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東日本大震災に見る 防災のあり方

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東日本大震災に見る 防災のあり方
**市町村アカデミー 特別講演**
東日本大震災に見る
防災のあり方
群馬大学大学院工学研究科教授
(広域首都圏防災研究センター長)
片田 敏孝
本当に「想定外」だったのか
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今回の大震災・大津波では「想定外」というキー
ワードが語られています。
3月11日、私は青森県八戸市で広域避難に関する
釜石湾には湾口防波堤があって、水深63m から立
講演をしていました。すごい揺れは約5分間も続きま
ち上げた防波堤が巡らされています。水面上は7m
した。8年ほど前から岩手県釜石市で津波防災に取
ほどありますから高低は70m。30年間、1,200億円を
り組んできた私は、釜石が心配で、つながるはずの
かけて作られ、ギネスブックにも掲載されました。し
ない現地に携帯電話をかけ続け、ライフラインであ
かし、瞬時に破壊されてしまいました。その現実に
る携帯電話の電池を無為に消耗させてしまいました。
対し「まさか」
「想定外」というわけです。
気が動転していたのです。
本当に想定外だったのかどうかは、我々が真剣に
私の津波防災の原点とも言えるものは2004年のイ
考えなければなりません。本当に想定外? じゃあ
ンド洋津波です。当時、釜石では、避難勧告を出し
「想定」ってなんでしょう。相手は自然、どんなこと
ても住民は逃げないという状態が常態化していたこ
だってありえる…。こう考えることこそ、私は適切だ
ともあり、インド洋津波の惨状と重ね合わせ、いず
と思います。
れたいへんなことになるという思いを抱き、防災に取
防災というのは、無尽蔵に大きな災害すべてを想
り組んできました。
定して防ぎきる性質のものではありません。想定を設
今回、釜石では多くの子どもたちの命が守られた
定し、ある一定のところまで守るぞ、という発想で
ことから「釜石の奇跡」などと報じられましたが、市
やっていくものだと考えます。
民1,200人が亡くなられていますし、5人の子どもが
では、具体的にはどうか。洪水においては「100年
亡くなっています。諸手を挙げて良かったと言える
確率」が用いられていますが、津波の場合は非常に
状況ではありません。ただ、命を守り抜いた3,000人
まれな現象ですから「記録に残る過去最大」という
の子どもたちは、私が教えた以上の対応をしてくれ
発想の仕方をします。
ました。
三陸沿岸では、
「明治三陸津波」
「昭和三陸津波」
これから、釜石における津波防災と、私が子ども
が想定の対象になります。ちなみに明治29年の「明
たちにどういう思いで、どういう方法で防災を教えて
治三陸津波」での死者は22,000人。釜石に限ってい
いったかを紹介させていただきます。
うと、総人口6,500人のうち4,000人が亡くなりました。
津波というと、多くの人が “ 大きな波 ” というイ
田老町(現・宮古市田老)では1,859人が亡くなり、
メージを持っておられると思います。しかし、津波は
生存者は沖合に出ていた漁師たち36人。
高まった海の水位が流れ込んでくる “ 海の洪水 ” と
次に、どんな防災が処されたか。田老では、高さ
いうイメージです。海の水は無尽蔵で、水面より低
10m の「田老の万里の長城」とも呼ばれる二重の防
い地形のところは徹底的に飲み込まれてしまいます。
波堤が築かれました。住民は安心しました。と同時
容赦ありません。逃げ遅れたらもうおしまいです。
に避難訓練への参加率が著しく低下してしまいまし
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片田 敏孝(かただ としたか)
【略 歴】
1990年:豊橋技術科学大学大学院博士課程修了 工学博士
2005年:群馬大学工学部 教授
2007年:群馬大学大学院工学研究科 教授
2010年:群馬大学広域首都圏防災研究センター長
2010年:東京大学大学院、豊橋技術科学大学、静岡大学 客員教授
専門は災害社会工学。内閣府中央防災会議「災害時の避難に関する専門
調査会」委員、総務省消防庁「消防審議会」委員などを務める。
た。
「これで安心だ」
、
「だから逃げない」という構造
で防げるような小規模な水害は減ったのは事実です。
が顕著になってしまったのです。
住民の観点から100年という時間を考えてみます。
今回、田老を襲った津波は18~24m でした。そこ
一生の間に1回遭うか遭わないかです。家族の世代
で、想定が甘かったから、想定を見直そうという声
単位でみると、3~4世代が対象でしょう。かつては、
が挙がります。
「あの場所はよく浸かるなあ」
「あそこに家を建てちゃ
しかし、想定を上げることが事の本質でしょうか。
だめ」とか、個人にも地域共同体にも危機意識や災
私は、明確に反対の立場です。今回の津波は、1,000
いをやり過ごすといった知恵があった。しかし、小さ
年に1回あるかないかの津波です。そのために想定
な災害が減ったことで、そうした知恵や情報が次世
を上げるということになれば、日本の沿岸部は全部コ
代に伝わりにくい状況が生まれています。つまり、住
ンクリートの高い壁で囲まなければならない。現実的
民が自分の命を守ることの主体性を欠き、行政防災
ではありません。
への依存度を高めるという構造です。
私がすごく気にしているのは人間の問題です。自
先ほど防波堤の話をしましたが、これはハードへ
然を封じ込めて、その中で守られていこうとする社
の依存です。
会性には疑問を感じます。
釜石では半年ほど前に鵜住居地区に地区防災セン
「世界一の湾口防波堤」
「防波堤ができたから安心」
ターが完成していました。本来、津波の避難所では
……。しかし、安心しきって、逆に人を死なせてし
なく、川の氾濫、土砂災害を対象にした防災セン
まったのではないか。人間が脆弱性を作ってしまっ
ターです。この施設は津波でやられ、避難した多く
たのではないか…。そんなふうにすら思うのです。
の人が亡くなりました。
「ここは津波の避難所ではな
防災行政と住民の意識
い」
「津波の避難所は別にある」ということを明確に
言ってあったにもかかわらずです。住民にしてみれ
結局、想定にとらわれすぎていたということが問
ば、行政が作った施設だから津波でもだいじょうぶ
題なのだと、私は考えています。行政も住民も専門
だと、そういう感覚です。そして、一網打尽にやら
家も然りです。
れてしまった。
行政について考えてみましょう。防災行政は洪水
ソフト面での依存については、過去の津波の浸水
でいえば100年確率までの災害を防止するという観点
域と現状での浸水想定域を地図上に示したハザード
で邁進されています。ところが、一級河川の100年確
マップがいい例です。
率の治水を終えるまで、向こう1,000年かかると言わ
浸水想定域の住民と浸水想定域外の住民が、今
れているのが現状です。これでは、100年確率を上回
回の津波でどうなったか調べてみたところ、危機意
るような大きな災害にまで考えが及ばない。つまり危
識の薄い浸水予想域外の住民が多く亡くなっている
機管理が遅れているという構造があります。
ことがわかりました。ハザードマップの情報に安心し
とはいえ、防災施設の整備などにより、100年確率
た多くの人が、死んでしまった。
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警報にも問題があった。地震発生直後の250秒、
プを信じるな、と言っています。
つまり4分以上揺れているのに、気象庁はわずか3
子どもたちにハザードマップを配布すると、自宅を
分後に津波警報を速報的に出しました。しかし津波
地図上で確認し「俺ん家はセーフ」
「うちはアウト」
というのは、震源域での揺れが終えた後に予想値を
と騒ぎが始まります。私は「きみの家は本当にセー
出せるものであって、揺れている最中での予想値は
フ? 明治三陸津波より大きな津波が来たら危ない
明らかに過小評価になります。釜石では、第一報の
かもしれないよ」
「この学校も危ないかも」と、ハザー
3mが6m、10mへと時間とともに改定されました。
ドマップに示された想定をクリアにするのです。
しかし、第一報の直後、停電の影響により情報伝達
が途絶え、住民は改定された予想値を知ることがで
きなかった。情報の速報性を優先させたがために、
第2点は「いかなる状況であっても最善を尽くす
結果的に逃げ遅れた人が出てしまったのです。
こと」
。相手は自然です。
「最善を尽くしても死ぬかも
防波堤・防潮堤、避難所、情報、そして住民意識。
しれない。でもそれは仕方がない。なぜなら、それ
これらをどう考えればいいのでしょうか。何か根本的
は最善であって、それ以上のことは君たちにはでき
な問題があるように思いませんか。
ないからだ」と話すのです。ときにどうにもならない
私は釜石の市街地のまん中に立って考えました。
自然災害に向かい合う姿勢を教えているのです。
自然というのは、ものすごいことをやる。しかし、
子どもたちの具体的行動を紹介しましょう。
1,000年単位の災害となると、日ごろ、自分の命を奪
釜石東中学校と鵜住居小学校が隣接してあります。
われるリアリティーが全くない。そんな無防備な住民
地震発生時、中学校の校内放送は停電で機能しな
に、とてつもない現実が襲った。それが今回の実態
かった。しかし、中学生たちはいち早く避難行動に
ではないでしょうか。
移りました。校庭を全速力で走り抜け、小学校に向
避難原則1「想定を信じるな」
かって「津波が来るぞ、逃げるぞ」と声をかけて、
避難地「ございしょの里」を目指した。小学校では
さて、自分の命を守ることのリアリティーを持たな
生徒たちが校舎の最上階3階に避難しようとしてい
い子どもたちに、どうやって避難行動を教えていくか。
たのですが、日ごろ、合同避難訓練をやっているお
私は、避難3原則を用意してわかりやすく説明してき
兄さんたちが、血相を変えて走っていく姿を見て、3
たつもりです。
階に上がるのをやめて、いっしょに避難地を目指して
釜石では今回、小学生1,927人、中学生999人が命
走ったのです。
を守りましたが、5人が亡くなりました。病気で学校
小中学生が大挙して避難している様子を見たお年
を休んでいた生徒が2人。避難している途中に保護
寄りたちも合流しました。鵜住居保育園の保育士さ
者が迎えに来て被災した生徒が1人。早下校し、母
んたちも、大きなベビーカーに子どもを積んで「ござ
親とともに買い物に出かけ被災した生徒が1人。もう
いしょの里」になだれ込みました。
1人は中学生で、自宅の裏に一人暮らしのおばあ
ところが、その避難地で中学生が崖が崩れている
ちゃんがいて、そのもとに走り、避難準備をしている
のを見つけ、
「先生、ここじゃだめだ。もっと先に逃
最中に被災しました。私は、日ごろ、中学生に「君
げよう」と言います。そこでさらに先、一段高い地に
たちはもう救われる立場ではない。救う立場だ」と
ある老人福祉施設を目指して合流した全員が避難を
言ってきた経緯もあり、自責の念を感じています。一
始めました。津波は「ございしょの里」
、そして老人
方、命を守った3,000人の行動は、褒めてあげたいと
福祉施設裏の崖まで到達しましたが、本当に間一髪
思います。
で助かったのです。ハザードマップを信じていたら
では、彼らの命を守ることになった避難3原則とは
助かりませんでした。
どういうものか。
まず第1点は「想定を信じるな」ということ。私は
ハザードマップの専門家ですが、そのハザードマッ
避難原則2「最善を尽くせ」
避難原則3「率先避難者たれ」
3点目は「率先避難者たれ」
。逃げる姿勢だけでは
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ダメ。逃げるという行動を具体化させるために盛り
げろ。なぜなら、肉親を探すといった家族の絆が被
込んだものです。
害を大きくすることがある。それを防ぐための言葉な
私は中学生に「君たちは助けられる立場ではない。
んですね。必ずあとから迎えに行くから、まずは逃
助ける立場だ」と言ってきました。その一方で「い
げろといった信頼関係のある家族、そんな家庭を作
ざそのときになったら、自分の命を守りきることに専
れという深い意味がある言葉のような気がします。
念しろ」
「まず、君がいちばんに逃げろ」と語ってい
ます。子どもたちは躊躇します。そこでこう説明する
逃げることは住むためのお作法
のです。
「君が自分の命を守り抜くことが、周りの命
あと2~3年、この地で防災教育をやっていたら、
を助けることになる」と。誰かが逃げれば、周囲の
1,200人もの人が死なずにすんだのではないかと思っ
人間も行動しやすい。
「君が逃げればみんな逃げ出す。
ています。
君が率先避難者になってみんなを救うのだ」と。今
当初の防災教育を受けた小学生が今、
「助ける人」
回は、中学のサッカー部員が「津波が来るぞ」と
だという意識を持った中学生になっています。彼らは、
言って、小中学校に声をかけた率先避難者でした。
お年寄りを避難させるためにリアカーを引きます。防
教えるべきは、命を守る姿勢
災訓練、応急手当、救急搬送、防災マップづくり、
非常炊き出し訓練、防災頭巾づくり……昼休みに小
改めて、自分は子どもたちに何を教えてきたかを
学生に防災教育をしたり、お年寄りのところを回って、
考えています。実はたいしたことは教えていない。
避難場所を理解できているか確認したりもしていま
津波より早く、より高いところに逃げろということぐ
す。
「○○は△△へ避難しました」と記すことのでき
らいです。
る “ 安否札 ” を作り、地域に配布もしました。
ただ、やってはいけない防災教育があることだけ
今回の災害が悔しい。もうちょっと時間があれば
は断言できます。それは “ 脅しの防災教育 ” です。
と、残念な思いです。
悲惨な状況を知らせ、だから逃げろ、という手法で
私は、子どもたちの防災教育の最初に、海のある
す。脅しで作り上げられた危機意識というのは一晩
釜石のすばらしさを語ります。
「ただ、ときに自然の
もするとなくなる。また、知識の防災教育も問題があ
力に翻弄されるときがある」
「そのときだけ、ちゃん
ります。ハザードマップ作りも同様ですが、リスク情
と対応できる力を持っていれば、未来永劫住み続け
報は「最大値」を規定してしまう。すなわち、災害
ることができる」
「逃げるということは、住むための
イメージを固定化してしまうという危険性を内包して
お作法なのだ」と言って、本題に入るのです。
います。
現時点で、子どもたちへの津波防災教育は再開さ
結局、子どもたちに教えるべき最大のものは、命
れていませんが、こう語りかけたいと思っています。
を守る姿勢なのだと思っています。
「君たちはここに住む資格がある。ちゃんとお作法
防災教育を受けた子どもたちは10年もすれば大人
を身につけている。そのお作法を次の世代に引き継
になり、親になる。地域には逃げるという文化が出来
いでやってほしい。君たちが前よりもっとよい釜石に
上がってくる。時間はかかるかもしれませんが、子ど
していってほしい」
もたちへの防災教育こそ事の本質なのではないかと
釜石の子どもたちに学ぶべきことは何か。それは
思っています。
命を守ろうとする主体的な姿勢です。彼らは、防災
そしてもう一つ、子どもへの教育は親の意識を変
という枠を超えて、地域の一員として自分たちが成
えるという下心もありました。ふだん、防災講演会な
すべきことはなにかを明確に理解しています。
どに関心がない保護者でも、子どものことになると目
釜石でやったことが他の地域でも広がる兆しがあ
の色を変える。子どもの教育を親に、地域に広げる
ります。皆さんの地域でも役立てていただきたいと思
という戦略です。
います。
東北地方には「津波てんでんこ」という言葉があ
ります。津波が来たら、老いも若きも自分一人で逃
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