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留学生の 「知られない権利ー」 - 横浜国立大学教育人間科学部紀要
留学生の「知られない 権 利,」に関する一 試論 鶴田昭子 [ キーワードコ プライバシー、 守秘義務、 日本語教師、 倫理綱領 1, はじめに 教師としての 我々の日常は 、 考えてみると、 まず学生との 信頼関係の上に 成 り 立っている。 学期始めにアンケート 用紙を渡す。 学生はほとんどの 場合、 何 のためらいも 無く初対面の 教師の渡すアンケートの 質問事項に答える。 生年月 日、 国名、 任所、 電話番号等々の 個人情報をであ る。 これは、 アンケートを 渡 す 人間を一人の 個人として信頼するからアンケートに あ 答える、 というこ ヒ では るまい。 明らかに、 大学の日本語教師であ るというその 人物を、 その職責を 信頼して書くのであ る。 この事実の背後に 教師の守秘義務があ ることは言うま でもない。 それ故、 その守秘義務を 怠るならば、 それは教師と 学生の基本的 信 頼 関係を崩壊させることであ り、 教師の自殺行為にも 等しいということも、 論 をまたない事実であ る。 我々はこういう 厳粛な事実をそれほど 意識せずに日々の 授業を行っている。 何故ならば、 こういった厳粛な 事実は我々の 大原則であ り、 当然のことだから であ る。 しかし逆に言うならば、 当然のことであ るが故に 、 我々の日常は 時と してこの厳粛な 事実に対して 鈍くなっているのではあ るまいか。 教育実践者にとって、 実践報告やケース・スタディはつきものであ る。 そし て学生の個人情報に 言及する必要があ る場合も多々あ る。 しかしその場合で も、 我々は細心の 注意を払って 学生との信頼関係や 学生のプライバシー 権 が損 なわれないようにしなければならない。 それ故できる 限り固有名詞については 実名を使わない。 また個人情報はその 論文等にとって 必要最小限におさえる。 一 64 一 学生がその実践報告を 読む読まないにかかわらず、 ても必要な場合はその 学生の承諾を 避ける。 であ る。 そしてまたどうし 得、 承諾が得られない これらもまた 我々の大原則であ ろう。 場合にはその 記載は たとえ将来の 日本語教育のため であ ろうと、 我々は現在の 学生にとって 万が一にも不利益になるような 記載を するべきではなく、 またそのような 権 利もない。 しかし時として 我々はこうい った 自分の立場に 対して鈍くなっているのではあ 紀要等に掲載されているものの るのは筆者だけであ ろうか。 このような現実を 再認識させられ 拙稿はこのような 問題提起をしようとするものであ 報告、 授業報告等 一部から、 ( 以後これらを るまいか。 立場から、 自戒の思いもこめて る。 従って、 拙稿は 、 取り上げる論文、 実践 一括して論文, と 呼ぶ ) の質を問題にするの ではなく、 それらが学生との 信頼関係や学生のプライバシー 権 「知られない 利 」からみてどうか、 ということに 焦点をあ てたものであ る。 権 2. 学生の個人情報の 取り扱いについて 資料として使ったものは 下記の紀要等であ る。 ここから学生の 上データの 提 示など個人情報を 扱っているものを 取り上げ、 必要と思われるものについて 検 討を試みた。 (1) 千葉大学留学生センタ 一紀要 山 第 1 号 (1994) ∼第 3 号 (1996) (2) 『広島大学留学生センタ 一紀要 山 第 1 号 (1990) ∼第 7 号 (1996) 下 (3) n 横浜国立大学留学生センタ 一紀要』 (4)早稲田大学日本語研究教育センター 第 号 (1994)∼第 4 号 (1997) Ⅰ F 講座日本語教育 コ 第 25 分冊 (1990) ∼第 3H 分冊 (1996) (あ 2 一 1 成績表、 インタピ コ 一の内容などの 個人情報 一 65 一 いうえお 順 ) まず、 吉岡英幸「聞き 取り能力 : 留学生と日本人の 調査分析」,を 見てみよう。 ここには、 学生の聞き取り 能力を点数化した 表が出されている。 ,これは個人 情報であ るが、 学生名は 1. 2. 3 のように数字に 置き換えられており、 学生 個人を特定することはできない。 当然の処置であ ろう。 その他に個人情報の 記 迷 はない。 また、 この点数表は 詳しく分析され、 十分にこの論文に 生かされて いる。 必要最小限の 個人情報であ ると言えるだろう。 次に佐々木瑞枝「日本語教育におけるニーズ・アナリシスとカリキュラム・ デザイン」 5 を見ると、 表、 ここには学習者 ABCDE の年余・性別・ 国籍・専門・ 結果とニーズ 分析、 そ してプレースメント・テストの 結果が出されている。 その中で、 ニーズ分析 と 受け入れ大学の それら学習者個々へのインタビュー プレースメント・テストの 結果はこの論文にとって 確かに必要なものであ ると 思われる。 しかしそれ故にこそ、 その個々の学生を 特定できる情報に 関しては る。 だが、 そういった配慮が 見られ 特別な配慮をしなければならないはずであ る だろうか。 例をあ げよう。 学習者 ABCDE の年会 等 の 表 とそれに続くインタビュー と ニーズ分析の 記述そして「はじめに」の 記述は、 学習者 A の性別、 年金、 国名、 専門、 母国での出身大学名と 学部 名 、 以前日本に留学した 時の大学名と 留学時 期 、 今回日本語を 勉強している 大学名と日本語コースとその 時期、 6 ケ月 後に 入学する大学名等々を 明らかにしている。 しかし、 学習者 A は 、 書かれたその 年金でなくても、 男でなくても、 国名を書かなくても、 受け入れ大学名を 書か なくても、 専門とニーズがはっきりしているならばこのニーズ 分析にとって 問 題 はないだろう。 また、 インタビュ一の 記述に於ても、 多くの固有名詞を 実名 で 書く必要はない。 国名を母国とし、 大学の実名を 書かずとも、 このニーズ分 析に影響はないはずであ る。 この、 佐々木の論文に 於ける個人情報は 必要最小 限 とは言い難く 、 且つ学習者 A をかなり特定できるものとなっている。 の記述、 そしてまたこれらの 記述故にプレースメント・テストの これら 結果も、 学習 者 A の「知られない 権 利」への配慮に 欠けているものと 言わねばなるまい。 一 66 一 6 この同じセンタ 一紀要に 、 佐々木に続いて 2 つの論文が掲載されている。 田 由美子「中級学習者の 教育中上級日本語学習者の 日本語学習過程に 関する一考察」, と、 川口 松 良 「予備 作文にみる誤用」。 であ る。 松田の論文には 聴 解試験の結果が 詳しく出されている。 しかしこれは 十分に 分析されており、 学習者も ABCDE とされ、 その限りでは 必要最小限の 情報 だけが出されていると 言える。 しかし、 松田の注に「学習者の 年会、 性別、 国 籍等は前掲の 論文に紹介されている」 9 と書かれてあ り、 また佐々木の「はじ めに」の最後にも、 後続の 2 論文が同じ学生について 論じられていることが 明 記されている。 , 0 松田の学習者 ABCDE は佐々木のそれと 一致することにな るわけであ る。 それ故、 松田はかなり 特定できる学習者を 含む ABCDE 本語能力についての 詳しい分析を 発表している の日 結果となってしまっている。 川口の論文には、 学習者の国籍と 学習歴が書かれているが、 これだけでは 個 人を特定することはできない。 そこで、 それに続くプレースメント・テストの 結果表や個々の 学習者の誤用分析も 学習者のプライバシー 権 からみて何ら 問題 はない。 しかし、 やはり佐々木の、 後続の 2 論文が同じ学生について 論じてい る、 , , という記述により、 かなり特定できる 学習者を含む ABCDE の日本 語 能力についての 詳しい情報を 公開する結果となってしまっている。 ケース・スタディとしては、 田中共子・松尾 薫 「異文化欲求不満における 反 応類型と事例分析」,, があ り、 ここでは不適応を 起こした学生達の 問題とその 経過が具体的に 書かれている。 しかしこのケースについては「西日本の 専門学 校の留学生で、 来日後 11 ケ 月の中国東北部出身の 留学生 39 名」,, のうちの「 異 文化葛藤が表現された 事例」,。と記されており、 個人を特定することはできな い 。 また更に、 ここには「事例記述に 当たっては、 プライバシ一に 配慮し、 細 部を略したり 変更したりしてあ る。 l5 と、 但し書きもつけられている。 」 成績表については、 あ 佐々木瑞枝「英語を 媒介とした日本語プロバラム」Ⅱも る。 ここでは世界銀行コースの 留学生 7 名の日本語クラスでのテスト 結果一 一 67 一 その問題別の 詳しい成績表 一 が載せられている。 , 7 しかし、 この成績表につ いては何の分析もされていない。 ただ、 「テストの結果から 判断し、 まだまだ 指導したい部分が 多いことがわかる。 」, 8 と、 書かれているだけであ る。 れだけを言 う こ ために成績表を 載せる必要があ るとは考えられない。 20 項目に わたる問題群の 内容も示されておらず、 読む者にとって、 この細かい成績表の 数字が出されている 意味はほとんどないであ ろう。 確かにこの論文には 個人を 特定する記述は 無い。 しかし、 個人情報は必要最小限に、 という原則は 配慮 さ れていない。 2 一2 学生の作文 次に学生の作文の 公開という事について 考えてみたい。 作文の公開もまた、 フライバシ一に 関わることであ る。 論文に学生の 作文を載せているものはよく 見られるが、 その際当該学生の 同意を得ていることが 原則となるであ ろう。 かしこれをはっきり 明記しているものはほとんどない。 常識、 あ し るいは当然の 前提 だ 、 ということだろうか。 また、 同意があ った場合その 同意が口頭のもの であ るか文書であ るのかも、 知ることはできない。 一例として、 辻村俊子「 早 稲田 / オレゴン夏季プロバラムにおける 初級日本語クラス」, 9 を見てみよう。 この論文の最後に 参考資料が付けられており、 その中に「学生自筆の 自己紹介 文 と夏の感想」 20 が載せられているが、 学生達の同意・ 承諾についての 記載は ない。 " 同意を得ていると 思われることを 記した付記の つ いた論文は、 細川 秀雄「母語を 発見する 眼 " だけであ った。 学生の同意を 記すということは 将 」 来 的な課題とし、 考慮していく 必要があ るのではないかと 思われる。 3. 文献からの考察 学生との信頼関係の 上に成り立っている 教育等に携わる 者は、 何も成文化さ れた法律や倫理綱領がなくとも、 信頼関係を損なうことをしようとはしないだ 一 68 一 ろう。 しかし、 自分でそれとは 気付かずに問題を 起こす場合もあ る。 拙稿で取 り上げた問題点もそれであ ろう。 そこで、 プライバシー 権 に関する文献を 当た りながら、 再度この問題について、 考えてみたい。 3 一 1 プライバシー 権 の概念 「プライバシー」という 言葉は日常使われているものであ るが、 それが具体 的に何を指しているか、 ということについてはあ いまいな面もあ る。 橿原 猛編 「プライバシー 権 の総合的研究」,,第 1 章第 2 節「日本における 『プライバシー ョ権 概念の生成と 展開」では、 プライバシー 権 を「個人に関す 権 利 (individual right to con け ol the る 情報の流れをコントロールする circu ation of info mation) Ⅰ Ⅰ スト」 」 24 と定義 づ tサて b) る 。 また、 雑誌「ジュリ 1994 年 5 月増刊号「情報公開・ 個人情報保護」,,所収の 小高章「個人情 報 保護法の運用状況と 課題」,。 に於ても、 「個人のフライバシ 一の権 利は 、 『ひとりにしておかれる 権 利』という消極的な 概念に加えて、 情報の流れをコントロールする F 自己に関する 権 利』という積極的な 概念をも包含するものに なってきている」 2, として「神奈川県の 情報公開制度に 関する提言」を 紹介 している。 また、 プライバシーという 概念の範囲は「確定することが 困難であ るので、 例えば『特定の 個人が識別され、 または識別され 得る個人に関する 情 報コ というような 表現を用いることが 考えられる」 28 という、 やはり「神奈 川県の情報公開制度に 関する提言」を 紹介している。 これが現代的プライバシー 権 の概念で、 いわゆる「知る 権 利」 に対する「知られない 権 利」 ( 個人情報保護 ) ( 情報公開 ) であ る。 これに基づいてフライ バシー権 を保護する条例が 作られてきているのであ るが、 具体的には多くの 分 野でそれはこれからの 課題となっている。 例えば医療情報について、 同じ「 ジ ュ リスト」増刊号所収の 渡辺亮一「医療情報とプライバシー」, 9 では、 「医 療情報についての 現代的プライバシー 権 を規定した法律はないともいえる。 と 述べられている。 」 3。 教育の分野でも 同じであ ろう。 全国に先駆けて 個人情報保 護条例を制定した 春日市が出版した「『知る 権 利』・『知られない 権 利コ 一春 一 69 一 日 市下情報二条例 育情報の開示」 ゴ 0 回顧と展望 一 」 " に収められている 論文、 笹田栄司「教 " でも、 「個人情報保護条例によって 個人情報の収集・ 利用に 一定の枠が設定されることになると、 右の教育情報についても 従来と異なった 方式が要請されるであ ろう。 」,,と、 今後論議の的となるであ ろう教育分野で の プライバシー 権 の方向性を示している。 拙稿で述べているプライバシー 侵害と思われる 論文の例も、 教育の分野での、 或いは倫理綱領等の 「知られない 権 利」に関する 条例 必要性を考えさせられるものではないだろうか。 そこで、 次にこのことについてアメリカでの 3 一2 場合を見てみよ プライバシー 権 に関する最低基準及び 倫理綱領 アメリカ自由人権 協会 著 「フライバシ 一の権 利」 TO PR IVACY) 権の つ。 一アメリカの 場合一 (YOUR R I GHT 34 では、 アメリカに於けるフライバシ 一法が論議され ているが、 その中に学校記録に 関する「知られない 権 利」についての 最低基準も 書かれている。 35 拙稿と関連することでは 2 つの要点がまとめられる。 36 それは、 ①特別な場合を 除いて、 学校記録は生徒または 親の同意なしに 開示されるこ とはない。 ②情報の開示の 同意は書面でなければならない。 ということであ る。 学校記録にはもちろん 成績、 調査結果、 教室記録、 学級 日 誌 等も含まれるわけで、 3, たとえ実名のものではなくても、 その個人を特定 できるもの或いは 特定できる可能性のあ るものはその 対象になるはずであ る。 もう少しはっきりさせるために、 これもやはりアメリカのものであ るが、 ア メリかむ理学会の 発行した「サイコロジストのための 倫理綱領および 行動 規 範 」 (Ethical Principles of Psychologists and Code of Conduct)38 を見て みよう。 これは既に日本心理学会の 倫理綱領に参考とされているものであ 二 には拙稿と関連するものとして、 あ る。 「プライバ 、ン一 と秘密保持」という 項が る。 Ⅱこれはもちろんサイコロジストのためのものであ るが、 対象者との 信頼関係を基としている、 という点で、 基本的には教育現場にもほとんどその 一 70 -一 それ故、 主要な部分の 筆者による。 ) ままあ てはめられるものと 言えよう。 粋して紹介する。 ( アンダーラインは 訳文をそのまま 抜 5. プライバシーと 秘密保持 5.02 秘密保持原則の 維持 サイコロジストは、 患者・クライエント、 またはコンサルテーション を 提供する相手が、 秘密保持を第一の 5.03 秘密を保持される 権 利を有していることを 尊重し、 義務とする。 ( 以下略 ) プライバシー 侵害の最少化 (a) プライバシー 侵害を最少限度にくい 止めるために、 サイコロジ ストは文書化された 報告書、 または口頭の 報告やコンサルテーシ ョンの報告その 他に、 その伝達が行われた 目的に密接に 関連した ものだけを記す。 5.04 ( 以下略 ) 公開 (a) サイコロジストが 当人の同意なくして 秘密の情報を 公開するのは、 法の命令による 場合、 または法で許可された、 例えば以下のよう な確実な理由があ る時のみであ る。 5.07 データ・べ ー ( 以下略 ) スのなかの秘密情報 心理的なサービスを 受けている人の 秘密情報が、 当人の許可を 得てい ない人でもアクセスできるデータ・べ ー スやその他の 記録システムに 組み込まれる 際には、 サイコロジストはその 個人の身元が 判明し侵害 されるのを避けるため、 記号化その他のテクニックを 使用する。 5.08 講義その他の 目的でのクライエントの 秘密情報の使用 (a) サイコロジストは、 自分の著作、 講演、 その他公共のメディアに 、 仕事を通じて 得た自分の患者、 個人やクライエントとしての 企業、 学生、 研究への参加者、 その他自分のサ ーヒ スの受け手に 関する 秘密の情報を 公開しない。 ただし、 個人または企業・ 組織が文書 で 同意を示している 場合、 またはそれを 行うについて 何らかの 倫 理 的、 法律的な許可があ る場合は、 それを行ってもよい。 一 71 一 (b) こうした学問的、 専門職的なプレゼンテーションにあ たっては、 サイコロジストはこうした 個人や組織・ 企業が誰であ るかわから ないように、 それらに関する 秘密の情報を 変えるのが普通であ り、 その結果もし 自分のことを 公開されているとねかっても、 他 の関係者にはそれがわからず、 したがってプレゼンテーションが 害 を及ぼすことはない。 かなり引用が 長くなってしまったが、 アメリカでの 学校記録の開示のあ り方 と、 サイコロジストの 秘密情報の開示のあ り方には大きな 共通点があ る。 その 1 つは特別な場合を 除いて開示されないということ、 の文書での同意が 必要だ 、 ヒ もう 1 つは開示には 当人 いうことであ る。 また、 サイコロジストのための 倫理綱領では、 更に、 プライバシー 侵害の最少化のために、 目的に密接に 関連 したものだけを 記すにれは筆者の いう 個人情報を必要最小限にする、 という ことと一致する ) ということと、 データ スや著作などに 公開する情報は その個人の身元が 判明しないようにすること、 とが成文化されている。 拙稿でとりあ げた吉岡、 佐々木、 松田、 川口、 そして田中・ 松尾の論文は、 ① 5.03(a)目的に密接に 関連したものだけを 記す② 5.07 個人の身元が 判明し 侵 害されるのを 避けるため、 記号化その他のテクニックを が 誰であ るかわからないようにそれらに 使用する③ 5.08(b) 関する情報を 変える、 等の項目に関連 した検討と言えよう。 また、 辻村、 細川の論文は 5.08(a) 個人または企業・ 組織が文書で 同意を示 している場合と いうことと関連した を 求めるということは 検討と言えよう。 日本では文書で 同意 少ないだろう。 またその同意を 明記するということもほ とんどない。 これからの課題であ ろう。 これら学校記録に 関する最低基準とサイコロジストのための 倫理綱領という、 アメリカで既に 実践されている 法律・倫理綱領は、 たとえ日本で 文書化された ものがなくとも、 教師たるものの 配慮するべきこととして、 十分に検討されて 一 72 一 しかるべきではなかろうか。 次に、 倫理綱領とは 別の角度からフライバシ 一に取り組んでいる、 日本での 教育現場からの 3 一3 研究に注目したい。 日本に於けるプライバシー 権 に関する研究 一 教育現場から 一 まず、 前に掲げた『プライバシー 権 の総合的研究』の 第 5 章第 2 節「教育と プライバシ一一教育現場におけるプライバシ 一の実証的研究 一 」。。 であ る。 こ 学生に、 人権 意識を向上 研究したものとされている。 著者の立場 れは同論文の 著者が教鞭をとっている 大阪教育大学の させる目的でなされた 指導を実証的に は 「人権 に対する意識や 態度の形成のための 憲章などの知的理解から 出発すべきでなく、・生徒・学生の 現実を掘り下げ、 れを見直すことによって、 る 教育は、 世界人権 宣言、 ユネスコ そ 日常的な考え 方、 態度を再構成することが 重要であ 。 」。,というものであ り、 まず学生をいく っ かの実験グループと 比較バル 一プに 分け、 プライバシー 保護に関する 意識調査を行い、 それを分析していく。 我々教師にとっても、 プライバシー 権 に関して先を 行っている国の 倫理綱領 等を検討することと 共に、 教師自身の「現実を 掘り下げてそれを 見直す」と う 視点からの取り ぃ 組みも大切だ、 ということを 考えさせられる 論文であ る。 ちなみに、 この調査の中には「あ なたにとって 他人に知られたくないと 思わ れるものは何でしょうか」という 質問があ り、 18項目があ げられている。 。 ,そ こには「学業の 成績」という 項目もあ り、 これは調査結果によると、 どの 一プ でもかなり上位を 占めている。 日本人大学生も 当然、 ダル 成績の開示はどんな 形であ れ「知られない 権 利」の侵害と 意識することはここからも 明らかであ る。 この論文の「おわりに」には、 「将来教育現場に 立っ人達が、 人権 意識に目 覚め、 子供一人一人を 大切にするという 視点に立った 教育が出来るためには、 丁 プライバシ一の 権 利刀について、 詳しく知ることが 必要であ る。 4, 」 と 述べ られている。 既に教職についている 者にとってもこれは 必要なことであ ろう。 特に、 外国人を対象とする 日本語教育の 教師の場合、 自らの人権 意識を高める ことと同時に、 対象者の人権 意識を知ることも 大切であ る。 一 73 一 この観点から 書かれたものに、 井上手代編著「留学生の 発達援助」。。 があ る。 その第 3 章「日本語教育の 現場にみる不適応事例」では、 外国人学習者の 開示に関するアンケート 調査が載せられ、 検討されている。 この調査は、 生 が実際に教室活動の 中で、 どんな質問に 対して、 自己 「 学 自分のことをこたえるのが いやだと感じたか、 教師がどんな 質問に対してフライバシ 一面で配慮が 必要と 考えているか」。 5 ということに 関してのものであ る。 これは外国人学生の「知 られない権 利」に関する 意識について 多くの示唆を 与えられるものであ り、 今 後もこの面での 多様な研究が 4. 求められているのではないだろうか。 おわりに 紀要が書棚に 積まれている 時代は既に終わりに でも、 近づいている。 大学の図書館 書物をインターネット 上にのせる作業が 行われており、 自校の紀要に 関 しての入力が 終わっているところもあ る。 それぞれの全文はまだだが、 何処に どのような論文が 掲載されているか、 という検索は 既に可能になっている。 将 来的には全文もインターネット 上で読めるようになるだろう。 それは、 世界中 0 日本語教育関係者が 必要に応じて 検索し、 いつでも手軽に 紀要を文献として 用いる体制が 出来つつあ る、 ということを 意味する。 それに伴って 掲載論文等 の プライバシー 権 に関する配慮にも、 よ り厳しいものが 求められるであ ろう。 我々はプライバシー 権 に関して教師のための 倫理綱領はもっていない。 し 前掲井上の「留学生の しか 発達援助」に 代表されるように、 学生の「知られない 権 利」への取り 組みがなされていることも 事実であ る。 日本語教師自らの 手で 研究を進め、 学生とのより 良い信頼関係を 築き、 日本語教育を 充実させていく ために、 拙稿が役立てば 幸いであ る。 また、 関係者諸氏から 拙稿に関する 議論 が 出されることを 期待するものであ る。 一 74 一 権 利」という言葉が 公に使われたのは、 福岡県の春日市個人情報保 護審議会専門研究会編「『知る 権 利』・『知られない 権 利』 一 春日市情報二条剛 l 「知られない の回顧と展望 一 [10周年記念論 剣 信 m 社出版株式会社 1996 が初めで あ ると思われる。 拙稿は、 同研究会の了解を 得て、 この言葉を使用している。 」 2 それそれの論述はその 著者により様々な 表現が用いられている。 また、 同一読 述に 於ても「報告」と「論文」が 混用されている 例もあ る。 従って拙稿では 各論 述を・論文・ 報告の定義に 基づいて判断することを 避け、 一括して「論文」と 呼 ぶことにした。 吉岡英幸「聞き 取り能力 : 留学生と日本人の 調査分析」 分冊早稲田大学日本語研究教育センター 1993 『講座日本語 3 コ 第 28 4 同論文 pp.51-52 5 佐々木瑞枝「日本語教育におけるニーズ・アナリシス ン」 6 ア 横浜国立大学留学生センタ 一紀要 と カリキュラム・デザイ 第 2 号 1995 コ 佐々木の著述にはこの 他にも学生のプライバシー 権 に関して問題と 思われるも 55.56.57 『月刊日本語』 1993年 7.8.9 月 のがあ る。佐々木瑞枝「日本語教育日記」 号であ る。 ここに描かれている 授業風景その 他にとりあ げられている 学生の名双 は 実名であ る。 更にそれら学生のイニシャル と 国名入りの成績表がイラストのよ うに出されている。 これは紀要に 掲載されたものではないが、 資料としてあ げておく。 7 松田由美子「中級学習者の 日本語学習過程に 関する一考察」 『横浜国立大学 留 学生センタ一紀要』第 2 号 1995 8 川口 「予備教育中上級日本語学習者の 生 センタ一紀要』第 2 号 1995 9 前掲松田論文注 3 作文にみる誤用」 良 『横浜国立大学留学 p.28 l0 前掲佐々木論文 p.5 Ⅱ同上 l2 田中共子・松尾 薫 「異文化欲求不満における 反応類型と事例分析 一 異文化間イ 『広島大学留学生センタ 一紀 到 第 4 号 ンターメディエータ 一の役割への 示唆 一 」 1993 l3 同論文 p.82 l4 同論文 P.87 p.87 l5 同論文 一 75 一 l6 佐々木瑞枝「英語を 媒介とした日本語プロバラム」 タ 一紀要 第 3 号 1996 『横浜国立大学留学生セン 山 l7 同論文 p.53 @8 同論文 P.54 第 1 行田 l9 辻村俊子「早稲田 / オレゴン夏季プロバラムにおける 初級日本語クラス 一日本 大学生とのコミュニケーションをめざして 一 」双掲 講座日本語 第 29 分冊 1994 甲 廿 20 同論文 pp.332 一 333 2l その他、 佐々木瑞枝「 Passive から Active へ ( F 横浜国立大学留学生センタ 一紀要』第 4 号 1997) 及び田中貫「原民喜の『夏の 花コを読んで 一 留学生の読後 」 感想から 一 ( 前掲 」 ニ 講座日本語』第 30 分冊 1995) には学生の作文、 また 構 林田 世 「教師一学生間のコミュニケーションを 分冊 1994 増やす」 には学生から 教師への便り ) (前掲『講座日本語数 ( ジャーナル ) が載っているが、 司 第 29 いずれも学 生の同意の記述はない。 22 細川秀雄「母語を 発見する 眼 前掲『講座日本語教育』第 29 分冊 1994 。 p.82 に 、 学生諸君等の 協力に感謝する 旨の付記が付けられている。 」 23 橿原 猛編 『プライバシー 権 の総合的研究』法律文化社 1993年第 3 刷を使用 ) 1991第 1 脚 (拙稿では 24 回書 p.52 25 ジュリスト増刊 p 情報公開・個人情報保護団 有 斐閣 1994, 5月 26 同誌 PP.2 一 15 27 同誌 p. l0 28 同誌 p.l0 29 同誌 pp.244 一 248 30 同誌 p.246 3l 前掲 書 (注 1 ) 32 回書第 2 編第 8 章 33 国書 p.84 34 Evan Hendricks, Baasic Guび idee to [email protected] ム 笹田栄司「教育情報の 開示」 Trudy Hayden.and Jack D.Novik. Ⅱひ胡はガ用脚 の PRI 抑ぴ一刀 e窩 7 ガ,i9;・ fs [email protected] , [email protected] ぬ抑 /n/.or 佛 り切 ぶ,ocie か二 Southern Illinois Edition , 1990 YOUR RIGHT TO PRIVACY 和訳全訳 「プライバシ 一の権 利」 教育史料出版会 1994 一 76 一 35 同訳書第 8 章「学校記録」 36 原文では次のように 書かれている。 は部外者に開示されるか ? ( 前掲書の訳文による。)p.112 「◆学校記録 ほとんどの場合、 記録は生徒または 親の同意なしに 開示されることはない。 生徒または親の 同意がなくても 開示が認められている 重 要なケースは 以下の場合であ る。 ( 以下略 )」 ( 連邦憲法 U.S.Constitution) pp.114 円 15 「◆情報の開示の 同意はどのようにして 得られるか ? 同意は書面で なければならない。 その書面には、 資格の有る生徒または 親が署名し、 日付を記 入していなければならない。 どの記録が開示されるか、 開示の目的は 何か、 だれ あ るいはどのような 立場の人々に 対して記録が 開示されるのかについて 明記され ていなければならない。 また、 開示の請求に 同意した資格のあ る生徒や親には、 開示されたどの 記録についても 要求があ ればそのコピーがあ たえられねばならな い。 」 ( 連邦憲法 37 前掲論文 U.S.Const は lltion) ( 注 30) pp.83 一 84 にも教育情報の 内容が述べられている。 38 the №@ ァ lc卸 Psychologlcal Assoclatlon. 百7 ヵⅠ aa 窩 / , 月ⅠⅠ 打 cIp t8s 0 Ⅰ 月@丘ハ% ぬ 07%ぽ s Ⅰ Ⅰ る Ⅰ 廿 コイ し@oイ dle o Ⅰ 乙㎝ イ接 ct. 1992. 冨田正利・深津道子訳『サイコロジストのための 倫理綱領および 行動規範』 日本 心理学会 1996 39 回書 pp.32 一 36 40 山岡 建 「教育とプライバシー」双掲復原 猛編 p プライバシー 権 の総合的研究』 1991 4l 回書 P.355 42 回書 pp.360 一 361 43 回書 p.385 44 井上手代編著『留学生の 発達援助』 45 国書 p.49 参考文献 多賀出版 1997 ( 注に 所掲 以外のもの ) 1. 大橋敏子化覚国人留学生とのコミュニケーション・ハンドプ ック コアルク 社 1992 2. 川辺理恵「私の 生活について 聞かないで」 明刊 日本調 1996, 6 月号アルク 社 3. 1 00 のトラブル解決マニュアル 調査研究グループ 編著『覚国人留学生の 1 00 のトラブル解決マニュアル』凡人社 1996 4. 渡辺文夫『異文化接触の 心理学』 川島出版 一 77 一 1995