く、よくなって欲しい。
琵琶
注 (6)、(7)の記事はついに復旧することができませんでした。
どなたかが保存していましたら、お知らせください。
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(8)妻のパジャマ
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/01/8.html
2004/04/6(3)
妻のパジャマ
4 月 4 日(日)、頼まれて私が買ってきたパジャマがピンク系だったので、妻
は満足そうだった。彼女は、私が地味好みと信じていて、普段は赤いものやピ
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ンクのものは避けていた。私が否定しても、頑なに地味にしていたが、本音は
赤いものやピンクのものが好きなことが分かっている。この際、亭主が理解が
あることを証明してやれとばかりに大サービスしてみた。この日までは、病院
のレンタルパジャマで、ブルーだったので、翌日(4/5)の着替えを楽しみにし
ているようだった。
私が気にしているのは、仕事上、他人に合うときは派手にならぬようにすると
いうことである。とにかく、着るもので、元気がでるなら、今は、それに越し
たことはない。ささいな喜びが健康に向かう希望と勇気を自然に生んでくれる
ようだ。
頭痛が軽くなり、食事も進むようになった。「きのこ丸」も飲んだ。医師は、
痙攣、硬膜下出血などの後遺症の発症を心配しているが、一見元気になりつつ
ある。うれしい。
4 月 5 日(月)、パジャマを買ってきた新しいものに着替えていた。もう一着、
着替えようのパジャマも買ったので、デザインは違うが、これも楽しみにして
いるようだった。
琵琶
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(9)弁護士さんとの打ち合せなど
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/01/9.html
2004/04/06(4)
弁護士さんとの打ち合せなど
4 月 2 日(金)、弁護士の S 先生に電話。メールでは、代理人の依頼も状況説
明も終わっているが、面談して、書面で依頼しなければならない。なよりも、
「着手金」も払わなければならない。
4 月 3 日(土)朝、M 警察の K 氏から自宅に電話。本人に話を聞きたいので、翌
週(4/5∼4/9)には病室に行きたい、同席してくださいと言うことだった。事
前にもう一度電話するという内容だった。
同日夜、8 時過ぎ、面会を終えて私と息子が病院を出ようとすると、受付で押
し問答をしている男がいた。加害者の K だった。会うなり、「一般病棟に移っ
たんですね」という。とがめるような言い方だ。「生きているよ。その意味で
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は安心しな。しかし、脳内の腫れが生じて心配しているところだ」と吐き出す
ように私。彼は、「これ」といって、近くの洋菓子屋の包装紙に包まれたもの
を突き出す。「いらない」と私は言う。なおも、彼は突き出す。ここで、争っ
ても仕方がないので、「じゃ、受け取っておく」といって受け取る。なおも、
にらみつけるように行く先に立ちふさがって仁王立ちになっているので、
「我々
は帰るからね」と声をかけて、横をすり抜ける。息子は、怖くて、彼の横を抜
けられない。息子を手招きして、引き寄せる。やっと彼も、病院を出ることに
した。彼は、病院とは反対側の路上に停車してあった自分の車に一人で乗って
立ち去っていった。逮捕されてないのはやむを得ないにしても、免停にもなっ
ていないらしい。運転を自粛するでもない、事ここに至っても違法な路上駐車
は平気という態度だ。なんという奴だ。息子も憤慨していた。
4 月 4 日(日)、義兄たちも、弁護士事務所に行くことになったので、弁護士
先生に事前にしらせるメールを出す。
文中にある、地図は、次の回に収録する。
----------------------------S 先生
前略大変お世話になります。
月曜日(5 日)10 時には、妻の 2 人の家族も同行させていただきます。
加害者には、刑事責任、行政責任、民事責任のいずれをも厳格に果たしてもら
いたいというのが、二人の統一見解です。私も同じ考えです。
ところで、事件現場付近の地図を添付いたします。3 月 29 日 21 時半少し前、
帰宅途中での事件でした。最寄のバス停(終点)でバスを降りて、自宅に向か
う道です。青い細い線がわれわれの歩いた軌跡です。赤い太い線が、加害者の
車の軌跡です。加害者の車は、ライトを消して 20-30 キロの低速で(したがっ
て)音もなくわれわれに接近し、われわれの位置で、急に右に寄せて、妻に後
ろから追突すると、急な左ハンドルを切りながらアクセルを一度吹かして払い
腰のように妻を右前方に投げ出したものです。
ライトを消していても、低速運転をしている車からは、我々ははっきり見えた
はずです。車は、そのままの速度で走り続けたので、思っきり大声の罵声を浴
びせて、とめました。明らかに逃げようとする行動でした。止まろうとすれば、
その場で止まれるくらいの速度だったからです。
警察は、加害者を誘導して加害者に有利な証言をメイクしています。
「(警官)いったんはその場で止まったんだろう」
「(加害者)覚えてないです」
「(私)ブレーキは踏んでいない!」
「(加害者)あわてて、むしろアクセルを踏んだみたい」
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「(警官)いったんその場で急ブレーキを踏んだため、被害者がボンネットか
ら落ちた、と(メモに書く)、これでいいな」
--私は、別の警官のところへ行けと追いやられました。
3 月 31 日午前 11 時頃、私が医師の診断書を M 警察に届けました。このことに
よって、人身事故であることの証拠は揃ったので、警察は刑事責任の追及を始
めなければならないはずです。
しかし、4 月 3 日の夜の時点まで、加害者は、お咎め無しの状態で、自分で運
転する車で病院に現れたりしています。
草々
----------------------------4 月 5 日(月)午前 10 時、いろいろあったが、Y.T.氏(妻の実姉の夫)と私の
2 名で、弁護士事務所に行く。S 先生は、若い弁護士の I 氏を同席させて応対す
る。
メールでも状況説明はしてあるので、補足的な質問があった。事件の瞬間の車
の動き等について、くわしい説明を求められた。見取図の作成を求められて、
その場で作成した。代理人専任の依頼書に妻の代筆で署名し、着手金を手渡す。
S 先生は、あらゆる兆候から事件性が高いと思うが証拠が集めにくいと述べた。
引ったくりではなく、意図ある襲撃かも知れないというものである。これまで
にも、我々夫婦は襲撃の危険にさらされることがたびたびあったのである。都
度、S 先生には報告していた。義兄たちにはとうてい理解しがたいであろうか
ら、私は、引ったくりかもしれないというに、とどめた。
闇につながる彼らの悪事を幾度となく暴いて犯行を防止してきた私は彼らから
見れば憎しみの対象である。私は、このところ、学術の森松戸や日本語プログ
ラミングで、個人的な露出度が高くなっている。ある種の人々にとっては、攻
撃の理由がいや増しているに違いない。
琵琶
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(10)現場の見取り図
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/01/10.html
2004/04/06(5)
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現場の見取り図
図1弁護士さんに送った現場の見取り図。(省略)
図 2 弁護士事務所で私が書いた拡大図の再現図
図 3 警察が主張する状況の推定図
警察の主張するような状況(図 3)であれば、
1)妻が飛んで落下した位置が説明できない。左側の高校のフェンスにぶつかる
ように飛ばされたはずである。
2)妻がボンネットに跳ね上げられた理由が説明できない。このスピードならば
単に前方に突き飛ばされるだけでボンネットにはあがらないはずである。
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3)妻は私の身長の上の高さ程度まで一回転(ひねりまわり)しながら高く舞い
上がって落ちた。急ブレーキでボンネットから、ずり落とされたのならば、高
く舞うことはない。
実際に私が見たのは図2のような状況である。ぶつかる直前までは加害者の証
言による。ぶつかった瞬間、車は左旋回してアクセルを吹かして加速していた。
妻は、ボンネットから飛び上がっていて、横ひねりし(一回転)ながら頭を後
ろから上、上から下にするように舞って、額上部から落下した。妻の後頭部に
は、ウインドウウォッシャの噴射ノズルによるかなり深い裂傷があった。噴射
ノズルは鋭くとがっていた。妻は、真後ろからボンネット上に跳ね上げられて
たたきつけられたのだ。その後、左に急旋回するボンネットでひねりの力を受
け、さらに左旋回しながら加速する車のボンネットから上方の加速を受けて、
上に高く飛んだのである。私が見たものは決して間違ってはいない。
琵琶
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(11)被害者の夫の調書
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/01/11.html
2004/04/10
4 月 7 日(水)
この日、病院に警察がやってきた。被害者本人からの調書を作成するためであ
る。突然のことで、私の予定がつかずに同席できないこと、3/2921:15 頃本人
が衝突した直後から 3 月 31 日の朝までのことはほとんど記憶にないことを説明
したが、どうしてもこの日以外に時間がないと言い張るので、やむを得ず弁護
士の立会いの許可を求めた。警官は「前例がない」とひどく渋ったが、「代理
人が同席していけないはずはない」と私も踏ん張る。結局警察が折れて弁護士
の立会いが許可となった。私からも話を聞いて欲しいと主張すると、あわてて、
「事故のときそばにいた人ですから参考人ですね。お時間のよいときに警察に
来てください」と思いついたようにいう。真っ先に私の話を聞くべきだと内心
では煮えくり返る思いだった。まかり間違えは私も踏み潰されるかも知れない
現場で、私が、一部始終を見ていたのだ。現場でも、加害者にだけ警官が思い
込みの事実を加害者に語って聞かせて同意を求めるので、私が事実の訂正を求
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めると遠くに追いやられる場面があった。警察はだれの味方をしているのか、
と思ってしまう。弁護事務所では大慌てだった。予定外のスケジュールである
し、警察に「上申書」を手渡そうとして準備していた書面がまだ出来ていない。
どの先生が立ち会うか決められぬまま、警察には、日時の同意(7 日 14 時)を
告げる。やってきた警官は、M 氏と K 氏である。時刻よりやや遅れ気味にやっ
てきた。
弁護士先生は、所長御大 S 先生が自ら時刻より早めにやってきていた。めった
にないことである。若い弁護士さんたちの都合がつかなかったためだろう。息
子にも同席するように携帯から電話を入れたので、急遽彼も病院に合流した。
息子の話では、気弱になっている母親に対して、警察は「加害者をきびしく処
罰しなくてもよいですね」と極めて誘導的な態度だったという。弁護士先生は、
すかさず母親に向かって「ご主人はきびしく対処してもらいたいという考えで
はないのですか」という。母親は「はい、主人と同じ意見です。きびしくして
ください」と答えた。弁護士という職業の威力である。弁護士先生がいなけれ
ば、警官の誘導に乗ってしまっていたところかもしれない。
4 月 8 日(木)
翌日の 4 月 8 日、私は M 警察に出向いた。調書を作成してもらうためである。
前日の夜、仕事を終えて病院にいたところに弁護士事務所から電話が有り、20
時半ころ、「上申書」を受け取りに行く。弁護士先生が、当方の主張をまとめ
たもので、警官が加害者有利になるよう加害者の供述を誘導する行為をきびし
くとがめた部分を含んでいる。
以下は、当日の件を、弁護士先生に報告した内容である。
----------------------------------------------(1)上申書について
前例がないから受け取れない、とかなり強く抵抗されましたが、押し問答の末、
次の条件で受け取ってもらいました。
・参考人の調書の一部または付属資料とはみなさないので、検察には送らない。
(当方は送ってくれとは言っていない)
・私(M 警察交通課事故係の M 氏)が受け取る。署長に提示するかどうかは、
私(M 警察交通課事故係の M 氏)に任せる。
(2)参考人の調書について
目撃者として、参考人調書を作成しました。
内容は、ほぼ私の思いの通りに出来た。些細なところでは、足りなかったとこ
ろもあるが、まずはよしとしたいと思います。
自書押印しましたが、やり取りしながら M 氏が書いたものなので、2 箇所に修
正があった。修正箇所に私の印を押したいと申し出たが、ここは「聴取官が押
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すので、参考人は押さなくともよい」とのこと、警官が自由に改竄が出来るよ
うになっているな、と漠然と感じました。
調書の写しを貰いませんでしたが、通常はくれないものでしょうか。
(3)警察による本人の処分について
下記のように説明が有りました。
・書類送検する。(「書類送検にとどめる」の意味かと思います)
・減点処理をする。(「必ずしも免許停止を意味しない」
とのこと)
----------------------------------------------「書類送検」だけでは大いに不満だが、加害者に前歴や余罪が出てくれば、次
のステップに進みうる可能性を残したので、ひとまずは良しとすることにした。
車の動きは、「当て盗り」か「引ったくり」のやりそこない、または何らかの
意図ある襲撃を思わせる不審な挙動である。私は、下記のような事実を述べた。
・現場は、比較的見通しのよい道であり、街灯とマンションの窓明かりで、夜
間でも、前照灯をつけていなくとも、人影は見えること。
・道幅は 7-8 メートルあり、車両がたとえ中央寄りを走っても、右端を歩いて
いる歩行者に接触する可能性はないこと。
・妻と私は道路の右端に並んで歩いていたこと。
・加害者の車は、前照灯をつけていなかったこと。低速(20-30 キロ)で忍び
寄るように接近してきたこと。
・加害者の車は、衝突の直前に右に急ハンドルを切っていること。
・加害者の車は、十分右に寄ったところから左旋回しつつ加速して、妻をボン
ネットに跳ね上げ、さらに加速して左に旋回したため、妻は車に柔道の「払い
腰」の技をうけたように宙に高く舞い上げられたこと。
・加害者の車は、道路の左端まで進んで減速し前方に向きを変えると、そのま
まの速度でスルスルと走り続けて逃げ去ろうとしたこと。私は必死に「止まれ!」
と大声で何度も叫んだこと。ブレーキを踏めば、5-6 メートルで止まれる速度
にもかかわらず、約 80 メートルも走って、次の丁字路の手前でやっと止まった
こと。
4 月 9 日(金)
夜、いつものように仕事帰りに病院に立ち寄る。まだ、退院の許可が出ていな
い。木曜日にまた CT スキャンを撮ったので、その結果が出ているだろうと思っ
たのだが、・・・。2 人主治医のうち、メインの医師が木曜日から姿を見せて
いないので、結果の判定が済んでいないようだ。脳内の腫れと壊死の程度が早
く知りたい。小さな範囲にとどまってくれることを祈る思いである。
4 月 10 日(土)
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これを書いている最中に、妻が病院から電話してきた。入院してから初めての
電話である。看護婦が外泊の可能性をほのめかしたのだそうだ。医師の許可が
出たら、すぐに迎えに行くと伝える。妻の部屋をかたづけておかなければとに
わかに妻孝行を思う。
琵琶
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(12)後頭部の裂傷について
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/01/12.html
2005/4/10
後頭部の裂傷について
妻の後頭部の裂傷については 4 月 5 日(月)に抜糸を済ませた。血は完全には
止まっていなかったのに、ムリヤリ抜糸したので、一時出血が多くなり枕やシ
ーツが血で汚れた。ボンネットの上に跳ね上げられたときに、車のウインドウ
ォッシャのノズル突起部に激しくぶつけたためであろう。妻が路上に倒れたと
き、後頭部からの多量の出血と鼻からの激しい出血を見ている。妻が救急車に
収容された後、妻の後頭部の出血の原因を知ろうとして、加害者の車のボンネ
ットを手で触るとウインドウォッシャのノズル突起部は鋭くとがっていること
がわかった。後頭部の裂傷の原因はこれに違いない。鼻からの出血は視床下部
の出血だったに違いない。4 月 7 日(水)の回診時に、抜糸後、傷口が開いて
おり、中に液様のものがたまっている様子が見つかって、あわてて、手当てす
る。事故後ずうっと、本人が訴えていた「頭を動かすたびにする砂が動くよう
な音(たぶん傷の深部にたまった液体が動くときに発する音)」がそれ以来し
なくなったという。整形の医師も支援のためにやってきた。傷跡が残りそうだ。
琵琶
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(13)自宅に 1 泊、妻の外泊許可
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http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/01/113.html
2004/04/11
昨日は突然「外泊許可」が出されて、妻が我が家に帰ってきた。
あわただしく、妻の布団を干したり、買い物に出かけたりしてから病院に迎え
に行く。近くに住む弟も手伝うとして車を出してくれた。
妻は、昨夜は久しぶりの亭主の手料理に満足(?)した様子だった。病院のベッ
ドでは昼間寝ていることが多いため、昨夜はあまり寝られない様子で、起きだ
しては、冷蔵庫の中のものをつまみ食いしていた(!)。病院食は口に合わない
らしくて、家にあるものはなんでもおいしいらしい。まずは元気です。
朝は、5 時には起きだして、「人質解放かも」のニュースを見たり、愛犬ピー
パ様の散歩に出かけた息子の後を引き取って洗濯物を干したりしている(洗濯
したのは息子)。
本日の昼には、また病院に戻るが、何事もなく昼まで過ごせれば退院も近いの
だろう。
脳内の状況は見えないしその後医師からの説明もないので不安がないといえば
ウソだが、希望が現実に近づきつつあるのを実感しているところだ。
まもなく、また妻は病院に戻る。あわただしいことだ。
琵琶
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(14)退院なかなか
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/01/14.html
2004/04/17(14)
妻の退院がなかなか決まらない。
医師(複数)や看護婦に何度も尋ねるが、漠然としていて判断が出来ない。医
事課にも問い合わせて、関係する医師に問い合わせるということになった。結
果として、本日、医療チームの一番若い脳外科の医師と面談することになった。
脳外科の医師 2 名が主治医であることは適切なことではあるが、いかんせん忙
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しすぎる。命にかかわる患者ばかり多数を見ているのである。4/2 に私に「(脳
には)問題はないです」といいながら CT の写真を見せはじめて、重大な脳内の
腫れを私と一緒に発見するという失態もあった。また、他の診療科のことはい
っそうおろそかになりがちである。4 月 5 日に形成科の医師が新たに診療チー
ムに加わった。実は、衝突の時、ボンネットに後ろ向きに跳ね上げられて、後
頭部に深くて長い傷(3 センチ)を負っていた。ウインドウウォッシャのノズ
ルにえぐられたのだ。脳外科の医師からみれば、脳挫傷とクモ膜下出血を起こ
した前頭部の方が重大なので、後頭部は軽視していたのだが、4 月 5 日に抜糸
したら再出血(枕やシーツが血に染まってしまった)し、汚い液体が内部から
突出するという予想外の状況になって医師もあわててしまった。形成科の医師
が傷口の手当てを担当することになった。その後、私が「腰を打っている(車
は、最初、妻の腰に衝突してボンネットへ跳ね上げた)ので、婦人科的な悪影
響はなかったか」という問を発すると、医師や医事課はなおあわてていた。実
は生理用の出血があったのだが、周期より 10 日も早い。妻は周期がはっきりし
ているほうなので、子宮に何らかの悪影響があったと考えられる。傷つきやす
い胎盤に軽微な異常が生じて、早めに脱落再生したと考えるのが常識と思うの
だが、私の質問とその説明にどの医師も回答に窮していた。いわく「この病院
には産婦人科がいないので回答できない」「地元の O 病院(古くからの産婦人
科専門の病院)に行ってくれ」というような苦し紛れの回答である。とりあえ
ず内科的な異常がなかったかを、血液検査と尿検査で確かめますということに
なり、4/14 にケミストリーを実施した。事故から半月以上経過して初めての血
液検査である。結果はまだ出ていない。
命を救ってくれた病院と医師、看護婦に感謝しつつ、規模と機動力に不足しが
ちな民間病院に限界も感じているこのごろである。
本日の面談で、とりあえず退院して、別の病院への紹介状をいただくことにす
る予定である。
琵琶
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(15)年が明けて
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/01/post_9.html
2005/01/04
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年が明けて--妻が、車に撥ねられる(15)
過去にも書いたことだが、ブログがすべて消失してしまったので、後日談とし
て、簡単に振り返っておきたい。
2004 年 9 月、犯人は略式起訴され、有罪が確定した。刑は数十万円の罰金であ
る。徴収された罰金は国庫に入る。任意保険に入っていない犯人からは、いま
だに自賠責保険金ではまかなえない補償金や慰謝料の支払いなどの申し出はな
い。この事件の罰金刑が重いか軽いかは、人により評価はさまざまだろう。わ
れわれは、犯人有罪を勝ち取ったことで、ひとまずは勝ったと感じた。その道
のりは長かった。調べてみると、車による障害事件(故意と偶発を含む)の中
で警察が検察に「書類送検」するのは 10 件に 1 件程度、書類送検された事件で
あってもともかくも裁判所に送られるのは、その内のさらに 10 分の一程度とい
うことである。われわれのように裁判所で犯人の有罪を勝ち取れるのは、100
件に 1 件程度ということになる。
この程度の有罪率ならば、犯罪者が偶発に見せかけて犯行に及ぶには、リスク
が少なくて、十分おいしい犯罪ということになる。逆に、犯人の有罪を鮮明に
するのは、犯行に対する一定の抑止力となることは間違いない。
「妻が、車に撥ねられる」で明らかにしたように、われわれはあたかも交通事
故を装って故意に襲われたのであるとしか思われない。おそらくは物取りが目
的だったのだろう。道路右端で肩を寄せ合う位置で妻は空中に飛ばされてコン
クリートに叩きつけられ、私は助かった。左を走って来た無灯火の車が急に右
に車を寄せて左カーブを切りながら加速して妻をしゃくり上げたのである。衝
突時の不可解な車の軌跡と、犯人が通常の帰路を外れて人通りの少ない住宅地
に侵入した事実とは、故意であることを十分に物語っている。と私は思う。妻
は、外傷ばかりか、脳挫傷を負った。警察は、犯人の悪質さをできるだけぼか
して、書類送検の数を減らそうとしていることがわれわれには強く感じられた。
調書を取る際には、警官による意図的な誘導も行われた。これらの主要な事実
関係については、「警察署長に対する上申書」という形にまとめて、警察に提
出した。私は警察に何度も足を運んだ。そのせいかどうかは断定できないが、
通例よりも長くかかったものの、書類送検にはなったのである。検察に書類が
渡る日を幾度も確認して、担当検察官に面会し、事実関係を説明した。犯人は、
「通常の帰路での事故」と言い張っていたが、彼の通常の帰路とは無縁な経路
にわさわざ侵入して事件は起きていたことを、私は、ある方法で突き止めてい
た。検察官の動きは早かった。警察に再捜査を命ずるとともに、脳挫傷が本当
にあるかどうかなどの調査をもかけた。明言できないが、警察の書類(私たち
には見せられなかった)には妻の傷を軽微なるもののように記載されていたと
26
推測される出来事だった。事実は、妻の脳の一部が壊死して崩落していた。
偶然にも、妻は、セカンドオピニオンを求めて別の病院で「脳ドック」に入り
精密検査を済ませていた。今後の人生にどのような影響があるかを推し量って
おきたかったからである。その検査の結果も大きな意味があった。MRI のフィ
ルムが病院から忽然として消えるというようなミステリじみたこともあったが、
幸い、消失以前に撮ってあった複写フィルムが検察官の心証の裏づけとなった。
かくして、犯人は有罪になった。100%とはいわないが、われわれは勝った。
これからは、自賠責ではまかなえ切れなかった病院への支払いなどの保障金を
本人から回収するだけである。辣腕の弁護士先生たちが、腕まくりしているの
で、心強くして任せることにしている。
(その後、弁護士を通じた交渉の結果、破損したカバンや血で汚損して使用で
きなくなった衣服などの補償分、弁護士費用の一部などをあわせて 32 万円を毎
月 1 万円ずつ本人が分割して支払うことで和解が成立した。和解は 2005 年 3
月-4 月のことだった。同年 12 月末、支払いはまだ一度もない)
琵琶
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(16)人命救助で思うこと
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/12/16_4b00.html
2005/12/14
人命救助で思うこと--妻が、車に撥ねられる(16)
この日、夜 9 時ころ、妻と一緒に、オフィスを出て、いつもの道を歩いて駅に
向かった。
いつもの無人の踏み切りにさしかかった。帰宅を急ぐたくさんの人が、駅のほ
うから向かってくる。いつもどおりの光景である。狭い踏切をたくさんの人と
すれ違いながら抜けて行こうとしたとき、妻が、あれっ、と声を上げた。ちょ
うど私の右手の線路の中に人が倒れていた。今、倒れたのだろうか、、、いや、
そんなはずはない。倒れる人は私の視界の中になかった。しばらく倒れたまま
だったに違いない。
身をかがめて、手をかけて声をかけた。「立てますか?」、そのがっちりした体
格の男性は「あー、あー」といいながら、立ち上がるそぶりを見せる。しかし、
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立ち上がれない。肩に手をかけて、引き上げようとしたが重くてとても引き上
げられない。ふと不安が頭をよぎる。このまま、立ち上がれないと、次の列車
でこの人は轢かれてしまう、、、。足元を見ると、線路が踏み切りに進入する
ための添えの鉄路があり、もともとの線路と合流するようになっている。この
男性の足は、この二つの鉄路に挟まれているようだ。顔を覗き込むと口から血
が流れており、顔の周囲の地面にも血が流れている。倒れてから時間が経って
いるに違いない。それまで、誰も気がつかなかったのか、、、。いや、そんな
ことはあるまい、気がついてもだれも助けなかったに違いない。怒りがこみ上
げる。左手で足の位置を替え、右手で力いっぱい引き上げようとするが動かな
い。男性のウデを私の肩にまわして持ち上げようとするが重い。妻も積極的に
行動する。妻が急いで左に回りこんで、いっしょに引き上げようとする。上半
身は持ち上がったが、立ち上げることができない。悪戦苦闘していると、近く
で交通整理をしていたおじさん(薄緑色のジャンパーを着ていた)が駆けつけ
てくれた。彼が腰のあたりを支えるとやっと立つことができた。さらに、30 歳
代くらいの男性が自転車に乗って通りかかり、「救急車、呼びましょうか!」と
叫ぶ。「呼んでください!」と私。私と妻と交通整理の中年の男性と三人がかり
で踏み切りの外に連れ出す。直後に、轟音が近づき、左右から交差するように
2 つの列車が踏み切りを横切ってゆく。危機一髪だった。交通かがりの男性は
すぐに立ち去った。第4の自転車の男性は 119 番に電話をして盛んに交渉して
いる。電話の向こうからは番地を聞かれているらしい。あぁ、あの時
(http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/01/1.html)と同じだ、
と私は思った。番地を聞かれて、あの時、私は答えられなかった。路上で、周
囲には番地を示すものはなかった。そのとき、目印として高校の名前を告げて
消防には分かってもらえて 3 分ほどで到着したが、警察は「あぁ、体育館の裏
ね」などと分かった風の回答だったが、第一陣が 50 分もかかって到着した。電
話で催促して第2陣のほうが先に到着(電話してから 10 分ほど)という事態が
あった。この日も、50 分もかかってはいけないと思って私はあわてた。男性を
妻に預けて、周囲を走り回る。幸い近くのマンションに住所が書いてあった。
住所を大声で読み上げて自転車の男性に告げる。すぐに怪我をしている男性の
もとに戻って、また男性の体を抱える。
しかし、救急車は隣の町まで行って、分からないと消防署に電話してきて、さ
らに電話が自転車の男性の携帯にかかってきた。その町ではない、と説明した
のに、早とちりだな、と自転車の男性は不満顔。救急隊員は聞きなれた町の名
前と勘違いして、訂正しても心理的に受け入れられなかったのだろう。結局、
怪我をした男性を私と妻が支えて、30 分近く救急車を待っていた。男性は「何
で、救急車なんか呼ぶんだ」と口から血を噴出しながら言う。一人では立てな
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いのに、である。この男性は酔っているらしい。それより頭を打っていて、倒
れて助けられたことを覚えていないらしい。「あなたは線路内に倒れていたん
ですよ」と私。「タオレていたのはオボエテいる。電車なんか来やしないと思
っていたんだ」とこの男性。「踏切りを出たところで、列車が来て通過して行
ったでしょう」と私。本人は怪訝な顔。「われわれが助けなければ、あなたは
死んでいたんですよ」と私。それでもこの男性は「救急車が来るんか」と不満
そうな顔。「口から血が出ていますから手当てしなければね」と私。不満そう
だが、歩くこともできないので、私と妻に支えられたまま、男性は踏切りの脇
のフェンスにつかまったまま立ち尽くしている。
やっと、救急車が到着して、男性を中に運び入れる。気がつくと、私の白っぽ
いハーフコートは血だらけだった。救急隊員が気の毒がって、血を洗い流す溶
液を取り出して、こすってくれたが、時間が経っているので完全にはふき取れ
ない。かえって血のしみが広がってしまう。よく見れば、服のあちこちに血が
しみている。血だらけの男性を抱えあげて、ずうっと肩を抱えていたのだから、
血が着いていてもおかしくはない。
自転車の男性は発見者として、事情を聞かれていた。私たちは帰ってよいとい
われて帰途に着く。血のついたハーフコートを脱いで、裏返しにして、小脇に
抱えたまま帰った。寒かったが、やむを得ない。血だらけの姿を見たら、電車
の乗客も通行人もびっくりするに違いなかったからである。
この間、私は、あの日のことと比べて考えていた。あの日、私が大声で叫んで
も近くの家からは誰も出てこなかったこと、この日、この男性が倒れてもたく
さんの通行人がそばを通過していながら無関心を装っていたこと。あの日、息
子や近くに住む兄弟たちに携帯で連絡するとすぐに駆けつけてくれたこと。こ
の日、私たちが救助を開始するとたちまち 2 人の男性が駆け寄ったくれたこと。
多数の「かかわりたく大衆」と「少数の心ある人」が、現代の市民の姿なのだ
ろう。「かかわる大衆」がもっと多くいてほしい。切に切に願う。
妻は、男性が多分無事だったに違いないと、帰り道、自分に言い聞かせるよう
に言っていた。
こちらも名乗らなかったが、男性の名前も聞かなかった。61 歳だとは言ってい
た。せっかく助かったのだから、命を大切に、長生きしてほしいと思う。
琵琶
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(17)またも類似犯
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2006/05/17_52f9.html
2006/5/5
またも類似犯--妻が、車に撥ねられる(17)
今日(5/5)のヤフーのニュースに、乗用車に乗った男にかばんをひったくられ
た女子大生の記事が載った。この手口は、妻を乗用車で撥ねた男の振る舞いに
良く似ている。
このことは、事件当時から指摘していた。妻が、車に撥ねられる(1)、妻が、
車に撥ねられる(10)など。
類似の事件は、大阪方面で多発していた。まさか関東にあるとは思っていなか
った。事件後、調べてみると、それと疑わしい事件は、千葉県の鎌ヶ谷や市川
などですでに数件起きていた。犯人にとって、発覚しても犯行を事故と言い抜
けやすいおいしい犯行なのだ。ひったくろうとして失敗したのか、そもそもぶ
つけて奪おうとしたのかはわからない。鎌ヶ谷や市川などの類似事件は、ぶつ
けて奪う、という荒っぽいものだ。妻の場合もそうだったに違いないと私は思
う。
その犯行意図は証明できなかったが、われわれの執念は犯人をついに有罪にし
た。われわれが超えてきたものは、被害者ががんばりとおさなければ誰も犯人
を追及しないという現実である。大阪の被害女性もがんばってほしいと思う。
その他、類似犯に身体を傷つけられたり、心が傷ついた多くの人たちも、がん
ばってほしい。類似犯がもう出てこなくなるまで。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060505-00000042-kyodo-soci
-------------------------女子大生70m引きずり逃走
道頓堀でひったくり
5日午前6時ごろ、大阪市中央区道頓堀1丁目の路上で、乗用車の男2人組
が、歩いていた奈良県広陵町の女子大生(18)に後ろから近づき、現金約3
000円入りの手提げかばんを奪おうとした。
女子大生はかばんにしがみついて抵抗し、約70メートル引きずられて転倒。
両腕に軽傷を負った。
2人組はかばんを奪い、そのまま逃走。南署が強盗致傷事件として行方を追
っている。
調べでは、乗用車は白っぽい色で、運転席の男は青いジャージーにサングラ
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ス、マスク、帽子を着けていたという。
現場は大阪・ミナミの繁華街。同署によると、この道路は車の通行が禁止さ
れており、事件当時は人通りも少なかった。
(共同通信) - 5 月 5 日 13 時 35 分更新
-------------------------琵琶
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