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鈴木の世界史B講義録
234
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フランス革命でうちだされたこと
フランス革命でうちだされたこと。
1)自由平等の理念
2)国民国家の原則
・・・・・・人権宣言(1789 年)
≪復習≫絶対王政も必ずしも「絶対」ではなかった。・・・・人々を職能・地域・身分などの集団を通じて把握していた。
個々の人間を「国民」として掌握していたのではなかった!
革命政府は、法的に平等な市民であることが確認された個々人を、国民として直接、国家が掌握するこ
とを追求した。
≪復習≫絶対王政の下では国民意識などありようがない。なぜなら、主権は国王にあり、国民は国家のことをわがこ
ととして意識する必要もなければ義務もなかった。それを変えたのはフランス革命である。
【1:
】を形成するためにこんなこともした。
当講座講義録 No232 のB面「ジャコバン派の独裁」③④⑤を参照せよ。
*地球の大きさという科 学上の事実に関連づけた数学的なメートル法の採用を断行した(1793)。
*グレゴリウス暦に替えて、月の名称には自然現象をあて、キリスト教的な週を廃止した革命暦(共
和暦)の採用(1793.10.5-1806.1.1)も断行した。
*キリスト教に替わる「合理的宗教」として「理性の崇拝」(1793.11.10 ~ 1794.3 エベール)まで
創った。
そしてその極みは、国語教育である。地域的な言語を否定してフランス語を強要した。
≪参考≫ 1985 年以降、わが国の教科書から消えた作品=『最後の授業』(La Dernière Classe)
作者:アルフォンス・ドーデ(Alphonse Daudet)の短編小説 1873 年(第三共和政時代)に出版。
≪あらすじ≫普仏戦争に敗れ、フランスはアルザス・ロレーヌをプロイセンに奪わた。ドイツ語では「エル
ザス・ロートリンゲン」と言う。アルザス地方のある初等学校。今日は教室の後方にはに元村長をはじめ多
くの村人たちが古い教科書を手に集まっている。アメル先生は生徒と大人たちに、「皆さん、私が授業をす
るのはこれが最後です。アルザスとロレーヌの学校では、ドイツ語しか教へてはいけないという命令が、ベ
ルリンから来ました。・・・・(途中略)・・・・新しい先生が明日見えます。今日はフランス語の最後の授業です。」
アメル先生が「これほど辛抱強く説明し」てくれた事は無かつたし、生徒も「これほどよく聞いた事は一
度だつて無かつた」。先生は熱弁をふるい、「世界中で一番美しい、一番はっきりとした、一番力強い言葉」
であるフランス語を決して忘れてはいけない、何故なら「ある民族が奴隸となっても、その国語を保ってい
る限りはその牢獄の鍵を握っているようなものだから」とフランス語の優秀さを生徒に語り、黒板に「Vive La
France!」(フランス万歳!)と書いて最後の授業を終える。
この作品は戦前からわが国の国語教科書に採用され、敗戦で中断するが、戦後復活、授業者の鈴木も生徒
時代に読んだ。この作品を読んで大学の「第二外国語」をフランス語にした人も多い。1985 年以降、教科書
から消された理由は、「国語」イデオロギーによって言語的多様性を否定する側面を持つ政治的作品である
との批判があったからである。なぜなら、これはもっと前から分かっていたことだが、歴史的にアルザス地
方の言葉はドイツ語(の一方言)であつて、フランス語では決してなかった。この作品は、あたかもフラン
ス語がアルザスの人々の母語であるかのように、事実とはまったく逆に描いているからだ。
(授業者私見・・・・だからと言って、この作品は教育者の持つべき情熱、国語教育の重要性などを感動的に表
現しており、教科書から消し去るのは惜しい作品である。前述の歴史的知見を付け加えて、更に深めた形で
再登場できないものだろうか。)
この作品が消された経緯からも、フランス革命政府が、ドイツ語圏のアルザス・ロレーヌの
人々ににフランス語を強要していたことが分かる。わが国がかつてアジア諸国でしたことも
振り返ってみよう。合格してからね。 また、記述・論述で勝負するためにも、日頃から日本語
文を正しく美しく正確に、しかも早く記述できるよう努力しよう。
ナポレオンはヨーロッパ各地にナショナリズムの種を蒔いた
1)ナポレオンは、征服した地域に前掲のような考え方を広めた。
それは、封建制の重圧に苦しむ諸国民の意識を目覚めさせた。
同時に、侵略者フランスに対するナショナリズムを各地に芽生えさせた。
2)フランス革命の影響が自国に広まるのを恐れた支配者が自ら改革を起こした例もある。
例えば、1807 年からフランス軍が駐留し、国家滅亡の危機にさらされた【2:
】では、
シュタイン 1757-1831、ハルデンベルク 1750-1822 らが軍制や教育の改革、農奴解放などの一連の改革を実施
した。これを【3:
】という。
シュタイン
ティルジット条約後の首相任 1807-08 農奴制の廃止、行政機構の改革など
「上からの近代化」を推進。ナポレオンの圧力で罷免された。
ハルデンベルク
シュタインの継承者。首相任 1810-22。行政機構の改革、農業改革、営業の自由
化などプロイセンの近代化を推進。後のウィーン会議全権。
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http://sekaishi.info
http://geocities.jp/sekaishi_suzuki/
また、哲学者の【4:
】1762-1814 は、1807 年、フランス軍占領下のベルリンで「ドイツ国民に
告ぐ」と題した連続講演を行い、ドイツの民族的独立と文化の再建を説き、国民意識の覚醒を訴えた。
「ドイツ国民に告ぐ」(1807 年)
もし余が、ここに余の目前に於いて鼓動しつつある何人かの胸中に火花を投げ、それがそこに光
り続けて生命を得るようになし得たとするならば、心とを有する人を集めてこれに連結し、かくて
これが中心となって、祖国の全体に、偏陬(へんすう)の地に至るまで、祖国的思念の唯一の流動
する団結の焔(ほのお)が広がって、他に点火せんことを祈るのである。・・・・・今もなお自己を
国民の一員と信じ、この国民を大なる高尚なるものと考え、この国民に望みを嘱(たく)し、この
国民のためにおのれを賭し、忍び且つ堪ふるドイツは、いづれも皆この度こそは信念の動揺から拉
し出さねばならぬ。
(フィイテ『ドイツ国民に告ぐ』
、大津康訳、岩波文庫)
『グローバルワイド』p326
3)スペインでは、1808 年、ナポレオン支配に対し反乱が起きた。
スペイン反乱(=イベリア半島戦争 1808 ~ 1814 年)である。
ナポレオンは、兄ジョセフをスペイン国王にした。これに抗議して農民を主とする民族主義的抵抗が起
こり、反乱に発展した。イギリスも反乱軍を支援。軍事力で劣勢の反乱軍は粘り強いゲリラ戦術で戦い、
ナポレオンは最後までこれを鎮圧できなかった。
・・・・・・有名な絵画「1808年5月3日の処刑」(ゴヤ、制作は 1814 年)は必ず見ておくこと。
この際、ナショナリズムとは何かまとめておこう。
ナショナリズムとは、自らの民族的な価値(国民意識ないしは民族意識)を強く意識し、自国ないしは
自民族の立場の強化に努めようとする考え。フランス革命から始まり、19 世紀後半以降、更に拡大した。
20世紀以降、日本語で書かれた文献では、次のように使い分けている例が多い。
山川用語集 p205 参照
訳語
(1)民族主義
(2)国民主義
(3)国家主義
意味
他国・他民族の支配下に置か
れている民族が自立・独立を
めざす考え。
分裂状態にあった民族が統一
国家の形成をめざす考え。
他国を侵略し、他民族を抑圧
してまでも、国家の拡大を実
現しようとする考え。
19世紀、ナショナリズムに
目覚めたマジャール人、イタ
リア人、ポーランド人などは
オーストリア帝国の支配下か
ら自立をめざした。
19世紀、ナショナリズムが
高揚したイタリアは1861
年、ドイツは1871年に国
家の統一を達成した。
20世紀、凶暴なナショナリ
ズムが2回もの世界大戦を惹
起した。
用例
「ナポレオンはヨーロッパ各地にナショナリズムの種を蒔いた」という時の「ナショナリズム」は(1)
である。
出題文に「ナショナリズム」という語が出てきたら、常にこの3つのどれに当たるか明確に判別しつ
つ読み進めて欲しい。記述・論述で自らこの語を使うときも同様である。
MEMO
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