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“K-LE`S・君津市国際 の文字がくっきりと看板に。 がとれて

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“K-LE`S・君津市国際 の文字がくっきりと看板に。 がとれて
:轟
F=:
醜
レ
11
幾
貞 元土地 区画整 理 組合 準備 委 員会 の小 西委
員長 は ﹁一緒 にな って市 の発 展 を﹂ と期 待 の
声を かけ 、﹁
乾杯! ﹂ と音 頭をと ってくださ っ
た。 ︵
右 端 。 左 へ前 田会 長 、若 月市 長 、 左 端
が藤 平副会長 ︶
い
ア イ デ ア い っぱ い の 除
幕式 。 若 月 市 長 と 前 田
会 長 が ひも を 引 く と ⋮ 。 軽 さ
当協 会 の事務所 が で きま した。気
に立 ち寄 つて 、お しゃべ りして くだ
。
これ まで住所不 定 で会議 をす るに も
と覆 い が とれ て “KI.E.S.君 津 市 国 際
交流協会 "の 文字が くっ き りと看板 に。
思 わず拍 手 の波 、波 、波 。
再 び事 務所 内 に戻 った一 同 は 、小西
委員 長 の「乾杯
!」
の声 に祝杯 をあげ
懇 談 に移 りま した。 日本語教 室 を代 表
して 2名 の外 国人 も参加 しま したが 、
この席 で 先般 、協会 の英 文名称募 集 に
応募 、採 用決定 され た 5名 の方 (田 口
とみ 子 、岡文子 、大田昭子 、落合 正子 、
川崎章子 の皆 さん )に 大 曽根 企画部長
か ら記念 品が贈 られ ま した。
地元特 産 の 日本酒や ワイ ン、 また名
物 の 太巻寿 司が卓上 をに ぎわ したの に
つ られてか 、40人 近 い 出席者 で懇 親会
は大 に ぎわ い で終 了 しま した。
販雷
帥
趙
恭
[
ア ピタ
君 津市役 所
芝崎事務 局長 の司会で 、 まず若 月弘
市長が 「 ここを拠 点 に して」 と期 待 の
挨拶 、続 い て前 田 ヒサ会長 が「市 と委
員会 のおか げ」 と感謝 の言葉 をのべ 、
転 々 と して きま したが 、 ど うや ら 4月
小西 多佳夫委 員長が 「一 緒 に市 の 発展
君津市 で 国際交流 の 花 を開かそ う一
か ら定住 す る こ とにな りま した。
をめ ざそ う」 と祝辞 、 また永蔦伸安副
との願 い を こめて 、会員有志約 40人 が
市役所 と貞元土地 区画整理組 合設立
委員長 か ら「国 際化 の情報 発信基 地 に
4月 27日 田 三 島湖 の くじら島 に行 き記
との激 励 の言葉が か け られ
念植樹 祭 に参 加 、 500人 の 来場 者 に混
じって ミツバ ツツジ 、 アジサ イ、 ス イ
準備委 員会 の ご好意 に よ り、同委 員会
なろ う
事務所 の一 部 に間借 りす るこ とになっ
ま した。
た もので、 4月 12日 15時 か ら「 さらな
セ ンな どを植 えました。土 い じりとあっ
る発 展」 を期 して事務所 開 きを催 しま
ここで 除幕式 に移 り、一 同 、事 務所
へ
外 。若 月市長 と前 田会長 が ア イデ ア
した。
を こめた 除幕 の ひ もを引 けば、パ ラ リ
て も大事 に育 て ようね 。
!」
てチ ビ ッ子 会員 は大喜 び 。大 き くな っ
0乙
KI ES`や :服
て い る こ とな どが そ の理 由 で す 。
Q
A
一 度 に交渉 を始 め るんです か。
一 度 に交渉す る と、人 とお金が 大
変 で す。 この 5都 市 のその他 の 条件 を
比較検 討す る と、中国 とニ ユー ジー ラ
ン ドに まず 的 を しぼ って始 めた方が成
功 の 可能性 が高 いで しょうね。
そ う した研 究調査結果 を5月 29日 、
君
ハ
ー
ー
ル
ルの
で
ホ
サ
室
リ
開
津市民文化
電子銀 行 サ ー ビスの ニ ュ ー ジー ラ ン ド
Q
5000年 の歴 史 をもつ中国
Q
A
いた理事会 に報告 、了解 して い ただ き
ど こです か。
ま した。そ して市へ提案 したわけです。
アメ リカ大 陸班 は 、 日本 に提携 を
申 し入 れて い て 、木更津市 、富津市 の
Q
A
姉妹都市 に近 い カ リフ ォル ニ ア州 のパ
ソ・ ロ ブ レス市 、それ と気候風土 が よ
よ。そ の前 に経 済的 、精神 的 にお互 い
が負担 にな らない か を よ く検 討 しあ っ
て い か な い と…… 。それ に治安が安定
姉妹都市 の調査 、研 究 を始 めたの は前
くて 、 日本移民 の多 いハ ワイの カイル
ア市 を、 またア ジア・ ア フ リカ班 は 、
号 で紹 介 しま したね。 アメ リカ大 陸 、
新 日鐵が製鉄所 を建設 した中国の宝 山、
ども考 えてお く必要が あ ります ね。県
アジア・ ア フ リカ、 ヨー ロ ッパ ・ オセ
それ と北 京原 人の遺跡 が あ り、先方か
内 の あ る市 で は 、提携 まで に10年 もか
ア ニ アの 3班 ですが 、関係機 関 を訪 ね
か つた り、提携 寸前 に先方 の都 合 で ダ
た り、資料や情報 を整 理 した りして、
ら提携 を申 し入 れて きた房 山 を、 さら
に ヨー ロ ッパ・ オセ アニ ア班 はニ ュー
1∼ 2週 間 に一 度 は集 まって議論 しな
ジ ー ラ ン ドの パ ーマス トン・ ノース市
今後 、交渉 が進 む につ れて先方 へ 視
が ら都 市 を しぼ ってい ったんです 。
そ して4月 20日 、3班 の合 同研 究発表
をあげ ま した。 ここ も提携 を申 し入 れ
てお り、小 ・ 中・ 高校 で 日本語教 育が
察 に行 くこ とに もなるで しょうが 、好
き嫌 い で な く、冷静 な判 断 で対応 して
会 を開 き、 5都 市 を候補 に挙 げ ま した。
行 なわれて い て 、研 究情報都 市 と称 し
い きま しょう。 (都 市 交流委 員会 )
一 部 の新 聞 に、姉 妹都市 の候補 地
が報 道 され ま したね。
A 中国 とニ ュー ジ ー ラ ン ドに、的が
しぼ られて きま したね。
Q
A
どんな理 由か らです
?
去 る 1月 に 3つ の研 究班 を編 成 、
基礎 Iの テキス トを
生徒 は昼 間勤務 を終
基本 として、歌あ り、
ゲ ームあ り、また 日本
えての受講者 。皆 や る
年 内 に も決定す るんです か。
相手が承諾 しない と、で きませ ん
して い る とか 、言葉 に困 らな い とか な
メになった ところ もあ ります 。
帰化 を希望 してい る
人や、全 く日本語 を話
せない 人が集 まり「基
気満 々で楽 しい 。
をテ キ ス トに楽 し く学習 して い
文化 の紹介 あ り、そ して 日常 生 活 に使
学習 は基礎 Iを 基本 に して、 日常 の
われ る漢字 も取 り入 れ て い る。時 には
語 い を広 げてい くための10分 フリー トー
ます 。発音 チ ェ ックの ため に、聞 い た
生徒 が前 に立 ち、生徒 の 国 の言葉 を教
クか ら始め、母語交流 も併せて行 うが、
単語 や文章 を文字 にす る学 習 を始 め ま
える。その時 は講 師 と生徒 の立 場 が逆
生徒の母語がで きず学習者の気持ちが
した 。小学校 2年 生 の 国語教科書 を副
転 す るが 、お 互 い に教 えた り、教 え ら
よく解 る。会話は生活場面優先の内容
を挿入 してい く。 日本 の風俗習慣等 は
読本 に して、漢字 に も親 しみ を もつ よ
う工 夫 して い ます 。 また、 フ リー トー
学習を通 して伝 えたい。
ク も楽 しみ な学習 の 1コ マ です 。
連絡先 (52)0852佐 藤
連絡先 (55)1625落 合
れた りの 国際交流 を展 開す る。
学期 の終 わ りには、料理持 ち寄 リパー
テ ィー を計 画 。連絡先 (55)5571岡 田
6月 4日 か らスター
トとい うことで 、まず
礎
I」
今年 3月 に開 い た最
「
初 の 日本語教 室 。 日本
警募 :i][:33
圃
す昼 のクラスで あるが、 こちらは同 じ
3級 、 4級 をめざす人でも夜 のクラス。
級合格 をめ ざす人を対象。
昼 と同 じように30分 の漢字 の勉強、
40分 を聞いた り書 いた りのテス ト。宿
書 いた りのテス ト。残 りは日常生活 の
話 し合 いの 中か ら日本語 を学ぶ ように
題があ つてその結果 を講師が よく判断
し、生徒 の不足 してい るところ を補充
してい る。宿題があってその結果 を分
析 し、生徒の弱 い ところを講師がつ か
問合 せ 、申込先 は (56)1265国 際交流室 、
してい くよ うに してい る。
み 、力をつ けてい くように してい る。
(52)8425森 山、(52)5654久 保 田 まで。
連絡先 (52)6404太 田
連絡先 (52)6404太 田
初歩か ら。中国語 は発
音が難 しい が 、先生 は北 京市 出身で市
内 の会社 に勤 め る女性 ・許妍 さん、ナ
マの 中国語 が勉 強 で きる。 これか ら中
国語 の必 要性 は高 まる と予想 されてお
り、会 員 は意欲 満 々 。
学 習 は毎週 (火 )19時 15分 か ら90分。
語検定試験 の 3級 、 4
30分 を漢字の勉強、40分 を聞い た り
1会 費
2補 助金
3事 業収入
4雑 収入
合
塞
計
目
科
予算現額
決算額
増減額
50,000
180,000
230,000
228,250
△1,750
466,000
0
466,000
466,000
0
0
300,000
300,000
293,800
△6,200
0
100
86
△14
516,000
480,100
988,136
△7,964
予算額
補正額
市補助 金
ク リス マ ス パ ー テ イ ー
貯金利子
不用額
△35,000
41,000
△40,000
14,000
△9,000
0
0
40,000
40,000
1,000
900
55,000
955,100
944,850
15,000
0
0
315,000
30,000
90,000
314,380
26,069
86,861
3,931
520,100
517,540
2,560
0
0
985,750
10,350
40,900
0
0
計
480,100
40,000
20,000
0
△20,000
516,000
480,100
0
当協 会 は 5月 29日 ω 平 成
8年 度 の 総 会 を開 き、会 員
996,100
告 、活動 報 告 を承 認 して い
収
また本年 度 の予 算 案 、活 入
動 案 な どにつ い て も承 認 し
て い た だ きま した。 なお 、
10,250
音6
総会終了後は藤本幹子 さん (千 葉経済大学短期大学部教
授 )の 講演会 を開 きました。藤本 さんはモ ンゴル との 国際
3事 業収入
4繰 越 金
5雑 収入
l
o4 一
R ︶
救援 の「 モンゴル基金 」は、60,866円 集 ま りま した。6月
、 日本ユニセフ (国 連児童基金 )協 会へ 送金 しました。
ご協力あ りが とうご ざい ました。
2月 3日
どん ど焼 き参加
2月 23日
市 との共催 の文化 イベ ン ト
説
明
650,000 個人350人 ×1,000円 団体30件 ×10,000円
4,832,000 市補助金 事業費
2,232,000F
700,000
クリスマスパーテイー
目
2,386 前年度か らの繰越
614 貯金利子
6,185,000
杵 曲
説
明
950,000
総会費
100,000 会場設営費・賄費等
会議費
100,000 理事会・運営委員会・各専 門委員会
事務 費
750,000 郵便料・備品・消耗品・光熱水 道費
の
5,150,000
1 総務委員会費
500,000 会報作成費・KIESニ ュース・広報活動費
2
文化交流
委員会費
・
750,000 国際理解セミナー 国際交流イベント
3
語学委員会費
300,000
日本語教室 ・外国語教室
4
都市交流
委員会費
200,000
グループ研究会・講演会等
12日
ヤ ングクラブ体験発表
計
2事 業費
出
キ ッズ クラブが主人公 (秋 の遠足 )
ク リスマスパ ー テ イー
杵 断 期
電話代・パソコン料・印刷費・修繕費箸
ましょう一―と感動的な話 で結 ばれました。
10月 12日
ク リス マ ス パ ー テ イ ー
野外交流パーテ イー等
科
ん玉の虹 にちなんで「虹の会 」 と称 した経緯 を語 つて 、精
、
いっぱい に咲 く野草 の花 の よ うに私 たち も′
の花 を咲かせ
亡
市民 ふれ あ い祭 り参加
ハガキ・テキスト代 ・消耗 品・備品
3,139 講 師 謝 礼 ・ 先 進 地 視 察 費
海外視察研修費 2,600,000F
1管 理運営費
ととして講演 をお願 い しました。 一般家庭 で何かお役 に立 支
つ ことを、 と考えて 「石けんを送 る運動」 を始め、 しゃぼ
8月 3日
目
1会 費
2補 助金
合
交流体験 を「モ ンゴルに虹 をかける」 とい う著作 で語 って
い ます。 この草 の根運動 は 、当協会 にも大変教 えられる こ
野外バーベキュー大会 (坂 田キヤンプ場
620 図書 ・会報 印刷 発 送費
の
規約 の改正 はあ りませ ん。
7月 28日
切 手代
ゴム 印代
囃
科
ただ きま した。
1月 中旬
明
難
の皆 様 か ら昨年 度 の 決 算 報
12月 14日
説
0
合
0
︵υ
3予 備費
300,000
30,000
90,000
0
4
総務委員会事業費
事業委員会事業費
都市交流委員会事
業費
交流費
0
部
480,100
個 人 500円 ×245人 /250円 ×3人
団体 ・法人 5,000円 ×21件
0
の
1
2
3
420,000
0
3
2事 業費
0
2
出
40,000
26,000
10,000
会議費
通信費
需用費
決算額
、明
0
0
1
支
流用充当
増減額 予算現額
0
76,000
996,100
説
nυ
nυ
1管 理運営 費
羹
補正 額
予算額
︵υ
Aυ
収 入 の 部
目
科
5姉 妹都市候
・会員交流活動費
地域 イベント
2,600,000 姉妹都市候補地海外派遣視察費
補地視察費
部
6
交流費
800,000
クリスマスパーテ イー
野外交流パーテ ィー等
3予 備費
合
計
85,000
6,185,000
①事務所ができたの
で、事務所運営のルー
ルづ くりをすすめる。②備品も揃っ
て くるので、その管理 も確実にする。
③各委員会などの書類 も分類、整理 し、
いつで も誰にでも公開できるようにす
組 織 図
る。
昨年 は姉妹都 市研
究班 をス ター トさせ
ニ
6月 に中国 と ュー ジ ー ラ ン ドに的 を
[理 事会]
しぼ った参 考案 を市 に提 出、一応 の 区
協会運 営 の 基 本
に係 わる 事 項 を
審議 、決定する
切 りをみせ た 。 しか し、相 手 との 間 で
は 、経 済的 、文化 的 、社 会 的、慣 習 的
なギ ャ ップが あ る もので 、それ を埋 め
て成立 まで もって い くには、 まだ生 み
の苦 しみ を味 わ うこ とが 予想 され る。
とはい え提携 に備 えて 、 ホ ームス テ イ
受入 れ な どの準備 をすす めてい く。
昨年度 の事業委員
会 は 、本年 度か ら文
予算 が正 しく使 われ
ているかを監査する
化交流 委員会 と語学委員会 に独 立 、そ
れぞれ実力 を発揮 す る。
具体的な事業の執行 に
関する ことを決める
文化 交流 で は
金 銭 出納や庶 務 を
担当する
4委 員 会 の 運 営 や 活
動 、 また 事 業 の 総 合
的な企画に取 り組む
日本 語 教 室 、
外 国語講座 を
開催する
坂本
若月
蜆
溝 口
辰 造 君津市議会議長
工寺
睦 満 新 日本製鐵帥君津製鐵所長
竹内
栗原
前田
良 次 海外 交流推 進協 議会長
ヒ サ 千葉国際高校理事長
藤平
幸 夫 君津市 文化協 会長
真田
鎌 田
竹内
和 子 君津市赤十字奉仕 団委員長
欣 一 君津市 自治会連絡協 議会
笠嶋
岡1志 君津市校 長会
宮崎
石橋
鞭
輔
のひとときを楽 しむ計画。 L et's iOin
“
Iyasaka Odori"Of 」apanese dance
希望者 は7月
1日
まで下記 に連絡 を。
(54)9877 K I E S,(52)0852 佐藤
キ ッズ クラブ 、会
勒
靭 柳 井
弘 君津市長
響丼
翻
②市内地域の祭 り (フ ェスタ)に 参加
8月 3日 018時 半 ∼21時 の市民ふれあ
い祭 りに参加 、「いや さか踊 り」 で夜
③会員交流 イベン ト 親子 の交流会 の
製難■
鏑
選す
のを
九
十
叩法
交
螂 眺
ヽ
姉定 す
を進
流推
交 ヽ
化し
文画る
異企 す
広報 、事務な
ど を担 当 す る
①教育研修 イベ ン ト 市 と共催 で講演
会や シ ョーなどを開催
鈴木
員 同志 の趣 味 の会
程 子 きみ つ 女性 プ ラ ン21懇 話 会
の ホ ビー クラブ 、
章 君津 ライオ ンズ クラブ
の イベ ン トや
若者
広 一 君津 中央 ライオ ンズ クラフ
義 明 上総 ライオ ンズ クラブ
智 也 君津 ロー タ リー クラブ
集 いの会 のヤ ング
をすすめて い く。
芝崎
雄 司 上総 ロー タ リー クラブ
栄 一 事務局長 ・語学 委員長
石井
睦 子 会計
井上
泰 祐 総務 委員長
(53)0779
別称 「語楽委員
庄 右 君津市体育協会
佐藤
敏 夫 文化 交流委員長 (52)0852
会」 と称 す るだけ
誠 治 君津市 PTA連 絡協議会
友 彦 都 市交流委員長 (52)3649
ラッセル・キース 都市 交流委員
ピーター・ゥィダー 文化 交流 委員
に 、 とにか く楽 し
永 島
智 君津市農業協 同組合
佐野
全 君津市森林組合
色部
晋 司 君津市商 工 会議所
斉藤
じ(55)0727
山本
鴇 田 五 兵衛 君津市観 光協会
フィル・パール 文化 交流 委員
サナエ・パール 都市交流委員 ・文化交流委員
伊賀 恵 美 子 君津木更津 医師会
玉川
宮崎
神 田
正 三 君津市社 会福祉協 議会
稔 君津市老 人 クラブ
クラブな どの 活動
重 夫 君津市教育長
久保 実 家 子 君津市連合婦 人会
嶋 田 徳 一 君津 ボ ー イス カ ウ ト
い学習が モ ッ トー。
現在 、 日本語
5
クラス 、中国語
1
クラスが 開講 して
い るが 、意欲 あ る
メ ンバ ー で他 の語
楽 も誕生 させ る。
で も本格 的 に学 んでみたい 、そ ん な仲
広υ
KI ES会 報
3名 となってい ます。
まだまだ実力 のある方がお いでの よ
間が集 まって昨年 9月 か ら貞元 コ ミュ
ニ テ ィセ ンターで 、平野静風社 中 の方
うです し、今後の登録 申請 を楽 しみに
か ら指導 を受 けて い る。
して い ます。
(総 務委員会 )
協会 の 活動が活発 になって きた ので
この お茶 の会 もホ ビー クラブの 1つ と
左 から 大 野 さ ん 、 石 井 さ
ん 、芝 崎 事 務 局 長 、 井 上
総務 委 員 長
して、本格 的 に活動 して い こ う と して
い る。 きっ とい つ か 国際交流 の場 で役
立 つ と楽 しみ に して い る。
毎 月第 3土 曜 日 9時 ∼12時 、1カ 月
1,500円 。問合 先 (52)6835鈴 木礼 子
8月 に ドイツのミュンスター大学オー
ケス トラが「かず さの森音楽会」 で演
奏 します。その団員が 日本 との友好 を
深 めたい と、12∼ 14日 の 2泊 3日 の普
段 のままのホームステイを希望 してい
ます。 日独親善のために経験 してみま
せんか。協会へ お電話 を。
会員 間 の親 睦 を さ らに深 め た い とス
ター トした この クラブ。 3月 に貞元 の
コ ミュ ニ テ イーセ ン ター 、 5月 にサ ン
ミ
ッ ドを くだ さる方はい らっ
どなたカシ`
念願 の拠 点 にふ さわ しい “
看板 "作
りに、事 務 局 が経 費 と時 間で悩 んで い
ロ イヤ ル と開催 しま したが 、楽 しい お
た ところ 、ボ ラ ンテ ィアで腕 をふ るっ
ため に大好 評 で した。 しか し負担 の な
い よ う安 く、安 くと′
いが け たため に四
の 団員 を、 ホ ームス テ イ させ る予定 で
苦八苦 。開催 直前 までハ ラハ ラの連続
で した。ナ マ のバ ン ド演奏 の皆 さん、
だ さい 。0438(37)1862岡 。
て製作 して くれた人が人見 の石井澄雄
さん (澄 雄鉄 工 所社 長 )と 大野忠雄 さ
ん (新 日鐵 化 学 lal社 員 )。
しか も開所
しゃべ り、そ して ダ ンス もと欲 ば った
式 に間 にあ う よ うに との配慮 も。取付
ボ ラ ンテ イアで有難 う !
終 了後 「 これ な ら少 々の 日照 や雨風 に
を楽 しみ に。 (36)4606鈴 木
も大 丈夫」 とた だ感激
しゃい ませ んか 。 8月 にや つて くる ド
イツの ミュ ンス ター大学 オ ー ケ ス トラ
い ます ので 、恐縮 で すが 、お電話 を く
またの企 画
!
満 開 の桜 の花 の下 で 、紙 芝居 (そ れ
も “
桃太郎 "や “浦 島太郎 ")と い う
純 日本 的 な風情 をた っぷ り味 わ ったの
「 ボ ラ ンテ ィア登録 」 に応 じて い た
ホビー クラブとして「パ ソコンクラ
ブ」 が有志の発案 で誕生 した。 このク
ラブの創設 目的は国際交流の手段 の一
つ として、 イ ンターネッ トを活用 し全
世界に向けて君津市の もろもろの情報
だ いて有難 う ご ざい ま した。前号 で 、
あ なた とい う人材 の「 能力」 を協 会 ヘ
出 した先生 た ち。
の ボ ラ ンテ ィアで活 か しませ んか と呼
との企 画 で 4月 6日 北子安公 園 にシ ー
びか けた ところ 、 6月 10日 現在 で28名
トを広 げて約30名 が春 の ひ とときをす
ご した。
道が 5名 、華 道が 5名 、着付 が 4名 、
ダ ンスが 2名 、剣 道 ・バ ドミ ン トン・
③ 当協会 の活動内容紹介、④ ホームス
テイとホームビジッ トの派遣お よび受
ボ ー リ ング・体操 が各 1名 、テ ニ スが
2名 、 イベ ン ト協 力が 6名 、語学 関係
入れ広告、⑤君津市で活躍 してい る外
が通訳 ・翻訳 ・ 指導 あわせ て34名 、そ
の他朗 読 ・ 日本 史 ・絵 画 ・七宝焼 ・詩
集 まって、情報交換 と研究をお こなっ
てい る。研究テーマ はイ ンター ネッ ト
関連情報、協会が導入予定 のパ ソコン
ソフ トの使 い方な どである。
時 には戸外 で 日本語 を楽 し く勉 強、
の登 録 とな りま した。
そ の 内容 はホ ー ムス テ イが 7名 、茶
発信基地 となること。
君津市 の もろ もろとは①君津市 のプ
ロフィール、②君津市 の各種産業紹介、
国人紹介、などである。
現在 クラブの中心 となるメンバーが
が 、 日本語教室 の生 徒 親子 とこれ を演
吟 ・ 囲碁 ・将棋 が各 1名 、パ ソ コ ンが
ら,FORE:GN
LANGUAGE SERVICE:N KIM!TSU 8
Push Dial(56)1234,
」apanese Language explanation,
and push the next code number.
問合先 (52)8425森 山
902〉 FIRES く
901〉 PROFILE OF KIλ ttITSU 〈
903〉
〈
外 国人が必ず とい って もよい ほ ど関
心 を もつ「 茶道」。そ の茶道 を気楽 に、
EARTHQUAKES
ALIEN REGISTRATION〈 905〉 HOSPITALS
906〉 NATIONAL HEALTH INSURANCE PLAN(KOKUNIIN KENKO
〈
HOKEN) く907〉 POSTAL SERVICES 〈908〉 JAPANESE CUSTOWIS IN
〈904〉
THE HOゝ /1E
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ち、「 外 国旅行 は 中国が いい なあ 」と言 つてい ます 。
私 もア メ リカで 3年 間 ホ ー ムス テ イ を経験 して お りま し
たの で 、 いつ か は留 学 生 をむか えた い と思 って い ま した 。
念願 が か な い 、す ば ら しい 機 会 に恵 まれ ま した こ とに 感 謝
して い ます 。
と
■
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だ
今 か ら13年 前 、姉 が ロー タ リ ー ク ラ ブ 青 年
部 で オ ー ス トラ リアヘ 3週 間 の ホ ー ム ス テ イ。
翌 年 、 そ の 交換 で わが 家 にオ ー ス トラ リアか ら
数年 前 か ら県 の 国際協 会 に加 入 して い る の
で 、 そ ち らの方 か らこれ まで 2∼ 3日 か ら10カ
'‐
ドド
月間 の長短 6人 の ホ ー ム ス テ イ を受 入 れ ま した 。
=墨 =
のホームステイを受けてか ら、 9回 外 国人 を受入れ ま した。 期 間が 長 くな る ほ ど文化 の 違 い か ら、誤解 が生 まれ が ちで
私 自身 もロン ドンで短期 間で したが 一 般家庭 でお世 話 に すが 、あ りの ままで …… と思 ってや れ ば 、気 に な りませ ん 。
なった こと もあ り、昨年 8月 には ドイツのキ ュ プス青少 年 写真 の 娘 さん は ドイ ツ人 の ラ ッヘ レマ ン響 子 さん。 お 母 さ
酵
‐
オ ーケ ス トラの 2名 が一 般家庭 での生 活 を してみた い とい
うことでわが家 に泊 ま りました。
、
に話 しか け ま
し
母が 日本語で手振 り、身振 りを加 えて一 ′
す と、相手 も一所懸命 わかろ う とす る気持 ちで い るので 、
何 とか通 じま した。すば らしい思 い 出にな ってい ます。帰
国後 は どうしてるかな、 と思 い なが らその国の ニュー ス に
関心 をもって見 るようにな りま した。家族 同士 の交流 を今
後 も続けてい きたい と思 っています。
んが 日本 人 な ので 、 日本 語 は 困 りませ ん 。 高校 2年 生 で 、
木更津 高校 に10カ 月間通 い 、 6月 28日 に帰 国 します 。
息 子 二 人が 家 に い ませ んの で 、 ち ょ う ど私 の 娘 の よ うな
感 じです。
先 日地 区 のお祭 りが あ って参加 、神興 をか つ いだ り、乗 つ
た りで 大 喜 び して い ま したが 、青 年会 の会 長 と賽 銭 箱 をか
つ い で 回 つた ら、例 年 以上 にお 賽銭 が 入 って い た とか で 、
地 区 の 人 も大喜 びで した。
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きざ ミ、 人 と、城西大学 の 中国人 を引 き受 け ま した。
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華道 、書道 な ど、 日本 の文化 に親 しんで もらっ
■■■
た り、大 勢 の 子 供 た ち と、折 り紙 や料 理持 ち寄 リパ ー テ イ
で 楽 しみ ま した 。 二 人 の 留 学 生 は勤勉 で 、子 供 好 きな温厚
な人柄 で した し、教 わる こ とが 沢 山あ りま した。デ ィズニー
ラ ン ドで共 に遊 ん だ タイの プ ラ ニ ー さん とは 、交流 を続 け
て い ます し、 また小 学校 4年 生 の 虐、
子 は、 中国 に興 味 を持
地 区 の青年会 の会長と賽銭 箱 を か
つ いだ ラ ッヘレ マン饗 子さん
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2年 前 の 夏 、 三 度 にわ た り、千 葉 大 学
講議却麟‖群警で暴4糖II極 繭歳母凝帥
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1996年 6月 21日 (金 )
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ミ、 す。先 日はニュー ジー ラ ン ドか ら仕事 で高松 に
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=ミ
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来て い た72オ の方 と交信 し、何度 目か の交信でわが家 に遊
びに くる ことにな りま した。 モ ー ルス信号 で しかお互 い を
知 りませんで したが、旧知の間柄の よ うにうちとけま した。
第 2次 大戦 中 は英国軍 に従軍 し、 セ イ ロン (現 ス リラ ン
カ)に 駐屯 して い た との こと。私 の父 もす ぐ近 くのア ン ダ
マ ン諸島にい たので 、二 人が地図を手 に言葉 を交わす光 景
は良 い もので した。彼 は去 る 3月 に帰国 して しまい ま した
が、今 で も週 に一 度 は大 平洋 を越 えて電波の交流 は続 い て
い ます。FAXや 電子 メー ル な どとい うもの もあ ります。本
当に便利な世 の 中にな った ものです。
報
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ト ンさ ん 、 ジ ョナ サ ン ・ヘイ ン お で
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左から交信相手のラルフ・
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