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熊本大学学術リポジトリ Kumamoto University Repository System
熊本大学学術リポジトリ Kumamoto University Repository System Title スピリチュアリティと意味(meaning) Author(s) 上村, 建二朗 Citation 先端倫理研究, 6: 64-82 Issue date 2012-03 Type Departmental Bulletin Paper URL http://hdl.handle.net/2298/25605 Right スピリチュアリティと意味(meaning) 上村建二朗 SpiritualityandMeaning KenjiroUemura Abgtract Despitehefacthatheword“meanig,,isoftenmployedinthedfintionf spiritualityinEnglishliterature,noarticleisfbundwhichreferstothe relationshipbetwenmeaningandspiritualityinJapanese、Thisesaymentions therelationshipbetweenthetwo,TheauthoragreswithDmWiliamBreitbart,s viewofspiritualitywhosemaincomponentsarefaithandmeaning、Inadition, theauthorinsiststhathedefinitionofmeaninginrelationtospiritualityisits 妃ja地"sh4pwithotherevents,acordingtoDr〉AlastairJ、Cuningham,andhe assertsthatthecoreofthreesynonymousconcepts,Coping,resilience,and spiritualityismeaning・Moreover,heregardsthesenceofmeaninginpaliative careiswhatViktorFanklcals“meanig”・Thatis,creativealues,experiential valuesandatitudinalvalues・HesugeststhatDr,HisayukiMurata'sfamous definitionofspiritualpaln,pamcausedbyextinctionofthebeingandthe o 。 “ ・ meanigoftheslf',bechangedto“fbrindviduals,unbearblemaniglesnes anditsrelvantpisfbratonfheirlvs.”LastlyhebriflyntroducesD正 Breitbart,s“meaning・centeredgroupsychotherapyandstatesthatinJapanas welitsnrghapyo“meaning,,inhelpgrofbsa. Iはじめに 『先端倫理研究第5号』の拙論「日本的スピリチュアリティの定義を求めて-1 つの試み」において、10名の論者のスピリチュアリティの定義等を紹介したが'、 そのうち6名2が「意味」(meaning・以下「meaning」ともいう。)又はその派生語 を、スピリチュアリティを定義ないし説明する際に用いていた。このことから、私 はスピリチュアリテイとmeaningの関係に注意してきた。筆者が知る限りであるが、 日本では両概念の関係について言及した論文はない3. ところがJaniceClarke氏によると、「スピリチュアリティについての看護文献は、 meaningという言葉を用いることによって、スピリチュアリテイの定義についてし -64‐ ばしば詳述している。‘meaning,というテーマは、スピリチュアリティの定義に おいて傑出した位置を占めており、その批判的検討は時機に適っている』。」と2006 年の論文で述べている。DavidWKissane博士らはスピリチュアリティとmeaning との関係をもっと直裁的に言う。「多くの人にとって、スピリチュアリテイは意味の パワフルな源であるものだが、宗教的信仰(religiousbeliefS)に対する信頼(faith) が、慰め[の源]となる人もいる5。」([]は上村)。また村田久行氏もある事例(Bさ ん。40代後半・胃がん)に言及する際、次のように述べている。「下肢の浮腫、腹 水のために思うように自由に動けないこと、がんの進行が与える不安と恐‘怖、これ らのマイナス要因を、Bさんは現在の自分に意味を与えるものとしてとらえ直して いる。これこそ、困難な状況に遭っても自分の存在に生きる意味を見出すBさんの スピリチュアリティの力であろう6。」(前述のDavidWKissane博士らの「多くの 人にとって、スピリチュアリティは意味のパワフルな源であるものだが、.・・・」 という記述も、この村田氏の言を考えるとよりよく理解できよう。)。この3人の論 者の言葉から、スピリチュアリティとmeaningとの間には、親密な関連性が存在す ることは予想できる。JohnD、Morgan氏はいう。「人間のスピリチュアリティにつ いて得ることのできる第一の結論は、人間の探求は意味の探求である、ということ である7。」。このMorgan氏の言葉や上述したスピリチュアリティの定義等の調査に より、スピリチュアリテイとmeaningの関係に留意していたら、前述したClarke 氏ら3人の言葉を見つけたのである。 本稿では、スピリチュアリティと意味との繋がりについて考察する。筆者がこの タイトルで、本稿を執筆するに至ったのは、「意味」がスピリチュアリティ理解にお いて重要であるにもかかわらず、スピリチュアリティは宗教(性)との類似性等に ついては言及されても、(世俗的な)「意味」からは考察されていなように思えるか らである。後述するように、スピリチュアリテイを信仰の部分(faithcomponent) と意味の部分(meaningcomponent)とに分ける者もいるが、日本では信仰の部分が 専ら強調され、意味の部分は十分な考慮が払われて来なかったように思う。Ⅱでは 「意味」.meaningの辞書的語義と、spiritualityに関連するmeaningとは「関係」 (relationship)である旨述べる。Ⅲでは、Coping,resilience,spiritualityの類似性に ついて述べ、3つの概念に共通するものがmeaningであることを述べる。Ⅳでは生 涯にわたって「意味への意志」を強調した、ViktorFrankl博士のいう「意味実現の 3つの方向」がスピリチュアリテイで言われる「意味」と主張する。今まで日本で は、スピリチュアリティとの関連で「意味」が言及されるとしても、その意味する ところ(「意味」の意味)が問われることはほとんどなかったのではないだろうか。 筆者は、スピリチュアリテイにおける「意味の意味」を問うことは、患者さん等に とっても臨床家にとっても益するところがあろう、と思う。また、ある論者が事例 報告で、末期の患者さんが緩和ケアにおいて見出す「意味」を、フランクル氏を援 -65‐ 用して述べているが、その「援用」が適切でない旨述べた。フランクル氏のいう「意 味実現の3つの方向」をフランクル氏の言葉で緩和ケアと関連付けることは、特に 緩和ケア従事者にとって意味のあることと思う。Vでは日本のスピリチュアルケア 界等でいかに「意味」が遣われているか、そして(私が知る限り)高く評価する人 が多い、村田久行氏の理論の一部を紹介する。特に村田氏のスピリチュアルペイン の定義を一部批判し、筆者自身の同定義を述べた。結語では、WilliamBreitbart博 士の「意味中心集団心理療法」をごく簡単に紹介し、日本でも対人援助行為におい て「意味」に焦点を当てた介入は、興味深い旨述べた。 Ⅱ 「意味」とmeaning lその辞書的語義 翻訳語とその原語は大抵“ずれ',があるものだ。例えば、loveという語は生 物にも無生物にも用いられる言葉だが、「愛する」という語が無生物に用いられる ことは稀であろう。またnatureには「自然」「天然」の他に「(人間の)本来の姿、 原始状態・・・(人・物の)天性、本性、性情、性質(inherentcharacter)H」の 意味がある。 ところが、意味とmeaningは、この“ずれ',が少ない、といってよい。まず意 味だが、『広辞苑第六版』(電子辞書)によると「①記号・表現によって表され 理解される内容またはメッセージ。・・・②物事が他との関連においてもつ価値や 重要さ。『そんなことしたって意味がない』」②の意味の「意味」からは、スピリ チュアルペインの典型的例とされる「人生に意味がない」という表現を思い出す。 一方、meaningは「意味」「意義」の他に「意図」「目的」「底意」「重要性」「価 値」の語義がある9.英英辞典で確認すると’()、「感情又は経験の真の重要性」、「あ なたの人生は価値がある、とあなたをして思わしめる、目的(意図・purpose)の質 又は感覚」との語義の説明もある。また、zHEZHES4ZZEZノSl1(英語の類語辞 典)にはmeaningの類義語が20近く載せられているが、その中でpurpose(目 的・意図),significance(意義・重要性),essence(本質),worth(価値),intrinsic value(本質的価値)の類語は目を引く。意味とmeaningの各々の語義の「ずれ」 は小さい旨述べたが、「意味」よりもmeaningのほうが、かなり肯定的意味(価 値性ともいえよう)が高い言葉と言えはしまいか。筆者が知る限り、スピリチュ アリティとの関連でmeaningが用いられるとき、この肯定的意味のmeaningで あるように思う。 2meaningの“意味''一スピリチュアリテイとの関連で 樫尾直樹氏は、「『つながり』という言葉が『スピリチュアリティ』の重要な要 素であるという点は、多くが同意するだろう’望。」という。またAlastairJ. -66‐ Cunningham氏'3は、特に「がんは意味を持つか?」という小題の下のmeanmg ついて、「“meaning”は難しい言葉である。それは何を言わんとする (signify)のか?何らかの出来事のことを、それがmeaningを持つかどうか問うと き、私達は大抵、なぜそれが生じたのか、それは何を完遂するのに企図されたの か、又はいかにそれが、色々な出来事(events)という、より大きなパターンに適 合するか、について情報を求める。・・・出来事の意味は、他の色々な出来事(other events)に対する、出来事の関係であり(〃eノセョtわ"Sノhわ注:イタリックは原典の まま)、その出来事が、繋がりを持たされた出来事(associatedhappenings)の絡 み合った網にいかに適合するかのあり方、である。」という。 Cunningham氏は、「出来事の意味は、他の出来事に対する、そのfW孫であり、 ・・・」というが、出来事ばかりでなく、人、ものについても似たようなことが 言えはしまいか。人だったら、「人の(存在の)意味は、他の人に対する、その関 係であり、・・・」と言ってもそれほどおかしくはあるまい。また「出来事の意味 は、(出来事に関連する)人との衡孫であり、・・・」とも言えそうである。もの について言えば、「ものの意味は、他のものに対する、その関係であり、」とは言 うのが部分的に可能であろうが、我々人間にとっては、ものとその所有者との関 係が重要ではなかろうか。古本で、本屋に売られればダダ同然の本でも、或る人 の愛読書ならば、その本はその人にとって「意味がある」のである。「もの」は、 大体人間との関係に意味があると言える。名画など多くの人に感動を与える“も の”は、多くの人に感動を与える故、普遍的意味(普遍的価値)があると言えよ う 。 meaningを「関係」(「つながり」「紳」とも言いかえうる。)と見なすCunningham 氏の意見に本稿では従う。「関係」はスピリチュアリティに深く関連する言葉だか らである。言い換えれば、meaningとspiritualityは「関係」という共通項を持 つ。そして本稿における「意味の意味」は「関係」である。Ⅳで述べるフランク ル氏の「意味を実現する3つの方向」(創造価値、体験価値、態度価値)を理解す る上で「関係」が重要であることは後述する。 Ⅲmeaningの機能-Tesilience,Coping,spiritualityの共通項 1危機体験と意味付与(意味探求) 筆者が特に関心を抱いたのは、(特に危機状況における)meaningの機能、あ るいは役割である。人は何らかの危機状況を迎えたとき、そこに何らかの解釈・ 意味を付与することで、それを乗り切れることがままあるのではないだろうか。 例えば、1年の浪人生活の後も、志望大学の入試に失敗したA子さんが、食事も 満足にとれないくらい落ち込んでいたとしよう。しかしここで彼女が「(入試の失 敗は)天が与えた試練なんだわ。」と、自分の危機的状況に何らかの「意味」を付 -67‐ 与することが出来たら、彼女は危機状況をほとんど乗り越えている、と言えるだ ろう。そして彼女は人間的に一歩成長しているだろう。彼女にとって、そして彼 女の回りの人々にとって辛い体験であったろうが、「入試の失敗」がA子さんを 成長させたのである。A子さんは架空の人物であるが、このような例は、ほとん どの人が経験あるいは見聞きしているだろう。A子さんをして、彼女の危機状況 に対して「意味」を付与せしめたのは、彼女のスピリチュアリティの力と言える。 I「はじめに」で述べた村田氏のBさんの事例と同じである。そしてA子さんと 「入試の失敗」という出来事の「関係」は、彼女が彼女自身の危機的状況に「意 味付与」するか否か、またいかなる「意味」を付与するかにより全く変わってく るだろう。 A子さんの危機状況があまりにも強いときは、当然医学(心理学)的介入が考 えられる。彼女が「自分自身の能力に対する悩み・疑問」「何度受験してもダメと いう無意味感」を強く感じていたならば、V2で述べる「無意味感」を中核とし た筆者のスピリチュアルペインの定義に該当しようが、身体症状(食欲不振)が 強いならば、彼女の思いは精神的・心理的痛みとも解釈されうるだろう。食欲不 振は、典型的なうつ症状と考えられるからである。また知り合いの精神科医によ ると、うつ症状の一つとして、「無意味感」はありうるという。スピリチュアルペ インと精神的(心理的)痛みを区別する論者もいるが'』、精神科医の張賢徳氏に よると「・・・、抗うつ薬を使ってうつ状態が改善したら、スピリチュアルな悩 みも消失したというケースは実際にある’5。」というから、両者(スピリチュアル ペインと精神・心理的な痛み)は、理論・概念上の区別は可能としても、混合し て存在しうるのではなかろうか。ある薬剤師は、スピリチュアルペインに対する 援助として「スピリチュアルペインに対する介入は混合(宗教家の援助あり、臨 床心理士の援助あり、薬物療法あり、社会資源の活用あり。)。」の旨筆者に語って くれた。 ここで、A子さんの入試の対する意味付与行為を、精神分析で言う自我防衛機 制(合理化)に過ぎないのではないか、という人もいよう。合理化とは「ある自 分の態度や行為に、道徳的な非難を受けないような説明(いいわけ)を与えるこ と。そうすることによってその行為の真の意図を隠す'6。」ということだが、私は 「意味」と「説明(いいわけ)」の違いが、ある行為が「合理化」であるかどうか の分かれ目になると思う。Ⅱ1で示した通り、意味には「価値」「重要性」の意味 もある。「ある自分の態度や行為」に対する解釈が単なる「いいわけ」ならばそれ は合理化という防衛機制で、意味(価値・重要性)を与えるものだったら、それ はスピリチュアリティの力による意味付与行為といえよう。また、合理化では 「..、その行為の真の意図を隠す。」というが、意味付与は「その行為の真の意 図」(A子さんの場合、入試に失敗したという事実の認識)と正面から向き合うも -68‐ のだろう。A子さんが合理化するとしたら「体調が悪かったから。」「寝不足だっ たから。」などと「いいわけ」をするだろう。ただ、この意味付与行為だけでA子 さんが逆境を克服した、と考えるのは決して正しくないだろう。この事例は筆者 の想定事例で、簡単な想定しかできなかったが、他の保護因子(protectivefactor● 困難な状況からの立ち直りを促進する要因。パーソナリティや自己にかかわる個 人内の保護因子と、家庭や学校、地域における良好な関係など周辺環境における 保護因子がある17。)がきっとA子さんの立ち直りに影響しているだろう。また 危険因子(riskfactor、日常生活におけるネガティブなイベント、戦争、病気、親 の離婚や精神病理、貧困、虐待といった多種多様な要因'H)の多寡でA子さんの 回復はかなり違ったものになるだろう。 2人間の危機対応の2側面 A子さんの例のようにスピリチュアリティには、特に危機状態の「出来事」に 「意味」を付与し、危機状態から回復させる機能があると言える。ここで注目す べきは、「病における意味の概念化」という論文を執筆したBetsyLFife氏が「危 機的出来事」の観点から「意味」を捉えていることである。Fifb氏は言う。「危機 的出来事の出現は、我々が我々の生活の土台を作る意味を再建し変容させるべき ことを要求する。・・・個人がCoping'9過程に携わり、彼/彼女の自己知覚にとっ て破壊的でない意味に、積極的に到達しようと努力するにつれて、慎重に形成さ れた意味は、危機状況ではときには大変急激に変化しやすい。重病のような、極 めて恐ろしい出来事の脈絡内では、意味を定義づける過程は、出来事の出現を理 解し、それに距離を置いて眺め、自分自身および自分の将来の意義を理解する努 力と深く関係する20。」A子さんの事例は、彼女自身が自分の危機的状況に意味を 付与することで、自分の危機を乗り越えていくことを記述したのに対し、Fifb氏 はいわゆる危機状況が個人の意味をも危機状況にさらし、意味を再構築しなけれ ばならないことがあることを示唆しているのではなかろうか。両方(「意味付与」 することで危機状況を乗り越える。「危機状況」が「意味」の危機や再構築をもた らす。)とも真理の一面を指していると思われる。 3gpirituality,meanmg,Coping,そしてresilience ここで、窪寺俊之氏がスピリチュアリティの定義を、機能として捉えているこ とに注目したい。同氏の定義を述べよう。「スピリチュアリティとは、人生の危機 に直面して『人間らしく』『自分らしく』生きるための『存在の枠組み』『自己同 一性』が失われたときに、それらのものを自分の外の超越的なものに求めたり、 あるいは自分の内面の究極的なものに求める機能である21。」(この文章を仮に「ス ピリチュアリテイ機能説」と言っておく。)また同氏は、スピリチュアリテイの機 -69‐ 能として(1)苦しみの緩和(2)「わたし」の意識化・覚醒化(3)存在の意味づけ(4) 死後の世界を示す(5)生命維持の機能(6)機能そのものとしてのスピリチュアリテ ィ(絶対的・超越的なものへの祈り)を挙げており、「スピリチュアリティが危機 体験と深く関係していること」を述べている22。(3)の「存在の意味づけ」について 窪寺氏は次のように述べている。「患者は体力や気力の衰えで自分の存在の意義を 見つけにくくなる。回復の見込みがない現実は、人から看護されることさえ心の 負担を増すことになる。社会的生産性を失った人が、自分の生命に積極的生きる 意義を認めることはなかなか困難である。人間固有の価値を認めようとしない現 代社会の現実は、しばしば患者を苦しめる。人の世話にならねばならない自分に なお、人間固有の価値を認めることのできる患者は多くない。しかし、患者は葛 藤しながら、人間存在の外側からの意味づけを探そうとする。人間が存在してい る以外の世界からの意味づけを求め始める。このようにスピリチュアリティは、 人間を超えた超越者から『存在の意味づけ』を得ようとする23。」 窪寺氏の(スピリチュアリテイの)「存在の意味づけ」機能の記述は説得力ある が、1つだけ疑問がある。同氏は「存在の意味づけ」を、「人間を超えた超越者」 から得ることだけに限っているようであるが、他に2つのケースが考えられると 思う。それは(1)現実の(人間)関係から得る。(2)自分自身の内面的なものから 得る、の2つである。(2)については「スピリチュアリテイ機能説」で「・・・ 、 あるいは自分の内面の究極的なものに求める機能である。」と窪寺氏自身述べてい る。「存在の枠組み」「自己同一性」は、「存在の意味づけ」の産物といえるのでは ないか。もつとも、(1)(2)そして(3)「人間を超えた超越者」から得る「存在の意味 づけ」は密接に絡み合っているのであろう。 上記(1)(2)(3)に共通するキーワードは「意味」といえる。このキーワードを意識 してであろう、意味の探求(asearchfbrmeaning)をスピリチュアリティと同一視 する論者もいる2.loBetsyLFifb氏はいう。「それで意味の探求は、Copingの過 程と一体となり、一方“意味を見出した”ことはCopingの成果の一側面となる 25。」ここでいうCOPingにしろ、「スピリチュアリティ機能説」にしろ、「意味の 探求」にしろ、resilienceという概念に類似してくると思われる。 resilienceの辞書的意味は「1ショック、障害などの不』決なことのあと、素早く より良い感じを抱く、人々または物の能力。2曲げられ、引き延ばされ又は圧力 をかけられたあと、そのもとの形に戻る実体の能力26。」とある。だが、砂賀道子・ 二渡玉枝両氏によるとresilienceの定義は、「・・・研究者によって様々であり、 未だ定まったものはない27。」という。両氏は「がん体験者のレジリエンスの概念 分析」という論文において、がん患者のresilienceを「『・・・、的確な自己認識 と、自己受容力の意識化のもと、肯定的な感覚を高めることで前向きな意味づけ を行い、信念や確信を得ることにより、がん患者の肯定的変容を促進する。そし -70‐ て様々なストレッサーに対する対処戦略を見出すことで、自己統制を行い、がん を受容し、QOL向上やエンパワーメン卜を高め、well-beingを猶得して、適応に 向かうダイナミック(力動的.動的)なプロセスである28。』」(下線部上村)と定 義する。 この砂賀・二渡氏のresilienceの定義は、「スピリチュアリテイ機能説」と親和 性があり、両者の重要な共通要素は「意味」である。そしてresilienceとmeaning の関係についてIraByock氏は次のように述べている。「身体的な病又は障害が存 在しないときでも、ちょうど意味の喪失が深刻な苦悩を引き起こすように、人間 のresilienceは、自分自身の障害、病気、若しくは差し迫る死又は他者の病気若 しくは死に対する悲嘆という、全くあてのない危機状態(arguablysenseless adversity)に直面しても、人の意味を形成する能力に依拠するz9。」つまり、人間 のresilienceは-スピリチュアリティと同様に-「意味の形成」「意味の探求」が 重要な構成要素といえる。 43つの類似概念(Coping,resilience,spirituality)の整理 ここでCoping,resilience,spiritualityにいて簡単に整理してみよう。Coping は、普通「対処(すること)」と訳されるように、様々なストレス情況に「対処」 することを意味する、といってよいだろう。筆者が接する限りcope(with)という 言葉は、大抵肯定的文脈で使用されるようである。resilienceは、がん患者のそれ については、砂賀道子・二渡玉枝両氏の定義を述べたが、基本的には「逆境を跳 ね返す力」といってよいだろう。 筆者はresilienceとspirituality(それが「スピリチュアリティ機能説」を採用 した場合」)の類似性を指摘したが、spirituality(spiritualdomain・霊の領域)を meaningとfaith(信仰)に分けて考える者もいる30.spiritualityをmeaning とfaithに分けて考えることは卓見と思う。この見解は、spiritualityを非宗教的 なもの(meaning)と宗教的なもの(meaning・faith・注:meaningは宗教的にも 非宗教的にもなりうる。)に分類したものといえる。Coping,resilience, spiritualityの3つは、spiritualityが宗教的ニュアンスが強いことは留意する必 要があるが、人間の危機対処の在り方をあらわす概念として類似しているといえ る。三者に共通する概念はmeaningであろう。StefanVanistendael氏は、 「meaningは、spiritualityとresilienceの両者にとってカギとなる概念であり、 宗教的又は非宗教的文脈両者において、有効である31。」と述べている。William Breitbart博士も「スピリチュアリティは、KarasuやBradyらによると、信仰 (Faith)若しくは意味(Meaning)又はその両者の概念と深くかかわる構成物であ る32。」「スピリチュアリティの信仰の部分(ぬithcomponent)は、しばしばだが、 宗教そして宗教上の信念ともっとも関連付けられ、スピリチュアリティの意味の -71‐ 部分(meaningcomponent)は、宗教的な個人にも非宗教的とみなされる個人にも 存在するより普遍的な概念に思える33。」と述べている。この二人の言葉から、 meaning概念は、宗教にかかわりなく各個人にとって「意味のある」ものになる 可能性を秘めている、と考えられないだろうか。「意味」とmeaningの意味のず れがほとんどないことは、Ⅱ1で指摘したが、両者とも(特に危機状態にある人 間にとって)重要な概念といえよう。 ⅣViktorE・nPankl博士のmeaning概念 1Frankl博士のいうmeaningの意味とは? ディグニティセラピーの創始者HarveyMaxChochinov博士の論文で3』、 meaning又はその派生語が頻出していることに私は強い関心を抱いた。そして自 問自答したものだ、「meaningの意味とはなにか?」と。本稿ではそれを「関係」 (つながり、紳)と見なすとⅡ2で述べた。Chochinov博士はmeaningという 言葉で、V・EFrankl博士の言う「意味」を意味していると思われる。なぜなら、 「尊厳、意味そして無気力症:終末期においてあらわれてくるパラダイム35」と いうDavidW・Kissane氏,Chritinaneece氏,WiniamBreitbart氏,Harvey MaxChochinov氏らの共同執筆の論文の中で、meaningcenteredtherapy(意味 中心療法)について述べられており36(この療法の創始者は、WilliamBreitbart 博士である:;7。「意味中心療法」については、Ⅵで簡単に述べる。)、「意味中心療 法のアプローチは、ヴィクトール・フランクルの仕事と彼の傑作j42m台sea2℃hか meamIzg(POCKETBOOKS・’984:'8)に鼓舞された39。」(()は)上村)とも述べ られている。以下ヴィクトール・フランクル氏自身の言葉でこの3つの「意味を 実現する方向」について述べてみよう。そして、フランクル氏の「意味を実現す る3つの方向」がいずれも「関係」(つながり、紳)と深く関連することを示す。 2フランクル氏のいう「意味実現の3つの方向」 フランクル氏はいう。「・・・意味は三つの主要な方向で実現されることができま す。人生を意味のあるものにできるのは、第一に、なにかを行うこと、活動したり 創造したりすること、自分の仕事を実現することによってです。第二に、なにかを 体験すること、自然、芸術、人間を愛することによっても意味を実現できます。第 三に、第一の方向でも第二の方向でも人生を価値のあるものにする可能性がなくて も、まだ生きる意味を見出すことができます。自分の可能‘性が制約されているとい うことが、どうしようもない運命であり、避けられない逃げられない事実であって も、その事実に対してどんな態度をとるか、その事実にどう適応し、その事実に対 してどうふるまうか、その運命を自分に課せられた『十字架』としてどう引き受け るかに、生きる意味を見出すことができるのです40。」フランクル氏は第一の意味実 -72- 現の方向を「創造価値」、第二の方向を「体験価値」、第三の方向を「態度価値」と 述べたが、彼は次のようにも述べている。「創造価値は行動によって実現化され、体 験価値は世界(自然、芸術)の受動的な受容によって自我の中に現実化される。そ れに対して態度価値は或る変化しえないもの、或る運命的なもの、がそのまま受け 入れられなければならないような場合には到るところ、実現化されるのである。人 間がいかにかかる運命的なものを自らに引き受けるかというその様式において、計 り難く豊かな価値可能‘性が生じるのである。すなわち創造や人生の喜びの中に価値 は求められるばかりでなく、また苦悩においてすら価値は実現されるのである'1。」 特に緩和ケアにおいて注目すべきは「態度価値」であろう‘'2.フランクル氏は、「(態 度価値の前提として)変えることのできない運命」を強調している':1.だからこそ、 この態度価値は、緩和ケアにとって特に意味を持つと考えられる。何故なら、緩和 ケアを受ける患者さんは、「変えることのできない運命」(死)を身近に控えている からである。フランクル氏も「・・・自分の命が・・・あと数時間しかないことを まったく正確に知っていた」患者さんが「・・・今夜で私は『おしまい』だと思う、 それで、いまのうちに、この回診の際に注射をすましておいてください、そうすれ ばあなたも宿直の看護婦に呼ばれてわざわざ私のために安眠を妨げられずにすむで しょうから」と言ったことを、態度価値の一例として挙げている'・I・後述する村田 久行氏の理論を基盤としている、医師の小爆竹俊氏は、1人でトイレに行けない患 者さんについて「1人でトイレに行くことができないとき、自立を失います。しか し、トイレに行く様々な選択肢を選ぶ自由があるとき、自律は失わないと考えるの です45。」と述べているが、このような「自律」を行使する患者さんも、「態度価値」 を実現している、といってよいだろう。村田(小漂)氏の言う自律とフランクル氏 の「態度価値」は共通するところが多いように思われる。どちらとも、「変えること のできない運命」(死)に対する態度(自律)表明だからだろう。 創造価値、体験価値、態度価値のいずれも「関係」(つながり、紳)の視点から見 ることは可能であろう。例えば、創造価値は活動によって実現されるが、創造価値 の主体(人)と活動(仕事、余暇)の関係が創造価値実現のため極めて重要である ことは言うまでもない。体験価値の特色は、既に述べたように価値実現主体の受動 性であるが、体験価値の実現対象(自然、芸術)を、価値実現主体(人)がいかに とらえるか(=関係)ということだろう。態度価値とは、苦悩に対して価値実現主 体がいかなる態度を採用するか、と言い換えうる。すなわち、主体と苦悩との関係 のあり方に態度価値実現はかかっていると言える。以上のように、フランクル氏の いう「意味実現の3つの方向」は関係(つながり、紳)の観点から解釈することが 可能であることを指摘しておきたい。また、緩和ケアにおける「態度価値」につい ては、患者さん、家族、医療従事者等患者さんにかかわりを持つ全ての人が価値実 現の可能性を有している、といえよう。 -73‐ 3ある事例報告に対する批判 筆者が知る限り緩和ケアに関して、フランクル氏のいう「意味実現の3つの方向」 が言及されることは、めったに無いように思う。vで述べられるように、「意味」と いう言葉は比較的よく用いられるに用いられるにもかかわらず、である。 例外ともいうべきは、佐賀県立病院好生館緩和ケア病棟の牧野毅彦氏らの論文 (事例報告)で、フランクル氏の「創造価値」「体験価値」「態度価値」が取り上げ られている46・牧野氏らは、M氏(27歳男‘性、右肩部胞巣状軟部肉腫等)が緩和ケ ア病棟に整形外科病棟から転院した事例を報告している。同氏らはM氏の闘病の記 録を、第一期(目標を定めて一つ一つ乗り越えた時期:妻の出産に立ち会い、在宅 ケアに切り替える。)、第二期(子供の成長を生きる糧にしていた時期:毎日の子供 の成長を見つめそれを生きがいとしていた。)、第三期(再入院し、死を間近に感じ 始めた時期:呼吸困難で再入院し(入院により呼吸困難は改善)、妻、子供、両親と 穏やかに入院生活を送る。「以前から、骨折で立てなくなったら一つの区切りにしよ うと思っていた。もう眠らせて欲しい。」とセデーションを希望する。)、第四期(家 族とのつながりの深さに気づき淡々と生きた日々:セデーションを開始し、一時深 い昏睡状態になったが、その後覚醒し、「死んだ夢を見た。しかし、死んでもまだ、 妻や子とのつながりが終わるわけでないことを知り、もう少し頑張って生きてみよ うと思った。」と話し、永眠するまで淡々と生きた。)、に分けて述べている。 牧野氏らは、M氏の闘病の第一期を創造価値の実現、第二期・三期を体験価値の実 現、第四期を態度価値の実現、と見なしている。だが、筆者は牧野氏らのフランク ル氏の「意味実現の3つの方向」理解には疑問がある。例えば、M氏の闘病の第一 期だが、末期の病がである同氏が(おそらく最初で最後の子供の誕生と意識しつつ)、 出産の立ち会いという意思決定(態度採用)をしたのだから、むしろ態度価値と解 釈したほうがいいのではないか。第二期・第三期そして第四期も、其々体験価値、 態度価値とは筆者は思わない。第二期・三期だが、牧野氏らは「..、子供の成長 を見守ることで体験価値の実現を行った'7。」と述べている。だがフランクル氏は体 験価値について「出会いと経験によって世界から何を彼が受けとるかということで ある18。」(傍点原文のまま)と述べている。2のフランクル氏の引用が示唆する如 く、体験主体の受動性に体験価値の特色があると言える(それに比し創造価値は、 「...、創造によって世界に対し何を彼が与えるかということである.'9。」(傍点 原文のまま)とフランクル氏は述べている。)「子供の成長を見守る」ことが受動的な 体験だとは筆者は思わない。我が子とともに過ごすことで、M氏は子供に何か大事 なことを与えていたのではなかろうか。筆者はM氏の「子供の成長を見守る」こと が、貴重この上ない体験であることを強く肯定する。ただ、それがフランクル氏の いう体験価値の実現、という主張には賛成できない。第四期について牧野氏らは、 「..、家族の紳の深さを実感し家族の愛情のなかで淡々と生きることで態度価値 -74‐ の実現を行った50。」と述べている。これも至福の体験と言えるが、それが果たして フランクル氏のいう「態度価値」であろうか。もう1回2を振り返って欲しいが、 フランクル氏は「(態度価値の前提として)変えることのできない運命」を強調して いる。そして態度価値実現の際、その価値実現者は「変えることのできない運命」 (=苦悩)を強く意識しているものだろう。苦悩を意識しつつ採用する「態度」だ からこそ価値が高いといえる。第四期のM氏は、果たして苦悩を強く意識していた だろうか。緩和ケアにおけるスピリチュアルケアについてフランクル氏に注目する、 ということは鋭いが、牧野氏らの「意味実現の3つの方向」理解が十分でないこと を残念に思う。 V日本スピリチュアルケア界における「意味」の状況 スピリチュアリティと意味との関係を論じた文書はない旨述べたが、日本の臨床 家等が「意味」という言葉が、臨床現場に置いて重要な意味を持つことに気が付い てないわけではない。むしろそれは強調されているといってよい。例えば、森田達 也氏らは「霊的苦悩(spiritualpain)」を「意味の喪失に基づく実存的苦痛51」と見 なしているようである。また冒頭に述べた村田久行氏は「意味」を非常に意識して いる(後述)。窪寺俊之氏は、村田氏の冒頭の発言と同じく、スピリチュアリティと 「意味」との関係を示唆する次のような発言をしている。「私たちの人生の根源であ り、人生に意味と価値を与えてくれるスピリチュアルな世界に心を傾きはじめまし た。今日のスピリチュアルな世界への関心が私たちの生活に豊かさを取り戻させて くれることを期待したいと思います52。」 1臨床家又は患者さんがいう「意味」 心理臨床の立場からスピリチュアリティについて発言している諸富祥彦氏は、 氏の50代の男性クライエント(夫婦関係の悪化によってうつ病を発症)が次のよ うに述べたことを記している。「もちろん、うつが治ったことや、夫婦の関係が穏 やかになってきたことは、喜ばしいことなんです。けれども、今はそれ以上に気 になることがあって.・・・それは、いったい僕のこの人生に、どんな意味があ ったと言えるのだろうか、ということなんです・・・53」柏木哲夫氏はスピリチ ュアルペインの分類について述べているが、最初に挙げているのが「生きる意味 への問い」である。柏木氏は言う「・・・・具体的には、ある患者さんは『こん なになって生きていてもしょうがない』と言われました。・・・それからある方は 『私の人生は一体何だったのだろうか』と言われました5』。」 臨床実務では、諸富氏や柏木氏の述べるような訴えをする患者さん等が多いの だろう。スピリチュアリティの定義等に「意味」又はその派生語を用いていた論 者が10名中6名いたことを、『先端倫理研究第5号』の拙論文に書いたと冒頭 -75‐ で述べたが、その6名とも臨床実務に従事するものである(全員が日本人ではな い)。その6名の存在は、彼/彼女らの患者さん等が「意味」に関連すること、も っと具体的にいえば「無意味感」を訴えることが多かったのではと筆者は想像す る。無意味感とは、具体的には上述の諸富氏や柏木氏の患者さん等の訴えだが、 言い換えればスピリチュアルペインといえる。スピリチュアルペインは村田久行 が定義づけたことで有名だが、次に、その定義の紹介ばかりでなく、本稿との関 係で、村田氏の理論の一部を紹介したい。 2村田久行氏のスピリチュアルケアに関する理論 上記の理論は、大きく言って2つに分けられると思う。第一は、村田氏がスピ リチュアルペインを「自己の存在と意味の消滅から生じる苦痛55」と定義付けた ことである。 第二に、「・・・終末期患者の表出する苦しみの言葉から時間存在、関係存在、 自律存在である人間のスピリチュアルペインを見出すことで、このスピリチュア ルベインの構造解明を試み56」たことである。この第二の点についてもう少し詳 しく述べてみよう。 (1)時間存在である人間のスピリチュアルペイン(日常の生の時間構造とスピリ チュアルペイン57) われわれの日常の生は、時間存在である人間として成立している。時間存 在である人間とは、われわれの生きる意味と存在は時間のなかで成立してい るということである。・・・人間はすでに与えられている既在(過去)を引き 受け、投げ込まれた現実のなかから可能性を前方(未来)に開くことで将来 を生み出し、その将来の実現に努めることで現在の生に意睦を見出している。 すべての人が時間存在である人間として、将来と過去とに支えられて現在の 童睦と存在を成立させているのである。 ところが、時間存在である人間は死の接近によって将来を失う。将来を失 った人間には、現在の童珪と存在が成立しない。間近に死を自覚し、将来を 持てない終末期患者は、自己の生の無意味、無目的、不条理というスピリチ ユアルペインを感じるのである・・・(下線部上村)。 (2)関係存在である人間のスピリチュアルペイン5脚 ・・・死に臨み、他者との関係の断絶/孤立に意識の志向‘性が向けられる時、 終末期患者は自己の存在に支えを失い、アイデンティティの喪失、孤独、生の 無意味というスピリチュアルペインを実感する。・・・・自己のアイデンティテ ィ(存在と童睦)は、他者との関係のなかで他者によって与えられるのである。 しかし、関係存在である人間は死の接近によって他者との関係の断絶を想い、 自己の存在と生きる童珪を失う。自己の存在と意珪に支えを失う終末期患者は、 -76‐ アイデンティティの喪失、孤独、生の無意味というスピリチュアルペインを強 いられるのである・・・(下線部上村)。 (3)自律存在である人間のスピリチュアルペイン51’ 自律存在である人間とは、自分のことは自分で行い、自分自身をコントロー ルすることによって“自立,,(independence)し、“生産的,,(productive)であ ることに人間として最も重要な価値おく人間の在り方をさす。自律存在である 人間の存在と意味は、自立と生産‘性とに支えられている。 しかし、患者は死の接近によって身体が衰え、さまざまな「できなくなる」 を体験する体験する。そして自立と生産’性に価値をおく患者の意識が自己の不 能や役に立たないこと、他者への依存に向けられる時、自律存在である人間の スピリチュアルペインが表出される。「人の世話になって迷惑かけて生きていて も何の値打もない」「自分で自分のことができないのは、もう人間じゃない」「何 の役にも立たない、生きている価値がない」 自立を失い、人に依存する自分、役に立たない、負担となる自分を実感する ことによって、自律存在である人間は生の無価値、無意味というスピリチュア ルペインを感じるのである・・・(下線部上村)。 「(無)意味」という言葉が、3つのスピリチュアルペインで頻出してくることは注 目してよい。最初に述べた村田氏のスピリチュアルペインの定義も「自己の存在と意 味の消滅から生じる苦痛」であった。少なくとも村田氏は、スピリチュアルペインと 「無意味さ」を深く関連付けているに違いない。このこと自体筆者は高く評価したい。 筆者自身「無意味さ」をスピリチュアルペインの中核と考えるからである。 だが、村田氏のスピリチュアルペインの定義には疑問がある。というのは、村田氏 の同定義は専ら終末期医療を意識したもので、死を身近に意識しないものには必ずし も適用されないのではないか。例えば1で述べた、諸富祥彦氏が述べたうつ病の患者 さんは、「死」を強く意識しているとは考えられないが(うつ病の症状は緩和されてい った60、という。患者さん本人も「もちろん、うつが治ったことや、夫婦の関係が穏 やかになってきたことは、喜ばしいことなんです。」と言っている。同患者さんの「無 意味さ」が精神医学的症状の1つとは考えにくい。)、「無意味さ」をはっきりと表明し ている。末期の病でなく、しかも希死念慮がなくとも、スピリチュアルペインを感じ るケースは想定しうると思うが、そのようなケースで、村田氏のスピリチュアルペイ ンの定義「自己の存在と意味の消滅から生じる苦痛」は馴染み難いだろう。諸富氏の 患者さんは、「死」(自己の存在の消滅)を強く意識しないとしても、「無意味さ」を訴 えることで、スピリチュアルペインを表明しているといえる。そこで私は、スピリチ ュアルペインを次のように定義したい。「人生の全部若しくは一部に対する、個人にと って耐えられない無意味感又はそれに関連する痛み。」「無意味感」でもそれが個人に とって耐えきれるもの、個人が抱えて生きていけるものは、スピリチュアルペインか -77‐ らは除外したい。多かれ少なかれ、人は「(人生の)無意味さ」を時折感じながらも、 それを乗り越えていっているのではなかろうか。仮に「人生とは無意味だ」と主張す る人がいても、彼女/彼がその「無意味感」と“ともに,'生きているのなら、むしろ彼 女/彼の尊厳を示すものであろう。そういう尊厳を極端な形で示しているのが、アルベ ルト・カミュ著『シーシュポスの神話』のシーシュポスであろう61。「無意味感」が個 人にとって耐えられないものになったとき、人はスピリチュアルペインを感じている といえ、援助者の介入が必要になると思われる。 Ⅵ結語 以上、スピリチュアリティと意味について述べてきたが、(無)意味がスピリチュ アルケアないし心理臨床において重要ならば、当然それに焦点を当てた介入方法が考 えられる。それがⅣ1で述べたWiniamBreitbart氏(ら)が創始した meaning・centeredtherapy(意味中心療法)である。「・・・ホロコーストの生存者 の精神科医として、フランクルは、強烈な肉体的・心理的苦悩から抜き出て、人間は、 意味への意志、つまり、自分自身のニーズより偉大な何かと関わりを持つという本質 的欲動への意志、そしてこれを通じて、意味と自己超越を見出す意志、を持っている と確信させられた。フランクルはまた、苦悩に対しての態度を含め、意志の自由、個 人には、各々のかけがいのない存在に意味を選択する権利がある、と強調した。彼は、 3つの主たる人生における意味の源は、創造性、体験、態度に由来すると信じていた。 フランクルのロゴセラピーは、患者さんが、彼(女)らは誰であるか、彼(女)らが 現状をいかに解釈したがっているか、そして彼(女)らは、残った時間内で何になり たいか又は何をしたいかを発見するのを援助することで、心理的苦痛(psychological distress)を和らげようとしている。 意味中心療法は、以上の概念を進行がんの患者さんに適用して、7週間・各週90分 のセッションの間行われる。[進行がんの患者さんの]グループは、教育、話し合い、 そして特定のテーマに関する体験的活動を用いる。これらは、以下のことを含む。 1意味の概念と意味の源 2がんと意味、意味と人生の歴史的脈絡 3物語を語ることと人生計画(lifeprOject) 4限界と人生の有限性 5責任、創造性、そして行為 6自然、芸術、ユーモアの体験 7グッドパイそして未来への希望 支持、振り返り(reflection)、そして人生における意味と目的の問題についての方向 づけられた(directed)焦点という、この混合体を通じて、限られた予後の患者さんた ちは希望を取り戻し人生の質を高める62。」([]は上村)とDavidWKissane氏らは ‐78‐ 述べている(この引用箇所は、共同執筆者の1人WilliamBreitbart博士の筆による ものと思われる。)。 「意味」に焦点を当てるというBreitbart博士の着眼は素晴らしいと思っている。 何故なら意味(meaning)が、特に危機状態にある人間にとって、重要な概念である旨 はⅢの最後に述べたが、危機(苦悩)の意味を悟ることによって、危機(苦悩)は軽 減され、「生きる意味」と「希望」を得ることができると考えられないだろうか。同博 士は、がんの患者さんに対する集団の(「意味中心療法」は、個人療法もあり得る63。) 意味中心療法を「スピリチュアリティ・意味中心集団心理療法(spirituality-and meaning-centeredgrouppsychotherapy)」と呼んでいる6.'・筆者の想像だが、「スピ リチュアリティ」や「意味」を中心の療法だから、実態は心理療法というよりも、ス ピリチュアルケアに近いのではなかろうか。ここで問題となるのは、心理療法とスピ リチュアルケアの違いである。これはある意味で大きな問題である。現在の筆者の理 解は、心理療法はまさしく心理的な問題(不安、心配、強迫症状等)を扱うのに対し、 スピリチュアルケアは実存的問題(存在、(無)意味、生きがい・死にがい、価値等)と 言えそうな気がする、という程度である。だが、Chochinov博士によれば「死が近づ くにつれ身体的苦痛(somaticdistress)と心理的又はスピリチュアルな不快 (disquietude)は、それほど明確でなく大いに絡み合っている、というのもまた明らか である65。」という。Chochinov博士の言葉を考慮するなら、スピリチュアリティ・ 意味中心集団心理療法では、身体的・心理的・スピリチュアル・社会的各領域の問題 が混然一体となっているのだろう。だが療法の中心は、「スピリチュアリティ」「意味」 なのであろう。 日本人は、西洋人に比べると無宗教だとよく言われる。だからこそというべきか、 宗教的にも非宗教的にも機能する「意味」という概念を対人援助行為、特にスピリチ ュアルケアで注目する(焦点付ける)ことは、この上なく興味深い試みといえる。日 本ではスピリチュアリティは、宗教(性)と関連付けられる傾向が強く、言い換えれ ば、わが国ではスピリチュアリティの宗教的な部分が専ら注目され、スピリチュアリ ティの非宗教的な部分(非宗教的なmeaningの側面)に言及させられることは、ほと んどなかったのではないかということである。 注 1『先端倫理研究第5号』(熊本大学倫理学研究室紀要・2010年3月)149-171頁 2(前注1)159頁。5人と書いたが6人と訂正しておく。 3平成23年10月4日現在、CiNii及びMAGAZINEPLUSで「スピリチュアリテイ、意 味」をキーワードとして論文検索をしたが、ヒットはなかった。 ・lJaniceClarke,”ADiscusionPaperaboutMeaning,intheNursingLiteratureon Spirtuality:AnlterpetaionfMeanigas“UltimateConcern,'UsingtheWbrkof PaulTinich,血Z巴ma釦naノcノbuma/OfjVUI:smgSZudjBS43C2り0畝916 -79‐ 5DavidWKisanetal,‘Dignity;Meaning,andDemoralization:Emerging ParadigmsinEnd・of・LifeCare?,,錘mBbQAofP胃y砥hな”、"ZZja"”“z1e,ed・ 623,)90serPytivnUdbfxO(traieBmnWdavoihcCxMyevraH 6村田久行「臨床に活かすスピリチュアルケアの実際5スピリチュアルケアの実際[2] -スピリチュアルアセスメントとアプローチー」151頁、『ターミナルケアVbL13No,2 MAR、2003」所収 7JohnD,Morgan,‘‘Thexistentialquestfbrmeaning,"Dea坊a"d6わir2jruaj雌Z KennethJDokawithJohnD,Morgan(NewYbrk:BaywodPublishingCompanyb 5 ,)391 8『研究社新英和大辞典第六版』(研究社。2006年)、1647頁 9(前注8)1534頁 ’oOxfbrdAvancedLearnersDictionaryウ7thEditon(電子辞書) lCharltonLaird,雁鮎彪rbjVbwI化r9kfZhesaurs(ATimeWarnerCompany;190), 254 12樫尾直樹『スピリチユアリテイ革命現代笠性文化と附かれた派教')可能性』(春秋社。2010 年)、35頁 1 秘 emubノegmZabHeh3 Z,mahgn0 iuC,JriatslA1 坊 gmoc,w/城 Ce心 s窓 cnhCf。: oiratnO(r 1 ,)291,skoBretoPyeK3 2 14例えば小浬竹俊著臓しむ患者さんから逃げない1医療者のための実践スピリチユアル ケア』(日本医事新報社.2008年)11頁、ウァルデマール・キッペス箸『スピリチュアル ケア病む人とその家族.友人および医療スタッフのための心のケア』(サンパウロ・2005年)44-45 頁 ’5張賢徳「特集にあたって-スビリチュアリテイと精神科l長旅を考える-」159頁、『こころの臨 床a・la・Carte第24巻2号』(星和書店.2005年)所収 16『新版心理学辞典』(平凡社.1985年)760頁 17小塩真司「精神的回復力」84頁、堀毛一也編集『現代のエスプリポジティブ心理学 の展開「強み」とは何か、それをどう伸ばせるか』(至文堂・2010年)所収 ’8(前注17)84頁 ’9コーピング(Coping)とは「生活過程で生起するストレス状況において、生活体がそのス トレッサーを回避したり、自身が利用可能な対処資源を駆使することによってストレッサ ーに対抗しようとする対処行動をコーピングという。これには個人の対処資源だけでなく、 多様な社会資源や援助技法の活用も含まれる。・・・。」(秋元美世・大島巌ほか編集『現代 社会福祉辞典』(有斐閣・2003年)137頁) z()BetsyL・Fife,“TheConceptualizationfMeanignles,,,SbcSbijMbdVb1.38. No.2,31 z'窪寺俊之『スピリチュアルケア学序説』(三輪書店・2004年)8頁 22(前注21)13-15頁 23(前注21)14-15頁 24例えばPhilipBurnard氏はSEARCHINGFORMEANINGというタイトルの論文で、 「この論文では、スピリチュアリテイは,意味の探求(asearchfbrmeaning)と関連するこ ととして見なされる。」と述べている(NURSINGTIMESSEPTEMBER14,VOL84, N037,19834) 25.supranote20,310 26supranotelO 27砂賀道子、二渡玉江「がん体験者のレジリエンスの概念分析」、『北関東医学』(2011)、 135頁 28(前注27)、139 z9IraByock,“PersonalGrowthandHumanDevelopmentinLifb-Threatening -80‐ Conditions,”H2mdBbokofBミァ℃h必tI:y、庇31雄〃”“”,ed、HarveyMax 982-,)0serPytivnUdbfxO(aerBmilWnvohcC 30MarianeJ,Bradyetal,"ACasefbrlncludingSpiritualityinQualityofLife MeasuremntinOcol部R5iy℃ho-OJrcoノロgア8:418(19).ここの文脈で、spirtualityと spiritualdomainは同義と考えて差し支えないと判断した。 3’StefanVistendal"Resilencadspirtuality;”』?esiZj色ncemR2Ziatだ“z1e, AGhj…mejztadVg,雷”ed、BarbMonreadDviOler(OxfbdUniverstyPes, 1 ,)7022 4 32WilamBreitbar,"Spirtualityandmeanignsuportivecar:spirtuality-and meanig-centerdgroupsychotherapyinterventioniadvancedcancer,,, SUpQr"”C圃把mC2mcer(Springer-Verlag・201),3.KarasuとはmByramKarasu で参照論文名は"SpiritualPsychotherapy",Ame"ban‘ノbumaIQf脇y唾jho坊e膨獅;”蝿 jVb、2SPm1gZ9991Bradyらの論文とは、supranote30、 33ibid・’4 34Harvey8MaxChochinovetal.“DignityTherapy:ANovelPsychotherapeutic lnterventionfbrPatientsNeartheEndofLife"・ノbumaIofCZmibaノOncQノbg,' 5520-5525、(VOLUME23.NUMBER24.AUGUST202005),(「デイグニテイセラピ ーー終末期患者に対する新しい精神療法的介入」69頁~88頁、『デイグニテイセラピーの すすめ大切な人に手紙を書こう』(金剛出版・2011年)所収)、H、M、Chochinov; "Dignity-ConservingCare-ANewModelfbrPaliativeCareHelpingthePatientFel Valued,,,eZ4j1z42253-2260(May1,2002)(「尊厳を守るケア-新しい緩和ケアモデル患 者が自らに価値を感じるように援助する」39頁~68頁、前掲書) 35supranote5,324-340 36supranote5,333-334 37WilliamBreitbart博士(ら)によって執筆された意味中心療法関係の論文は幾つかあ る。supranote32の他、”Meaning-CenteredGroupPsychotherapy,”ChristinaM Puchalski,AZimeibrLjStEn血Zgand“mZgSRZR"'Z4Lm'AZDT1”“REOF兜” CHBOMとZ4LYjA人ZDmノG(OxfbrdUnivestyP,206)9-8."Cancerdth ExperienceofMeaning:AGroupPsyChotherapyProgramfbrPeoplewithCancer,,, Aj4EZRI“jVeノoZノロRA凶LOFBgyUHmlHERAPXVbL54,No.4,Fall2000,486-500, "PsyChotherapeuticInterventionsatheEndofLifも:AFocusonMeaningand Spirituality,,,C2mJRミyEhjat砿V01.49,No.6,June204,36-372,“Impactofa Meaning-CenteredlnterventiononJobSatisfactionandonQualityofLifbamong PaniativeCareNurses,,,野BynHo-OjVCDLOGY182009,1300-1310, "Meaning-CenteredGroupPsychotherapyfbrPatientswithAdvancedCancer:APilot randomizedControlledmal,"詔ynHD.αVりりLOGY192009,21-28を筆者は入手し たが、他にもあるかもしれない。 38『夜と霧』(池田香代子訳、みすず書房・2011年)の英語版。但し、jM2mi9seaz℃hjbr mea"ingの一部は『夜と霧』には訳出されていないが、『意味による癒し』(V・E・フラン クル著、山田邦男[監訳]、春秋社.2011年)「第一章意味による癒しロゴセラピーの 基本概念」に訳出されている。だが、山田氏監訳の同訳書同章が依拠した原典UM2m台 Seaz,Ghわrmeamng)は、筆者が参照したものと出版社等が異なる(前者は1964.Hodder andStoughton,後者は1984.POCKETBOOKS)。 39“supranote5,333 40V.E・フランクル・山田邦男/松田美佳訳『それでも人生にイエスという』(春秋社. 2009年)72-73頁 41V.E・フランクル・霜山徳爾訳『死と愛実存分析入門』(みすず書房・2005年)120 頁 -81‐ ・l2このことを最初に筆者に教えてくれたのは、HarveyMaxChochinov博士である。 2010年2月7日付け、同博士から筆者へのe-mailにて。 43V.E・フランクル・大沢博訳『意味への意志ロゴセラビーの基礎と適用』(ブレーン出版・ 1986年)85頁 44(前注40)76頁 45小津竹俊著『緋しむ忠者さんから逃げない!医療者のための実践スピリチユアルケア』 (日本医事新報社。2008年)45頁 46「若くして死に直面しなければならなかった患者と共にすごした八一日間」227-228 頁、日本死の臨床研究会編『スピリチュアルケア死の臨床10』(人間と歴史社。2003年) 47前注(46)228頁 48前注(43)83頁 49前注(43)83頁 5o前注(46)228頁 5’森田達也、角田純一、井上聡、千原明「終末期癌患者の実存的苦痛」『精神医学』(医 学書院・1999年)41(9)、995 52窪寺俊之「スピリチュアリテイと心の援助」26頁、窪寺俊之編著『癒しを求める魂の 渇きスビリチュアリテイとはなにか』(聖学院大学出版会・2011年) 53諸富祥彦「カウンセリングとスピリチュアリティーカウンセリング/心理療法において スピリチュアリティが問われる様々な場面」16頁、諸富祥彦・富士見ユキオ編集『現代の エスプリカウンセリングとスピリチュアリティ』(至文堂・2011年)所収 5』柏木哲夫「病む人の魂に届く医療を求めて」44頁、(前注52)所収 55村田久行「臨床に活かすスピリチュアルケアの実際2スピリチュアルペインの構造と ケアの指針」422頁、『ターミナルケアVbL12No、5SER2002』所収 56村田久行「臨床に活かすスピリチュアルケアの実際3スピリチュアルペインの構造と ケアの指針」521頁、『ターミナルケアVbl、12No.6N0V:2002』所収 57(前注56)522頁 58(前注56)523頁 59(前注56)523-524頁 60(前注53)16頁 61アルベルト・カミュ「シーシュポスの神話」21卜217頁、『シーシュポスの神話』(新 潮社・2006年)所収 62supranote5,333-334 63supranote5,333 64supranote32 65HarveyMaxChochinovb,''Dying,Digni鉱andNewHorizonsinPalliative End-ofLifbCare,”Ckmcercノbumaノjbramjbj2msbVblume56・Number2.MarchノApril 2006 追記 筆者のe-mailアドレスを公開しておく。kenjirouemura@aioros・ocn・nejp、御批判等期待 している。 ‐82‐