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プロ向け市場の現状と展望
■レポート─■ プロ向け市場の現状と展望 野村総合研究所 未来創発センター 主席研究員 大崎 貞和 2008年12月に設立され、金融庁による金融商 ■1.吸収合併されるTOKYO AIM 品取引所免許を取得した後、2009年6月に株 式の市場を開設した。市場開設にあたって東 2012年3月27日、東京証券取引所(以下 証グループとLSEの合弁事業という形態が採 「東証」という)の持株会社である東京証券 用されたのは、世界各国の企業3,000社以上 取引所グループ(以下「東証グループ」とい の株式を取引するLSEのAIM(Alternative う)は、同社とロンドン証券取引所(以下 Investment Market)の運営ノウハウを取り 「LSE」という)の共同出資によって創設さ 入れるとともに、AIMへのアジア企業誘致の れたTOKYO AIM取引所を翌日付で東証グ 拠点としての役割を担うことが期待されたた ループの完全子会社とし、その後7月1日を めである。 目処に吸収合併することを明らかにした(図 表1参照)。 しかし、その後の3年間にTOKYO AIM取 引所に株式を上場した会社はわずか2社にとど TOKYO AIM取引所は、いわゆるプロ向 まっている(注1)。2011年5月には新たにプロ け市場(詳しくは後述)の運営を目的として 向け債券市場「TOKYO PRO−BOND Market」 〈目 次〉 を開設したが、こちらについても1社のプログ 1.吸収合併されるTOKYO AIM ラム上場と当該プログラムに基づく1件の債 2.プロ向け市場とは 券上場がなされたのみである(注2)。当然の 3.プロ向け市場創設の背景 4.プロ向け市場はなぜ機能しなかったのか 5.今後の展望 ことながら、取引所の経営は赤字が続いた。 こうした状況を踏まえ、東証グループが独 立の取引所としてのプロ向け市場の運営を続 12 月 7(No. 323) 刊 資本市場 2012. (図表1)変化するTOKYO AIMの運営体制 平成24年3月28日 平成24年7月1日 東証グループはLSEが保有するTOKYO AIM株 全株を取得(100%子会社化) 東証がTOKYO AIMを吸収合併 (株) 東京証券取引所グループ (株) 東京証券取引所グループ (株) 東京証券取引所 (株)TOKYO AIM取引所 市場一部 TOKYO AIM (株) 東京証券取引所 ( (株) TOKYO AIM取引所を統合後) 一般投資家向け市場 プロ投資家向け市場 市場一部 市場二部 マザーズ TOKYO PRO-BOND Market 市場二部 マザーズ TOKYO PRO Market TOKYO PRO-BOND Market (出所)東証グループ発表資料 けることを断念し、LSEとの合弁事業を解消 正で設けられた概念で、投資に関する知識や した上で、東証の運営する一般投資家向けの 経験があり、金商法の規定する勧誘規制など 既存市場と並ぶ一市場という位置づけに改め 詳細な投資家保護規定による保護を受けるこ ることにしたのである。 となく、自らの責任で投資判断を行えると考 えられる投資家を類型化したものである。具 ■2.プロ向け市場とは 体的には、従来から「プロ」とされてきた適 格機関投資家(金融機関や投資運用業者など) プロ向け市場は、2008年の金融商品取引法 に加えて、地方公共団体や上場会社、外国法 (以下「金商法」という)改正によって開設 人などが幅広く含まれる。更に、特定投資家 が可能となった。すなわち、金融商品取引所 以外の法人や投資資産3億円以上等の要件を (証券取引所)は、従来の一般投資家の参加 満たす個人も、金融商品取引業者(証券会社) する市場に加えて、新たに原則として国内居 に対して自ら申し出ることによって、特定投 住者である特定投資家や非居住者以外の者の 資家としての取扱いを受けることができる。 委託注文を取り扱わない市場(特定取引所金 特定取引所金融商品市場で取引される株式 融商品市場)を開設することができることに や債券の発行者は、既存市場における上場株 (注3)。 なったのである(金商法117条の2) 式等の発行者とは異なり、有価証券報告書や ここでいう特定投資家とは、2006年の法改 四半期報告書などによる法定情報開示を行う 月 7(No. 323) 刊 資本市場 2012. 13 (図表2)東証上場外国会社数の推移 (社) 130 120 110 100 90 80 70 60 50 40 30 20 10 0 73 75 80 85 90 95 2000 05 10 (年) (出所)東証資料より作成 必要がない。いわゆるJ−SOX法に基づく内 部統制監査の実施や内部統制報告書の提出も ■3.プロ向け市場創設の背景 不要である。 プロ向け市場の上場会社は、それらに代え このような制度が導入されることとなった て取引所規則に定められた情報開示を行えば 背景には、ピーク時には120社を超えた東証 良いとされ、TOKYO AIM取引所の場合、 上場外国会社数が2008年には20社を割り込む 取引所所定の様式による決算情報の開示や有 など、外国企業の東証離れが進んでいるとい 価証券報告書に相当する発行者情報の作成、 う事情がある(図表2)。その理由の一つと 株価に影響を与えるような情報の適時開示な して、日本語による有価証券報告書の作成に どが求められてきた。しかも、これらの情報 翻訳費用など上場維持コストが大きいことが 開示は、日本語だけでなく英語で行っても差 指摘されたことから、英語による情報開示を し支えないものとされ、財務情報についても 容認するような市場制度が必要だと考えられ 日本会計基準、米国会計基準、国際会計基準 るようになったのである。 またはこれら3つの基準のいずれかと同等で もっとも、日本国内における英語の使用頻 あると判断された基準によることができるな 度や国民の一般的な英語能力の水準を考えれ ど、柔軟な制度となっている。 ば、英語による情報開示が行われる市場での 取引に、個人投資家を含む誰もが自由に参加 できるのでは投資家保護の観点から問題があ るだろう。そこで、投資に関する知識と経験 14 月 7(No. 323) 刊 資本市場 2012. を備え、日本語による開示情報が不十分であ おける英文開示は、本国で情報開示を行って っても自ら適切な情報を入手するなど自衛措 いない発行者でも利用できる。つまり、外国 置を講じることができるものと類型的に考え 会社が、日本の市場で、日本語の開示を行わ られる特定投資家や非居住者だけが取引に参 ずにIPO(株式新規公開)を実施することが 加できるという制度設計にすることで、日本 認められているのである。また、実際上のニ 語による有価証券報告書等の情報開示を不要 ーズが大きいかどうかはともかくとして、日 とする途を開くことになったのである。 本国内の発行者が英語で情報開示を行うこと このように、プロ向け市場のそもそもの発 も可能なのである。 想は、もっぱら外国企業の上場を念頭に置い たものだったが、制度が明らかになると、法 定情報開示制度、とりわけ内部統制報告書の ■4.プロ向け市場はなぜ機能 しなかったのか 作成や監査を負担に感じる国内のベンチャー 企業による資金調達にも利用できるのではな いかとの見方もなされるようになった。 しかしながら、既に触れたように、 TOKYO AIM取引所に株式を上場した会社 なお、英語による情報開示をめぐっては、 は3年間で2社に過ぎず、いずれも日本企業 2005年の証券取引法(当時)改正によって、 である。一方、ユーロ債市場のアジア版を目 外国会社、外国政府、外国ファンド等が提出 指すとした債券市場にはオランダの大手銀行 すべき継続開示書類に代えて、その発行者が がプログラムを上場し、社債発行を実施した 存する本国において英語で開示されている継 が、市場開設から第1号の上場まで1年近く 続開示書類に類する書類を提出することが認 を要しており、後へ続く発行者がどれほどあ められることになった(金商法24条8項)。 るかは不透明である。金融危機の勃発とその 更に、2011年の金商法改正によって、この英 後の世界的な資本市場の低迷という金商法改 文開示の対象は、有価証券届出書や臨時報告 正へ向けた議論が始まった時点では想定され 書にまで拡大されることになった(金商法5 なかった事態に見舞われたという不運もあっ 条6項、24条の5第15項) 。 たとはいえ、プロ向け市場が所期の狙い通り このように、現在では、一般投資家の参加 の機能を発揮しているとは言い難いだろう。 する市場でも幅広い英文開示が認められてい それでは、なぜプロ向け市場はそれほど利 るが、これらはいずれも、外国会社等が本国 用されなかったのだろうか。いくつかの要因 で開示している書類を日本の法定開示書類に が考えられる(注5)。 代わるものとして用いることを認めるにとど 第一に、かつて120社を超える外国企業が まる(注4)。これに対して、プロ向け市場に 東証に株式を上場した背景には、1,400兆円 月 7(No. 323) 刊 資本市場 2012. 15 とも言われた日本の個人金融資産を取り込み たが、その大きな要因として、ロンドンとい たいという企業側の思惑があった。しかし、 う都市が東欧やロシアを含むヨーロッパ全域 実際には、東証市場に上場しただけでは日本 の金融センターとしての機能を担っていると 語の情報開示などに要する多額の費用に見合 いう事実を見逃すわけにはいかない。 うほど多くの日本人個人投資家を集めること 同じことはプロ向け債券市場にも当てはま はできなかった。他方、日本の個人投資家も る。香港とシンガポールでアジアの機関投資 その気になれば世界各国の市場に投資できる 家等をターゲットとする「ユーロ債」の起債 という実態があり、わざわざコストをかけな が既に行われている中で、個人投資家をもタ くても本国市場に上場していれば日本からの ーゲットに含む円建て外債とは異なるプロ向 投資資金を取り込めるとも言える。 け債券の発行地として東京があえて選択され また、東証市場に上場した外国企業株式は 流動性が低くなりがちで、日本人投資家も流 る可能性はそれほど大きいとは言えないだろ う。 動性の高い本国市場での取引を好む傾向があ 第三に、日本国内のベンチャー企業による る。そこで、あえて日本人個人投資家をター IPOの市場は、その是非はともかくとして、 ゲットに資金調達を行う外国企業は、日本で 個人投資家中心の市場となっているのが実情 は株式を上場せずに金商法上の法定開示を伴 である。このため、有価証券届出書や内部統 う公募(POWL: public offering without 制報告書の作成が求められないプロ向け市場 listing)を行うようになった。個人投資家の は、IPOに要するコストや時間という点では、 多くが取引に参加できないプロ向け市場を創 国内のベンチャー企業にとって魅力的な存在 設しても、こうした流れを変えることは難し と思われるが、個人投資家の取引参加が見込 かったのである。 めないという点がマイナスに評価され、IPO 第二に、かつての東証上場外国企業のほと んどが欧米の大企業であったのに対し、プロ の場として選択する企業はそれほど現れなか ったのである。 向け市場にはアジア企業の株式上場が見込め るとの見方があったようである。しかし、現 ■5.今後の展望 実には機関投資家によるアジア株投資は、も っぱら香港やシンガポールを拠点として行わ 以上のような現状やそうした状況が生じた れており、多くの投資家を集めることが期待 背景を前提にすれば、東証グループが しにくい東京のプロ向け市場への関心は高ま TOKYO AIM取引所を吸収合併しても、プ らなかった。確かにTOKYO AIM取引所が ロ向け市場にはおよそ将来の展望が開けない お手本としたLSEのAIMは大きな成功を収め と考える向きもあるだろう。既に触れた一般 16 月 7(No. 323) 刊 資本市場 2012. 投資家の参加できる市場についても英文開示 定化させなければならないという焦りを生ん を容認する制度の整備が進んでいるという事 だことも否定できまい。プロ向け市場が東証 実も、そうした見方を補強するかも知れない。 グループの一市場として位置づけられること しかしながら、筆者は、決してそこまで悲観 で、短期間で成果を挙げることにこだわらな 的ではない。 い腰を据えた上場ニーズの掘り起こしが行わ 例えば、最近の注目すべき動きの一つとし れるようになることが期待される。 て、沖縄県産業振興公社によるJ−Nomad (指定アドバイザー)開設プロジェクトがあ (注1) 1社目のメビオファームは2011年7月15日 る (注6)。J−Nomadは、プロ向け市場への 上場。2社目の五洋食品産業の上場は合弁事業解 株式上場にあたって実質的な審査を行う機関 (注2) 2012年4月2日、オランダのING銀行が社債 であり、現在既存の引受実績のある証券会社 発行プログラムを上場し、4月16日に2年債を発 7社がTOKYO AIM取引所による承認を受 けているが、沖縄県産業振興公社は、沖縄県 内企業のプロ向け市場への上場を念頭に置き つつ、新たなJ−Nomadの立ち上げを構想し ている。もともと全国区を想定しながら設け られたプロ向け市場という枠組みを沖縄とい う地域の市場育成に活用しようという発想は 興味深い。新たな発想による試みが動き出す ことで、市場の活性化につながることが期待 消後の2012年5月28日であった。 行・上場した。 (注3) 特定投資家や非居住者以外の者も特定取引所 金融商品市場において保有証券を売却することは 可能である。 (注4) 本国における一定の規制が及ぼされているこ とで、書類が英語で作成されていても、日本国内 の一般投資家保護の観点からは問題ないものと考 えられているのである。 (注5) 以下の議論は、決して後知恵によるものだけ ではない。筆者は、所属機関の発行する顧客向け レポートにおいて、2007年10月の東証とLSEの提 携発表時には国内企業向けのプロ向け市場の成功 を期待できないと指摘し( 『内外資本市場動向メモ』 される。 また、いわば従来型の株式上場や社債上場 についても、LSEとの合弁事業が解消された ことで、むしろ中長期的な観点に立った市場 育成に取り組む環境が整ったとみることもで No.07−22) 、2009年6月のTOKYO AIM市場発足 時にも本文で述べたこととほぼ同趣旨の指摘を行 っている( 『内外資本市場動向メモ』No.09−10) 。 (注6) 詳しくは「始動アジア金融拠点 沖縄の可能 性」¸∼½『沖縄タイムス』2012年4月24日∼29 日参照。 きるだろう。プロ向け市場の開設にあたって 1 TOKYO AIM取引所という独立の取引所を 設けたのは、LSEとの合弁事業という形式を 選択した以上はやむを得ないことであり、市 場の知名度を高める上でも意義があったかも 知れないが、他方で比較的短期間で収支を安 月 7(No. 323) 刊 資本市場 2012. 17