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第19回富士市民友好の翼文集
第19回 富士市と嘉興市を結ぶ 富士市民友好の翼 2014年10月13日~19日(7日間) 嘉興市 南湖(煙雨楼前)にて 富 士 市 目 次 きれいになった嘉興市・・・・・・・・・・・・・・・・大芝 収・・・・1 「第19回 勇・・・・2 富士市民友好の翼」に参加して・・・・・・小林 9000年前の麦粉と水稲(禾)の発祥地は・・・・・小林平八郎・・・・4 嘉興市民の息吹・・・・・・・・・・・・・・・・・・・斉藤正英・・・・5 富士市友好の翼に参加して・・・・・・・・・・・・・・野口厚子・・・・6 富士市民友好の翼に参加して・・・・・・・・・・・・近藤すず江・・・・7 富士市友好姉妹都市、浙江省嘉興市を訪ねて・・・・・・本田孝平・・・・8 第19回富士市民友好の翼に参加して・・・・・・・・・渡邉俊明・・・・9 第19回富士市民友好の翼に参加して・・・・・・・・・渡邉昭子・・・11 「友好の翼」に参加して・・・・・・・・・・・・・・杉山美佐子・・・12 嘉興市訪問で感じた事・・・・・・・・・・・・・・・・新開福江・・・13 「富士市民友好の翼」に参加して・・・・・・・・・・西島紀美子・・・14 多種多様な文化を感じた「富士市民友好の翼」・・・・ 望月阿友美・・・15 第19回富士市民友好の翼 公式記録・・・・・・・・・白井真吾・・・17 ◇◆◇ きれいになった嘉興市 ◇◆◇ 団長 大芝 収 嘉興市は 5 年ぶり 2 度目の訪問です。 前 回 は 友 好 20 周 年 の 訪 問 団 の 一 員 と し て 参 加 し ま し た 。 今回の印象は、街がとてもきれいになり、至る所にゴミ箱があったので、 夜遅くても歩道にゴミが落ちていなかったことです。 交差点の信号は良く守られていましたが、横断歩道の信号は早く赤になる の で 、途 中 か ら 駆 け 足 に な り ま す 。街 を 散 歩 中 ト イ レ の 標 識 を 見 か け『 ほ っ 』 としました。以前は街中にトイレがなく探すのに苦労しました。 夜の街は平日 9 時過ぎても買物客で賑わい、意外に靴店と小さな子供連れ の親子が多く見受けられました。川沿いの古い建物がライトアップされてい て風情がありましたが、古い街並が消えて寂しさを感じました。 嘉 興 で も 例 の PM2. 5 の 影 響 な の か 、 一 日 中 も や が か か っ た 状 態 の 日 も あ り ま した。 広 場 や 公 園 で は 、早 朝 太 極 拳 や ス ポ ー ツ を す る 人 達 に 混 じ り 、犬 の 散 歩 を す る 人 も 見 受 け ら れ ま し た が 、小 型 犬 は 殆 ど 放 し 飼 いの状態でした。 小 学 校 訪 問 で は 、選 抜 さ れ た 児 童 が 描 く 水 墨 画 、古 典 楽 器 の 演 奏 な ど を 披 露 し て く れ ま し た 。私 は 特 に 瓢 箪 を 使 っ た 古 典 楽 器 に 興 味 を 引 か れ 、IC レ コ ー ダ ー に 録 音 し て 、 表敬訪問 朱副主席との対談 上海でその楽器を買い求めました。 今 回 の 訪 問 で は 、中 国 語 で 挨 拶 す る 場 面 は殆ど無いと聞いていましたが、家庭訪問でプレゼントを渡す時と、市役所 の表敬訪問でも自己紹介をする場面がありました。発音や四声に注意して練 習した甲斐がありました。 友 好 の 翼 は 生 涯 一 度 限 り で 、次 は 無 い と の こ と で す が 、5 年 後 の 友 好 30 周 年の訪問団に参加して、もう一度嘉興市を訪れてみたいと思いました。 [1] ◇◆◇ 「第19回 富士市民友好の翼」に参加して ◇◆◇ 小林 勇 嘉興市と富士市の友好姉妹都市締結25周年の記念の年に「富士市民友好 の翼」に参加する事が出来まして、大変嬉しく光栄に存じます。 私事で大変恐縮ですが、この3月迄、嘉興市内にある日系会社に 8 年余り の間、駐在勤務しておりました。 今回は富士市民として嘉興を訪問し、之までに体験出来なかった一般家庭 訪問、名所旧跡の見学等での見聞を広め、さらに嘉興市の皆さんとの親睦& 交流の輪を深めて「富士市民友好の翼」の一助になればとの思いで参加させ て戴きました。 出発日は台風19号が日本列島に接近しており、出発間際まで心配してい ましたが、台風の接近が遅くなり好天にも恵まれ、富士市国際交流室の望月 課長、大長さんには富士山静岡空港迄お見送りを戴き、大変有難う御座いま した。 14日の午前中は嘉興市の中でも109年の歴史が有り、特に優秀な実験 小学校の見学&訪問を致しました。 実験小学校は市内の東西の2か所にあり、我々は南湖近くの東地区校舎を 訪問。 校 舎 へ の 入 門 時 は 朱 副 校 長 以 下 幹 部 の 先 生 方 、ま た 児 童 が 行 儀 良 く 両 サ イ ドに整然と整列して、我々を熱烈歓迎してくれ心温まる気持ちの良い歓迎に 大変感動を憶えました。 朱 副 校 長 が 学 校 の 概 要 、教 育 の 考 え 方 を プロジェクターで説明して、市政府 金昆 さんの通訳を介して聞きました。 ・・・・日 本 の 道 徳 教 育 は ま だ 数 年 先 で す が 、勉 学 を 中 心 と し た 遊 び 心 、心 & 体 の 教 育 、自 ら 考 え る 事 を 重 点 に 教 育 を 行 っ て い る事に感心しました。 書 道 の 授 業 で は 、高 学 年 生 の 達 筆 の う ま さ に は 目 を 見 張 る 物 が あ り 、中 日 友 好 の 文 嘉興市実験小学校の見学 章を書いている児童もおり、団員の一人にプレゼントトされました。 ロボット演習はキットの組付&パソコンによるソフト作りの技能レベル 及び簡単な英語での流暢な説明を聞き、小学生の語学レベルの高さに圧倒さ れました。 一般の授業風景の見学も期待していましたが、今回は見学が出来無く、ち [2] ょっと残念でした。 その後市内の一般家庭訪問として、我々Dグループは半島公萬内のマンシ ョンに住んでいる張さんご夫婦宅を訪問致しました。 この半島公萬には以前知り合いの日本人が住んでおり、数回訪れた場所で 大変懐かしく感じました。 このマンションは中流家庭以上の方が多く住居し、張さんご夫妻もお子さ んは既に独立して、定年後の充実した老後を楽しんでいるようでした。 ご主人は御年80歳の今も老人大学で習字&絵画を勉強中で、家の中の壁 に沢山掲示していました。大学で発行したご本人の絵も記載された最新の習 字&絵画集を訪問者全員に記念に配われました。 嘉興学院4年の李&章さんの通訳で、家族の皆さん、日常の生活、生涯学 習の楽しさ等々和やかな懇談はあっと言う間の一時間で、いつの日かの再会 を期待しながらお別れしました。 そして今回の一番のメインである表敬訪問先の嘉興市政府は、嘉興市街地 の南東・南湖近くに位置し、12階の大きな建物の威容さに驚きながら玄関 横着けのバスから降りての訪問でした。 玄関を入ると12階までの吹き抜けの凄さに圧倒され、一階正面奥の来賓 室に案内され、朱副主席以下幹部の方々の歓迎を受けました。 食 事 の 席 に は 数 年 振 り で の 再 会 と な り ま し た 老 朋 友 (古 い 友 人 ) 夏 超 さ ん も同席され、日本料理に味が近い嘉興料理、嘉興産の酒(通称:紹興酒)を 頂きながらの歓談で友好を深めました。 嘉 興 市 博 物 館 、銭 塘 江 の 逆 流 、昔 の 街 並 み の 烏 鎮 地 区 の 散 策 、雄 大 な 太 湖 、 急速に大都会に変貌した上海の超高層ヒルズ、新世界、南京路、外灘の夜景 等々を見学して中国の今昔を一気に知ることが出来、且つ大変有意義な楽し い旅行を体験させて戴き、生涯の大きな財産となりました。 今回の訪問で、日中両国民の親睦と交流の輪を深めて、友好の翼の一翼を 担えたと確信し、今後の友好の更なる促進を期待しております。 最後に今回の企画準備&引率をされました白井様はじめ市職員の皆様、添 乗 員 の 塩 坂 様 、大 芝 団 長 以 下 団 員 の 皆 様 に は 、こ の 一 週 間 大 変 御 世 話 に な り 、 誠に有難う御座いました。心より御礼申し上げます。 今回の皆様との御縁を大切にして、今後とも継続して繋げて行く事が出来 れば幸いかと考えております。謝謝大家。 [3] ◇ ◆ ◇ 900 0 年 前 の 麦 粉 と 水 稲 ( 禾 ) の 発 祥 地 は ◇ ◆ ◇ 小林平八郎 どうして友好都市・嘉興市友好訪問旅行で、ラーメン、麦粉、水稲の発生 歴 史 な ど 77 才 の 耄 碌 は 宿 題 的 感 想 文 に 採 り 上 げ た の だ ろ う ? と 想 う は 、 毒 舌好善良的市民智有者でありましょう。 ○市役所国際交流室で選択下さった宿泊ホテルでの利用経緯の感動感想。 ○上流以下国民からの妬みと反感を招かないような名称の実験小学校、実際 はエリート・優秀な初等教育校方式の小学校の実感想。 ○嘉興市民の家庭訪問時は、切絵達師の胡夫人作成のホテイ和尚、立派な居 住環境での歓迎気品、御亭主の紳士然の感想。 ○市政府表敬訪問富士市民を迎えられた 朱 副 市 長 の 子 息 は 、 立 命 館 大 学 の 略 称 AP U に 留 学 中 、ホ テ ル で の 晩 餐 時 は 副 市 長 の 隣 の 指 定 席 だ っ た の で 、そ の 時 の 会 話 内 容 の 感想。 など多項目にわたる感想文を執筆可能で すが、 ◎ 全 国 の 9 8% 製 造 食 品 は 嘉 興 市 の『 粽 』を 五 芳 斎 チ マ キ 工 場 で 知 り ま し た 。そ の 原 料 で あ る 禾 ・ 水 稲 米 。滞 在 中 の す べ て の ホ テ 家庭訪問にて 剪紙をいただく ルのメニューにあった『焼きうどん?』の各食品原料の麦粉発祥地の歴史関 連確認についての感想文記述選択に成りました。 去 年 2013 年 の 秋 、 福 岡 市 大 宰 府 に 存 在 す る 威 壇 院 客 室 で の 事 で し た 。 日 本語の「ラーメン」の「ラー」と「麺」とについて、お茶を飲みながら「麦 粉及び禾・水稲の生産発祥地は浙江省太湖の南方の古代都の推定」を北京大 学 教 授 ・ 劉 金 威 ・ 史 学 博 士 と 執 筆 者 ・ 小 生 と の 楽 し い 対 談 ( c olloqui a) が あ り ま し た 。 威 壇 院 は 奈 良 時 代 の 西 暦 753 年 聖 武 天 皇 の 命 に よ っ て 高 等 な 仏 僧 尼 の 威 律 教 育 所 と し て 開 設 さ れ た 寺 院 で 、 鑑 真 唐 僧 が 同 年 12 月 20 日 に 日 本で最初の仏教威律を教授した所です。唐から鑑真僧が日本に初めて晴樹し た菩提樹もありました。 麦 は 紀 元 前 7000 年 の 頃 、 テ ィ グ リ ス 川 と ユ ー フ ラ テ ス 川 に 挟 ま れ て 存 在 するメソポタミア文明地の農耕技術を基盤とするアナトリア高原で栽培は 始まり、シルクロード経由で、中国の呼称・彩陶文化時代に伝わってきたの です。その麦を粉への発展転換の文化創造の歴史は古代の嘉興市の技術とし [4] て嘉興博物館に展示されていました。 か つ て は 雲 南 省 と 言 わ れ た 説 も あ っ た 水 稲 ( 禾 ) は 、 2 012 年 350 系 統 DNA 解析の結果、約 1 万年前の太湖南辺りが稲作の起源と考えられている。この 稲 の 日 本 へ の 伝 来 は 、 1. 出 発 点 を 重 視 し た 説 。 2 . 経 路 を 重 視 し て い る 説 、 これには夫々が複数あり、経路のルート―①;揚子江下流から直接対馬海流 暖流ルートで九州北部に伝来。②;嘉興市に存在する銭塘江から黒潮ルート で種子島等諸島を経て九州南部に伝来、が有力説。 農学博士・佐藤洋一郎・静岡大学農学部助教授から総合地球環境学研究所 主 幹 で し た 63 才 は 、 縄 文 前 期 に 熱 帯 ジ ャ ポ ニ カ が 揚 子 江 下 流 域 と 朝 鮮 半 島 極 南 部 と 混 合 し た 複 数 ル ー ト で 水 田 耕 作 が 始 ま っ た 。 し か し DNA 解 析 結 果 で は日本列島に運んだ水稲の量は極めて僅かで、小さな集団でしかなかったと の説もあるのです。 禾・水稲の古代歴史的説明展示品を嘉興市博物館史前文化第三部門『嘉禾 飄香』での無展示を学芸員らしき人に見学途中に質問したら、他の博物館に 貸出し中の口述。つまり中山西路の粽・チマキ製造工場に展示絵で確認でき たのは、科学的証拠と同じホ~とした感動でした。同じ中山西路を東に戻る 所に在りました絹博物館には、麦の発祥のメソポタミア文明地から中国の古 代までのシルクロードの具体的地名称付きの街道マップ・地図の展示が在り ました。禾と麦粉発生に関する正直歴史教養文になりました? お わ り ◇◆◇ 嘉興市民の息吹 ◇◆◇ 斉藤正英 中国各地の旅をしてきたが、富士市の友好都市「嘉興市」はいつも素通り でしたが、今回初訪問がはたせて嬉しい限りです。 二日目、まず実験小学校を訪問。副校長より学校概要についての説明があ り 、 次 に 参 観 で 芸 術 関 連 の ク ラ ス へ 。 15 名 ほ ど の 生 徒 が 、 水 墨 画 ・ 習 字 ・ 楽 器演奏と得意なものを披露し、次のクラスではパソコンを駆使した手製ロボ ット演技披露と時代の先端を行く授業を参観しましたが、全校生徒 4 千人と 聞いており残された大多数の生徒を見られなかったのは残念でした。 次いで 3 班に分かれての家庭訪問で、私たち C 班は王建勇さん宅に。王さ んは電子関連の仕事をしており、今はリタイアされ好きな「書」に打ち込ん でいるそうです。 [5] 隣 棟 の 大 学 で も 教 え て い て 、 教 材 の DVD は 自 作 だ そ う で す 。奥 さ ん と 二 人 暮 ら し だ そ う で す が 、充 実 し た 日 々 を 送 っ て い る よ う で す 。午 後 博 物 館 、南 湖 遊 覧 で 今 回 の 旅 の 主 要 行 事 の 市 役 所 表 敬 訪 問 で す 。団 長 と 副市長の公式挨拶と我々の自己紹介のあ と 夕 食 の 宴 会 場 に 移 動 し ま し た 。私 の 横 に は 嘉 興 市 財 政 局 、卓 副 局 長 と い ろ ん な 話 題 のなかで子供の教育に対する熱意には驚 家庭訪問(C 班) きました。5 歳の女の子がいるそうで、習い事が英語・体操・楽器・習字と 聞いているだけですごい一人っ子政策だなーと思いました。 三日目「五芳斎ちまき」工場見学では、ちまきを一つ一つ笹の葉で包む工 程 を 見 学 し ま し た 。 100 人 位 の 人 達 が 従 事 し て お り 、 早 い 人 は 一 分 間 に 5~ 6 個 包 む そ う で 、 一 日 12 万 個 作 る と の 事 。 ス ピ ー ド に 個 人 差 も あ り 、 賃 金 は 歩合制かと思われるが、中国には「人」は大勢います、というどなたかの言 葉を思い出し、このような人海戦術の職場の確保も政策のひとつと思われ、 昨日の実験小学校の大多数の子供の顔が思い出されました。 今 回 の 旅 で 毎 朝 ホ テ ル 周 辺 を 歩 い た が 、薄 暗 い な か で 道 路 掃 除 を す る 人 や 、 体操グループ・サイクリングのグループ、そして市場の活気と商品の多さに は圧倒されました。 ホ テ ル 2 5 階 の 回 転 レ ス ト ラ ン か ら 見 る と 空 き 地 が 見 受 け ら れ 、2 年 後 5 年 後に機会があったら変貌した嘉興市を見てみたいと思いました。 1 9 日 、無 事 静 岡 空 港 の 地 を 踏 み 帰 国 出 来 ま し た 。こ の 一 週 間 で メ ン バ ー 14 人、旧知の友のようになり、これからも交流を深めていきたいです。この企 画を推進していただいた白井さんはじめ国際交流室のみなさん、名鉄観光の 塩坂さんに感謝します。 ◇◆◇ 富士市友好の翼に参加して ◇◆◇ 野口厚子 昨 年 、友 好 の 翼 に 参 加 さ れ た 方 よ り 、と て も 良 か っ た と の 話 を 伺 っ て お り 、 第 19 回 友 好 の 翼 に 参 加 で き ま し た 事 、 大 変 に あ り が と う ご ざ い ま し た 。 私 が参加したいと思った理由の一つに嘉興市の小学校視察と、一般家庭の訪問 があった事でした。出発の日は、台風が日本へ上陸し、行く事ができないの ではと大変心配しましたが、無事出発する事が出来、安心いたしました。 [6] 小 学 校 訪 問 で は 、か わ い ら し い 制 服 に 身 を包んだ生徒さんが出迎えて下さいまし た 。生 徒 の 数 の 多 さ に も 驚 き ま し た が 、一 人 一 人 の 教 育 も 、し っ か り さ れ て お り 、応 対 し て い た だ い た 副 校 長 の 人 を 助 け 、心 の き れ い な 生 徒 に ま た 勉 強 、ス ポ ー ツ で 、多 く の 賞 も 取 っ て い る と の 事 で 、根 性 の あ る 、 強い人間に育てたいとの教育方針を伺い、 嘉興市実験小学校 正門にて こ の 子 供 達 が 成 長 し 10 年 、 20 年 後 、 日 本 と中国の友好がさらに強固なものになっ ていく様、祈らずにはおられませんでした。 一般家庭への訪問は、胡紅月さん宅へ、胡さんは、大学で切り絵の講師を されており、私達と会話している最中にも、あっという間に二枚の切り絵を 作って下さり、帰りには切り絵のおみやげを頂きました。言葉や生活習慣こ そ違いますが、短い時間ではありましたが心は通じ合える事を実感しました。 私 達 富 士 市 民 は 、友 好 の 翼 で 、嘉 興 市 へ 訪 問 交 流 さ せ て 頂 い て お り ま す が 、 嘉興市からは市民の方々が富士市へは、一度も来られていないことを知り、 残念でなりません。人口は少ない富士市ですが、世界一の富士山を見てほし い 、畳 の 生 活 も 、日 本 の 子 供 達 の 事 も 知 っ て ほ し い と 思 い ま す 。政 治 的 な 事 、 マスコミでは、中国の事を色々報道はされますが、究極は、人間と人間がい て、心はひとつとの思いが、さらに強く感じられた今回の訪問でした。 トランクの鍵をホテルに置き忘れてしまうなどのトラブルがあり、皆様に ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした。 富士市友好の翼が、末永く続きますことを、お祈り申し上げます。 ◇◆◇ 富士市民友好の翼に参加して ◇◆◇ 近藤すず江 台 風 で 飛 行 機 が 出 る か ど う か 心 配 し ま し た が 、何 と か 予 定 通 り 無 事 出 発 す る事ができました。 二日目今日はまず嘉興市に表敬訪問をいたしました。市役所では副市長さ んをはじめ関係者の方々と挨拶を交わし温かい盛大な歓迎を受け感激を致 しました。 その後の政府歓迎夕食会では高い席での食事で緊張しましたが、皆様とお 話 し し て い る 間 に 和 気 藹 々 と 食 事 が 出 来 ま し た 。副 市 長 さ ん は 気 さ く な 方 で [7] 初 め て お 会 い し た 方 と は 思 え な い 親 し み を 感 じ ま し た 。紹 興 酒 で の 乾 杯 の 後 次から次へと立派な料理を出していただき美味しく戴く事ができました。 三 日 目 は 五 芳 斎 と い う 粽 工 場 を 見 学 し ま し た 。工 場 で は 笹 の 葉 を 2 枚 重 ね 合 わ せ 、餅 米 と 材 料 の 具( 餡・豚 肉・鶏 肉 )を 入 れ て 包 み 糸 を 手 で 巻 き ま す 。 そ の 速 さ は 驚 き で し た 。 な ん と 、 当 工 場 で は 1 日 15 万 個 の 粽 を こ の 手 作 業 で生産しているとのことでした。 糸を巻く作業以外はほとんど機械化され、工場内は明るく清潔で各ライン に責任者が配置されチェックしています。 中国で一番美味しい粽を作っていると誇 りを持って作業をしていらっしゃいまし た 。日 本 で 報 道 さ れ て い る 食 の 問 題 も ほ ん の 一 部 に 過 ぎ な い の か な と 感 じ ま し た 。ま た工場を出て売店でバスの中で食べるよ う 1 個買ったらレジで笹の葉を剥がし食べ や す く し て く れ 、心 遣 い を 大 変 嬉 し く 感 じ 家庭訪問(D 班) ま し た 。粽 も 熱 く て 熱 く て 冷 ま し な が ら 美 味しくいただきました。 今回の訪問では学校見学・家庭訪問・又中国の方々との心の触れ合い等、 観光旅行では経験する事が出来ない貴重な経験をさせていただき大変有難 うございました。 又旅行会社・市役所の関係者・団長始め団員の皆様方大変お世話になりま してありがとうございました。 ◇◆◇ 富士市友好姉妹都市、浙江省嘉興市を訪ねて ◇◆◇ 本田孝平 中 国 に は 以 前 仕 事 の 関 係 で 駐 在 し た 事 が 有 り 、中 国 に は 興 味 を 持 っ て お り 、 姉妹都市への訪問者募集を広報で知り「富士市友好の翼」に参加しました。 嘉興市最初の訪問先は「実験小学校」でした。5 年生の生徒が正門両側に タスキを付けて並び、私たちを歓迎してくれました。 副校長先生の紹介では、日本の「友好の翼」受け入れを初め、嘉興市から は少年サッカーや東京修学旅行等で若人が友好を深めており、交流に期待し ていました。 [8] ビ デ オ 紹 介 で は 、 学 校 の 特 徴 は 109 年 の 歴 史 が 有 り 、 温 水 プ ー ル と ロ ー ラ ースケート場等の稀な施設を持ち、遊びながら知識を付ける指導を行ってい た 。 悩 み は 現 在 生 徒 数 が 2243 人 で 48 ク ラ ス 有 り 、 一 ク ラ ス 47 人 の 生 徒 の 多さを上げていました。 授 業 の 見 学 で は 、通 さ れ た 教 室 で 9 歳 生 徒 の 書 道 や フ ル ー ト 演 奏 、そ し て 中 国 伝 統 の 墨 絵 を 書 い て お り 、そ の 手 慣 れ た 技 術 に 感 嘆 し ま し た 。 パ ソ コ ン 教 室 で は 12 歳 男 子が手作りしたロボット操縦の動きに一 同 が 魅 了 さ れ 、工 業 土 壌 作 り に よ る 将 来 性 を感じました。 次 は 政 府 へ の 表 敬 訪 問 で す 、会 見 で 朱 副 授業見学 市 長 は 人 類 が 住 み 7 千 年 、そ し て 中 国 共 産 党 誕 生 の 地 は 嘉 興 市 南 湖 で 有 り 、こ の 土 地 は中国で重要な役割を果たした歴史が有り、現在も中央政界で40名が活躍 されていると説かれました。 夕食に招待されたレストランでは中国4大料理の広州料理を頂きながら、 友好都市25周年記念で来富されるメンバーとの再会を誓いました。 観光で訪れた太湖の畔に、日本の姉妹都市提携している県から送られた桜 の 木 5 万 本 が 植 樹 さ れ 見 事 に 成 長 し て い ま し た 。「 富 士 市 友 好 の 翼 」 に も 同 様な夢を膨らませたいと思いました。 今回の「友好の翼」交流でお世話に成った、国際交流室白井様はじめ嘉興 市政府の皆々様にお礼申し上げます。 ◇◆◇ 第19回富士市民友好の翼に参加して ◇◆◇ 渡邉俊明 出 発 の 朝 、台 風 の 影 響 に よ る フ ラ イ ト の 欠 航 が 心 配 さ れ ま し た が 無 事 に 出 発する事が出来、まずまずでした。今回は2度目の中国訪問でしたが、前回 33年前 でどのように変貌したか、テレビや旅行パンフレット等による 情 報 で 一 応 は 理 解 し て い た が 実 体 は ど う な の か 、こ の 目 で 見 た い と い う 期 待 で一杯でした。折角中国に行くのだから事前準備として中国語の勉強をして、 それぞれの場面に合うような言葉を選んで準備して望みました。やはり期待 し て い た 通 り で す 。上 海 浦 東 空 港 上 空 よ り 町 及 び 空 港 周 辺 の 状 況 が 眼 下 に 入 った時、興奮を覚えました。広々と整備された高速道路及び一般道や高層ビ [9] ル群には驚きました。 2 日目は今回の視察見学の目的である嘉興市実験小学校に訪問させていた だきました。校門前では大勢の小学生[3~4年生]女子及び副校長先生並 びに幹部職員の皆様による熱烈な歓迎を受けた後、副校長先生による学校概 要の説明の後、各教室へ5年生最初のクラスでは書道の視察、そこで1人の 女生徒より中日友好の書を頂きました。大変素晴らしい字を書く生徒さんで し た 。教 室 で は 各 個 人 が 自 由 に 見 本 よ り 選 択 し た 字 を 書 く と い う シ ス テ ム で し た 。次 の 教 室 で は 自 分 で 設 計 を し 、教 室 内 に あ る 資 機 材 を 使 っ て ロ ボ ッ ト を 組 立 、自 分 の 造 ったソフトウェアで自由にロボットをコ ントロールする 行・挨 拶 等 片 手 腕 立 伏 せ・両 足 歩 、又 驚 い た の は そ の 教 室 に い た生徒全員が英語を話せるという事でし た 。パ ソ コ ン の 画 面 を 見 な が ら 英 会 話 を し て い ま し た 。副 校 長 先 生 の 説 明 で は 、本 校 ソフトウェアを操作する生徒と は入学時に特別入学試験は行っていない事と、本校の校区であればOK 学級45人 2300名 1 英語によるソフト組立、私の孫が通っている小 学校と比較をせざるを得なく、英語教育の充実を痛感いたしました。 又、政府表敬訪問では市長さんにはお会い出来ませんでしたが、副市長さ ん 並 び に 市 幹 部 の 皆 様 に お 会 い す る こ と が 出 来 ま し た 。驚 く こ と ば か り で す 。 庁舎前の広さや庁舎の大きさ等々、庁舎内では副市長さんによる歓迎のご挨 拶があり団員による自己紹介、私は習った中国語で自己紹介をしました。ご 理解をいただけたかはわかりませんが、精一杯やらせていただき充実した気 分になりました。民間交流は、言葉は簡単に思われがちになりますが、こう して市の幹部の皆様にお会いして言葉を交わす事の大事さを痛感いたしま した。嘉興市の心遣いに感謝申し上げます。 最後にこの旅行に対して細心の注意を払ってくれた交流室の白井氏及び 名 鉄 観 光 の 塩 坂 氏 両 氏 に 感 謝 を 申 し 上 げ 、こ の 旅 行 が 無 事 に 終 え た こ と に 御 礼を申し上げます。 有難うございました。 [10] ◇◆◇ 第19回富士市民友好の翼に参加して ◇◆◇ 渡邉昭子 台風19号の影響でフライトが心配さ れましたが無事スタートできてよかった で す 。上 海 浦 東 空 港 の 空 は 、青 く 私 の 思 っ た色とは違って綺麗でした。 嘉興市実験小学校では大勢の皆様によ る 熱 烈 な 歓 迎 を 受 け た 後 、最 初 の 教 室 で は 私 達 を 竹 笛 で 出 迎 え て 頂 き 、墨 絵 を 書 く 生 徒又習字を書く生徒とそれぞれ題は自由 「中日友好」を書いた生徒と 選 抜 で 伸 び 伸 び と し た 授 業 で し た が 、習 字 の所で1人の女生徒が中日友好の字を書 いており、これが又素晴らしい達筆でびっくりしました。その生徒が私に書 いたばかりの題名、中日友好の作品をくれるという事で、喜んで頂き一緒に 記念写真を撮りました。女の子の名前は兪苗と書いてありました。 時間の関係で視察終了時には校舎玄関をバックに副校長先生を中心に職 員皆様と訪問団で記念写真を撮り、小学校を後にして次の予定の家庭訪問宅 へ向かいました。家庭訪問では呉さん宅を訪問しました。呉さん宅では同行 して頂いた2人の女子大生の流暢な通訳のもと呉さん夫婦の紹介、そして私 達5人の紹介、私以外の4名は中国語で自己紹介をしました。私はいまいち で し た が 何 と か 通 じ た か な と 思 い ま し た 。お 部 屋 は と て も 綺 麗 に お 掃 除 さ れ 大きな金魚の水槽があり、又呉さんが書かれた大きな絵画有りと話が弾みま した。呉さんは退職後老人大学で色々な講座を学び、その中で絵画は特によ く学んだようで記念誌に掲載されるほどの腕前です。奥様からはお菓子やお 茶のサービスを受け大変恐縮しました。私達は絵葉書を利用して富士山の紹 介、呉さんは現在の暮らしぶりの紹介、子供や孫の話など時間を忘れてお話 しました。少しは民間交流のお役に立てたかなと思う次第です。 こちらも時間が足りず時間切れという事で、1階建物入口でご夫婦と5人 のメンバーと通訳の2人で記念撮影しお別れをしてバスに乗車、後ろ髪を引 か れ る 思 い で し た 。も う 少 し 書 き た い と 思 い ま す が こ の 辺 で ペ ン を 置 き ま す 。 最後になりますが、国際交流室白井さん添乗員の名鉄観光塩坂さんお二人 の支えで無事この旅行が終えた事に感謝お礼申しあげます。 有難うございました。 [11] ◇◆◇ 「友好の翼」に参加して ◇◆◇ 杉山美佐子 対立から対話の時代に少しずつ入ろうと思われて来た日本と中国。この時 にちっぽけな一市民に何ができるか考えながらの「友好の翼」交流団参加で した。 感 激 や 感 動 、目 を 見 張 る 事 も 沢 山 あ っ た 中大きな緊張は「政府表敬訪問」でした。 嘉興市庁舎に着き素晴らしく広々とした 応 接 の 間 に 案 内 さ れ 、体 が 沈 み そ う な 大 き な ソ フ ァ ー に ぎ こ ち な く 座 り 、副 市 長 さ ん の歓迎の挨拶や大芝団長の全部中国語で の 訪 問 の 挨 拶 、そ の 対 話 の 様 子 は ま る で テ レ ビ の 中 で の 首 脳 会 談 そ の も の で し た 。暖 か く 受 け 入 れ て く れ る 一 言 、一 言 に 大 国 中 表敬訪問 国 を 思 い 知 ら さ れ ま し た 。自 分 の 名 前 さ え 中国語で覚束なく感謝の言葉もはっきり伝えられなかったので、かなり緊張 をしていた事は確かです。観光で訪れても絶対経験できない事です。改めて 友好の翼交流団の表敬訪問に素晴らしい価値を感じました。記念に頂戴した オカリナを練習して大切な思い出にし、中国嘉興市を語っていきたいと思い ます。又、手振り身振りの対話は王さん宅でした。玄関に入るなり、いっぱ いの笑顔で懐かしい友を迎えてくれる様に手を引き日本語なら「さあさあど うぞ」とでも言っているかでしょう、座ると次々にお茶、菓子、果物が出さ れ挨拶もゆっくりする間もなく、ご主人が書の先生だと言いビデオでご自分 を紹介して下さいました。二人の嘉興大学の学生さんを交え、本当に有意義 な時間を過ごし友好を深めた思いがし、滞在時間は僅かでしたが別れる時に 涙が出そうになったのは、国と国で何があろうと、人との心の繋がりは、や がては大きな力になることを信じたからだと思いました。 実験小学校の訪問では校長先生を始め諸先生達の教育方針に基づくご指 導の様子を伺いました。子供達の生き生きと明るい表情は学校と家庭で満た されているからでしょうか。恵まれた環境で受けた教育で一人一人が世界に 羽ばたく人材になってほしいと祈る思いです。七日間の研修の旅は本当に大 勢 の 方 々 に 見 守 ら れ 助 け ら れ て 過 ご す 事 が で き ま し た 。あ り が と う ご ざ い ま した。この素晴らしい「友好の翼」が今後も大成功で続き、小さな対話から 大きな平和に近づける架け橋を作って頂きたいと思います。謝謝! [12] ◇◆◇ 嘉興市訪問で感じた事 ◇◆◇ 新開福江 今回の嘉興市への訪問で私が感じた事は、全体的に「穏やかである」とい う事です。 かつて広州に単身赴任していた私の夫が居たマンションは、高い壁に囲ま れ守衛さんが常勤し全ての窓にはアルミ鋼の格子が嵌っていました。しかし、 家庭訪問した王さんご夫妻の住むマンションは、壁もさほど高くなく、建物 の2階以上の階の窓には格子もありませんでした。警備も緩やかでオープン なもので、嘉興市の治安の良さを感じました。 その王さんは元エンジニアで、退職後に近隣に在る老人大学で『書』を教 えているとの事でした。そこで私は、直前に車窓から見た「老人大学」と書 かれた建物を思い出しました。その建物には多くの方が出入りしていました。 富士市でも推奨している『生涯学習』なのでしょう。私は多くの方がそれに 励んでいる事に心の豊かさを感じました。 嘉興市実験小学校(公立)の訪問では、 数人の生徒達の楽器演奏や書画及びロボ ッ ト 操 作 等 の 見 学 を し 、彼 ら の 緊 張 し な が らも誇らしげな瞳を見る事が出来ました。 し か し 、更 に 私 を 惹 き つ け た の は 、そ の 教室の窓から顔を出して私達訪問団に満 面な笑顔を見せてくれた一般の生徒達の 瞳 で し た 。時 節 聴 く 緊 張 し た 報 道 と は 裏 腹 な 、彼 ら の 興 味 津 々 な そ し て キ ラ キ ラ と し 授業見学 た人懐っこい瞳を見て、私も自然に笑顔が溢れました。純粋な瞳でした。 また、ホテルに隣接するスーパーの店員さん達にも惹かれました。欲しい 物を伝えようとしても言葉不如意の私達に、彼女達が集まって来て一生懸命 理解しようとし、そして探してくれました。その時の彼女達の瞳も、熱心で 真剣な瞳でした。やっと目当ての物を手にした時、私達も彼女達も小さな歓 声を上げ、そして彼女達は安堵の表情を見せながら各持ち場へと戻って行き ました。私の心はホンワカと暖かくなっていました。 治安が比較的良く、環境も人々も穏やかで経済も発展している嘉興市を訪 問出来た事は、私が抱いていた中国のイメージを少なからず好転させ、一層 身近に感じる事が出来ました。反面、未開発の地と立ち並ぶ高層建物群との 格 差 を 見 た り 、ま た 、特 有 の ト イ レ 事 情 に 悩 ま さ れ た り し た 事 は 残 念 で し た 。 最後に、この訪問に対しご尽力頂いた関係各位やご一緒出来た団員の皆様 [13] の お か げ で 、こ の 訪 問 を 楽 し く そ し て 無 事 に 過 ご せ た 事 に 深 く 感 謝 致 し ま す 。 また、中国事情に長けた団員の方が多く、その方々から伺った実体験談は、 中国を深く知る一助となりました。感謝致します。 ありがとうございました。 ◇◆◇ 「富士市民友好の翼」に参加して ◇◆◇ 西島紀美子 私 が 今 回 の「 富 士 市 民 友 好 の 翼 」の 事 を 初 め て 知 っ た の は 広 報 ふ じ で し た 。 その時は少し興味を持ちましたが、6 泊 7 日は長すぎると感じ、すぐに諦め 忘れてしまいました。8 月 8 日の締切日に、通っている健康体操教室で募集 要項を紹介されたのがきっかけで参加しました。昨年参加された方が、とて も 良 か っ た の で 先 生 に 託 し て 呼 び か け て く れ た の で す 。シ ニ ア で も 行 け る ん だ。スケジュールは空いている。知人が上海に住んでいるという事もあり、 急に心を動かされました。そんな観光気分とにわか支度で臨んだ私でしたが、 大芝団長を始めとして中国に熱い想いの 方々が大勢参加されていましたのでとて も心強かったです。 家 庭 訪 問 は 3 グ ル ー プ に 分 か れ 、私 達 は 広大な庭園の中に歴史的な古い建物があ ちらこちらにある公園を案内されました。 その敷地内にたくさんのマンションが高 くそびえ立っているのに圧倒されました。 その窓々から長く伸びた洗濯物にも驚か 家庭訪問(B 班) さ れ ま し た 。胡 さ ん ご 夫 妻 は 私 達 の 訪 問 を 楽しみにしてくれていた様子で、昨年の友好訪問のビデオを見せてくれたり、 テーブル一杯のおもてなしの品々に感激したりしました。切絵の講師をなさ っている奥様が目の前で披露してくれました。1 人ずつお土産片手に自己紹 介をするなど、大変盛り上がりました。さらに私達への土産に家族の健康を 願う「福」と仏様の繊細な切絵を用意してくださったのに心打たれました。 胡さんが「機会があったら日本に行きたいと思っているが、なかなか嘉興市 で は 財 政 的 に 無 理 だ か ら 企 画 し て く れ な い 。」 と 言 っ て い た の が 印 象 に 残 り ました。 このような企画がなければ経験しなかった数々の想い出や出来事。富士市 民として参加出来た私は大変恵まれていたと感じました。早朝の広場での太 [14] 極拳。苦手な辛い料理以外は美味しく大満足だった毎回の食事。本場足つぼ マッサージの体験。そして何よりも鳥鎮がすばらしかったです。夜の神秘的 な水郷の景色の散策に早朝食事前に散歩して千年の歴史を感じ、日中も又古 い街並みと店舗がタイムスリップした穏やかな気分を満喫しました。 富士市の関係者の皆様 これからも続くであろう友好の翼を是非もっと多くの市民が身近に感じ、 参加しやすい様に周知アピールして下さい。行程等を工夫してみて下さい。 多様な年代の方が参加できます様、応援したいと思います。 私もこの出逢いを大切にして 1 人でも多くの方に伝えて草の根活動をOB として協力して行くつもりです。ありがとうございました。 ◇◆◇ 多種多様な文化を感じた「富士市民友好の翼」 ◇◆◇ 望月阿友美 嘉 興 市 滞 在 で 私 が 一 番 楽 し み に し て い た の は 、嘉 興 市 実 験 小 学 校 訪 問 で す 。 中国は勉学、スポーツ、芸術、どれにおいても常に世界のトップクラス。そ のような国で子どもたちはどのような学校生活を送っているのかとても興 味 が あ り ま し た 。実 際 に 実 験 小 学 校 で の 学 習 現 場 を 見 て 、日 本 と の 違 い を た く さ ん 感 じ ま し た 。伝 統 文 化 を 学 び 、実 際 に 表 現 す る 授 業 、ロ ボ ッ ト 作 り コ ン ピ ュ ー タ ー ゲ ー ム 作 り 、日 本 で は 体 験 授 業 と し て 学 ぶ よ う なことを実験小学校では日常の授業で学 習 と し て 取 り 組 ん で い ま し た 。楽 器 の 演 奏 、 水 墨 画 、習 字 、 ロ ボ ッ ト 、 ゲ ー ム 、 ど れ も 小学生の手で造られたものとは思えない 絵画に没頭する生徒と 出 来 栄 え で し た 。こ う い っ た 学 習 が 子 ど も の頃から当たり前に行われているとしたら、中国が世界のトップクラスの才 能を手にしているのも大きく頷けます。メディアで見聞きした中国の子ども たちの印象は勉強、勉強、勉強といった感じでしたが、実際に目の前ではし ゃぐ子どもたちを見て日本となんら変わりなく、とても安心しました。小学 生のうちに様々な経験により子どもたちの可能性を見出す中国の教育は、日 本も見習うべきもののひとつであると思います。 嘉興、無錫、烏鎮、上海、その場所その場所の異なる文化、風景があり改 [15] めて中国の広さ、歴史の深さを知る事ができました。海外は、フランス、ハ ワ イ 、ド イ ツ に 行 っ た こ と が あ り ま し た が 、ア ジ ア 圏 は 初 め て で し た 。正 直 、 中国の反日デモなどの報道を聞き少し不安がありました。日本のことが嫌い な人が多いのではないか、危ない事に巻き込まれるのではないか、と。しか し、嘉興の人は温かく皆笑顔で迎えてくれました。中国は人口が多く、その 分様々な考えがあり、様々な人がいる。それだけのことなのだと、1週間滞 在 し 分 か り ま し た 。日 本 を 良 く 知 っ て も ら う た め に は 相 手 の こ と も 良 く 知 っ ていることが大切です。それは、国と国だけではなく、もっと小さなコミュ ニティでも大切なことです。相手の話を聞き理解した上で自分の話を聞いて もらう。一人一人にそれができれば世界中の友好はもっと温かいものになる でしょう。 富士市民友好の翼は私に大きなことを教えてくれました。富士市と嘉興市 の関係者の皆様、団員の皆様、素敵な経験をさせて下さり本当にありがとう ございました。 [16] ◇◆◇ 第19回富士市民友好の翼 公式記録 ◇◆◇ 国際交流室 白井真吾 1 0 月 13 日 ( 月 ・ 祝 日 ) 日本時間 11 : 1 5 富士市役所 現業棟北側 集合、出発式 11 : 2 0 富士市役所 発 1 2: 00 日 本 坂 サ ー ビ ス エ リ ア で 休 憩 ( 約 20 分 ) 1 2: 45 富士山静岡空港 着 1 3: 45 チェックイン、手荷物検査を済ませてロビーで待機 1 5: 45 搭乗開始 貸切バスにて富士山静岡空港へ チェックイン開始時刻まで自由行動 富士山静岡空港(台風接近で大雨) 1 6: 05 MU 20 2 0 便 に て 富 士 山 静 岡 空 港 離 陸 1 6: 40 機内食が出される ここから中国時間(日本時間から-1時間) 1 7: 35 上海浦東国際空港 着陸 18: 35 入国審査後、嘉興市外事弁公室の金昆氏が出迎え(金昆氏は 1 6 日 朝 ま で 同 行 )嘉 興 市 の マ イ ク ロ バ ス で 上 海 浦 東 空 港 を 出 発 1 9: 12 夕食会場「錦江大厨」着 2 0: 30 「錦江大厨」発 2 2: 35 宿泊ホテル「ダイヤモンドホテル」着 チェックイン 夕食 ホテルへ移動 1 0 月 14 日 ( 火 ) 0 8: 45 ホテル発 嘉興市実験小学校へ向かう 09: 00 嘉興市実験小学校 着 会議室にて学校紹介、質疑応答。美術 室へ移動して楽器演奏や書道、絵画を見学。工作室に移動して ロボットやパソコンゲームで交流する 10: 15 嘉興市実験小学校 発 家庭訪問に向かう。通訳として日本語 を 学 ぶ 学 生 が 乗 車 。C D 班 に は 学 生 が 、B 班 に は 金 昆 氏 が 同 席 。 ※ A 班 に つ い て は 、受 入 予 定 だ っ た 家 庭 が 諸 事 情 に よ り 受 入 不 [17] 可となったため、BCD班に分散した。 家庭訪問(B 班) 11:5 5 各 班 が 家 庭 訪 問 を 終 え 、最 後 の B 班 が バ ス に 乗 車 し て 全 員 合 流 、 昼食会場へ向かう。学生は途中で下車 1 2: 05 「南湖船菜大酒店」着 昼食 1 3: 12 「南湖船菜大酒店」発 一度ホテルへ戻る 1 3: 30 ホテル 着 小休止 1 4: 15 ホテル 発 嘉興市博物館へ移動 1 4: 25 嘉興市博物館 着 見学 1 5: 20 嘉興市博物館 発 南湖へ向かう 1 5: 25 南湖 着 1 6: 20 渡り舟に乗って壕股塔へ移動、塔へ登る 1 6: 40 南湖 発 1 6: 45 嘉興市庁舎 着 1 6: 55 表敬訪問 渡り舟に乗って「煙雨楼」へ移動、見学 嘉興市庁舎へ向かう 庁舎前にて記念撮影 政協嘉興市委員会副主席 朱静琦氏を表敬訪問 嘉興市政府表敬訪問 1 7: 25 表敬訪問終了、夕食会場へ移動 1 7: 3 0 「 沙 龍 国 際 賓 館 」着 歓 迎 夕 食 会 。嘉 興 市 か ら は 表 敬 訪 問 時 に 出 席 し た 方 に 加 え 、通 訳 と し て 夏 超 氏 と 嘉 興 学 院 の 講 師 が 同 席 1 9: 10 「沙龍国際賓館」発 1 9: 25 ホテル 着 ホテルへ向かう 1 0 月 15 日 ( 水 ) 0 8: 55 ホテル 発 09: 20 五芳斎ちまき工場 着 バスで五芳斎ちまき工場に向かう 秀州区職員の張氏が合流。社員の劉氏 [18] の 案 内 で 工 場 見 学 、 D VD で の 会 社 紹 介 、 記 念 撮 影 1 0: 30 五芳斎ちまき工場 発 1 0: 35 シルク博物館 着 見学 11 : 3 3 シルク博物館 発 ホテルへ戻る 1 2: 00 ホテル 着 昼食バイキング。食後は各自休憩 1 3: 55 ホテル 発 銭塘江の逆流の見学に向かう 1 4: 50 海寧市外事弁公室の黄氏が乗車 1 5: 25 海寧塩官 着 シルク博物館へ向かう 銭塘江の逆流を鑑賞 銭塘江の逆流 1 6: 05 海寧塩官 発 1 6: 45 「蒙地 羅珈琲庁」着 夕食 1 7: 55 「蒙地 羅珈琲庁」発 ホテルへ向かう 1 9: 00 ホテル 着 夕食会場へ向かう 1 0 月 16 日 ( 木 ) 0 7: 55 ホテル 発 0 9: 15 白洋湖服務区 着 休憩 0 9: 25 白洋湖服務区 発 無錫市へ向かう 1 0: 10 無錫市ガイド兼通訳の呉氏が乗車 1 0: 40 頭渚公園 着、下車して観光 無錫市 頭渚公園へ向かう 11 : 4 5 バスへ戻り昼食会場へ移動 1 2: 05 福鈺潤レストラン 着 昼食 1 2: 50 福鈺潤レストラン 発 三国城へ移動 1 3: 05 三国城 着 見学、遊覧船に乗船、続けて水滸城見学 1 4: 35 水滸城 発 福鈺潤へ向かう 1 4: 50 福鈺潤 真珠販売所 着 買い物 1 5: 50 福鈺潤 真珠販売所 発 烏鎮へ向かう 1 5: 55 ガイド兼通訳の呉氏が下車 1 7: 40 嘉興新 着 休憩 1 7: 45 嘉興新 発 烏鎮へ向かう 1 9: 10 烏鎮 着 西柵にチェックイン [19] 1 9: 55 宿 泊 ホ テ ル の 「 枕 水 度 假 酒 店 」 着 、「 牙 簽 」 に て 夕 食 2 0: 55 「牙簽」発 ホテルチェックイン 1 0 月 17 日 ( 金 ) 0 9: 00 ロビー集合、荷物をフロントに預けて団体行動で烏鎮見学 1 0: 00 手漕ぎ遊覧船 1 0: 25 全 員 下 船 、 11 : 30 ま で 自 由 行 動 11 : 3 0 「茶 待団餐庁」で昼食 1 2: 15 「茶 待団餐庁」発 1 2: 30 ホテルで荷物を受け取り、電動カーで烏鎮出口まで移動 1 2: 50 烏鎮 発 1 3: 50 練塘休憩所 着 休憩 1 4: 00 練塘休憩所 発 上海の玉佛禅寺へ向かう 1 5: 35 玉佛禅寺 着 見学 1 6: 10 玉佛禅寺 発 ホテルへ向かう 1 6: 40 ホテル「ニューワールド上海」着 1 7: 35 ホテルのレストランにて夕食 1 8: 40 夕食終了後、上海雑技団の見学希望者はバスで移動 1 9: 00 「護西大劇院」着 1 9: 30 上海雑技団 上演 2 0: 50 上海雑技団 終了、バスでホテルへ戻る 2 1: 10 ホテル 着 乗船 ホテルへ向かう 上海へ向かう チェックイン、休憩 上演まで待機 1 0 月 18 日 ( 土 ) 0 8: 05 ホテル 発、バスで上海森ビルへ移動 0 8: 20 上海環球金融中心(上海森ビル)着 1 0: 10 上海環球金融中心 発 1 0: 25 外灘地区 着 散策 1 0: 55 外灘地区 発 豫園へ向かう 11 : 1 0 豫園 着 1 2: 20 「南翔饅頭店」着 昼食 1 2: 55 「南翔饅頭店」発 1 3: 3 0 ま で 自 由 行 動 1 3: 40 豫園 発 1 3: 45 新天地 着 1 4: 3 0 ま で 自 由 行 動 1 4: 40 新天地 発 マダムタッソー蝋人形館へ向かう 1 4: 45 マダムタッソー蝋人形館 着 見学 1 5: 35 マダムタッソー蝋人形館 発 徒歩で南京東路へ向かう 10 0 階 展 望 台 へ 上 る 外灘地区へ移動 徒歩で移動、見学 バスで新天地へ向かう [20] 1 5: 55 南京東路 着 1 6 :3 0 ま で 自 由 行 動 1 6: 45 南京東路 発 「王寶和酒家」へ向かう 1 6: 55 「王寶和酒家」着 夕食 1 8: 5 0 「 王 寶 和 酒 家 」発 ナ イ ト ク ル ー ズ へ 向 か う( オ プ シ ョ ナ ル ツ アーだが全員が希望) 1 9: 20 ナイトクルーズ 2 0: 55 乗船、ナイトクルーズ 2 1: 50 下船、バスでホテルへ向かう 2 2: 50 ホテル 着 船着場へ到着 1 0 月 19 日 ( 日 ) 0 7: 35 ホテル 発 08: 20 上海浦東国際空港 着 バスで上海浦東国際空港へ移動 搭乗手続き、手荷物検査。一度搭乗ゲ ー ト 付 近 に 集 合 し た 後 、 1 0 :5 5 ま で 自 由 行 動 11 : 3 0 M U 20 19 便 に 搭 乗 1 2: 20 離陸、富士山静岡空港へ向かう 1 2: 55 機内食が出される ここから日本時間(中国時間から+1時間) 1 5: 30 富士山静岡空港 着陸 1 5: 50 審査、スーツケース受け取り 1 6: 10 借り上げバス乗車、富士市役所へ向かう。 1 7: 20 富士市役所 着 解散式。 この度、7日間にわたる「第19回富士市民友好の翼」に随員として参加 させていただきました。表敬訪問や小学校見学など嘉興市での公式交流プロ グラムに加え、真珠で有名な無錫の観光、水郷・烏鎮の散策、新旧の魅力溢 れる上海の人気スポット巡りと、かなり過密なスケジュールであったにも関 らず、病気も事故もなく、無事帰国できたのは、嘉興市の皆様、添乗員の塩 坂様、そして団員一人ひとりのお力添えがあったからに他なりません。この 場をお借りしてお礼申し上げます。ありがとうございました。 今年は出発直前に大型台風が迫り、飛行機が欠航になる可能性が大きかっ た た め 、本 当 に 心 配 し ま し た 。そ ん な 状 況 で も 、ほ ぼ 予 定 通 り 飛 行 機 に 搭 乗 、 出発することができたのは、風雨の中でも団員の皆様にしっかり集合や休憩 の 時 間 を 守 っ て い た だ い た か ら に 他 な り ま せ ん 。私 に と っ て 今 回 の 旅 で 最 も 印 象 深 か っ た の は 、皆 様 の ご 協 力 の お か げ で 予 定 通 り 中 国 に 行 く こ と が で き た、ということでした。 [21] 結団式で小長井市長は「11月には富士市と嘉興市の友好都市提携25周 年の記念式典があるので、その“弾み”となるような訪問にしてほしい」と 話しました。その言葉どおり、小学校見学では児童とともにコンピュータを 動かしたり、家庭訪問や表敬訪問では中国語で挨拶したりと、自発的で積極 的な交流ができたと思います。そして帰国後の25周年記念式典では、多く の市民が集う中、今回の団員の姿も数多くお見かけしました。団員同士で談 笑する様子を見て、今年も随行できて良かったと思いました。 「友好の翼」は、あくまで国際交流の第一歩です。帰国したら終了、とい うのではなく、この訪問をきっかけに、家庭訪問を受け入れてくれた家族に 手紙を出してみよう、仲間同士でもう一度嘉興市に行ってみよう、というよ うに、市民レベルでの交流に発展していけば、これ以上うれしいことはござ いません。 結びに、これまでの両市の友好交流の発展にご尽力された先達の皆様に敬 意を表しますとともに、本事業の実施に当たりご支援を賜りました全ての皆 様に厚く御礼申し上げます。 [22] 旅の記念 集合 写真 結団式(富士市役所にて) 嘉興市実験小学校にて 嘉興市庁舎前にて 嘉興市人民政府表敬訪問 五芳斎ちまき工場にて 烏鎮を散策 [23] 富 士 山 静 岡 空 港 か ら 行 く 中 国 の 旅 富士市民友好の翼 参加者募集 友好都市・中国 嘉興市を満喫するとともに、人気の観光スポット「無錫」 「烏鎮」、 そして新旧の魅力が混在する上海を巡る、充実の7日間― 今年は富士市と嘉興市の友好都市提携 25 周年!両市の架け橋となる団員を募集します。 訪問期間:平成 26 年 10 月 13 日(月・祝日) ~ 19 日(日) 嘉 興 市 ★友好都市提携 25 周年★ “天下の奇観”銭塘江の逆流 7,000 年の歴史を持つ嘉興市は、近年急速な発展を続けてい ます。嘉興市庁舎をはじめとする公共施設見学をはじめ、普 段の旅行とは一味違った場所を訪れ、交流を深めます。 表敬訪問 上海市 無錫・烏鎮 嘉興市の後は、 無錫市に移動 レトロとモダンが混在す して中国ドラマの撮影所と る、中国を代表する都市 して知られる三国城・水滸城 です。人気の豫園や新天 を満喫。そして宿泊は水郷・ 地などを観光して、食事 烏鎮。 中国の古き良き風景を は小籠包や上海蟹をご堪 残す烏鎮はまさに絶景です。 上海ヒルズ 能いただきます。 水郷・烏鎮 旅行期間 平成 26 年 10 月 13 日(月・祝日)~19 日(日) 6 泊 7 日 対 豫園 象 日本国籍を有する市内在住の方で、出発日の 10 月 13 日時点で 20 歳以上の人(原則として過去の参加者を 除く) 。そして説明会(9/3)、研修会(9/17)、結団式(9/29)、反省会(11/5)の全てに参加できる方 募集人数 15 人(最少催行人数は 10 名です。応募者多数の場合、第三者が立会いのもと抽選をさせていただきます。 ) 費 用 97,100 円(実際の費用は 145,100 円ですが、この内 48,000 円を富士市で補助します) 申込期間 7 月 22 日(火)~ 8 月 8 日(金) (土・日曜日を除く)午前 8 時 30 分~午後 5 時 15 分まで 申込方法 富士市役所国際交流室、各まちづくりセンターに備え付けの申込書にご記入の上、国際交流室へ直接提出し て下さい。また、 「しずおか電子申請サービス」からのお申し込み(24 時間)も可能です。 ★前回(第 18 回 )参加者の声★ 「観光旅行では味わえない中国を体感 し、価値観や文化の相違を知ったことで 中国への理解が少し深まったような気が します。 」 「百聞は一見に如かず、参加し てよかったの一言に尽きます。 」 「日中友 好の民間交流に貢献できたことは意義が あり、嬉しいことでした。 」 ※この訪問団での途中離団、視察放棄を承ることはできませんので、 予めご了承ください。 ※参加申込後、お客様の都合で契約を解除される場合には規定に従い 取消料を申し受けます。 「富士市民友好の翼」 申し込み・問い合せ窓口 富士市役所 多文化・男女共同参画課 国際交流室 電 話 0545(55)2704 〒417-8601 富士市永田町 1 丁目 100 番地 富士市役所3階北側 →「しずおか電子申請サービス」からのお申し込みはこちら→