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者からみた「ウォーキング健康万能論」への苦言-「補そう具」

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者からみた「ウォーキング健康万能論」への苦言-「補そう具」
700.本コラム編集者による「特別寄稿
障害(歩行困難)者からみた「ウォーキング健康万能論」への苦言
-「補そう具」無しでは歩けない障害者(ポリオ)の健康自助努力の実際ー
健康指向が高まるなかで、やたらと「歩け、あるけ健康論」が盛んです。「健康は歩くことから始ま
る」といった感じのウォーキング万能論の横行です。別段、そのこと自体に文句を言うつもりは全く
ないのですが、あまりにも一本調子の提言で、しかも、あたかも歩かないことが万病の元、とでも言
いたい風潮に、障害者の立場をもって違和感を抱いていました。障害を持って歩けない人たちのこ
とをまったく置き去りにしたとさえ感じがしてならいのです。
常識的なことですが、お年寄りで骨折して歩けなくなったら、それがボケの初めになる、という恐ろ
しい常識がまかり通って現在に至ります。このことは裏返せば、「歩くことが健康維持の全て。それ
ができなくなったら、人間の身体はガタガタになり、ボケの始めにもなり、命を縮め、ジ・エンド
だ・・・」という決まり文句。
「歩くことで得られる健康を別の方法(例えば座ったまま、フロアに横たわったりしてできる色んな体
操メニューで)で補う」ということの指導や実践助言や、その発想すらほとんど無いということのそれ
は裏返しだとみます。
先日も私の執筆活動の主流を占めるまでになっている「私が選んだインタネット情報&ヨシダコメン
ト」がありますが、平素、私がひそかに尊敬する方の随筆に接したのが動機で本稿を書くことにしま
した。題して「老人大いに歩くべし」がそれでした。歩けない人がそのタイトルをみただけ想像できる
ことは、「俺(あたし)は門外漢、それだけが健康管理だったら、絶望だ・・・」となるでしょう。
同著者にはお詫びの言葉を付したうえのことですが、「カッコ内タイトルは吉田祐起引用」として(障
害で歩けない人はどうしたらイイ?)と添付させていただいてヨシダコメントを書きました。ほかでも
ありません、かくいう私ヨシダは補そう具を外したら車いす生活です。最近は共同生活のお陰で、独
身時代の補そう具を着けてしていたことの全てから解放されてデスクワークの一点張り。
にも関わらず、81歳の身になっても、若い者顔負けの健康を維持しています。申すまでもなく、そ
の背景には永年にわたる「ヨシダ流儀のストレッチング体操」の習慣があるからです。それがどん
なものであるかは、本ウェブサイトのあちこちで言及してきている私ですが、本稿では集中的に発
表して関係者のご参考に供するしだいです。障害者の方々に「俺も、あたしも、トライしてみよう!」
と思っていただければ本望です。
まずは、私の身体障害のことに言及します。私は生後10カ月で罹病した脊髄性ポリオによる歩行
障害者です。小学校に入る直前まで自力では歩けなかったとかです。幼年時代には体重が少ない
こともあって、おそろしくひどい恰好ではあったものの、なんとか歩いたものです。恥ずかしさも何も
なかった時代。
1953年、当時、私の地元広島市の中国新聞が掲載したポリオの成人アメリカ女性(故アン・アダム
ズさん・当時40歳)がベッドに取りつけられた電気タイプライターのキーボードを口にはさんだ棒で
打っている写真記事がありました。それが縁で文通をしたエピソードです。記事のもう一人(ひとつ)
の主人公は当時アメリカで流行った電気タイプライターでした。
後年、彼女が贈ってくれたジュラルミン製のステッキに刻んだのが「1953年」。爾来、そのステッキ
は60歳に至るまでの40年間にわたって私の身体を支えてくれました。すり減ったステッキの表面
の1953年の文字が僅かに判読できます。
満40歳の時は第二人生でトラック運送事業経営者になってバリバリと活動して時代でした。労働組
合との団体交渉を乗り切って、現場事務所から本社へ向かう乗用車を運転(ノンクラッチのため、膝
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の屈折が何とかできる左足でアクセルとブレーキ)していたら、背後から迫ってきた大型トラック(ル
ームミラーで確認したもので、2車線を追い越して私の背後に迫ってのこと)が追突したのです。危
険予知した私は、無意識のうちに首に力を入れてムチうち症から身を守ったものでした。
当時の私のクルマは新車購入直後のドイツ製カマドール。目の覚めるようなグリーン色で、運転し
ている私自身がちょっと、気恥かしさを感じたものでした。たしか、10日目のことでした。追突され
る瞬間、首を縮めてハンドルを握りながらも、左車線前方に駐車していたポール・トイレーラーの後
部車体に気付きました。
なんとその最後端に飛び出しているのが、ポール。瞬間に、「串刺しになる!」という危機感。次の
瞬間に、それから身を守るべく、左にハンドルを切ったのです。その結果、歩道を乗り越えて、道路
わきにめぐらされたコンクリート波防提にガ~ん衝突したのです。アコーデオンみたいに前後がペ
シャンコになったのです。でも、お陰でかすり傷も受けませんでした。
もっとも、後の話では、現場検証の時の私の顔は真っ青だったとは、スッ飛んで現場にきた社員の
弁でした。当時はまだ少なかった自動車電話で連絡したものです。蛇足の弁ですが、完璧な被害事
故のため、全額補償を受け、モデルチェンジし直後のオペルカマドールにシフトし、事後、そのクル
マを愛車として27年間私の足代わりになったものです。
と、蛇足の弁になりましたが、実は、この追突被害事故がわが人生に大きな転換期をもたらすこと
になったのです!まあ、引き続き読んでください。
前述したように、ムチうち症を意識した自己防衛体制をとったのが「首を縮めた」ことでした。ために、
全くその症状も現れなことから、レンタカーで日常の仕事に復帰しようとしたのですが、労働組合幹
部からストップかかかったのです。「社長!大事をとって、入院してください!」と。この辺りになると
笑い話になるのですが、無理やりに入院させられた病院では「個室」。何んら変調もないことから、
家内にお酒とトロ刺身を持ってこさせて、といった按配が1週間続きました。
事なきを確認して退院したのですが、それからがまたまた労組の「要求」が出てきたのです。「一週
間は自宅静養をしてほしい」と。まるで殿様みたいな処遇でしたが、労組の好意に甘んじて自宅静
養を「余義なく」したのです。読者から「よほどか社長は労組に大事にされたも・・・」という声が聞こ
えてきそうですが、じじつ、労使関係は健全そのものでした。
じつは、自宅でのそれからの生活体験が特記に値するのです。朝ぶろの醍醐味を味わうことにな
ったのです。バスタブに身を沈めて♪イイ湯だな~♪ってところ。ふと、思ったこと。これでは、「小
原庄助さん、な~んで身上つ~ぶした・・・」になっちゃう、という危機感(?)。それからが通常の人
との差、というのがオチってところですが、まあ、読んでください。
ゴルフができない私でしたが、得意先の方々多くのコンペで優勝杯を提供するなどの顧客サービ
スをしていた時代から思っていたことに、ゴルフの醍醐味への想像がありました。「好きなゴルフを
してひと汗かいて、シャワーをして、その後のミーティングでビールを一杯、ぐぃ~っと、いった心地
よさ。残念だが、ボクにはできないことだ・・・」と思ったものでした。
ふと、ヒントを得ました。自宅養生の中で味わった朝ぶろの醍醐味。とすれば、その醍醐味を味わう
ための「正当な理由」としたのが、「自己流の朝の体操でひと汗かいた後の朝ぶろ」というシナリオ
でした。健常者のゴルフ後のシャワーの快適感に替るもの、としたものです。何事も動機付けはお
手のものでした。見事にそれが当たったのです。時に満40歳。その朝の自己流儀のストレッチン
グ体操がその時間と内容ともに長くなり、よりリッチなものに発展したのです。
後年のことですが、その朝ぶろなかんずく、バスタブに身を沈めて一汗かく習慣にもう一つの有意
義な習慣を身に付けました。英語の誌文などを暗誦することでした。リンカーン大統領の「ゲティス
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バーグ演説」など5編のものですが、それに要する時間は正味8分間。完璧に暗誦することが現在
に至っています。
もっとも、バスタブでなくシャワーがこちらフィリピンに来てからの習慣変化で、それにともなって、
英語暗誦習慣は途絶えました。高齢に転じてからは長風呂は禁物だけに、ヨカッタというのが本音
です。でも、記憶力は不思議と継続して、時おりの朗誦をしています。
と、いささか脱線しましたが、「習慣づける」ということの大事さゆえに、あえて昔話に転じた次第で
す。でも、これって、何事も前向きな発想のなせるものとして大変に大事な「動機付け(モチベーショ
ン)」であることは間違いありませんので、ご参考に供した次第です。
さて、行ったり戻ったりのことで恐縮ですが、タイムスリップバックして満60歳にしてわが人生に大
変化が起きました。使い始めた左手に持ったステッキでしたが、左腕・肩に重心をかけて歩いたこと
から、左肩に耐えられないような激痛が生じ始めたのです。
当時、ステッキの先につけるゴム製の滑り止めチップを購入することで出入りし始めた「義肢製作
所」がありました。その社長さんは片足切断で「補そう具」を付けている人物。私のしんどそうな歩き
方をみてよく助言してくれたもの。「どうして社長さん、補そう具を着けないのですか・・・?」と。
その都度、「曲がりなりにも自分の足で歩くほうがわが身のためだ・・・」といった按配で聞き流した
ものでした。しかし、肩への激痛が決め手となり、同社長の助言に従って、専門認定医のところへ案
内されました。「補そう具を制作するに当たって、身体障害者認定が求められるからでした。
満60歳で初めて「身体障害者手帳」の交付を受けたのです。認定医が怪訝そうな顔をして、「・・・ど
うして今までに受けられなかったのですか!?」と絶句されたものです。「・・・経営者の端くれとして、
障害者の恩典を受けることを潔しとしなかったからです。でも、長年のステッキ使用で肩に激痛が
生じてきたことから、補そう具を着けることを助言してもらったからです・・・」と言ったものです。「信
じれない!」といった認定医師の表情は現在にして鮮明です。蛇足ながら、役員報酬の所得税減税
措置も受けませんでした。
曲がりなりにも、自分の足で歩いたほうが身の為だ、と思ったまではヨカッタものの、肩への過度の
長期の負担が高じての肩の痛みが、長年拒絶反応をしめした「補そう具着装」への動機づけを招来
したのです。両足に補そう具を着けて歩いた時の瞬間はドラマチックでした!「わ~っ!歩けるん
だ!歩けるようになった!」でした。
当時の感激は健常者のみなさんには到底想像もできなものです。想い出しますが、当時、あるお
得先の社長さんがゴルフで足を骨折して入院されたのを見舞った時のこと。同社長がしみじみと私
に言われました。「吉田社長さん、現在にしてあなたのご苦労のほどが分かるようになりました!」
と。人間って、その人と同じ立場に自身をおいてこそ、本当に相手さんの苦労の度合いが分かるも
の、と痛感します。
身障者の立場を意識せずに「歩け、歩けがベストな健康管理だ!」とは、従って、あまり大きな声で
は言わないのが「弱者への思いやり」と言ったら皮肉でしょうか?「相手の立場に自身を置いてこそ、
真の理解が得られるもの」とは、言うべくして困難なことではあるでしょう。
さて、此処に来て、ようやく「肝心なヨシダ流の健康管理法とは?」に入ることになります。前哨戦が
長くなったのは、現時点のヨシダ流を理解していただくにはそれへのプロセスを知っていただく必要
があると考えるからでして、ご寛容のほどお願いします。
補そう具を外したら、瞬時の立ち姿も期待もできません。つまり、自身の体重とバランスを保つには
自身の脚では不能です。ということは、立ったままの姿勢で如何なる運動もできないということです。
-3-
従って、私に許される運動や体操は「フロアに這いつくばった姿勢」もしくは、椅子に座った状態でし
かありません。
そういった限られた体勢の範ちゅうでの自己流儀ストレッチングが主流になります。奇しくも、本コラ
ムは No.370:4つの体操だけで筋肉を満遍なくほぐす(日本経済新聞 2012 年 9 月 21 日)をクリック
してご覧ください。たった「4つだけ」のメニューを図解つきで理解できます。同記事では「歩く」こと
は度外視しています。別段、身障者を対象にはしていませんが、健常者でもこの基本を実践したら
「ウォーキング万能論」ではないことに気付きます。
それを見た私が思わず呟いたこと。それは「アッ!これって、ボクが全部似たり寄ったりのメニュー
にしている!」という満足感でした。通常、足を使ってすることの多くは人間生活の基本である「歩く
こと」に始まります。それを基本にした運動の根幹を「歩くに始まり、歩くに終わる」って調子です。
歩くことは人間の基本的行動。その延長線上にもってきたのが「歩くを基本とする健康法」でして、
それがウォーキングからジョギングに発展するだけのこと。別段、新たに採りいれるメニューでな
いだけに、容易くできるというのが着眼点です。
ウォーキングやジョギングは相棒と話しながら、しかも、景色を楽しみながら、かつ、別段に「努力し
て取り組む」といった大げさなものでないことに安易さがあるし、説得力もあると思うのです。つまり、
よほどの意志の弱い、横着な人なら別ですが、大した忍耐力とか、単調さによる不満といったもの
がないだけに、ウォーキングは提唱しやすいし、やり易い、というのが狙いです。にもかかわらず、
健常者であって、それができない、良いと分かっていてもそれがきない・・・という人の何と多いこと
でしょう。
ところが、私みたいに、フロアやベッドに這いつくばって、幾つものの「メニュー」をこなすには、かな
りの努力、辛抱、我慢、忍耐さらに、孤独に耐えるような真摯な努力が不可欠です。よほど意志の
強い人でなかったら、決まったメニューをコツコツと精出すなんて出来っこありません。三日坊主が
関の山でしょう。
ちなみに、ヨシダ流儀のメニューはちょっとしたものです。僭越ながら、よほどの危機感とか切実な
動機が無かったら、三日坊主は間違いなしです。忍耐もさることながら、「この方法しか俺には残さ
れていないのだ」といった悲壮感すら必要です。
こうした健康法は並の体験者ではでき得ません。まして、通り一遍の「健康法」として簡単に提唱で
きなでしょう。身障者に求められるそれは唯一の健康法であるという自他共に至る説明が求められ
ます。
と、こんなことを書きながら常日頃から思うことがあります。ヨシダだからこそでき得た自己流儀で
編み出した健康法だ、と。じじつ、私の胸に去来するもの。それは、放っておいたら(何もしなかった
ら)オレの身体はダメになってしまう、という危機感そのものです。加えて大事なことは、わが人生
で成すべきかつ、与えられていると自覚することの有無です。ヘンな話ですが、私の存念は、100
歳以上を生き抜く成すべき与えられた仕事がまだまだ有る、という自覚とそれへの備えです。
さて、具体的な説明になると、これまた大変ですが、自身の身体を色んな形に捻じ曲げるような体
位を自身で模索しながらトライすることに尽きます。つまり、ストレッチングは「極限に身体をよじ曲
げたり、張ったり、伸ばしたり・・・といった調子です。「う~ん!」と唸り声が出てきて正常なストレッ
チングと言えるでしょう。まず、その辺りの辛抱・我慢ができるかどうかに全てがかかります。
ヘンな話ですが前述したように、ウォーキングはその点、そんな自己との戦いは皆無です。友人と
会話を楽しみながら、景色を楽しみながらできるのがウォーキングやジョギングです。しかし、それ
さえ継続できない人たちがあまりにも多いのが世の常です。
-4-
地味で単調で、孤独で面白味のない健康法。それがヨシダ流ストレッチング体操ですが、どうやっ
たらそれに耐えられ、継続できるのか?という問いに答えるとすれば以下のようになるでしょう・・・。
「・・・俺に与えられた健康法はこれしか無い!これをしなかったら俺の身体は朽ち果ててしまう!」
という緊張感。危機感と表現した方がイイでしょう。逆に言えば、そういったものから解放されている
健常者に心の油断を与えることに通じるでしょう。
弛まぬ努力の賜物は「体調の良さの実感と爽快感」です。私が81歳を過ぎてなお、10数時間デク
スワークに耐えられ、かつ、泉のように噴き出るアイディアは行動力こそが全ての源泉です。
そうは言っても人間の性(さが)。楽して健康を得ようとするのが人間です。でも、それだけに、努力
するものと努力ぜずに安易に幸せを、健康を勝ち取ろうとする者との差がつくのが世の常です。だ
からこそ、人生っておもしろいのだとつくずく思う昨今の私です。
・・・と、長文の「序文」みたいなものになりましたが、では、肝心の「ヨシダ流のストレッチング体操の
中身は?」となるでしょう。実は、その内容をつぶさに表現するとなると大変な仕事になります。
ふと、思いつきました。前出の本コラムの「No.380:4つの体操だけで筋肉を満遍なくほぐす(日本
経済新聞 2012 年 9 月 21 日」ですが、この際、以下に全文を再現したほうがイイ感じです。ちょっと
多ページにまたがりますが、インタネットでクリックしてご覧になれない方のために、全文を以下に
再現してご紹介したほうが、適切と考えますので、引き続いて目を通してごらんください。その後で、
可能なかぎり詳細に、「ヨシダ流のストレッチング体操」をご紹介します。
***************************************
380.4つの体操だけで筋肉を満遍なくほぐす
日本経済新聞2012年9月21日
愛され続けて80年 たった4 ポーズの究極のストレッチ「真向法(まっこうほう)」とは?
朝夕3分、畳1枚の空間があれば誰でもできる、究極の健康体操──真向法。
実践者は全国で数十万人とも言われ、「腰痛が予防できる」と日ヘル編集部内でも評判だ。
真向法は、起業家だった故・長井津(わたる)さんが、42歳で脳溢血(のういっけつ)に倒れ、半身
不随となったことをきっかけに考案。1933年 から普及を始めた。「頭面接足礼」という仏教のおじぎ
(礼拝)の形がベース。下のイラストの4つの体操だけで、股関節を中心に筋肉が満遍なくほぐれて
しまう。
「こつは、背中が曲がらないように、お腹、胸、顔の順で床に近づけること。反動を使って無理に
倒そうとすると腰を傷めるので、必ず自分のペースで行って」と、真向法協会の小野将広さん。東京
・渋谷にある本部では、毎月初心者講習会を開催している。詳しくは、http://www.makkoho.or.jp/。
最寄りの教室も検索できる。
第1体操
仙腸関節と股関節を柔らかくする
足の裏側を合わせて座り、両ひざをできるだけ床につける。背すじを真っすぐ伸ばしたまま、あご
を引き、へそから「おじぎ」をするように床へ近づける。息を吐いたら元に戻る。
-5-
第2体操
ハムストリングスやアキレス腱を伸ばす
長座で座り、できれば足首を立てる。ひざを伸ばし、股関節を軸に上体を前へ倒す。背中を曲げ
ないようにして、おへそから胸、顔の順で床に近づける。息を吐いたら元の姿勢に。
第3体操 開脚して内転筋を伸ばす
90度以上、できれば130度ほど開脚する。足首を立て、外側へ反らす。ひざを伸ばしたまま、背中
を曲げないようにして、上体を股関節から前へ倒す。息を吐いたら元の姿勢に。
第1~3体操を2~3セット行う
第4体操
足関節や前腿の筋肉を刺激する
割り座(足をお尻に沿わせる)で座る。両手で支えながらゆっくり後ろに倒れる。ひざ、腰が痛い人
は無理をしないこと。
万歳の形で両腕を耳につける。このまま息を長く吐きながら30秒から1分キープ。ひざが離れない
のが理想。起きるときもゆっくり、手で支えながら行う。
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取材・文/池田 悟、西山裕子(ともに編集部) イラスト/三弓素青、日の友太
日経ヘルス2011年9月号掲載記事を転載。この記事は雑誌記事執筆時の情報に基づいており、現
在では異なる場合があります
吉田祐起のコメント:
なんでもない簡単な健康法ですが、これをみて嬉しくなりました。ほかでもありません、あるひょん
な動機から始めたのが満40歳から現在に至る「自己流ストレッチング体操」の多くあるメニューの
中の3つであるからです!別段、生理学的とか、医学的な分析からとかいったものでなく、自分自
身が「快適だ」と思える体位を自然に生み出したものです。こりゃ、やめられない!って心境です。
No.1(1-300)
No.2(301-400)
No.3(401-500)
No.4(501-700)
****************************************
さて、再び本文に戻ります。これって、ヨシダのサービスはすっごいでしょう!この情熱があるから
こそ、今まで書いてきたことが真実であり、かつ実現可能な身障者のための健康管理と言えると確
信するものです。
前述したように上掲の「たった 4 ポーズの究極のストレッチ『真向法(まっこうほう)』とは?」ですが、
「ヨシダ流ストレッチング運動」は、「学んで実践」したものではなく、「自身が編み出し、到達したも
の」に過ぎないことを強調します。それは障害者ゆえに自力で「自然体」で会得した手法です。
肝心なことは、自身の身体の各部位(首周り・腰周り・腕周り・肩周り・背中周り等)すべての部位に
与える刺激がベースです。つまり、首周りで言えば、ぐるぐるっと回す過程で、何処かに痛みを伴う
部位があれば、其処を目がけて「集中的に『ときほぐし(一種のマッサージ・按摩みたいな動作)』に
集中することです。この手法って、言うべくして簡単ですが、独特のやり方の徹底した根気を要する
ことでして、その時点で諦めるのが凡人(?)の陥りやすい結果です。なお、この「解きほぐし」に必
要なのが「小道具」でして、その開示は後のことにします。
例えば、腰回りにストレッチングを表現すると、こんな具合です・・・。
フロアに両膝をついた姿勢から始まります。腰部位をグルグルと回す運動の場合、通常、その体操
の「形」だけに終わるのが常です。ラジオ体操がその例です。音楽やリズムに合わせてするために、
「極限までの曲げ運動にチャレンジしませんし、時間的にできません。音楽に合わせて先を急ぐっ
て感じになります。ま、それでも充分に価値はあると思いますが。平素歩くことのできない障害者に
は不十分な運動に終わりますし、第一、そんな体操ができないことが悩みです。
大事なことは、どんな屈伸運動も、痛みを感じる局部を目がけて「集中的かつ局部的に何度も繰り
返す」ことです。「う~ん!」といった唸り声が出てくるほどに、デス!ここがポイントなのです。その
極限へのアタックが長ければ長いほど、その極限へのチャレンジが深くなればなるほど、あなたの
身体のその部位は柔軟になり、その部位の血行が良くなることになるのです。これにはよほどの根
気はもとより、何より大事なことは、「これにチャレンジしなかったら俺の身体は朽ちてしまう!」とい
った感じの危機感が大事です。「危機感・ハングリー精神」こそが成功への基本です。
腕立て伏せや、なんて表現したらイイでしょうか、フロアに上向いて横たわり、両手を首の後ろに回
した姿勢で上半身を起こす体操です。「腹筋運動」ですか。私の場合は、両足に筋力がありません
ので、足首を何かで支えた状態でやっています。なんと、最初は、「わずか数回」。チャレンジする
毎に、それが10回、15回と上達していくのです。私の場合は、最低5,6、回からスタートして徐々
に多くなり、確か最高で100回までに及んだものです。
ちょっと、興味あることですが、生活パターンが大きく変化したこともあって、従来のメニュー全てを
-7-
こなすことから離れて、特定な形に限ったものにして暫くのことです。くだんの腹筋運動を再開して
みました。なんと、最初は5回が限度。一念発起(?)してちょっと、時間を割いて再開してみました。
あっという間に30回まで回復しました。
まったく同じことが「腕立て伏せ」でも言えます。私の場合は両足を伸ばして踏ん張る姿勢ができな
いことから、両膝をフロアについての腕立て伏せ。でも、深くはできませんし、する必要はないと考
えます。わずかの屈伸で充分な効果を自覚します。
足の屈伸運動もしかり。私の場合は、片手をテーブルなどに軽く添えた格好でスタートします。むろ
ん、健常者のみなさんみたいに、深い屈伸は不可能ですので、両膝が僅かに曲がる程度しかでき
ません。でも、その程度の深さの屈伸運動も最初は数回が限度。なんとそれが100回以上に回復
しているのです!
腰回りの屈伸運動(グルグル回しや特定方向に向けた集中的な屈伸動作)は大事なストレッチング。
私の場合は当然ですが、両膝をフロアについたポーズで始めます。その円周度合がだんだんと大
きくなるのが楽しみです。「う~ん、ウ~ん」といった唸り声が出ないとホンモノでありません。汗が
出るほどに、です。
このポーズでトライしてみてほしいこと。それは例えば左に身体を捻って後方に曲げた状態で、左
手が自分の左足踵に届くかどうかです。最初はそれどころか、左後ろに回してそれにチャレンジす
るはるか手前でギヴアップってのが通例です。究極のチャレンジは両手が自身の両足に届くほど
になるのです。腰痛なんて、なりっこありません。事実、私はこの歳までに一度も腰痛の悩みに接し
たことはありません!補そう具を付けて久々にかなりの距離を歩いても、です。
そのことで想い出すことがあります。補そう具をつけたら少々の距離が歩けるようになった私をみ
たわが社(当時)の産業医が私にしみじみ言いました。「社長さん、補そう具を着けてかなりの距離
を歩けるのはほかでもありませんよ。平素からストレッチング体操をなさっているからです。補そう
具を着けて歩けるようになったからといって一気に歩行をしたら一発で腰痛になるのがオチです
よ」。と。
ちなみ、よく見かける光景に街中やビルの内部で何かを待っている健常者の人たち。十中八九は
座っています。ところが、このヨシダはそんな人たちを前に立ったままで待ち時間を過ごすことが少
なくありません。「立つことができるんだ、その喜びを味わいたいのだ・・・」といった自信とその喜び
があるからです。
と、此処までは、自己流の健康管理に「小道具」の必要はありませんでした。でも、これからが本番
です。まず、運動不足や長時間のパソコン仕事などから生じる「肩こり」があります。私の場合は長
年の「ステッキ使用」が招来した「肩こり・激痛」がことのはじめでした。
その痛み解消を目指して自己流ノウハウを開発したのです。ちなみに、肩こりは血行を阻害します。
とりわけ両肩や首周りは脳や心臓に最短部位にあることから、コリによって生じる血行阻害は想像
以上の悪影響を及ぼします。これって、医学知識でなくジョウシキ論です。
体験上で明確に言い切れることがあります。それは「極度の肩こり」は、単なる自助努力によるスト
レッチング体操の程度では解消できない、という論理です。これからが(も)本番ですが、自信万々、
かつ成功例としてお伝えします。
マッサージや按摩による肩コリ対策は「限界」があります。というよりも、一時的には「イイ気持ち!」
って気分にはなれることに間違いありません。でも、解消に至るものでは決してありません。お金
のある方は、「自助努力せずに、ああ、イイ気持ち!」といった気分を味わえる程度しか効力はあり
ません。言うなれば、お金のある人は慈善事業の気分でマッサージ師にお金を払うと割り切ったほ
-8-
うがイイでしょう。
具体的な話に入る前に、私の場合をもう少し説明したほうが良いと考えます。二十歳頃から使い始
めたステッキでした。前述したように、文通したポリオに罹ってロッキングベッドに寝た切りのアメリ
カ人女性からのプレゼントを利用する気になったのがステッキとの出会いと付き合いでした。
60歳までの40年間の長期にわたるステッキ使用が与えた左肩への負担が招来したものでした。
並の肩こりではありませんでした。ちょっと、具体的な状況説明が必要です。言い(書き)落してはい
けないことがあります。それは、40歳にして始めた自己流ストレッチング体操でしたが、「くだんの
労組から強く進言されて行った1週間の自宅静養」で味占めた「朝ぶろの快適さ」が招来したのが自
己流儀のストレッチングでした。
その動機の一つが、当時から「肩こり症状」を感じていたことへの対処法でもあったのです。当時で
20年間のステッキ使用歴史がその背景でした。すでにその時点で肩への負担を感じ、それへの対
策が自己流ストレッチング体操実践への動機の一つであったのです。
さて、マッサージや按摩さんでは一時的な快適さは可能でも、治癒への手段にはならないことを早
くから自覚していました。そのためには、医者も按摩師も進言することのないある「手法」を自然と
みにつけたのが私でした。具体的にお伝えしましょう。
凝り固まった、並の状態でない局部に対する対策を自身で編み出したのです。ストレッチング体操
では「間に合わない」部位に対する対処法。それは「ゴルフボールに棒を差し込んだヨシダ発明の
小道具(笑い)」の開発でした。つまり、たとえば、凝り固まった肩の部位(それは当事者が一番よく
知っていること)にそのゴルフボールをあてがい、身体の重みごとそのボール目がけて重心を集中
するのです。一種の「指圧療法」です。
詳細な説明を余儀なくしますが大事な点ですので、読み逃ししないでください。コリ部位はご存じの
ように、「筋肉の塊片」みたいなもの。それには「中心部位」というものがあります。そこにボールを
あてがい、じわ~っと、重心をかけるのです。例外なく、クリっとボールがそのポイントから外れま
す。コリ症状が強ければ強いほどその「的外れ現象」が顕著です。床に置いた硬いボールを上から
抑えるとき、中心が外れていると、ツルっとボールが逃げるに似ています。
つまり、根気よく、気長にその「局部」からボールが外れないように注意しながらプレスしていくので
す。並の辛抱や忍耐では可能でありません。多くの場合、其処で頓挫してしまいます。
その過程で次第にコリの中心部に「ある種の凹み」が生じます。それができたら占めたモノです!
さらにその凹みの部位に根気よく圧力をかけ続けます。ゴルフボールに微妙はゆさぶりをかけて
その凹み部分を広げるのは一つの例。
そうしたことを徐々に拡大することでコリ部位全体の解消ができるのです。と、言っても、其処に至
るには長期間の弛まぬ努力が不可欠です。文字通り「年期もの」です。問題はそういった努力に耐
えれるかどうかではあるのですが、先に進みます。
その過程は涙ぐましいものさえあると言えるでしょうね。ヨシダの弁は、「このヨシダだからこそ、成
し得たこと。並の人間ではマネなんて出来っこないぞ~」とすら自負するものです。ことほど左様に
大変な努力なくしては出来得ないものと自覚することが大前提です。
在日中のことでしたが、贔屓にしている女性マッサージ師がゴルフボール小道具をみて言いました。
「ヨシダさん、それってちょっと無理な手法ではないかと思いますけど・・・。あまり刺激が強すぎて、
弊害があると思いますけど・・・」と。無理もありません、それでコリが解消できたら、彼女の商売が
上がったりになるからです。その時に私が言った言葉は意味深長です。「心配いらないさ。ヨシダ流
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にこんな荒治療する意志のある人って、そうざらにはいるわけではないからさ・・・」と。じじつ、当時、
同棲していた女性は私のそういった「真摯な姿」を観ながらも、「私には到底出来っこないから・・・」
と、はなから諦めた風情でした。
さて、こんな不毛とも思えるような自助努力ですが、かくいう私はフィリピンに移住することを決意し
た時点(2008年初頃)で決心したのがほかでもりません、「渡比までに肩こり完全解消を目指す」
でした。爾来、私の毎朝のストレチング体操の殆どは「集中的な肩コリ解消」に向けられたものです。
渡比する時点では、その目的達成には程遠いものがあったのです。もっとも、「肩こりによる痛み」
そのものはほぼ消えたものの、「痛み」でなく、ある種の「不快感」に転じていました。激痛から鈍痛
に転じた後の不快感がそれでした。不快感は案外と厄介なシロモノです。精神的に微妙は影響を
与えます。したがって、それからの解放を強く目指すようになりました。具体的には「これでもか、こ
れでもか!」といった按配の弛まぬ自助努力でした。涙ぐましい、という表現がピッタリです。
最近に至って強く気づくことがあります。両肩の現状からしてのことですが、根気強くコリ解消努力
にに精出しながらその成果を見届ける一方で、そのコリ症状が「元の状態に戻ろうとするメカニズ
ム」を自覚するのです。そのことは弛まぬチャレンジが求められるということです。シーソーゲーム
的な努力が不可欠と悟ります。
半世紀以上もかかってコリ症状が「形成」されたものです。並の筋肉構造ではない、というのが素人
的ですが想像できます。つまり、長年徐々に蓄積された「筋肉の凝り固まり」であるだけに、ちょっと
やそっとの外圧で簡単に解消できないということです。
色んな屈折体形(主に両型腕関節周り)をする中で、「アッ、治った!」と思うほどソフトになり、かつ
なめらかな状態を自覚します。喜んだのは束の間の一晩。翌朝には元に戻った・・・、といった感じ
はしょっちゅうです。それにくじけてはダメなのです。シーソーゲーム的です。
ここにきて私が思うことがあります。金属力学ではありませんが、「内部応力」というものがります。
例え話をしましょう。これは私が第一人生で成功した技術に関連することですが、まあ、辛抱して読
んでください。「帯のこ」という鋼の板がその主役です。例えば、その鋼板が直角50度に近い状態
で曲げられた(湾曲した)ものとします。それを元の平たい状態に戻すには、直角に湾曲された鋼
板をその逆方句の同じ角度とまではいかなくとも、例えば、10度、20度程度に逆方向に一旦曲げ
て、しかる後に正常であるべき0度に戻すということが求められるのです。金属の「内部応力」によ
る元の姿に戻ろうとする習性を断つために求められるものです。
同じことが肩こり解消に言えるのです。つまり、筋肉のコリ症状をもとのゼロ状態に戻すだけでなく、
逆方向に一旦圧力を加え、かつ、それの繰り返しをすることで、「元の状態(コリ状態)に戻ろうとす
る筋肉の習性を「断ち切る」ということです。つまり、一旦はコリ症状が解消したようでも、引き続い
て凝り性なく(?)その行為を継続することが不可欠だと体験上、確信を得ています。
いわば、このシーソーゲームにどちらが勝つか負けるかの瀬戸際だという論法です。死ぬまでの
努力こそが長生きの秘訣でもあるでしょう。快適感の持続を招来さすための自助努力に通じます。
なお、肩こり解消の小道具は市販されている各種のものがあります。過小評価せずに、自分の体
や凝り症状に適した小道具の選択肢は大事です。傑作なのは、くだんのゴルフボールに棒を差し
込んだ「ヨシダ発明品」。在日中に、「百円ショップ」に「提案」として現物を持参したことがります。と、
どうでしょう!「孫の手」の先に貼りつけた硬いボールの既製品を見ました!
直感的に感じたこと。それはヨシダ式のほうがはるかに効率的だ、ということ。それは、ヨシダ式は
ボールの中心に棒を差し込んだものであるために、「圧力をかけながら、じわ~っと回転させて部
位を変更しつつ拡大することが可能」という点です。くだんの孫の手式は、平たい竹の部位にボー
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ルを固定しているという点で、ローリングができない仕組みという差異です。
蛇足の弁ですが、このゴルフボール小道具の紹介が、後年に至って日本経済新聞は日曜版の最
終ページにでか~んと写真付きの大きな記事で紹介されたことがあります。その構造はタオルみ
たいな布にくるまれたゴルフボールでした。此処でもヨシダ発明品がより優秀だと確認しました。布
にくるんだボールであるために両手を使うことが必要。一方のヨシダ式では片手で自由自在に部位
の微調整ができるというもの・・・です。「ヨシダ式に勝負あり!」は現在にして言いきれるシロモノで
す。
大変に重要なポイントは、あらゆるストレッチング体操といえども、コリを感じる部位とか、極限にア
タックするがゆえに生じる「心地良いを少し通り越して、多少の苦痛に近い痛み」にチャレンジする
ことが肝要です。痛みを感じる部位とそれへのアタックすべき努力こそが、「あなたの身体が求める
部位であり、それへの処方箋」だと考えてください。
このように考えてくると、肩コリ解消努力や健康管理は「自己との戦い」とも言えるでしょう。問題は
危機意識あってこその処方箋努力であって、危機意識のない、ただ漫然と生きる者にとっては何お
か況や、といえるでしょう。そんなに自虐的にならなくっても・・・、といった声すら聞こえてきそうです。
末尾ですが2012年11月12日現在における私のこういった一連の自助努力の結果を、その自称
達成率で言えば、90パーセント超とでも言えるでしょう。ほんの点ほどの狭い部位を集中的に攻め
ているところです。コリ部位からみれば、「追い詰められた」ようなもの。そのためには、夜中であっ
ても、ふと、違和感を感じたら、目を閉じたまま、あらゆる角度に身を傾けて両肘をついた姿勢(前
後)で「う~ん・・・」といった調子で、祈りにも似た心で身体をツイストしながらの弛まぬ努力に明け
暮れています。
こうして、キーボードを叩きながら、ひと息入れは背後のベッドを使ったり、フラットな椅子を台にし
たストレッチングに明け暮れている昨今の私です。ちなみに、その事務椅子ですが、高級の背もた
れやアームレストのあるものは使っていません。姿勢を良くするにはフラットなものがベスト。しか
も、何時でも「逆肘」をついて、後方にのけぞったり、腕を振り回したりのストレッチングが出来るか
らです。
それにしても想うことがあります。夜中でもふと目が覚めたら、無意識に肘を前後に突いた格好で、
目をつむったまま身体を上向き下向きにしながらのストレッチングを欠かすことがありません。肩の
力を抜いて、体重を両膝に交互にかけることで、力を抜いて「外圧」をしっかりと受け入れる体制に
なっている両肩の関節周りの筋肉を解すのです。心地よい痛みと快感を同時かつ、交互に味わえ
るのです。う~んという唸りの反対側では、「神さま~!」といった祈りの心も抱きながら・・・です。
末尾にふと、想うことがあります。こんな調子で夜中でも欠かさない自助努力。それが出来るのも
引退生活者であるがゆえのこと。でも、身障者の場合はどちらかと言えば、在宅生活が主流です。
とすれば、ヨシダの真似ごとへのチャレンジは出来るのではないかな・・・と。
(お詫び)執筆作業を多くするなかでの本稿。ために、先を急ぐことから充分な校正もできないまま
に掲載します。乱文乱筆ならぬ、ミスプリはご容赦ください。
2012年11月10日
執筆・編集者:吉田祐起
(原爆生存証言者/健康・生きがいづくりアドバイザー:フィリピン共和国ラグーナ州在住)
[email protected]
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