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コーポレート・ベンチャリング
APO アジア生産性機構 コーポレート・ベンチャリング - 大企業とベンチャーのWin-Win戦略 - 青山学院大学 大学院 国際マネジメント研究科(MBA) 教授 前田 昇 はじめに 欧米で数十年の伝統のある技術経営(MOT、Management of Technology)論が日本を はじめとするアジア諸国に積極的に導入されだして 6 年以上になる。この技術経営論の中 にある多くの理論や手法の中で最近もっとも注目を集めているのがコーポレート・ベンチ ャリングである。 コーポレート・ベンチャリングとは技術や販売力、資金や人材に富む既存企業が起業家 精神の強いベンチャー企業の力を活用して、革新的なイノベーションを成し遂げ、既存企 業とベンチャー企業が Win-Win の連携を遂げる手法である。 コーポレート・ベンチャリングにかかわる経営上の視点や学説、日本企業のコーポレー ト・ベンチャリング事例や米国の状況を紹介することによって今後の日本やアジア諸国に おける産業振興の一助となれば幸いである。 この文は、著者が以前にベンチャー関連で寄稿した雑誌「月刊テクノロジーマネジメント」2004 年 10 月号、2006 年 2 月号、及び「OPTRONICS」2007 年 1 月号、2 月号、3 月号等の文章をベー スに大幅追加、修正、再構成してまとめたものである。 1 目 次 ページ はじめに 第1章 コーポレート・ベンチャリングとは ・・・・・・・・・・・・・・・ 3 第2章 技術経営(MOT)とコーポレート・ベンチャリング ・・・・・・・・ 5 第3章 日本のキャッチアップ・モデルとイノベーション ・・・・・・・・・ 6 第4章 イノベーションを起こすのは大企業かベンチャーか・・・・・・・・・ 8 第5章 イノベーションとベンチャーをめぐる 5 人の学者たち ・・・・・・・ 10 第6章 コーポレート・ベンチャリングの日本企業事例 ・・・・・・・・・・ 15 第7章 オープン・イノベーションへの挑戦 P&Gの事例から ・・・・・・ 20 第8章 カーブアウトとスピンオフ意欲 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 21 第9章 社内ベンチャーと社外ベンチャー ・・・・・・・・・・・・・・・ 27 第 10 章 技術系ベンチャーをいかに創出するか ・・・・・・・・・・・・・ 30 第 11 章 産学連携から産ベン学連携へ ・・・・・・・・・・・・・・・・ 34 第 12 章 大企業とベンチャーの Win-Win 第 13 章 最近の米国コーポレート・ベンチャリング動向 ・・・・・・・・・ 参考文献 ・・・・・・・・・・・・・・・ 37 40 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 41 2 第1章 コーポレート・ベンチャリングとは コーポレート・ベンチャリングとは大企業や中堅企業がベンチャーの起業家精神(アン トレプレナーシップ)を活用し新事業創出を行うことである。「企業による起業家精神活用 戦略」又は「企業によるベンチャー活用戦略」と訳すとわかりやすい。具体的なコーポレ ート・ベンチャリングの活動としては下記の10種類の手法があげられる。 1) 企業内独立組織での新規事業育成(社内ベンチャー) 2) コーポレート・ベンチャーキャピタルとして、独立系ベンチャー企業への投資 3) ベンチャーとの連携 4) スピンオフ・ベンチャーへのサポート 5) ベンチャーとの共同開発 6) ベンチャーのインキュベーション(育成) 7) ベンチャーの M&A 8) マネジメント・バイアウト(MBO) 、マネジメント・バイイン(MBI) 9) カーブアウト(企業からの削り取り・分離独立) 10)社内ベンチャーを社外ベンチャーとして育成 日本の多くの大企業は、企業内でのアントレプレナーシップ養成を図るべく10年ほど 前から「社内ベンチャー」に活路を見出そうとしたがほとんど失敗に終わっている。管理 の強い大企業内で自由奔放でリスクの高いベンチャー活動はうまく行くはずが無く、最近 では多くのスピンオフ・ベンチャーの成功を見て「社外ベンチャー」に切り替えつつある 企業が増えている。 社外ベンチャーは失敗したらその創業者達は元の会社には戻れないが、親元企業を出て 3年くらいは元の企業が親身になってサポートする仕組みである。富士通や NEC、リコー等 で従来の社内ベンチャー制度を変革して社外ベンチャーを実践中である。リクルートは社 内ベンチャーと社外ベンチャーの両方の制度をうまく活用してベンチャーを育てている珍 しい事例である。 日本で特に必要なのは、「スピンオフ・ベンチャーと大企業の連携」である。目先の利く 大企業はすでに先進的なベンチャーを見つけて出資し連携し、ベンチャーの技術や手法、 および起業家精神を取り入れている。たとえばNTTドコモは次世代携帯電話端末に用い る省電力半導体を、東京の無名の半導体設計ベンチャー企業であった鷹山の技術を活用し て共同開発し、欧州企業を巻き込み世界連携の基盤を築くことが可能となった。トヨタ自 動車はリコーのスピンオフ・ベンチャーであるラティステクノロジーを見つけ出し出資し、 超軽量の3次元動画像設計図を事業所間でやり取りに使うソフト開発をサポートし、自社 3 の技術設計分野での効率化に大いに役立てている。トヨタやNTTドコモ等に限らず、無 名のベンチャー企業と大企業の連携による成功事例は、あまり紹介されていないが最近の 日本でも案外増え始めてきている。 同時に大企業をスピンアウトしたエンジニアが創業したベンチャー企業を、ここまで育 てたのに飛び出すとはけしからん、と言って無視したり邪魔したりする古い体質の大企業 も多いのが現実である。自社を飛び出したベンチャー企業を無視し続けていると、競争会 社にそのベンチャー企業との連携を持っていかれることも考えられる。 飛び出した企業をいかにうまく周辺に取り込みながら、そのベンチャー企業を商品開発 や販売チャネルで育成することによって、大企業がベンチャー企業の起業家精神やエネル ギーをいかに自社に活用するか、いかに大企業の弱さをカバーするか、が大企業に問われ 始めている。 ベンチャー企業にメリットを与えながら、自社のみでは成しえなかった革新をベンチャ ーの強みを取り込むことによって獲得するか、ベンチャーと大企業との補完関係を生かし ていかにWin-Winの関係を構築するかがコーポレート・ベンチャリングの鍵である。 4 第2章 技術経営(MOT)とコーポレート・ベンチャリング MOT における戦略焦点の進化 2003 年 3 月、日本の経済産業省が日本における MOT 元年を記念して日本経団連会館国 際会議場で開催したMOT国際ワークショップで、基調講演に招かれた MOT 論理の権威で あるウエーバーMIT教授の講演の中の一枚のチャート(図表-1)が欧米の MOT 状況の 最先端を語っていた。 「MOTの戦略焦点(Strategic Impact)は 10 年ごとに変革している。1960 年代は中央 研究所等の研究開発マネジメント、1970 年代は研究所から事業部門への技術移転、1980 年 代は技術イノベーション、1990 年代は技術戦略、そして 21 世紀に入って次の 10 年はコー ポレート・ベンチャリングである」とウエーバー教授はその一枚の図で喝破していた。 ビジネスのオープン化に伴い、技術のシステム化が必然となり、大企業は従来の自社技術 領域のイノベーションだけではなく他産業領域との技術の融合イノベーションが必要とな る。同時に従来のキャッチアプ・ビジネスモデル時代に必要とされた改良型イノベーション から、フロントランナー型ビジネスモデルに必要とされる破壊的なイノベーションがより以 上に戦略的に重要となって来ている。そのためにも広く最先端研究開発型ベンチャー企業と 何らかの形で連携するコーポレート・ベンチャリングの活用が企業戦略の焦点となると論じ ていた。 図表-1 Evolution of MOT Themes Technical systematization Strategic Impact Corporate Venturing Technology Strategy Technology Innovation Technology Transfer Managing R&D 1960’s 1970’s 1980’s 1990’s 2000’s Presentation of Prof. David Weber. MIT Sloan at International MOT Workshop. Tokyo March 4. 20003 5 第3章 日本のキャッチアップ・モデルとイノベーション 日本で MOT(技術経営)が盛んに言われはじめてもう6~7年になる。最新技術が関連 するビジネスにおいて、いかにイノベーションを起こし戦略的に競争に打ち勝つか、最新 技術をどうビジネスに有利に取り込むか、技術的イノベーションをいかに収益化するか等 の経営手法に日本でもやっと焦点が当てられ始めた。 これは戦後の欧米に「追いつき追い越せ」といういわゆるキャッチアップ・ビジネスモ デル1からの脱却に必死になっている日本の産業界が取り組まざるを得ない必然的な分野で ある。従来は自動車やテレビ、テープレコーダー等挑戦すべき商品は明確で、いかにより 安く、より高品質に、より早く新商品を開発するかが日本製造企業の目標であり、How to improve がすべてであり、How doing things better すなわち Operational Improvement の時代であった。 この時代には MOT の必要性や戦略性は少なく、MBA(経営学修士)卒業者等のいわゆる 文系がファイナンスやマーケティングを経営の核として経営の舵取りをするケースが多か った。技術系人材は経営と言うよりはこつこつと類似的な新製品開発や品質や製造の「カ イゼン」に取り組むことが中心であった。 日本の製造業はコストの安い中国等BRICsの躍進を迎え、キャッチアップからフロ ントランナーへと大きく変わらざるをえなくなり、How の世界から What の世界へと踏み 出さざるを得なくなった。すなわち What doing different things の時代である。そのため には最新技術をどのように取り込み世界でも初めての新たなイノベーションを起こすか、 が差別化の要素となってきている。そこで技術をより意識した経営、MOT が必要となって きた。 最近の例ではソニーのウオークマンを出し抜いたアップルの iPod が良い例である。同じ 携帯音楽端末でもいかに従来の商品を改良するかの発想から、いかにインターネットの時 代に新しい技術を取り入れ次元の違った商品を開発するか、が差別化の核となる。最新技 術をいかに戦略的に経営に取り入れるか、これが MOT の真髄である。iPod では、ソニー は MOT でアップルに負けたと言える。 キャッチアップ・ビジネスモデルに代わって日本の次の数十年を動かすビジネスモデル は何であろうか。時代の流れに沿っていて、日本の強さを活かせる領域で、儲けうる、す なわち国が富み栄えるビジネスモデルの仮説として、筆者はファイブサークル・モデル(図 表-2)を 1999 年から提唱している。これは米国の E-ビジネスに製造業のキイ・デバイ ス要素を加味した情報・知識時代のプラットフォームである。 米国の E-ビジネスモデル、すなわち<端末-ネットワーク-コンテンツ>の三要素に< 1 「キャッチアップ・モデルからの解放 イノベーションシステム活性化のための研究開発型ベンチャー の必要性」前田昇『一橋ビジネスレビュー』51 巻 2 号、2003 年秋号、pp34-48、2003 年 6 キイ・デバイス-OS>を加えて、<キイ・デバイス-OS-端末-ネットワーク-コンテン ツ>の五つの要素で構成されるプラットフォームの内、特に日本が強いコンシューマ用端 末、搭載する極小 OS とキイ・デバイスというファイブサークルのプラットフォーム左半分 を押さえることで、E-ビジネスの生命線である使い勝手とセキュリティを制することであ る。 図表-2 日本のデバイスの強さをレベルアップし、 ファイブ・サークル・モデルに組みこむ ハイテクベンチャー活躍の「場」 デバイス PC/携帯 OS ネットワーク 商品 新しい日本の強さ E ビジネス 従来の日本の強さ IT環境にレベルアップ 高精度金型 システム LSI 高密度プリント基盤 システムLCD 超小型モーター 等 デバイス PC が端末となっている現在のファイブサークル・モデルは、LSI のインテル、OS のマ イクロソフト、いわゆるウインテルが E-ビジネスのプラットフォームを制しているが、PC の次にくる携帯無線の端末はその組み立ての“すりあわせ技術”による複雑さや使い勝手、 ファッション性からして、日本のお家芸の領域となるであろう。 日本が得意としているフラットディスプレイ、ストーレッジ、電池、モーター、ベヤリ ング、LSI、金型等の技術は、情報通信技術と絡めることによってファイブサークル・モデ ルに組み込まれ生きてくる。絡まないと中国や時代に取り残されていく。 日本の問題は、このデバイスを中心とした製造業と情報通信技術の融合が、大企業や大学 の力で可能かどうかである。この分野は個々の技術の市場も当初は小さくリスクも大きく 大企業が不得意の分野であり、同時に研究開発型ベンチャーが活躍できる場である。 大企業のような管理社会における研究開発体制とは違い、夏休みや冬休み、時間管理等の ないベンチャー企業では、株式上場を夢見て睡眠 4 時間を 1 年以上続けて研究開発やビジ ネスモデルのブレイクスルーを狙うアブノーマルな馬力がある。ニッチ分野で大胆な革新を 火事場の馬鹿力を出してやり遂げる可能性がある。ここにスピードを重視し、リスクを張っ た研究開発型ベンチャーが組み込まれてこないと大企業は破壊的なイノベーションを成し 遂げることができない。 7 第4章 イノベーションを起こすのは大企業かベンチャーか イノベーションは日本では多くの場合「技術革新」と訳されているが、これは間違いで Innovation 本来の意味は技術を伴わない変革も含めた大きな意味での「変革」を意味して いる。中国語では「創新」と訳されていて真意を伝えた訳語だと思われる。コンピュータ ーも日本語訳は「電子計算機」であるが今やコンピューターは計算機を完全に超越してい てこれもよい日本語訳とは言えない。中国語では「電脳」でありこれもうまい訳である。 さすが漢字の母国だけあって本来の意を伝える言葉に訳されている。 タイヤのグローバル企業であるブリジストンは 85 年前のイノベーションがその後の大き な躍進のきっかけとなった。ブリジストン創業者の石橋正二郎は仕立物やであった 1920 年 に 31 歳で日本古来の足袋と西洋から来たゴムを結合させた地下足袋でイノベーションに成 功し、現在のブリジストンの基を創った。これは技術革新というよりは異なる物質の新結 合によるイノベーションである。 群馬県のホットランド佐瀬社長は 1997 年に今までにないカリッとした「たこ焼き」を開 発し、築地銀だこチェーン 300 店以上を展開し地域一番店からマクドナルドに負けない世 界一を目指している。ローテクではあるがこれも立派なイノベーションである。 技術革新に基づく新規ビジネス創出も、もちろん立派なイノベーションである。東芝か らのスピンオフ・ベンチャーである飯塚社長創設のザインエレクトロニクスは世界シェア 70%の液晶関連半導体でイノベーションを起こしている。日商岩井からのスピンオフ・ベ ンチャーである落合会長の携帯コンテンツ配信ソフトのインデックス、学生ベンチャーの 先駆者である荒川社長のモービル機器ソフト開発のアクセス、ドコモの i モードやトヨタ のハイブリッド車も日本が誇るイノベーションである。 ところでこれら時代の流れを踏まえて新しい物・サービス・技術で社会を変革するイノ ベーションの担い手は、大企業かそれともベンチャーか、どちらのほうが革新的なイノベ ーションで社会に貢献しているのであろうか? 私が最近危惧しているのが、日本の誇る太陽電池である。技術力の高さやその一貫した 取り組み、政府の補助策等が功を奏しシャープ、京セラ、三洋電機等で世界シェアの過半 数を抑えていたが、その牙城が揺るぎだした。世界的に科学技術による代替エネルギーで の環境保護思考が強まってきて太陽電池に注目が集まりだした。中国や台湾、ドイツで数 年前から太陽電池に特化したベンチャー企業が創出され急速な発展をとげ IPO で資金を獲 得し量産工場を増設し、兼業の日本大手企業を抜き始めている。従来のシリコン結晶型に 加えシリコンを使わないガラス基盤上の薄膜型も技術的な進化を遂げている。 1999 年に東ドイツの小都市で 4 人の仲間と 39 才で創業したアントン・ミルナーCEO 率い る Q セルズは今や年商 1 千億円を超え 20%以上の利益を稼ぎ出している。京セラ、三洋電 機を抜き世界第 2 位となり世界 1 位のシャープを抜く勢いである。中国の施正栄社長率い る急成長中のサンテックパワーは米国 NASDAQ に株式公開し、その資金を元に上海に数百億 8 円の大規模な工場を展開し技術力ある企業を買収し、今や世界第 4 位のシェアを占めてい る。 東ドイツや中国という非先進地域から生まれ出たベンチャー企業が、長年の研究開発で 世界的な技術力を誇る日本の大企業を数年で簡単に抜き去り、時代の潮流に乗り世界最先 端企業へと躍進している。これらベンチャー企業は、ソーラーセル発電効率など技術力や 品質面で日本企業に比べて格段に低いが、新たなビジネスモデルで躍進している。日本企 業のソーラーセル、モジュール、システムの一貫生産体制に比べ、ベンチャー企業達はモ ジュールメーカーにセルを売り、ターンキーシステムで指導するオープン・モデルを採用 している。また皮肉なことに日本政府による太陽電池利用の家庭への補助金制度が廃止さ れた 2005 年と同じ年に、欧州他国政府は Feed-in Tariff 方式の電力買い取り価格補助制 度をはじめだしたところが多い。 日本の大手太陽電池の牙城が外国のベンチャー企業に追い上げられている。日本でも大 手の鉄鋼、自動車、石油会社等が今年太陽電池市場参入を表明し大型投資を開始したが、 進行しつつある太陽電池の世界競争は、技術やビジネスモデルによる破壊的なイノベーシ ョンは、やはりベンチャー抜きでは考えられないことを教えてくれそうである。BRICs 諸国はベンチャーでも、眠れる先進諸国にとっての脅威となるであろう。 9 第5章 イノベーションとベンチャーをめぐる 5 人の学者たち 革新的で破壊的なイノベーションを起こすのは大企業か、それともベンチャーか、この 重要な問題提起に関して関連深い論を提示している 5 人の学者とその論点を紹介する。 5 人の学者の主張点概要: 1.シュンペーター 若い時は著書『経済発展の理論』で起業家精神豊富なベンチャーこそイノベーショ ンを起こし得ると主張していたが、米国へ渡った後は著書『資本主義・社会主義・民 主主義』で人材、資金、設備の豊富な大企業の方が有利だと意見を変えた。 2.ドラッガー 著書『イノベーションと企業家精神2』で大企業こそアントレプレナーシップが必要 で、規模や組織が大きくなると難しいが3M や GE プラスチック、ソニーの例を見る ようにそれは十分可能である、と主張している。 3.クリステンセン(ハーバード大教授) 著書『イノベーションのジレンマ3』で大企業は戦略的に正しいこと、すなわちカス タマー・サティスファクションを追求するがゆえに革新的、破壊的なイノベーション を実現することは非常に難しい、多くの革新的、破壊的なイノベーションはベンチャ ー企業から生まれてきている、と多くの事例をあげて主張している。 4.ウエーバー(MIT 教授) 第 2 章で述べたように、MOTの戦略焦点は 10 年ごとに変革している。1960 年代は 中央研究所等の研究開発マネジメント、1979 年代は研究所から事業部門への技術移転、 等々。そして 21 世紀に入って次の 10 年はコーポレート・ベンチャリングであると喝破。 技術のシステム化が進む時代に大企業は弱みである起業家精神をベンチャー活用で取 り込み、ベンチャー企業との Win-Win を図る必要があると主張している。 5.チェスブロウ(ハーバード大教授) 著書『オープン・イノベーション4』で従来のリニアに展開される自己完結型の閉じ たイノベーションから、グローバルベースで外部の多様な知識を取り込んだ開放型の イノベーションへのパラダイム変革が必要である、また製品自体のイノベーションだ けではなく、販売方法等を含めたビジネスモデルの開放型イノベーションも必要、と 2 『イノベーションと起業家精神』ピーター ドラッカー 小林宏治監訳 ダイヤモンド社、1985 年 (原著: Innovation and Entrepreneurship, Peter F. Drucker, Harper & Row Publishers, 1985) 3『イノベーションのジレンマ』クレイトン クリステンセン 伊豆原弓訳、翔泳社、2000 年 (原著:The Innovator's Dilemma, when new technologies cause great firms to fall, Clayton M. Christensen, Harvard Business School, 1997 4 『オープン・イノベーション』ヘンリー チェスブロウ 大前恵一朗 産業能率大学 2004 年 (原著:Open Innovation, Henry W. Chesbrough, Harvard Business School, 2003) 10 主張している。 1)シュンペーターの悩み 近年惜しまれて亡くなったあの経営学の大家ドラッカーは、1985 年に出版した有名な『イ ノベーションと企業家精神5』で、 「大企業こそ起業家精神が必要であり、それは十分可能で ある」と3M や GE プラスチック等の米国企業やソニー等の日本企業を例に挙げて主張して いる。 これに対してハーバード大学のクリステンセン教授は 1997 年に出版した有名な『イノベ ーションのジレンマ』で「大企業は、顧客満足を追うがゆえに、すなわち経営戦略を正し く遂行するがゆえに、破壊的なイノベーションは起こしにくい」と論じている。彼は日本 企業には例外が少しあるが、欧米の革新的な製品開発のほとんどはベンチャー企業が作り 出したとハードディスクや油圧ショベル等の事例を挙げて主張している。 このドラッガーとクリステンセンの両者の意見は矛盾している。一体どちらを信じれば よいのか。皆さんは自らのビジネス体験や論理的思考でどちらに賛成か明確に言えるであ ろうか。 大企業であるソニーをスピンオフしてベンチャー論を教えている著者としては、またソ ニー勤務時代の最後の 3 年間に社内ベンチャーであるフェリカ非接触ICカードシステム 事業室の初代責任者として、スイスの強力なベンチャー企業で中国系創業技術者率いるミ クロン社と競争した著者としては、この解を見つけ出す必要がある。 創造的破壊や新結合を説いて経済発展の基はイノベーションであると生涯を通して主張 した著者の尊敬するシュンペーターはこの点に関してどのような意見を持っているのだろ うか。その答えは下記のように驚くべきものである。 欧州に生まれ育ったシュンペーターは弱冠 29 歳の時にドイツ語で『経済発展の理論』を 出版し、 「古い体制にとらわれず起業家精神あふれるベンチャー創業者こそがイノベーショ ンを起こしえる」と主張した。 ところがその後アメリカに移住したシュンペーターは、アメリカ大企業のもつ豊富な資 源、研究所、人材、資金を目の当たりにして 59 歳のときに英語で出版した『資本主義・社 会主義・民主主義』では、 「大企業こそ資源・人材が豊富であり革新的なイノベーションが 可能である」 、と意見を 180 度変更した。 イノベーションを起こすのは誰かについてのドラッカーとクリステンセン教授の相反す る意見を、シュンペーターは若いときに見出したせっかくの考えを、年老いてから大きく 軌道修正している。あの著名な経済学者であるシュンペーターをこれほどまでに悩ますほ どこの命題は難しいものである。 2)イノベーションのジレンマが教える大企業の弱さ 5 『イノベーションと企業家精神』は、訳の改訂版では『イノベーションと起業家精神』と訳されている。 11 『イノベーションのジレンマ』はハーバード大クリステンセン教授が1997年に出版 し、日本では2000年に翻訳され、知的な大学院生やビジネスパーソンの間で話題にな っているイノベーションに関する名著である 「大企業は戦略的に正しいことをするがゆえに駄目になる」という驚くべき論陣を張り、 大企業がなし得ない破壊的なイノベーションは、そのほとんどがベンチャー企業により達 成されていると多くの具体例をあげて論じている。これは大企業をスピンオフして技術系 ベンチャーを目指す人への必読の書である。図表-3はイノベーションのジレンマでクリ ステンセンがこのことを簡潔に示しているキイチャートである。 図表-3 イノベーションのジレンマ 基本論理 多くの大企業は経営的に正しい戦略(カスタマー・サティスファクション)を取るがゆえに、 破壊的イノベーションを実現できず、ベンチャー企業に取って代わられる。 大企業の 衰退 過剰性能 大企業 に成長 製品のハイエンドで 求められる性能 製 品 の 性 能 顧客シフト 売れる領域 大企業 破壊的 イノベーション 売れない 製品のローエンドで 求められる性能 ベンチャー企 業 時間 大企業はカスタマー・サティスファクション(顧客満足)を追いかけることにより、有 力な顧客をひきつけている。其の有力な顧客は現商品の品質や機能の改良版を安価に早く 確実に提供してくれることを望んでいる。即ち破壊的イノベーション(Disruptive Innovation)を望むのではなく、持続的イノベーション(Sustaining Innovation)を望む。 破壊的イノベーションは当初は性能や品質、安定性も悪くコストパーフォーマンスも劣る ので大顧客は採用しない。そのため大企業は投資の合理性からも顧客志向からも、戦略的 に正しい持続的イノベーションを行わざるを得ない。大企業はイノベーションを起こす上 で大きなジレンマを抱えることになる。 12 破壊的イノベーションを担うのは、既存市場で実績が無く顧客の縛りも無いベンチャー 企業である。ベンチャー企業は其の成功の可能性にかけてリスクをとりながらチャレンジ し、ニッチなビジネスであった市場を開拓し成長し、気がつくと大企業の商品に取って代 わっているのである。IBM のメインフレームから DEC のミニコンへ、そしてワークステーシ ョン、パソコン、そしてさらには携帯電話への歴史は其の一例である。クリステンセンは ハードディスクや油圧シャベル等の豊富な事例を詳細にイノベーションのジレンマとして 提示している。 クリステンセンは著書の中で、日本では大企業が破壊的なイノベーションを起こしてい る事例が例外的に多いと記述している。シャープが執念で立ち上げた液晶テレビや富士写 真フィルムの使い捨てカメラなどは其の良い例であろう。技術のみならずサービス面でも 黒ねこヤマトの宅急便やコンビニショップなども破壊的イノベーションといえる。マーケ ティング手法等にもインターネットによる破壊的イノベーションがこの数年浸透しつつあ る。 しかしながらクリステンセンが日本は例外が多いと指摘したのは 1970,1980 年代の製造 業関連の事例であり、最近の日本企業はトヨタ自動車や任天堂等を除き大手企業の勢いも 弱くイノベーションのジレンマの例外企業が激減しつつあり大きな問題である。 3)イノベーションのジレンマへの大企業の対応 大企業はクリステンセン教授が『イノベーションのジレンマ』で論証するように、カスタ マー・サティスファクションを追わざるを得ないがゆえに、破壊的なイノベーションは苦手 である。 一方研究開発型ベンチャー企業は、 ニッチ分野で大胆な革新を火事場の馬鹿力を出してや り遂げる可能性がある。大企業のような管理社会における研究開発体制とは違い、夏休みや 冬休み、時間管理等のないベンチャー企業では、株式上場を夢見て睡眠 4 時間を 1 年以上続 けて研究開発やビジネスモデルのブレイクスルーを狙うアブノーマルな馬力がある。クリス テンセンの言う破壊型イノベーションはこのようなところから生まれてくる可能性が高い。 一方研究開発型ベンチャー企業には、新製品のファーストカスタマーとして大企業が必需 である。ブランドや信頼性、実績のないベンチャーにとって、最初にある程度大量に購入し てくれるファーストカスタマーを見出せるかどうかは死活問題である。ある程度の研究開発 が進んだところでそのユーザーとなりうる大企業とうまく連携し、大企業にとっても信頼性 が高くかつ大企業が一定期間独占できる新規技術製品をもたらすことが可能になる。 この様な補完的な関係で大企業とベンチャー企業が Win-Win 関係を構築できる。クリステ ンセンの言う大企業が抱えるイノベーションのジレンマを、研究開発型ベンチャーを囲い込 むことにより乗り切れる。ベンチャー企業は、研究開発型ベンチャーにとって最大の難関で ある死の谷やダーウインの海を、大企業を活用して乗り越えるうる基盤となる。 筆者はこれを大企業とベンチャーにおける「石垣理論」と名づけている。お城の石垣を見 13 るとわかるが、大きな石ばかりを積んでも石垣が安定しない。大きな石と大きな石の間に小 さな石をかますことによって、安定性が増し大きな石のよさが生きてくる。大企業ばかりの 集まりではその強さを活かしても、その弱さがカバーできない。異質な役割を持つ集合が全 体のバランスを保ちそれぞれの良さを生かすことになる。 4)矛盾を解くウエーバーのコーポレート・ベンチャリング クリステンセンの主張とドラッガーの主張は矛盾するものであり、シュンペーターも悩ん でいた。いったい現実のビジネス社会ではどちらが正しいのか、多くの企業はその解を待っ ていた。まさにそのような状況の中で出て来た MIT ウエーバー教授の主張する「MOTの次 の 10 年の最重要課題はコーポレート・ベンチャリングである」が、この矛盾への回答では ないだろうか。 5)コーポレート・ベンチャリングを裏付ける チェスブロウのオープン・イノベーション論理 企業内部での終身雇用、年功序列、技術開発を前提としていた日本のクローズド・イノ ベーションの構造は、欧米に追いつき追い越せのキャッチアップの時代にはその強さを発 揮してきたが、今や崩壊の危機にある。製品自体のイノベーションでも自社以外の、さら には他産業からの最先端技術を取り入れる必要があるのはむろんのこと、販売や商品開発 を含めたビジネスモデルのイノベーションも必要である。 特にIT時代においてはインターネットを取り込んだ顧客密着、生産者密着のビジネス モデルの必要性が叫ばれ、その計画・実行・検証のスピードも速く、多くの分野を自社で すべてをまかなう時代ではなくなってきている。 社内の知識と社外の知識の結合をどのようにもたらすのか、IBMのクローズド・イノ ベーションからオープン・イノベーションへの変革やインテルのコーポレート・ベンチャ ーキャピタルを活用した事例、ゼロックスのPARC研究所の事例等を示しながら、オー プン・イノベーションへのイノベーションのパラダイムシフトの必要性を説いている。 このチェスブロウのオープン・イノベーション論理は、ウエーバー教授のいうコーポレ ート・ベンチャリングを裏付けるものである。 14 第6章 コーポレート・ベンチャリング日本企業事例 1)スピンオフ・ベンチャーの育成 ― NEC の事例 NEC は核となるビジネスから外れた技術と人材をカーブアウト(企業からの分離独立) し、社外で応援しながら育て、ベンチャー企業と大企業の Win-Win を進めつつある。 NEC の工学博士でもある辻出徹評価技術開発本部長は半導体製造工程使用目的で約 10 億円かけて自ら開発した装置は自社内だけでは採算が取れず事業廃止の動きの中で NEC からライセンスを受けてスピンオフしファブソリューション㈱を 2002 年に設立した。 大企業で眠れる特許を活用するため社外にスピンオフ・ベンチャーとして打ち出してい くのは、企業にも日本の産業にも有益なことであるとの NEC トップの大胆な判断であった。 NECは特許独占許諾権のほか、研究室の設備の利用、税務や財務サポート等の事業支援 を 2 年間無償で行う見返りに、2002 年 4 月商法改正で認められたストックオプションとし ての新株予約権を入手した。 ベンチャー企業はNECが一株も資本を持たないので、完全独立会社として全く制約無 しに競合企業との取引も含めて自由な活動が保証されている。NECのサポートがあると いうことで信用が増し内外のベンチャーキャピタルからの出資を引き込んだ。創業した辻 出氏は会長兼 CTO となり、社長として東京エレクトロン、住商エレクトロニクス等を歴任 しビジネス経験の深い戸賀崎邦彰氏を招きいれた。 このようなことが大企業で可能となった理由として当時のNEC西垣社長の理解があっ たことも大きな要因であった。彼は「日本では人材が大企業に集まりすぎて個人の能力を 引き出すのが難しい。優秀な人材を外に出してベンチャーで活躍させて支援し、お互いの 利益とする。 」と語っている。日本企業のトップも変革を始めている。 古い体質の日本の大企業をこのように動かすもうひとつの要因として、自分が開発した のに活用されていない技術をスピンアウトして外部で活用したいと熱望する高度技術者の 強い意欲が、カーブアウトに腰の重い企業トップや事業責任者を動かす、ということでも ある。 2)スピンオフ・ベンチャーとの共同商品開発 ― トヨタの事例 トヨタ自動車は 7 年も前に IT ソフト技術系のスピンオフ・ベンチャーと連携し Win-Win 戦略を成功裏に進めている。 1997 年にリコーの研究所をスピンオフした理学博士である鳥谷浩志氏ら数人が起こした 三次元画像圧縮伝送ソフト開発のラティステクノロジーにトヨタは 1999 年に億の金額を出 資している。無名のベンチャーにとってのトヨタの資金参画はベンチャーの技術と成長へ の大きな自信と希望になる。信用度も上がり、ベンチャーキャピタルからの投資にも弾み がつく。まさに大企業とベンチャーがWin-Winの関係となり、コーポレート・ベン 15 チャリング事例の典型である。当 時 、 前 勤 務 先 と の Win- Win の 関 係 を 模 索 し て いたが出資には至らなかった。 鳥谷社長率いるラティステクノロジーは今では有名ベンチャーで、近い将来の株式公開 も視野に入れているが、まだ全く無名の時期にネットワーク時代の車造り技術に必要と判 断し、早々とリスクマネーを投資したトヨタの目利き能力はすばらしいものがあるといえ る。数Kバイトの軽量さで三次元画像をインターネット上で伝送できる革新的な技術は、 トヨタの遠隔地試作設計や図面データベース管理の武器となりえる。 トヨタとベンチャー企業との連携は財界人の雑誌である「財界」2002 年夏季特大号で「い まトヨタが密かに始めたベンチャービジネスの囲い込み」としてセンセーショナルに報道 されている。トヨタ等の先端を走る気の利いた大企業は、すでにコーポレート・ベンチャ リングを意識的に実行している。 3)カーブアウト・ベンチャーとして外部育成 ― ソニーの事例 液晶ディスプレイでシャープに出遅れたソニーは、次期平面ディスプレイ技術として有機 EL(エレクトロ・ルミネッセンス)とFED(電界放出ディスプレイ)を社内で競わせて 開発していたが、2006 年末に自社で開発する次世代パネル技術を有機ELに絞り込むこと に決定し、FEDはソニーでの社内開発の主流から外れた。それでもFEDには捨てがたい 技術的な優位性があるとして、その開発プロジェクトを閉鎖するのではなく、その特許技術、 研究設備と人材をカーブアウトし、社外の先端技術投資ファンドであるテックゲート・イン ベストメントが 63.5%、ソニーが 36.5%を出資する形でベンチャー企業であるエフ・イー・ テクノロジーズを 2006 年末に設立した。 ソニーは新会社に人材や技術資産を移したうえでFSD開発を継続し、今後の事業化の可 能性を探ることになった。将来的にソニーが出資比率を引き上げるかM&Aするか、それと も他社への技術売却に進むか、いろいろな可能性が残された。このことはソニーと先端技術 投資ファンド会社、ベンチャーに移行したエンジニア達、それぞれの思惑をうまくバランス をとった複雑な契約内容であったと推測される。 ソニー外部に出たFEDの開発は、その後 1 年で驚くような進展を見せ始めた。ソニー内 部の開発体制下では機密性の問題がありある程度の開発精度が上がった時点でないと国内 外の展示会等には出品できなかったが、少しでも早い商品化や利益を求めるファンドの特性 もあり、機密性があるから隠しながら開発する文化から解放された。そのことによりソニー と競合する企業と折衝したり、ありとあらゆる国内外の展示会に出展し、顧客から想像もし ない技術的提案があったり、想定外の顧客から思いもかけないような業務用の利用形態のヒ ントがインプットされ開発者がそれらの思いがけないヒントに刺激され、市場の的を絞るこ とにより急速に開発や商品化が進み始めた。 まさにこれはオープン・イノベーションであり、イノベーションのジレンマへの解となっ た。いろいろな有益な雑音が入ることにより従来のリニヤーなイノベーションからノンリニ 16 ヤーなイノベーションに移行した。大企業内の組織だった体系だった開発の進行管理から、 ベンチャー特有の起業家精神あふれる行動体系に移ることにより時間軸や発想軸が大幅に 変革したといえる。 4)カーブアウト・ベンチャーの積極育成 ― 三菱重工の事例 従来は洗浄、熱処理工程を伴う金属メッキの複雑な工程を時間とコストをかけながら行 う必要があった半導体の成膜プロセスを、金属を気化させて真空状態でウエハー上に成膜 させるという画期的な代替技術である塩化金属還元気相成長法を三菱重工のエンジニアが 2001 年に開発し特許化した。 三菱重工にとって半導体の成膜装置製造は自社のビジネス領域外の分野であったため、 自社に置いておいてもせっかくの革新的な技術が埋もれてしまうため、社外にカーブアウ トしてその技術の実用化を図ることにした。 三菱商事の子会社である先端技術投資ファンド企業のテクノロジー・アライアンス・イ ンベストメントが中心になり、2005 年にフィズケミックスを設立した。三菱重工は成膜技 術関連の特許や研究設備の譲渡の見返りに 30%弱の株式を取得した。同時に三菱重工は研 究エンジニアの中から技術的に最適な人材を 4 人選出して社外ベンチャー企業であるフィ ズケミックスに送り込んだ。 ベンチャー企業ではとても手が出ない高額な解析装置等の研究設備も三菱重工の研究所 で自由に利用でき、技術的な意見交換もできるようにした。先端技術投資ファンド企業の テクノロジー・アライアンス・インベストメントは沖電気出身の業界に詳しい専門家であ る社長をヘッドハントして社長として送り込んだ。その社長の人脈を利用して海外からも 専門のエンジニアを引き込んだ。 このような基礎研究部門では国内屈指と言われる三菱重工の子会社同様のサポートを受 けて社外ベンチャーであるフィズケミックスは成長を遂げつつあり、起業家精神を生かし て世界市場での高いシェアをターゲットに狙えるところにまで成長してきた。近い将来の 株式公開も目指しているカーブアウト成功事例の一つである。 5)社内ベンチャーのカーブアウト ― 清水建設の事例 建築物の多岐にわたる情報をITの活用を通して効率よく管理することを業務とする清 水建設の社内ベンチャーの創設者は、清水建設が建築した建物だけの不動産管理業務効率 化には満足できなかった。それなりの安定した収入があり顧客からは喜ばれていたがせっ かくの有効なソフトウエアをもっと多くのすべての競争会社の建築物にも使ってもらいた かった。 清水建設にその旨を申し出ると、この社内ベンチャーの業務は清水建設の本来のコア業務 でもなく派生的な業務であり、建設、不動産業界全体の事務サービス効率化に貢献できる のであればと、特許であるITソフトを持って社外に出ることを了解してもらえた。不動 17 産向けのASPビジネスのビジネスモデルで 2000 年にプロパティデータバンクが社外ベン チャーとして設立された。 不動産の管理は図面管理、保守管理、公官庁への届け出、防災、税務、ユーティリティ管 理、テナント管理等々多岐にわたり事務経費がかさみ効率化が要請されていた。これに加 えてその頃の不動産業界は不動産の証券化等大きな変革期をむかえており、不動産の保有、 マネジメント、評価手法が大きく変化しだし、不動産情報のタイムリーかつ効率的な管理 が要求されだされていた。 このような時期に社内ベンチャーから社外に出たベンチャー企業に対して業界大手のケ ン・コーポレーションや中央三井アセットマネジメント等が賛同し、清水建設とともに資 本金を投入した。またベンチャーキャピタル会社数社も賛同し資金を投入した。IT関連 大手の日本ヒューレット・パッカードも資本参加した。このようにIT,金融、不動産、 建設のノウハウが関連大企業との連携でこの社外ベンチャー企業に結集された。 2007 年には利用棟数も 11 万棟を超え、企業の不動産部門、管財部門、公的法人の管財部 門、営繕部門、アセットマネジャー、プロパティマネジャー、ビル管理会社、官公庁、自 治体等で活用され、2004 年には全国の都道府県等が共同構築した保全情報システムの基本 サービスとして採用されるまでになった。 一企業内部の利用ではこじんまりとした事業で終わっていたものが創業者と親元企業の 起業家精神あふれる英断で、今や日本全国の社会インフラとして活用されるまでになり、 日本の遅れているサービス産業の生産性向上に役立つまでに成長した。まさにこれはコー ポレート・ベンチャリングによる社会貢献の成功事例といえる。 6)スピンオフ・ベンチャーと大企業社員の連携 ― 三井物産の事例 三井物産石油部在籍当時イラン・イラク戦争のさなか中東へ石油を命からがら調達し、 日本にとってのエネルギー資源の重要度を身をもって体験した経験を持つビジネスマン が、その後ロンドンに留学し新エネルギー研究に興味を持ち、太陽光発電や風力発電等の 技術開発状況や世界のビジネスの動きを真剣に調査した。 その結果社内の新規ビジネスとして会社に風力発電事業を提言したが、IT革命の嵐の 中でインターネット系新規事業が大きな流れを作ろうとしていた時勢に、風車を海外から 輸入して自治体等に販売するならばよいが、自らの巨大な設備投資を伴う風力開発事業創 造に聞く耳を持つ人は社内経営陣にはいなかった。自分がこの事業を起こさねば日本は縮 小均衡に走ってしまうとの考えから 1999 年に日本風力開発㈱を起業した。 一年目には名前を覚えてもらい、二年目には風車の輸入販売で利益を稼ぎ、三年目に は小さくとも自分の発電所を持ち、四年目には大規模な発電者を持ち、五年目以降は業界 のリーダーを目指して世界に向けて動き出す、という目標を掲げた。 当初金融機関は全く相手にしてくれなかったが、志に感銘を受けたベンチャーキャピタ 18 ルの出資や建設会社のトップ、ドイツの風車製造会社等が援助を決めてくれてなんとか会 社が動き出した。創業時にビジネスに共鳴してくれた最初の 4 人の社員は 1 年間無給だ った。 建設、電気技術、資金、財務会計、エンジニアリング、エネルギー関連と複雑な多くの 分野の知識が必要な風力開発事業の創業と成長を支えてくれたのは、大企業との連携では なくリスクを覚悟で志に共鳴し大企業を飛び出してベンチャー企業に合流したスペシャ リスト達だった。 三菱UFJ銀行、三井住友銀行等の金融機関、日本製鋼所、三菱重工等のメーカー、東 京電力、北陸電力等の電力会社、ブリティッシュペトローリアムやコスモ石油等のエネル ギー会社、熊谷組、飛鳥建設等の建設会社、東芝プラント、東電設計等のエンジニアリン グ会社、三井物産やニチメン等の商社等、あたかも風力開発事業に必要とされる日本のあ らゆる分野の大企業と連携したような知的な援助を受けることができた。 まさにこれは見方を変えれば実質上は一種の大企業とベンチャーのWin-Win連 携であるコーポレート・ベンチャリングと呼べるのではないだろうか。 これらの事例から見えてくることは、大企業の事業再編によってコアビジネス領域から 外れ社内で重要性が失われた技術や人材を抱える部門、大企業の専門領域から外れている 革新的な技術特許等、これらの人材や技術は国の宝でありベンチャーを生む宝の山である。 それら技術や人材を生かし育てるために企業の外に思い切って出すカーブアウトの成功事 例が増え普及するためには閉じた世界文化が残る大企業経営層の意識改革が必要である。 技術を社内で飼い殺せば、エンジニアの士気が下がるだけである。コアから離れたエンジ ニア達を古い「大企業文化からの解放」が日本では特に望まれている。 19 第7章 オープン・イノベーションへの挑戦 P&Gの事例から 洗剤や化粧品等の日用品メーカーで日本の花王や欧州のユニリーバの競争企業であるP &GはGEやグーグルに並ぶ世界最強企業の一つといえるが、2000 年に大幅な減収減益に 落ち込み株価は短期間で 31%も落ち込みP&Gショックと言われた。 この非常事態に就任した新CEOアラン・ラフリーは、P&Gの長年の伝統的な企業文 化であった閉鎖的な企業モデルから一挙にオープン・モデルに変革のかじを切った。人材 採用育成や研究技術開発、新事業開発育成等のあらゆる分野で、従来の閉鎖的な企業環境 が大きく開放的な企業環境に変革したのだ。 P&Gでは従来人材は大学卒直後入社のP&G生え抜きの人材のみが経営陣に出世でき、 原則途中入社の人材育成の発想がなかった。それが今では 40%の人材は外部から途中採用 している。新分野開発でも従来は自ら一から開発を始めていたが、M&A重視に切り替え たとえば 2006 年にはカミソリと電池のジレットを US$57 ビリオン(約6兆円)で買収し ている。 閉鎖型から開放型への変更の中で最も注目されるのが研究開発分野である。従来は強力 な社内研究開発部門を抱え、内部重視で商品化には外部の研究開発には興味を示していな かったが、ベンチャーを含む外部の研究開発との連携や取り込みへと大きく方向転換を行 った。 クロイドCEOは「社外には世界で 150 万人の科学者がいる。彼らの起業家精神をわが 社の力にできることに気づいた」とまで述べている。全世界に多くのエンジニアや科学者 をネット上で抱えるナインシグマ社6等を積極的に活用して社外のエンジニアや科学者とP &Gエンジニアや科学者との連携で新たなイノベーションを起こし成功を収めている。 まさにこれは全社をあげてグローバルベースでP&Gはコーポレート・ベンチャリング を行っているといえる。 6 ナインシグマ社 http://www.ninesigma.com/ ナインシグマ・ジャパン http://www.ninesigma.co.jp/ 20 第8章 カーブアウトとスピンオフ意欲 カーブアウトとは カーブアウト(Carve Out、企業から事業の戦略的切り出し)は、企業としてコアでな い事業部門をいつまでも保持しないで思い切って切り出して、出身会社や第三者から一 定の支援を受けつつ新たな起業家精神の元で事業を再構築する手法である。 出身会社や第三者からの支援を得られやすいという点で通常のベンチャー企業に比べ てリスクが少なく利点が大きい。米国ではベンチャーの事例だけではなく巨大なカーブ アウトの事例として GM から分離したデータ処理の EDS や自動車部品のデルファイ等が著 名で、カーブアウトという言葉と同時に「事業のスピンオフ」とも言われ、経営戦略上 の大きな手法である。ここでは小規模なベンチャー的なカーブアウトに絞って考えてみ たい。 日本企業は不採算で将来発展の見込みがなくとも事業や技術を保持し続ける習性があ るが、其の事業や技術に直接かかわる優秀な技術者を大企業組織に縛らず自由な環境で 起業家精神を発揮させることは、不採算で沈滞している事業における新しい特許や技術 を掘り起こす上でも効果が大きい。大企業の中では陳腐化する技術でも、市場にさらす ことによって技術が向上し、魅力も高まり、技術者も更なる能力を発揮できるのではな いか。 富士通から独立したバイオ・インフォマティクスのセレスター・レキシコ・サイエン スや NEC から独立した半導体非破壊検査装置のファブソリューション、ソニーから独立 した高周波高電圧半導体基盤製造開発のパウデック等、まだ本格的に事業化されていな い技術や社内ベンチャー初期の分離独立は一種のカーブアウトではあるが、カーブアウ トというよりも社外ベンチャーやスピンオフ・ベンチャーと呼ばれ、日本では今のとこ ろカーブアウトよりもこれらの形態が多い。 社内ベンチャー、社外ベンチャー、スピンオフ、スピンアウト、カーブアウトを X 軸 Y 軸の戦略マップ上で比較してみると図表-4のようにポジショニングできる。日本で 時々見られる受け皿・下請け的な社内ベンチャーは図の右下に沈んでおり論外である。 カーブアウトの背景と取り組み カーブアウトという言葉が日本でも徐々に使われ始めだした。変化への対応のために、 資産効率を上げるために、日本企業が不得意であった選択と集中を進めざるを得なくな ってきているからである。マイケル・ポーターが長年指摘し続けているこの日本の横並 び文化の弱さからくる戦略性の無さも徐々に変わりつつある。 2003 年 4 月の経済産業省スピンオフ研究会での報告書7や 2003 年 5 月の内閣府総合科 7 経済産業省スピンオフ研究会での報告書 http://www.meti.go.jp/kohosys/press/0003941/ 21 学技術会議の研究開発型ベンチャープロジェクト報告書8で研究開発型ベンチャー育成政 策やスピンオフ・ベンチャー推進政策等が論じられて以降、経済産業省もカーブアウト の浸透や実現に積極的に動き出している。その動きもあって、学会や新聞や雑誌でも取 上げられだした。 図表-4 コーポレートベンチャリング各種形態のポジショニング 自由度・成長性 大 スピンアウト スピンオフ カーブアウト 社外ベンチャー 親企業からの支援 大 小 (リスク 大) 社内ベンチャー 下請け・受け皿ベンチャー 小 日本ベンチャー学会では「カーブアウト・知財活用研究部会」を 2005 年 9 月に立ち上げ ている。日経産業新聞でも 2003 年3月末から数回の連載で「カーブアウト」特集を数社の 事例を挙げて掲載している。2004 年 10 月には日本経済新聞の経済教室で日本政策投資銀行 の木嶋豊氏が「カーブアウトの推進を」で埋もれた資源を有効活用し大企業から新事業を、 と論じている。2005 年 7 月に MOT テキストシリーズとして丸善から出版された「ベンチャ ーと技術経営」の第 7 章コーポレート・ベンチャリングの中で、筆者もカーブアウトを論 じている。 ものづくりが基本戦略の日本では、特に大企業に理工学系の高学歴人材や知的財産が集 中し、同時にコアビジネスに関係の薄い事業化に至らない休眠特許や休眠人材が偏重して いる。これは企業のみならず国力全体の戦略的増強からしても不効率である。特に自分の 得意とする専門分野が生かされていない理工系人材やコアビジネスではない日陰の組織は 技術革新の早いこの時代では生鮮食品同様の生ものであり、技術や特許以上に其の陳腐化 が進みやすい。 8 研究開発型ベンチャープロジェクト報告書 http://www8.cao.go.jp/cstp/siryo/haihu28/siryo5-2.pdf 22 必要性の認識は高いカーブアウトであるが、大企業経営者や事業責任者が積極的に将来 性の乏しい事業部門の技術や休眠特許を企業外に切り離してカーブアウトを推進していけ るかというと日本的ビジネス環境の中ではそう簡単ではない。「切り出す勇気」を創業経営 者で無い多くのサラリーマン経営者にはあまり期待できるものではない。もし将来自社か ら切り離した技術が他社で大成功すればトップからや株主総会で責任が問われかねない、 と思っただけで腰が引けてしまう。同時に居心地の良い大企業からリスクを背負って思い 切って飛び出せるエンジニアもそう多くは無いであろう。ではどのようにすれば知的財産 権移転を伴うカーブアウトが日本でも積極的に推進されるのであろうか。 カーブアウト事例と其の背景 物事を進めるには理論をこねるよりも、とりあえずいくつかの事例を見ていくと何かが 見えてくるものである。カーブアウト、スピンアウト、スピンオフ、MBO、M&A 等はそ の定義として重なり合っているので、これこそがカーブアウトであるとは言えないものが 多いであろうがカーブアウト事例と言われているもの、または其の類似的なものの実態や その背景を見る価値はある。 第 6 章で述べた NEC からのカーブアウトであるファブソリューション、ソニーからのカ ーブアウトであるエフ・イー・テクノロジーズ、三菱重工からのカーブアウトであるフィ ズケミックス、清水建設からのカーブアウトであるプロパティデータバンクの 4 社に加え て、下記4社の事例合計8社から何が見えてくるか調べてみたい。 他のカーブアウト事例 1) セレスター・レキシコ・サイエンシズ㈱・・・2000 年富士通からのカーブアウト・ ベンチャー企業。遺伝子発現像データベース等の開発。政府援助基礎研究 (ERATO)を活用。 2) アクセラテクノロジ㈱・・・2001 年富士通からのカーブアウト・ベンチャー企業。 高度データ検索・情報活用サーバの開発・販売。日立、日本 IBM 等との提携。 3)㈱パウデック・・・2001 年ソニー中央研究所からのカーブアウト・ベンチャー企業。 高周波高電圧半導体基盤(窒化ガリウム系半導体エピ基板)の開発製造。 4)㈱シクスオン・・・1998 年住友電工からのカーブアウト・ベンチャー企業。 シリコンカーバイド半導体ウエハーの開発製造。 カーブアウト事例の背景 23 1)セレスター・レキシコ・サイエンシズ㈱ 富士通研究所でコンピューター活用のバイオ研究を 20 年以上続けてきた理学 博士でもある土居洋文社長は、日本で始めてのカーブアウト・プログラムとい われている富士通の「スピンアウト・プログラム」の第 1 号である。 思い切って社外に出たことで第一製薬や日本 IBM という開発パートナーを得 ることが出来た。出身企業である富士通とも遺伝子配列検査能力を 30 倍に高め る共同研究に成功した。独自で世界で初めて細胞の中で遺伝子が働いている場 所の画像をデータベース化することにも成功している。 富士通本社でこの「スピンアウト・プログラム」担当の中村裕一郎部長は「富 士通にとってノンコア事業でも、将来性ある技術やビジネスモデルを埋もれさ せるのはもったいない。事業部門を経営判断でそっくり切り離して富士通と離 れたベンチャーとして活躍してもらうほうがいい」と主張している。 2)アクセラテクノロジ㈱ 富士通研究所でスーパーコンピューターのソフト開発担当部長であった工学博 士でもある進藤達也社長は、スタンフォード大学留学時に起業に興味を持ち、 富士通の「スピンアウト・プログラム」に応募し起業した。インキュベーショ ン施設運営サンブリッジのアレン・マイナー社長に日参して資本参加を得、其 の効果で日立や日本 IBM との提携にまで進んだ。 進藤社長は自らの体験から「大企業の中では陳腐化する技術でも、市場にさら すことによって技術が向上し、魅力も高まる」と主張している。 3)㈱パウデック ソニー中央研究所出身で工学博士でもある河合弘治社長は、青色 LED 材料とし て知られる窒化ガリウム半導体結晶成長技術の開発で基盤ビジネス参入を会社 に新規事業として提案したが却下され、それならばと独立を目指した。窒化ガ リウム半導体は毒性が無く環境にやさしい材料だが大面積の高品質膜を作るの が難しい。パウデックを起業して苦労する中で、提携先を探しているうち運良 く意見の合う地元企業が見つかった。出身企業との度重なる交渉の末、中央研 究所時代に開発した特許の一部の使用と部下 2 人の引抜を出身起業は快く承諾 してくれた。 河合社長は「親会社の干渉と甘えが残る社内ベンチャーは成功しない。外に飛 び出したことで新たな支援者の輪ができた」と主張している。 4)㈱シクスオン 24 住友電工研究所の塩見弘工学博士がスタンフォード大学留学後、社内ベンチャ ーに応募したが資金的に無理とわかり断念。スタンフォード大学今井賢一教授 (初代社長)と出身企業である住友電工川上会長の会談で川上会長がカーブア ウトを戦略的に決定。関西シリコンバレーベンチャーフォーラム(関西電力秋 山会長)の第 1 号支援ベンチャーとなった。この分野で世界トップの米国クリ ー社に挑戦。ベンチャーキャピタル数社から数億円規模の投資を引き出した。 村上路一現社長も住友電工のスピンオフ・エンジニアである。 カーブアウト事例から見えてくること それぞれの事例の知的財産権や人材の切り出し背景を詳しく見てみると、まさにケース バイケースで多様ではあるが、ある程度共通するところは次のようである。 起業までの流れ: 開発技術者の其の技術にかける強烈なまでの想いに対して、企業サイド全体からみ たその技術にかける優先度が低い。また強い管理下にある社内起業による開発技術者 のモラールダウンの進行のなか、「自分が開発した特許との心中」を決意するエンジニ アは外部での起業を決意。企業による正式な外部起業機会の提供、または例外処理に よる外部起業の承認。出身起業を退職してから設立する外部起業は社内ベンチャーと 対比して「社外ベンチャー」とも呼ばれている。 起業後の交渉と援助: 知的財産権譲渡への開発技術者による粘り強い説得を重ね、出身企業の好意的な同意 と援助の提供を勝ち取る。出身企業の信用によるベンチャー企業の融資、出資、提携、 販売等における有利なビジネス展開を進めえる。ただし少しでも出身企業の資本金が残 っている時には官僚的な干渉が始まる。 起業人材の質: 以上のように、新聞雑誌等で紹介されているカーブアウトでの顕著な成功事例 6 社を 選び出したが、驚いたことに起業者 6 人のうち 5 人は工学博士または理学博士の学位を 持っている高学歴人材である。日本のベンチャー創業者は欧米と比べて低学歴の人材が 多いといわれていたが、カーブアウトではやはり「かなり高度な技術だが、わが社のコ ア技術ではない」といったケースがカーブアウトになる可能性が高いといえる。 このような高学歴人材が、リスクを覚悟で社外に飛び出していくカーブアウトは、そ れだけ技術者が自分の技術に愛着を感じ信念を持ち人生を賭ける気概があるといえる。 日本でも「高度技術人材の流動性」が現れだしたといえる。 このような人材に人生をかけて取り組みたいと熱心に言われれば、技術の切り出しに 臆病な古い日本的体質の企業も重い腰をあげるのではないか。事例企業の多くがそれを 物語っている。 25 カーブアウト促進の最大要素: それは活用されていない高度技術者のスピンアウト意欲である。 最初にも述べたように、必要性の認識は高いカーブアウトであるが、大企業経営者や 事業責任者が積極的に将来性の乏しい事業部門の技術や休眠特許を企業外に、しかもそ れを開発した人材と一緒に切り離してカーブアウトを推進していけるかというと、日本 的ビジネス環境の中ではそう簡単ではない。もし将来自社から切り離した技術が他社で 大成功すれば、トップや株主総会で責任が問われかねない、と思っただけで腰が引けて しまう。 しかし今回の事例から見えてくることは、 「自分が開発したのに活用されていない技術 を、スピンアウトして外部で活用したいと熱望する高度技術者の強い意欲が、カーブア ウトに腰の重い企業トップや事業責任者を動かす」ということである。 カーブアウト促進の政策としては、知的財産を切り出すための事務的な仕組みや知的 財産の評価法の確立、企業を転出し易くする年金の仕組等、多様な課題が横たわってい る。しかしカーブアウトを推進していくためにはそのような付帯的問題解決も大事だが、 それ以上に大企業をスピンアウトして起業をするような人を尊敬する環境を作りだす企 業環境、社会環境にすることが一番の妙薬である。 スピンアウトする人を大企業あげて村八分にする時代は終わった。どれだけ企業から 優秀なスピンアウト人材が出てきているかで、学生や若者は自分たちにとっての企業価 値を計る時代になってきている。「あの会社は人が育つ」という企業イメージが才能のあ る若い人材を引き付ける。 26 第9章 社内ベンチャーと社外ベンチャー 社内ベンチャーと社外ベンチャー 社内で起業家精神を活用し、本業では出来ないチャレンジングな急成長ビジネスを創 出しようとする本来の社内ベンチャーは、ソニーのプレイステーションや三菱商事のネ ットワン、プラス文具のアスクル等を除いて、ほとんど成功していない。 将来本社の事業部となって本業を支えるほどの短期間での急成長は無く、近い将来の 株式上場のメドもなく、多くの場合は自由な企業文化を社内外に宣伝するためや余剰人 員の受け皿会社的な「ベンチャーごっこ」や子会社的中小企業群の創出で終わっている。 リスクにチャレンジし大きな成果を上げ、将来の事業の柱候補のひとつとするという ベンチャー本来の趣旨にはあっていない。本社の管理部門が口を出す制限された自由と、 倒産や資金調達のリスクの無いぬるま湯では、簡単には独立ベンチャーのメリットをか ちとれない。それよりは、独立させて、完全な自由度を与えながら育成し、成功したベ ンチャーと連携したほうが成果も上がると思われる。 例えば現在東証二部上場まで成長したベンチャー企業サイボウズ㈱は、松下電工の 社内ベンチャーが飛び出して造り出した企業である。多くの社内ベンチャー経験者が 飛び出す理由を聞いてみると、ほとんどが同じ理由である。ひとつは大企業と同じ管 理体制で自由に身動きが取れないこと。もうひとつは本社決済が多く決定スピードが 遅くなることである。自由度が奪われ、スピードが遅くなるということは、ベンチャ ーのもつ最大の武器が二つとも奪われることになる。社内ベンチャーは資金繰りや倒 産の心配をしなくとも良いが、これではベンチャーとしての本来の発展は望みにくい。 他の例としては、三菱商事の社内ベンチャーであるネットワンシステムズ㈱を創業 し株式上場にまで育て上げたエンジニアは、本社からの天下りの経営者の決定の遅さ にベンチャーとしての不安を感じ、スピンオフして自ら㈱イーシー・ワンを創業し、 数年で株式上場まで育て上げた。 富士通ではこの弊害を取り除くために社員は退社してからベンチャーを始める社外 ベンチャー制度としての「スピンアウト・プログラム」を日本では初めて 2000 年から 進めており、他社の社内ベンチャーよりは成長も早く株式公開等をめざす成功の兆し が見え始めてきている。社外ベンチャー制度では創業者の退職金を資本金に組み入れ、 独立後数年間は親企業が資金や技術、法務、経理、出向者送り出し等のサポートをす るが、ベンチャー経営者は事業が失敗すると親会社には戻れないで失業する。このリ スキーな瀬戸際感がベンチャーには不可欠であり成功の源泉となる。 社内ベンチャーを社外ベンチャーとして離陸させるために、筆者は「スピンオフ予 約権」を提唱している。社内ベンチャーはある程度の自由裁量を認められるが、その あいまいさのため更なる自由度や独立性を求めて大企業の管理部隊と衝突してその遠 心力にひかれて飛び出していく(スピンアウト)ケースが多い(図表‐5) 。 27 図表-5 インサイド型スピンオフベンチャー活用 自由(MUST) 高成長 アウトサイド型 スピンオフ 例 サイボウズ(松下電工) 敵対 ラティス・テクノ(リコー) 脱出 遠心力 求心力 あいまいさ 低成長 自由度の要求と不満 それを見て、俺は やめておこう 大企業 社内ベン チャー 発足 管理 図表-6 インサイド型スピンオフベンチャー活用 自由(MUST) アウトサイド型 スピンオフ インサイド型 スピンオフ 敵対 独立 脱出 連携 非コア事業 スピンオフ予約権 遠心力 あいまいさ 技術、資金サポート 新株予約権 求心力 明確な方向性 自由度の要求と不満 大企業 リアルビジョン ファブソリューション CIS 助走援助とやる気 戦略子会社 戦略的吸収 社内ベン チャー 発足 コア事業部門 SCE 管理 28 Net-One ソネット 大企業の管理部隊は自身の身の安全のためにも必要以上にしっかり管理して社内ベン チャーに多くの管理資料を求めるであろうし、リスクの大きい自由度は与えたくない。 社内ベンチャー発足後一年もすれば状況が見えてくるので、そのビジネスが企業にとっ てコアビジネスになる可能性があれば事業部門か戦略子会社に戻すことを決め、同時に その創業者たちを事業部門や戦略子会社の責任者として出世させて戻せばよい。今後と もコアビジネスではないと判断できれば、 「スピンオフ予約権」を与えて助走期間である 1~2 年後にはスピンオフしてよい旨を決めればよい(図表‐6) 。 まもなくスピンオフしていく事業には本社の管理部門も自身へのリスクも小さく安心 して管理サポートが出来る。社内ベンチャーの創業者は独立や株式上場の夢を描いて張 り切れる。スピンオフ後も 1-2 年は親会社のサポートを期待できるので良い意味での安 心感ができる。将来性の高いベンチャーにはスピンオフしたときに 20-30%程度のベン チャーの独立性を失わない程度の投資を親会社がすることも可能である。従来は眠って いた特許の独占使用権を与えライセンスを受け取ることも出来る。社外のベンチャーキ ャピタル等も親会社のサポートがあるので少しは安心して投資できる。 29 第 10 章 技術系ベンチャーをいかに創出するか この 10 年で日本のベンチャー環境は様変わりしたといえる。多くのベンチャー支援関連 の政策が策定され、大学でのベンチャー関連講座が多数開講され、多くのベンチャー論文 が発表され、産学連携が進みインキュベーションセンターやエンジェル活動も活発になっ てきた。大学や大企業からのスピンオフの数や IPO も急激に増えだした。ホリエモン事件 のようなネガティブな要素も出てきたが 10 年前の閉塞的な状況に比べると隔世の感がする。 しかしながら毎年発表される IMD の世界競争力調査や GEM レポートを見ると日本のアン トレプレナーシップや起業意欲はいまだに世界数十各国の中で最下位に近い。起業家の社 会的地位もいまだ低く、欧米のように社会的に尊敬されている状況とは言いがたい。最近 のように経済活動が好調になると多くの日本人は大企業での安住思考に傾いてしまう。優 秀な人材の何割かがベンチャーに向かわないと、日本が目指す科学技術創造立国への道は 遠い。 ハーバード大学クリステンセン教授の「イノベーションのジレンマ」でも指摘されてい るように破壊的なイノベーションは大企業よりもベンチャーが起こしているケースが圧倒 的に多い。破壊的というのは革新的な研究開発技術によるだけではなく、ビジネスモデル や発想も含んでいる。 次の 10 年の企業間競争は、大企業がどれだけ国内外の異質なベンチャー企業 を対等なパートナーとして取り込んで活用するかが勝負になると思われる。トヨ タ等先端を走る気の利いた大企業は、すでに実行している。これがウエーバー教 授の言う新しいコーポレート・ベンチャリングである。 人材輩出企業 スピンアウトする人を大企業あげて村八分にする時代は終わったのではないか。どれだ け大企業から優秀なスピンオフ人材が出てきているかで、学生や若者は自分たちにとって の企業価値を計る時代になってきている。「あの会社は人が育つ」という企業イメージが 才能のある若い人材を引き付ける時代である。 このような時代を牽引するように次のような NEC と三菱商事社長の積極的な発言が注目 されている。 小島三菱商事社長:日本経済新聞 朝刊 2004 年 1 月 22 日「けいざいじん」 30 「リクルートや日本 IBM は OB が経営者としていろんな会社で活躍している。三菱商事は それを上回る人材輩出企業になりたい」 先日たまたまゴルフコンペで小島社長にお会いし、ゴルフ後の風呂につかりながらこの 記事を大学院の講義で使っています、とお話して話が弾んだ。 西垣浩司 NEC 社長:朝日新聞朝刊 2002 年 7 月 9 日「焦点 知的財産立国」 「日本では人材が大企業に集まりすぎている。何万人もの社員がひとつの企業で働いて も個人の能力を引き出すのが難しくなってきている。優秀な人材を外に出してベンチャー で活躍させて、出資の形で支援し、お互いの利益とする。特許の数を誇る時代ではない」 この西垣元社長の新聞記事の少し前に内閣府の会合で尾身科学技術担当大臣やノーベル 化学賞受賞の白川英樹博士等総合科学技術会議メンバーの前で出版したばかりの「スピン オフ革命」のプレゼンテーションをした時に、当時の NEC 佐々木会長が当社をスピンオフ した㈱リアルビジョン杉本社長を創業当初 NEC が積極的にサポートした、前田さんの言っ ていることを我社ではすでに実践している、と胸を張っておられたのが印象的である。 新しい時代の大企業とベンチャー企業の Win-Win 型ビジネスモデルを大企業経営者や事 業責任者は考えていく必要がある。研究開発型ベンチャー企業との連携無くして大企業の 発展はない。キャッチアップ時代が終わり、フロントランナーの時代にコーポレート・ベ ンチャリングなくして大企業の革新的なイノベーションは進まない。 コーポレート・ベンチャリングの促進こそがハーバード大クリステンセン教授の主張す る「イノベーションのジレンマ」を解く鍵ではないだろうか。 スピンアウトで Win-Win の構築 大企業の中で一流の技量を持っていて一流の仕事を任されている人は、日本産業振興の ためにもしっかりその場で大企業の舵をとっていく必要がある。二流の技量の人は、その 企業にしっかりしがみついていないと他に出て行っても成功しないであろう。 しかし一流の技量を持ちながら自社のコア技術ではないとか何らかの関係で 1.5 流に扱 われている人は、日本の産業活性化のためにもスピンアウトすべきである。そのようなリ スクをとって打ち出る熱意のある一流技量の人材は、その技術と共にカーブアウトしたほ うが企業にとっても其のエンジニアにとっても成果が多いのではないか。 「大企業の中では陳腐化する技術でも、市場にさらすことによって技術が向上し、魅 力も高まる」と主張していたアクセラテクノロジ㈱進藤社長の声が実感であろう。 新しい時代の大企業とベンチャー企業の Win-Win 型ビジネスモデルを大企業経営者や事 31 業責任者は考えていく必要がある。それこそがハーバード大クリステンセン教授の主張す る「イノベーションのジレンマ」を解く鍵ではないだろうか。 大企業に残る か 飛び出すか? 大企業の中で一流の技量を持っていて一流の仕事を任されている人は、日本産業振興の ためにもしっかりその場で大企業の舵をとっていく必要がある。また二流の技量の人はそ の企業にしっかりしがみついていないと他に出て行っても成功しないであろう。 しかし一流の技量を持ちながら自社のコア技術ではないとか何らかの関係で 1.5 流に扱 われている人は、日本の産業活性化のためにもスピンアウトすべきである。そのようなリ スクをとって打ち出る熱意のある一流技量の人材は、その技術と共にカーブアウト(企業か ら事業の戦略的切り出し)したほうが企業にとってもそのエンジニアにとっても成果が多 いのではないか。 「大企業の中では陳腐化する技術でも、市場にさらすことによって技術が向上し、魅力 も高まる」と主張していた富士通スピンオフのアクセラテクノロジ㈱進藤社長の声が実感 であろう。 スピンアウト と スピンオフ 個人が企業を飛び出して起業する形態に、其の飛び出し方で二種類ある。 「スピンアウト」 と「スピンオフ」である。 ペンシルベニア大学ウオートン・ビジネススクールのマクミラン教授が 2003 年の経済産 業省スピンオフ研究会で私が其の違いを質問した時に話した定義では、 「スピンアウトは飛 び出したあと出身企業との関係を全く持とうとしないベンチャーで、スピンオフは飛び出 したあとも出身企業とのなんらかの関係を維持しようとするベンチャー」を言う。 企業を飛び出す時はスピンアウトがいいのかスピンオフがいいのかについて、スピンオ フ研究会の討議ではザインの飯塚社長もメガチップスの進藤社長も、スピンアウトに限る と主張しておられた。起業するために飛び出すからには元の企業から助けてもらおうと思 っていては切羽詰った感覚がもてなく、リスクの高いビジネスを切り拓いていくのは難し いとの指摘があった。自らの体験から学んだ指摘であり説得力があった。 ただ私は「スピンオフ革命」の著者として次のように反論した。確かに大企業を飛び出 す勇気は、自分の主張を受け入れない企業方針や上役への反発があり可能となる。出身企 業がサポートしてあげるから起業したら、ではエネルギーの燃焼度が格段に違うであろう。 其のとおりだと思う。しかしソニーの多くのスピンオフ事例を身近に見て、私の考えには 其の先のストーリーがある。 ソニーでは優秀ないわゆる「できる人材」がスピンアウトで飛び出すことがわかると、 32 役員クラスや社長・副社長、時には会長が退職直前に自ら其の人材の席まで降りてきて、 「君 が飛び出すのは全く残念だが、そこまで決心したのだからもう止めても無駄だろう。しか しソニーOB としての誇りを持って新たな事業にチャレンジして、ぜひとも成功してもらい たい。成功してソニーと対等に連携しよう。第二のソニーを目指して欲しい。其の形でソ ニーに恩返ししてもらいたい。万が一起業がうまく行かなかった時は私に声をかけてくれ。 君にはいつでもソニーに戻ってきてもらいたい。」のような話をする。本当に戻ってこれる かどうかは知らないが、実際戻ってきた人材が数人いる。 ソニーと喧嘩別れの形でスピンアウトの意識を持って飛び出した人材が、トップのこの 一言で瞬間にソニーと将来の連携を目指すスピンオフに変わってしまうのである。スピン アウトとスピンオフのいいとこ取りの新結合である。 33 第 11 章 産学連携から産ベン学連携へ 欧米亜で最近 10 年ほどの間に躍進している技術系ベンチャー企業を訪問し、そこから見 えてきたことは、特定産業で大学や研究所、州や市と連携して緩やかなネットワークを組 んでいる地域に優秀な技術系ベンチャーが多いことであった。それがクラスターと呼ばれ るものであると知ったのはその 1 年後であった。 現地でのインタビュー等でその歴史をたどると、ベンチャーが多く創出されたからクラ スターが創出され育成されていったのか、それともクラスターだからベンチャー企業が多 く創出され成長していったのか、非常に興味深い観察が出来た。答えは両方とも正解であ るとわかってきた。クラスター創出期は前者であり育成期は後者である。そのベンチャー 企業群は数十年前に設立された地元のアンカー企業と呼ばれる中核企業や国立研究所や大 企業からのスピンオフが多いことがわかり興味深かった。私自身の興味も当初のベンチャ ー企業の調査研究から次第にクラスターにおけるベンチャー企業の役割の調査研究へと移 行していった。 これに対して 7 年ほど前から盛んになった日本各地の地域クラスターを訪問したり資料 を見たりして感じることは、ベンチャー育成よりも産学連携、すなわち大学や研究所と地 元企業の連携、大学や研究所と大企業の連携に重きが置かれている印象を受ける。各地の クラスターで産学連携が重要視されているが、産学の“産”とは地場の中小企業あるいは 中堅企業や大企業の出先機関であり、“学”である地元の大学教員や研究機関研究員との連 携が中心である。また都会では著名な大企業と著名な大学が産学連携の包括契約を結び産 学連携を進めている。 これらの産学連携は必要であり有意義であるが、地域クラスター創出や育成にはもっと 大事な産学連携がある。“産”の中に本来は将来の産を目指すベンチャー企業も含まれてお り、海外の先進的クラスターでは産学連携というとベンチャーと学の連携を中心とした活 動がクラスター創出及び育成のエンジンとなっているケースが多い。 「ベン学連携」が産学 連携の中心である。 大学や研究機関の基礎研究から出てきた革新的な基礎技術は、安定性のある革新的な応 用技術になり商品化されるまで数年かかる。これに取り組めるのは好奇心旺盛で年間数百 万円から数千万円の売り上げで生きていける志を持ったベンチャーしかいないだろう。大 企業や中堅企業は“イノベーションのジレンマ”で多くの顧客が要求していない小さな市 場であり性能の安定していない未開拓の分野に手を出さない。中小企業も第 2 創業の気持 ちで取り組まない限り手を出せない。 大学や研究機関の技術に手を出したベンチャーの何割かは事業や資金繰りに失敗して倒 産していく。生きるか死ぬかのこの厳しさがあるから、厳しい生存競争があるから破壊と 創造を繰り返して技術やビジネスモデルのイノベーションが起こりうる。これらのベンチ ャーをどう孵化させ育てていくかがクラスター内のコネクターの重要な仕事である。 34 日本では「産学連携」という言葉はベンチャーを入れ忘れることが多いので私は「産ベ ン学連携」という言葉を提唱している(図表‐7) 。大学の技術でベンチャーが生み出した 商品化に近づく応用技術や試作商品を、中堅企業や大企業がベンチャー企業と販売連携、 技術提携、資金供給、M&A等でWin-Win関係を築いて行くのが現実的である。 図表-7 産ベン学連携 「産・学連携」から「産・ベン・学連携」へ ベンチャーと 大学・研究所 の連携 ベンチャーの活用で ベンチャー 経由方式 大学・研究所 イノベーションのジレンマ の克服 大企業・中堅企業 直方式 古くからの「産業集積」と、昨今言われている「クラスター」との特に大きな差は、① 特定の産業に特化しクラスター内企業の補完・連携効果を得やすくしているか 研究所の知識をフルに活用しているか 競争意識が根付いているか ③クラスター内に協調に加えて過酷なベンチャー ④毎日の産学官接触の核となる場があるか を先導するリーダーの顔が見えているか ②大学や ⑤地域ビジョン であると考える。その中でも③のベンチャーが 起こす競争は強調を尊ぶ産業集積では考えられないことである。産業集積をクラスターに 進化させるのに「若者」「ばか者」 「よそ者」が効果的だとよく言われているが、まさにこ れらは向こう見ずとも思われるベンチャーの特性そのものである。 科学・技術創造立国のスローガンを掲げる日本にとって、技術系ベンチャーが牽引する 地域クラスターは不可欠である。「科学・技術」という二つの言葉が・で分けられているよ うに、科学と技術は異なるものであり、簡単に言ってしまうと科学とはお金で知識を手に 入れることであり、技術とは科学で得たその知識をお金に変えることである。そこで手に 入れたお金をまた科学につぎ込んで新たな知識を得る(図表‐8)。 これらの循環モデルを形成する上で日本は大学や研究所を中心に「科学」に強いが「技 術」には弱い。キャッチアップの時代は大企業や中小企業がHOWの技術に強くこれが逆 35 であった。現在の日本の弱点はWHAT技術すなわち追いつき追い越せ型ではない「知識 の収益化」である。産ベン学は地域クラスターにおいてこの知識の収益化のエンジンとな りうる。 図表-8 科学・技術におけるお金と知識の循環 日本:科学・技術創造立国 お金と知識の循環が必要 学問 科学: お金 知識 技術: お金 知識 産ベン学連携で「知識→お金」の循環が促進される 青山学院大学 EMBA 前田 36 昇 8 第 12 章 大企業とベンチャーの Win-Win 大企業との連携 日本企業の中でも目先の利く大企業は、図表-7 で示されるように、すでに研究 開発型スピンオフ・ベンチャー企業を取り込み始めている。 図表-9 早い時点での大企業との連携 下請けではない、対等な連携 *メガチップス(LSI) : 任天堂 *鷹山(JSI) : NTTドコモ *リアルビジョン(LSI) : NEC *CIS(ソフトシステム) : ソニー、マイクロソフト、ロータス *I I J(ネットワーク) : トヨタ、ソニー *ザイン(LSI) : サムソン *サイボウズ(ソフト) : 日本オラクル インクス(金型ソフト) : ホンダ エリジオン(3D : 富士通 CAD) ラティス・テクノロジー(3D *トランスジェニック (バイオ) CG): トヨタ : 住友化学・山之内製薬 * 株式公開済み 第 6 章で述べたようにトヨタ自動車は、1997 年にリコーをスピンオフした数人が起 こした三次元画像圧縮伝送ソフト開発のラティステクノロジーに 1999 年に億の金額を 出資している。 今ではラティステクノロジーは有名ベンチャーで、近い将来の株式公開も視野に入 れているが、まだ全く無名の時期にネットワーク時代の車造り技術に必要と判断し、 早々とリスクマネーを投資している。数Kバイトの軽量さで三次元画像をインターネ ット上で伝送できる革新的な技術は、トヨタの遠隔地試作設計や図面データベース管 理の武器となりえる。 無名のベンチャーにとってのトヨタの資金参画は、ベンチャーの技術と成長への大 きな自信と希望になる。信用度も上がり、ベンチャーキャピタルからの投資にも弾み がつく。まさに大企業とベンチャーがWin-Winの関係となり、コーポレート・ ベンチャリング事例の典型である。 このことは財界人の雑誌である「財界」で「いまトヨタが密かに始めたベンチャー 37 ビジネスの囲い込み」としてセンセーショナルに報道されている9。トヨタ等の先端を 走る気の利いた大企業は、すでにコーポレート・ベンチャリングを密かに実行してい る。 ソニーは戦略ベンチャー投資部を拠点に欧米ベンチャー企業に数百億円の資金を投 じている。インテルやシスコシステム、ダイムラー・クライスラー等、欧米企業では 企業自身がベンチャーキャピタル業務を行うコーポレート・ベンチャーキャピタルは 企業にとっての最重要戦略部隊のひとつである。松下電器はシリコンバレーに研究開 発型ベンチャーのインキュベーション施設PDCC10、富士電機は東京・多摩に研究開 発型ベンチャーのインキュベーション施設を開設している。日本でも閉鎖的な社会か らベンチャー企業を活用し連携するネットワーク社会への転換が急がれている。 日本でも閉鎖的な社会からベンチャー企業を活用し連携するネットワーク社会への 転換が急がれている。最近、日立のコーポレート・ベンチャリングの部長が数年間の欧 米ハイテクベンチャー企業とのM&Aや投資交渉経験を踏まえて、中央研究所長に就任 したのは、この時代の流れの先取りであろう。 これからの優秀企業 次の 10 年の企業間競争は、大企業がどれだけ国内外の異質なベンチャー企業を対等 なパートナーとして取り込んで活用するかが勝負になると思われる。トヨタ等先端を走 る気の利いた大企業は、すでに実行している。これがウエーバー教授の言う新しいコー ポレート・ベンチャリングである。 研究開発型ベンチャーが少ない日本では、大企業自身のためにも連携できるベンチ ャーを育て上げて活用していく姿勢が必要である。優秀な人材のほとんどが大企業に 集まりすぎて窒息状態にある現状を打破するためにも、これからの時代は大企業社員 の 10‐20%くらいのスピンオフは企業にとっても良いことだとの認識を持ち、それら スピンオフ・ベンチャーと Win-Win の連携を模索する時代である(図表 9)。 スピンオフして成功している創業者たちがどの企業出身か、人材を育てて排出して いる大企業はどの会社か、ということが若い学生や社員の話題になる時代がすぐそこ に来ている。その様な企業に優秀な人材が集まる。これからの時代優秀な企業とは三 菱商事の小島社長が公言している「人材輩出企業」を指すことになるであろう。 これらの中で特に日本で必要なのは、スピンオフ・ベンチャーと大企業の連携である。 日本の多くの大企業では企業を飛び出していく(スピン・アウト)エンジニアを身勝手 な行動で企業への忠誠心が無いとして村八分的に扱う企業がほとんどである。ソニー、 9 10 『財界』2002 年夏季特大号、pp48-50 Panasonic Digital Concept Center http:www.panasonicventure.com 参照 38 富士通、NEC,リクルート、三菱商事、リコー等の企業はその例外で、スピン・アウ トする優秀な人材を、退社してからも連携を持とうと積極的に企業が退職者に働きかけ る。 図表-10 コーポレート・ベンチャリング活性度 大企業のベンチャー活用度自己評価・・・どこまで進んでいますか、あなたの会社? ベンチャー企業の買収 ベンチャー企業の M&A 社外ベンチャーへの 投資 育成 大企業 ベンチャー企業との イノベーションのジレンマ 連携 打破 共同開発 ベンチャー投資ファンド インキュベーション インターン 共同事業 ベンチャーとの合弁会社 社内ベンチャー ・ 特許・ ノンコア・ビジネス等の スピンオフ 新株予約権の活用 社内ベンチャーのスピンオフ(ベンチャーごっこからの卒業) カーブアウト MBO MBI 社内特許の社外活用 ソニーでは飛び出す人材が判明すると担当役員や社長、会長が飛んできて、しっかり やって早い時点でソニーと連携できるようになってくれ、と励ますケースが多い。 39 第 13 章 最近の米国コーポレート・ベンチャーリング動向 米国の大企業で十年程前に流行したコーポレート・ベンチャリングは一時多くの企業の失 敗でブームがすたれた。社内ベンチャーは、その成功例が少なくP&G等多くの大企業が撤 退している。5、6 年前に流行した製造業大企業によるコーポレート・ベンチャーキャピタ ル事業によるベンチャーへの投資やM&Aは、インテルやシスコシステム以外は、その派手 な活動が聞こえてこなくなった。 しかしながらこの2~3年で米国のコーポレート・ベンチャリングまた大きく息を吹き返 している。ボストン在住のベンチャー支援家福本晃氏によると、この数年大企業とベンチャ ーの連携等、新たなコーポレート・ベンチャリングが盛んになって来ている。 MITを事務局としたコーポレート・ベンチャリングの研究調査組織CVCが産学官の連 携で 2003 年 1 月に創設され活発な活動が行われているという。2004 年秋に IBM、シーメ ンス、ボーイング、イーストマンケミカル等の欧米大企業と有力ベンチャーキャピタリスト の 70 人がコーポレート・ベンチャリングについて MIT スローンスクールのケン・モース教 授等を囲み、歴史上初めての会合を開き今後の協力を確認しあったとのニュースも流れてき ている。米国の先進的な大企業経営者たちは、一流の大手ベンチャーキャピタリストを通し ていち早く技術系ベンチャー企業との連携に走り出しているといえよう。 40 参考文献 チェスブロウ『オープン・イノベーション』大前恵一朗訳 産業能率大学 2004 年 クリステンセン『イノベーションのジレンマ』伊豆原弓訳 2000 年 ドラッカー『イノベーションと企業家精神』ダイヤモンド社 小林宏治監訳 1985 年 木嶋豊『カーブアウト経営革命』東洋経済新報社 2007 年 前田昇・安部忠彦 編著『MOT ベンチャーと技術経営』丸善 2005 年 メイソン他『ベンチャービジネスオフィスVBO―コーポレートベンチャリングの新しい モデル』山田幸三他訳 生産性出版 2004 年 野中郁次郎編著『イノベーションとベンチャー企業』八千代出版 シュンペータ『経済発展の理論』岩波文庫 塩野谷祐一他訳 41 2002 年 1993 年