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新入管法施行3年と在日への影響

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新入管法施行3年と在日への影響
新入管法施行 3 年と在日への影響
2016/02/06
1 大きな変化はなし。なにに「手をつけなかった」のか
●「悪い事態」の継続
cf「特別永住者等の国籍取得の特例に関する法律案」(仮称)についての
在日コリアン弁護士声明」(2001 年)
●おおむね改悪はなかったといえる。若干の改善。いずれにせよ、在日の意向を聴い
て、反映する公的システムがない。所管が法務省(治安官庁) cf 住民票⇒総
務省
●4 世、5 世、6 世、100 年以上の日本在住家族もいるのに、証明書を持たされ、日本
への再入国が許可制
●他方、特別永住者が一貫して減少し(⇒日本国籍者の在日が増加し)、問題は「解決」
されないままに「解消」されていく方向
●日本の植民地責任、マイノリティライツの保障、日本のナショナル・アイデンティ
ティの改変、という視点からの改革は(今回も)なかった
●「引き続く植民地法制、人種主義法制」、「日本の植民地主義と人種主義」には(い
つもながら)手をつけなかった
●人種差別には民族差別を含む(人種差別撤廃条約 1 条 1 項)
●治安面からの管理法。外国籍住民の平等処遇法、(地方)参政権法の不在。国籍法の
変革を伴っていないこと
●これまでも日本側が自主的に手をつけてきたことはない。外圧と、権利闘争。日韓
政府間の交渉
●管理強化(法務省への一元化の強化)からの入管法改定。それに併せて在日(特別
永住者。オールドカマー)の扱いを若干、変更(入管特例法⇒基準 1945 年 9 月 2 日)
⇒在日とその他の外国籍者との分断? 「名誉白人」、「名誉日本人」
2 入管法、入管特例法(⇒特別永住者)
3 「入管法に規定されていないもの」、「入管法の前提となっているもの」を考える必要
⇒国籍法の問題を一緒に考える必要(厳格な血統主義、複数国籍、権利帰化)
⇒マイノリティライツの保障や、日本の「ナショナル・アイデンティティ」(国柄?)の
規定の仕方を一緒に考える必要
4 以上に大きな変化がないまま、在日(オールドカマー⇒特別永住者数)の減少が一貫し
て進む
韓国朝鮮籍⇒管理職公務員への就職制限。ヘイトスピーチ。
日本籍⇒ヘイトスピーチ。特定秘密保護法。
1
cf 沖縄人へのヘイトスピーチ
5 日本国憲法⇒多様な背景を持つ人々の自主的結合
⇒× 多様な民族的背景を持つ人々
入管法(在留資格制度)>憲法
国籍法>憲法
入管法、国籍法への丸投げを許す憲法
本書を訳すことになったきっかけは、大学の授業で人種主義に触れると、日本人の学生にはなぜか分かり
にくいらしいのを不思議に思ってきたことである。在日朝鮮人である私にとっては自明と言っていい人種
差別の問題が、なかなか理解されないのである。というより、驚くべきことには、欧米におけるユダヤ人
や黒人に対する差別だけを人種主義と考えていて、日本には人種主義がないと多くの学生が思っているの
である。
近代国民国家が不可避に持つ人種主義体制の側面を考えるとき、日本はきわめてユニークな人種主義のス
ペクトル――カースト制、先住民支配、海外民族国家の併合、帝国主義と植民地支配――を持つ。
李孝徳「訳者解説 日本の人種主義を見すえて」ジョージ・M・フレドリクソン(李孝徳・
訳)『人種主義の歴史』(みすず書房、2009 年)
2
1 これまでの枠組み
●「悪い事態」の継続
●在日にとっての外国籍者法制
●植民地責任の否定が、外国籍者法制のかたちで正当化されてきた
●人種主義法制が、外国籍者法制のかたちで正当化されてきた
⇒「植民地主義」、「人種主義」
●人種差別撤廃条約前文
国際連合が植民地主義並びにこれに伴う隔離及び差別のあらゆる慣行
(いかなる形態であるかいかなる場所に存在するかを問わない。)を非
難してきたこと(中略)を考慮し、
●戦前~戦後
⇒「戸籍による差別法制」から、「国籍による差別法制」に移行
●戦前~1952 年 4 月 28 日
植民地法制
:植民地住民も日本国籍者。属人、属地による差別法制
⇒朝鮮戸籍者
⇒異法域
例)朝鮮には明治憲法の人権条項が施行されない
●1952 年 4 月 28 日:日本国籍者のうち朝鮮、台湾系住民から日本国籍を剥奪
❶「民族的出身」による人種差別措置
⇒人種差別撤廃条約以前の措置
⇒ただ、この措置の効果が現在も及んでいるのでは(近藤敦)
cf ラトビア
❷以降、日本国籍を持たない外国籍者であることを理由に人権制限
➌国籍法(厳格な血統主義)で、朝鮮、台湾系住民の子孫には日本国
籍を(極力)与えない
❹外国籍者についても、「帰化」などにより日本国籍を取得したものに
ついても、マイノリティ・ライツ(民族的少数者の権利)を保障
しない
●入管体制
⇒憲法(1946年11月3日、1947年5月3日)=国籍法(1950年)=入管法
(1951年)=外国人登録法(1952年、1947年5月2日)体制
⇒引き続く植民地法制、人種主義法制
3
●新入管法
⇒そこについては従来とおり
⇒若干の緩和あり
●入管法と、国籍法
●「恩恵による統治メカニズム」(丹野清人『国籍の境界を考える』吉田書店、2013 年)
国籍の継承を権利として認めず、個別に審査し、国の恩恵によって国籍を付与する
●日本国憲法(1946 年)10 条
「日本国民たる要件は、法律でこれを定める。」
cf 明治憲法(1889 年)
日本臣民タル要件ハ法律ノ定ムル所ニ依ル(18 条)
●国籍に関わる規定を憲法や民法の中に設けるのではなく、国籍法という特別法で規定し
たのは、国籍に関するさまざまな事柄を権利として扱うことを不可能にさせる、あるい
は権利として主張させなくするため【という効果を持った】
●国籍法という特別法で規定
⇒19 世紀後半のプロイセンで始まったとされる
⇒日本・国籍法(1899 年)
cf ナポレオン法典(1804 年)
cf 日本・民法(1890 年。未施行)
●「外事法」:国籍法(1950 年)、入管法(1951 年)、外登法(1952 年 4 月 28 日)
「外事法」⇒現在はそう一般的な用語ではない
●サンフランシスコ講和条約の発効(1952 年 4 月 28 日)
⇒この日に、台湾人、朝鮮人の日本国籍剥奪(日本政府の見解)
cf 日本最高裁:朝鮮人⇒1952 年 4 月 28 日
台湾人⇒1952 年 8 月 5 日(日華平和条約の発効)
●日本国憲法(公布 1946 年 11 月 3 日、施行 1947 年 5 月 3 日)
●外国人登録令(1947 年 5 月 2 日)
●引き続く植民地法制、人種主義法制
●戦前
属人、属地
朝鮮人は日本国籍(日本臣民)
内地戸籍、朝鮮戸籍⇒朝鮮人
朝鮮⇒異法域
マイノリティライツなし
4
●1945年8月15日、9月2日
●1945年~1952年4月28日
在日韓国朝鮮人は日本国籍 but 外国人とみなす
⇒(日本政府に対する)アメリカによる介入と承認
●1951年
出入国管理令(法律ではなく政令)
●1952年4月28日~
在日韓国朝鮮人は外国籍 + 国籍条項(⇒権利享有に日本国籍を要求)
マイノリティライツなし
●1965年 日韓条約、在日韓国人の法的地位協定(日本国に居住する大韓民国国民の
法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定)
cf 日韓請求権協定
「韓国籍」者は、協定永住
cf 「韓国表示」
●1982年
出入国管理令⇒出入国管理法(出入国管理及び難民認定法)に題名改正
5
⇒難民条約(1951年)加入に伴う
⇒外圧
●1984年
国籍法改定(施行1985年)
⇒父母両系血統主義
⇒在日数の減少へ
●男女平等からは(もちろん)よかったが、植民地主義の克服や、民族差別(人種
差別)の是正については何のてあてもないまま日本国籍を与える、というものだ
った
⇒という方向からの問題意識は日本の進歩派・人権派にも(いつもながら)弱
かった
■法的差別の存在は「両刃の剣」
⇒法的差別の存在に「よい点」もある
⇒在日にとっての「(韓国朝鮮)国籍」の重要性
⇒こういう議論は当時も「民族アイデンティティのために法的差別を永続化しろ、
ということか」と批判された
⇒とはいえ、法的差別があることで一定の「肯定的」効果があること自体は否定
できないだろうし、何のてあてもないまま平等化することの問題自体も否定
できないだろう
■「社会的な構造や型、態度はすぐに溶けてなくなるコインではない。いったん
形 作 ら れ る と 、 そ れ ら は 持 続 す る 」 (Joseph Schumpeter, Capitalism,
Socialism and Democracy, 1947)
⇒「民族」、「人種」
■アメリカ・南アフリカ・ブラジル
「不平等が持続するだけでは、高度な人種アイデンティティや動員を引き起こ
すのに十分ではなかった。法的な人種支配が欠如していたことが非常に重大
だった。黒人の運命は互いに結びついていたが、一般にはそのように認識さ
れていなかった。人種に従った権利の剥奪だけでは、南アフリカやアメリカ
と比肩するような、剥奪に見合ったレヴェルの連帯や抗議は生じなかった。
確かに不公平な非公式の差別の経験は、アフリカ系ブラジル人のあいだに過
去も現在も広く認知されていたが、そのような不公平を強いる公式の規定が
ないことで、多くの者は、昇進できないのは学歴がないことや自身の欠点な
どによると長く信じてきた。人種主義はめったに批判されなかった。しかし
このような貧しさの説明は、自己に刃を向けることはしないが、アメリカや
南アフリカでは陳腐であるとされた。」アンソニー・W・マークス『黒人差別
6
と国民国家 アメリカ・南アフリカ・ブラジル』
(春風社、2007 年。原著(Making
Race and Nation : A Comparison of South Africa, the United States, and
Brazil)、1988 年)
■「外国につながるこども」
⇒日本国籍の子どもを含む
⇒高校進学率 50~70%? cf 「日本人」生徒 97%超
⇒全校生徒に対する比率 0.1%? cf 定時制 25%?
●1991年
入管特例法(日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関
する特例法)
●特別永住、「朝鮮籍」者も
●基準:1945 年 9 月 2 日
●入管特例法2条1号
第二条
この法律において「平和条約国籍離脱者」とは、日本国との平和条約
の規定に基づき同条約の最初の効力発生の日(以下「平和条約発効日」という。)
において日本の国籍を離脱した者で、次の各号の一に該当するものをいう。
一
昭和二十年九月二日以前から引き続き本邦に在留する者
●指紋押捺拒否闘争
外国人登録法 14 条:日本に 1 年以上在留する 16 歳以上の外国人は、居住地の市区町村長
に指紋を押捺
⇒1955 年から実施
⇒押捺拒否:1 年以下の懲役・禁錮、20 万円以下の罰金など
⇒対象となる外国人のうち80~90%が在日韓国朝鮮人
1979 年⇒日本、国際人権規約に加盟(批准)
1980 年ころ~ 押捺拒否
1985 年~ 登録証明書の大量切替年
⇒押捺拒否・留保、1 万人
⇒有罪判決。指紋押捺は憲法第 14 条の法の下の平等、国際人権規約に違反しない
1984 年⇒日韓共同声明(在日韓国人の地位向上に努力)
1991 年 1 月 日韓首脳会談で日本側、廃止の意向を表明
1992 年 外国人登録法改正(施行 1993 年)
⇒永住者・特別永住者について指紋押捺免除
1999 年 外国人登録法改正、非永住者の指紋押捺も廃止(施行 2000 年)
7
2001 年 9 月 アメリカ同時多発テロ
2006 年 入管法改正(施行 2007 年)
⇒日本に入国する外国人に指紋と顔写真の提供を義務付け
⇒特別永住者、16 歳未満の者、政府が招聘した者などは免除
⇒例えば一般永住者は免除されない
8
2 入管法改正(2009 年。全面施行 2012 年)と在日
●空港で
「日本旅券、特別永住者」用窓口 「その他外国人の」用窓口
⇒入管法とは直接の関係がないが
●外登法の廃止
外登法廃止の意味
●外国人登録証明書⇒特別永住者証明書、在留カード
●メリット? デメリット?
①特別永住者証明書の提示義務 cf 携帯義務
公明党 cf 法務省
●入管特例法17条
(特別永住者証明書の受領及び提示等)
第十七条
特別永住者は、法務大臣が交付し、又は市町村の長が返還する特別永住
者証明書を受領しなければならない。
2 特別永住者は、入国審査官、入国警備官、警察官、海上保安官その他法務省令で
定める国又は地方公共団体の職員が、その職務の執行に当たり、特別永住者証明書
の提示を求めたときは、これを提示しなければならない。
4 特別永住者については、入管法第二十三条第一項本文の規定(これに係る罰則を
含む。)は、適用しない。
●罰則
一年以下の懲役又は二十万円以下の罰金(入管特例法31条)
●入管法23条
(旅券等の携帯及び提示)
第二十三条
本邦に在留する外国人は、常に旅券(次の各号に掲げる者にあつては、
当該各号に定める文書)を携帯していなければならない。ただし、次項の規定によ
り在留カードを携帯する場合は、この限りでない。
(中略)
2 中長期在留者は、法務大臣が交付し、又は市町村の長が返還する在留カードを受
領し、常にこれを携帯していなければならない。
(後略)
●罰則
第七十五条の二
次の各号のいずれかに該当する者は、一年以下の懲役又は二十
9
万円以下の罰金に処する。
一
第二十三条第二項の規定に違反して在留カードを受領しなかつた者
二
第二十三条第三項の規定に違反して在留カードの提示を拒んだ者
第七十五条の三
第二十三条第二項の規定に違反して在留カードを携帯しなか
つた者は、二十万円以下の罰金に処する。
cf 住居地の届け出義務⇒登録義務
●届け出義務(入管特例法 10 条)
⇒罰則:虚偽届け出(一年以下の懲役又は二十万円以下の罰金。31 条)、届け出懈
怠(二十万円以下の罰金。32 条)
●旧・住民登録法(1951年)31 条
(罰則)
第三十一条 正当な理由がなくて期間内にすべき届出をしない者は、五百円以下
の過料に処する。
●住民基本台帳法(1967年)52 条
第五十二条
第二十二条から第二十四条まで、第二十五条又は第三十条の四十
六から第三十条の四十八までの規定による届出に関し虚偽の届出(第二十八条
から第三十条までの規定による付記を含む。)をした者は、他の法令の規定によ
り刑を科すべき場合を除き、五万円以下の過料に処する。
2 正当な理由がなくて第二十二条から第二十四条まで、第二十五条又は第三十
条の四十六から第三十条の四十八までの規定による届出をしない者は、五万円
以下の過料に処する。
②手続きの場所
他の外国籍者:市役所・区役所⇒入管局(東京なら品川)
特別永住者:市役所・区役所
③外国人登録原票
市役所・区役所⇒法務省(東京、霞ヶ関)
④再入国、みなし再入国
再入国の権利
●国際人権規約自由権規約 12 条 4 項
4 何人も、自国に戻る権利を恣意的に奪われない。
cf 朝鮮総連、北朝鮮関係
【原則】再入国の権利なし⇒【例外】再入国許可制度⇒【例外の例外】みなし再入国制度
●再入国
6 年 cf 5 年
10
7 年 cf 6 年
●みなし再入国
期間 2 年 cf 1 年
●入管特例法 23 条
(再入国の許可の有効期間の特例等)
第二十三条
特別永住者に関しては、入管法第二十六条第三項 中「五年」とあるの
は「六年」と、同条第五項 中「六年」とあるのは「七年」とする。
2
入管法第二十六条の二の規定は、有効な旅券及び特別永住者証明書を所持して
出国する特別永住者について準用する。この場合において、同条第二項 中「一年(在
留期間の満了の日が出国の日から一年を経過する日前に到来する場合には、在留期
間の満了までの期間)」とあるのは、「二年」と読み替えるものとする。
3
法務大臣は、特別永住者に対する入管法第二十六条 及び前項において準用する
入管法第二十六条の二 の規定の適用に当たっては、特別永住者の本邦における生活
の安定に資するとのこの法律の趣旨を尊重するものとする。
⑤住民票(⇒所管・総務省)
住民基本台帳法の改定
外国人登録⇒在留カード(特別永住者証明書)、外国人住民票
住民登録⇒管理と便益
とはいえここはもう従前から実現されていた
⑥通称名の扱い
旧・外国人登録証⇒通称名の記載可
特別永住者証明書⇒通称名の記載不可
外国人住民票⇒通称名の記載可
11
3 補足
●「在日」とはだれか
分割統治? 一般永住者との差異
●特別永住者の減少
⇒「帰化」者、複数国籍者の増加
●在韓外国籍者の処遇に対する韓国の取り組み。その限界
⇒ただ、日本ではこういう取り組み自体がない
●市民が安定的に包摂されているという成功例は、ごくまれである。慈悲深い包摂的なナ
ショナリズムよりもむしろ特殊な排除が、安定と成長にとりつかれた一世紀にわたる国
民国家建設の支配的な論理であった。その結果は、人種的、民族的その他のアイデンテ
ィティにもとづく差別の制度的な強化につながっている。しかも人々は、制度的な境界
が改革されたあとでも、それらの差別を本源的なものと信じ、保持し、行動の基準にし
ている。そのような原動力のコストはすべて、再発する闘争や憎悪の形でいまなお贖わ
れているのである。
●ブラジルと、南アフリカおよびアメリカとの相違は、ロジャーズ・ブルベイカーが記し
たヨーロッパのパターンに類似している。ドイツ国民の潜在的な不一致は、包摂された
者をまとめるために、人種により市民権を排除するという国家政策によって、意図的に
克服された。対象的に早くからまとまっていたフランス国は、「市民」、すなわち市民と
しての包摂という公式の規則を採用した。すでに統一が達成されていたフランスには、
公的な「民族」排除による補強は必要なかったからである。もっとも非公式の差別はい
よいよ明らかになっている。
マークス『黒人差別と国民国家 アメリカ・南アフリカ・ブラジル』
12
(資料)社会実情データ図録(http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/)
在日コリアンの人口推
在朝日本人の人口推移
移
250
万
200
人
150
100
50
0
1
8
7
6
1
9
0
5
1
9
1
0
1
9
2
0
1
9
3
0
13
1
9
4
0
1
9
4
1
1
9
4
2
1
9
4
3
1
9
4
5
14
●小手先の改革? 管理と、権利
外国人の「活用」 cf女性の「活用」
●同じものは同じに ⇒市民的権利、政治的権利、社会的権利
●違うものは違って ⇒マイノリティライツ(民族的少数者の権利)
⇒合理的な配慮(reasonable accommodation)
●入管法(在留資格制度)>憲法
cf 労働法
●国籍法>憲法
●経団連会長、人口減社会「移民へのドア開けないと」
日経新聞 2015/7/23
経団連の榊原定征会長は 23 日、人口減少社会への対応として「移民に頼らざるを
得ない。(閉じている)ドアを開けにいかないといけない」と述べ、移民政策の議論を政
府内外で加速するよう求めた。経団連独自の制度設計を急ぐ考えを示した。長野県
軽井沢町で同日から始まった経団連夏季フォーラムで語った。
政府試算では日本の人口は、このままだと 2060 年までに 4000 万人程度減る。榊原
氏は労働力人口の減少に危機感を示したうえで、女性や高齢者をより積極的に活用
すべきだとしつつ「それでも足らない」と指摘。「(移民受け入れに)国は極めて保守的
で拒絶的だ。産業界から具体的に提言していかないと進まない」と強調した。
❶サニブラウン 男子200M2位 世陸代表へ望みつないだ
スポーツニッポン 2015 年 6 月 28 日
ガーナ人の父を持つサニブラウンが、体ごとフィニッシュに飛び込んだ。前日(26
日)の予選でマークした自己ベストの20秒56に届かなかったが、初出場の16歳が大
健闘。優勝候補筆頭の高瀬と同タイムの2位に「うれしいっスね。今できる全部は出し切
った。高いレベルの中で自分としては食らいついていけた」と笑った。
世界選手権の代表に入れば、短距離個人種目では高校3年で13年大会に出場した
桐生祥秀を超え、史上最年少。小学3年まではサッカーでFWだったが、元短距離選手の
母・明子さんに「団体競技に向いていない」と言われ、陸上に転向した。「人に合わせるの
が、そんなに得意じゃないんで」と不敵に笑った16歳が、新たなスプリンターの歴史を
切り開いていく。
15
❷サニブラウン、大会新で男子100優勝 陸上世界ユース
時事 増田創至
朝日新聞 2015 年 7 月 16 日
父はガーナ人で、母明子さんは陸上の短距離選手だった。6月の日本選手権で100
メートル、200メートルで2位に入るなど、今季躍進している。
➌日本代表有力のサニブラウン2冠 世界ユース200メートルでボルト超え
東京新聞 2015 年 7 月 21 日 朝刊
父はガーナ人で、母・明子さんは元陸上選手。小学3年の時に母から勧められ、陸上
を始めた。20年東京五輪でメダルが期待される「ダイヤモンドアスリート」に選ばれて
いる。だが、今季に入り急成長。来年のリオデジャネイロ五輪も視界に入ってきた。 (森
合正範)
❹「オコエ」だけじゃない! 第一線「ハーフ選手」の家庭環境
週刊新潮 2015 年 9 月 3 日号(2015/08/27 発売)
スポーツ界の国際化が叫ばれて久しいが、⾛攻守にわたる好プレーで
甲⼦園を沸かせた関東第⼀⾼のオコエ瑠偉(るい)
(18)を⾒て、感慨
を新たにした⽅も多いだろう。
「⺟親は千葉ロッテの内⻯也投⼿のはとこだとのことですが、あの図
抜けた運動能⼒を⾒るに、ナイジェリア⼈の⽗親の遺伝⼦によるとこ
ろ⼤でしょうね」と取材した記者は語る。
北京で⾏われている世界陸上選⼿権で期待を集めているのも“ハーフ
選⼿”だ。ガーナ⼈の⽗を持つサニブラウン・ハキーム(16)。7 ⽉の
世界ユースで、かのボルトを上回る記録で⼆冠に輝き、⼀躍その名を
轟かせた。
16
「⺟親が⾼校時代に短距離でインターハイに出場していますが、⽗親
も若い頃にサッカーをやっていたそうです」(同)
世界陸上には出場していないが、同じく短距離のケンブリッジ⾶⿃
(22)の⽗は、ボルトと同じジャマイカ⼈。今年のインターハイで⼥
⼦ 100 メートルを連覇したエドバー・イヨバ(18)は、ナイジェリア
⼈の⽗を持つ。昨年のユース五輪⼥⼦ 3000 メートルで⾦メダルを獲得
した⾼松望ムセンビ(17)の⽗親は、01 年⻑野マラソンで優勝したケ
ニア⼈のマクセル・ムセンビだ。
世界陸上と同じ⽇、バレーボールのワールドカップが開幕したが、
バレーボールにも期待のハーフ選⼿がいる。ナイジェリア⼈の⽗を持
つ宮部藍梨(あいり)
(17)は、181 センチの⻑⾝に驚異的なジャンプ
⼒が加わり、最⾼到達点は 3 メートル超。あいにく今⼤会は腰痛のた
め⽋場しているが、次代のエースと⽬されている。
バレーボールと同様に⻑⾝がモノを⾔うバスケットボールの世界も
多⼠済々。⽗がベナン⼈の⼋村塁(17)は、⾝⻑ 198 センチの⼤型セ
ンター。先のオコエ瑠偉の妹のオコエ桃仁花(もにか)(16)も 181
センチの⻑⾝を買われて、共に⾼校⽣で⽇本代表⼊りしている。
17
「インターハイの取材に⾏くと、ハーフ選⼿だらけで、隔世の感があ
りますね」と全国紙デスクが⾔う。
「20 年東京五輪の頃には、彼らのような選⼿が⽇の丸を背負う姿が普
通になるでしょう。実際、彼らは礼儀正しく、⽇本語も上⼿で、そこ
らの若者よりずっと⽇本⼈らしいです」
●
韓国の外国人政策、国益中心で同化強いる問題も
春木 育美(はるき・いくみ)/東洋英和女学院大准教授(韓国社会論)
朝日新聞AJWフォーラム 2013 年 5 月 31 日
韓国政府は強いイニシアティブのもとで法整備を進め、外国人の定住支援策や社会
統合政策を矢継ぎ早に進めた。また、公的儀式の際に国民としての誓いを述べる「国
民儀礼規定[ママ]」の改定がなされ、「民族」の文言を削除した。学校の教科書からは
「単一民族」の文字が消え、「多民族・多文化社会」への移行が掲げられるようになっ
た。
いまのところ、韓国の外国人政策は、永住者を確保するための「移民」政策ではなく、
短期の単純労働力の確保に重点が置かれている。そのため、外国人労働者の合法
的な定住化が進んでいるわけではない。
一方、定住・永住者の圧倒的多数を占めるのは結婚により移住した女性である。
2012 年末現在、結婚を通じた移住者や国籍取得者は 28 万人で、国際結婚家庭は 26
万世帯に達している。
2008 年に「多文化家族支援法」などが制定され、全国に「多文化家族支援センター」
が設置された。センターでは、早期定着を目的に、韓国語教育、韓国の歴史や伝統、
慣習、料理などを学ぶ文化理解講座が開かれ、相談業務や生活情報の提供、職業
教育や就業支援などが行われている。国際結婚家庭の子どもには、韓国語の学習
支援や科目別の補習授業、韓国文化体験、バイリンガル教育などの特別な支援体制
18
が整備され、「多文化学校」の設立や特別入試の実施など幅広い支援策が講じられ
ている。
企業の広告や CМにも頻繁に、国際結婚家庭の子らが登場している。金融会社の広
告では、韓国人の父親とベトナム人の母親の間に生まれた子どもの姿が描かれ、次
のようなナレーションが流れる。
「お母さんがベトナム人ですが、この子は韓国人です。あなたのように。キムチがな
いとご飯を食べられず、世宗大王を尊敬し、独島(竹島)を我々の領土だと考えます。
サッカーを見ながら『大韓民国』と叫びます。20 歳を超えたら軍隊に行き、税金を払い、
投票もします。あなたのように。明日の幸せのため、私たちは多文化家庭を支援しま
す」。
多文化共生社会とは距離
国籍法が改正され、2011 年からは条件付きで複数国籍が認められるようになった。
立法の趣旨は、少子高齢化社会を迎え、複数国籍者の韓国籍からの離脱を防ぎ、海
外からの人材の流入を増やすためとされる。
韓国人の価値規範を教育
ただ、こうした外国人政策は、「多文化共生」を目指すというよりは、韓国社会への
適応を一方的に求める同化政策的な要素が強い。結婚移民者に対する支援プログラ
ムは、「韓国人としての基本素養を備えるための教育」と位置付けられており、韓国人
の生活習慣や伝統、価値規範を「教育」することが目的にある。国際結婚家庭の子ど
もは、父親と母親の国、2 カ国の間の架け橋になることを期待され、政府や民間機関
の支援の下、バイリンガル教育や奨学金の支援などがなされている。李明博前大統
領は、演説で「両親の国の言葉を流暢に話し、二つの国の文化の感受性を備えた韓
国人は、有能なグローバル人材になる」と述べており、国際結婚家庭の子どもは、「経
済的合理性」の観点から、グローバル化に「有用」な人材になるとみなされている。
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●宮島喬『ヨーロッパ市民の誕生――開かれたシティ
ズンシップへ』(岩波新書、2004 年)
●ドイツは 2014 年、国籍法を改正して、一定の条
件の下、成人後の複数国籍を認めた。ドイツは大きな
論争の末、1999 年にも国籍法を改正しているが、今回
はその続きだ。ドイツの国籍法は日本と同様、血統主
義(父母が自国民なら子も自国民)を(現在でも)基調と
している。これを緩和しようという意見は 1980 年代
から出始め、1990 年のドイツ統一以降、一般世論も巻
き込んで大きな論争に発展した。生地主義(自国生まれ
なら自国籍を認める)的要素の導入と、複数国籍の容認
が論争された。
ただ、反対派(当時野党。保守派)ももはや「ドイツ国
は血統共同体だ」という見地から反対したのではなか
ったという。
「ドイツ生まれ、というだけで外国人父母
の子にドイツ国籍を認めるのは、ドイツ国家に参加す
る意思がないものにもドイツ国籍を認めることになる
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(のでよくない)」と主張したにすぎない。結局、賛成
派(与党)が譲歩し、1999 年の改正では、生地主義的要
素が採用されたが、(成人後の)複数国籍は認められな
かった(佐藤成基「血統共同体からの決別」)。今回、
その(成人後の)複数国籍も認めることとされた。
日独ではともに 1960 年代に大学紛争があった。ドイ
ツでは大学紛争はそれまでの「保守的共和制」を告発
し、
「民主的共和制」への変貌を志向する「68 年世代」
を生んだ。1969 年、社民党のブラント首相の革新中道
政権が発足した。反ナチスの地下活動に従事したブラ
ント首相がワルシャワのユダヤ人ゲットーの犠牲者の
慰霊碑にひざまずいた(1970 年 12 月)。新しい国民的
アイデンティティ(「ドイツ人」とはだれなのか)が模
索され、(血統共同体と決別した)憲法を中心とした共
同体(「憲法愛国主義」)が主張された。その背景の下、
1980 年代には有名な「歴史家論争」が展開され、ナチ
スの残虐が他に比類のないものかどうかが論争された
『
( 戦争責任・戦後責任 日本とドイツはどう違うか』)。
「血統共同体からの決別」(への努力)と、歴史認識問
題とは相互に関連してきたようだ。
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「特別永住者等の国籍取得の特例に関する法律案」(仮称)についての在日コリアン
弁護士声明
1.在日コリアンの制度的地位の現状
特別永住資格をもつ在日コリアン(以下、「在日コリアン」という)は、日本の植民地
統治時代日本国民(帝国臣民)として処遇され、1952年サンフランシスコ講和条約
発効時に、憲法で定められた法律の手続によるのでなく、日本政府の内部通達によ
り一方的に日本国籍を喪失した取扱がなされ、現在に至るまで外国人として処遇され
てきた。
かかる日本国家の処遇は、在日コリアンが日本の植民地支配の結果日本に居住
を余儀なくされた存在であるにもかかわらず、その意思に基づかずに日本国籍を一
方的に喪失させ、外国人として、日本の政策決定過程に参加する制度的地位なども
ろもろの自己統治のための権利を全く認めない状態においたことを意味する。
これは、在日コリアンが戦後一貫して制度的隷属状態にあることを意味し、日本国
家の在日コリアンに対する最大の差別的政策であるといっても過言ではない。
2.民主主義の政治過程への参加の必要性とその理念
(民主主義と個人の尊厳原理)
日本国憲法の基本原理である民主主義(民主制)の原理は、国家や地方公共団
体などの公権力の支配を受ける者は、その公権力の政策決定過程に参加する権利
が与えられねばならないとする原理である。
かかる原理に立脚すれば、国政、地方政治いずれをとわず、日本国の制度的支
配を全面的に受ける立場にある在日コリアンに、その制度の決定過程に参加する地
位つまり民主主義(民主制)の政治過程に参加する地位が与えられなければならな
い。
今般、与党三党は、在日コリアンをはじめとする特別永住者に対して日本国籍を
届出に基づいて付与する「特別永住者等の国籍取得の特例に関する法律案」(仮称)
(以下、「法律案」という)を発表した。
法律案が、在日コリアンに対し、従来の裁量的帰化ではなく、届出のみにより日本
国籍を付与し、日本国の統治機構に意思を反映させるための参政権を行使しうる途
をひらくものであること自体は、これまでの地方参政権獲得運動等が引出した結果で
あり評価しうるものである。
しかしながら、民主主義(民主制)の原理は、個人の尊厳保持をその根拠とするも
のである。戦後日本国家は、在日コリアンが自らの民族的出自に対して積極的な認
識をもち、そのエスニシティを保持しながら生きていくための制度的手当てを全く講ず
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ることなく、多くの在日コリアンはその間に帰化や同化を事実上強いられてきた。
在日コリアンに対する日本国籍の付与は、在日コリアンを現在の形骸化した民主
制の過程に埋没させ、在日コリアンに対する差別を潜在化させるものであってはなら
ず、在日コリアンの個人の尊厳保持を目的とし、民主主義(民主制)の原理に立脚し
てなされるものでなければならない。
(植民地支配の清算)
さらに、法律案は、旧植民地出身者に対して将来的に日本国籍を取得する機会を
与えるものである。しかしながら、サンフランシスコ平和条約により旧植民地に対する
統治を放棄した時点で、日本国政府は、日本に在留した旧植民地出身者に対して、
日本国籍を選択する権利を与えることが、国際慣行に則った取扱であった。
日本政府はかかる国籍選択権を認めず、日本国籍がないことを理由に植民地支
配の清算にかかる様々な社会的給付から在日コリアンを排除してきた。
したがって、在日コリアンに対する日本国籍の付与は、少なくとも日本による過去
の植民地支配の清算という理念を実現する措置と共になされなければならない。
3.日本国籍付与に伴う条件
このような原則に立てば、在日コリアンに日本国籍を付与するにあたって、以下の
制度的措置を伴うことが必要である。
(立法過程への参画)
第1に、民主主義(民主制)は、公権力の支配を受ける者に、公権力の政策決定
過程に参加することを求める原理である。したがって、在日コリアンの制度的地位に
かかる立法を行うに際しては、単に立法の内容だけでなく、立法の過程においても公
権力の支配を受ける在日コリアンの意思を反映させることが必要である。
在日コリアンに日本国籍を付与する場合、日本国籍の取得に伴なって、たとえば
夫婦別姓のままの国籍取得の可否、現在保有する本国国籍の帰趨など様々な付随
的問題が生じる。かかる問題を審議する過程に在日コリアンを参加させることが必要
である。
そのために国会又は内閣は、直ちに、公的な委員会もしくは審議会を設け、その
場で在日コリアン代表者と当局代表者とが、対等な立場で、日本国籍付与も含めた
在日コリアンの制度的地位に関する討議を行うべきである。
(民族教育等の保障)
第2に、日本の民主主義(民主制)の政治過程への参加は、在日コリアンがそのエ
スニシティを維持しながら参加できるものでなければならない。在日コリアンは少数者
であり、そのためには在日コリアンがそのエスニシティを維持しうるための制度と環境
の整備、具体的には民族教育をはじめとする民族文化を維持し、差別を撤廃するた
めの積極的な制度的措置と財政的保障が不可欠である。
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(非取得者に対する不利益変更の禁止)
第3に、日本国籍を取得する意思がない在日コリアンなどの特別永住者の処遇に
ついては、彼(女)らが日本国籍を取得しなかったとしても、在留資格その他の権利保
障面でこれを否認もしくは制限することは許されない。
(定住外国人の参政権の保障)
第4に、在日コリアンなど旧植民地出身者以外の定住外国人にも可及的にその意
思を日本の政治過程に反映させる手段を与えるべきである。
彼(女)らは、日本に定住し日本の公権力の支配を長期もしくは半永久的に受ける
者たちであり、彼らの意思を可及的に反映させることが民主主義(民主制)の制度趣
旨に沿うからである。したがって、現在国会で継続審議となっている、一般永住者をも
含めて地方選挙権を付与する法案を葬り去ることは許されない。
(戦後補償・社会保障)
最後に、在日コリアンその他の特別永住者に対する日本国籍の付与は、日本によ
る植民地支配の清算を実現する措置を伴わねばならない。
したがって、日本国籍がないことを理由に戦争犠牲者に対する戦後補償から排除
された旧日本軍軍人・軍属等であった在日コリアンに対する公的補償や国民年金の
支給対象から除外された在日コリアン高齢者及び障害者等に対する国民年金の支
給がなされるべきである。
4.結 語
在日コリアンは、日本の植民地支配の結果、日本に居住を余儀なくされたばかり
か、戦後半世紀以上にわたり日本の民主主義(民主制)から排除された存在である。
日本国家は、直ちに在日コリアン代表者との公的な討議の場を設け、その討議の
過程を経て、速やかに在日コリアンに対し、民主主義(民主制)の回復と植民地支配
の清算を行い、その上で日本国家が在日コリアンその他の異民族市民をも構成員と
する複合民族国家であることを宣言すべきである。
以 上
2001年5月18日
弁護士
弁護士
弁護士
弁護士
高 博一(第二東京弁護士会)
裵 薫(大阪弁護士会)
高 初輔(東京弁護士会)
梁 文洙(第二東京弁護士会)
弁護士 朴 憲洙(名古屋弁護士会)
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弁護士
弁護士
弁護士
弁護士
弁護士
弁護士
弁護士
弁護士
弁護士
弁護士
弁護士
弁護士
弁護士
崔
許
尹
白
高
李
梁
金
李
金
玄
趙
林
信義(仙台弁護士会)
功(大阪弁護士会)
英和(大阪弁護士会)
承豪(兵庫県弁護士会)
英毅(第二東京弁護士会 世話人)
宇海(第二東京弁護士会 世話人)
英子(兵庫県弁護士会)
喜朝(大阪弁護士会)
義(大阪弁護士会)
竜介(東京弁護士会)
君先(第二東京弁護士会)
星哲(大阪弁護士会)
範夫(大阪弁護士会)
弁護士
弁護士
弁護士
弁護士
弁護士
弁護士
弁護士
弁護士
殷
安
張
李
文
黄
梁
姜
勇基(東京弁護士会)
由美(大阪弁護士会)
進(大阪弁護士会)
載浩(大阪弁護士会)
昌燮(大阪弁護士会)
泰軫(千葉弁護士会)
英哲(大阪弁護士会)
文江(横浜弁護士会)
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