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\n Title Author(s) Citation アフリカの人々と名付け 61 太鼓名を創る論理、伝える 論理 小馬, 徹; KOMMA, Toru 月刊アフリカ, 40(1): 26-27 Date 2000-01 Type Journal Article Rights publisher KANAGAWA University Repository ト 小馬 徹 太鼓名 を創 る論理、伝 える論理 今 回 も、 キ ャ リ ン トン [ Ca r r i ngt o n.∫ .F. , 的 な人格 と して よ りは、未婚 な ら娘 と して、既 a,1 9 49] に拠 りなが ら、 婚 な ら妻 と しての役割 によって存在 を認知 され Tal ki n gD7 ・ u' nSO fAf r i c ていた。即 ち、集 団間の政治的な連帯関係 を創 太鼓 名の考察 を続 け よう。 りだ し、それ を維持す る紐帯 と しての婚姻制度 ●男性 と女性 の媒 介 者 と して重視 され たの だ。太 鼓言 葉 は、 太鼓言葉 をもつ社会の男性 は、全員が太鼓名 この事実 を明確 に浮かび上が らせ るのであ る。 を もって いた。 コ ンゴの キサ ンガニ近辺 で は、 イニ シェーシ ョンな どの特別の儀礼 を機 に、或 いはロケ レ人の場 合の ように太鼓言葉 を解せ る ■太鼓名の構成 さて、同地域 の男性 の太鼓名は 3つの部分か ようになる とす ぐに ( つ ま り、概 ね 5、 6歳の らなる。最初の部分 は、彼 の特性 を示す太鼓名。 頃)、男性 には太鼓 名 を与 えた。特 に、ムボ レ これ をAとす る。Aには、彼 の父親の特性 を示 森一帯では、幼 い時 に付 けた太鼓名 を、 イニ シ す太鼓 名 ( す なわ ち、父親 に とってのA) が続 ェ- シ ョンを終 えた直後 に別の太鼓名 に変 えた。 く。 これをBとする。 そ してBの後 には、彼 の母 一方女性 は、既婚 ・未婚 を問 わず、特別の太 親が婚 出 して来 た村の太鼓名が添 え られる。 こ 鼓 名 を もって い なか った。前 回紹 介 した通 り、 ただ し、BとCは の最後 の部 分 をCと しよう。 ( ロケ レ人 ( ケ レ語)の太鼓言葉では、娘 とい う 順序が逆の場合 もあった)。 語は 「 あの娘 は漁網 の所 には行 か ないだろ う」 す る と太鼓 名 は、異母兄弟であればCの部分 ( bo s e kabo t i l ahe ndel i ngi nda) とい う回 りく だけが、同母兄弟 ならBとCの部分が同 じになる。 どい表現 になる。 そ して、 どの娘 も、この後 に つ ま り、太鼓名 は各音節 の声調 の高低 を二者択 「 -の」 ( l ya-) を加 えた太鼓名 一的 に伝達す るのみであるがゆえに回 りくどい 父親 の名前 に で呼 ばれたのであ る。 表現 になる構造的 な制約のゆえに、逆 に口頭 の 既婚 の女性 は、無論 、夫 か らみれば妻である。 名前以上の情報 を伝 える一面 ももつのだ。 ただ o kal il ab al an ga 妻 は、 ロケ レの太鼓言葉ではb し、太鼓名 も口頭 の名前 と同様 に、Aだけ を用 となる。bo kal il abal angaの正確 な語義 は不明 いるのが普通 だった。 iは 妻 ( wal l ) の 古 語 と解 せ 、 だ が 、bokal キ ャリン トンは、 ロケ レ人のヤ フォロ村 の ト bal angaはヤム芋 だか ら、全体 の直訳 は 「ヤム ーキ ング ・ドラム造 りである、ポ イェ レを例 と 芋の妻」 とで もなろ う。要す るに、 これは 「 料 して 、太鼓 名 の構 成 を具体 的 に説 明 してい る。 理 にいそ しむ妻 」 とい った語 感 を もつ表 現 で、 o ol al oho ki( 毒が消 えることの 彼 の場合 、Aがg 妻 を指す 口語のwal i 、 またはb okal i の声調上の ol e mba ないス ッピッテ ィング ・コブラ)、Bがb 多 くの 「同音異義語」か ら、 この語形で区別 し kol aye t eyal i kon ga ( 槍 を手 に した悪霊)、C が bat obaakal al ool al o ko kil wabai nat e de o hal il a て い るの だO そ して、既婚 女性 は 、b bal angaの後 に夫 の名前 に 「 -の」 ( wa-) を 加 えた太鼓名で呼 ばれた。 す る と、次 の よ うにい え よ う。 ロケ レで は、 アフリカの他の多 くの社会 と同様 、女性 は統合 2 6 ( 毒 が消 える こ との ない ス ッピッテ ィング ・コ ブ ラの ように、〔 バ〕エ ナ人 に繋 が る人々 ;つ ま りヤ ンゴンデ村)である。 さ らに、実際 には 、AとBの 間 には 「 -の息 子 」 を意 味 す るI i t i angahi e kol yaま た は ンガン ド人にご く近縁 の 人々である。 bol ongol aが 、またBとCの 間 には 「 母 の村 であ る-の」を意味 す るb ohanawaが挿 入 されてい 『太鼓名 を創 る る- aで往 々代用 ただ し、後者 は簡潔 にwaや l ところで、キャリン トンは、Kul o gee' dwa' be す る 。 つ ま り、ポ イ ェ レの太 鼓 名 は 、Lool a o s on got e ne 伯 人の街では力が無効 になる) と l okoki . bol ongol abo l e mbakol ayet eyal i konga い う、 ミッシ ョンの農場監督でムバ工 人であ る bokana wa bat o,b aaka l al ool al okokil wa エ クブ クの太 鼓 名 を挙 げ て い る。 そ の含意 は bai nat edeなのである。 「 仲 間の ア フ リカ人の 目には どんなに力が あ る ように見えようとも、お前の力は白人の前 では ■太吉 貴名の相続 ポ イェ レの父 リ トウマニ ヤも、父方の祖 父パ 物 の数 に も入 らない」 であ り、明 らか に植民地 化後 に作 られた名前 だ とい う。 オ77も、ヤ フ ォロ村の トーキ ング ・ドラム造 ムバ工人は、ナ イル ・サハ ラ語族 の中央 スー りの職 人だ った。 ポ イェ レは、太鼓 名のAの部 ダン話語 を話すが、バ ン トウ語系の諸民族の間 分 ( 毒が消 えることの ないス ッピッテ ィング ・ に交 じって住 んでいる。彼 らは土地 の新来者で、 コブラ) を祖父パ オ7 7か ら受 け継 いだ。 太鼓言語 も周囲のバ ン トウ語系の民族 か ら導 入 ポ イェ レの小学生の息子 αは、ポ イェ レ同様 、 太 鼓 名 のAの部分 を父方 の祖 父 か ら相 続 した。 した、 とキ ャリン トンは考 えている。 一方 、バ ン トウ語系 の人々の事情 は、キ ャリ ただ、ポ イェ レとは異 な り、彼の息子 は口語 の ン トンが太鼓名 を得 ようとした、次 のエ ピソー 名前 もまた父方 の祖父か ら相続 していた。つ ま ドか らよ く窺 える。 り、彼 の口語の名前 は、祖 父 と全 く同 じリ トウ マニ ヤだったのである。 多 くの 人 々は声調 言語 以外 の言語 を知 らず 、 ヨー ロッパ 人は太鼓言語 を使 わないので、 自分 αの太鼓 名は、先 に示 した構成法か らわか る も父親 も太鼓名 をもっていない と彼 がい くら説 槍 を手 に した悪霊」、Bが父親 ポイ 通 り、Aが 「 明 して も、信 じようと しなかった。それ どころ ェ レに とってのAであ る 「 毒 が消 えるこ との な か、ベ ルギーの太鼓言語の事情 を秘 匿 しようと いス ッピッテ ィング ・コブラ」 である。す なわ しているのだ と誤解 した。 ち、か くして 、AとBの部分 については、父方 の祖父 リ トウマニ ヤの太鼓名 と全 く同 じなのだ。 初期 の ミッシ ョナ リーな ど、 白人が、最近亡 くなった民族 の リー ダーの太鼓名 を貰 う例 はあ ただ し、二人の母親が別の村か ら嫁 いでいたの った。 だが、キ ャリン トンの住 んでいたヤス ク で、Cの部分 だけは異 なっていた。 地 区ではそ う した慣行が既 に廃 れていた。彼 が ところで、先 に、太鼓名のAは個 人の特徴 を 示す部分 だ と述べ た。 だが、 この例 か らも明 ら 漸 く太鼓 名 を得 たの は、彼 の父親 が カ ン トリ ー ・ダンスの踊 り手 だった と告 げ後 だっだ。 かな通 り、Aの部分が本 人の特徴 を叙述 してい それは、Bos ongoo l i mokondal oko ndaeke s e るとも限 らない。特 に、太鼓言語が比較的新 し ol ongol o l i ka l i kal i kol okondaus e,bat obaoki い時期 に他民族 か ら導入 されたのではな く、社 kos e ket we l ocaac aa,bakenenekondaonoko 会 に深 く根 を張 った制度 となっているロケ レの waol ongol ol i ka ki kaとい う名前 だった。その意 ような人間集団の場 合 には 、Aの部分 は父系氏 味 は、「 踊 れば空 に舞 い上が る白人 、村 の男 た 族 の男性先祖 か ら相続 されたのである。 ちはハ !ハ !と笑お う、踊 り手の口の痛み」 で 前 回紹 介 した、 〔 バ〕 ムボ レ人の メネコ ンゲ ある。彼 は踊 りの もつニュア ンスの解釈 の違 い も、A、B、Cの 3つの部分 か らなる太鼓名 をも に大 いに戸惑 う一方、 この名前 にはアフリカの っていた。 〔 バ〕 ムボ レ人 はバ ン トウ語系 のモ 踊 りの雰囲気が よ く出ている とも述べ てい る。 ンゴ諸民族 の一派で、木村大治氏が調査 したボ ( こんま とおる 神奈川大学 社会人類学) 2 7